ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








近況  |   一考

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 新たに購入した自家用車である。随分と迷ったが、どうにもならないときがあって室内用の柔な(軽量)代物に決めた。室内用とは云っても近辺を彷徨くのに用いる。障害者用の住居ではないので通路が狭く電動式の車椅子は使えない。
 
 輸血もし、エリスロポエチンも打ったが、ヘモグロビンは9.0、ヘマトクリットは29.3、目標には届かない。もっかフェロミア50㎎を1日4錠、これを含めて1日34錠の薬剤を服用している。
 血液検査の結果、身体の酸性度と塩分濃度が高すぎると医師から注意を受ける。戸田で乳製品を半年間禁じられたのを思い起こす。移植腎が弱っている身には牛乳、バター、チーズ、ヨーグルトは禁忌のようである。整腸剤にはミヤBM、ビオフェルミンR、ビフィズス菌配合剤などがあるので問題はないのだが。この20年、家に塩は置いていないが、如何せん自炊がまったくできなくなった。チャーハンがレンジでできるようになったのはよいが、レトルト食品は塩のかたまり、こればかりはどうにもならない。
 貧血のせいかとにかく寒い。ユニクロのダウンジャケットを着てストーブにしがみついている。


投稿者:   一考  日時: 2023年04月13日 06:48 | 固定ページリンク




案じております  | ハセガワ    

余寒の厳しい折、どうかお大事になさってください。


投稿者: ハセガワ      日時: 2023年02月23日 10:41 | 固定ページリンク




下血  | 一考    

1月5日から下血と禁食の繰り返し、ヘモグロビン9.6、ヘマトクリット値は30を目標に輸血でなんとか凌いでいますが、思うようにいきません。要するに下血による重度の貧血です。輸血は対症療法にしかならないのですが。


投稿者: 一考      日時: 2023年02月18日 01:00 | 固定ページリンク




2月5日  | ハセガワ    

お誕生日おめでとうございます!お元気でしょうか…


投稿者: ハセガワ      日時: 2023年02月05日 23:55 | 固定ページリンク




『夕映少年』のルリユール完成のご報告  | うがぴょん    

雪華社から出版された中井英夫著『夕映少年』のルリユールの件では、快くご諒承くださりどうもありがとうございました。
お陰様で藤井敬子先生の手になるルリユールが無事に完成いたしました。
先日、メールにてご報告させていただいたところですが、不達の虞もあることから、改めてこの場にてご報告させていただく次第です。
書影を添えることが叶いませんので文章にてご説明いたしますと、表紙は紺を基調とした山羊革と仔牛革のオンレイモザイク・インレイモザイクで夜空に輝く乙女座を表現し、黄を基調とした楮和紙の見返しと4色3段編みの花布、天金によって夕映えを表現していただきました。
いつか実物をお目にかけることが出来ればと思っております。
急に寒さが増してまいりましたが、くれぐれも御身お大切になさってください。


投稿者: うがぴょん      日時: 2022年12月01日 22:12 | 固定ページリンク




無題  | 一考    

 今朝、室温が20度を下回った。これから寒くなりそうな気配に布団を一枚増やす、もっとも夏物のキルトケットを重ねるだけだが。欧州が暖冬ゆえ、日本は厳冬になりそう、今年は毛布か中古の羽毛ふとんを買おうかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2022年11月15日 23:04 | 固定ページリンク




一考さん  | 長谷川大輔    

折にふれ覗いておりますが、如何お過ごしでしょうか。タリスカーを嘗めつつ、赤坂時代の砂肝を思い出して拝顔したいなぁと思うこの頃です。


投稿者: 長谷川大輔      日時: 2022年11月13日 23:23 | 固定ページリンク




神戸西補聴器の伊藤芳樹さん  | 一考    

 午前中に区役所へ、片道25分の原付ドライブ。5回目にしてやっと近途を覚えたようである。補聴器を付けたまま走りホンダのエンジン音を楽しむ。最高速度は80キロ、ウインカーのカチカチというリレー音が強く聞こえて愕く。いつも無音で走っているので斬新である。
 補聴器だが、若い女性の甲高い早口には通用しない。役所へ行ったついでにマイナンバーカードに付帯するポイントの使い方を聞こうと思い、担当者のところへ赴いたのだが、まったく聞き取れない。難聴でと何度云っても、最初の一言二言だけですぐ戻ってしまう。どうやら早口を自慢に思っているらしい。お喋りがつづいている最中に「失礼」とだけ述べて逃げ帰った。
 それと正反対なのが、 神戸西補聴器の伊藤芳樹さん、彼とは補聴器なしで話し合える。さすが認定補聴器技能者である。補聴器のアクセサリーとパーツについていろいろと教わった、感謝している。


投稿者: 一考      日時: 2022年11月01日 18:13 | 固定ページリンク




(元気ですかぁ)アントニオ様  | 一考    

 ご購入有難うございます。小生は既に隠居の身ゆえ悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2022年10月31日 18:20 | 固定ページリンク




コーベブックス時代の須長朝彦さん「天使」を入手致しました。  | アントニオ    

素晴らしい造本、心のこもった文章や挿絵に感動致しました。

美しい本を創ってくださったことに感謝いたします。

本欄を発見、ご迷惑ながらご連絡させていただきました。

(当方神戸・明石生まれ育ちで現在神保町に住んでおります)


投稿者: アントニオ      日時: 2022年10月27日 14:50 | 固定ページリンク




大人の耳  | 一考    

 気導聴力が20デシベル以内ならほぼ正常、30~40デシベルなら軽度難聴(小さな声が聴きにくい)、60デシベルなら中等度難聴(日常会話に支障あり)、80~90デシベルなら高度難聴(日常会話ほぼ聞こえない)となる。わたしの右耳は85.8、左は60.0、左右共に立派な大人の耳である。
 「大人の耳」はスピーカーのテレビCMだが、現実には小児難聴の方が問題である。先天性難聴は新生児約1,000人に対して1乃至2人の確率で罹患する、他にも滲出性中耳炎・慢性穿孔性中耳炎・中耳奇形・中耳真珠腫などがあって神大病院の小児難聴の科目は賑わっている。

 先日、医師から補聴器購入と調整はどこの病院でと訊かれた、ヤフオクで買い調整は自分でと応える。4.5万円はするが、いくらで買ったのか。4000円ですが既に5器購入しました。そんな方法があるのね、はじめてのケースです、と医師同士で笑いころげる。補聴器の選択と調整は病院の仕事で、それができるなら診察はもう不要です。
 わたしの耳は日々聞こえなくなっている。半月毎に調整しなおさなければならない。みなさんはどうしているのやら。早晩、左耳も高度難聴になります、とにかく耳に負担をかけないように、補聴器のボリュームも極力下げて用いてください、との医師の言葉をあとに病院を出た。


投稿者: 一考      日時: 2022年10月12日 13:33 | 固定ページリンク




音のない世界  | 一考    

 フォナック、リオネット、オーティコン、シグニア(シーメンス)、ワイデックス、ベルトーン、リサウンド、スターキー、主な補聴器メーカーである。わが国には集音器メーカーは数あれど補聴器メーカーは尠い。わたしの右耳は機能が失われてしまったので補聴器を用いたところで聞こえない。残された左耳だがこのところ目立って性能が落ちてきた。医師によると織り込み済みだそうな。
 風もひとも車も無音で過ぎゆく、家のなかにいてもトイレの水音が聞こえないのはまだしも、洗濯機の音が聞こえないのには呆れかえる。補聴器には耳あな型、耳かけ型、ポケット型の三種があるが、わたしはポケット型のアナログ方式を用いている。さんざん試した結果、わたしにはリオネットの高・重度難聴用のアナログ方式がもっとも相性が良い。デジタル方式と違って調整に手間取るが、それがまた愉しいのである。
 長時間イヤホンをしていると中耳炎になる。ひとつしかない耳が中耳炎になればそれこそ音のない世界になってしまう。医師からもその点は留意するように云われている。よってモノラルのインナーイヤー型がよろしいのだが、そのようなイヤホンを用いた補聴器など存在しない。困ったものである。

追記
 リオネットは国産メーカー。
 https://miru-kiku.jp/hikaku/


投稿者: 一考      日時: 2022年08月18日 20:12 | 固定ページリンク




大泉史世さん逝去  |   一考

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 書肆山田の大泉史世さんが19日に亡くなった。鈴木一民さんの哀しみは察するにあまりある。詳細は一切著さない。一民さんが発表なさるところに合わせたい。


投稿者:   一考  日時: 2022年05月22日 17:45 | 固定ページリンク




SWIFTからの排除  | 一考    

 プーチンが求めているのはウクライナの無条件降伏だけではなく、全東欧の非武装中立である。そのために核の使用をちらつかせている。バルト三国やポーランド(リトアニアと国境を接したカリーニングラードを理(ことわり)にして)が真っ先に侵略されるだろうが、それが分かっているが故に、2週間ウクライナが持ちこたえればNATO軍の一部が援助に這入るのでなかろうか。なにを示唆しているのかと云うと今回の紛争はかなり大きくなるということ。
 SWIFTからの排除が決まったが、これでロシアは金融危機に見舞われる。気が狂れたプーチンを追い詰めるのは良いのだが、約1,830発の戦術核弾頭をロシアは保有している。


投稿者: 一考      日時: 2022年02月27日 12:41 | 固定ページリンク




ウクライナ侵攻  | 一考    

 ロシア軍のウクライナ侵攻がはじまった。米軍やNATO軍は見て見ぬ振り、プーチンの思い通りにことは運ぶのだろう。ロシア、中共、北朝鮮の帝王はみなさんよく似ている。ウクライナは一週間と持たないだろうが、NATOは膨大な難民を受け入れるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2022年02月24日 14:02 | 固定ページリンク




免許更新  | 一考    

 誕生日ゆえ、免許証の更新に行く。前項で記述したように中型(わたしの普通免許)と自動二輪以外を返納するつもりだった。ところが、9番(免許返納)の担当者からもう一度目の検査をしますと云われ、通常の視力検査と深視力検査を繰り返した。
 「向こうで2回、こちらで2回、深視力になんの問題もない、どうして返納するのですか」と訊かれた。「大型にはもう乗りませんので」と応える。「平成14年から大型二種免許は指定教習所で取得できるようになりましたが、あなたは一発試験で、しかも東京で取っている、合格率3%の難関です。視力が大丈夫なあいだは免許は大切にしてください」と説教されてしまった。
 大型二輪(俗にいう限定解除)同様、飛び込みで一発合格したときを思い出した。20人ずつ3組が試験を受け、わたしの組から二人が受かり、他の組は全滅だった。バイクはもっと大変で合格率は1%、「ベストライダースクール」と称した白バイによる指導講習を受けてやっと取得した。
 9番の担当者の親切には感謝するしかないのだが、乗りもしない大型二種、大型、牽引、大特の免許を抱えて帰ってきた。

 https://www.youtube.com/watch?v=vYpqnQqCWXo


投稿者: 一考      日時: 2022年02月06日 22:35 | 固定ページリンク




メンテナンス  | 一考    

 04年製石油ファンヒーターが点火しなくなった。しばらく前から着火時に白煙が出ていたので、気化器ジェットニードルにカーボンが詰まっているのだと思う。石油ファンヒーターは5年ごとに水抜きや気化器、火災検知ロッド、点火プラグの研磨清掃が必要だが、永年ほったらかし。況や去年の劣化灯油を用いたので猶更である。
 清掃は簡単なのだが、如何せん工具やサンドペーパーが出てこない。ええい儘よと中古を購入。ダイニチブルーヒーター12年製を2,600円で落札、部屋は暖かくなった。


投稿者: 一考      日時: 2022年01月24日 22:46 | 固定ページリンク




膵臓癌  | 一考    

 中共ウイルスの3回目ワクチン接種が2月8日に決まった。9日が神大病院なので、いままで同様、副作用がないのを願う。
 ところで西北さんから電話あり、膵臓癌で手術をなさるとか。電話ゆえ、詳細は分からないが、本当に膵臓癌なら大事である。早期発見が難しく治りにくい癌で(難治癌)の代表と云われる。梅木英治、湯川成一、到津伸子、安永蕗子、稲葉真弓、浦西和彦と多くの知己を亡くしている。無事の帰還を願いたい。


投稿者: 一考      日時: 2022年01月24日 18:55 | 固定ページリンク




奥平晃一さん逝去  | 一考    

 田島弘明さんよりメールあり、田村書店主奥平晃一さんが11月26日に亡くなられたと。16歳からのお付き合いゆえ、58年になる。連れ立って長野、山梨、群馬、新潟へと古書の仕入れに出掛けた。思いが溢れてくる。
 田島さんによると「12月いっぱいで1階和書部は奥さんも含め、店員全員が辞め、後は犬猿の仲だった2階洋書部の弟がやるそうです。これでこの店は全く別の古本屋になってしまう事でしょう。
 田村の親父とは40年の付き合いで、その間、随分阿漕な事もされましたが、近代文学、翻訳文学、限定本のいいところも頒けてもらいました。
 蔵書量・うぶい本の仕入量・品物の回転率・客を客とも思わず露骨に見下す態度においては日本一だったと思います。
 今も毎週末神保町に行っておりますが、あの親父がもういないと思うと、正直寂しく、大きな喪失です」と書かれている。
 過日、電話で3度に及ぶ手術のはなしを伺った。そちらは日を改めて。ご連絡いただいた田島さんに深謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2021年12月10日 19:31 | 固定ページリンク




アンチショック機能付トレッキングポール  |   一考

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 先日病院で80歳代と見られるご夫婦が珍しいステッキを持っていらしたので声がけした。欧州製のアンチショック機能付トレッキングポールらしく、通常のトレッキングポールと違うのはTクリップになっていること、末端のストックヘッドにはバスケットリングが付いている。
 写真のトレッキングポールで分かるように、Tクリップは必ず上向きにアールが描かれている。持ち上げるには良いのだが、体重をかけて押さえつけるには不向きである。Tクリップの上面は真っ直ぐであって欲しいと願っている。ご夫婦によるとリハビリ・介護に特化した交換用グリップがドイツのオッセンベルグやアメリカから出ているそうな。わが国だと介護用品専門店ひまわりの商品はいかがかしらと。既製のステッキに不満を覚えていたが、なるほど調べてみるものである。いくつになっても、教わることのみ多かりき。


投稿者:   一考  日時: 2021年12月04日 02:55 | 固定ページリンク




抜きん出た佃煮  |   一考

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 子持ちきくらげ佃煮【元祖ししゃもきくらげ丸虎食品】大容量1kg 1,600円。小袋もあるが、あまりの旨さにこれで良し。スーパーの値よりもアマゾンが安い。函館や福井、山口など、各地の土産物屋で販売されているが、小豆島の佃煮専門店である。きくらげは小豆島の特産品のひとつ。

追記
 佃煮だけで食事が終わってしまうのは悪しき癖、出汁巻きでも付けようか。


投稿者:   一考  日時: 2021年12月02日 13:39 | 固定ページリンク




moonさんと  |   一考

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 クレアチニンが2.85で高止まり、尿素窒素は40.2、身体は極端な酸性である。諦めてはいるものの、できるだけ進行を遅らせたい。シャントはそのまま残しているが、透析は勘辨願いたい。ファイザーの炭酸水素ナトリウムの服用を再開。腰痛や骨頭壊死の痛みがあっても痛み止めは服用できない。どうやら杖だけが友のようである。
 先日、moonさんと晤語、バラライカで食事。昔の店舗だが父に連れられて行った、小学生の頃である。バラライカでなくとも、moonさんといるだけでこころは休まる。


投稿者:   一考  日時: 2021年12月02日 12:34 | 固定ページリンク




大型二種免許返納  | 一考    

 高齢者講習は無事に終わった。教習所の担当者はさすがに二種免許をお持ちなだけあって減点箇所はまったくありませんとお世辞をいう。二種免許は荷物でなくひとを運ぶ、発進停車がいつ行われたのか悟らせない技術が必要である。翻ってわたしの運転がなっちゃないのは本人がもっとも理解している。
 教官が来年6月の法律改正で免許更新がさらに難しくなる、最小限必要なものだけにして他は返納した方が良いのではと教えてくださる。普通免許と自動二輪だけを置いて他は返納しようと思う。そして3年後の次回更新時に生きていれば、自動二輪だけにしようと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2021年11月21日 02:51 | 固定ページリンク




腰部脊柱管狭窄  | 一考    

 夏のタオルケットとして冷感蒲団を買った。現況、その上に夏物の羽毛蒲団を掛けているが、例年と違って妙に寒い。どうやら「冷感」が効いているようである。来週から気温が13度に下がるそうな、毛布や暖房器具を用意しなければ。

 先週、病院でレントゲン、骨頭壊死の序でに脊椎もお願いする。医師は一目でMRIや脊髄造影(ミエログラフィー)は撮るまでもない、軟骨の部分が磨り減って残っていない、これは痛そうだねと。原因は老い、治療法はないようである。神経ブロックは西明石の西明クリニックで過去受けていたと云ったところ、あのような名医はもういない、整形の医師ならだれでもブロックは打てるが、薦められる医師は当院にもいない。整形の医師より麻酔医が良いのだが、そちらで捜してくださいとのこと。泌尿器科で訊くと神鋼記念病院の麻酔医が巧いらしい、moonさんがかかりつけの病院である。

追記
 整形外科医によると、杖やカートを積極的に利用して前屈みの姿勢を保ったまま歩いて下さいとのこと。


投稿者: 一考      日時: 2021年11月18日 09:09 | 固定ページリンク




腰痛  | 一考    

 先週月曜日ゴミ捨ての日は生憎と雨、杖の代わりに傘を挿して5分の旅。ゴミは捨てたがそのあとがいけない、動かれなくなったのである。傘は杖の代わりにはならない。地べたに座り込んで10分ほど、ぐしょ濡れになった。這うようにしてなんとか建物のなかへ、階段に座り込んで小一時間の休憩。遠いゴミ捨てだった。
 日曜日は投票場で失態を演じる。市長選の名前を書き込む台に衝突、スタッフから大丈夫ですかとの問い。大丈夫ではないのだが、投票場に椅子の用意はない。笑って誤魔化し、誰に投票しようかと迷っている振りをして台にしがみつく。三枚目の比例区と最高裁判事に対する信任(許せるのは4名のみ)の折、投票台ごと顚倒してしまった。要は腰痛である。外出がますます億劫になる。


投稿者: 一考      日時: 2021年11月02日 02:01 | 固定ページリンク




認知機能検査結果  |   一考

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 21日の認知機能検査は88点。及第点が76点なのでなんとか受かったものの一夜漬けではどうにもならないと悟った。64枚の絵柄は覚えたものの思い出すのに手間取り時間切れ、なんとも無慚な結果に終わった。次回の3年後には条件反射で出てくるようにしなければならない。高齢者講習は11月9日火曜日午後2時から。そちらで70点以上取れば免許証が交付される。


投稿者:   一考  日時: 2021年09月30日 16:42 | 固定ページリンク




認知機能検査  | 一考    

 道路交通法による認知機能検査が今日行われる。算数や数学のような考える問題でなく、64枚の絵柄を四つのシュートごとに覚えなければならない。単なる記憶であってまったくやる気が生じない。一夜漬けになったが、なんとかなりそうである。このテストに受からなければ高齢者講習(実技講習)を受けられない。一夜漬けとはいえ、必死である。


投稿者: 一考      日時: 2021年09月21日 06:58 | 固定ページリンク




小岩の魚屋  |   一考

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 小岩駅のスーパー刺身売り場の一齣、旬の白身づくしと題して、赤むつ(ノドグロ)、かんぱち、いさき、ほうぼう、甘鯛、めばる、あいなめ、7貫で850円。シャポー小岩の魚力と思われる。握りの海幸寿司や海鮮巻が有名。東隣は市川駅だが、東京はやはり東に限る。写真下のカイワリはわたしの最も好きな魚のひとつ、シマアジに勝るとも劣らない。


投稿者:   一考  日時: 2021年09月20日 04:11 | 固定ページリンク




ジャズリンゴ  | 一考    

 今月はじめてのお出かけ。18日間も魚なしの生活なんて、我慢の限界。このような荒天で出漁不能の日は生け簀の鯛に限る。他にフルーツを3種、二十世紀が幸水より安い、栃木と鳥取の運送費の差であろうか、大型2つで398円と350円。わたしは二十世紀が好みである。ニュージーランド生まれのジャズリンゴをはじめて買う。ワックス処理をしていないので皮ごと食べられる。国産林檎のジューシーさはないが、小振りで堅く懐かしい味わい、こちらもわたしの好みである。6つ295円。それといつものバナナ、1本ずつにばらし、房の部分にラップを巻き付けてエチレンガスから守ると冷蔵庫で2週間は日持ちする。


投稿者: 一考      日時: 2021年09月19日 04:51 | 固定ページリンク




須永朝彦追悼特集  | 一考    

 「ユリイカ」の増刊号で須永朝彦さんの追悼特集が頒される。わたしにも原稿依頼があったもののお断りした。コーベブックス時代にはじまる彼との交誼はほぼ50年に及ぶ。往時、半年近く起居をともにした。書くことはいくらでもあるが、オフィシャルな場では御免被りたい。代わりにといっては失礼になるが、岡田夏彦さんと岸田典子さんを紹介しておいた。
 かつて人文書院から夕暮の諧調が上梓され、まもなく三茶書房の目録に夕暮れの階調の肉筆原稿全揃いが掲載。ところが、同書は雑誌発表の稿を集めたもので、諸誌のコピーが元になった。須永さんによると彼が歴史的仮名遣いに改めたとのことだが、当時の人文書院の編輯者は全員が歴史的仮名遣いをよくし、当然編輯部で仮名遣いは訂正された。三茶のご主人(故人)によると原稿を売りにきたのは須永さんとのこと。要するに金欠の須永さんのアルバイトだったわけですが、塚本さんは激怒、出入りを禁止します。これは単なる一例であって、彼によって拵えられた贋作は数多、ひとり塚本さんにとどまらない。種村さんの贋作者列伝に加えればとの誘い水に種さんは嗤っておられた。
 塚本さんの弟子筋は全員が須永さんと絶交しましたが、岸田典子さんだけはその後もお付き合いが続いた。件の原稿は政田岑生さんが購入、闇に葬った。そうした実像をもっとも識るのは中井英夫さんと相澤啓三さん。高橋睦郎さんのお三方だったのですが、睦郎さんはまず書かないでしょう。
 当然のことですが、須永さんのアルバイトと才能とは別物、というよりもアルバイト自体、天晴れな才能とわたしは心得ている。彼の死の渦中にわたしはまだ捕らわれている。おそらく、これからも。

追記
 岸田典子さんは塚本さんを泣かせた唯一の方で、本職は歯医者。泣かせたのは歯の治療である。彼女は苛烈な人生を送られているがゆえ、実に温厚な方。「朱絡」「青琴」の歌集、「黄冠の歌人」評論、「ちぎれ雲」自伝などがある。


投稿者: 一考      日時: 2021年08月24日 06:01 | 固定ページリンク




認知機能  | 一考    

 福祉局介護保険課から認知機能検診受診券が送られてきた。生活への支障の有無を調べるようである。明年初には運転免許高齢者講習の認知機能検査、合格率は約68%、落ちた方には免許取り消しが待っているそうな。
 わたしは要支援認定を受けている。要支援と要介護の違いは認知症か否かにある。認知症の疑いが生じると要介護へと出世するのである。認定は地域包括支援センターが行うが、担当者がいうには掃除、買い物などの生活支援サービスを既に受けた方がよいと。しかし買い物と気安く宣うことなかれ。
 身体が不自由であればこそ、普段の食事はレトルトを中心とするインスタント食品に限定される。安売りをねらい夕5時をまわると出掛ける。売れ残った昼網から刺身に向いたもの、煮付けに向いた魚を選ぶ。事前に購入する商品を決めてから出掛けるなどありえない。週一回の買い出しがいつまでできるか分からないが、わたしにとってはレトルト食品に対するレジスタンスのようなものなのである。


投稿者: 一考      日時: 2021年08月24日 04:06 | 固定ページリンク




平目と鰈  | 一考    

 米を買おうかと駐輪場へ、しかし体調は万全ではない。米は諦めてもっとも近い小西屋太寺店へ行く。三郷でのフーズマーケットセレクション 三郷店やフードセンターわたなべ同様、魚が結構なスーパーだが、寿司にいちいち男寿司と記載されているのはいかがなものか。女寿司なるものが存在するのだろうか。マルクスやフロイトであるまいし、このような二項対立は願い下げである。
 今日は平目の刺身があった、韓国から平目が這入らなくなって巷のスーパ-から平目が消えた。もっとも刺身にせよ煮付けにせよ、鰈の方が美味なのだが。他に半値のアイスクリームを大量に買った。


投稿者: 一考      日時: 2021年08月21日 20:35 | 固定ページリンク




酸素飽和度  | 一考    

 禁食が功を奏し、水曜日に下血が終わった。スクーターがガス欠ゆえスタンドへ、序でに区役所へ二箇月分の神大病院行きタクシー代の領収書(56000円)を届け、帰りに米でも買おうかと出掛けたが、途中で具合がよろしくなく、役所からまっすぐ帰宅。案の定、駐輪場で動かれなくなり、失神の予兆に襲われる。
 間は端折るが、吐き気と猛烈な腹痛、遠慮なく大声で喚き、のたうち回る。女房に電話をするのをわたしは非常事態宣言と名付けているが、なんとか電話せずに済んだ。風呂場で目覚めたがもちろん記憶はある。鼻水と涎と汗で三枚のタオルがぐっしょり。ズボンもなにも汗でびしょびしょである。血圧はいわずもがな、酸素飽和度は84だった。普段は88から94、さすがに84になるとふらふらである。2時間の非日常を味わって深夜、今度は無性に腹が減ってくる。わがことながら、肉体の不思議に惑わされる。


投稿者: 一考      日時: 2021年08月19日 23:22 | 固定ページリンク




下血  | 一考    

 日曜日の朝から下血がつづいている。下血を止めるために禁食中なのだが、今朝は血痰が出た。下が駄目なら上からと、こやつは一筋縄でいかない。経験上4、5日ほど禁食すれば出血は治まるはずなのだが。
 2015年08月31日に下血止まずとの文章を書いた。あれは神大病院での出来事である。サイトメガロウイルス(CMV)の再発なら羽山弥毅医師に診てもらいたいが、杉並ではどうすることもできない。今回はおそらく憩室からの出血(血便)と思われる。


投稿者: 一考      日時: 2021年08月17日 16:00 | 固定ページリンク




肺炎球菌ワクチン  |   一考

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 近隣の内科医院でニューモバックスを打つ。同ワクチンは5年に1回だが、1度空けたため10年ぶりの皮下注となった。今年の供給量は去年より多いらしく、予約のつもりがすぐ射てますよとのことだったが、手続きが結構五月蠅い。最期にコロナワクチンの穿刺日を確認す。
 コロナといえば、4日に神大病院泌尿器科での診察中、玄関で倒れた方がいて、その場で酸素吸入、重装備の看護師が4名でストレッチャーに、隔離病棟へ運ばれていた。玄関は一時騒然。
 次回通院は11日、骨頭壊死の再々検査である。


投稿者:   一考  日時: 2021年08月05日 22:25 | 固定ページリンク




今月の贅沢  |   一考

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 中国産松茸300グラムが980円、見切り品だが、わたしにはこれで十分。エリンギと松茸のお吸い物の松茸ご飯もどきも美味いが、たとえ中国産とはいえ、松茸を用いるに如くはない。生姜は駄目だが、松茸は自然物ゆえ、国産一択をわたしは信じない。


投稿者:   一考  日時: 2021年08月05日 20:37 | 固定ページリンク




骨頭壊死に進展  | 一考    

 骨頭壊死に進展あり、痛みで家の中すら歩かれない。杖にしがみついてのトイレとの往復、なんとかならぬものかと思う。県営住宅の家賃の査定、特定疾病の更新等々、さまざまな書類と申告書作成が必要なのだが動かれない。取り敢えず申告の延長を願い出て快諾を得、処理は女房に泣きついた。
 疾病だが、レントゲンでは詳細分からず、痛みが続くようならMRIを撮ろうとのこと。いずれ、人工骨頭、人工関節へ置換が必要だが、現在では痛み止めしかなく、その痛み止めは腎臓によろしくなく、泌尿器科医と相談とのこと。


投稿者: 一考      日時: 2021年07月17日 00:18 | 固定ページリンク




筋肉痛  | 一考    

 昨日、ファイザー社コミナティの二回目を打ってきた。感染を予防する効果はないが、罹ったときに重症化する度合いは減る。なぜか問診を二度受けたが、二度目の担当者は水を飲むと痛みが勝る、一両日は水を控えるようにと、穿刺の医師は極力水を飲むようにという、要するに定説はないようである。わたしはがぶ飲みしたが、一回目の方が筋肉痛が強かったように思う。


投稿者: 一考      日時: 2021年06月14日 16:31 | 固定ページリンク




玉なしmoonさん  | 一考    

moonさんから2020年2月23日に頂戴したメールの一部である。重度の癌ゆえ、言葉もないが、彼との遣り取りはいまもつづいている。

「私の方は、前回メールを差し上げた後 、あれこれ検査の結果、ステージ4の前立腺癌に加え、 後日さらにステージ3の上行結腸癌と診断されました。

前立腺癌は全身の骨にも転移しており進行状態はかなり深刻とのこと。診断されたその日に医者の勧めで躊躇なくホルモン療法を開始しましたが、更に結腸癌が見つかったため、来月6月の2日に神鋼記念病院へ入院することとなり、 切除手術は6月4日に行います。上行結腸癌切除は腹腔鏡手術、同日ついでに睾丸の除去手術も行われます。この歳になって玉なしになります(笑)

癌が骨に転移している患者の余命は1、2年との話も聞きますが、治療がうまくいったとしても5年ぐらいらしいです。 余命が1、2年とすれば、貴兄より早く逝ってしまうかもですね。 そうなれば、お先に失礼いたしますですが(笑)、あの世でお待ちしておりますので、 若い頃を思い出し、また鍋でも突きながら日本酒でも飲みましょうね。またいつか、この世かあの世で再会できることを楽しみにしております」

つづけて5月22日のメールの一部。

「今日は、北野町山手の背山散歩道から布引の滝までお散歩に行っておりました。 以前お話ししていた平地での息切れや疲れやすさは、癌が骨転移しており造血が不十分なことが原因で、貧血状態になっていたせいだとのこと。鉄分を服用することにより劇的に息切れや疲れやすさがなくなり、 途中休憩することもなく普通に歩けるようになりました。ただ、尿道バルーンカテーテルを使っているため、長時間山歩きなどをすると血尿や尿漏れが起こるのが実に難儀。早くカテーテルを外したいのですが、 残念ながらしばらくは無理だとのことです。 バルーンカテーテルは年初から使っていますので、もう5か月、 ひと月に一度は交換しないといけないので、抜き差しのたびに悶絶しております。 治療というよりは拷問に近い施術でありますが、尿道カテーテルはされたことあります?(笑)

3月5日の血液検査の結果が一番ひどかったのですが、その時のヘモグロビンは6.8、ヘマトクリットは27.1、 MCV 59.8、MCH 15.0、MCHC 25.1でした。何よりも癌であることを如実に示す PSA値が 525もありました。†

5月8日の血液検査では、PSA値は 2回のホルモン注射により 61にまで改善。更に、クエン酸第一鉄の錠剤を服用することにより、ヘモグロビンは12.3、ヘマトクリットは39.0、MCV は86.9、MCH 27.4、MCHC 31.5にまで改善されました。 鉄分の錠剤は飲み続けていますので更に改善されると思いますが、結腸癌切除手術を行えば加えて更に改善されるだろうとのことです。

以前右肋骨の痛みがあったのは骨転移のせいだったようです。 骨シンチ検査で ちょうどその場所に大きな黒点が現れていました。 ただ現在は痛みもなく貧血もかなり改善しているので、体調はすこぶる良好であります。骨転移している場合かなり痛みが生じるらしいですが、この先が少々不安であります。

そうそう、貴兄が薬を1日に27錠も服用されていることを娘に話したところ、「勝ったわ、私57錠だし」と(笑) 昨日の診察では更に3錠増えて60錠になったそうです。 免疫抑制剤も 現在3種類飲んでいるそうです。「さすがに最近飲むのがしんどくなったけどね」と。」

「尿道カテーテルはされたことあります」かとの質問ですが、泌尿器科で入院する、況や臓器移植の場合は必ずカテーテルは経験する。


投稿者: 一考      日時: 2021年06月06日 18:20 | 固定ページリンク




疼痛  | 一考    

 23日の15時にファイザーを打ってきた。猛烈な痛みを伴う注射を定期的に打っているので、いつ打ったのというぐらいあっけなく済んだ。ところが、同日深夜から肩に痛みが生じ、翌日も終日つづいた。痛み止めが必要な種類の痛みではなく、気持ちが悪いといった感じ。2度目は6月13日と決まったが、多少の痛みがでるのかも。


投稿者: 一考      日時: 2021年05月25日 02:08 | 固定ページリンク




思ひ侘ぶ  |   一考

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 17日夜、今月はじめての買い物、酒はあるので刺身を購入。スズキとカンパチ、剣先の刺身。今のわたしにはまるごと買うより下ろしたものを買ってくる方が楽である。
 高橋さんと共に間違いなくわが邦を代表する詩人だった相澤さんの死、そして須永さんの死がつづく。何年ぶりだろうか、ウイスキーを口にする。肴ともども塩っぱくて苦い。
 須永さんの死は出血性でなく虚血性脳血管疾患と思われる。15日夜、須永さんが入り浸っていた鴻池御殿へ岡田さんと連れ立って行った時の夢をみた。書くことはあるのだが、いまは思いを致したい。


投稿者:   一考  日時: 2021年05月19日 01:45 | 固定ページリンク




須永朝彦さん死去  | 一考    

増田さんからメールを頂戴した。以下のごとし。

須永さんが昨晩お亡くなりになったそうです。
つい最近、救急搬送されて、そのまま病院で逝去されたとのこと。
取り急ぎのお知らせまで。


投稿者: 一考      日時: 2021年05月16日 15:01 | 固定ページリンク




聴力検査  | 一考    

 本日は外来の日、泌尿器科でなく、骨頭壊死と難聴の検査である。聴力検査で新しいことが分かった。聞こえていた左耳が低音が聞こえていないらしい。右耳はまったく機能していないが、高音から聞こえなくなった。医師が危険な兆候ですねという。危険ではなく、わたしは都合の良い兆候だと思っている。なぜなら、片耳の難聴では障害者手帳がもらえないからである。障害者認定がなければ補聴器補助が受けられない。
 わたしは1種1級の障害者手帳を持っているが、腎機能障害である。身体障害者
の区分は視覚、聴覚、肢体(上肢、下肢、体幹に分かれる)、内臓(心臓、腎臓、呼吸器、膀胱・直腸・小腸)、肝臓、ヒト免疫不全ウィルスによる免疫の機能障害に分かれている。要するに指定された機能障害のみに有効なのである。
 子供の頃、ジャズが好きで高音はどこのメーカー、低音はどこのメーカーと冷蔵庫ほどのスピーカーボックスを買って、組み立てたことがあった。70歳を過ぎればなんの意味もなさないのだが。いずれにせよ、加齢性難聴なら施す術はない。医師が専門医でなければ分からないという。その専門医の診察は木曜日のみ、来月の木曜日の予約を取った。


投稿者: 一考      日時: 2021年05月12日 13:00 | 固定ページリンク




7000円のワクチン  | 一考    

 中共ウイルスのワクチンを7000円で接種するという病院が現れたようである。名は伏せるが、明石では識られたクリニックである。予約の煩雑さから免れる、普段から診てもらっているので安心できる等の理由から神戸市西区からの客も多いらしい。
 去年は中共製ワクチンを5万から10万円で売るとの詐欺商売が横行した。単価1110円(ファイザー)のワクチンだが、今回は国策によって無料である、それを7000円とは。詐欺よりなにより医師法違反でないだろうか。

 内閣官房のシミュレーションプロジェクトによると「第4波」の新規感染者数は5月中旬にはピークを迎え、いったん減少するが、さらにその後10月ごろに、「第5波」となる急速な感染拡大が起こりうるようである。増殖・流行していく過程でウイルスはいかようにも変異する、いわゆる免疫逃避である。これから変異ウイルスと新型ワクチンの追いかけっこがはじまる。


投稿者: 一考      日時: 2021年05月11日 05:41 | 固定ページリンク




ヒラツメガニ  |   一考

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 小さなヒラツメガニ(甲幅3〜4センチ)の唐揚げ、グラム158円で売っていた。写真で169円の3割引。北海道で食したヒラツメガニの甲幅は10cmをやや超えていた、特にカニミソが美味であるため、ぶつ切りにしたものを味噌汁や鍋料理で頂戴する。水揚げするとすぐ死んでしまうので、浜茹にするのが一般的。安くて美味いので見つけたら買って欲しいもののひとつ。


投稿者:   一考  日時: 2021年05月01日 04:25 | 固定ページリンク




エスカレーター  | 一考    

 病院で受付待ちのあいだ、折りたたみ式の小さな椅子に座わる。脚が震えて立っていられないのである。震えは体重を量るときにも困る、身体が静止しないと体重計が機能しないのである。その点、病院の体重計は三方に手摺が付いていて頗る便利。
 受付を済ませると採血採尿のためにエスカレーターで二階へ、さて右立ちだっけ左立ちだっけといつも迷う。さすがに病院のエスカレーターで歩くひとはいないが、気にはなる。米国、英国、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ハンガリー、中国、台湾、韓国、香港などの国・地域が、大阪と同じ右立ち。東京などと同じ左立ちはシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドぐらいか。どちらでも良いと思うが、東京のひとはそうはいかないようである。二度弾き飛ばされた。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月29日 13:31 | 固定ページリンク




高齢者接種スケジュール  | 一考    

 4月19日 接種券発送(75歳以上)
 4月20日 予約受付開始(コールセンター、Webサイト)
 5月10日 集団接種会場での接種開始(12会場)
 5月17日 接種券発送(65歳以上75歳未満)
 5月17日 診療所、病院での個別接種開始

 市町村によって異なるが、神戸市のスケジュールは上記のようになっている。75歳以上は集団接種となってい、75歳未満は診療所、病院での個別接種となっている。75歳以上の13万2千人が100台の電話に殺到する。パンクするのは当たり前、2日後に200台、4日後に300台に増設となっているが、電話が通じたことはない。
 呆れかえったのは13万2千人のワクチン接種が市内12会場での集団接種に限られる点。西区の場合、138 km²(東京23区は627.6km²)に3箇所である。わたしはスクーターがあるから良いのだが、これでは物理的に接種できない老人が多数出る。本末顚倒でないだろうか。

追記
 5月17日からは団塊世代がはじまる。この調子だと、老人に接種するだけでも2年は懸かる。根本的に改めなくては。

追記
 市の発表によると75歳以上の接種券は約24万人に送付。4月30日午後2時半時点で、対象者の49%に当たる約11万7千件の予約を受け付けた、とある。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月29日 09:43 | 固定ページリンク




魔界探偵ゴーゴリ  | 一考    

面白いロシア映画、ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリがダークヒーローとなり難事件に挑む「魔界探偵ゴーゴリ」三部作。日数限定ですが、GYAO! で無料放映中。

魔界探偵ゴーゴリⅢ 蘇りし者たちと最後の戦い 魔界探偵ゴーゴリⅢ 蘇りし者たちと最後の戦い  (終了)
 https://gyao.yahoo.co.jp/title/%E9%AD%94%E7%95%8C%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E2%85%A2%E3%80%80%E8%98%87%E3%82%8A%E3%81%97%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%A8%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84/606eb118-57aa-4316-9ee5-708577f2e490

魔界探偵ゴーゴリⅡ 魔女の呪いと妖怪ヴィーの召喚 魔界探偵ゴーゴリⅡ 魔女の呪いと妖怪ヴィーの召喚  (終了)
 https://gyao.yahoo.co.jp/title/%E9%AD%94%E7%95%8C%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E2%85%A1%E3%80%80%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E5%A6%96%E6%80%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%8F%AC%E5%96%9A/606ac08d-c0f5-4b84-bce5-c77923e13fcf

魔界探偵ゴーゴリ 暗黒の騎士と生け贄の美女たち 魔界探偵ゴーゴリ 暗黒の騎士と生け贄の美女たち (終了)
 https://gyao.yahoo.co.jp/title/%E9%AD%94%E7%95%8C%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%80%80%E6%9A%97%E9%BB%92%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%81%A8%E7%94%9F%E3%81%91%E8%B4%84%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1/605da86d-8b89-42ea-848c-d5a6c8632f86

追記
 三編すべて終了いたしました。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月26日 21:56 | 固定ページリンク




オウムガイ  |   一考

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 マダガスカル、マハジャンガ産オウムガイの化石。オパール化アンモナイトとは趣が異なる。中生代のアンモナイトより古く、古生代のチョッカクガイなどと共通の祖先を持つ。フィリピンのセブ島周辺では高級食材。共に11センチ、550グラムほど。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月26日 11:34 | 固定ページリンク




カワハギ  |   一考

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 今回はカワハギ。地元ではハゲだが、27センチの立派なのが398円。刺身でいけるというので煮付けならさぞかし美味かろうと買ってきた。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月26日 08:43 | 固定ページリンク




来月ワクチン接種  | 一考    

 中共ウイルスのワクチンはアメリカのファイザー社製に決まった。なんとも皮肉なはなしである。5月23日、西区役所での集団接種となった。ちなみに、2回目もファイザーと決まっているらしい。
 例によって日高さんに手伝ってもらったが、手続きの煩雑さに困惑。役所がかかわると簡単なはずの手続きがどうしてこのように複雑になるのか。爺さん婆さんには到底無理だと痛感、役所にひとが押しよせ業務が停止するのは当たり前。
 昔々1993年、moonさんに薦められてMac LC475を購入した時を思い出す。あれがDOS/VやWindows 3.0だったらわたしはパソコンを諦めていただろう。ことほどさように面倒な手続きだった。

追記
 如何様はいかさまとも読む。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月25日 22:47 | 固定ページリンク




脳出血は生活習慣病  | 一考    

 脳出血は生活習慣病の一つ、よって予後は血圧、コレステロール、中性脂肪、血糖値に要注意。医師の処方する抗血栓薬は、脳梗塞の再発を防ぐためにとても重要、生涯なにがあっても欠かさず服用することが肝要。生活習慣病であれば、水分を十分に摂る(1日2リットル)。そして食生活は大事で、酒煙草はもちろん塩分と脂肪は控える。繰り返すが、血管のために塩分は極端に減らさなければならない。漬物、佃煮、カップ麺、ラーメン、饂飩、寿司、丼物、塩鮭と開きの魚、カレー、ピザ、パン、サンドイッチ、ハンバーガー、梅干し、味噌汁、ハムウインナーの類い、ポタージュの類いは厳禁。酒の肴になるような食品ならびにインスタント食品は禁止。わたしはまず家から塩を追放しました。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月25日 04:57 | 固定ページリンク




如何様に如何様な  | 一考    

 「日本人による日本人のための五輪、すなわち金メダルの総取りをたくらんでいるのなら立派なものである」と2020年02月に書いた。海外からのアスリートなど来るわけもなく、揶揄した通りになりそうである。いっそ金銀銅メダルを止めて、参加者全員に参加メダルを渡すとのオリンピック本来の形に戻せば良いのにと思う。聖火リレーにしても国威発揚のためにヒトラーがはじめたもの、わが国は如何様な民族意識を発揚させるというのか。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月24日 12:23 | 固定ページリンク




ワクチン接種  | 一考    

 神戸市から接種券なるものが送られてきた。接種場所はたまに行く有瀬のスーパーマルアイの隣、しげやま内科クリニックが近い。わたしは74歳2箇月、75歳には足らないのだが、障害者ゆえ這入れたのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月21日 21:16 | 固定ページリンク




クイックレリーズ  |   一考

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 珍しいクイックレリーズを二点。下はサンシン、上はシマノ、共にクイックが付いていたハブ本体は不明。シマノはクイックの先端がシャフトの力点と同一線上にある。シマノのクイックレリーズではもっともスマートで洒落ている。調整ナット(コニカルナット)も洒落ている、カンパが多用している平たいナットの走りでないだろうか。軽いので、わたしはサンシンのマイクロライトのハブに用いている。

 マイクロライトはサンツアーの商品名、マイクロライトに限らずサンツアーのハブの制作はサンシン。同様に、シマノのデュラエース(往時はジュラエース)はスズエの制作になる。従って当初のデュラエースにはスズエ刻印のもの、もしくはスズエのクイックレリーズが付されたものなどがある。ゲイリー・フィッシャーのプロカリバーに用いられたサンシンのシールドハブ(サンツアーのシュパーブプロ)にはフィッシャーの山岳マークだけでメーカーの刻印はない。イタリアにもそれに類似したハブが多い。マイクロライトも同じく、一切刻印のないものが出回っている。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月19日 11:55 | 固定ページリンク




ですぺらの夜  |   一考

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ですぺらの夜
                     長谷川大輔
遠去かってゆくあの夜の雨
音は時にひそやかな距離を与える
もうなつかしみさえ覚えなくなった
歴史に湿った声はいらない
そう呟いてラジオを消す
夜があと何度明けるのか
わたしは知らない
未知という謎を
たしかめるように思い出す
明石鍛冶屋町の夜
ナトリウム灯の霞む路上で
黙して傘をさすわたしに
ようやく届いた親密なひびき

 上記詩篇とゆきはるかを用いたSHIMIZUのブランデーケーキ、新宿DUGのオーナー中平穂積が撮ったビル・エヴァンスの写真(おそらく ビル・エヴァンスの写真(おそらく My Foolish Heart と思われる)などが畏友長谷川大輔さんから贈られてきた。わたしの誕生日祝いである。ご厚意はありがたく頂戴する。明石のですぺらにもひとつ思い出が刻まれたようである。

 わたしがクリス・コナーの Try a little tenderness を口遊んでいたようですが、神戸のジャズ喫茶バンビのマネージャーが好きだった曲で、退廃というよりは、てやんでえな印象が強い曲だそうです。例えばゲンズブールのような。自己意識は4億年前、魚の時代にはじまったそうな。存在の悲しみは遠く深い海の底にあった、と。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月19日 07:18 | 固定ページリンク




キャリーカート  |   一考

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 三本脚で書いたが、キャリーカートを探していた。スーパーのカートの小さなものが最も良いのだが、値が高い。廉いカートは二輪が多く、わたしには使い勝手がよろしくない。足許がが覚束ないので安定感が必要なのである。写真の二点のどちらにするか迷ったが、堅牢さと車輪交換の容易さを重視して右側を選んだ。値は3581円、これで駐輪場と部屋との往き来が楽になる。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月18日 18:16 | 固定ページリンク




個人番号カード交付申請書受付センター  |   一考

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 日高さんのスマホで写真を撮り、マイナンバーカードへ申し込んでもらった。住まいの市区町村より交付通知書が郵送されてくるらしい。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月13日 17:56 | 固定ページリンク




やまゆり園での採火、「ありえない」と考える6つの理由  | 一考    

 佐藤幹夫さんがパラリンピック聖火リレーに関する意見を述べておられる。是非お読みあれ。


やまゆり園での採火、「ありえない」と考える6つの理由

作家の佐藤幹夫氏に聞く
2021/4/13 08:00 (JST)4/13 12:37 (JST)updated ©株式会社全国新聞ネット


 東京パラリンピック聖火をめぐり、2016年7月に障害者19人が殺害される事件が起きた神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が採火場所に選ばれた。世間では驚きを持って受け止められ、「浅はかだ」「不快な気持ちになった」と異論もわき起こっている。相模原市は「共生社会の実現を目指すパラリンピックの理念に沿って、あらゆる差別をなくしていくとの思いを発信する。事件の風化も防ぎたい」としているが、遺族らにも事前の説明がないなど、決定プロセスの雑さが明らかになった。「やまゆり園での採火はありえない」。作家の佐藤幹夫さんはそう断言する。養護学校教員の経験が20年、その後の20年はジャーナリストとして障害者が起こした数々の事件を追い、背景にある社会の差別意識や忌避感情を浮かび上がらせてきた佐藤さんに真意を語ってもらった。(聞き手、構成 共同通信=真下周)

 ―相模原市長は、「パラリンピック聖火リレーは、コンセプトである『Share Your Light/あなたは、きっと、誰かの光だ』に基づいて、この大会を契機に共生社会を実現し、人と人、人と社会との、『新しいパートナーシップ』を考えるきっかけとなることを目指す」と表明している。―

 なぜ「ありえない」と感じたのか整理してみます。

 1点目。五輪とパラそのものが、開催誘致段階から、巨額贈収賄の疑惑がもたれて日本オリンピック委員会(JOC)の前会長の引責辞任があったり(本人は否定)、原発事故の状況が「アンダーコントロールされている」という前首相による、事実とはおよそ異なる復興アピールが世界に発信されたりしました。その後もエンブレムの盗作疑惑があり、この2月には、東京オリ・パラ組織委員会の前会長の発言が女性蔑視だと批判され、辞任を余儀なくされるなど、さまざまな信じがたい問題を露呈させながら進んできました。今、国民が開催を歓迎し、総出で選手を応援しようという雰囲気にはなっていません。コロナウイルスの対応を見ていても、オリンピック開催が最優先事項であり、それ以外は、人命にかかわることでも付随事項という印象がぬぐえません。開催を強行することへの疑念をどうしても持ってしまうのです。

 2点目。主催者は、やまゆり園で採火することで、共生社会の実現をアピールするといいます。しかし、やまゆり園は大惨事が起きた場所です。亡くなった方々への哀悼も十分でないまま共生社会のアピールの場とする、というその考え方に強い疑義を持ちます。自分たちを利するときだけ障害者の存在を持ち出し、アリバイ作りとする。そう思えてならないのです。市長のいう「共生社会」や「新しいパートナーシップ」をどう考えるか。

 誤解を受けやすいところですが、たとえば近代的に整えられた施設があり、そこで利用者の方たちが安全と安心を満喫して過ごしている。専門的な訓練を受けたスタッフによって、手厚い支援を受けることができる。設備も外観も整えられている。そのような施設が各地に完備されていくことが、共生社会の実現に向かっている姿だと私は考えません。

 むしろ施設の存在は、私たちの社会がいまだ共生社会への道半ばであることを示す一つの指標だと考えます。どうしても施設を必要とする方がおられることは承知していますが、だから施設は必要だと考えるのではなく、どうすれば彼らの地域生活を私たちの社会が受け入れることができるか、私たちに何が足りないのか、そうした方向で考えなくてはならないのだと思います。共生社会の考え方をはき違えていないか、という疑念が拭えません。

 3点目は、津久井やまゆり園が、理不尽な理由で命を奪われた人たちの追悼の場所であることです。そのような場所で採火をすることが、本当に死者を悼むことになるのでしょうか。私の違和感は、原発事故が起きた福島で聖火リレーがスタートしたことから始まっているのですが、オリンピックの祭典に犠牲者を利用している、言葉が強すぎるかもしれませんが、政治利用している、そう感じるのは私だけではないはずです。

 先日、沖縄・辺野古の基地建設のために、沖縄戦で亡くなった方たちの遺骨の混じった土砂が埋め立てに使われており、そのことを強く抗議する報道がありました。この問題にも通じます。死者を悼む、弔う、といった気持ちを疑われるようなことが、なぜ繰り返し起きてしまうのか。死者をおとしめる権利は、生きている人間のだれにもありません。共生社会とは生きている人間の問題だけではないはずです。死者も含まれます。死者や犠牲者を悼む気持ちを失った社会が、共生社会を口にする資格があるのかどうか。

 4点目。県は、聖火リレーについて「厳かに実施していきたい」と言っていますが、死者を悼みながら「厳かに執り行われる聖火リレー」というものを、私は思い浮かべることができません。いま、各地の様子がテレビで放映され、手を振り笑顔で走る姿が映し出されています。有名タレントでも一般の人でも、誇りと喜びに満ちたイベントのはずです。「厳かに走る聖火ランナー」というのは、私の感覚では矛盾以外の何ものでもありません。加えてランナーは白地のユニフォーム姿で走っています。やまゆり園の敷地内を白いユニフォーム姿のランナーたちが走っている、という光景は受け入れがたいものです。あのエリアだけ哀悼の意を示すために黒いユニフォームで走る、などというわけにもいかないし、すべきことでもないでしょう。

 やまゆり園での採火に、障害をもつ人たちにもメンバーとして加わってほしいと依頼したとき、どれくらいの人がそれに応じるでしょう。私の想像では、過半の方が、怒りとともに拒否するだろうと思います。障害をもつ人たちの気持ちを踏みにじるようなことが、「共生社会ニッポン」というアピールのために行われようとしているわけです。

 ここで事件について少し触れてみます。この事件には、考えなくてはならないことが多すぎするのですが、採火問題に関連する内容にとどめます。まず、県も、やまゆり園を指定管理者として運営していた「かながわ共同会」も、そしてやまゆり園も、この事件の「当事者」のはずですが、それを疑わせるような報道が散見されます。今回の問題にしても、園や共同会は、反対、賛成の表明はしない、あくまで市や県の決定に従うというスタンスだと聞きました。ある方からの情報ですが、以下は、推測を交えながらの意見になります。

 裁判が終わって以後、やまゆり園で、入所者への身体拘束などが常態化していた事実が報告されました。そのことが植松死刑囚に与えた影響は大きい、とも指摘されています。学校現場で同様の事件が起こったとき、学校側が、自分たちも被害者であるなどという態度に終始することは到底許されないでしょう。管理責任が厳しく問われます。やまゆり園とかながわ共同会も同様です。弁明の余地はないはずです。しかし私が知る限り、園や法人から、自分たちの取り組みや運営を、真摯(しんし)に振り返るような報告は出てきていません。さらに「かながわ共同会」が、再び指定管理者になったという報道もありました。トップの総入れ替えというかたちで事件の〝けじめ〟をつけたがっているようですが、県のこの判断は納得できるものではありません。納得できる説明もなされていないようです。先ほど「当事者性を疑う」と述べましたが、それはこうした点を指しています。

 やまゆり園での採火を世界に向けた共生社会のアピールとする、という判断は、園や法人や県がもつ「当事者性を欠いたあり方」と同根なのではないか、いみじくもそのことを物語っているのではないか。まずはこの点を指摘しておきたいと思います。これが5点目。

 ―やまゆり園での採火方針について、相模原市は事前に犠牲者の遺族らへの意向確認を行っていなかった。一部報道では、「想像もしていなかった」とコメントを寄せた遺族もいるが、ほとんどは沈黙を貫いており、反応はうかがい知れない。―

 相模原市議からの情報によると、やまゆり園での採火の話は、コロナウイルスの感染拡大によって五輪の延期判断が論じられた1年ほど前から出ていたといいます。県内33自治体で採取した火を横浜市に集める、という議論があり、その話し合いのなかで相模原市長が「やまゆり園での採火は、共生社会のテーマに合致する」と発案したといいます。このアイデアに県も乗っていった。しかし市民や県民にも、遺族や利用者の家族にも伏せられていました。それをNHKがすっぱ抜くような形で報道し、公開せざるを得なくなったというのが、幾つかの筋から得た私の情報です。なぜ伏せてきたのか。

 主催者は、これから遺族や利用者家族の意向と真摯に向き合い、具体的な検討を進めていきたいとのことですが、その意向がどこまで反映されるか、私は疑っています。これまでの経緯を見ていると、「一緒に考えていこう」とアピールはするのですが、自分たちの決定の基本的なところは譲らない。何度も言われてきたことですが、意思決定のプロセスを明確にしようとはしません。「決めるのは自分たち。黙ってそれに従うのがあなたたちの役目」というのが、当初からのあり方です。

 一方、被害者遺族の方々は、事件当初から自分たちの意見を表に出さない、出せない、そういう所に置かれてきました。裁判では意見陳述をしましたが、それもまた匿名であり、名前と顔を出して意見を述べることはできなかった。採火問題にしても、賛成だと言えば当事者から批判される、県や法人をおもんばかれば反対だとは言えない。そう考えているのではないでしょうか。これほどの事件の「被害者遺族」であり、その意見は最大限尊重されて当然であるにもかかわらず、まったく逆の場所に自分たちを置かなくてはならなかった。それがこの事件の大きな特徴です。また他の事件とは異なる難しさだと感じてきました。

 注意して話す必要があるのですが、その理由は、犠牲になったのが「重度知的障害者」の方々であり、その場所が、彼らが暮らしていた大規模障害者施設であったこと。戦後福祉そのものにかかわる問題だということです。70年代に表面化してくるのですが、施設で暮らしていた障害当事者の方たちは、施設を出たい、地域で暮らしたいと、希望を表明するようになります。その実現のための激しい闘いを始めるわけですが、自立生活を阻もうとする大きな壁が、家族であり親でした。まず親との闘いがあったわけです。

 事件後、利用者の家族は元のようなやまゆり園の再建を望むのですが、地域での暮らしを勝ち取ってきた当事者の方と支援者によって、猛烈な批判を受けることになります。命を奪われたのは施設生活を強いられていたためであり、親や家族は加害者に等しいではないか。そう批判されました。匿名の問題では、植松死刑囚に命を奪われ、次は親によってその生きてきた証しを消されてしまった。そんなふうに責められることになったわけです。

 施設批判も匿名批判も正論です。ところが正しければ正しいほど、被害者の遺族や家族は批判の対象となってしまう。他の事件ではありえないことです。犯罪被害者の遺族や家族がどれほど手厚いケアとサポートを必要とする存在か、2001年大阪市の附属池田小事件以降、私たちは学んできたはずです。しかし今回は批判の対象となっている。どちらが正しいか間違っているかではなく、発言を封じられた存在になってしまっている。どうしてこういうねじれた構造が生まれてしまうのか。今もって私の宿題です。

 事件後、県や市、かながわ共同会が遺族に対してどんなサポートをしてきたのか、ほとんど知らされていません。見舞金が支払われたことは聞き及んでいますが、そのことをもって十分なケアがなされたとは、私は考えません。先ほど、「当事者性」という文脈で批判したのですが、ここでも同じように、被害者遺族や家族の方々へ、どこまで当事者として向かい合ってきたか。これが6点目の「ありえない」理由です。

 ―神戸の障害者団体から、今回の決定への抗議文が県知事や相模原市長などに出された。「あの痛ましい殺戮(さつりく)事件を、19人の無念の死を、美談にすり替え終決させようとしている」などと批判する。また、作家の雨宮処凛さんはウェブ上で「植松死刑囚は『喜ぶ』のではないか」と指摘した。「彼はおそらく『自分の起こした事件は正しかったのだ。平和の祭典にふさわしい事件だったのだ』と思うのではないか。ある意味、『最悪のお墨付き』を与えるようなものではないだろうか」と投げかけた。―

 今回の決定にはさまざまな意見があるはずです。直接、相模原市に伝えるなり、SNSで発信するなりして、多くの人が意見表明していくことが大事だと思います。特に障害当事者の方々の意見は、大きな影響力をもつはずです。

 もちろん、難しい問題がないわけではありません。「障害当事者」とひとくくりにされてしまいがちですが、生活の仕方や意思表明のありようは千差万別です。私は基本的に、どれほど「重度障害者」と呼ばれる人でもコミュニケーションの取れない人はいない、交流は可能だと考えています。そのうえでの見解ですが、私の『知的障害と裁き』という本は、知的障害の人たちを理解し、意見のやり取りをすることがどれほど難しいかを示しました。千葉県東金市で2008年に5歳の女児が殺害された事件を取り上げたのですが、弁護団の苦慮と、私自身の躓きの記録になっています。いま、意思決定支援が盛んに言われます。もちろん反対ではありません。ただ、言葉だけが独り歩きしていないかという危惧を持ちます。誰かが誰かの「代弁者」になることはできないし(そう私は考えています)、どう意思をくみ取り、受けとめていくか、そうとう慎重に考えていく必要があると思います。いずれにしても色々な立場の方が、それぞれの意見を表明していく。機会を見つけて、どんどんやったほうがいいと思います。

 植松聖死刑囚を「喜ばせない」ためにはどうするか。採火問題をきっかけに、共生社会をどう考えるか、パートナーシップを作っていくためには何が必要か、その議論を怠らずに続けていくことが大切です。社会が障害をもつ人たちについて十分な議論を怠ってきたその事実をめがけて、植松死刑囚は爆弾を放り込んできたわけですから。

 障害をもつ人たちも、どんどん外に出てきてください。そして交流するための接点を作りましょう。その小さな積み重ねを粘り強く続けていくことが大事だと思います。地域で生活していると言っても、ネットワークをつくれないまま孤立しているのであれば、意味は半減してしまいます。私のこれまでの裁判ドキュメントは加害者の擁護と受け取られがちですが、そうではなく、自立が孤立にならないような、地域でのネットワークをどう作っていくか、その重要性を訴えたものです。

 いまコロナの問題があって難しいのですが、地域に出てきていただく、地域の側もそこでコミュニケーションの機会を大事にしていく。特効薬はありません。この採火問題もその機会にし、議論を続けることが、植松死刑囚を「喜ばせない」ために私たちにできることだと思います。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月13日 17:45 | 固定ページリンク




貝の化石  |   一考

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 左はアンモナイトの祖先、ゴニアタイト化石、右はオウムガイの化石。殻内部の縫合線に惹かれている。


投稿者:   一考  日時: 2021年04月13日 17:09 | 固定ページリンク




夜郎自大  | 一考    

 文在寅は革命家と思っていたら、学生運動に毛の生えた、自らをはじめとする一族郎党の利益を優先する眇眇たる人品の持ち主と分かった。信念や心情で国を統べる為政者は必ずやファシズムに陥る。朝鮮は何処まで行こうが固陋にして鄙吝な国家である。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/29787045764eb206df1957fc157e0438d5159847

韓国歴史学者「親日派の移葬を主張する与党、自身の族譜を知らずに話す」中央日報


投稿者: 一考      日時: 2021年04月11日 13:16 | 固定ページリンク




コロナ治療薬  | 一考    

 神大病院は感染症指定医療機関ではないので中共ウイルス患者をまったくではないが、基本的に入院させていない、ただし重症病床は設けている。神戸の指定医療機関では神戸市立医療センター中央市民病院、西神戸医療センター、西市民病院、その他12の医療機関、その内民間病院(2病院19床)となっている。
 神大病院は国立ゆえ、指定難病患者にとっては救いの場である。巷間ではすべての公立医療機関をコロナ用にとの意見もあるが、道理が立たない。全国民にワクチンを打てば生活は正常化するとの意見にしても暴論でないだろうか。ワクチンは予防薬であって治療薬ではない。わが国の薬品メーカーは抗癌剤など金になるものにのみ専心し、感染症のごとく儲からないものに手は出さない。診断薬、ワクチン、治療薬の3セットが具備されてはじめて、インフルエンザと同じような正常な状況に戻る。聞くところによると、国産ワクチン量産は23年以降だそうな。さて、治療薬は。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月10日 10:17 | 固定ページリンク




クレアチニンと降圧剤  | 一考    

 7日は神大病院、2箇月ぶりの血液検査が気にかかる。クレアチニン値を下げるために降圧剤を控えてきた。降圧薬は ,原則としてアンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACE阻害薬)もしくはアンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)を第1選択薬とする。ただし、いずれもが血清クレアチニン値を上げる。
 現行の降圧剤ではジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬のニフェジピン(アダラート、セパミット)が良く効く。米国の薬だが、後発品が15社ほどから頒されている。そしてこの薬はもっともクレアチニンを上げる、わたしには要注意なのである。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月06日 06:32 | 固定ページリンク




目板カレイ  | 一考    

 久しぶりに魚を買いに出掛ける。目板の小さいのが2匹150円、例によってハリイカが350円、それは良いのだがハリイカは別称スミイカ、シンクの内側はスミで真っ黒。そして脚と腰が痛い。なんとか処理したもののあまりの痛さに動かれない、食欲もなくしてしまった。今日食べるつもりだが、もっか唸っている。


投稿者: 一考      日時: 2021年04月02日 06:14 | 固定ページリンク




 | 一考    

 下枝にちらほらと桜の花、窓からみえる平池のまわりには桜が植わっている。次の日曜日には満開になっているに違いない。引っ越してきて1年を経、県住が気に入っている。


投稿者: 一考      日時: 2021年03月29日 21:15 | 固定ページリンク




三本脚  |   一考

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 随分と迷ったが、取り敢えずアルミの杖を買った。2本のうち1本は折りたたみで通院用。他は近所で用いる。出歩く先は神大病院と近隣の薬局とスーパーのみ。他人と話すのは、月1回の医師、薬剤師との話し合いだけとの日々が続く。
 迷ったのは、椅子付きの杖にするか、もしくは手押し車にするかでとつおいつした。対象になったのは、ローラーステッカー、ユーバのアルミワイヤーカート、幸和のテイコブワゴンなど。理由は駐輪場から部屋まで買い物を持ち帰るのが体力的に限界を越えているからである。米なんぞ買った日には切なくなる。駐輪場は1号棟と2号棟の間にあって、爽やかな風が吹き抜ける。思い做しか座り込む時間が長くなる。結構、お気に入りのひと時である。


投稿者:   一考  日時: 2021年03月17日 15:38 | 固定ページリンク




カルローズ  | 一考    

 業務用スーパーでカリフォルニア米を購入、5キログラム1200円の安価。同スーパーの無洗米1600円もしくは兵庫県産こしひかり無洗米2400円をいつもは購入している。国産と比してパサつくのはやむを得ないが、不味くはない。シンガポールライスのようなハーブライスに向いている。
 フェンネル、チャイブ、ちりめんじゃこの混ぜご飯。シーフードミックスを用いた炊き込みご飯。ベイリーブスと塩だけのシンプルなハーブライスは美味い。すべてにエキストラバージンオリーブオイルを少々入れるのをお忘れなく。


投稿者: 一考      日時: 2021年03月07日 12:54 | 固定ページリンク




ハリイカに嵌まる  |   一考

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 胴は14センチ、全長22センチ、350グラム、かなり立派なハリイカである。ハリイカに嵌まったようで、スーパーで見かけると必ず買ってしまう。ただし、新イカがなくなり大きく育ったのが理由でいささか高くなった。寿命は1年、季節によって味が変わる。この時期は剣先の子イカの方が値は安い。


投稿者:   一考  日時: 2021年03月04日 05:40 | 固定ページリンク




血液は不思議  | 一考    

 先だって病院で血圧を測ったところ、145-31。医師がこれはないだろうと、水銀血圧計で測り直し、ところが結果は変わらず。今日の血圧はなかったことにしましょうと医師とふたりでくすくす笑う。
 先日、パルスオキシメーターの数値が88-64と表示された。これは救急車の出番である。何度測っても同じ結果に諦めて眠る。朝起きれば数値は94-80と元に戻っていた。相手がいないので、ひとりでくすくす笑う。血液は不思議なものである。

 前項で触れた入院時の主治医石村武志さんから中共コロナワクチン接種の注意と薦めが書かれた封書が送られてきた。感謝している。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月25日 22:28 | 固定ページリンク




土気からし菜  |   一考

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 三郷に棲んでいたとき、魚も野菜も千葉産だった。近隣のスーパー、セレクション三郷店で売っていた土気からし菜は忘れられない。漬物で頂戴するのがわたしの好み、「とけからちゃん」と題する180グラム入りが売られていた。そして、からし菜と入れ替わりに入荷するのが葉わさび、こちらについては何度も書いている。余談だが、わさび菜と称するアブハチ取らずの葉菜がある。


投稿者:   一考  日時: 2021年02月25日 21:43 | 固定ページリンク




血圧  | 一考    

拡張期血圧(最小血圧)mmHg
至適血圧
<120 <80
正常血圧
<130 <85
正常高値血圧
130~139 85~89
軽症高血圧
140~159 90~99
中等症高血圧
160~179 100~109
重症高血圧
≧180≧ ≧110
収縮期高血圧
≧140 <90

 高血圧はさまざまな病いの温床、諸悪の根源とでも云えようか。血圧計、体温計、体重計、今ならパルスオキシメーター(千円ほど)も家庭に必要である。診察は必ず血圧からはじまる。それほど大事なものであるにもかかわらず、皆さん気軽に受け止める、もしくは聞き流している。知己にも血圧が高くってねえ、と口にはするが、なんら手当をする手配はない。140を越えると必ず合併症を惹き起こすにもかかわらず。
 血圧は一日中定まらない。午前中の病院で測った血圧はもっとも低い、それが自分の血圧と思い定めるととんでもない結果をもたらす。朝130であれば、その方の血圧の平均は140から150である。ただし、収縮期血圧が130であっても拡張期血圧が70台であればまだ救われる。拡張期血圧が60を下回るときは動脈硬化が進んでいる可能性がある。ABI/上肢下肢血圧比、頸動脈エコーをチェックする必要が生じる。ちなみに、わたしの拡張期血圧は60台である。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月16日 02:47 | 固定ページリンク




小物入れ  |   一考

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 中国の文房四宝(毛筆、墨、宣紙、端硯)、玉器宝石、名人字画、骨董蔵品等多数の収蔵品が、ヤフオクで出品されている。本品は天然最高AAA級珍稀品孔雀石玉高彫小物入れと題されている。中国新疆ウイグル自治区叶木秀克地区に産出される多種の玉石の種類の中でも非常に珍貴、稀少、高価な玉石品種らしい、直径約63.5ミリ、高さ約100ミリ(最大値)、重さ約285g、売価は3.980円である。貝化石入り石碗はたまに観るが趣は似ている。中国骨董の値はさっぱり分からないが、自分が観て良いと思えばそれがすべてである。わたしは廉いと思う。


投稿者:   一考  日時: 2021年02月16日 02:15 | 固定ページリンク




untitled  | 一考    

 須永さんの復活を冀求します。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月13日 09:38 | 固定ページリンク




今晩は  | ug****n    

「今はツイッターしかない」という趣旨のことが須永先生のメールにありましたので、そのツイッターが途絶えていることに心を曇らせております。
あまりお役に立てず済みません。
渡辺様も御身お大事になさってください。


投稿者: ug****n      日時: 2021年02月12日 23:25 | 固定ページリンク




刺身  |   一考

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 手前のオコゼはまだ生きている。哀れだが、刺身に打ってつけ。他に刺身用では、がしら、はぎ、めいたの美味そうなのが売っていた。


投稿者:   一考  日時: 2021年02月12日 18:51 | 固定ページリンク




ug****nさんへ  | 一考    

 ご連絡ありがとうございます。入院までは当方でも確認しましたが、緘口令のようなものが本人または代理人から出されているらしく、その後の消息が一切這入ってこなくなったのです。
 6月のTwitterで生活保護について書かれてい、進展中とございますが、手続きは1箇月で終わります。にもかかわらず、12月9日に国保の負担金が滞納と書かれています。生活保護を受ければその日付で国保は没収となり、以降の医療費は無料になります。よって生活保護は受けられていないと推察します。
 12月4日に鋭い痛みが奔つたとあって、おそらく4日に脳出血が起きたと思われます。その日のうちに入院すればともかく、不要な時間を過ごされたのでないかと憂えています。また入院期間が長すぎる理由は廃用症候群も考えられます。杞憂に終わればよろしいのですが。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月12日 14:34 | 固定ページリンク




はじめまして  | ug****n    

須永先生について、ごく僅かですが知る範囲で。2020年12月10日に須永先生からメールを頂戴しました。メールには入院の予定と書かれていました。お尋ねのメールを出しましたが、お返事はいただいておりません。


投稿者: ug****n      日時: 2021年02月12日 01:35 | 固定ページリンク




中共ウイルス  | 一考    

 神大病院には4度入院している。昨日は入院時の主治医の診療だった。このところクレアチニン値が上がり続けているのでお出ましとなった。免疫抑制剤サーティカンを当初の4倍、薬効の高い降圧剤テルミサルタンはクレアチニンを上げるので最小量に、代わりにシルニシビンを倍増。血圧が多少上がるのは我慢しろと。彼が出てくるのは何時も薬剤の変更があるときである。
 骨頭壊死による痛み止め、中共ウイルスの重症化を防ぐビタミンDなどは中断、クレアチニンに注力してくれとのこと。
 ところで、熱も咳もない外来患者のなかから中共ウイルスの陽性者が出ているらしく、通院は控えろと2箇月分の処方箋を頂戴した。帰路大量の焼豚を購入、冷凍庫へ放り込んだのはいうまでもない。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月11日 09:54 | 固定ページリンク




好物  |   一考

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 指定難病は通院のタクシー代が支給される。1月分は4往復6万円、請求書を区役所へ持参す。帰りに旧宅の近隣のスーパーへ行き、寿司と平目刺身を購入。寿司は498円のプチ贅沢。moonさんに叱られそうだが、好きなものだけを食べたい、牛肉なんぞ見たくもない。


投稿者:   一考  日時: 2021年02月04日 18:09 | 固定ページリンク




丸富食品  |   一考

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 神大病院からまっすぐ南へ2号線まで下り、右へ曲がったところに丸富食品(中央区東川崎町7丁目2−6)がある。
 昨今、焼豚が関東式の煮豚になってきて閉口している。東京都食肉生活衛生同業組合によると東京で焼豚を造っているところは一軒もないらしい。焼豚と煮豚はまったくの別物であって、煮豚を焼豚と称するのは止めていただきたい。
 個人商店が少なくなりスーパーやコンビニばかりになってきた。食肉加工業界大手4社の食肉加工品が闊歩している。燻蒸液(木酢液)を精製した燻液に漬け込んだだけのハムや煮豚ばかり。わたしが子供の頃は店先に焼いたチャーシューを吊るした燒臘店(シウラプディム)が多かった。店ごとに味が異なり、その違いを楽しんだものである。
 丸富食品の焼豚は美味い。ちょうど帰り途になるので、病院へ行く楽しみが増えた。次回は10日の水曜日。


投稿者:   一考  日時: 2021年02月04日 13:32 | 固定ページリンク




誕生日  | 一考    

 明日2月5日は須永さんの75歳の誕生日、無事に過ごしていらっしゃることを願う。


投稿者: 一考      日時: 2021年02月04日 10:34 | 固定ページリンク




須永さん  | 一考    

 前項で触れた知己とは須永朝彦さんのこと。指定難病とは発病の原因が明確でないために治療方法が確立していない疾患。それゆえ難病は別にして、通常の手術は2週間が目安になる。従って1箇月を越える入院はまず考えられない。わたしが3箇月に及ぶ入院だったのはステロイドがもたらすさまざまな疾患を併発したからである。
 須永さんが沈黙なさって1箇月半、非常に気がかりである。もっとも動かれないわたしには心配することしかできないが。彼には知己が多い、どなたか消息をご連絡いただけまいか。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月27日 21:56 | 固定ページリンク




知己のSNS  | 一考    

 相澤さんとの共通の知己のSNSが2020年12月13日で止まっている。同月4日から頭痛がはじまり、正体が分からない激痛に襲われているとある。脳出血、脳梗塞を危惧している。入院なさっていればよろしいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月24日 13:17 | 固定ページリンク




相澤啓三さん死去  | 一考    

 相澤啓三さん(あいざわ・けいぞう=詩人)16日、心不全で死去、91歳。葬儀は親族で営む。後日「しのぶ会」を開く予定。喪主は長男正城(まさき)さん。

 05年、詩集「マンゴー幻想」で高見順賞受賞。元朝日新聞社員で、アサヒカメラ編集長などを務めた。

 上記は朝日新聞デジタル(2021年1月20日 5時00分)の記事。言葉もない。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月23日 00:06 | 固定ページリンク




医師とは  | 一考    

 生化学検査とは 採血した血液や尿などのさまざまな成分を分析し、からだに異常がないか、どの部分の疾患なのか、炎症があるのか、栄養状態はどうか、などを推測する検査であって、血液と尿以外にも血圧や体重などの日々の推移は必須である。
 わたしの場合、血液検査の微細な異常に医師が気づき、レントゲンからMRIへと進み、骨頭壊死が見付かった。特発性大腿骨頭壊死症は整形外科医のテリトリーだが、それを見付けたのは泌尿器外科の医師である。担当医もしくは主治医は専門分野だけでなく、患者の心身全般への気配りが必要でないだろうか。見落としがあれば正確な処方箋など書けるわけがなかろう。
 moonさんと話していて疑問を感じた。担当医から降圧剤の処方箋は担当が違うと云われたらしい。それが医師なのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月13日 23:18 | 固定ページリンク




平池  |   一考

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 寝床から平池を眺める。鳥も寒かろうに。


投稿者:   一考  日時: 2021年01月08日 19:14 | 固定ページリンク




小脳橋角部腫瘍  | 一考    

 本日はMRIの撮影、病名は小脳橋角部腫瘍。手術するかどうかは14日に医師と話し合って決める。聞こえないということ以外に問題があればともかく、耳だけなら手術の要はない。
 撮影には30分ほどかかったが、処置室から出てくるとmoonさんがいらっしゃる。待合室で2時間ほど話し込む。彼は余命を宣告された身、それについては項を改めるが、外気温は0度にして初雪、寒風吹きすさぶなかを神大病院まで来られたことに感謝す。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月08日 18:57 | 固定ページリンク




新春穏やかならず  | 一考    

 新年早々烈しい下痢と吐き気に襲われている、熱はまったくない。困るのは免疫抑制剤が服用できないこと、飲むと吐してしまう。半年ごとにこのような状況になる。結果は血液検査に顕著に表れる。今月の外来診療は6、8、14日の3度、担当医の困惑した顔が目に浮かぶ。
 クレアチニンが徐々に上がっている、このままでは再び透析治療になるやも知れず。


投稿者: 一考      日時: 2021年01月05日 12:14 | 固定ページリンク




暖房  | 一考    

 無性に寿司が食べたくなって近隣のスーパーへ。5時過ぎだと3割もしくは5割引になるが、陽が沈むとさらに寒くなる。とにもかくにも二輪は寒いのである。このところ魚介類が無闇に廉い。鯛、平目、間八、鰤、烏賊など、二束三文である。
 昨晩はじめて電気毛布に点火。住み処は雪のないところが仕合わせ、新潟でなくてよかったと思う。


投稿者: 一考      日時: 2020年12月16日 16:23 | 固定ページリンク




祝い  | 一考    

 腎移植外来のあと、耳鼻科へ行き、聞こえなくなった耳を診察してもらう。聞こえていないのは間違いないが、鼓膜は無事、他に考えられる理由として脳腫瘍ではなかろうかと、日を改めてMRI検査と決まった。先月、骨頭壊死でMRIを撮ったばかり、もっとも場所が違えば致し方なし。
 泌尿器外科の血液検査でクレアチニンが2.7と異常な数値である。数値もさることながら、耳が聞こえなくなったのは免疫抑制剤が関係ないとは云えないらしく、一部薬剤を元に戻そうとのこと。それやこれやで1月は3度も病院へ行かねばならない。良いはなしもあって、骨頭壊死にはまったく進行が見られない。これならあと1年自分の脚で歩かれそうかしらと問うに、断定はできかねるが大丈夫かもしれませんと。嬉しいはなしではないか、早速刺身を買ってきてひとりで祝う。


投稿者: 一考      日時: 2020年12月09日 14:34 | 固定ページリンク




頽れる  | 一考    

 月曜日から1週間、食事の代わりにコストコのマドレーヌを食べていた。紅茶で流し込むのである、これなら負担はかからない。
 先週の月曜日、暖かいので買い物に出掛けた。例によって帰宅後動かれなくなった。いつもなら冷蔵庫の前までは辿りつくのだが、今回は二輪の駐車場で、そして玄関でへたりこんでしまった。なんとかしようと思うのだが、脚の痛みがひどく動かれない。ぼんやりと風景を眺めやる、わたしにできるのはそれだけ。


投稿者: 一考      日時: 2020年11月22日 19:23 | 固定ページリンク




高野さん逝去  |   一考

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 高麗苑の高野さんが昨夜亡くなられたとの連絡が日高さんからもたらされた。
 高麗苑の創業は1971年だが、高野さんと知り合ったのは1982年、今のアスピアから東へ、天文町へ行く途中に高麗苑があった。往時、云うところの東仲ノ町(ひがしなかのちょう)商店街、高架化に伴う、市街地再開発で現在の場所に引っ越した。当掲示板2018年06月22日に「高麗苑」との文章を著している。
 「二人して抱き合って再会を喜んだ」とあるが、事ほどさように嬉しかったのである。聞くところによると肝臓癌とか、おそらく再発転移したのでなかろうか。わたしは痛みがひどく葬儀へ参列すらできない。まったく動かれない、無念である。写真は在りし日の東仲ノ町商店街。


投稿者:   一考  日時: 2020年11月20日 22:14 | 固定ページリンク




ハリイカ  |   一考

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 明石のまえもんハリイカ(コウイカ、スミイカ)の10センチ未満の新イカが安いので大量に買ってきた。刺身もさることながら山椒炒めが好きなのである。台所で床に寝そべって包丁を握るのが常だが、ハリイカはスミが多いのでそうもいかない。無理を押して立ち上がり、流し台で調理する。身とゲソ共に2杯ずつ冷凍してお仕舞い、暫く楽しめそう。

追記
 釣り情報サイト「つりまる」によると、流通の場では手の平にのるサイズから大型まであまり値段が変わらず、1㎏あたり卸値2000円前後。300gほどで1杯600円。ただし江戸前東京湾や近場のものは遙かに高価で1㎏あたり卸値4000円前後。300gほどで1杯1200円にはなる。と書かれている。わたしが買った新イカは1杯60円、ちなみに300gほどで1杯150円から200円までである。


投稿者:   一考  日時: 2020年11月13日 15:17 | 固定ページリンク




少々寒くなった  | 一考    

 ぺらぺらの肌掛け蒲団を使っている。ダウンなど這入っておらず、羽毛蒲団(ダウンケット)ではなく、羽根蒲団(フェザーケット)である。合掛けや本掛けをを持っていないので、冬場は肌掛けを重ね、それでも寒いときは小さな電気毛布を挟んでいる。どうでも良いことだが、わが国の羽毛蒲団の生地にはポリエステルが多用されている。ビニール袋で羽毛を包んでいるようなもので、通気性はゼロ、最悪のシロモノである。生地はソフトバティスト、それもドイツ産に如くはない。


投稿者: 一考      日時: 2020年10月26日 13:43 | 固定ページリンク




サイクルパーツ  |   一考

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 グランコンペ・ゼロのリアディレイラーである。本体の前プレートは炭素繊維(カーボンファイバー)、後は鉄だが、大きく肉抜きされている。プーリーガイドの裏は鉄だが表側はアルミの削り出し。あまりの格好良さに衝動買い。使いもしないのに、煙草同様、コレクター気質は死ぬまでなおらない。

追記
 シマノとカンパのヴェローチェを合わせたようなスタイル、構造的にはシマノそのものである。


投稿者:   一考  日時: 2020年10月03日 00:54 | 固定ページリンク




煙草  | 一考    

 愛飲する煙草はフォルテのメンソール。それが10月1日から値上げした、270円が350円である。よって20ケース買いに出掛けた。1ケース10個だから200個、7箇月分である。
 煙草屋でおまけのライターを20個もらっているときに、他の客が来て1000個くれと云う。店主と話しているうちに別の客が3000個、また別の客が2000個と買ってゆく。わたしはただただ呆れかえっていた。
 ニュースでは第3のビールの値上げのことばかり、1缶につき10円の値上げらしい。みなさんケースで大量買いしている。10円ならわたしは買わない。それにしても、煙草のニュースはまったく流れない。


投稿者: 一考      日時: 2020年10月03日 00:52 | 固定ページリンク




世捨て人  | 一考    

 大腿部の骨頭壊死の次回の検査は14日。と云うのも今日は朝から足腰に力が入らず、四度も引っ繰りかえってしまった。痛みもある、ただ、医師の指摘するような大層な痛みではない。身体を支えることはできる。従って、ほんの少し進行したように思う。なにかあれば電話するようにと医師から云われているが、電話の電源は切れたまま。電源を入れるも、9月2日から切れていたようである。その間の着電はなし、どうやら世捨て人になったようである。


投稿者: 一考      日時: 2020年10月02日 23:53 | 固定ページリンク




はい。  | 鈴木創士    

ご無沙汰です。何とか、何とか。ありがとうございます。


投稿者: 鈴木創士      日時: 2020年08月19日 22:52 | 固定ページリンク




神大病院3度目の入院  |   一考

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 無理を云って退院してきた。外来病棟は冷房が効いていないが、3階のICUおよび4階から11階までの入院病棟は冷房が効いている。もっとも看護師に云わせるとナースステーションはあまり効いていないそうな。
 免疫抑制剤由来の下痢がひどく、脱水症と熱中症での入院である。クレアチニン値が危険な数値にまで跳ね上がっている。完全な管理下に置かれ、クレアチニンは2.3にまで下がった。免疫抑制剤の組み合わせと量を毎日取っ替え引っ替えし、なんとか2.0にまで下げるのが目標である。
 写真は穿刺のあとだが、たった1本のラインを取るに20箇所ほどの穿刺、成功したのは最上部の1箇所のみ。毎度のこと故、腹も立たない。逆に、そこで諦めたらお仕舞いですよ、そこに血管はないのでは、もう少し左、もっと力を入れて、でないと血管が逃げるでしょ等々、なんとか成功させて自信をもたせようとこちらも必死だった。下手くそ。


投稿者:   一考  日時: 2020年08月18日 15:48 | 固定ページリンク




医療ツーリズム  | 一考    

 来日中に心臓病を患い、心臓移植を受けるために帰国した中国人の女性実習生はわずか13日後に武漢協和病院で移植手術を受けた。無実の囚人から強制摘出した臓器が用いられたと国際人権団体が指摘している。同病院は2008年から2017年の9年間に400件の心臓移植手術を行っている。中国での臓器移植件数は年間6万件から10万件、そのドナーの大方が法輪功学習者とウイグル族である。
 近年、訪日旅行の一形態として、中東などアジア圏からの観光客が日本を訪れる医療ツーリズムが脚光を浴びているが、その逆の日本人による中国への医療ツーリズムに触れるひとはいない。肝臓ならびに腎臓、角膜の移植で数百人の日本人が中国を訪れているが、その裏には生きたまま臓器を簒奪された法輪功学習者がいる。要するに、殺人の手伝いを日本人はしている。


投稿者: 一考      日時: 2020年07月22日 00:26 | 固定ページリンク




小山富士子さん逝去  |   一考

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 病院とのあいだをタクシーで行き来するだけ、他は家に籠もりっきりの生活である。それゆえ、東京の消息はなにひとつ這入ってこない。学研の増田秀光さんからのメールが唯一の情報源である。増田さんからのメールを以下に引用する。

古書肆マルドロールの小山富士子さんがお亡くなりになったそうです。
巖谷さんのツイッターで知りました。
15日に家族葬を行ったということは、13日か14日だったのでしょうか。

 https://twitter.com/papi188920/status/1283613380851318785

マルドロールの「きまぐれ日記」、7月5日に、閉店の挨拶が。
4月くらいから体調を崩されていたようですね。

 http://maldoror.web.fc2.com/m23-p01.html

そういえば、シモンさんのエコール・ド・シモンも4月30日で運営終了。
6月26日にすべて撤収となったようです。
シモンさんのツイッターも4月10日から更新が止まったままです。

 http://www.simon-doll.jp/news.html
 https://twitter.com/OsamuTen/status/1276422113151250432

以上、すでにご存じかもしれませんが、ご報告まで。

学研プラス 増田秀光

 文中の小山富士子さんとは25歳からの付き合い。特に池袋のポエム・パロールではわたしが造る書物をよく売ってくださった。生越燁子さんが営んでいらした美蕾樹時代には人魚館の岡田夏彦さんと、ポエム・パロール時代には書誌山田の鈴木一民さんと、上京時には必ず酒を酌み交わした。癌と聞いていたが、長く苦しい闘病生活だったと思う。巖谷國士さんの本を出版するといっていた頃が一番輝いていらしたように思う。合掌。

追記
 癌治療でステロイドを服用していたため、彼女はコロナ禍を非常に気になさっていた。死因がコロナでなかったことはせめてもの救いであろうか。


投稿者:   一考  日時: 2020年07月21日 23:14 | 固定ページリンク




BBC必見の映像  | 一考    

 トランプはバイデンに、習近平は胡春華に、トップが交代してもなにも変わらない。ただ、ソビエト、中共、北朝鮮、韓国のような全体主義国家は嫌である。

 BBC必見の映像
 https://www.bbc.com/japanese/video-53465253


投稿者: 一考      日時: 2020年07月21日 21:56 | 固定ページリンク




ものもらい  | 一考    

 関東でいうものもらい、関西でのめばちこに罹った。医師によると眼球に問題はなく、帯状ヘルペス(疱疹)だそうで、身体が弱っているのが理由とか。1週間ほどで治るであろう、とのこと。3種類の目薬と軟膏(アシクロビル)、飲み薬(パラシクロビル)をもらった。痛み止めが這入っていなかったので座薬をかわりに用いている。次回、神大病院でポルタレンを大量に処方していただこう。
 拙宅の50メートル四方には調剤薬局、整形外科、眼科、歯科、耳鼻咽喉科、デイサービスなどが揃っている。


投稿者: 一考      日時: 2020年07月19日 12:03 | 固定ページリンク




アメリカ製チタンのディレイラー  |   一考

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 プレシジョンビレット プロシフトのリア ディレイラー。チタニウムでできている。値は5-6万円、ものの割には安価である。強度は十分だろうが、フレキシビリティーに欠ける。使いたいとは思わないが、目立つことこの上なし。


投稿者:   一考  日時: 2020年07月04日 01:07 | 固定ページリンク




鯨ベーコン  |   一考

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 久しぶりに美味いベーコンを食べる。梅木英治さんの「ほなさいなら」を想い起こして涙する。ベーコンがわたしの好物だったのを熟知していた梅木さんがある日、素敵な店があるんですと、難波までわたしを呼び出した。その日に食べた滅茶美味かった鯨を再び梅木さんと喰いたいと願う。


投稿者:   一考  日時: 2020年07月01日 16:35 | 固定ページリンク




ひらまさ  |   一考

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 ひらまさが378円と安かったので購入。先日と先々日は278円のヒラメの短冊。こりこりしていて美味。相も変わらず、刺身三昧。


投稿者:   一考  日時: 2020年06月28日 15:53 | 固定ページリンク




レボリューション  | 一考    

 都知事選に立候補している宇都宮氏は73歳、わたしと同世代である。この歳のひとは概して共産主義に好意的である。宇都宮氏も国会議事堂前に慰安婦像を設置しろとか宣っている。従軍慰安婦のはなしは父親から屡々聞かされている。昔、福原に雪洲というヒルサロがあって社会見学に親父と出掛けた。ホステスの平均年齢は50歳、なかには70歳を越えた強者もいらした。昨今の風俗には20代の女性も多いが、それは現在のはなし、かつての水商売はそうではなかった。父親は従軍慰安婦をおもいだすなあと一言。従軍慰安婦は部隊と移動を共にする、後からぞろぞろとついて行くのである。年齢は大方が40代から50代、なかには70代の女性もいたそうで、問題になっているような少女は見たことも聞いたこともないと云っていた。要するに兵隊よりもずんと年長の女性ばかりだった。
 わたしは長く韓国に対して好意を抱いていた。文在寅にしても今までの大統領とは異なり、革命を起こそうとしているのだなと同情的に覧ていた。革命とはなによりもイデオロギーありきで、思想や哲学などあっては困る。なぜなら哲学には懐疑が欠かせないからである。財閥に代表される経済社会は解体すべき対象であって、そのために人民が困窮しようが知ったことではない。イデオロギーの前では精神のルーツは根こそぎ抜き取られ、歴史の修正、改竄と隠蔽、そして嘘で塗り固められる。そうした妄想を立脚させるために、情報の検問と厳格な監視が必須になり、屡々人命より優先される。どうやら文在寅のいう革命とは、かつての民主化運動ではなく、インフラストラクチャーなどの国有化までを進めようとする共産主義革命のようである。ただし、近代化の完了した韓国で共産主義革命は不可能、朴正煕政権のような権威主義体制にならざるをえない。よって早晩、反革命が起きると思われる。いずれにせよ、救国であれ独立の祖であれ英雄を必要とする国の人民は不幸である。


投稿者: 一考      日時: 2020年06月21日 04:20 | 固定ページリンク




生活必需品  | 一考    

 引越から二箇月半を経て。台所用品と衣服など、生活に必要なものは梱包をほどいた。ほどいたとは申せ、女房の為事であってわたしはなにひとつ手伝っていない。全体の三分の一ほどで、他は段ボールのまま、そちらの開梱はいつになるのか分からない。引っ越してから一段と身体が動きづらくなった。買い物は1日一箇所のみ、複数箇所へ行くと後が大変である。近隣に整形外科があってリハビリに行こうかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2020年06月19日 23:58 | 固定ページリンク




大腿骨頭のMRI画像  |   一考

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 大腿骨頭のMRI画像。ちゃんとした画像は有料のため、泌尿器科で内緒でコピーしてもらった。左側が右脚になるが、大きな穴が確認できる。その穴が壊死した部分である。整形外科医の見立てによると年内は大丈夫とのこと。
 今日は久しぶりに造血剤のエポ(エリスロポエチン)を打つ。ヘマトクリット値が30を切ってから頻繁に貧血に襲われる。日本では保険適応上、腎性貧血にのみ用いられる。


投稿者:   一考  日時: 2020年06月03日 12:23 | 固定ページリンク




カンパヌラ ブルーワンダー  |   一考

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 先週ラ・ムーへ行った折、見付けたのだが、高いので買わなかった。でも、小さな薔薇の花のようで、気に入った。売れ残っているようであれば買おうかと先程出掛けた。1週間前には蕾だったのだが、これでも買わないかという顔をして咲き誇っている。まさに不要不急の至宝であろうか。不要は不用に通じ無用にも通じる。即ち花は人生そのもの。

追記
 櫻井さんが「奥歯が死んで17年だな」とツィートしている。吉田風香さんがもしこの掲示板をお読みなら ikko@despera.com へメールをください。絢子さんの写真を渡したいのです。


投稿者:   一考  日時: 2020年05月22日 17:00 | 固定ページリンク




クロワッサントースト  | 一考    

 前項で書いた貧血からくる眩暈だが、スーパーの中であろうが出入り口であろうが、ところ構わず地べたに座り込むことにしている。従って、最近はズボンを頻繁に洗濯する。そして眩暈は水分とも密接に関わっている。1時間、水分を摂らないと身体がおかしくなる。飲めば飲んだですぐトイレへ行かなければならない。県住へ引っ越してからは四六時中紙おむつを利用している。かかる非常時に助かるからである。
 昨日タクシー代を請求に役所へ行き、序でに身障者用のタクシー券も頂戴してきた。1箇月遅れの申告だが12箇月分のタクシー券を頂く、申告書を見るとコロナにつき特例となっている。序でにマルアイ玉津でいつものクロワッサントーストを購入。なぜかマルアイ有瀬にはわたしが必要とするものがない。店舗は大きいのだが、商品構成がかなり異なる。出口で蹌踉めいて自転車にぶつかり、並んでいた自転車がすべて倒れてしまった。済まないことをした。
 今日はクロワッサントーストを一枚食べただけなのだが、それでも眠ってしまった。これを仕合わせとでもいうのかしら。ただし、体調は最悪。


投稿者: 一考      日時: 2020年05月22日 00:19 | 固定ページリンク




友罹患す  | 一考    

 貧血を知るには赤血球数、ヘモグロビン濃度、ヘマトクリット値が一般的だが、RBC、MCV、MCH、MCHCなどでも貧血の有無ならびにその理由が分かる。赤血球は酸素を運ぶ細胞で、数が減ると酸素の運搬能力が減り貧血という状態になる。それを端的に表しているのがRBC(赤血球数)で、わたしの場合は3.47(平均値は4.35-5.55)。ちなみにヘマトクリット値は29.6(平均値は40.7-50.1)である。
 体調の善し悪しについて屡々書くのはこの貧血のことである。今日は体調がよろしいので買い物に行かれるとか、今日は体調がよろしくないので買い物に行かれないといった類いである。神大付属病院往復のタクシー代は平均15000円、先月分と今月分が滞っていたが、体調が思わしくなく、役所まで請求に行かれなかったのである。
 血液検査はいろんなことが分かる。通常は生化学の項目であろうが、他にも血液一般、血液学、尿の生化学、免疫抑制剤の血中濃度などである。血液検査で大事なのは赤血球、白血球、リンパに関する項目である。それらを点検して内視鏡検査の時期を決めている。癌に罹りたくないからである。
 さて、友人が癌に罹患した。ご当人の許可を得ていないので詳細には触れないが、ステージは4、ただし、骨に転移しているため、いささか難儀である。本人はわたしとどちらが先に死ぬかと戯れていらっしゃるが、相当なショックを受けたに違いない。過信していたわけではないが、彼は若い頃から病院が嫌いだった。いとせめて、3箇月に一度くらい血液検査をしておれば白血球とリンパの異常を察知できたのにと思う。共通の友人だった山本六三の突然の死とも照応する。残念である。


投稿者: 一考      日時: 2020年05月21日 23:27 | 固定ページリンク




こんさんへ  | 一考    

 学研の増田秀光編集長よりメールがあって論創社のHPを知りました。懐かしく読みましたが、あなたにとっても貴重な資料かと思われますので紹介します。
 文中、「大天使のように」の判型を間違えています。往時、思潮社には現代詩手帖と思潮のふたつの雑誌があり、桑原茂夫さんが詩手帖の、菅原孝雄さんが思潮の編集長でした。生田耕作と思潮社の最初は1970年に桑原茂夫さんが鷹ヶ峰の生田宅を訪ねたことにはじまります。「大天使のように」を制作したのは宮園洋さんとわたし、宮園洋さんは思潮社の制作担当で、忘れられない存在です。
 文中の谷誠二さんは人文書院の編集長、他にもいろいろありますが、またの機会に。

 http://ronso.co.jp/%e6%9c%ac%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%80%e3%80%80%ef%bc%83051%e3%80%88%e3%83%90%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%a6%e3%80%8e%e5%a4%a7%e5%a4%a9%e4%bd%bf%e3%81%ae%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%ab%e3%80%8f%e3%81%a8/

追記
 当掲示板の最下段にわたしのメールアドレスがございます。書かれないことはそちらで。


投稿者: 一考      日時: 2020年05月13日 20:37 | 固定ページリンク




食っちゃ寝生活  | 一考    

 1960年に発売されたケンミンの焼きビーフンは好物である。ベトナム風フォーも頒されているのは知っているが、食べていない。60年間ケンミン一色だったのでたまには異なるものをと、モランボンのチャムチェの素、永谷園の麻婆春雨を買ってきた。チャムチェは韓国風春雨の炒め物。
 結果はどちらも不味かった。特にチャムチェは無理である。韓国料理はわたしには合わない、刺激が強すぎるのである。昨今辛い料理が流行のようだが、刺激物を好むのは味覚の減退を意味する。このような時代こそ和食への回帰を願いたいものだが。

 ヘマトグリット値が30を切った。血液の量が減ったので、食事の度に寝てしまう。食事量をいくら減らしても同じである。食べれば血液は胃に集中し、脳の方はお留守になる。我慢して起きていると失神する。もっか食っちゃ寝生活を満喫している。


投稿者: 一考      日時: 2020年05月10日 17:05 | 固定ページリンク




タンデム  |   一考

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 やがて、スクーターにも自転車にも乗られなくなるかもしれない。写真はフランスのタンデムサイクリスト。片方は車椅子に乗る障害者、従ってタンデム自転車の後部ペダルは手回しになっている。欧州にはこのようなさまざまな自転車を造る工房が多数ある。


投稿者:   一考  日時: 2020年05月10日 15:35 | 固定ページリンク




COVID-19(中共ウイルス)  | 一考    

 青山学院大学の福岡伸一さんの「ウイルスは生命の避けられぬ一部」を読んだ。面白い文章があったので紹介する。

 「ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である」

 もとより、ウイルスは撲滅できない。今般のCOVID-19(中共ウイルス)にしても、インフルエンザ同様、全ての年齢層に対して感染し、世界中で繰り返し流行する。年内に数種類のワクチンはできるだろうが、すぐに耐性を獲得するため、備蓄するに値するかどうかは分からない。

追記
 一年延ばしたところでオリンピックなど開催できよう筈もない。再度大流行させるだけである。なにを考えているのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2020年05月08日 13:26 | 固定ページリンク




ダイムラーが作ったバイク  |   一考

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 ゴットリープ・ダイムラーらが1885年に制作した「史上初のオートバイ」のレプリカ。ダイムラーは前年の1884年に、ヴィルヘルム・マイバッハとともに単気筒4サイクルエンジンを開発していた。同エンジンは、排気量265cc、0.4馬力、回転数600rpmで、比較的軽量な割に性能が素晴らしく、ベルトを用いて後輪を駆動、最高速度は12キロ。翌年には、このエンジンを駅馬車とボートに取り付けた。駅馬車は、世界初の四輪自動車とされる。同じ1886にはカール・ベンツも三輪の自動車を開発、これらは自動車時代の基礎を作った。


投稿者:   一考  日時: 2020年05月08日 12:36 | 固定ページリンク




家(うち)の材木  |   一考

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 ラ・ムーで250円で買った観葉植物である。当時は名前を知っていたが、忘れてしまった。わたしは材木と名付けている。引越のどさくさで2箇月間水をやらなかった。挙げ句、誰かが枝をことごとく切ってしまった。剪ったのでなくちょん切ったのである。捨てないとと云われたが、スクーターに乗せて新居へ運んだ。鉢を変え、土を替え、陽の当たるところへ置き、毎日水をやった。2箇月を経て、やっと芽が出た。下方は1センチ、上方は1ミリの新芽である。嬉しい。


投稿者:   一考  日時: 2020年05月03日 10:34 | 固定ページリンク




湯沸かし器設置  | 一考    

 湯沸かし器の取り付け完了。軟弱になったなあと思うが、水が冷たくて洗いものが嫌だった。これで油汚れも大丈夫、早速、フライパンでお好み焼きを焼くつもり。

 風呂場の鏡に困っている。借家ゆえネジが使われないので、「割れない鏡」というプラスティック製を購入。軽くて、添付されている両面テープで簡単にくっつく、そこまでは良いのだが、曇り方がひどくて髭が剃られない。15センチほどの据え置き鏡を買ってきたが、こちらはガラス製で曇らない。バランス釜の上へ置いて使っている。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月18日 17:15 | 固定ページリンク




薬剤  | 一考    

 朝の服用は17錠、夕の服用は10錠、併せて27錠だが、日曜日は肺炎の予防薬が加わり28錠となる。この内、免疫抑制剤は1日15錠である。要するにその他の12錠は症状によって薬剤そのものが入れ替わる。免疫抑制剤を服用している患者がもっとも注意しなければならないのは感冒、風邪やインフルエンザをひけばほぼ確実に肺炎になる。医師によると肺炎に罹ればあなたは死ぬよ、となる。
 COVID-19(中共ウイルス)は症状が重くなれば肺炎、人工呼吸器となるようだが、免疫抑制剤を服用している患者はまず助からない。致死率9割である。

 はなしは変わるが、青木理さんが反日というより反権力、または天皇制を否定しているのを評価してきたが、アビガンの使用に対して誰が責任を取るのかとの発言はいただけない。副作用のない薬は存在しないし、新しい薬を服用するときは納得いくまで医師と話し合い、最後は自分で決めるものである。わたしは納得できない薬剤はなにがあっても服用しない。自己責任との言葉をわたしは忌み嫌っている。しかし、自分の身体に這入るものは結果責任を取りたいと思っている。医師にも間違いはある、そのために血液検査票を共有するのである。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月14日 11:58 | 固定ページリンク




浴室乾燥機  | 一考    

 池に降る春の雨を眺めていると棲んでいる県住が愛おしくなる。女房も息子も局所を取り上げ、このような風呂では住みたくないという。わたしはひとと住む気はないのでどのように思われようが結構である。ただ、手伝ってくださるのは嬉しい。先日も息子がなにか運ぶものはありますかと問うので、物干し竿を買いに行きたいと伝えた。旧宅は蒲団が干せるようになっている浴室乾燥冷暖房機だった。電気代が嵩むので乾燥機として使ったことはないが、最初から天井についている2本の竿はありがたかった。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月13日 06:33 | 固定ページリンク




はじめての顚倒  | 一考    

 仮止めだが、取り敢えずカーテンは吊るした。しかしその後、新居ではじめての顚倒。理由は血圧ではなく、足がもつれただけ。よってどうということはないのだが、些か派手に転んだため右脚が痺れている。

 湯沸かし器の強化ガスホースとシール剤が届いたが、寸法を間違えたため、水道用フレキパイプが追加で必要になった。今日は雨、購入は明後日になる。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月12日 18:56 | 固定ページリンク




洗濯機  |   一考

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 蛇口とホースをつなぐニップルを買ってきたものの水漏れが止まらない。蛇口を調べたところ、歪になっている。これでは駄目である。そこでアマゾンを調べていたところ、ニップルが最初からセットになった蛇口を見つけた。便利なものがあると早速註文。不要なニップルを買ったことになるが、かかる便利な器具があるのを知っただけでも収穫である。
 深夜に風呂を沸かし、洗濯機を回し、炊飯器のスイッチを入れる。深夜というのが味噌、旧宅は木造家屋のため、10時を回ると風呂と洗濯は遠慮していた。鉄筋コンクリート造りの有難いところである。風呂は沸くまでに30分かかる。簡易シャワーではジェットクイックシャワーが良さそうだが、こちらはもう少し考える。今日、明日中にカーテンを取り付けるつもり、少しずつだが、住みやすくなっている。


投稿者:   一考  日時: 2020年04月12日 07:02 | 固定ページリンク




地味なスーパー  | 一考    

 小西屋が最も近いので利用している。マルアイ有瀬とは正反対、薄暗い店舗でまるで田舎の食料品店のよう。江井ヶ島店、三田店が閉店し、もっか太寺店のみの小さなスーパーである。店は小さいが、ここの弁当はとんでもない大きさである。ちらし寿司はよく買うが、2、3日はある。題して「男の海鮮ちらし」
 天麩羅盛り合わせも振るっている。大きな魚肉ソーセージと紅しょうがの天麩羅が真ん中に鎮座している。まるで通天閣界隈、新世界のそれである。当然、一食では食べきれない量である。焼豚が売りらしく、いつ行っても大量に並べているが、豚肉に砂糖水の注入はしていないようで、その分タレが滅茶甘い。要するに、お世辞にも旨いとは云えないのだが、店の雰囲気にはぴったり合っている。斯かる店の一軒ぐらい居させてよと云う非常識なスーパーである。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月12日 06:25 | 固定ページリンク




 |   一考

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 ベランダから満開の桜。この角度は有瀬を向いているが、明石側から撮ると桜が美しく撮られる。それは分かっているのだが、今のわたしには歩かれないのである。


投稿者:   一考  日時: 2020年04月10日 11:53 | 固定ページリンク




清水弘子さん逝く  | 一考    

 「私の幼少期のアイドル、志村けんさんが亡くなった日に、新宿界隈で数度移転をしたAGEのママ清水弘子さんが亡くなったと連絡が来ました。ひろちゃんから時々に聞いた話を繋げると、山形大学の数学科に在籍中に学生結婚し、27歳で離婚し、東京に出てきて、編集者兼作家の中井英夫さんの紹介でバラードという店で働いたそうです。自分で出した店の一番最初はゴールデン街で1年弱、とても流行ったそうで、新宿御苑の緑苑街の岡田という店を居抜きで買って10数年営業し、バブル期に地上げにあい、丁度、小沢書店が鬼子母神で社屋を建てる時に地下に酒場と1階にギャラリーを作ったそうです。そこで10数年、小沢書店が倒産して競売物件になるので出て、最後は新宿5丁目に戻ってきたのでした。その物件はかつて詩歌句があったり、アンダンテがあった物件でした。今から10年前に辞めていると思いますが、私は20年ほどの付き合いでした。山形出身で、方言が印象深い面白い人でした。色々なことがあったけど、持病の腸閉塞もあり、この様な世の中では体力的にも厳しかったかもしれません。去年スーパーで立ち話したのが最後になってしまいました。享年75歳  合掌」

 清水弘子さんが亡くなった。塩原庭村(杵屋三七郎)さんからの連絡で知ったのだが、渡辺なおさんがSNSで書いていらっしゃる文章を上へ引用する。晩年、もっとも親しくお付き合いなさっていた。
 わたしは弘子さんを田中さんの紹介で知った。田中さんは中井英夫さんのパートナーで、新宿三光町で薔薇土(バラード)とのバーをなさっていた。ただし、弘子さんの中でわたしの顔と名前が結びついたのは御苑横の2階にあったAGEである。この店へはへは中井英夫、三枝和子、鈴木一民などとよく行った。中井さんは癇癪持ちで酔うといつも喧嘩になった。田中さんと弘子さんは常にあいだに這入ってくださる、謂わば救いの神だった。
 芳賀啓さんの出版記念が神楽坂の日本出版クラブ会館で執り行われたが、二次会は神楽坂、三次会と四次会は新宿のなべさんとエイジ(AGE)、五次会はですぺら、六次会は夜が明けてからカラオケへとの強行軍があった。弘子さんにはですぺらを手伝っていただいたこともある。当掲示板にも何度もお出まし願っている。最後の店舗になった新宿5丁目のAGEを訊ねたとき、店内は真っ暗、構わずに奥へ行くとやはり眠っていらした。「暇でね、もったいないから電気は消していたの」消灯された店同様、彼女の生き方はおよそ不格好だった、それでいいと思う。それこそが清水弘子の個性であり、暗闇に沈んだまま、動こうとしない足掻こうとしない個がそこに在った。


投稿者: 一考      日時: 2020年04月04日 00:31 | 固定ページリンク




どん兵衛  | 一考    

 ガス開通、これで湯が沸き饂飩が食べられる。ただし、湯沸かし器は不通のまま、配管費用が2万4千円とやら、なにを考えているのかしら。文句たらたらでお断りする。違法だが、自分で接続すれば3千円ほどで済む。大阪ガスの関連会社はこれだから困る、独占企業の悪しきところ。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月28日 13:36 | 固定ページリンク




禍不単行  | 一考    

 担当医はどうあっても血圧が気になるようである。わたしは拡張期血圧が平均より低い、60から70までである。よって収縮期血圧は140までを正常と判断している。ところが医師は立場上130以上は困るという。
 今回処方されたのはテルミサルタン、副作用が強く高カリウム血症を招く畏れがある。医師と議論になったが、どうしてもということで押し切られれてしまった。25日にさっそく服用したが、買い物に出掛けた先で倒れ、その弾みで右足の第2趾を骨折した。足趾ゆえ、アルミ板でも挟んでおけば治るが、中国語で云う「禍不単行(災いは重なって来る)」ではないか。
 雨になるのが分かっていたので、3日分の食料を買いに行ったのである。レジを済ませた後、突然腰痛がはじまった。これは血圧が急速に下がりつつあることを意味する。取り敢えずスクーターへ荷物を積み込もうと思ったが叶わず、つんのめるように倒れてしまった。大事には至らなかったが、20分は動かれなかった。帰宅後の血圧は100の56mmHg。

 今回の血液検査でヘマトクリット値が29.5、個体差があるが、わたしは30を切ると失神が常態化する。赤血球数と血圧とは異なる問題だが。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月28日 03:37 | 固定ページリンク




眠りと死と  | 一考    

 検体検査直前、無事に体温計落掌。マスク同様、体温計も購入は難しいらしい、通販なら入手できるが、街中の薬局では品切れとか。マスクは10年前の透析時代に購った興和の5枚入りが1袋余っていたのを用いている。5枚あればわたしの場合、2箇月はもつ。ひとに薦められる使い方ではないが、咳やくしゃみの飛沫を防ぐには十分、どのみちマスクでウイルスを遮断するのは不可能である。

 3度大きな手術をしているが、医師のマスクの着用は念入りである。マスクと肌とのあいだはしっかりサージカルテープで留める。特に鼻と頰の隙間は頑丈に封じる。手術室は寒いほど冷房が効いている、その中で休憩なしで7、8時間、時として10時間を越える手術が施される。医師は汗だくで何度かマスクは取り替えるようである。もっとも、その間、こちらは麻酔ですやすや眠っている。母の膝の上での耳掃除や子供の頃の理髪店を思い起こす、存在を他人に委ねるのはとんでもない快感なのである。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月27日 01:43 | 固定ページリンク




体温計と体重計  | 一考    

 2週間ぶりの水洗トイレ開通。モンキーレンチとパッキンが引越荷物のなかから出てこない、重複するが買ってきて繋いだ。ところが、トイレの天井灯からの配線のため毎回便器の電源が切れる。もっとも冷たい馬蹄に尻はすぐ馴染んだが。
 このところ、咳が止まらない。PL配合顆粒は飲んでいるが、体温計がないため確認が取られない。風邪でなければ良いのだが。体温計と共に体重計も出てこない。明後日は神大病院なのだが、時期が時期だけに医師への説明に困惑している。

追記
 ヨドバシカメラで体重計を買った。今朝出品店に問い合わせたところ、明日中に到着するとのこと、ありがたい。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月24日 00:44 | 固定ページリンク




スーパー  | 一考    

 ジュースが欲しくて出掛ける。最寄りの店はめぐみの郷 伊川谷店とセブンイレブンが2軒。めぐみの郷は枝吉店と比して品数が少なく、わたしにはラスクしか買うものがない。生まれて初めてセブンイレブンへ這入ったが、弁当以外これというものなし。結局、なにも買わずに帰る。ジュース1本でこのありさま、近隣の買い物情報を早く覚えなければならない。
 かつて太寺に住んでいたころ、トーホーストアがあって贔屓にしていたが、今はもうない。この界隈にかんするわたしの知識は40年前のものである。その限られた知識ではフレッシュ石守、万代、マルアイ有瀬、小西屋あたりが良さそうである。このうち、後者の2店舗はほとんど知らない。スーパーは各店舗で商品構成がまったく異なる。現場に当たる以外、手立ての講じようがないのである。

追記
 ひのき苑・懐石料理が近い、コースの値は2000円。気になる店である。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月15日 13:43 | 固定ページリンク




2003年4月26日  | 一考    

 シシド・カフカならぬ吉田風香(かふか)さんから手紙を頂戴した。彼女について掲示板で触れている。2018年10月30日「芳紀なる方」がそれである。手紙のなかで、「2003年4月26日は私の7歳の誕生日でした」とあってそのあたりからわたしの涙腺は危うくなる。絢子さんについてわたしは極力触れないできた。触れるのはエロ子こと愛子さんとの晤語のみ。往時、間違いなく絢子さんをもっとも理解していたのは愛子さんである。
 吉田さんもまた暗い乙女である。なにしろ、臨終に立ち会ってくださったですぺら最後の友である。暗いとは美しい、暗いとは若さの特権であり証憑のようなものである。杲杲たる若人などわたしには能転気な阿呆にしか映らない。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月13日 20:01 | 固定ページリンク




公営住宅の設備  | 一考    

 クーラーを設置してくださった業者の西岡さんが偶然当県住の理事だった。県住には自治会の集会と信任投票、ベランダの外の草刈り、ゴミ集積所の掃除当番等々、細かな決まり事が多くあるようだが、障害者はその任にあらずとか、助かることこの上もない。
 それにしても、公営住宅の設備はひどい。風呂にしても、シャワー、鏡、棚はおろかフックひとつ付いていない。昔の家はどこともそうだったが、部屋ごとに少しの段差があって、それを越えるたびに蹴躓くのである。駐輪場にも10センチほどの段差があって自転車には構わないが、スクーターを拒否しているのと同じである。棲むひとの身になってこそ、這入り手もあろうかと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月13日 17:43 | 固定ページリンク




痴呆  | 一考    

 普通は馴れない環境に緊張するものなのに、引越初日に爆睡。疲れのせいか、薬のせいか、それとも老いからくる痴呆なのか。引越途次、10年ぶりに牛めしを食べ、そこでバックを置き忘れる。運転免許証、身障者手帳、各種保険証、財布、銀行の通帳、各種カード10数枚などが這入っていたが、無事に戻った。感謝、感謝である。ただ、バックから鍵類がなくなっている。新居の倉庫と郵便箱の鍵、もう一台のスクーターの鍵等々。おそらくバッグを傾けたときに滑り落ちたものと思われるが、それ以上はとやかく云われない。元はわたしの不注意にはじまったのである。

 2日目は電球とコンセントがセットになったソケット、洗濯機給水ホースと蛇口を繋ぐ接続器具、携帯電話の充電ケーブルを買いに行く。都市ガス用ガス台と瞬間湯沸かし器を買わねばならないが、こちらはネット通信が繋がってから。他にもカーテンレール、風呂場とトイレのタオル掛けなど必要なものは多いが、現状ではどうにもならない。
 膨大な量の薬だけは自分で運んだが、下着や入浴道具も出てこない。要するに荷解きが進まないと生活が成り立たない、困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月13日 17:31 | 固定ページリンク




引っ越しに伴いネット不通  | 一考    

14日までネット通信が遮断されます。悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月10日 10:59 | 固定ページリンク




兵庫県民殿  | 一考    

 神戸でパーティでもあるのですか。重度身障者、指定難病、要介護にて市役所には頻繁に世話を懸けていますが、県庁とはご縁がないですね。ステロイドや免疫抑制剤を日々服用しているため、マイコプラズマや肺炎球菌、当然ライノウイルスやコロナウイルスなどのRNAウイルスに罹ると死ぬときですのでご安心を。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月10日 10:54 | 固定ページリンク




コロナ肺炎  | 兵庫県民    

阪神間で感染者拡大してるのに神戸に人を集めるのはおかしくないでしょうか。兵庫県庁に呼ばれてます。


投稿者: 兵庫県民      日時: 2020年03月08日 23:05 | 固定ページリンク




三回めのお便りです。  | こん    

あたたかいお言葉、いたみ入ります。
ご新居の住所はさっそく控えさせていただきました。
一考さまにお目にかかれる日を心待ちにしております。


投稿者: こん      日時: 2020年03月07日 04:34 | 固定ページリンク




水回り  | 一考    

 新居の浴槽はいまの半分、コンクリート打ちの床と壁、シャワーなしの昔の6.5号のバランス釜、温水はおろか冷水すら出ない水洗トイレ、床から15センチほど上がった車を思わせる楕円の金属ドア、洗濯機の排水は風呂場へ流しっぱなし、まずもって最悪の水回りである。間違いなく夏は暑く、冬は寒い、しかし眺めていると風情がある。
 先程、息子にキャンプ用の冷蔵庫と照明器具を運んでもらったが、風呂場には愕いていた。ぼくなら我慢できないと。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月07日 03:40 | 固定ページリンク




こんさんへ  | 一考    

 書くには気力が必要ですが、話すのなら楽ですね。引っ越し先が落ち着けば拙宅へいらっしゃい。書かれないようなことも話せますので。「県住決まる」に住所は記載しています。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月07日 03:33 | 固定ページリンク




二回めのお便りです。  | こん    

ご返事をくださり有難うございます。
ギャラリーロイユはなぜか行くたびに臨時休業で中に入れずじまいですが、この機会にまた訪れてみようと思います。
「新掲示板に託けて」はここ数日何回か読ませていただきました。ここに書かれていることが頼りとなっております。
お聞きしたいことはいくつもありますが、引き続き何回も何回も読んで一度頭の中を落ち着かせます。その後に、またお便りする可能性は100%ですが、その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

時節柄くれぐれも御身お大切になさってくださいませ。


投稿者: こん      日時: 2020年03月07日 01:12 | 固定ページリンク




こんさんへ  | 一考    

 「新掲示板に託けて」へ書いたのがすべてです。ギャラリーロイユは行かれましたか。山本六三さんの奥方がなさっている画廊です。いろいろ話が伺えるかも。取り敢えず。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月07日 00:20 | 固定ページリンク




初めてのお便りです。  | こん    

はじめまして。西宮市在住のこんと申します。
三月に入って記事が更新されておりませんでしたが、昨日近況がわかり、意を決してお便りいたします。

今回、失礼を顧みずお便りいたしますのは、山本六三さんのことです。
二月末日より山本六三さんを探しております。
「山本六三」でググりましたらこちらのですぺら掲示板へはすぐに行き着き、1.0からの記事を拝見しております。
いまの時代にあって、ググってこれほどに情報のない作家がいるのかと焦り焦りしながも、県立美術館の学芸員の方の記事と渡邊一考さまの記事に探していた作家像を垣間見ることができました。
有難うございます。
ほかの情報といえばオークション等の売買のことばかり、渡邊一考さまが山本六三さんについて書かれた文章がどれほど貴重か、少し、おわかりいただけますでしょうか。

お若かりし頃のお二方の濃密な日々、激烈なる葛藤のお話は我が身に起こったことを振り返りつつ、想像しながら心を動かされました。それでも情報は極端に乏しく、山本六三という作家像を未だうまく結べずにいます。六三さんに関する本が一冊でもあればなるほどと言って、そこで思考停止できたかもしれません。よすがは一考さまの山本六三論のみ、わたくしには一条の光です。

垣間見えた山本六三像はぼんやりしたままです。もっとくっきりした輪郭を擬えたいのです(「擬える」は一考さまを真似ました)。過去の掲示板に、山本六三さんについて原稿をお書きになるとか、エッセイ集をご準備なさるとありましたが探しきれませんでした。二十年近く前のこととなりますが、ご教示くださいますようお願い申し上げます。

ご体調に大きな波がおありのようですし、そんななか引っ越しのバタバタも重なり、お疲れが出ませんようご自愛くださいませ。
ご返事を心よりお待ち申し上げております。


投稿者: こん      日時: 2020年03月06日 22:30 | 固定ページリンク




引っ越し  | 一考    

 引っ越しが決まった。9日梱包、1日空けて11日午前搬入である。10日は旧宅の掃除、12日に明け渡しとなる。この間はなんとか元気であってほしい。
 荷解きは1年かけてゆっくり行う予定。運送会社だが、もっとも腹の立ったところに決定した。最初から最後まで金のはなしばかりで、前金でないと仕事はしない、あなたに本当に払えるのですかと、再三、再四にわたって詰問された。おそろしく無礼な輩である。腹の立った相手は営業の輩であって、会社そのものではない。そう思って不問に付すことにした。はなしがまとまるには別の要因もあったのだが、それはこちらでは書かれない。すべては腹に納める。


投稿者: 一考      日時: 2020年03月06日 20:15 | 固定ページリンク




平池  |   一考

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 新居のベランダから平池(ひらいけ)を眺めたところ。20数年前、水遊びをしていた女の子が溺死、以降池は封鎖、いまでは水鳥が戯れている。団地で棲むのははじめてだが、粛たるおもむき。

 今日は風が強くスクーターでの運搬は止め、取り敢えず電気と水道を開栓す。


投稿者:   一考  日時: 2020年03月05日 18:17 | 固定ページリンク




特定医療費受給者証  |   一考

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 指定難病の保険証は指定難病専用で、裏面に病院名も記載されている。ふたつの指定難病を患っている場合は保険証も2枚になる。指定難病とは現時点で治療方法がない病を指す。難病指定医のみ、特定医療費支給認定の申請に必要な診断書を作成することができる。なお、人工呼吸器装着者の負担上限月額は1,000円。
 指定難病は1 球脊髄性筋萎縮症、2 筋萎縮性側索硬化症(ALS)から333 ハッチンソン・ギルフォード症候群まであっって、わたしは71 特発性大腿骨頭壊死症である。なお、現住所は来週には変わる。

 股関節部の疼痛が強いときは手に負えない、腰痛、膝痛、殿部痛などが同時に起きる。そのようなときに限って下痢になる。便意を催してからトイレへ行くまでに30分近く必要である、要するに間に合わない。身体のコントロールを失うとはかかる事態を意味する。疼痛には鎮痛消炎剤の投与で対処するが、四六時中痛いわけではない。波のように寄せたり返したりする。骨頭圧潰が進んだ場合、人工関節置換術が必要となる。


投稿者:   一考  日時: 2020年03月05日 11:16 | 固定ページリンク




感染性腸炎  |   一考

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 サイトメガロウイルス感染性腸炎に代表される、日和見感染症に特異的な予防方法はなく、対症療法(姑息的療法)で収まるのを待つしかない。わが国では再活性化例が多く、一度罹ったからといって安心できない。免疫抑制剤を飲む方にとって宿痾のひとつといえようか。
 かなりひどい腸炎だったが、先週の土曜日に薄らぎ、もう大丈夫と思う。若干体重も戻ってきた、というよりも無性に空腹感に襲われる。先程、周さんと引っ越し費用のあまりの暴利について話しながら、腹が減ったとなんども口にしたのが理由で、今年はじめて1日2食を摂る。1食だと体重は静止しているが2食だと確実に太る。考えなくては。

 写真はサイトメガロウイルスによる感染性小腸炎。


投稿者:   一考  日時: 2020年02月28日 23:30 | 固定ページリンク




前立腺と癌  | 一考    

 moonさんが前立腺肥大と闘っているそうな。人ごとではない、私自身、肥大した前立腺を縮小させることで、排尿障害を改善させるナフトピジル(フリバス)を7年間服用している。老年になれば皆さんが陥るであろう病である。前立腺肥大と前立腺癌はまったく異なる病気だが、両方を同時に発症するケースは多い。わたしが10代からお付き合い願っている古書店主は食道癌と胃癌を患い、4度の手術をしている。前立腺と癌、共に生きてきたことの証明ででもあるかのような病である。件の古書店主と二人して繰り返される嗟嘆。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月28日 17:11 | 固定ページリンク




ちりめん山椒ご飯  | 一考    

 やたらと時間がかかったが、県住の鍵を頂戴してきた。30分ほどの説明会があったが、なにを仰っているのか中身はなにひとつ聞き取ることはできなかった。それはさておき、隣のビルにピーコックが這入ってい、ちりめん山椒ご飯弁当なるものを買ってきた。久しぶりに旨い弁当だった。というのも、過日、寿司が売り切れでやむなく弁当を購入、どのように作ればここまで不味い弁当が作られるのかと呆れかえった。
 moonさんから免疫抑制剤を服用している方は刺身などは食べない方が良いとの忠告を受けた。分かっているのだが、食欲亢進のために刺身を食べている。不味い弁当だけは勘弁願いたいのである。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月28日 17:06 | 固定ページリンク




血中濃度  | 一考    

 外来診療へ出掛けて愕いたのは患者でマスクをしているのが約4割、中には医師や看護師ですら着用していない方がいらっしゃる。危機感がないですねえに対してマスク不足ですよと叱られてしまった。

 液便の理由は想定通り、日和見感染で腸炎を起こしている。免疫抑制剤のうち、セルセプトとサーティカンが悪さをしているようである。ところが血中濃度は至って正常、この正常でいつも泣かされている。
 過日、高カリウム血症に罹ったが、やはり犯人はオルメサルタンだった。免疫抑制剤以外の薬はかなり自由がきく。ただし、免疫抑制剤は医師のいわば聖域で迂闊に口出しできない。常に血中濃度を持ち出されるからである。免疫抑制剤の服用量は通常の1、5倍、理由はわかっているのでしょうと医師から駄目出しを喰らう。しかしと食い下がる。4週間後の血中濃度によってセルセプトを減らしましょうとの確約を得た。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月26日 16:34 | 固定ページリンク




クルーズ船その後  | 一考    

 クルーズ船に確か神戸市の偉いさんが乗っていた筈なのだが、どうなったのかと思っていた。どうやら神大病院の感染病棟に入院中だそうな(伝聞です)。ここで不思議に思うのは兵庫県には感染者はいなかったのでなかったか。
 政府はCOVID-19の患者数を増やしたくないので、PCR検査を極端に抑えている。韓国のように検査数を増やせば、わが国の患者数は4桁になるやもしれず。かかる状況下で五輪を開催するというから嗤わせる。もっとも日本人による日本人のための五輪、すなわち金メダルの総取りをたくらんでいるのなら立派なものである。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月26日 15:30 | 固定ページリンク




永田耕衣100点  | 一考    

 元創文社の岡田巌さんより電話。詳細は控えるが、永田耕衣の作品が大小併せて100点近くあるそうな。取り敢えず、奥平公一さんに相談を持ちかけたが、昨今はコレクターが減り、難しいのではないだろうかとのこと。奥平さんより京都下京区中堂寺の古書好きを紹介された。こちらでもう少し当たってから連絡を入れようと思っている。それにしても100点とは大事である。若ければ、企画書を拵えてどこぞのデパートか美術館へでも持ち込むものを。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月25日 18:41 | 固定ページリンク




はやま消化器内科クリニック  |   一考

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 当掲示板で何度かお出まし願っている羽山弥毅医師が2016年に開業なさったようである。

 はやま消化器内科クリニック
 〒166-0004 東京都杉並区阿佐谷南1-17-17 朝倉ビル1階
 03-3313-6600

 2013年01月、腎移植に伴うサイトメガロウイルス(CMV)の下血で戸田中央総合病院へ入院中、羽山弥毅医師のお世話になった。
「内視鏡ではじめて信頼できる医師と出会えた。内視鏡は通常、大腸の検査に用いる。ところが見付かった炎症箇所は小腸である。そして、大腸のポリープや憩室も手早く処理してゆく。二箇所から腸壁標本も採取、こちらは結果が出てから、泌尿器外科の医師と消化器内科の医師、そしてわたしを挟んで話し合おうと云われた。大腸内で見付かった二十箇所ほどの凹みの一つ一つについて説明をしてくださる。過去、このような医師はいなかった。羽山弥毅さんは内視鏡の専門医だそうである」

 小腸の内視鏡は全身麻酔を用いたが、5、6度診ていただいた大腸の内視鏡検査に麻酔は一度も用いていない。わたしのように憩室が多い場合は無送気浸水法をはじめとする手立てを取る。無送気浸水法は,元来,送気による大腸壁の過伸展を避けることで,患者の苦痛を減少させつつ,スコープの深部挿入を実現するために開発された。羽山医師は患者の状態に即応する達人なのである。
 神戸の某大学病院で内視鏡検査を受けたが、あまりの激痛に血圧が70を切るまでに下がり、あやうく失神するところだった。あとから担当医に怒りをぶちまけたところ、通常送気下大腸内視鏡挿入法(AI)しか当院は行っていない、と開き直られてしまった。羽山医師のような名人が神戸にいらっしゃると助かるのだが。


投稿者:   一考  日時: 2020年02月24日 01:24 | 固定ページリンク




一夜干しの鰈  | 一考    

 今朝は起きるなり空腹を感じ、嬉しくなって食事を摂る。焼き魚と過日買ってきた生クラゲ、実に旨い。まだ腹が若干緩いのと頭痛がするが、これでなんとか治りそうな気がする。
 風呂へ這入るときには数時間前からなんども血圧を測る。床にタオルを敷き詰めて風呂場からの退避先を作っておく。長時間這入られないので今日は髪を洗うだけ、身体の一部を洗うだけというように決めている。で、今日は十分に浸かりそして洗った。1箇月ぶりに風呂を堪能した。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月23日 00:29 | 固定ページリンク




身体のコントロール  | 一考    

 洗い物の最中に足が痛くなって座り込む、そういう場合、次立ち上がるのに30分ほどかかる。要するに、座ったり、立ったり、しゃがんだりと日常なにげなく行われる行為のひとつひとつがわたしにとっては闘いなのである。身体のコントロールを失うのは辛い。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月22日 01:27 | 固定ページリンク




液便2箇月  | 一考    

 引っ越しの手伝いに日高さんがいらした。と書けば誤解が生じる、手伝いではなくメインディッシュは彼である。わたしは相も変わらず下痢で唸っている。
 今回の下痢はひどい、完全な液便である。今月に限っても使用した紙おむつは40枚を超えた。途中で3日ほど落ち着くときがあって治ったのかとおもうとまたぶり返す、その繰り返しである。この2箇月で体重は最大14キロ減った。もちろん日々増減の繰り返しで、もっかのところ7キロ減で安定している。
 日和見感染に違いないが、次回通院時に詳しく調べるつもり。入院も考えている。


投稿者: 一考      日時: 2020年02月22日 01:05 | 固定ページリンク




ジャム専門店 ことりの  |   一考

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 アヲハタのマーマレードを買ってきたのはいいが、思っていたものとまるで違う。オレンジの甘いジュレといった趣で、皮はおろか、苦みがどこにもない。ジャムやクッキーは多田智満子さんが詳しかったのだが、既にいらっしゃらない。
 ジャムについての知識がまるでなく、このところ通販に力を入れている「ジャム専門店ことりの」のジャムを購入、ゆずマーマレード、りんごミックスジャムのセットである。味見はこれから、期待している。

 12月29日から禁食もしくは一日一食が続いている。なんとか二食に戻したいと思いつつ、一方で体重を減らすに良い機会だとも思っている。


投稿者:   一考  日時: 2020年02月07日 22:20 | 固定ページリンク




ラ・ムーの290円弁当  |   一考

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 写真はラ・ムーの290円弁当。宅食よりずんと安いのだが、若者向けゆえ揚げ物が多い。ラ・ムーが使っている魚は鯖のみ。ナイルパーチ、ナイルアロワナ、ティラピア類、カラシン、シクリッド、ナマズ類などを使えば、豊富な煮付けや塩焼きが安価で揃うと思う。ただし、ティラピアは腹を傷つけると悪臭が全身に回る、要するに活け造りの作法で卸さなければ食べられない魚である。
 これからは老人食の時代である。魚や野菜の煮付けを増やして欲しく思う。

追記
 写真はしかるべきサイトから搔っ払ったもの。


投稿者:   一考  日時: 2020年02月07日 18:24 | 固定ページリンク




宅配弁当  |   一考

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 写真は昨日と一昨日の弁当、初日と今日は魚だったので即刻食べてしまった。初週に限って390円だが、次週からは600円に上がる。丁重にお断りしたのは云うまでもない。
 昨今のスーパーの弁当は安い。潤和へ引っ越すので、ピーコックストア明舞店もテリトリーに這入る。ピーコックの弁当は400円で種類が多い。またラ・ムーの弁当は198円と298円の二種類である。動かれるあいだはスーパーの弁当にしようと思っている。

追記
 代理店の取り分は100円だそうな。スーパーの400円弁当を500円で配達してくれるなら云うことはないのだが。


投稿者:   一考  日時: 2020年02月06日 22:47 | 固定ページリンク




県住決まる  | 一考    

 神戸市西区伊川谷町潤和(じゅんな)1250番地の3 赤羽(あかば)第2鉄筋01号棟103号室、略せば神戸市西区伊川谷町潤和1250-3 赤羽1-103とでもなろうか。入居は今月末以降、家賃は31800円に決まった。欠点は追い焚き不可とトイレにコンセントなしの二点。電源はどこからでも取れるだろうが、簡易追い焚き機と自動止水器は必要になる。
 入居に際し、誓約書は当然だが上申書なるものを書かされ、些か腹立たしく思っていた。入居者に対してお客という発想がまるで欠落している。典型的なお役所仕事である。地震のせいだが、49都道府県のなかでも兵庫県は最大の赤字県である。空き部屋を捨て置くのはいかがなものか。家賃が安かったのは嬉しいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月30日 22:32 | 固定ページリンク




つづき  | 一考    

 昨日はなんぞ口にいれないと、と思い饂飩にきざみと天滓と玉子を添えて食べた。食べたは良いが、途端に垂れ流しに戻ってしまった。ミヤBMも今回ばかりは効かないようである。トイレへ行かれるようになったが、吐き気が災いして便座に座っていられない、結局床にしゃがみ込んでしまう。今日は七草粥を雑炊風に拵えて食べた。どうなることやら。

追記
 どうやら治ったようである。用事がたまっているが、とにもかくにも風呂へ這入りたい。そして巻寿司を食べたい。
 新型コロナウイルス感染で喧しい。不謹慎な物言いになるが、これを契機にオリンピックが中止になると良いのに、と心から願う。あの種の国威発揚は反吐が出る。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月28日 14:44 | 固定ページリンク




痛みと下痢に泣く  | 一考    

 症状は様々だが、特にひどいのが全身の痛みと下痢。繰り返すが、痛みがひどくまったく歩かれない、トイレにすら行かれない。よって大小は垂れ流しとなる。もっとも入院中は頻繁にこうした状態になるので馴れている。蒲団の横に紙おむつを大量に用意している。
 新型コロナウイルスによる肺炎が流行っているそうだが、それと症状は幾分似ている。大体3日ぐらいで終わるのだが、今回は金、土、日、月と4日続いている。明日にはなんとか封じ込めたいと願っている。料理人に宅食とはこれいかにと思うのだが、このような状況下ではやむを得ない。医師の薦めもあって宅食を1週間だけ取ることにした。
 透析をしていた頃に塩分とカリウムの這入っていない宅食を注文したが、冷凍で1週間分まとめて送られてくる。頗る不味かった記憶がある。今では全国各地域に販売店が網羅されてい、毎日時間を決めて配達してくれるそうな。医師がいまの宅食は旨いよと云っていたが、さもありなんと思う。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月27日 15:36 | 固定ページリンク




イッシンフーズの寿司2  | 一考    

 めぐみの郷枝吉店に寿司が戻ってきた。昨日遅くに覗いたら巻寿司があった。土、日、月と寿司がなかったのにはなにかしら理由があったに違いない。細巻きと太巻きを一本ずつ買って帰る、ありがたい。

 今日は病院の日、2週に一回を4週にしてもらっている。高カリウム血症がどうなったか心配である。生野菜と果物を食べられるものなら食べたく思う。
 γ-GTP(γグルタミルトランスペプチダーゼ)が上がっているのも気にしている。酒はまったく飲んでいないので、薬のせいかと思うのだが。ほかの逸脱酵素(GOT、GPT、ALPなど)にも注視している。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月22日 06:38 | 固定ページリンク




イッシンフーズの寿司  | 一考    

 めぐみの郷枝吉店からイッシンフーズの寿司が消えた。毎週行けば必ず買っていたのだが、楽しみがまたひとつなくなった。もっとも食べられなくなったわけではない、イッシンフーズの本部とでも云うべき業務スーパー西明石店へ行けば買える。
 業務スーパーはフレッシュ石守が発展したもので、フランチャイズは全国に845店舗、生鮮品は各店舗ばらばらである。親会社はG-7ホールディングスなのでめぐみの郷は兄弟会社になる。
 西明石店で寿司と和牛は売れ筋である、夕方に売れ残っていることはない。ところが、枝吉店では頻繁に売れ残る、食品ロスである。よく頑張っているなとイッシンフーズのひとを見かけたときは声をかけていた。それゆえ、なくなったのは残念。

追記

 2月2日に決まるのだが、引っ越すであろう県営住宅は明石駅のすぐ上、業務スーパー西明石店は西明石駅のまだ先、些か距離がある。車ならどうということもないが、今のわたしの身体にスクーターはきつい。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月20日 17:49 | 固定ページリンク




脈拍  | 一考    

 12日の日曜日から普通に食事が摂れるようになった。先月の29日からなので、2週間のあいだ、ほぼ禁食状態、惨憺たる年末年始だった。
 血圧は毎日複数回計っているが、同時に脈拍も計っている。通常値は平均より僅かに低く、75から80のあいだ、そしてスクーターに乗って買い物に出掛けると、必ず100から120にまで跳ね上がる、わたしの場合100を超えると、吐き気、めまい、立ちくらみがひどくなる。帰るなり、便器を抱えてしゃがみ込むことになる。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月15日 12:41 | 固定ページリンク




ご縁なき  | 一考    

 わたしが患っているのは潰瘍性大腸炎ではございません。もっとも、潰瘍性大腸炎で用いるプレドニンと同じ成分のメドロール、タクロリムスと同じグラセプターは服用しています。ただし、これらは腎移植後の免疫抑制剤として服用しているので、止めれば移植腎が壊れてしまいます。
 潰瘍性大腸炎の患者は166,060人ほどいらっしゃるようですが、老人の発症率は低く、喫煙をする人はしない人と比べて発病しにくいといわれています。喫煙には良いところもあるのですね。いずれにせよ、病に万能の療法というものはございません。薬を飲まなくて治る方もい、治らない方もいるとわたしは思っています。

 ところで、佐野一郎さんは民間精神療法レイキセラピストでいらっしゃるそうな、わたしにとってはご縁なき衆生かと。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月12日 18:35 | 固定ページリンク




薬いらずに!  | さのいち    

私も潰瘍性大腸炎ですが、薬は現在飲まなくても大丈夫になりました。

独自に検証して、症状を抑えるある方法
を見つけたからです。

書籍にまとめたのでお読みください。

https://peraichi.com/landing_pages/view/daichoen

「薬いらずに!」 追記 »


投稿者: さのいち      日時: 2020年01月12日 16:08 | 固定ページリンク




ちらし  |   一考

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 月曜日に食べたちらし寿司は旨かった。穴子、鯛、鮪、鰤、海老、鮭、蛸、烏賊、イクラ、トビッコ、錦糸卵、椎茸の含め煮、がり、胡瓜、大葉が酢飯に乗せられて398円。烏賊紫蘇の細巻きを併せて買った。本年明けてから食べた飯はこれだけ、体重は4.3キロ減った。食欲を鼓舞しようと思って書いている。
 天邪鬼で他人が食べたいという焼肉、鮪のトロ、サーモンなどは嫌だが、ちらしなら何が這入っていても抵抗はない、というよりも大好物である。明日にでも買いに行こうか。


投稿者:   一考  日時: 2020年01月10日 17:00 | 固定ページリンク




終日格闘  | 一考    

 今朝3時に痛みで目覚める。動かれず禁食、水分のみ大量にとり続ける。終日行き先はトイレだけ。馴れというか諦めているので痛みについてはいうこともなし。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月09日 22:48 | 固定ページリンク




個人情報  | 一考    

 県住へ這入るのに夥しい書類がいる。住民票、戸籍謄本、課税証明書、健康保険証、障害者手帳、年金振込通知書、賃貸契約書、家賃支払い証明書、県指定様式の暴力団でないことの誓約書等々である。ここで書くには憚られるものもあってこれがすべてではない。わたしの健康保険には青、白、黄、そして桃色の介護保険者証と介護保険負担割合証などがある、罹る診療科目によって治療費の出先が国、地方自治体、その双方と三通りに変わるからである。
 まるで安部公房の砂の女だが、このようなものはいくら並べても自己の証明にはならない。役所のいう個人情報とはこのようなものである。
 もっか神大病院へタクシーで通っている。上記書類を貰いに行った序でにタクシー代を請求、雑談になって隠し資産とか複数の愛人がいるなどは個人情報ですかと訊ねる、後者は個人情報にはなりません、と。徴税強化のためのマイナンバー制度同様、役所にとって個人情報とは金のことでしかない。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月07日 12:48 | 固定ページリンク




石油ストーブ  | 一考    

 寒くて目覚めた、気温は14度。今冬、はじめて石油ストーブを点ける。15分ほどで21度にまで上昇、やはり暖かい。一度でも使えば毎日用いることになる。もっとも灯油は引っ越せないので使い切るしかない。
 年末に台所の蛍光灯が消え、それきりになっている。LEDの蛍光灯は持っているが、天井に穴を開けるので遠慮している。長く寿司を食べていない、漁師が仕事をはじめる月曜日が楽しみである。鮭、鮪、鰤、烏賊といった冷凍ものが正月は謳歌する。食べたいのは磯物の小魚、鮭や鮪など口にしたくもない。


投稿者: 一考      日時: 2020年01月05日 04:58 | 固定ページリンク




高カリウム血症と降圧剤  | 一考    

 本年最後の血液検査でとんでもない結果が出た、高カリウム血症である。数値は6.4mEq/L、どう考えても腎不全である。医師は大層心配している。一箇月間は果物と生野菜の摂取を禁じられた。
 このところ、γ-GTPが100まで跳ね上がったり、ヘマトクリット値が30まで下がったりと、異変続きである。ただしカリウムは事情が異なる。下手をすれば人工透析へ逆戻りになる。なにかフルーツを食べましたかと訊かれて、蜜柑をふたつと応える。小さな温州蜜柑でカリウムは上がらない、心当たりのひとつは飲むヨーグルトである。健康な方には良いのだが、腎臓や肝臓に異常がある場合に添加物の詳細が分からない乳飲料やサプリの類いは厳禁である。当然のことだが、オルメサルタンOD錠をシルニジピンに変更した。わたしはカリウム血症の真犯人はオルメサルタンと睨んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月28日 13:47 | 固定ページリンク




日高さんとお茶  | 一考    

 銀河鉄道で2週間ぶりに日高さんとお茶を飲む。八重洲のはせがわ酒店のはなしになり、ゴードン&マクファイルのリンクウッド 25年が26,800円で売られているのを知る。同品はリフィールシェリーだが、赤坂時代に750竓のシェリー樽熟成の同じリンクウッド 25年を在庫していた。60年代のとても美味なボトルだった。ゴードン&マクファイルのマッカランやリンクウッドは旨いよと話す。定期的に会っている友はいまでは彼のみ。
 折角会ったのにわたしの体調は最悪。免疫抑制剤からくる腹痛と下痢に悩まされている。こういうときはミヤBMでなく、ビオフェルミンRの方が効く。

追記
 写真でも載せようかと思ったが、リンクウッド 25年は売れていた。心当たりはあるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月22日 02:11 | 固定ページリンク




県住当選  | 一考    

 県住の抽選会に当選、次は資格審査、請書審査と続く。資格審査で失格になる方がいるようだが、わたしは重度身障者の要介護者である、受からない理由が見当たらない。とは云え、市役所の担当者によるといろいろと問題があるそうな。市住なら口添えもできるが、県住の仕組みはまったく分からない、特に家賃がどうなるかしらと。
 このところ介護認定のため市役所で話し合いが続いた。そして1階へ引越すべきと思ったのである。1階でないのが辛いが、現在のアパートは頗る気に入っている。そもそもどのような結果になろうとどうでも良いのである。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月21日 22:01 | 固定ページリンク




廃車  | 一考    

 四輪とオートバイを廃車にした。車はまだ6万5千キロしか走っておらず、エンジン足回り共に絶好調なのだが、役所から乗るなと云われれば仕方がない。許可が下りたのは原動機付自転車のみ。ご指定のスクーターの整備が終わったので、早速乗って帰る。行きは四輪だったので二輪用の服装でなく、どうにもこうにも寒くて震え上がった。
 そういえば、蒲団も未だ夏物、ぼちぼち入れ替えるべきなのだがそのままになっている。小さな電気毛布を重ねればなんとかなりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月11日 07:19 | 固定ページリンク




記憶  | 一考    

 鍵をなくした。先日、動かれるようになった後、冷凍品やその他の食料を運んだので家のなかにあるはずである。今日。灯油とロールティッシュを運ぼうとするも、鍵が出てこない。家の鍵と車の鍵を一緒に束ねている。
 1時間ほど探して諦めかけたころ、念のため蒲団のなかを探す。在った、それも蒲団の足許から床へ転げ落ちている。犯人は蒲団のなかでズボンを脱いだわたしの懶にある。血圧が100を切ると記憶が曖昧になる。というよりも、なにひとつ憶えていない。

 オートバイのエンジンが始動しない、一度かかれば大丈夫なのだが。毎回、5秒ほどかかってお仕舞い。もっと大きなバッテリーが欲しいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月03日 18:13 | 固定ページリンク




典型的な低血圧  | 一考    

 明日、廃車の予定。それゆえ、灯油、ロールティッシュ、ボディシャンプー、牛乳、玉子、冷凍食品等々、重いもの、嵩張るものを買い出しに行く。スーパー内を歩くだけで疲れ果て、地べたへ座り込みそうになる。帰宅後、刺身を冷蔵庫へ入れるまでが限界。血圧は92-45、軽い吐き気を伴う、危険域である。収縮期血圧が80だと凄まじい吐き気に襲われ、70だと失神する。拡張期血圧が極端に低いのが気になる。
 荷物は車に積んだままである。車のバッテリーから直結してオートバイのエンジンをかけなければ売り物にならないが、致し方なし。それにしても、このような状態で車を手放すとどうなるのであろうか。

追記
 血圧が低いときはカフェインを摂るのがよい。動かれるようになれば珈琲でも淹れようか.。


投稿者: 一考      日時: 2019年12月01日 17:24 | 固定ページリンク




冬の収縮期血圧  | 一考    

 冬は血圧が上がる。毎年のことながら管理がむずかしくなる。月曜日からの朝の収縮期血圧は161、149,138、147、139、拡張期血圧が低いのがまだ救われる。降圧剤はオルメサルタンとシルニジピンを用いているが、今回からオルメサルタンを増量した。
 水曜日は病院行きだったが、高速道路を走られる最後になると思い、加古川を往復した。それで疲れ果ててしまい、138の血圧が昼過ぎには110にまで下がった。ちなみに、この日の夜の血圧は160、まるでエレベーターである。とりわけ、パン食は血圧を上げる。パン、ベーグル、シリアル、パスタなど小麦食品は身体によろしくない。パンを食べるなとはいわない、朝食のパンが最悪なのである。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月29日 23:45 | 固定ページリンク




赤羽団地  | 一考    

 引越先が決まった。神戸市西区伊川谷町潤和(じゅんな)の県営住宅である。通称赤羽(あかば)団地、明石駅までの距離はおよそ3分の1になる。昭和62年築、3棟ある5階建ての1階。抽選の部屋が62.3㎡、抽選のいらない部屋が63.5㎡。前者は清掃整備済み、後者は簡単な清掃のみ。取り敢えず抽選をし落ちたときにもスペアの部屋が用意されているわけである。それにしても、1階が2部屋同時に空くのは珍しい。
 赤羽平池公園と平池に挟まれ、明石市の太寺天王町、荷山町と隣接している。家賃は31800円から57400円だが、わたしの場合は39000円までになる予定。公営住宅は狭いものと思っていたが、存外広いので気に入っている。引越は3箇月後。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月29日 19:23 | 固定ページリンク




介護認定申請  | 一考    

 区役所から介護認定を申請するように云われた。介護費用と重度身障者の医療費は出所が異なる。詳細は不明だが、役所の出費を少しでも減らしたいようである。わたしは障害者ゆえ、医療費は国保対応の治療に限って無料だが、介護保険は有料であり特典はなにもない。もっとも高額な一部の免疫抑制剤は国保に対応していないので実費である。
 介護認定申請には医師の診断書と地域包括支援センターに属するケアマネジャーの意見書が必要である。地域包括支援センターを神戸市ではあんしんすこやかセンターと称し、社会福祉士、保健師または看護師、主任ケアマネジャー、地域支え合い推進員などが属していらっしゃるそうな。で、そこの方がいらっしゃって話し合った。まるで免許更新時の認知機能検査で、論理的な会話の成り立つあなたに介護の必要はないと云われた。医師に云わせると介護支援でなく要介護らしいが、現在のわたしには介護も支援も共に無用である。それにしても、認知機能障害が要介護者としての条件として強調されるなら統合失調症患者も同様の扱いになるのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月28日 06:42 | 固定ページリンク




ヨドバシカメラ  | 一考    

 前項で書いたヨドバシカメラのライフドリンクカンパニーお茶屋さんの緑茶 2L×6本(948円)2箱が到着。ヨドバシカメラは都心部では自社の配送システム、エクストリーム便を使っているが、それ以外は宅配業者に配達を委託している。ライフドリンクカンパニーは大阪に本社がある。どのような発送方法をとるのかしらと思っていたが、日本郵便ゆうパックで送られてきた。
 ヨドバシカメラはなにを買っても送料は無料、割引を考慮してもゆうパックなら1500円はかかる。ということは2リットルのお茶12本で396円になる。ポイントも高率で、多少の金額の差ならヨドバシカメラで購入している。「ヨドバシの通販のサービスは素晴らしい」と思う。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月26日 01:14 | 固定ページリンク




指定難病  | 一考    

 室内温度が16度を切った、今年はじめて暖房を入れる。18度なら平気なのだが、これも身体が弱っている証しか。
 IgA腎症(指定難病66)、特発性大腿骨頭壊死症(指定難病71)と難病がわたしの好みだそうな。もっとも、原因はステロイドパルス療法で一直線に結びつくのだが。輸血も立派な移植ゆえ、一度でも輸血を受けた人は生涯ドナーにはなられない。臓器移植や骨髄移植はおろか、血液の提供すらできなくなる。
 それにしても、造血幹細胞移植や臓器移植を受けたレシピアントは生涯にわたって免疫抑制剤に苦しめられることになる。ステロイドのメドロール、セルセプト、グラセプターなどを服用しているが、なかでもサーティカンは容量を間違えると紙おむつが必須、時間も場所もお構いなしで下痢に見舞われつづけた。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月23日 22:48 | 固定ページリンク




ネット通販  | 一考    

 かなり不自由だが、介護を頼まなくても生活に甚大な支障はない。支障がないというのは車があればのはなしであって、車がなければ事情は変わってくる。そこでお茶だけはネット通販を利用することにした、ヨドバシカメラである。1日2.3リットルは飲まなければならない。よって2リットル6本入りを数箱纏め買いしている。しかし、重いものは勘弁願いたいのである。

 スギ薬局でESL製法の牛乳が売っているのを見つけた。海外ではLL牛乳が主流だが、わが国ではほとんど見掛けない。ESLの保存期間は2週間、通常の牛乳よりは長持ちする。通常の牛乳は賞味期限が過ぎると特有の臭いが生じるが、ESLは大丈夫、重宝している。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月23日 05:38 | 固定ページリンク




ブロード90  |   一考

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 スクーターが新しくなる。アドレス100からホンダ・ブロード90へ乗り換える。毎日自動車の川口さんが釣りに使っていたスクーターのお下がりである。アドレスは圧縮抜けで急な坂道になるとパワーが出ない。病院への途次、鵯越で時速30キロにまでおちてしまう。オーバーホールが必要なのだが、エンジン換装以上の費用がかかるので断念。
 1995年1月に発売、1999年7月に製造終了されたホンダでもっとも売れなかったスクーターである。ボディが異常に大きいのに一人乗りという中途半端な仕上げ、シート下部のメットインは36リットル、それに50リットルの大型リアボックスを取り付けた。来月から四輪に乗られなくなるので収納能力を充実させた。わたしの足はこれだけになる。


投稿者:   一考  日時: 2019年11月19日 03:16 | 固定ページリンク




最後の枝豆  |   一考

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 丹波の黒豆枝豆を湯がいた。枝豆としての販売は終わったが、黒豆大豆の値を出せば頒けてくれる。枝豆を他所で食べることはない。湯がかずに茹でているからである。写真ぐらいに黒く大きく完熟してきて湯がく時間は1分から1分20秒のあいだ。世の中には早生品種を3分も茹でる躻者がいる。


投稿者:   一考  日時: 2019年11月12日 17:51 | 固定ページリンク




特発性大腿骨頭壊死症  | 一考    

 新たに罹った病気の正式名は特発性大腿骨頭壊死症、略称骨頭壊死である。大腿骨頭の一部が、血流の低下により壊死(骨が腐った状態ではなく、血が通わなくなって骨組織が死んだ状態)に陥る病で、厚生労働省の指定難病71である。壊死した部分に体重がかかり、やがて骨頂部が圧し潰される。当然、片足立ちやスクワットは禁止である。どのような病気になろうといまさら驚かないが、ますます動かれなくなるのは辛い。
 MRIによると、大腿骨の付け根に指がすっぽり這入るぐらいの穴が開いている。ステロイドパルス療法が原因で、通常は大腿骨内反骨切り術、大腿骨頭回転骨切り術、人工関節置換術のいずれかが施される。入院期間は約3週間で費用は250万円から300万円、リハビリには1年を必要とするそうな。しかし、わたしの場合、腎臓はもとより朝晩に服用するステロイド剤による薬物性肝障害が著しく手術はできない。そういえば、大腸内視鏡検査の際に飲む経口腸管洗浄剤の選定に薬剤師が悩んでいた。昨今流行のモビプレップは腎臓に負担がかかるからである。

 指定難病ゆえ、毎月3万円の医療費の補助がでる。医師が書類を書くというので止めてもらった。既に1種1級の障害者ゆえ医療費は免除されている。ダブル1級で特級にでもなるのかしらに医師は苦笑い。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月09日 17:43 | 固定ページリンク




レトルトカレー  |   一考

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 レトルトカレーでは中村屋のものがもっとも好きである。ただし、普段はボンカレーゴールド 中辛を食べている。中村屋のカレーはご馳走なのである。かつてはヨドバシ・ドット・コムから送ってもらっていたが、いまでは近隣のスーパーで買っている。ビーフスパイシーが268円、スパイシーチキンが238円とすこぶる安価である。
 無印良品のカレー バターチキンも旨い。作っているのはにしき食品、こちらは随分と種類が多い。定価は350円だが、ロハコ(アスクル)では送料無料で290円で売っている。ロハコでは成城石井のカレーも定価より安く這入る。中村屋、無印良品共に50グラム、60グラム、90グラム、110グラム入りがあってわたしには便利である。

 昔は20種類ほどの香辛料を焙煎してカレー粉を作るところからはじめていたが、老いて一人暮らしになると出来合いのルーを買ってきてのインスタントカレーすら億劫になる。レトルトパウチ食品に頼る理由である。多くのレトルト食品が販売されている現在でも、売上高の3分の1以上はレトルトカレーで占められているらしい。ちなみに、阪神地区限定でボンカレーが発売されたのは1968年(昭和43年)。


投稿者:   一考  日時: 2019年11月06日 02:53 | 固定ページリンク




彳亍(てきちょく)  | 一考    

 水曜日は神大病院へ、このところ毎週欠かさずに病院へ行く。泌尿器科までは歩かれるが、放射線科はもっとも奥まったところ、さて歩かれるのかしらとの心配通り、半ばで地べたへへたりこんでしまう。「どうしました」との問いかけに「しばし休憩中です」と応える。それ以上なにも云わないのに車椅子登場。医師曰く、急速に痛みが増すよと、ご節ご尤も。
 担当医は整形の人工関節専門の橋本医師、面白そうな医師である。それにしても激痛に見舞われている。


投稿者: 一考      日時: 2019年11月01日 22:42 | 固定ページリンク




日韓問題  | 一考    

 YouTubeに掲げられている日韓問題に関する動画を覧た。不愉快なものばかりだったが、下記2点は参考になった。戦後の在日朝鮮人に対する日本政府の有様は現在の日韓関係のそれと通底している。改めて歴史を知るべきと思った。

 NHKスペシャル「シリーズ 日本と朝鮮半島」 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後 放送日2010年7月25日
 https://www.youtube.com/watch?v=IR7Hu7rjA4M

 「朝鮮半島の今を知る」(23)文在寅大統領をどう見るか-文在寅政権の歴史的課題と日韓関係 クォン・ヨンソク一橋大学准教授 2019.3.22
 https://www.youtube.com/watch?v=lOpNMZmMbg8


投稿者: 一考      日時: 2019年10月19日 10:13 | 固定ページリンク




黒大豆枝豆  |   一考

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 丹波の黒豆枝豆の出荷がはじまった。一把1000円と最初は安い、12月初頭には2000円を軽く超え3000円ほどになる。一把の量は店舗によってばらばらだが、400グラムで4000円だと上物(大粒)である。同じ丹波黒だが、朝来市のそれは400グラム1350円と安い。もっとも丹波ではなく但馬になるが、生野銀山や竹田城跡で識られる。もうひとつ、朝来の名物に岩津ねぎがある。ヌタ和えをてっぱあえと云う、わたしの好物である。
 丹波は広い、亀岡、由良(福知山)、篠山のそれぞれ母川の違う大きな盆地があって山地が隔てている。要するに、京都から兵庫へと跨がっているのである。


投稿者:   一考  日時: 2019年10月17日 14:32 | 固定ページリンク




郵便配達  | 一考    

 未使用のスギノ マキシィ クランクセットを買った。初期のマキシィで、耐久性で劣る安物だが、わたしの脚力ではいかなるクランクでも大丈夫である。昨日の16時に横浜からゆうパックで発送され、今日15時に到着。颱風のなかをどうすればこのように早く着くのであろうか。配達はオートバイだったが、明石の最大瞬間風速は28.7メートル。冗談のような郵便配達だった。

追記
 骨頭壊死だが、ステロイド剤の副作用であって骨密度にはなんらの問題もない。ステロイドの副作用で怖いのは背骨が曲がり、肺を失うことである。


投稿者: 一考      日時: 2019年10月12日 17:30 | 固定ページリンク




「北海道キャンピングガイド」  | 一考    

 鱈の白子と鮭の白子がそれぞれ140円で売っていた。通常ならポン酢と塩焼きなのだろうが、北海道に倣っておでんで頂戴した。先日、メルカリでギミックの「北海道キャンピングガイド2005」を買ったのがおでんにした理由である。
 北海道のキャンプ場にかんする著書は多い、しかしギミックのそれは秀逸である。昔は道内の特定の書店でしか入手できなかった。おったまげたのはキャンプ場の数が倍に増えていること。他方、多くのキャンプ場がなくなり、もしくは若干移動してオートキャンプ場になっている。道内のキャンプ場は大半が無料だった、有料の場合も2、3百円。今では場内を閉鎖し、整備され、水洗トイレを設け、各サイトに電源を引き、実に詰まらないキャンプ場になってしまった。かつ利用料は数千円である。身体が不自由になり、北海道へ行くことはあるまいと思い、いとせめて恋しき北海道の本を買った。


投稿者: 一考      日時: 2019年10月08日 18:29 | 固定ページリンク




大腿骨頭壊死  | 一考    

 一箇月検査が続いた。この間、なにを調べているのか分からない検査もあった。もっともどこかに異常がないかを精査するのが検査であって、診察はその可否に至るための舵取りのようなものである。
 糖尿ではなく、わたしは結石から腎不全になった。それ故、移植腎に結石が発症していないかを調べたのが突端である。結石は大丈夫だったが、そのCT検査で前立腺癌と大腿骨頭壊死の疑いが生じた。前立腺癌のための検体検査と骨頭壊死のためのMRI検査が続いた。その間に大腸ポリープ除去のための大腸内視鏡検査が加わった。大腸ポリープは3センチを超えると癌化する恐れがあるが、前立腺癌と共に問題はなかった。
 腎移植の際に免疫療法の一端としてステロイドパルス療法を受ける。ステロイド剤の高用量あるいは長期間の使用によっって屡々骨頭壊死が発生する。わたしの場合、3度のステロイドパルスを受けている。他ではリツキサン点滴静注を3度。リツキサンはモノクローナル抗体であり、その製剤は分子標的治療薬のひとつとして抗癌剤、免疫抑制剤などとして使用される。抗癌剤としては保険対応だが免疫抑制剤としては保険対応外で1回の点滴静注に21万円の薬価が必要となる。
 骨頭壊死だが、患部は骨頭(股関節のソケット部分にはまる球状の部分)と頚部(骨頭のすぐ下の部分)から成る。ソケット部分の球状はきれいに映っていて、頚部に壊死が線状に拡がっている。従って、人工関節置換術でなく骨切り術が行われる。骨頭穿孔術と呼ばれる手法がそれで、大腿骨の骨頭から骨の痛んだ部分までドリルで穴を開ける。これにより、異常のある部分まで血管が到達するための経路ができ、新しい骨の産生が促進される。股関節の痛みは軽減され、人工関節置換術を回避できる可能性がある。
 骨頭壊死を見付けたのは、若い泌尿器外科の横山医師である。ここに記して感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2019年10月03日 07:11 | 固定ページリンク




ジョーク  | 一考    

Q:共産主義者はどんな人?
A:マルクスやレーニンの著作を読んだ人。
Q:では、反共主義者とはどんな人?
A:それらの著作を理解した人。

 上記はルーマニアのジョークである。日本も韓国もジョークの文化が浸透していない。共に現代の民主主義国家としては珍しく革命を経験していない。自らの手で獲得した民主主義でなく、お歴々から与えられたものでしかない。明治維新にせよ、今般の太平洋戦争にせよ、戦前と戦後の為政者の顔ぶれは同じである。その消息は韓国も同じで、百姓一揆も独立戦争もなかった。それ故、お互いをお互いが劣等民族として排撃する。一部の企業はグローバル化されたが、一般大衆の意識に相互依存の概念は認められない。自己を相対化し、異文化を身近に置くところからジョークが生まれるのだが。

追記
 北朝鮮の政権が半島の中で正統性があると考える「主体思想派」が南で権力を掌握、韓国はいま革命のたづきを得たのかもしれない。革命とは70年越しの日本からの独立戦争であり、国家の正統性を取り戻すための闘いである。併合された屈辱を晴らす「積弊の清算」がここにある。

 https://www.dailymotion.com/video/x7gn1fy
 https://www.dailymotion.com/video/x7go5y4


投稿者: 一考      日時: 2019年10月02日 03:31 | 固定ページリンク




消費税  | 一考    

 昨日。ヒガシマル減塩うどんスープとトップバリュー松茸風味お吸いものを買ってきた。前者は6袋入り148円、後者は10袋入り188円である。最近はこのようなインスタント食品をよく用いる。
 消費税が上がるとかでスーパーは人いきれで咽せ返っていた。食料品は上がらない筈なのだが、こういうときは買い占めに走るのがトレンドのようである。たかが2パーセント、騒ぐようなことでないと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2019年10月02日 02:09 | 固定ページリンク




映画「ひろしま」  | 一考    

 先月NHKで再放送された「ひろしま」はかつてYouTubeに掲げられていたが、すぐ消えてしまったが。今ならこちらで観られる。なによりもダウンロードできるのがありがたい。

 https://www.dailymotion.com/video/x7gd55c

追記
 HLSストリーミングをダウンロードするにはVideoProcの無料バージョンがもっとも手っ取り早い。


投稿者: 一考      日時: 2019年09月07日 11:47 | 固定ページリンク




介護としての性行為  | 一考    

 血圧が133-67なので風呂に這入る。降圧剤を服用しないと160-90ぐらいはある。それを130-60から140-70へ落としている。上が110もしくは下が50を切るとわたしにとって危険域である。ちなみに120以下だと風呂には這入られない。
 エリスロポエチンはじめ赤血球を増やすための治療はいろいろ試みたが効果がなく、最近は諦めた。移植腎では腎性貧血は治らないようである。
 貧血でもっとも影響を受けるのは食と性である。食べると血液が胃へ集中するため脳に行き渡らなくなって失神を招く。よって1回の食事量は200グラム以内に抑えている。飯が100グラムなら副食も100グラム、これはどうあっても守らなければならない条件である。外食しないのは塩分もさることながら、量がわたしには多すぎるからである。今様に云うと基本内食だが、例外があって週に2回は寿司(中食)を購入する。その中食は重量オーバーである。ちらしだと半分、にぎりだと1食5巻にかぎられる。
 障害者の性と云っても千差万別だが、手が使えないもしくは手のない障害者のそれは悲惨である。それゆえ、ホワイトハンズの活動はもっと評価されてしかるべきである。

 https://www.youtube.com/watch?v=4IvG2Wwupns

 https://abema.tv/video/episode/89-82_s15_p6?utm_source=abematimes&utm_medium=abematv&utm_content=&utm_campaign=abematimes_sp_kanren_news

 勃起とは陰茎が鬱血するから起こる。胃同様、陰茎に血液が集中すれば、脳に血液は行き当たらない。腎性貧血の場合は勃起が失神に至るのである。もっともひとの身体はうまくできていて極度の貧血の場合、勃起したくとも身体は反応しない。EDの薬を服用すれば、その瞬間に失神する。しかるべき電動器具をもちいて如何に手早く射精するかである。ヘモグロビン値にもよるが、腎性貧血の患者の場合、2分からいくら長くても5分までである。要するに、命懸けの性交なのである。ミツバチの交尾のようなものである。

追記
 障害者であればこそ、性の問題は男と女といった二項対立から解放されねばならない。障害者それ自体が個々の多様性そのものである。その障害者の性が解放されるのはいつのことやら。


投稿者: 一考      日時: 2019年09月06日 22:01 | 固定ページリンク




検査漬け  | 一考    

 今週は検査漬け、CT、MRI、明日は大腸内視鏡検査である。血液検査で生じた身体の異常な部分を洗い出している。CT検査の一部結果によると右足の骨が硬すぎるようである。このまま捨て置くと車椅子生活になると脅された。来週からは整形外科のお世話になる。「歩かれない」理由は貧血と思っていたのだが、それだけではなさそうである。
 最近は歩くと激痛が走る。もっとも食品買い出しでのスーパー内の5、60メートルなのだが。食事を用意するに立っていられなくて俎板を床に置き、寝そべって調理している。三郷時代、水元公園を自転車で走り毎日のように金魚を観にいったが、あれは良いリハビリだった。ですぺらを止めたあたりから急速に悪化したようである。


投稿者: 一考      日時: 2019年09月05日 18:06 | 固定ページリンク




問題の発端  | 一考    

 昨今、ネット上は韓日の問題で溢れている。しかし発端はホワイト国からの陥落であって、それ以降の悶着は韓国側の理不尽な言い掛かりでしかない。
 韓国へ日本から輸出されるフッ化水素などの半導体材料の約3割がどこかへ消えている。経産省が2年にわたって幾度となく韓国へ問い合わせるも梨の礫。あげく「品質管理上の問題でそうなった」と説明にならない説明で押し通そうとする。
 ここ2、3年、韓国の半導体企業サムソンやハイニックスは中国に工場を設立、その稼働のためには日本の半導体材料が欠かせない。要するに、韓国は日本から輸入した半導体材料を中国へ横流ししているのである。ウイスキーの原材料のモルトは各蒸留所のレシピ通りに作られる、基本同じものはない。フッ化水素も同じで微妙に異なるのである。わが国が中国からフッ化水素を輸入したところ、それが中国産でなく国産品だったととの笑えぬはなしまである。
 罰則規定はないものの韓国側の不正転売である。いまだに韓国はそれを認めようとしない。その代わりに持ち出したのが、慰安婦であり徴用工でありGSOMIAである。本日、隣国大統領府が米軍基地早期返還を決定した。日本のメディアは文在寅の行動を常軌を逸しているというが、彼はすべて計算尽くなのかもしれない。

 宇佐美典也さんの寄稿文、是非お読みあれ。
 http://agora-web.jp/archives/2040373.html

追伸
 在韓米軍と在日米軍は同じもの、有事の折は自衛隊が後方支援に当たる。当然、日の丸をつけた輸送機や輸送船、自衛隊の艦船が韓国の領域へ出入りする。その度に旭日旗を下ろすのですかね。もっともわが国なら星条旗が相応しいが。


投稿者: 一考      日時: 2019年08月31日 03:42 | 固定ページリンク




2度の失神  | 一考    

 2箇月ほど掲示板を捨て置いていたが、moonさんに云われて覗くと穏やかならぬ書き込みがある。抗HIV療法によるコントロールが効かなくなってHIV脳症を発症するのだが、医師ではないので詳しくは分からない。そのあたりは承知の上での書き込みである。お許しあれ。

 このところ体調は最悪である。8月は2度失神した、いつもは30分ぐらいで意識が戻るのだが、17日の心神喪失は1時間以上続いた。よせば良いのにスクーターで病院へ行った。帰宅と同時に腰と腹の痛みが激しくトイレへ直行、便器を抱えて気を失った。醒めたとき、衣服はなく、下半身はトイレに上半身は廊下、1リットルぐらいの水をばらまいたように汗が流れ出ていた。30分ほどは動かれず、ぼーっと床を眺めてい、動かれるようになってからトイレのタオルを握りしめて蒲団まで這って行く。その段階での血圧は83-48まで戻っていた。15時間を経て113-59、このときばかりは死ぬのでないかと思った。去年末にエポ〈エリスロポエチン)治療を受けたが、現在のヘマトクリットは31、元に戻ってしまった。
 拙宅のクーラーは付けっぱなしである。暑いと感じたら29度に寒いと感じたら30度に設定することにしている。体温調整能力が極端に落ちてい、困惑している。今回の失神の理由が貧血なのか熱中症なのか分からない。


投稿者: 一考      日時: 2019年08月30日 11:47 | 固定ページリンク




HIV脳症  | 一考    

 知己ならメールを送るだろうから面識のない方と思う。HIV脳症は思考の緩慢化、巧緻運動能力の低下から幻覚や妄想に至る。HIV診療において極めて重篤な疾患のようである。緊急受付対応の精神病院とあるからには発症間際かとおもわれる。抗HIV療法の導入により長期間にわたるコントロールが成功することを願う。


投稿者: 一考      日時: 2019年08月27日 15:53 | 固定ページリンク




私も薬まみれのHIV Virus脳症精神障害者である実は独身女毒身女患者。  | 生きる価値がない。    

私の親が、あわれな私のために、今日の今から 緊急受付対応の精神病院まで連れて行ってくれます。
私も私の親たちと共に同居をしています。


投稿者: 生きる価値がない。      日時: 2019年08月17日 09:16 | 固定ページリンク




松友さんのオブジェ  |   一考

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 LC475で思い出したが、往時、松友さんがオブジェを作ってくださった。煙草を咥えてmacをいじくっているトドである。床が畳なのが奥ゆかしい。彼との西明石時代は愉快な日々だった。


投稿者:   一考  日時: 2019年07月05日 12:57 | 固定ページリンク




ATOK2017  |   一考

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 拙宅のmacはOS High Sierra、バージョンナンバーは10.13の最後の10.13.6を使っている。古い機種なのでこれ以上のバージョンアップはできない。ところで、10.13.6になってからATOKの調子が悪い、そこでmac用最終バージョンのATOK2017を購入。これより後のバージョンATOK Passportはパッケージ版廃止で月額制のみになった。

 moonさんに薦められて1993年にLC475(ピザボックス)を買ったのがパソコンとの出会いだった、26年前になる。往時、インターネット接続は低速なダイヤルアップで、従量制の課金だった。定額のブロードバンド接続サービスが提供されるのは2000年になってから。それまでは1枚の静止画像をダウンロードするのに30分ほどかかった。難儀な接続を済ませた折、moonさんから「世界に繋がった」と云われたが、実感したのは2000年以降である。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月25日 21:18 | 固定ページリンク




ツバメ臨終  | 一考    

 電話があったとかで管理会社の手によって跡形なくツバメの巣はなくなり、防護柵まで設けられた。嫌いなひとにとっては許されないのであろう。近頃は子供の声が五月蠅いと幼稚園は高い塀で蔽われるような世の中である。隣も一階も引っ越しの挨拶すらなかった。以前の住人と違って世知辛いひとたちに囲まれてしまった。最悪である。


投稿者: 一考      日時: 2019年06月21日 17:52 | 固定ページリンク




ツバメの巣  |   一考

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 無くなった巣をツバメが再建している。負けずに頑張って欲しいと願う。それにしても、拙宅は長屋である。他の場所でもよかろうにと思う。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月20日 16:02 | 固定ページリンク




クランク2種  |   一考

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 もっか制作中の自転車に使おうとヤフオクで購入。買ったのは上段の二つ、上はSRのサカエ輪業、真ん中は昔、競輪選手が愛用した高木鉄工所のクランク。
 サカエの部品構成は、ハンドルバー、ステム、ピラー、ペダル、ハブ、ギヤクランク、BBで、フリーとブレーキは造っていなかった。しかしペダルとハブの回転部分の性能は良く、SP-100ALとのペダルは今なお愛用者が多い。写真はAPEXの下位グループに属するクランク。

 ウィキペディアには「高木製作所は、ハブ製造の三光舎と共に戦後を代表する自転車部品メーカであったが、1970年頃の第二次サイクリングブームが下火になった1974年に経営難からか市場から姿を消す。その高木製作所が1970年代初頭に製造していた上位グレード・クランクのブランド名がターニーであった。高木の技術者は、同じ堺の島野工業(現在のシマノ)へ移り、現在のシマノのDuraAceなど高品位クランク製造の基礎を作った。1970年代中ごろに、シマノはターニーの名称でセンタープル・ブレーキを製造しており、これは後のDuraAce-EXセンタープルの原型であり、DuraAce AXセンタープル、現在のDuraAceデュアルピボット・ブレーキにつながる」 と著されている。
 上述のセンタープル・ブレーキは性能がすぐれてい、ターニー名義でありながら後に頒された600のセンタープル・ブレーキと同等である。写真最下段はシマノ傘下に入る前のターニーブランドのファイブアームコッタレスクランク。中段のスリーアームはそれの下位グループに属する。クランクとギア板は圧着されていてアウターの歯は変えられない。インナーは交換可能でアウターのアーム部の穴に取り付けられるが、スペーサー、ボルト、ナットは杉野のマイティやマキシのそれと流用できる。往時の自転車はランドナーがメインのため、インナー重視の結果である。
 ひとつ問題があるのはBBのテーパー角がユニークで他メーカーからの流用が効かない点である。四角軸(スクエアテーパータイプ)の場合、一部を除いて杉野、丹下、サカエなどは互換性があるが、高木はまったく異なる。高木のクランクを買う折はBBとのセットを購入するに如くはない。

追記
 BBには分解可能なカップ&コーン方式と分解不可能なカートリッジタイプとがある。回転性能がすぐれているのはカップ&コーン方式である。メンテナンスに興味がないひとはカートリッジタイプでよいが、性能は圧倒的に落ちるし、シマノには左ワンが樹脂製の製品が多く、用いるべきでない。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月20日 07:19 | 固定ページリンク




ツバメ  | 一考    

 去年の7月半ばツバメが巣立っていった。そのツバメが今年も帰ってきた。一昨日から巣を作りはじめたのである。ところが今朝、巣はきれいに刮げ落とされている。お隣だと思うが、これでツバメはもうやって来なくなった。いささか淋しい。


投稿者: 一考      日時: 2019年06月19日 19:01 | 固定ページリンク




ゼリー  |   一考

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 どこにでも売っているゼリー菓子だが、100円以内で売っていれば買ってくる。本品は75円の中国製。しかし今まで食べたなかでもっとも美味。甘みが随分と抑えられていてフルーツがしっかり這入っている。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月19日 16:05 | 固定ページリンク




ファン フルステイン  |   一考

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 Van Hulsteijn(ファン フルステイン)cyclone(サイクロン) ロードバイクがヤフオクに出品されている。オランダにはさまざまな種類の自転車があるが、Van Moof(ファン・モーフ) やVan Hulsteijnといった最新のデザイン性の高いバイクもある。もっとも乗りたいとは思わないが。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月19日 15:51 | 固定ページリンク




カマス  |   一考

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 今回はカマス、前回はコチ、前々回はメイチダイ、その前はヒラアジ。めぐみのさと 枝吉店に這入っている魚屋は藤江のイッシンフーズ。他のスーパーにも寿司を入れているが、なぜかこちらが一番安い。カマスは一寸変わると味が異なると云われる。人をも襲う獰猛な魚だが、小振りなものは干物が多い。産地でしか刺身は食べられないが、このような旬の魚が288円で食べられるのは嬉しい。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月19日 15:29 | 固定ページリンク




クスパン  | 一考    

 神陵台のブーランジェリー クスパンへ行く。当掲示板で何度か紹介しているが、ドンクで修業、2014年6月オープン、ハード系パンが旨い当地唯一のパン屋である。今回は日高さんと出掛けた。わたしはバゲット、クロワッサン、3種チーズフランス、バジルとベーコンチーズのパンを購入。昨今の食パンブームに乗ってクスパンの食パンも予約が必要なようである。いかに旨いものであっても事前に予約するとか列に並ぶ趣味をわたしは持たない。
 さるにてもクスパンのバゲットは旨い。一口にフランスパンと云っても、ドゥ・リーブル、パリジャン、バタール、バゲット、フィセル、フルート、ブール、シャンピニョン、フォンデュ、タバチュール、クープの11種類がある。バゲットの横にトラディションと呼ばれるバゲットがある、見た目は同じだが、普通のバゲットより値段が少しだけ高い。日持ちのため、あるいは膨らみやすくするための添加物が含まれた小麦粉を使っていない。クロワッサンやパンオショコラなどのヴィエノワズリー(菓子パン)もクスパンは本当の手作りである。

 姫路の岡野食品クロワッサントーストが近所のスーパーで売られてい、重宝している。クロワッサン風でトーストと言えば、中にパイの層が重なり合ったデニッシュトーストとか、とにかくパイ生地を想像するが、「モンシェール 東陽町工場」のデニッシュ食パンや京都祇園ボロニヤのデニッシュ食パンのようにはいかない、いかんせん158円である。バターならぬマーガリンが這入っていて、トーストすれば、耳の部分がクロワッサンの味がする、立派なクロワッサン風である。

追記
 岡野食品クロワッサントーストをみたび食べる。回をかさねるごとに旨くなってくる。わたしは持子のマルアイ玉津店で買っているが、マルアイだからと云って在庫しているわけではない。よって見掛けると必ず買っている。超一級品と比してなんら遜色ないデニッシュ食パンである。


投稿者: 一考      日時: 2019年06月19日 14:41 | 固定ページリンク




足首のストレッチ  | 一考    

 レーシングドライバーのペダルワークには足首の柔らかさが必須である。そのために足先を立てたまま、踵で歩く訓練をする。それほどでなくても、昔は運転免許更新時、目を開けて両足跳び、目を閉じて片足立ちとの項目があった。いつの間にかそのような項目がなくなった。それと昨今の高齢者の交通事故とは関わりがある。
 先般の交通事故のニュースを見ていて、ひとりは両手に杖、ひとりは松葉杖えを突いていた。前述の免許更新時の検査項目があれば免れた事故でないだろうか。マニュアル車なら事故は起きないとの意見もあるが、事故の理由はアクセルを踏み込んだ足を戻せないところにある。要するに脚がつっているのである。思うに血糖値が高いのでないだろうか。高血糖は痛風や腓返りが頻繁に起きる。とりわけ糖尿病の方は脚がつったり引き攣ったりと膠着するのが常態である。
 国は安全支援機能を重視しているようだが、対歩行者で有効なのは時速35キロまで、そのようなものが非常時の役に立つとは思われない。諸外国が行っている条件付き免許の方がより効果的でないだろうか。それよりなによりまず足首のストレッチからと思うのだが。

追記
 厚生労働省の平成28年発表によると「糖尿病が強く疑われる者」は約1,000 万人、「糖尿病の可能性を否定できない者」も約1,000 万人と推計されている。


投稿者: 一考      日時: 2019年06月08日 22:43 | 固定ページリンク




通院  | 一考    

 体調思わしくなく、今朝もまた病院へ赴く。担当医の横山医師によると血液検査の結果がよろしくなく、当分の間、1週間飛ばしで病院へ来るように云われた。ただし、この2週間に1回と云うのは最低ラインで、ちょっとでも具合が悪ければ遠慮せず来るようにとうながされた。薬の管理はちゃんとしているので、通院は減らしたかったのだが、こればかりはわたしの意志ではどうにもならない。


投稿者: 一考      日時: 2019年06月05日 11:52 | 固定ページリンク




Surly big Dummy Longtailcargo  |   一考

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 サーリーのBig Dummyはロングテールのカーゴバイクで、大量の積み荷を運べる。応分の脚力が必要だが、約90kgの荷物を積載できる。標準装備のタイヤは、シュワルベ ビッグアップル 26x2.35" だが、さらなる乗り心地と耐パンク性能を追求するなら、サーリー エクストラテレストリアル 26x2.5”がお薦め。自転車の販売価格は27万から30万円。
 北海道でもっとも多いのはチャリダー、小さな自転車に山のようにキャンプ道具を積んで走っている。知床横断道路や霧多布岬キャンプ場への上り坂で幾度となくチャリダーをたすけている。北海道ではバイクはミツバチ族,自転車はチャリダー・バイカー,歩きはトホダーもしくはカニ族、今で云うバックパッカーである。Big Dummyはまさに北海道向けの自転車である。


投稿者:   一考  日時: 2019年06月01日 07:52 | 固定ページリンク




ヒラアジ  |   一考

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 山口産ヒラアジの握り、売価は288円。
 ヒラアジ類にはギンガメアジ、オニヒラアジ、ロウニンアジ、カスミアジがあるが、識別にはやや難儀する。養殖だが同じ仲間のシマアジやカイワリの方が通りが良くなった。養殖のシマアジは20センチぐらいが多いが、ヒラアジは25センチまでは幼魚、成魚は30セントから40センチになる。シマアジとカイワリはしっかり脂がのっているが、ヒラアジの仲間はあまり脂がのっていない。よって焼き魚には不向き、魚体の側面に切れ目を入れるなどもってのほかである。
 マイヤーレモンでもよいが、味の素から出ている「オリーブ&レモン フレーバーオイル」を用いたカルパッチョはお薦め。いずれにせよ、アジの仲間では最高の味わいである。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月27日 22:38 | 固定ページリンク




古い自転車  | 一考    

 体調悪しく1週間早く病院へゆく。今日は市役所の方が拙宅へ来られる日なのだが、午後にしていただく。
 昨日は毎日自動車で自転車のボトムブラケットの右ワンを外していただく。細かい専用工具は揃っているのだが、バイスがなければどうにもならない。以前にも右ワンを外してもらったのだが、その折は大きなハンマーを用いた。古い自転車の整備には力がいる。今のわたしには無理である。固着するのがいやで、組み付けに際しネジ部に大量のグリスを使うことにしている。


投稿者: 一考      日時: 2019年05月22日 06:20 | 固定ページリンク




水分補給  | 一考    

 豆ご飯の副食になんぞないかなと、近隣のスーパーへ出掛ける。蓬莱のジャンボ焼売4箇入り、ドリームフーズの焼売と包子の8箇盛り合わせ、日本ハムのエビ水餃子等々が半額で売られていた。89円から149円の間である。7つ買って800円、これで1週間分の食費は賄えた。それがなくなれば天かすキャベツ炒めでも食べようかと思っている。
 食費でもっとも贅沢をしているのはお茶でないだろうか。以前は鍋で沸かしていたが、今は出来合いの2リットルボトルを買っている。1日、2リットル乃至4リットルを休みなしに飲み続けなければならない。2リットルだとクレアチニン値が上がる。最低3リットルと思っているが、このところ徐々に上がり続けている。移植後1.35まで下がっていたクレアチニンが2.57まで上昇している。透析時の水分と食事の制限は過酷だが、移植後は打って変わって大量の水分が必要になる。免疫抑制剤を服用する人間にとって、3日水分を制限すると命に関わると聞き及んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2019年05月20日 02:54 | 固定ページリンク




豆ご飯  |   一考

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 豆の季節である。特に絹さや(サヤエンドウ)、ソラマメ、エンドウは好きである。絹さやを見付けると玉子と炒める、制作時間1分のメインディッシュである。ソラマメについてはこちらで何度も書いているので略す。今日買ったのは写真のエンドウ、明日は豆ご飯である。
 実はスクーターの初乗りだった。実質1万5千円のスクーターゆえ、エンジンはフィルターを交換しただけで絶好調だが、電装に問題があった。まず、右のウインカーが点かない。接触不良はアドレスの特徴らしく、未だに新品のスイッチが売られていて驚く。10代の頃、バイクの免許を取りに行ったとき手信号だったのを思い出す。

 実は市役所の担当者から軽四での買い物を注意されたので、スクーターでお茶を買いに行った。1箱なら足許に載せられる、これで軽四を使わなくて済む。ただし、廃車にしたオートバイと違って尻と腰が痛い。帰宅後、例によって冷蔵庫の前でへたり込んでしまった。スクーターへの馴れが必要である。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月17日 12:19 | 固定ページリンク




高度医療と自由診療  |   一考

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 スイスの製薬大手ノバルティスが開発した血液がん治療薬「キムリア」が、米国で1回の投与で5000万円超の値がついた。小野薬品工業が2014年に販売した癌免疫薬「オプジーボ」は当初、100ミリグラム約73万円、一年使用すると3000万円を超えた。
 わたしは癌ではなく腎臓だが、免疫抑制剤のいくたりかは健康保険が適用されず自由診療となる。自由診療は当然、医療費控除の対象にならない、実費負担である。1回の投与(静注)が70万円までは応じるが、それを超える金額の薬は拒否するとの方針を最初に自らに課した。わたしの移植腎のドナー(提供者)は女性である。従って男のそれと違って腎臓そのものが小さい、かつ前述したように高額医療を行わなかったためかなりの部分が拒絶反応によって焼け野原となった。要するに満足に機能していないのである。
 生体腎を提供するドナーはレシピエントの親族(6親等以内の血族と配偶者および3親等以内の姻族)でなければならない。適応条件は別紙のごとく。免疫抑制療法の進歩により、血液ABO型が異なる移植や最近では夫婦間での移植も増えている。夫婦は他人同士ゆえ、血液型はともかくHLA抗原はほとんど適合しない。かてて加えてわたしの場合はリンパ球クロスマッチテストも陽性だった。

 わたしが本来受けるべき免疫抑制剤は1回の投与が200万円だった。いかなる薬であれ投与量は体重に比例する。200万円は50キロの場合であって、100キロの体重なら400万円になる。わたしが投与をしなかった理由はそれが1回や2回で終わらないからである。仮にオプジーボのようにキムリアが保険対応になればそれだけで国民皆保険という社会主義的制度は破綻する。現在、35万人の透析患者が年間500万円、総額で1兆7500億円使っているが、これは癌治療の金額の一割にも満たない。癌治療を押し上げているのは全国に5箇所ある重粒子線癌治療である。最低340万円から500万円の費用がかかる。キムリアならその十数倍の費用になる。先進医療はさまざまな分野で活躍している、再生医療にしてもやがて心臓が1兆円ほどでできるようになる。構造の複雑さから腎臓は最後になるだろう。いずれにせよ、保険診療には上限を設け高度医療は自由診療にすべきでないだろうか。言い換えれば、金持ちは治療を受け貧乏人は死ねば良いのでないだろうか。健康保険には健康保険で対応すべき病がある。国民皆保険を破綻させてはならない。

追記
 2016年の統計だが、日本の国民医療費42兆1381億円のうち、国民健康保険は9兆5404億円、協会けんぽや健保組合などの被用者保険が9兆7210億円、後期高齢者医療給付が14兆1731億円となっている。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月11日 17:42 | 固定ページリンク




半額の鳥貝  |   一考

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 鳥貝の旬である。「旬の食材百科」で「春に獲れる物を「春貝」と呼び、食感が柔らかく甘味が強い。一方秋に獲れる物は「秋貝」と呼ばれ、身が大きく歯ごたえが楽しめるが「春貝」のような繊細な甘さは無い。旬の時期は丹後とり貝に関しては5月から7月で、それ以外の産地では概ね4月から5月にかけてとなる」と紹介されている。
 「丹後とり貝」は現地でもひとつ1000円以上、10センチもので1300円もするが、宮津や舞鶴など丹後地方では天然ものも獲れる。養殖ものと比して身は小さく薄く値も安い。売られているものは舞鶴産とあるが丹後とり貝との記載はない、よって天然ものである。
 普段はは中国や韓国から捌いて湯引きされたものしかない。輸入ものは剥き身で120円から150円ほど。国産の鳥貝を見るのは久しぶりである。三郷にいたときは千葉産のとんぼ(小振りの鳥貝を開かないで茹でる)ばかり、ツブ貝にしてもひとつ2000円はする真ツブ (エゾボラ)ではなく小粒の灯台ツブばかりだった。
 売られている鳥貝は天然ものにしては大きく約8センチ、値は3000円。神戸市指定のごみ袋を買いに閉店間際のスーパーへ来ただけなのだが、自らの懐具合を顧みず、半額の値札を再三確認しつつ購入。思わず小躍りする。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月07日 20:43 | 固定ページリンク




Firefoxトラブル解消  | 一考    

 WebブラウザのFirefoxはわずか2日で66.0.4へヴァージョンアップ。Waterfox56.2.9に切り替えていたが、元に戻した。
 ・・・「Firefox」では先週末より、中間証明書の有効期限切れが原因でインストール済みの拡張機能やテーマ、検索エンジン、言語パックが利用不能となったり、新規にインストールできなくなる問題が発生していた。Mozillaは証明書チェーンの修正を実施するとともに、「Firefox」の調査機能を通じてホットフィックスをロールアウトして対応に努めていた。
 今回リリースされたv66.0.4を導入すれば、「Firefox」の調査機能を無効化している環境でもこの問題への対策が有効となる。カスタマイズ設定がリセットされたり、一部のアドオンで再インストールや手動での有効化が必要となるなど、まだ解決すべき問題が何点か残されているが、週明けに影響が広がらないようリリースを優先したという。(窓の杜より)

追記
 またまた2日遅れで66.0.5へヴァージョンアップ、今度はFlash Video Downloaderが使えなくなった。事前にタイトルを変更できるのが便利だったのだが。
 MP4にはVideo DownloaderHelperを、ニコニコ動画をはじめ最近やたらと増えてきたHLSストリーミングにはVideoProcを用いている。Chrome拡張ストリームレコーダーではうまくダウンロードできないからである。


投稿者: 一考      日時: 2019年05月07日 17:32 | 固定ページリンク




忌野清志郎と自転車  |   一考

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 忌野清志郎の自転車好きは有名、ケルビムにはじまってTREK OCLV、スポーツバイク・つくば・マツナガが制作したオレンジ号、オレンジ2号の他にも作っている。
 写真上段は50歳で自転車に乗り始めた頃のピンキー号(ケルビム)、クロモリ鋼フレームにアルテグラコンポーネントを組み込み、その後デュラエース(7700系)へグレードアップ。中3枚はフルカーボンフレームのオレンジ号、コンポはカンパレコード。フロントのみWレバーは、ランス・アームストロングのそれを真似たもの。下2枚はオレンジ2号、クランクはTA(テーアー)のカルミナ ライト46-30、スプロケットはカンパの13-29。病気も理由のひとつだろうが、自転車が新しくなる度にギア比が軽く、実用に適したものに変わっていく。本物の自転車乗りである。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月06日 05:16 | 固定ページリンク




スズエ・プロマックス  |   一考

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 スプリント競技世界選手権で1977年から1986年まで10連覇した中野浩一が手放さなかったのが、ハッタのヘッドパーツとボトムブラケット、そしてスズエのプロマックスである。八田製作所は現在、ヘッドパーツで約90%、BBパーツ(R9400)で約70%のシェアを競輪界において保持している。
 プロマックスだが、前から知ってはいたものの、現物を触ったのははじめて。調整後の玉当たりのなめらかさに驚く、カンパを超えた本邦唯一のハブでないだろうか。現在、復刻版が売られているが、パテントを買い取ったアメリカ企業の手になるもの。シールドベアリングを採用しているので、国産のプロマックスとはまったくの別物。
 NJS認可の競輪ハブは32Hと決まっている。また、SOYOのシームレスタイヤ(RED R-Ⅱ 180g)のごとく、競輪バルブと称される小さな英式バルブと定められている。写真下段はスズエのロードハブ。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月05日 20:58 | 固定ページリンク




ロード系ミニベロ  |   一考

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 ミニベロと云えばドイツのBD-1、イギリスのブロンプトン、同じくイギリスのアレックス・モールトンあたりが知られている。最近ではブルーノ、ジオス、ジャイアント、ビアンキ、マンハッタン、KHS等々が売られている。
 1980年代ラレーがモールトンを買い取ってからは超硬度ジェラルミンによるトラスフレームを採用、頗る格好良くなったが、50万円から150万円もする。写真上段がそれだが、このような高価な自転車はわたしには購入できない。拙宅の軽四は5万円、オートバイも5万円、先日買ったスクーターは2万円、要するに自転車が一番高いのである。
 中段はVRUMが開発したCATTIVA、電動アシスト自転車でありながら充電不要。回生ブレーキの採用、アシスト機能作動の限定、そして車重の軽量化で実現させた。販売は欧州限定で38万円ほどする。最近、イタリアではこの手の電動アシスト自転車が流行だそうな。
 わたしは身体を悪くしてからはポタリングに徹している。よってミニベロの旧車に乗っている。20インチと云っても406と451の二種がある。下段の写真は451、わたしが乗っているクロモリ自転車にどことなく似ている。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月04日 18:12 | 固定ページリンク




ちらし寿司  |   一考

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 一週間ぶりの買い物、昨日は太刀魚の刺身が安かった。例によって半分はポン酢で半分はちらし寿司にして食べた。いわゆる五目乃至ばら寿司ではなく、江戸前のちらし寿司である。酢飯に盛ればちらし、白飯なら海鮮丼となる。
 帰宅後、買ってきたものを冷蔵庫へ入れようと思うも、身体が痛くて動かれない。呻きながら一時間ほど、床に突っ伏していた。30分位はいつものことだが、昨日はいささか長かった。暑さのせいかもしれない。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月04日 16:48 | 固定ページリンク




Firefoxでトラブル  | 一考    

 らんぎくさんが引用なさっているが、Firefoxにインストール済みのアドオンがすべて無効化されるとの問題が起きている。詳しくはこちら。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190504-00000002-impress-sci

 Firefoxをデフォルトブラウザとして使っている。頻繁に無料ホームシアターから洋画をダウンロードしているので困惑している。取り敢えず、日付を2019年5月3日に変更して凌いでいるが、それによる新たなトラブルは予測できない。


投稿者: 一考      日時: 2019年05月04日 16:45 | 固定ページリンク




野締めヒラメ  |   一考

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 上下の写真は縮尺がまるで違う。下段のヒラメは切り身で左右36センチ、厚みは3センチ近くある。商売ならともかく、家で食べるには大きすぎるのだが、徳島の野締めゆえ買った。三分の一は薄引きでポン酢、三分の一は茶漬け、残り三分の一はまだ冷蔵庫に這入っている。
 上段の握り鮨は398円、切り身が薄くなって値が下がった。以前は698円で魚の厚みが3倍はあった。このような値下げは嬉しくない。丁度出入りの魚屋がスーパーにいたので理由を訊く。安くなければ売れないの一言、間違いなく日本のデフレーションは続いている。ここの握りは飯が多い、魚を薄くするなら飯も半分にしてくれと重ねて訊ねる。大将はそれには応えなかった。


投稿者:   一考  日時: 2019年05月04日 16:42 | 固定ページリンク




キチヌ(黄茅渟)  | 一考    

 先日、目下1尺ほどのキチヌの片身が280円で売られてい、購入した。関東ではあまり食べないが、関西ではクロダイ(チヌ)より多く獲れる。食べ方はクロダイに準じ、焼霜造りや皮霜造りに適している。シマダイと比して味は落ちるが、甘みがあってなかなか美味。かつて紹介したタモリ(瀬戸鯛)同様、ブランド力のない魚がわたしは好きなのである。
 一言、魚を締める場合、かならず右半身から締めるのが鉄則である。魚は頭を左にして提供する、考えてみれば当たり前のこと。


投稿者: 一考      日時: 2019年04月25日 06:58 | 固定ページリンク




オープンクランプ  |   一考

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 オープンクランプのクイルステム(スレッドステム)の写真である。クロスバイクで流行っているアヘッドステムの良さを取り入れたもの。アヘッドステムは暑くるしく感じるが、この手のオープンクランプは便利でもあり、わたしは重宝している。
 上はオープンクランプの写真でもっとも気に入ったっもの、キャリパーブレーキにスリーフィンガーのブレーキレバーは不要だと思うが、それにしても実にうまく纏めている。中はわたしのお気に入り、下はアラカルト。

 前項のアドレスの写真は陶芸家の川口真世さんによるもの、父君によると二万円の購入代金は高いようだが、台湾ユアサのバッテリーを付けての値である。しかもキック一発でエンジンは始動する、わたしは良い買い物だったと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2019年04月25日 05:40 | 固定ページリンク




アドレス100  |   一考

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 スクーターのような平和な乗り物には乗るまいと心していたのだが、寄る年波には勝てない。加えるに、先月初頭から体調が思わしくない。リッターバイクに身体が耐えられなくなって250ccの小型に切り替えたのだが、それすら顚倒時に起こせなくなった。そこで100ccのスクーターの出番となった。スズキが91年に販売をはじめた2ストローク、28年前の旧車である。わたしが乗っているエリミネーターは89年製なので、2年ほど新しくなる。オートバイからスクーターへ乗り換えるのは北海道行きを諦めることである。こちらはひどく落ち込んでいる。
 16年前の4月26日に友が亡くなった、彼女は原付二種で東京の街を走り回っていた。屡々赤坂の店の前の歩道で放置プレーの餌食になっていたのを思い出す。


投稿者:   一考  日時: 2019年04月24日 18:52 | 固定ページリンク




ル・マン  |   一考

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 日高さんのミニベロを作っている。その一方でクロモリの自転車を買った。代金は8000円、加古川稲屋の中古自転車店からである。乗れはするもののわたしに云わせるとハチャメチャな自転車である。ボトムブラケット、ヘッド、ハブは回転しない。ブレーキは固着、チェーンの寸法が合っていないのでチェンジができない。
 ミヤタが1979年に発売したランドナー Le Mans である。爾来、ワイヤー、シュー、タイヤ、チューブなど消耗品の交換はともかく、本体に整備らしい整備は加えられていない。26インチ1×3/8のアラヤWO、スギノのスーパーマキシー・トリプルクランク(165ミリ48T/44T/32T)と極東トップランペダル、ヨシガイのダイアコンペのカンチブレーキ、他はシマノのデオーレで統一されている。デオーレにもトリプルクランクはあるのだが、アウターの取り付けに難があって、スギノの方がすぐれている。それにしてもラージハブはサンシンが良かったのにと思う。カンチブレーキの性能はどこのメーカーであれ似たり寄ったりである。ボトムブラケットは現行のスギノのシールドカセット122.5ミリに換える予定だが、「BBシャフトは現品あわせ」と昔から云われるように、こればかりは合わせてみないとチェーンラインが分からない。
 加古川の御仁が乗ってみますかと訊く、乗るまでもなく見ただけで予測はきく。すると親父さんが556を持ち出してチェーンとフリーにぶっかけ、自分がギーコギーコと漕ぎはじめるではないか。自転車に用いてはならないのが、556とタイヤの艶出しである。556の類いは油分を除去するものであって、駆動部分に塗布してはならない。潤滑なら556でなくシリコーンスプレーを用いるべき。チェーン、フリー、ディレイラーにはドイツ生まれのイノテック105が最良だが、最短でも3日は要する、頗る頑固かつ面倒なオイルなのである。

追記
 前後のハブの掃除をした。前のハブは締めすぎで玉押しに虫食いが出ている。後ろのハブはなんとナットが手で回る、こちらは玉受けに虫食いが出るはずなのだが、なぜか大丈夫だった。玉押しとボトムブラケットのロックリングは手に這入らない。虫食いが見付かったときは同じハブをもうひとつ購入するしかない。
 ランドナーをはじめ、昔は26インチが主流だった。日本人の体躯には26インチがぴったりだと思うのだが。


投稿者:   一考  日時: 2019年04月16日 20:43 | 固定ページリンク




結膜炎か花粉症  | 一考    

 免許証を更新してから目がおかしい。まるで結膜炎か花粉症のようだが、いままでそのようなものに罹ったことはない。3月の検体検査の帰り、目が痒くて涙が止まらない。どこぞ停車するところはないかと探していたところ、道路工事で一車線を封鎖している。最後のスコッチコーンの脇へ車を停めて休憩した。先日はオートバイで同じ症状が出たが、二輪は側道があればどこででも停められる。鼻水を垂らしながら片目で運転はできない。それにしても、一箇月以上続いている。目薬以外になんぞ考えるべきなのか。


投稿者: 一考      日時: 2019年03月22日 02:47 | 固定ページリンク




ミケのハブ  |   一考

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 MICHE(ミケ)のハブを買った。70年代後半のものと思われるが、グリスが真っ黒の固形物に化けてこびりついている。3日間灯油に付けてから刮げ落とした。購入後一度のメンテナンスすら受けていないと思う。出自を知っていればこのような目に遭わなかったのであるまいか。往時のミケのハブはカンパニョーロのOEMである。ミケに限らない、ジャン・ロバートやジピエンメの他、6箇所ほどのメーカーがカンパからの供給を受けていた。
 化粧品業界では、製造工場を持たずに企画・販売・流通を行うブランドが多い。少数ロットから受託を行う、セントラル・コーポレーション、コスメティック・ジャパン、サティス製薬といったOEMメーカーが多数存在する。スマートフォンなら台湾のフォックスコンや中国のレノボなどがOEMメーカーとして世界的に知られている。iPhoneをはじめ、アップル製品も自社で生産を行わないOEM製品。シマノにしてもチェーンやブレーキシューにとどまらない、多くのパーツをマレーシアや中国で造っている。
 ミケは1919年イタリア・トレヴィーゾで生まれたコンポーネントブランド。最近は新素材を用いた高級パーツを造っている。


投稿者:   一考  日時: 2019年03月21日 23:07 | 固定ページリンク




サンツアーのスプリントハブとシュパーブプロのペダル  |   一考

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 最近、シールドベアリングのパーツを再生する機会があった。写真のサンツアーのスプリントハブとシュパーブプロのペダルである。カップ&コーン式と違って、シールドベアリングは面倒である。ベアリングプーラーとベアリングシールインストーラーが必要になる。ただし、ベアリングの打ち込みにアルミ製は何の役にも立たないので要注意。深溝玉軸受を用いるならシールインストーラーはいらない。
 ベアリングだが、安物だと国産より中国製の方に分がある。工作機械用CNC装置ではファナックが世界シェアの約50%を有すると言われていたが、このところ中国の猛烈な追い上げを喰らっている。中国では今年上半期504万社が倒産、他方607万社が起業してい、大半がハイテク分野といわれる。米中貿易戦争は中国に産業革命をもたらしている。

追記
 シュパーブプロのペダルだが、ペダルキャップを外し、3ミリのアーレンキーを突っ込んで木槌で軽く叩くと簡単に抜ける。
 スプリントハブは合成ゴムが接触しながら両側よりシールドしているLLU深溝玉軸受ベアリングを用い、シュパーブプロのペダルは鋼板シールド付きのZZ標準ベアリングを用いている。


投稿者:   一考  日時: 2019年03月19日 09:42 | 固定ページリンク




スクエアテーパーのカートリッジBB  | 一考    

 昨今は完組ホイールの全盛だが、70、80年代まではリム、ハブ、スポーク、ニップルを個別に選んでホイールを組むのが一般的だった。例え既製品であってもホイールは自転車屋の親父が組むのが当たり前であり、腕の見せ所だった。自転車に乗り始めたころ、腕に自信のある親父から「ずっと乗るならホイールぐらいは組まないとだめだよ」と云われ、自分で組むようになった。それが理由で玉当たりには五月蝿くなった。ハブならサンシン、ペダルなら極東、スギノのクランクとタンゲもしくは八田製作所のボトムブラケットといった案配で、カンパのもの真似ばかりしていたシマノ製品の回転部分は歯牙にも掛けなかった。現在のシマノの変速機はすぐれているが、自転車でもっとも大切な部分はボトムブラケットとハブである。
 ボトムブラケットはカップ&コーン式ベアリングに如くはないとわたしは思っている。しかし、転がり抵抗が比較的少ないシステムを安価に構築するにシールドベアリングは便利である。ただし、自転車によく使われる6001番の深溝玉軸受は1箇200円から60万円まであり、自転車には安物の公差0級のものが使われている。その中ではタンゲ精機(LN-7922以上)と台湾メーカーのTOKENにとどめを刺す。はなし序でに変速機もサンツアーを受け継いだSunXCD(サンエクシード)が最良だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2019年03月19日 07:37 | 固定ページリンク




白血病  | 一考    

 このところ白血病で喧しいが、わたしは友を白血病で喪った。横須賀功光さんである。抗がん剤治療はワンクール(和製英語)2箇月、それを何回か繰り返し行うのだが、治療中脱毛はつづく。髪の毛だけではなく、眉毛・まつ毛・鼻毛などの体毛全般に及ぶが、まつ毛がないと眼にごみが入りやすく、鼻毛がないと鼻の中が乾燥し粘膜がいたみやすくなる。化学療法だけならまだしも、骨髄移植になると大事である。

 拙宅の横は明石川である。近々市営住宅へ移るが、引っ越してきたとき、土手への坂が歩かれなかった。小学生が自転車で軽々と登っているにもかかわらず。さらに思い出すのは戸田中央で3箇月近く入院の折、はじめてトイレへ行く許可が出たのだが、立ち上がれないしまったく歩かれない、看護師に両脇を支えられてトイレへ行った。76キロの体重は51キロに、筋力は一切なくなってしまう。骨髄移植も同様、適度な運動をつづけることは可能だが、選手としての再起はほぼ不可能になる。
 骨髄バンクのドナー登録が増えているそうだが、数百乃至数万分の1の確率でしか一致しない。さらに移植希望者に適合者が見つかっても3割前後のドナーは拒否する。骨髄移植は生体間移植だが、膵臓・腎臓・眼球のような脳死による献体移植の場合は登録ドナーの家族の98パーセントが拒否する。そしてレシピエントは、抗癌剤と放射線照射で体中の白血病に侵された造血幹細胞を死滅させなければならない。浴びる放射線量は12,000mSv前後(体重によって異なる)と、50%致死量の3倍にもなる。
 わたしの場合は数次の輸血により抗体ができているため、急性期拒絶反応に悩まされ、ステロイドパルス療法などの強力な免疫抑制療法によって長期生着を得た。白血病の場合はなによりもまず白血球の血液型であるHLAが適合しなければならない。ABO式血液型が異なるドナーから骨髄移植を受けた場合、移植された造血幹細胞が血液を造り出すようになるため、最終的にはドナーと同じABO式血液型になる。また、血液細胞の染色体、DNAもドナー由来のものに変わる。いずれにせよ、合併症や後遺障害のリスクがすこぶる高い治療法である。当然、生涯にわたって免疫抑制剤を服用することになる。

追記
 臓器移植に違いはないのだが、造血幹細胞の場合は免疫抑制剤の服用は1年ほどで済むらしい。池江さんは急性白血病ゆえ、化学療法によって一時は治るだろうが、早晩、再発する。その場合は骨髄移植でなく臍帯血移植であってほしい。臍帯血移植については読売新聞社の池辺英俊さんの「白血病と闘う~政治部デスクの移植体験記」が詳しい。

 https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20151105-OYTEW55414/


投稿者: 一考      日時: 2019年02月15日 17:41 | 固定ページリンク




高齢者講習  |   一考

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 高齢者講習を受けてきた。神戸地区はどこも一杯で予約が取られない、東播のコベルコ自動車教習所へ赴いた。コベルコはクレーン車や建機専門の教習所で普通免許や二輪免許は扱っていない。事ほどさように高齢者講習は賑わっているということ。有効期間が免許証の誕生日の後先2箇月に延長されたのも混雑緩和のためである。
 受講内容は予想通り、視力検査に問題あり。視野角だけは40歳相応ということだが、わたしの免許は大型二種、それ故、動体視力と深視力が加わる。夜間視力と共に、こちらはぎりぎり受かるかどうかの瀬戸際である。もっとも二種免許と大型免許を返上すればそれで良いのだが。
 横にいらした女性は原付免許のみ、それでも高齢者講習を受けなければならないようである。公安委員会の杓子定規な発想に呆れかえった。

追記
 先ほど、免許証を更新してきた。高齢者講習で5100円を支払っているため、更新は30分足らずで済んだ。気にしていた深視力は、1.8、1.6、1.6、1.7でなんなくクリア。吉川警察署で五月蝿く注意されたのはなんだったのだろう。免許証から20余年つづいた埼玉の文字が消え、神戸っ子に戻った。色はブルーに、有効期間は3年になった。次回は75歳、認知症検査が加わる。


投稿者:   一考  日時: 2019年02月14日 20:14 | 固定ページリンク




サンローゼ・王様のフルーツケーキ  |   一考

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 伊川谷のサンローゼから王様のフルーツケーキという洋菓子が売り出されている。それが賞味期限3月1日の分から味が変わった。ぱさぱさ、ぽそぽそのケーキ地が随分とウェットになリ旨くなった。値は388円、スーパーで売っているスウィーツである。
 序でに、愛媛の養殖ヒラメを買う。598円でこの大きさ、たまには捌いた刺身もよいものである。会席料理ならともかく、通常の食べ物を写真に撮る趣味はない。しかしながら、魚だけは別である。


投稿者:   一考  日時: 2019年02月14日 02:56 | 固定ページリンク




「時事」つづき  | 一考    

 ダイヤモンド・オンライン メールマガジン 19/02/10号に(前明石市長の暴言が単なるパワハラで終わらない「不可解な経緯」)との文章が掲げられている。噂は噂でしかなく、オフィシャルな場では書かれないが、示唆することはできる。ダイヤモンド・オンラインでは、全国紙デスクのはなしとして紹介されている。泉前市長の政策に批判的な元市長から刺し違える覚悟の役人に金品が渡ったとの噂はわたしも聞いている。金額も聞き及んでいるが、職を棒に振るだけの金数とは思われない。裏には市長職を狙う複数の市議もいるそうな。
 文中「行政手腕は評価が高い。第2子以降の保育料無料や中学生以下の医療費無料など手厚い子育て支援策を打ち出し、6年連続で人口増を実現。14年には犯罪被害者らに損害賠償金を立て替え払いできるよう条例を改正・・・・・・昨年11月にはひとり親世帯の養育費受け取りを市が保証するモデル事業を開始、同12月には元受刑者の社会復帰を支援する条例を成立させ「人権派」として注目された」とある。
 新しい政策をを打ち出せば新たな仕事が増える、保守的な政治家や役人にはそれが許されない。そうしたことを踏まえたうえでの前項だった。
 当掲示板には私的、オフィシャルの垣根はない、わたしは泉前市長を支持者する。

 https://diamond.jp/articles/-/193018?utm_source=weekendsp&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor_02


投稿者: 一考      日時: 2019年02月10日 18:53 | 固定ページリンク




昨夜  | 一考    

 昨夜、風呂場で気分が悪くなった、顎から汗が滴りおちている。裸のままトイレまで這って行き便器を抱えて嘔吐したまでは憶えている。このような場合、いかにすばやく風呂場から脱出するかである。湯船に浸かったままだと溺死する、洗い場だと確実に風邪をひく。
 寒さのせいか、30分ほどで目を覚ます、今回の失神は軽度である。紙パンツを穿き、蒲団に潜り込んでひたすら眠る。新しい日は風呂場とトイレの大掃除ではじまる。どうしてこうなったのか理由を考えている。


投稿者: 一考      日時: 2019年02月08日 21:47 | 固定ページリンク




時事  | 一考    

 ですぺら営業中、消防署から消防設備点検実施の電話があった。わたしは防火管理者なので、チェックすべき項目は分かっている。ただ店には消化器や消火栓はおろか、感知器すらひとつもない。明白な消防法違反である。その旨を署員に伝え、一言添えた。某893組織の事務所が置かれていたことを。鸚鵡返しに署員は○○組ですか、はなしはそこで終わりである。点検日まで決まっていたのだが、署員が訪ねてくることはなかった。

 今般、明石市長が辞職したが、件の録音テープがマスコミに流出するまでの経緯はきわめて政治的である。詳細は述べないが、担当した幾人かの役人は前述した消防署員同様、面倒に関わり合いたくないと接触を先送りしたに過ぎない。国道2号にたった一軒残ったビルのオーナーSさんは、明石青年会議所を卒業なさった方で手広く不動産を扱っている。少々ゴネはしたろうが、立派な企業家である。かつて枝吉から西明石方面へ抜ける道は、途次にあった養豚業者がネックになって開通に20年近くを費やしている。行政側には土地収用という手立てがある、それを用いなかったのは、役人側に問題の過多があることを役人自身が理解していたからに他ならない。要するに市長はまんまと乗せられたのである。

 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201901/0012019280.shtml


投稿者: 一考      日時: 2019年02月06日 04:33 | 固定ページリンク




太刀魚の握り  | 一考    

 先日の検体検査の帰りしな、例によって近隣のスーパーで太刀魚の握り寿司を5貫250円で購う。皮をバーナーで軽く炙っていたが、それがいたく美味。あまりの旨さにもう一人前と思ったが、売り切れていた。

 検査だが、結果は最悪。γ-GTPやHbA1cが跳ね上がってい、尿蛋白が+2になっている。今まで正常だった数値に異変が起きている。体調を崩すとかくまで酷くなるものか。検査前日、水分が十分に摂られないのでスポーツドリンクをがぶ飲みした、身体に良くないのは承知の上である。
 血液検査は通常は5本なのだが、なぜか6本。なんの検査が増えたのかと思っていたが、見ればCMV抗原とある。サイトメガロウイルス感染の検査である。サイトメガロウイルスはわたしにとって艮(うしとら)の方角に当たる。3箇月に及ぶ絶食を経験させられている。そちらの結果は次回の検査時に分かる。


投稿者: 一考      日時: 2019年02月02日 21:51 | 固定ページリンク




串揚げ  | 一考    

 串揚げを串カツの亜流だと書いた。人様からより多くの金銭を頂戴するために本来下賤な食い物に格好を付けた、謂わば串カツの会席版でなかったかと思っている。というのも、串カツについて書いていて外山時男さんを思い起こした。東京では希有な蕎麦屋の主人だった彼に云わせると会席における蕎麦が「ノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユ・・・大宗教に囚われた八百万の神の趣」となるのだが、似た俤を串揚げに嗅ぎ取ったのである。繰り返すが、串カツは元々牛肉だけのもの、それに芸を加味し、遊びで色づけを施したのが串揚げでないだろうか。

 過日、井筒典久さんとはなしてい、十割蕎麦はともかく田舎ソバの風味も捨てがたい、と。外山さんだと「ラ・ジョコンダの微笑みが江戸ソバなら、その背景の曲がりくねった川や橋が田舎ソバ」となるのだが、新潟から山形、秋田、青森とつづく国道7号沿いには夥しい数の蕎麦屋がある。北海道への行き来には国道8号と7号を利用していたが、それら板蕎麦をどれほど楽しみにしていたか。井筒さんの仰るとおり、青磁色の蕎麦も佳いが田舎蕎麦には一癖も二癖もある浅葱裏の味わいがある。


投稿者: 一考      日時: 2019年01月24日 15:27 | 固定ページリンク




串カツ  | 一考    

 昭和のはじめ、串カツはビフカツ(ビーフカツレツ)の廉価版として誕生した。同時期、関東では豚肉とタマネギを交互に刺した串カツが生まれている。戦後、牛肉の代用品として鯨肉が用いられ、同時にジャガイモの串カツが流行する。流行らせたのは満州からの引き揚げ者である。子供の頃、わたしはジャガイモばかり食べていた記憶がある。関東式の串カツが関西で流行るのは昭和30年代以降のことである。ちなみに、串揚げが生まれたのも串カツと時期を同じくする。串揚げをわたしは串カツの亜流だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2019年01月24日 06:24 | 固定ページリンク




銀河鉄道へ  | 一考    

 体調が戻ったので、26日の土曜日10時過ぎに銀河鉄道へ出掛けます。

 10月に受けたEPO治療によってヘマトクリットが31から38.6へ劇的に改善したと書いたが、2箇月後は35、3箇月後には32にまで減ってしまった。同様に血色素量も減っている。赤血球の寿命は100日から120日と聞く。やはり駄目なようです。


投稿者: 一考      日時: 2019年01月24日 06:03 | 固定ページリンク




ヒレグロ  |   一考

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 今日から正常に戻った。昨日、買い物に出掛けて、入り口でおじさんに大丈夫ですかと問われた。レジで前にいらした女性がわたしのカートから籠を取り出そうとする、「大丈夫です」と応えるが、「そうは見えませんよ」とさっさとレジ台へ移し替える。ありがたいのだが、そのように見窄らしく見えるのかと、帰宅後、繁々と貌を見詰める。酷い、クリーチャーのような顔である、ひげは茫々、目の周りには隈ができている。無理を承知で風呂を沸かして11日ぶりにひげを剃り、髪の毛を洗う。
 写真は好物の干しカレイ、島根のヒレグロである。似たものは松戸にもあったが、島根に比べれば味は落ちる。わたしにとって母の味でもある。


投稿者:   一考  日時: 2019年01月21日 17:46 | 固定ページリンク




体調を崩す  |   一考

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 1月9日から体調を崩している。風邪なのだが、このように拗らせたのは久しぶりである。年末の検体検査の帰路、最後の昼網でオコゼを買った。大きなオコゼで780円だった。新年の7日、最初の昼網でやはりオコゼを買った、小さいが3匹で480円。ですぺら閉店の折、世話になった方に包丁一式をプレゼント、よってペテナイフ一本でオコゼを下ろした。今年は恵まれているなあと想っていたのだが。
 風邪を治すのは自分自身の免疫力でしかない、ところが、命を繋ぐための免疫抑制剤を日々飲み続けている。また、PL配合顆粒は前立腺肥大症を悪化させる。この自己免疫と免疫抑制剤との関係は分かりづらい。検体検査で炎症が見付かった場合も、抗生物質は出るものの、全部は飲まないでくれとの註文がつく。一錠ごとに体調を確かめながら慎重に服用せよとの命令である。
 発症してから絶食しているが、今日は寝床から出るときに倒れなくなった。おそらく明日からはなんぞ食することが出来るようになる。


投稿者:   一考  日時: 2019年01月18日 04:00 | 固定ページリンク




ブレーキシュー  | 一考    

 このところ自転車に関する書き込みが続くが、まだ書くことは多い。例えば、ブレーキはキャリパでかけるのではない。あくまでシュー(ゴム)でコントロールするのである。極論になるが、シューさえ良いものを使えば本体はなんだって構わないのである。昨今、シマノ全盛で台湾製のブレーキは二束三文に扱われている。ついこの間まで、シマノのシューはテクトロのシュー同様、使い物にはならなかった。わたしはどこのキャリパを使っても、シューだけはカンパを用いていた。
 昨今、マウンテンバイクやクロスバイクのオンパレードで、太いタイヤばかりが持て囃される。ならば余計にガツンと効くシューは不向きである。コントロールが効く若干柔らかめのシューが必要になる。
 「駐車場で何度かブレーキをかけた程度しか使っておらず、すぐに外して箱で保管。ブレーキのフィーリングが好みじゃなかったので、すぐにシマノのブレーキに変更した」といった書き込みが目に付くが、80年代後半にシマノトータルインテグレーション(STI)が開発されるまではカンパの真似ばかりしていたのでなかったか。第一にガツンを求めるのなら、キャリパーブレーキよりもVブレーキ、カンチレバーブレーキ、ディスクブレーキを求めるべきであろう。仮にシマノのライトアクションが欲しいのであれば、BR6700-G Y84 ポールリテーナーが売られてい、互換性がある。調整可能なトーインブレーキシューなら他のメーカーも作っている。
 シューに戻るが、スイストップは高価にすぎ、シマノとよく似ている。ならば細かいコントロールが効くカンパかBBBブレーキパッドにするべきである。BBBにはシマノ・スラム用(BBS-26HP)とカンパ用(BBS-26CHP)がある。


投稿者: 一考      日時: 2018年12月26日 06:36 | 固定ページリンク




おでん  | 一考    

 12月の検体検査は本日だが寒そうである。営業中は構うことなくオートバイを飛ばしていたが、店をやめた途端に蒲団に潜り込んでいる。緊張感がなくなるとかくまでだらしなくなるのか。
 寒いものだから珍しく温かいものばかり食べている。関西で云う豚まんは神戸にも老祥紀、老祥記、一貫楼、四興樓、春陽軒、南京楼と随分とある。食べに出掛ける気はないが、近場で入手できるといえば蓬莱の豚まんしかない。蓬莱の豚まんは豚肉と玉ねぎのみ、食べるたびにハンバーグを想い起こす。このようなひどいものがどうして一世を風靡したのであろうか。
 先日、業務スーパー フレッシュ石守で豚まんを買ったが、これが滅法旨い。中国から冷凍で送られてくるだけあって、椎茸や竹の子ががっぽり這入っている。昔の春陽軒のごろごろした味である、いたく気に入っている。
 今ひとつはおでんである。おでんは元々豆腐料理(田楽)であって、豆腐と蒟蒻の這入らないおでんはおでんでない。わたしはそこに生揚げ、大根、餅入り巾着、ゆで卵 、練り天を入れる。関東ならはんぺんだろうが、かつて神田の四国屋で食べたはんぺんには閉口した。あれだけは好きになられない。北海道の白子やツブ貝、ネマガリダケについては書いたが、富山の赤身肉のネギマ風のおでんも美味しかった。小田原では梅味噌を付けて食するが、豆腐に似合いである。三橋敏雄さんを思い出す。


投稿者: 一考      日時: 2018年12月26日 05:03 | 固定ページリンク




ISOとJIS  |   一考

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 前項でフロントディレイラーが特殊な形状と書いたが、写真で説明しておく。サンツアーはローノーマルになって以降のARXや後期のサイクロン、初期シュパーブなどにネジ込み式アウターストッパーが付いてい、サイクロン7000になっても受け用の爪がついていた。下段はセブンだが、下向きのアウターストッパーである。サイクロン7000には下段右端の差し込み式アウターストッパーを用いる。このようなアウターストッパーは現在入手不可能である。
 フロントディレイラーの中古を買うとアジャストボルト(M4)のネジ山が潰れていたり、バンドの留めネジ(M5)が錆び付いていたりする。ピッチゲージを持っていないので詳しくは分からないが、大きなホームセンターならいろんなピッチのステンレスボルトが売っている。わたしは毎日自動車に出入りするネジ屋から工面している。

 川口真世さんの自転車に新しいマイティーツアーを用いたが、ヤフオクの質問欄にカンパのBB(ボトムブラケット)との互換性が書かれていた。スギノのクランクで互換性があるのは旧マイティーツアーと75の一部のみ。初期のシュパーブに一機種のみISO規格があったが、他はすべてJIS規格。クランクとBBは同じものでないとテーパー角が合わない。仮にテーパー角が合ったとしてもチェーンラインが整わない。旧マイティーツアーと旧カンパBBは希有な例である。なお、旧カンパレコードと互換するBBはTifosi(ティフォージ)とToken(トーケン)からカートリッジタイプが頒されている。同スクエアーテーパー(四角軸)は他にもシマノ・スギノ・ストロングライト・タンゲなどから出ているが、テーパーが異なりカンパとの互換性はない。


投稿者:   一考  日時: 2018年12月19日 11:14 | 固定ページリンク




小径ロード  |   一考

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 わたしが乗っている自転車は20インチの小径車である。葛飾区から三郷市にまたがる水元公園へ日々通っていた。小合溜を中心とした都内最大の水郷公園だが、平坦地なのでわたしでも走ることができた。ところが、神戸市西区はどこへ向かっても坂である。わずか2パーセントの傾斜であっても走られない、能力はまるで電車なみ(勾配は1.4パーセント内)なのである。従って、引っ越してからは自転車を諦めていた。
 今回の検体検査で血液量が思いのほか増えたので、ギア比を変えて乗ろうかと思う。アウター52にインナー46だが、それを48-40に落とした。インナーを36にしたかったのだが、フロントディレイラーが対応していない。下引きなのだが、ワイヤーの受けが特殊な形状で、手持ちで使えるのはマウンテンバイク向けコンポーネントになる前の最初期のシマノデオーレ、別称ULTEGRA TRICOLOR FD-Ż202のみ。キャパシティは9Tしかないが、昔のフロントディレイラーはこのようなものだった。
 クランクは初期のマイティツアー、BBは当初カンパを使っていたが現在はスギノISO、ハブはサンツアーシュパーブプロ、ボスフリーもサンツアー5段を用いている。現状、WOを履いているので18インチである。タイヤの直径が異なるため、チューブラーなら20インチになる。ママチャリならいざしらず、このような小径のロードは珍しい。それに大きな買い物籠を付けている。車椅子生活を余儀なくされた、わたしの身体に対する精一杯のレジスタンスだった。
 錆ついたところは仕方ないとして、磨けるところは磨いた。グリスとシリコンオイルをさし、ワイヤーはすべて新しくした。血液も新しくなったことだし、近隣の買い物はこれから自転車で済ませたく思う。

追記
 いつか使おうかと、ニジ製20インチのチューブラーリムを持っている。しかしチューブラーの値が高すぎる。おそらく組むことはあるまい。写真は水元公園。


投稿者:   一考  日時: 2018年12月06日 05:31 | 固定ページリンク




自転車取り敢えず完成  | 一考    

 川口真世さんの自転車が取り敢えず完成した。取り敢えずと云うのはスペアタイヤとリムセメント、前照灯とテールライトが必要だからである。ライトの類いは100均で揃う。リムセメントは劣化する、それ故本当は新しく貼りたかったのだが、スペアタイヤを購入してから貼り方を伝授しようと思う。
 自転車は当初考えていたものとはまるで変わった。彼女の父親が回転部分に五月蝿いからである。もっとも仰っているのは正しい。BBとハブは最良のものを選ばなければならない。変速機はなんでもよいのである。FD、RDはブレーキと共にシマノ600のアルテグラを用いた。昔からシマノは回転部分に弱い。そこでハブはカンパのレコード、BBはスギノのCBBAL-113(カートリッジ ボトムブラケット シールドベアリング)を奮発、クランクは新しいマイティーツアーをこれまた奮発。ギア板はPE110Sでアウター48T、インナー36T、色はブラック、これなら文句はあるまい。
 BBは当初、シマノ600を用いるつもりで状態の良いものを購入した。しかし玉当たりがひどすぎる。しかも父親から駄目出しされるとそれまでである。予定では安く仕上げるつもりだったのだが致し方ない。マイティーツアーはわたし自身ずっと用いてきた名作中の名作、今ではプレミアが付き3万円近くする。古いタイプはカンパと互換性があった。
 もっとも難儀したのはダブルレバーである。レジナの6段ボスフリーにはシマノもサンツアーもインデックスが噛み合わない、結果カンパのフリクションを用いらざるを得なかった。いずれにせよ、メンテナンスがし易く、乗って楽しい自転車になったと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年12月06日 04:31 | 固定ページリンク




シフトレバー(ダブルレバー)  |   一考

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 80年代以前のダブルレバーはことごとくがフリクションだった。わたしは長くサンツアーの I.F.Cと I.P.Cを用いてきたが、インデックスとフリクションの切り替えが可能で、フリクションにはラチェット機構が組み込まれていた。ラチェットは細かく刻まれていて変速にまったく影響はなかった。
 写真はサンツアーが1987年に売り出したアキュシフト。6速乃至7速対応でインデックスとフリクション両用だが、こちらのフリクションにラチェットは組み込まれていない。

 http://dt6110.web.fc2.com/parts/accushift.html#shift

 上記で紹介されていないが、インデックス機構が生まれる前、すでにラチェット付きのダブルレバーがサンツアーから頒されていた。すこぶる簡便なもので、パーツをカンパで統一してもダブルレバーだけはサンツアーを用いていた。シマノは7400系以降フリーハブへ軸足を移していったが、シマノのインデックスはシマノのフリーハブにしか対応していなかった。比してサンツアーが作り続けたインデックスはボスフリーそれもレギュラーとウルトラの双方を使えるすぐれものだった。90年代前半にサンツアーはなくなってしまったが、エンド幅120ミリや126ミリの旧車をレストアするのにサンツアーのボスフリー用インデックスは必需品である。なお、6速、7速対応のダブルレバーを10速へ改造できるようだが、わたしには方法が分からない。

追記
 数十年ぶりに自転車を組んでいるが、いささか手を焼いている。パーツの組み合わせがまったくうまくいかないのである。それと値の高いこと、例えばバーテープで使用に耐えるものが4000円もする。フィジークかサンマルコかセライタリアが欲しいのだが。

 サンツアーのリアディレイラーにBL乃至ヒーローと称する同一のモデルがあり、α-4050と共に非常に性能の良いRDだった。ただし、BLシリーズのダブルレバーはカンパの台座との互換性がなかった。


投稿者:   一考  日時: 2018年11月30日 11:31 | 固定ページリンク




カラオケ喫茶 銀河鉄道  | 一考    

 先般、銀河鉄道へ届けたブローラとポート・エレンについて触れておく。
 ブローラはUDから5種類、ダグラス・レインから10種類以上頒されている。以上と書いた理由はわたしが味見したのがそれだけということである。ダグラス・レインの社長からはあと2種類出たと聞き及んでいる。DLの姉妹会社エイカーダイクからも頒されているが、そちらを数えているのかもしれない。ウィスク・イーの扱いになるダルリアダのブローラは、ボトラーズのリフィール・シェリーもの(4種類)同様、特筆ものと聞いているが、ダルリアダは飲んでいない。
 今回持参したブローラはウィリアム・マックスウェルのダン・ビーガンシリーズの一本、80年蒸留、04年ボトリングの24年ものである。23年ものもあり、81年蒸留の26年ものもある。ドライシェリーすなわちフィノシェリーすなわち使い古したオロロソシェリー樽を用いている。香り、こく、喉ごし共に超一級、銀河鉄道にはもったいない傑出したブローラである。レアモルト並びにニュー・カスク・ストレングスよりも遙かに旨い。
 シリーズ名のダン・ビーガンもしくはダン・ベーガン(Dun Bheagan)はスコットランドのスカイ島にある村の名前で、同地を支配していた地元のクラン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェルの創業家と深いつながりがあったことから。1997年にフランス向けにボトリングをはじめた。他ではリンクウッド、ロングモーン、ローズバンク、ポート・エレンが美味。ちなみに、スカイ島はシングルモルトのタリスカー、ダン・ビーガン城、ダン・ビーガン ホテルなどで識られている。

 ポート・エレンは79年蒸留、ホグスヘッドの16年もの、ボトラーはキングスバリー。他に80年蒸留の15年ものがあるようだが、わたしは飲んでいない。カスク・ストレングスではG&Mとシグナトリーのダンピーボトルにとどめを刺すが、加水タイプでは本品であろう。ポート・エレンを知るには15、16年までが限界と思っている。癖のないカスクゆえ、蒸留所本来の香味が生かされている。ダグラスレインのフレッド社長云うところの「なめし皮の味」である。

 「候可候 (さうらふべくさうらふ)」で書いたが、こちらでもカラオケ喫茶 銀河鉄道の住所を記載しておく。
  明石市鍛治屋町4-14 999(スリーナイン)ビル6F 078-917-5801


投稿者: 一考      日時: 2018年11月30日 04:21 | 固定ページリンク




点滴  | 一考    

 神大で久しぶりの点滴、思い返せば、点滴だけで命存えたときがあった。医師によると水不足の餌不足らしい。PLよりもミヤを服用すべきですね、と。医師も看護師もわたしの腹のゆるさは心得ている。戸田にいたときからそうなのだが、引っ越し後免疫抑制剤サーティカンを飲むようになってから麁相が増えた。それは旅行ができない最大の理由でもある。
 グラセプターの血中濃度が高いようだが、このような状況下で判断はできないそうな。ウィルスを調べるのでもう一度血液検査をする。なにか出た場合は呼び出しがかかると云われる。尿蛋白とβ2ーマイクログが跳ね上がっている。ヘマトクリットは31から38.6に改善されている。恐るべしエリスロポエチン。
 ムーンさんに傘を届けて、帰りしな猛烈に腹が減ってくる。これなら大丈夫と安堵する。

追記
 刺身が好きなようだが、青魚は食べないようにと五月蠅くいわれた。マグロ、カツオ、サバ、アジ、ブリ、カンパチ、ニシン、イワシ、サンマ、トビウオの類いである。鮪を旨いと思ったことはないが、鰺、秋刀魚、飛び魚は好物である。もっとも白身魚があればそれで十分だが。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月28日 16:33 | 固定ページリンク




数年ぶりの風邪  | 一考    

 26日は大変だった。深夜の2時頃、突然の吐き気で目を覚ました。それからの24時間は下痢と吐き気の繰り返しで、トイレに籠もりっぱなし、当初は食あたりと自己診断した。食事はおろか。水も飲まれない、飲めばすぐ吐くからである。28日が検体検査というに。検査前の3日間は特に水分を必要とする。1日2リットル以上の水分を摂らないと碌な結果にならない。
 24時間を経たころ、食あたりでないと気づく。どうやら風邪である、PL配合顆粒を服用。27日夕、やっと紅茶が飲まれるまでに恢復。とにかく明日の検査のために食事をと、高野豆腐とサヤエンドウ(絹さや)の煮込みを一口食する。
 28日になったが、食事はまだ不可能。食事の時間制限は4時までである。東京から戸井田さんが銀河鉄道へいらっしゃるとか。なんとか元気になりたいのだが。

追記
 明日は紙おむつの世話になる。医師はわたしの下痢癖に馴れている。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月28日 02:02 | 固定ページリンク




ソバの実  | 一考    

 本日、ソバの実の浅漬けを作りましたので、銀河鉄道へ持って行きます。ほんの少し唐辛子の糸切りを追加、旨いと思います。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月24日 19:27 | 固定ページリンク




フルーツ魚  | 一考    

 宇和島のチョコブリ、香川のオリーブハマチとオリーブブリ、大分のかぼすブリとかぼすヒラメ等々、さまざまなフルーツ魚が頒されている。最近の魚は何を食わされるか分からない、魚が感じるかもしれない迷惑はとももかく、養殖の魚は随分と旨くなった。一渡り食したが、オリーブブリとかぼすヒラメは滅法旨かった。
 通常のブリは切り身にして2日で血合いが変色するが、チョコブリは5日は持つ。それだけでも凄いのだが、フルーツ魚全般について云えるのは身が柔らかいこと。天然物が持つこりこりした感触はない。近隣のスーパーマルアイ玉津店ではオリーブブリが常備されているが、ブロックで売っていない。食感を楽しみたいのに残念である。

 神戸新聞によると明石ダコが記録的不良とか。

 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201810/0011717746.shtml

 文中に「名物の「玉子焼(明石焼)」にもじわりと影響が出始めている」と書かれているが、明石の玉子焼屋で明石産のタコを使っているところなどないのでは、と思う。玉子焼に関しては東京の方が確実に柔らかく安くて旨い。
 当地の漁師は底引き網を用いる。瀬戸内のような内海で底引きとはなにを考えているのかと思うのだが、タコに限らず、穴子も鯛も消息は同じである。詳細は「海藤花 」2018年07月08日に譲る。いずれにせよ、これから天然物はますます稀少になってゆく。それ故、小型バイクで一人旅を楽しもうと思う。キャンプ場で行く先々の磯魚を食するのが目的である。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月24日 17:09 | 固定ページリンク




老後のリアリズム  | 一考    

 閉店間際にきたじま ちよこさん来店、「リアリズムの老後 自分らしい介護とマイケアプラン」を頂戴した。介護支援専門員、介護福祉士、管理栄養士等々、肩書きの多い方である。神戸新聞を見ていらしたようだが、ならばわたしが重度身障者だとご存じの筈。介護する側の意見は多いが、介護を受ける側の発言は少ない。わたしはもちろん後者に興味がある。
 書冊の内容紹介に「介護事業にかかわる一人として、老後を自分らしく生きたいと願い、老後と介護をシュミレーションしながら、全国の先進的な介護施設やキーパーソンに会いに行くルポルタージュ。マイケアプランによる介護は、今後の希望である」とある。
 マイケアプランは健常者が思案するものであって、身障者や認知症を患う者にはほとんど関係がない。借家住まいで財産皆無、その日暮らしの身障者にとってマイケアプランはなにを意味するのであろうか。サ高住〈サービス付き高齢者向け住宅〉はおろか、福祉施設のお世話になるか野垂れ死に以外に手立てはない。
 仮にマイケアプランを持っていたにせよ、大きな病気に罹れば瞬く間に老後の資産は霧散する。無一文になれば家族は離散することになる。わたし自身、身内から絶交を宣告された。人生にフォーミュラやレシピはない。多くのひとは行き当たりばったりで生きている。
 障害や介護については当掲示板12年、13年に詳しい。特に欧州とわが国の高齢者医療の違いについて詳述した。海外では高齢者医療は65歳または70歳〈国によって異なる〉で打ち切られる。透析治療も人工呼吸器も例外なく停止である。医療費抑制が目的で、国民投票によって決められた。介護についてもいろいろ調べた、そのうちわたしが感心させられたのは生活とリハビリ研究所主幹三好春樹さんの文章だった。介護分野の第一人者でなかろうかと思っている。
 「介護夜汰話 番外地」の最下段「アンコール介護夜汰話」はとりわけ屈折していて面白い。
 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/suisen/all_bri_encore2.htm


投稿者: 一考      日時: 2018年11月19日 16:00 | 固定ページリンク




サイクルパーツ  | 一考    

 川口真世さんの自転車のフレームはタンゲNo.1〈肉厚0.8mm〉である。ボトムブラケットやヘッドパーツを作っているのはタンゲ精機。丹下鉄工所〈現・タンゲコーポレーション〉はプレステージやNo.1からNo.5に至るクロモリのダブルバテッドシームレスパイプのメーカー。自社でもフレームを作ってい、プレステージとNo.1はレース用のフレームパイプだった。
 クラシックなWレバータイプのクロモリフレームに最新のコンポーネントやパーツは付けられない。わたしは栄輪業、杉野鉄工(現スギノテクノ)のクランク、吉貝機械金属のブレーキやヘッドパーツ、三ヶ島製作所のペダルなどの共通ブランドサンツアーのファンだが、今サンツアーでコンポを組もうとすれば非常に高価になる。そこでシマノ600アルテグラの最初期タイプを買った。枕頭式のキャリパブレーキ、Wレバーはインデックスタイプ〈フリクションの方が良いのだが〉である。ただし、メンテナンスがまったくなされておらず、RDのプーリーはぴくりとも動かない。なにかを巻き込んで顚倒し、そのまま廃車にされたパーツである。わたしにとっては修理のしがいがあろうというもの。そのプーリーと70年代後半のシマノのBB、そして彼女の体躯に合わせたハンドルバーとステムを購入しなければならない。

追記
 ハブはカンパレコード、ヘッドパーツはサンツアーのシュパーブを用いる予定。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月10日 16:27 | 固定ページリンク




銀河鉄道へシングルモルト  | 一考    

 ですぺら閉店に伴い、日高さんの行き場所がなくなった。そこでスリーナインビル6階の「銀河鉄道」へラフロイグ他、3本のシングルモルトを届けた。売価をですぺらと同じにするのが条件である。明日の土曜日は日高さんがいらっしゃると思う。わたしも11時前後に顔を出す予定。
 いずれポート・エレンやブローラを持って行こうかと思っている。前者はキングズバリーの16年、後者はダンカン・テイラーの27年もの、決して旨くはないが、共に蒸留所本来の香味を有すると定評のあるボトルである。ただし、こちらは客があってのはなしである。
 銀河鉄道はカラオケ喫茶である。従って横でおっさんががなり立てるのはやむを得ない。しかしママは湯川書房の元編集者で湯川の内情を知り尽くした女性である。要するに、関西の出版史を語るに欠かせないのである。吉行淳之介の書冊も3度制作している、吉行に対する彼女の意見を訊いてみたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月09日 19:46 | 固定ページリンク




ゆりこさんからメール  |   一考

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マスターお元気ですか?

昨夜、マスターお勧めの「一とく」さんに
初めて行ってきました(^^)
美味しいお魚をたくさん頂きました!
ありがとうございました☆

とのコメントが添えられている。
 最終日は「一とく」さんから大量のはも寿司の差し入れがあった。井筒典久さんの差し入れだが、丹甫の料理、マルヨネの焼き豚と併せておいしく頂戴した。ですぺらの鍵を返却して1週間になるが、結構な思い出がまたひとつ増えた。


投稿者:   一考  日時: 2018年11月07日 14:46 | 固定ページリンク




軽四の車検更新  | 一考    

 区役所の担当者と相談し、軽四の車検を更新した。ついでにオートバイの修理を済ませた。いつもながら毎日自動車に迷惑をおかけした。お礼にもならないが、娘さんの自転車を組むことにした。自転車を組み立てるのは30年ぶりである。細かいパーツが必要になるので加古川のマツイじてんしゃ館へ出掛ける予定。
 重度身障者や生活保護を受けている者が車を持つのに役所が反対する理由を訊ねたが、任意保険はおろか自賠責にすら這入らないケースが多いようである。それが事実だとするなら、恐ろしく想う、人身事故を起こした折にどのように処理するのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2018年11月07日 14:27 | 固定ページリンク




余命とはなんぞや  | 一考    

 医師から危篤と云われれば、通常は死ぬ。ところがわたしは死ななかった。余命宣告にしても今回が3度目である。EPO治療をはじめておいて余命はないだろうと思う。末期腎不全は1箇月ほどで確実に死ぬ、待ったなしである。それゆえ血液透析、腎移植と延命治療がつづいた。腎移植にしても根治療法ではない、姑息的治療や対症療法の一種である。
 数度の危篤状態を経験して分かったのはひとの命の儚さである。実にあっけないものである。死ぬのも致し方ないとの思いと同時に、このようなことで死ぬのかなあとの疑問が常につきまとう。おそらくその疑問がわたしの命を存えさせているのであろう。
 ただ、今回は身体のダメージがいままでになく大きい。EPO治療によって赤血球数が好転したところで到底1キロは歩かれないに違いない。もっとも北海道の山野を走り回り歩きまわっている夢は頻繁にみる。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月30日 22:26 | 固定ページリンク




芳紀なる方  | 一考    

 本日、大家の濱西さんと立会人が同席し、店舗の鍵を返却した。これでですぺらは永遠になくなった。ところで、ですぺらの臨終を看取った方にいまひとり、妙齢の女性がいらした。看板を取り外し、休憩していたところ、店先に女性がたたずんでいる。声をかけるとですぺらはこちらですかと応える。来店したかったのだが間に合わなかったという。名前も存じ上げないが、ジュンク堂書店の方らしい。わたしは20代の頃、ジュンク堂書店や紀伊國屋書店梅田店の立ち上げにいささかの関わりを持った。よって多くの知己がいた。ですぺらの掉尾がジュンク堂の女性によって飾られたのは奇縁であり、嬉しく思う。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月30日 19:22 | 固定ページリンク




鈴木達朗さんの写真  |   一考

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 久しぶりに感動する写真と出遭った。生きることに意味や意義があるとは思っていないが、それでも生きるしかなかった零落者の無念、無慚が過不足なく描かれている。すぐれた写真である。


投稿者:   一考  日時: 2018年10月24日 16:29 | 固定ページリンク




全盲の顧客  | 一考    

 障害者には身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者が含まれる。1996年(平成8年)に優生保護法は、母体保護法に名称が変更され、優生思想を名目とした妊娠中絶を認める法規定は削除。2013年(平成25年)、国会で「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が成立、2016年(平成28年)4月1日に施行。
 当掲示板で障害者について触れたことはない。1万人の障害者がいれば1万通りの障害がある。要するに、一般論としての障害の概念が掴めないからである。書くことにとどまらず、話すことすらわたしは避けてきた。大方のひとは自分の障害については多弁になるが他人の障害については無口になる。要するに、自己の障害が客体化されていないのである。
 ですぺら明石でさまざまなひとと出会った。そのなかでもどうしても忘れられない方がいらっしゃる。名は井筒紀子〈みちこ〉さん、全盲である。視力に障害があればこそ、ウイスキーの香味にかんしてはプロ顔負けの非凡さを有している。目明きはラベルで飲み、銘柄で判断する。彼女はまったく異なる、先入観がなにもないのである。それゆえ、わたしはウイスキーの説明は一切しない。蒸留年、ボトリング年、熟成年数、使用した樽の種類、蒸留所名、その地域、そういった御託は何の役にも立たない。彼女が飲んでその香りを佳しとし、喉を過ぎゆく液体を旨いと思うかどうか、唯々それだけである。彼女を通して、問われているのは常にわたし自身なのである。わたしにとって最高の顧客、それが井筒紀子さんだった。
 彼女となら障害について自由闊達にはなしができた。彼女のなかで障害が客体化されているからである。障害者の自死についてすらはなしは及んだ。彼女が自らの障害を克服するに払ったであろう苦衷の大きさに思いを致したい。それゆえ、不味いウイスキーは出されない、間違いは許されない、個々の個性を十二分に発揮した樽を選ぶためにわたしは全力を傾注した。バーテンであることにわたしははじめて悦びを感じたのである。

 ウイスキーに限らないが、飲めば飲むほどに好みは霧散してゆく。繰り返すが、ウイスキーを味わうとはどういうことか、その基本をわたしは彼女から教わった。20年前はボトラーズボトルしかなかった。ボトラーズのシングルモルトはシングルカスクである、一樽ごとに香味は異なる。碌に飲みもせず、飲む地域や銘柄を決めるなどもってのほかである。

追記
 お名前を掲げるに井筒典久さんの許可を得た。閉店に際し、彼女のことはどうしても書いておきたかった。井筒家に深甚の謝意を表したい。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月24日 07:14 | 固定ページリンク




無事終了  | 一考    

 日曜日、周さんが冷凍庫を拙宅へ運んでくださった。月曜日中に食料品を拙宅へ運び、ウイスキーの梱包材料を店へ運んだ。2日ほど休んでから愈々引っ越しである。
 神戸新聞にですぺらの住所が掲載されたので、小荷物、手紙の類いが多く寄せられた。またメールをたくさん頂戴した。一切返事は認めていないが、取り込み中ゆえ。どうかご勘辨いただきたい。内緒ではないのでこちらに住所を掲げておく。ただし、わたしは手紙を書かないのでよろしく。

 渡辺一考
  〒651-2137
  神戸市西区玉津町出合37-1-206

追記
 早速、迷惑メールが殺到したので、一部を削除する。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月23日 05:40 | 固定ページリンク




大山伸一郎さん撮影  |   一考

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髪の毛がなくなってきたのと入れ歯を拒否しているため90歳に見えると女房に言われてしまった。


投稿者:   一考  日時: 2018年10月17日 03:13 | 固定ページリンク




最終日  | 一考    

 店の営業は19日まで、20日は予約客のみ。詳細は分からないが、親しいお客が仕出しを頼んでくださるそうな。わたしはバスで出勤の予定。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月17日 02:54 | 固定ページリンク




ですぺら店仕舞い  |   一考

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 16日の神戸新聞夕刊へ田中真治さんが書いてくださった。シングルモルトに一家言お持ちで、掲載してくださったことよりも彼と知り合えたことの方が嬉しい。個性を持った非凡な方がわたしは大好きなのである。
  https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201810/0011735582.shtml

2018/10/16 11:35神戸新聞NEXT

美酒と文学夜ごと語り24年 伝説の編集者のバー閉店へ

 「ですぺら」という名のバーが兵庫県明石市にある。シングルモルトウイスキーの、通には知られた専門店だ。主は渡辺一考さん(71)。1970年代の「コーベブックス」を皮切りに、美麗な造本で愛書家をうならせてきた伝説の編集者だ。美酒と文学を夜ごと語って24年、「ぼちぼち店じまいの季節」と渡辺さん。20日、看板の明かりが惜しまれつつ消える。
 「シングルモルトは一樽ずつ味が違うわけでしょ。人間だってそうで、個性がある方が面白いじゃない」
 ずらりと並んだボトルを背に、渡辺さんがそれぞれの醸造所や熟成樽について解説し、味の特徴を語る。今は約100種類だが、その10倍を置いていた時期も。吟味された品ぞろえに、客が「見たことのないボトルばかり」と声を上げる。
 編集者としても個性的な本を手掛けた。吉岡実さんの詩集「薬玉」は、姫路の職人による表紙の子牛革の染めだけで1年を費やし、手すき和紙を求めて京都・黒谷の産地に通い、「作るのに数年かかった」。吉岡さんの特装本の中でも最も豪華と評される1冊だが、「過去の仕事に興味はない」と店に飾ることもない。
 神戸の福原に生まれた。中学時代から古書店に入り浸り、料理人の修業を積みながら、孤高の銅版画家・山本六三さんらと交友。72年に入社した書店「コーベブックス」でタロット展など催事の企画を成功させると、74年に出版部を興し、3年後に「南柯書局」として独立した。
 酒友でもある博覧強記の文学者澁澤龍彦さんや種村季弘さんらの協力で、知られざる幻想文学を出版。三橋敏雄さんら新興俳句の旗手の句集を編み、俳句史の刷新を試みた。俳人の永田耕衣さん、詩人の多田智満子さんら地元の偉才の作品も世に送り、読書人の注目を集めた。
 だが、理想の本作りには費用がかさみ、出版活動は休止。「接客はできないが酒の話はできる」と、関西では珍しかったモルトウイスキーやベルギービールをそろえ、94年に西明石で始めた店が「ですぺら」だ。
 2000年に東京・赤坂へ移転。旧知の作家らも訪れ、文学ファンが集った。それが、故郷に戻ることになったのは、腎不全を発症したためだった。腎移植後の回復を待ち、店を再開したのが昨年2月。「リハビリにちょうどいい」と思っていたが、今夏に体調を崩したこともあり、幕引きを決めた。
 「まだしばらくは生きられると思っている」と渡辺さん。酒や書物、趣味のオートバイや自転車、昔の神戸の盛り場などについて記してきたインターネットの「ですぺら」掲示板は閉店後も続ける。「書きたいことはいろいろとある」と執筆に専念する予定だ。
 ですぺら(明石市鍛治屋町1の3、TEL078・940・6818)は午後7時から午前2時まで営業。(田中真治)


投稿者:   一考  日時: 2018年10月17日 01:58 | 固定ページリンク




エポジン皮下注  | 一考    

 ヘマトクリット(血液中に占める血球の容積率)が改善しない。医師がエポ〈エリスロポエチンのこと、骨髄中の赤芽球系前駆細胞に作用し、赤血球への分化と増殖を促進する特効薬〉を打ちましょうかという。戸田中央では輸血とエポは最小限にしましょうとのことで、久しぶりの注射である。赤ん坊が必ず泣き出す痛い皮下注射である。
 年内に500メートルといわず、1キロは歩けるようになりたい。それもあってこのところ牛乳を多量に飲み、B12 500mcgを毎日服用している。そして4〜5キロほどペダルを漕ぎたいのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年10月10日 14:30 | 固定ページリンク




携帯不通  | 一考    

 携帯電話の電池切れ、3日ほど不通になります。店の電話をご利用ください。
  〒673-0884
  兵庫県明石市鍛治屋町1-3 濱西ビル1階3 ですぺら
  TEL:080-3219-6221


投稿者: 一考      日時: 2018年10月09日 16:01 | 固定ページリンク




一億総白痴化  | 一考    

 貴乃花が引退するとかいう会見を見ていて、自らの非を認めようとしない彼のプライドの高さ、言い換えれば被害者意識しか持たない日本人の典型を見た思いがした。かつて理事会の席でゴッドファーザーよろしくマフィアのような格好でふんぞり返っていたのを思い出す。見苦しいまでにふて腐れた自己顕示欲、改革と云いながら、自分が理事長になるのが当然という権力亡者、大相撲版現首相とでもいうべき神がかったファシスト気質の御仁である。
 相撲などというものはプロレス同様格闘技であって決して神事なのではない。後世の有象無象が取って付けた権威付けに他ならない。神事だと宣うのなら白鵬を関取として況んや横綱として土俵に上げるのはおかしいし、かち上げや張り手を禁じるなどもってのほかである。

 正義とかファクトは相対的なものであって、視る側の立ち位置もしくは時代によってどうにでも流転する。わが国のごとく歴史修正主義に基づく歴史観を国民が支持しているような場合は特に改竄が顕著である。中華民族や朝鮮民族が内包する複雑な思想は、国家=国民の境界が自明な日本人には到底理解できないであろう。隣国にあっては国家は民に向かって鉄砲を構えるものとして理解されている。よって国民は政府を信用していない。歴代の大統領が悲惨な目に遭うのはやむを得ない。
 昨今、中、朝が攻めてくるとの妄想に首相以下臣民に至るまでがどっぷりと浸っている。戦争や内戦がしばらくないとひとは諍いを求めるようである。ましてや戦争を経験した政治家がいなくなった。平和呆けとは現今の武力を崇めるひとたちを指す言葉であろう。310万人の犠牲によって得た平和憲法を慈しみ大切にしているのは一人天皇陛下だけではあるまいか。臣民と前述した、国家ならぬ、時の政府に忠誠の義務を持つなどあってはならないことである。


投稿者: 一考      日時: 2018年09月30日 01:46 | 固定ページリンク




貧血とサプリメント  | 一考    

 栄養補助食品もしくは健康補助食品といわれるビタミン、ミネラル、アミノ酸、ハーブなどが何の役にも立たないのは良く分かっている。医師も決して薦めない。しかし、病院で処方される鉄剤は非ヘム鉄なので、胃痛や吐き気がひどい。そこで生まれてはじめてのサプリメントとなった。気休めであることはいうまでもない。
 購入したのはトンプソンのビタミンB12 500mcg 90粒[海外直送品] と小林製薬のヘム鉄 葉酸 ビタミンB12の2種である。他の商品でも良く、選んだ理由はなにもない。医薬品と異なり、鉄分の用量は10分の1以下。たいして効果は望まれないが、身体への負担はまったくない。なんとかしてヘモグロビン値を少しでも上げたいのである。
 貧血は血液の赤血球の中にあるヘモグロビンという血色素が減少したために起こる。ヘモグロビンは身体の組織に酸素を運ぶなど、重要な役割を担っているため、減少するとさまざまな組織が酸欠状態になる。結果、「顔色が悪い」「全身倦怠感」「立ちくらみ」「胸痛」「動悸」「息切れ」などさまざまな症状を起こす。エリスロポエチンを打てば良いのは分かっているが、値が高いのと腎性貧血の場合、ヘモグロビン値が30あれば治療は必要ないとされる。
 もっかの夢は500メートル歩くことと自転車に乗られるようになること。

追記
 血液の酸素運搬能の増加により持久力を増強させることを目的としたエリスロポイエチンによる血液ドーピングはツール・ド・フランスにおいて多用された。もっとも、最近では機械ドーピングになったようだが、モーターアシストと記述すべきである。ちなみに、人力自転車で出した世界記録は時速296キロ。最高速チャレンジの聖地ボンネビル・スピードウェイでアメリカ人女性デニス・ミューラー=コレネクさんによって達成された。時速333キロとの記録もあるが、こちらはロケットエンジン付きなので問題外。


投稿者: 一考      日時: 2018年09月13日 16:06 | 固定ページリンク




蕎麦の実の浅漬け〈2003年11月06日〉  | 一考    

 蕎麦の実の外皮を取り去った(丸抜き)ものを蕎麦米といいます。徳島、愛媛、山形では干した大根の葉や生姜、椎茸、牛蒡などとともに雑炊にしていただきます。三好郡の祖谷地方や美馬郡あたりの山村の蕎麦米は特に知られています。また新潟や山形の一部では蕎麦米の浅漬けが酒の肴として食されます。江戸期の蕎麦百珍にもそのレシピが書かれ、蕎麦通には馴染みの食べ物です。
 ところが東京へ来て以来、蕎麦屋で蕎麦の実の浅漬けに出会ったことがございません。そして検索をかけて驚いたのですが、ネット上に浅漬けの記述がないのです。どうやら東京の蕎麦好きにとって興味の対象は蕎麦切りであって、懐石としての蕎麦はうっちゃられているようです。もとを正せば、蕎麦が名をなしたのは懐石料理で採り上げられたからなのです。もう少し料理人が差配する蕎麦懐石にも目を向けていただきたいものです。
 さて、その蕎麦米の浅漬けのもっとも簡単な作り方を書いておきます。所要時間は二時間以内、末尾に購入先も記載しておきます。

 一 しかるべき量の蕎麦米を一時間ほど水に晒した後、水切り。
 二 白出汁に酒と微量の酢と塩を加え煮立てます。そこへ蕎麦米を入れて七分から十分とろ火で炊き、再度水切り。
 注意事項
 白出汁はインスタントの出しの素で結構ですが、その場合は塩は不要です。
 酒は全量の五分の一から四分の一ぐらい。間違っても吟醸酒は用いないように。
 酢は水四合にティースプーン一杯といった感じ。
 蕎麦の実が水を吸って三倍ぐらいに膨らみますので、だし汁は潤沢に用意してください。
 三 冷ました蕎麦米を密閉容器に入れ、三分の二ぐらいまで浅漬けの素を入れます。そうするとあら不思議、三十分で出来上がりです。

 蕎麦好きにはそのプチプチ感が堪らないのですが、にべもない香味であるのも事実、カタルシスからはほど遠いと思われる向きには鷹の爪の微塵切りを一緒に漬け込むのをお薦めします。ただし、微量にしてください。

追記
 上記文章が契機になって外山時男さんと知り合った。八重洲で三日月との蕎麦屋を営む風変わりな御仁だった。彼との蕎麦談義は抱腹絶倒ものだったが、そちらは掲示板を読まれたい。今回、「蕎麦の実の浅漬け」を再録したのは日高さんが食したいと所望されたからである。日持ちしないので、日時を決めて作る予定。


投稿者: 一考      日時: 2018年09月13日 15:59 | 固定ページリンク




安井健司さん来店  | 一考    

 世界三大貴腐ワインはフランスのソーテルヌ、ハンガリーのトカイ、ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼ。共に、はちみつの香りと甘さを内包するので、果糖やブドウ糖をかけて食べるような塩分の強い料理と好相性を持つとされる、すなわちブルーチーズの類いである。しかし、わたしの病気にはブルーチーズと塩は法度、それどころかブルーチーズは死に繋がる。
 東京では通じない関西弁ランキングに、
第1位 遠慮のかたまり
第2位 蚊にかまれる
第3位 ぐねる
第4位 アテ
第5位 いがむ
があるそうな。アテはつまみ、肴、酒菜のことで、かつて羊羹などの和菓子は日本酒のアテとして開発された。甘さを甘さで打ち消すということで、発想が欧州のそれとは真逆である。チョコレートとワインは合わないとされてきたが、それは双方のポリフェノールの渋みや酸味が層をなし雑味を形成するからである。合わないのは赤ワインであって、ドイツワインそれも貴腐ワインは消息が異なる。それこそ、分大の羊羹をアテに貴腐ワインを飲みたいものである。
 先日、安井健司さん来店。失礼ながら、当初わたしは安井さんと気付かなかった。初対面でもう少しお年を召した方とおもっていたからである。わたしに飲まそうとアッペンハイムのグレス トロッケン ベーレン アウスレーゼをはじめ、3種の白ワインをわざわざクーラーボックスを担いで持ってこられた。他はラインヘッセンのヴェストホーフェン ショイレーベ とバーデンのキーファー ショイレーベである。この内、ヴェストホーフェンだったと思うが、2年の樽詰めを経たワインでドイツには珍しいワインである。ドイツワインはブドウの香味を活かすためにステンレスタンクで熟成される。樽を用いると樽由来の余計な香りがワインに移るからである。この消息はウイスキーにもいえる。昨今のマッカラン、グレンファークラス、サントリーのようなフレンチオークのシェリー樽を熟成に用いたウイスキーはシェリーの渋みのみが強調されてウイスキー本来の香味が活かされていない。謂わば、下卑た酒になってしまっている。アメリカンオークのシェリー樽に留めていただきたいものである。
 フランスのソーテルヌ・バルザックは共にボルドーの貴腐ワイン。ボルドーゆえ、ブルゴーニュと違ってネゴシアンが介在する。わたしが飲んだのもサントリー扱いのカルヴェのワイン、印象は不味いの一言。トカイは3プットニョシユしか飲んでおらず、エッセンシアなどは飲んでいない。エッセンシアは圧搾機にかけず自然の重みで搾り出された果汁を自然発酵させたもの、日本酒の雫酒と似ている。ソーテルヌと比して、ドイツでは絞った果汁をかなりきれいに清澄してから醗酵させる。ドイツの貴腐ワインのピュアなイメージ、喨々たる香味はそこから来ている。
 貴腐ワインの原点は蜂蜜酒ではないかと思っていた。人類最古の酒で、ディオニューソスはもとは蜂蜜酒の神であったといわれている。ビールやワインの登場後も蜂蜜酒はヨーロッパにおいて地酒として愛飲されている。ところが、安井さんによるとその二者はまったく関係ないとのこと。訊いてみるものである。わたしは手に負えない、かなわないひとが大好きである。わたしにない知識を山とお持ちだからである。字義通りのプライドとかこだわりをわたしは持たない、というよりは信じない。こだわりでなく、飲んでいるうちに自然と身についてくる香味へのおもい、または鍛えられてこそ生じる旨い不味いの基準といったものがある。それを安井さんはお持ちである。貴腐ワインを飲むべくして生まれてきたような御仁なのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年09月11日 01:50 | 固定ページリンク




ありがとうございました  | 長谷川    

予想外の貴腐ワインに始まり、モルトを飲みつつ一考さんの縦横無尽なお話を楽しんでいるうち、あっという間に過ぎた5時間余でした。これが最後と思うと去りがたく、すっかり晩くなってしまったことをお詫びします。いただいた幾多の美酒のなかでも、やはりSMSのタリスカー1979はとびきり旨く、永らく記憶に残るボトルとなりそうです。

思えば今回はですぺら閉店を知って、矢も盾もたまらず明石再訪を決めたものです。また突然のお願いにもかかわらず、吉岡実の詩稿「来てみれば秋~」を見せてくださり、本当にありがとうございました。赤坂ですぺらへ行くたびに見惚れていたものですが、当時撮った写真をいつしか失くしてしまい、何とかもう一度目にしたいと希っていました。奇しくも初秋の訪問となった今回、改めて撮らせていただいた写真は大切にするつもりです。

実は翌朝も明石で下車し、「ですぺら」の佇まいを目に焼き付けました。続いて向かった神戸では、前回行かれなかったG線~にしむら珈琲店を巡りました。あいにく終日の雨でしたが、いきおい耕衣句「コーヒ店永遠にあり秋の雨」を、ひいては一考さんが銀花に寄稿された「括弧で括られた〈引用〉への旅」を想起しつつの町歩きとなりました。

あまり感傷的になることのない私ですが、今回のですぺら詣ではどこか切ない旅の時間となりました。赤坂時代を含め微々たる回数ながら、一考さんのお話を伺いながら飲む酒は本当に愉しいものでした。酒や書物について教えていただいたことは数知れず、得がたい時間だったと思います。ですぺらの灯が消えるのは本当に残念ですが、今後も掲示板でご謦咳に接します。

追伸:名残惜しさゆえか、お店の椅子(奥から2番目の席?)に扇子を忘れてきたようです。使っていただいても構わないのですが、いずれまたヤフオクで落札させていただく機会もあろうかと思いますので、ご不要であればその際に同梱をお願いできますでしょうか。
なお持ち帰ったボディントンエール~チリのカベルネ1985も早速いただきました。前者はクリーミーながらも雑味のないほろ苦さ、後者はカシスジャムの如き芳醇な風味を篤と堪能しました。帰宅後も続く美酒の教えに、重ねてお礼を申し上げます。


投稿者: 長谷川      日時: 2018年09月10日 23:06 | 固定ページリンク




高潮  | 一考    

 前項で店に風雨が吹き込みと書いたが、高潮によって下水が溢れたのが理由だった。跡が残っていたので計ると29センチの浸水だった。ですぺらがある桜町界隈は海抜ゼロメートル地帯、にもかかわらず防潮堤や水門などは整備されていない。21号は20号より大きな被害をもたらしたが、ですぺらに限っては前回の被害の方がひどかった。もっとも、事前の準備が功を奏したのだが。
 夕6時、風が収まるのを待ってオートバイをとばした。案にたがわずブレーカーは落ちていた。3時間ほど店にいたが、どうせ客の来店はないだろうと帰宅。隣のほそかわの看板がもげかけていたのが気になる。


投稿者: 一考      日時: 2018年09月06日 01:40 | 固定ページリンク




イタリアの靴  | 一考    

 川口真世さんにイタリア製サイクルシューズを謹呈した。日本のレディスサイズの24.5センチはアメリカの7 1/2、イギリスの5 1/2、フランスの37、イタリアの39である。彼女の足は24センチ、故にイタリアサイズなら39もしくは40になる。それほどに、日本人の足は大きい。大きいというより正確には甲が高く幅が広いのである。長さが恰度であれば甲が痛くて這入らない。真世さんの足が大きいといっているのでない。西洋人のそれと比してのはなしである。
 わたしに這入らない靴だから真世さんにどうかしらと思ったのである。それと開店の折に頂戴した焼き物のお礼もある。喜んでいただけたようで嬉しい。
 ペダルが必要である。こちらはサンツアーのシェパーブ、極東のプロエース、三ヶ島のシルバントラックあたりが良いのだが、いずれも高い。気長に探そうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月25日 07:41 | 固定ページリンク




台風余波  | 一考    

 台風の余波で店はメチャクチャ、店履きの靴が濡れて玄関に転がっている。まるで闖入者が荒らしたかのようである。風雨が店内にまで吹き込むとは思ってもみなかった。片付けはしたが、氷がない。電源が落ちて冷凍庫内のものは一部を除いて溶けてしまっている。このような場合、真っ先に溶けるのが氷である。ひとかけらもないのである。これでは営業はできない。困ったものである。
 バックバーの最下段の引き戸内部がびしょ濡れである。香辛料はじめ、さまざまなものが這入っているのだが、どうやらお釈迦のようである。しかしそこまでは手が回らない。客席の掃除だけで疲れてしまった。状況が分かっているのなら朝早くから出勤したのだが。隣のカラオケはがなり立てているが、無事だったのだろうか。

 風が強く、オートバイはすこぶる危険。ふらふらと蹌踉けながら走っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月25日 07:38 | 固定ページリンク




血液検査の結果  |   一考

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 水曜日は血液検査。3ページ分の検査結果のうち、1ページ目の上半分と2ページ目の下段の一部を掲載する。プレビューに内蔵されている拡大鏡なら簡単に見られる。一部思わしくないのとクレアチニンがやや上昇している。
 薬だが、随分と話し合った結果、ナフトピジルを中止した。降圧剤もさることながら、ナフトピジルの副作用に起立性低血圧に基づくめまい、立ちくらみ等があらわれるケースが多い。効用に、降圧剤が投与されている場合には血圧変化に注意し、血圧低下がみられたときには、減量又は中止するなど適切な処置を行うと書かれている。ちなみに、ナフトピジルは排尿を促進させる薬である。
 降圧剤の一部、オルメテック20ミリグラムを10ミリグラムへ下げたのはいうまでもない。ただし、血圧が元に戻るまで服用は控えている。

追記
 外食は極力控え、食事制限を設けているため、AST、ALT、γ-GTP、ビリルビン、コレステロール、HbA1cなどは正常値である。酒とアイスクリームを含む甘いものにも量的制限を設けているので問題の生じようはずがない。血糖値、尿糖値にわずかでも変化があった場合は摂取を遮断している。外食にあたるが、寿司とフランスパンを食べたいので、その他の塩は理由の如何を問わず断っている。焼き肉や魚介類のフライ、ポテトフライ、カレーやシチューにすら塩は用いない。ソースや醤油、マヨネーズやドレッシングも使わず、二杯酢とポン酢を専ら用いている。ただし、拙宅の二杯酢は白だしで3倍に薄めている。
 移植腎によってカリウムから解放されたのが最もうれしい。生野菜とフルーツ類が食べられるようになった。これ以上の喜びがあろうか。


投稿者:   一考  日時: 2018年08月24日 08:28 | 固定ページリンク




長谷川さんへ  | 一考    

 このところ書き込みを遠慮していたが、その後の病症について一言。7月29日に入浴中に気分が悪くなり、周章てて風呂を出た。以来調子が戻らず、8月6日に倒れた。予兆はあったわけで、理由は血液の圧倒的な不足にある。輸血は極力避けるようにと戸田の医師から云われているので、こちらへ引っ越してから輸血はしていない。移植腎が女房のものであり、リンパ球クロスマッチテスト陽性だった。予後の拒絶反応がひどい場合を医師は「燃える」というが、約三分の一は空襲にあって焼け爛れ、腎機能はますます限定された。そこへ持ってきて免疫不全状態に伴うサイトメガロウイルス感染症による消化器官からの下血で悩まされたのである。要するに、移植腎が満足に機能していないことを云っておきたい。
 8月6日と7日は店を休んだ。12日に若干体調が戻り入浴。2週間ぶりの入浴だが、汗をかかないので身体が汚れたとの意識はない。16日から食欲が戻り、もっか体重は増えつつある。19日に再度入浴し、異常のないことを確認。1日25錠の投薬を再開、それまでは免疫抑制剤のみの服用にとどめた。

 ですぺら閉店についてだが、契約期間は10月末日まで、店の片付けに日数がかかるので営業は20日までとしたい。長谷川さんからは何度も連絡をいただき恐縮している。
 最後の仕事とおもっていたが、体調不備につき、このような結果となった。この上はしかるべき公的扶助制度を利用し、人生からは引退するつもりである。発症以来、執拗粘ってきたが、年貢の納め時がやってきたようである。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月21日 08:28 | 固定ページリンク




牛乳について  | 一考    

 過日、「らんこし・ふるさとの丘」のソフトクリームとカップアイスについて書いた。ソフトクリームは乳脂肪分よりも無脂固形分にこだわった製法で、シャーベットのようなざらざらした食感を持つ。生乳で拵えたソフトクリームは通常、食した後に水が欲しくなるものだが、「らんこし・ふるさとの丘」のそれは、後味が実にさわやかである。
 それと真逆なのがハーゲンダッツで、生産しているタカナシ乳業は浜中町の酪農家と契約を結び、乳脂肪分4.0の牛乳を用いている(通常の牛乳は3.7)。牛乳から水分と乳脂肪分を除いたものが無脂乳固形分、牛乳から水分と無脂乳固形分を除いたものが乳脂肪分。無脂乳固形分はたんぱく質、炭水化物、カルシウム、ビタミン、ミネラルなど、私たちが牛乳に期待する大切な栄養素を含んでい、筋肉や骨を作る材料、要するに健康維持に欠かせない成分。他方、脂肪分が多いほど、コクのある味わいになる。
 わが国では乳脂肪分の高い牛乳が持て囃されるが、わたしは無脂乳固形分が多い加工乳や乳飲料を好む。ちなみにフランスやドイツの牛乳は長期常温保存のものが一般的である。わが国のLL牛乳(ロングライフ)と同じだが、異なる点は欧州では冷蔵保存牛乳が少数派で、多数は賞味期限が3箇月から半年のLL牛乳である。そして乳脂肪分3.6パーセント以上が赤キャップ、1.5から1.8パーセントが青キャップ、0.5パーセント以下が緑キャップと分かれているが、一般に消費されるのは青いキャップの低脂肪乳である。わたしも低脂肪乳の方が身体に負担がなく良いと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月19日 19:01 | 固定ページリンク




体調崩す  | 一考    

 来住さん来店、グレン・キース、ポート・エレンと飲まれたのは良いが、ラフロイグの註文にラガヴーリンを用意したり、ミキシンググラスを割ったり、呂律が回らなくなるなど、失神直前に追い込まれた。来住さんに謝罪し、玄関灯を切り、のれんを仕舞ったのはいうまでもない。
 来住さんに抱きかかえられるようにしてトイレへ直行、気を喪ったときの用意に女房に電話を架けた。過去の経験から血圧が70ほどあるのを確認、60を切ると失神だが、ぎりぎりのところで、維持できそうな気がした。オートバイを置いたまま、息子の車で家まで送ってもらう。蒲団に崩れ落ちて1時まで昏睡状態。1時半に血圧を測ったところ101の45、ここまで戻れば大丈夫である。それにしても、来住さんに迷惑をおかけした。申し訳なく思う。
 暑さでもって食欲と体調が急速に崩れつつある。こればかりはどうにもならない。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月07日 05:38 | 固定ページリンク




扇翠  | 一考    

 戸井田さんが3連荘(レンチャン)でいらした。忝く思う。彼が和食を食べたいというので、同じ鍛治屋町の扇翠を紹介した。白だしの取り方で定評のある店である。彼はハモを食したようだが、当然、ハモ料理はハモで出汁を取る。ハモに鰹だと興醒めである。割烹は料理に応じて白だしを細かく作り分ける、わたしも10代の頃は幾通りもの出汁を作っていた。鯛や蛤の潮汁は夙に知られるが、カワハギの汁(あら汁のカテゴリーに属する)も旨い。用いる調味料はいずれも塩のみ、吸口に木の芽を浮かべる程度である。吸い物には醤油などを用いるが、潮は塩だけ、まったくの別物である。

 東京のラーメンがアゴブームの火付けらしいが、最近、料理屋でマグロやアゴで出汁を取る店が増えている。素人料理ならなにもいわないが、これはいただけない。ゴールデン街のナベサンはアゴで出汁を取っていた。恰度、三平汁のような趣で、北海道の日本海側の郷土料理だった。根菜が多く這入っていて酒の仕上げによかったが、わたしは頂戴していない。子供の頃からアゴだけは遠慮願っている。先日、来住さん来店、彼が勤めている料亭もアゴを用いるといって怒っていたが、確かにアゴが持つ臭みには品というものがまったくない。同じ煮干しを使うならいりこの方が品があって断然旨い。妙なものが流行る時代になった。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月05日 22:23 | 固定ページリンク




パキラ  | 一考    

 ギアナ地方を出自とするパキラを300円で買ってきた。玄関にほったらかしている(放置の意)。1日1回水をやっているが、一月ほどしてぐんぐん芽を伸ばしはじめた。植え替えをしないといけないのだが、捨て置いている。
 その鉢の横から雑草が生えてきた。植物には疎くなんの花だかさっぱり分からないが、花を咲かせたのでそちらにも水をやり続けている。
 同じ生き物だが、犬と違って植物は枯れたところで後悔はもたらさない。ひとは勝手なものである。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月02日 05:33 | 固定ページリンク




1日1食  | 一考    

 7月に這入ってから1日1食が続く。これは無理をして続けている、放っておけば1食すら守られない、半ば強制的に食べている。拙宅のクーラーは就寝時は30度、昼間は29度に設定している。ところが、この温度で食事をすると目眩がする。ですぺらの室温は25度、この差が身体を狂わせているのかもしれない。
 食欲のないときでも寿司か魚なら食べられる、と思って545円をはたいてハモを買ってきた。明石では落としが多く、湯引きは少ない。まな板を傾けてハモの切り身を置き、熱湯をかけて冷水につける。芯は生のままというのが湯引きである。落としは鍋に落とし込むところから来ている。面倒なので落としにするのであろうが、頂けない作法である。湯引きで食べるといっても、三切れもあれば十分、残りはフライにして冷凍庫へ。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月02日 05:29 | 固定ページリンク




ヨーロッパの熱波  | 一考    

 ベルリンでは7月3日以来30度以上の日が続き、5日には37.8度と猛烈な暑さになった。ベルリンの7月の最高気温の平年値は23.7度、よって身体に堪えるような暑さになっていると考えられる。ジュネーブでは7月に入ってから30度を超え、7月6日には37.9度を観測。ジュネーブの7月の最高気温の平年値は22.2度。一年で最も高い8月でも、25度くらいまでしか上がらないので異常な暑さといえる。ヨーロッパの地下室の平均温度は15度から18度の間といわれているが、今年はドイツやポーランドでも30度近くまで上がっている。
 スペインではさらに暑さが厳しく、セビリアで44度、コルドバで43度と40度超え。スペインの中でも暑さの厳しい地域とはいえ、7月の最高気温の平年値は35〜36度である。スペインでは5月にもバレンシアで42度を超えたので、厳しい暑さが再びやって来たといえる。
 7月1日にはイギリスで、7月としては最も暑い36.7度を記録。例年は最も暑い日でも20度前半の国なのだが、ロンドンではこの一週間ほど雨も降らず猛暑続き、芝生が枯れたり暑さに耐えかねて自販機の炭酸飲料が破裂するなどの被害が出ている。
 ここ毎日、ポレチュに限らずクロアチア全土にて記録的な猛暑日が続いている。クロアチアからのニュースによると、現在クロアチアは「ヨーロッパで一番暑い国」なのだとか。ドゥブロヴニクでは昨日の朝、まだ午前8時だというのに早くも気温は33度もあり、週末にかけてまだまだ暑い日が続く模様で、ダルマチア地方は日中40度を超えることも予想されている。

 欧州では基本ワインもビールも常温で飲む。共に酒屋の玄関に積み上げて売っている。自販機はあくまでも自販機であって、わが国のように冷やしたりしない。ところが、今年の熱波に堪えかねて、ドイツでは冷やしたビールが登場、さすがにワインは冷やさないが、ビールは15度ぐらいにまで下げた商品が持て囃されている。これを機会にヨーロッパでも日本やアメリカのように冷やして飲む習慣がはじまるのかもしれない。

(AFP時事)
 世界各地で異常な猛暑が続く中、欧州も連日、異例の熱波襲来に見舞われている。8月2日に45.2度に達したポルトガル中部アルベガで4日、これをさらに上回る46.8度を記録。観光客に人気のスペイン南部コルドバでも44.0度前後に達した。
 高温と乾燥によりポルトガル南部で森林火災が発生し、住民が避難を余儀なくされた。AFP通信によると、消防隊約740人が出動し、航空機11機が消火作業に当たった。
 フランスでは、熱波の影響で原子炉4基が運転を停止した。電力会社によれば、原子炉は川の水を冷却水として使って再び放水しているが、この過程で川の水温が上昇し、気温がさらに高くなるのを防ぐための措置という。
 オランダ国内の高速道路はアスファルトが高温で溶けたことで、一部が閉鎖に追い込まれた。イタリアのメディアは、同国で熱中症による死者が出ていると報じた。


投稿者: 一考      日時: 2018年08月01日 02:02 | 固定ページリンク




ハード系パン  | 一考    

 パンの基本はハード系である。パン職人になろうと思えば、最初に習うのがフランスパンである。にもかかわらず、明石には碌なフランスパンがない。神陵台にはクスパンとの素晴らしいパン屋があるが、他では西神中央のドンクもしくは土山まで行かないと食べられるフランスパンはない。どこへ這入ろうと菓子パンばかり、どうしてこのように詰まらないパン屋ばかりなのであろうか。基礎を学んでいないのだろうかと疑いたくなる。

追記
 怒りではない、ただ残念なのである。オートバイに乗っているのでクスパンへ行けば済む。東京では歩いて2分のところにパン屋があり4分のところに煙草屋があった。それを思うと、ひとつのパンを買うのに神陵台まで出掛けるのが億劫なだけである。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月23日 02:15 | 固定ページリンク




丹波黒枝豆  | 一考    

 日高さんが黒豆の枝豆を食べたいとおっしゃる。京都の紫ずきんも同じ品種だが、神戸で売られているのは丹波黒豆の枝豆である。篠山食料品店からのメールによると、早生種の第一弾が売り出されたとか。
 日高さんがおっしゃるのは茹で時間である。普通の枝豆なら30秒、黒豆なら1分がちょうど良いと思う。しかし京都の割烹で食べた黒豆は15秒か20秒、完全に芯が残っていた。それが本来の食べ方と分かっているが、それを美味と感じるには若干の訓練が必要でないだろうか。日高さんによると三宮で食べた枝豆はびちゃびちゃで食べられたものでないと。そこまで行けば京都の割烹はすでに射程距離にある。日高さんのために、少々小粒だが、早生の黒枝豆を買ってこよう。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月23日 01:40 | 固定ページリンク




安井健司さん  | 一考    

 ウイスキーは毎回完売になるのだが、ワインはそういうわけにはいかない。ワインの中古の値が分からないし、発送にクール便が這入ってくるので煩わしいことこの上ない。クール便は事前に冷やさないと扱ってくれない。従って、日数が余分にかかる。
 先日、枚方の安井健司さんがワインを取りにいらした。ヤフオクの現在のシステムでは途中で発送方法を変えることができない。また、ヤフネコにはクール便の項目がない。どうしようかと頭を抱えているところへ、安井さんから取りに行きますとの連絡があった。面倒な方でないのかなとの危惧はお会いして吹き飛んだ。安井さんはドイツワインに詳しい、詳しいなんてものでなく、まさに博覧強記、銀座のドイツワイン専門店ワイナックスやエノテカでワインを買っているとおっしゃる。また赤坂のドイツワインバーゆううん赤坂も行きつけとか。久しぶりにドイツワインのはなしで花が咲いた。マリー=アントワネットを持ち出すまでもなく、貴族階級はドイツの白ワインを好んで飲んだ。アイスヴァイン、ベーレンアウスレーゼ、トロッケンベーレンアウスレーゼなどの微妙な香味を楽しむようになれば、ボルドーのワインなんぞ飲めたものでない。ワインは白にはじまって白に終わるという、東京では赤一色で白ワインがまったく売れなかったのを寂しく思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月23日 00:34 | 固定ページリンク




美味いワイン  | 一考    

 自分で売っていながら云うのもおかしなはなしだが、オールドワインを国内で買うのはリスクが高すぎる。
 クール便がはじまったのは1987年、同じ年に日本でワインセラーが製造販売されるようになった。リーファーコンテナがはじまったのは翌1988年、しかし当初はトラブル続きだった。列車があるいはトラックが火を噴いたとの事故が多発した。詳しくは書かないが、安定するのは2000年に近くなってからである。またリーファーコンテナによる運送はフランスと日本との間の便が最初で、ドイツ、イタリア、スペインのワインはフランス経由でわが国へ輸出された。要するに、今ではクール便が普通になったが、往時はクール便なるものがなかった。
 そして気候である。ほぼ温帯湿潤気候に属し、四季がはっきりしていて降水量が多いのを特徴とする。フランスは同じ温帯であっても、地中海性気候に属し乾燥している。海外から届くワインは、輸送時の環境変化や振動でコンディションとバランスが崩れてしまっている。もともと変質しているのが当たり前なのがワインの世界である。それを四季という名の気温の変化が襲うのである。ヴィンテージもので満足なワインなどあろう筈がない。また、1万円以下の価格帯のワインは長期熟成を前提に作っていないので、早めに飲んだ方が旨いに決まっている。
 赤坂時代、若い女性がボルドーの高級品は渋いので好きといっていたが、その渋みをなくしていくのが熟成でと説明したものの、考えてみれば、彼女の言い分の方が理にかなっているのかも。なぜなら、わが国の気候で熟成など不可能、だったら、渋いままに新しいワインを飲むのが正しかろう。酒と言えば酎ハイやハイボール、日本酒、焼酎が一般的な日本の世界。普通の店に入って旨い酒なんかにありつくことは絶えてない。ウイスキーであれワインであれ、通常手に這入るようなものはせいぜい酎ハイ程度の味わいでしかない。いわんや、その酎ハイ程度の味わいのかつヴィンテージものとくれば、美味い理由を探そうにもどこにもない。

追記
 ワインを購入する際、どこのインポーターの扱いかということに留意していただきたい。同じワインで値の安いものに手を出してはいけない。「ワインの扱いの違いがもたらす味わいの差」こそがもっとも大切なのである。
 ワインバーというカテゴリーがない時代に「サヴァサヴァ」から「ヴァン・ヴィーノ・ブリュレ」そして「ル・テロワール」などを立ち上げた今井健夫さんはいま「ワインホリック」を営まれている。日本でワインを買うならここしかないと思うのだが。
 ワイン好きならぜひお読みいただきたいサイト。

 https://pursing.amebaownd.com/


投稿者: 一考      日時: 2018年07月21日 02:02 | 固定ページリンク




バルクワイン  | 一考    

 輸入される酒の状態の善し悪しはインポーターで決まる。ワインのような醸造酒はなおさらである。昨今、ラシーヌ、ラフィネ、フィネスといった素晴らしいインポーターが活躍しているが、それらインポーターの力量によって運送途次の扱い方が決まってくる。ヨーロッパなどでは結構好い加減でリーファートラックを手配しても、通常のトラックが生産者の元に回収に来たり、リーファーのスイッチを入れなかったりと見えないところでかなりリスクがある。またわが国の酒屋のワインセラーへの接し方も電源を入れたり切ったりと実に好い加減である。
 昨今のワインの輸入は様変わりである。ボトルからバッグインボックスへ、そしてバルクワイン(バルク輸入して国内で瓶詰するワイン)へと移行している。巨大なビニール袋にワインを入れて送るのだが、その工程で樽のチップをワインのプールに入れる。樽香を付けるためである。そうしたバルクワインを国内で樽に詰め替えて売る店まで出てきたそうな。よくもまあ、恥ずかしくないものだと思う。ワインを扱うひとはインポーターや運送会社にまで気を遣っていただきたいと願う。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月20日 02:48 | 固定ページリンク




一安心  | 一考    

 身体が痛い、全身がずきずき痛み、風呂にすら這入られない。理由は分からない。先々週の血液検査ではなんら異常は見当たらなかった。オートバイに跨がるに脚さえ上がらなくなった。今のわたしには250ccのオートバイすら重たくなってしまった。暑さのせいだろうか、年齢のせいだろうか。昨日の食事はとうとうカップうどん一杯のありさま。

 昨日、西明石の眞に寄った。ですぺらが在庫するモルトウイスキーを引き取とっていただけないかとの相談である。100本のうち84本は入手不可能なウイスキーである。明石地区でですぺらの酒を理解できるのは眞野公一さんを除いて他にはいない。彼の実直さが気に入ったのである。詳細はこれから詰めるが、一応の快諾を得、安堵している。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月20日 02:05 | 固定ページリンク




とどめの一撃  |   一考

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 タリスカーを過去61種飲んだ。50、60種類味見したウイスキーは限られる。アードベッグ、ラフロイグ、ラガヴーリン、ポートエレン、スプリングバンク、ブローラ、マッカラン、グレンファークラス、ローズバンクぐらいであろうか。そのうち、アイラとアイランズモルトのみ書いておきたい。
 タリスカーは79年蒸溜、00年ボトリング、スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズのカスクストレングス58.0度のシングルカスクである。販売はスコッチ・モルトのディステラリー・コレクションの1本である。記載はないが、フィノシェリーカスク、ウイスキーの世界でいうフィノシェリーとはシェリー香がほとんど付かないシェリー樽、すなわちサードフィル以降の樽を意味する。同様のカスクを用いた逸品に、シールダイグのアイラ(中身はラガヴーリン)がある。90年蒸溜、03年ボトリング、12年もの、2樽、55度のカスクストレングス、ウイリアム・マックスウェル(イアン・マクロード社と同資本のカンパニー)のボトリング。共に、過去飲んだいかなるタリスカー、ラガヴーリンよりも美味。
 スコッチ・モルトのディステラリー・コレクションからラフロイグ90年蒸溜、00年ボトリング、10年もの、59.1度のカスクストレングスと76年蒸溜、98年ボトリング、22年もの、50.0度のカスクストレングスが頒されている。どちらもバーボンカスクでロンバードのボトルだが、ラフロイグでこれ以上のものに会ったことがない。
 アードベッグではシグナトリーから頒されたダンピー・ボトルが美味だが、その中でも67年蒸溜の30年もの、49.8度のオロロソ・シェリー、536本が秀逸だった。他では最近のGMのスピリッツ・オブ・スコットランド13種のうち、シェリーカスクの3種が旨かったが、これはどこかで書いた。
 ポートエレンではシグナトリー社ダンピーボトルのカスクストレングスシリーズの78年蒸留、02年ボトリングの23年もの、オーク樽274本のリミテッドエディション。ダグラス・マクギボンから3種頒されたミルロイ・セレクション、

 ポート・エレン'82/02,20年,61.7度,シェリー,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
 ポート・エレン'82/01,19年,61.3度,シェリー,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
 ポート・エレン'78/01,23年,62.2度,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション

はいずれも美味。


投稿者:   一考  日時: 2018年07月19日 08:53 | 固定ページリンク




巣立ち  | 一考    

 日曜日、挨拶もなくつばめが巣立った、予想よりやや早かった。立つ鳥跡を濁さずというが、玄関一面は糞で汚された。さすが、拙宅のつばめ、他人のことなどお構いなしである。巣立った後も10日ほどは辺りの電線にとまっていると聞いたが、その気配はまったくない。玉津界隈の餌がよほど不味かったものと見受けられる。云えば、焼き鳥かレバー刺しでも与えたものを。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月18日 01:47 | 固定ページリンク




ライスジュレ  | 一考    

 お好み焼きチェーン「千房」がライスジュレを使っている。「小麦や食品添加物を使わなくても、パンやケーキが“しっとりもちもち”に?! グルテンフリー食(小麦アレルギーの原因となるグルテン不使用)を取り入れている方にとって、夢のような新食材が誕生しました」とヤンマーの解説にあるが、グルテンを摂取しないというのは、腎臓病や免疫疾患などの特殊な病気の人のグルテン摂取制限をする食餌療法が起源である。
 千房は「学歴・前科不問で「すべての責任は私が取る!」」で知られた店である。そこのお好み焼きをわたしは食べていないが、いち早くライスジュレを用いたところはさすがである。そしてオタフクからアレルギー特定原材料7品(卵、乳、小麦、そば、落花生、えび、かに)不使用のお好みソースが販売されている。明石にもライスジュレを使う革新的なお好み焼き屋ができないものか。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月18日 01:42 | 固定ページリンク




白飯  | 一考    

 その後の食事。土曜日は玉子焼き2個とサラダで終わり、日曜日は素麺1把とレタス、月曜日はちょっと量を増やそうとカレーを食べた。わたしは昔から自炊しかしないので、パックごはんに用はない。ところがマンナンごはんが半値で売っていたので購入。1食140g、150kcalのダイエット食品である。ダイエット食品であろうがなかろうが、わたしの知ったことでない。ただ食べて愕いた、水加減がすこぶる良い。通常売っているパックごはんは量が多すぎるし、飯が硬い。
 ここまで書いて、母を思い起こした。ガキのころ、わたしは固い飯が好きだった。そして茶碗一膳しか食べない。一膳は炊かれないので、残した飯を母は粥にでもして食べたのであろうか。15歳までわたしは母に炊事の面倒をかけた、そのことを深く詫びたいと思う。70歳代になって、やっと親子のありかたについて考えられるようになった。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月18日 01:40 | 固定ページリンク




総菜  | 一考    

 行きつけのスーパーの総菜を日曜日に買った。たまには肉をと思い、398円のプルコギを購った。木曜日までの5日間、副食はそれとサラダだけで済んだ。これではいけないと思いつつ、1日1食になってしまった。
 食欲は性欲と同じで癖になる部分を内包している。食べる時は食べるし、食べないときは食べない。食べないよりは食べられないと表記するのが正しいのかも。薬は食後に服用すようにと薬剤師はいう。しかし、食事をしていないので、薬は飲んでいないとの天邪鬼もでてくる。本末転倒とはこのことで、食事なるものを生活の規範にしてはいけないとの証左であろう。わたしのまわりで、1日3食摂っている方はいないと思うが、世の中には強迫観念のごとく、3食を食べ続けている御仁もいらっしゃる。
 とはいえ、いまのような(1日1食)食事を繰り返していると病気になる。病人のわたしがいうのだから間違いない。いろんなものが食べたくて、期間はともかく転々としてきた。松山、岡山、大阪、京都、岐阜、新潟、東京、埼玉、北海道、そして神戸と明石である。父が死んだときに高田を、そして福原と花隈と云う街が消え去った時点でわたしにふるさとはなくなった。しかし、最初と最後はどうやら神戸のようである。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月14日 04:00 | 固定ページリンク




会席  | 一考    

 玉子焼きが明石焼きになったのは明石名物を気取ってのことと思う。似たものであっても、東京ならば東京焼きとでも称するのかしら。玉子焼きにしろお好み焼きにしろ、東京の方がはるかに旨い。使っているタコも太東・大原産真蛸、明石のそれよりもずんと美味とわたしは思っている。山芋の粉やじん粉は疾うの昔から関東では用いている。久しぶりに明石へ戻って気付いたのは、明石は昔のまま、なんの深化もないのである。置き去りにされた街とでもいうべきか。

 昔「銀花」で日本道楽散歩・神戸篇を執筆した。その折に明石の人丸花壇と舞子ホテルにもご登場願った。両店舗共に、往時の会席料理は美事だった。わたしにいわせれば、明石で料理らしい料理を作っていたのは人丸花壇と来住だけだった。来住がなくなったのは残念だが、当時の明石のひとたちには来住の素晴らしい料理が理解できなかったというだけのこと。
 引っ越してから数件の割烹に出かけたが、わたしに云わせれば素人料理。非難するようなことは当掲示板では禁句だが、料理にせよ、酒全般とりわけ洋酒に関しては識見のないこと夥しい。明石や神戸でしか通用しない素人相手の商売人ばかりかと疑いたくもなる。もっとも客がそれを望むならそれはそれで致し方ないが。
 魚を下ろすだけなら河豚から鱧にいたるまで、わたしのような素人でも十分にできる。今までに河豚の200尾から300尾はばらしてきた。そしてテトロドトキシンでひとを殺めたことはない。嵐山吉兆の料理長からちりめん山椒の作り方を教わったが、わたしの作り方はまったく異なる。そちらはいろんな料理雑誌で執筆してきた。特に。赤坂時代、ゆくりなくも料理王国の編集長と親しくお付き合いさせていただいたのは楽しい思い出だった。わたしは料理がこよなく好きである。ただ、基礎をおろそかにした会席なら巷の牛丼で結構と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月14日 03:56 | 固定ページリンク




ワインの整理  | 一考    

 赤坂ですぺらで用意した約2000種のワインのうち、100本ほどが売れ残っていた。それをオークションで売るのだが、中身をチェックして愕いた。出水のワインが七割を占める。往時、ワインの輸送業者で信頼できるのは1社しかなく、出水は取り扱うワインのすべてをそこに委ねていた数少ないワインショップだったのである。赤坂で出店した折り、その輸送会社の女性社長が赤坂エクセルホテル東急とANAインターコンチネンタルホテル東京のバーテンダーを伴って来店、神戸地区でわたしたちのワインを扱っているのは、三宮の頃末酒店と長田のすみの酒店、個人ではあなただけだったと云われた。この日、お三方にお飲み頂いたのは、リパ・デッレ・マンドルレ(カステッロ・ヴィッキオマッジョ)の94年だった。フルボディでなく敢えて出たばかりのミディアムを薦めたのにはそれなりの理由がある。そして白はミュスカデ・キュヴェ・ワン(ルイ・メテロー)95年、90年代で唯一造られたヴィンテージで、ですぺらでもっともワインに五月蠅い永瀬さんのお気に入りだった。永瀬さんによると片仮名にするとムスカデの方に分があるようである。
 ワインと云えば横須賀功光さん。前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影、イタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランスカメラマンとして名を馳せた。彼がですぺらでの開口一番、「飲んだことのないワインは存在しない」。ロマネコンティのモンラッシェが1本だけ残っていたのだが、当然、知っているよの一言。フォンテーヌ・ガニャールのバタール・モンラッシェ89年を3本、堺のコレクターから買い受けたものだが、そのヴィンテージは飲んでいないとのことで、お飲みいただいた。横須賀さんのシャトー・ペトリュスの方が好きとの言葉からワイン談義が1年間、彼が亡くなる日まで続けられた。そこから先の消息は当掲示板に詳しい。
 さて、ヤフオクである。87年から96年にかけての赤ワインの一部を取り敢えず出品した。ウイスキーと違って醸造酒の経年劣化は避けられない。最初は全品1000円でと思ったが、シャトー・ラグランジュの空き瓶が1800円で売られている。自信はないが然るべき値段を付けた。家賃の足しになればよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月13日 01:44 | 固定ページリンク




スコットランドの山の頂でラガヴーリンを飲む至福  |   一考

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 ドナルド・レニック前所長(現在は女性)が来日した折りのインタビューです。検索しても出てこないので、転載させていただきます。掲載した方のお名前が分からないので、こちらで陳謝いたします。
 文中に書かれているように、90年代半ば、原酒不足でラガヴーリンはとんでもなく値上がりしました。経営も思わしくなく、イアン・マクロードが大量の原酒を買い支えたというようなはなしも耳にしました。ドナルド・レニック所長が山の頂でラガヴーリンを飲んだように、わたしは北海道のキャンプ場で鮭とばを肴にアイラモルトを独酌していました。(一考)


モルトの巨人と称されるラガヴーリン。
アイラ島の厳しい自然のなかで、その類い稀なモルトの個性を守りつづける人物
11月初旬、来日したラガヴーリン蒸留所のドナルド・レニック所長に、インタビューをしました。


--はじめに、レニック所長のウイスキー業界での主なキャリアをお訊かせください。  
     
 1981年にホワイトホースのボトリング部門にエンジニアとして入社しました。曽祖父が家でウイスキーを作っていたというエピソードはありますが、それまで身内にウイスキー業界に携わったものはいませんでした。その後いくつかのウイスキーの工場でボトリングやモルティング工程のエンジニアを努め、1996年にアイラ島に渡りポートエレンでモルティングのエンジニアリングを担当し、98年にラガヴーリンに移って、当時のニコルソン所長の下で蒸留を学びました。所長になったのは1999年です。  
     
--ウイスキー製造の現場で働くということに、どのような思いを抱かれていますか?  
     
 まず、私が住んでいる家は蒸留所のすぐそばなので、通勤ラッシュのストレスとはまったく無縁な生活を送ることができます(笑)。毎朝徒歩で通勤するのですが、蒸留所の敷地に足を踏み入れると気持ちがぐっと高揚します。ラガヴーリンで働くことは、私にとって大きな喜びだからです。それは何よりも、素晴らしいスタッフと一緒に仕事ができるからにほかなりません。いま従業員は私を含めて15名いますが、みなラガヴーリンの長い歴史をしっかりと受け継いでいます。なかには4代に渡ってラガヴーリンで働いているというスタッフもいるのです。  
     
--ウイスキー愛好家の間でラガヴーリンの人気はますます高まっています。他のウイスキーにはないラガヴーリンの際立った個性が生み出される要因は、いったい何なのでしょうか?  
     
 ラガヴーリンの味と香りには「7つの秘密」が関係しています。ひとつは水。2番目にバーレイとピート。3番目はマッシュとウォートの生成方法です。4番目はオレゴンパインのウォッシュバックで55時間かけて行う発酵。5番目は細長いウォッシュスチル。このスチルは45度に折れ下がったライパイプの形も特徴的です。6番目はタマネギ型のスピリッツスチル。最後にスピリッツスチルにかける時間の長さです。しかし、それら長い歴史のなかで培われた技術を再現するのは人間です。伝統を受け継いだ優秀なスタッフなしでは、この味と香りは決して完成しません。  
     
--所長という仕事で、特に気を配っていることはどのようなことですか?  
     
 ウイスキーをつくるということは、歴史が創造したそのキャラクターを、間違いなく再現することです。大切なのは設備や環境を可能なかぎり変化させないこと。そのためにあらゆる面で気を配ることが、私の重要な仕事のひとつです。いまや世界的に重要な蒸留所となったラガヴーリンを所長として預かることには、大変なプレッシャーを感じますが、同時に大きな誇りでもあり非常に名誉なことと思っています。    
     
--ところで、地元スコットランドでのラガヴーリンの評価はどうなのでしょうか?  
     
 もちろん、国内でも大変人気のあるモルトです。若い人から年配者まで幅広く受け入れられています。個人的にはラガヴーリンは非常に男性的なウイスキーだと思うのですが、いまでは若い女性のファンもとても多くなっています。私も正直なところ驚いています。

ラガヴーリンに至る前に多くのウイスキーを試し、最終的にラガヴーリンに辿り着く人が多いと思います。しかしラガヴーリンを飲んだことがない人が蒸留所に見学に来られても、ほとんどの人から美味しいという評価をいただきます。  
     
--ラガヴーリンに合う食べ物があれば教えていただきたいのですが。  
     
 食べ物と合わせるのならば、なるべく強い味のものがいいと思います。チーズならば例えばロックフォール。甘いものならばチョコレートのようなもの、それも味の濃いダークチョコレートがいいでしょうね。  
     
--日本にもラガヴーリンファンは非常に多いのですが、実はラガヴーリンはその人気の高さからか、いまとても手に入りにくくなっています。それはなぜでしょうか。  
     
 確かにいま、ラガヴーリンは16年を中心に在庫不足が続いています。実はこの原因は、80年代のスコットランド経済の不況にあります。このときの不況は蒸留所の運営にも大きく影響し、多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれました。幸いにしてラガヴーリン蒸留所は閉鎖にこそ至らなかったものの、生産制限をしなければいけなかったので操業は週に2、3日という状態でした。つまり16年前の生産量が絶対的に少ないのです。

そして現在、ラガヴーリンは世界的に非常に高く評価されるウイスキーとなりました。それはとても光栄なことなのですが、在庫の少なさに人気の高さが加わって、入手しにくいウイスキーとなってしまっています。決して、私が出荷前に全部飲んでしまっているわけではありません(笑)。

しかし、90年代には蒸留所の生産は再び安定したので、皆さまにラガヴーリン16年を心置きなく飲んでいただける日はすぐそこまで来ています。安心してください。  
     
--最後に、レニック所長ご自身はラガヴーリンをどのようなウイスキーだと思いますか。またどんなシチュエーションでラガヴーリンを飲むのが好きなのか、教えてください。  
     
 ラガヴーリンは私が愛して止まない、とても特別なウイスキーです。強いピート香とスモーキーさを持ち、それでいて甘く、そしてとても複雑です。そしてそのフィニッシュの長さ。とても気持ちいい後味が、長く、長く続きます。

忙しく働いた一日が終わったとき、家に戻りホッと一息ついたところで飲むのもいいものですが、やはり私は、気の合った友人たちとテーブルを囲んで賑やかに話しながら飲むのがいちばん好きです。

それからもうひとつ。私の一番の趣味はヒルウォーキングです。スコットランドの3000フィート以上の山々をリストアップした「マンロー・リスト」の全284座のうち、これまで186座に登頂しており、制覇まであと98座です。その一つひとつの山頂で、登頂を祝って必ずラガヴーリンを飲むのです。眼下にスコットランドの大地を眺めながら飲むマイ・ホームウイスキー。ほかの何にも代えがたい、幸せな瞬間です。
   
 マンロー・リスト Munro List
スコットランドの3000フィート(910m)以上の山のリスト。作成者マンロー男爵の名を冠したこのリストには284座の山頂が記載されている。リストの山々を登頂することは「Munro-bagging」と呼ばれ、英国の多くのヒルウォーカーたちの目標になっている。英国における「日本百名山(深田久弥著)」のような存在といえる。  
 
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投稿者:   一考  日時: 2018年07月10日 02:25 | 固定ページリンク




地下神殿  | 一考    

 世の中は水浸しである。玉津町今津地区は避難地域になったが、後60センチほどで明石川は氾濫していた。東京にいたとき、首都圏外郭放水路、別名「地下神殿」が完成し、170ミリの洪水に耐えられると都は胸を張っていた。今回の大雨は場所によって1600ミリだったという。四国や広島でなく東京に1600ミリの雨が降れば山手線や地下鉄は壊滅状態になる。170ミリとの基準がわたしにはさっぱり分からない。
 東日本大震災のとき、直接の被害はなかったものの東京の交通機関は完全に麻痺した。今回のような大雨が降れば麻痺ではすまない。数千あるいは数万人の死者が出る。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月09日 00:47 | 固定ページリンク




海藤花  | 一考    

 にらみ鯛に限らず、尾頭付きの鯛を丸ごと焼いた塩焼きは愛媛の養殖鯛だったり、ニュージーランド産の冷凍鯛だったりする。明石で穴子は獲られない。家島から送られていたが、最近は韓国産ガ多く、焼あなごの高砂下村商店も韓国産を用いている。明石焼き(蛸焼き)も聞くところによると一軒は明石産の蛸を使っているようだが、他はインド洋産である。
 他人のことはいわれないが、のれそれの躍り食いを食していて穴子が手に這入らないとはこれいかに。もっとも、のれそれはマアナゴのレプトケファルス(稚魚)であるというが種名は定かでない。石巻魚市場にはギスのレプトケパルスが水揚げされていて、こちらも「のれそれ」と呼ばれる。シラスなどのような生臭みは全くなく美味といえば美味である。

 海藤花については何度か当掲示板で書いているが、明石の漁師ですら誤解が多い。蛙の列なった卵を想起させる産卵後の蛸の卵・海藤花を吸い物で頂戴するとき、一緒に入れる浜ぢしゃの新芽と松の実の幽けき香を楽しむのが料理の醍醐味だと聞かされて育った。割烹料理には欠かせない珍味のひとつだった。ところが、産卵前の蛸の卵を海藤花と称するひとが明石にはたくさんいらっしゃる。どこが藤の花なのかお訊きしたいものである。ケシ粒大の卵粒がつらなり、垂れ下がるのが藤の花房に似ることから、江戸時代に明石藩の儒者・梁田蛻巌によって「海藤花」と命名されたのでなかったか。

 お国柄というものがあって、その土地、土地に名物がある。それはそれで結構なはなしだが、魚などが名物になるのであろうか。2016年4月1日現在、日本国内には2,866の漁港がある。それぞれの漁港は家(うち)の魚は日本一と固く信じている。明石界隈の漁港では垂水が第三種、林崎が第二種に這入っているのみで、他の塩屋、舞子、松江、藤江、魚住は第一種漁港である。要するに明石浦は漁港ですらない。わたしにいわせると明石の魚と比して千葉の魚は特段に旨かった。比較にすらならないというのが忌憚のない意見である。しかしそのようなことよりも、お国自慢の前に為すべきことがあるのでないだろうか。家(うち)が一番というような排他的な考え方そのものが安倍をはじめとする似非右翼をのさばらせているのであるまいか。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月08日 23:44 | 固定ページリンク




moonさんへ  | 一考    

 先ほど、久しぶりに女房と話しました。引っ越してきてはじめてでなかったかと思います。ですぺらの閉店について話し合ったのです。1年間は赤字がつづく覚悟はしていたのですが、その1年を経て、家賃すらおぼつかないのではどうにもなりません。
 開店の折はまだ身体が不自由で、周さんとmoonさんのお世話になりました。それゆえ、真っ先にご連絡を。詳細は後日改めて。

 ところで、明石川も鴨川と似た状況です。今日も終日強雨、天気予報では土曜日の明け方がもっともひどい雨のようです。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月06日 02:44 | 固定ページリンク




塵取り  | 一考    

 ツバメの子が3羽、賑々しく騒いでいる。親の餌付けは一日100回から300回に及ぶという、無事に巣立ちを迎えられればよいのだが。玄関口は糞に塗れている。百均で買ってきた塵取りを置いているのだが、このところ風が強くて役に立たない。ブリキの塵取りが欲しかったのだが、生憎とプラスティックのものしかない。わたしは気にしないが、お隣はさぞかし迷惑に違いない。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月05日 17:24 | 固定ページリンク




井陘の戦い  | 一考    

 一週間客がなかった。天候がすぐれないのもあろうが、晴れた日もあった。こういうときは店を開けているのが嫌になる。明石ならこのようなこともあろうかと思うが、いっそ閉店しようかと迷うのである。先日、高麗苑がいらした折、どこぞで働けば少なくとも金になる。その点、商売は望むべくもない、と。確かに、若ければわたしだって仕事がしたい。10万でも15万円でもよいと思う。しかし老いさらばえ、あまつさえ障害者となれば働けるところなどあろうはずがない。働く場所は自分で拵えるのほかないのである。
 背水の陣などというが、歴史上ことごとくの武将が敗れ去っている。成功したのは井陘の戦いのみでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月04日 01:50 | 固定ページリンク




PRAMクリア  | 一考    

 人工透析の時のように背中が痒い。尿毒素が悪戯をするわけがないので、理由は他にあっておそらく薬である。医師に体調不良を訴えたところ、明日病院へ来いと云われた。明日すなわち7月4日は土砂降りである。このところいくら雨が降ろうがオートバイで店へ通っている。お客がないので駐車場代が捻出できないのである。しかし、病院へは四輪で行くしかあるまい。

 店のパソコンが起動しない。moonさんに電話をしようにもガラケーの電源が切れている。起動しないまでもパソコンの電源が這入っていれば電話への充電はできる。PRAMクリアの方法を教えてもらい、無事パソコンは起動。ありがたい友人である。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月04日 01:42 | 固定ページリンク




東京奠都  | 一考    

 藤江屋分大が創業した1818年は化政文化の真っ直中、花見酒が軒昂だった。その酒のあてとして開発されたのが桜餅と羊羹だった。往時の酒は甘く、甘さを甘さで打ち消すといった案配だった。隅田川ほとりの長命寺門前の茶屋山本屋の桜餅や本郷の藤村羊羹はつとに知られるが、江戸時代は煉羊羹の全盛時代でもあった。「虎屋黒川」が「京風羊獎」で駿河屋と並び称されるようになったのは、明治維新の東京奠都に伴って東京に進出した後のことであった。時の権力者に阿り、東京を代表する屋号となったが、仔細はさておき伊藤敬さんから頂戴したとらやの羊羹セットは忘れられない。
 大坂から江戸への砂糖の輸送は、当初、菱垣廻船によって行われていたが、西宮の酒を江戸に送るための樽廻船がはじまると、砂糖輸送も樽廻船を使うようになった。その権利をめぐってしばしば刃傷沙汰になったという。
 和菓子のなかでも羊羹は棹物(さおもの)に分類される。そのため、1棹、2棹と呼ばれる。西日本の主に近畿地方では丁稚羊羹、練羊羹との違いは水分の含有量と若干の作り方である。近々、分大の丁稚羊羹を買いにいこうと思っている。

追記
 先日、分大さんが来店、前回に続いて砂糖のはなしになった。前項で触れたてんさい糖は20年ほど前に、94年量産化に成功した岡山林原のトレハロースもいち早く用いている。さまざまな実験を繰り返しているのだと愕く。最近は喫茶店でラ・ペルーシュのキューブブラウンを用いるところが増えてきたが、わが国の砂糖は上白糖、グラニュー糖、三温糖、角砂糖と同じものである。日本は工場の生産ラインが決まってい、他のものは輸入するしかなさそうである。
 もうひとつ面白いはなしに、年齢から来る味覚の変化があった。味覚には、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本味があるが、甘味以外は顕著に衰えていくようである。老いにあって嚥下障害と味覚障害は避けられない。味覚のキーは味蕾だが、味蕾は8歳から急速に増え、12歳をピークにまた減ってしまう。ピーク時では約1万2000個あるが、大人になると半減してしまうのである。分大でも最近味が変わったという方がいるが、味はなにひとつ変わっていない、変わったのはそのひとの味覚そのものなのである。
 ウイスキーに関しても昔は旨かったがお客の口癖だが、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。12歳でウイスキーを味わえないのが残念至極。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月28日 17:16 | 固定ページリンク




珍客  |   一考

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 玄関にツバメが巣を拵えた。泥や枯れ草、木屑のようなものが大量に落ちていたのだが、まさか犯人が鳥だとは気付かなかった。店へ行こうとして玄関を開けたとき、ツバメの帰宅と遭遇した。周章てたのはツバメの方で、わたしがいなくなるまで辺りを飛び回っていた。餌を採ってきたのであろう。1箇月ほどピーピーと五月蠅くなるが、7月の末には巣立ってゆく。わたしが住んでいるところは18戸の長屋である。その中から拙宅を選んでくれたことに感謝、一人暮らしの身には嬉しい珍客である。

追記
 帰宅後、真っ先に巣を覗いたが、親は頭を突っ込んで寝ている。尾っぽは巣からはみ出ている。ちょっと小さいようである。天井灯の金具の部分に張り付くように設えているが、夜通し電気は点いている。ツバメは薄暗いところを好むのでなかったか。


投稿者:   一考  日時: 2018年06月24日 18:42 | 固定ページリンク




立ち居振る舞い  | 一考    

 日曜日、寝具の洗濯と夏物への交換、ライダースーツの洗濯と交換、そして家中に散らばっている段ボールの除去と掃除に明け暮れた。1日では到底処理しきれないが、足下は若干片付いた。老人の一人暮らしはあっという間にゴミ屋敷になってしまう。有るときは書物に埋もれ、有るときはサイクルパーツに、また有るときはウイスキーが溢れ、ヤフオクで生計を立てるようになってからは段ボールの山である。ものを持つのがよろしくないのは分かっているが、そのものがあればこそ、発症してからの8年間、医療費と生活費と家賃がなんとか捻出できた。
 「見過ごすと危険、妻の無言は「怖い最後通告」」として「夫源病」なる病が多発しているそうな。わが国の亭主の身勝手さはわが身を振り返ればよく分かる。うまく行っているのは別居しているからに他ならない。一緒に暮らせば間違いなく一週間で最後通告を突きつけられるに違いない。一人暮らしは気の向かないことはしなくて済む。その代わり、炊事洗濯など家事万般は自分でするしかない。
 病気になってよく分かったのは明日のことは誰にも分からないということ。身体だけは自分で読み切られないのである。医師に云わせると3度死んでいるようだが、臓器移植の後も下血で死にかけている。その内2度は危篤ということで、女房子供共々、埼玉の病院へ呼び出されている。通常は危篤となれば死ぬのが当たり前なのだが、わたしは死ななかった。よほどの強運か悪運の持ち主なのであろう。二度とも輸血で命ながらえた。一度は21単位、一度は12単位の輸血である。2日に及ぶ輸血の後も身体はベッドに縛り付けられたまま、身体を動かせば看護師が駆けつける。センサーが取り付けられているのである。そして身体もベッドも排泄物で汚れてしまう。ひとは死に向き合ったときですら立ち居振る舞いには気を遣おうとする。立ち居振る舞いがままならないと分かっていても。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:34 | 固定ページリンク




高麗苑  | 一考    

 高麗苑の高野さん来店、彼とは旧い付き合いである。1982年から85年に東京中野新橋へ転居するまでの4年間、わたしは太寺3丁目に住んでいた。いま調べてみると、井筒典久さんの家と道を隔てて100メートルも離れていない。30代半ばのことである。
 往時、明石駅へ行くに東仲ノ町商店街を歩いていた。その中程に高麗苑があった。長田の婆さんが造っているどぶろくを飲みながら、金がなくて何時も決まっててっちゃんを食べていたのを思い起こす。行く度に、同じく一人前のてっちゃんを大事そうに食べている客がいて親しくなった。どちらも儲からない客だったが、高野さんは嫌な顔ひとつせず接してくださった。高野さんから聞いたのだが、客すなわち岡本書店の息子さんはフェリーから身投げして亡くなられたそうな。神経質だが、どこかしら人懐っこさを覚えさせる素敵な青年だった。彼と酌み交わしたどぶの甘酸っぱい味は忘れまい。
 後年、赤坂でですぺらをはじめた時、NTTの木村さんが焼き肉を所望された。あの折の焼き肉は高麗苑から取り寄せたものである。全国焼肉協会の寄り合いがある度に高野さんはですぺらへいらっしゃる。面倒のかけっぱなしで気がひけて開店の挨拶にも行かれなかった。高野さんがですぺらを見付けたのはまったくの偶然である。肝臓を悪くして2箇月ほど入院なさったとか、随分と痩せていたので瞬時どなたか分からなかった。
 一考さんも随分と髪が薄くなってと高野さん。昔はダンディだったのに、と。彼はわたしより6歳下だが、老いというものは等し並みに訪れる。わたしはこの等し並みとの言葉が好きである。そこには差別がないからである。彼は在日ゆえ、謂われのない差別と闘ってきた。だからこそ、わたしは彼と親しくなり、家族付き合いもしてきた。二人して抱き合って再会を喜んだのは云うまでもない、生きていてよかったねと。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:29 | 固定ページリンク




立ち転け  | 一考    

 2日連続で雨に打たれた。大蔵海岸の駐車場で同い年の老人から珍しい車に乗っていますねと声をかけられた。キャブ使用ですからと応えると、それにしても磨きが足らないようでと云う。こちとら土砂降りでも二輪に乗っているのですよ、いちいち磨いてられるかと、ここは堪えて和やかに笑う。ライダーらしく「お達者で」と挨拶を交わして別れた。
 久しぶりに晴れたのでタバコを買いに舞子まで走る。歩道へ乗り上げたところでいきなりエンスト、煽りを食らって立ち転けと相成った。この30年ほど立ち転けとは無縁だったが、寄る年波には勝てぬ、何時か倒れるだろうと思いつつ、そのためにこそ足つきの良い小型バイクに乗り換えたのだが、倒れるときに大型も小型もないと分かった。それよりも、学生と思しき妙齢の女性が3人駈け付け、バイクを起こそうと手伝ってくださる。立ち転けが恥ずかしいという年齢はとっくに過ぎた。本音をいえば、女性と一緒にいたいがためにそのまま引っ繰り返っていたかったのである。

追記
 ブレーキレバーの先端が折れてどこかへいってしまった。運転には支障ないが、アルミ製品は役に立たない、鉄製のレバーがあれば良いのにと思う。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:21 | 固定ページリンク




赤坂一ツ木通り店のカタログより  | 一考    

 ですぺらの店主はライダーですが、決してバイクおたく、旧車マニアではなく、走りを目的とし、自ら整備し、雨風に打たれるのを快感とするライダーです。従ってモルト・ウィスキーを取り扱うのも、それがたまらなく好きであり、幾たび宿酔の悪夢に魘されようが懲りもせずに飲み続ける、要するに単なる酔っ払いなのです。
 昨今、通信ネットが発達し、日々各所でオークションが催され、さらなるレアものも容易に入手できるようになりました。特に伊太利亜では盛んなようです。国内を振り返っても、レアものや旧ボトルを取り扱う業者が増え、今では専門の業務店も存在します。しかし、人は時代の子。生体解剖に興味は有っても、死体解剖に店主は些かの興味も抱きません。シュルレアリストにしてシングルモルトの先達、神大の仏文学者、故小島輝正氏の三千本を越えるコレクションも震災であえなく瓦解。目前にごろんと転がる現実、要するに与えられた条件の中で、いかに気軽にモルト・ウィスキーを嗜みかつ愉しめるかに、ですぺらの本意があります。
 酒の世界にあっては本質が実存に先立ちます。人に親しまれ飲まれてこその存在。たかが酒ではありませんか、蘊蓄やこだわり等豪快に嗤い飛ばして飲みましょう。

  ≪いたずらに生きのびし意志弱行の者たち
       やるせない遠吠えの咽をうるおすために
                  誰あらん 美酒一献≫


投稿者: 一考      日時: 2018年06月14日 01:10 | 固定ページリンク




ノンブレンディングの個性  | 一考    

 先日、東京から戸井田和重さんがいらした日、三宮の「スランジバー・エーボ」の岩田秀史さんと同席となった。戸井田さんとは一ツ木通りの店舗からのお付き合いだが、岩田さんとはごく最近である。エーボはブレンディングウイスキーを主となさっているようである。ブレンディングは元々ウイスキーの原点である。モルトウイスキーは個性が強く、複数のモルトを掛け合わせることによって個性を中和し、飲みやすいウイスキーに仕立てたものである。よって、おらが村の酒はこれに限るといったふうに地元の少数者によって飲み継がれてきたのがシングルモルトである。
 シングルモルトがわが国で飲まれはじめたのは1980年頃のようだが、ピュアモルト、ノンブレンディングなどと蒸留所によって呼び名はまちまちだった。それを統一したのはUD社(ユナイテッド・ディスティラリーズ)、現在は6箇所に絞り込まれたが、往時は約半数の蒸留所を抱えていた。傘下の蒸留所に声をかけ、呼称をシングルモルトに統一、2003年のことである。
 わたしがバーをはじめたのは1994年だが、シングルモルトなる飲み物の存在に気付かされたのはそれからである。従って、まだ24年にしかならない。バランタインのメインモルトがグレンバーギ、ジョニー・ウォーカーのメインモルトがカーデュなどと云われても、メインモルト、キーモルト共々わたしにはさっぱり分からない。岩田さんによると個別に味が分かるとのことだが、1本のボトルに入っているモルトはたかだか3パーセントか多くても10パーセントまで、キーモルトはそのうちの僅かに3パーセントほど、1本のブレンディングウイスキーのなかに2ccである。それがタリスカーであれクライヌリッシュであれロイヤル・ロッホナガーであれ、わたしにはちんぷんかんぷんである。もっとも本職のバーテンダーではないので、岩田さんにかなうわけもないのだが。
 英国に住む友人からジョニー・ウォーカーは外貨を稼ぐためのウイスキーであって、地元のスーパーではジョン・ウォーカーとの安酒が売られていると土産に貰った。現在わが国で売られているジョン・ウォーカーとは違って、本当にモルトが這入っているのかと疑いたくなる不味い酒だった。

 わたしがシングルモルトに惹かれたのは好き嫌いは別にしてその強烈な個性である。グレンアギーのポマードのような香りと苦みを伴う濃厚な味わい。オルトモーアの徐光液を想わせる特異な香りとココナツや胡桃を擂り潰したオイリーな味わい。グレン・ギリーの草木染に用いる露草や湿った海苔、コスメティックな香り、バイオレット・フィズを想わせるオイリーな味わい。コールバーンの輪ゴムを噛みしだくような味わい。ダラス・ドゥーの潤いを含んだ樽、雨降りの製材所の臭い、雨に打たれた整髪料を想わせる味わい。コンヴァルモアの初手からフィニッシュに至るまで、甘味の中に粗塩のような薬品臭がつきまとう味わい。ベンローマックの根生姜、がり、茗荷を思わせる苦み、飲むにつれ、もろみ味噌が恋しくなる。もろきゅうでもよろしいが、胡瓜のサクサクした食感はウィスキーには馴染まない。北京味噌もしくはしゃもじに塗りつけて焼く蕎麦味噌のような焼き味噌が相応しい等々。けだし、それらは立派な個性。超個性的な香味を内包する。
 一方にグレンロッシー、リンクウッド、ロイヤル・ロッホナガーなどというソフィスティケーテッドなウイスキーがあり、他方、グレン・グラント、グレンフィディック、グレンリヴェット、ダフタウン、トーモア、トミントゥール、ミルトンダフ、マクダフ、バンフ、ロイヤル・ブラックラ、グレンロッキーのようなすべてに於いて物足りないモルトというかモルト風味のウイスキーもある。わたしは後者のウイスキーを飲みたいとは思わない。同じ飲むなら個性を個性として楽しみたい。「誰も責任をとらない」との標語をかかげるわが国のサラリーマンのようにはなりたくないのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月14日 01:03 | 固定ページリンク




しのぎ盃  |   一考

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 江戸時代初期の伊万里 白磁 しのぎ盃。寸法は口径約6.2cm、 高台径2.5cm、高さ5.5cm。買う気はないが、良い味わいである。ろくろ引きした後に施されるしのぎである。


投稿者:   一考  日時: 2018年06月11日 07:11 | 固定ページリンク




403 Forbidden  | 一考    

 掲示板にコメントを掲げようとすると403 Forbiddenとなります。アクセス権の問題で、Terminalで訂正できるようなのですが、わたしには分かりかねます。どなたかご教示いただけないでしょうか。
 拙宅はJ:COM(ジェイコム)で繋がっていて問題は生じないのですが、店の方はフレッツひかりとso-netで繋がっています。そちらが403 Forbiddenの頻発で困惑しております。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月10日 10:04 | 固定ページリンク




ハリイカ  | 一考    

 月曜日からつづいていた下痢が治まった。久しぶりの食事に舌鼓を打つ。一週間分の食料の買い出しは日曜日にまとめて行うが、今週は食料の大半を捨てざるを得なかった。特に野菜は刻んだものを買ってくるので日持ちしない。
 鳥取や島根の白いか(ケンサキイカ)同様、明石のまえもんハリイカ(コウイカ)は旨い。コウイカの新イカは東京ではキロあたり1万円を超える超高級品だが、当地では安い。親イカなら200円から300円で手に這入る。松戸では墨がついたまま出荷していたが、こちらでは洗い落としたり洗わなかったりといろいろである。同じコウイカでも大型のモンゴウイカは好きでない。ガムを食べているようで興がが湧かない。そのハリイカを二枚買ったのだが、どうせ食べられない。よって綺麗に掃除をし、冷凍庫に保管した。明日にでも山椒焼き(塩焼きが駄目なので)にしようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月10日 09:52 | 固定ページリンク




シュリンクフレーションの逆  | 一考    

 牛乳、チョコレート、ポテトチップ、マヨネーズ、チーズ、ハム、ソーセージ、いつの間にか容量が減っている商品は数多い。その一方で食パンのように増えているものもある。近隣のスーパーで購入する食パンがトースターに這入らなくなって困っている。食パンなど全国どこへ行っても同じ大きさだと思っていた。大きく造らなかった家電メーカーが悪いのか、それとも、サービス精神旺盛なパン屋が悪いのか定かでない。
 戦後のうどん屋は一貫して一人前100グラムだった。これは茹でた後の重量で、茹でる前だと70グラム弱だった。定食だとそれにいなり寿司が2個付く。それが今でははなまるうどんの小が210グラムで丸亀は並で250グラムだとか。みなさんこのように馬鹿食いするのであろうか。明石にもうどん屋,そば屋で行きたいところがあるのだが、いずこも一人前300グラムとやら、それを聞いただけで怖気を振るってしまう。食えるわけがなかろうに。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月09日 02:34 | 固定ページリンク




助六  | 一考    

 先日、女房がサントリーの山崎を取りに来た日、寿司を持っていた。巻きが4巻に稲荷が2つのどこででも売っているもっとも安価な盛り合わせ、すなわち助六である。子供が結婚して出て行ってからはこのようなものを食べていると。これで1日ですかと訊くとそうですと応える。彼女の体重は20代の頃から変わらない、30キロ台に留められている。お茶でも淹れようかと云うと、食欲がないので結構ですと。

 サントリーのはなしになる。同社が生産調整に這入ったのは2006年、2008年末からハイボールブームが起きているので生産調整はおそらく3年はつづいたと思われる。ブレンディングウイスキーの響17年が元に戻るのは2025年になるのでなかろうか。それよりなによりブレンディングに使う輸入原酒(バルクウイスキー)が高騰している。昨年のウイスキーの売れ行きベスト20の内、インドのウイスキーが過半数を占めている。インド産ウイスキーはスコットランドのモルトにインド産のグレンウイスキーを混ぜて造っている。ニッカと同じく、カリラ、ベンネヴィス、トマーチン、ボウモアなどが使われている。スコットランドはわが世の春を謳歌しているが、わが国も今までのようなニューポットだけでなく、10年ものを仕入れないとジャパニーズウイスキーは休売、終売の繰り返しになる、他にもダフタウン、アードモア、グレンダラン、カードゥなど生産量の多い蒸留所はある、などと私見を述べた。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月09日 02:32 | 固定ページリンク




嘉之助蒸溜所  | 一考    

 洋樽ではマルエス洋樽製作所、有明産業、昭和洋樽などがあるが、昭和洋樽はフローリングに転業、マルエスはニッカとイチローズモルトの樽をつくっていたが、今は焼酎メーカーを主としている。京都の有明産業は海外との取引が多く、嘉之助蒸溜所が持っているソレラシステムで80年使用したシェリー樽も有明産業から仕入れたもの。
 一言触れておきたいのはマッカランが用いるオロロソカスクは酸化熟成した辛口ワイン、モスカテルやペドロ・ヒメネスのような甘口ではない。それよりなにより、新樽をスペインへ持ち込んで2年ほど使った後、ウイスキーを詰めるとのインスタント作業で樽の善し悪しは二の次なのである。このような方法にわたしは異議を感じる。
 嘉之助蒸溜所はイングランドとドイツのモルトスターからモルトを輸入している。その内、イングランドのシンプソンからはヘビリーピートのモルトを引いているようである。12年前に山崎から頒されたヘビリーピートのシングルカスクもシンプソンだと聞いた。山崎のヘビリーピートはアードベッグよりもピート値が高く、頗る美味だった。
 亜熱帯で生み出されるシングルモルトウイスキーとして台湾のカバランを上げることができる。カバランは2010年、ウイスキーの本場スコットランドで行われたテイスティング大会で「カバラン・クラシック・シングルモルト・ウイスキー」が見事1位を獲得したのを皮切りに、世界で最も権威あるウイスキー賞といわれるWWA(ワールド・ウイスキー・アワード)で「カバラン・ソリスト・バーボン樽シングルカスク・ストレングス」が「ベスト・レスト・オブ・ザ・ワールド・シングルモルト・ウイスキー」を受賞している。
 嘉之助蒸溜所は本年はじめてニューポットを限定発売した。そのテイスティングノートがすこぶる振るっている。

 COLOR(色):クリアだが、上質のオイルのようなとろみ
 NOSE(香り:焼きたてのパンのような香ばしさ、ベリー系ジャムのかすかな酸味を感じる濃厚な甘い香り
 TASTE(含み:はじめ甘く、次第にまろやかさが現れ、りんご系のエステル香が鼻に抜ける
 FINISH(余韻:モルト由来の含み香の特長が長く感じられる

 飲み方:そのままでもお楽しみいただけますが、ほんの数滴の水を加えてください。香りが華やかに開きます

 分かりやすい日本語で好感が持てる。カバランはヘビリーピートを扱っていない。嘉之助蒸溜所に期待している。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 01:03 | 固定ページリンク




ワインカスク  | 一考    

 アルベール・ビショーのボージョレ・ヌーボー2007年の樽(15リットル)を買った。ボージョレ・ヌーボー全盛期、六本木や麻布くんだりのワインバーで同樽が持て囃されていたのは知っていたが、入手に至らなかった。有明産業の5リットルのミニ樽は24000円もする。本品は8000円だったが、チャーではなく、トースティングのミディアムが施されている。
 取り敢えず、慣らしに不味かったモンゴメリーズのロングモーンを入れている。兎にも角にもモンゴメリーズのシングルカスクコレクションは安いのが取り柄で碌なものがない。3箇月ほど馴らしてからアイラモルトのカスクストレングス(ラガヴーリン)を入れるつもりにしている。2リットルや5リットルのカスクと違って15リットルあれば、熟成が可能である。1年後の楽しみが増えた。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 01:01 | 固定ページリンク




新薬と下痢  | 一考    

 サーティカンという免疫抑制剤がある。一部グラセプターの代用品なのだが、2018年 2月に売り出された新薬である。心移植、腎移植、肝移植患者のT細胞の増殖を抑制する。医師からは肺結核の予防になると聞かされたが、どこにもそのようなことは書かれていない。副作用としてとんでもない下痢をもたらすが、そのようなこともどこにも書かれていない。下痢のひどさは医師も了解したようで、サーティカンの処方を半分にし、グラセプターを一錠増やした。
 それにしても爾来、定期的に下痢になる。下痢になると必ず微熱が出る。恰度風邪を引いたような案配なのである。昨日もズボンとパンツを汚してしまい、介護用紙おむつを装着した。それもあって、こちらでは女性とのおつきあいは遠慮願っている。戸田では紙おむつは病院から支給されていたが、神戸では個人で購入している。

追記
 免疫抑制剤としては「サーティカン」、悪性腫瘍治療薬としては「アフィニトール」の名で製造・販売されている。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 00:59 | 固定ページリンク




眞野公一さん  | 一考    

 iMac A1311は購入時に10.7がインストールされていた。一気に10.13.5にバージョンアップして使っている。ただしメールが消えてしまった。三種類の方法があるようなのだが、ことごとく失敗、USBで2台のPCを繋ぐというのがどうしても成功しない。もっとも、過去のメールを置いていても仕方あるまい。

 昨日、眞のマスター来店。ポートエレンとアードベッグを飲まれたが、ポートエレンははじめてとか、正直な方である。アードベッグがボトラーに樽の販売を止めてから随分になる。その代わり、オフィシャルのシングルカスクを頒しているが、値は20万円以上である。1993年蒸溜の21年ものマキロップチョイスが6万円ほど、蒸留所に任せるとサントリーと同じことになる。
 それにしてもオフィシャルボトルは拙い。蒸留所のブレンダーの好みとあれば仕方ないが、すべてに於いて香味が重い。GMのスピリット・スコットランドは9本ぐらい頒されているが、その内の3樽はシェリーカスク、抑制が効いていて絶品である。
 眞の店舗は西明石の駅からちょっと離れている。今度西明石か明石へ引っ越すそうな。できれば明石へ転居していただきたいと願っている。ウイスキーのはなしができる友にもっとも相応しいのが眞野公一さんなのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月06日 21:48 | 固定ページリンク




ジャパニーズウイスキーの高騰  | 一考    

 女房から久しぶりに電話があって客から山崎を探してくれと頼まれたようである。彼女の依頼とあればどのような無理をしても調達はする。しかし、5000円だったノンエイジの山崎は現在14000円、13000円だった12年シングルカスクは26000円に高騰している。なんでここまで値上がりしてからと思う。
 原酒不足が理由だが、10数年前はひとはこぞって酎ハイ、ウイスキーなんぞ誰も見向きもしなかった。よってサントリーもニッカも生産調整、その影響がいまごろ出てきたのである。スコッチの売れ行きに応じて生産調整または生産拡大をスコットランドの蒸留所は繰り返してきた、スコッチの歴史は暴落と高騰の連続である。ところが日本人は中国人の買い占めが理由だという。
 前項で書いたように山崎の本物は最安値でも182000円である。ボトルに一割のモルトを入れて他はエチルアルコールで埋めたにせよ18200になる。中国人は本物のモルトウイスキーしか買わない。日本人はインチキを承知で安い似非ウイスキーを買う。中国人を莫迦ににするなといいたい。
 今回の暴騰を起こした張本人は酒屋である。昨今の酒屋は定価販売に無頓着である。アマゾン、楽天、ヤフーショップで競うように値を上げているのはすべて酒屋である。現時点ではヤフオクがもっとも安価である。ジモティーやメルカリはさらに高い。このような時こそストラスアイラ、ハイランドパーク、グレンマレイなどを飲んでいただきたい。ジャパニーズウイスキーの値上がりは2年前からだが、まだ5.6年は続く。買うのは控えた方がよろしいかと。

追記
 女房の山崎だが、蒸留所で販売していた300ミリリットルのボトルを調達した。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月30日 06:01 | 固定ページリンク




iMac A1311購入  | 一考    

 2005年製のマックを使っている。PowerPCなので、ネットにはまったく不向きだが、まずは文章が書かれるようになっただけでも良しととするしかない。ところが、ヤフオクが6月1日からPowerPCを切り捨てるようである。ヤフオクへ繋ぐ度に使えなくなりますとのテロップが流れる。
 困惑していても仕方がないので、iMac A1311を購入することにした。はじめてのiMacである。Core i3 3.06GHzを積んでい、Core i5やCore i7の下位モデルである。オンラインゲームには無縁なので、クアッドコアでなくデュアルコアで十分である。
 それよりなにより、中古で求めるとMac miniよりiMacの方が安いのである。ディスプレイが付いている分、高くなりそうに思うのだが。到着が待ち遠しい。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月26日 06:35 | 固定ページリンク




高級ウイスキー  | 一考    

 高値のウイスキーは置かないつもりだったが、リンリスゴウ(セント・マクデラン)、ブローラ、ポート・エレンの3種を置くことにした。81年、82年蒸留の最終バージョンである。リンリスゴウはマキロップ、ブローラはシグナトリー、ポート・エレンはダグラス・マクギボン、3本ともカスクストレングスである。
 セント・マグデランはレア・モルトよりゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルもしくはマキロップ・チョイスの方が好みである。トライすべきミディアムボディ、充実したボディはバランスがよく、シェリー風味のソフトな美酒に仕上がっている。
 ブローラもレア・モルトよりザ・ボトラーズもしくはダンカン・テイラーのものが好きである。レア・モルトは総じてシェリー樽由来のナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さが勝ち、クライヌリッシュと比してドライまた極めてスモーキーな味わいや噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュが稀薄になる。要するに、レア・モルトは旨すぎて小首を傾げたくなる。本品は70年代の鮮烈な煤けた味わいはないもののメロンを思わせる香りがあって、それ自体ひとつの個性として楽しまれる。
 マクギボンのポート・エレンはジョン・ミルロイの手になるセレクション。兄弟会社のダグラス・レインのオロロソシェリー樽はオフィシャルボトルとして販売されたが、マクギボンは61.7度、61.3度、62.2度、55.1度の4樽をそれぞれボトリングしている。ミルロイの撰だけあって絶品。他に特筆しておきたいのは82年蒸溜の20年もの46度のポート・エレンはとりわけスモーキーだった。大半がシェリーカスクだが、81年蒸溜の18年もの43度のみダーク・シェリーだった。誰一人云っていないが、ダグラス・マクギボンのポート・エレンは一本ずつに個性が異なる。値はハーフショットで2500円を予定している。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月26日 05:48 | 固定ページリンク




藤江屋分大  |   一考

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 先日、井筒典久さんが分大の安藤さんと連れだっていらした。久しぶりに羊羹や砂糖の話で盛り上がった。藤江屋分大は1818年創業、爾来、明石の地で和洋菓子の製造・販売を手懸けてきた老舗である。もなか、丁稚羊羹、藤の沢、ざろん梅などで識られる。
 アメリカ独立戦争の遠因になった砂糖だが、わが国では1700年代末に精糖方法が確立され、四国で和三盆が生まれる。和三盆は貴重な特産品として諸国へ売りに出され、全国の和菓子や郷土菓子の発展に大いなる貢献を果たした。
 子供の頃、米粉に水飴や砂糖を混ぜた落雁を「はくせんこ」と称して大事にしたものだが、和三盆だけで型押しした高級な落雁もあった。現在では粗糖を使って和三盆に類似した、和菓子用の加工糖がつくられている。
 砂糖は、製造法によって含蜜糖と分蜜糖とに分けられる。含蜜糖を代表するのが黒砂糖と和三盆、分蜜糖のカテゴリーにはザラメ糖、グラニュー糖、上白糖、三温糖、角砂糖などが這入る。分蜜糖すなわち白砂糖と比してきび糖・黒糖・てんさい糖など精製があまく茶色く色が残った含蜜糖の方が身体に良いのは当然。近頃売られている三温糖は上白糖を着色しただけのものが多く、ほとんど意味をなさない。フランス料理では砂糖大根やビートから採られるてんさい糖が一般的だが、食材のおいしさを引き立て味わいに深みを出すには最適である。とりわけ血糖値が気になる方は是非てんさい糖をお薦めあれ。いい加減に日本人も上白糖から解放されるべきである。

 分大の包装紙は戸田勝久さんの手になるもの、機会があれば一緒に来られるとか、西明石のですぺらでお会いして以来である。開店を祝って泥牛造の盃を頂戴した。白釉の線が面白い景色を生み出している。わたしの宝物である。


投稿者:   一考  日時: 2018年05月26日 04:51 | 固定ページリンク




レガシーマック  | 一考    

 店のmacを自宅で使っている。よってですぺらはレガシーマックである。
 OS 10.4.11でつながっているが、ブラウザが古すぎて具合がよろしくない。ネットには繋がるようになったが、メールの使用は不可能である。ですぺら掲示板は閲覧のみで書き込みができない。フェイスブックはわたしの書き込みしか見られない。ヤフオクは検索はできるが、入札もなにもできないなど、問題山積。とは申せ、新しいmac miniを買う金はない。まずは文章が書かれるようになっただけでも良しととするしかない。
 ちなみに機種は、2005年に発売されたmac miniのマイナーアップデートされたモデルである。HDはATA接続の80GB、メモリは1GB、プロセッサは1.5 GHz PowerPC G4。VRAMが32MBから64MBへ増やされている。もっとも、Intel macでなければなんの役にも立たないのだが。

追記
 http://www.floodgap.com/software/tenfourfox/
 10.4.11で使えるブラウザでもっとも良いのはTenFourFoxである。わたしはcpuに合わせてTenFourFox for G4 processors: 7450を使っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月19日 17:06 | 固定ページリンク




故障  | 一考    

拙宅のMACが故障、修復できるかどうか分かりません。古いG4は動きますが、メールの受信は不可能、ダウンロードも不可能、なにしろOS.9ですから。当分のあいだ、どうにもなりません。悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月16日 02:02 | 固定ページリンク




性と政治について  | 一考    

 アンドレア・リタ・ドウォーキンが亡くなったのは2005年4月。「ポルノグラフィ―女を所有する男達」で「結婚とはレイプを正当化する制度。レイプは本来、婦女を無理矢理連れ去るという意味だが、連れ去って捕虜にすると結婚になる。 結婚とは捕虜である状態の拡大延長。略奪者による使用のみならず所有を意味する」と述べている。
 男性と女性の関係はすべて性関係であり、その性関係はすべて性差別である、との信念に則って、彼女の「強姦一元論」(すべての性行為は強姦である)は展開される。吉澤夏子さんはドウォーキンの信念を「極端にいえば、誰かを女だと見なした瞬間、それはすでに相手に合意のない性関係を強いていることになり、それこそが性差別だ」と著し、「ドウォーキンを読むことの醍醐味は、この鮮やかな世界観の反転を体験・感受するということのうちにある」と結論する。ドウォーキンが引き継いだ「性と政治」の論理はSMの世界や同性愛の世界にもそのまま通じる。彼等、彼女たちはマイノリティであるが故に、日々、否応もなくポリティカルな場に裸で抛り出されている。
 イギリスで客死したシモーヌ・ヴェーユはホメロスの叙事詩を「敵に対する侮蔑の不在」と論じた、否、論じざるを得なかった。それほどまでに、第1次世界大戦以降の争いは汚濁に満ちたものになった。ジュネやギュヨタが、人身売買、売春、奴隷といった戦争と性の関係を執拗に書き綴ったのも、「性と政治」の問題、売春という黒い穴をいまいちど穿ち直そうとしたのでなかったか。
 家庭と娼窟と戦場では強姦と奴隷性が合法的に演じられ行使される。その偽善と暴力を問い、個人のなかに潜む政治性を告発しつづけるピエール・ギュヨタの文学は人間性に対する根元的な侵犯行為そのものではなかったかと思う。人間の身体は人間の欲望によって使用される。謂わば人間の身体は生きた貨幣のようなものなのである。それを諾わなければ、性愛の可能性について思惟することはできない。
 東京でお会いした折、ギュヨタはジルベール・レリーのサドに関するエッセイ並びにベンヤミンの「単なる性」から大きな影響を受けたと仰っていたが、ベンヤミンはクラウスを援用する。「性の交わりと金銭の交換が交錯しているということによって、またその交錯の仕方によってはじめて、売春の性格ができあがるのだ。売春がひとつの自然現象であるとすれば、それは、金銭の交換という経済の自然的側面からも、また性の自然的な側面からも、まったく同様にそうだといえる。「売春を軽蔑するだって?〳娼婦は泥棒よりたちが悪いだって?〳学んでほしい、愛は報酬を受け取るだけではない〳報酬が愛を与えることもあるのだ!」この二義性、二重の自然性となって現れた二重の本姓が、売春をデーモン的なものとする」
 ドウォーキンが「強姦一元論」で定義づけた絶望の果てにやってくる価値観や世界観の顛倒に一縷の望みを託したように、「50万人の兵士の墓」もまた、政治と性の領域を縦横に跳び回る。そして第七章はあまりにも悲しい。言い換えれば、美しい言語を巧みに操るところに文学があるのではなく、「文学とのかかわり方を根底から検証しなおすことを余儀なくさせる」ところにこそ美がある。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月10日 11:38 | 固定ページリンク




モルトについて  | 一考    

 昭和30年代のハイボールと今のハイボールとの違いは炭酸にある。昔の炭酸は出来合いではなく、ドライアイスを砕いて水と共にタンクへ詰める。よって炭酸は強烈、それがバーテンダーの朝一番の為事だった。カウンターには必ず水と炭酸のサーバーが設けられていた。恰度ビールサーバーのように。
 ビールサーバーは戦前からカラン(ドラフトタワー)と呼ばれていたが、ハイボールセンターにビールは置いていなかった。もっとも、日本のビールと称する飲み物は生も瓶も罐も中身は同じである。ウイスキー同様、こちらも麦芽とホップを極端に減らしたビール擬きの飲み物なのである。サントリーにトウモロコシ・米・コーン・スターチ等の副原料を使用せず、麦芽100%で製造された「モルツ」がある。86年のことだが、日本人には本物は受けないらしく、早々に発売は停止された。現在売られているモルツとは若干異なるように思う。
 「若干異なる」点をいまひとつ。サントリーが最初に売り出した白札はピートを焚いていたゆえに、わが国ではまったく売れなかった。NHKのドラマ「マッサン」は夫婦を軸とした人情喜劇であって、ウイスキーに関することは副産物なのでどうでもよいのだが、エリーの故郷スコットランドに似た北の大地で本物のウイスキーを造ろうとして、また石狩平野には良質のピートがあると信じて余市へ渡るとの設定になっている。石狩平野のピートが使い物になるかどうかはさておき、ニッカは創立以来ただの一度もピートを焚いていない、すなわちフロアモルティングは行っていないのである。現在焚いているのは観光客向けであって、それでウイスキーを造っているのかと云えば否としかいいようがない。理想のウイスキー造りに燃えながら、サントリーもニッカも共に日本人向けの3級ウイスキーを製造していたのだからはなしにならない。啓蒙するのでなく迎合することしか頭にない商売人である。

 あまり人口に膾炙していないが、わが国のウイスキーメーカーは原材料のモルトをスコットランドのモルトスターから全量購入している。130ほどあるスコットランドの蒸留所もモルトスターから買っている。アードベッグやラフロイグも自らフロアモルティングをしているが、僅かな量ですべてを賄うにはほど遠い。自社でのモルティングは金銭的に割が合わないのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月05日 17:11 | 固定ページリンク




ジャパニーズウイスキー追記  | 一考    

 「「ジャパニーズウイスキー」の悲しすぎる現実」の文中、「原産地以前に、酒税法の定義自体を疑問視する声もある。同法では、サトウキビの搾りかすなどを原料にした醸造(ブレンド用)アルコールやウオツカなどのスピリッツの混和が9割まで認められている」とあるが、この記述を素直に読めば、まるで1本のなかに1割のウイスキーが這入っているかのようである。角やブラックニッカにスコットランドでいう意味でのウイスキーは這入っていないのでないだろうか。わが国では出来たてのニュースピリッツであっても表記はウイスキーになる。要するに、1割のニュースピリッツと9割の飲用アルコールを混ぜ合わせたものが日本のウイスキーである。「9割は混ぜ物で大丈夫?」と書かれているが、10割でも大丈夫なのである。この消息は千円のウイスキーであれ、2万円のウイスキーであれ対して変わらない。スコットランドのスコッチ・ウイスキー法に照らせば、日本から9.999割のウイスキーは消えてしまう。
 昭和30年代、売春防止法の後にハイボール全盛期があった。福原にも100万ドル、石、大ドルなどというハイボールセンターが開店、この世の春を謳歌した。そして昭和40年代は水割りの全盛期だった。60年を経て今また、ハイボールが流行っているという。いつの世になってもなにかで割らないと飲まれないウイスキーの販売合戦は続いている。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月05日 17:00 | 固定ページリンク




日本、国連人権理事会の投票で同性愛者の死刑を支持  |   一考

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 http://www.ishiyuri.com/entry/2017/10/04/japan-votes-against-UN-resolution-condemning-gay-sex-death-penalty

 先だって「世の中の仕組みを男と女の二項対立で計られると思うこと自体が差別的である」と書いたが、やはりわが国の政府の本音は相撲協会と同じく、このようなところに如実に表れている。念の為に引用しておく。

石壁に百合の花咲く
日本、国連人権理事会の投票で同性愛者の死刑を支持

2017年9月29日、国連人権理事会が、同性愛行為を死刑の対象にすることを非難する決議を実施しました。日本は反対票を投じました。つまり、日本はゲイを死刑にするのは人権侵害じゃないと思っているってこと。
詳細は以下。

 https://www.pinknews.co.uk/2017/10/03/why-did-the-us-vote-against-banning-the-death-penalty-for-gay-people/

ILGAの報告によれば、同性愛行為は現在世界72か国で違法とされており、うち6か国では死刑の対象となっています。9月29日、国連人権理事会は、「背教、冒涜、姦通、合意上の同性関係など、特定の形態の行為に対する制裁」としての「恣意的な、または差別的な」死刑に抗議するための決議をおこないました。この決議で、47の理事国中27か国が賛成票を投じ、13か国が反対、7か国が棄権したとのこと。Independentによれば、抗議に反対した国は以下の通りです。

ボツワナ
ブルンジ
エジプト
エチオピア
バングラデシュ
中国
インド
イラク
日本
カタール
サウジアラビア
アラブ首長国連邦
アメリカ合衆国

日本は同性愛をとがめる宗教が国教だというわけでもないのに、このありさま。米国に追従したいのか、それとも何が何でも死刑は人権侵害じゃないってことにしたいのかは謎だけど、いくら「LGBTブーム」とかなんとか言ったところで本邦の実態はこんなもんよ。


投稿者:   一考  日時: 2018年05月05日 04:40 | 固定ページリンク




連休の間は営業中  | 一考    

 連休の間の営業だが、日曜日以外は営業している、どうかよろしくお願いします。

 ウイスキーに限らず、酒について書くことはいくらでもある。当掲示板で散々書いてきたが、ここは明石、いちからの再スタートである。当地では酒の常識非常識が混在している。例えば、本醸造=アル添=三増酒といった迷信やドイツでは「ビール純粋令」があって大麦、ホップ、水だけで造られるビールが本物であると云った出鱈目な知識が跋扈している。ビール純粋令は下面醗酵ビールに限ってのはなしなのだが、そうしたとんでもない誤解を振り翳しての議論は疲れるのである。従って、2001年に戻って再び酒の基本について書こうかと思う。過去の稿との重複はお許しを請う。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月01日 16:25 | 固定ページリンク




ジャパニーズウイスキー  | 一考    

 https://toyokeizai.net/articles/-/213808

「「ジャパニーズウイスキー」の悲しすぎる現実」との文章が週刊東洋経済へ掲げられた。井筒典久さんから教わったのだが、普段からわたしが扱き下ろしている日本のウイスキー業界の実態が明らかにされている。

 山崎や竹鶴といった“ジャパニーズウイスキー”が国際的な品評会で賞を受けることが多くなったのは事実だが、受賞しているウイスキーは700ミリリットルで17.8万円以上のウイスキーのみ。わたしたちが普段飲むウイスキーはウイスキーにしてウイスキーにあらず。ウイスキーという商品名の飲み物と考えれば良いのである。例えば、山崎というウイスキーが8000円で売られているが、あれはブレンデッドウイスキーであって決してシングルモルトではない。本物の山崎のシングルカスクを飲もうと思えば、18万2千円から43万円の金数が必要になる。同じクラスのスコットランド産シングルカスクだと1万2千円から買える。要するに、わが国のウイスキーは世界一高いのである。
 酒税法上、ブレンド用アルコールやウオツカなどのスピリッツの混和が9割まで認められている。そしてブレンド用アルコールはスコットランドでいうグレンウイスキーではない。かつて悪名を馳せた合成酒はアル添酒、三倍増醸酒とも呼ばれ、清酒なら合成清酒、焼酎なら焼酎甲類という名称で販売されている。原料名に関しては原料用アルコールと命名されており、日本酒なら醸造アルコール、洋酒ならブレンド用アルコールまたはスピリッツ、調味料ならアルコールまたは酒精と改竄表記されている。飲用酒は天然アルコールと合成アルコールが混合されていて、合成清酒と焼酎甲類は5対95、ジャパニーズウイスキーは20対80の割合になっている。
 日本酒の本醸造はアルコールの添加が10パーセント以内と定められているが、ウイスキーの場合は90パーセントまで認められている。しかも残る10パーセントになにが使われているか定かでない。30年前のはなしだが、山崎蒸留所の年間総生産量の約3倍のウイスキーもしくはニュースピリッツ(スコットランドでは3年以内のものはウイスキーとは呼ばない)が樽の状態で輸入されていた。ここ10年は倍々ゲームのごとく増え続けている。
 スコットランドからの輸入原酒だが、日本の蒸留所は例外なく利用している。例えば、自社蒸溜のニュースピリッツ2.3パーセントに外国産ニュースピリッツを7.8パーセント、残る90パーセントはブレンド用アルコールとスピリット。そこへ着色剤としてのカラメルと調味料と香味料が加えられる。わが国では熟成期間が例え1週間であってもウイスキーと呼称される。ウイスキーは蒸留酒である、従ってニュースピリットの段階では無色透明、8年目くらいから毫かに色付いてくる。日本で売られているウイスキーの多くは着色した甲種焼酎のようなものである。着色したと大書したのは、焼酎をシェリー樽などで熟成させて色が付くと焼酎との名称が使えなくなる。逆にウイスキーの場合はいくら着色してもウイスキーなのである。
 酒税法上、ブレンド用アルコールもスピリットもグレンウイスキーのカテゴリーに分類される。要するに、グレンウイスキーと記載があれば、飲用アルコールと解釈しても差し支えない。このようなものがウイスキーと呼称されるのは世界中で日本だけである。繰り返すが、日本のウイスキーは美味い、ただしそれは18万円以上のウイスキーであって、それ以下の商品はことごとくが似而非ウイスキーなのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月29日 20:01 | 固定ページリンク




パイプのアルミフィルター  |   一考

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 パイプのフィルターには3.6.9ミリの3種がある。これ以外の寸法に関しては専用のアルミフィルターが付いているので問題はない。6ミリと9ミリに関してはいろんなメーカーからさまざまな材質のフィルターが、3ミリはペーパーフィルターが販売されている。
 ペーパーフィルターでなにも問題はないのだが、その費用を惜しむ方に朗報。ライターショップエスケイから3ミリと6ミリのアルミフィルターが売られている。値は324円、ネコポスで送られるので送料は250円。

 https://store.shopping.yahoo.co.jp/lightersk/af-0101.html

 それよりも優れていると思われるのがアルミ管である。ヒカリが造っているAP395-3 [アルミパイプ 3×395mm] がそれで、ヨドバシ・ドット・コムで税・送料込みで51円で売っている。ニッパーで僅かに抑えればそこがストッパーになる。長さは極力長くする方がヤニ取りに有効である。同じ3ミリといってもシェイプの煙道の直径はメーカーによって微妙に異なる。そこはアルミゆえ、簡単に削れる。

 https://www.yodobashi.com/product/100000001003782513/


投稿者:   一考  日時: 2018年04月28日 13:48 | 固定ページリンク




サンドブラストのパイプ  |   一考

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 パイプはもともと杢目の美しさを愛でるもの。木目は年輪、杢目は模様、杢目にも中杢、玉杢、笹杢、縮み杢、虎杢、蟹杢といろいろあるようだが、パイプの場合は縦方向に綺麗な柾目が出ているものをストレートグレイン、ストレートグレインの切断面に現れる小さな渦巻き状の木目が出ているものをバーズアイ、揺らぐ炎のような柾目が出ているものをフレームグレイン、円周方向に柾目が出ているものをリンググレイン、ストレートグレインとバーズアイを組み合わせた左右非対称のものをクロスグレイン、模様がねじれたりオバケまたはボウズという木目のない部分があったりするもの、要するに大半のパイプはミックスドグレインと称する。ダンヒルのような数十万円、時に数百万円する超高級品は特に木理が細かく等間隔に詰まっっている。
 ダンヒル社製のパイプは100 のうち2~3個しか穫れない無傷の素材のみを使うと云われる。では他の97個の素材はどこへ行くのかと気になる。前述したオックスフォードのようなセカンドラインのパイプは、モルトウイスキーの樽同様、廃品利用といえなくもない。それでも疵が残る場合はサンドブラストやラスティック仕上げのパイプに化ける。スムースなパイプに杢目の美しさがあるように、サンドブラストのパイプには疵物ゆえの暗さ、世捨て人のような佇まいがある。疵者のわたしにこそ相応しいと云えようか。


投稿者:   一考  日時: 2018年04月28日 03:44 | 固定ページリンク




ムービングリーマーの問題点  |   一考

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 パイプを使うひとにとって、滅多に使わないもののカーボンを削り取るリーマーは必需品である。中古のパイプを愛用するひとにあってはなおのこと欠かせない。安価なものならサビネリ アジャスタブル リーマーもしくはムービングリーマーのどちらかであろう。サビネリはナットを蝶ナットへ取り替えればすむが、ムービングリーマーは頭のカシメがすぐ外れてしまう。それが理由で困っている方は多いと思う。日曜大工の店で「なべ小ねじ(M2×6)」税込み102円を買ってくれば再生できる。寸法は誂えたよう、材質はステンレスなので丈夫である。

追記
 サビネリ アジャスタブル リーマーのネジ(六角穴付ボルト)とナット(蝶ナット、サイズは共にM4)を取り替えた写真を添えるのを忘れていた。左端のネジは最初から付いている木偶坊。


投稿者:   一考  日時: 2018年04月28日 03:21 | 固定ページリンク




油滴天目茶碗と丹波布  |   一考

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 このところ、ヤフオクに素敵な油滴天目茶碗が出品されている。安価なものはそれなりにだが、3万円を超える商品のなかには驚嘆させられるものがある。名前は伏せるが、備前の名のある陶工の息子が父親のコレクションを掻っ払っては小遣いにしていた。事情を承知で引き取る古物商がいたのである。納得ずくでそれらのほぼ盗品と思しい陶磁をわたしは購入していた。その中に数点の天目茶碗が這入っていて、大切にしていたのだが、阪神淡路大震災でなくしてしまった。それゆえ、再度買おうとは思わない。しかし、ヤフオクを観ていると清水千代市さんのところにいらした佐藤さんと備前の窯元を訪ね歩いたのを思い出す。備前に限らない、平織りの丹波布に綾文様の技法を取り入れた福永世紀子さんをはじめ、さまざまな民芸品の紹介に与り、それらは書物の装丁に生かされている。良い時期に出会えたものである。
 わたしの好みは柿釉である。今では岐阜県土岐、滋賀県大津などで結構な作品が多く造られているが、わたしは京都の鎌田幸二さんが好みである。それはさておき、写真下段は丹波布、三橋敏雄さんの限定版の表紙に用いた。上段の油滴天目茶碗は美事である。


投稿者:   一考  日時: 2018年04月26日 01:16 | 固定ページリンク




オックスフォードとアッシュトレイ  |   一考

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 パイプ用灰皿がパイプに付いてきた。それを見ていて拙宅の民芸調灰皿を改造したくなった。改造といっても、ストラスアイラの栓を両面テープで貼り付けただけだが。写真下はおまけの灰皿、上は伝統工芸・飛騨春慶の盆に収められた越中瀬戸焼き。見た目はまるで有田焼だが、良い味が出ている。笠間の焼き物にも同様の品がある。
 一緒に写っているのはオックスフォードのビリヤードタイプである。オックスフォードのパイプは昔マルマンが扱っていた。マルマンはクラウンと共に、ガスライターのメーカーで、昭和37年からTBSでマルマン深夜劇場をスポンサード、昭和39年からは洋画専門チャンネルとして連日深夜放送していた。その番組の主題歌は以下のごとし。

 https://www.youtube.com/watch?v=1iM-YBWKqv8&pbjreload=10

 ヤフオクで「アンティーク パイプ 小道具やコスプレにも」とのタイトルで銘柄の記載のないパイプが20円で売られていて購入。磨くのに時間がかかったが、昔、持っていたパイプとほぼ同じオックスフォードのものである。往時マルマンが輸入していたのはサビネリ(イタリア)、ピーターソン(アイルランド)、オックスフォード(イタリア)、ダンモア(デンマーク)、ジョンテ(フランス)の五社。その中で最も安価な初心者向けがオックスフォードで、パイプに嵌まったひとが必ず手にするひとつである。GBDのセカンドラインだが、オックスフォードのビリヤードはダンヒルやBBBなどよりも使いやすく、シンプルで質実剛健、かつ美味いパイプとして定評がある。わたしはフレーバーの効いたコルツの葉を用いているが、ロンソンのパイプだと苦みが出ることがある。

追記
 コルツ・チェリーが廃止になる。アメリカン・ミックスチュアとゴールド・デラックスの販売は続くらしいが、残念である。


投稿者:   一考  日時: 2018年04月25日 15:31 | 固定ページリンク




チビキ  | 一考    

 ラ・ムーでチビキが3尾276円で売られていた。アオチビキは究極の美味と云われる白身だが、ラ・ムーのそれはチビキと云ってもハチビキである。関東では赤鯖と称して評価が低いが、淡泊な中にも甘みがあって身離れがよく、実に旨い赤身である。ラ・ムーで売っている魚は刺身では食べられないが、煮付けか塩焼きもしくは3枚に下ろしてソテーでも美味しくいただける。
 前項で紹介したタモリ(瀬戸鯛)や角飛(かくとび)同様、下世話な魚だが、旨いものは旨いとしか云いようがない。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月25日 04:30 | 固定ページリンク




差別と伝統  | 一考    

 このところ相撲において女性を土俵に上げるか否かでもめている。神道の権化のようなファッショな親方が平の年寄りになって少しはましになるかと思いきや、今度は伝統の権化が現れた。能であれ、歌舞伎であれ、宝塚であれ、伝統などという文言を持ち出すべきは部外者の評論家であって、当の本人または関係者が言い出した日には権威主義にしかならない。
 柔道、剣道、空手道、相撲道など、道を誇示するところがそもそもいかがわしい。身体の鍛練なら理解できるが、心の鍛錬とはなんなのか、説明できるものなら中身についてお訊きしたいものである。「心身を鍛錬し人間形成を目指す」などという抽象的にして出鱈目かつ能転気な心構えで若者の純朴な精神を穢していくのはただちに止めていただきたいと思っている。

 伝統とは現在ある者が過去を忖度し推し量って拵えるところの謂であって、過去に存在したものではない。見てきたような嘘をつきとは正にこのことであろう。生活に即したものこそ伝統というに相応しく、乖離したところに伝統は存在しない。天照大御神という女神を最高神に頂くわが国は元々女系家族であって、時にアメノウズメのように明るく自由で大胆に行動し、大らかにものごとを育む優しさや包容力を大切にしてきた。男尊女卑なる概念は明治からこちらの国家主義によって生み出されたものである。それよりなにより、世の中の仕組みを男と女の二項対立で計られると思うこと自体が差別的である。

 武士道の思想的な核心について西部邁はかく述べている。

「自死」を生における企投(きとう)のプログラムに組み込まないなら、生そのものがニヒリズムの温床となる。そのことは山本常朝の『葉隠』においてすでに指摘されていた。武士道の思想的な核心は、自死を生の展望のなかに包摂(ほうせつ)することによってニヒリズムの根を絶とうとするところにある。「人間的条件の限界内にとどまることを敵視する(神学的な)形而上学から脱け出し、人間的な“より善く”の探究を(宗教的な)至高善の名において誹謗(ひぼう)するあの不幸な意識を一掃し、死そのものをではなく死ぬことを定められたすべてのものを虚無だと言い捨てるニヒリズムの遺恨の根を枯(か)らすこと」(モーリス・パンゲ)、それが自死の選択である。——西部邁 『虚無の構造』 中公文庫、129頁。

 もっとも、彼のいう自死が他人を捲き込まなければ完遂できないものであるなら、わたしはいっそニヒリズムを意企したまま朽ち果てたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月25日 04:24 | 固定ページリンク




耳鼻科の検査  | 一考    

 病院生活が長かったので、消毒液と小便の入り混じった臭いには慣れている。ところが耳鼻科はまるで異なる。排泄物の臭いの代わりに、カラメルを焼いたような臭いがする。同じ病院で科が変われば臭いまでも変わることに気づかされた。耳鼻科の隣は精神科と神経科、この一角は不思議な香りに包まれている。まるで駄菓子屋の雰囲気である。
 聴音検査のあと、少々重い金属製の目隠し(写真機)をして暗闇の一点を眺める。そのままの姿勢で首を仰け反らせて、右へ左へと視線を泳がせる。三半規管に異常があれば、瞳孔が定まらない筈である、わたしの三半規管は正常である。
 恰度、一箇月前、ひどい目眩に襲われた。三日間つづき、20数度引っ繰り返った。あるときは前へ、あるときは後方へお構いなしに打っ倒れる。怪我こそなかったが、店は開店以来、はじめて休んでしまった。泌尿器科の主治医に云わせると、再発は必至、耳鼻科と脳の毛細血管の検査はした方が良いとのこと。院内紹介の場合、複数の科に罹ろうが費用は変わらず400円、それよりなにより他の外来患者を差し置いて、優先的に診てもらえる。ちなみに、薬も院内処方にしてもらっている。従って、そちらの費用も込みでの400円である。わたしが服用する免疫抑制剤は月に38万円である。透析治療よりは安いが、既に3000万円を超えている。臓器移植手術のときは国保非対応の薬が多かったので、1000万円ほど自腹をきった。医師が見かねて違法を承知の混合診療で対応してくださったのである。

 耳鼻科の医師曰く、あなたの指摘通り、左側はやや難聴、とつおいつするところですが、まだ補聴器はいらないでしょう。ただ、音楽はなにを聴いてもモノラルになりますが。難聴も目眩も老いから来るものです。特に天候不順と目眩は密接な関わりがあります。睡眠は十分にとってください、と。それと大事なことですが、老いてからの検査の有効期間は半年、わたしにしても、今日の身体検査で異常がなくても明日心筋梗塞で死ぬやもしれず、くれぐれも注意してください。特にMRIとMRAは安全ですから頻繁に撮ってください、とのありがたいお言葉を後に泌尿器科へ戻った。次回の診察は5週間後。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月12日 17:21 | 固定ページリンク




明石旬菜よもぎ  | 一考    

 Bar眞のマスター眞野公一さん来店。明石の割烹について話し込む。二箇月前から予約で一杯だが、西明石にコースで3500円の割烹があって頗る美味と聞き及んだ。屋号は「旬菜よもぎ」、彼の味覚をわたしは信頼している。予約が必要な店へ病人のわたしは行かれないが、そのような店があると聞くだけで嬉しくなる。昔からある地の店舗でなく、外部から新しい血が這入ってくるのは愉快である。
 前項で紹介した五半と同じく、メニューはなく、店主お任せのコースのみ。食べ物屋が置く酒類には概していかがかと思うものが多いのだが、よもぎには磯自慢の生貯蔵が用意されているそうな、大いに評価したい。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月05日 02:02 | 固定ページリンク




自転車操業の破綻  | 一考    

 ヤフオクのシステムが変わった。支払いがかんたん決済のみとなり、落札者が受領の手続きを済ませた3日後に出品者に振り込まれる。受領連絡がなされない場合は14日後に振り込まれる。ここで困るのは、過去3000件を越える出品をしたのだが、受け取り連絡があったのは1800件、その内、非常に良いとの評価が来たのは1456件(944人)だけである。わたしのような自転車操業の身には辛い。出品した商品はことごとく売れているのだが、半数近くは14日経たないと入金されなくなる。要するに、予定が立たないのである。
 ヤフオクには評価を毛嫌いする向きがいらして、それはそれで良いのだが、発送した商品を受け取ったとの返事ぐらいは欲しいものである。先月はウイスキーを5本とサイクルパーツを11点出品した。内13人から受け取り連絡があった。確率は高くなったのだが。

追記
 ヤフオクで知り合った友人でかんたん決済を拒否している方がいる。銀行振り込みと違って入金に時間がかかるからである。彼はメルカリなどへ引っ越すに違いない。かんたん決済の振込有効期間は1週間だが、約2割の方はぎりぎりになってから振り込んでくる。わたしの出品はウイスキーが多いので落札者の半数は中国人である。不慣れな日本語は別にして、中国人の取引は手早く几帳面である。システムを無視し、振り込みを遅らせるような不埒な輩は必ず日本人である。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月03日 14:53 | 固定ページリンク




フェイスブック  | 一考    

 「フェイスブックでわたしの投稿を190人がシェアなさった」と書いたが、その後も増え続けている。それよりも、シェアなさったひとりから連絡があって、そちらでは6000のシェアがあったと。どういう方が存じ上げないが、ロンドンにお住まいの日本人で、友達を3500人お持ちである。SNSの輪の拡がりの一端を垣間見た。もっとも、わたしにとってはどうでも良いことなのだが。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月03日 13:35 | 固定ページリンク




割烹・小料理屋、五半  | 一考    

 横浜からのお越し、ありがとうございました。お陰さまで先月は関東からのお客が10名を越えました。これだけでは文章にならないので、東京からの客が良く行かれる店をふたつ紹介する。
 ひとつはイタリア料理のトラットリア ピッツェリア チーロ、略してチーロ。予約が取りづらいので有名である。予約が必要な店をもう一店。伊藤道直さんが営む割烹・小料理屋、五半である。共にコストパフォーマンスの良い店である。
 赤坂ではかさねと親しくさせていただいたが、明石で愕いたのは寿司屋や割烹の値の高さである。東京と明石ではまず魚の値が違うし、家賃が異なる。にもかかわらず、銀座や赤坂の割烹と明石のそれとが同じような値付けなのは理解できない。明石にはタケノコメバルやタモリ(セトダイ)のような安価で美味な磯魚がいくらでもある。ところが安価な魚を置けば店の格が下がると思っているらしく、クエ、シロアマダイ、マハタ、ホシガレイ、キジハタ、鮭児、マナガツオ、オコゼといった高級魚ばかりをそろえてぼったくっている。別に高級魚ではないが、昨今はやりの金目、のどぐろ、トロもここへ入れておこうか。下田の友人が下田の寿司屋はどこもかしこも金目とキンキばかりになって磯魚を置かなくなったと嘆いていたが、同様の現象が明石でも起こっている。まるで明石の料理人は調法を忘れたかのようである。東京では鯖や秋刀魚のような下世話な魚を使い、コストを下げている。ミシュランを獲るのは素材でなく料理法である。
 五半を紹介する理由は4200円のおまかせ料理のみという点にある。コースの〆には鯛飯が用意されているが、これがまた頗る美味。先頃、伊藤さんと話したのだが、目板すらこのところ扱っていないとのこと。コースで4000円を続けようと思えば、日々それこそ素材との格闘が必要になる。彼のようなひとをこそ、料理人と呼びたい。

 五半 明石市大明石1-8-8 電話078-918-6002

追記
 チーロや五半を教わったのは、明石で知り得た友、井筒典久さんからである。彼については稿を改めたい。


投稿者: 一考      日時: 2018年04月03日 13:31 | 固定ページリンク




本日は駄弁にお付き合い頂きありがとうございました  | 塚原 一彦    

お渡しした名刺が古いものでした、メールアドレスは現在使えません。取り急ぎご連絡まで


投稿者: 塚原 一彦      日時: 2018年03月23日 23:15 | 固定ページリンク




自撮り  |   一考

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生まれてはじめての自撮り。ごく僅かに残っていた黒毛がなくなって完全な白髪になった。自分で自分を撮る趣味はないのでこれでお仕舞い。


投稿者:   一考  日時: 2018年03月19日 12:58 | 固定ページリンク




自転車操業  | 一考    

 確定申告で追われてい、今月の家賃が払えない。毎度のことながら、恥ずかしい限りである。今からヤフオクへ出品しても、2日の差で間に合わない。はてさて、どうしようか。


投稿者: 一考      日時: 2018年03月19日 12:12 | 固定ページリンク




ひとと集団  | 一考    

 フェイスブックでわたしの投稿を190人がシェアなさったとか。どうなっているのであろうか、悪戯であってほしいと願っている。シェアされたのは2016年6月に安倍晋三を揶揄したものだが、それなら常に揶揄している。個人として当たり前のことをしているに過ぎない。
 安倍を支持している日本国民に非があるのであって、とりたてて安倍ひとりが悪いわけではない。日本人は集団であることを是とし、選民をもって尊しとする、実に下らない民族集団である。安倍が失脚すればそれに変わるファシストが即座に現れる。民主主義の仮面を被った好戦的な排他主義者がいないと日本国民は安心できないのである。ごくたまに、鳩山のような個を大事にする政治家が現れるが、日本人はそれを宇宙人として退ける。日本人のそうした生き方は維新以来一貫して続いている。いまだに司馬遼太郎が読み継がれているのはその間の消息を雄弁に語っている。ツイッターが右でフェイスブックが左がかっているらしいが、右も左も同様に集団になりたがる。集団になるとひとは常に判断を誤る、ホロコーストの謎に挑んだ心理実験がそれを示唆している。

 http://bunshun.jp/articles/-/2679


投稿者: 一考      日時: 2018年03月19日 12:01 | 固定ページリンク




ファルコンとロンソン  |   一考

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 最近、システムパイプを用いている、ファルコンやロンソンの類いである。パイプ党に云わせれば邪道だろうが、わたしにはこうでなければならないと云った固定観念はなにもない。単に掃除が便利だからというのが理由である。紙巻きタバコが世界を席巻したのは、喫んだあとなにもしなくて良いからである。パイプには面倒な手入れが待っている。
 
 ファルコンやロンソンのパイプはボウルの部分が外れるようになっている。ボウルの下にはドライリングスと呼ばれる、モールのようなもの(モールを切って丸めれば代用品になる)を装着する。これがジュース(ニコチン、タール)を吸い取ってくれる。シャンク部分はアルミ製で放熱効果があり、クールスモーキングに適している。なお、ファルコンのシャンクとマウスピース部分は分解できない。
 ロンソン、ニューロンソン、ファルコンのボウルには互換性がない。下部のネジのピッチが微妙に異なるからである。シャンクの構造はロンソンが優れているが、ボウルの下部はファルコンの方が持ちがよい。ロンソンには燃えて穴が大きくなる危険性がある。もっとも、システムパイプのボウル自体を消耗品と思えば良いわけだが。

 他にドクタープラム・ピースメーカーというパイプがあって ファルコンと同じようにボウル部分が脱着できるタイプの機能性パイプである。中に入れるフィルターはかつてのロンソンと同じようなタイプで互換性がある。ただし、ロンソン同様、販売は終了している。
 システムパイプには、他にもカーステン、ピーターソン、スーパー・テンポ社のThe Pipeなどがあるが、わたしは所持していないので、詳細は分からない。そして購入するつもりもない。

追記
 写真は左ふたつがファルコン、ボウルを外しているのがロンソン、右のふたつがニューロンソン、左のボウルがファルコン用、右が旧ロンソン用である。基本的に1000円だがなかには2600円で購入したものもある。

追記2
 international filter pipeと称するファルコンの最新型はシャンクとマウスピースが分解可能、かつファルコンのボウルはすべての型式に共通している。


投稿者:   一考  日時: 2018年03月14日 02:06 | 固定ページリンク




税務申告  | 一考    

 税務申告へ行く。混雑を予想したが窓口は閑散としている、手続きは5分ほどで済んだ。不明な点はひとつ、障害者に特別と普通があって、わたしがどちらのカテゴリーに属するのかが分からない。細川のママに訊いたのだが、ママも知らないと云う。いっそ松竹梅の方が通りがよろしかろうにと大笑い。役所の担当者によると1種1級は文句なしの特別とか、年金の証明書にその旨の記載がないが、今後記載しましょうかと問われ、お願いしますと応える。年金事務所で五月蠅く聞かれ、障害者手帳のコピーまで撮ったのはなんだったのだろう。


投稿者: 一考      日時: 2018年03月14日 01:42 | 固定ページリンク




コルツ・チェリー  | 一考    

 ダンヒルのパイプ葉がなくなるようである。アメリカでは年内にメンソールが廃止されそうだし、イギリスではバニラやチョコレートなどのフレーバーが禁止されそうである。パイプ党には世知辛くなってくる。去年、パイプ葉は2種類増えたのだが、今年はごそっと減りそうである。ちなみに、ダンヒルのパイプとタバコ葉は異なる会社である。タバコ葉の方は引き取り手がなく、消え去る運命にあるが、パイプの製造は続けられる。
 ウエットな葉が好みなので、わたしはコルツ(colts)を愛用している。チェリー、ゴールド・デラックス、アメリカン・ミックスチェアの3種があって、甘いものから順に並べている。コルツのパイプ葉はウエットだが、タバコ葉(シャグ用)は結構乾燥している。パイプ葉で湿気たものを探しているが、いまだお目にかからない。


投稿者: 一考      日時: 2018年03月13日 15:43 | 固定ページリンク




耳の検査  | 一考    

 目眩のひどいときは目もおかしい。耳、鼻、目はつながっているので当たり前だが、運転免許の更新時だと困る。深視力が受かるはずがないからである。
 7日の血液検査は順調だった。コレストロールの4項目は問題なし、γ-GTPは50、HbA1cは5.9、尿酸値は5.4でまったく正常である。酒が飲まれなくなってから菓子や医師が絶対に口にしないアイスクリームをしげく食べるようになった。それゆえ、糖尿を気にしている。ただし、目眩は必ず、再発すると医師から脅された。耳から生じる目眩と脳から生じるめまいがあって、とりあえず4月は耳の検査からはじめるそうな。せっかく2箇月ごとに減っていた検査なのだが、来月からは元に戻りそうである。
 耳の検査は戸田中央で経験済みだが、聴力検査で右の耳に異常有り、足踏み検査(目を閉じて30秒間足踏)では左前方へ1メートルも動いてしまう。ロンベルク検査は直立して目を閉じ、からだの動揺を計るのだが、とてもじゃないが真っ直ぐ立っていられない。要するに、ろくでもない結果が出るのは分かっている。脳のMRIとMRAは前回検査からすでに10年ほど経っている。わたしの見立てでは老人性目眩(平衡感覚の衰え)であって引き金は薬の副作用と思っている。はてさて、どのような結果が出るのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2018年03月13日 03:19 | 固定ページリンク




「もう1人」の方  | 一考    

 2日続けて泉宣道さん来店、岸本さんと娘さんそれともう1人の男性との4人連れだった。泉さんからは信州蜂蜜本舗の日本みつばちの蜂蜜を頂戴した。「もう1人」と書いたのは、渡海さんの秘書から枝野さんの秘書になった方で、現在枝野さんの政策秘書をなさっている。この方には30代の頃、大変お世話になった。ところで、検索するとこの方が右翼の権化のように書かれている。すなわち、秘書を介して枝野は安倍とつるんでいる、と。鈴木邦男さんや西部邁さんのような例もある、渡海さんの秘書だったから、もしくは出身母体が清和会との理由だけで右翼と決めつけるのはいかがなものか。少なくとも、わたしのような虚無主義者が40年間も仲良く付き合っているのである。ひとは複雑なものである、額面通りの右翼であろう筈がない。迷惑がかかるといけないので、お名前は伏せる。
 30歳の頃、淡路島で交通事故にあった。交通事故とは云っても、自転車で走っていて落石注意の看板の鉄製の枠に激突したのである。看板本体は朽ち果て枠だけが残されていたのである。父親が現場の写真を撮ってきて、これは国道の管理ミスであるという。創文社の岡田さんの紹介で「もう1人」の方とお会いした。往時、保険会社を営んでいらした。彼のしかるべき筋への一報で、係官2名が拙宅へ来られ、わたしは200万円を手中にした。ちなみに、国道とは云え、維持管理は県が行っている。
 事故を聞きつけた湯川さんがわたしも交通事故に遇わないかなあと、しきりに仰っていたが、わたしは粉砕骨折で2度の手術、病院で唸っていたのである。

追記
 お名前を表記しないのは逆に失礼に当たるかと思ったので記載する。「もう1人」の方とは神吉雅之さんである。(かんき)とお読みする。武器輸出反対ネットワークのメンバーであって、断じて日本会議や神道政治連盟に味方するようなひとではない。


投稿者: 一考      日時: 2018年03月10日 01:51 | 固定ページリンク




目眩いのつづき  | 一考    

 土曜日は何度引っ繰り返ったか分からない。もっとも、部屋の中はオークション用の段ボールが山のように置かれている。どちらに転んでも壊れるのはボール箱、よって怪我はない。
 平熱は36.3度から36.5度、この間、37.0度だったので微熱はあった。しかし、微熱と血圧は目眩いに関係なさそうである。ネット検索の結果、理由は首ないし肩にあると想定、昔、頂戴した足のマッサージ器を持ち出して首を揉む。それと1度高めの風呂。入浴中、左の腕がどんどん伸びてゆく、浴槽を覗くと湯船自体が急速に後退している。拙宅の追い焚き風呂は強制循環式、フィルターのついた穴がひとつのタイプである。その穴が左側へ流れるように動いている。前後左右の距離感、要するに深視力が目茶苦茶である。あまりのひどさに、われながら呆れかえる。
 日曜日の夕方から顛倒することはなくなった。どうやら首へのマッサージが功を奏したようである。本日から営業再開、それにしても月末の金土に店を休んでしまった。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月26日 15:25 | 固定ページリンク




耳の目眩い  | 一考    

 昨夜11時頃から目眩いがひどい。これでオートバイに乗られるのかしらと心配になった。血圧は145-80、116-63、134-74とまったく安定しない。帰宅後、右足のブーツが脱がれずもどかしい。あちらの壁、こちらの壁にぶつかりながらなんとか寝床へ潜り込む。暖房はつけっぱなし、明日になればなんとかなるだろうと信じる。

 夜が明けて目眩いはひどくなる一方、まるで三半規管が壊れてしまったようである。家の中で三度引っ繰りかえってしまった。間違いなくなにかがおかしいのだが、因果関係がまったく分からない。ぎりぎりまで様子をみるが、営業はできそうにない。

追記
 耳の目眩いが治らない。さきほど服を着ようとして立ち上がったところそのまま倒れ込む、トイレへ行こうとして壁に手をついたまま仰向けに引っ繰りかえる、営業開始以来、はじめての休日である。耳の目眩いに安静はよくないらしいが、とは申せ、安静以外にすることもなし。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月23日 15:42 | 固定ページリンク




Gマイナー  | 一考    

 増田さんと細川で唄ったのだが、唄いたい曲名をなにひとつ思い出せずに困った。実は二葉あき子の巴里の夜を思い出そうとしていたのである。二十歳前後の頃、浪速書林の梶原さんと会えば必ず飲み屋へ出掛けていた。そのうちの一軒が曽根崎新地にあったピアノバーだった。夫婦で営んでい、亭主がピアニストでママがシャンソン歌手、かつてレコードも出されていると聞いたが、なにひとつ思い出せない。レコードのタイトルはおろか、屋号すら記憶から消えてしまっている。
 谷沢永一さんもお連れしたと梶原さんが云っていたが、随分と洒落た店だった。随所にステンドグラスが埋め込まれ、磨かれたグランドピアノ、ロングドレスが似合いのママだった。そのママの唄を聞くのが楽しみで、用事もないのに浪速書林へ足繁く通った。
 ある日、ママの唄にあわせて口ずさんでいたところ、あなたも唄えばと薦められた。わたしには音が取られませんと云ったのだが、マスターがコードを上げたり下げたりしているうちに、なんとか唄えるようになった。巴里の夜はGマイナーなら唄えますよ、とママ。爾来、二葉あき子の唄の中でも巴里の夜は特別のものになった。
 素晴らしい店だったのだが、経営はままならず、梶原さんに金を無心するようなこともあったらしい。ほどなくして、新地からピアノバーは消えた。

 巴里の夜(昭和24年)二葉あき子

 水と情けは 流れてゆれて
 末はどこかで 消えるものなの
 ボンソワ ムッシュウ
 も一度あのひとに 逢えるなんて
 オウボア ムッシュウ
 夢のような お話ねえ

 旅の画家(えかき)の パイプのけむり
 風がないのに ゆれているのは
 ボンソワ ムッシュウ
 あきらめられなくって あいたくて
 オウボア ムッシュウ
 やるせない ためいきね

 パリーの夜も 今夜はこれで
 遠いあかりも 静かに消えた
 ボンソワ ムッシュウ
 ひとりで帰りましょう 河岸を
 オウボア ムッシュウ
 夜明け星 おやすみね


投稿者: 一考      日時: 2018年02月23日 15:26 | 固定ページリンク




猫まんま  |   一考

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 このところ良い魚と出合わないので、刺身盛り合わせを買っている。一昨日はしまあじ3切れ、鯛、サーモン、ボタンエビ2匹、イカ、マグロ2切れで390円。今日は鯛5切れ、マグロ3切れ、甘エビ7匹で369円。極力サーモンは避けているが、最近はサーモンを盛らないと売れないようである。サーモンを食わされるならまだマグロの方がましである。

 発端はウニ丼だが、先日、来住さんと丼物と猫まんまは同じでないかとのはなしになった。来住さんに云わせるとウニ丼などもってのほかで別々に食すべき、と。東日本では飯に鰹節、西日本では味噌汁をかけた飯を猫まんまと称するらしい。犬猫共に、腎機能がひとと比べて頗る低く、鰹節であれ味噌汁であれ極度の塩分過多となる。さらにネギやタマネギは赤血球内のカリウムが血液中に流出し高カリウム血症をもたらし死に至る。
 犬猫における貧血はともかく、松屋では牛丼を牛めしという。これは犬飯を連想させてよろしくない。ねこまんまは戦国時代の昔からあるが、庶民が飢餓をしのぐ食料の中心的存在であった。間違いなく、紳士淑女の食べ物ではなく、貧民の餌とみるべきである。昔、永瀬さんから天丼や牛丼なんぞ人間の食べるものではないと叱られたのを思い出す。とはいえ、わたしは海鮮丼には目がない、磯魚は地域で異なる、それを安直に知るには海鮮丼が最適なのである。しかし、それとて刺身盛り合わせと飯を別々に頼めばよろしいのである。かつて料理人は主食におかずを乗せることを忌避したという、要するに握り寿司すら料理ではなかったのである。


投稿者:   一考  日時: 2018年02月21日 23:18 | 固定ページリンク




ジェラシー  | 一考    

 出版社から飲み屋へといろんな仕事をしていたので、行く先々で税務申告をしてきた。してきたといっても、わたしがしていたわけではない。常に同居する連れ添いにお願いしてきたのである。従って、わたしには税務というものがまったく分かっていない、もっとも儲かっていないのだから分かるも分からないもないのだが。しかし、今回はそういうわけにも行かない。年末の源泉徴収すら申告していないのである。半額だが年金も頂戴している。申告しないわけにはいかない。
 青色申告か白色申告かそこからして分からない、もっか相談する連れ添いがいないのである。女房がいながら連れ添いがいないとは不思議なはなしだが、そうなっているのだから仕方がない。われながら妙なシステムを構築してしまったものである。もっとも、わたしのような半病人を抱え込むような酔狂な女性はいないだろう。それもこれもわたしの遊び、身勝手がもたらした結果である。病気を発症してやっと遊びは収束したものの、否、終息やもしれず。

 はなしは変わるが、先日妙齢の女性が来店、「下世話なはなしですが、嫉妬についてお訊きしたい」と。わたしはてっきり男のはなしだと思ってはなしを進めたが、女性が自らの嫉妬に悩んでいるようである。通常男は一回でも肉体関係を持つとまるで自分の持ち物のように女性を扱う。嫉妬と所有が表裏一体となっての暴力的事件は枚挙にいとまがない。しかし、考えてみればその逆だってありうる。「まさき」の阿部定事件も類似する猟奇事件が繰り返されている。
 阿部定はさておき、タンゴでいう哀愁と情熱は愛とジェラシーに置き換えてなんの問題があろうか。愛あっての嫉妬であり、嫉妬あっての慈しみである。嫉妬はよろずの苗床であって思い切って身を任せればよいのである。生きるに際し、格好よいとか悪いとかはおよそ意味をなさない。老いて分かったのだが、セックスは押しつけがましい属性のひとつであって、交接抜きで愛し合うことも可能である。
 自信家は別にして、ひとは煩悶し、憂えるところからなにかを生む。おそらくひとがもっとも大切にしなければならないものはジェラシーでないだろうか。いつも書いていることなのだが、これで受け答えになったであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月21日 21:33 | 固定ページリンク




電圧計  | 一考    

 オートバイに電圧計と温度計とUSB端子がセットになったものを付けた。現行のバイクには無用の長物だが、旧車に電圧計は必需品である。開放型のバッテリーは自己放電が激しく、精製水の補充といったメンテナンスが欠かせない。それゆえ、電圧計が必要なのである。バッテリーを短命化させるが、急速充電が可能との利点もある。
 最近MFバッテリーでありながら、電圧計に電流計、さらに水温計や油温計、油圧計、ブースト計(バキューム計)まで付けている四輪をよく見る。ならば、地震予知計や放射能計もつければよろしいのに。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月21日 21:09 | 固定ページリンク




増田秀光さん来店  |   一考

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 となりの細川スナックで駄弁ってい、店へ戻ると奥のストーブの前に増田秀光さん、明石は寒いとのご挨拶。北海道、東北、北陸、それに沖縄を除くと、北から南まで気温は似たようなもの、なにはともあれウイスキーをと、20本ほどある美酒のなかから選択する。
 こちらのですぺらでは文学のはなしは法度だが、相手が増田さんだとその限りにあらず。例によって赤坂のつづきである。いろんな編集者と付き合いがあったが、彼はわたしに肉声を書かせた張本人、言い換えれば、わたしに対する重犯罪人である。彼に出合うまで、知識の切り売りに終始していたわたしを彼は糾弾したのである。彼がいてこそ、はじめてわたしは肉声を語ることができた。そういう希有な出会いは確かにある。馬が合うというのか、合わせていただいたというべきなのか。10枚ほどでよいとの意見を無視してながながと郁乎本の解説を書かせていただいた。編集者すなわち黒子との立場を離れて、毒舌を認めたのである。
 某詩人が結婚し、一週間もしないうちに神戸へ舞い戻り、夜な夜な寝床へ男が来る、そのようなことが許されるのでしょうか、との一言に、彼女は間違いなく一級の詩人になると固く信じたこと、生田がばらまいた怪文書の数々、谷さんや六三さんとのこと、谷沢さんや米朝、種さんとの晤語、智満子さんおよびその友人のおっぱいのはなし、往時の鎌倉文士の相関図など、はなしは途切れることなく続けられた。彼は彼で、小夜子さんと名刺交換をし握手もしたと、嬉しそうに話していた。挙げ句は細川で歌を唄おうとママを連れて閉店した店を開けさせる始末。唄うのは十余年ぶり、よって声は出ないしリズムも音程もとられない。でも彼と大声を張り上げるのはなにものにも代えがたい快感だった。
 深夜の3時、増田さんは宿へ、わたしはバイクで帰宅、明石は大丈夫だったが、家の近辺では細雪がちらついていた。彼が泊まった明石キャッスルホテルは曰く付きの部屋とやら、どこのホテルにも物置に使っている部屋がある。それを曰く付きと称するのだが、きっと心中があったに違いないとママと二人して冷やかす。次回は幽霊の足が何本あったのか尋ねたいと思っている。

 キャッスルホテルは西明石にもあって詰まらないホテルだが、ホテルキャッスルプラザは永瀬さんが利用していたステキなホテルである。彼女と一緒に泊まりたかったのだが。増田さんともはなしたのだが、老いてこそ智満子さんや広政の夢をよく見る。

追記
 写真は吉岡さんと大泉さん、撮影は鈴木一民さん。吉岡さん行きつけの渋谷・道玄坂の喫茶店トップの前で。


投稿者:   一考  日時: 2018年02月20日 03:21 | 固定ページリンク




タンゴその他  | 長谷川    

ブナハーブン8年(へビリーピーテッド)、リパ・デッレ・マンドルレともに届きましたが、秩父(ウイスキー祭)へ遠征していたこともあり今週末は飲まれず、すこし先の抜栓となりそうです。前者はお店でいただきましたが、後者については改めて感想をお伝えします。G&Mのブナハーブン8年、シェリーホグスヘッドのもう1本は以前に注文しましたが、クリーミーな甘みながら輪郭がぼやけた感は否めなかったので、過日いただいたピーテッドボトルの香味には驚きました。

Ruben Lopez Furstは他ならぬこの掲示板で、一考さんから教わったピアニストです。
http://www.despera.com/bbs2/2013/05/post_1677.html
「南米の」と称されるとおりBill Evansに通ずる響きがありますが、彼独自の歌心とリリシズムを聴き取ってしまうとやみつきになりますね。今や大好きなレコードです。

一方「アルゼンチン絡み」のタンゴ曲集にも吃驚しました。と言うのも私は大のタンゴファンで、5年ほど前からギターでタンゴを弾くべく先生について勉強しているからです。貼られたリンクは踊りをフィーチャーしたものでしたが、タンゲーラやエルチョクロなど古典の名曲を堪能しました。
僭越ながら私からも、鍾愛のタンゴ歌手Julieta Ghibaudo(フリエータ・ヒバウド)の映像リンクを貼らせていただきます。
https://www.youtube.com/watch?v=H5rCnlPi81A
ギャビー・モレノについて一考さんも書かれていますが、女声で唄われる気っ風のよさと独特のコケットリーはタンゴ・カンシオン(歌のタンゴ)に特有の魅力と感じています。

Minaはまさにミーナ・マッツィーニのことです。ただこれは私の勘ちがいで、一考さんが何度か掲示板に認めておられるのはオーラ(ジリオラ・チンクエッティ)でしたね。
なぜか彼女の唄うロシア民謡『悲しき天使(Quelli Erano I Giorni)』が懐かしく思い出されます(この曲はダリダも唄っていた気がしますが...)。
https://www.youtube.com/watch?v=Wl23UftFUxo


投稿者: 長谷川      日時: 2018年02月19日 00:29 | 固定ページリンク




ブナハーブン・ヘビリーピーテッド  | 一考    

 ブナハーブンにはトチェックとのヘビリーピートタイプがありますが、わたしはGMの方が旨いと思います。本ボトルにはなにも記載されていないのですが、1997年蒸留、2005年ボトリングの8年ものリフィルシェリーバットだと思います。なぜなら、同じ2005年にシグナトリーからボトリングされているのですが、香味がまったく同じでした。かくまで似たウイスキーが存在するのだろうかと訝しく思っています。
 まったく同じボトルがGMからもう一本頒されていますが、ヘビリーピーテッドと記載された方にしてください。

 わたしはビル・エヴァンスが好きなので、当然ルーベン・ロペス・フルストも好きです。しかしあなたからフルストのはなしが出るとは不思議でした。わたしはジャズのはなしは滅多なことでしないのです。Jazz En La Universidad は良いですね。
 アルゼンチン絡みですが、このところタンゴばかり聴いています。RoxanneやSanta Maria、Assassin's、Asi Se Baila El Tangoといったアルゼンチンタンゴの脚芸に魅せられたのです。

 https://www.youtube.com/watch?v=64HLXWjbJxE&pbjreload=10

 https://www.youtube.com/watch?v=hXOlG20bO9A&pbjreload=10

 https://www.youtube.com/watch?v=ic4PQ-tnwJw&pbjreload=10

 https://www.youtube.com/watch?v=vr8HcHbzAmE

 4曲目は重複していますが、わたしが好きな踊り子がちらっと出てきますので。
 あまりにも知られた曲ですが、ギャビーモレノの声にも魅せられました。唸るような声があの身体でよく出るなあと思います。

 https://www.youtube.com/watch?v=lQawVOeVOoE&list=RDlQawVOeVOoE&pbjreload=10

こちらはオマケ。

 https://www.youtube.com/watch?v=9Pes54J8PVw&pbjreload=10

 Minaってミーナ・マッツィーニのことですか。あの時代のイタリア映画フランス映画はくまなく観ています。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月13日 03:23 | 固定ページリンク




ワインの輸送  | 一考    

 久しぶりですね。あなたほど詳しくはないのですが、わたしも暫く運送屋で働いていたものですから分かっています。周さんは普通の倉庫と書かれていますが、北関東ならびに東北の方の某大手運送会社(東京への集積所)では野積みでブルーシートを被せていました。夏場などブルーシートの下は80度から90度になります。そのような沸騰したワインを業務店で適温に冷やしたからといって、旨いといいながら飲む無神経さが分かりません。
 一ツ木通り時代にはワインの運送会社は2社しかなく、その内の1社の女社長が常連客だったのです。彼女からはいろいろ伺いました。今度旨いワインが這入るが、インポーターはどこ、販売される酒屋はどことどこといった具合です。わが国に這入るすべてのワインを掌握なさっていました。大半は銀座の百貨店ですが、酒屋では田中屋が這入っていたのはいうまでもありません。呆れかえったのは東京でベスト3に這入る有名ワインショップ2店が上述の某大手運送会社を使っていたことです。
 もうひとつ云っておきたいのは、知られた酒屋はセラーや冷蔵庫をずらっと並べながら、夜は電源を落とします。どことは申しませんが、余計に電気代がかかることすらご存じないようで、二重三重に呆れかえりました。ワインに限らず、酒は常温で飲むものであって、決して冷したり氷を入れたりするものではないのです。もっとも香味が生きるのは常温だと確く信じています。

 ですぺらのマグナムボトルは2種あってひとつはサンジョヴェーゼ、いまひとつはサンジョヴェーゼにメルローとカベルネを少量加えたものです。ミディアムですが、ボジョレーヌヴォーのガメよりよほど旨いと思います。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月13日 02:20 | 固定ページリンク




輸送の温度管理  | 周    

ご無沙汰しています。

ワイン輸送に本格的な温度管理が整備されたのはここ3年ほどのことだと思います。それまでは船に積んで放りっぱなしという風に、某大手運送会社から聞いております。例え温度管理のきく航空便できても、国内では普通の倉庫で保管されていて、とても品質管理と言えるような状況ではありませんでした。一考さんのご指摘の通り、いまでもまともにワインを扱える輸送会社は少数です。運送費を削りたがる輸入元が圧倒的に多いのも理由だと思います。3年くらい前から資格をもった担当者のつくワイン輸送を売りにする会社が出始めて、人気となっているそうです。

それにしても、ですぺらで飲んだマグナムボトルの赤ワインはうまかった。僕には酒の味は分かりませんが、いまでも僕が飲みたい赤ワインの手本はあのマグナムボトルです。


投稿者: 周      日時: 2018年02月11日 23:49 | 固定ページリンク




Re: ワイン遍歴  | 長谷川    

先だってお邪魔したあの夜、なぜ葡萄酒(Ripa delle Mandorle)の話になったのか今となっては判然としないのですが、私の知らない一ツ木通り時代のですぺらについて窺い知ることになった一方で、実を言えば思いがけない符合に驚いてもいました。なぜなら私もワインからモルトへいつしか転向した者であり、ちょうど一考さんが『葡萄酒お気に入り』を書かれた1995年頃は、寝ても覚めても伊太利亜の葡萄酒をはじめ映画や音楽に夢中になっていたからです。なかでもトスカーナはキアンティを筆頭に、サンジョヴェーゼ種のブルネッロ・ディ・モンタルチーノやヴィノ・ノービレ・モンテプルチアーノそれぞれに思い入れがあります。その頃ですぺらデビューを果たしていれば、良くも悪くも大変なことになったような気がしています。最近でこそプーリア州のプリミティーヴォやネグロアマーロ、アルゼンチンはメンドーサのマルベックなどいろいろ飲むようになりましたが、いまだに仏蘭西のワインについては(一考さんが感心しないと仰るウイスキーの熟成樽以外)全くと言ってよいほど知りません。

そんな私ですから、聞き覚えのない「ヴィッキオマッジョ」が魔法の呪文のように聞こえたこともお分かりいただけるでしょうか。多少割高でも、ご紹介いただいたファミリーワインで仕入れて是非飲んでみたいと考えております。白ワインに至っては門外漢なのですが、一考さんが旨いと仰るアルバリーニョ・コンデス・デ・アルバレイは飲んでみないと気が済みません。カーンモアのグレンキース´90に始まり、先晩のSMSラフロイグに至るまで、一考さんが「美味い」と称するものは悉くそのとおりであることを身をもって学んでいるからです。
それこそ本の話ではありませんが、次から次へと越えなければならない山が現れることの幸福があります。つい先週、神戸から帰る車中では「来月はブナハーブン8年(ピーテッド)とラフロイグのアンカンモアを買おう」などと胸算用していたのに、いまや図らずもワイン貧乏に陥りそうな勢いですが、それが今の私の「生き甲斐」なのですから仕方がないと笑っております。

ところでワイナリー和泉屋とは板橋1丁目にある店でしょうか?5年ほど前まで私も板橋は仲宿に住んでいたので、デイリーワインの仕入れで度々お世話になっていました。ちょうど種村季弘さんが通っておられた府立九高(現:都立北園高校)から中山道を隔てた向かいにあり、晩年の種村さんがその和泉屋(大正11年創業)の輸入したワインをですぺらで飲まれていたとすれば、これまた合縁奇縁と申しましょうか、何とも不思議な思いを禁じ得ません。


投稿者: 長谷川      日時: 2018年02月11日 19:11 | 固定ページリンク




ヘルズ・エンジェルス  |   一考

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 http://karapaia.com/archives/52252188.html

 ヘルズ・エンジェルスに関する記事だが、これはバイク乗りにしか興味は湧かない。ただし、このサイトにはルネサンス期のジョバンニ・フォンタナや歴史から忘れ去られた10人の女性錬金術師、石柱の彫刻から1万3,000年前に彗星が衝突し、ミニ氷河期を到来させたことなど、面白い記事が満載である。

 今日、走行中にバイクの前照灯がいきなり切れた。ハイビームでライトを無理矢理下へ向けて毎日自動車へ。ことなきを得たが、一瞬愕かされた。素人ゆえ35ワットより65ワットが明るいものだと思っていたが、照度に関係ないことが判った。それよりもバッテリーの持ちを重視しなければならない。LED電球は焦点が合うかどうかが分からない、結局ハロゲン電球に落ちついた。LEDはおろか、ハロゲンすらない時代のオートバイである。


投稿者:   一考  日時: 2018年02月10日 03:29 | 固定ページリンク




ワイン遍歴  | 一考    

 前項で書いたサッシカイアからカズッチャに至る高級ワインは10代20代の頃は飲みました。三十路を出てからは無名の新進のワインしか飲んでいません。価値の定まったものに興味はないからです。天邪鬼といいますか、既存の価値観、体制には徹底的に叛旗を翻します。これはウイスキーでも同じです。
 アルザス、ボジョレー、ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ、コルシカ、ジュラ&サヴォワ、ラングドック・ルシヨン、プロヴァンス、南西地区、ロワール渓谷、ローヌ渓谷がフランスの12大ワイン産地です。そして、もっとも有名なブルゴーニュのアペラシオンだけでも恰度100あります。プルミエ・クリュやグラン・クリュでなくとも優れたクリマでは畑名の名乗れるものもありますが、わたしはさらに無名の地区のワインを探訪します。ワイナリー(醸造所)の数はウイスキー(蒸留所)の比ではなく、エチケットによる格付け以外にも美味しくて、素晴らしいワインが数多く存在します。例えばボルドーのシャトー・ソシアンド・マレやシャトー・グロリアなどのように。他人による過去の格付けなんぞ、なんの意味がございましょう。況んや年間わが国に這入ってくるたかだか3000種類ほどのワインを飲んで、ワインを識っているとか、ワインが分かっているなど、笑止の沙汰です。
 アルゼンチンであろうと、南アであろうと、レバノンであろうと、まったく無名の新人が精魂傾けて造ったワインには五大シャトーを凌ぐ気迫が感じられます。リパ・デッレ・マンドルレもサンティアゴ・ルイスも最初のヴィンテージが日本へ這入ってきたとき、わたしは感涙にむせびました。わたしは95年からこっちワインを飲んでいません。それほどの衝撃だったのです、あの二点は。

 ですぺら掲示板/ですぺら紹介/酒はまだある/葡萄酒お気に入り・・・となるのですが、あの稿は1995年に著したものです。わたしのワイン遍歴のすべてを書きました。知っているものは知っている、知らないものは知らないと正確に記述しています。リパ・デッレ・マンドルレとサンティアゴ・ルイスには自信がありました。それにスカラ・デイを加えて各10ケースをですぺらのベースにしたのです。そして評価はなにひとつございませんでした。美味いとの一言すらなかったのです。わたしは東京に失望しました、ワインのために失望しなければならなかったのです。それが一ツ木通りですぺらの現実でした。
 葡萄酒お気に入りで書いたアルバリーニョ・コンデス・デ・アルバレイ2015年は現在1650円で売られています。91年にフランス最大の国際ワインコンクール「チャレンジ・インターナショナル・デュ・ヴァン(Challenge International Du Vin)」において、スペインの白ワインとして初めて金賞を受賞しました。そのヴィンテージと比較して美味いかどうかをわたしは知りません。しかし、ですぺらに置いていた91年ものは間違いなく美味かったのです。こちらも評価はまったくなかったのです。無名のワインを評価するだけの鼻と舌を持ち合わせたひとが東京には皆無だったと思いたくないのです。気が向けばお飲みいただけないでしょうか。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月10日 02:55 | 固定ページリンク




マンドルレについて  | 一考    

 ちょっと調べたところでは、2013年にオープンしたファミリーワインというショッピングサイトが結構なワインを多く扱っているようです。
 ご指摘のマンドルレはこちらのカタログに這入っていますが、如何せん値(3300円)が高いです。

 https://www.family-wine.com/wines/detail/503

 この値ならヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ(3180円)が買えますね。

 https://belluna-gourmet.com/wine/01/012201/d/NE205/7780909/goods_detail/

 酒を買うなら目白の田中屋が一番ですが、あそこは通販は手掛けていないのです。そこでウイスキーなら武川蒸留酒販売、ワインならワイナリー和泉屋がお薦めです。武川は10,000円以上送料無料、和泉は16,200円以上送料無料です。
 マンドルレはわたしが知っているだけでも4度ラベルの絵が変わっています。わたしが飲んでいたのはもちろん最初のヴィンテージです。この消息はリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスも同じで、いま検索するとスペイン王室御用達となっているではありませんか。さぞかし香味は落ちたのではないかと危惧しております。
 名の知られたワインを飲む気はまったくなく、新進気鋭のワインしか飲みません。なぜなら新しいワインは制作者が全力投球で造っています。ワインは通常瓶塾ですが、マンドルレは2年の樽塾を行っていました。瓶詰めした段階で既に美味いものをとの心意気だったのです。言わばワイナリーのハウスワインだったのです。常に最高のコンディションでワイナリーの客を歓待するのがハウスワインです。ただし、人気が出るとネゴシアンが値をつり上げていきます。そして悲しいことですが、香味は落ちていきます。
 先項で飲みやすさと云いましたが、元々トスカーナのワインはサンジョヴェーゼだったのです。そこへボルドーのラフィットから持ち帰ったカベルネ・ソーヴィニヨンを植樹し、サンジョヴェーゼと混ぜ合わせたところからスーパータスカンと呼ばれるようになりました。一ツ木通りの時代、田中屋に事情を説明しサンジョヴェーゼのデカボトルを宴会用に仕入れていた理由がお分かりいただけたでしょうか。
 一ツ木店で置いていたワインは大半が神戸で仕入れたものです。赤坂界隈でも仕入れましたが、それらはとても飲まれたものでなく、客も怒っていました。ワイン専門の運送会社の女社長が店の常連客だったのですが、彼女に東京のワインはどうして不味いのかと訊いたことがございます。答えは予想通りで、運送途次の管理にあると分かりました。利益を上げるために、安い運送屋に依頼する、そいうところは温度管理をしないのです。彼女の弁によると和泉以外に信頼できるところはないと、ですぺらは和泉のワインがメインなので飲みに来ているとのことでした。客はワインを提供するときの温度管理にうるさいばかりで、ワインそのものの味が分かる方はまったくいらっしゃいません。ウイスキー同様、ラベルで飲まれるようですね。もっとも、いまでは冷蔵コンテナが発達したので、優れたインポーターが出てきていると思います。例えば、ウイスキーのスリーリバーズなどがそれに該当します。あなたが買われたノックドゥーもスリーリバーズの扱い分です。酒を買うときは値段でなく、どこのインポーターかがすこぶる重要になります。
 ノックドゥーは13箇月ファーストフィルバーボンフィニッシュとなっていますが、間違いなくバレル樽です、カスタードクリームの味がします。それとデュワー・ラトレー社は何回もの吸収、買収を経てモリソン・ファミリーになったのですが、同社が初めてオリジナルのラベルで発売したカスクコレクションです。美味いのは当たり前ですね。 どうもありがとうございました。

追記
 わたしはイタリアワインの専門家ではなく、トスカーナにはブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ、ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ(白)、キャンティ、わたしの好きなカルミニャーノなどがあります。そしてキャンティだけでも千とも二千とも云われます。とてもじゃないですが、シングルモルトのようにすべて飲みましたとは云えないのです。わたしが飲んだキャンティはせいぜい100種ほどです。でも折角のマンドルレですから、もう一言。
 リパ・ デッレ・マンドルレの上級品がリパ・ デッレ・モーレです。同じヴィッキオマッジョからキャンティ・クラッシコ・リゼルヴァ・アゴスティノ・ペトリも出ています。キャンティ・クラッシコのなかではベスト10に這入る逸品。サッシカイア、モンテッス、カステッロ・ディ・モンサント、バディア・ア・コルティブオーノ、バローネ・リカーゾリ、カステッロ・ディ・アマ、フォントディ、イゾレ・エ・オレーナ、カズッチャの次ぐらいに美味いワインです。ぜひ、お試しあれ。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月09日 01:54 | 固定ページリンク




とりとめもなく  | 長谷川    

過日お薦めいただいた諸国銘酒のうち、カプツィーナヴァイツェンは近所の酒屋で調達できそうですが、リパデッレマンドルレは今のところまだ見つかりません。どこかにありましたらご教示いただけますでしょうか。

爾来ウイスキーと詩の親近性について思いを巡らせていますが、ここ十数年は何かから目を背けるように詩を書くことから遠ざかっておりました。一考さんの至言「自己とは永遠につづく事故の謂いにほかならない」に照らせば、単純に自己=事故を記録する欲望や意志が薄弱だったのでしょう。
不思議なものでこのたび明石鍛冶屋町を訪い、宵闇に浮かぶですぺらの灯を見たときに覚えた感興は、あるいは詩心に近いものであったかもしれません。果たして「それ」をどのように蒸溜〜純化したものか、まずはウイスキーの合間に鉛筆をなめるところからはじめて(!)、次は拙くとも一篇の詩を携えて暖簾をくぐりたいものです。

そういえば去る晩、クリスコナーが唄う'Try a little tenderness'に合わせてハミングされていた一考さんを思い出し、Ruben Lopez FurstやMinaなど音楽にまつわるお話も伺いたかったなぁと今頃ぼんやり考えています。これもまた次回の愉しみとさせていただきます。

「とりとめもなく」 追記 »


投稿者: 長谷川      日時: 2018年02月08日 13:20 | 固定ページリンク




楽天とヤフーとの違い  | 一考    

 2月1日、ヤフーカードの利用明細にハンゲーム20000円というのがあった。早速電話をし、心当たりがないと告げたところ、折り返し連絡があって明細から削るわけにはいかないが、銀行から引き落とさないと云っていただいた。他にも、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのチケット代34000円ほどの請求があるが、こちらも関係ないのではと訊かれ、もちろん関係ないと応えた。
 いつぞや、楽天カードで酷い目(以前掲示板で触れた)にあったので、半分諦めていたが、ワイジェイカードの担当者の対応は愕くほど懇切丁寧なものだった。カードはすでに使えなくなっており、10日後には新しいカードが送付されるとか。またヤフーおよびYahoo!ウォレットのパスワードの変更を依頼され、即刻応じたのはいうまでもない。
 何度かわたしの携帯へ電話をしたのだがと担当者から云われた。確かにこの20日ばかり用がないので携帯は充電もせずに捨て置かれていた。見るとやまのように連絡が這入っている。申し訳なく思う。それにしても、楽天とヤフーとのこの違いはなんなのだろうかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月08日 02:41 | 固定ページリンク




救急搬送された透析患者  | 一考    

 記録的な大雪となった福井県で、人工透析に向かう途中で巻き込まれた70代女性が7日午後、体調不良を訴え、救急搬送された、との記事があった。救護したのは自衛隊らしいが、良いはなしである。福島原発事故の折は断水と停電によって多くの透析患者が亡くなった。1度透析治療を抜くと失神する、2度だと苦しみもがき、3度で死にいたる。要するに1週間の命なのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月08日 02:38 | 固定ページリンク




冷え込み  | 一考    

 昨夜、隣町の姫路はマイナス5.7度、温暖な瀬戸内にしてはとんでもない気温である。先項で書いたごとく、ゴアテックスの上着を着ているにもかかわらず、風を受ける胸が冷たくどうにもならない。今夜はマイナス0.4度、幾分やわらぐようである。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月07日 17:30 | 固定ページリンク




リパ・デッレ・マンドルレ・トスカーノ・ロッソ  |   一考

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 当掲示板では(Ripa delle Mandorle)をリパ・デッレ・モンドーレと表記してきたが、最近はリパ・デッレ・マンドルレと表記するようである。チネリとチネッリ、タロットとタロー、ヨガとヨーガのごこく、このような表記はどうでも良いとおもっているが、マンドルレにしなければ検索できないのであれば改名するに如くはない。頭のRipaにしてもイタリア語読みならリーパになるはずなのだが。
 イタリアトスカーナの赤ワイン、生産者はカステッロ・ヴィッキオマッジョ(Castello Vicchiomaggio)。サンジョヴェーゼ75%、カベルネ・ソーヴィニョン25%の所謂スーパータスカンである。スーパータスカンとはその名の通り、トスカーナを超えるの意、代表するワインにサッシカイア(当掲示板ではサシカイア)、オルネライア、ソライアがある。一ツ木通りのですぺらで8000円で売っていたサッシカイアの現在の仕入れ値は15000円、オルネッライアは21600円にもなっている。
 ヴィッキオマッジョのワインにはリーパ デッレ・モーレやキャンティ・クラッシコ・リゼルヴァ・アゴスティノ・ペトリなどがある。モーレのようなフルボディではないが、リパ・デッレ・マンドルレの飲みやすさがわたしは好きである。2009年06月12日の当掲示板を引用する。

「リパ・デッレ・モンドーレはもともと池袋の和泉が扱っていた。そこへ某酒屋(インポーターでもある)が割り込んだのである。某酒屋は量販店で、大量だが、同商品はスポット扱いだった。要するに和泉より安いがその値で後は続かない。
 昔、ブレンデッド・ウィスキーには正規品と並行輸入品とがあった。並行輸入品は混載で送られてくるスポット商品で、宣伝費が掛からないぶん安くなる。モルト・ウィスキーもそうだが、ワインも多品種少量生産のものが多い、その商品をいかに育てて行くかは個々のインポーターの手腕に掛かっている。
 わたしが云いたいのは後々扱わないのであれば、量販店には手を出してもらいたくないと云うことである。リパ・デッレ・モンドーレは値崩れを起こし、和泉は取扱いをやめた。そして某酒屋の在庫がなくなったとき、リパ・デッレ・モンドーレは飲まれなくなってしまった。
 同じ量販店のビッグがウィリアム・フェーブルのラ・ミッション・シャルドネを扱っている。こちらは既に四年になるが、コンスタントに在庫している。こちらのインポーターは稲葉、去年、脱税で挙げられたインポーターである。
 それはさておき、ボディントンは毎年のごとく輸入元が変わる。そして値も一定しない。おそらく、最初に扱った重松貿易がもっとも安く、今はとんでもない高値で売られている。引用したオロサル地区のサンティアゴ・ルイスが最初日本へ入った時のヴィンテージ95年ものは1,880円だった」

 10数年ぶりにリパ・デッレ・マンドルレを飲んでみたいと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2018年02月07日 03:34 | 固定ページリンク




浅草ブランデーケーキ  | 一考    

 毎日自動車川口さんがいらして話し込む。そのなかで生き甲斐はとの一言があった。余分(ノイズ)な人間に生き甲斐などあろうはずもないのだが、川口さんが相手なら少しは真面目に受け答えしなければなるまい。
 素晴らしい詩歌に出合ったとき、旨いウイスキーに出あったときなどは嬉しい。読めば良いというものではなく、飲めば良いというものでもない。きっとそれがこだわりなのだろうなと思う。気にしなくてもいいようなことにまで好みを主張するのをこだわりという。それ故、こだわりという言葉は好きでない。しかし、こだわりといった方が通りがよろしければこだわりであっても一向にかまわない。
 再読したくなる詩人は明治以降10人もいれば十分だし、年間2、3千本輸入されているウイスキーのうち旨いものは3、4本である。それらにうまく逢着できるかどうかは偶然である。よって、生き甲斐とは必然性の欠如を意味する。
 金沢のおでん屋で赤玉というのがあるが、丸い練り天のなかにウズラの玉子が這入っている。それを見つけたときの嬉しさは筆舌につくしがたい。仕合せとはそのようなものであり、その仕合わせを生き甲斐といったところで不具合はない。長谷川さんの土産はもう一品あってSHIMIZUのブランデーケーキである。甘みを抑えカラメルの利いた頗る美味いケーキだったが、無添加にもフランス産のXOブランデーにも興味はない。ただ、岩手県一関市で日本ではじめて育成された菓子専用小麦「ゆきはるか」には興味をそそられた。
 日本の小麦粉はグルテンの量によって薄力粉、中力粉、強力粉、全粒粉と分類されているが、フランスのファリーヌ・ド・ブリは灰分量によって実に細かく分類されている。日本の小麦粉は概してタンパク質含量が多くかつグルテンが強いのでもちもちした食パンには適しているが、パン作りのために使用される小麦粉(強力粉)のほとんどは外国産である。例えば、フランスのそれはたんぱく質の量が少なく、グルテンを必要としないフランスパンに向いている。はなしが脱線したが、日本の小麦粉は大半が中力粉である。ゆきはるかのようなグルテンを落とした薄力粉が生れたのは慶賀である。そして、長谷川さんとの出会いがわたしにゆきはるかを齎した。これは出会いで有り、悦びであると同時に生き甲斐でもある。

追記
 もちもちしたパンにわたしは閉口している。もっとぱさついたフランスパンが食べたい。わが国の小麦粉は旨すぎるのである。グルテンを落としながら官能評価点が高い小麦粉が開発された。本品は製菓適性に優れた小麦粉だが、今後さまざまな小麦粉が育成されることを願う。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月07日 02:18 | 固定ページリンク




長谷川大輔さんとノックドゥー(ノックデュー)  | 一考    

 赤坂のですぺらのお客だった長谷川大輔さん来店。わたしは彼のことをなにひとつ知らないのだが、今回の来店でいくらか分かった。いくらかと申したのは元々客のプライベートなことは問い質さない。どこでなにをしていらっしゃろうと、どのような属性をお持ちであろうが、attributeであれpropertyであれ、余計なことに首を突っ込む必要はないと心得ている。ですぺらでのかかわりは酒にはじまり酒に終わる。とは申せ、71歳の誕生日を祝っていただくと素直に嬉しい。そういう歳になったのである。
 彼がわたしが過去著したものをお持ちだったのには驚かされた。過ぎ去ったことに興味はないが、わたしが知らないものが含まれていて微笑ましく思った。このような形でなにかが引き継がれてゆくとするなら、それも本懐なのかもしれない。
 彼は文学に興味があるようである。詩を書かれていたとのことだが、過去形でなく、これからも書いていただきたいと願っている。先般申し上げたとおり、ウイスキーも詩もわたしにとっては同日に語るべき対象である。

 長谷川さんがいらした翌日、西明石時代の客4人を連れて岸本さんが来られた。頻繁にいらしていた客だそうだが、わたしに記憶はない。申し訳ない言い方だが、記憶がなければ記憶を新たに造るような晤語をこれからぜひ望みたい。お付き合いいただいた女性のことすら忘れるような無責任きわまりない「ノイズ」のごとき存在である、なにぶん寛容にお願いしたい。

 モリソン傘下のデュワー・ラトレーのノックドゥー8年、2009年蒸溜、バーボンフィニッシュを土産に持っていらっしゃった。本品の6年ものが同じモリソン傘下のモリソン&マッカイからカーンモア・ストリクトリーリミテッドとして頒されている。前者はカスクストレングス、後者はホグスヘッドの加水タイプ。蒸溜所の個性がはっきりと表れているのは加水タイプだが、美味なのは13箇月ファーストフィルバーボンフィニッシュをかけたカスクストレングスである。フェノール香といってもよいが、天然のバニリン香とその甘さが後味に残る。もっとも、メドウサイド・ブレンディングからボトリングされたザ・モルトマン、ノックドゥー10年、2007年蒸溜はシェリーカスクゆえ、ボディが厚くさらに旨い。いずれにせよ3点共、オフィシャルボトルのアンノックよりは遙かに美味である。長谷川さんに感謝申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月06日 02:03 | 固定ページリンク




一考さん  | 長谷川大輔    

先晩は長々とお邪魔しました。
事前予告からの期待を遥かに上回る幾多の貴重なモルトに、あゝこれは一晩では無理だった、二泊するべきだったと途中で後悔するほど夢のような五時間余でした。

ブレイズ・オブ・グレンリヴェット'75やノックドゥ23年といった懐かしいボトルとの再会はもちろんのこと、赤坂時代に飲んでいなかった蒸溜所元詰のグレンキース10年、シールダイグのラガヴーリン12年も堪能しました。また予告いただいたアイラの逸品なかでも、やはりロンバード樽SMSのラフロイグ '90は頗る美味でした。
 
そして旨いウイスキーを飲みつつ伺った数々のお話、ラフロイグやグレンキースの熟成樽の見分け方から、神戸や明石の昔について、パンや葡萄酒や麦酒に饂飩について、はたまた本の編集や校正について、縦横無尽に面白いお話を伺ったことも得がたい貴重な体験でした。
 
夜食の鮨と苺は翌朝にいただき、ホテルを出て明石城址の天守台に登りました。そのあと昼間のですぺらを再訪し、陽光の下で看板の写真を撮り直しました。明石から神戸に出て、元町~三宮をぶらついていたところ、古書店で一考さん寄稿の雑誌太陽(鏡花・足穂の特集号)を見つけて胸を躍らせました。たまたま通りかかった元町映画館でフィンランド映画『希望のかなた』を観たあと、珈琲の香るトアロードを抜け新神戸まで歩いて帰路に就いた次第です。

もとより「ですぺら詣で」と言った趣の旅でしたが、本当に忘れがたい一夜をありがとうございました。


ところで「酒屋に酒を持ち込む」非礼な振舞いについては改めてお詫びします。どうかお赦しください。「こんなのがありました」程度の思いで他意はなかったのですが、ご自分の舌で旨いと感じた酒を出していらっしゃる一考さんへ、自分が飲んでもいないボトルを贈るなど、勘違いも甚だしい所行だったと今更ながら恥じ入っております。いつでも抜栓・味見いただいて構いませんので、いずれまたお邪魔する口実として、お店の片隅に置いてやっていただけますでしょうか。

末筆ながらノお誕生日おめでとうございます。またお会いできる日まで、どうかお元気でお過ごしください。
次回は赤坂時代に連れ立って飲んでいた友人(現在は名古屋在住)と落ち合って行こうと早くも計画しております。

※このお礼を掲示板に投稿すべきか悩みましたが、判断がつかずメールにてお送りします。

長谷川 大輔

追記(一考)
遠慮なさっているようなので、こちらへ転載致します。彼がお持ちになったノックドゥーに関しては改めて。


投稿者: 長谷川大輔      日時: 2018年02月05日 15:35 | 固定ページリンク




佐川急便の配達  | 一考    

 首都圏の交通機関に大きな混乱をもたらした22日の大雪の日、都心からビールの発送があった。同時に、天候不順に付き荷物が遅れますとのメールを頂戴した。東名高速が閉鎖と聞かされていたので、荷物は遅れるなと覚悟した。ところが次の日の午前中に荷物が届いた。郵便やヤマトの場合は誰が来るか分からない、しかし佐川急便の配達は決まっている。わたしと年格好の似た爺さんと若い女性の二人組が配達にやってくる。宅配便のある日は解錠の上、その旨を書いた紙を貼りだしている。佐川急便の方は勝手に判子を押して帰られる。非常に助かる方式が確立している。もっとも出掛けるとき以外、鍵をかけることは滅多にないが。
 それにしてもと思う。ビールはどの道を経由して届けられたのであろうか。あの日は名神だけでなく、中央道も閉鎖された筈である。下の道を走るなら、13時に出荷された荷物が翌日の11時に着くわけがなかろうに。不思議である。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月04日 02:29 | 固定ページリンク




濃霧と雪  | 一考    

 3月1日帰りしなの濃霧には困惑させられた。明石界隈ではあのような霧は珍しい。小さな明石川の対岸すら見られない。知った道なので大丈夫だったが、道も信号もことごとくが遠い国のように薄らいで見える。どうやら近畿各地に厚い霧が立ちこめたようである。
 最初、単なる霧とおもっていたのだが、それにしてはシールドが真っ白である。シールドを開けて分かったのは小雪が霧のように舞っている。どこまでが霧でどこからが雪なのか判然としない。拙宅の駐車場にはうっすらと雪が積もっている。やはり、雪だったのだと確信する。それにしても、妙な天候だった。


投稿者: 一考      日時: 2018年02月04日 02:23 | 固定ページリンク




QuSomeホワイトクリーム1.9  | 一考    

ロイズがアイラモルト入りの生チョコレートを新発売

 http://whiskymag.jp/roychoisl/

洗練された生チョコレートで大人気の「ロイズ」から、アイラ島産のスモーキーなシングルモルトウイスキー「ポートシャーロット スコティッシュ・バーレイ」を使った驚きの新商品が登場。とろけるチョコレートから溢れ出す、エレガントなピートの余韻を体験しよう。(宣伝をそのまま)


投稿者: 一考      日時: 2018年02月04日 02:21 | 固定ページリンク




特段に美味なアイラモルト  |   一考

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 先日、長谷川さん宛のメールで書いたのだが、ですぺらには実に旨いアイラモルト3点が在庫している。

 アズ・ウィ・ゲット・イット8年 オーク樽の57.3度 イアン・マックロード(中身はラガヴーリン)
 アードベッグ 91年蒸溜02年ボトリング 57.4度の11年もの イアン・マキロップ
 ラフロイグ 90年蒸溜00年ボトリング バーボン樽59.1度の10年もの ロンバードの樽をSMSがボトリング

 以上の3点である。アズ・ウィ・ゲット・イットのボトルはいまなお続けられているが、最初のボトルにとどめを指す。マキロップのアードベッグは翌年にも出ているがどちらも美味。SMS(スコッチ・モルト・セールス)のラフロイグは他に、

 アイラ(ラフロイグ)90年蒸溜 バーボン樽56.1度の12年もの 246本 ロンバードの樽をSMSがボトリング
 ラフロイグ90年蒸溜 バーボン樽57.2度の10年もの マクロードの樽をSMSがボトリング
 ラフロイグ76年蒸溜 50.0度の22年もの ロンバードの樽をSMSがボトリング

 が頒されている。いずれも旨いが76年の22年ものは過去にボトリングされたラフロイグのなかでもっとも旨く、特筆大書すべき逸品である。
 アードベッグに関しては、ゴードン&マックファイルがスピリッツ・オブ・スコットランド名義で出した13種、すなわちジャパン・イン・ポートから、78年蒸留の53.9度、バーボン・バレル207本から、78年蒸留の53.9度、バーボン・バレル207本に至る6種類、他のインポーターから74年蒸留にはじまる7種類の計13種類がボトリング。バーボンとシェリーもしくはリフィールシェリーとの比率はほぼ半々である。そのなかでも、

 アードベッグ93年蒸留03年ボトリング 56.2度 シェリー・バットの694本
 アードベッグ91年蒸留02年ボトリング 52.5度 リフィール・シェリーの295本
 アードベッグ91年蒸留02年ボトリング 52.6度 リフィール・シェリーの318本

 以上の3本が特に美味。他のボトラーでは75年蒸留の25年もの、シェリー・バットの58.0度がジョン・ミルロイからボトリングされてる。SMSからも91年蒸留の10年もの、バーボンカスクの60.1度が頒されている。どちらもオフィシャルボトルでは味わえない傑出したアードベッグである。


投稿者:   一考  日時: 2018年02月01日 17:47 | 固定ページリンク




あったりなかったり再開  | 一考    

 体調がよくなってきたので、寡多録の一部、フードのこれまた一部を再開する。どうかよろしくお願いします。
        
 茹でピー   300円
 チーザ    400円
 鮭とば    500円
 げそ塩焼   500円
 オムライス  600円
 ししゃも   700円
 合鴨燻製   700円
 カマンベール 800円

 鮭とばは2種類の盛り合わせです。ししゃもはカペリンでなく北海道だけに生息する本物のししゃも、日本の固有種です。むかわ町から送ってもらっています。ししゃもの雌は身がいまいちで、雄が高級品です。燻製は燻蒸後、冷凍しますので、解凍にちょっと時間がかかります。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月30日 18:08 | 固定ページリンク




大尽  | 一考    

 通勤路に庭の蛇口が壊れている箇所がある。水道水が流れ出て深夜ともなれば凍り付いている。オートバイにとってスリップは顚倒につながる。レーシングスーツを着ていないと大怪我を負う。その家の主人はきっと金満家に違いない、流れ出る水道料金を気にもかけないのだから。
 拙宅と店ともども室温は10度を切った。店は3基のストーブをフル稼働するも、18度に上げるのに3時間ほどかかる。それまではストーブにへばり付いている。杉本さんと京都で酒を飲んだ日々を思い起こす。暖房で顔は温かいのだが、靴の裏から冷え込んでくる。いわゆる底冷えである。飲んでも飲んでも底冷えが酔いを奪ってゆく。昨日は粉雪舞うなかを走った。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月28日 11:39 | 固定ページリンク




襤褸のゴアテックス  | 一考    

 ストリップショーを観ている方ならよくお分かりだが、ボアとはシャンデルなどの襟巻きの一種と思っていた。ところが、今ではコートの裏や襟、袖口につけた毛足の長い織物を指すようになったらしい。ユニクロのフリースを見ていると、単なる起毛生地をボアと称しているようである。
 寒いので、昔買ったゴアテックスの上着に着替えた。裏地は今いうところのボアで被われ、見るからに暖かそうである。ゴアテックスは二着持っているのだが、こちらは泥だらけで送られてきた。ヤフオクで二千円だっだが、通常衣服は洗濯してから売買に出すのが礼儀である。しかし若い男ゆえ、そのまま送付したのであろう。あまりの汚さに二度洗濯機にかけた。それが災いして雨水を弾かなくなり、タンスの奥で眠っていたのである。
 身丈、袖丈、肩幅はピッタリなのだが、腹の部分がきつい。体調がよくなってきてから少々太ったようである。これ以上体重を増やさないようにして長期寒波を乗り切ろうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月26日 16:21 | 固定ページリンク




上白糖と三温糖  |   一考

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 NHKの情報番組「あさイチ」の砂糖に関する特集で、「国内で販売されている白い砂糖は上白糖、茶色の砂糖は三温糖と呼ばれている。白い方は漂白しているため、茶色の方が体に良い」との通説が間違いであることを指摘していた。
 「あさイチ」の2018年1月22日の放送によると「天然素材のサトウキビから砂糖の基となる原料糖を取り出し、それを結晶と蜜に分離する。結晶を液状にして濾過したものが白い砂糖になり漂白はしていない。蜜を3回煮詰めて結晶化したものが三温糖で、熱によって色が茶色になる」としている。確かに昭和期にはそのような作り方もあったが、今では上白糖しか作っていない。三温糖は上白糖をカラメル着色したもので、共になにも変わらない。「あさイチ」が指摘するように昔から漂白などしていないが、三温糖に関しては間違っている。
 言い方に困るので、取敢えず本物とでもいっておくが、本物の醤油や味噌は全生産量の2,3%しかない。スーパーやコンビニでは購入できないと思った方が良い。それと同じで、わたしがかつて料理で用いていた三温糖は昭和40年前後に消え去った。それと書いておきたいのはキッコーマン、ヒガシマル、ヤマサ、マルコメの社長や会長は悪名高い国策研究会幹部に名を連ねている。


投稿者:   一考  日時: 2018年01月25日 12:33 | 固定ページリンク




泉宣道さん  | 一考    

 日経の泉宣道さんからレターパック到来。年に数回「魚作」に顔を出しているとやら。明石で魚の旨い三軒のうちの一軒であり、美食家だけによくご存じである。岸本さんの紹介で西明石のですぺらへ来られてからの付き合いである。彼はもっか日経顧問だが、日本経済研究センターのホームページに毎月コラム ChinAsia を執筆なさっておられるとか。その原稿のコピーが送られてきたのである。

 https://www.jcer.or.jp/column/izumi/index964.html
 香港返還20年 「雨傘」と「ひまわり」

 中国の内情を知悉した方である。書かれることは正確無比、わたしにとっては非常に勉強になる。失礼を承知で云わせていただくと、もう少し肉声があってもよいのではと思う。ジャーナリストが中立であるべきなのは重々承知、ただし泉さんは定年された身である。ポリティカルなスタンスをさらに明確になさればより面白かろうにと、元編集者のおじさんが申しております。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月25日 01:59 | 固定ページリンク




マッカラン [1947]  |   一考

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 Macallan 1947 Fine & Rare がヤフオクに出品されている。本国では2万ポンド以上の価格で売られているそうな。売りきりの1円スタート、もっか90万円ほどだが、英国なみに値付けされるのであろうか。 [1947] は今年1月に信濃屋が50万円で売り出したことがある。46度750㎖の旧ボトル(写真)だった。それを思えば30万円でも高いと思うのだが。いずれにせよ、ファーストボトルが62年、08年のRebottled(詰め替え)なので、それほどの価値があるとは思われない。
 本物の47年のボトルをかつて神大の仏文学者小島輝正さんが蔵しておられたと聞く。彼のシングルモルトやワインの貴重なコレクションはどうなったのであろうか。そういえば、ペトリュス・ボレル「シャンパヴェール― 悖徳物語」の翻訳をお願いした金子博さんも実のあるワインのコレクターだった。


投稿者:   一考  日時: 2018年01月25日 01:51 | 固定ページリンク




長期寒波  | 一考    

 寒波は2月21日頃まで続きそうである。今日の深夜は大阪神戸がマイナス1度、明石はマイsiaス2度、姫路はマイナス4度とか、オートバイには辛い日々がつづく。フェイスマスクは鼻と口を掩うものだが、鼻は出して使っている。鼻を掩うと瞬間にシールドが曇ってなにも見えなくなってしまう、このように気温が下がるとなおさらである。風だけでも止めば幾分ましになるのだが。
 このような気温が27日も続くのであれば、それなりの対策をしなければならない。コートを一枚増やそうかと思っている。それと高田の業者から仕入れたオーバーズボンである。でなければ身体が持たないんでは、と危惧する。
 2014年2月、東京都心で積雪27センチだった、当時住んでいた三郷では40センチ近い雪で車が埋ってしまった。周さんが心配して雪掻きに来てくださった。ここぞと云うときには必ず周さんがいらっしゃる。何度も書いているが、去年の11月から身体がやっと動くようになった。それまでは散々周さんの世話になっている。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月25日 01:49 | 固定ページリンク




珍客  | 一考    

 大泉史世さんが電話で東京の積雪は20センチを越えたとか。同じ書肆山田の鈴木一民さんが季村敏夫さんと連れだってですぺらへ、共に10数年ぶり。久しぶりにあることないこと、はなしが弾む。新宿のブラで西部邁さんを偲ぶ会を催されるとか。西部さんは自身のいう「自裁死」を選択なさったのであろう。
 一民さんとは彼が書肆山田を継ぐ前からの付き合いである。大泉さんとは彼女が思潮社にいらしたときからの付き合い。その後、牧神社へ移籍なさっってからは頻繁に酒を酌み交わした。まさかお二人が一緒になろうとは思わなかった。しかし、わが国の詩のためには最良の組み合わせであり、最善の出版社の誕生だった。
 季村さんは川田絢音さんの実家のすぐ南側に住んでいらっしゃる、神戸出身でわたしが敬愛措く能わざる詩人である。資源や食料そして土地そのものを共同管理すれば諍いは起こらない、それらを占有しようとして戦争ははじまる。ひととひととの争いがもたらす不条理を糾弾し、個であることに拘りつづける希有な詩人である。みなさん気の置けない友なのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月23日 03:14 | 固定ページリンク




ホタテ素干しとアードベッグ  | 一考    

 中村漁業部の中村さんにとば茶漬けの食し方を示唆したところ、礼にホタテ素干し200gが送られてきた。そのようなつもりでなかったので恐縮している。煮干しには淡い味付けがなされている、まるでリンゴかナラの燻蒸香のようである。細川のママと頂戴したが、大層美味。ママも感嘆なさっていた。干物に関して間違いなく中村さんは達人である。
 ホタテを肴に新旧のアードベッグ10年を飲む。現行のそれと20年前のボトルである。まず、愕いたのは香りがまるで異なる。旧ボトルに顕著なシェリー香が新しいボトルにはまるでない。よく云えば甘みがなくなってスッキリ飲みやすくなったのだが、有り体に云うと深みがなくなって不味くなった。これほど違うとは思っていなかった。仕入れ先の武川蒸留酒販売の売値は4150円だが、旧ボトルには2万円の価値がある。それほど異なるのである。ラベルがまったく同じなので、並べて飲まないと識別できないが。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月20日 02:32 | 固定ページリンク




ニッカ レアオールド  |   一考

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 ヤフオクの高額落札品TOP100にわたしの出品したウイスキーやワインが5点載っている。赤坂で1万五千円で売れなかった白ワインが30万と28万円で売れた。それはともかく、とんでもないものが出品されている。
 余市のニッカ、ウィスキー博物館に収蔵されている物と同じ時代のもので、ニッカ第一号ウィスキーである。上はヤフオクに現在100万円で出品されている。液面は減っているが未開封。下は以前落札されたもので、50万1090円で落とされた。飲みかけで少量残っている。シングルモルトならともかく、ニッカごときがと思う。
 とんでもない序でに、去年ポートエレンの再開が発表されたが、ヤフオクがそのポートエレンで溢れている。一時は20万円を超えていたが、現在は6.7万円で買えるようになった。飲むのでなく、投資で買っているひとがいかに多いかである。それにしても、ディアジオ社のオフィシャルボトルと称するものだけは買わない方がよい。樽の提供はダグラス・レイン社である。いずれにせよ、詰まらない世の中になった。

追記
 どうしようか迷ったが、書いておく。サントリーの最初のウイスキー白札はピートを焚いている。ところがニッカは創業以来ただの一度もピートを焚いたことがない。ごく最近、観光客向けに焚きだしたようだが、それをウイスキーに用いているわけではない。わたしに云わせればインチキウイスキーなのである。


投稿者:   一考  日時: 2018年01月20日 01:55 | 固定ページリンク




ウイスキー17点出品  | 一考    

 ヤフオクの出品が朝の7時にやっと終わった。解説はすべてオリジナル。書くことがなく、最後はボトラーのダグラスレイン社長との思い出を書いた。総額は45万5千円、前回はことごとく売れたが今回はいかがかしら、半分は売れて欲しいのだが。10分でウオッチが這入った、朝っぱらからご苦労なことである。
 人工透析をはじめてからの9年間、ずっとヤフオクでの物販販売のみで生活してきた。よくぞ売るものがあったと思う。月に20万円として2160万円、それに治療費が1000万円としても3000万円を超える。その間に車を3台乗り換え、オートバイを買っている。ぼちぼち破綻者ならぬ破産人になりそうである。
 先ほどからクォーターカスクを飲んでいる。僅か15ccから30ccなのだが、味わえるようになったのはとても嬉しい。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月18日 07:49 | 固定ページリンク




1.17  | 一考    

 1.17が終わった。震災について語りたくない、嫌な思いしか残らないからである。長田界隈で第三国人が火を付けて回っているとの意見をどれだけ聞かされたか。関東大震災のときから日本人の浅ましいまでのナショナリズムはなにひとつ変わっていない。吐き気を催すのである。日本人はどうしてグローバルなものの考え方ができないのであろうか。
 ただ、嬉しかったのは書肆山田と田村書店から見舞金を頂戴したことである。共に大金だった。そして京都書院の杉本茂行さんは福知山経由で持ちきれないほどのブルーシートを運んでくださった。お蔭でで拙宅の屋根は雨漏りから救われたのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月18日 02:48 | 固定ページリンク




鮭とばの茶漬け  | 一考    

 中村漁業部の中村さんから古くなったとばの食べ方への問い合わせがあって、茶漬けをお薦めした。茶漬けのコツは白湯でなく、白出汁で茶を淹れること、なんなら出汁の素でも結構。茶漬けの素を使う場合でも白出汁は必須。とばを薄くスライスして余分な塩はいらない。古くなった鮭とばの利用にはこれが最高です、と応えた。わたしは皮も食べたいので、皮の面だけを炙る。みなさんもぜひ食べてみてください。わたしがもっとも好きな茶漬けです。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月18日 02:31 | 固定ページリンク




防水  | 一考    

 今週は暖かいのでハーフチャップスやフェイスマスクの出番はない。マスクなしだと、息を吹きかけてもシールドは曇らない、曇る理由は自分のむっとする熅れなのである。早くこれぐらいの気温になってほしいと願う。
 オートバイのスタータースイッチの調子が悪い。バッテリーだと思い、9アンペアで急速充電してもらうも変わらず。リレーもコイルも問題なし、結果、スタータースイッチの接触不良と分かる。89年製のバイクなのでパーツがない、接点を磨いて駄目ならどこのメーカーのものでもよいのでスイッチを付け替えてもらうつもり。キジマの汎用品なら1000円ほどで売っている。
 昨晩は23時から雨、酷くならないうちに帰ろうと早仕舞い。防水と書かれていたジャンパーがまったく雨水を弾かない。昔、3.5万円もしたゴアテックスの上着が高速道路であっけなく雨を透し、下着までびしょ濡れになった。それ以来、防水なるものを信じていないのだが、それにしてもと思う。値は2千円だったが、一応バイク用のジャンパーである。やはりナイロン100%のレインコートでないと役に立たないようである。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月17日 13:29 | 固定ページリンク




割りチョコ  | 一考    

 来住さん来店、一流の料理人とは魚のはなしができる。しかし、何時も魚のはなしばかり書いているので、今日はちょっと違うところを。
 肉しか食べない昨今のアメリカナイズされた食生活こそ諸悪の根源、2型糖尿病の発症リスクを高める。日本人の糖尿病患者と糖尿病予備軍が共に約1千万人と推定されているが、この数値はどこまで延びるのであろうか。大晦日に買い物に出掛けたが、魚売り場はがらがら、肉売り場は黒山の人集りだった。つい最近まで関東の方は豚肉オンリーで牛肉は食されなかった筈なのだが、関西の焼き肉文化が東京まで席捲してしまったようである。
 来住さんと子供のころの駄菓子のはなしをする。乳製品を使わないヨーグルト、ラクトアイスの原型ともいうべきトランス脂肪酸とガムシロップを添加物で固めただけのアイス、カカオや乳脂肪が這入っていない絞り出しのチューブチョコレート。このチョコに関してはいまだに誤解が多い、長時間のローストからくる苦みであって、元々苦いチョコなど存在するわけがない。またチョコの味と信じているのはバニラの香りであってカカオ豆の香りではないなど。
 最近チュアオのようなカカオ豆の香りを楽しむBean to Barが出てきた。もっとも、わたしが旨いと思い、嵌まったのは不二家が昭和35年に発売を開始したシガレットチョコだが。それまでは前述したフジタのチューブチョコレートしかなかった。その昭和35年すなわち1960年にカカオ豆の輸入が自由化され、ついで1971年にはチョコレート製品の輸入が自由化され、さまざまな種類のチョコレートが流通するようになる。それまでのチョコレートといえば、醤油油や植物性油脂の硬化油、カカオマスの代わりに百合球根を用いた代用チョコレートしかなかったのである。
 子供の頃、直径1メートルほどの円盤状のチョコレート(当然、代用チョコレート)を固め、それを金槌で砕いたものがセロハンに包まれて、グラム単位で17円とか32円とかで売られていた。今の新開地湊川駅の真ん前である。大きな飴玉ひとつが50銭の時代、それは駄菓子の極北とでも称すべき逸品で、わたしは拾円札を握りしめて通ったものである。

 往時の駄菓子には今思うに、人口甘味料アスパルテーム、グルタミン酸ナトリウム、着色料、亜硫酸ナトリウム、硝酸ナトリウム、酸化防止剤、臭素酸カリウム、代替植物油脂など、とんでもないものが含まれていた。他方、栄養(カロリー)はほとんどなかったと、来住さんのご意見である。その通りだと思う。世の中は代用品ばかりで、なにを食わされていたのか定かでない。しかしと思う、例えば醤油やソースなら徳島のヒカリ食品、味噌ならコーボンみそといったように現在、本物は限りなく減ってきた。知らぬ間に周りの食品は自然食品と称するまがい物ばかりになってきた。天然塩も多くは高度好塩菌に犯されている。要注意なのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月14日 04:07 | 固定ページリンク




死がよぎるほどの寒さ  | 一考    

 膝が元気になったので、一部の所用を済ませる。冷え込みに比例してバイクはバッテリーがあがる。アイドリングを1500回転から2500回転へと揚げるものの一向に効かない。BMWに長く乗っていたが、外車は特に駄目である。オートバイの欠点はこのようなところに顕著に表れる。

 ジェットヘルメットなので、風はもろに吹き込んでくる。フェイスマスクではまったく効果がないのも分かっている。しかし、視界をなによりも優先させたいのである。これだけはなにがあっても譲られない。世界ラリー選手権(WRC)でも戦闘機のパイロットでも、ジェットヘルである。よって、走っている間は寒さで涕が流れっぱなしになる。くしゃくしゃの顔で田畑たばこ店へ這入ると「冬は大変ですね、ご苦労さん」「本当に。四輪の置き場所があるとよいのですが」と応じる。ぬくぬくと四輪に乗っているひとには想像もできまいが、新聞や郵便配達で小型バイクを走らせているひとたちに同情する。あのひとたちもフルフェイスは被らない、仕事にならないからである。
 この2.3日、バイク用のジャンパーが寒い。風が抜けはしないが、0度ともなるとどうにもならない。身体が震え出すと止まらなくなってしまう。服をもってはいるのだが、あまり大仰な格好はしたくないと思っている。もっとも有効なのは合羽かレインコートの類いである。厚着ではなく、風を通さない薄物の重ね着の方が確実なのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月12日 21:45 | 固定ページリンク




HLA抗体  | 一考    

 血液検査の結果だが、γ-GTPが跳ね上がっている以外、異常はない。上がったとはいえ、数値は92。GOT、GPT共に異常なし。クレアチニンも1.73と0.1上がっているが、すべて風邪が理由だそうな。56日分の薬を頂戴する。腎移植をしたのは2012年07月、普通は3年で安定期に入るのだが、わたしの場合は6年もかかってしまった。医師からクロスマッチ陽性例での腎移植は昔なら避けていたのですが、と改めて云われる。
 考えてみれば、去年の夏にまだクレアチニンは2.0から3.6の間を彷徨っていた。2年前に引っ越してきた折は週2回は検査で病院へ通い、3度の入退院を繰り返した。週1回の血液検査が月1回になり、やっと2箇月に1回になった。移植腎が落ち着き、先週からは15ミリリットルのウイスキーが飲まれるようにまで恢復している。慶賀に堪えない。

追記
 身体が思うように動くようになったのは去年の10月末から、まだ3箇月にも満たない。ですぺらのオープニングも周さんとmoonさんの協力がなければかなわなかった。初日の料理はすべて周さんの手になるものである。ここに記して感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月11日 14:33 | 固定ページリンク




まなじり  | 一考    

 病院から帰り、山麓バイパスは雪だった。明石で霙に変わり夕6時まで続いた。金土は今日よりも2度下がって0度になるそうな。50キロで走れば体感温度はマイナス5度にもなる。その冷えから来る神経痛だが、湿布(ケトプロフェンテープ)を貼ったところ嘘のように引いた。戸田の医師からの申し送りに「苦情をいわない患者なので」云々との添え書きがあったらしい、神大の医師は十二分に反応してくださっている。検査結果を前に医師は風邪と炎症ですね、PLと湿布を追加で処方しておけばよろしいですね、と。
 膝の痛みで歩かれない、CT検査室前の休憩室には何時も誰も居ない、病院にはこのようなスポットがいくらでもある。血液検査のあとそちらで休憩するようにしている。めずらしくその部屋にひとがいる。おそろしく脚が長い女性とハーフの子供、子供の眼の美しさに魅入った。眦のキレ角が日本人のそれとはまるで異なる。素適なものを見せていただいた。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月11日 14:31 | 固定ページリンク




日曜日の買い物  |   一考

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 2週間ぶりに日曜日の買い物、行きつけの100万ドルというパン屋へ出掛ける。なぜかカスクートが140円、他に半額の苺のショートケーキ、削ったチョコレートがかかっているチョコ生ケーキ、ガトーショコラの3種を買った。
 それにしても、クリオロ、ボニュ、アテスウェイのショートケーキは旨かった。当地は砂糖の使い方に難ありとでもいっておこうか。もっとも、旨い菓子はこちらでもいくらでもある。多田智満子さんの家で馳走になるクッキーはどれも見事なものばかりだった。G線、ドンク、ベル、ボックサン、菓子の樹など、いくらでもある。ただし、それが旨かったからといって、探してまで買おうとは思わない。その記憶は多田智満子そのひとと共にあるからである。買って来た日には興味は半減する。「あなたはお菓子の事は何も知らないでしょう」と覗き込んでくる多田さんの息遣いにこそ、洋菓子をキラキラ輝かせる魔法があった。それはmoonさんに連れられて行った冴えないベトナム料理店やインド料理店と同じである。彼が講釈をはじめると途端に料理が店が輝きを増す、飲食の骨法はそんなところにある。

 風邪を治すため免疫抑制剤以外の薬を中断していたので、7.8.9日の3日間で血液検査に受かるようにしなければならない。さまざまな薬の血中濃度を元に戻すのは骨が折れる。処方箋はわたしの言い分を聞き入れてぎりぎりに処方されている。よって、薬を飲み残すことはわたしにはない。今回は足の神経痛で悩まされているので湿布薬を追加しようかと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2018年01月09日 18:15 | 固定ページリンク




栗林幸吉さん  |   一考

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 若き友、日髙夏生さんが帰郷するというので、目白の田中屋を紹介した。もちろん栗林幸吉さんである。田中屋には電話ボックス風の区劃があって、展示品の倉庫代わりに使われているのだが、そこにわたしの名刺が張り出されているそうな。
 「一考さんとの酒はたのしい、笑いころげて飲みました」と栗林さん。いまは日髙さんや細川のママと酒を酌み交わしている。「ウイスキーを飲むのは時を呑むこと」とは栗林さんの名言だが、旨いウイスキーは氷とおつまみ、そしてマキアージュを峻拒する。虚構・虚飾・脚色を捨てたところにのみウイスキーは存在する。

 種村季弘さんが死の直前、頻繁にですぺらへいらしたことがあった。ウイスキーは飲まれなくなり、ワインのミニボトルすら覚束なかった。それでも、実に旨そうに呑まれる。帰られたあとに残されたボトルのワインの量は日々増えていった。遣る瀬なさだけがあとに残る、わたしは厨房でひとり涙ぐんだ。


投稿者:   一考  日時: 2018年01月07日 15:23 | 固定ページリンク




「正月の葬式」鈴木創士  | 一考    

 http://www.gendaishicho.co.jp/news/n22953.html?platform=hootsuite

 正月早々、正月を葬ってしまう過激な野辺送りが通り過ぎてゆく、「ジャコメッティの彫像のように」。鈴木創士さんは素晴らしい贈り物を拵える。まさに宛先のない小包である。

 「記憶の光のなかでは、鏡の表面に映っているものは全部が嘘だったような気がしてくるなどということは、ほとんどすべてが本当のことだったということだ。これが別種の(そうとしか言いようがない)光のなかにあったはずの物の特性である。人は消滅の数を数えたりはしない。消滅というのは蝋燭の火を吹き消すようにはいかないもので、振り返ったとたんに鏡のなかの自分が掻き消えていたりもする。暗闇にいても日なたにいても同じことである。嘘つけと言ったとたんに、口が腐ったりするのだ。
 しかしグレコの絵には光源がないのではないかと思わせるものがある。光はどこからも射していないし、物体や身体の内側に光源があるとしか考えられない。でもそれも後光のように人の内側から光が放射しているというのでもない。光があって、光源がない。だから例えば「トレドの眺め」の山の上の不思議な街並みは、色彩を故意に消してしまうと、月世界のように見えたりする。そこに突然、一羽の鳥が墜落する。外と内に。同時に。出来事とはそういうものである。「というのは結局のところ光は天空のなかにはもはやない。光は何よりもまず一種の原因(カウサ)に由来し、いかなる光源もそれをつくりだすことはできない」(シェフェール)からである。」」

 彼の今回のタイトルは「正月の葬式」。もっとも、彼にとっては正月であろうがなかろうが、どうでも良いことなのだが。鏡と記憶、鏡と光、鏡と物質、そのような二項対立が二項対立になり得ない儚さ、危うさ。消滅にかくまでこだわった文章を面と向かって書き表す。個であってすら躊躇しない存在の失意。このような文章を著す詩人と面識があるというだけでわたしは無性に悲しくなってくる。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月06日 02:48 | 固定ページリンク




「死ぬ前にもう一度、母の味を」 最後の食事をゲストに  | 一考    

 https://www.asahi.com/articles/ASKDF0Q9FKDDUHBI03Z.html

以下に全文を掲載しておく。欧州では後期高齢者になると、医療行為は中止される。胃瘻などは法律で禁じられている。透析治療も中止される。透析治療が中止された場合の余命は長くて1週間である。黙して死を迎えるのである。高齢者医療の負担軽減が理由である。わが国ならどうなるのであろうか。

「死ぬ前にもう一度、母の味を」 最後の食事をゲストに

 中世の町並みが色濃く残るドイツ南西のエスリンゲン。料理人のイェルク・イルツヘーファーさん(48)は月に3回、町外れのホスピスを訪れる。入所者の希望にかなった食事を作るためだ。平均の余命はわずか2週間。「最後の食事の料理人」と呼ばれる。

 イルツヘーファーさんは昨年11月末、経営する料理学校兼レストランで、この日に届けるメニューの下ごしらえに精を出していた。タマネギをじっくりと炒めて味付けしたローストオニオン、パンをこねてつくる団子のクネーデル、牛のモツ煮スープ。要望が多いのは地元のシンプルな郷土料理だ。

 「子どものころ、お母さんやおばあちゃんが作ってくれた料理。幸せだったころを思い出す、という人が多い」という。

 味付けは濃いめにしている。味覚が衰えている人が多いからだ。中には、料理を食べられず、香りだけで満足する人もいる。だから、色合いや盛りつけにも細心の注意を払う。

 イルツヘーファーさんは地元の料理学校を出た後、外国での修業を経て、エスリンゲンの西隣のシュツットガルトにある星付きレストランで職を得た。評判が伝わり、20代でバイロイト音楽祭の料理を担当。ワーグナー家主催のパーティーで腕をふるった。

 自慢の一品は、オマールエビを使った具材をパスタの生地で包んだマウルタッシェと呼ばれる郷土料理だ。多くの人から称賛を浴び、「わくわくしたし、光栄でした」。でも、何かが足りなかった。

 ログイン前の続き8年前、地元のエスリンゲンに戻って小さな料理学校を始めた。料理を作る楽しみを多くの人と分かち合いたかったからだ。

 ある日、皿洗いのアルバイトにきていた女性が悲しそうな顔で洗い場に立っていた。事情を聴くと、昼間に介護スタッフとして働くホスピスで、担当する患者が「死ぬ前にもう一度、母が作ってくれたローストオニオンのにおいをかぎたい」と言い残したまま、亡くなったのだという。

 自分ならすぐかなえることができたのに。迷わずホスピスに電話し、ボランティアとして活動を始めた。

 2時間ほどかけて料理の下ごしらえを終えると、専用の入れ物に詰め替え、車でホスピスに向かった。

 入所者は「ゲスト」と呼ばれる。前々日に1人が亡くなり、この日のゲストは6人。いつもは何人かで食卓を囲むが、6人とも体調がすぐれず、個室にこもっての食事となった。調理台で温め直し、ケーキ皿ほどの小皿に丁寧に盛った。

 傍らで、編み物をしながら入所者の付き添いのモニカ・ランベルトさん(54)が盛りつけを待っていた。2年前、夫のゲルト・ベフェルカーさん(58)に脳腫瘍(しゅよう)が見つかった。手術を受けて自宅療養を続けてきたが、2週間前にここに来た。元気なころ、ランベルトさんが苦手なレバーの料理が大好きだったという。

 夫がイルツヘーファーさんの料理を味わうのは、今回が初めてだ。メインディッシュは、細かく刻んだ子牛の肉に特製ソースをかけた一品。半身がまひしているため、ランベルトさんが個室まで運んだ。

 背中を見送り、イルツヘーファーさんは言った。

 「死にゆく者への思いと、彼らから受け取る感謝の気持ち。そこにあるのは、料理を超えた感情のつながりなんです」

 キリスト教会が関与することの多いホスピスは、ドイツ人にとって身近な存在だ。ドイツも、日本やイタリアに次ぐ高齢化率で、ホスピスも増えつつある。身よりの少ない自分が将来、ホスピスに入ったとき、同じようなことをしてくれる料理人がいてくれれば、とも思う。

 約30分後、空いた小皿を手にしたランベルトさんが部屋から出てきて駆け寄った。「おいしい、おいしいと全部平らげていました。生きている喜びをまたひとつ味わうことができたって。どうもありがとう」

 イルツヘーファーさんにもまた、ひとつ幸せが増えた。(エスリンゲン=高野弦)


投稿者: 一考      日時: 2018年01月05日 13:53 | 固定ページリンク




風邪その後  | 一考    

 本日から為事再開、風邪の押さえ込みに成功したようである。PL配合顆粒は1日3包が基準だが、その倍以上服用した。免疫抑制剤は中断できないので、併せて1日30錠を超える薬を服用、流石に腰が痛くなった。もちろん降圧剤や胃酸抑制、尿酸排泄、コレステロール抑制など、関係ない薬は中断した。薬だけではない、パソコン、酒、煙草、食事も中断、ゴミ出しから買い物まで一切中止して蒲団に潜り込んでいた。茶、野菜ジュースなど、水分の補給だけは潤沢に行った。次回の血液検査は10日だが、おそらくガタガタになっているに違いない。
 もっか1日21錠にまで薬は減らしている。とにかく量を減らしたいとの意向を医師が汲んでくださったお陰である。従って生命維持にぎりぎりの量である。特に降圧剤は3種の薬をその日の状態に即して割って(減量)服用している。オルメテックのような強い薬(できれば止めたい)には留意している。例え免疫抑制剤であろうとグラセプターなら1㎎を3錠服用しているが、2錠に減らすことも可能である。そこまでして風邪だけは防がなければならない。次回の検査結果が良ければ2箇月に1回になる予定だったが、諦めるしかない。残念である。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月05日 13:37 | 固定ページリンク




風邪  | 一考    

 今日から営業をはじめる予定だったが、2日夜に風邪をひいてしまった。PL配合顆粒を大量に服用している。免疫を抑制しているため、風邪をひくと2箇月近く苦しむことになる。発見が早かったので、もっかのところ、鼻水で抑さえている。十分に注意しているのだが。


投稿者: 一考      日時: 2018年01月03日 22:07 | 固定ページリンク




泉宣道さん  | 一考    

 30日で営業は終わり、明年は3日からの営業。10月末ぐらいから元気になってきたが、それまではどうしようかと思う日も度々、そのようなときは隣の細川スナックのママの世話になった。彼女は若い頃、末期腎不全で夫に先立たれている。従って、わたしの病気に詳しいのである。腎移植以外に助かる手立てはなく、輸血、失神の繰り返しになることなど、万般を知悉なさっている。
 ですぺらの南を右(西側)へ曲がると魚作(ギョサク)という割烹がある。以前にも当掲示板で書いたことがあるが、明石地区では唯一のミシュラン一つ星の店である。日経新聞の泉宣道さんの行きつけの店でもある。魚作のあとは細川というのが泉さんのコースのようである。
 ある日、細川のママが飛び込んできて、「あなた日経の泉さんと親しいの」と、「40代のときからの付き合いだけれど、なにかあったの」「いま飲んでいらしたのだけれど、隣にですぺらとあったが、あれは一考さんの店なの、と訊かれたの。ずっとあなたのことを喋って帰られたけれど」。
 わたしの名前をママに伝えていなかったことに気づいた。こちらではパソコンを使わない方ばかりだし、名告るような分際でもなかろう。次回、泉さんが明石へいらっしゃるのを愉しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月31日 23:34 | 固定ページリンク




今はなき上野バイク街  |   一考

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 100円均一で靴墨と防水靴クリームを買ってきた。序でに噂の「どこからでもとめられるホッチキス」も買ってきた。こちらは中綴じに使えるという見事なアイデア商品である。
 早速、店でブーツを磨く、くすんでいた皮革がぴかぴかに光っている。ところで、このブーツは倒産した光輪モータースが造っていたplicana/プリカーナレザーライダーブーツである。一時は上野バイク街の中心的存在だったが、パッチもので知られた店である。プリカーナはレーシングアイテム・ブランドとして立ち上げられたが、ロゴ自体がイタリアのダイネーゼのデビルフェイスロゴに細工を施しただけのパッチもので市場から顰蹙を買った。品質はまずまずだったが、かなり阿漕な商売をしていたようである。しかし、米国産と比して欧州産のブーツは脹ら脛が這入らなくて痛い思いをする、その点プリカーナは日本人向けにサイズが変更されている。わたしのような太くて短い足でもうまく包んでくれる。評価すべきパッチものなのである。
 上野バイク街は上京時のわたしにとっても憧れの地だった。いまでは風俗一色の街に変貌してしまった。皮のつなぎで粧し込んだ走り屋が何時もたむろしていたが、あのひとたちはどこへ消えたのだろうか。

 もう一足ロングブーツが欲しいので、片端から入札しているが、千円で落札できるような商品はまず存在しない。毎度、かっさらわれている。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月29日 17:16 | 固定ページリンク




数年ぶりのウイスキー  | 一考    

 帰り道、突風に吹かれて嚔が止まらなくなってしまった。風邪をひいてはいけないと、帰宅後ウイスキーを飲んでいる。引越の直後、ノットホールで飲んで失神してから酒はやめていた。数年ぶりの酒に選んだのはラフロイグのクォーターカスクとタリスカーのストームの二点。ストームはピートのPPMを上げたためにバランスが崩れてしまっている。荒々しさを感じる前に香りに雑味を感じてしまう。これでは通常のタリスカー10年の方がはるかに旨い。
 クォーターカスクは素晴らしいウイスキーである。これが終売になったのは信じられない。クォーターカスクとトリプルウッドがラフロイグのターニングポイントになった酒だと思う。セレクトカスクはペドロヒメネス・シェリー樽、ヨーロピアンオーク・シェリー樽、バーボン樽で熟成された多彩な原酒をヴァッティング。さらにヴァージン・アメリカンオーク樽で後熟することで、スモーキーな香りと甘美な味わいを実現したのだが、所詮クォーターカスクにはかなわない。いささか甘味が勝っているのである。シェリー樽がもたらす甘みとバーボン樽がもたらす甘みではバーボンの方が上品である。もっとも素人受けするのはシェリーカスクなのだが。流通在庫があるあいだにクォーターカスクを買っておくべきである。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月27日 03:09 | 固定ページリンク




絶品のカルヴァドス  |   一考

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 今までかなり多くのカルヴァドスを飲んできたが、これほどのものに出合ったことはない。ノルマンディー地域のコミューン Blangy・ル・シャトーの「カルヴァドス カルディナル」である。扱いはアイ・ダブリュー・エイ・ジャパン。大阪島之内にあったインポーターで、70、80年代に活躍していた。香味に関しては田中屋の栗林幸吉さんが目を丸くしていた。
 ギルビー・ジンのプレミアム・タイプ。安物のギルビーは飲まれないが、「サー・ウォルター・ギルビー」は別格。扱いはニッカ・アイティーワイ。ニッカでライセンス生産されている通常のギルビージンとは異なり、こちらは本国で生産されたもの。共に90年前後に終売になった。タンカレー・マラッカジンより、遙かに美味。わたしはウイスキーのあいだに挿むジンリッキーが好みだが、これだけはストレートで飲む。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月26日 01:41 | 固定ページリンク




元気印  | 一考    

 このところ、身体の衰えを痛感していた。ところが、日中、郵便局、銀行、パン屋さんなどを二輪で回った。パッチもユニクロのウルトラライトダウンジャケットも脱ぎ、ショートブーツで走ったのである。まわりを眺めるに重装備のライダーばかり、昼日中であるにもかかわらず。
 夜中から明け方の寒さがきついのであって、身体はまだ大丈夫である。近所の買い物ならパンツにジーンズ、上は夏物のワイシャツにジャンパー一枚でどうということはない。

 大事なことだが、小便が前方へ若干の曲線を描いて跳ぶようになった。今まではまっすぐ下へ落ちていたのである。言い換えれば、尿量が多少増えてきたということになろうか。10月から身体の調子が幾分上向いている。要するに食欲がわいてきたのである。このままもう少し元気になれば良いのにと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月26日 01:38 | 固定ページリンク




約束の旅路  | 一考    

 http://www.nicovideo.jp/mylist/26576397

ニコニコ動画、恋するオヂサンの公開マイリストです。アイルランド、ドイツ、イスラエルの名画多く、ぜひ御覧あれ。「Va, vis et deviens」を追っていて辿り着きました。

 BROTHERS OF THE HEAD(2005・英) ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド
◎The Bridge(2006・米) ブリッジ
 Elementarteilchen(2006・独) 素粒子
 To Wong Foo, Thanks for Everything! Julie Newmar(1995・米) 3人のエンジェル
◎once(2007・愛蘭) ダブリンの街角で
◎Todo sobre mi madre(1999・西班牙) オール・アバウト・マイ・マザー
◎2:37(2006・濠太剌利) 明日、君がいない
◎STICKMEN(2003・米) スティックメン
 L'Avion(2004・仏) チャーリーとパパの飛行機
◎The Wind That Shakes the Barley(2006・愛蘭・英) 麦の穂をゆらす風
 Dear Wendy(2005・丁抹) ディア・ウェンディ
 the band's visit(2007・イスラエル) 迷子の警察音楽隊
◎Salvador(2006・西班牙) サルバドールの朝
 the secret life of words(2005・西班牙) あなたになら言える秘密のこと
◎The Road to Guantanamo(2006・英) グアンタナモ、僕達が見た真実
 MISSING IN AMERICA(2005・米) アメリカの森 レニーとの約束
◎Tsotsi(2005・英・南ア) ツォツィ
◎Das Leben der Anderen(2006・独) 善き人のためのソナタ
◎Va, vis et deviens(2005・仏) 約束の旅路
 スノーボーダー(2003・仏)
 音のない世界で(1992・仏)
◎Depuis qu'Otar est parti...(2004・仏・グルジア) やさしい嘘
 デュエット(2000・米)


投稿者: 一考      日時: 2017年12月25日 12:40 | 固定ページリンク




煮物  | 一考    

 隠元、筍、牛蒡、人参、蓮根、椎茸、大根、小芋を混ぜたものが売られている。320グラム268円。そこに厚揚げと菎蒻を入れれば煮物が完成する。正月向けの盛り合わせかとも思うが、普段も販売していただきたいものである。筑前煮はわたしの得意とするところだが、家で食べるときは味付けはあまりに薄い。白出汁で煮付けるのだが、ティースプーン三分の一の砂糖を入れるだけである。塩や醤油は使わない。ポテトフライにすら塩は用いない。醤油は刺身専用だが、わたしは白身が好きなので、大方はポン酢もしくは二杯酢で済ませている。わたしの二杯酢は同割りの合わせ酢を白出汁で二倍に薄めている。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月24日 18:09 | 固定ページリンク




中古のブーツ  |   一考

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 二輪用のロングブーツを買った。ズボンの裾から吹き込む風の冷たさ、靴下一枚で2度や3度の強風に耐えられないのである。バイクの免許を取得した折に永瀬由利子さんから買っていただいたことがある。カドカワの超高級ブーツである。しかし、当時はブーツなるものに知識がなく、結局履かずじまいだった。
 先日「バイクシューズの大きさ」で書いたごとく、ブーツはよほど大きめでなければ足が痛くて履けたものでない。今回購入したブーツは25.0センチ、商品説明には「15年前ほど前に買ったものです。3年ほど使用しました。自分にはキツイので捨てようかと思いましたが革製(一部合皮)でしっかり作られているしまだ使えるのでもったいないので格安で売りますので誰か使ってください。10年以上履いてないので革が固くなっております。嫌な臭いはありません。当方の普段履きのサイズは26センチです 」とある。代金は900円。
 磨きをかけて革は柔らかくした。そこから先はまだなにもしていないが、踵の疵は靴墨で治せる。それと今ではシューグーという便利な補修剤が出ている。早速、履いているが、具合は満足すべきもの。中古は革自体が馴らされている、よく26センチの方が履いていたなと思う。しかし、その26センチで拡げられることによって今のわたし(24.5センチ)にピッタリである。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月24日 18:02 | 固定ページリンク




天童大人さんと  | 一考    

 「稲葉真弓さん」の全文をフェイスブックへ転載した。文中、「天童さんにぜひお読み頂きたい」と書いた。天童大人との遣り取りをこちらへ転載する。

天童 大人
一考さん。有難うございます。稲葉さんと貴方の具合が悪いから、励ましに行こうと都合をつけて伺えてよかったです。貴方から、稲葉真弓をと言われながら、面識がなく、繋がらなかったご縁が詩人の山口真理子さんから、是非誘ってあげての言葉から、直に電話をして、話し言葉の中のタバコの吸い過ぎと酒の飲み過ぎの聲の中に、光る言葉の聲を聴いて、鍛えたら良いと直識し、誘ったのですよ。3回目までは、聲に疑心暗鬼でしたが、4回目から、詩作品や短編、エッセイなどを聲に乗せ始めました。そうして、川端康成賞受賞、それからは受賞のラッシュ!最後の1年余りは、病気を知らされて無言を貫き、亡くなられた翌朝、一番で、高橋睦郎さんから、稲葉さんが亡くなったけど、知っていた?の問いに、稲葉真弓との約定なので、お詫びしました。いや、稲葉真弓のような、さっぱりしていて、華があるひとは作家や詩人の中にも居ませんね。

渡辺 一考
川田絢音さんとは第一詩集上梓の折から、稲葉真弓さんとも第一詩集からのお付き合いでした。あなたは事情をご存じですが、わたしは編輯者だったので、プライベートなことはなにも書かれません。もどかしく思うのですが、致し方ございません。あなたが真弓さんと連れ立っていらしたときは嬉しかったのです。彼女のしわがれた声に潜むひたむきさにこころ惹かれ続けていたのです。天童さんとも長いお付き合いになりました。十代からですものね。身体にはくれぐれもお気をつけてください。

天童 大人
有難うございます。最初は、神田、田村書店で会い、その後、渋谷の恋文横丁に在った、ドジョウ汁を飲みながら歓談しましたね。貴方の板前の頃から知っているのを吉岡実さんが知り、驚いていました。書肆山田の鈴木一民とは、丹波に山で剣術の稽古をして下りてきた朝早く、貴方の家で初めて会い、一緒に大阪まで電車でした。ところで、川田絢音の第1詩集『空の時間』も貴方に教えて頂き、探し出しました。体も痛んでいますが、聲は撃ち込み続けなくてはなりません。稲葉真弓と約束で、Projetを、2000回、3000回と続けて行ってほしいと!

渡辺 一考
川田絢音さんというより、わたしにとっては「あーちゃん」だったのです。二人で十代の頃、大阪本町の日仏会館へフランス語を習いに行きました。当時から彼女は欧州へ行く準備を着々と進めていました。「空の時間」の上梓によって、神戸というより日本の詩人に失意を覚えたのです。イタリアへ旅立つ前の彼女の人生は奇想天外なものでした。何時か書こうと思いつつ、あまりにもプライベートなことばかりで書かれません。本人が個人的なことは避けていますので。
それにしても、多田さんや稲葉さんとと会わせたかったのですが、それだけが残念です。多田智満子とよく似た、鼻に抜けた声であなたのいう撃ち込みを期待しているのですが。一度、交渉してみてくださいな。

天童 大人
それは、面白いですね。『空の時間』、足穂が男では、と言われたことを覚えています。ゆっくりとトライしてみましょう。稲葉真弓に替わる逸材ですから、聲を鍛えたら、面白いことに為りますね。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月20日 03:31 | 固定ページリンク




ひそやかな酒宴  |   一考

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 宿毛湾の養殖鰤は「土佐だるまぶり」といって大型であぶらの乗りが良いことで知られる。天然ものと値は変わらず、他の養殖ものよりも2割ほど高い。味は信じられないほど淡白、甘味が少なく、わたし好みである。もっとも、だるまと云えばメバチマグロの幼魚のこと、ネーミングはどうかと思う。聞いてはいたものの食したのははじめて。
 高知はカツオの叩き、サバの姿寿司、タチウオのかいさま(さかしま)寿司、ウツボの叩きや煮こごり、腹におからを詰めたタイのたま蒸しが有名。ヒラメの放流でも知られている。山本六三が彩色銅版画を教わったのは山下清澄と横田稔。その横田さんは高知に住んでいらっしゃる。高知で歓待されたことを記しておきたい。

 馬刺しはカナダ産たてがみ、赤身、ヒレ、ロース、レバーの五種盛り合わせ。半額で税込み520円、高くなったものである。久しぶりの散財、稲葉真弓さんとのひそやかな酒宴である。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月20日 03:01 | 固定ページリンク




稲葉真弓さん  |   一考

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 稲葉真弓さんについて書いた古い文章が見付かったので再録したい。彼女の三冊目の詩集「母音の川」について書いている。講談社の編集者とまたは天童さんと一緒にですぺらへ何度もいらっしゃった。

・・・前略
 「母音の川」は稲葉真弓さんの三冊目の詩集。第一詩集の「ほろびの音」が1982年、その前年の二月に第一作品集の「ホテル・ザンビア」が上梓されています。贔屓筋の頭目に安原顕さんがいらっしゃいます。安原さんの尽力によってかつて海に掲載された短篇が来年二月に河出書房新社から纏められます。私が雪華社在籍中に中井英夫さんの「夕映少年」についで出版する予定だったのですがかなわず、そのままになっていた稿です。無責任な編集者で申し訳なく思います。
 プライヴェートな憶い出で恐縮ですが、80年前後、稲葉さんとはしばしば酒を酌み交わしました。当時の私は真冬でも素足につっかけでした。貴女は「寒くないの」と訊ねましたね。「猥褻にならなければどこを晒けだしてもよいのよ、それよりなにより水虫が痒くってねえ」と嘆いてみせたのは精一杯の虚勢。なにね、靴を買う金がなかっただけなのですよ。貴女は飲み屋でスカートを捲りあげ、ストッキングを脱いで靴を肩に掛け「これで私も裸足、今日は朝まで飲みましょうね」裸足で御苑通りから新宿二丁目、要町からゴールデン街を徘徊しました。あの夜、人の情と言いますか、気配りの深さに私は驚いたのです。貴女のような詩人をいい女と言うのですよ。

 「母音の川」のあとがきから数行、

――書いている間、ずいぶんたくさんの体が私の前を通っていった。十代の少女の体、耳や手足などの部位のほかに、ややくたびれかけた女たちの体、あるいは祖母や母たちの眠り、魚や昆虫の交尾までもが「あいうえお」を発語として姿を現し。思いがけず豊かな川を渡ってきたような気がする。
 もちろんこの詩集はポルノグラフィーとして読まれていいのだ。女たちの声はポルノグラフィーの川。たくさんの娘たちが、今日もその川を熟れた果物のように流れていく――

 ひとつのテーマを決めどんどん穫り込み、そして削りとり刮げおとしてゆく、その取捨選択の狂いのなさ、自在なイマジネーションに裏打ちされたしたたかな構成力に脱帽。吉岡実、辻征夫の死以来、諦めかけていた「詩集」に久しぶりに逢着しました。才能という名の元手がたっぷりかけられた贅沢極まりない一本です。(2002年12月16日 ですぺら掲示板1.0)


投稿者:   一考  日時: 2017年12月18日 23:42 | 固定ページリンク




ターミナル  | 一考    

 Windowsにおけるコマンドプロンプト、Mac OSにおけるターミナルをはじめて使った。それとdatarecovery_full1221も用いた。もっとも、プログラミングの基礎をなにも知らないので、書かれている通りに書き込んだまでのこと。時間はかかったが、なんとか拙宅のパソコンは元に戻ったようである。
 利用こそすれ、修復などということには無頓着(むとんじゃく)だった。良い勉強になった。序でに、無頓着にルビを振ったが、このような読み間違いに五月蠅かったのが多田智満子さん、編集者が重複を(じゅうふく)とでも云った日にはその場でお帰りを願っていた。当然だが、原稿は永遠に手に這入らない。

 重複(ちょうふく)、執着(しゅうじゃく)、代替品(だいたいひん)、早急(さっきゅう)、続柄(つづきがら)、固執(こしゅう)、輸入(しゅにゅう)、捏造(でつぞう)、惨敗(さんぱい)、堪能(かんのう)、漏洩(ろうせつ)、間髪を容れず(かん、はつをいれず)、荒らげる(あららげる)、依存(いそん)、貼付(ちょうふ)、施策(しさく)、憧憬(しょうけい)、漸く(ようやく)、依存心(いそんしん)、威丈高(いたけだか)、出生率(しゅっしょうりつ)、年俸(ねんぽう)、相殺(そうさい)、遵守(じゅんしゅ)、御用達(ごようたし)、御利益(ごりやく)、他人事(ひとごと)、凡例(はんれい)、汎用(はんよう)、完遂(かんすい)、発足(ほっそく)、過渡期(かとき)、相好(そうごう)等々。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月18日 21:15 | 固定ページリンク




カスクート  | 一考    

 日が変わるころから急速に冷え込んだ、明日は雪になるとやら。風が強く、オートバイは右に左に揺れ流れ、慎重な運転に終始した。明日の用は買い物のみ、この一週間は冷蔵庫のものだけで暮らした。野菜とパンが欲しい。業務スーパー・フレッシュ伊川谷店(旧フレッシュ石守)の隣に100万ドルというパン屋があって、どうやら職人が変わったようである。菓子パンばかりだったのだが、最近はハード系のパンを焼き始め、カスクート(カスクルート)を置くようになった。セブンイレブンやファミリーマートのカスクートと比べて190円とうんと安い。コンビニの330円が高すぎるのである。もっとも、中力粉ではないので、旨いとはお世辞にもいわれないが、土山まで買いに行くことを思えば、それで十分なのである。
 フランスパンに使われる小麦粉は、一般のパンに使われる強力粉ではなく、グルテンが少なめの準強力粉もしくは中力粉だが、全粒粉 (強力粉) を用いた茶褐色のバゲットも売られている。そもそも、フランスパンは小麦の性格上、あまり旨いものでない。とはいえ、強力粉の生地に、砂糖、卵、乳製品、油類などの這入ったパンは食えたものでないが。
 コンビニやスーパーで売っているヤマザキのショートケーキより、100万ドルのケーキの方が美味。そして、100万ドルとはわたしがはじめて働いたハイボールセンターの名でもある。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月17日 04:19 | 固定ページリンク




バイクシューズのサイズ  | 一考    

 オートバイのブーツは履いてみなければ分からない。わたしの足の大きさは24.5、普段履く靴はその寸法で合っている。ところが、バイク用シューズだと25.0でなければ合わない。さらにブーツやウォータープルーフになると25.5になる。中にはプーマのようなEUR(ヨーロッパ)サイズというのがあって、横幅が狭く甲が低い、従って2サイズ大きめでないと足が痛くなる。要するに41サイズ(日本の26.0)でキツキツなのである。欧州人というのはそんなに幅狭甲低な足をしているのかしらと不思議に思う。調べるにやはり日本人の足の悩みで一番多いのは「幅広甲高」であるらしい。
 3E、4E、5Eといった幅広サイズは知っていたが、甲の高さで靴を選ばなければならないとは。それにしても自分の足の甲がいかに高いかを改めて知った。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月15日 02:36 | 固定ページリンク




新潟県高田市  | 一考    

 今日は帰宅が4時になった。南西にオリオン座が美しく凍てついている。遅くなったとき、帰路で会うのは新聞配達に出掛けるバイクのみ。こちらも重装備だが、連中はゴム引きの防寒具を着ている。聞くところによると、「ぬくさに首ったけ」シリーズが有効なようである。ただし、値が高くてわたしにはかなわない。幾重にも着て寒さ対策をなさる方がいるが、ほとんど変わらない。わたしは夏物の半袖シャツとワイシャツ、ユニクロのウルトラライトダウンジャケットと防水ジャケットである。下はスパッツにGパン、手袋はハンドルカバーをしているので薄手のインナーを用いている。
 オーバーズボンを探していたが、ヤフオクで安いものが見付かった。その古着屋の住所が上越市東本町だった。かつての高田市、わたしの田舎である。店主からメールあり、

 「北城町3町目は自宅から歩いて5分位です。昔は中島田んぼがあり、その向こうが北城町でしたが、今はその田んぼがすべて団地になりその団地もこちらの住んでいる東本町も高齢者世帯が多くなりました。
 ここ上越市もドウナツ現象で農地がどんどん団地に変わり郊外に住む方が増えていますが人口はどんどん減ってきています。駅周辺の商店街(高田銀座と称した本町)は人通りがほとんどない状態です。住宅の空き家がたくさん目立ってきました。
 雪は40~50cm位積もりました。私の住んでいるところは道路に消雪パイプが入っていますので、交通が止まることはありませんが、一斉雪おろしになると、3日間位交通止めになり、ダンプで排雪致します。火事になると大変ですので、裏に火防道路があります。(こちらも消雪がはいいています。)毎年のことですが、春が来るのが、待ち遠しいですね。」

 文中、北城町3町目とあるのはわたしの父親の生家、駅周辺の商店街と書かれているのは高田銀座と称した本町である。
 高田のはなしを久しぶりに聞き、嬉しくなった。かつては見渡す限り田んぼだった。水道管を組んで手製の迫撃砲を造り、田んぼ目掛けて発射しては悦んでいた。小学生の頃、バスの停車場はあったが、手さえ挙げればどこででも乗降可能だった。嬢が乗っている発射オーライのバスである。父親の長兄が高田唯一のいづも屋百貨店を営んでい、屋上遊園地や映画館を併設した店舗は高田の中心的な存在として大いに賑わった。10円玉を入れると5分間覗ける双眼鏡が屋上に据えられたときは神戸からわざわざ観に行ったものである。
 播磨姫路藩第4代藩主であり、越後高田藩初代藩主になった榊原政純の臣下として城代家老を拝命し、勝海舟の秘書を務めた先代の末裔である。百万ドルの三ノ宮店には神戸初の自動ドアを付けたり、須磨パークホテルにはこれまた神戸初の温水プールやボーリング場(わずか1レーンだったが)を設けるなど、なんでもかんでも初物が好みの血筋だった。わたしは本籍地を明石へ移した。しかし、高田のことを忘れることはない。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月14日 04:20 | 固定ページリンク




初雪  | 一考    

 ごく僅かだが、明石は初雪である。風が強くて、昨夜ははじめて冬仕度。と云ってもハーフチャップスを装着しただけだが。二輪に乗るにこのような重装備でわが身を覆うのもはじめて、歳のせいと諦めている。

 ヘルメットシールドの曇り止めだが、何時も買っている70円の商品がもっとも良さそうである。高級品は役に立たない。検索してみると、みなさんママレモンを奨めているが、油が浮いたようになり、シールドがテカる。要するに視界に歪みができるのである。対向車や街灯の光が乱反射してまるでエレクトリカルパレードである。
 それにしても、成分は界面活性剤(14%直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)と安定剤だけである。高級品に含まれる酵素やフルーツ酸に問題があるのかしら。このような用途に値段は関係なさそうである。
 マジックリンが良いとの意見あり、同じ界面活性剤なのだが、こちらは油汚れ専用なので有効かも。シールドに直接当たらないように、前歯を突きだして下へ向けて息を吐き出している。2日間は呼吸でシールドが曇ることはなかった。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月12日 15:47 | 固定ページリンク




中村漁業部  | 一考    

 中村漁業部の中村茂さんから電話があって、ですぺら掲示板へメールを送ったのだが、エラーで戻ってきたとの由。理由が分からないが、ですぺら掲示板でもファイスブックでも直接書き込まれればよいものを。おそらくですぺら掲示板のほうが宣伝になると思う。
 無添加鮭とばを註文しようと思っているのだが、このところ店が暇でどうにもならない。誠に相済まぬことである。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月11日 20:05 | 固定ページリンク




ダブルハピネス発売  |   一考

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11月26日より、ダブルハピネス・オリジナルとメンソール 20本 280円 の2銘柄が新発売された。インドネシアの大手たばこメーカーが日本向けに開発製造、 販売は日辰貿易が手がける。前回紹介したフォルテ250円と共にリトルシガー。頗る美味。欠点はフォルテと比して細すぎる、灰皿の上でしか喫まれない。JTの扱いではないので、専門店にしか置いていない。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月09日 20:35 | 固定ページリンク




傘立て  |   一考

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バリ島の傘立てを購入。水性ペイントで仕上げられていて味わい深い。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月09日 20:25 | 固定ページリンク




ログイン不可  | 一考    

 店のパソコンからですぺら掲示板へログインできない。アドオンが悪戯をしているのは分かっているのだが、自宅のパソコンと同じ設定になっている。不思議なことがあるものだ。

追記
 「無料ホームシアター」「映画の無料動画で夢心地」から動画を落とすために、さまざまなアドオンを使っている。システムとブラウザのバージョンならびにアドオンのバージョンが常に悪さを起こしている。システムは最新(OS10.13.1)だが、ブラウザはfirefox55.0.3(64ビット)で止めている。
 アドオンは以下のごとし。
 1-click you tube video downloder
 Ant Video Downloader 2.4.7.50
 flesh video downloder
 Video DownloadHelper 6.3.3
 internetspeedtracker
 バージョンが這入っているのは、そのバージョンのみ使用可能ということ、新しいものは使えない。いろいろと難しいものだが、もっかのところ安定している。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月09日 17:22 | 固定ページリンク




わが国初のタロット展  |   一考

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 夢然堂さんの Twitter で steward‏ さんと夢然堂さんの遣り取りがあったのを知った。「今となっては貴重な写真。昭和49年5月末、神戸三宮・さんちかで催された我が国初のタロット展。同年刊行の木星王著『超念力入門』(日本文芸社)より。 この展覧会についてはウラヌス星風の『タローカード入門』でも紹介されている。」とのキャプションが添えられている。

 確かに、5月30日から6月4日までさんちかタウンで催した、わたしが27歳の時のはなしである。わたしの手持ちのタロットカードと岡田夏彦さん所有のカードを併せての展覧会だった。往時、荻窪のミニヨンにあった画廊人魚館を休んで岡田さんは拙宅に泊まり込みだった。泊まり込みとは申せ、半年ほどいらしたのであるまいか。種村季弘さんとのあいだで金銭面でのトラブルがあって、東京に居づらくなったのが理由とわたしは思っている。この件に関して、種村さんの奥方とはなしたことがあったが、個人的なことゆえ、ここでは触れない。
 タロット展は会場にキャンセルがあって急遽埋めろとの命令に従ったまで、岡田さんがいなければ成り立つ企画でなかった。岡田さんについてはいつか書かなければと思いつつ、そのままになっている。彼をわたしに紹介したのは京都書院の杉本茂行さんである。初対面で愕いた、泰西文学に関していかなる質問であれ、彼が知らないといったのを聞いたことがない。さすが、種村さんの(第一秘書)である。塚本邦雄さんから縁を切られたばかりの須永朝彦さん、種村さんと別れたばかりの岡田夏彦さん、そして生田耕作と喧嘩になったわたしが上手くいかない筈がない。コーベブックスを中心にして厚誼は続いた。
 タロット展である。占い師を集めて会場で占っていただこうとのはなしになった。ところが、当時誰もタロット占いができない。岡田さんが即席の講義をし、みなさんが聞き入る。さすが占い師である、数時間後には昔からタロット占いをしていますという顔付きになっていた。
 タロットが11PMで取り上げられることになり、占い師を連れて大阪の読売テレビへ赴いた。朝から何度もリハーサルを繰り返し、いざ本番というとき、それまで白髪だった藤本義一さんの頭が真っ黒になっている。
 東京でも展開しようと、西武や東急、伊勢丹などあらゆる百貨店へ飛び込みで企画を売り込みに行った。もっとも高く買ってくれたのは東急である。それにしても、百貨店の受付で社長に会わせろはないだろう、今思うに赤面の至りである。それと東急に決めた理由はいまひとつ、札幌やハワイでの展覧会が可能だったからである。その札幌行でわたしは生まれてはじめて飛行機に乗った。

追記
 写真には、主催 コーベブックス 協賛 滴翠美術館、画廊人魚館 後援 大槻守商事と記載されている。滴翠美術館は当時の館長山口格太郎さんと岡田さんが昵懇の間柄だったがゆえ、大槻守さんも亡くなられたが、古版マルセイユタロットの輸入をわたしがお願いした。ちょっとやんちゃなところがあったが、根は誠実、実に愉しい方だった。
 札幌へは占い師のカメリア・マキさんとご一緒した。今も美魔女で活躍のご様子、機会があればお会いしたいと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月08日 23:06 | 固定ページリンク




一人用圧力釜  |   一考

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 マイヤー電子レンジ圧力鍋1.6Lを購入。カレーや肉じゃがが10分で仕上がるらしい。とはいっても、実態は蒸し器に近く、レシピに書かれている時間でできるかどうかは疑問である。とりもなおさず、肉じゃがを作ってみる。レシピには6分加熱し4分蒸らすとあって、念のために7分加熱したところ、うまくできた。しかし、普通の鍋でも15分あれば完成する。拙宅はプロパンなのでガス代が高い、それを思えば結構な器具なのかも。いずれにせよ、わたしのようなものぐさに打って付けの圧力鍋であることは間違いない。
 購入価格は未使用品で1400円。なお、蒸し器として利用するには蒸し板もしくは落とし蓋のようなものが必要。ダイソーで売っているシリコン製落し蓋で代用できる。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月08日 12:26 | 固定ページリンク




カメラ購入  |   一考

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 萩原健次郎さんの影響で大枚4100円を払って写真機を買った。オリンパスのSP-610UZで所謂コンパクトデジタルカメラである。女性の持ち物だったようで、まるで新品である。電源スイッチとシャッターを除けば触るところはひとつしかなく、複雑な操作がなにひとつできない。素人は簡単な入門機から這入らないと後が続かない。電源が単三電池なのも気に入っている。
 父親がカメラに凝っていた。そのカメラはレンズ一式を添えて周さんの友人のところへ嫁いだ。その父の影響であろうか、カメラなるものになんの興味も抱かなかった。過去の写真も40枚ほどしか持っていない、記録自体に興味がないのである。ところが、萩原さんによって記録が記録でなく表現になることを知った。要するに、ひとの顔以外のものならよいのである。さて、なにから撮ろうかしら。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月08日 02:54 | 固定ページリンク




深夜のオートバイとシールド  | 一考    

 先ほどから雨が降っている。濡れて帰るしかなさそうである。このところ帰宅したときの室内気温は11度、それでもオートバイを駆ってきた身には暖かい。暖房を入れ、電気毛布を温める。凍てついた脚に巻き付け、常温に戻すのに2時間はかかる。深夜4時、それから夕食の準備である。ちなみに室温は18度に設定しているが、ですぺらは20度である。客が寒いと怒るからである。
 まだ乗車時に真冬の格好はしていない、2月の寒さがよく分かっているからである。それにしても冷たい、冷たさで頭は割れそうに、脚はちぎれそうに痛い。それもこれも歳のせいと言い聞かせている。
 もっとも困惑しているのはバイク用フェイスマスクである。もっとも、雨天にフェイスマスクをつける馬鹿はいないだろうが。鼻に穴のあいたベンチレーション付き定価100円のものを使っているのだが、装着すると息が暖かくなってヘルメットのシールドが曇る。信号で停まると一瞬にして前がなにも見えなくなる。口までずり下ろして使っているのだが、みなさんどうしているのだろうか。
 バイク用シールド曇り止めと称してさまざまな高価なものが売られているが、中身は単なる界面活性剤。あれなら台所用洗剤となにも変わらないではないか。だとしたらスプレー式食器用洗剤の「キュキュットCLEAR泡スプレー」がよいのでないだろうか。一説によると99工房のコンパウンドトライアルセットで磨くのが一番との意見もある。わたしは何時も1本70円ぐらいの洗剤を使っている。明日は花王の高級洗剤を買いに行くとしよう。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月08日 01:11 | 固定ページリンク




萩原健次郎さんの写真  | 一考    

 フェイスブックでは萩原健次郎さんの写真を覧るのが一番のたのしみである。とにもかくにも暗い写真でフジのカメラでは到底撮られない種類の作品ばかりである。わたしは横須賀功光さんと親しかった。親しかったというよりも最期を看取ったというほうが正しい。彼との思い出はフェイスブックでも2016年4月に転載している。泣きながら書いたはじめての文章だった。
 横須賀さんに一連の銀板写真(ダゲレオタイプ)があって、わたしはすこぶる気に入り、そのうちの一枚を頂戴した。なにしろ、ダゲレオタイプで撮影された写真は一枚しか存在しないのである。横須賀さんの銀板と萩原さんの作品とのあいだには黒の階調とでもいうべき共通の趣向がある。奈落の底へ引きずり込まれるような悪意と失意に彩られた雰囲気である。萩原さんが自らの体躯で知った荒涼たる絶望を覗き込むに詩よりも写真が相応しいなどといったら叱られようか。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月06日 16:42 | 固定ページリンク




岩崎力さんとユルスナール  | 一考    

 http://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/234

 「webふらんす」に掲げられた岩崎力さんの「敬虔な思い出たち マルグリット・ユルスナール」を転載する。4回の連載、ぜひお読みいただきたい。文中にあるごとく、ユルスナールは訪日した折、岩崎さんの運転にて日本を旅なさった。途次、多田智満子さんとも逢い、多田さんはそのときの思い出を綴っている。車はたしかトヨタのカローラだったと思うが、後部座席はシートが破れ、細かいことにこだわらない岩崎さんらしいオンボロ車で、これにユルスナールを乗せたと思うと微笑ましくなってくる。
 岩崎さんとは何度か一緒に仕事をさせていただいた。雪華社で「ヴァルボアまで」を作ったときはひとり娘が縊死なさった後で、大塚でふたりでしんみりと酒を酌み交わした。「東大在学中だった娘さんが自死なさって、その悲しみを束ねた書冊、扉の次ページに刷られた三行のフランス語、あの三行のためにのみ、同書は編まれました。本が出来上った日、大塚の小料理屋で馳走になった活魚、ハンカチで拭いもせず、二人して「大塚のさかなは塩っぱいね」。あれから二十年経ちました(2005年10月)」と当掲示板で書いている。
 岩崎さんは権威権力を忌み、個であることを潔しとされた。おそらく西永良成さんしか友はいなかったのであるまいか。


投稿者: 一考      日時: 2017年12月06日 15:33 | 固定ページリンク




バリゴ製気圧計  |   一考

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 ドイツBARIGO社の気圧、湿度、温度計。制作年代は不明だが、わたしが子供のころは使われていた。ヤフオクで売っているが、なかなか素適だと思う。

追記
 調べると新品で同じものが2,3万円で売られている。興醒め。


投稿者:   一考  日時: 2017年12月02日 02:23 | 固定ページリンク




ネオプレーンロングソックス  |   一考

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 防水・防寒ネオプレーンロングソックス マジックテープ付という商品がある。店舗名はネオワークギア(Neo WORK GEAR)。アウトドア・ワーク関連商品のプロショップゆえ、本来は作業用品なのだが、オートバイにも使えそうである。価格は2,268円だが、アマゾンで色違いが1,080円で売っている。このソックスを履いた場合、靴のサイズが二回り大きくなりそうである。AKBでいうところの釣り師ではなく、本物の釣り師のあいだで重宝されているらしい。靴を買い換えなければならないので、わたしは遠慮するが。


投稿者:   一考  日時: 2017年11月28日 00:12 | 固定ページリンク




雨具  | 一考    

 今日は良い天気だが、この二週間、深夜になると雨が降った、雨具が役に立っている。ところがバイクウェアーの背中のパッドが邪魔で雨具が着られない。普段着はL寸、バイクウェアーはLL、レインウェアはXLである。わたしにとってパッドやプロテクターは左腕にのみ必要なのであって背中は外すことにした。
 先日は霧でもやっていた。レインコートがじっとり濡れていくが、距離が短いから苦にはならない。赤坂から戸田まで雪が降るなか川越街道を走ったのを思い出す。途中、光が丘から新大宮バイパスへ曲がるのだが、真っ直ぐ行くと川越から佐久を抜けて松本へ至る。バイパスが多い道だが、変化に富んでいて愉しく、二度駈け抜けたことがある。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月27日 23:25 | 固定ページリンク




ヒラマサを食す  | 一考    

 刺身が食べたくてスーパーを梯子する。ヒラマサ、カンパチ、ブリ(以上をブリ属3種という)、、シマアジ、カレイ、タイと本日は豊漁である。尾っぽの部分を圧さえて新鮮さを確認する。新鮮なのは長崎産の天然ものヒラマサと、愛媛の養殖シマアジのふたつ。共にスズキ目アジ科に分類される魚、身はブリより脂肪が少なく歯ごたえがあって美味。近縁種とのあいだで養殖目的の人工交雑種が作られている。ブリヒラやカンヒラがそれで、近畿大学水産研究所にて開発された。
 この二点となると、当然ヒラマサである。滅多に食べられない魚に舌鼓をうつ。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月27日 22:58 | 固定ページリンク




「図書館創設のための提言」について  | 一考    

 シュルレアリスム宣言の真骨頂は、デューラーは××に於いてシュルレアリストである、エルンストは××に於いてシュルレアリストである、との歴史的時間を平面に置き換えてみせたところにある。この手法は林達夫が頻繁に取り入れた作法でもある。若いころは随分と影響を受けたものだが、欧州では古くからこのような考えがあったと知った。ガブリエル・ノーデ(Gabriel Naudé)は1600年2月2日生1653年7月10日没の学者である。ジュリアン・グラックのいう包括弁証法が往時から生きていたとは愕きだった。
 読みづらいのは承知でこのような文章を認めた。引用に固有名詞が多いのは、書誌学者としてのノーデの一端を知っていただきたいからに他ならない。伊藤敬さんが「既訳の存在について、あえて触れないのは「武士の情け」である」と著されている。本書に限らず、某フランス文学者の書誌学に関する本の訳注のあまりのひどさに呆れかえったことがあった。この種の書冊にはとかく意訳乃至誤訳が多い。今回の伊藤敬さんの名訳によってノーデが真当に評価されることを願ってやまない。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月23日 13:11 | 固定ページリンク




伊藤敬さんの翻訳  | 一考    

 「図書館創設のための提言」ガブリエル・ノーデの翻訳が伊藤敬さんから送られてきた。400字詰め133枚の労作(原本は167頁)である。私信が添えられてい、「・・・十七世紀フランスの「図書館論の元祖」ガブリエル・ノーデの翻訳をお送りします。然るべき版元をみつけて上梓するには数年はかかる見込みですが、ぜひとも一考さんの元気なうちにお読みいただければと考えてのことです。ここに、なにがしかの面白味を見出していただければ幸いです」と書かれている。
 伊藤敬さんはわたしが知る限りもっとも博識な方である。例えば、フェイスブックでシェアした「あべおろしそば始めました。もり・かけ継続中」に対する伊藤さんのコメントが振るっている。「サイドメニューにピラフも出しては如何? そのココロは阿部比羅夫」阿部比羅夫は飛鳥時代の日本の将軍であり、蝦夷地の侵略者である。日本国憲法の侵略者である安倍晋三の安倍にかけられ、かつピラフと比羅夫を捩ったものだが、わたしはお手上げである。
 「あべおろしそば」に対して、間髪入れずに阿部比羅夫を想起するところに伊藤さんの尋常ならざる博学多識ぶりがうかがえる。要するに、わたしごときが手に負える相手ではないのである。その伊藤さんが翻訳するに、ガブリエル・ノーデである。ますます持って始末が悪い、ここはひとつ黙してノーデに従うしかなさそうである。
 と書いたものの、「図書館創設のための提言」は第4章が圧巻ということしかわたしは知らない。その第4章(蔵書の質と条件はいかにあるべきか)から一部引用しよう。

 ・・・例えば、浩瀚な神学については、各種の聖書、教父の書、公会議書など、肯定神学については、リルのニコラウス、(サン・ヴィクトルの)フーゴー、(アロンゾ・)トスタード、サルメロン、スコラ哲学については、トマス・アクィナス、オッカム、デュラン・ド・サン・プルサン、ペトルス・ロンバルドゥス、アンリ・ド・ガン、ヘールズのアレクサンデル、ローマのジル(ジル・コロンナ)、アルベルトゥス・マグヌス、ペトルス・アウレオルス、ヴァルテル・ブルレイ、(ジャン・)カプレイオルス、(ジョン・)メイジャー、(ガブリエル・)ヴァスケス、(フランシスコ・)スアレス、ローマ法王全および教会法典については、バルデ(・デ・ウバルディ)、バルトロ(・デ・サッセフェラート)、(ジャック・)クジャス、(アンドレ・)アルチャート、(シャルル・)デュムーラン、医学については、ヒッポクラテス、ガレノス、パウルス・アエギネトゥス、オリバシウス、アエティオス(アミダの)、イブン・スィーナー、イブン・ズフル、占星術についてはプトレマイオス、(ユリウス・)フィルミクス(・マテルヌス)、アリ・アブール・ハサン、カルダーノ、(ヨハン・)ステッフラー、(ルカス・)ガウリクス、(フランチェスコ・)ジィウンティーニ、光学についてはアルハゼン、ヴィテロ、ベーコン、(フランソワ・)ダギュイオン、算数については、ディオファントス、ボエティウス、ヨルダヌス・ネモラリウス、タルターリャ、シリセオ枢機卿、ルカ・パッチョーリ、ヴィルフランシュ(エチエンヌ・ド・ラ・ロッシュ)、夢については、アルテミドロス、パッチョーリ、シュネイオス、カルダーノ、そのほか数え切れぬほどのこの種の著者たち。

 これが第4章の出だしでまだまだ続くのである。

 さらに、ある学問分野に対して的確な反論をし、あるいは世評もっとも高い著名な著作に対し、すぐれた知識と情熱で(ただ、原則を無視したり変えたりはせず)反対したあらゆる著者、すなわち、既成のあらゆる哲学をくつがえそうと公然と主張したセクストゥス・エンペイリコス、サンシュ、アグリッパ、占星術に対して理論的に論破したピコ・デッラ・ミランドラ、サルモニウスの徒の背教と非宗教性を粉砕するエウグビヌス(アゴスティーノ・ステウコ)、科学者の誤りを暴露した(ジャン・)モリゾ、今日ドイツのいくつかの地方で、アリストテレス以上の影響力を持つカルダーノを適切に批判したスカリゲル、かの大枢機卿バロニウスの教会年代記をあえて批判したカゾウボン、ガレノスの欠陥を指摘した(ジャコモ・)アルジャンティエーロ、パラケルススをよく論破しえたトマス・エラストゥス、(ペトルス・)ラムスに果敢な反論を加えた(ジャック・)シャルパンティエール、以上のような、論戦を展開した著者や、論敵の言い分を顧みず、一方的に断じたり理解したりし、それぞれの論点を切り離して読みとることの誤りを洞察して、論争の双方を公正に評価しようとつとめるあらゆる著作者。

 下世話なはなしで恐縮だが、昔、寿岳文章氏とお会いした時、「本は中身が命だ」と云われた。わたしが作る本の中身がいまいちとのことを婉曲に諭されたのだが、それに対してわたしもそのように思いますが、中身の善し悪しはどなたが決めるのでしょうかとの問いに、まず岩波文庫だねと一言、付け加えてわたしなら決められると、なんともはやファッショなお応えが返ってきた。ラテン語の「ファスケス」だが、革命的な意味合いを持つと同時に、「同盟、チーム」などの意味で使用されるようになった。わたしのような個のみを信じる向きには寿岳氏の言葉は権威主義にしか映らない。
 その点、ノーデの書物に対するまなざしには虫眼鏡と望遠鏡の双方が等しく機能している、かつ注意深く。時(歴史)の並列に於いてアンドレ・ブルトンの包括弁証法の極地ともいえようか。思うに、シュルレアリスムの作法はノーデからの掻っ払いでなかったか。「サドに匹敵する大胆な無神論的思想」の持ち主なればこそ、「稀なものが喜ばれるのだ。だから初もののリンゴには魅力がよけいあるし、だから冬咲きの薔薇も珍重されるものなのだ」との言葉も生きてこよう。

 ひとかどの図書館における資料収集を任とする者にとって、(フランチェスコ・)ピッコロミーニ、(ジャーコポ・)ザバレッラ、(アレッサンドロ・)アッキリーニ、(アゴスティーノ・)ニーフォ、ポンポナッツィ、(フォルティニウス・)リケトゥス、(チェーザレ・)クレモニーニをアリストテレスの古い翻訳書と並べ、アルチャート、(アンドレ・)チラコー、クセキウス、デュムーランをローマ勅法彙簒、学説彙簒と並べ、ヘールズのアレクサンデルやアンリ・ド・ガンダーヴォの全集をトマス・アクィナスの大全と並べ、クラヴィウス(クリストファー・シュリュッセル)、(フランチェスコ・)マウロリーコ、(フランソワ・)ヴィエトをエウクレイデス、アルキメデスと並べ、モンテーニュ、シャロン、ヴェルラム(のベーコン)をセネカ、プルタルコスと並べ、フェルネル(ジャック・)デュボア、(レオナルド・)フックス、カルダーノをガリアンとアヴィセンナの近くに置き、エラスムス、カソウボン、スカリゲル、サルマシウスをワロンと並べ、(フィリップ・ド・)コミーヌ、(レ・フロレンティン・フランチェスコ・)グイッチャルディーニ、スライダス(ヤン・フィリップゾン)をリウィウス、タキトゥスと並べ、アリオスト、タッソ、デュ・バルタスをホメロスやウェルギリウスと並べるといったように、すべての近代の作者の名著を収集して、古典作家のものと併置しないのは大きな手落ちであると主張します。気まぐれな(トライアーノ・)ボッカリーニさへも古典作者と近代作者のつり合いをとろうと考えたぐらいですから、多くの古代作者の力量が劣り、近代作家を凌駕するものはごく少ないことが分かると思います。

 繰り返すが、まるでシュルレアリスム宣言の原型を読んでいるようである。ノーデの思想は新しい、あまりにも斬新にして奇矯な思想である。伊藤敬さんが「図書館創設のための提言」を選んだ理由がなんとなく理解できる。訳文は流麗にして正確無比、この著訳書が日の目を見ることを切に祈りたい。

追記
 カタカナが多いため、誤植があろうかと思う。こちらで訂正してからフェイスブックへ載せることにする。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月22日 21:16 | 固定ページリンク




ラ・ムー大蔵海岸店の鯛  | 一考    

 久しぶりにラ・ムー大蔵海岸店へ行く。長く買っていなかった鯛のにぎり寿司を購入、やはり旨い、よほど魚を見る目を持った職人がいると思われる。明石の鮨屋では菊水、丹甫、小結、ささ倉などが旨いとされるが、それらと比して遜色ない。序でながら、まなかつおが売っていた、体長24〜25センチで455円。煮付けか塩焼きだが、このような高級魚を安く仕入れるところにラ・ムー大蔵海岸店の本領がある。
 スーパーへ行くとまず魚売り場を見る、それでスーパーの全貌が窺える。菓子の類いは製造元すなわち明治や雪印、森永の責任であってスーパーには関係ない。同じく饂飩や蕎麦の類いは製麺所の責任であってスーパーには関係ない。スーパーに関わりがあるのは魚と惣菜だけである。
 例えば、業務スーパー西明石小久保店の寿司は非常に旨い、しかし同じ業務スーパーの他店の寿司は食べられない。その理由は職人が違うからである。山陽マルナカ玉津店の刺身は昔から旨い、しかし、同じチェーン店であっても他の店の刺身は食べられない。なぜなら、這入っている魚屋が異なるからである。
 めぐみの郷枝吉店の惣菜を美味しく頂戴しているが、同店にはふたつの会社が這入っている。ひとつは内野家、uchipacシリーズで知られる西宮の惣菜店。味付けはどこまでも淡く、食品添加物を比較的含まない加工食品を旨とする。スーパーの善し悪しは細かく知らないと評価できない。ひとつやふたつの商品でもってそのスーパーに評価を下すなど、持っての他でないだろうか。

 通常の麺の原材料は小麦粉、タピオカでんぷん、還元水飴、食塩、小麦たん白、乳酸ナトリウム、酒精、増粘剤(アルギン酸エステル)、うち粉、加工でん粉である。通常の食パンやクロワッサンの原材料はマーガリン、小麦たんぱく、鶏卵、パン酵母、難消化性デキストリン、大豆たんぱく、デキストリン、粉末油脂、食塩、脱脂粉乳、小麦粉、ぶどう糖、セルロース、乳化剤、カゼインナトリウム、増粘剤(CMC、アルギン酸エステル)、香料、甘味料(アセスルファムK、スクラロース)、カロテノイド色素 である。
 麺類にタピオカを使うようになったのは冷凍饂飩が最初だが、客が腰の強い麺を求めるからである。小麦粉を打って腰など出ようはずがない。要するに腰の強い麺ほどタピオカと増粘安定剤の含有率が高くなる。しかし、客はそれで納得している。困ったものだと、讃岐の製麺業者から聞かされたのは20年ほど前のはなしである。
 どのような食物にも増粘安定剤は這入っている。しかし、糖尿のひとは増粘多糖類に注意しなければならないし、わたしのような腎不全の者はカリウムそれ自体が禁止されている。迂闊にものは食べられないのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月17日 01:53 | 固定ページリンク




白鵬すてき  | 一考    

 2010年製シャープのテレビが千葉から送られてきた。何度も引越を繰り返しているので、設定は分かっているのだが驚いた、全自動になっているのである。メニュー、設定、地域、都道府県名、郵便番号であとはテレビが勝手に選局してくださる。今までのテレビは中国や韓国、台湾など舶来品ばかり、国産品は久しぶりである。外国産は一箇所ずつ選局しなければならない。便利な時代になったものだと感心する。本当はテレビが映るモニターが欲しかったのだが、値が高くて手が出ない。
 前の持ち主はコントラストは強く、うんと明るく調整していたようで、目には最悪である。シネマ風の薄暗く惚けた感じに調整し直した。早速大相撲を観る、白鵬以外、観るに値しないが、勝てば勝ったで観客の民族意識すなわち差別意識がうざったい。日本人からはますますグローバルな(包括的な)視点が失われていくようである。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月15日 21:04 | 固定ページリンク




流行歌とエロ子さん  | 一考    

 コンポでなにを聴くのかとの問い合わせ。ちあきなおみと奥村チヨとでも云っておこうか、黄昏のビギンと紅とんぼは夥しい歌手が歌っているが、ちあきなおみにとどめをさす。夜へ急ぐ人から「それぞれのテーブル」「待夢」へは一直線、倍賞千恵子のスラバヤ・ジョニーと共に忘れられない。余談ながら、スラバヤ・ジョニーに関しては本場の歌手よりも晩年のミルバのそれに畏れすら感じる。いまひとりアンネ・ソフィー・フォン・オッターも加えておこうか。
 奥村チヨへの思いは山本六三へのそれと重なる。酔っ払っては奥村チヨの出鱈目きわまりない歌詞をふたりして口ずさんでいたのである。まるで辻潤のダダ的文章を読むのと同じような感慨を齎していたのである。いまひとつ、奥村チヨと云えば、エロ子さんを思い起こす。彼女と赤坂のカラオケ店へ行ったのだが、世代が違い奥村チヨをご存じなかった。

 「恋の奴隷」
 あなたと逢った その日から
 恋の奴隷に なりました
 あなたの膝に からみつく
 子犬のように
 だからいつも そばにおいてね
 邪魔しないから
 悪い時は どうぞぶってね
 あなた好みの あなた好みの
 女になりたい

 「中途半端はやめて」
 中途半端はやめて 苦しいだけだから
 どっちかはっきりさせて 好きなの 嫌いなの
 惚れた弱みに つけ込んで
 あなたは何さ
 小猫がマリにじゃれるよに
 たわむれないで
 責任とって 責任とって
 あなたも男なら

 中途半端はやめて 覚悟はしてるから
 どっちかはっきりさせて 拾うの 捨てちゃうの
 最初あなたが 惚れさせて
 今頃何さ
 いざとなったら手をあわせ
 逃げるというの ?
 責任とって 責任とって
 あなたも男なら

 中途半端はやめて 待ちくたびれたから
 どっちかはっきりさせて 嘘なの 本気なの
 帰れないのを 知りながら
 帰れというの ?
 子供を道に迷わせて
 泣くなと言うの ?
 責任とって 責任とって
 あなたも男なら

 なかにし礼の作詞だが、「責任とって」とわたしが歌いだすと彼女は相好を崩して笑い転げていた。奥村チヨよりも笑い呆ける彼女の顔がわたしにはこよなく懐かしく嬉しかったのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月14日 02:54 | 固定ページリンク




透析打ち切りについて  | 一考    

 旧い新聞記事で恐縮だが、欧州と日本の医学内容を比較するに適した資料である。なお、現在ではその差はますます開きつつある。

 「「値せず」と透析打ち切り/施設暮らしの貧しい男/英公立病院・患者協が調査要求」『朝日新聞』1985.01.11夕刊、15面。
 英国の公立病院が、施設暮らしの貧しい男の腎臓の人工透析を「患者の命は透析に値しない」と打ち切ったところから、論争が起きている。……事件が起きたのはオックスフォード市の公立チャーチル病院。2年前から通院、週2回透析を受けている44歳男性の治療を新年早々打ち切った。「彼は知恵遅れで精神分裂病。透析の基準に合わない」というのが理由。生命線を絶たれた男性の容体は悪化した。男性が住んでいる施設の寮長から連絡を受けた英腎臓病患者協会が治療費を全額負担、ロンドンの私立病院に7日入院させてひとまず急場は切り抜けた。……同病院に対する批判と同時に問題になってきたのは、透析施設の不足。100万人に22台という5年前の状態から、現在は33台まで増えた。しかし、ヨーロッパではベルギー、スペインの61台、西独56台、フランス44台に比べて大幅に遅れている。毎年、2千人が透析を断られており、ホームドクターは45歳以上の患者を病院に送ることをためらっているともいわれている。 65歳以上になると、公立病院で透析を受けられる可能性はほとんどない。……<注>1983年末現在で、日本には約24,500台の透析機器がある。人口100万人当たりで210台。透析の必要な患者の2.2人に対して機器1台がある計算で、欧州諸国に比べてかなり高い水準となっている。それでも「いちおうの数は足りているが、地域的なバラつきが大きく、まだ不足がちな地方もある(全国腎臓病患者連絡協議会事務局)という。

 文中の人口100万人当たりの透析機器の数は当てにできない。わが国にあっては慢性質不全の治療は透析(しかもそのほとんどが血液透析)によって行われているのに対して、欧米諸国では腎移植が治療の中心だからである。しかも、透析は根治療法でなく対症療法にすぎない。
 入院中、向かえの二人の透析が五時間に延長された。除水量が増えたわけでなく、除水速度を落としたのが理由、体力が持たないのである。横の御仁は血管の石灰化で悲鳴を上げている。注射針が太いので穿刺の際に血管に傷がつく。その傷が治るまえに次の穿刺がやってくる。それが度重なって血管はぼろぼろになる。
 血管石灰化はカルシウムとリンの化合物が血管に沈着したものと従来考えられていたが、現在ではリンが血管の細胞を骨芽細胞に変性させてゆくためと分かった。血管にカルシウムが沈着するのでなく血管そのものが能動的に骨化するのである。
 その血管の損傷と石灰化が透析における穿刺そのものを失敗させる。透析中に脱血が、もしくは返血が屡々止まる、その度に穿刺の遣り直しである。なお、穿刺の痛み止めは一時間乃至二時間前である。よって痛み止めなしでぶすぶすと針を射すことになる。
 長期透析患者にとって血管石灰化は逃れられない合併症である。透析患者の死因のトップは心不全、心筋梗塞、狭心症などの心血管疾患である。それを少しにせよ遅らせるにはリンの吸着剤しかない。炭酸カルシウム(カルタン)と塩酸セベラマー(レナジェル・フォスブロック)、炭酸ランタン(ホスレノール)の三種である。
 当掲示板で幾度となく触れてきたが、わが国の臓器移植は血液移植(輸血)すらままならない。五体満足でなければ地獄へ堕ちると云った類いの迷信がいまだに蔓延っているからである。血の池、針の山、竜巻地獄、死屍糞泥の地獄など因果応報の地獄絵ワールドを拵えた仏教僧の罪は大きい。穢多非人などの差別問題と相俟って、寺は諸悪の根元である。もっとも宗教は他宗教に対する差別意識やエリート主義を自らの帰属意識のエネルギー源にする。仏法僧を非難したり、傷つけたりすると無間地獄に落ちるといわれる。なんと勝手なことよ。

追記
 2012年01月27日に書いた文章を継ぎはぎして書き直した。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月14日 01:02 | 固定ページリンク




ローカリズムについて  | 一考    

ローカリズム
 五百年ほど昔、大航海時代にはじまったグローバリズムが植民地主義や帝国主義の苗床となった。振り返るに、最初のTPPとでも云うべき衝撃の出会いはフランシスコ・デ・ザビエルであり、ルイス・フロイスだったに違いない。
 グローバリズムの対義語はローカリズムだろうが、リージョナリズム、セパレーティズム等と複雑に絡み合い、単純に片付けるわけには行かない。わたしなどは地域主義の典型は鎖国だろうと思っている。1639年(寛永16年)から1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶようである。
 はなしを面白くするために、1866年の坂本龍馬が計った薩長同盟や1868年の新撰組局長近藤勇処刑によって日本のローカリズムは息の根を断たれる。近藤勇がローカリズムの守護神であり、坂本龍馬がその逆との図式になる。坂本龍馬ほど節操のない人間も珍しかろうが、亀山社中は日本最古のグローバル企業だった。
 米国の不参加によって再度、TPPへの賛否が囂しいが、維新以降の日本は一貫して植民地主義、帝国主義の道を歩んできた。戦後、帝国主義の衣は脱ぎすてたものの、本質はなにひとつ変わっていない。海援隊以降、企業のグローバル化は止まるところを知らず、日米の二箇国で世界の七割(計算方式によってまったく異なる)を占めるに至っている。
 ローカリズムだが、日常生活の場でパソコンを用い、携帯電話を必需品とする現代人にいまさら鎖国時代の生活が営めるのであろうか。海外交通はおろか、近隣の旅すらが禁止され、外交、貿易が制限された時代である。鉄道や国道を廃し、水平方向でなく、文化を川単位すなわち過去の垂直のそれに変更しなければならない。「日本の橋」の含意をこころの旅の本意とする、言い換えれば、ブータンの国民総幸福量に顕著なスローライフへの回帰である。
 さて、わたしは病人との立場から混合診療を認めるしかなく、TPPに諸手を挙げて賛成だが、民意が反対ならそれでも佳いと思っている。それでなくとも、維新それ自体に否定的だし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの司馬史観と呼ばれる歴史観に違和感を覚えている。私事で恐縮だが、米国由来の遺伝子組み換え医薬品によって命脈を保っているのが現実である。しかし、そうした最新の医療技術を棄てる覚悟は端から出来ている。欧州では七十歳を境にして、透析にせよ、癌にせよ、認知症にせよ、一切の延命治療は断たれる。わたしの命はグローバリズムがもたらす医療とのセレンディピティによって支えられているが、その底には間違いなく一種のローカリズムが流れている。

追記
 2011年12月28日に書いた文章を少々手直しした。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月13日 23:52 | 固定ページリンク




不条理について  | 一考    

 人間の条件としての不条理性への認識の深化は、人間の行為や表現の無意味さについての意識の先鋭化をもたらした筈である。はずであって、実状は知らない。人間は屡々退歩し、忘れるのを常とする。もしくは人間の行為や表現に対して意味性すら求めるような事態が起こり得る。
 その証拠に面と向かって話していて、君の作品は無意味だと云うと、例外なく喧嘩になる。そのような頓珍漢とのお付き合いは断じて蒙御免。単に社交辞令を求められるならわたしではなく他の方を御薦めする。
 どうでも良いこととどうでも良くないことを峻別できるひととのみ、付き合うように心掛けている。どちらが本音で建て前か、そんなこともどうでも良いことのひとつだが、例えば神戸や東北の震災にしても、罹災者は個別に受けたであろう苦衷を強調する、もしくはその解決方法の示唆を期待する、解決策がないにもかかわらず。なにひとつ元には戻らない、元に戻らないがゆえの不条理なのだが。
 先日朝まで生テレビを見ていて、司会者の独善に呆れ返ったが、そのようなことを気にしてもなにもはじまらない。原発の暴走は国の非常事態だと思うのだが、政府はそうは思っていない。思っていないどころか、数年を経ずして収束を宣う始末。廃炉はもとより、使用済み核燃料の最終処理すらこれから十万年、二十万年後に先送りである。間違いなく、原発は再稼働し、電力会社は新卒者を雇い、わが世の春を謳歌する、「世はこともなし」である。

 不条理を多少なりとも浄化すればシシフォスの神話になるが、罹災者はそのようなものを求めていない。罹災者は不条理ではなく、不条理の弁証法的展開をしか望んでいない。それこそが不条理性の否定なのだが。弁証法が内包する不純な面を際立たせるのが不条理の概念の半分、その不条理を再度弁証させて、一体どうしようと云うのか。意図するところはなんぞや、と訊きたくなる。 
 歌手、俳優、アスリート、政治家が被災地へ赴けば、ひとを癒し励ますことができる。しかし、詩人に傷心や失意を翻すのは不可能である。罹災のパーソナリティを前に、詩人になすべき手立てはなにもない。不条理の極北は戦禍だとわたしは思っている。戦禍に類する事象がそれにつづく。個々の生活が断絶し、個々の人生が蹂躪される。詩人は芸能人ではない、「世界のやさしい無関心に心を開く」ことはあっても、不条理を否定することはない。と云うよりも、悲しみを深化させ、ひとを不条理の渦中に冷酷無比に追いやるのが詩人の唯一の務めであろう。

追記
 2012年01月06日に書いた文章を若干手直しした。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月13日 23:48 | 固定ページリンク




テレビ探しています  |   一考

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 拙宅のマイクロコンポを店へ持って行ったので、音楽が聴かれなくなって弱っていた。店はモダンジャズオンリーなので家では流行歌を聴きたいのである。先日、ビクターの UX-T1を900円で購入、送料の方が高くついた。前のと比べて音質はよろしくないが、わたしにはこれで十分過ぎる。
 接続を済ませてニュースを見ようかと思ってテレビをつけると映らない。2.3秒映っては消えるが色調が真っ赤、どうやらご臨終の気配、引越時のパソコンモニターと同じ症状である。こちらはどうしようかともっか思案中。どなたか小さなテレビをお持ちの方はいないかしら。


投稿者:   一考  日時: 2017年11月10日 11:59 | 固定ページリンク




カネナカ中村漁業部  |   一考

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 「知床のくさや風鮭とば」について何度も書いたと思っていたのだが、高遠さんとの遣り取りのなかで一度出てくるだけである。北海道の鮭とばはアイヌ部落の数だけ種類があった。もっとも、現在売られているものは判でで押したように同じものばかりだが。
 それらのなかで、ウトロで売られていた鮭とばだけは強く記憶に残っている。通常の鮭とばは身の筋に沿うかたちで、刃が入れられている。ところがウトロのそれは皮は付けたまま、身だけを筋に直角にスライスするかたちで切られている。それだけでも変わっているのだが、淡い魚醤のにおいがする。くさやと同じ作り方なのだが、あれほど強烈ではなく、微かににおう程度なのである。明石の太田守さんにそのはなしをしたところ、彼は即刻北海道へ赴いた。土産に鮭とばを抱えて戻られたのはいうまでもない。
 健康な頃、毎年二輪で北海道へ旅をした。八戸近辺で鮭とばの大きな固まりを購入、バイクの後ろにテントと一緒に括りつけて走っていた。どうして八戸かと云うとウトロの鮭とばを除いて、もっとも旨く、安かったからである。フェリーで知り合った北海道の方は鮭とばを生で食する。生でも旨いのだが、皮は食べられない。皮は捨てる(北海道では投げる)のが大方らしい。わたしは皮が香ばしくて好きなので、炙るかフライパンで煎って食べる。
 ウトロの鮭とば同様、スライス製法の鮭とばを見付けた。まったくの無添加かつうま塩製法とやら、期待できそうである。

 http://www.gyogyoubu.jp/?mode=cate&cbid=1276889&csid=5

(株)中村漁業部 担当 中村茂
青森県八戸市尻内町前川原7
Tel 0178−27−2324
Fax 0178−27−2325
E-mail shop@gyogyoubu.jp

追記
 11日、日高さんがいらしたので早速鮭とばを頂戴する。旨いの一言、鮭とばには精通しているつもりだったが、世の中にこれほど美味な鮭とばがあろうとは愕きである。中村さんのところではさまざまな鮭とばをつくっているが、無添加鮭とばには感服した。今まで食した鮭とばのなかでこれ以上のものはない。わたしが太鼓判を押す。


投稿者:   一考  日時: 2017年11月09日 21:47 | 固定ページリンク




雨が降っていた  | 一考    

前回ボリス・ヴィアンが89回、間を飛ばして92回が「雨が降っていた」。イルダ・イルストとジャン・ルイ・シェフェールについて著されている。ぜひ、読まれんことを願う。

安柊 有人
おじさんと森で会いました。近頃は仕事をする気があまりないようですが、最近書いたものでは自分では一番気に入っていると言っていました。ふん。

 http://www.gendaishicho.co.jp/smp/news/n22003.html


投稿者: 一考      日時: 2017年11月06日 21:53 | 固定ページリンク




ハーフチャップス  |   一考

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 レッグウォーマーについて書いたが、乗馬用ハーフチャップスを真似て造ったオートバイ用のハーフチャップスを見付けた。乗馬用は丸皮を用いてい、大層高価なものだが、バイク用は安い。写真左は羊皮(1840円)、右はナイロン(1480円)、後者は裏側が起毛で煖かい。雨天を想定し、ナイロン製に決めた。
 羊皮の方が格好は良いのだが、丸皮でないのが難点。表皮だけの皮は俗に手帳皮と云って本の装丁には不向きである。安物の限定版には必ず手帳皮が用いられているが、染めでなくペイントであるが故に、変色し、ひび割れし、のどの部分から裂けてくる。本一冊分の大きさで丸皮だと3000円以下ではない。手帳皮だと数百円乃至1000円までで手に這入るが、この差は大きい。
 共に舶来品らしいが、羊皮のハーフチャップスは女性のファッション用と思う。風雨への耐久性を考えればナイロン製となる。いずれにせよ、日本人には考えが及ばないところであろう。明日から冷えるらしいが、到着が待ち遠しい。

追記
 Google検索するといくらでも高級品が出てくる。韓国製の牛皮のものなどよさそうに思われるが、ギャーと跳び上がるような値段である。わたしには縁のないものばかりである。日本人がナイロンで中国や韓国が皮革など、昨今の国力の差を見事に顕している。


投稿者:   一考  日時: 2017年11月06日 00:55 | 固定ページリンク




冬支度  | 一考    

 オートバイの冬支度を了えた。とは云ってもハンドルカバーを付けただけ、これで薄い手袋が使える。肝心の乗り手の方だが、メッシュのライダースーツのなかにニットのカーディガンを羽織り、最も寒い膝に毛糸で編んだレッグウォーマーを履いた。毛糸製は女性から頂いたもので、ちゃんとしたものが欲しいのだが、値が高すぎる。防寒、防風で他に融通が利くものを探している。今から厚着はしたくないのだが、寄る年波には勝てない。1月になるとどうなるのだろうかと心配になる。


投稿者: 一考      日時: 2017年11月01日 20:58 | 固定ページリンク




二輪用のレインウェア  | 一考    

 前項の「雨の分類」を書き直した。大事なことなので、繰り返しておく。
 走行中は両脚でガソリンタンクを力一杯挟んでいる、所謂ニーグリップである。するとタンクと両脚のつけ根に三角の窪みができる、そこに雨が溜るのである。ニーを緩めるとザーッと雨が流れ落ちる。このような状態では雨具はなんの役にも立たない。1時間も走れば下腹部はびしょ濡れ、おちんこはふやける。仕方なくわたしはレディースのレインパンツを穿いている。前に開放部がないため、なんとか保っている。バイク用の雨具を拵えるときに留意していただきたいと思う。
 東京から広島までオートバイで雨天走行をしたことがある。そのときはゴアテックスの高級雨具を着用していた。三ヶ日あたりで雨脚が強くなり、同時に胸部へ滲透しはじめた。一箇所でも滲透しはじめるとあっというまにずぶ濡れになる。ゴアテックスやイーベントも同じで、高速ではゴム引きの雨具でない限り防ぎようがない。
 レディースのパンツと書いたが、単なるビニール製である。高価だがナイロンPTFEコーティングがもっとも良いのは分かっている。しかし、ビニールの安いカッパをガンガン使って性能が落ちたらすぐ捨てるとの方法もある。わたしはもっぱら後者に頼っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月30日 21:24 | 固定ページリンク




ナオさんと周さん  |   一考

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 前立腺の状態がおもわしくなく、トイレで籠もっていたところ、なにやら音がする。出てみると、周さん来店。嬉しい客である。新宿ゴールデン街のナベサンのナオさんからわたしの写真を撮ってこいとの命が出たようである。序でにですぺらの写真を撮っていただいた。
 ですぺら掲示板で何度もナオさんについて書いている。

ナオさんふたたび(2008年12月30日 23:38)
 このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
 彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
 詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされたひりひり焼き付くような裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
 かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。

 ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月(2008年12月)アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月28日 00:10 | 固定ページリンク




禁煙外来と喫煙外来  | 一考    

 横浜元町の煙草屋ヒュミドールには喫煙外来のPOPが張り出されている。「手巻き・パイプ・葉巻などに関するご相談を承ります。お気軽にお立ち寄り下さい」。以下はケムリエ創刊号から引用する。

 不用意に「何かおいしいたばこある?」などと訊こうものなら、「ありません」と一言のもとバッサリ。その心はこうだ。もし˝おいしいたばこ˝なるものがあったら、それ一つだけでことは足りる。煙草屋の商売は成り立たない。メーカーもそれぞれ一所懸命˝おいしい˝ものを作っている。だが、それがまさに嗜好品というもので、万人にとっての˝おいしいたばこ˝なんてあり得ない。

 この消息は煙草屋に限らない。ショットバーでもっとも困るのが、「何かおいしいウイスキーをください」と訊かれることである。「1000本のなかから選んで持ってきた90本ですが」と応えると、今度は「マスターのお薦めをください」とくる。スコットランドのシングルモルトの蒸留所は129箇所ほどある。大半はブレンデッドウイスキーに用いられるが、グレーンウイスキーのような没個性のウイスキーは端から置いていない。バックバーのウイスキーはすべてお薦めである。「では、マスターのお気に入りをください」とくる。「いいんですか、高いですよ」で話は終わる。
 自分で決まられないのなら水を飲めばよいのである。それか端から順番に飲んで好みのウイスキーを決めれば良いのである。ウイスキーを知らない方が知ろうと思えば最低一箇月は通って頂きたい。そうすると、わたしにも相手の好みが分かってくる。分からなければ、なにを薦めてよろしいのか、雲をも掴む思いなのである。
 ハーフで飲めば1回で10杯は飲まれる。それを5回繰り返して頂ければ、相手の好みのおおよそは把握できる。そうすれば、129の蒸留所の違いについて自在に語り合えるようになる。客と店主との晤語はそこからはじまるのでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月27日 23:38 | 固定ページリンク




大蔵市場の火災  | 一考    

 明石の大蔵市場の火事だが、大蔵海岸通りの方から消火に当たっている。東西の幹線が2号線と大蔵海岸通りの2本のみ、交通規制で現場はごった返している。
 大蔵市場は山陽道に面しているが、道が細くて、大型消防車は這入られない。そちらに小型消防車、大蔵海岸通り側に大型消防車の布陣で懸命に消火に当たっている。大事に至らなければよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月25日 19:14 | 固定ページリンク




障害者用自動二輪  |   一考

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 障害者用自動二輪である。補助輪を付けただけでなく、ブレーキやシフトも細工している。この手のバイクは個々の障害に合わせなければならない。従って、同じものはなく、加工費が高くつく。同じ障害者として気持は痛いほど分かる。しかし、疑念は残る。どうしてハーレーダビットソンなのか。非常時にいかように対応するのか、そちらの方が気になって仕方ない。
 わたしなら小型のバイクを薦める。わたし自身、250ccの軽二輪に乗っている。いっそ、カブでもよかったのではと思っている。余談ながら、スクーターは改造に向いていない、溶接するフレームが表に出ていないからである。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月25日 15:00 | 固定ページリンク




避難警報  | 一考    

 先ほどから2度にわたって、わたしが住む神戸市西区明石川沿いの避難命令が携帯電話へ届いている。たまに外を覗いているが、警報で云うような非常事態ではなさそうである。例え、川が溢れても拙宅は2階なので大丈夫、それより心配なのは店舗。明石川は西区を流れ、下流域は明石である。去年も店舗界隈は床下浸水があったと聞く。明石ですぺらは浸水に対する準備はなにもない。風雨がもっとも烈しいのは午前2時頃のようである。ちょっと見に行く心算にしている。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月22日 23:19 | 固定ページリンク




日本の国家中枢には人種主義が浸透しているのかどうか。  | 一考    

 右翼か左翼かと云った問題でなく、レイシズムか否かとの論点は分かりやすく説得力がある。ぜひ、お読みあれ。

 http://blogos.com/article/253977/?p=1


投稿者: 一考      日時: 2017年10月22日 16:22 | 固定ページリンク




選挙  | 一考    

 遅くなるほど雨脚が烈しくなるそうな、そこで朝7時になるのを待って投票を済ませた。投票所はがら空き、一番を競う方で混み合うものだが、出足がよろしくないようである。神戸市は併せて市長選と市議補欠選もあった。投票率が気になるところ。20時になるのを待つしかない。

 はなしは変わるが、8月18日に罹った疱疹がやっと治った。丸2箇月かかったことになる。免疫抑制剤は飲み続けなければ確実に死ぬ、分かっているのだが、難儀なものである。いずれにせよ、これで何時でも風呂に這入られるようになった。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月22日 15:58 | 固定ページリンク




雨の分類  | 一考    

 気象情報で雨の降り方は以下のごとく分類されている。小雨(1mm/h未満)、弱雨(1mm/h以上3mm/h未満)、雨(3mm/h以上10mm/h未満)、やや強い雨(10mm/h以上20mm/h未満)、強い雨(20mm/h以上30mm/h未満)、激しい雨(30mm/h以上50mm/h未満)、非常に激しい雨(50mm/h以上80mm/h未満)、猛烈な雨(80mm/h以上)。
 東京ではどのような雨であってもオートバイに跨がっていた。明石では無理をせずに雨天は四輪に乗っている。だが、小雨だと躊躇なくオートバイに乗る。弱雨だと天気予報以外に西空をみたり、勘を信じて乗ったり乗らなかったり、結果、濡れるか濡れないかはほぼ半々である。いつも云っていることだが、オートバイの場合、体感温度は5度ほど下がる。同様に小雨は弱雨に、弱雨は雨になる。
 このところ、勘が外れて屡々雨に打たれる。濡れるのは胸、膝、腿、靴である。走行中は両脚でガソリンタンクを力一杯挟んでいる、所謂ニーグリップである。するとタンクと両脚のつけ根に三角の窪みができる、そこに雨が溜るのである。足を緩めるとザーッと雨が流れ落ちる。このような状態では雨具はなんの役にも立たない。バイク用の雨具を拵えるときに留意していただきたいと思っている。帰宅後、下着は洗濯機へ、服と靴は風呂場で乾かすことになる。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月21日 19:59 | 固定ページリンク




柳居子徒然と下前國弘さん  | 一考    

下前國弘さんは「柳居子徒然」との Rakuten BLOG をなさっている。フェイスブックでも掲載されている。ポリティカルなスタンスはわたしと異なるが、特段に結構な文章である。

 https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201709210000/

上記、洛中については諸説紛々、 下前さんのような正確なご意見は貴重かと思われる。
「人材の払底 」は時節柄ぜひお読みいただきたい。例によって名調子である。

 https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201510310000/

以下は1月に亡くなられた京都の三月書房宍戸恭一さんへの追悼。

 https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201702030000/


投稿者: 一考      日時: 2017年10月20日 21:08 | 固定ページリンク




土砂降り  | 一考    

 雨降りのなか、バイクグローブとは云っても自転車用のものだが、ヘルメットのシールドを拭った瞬間に破れてしまった。10年ほど使ったもので、既にぼろぼろだった。バイク専用グローブや防水の効いたものは、ごわごわして咄嗟のときにレバーが引かれず嫌なのである。
 昨日の服は乾いているが、今日は帰りの時間帯に土砂降りになるそうな。四輪で出掛けようと思う。

追記
 やはり降ってきた。今日は雨の合間に店の玄関灯を付けた。付けたはよいが、明るすぎて気恥ずかしい。もう少し暗めの電球を持ってくるとしよう。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月20日 17:34 | 固定ページリンク




びんぐし(たもり)  |   一考

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 びんぐしの標準和名はセトダイ、しかし明石ではみなさん「たもり」と呼ぶ。前回紹介したマナガツオと友に、瀬戸内固有の磯魚である。なぜ、たもりと呼ばれるかと云えば、もともとは「とももり」だったそうな。とももりとは平家の頭領、平清盛の四男である平知盛のことである。源平合戦にて敗走し壇ノ浦に沈んだ知盛にちなんだ名、それが訛ってたもりとなった。
 びんぐしに限らず、イサキ科の魚のうちヒゲダイ属、コショウダイ属、コロダイ属の背鰭が大きな魚はすべて「たもり」と呼ばれるらしい。大きな背鰭を、鎧を着た武士に例えたのだといわれる。ちなみに、びんぐしは鬢櫛、整髪料を付けた髪をかきあげるのに使われる目の粗い櫛のことで、この方が例えとしては分かりやすい。
 イサキ科と書いたが、刺身にするとイサキと識別できない。違うのは値の安さと味のよさである、20センチのものが小売りで300円ほどで売られている。煮付けにするとメバルはおろか、カサゴよりも遙かに美味。もっとも、わたしは刺身で頂戴するのがもっとも好みだが。ゼラチン質が多く鮮度が落ちやすいのが欠点だろうか。
 明石で名のある鮨屋は菊水と丹甫、その丹甫のご主人と親しいので訊いてみると、安価な魚ゆえ、漁師から馬鹿にされるので置かないとのこと。呆れかえってものが云えないとはこのことで、旨い魚は誰がなんと云おうが、薦めるべきである。オコゼの次に旨い魚だとわたしは保証する。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月20日 01:12 | 固定ページリンク




冷え込み  | 一考    

 3日前から急速に冷え込んだ。寒さで目覚め周章てて冬物の蒲団を引っ張り出した。肌掛け羽毛布団だけで過ごしていたのである。夏物と冬物の中間というものが拙宅にはない。ですぺらでのワイシャツ1枚も肌寒い、こちらもカーディガンを引き摺り出した。カーディガンの上にジャンパーを羽織ってバイクに跨がると暖かい。しかし今からこのような格好をしていると真冬が思いやられる。カーディガンは店に置いておく。
 今年の3月、パッチ(スポーツ用タイツ)を買った。戸田に住んでいた折は雪日にはオーバーズボンを穿いていた。そのズボンは裾がマフラーで焼け焦げて今は持っていない。パッチの登場は年末まで遅らせるとしよう。

 今夜も雨が降っている。上着だけはナイロン製の防水着を何時もバイクに積んでいる。下半身と靴は濡れるが致し方ない。雨天のバイクは辛い、寒さよりもスリップと闇夜が怖いのである。明るい道へ帰路を変えなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月20日 00:26 | 固定ページリンク




安価な刺身  | 一考    

「めぐみの郷」について書いたが、昨今は菠薐草のごま和え、小松菜のおひたし、高野豆腐の含め煮などの売れ残りを贖っている。含め煮には高野だけでなく、椎茸、人参、莢豌豆などが這入っている。莢豌豆は煮すぎて白っぽく変色しているが、これもご愛敬、素人料理には素人なりの趣と味わいがある。
 日々、菠薐草や小松菜だけで食事を済ませているわけでない。週2回は刺身を食べている。シマアジと昼網の鯛、4分の1の短冊が398円と298円。シマアジは身がこりこりしているので、一晩置いてもおいしく頂戴できる。鯛は一晩置くとさすがに身は柔らかくなる、そんなときはポン酢で頂戴する。一味を利かせると絶妙に旨くなる。ちなみに、醤油が塩分濃度が高くて使えないので、白だしで3倍に薄めて使っている。もしくはポン酢、二杯酢、三杯酢の類いが常備品である。
 日曜日には盛り合わせ398円が売れ残っている。18時を過ぎるとそれらが半額になる。シマアジの短冊は398円でも滅法安いが、200円ならさらに嬉しくなる。金がないならないなりに、娯しむ術はいくらでもある。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月17日 17:13 | 固定ページリンク




バイクシューズ  |   一考

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 靴底が薄くてかかとがない、足くびを曲げやすいように後方がカットされている、チェンジレバーが当たる部分が補強されている。デザインはよろしくないしウオーキングには不向きだが、今のわたしにうってつけの靴が入手できた。ほとんど使われていないにもかかわらず、なぜか入札者はわたしのみ。
 昔、W1というオートバイがカワサキから出ていた。「BSAの兄弟車」と揶揄されたバイクだが右足シフト左足ブレーキだった。ただし、踏み込み式のチェンジだったためレバーを蹴上げる必要がない。比して昨今のバイクは左足に統一され、かつリターン変速なので、どうしても補強が必要になる。
 補強に用いられる材質は通常ゴムか革である。左足だけでよいと思うのだが、バイクシューズには必ず左右シンメトリーについている。デザイン面からの要請なのか、考えてみれば不思議である。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月17日 16:10 | 固定ページリンク




アシナガサンゴ  |   一考

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 間髪を容れず、友人から連絡があってアシナガサンゴだと分かった。世界大百科事典 第2版の解説によると、「花虫綱チョウジガイ科の腔腸動物(刺胞動物)。6本の太いとげが底から出ている単体サンゴ。本州中部以南の水深150~400mの海底に分布する。サンゴ体は六角形で,おのおのの角の底から太いとげが放射状に長く出て体を支え,特異な形をしている。莢(きよう)の中は多くの隔壁でしきられるが,六つの角から生ずる隔壁が上方にもっとも高く突出する。各隔壁の側面には小さい顆粒が発達している」と記載されている。これで得心した。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月13日 19:32 | 固定ページリンク




エストニア共和国より愛をこめて  | 一考    

木野寿紀さんのブログです。プロフィールにはエストニア共和国在住の大学生。タリン大学教養学部社会科学専攻とあり、さまざまな楽器の演奏者でもある。ポリティカルな発言が多いが、非常に面白く読ませていただいている。

 http://www.from-estonia-with-love.net/


投稿者: 一考      日時: 2017年10月13日 17:40 | 固定ページリンク




拾いもの  |   一考

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どこで拾ったのか覚えていない。フェイスブックの友達のサイトだったら申し訳ない。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月13日 16:28 | 固定ページリンク




化石  |   一考

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 ウニの化石はいくつか持っている。ただ写真の化石がなんなのかさっぱり分からない。褐虫藻や放散虫を想起させるが、どなたかご存じの方がいらっしゃればご教示賜りたい。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月13日 16:06 | 固定ページリンク




バイクブーツの代用品  | 一考    

 日中はまだましだが、深夜は寒い。ひともオートバイもブルブルガタガタ震えている。金のかかる話しは考えたくもないのだが、足下をなんとかしたい。ブーツが欲しいのである。ゴムの長靴を持っていたはずなのだが、度重なる引越でどこかへ消えた。
 ヤフオクの1円出品のなかから探す予定、送料が1000円ほどかかるので、購入予定価格は500円まで。バイクブーツとして用いるには細身で足にフィットすること、底が薄いこと、甲の部分にチェンジレバーが当たるので補強できることの3点だが、防水ならそれに越したことはない。今月中になんとかしたい。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月13日 15:32 | 固定ページリンク




渡船  |   一考

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 現在大阪市内には、市の運営する8箇所の渡船場があり、15隻の船が地域の多くの人々に利用されている。一方、神戸には兵庫突堤へ渡る新川に渡船があったのだが、検索しても渡船の歴史自体がなにひとつ出てこない。子供のころ、父親と自転車で中央市場へ出掛け、渡船に乗ったのを覚えているのだが。現在の渡船は防波堤行きの釣り船ばかりである。
 写真は鳴門市営渡船。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月12日 22:21 | 固定ページリンク




前立腺炎  | 一考    

 尿に濁りがあって前立腺炎の再発でした。云われれば抗生物質を処方しますがどうします、と問われて、痛みは収まったようだし極力抗生物質は飲みたくない、痛みがぶり返すようだとその時にまた、と応える。尿の濁りはチェックしているのだが、見落としたようである。白血球は炎症によって増えてはいないが、わたしの場合は腎臓と関わりがあるのでいささか難儀である。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月12日 21:59 | 固定ページリンク




枝幸町ウスタイベ千畳岩  |   一考

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 友が北海道へ行くという。うらやましく思う、わたしは今年もどこへも行かれなかった。せめてキャンプ道具を車に積み、旅をした気になってみようか。明日は病院だが、土曜日から前立腺が痛い。前立腺自体の痛みではなく、頻尿と尿意を催した際の激痛が前立腺の腫れを想起させる。フリバス(ナフトピジル)の用量を増やそうか。

 枝幸港(北見枝幸)の北に突き出した小さな岬がウスタイベ岬。国道238号から外れて岬を一巡する道に入ると、先端の草原部分が無料のウスタイベ千畳岩キャンプ場。その海岸線にあるのがウスタイベ千畳岩。ガラス質安山岩の貫入岩体で、北見神威岬など一帯は北オホーツク道立自然公園に指定されている。ウスタイベはアイヌ語のウス・ウシタイペ・ぺッ(us-nitay-bet=入江・林・川)に由来する地名。
 写真のバイクトレーラーはMTB-XR1輪サス付、場所はウスタイベ岬。キャンプ好きには格好の代物だが、公道での最高速度は25km/h(道路標識等の最高速度がこれ以下の場合はその速度)に制限される。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月11日 00:55 | 固定ページリンク




20年ぶりの交通違反  | 一考    

 本日帰りしなにパトカーに捕まった。国道を右折するに際し、道路の中央まで出ずに短縮して走ってしまった。減点1点、反則金4000円である。いかに深夜であれ、対向車もなく、歩行者もいないとは云え、違反は違反である。これからは帰りの道順を変えることにする。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月05日 02:58 | 固定ページリンク




腎臓について  | 一考    

 朝日新聞に「腎移植パパが出した10年後の家族への手紙」が掲げられた。

 http://www.asahi.com/articles/ASK8Z5JJ0K8ZULBJ01Q.html?ref=apimag1710_sp_con_mailm_1004_11

 京都の知己は二度の腎移植を経てもっか透析治療に戻っている。透析はダイアライザーによる血液の濾過しか出来ない。濾過によって体内の老廃物や毒素を取り出すのは可能、しかし血圧調整や赤血球の素になる腎臓から出るホルモン(エリスロポエチン)はつくられない。よって貧血の高血圧になる。他にも体液量やイオンバランスの調整、カルシウムを吸収させる活性型ビタミンDがつくられなくなって骨がもろくなる。もっとも大切なことは、腎臓は腎臓単独の機能にとどまらず、全身の臓器へ指令を出し、それらをとりまとめる重要な機能を持っている。要するに、腎機能障害が枢要臓器に影響し、やがて多臓器不全になる。
 詳しくは10月1日のNHKスペシャル「シリーズ 人体 神秘の巨大ネットワーク 第1集 “腎臓”が寿命を決める」をご覧あれ。

 https://www.dailymotion.com/video/x62s7mi

 https://www.dailymotion.com/video/x63783u

 https://www.dailymotion.com/video/x62s8kc

 https://www.dailymotion.com/video/x62qo4v


投稿者: 一考      日時: 2017年10月04日 21:42 | 固定ページリンク




自損事故  | 一考    

 昨日は終日雨のため、久しぶりに四輪で通勤。イズミヤ神戸玉津店を明石川沿いに左折、場所は明石市北王子町、道の真ん中を女性がふらふら歩いている。対向車線まで避けて通り過ぎたが、やや間を置いて後ろから3台の車が左折、危ないなあと思いつつ、信号で停車して後方を確認する。待てど暮らせど後続車はやって来ない。やむを得ずUターン。後続車は女性を避け損ねて土手へ衝突、女性はどこかへ雲隠れ、たいした事故でないのでわたしはですぺらへ。
 闇夜は怖い、それにしても幽霊のような痩身の女性はどこへ消えたのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2017年10月03日 22:35 | 固定ページリンク




エルボーパッド  |   一考

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 今年は大雪や利尻の初冠雪が29日だったとか、例年なら10月4、5日である。大雪が冠雪を迎えると山間のキャンプ場の朝の気温は3度から5度、冬支度でなければ震え上がる。北海道とはそのようなところである。
 27日夜、例によって二輪で帰路についたわたしは震え上がった。冬がまたはじまったなと思う。日中はシャツ一枚で大丈夫だが、深夜はライダージャッケトですら寒い。師走も睦月もなく、オートバイで走り回っていたものだが、歳と共に厳しくなってきた。
 コミネのエルボーパッド・プロテクターを購入、これで普段の皮ジャンでも大丈夫になった。とは申せ、いつまで乗られるのかしら。


投稿者:   一考  日時: 2017年10月03日 15:49 | 固定ページリンク




ソムリエのような日髙夏生さん  |   一考

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 いそざかな「一とく」の店主がお客と連れだってこられた。名を日髙夏生さんといい、東大出の若い方である。明石ですぺらにとってモルトウイスキーの最初のお客さんである。店には69本のシングルモルトを置いているが、すでに3回転は飲まれている。ソムリエのような飲み方が気に入り、最初は50本からはじめたのだが、彼のためにスペイサイドを15種追加した。
 東京の出だが、明石へ引っ越してから磯魚に嵌まったらしく、毎週土曜日には一とくで魚を食されている。先週はマナガツオとマトウダイのはなしになった。
 俚諺に「西海にサケなし。東海にマナガツオなし」という。マナガツオは瀬戸内、マトウダイは日本海側でよく食べられる。マトウダイはフランス語で「サンピエール(Saint-pierre)」といい、ムニエルの定番である。マナガツオはさらに高級なフレンチで重宝され、元々関東では人気がなかったが、いまでは国内産超高級魚のひとつになってしまった。

 写真は先週末、例によって近隣のスーパーで売っていたマナガツオ。スーパーで売られるような魚ではないのだが、なぜか安かった。値は580円。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月26日 04:32 | 固定ページリンク




戸井田和重さん来店  |   一考

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 先日、戸井田和重さん来店、みすじ通り店の常連さんだった。2日続けていらしたので、握り鮨その他を用意した。ウイスキーはハーフで飲んでいただく、その方が多くの種類を飲まれるからである。ウイスキーがメインだが、シェリー樽七年貯蔵の福田酒造の焼酎がいたくお気に入りで、販売店のくまの焼酎屋を紹介する。過去飲んだ焼酎でもっとも旨かった逸品である。
 代わりに、カプツィーナ・ヴァイツェンを教わる。ドイツの白ビールである。いつのことだったか覚えていないが、税制改革で300円のビールが一気に500円に値上がりした。現在店で置いているバディントンやマーフィーズも同様である。明石にはマーフィーズと名乗るショットバーがあるが、肝心のマーフィーズは高いので置いていない。ちなみにですぺらでは800円、次回は値を上げざるを得ないが。
 バディントンはキルケニーと共にわたしが好きなビールである。キルケニーは2008年にサッポロから売り出されたが、取り扱いがキリンになってから樽生のみの販売になった。バディントンはインポーターが手を引き、流通在庫のみになってしまった。残念なことである。
 アサヒのスーパードライのような極端にホップを減らし、ビールか発泡酒か分からないような商品が持て囃されるような国にあっては本物は捨て置かれるようである。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月25日 20:52 | 固定ページリンク




プロテクター  | 一考    

 一昨日からバイクが寒い。わたしのライダージャケットはメッシュの夏物、レザーでもナイロンでも良いので冬物が必要である。ボロでもよいので、ヤフオクで見付けようと思う。
 と思いつつ、箪笥を引っかき回すと格好のよいライダージャケットが出てきた。一人住まいが長いと衣服を片づけるのが面倒になり、冬物と夏物を別々の椅子の上に積み上げたまま生活している。ジャケットだが、痩せていた頃に贖ったもので、着られないと諦めていたのだが、着てみるとぴったり合う。減量が功を奏したようである。ただし、プロテクターなしのジャケットである。服の上に装着するオフロード用の上半身プロテクターが安いのだが、些か仰々しい。わたしの場合、シャントをカバーできればよい。そこでエルボーのインナープロテクターの中古を探すことにした。ジャケットの中古を買うよりは安い。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月25日 17:10 | 固定ページリンク




営業打ち切り  | 一考    

 昨晩は体調思わしくなく、営業を途中で打ち切った。帰宅後、血圧を計ると91-52、腰痛がはじまる数値である。拡張期血圧が40台になるとショック状態になり、30台になると心臓マッサージをしないと死に至る場合がある。
 血圧の管理すなわち降圧剤の服用は医師から任されている。手持ちの降圧剤はオルメテック、シルニジピン、アルドメットの3種。オルメテックはアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬のひとつ、シルニジピンはカルシウム拮抗薬、アルドメットは中枢性交感神経抑制薬のひとつ。最近はオルメテックがもっとも用いられるが、ディオバン事件に象徴されるようにアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬には問題あり。よってカルシウム拮抗薬に決定した。なお、フラノクマリン類を多く含むグレープフルーツジュース、ザボン、ブンタン、ナツミカンなどとの飲みあわせは行なってはならない。
 昨今、血圧の上下が激しいのは、体重が減っているからである。体重は増えれば増えただけ血圧も上がる。ちなみに、ダイエットとは体重を減らすことではなく、体脂肪を減らすことである。ここはひとつ、薬を控えながら様子をみる方がよさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月23日 21:06 | 固定ページリンク




薄味の総菜  | 一考    

 農家直販の農産物直売所「めぐみの郷」が近隣にあって、隣で食べ放題のレストランを経営していた。学生ならいざ知らず、老人が多い地区で食べ放題などよくやるなあと思っていた。案の定、客足が少なく閉店、スペースを利用して総菜をはじめた。
 スーパーの総菜は甘いのはともかく、塩分が多くて閉口していた。ところが、めぐみの郷のは珍しく味が薄い、わたし向けである。ですぺらの開店を1時間遅らせたために、閉店前の安売りに間に合うようになった。
 本日は、こいもの炊き合わせ、インゲンのごま和え、肉じゃが、鶏の南蛮漬け、小松菜のおひたし、スパゲティサラダ、ポテトサラダ、いかの天ぷら(1個)の8点が残っていた。デザートにパブロのチーズタルト(2個)も購入、併せて675円である。1日1食なのでわたしの3日分の副食になる。飯が好きなので最近は20グラム増やして140グラムをしっかり食べている。

 過日「減量」で体重について詳しく書いた。「7月中には65キロにまで落としたいと思っている」と書いたが、2箇月遅れで65.2キロにまで減った。やっとドライウェイトに達した、下限の62.8キロまでもう少し、年内にはなんとかなりそうである。1年で15キロの減量になる。
 生体腎移植で得た腎臓の機能に身体を合わせるには52キロにまで下げなければならない。さらに一年は減量に励まねば。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 20:59 | 固定ページリンク




シェリー酒について  | 一考    

 ウイスキーの熟成に用いられるシェリーカスクだが、そのシェリーはさまざまなタイプに分類される。辛口にはフィノ、マンサリーニャ、アモンティリャード、オロロソ、パロ・コルタドがあり、極甘口にはペドロ・ヒメネス、モスカテル。辛口と極甘口をブレンドした甘口にはドライ、ミディアム、ペイル・クリーム、クリームなどがある。ゴンサレス・ビアス社、ウィリアムズ&ハンバート社、ガルベイ社の3社からはヴィンテージ・シェリーが頒布されている。
 20数年前、サントリーからパロ・コルタドが頒布されてい、あまりの旨さに愕いたことがある。アモンティリャードの繊細なブーケとオロロソのボディーと味わいを持つワインである。拙宅にあと2本在庫があるが、非ヴィンテージのシェリーであれほど旨いものに出会ったことがない。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 00:11 | 固定ページリンク




ラフロイグ ロア再発売  | 一考    

 このところラフロイグに関する記述が続くが、「ラフロイグ ロア」が数量限定で再発売されている。トリプルウッドはフィニッシュがヨーロピアンオークだが、ロアはオロロソシェリーのホグスヘッド、クォーターカスク、一度ラフロイグを貯蔵した古樽の3種類のカスクに、ダブルマチュアードの原酒を加えてマリッジするという複雑な工程を経ている。
 トリプルウッドと比してシェリー香が顕著である。その分、ロアはトリプルウッドの高級品ということになりそうである。
 例によって、Whisky Magazine Japanの記事を転載する。

 http://whiskymag.jp/laphroaig_lore/

 こちらは初回の時の紹介記事。

 http://whiskymag.jp/lrlaph/


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 00:07 | 固定ページリンク




クォーターカスク終売  | 一考    

 ラフロイグのセレクトカスク発売に伴ってクォーターカスクが終売になった。流通在庫はまだあるのでぜひ購入されんことを。間違いなく旨いウイスキーである。
 トリプルウッドも終売になるようだが、こちらは最初のボトルと2度目以降のボトルでは中身が異なるようである。バーボンバレルとクォーターカスクで熟成は同じだが、フィニッシュはヨーロピアンオークとなっている。わたしは確認していないが、オロロソシェリーからペドロヒメネスへ変更されたようである。
 2012年にエクスクルーシヴ・カスクからブレイヴァル、アルタナベーン、グレン・スペイ、ブナハーブンの四種が頒された。フィニッシュはすべてペドロヒメネスである。加えて、ラガヴーリンのダブルマチュアードがペドロヒメネスである。ブレイヴァルは好きなウィスキーなのだが、リッチなシロップ漬けレーズンのアフターはデザートワインを思わせて興ざめである。そもそもペドロヒメネスを用いたウイスキーで旨いとおもったものがない。要するに甘すぎるのである。
 近頃、ワイン樽ブームだが、ソーテルヌやトカイのワイン樽などもってのほかである。フランスのボトラーがヴァン・ジョーヌの樽を用いているが、あれもいただけけない。ちなみに、赤ワインの樽で成功したのはボウモアのダスクのみ。やはりシェリーに倣って辛口の白ワインの樽が無難である。

 ですぺら掲示板2011年03月02日「クォーターカスク」に佐々木幹郎さんの土産話を書いている。
  http://www.despera.com/bbs2/2011/03/post_1087.html


投稿者: 一考      日時: 2017年09月19日 22:16 | 固定ページリンク




厚化粧のウイスキー  |   一考

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 明石ではかつてのマッカランのようなオロロソシェリーカスクによる厚化粧のウイスキーのみが持て囃される。そしてアイラモルトは嫌だという客が多い。なにを飲んだのか訊くと決まってラフロイグ10年だと云う。入手しやすいのが理由だろうが、ラフロイグ10年はもっとも安くもっとも拙いウイスキーである。クオーターカスクの方が遙かに旨い。おそらくバーテンダーが試飲せずに販売しているのが問題だと思う。
 他方、みなさん口をそろえて昔のウイスキーは旨かったという。ですぺらのバックバーは14年前の古いボトラーズボトルばかりだが、現行のウイスキーでも旨いものはいくらでもある。バーボン樽を多用しはじめたボウモア、さまざまな樽を使いはじめたラフロイグやマッカラン、タリスカーはラベルが何度変わろうが、同じ香味を保っている。カーン・モアの6年ものノックドゥーも旨い。昔を懐かしむのでなく、酒屋で買えるものの中から美味なウイスキーを選ぶことにこそ、飲み手の鼻と舌の真価が試されるのである。
 Whisky Magazine Japanの記事を転載する。

 http://whiskymag.jp/landb2014/

 6/24発売となった2つのアイラモルトのニューリリースをご紹介する

“アイラモルトの王者”ラフロイグ、 “アイラモルトの女王”ボウモア…2つのアイラ島の蒸溜所から、2アイテムが揃って登場した。
「ラフロイグ セレクトカスク」と「ボウモア スモールバッチ」である。どちらもノンエイジだが、その分エイジングに縛られることなく多種多様な原酒を使用できるという良さを十分に発揮し、これまでにないバランスとフレーバーを備えたボトルをつくり上げた。

「ラフロイグ セレクトカスク」は3タイプの樽で熟成させたモルト原酒(ペドロヒメネス・シェリー樽、ヨーロピアンオーク・シェリー樽、バーボン樽)をヴァッティングした後、さらにアメリカンオークの新樽で熟成するという、従来にはなかった新感覚。
スモーキーにシェリーの甘美がそよぐ。多彩な樽種での熟成モルトが織り成す重層感に、従来のラフロイグの香味イメージを超えたフルーティーさを見出すことができる。

「ボウモア スモールバッチ」はファーストフィルとセカンドフィルのバーボン樽で熟成させた原酒を使用。そもそもボウモアでは熟成の70%にバーボン樽を使用しているため、バーボン樽熟成の原酒は非常に豊富。その中から厳選しヴァッティングし、「この上なく幸せな結婚」をしたスモールバッチのボトルである。
香りはバニラファッジ、シーソルトとピートの煙、蜂蜜とシナモンが見事にバランスを取っている。味わいは口中を覆うようなシトラス感、穏やかな塩気とバニラ、かすかにココナッツ。フィニッシュにほのかなスモーク、バーボン由来のバニラとライムが心地良く、ソーダとの相性がよい。

どちらも定番商品として販売されるため、焦って買い求める必要はなさそうではあるが、アイラファンの方ならすぐにでも試してみたいと思われるだろう。コストパフォーマンスの高さもノンエイジならでは。アイラモルトの良さを詰め込んだ2つのニューリリースをぜひお試しいただければと思う。

商品概要
 ラフロイグ セレクトカスク 700ml 40% 3,020円
 ボウモア スモールバッチ 700ml 40% 3,490円


投稿者:   一考  日時: 2017年09月16日 20:27 | 固定ページリンク




 |   一考

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 先月の18日以来、24日ぶりに風呂へ這入った。腫れているものの、傷口にやっと薄い皮が張ったようでる。免疫を極端に落としていると、蚊に嚼まれたような疵がこのようになる。医師が云うには風邪をひくと結核になり死に至るそうな、不幸中の幸いと思っている。
 実はこの疱疹が背中、肩、頭にも転移、いくら髪の毛が薄くなったとは云え、頭皮の痛みは尋常でなく、悲鳴をあげていた。頭には痛み止めが効かない、40錠を超えるロキソニンとボルタレンを服用した。久しぶりの風呂だが、すっきりするよりも疲れてしまった。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月11日 21:39 | 固定ページリンク




目板カレイ  |   一考

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 傷口はずきずきするが、痛み止めは必要なくなった。同時に血圧が150まで上がり降圧剤を再開。疱疹と血圧は関係なかろうにと思うのだが、わたしにはよく分からない。いずれにせよ、オーグメンチン配合錠とルリット錠が効いているようである。それにしてもこのような多量の痛み止めを必要としたのは久しぶり。
 今日は恢復を祝って、目板カレイの刺身を買ってきた。目板を下ろすのは簡単なのだが、今日は出来合いを購入、すこぶる美味。来住さんが明石の刺身と鮨屋をぼろかすに云っていたが、まったく同感、いくらなんでも高すぎる。しかし、このような磯ものは別、ちなみに値は780円。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月09日 17:51 | 固定ページリンク




傷痍軍人  |   一考

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花柳病で傷痍軍人について書いた。写真を掲載しておく。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月08日 00:32 | 固定ページリンク




友来たる  | 一考    

 来住謙一郎さん来店、待ちわびていた客のひとり。 2001年10月の当掲示板で「明石の来住謙一郎さんや太田守さんのように、モルト・ウィスキーの香りについて縦横に語り合える相手に恵まれず、苦渋致しております。赤坂の酒屋さん、ソムリエやバーテンさんが葡萄酒の相談に足繁くやって来るのですが、ソムリエではなんの役に立たず、香りについてはやはり板前さんしか信用できないようです。栗の渋皮、生海苔、やや痛みかけた生麩、駄菓子屋のゴム風船、飴の純露、黴びの生えたパンツ、みつこや夜間飛行を1000倍に希釈した香りなど、来住さんからの一言は大いなる連想ゲームをもたらし、抱腹絶倒の試飲会の繰り返しでした」と書いている。
 事ほどさように、来住さんとの晤語は愉しかった。マッカランをはじめとするオロロソシェリー樽の厚化粧のウイスキーをわずか2年で卒業し、蒸留所本来の香味を味わえる3年から8年までの若いウイスキーにわたしを導いたのも、元を正せば来住さんだったのかもしれない。
 明石ですぺらは何時まで営業できるか分からない、わたしの健康次第である。後を頼めるようなしっかりした基盤を拵えたときには来住さんにお願いしたいと思っている。そのために選んだ水槽付きの割烹なのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月08日 00:00 | 固定ページリンク




花柳病  |   一考

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 わたしが子供の頃、巷は白衣と白色の繃帯で満ち溢れていた。大方は満州帰りの傷痍軍人で、腕のないひと、脚のないひと、失明したひとなどがいた。いまのように車椅子のない時代で、みなさん松葉杖(すら少なかった)の世話になっていた。なかには輪っかの付いた30センチ四方の板切れに正座しているひともい、よく見ると両脚とも膝から下がない、おそらく手榴弾か地雷による被害であろうか。新開地本通りや地下道、または縁日などにはそのようなひとが喜捨を求めて並んでいた。
 次いで純白で思い出すのが新開地に隣接する福原町、ピー屋の玄関で客引きをする遣手(やりて)と称する婆である。ピー屋のピーとは中国語での売春婦の蔑称、ピー屋とは中国における慰安所のこと。兵隊帰りの連中は女郎屋をピー屋と呼称していたのである。また、行き場のない年季明けの遊女は番頭新造として花魁の雑用をするか、遣手として遊女の監視・管理係もしくは客引きとなるのが常だった。梅毒の第二期から第三期症状になるとゴム腫が崩れ、瘢痕となる、それを「鼻が落ちる」すなわち「花落ちる病」と表現した。
 遣手はその疵を匿すために露出した素肌(両腕と首)を繃帯でぐるぐる巻きにし、小さな椅子に腰掛けていた。子供ながらに「人生のさすらい」の薄情さと痛々しさを見詰めていたのである。

 性と性病とはコインの裏表で切り離しては考えられない。売春防止法の前後で女郎屋は浮世風呂へと職業の形態こそ変われ、実態はなにひとつ変わっていない。かつて遊郭では一箇月を経ずして花柳病に罹ったと云われる。そして罹れば一人前として内祝いをしたと云われる。花柳病とは梅毒、淋疾(淋毒性尿道炎)、軟性下疳、鼠径リンパ肉芽腫、この四つのいずれかであった。今ではHIV感染症が加わり、さらに耐性菌の蔓延によって淋病がもっとも難儀な病になった。
(写真は女郎屋の洗浄室)


投稿者:   一考  日時: 2017年09月06日 22:20 | 固定ページリンク




サラ  |   一考

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 昨夜、危うく子猫を轢きそうになった。オートバイの前照灯は暗い、道の真ん中に子猫がうずくまっているのに気付いたときは既に急制動がかけられる距離ではなかった。思わず急ハンドルを切り、20センチほどの幅を残してやり過ごした。スラローム走行である。
 子猫がぴくりとも動かず、顔だけ上げてわたしを見ていたのは、なんらかの怪我を負っている証し。拾って帰り、傷だけでも治そうかと思ったが、わたしに生き物は禁物である。昔、明石の太寺から雪華社へ出向の折、飼っていた柴犬サラと多くの金魚をいろんなひとに委ねてきた。柴犬は新しい主人に馴染まず、宝塚の山奥に遺棄されたらしい。名の由来となったSarahは「自宅ではクッションを敷き詰めた棺桶で休んでいた」と伝えられる、拙宅のサラを最後まで看取られなかったのは無念、いまなお済まないことをしたと悔いている。それ以来、生き物は飼うまいとこころに刻み込んだ。
 生き物にとってひとは薄情である。昨今、老犬の介護施設が増えてきたと聞く。人間同様、認知症に罹った犬がホームへ追いやられるのは傷ましい。もっとも、傷を負った子猫を置き去りにするわたしこそ、もっとも薄情なのだが。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月06日 19:38 | 固定ページリンク




ボリス・ヴィアン 鈴木創士  |   一考

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 鈴木創士さんがヴィアンについて著している。素晴らしくも悲しい文章で末尾が飾られている。全文を引用しておく。

 http://www.gendaishicho.co.jp/news/nc3073.html

 ボリス・ヴィアンが二十近い職業を持っていたからといって、作家たるものがどうやって食っていけばいいのか、という由々しき問題の答えにはまったくならない。永続的な喫緊問題ではあるだろうが、その点で時代はますます悪化の一途をたどっている。
 ボリス・ヴィアンがほんとうにずっと金に困っていたのかどうかはつまびらかではないところがあるが、理科系に強かったボリス・ヴィアンは最初、公務員の技師になった。でもそれもやがてやめてしまい、ほぼ同時に、つまり一度に、詩人、小説家、翻訳家、劇作家、ジャズミュージシャン、シャンソン歌手、作詞作曲家、ジャズ評論家、オペラやバレエの台本書き、映画監督、映画脚本家、俳優、レコード会社のディレクター、画家、美術評論家となった。
 ボリス・ヴィアンは「職業がひとつなんて、売春婦みたいだ」と悪態をついていたが、しかし彼は結局のところ作家であり、プロのミュージシャンであるにすぎなかった。やったことはほとんどひとつ事なのだ。あとの職業は、よくある話だが、一儲けしようと企んだ当時のサン-ジェルマン-デ-プレの人間関係その他が、才能溢れる彼を利用しついでにほとんど彼に無理強いした余禄みたいなものだった。つまりこんなものはどれもやる必要のない仕事だった。
 彼はずっと心臓を患っていたが、コカインをやっていた気配はなさそうだし、医者に止められていたトランペットを夜毎サン-ジェルマン-デ-プレの地下クラブ、穴倉「タブー」で吹きまくっていたことだけがたぶん唯一の死因などではないだろう。仕事、仕事、仕事。彼は働きすぎたのだ。こんな忙しい毎日こそが彼の寿命を縮めてしまったことは想像に難くない。見たくもなかった映画、自分が原作を書いたのにその出来に不満を抱いていた映画(その原作とはヴィアンのデビュー作『墓に唾をかけろ』で、もう少し正確に訳せば『お前らの墓に唾を吐いてやる』)の試写中に心臓発作で亡くなったのだから、ボリス・ヴィアンはほとんど殺されたも同然なのだ。

 ところで、フランスは第二次世界大戦の戦勝国だったとはいえ、戦後直後のフランスの若者にとって、いつの時代も同じようなものだが、やはり未来はあやふやなものだった。いや、たぶんそれどころではなかっただろう。未来の行動も思想も混乱と幻滅のなかにしかありえなかった(彼らにとっても、広島と長崎によって「原爆の世紀」はすでに始まっていたし、われわれが想像する以上に、彼らがそのことを強く意識していたことは間違いない。ボリス・ヴィアン自身、「原爆のジャヴァ」という曲を歌っていた)。
 レジスタン派の勝利によって、ナチス・ドイツの占領からパリは解放されたが、パリ全体も、もちろんサン-ジェルマン-デ-プレも、そして人心も、荒廃の極みにあった。フランスには対独協力というごく近い過去があった。町のあちこちで住民によるリンチが頻発した。処刑も行われた。戦争犯罪者たちと無名戦士の墓…。不思議なことに誰もが突然抵抗運動マキの英雄になった。えっ? かつて密告が横行したように、嘘も逃亡も横行したに違いない。すべてがマロニエの下ですっかり泥水をかぶってしまったのだ(後にヴィアンはレジスタンス神話を徹底的にこき下ろした戯曲『屠殺屋入門』を書き上げるが、芝居は二流の劇場でしか上演されることはないだろう)。フランスは旧約聖書の時代のようにさながら二分されたままだった。フランスとフランス人にとってヴィシー政権と戦後のアルジェリア戦争は二十世紀の二つのトラウマだったのだし、その問題は間違いなく今も尾を引いている。
 文学者はどうなのか。文学者も多くのツケを支払わされることになった。ナチス占領下でヴィシー政権支持の文章を書きまくったブラジアックはあれこれあった末に銃殺刑に処せられた。セリーヌは亡命し、ジャン・ポーランに代わってガリマール社の『NRF』誌の編集長におさまっていたドリュ・ラ・ロシェルは結局自殺した。九死に一生を得たブランショはやがて極左に転向するだろう。ドリュ・ラ・ロシェルは元パリ・ダダのメンバーだったことがあったのだし、戦前の右翼だった彼らはみんな「共産主義かファシズムか」の世代だったのだ。

 ボリス・ヴィアンは戦後のサン-ジェルマン-デ-プレのスターになったが、彼は戦争に深く刻印されただけではなく、まぎれもなく戦争を心底憎む戦後作家のひとつの在り方だった。それが彼の真骨頂だったと私は考えている。ボリス・ヴィアンの悪ふざけが何らかの反抗のしるしか発作でなかったことは一度もない。当時はただのジャズだって普通のフランス人には受け入れ難いものだった。おまけに彼は「脱走兵」の歌もうたったし、こんな詩も書いている。

  俺はくたばりたくない
  夢も見ないで眠りこける
  メキシコの黒犬
  むき出しの尻をした猿たち
  熱帯をむさぼり食らう
  あぶくでいっぱいの巣にいる
  銀色に光る蜘蛛たちと
  知り合いになるまでは
  俺はくたばりたくない…

 人生において誰もがその人のうちでその人を完結せざるを得ないことはわかり切ったことだ。ボリス・ヴィアンの場合は生き急いでいたように見える。そうはいっても、戦後のサン-ジェルマン-デ-プレの生活は愉快だったはずだ。ボリス・ヴィアンは『サン-ジェルマン-デ-プレ入門』という本を書いているくらいだから、ここに彼が「場所と公式」を求めたことは間違いない、というかそれしかなかったはずである。場所と公式は探し当てられたのだろうか。誰にとってもその問いに答えるのは難しいが、彼はここで生き急ぎ、そして死ぬことになった。
 サン-ジェルマン-デ-プレには、ご存知のとおり、多くの有名人が顔を見せていた。サルトルとボーヴォワール、カミュ、メルロー-ポンティ。だが黒ずくめの若者たちは、全員が実存主義の学生ばかりではなく、誰もがサルトルの信奉者だったわけではない。実存主義一色のサン-ジェルマン-デ-プレなど、ヴィアン自身が言うように、三文ジャーナリストが苦し紛れにでっち上げたいいかげんな話にすぎない。
 レイモン・クノー、ジャック・プレヴェール。フランスの暗黒小説の叢書、つまり探偵小説のことだが、「セリー・ノワール」の総指揮官だったマルセル・デュアメル。たしかにセリー・ノワールの哲学があったのだし、フランス映画はすぐ隣に位置していた。サン-ジェルマン-デ-プレには古参の連中もいた、アルトーや、ピカビアや、アメリカへの亡命から戻ったブルトン、コクトー、バタイユやツァラもいた。画家のヴォルスや、ジャコメッティ、マッタ。ジャン・ジュネ。エジプト出身の放浪作家アルベール・コスリー。アルトーの弟子だったロジェ・ブランや多くの俳優たちとその卵。ボリス・ヴィアンと並び称される戦後サン-ジェルマン-デ-プレの寵児、役者で歌手だったジュリエット・グレコ。それに名だたるアメリカのジャズミュージシャンたちがこぞってやって来ていた。デューク・エリントンも、少し後にはマイルスも。シュルレアリストの残党、そして後に五月革命を準備するシチュアシオニストの源流となったイジドール・イズーとレトリストの詩人たち。独創的にしかなりえなかった映画監督、五月の革命家となるかのギー・ドゥボールもそこにいた。後にウィーン幻想派の画家になったエルンスト・フックスも。
 一日中カフェにたむろし(この点で有名なカフェはいくつもあったし、今もまだ残っているものもあるにはあるが、いちいち列挙するのはあまりに空しいので、やめることにする)、夜はクラブ「タブー」で踊り狂い、安ホテルの部屋や泊めてもらえる寝ぐらがなければ、メトロの駅で野宿する多くの若者たち。戦争孤児たちもブルジョワの子弟も。彼らによって未来は拒否された。精神錯乱は保証済みだし、不必要といえば不必要なのだ。はっきり言って、こんな連中は最近では絶滅危惧種である。私があきらめ気味に日々そのことにいら立っていないと言えば嘘になるだろう。かっぱらい、麻薬の売買、その他の犯罪に近いこともたまには。まあ彼らは、言ってみれば、フランスのビートニクス、フーテン族やヒッピーのハシリとも言えるのだが、その魅力的な風貌は、エルスケンの写真集『セーヌ左岸の恋』やその他の写真、ジャック・パラティエの記録映画『想い出のサン-ジェルマン-デ-プレ』でも見ることができる。

 それらの中心にほんとうにボリス・ヴィアンがいたのかどうかはわからないが、ヴィアンが日常生活のなかで彼らを鼓舞し、そそのかし、元気づけるようなことをやっていたのは、伝記作者たちの筆致からしても、確かなことなのだろう。彼自身、自分を鼓舞していたフシがある。なぜなのかはしかとはわからない。生き急いだボリス。退屈だったボリス。そうとしか言いようがない。ボリス・ヴィアンの最初の作品は、はじめのほうで言及したように、セリー・ノワール風の「えげつない」小説『お前らの墓に唾を吐いてやる』だったが、これはヴァーノン・サリヴァンというアメリカ黒人作家の作で、ボリス・ヴィアンが翻訳と序文を担当したことになっていた。真っ赤な嘘だった。このほとんど冗談みたいな処女作は、出版社「スコルピオン」の社長ジャン・ダリュアンとの退屈な会話から生まれた。もちろんそれが彼らの日常的な悪だくみの一環だったことは言うまでもない。
 「なんかいい作品はないかなあ」
 「あるよ、ヴァーノン・サリヴァンという黒人作家だ」
 「原稿はあるのか」
 「今から俺がでっち上げるさ」
 「じゃ、そいつで一儲けしようぜ」
 実際、本は五十万部の戦後最大のベストセラーとなったが、暴力描写及び過激な性描写ゆえに風俗紊乱の廉で発禁処分の憂き目をみる。バタイユやブルトンが法廷に立ち、出版人ジャン・ジャック・ポーヴェールが被告になったサド裁判よりずっと前の話である。

 ヴィアン自身が言うように、内容とは何の関係もない表題をもつ小説『北京の秋』に敬意を表して、最後に中国北宋代の詩人蘇東坡の詩をヴィアンに献じよう。

  人生いたるところで知りぬ何にか似たる
  まさに似たるべし飛鴻(ひこう)の雪泥(せつでい)を踏むに
  泥上にたまさか指爪(しそう)を留(とど)むるも
  鴻飛んでなんぞまた東西を計(はか)らん

 ボリス・ヴィアンは心臓発作によって三十九歳で亡くなったが、人生の漂白を知るために、つまり書くために、北京をわざわざ彷徨うには及ばなかった。彼はサン-ジェルマン-デ-プレにとどまって、ペットを吹いていた。音楽もまた原則としてその場で消え失せるものである。誰もまともに読もうとしないのだから、書かれたものだって同じだ。素晴らしい詩人で失脚した政治家だった蘇東坡が語るように、人生のさすらいは何に似ているのだろう、舞い降りた雁が雪解けの泥を踏むようなものではないのか、泥の上に偶然足跡を残しはすれども、飛び立った雁の行方は誰も知らないからである。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月04日 21:41 | 固定ページリンク




畏友鈴木創士  |   一考

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 鈴木創士さん来店。土産にランボー全詩集とアルトーのヘリオガバルスを持参、いまのわたしにとってこれ以上の贈り物はない。いずれの著書も彼の文学への抗い、文学との鬩ぎあいが脈々と息吹いている。
 彼と面と向かって話し合ったのははじめてでないだろうか。 かつてジュネの翻訳を送られたとき、わたしの正直な意見を書いた。またですぺら掲示板1の終わりの頃、ふたりでやり合ったのを思い出す。
 彼のツイッターに著されている。「赤坂から明石に店が移ったことは知っていた。行ってみると、震災後に何をするでもなく一人でよく歩き回っていた町だった(近隣に住んでいた)。ですぺら! 何十年ぶりかの渡辺一考氏が、青い光の中、スコッチの瓶を片手に、幻のオートバイにまたがった死神のようにそこで待っていた。彼は笑っていた」と。
 
 かつて文学は自分に向けられた怒りであり、全否定へと至る道程だった。彼は現在63歳、以前よりは幾分ましになったとは申せ、跛を引いている。自らの体躯すら否定してやまない彼の存在は、わたしにとって残されたただ一人の友であり、師でもある。

 ところで、お連れのhanaさんからセイロンベンケイもしくはトウロウソウ(灯籠草)を頂戴した。葉から芽が出る葉で、侵略的外来種としてギンネムとともに問題視されている。道端など陽当たりの良い場所を好むようである。まるで鈴木創士の精神そのもののような植物、育ててみようかと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月04日 21:28 | 固定ページリンク




ですぺら近況  | 一考    

 盆休みの間、体調は最悪だったが店は忙しかった。開店後半年を経て、やっと家賃分の売り上げがあった。家賃の売り上げだけなら仕入れもなにもできない。しかし、趣味でやっているのだから仕方がない。体調の方は例によって血圧が低い。最高血圧が90mmHg以下、最低血圧が50mmHg台だった。半月以上、降圧剤は飲んでいない。それよりなにより、冷房に泣かされている。わたしは寒くて震えているのだが、一部の客は暑いと云う、献血に行けばと思うのだが、興味はないそうである。
 りきさんの紹介による3名様をはじめ、先月のお客の大半は東京と京都からだった。文学に関するはなしはしたくないのだが、訊かれれば応えるしかない。わたしにはウイスキーのはなしの方が愉しいのだが。1995年1月の阪神・淡路大震災以来の客が来てくださったのは嬉しかった。赤坂の最初の店にもご来店らしく、最初は分からなかったが、話し込んでいるうちに追々思い出した。やはりオートバイ乗りらしく、明石川沿いの道を押部谷方面まで走るのが好きだと云うと、わたしも好きだと意気投合。こちらへ引っ越してから幹線でなく、細い道を走り回るのが好きになった。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月04日 20:12 | 固定ページリンク




疱疹つづき  | 一考    

 健康なひとなら単なる疱疹でとどまるのだが、どうやら雑菌が掌にまで拡がっているようである。腫れ上がった左の掌に激痛が走る。神大病院で紹介状を書いてもらった近所の皮膚科へ行って症状を説明するも、既に治りかけている。痛みを訴えるも、そのようなはずはないのだがと一蹴。患者の意見を無視するのを藪という。わたしの判断で痛み止めをカロナールからロキソニンへ格上げ、ボルタレンもあるのだが、胃への負担が大きくレバミピドが必要になるので控えた。
 水曜日にもう一度神大病院へ行こうと思っている。過去服用したすべての薬がパソコンに登録されているので、説明がしやすい。ずっとオートバイに乗っているものの、ギアチェンジにずいぶんと手間取っている。要は困っているのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月04日 19:48 | 固定ページリンク




疱疹  | 一考    

 指の疱疹に黴菌が這入り、きりきり痛む。免疫を極端におとしているために仕方がない。オートバイのクラッチレバーを引くたびに激痛が走る。泌尿器科の医師に皮膚科への紹介を頼む、症状はと問われて帯状疱疹と応えると、診もせずにあんたの見立てなら間違いなかろうと皮膚科へ電話を架ける。泌尿器科の受付嬢を最近見ないと思っていたら、皮膚科へ移っていた。彼女のおかげで待たずにいきなり診察、問診すら省略してくださった、ありがたいことである。
 日々の買い出しから店との往復まで、オートバイがなければわたしはなにもできない。はやく治ってほしいと願っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月02日 20:41 | 固定ページリンク




日刊ゲンダイ 2017年8月22日  |   一考

今なお残る疑惑 血の気が引いた「日航123便 墜落の真実」 斎藤貴男

 乗員乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故は、1985年8月12日に発生している。33回忌を迎えた先々週12日にも墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹山に259人のご遺族が集まり、追悼慰霊式が営まれた。

 忘れられてはならないのは、しかし、犠牲者たちの無念ばかりではないはずだ。単独機の航空事故では史上最悪の惨劇であるにもかかわらず残された、おびただしく、かつ根本的な謎の数々も、である。

 自衛隊ヘリによる生存者の救出作業が始まるまでに、墜落から17時間以上も要したのはなぜか。事故機の周囲に戦闘機を目撃したとする近隣住民らの証言が時に聞かれるが、そのことは何を意味するのか……。

 前者については、事故直後にたまたま近くを飛んでいた米軍輸送機の乗組員が、衝撃的な手記を週刊誌に寄せたこともある。現場はすぐに特定され、早くも2時間後には米軍ヘリが到着したのだが、突然、救助ストップの命が下ったのだという。

 事故調は“修理ミスによる後部圧力隔壁の損壊”に原因を求めたが、はたしてそうか。定説を覆しかねない情報や矛盾の分析を試みる論者はこれまでも少なくなかった。

 新説のいくつかには私も触れて、なるほどなあと感じてもいた。とはいえ矛盾の指摘にとどまっていては、残念ながら“謀論”の誹りを免れない。

 ところがこの7月に河出書房新社から刊行された青山透子「日航123便 墜落の新事実」を一読し、血の気が引いた。遺族や目撃者らの新証言や、当時の山下徳夫運輸相(故人)への取材などを積み重ねて、青山さんは確信に近い仮説を導き、強く示唆している。

 すなわち、事故機を仮想敵機に見立てた米軍ないし自衛隊機による誤射、あるいは突発的事故――。

 実際、技術畑の遺族の中には同様の疑いを抱き、独自に調査を進めた人もいるらしい。大手メディアが黙殺したので、私自身を含めた圧倒的大多数が知らないだけである。

 青山さんは日本航空の元スチュワーデス。本書の版元が定評のある大手出版社であることも、もちろん重要な要素だ。

 政府は今、過去にも増して米国との軍事的一体化を強行しつつある。青山さんには敬意を込めて、さらなる追及を期待したい。と同時に、彼女の成果をより発展させ、今度こそ真相にたどり着く努力を急ぐのもプロのジャーナリズムの責務であり、この国の将来を救う数少ない道のひとつだと、私は信じる。自戒とともに。


投稿者:   一考  日時: 2017年08月22日 21:57 | 固定ページリンク




メルトダウンならぬメルトアウト  |   一考

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即死の燃料デブリ残骸でわかった廃炉のデタラメ皮算用

 本当に廃炉なんてできるのか。目の前の現実に打ちのめされてしまう。

 東京電力は2日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査で撮影した映像を解析したところ、一部で毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した。

 http://vroad.biz/archives/56


投稿者:   一考  日時: 2017年08月22日 21:31 | 固定ページリンク




新しいたばこフォルテ  |   一考

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 フォルテとの細巻きの葉巻がでている。発売は2016年6月、インドネシア産のたばこ。手巻きタバコのシャグやたばこシートで巻いたフィルター付き葉巻(リトルシガー)のため、税率が低く、1箱20本250円、ゴールデンバットより安価、激安のたばこである。3種類あるが、葉巻タイプなのでニコチンやタールの表示はない。オリジナルは15から18㎎、ライトは11から14㎎、ノンフレーバーのため、たばこ本来の香味が楽しめる。後発のメンソールはタール10㎎/ニコチン0.9㎎、かなり強いメンソールである。1箱ずつ買ってきたが実に旨い、お薦めである。

 下に敷いているのはケムリエと題する愛煙家のための雑誌の創刊準備号。10月中旬創刊予定。


投稿者:   一考  日時: 2017年08月12日 17:39 | 固定ページリンク




ジャンヌ・モロー逝く  |   一考

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フランスの大女優、ジャンヌ・モローさん旅立つ 89歳

 http://grapee.jp/368970

ジャンヌ・モローと云えば、1966年の「マドモアゼル」を思い起こす。監督トニー・リチャードソン、脚本マルグリット・デュラス、原案ジャン・ジュネの映画である。夢も希望もない悪意と憎悪に彩られた傑作である。
youtubeで2016年4月に公開されている。昔のそれと比して画質が良くなっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=XFGFOpyLWyQ/


投稿者:   一考  日時: 2017年08月01日 23:00 | 固定ページリンク




ヨコハマの歌〜煙草が似合う俳優達が歌い継いだブルースのルーツ〜  |   一考

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藤竜也とエディ藩が創った横浜ホンキートンク・ブルースからツイてる男の唄、ドッポ節まで、70年代のブルースをお楽しみあれ。筆者は佐々木モトアキさん。

 http://www.tapthepop.net/machinouta/16883


投稿者:   一考  日時: 2017年07月18日 15:55 | 固定ページリンク




自転車と貧血  |   一考

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 わたしのヘマトクリットは2年前の引越時 Ht30パーセントにまで戻り、現在は Ht32.5に至っている。いずれにせよ、極度の貧血である。腎移植したのだから、Ht40とまでは云わないが、せめて Ht35近くにまで戻って欲しいのだが。
 はなしは変わるが、勃起能力はこの Hb(ヘモグロビン)もしくは Ht が高いほど有効である。言い換えれば、血の気が多いひとほど勃起するわけである。ヘマトクリット Ht30パーセントだと完全な勃起不全になる、血液量や血流に難があるからである。ただし、ED薬は Ht40パーセント以上でなければ服用できない、失神してしまうからである。
 過日「疑惑のチャンピオン」を観た。ガンを克服し、ツール・ド・フランスで7年連続総合優勝の偉業を達成したが、その後、長年にわたるドーピングが発覚し、自転車競技界から永久追放されたランス・アームストロングの栄光と転落の人生を描いた映画である。ランス・アームストロングが酸素摂取量を増やすために用いた運動能力向上薬は、エリスロポエチン(エポ)、テストステロン、コルチコステロイド及びそのマスキング剤などである。そのうちのエリスロポエチンは高価な薬だが、透析治療をしていた頃はわたしも定期的に投与していた。当然のことだが、あれほど好きだった自転車にはいまなお乗られない。
 先日、銀行に用事があって店から明石駅まで歩くことになった。しかし、250米の距離が歩かれず、道端でしゃがみ込んでしまった。恐るべし貧血、一向に体力は戻っていない。

 http://cetaka.com/anemia/

 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50857770S3A120C1000000/


投稿者:   一考  日時: 2017年07月17日 02:02 | 固定ページリンク




モーターサイクル・ダイアリーズ  |   一考

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 フェイスブックのカバー写真をはじめて取り替えた。映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の一コマである。1951年、アーネスト・チェ・ゲバラが友人のアルベルト・グラナードと連れ立って、「The Mighty One」(マイティ・ワン)と名づけた1939年製ノートン500で南米縦断の旅を目指す。原著は『モーターサイクル南米旅行日記』、製作総指揮はロバート・レッドフォードが担当。
 ノートン500に積まれたエンジンは、1927年に開発され1930年に改良が施されたシングル・カムシャフトのCS1エンジン。1932年から第二次世界大戦勃発の影響で中断される1939年までのセニアTTで7度の優勝を飾るなど、レース界でのノートン伝説を創り上げた。


投稿者:   一考  日時: 2017年07月15日 00:28 | 固定ページリンク




大林宣彦監督のスピーチ  |   一考

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2017年6月11日、東京・明治神宮会館にてショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2017 アワードセレモニーが開催。オフィシャルコンペティションの審査員・大林宣彦監督が、平和を守る存在としての映画の価値について、会場に集まった若い制作者たちに語りました。末期ガンで余命宣告を受けている大林監督は、映画祭としては異例とも言える30分に渡るスピーチを行い、故・黒澤明監督から受け継いだ「映画で平和をつくる」という理想を、次の世代に託しました。

 http://logmi.jp/217287


投稿者:   一考  日時: 2017年07月14日 23:49 | 固定ページリンク




ゴーヤの食べ方  |   一考

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こんな食べ方あったんだ! 甘みとうまみがアップする「干しゴーヤ」の作り方。
沖縄や九州ではお馴染みの食べ方だそうです。

 http://mi-journey.jp/foodie/39897/


投稿者:   一考  日時: 2017年07月14日 23:36 | 固定ページリンク




服用している薬について  | 一考    

 もっか免疫抑制剤はセルセプト、グラセプター、メドロール、サーティカンの4種。尿酸排泄薬のユリノーム、コレステロールの合成を抑制するクレストール、前立腺肥大症治療薬ナフトピジル、胃酸分泌抑制薬のラベプラゾール、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)の発症を抑制するバクタ配合錠。降圧剤はアルドメットを中止し、オルメテック、シルニジピンの2種を服用している。

 免疫抑制剤は臓器移植、骨髄移植における拒絶反応及び移植片対宿主病の抑制に用いる。有効性と安全性を確認するために血中濃度(トラフ値)を測定し、投与量を調節する必要あり。そして、腎移植は保険診療だが、移植後の免疫抑制剤には保険対応していない薬が多い。例えばポリグロビンのように数百万円するものからリツキシマブ(抗 CD20モノクローナル抗体)のような数十万円までさまざまである。
 わたしはポリグロビン治療を拒否したがゆえに、烈しい拒否反応に悩まされた。免疫抑制剤やステロイドの継続投与や増量、リツキシマブのパルス状投与によってなんとか乗り切ったが、もし仮に慢性GVHDだったばあい、予防法ならびに治療法は今なお確立されていない。
 サーティカンは心移植や腎移植における拒絶反応の抑制に有効で、長期生命予後がいっそう改善されると期待されているが、如何せん副作用が烈しい。
 わたしはサイトメガロウィルスによる感染での大量下血も経験させられた。また、催奇形性の問題もあって、臓器移植者として移植には反対である。移植後の長期生存者のQOLはすこぶる低い。

 ユリノームは痛風に効果のある薬、即効性はないがわたしはしばしば規定量を超えて服用している。わたしのような腎結石を伴う患者のばあい、症状を悪化させるおそれがあるために要注意。
 クレストールは2.5ミリグラムを服用、用量が少なければ副作用も少ない。
 ナフトピジルは前立腺肥大症に伴う排尿障害改善剤、わたしのような蓄尿障害、頻尿や尿意切迫感を持つばあいに有効である。
 ラベプラゾールの先発品はパリエット、胃酸の分泌を抑える「プロトンポンプ阻害薬(PPI)」という種類の胃薬。ピロリ菌(H.pylori)の除菌にも役立つ。ただし、胃癌、食道癌等の悪性腫瘍や他の消化器疾患による症状を隠蔽することがあり、内視鏡等による定期的な検査が必要。
 バクタ配合錠はエイズ患者や免疫抑制療法などで抵抗力が落ちている人が感染すると厄介な日和見感染症に有効。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)やペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP)にも応用されるが、ニューモシスチス肺炎の第一選択薬。

 最後に降圧剤について一言、オルメテックとの併用禁忌としてロキソニン、セレコックス、カロナールなどの痛み止めがある。シルニジピンはカルシウム拮抗薬のひとつで尿酸値も低下させる、わたしにとってもっとも必要な降圧剤。ちなみに、降圧剤とは血管の内腔を拡げるはたらきをもつ薬のこと。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月13日 21:59 | 固定ページリンク




エンジンストール  | 一考    

 今日は血液検査の日だった。朝7時半に出発、神大病院目指して山麓バイパスをオートバイで走る。神戸市総合運動公園を抜けてトンネルをくぐり、約200メートル走ったところでエンジンストール。唐突のエンストなどで電気系の不具合か、バッテリーを疑ってみるも購入後1年半しか経っていない。後続車両がひきも切らず、なかなか路肩へよられない。
 プラグが被るのを覚悟の上で、セルを回し続ける。想定通り、オートバイはウンともスンとも反応しなくなる。JRSのお出ましである。現場から拙宅までは13キロほど、15キロまでのレッカーは無料なので助かる。拙宅へオートバイを停めて神大病院へ電話、11時までに来られるならどうぞと医師から云われ、車に乗り換えて病院へ。このドタバタで3時間半水分が摂られず、血液の検査結果は最悪だった。
 帰宅後、おそるおそるセルを回すとエンジンがかかった。エンジンをかけたままにして一眠り。その後、オートバイはなんの問題もなく動いている。あのトラブルは白昼の悪夢だったのか。

追記
 採決から検査結果が出るまでに1時間かかる。急いでもらって40分、その間医師はわたしひとりのために待っていて下さった、感謝している。降圧剤のオルメテックを減らしたいのだがとの質問に、薬の量は任せている、あなたが判断するようにと云われる。ありがたきかな。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月12日 22:30 | 固定ページリンク




プライベート症候群  | 一考    

 フェイスブックの友達のサイトでゴミ袋への氏名の記述が問題になっていた。わたしは賛成である。なぜなら監視が目的ではなく、混入に対する唯一の予防策だからである。拙宅は集合住宅なので、毎週混入が起きている。生ゴミのなかに罐瓶の類が放り込まれている。塵芥車は当然のことだが持ち帰らない。それを猫や鳥が破り辺り一面に散乱する。2週間に1度、ふたりの女性がやってきて掃除をする。掃除の段階で分別はしないので、ゴミは溜ってゆく。最後は有料ゴミとして処分している。わたしは出遭えば掃除を手伝っているが、どうにもならない。それらの費用は家賃に加算される、悪循環である。
 昨今なにごとに寄らず囂しいのがプライベートの問題である。50歩譲って、監視されているとして、ゴミにプライベートなどあるのであろうか。仮に使用済みのコンドームが這入っていたとして、そのようなものを数えるような暇人がいるのであろうか。相互扶助の精神を大切に思えばこその氏名記述である。掲示板に於ける文責同様、なにごとにも責任は生じる。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月08日 14:11 | 固定ページリンク




ミスター・パンプキン  | 一考    

 先日、店で人生相談を受けた。男からのメールが突然途絶えたという。長い付き合いで、金銭的面倒は彼女がみていたようである。どうして途絶えたのか理由が分からず心配している、こういう場合、どのように対応すべきかとの相談だった。
 似た経験をわたしもさせられた。もっともわたしの場合は恋愛でないが、応用が利くのでないかと思い、はなしを進めた。まず、メールが途絶えたのは彼の彼女に対する意思表示の顕れだと伝えた。理由は些細なことで彼女がいくらおもんぱかったところで分かりはしない、おそらく相手側にとっても定かでないだろう、なんとなく嫌になったが正しいのであるまいか。
 男からのメールが突然途絶えたことについては他にもいろいろ考えられる。メールを再開すれば、さらに女性を傷つけるやもしれず、積年の恨みがないとも云いかねる。月並みだが、他に女ができた、性癖が変わった等々。もしくはなんでもない言葉の一言二言に引っ掛かったとか、存外このケースが多いのであるまいか、と。
 いずれにせよ、メールが途絶えた理由を詮議してみてもはじまるまい。現に途絶えたのであるから、彼のことは諦めるしかない。例え縒りを戻しても同じことが繰り返されるだけ、あなたの疵口がさらに拡がる結果に終わりますよ。彼女がいうには途絶えてから10度ほど一方通行のメールを送ったと。それなら十分礼を尽くしたことになる、なおのこと「あんさん、はよう別れなはれ」と。
 諦めるとなると腹立たしいこともある、と彼女。それなら悪口雑言を吐けばよろしいのでは。わたしはシャクに障ることがあると掲示板へ悪口を書きまくる。書けば気が収まるし、書いているうちにどうでもよくなってくる。精神衛生上、これほど相応しい解決策はないとおもっている。相手がどなたさまであれ、切り捨てるときに若干のエネルギーが必要ですが、いざ、切り捨ててしまえば、この上なく痛快な気分に浸られます、と。
 その後、彼女がどうしたかは分からない。ただ「先日のはなしですが、解決しました」との連絡があった。どのように解決したのか、それはわたしの知るところにあらず。

追記
 このところ、ミセスならぬミスター・パンプキンが続く。わたしごとき出鱈目な人間に何故と、いささか呆れかえっている。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月05日 13:01 | 固定ページリンク




キャラメルポップコーン  | 一考    

 昨日はじめてクーラーを稼働させた。移植はしたものの腎臓の機能が不十分で、暑さを感じられない。先週2箇月ぶりに女房が来店、この暑さはなんなのよと叱られた。わたしは寒いとすら思っていたのにである。
 下って2日、今度は客が暑いと云って汗を垂らしている。それを見てさすがのわたしも電力会社へ連絡し、動力を開けてもらった。まるで自らの老いを責め立てられたようで消沈している。

 先週は体調思わしくなく、丸6日間パソコンを立ち上げなかった。そして食事のかわりにキャラメル味のポップコーンを食べている。このポップコーン、ディズニーランドのような味と香りね、と‎ホステスの間で好評である。わたしはディズニーランドとやらへ行きたいとも思わないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月04日 23:07 | 固定ページリンク




ときめき  | 一考    

 何度か掲示板にご登場願っているのだが、とりあえず、ここではTさんとしておこう。Tさんがひどく落ち込んでいる。失恋に見舞われたようである。70になろうが、80になろうがひとは恋に身を焦がす。歳をわきまえず、恋する相手は常に若いのが男の常。80の男が90の女に恋をしてもよさそうなものだが、男の脳内構造はそのように出来ていないらしい。
 Tさんは3年前に女房と死別している。寄る年波と相俟って人生がもっとも遣る瀬なくまた切なく思われる時節である。近隣にそれとは表記していないが、キ○○トと称する熟女バーがある、所謂出会い系である。故あってそこの女性と親しくなった。訊くと値は1万5千円、出会い喫茶のように二十歳の女とはいかないが、店側への余分な支払いは生じない。桜町界隈に同種の店は2軒しかないという。その店を念頭に、Tさんに女でも買えばと薦めるのだが、彼はときめきがないのは嫌だと応える。少なからず、その意見にわたしは賛成する。
 Tさんには付き合っている女がいて、短い期間だが2階に住まわせたことがある。その後、彼女は独立してカラオケスナックを営んでいる。Tさんは頻繁に訪れていたが、ある日悶着が起きた。彼女の新しい男の前で、この男と付き合っているのかと詰問したのである。当然男は怒り、刃傷沙汰にまでは至らなかったものの、暴力事件となって警察のお出ましと相成った。Tさんはさんざん彼女に注ぎ込んだものの、ストーカーとして任意同行、警告書へのサインを強要(彼の弁)された。
 Tさんとわたしは親しいのだが、今回の一件は彼女に分がある。Tさんはボーダーライン型の典型であって、孤独を避けるための行為なのだが、結果として人間関係が濃く、相手を支配しようとする気違いじみた努力に至ったのである。
 福島章はその間の消息を「自分が相手を好きという感情は、どんなに強くても恋愛感情であって恋愛妄想ではない、妄想とは、証拠・根拠がないのに相手が自分を好きであると信じる、逆に相手が自分を嫌っている証拠・根拠があっても相手が自分を好きであると信じる、信じて疑わないことである」と述べている。Tさんはその一件をわたしに相談したという一点に於いて、異常者でなければ、ストーカーでもない。ときめきまでは正解なのだが、ときめきを求めるがあまり陥ってしまった恋愛妄想、関係妄想の処理方法に過ちがあったのである。刻が移ろうように不変の愛などと云うものは存在しない。年長者に失礼だが、一言で申せば、恋愛に未熟だったということになろうか。
 彼はわたしに話したことによって、落ち着きを取り戻すと思うのだが、現在は悄気返っている。そのような彼を見ていると、なぜかわたしまでが悲しくなってくる。残された時間はいくらもない、ときめきは人生でもっとも大切なものだと思うが、多くの人は心の内に秘めたまま朽ち果ててゆく。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月04日 04:25 | 固定ページリンク




飲み続けてはいけない薬  |   一考

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「週刊現代」2016年6月11日号より


投稿者:   一考  日時: 2017年06月29日 23:13 | 固定ページリンク




高野孟さんの記事  |   一考

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日刊ゲンダイに掲げられた「永田町の裏を読む」と題する高野孟さんの記事。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月29日 00:18 | 固定ページリンク




理念なき民  | 一考    

 リテラに「天皇が「主権回復の日」に「沖縄の主権は回復されてない」と異議を唱えていた! 安倍政権に奪われる天皇の発言機会」との記事が掲げられている。

 http://lite-ra.com/2017/01/post-2820.html

 誠にもって自民党ならびにその補完勢力たる日本会議や神道政治連盟などは逆賊であり、国賊としか云いようがない。天皇の沖縄へのそして平和への思いなど一顧だにすることなく、天皇の存在それ自体を一蹴して止まない自民党政治に国民はいつまで目覚めないのであろうか。戦後なんとなく続いてきた平和に慣らされて軍拡への途をひた走る平和ぼけした(平和ぼけとはこのように使っていただきたい)政治家とそれを支えてきた一億の民は共に酔いしれ腐りきっている。
 憲法改正が囂しいが、理由の過多は時代にそぐわないとか申しているそうな。憲法は理念であって、時代に即さなければならない理由が那辺にあるのだろうか。そのために法律があるのでないだろうか。法律は運用すなわち解釈によってどのようにも変わってゆく。しかし、憲法の解釈を歪めることは憲法自体が禁じている。そしてその憲法を積極的に守ろうとしているのは天皇そのひとでないのだろうか。
 Yahoo!知恵袋の「日本国憲法第9条と国際連合憲章第51条について」のなかでtao_1943さんが、「日本国憲法9条は人類が進化している中で一番万物の霊長に近い有るべき憲法であり、世界の民の評価は高いようです。サルや犬が領土問題で戦うように、人間の歴史はサルから人間への進化のようです。ただまだ進化しきれない国家が世界には多く有り、だから、憲法9条を改正し、軍隊を置く考えは300万人以上の国民を犠牲にして産れた9条の意味を理解出来ない、サルに戻る事になります」と述べている。

 政治家にとってもっとも大切なことはそのひとが抱く理念でないのだろうか。戦後の政治家のなかで理念を有していた政治家といえば、鳩山由紀夫にとどめをさす。沖縄の米軍基地の問題にしても、鳩山は戦後はじめて納得のゆく沖縄外との意見を陳述した。ところがわが国の民はその鳩山を宇宙人と名付ける。政治家にとどまらず、理念との言葉すなわち概念それ自体を日本人はどこかへ置き忘れてきたようである。
 高野孟は「鳩山由紀夫元首相のクリミア・モスクワ訪問に対する政府、与野党、マスコミ挙げてのバッシングは常軌を逸していた。「軽率」「迷惑」くらいならまだしも、「国賊」「日本人ではない」「パスポートを取り上げろ」などの言葉までが飛び交い、行く先々で待ち構えたメディアが「どう責任をとるんですか!」とマイクを突き付ける。自宅には連日、右翼の街宣車が押しかける。この騒ぎは、政府に対する一切の異論を許さない戦時下の統制社会の再来を思わせるものだった。・・・とはいえ、鳩山に同行した私や新右翼団体「一水会」の木村三浩代表、それに昨夏クリミアを訪れて「ロシアの実効支配の下でクリミアは平穏」などと最近の週刊文春で2回続きのリポートを書いた池上彰などは、とくに名指しの攻撃に遭っているわけではない。やはり「元首相たるものが政府の方針に逆らう言動をするのはけしからん」というに尽きるのだろう。」
 民進党は、数年前に政権を担った政党だが、その面影はほとんどなくなりつつある。民進党への風当たりが強い、その理由がわたしにはさっぱり分からない。自分の頭で物事を考えられない政府やマスコミの短慮および国民の浅はかさがこの国の先行きを危うくしている。もっとも、国家なんぞどうにでもなれと思っているのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月22日 20:42 | 固定ページリンク




にわか雨対策  | 一考    

 久しぶりにオートバイのオイル交換、10Gから20G(ハーレーに使う)へと思ったが、燃費優先に考えて中間の15Gにする。エンジンを吹かすと黒い煙がもくもくと出る、不完全燃焼を起こしている、濃すぎるのである。ガソリンとエンジンオイル双方に添加剤を入れ、チェーンオイルも塗り替える。少しはましになったと思う。ちなみに、オイル交換は2000キロ毎に行っている。
 古いバイクなので、チューブ入りのタイヤを使っている。従って、頻繁に空気調整が必要である。今では内外ゴム株式会社が日本で唯一のタイヤチューブメーカーとして、ブリジストンや横浜ゴム、住友ゴム(ダンロップ)など国産タイヤメーカー各社に供給を続けている。オフロード走行では空気圧を下げることが多いのだが、その状態で強い衝撃を受けても走行不能になるようなダメージを受けにくい。よってチューブタイヤは北海道行きに重宝する。もっとも70歳を過ぎて北海道もないものだが。
 今月に這入ってからバイクウェアを着用している。このようなウェアを着るのは生まれてはじめてである。去年、中国製の安いウェアを購入、袖が長すぎるので折り返して使っている。メッシュ地なので停車すると熱いが、走行中は逆に寒いぐらい。裏に取り外し可能なぺらぺらのナイロン製インナーが付いていて空気と雨を完全に遮断してくれる。白雨に出遭っても大丈夫、メッシュ地ゆえ風圧ですぐに乾く。大仰なレインコートを被る必要はない。この種のウェアの便利さを教わったのは新しく出来たバイク屋の店長。
 わたしの左手にはシャントが残っている。移植は根治治療ではない、必ず再度シャントの世話になるときがやってくる。それよりなにより、左手に出血を伴う傷を負えば30秒ほどで死にいたる。いわば命懸けでバイクに乗っているのである。それゆえ、バイクウェアに付属しているプロテクターしか命を守るものはない。心なしか、着用するようになってから走行速度が上がったような。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月22日 19:06 | 固定ページリンク




舞子の田畑たばこ店  |   一考

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 田畑たばこ店へ出掛ける、三度目である。シャグ(手巻きタバコ)を2種類とシャグ専用の小型パイプをひとつ購入。毎回、店主からいろいろ教わっている、かたじけなく思う。今回はパイプ用フィルターの種類と使い方を教わる。
 写真は左からエクセレント・チェリー(シャグ)、ハーベスト・ミント(シャグ)、コルト・チェリー(パイプ)、その横は試供品、ボルクム・チェリー(パイプ)、ボルクム・シャンパン(パイプ)、ペリックブレンドの無添加シャグ。頭のふたつはこれから味見である。コルトとボルクムはかつての愛好品。
 写真下の最上段は30歳のときから使っている通常のパイプ。一番小さいものは刻み用のカピートの短いもので真っ黒に変色している。他の2点はシャグ専用の小型パイプ。上方の短いパイプはボールの下部が拡がっていて火がすぐ消える。要するにとても使いにくい。下方の長いものはボールの下部が絞られていてすこぶる使いやすい。ちょいと長すぎるように思ったが、使ってみるといろんな意味で具合がよろしく、3ミリのフィルターが利用できる。さすがに田畑たばこ店主お薦めのパイプである。
 シャグが1000円と860円、パイプが2000円だった。今のわたしにとっては清水の舞台から飛び降りるような散在だが、40グラムのシャグ一袋で20日間は持つ。紙巻き煙草の値段を考えると安価な道楽である。強さに差こそあれメンソール系シャグの選択肢はそれなりにある、しかしミントを謳っているものはハーベストしかない。これからパイプ煙草のメンソールを調べるつもり。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月22日 15:41 | 固定ページリンク




老齢年金  | 一考    

 老齢年金の見込額が決まった。年間460,171円であり、9月から支払われる。月額38,000円で、水光熱費の一部にしかならないが、ありがたい。15年分しか払い込んでいないので、1万円か2万円までと聞いていた。それゆえ、なおのこと嬉しい。
 病院並みに待たされたが、年金相談担当の方が親切で助かった。障害者年金は発症時に年金を払っていなければならず、敢えなく沈没。それよりも、過日、当掲示板で書いた神戸山口組傘下のN組の構成員と会った。わたしと同じ書類を持っていたが、893にも年金が出るのかと愕かされた。向こうもわたしを覚えていたので、軽く会釈をして別れたが、なんとなく釈然としない、もっとも腹の立たないかぎり、不必要なことは口にしないが。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月21日 15:28 | 固定ページリンク




キルホーマンとノックドゥー  | 一考    

 客がキッコーマンがウイスキーを造っていると。スペルはKILCHOMAN、キルホーマンと称し、2005年に創立したアイラ島8番目の蒸留所である。現在はアイラ産の麦を自らフロアモルティングした麦芽とポートエレンの麦芽と二種類の麦芽が原料に使われている。ピートもアイラ産でフェノール値は50ppmと非常にピーティ。麦の栽培からボトリングまでのすべての工程を自社で行う。
 店へ持ち込んだのは2006年蒸溜、2009年ボトリング、バーボンカスクの61.5度。For Whisky Magazine Live! の記念ボトルである。アイラ島の期待の新星、キルホーマンの貴重な初のシングルカスクの商品で、尚且つウイスキーマガジンライブの記念ボトル、会場だけでの頒布ということもあって人気をあつめ、かなり入手困難なボトルとなってしまった。
 蒸溜初年からニュースピリットとしてボトリングされてきたが、3年を経なければウイスキーとは名乗られない。2009年になってやっとウイスキーの仲間入りを果たした。同年発売は46度の加水タイプとウイスキーマガジンライブの記念ボトルを追って発売されたカスクストレングスの3種。加水の方は僅かな苦みが気になる、ひょっとすると加水のあとの後熟を急ぎすぎたのかもしれない。色は非常に薄く、香りは、まず最初に若いアルコール感がきて、すぐさまタラバガニを焼いたような焦げ臭い煙と薬品臭が支配的になる。いずれにせよ、アイラ島西端にオプティック種を用いた素晴らしい蒸留所が増えたのは嬉しい。

 今1本はカーンモア/ ストリクトリーリミテッドのノックドゥー6年もの。2009年蒸溜、2016年ボトリング、ホグスヘッド2樽、797本のリミテッドエディション、46度の加水タイプ。
 ストリクトリーリミテッドシリーズは46度加水タイプシリーズで、他にブレイズ・オブ・ グレンリベット(ブレイヴァル) 1989年蒸溜(ゴードン&マクファイルのボトルと中身は同じ)、46度の25年もの、ダルユーイン1997年蒸溜、46度の17年もの、 ロイヤル ブラックラ2001年蒸溜、46度の13年ものなどがある。蒸溜所の個性がはっきりと表れた樽を選んでボトリング。昨今、カスク由来の厚化粧のウイスキー(例えばマッカラン)が横行する中にあって貴重なボトラーである。
 モリソン&マッカイは、元モリソン・ボウモア取締役のブライアン・モリソンとキーパー・オブ・ザ・クエイクを受賞しているケニー・マッカイがスコットランドのパースシャーで創業したインディペンデントボトラー。また、現在パースシャーで新たな蒸溜所建設が進行中。余談ながら、2009年にボトリングされた19年ものグレンキース、52.3度のカスクストレングスは傑作だった。
 肝心のノックドゥーだが、オフィシャルボトルのアンノックとは香味が異なる。アンノックは麦の香味を生かした、云ってしまえば詰まらないウイスキーだが、ノックドゥー名義の方はキリリと引き締まり、シェリー香も豊かですこぶる美味。蒸留所から19年もの、21年もの、23年ものの3種のカスクストレングスが頒され、ボトラーズはアデルフィ、ケイデンヘッドからカスクストレングスがゴードン&マクファイル、ダグラス・マクギボンからは加水タイプがボトリングされている。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月19日 20:37 | 固定ページリンク




疲れ  | 一考    

 疲れている、免疫抑制剤のせいなのだが、全身がくたくたである。今年2月にはじまった腸炎は出血こそなかったものの、2箇月続いた。全身とくに膝関節がとびきり痛い、薬のせいらしいが、まるで関節炎の痛みそのものである。ゴミを捨てに行くのが辛くて蒲団で唸っている。
 年金事務所へも行かれない、税務署へも行かれない、風呂も這入られない、買い物にも行かれない、痛み止めを飲んで顔を顰めながら10メートルも歩くと、冷や汗が吹き出てくる。いい加減に身体が薬に馴染んでほしいのだが。

 11時20分に店を閉めた。行き帰りはオートバイだが、指がつって動かない。腎疾患がもたらす典型的な痛風である。血液はさらさらなのだが、まるで動脈硬化のような症状である。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月16日 22:07 | 固定ページリンク




カットフルーツ  |   一考

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 近所のスーパーでカットフルーツ盛り合わせが売っている。小が98円、中が198円、大が298円、特大が498円である。写真は小で、わたしが何時も買っているもの。お重になっていて、下段がパイナップル、上段は日によって異なる、これを二度に分けて食している。思うに、腎不全に罹ってからフルーツと生野菜は一切口にできなくなった。ところが、腎移植のおかげで少量ながら、フルーツが食べられるようになった。ドナーに感謝している、とは申せ、滅多に会わない女房だが。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月14日 20:54 | 固定ページリンク




消滅  | 一考    

 当掲示板はあとから誤字脱字の修正が行われる。SNSとの決定的な違いは他にもあって、削除もしくは検索にかからないように細工できること。ただしキャッシュが消える90日以降だが。
 先日もあるひとから名指しで非難されたと云われたが、わたしは名指しなどした覚えはない。名指しすればGoogle検索で引っ掛かるからである。よって褒めるときは名指しするが、貶すときは匿名にしている。にもかかわらず、決めつけられたのはシャクにさわる。いっそ、当掲示板上から消えて頂きたいと思っている。削除はしないが、現在ウエブ上に残されているキャッシュがなくなれば少なくとも検索からは消え去る。

 あるひとは最近水際立った作品を著している。他のひととのトラブル(わたしではない)がそのひとの情動を突き動かしたものと思われる。作品にはセンチメンタルが、エロスが流れている。無機質な作品群にあってわずか一作だが、間違いなく傑出している。ただし、情動が収まれば、元に戻ってしまうのでないかとの危惧を抱いている。いままでいろんなひとの作品を読んできたが、そのようなケースが多い。
 そのひとは自己中との束縛からいかにして遁れるのだろうか。エロティシズムと行動としてのエロとはまるで逆の構造を持つ。大手拓次や塚本邦雄ではないが、禁欲とは限りなく淫蕩になることとの言葉もある。
 繰り返すが、そのひとの最大の欠点は、他人を非難しても自らは決して謝らないこと。常に自分のなかで堂々巡りを演じてい、顧みるということがない。反省がなければ、反芻も立ち徘徊るとのプラトン的行為もなくなる。他者がいてこその内観であって、不特定多数は自己の投影たりえても他者たりえない。この辺りの消息が理解できれば作品は大きく変わるのだが。
 もしも切り替えが巧くゆき、ということはどこぞで他者を見付け、水際立ったところの作品を続けて著すことができれば、いろんなひとがそのひとの作品を取上げるであろう。そうなることを願っている、願っていればこその当掲示板からの消滅である。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月13日 22:33 | 固定ページリンク




ブナハーブン・ヘビリーピーテッドについて  | 一考    

 隣の細川スナックのママのお気に入りがマクファイルズ・コレクションのブナハーブン・ヘビリーピーテッドである。8年との記載以外なにもないが、97年蒸溜、2005年ボトリング、リフィルシェリーバットの8年もの、43度の加水タイプである。シェリーバットの容量は477リットル、1樽で600本以上取られると思うが樽数の記載すらない、過去の例から推して2樽ではないかと思う。
 アイラの蒸留所でノンピートだったブルイックラディ蒸留所に先駆けてブナハーブン蒸留所は97年にポート・エレンのモルト(38ppm)を使用してヘビリー・ピーテッドを蒸溜。最初はドイツのスコッチ・シングルモルト・サークルから97年蒸留、8年もの、57.8度のボトルが頒布された。次いで、シグナトリーからカスク・ストレングス・コレクションの一本としてリフィール・シェリー・バットの9年もの、59.1度、585本のリミテッド・エディションが、同じくカスク・ストレングス・コレクションの一本としてリフィール・シェリー・バットの11年もの、55.8度、336本のリミテッド・エディションがボトリング。
 シグナトリーのアン・チル・フィルタード・コレクションからリフィール・シェリー・バットの加水タイプが、サマローリ社の97年蒸留、10年もの、45度が、ジャン・ボワイエ社のベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本として43度のヘビーピートがそれぞれボトリング。ちなみに、同じ97年の蒸溜とはいえ、シグナトリーのブナハーブンは旨いが、サマローリは塩素系、ピーティーな味わいでなく、市営プール(都営でないところがミソ)の水に含まれる消毒剤の臭みが強調されている。飲まれるときはプール熱(咽頭結膜熱)やあたまじらみにご注意を。
 新しいところでは2011年にスヴェンスカ・エルドヴァッテンからボトリングされた97年蒸溜、14年もの、アメリカン・ホグスヘッドの57.2度カスクストレングスがある。エルドヴァッテンは、スウェーデンのウイスキー・コレクターとして有名なトミー・アンダーソンとピーター・ショーグレンが立ち上げたスウェーデンのボトラーズ。もともと熱狂的なウイスキーマニアであったトミーがスコットランドを訪れ。グレンフィディック蒸留所やザ・グレンリベット蒸留所を見て回ったことで、そのウイスキーへの情熱がさらに燃え上がり、「エルドヴァッテン(炎の水の意)」ブランドを立ち上げた。
 とにかく、さまざまなボトルが出ているが、シグナトリーのカスク・ストレングス・コレクションとマクファイルズ・コレクションのブナハーブン・ヘビリーピーテッドにとどめを刺す。洋梨の甘い香りとビターなカカオマスのような香ばしい香りがピーティーさに奥行きを与えている、これのどこがブナハーブンですかと問い質したくなる出来映えである。細川のママのために輸入元に電話を入れ、在庫を補填したのは云うまでもない。

 ブナハーブンがヘビリーピーテッドを蒸溜した理由は、ドイツのリンブルグにはじまったウィスキー・フェアが人気を博したことによる。会場向けのボトルが通年で売られるようになり、ウィスキー・フェアは全欧州へ拡がって行き、新しくできたモルト・ウィスキーの客の四分の三がアイラ・モルトを嗜むという。当時、アイラ島に八番目のキルホーマン蒸留所ができたのも、そのブームを見越してのことである。
 ブームとは怖ろしいものでアイラ島以外の蒸留所もヘビリー・ピーテッド・モルトに力を入れはじめた。アイル・オブ・ジュラ、ベンリアック、キャパドニック、アードモア、ベンローマック、スキャパ、グレン・スコシアなどである。詳しくは2008年06月05日の「新入荷のボトル」を読まれたい。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月13日 21:12 | 固定ページリンク




シン ゴジラ  |   一考

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吉田照美さんの新作、題して「この世界の片隅の君の名は、晋ゴジラ」。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月12日 21:38 | 固定ページリンク




輸血について  | 一考    

 当掲示板「腎生検」のなかで「麻酔について一言。手術台に上がるとまず吸入器が口に当てられる。同時に点滴の中に麻酔剤が流される。数秒で麻酔は効くが、必要なあいだずっと麻酔剤は注入され続ける。注入を止めると10分ほどで目が覚める・・・麻酔が効くと自発呼吸はできなくなる。従って気管に深くチューブが挿入され、人工呼吸器が動き始める(調節呼吸)。チューブが挿入されると口腔はからからに渇く。何度も書いているが、この衝撃で鼻炎がすっ飛んでしまった。冗談だが、全身麻酔は慢性鼻炎の特効薬でないだろうか」と書いた。
 この件について山崎医師から「可能性としては輸血や移植後の免疫抑制剤などの影響で免疫機能に変化が出てアレルギー性鼻炎が軽快した、と解釈した方が筋が通る気がします」とご教示頂いた。
 同じくフェイスブックで下血による二度の輸血について書いた。大量の輸血は川久保病院での21単位と戸田中央総合病院での13単位、他に1乃至2単位の輸血は頻繁に行っている、と。
 こちらに対して山崎医師は「輸血1単位は140mlですから21単位ですと2940ml、体重60kgの人の全身の血液が約5000mlですから実に60パーセントが入れ替わった計算に成ります。通常1/5の血液を失うと致死的ですから、その3倍を失った計算に成りますね」と。
 20パーセントが致死的であるにもかかわらず、60パーセントが失血したわけである。山崎医師はじめ、川久保病院の院長が危篤との判断をくだしたのは正しかったのである。
 戸田中央総合病院での13単位にしても、20パーセントを遙かに超えている。医師が4人も5人もかかりっきりでなにをしているのかと思っていたが、あのときも危機的だったのである。中心静脈カテーテルは鼠径の大腿静脈、それと鎖骨下静脈の二箇所から挿入して中心静脈に留置。針は18Gを用いていた。泌尿器科の当直の羽田圭佑医師が「非常時」「非常時」と呟きながら治療に当たってくださった。今は海老名総合病院にいらっしゃるようだが、深く感謝している。

追記
 神大病院で戸田中央総合病院から送られたカルテを診ながら、医師が「よく戻られましたね、10単位(1400ml)までの輸血ならともかく、それ以上は未経験です。どう考えても死んでいますよ」と。いまさらのごとく、大変だったなあと思い起こす。当時、自らの不甲斐なさに二度泣き崩れた。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月09日 20:55 | 固定ページリンク




「黒子のバスケ」脅迫犯が獄中で最近書いた元少年A「絶歌」論  |   一考

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 かつて、「絶歌」本文サイトを当掲示板で紹介しました。こちらは一読するに逆説めいた反社会的な「絶歌」論です。反社会的なひとが反社会的なひとを反社会的に捉える。ある意味、核心をついているとも思われます。「人間は懲りこそすれ、そうそう反省などできない生き物なのです。性格に可塑性があるのは遅くても思春期まででしょう。幼少期に体得し損ねた他者への思いやりを改めて身につけるのは限りなく困難だと思います」との箇所には深く賛同します。是非お読みください。

 https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20151121-00051686/


投稿者:   一考  日時: 2017年06月09日 17:33 | 固定ページリンク




シェアについて  | 一考    

 SNSでシェアを知って、安直かつ安易な癖が付いてしまった。以前なら引用する文章を解体して自分の文章に書き直し、自分なりの結句を加えていたのだが、最近は面倒になってしまった。どちらが良いのかは分からない。内容次第である。然し乍ら、わたしが嫌がる「選択とは立場の闡明」の範疇に這入りそうである。

追記
 当掲示板とフェイスブックは連動させていたが、最近はまるで違ったものになってきた。これからは互いに独立させようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月09日 01:37 | 固定ページリンク




毎日新聞からの無断転載  | 一考    

「世直し改憲論」の浅はかさ 「自衛隊、米への従属強まる」 特効薬にはなり得ぬ(毎日新聞2017年6月8日 東京夕刊)

 「憲法改正で日本再生」「改憲が新時代を開く」--。改憲を目指す安倍晋三首相や、それに同調する人たちは「改憲で世の中が変わる、良くなる」という期待感を漂わせる。保守系論壇には、そんな「世直しムード」があふれているが、本当か?【吉井理記】

 1981年、週刊誌「朝日ジャーナル」(5月22、29日号)にこんなスクープが載った。

 憲法制定史に詳しい独協大名誉教授、古関彰一さんが、50年代の米公電や公開された米議会の機密文書を掘り起こし、当時の吉田茂首相と米側とで「有事の際は米軍の指揮下に入る」との合意の下に自衛隊(とその前身の警察予備隊、保安隊)が創設されたことを明らかにしたという記事だ。

 日本政府が合意について現在も明言を避けているせいか、広く国民に知られている事実とは言いがたい。その自衛隊、安倍首相が「憲法9条で存在を明記する」と宣言したことをどう見るか。記事を片手に古関さんを訪ねると、占領史研究の泰斗は本気で嘆き、怒っていた。

 「自衛隊は米国の指揮下にある、ということは当時の米側資料に何度も出てくる。極めて重大な問題ですが、あれから30年以上たつのに国民への情報公開や議論がされていない。研究者やメディアの怠慢です」

 改憲論の主張の一つが「憲法、特に9条は連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられた。9条を変えれば本当の独立国になる」というものだ。例えば、日本のこころ代表の中山恭子参院議員は2015年11月の集会で「現憲法に忠実である限り、独立国家の体をなさなくなる」(保守団体・日本会議の機関誌「日本の息吹」16年1月号)などと発言している。しかし、古関さんは、自衛隊の歴史と矛盾すると考える。

 「戦後の自衛隊は、米文書の『合意』通り、一貫して米国への従属を強めてきました。安保関連法にうたわれた『後方支援』が良い例です。こんな状況で自衛隊を事実上の軍とすればどうなるか。『独立国』どころか、いよいよ米国の戦争に使われるようになることは明白です。それが本当に日本の安全につながるのか。憲法論の前に、そうした議論こそ必要なのです」

 「9条改正=独立国」論だけではない。「新しく憲法を作っていくという精神が新しい時代を切り開く」(安倍首相、15年11月10日、改憲集会へのビデオメッセージ)、「(憲法改正で)世界に誇れる国に生まれ変わる」(ジャーナリスト・桜井よしこ氏、15年「美しい日本の憲法をつくる国民の会」パンフレット)といった「精神論」も保守論壇ではおなじみだ。

 「昔の僕もそう思っていたね。現憲法は諸悪の根源。憲法を変えれば日本が良くなる、と。今から考えるとばかばかしいが」としみじみ語るのは、民族派団体「一水会」創設者、鈴木邦男さん(73)だ。かつては「大日本帝国憲法復元」を訴える武闘派だったが、現在は「憲法を変えるより、現憲法のほうがまだましだ」という。

 「作家の三島由紀夫も『自衛隊は米国の傭兵(ようへい)になってはだめだ』と言ったが、今の自衛隊はまさにそれを目指しているとしか思えない。何より改憲を訴える人の多くが『憲法依存症』とでも言おうか、いろんな問題を憲法を変えれば解決する、と考えているが、むなしいよ」

 鈴木さん自身、右翼活動をしてきたからよく分かる、と振り返るのだ。「論壇でも運動でも、何か敵を設定して『あいつが全部悪い』とやる。憎悪は人をまとめますから。僕らの場合、それが憲法だった。犯罪が多い、社会が乱れている、失業者が多い、他国にバカにされる。すべて憲法のせいだ、と。昔の左翼が『革命すれば社会が良くなる』と言っていたが、同じだよね。現実の問題は憲法ではなく、国民が解決するしかないのに」

 北朝鮮や中国が軍事力を増強する。怖い。中国経済が日本を脅かす。くやしい。憲法を変え、軍隊を持てば、他国からバカにされず、誇れる国になる。鈴木さんはそんな「鬱屈」を改憲論に感じる、という。

 「そんな空虚なムードに流されて憲法を変えていいのか。12年に自民党が作った改憲案、僕はどう考えても今より国民の権利や自由を制限する内容にしか思えない。現に安倍政権下で特定秘密保護法ができ、今度は『共謀罪』ですよ。中国や北朝鮮に対抗するために、自由のない中国や北朝鮮に近づく。僕は国民一人一人の人権や自由をより強くすることこそ、『強い国』づくりになると思うんだが」

 憲法問題を追ってきたジャーナリストの意見も聞いてみたい。斎藤貴男さんは、ここ十数年、月刊誌などで改憲の動きを取材してきた。「これだけ格差が広がって社会に閉塞(へいそく)感があると、国民も何か目新しいこと、例えば改憲論に飛びつきたくなる、ということなのでしょうか」

 斎藤さんが振り返るのは、月刊誌「論座」で07年1月号に掲載された赤木智弘さんの「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」だ。フリーターとして低賃金労働に甘んじる赤木さんのような若者が現状を打開するには、戦争でも起きて社会が混乱すること以外ない、と訴えた。改憲を求める声にも、そんな「リセット願望」を感じる、という。

 「憲法を変えても、状況は良くなるはずがありません。あの戦争で現憲法になりましたが、安倍首相をはじめ、国会議員は大日本帝国憲法時代の支配層の2世、3世だらけじゃないですか。仮に戦争したって、損をするのは若者たちです。特効薬はない。感情に走らず、まともな言論を積み重ねて社会を良くしていくしかないんです」

 70年前の憲法施行時、当時の政府関係者らで作る憲法普及会が、国民向けに発表した「憲法音頭」がある。鈴木さんが教えてくれた。こんな歌詞だ。

 ♪古いすげ笠(がさ)チョンホイナ さらりと捨てて 平和日本の 花の笠 飛んできたきた うぐいすひばり 鳴けば希望の虹がでる ソレ

 難しい条文の解説は一切なし。誰に遠慮せず、踊りが踊れるような自由と平和の喜びを、ひたすら歌い上げた。

 前出の古関さんは「私たちはどういう決意で、なぜこの憲法を持つことに至ったのか。どの条文をどういじるか、ということより、憲法施行70年の今だからこそ、その70年前の原点に立ち戻って考えることが必要ではないでしょうか」と力説する。

 憲法音頭はその意に反してさっぱり普及しなかったが、「平和日本の花の笠」たる憲法はどうだろう。少なくとも、ムードに流され、さらりと捨てられるようなものでは、もはやないはずだ。

追記
 新聞というものは妙なもので、有料サイトから這入ると有料なのだが、ググると同じ記事が無料サイトにもある。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月08日 23:59 | 固定ページリンク




栗生楽泉園の重監房  |   一考

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栗生楽泉園の重監房の全体写真が見付かった。日本人が内包する仏教由来の差別意識乃至残虐性が如実に顕れている。明石海人や村越化石を繙いて頂きたい。

 https://mainichi.jp/articles/20170608/k00/00e/040/296000c#cxrecs_s

 http://www.geocities.co.jp/furusatohp/hansen/wel1.html

写真は栗生楽泉園(群馬県草津町)の特別病室(重監房)の明り取りの窓。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月08日 23:27 | 固定ページリンク




アクロボール  | 一考    

 少々前のはなしだが、アマゾンで BAB-15F-BB とのボールペンを購入した。パイロットのアクロボールと称するボールペンのひとつで、いつも使っている0.7ミリブラックを選んだ。これまでのボールペンの多くは途中でインクが出なくなったり、書き出しが滑らかにいかず、他のペーパーでの試し書きを強いられた。
 アクロインキはパイロットの低粘度油性インク、アクロインキを使ったボールペン、アクロボールは三菱鉛筆のジェットストリーム同様、すらすら滑らかに書かれることが最大の特徴。しかし、両者の書き心地は微妙に異なり、どちらが良いかは好みの分かれるところ、わたしは太い文字はジェットストリーム、細い文字はアクロボールがお薦めである。 宣伝になるが、送料無料で10本1090円は安い。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月08日 22:21 | 固定ページリンク




緊急の腎臓移植手術  | 一考    

 朝7時半に出て病院から帰ってきたのは16時過ぎ。早朝、脳死による緊急の腎臓移植手術となったため、外来患者は後回し、そういう事情ならどなたも文句は云わない。
 前夜の水分摂取が効を奏し、クレアチニン1.78、文句のつけようのない数値である。血圧は124-61、脈拍数76、コレストロールは3種とも異常なし、アイスクリーム由来の血糖値を心配していたがこちらも問題なし。ただし、免疫抑制剤4種の血中残留濃度が低く、服用量を増やすことになった。何時も問題になるのがグラセプターである。これに関しては前回の医師が勝手に減らしたもの。ちょっと待ってよと云ったものの押し切られてしまった。免疫抑制剤の量は体重に比例する、このところ体重が減り続けているのを医師が計算に入れたと云うのが正しい。
 今日は顔見知りがひとりもいなかった、珍しいことである。その代わりに、10代ひとりと20代がふたり、30代がひとりと若年層の移植患者がいらした。医師によると若年層は生着率が落ちるそうな。若ければ若いほど透析経験を経ずして移植に這入る。透析経験が少ないと塩分や運動などの生活習慣を変えられないのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月07日 19:31 | 固定ページリンク




定期検査  | 一考    

 明日は定例の血液検査、前回はクレアチニンが2.57まで跳ね上がっていた。かなりでなく、まったく危険な数値である。今日はこれから2リットルの水分を朝までに摂らねばならぬ。はてさて、どうなることやら。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月07日 01:04 | 固定ページリンク




フェイスブック  | 一考    

 こちらでは動画が掲載できないので、シェアが不可能である。よってフェイスブックのわたしの項を紹介する。公開しているので、ログインさえしていただければ見られる。
 https://www.facebook.com/ikko.watanabe.90

 たらちねクリニックをはじめ注文をまちがえる料理店など、多くを紹介している。

 https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20170604-00071670/
 https://www.actbeyondtrust.org/campa…/pledge/tarachine/dock/
 https://www.facebook.com/tarachineiwaki/?pnref=story

 フェイスブックでの友達は81名だが、公開しているため、300名を超える書き込みがホームに這入ってくる。公開なさっている方が多いのは心強い。友達でない方のところへ書き込んだり、返事を頂戴したりしている。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月06日 22:10 | 固定ページリンク




ミーナとジリオラ・チンクェッティ  | 一考    

「ミーナとジリオラ・チンクェッティ イタリアの歌姫ふたりを語る」
講師:山岸伸一

[開催日時]
2017年7月15日(土)14:00~16:00(13:30開場)

詳細・予約→

 http://espacebiblio.superstudio.co.jp/?p=6329

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●会場:エスパス・ビブリオ
JR御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口から徒歩7分
○電話:03-6821-5703
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

エスパス・ビブリオ 


投稿者: 一考      日時: 2017年06月06日 17:10 | 固定ページリンク




環境破壊  |   一考

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原題はドライブスルーだが、わたしには環境破壊の典型としか思われない。(NTD.TVより)


投稿者:   一考  日時: 2017年06月05日 15:24 | 固定ページリンク




オートバイ通勤  | 一考    

 ですぺらが這入っているビルから893の看板が消えた。看板がなくなったのを良いことに、オートバイを玄関口に突っ込んで停めている。雨のなかを走るのは平気だが、乗りはじめにサドルがびしょ濡れなのに閉口していた。これで助かる。
 5月は記録的にお客がなかった、売り上げも最悪。それゆえ、駐車場を借りる元手もない。これから梅雨に這入るが、オートバイ通勤がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月01日 19:51 | 固定ページリンク




日本ロードサービス(JRS)  |   一考

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 ウミヤマヒロシさんがフェイスブックへ掲載。コメントは「チャリ保険のロードサービス使ってみたらこんな感じでわりと恥ずかしかったです 助かったけど」
 わたしが過日オートバイのトラブルで日本ロードサービス(JRS)を呼んだときも同じような3トンのセルフローダー+ウインチだった。


投稿者:   一考  日時: 2017年06月01日 19:23 | 固定ページリンク




 | 一考    

 昨日は天気予報では晴れ、しかし帰りしなは雨が降っていた。雨具をオートバイに積んでいるのだが、濡れたくなってそのまま走った。今日も深夜は弱雨だそうな。ちなみに、弱雨は小雨よりはやや強い雨を指す、霧雨もしくは糠雨のようなもの。もっとも今日から六月、すでに黴雨かも。

追記
 天気予報は弱雨、ところが22時を回って土砂降りかつ雷が猛り狂っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月01日 14:24 | 固定ページリンク




水出しコーヒー「富良野」  | 一考    

 https://www.facebook.com/tadamasa.kaneko?fref=nf

「水出しコーヒー「富良野」へようこそ」のブログである。紹介なさったのは金子忠政さん。

 このブログが更新された最後より11ヶ月前にここを訪れていた。震災後すぐに再訪した。影も形もなくなっていた。しかし、ブログはこうしてまだあの時のまま存在している。 http://ameblo.jp/furano-aichan/ とのコメントが添えられている。

あまりにも切ない。

追記
 金子さんによると、「」ご主人は、確かご無事だったと後に知り合いから伺いましたが、第二の人生を歩み始めたばかりで、こんなことになってしまうなんて・・・。今でも直後の風景は眼に焼き付いて離れません。いや、離してはならないと思います」とのこと。ご無事でなにより。


投稿者: 一考      日時: 2017年06月01日 14:02 | 固定ページリンク




チェリーフレーバー  | 一考    

 し〜ちゃんに止めるなどと云っておきながら、また煙草を買ってしまった。パイプ煙草のCOLTS CherryとCaptain Black Cherry、紙巻き用のHARVEST Cherryの三種である。すべてチェリーフレーバーの葉ばかりである。ケーキやタルトのような洋菓子を思わせる甘酸っぱい匂いに嵌ってしまったようである。マッカランが思いのほか高く売れたので購入、丸二箇月分の散財である。
 舞子の田畑たばこ店店主によると、紙巻き用をパイプで飲むのが最近流行っているそうな。さっそく真似てみるがすこぶる具合が良い。パイプ葉と紙巻き葉では後者がうんと細かく刻んでいて、火の周りが早い。すこし吸うには最適である。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月30日 21:30 | 固定ページリンク




前川喜平、素性を明かさず無償で低所得者の支援活動  | 一考    

拡散強く希望。

 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-16974.html


投稿者: 一考      日時: 2017年05月29日 10:43 | 固定ページリンク




早川義夫グッバイ  | 一考    

金子忠政さんが「春宵に酔うこと。追伸の虫取り菫」とのコメントを添えて早川義夫のグッバイを紹介している。わたしと同い年のロック歌手である。ニコニコ動画にもいろいろあり。

 https://www.youtube.com/watch?v=svh54wZ4snI&index=1&list=RDsvh54wZ4snI

序でに、マートンさんレア・トラックスもお薦めである。
 http://www.nicovideo.jp/mylist/26544912


投稿者: 一考      日時: 2017年05月29日 10:41 | 固定ページリンク




道産の八角  |   一考

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 明石ではあまり食べられないカサゴ目の八角の刺身を買ってくる。すこぶる美味、北海道産である。わたしは羅臼のまるみ食道で行くたびに食べていた。全身が骨質板(ウロコが変質して硬い板状になったもの)で被われ、見た目が変わっていて、食べる気がしない魚のひとつ、トクビレとも称す。上品な白身、鮮度がよければ刺身が最高だが、焼いて良し、干物にして良し、地元では軍艦焼き(みそ焼き)が知られる。
 値は580円だったが、小振りの雌だと思う。わたしは雄雌にこだわらないが、雄の方が脂が多く、高級魚とされる。頭を付けて売っていたが、瀬戸内で売るに、頭は付けない方がよろしいかと。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月29日 09:11 | 固定ページリンク




重信家三代の家族愛  | 一考    

山崎医師のサイトで鈴木邦男さんの紹介、そこへわたしが書き込み伊藤 敬さんが返信。伊藤さんからわたしは元血盟団の重信末夫さんをお教えいただいた。フェイスブックの設定を公表にしていればこそのご教示である。

 http://www.magazine9.jp/kunio/120307/


投稿者: 一考      日時: 2017年05月29日 08:06 | 固定ページリンク




故・大道寺将司氏を偲んで  | 一考    

金子 忠政さんが「故・大道寺将司氏を偲んで」との追悼を寄せていらっしゃる。
句の撰に非凡な才能を見る。

 http://ameblo.jp/wife0407/entry-12278669757.html


投稿者: 一考      日時: 2017年05月29日 07:53 | 固定ページリンク




今 貂子さんのフェイスブックからの転載です  |   一考

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毎週木曜日のKYOTO舞踏館【秘色―ひそくー】ロングラン公演、昨年4月のプレビュー公演開始から、今週、100回公演を迎えます!!皆様に心よりの感謝を申し上げます。
1公演8席限定、春は早めの札止めが続いておりましたが、6月公演は、お席がご用意できます。現在、オープニング記念料金(一般3000円、学生2500円)となっております。おかえり姉妹の長唄三味線生演奏と織ります、秘めやかで濃密な舞踏の世界。この機会に、ぜひ、ご観覧くださいませ。
それでは、KYOTO舞踏館でお待ちしております!
KYOTO舞踏館web  http://www.butohkan.jp/
予約フォーム http://peatix.com/group/38217/events

古い友人です、かつて種村さんや杉本さんとよく訪れました。わたしからもぜひ、ご観覧ください。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月27日 00:42 | 固定ページリンク




SNS のプライバシー設定  | 一考    

 当掲示板だけでなく、他に SNS にも這入っている。優先順位はこちらにあって、SNS には再録が多い。先だって大規模な文字化け障害が発生した折、技術サポートをお願いしている沖山さんに修復、復旧をお願いした。その報告のなかで沖山さんは「苦労とともに課題を解決した先人たちの智恵とそれをオープンに共有する古き良き(そして失われつつある)ネットカルチャーに感謝します」と著している。感慨深い言葉である。
 わたしは掲示板で医師が触れないような末期腎不全もしくは臓器移植に関する世界の実状を書き綴ってきた、それもネットカルチャーのひとつと信じているからである。現に日々訪ねてこられる方よリも、検索で這入ってこられる方が圧倒的多数を占めている。だからこそ、SNS であろうともネット上に掲げたものは友人限定でなく共有すべきものと思っている。従って、プライバシー設定は公表にセットしている。如何にプライベートなことであろうと、否、プライベートであればこそ、オープンに共有すべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月26日 21:30 | 固定ページリンク




大道寺将司拘置所で病死  |   一考

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大道寺将司死刑囚が2017年5月24日、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で死去。著書に「友へ 大道寺将司句集」「鴉の目 大道寺将司第2句集」「棺一基 大道寺将司全句集」などがある。

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170524/k10010993351000.html

蚊とんぼや囚はれの身の影は濃き
汗疹して今日の命を諾へる
干蒲団死者に貰ひし命かな
揺れやまぬ生死のあはひ花芒
身ひとつに曳く影ながし九月尽
厭はれしままにて消ゆる秋の蝿
木菟啼いて吾が病臭に噎せにけり
身の奥の癌の燃え立つ大暑かな

月光のきはまりて影紛れなし
天日を隠してゆける黒揚羽
止まりて柵(しがらみ)越ゆる秋の水
滝氷柱いのちのとよみ封じをり
水底の屍照らすや夏の月


投稿者:   一考  日時: 2017年05月24日 23:42 | 固定ページリンク




浅き夢見し  |   一考

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因果関係の不在もしくは個の断絶。それにしてもこの間の儚きこと。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月23日 20:01 | 固定ページリンク




生意気な猫  |   一考

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Shunsuke Yamamoto さんの「 cat 」ボードより。「生意気な猫の画像ください - ゴールデンタイムズ」とのコメントあり。
SNS にはやたらと猫の写真が多い。ペットと自分の子供を可愛く思うのは本人だけである。わたしはそれが大嫌いなのだが、このような猫なら許される。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月23日 19:34 | 固定ページリンク




上海でバカ売れの桃  |   一考

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Momo Aska さんの「 sweets <3 」ボードより。「上海でバカ売れしてるらしい桃・・・欲しい(*゚∀゚) 」とのコメントあり。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月23日 19:16 | 固定ページリンク




縁側いろいろ  | 一考    

 ヤフオク落札分の梱包発送を済ませ、帰りしなにスーパーへ寄る。ヒラメの縁側だけが売っていたので買って帰る。刺身でさっそく頂戴する、美味。
 かつて北海道を旅していたころ、烏鰈(からすがれい)もしくは銀ガレイの縁側が大量に売られてい、安かったので贖ったことがある。一口食って吐き出し、焼けばどうだろうかとストーヴ(アウトドアではコンロをストーヴという、ではストーヴはと云えばやはりストーヴである)にかけると、燃え上がり溶け出してしまった。おかげでストーヴは滅茶苦茶に穢れてしまった。
 後年、この縁側が本州の回転寿司にも押し寄せ、当初はあろうことに「ヒラメの縁側」として売られていた。やがて規制を受け、ヒラメの縁側は「ヒラメの縁側」に、カレイの縁側は「エンガワ」として売られるようになった。回転寿司のインチキ商品の筆頭だった。
 烏鰈は、かつては北洋で大量に獲れ、缶詰や加工品となっていた。皮の下は全身脂といった状態で、熱を通すと溶け出してくるのは前述したとおり。その脂たるや、水臭く下卑た味で、どのように処理しても食えたものでない。昨今、スーパーなどで冷凍フィレやカレイの縁側醤油煮込みの缶詰が売られているが、わたしは奨めない。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月22日 21:37 | 固定ページリンク




バイク・トゥ・ザ・フューチャー  |   一考

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複雑な配線はそのままに、サドルの後ろには、小さな次元転移装置(フラックス・キャパシター)が搭載されているではないか。およそ88マイル(約141.6km/h)に、自力では到達できなさそうであるが、未来旅行の気分でご近所をツーリングするにはもってこいの自転車である。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月22日 20:17 | 固定ページリンク




ディアジオ社傘下のモルトスター  | 一考    

 ヤフオクは11点のうち8点が売れた、これで今月は過ごせる。店の方はダグラス・マクギボンのアードベッグを追加した。その紹介とモルトスターについて一言述べておきたい。なぜかモルトスターに関する記述がわが国にはない、サントリーもニッカもモルトスターからモルトを買っているにもかかわらず。

アードベッグ '90 ダグラス・マクギボン   1500円
 プロヴァナンスの一本。90年蒸留、00年ボトリング、バーボン・カスクの10年もの、43度。
 頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。ゴードン&マクファイル社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続 くフィニッシュは申し分なし。
 フローラルな味わいの理由はポート・エレンのモルトを使用したこと。かかるボトルがコレクターズ・アイテムになるのなら異存はない。

 ア−ドベッグ蒸留所は1979年にはフロアモルティングを止め、1980年には生産縮小、1983年には完全に操業を停止した時期がある。その間はポート・エレンのモルトを使用していた。そのポート・エレンはモルトスターだが、モルトスターとは蒸留所の細かい指示によってモルトを生産する。アイラ島の蒸留所へ提供するモルトならいざ知らず、他の地域へ提供されるモルトはピートを強く炊かない。ディアジオ社はその傘下に四つのモルトスターを持っている。最大のモルトスターであるグレン・オードをはじめ、ポート・エレン、グレネスク、ブレチン(グレンカダム)である。いずれのモルトスターも内容は同じで、蒸留所の指示通りのモルトを作っている。ポート・エレンだからピートが強かろうとよく聞くが、そのようなことはあり得ない。かつて蒸溜していたポート・エレンとの混同でないだろうか。

追記
 ア−ドベッグ蒸留所は1989年に再開し、1997年にはハイランドのグレンモーレンジ社に買収され、さらにグレンモーレンジ社は2006年には巨大複合企業のLVMH(ルイヴィトン・モエ・へネシー。その名の通り、ルイヴィトンとドンペリで有名なシャンパンメーカーのモエ・エ・シャンドン、ブランデーのヘネシーの合同企業)に買収され、結果的に現在はLVMHの傘下となっている。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月22日 18:47 | 固定ページリンク




川上史津子さん  |   一考

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 金欠で家賃はおろか水光熱費さえ払えない。そこで今月もウイスキーのヤフオク出品である。旧マッカラン3点はじめ、アードベッグ5点、ポートエレン、64年のプルトニーを出品した先月につづき、今月はダグラス・レインの31年から27年ものを4点、ダルユーイン31年ものなど11点を出品した。売れてくれれば良いのだが。
 公租公課、家賃、水光熱費、ガソリン代を別にしたわたしの生活費は先月1万5千円、そのうち他人用のカード支払いが1万円ほど(こちらは来月もつづく)あって実質金額は5千円だった。1食を200円で済ませるため、炊き込みご飯に目玉焼きひとつの生活が続いている。そのさなか「病気のせいで外食が禁じられています。日々、わたしもちまちました作業(調理にこと)に励んでおります」との書き込みに川上史津子さんが「川上は相も変わらず。お財布事情で外食を禁じざるを得ない状況です(´ω`) 内食がイチバン」との返信があって笑ってしまった。
 川上さんには下世話な(庶民的なという意味)部分が色濃くあって、わたしを和ませかつ晴れやかにさせる。えろきゅんの底辺には艶っぽさと共にはにかみ屋としての彼女の一面が流れてい、駄洒落のなかにひとへの気配りが伺える。第一に含羞がなければ、えろきゅんのきゅんの部分は成り立ち得ない。要するに、彼女の弁証は自己の内外へ等しく向けられているのである。これは褒め言葉なのだが、やさしい女性なんだなあと思う。
 それもあってか、今日は久しぶりの一日二食、流石に身体は充足している。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月20日 00:10 | 固定ページリンク




センチメンタル  | 一考    

 食欲がなく、今日はご飯150グラムにレトルトカレーだけである。明日の夕方まではこれでお仕舞い。ところが、一方で甘い物を好んで食べている、アイスクリームやアイスキャンデーの類いである。5本もしくは7本200円までの安価なものを毎日3.4本は食している。食事よりアイスの方がカロリーが高いのではあるまいか。このような食生活で体調のことを口にするのは憚られる。
 昔は酒をこよなく愛していた。そして飲むときは食べないのがわたしの不文律だった。「乗るなら飲むな 飲むなら乗るな」との自問自答の標語があるが、わたしの場合は「食べるなら飲むな 飲むなら食べるな」となる。元々酒が強い方ではない、従って飲んで食べるとほとんどの場合戻してしまう。それが嫌で、食べなくなってしまった。十代から二十代にかけて、山本六三と飲み歩いていたころも、わたしは冷や奴もしくは湯豆腐を一品、六さんは鯖のきずしもしくはイカの塩辛だけだった。それで、延々5.6時間飲み続けるのである。居酒屋にとっては迷惑な客だったに違いないが、わたしにとってはいまなお忘れがたい青春の一齣である。六さんもわたしもとにかく喋った。来る日も来る日もなにをあんなに喋ったのだろうか、憑かれたように詩について絵画について語り明かした。
 わたしはお喋りで、寂しがり屋で、感傷的である。本来は「多感」「風流」などの意味で、スターンの云う「洗練された感受性」であるセンチメンタリスムが大好きなのである。センチメンタルこそが多くの作品のおそらく唯一の苗床だと思っている。

追記
 他にもセンチメンタルに語り尽くしたひとがいらっしゃる。2006年03月03日に載せた「沙の上のラブレター」に顕れるY・Nさんとは永瀬由利子さんのこと。彼女とは1986年にミニヨン(ミニヨンへ岡田夏彦さんを尋ねたのは1974年、その時永瀬さんは既にミニヨンにいらした)で出会い、わたしの粗相というか不始末によって1995年に別れるまで兎にも角にも喋り倒した。次いで現れたのが横須賀功光さん、2002年2月8日から2003年1月14日までの僅か1年だったが、30年分は語り明かしたと思っている。消息は「残日を指折りかぞえて」(2016年04月10日)に詳しい。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月18日 16:49 | 固定ページリンク




おもいで  | 一考    

 ジリオラ・チンクエッティとわたしは同い年である。60年代はわたしはなにをしていたのかと記憶を辿る。61年には料理の師角田哲夫と知り合っている、わたしは14歳。同年10月荒田町1丁目の下中栄子を知る、バンビの主とも云うべき彼女に連れられて三宮のジャズ喫茶バンビへ入浸る。63年12月、親しくしていた福原の中村美容院の跡地に割烹「赤坂」開店、以降25歳に至るまでわたしの労働の拠点となった。この年、チンクエッティはサンレモ音楽祭で夢みる想い (non ho l'età) を歌い優勝。64年、百万弗や赤坂と同系列のバー三宮レンガ筋の「シャトレ」開店、エレクトーン奏者当麻宗宏と出会う。世捨て人のような独特の生活スタイルを持つ同性愛者で天下茶屋の四面を天鵞絨に囲われた部屋に住んでいた。彼の影響で大阪のゲイバーにて睡眠薬を常用しはじめる。65年4月、山本六三と知遇を得る。68年10月、大月雄二郎の紹介にて生田耕作と会い、その後、多田智満子、矢川澄子、種村季弘、川田絢音、桑原茂夫、西奥武良などと知り合う。わたしは21歳になっていた。
 わたしは常に友を探し求めてきた。当麻宗宏、山本六三、生田耕作、延いては横須賀功光に至るまで、わたしは常に解体を繰り返してきた。解体を恋愛と言い換えてもなんら問題は生じない、ほぼ同一のものである。わたしは精神の寄生虫のような存在であって、確たる自己というものを疾うに見失ってしまっている。否、はじめからなかったと云うのが正しい。その抑圧が眷恋との形に化けたと思っている。
 ああでもない、こうでもないと、常に揺れ動いてい、その揺れそのものがわたしだと云っていえなくもない。よって、生きる途上で行動様式や精神的エネルギーの対象が固定したひとを見るとなんとなく嫌になる。精神分析学でいう固着を連想するのである。もっとも、固着にはさまざまな意味合いがあって、例えば、欲求不満の固まりのようなもの、抑圧された感情の墓場のようなものとも云える。この抑圧も使い方ひとつでどうにでもなる。抑圧は自己主張の固まりなので、墓場に埋めておけばともかく、解放するととんでもないことになってしまう。日陰者だった抑圧が正装に身を包み闊歩しはじめるのである。しかもその闊歩自体が新たな抑圧を生んでゆく。過去を引き摺って生きている以上、悲しみや恨みだけでなく、楽しさや満足感もまた抑圧になる。そうした抑圧の二面性を上手く利用しながら、ひとは生きて行くしかないのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月17日 19:44 | 固定ページリンク




新入荷2点  | 一考    

 ですぺらはとにかく暇な店なので、ウイスキーが減らない。減らないまでも、日々入れ替えてはいる。これからは新入荷のウイスキーを紹介してゆこうと思う。

クラガンモア  キングズバリー   1000円
 89年蒸溜、01年ボトリング。ホグスヘッドの11年もの、46度。
 蜂蜜と柑橘系のスイートな香り、香草を食むような膨よかな味わい。水際立った切れ上がりのよさ、嫋々たる余韻。飲み口の柔らかさと豊潤なこくと香り、そのバランスのよさと華やかなフレーバーはモーツァルトのシンフォニーに例えられる。評論家マイケル・ジャクソンの採点ではマッカランに次ぐ高得点。名実共に、スペイサイドを代表する銘酒。オールド・パーとアンティクァリーのメイン原酒。
 ボトラーのキングスバリーは元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからアバディーン、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。

グレンロッシー マクギボン  1000円
 プロヴァナンスの一本。89年蒸溜、00年ボトリング。10年もの、43度。
 プロヴァナンスとはグラスゴーのインデペンデント・ボトラー、ダグラス・マクギボン社のコレクションの総称。
 なんといっても清々しい白檀の香りが最大の特徴。糖蜜と干し草の匂い、フレッシュでドライな喉ごし、麦芽とシェリー香のアクセントを得て、フィニッシュは徐々にスパイシーに。リンクウッドやロイヤル・ロッホナガーと共にソフィスティケーテッドなウイスキーとして識られる。
 ボトラーのダグラス・マクギボンは1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社の系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を出す。「マクギボン・プレミアム・リザーヴ」とのブレンデッド・スコッチも頒している。割水を施した低アルコールのモルト・ウィスキーをマクギボン社より、プリファード・ストレングスもしくはカスク・ストレングスをダグラス・レイン社と割り振りしている。しかし中にはカスクストレングスもあって、ジョン・ミルロイ・セレクションのポート・エレンは傑出したボトルである。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月16日 20:56 | 固定ページリンク




減量  | 一考    

 このところ体重が減り続けている。去年の11月はじめに78キロ、2月から3月にかけては70キロ、現在は68キロである。半年で恰度10キロ減ったことになる。まだ減り続けているので、ドライウェイトにもう少しである。わたしのドライウェイトは65キロと62.8キロの2種ある。維持透析患者の場合、月1回の胸部エックス線撮影で心胸比を測定する。体の水分が過剰になると、心臓に水が溜まって大きくなり、逆に体の水分が少なくなりすぎると、心臓が小さくなり心胸比が低くなる。その心胸比に応じてドライウェイトは上がりもするし下がりもする。
 わたしの理想体重は50キロと医師はいう。それは25歳までの体重であって、25歳以降50キロ台に戻ったことはサイトメガロウイルスによる長期入院の折の52キロの一度だけである。よって、現在の理想体重は63キロとなんの根拠もなく思っている。
 かつて医師に体重を10キロ減らすにどれぐらいかかりますかと尋ねたことがあった。医師曰く、油分、糖分、炭水化物などの食事制限はなにもいらない、2箇月もあれば十分だろうと。確かに、例えトンカツを食べようとも、1日800キロカロリーの制限を守れば2箇月で可能である。しかし、この話を真面目に聞けば、ほとんど禁食に近くなる。1日800キロカロリーは点滴静注で得られる最大限のカロリーである。ボクサーやフィギュアスケート選手ならともかく、一般人には無理な註文である。
 理想はともかく、7月中には65キロにまで落としたいと思っている。これならなんの無理もなく達成可能である。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月16日 18:56 | 固定ページリンク




貧血の目眩いと疲れ  | 一考    

 このところ、ヘマトクリット値ガ下がりつづけている。それかあらぬか店でしばしば目眩いに見舞われる。お客が一組のときはともかく、二組になったり、深夜の場合、思わず溜息が出ているのに気付く。老いると腰の上げ下げにヨイショとの掛け声が思わず口をつく。それと同じで、ヨイショではなくハアと漏らしてしまうのである。ですぺらのような稼業にあってはならないと分かっている、分かっているのだが無意識に発していまうのである。お客は一日の仕事を了えていらっしゃる、疲れているのはお客の方である。にもかかわらず、この為体は困ったものである。他にも粗相は多かろうと思う、伏してお詫びもうしあげる。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月16日 18:05 | 固定ページリンク




難儀なサーバー更新  |   一考

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 今回のトラブルはわたしの手に負えるようなものでなく、沖山さんに全面的に修復をお願いした。では手に負える悶着なんぞあるのかと訊かれると、パソコンから対人関係まで手に余るものばかり、わたしに対応できそうな事案など世の中どこを見回してもございません。
 沖山さんがいらっしゃらなければ掲示板の維持すら難しく、毎度のことながら、感謝、感謝でございます。文字化け障害の間の書き込みは消失しましたので改めて掲載致します。

 前項のチンクエッティが跨がるオートバイはかつてイギリスに存在したバーミンガム・スモール・アームズでなかったかと思われます。小銃、自転車、オートバイ、自動車のメーカーで、一時は世界最大のオートバイメーカーでした。1951年にはトライアンフを吸収合併。マン島TTレースのクラブマン/350ccクラスにおいて、8年連続1位の座を譲ることなく、500ccクラスでも4年連続1位を取り続け、プロ・アマを問わず世界中のライダーを魅了してやまなかった。写真は1969年に発売された名車ロイヤルスター。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月16日 16:36 | 固定ページリンク




直近の不具合について(報告)  |   おきやま

 技術サポートのおきやまです。

 先週のホスティングサーバー(xrea)更新に伴い、2017/5/14~5/16午前まで、掲示板/blogにて全面的かつ大規模な文字化け障害が発生していましたが、先ほど復旧しました。
 タイムリーに話題になっていた乗っ取り/ランサムウエアによる障害ではなく、単純にシステム移行に伴う設定不一致が原因です。閲覧者等への感染など危害が及ぶ危険性はありません。ご安心を。
 最後に、苦労とともに課題を解決した先人たちの智恵とそれをオープンに共有する古き良き(そして失われつつある)ネットカルチャーに感謝します。



投稿者:   おきやま  日時: 2017年05月16日 10:47 | 固定ページリンク




ジリオラ・チンクエッティ  |   一考

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 昔、ジリオラ・チンクエッティの「愛は限りなく」という映画があった。「夢みる想い」、「愛はすぐそこに」、「初めてのキッス」、「ナポリは恋人」、「あこがれはいつも心に」、「アネマ・エ・コーレ」、「愛は限りなく」の7曲が歌われている。チンクェッティは1963年のカストロカーロ新人コンテストで優勝、「愛は限りなく」が公開された3年後に「雨」を歌っている。当時日本はサンレモ音楽祭をはじめとするカンツォーネ・ブーム、本国イタリアを凌ぐ人気だった。
 愁いをたっぷり含んだカンツォーネで、邦題は陳腐だが名曲。若い女性が喋るイタリア語は美しいと西脇順三郎が賛嘆しているが、典型の一であろう。シルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」が1964年、翌65年にはミーナの「Un anno d'amore(別離)」が大ヒットしている。この頃、わたしはジャズと共に欧州のポップスもよく聴いていた。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月16日 10:25 | 固定ページリンク




ウエットな煙草葉  | 一考    

 赤坂で店を営んでいた折はパイプたばこも紙巻きの葉巻も同じ赤坂のプラセールを贔屓にしていた。特におばさん(当時のわたしはおじさん、今は爺さんである)とは懇意になり、行くたびに試供品を分けてもらっていた。
 なにかの書物で初心者向けと聞きかじり、Borkum を喫んでいた。種類が多いので、結構満足していた、なかでも Champagne が好みだった。今回、田畑たぼこ店で COLT Cherry を買ってみた。Borkum は香りが沈んだようなところがあったが、それと比して遙かに葉がウエットで、香りが開いている。ウエットと香りの開き方に関係があると思うのだが、わたしには分からない。間口を少々拡げるために、シャグ(手巻きタバコ)専用の小型パイプも買ってきた。手巻きたばこをパイプで嗜むのが流行っているそうな。
 なにごとに寄らず、師に教えを請うのがもっとも手っ取り早い遣り方なのは分かっている、しかし、煙草だけは師に恵まれなかった。パイプの選び方から使用法、パイプ葉の選択にいたるまで我流である。最悪なのは重々承知、今にして、残念に思っている。
 ひとは生涯にさまざまなことを学ぶ。例えば、書物は山本六三、料理は角田哲夫から教わった。セックスについてなら、子供の頃から福原の浮き世風呂のお姉さんから手とり足とり教わった。しかし、教わった性技を用いたことは一度もなかった。仮に使えば変態と罵られるだけである。吉田一穂は懐妊の二年前に一度致しただけという、それでご子息が生まれている。セックスのようなものは我流で、みなさん満足なさっている。満足どころか自信さえ持っている。それで良いのである、触らぬ神に祟りなし。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月10日 17:34 | 固定ページリンク




オステオスペルマム  |   一考

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 オステオスペルマムのスプーン咲き(風車咲き)。パイプ状の平たい形の花弁が、花芯の付け根まで伸びて丸くなると、完全なスプーンを描く。キク科の花なので通常はこのような状態ではなく、ほんの一時の、最も美しい開花状態と云えます。どことなく淫靡な名称が美しさをさらに引き立てている。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月10日 14:04 | 固定ページリンク




燃費  | 一考    

 このところずっとオートバイだが、エンジン内部のカーボンの掃除を兼ねてハイオクを使っている。エリミネーター250の燃費は通常リッター20キロだが、わたしのエリミネーターは15乃至16キロしか走らなかった。必要な整備は済ませているので、個体の問題として不問に附してきた。それがハイオクに切り替えてから19キロにまで延びるようになった。リッター4キロとは計算外で、延びても10パーセント未満と思っていた。ハイオクとレギュラーの価格差を考慮しても、遙かにハイオクの方が効率が良い。ハイオクを使い続けようと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月09日 22:35 | 固定ページリンク




山口小夜子さん  |   一考

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山口小夜子さんの知られた写真、撮影は横須賀功光さん。
Pinterest(ピンタレスト)にヤマグチサヨコなるボードあり。

 https://jp.pinterest.com/rokudemo71/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%81%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%82%B3/?eq=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%81%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%82%B3&etslf=26212


投稿者:   一考  日時: 2017年05月06日 07:31 | 固定ページリンク




ライダー  |   一考

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 尾鼻薫さんがライダーふたりを引き連れて来店。わたしは飲まれないが、彼の飲むところを久しぶりに拝見。彼といると、こよなく楽しい。彼の影響もあって、今日は店でハーレーダヴィッドソンのベストを着ている。背中一面に大きな刺繍のあるベストである。前ボタンが留まらなくなったのは寂しいが。
 そのベストを中尾さんが見付け、一考さんはやはりこうでなくっちゃ、と一言。中尾さんから神戸では老舗 MC Deadcats に這入らないかとのお誘い、次の機会があれば是非参加したいと伝える。東京で某走り屋グループに這入りはしたものの、末期腎不全の発症によって脱会した。わたしは走るのは大好きだが、常に単独行である。徒党を組んで走るのは好きでない、数が多くなればなるほど、傲慢な走り方になるからである。 MC Deadcats はそのようなグループではないようである、期待している。
 写真は20年ほど乗っていた愛車、BMW R100RS。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月05日 23:29 | 固定ページリンク




田畑たばこ店  |   一考

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 心配事があったのだが、氷解しほっとしている。
 昨日は終日食事を摂られなかったのだが、今日は食べられそうである。それにしても心配させられた。

 先日、舞子の田畑たばこ店へ行く。昔親しくしていた元町の杉本酒販と共にTLC加盟店である。異なる用事で赴いたのだが、TLCオリジナルのパイプ煙草マクレーランドTLCスリーチェリーズを教えていただく。3種類のチェリーフレーバーのあまりの香りの良さに惹かれて購入。6年間、煙草は断っていたのだが、無性に心惹かれた。パイプを取り出しゆっくり喫ってみる、キャベンディッシュの傑作の一言につきる。この一缶は大切に味わう心算にしている。


投稿者:   一考  日時: 2017年05月04日 10:35 | 固定ページリンク




薬剤  | 一考    

 日々服用するの25錠の薬のなかにユリノームが這入っている。従って尿酸値はわずかに高いが、高尿酸血症にまでは至っていない。にもかかわらず、指先の痛風に悩まされている。二輪に乗っているので、レバーが引きにくいときが多々ある。
 薬といえば、ぐっすり眠ろうと思って、30年ぶりに睡眠薬を服用。効き目の強い睡眠導入剤なのだが、なかなか眠られなくて困っている。大量に飲んだのでそのうち効くであろうことは間違いないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月04日 02:52 | 固定ページリンク




連休中営業  | 一考    

 連休のあいだは営業している。最後の7日は日曜日ゆえお休み。
 このところ体調がよろしくない。ひどく疲れている。おそらく睡眠不足かと思う、昔のように3.4時間の睡眠、食事は1日1食乃至2食なのだが、この年には無理なようである。食事はともかく、睡眠はせめて6時間に増やしたいと思っている。それと免疫抑制剤の影響もあって、頭がぼんやりしている。店をはじめて3箇月になるのだが、合鴨スモークのほか、なにひとつ作られない、困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2017年05月03日 20:05 | 固定ページリンク




4月26日  | 一考    

 2003年から毎年、空白の4月26日が繰り返される。寂しいといえば寂しい、切ないといえば切ない。吉行が「こんなことってありませんか。自分が67歳にもなって、取り乱せば乱すほど、自分が確かめられるというようなことが・・・」と書いている。わたしは取り乱せば乱すほど、ますます自分が分からなくなっていく。あの日はなんだったのかと。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月27日 21:31 | 固定ページリンク




複雑さと単純さと  | 一考    

 月曜日にあまねさんが飲みにいらっしゃるかも、との電話があった。増田さんご一統に続いての歓びである。あまねさんは当掲示板で書く内容に精通していらっしゃる。今回も「くそったれ」に引っ掛かってこられた。その思考回路の複雑さにわたしは惹かれる。
 彼は女性の裸を見たぐらいで躪り寄るほどやわな男ではない。単純な男は世の中に掃いて捨てるほどいる。そして掃いて捨てられるような塵とばかり付き合っていると、女性の頭の中までが腐ってくる。当然のことだが、わたしは男女というような二項対立だけでものを云っているのでない。ひとがなにをしようが自由であって、他人がとやかくいうようなことでない。ただ、世の中には塵と塵であることを潔しとしないタイプとがあって、付き合い方は相手に応じて識別しなければならない。この峻別こそ、自らが生きる糧のようなものでないだろうか。
 思考とは相手の立ち位置をおもんぱかっての精神的交流、謂わば弁証がなされてはじめて成立するものである。わたしはそのように互いが混じり合う関係をより上位に置いてきた。肉体の交わりも大事かも知れないが、精神的糧すなわち苗床を与えてくださる相手との交わりこそ何物にも代えがたい宝物だと思っている。そして、苗床をもたらす相手はいつの時代にあっても少数者である。ひとは一人でさまざまな物事について考えることは不可能である。だからこそ、身の回りにいる少数者はとりわけ大切にしなければならない。
 何時でも絶交はできる。しかし取り返しのつかない絶交はなにがあっても避けなければならない。たとえ、謝罪してでも。腹を立てる自分を信じる前に、他に信じるものがあるかないかに思いを致すべきでないだろうか。そうでなければ、腐った頭が次には朽ち果ててしまう。お分かり頂けたであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月22日 18:32 | 固定ページリンク




年金  | 一考    

 日本年金機構から書類が届いた。今般の法律改正により、わたしにも年金が下りるようになったらしい。今まで25年以上だったのが、29年8月からは10年以上になったそうな。早速、年金請求書を書いて手続きを取るが、そちらの年金より、障害者年金の方が気になる。なぜなら、遙かに金額が大きいからである。
 年金資格がない場合、自動的に障害者年金も下りなかった、わたしの障害は1種1級、最も金額が多い部類である。こういう時だけ、時の政体万歳である。わたしの身勝手わが儘はみなさんの知るところ、ついこの間も、東京の某女性よりその点を叱責され、いたく落ち込んでいるところである。しかし辻潤も「天皇陛下万歳と唱えて死のうではないか」と宣っている。自分の思い込みや都合で主義主張が変遷するのもやむを得まい。後せいぜいが2.3年、よほど生きても4.5年である。その期間ぐらい、勝手に生きさせてくれと云いたくなる。されば、期間が短ければ短いほど年金が当たるのは嬉しい。辻潤に倣って万歳とでも叫ぼうか。

追記
 つい調子に乗って4.5年と書いたが、どこの医師に聞いてもそのような答えは返ってこない。明石へ引っ越してからトラブルが嫌で、最近謝ってばかりいるが、考えてみればどうでも良いではないかと思う。たかが2.3年、くそったれである。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月21日 18:52 | 固定ページリンク




篠山食料品店  | 一考    

去年の4月末にうすいまめを用いた豆ごはんのコツについて書いたが、今年もうすい豆の季節がやってきた。懇意にしている篠山食料品店の案内によると、実山椒に続いて丹波篠山うすいえんどう豆の予約販売がはじまった。

 http://www.sasayamaya.ne.jp/

今年は若干の値上げだが、実山椒、うすいえんどう豆、たけのこ、わらび、木の芽など、春を彩る旬野菜がならんでいる。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月19日 22:19 | 固定ページリンク




雑用  | 一考    

 久しぶりに燻製を作った。失神のダメージから解放されたようなので煙を薫いた。店のゴミは家で処理しているので、今朝は分別とゴミ捨て、洗濯、風呂の掃除、オートバイの夏向け改装等々、特にバイクは結構忙しかった。ひとにお見せできるような下着を持っていないので(変態ですね)毛の起きたズボンからジーパンへと履き替える。去年と比してジーパンのサイズは二回り小さくなった。血圧は毎日3度計っているが、体重は久しぶり、70キロ代から60キロ代にまで下がっている。ちなみに、透析時のドライウエイトは62.8キロだった。

 この肉体と精神の関わり方は難儀な問題を秘めている。対立するものではないし、分離できるものでもない。身体があるから心があって、心があるから体があり、互いに密接な関わりを持つ不可分なものである。わたしには、それは肉体の問題だからというふうな割り切りはできない。身体と精神のこれが境界線だといったものが見極められないからである。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月19日 21:24 | 固定ページリンク




吸い止し  | 一考    

 先ほど、東京の友が残した吸い止しを吸ってみた。このところ、吸いたいなとずっと思っていたのである。くらくらするよと云われていたが、別にどうと云うこともない。やはり止めることにした。
 吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず (寺山修司)


投稿者: 一考      日時: 2017年04月15日 22:43 | 固定ページリンク




自慰と失神  | 一考    

 昨日は東京の友人のために西明石まで寿司を買いに行き、その駐車場で失神してしまった。およそ1時間半ほど気を失っていたのだが、心臓マッサージもなく無事に生還した。店は開けたものの身体はふらふらで、再度倒れそうになった。友には申し訳なく、魚も買ってきていたのだが出さずじまい、もっともこちらは非常に不味かった。
 失神の理由だが、掲示板で書くべき内容なので、記しておく。実は自慰が失神の理由である。医師からどうせ出来ないだろうからどちらでも良いのだが、自慰は控えた方がよろしいと云われていた。これはバイアグラのようなEDの薬の処方を申し出たときに、それはまずいと云われたのである。理由は簡単、過去23単位と13単位の輸血をしている。今も1.2単位の少量の輸血は繰り返しているが、圧倒的な高血圧の貧血である。勃起は海綿体に血液が大量に集まることによって起こる、従って貧血のひとが勃起すると血液が陰部に集中し、脳が血液不足に陥る。結果、失神で倒れてしまうのである。EDの薬もまた血液を陰部へ集中させるため、同じ結果をもたらす。
 要するに、腎不全の患者は基本、セックスは諦めた方がよいのである。そこへ降って沸いたような刺激(詳細は憚られるので記載しない)がもたらされ、かつ6年ほど勃起と縁がなかったわたしの下腹部が頭をもたげはじめたのである。身の程をわきまえず、調子に乗ったのが運の尽き、1時間半の失神と相成った。機械による射精だとあっという間なので問題は生じない。ただ手動式がいけないのである。というようなことは、どなたも書かれることがない、敢えて記した理由である。

追記
 貧血が治まれば、勃起能力は回復する。ただし、5年や6年のスパンではどうにもならない。通常、男は正常位での射精時が血圧、脈拍ともに一番高くなる、よって女性上位や側臥位がいいそうである。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月15日 19:26 | 固定ページリンク




明日は東京から友  | 一考    

 妙な天気である、しばらく煖かかったが、昨日は帰りしな震え上がった。
 今日は酒の仕入れとヤフオクの配達、それと合鴨を仕入れに走り回った。それは良いのだが、貧血でなんどもバイクを止める。貧血がひどくなると指先の通風も痛みを増す。東京でバイクで事故ったときの嫌な思い出が頭をよぎる。ヘマトクリットが30では貧血は防がれない、典型的な貧血の高血圧である。
 いまは店だが、無闇に身体が重い、このような日は早く店仕舞いをしたほうがよい。明日は東京からお客さんがいらっしゃる。楽しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月13日 22:48 | 固定ページリンク




再度、一とく  | 一考    

 ここ3日間深夜は雨である。雨のなかをオートバイでとろとろ走っている。店が暇で駐車場代がもったいないのである。

 いそざかな 一とくの御主人がいらした、ワインのソムリエだそうで、アルザスワインやドイツの赤ワインのはなしをした。アルザスはロゼのように色の淡いルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールにとどめを指すが、ドブフ・イリオンのアルザス・シルヴァーネル(白)も忘れがたい。キュヴェ・デ・コント・デギシェムで知られるレオン・ベイエ家のワインは特筆もの。一とくではシルヴァーネルが一年に1本売れると聞いた。
 明石でアルザスワインのはなしを聞こうとは、お名前は存じ上げないが、すごいひとが明石にいらっしゃった。お客の原田さんが具志さんとともに、一とくへ行こうとのお誘いを受けた。ありがたいはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月12日 22:05 | 固定ページリンク




東葛クリニック病院  | 一考    

 松戸の東葛クリニック病院の口コミで個人を特定できる雑言が書き込まれていた。わたしにとっては親しくお付き合いさせていただいた恩人のひとりである。それゆえ、Yahoo!ヘルスケアへ褒め言葉を書き込んだ。題して「行き届いたインフォームド・コンセント」。
 ネット上で悪口を書くこともあろうかと思う。しかし、個人が特定できるようなものは論外である。ある人にとっては腹が立つ相手であっても、ある人にとっては救いの神なのかも知られない。個々の評価はまるで異なる。だからこそ、迂闊なことは書かれないのである。
 わたしは同病院から離れるとき、涙したのを鮮明に覚えている。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月08日 22:46 | 固定ページリンク




霧雨のなかを  | 一考    

 霧雨のなかを帰る。霧雨とは申せ、オートバイではびしょ濡れになる。昨日の客はわたしの好きな二人連れ、ウイスキーを12杯飲んで帰られた。好きなというのは、幹郎さんの「スコットランド酔夢紀行」を読まれているからである。

 このところ暇である、よって知己とメールでお喋りをしている。もっとも変わりにくいもの、それは性愛だと、常日頃から述べている。その生と性愛について語り合っている。
 ひとは極力多くのひとと関わりを持つべきでないだろうか。異なる文化の多様性に触れてはじめて、ひとは解体し、理解し合える。偏狭な排外主義や差別思想、要するにレイシストを知己は否定する。同様に、限りない自己解体を知己は自らに課している。つまり、理解そのものをも否定してやまない。
 知己のあまりにも強烈なニヒリズムには手を焼いている。手を焼くのでなく叶わないのである。まるで、モンス・デジデリオの申し子のようなひとである。わたしは生き延びる途を選択してしまってから、大きなことはなにひとつ云えなくなってしまった。そろそろ別れの季節がきたのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月08日 21:07 | 固定ページリンク




キルスイッチの誤操作  | 一考    

 先日はひどい目にあった。旧ですぺらの懐かしい顔ぶれが来店、それはよかったのだが、帰り道で突然オートバイのエンジンが切れた。ガソリンは満タン、バッテリーはフル充電、ガソリンタンクのドレンにも異常はない、にもかかわらずエンジンが始動しない。
 雨が降ってきたので近くの工場までオートバイを押していき、軒下で雨宿りとなった。時間は午前2時半。始動しない理由が分からないので、JRS(日本ロードサービス)を呼ぶ。神戸市西区伊川谷のあかつきからレッカーが行くとの連絡。待つこと20分、こちらは小型バイクなので軽四が来るのかと思いきや、大型トラックが到着。あまりの大きさに驚愕する。
 整備士が二人降りてきてどうしました、エンジンが掛からなくってと応える。すると整備士がハンドルカバーを外そうとする、その瞬間、わたしにはすべてが分かった。防寒防水のハンドルカバーがキルスイッチと接触、普段使わないスイッチなので、迂闊にも気付かなかったのである。
 それにしても、キルスイッチの誤操作に気付かないライダーなんぞ、愚の骨頂と思っていたのに、それがわが身に降りかかったのである。恥ずかしくて顔も上げられない。平身低頭して詫び、お引き取り願った。

追記
 今日は雨、久しぶりに四輪で通勤。


投稿者: 一考      日時: 2017年04月06日 20:12 | 固定ページリンク




いそざかな 一とく  |   一考

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 アイナメは関西ではアブラメという。カサゴ、メバル、カジカ、クジメ、ホッケなどと同じカサゴ目に分類される。今年はじめてのアブラメの刺身を食べた、値は1000円、実に美味い。油が回ってくると湯霜作り(鯛の湯引きは松皮作り)もしくは焼霜作りが旨いが、この季節は刺身が最高。焼霜作りにはマダイ、金目鯛、サーモン、太刀魚、カマス、イサキ、ノドグロなどが適している。
 当地、明石浦漁協で採れるアイナメの幼魚「あぶらじゃこ」を天ぷらにしたものは美味。小骨が軟らかく、揚げるとふっくらとして甘みがある。

 ですぺらの近所に「いそざかな 一とく」(いっとくと読む)との会席料理の店がある。名の通り、磯魚が有名らしい。ディナー6000円、ランチ4000円、もちろん一品から頼まれる。鯛めしが名物で、これだけを食べに来られる方も多いとか。店主が2度ですぺらへ来られた、料理人らしく無口な方で食べに行きたいと思っている。(写真は一とくの鯛めし)


投稿者:   一考  日時: 2017年04月03日 21:35 | 固定ページリンク




医師から学ぶ  | 一考    

 薬を飲まない医師はいないし。治療を受けない医師もいない。埼玉には透析治療を受けている医師がいたし、東京には臓器移植をした医師がいた。ただし、わたしに臓器移植手術を施した医師は、わたしなら移植はしないと云い、もうひとりの医師は透析治療もしないと云っていた。この辺りは個々の人生観によるものと思う。
 透析は延命治療であって拒否すれば即、死を意味する。それを承知で医師と話し合えるのは、患者の選択権、自由意志を大切にする医師でなければかなわない。かつて山崎医師と出会い、そのような医師が現実にいらっしゃることに気付かされた。山崎医師との晤語は治療でなく、定めなく迷い、揺れ動く人生についての語らいだった。
 2010年夏、わたしは生き延びる途を選んだ。当時の書き込みを読むと、こころのほつれ、懊悩が如実に顕れている。生き延びる途を選んだことが息苦しく、後ろめたくて、山崎医師に別れも告げず逃げるようにして東京を後にした。

 自らが病むことによって、さまざまなことを知った。例えば、透析治療の種類の多さに驚かされた。わたしが受けた透析、すなわち慢性腎不全の透析はその内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から人工透析に至ることを知った。
 臓器移植で逡巡するわたしに山崎医師は輸血はどうなんでしょうか、輸血は臓器移植の基本ですが、と。独断と偏見などと嘯いてみてもなにもはじまらない。ひとの知識はあまりにも偏っている。それゆえ、一般論で括るのはほとんどの場合意味をなさない。また、反対意見は必ずしも誤謬に当たらない。あらゆる意見に耳を傾け、個々の違いにこそ思いを致すべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月31日 18:19 | 固定ページリンク




医師と薬  | 一考    

 「オプジーボ」という抗癌剤の値段が、体重60キロのひとで、年間約3500万円と非常に高額である。他方、放射線治療は重粒子線治療では最低300万円、加速型ホウ素中性子補足療法ではそこまでではないにせよ、100万単位の治療費が必要になる。

 店のお客が医師は薬を飲まないという。それは医師にもよるし、それ以上に薬次第である。基本的に、西洋医学の医師は漢方を好む。お客とのはなしに上がったのは抗癌剤と降圧剤。抗癌剤は薬によっては医師は飲まない、副作用の恐ろしさを熟知しているからである。それ以上に治るか治らないかが医師本人には分かっているからである。
 抗癌剤を服用しない医師はいても、降圧剤を飲まない医師はいないと思う。血圧は単体でどうのこうのと云うようなものではない。130であろうが140であろうが、それほど神経質になるようなものでもない。ただし、高血圧は認知症の重要な素因になる。
 認知症は脳血管性とアルツハイマー性に分けられる。前者の脳血管性認知症は、脳卒中などによって脳の血管が破れたり詰まったりした結果、脳に障害が起こり発症する。気付かないような小さな脳卒中を繰り返した結果、認知症が進んでいるケースが多い。
 「ステージⅠ」(収縮期血圧160mmHg未満-140mmHg以上、拡張期血圧100mmHg未満-90mmHg以上)の人は6倍、「ステージⅡ」(収縮期血圧180mmHg未満-160mmHg以上、拡張期血圧110mmHg未満-100mmHg以上)の人は高血圧でない人と比較して10倍もの認知症リスクがある。

 平成23年度調査によると、日本の高血圧患者数は906.7万人、年間医療費は1兆8890億円、年間死亡数は6932人。この医療費は透析治療にかかる費用の約2倍。
 武田薬品工業やノバルティス製薬のデータ改竄はひどいはなしだが、最近はオーソライズド・ジェネリックが発売されている。これは先発薬のメーカーが作ったジェネリックのことで、信頼がおける。ちなみに、わたしはシルニジピン(サワイ)、オルメテック(第一三共製薬)の2種を服用している。
 健康なひとは大きな病気はしないと決めてかかっている。また認知症にはかからないとこれまた決めてかかっている。わたしも同じだった。しかし、いざとなれば、痛みに耐えかねて延命治療を選んでしまう。自然死などという能転気な死を迎えられる幸運なひとは滅多にいやしない。

 前述のお客だが、上述したような難しいはなしをしに来たのではない。酔いを発散させるには喋るのが一番、わたしを相手に気晴らしをしていただければ幸いである。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月27日 22:04 | 固定ページリンク




マーフィーズ  | 一考    

 マーフィーズが売り切れたので、買ってきた。ついでに、銀河高原ビールの白ビール、エチゴビールのホワイトエール、ヤッホーブルーイングの水曜日のネコの3種を購入、ともに白ビールである。
 当店の売値はマーフィーズが800円、白ビール3点はそれぞれ600円。店の常備であるエッティンガー・ヴァイスの500㎖缶が4缶だけ在庫する、こちらも600円。マーフィーズ以外は常備の予定はない、悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月25日 23:13 | 固定ページリンク




誤解は六階に  | 一考    

 明石へ引っ越してから、どうも勝手が異なる。オマージュを書いたつもりが、一言、二言に引っ掛かって悪口と解するひとが多い。普段、本を読まない方ほどそのような誤解が多く見て取られる。わたしの血筋を引く姉弟なんざあ、その典型なのだが。
 もっとも、誤解は六階に、六階は七階にがわたしのモットーであれば、さして気にもしないのだが。あまりに続くといささか悲しくなり、自信がなくなってくる。わたしの頭がおかしくなったのかと、moonさんに質してみるも、どうやら正常らしい。

 茂木健一郎氏はツイッターで「トランプやバノンは無茶苦茶だが、SNLを始めとするレイトショーでコメディアンたちが徹底抗戦し、視聴者数もうなぎのぼりの様子に胸が熱くなる。一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」と発言したことから、芸人たちの間で賛否を呼んでいる。
 あまりにも当然の意見であって、反権力の芸人がいなくなったことを、わたしも再三にわたって当掲示板で嘆いている。ところが、坂上忍、梅沢富美男、矢作兼、松本人志と云った塵芥のような右翼タレントが茂木氏を扱き下ろしている。ひとは現状に満足すると保守的になる。前述の芸人は自らの置かれている立場、地位、能力、収入に充足しているようである。まるで、善し悪しの基準はわたしだと言いたげである。
 自らを疑うこころを忘れると、戦争を熱狂的に支持した戦前の民衆へと行き着く。坂上の論理の先には民主主義が内包する大きな闇がごろんと転がっている。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月25日 22:39 | 固定ページリンク




ニードルが原因  | 一考    

 中尾さんに連れられて尾鼻かおるさんの仕事場へ挨拶に行く。1990年春、前を走るオートバイと接触、当方はホンダCX400。転んだ弾みでアクセルワイヤーが断線、バイクは走らなくなった。当然、当方が一方的に悪いのだが、相手は公衆電話を探してどちらかへ連絡。携帯電話の黎明期、よほどの金持ちでなければ所有できない時代である。
 やがてトラックが到着、わたしのバイクを積んで、一緒にどうぞ。彼はオートサロンウサミというバイクショップの整備士、ハーレー、BMW、ドゥカティ、ベスパの専門家、爾来、世話になりっぱなしと相成った。
 今ではエスケープ(https://www.escape-bike.jp/)のバイクショップの整備を一手に引き受けている。大蔵谷インターの近くである。久しぶりにBMW100RSのはなしに興じる。随分長く乗ったバイクである。上背が縮み、足が届かなくなったのでBMWは降りた。今のわたしにはエリミネーターで十分である。
 そのエリミネーターが車並みに燃費が悪い、アイドリングの回転数が時間によって異なり、頻繁にアイドリング調整をしないといけない等、気になるところを説明。彼はキャブのジェットニードルホルダーとそこに差し込まれたニードルの摩耗でないだろうかという。要はガソリンが濃すぎるのである。その内、整備をしていただこうと思う。それにしても、バイク仲間との再会は楽しい。

追記
 尾鼻さんとのことは2009年07月の当掲示板「西明石」に詳しい。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月23日 13:04 | 固定ページリンク




入浴  | 一考    

 浴用剤は兎にも角にも種類が多く、それほど使ったわけではないが、やはり肌に合う合わないがある。透析治療を受ける前の身体の痒みは絶望的なものだったが、透析治療を受けてからの痒みは単なる痒みに変化した。その単なる痒みが浴用剤によってもたらされるのは困ったものである。繰り返すが、背中を掻きむしって血だらけになる程度の単なる痒みである。
 前の同居人が浴用剤を好み、なんとか温泉の素とか称する粉末をよく利用していた。浴用剤には温泉成分の効能を期待するものと薬用植物成分の効能を期待するものとに大別されるようである。前者は重炭酸ナトリウム、硫酸ナトリウム、食塩、明礬などの無機塩類を成分とし、後者は当帰、センキュウ、浜防風、薄荷の葉、カミツレなどを成分とする。彼女が好んでいたのは前者の温泉成分である。
 温泉の基準がどこにあるのかが分からないが、硫黄臭のない温泉など存在しないだろう。まずその点で浴用剤なるもののちゃらんぽらんぶりが良く分かる。家の風呂に硫黄臭は困る、よって硫黄臭を除いた温泉の効用をとの註文だろうが、そのようなものがあろうはずがない。なかには本物志向の消費者だっているに違いないと思うのだが。
 当掲示板のCEOは温泉の専門家ゆえ、迂闊なことは書かれないが、巷に出回る浴用剤を使っていらっしゃるのだろうか。わたしはイオンのそれを愛用している。ただし、柑橘系の浴用剤は概ね身体中を掻きむしることになる。イオンの薬用入浴剤にもいろいろあるが、乳白色のミルキーアソートと称する炭酸ガス入りの商品がもっとも気に入っている。不透明ゆえ、老いさらばえた不様な身体を見なくて済むからである。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月16日 19:01 | 固定ページリンク




人工透析の合併症  | 一考    

 人工透析は不均衡症候群、透析性痴呆、出血、血清肝炎などの合併症を伴う。不均衡症候群は髄液と血液の間に浸透圧などの差が生じて、脳浮腫となるために起こる。透析30分前後から、悪心、嘔吐、血圧上昇などが起こり、全身の痙攣や意識障害に至る。
 透析性痴呆は進行性痴呆、不随意運動などを示し、予後は一般によろしくない。出血は透析中に抗凝血薬のヘパリンを用いることから起こるもので、硬膜下出血が多い。血清肝炎は末期腎不全で輸血の機会が多い場合にみられ、4〜5%の頻度といわれる。

 腎不全はふつう4期に分類されるが、あまり意味のない分類である。なぜなら腎不全は非可逆的な病で、悪くこそなれ、決してよくはならない。3期以降を慢性腎不全というが、4期になると高血圧や浮腫,意識障害などの尿毒症症状を示し,放置すれば死亡する。要するに、腎不全の発症は死の宣告と覚しい。
 夥しい数の透析患者が亡くなっているが、その実数は不明である。なぜなら、腎不全は死因にはならない。透析患者が死んだ場合、死因は個々の感染症(例えば肺炎)もしくは心不全として処理されるからである。ちなみに、心不全も病名ではない。心臓が止まって死ぬわけなのだから、どなたさまも死ぬ時は心不全になる。要するに、死因をあからさまにしたくない芸能人や政治家はことごとく心不全なのである。                            

追記
 やっとインターネットへ通じた、最初の書き込みはやはり腎不全についてである。それにしても、Ethernet で通じているが、Wi-fi では通じない、これもまた片翼飛行。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月13日 19:03 | 固定ページリンク




夢のまた夢  | 一考    

 森友学園に関して教育勅語が見直されている。

 朕(ちん)おもうに、わが皇祖皇宗国をはじむること宏遠(こうえん)に、徳をたつること深厚(しんこう)なり。わが臣民よく忠によく孝に、億兆心をいつにして世世その美をなせるは、これわが国体の精華にして、教育の淵源(えんげん)また実にここに存す。なんじ臣民父母に孝に、兄弟に友(ゆう)に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)おのれを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もつて智能を啓発し、徳器を成就し、すすんで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重じ、国法にしたがい、一旦緩急(かんきゅう)あれば(アラバ)義勇公に奉じ、もつて天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。かくのごときは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又もつてなんじ祖先の遺風を顕彰するに足らん
 この道は実にわが皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じてあやまらず、これを中外に施してもとらず、朕なんじ臣民とともに拳拳服膺(けんけんふくよう)して、みなその徳をいつにせんことをこいねがう。(原文は辞書でどうぞ)

 明治23年発布され、古来天皇は徳をもって統治してきたことを述べ、国民の守るべき徳目を掲げ、「一旦緩急あるときは義勇公に奉ずる」のが本分であることを強調した。第二次世界大戦前の国民教育に指針を与え続けてきたが、昭和23年国会で排除・失効確認を決議。ちなみに、このようなものは伝統でもなんでもない。
 全体は3部構成であり、天照大神ら神々や歴代天皇によってつくられた日本独自の国体に教育の根源があるとする第1段、皇運扶翼のために実践すべき皇祖皇宗の遺訓であるとする第3段は往時の天皇家の宣伝文句だが、羽仁五郎は天皇が命令するというかたちで、教育勅語すなわち道徳を政治や法律の下に置いてしまったと指摘する。要するに、教育勅語は日本の道徳が堕落した根本原因だったと云うのである。
 第2段は政府の自由民権運動弾圧の正当化、そして儒教主義の復活がメインであって、こちらは問題山積である。教育勅語の下付の翌年には御真影(天皇・皇后の肖像写真)への拝礼、教育勅語奉読、君が代斉唱などを内容とする「小学校祝日大祭日儀式規程」を制定。勅語謄本への拝礼を拒否した第一高等中学校(後の第一高等学校)講師内村鑑三は、その職を追われるという事件(内村鑑三不敬事件)があり、為政者はこうした事件を利用しながら、勅語を無謬の道徳規範として神聖化し、国民への浸透をはかった。

 戦後の天皇は反転して革新派となり、平和憲法の担い手となった。おそらく、憲法改正に身を挺して反対しているのは天皇と共産党と社会民主党だけなのかもしれない。神道政治連盟、日本会議、自民党は天皇からもっとも遠いところにある。このまま行けばいずれ天皇が動く、動くと云うよりも、天皇によるクーデターをわたしは期待している。おそらく、それが天皇であればこそ可能な戦争責任の取り方でないだろうか。
 他方、天皇不親政こそが日本の伝統であり、この観念が天皇の一系性を支え、立憲的制度の受容を促進したことは看過できない事実である。それを良いことに、戦後の靖国神社や神道政治連盟は御真影への拝礼,君が代斉唱を繰り返す。親の心子知らずとはこのことよ。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月11日 14:41 | 固定ページリンク




別室風流  | 一考    

 4月22日、23日、東京から、増田、山口夫妻、ヒデキ、プヒプヒ、幣旗さんがいらっしゃるそうな。ひとり女性が足りないような気がするが、此岸と彼岸、身のおきどころが異なるような気がいたします。
 当然のことですが、東京のご一統さまが来られる日は貸し切り。そして増田さんに言い忘れたことがひとつ。ですぺらは和風の店舗、奥に6畳ほど(関東だと8畳)の別室がございます。蒲団はございませんが、寝袋持参であれば眠られます。拙宅には寝袋がふたつございます。よしなにお願いいたします。
 完備とまでは云われませんが冷暖房あり、翌朝の迎え酒ならびににぎり寿司は十分にございます。と来れば、やはり土日がよろしいかと存じ上げます。

追記
 明石へいらっしゃる日は4月14日の間違いです、済みません。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月10日 14:22 | 固定ページリンク




細川スナック  | 一考    

 隣の細川スナックの玄関には鉄板が打ち込まれてい、1979年5月と記載されている。これは改装の日付らしく、設立はさらに3年遡るようである。要は40年を超える老舗なのである。
 現在のママは3代目、水商売らしからぬ細やかな風情だが、捌けた性格の持ち主。東京でのかさね同様、隣人には恵まれているようである。
 店ではサントリーの高級ウイスキーだが、ママの個人的趣味でアイラモルトを50種類ほど蒐めておられる。どうして個人的趣味かというと、モルトウイスキーはサービスで提供なさっているらしい、そういう話を聞くと嬉しくなる。どのような形であれ、啓蒙運動がなければ折角出た目を摘むことになってしまう。
 ママはボトラーズのアイラモルトがいたくお気に入りのご様子。アイラに限らない、ブレイヴァルをはじめ、ケイデンヘッドのオスロスク、20年前に廃盤になったグレンキースのディスティラリー・エディション等々、通常、入手不可能なモルトを好まれている。好き嫌いは死に際に決めればよろしいかと思う。ママのごとく、チョイスを楽しまれる方こそですぺらに相応しい。

 細川は寄る年波を隠さない。カーキ色の煉瓦と葡萄茶の銅販が玄関を飾る。そこかしこにやや色の剥げた唐草模様が刻まれている。掃除をすればと云いたくなるような古色蒼然としたブリキ板の看板、中央に横文字で HOSOKAWA と浮かし彫りになっている。この看板の味わいがたまらなく好き、名のあるデザイナーによるものと拝察する。
 嘸かし華やかだったであろう昔日の面影を漂わせ、滅びへと揺蕩う店と隣り合わせたことを仕合わせに思う。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月10日 00:22 | 固定ページリンク




演繹的自死の薦め  | 一考    

 書きたくないことだが、身の周りに認知症患者が出た。年が行けば自分も引っくるめて何時かはやってくる事態である。分かっているが、そのための対処法は考えていない。
 生前に発症するかどうかの違いだけで、ひとは例外なく認知症になる。発症してしまえば腎不全同様、非可逆的な病であって、現在の医学ではその段階で既に手遅れである。

 認知発達があれば、認知退行があってもおかしくない。認知発達とは人間の知識や知覚,記憶,学習などの認知機構の起源と変遷を探る領域だが、その変遷の到達点に認知退行があるに違いない。
 ピアジェによれば子どもは自分を中心にした視点でしか事象を理解できず,また,推論が知覚的属性に大きく影響される。例えば、自分が目撃したある事象を他の人が見たとは限らないということを理解しない(自己中心性)。チューリップが花というより包括的なカテゴリーに属する、概念間の包摂関係を理解しない。また、細長いコップに入っていた液体を子どもの目の前で幅のひろいコップに移しても水面の高さが低くなることに惑わされて液体の量が減ったと言う、即ち保存概念の欠如。
 やがて、自分以外の視点で推論ができるようになり、概念の包摂関係の理解や保存の概念が生じる。しかし、論理的可能性をシステマティックに検討する仮説演繹的思考や,運動の保存のような非常に抽象的な概念を理解したりすることは困難である。さらに時を経て、具体物の操作から離れ、言語や記号のうえだけの抽象的な論理操作が可能になり、仮説演繹的な思考ができるようになる。とはいえ、表象的思考、抽象的推論操作に基づいた事象の理解などが1歳以前の乳児に存在するケースもあり、一方で、仮説演繹的な思考が苦手で、自己中心的な思考に終始する大人や老人は多くいる。
 「自分を中心にした視点でしか事象を理解できない」、その頂点に結果としての認知症があるように思う。幼児退行と人は良く云うが、言い得て妙である。いかに進んだ認知症であろうとも、脳幹は生きている、認知症は植物状態と縁戚関係にあるのでないだろうか。

 結論である。臭いものに蓋をするというではないか、施設の片隅で死を迎えていただくほか、無責任なわたしに思いつく手立てはない。これではヒトラーのそれと同じではないかと叱られそうだが、在宅介護なんぞした日にはわたし自身が金銭的にも肉体的にも破綻する。ここはひとつ冷酷に・・・ 


投稿者: 一考      日時: 2017年03月09日 01:19 | 固定ページリンク




田村ペアさま  | 一考    

 土曜日はお客さんが8名もいらっしゃった。お二人を除いて西明石時代のお客さんである。とりわけ田村さんと白衣のくまさんの来店は嬉しかった。市民病院のすぐ北側で信和モータースという自動車整備会社を営んでいらっしゃる。どのような車種も扱うが、ご主人はホンダがお好きなようである。
 市民病院で腎結石を発症、尿管バイパスを拵えるなど、4度ほど入院した。その折に看護師たちと飲みに出掛け、田村さんにも電話を架けてご一緒した。今日は看護師が付いているから少々飲んでも大丈夫と。今にして思えば、東京で主治医と飲み歩く前触れだったのかも。
 田村さんは登山が大層お好きである。白衣のくまさんとともに、足繁く山へ登っている。わたしも毎日のように山登りをしていたが、今は拙宅の15段の階段が限界である。
 ところで、白衣のくまさんには済まないことをしている。当掲示板をはじめたころ、賑やかにしようとエロめいたことを屡々書き込んでいた。調子に乗ってくまさんを出汁にセクハラを働いてしまった。この場を借りて深くお詫び申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月08日 00:59 | 固定ページリンク




下着  | 一考    

 今日、オートバイ用にパッチを購入。戸田に住んでいた折は雪が降ればオーバーズボンを穿いていた。四輪を暢気な乗り物という理由はそこにある。暢気な理由は他にもある。四輪はハンドルで曲がる。身体はどこも使わない、にもかかわらず、四輪を運転する人はまるで自分の能力のように錯覚している。1度、千キロほどの自転車旅行をしてみれば車がどういうものか理解できる。
 パッチだけは穿きたくなかった、痩せ我慢である。しかし齢70にしてとうとうパッチのお世話になる。明日から三日間、明け方は3度にまで下がるそうな。60キロ走行でも体感温度は5度下がる、良いときにパッチを買った。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月07日 01:51 | 固定ページリンク




インターネット続き  | 一考    

 So-net が繋がらないので店のパソコンを拙宅へ持って帰る。家では問題なくインターネットに繋がったので、OSを9.5から10.12.3へバージョンを上げ、再度店へ持ってくるも、やはり繋がらない。よほど相性が悪いようである。PPPoE も Ethernet も接続済みになっている。正直なところ、わたしの手に負える代物ではなさそうである。
 こういう時はどのようにすればよいのかしら。J-COM なら繋がったのだが、明石はJ-COM の圏外。明石の知己に片端から聞いているのだが、どなたさまも駄目なようで、繋がりませんの一言でお仕舞い。繋がらないものに2年間も金を払い続けなければならない、いやはや。

追記
 So-net へ電話で問い合わせた(電話機を持って14分30秒後に通じた)ところ、送った書類に記載されたパスワードでなければ繋がらない、と。4度のメールを頂戴しているが、そのようなことは書かれていない。そして So-net 側は書類は送り返されてきた、と。
 送り返されたのが分かっていれば、インターネットに通じていないことも分かっているはず、2箇月半ものあいだにメールなり電話で連絡は取れただろうに。
 店の工事が必要なので店の住所を伝えた、そして自宅も。にもかかわらず、書類は12月中旬に店へ送った、と。わたしが店舗を借りたのは1月に這入ってからである。
 互いの思い込みと連絡不足が理由だが、いささか不親切でないだろうか。So-net の対応は商売人のそれではない。5日後に改めて書類が送られてくるそうな、楽しみである。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月07日 00:58 | 固定ページリンク




アンコンストラクテッド  | 一考    

 選択が立場の闡明になると昔から良くいわれる。趣味人が趣味をより高尚なものに見せようとして宣う言葉である。もしくは翻訳者が自らの翻訳を創作と同水準のものと見做すための方便として用いられる。
 わたしも屡々遣ったが、いまでは反吐が出る。立場の闡明になろうがなるまいが、そもそも選択なる概念がいかがわしいし、立場なんぞ闡明にする必要なんぞあるのかしら。言い換えれば、闡明にしなければならない立場なんぞこの世に中にあるのかしら。第一に、道理や意義は曖昧なところ、芯のないところに面白味があるのであって、常に揺れ動いている。
 実存主義で云うアンガージュマン(意志的実践的参加)における個と全体との抗いながらの関係ならまだしも、その抗い即ち震えや痙攣を欠いた、著しく受け身の参加なんぞ、右の雪洞と左の雪洞のどちらが良いかといった類いの情趣に過ぎない。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月03日 06:49 | 固定ページリンク




脳死と植物状態  | 一考    

 かつて、脳死になった娘を看取る本を出版した。脳死と判断されたとき、大脳や脳幹の神経細胞のすべてが死んでいるわけではなく、神経細胞群がシステムとして働いたときの機能が非可逆的に停止しているにすぎない。とは申せ、やがてすべての細部が死ぬ運命にあることは十分に予測できる。
 その娘さんの場合、脊髄の神経細胞がまだ生きていたので、システムとして働くことがあり得た。それゆえ、親御さんは脳死を死として受け取ることかなわず、親御さんのいう心臓の停止まで看病することになった。
 ここで問題なのは、脳幹が障害された状態で、人工的な呼吸の介助なしには生命を維持することはできない。要するに、人工呼吸器によって強制的に呼吸は続いているが、実態はとっくに心停止だったのである。その結論は無惨だった。液状化した脳細胞が、目や鼻、口から漏れ出たのである。

 脳死の判定でいちばん注意深い区別が必要なのは植物状態との区別である。脳死と植物状態はまったく異なる。植物状態というのは、重症な脳損傷による継続的な意識障害であり、神経反射や自発呼吸はほぼ保たれ、脳波も平坦波ではない。また発声、開眼あるいは眼球運動などを示すことがある。その名のとおり、脳のいわゆる植物中枢の機能は保たれているわけである。
 脳幹と脊髄が無傷であれば、それより上位の中枢が障害されても、いわゆる植物人間の状態で生命を維持することができる。要するに、脳幹に障害があるかないかで決定的な違いが生じる。

 本題に這入る。死者が生前に臓器摘出を書面で承諾しており、かつ医師がその旨を遺族に知らせ、遺族が摘出を拒まないとき、または遺族がいないときには、遺族の書面による承諾がなくても摘出できるものと定められていた。しかし、現実には遺族の承諾に基づく摘出がほとんどで、例えば1995〜96年度の死体腎移植についていえば、180人のドナーのうち、ドナーカードに基づいて提供に至ったものは15人にすぎなかった。
 臓器移植法が施行された1997年10月から11年間で脳死と判定された上、臓器提供の意思表示をしていた1090人のうち、実際に提供されたのは76人。理由はことごとくが家族の反対である。
 私の周りにも意思表示カードで臓器提供を申し出た方が多い。しかし、提供されるかどうかは疑わしい。日本人の生死観は今も昔も揺るがない、脳死が死として受け容れられるのは何時になるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月03日 01:01 | 固定ページリンク




乳酸菌製剤  | 一考    

 いつもは医師から体調はどうですかと訊くのが決まり事である。ところが今日は検査結果(血液、尿、便)だと体調はいいみたいね、と医師。駐車場から拙宅の2階へ上がるのに青息吐息だったが、今日はひょいひょいと上がられる。恐るべき免疫抑制剤である。
 医師もやはり薬だったようですね、と。メドロール、クラセプター、セルセプト、サーティカンの四種類の免疫抑制剤が中心で総量は変わらないが、それぞれの量を体調に合わせて増減させていくようである。
 本日の検査ではセルセプトの血中濃度が低く、0.5ミリグラム増やして4ミリグラムになった。そして次回は念願の4週後となった。ビオフェルミンRを28日分頂戴してきたのは云うまでもない。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月02日 00:42 | 固定ページリンク




合鴨と三協食鳥  | 一考    

 川口さんがスモーク罐を修理してくださったので、燻製をはじめようかと、合鴨を探しに出掛けた。タイもしくはマレーシア産チェリバレー種の合鴨が目的である。国産は大半がチェリバレー種だが、とりわけ京鴨が有名、しかし高すぎて使えない。

 水禽の放し飼い農法は昔からあって、安土桃山時代には除虫と番鳥を兼ね、豊臣秀吉が水田でのアヒルの放し飼いを奨励したとされる。しかし、江戸時代に途絶え、下って稲作に農薬を使うようになった1960年代以降、アヒルが農薬で死ぬようになったために廃れてしまった。
 1990年代に這入って「合鴨水稲同時作」を確立、全国合鴨水稲会が設立。しかし、捕食圧による生態系や生物多様性への悪影響が問題になり、思うほどには進んでいない。
 また、日本では冬場の鴨鍋を除くと消費量が極端に少ないため、出荷ルートの確保が課題とされる。現状は合鴨農法を営む農家の近隣のレストランや蕎麦屋で細々と消費されるにとどまっている。

 チェリバレー種の特長はバルバリー種(日本でフランス鴨と呼ばれる品種)より肉組織が緻密でコクが強い。肉質は柔らかく、鶏の肉より赤身が強いのが特長。皮下脂肪が厚く、エネルギーは高いが、不飽和脂肪酸を多量に含んでいるので、脂肪は淡白で風味が良い。
 昔、中野の弥生町で住んでいたが、そこで食べたバルバリー種が堅くて閉口した。なかにはフォアグラを採った後のアヒルを合鴨のもも肉として炒め物に使っており、こちらも閉口である。ちなみに、紅茶鴨やハーブ鴨と称するチェリバレー種のブランド品が出回っているが、全く意味のない商品である。
 今日ではガチョウ以外にアヒルのフォアグラも作られてい、野生的な味がガチョウのものと異なるものとして評価されている。日本におけるフランス料理用語では野生のカモと野生のマガモを家畜化したアヒルを訳し分けない慣行であるため、アヒルも「鴨」と表記される。

 肝心の合鴨だが、拙宅の近所の王塚台に三協食鳥神戸支店があった。合鴨から廃鶏まで、大概のものなら入手できそうである。合鴨ロース1枚(250グラム)が400円ほど。市価の三分の一で入手できる。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月01日 01:26 | 固定ページリンク




氷菓子  | 一考    

 下痢は治まらないが、便の中に若干の固形物が這入ってきた。それよりなにより、免疫抑制剤を変えてから身体が随分と楽になった。先ほど、華胥の国から戻って来、アイスクリームを食べたくなった。下腹を押さえながらの氷菓子など、われながら粋だと思っている。
 赤坂のですぺら1号店での誕生会でハーゲンダッツのアイスクリームを馳走になった。溶けかけた恰度食べ頃のアイスクリームだったが、ハードアイスとソフトクリームとの中間、絶妙のタイミングだった。後にも先にもあのように旨いアイスクリームははじめてだった。


投稿者: 一考      日時: 2017年03月01日 01:23 | 固定ページリンク




インターネット不通  | 一考    

 So-net で店のパソコンを繋いだものの繋がらない。Wi-fi が駄目なので、ランケーブルを繋いだが、同じである。ネットワーク診断で Ethernet、ネットワーク設定、ISP までは繋がるのだが、インターネットとサーバが繋がらない。
 外部装置を再起動しても同じで、まったく理由が分からない。その内に繋がるのでなかろうかと気長に待っている。埼玉で似た状態に陥ったことがあったが、そのときはさらに一台ルーターを入れて繋がった。今回もその手で行こうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月27日 10:03 | 固定ページリンク




変なひと  | 一考    

 バックバーを指してこれはなんだ、と一言。意味が分からないので、モルトウイスキーですと答える。俺はこだわりを持った人間で、明石では珍しくモルトウイスキーを知っている男だと。
 これはきっと制御不能の客だなあと自分に言い聞かせる。俺はシングルモルトが好きだからマッカランが嫌いだ、パッチもののハイランドパークが嫌だ、やはり酒はシングルモルトでないと。バランタインは駄目だがオールドパーは旨い。近頃の日本人はみなさん焼酎だが、マスターはワインは飲むのかね、やはりキャンティーかね。
 アネーブル・トゥ・コントロールとはこのこと。宗教者に多いのだが、この客はいずれの宗教家なのかしら。わたしがすべてに「その通り」と応えたのは云うまでもない。

 ところで、わが国最大の宗教政党は自民党である。内閣に創価学会がひとりと無宗教がひとり、他はことごとくが神道政治連盟に属している。政治が制御不能になるのはやむを得ない。ABEのあと、HASHIIMOTOが首相になればよろしかろうにと思う。迷いのないことにおいて特出している、金正恩を加えて東亜細亜の3巨頭かと存じあげる。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月26日 11:12 | 固定ページリンク




電話  | 一考    

 店の電話がはじめて鳴った。ホームページ刷新の薦めらしく、一応、ですぺらのホームページを見た上での電話らしい。一日3000から5000のリクエストがありますから結構です、といったところ、それは嘘でしょうと返してきた。嘘かどうかはそちらには分かるまいに。
 日々のカウントなんぞ、こちらは気にもしていない。たとえ、1日1リクエストになったとて、そのようなものかと思うまでのはなし。訪れるひとを増やすためにあくせくするなんざあ、愚の骨頂。
 自販機世代のオウム真理教のようなもので、心の空白を埋め,超能力を手に入れてこの世を超越できる安手の自動販売機に過ぎない。その自販機がパソコンであれ、ホームページであれ、AKBであれ、江戸文化であれ、わたしの知ったことでない。

 昔、友人がオウム真理教の信者になった。独裁は,大衆の熱狂や万雷の拍手を背景として生まれてくる点で,民主主義を基盤としながら民主主義圧殺に通じる鬼子であるなどと云ったところで、なにひとつ通じない。もっとも、通じるようなら、そのひとは信者でないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月26日 01:29 | 固定ページリンク




レスピレーターと慢性鼻炎  | 一考    

 戸田中央で全身麻酔の際、レスピレーターを用いた。国際的には肺換気を目的とする器械という意味でベンチレーター(人工換気器)と呼ぶのが正しいが,日本では以前からの習慣でレスピレーター(人工呼吸器)と呼んでいる。
 レスピレーターを装着すると気道がカラカラに乾燥し、声が出なくなる。医師から何という無様な声といわれたが、事ほどさようにおかしい声になる。手術時と集中治療室で用いていたので4.5日は装着していたように記憶する。
 手術時に限らず、小腸の内視鏡検査、大量下血による2度の非常時など肺にまで管を挿入する。気持ちのよいものでない。しかし、それによって慢性鼻炎が治ったのである。医師によると関係ないとのことだが、わたしに限っては治った。一日にティッシュペーパー1箱では足りず、ロールティッシュを用いていたのだが、それがピタリと止んだ。鼻炎の特効薬は肺にまで挿入する1本の管だと信じている。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月25日 16:17 | 固定ページリンク




腸炎と下痢  | 一考    

 食事は摂るようになったが、腸炎と下痢は続いている。かてて加えて尿の濁りである。医師との話し合いで、免疫抑制剤の変更が理由のひとつでなかろうかとなった。薬を元に戻して様子を見ることにした。
 薬は万人に向くとは限らない。わたしとは相性がよろしくないのである。最初から疑っていたものの、医師にしてみれば最新のすぐれた免疫抑制剤である、止めるに期間が必要だったに違いない。それにしても、1箇月の下痢はひどい。もう少し早くなんとかならなかったのかと云いたい。ミヤBMの代わりに、ビオフェルミンRを頂戴してきた。次の手は検便の結果による。ひょっとすれば、腸炎には別の理由があのかも。
 週1回の外来がつづく。4週に1回の外来はわずかに2度のみ。自らの身体を不甲斐なく思う。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月23日 06:54 | 固定ページリンク




開店資金  | 一考    

 このところ、スプリングバンク、ポート・エレン、アードベッグ、ブローラを数十本ヤフオクへ出品した。店の開店資金である。これで費用は賄えたが、あと運転資金が必要である。
 ポート・エレンは新品だと10万円を下ることはないが、ヤフオクだと5.6万円である。10万円の値をつけている出品者もいるが、売れはしない。
 さまざまなウイスキーを出品して分かったことは、3.4万円の商品がもっとも売れるということ。例えば、アードベッグでもっとも安いべりーヤングやスティルヤングが3万円で売れる。その伝でいけば、シグナトリーの旧カスク・シリーズなど20万円でもよいのだが、現実には8万円である。
 カリラの花と動物シリーズのカスク・ストレングスを目下出品している。珍品中の珍品だと思うのだが、いくらになるのだろう。出品価格は26000円、4万円はついてほしいのだが。
 どうでも良いことだが。ランクがゴールドになった。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月18日 10:28 | 固定ページリンク




893の腎移植  | 一考    

 893の人工透析ならびに腎移植が物議を醸している。問題になっているのは医師の方だが、893の延命のほうもわたしには気になる。まず、命を惜しんで893はつとまるまいと思うのだが。
 893は組織命であって、個であることを端に捨てている。従って、893といえども人の子とか、
病は個のものといった理屈は通じない。況んや、相手は山菱の総長である。延命を図りたいのなら、まず組から離脱して個人にもどるべきである。離脱しないでの透析、移植なら、それを受け入れた病院側も反社会的集団の一員と受け取られて仕方がないだろう。
 テレビで医師が医学上の知見の正しさを強調していたが、それは問題のすり替えである。透析や移植を受け入れたこと自体が問われているのである。医師としての倫理をどこへ置き忘れてきたのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月18日 01:26 | 固定ページリンク




開店10日  | 一考    

 ですぺら開店はよいのだけれど、3箇月は客があるまいと覚悟していた。然るに、西明石時代のお客さんがひとり、ふたりといらっしゃるようになった。ありがたい話である。
 妙な伝説のようなもの・・・昔々変な居酒屋があったそうな、ベルギービールが流行る前に50種のベルギービールを置き、芋焼酎がブームになる前に芋焼酎を置き、西明石ではじめてシングルモルトを、しかも20種類のスプリングバンクを置いていた居酒屋。

 チョイスを楽しまれる居酒屋がわたしのモットー、すばわち努力目標である。どこそこで一番などというものを目指しているわけではない。ボトルの数ならコレクターにはかなわない。モルトウイスキーで若くて安くて旨いものを集めている。ここで云う旨いは蒸留所の個性が端的に顕れているものをさす。例えば、クライズデールやインプレッシヴのようなボトラーである。
 おなじく焼酎である。月の中のように思いっきり芋くさいものかシェリーカスクで熟成させたウイスキーのような焼酎である。
 ビールはわが国にはない生きた酵母の這入ったベルギービール、それも白ビールがよい。乾きものはもっかのところサービスである。チェーサーに炭酸を用いているが、こちらも無料。身体が落ち着けば、徐々にフードを作るつもりだが、はてさて何時になることやら。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月17日 00:26 | 固定ページリンク




「Bar 眞」  | 一考    

 「Bar 眞」のオーナー眞野公一さんがいらっしゃった。西明石ですぺらが閉店後、明石市野々上2丁目11-5-1Fに出店なさったようである。ところで、この屋号には心当たりがある。かつてヤフオクでファクシミリを落札した折、あなたは西明石でですぺらを経営していた渡辺さんではないかと訊ねられたのである。ですぺらのお客さんだったらしく、閉店後は家の近くの「Bar 眞」へ飲みに出掛けているとのことだった。
 爾来、気にはかけていたのだが、まさかそこのオーナーが飲みにいらっしゃるとは。ヒューガルデン・ホワイト、磯自慢、グレンキース(旧ディスティラリー・ボトル)、シールダイグのラガヴーリン、アイラストーム、インプレッシヴのアードベッグを飲み、モルト談義に花が咲いた。
 カクテルが中心の店らしく、ノンアルコールのカクテルもありますからと、お誘いを受けた。月曜日が休日、18時から26時の営業、電話番号は078-925-1142。拙宅から近く、日曜日なら飲みに行かれる。開店から8日目にしてはじめてのモルトウイスキーのお客、嬉しい仲間がひとりできた。

 その眞野さんの紹介で、西明石時代のお客北角さんがいらした。ですぺら西明石閉店以来、すなわち1999年8月末日以来、18年ぶりの再会である。林達夫張りのアイロニカルな口調はそのままに、いろんな焼酎を、モルトウイスキーを傾ける。北角さん、18年間の話しをしましょうよ。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月15日 14:17 | 固定ページリンク




田嶋華子さん  |   一考

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 わたしが腎不全を発症したのは2009年7月、クレアチニンが4乃至5だったのが、翌10年には突如7乃至8に急上昇、末期腎不全になった。末期になると3.4箇月の命である。重度の尿毒症に悩まされ、痒みに全身を掻きむしり、身体がむくみ、肺や胃に水がたまる。
 その10年6月に腎不全を発症し、同年9月14日合併症の肺炎をこじらせて亡くなった女性がいる。名を田嶋華子さん。彼女については書かねばならないと思いつつ、今に至っている。かつて「少女の死」と題して当掲示板で触れているが、名は伏せて書いた。「少女の死」に限らない、そこら中で彼女について触れている。
 例えば、「透析を受ければ即刻元気になるとほとんどの方は思い込んでいる。しかし、腎不全に治療法は存在しない。人工腎臓を用いても高カリウム血症へ至るのを遅らせることしかできない。どの程度遅らせることができるのかは、その人の食事制限、水分制限の結果次第である。人工腎臓はそのための手助けでしかない。要するに死が約束された病であって、死が約束されたと云う点で人生と同じである。透析を何年続けたかは問題にならない、一年であれ十年であれ、その期間こそがその人の寿命なのである」と当掲示板で書いている。
 おそらくこの年、末期腎不全になられた方にとって、彼女の名前は忘れられないものになったに違いない。
 田嶋華子さんについてはNHKでドキュメントが放送されており、ご存じの方も多いと思う。自ら透析治療を拒否したため、本人の意思にかかわりなく、医療をはじめ様々な分野の方に物議をもたらした。延命治療のあり方、末期医療のあり方、命の尊厳、自死の是非などなど、しかし、誰がなにを云おうが、彼女の病は彼女の病、彼女の命は彼女の命であって、一般論として括られるところのものではない。

 船橋市在住の彼女は生れつきの重度の心臓病(三尖弁閉鎖症)で生後2箇月で肺高血圧と心不全があるため肺動脈バンディングの手術を受ける。様々な危機を乗り越えて東京慈恵会医科大付属病院で念願のフォンタン手術に成功し、5箇月の長い治療に耐え、元気になった喜びも束の間、心臓の働きが低下し重度の心不全症状を起こし入院生活になった。精密検査の結果、拡張型心筋症と診断され、あと数箇月の命と宣告された。
 8歳の時、ドイツで心臓移植手術を受けたが、免疫抑制剤の副作用で背骨が曲がる難病にかかり、呼吸ができなくなり、15歳で人工呼吸器を装着。声を失い、からまる痰は自分で吸引した。
 この段階で、彼女は次になにか新しい病気が起こったら治療は拒否するとの意思を両親に表明する。そして、免疫抑制剤は腎毒性を持つ、やがて彼女は腎臓の機能も失ってゆく。
 両親は、延命治療拒否の意思を尊重しようと決めているが、腎不全の透析治療を受けようとしない彼女に、医師立ち会いの下に「生きて欲しい」と懇願する。しかし、これ以上の延命治療を受けたくないという彼女の決意は固く、説得を受け入れることはなかった。仮に透析治療を行った場合、あと2年は生きられたと思うが、移植手術の際に医師が云った「余命10年」の言葉通り、彼女は18歳で逝った。
 わたしが愕くのは、末期腎不全で死を迎えるその苦痛である。わたしはその死の寸前まで経験したが、とても耐えられるものでない。辞書によると「嘔吐・下血・意識障害・貧血・肺水腫・漿膜炎などを生じ、ついには痙攣・昏睡に陥る」となる、その通りなのだが、顔や手足が無残にむくみ、内部から全身が爆発するような痛み、全身を切り裂かれてゆく壮絶な痒み、刃物と鋭利な針でできたミミズが身体中を跳ね回る。血を垂れ流しながら、のたうち回るのである。
 田嶋華子さんのあとを追ってわたしは死のうと思った。しかし、あまりもの痛みにわたしの心は折れた。死の1週間前、幹郎さんに連れられて、わたしは北里研究所病院へシャント造設のために入院した。

 (写真は大磯の小児ホスピス「海のみえる森」、田嶋華子さんゆかりの地)


投稿者:   一考  日時: 2017年02月14日 16:24 | 固定ページリンク




歳月  | 一考    

 今月の5日、腸炎のさなか、70歳を迎えた。わが国で誕生日を祝うのは満1歳の初誕生日に限られ、それ以外に年々の誕生日を祝う風習は日本になかった。少なくとも、わたしにとって誕生日とは代謝の衰えの記録以外のなにものでもない。そのようなものを祝うSNSのさだめが理解できない。また、足跡を残されたからには無視できない、当方も訪ねるしかない。なんともはや煩雑なことよ。
 その点、ですぺら掲示板は自由でよい。一日3千件以上のリクエスト(実数は200ほどだが、そのようなことはどうでもよい)があるが、勝手に訪ねて勝手に去って行く、誰が何時、何をしに来たのか、雲をもつかむはなしである。もっとも、検索項目を調べれば、ある程度の方向性は見えてくる。そしてその方向性をわたしは大事にしている。
 例えば、人工透析、腎移植、余命のブロックがあって、モルトウイスキーのブロック、燻製とその調味料のブロック、亡くなっていった多くの友と客のブロック等々があって、極力それに添うテーマなりモチーフを考えている。
 どなたの掲示板であれ、検索で這入るのが一番。SNSのごとく、最新の書き込みのみ重視するのはいかがなものか。掲示板はファッションでないと思うのはわたしだけではあるまい。

 ダイヤライザーの性能がいくらよくなったからといって、人工透析患者の余命は腎移植患者ほどには延びない。免疫抑制剤がいくらよくなったからといって、健常者ほどに寿命が長くなるわけでもない。腎移植をしたものの、人工透析に舞い戻ったひとを多く知っている。なかには3度の移植手術をした強者もいらっしゃる。それが分かっているが故に、移植手術をしたからといって、シャントを元に戻すひとはいない。みなさん、覚悟を決めて生きていなさる。
 毎年1万人ほどの透析患者が増えている。そしてその7.8割の患者が亡くなっている。新たに患者になられる方はみなさん透析患者の余命を調べる。病院では一部の例外を除いて明確な形で余命の宣告はしない。症状が異なるし、身体が受けるダメージも個々に異なる。安直に余命を宣することなどできようはずがない。

 松戸の東葛クリニック病院で医師に余命を尋ねた、2012年2月のことである。5年後の誕生日を迎えられるように、全力で治療に当たります、と。この場合の治療は根治ではなく、対症療法である。
 山中(旧姓)さんが九州で透析治療を受けておられると聞いてから随分になる。生きておられるのだろうか。

追記
 東葛クリニック病院では3度の入院と2年間の透析治療を受けている。レビューによると医師は敬語を遣えず、受付の女性の態度が横柄だと書かれている。今も同じ人だが、あれほど親切な事務員をわたしは知らない。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月12日 22:18 | 固定ページリンク




辰巳忠司さん  | 一考    

 前項で東明商事のご主人と書いたが、お名前は辰巳忠司、ですぺら初のお客さんである。隣のビルで不動産会社を営んでい、今回の店舗探しではいろいろと面倒をおかけした。彼の周旋する物件に這入ったわけではないのだが、随分と親しくお付き合いしてくださり、感謝している。
 桜町界隈では主のような方で、日々、違うお客さんを連れてのご来店。先日はですぺらとの屋号が気に入らないとの意見に対して、「捨て鉢、投げ遣り」がマスターの人生観なのだからと、弁護してくださった。
 ひとの人生観について語るということは自分の人生観を持っているとの証し。流されるのではなく、時として立ち止まり、行きつ戻りつしながら逡巡と反芻を繰り返さなければ、人生観を抱くことはかなわない。最晩年に当たって、ためらいを持つ友ができたのは嬉しい。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月11日 16:17 | 固定ページリンク




Whiskey Elements と地酒蔵のウイスキー  | 一考    

 スミノ酒店から富山の若鶴酒造の「地酒蔵のウイスキー」という一升瓶を買ってきた。20年ものモルトが這入っているのが売りらしいが、すこぶるニュートラルなウイスキーである。そこで、松本さんから頂戴したウイスキーエレメンツの「Scotch」と称する試作品を用いてみた。リムザンオークの香りが強く、グレンファークラスを想い起こす味わいとなった。
 元々、ウイスキーエレメンツなる木片は個性を持ったウイスキーには使っても意味がない。国産のオークの香りすらしないような没個性のウイスキーにこそ相応しい。それにしてもこの変わり様はどうだろう。屡々カスクはウイスキーの魔法使いといわれる。それがこの木片で可能になるのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月11日 07:03 | 固定ページリンク




一見さん  | 一考    

 昨日今日と一見さんが来店。おそらく東明商事のご主人と思うが、宣伝なさっているようである。二人連れで来られてビール1本、お代は600円である。お通しは無料、注文もしていないものを勝手に出して金を取るような阿漕な商売はやりたくない。

 モデルのような女性は近隣でスナックを営んでいらっしゃるとか、話されることは聞くが、そこから先、聞き出すような無粋なことはしない。話したいこと、話したくないこと、ひとは様々な事情を抱えて生きている。
 女性が帰られた後、気配を感じて振り返る、横須賀さんが後ろにいるような。おいおい、ここは明石ですよ、明石まで迎えに来なくったって。小夜子さんとの晤語を楽しんでいるのでは・・・なんだ一緒なの。
 連れて帰ろうかと思ったのだが、2.3日早かったようだね、と言い残しておふたりはひょいひょいと消え去った。横須賀さんのところへはどなたが迎えにいったのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月11日 06:59 | 固定ページリンク




整腸剤  | 一考    

 ですぺら開店から4日目、はじめて空腹を感じ、445円の握り寿司を買ってくる。久しぶりの寿司、食事らしい食事に溜息をつく。
 仕事はリハビリと思っているが、突然やってくる腸炎は困りものである。今回は腸炎だけだったが、腸炎を発症するとサイトメガロウイルスを併発する。そうなれば下血で悲鳴をあげることになる。これで2度死にかけている。

 ひとの身体は、異物が這入ってきたときにそれを敵と見做して闘う免疫によって守られている。すなわち、臓器移植をするとその臓器を敵と見做して攻撃するのである。そこで免疫抑制剤を飲んで免疫を落として移植臓器を守るのである。臓器移植の歴史は免疫抑制剤開発の歴史でもある。ただし、移植臓器は守られるものの、他のウイルスや黴菌との戦闘能力も同時に失われる。
 臓器移植者は無菌室で生活すべきなのだが、現実にはそうはいかない。生きていればこそ、さまざまな病気にかかる、その度に大騒ぎになるのである。

 免疫抑制剤のおかげで、風邪のPL配合顆粒と整腸剤のミヤBMぐらいしか服用できる薬はない。整腸剤でも飲んで腸炎が自然に治るのを気長に待つとの著しく消極的な手立てしかない。それが2週間たっても完全に治癒しない理由である。
 腸炎を治す方法はなく、発症に確たる理由なんぞあるわけもない。これは腸炎に限らない。敢えて申せば元凶は免疫抑制剤そのものなのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月11日 06:46 | 固定ページリンク




川口真世さん  |   一考

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 高橋睦郎さんの講演で質疑応答になったとき、若い人たちがわたしはアララギで、わたしは歴程でと、属する組織名を真っ先にあげていた。睦郎さんはそのような組織に属することなく詩を書いてこられた、にもかかわらずである。
 もとより、詩を書くとは個の営みであって、どこそこへ帰属しているからと云ってそれが作家であることの権威付けにこそなれ、証明にはならない。その消息は舞踏であれ、陶芸であれ、なんであっても同じである。
 むしろ何々に属していると表明した瞬間に指のあいだからさらさらと零れ落ちてゆく砂状のもののなかにこそ、愛おしむべき個の呻吟が隠されているのでないだろうか。

 その個と闘う陶芸家がいる、川口真世(まよ)さんである。写真はですぺら開店のために川口さんがお持ちになった小鉢。わたしが世話になる毎日自動車商会社主の娘さんであること以外、彼女についてはなにひとつ存じ上げない。知識があれば迂闊なことは書かれない、知らないがゆえに、なんだかんだと云えるし、書かれるのである。
 例えば、のっけに師匠はどちらのと訊いてしまった。それが立杭であろうが九谷であろうが、初手の一歩に手を貸したまでのはなし。川口さんの焼き物はあくまでも川口さんのものに他ならない。これが迂闊の一歩。
 焼き物の景色を構成するさまざまな用語がある。例えば、土が荒いせいかイシハゼが目立つが、珍重されるべき景色を奏でていると云った類いである。しかし、そのような用語が如何ほどのものを意味するのか、焼き物の説明たり得ても作家個人をなにひとつ語ったことにならない。それも迂闊のひとつ。

 通常、個人としての陶芸作家は釜の一部を間借りするしか方法がない。従って、窯元の威光が強く、自由な表現活動ができないのである。ところが、川口さんは大蔵町近隣の寺に釜があってそこで焼いていらっしゃるとか。ますますもって自己完結なさっている。権威・権力・組織に背を向けて作陶なさっている個人と久しぶりに出会った。晩年の楽しみがひとつ増えたと云っておこうか。


投稿者:   一考  日時: 2017年02月09日 12:05 | 固定ページリンク




ですぺら開店  | 一考    

 オープニングのようなセレモニーはしない。本日月曜日から五月雨式に営業する。だらしなく、場当たり的で申し訳ないが、その方法しかないと思う。
 トイレは完成したが、若干の水漏れあり、理由は分からない。フードは現状では造られない、よって乾き物だけで済ませる。取り敢えずのオープニングである。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月06日 06:14 | 固定ページリンク




年寄りの冷や水  | 一考    

 今朝、腸炎が治まった。時を同じくして和式トイレを洋式に替える簡易トイレ、TOTOスワレットが届き、明日もしくは明後日に工事をしていただく。そのトイレだが、結構重量があって、今のわたしには2階から1階の車にまで運ばれない。運送屋さんに事情を説明し、1階での受け取りに変更、車まで積んでいただいた。
 2階から1階へ往復するだけで、わたしの身体は30分ほど動かれない。それよりなにより、この10日ほど、ゴミを捨てられなかったのが辛い。店のオープンを予定して、かなりの量の生鮮食料品を購入していた。すべての食品は黴びてしまった。明日にでも、拙宅とですぺら双方の冷蔵庫の大掃除である。とは云え、次回の生ゴミを捨てる日は月曜日。

 通常、腸の中に害のある菌やウイルスが這入り、下痢によって排出しようとする作用が働く、その作用を下痢と云うのだが、わたしの潰瘍性大腸炎はサイトメガロウイルス腸炎と合併することがあって、非常に危険である。
 健康なひとならみなさんお持ちのウイルスなのだが、免疫を抑制しているわたしにとっては命取りになる。
 今回みなさんから頓珍漢な質問を多く受けた。傷んだものを食べたのではとか、疲れがたまっていたのではの類いである。反論する気にすらならないので、「あ、そう」と聞き流している。

 2日かけて粥から固形物へと胃腸を馴らして行かなければならない。戸田中央では固形物への移行だけで1週間を費やした。
 そもそも、病人が店を営むこと自体、無理なのかも知れない。ここまで書いて目眩いがひどいので中断。


投稿者: 一考      日時: 2017年02月03日 02:00 | 固定ページリンク




腸炎  | 一考    

 腸炎で苦しんでいる。前回は出血を伴ったので、2箇月を超える入院となった。今回は下血がないので、もっかのところ入院の必要はない。ミヤBMを大量に貰ってきて服用している。
 昨日、下痢が治まったような気がし、70グラムほどの粥を食したが、たちどころに下痢が再発。プレオープンの20日を含めて、それ以降、わたしは一度の粥を除いて何も食べていない。27、28日の両日、危険を覚悟で水を断った。
 それによって、クレアチニン値は跳ね上がったと思う。目眩いがひどく、トイレへ行く間に5、6回は倒れてしまう。周章てて水分摂取を再開。免疫抑制剤を服用する人間にとって、3日水分を制限すると命に関わると聞き及んでいる。

 戸田中央での2箇月を超える絶食では高カロリーの点滴を受け続けた。高カロリーとは申せ、100mlで200calくらいの熱量しかない。1日4本で800cal、しかも通常の腕からの点滴では不可能。いわゆる中心静脈、鎖骨下静脈、内頸静脈、大腿静脈などでなければ使用できない。
 わたしの場合、2箇月で体重は84キロから52キロにまで減少した。今回は78キロから70キロである。

 紙おむつの着用は同じだが、戸田で爛れることはなかった。今回は薦められるがままに購入したものの、太腿のつけねから出血する有り様。このようなものを赤子には使えまいにと腹を立てている。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月30日 16:59 | 固定ページリンク




シェリー樽熟成焼酎  | 一考    

シェリー樽熟成焼酎の蒐集が終わった。わずかに一滴二滴しか飲まれないが、自分の舌で選んだ逸品揃いである。芋2種類を含む12種類、内容は以下のごとし。

黄金丸シェリー樽8年熟成・米 25度
淡い琥珀色のシェリー樽で長く寝かせた穏やかな味わいの焼酎。シェリー樽由来の華やかな香りと穏やかな甘みが愉しまれる。

大石 特別限定酒・米 25度
球磨焼酎にはもともと樽熟成という概念がなかった。樽熟で球磨焼酎がどう変わるのかとの好奇心から30年前にスタート。シェリー樽とコニャック樽で長期熟成。

非売品 蔵の秘蔵酒【原酒】 7年シェリー樽貯蔵・米 40度
原酒のままで、わずか200本限定蔵出し。常圧蒸留された良質の米焼酎を、原酒のままの状態で蔵の中でも最良のシェリー樽に7年間もの間貯蔵。カスクのコンディションが最高。

熟香抜群 黒瓶・米 25度
シェリー樽長期特別貯蔵酒をブレンド。

奥球磨桜 黒麹長期熟成焼酎・米 25度
シェリー樽貯蔵の限定酒。

オークロード樫樽 長期貯蔵・米 37度
ホワイトオーク、リムザンオーク、シェリー樽、コニャック樽、スコッチ樽の5種類の樽の熟成ぶりをみながら、琥珀色の原酒を少量ずつ取り出し熟練の職人がブレンド。

常楽乱 長期貯蔵 樽貯蔵・米 25度
純米焼酎をリムザンオーク樽とシェリー樽に3年以上貯蔵熟成した原酒をそのままブレンド。長期貯蔵の逸品。

熟成倉岳 しもん芋仕込み・芋 25度
2年に一度しか栽培することができない貴重なしもん芋で造った本格芋焼酎をシェリー樽の中で熟成。

秋の露 原酒 樽貯蔵・米 41度
厳選した樫樽リムザンオーク樽とシェリー樽に3年以上貯蔵熟成させ、割り水を一切行わず調和の為のブレンドのみを行なった本格派の長期貯蔵原酒の逸品。

金しろ(謹醸しろ)・米 25度
アメリカンホワイト樽、コニャック樽、シェリー樽の3種の樽の中で熟成させた本格米焼酎を、絶妙のバランスで配合、さらに本格米焼酎「しろ」とブレンド。

33度 幻の3ナンバー【2012】樽貯蔵・米 33度
毎年仕込みの最初にできた焼酎を樫樽とシェリー樽に寝かせ、5年後の12月に樽開け。1986年から続けられている「幻の3ナンバー5年古酒」。

海童2000−蔵の眠り・芋 35度
厳選された芋焼酎をシェリー樽で1年以上熟成。平成14年、鹿児島県本格焼酎鑑評会において、「海童」が総裁賞を受賞。その記念に数量限定で発売。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月25日 22:28 | 固定ページリンク




店舗住所  | 一考    

 本日は血液検査の日。思った通り、白血球とCRPの数値が異常に高い。やはり腸炎がひどい。医師によるとカリウムが高く、生野菜と果物を控えるように、と。次いで、オルメテックという降圧剤が小腸の炎症をもたらすやもしれず、減らすことにした。
 せっかく下がっていたHbA1cが上がっている。要するに、どこか一箇所がおかしくなると血液と尿全体が狂い初める。

 病院からの帰路、店の電話を取り付ける。これで電話は開通したもののセッティングはしていない。
 店舗の正式住所は以下のごとし。

  兵庫県明石市鍛冶屋町1-3 濱西ビル1S3 ですぺら
  電話 078-940-6818

 住所末尾の1S3のSがなにを意味するのか分からない。1階には3店舗、上階は空き家だが、2階は元麻雀屋、3階は住居が四つ、現在は一部が倉庫として使われているそうな。
 沖山さんが仰有るトップページの表記は「兵庫県明石市鍛冶屋町1-3」で良いのでないだろうか。同一番地には3店舗しかないし、ビル名の記載はない。小さなビルゆえ端折ろうと思う。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月25日 20:14 | 固定ページリンク




その後  | 一考    

 プレオープンは無事に済んだが、それから後、腸炎で苦しんでいる。病が病だけに店を開けるわけに行かない。せっかく免疫抑制剤を替え、順調に推移していたのに残念である。
 お絞りが到着、電話回線が通じた。番号は 078-940-6818 だが、肝心の電話機がないため、どこへも通じない。4.5日後には通じる予定。
 友人とふたりで開店に当たる予定だったが脱落。結局ひとりで営むことになった。急遽アルバイトを探さなければならないが、当てすらない。
 そもそも、わたしが何時まで生きているか分からない。よって、後継者がいればよいのにと思ったまでのこと。なるようにしかならないのが、この世である。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月22日 23:11 | 固定ページリンク




ネット購入  | 一考    

 すみの酒店へ挨拶に出掛ける。生憎店主は不在だが、相変わらず良い酒を選択している。磯自慢本醸造生を4本、焼酎の妻と月の中を購入、芋焼酎は岩倉酒造に限る。亀が欲しかったのだが、それはまた儲けてから。
 明日、周さんが手伝いに来るそうな、残念なことに仕事でプレオープンは欠席。初日は4.5人の予定、赤坂のときもそうだったが、しばらくプレオープンが続きそうである。
 アイスピックやバースプーン、メジャー、シェイカーもなしにオープンなんぞできるわけもなかろう。アイスピックは通常のものの他に、3本刃と6本刃を注文。アマゾン、ヤフー、楽天の支払いが100万円を超えた。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月19日 00:54 | 固定ページリンク




カウンター  | 一考    

 シナ、アスペン、ホワイトアッシュなどの広葉樹や、スプルースをはじめとする針葉樹等々、無垢材には限りがない。よってですぺらのカウンター材が何なのか、素人のわたしには見当もつかない。
 カウンターについて大工と随分と話し込んだのだが結論は出ない。柿渋が最後まで残った案だったが、そもそも大工は着色に反対である。そしてわたしの父も。
 なにかを塗ることは何時でもできる。当分は無垢のままで行こうと思う。その代わり、白ワインは置くが赤ワインは置かない。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月19日 00:48 | 固定ページリンク




プレオープン  | 一考    

 今日はmoonさんに手伝っていただき、随分とはかどった。おかげで20日のプレオープンは片肺飛行ながら、なんとかなりそうである。予行演習とイベントが手に手を取ってやって来るようなものだが、如何せん、小生一人のためフードの注文に応じることはできない。適当なお通しを拵えてお茶を濁すしかない。
 18日と19日しかないので、どちらがどちらかはともかく、徹夜してでも燻製を造ることと仕入れなければならない酒がある。プレオープンゆえ、寡多録は不要だが、急遽造らなければばならない。
 プレオープンがあればグランドオープンはとなるが、そちらはまだ考えていない。いずれにせよ、寡多録が出来たときがグランドオープンとなる。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月17日 22:03 | 固定ページリンク




まるで師走  | 一考    

 ですぺらの大きな備品が揃った、明日は店内のセッティング。包丁立てや剣突きのような細かい備品が揃うのは18日になる。
 どうでもよいことだが、けんとつまは異なる。けんはつまだが、つまはけんではない。要するにあしらいの総称がつまであって、けんはあしらいの一部なのである。そしてけんは大根とは限らない、カボチャ、ジャガイモ、キュウリ、ニンジン、カブラ、茗荷、独活等も用いる。ただし、寝かさない、刺身の横に立てて盛る。屹立させるが横づまという。横づまの逆は敷きづまという。ちなみに、横づまには目に沿って切った縦けんを、敷きづまには目に直角に切った波けんを用いる。献立上は白髪と書く、白髪葱と同じである。

 明日は醤油、味醂、酢、油、料理酒、各種出汁、ソース、ケチャップ、その他諸々、基本になる調味料を揃える。そして17日は食材の仕入れ、18日は酒の仕入れ。香辛料が送られてくるのも18日、いよよ、押し迫ってきた。

 荷物を下ろしに行く。車の屋根が凍てついている。明日はフロントに湯をかけなければ走られなくなるだろう。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月16日 00:03 | 固定ページリンク




小紋箸置き  |   一考

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 上は波佐見焼きの小紋柄箸置き、呉須色の小紋模様が鮮やか。下は南蛮釉小紋箸置き。共にすぐれた箸置きである。後者はもう少し短くても良いのではと思う。値は350円と250円、安価である。
 いずれ儲かれば買い換えるが、今はさらに安価な箸置きを購入した。


投稿者:   一考  日時: 2017年01月14日 19:40 | 固定ページリンク




ソース  | 一考    

 副食なしで飯ばかり食っていると書いたが、やっと雑穀米が上手く炊けるようになった。次いで、鳥の唐揚げ用のタルタルソースをもっか勘案中である。昨今の辛口ブームに逆らって、少量の砂糖と多量の生クリームによる甘く上品なソースを造りたいと思っている。
 個性が必要なのはタルタルソースとブラウンソースだが、後者はいまだアイデアに恵まれないでいる。
 先日病院前でトルコライスなるものが売られていた。チャーハン、スパゲッティ、ドミグラスをかけたトンカツとの組み合わせだったが、トルコにそのような料理はなく、況んや、豚肉はイスラム圏ではタブー。出鱈目な料理の代表作であろう。そういう類では根室の地料理エスカロップがアイヌ語を想起させてステキである。
 マデラワインは好みだが、ドミグラスソースに興味はない。ちょっとした偏見があってやはりブラウンソースが良い。
 HPソースやリーペリン・ソースと比して、日本のソースは甘味が強く、辛みが抑えられている。よって、チリケチャップのアレンジも考えている。タルタルと好一対になると思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月11日 23:06 | 固定ページリンク




朝引きの成鳥  | 一考    

 陳鶏(ひねどり)のモモを注文したところ、冷凍ではなく、南九州産朝引きの親鳥(かしわ)モモ肉が送られてきた。冷凍ものの3倍強の値がする。冷凍はキロ500円、本品は1676円である。ちなみに、送料は1200円。
 朝引きとあるからには旨いに違いない。ひねのスモークには冷凍しか使ったことがない。これはチャレンジの必要がある。結構なものであれば、こちらに切り替えようと思う。
 スモークをかけたものなら冷凍保存ができるが、朝引きなら2日しかもたない。長年造っていないが、ですぺらホームページの香辛料一覧が役に立つ。鶏肉燻製用スパイスとして、オレガノ、マジョラム、セロリ、ローズマリー(少量)、タラゴン、塩と記載されている。ローズマリー以外は手持ちがある。さっそく造らねばならない。

 ですぺらへの検索項目では香辛料と透析治療患者の余命の2点が群を抜いて多い。それに対するわたしの意見はまた改めて。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月11日 20:39 | 固定ページリンク




無垢材  | 一考    

 11日で洗いものが終わるが、カウンターにオイル塗装をするかしないかで迷っている。赤坂では「大きなワイングラスがいくら割られたことだろうか。ひとりで三つ割った方が五名いらっしゃる」とかつて書いた。これはすべて乾杯が理由である。
 無垢材の白木を使っている割烹、寿司店などは白ワインはともかく、赤ワインは禁止である。数百万円の白木のカウンターをたかが4.5万円のワインで穢されては堪らない。白木ではないにせよ、自然素材と云う点で、無垢の石材を赤坂のですぺらでは用いた。今回は正真の杉材である。
 ウレタン塗装は端からする気はない、迷っているのはオイル塗装である。ドイツのオスモカラーかカンペハピオ製のオイルステインをと思っているのだが。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月09日 18:37 | 固定ページリンク




雑穀米  | 一考    

 ふたつのファンの掃除と修理が済んだ。フタの開閉がよろしくないので、全体に傾斜を持たせるなどの小細工を要した。
 女房が一時間ほど手伝ってくれたが、食器を洗おうとする。それを止めて障子の張り替えに取りかかっていただく。洗いものは誰でもできるからである。
 ところが、桟があちらこちらで折れている。カッターナイフと速乾性の木工ボンドを買ってくる。カウンター上の電灯が四つとも壊れている。修理のためバルサ材の板を2枚買う。重量が軽いのと、細工しやすいのが理由である。
 看板が半分だけ出来上る。わたしの説明不足によって半分になってしまった。残りは月曜日に完成する。赤坂と同じ雰囲気、非明石的な看板である。

 あと1日で細々した修理が御仕舞いの予定。あとは壁、カウンター、床の掃除と食器、グラスなどの洗いものに4日間、調理道具の買い出しに2日で来週はつぶれる。再来週は月曜日から食材の仕入れとスモークの制作、金曜日にオープニングとなる。

 雑穀米の炊飯がうまくいかない。かなり水分を多めにしているのだが、まだ飯がかたい。店の看板だけに最新の注意が必要。このところ、副食はなしで飯ばかり食っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月07日 21:21 | 固定ページリンク




泡を食う  | 一考    

 天井の掃除がやっと終わった、これで手元の掃除が進められる。最後はカウンターだが、それはいつになることやら。店内の改装がまだ済んでいない、壁にベニヤ板を張る予定。
 厨房のファンを修理して使うことにし、家から工具を持ち込んで無事に修理を終えた。アルミの丸リベットなどをよくぞ持っていたものである。それにしても、ファンの先のダクト内の油汚れは除去と云うより格闘だった。困ったのは、次の日に店へ這入ると掃除がなされている。やまちゃんなのだが、ダクトの掃除半ばである。見れば分かるだろうに、掃除の方式の違いがこのような二重手間、三重手間を生み続ける。床を磨くのは掃除終了を意味する筈なのだが。
 明日は障子の張り替えと奥の部屋のファンの掃除と修理である。

 アルコール類が到着しはじめたが、支払いに追われている。カードが使用停止になりそうな塩梅である。食材の仕入れを一部はじめた。料理の予行演習はいつからできるのだろうか。スモークは時間がかかるのだが。その前に包丁を研がなければならない・・・要するに、かなり周章てている。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月06日 20:52 | 固定ページリンク




免疫抑制剤  | 一考    

 サーティカンがメドロール(ステロイド)の代わりと書いたが、グラセプターの代わりの間違い。もっか、徐々にグラセプターを減らしている。
 サイトメガロウイルス感染症は2.3年は続くという。わたしの腸炎は完治したわけでない。その発症の予防になるのだから、非常にうれしい。
 副作用も表れず、順調である。医師にですぺら開店のことを云ったところ、異常がなければ、あと2回週一で来てもらって、3週に戻しましょうとのこと。わたしは4週に1回もしくは5週に1回と思っていたのだが、こればかりは致し方ない。

 店の方はファンの掃除に取りかかる。30年分の油汚れが落ちるのかどうか。わたしの穢れ同様、落ちないかも。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月05日 10:54 | 固定ページリンク




樽酒  | 一考    

 たるやさんのご厚意により、吉野杉の天削と共に寺田本家も送られてくるようである。忝く思う。樽酒は2日も入れると樽香は十分に染みわたる、長期間入れっぱなしだと香が勝って酸味が出てくる。よって早く飲むに越したことはない。漏斗を用いて追加はできないのかしら。

 ビールは日本ビールの白濁、ヒューガルデン ホワイト、エッティンガー ヴァイスを常備することにした。スタウトはギネスやマーフィーズ、ベルヘイヴン・ブラックが有名。毛色は異なるがテネンツ・スタウト、ストロングサフォークなどがある。わたしはマーフィーズが好みだが、コストパフォーマンスから、やはりギネスに決めた。
 エッティンガーはやまやのビールだが、神戸市垂水区名谷町中坊に垂水店がある。送付してくれるようである。

 焼酎は周さんのお気に入り、黄金丸を常備品にと思ったが、在庫がない。極力入手したが、数が足らない。高いのを承知で、大石(裸瓶)を追加した。高級品として、福田酒造の蔵の秘蔵酒と永久の至福 シェリー樽熟成を10本ずつ入手、これで当分は大丈夫。シェリーカスク熟成の焼酎はシェリーカスクが途切れた時点で御仕舞いになる。

 にごり酒とどぶろくは意味合いがまったく異なる。片方は白濁した日本酒であり、片方はその他醸造酒になる。黒松仙醸のどぶろくもしくは明石酒類醸造のどぶろくを置こうかと、こちらはまだ迷っている。

追記
 酒の仕入れ先は決めないでネット上での仕入れを中心とする。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月05日 10:28 | 固定ページリンク




樽の搬入  | たるや    

15日位に発送予定。今は寺田本家を入れる予定だけど、
変更になるかも


投稿者: たるや      日時: 2017年01月02日 17:21 | 固定ページリンク




血液検査  | 一考    

 現在の血液検査は83項目。日頃断っている洋菓子や和菓子を正月ぐらいは良かろうと買ってきたものの、不安に苛まれる。月に1回ならまだしも、もっかのところ、血液検査は毎週水曜日である。
 よしんば、ケーキを食べたところで、2週間食べなければ血液は元に戻る。しかし、2.3日ではどうにもならない。今週だけは事情を説明して勘弁願うとしよう。

 免疫抑制剤の血中濃度の項目はない、勿論あるのだが、素人に見せても仕方がないからであろうか、削除されている。戸田では3項目は起こされているものの常に検査中と記載されていた。要するに、1時間の検査時間では結果が出ない項目もある。山崎外科泌尿器科診療所での血液検査は外部委託だったが、全項目に2日乃至3日はかかっていたと記憶する。この消息はどちらで受ける検査であれ、同じである。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月01日 23:11 | 固定ページリンク




紫十穀  |   一考

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 今日はウイスキーを運んだが、40本運ぶだけでわたしにとっては一仕事。写真上段右側の棚へ焼酎、中央がウイスキー、左側がジン、ラム、ウオッカ、その他のリキュール、フォーティーファイド・ワイン、清酒とビールは冷蔵庫へ入れる。
 赤坂では全く売れなかったが、明石ではフォーティーファイド・ワインと白ワインが売れた。清酒は磯自慢を中心にすみの酒店、洋酒は田中酒店、焼酎はくまの焼酎屋で仕入れる。
 焼酎は明石では芋焼酎しか売れないらしい。ですぺらを営んでいた1994年から1999年の頃は百年の孤独を薦めても、みなさん無視していたものだが。今回は芋焼酎は置かない、土地の流行りにわたしは逆らう。
 ですぺら掲示板で「焼酎とシェリーカスク」を書いたが、シェリーカスクを中心に構成する。ただし、オークで10年熟成させた「焔の刻印」のような焼酎は置く。要は焼酎の原点である蘭引に戻ろうというのである。

 拙宅に米がないのに気づき、メガディスカウントへ。いつもは硬質米だが、今回は軟質米のあきたこまちを購入。もっともスーパーには軟質米しか売っていないが。紫十穀もしくは16穀米を定食に用いたいからである。あきたこまちのもちもち感がさらに映えると思う。


投稿者:   一考  日時: 2017年01月01日 20:16 | 固定ページリンク




年の末  | 一考    

 食器の大半は二度に分けて運んだが、仕事にはならなかった。年末の買い出しで大挙してひとびとが魚の棚へ押しかける。おかげで桜町界隈の駐車場が一杯だった。ウイスキーを運ぼうと思ったのだが、そちらは三箇日にする。
 明石では鮭ではなく、鰤でもない、鯛の塩焼きが定番である。その塩焼きやマグロの短冊をはじめ、おせちや正月飾りなど人集りが生れるところには理由がある。ところが、洗車場やタコ焼き屋までが黒山の人集りである。祭りゆえ、致し方なし。

 ウイスキーは36本しか置かれない。どうなろうとこの本数は守ろうと思う。焼酎と日本酒とビールだが、酒販が取り扱う商品だけだと資金はいらない。後払いで済むからである。しかし、灘と四大メーカーは置きたくない。従って、酒代に60万円ほど必要である。

 熟睡してい、先ほど起きた。年越し蕎麦をもっか食している。


投稿者: 一考      日時: 2017年01月01日 05:11 | 固定ページリンク




開店の目安  | 一考    

 本年最後のオークションは65年蒸留の31年ものスプリングバンクなど20点を出品したが、無事常連さんのみで完売となった。ありがたい話しである。

 店は天井からでなく、手元から掃除をはじめた。従って、店内は埃とゴミで一杯になってしまった。昨日も一昨日も段ボール3杯のゴミを持ち帰った。職人が這入れば仕方のないことである。明日ははじめて天井を掃除する。
 明日は家人がはじめてお手伝いくださるそうな。朝8時もしくは9時からという。拙宅の食器を運ぼうと思っている。

 1月20日に電話回線が通じる、その日を開店の目安にしたい。界隈でインターネットへ維いでいるのは不動産屋を除いてない。もっとも、飲み屋にインターネットなど笑い話にもならない。非日常を商いにするのが飲み屋稼業である。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月29日 20:57 | 固定ページリンク




店のことあれこれ  | 一考    

 久しぶりに風呂へ這入る。早朝からフードの取り付け、その間にわたしはファンの取り外し。数十年の油の汚れが固まりになって、上部のネジを外すことができない。油の汚れを頭から被って、ズボンも上衣も泥だらけ。
 昨日は病院から戻ってからオイルステンを店中に塗りたくり、帰宅は9時を回った。
 貯金は78円にまで減ったが、明年4日にオークションの上がりが入金される。なけなしの金で食べられないものばかりを購入、たらこ、塩ジャケ、プチケーキ、フルーツクレープ、最中、するめ、おでんセット等である。HbA1cがどんどん好転、それ故、正月ぐらいは良かろうと、勝手に想像する。

 病院では戸田のことを根掘り葉掘り訊かれた。免疫抑制剤とサイトメガロウイルス(CMV)についてである。その感染症で下血が収まらず、三箇月に及ぶ入院、13単位の輸血、小腸の内視鏡などを経験させられた。
 で、サイトメガロウイルスの慴れがあって、免疫抑制剤を変更することになった。新しい薬はサーティカン0.75㎎を1日2錠である。本錠はもともと心臓移植に用いる免疫抑制剤だった。今般、国保対応になったのでメドロール(ステロイド)の変わりである。共にとんでもない副作用があって問題の多い薬である。
 医師からは身体が落ち着くまで毎週水曜日に来るようにといわれた。当方は開店が間近なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月29日 19:22 | 固定ページリンク




古伊万里猪口湯呑6客  |   一考

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保存状態は結構だが、福や寿の文字が這入っているのが気に入らない。
京焼に見られる柚子色、有田焼に見られる若草色はどうも落ちつかない。

年末の病院行は28日、それで我慢しているのだが、尿が泡立ち濁っている。理由は前立腺炎もしくは細菌感染によって白血球が尿に混じった状態。抗生物質の投与が必要。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月26日 01:51 | 固定ページリンク




色絵金彩紅白梅茶碗  |   一考

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 かつて、真葛焼 宮川香斎の皿を買ったことがある。月並みな文様だったが、一枚ぐらいあってもよろしいかと思ったのである。京焼は基本好きでない、赤絵玉取獅子鉢などは有田焼のようでもあり、彫三島の檜垣紋は萩焼のようでもある。
 本品は六代つづく香斎の華やかさが、嫌みなく顕れている。径は12.3cm、高さ8.0cm。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月26日 01:16 | 固定ページリンク




ドブロヴニクの路地  |   一考

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ジブリ映画の舞台、Pinterestでたくさん紹介されている。
Pinterestは2012年3月時点で、アメリカ合衆国において最も大規模なソーシャル・ネットワークになったようである。
このような無断盗用はしたくないのだが、昔の福原の三十軒筋を思い起こしたので・・・


投稿者:   一考  日時: 2016年12月24日 23:45 | 固定ページリンク




玄関  | 一考    

 玄関の桟と内部の幅木と書いて、桟で良いのかと思う。玄関の左側、縦に渡された桟状のものである。要するに装飾なのだが、なんぞ言い方があるのだろう。取敢えず桟ということにしておく。
 腰板を張り替えたので、幅木も新しくなった。その幅木にオイルステンを塗るので、序でに玄関周辺もオイルステンを塗ろうと思ったのである。
 引き戸は雨水とかつての地震でひどく傷んでいる。もう一度地震があれば動かなくなる。枠自体を取替えなければならないので、修理となると地面から掘り返すことになる。

 前項で「棚下段の引き戸と溝」と書いたが、この溝はVレールといって、V溝をほったレールの上を尖った車輪が走る、かなりスムーズな動きであり、すこぶる便利。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月22日 20:12 | 固定ページリンク




開店に向けて  | 一考    

 「毎日、zipが付された4.50通の英文のメールが送られてくる」と書いたが、Onyx 3.2.1の自動処理で起動ボリュームを検証、以降、迷惑メールは劇的に減った。

 今日、明日はブリキのフードを新調しようと走り回っている。フードの大きさと形状、それに対応するファンとモーターの出力など、分からないことだらけである。
 あとの掃除を考えればステンレスが良いのだが、それでは重量が増え、取り付ける天井が持たない。はてさて、どうしようか。
 店内の写真に写っている棚下段の引き戸と溝が完成、明日は掃除の邪魔になっている多量のゴミの分別と処理に取りかかる。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月22日 18:52 | 固定ページリンク




いたちごっこ 2  | 一考    

 中国人バイヤーを掲示板へ揚げている最中、「毎度おなじみ内職掲載記事」にどんぴしゃり出遭ってしまった。
 書き込み、削除を五度繰り返すと、内職のおばさんは沈黙。ざまあみろ、で御座いました。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月21日 00:10 | 固定ページリンク




中国人バイヤー  |   一考

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 このところ99年ボトリングのアードベッグとスプリングバンクを売っている。三万円から七万円ぐらいである。悪い評価が多く、支払いが遅い日本人からの入札があって困っていた。そこへ常連さんの中国人バイヤーからの入札があった。
 2ちゃんねるでスレッドが立つような悪名高いバイヤーである。しかし、わたしにとっては最高の顧客である。30本は購入していただいている。
 中国人バイヤー4人と取引があるが、いずれもトラブルを起こしたことがない。敢えて申せば、日本語がやや不自由なこと。舌足らずな部分をこちらで読み取ってあげれば問題は生じない。
 日本人の自称専門家は必ずと云って良いほど悶着が起きる。解説文にイチャモンを付けてくるのである。相手が日本バーテンダー協会員と聞くとわたしは怖気をふるう。
 今回のアードベッグは中国人バイヤーが落札。無事に中国へ届けられるのであろう。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月20日 23:18 | 固定ページリンク




刺し子コースター  |   一考

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 コースターをどうしようかと迷っていたが、ヤフオクで本藍刺し子コースターがたくさん売られているのに気付いた。昔、銀花で刺し子について書いた。
 洗濯も可能、色が褪せればそれも味わいとなる。良いものを見付けたと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月18日 21:52 | 固定ページリンク




ビル・エヴァンスを聴きながら  |   一考

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 「プレビューが予期しない理由で終了しました」は頻繁に起きるトラブルらしく、Onyxを入れるだけで直るのであれば、こんなに簡単なことはない。かつ、無料ソフトであって、macにとって最良のユーティリティでないだろうか。公開した理由である。

 店名をですぺらにしたのは他でもない。毎日自動車の社長が開店の祝いに看板を作ってくださるという。これはもうですぺらであろうが、ぺらっぺらであろうが、なんであっても嬉しい。明石の知己の協力によって一歩ずつだが、着実に開店日は近付いている。
 店内に冷蔵庫と音響設備が這入り、店らしくなってきた。moonさんとやまちゃんに感謝、わたしはビル・エヴァンスを聴きながらサンダーをかける。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月17日 23:30 | 固定ページリンク




復活お祝い  |   おきやま

沖山です。
ご指摘の通り、勢い余って、Onyxの記事を削除していました!
一考さんには珍しい半角英字タイトルだったので、毎度おなじみ内職掲載記事もろとも削除指定した履歴が残っています。
..とはいえ、実は裏ページには削除記事も残っておりますので、復元したエントリーを非公開にしてあります。ご確認の上、再公開頂ければ、と思います。

新店屋号は、ですぺら、に決定ですか。復活ですね。
新店にあわせ、トップページ修正も必要かと。


投稿者:   おきやま  日時: 2016年12月16日 14:21 | 固定ページリンク




Onyx  |   一考

 出店に関する費用はヤフオクの上がりで賄っている。ウイスキーの写真を載せるにプレビューは必須のアプリケーションである。ところが、プレビューとテキストエディットが予期しない理由で終了しました、とのメッセージが現れ、起動しなくなった。
 検索するも当方のマックに該当する条件がなく、書かれていること自体が判然としない。そこで方向を変え、キャッシュを消す方法を検索した。Onyx 3.2.1をダウンロード、起動キャッシュなど様々なキャッシュを削除したところ、プレビューが起動した。特段に便利なアプリケーションである。不要なファイルも削除してくれるようで、迷惑メールが減ると嬉しいのだが。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月16日 14:17 | 固定ページリンク




ですぺら復活  | 一考    

 「せんべろ」のあと、なにかしら書き込みをした気がするのだが、消えてしまった。どうせ大したことではないのでどうでも良いのだが。

 店名はですぺらにした、十数年ぶりの明石復帰である。かつては太田守さんのような素晴らしい客がいらしたのだが、ほとんど亡くなってしまったに違いない。
 毎日自動車の川口さんの紹介で知り合った前田純男さんに大工仕事を依頼、本日で終了したが、面倒の繰り返しだった。180幅の棚が3センチ以上下がってい、60幅で区切って柱を入れ、受けに鋼製束LタイプとDH鋼製束 フラット型を用いた。通称、スチール束<新横綱>というようである。ただし、受けをいれて愕かされたのは、棚全体が持ち上がってしまったこと。
 壁との固定にアンカーが必要と思ったが、今はコンクリートへダイレクトに打ち込めるネジがあるらしい。赤坂ではアンカーを50本ぐらい打ち込んだが、あれは大事だった。明石では棚の側面に細めの柱を添え、十字にネジを打ち込んだ。
 持ち上げた棚全体が平行を取り戻したのは良いが、8枚の引き違い戸が重い、もしくは軽すぎる。これは1枚ずつ微調整を施すしか手の打ちようがない。細やかな仕事を前田さんは適確に処理してゆく、思わず見蕩れてしまった。

 明日からはコンクリートの研磨作業である。昔、赤坂のですぺらで頭から真っ白になってサンダーをかけたのを思い出す。そう云えば、おっきーさんが陣中見舞いに来られていたが。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月15日 23:14 | 固定ページリンク




せんべろ  |   一考

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 写真は晩杯屋のメニュー。
 かつて、赤坂に出店した折、種村さんから叱られた、「小奇麗な店を作りやがって」と。確かに、種さんお気に入りの下町風情とはおよそ縁のない店だった。大阪で連れられて行った店は見栄えのしない店ばかりだったが、料理が出てくると途端に店中がきキラキラと輝きだす、あのような店かと思っていたのにと、情けなさそうな種さんの顔。
 種さんが描く50センチのトイレの話しは有名だが、今回の店は赤坂のそれよりは下町に近い。「せんべろ」ほどではないが、玄関などは適宜な穢さを持っている。種さんに喜んでいただけそうな枯れた店舗をと心している。


投稿者:   一考  日時: 2016年12月10日 22:05 | 固定ページリンク




契約成立  | 一考    

 当掲示板では馴染みになったHさんが仮釈。一族全員の携帯を没収され、連絡が取られなかったようである。本日、無事に契約に至り、一安心である。
 13日から店内の冷蔵庫をはじめとする大型ゴミの撤去がはじまる。そして同じ日、横浜から大型冷蔵庫が、東京から冷凍庫が到着する予定。バックバーならぬ食器棚の補修が済めば、拙宅から食器の搬入がはじまるのだが、それは年内ぎりぎりになろうかと思う。
 本契約までに一箇月を要したが、開店に向けて歩みはじめた。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月10日 21:06 | 固定ページリンク




掃除中  | 一考    

 背中に赤子を背負いながらの書き込みなら、無碍に拒否もできませんね。敵とは申せ、生活がかかっているのなら、書かれたら削除するのが適切かと思われます。

 新店はとにかく穢いので、掃除に励んでおります。見えるところ、例えば壁とかドアなどは剥げたり破れたりしているのも味わいと思っておりますが、客には見られない厨房の内側の穢さは想像を絶します。料理屋ゆえ、客席よりも、自らの仕事場を美しくしなければなりません。日時は不明ですが、1月の開店を願っております。
 掲示板に書きましたように、相手方が脱税で逮捕されているため、いまだに最終契約には至っておりません。
 屋号をどうしようかと思案しております。東京と明石の双方にですぺらがあっても構わないのですが。はてさて、迷いますね。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月08日 23:05 | 固定ページリンク




いたちごっこ  |   おきやま

 お久しぶりです、おきやまです。呼ばれて飛び出て参りました。

 オープン掲示版という存在、この時代には非常に希有になってきました。

 技術視点からは、管理画面侵入は許しておりませんので、現状、乗っ取りではないですが、この半年、確かにしつこい書き込みが続いています。
本来のblogシステムの場合、迷惑書き込みをするには管理画面にログインする必要があるため「乗っ取り」判定されてしまったのでしょう。

 設立当初から国内プロバイダにはIP名指し通報で対処。しかし最も効果的な方法はお隣の国への書込画面(のみ)表示拒否でした!(内容は読めます)。このため、当掲示版では残念ながら漢族の横須賀さん、外山さんからの書き込みは期待できません。書きたくて、突っ込みたくて、日々歯ぎしりしている人民もいるかもしれません。

 そのおかげで、設立来さほど酷い被害は受けてこなかったのですが。最近の投稿はしつこいですね。ログを見るとウイルス等でbot化した各国のPCを踏み台に、手動で書き込んでいるようです。フランス、ベルギー、内モンゴル、ロシア。場合によっては、日本国内からも発せられます。不思議なことにバイアグラと、セールと..いくつかパターンの英文・同じ内容で、同時に何回も、びみょーに不定期間隔にて書き込みます。このためおそらく自動プログラムではなく、ピュアな人力コピペの仕業です。もしや掲載1件○円(銭?)という、かつての綿棒や造花を作るような内職なのではないかと、の想像(妄想)も。敵は背中に赤子を背負いながら書き込んでいるかもしれません。

 追加対策構想はありまして、合い言葉方式として、「desperaを読むと(ひらがなで記入)..」とか、店主の写真を掲示して「動物にたとえると..」で正解を入力できないと、はじく、あるいは、私は好きではありませんが日本語Capcha導入という方法もございます。さらにスマートにやる場合は、書き込みに全角文字が入らなければ弾くようなフィルタリング・プログラムも可能ですが、今度はルクセンブルグの横須賀さんや、アラビアの外山さんの登場をも断念せざるを得なくなります。

 現状の件数であれば書かれたら削除する、で対処できるかな?とのことで、実装をサボっております。
私も気づいた時には削除しておりますが、あまりにしつこい相手に堪忍袋の緒が切れた場合には実装を検討します。

※新店スタート、楽しみにしております。伺います。


投稿者:   おきやま  日時: 2016年12月08日 11:35 | 固定ページリンク




迷惑な書き込み  | 一考    

 つい先頃まで、掲示板を検索すると乗っ取られているとの記載があった。おっきーさんに多大な迷惑をお掛けしていると思う、この場を借りてお詫び申し上げる。
 元はブログソフトなのだが、わたしの希望によって掲示板のソフトに書き換えていただいた。もっとも、書き込んでいるのはわたしだけなので、個人の発信ありきのブログでも構わないのだが、何時、横須賀功光さんや外山時男さんのような方が現れるか分からない。
 掲示板のソフトゆえ、どなたであろうが、自由に書き込みができる。乗っ取られても仕方がないシステムになっているのでる。

 拙宅の方はすさまじい迷惑メールである。毎日、zipが付された4.50通の英文のメールが送られてくる。とうに諦めているが。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月07日 09:28 | 固定ページリンク




脱税序でに、もう一題  | 一考    

 約4600万円を脱税したとして、大阪国税局が法人税法違反の疑いで、すみの酒店(神戸市長田区)と花畑潔社長を(71)=長田区西山町3、顧問の柴田茂助税理士(74)=明石市朝霧北町=の2人を神戸地検に告発していたことが23日までに、分かった。
 関係者によると、同社は2013年12月期までの3年間で架空の仕入れを計上するなどして計約1億6600万円の所得を隠した疑いが持たれている。重加算税は約1700万円とみられる。柴田税理士も脱税に共謀したとされる。
 花畑社長は「いざというときのお金を残しておきたかった」などと話しているという。<神戸新聞>

 すみの酒店とは昔からの付き合いで、焼酎や清酒を定価で売るのでよく知られている。Hさんの脱税と比して十分の一以下の金額だが、寡なければ良いというものではあるまい。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月06日 19:40 | 固定ページリンク




店舗は何処へ  | 一考    

 前々項のHさん家(ち)へ昨夕、マル査が這入った。至極当然な成り行きなのだが、不動産屋のはなしによると、手持ちの動産不動産はすべて手放すことになるのでないだろうか。国税庁は脱税分を徴収するだけではない、大きな脱税は当事者を裸にするつもりでかかってくる。それはわたしも良く分かっている。
 強制調査ゆえ、10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金、延滞税には7.3%~14.6%というサラ金のような利子がつく。
 すなわち、店舗の大家が入れ替わる可能性大なのである。契約はまだ終了していないが、不動産屋は奥さん相手に契約に漕ぎ着けると云う。頼りにするしかない。
 それにしても、あまりにもはなしが面白い。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月06日 19:19 | 固定ページリンク




悶着  | 一考    

 電気、水道、ガスが開栓された。電気は100ボルトの家庭用と200ボルトの業務用の2種を引いた。ガスはいろいろと問題があって、メーターの取替え、業務用への切り替えなどに時間がかかった。新たな器具を購入した時点で、再度の点検が必要とか。わたしは掃除をするために湯沸かしが必要だっただけなのだが。
 鍵が古くてスペアキーが作られない。何でも20年以上前に廃止になったようである。もしも作るとなると、一箇3000円はするらしい。

 前項はことごとくイニシャルに書き換えた、検索を嫌ったのが理由である。893のことで回りがもめている。わたしなんざあ、ひとに「ボケ、ダボ、クソ」と云う人間こそが893だと思っている。なぜなら、虚勢を張る人間は徒党を組みたがるからである。
 わたしにはわたしなりの計算があって、893の被害は受けないと踏んだ上での出店である。逆に安全とすら思っている。事情の如何を問わず、身内とのトラブルは嫌なものである。神戸へ戻るのではなかったとすら思っている。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月05日 11:41 | 固定ページリンク




梱包  | 一考    

 先日、清水千代市さんの焼き物11点と箸置き9点を1000円で落札した。ヤフオクのタイトルは伏せるが、箸置きの検索で引っ掛かった。この値がどのようなものかはmoonさんならよくご存じである。箸置きひとつですら1000円では買われない。
 立杭や備前の現代作家なら現物を見れば作家の特定は可能である。もっとも、最近のわたしは有田焼に凝っているが。

 全20点が送られてきたが、その内、深皿の1枚が割れている。よくあることで、別に腹も立たない。例によって「商品、先ほど届きました。迅速な対応、ご丁寧な梱包ありがとうございました。またご縁がありましたらよろしくお願いします」との評価を送付。ただし、連絡掲示板を非公開にして「皿のうち、一枚だけ割れていました。残念です」と送った。
 どうもこれがいけなかったようで、「郵便局に連絡確認した所、郵便局さんの方から現物の確認をさせて頂きますとの事でしたので、郵便局より連絡あるかと思います・・・お手数ですが、宜しくお願い致します。配送時の破損であれば、配送事故としての処理になります」との返事があった。
 「一枚割れていたというだけのことです。その責任を問うつもりはまったくございません。そのようなことよりも、結構な品物に対する感謝の念を強く持っております。ことを荒立てないよう、どうかよろしくお願い致します」との返事を認めた。
 
 発送事故は何度も経験しているが、大概は梱包に問題がある。梱包がしっかりしておれば、配送時の破損は起きない。例えば、金属の商品と瀬戸物は同梱しない。たつての同梱であれば、箱の中にもう一つの箱を固定し、その中に金属を入れる。陶器を大量に送る場合は新聞紙で1枚ずつを包み、間にプチプチを入れる。今回は2枚の新聞紙で包んだだけ。割れたとしても郵便局の責任ではあるまい。
 郵便局から再三の連絡があって、伝票、梱包状態、陶器のすべてを局で確認したいと云う。どうやら郵便局は喧嘩を売られたと解したようである。梱包材料はその日の内に解体し、残っていない。郵便局を説得するのに難儀させられた。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月05日 10:55 | 固定ページリンク




店舗決定か  | 一考    

 昨日は病院行、クレアチニンとHbA1c(NGSP)の数値は元に戻った。HbA1cは6.4まで上がっていたので糖尿を気に病んでいたが、6.1に下がった。二月のあいだ、飯を除いて甘いものを絶っっていたからである。理解しがたいのだが、甘いもの同様、塩っぱいものも避けないと糖尿になる。

 店舗のほうだが、やっと契約へと漕ぎ着けた。そして面白い話がある。

 「明石海峡でナマコやサザエを密漁したとして、神戸海上保安部は15日までに、兵庫県漁業調整規則違反の疑いで、同県明石市港町、漁業の男(65)と同市内に住む長男、次男、三男の4人を逮捕、送検した。
同保安部によると、一家はタイラギとミルクイの2種類の漁業許可しか持っていないのに、約2年間にわたり、ナマコやサザエを繰り返し採っていたといい、密漁額は約2億円相当に上るとみられる」

 http://www.sankei.com/west/news/160316/wst1603160017-n1.html

 文中に記載されているのはH氏、新しい店舗の大家もH氏。この両者は同姓同名だが、まったくの別人と云うことにしておく。
 さて、わたしが這入る濱西ビルの3階にはS会の事務所がある。YAKUZA WIKIによると明石市に本拠を置く暴力団で、神戸山口組の三次団体。上部団体は二代目N組。総裁はY氏、全日本愛国者団体会議議長にして二代目N組舎弟、士道館の役員でもある。ちなみに、ご子息はお二人ともCMA-KPWのチャンピオンである。

 前述のH氏は在日であり、N組の関係者でもある。また、H氏の兄貴筋に当たるのがK会の会長T氏、二代目N組舎弟であって、武闘派で馴らした御仁である。
 どうやら、わたしが入居するビルは元は893組織の巣窟だったようである。わたしのような893嫌いが893組織のど真ん中へ這入るのも一興。どうなることやら。


投稿者: 一考      日時: 2016年12月01日 19:22 | 固定ページリンク




ロックガーデン  |   一考

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 山下兼司さんについて書いていて、幼少期を思い出した。兎にも角にも身体を使うことが好きで、小学生低学年の頃からリュックに煉瓦を詰めて六甲山を歩き回った。
 再度山から摩耶山、六甲山を経て宝塚までを往復した。芦屋ロックガーデンのAケン、Bケン(阪神・淡路大震災によって崩壊)、西山谷、地獄谷など、六甲山の隅から隅までを歩いた。六甲山とはいえ、西山谷F16のような危険な箇所が多くある。
 実家の隣の井上煎餅店の若い人や柳生和菓子店の息子さんと連れ出ってキャンプにも行った。先日、moonさんから連絡があって神戸市立森林植物園を散策していると。森林植物園のあじさい園は七段花で知られている。六甲山は足で歩くもので、決して車やオートバイで行くところではない。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月19日 03:22 | 固定ページリンク




飯蛸と黒豆  |   一考

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 ボイルイイダコ(生食用)原料原産地名・タイ 300グラム399円
 なんの期待もなく、上記を買ってきた。タイだから莫迦にしていたのだが、結構旨い。飯蛸が胴の部分にびっしりと卵を持つのは早春、従って買ってきた飯蛸にイイは這入っていない。
 墨袋を取り除き、ヌメリを取って湯掻くだけだが、イイ入りだと4.5分、イイが這入ってなければ1分以内である。その湯掻き方が素晴らしい。
 先日の立て塩もそうだが、専門家がタイで指導しているに違いない。外国産だからと云って侮られない。

 写真は黒豆枝豆。11月下旬になると色の黒いものが出てくる。汚れているのでない、これで正常なのである。12月に這入るとさらに黒くなり、味も濃厚になる。枝豆の季節である。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月19日 01:22 | 固定ページリンク




川崎彰彦詩集  | 一考    

 https://www.facebook.com/kenjiro.hagiwara?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all

 http://sumus2013.exblog.jp/25207640/

上記で二束三文詩集が、下記で川崎彰彦傑作撰 が紹介されている。
傑出した詩集である。繙かれんことを。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月19日 00:43 | 固定ページリンク




福田葉子さんへ  | 一考    

 過日、2016年詩のフェスタひょうごなる会が催され、高橋睦郎さんの「女性詩の力に導かれて」と題する講演を聴きにに行きました。
 睦郎さんが当代きっての天才として、片瀬博子にはじまって、多田智満子、葛原妙子、中村苑子、伊藤比呂美を紹介、その中で中村苑子さんについて話しができる数少ない友人としてあなたのお名前を挙げていらっしゃいました。おそらく、どなたも書かないことなので、大書しておきたく思います。
 さるにても、中村苑子は天才である、との睦郎さんのお言葉。苑子さんの句集を吉岡実さんと一緒に拵えた編輯子として嬉しく思いました。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月18日 15:11 | 固定ページリンク




月夜の夢兎  |   一考

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 月夜の夢兎とはわたしが懇意にする飲み屋である。ホームページとは別にオーナーの山下兼司さんは facebook にも這入られている。彼は西明石ですぺらのお客さんで、往時、多大な迷惑をお掛けした。
 飲み屋を営んでいると、893とのトラブルが付きものである。憑きものと言い換えても差し支えない。中国山間部では憑きものを「外道」とも云う。そもそも、東京へ引っ越した理由は893とのトラブルが嫌だったからである。
 かつて、山口組が福原へ進出してきたころ、親父はその闘いに明け暮れていた。詳しくは書かない、否、書きたくないのだが、893相手に諭すような談判がどこまでも続いた。業を煮やした相手が暴力を振るうと親父の反撃がはじまる。反撃がはじまると親父は二度と口は利かない。そこからあとは、戦地を転戦した男だけに、壮絶なものがあった。わたしが親父から学んだことは「ボケ、ダボ、クソ」と云った相手を喧り、賤しめるような虚勢は決して吐かない、黙って殴りあう、である。
 飲み屋を営んでいて、もっとも大切なことは893の出入りがあったときに、身を挺して客を守らなければならない。それができなければ店の維持は覚束ない。
 西明石ではその出入りが烈しかった。開店間際、みかじめ料を求めて5.6人の893の出入りがはじまった。玉津町上池にあった山口組二次団体の嫌がらせだった。

 ある忙しい日、バイク好き、料理人、空手家などが集まって杯を傾けていたところへ、4人の893が現れ悶着を起こした。静かにしてくださいよ、当方からの言葉はそれっきりである。山下さんが立ち上がり、4人が押さえ込もうとする。危ないと思ったとき、山下さんの正拳突きが893の顔面を捉えていた。
 893世界は徹底した縦社会である。芸人と同じで、もっとも保守的かつ反動的な勢力である。従って、叩くのはボス一人。山下さんの突きが当たった瞬間、殺すぞの一言。893は血だらけになり、怯んでしまった。と云うより、なにが起きたのか理解できない、との気配。
 山下さんはその足で警察へ出頭、店は警官で一杯になった。要するに、わたしは山下さんに救われたのである。主客が反対になってしまった。
 爾来、そのはなしはしたことがなかった。「霧島という店」を書き、山下さんと遣り取りをするうち、どうしても会いたくなりオートバイを走らせた。わたしのあまりの太り方に呆れかえられたようだが、あまねく晤語を楽しませていただいた。
 山下さんはギター、ベース、ブルースハープをよくし、ジャズ、ブルース、ボサノバ等のライブも不定期で開催なさっている。ぜひ、ご来店を。

 https://www.youtube.com/watch?v=Kkrgy1B6t4I


投稿者:   一考  日時: 2016年11月17日 11:08 | 固定ページリンク




保証人  | 一考    

 意外なことで店舗の進捗が滞っている。保証人の問題である。
 東京では住み処を2回、店舗を2回移っている。他にも10回に及ぶ入院など、保証人の必要なことが多かった。
 しかし、東京ではわたし自身が10数人の保証をしている。ヤミ金やサラ金の保証は願い下げだが、学生、就職、入院、住居の類ならいくらでも保証する。お互い様だからである。したがって、保証人で困ったことはなかった。
 ところが、関西では雰囲気がまるで異なる。家訓につき、保証はできないと判で押したような答えが返ってくる。もっとも個々さまざまな生き方があるわけであって、そのことをどうこう思いはしない。しかし、大病を患ったときにどうするのかしらん。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月16日 23:49 | 固定ページリンク




冗句さんお薦め  | 一考    

菓子類を止めると書いたばかりだが、
セロニアス冗句さんご紹介、ローソンのミニサイズのクリスマスケーキ3種は旨そうである。
そちらを試食してから止めるとしよう。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月15日 20:13 | 固定ページリンク




雨の明石川  |   一考

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 拙宅の根際の明石川。小雨が降っているが、白鷺はお構いなしに餌を啄ばんでいる。もっとも、この写真では小さくて見られないが。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月14日 05:05 | 固定ページリンク




新宿ゴールデン街物語  |   一考

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ナベさんの書いた「新宿ゴールデン街」が「新宿ゴールデン街物語」と名前を変えて新装改訂版で発売されます。

講談社+α文庫で新装改訂版になって11月17日に発売されます。解説は僭越ながら、わたくし渡辺ナオが書きました。
1986年晶文社で上梓され、2003年ナベさんが亡くなった年に新書になり、今年発刊30年記念の年に、文庫化と相成りました。
もう既にお持ちの方も、既読の方もお買い求め頂けたら幸甚です。ナベサンでも取り扱っております。

以上、ナオさんからのメール転載です。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月14日 04:52 | 固定ページリンク




サヨリ  | 一考    

 今日はサヨリの刺身を買ってきた。上質な白身、銀色に光る表皮の美しさはコハダや太刀魚と並んでなんともいえない。
 スーパーでたかだか399円の刺身だが、一口食べて愕かされた。立て塩が施されている。拙宅から一旦は塩を追放したのだが、魚料理のために塩を再購入。舌がおそろしく敏感になっているので、立て塩の甘さに仰天させられた。
 サヨリの旬は今。「見かけによらず腹黒い人」の代名詞とされるが、青魚のようなうま味がある。栄養価はなく、品良く実に爽やかな魚である。
 俗称カンヌキと云われる大きなサヨリを一枚、まるっぽ頂戴した。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月13日 23:58 | 固定ページリンク




簡易トイレ  | 一考    

 この3日間、1日4リットル近い水分を補給したので、体調はほぼ元に戻った。快調にしようと思えば思うほど、トイレが近くなるのは仕方がない。40分に一度はトイレへ行っている計算になる。これでは簡易トイレを背負って旅に出なければならない。
 医師に訊ねたところ、臓器移植をした患者はみな死ぬまでそうであるそうな。水分を疎かにすると、透析治療へ一挙に戻ってしまうと脅された。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月13日 23:25 | 固定ページリンク




霧島という店  |   一考

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 かつて人丸花壇を取材した。人丸花壇が「蛸づくし懐石」「ふりふり会席」で知られるなら、霧島は明石を代表するスッポンとハモの専門店だった。共にコースで1万円ほどのそれなりの高級割烹である。その霧島の店舗を継ぐことになった。再来週から改装に這入るが、それまでに新店舗の図面を引かなければならない。開店は早くても、1月の半ばになる。
 霧島の閉店は2015年3月だが、既に蜘蛛の巣だらけである。1500×700×600のオーバーフロー式生け簀が設置されてい、4寸厚のまな板や有田焼の食器がかなり残されている。使える備品は極力用いるつもりだが、カウンターの上に屋根が拵えてあるなど、あまりに割烹然とした造作は好みでない。

 頭を抱えているのは生け簀である。水温は入れる魚によって大きく異なる。カニなら2度から5度、ナマコで13度、瀬戸内の魚で15度から17度。それよりなにより、バクテリアが繁殖し、水質が安定するまでに1年近くかかる。
 その1年間はベラやカサゴなど、亜硝酸に比較的強い魚をパイロットフィッシュとして数匹泳がせて様子を見るのである。
 バクテリアの繁殖に欠かせないのがライブロックだが、このライブロックに屡々付着するセイタカイソギンチャクは水槽内のペストである。
 昔、親父が水槽と格闘していた。旅行はおろか、1日に何度も水温水質を確認しなければならない。わたしは魚を下ろすのが為事で、それだけに専念して居れば良いのだが、親父は底砂の清掃からガラス面に付着するコケの除去に至るまで、寝る時間以外のすべてを生け簀のために費やしていた。
 久しぶりに割烹の厨房に立ち、15歳から25歳までの間の魚一筋のてんてこ舞いの日々を思い起こした。

追記
 霧島の住所は明石市鍛治屋町1−3濱西ビル。ちなみに、生け簀の値段は一式で180万円ほど。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月12日 01:15 | 固定ページリンク




糖尿病  | 一考    

 HbA1c(NGSP)の正常値は4.9から6.0の間である。わたしはこの3年間ずっと6.1だった。それが6.2に上がっている。医師からこれ以上上がると糖尿病の薬を服用することになると注意を受けた。
 コレステロールを考慮し、ヨーグルトは摂っている。入院中は珈琲を禁じられていたので、今は牛乳で割って飲んでいる。そしてアルコール類を止めたので、甘いものを食べている。その菓子類を止めろと云われたのである。元々食べていなかったので、止めるのは容易である。糖尿は怖い、桑原、桑原。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月11日 13:44 | 固定ページリンク




深秋の味覚  | 一考    

 カワエビと云えばテナガエビだが、わたしはシラガエビが好みである。8センチを超える大型のテナガエビは焼く方が旨いが、ほのかな甘味を持つシラガエビはかき揚げが絶品。今は5、6センチのものが出回っているが、ぜひお試しあれ。
 シラガエビの標準和名はシラタエビ、ちなみに握り寿司に用いても美味。

 九州南部の万之瀬川のヤマタロウガネは有名である。ヤマタロウガネは山太郎ガネと書き、モクズガニのこと。上海ガニも同種である。モクズガニは和歌山の古座川でも採られる。横須賀功光さんが築地で古座川のモクズガニを見付け、ですぺらへ持ち込んだことがある。モクズガニはすばしこい、ふたりで包丁を持ってカニを追いかけ回したのを思い起こす。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月11日 11:49 | 固定ページリンク




水分不足  | 一考    

 このところ、店舗探しで不動産屋巡りに追われていた。それ故、慢性的な水分不足に陥った。仕方ないのだが、今日の血液検査の結果に呆れ果てた。クレアチニンのあまりの異常に医師は何があったのかと愕く。
 同じことが、2014年04月09日にも起こっている(当掲示板「西明石」)。住居探しに伴い、わずか2日間の水分不足でクレアチニンが3.68に跳ね上がったのである。注意すべきところ、ついうっかり気が緩んだのである。100㎖の点滴1本で勘弁して貰ったが、危ないところだった。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月09日 14:46 | 固定ページリンク




沖縄の米軍基地  | 一考    

 病院から帰ったばかりだが、どうやらトランプが大統領選に勝ちそうである。これでうまくいけば、沖縄の米軍基地はなくなりそうである。なくなることを切に願っているのだが。

追記
 これでアメリカの経済は持ち直す。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月09日 13:49 | 固定ページリンク




冬支度  | 一考    

 不動産屋巡りで、とんでもなく忙しかった。今日は近隣の一軒だけに留め、久しぶりの入浴。次いで、冬支度に這入った。夏もののぺらぺらの肌掛け布団(ウォッシャブルダウンハーフケットと云うらしい)を使っていたが、寒くて目覚める。このままでは風邪を引くと思い、冬ものを引っ張り出した。
 桜町の不動産屋へ出掛けた。すぐそこだからと促されて内覧へ。200メートルほどは歩かれたが、そのあとがいけない、動かれなくなって道端にしゃがみ込んでしまった。たまに病人であることを忘れて、調子に乗るものの、すぐ化けの皮が剥がれる。

 街の車の修理屋がスタッドレスタイヤの確保にやっきになっている。今年は寒く、雪が積もりそうである。
 大型車にはミシュラン、小型車にはファルケンブランド、軽四にはトーヨータイヤだと思うが、現実にはブリヂストンが群を抜いている。特に、雪道をあまり走らず、乾燥路面を走ることが多い関西のユーザーにはウィンターマックスがお薦めである。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月04日 21:17 | 固定ページリンク




一消費者の意見  | 一考    

 長期肥育イタリアンポークがグラム108円で売っていた。扱いは豊岡の兵庫ミートプロセッサー。いろんな食べ方を試してみたが、非常に美味。脂身が多く、やや固い、鯨のベーコンのような独得の匂いがあるが、わたしは嫌ではない。脂身だけのトンカツにお薦め。
 TPPはまだ批准されておらず、1キロあたり482円の関税がかけられた上での値付けである。本国ではいくらで売られているのであろうか。
 詳しくは書かないが、豚肉に関する関税はザル法である。にしても、わが国の豚肉は高すぎるなどと書けば、物議を醸すのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月03日 18:54 | 固定ページリンク




魚住そして西江井ヶ島の店舗  |   一考

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 写真は魚住町清水の物件である。左半分はシャッターが降りているが、大きな窓が設けられている。ドアは中央寄り、従って、カウンターは右端の白い壁のなかに位置する。左側のボックス席がいかに広いかが分かる。さらに、3畳ほどの調理場は奥に区切られてある。
 この魚住の店舗がもっとも改装費が安く済むのだが、やまちゃんは反対である。理由は席数が30、店が広すぎる、と。やまちゃんは才能で参加する、立派な共同経営者であって意見は無視できない。彼は西江井ヶ島の物件がお気に入りである。
 確かに、魚住町清水は住宅街のど真ん中、比して西江井ヶ島の周辺は会社が多い。刺身定食の売れ行きは西江井ヶ島に軍配があがりそうである。

 和式トイレからウォシュレットへの換装が17、8万円と書いたが、もう少しかかりそうである。INAX 和風便器アタッチメント RC-504が23554円で売っている。取り敢えずはこちらでよろしいかと。


投稿者:   一考  日時: 2016年11月01日 20:50 | 固定ページリンク




加古川の焼豚  | 一考    

 加古川の不動産屋を回っていて道に迷い、とある一通の路地で木村精肉店を見付けた。焼豚の匂いに気付いたのである。住所は加古川市加古川町寺家町16-7、こちらはストリートビューで検索可能。
 食べログで検索すると、コロッケをはじめ揚げ物で有名らしいが、焼豚についてはどなたも触れていない。
 岐阜式の真物の焼豚である。岐阜式と云っても分かるまい、焼豚は炭火つるし釜で焼き上げた後、ガラスケースに入れて店頭で展示する。問題はこの展示中も煖めるのが、焼豚なのである。
 火が入り続けた焼豚はどんどん軽くなってゆく。軽くなるのは重量であって、逆に香味は濃厚になってゆく。岐阜のそれはパサパサになっている。わたしはそのようなパサパサの焼豚が好みなのである。
 スーパーやコンビニで売っている焼豚はまるでハム、ラーメン屋のそれは煮豚であって焼豚ではない。そして東京に焼豚は存在しない。また、煮豚は重量が増える。岐阜式の焼豚700グラムと煮豚1キロがほぼ同量の豚肉である。仮に、煮豚がグラム350円とするならば、岐阜式の焼豚は500円で均衡が取れる。ものの価値は現物に当たってはじめて分かる。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月01日 10:25 | 固定ページリンク




新店舗  | 一考    

 店舗がほぼ決まった。近隣を行ったり来たり日々100キロは走り回った。
 明石市魚住町清水175だが、番地が不明なのでストリートビュー検索では辿り着かない。JR魚住駅から10分、800メートルの距離にある、元喫茶店。明姫幹線の明石高専西の信号と2号線魚住市民センター北の信号を(そのまま走れば、第二神明大久保インターへ至る)を結ぶラインの半ば、花月(讃岐うどん)と竹内電気商会の間を西へ這入ったところにある。隣はビューティーサロンゆり、向かいは理髪店グランド。
 店舗は43.74㎡とかなり広い。赤坂一ツ木通りのですぺらぐらいの広さがある。おそらく3人は居ないと十分には機能しないだろう。

 動力を引いているが、業務用2馬力のクーラーが動くかどうか分からない。こちらは既に心当たりの機器を調べてもらっている。問題はトイレで、和式なのでウォシュレットへの換装が必要。こちらに17、18万円は掛かりそう。
 厨房機器として大型シンクとシ小型ンクはあるが、冷凍庫、冷蔵庫、業務用ガス台などが必要。食器は既に70万円を費やして収集済み。なんとか、12月中の営業開始を願っている。

追記
 何年営業できるか分からないので、極力お金はつかいたくないのだが、最低限は致し方なし。


投稿者: 一考      日時: 2016年11月01日 08:58 | 固定ページリンク




オコゼ  |   一考

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 前項で書いた全長23センチのオコゼ。朝網なので通常2500円はするところ、887円だった。引っ越してきてはじめてのオコゼ、磯ものは刺身に限る、絶妙の旨さだった。
 今日はマルハギがたくさん売っていた。ウマヅラハギより美味とされるが、沿岸ものなので小振りである。1尾400円から800円ぐらい。

 サケの白子とイサキの白子、トビウオの真子、鱧の真子、マゴチの真子などが市場に出回っている。煮付けが旨いが、サケの白子は安く、2腹で100円である。北海道でおでんに必ず使われるマスの白子と共に天麩羅が非常に美味。ぜひ、お試しあれ。

 厚岸の名産、秋刀魚の糠漬けの季節である。季節ものなので、こちらもお薦め。


投稿者:   一考  日時: 2016年10月31日 03:34 | 固定ページリンク




加古川の店舗  |   一考

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ストリートビューで加古川市米田町船頭601を検索、出てくる右側の建物。屋上にイオンの看板が掲げられている。ストリートビューを回転させると分かるが、2号線に面した五叉路の角にある。
左側は加古川、駅からは1,5キロほど離れている。かつて渡しの桟橋があったところである。
日本海軍屈指の名戦闘機と称された紫電改を生んだ川西航空機を中心とした川西財閥の中核企業、日本毛織の加古川工場に隣接する。
おもしろいのは、玄関の螺旋階段と総ガラス張りの店舗である。飲み屋は密室と相場は決まっている。わたしは雨を見ながら酒を酌み交わすのが好きである。
もっとも、エリアを加古川まで拡げるかどうかが問題である、拙宅から20キロ。

写真は日本毛織旧加古川工場。


投稿者:   一考  日時: 2016年10月31日 00:32 | 固定ページリンク




縮図  |   一考

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 赤坂銘食街の違う角度である。これほど穢い飲食街も珍しいが、わたしのように福原で生まれ育った人間にはもっとも相応しい光景である。老いた娼婦のように美しく、気高さすら感じる。
 取り壊しが決まっているらしく、テナントとして這入られないのが残念だが、花柳界の縮図であり、人生そのものである。


投稿者:   一考  日時: 2016年10月30日 23:08 | 固定ページリンク




定食屋  | 一考    

 ストリートビューで明石市大久保町西島810−8を検索すると「リード」との店舗がみつかる。すぐ横を山陽電車が走っていて、線路側に窓が三つ開いている。もよりの駅は山電西江井ヶ島駅、10坪で7万円とちょいと高めの設定になっている。お気に入りの店舗であって、他になければこちらに決めようかと思っている。
 他になければと書いたのは土山をまだ探していないからである。2015年10月19日に当掲示板で紹介した赤坂銘食街も土山である。

 大概の魚は下ろせるが、わたしより遙かに上手な専門家が山内さんである。かつて行きつけの飲み屋だった「やまちゃん」の亭主である。2014年06月24日の当掲示板で詳細を書いている。
 日中はそのやまちゃんと刺身専門の定食屋を営む予定である。今日も朝早くからやまちゃんと店舗を見て、魚を仕入れてきた。イトーヨーカドー明石店でオコゼを仕入れてきたのである。
 まだ未確定な部分が多いが、もしも、土山で出店するのであれば引越も考えている。


投稿者: 一考      日時: 2016年10月30日 13:02 | 固定ページリンク




花電車  | 一考    

 まずまずの物件が見付かった。ストリートビューで明石市東藤江2丁目1-4を検索すると花時計との店舗がみつかる。27.5㎡の1軒屋(売価700万円、賃料7万円)、2階は28㎡。屋号の花時計が花電車ならなお結構なのだが。
 売るのは媚、買うのは顰蹙がですぺらのキャッチコピー。ならば、いっそ「花電車」にしようか。女性器に花を生けたり、しゃがんだまま女性器に挿入した筆で字を書く。またはクリトリスに糸で鈴を結びつけて鳴らす等々、つまるところ「客を乗せない」風俗芸を花電車と呼ぶ。
 熱海と伊東、他では新宿に現存するようだが、わたしが幼少の砌、福原の柳筋にはいくらでもあった。ちなみに三橋さんや種村さんも愛好家だった。

 膣にバナナを挿入し括約筋で切る。タコ糸を巻き付けたタンポンを女性器へ入れそのタコ糸でリンゴを切る。女性器でラッパや吹き戻しを吹く。
 昨今の若い女性が括約筋とか、締まりが良いとか口にする。その努力は評価するが、素人とプロでは次元が違いすぎる。そもそも、花電車のプロと通常のセックスはできない。あのマンりきでおちんちんを締め付けられるのである、痛くて腰など振られたものでない。「客を乗せない」と書いたが、乗られないのが実体である。なにごとにも限度がある。


投稿者: 一考      日時: 2016年10月22日 16:31 | 固定ページリンク




テナント  | 一考    

 明石、西明石界隈でテナントを探しているが、居抜きの物件が寡ない。山電の西江井ヶ島で1件あったがちょっと遠い。西明石の別件は居抜きとは云いながら、あるのはカウンターのみ。残りの改装費が300万円、それに業務用クーラーが中古で50万円である。
 居抜きでなければ、10坪で400万円ほどの費用がかかる。東京の1200万円から700万円よりは安いが、そもそも店舗の室内改装費など元は取られない。
 みなさん貯金をはたいて出店するので、もしもうまく行かなかった折は借金で再起不能になる。


投稿者: 一考      日時: 2016年10月21日 17:47 | 固定ページリンク




ワゴンR  |   一考

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 ボルボに替わってスズキ二代目のワゴンRが拙宅へやってきた。
 平成11年10月発売モデルで、日本で一番売れている軽自動車のミニバンである。スタイルは初代のキープコンセプトながら全体的に多少丸みを帯びる。
 5ドアのボディ、60馬力のOHCターボ(IHI製)、駆動方式はFF、グレードはFX-Tリミテッド、ミッションはアイシン製のフロア4AT。

 ワンオーナー、走行距離57200キロの車だが、ターボ車だけあって、ヘッドガスケットはボロボロ、ウォーターポンプはフィンがペラペラ、オルタネーターのシールドベアリングはほぼ潰れている。ヘッドパッキングと共に交換である。
 原動機の型式はF6A、このエンジンはベルトが削れやすいことで有名、V型ベルトから削れにくいエッジベルトに変換。
 それにしても、軽四のエンジンは触られない。ヘッドガスケットはノーマルのままでも5万キロが限界、ブーストやマフラーを換装すれば、2万キロももたない。

 車両変更に伴って、市役所と警察署を複数回回ったが、1日為事だった。市役所では身分証明に運転免許証を求められ、警察では身分証明に住民票を求められる。その意味がまったく理解できない。軽四ゆえ、自動車税は県から市へ移動、無料になる。
 保険はチューリッヒのネット専用自動車保険。保険発行特約が適用されていないので、ちょいと煩雑だった。保険金は22800円、ちなみに二輪は三井ダイレクト損保で12740円。

 最後に、同車はシートアレンジによってフラットな空間が生れる。要するに、車中泊に最適な車である。ひとりで旅行へ出掛けるための道具として購入した。

追記
 購入と書いたが、車代は無料である。修理費と車検代のみ、おそらく、15万円で済む。


投稿者:   一考  日時: 2016年10月20日 23:12 | 固定ページリンク




高橋睦郎さんの講演  | 一考    

 2016年詩のフェスタひょうごへmoonさんと出掛ける。高橋睦郎さんの講演を聴きに、である。タイトルは「女性詩の力に導かれて」。片瀬博子にはじまって、多田智満子、葛原妙子、中村苑子、伊藤比呂美と続く。いずれもが当代きっての天才である。
 懇談会があったようだが、前半の睦郎さんの講演だけで席をたつ。掌の痛風がひどく、我慢できなかったからである。ユリノームを常に持っているが、即効性のある薬ではない。もちろん、睦郎さんに挨拶だけは済ませる。
 久しぶりに片瀬博子の話しを聴いたので、詩を一編。


抱擁(片瀬博子)

かたくしまっている肉を おしひらいて
夜明けは あふれ入ってきた

あの人は非常に優しく
この上なく残酷にわたしをいそがせた

それでいつも あの人は
精霊のように軽くなって
抱擁の途中で見えなくなるのだった

わたしは石の酒槽(さかぶね)の中で
踏みくだかれる葡萄の山

背を光らせてうねりながら
橋の脚をぬらす真夜の波

セロの流れの中ですれあう無数の金剛石……
ついにわななく光の弧であった


 詩が派生する場所、言い換えれば、詩の苗床には宗教、恋愛、労働の三種があると睦郎さんは指摘する。いかなる種類の恋愛であれ、情念が激しく揺さぶられたときに書かれた詩は美しく残酷である。

 以下は多田智満子さんの朗読。撮影は金丸正城さん、と云うことは相澤啓三さんが多田宅を訊ねられたと覚しい。
 https://www.youtube.com/watch?v=Mvs3YW0ZXEs


投稿者: 一考      日時: 2016年10月03日 03:30 | 固定ページリンク




プロフーズ神戸店  | 一考    

 第二神明玉津インターのすぐ傍、カワハギ刺身を買いに行く山陽マルナカ玉津店がある。その2筋南にプロフーズ玉津本店があり、製菓製パン用機械を制作するヒラタ食品機械が経営している。1階は生鮮を除く、世界各国から集めた食材を、2階はパン、菓子、料理の講習会を催している。
 専門がパンだけに、小麦・ライ麦類91種、イースト・酵母32種、生クリーム・発酵乳30種、ドライフルーツ107種、よつ葉無塩バターをはじめ、バターだけで26種。食物アレルギー対応のA-1ソフトマーガリンも置いている。

 わたしはパクチーソース、パクチードレッシング、パクチーペースト、同リーフ等々を購入。パクチーばかり買っているようだが、もっかいろんなお通しを考えているからである。他にも花椒辣醤やパパヤソースなどを購入した。
 ブラックティーは通常のブラックティーの他、アールグレイも併せて売っている。最近流行っているようだが、ブラックティーの歴史は古い。わたしは中学生の頃から飲んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2016年10月01日 15:20 | 固定ページリンク




香菜  | 一考    

 今乗っているミニカは旧サイズである。要するに、550㏄時代のサイズで、現行より長さが10センチ、幅が8センチ狭い。通常の国道は対面2車線で6.5メートル、ミニカは4.2メートルで回転する。乗っているとこれはこれで楽しい。

 今日はシャンツァイを探して近隣のスーパーを走り回った。ヤフーや楽天で買うと、1キロもしくは3キロととんでもない量になる。わたしが欲しいのは50グラムもしくは100グラムである。キャベツやレタスなども丸ごと買うと、必ず捨てることになる。一人住まいなので、千切りになったものをその都度購入している。
 毎日自動車商会でパントリー明石店を教えていただいた。商品構成が随分と個性的なスーパーで、宝塚、芦屋、六甲などに出店している。客のリピート率が高いので知られている。シャンツァイに限らず、生のハーブ類が多く、わたし好みのスーパーである。
 取敢えず、チャーハン、オムレツ、ビーフン、焼きそば、バインセオなどに使うつもり。


投稿者: 一考      日時: 2016年09月27日 22:51 | 固定ページリンク




ハリイカ(コウイカ)  |   一考

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 北海道ではスルメイカ、九州は剣先イカ、山陰はシロイカ、そして、明石ではハリイカである。プリン体が気になるが、やはり美味である。刺身、天婦羅、塩焼き、塩茹、煮付けなどにできるが、わたしはハリイカと竹の子の木の芽和えがお薦め。
 関東ではスミイカと称し、特に東京湾沿岸では墨がついたまま出荷している。この黒くて粘液質の墨が回ったものは不味くて食べられない。

 前項で言い忘れたが、コチの造りが出回っている。大体600円ぐらい、こちらも旨い。


投稿者:   一考  日時: 2016年09月19日 18:42 | 固定ページリンク




食物繊維パウダー  | 一考    

 ウスバハギの薄造りがよく売られている、値は400円。ウマヅラハギなら800円、カワハギ(マルハギ)なら1200円以上はするだろう。
 カワハギ科を代表する3種の魚だが、値に味わいも準ずる。ウスバハギはこの中では大型に属する。日々食するにウスバハギでわたしは満足している。マグロ、カツオ、ハマチ、サケよりも遙かに旨い。
 刺身ばかり喰っていると、野菜をほとんど食べなくなる。筑前煮ならともかく、野菜サラダなんぞ、どう考えても魚とは合わない。魚のカルパッチョは見ただけで、魚が勿体ないと思う。その代わりに、イオンの食物繊維パウダーを摂っている。青汁と違って無味無臭、かつ水溶性である。スープ、味噌汁、茶など、あらゆる料理に使え、値も安い。お薦めである。


投稿者: 一考      日時: 2016年09月19日 18:13 | 固定ページリンク




ガラパゴス現象  | 一考    

 軽四は全米自動車安全基準やECE(欧州経済共同体)基準を満たさない。ガラケー同様。ガラパゴス現象のひとつである。わが国では税制上、優遇されているので流行っているが、海外では危険なのでまったく需要はない。
 今日は祭日なので、郵便局(本局)へ云った後、買い物を済ませる。ボルボは四車線でもUターンできないが、軽四は二車線でUターンできる。
 三菱ミニカの7代目H37A/V型に乗っているが、水温計は動かないし、左の窓も閉まったまま。それにしても、よく走る。3速ATだが、高速道路の入り口で、2速で110キロまで引っ張る、110キロで3速に変わり125キロまで出る。近頃の軽四とはこのようなものなのか。
 ボルボS80は3000㏄でリッター6キロほど走る。軽四が660㏄でリッター15キロでは計算が合わない。排気量の割りに燃費が悪く、軽四の環境負荷は著しく重い。いずれ日本の自動車税も「環境負荷税」に変わる。そうすれば、妥当な軽四の税額は年間34500円となる。それでも、軽四に乗るひとはいるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2016年09月19日 16:24 | 固定ページリンク




軽四輪と軽二輪  | 一考    

 オートバイばかり乗っているので、知らぬ間に四輪の車検が切れていた。切れていたのを理由に廃車にし、代わりに軽四を調達してきた。月末にスズキの軽四のましなものが這入るらしく、それまでの代車として三菱の軽四を拝借してきた。
 医師が70歳まで生きられれば理想です、と云っていた。その年に達してしまった。あと何年生きられるか分からないが、いまのわたしにとって車なんぞ、動けば何でも良い。
 動体視力、反射神経、軟弱な肉体から推して、スピードは無用、車は軽四、オートバイは軽二輪、それで十分なのである。


投稿者: 一考      日時: 2016年09月17日 19:32 | 固定ページリンク




山本六三銅版画25枚一括  | 一考    

 「生田耕作と共に奢都館を運営していた渡辺一考旧蔵の山本六三銅版画25枚一括」というのがヤフオクに出品され、939,000円の値が付いていた。
 間違いなく拙宅から持ち出されたものであり、それではその他の現代作家の版画、木版、シルクスクリーン等など、100枚を超える絵画はどこへ消えたのであろうか。わたし宛の生田耕作の原稿がやはりヤフオクへ出品されたのは確認したが、それでは日夏耿之介の原稿や端書、書翰の類は何処へ消えたのか。
 蔵書の整理に際して、相澤啓三、高橋睦郎、佐々木幹郎さんの著書ならびに私物は一切手を付けないように、との約束だった。ところが、この条件はまったく守られなかった。

 喧嘩はしたくないので、古書店を叱責する気はないが、そのような関係ではなかったのにと残念に思う。間違えて持って帰ったにしても、彼は購入した商品は一点ずつ確認する。その段階で返してほしかった。最後ということで、いい加減な扱いを受けたとすれば、わたしにひとを見る目がなかったのであろう。
 ヤフオクの出品者は「非常な高額で購入しているため、大変申し訳ありませんが、終了直前に値段が安かった場合取り消します」と記述しているが、当方は4000冊の蔵書に上記版画をはじめとする私物すべてでヤフオクの落札価格の2倍だった。「高く買い、安く売るにぞはれるやの」と、かつて九州で名を馳せた古本屋があったが、神保町にそのような古書店はなかったようである。

追記
 水葬物語の初版以外、塚本本は揃っていたし、全冊署名識語入りだったのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年09月05日 05:47 | 固定ページリンク




葉山葵(はわさび)  |   一考

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 荻窪の行きつけの八百屋で葉わさびを買っていた。主治医の誘いで大山商店街で購入したこともある。天神橋筋商店街や戸越銀座商店街ほど大きくなくても、市場や商店街はコンビニやスーパーには置いていない食材が多い。
 おでんの具材および味付けの地域差などを除いて、基本コンビニの取扱い商品は画一化されている。昨今はわさび菜と称するワサビとは似ても似つかぬ耐寒性越年草が流行っている。芥子菜と似てい、ワサビ属とは異なる野菜である。

 最近見掛けなくなった葉わさびが「あそあそ自然学校」
 https://www.facebook.com/asoaso.jp/

 http://store.shopping.yahoo.co.jp/asoaso/n2ic86kj53.html 
 で売られている。葉わさび1束が2500円で送料は無料、クロネコの冷蔵便で送られてくる。作り方は当掲示板で「葉山葵」を検索されたい。
 下の写真は葉わさび醤油漬けと大葉ソース。葉わさびは190g×5個、セット価格2490円。Ra poru(ラポール)の扱い。
 http://store.shopping.yahoo.co.jp/raporu/1665.html 
 オーガニック専門の会社である。生の葉わさびのような辛さはないが、この手の瓶詰めとしてはまずまずの出来。
 写真は縮小比率が異なるので、同じバックで撮った。


投稿者:   一考  日時: 2016年08月13日 18:53 | 固定ページリンク




月のオブジェ  |   一考

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 バリ島のアンティークショップで、魔除、厄除の面を見付けた。バリ島では昔からの土着の宗教に、ヒンドゥー教や仏教が融合し、ジャワ島のそれとは違うバリ島独自のヒンドゥー教が発達した。 その「バリ・ヒンドゥー」の神に月の女神のデウィ・ラティ神がいる。もっとも、本品とヒンドゥーを結びつけるにはいささか無理があって、店側の宗教色の濃いキャッチフレーズに心惹かれたわけではない。わたしは単にオブジェとして贖った。
 サイズは縦30cm、横8cm、出幅15cm、重さ290gの木製。目の下に透かし彫りがあって、背面に電球を仕込めば、店の看板にもなろうか。


投稿者:   一考  日時: 2016年08月09日 22:49 | 固定ページリンク




麦藁手  |   一考

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 先項で書いた麦藁手について一言。麦藁手(むぎわらで)は尾張瀬戸窯で江戸後期に流行した文様で、鉄と朱赤(赤楽と呼ぶ顔料)が使われている。単純さの中に瀟洒な華やかさが漂い、かつては柳宗悦に、新しくは白洲正子によって賞賛された。
 瀬戸の古民芸を代表する生活雑器のひとつであり、柄の縞模様が麦の穂に似ている所から麦藁手と呼ばれるようになった。赤い発色の縞模様は、採土に手間がかかるため、今ではほとんど生産されていない。写真は共に江戸期の麦藁手の逸品。

 瀬戸麦藁手が出品されている同時期、わたしは「伊万里 染付印判唐草に丸紋図 茶碗 10客」と「古伊万里 金彩 染錦 色絵 膾皿」を落札した。特筆ものが出品されているとき、他の商品は比較的安価に落札できる。前者は1000円、後者は2000円と、開始価格で入手した。
 茶碗は向付やお通しに使えるし、膾皿は煮物やスープなどに重宝する器である。ものぐさなわたしにとって、膾皿はチャーハンや焼きそばなどにも応用の利く便利な器である。共に明治期の作品。


投稿者:   一考  日時: 2016年08月08日 01:57 | 固定ページリンク




北大路魯山人 瀬戸麦藁手筒  |   一考

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 ヤフオクに魯山人作の麦藁手筒が出品されている。口縁に共直しが五箇所あるが、気にはならない。気にならないどころか、直しが味わいに深みを加えている。魯山人は古陶を真似てわざと直しをさせることが屡々あった。
 口径約5.5cm 高さ約8cm、縦縞銘仙を思わせる頗る男性的な風合い。おそらく2万円ぐらいの値がつくだろうが、素人にはこのような単品しか買われない。佳い器である。

追伸
 ヤフオクの最終落札価格は69600円。本品は1000円からはじまったので、このような結果になった。他方、よく似た柄(麦藁手)の酒盃が18000円スタートで出品されている。同酒盃の形状だが、口径約5,8cm 高さ4,3cmと背が低い。しかし、馴染みよい手取りの心地よさ、味わいある瀬戸の景色、粋な点では瓜二つと云えようか。状態は酒盃に軍配が揚がる。共箱の蓋裏には黒田陶々庵極め書きが付く。はてさて、24時間後の終了である。


投稿者:   一考  日時: 2016年08月06日 08:34 | 固定ページリンク




久々の絶食  | 一考    

 血液検査の日は前日の夕食以降、水分以外は禁止である。要するに、2日の夕食以降、わたしはなにも食していない。丸3日を経て、吐き気が収まったので、なにかしら食べたくなった。同時に、頼んでいた店舗が見付かったようである。
 店舗は明石市桜町、色街のど真ん中、長屋の南端の13坪の物件である。1階が店舗で2階が住居になっている。昔の色街によくある形式の店舗で、2階はちょんの間と解していただければ結構。もっとも、隣が栄家旅館という古い旅籠ゆえ、用はなかろうが。
 明石中央不動産の所有物件だが、かつて明石太寺の拙宅ならびに西明石のですぺらも中央不動産の所有だった。敷金が家賃の10倍という東京では考えられないシステムである。クーラーが付いていないが、業務用だと4.50万円はする。赤坂みすじ通りの最初の店舗は開店資金が2000万円を超えた。内、クーラー代は70万円だった。
 さて、食事はまだだが、買ってきたのは一夜干の鰈。弁証法の新たな展開は身体論でしかないのは分かっているのだが、身体を患い、3日ほど食事を摂らないでいると、その身体なるものがおよそあやふやなものになってくる。


投稿者: 一考      日時: 2016年08月05日 21:41 | 固定ページリンク




免疫抑制剤と感染症  | 一考    

 重い心臓病の治療のため、アメリカでの移植手術を必要としている沖縄の女の子のことがニュースで流れた。幾度となく聞くはなしだが、今回は主治医がコメントを添えていた。免疫抑制剤を生涯飲み続ける必要や、感染症予防のため不自由な生活を強いられることなどを指摘し、移植とは新たな病を背負い込むに等しいと話していた。
 その通りなのだが、「新たな病」は命と引き替えに身体に刻み込まれる宿痾のようなものである。医師の意見はどのようにも取られるものだったが、娘の命を案じる親の身になれば、いささか酷と云うか、主治医としての危うさすら感じられる意見だった。
 心臓であれなんであれ、臓器移植に免疫抑制剤やステロイド剤は付きもので、わたしも多くの薬を生涯飲み続けなければならない。それらの薬は強烈な副作用を持っていると同時に、自らの免疫を抑制するのであるから、健康なひとならどうと云うことのない種類の感染症がわれわれにとっては命取りになる。美空ひばりや市川團十郎のごとく、風邪は間質性肺炎を呼び込み、即、死を意味する。
 私自身、肺炎球菌ワクチンは当然のこと。昨今爆発的に流行りつつあるニューモシスチス肺炎(PCP)の予防薬、バクタを飲んでいる。移植手術以来、久しぶりの服用である。

 免疫抑制剤の副作用に、悪性腫瘍、出血性膀胱炎、骨髄障害、間質性肺炎・肺腺維症、肝障害、消化管障害、腎障害、高血圧、高脂血症などがある。多くの薬は尿路系に刺戟を与える特性があり、服用中は水分を多く取る必要がある。怠ると、尿路に悪性腫瘍が発生する。
 乳幼児に1日2回の薬の服用、休みなくつづく水分の摂取は苦痛以外のなにものでもない。水を抱えて逃げ回る子供を追うのが、親の最大の為事になる。そして親自身、迂闊に感染症に罹ることは許されない。


投稿者: 一考      日時: 2016年08月05日 05:30 | 固定ページリンク




久しぶりの血圧低下  | 一考    

 3日は定期検診。急速に体温が下がり、汗が噴き出てくる、シャツもパンツもぐしょ濡れ、このままだと血圧が下がり、失神する。受付で事情を話し、エコー室のベッドを貸していただく。2時間ほどで落ち着き、バイクで帰ろうとするも、またおかしくなり、病院へ逆戻り、2時間ほど横になる。
 医師によると水分不足でなかろうかと、水分は十分に摂っている。それでなくとも、病院へ行く日は尿検査があるので、普段以上に水分は摂っている。いずれにせよ、これで北海道とは笑止であろう。
 拙宅へ辿り着いた後も、明け方まで足が熱くて眠られなかった。体調が狂っているのだが、事情が分からない。どうしたものか。


投稿者: 一考      日時: 2016年08月04日 22:26 | 固定ページリンク




ディスクローター  |   一考

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 オートバイだが、ブレーキ回りも刷新した。走行距離は37000キロ、フロントディスクローターはその間無交換だった。従って、残は4.3ミリになり波打っている。
 新品が既にないので状態の良い中古を探す。3箇月かけて走行4726km、残量4.7ミリのディスクローターを見付けた。ブレーキパッドはYAMASIDAのRRシリーズのセラミックメタル(E-465RR)を購入、一般のシンタードやメタルパッドと比べてディスクへの攻撃性が低い。

 日本海側のキャンプ場へ出掛ける予定、北海道行きの予行演習である。予行演習と書いたものの実は北海道であれ九州であれ、どこであろうと出掛けられるのである。逡巡している理由は日々定時に服用する免疫抑制剤、最低1日2リットルの水分、細かいはなしだが日々5回は計る血圧計も必須である。
 要するに、荷物が増えるだけのはなしなので、四輪だと問題は生じない。しかし、旅は二輪で行くに如くはない。それでなくとも、二輪でないと這入られない道が北海道には多い。迷い続けているが、身体を馴らし、8月末か9月上旬に出掛けようかと思っている。8月20日以降、生ウニは食べられなくなるが。


投稿者:   一考  日時: 2016年07月28日 18:30 | 固定ページリンク




勝手にしやがれ  | 一考    

 このところ、バーボンをヤフオクへ出品している。パピー ヴァン ウィンクルズ 20年は20万円を超えた。他にも、ヴァンウィンクル ファミリーリザーブ15年、リップ ヴァンウィンクル15年なども出品した。ヴァンウィンクルはすべて20万円超えである。ちなみに、ですぺらでの売価はショット1200円だった。ヤフオクの売値から逆算すると一杯1万円以上になる。
 西明石ではバーボンが中心だったので、赤坂へ引っ越した折は精鋭のバーボンを揃えた。もっとも、精鋭揃いはシェリー、マディラ、マルサラ、ポート酒などのフォーティーファイドワインだった。こちらは20年、35年、50年、100年、150年ものを取り揃えていたのだが、ただの1杯も売れなかった。まったく売れなかったからヤフオクで売られるわけで、1杯でも売れていたらヤフオクで売られなくなっていた。なにが幸いするか分からない。

 バーボンウイスキーは原材料として玉蜀黍の他、ライ麦、小麦、大麦麦芽等を用いる。熟成は内部を焦がしたホワイト・オークの新樽のみ。それらオーク樽は海を渡り、スコッチの熟成に再使用される。
 90年代に入ってから、バーボンは随分変化した。かつてのマイルドでメローなウィスキーは影をひそめ、硬質な辛口を売りとするマイナーなメーカーが陸続と登場した。シングル・バレルへ、スモール・バッチへと大きく舵を切ったバーボンの代表作が、ヴァンウィンクル、ヴェリー オールド セントニック、フィッツジェラルド、オールドウェラー、オ-ルド ヘブン ヒルだった。ヘヴン・ヒル社はボトラー向けに樽売りをしていた最大手で、火災による喪失で全米の3割強のメーカーが消えたと云われる。
 開拓時代にはバーボンではなく、酒質の軽いライ・ウィスキーが好まれていた。酒質にとどまらず、アルコール度数も低かった。西部劇でショットを一気飲みするシーンを思い起こしていただきたい。今様のバーボンウイスキーなら如何にアメリカ人であろうとへべれけに酔っ払うに違いない。
 第2次世界大戦後、ライ・ウィスキーの消費は急速に減少。現在なお蒸留しているのはジム・ビーム、ワイルド・ターキー、ヘヴン・ヒル、サンフランシスコのアンカーの4箇所のみ。ただし後者の二つは現在、存在しない。そのアンカー蒸留所の原酒をカリフォルニア州サンノゼ市のフランクリン・ディスティラーズ社がボトリング。米国北東部のペンシルヴェニア州で発売されたのがライ・ロイヤル20年。ペンシルバニア・ストレート・ライと称される唯一のウイスキーである。バーボンウイスキーはケンタッキーとテネシーだけではないのである。

 検索すると、玉蜀黍を用いたウイスキーと比してライ・ウイスキーは男性的で辛口、ハードなウイスキーとの評価が一般的なようだが、それは間違っている。飲めば分かると云いたいのだが、あちらさんも同じことを云うに違いない。嗜好品に関して他人と云い争うほど野暮でない。料理の味付けと同じで、勝手にしやがれとしか云いようがない。


投稿者: 一考      日時: 2016年07月17日 17:09 | 固定ページリンク




アオハタ  |   一考

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 フランス産のリスドォルのみを用いたバゲットが西二見のイトーヨーカドー明石店で売られている。トラディショナル・バゲットと称し、通常のバゲットと値は同じである。
 そのパン屋レフボンの隣にセブンカフェがあって重宝している。バゲットもしくはカスクルートを囓りながら珈琲を啜っている。
 最近はどこへ行くのもオートバイなので、出先での水分補給に留意している。要は行く先々で珈琲を飲んでいる。スーパーへは行くがコンビニは行かないので知らなかったが、セブン−イレブンの珈琲は旨い。

 イトーヨーカドー明石店魚売り場の店員と親しくなった。やたら旨い長崎産アオハタの薄造りを薦められた。それほど珍しい魚ではないが、足が速いのが難点。昔、穴水町で食べたことがあるが、それ以来の上質なアオハタだった。


投稿者:   一考  日時: 2016年07月13日 13:54 | 固定ページリンク




参議院選挙  |   一考

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 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/182167

 「アベ政治を許さない」のプラカードは、昨夏の「安保法制反対」運動のシンボルだった。揮毫は金子兜太さん。
 そのプラカードをコピーしてベニヤ板に張り付け、自転車の後ろに括り付けている同世代の男性と会った。軽く会釈をすると、挨拶が返ってきた。明石にも反体制の方が少数ながらいらした。「自民への一票、憲法改悪と戦争への一票」しかして共産党への一票は革命には繫がらない。思うに、天皇こそ反自民の象徴でなかったか。今回は信念を持って共産党へ投票する。

 http://www.dailymotion.com/video/x4hehvo
 自民党の圧力でユーチューブから抹殺された動画。

 https://l.mainichi.jp/5mQA1
 上記は有料サイトだが、無料の登録で月5本の記事を読まれる。非常に面白い。

 http://lite-ra.com/2016/07/post-2389.html

 http://lite-ra.com/2016/07/post-2402.html

 http://lite-ra.com/2016/07/post-2400.html

 http://lite-ra.com/2016/07/post-2399.html

 http://lite-ra.com/2016/07/post-2380.html

 http://lite-ra.com/2016/02/post-1996.html

 これはオマケ。
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/185172


投稿者:   一考  日時: 2016年07月09日 19:20 | 固定ページリンク




色絵龍文皿  |   一考

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 下段は色絵龍文皿、砂高台に小さなカケ、本体にニュウや窯キズがあった。径23.5cm、高さ4cmの中国製だが、2000円で入手した。購入先はかつて当掲示板で紹介したみどり屋亀岡店。
 上段は天目茶碗だが、落札価格は40000円。こちらは貿えなかった。

 最近、古伊万里の染付矢絣図もしくは矢筈文様、格子文の蕎麦猪口がよく出品されている。わたしは蕎麦は好物だが、蕎麦猪口を蒐める趣味は持たない。

 新規の店の食器に伊万里を蒐めている。赤絵ではなく、印判手である。印判手とは、同じ模様の商品を大量につくるために、型紙摺絵や銅板転写で模様をつけたもの。従って、一部模様がなく、白いままで出荷されているものもある。
 印刷ミスを妙味として面白がり、窯キズなどもうるさく云わない、そうしたおおらかさが伊万里焼の良いところである。


投稿者:   一考  日時: 2016年07月09日 04:05 | 固定ページリンク




ウニの殻  |   一考

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 淡路島のウニは黒ウニ(むらさきうに)、赤ウニ(バフンウニ)と云う。通常と異なり、上下を逆さにして箱板に並べる。このような裏返しは淡路島唯一のもので、美しさの証だそうである。わたしはちっとも美しいとは思わないが。
 黒ウニは50グラム2480円で売られている。値は北海道のそれと比して同じようなものである。小川商店のウニの売価は、大箱(350グラム・13000円)、中箱(200グラム・8000円)、小箱(150グラム)、120グラム(6000円)、100グラム、70グラム、50グラム、30グラムとなっている。
 昔は大中小の箱しかなかったが、近年は小分けした商品がやたらと増えてきた。かつてオートバイで北海道を走り回っていたころ、大箱(ウニが3段に乗せられている)が3500円だった。91年のことである。
 ところで、質の高い雲丹に醤油は合わない。そのままか少量のわさびを付けて食べるのが良い。

 食べるウニも結構だが、ウニの殻も素適である。ミナミバクダンウニ、ラッパウニ、シラヒゲウニ、ナガウニ、ベンテンウニ、ムラサキウニ、バフンウニ等があるが、食べられないウニに限って美しい。上方の緑色の殻がバフンウニ。


投稿者:   一考  日時: 2016年06月17日 00:35 | 固定ページリンク




エリミネーター完成  | 一考    

結局、タペットはインテーク側0.11とエキゾースト側0.15で統一。高速道路で21キロ、地道で17.8キロと燃費は改善した。
フロントスプロケットの交換はマフラーを全部外すところからはじまった。で、気付いたのだが、エキゾーストの根っこで排気もれを起こしていた。
ケース外側やスウィングアームピポット部その他への干渉もなく、チェーンの張りも調整、実に快調になった。最高速はサイドバッグ、リアボックス完装で170キロとなった。
クラッチの切れが悪いのに手を焼いていたが、本体の調整の必要はなく、クラッチレリーズレバーのワイヤー調整だけで済んだ。

前の持ち主がかなり触っていて、バイク自体のバランスが崩れていたようである。今回の修理ですばらしいオートバイに生まれ変わった。梅雨に這入ってしまったが、バイクでの遠出が可能になった。もっとも、遠出に耐えられる身体ではないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年06月16日 22:02 | 固定ページリンク




エリミネーターいろいろ  | 一考    

 もっか毎日自動車の屋根付きスクーター(キャビーナ90)に乗っている、エリミネーターの代車である。エンジンヘッドのオイル漏れを見付け、パッキンの交換を試みた。折角ヘッドをあけたのだから、タペットを調整することにした。これには理由があって、アイドリングが未だに安定しない。
 燃費の方は高速道路で17キロ、地道で15キロと延びるようになったが、出掛けるときのエンジンスタートに5分は掛かる。エンジンさえ掛かれば、アイドリングは走りながらできる。そのためのタペット調整である。
 タペットクリアランスが狭いとバルブの開く量が多くなり、逆に広いとバルブの開く量が小さくなる。狭くても広くても駄目で、適正な規定値があるのだが、その規定値が川崎によると0.1だそうである。極端に狭いように思われる。
 エリミネーターのエンジンは2気筒だが、バルブはインテーク側とエキゾースト側に2本ずつある。要するに、その4箇所にタペットクリランスのアジャスターが付いている。いろいろ考えてみたが、インテーク側とエキゾースト側共に0.15に拡げようと思う。現状のコンプレッションを考慮してのはなしである。

 序でに、フロントスプロケットを14Tから15Tへ換装、トップでセカンドのような加速が効くギア比はおかしいからである。歯数を増やすと加速が悪くなるが、高速が伸びる。イギリスJT Sprocketsブランドのフロントスプロケットを購入した。材質はSCM415(クロムモリブデン鋼)。
 JT Sprocketsは世界でも有数のスプロケットのサプライヤーの一つ。世界のアフターマーケットでのスプロケット販売のおよそ60%を占めている。およそ2,500種のバリエーション、年間1,800万個を超える出荷をおこなっている。

 こちらも序でだが、ヘルメットに付けるスピーカーはデイトナ、ビーコム、サウンドテック、オーディオ・テクニカなどがあるが、100均で十分である。ただし、フレッツの「クリップヘッドホン」がお薦め、間違ってもダイソーが扱うHangingのヘッドホンは買わない方が良い。低音が抜けていてなんの役にも立たない。


投稿者: 一考      日時: 2016年06月06日 09:47 | 固定ページリンク




ごおまるごさんへ  | 一考    

フリバスを無償で譲るのは、販売ではなく授与でもないので合法と思われますが、有償で譲れば薬事法24条違反になります。
それは宜しいのですが、なにを仰りたいのかしら。前述したように、わたしは身体障害者ですが、あなたのそれはある種の言語障害かと。


投稿者: 一考      日時: 2016年05月17日 22:37 | 固定ページリンク




処方薬 フリバス ウブレチド は 他人に飲ますと法律に抵触するので売れません  | ごおまるご    

処方薬 フリバス ウブレチド は 他人に飲ますと法律に抵触するので売れません


投稿者: ごおまるご      日時: 2016年05月17日 18:56 | 固定ページリンク




今貂子さん  | 一考    

 Facebookに今貂子(いまてんこ)さんがいらっしゃるのに気付いた。お名前が変わっていたので分からなかったのである。昔、白虎社にいらして杉本茂行さんや種村季弘さんと一緒に何度か伺ったことがある。結構、古いお付き合いになる。
 今貂子さんは「舞踏とわたし」との文章で白虎社創立時について書いていらっしゃる。「1979年に、舞踏に出会い、80年に、京都での舞踏グループ白虎社創立に参加する為に、群馬をはなれました。なぜ、舞踏を始めたのか? 舞踏家をめざしたのか? うまくはいえないですが、そこには自分の人生をかけてみる何かがあると直感し、21才なりに、それまで学んだものを総動員して、手に入る資料はぜんぶ読み、最終的には、本能的な勘で決断したと説明したら、よいでしょうか」と。
 何回目だったか忘れたが、白虎社夏期舞踏合宿に参加したことがある。そのつもりでなかったが、どうやら料理人としての参加だったようである。近くに山菜がいくらでも植わっていて、天婦羅を造ろうということになった。かまどと薪で天婦羅を揚げたのはあの時がはじめてだった。ただし、薪での天婦羅は油の温度調整が非常に難しい。
 60センチぐらいの鍋で揚げたのだが、薪を突っ込んだり、足で蹴飛ばして油温を下げたりと、それはそれは忙しい調理になった。およそ100人前と云われたが、4.5時間は揚げていたように記憶する。

 赤坂時代のですぺらでは「おじゅね抄」の石井満隆さんの世話になったが、西明石時代のですぺらでは今貂子さんの世話になり、そして迷惑をお掛けした。また、阪神大震災の折、彼女は拙宅で手に大きな傷を負った。この場を借りて深くお詫び申し上げる。
 次回の公演は是非観に行きたいと思っている。

 https://www.facebook.com/tenko.ima


投稿者: 一考      日時: 2016年05月09日 22:35 | 固定ページリンク




磯魚  | 一考    

 連休の間、日々刺身を愉しんだ。一昔前なら五月の連休時に刺身など食べられなかった。なぜなら、漁師も休みだったからである。今も昔も漁師の連休に変わりはないが、生け簀や水槽の普及によって、近隣のスーパーですら活魚が売られている。
 山陽マルナカ玉津店、万代明石硯町店、ラ・ムー大蔵海岸店、マックスバリュ西明石南店がお薦め。同じスーパーであっても、他店はお薦めにあらず。
 このところ、スズキ、タイ、ヒラメ、道産のウニ、ウマヅラハギを食べた。ハギは大きな胆付きで、おっきーさんが大磯から送ってくださって以来、久しぶりである。
 ウニは虻田群洞爺湖町入江の小川商店。かつて函館のスーパー魚長の店長から紹介されたウニ専門の卸問屋である。礼文、利尻のウニは現地もしくは稚内でしか食べられないが、例外的に小川商店は扱っている。ただし、現在小川商店は小売りはしていない。
 上記のうち、山陽マルナカ玉津店は昔から良い魚を置いている。滅多にないが運が良ければ、クロ(メジナ)、ブダイ、イシダイ、ニザダイ(サンノジ)、ガガラ(アラカブ)、アカハタ(アカバ)、ヒダリマキ(タカノハダイ)、オジサン等々、磯魚が手に這入る。

追記
 山陽マルナカ玉津店は頻繁にオコゼを置いている。ただし、背鰭だけ除去して丸ごと売っている。面倒なのか、それとも6切れほどで800、1000円との値付けが高く思われるからか、理由は定かならず。


投稿者: 一考      日時: 2016年05月09日 17:05 | 固定ページリンク




ごおまるご様  | 一考    

お申し越しの薬価は非常に安いのですが、小生は1種1級の身障者です。従って、保険対応の薬は無料で入手できます。悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2016年05月08日 22:39 | 固定ページリンク




フリバス75mg、ウブレチド5mg、72日分を5000円(送料込み)でお分けできます。  | ごおまるご    

前立腺肥大の排尿障害でお悩みの方、フリバス75mgとウブレチド5mgを5000円(送料込み)でお分けできます。
父の体に合わないため、ハルナールとセルニルトンに切り替えてもらいましたが、薬局が残薬を返品に応じてくれないので・・・
http://www.jttk.zaq.ne.jp/itsumi/
から、メールの項目を選びご連絡下さい。


投稿者: ごおまるご      日時: 2016年05月07日 14:58 | 固定ページリンク




システムとメール  | 一考    

 Mac OSをYosemiteからOX X El Capitan(10.11.4)へバージョンアップした。確かに、セキュリティーは強力になった。
 一方で、メール形式がpopからsslへ変更になった。この変更は自動ではなく手動である。設定のやり直しが自分でできるひとばかりとは思われない。出来ないひとはバージョンを落とす(元に戻す)しかない。その場合、過去のメールはすべて失われる。
 パソコンを使うのは、ネットに維ぐ、メールの遣り取り、ワープロとして用いるのが多数だと思う。それ以上のことはしない、出来ないがほとんどでないだろうか。今回のバージョンアップに若干の疑問あり。

 わたしの場合、なによりもセキュリティーが優先された。よって、自分で処理するしかなかったが、みなさんどのようになさっているのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2016年05月02日 09:35 | 固定ページリンク




楽天カード5  | 一考    

 楽天カード株式会社から手紙が送られてきた。

 先日、調査のご依頼をいただいておりました件につきまして、利用先へ伝票の取り寄せを行いましたが、利用先から伝票の提出がございませんでした。弊社としてはこれ以上の調査ができかねる旨ご報告いたします。

 これで終わりということであって、なんのための調査なのであろうか。海外サイトは警察も生活センターもカード会社もどこも手をだせない。
 わたしはクレジットカードのカードナンバーも氏名もセキュリティコードもなにひとつ打ち込んでいない。にもかかわらず、5756円が2回分消えてなくなった。クレジットカードは破棄するまで問題は起こり続ける、中止がきかないのである。クレジットカードを所有する恐ろしさをはじめて知った。
 結局、楽天カードを拵えて使用したのはこの2件のみ、わたしにとってカードは未使用のまま破棄された。


投稿者: 一考      日時: 2016年05月01日 23:43 | 固定ページリンク




うすいまめ  | 一考    

 風邪を抜きたいので禁食が続いている。入院時の禁食ではなく、ある程度は自由にしている。例えば、朝はヤクルト、夜はアイスキャンデーといった感じ。腹は減っても、カロリーは十分である。今朝は汗ぐっしょりで目が覚めた。これで元に戻りそうである。

 三郷のアパートのすぐ根際に、セレクション三郷店という昵懇の店があった。そこでうすいえんどうを見付けて歓んだ。東京では成城石井で一度見掛けただけだった。余談ながら、2008年春、成城石井卸売本部の東京ヨーロッパ貿易がウィスキーの輸入から撤退した。以降、成城石井は個性を失った。
 明治時代にアメリカから入ってきた実えんどうが、大阪府羽曳野市碓井(はびきのしうすい)で、栽培されたのがうすいえんどうの名の由来。それが枝分かれして関西に拡がり、京都の割烹は丹波篠山のうすいえんどうを、大阪の割烹は和歌山のうすいえんどうを用い、豆ごはんや卵とじ、うすい豆腐を造る。
 和歌山のうすいえんどうは4月末、ちょうど今が旬である。当地のスーパーはどこへ行っても積み上げている。丹波篠山のそれは少し遅れて5月下旬になる。実山椒、山蕗、蕨などと共に、春を彩る旬野菜である。
 豆ごはんのコツをひとつ。豆をとった鞘を茹でて出汁をとり、その出汁でご飯を炊くこと。
 豆をご飯と一緒に炊くと豆の鮮やかさが失われる。豆は別途1分ほど茹でて炊きあがったご飯と混ぜる。それゆえ、豆の出汁は鞘から取るのである。愕くほど香り高く、深い甘みのある出汁が取れる。今日は拙宅は豆ご飯である。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月29日 03:59 | 固定ページリンク




風邪  | 一考    

 19日からぐずっていたが、とうとう本格的に風邪を引いてしまった。ヤフオクの梱包発送と便器の設置が間に合ったのがなにより。それにしても、今年は度々風邪を引く。
 食事は粥に変更、塩抜きの代わりに少量の梅干しを用いる。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月26日 11:25 | 固定ページリンク




メール不通2  | 一考    

 メールが思い出したように這入るようになった。困るのは5分ぐらいで接続が勝手に切断されること。
 この症状の検索はどうするのかしら。

追記
 1日経って、5分が20分になった。このまま延びて行きそうな塩梅である。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月23日 16:05 | 固定ページリンク




温水洗浄便座  | 一考    

 ウオッシュレットはTOTOの商品名でメーカーごとに名称が異なると知った。ちなみに、INAX/LIXIL はシャワートイレという。
 このところ温水洗浄便座について勉強した。INAXは水勢が強く、ノズルの角度が70度と深い、、まるで真下から叩き付けるような洗い方で、これに嵌まっているひとも多い。TOTOはINAXの最弱よりさらに水勢は弱くなる。しかもおしり吐水の噴射角43度と浅く、撫でるような洗い方になる。わたしのような痔主には、TOTOが相応しい。

 電気メーカーではパナソニックがINAXに準じているが、他のメーカーは使用に耐えない。東芝は韓国製でコストパフォーマンスは傑れているが、3年ほどしか持たない。
 その東芝のSCS-T160のベースプレート、取り付けボルト、給水ホース、分岐止水栓、温水タンク水抜栓が欠品、本体のみの出品で100円と云うのがあった。給水ホースや分岐止水栓は拙宅に在庫がある。他はメーカーで1150円で揃う。しかし、寿命が3年と聞かされれば迷いが生じる。と、ここまで書いてどこのどなたがあと3年生きるのだろうかと不審に思う。

 日本の電気メーカーは昔から品揃えが社是のようなところがある。得意、不得意に関係なく、他社が造れば俺んちもと真似る。日立はもっと早くDVDレコーダーから撤退すべきだったし、三菱は飛行機を造っておれば良いのであって車からは手を引くべきである。

 さて、今回わたしが購入したウオッシュレットはS1A(TCF6321AK)2010年製である。12000円の即決価格で、ぴかぴかである。建て売り住宅に付いていたらしく、当主はINAXのファン、即刻取り外して放置されていたようである。20日に到着、21日に設置して使っている。

追記
 エコ機能のひとつにおまかせ節電と云うのがある。次トイレへ這入ったとき、便座が冷たい、電源が切れているのである。自動的に電源が切れるのを「おまかせ」と云うそうな。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月23日 14:56 | 固定ページリンク




メール不通  | 一考    

拙宅のOSがOX X El Capitan(10.11.4)へバージョンアップされた。
システムが更新された4月19日18時5分以降、メールが使われなくなった。
拙宅にはPower PC G5で動く機種があって、そちらは10.4.1がインストールされている。従って、そちらでメールは取れるのだが、いちいち切り替える必要がある。


メールを受信できません。
メールサーバーまたはネットワークで問題が起きている可能性があります。アカウント“pop.tc5.so-net.ne.jp”の設定を確認するか、やり直してください。

サーバからエラーが返されました:パスワードをサーバに安全に送信できませんでした。“セキュリティ保護されていない認証を許可”を設定することで“アカウント”環境設定のこの制限を削除できますが、パスワードを危険にさらす可能性があります。


メールは、サーバ“pop.hi-net.zaq.ne.jp”の識別情報を確認できません。
このサーバの証明書は無効です。“pop.hi-net.zaq.ne.jp”に偽装したサーバに接続している可能性があり、機密情報が漏えいするおそれがあります。それでもこのサーバに接続しますか。


上下ふたつのメッセージが交互に出る。思うに、POPメールを認識しないらしく、
「アカウントを自動的に検出して管理」のチェックを外した上で、「セキュリティ保護されていない認証を許可」にチェックを入れてもなにも変わらない。
次に他のメールソフトをインストールしようとしたのだが、

user/Library/Mail/V2 (10.11 El Capitan は V3)
user/Library/Containers/com.apple.mail

となっているapple mail データの場所が分からない、分からない以前にuserの中にLibraryのフォルダーが存在しない。
そのあたりでお手上げ、もっか思案中。

追記
すべてのアカウントの「SSLを使用」にチェックを入れ、ネットに接続されているのを確認。にもかかわらず、繫がらない。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月23日 12:30 | 固定ページリンク




不思議な光景  | 一考    

 神大病院は受付開始が8時半、同時に尿検査と血液検査がはじまり、診察開始は9時である。受付の機械は時間にならないと動かない、かつ番号札のような非経済的なものは発行しない。従って、時間前の来院者はほとんどいない。
 わたしは東京で5つの病院へ入院した。その度に、朝早くから列をなす外来患者を見てきた。列をつくるのは年寄りとは限らない。おそらく、何事につけ並びたがる東京人の性癖でないだろうか。
 戸田中央のシステムは神大病院と同じである。ただし、7時には病院の待合室はひとで一杯になる。事前に番号札を発行し、その番号順に受付がはじまる。早く来たからといって、診てもらう時間に変わりはない。
 病院に限らない、ラーメン屋から人気のスイーツ店に至るまで東京中列だらけ、不思議な光景である。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月21日 01:00 | 固定ページリンク




むくみ取り  | 一考    

 15日からこっち、血圧が安定しないので困っている。本日も100−62、医師は大丈夫ですかと心配する。12日の失神を説明し、善処を求める。
 アルドメット(朝夕の降圧剤)を中止し、一部の降圧剤を変更してもらった。これで服用する降圧剤はアテレックスとオルメテック(朝20㎎、夕10㎎)になるが、その内の朝の20㎎を10㎎に微調整できる。
 オルメテックは即効性と副作用として目眩いやふらつきを伴う。戸田ではラシックスを服用していた。こちらも即効性が売りで、むくみ取りとして芸能人やモデルに愛用者が多い人気商品である。利尿薬(むくみ取り)兼降圧剤だが、わたしは効果に疑問を抱いている。いずれにせよ、降圧剤は少ないほど良いのでないかと思っている。

 今日は晴れていたが、二輪を止め、四輪で病院へ出掛けた。顚倒が怖かったからである。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月20日 18:11 | 固定ページリンク




透明人間  |   一考

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 山口小夜子さんの「意図的なことをなくす 自分をなくすことから本質に触れる」との言葉。いかにも横須賀さん好みの言葉である。「残日を指折りかぞえて」を書きながら、眼中に常に小夜子さんがいらした。
 自分をなくす。自分を空しくする。結果本質に触れるのであって、恣意的にふれるのでない等々。
 「あなたにだけは紹介しておきたかった」「随分と意図的ですねえ」「分かってるよ、良いんだよ」「まるで恋人同士ですね」「そう云って貰いたかったんだ」
 「脚がきれいなんだよ」「分かっていますよ」「でも、きれいなんだよ」「だから、分かってるって」「でも、きれいなんだよ」
 澄み切った関係、透明な恋人たちのような虚しさ、虚しさに虚しさが重なり合って、枠物語や紋中紋を構造してゆく。


投稿者:   一考  日時: 2016年04月19日 00:08 | 固定ページリンク




肉の天麩羅  | 一考    

 14日はTOTOサービスの方が来てから、ヤフオク出品で徹夜だった。ウイスキーはアクセス数が1000を超えると売れる。800ぐらいだと売れないこともある。基本完売だが、ごく稀に売れ残ることがある。そのようなときは1割値下げすると確実に売れる。
 今回のオークションは昨日締めだったので、今日は朝から20個の梱包、発送に追われている。そのうち1個を除いて、他は常連さん、ありがたいことである。ダラスデュー/ダラスドゥー、ロッホサイド、ブローラなど、高級品ばかりが売れ残ったが、オークションをはじめて僅か3日、今後に期待しよう。

 ウイスキーの発送ははこBOONを利用している、よってファミリーマートまで持ち込む必要がある。その帰途、スズキ、トビウオ、ブリ、タイ、カレイ、つぶ、貝柱等々、魚三昧のネタを仕入れるのだが、今日は久しぶりに肉が食いたくなった。
 肉と云っても普通の肉ではない。プップギ、フワ、バサ、ホッペとも呼ばれる牛の肺である。たしか広島ではやおきもと呼んでいたような気がする。ハートとレバーの中間くらいの柔らかさ、菎蒻のような食感と淡白な味わい、天麩羅に適している。これは北海道で覚えた味覚である。
 プップギを購入したのはホクレンの出先ショップ、レシートにフクレンとの記述があるが、北海道では牛の肺臓のことをフクレンと云ったのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月18日 17:37 | 固定ページリンク




ライン  | 一考    

 SNSの友人からラインでの付き合いを求められた。その手の方が這入ってくるとは参りました。第一に、ラインはスマホのメールアプリでなかったか。わたしはスマホを持っていない。
 SNSにはツイートをミュートする方法もしくはフォローする・しないの切替ができるそうな。しかし、そう云った状況ではなさそうである。即刻、切り捨てた。
 身のまわりには、他に切り捨てたいものが多数あるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月17日 17:05 | 固定ページリンク




マルセル・シュオッブ全集  | 一考    

 国書刊行会の礒崎純一さんから「マルセル・シュオッブ全集」が贈られてきた。手紙が添えられてい、「昭和五十二年より三十七年掛かってようやく完成出来ました」とある。書かれている昭和52年とは、わたしが「モネルの書」を刊行した年である。
 ひとから伝え聞いたところだが、礒崎さんは「モネルの書」や多田智満子訳「小年十字軍」を読んで、慶應大学へ這入り直したようである。大濱甫さんに師事するためだったと聞く。もし、そうだとするなら、「モネルの書」の上梓が大変な逸材の誕生に結び付いたわけである。逸材と書いたのは戦後の幻想文学の歴史を全面的に書き換えた当のご本人、礒崎さんだからである。

 大濱甫さんへ最初、はなしを持って行ったとき、鈴木三重吉で行きましょうとのことだった。シュオッブと大川端も面白かろうと、大いに期待した。結果は小首をかしげるものだった。
 かつて、垂野創一郎さんからシュオッブの訳文はかなり触ったでしょうと訊かれた。原稿を頂戴してから1年半を改訳に費やした。ほとんど原型をとどめていない。懸命な方ならお分かりだろうが、三重吉ならぬ中井英夫の文章に範をとっている。
 とりわけ、「木の星」の木々の詳述、「森は繁栄する蟻塚のようにざわめき、雨のあとには、雫となって樹々の下枝から地面の朽葉をゆるやかに浸す陰鬱で執拗な森自体の雨が続いた」などはまったく中井からの盗作である。
 助詞の問題だが、まるで短詩形作家のごとく「に」が多用されていた。可能な限り「を」「へ」へ、また、「より」を「から」へ変更した。
 今回の全集でひとつだけ残念なのは、南柯書局版の誤植がそのままになっていること。もっとも細かいことゆえ、気にはならないが。
 それと述べておかなければならないことがある。大濱さんの稿が這入ったのは古く、多田智満子さんからもしも原稿があるなら見せてくれと云われた。多田さんがそれを森開社版に利用したかどうか定かでない。ただ、そのような経緯があった。
 礒崎さんは37年かけて完成したと、わたしは37年ぶりにシュオッブを読み返すことになる。
 最後になったが、高価な本の寄贈に感謝する。礒崎さん、ありがとう。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月14日 23:34 | 固定ページリンク




たるや竹十  | 一考    

 さて、樽屋さんが戻ってきた。彼は「たるや竹十」を営み、酒樽屋日誌を綴っている。書誌学を佳しとし、「灘五郷が育てた小説家 十一谷義三郎」を著している。
 肥田皓三さんのような学者になっていただきたかったのだが、いかがなものであろうか。それはさておき、東京の友人には十一谷義三郎が好きな方が多かった。下記アドレスを人々にお薦めあれ。

 http://www.taruya.com/blog/2005/02/post.html


投稿者: 一考      日時: 2016年04月14日 23:04 | 固定ページリンク




御礼  | 樽屋    

文章同様の元気な声を聞くことが出来て安心しました。仕事が一段落したら連絡します。
電話番号は早く消した方がいいよ。悪用されかれないから。


投稿者: 樽屋      日時: 2016年04月14日 17:23 | 固定ページリンク




ウオッシュレット  | 一考    

 TOTOのウオッシュレットが壊れた。先ほど、メーカーのひとが訪れ、バルブユニットが水漏れを起こしている、古い機種なので交換部品がないと。メーカーのひとはみなさんそのように仰有る。
 本品TCF265Eはかつて比呂さんから頂戴したもの、同様の新しい機種で10万円ほどするそうな。当方の予算は2万円、1ランク落としてTCF6221、TCF6621あたりの生産中止品を見繕っている。
 近頃のウオッシュレットは多機能で、温風乾燥のような必要のない機能が多く付いている。さて、なにに決まるのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月14日 15:17 | 固定ページリンク




樽屋さんへ  | 一考    

あの写真はあなたもお持ちだと聞いております。
中学生の頃から、コーベブックスへ這入った25歳までの体重はは51キロから53キロでした。
叱責など致しませんが、「おひろが悲しむから六さんの葬儀には出席するな」はいくらなんでも言い過ぎです。わたしはそのような権威主義が嫌なだけです。
広政さんに対するあなたの忖度に腹が立ったまで。

あなたのブログはたまに見ています。
お会いするのは構いませんよ。
拙宅の番地は西区玉津町出合37-1 シャーメゾン出合206。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月14日 15:12 | 固定ページリンク




若くて細いですね  | 樽屋    

小生の失礼な言動から、絶交を宣告されて数年落胆しておりました。神戸に帰っておられる由。是非明石まで行きますから、お会い出来ませんか。叱責は覚悟しております。


投稿者: 樽屋      日時: 2016年04月14日 10:46 | 固定ページリンク




佐々木治己さん  | 一考    

 Facebookの友に佐々木治己さんがいらっしゃる。数日前に以下の文章を掲げている。
 「先日、飲み屋で国家批判とは何かというようなことを話していたのだが、そこで私がプラトン「メネクセノス」を引用すると、足元をすくうように、「プラトンはアテナイ市民じゃない」と突然言われて戸惑った。今のご時世であれば、そこでスマホを取り出し、すぐにでも調べることができるのであるが、飲み屋の議論にインターネットは無粋である。」
 このあと、プラトンとアテナイについて書き込みは続くのだが、そちらはどちらに転ぼうが、意に介さない。わたしが共感したのは、「飲み屋の議論にインターネットは無粋である」の一言である。
 「まったく理解できます。佐々木さんの姿勢、好きですね」とわたしはコメントした。「ご無沙汰しています。このような姿勢になったのも、若い頃に、ですぺらで揉んでいただいたからかもしれませんね」との返答が戻ってきた。
 さすが土方巽はじめ、さまざまな舞踏家や演劇人に鍛えられている。佐々木さんの精神の風通しの良さに感服した。

 先日、拙宅でひとと話しながらずっとスマホを触っているひとがいた。二度と来るなと云いながら叩き出したが、その御仁には追い出された理由が分からないに違いない。わたしだって腹に据えかねることはあるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月14日 00:18 | 固定ページリンク




楽天カード4  | 一考    

 22日が締め切りなので今月の請求はないそうである。しかし、今後は直接請求書が送られてくるケースがあるそうな。そうなれば、国民生活センター越境消費者センターが窓口になるらしい。捨て置くと大変なことになると神戸市生活情報センターの女性に云われた。まだまだ続きそうである。
 楽天カードの請求と共に、あれだけ続いていたスパム・メールが、昨夜突如止んだ。少ない日で20通、多い日で30通は来ていた、わけの分からないメールである。迷惑メールは通常、ゴミ箱へ入れて1時間ほどで削除できる。ところが送られてきたメールは12時間ぐらい経たないと削除できない。なんともはや、面倒な小細工が施されている。
 もっとも、Cookieからハッキングするような輩である、それぐらいは朝飯前なのであろう。
 ETCカードはじめ、クレジットカードのない生活は考えられない。難儀なはなしである。

追記
 1通だけだが、送られてきました。まだありそうですね。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月13日 15:03 | 固定ページリンク




久しぶりの本格失神  | 一考    

 大蔵海岸のラ・ムーヘ買い物に行く。毎日自動車商会へ寄り道したので時間ははっきりしている。3時に同商会を出たので、5分後にはラ・ムーヘ着いている。無糖の珈琲と紅茶、漂白剤、ポケットティシュー、キャベツともやし、寿司あれこれ、他にはスズキの刺身の良いのがあった。
 買い物の最中、カート下段から紅茶ケースが落下。若い女性が駆けつけ、ケースを元に戻してくださった。「自分でしますから」と云ったのだが、わたしの身体が縺れていたらしく、てきぱきと片付けてくださった。思うに、この時点で既にわたしの身体はおかしかった。
 支払いを済ませて、車へ戻ると同時に崩れ落ちた。車のドアは開いたまま、荷物はカートに積まれたまま、車の横に放置されていた。ここまでが覚えていること。
 気付いたのが5時半、2時間は失神していたことになる。通常は1時間なので、久しぶりの大型失神(?)である。この間の記憶はおそろしく断片的、全身がぐしょ濡れ、ワイシャツは汗で身体に張り付き、頭はシャワーを浴びたよう、帰ってから気付いたが失神中に小便を漏らしたようである。
 ダメージはまだ続いている。理由は不明、ヘマトクリット値の一過性の下がりすぎか。最近、身体が元気になってきたと信じていたので、残念である。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月12日 20:37 | 固定ページリンク




自動車保険  | 一考    

 土山までカスクートを買いにバイクを飛ばす。最近、バルブ摺り合せが良くなってきたらしく、17キロぐらい走るようになった。購入時、1年前には7キロしか走らなかった。
 保険は20等級だが、年齢のせいで値上がりに転じる。おそらく、今年が最も安いのであろう。2輪が12740円、4輪が28760円である。「運転者本人限定特約」なので、家族であろうがなんであろうが、限定した範囲外の方が運転中の事故については、保険金が支払われない。
 バイクの走行距離は4000キロ、四輪を軽く超えている。バイク保険は対人、対物だけしか這入っていなかったが、今回、搭乗者傷害にも這入った。搭乗者傷害に這入らなかった理由は、わたしのバイクは一人乗りであること、そしてシャントを造っているわたしは、出血を伴う傷を負えば1分以内に即死するからである。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月10日 21:09 | 固定ページリンク




横須賀功光さん  | 一考    

 横須賀功光さんへの文章を再読して泣き出してしまった。恥ずかしい話しだが、それほどに横須賀さんの死は衝撃だった。はじめてですぺらへいらした折、余命は約1年とのことだった。
 今だけだから飲ませろの「いまだけ」が彼の口癖になった。わたしはそれに応じた。疲れていようが、睡眠不足だろうが、彼の来店だけは特別だった。連日、朝まで議論に議論を繰り返した。
 年末、死期が迫ったのを悟ったのか、彼は1週間来なければ死んだと思ってください、と。そしてそのとおりになった。彼が亡くなった日、彼の自宅のすぐそばに車を止め、わたしは泣いた。
 わたしにとって彼は山本六三以来の友だった。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月10日 21:06 | 固定ページリンク




残日を指折りかぞえて  | 一考    

 鯉をおもわせる少しぽっとした丸い目のなかに、研ぎ澄ました冷たい一条のひかり、少年期に得られなかった欠けたピースを探し求めるはしこい目線、薄笑いと広いおだやかな白い額にただならぬ飢えを秘め、なにを言っても「知ってるよ」「それも知っています」いかように言葉を返そうが「すべて分かってるよ」と畳み込んでくる居丈高な物言い。身勝手、わがまま、傲慢、不遜の権化のような顔をして、あなたは私を正面から食い入るように見据えました。でも、ひとを喰ったあなたの眼差しは私にとっては遠い日の懐かしいまなざし、少年の頃のせつなさ、はじめてめぐり会ったときの爽やかさのままに、私はもうひとりの私と出逢ったのです。
 ひとがたまらなく好き、だからこそひとを拒否する。でも拒否するのはあなたではなく、それを選択するのはいつも相手側だったのです。「あっそう、なにも分かっちゃないね」とのあなたのさびしげな口癖がすべてを物語っています。あなたの口をついてでるノンは非難や排撃といった能動的なものではなく、言葉のゲームが出来ないことへの失意だったのです。「分かっちゃないね」とはひとの白々しさに逢着したときの自らへの絶望。そう、見果てぬ夢を、友を捜して、あなたも私も共に生を反芻してきたのですよ、数十年のあいだ。
 考えるってなに、思惟するってなに、立ち徘徊るってなに、あなたとの論議の底流には常に不確実性が、懐疑が漂っていました。死を目前にした、定まらない揺蕩う残照がそこに息づいていたのです。残照はふたつの属性をもっていると思うのです。片方には残傷や残心が潜み、もう一方には慙羞、慙色、慙沮などが栖みついているのではないでしょうか。あなたのはにかみには消え入らんばかりの夕日のような輝きが、明るさがありました。その明るさを気取られるのが嫌で、あなたは距離を詰めようとして常にはなし相手に躙り寄っていました。自恃の撤回を余儀なくされた者にとって、からだとからだを摺り合わせ、触れ合う以外に自己を確認する手立ては残されていないのです。と言うよりも、寄り添っているとき、すなわち話し合っているときだけなのですよ、自分が存在するのは。そんな宙ぶらりんを選択するしかなかったあなたに私は心底からの共感と情愛を感じていたのです。
 双方の論理回路を接続するのに四箇月ほどかかりましたね。それからあとはメタフィジカルな禅問答、よくふたりで笑い転げました。「駟馬も追うあたわず」を逆手にとって、取り返しのつかない箇所をたがいに穿っての咲笑い、嬉笑にも怒罵にも相感じる日々がつづきました。あるときは堪えかねてくっくっと、またあるときは輾然と、夜が明けるまで笑いさざめく声が途切れはしなかった。俳諧の軽みのようなきわやかな笑み、風が吹き通るさわやぎのような微笑みのなかにあなたの意気の俊爽を私は見届けたのです。それこそが夢中にあっても決して放心することのなかったあなたの詩精神そのものでした。ダイヤルを回す能動的かつ意識的な行為のなかに人生があるのではなく、回されたダイヤルが戻ってゆく緩慢な時差のなかにこそ、人のいとなみがある。これでよかったのだろうか、電話を掛けてよかったのだろうか、これからなにを相手に伝えるのだろうか、伝えるべきなにかがあるのだろうか、やはりやめておこうか。あなたにとってほほえみは繰り返される人生の途中停車、「生きるってもどかしいものですね」との言葉こそが、戯けであり、飄逸であり、うつうつと最高を行くあなたの表現でした。
 私が「今日は私の負けですね」、あなたは「ここのところ二連敗だったからね」と応す。「そっちへ振りますか」「それは想定外だなあ」「さて困った」「今日は議論の内容を吟味してきましたからね」ひとを追い詰め追い込んでゆくときの張り詰めた雰囲気、そんなときのあなたの顔は輝いていました。どちらが勝とうが負けようが、横須賀さん、愉しかったね、嬉しかったね、仕合わせだったね。すべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。昨年の一月七日、朝ぼらけの一ツ木通りでどちらからともなく別れ際に交わされた一言「生きていてよかったね」
 その七日後、あなたは私を残して旅立った。蟋蟀は九回脱皮すると言われます。また蟋蟀の成長は、昼が短いと成長が早くなる短日型です。共にいるかぎり、脱皮を際限なく続けましょう、あなたとならできそうな気がするのです。「あなたとなら・・・」この一点にあなたの論理のからくりが、あやかしがありました。ゲームのなかでは頻繁に、あなたがわたしになり、わたしがあなたになります。「それ自体では目に見えない観念が、アナロジイによって、可視的なものになる」ように、互いの見えなかった部分が滲透しあうことによって、白日のもとに曝されていきます。言い換えれば、あなたでもない、わたしでもない、そして誰でもないところの存在、「友」に明解なひとつのかたちが与えられていったのです。「友」が、対置するところのものではなく、相対するところのものではなく、謂わば伸縮自在なオブジェのような共作物であり、明確な輪郭を保つ観念そのものであったと申せば、愛する友よ、お気に召すかしら。

追記
 本稿は「光と鬼 横須賀功光の写真魔術」に掲載。山口小夜子さんと3人で酌交わした日々を思い出す。その小夜子さんの言葉「意図的なことをなくす 自分をなくすことから本質に触れる」


投稿者: 一考      日時: 2016年04月10日 14:49 | 固定ページリンク




和歌山の秋刀魚  | 一考    

 「極めれば、産地より旬」とのコマーシャルがあるが、必ずしもそう云いきれない食品が多い。例えば、秋刀魚の産地は北海道、宮城、千葉、三重、和歌山と云った太平洋側から富山、長崎と云った日本海側に至る。そしてそれぞれに旬があって、食べ方もさまざまである。
 通常、秋刀魚と云えば、釧路港と根室港、それに女川港が有名である。現に北海道の漁獲量は52パーセント、宮城県のそれは14パーセント、併せて66パーセントの漁獲量を誇る。それらの旬は毎年8月から10月である。
 そして11月になると、秋刀魚は三陸沖から南下し、遠く伊豆半島で水揚げされる。サイズも小さくなり、脂が減ってくるため干物などの加工品に適す。
 秋刀魚はいよよ小さくなり、12月から1月には三重、和歌山まで漁場は下ってくる。富山湾や若狭湾で取れる秋刀魚同様、脂がほとんど抜ける。

 和歌山と云えば、秋刀魚寿司がよく知られるが、なれ鮨も有名である。中には30年以上発酵させたものもあって、飯も魚も原型を留めず、粥状になっているそうな。
 1月上旬、熊野灘で水揚げされた秋刀魚の中から、一番小さいサイズを寒風で3日間干して仕上げる。それが針子さんま丸干しである。
 紀州熊野灘の海流の流れは急なので、南下する際に脂が抜けてやせ細ってしまう。脂がないからこそできる独特な風味がさんま丸干しの特徴。
 新鮮な風味よりも味のコクというか、さんまのアクが強く感じられる丸干しで、両面を軽く炙って頂戴する。めざしもそうだが、さんまの丸干しも小さいものほど珍重され、掌サイズを針子と称す。すこぶる美味、酒の肴に、茶漬けに適す。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月09日 06:21 | 固定ページリンク




旅館池の端  |   一考

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北海道函館市谷地頭(やちがしら)町にある料理旅館である。
同地には谷地頭温泉と称する日帰り入浴施設があるが、それとは異なる。
谷地頭温泉に宿泊できる旅館はこちら一軒だけ、温泉として有名だが、割烹料理は函館でも一二を争う。
高倉健がしばしば新年を迎えたという。「ゴテゴテとした飾りばかりのご馳走は作ってはいけないよ」と。味付けも、例えばステーキなどは凝ったソースより、醤油と大根おろしを使うのを好まれた、と宿の板長米田春男さんの弁。
入浴できるのは宿泊客もしくはコース料理(1万円)の客のみ。単品料理で訪れた客は温泉には這入られない。
濃密な温泉が流れ出す浴槽や床には湯の花が堆積し、波状の模様を描き出している。
鍾乳洞を思わせる風情のある岩風呂(赤湯)である。
温泉は塩っぱく、非常に熱い。

 http://morihana-life.blog.so-net.ne.jp/2006-03-13


投稿者:   一考  日時: 2016年04月08日 15:45 | 固定ページリンク




写真  | 一考    

 自分の写真を当掲示板へ載せたのははじめてかと。ナルシストではないので、その種の趣味はない。ただ、武内ヒロク二さんが掲げた写真を見て、六さんとの写真を掲げたくなった。
 25歳までは食事は1日に1度、もしくは食べない日も多かった。酒は17歳から、煙草は15歳から嗜んでいた。18歳から25歳まではほとんどの日を六さんと過ごしている。
 往時のことは南輝子さんが著されている。きらきら輝いた、すてきなな文章である。

 http://home.kobe-u.com/lit-alumni/essey67.html
 
 他では川津さんを紹介したときに天童大人さんが書いている。

 http://rodoku.info/entry.php?id=2123
 
 文中、「大丈夫ですか?京都は泣いてますよ」とあるのは、三島が割腹自殺した日、生田と保田與重郎に電話を入れた。その折に、保田が云った「英霊が泣いています」を繰り返したのである。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月08日 02:46 | 固定ページリンク




山本六三さんとわたし  |   一考

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右が山本六三さん、左がわたし。
御影のアトリエにて。撮影は広政かおるさん。わたしが18歳の冬。
この頃から、いまに至るまで散髪は自分で済ませている。
未成年者の喫煙はいけませんよ。


投稿者:   一考  日時: 2016年04月08日 00:16 | 固定ページリンク




武内ヒロク二と山本六三  |   一考

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右が武内ヒロク二さん、左が山本六三さん。23、24歳頃の写真。現在、武内ヒロク二さんは78歳。写真は武内さんのブログから。
この写真が撮られた翌年1965年春先に武内ヒロク二、山本六三とわたしは出遇っている。武内ヒロク二さんとは明石の街を自転車で走り回った。往時、わたしも山本六三と同じように瘠せていた。


投稿者:   一考  日時: 2016年04月07日 23:20 | 固定ページリンク




過炭酸ナトリウム  | 一考    

 今日は洗濯機と風呂場の大掃除。シャツの黄ばみが気になったので、過炭酸ナトリウムを買ってきた。洗濯槽を掃除するためである。ところが、洗濯槽からは菌ひとつ出てこない。どうやら漂白剤の出番のようである。
 先だって、薬用入浴剤を買ってきた。前の連れ添いが使っていたのを思い出したのでる。森林の匂いと柑橘系の入浴剤。森林系は4種類に分かれ、炭酸ガス発泡タイプ。こちらがお気に入りである。しかるに、4種類の香りの違いがわたしには分からない。鈍感なのである。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月07日 12:24 | 固定ページリンク




ぺらろ〜ぐ(妄想)  | 一考    

 世の中の大半の男女は、子孫を作るのが目的でセックスをする。それはそれで結構なことで、わたしごときがどうのこうのというようなことでない。ただ、子供のみが目的なら、排卵期だけしてりゃ良いじゃないかと。従って、子供は結果できたと云うのが正しい。
 にもかかわらず、小供は子供なりにアイデンティティーとかレーゾンデートルとか囂しい。必要とされる人間などいないだろうし、存在に意味や理由などあるわけもなかろうに。
 ニュースによると子供のイジメによる自殺者が減らないそうな。子供は学校が社会のすべてだと思い込んでいる、それゆえの自殺である。わたしはイジメに遭った瞬間から学校へ行かなくなった。喧嘩をしてまで、学校へ行く理由がわたしにはなかったからである。
 わたしは中学校の入学式には出席したが、それ以降の式典には一切出席していない。よって学校時代の友人はことごとく卒業と同時に縁が切れている。永田耕衣や多田智満子、種村季弘など素晴らしい友人に恵まれたが、それらは自分で合いに行ったのである。
 二十歳にもなって、成人式などと云う官製の偽善式へ出掛ける気がしれない。そもそも二十歳になるなど、呪われてしかるべきである。二十歳になって着飾って出掛けるような能転気なひととわたしは付きあいたくない。

 何年も付き合いながら、一度も射精しなかったひともいる。相手が避妊していなければそれは当たり前で、でなければ隠し子がぞろぞろ列をなすことになる。
 ただし、子供が欲しいと思っている方にとってこれは裏切りである。そのあたりの見極めが難しい。極力、生真面目な方は避けているつもりなのだが、当方に見る目がなく、結果裏切ることになる。
 その逆もあって愕かされる。借りてきた猫のような存在だった女性がある日、とんでもない種類の性に目覚める。通常の性を一足飛びに超えているのだが、わたしには対応できない。なぜなら、ひとはひとに人生相談を打ち明けないからである。たまに相談するひともいるが、それは形だけで、答えはそのひとのなかでとうの昔に決まっている。結果が決まらなければ、ひとは咨詢するものでない。結論は見守ることだけである。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月07日 11:40 | 固定ページリンク




ED治療薬  | 一考    

 貧血は「血が貧しい」と書くが、血液の量そのものが少ないのではない。人間の血液の量はほぼ一定なので、「貧しい」ではなく、「血が薄い」ということになる。血液中の赤血球や、赤血球に含まれるヘモグロビン(血色素)の量が、正常値よりも少なくなり、ヘモグロビンが足りなくなった状態が貧血である。
 貧血になると、食事を摂ると失神する、なぜなら血液が胃の周辺へ集中して、脳が血液不足に陥るからである。同様に、男根の勃起能力はほぼ血液である。よって、勃起すると脳が血液不足になる。要するに、貧血のひとは勃起するのも命懸けなのである。

 ED治療薬にはバイアグラ、シアリス、レビトラの3種があって、それぞれ用途が異なる。普通、国内で売られている薬の内容量に関しては、バイアグラ(100㎎)、シアリス(20㎎)、レビトラ(20㎎)となっている。
 戸田にいたころ、医師の管理下でそれらED治療薬を服用したことがある。すべてに亘って強力な降圧作用があって要注意である。後者の2点で血圧が60から70ほど急降下する。もちろん、健康なひとなら問題は生じないのだが。
 ヘモグロビンもしくはヘマトクリット値が低いひとは2.3日前から降圧剤を中断、体調を整えなければならない。バイアグラなら四等分しないと服用できない。面倒なもので、以来、服用していない。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月07日 08:18 | 固定ページリンク




楽天カード3  | 一考    

 1月から毎月、5756円が銀行から落とされる。何とかならないかと楽天コールセンターへ訊ねるも、何ともならないようである。楽天では契約内容が分からないので如何ともしがたく、来月も請求が来るだろうと。
 この契約とやら、どうやらFirefox 33.0のCookieからクレジットカード情報が盗み出されたのが端緒のようである。爾来、日々数十通の訳の分からないメールが這入る。
 1日に何度もCookieを削除しているが、お陰でですぺら掲示板からSNS、さまざまなアプリケーションのシリアルナンバー、Amazon、Apple、Google、Yahoo! JAPANなどのID、保険などの契約内容の確認、銀行の暗証番号などなど、どこへ這入るにも必ずパスワードと暗証番号が必要になる。そして中には見事に忘れてしまったものもある。
 はこBOONの発送で気付いたのだが、クレジットカードのセキュリティコードまでがCookieに記憶されているのには愕かされた。当たり前のことなのだが、意外な盲点だった。

 警察や消費者センターへの相談など打つべき手はすべて打ったが、時間が掛かる。警察では海外のサーバーなので、調査権が及ばないと云われた。みなさん、どのように対処なさっているのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月05日 08:31 | 固定ページリンク




M男さん  | 一考    

 「マゾヒズムに花束を!」というサイトがあって、婚活よりM活支援に力を入れているそうな。プロフィールに「自分に素直になりたい!そう願っているひねくれ者なのかもしれません。平凡で小市民的な暮らしを営む一方で、過激な妄想世界を漂う、無意識過剰の仮性マゾ」とあり、視覚的に充実していて面白い。妄想世界とはあるものの、ご主人は池袋の某クラブなどにも出入りしていて、筋金入りのM男さんのようである。
 彼がそうだとはいわないが、こういった方々は二重生活を送っている。もちろん、わたしもだが。二重生活は仮想人格を、仮想人格は無意識過剰をそして妄想を生んでゆく。いずれにせよ、反応の悉くが羞恥に収斂されてゆく。

 吉田一穂と足穂は、収斂してゆくタイプと拡散してゆくタイプの典型として屡々用いられる。人間はなにものでもあると同時になにものでもない。わたしはというとひとつの主辞の下に何々であるとの賓辞が無数にやってくる。収斂と拡散を繰り返しているが、タイプとしては拡散型である。
 平成に這入って、マスコミ全体が右傾化してきた。右翼思想の最大の特質は現状への充足と満足である。結果として、日本人から急速に羞恥の概念が消えつつある。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月04日 15:05 | 固定ページリンク




妄想のすすめ  | 一考    

 福岡県内の認可外保育所の元設置者(67)が保育所に通う幼児14人に計105回、わいせつ行為をしたとして、福岡地検から起訴されていたことが捜査関係者の話で分かったようである。検察は今月15日の論告で「前代未聞の悪質事案で、徹底した矯正教育が必要」と主張、懲役15年を求刑した、とある。
 別のニュースで、2年前に行方不明になった埼玉県朝霞市の女子生徒(15)が東京都中野区で保護された事件で、容疑者(23)が28日未明逮捕された。

 共に性犯罪だが、「矯正教育が必要」との意見には賛成致しかねる。少年犯罪の過多も性犯罪だが、少年犯罪にせよ老年犯罪にしろ、もっとも矯正しやすいのが粗暴犯で、矯正しづらいのが性犯罪である。なぜなら、性の問題は個々の稟質と密接に絡み合っているからである。
 説明が面倒なので端折るが、他者が施す教育ではなく、自ら矯正するしか手立てはないと思っている。

 数少ない知己から、かつて、
 「いくら否定しても否定しても、「自分」とは残ってしまうものだと思います。 否定する感情がある限り、その感情の中に「自分」が立ち現れます。 どんなに隠そうとして、殺そうとしても、生きている限りそれは漏れてしまうものです。何かをひとつ選ぶたび、全てを持ち得た可能性は消え、ひとつという現実が手に残ります。そのひとつに、どうしようもなく自分は現れてしまうのです。たったそのひとつに、たったひとつのくせに、そこにはすでにあふれんばかりに自分が充満してしまっています」
 との質問を受けた。正確な意味での返答を未だに認めていない理由は、この種の自意識が苦手だからである。「信じるということを信じない、信じないということを信じる」と云った弁証法の基本を思い起こす。
 さらに、自意識過多のひとが往々にして陥るのが神智学であり、その神智学の類がわたしには自意識以上に苦手なのである。

 サチリアージスであろうが、ニンフォマニアであろうが、自己のアイデンティティーの確認の途次立ち顕われる。問題はそのアイデンティティーすなわち自己を弁証にかけてみればいかがなものか。と云うよりも、弁証の対象は太古の昔から自分と決まっている。霧散しかねない自己にどうしてしがみつかねばならないのか。いっそ無意識過剰の薦めでも書こうかしら。

 さて、このはなしにオチが必要かしら。行為(犯罪)にまで至らないがゆえの妄想でなかったでしょうか。件の知己は誤解を惧れず、妄想すなわち性愛について話せる大切な友人である。


投稿者: 一考      日時: 2016年04月03日 04:35 | 固定ページリンク




ヘタ盛りとプラスチックバック  | 一考    

 退院後、体調は最悪である。昨日はなんとか動かれるようになったんじゃなかろうかとバイクを稼動。とろとろ出掛けるも、牛乳を買っただけで、目眩いで動かれなくなってしまった。

 刺身を取った後の切れ端が関西ではどこのスーパーでも売られている。いろいろな魚介類の盛り合わせになってい、わたしはヘタ盛りと呼んで重宝している。ヘタ盛りに多いのは関東同様、鮪とサーモンだが、わたしはそれを避ける。まぐろなんざあ、喰いたくもないからである。
 関西には白身のヘタ盛りがある。鯛、鮃、鰈、そい、がしら、めばる、ハマチ、それになぜだか、各種烏賊が這入る。値は290円もしくは390円、これがわが家では高級海鮮丼に化ける。

 関係のないはなしだが、関西では饂飩や蕎麦の出汁が袋に這入って売っている。関東ではまったく見られない商品である。関西らしく、サバ、むろ節、ウルメ節の混合が多く使われてい、関東人が好む宗田節は用いられない。讃岐うどんの専門メーカーのそれではむろ節の比重が高まる。要するに、メーカーごとにまるで味が異なる。売値は20円から100円まで、違いを楽しんでいる。

 さらに関係のないはなしだが、スーパーやコンビニで提供するレジ袋を関東ではビニール袋、関西ではナイロン袋と称するようである(正確には地域差でなく世代差なのだが)。お笑い芸人の黒田某が「東京にはナイロン袋がない。ナイロンはナイロンじゃないか、ふざけるな」と。黒田某にお訊ねしたい、ナイロン袋ってなんですか、と。
 スーパーの買い物袋やゴミ袋などに使用されているのはポリエチレン、略号はPE。ちなみに、諸外国ではプラスチックバックが一般的な呼称。

 http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/2401-2500/2411.html#3


投稿者: 一考      日時: 2016年04月01日 13:09 | 固定ページリンク




尿濃縮試験  | 一考    

 水曜日は4週間に1度の免疫抑制剤を頂戴に行く日だった。運が良かったのか悪かったのか、その日に前立腺の発作が起きた。正月以来である。混濁尿だったが、全身のどこにも痛みはない。尿定性一覧や尿沈渣は毎回検査しているが、今回はフィッシュバーグ尿濃縮試験を加えた。抗生物質は処方されていないので、炎症は軽度なのであろう。
 4週の間に、1度も病院へ行かない月もあり、2度から5度までいろいろである。今回は1泊の入院である。痛みを伴わないゆえ、高を括っているのだが。

追記
 検査のあと、点滴静注があったので、抗生物質が這入っていたのかも知れない。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月26日 08:44 | 固定ページリンク




楽天カード2  | 一考    

 楽天カードのトラブルについて、おっきーさんからメールを頂戴した。気を遣わせて申し訳ない。
 その後、楽天からメールがあって、調査に2箇月、楽天の調査に1箇月、その結果、返金もあり得るとのこと。商品がからめば、ワンクリック詐欺になるのだが、ゲーム5日間の使用料だそうで、これでは詐欺にはならない、さてどうなることやら。
 そもそもクレジットカードのIDやパスワード、セキュリティコードなどがどうして筒抜けなのかが分からない。
 相手は外国のサーバーを経由しているので詳細は不明だが、おそらく中国のゲーム会社のようである。検索したところ、楽天カードを取得後2箇月で、わたしと同じ会社からの請求を受けた御仁がいらっしゃる。みなさん泣き寝入りしているようである。
 本日午前中、警察の生活安全課へ赴いた。楽天のコールセンターと話されていたが、楽天の対応はしっかりしているとのこと。それよりも、TwitterやFacebookの利用を注意された。情報が漏れる理由はそのあたりにあるのではないかと。考えてみれば、わたしにはですぺら掲示板だけで十分である。それとクレジットカードは便利だが、1枚あれば結構だろうと。御説御尤もである。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月22日 19:40 | 固定ページリンク




ホタテ貝柱  |   一考

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写真は「北海道食べる通信」(フェイスブック)より。両サイドが海になった野付半島。

 いつぞや、掲示板で稚内の寿司店で食べたウニについて書いた。ウニは種類ごとに旬が異なり、3~4月はバフンウニ、 6~8月がムラサキウニ、 7~8月がエゾバフンウニ、 9~11月がキタムラサキウニとなっている。稚内の寿司店は7月初旬のはなしである。
 そこで食べたムラサキウニが滅法旨く、並べて食べたエゾバフンウニより遙かに旨かった。もちろん、それだけを食べたのではない。ボタンエビ、シマエビ、メヌケ、キチジ、クロガシラなどを食べたが、わたしがここで大書したいのは貝柱についてである。
 北海道でも札幌、旭川、函館などの都会は本州同様に横切りの貝柱を刺身として盛りつける。わたしが子供の頃、福原で習った調理法も横切りだった。それらは面積を大きく見せるためである。
 ただ、稚内は違った。横切りではなく、縦切りである。考えてみれば、当たり前のはなしで、横に切れば、貝柱特有のぷりぷり感が消えてしまう。刺身であろうが、ニンニクバター炒めであろうが、縦切りに如くはない。
 稚内にとどまらない、ホタテの養殖で名をなした猿払村もやはり縦切りを踏襲していた。


投稿者:   一考  日時: 2016年03月16日 22:04 | 固定ページリンク




楽天カード  | 一考    

 楽天カードでトラブルが起きた。利用店名は「VISEGAME.COM利用国GB」と記載されてい、5756円が銀行から落とされた。楽天へ問い合わせたところ、そちらで解決して欲しいとのこと。買いもしていないものの代金をどうして払わなければならないのか。しかも、カードは2箇月前に拵えたばかりである。
 第一に、楽天は保険に這入っていないのか、情報が筒抜けの責任をそちらで解決せよとはどういうことなのか。即刻、カードの機能は停止してもらったが、その停止も楽天から云われたのである。思うに、同様のトラブルが頻発しているようである。さて、どうしようか。

追記
 楽天カードには不正利用対策がまったくない。クレジットカードは銀行系がもっとも安心できる。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月16日 17:26 | 固定ページリンク




ヤフオクとウイスキー  | 一考    

 ヤフオクでウイスキーを20本売って返ってきた評価は三つのみ。ヤフオクに参加するひとの気質はずいぶんと変わった。
 その評価が返ってきた内のひとりが元ですぺらの客だった。取引メッセージ経由で「あなたは「赤坂ですぺら」の元オーナー様でしょうか。同店では当時アイラストームやブレイズ・オブ・グレンリヴェット、今回落札のオールド・フェッターケアン等をお薦め頂き、その後モルトの迷宮に迷い込んでしまいました。間違いでしたら御詫び申し上げます」とあった。
 お名前の公表は許可を得ていないので、遠慮するが、嬉しいはなしである。と云うより、Yahoo! JAPAN IDだけでよくわたしと分かったなと思う。
 「HP内の「蒸留所とモルト・ウィスキーの解説」は今も参考にさせて頂いております」とある。ヤフオクの商品説明には同じ文章を利用している。おそらくその文章からわたしと類推なさったのであろう。
 この1年余で250本ほどのウイスキーを売った。落札価格の8.64%と手数料が上がったのは手痛い。しかしながら、さまざまなオークションサイトがあるが、yahooオークションに変わるものはない。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月16日 17:25 | 固定ページリンク




前立腺肥大  | 一考    

 92-57から一夜明けて158-78に戻った。降圧剤を再開、今日は久しぶりに食料の買い出しに出掛けた。

 先の年末、年始は前立腺肥大で往生させられた。頻尿だが、その実状は大変である。発作が出ると、5、6分毎にトイレへ通う。仮に、8時間続いた場合、80回ほど小用を催すわけだが、1日に出る量はほぼ決まっている。従って、催したからと云って、必ずしも小便が出るわけではない。ただし、尿意の度に激痛が走る。
 そのようなときは終日紙おむつの世話になる。1日乃至2日で終わるのだが、去年の10月にも発作は起きている。戸田中央で段ボール1箱分の紙おむつを頂戴したが、さすがに1年で使い果たした。
 前立腺肥大は30歳代から始まり、50歳で30%、60歳で60%、70歳で80%、80歳では90%が発症するが、因果関係は判然としない。さまざまな症状があり、わたしの場合は尿線細小、残尿感、排尿後尿滴下、尿意頻拍、頻尿だが、初期症状に尿混濁があるので、すぐ分かる。
 尿流量測定ウロフロメトリー検査は戸田で行っただけだが、尿検査、血液検査、超音波エコー検査は毎月行っている。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月09日 23:15 | 固定ページリンク




件のひとり  | 一考    

 東京の友にやっと連絡がついた、とても嬉しい。本当は声を聞きたいのだが、そうも行かないようである。
 医師から余命を宣告されてから、ほとんどの付き合いを消極的に閉じた。こちらからの連絡を絶てば、自動的に関係は失われるからである。
 しかし、なかには懐かしいひともいる。懐かしいなど気安く用いてはならない言葉なのだが、でも遣いたくなる、そんなひとが世の中にひとりやふたりはいる。
 そのおひとりの当掲示板初登場は2003年4月、絢子さんの死の8日前である。そして、そのおひとりは他ならぬ絢子さんの紹介で知った。
 今年も4月26日が近付いてきたが、間違いなく、その日はなにも書かない。本当は件のひとりとわたしひとりが、ひとりびとりで見送るのがもっとも相応しい、と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月09日 01:52 | 固定ページリンク




臓器移植患者に福音  | 一考    

 毎日新聞2016年2月18日 東京夕刊に以下の文章が掲げられている。

 生体肝移植後の拒絶反応を抑え、免疫抑制剤に頼らずに済む臨床研究を進める北海道大と順天堂大の研究チームは18日、臓器提供者と移植患者のリンパ球などから培養した特殊な細胞を使い、成人患者10人のうち7人が2年以上も免疫抑制剤を服用せずに日常生活を送ることに成功したと発表した。研究チームは、この手法を一般的な治療法として確立させることを目指しており、実現すれば患者の負担を軽減できそうだ。

 臓器移植を受けた患者は通常、免疫抑制剤を生涯服用する。免疫力が弱まるので感染症やがんになったり、薬の副作用で腎不全、糖尿病を発症したりする恐れが指摘されている。薬代もかさむ。

 移植後の拒絶反応は免疫細胞であるリンパ球が他人の臓器を「異物」ととらえ、攻撃する。新手法は臓器の提供者と移植患者双方のリンパ球を特殊な抗体と混ぜ、他人の臓器を異物扱いしないリンパ球「制御性T細胞」を培養。移植手術の約2週間後、患者に投与する。当初は免疫抑制剤を服用するが、半年後から投与量を少しずつ減らし、1年後にはゼロにする。

 研究チームは北大病院で2010年11月以降、生体肝移植を受けた当時30〜60代の男女10人に新手法を適用した。今年1月末現在で4人は免疫抑制剤の服用をやめてから3年以上たち、3人は2年以上たった。この間、必要な免疫機能は維持され、合併症は確認されなかった。残る3人は免疫抑制剤を減量中に軽い拒絶反応が出たため服用を中止できなかったが、通常よりも少ない免疫抑制剤の量で正常な肝機能を維持できているという。成果を基に東京女子医大病院(東京)、広島大病院(広島市)、久留米大病院(福岡県久留米市)などで臨床試験が進む。海外の研究機関とは脳死肝移植への応用を検討している。

 再生医療では、角膜の細胞培養が理研で成功し、一部で商品化されている。ただし数千万円の費用が必要なそうな。「制御性T細胞」を培養するのは良いが、実用化に10年ほど掛かるのだろうか、どのみちあと2、3年でわたしは死んでいるが。
 細胞培養の際は無菌操作が行われる、詳しくは知らないが、それが高額の費用になるのでないだろうか。ドナーとレシピエント双方のリンパ球を混ぜるらしく、ウイルスをつくるのと違って、個々に異なる。おそらく、永遠に保険の対象にはなるまい。「福音」と名付けたのは毎日新聞社の記者である。
 ちなみに、毎日新聞夕刊は毎日自動車商会の川口さんから頂戴した。気に掛けていただいて恐縮している。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月08日 23:28 | 固定ページリンク




ETCとナビ  | 一考    

 四輪に積んでいたETCとナビをオートバイに付け替えた。ETCが嬉しくて、第二神明の玉津、明石西間を往復している。イオン土山店へカスクートを買いにゆくためである。過日、イオンでヒューガルデンロゼ250㎖瓶が90円で安売りしていた。在庫全部を購入。ヒューガルデンはですぺら西明石開店時の生ビールである。

 函館‐札幌間の距離は320キロ、札幌から知床までは400キロ、合わせて720キロである。西明石・青森間の最短距離が1200キロ。この最短距離とは西明石から舞鶴へ抜け、あとは日本海側を一直線に走る。
 要するに、拙宅から知床まで最短コースを往復するだけで3840キロである。積丹、稚内、根室、えりもを回ると、外周は約3200キロ、内部を走るので4000キロは超える。青森往復の2400キロを加えて6400キロ。
 明石時代に何度も北海道へ行っているが、大体そのようなものである。これがオートバイだと話しは異なる。オートバイで最長12000キロを走ったことがある。
 オートバイと比してスクーターは平和な乗り物である。そしてスクーターと比して四輪はどうにもならないほど安全かつ平和な乗り物である。
 わたしはもっか古いカワサキのバイクに乗っている。以下は、昔のカワサキの品質(しょっちゅうオイル漏れが起きたり、ネジが飛んでいた)を皮肉ったコピーである。

ホンダのバイクを
ヤマハに持ち込む:まぁ、ホンダも直せなくはないけどね
スズキに持ち込む:ツマラン、どこかに細工してやろうか・・
カワサキに持ち込む:出てけゴルァァァァァァァァァァァ!

ヤマハのバイクを
ホンダに持ち込む:おぅ、ヤマハさんのバイクか
スズキに持ち込む:打倒ホンダの僚友だ、バッチリ直してやるぜ
カワサキに持ち込む:けっ、優等生バイクか

スズキのバイクを
ホンダに持ち込む:けっこう癖のある作りしてんだよね
ヤマハに持ち込む:スズキさんか、品取り寄せとか大丈夫かな
カワサキに持ち込む:スズキか、最近小奇麗にまとまっちまいやがって・・

カワサキのバイクを
ホンダに持ち込む:カワサキか・・
ヤマハに持ち込む:カワサキか・・
スズキに持ち込む:カワサキか・・
カワサキに持ち込む:カワサキか・・


投稿者: 一考      日時: 2016年03月08日 19:25 | 固定ページリンク




血圧  | 一考    

 100-58、90-57、86-53、92-57。
 直近4日間の血圧である。1日に10回ぐらい血圧を計るが、120を切れば、4種類服用している降圧剤は中止している。にもかかわらず、この為体である。
 70を切らない限り、意識ははっきりしているのだが、出歩くのは不可能である。長屋に住んでいるので、ゴミ置き場まで6戸分の距離がある。その往復が歩かれない。行きはともかく、帰りは道端にしゃがみ込んでしまう。身体の動きに対して心拍が間に合わないのである。
 血圧が下がる理由はなにかある筈だが、わたしには分からない。他の症状としてはシャントで膨らんだ血管と背中が痒いこと。主治医に電話をしたが、やはり分からない。先月末の血液検査の結果は良好だった。
 いずれにせよ、今日は僅かだが、上向いてきた。このまま120まで上がってくれれば良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2016年03月08日 18:29 | 固定ページリンク




携帯電話  | 一考    

 携帯電話を取替え、契約内容も刷新した。現在の電話機は入手後九年目に這入ったそうな。兎にも角にも携帯電話なるものが嫌で、拒否し続けていたが、若い人と付きあうには必須とかで、無理矢理買わされたのである。
 ソフトバンクの社長はユニクロの社長同様、反体制の匂いがあって好きである。ユニクロの海外店はかねてより難民、 亡命者を傭っている。国内でもビルマからの難民をはじめ、今年は100人ほどを雇用するという。ソフトバンク社長は東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円及び2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明、さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立、「東日本大震災復興支援財団」を設立した。

 契約内容の刷新だが、1000円を超える通話料が半額になるダブルホワイトだったのを、普通のホワイトプランに切り替えた。調べて貰ったところ、先月の電話賃が240円、先々月が160円、さらに前の月が360円ほど。この1年間、1000円を超える月はなかったようである。ダブルホワイトの基本料金がまったく無駄ということらしく、来月からは月々の支払いが200円から300円になるそうな。
 わたしの電話機はガラケーだが、スマホについてもいろいろと訊ねた。本機は無料だが、電話代が7000円、さまざまな割引(身障者割引など)を利用しても6000円を割ることはなく、無駄だから止めた方がよいと教わった。わたしが電話を架ける先は女房とmoonさんと毎日自動車商会ぐらいなもの、それも月に一度ずつである。
 さて、ガラケー用のイヤホーンマイクを見付けなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2016年01月30日 18:02 | 固定ページリンク




禁煙  | 一考    

 2012年01月、腎移植の検査入院から禁煙をはじめた。あと1箇月で4年になる。禁煙に際し、吸いかけの煙草、灰皿、ライターなど一式を枕元に揃えて禁煙に這入った。目の前に煙草を置いてできない禁煙ならのっけから止めた方がよい。止めるかやめないかは自らの気持の問題だと思うからである。
 禁煙外来だとファイザーのチャンピックスメンテナンスパックが知られているが、9000円もする。まず第一に、戸田中央で禁煙のはなしをしたところ、嗤われてしまった。止めようと思えば止めればよいのであって、ただそれだけのこと、禁煙で病院へ来るなど冗談だろうと。而るに戸田中央には禁煙外来がある。
 習慣性や依存性が強ければ強いほど、試されるのは自分の意志であって、なんらの助けを乞うことになる。わたしの場合はニコチンの這入っていないフレッシュパイプ・メンソールであって、いまだに用いている。

 このようなことを書いたのは、昨日、久しぶりにウイスキーを飲みながら煙草を喫む夢をみた。夢のなかでの煙草は非常に旨かった。さて、このまま止められるのかどうか、端から自信なんぞまったくない。


投稿者: 一考      日時: 2015年12月08日 23:04 | 固定ページリンク




サイケ婆さん  | 一考    

 土山のカスクート(カスクルート)について書いた。ネット検索で出てくる朝霧のブーランジェリ コヤマや明石のありす、明石ビブレ1Fのバリュックプリュス、タカキベーカリーの他、検索で出てこないアンクルなどがある。
 フランスパンを用いたサンドイッチがカスクートだと思っているので、添える具材は何でもありである。ただし、わたしがはじめて食したカスクートは三宮ドンクのそれである。その後のビゴのパンそのものだった。従って、現行のフランスパンの柔らかいのには参っている。観光道路沿いのアンクルで婆さんから固いですよ、大丈夫ですか、と注意を受けて情けなくなった。そのように云われる歳になったのである。
 芦屋のオー・ボン・サンドイッチ・ビゴまで行くのが面倒なので、明石界隈で探している。西神南のカスカード、神陵台のクスパン、伊川谷町有瀬のパン・ド・ルノンへ行ってみようと思っている。

 婆さんで思い出したが、わたしは甘いものが欲しくなったときはスーパー万代へ買いにゆく。その万代でスポーツカーに乗るサイケ婆さんに会った。どのように考えても70代半ばの女人である。トヨタとBMWが共同開発した2代目スープラに乗っている。似た風景に北海道で出遇ったことがある。こちらはMR2に乗った爺さんだった。


投稿者: 一考      日時: 2015年12月08日 21:50 | 固定ページリンク




痛風  | 一考    

 痛風は足の親指や肩やひじだけではない。ガラスの破片が刺さるような痛みは指にも生じる。指先が捻じれて固着し、オートバイの運転に支障をきたす。ちなみに、手のしびれは痛風に限らない、高血圧も深い関係がある。
 尿酸値は4.2と低く、それが理由の痛風でないと思うのだが、このところ、指先の痺れで困惑している。わたしはビール、ステーキ、フルクトースはほとんど摂取しない。生のスライスしたタマネギが効くとの経験的な民間療法があるが、わたしにはユリノームが良く効く。ユリノームは即効性のある薬でないのだが、なぜかわたしには効く。
 いずれにせよ、痛風、腎結石は共に、遺伝子の介在する余地が大きいそうな。ひょっとすれば、このところの冷え込みが理由なのかも知れない、などと呑気なことを云っていたから腎不全になった。痛風は腎機能低下のもっとも顕著なシグナル、移植を済ませたからと云って安心していられない。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月26日 00:04 | 固定ページリンク




バイク修理  | 一考    

 久しぶりにオートバイが帰ってきた。先項で風邪をひいたと書いた、実はまだ引いているのだが、熱は下がっている。で、熱が下がったときに、用事もないのに、三木、三田と走り回った。四輪と違って二輪のバッテリーはすぐ上がるからである。
 明石へ戻り、毎日自動車商会へ向かっているさなか、ラジエーターのアッパーホースが破裂した。よく聞くトラブルだが、わたしにとっては初の経験である。まるでエンジンが爆発したようなショックで、そこらじゅうにクーラントと白い湯気が飛び散り、ズボンは赤錆びたクーラントで泥だらけになった。
 ラジエターキャップに設けられたリリーフバルブは壊れている、サーモスタットは機能していない、ホースは硬化していると、散々だった。ごそっと入れ替えたが、流石に26年を経たオートバイである。前の持ち主はいささか荒い乗り方をしていたようである。それにしても、この様に古いオートバイのパーツがよく入手できたなと思う。
 破裂したアッパーホースは正規品より短く、汎用品を使っていたようである。クーラントには、最近、トヨタが使っている8万Kmまたは4年(新車充填時には16万kmまたは7年)と長寿命な「スーパーLLC」を用いた。これでわたしが生きているあいだは大丈夫である。

追記
 事故後、オートバイはその場で動かなくなり、トラックによる搬送ならびにわたし自身の帰宅に至るまで毎日自動車商会を煩わせた。いつものことながら、感謝している。わたしが這入っているROUTE2000(CFスーパーロードサービス)でも良かったのだが、あまりに近かったので毎日の川口さんにお願いした。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月19日 19:12 | 固定ページリンク




ライシテ  | 一考    

 何度も書いてきたことだが、フランスはフランス革命以降、クレリカリズム(教権主義)と闘い、現在の世俗主義すなわち政教分離を手に入れてきた。詳しくはライシテを検索していただきたいが、この政教分離原則は戦後の日本国憲法と同じである。
 ただし、わが国には靖国神社との例外がある。政治と靖国神社の関係については、福岡高裁(平成4年2月28日)判決は公式参拝が制度的に継続的に行われれば違憲の疑いがあるとし、大阪高裁(平成4年7月30日)判決は公式参拝自体は違憲の疑いが強いとしている。

 1989年秋、パリ近郊クレイユ市の中学校で、スカーフ(ヒジャブ)着用のイスラム系女生徒2人が教師によって教室への入室を禁止された。2010年、公共空間でブルカ等の着用を禁止する「ブルカ禁止法」が国民議会(下院)で可決。下って2015年1月、イスラーム過激派によるシャルリー・エブド襲撃事件が発生。同11月、パリ同時多発テロ事件発生。
 中東からの移民増加とその文化的軋轢が表面化した1990年代以降、フランスの世俗主義とイスラーム教徒とのあいだの掛け違い(誤解)はいずれ過激派のテロと云う形で爆発するのは時間の問題だった。掛け違いと書いたのは、フランスにとっては教権と戦って得た世俗主義であり、それを譲るわけにはゆかない。一方、イスラーム教徒の目には宗教的差別としか映らない。この種の誤解は解かれない、宗教そのものに対する立ち位置がまるで異なるからである。イスラーム共同体について再三触れた理由はそこにある。ものの考え方がぶつかり合っているわけで、解決策などどこにもない。

 フランスは謂わば個の集合体としての国家であって、世俗主義は徹底している。そこに宗教が介在する余地はないのである。言い換えれば、フランスが一種のアッサンブラージュであるのに対して、イスラームは国家というよりは、宗教団体としてのストレートな色調が濃厚なのである。
 イスラーム教徒をムスリムというが、ムスリムは「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味する。そして、ムスリムは宗教的概念であると同時に民族的概念でもある。日本人のキリスト教徒や、アメリカ人の仏教徒が別の民族として扱われることはない。例え、信じる宗教が異なっても。同じ民族として同化しているからである。ところが、イスラーム教徒は同化しない、イスラーム教徒は世界のどこにいても一義的にイスラーム教徒である。どこの国に住んでいようが、まず、イスラームという民族なのである。イスラームが他の世界と軋轢を生むのは当然なのである。マスコミは貧富の差だとか差別だとか囂しいが、的をはずしている。

 ムスリムは信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色がある。そして熱いひとたちである。この熱は、終戦の日をはじめ、2013年の例大祭に集団参拝している衆参168議員も共有している。昨今、一部日本人の右傾化が顕著だが、その実状は彼等が忌嫌う中華思想に代表されるエスノセントリズムそのものでないだろうか。エスノセントリズムの排他とイスラームの過剰なまでの自意識には共通するなにかがある。政教分離原則が必要なのはイスラームだけではない、日本人にこそ必要なのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月18日 14:53 | 固定ページリンク




ごま油のアル アヒージョ  | 一考    

 昨今、アヒージョが流行っているそうな。イカ、牡蠣、エビ、砂肝、鶏、ホタテ、マッシュルーム、シャコ、タイラギなどなど、さまざまな商品が出回っている。国産あり、中国産あり、本家のスペイン産ありと賑やかなことである。
 明治屋から国産鶏の洋風アヒージョと和風アヒージョが販されている。洋風はオリーブ油漬、和風はごま油漬である。オリーブ油とごま油では後者が旨いに決まっている。近隣のスーパーでは200円で売られている。固形量40グラムと量の少ないのがありがたい、御薦めである。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月17日 09:45 | 固定ページリンク




大磯の友  | 一考    

 大磯からクロネコがイシダイとカワハギを咥えてやってきた。実は到着前の10日間風邪をこじらせて引っ繰りかえっていた。免疫抑制剤を服用しているので、十分注意を払っているのだが、冬物の蒲団を一日出すのが遅れたために、風邪に罹ってしまった。大量のPL配合顆粒を服用したのだが、後の祭りである。
 それが理由で一緒に送られてきた秋田の銘酒福小町はまだ味わっていない。さるにても、魚の美味たること。5枚に下ろし、カワハギには胆も添えられている。地の魚屋とあるが、新生活を営む新居が大磯とは羨ましい限りである。種村さんが自転車に跨がって走り回っていたのを思い起こす。
 挨拶が最後になったが、おっきーさん、おめでとう。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月17日 03:54 | 固定ページリンク




筋金入り  | 一考    

 書くまでもないことだが、父もわたしも反体制派だった。権威権力といった臭いのするものに徹頭徹尾背を向けて生きてきた。従って、鎌田慧さんの「自動車絶望工場」を読まずして車に乗るようなひとをわたしは信用しない。
 父は満州で片目を失い、戦後は車に乗らなくなった。わたしが子供の頃、進駐軍で働いていた父がジープに乗っているのを見たことがあるが、あれは鳴尾浜のキャンプ内の出来事であって、絶えてハンドルは握らなかった。

 ドイツとわが国の自動車メーカーでは有り様がまるで異なる。ドイツにも派遣社員はいるが、労働条件に社員、派遣社員といった垣根はない。企業ではなく国是としての就業規定である。日本の自動車メーカーは労働者から夢も希望も奪い去る過酷な労働を強いる。所謂「期間工」のそれを云っている。
 期間工の艱難辛苦を知らずして、やれカッコいいとか、このエンジンは回るだとか能転気なことを云っているプチブルを見ていると嘔吐がでてくる。わたしは大衆とプチブルが大嫌いなのである。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月17日 02:55 | 固定ページリンク




「自由からの逃走」  | 一考    

 かつて、イスラーム国の唱える「グローバル・ジハード」に関する池内恵さんの文章を紹介した。「イスラム教徒は、自らが神と一対一の関係で結ばれており、一人一人が神の命令に従って義務を果たす責任を負っていると考える。つまり、世界のどこにいても、国家や民族を超えた一つのイスラム共同体に帰属している、という意識がある。そこから、たとえ他国にあっても、異教徒に支配された国があれば、自ら戦いに赴いてジハード(聖戦)で解放する義務がある」との考えである。
 グローバルが附く附かないに関わりなく、宗教の世界にあってジハードは続く。
 イスラームと書かずに宗教の世界と書いたのは、異教徒といった排他性はどのような宗教であろうと内包しているからである。排他性は宗教という共同体のもっとも基本的な概念のひとつでないだろうか。
 ヨーロッパ中世の宗教戦争の惨禍や、ルネサンスの熾烈な思想闘争を経て現在のヨーロッパがある。一方に、近代自由主義の洗礼を受けていない宗教がある、イスラームである。
 コーラン(クルアーン)のなかの異教徒への抑圧や個人の権利を侵害しかねない特定の章句、排他性、残虐性、暴力的な側面等々は欧米人には到底受け容れ難いものである。今回のフランスでのテロは宗教改革を済ませた国と済ませていない国とのあいだでいずれ起こるであろう闘いがはじまったのである。今後、フランスでの争いは激しさを増すに違いない。

 根っこはエーリヒ・フロムの云う「自由からの逃走」である。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析したのがフロムだが、この消息はナチスにとどまらない。関東軍の暴走を支持し、南京虐殺を花火を揚げて祝したわが国の大衆のごとく、またオーム真理教のごとく、自ら考えることを止め、なにかしら権威あるものに縋り従おうとする人々はいつでもどこにでもいる。過激思想乃至絶対への冀求はイスラーム教徒の専売特許ではない。
 思うに、人間の歴史とは個と大衆との鬩ぎ合いでないだろうか。ひとは何時になればアイデンティティや共同体といった概念から解放されるのだろうか。解体を繰り返して自由に辿り着き、その自由から逃走しなくて済むひとたちであれば、ホームグロウンもローンウルフも生れないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月17日 01:47 | 固定ページリンク




アイロン台  | 一考    

 身長が縮むに比例して足も短くなる。よって、頻繁にズボンの裾上げが必要になる。百均に裾上げテープが売っていて手元にアイロンもある、しかしアイロン台がない。
 傘がなければ歌になるが、アイロン台では歌にならない。生活臭こそすれ、ロマンがなさすぎる。もっとも井上陽水にとって、傘が生活で自殺する若者がロマンなのかそれとも逆なのか、敢えて曖昧に設定している。その辺りが陽水お得意の弁証法であり彼の唄の魅力でもある。
 雨と傘は一種のアントニムだが、アイロンとアイロン台もまた意味構造においてペア(対)と認識される。その片割れが拙宅ではどこに消えてしまったのか、さして不思議でもないが。

 そもそも女性が変われば生活万般が変わる。特に、好き嫌いを含めて食べ物に執着乃至固定観念を持つひとは結婚には向いていない。「女性が変わると食べ物がごそっと変わる」と当掲示板で幾度となく書いている。変化を変化として愉しまれるひとであればともかく、味付けの濃淡の違いは諍いのネタにしかならない。昨今、なんにでもマヨネーズを打っ掛けるひとがいるが、わたしにとっては最も迷惑な御仁となる。美貌なんぞどうでも良いと思っているが、癖のなかでも味覚はそのように悠長に構えていられないのかもしれない。
 然は然り乍ら、アイロン台を買ってきた、ただそれだけのはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2015年11月01日 19:12 | 固定ページリンク




地勢型地球儀  | 一考    

 アメリカ製リブルーグル・ジャパンの地球儀を買った。かなり古い地球儀で、中国東北部は満州国の表記になっている。父が生きていれば欣んだに違いない。もっとも、その地球儀をわたしが気に入った理由は国別の色分けがないからである。則ち、行政型でなく、気候風土別色分けになっている。さらに詳しく書けば、陸地を森林、砂漠等の地理的特徴で色分けし、国境線を赤い実線で表した地勢型で、山岳ならびに海底火山などの隆起加工が施された地球儀である。
 世界の地球儀ドットコムを見るとメルカトル、ヴォゴンディ、ホンディウスの地球儀などが並んでいる。わたしの地球儀はル・コマンドールの地球儀に似て、球体本体の向きがくるくる回り、南半球の地形も容易に見ることができる。大体、北極が上になるような発想はどこからきたのだろうか。北極を上にするから人間中心になるのであって、南極を上にすれば、地球は海だらけ、どう考えても地球の主人は鰯か秋刀魚かオキアミである。この上下の逆転もわたしが気に入ったもうひとつの理由である。

 父の生まれは新潟、それ故、5度召集令状を受けてその都度満州へ出征している、所謂関東軍の精鋭であり、通信兵だった。出征したひとに共通して云えることだが、戦後、彼等は戦争について語るのを極端に嫌がった。父にも妙な癖があって、終戦日と云わずに休戦日と云うのを常とした。
 南方へ転進した部隊と違って、中国残留の部隊はソ連の参戦がなければ勝利していたと思い込んでいたようである。往時の教育は鬼畜米英だが、朝鮮中国は畜生以下、要するに穢多非人の類だった。父に云わせると、当時はひとを殺していると云った感覚などどこにもなく、野太刀を斬馬刀のように使って中国人を片端から斬り殺していた、と。
 日ソ中立条約が締結された1941年の関東軍は一時的に兵力74万人以上に達していたが、その数で1700万人に及ぶ中国人を殺戮している。ひとり平均23人である。要するに、関東軍は中国の軍人はほとんど殺していない。大半は女子供など民間人である。この消息はシベリア出兵から南京虐殺に至るまで続いている。揚句は葛根廟事件である。「開拓殖民を見捨てて逃げ出した」と後に非難されることになる。戦後、彼等が口を噤んだのは当然なのかもしれない。
 父が戦後、文筆に勤しんだのは彼の非凡にあったのではなく、忸怩たる思いに駆られてのことだったと解釈している。その内容について呵するのは叶わない、まだ一部関係者が存命しているからである。

追記
 前後のブロックの纏まりに欠ける文章である。無理に結びつける必要もないのでそのままにした。「骰子の7の目」ではないが、目線の移動はさまざまな価値観に自己を遭遇させる。そのような柔軟さを持つひとが戦前には極度に寡なかった。個を維持し、個に鍛えられることは軍のような組織にあっては不可能である。関東軍に限らず、組織に属するのは恐ろしいが、その実態はいまもなにひとつ変わっていない。ひとが個に徹するには、余程の覚悟と個に対する情熱が必要である。
 父の個との闘いは長い文章になる、よって別途著すことにする。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月31日 03:41 | 固定ページリンク




買い物  | 一考    

 赤坂銘食街のすぐ根際にイオン土山店がある。王塚台にあったイオン西神戸店が閉店したので、少々遠いがわたしは重宝している。先にも書いたが、100乃至120グラムのレトルトパウチ食品が揃っているのが便利。それと魚の種類が多い。魚種はもちろんのことだが、刺し身から焼き魚、干物、はたまた産地ととにかく間口が広い。干物はマルアイの鰈が立派で旨いが、鹿児島の飛び魚や長崎の梭魚、青森の八角、北海道のキンキなど、ギョギョっと思うものがイオンには揃っている。
 まっすぐ南へ下ればイトーヨーカドー明石店があるが、こちらは値が高くて取附嶋がない。食品に限らず、衣服から履き物、日用品に至るまで、イオンもしくはイズミヤに軍配が上がるようである。
 イオン土山店に這入っているパン屋はパン工場、イトーヨーカドー明石店のそれはレフボン、いずれもカスクートを扱っている。フランス語のカスクートではなく、日本語で意味するバゲットのサンドイッチである。明石でカスクートが食べられるのは嬉しい。
 他に総菜に特徴のある大久保のイオン明石ショッピングセンターや明石ビブレがあって、その前にはかつてクレーン免許を取得したコベルコ教習所がある。うろうろするに、オートバイは最適の乗り物である。

追記
 最近はカスクルートの方が用いられているそうな。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月29日 11:03 | 固定ページリンク




1330万人の慢性腎臓病患者  | 一考    

 患者や医師らで構成される公益社団法人日本糖尿病協会によると、日本の総人口の6分の1にあたる約2210万人が糖尿病患者、または予備軍となっている。そして、日本透析医学会によると、腎臓病は糖尿病の深刻な合併症の一つであり、透析導入した患者の43.7%が糖尿病を原疾患とする。ただし、このパーセントは急速に増え続けている。
 日本腎臓学会による統計では、日本の成人の8人に1人にあたる、1330万人がCKD(蛋白尿陽性要するに慢性腎臓病)患者と推測され、治療を要するレベル(末期腎不全)の患者も600万人あまりいる。腎臓病、糖尿病共に、国民病とでもいうべき状況である。
 腎臓病は悪くはなっても良くはならないという不可逆な病である。CKDに罹るといずれ末期腎不全になる。そうすると、腎臓の役割を人工的に代替する腹膜透析(PD)や血液透析(HD)といった透析療法、あるいは腎臓移植 が必要となる。
 CKD患者が1330万人と云うのは尨大な数値である。それらが2、3年、あるいは4、5年後には確実に透析患者になる。上述の43.7%は平成8年の統計で、現在は50%を軽く超えている。

 尿路感染症を発症して恰度1箇月、本日の血液検査で正常に戻り、小便も濁らなくなった。ミノマイシンを14日分、フリバス(ナフトピジル)を28日分頂戴してきたが、おそらくミノマイシンはこれでお仕舞いになる。それよりなにより、次回は28日後となり、こちらも正常に戻った。しかし、気になることがひとつ、小便の細かい泡が消えにくい。これは危険な兆候である。
 リハビリに戻ろうかと思うが、このところ血圧が低い。収縮期血圧が110から120で、医師に云わせると結構となるのだが、リハビリの理学療法士には通用しない。療法士は失神を惧れて、110以下だと今日は中止となる。自宅でのリハビリに切り替えようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月28日 21:07 | 固定ページリンク




赤坂銘食街  |   一考

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大西隆志さんの紹介で知った。興味津々、「プチ九龍城砦状態」とあるが、文字通りの砦趾。ですぺら明石店にぴったしとおもうのだが 。

 http://osakadeep.info/akashi-tsuchiyama/

 紹介した建物は土山だが、明石駅前の鍛冶屋町、桜町、相生町辺りにも、古ぼけて閑散とした建物が多い。花街ビルひなぎくのように、女性がひとりで営んでいたバーやスナックが片端から閉店。後を継ぐ者、新規に這入る者などなく、それきりになっている。
 地方都市の現状そのものだが、きっと中国との軍拡競争に勝利した暁(勝利するはずがないのだが)には、日本国民が支持する自民党がなんとかしてくれるに違いない。


投稿者:   一考  日時: 2015年10月19日 23:00 | 固定ページリンク




陳麻婆豆腐  | 一考    

 ヤマムロの「陳麻婆豆腐」の素は旨い。しかし、丸美屋の「贅を味わう麻婆豆腐の素」でも十分である。と云うよりも、花椒(パウダー)を買ってきてちょいと足せばよいのである。
 豆板醤、甜麺醤、豆豉などを適当に混ぜれば麻婆豆腐は出来るのだが、問題は山椒でなく、花椒(華北山椒)にある。日本の山椒で決して代用は効かないので、購入をお薦めする。

 ちなみに、旨いチャーハンの作り方。お好み焼きやうどんに持ちいる「あぶらかす」を砕いた粉末を少々加える。絶品のチャーハンが出来する。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月16日 10:34 | 固定ページリンク




尿路感染症  | 一考    

 このところ毎週の病院通いがつづく、則ち紙おむつとの共棲がつづく。前立腺肥大と過活動膀胱、尿路感染症の合併症である。小便がひどく濁っている、そして頻尿、残尿感、尿勢低下と典型的な感染症に陥っている。この年になって、あの憎っくき生田耕作と同じ病に罹るとは。
 尿路感染症は東京女子医がもっとも得意とする分野の病気である。私の場合、起炎菌が同定されていないため、腎機能の低下を招くことが懸念される。戸田中央なら、入院の上、抗菌薬の静脈内投与となるのだが。

 排尿トラブルは運動や旅行などの行動が制限されたりして、生活の質が著しく低下する。発見が早く、フリバス(ナフトピジル)やミノマイシンを処方して貰っている。フリバスには強力な降圧作用があるので要注意。
 この種のトラブルは治しておかないと北海道へ旅行に行かれない。嬉しいおっきーさんとの約束である。来年の7月はなにがあっても、道の東西を股に掛けるつもりである。積丹のなぎさ食堂から知床のホテル地の果へと。「でっかいどう」が呼んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月14日 20:00 | 固定ページリンク




妝訖一  | 一考    

 「報道特集」の番組概要に「あまたのニュースの中から、伝えるべき情報を厳選し、報道特集という妝訖一を通して、責任をもって視聴者にお伝えします。」とあった。文中引用されている中国語の「妝訖一」の意味はなんだろうか。「聊齋志異」で見たような気もするが、定かならず。妝が化粧(よわい)であることは分かるのだが、然るべき辞書、辞典がないので調べようがない。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月14日 15:52 | 固定ページリンク




反省なきホロコースト  |   一考

 原爆に対するさまざまなテレビ番組が顕われる。然るに、その姿勢は年が変わっても同じである。被害者意識一色なのである。日本人は先般の戦争責任をどのように解釈しているのだろうか。日本人の死者は戦闘員と民間人を合わせて213万4000人、それに比して、太平洋戦争に於ける米兵の死者数35万4523人。他に、中国約1700万人、朝鮮約20万人、ベトナム約200万人、インドネシア約200万人、フィリピン約105万人、シンガポール約5000人、ビルマ約5万人。アジア全体で2230万5千人である。実に日本人被害者の10倍を超える被害者数である。(「新・ぼくらの太平洋戦争(2002)」本庄豊)
 南京虐殺の被害者の数で悶着を起こしているようだが、そのようなことを遙かに凌駕する被害者数である。ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は600万人以上、最多で1100万人を超えるとされているが、実にそれに倍するアジア各国の人民を日本人は虐殺している。

 原爆にかんする番組で唯一感心させられた番組があった。ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」である。例の香月泰男の「赤い屍体と黒い屍体」のはなしである。
 シベリアで抑留されていた香月は述べる。中国からシベリアへ向かう鉄道の線路脇に打ち捨てられていた日本人の屍体。生皮を剥がれ筋肉を示す赤い筋が全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いない、と。

 日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって、転がっている屍体の写真を見た。
 黒い屍体によって、日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
 みんなが口をそろえてノーモア・ヒロシマを叫んだ。
 まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
 私にはまだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
 赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。
 再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
 だが少なくともこれだけのことはいえる。
 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。(香月泰男「私のシベリア」より)

 戦争に限らないが、継承とはなにか、なぜ継承が必要なのか、大事なのはそこから生まれる懐疑であって、継承そのものではない。被爆体験と戦争体験は入れ子になってい、片側だけを取り出して考察することなんぞ、まったくナンセンスである。被曝について語るとは、取りも直さず、維新以降つづいてきた日本民族の他民族への差別と搾取そのものを語るに等しい。先般の戦争に対する日本人のとち狂った被害者意識が昨今の中国や韓国との軋轢を生んでいる。
 先項で日本人の熱狂について書いた、今回は日本人のいかがわしさについて述べたつもりである。核をなぜ廃絶しなければならないのか。いかがわしい民族を滅ぼすに、核ほど相応しいものはあるまいに。


投稿者:   一考  日時: 2015年10月14日 05:28 | 固定ページリンク




アジアの覇者  | 一考    

 安全保障関連法の改正案が可決成立した。国会審議では、今回の法改正により米国の日本に対する信頼感が高まり、第三国からの攻撃に対する抑止力がはたらくとの答弁が随所で行なわれた。しかし、抑止力とはなんだろうか、「これだけ措置すれば抑止力が得られる、そうでないと抑止力は働かない」というようなことではないだろう。そもそも有効な抑止力なんぞあるのだろうか。
 かつて日独伊三国同盟を結んだおり、これでわが国の抑止力は盤石になったと松岡は語った。その抑止力こそが第二次世界大戦を生んだのでなかったか。米国の核の傘に這入ることの危険性を訴え、カナダは外交的には米国と一線を画してきた。今は誰もが不当な戦争であったと知っている、2003年のイラク侵攻の際は、カナダは明確に参加を拒否した。
 ドイツは米国と核を共有しているし、核の傘(そのような傘の実体がどこにあるのだろうか)に這入っている国は日本を除いて他にあるのかしら。

 侵掠を受けたときに如何すればよいのか、と皆さん仰有る。朝までテレビに近頃出演なさっている右翼の姉ちゃんは「イメージや理想で語るのではなく、現実をしっかり押さえた「外交リテラシー」は、ぜひ持っておきたい」とお抜かしになるが、リテラシーを持たねばならないのはそちらであろう。現実問題としてどこの国が攻めてくると云うのか。
 いまの中国の国民総生産は日本の3.5倍、況んや、核武装している。日本が逆立ちしたって叶う相手でない。安倍政権はあと3年つづく、おそらく、その3年の内に、憲法を改正し核武装をするに違いない。日本の国民の大多数はそれを願っている。
 安倍首相はGDP600兆円や介護離職ゼロなど大言壮語を繰り返す。新しい3本の矢は、「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」となってい、政策というよりはキャッチフレーズのそれである。どうやら、共産党のお株を奪いたいようである。
 いずれにせよ、維新からつづく日本民族の悲願、アジアの覇者が安倍の手によって近く形をなすに相違ない。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月13日 23:55 | 固定ページリンク




友来たる  | 一考    

 5日に幹郎さん来神、4、5時間はみっちり話し込んだ。毎日に掲げられた五木寛之さんの取材記事「敗戦、ついえた熱狂」を種に話しは続いた。短い文章なので引用しておく。

 お祭りでした。花火が上がり、花電車が走って。
 <五木さんが5歳だった1937年、日中戦争で当時の中華民国の首都・南京が「陥落」と伝えられた。ソウルは日本人の祝賀行事でにぎわい、父と街へ見物に出かけた>
 「尽忠愛国」で民衆の心は燃え盛っていました。軍部の独走は国民の支持があったからこそ可能だったのでしょう。
 <人々は新聞やラジオが伝える「日本軍の快進撃」に歓喜していた>
 一日も早く立派な軍人になるのが夢でした。あこがれのヒーローは軍人でしたから。軍人勅諭の全文を今でも覚えています。数々の軍国歌謡も。あらゆるサブカルチャーが戦争に彩られていました。
 戦後、物書きになってから料亭での宴会で、何かやれって言われ、何もできないから、(戦時中に学校で教えられた)手旗信号をやりましたよ。全然ウケませんでしたが(笑い)。
 <45年8月15日、敗戦。人々の熱狂はついえた。この時12歳、旧平壌第一中学校の1年生だった>
 夢から覚めたような、きつねにつままれたような感覚でした。
 <まもなく、まちにソ連軍がやってきた>

 38度線を境に北か南かで敗者の状況はまったく異なる。南は帰郷、北は抑留である。この件は後述するとして、わたしが強調したいのは五木の云う日本国民の熱狂についてである。幼少期を朝鮮で過ごした五木にはこのような文章が多い。しかし、いずれもが一読に値する。

 日米開戦を東条は後から知った。あの大戦は国民と天皇との共同謀議だったとわたしは思っている。日比谷焼打事件を持ち出すまでもなく、日本人が内包する熱狂は一方で大正デモクラシーの推進力にもなったが、他方アジア全域に途方もない厄災をもたらした。
 東京大空襲と重慶爆撃では質が違うとの意見を吐露するひともいるが、重慶爆撃は1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃として位置づけられている。また、終戦時、ソ連の占領した満州、北鮮、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアをはじめとするソ連各地に送られ強制労働をさせられた。ウイリアム・ニンモの「検証-シベリア抑留」によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明、推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。
 その逆になるが、バターン半島の米比軍約7万6千名の捕虜のうち、カパスの収容所にたどり着いたのは約5万4千人で、約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労、そして日本軍の処刑などで死亡している。バターン死の行進よりさらに苛烈だったのが、サンダカン死の行進である。豪英軍兵士捕虜に対する死の行進であって、1000人以上の捕虜が7人を除き全員死亡したとされる。

 祝祭を咒い、戦争から震災と云った折々の厄災に心を奪われず、事象もしくは時代そのものにそびらを向け、ひとり「細雪」を書き綴った谷崎潤一郎をわたしたちは知っている。そう云った希有な個の営みにこそ、思想があるのでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2015年10月11日 04:14 | 固定ページリンク




下血止まず  | 一考    

 悪口になるので、だれが、どこで、と云うことは伏せる。
 26日は予定外なので9時に診察がはじまるなり、真っ先に診てくださった。大略は戸田中央からの書類に記されている。サイトメガロウイルスの症状を詳しく述べた上で、消化器内科への紹介状をもらう。消化器内科でも待たされることなく、即刻泌尿器科同様の問診を繰り返す。
 次の日の内視鏡検査が決まる。問題はここからである。
 内視鏡自体は11.7ミリでなく13ミリを用いている。愕いたのは挿入と同時に空気が送り込まれてくる。セオリー通りなのだが、これでは憩室が多いわたしの大腸はたまったものでない。過去。15回の内視鏡検査をしているが、今回ほどの痛みははじめての経験である。憩室が破れるからと云っても無視、今日はここで中断してくれと云っても無視。揚句は他の医師が現れて身体を押さえつけ、腹部を強く押さえる。このような強引な診察もはじめての経験である。
 血圧と脈搏がどんどん上がってくる。看護師に今度は血圧が急速に下がって危険になると注意を促す。10分毎の血圧を2分単位で計るように忠告する。案の定140の血圧が110、90、70と下がってくる。医師は大丈夫と云っていたが、なにが大丈夫なのだろうか。
 看護師の危険ですの声に内視鏡の動きは一旦静止する。周章てて点滴のラインが採られるも、時既に遅し、わたしは吐き気に襲われた。典型的な失神コースである。完全に気を喪う寸前、内視鏡が抜かれたのを知った。

 大腸から小腸へ少し這入ったところにサイトメガロの病変部がある。2箇所の生検を採り、ポリープを除去していたようだが、ポリープなどは何時でも取れる。痛みがある限界を超えると失神するのは分かりきったことでないのか。医師としての識見を疑う。
 4日に生検の結果が出るが、二度とこの病院での内視鏡検査は断わる。空気を入れて腹部を膨らませるのはポリープを見逃さないための常套手段なのだが、現在の内視鏡はそのようにしなくても十分に観察できる。それよりも、痛みを軽減するために空気は極力入れないのが昨今の消化器内科医の常識であろう。
 結果、肝心の下血は続いている。輸血を繰り返せとでも云うのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2015年08月31日 16:07 | 固定ページリンク




yfさんへ  | 一考    

 ありがとうございます。
 喀血ですと諸ににおうでしょうね。わたしは下血ですからトイレを介しての臭いです。それでもトイレ中が血の臭いになります。二度輸血をし、生き延びております。
 病気になると血管をはじめ。あらゆる臓器が硬化してきます。困ったものです。今回は一泊二日の緊急入院で済みました。もっか生検の結果待ちです。お互い、気を付けたいものです。


投稿者: 一考      日時: 2015年08月31日 12:07 | 固定ページリンク




お大事にして下さい  | yf    

 小生の場合は、治癒したはずの、肺結核からの「喀血」でしたが、その兆候は「血なまぐさい」匂いでしたから、準備はできました。しかし最後の喀血は「バスの中」急に咽せ、手を当てると真っ赤、幸いに「終着駅」。急いで、近くのビルに駆け込み、トイレで始末しました。
以後、不思議に起きず、元気にしています。病院の主治医は「右肺硬化」で動かず左肺で生きているという「診断」です。お体、くれぐれも「大切」にお気をつけください。


投稿者: yf      日時: 2015年08月31日 08:58 | 固定ページリンク




久しぶりの血の臭い  | 一考    

昨夜から下血がはじまった。現在のところ量はたいしたことはないが、身体がふらつく。理由は憩室もしくは出血性腸炎なのだが、ちょいと面倒なことになるやもしれず、頭を抱えている。
明日の診察予約を取ったのは泌尿器科だが、取敢えず、血液検査の結果を確認したいからである。おそらく、内科へ回されて、内視鏡検査になろうかと思う。詳細な診察はそれからである。


投稿者: 一考      日時: 2015年08月25日 14:53 | 固定ページリンク




播州弁  | 一考    

 拙宅からもっとも近いスーパーは持子のマルアイである。その距離(約800メートル)を三宮に換算すると三宮駅から北野町のmoonさんの家に相応する。先頃、無理を押して歩いてみた。辿り着きはしたものの、復路は動かれなくなってしまった。まんが良くタクシーが捕まったのでことなきを得たが、そうでなければ大事に至っていた。
 ついで、同じ道筋を自転車でゆく(わたしの自転車は走るのではない、なぜなら通行人に追い越される)。自転車だとなんとか往復可能である。ただし帰宅後、血圧を計ると100の57だった。この話しを田中整形で披露したところ、こっぴどく叱られた。
 暑いさなかにどうして出歩くの。いや、暑いからこそ飲み物が欲しくなって出掛けたんじゃない。などと徒口を叩いていたが、血圧が不安定になるのは困る。

 ところで、わたしが住む神戸市西区玉津町出合には小さな川(川幅1メートルから2メートル)が多い。行く先は暗渠なのだが、蓋や欄の類がなにもない。深いところでは1メートルはあって水深が30センチほど。かつ、街灯がほとんどない。危険に思うのだが、落っこちた自転車やひとはいないのだろうか。

追記
 文中で遣った「まんが良い」をGoogle検索すると、豊前国の方言となっている。moonさんによると京ことばもしくは高松の方言となってい、意味合いも若干異なるようである。諸説紛々だが、どうやら播州弁の「まんがええ・まんがわるい」に分がありそうである。いずれにせよ、京阪神を問わず、かつては日常用いられていた。


投稿者: 一考      日時: 2015年08月11日 19:15 | 固定ページリンク




豆カレー  | 一考    

 薬は食後と云うが、そのことに意味も根拠もない。食事を忘れるひとはいないだろうから、薬を忘れないための食後である。わたしは朝と夜の9時に服用する、従ってその30分前に食事を摂る。1日2食だが、例外は病院行の日のみである。通院日は食前に血液と尿の検査があるため、食事は摂られない。よって、昼過ぎにサンドイッチを食べている。

 18日の土曜日は大変な目にあった。薬を服用、2時間を経て食事をした。要するに、薬と食事が逆になったのである。じゃがバターを食べたのだが、ちょいと芽が出ていた。まさか食中りとは思われないのだが、夜の11時過ぎまで嘔吐と下痢がつづき、足はむくみ、血圧は102の60まで下がった。
 日曜に下痢は治まったが、腫れ上がった脚はどうにもならない。半年続けたリハビリが一挙に元に戻ってしまったようである。筋肉痛は今なお続いているが、取敢えず、20日ぶりにリハビリを再開する。

moonさんへ
 何時ぞや当掲示板で書いたカレーが、再入荷している。チャナマサラ(ひよこ豆)、ダルフライ(レンズ豆)、ダルマカニ(黒レンズ豆)の3種、神戸物産が輸入したインドカレーである。今回は若干値上がりして300グラム185円になっている。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月31日 22:10 | 固定ページリンク




サイクルグローブ  | 一考    

 昔からオートバイ乗車時は自転車用のグローブを用いている。よほど寒いとき以外は一貫してメッシュ素材、衝撃吸収パッド、マジックテープ付きハーフフィンガータイプである。
 日常生活でわたしはコート、セーター、パッチもしくはタイツ、手袋は使わない。北海道を除く日本の気候で必要としないからである。また、ジェットヘルを愛用してい、フルフェイスヘルメットは被らない。首にタオルを巻けば十分だからである。ジェットヘルではイタリアのGIVI(ジビ)が具合良く、性能もすぐれているように思う。

 プロテクターがバイク用グローブは外に、自転車用は衝撃吸収パッドが内側に付いている。プロテクターは性能に比例して指の自由度が落ちる。また、バイク乗りは概して皮革を好むが、革製グローブは相撲取りのまわし同様、洗濯ができない。わたしは洗える材質のグローブのみ用いる。
 今ひとつ大事なのが、自転車であれオートバイであれ、雨天でも乗る乗り物である。近頃はセイラスのようなレイングローブも開発された。モンベルのジャケットと合わせれば乗り手の体力を強力にサポートする。年中乗っていただきたい二輪である。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月20日 18:31 | 固定ページリンク




死んだふり  | 一考    

 フランスパンが食べたくなって、止せば良いのに近所のスーパーへ買い出しに。オートバイで行ったのだが、目眩いがひどくて動かれなくなってしまった。スーパーの玄関に自販機と長椅子が置いてあり、そこで長々と寝そべること、1時間半。注意も何も受けないのを良いことに、死んだふりを続けた。
 リハビリテーションはずっと中断している。リハビリ中に何度も血圧を計り、その度に一喜一憂するのが面倒になったのが理由である。抗生物質の投与が済むまで、おとなしくするに如くはない。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月14日 13:50 | 固定ページリンク




「酒鬼薔薇聖斗」  | 一考    

 「絶歌」について書いたのが理由で、「酒鬼薔薇聖斗」と題するメールが送られてくる。メールには「神戸児童殺傷事件、少年Aに印税を渡さない方法」とのサブタイトルが付されている。かつて2ちゃんねるにリンクが張られていたが、今は異なるようである。

この本の出版について「世に出すべき本ではない」と批判が噴出している。
特に注目されているのが、著者が受け取る「印税」の使い道である。
出版元の太田出版によると、
男性は「被害者への賠償金の支払いに充てる」と話しているそうだが、支払いに充てる義務があるわけでもなく、「金儲けのために出版するのは良くない」という批判もある。
アメリカでは、犯罪者による手記の出版など、自ら起こした事件に関連して得た利益を差し押さえ、犯罪被害者や遺族の訴えに基づいて、
補償に充てる「サムの息子法」と呼ばれる法律が定められているが、
実際のところ、日本にはそのような法律はなく、
この本の出版で印税で得た収入が遺族に支払われる確証はなく、そのまま加害者の収入につながる可能性だってあります。
私は本を購入すると犯罪を利用した金儲けに加担する形になるのが嫌なので、購入することはありませんし、
心情としては利益全額を没収した上で遺族に渡すべきだと思いますが、
あなたはこの本の出版に賛成ですか?反対ですか?
本を購入すると加害者へ印税が渡ることになりますが、
印税が渡らない方法があるとしたら、あなたはこの本を読みたいですか?
不特定多数の方への案内は出来ませんので、
下記フォームよりメールアドレスをご登録いただくと、
「絶歌」で加害者へ印税が渡ることなく絶歌を読める方法をお教えします。

 文中、不特定多数の方への案内は出来ないと著されてい、アドレスの紹介は節えるが、以上がメールの内容である。
 この種の違法なコピーにわれわれは馴らされている。映画、ドラマ、アニメから音楽に至るまで、ユーチューブをはじめ枚挙に暇がない。よって、コピー自体にわたしは意見を持たない。ただし、「少年Aに印税を渡さない方法」との言い分には反対である。重度の「自閉症スペクトラム障害(ASD)」からの脱却を願い、生き延びるための数少ない手立てのひとつが執筆だと思うからである。
 佐世保の同級生殺人事件の少女も少年Aと同じく、第3種少年院送りとなった。そのことが示唆するのは「感情の存在しない世界」でしか生きられないサイコパスのような機能不全に陥っている点である。機能不全であって、「心の闇」といった心理的な問題ではない。要するに、少年Aや佐世保の少女の病に完治はない。そのような病を一般常識で批判するのは止めた方が良い。自己陶酔や自己顕示と云った紋切り型の衍義など、なんの役にも立たない。
 香山リカ、『絶歌』から「元少年A」の脳の機能不全を読み解く、との文章が日刊スパに掲げられている。おそらく、「絶歌」について真摯に著された唯一のエッセイでないだろうか。

 http://nikkan-spa.jp/878891


投稿者: 一考      日時: 2015年07月14日 09:37 | 固定ページリンク




静かな海作戦  | 一考    

 中国海軍ジャンウェイII級フリゲート艦から、東シナ海で警戒監視中の海上自衛隊護衛艦に対し火器管制用レーダーの照射があった。米紙によると「先週中国海軍艦船が日本の軍艦を火器管制レーダーでロックオンした(A Chinese military vessel last week locked its weapons-targeting radar on a Japanese warship)」とある。この事件はウィキペディアにも著されている。
 ここで問題なのはアメリカ国防省高官によると、もしも同じ照射が米軍に対してなされたら米艦は即火力で反撃していた、と。

 南シナ海におけるサンゴ礁を含めた中小の島嶼の埋め立て、軍事基地化が中国によって進められている。アメリカは阻止しようとしているが、実力行使以外に方法はあるまい。その実力行使の作戦名は「静かな海」。一方、中国軍高官は局地戦なら一日で米軍を制圧できると公言して憚らない。
 安保法案の成立を急ぐ理由は静かな海作戦への参加を目指してのものであって、法案の対象はホルムズ海峡にあるのではない。盧溝橋事件同様、宣戦布告をおこなわない紛争を目指している。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月13日 23:15 | 固定ページリンク




尿沈渣  | 一考    

 尿検査の白血球が異常値である。随尿の沈渣測定方法の結果がひどい。この尿沈渣は昔、腎臓や尿路系の病気の診断ならびに病状の経過観察で昵懇の検査法である。
 尿スクリーニング検査で蛋白あるいは潜血が陽性、もしくは尿の混濁によって疑われることは。膀胱炎、尿路系の細菌感染症である。前述したように、薬の服用で様子を診るしかない。

 クラビットとフリパスは同時に服用すると、確実に交通事故を起こす。埼玉での事故は物損だったからまだしも、もしもあれが免許を取得して2、3年以内だったなら、確実に免許証は返納していたと思う。
 いずれにせよ、薬物は怖い。今回はリハビリテーションを優先し、服用を3度に分けることにした。医師の許可を得たので、降圧剤は一つを除いて夜9時に服用。朝9時と夜9時はそのまま、クラビットとフリパスはリハビリを終え帰宅後に飲むことにする。それにしても、まるで下剤のよう、悪夢の超特急である。
 クラビット服用中の車の運転は田中整形と拙宅の往復、銀行と最も近いスーパーとの往復に限定する。田中整形でタクシーを利用するように云われたが、当地に流しのタクシーはいない。明石駅から呼ぶことになるので使われない。

追記
 東京へ行きたかったのだが、残念。
 本日、再度リハビリ中止。どうやら収縮期血圧が100mmHgを下回ると運動は不可能のよう。高いなら高い、低いなら低いで安定しないとどうにもならない。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月10日 09:51 | 固定ページリンク




危険な薬  | 一考    

 先月の低血圧が理由で降圧剤を入れ替えることになった。そちらは良いのだが、今週はいろんな症状が新たに出現した。尿の濁りと前立腺の肥大である。入院は勘弁していただいて通院で済ませることにした。とりあえず、前者にクラビット、後者にフリパスを処方。
 前立腺が肥大して膀胱を圧迫、頻尿もしくは残尿感が残るとのことだが、一日に2リットル超の水分を摂れば頻尿になるのは当たり前。残尿感は心当たりなく、エコー検査にも異常は見られなかった。クラビットは、ニューキノロン系合成抗菌剤で、「万能薬」という表現が一番合う抗生剤。膀胱炎ではないが、なんらかの炎症が起きているに違いない。
 服用は問題ないのだが、このふたつの薬は目眩い、立ち眩み。失神を伴う。埼玉で経験済みだが、車の運転にあってかなり危険な薬である。今日はふらつきがひどく、買い物にすら行かれない。22日までは足繁く病院へ行かなければならないが、要注意である。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月08日 21:43 | 固定ページリンク




夢を孕む女 荷風と山田一夫  | 一考    

 十一月廿六日。暴暖初夏の如し。昨夜深更より今暁に至るまで眠られぬがまゝに山田一夫氏が短篇小説 集夢を孕む女を通読す。現代新進作家の作品にして、其文章構想両つながらこの書の如く余を感動せしめたるものは無し。実に近年の好著と謂ふ可し。往年谷崎君の刺青(籾山書店梓)を読みし時、又初めて北原白秋君の散文小品をよみし時の如き感動を催し得たるなり。直に手紙をかきて作者の許に送りぬ……

 おのが胸襟をひらくことを潔しとせず、市井に隠れ孤棲を懐かしみ、およそ後進の作家には目もくれなかった永井荷風から、例外ともいうべき讃辞を呈された作家の一人に山田一夫がいる。昭和七年十一月より十年六月にかけての荷風日録『断腸亭日乗』には、一夫との十数度におよぶ款語のもようが記されている。一夫がかねてより先達として崇めていた荷風と初めて知合ったのは、当時春陽堂から再劂された『西遊日誌抄・新帰朝者日記』ほか四冊の荷風本の奥書をしたためた帚葉神代種亮の仲介によるものと想われる。昭和七年といえば、初老を過ぎて荷風は五十三歳、一夫が三十八歳の時である。この時期の荷風は尿中に蛋白質を有し、また脚気の徴候あり、不眠症のために創作欲がいちじるしく衰えたという。同年十一月には青山脳病院へ出向き、齋藤茂吉の診察を受けるに至っている。『断腸亭日乗』にも「……夜眠る事能はざれば昼の中時を定めず一二時間位椅子にもたれて眠るやうに力むるなり。されば読書も心のまゝならず、筆を持つことはこの日誌を記するがせいぜいにて、小説つくるが如き事は早や思も寄らぬことになりぬ。いかに悲しむもせんすべなし……」と間断なく苦衷のほどを洩らしている。狷介を唯一無二の信条とし、ことさら文士との交わりを忌みきらった荷風が、一夫を数すくない知己の一人として遇し、あまつさえ頌辞を示すなどという挙に出たのは、かかる健康状態と年齢からくる気力の衰えを鼓舞させる契機を一夫の作品に求めたためなのかもしれない。

 山田一夫は本名を山田孝三郎といい、日清戦争の始まった明治二十七年、京都は京極に近い中京に生れた。生家のあたりは今なおしもた屋の多い閑静な町並であり、一夫の生れる数年前に呉服商を廃した父は、その後家作の経営にあたった。また三人の男兄弟はすべて七、八つの頃までに歿くなり、ただ一人残された一夫は女中ばかりを相手に乳母日傘で育てられたという。この少年期の体験は、京極で目にした操り人形や地獄極楽、それにパノラマやジオラマなどと共に、後年一夫の作品に大きな影響を与えることになる。通常の文学事典に独立の項目はおろか著作すら掲載されていない一夫には、私が知るところでも三冊の著書しかない。まず昭和六年十月三十日に白水社から上梓された作品集『夢を孕む女』、ついで昭和十年五月十日に岡倉書房から上梓された作品集『配偶』、下って昭和三十六年四月一日、明治の頃の京都の市井の風俗やその地に住み暮した者の生活感覚などを描いた随筆、それに戦後の短篇を纏めた『京洛風流抄』が白川書院より上梓されている。そのうち表題作のほか十四の短篇を収めた『夢を孕む女』には、荷風によってすこぶる含蓄に富む寸評が各々の作品に加えられている。冒頭に引用した『断腸亭日乗』に見られる「手紙」がそれである。詳しくは岩波書店版『荷風全集』第二十五巻を繙かれたいが、その尺牘のなかで荷風は、支那小説とフランス象徴派の作品とを合わせたような趣あり、また京都固有の幽艶な世界が描かれており、プルウスト、ジイド、ポール・モーランの作品となにかしら似かよったような心持がするとの読後感を記している。たしかに象徴主義好みの”宿命の女”は一夫も好んで用いるモチーフのひとつだが、男を破滅にみちびくというよりは育むといった様相が濃く、むしろロマン派作家の作品、たとえば泉鏡花などにより近しい資質があるように思う。まずは表題作「夢を孕む女」のあらすじを追ってみよう。
 ……陶工玉川の姉美佐子は、東京のある実業家に嫁いだものの、二年たらずで不縁になり、今は京都の郊外に閑寂な隠遁生活を送っている。理想主義的な一面があり、何かにつけて感受性が強く、自由を束縛されるのに堪えられない美佐子は、その離縁をむしろ喜んでいる。一方、母と死別した「私」は、ただ侘しく無為な日々を過していた。そんなある日、姉の依頼を受けて玉川は、友人である小説家の「私」を二年坂の姉の住居「幻華荘」へと連れて行く。躯の均斉のよくとれた唐美人を思わせる姉の美しさに「私」は軽い眩暈を覚える。そして美佐子は今後の創作への協力を約し、現実の生活からの乖離を奨める。その日を境に「私」の生活はまるで一変し、女にしては珍しく明晰な頭脳の持主である美佐子の啓蒙によって幾多の作品を産み出すことになる。ーー十年後、美佐子は逝き、遺言によって四十九日を「幻華荘」でおくることになった「私」は、日夜美佐子の俤を夢に描き続けている。そして書き綴った作品の大半もまた、美佐子の孕んだ夢であった……。
 小説の舞台になった二年坂は、産寧坂と共に高台寺南門の霊山道から清水坂へ至る南北の小径であり、大正六年東京を遁れた竹久夢二と笠井彦乃との最初の隠処となったところでもある。作品の緊密度と主人公の性格描写という点では、書中まず「和歌庵挿話」を揚げるべきだろうが、あえて私の好みにより一作を推すとすれば、やはり「夢を孕む女」であろう。「幻華荘」周辺の描写は、幻想的な女性美佐子が住むにふさわしく情緒豊かに描かれており、官能的な美しい夢を書き綴ったいま一人の同時代作家一戸務の「竹藪の家」を髣髴させる。また特に荷風が好んだであろうと想われる第四章のあぶな絵的場面は、日常的現実よりも夢を称揚してやまぬ一夫の持味がいかんなく発揮されている。そしてこのロマン主義的な傾向は、その後に続く作品集『配偶』にふくまれた秀作「配偶」「耽美抄」へと助長されてゆくのである。
 『配偶』もまた前作品集と同じく、一夫をして「華麗な底に渋味のある装幀」と言わしめた小穴隆一の手になる美しい木版画で飾られており、表題作のほか九篇の短篇が収録されている。その表題作の「配偶」は、三度の結婚生活に失敗した男が、ある日妻縁を占ってもらい、晩婚の宿命なればあなたの縁は五人目でないと納まらないと告げられる、それでは四人目に悪かろうと衣装人形を相手に祝言を挙げるという話であるが、白無垢の裲襠を着て深い綿帽子に顔を隠した人形が、枕辺で次々といろんな女に変身してゆくという後段の物語めいた情景は、なかなかに技巧が凝らされており、豊麗な才筆と相まって文字通り珠玉のような一篇となっている。「耽美抄」の方は幽婉な情趣に溢れる作品であり、女嫌いの耽美主義者銀二が、覗きからくりのある湯殿で薄い倶利迦羅紋紋の肉襦袢を身にまとった女から背中を流される場面などは、草双紙のような頽廃的雰囲気を漂わせていて美事である。おそらく一夫自身、「夢を孕む女」と同じ系列に属するこの作品に特別の愛着を持っていたものと想われる。

 高見順の著書『昭和文学盛衰史』(第一巻第十一章・芸術派の群)には、中村武羅夫を中心に発行された文芸雑誌「近代生活」と一夫との関係が詳しく記されている。
 『近代生活』は昭和四年四月に創刊されたのであるが、四年四月というのは、前年の三・一五事件につづく四・一六の大検挙、大弾圧のあった月である。その月に反プロレタリア文学運動の「新興芸術派」の母胎たる『近代生活』が結成されたということは、偶然のようでまた偶然でないとも言える。『近代生活』には、前身の雑誌があって、それは『近代感情』であるが、編集は梶原 勝三郎、そして経済上のパトロンは京都の素封家山田一夫であった。
 文中にも触れられているように、「近代感情」つづいて当初一夫がパトロンとなった「近代生活」は、翌年四月に新興芸術派倶楽部が結成されるや、同派の機関誌的存在としての変貌を遂げる。龍胆寺雄を闘将とした、いわゆる「新興芸術派時代」を迎えるわけである。しかし一時の栄耀を担った同誌も昭和七年の夏には廃刊のやむなきに至る。そして新興芸術派の小説の巧者と謳われた浅原六朗や楢崎勤などと並んで創刊時からの中心的メンバーあった一夫もまた、その作家としての消長を「近代生活」と共にすることになるのである。
 『耽美抄』を上梓した後の一夫が、他の新興芸術派の作家と同様に、近づいてくる軍靴の跳梁に沈黙を余儀なくされたのか、それとも荷風というあまりにも強烈な毒を前にして自らの作家生命を断つしかなかったのか、その間の消息はつまびらかとしない。ただ、戦後の一夫が著した短篇「別室風流」(『京洛風流抄』所収)には、黄道と号し、新古典感覚派を以て任じていた頃の官能的な夢も豊麗な筆致もなく、かつてロマン主義的な昂揚に彩られていた幻想小説は、単に生活観の甘さを露呈するにとどまる凡庸な花柳小説となり果ててしまうのである。

   「琴座」 第35号(第10号) 琴座俳句会 1979年10月刊

追記
 1968年10月、大月雄二郎さんの紹介で生田耕作との知遇を得る。翌年、山田一夫の未発表作品が白川書院にあると人文書院で教えられ、生田耕作と白川書院を訪ねる。耽美抄の腰巻に「生前著者より編者に託された推敲加筆原稿に基き」とあるのがそれに当たると思うが、わたしは「耽美抄」を読んでいないので定かでない。
 「初稿 夢を孕む女」との著書が発行されたらしい。今のわたしは興味がないが、昔山田一夫について書いていたのを思い出したので再録する。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月04日 16:57 | 固定ページリンク




集団ヒステリー  | 一考    

 「絶歌」の内容に関しては後ほど触れるとして、ご指摘の通り、罪を購うのは不可能だと思います。現行法に則って裁かれたわけですが、それは法律上の問題であって、加害者被害者共々、こころの問題が解きほぐされることはないと思います。
 ひとは自己への執着が強く、変わろうとしないタイプと変わり続けようとするタイプに分かれると思いますが、少年期に犯罪を犯すひとは前者が多いようです。特に彼の場合、性障害(性的サディズム)が事件の引き金になっています。性愛はひとが持つ属性のうちでもっとも変わりにくい根本的性質です。
 関東医療少年院で矯正教育を受けた元少年Aの仮退院が2004年3月、本退院を翌月に向かえた12月、カウンセラーの精神科の女医に対する暴行未遂事件を起こしている。同月24日、法務省は「少年Aの保護観察が31日で終了し、年明けに完全に社会復帰する」との見通しを発表。事件は闇に葬られた。性の対象が死者から生身の人間に変わったこと自体が矯正の成功の証だとでも云いたげである。
 そもそも、元少年Aが犯罪者であろうがなかろうが、更生しようがしまいが、そのようなことはどうでも良い。私が関与すべきことでないし、関与できることでもない。況んや、少年犯罪に前科はつかない。
 今回の「絶歌」非難の大合唱はネット社会固有の集団ヒステリーの相が明らかである。新潮45の元編集長はテレビで「絶歌」にはナルシシズム以外なにもないと。康芳夫は「絶歌には何があるというのか。あるとすれば極めてチープなヒロイズムと自己陶酔」と評している。「絶歌」の文中、「僕は、僕であり続ける、その日が来るまで・・」「どこへ行っても、僕は、僕からは逃げられなかった」等の文章はあちらこちらで見受けられる。殊更に自己顕示欲や自意識の過剰さを示唆したところでなんになろうか。また、どうして加害者被害者との二項対立でしか捉えられないのか。違った弁証がいくらでもあろうにと思う。
 犯罪者が本を出版することはこれまでにもあった。宮崎勤、佐川一政、市橋達也など枚挙に暇がない。ただ、今回の著書は文章の巧みさと構成力の非凡さに於いて永山則夫や大道寺将司(散文は頂けないが「棺一基」は傑作)のそれに拮抗する。
 29頁の「それぞれの儀式」でタンク山や向畑ノ池を描写している。往時のちっぽけな決して美しいとは云えない池を知っていればこそ云えるのだが、彼の手にかかると途端にきらきらと輝き出す。

 雨上がりのタンク山の美しさは壮絶だった。雨を啜って湿り気を帯びたセピア色の腐葉土が、雲間から降り注ぐ陽の光のシャワーをそこかしこに弾き散らし、辺り一面、小粒のダイヤを鏤めたように輝いて、僕の網膜を愛撫した。
 向畑ノ池では、そよ風に嘗められ小刻みに痙攣する水面に、池のぐるりを取り囲む樹々の木の葉の隙間から、我先に飛び込んだわんぱくな木洩れ日たちが泳ぎまわり、サイケデリックな光の帯がゆらめいた。

 彼の中にあって懐疑や弁証と云った概念が未だ未分化のままである。その辺りに助け船を出す編輯者が現れれば、すばらしい物書きになる。昨今騒ぎを起こしている百田尚樹などよりもよほど卓れた作家になると思うのだが。

追記
 「再度山学院」で検索すると、「今は亡き少年院 - peps!」との項目がトップにやってくる。ですぺら掲示板で著した「端折り 」のうち、再度山学院に関する文章が句読点までそのままの形で記載されている。しかも、「当サイト内に於ける当サイト管理人が作成、編集した文章一切の転載又は勝手な引用を禁止する」とあって「違反者に対しては厳重に対応させて戴くものとし、場合に因って警察当局若しくは弁護士に通告の上、介入手続きを踏まえるものとする事をご了承願います」とご丁寧に著されている。ですぺら掲示板にはそのような無粋な「サイト内遵守事項」の書き込みはない。どうやらですぺら掲示板の著作権をお持ちのようである。もっとも、かような例は過去いくらでも存じ上げているが。

 ちなみに、「神戸再度山学院と同じような施設がかつて静岡にもあった」と書いたのは静岡県安倍郡美和村にあった静岡少年院で、現在の駿府学園のことである。共に、院長は木村さんのご尊父。


投稿者: 一考      日時: 2015年07月04日 14:41 | 固定ページリンク




 | あ    

 『絶歌』の中でAは何度も「どうしたら罪が購えるのか?」と苦悶していますが、
これは本当に難しい問いだと思います。
まったくこの問いに関してイメージが湧きません。


投稿者: あ      日時: 2015年06月27日 23:54 | 固定ページリンク




少年A  | 一考    

 兵庫県明石市の泉房穂市長は19日、神戸市の児童連続殺傷事件の加害男性による手記「絶歌」について、明石市犯罪被害者支援条例で2次的被害の防止を定めた規定に基づき、市内の書店や市民に対して配慮を要請、「個人の思いとしては売らないでほしいし、買わないでほしい」との考えを示唆した。内心では、日本版「サムの息子法」を求めているようである。
 坂上忍、松本人志、テリー伊藤、杉村太蔵と云った塵芥のようなタレントが「絶歌」を批判しているが、「元少年A」は現行法に則って罪を償ったとわたしは理解する。日本国憲法ならびに既存の法律では表現の自由も出版の自由も認められている。それを承知で坂上はフジテレビ系「ワイドナショー」で、「“表現の自由”がよく分からなくなった」と語る。
 わたしは発想の原点に個を置かないひとを保守反動とする。それゆえ、政治家や芸能人は保守そのものと解釈している。坂上の論理を展開してゆけば、戦争を熱狂的に支持した戦前の民衆へと行き着く。
 「絶歌」には加害男性の殺害行為が克明に記されている個所がある。それゆえ、遺族が精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めることができる。元少年Aに表現の自由があるとするなら、遺族にはそれを不法行為として訴訟を起こすことが可能である。いずれにせよ、法の名の下において平等でなければならない。泉市長や坂上のごとく、日本国憲法ならびに既存の法律に疑義を挟むようなことはあってはならない。

追記
 もっかのところ、「絶歌」全文がネット上で公開されている。当然違法な行為であり、早晩削除されると思う。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月26日 01:08 | 固定ページリンク




マッサージのみ  | 一考    

 久しぶりのリハビリだったが、マッサージのみで他は省略。血圧並びに脈搏がまだ不調である。看護師や療法士から当医院では失神には対応できない、救急車で他の内科医院もしくは神大病院へ運ぶことになる、と云われた。言い換えれば、血圧不調の折は来るなとのこと。
 云われなくても分かっている、17日の血圧の低下はわたしの不注意だった。前日の朝から降圧剤を中止すべきだった。それにしても低血圧が9日も続くとは想定外だった。次回のリハビリは土曜日だが、それまでには間違いなく治っているだろう。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月25日 15:53 | 固定ページリンク




斎藤亮一写真展  | 一考    

長屋でウイスキーを!
佐々木幹郎『スコットランド酔夢紀行』(世界文化社)出版記念

会期/2015年7月1日(水)〜7月8日(水)
時間/13:00〜21:00
場所/そら塾(根岸)


2010年春と2011年冬、シングルモルト・ウイスキーの聖地スコットランドの蒸溜所を、
詩人・佐々木幹郎氏とともに歩いた映像記録。
――根岸の古い長屋の一角で、写真を楽しみ、ウイスキーを嗜み、
ついでに近くの朝顔市(7月4日〜6日)も!!
夕暮れ時からは、シングルモルトが飲めます(1glass ¥500)

【期間内イベント】
◎二代目高橋竹山
津軽三味線コンサート◎ 
日時: 7月2日(木)
18:30開場 19:00開演 (定員20名)
出演:二代目高橋竹山
入場料: 予約¥2,000(1drink付)
当日¥2,500(1drink付)

◎たなばたトーク・ショー◎
日時: 7月7日(火)18:30開場 19:00開演 (定員20名)
出演: 齋藤亮一 佐々木幹郎
入場料: 予約¥1,000(1drink付) 当日¥1,500(1drink付)

【お問い合わせ・ご予約】 nagayadewiskey@yahoo.co.jp (長屋でウイスキーを!事務局)

【アクセス/地図】
そら塾 Sorajyuku
〒110-0003 東京都台東区根岸3-13-25
TEL: 090-5525-4428
http://sorajyuku.ciao.jp/

●JR山手線鶯谷駅南口より、徒歩5分
●東京メトロ日比谷線入谷駅より、徒歩5分
●都バス上26系統(上野公園〜亀戸駅前)
下谷2丁目バス停より、徒歩3分
●台東区循環バス北めぐりん
根岸3丁目バス停より、徒歩1分


投稿者: 一考      日時: 2015年06月20日 01:02 | 固定ページリンク




佐々木幹郎さん出版記念・写真展のご案内  | 一考    

皆様へ

本メールは、赤坂ですぺら関係者の皆様と、学研パブリッシング・増田の知己の方々に、
BCCの一斉メールにて送付させていただいております。

今年三月、詩人の佐々木幹郎さんの『スコットランド酔夢紀行』(世界文化社)が出ました。
私もヴォランティアでちょっとだけ編集のお手伝いをさせていただきました。
スコットランドから東京・大阪の秘密の酒蔵、そして山崎、余市の蒸留所まで、
生命の水に酩酊しつづけた詩人の旅の記録が、多くのカラー写真とともに紹介されている、
シングルモルト好きには必読必携の一冊であります。

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、本書は文藝春秋「嗜み」誌での連載を、
書き下ろしとともにまとめたもので、ですぺらと渡辺一考さんも登場しています。
装幀はもちろん、佐々木さんの盟友・間村俊一氏であります。

このたび、誠に遅ればせながらではありますが、本書の出版を記念して、
同書に収録された写真の展覧会を催すことになりました。
期間内にはミニコンサート、トークショーなども企画しております。
場所は根岸の「そら塾」(最寄り駅・鶯谷または入谷)というギャラリーですが、
水木しげるやつげ義春のマンガに登場しそうな、昭和の霊気あふれる廃屋……いや古民家です。

詳細は、添付ファイルのチラシをご参照くださいませ。
会期は、7月1日〜8日です。私もなるべく毎日(夕方以降に)顔を出すつもりです。
ぜひ一度、足をお運びいただければ幸いであります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

学研パブリッシング 増田秀光拝

(増田さんからのメールの転載です。続けて(長屋でウイスキーを!)の案内を)


投稿者: 一考      日時: 2015年06月20日 01:00 | 固定ページリンク




リハビリの再開  | 一考    

 クレストールは血液中のコレステロールを減らす薬。副作用としてAST(GOT)値とALT(GPT)値が上昇する。現状ではコレステロールは正常値、ASTとALTは共に正常値よりも低い。また、クレストールは中性脂肪(トリグリセライド)を低下させる作用もある。
 ユリノームは尿酸排泄薬、わたしは高尿酸血症を伴う高血圧症がひどく、時として軽い痛風発作がでる。そのため、飲む量を増減しているが、副作用が強いので慎重に扱っている。
 免疫抑制剤とステロイド剤を除けば、上記薬だけを服用している。ただし、非常用であり一時だけである。2時間おきに血圧を計っているが、平均すると収縮期血圧が109mmHg、拡張期血圧が54mmHg、脈搏が60である。なんとか日曜日の夜までに正常に戻さねばならない。血圧が130の80、脈搏が80にならないとリハビリは再開できない。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月20日 00:45 | 固定ページリンク




内視鏡の名手  | 一考    

 オルメテック、アテレック、アルドメットなど、降圧剤の服用を16日夕方から中止している。さすがに、収縮期血圧は上がってきたが、拡張期血圧と脈搏は改善されない。整形外科医が透析治療を行ったひとの血管は石灰化してどうにもならない。収縮期と拡張期のバランスが崩れるのは已むを得ない、と。それはそうなのだが、このところの血液検査で僅かだが血管の状態が良くなっているようにも思う。いずれにせよ、失神に至らなかったのは嬉しい。
 田中医師が近隣に内科医の友人がいる。神大病院が遠いので、最悪の場合は当病院へ入院して貰っても良いのだが、と云ってくださる。戸田中央の内科医、羽山弥毅さんには大変お世話になった。わたしの腸は定期検診が必要である。羽山さんのような内視鏡の名手をご紹介願えないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月19日 04:10 | 固定ページリンク




安定しない血圧  | 一考    

 リハビリについて書いたばかりだが、早速リハビリの最中に倒れてしまった。常に血圧を計りながらのリハビリである。収縮期血圧が80mmHg、拡張期血圧が45mmHg、脈搏が42だった。完全な低血圧症で、成り行きに任せていると失神にまでゆく。目を見ひらいたり、唇を噛みしめたり、掌のぐーぱーを繰り返すなどなど、さまざまな手立てを用いて成り行きに逆らう。車椅子でベッドへ運ばれて2時間半の休憩。脈搏は低いままだが、収縮期血圧が110まで戻ったので帰ってきた。
 めまい・立ちくらみ・肩こり・集中力の低下などの脳神経症状、食欲不振や下痢などの胃腸症状などに、この3日間苦しめられた。基本、高血圧なのだが、時に頗る不安定になる。朝夕に飲む薬の量を微調整しているのだが、意の如くならず。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月17日 18:21 | 固定ページリンク




リハビリ3  | 一考    

 去年12月にはじまった週3回のリハビリは続いている。15分間のマッサージの他、10分間のエルゴメーター(エアロバイク)、アンクルウェイトを装着して足の上下運動の3種を繰り返している。アンクルウェイトは最軽量の500グラムである。
 エアロバイクは負荷が40から45ワット、ペダル回転数が60から70、走行距離が3.1から3.3キロ、消費カロリーが20から23kcalである。医師によるとこれらの数値は若いころスポーツを経験していないと出る数値でないらしい。確かに、小学生の頃から40歳ぐらいまで、スポーツは大好きだった。特に、登山、水泳、自転車に関してはこだわりがあった。いずれも、ひとりで娯しまれるスポーツだった。

 昨今ラーメン流行りだが、一蘭の500kcalをはじめ、王将の600kcalや日高屋の700kcalなどが低い方で、六厘舎やラーメン二郎のごとく1000kcalを超え、なかには1500kcal超えなどと云う、破壊的なラーメンまである。その1000kcalだが、エアロバイクで消費しようとすると、8時間以上漕ぎ続けなければならない。
 療法士の簡単な試算だが、ふつうに3食を摂れば毎日トライアスロンのフルコースを走らなければ摂取カロリーを消費できないそうである。スポーツでの消費が無理なら、摂取量そのものを減らすに如くはない。戸田中央で1日1200kcalまでとの指導を受けたのは正しかった。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月16日 19:06 | 固定ページリンク




電圧計  | 一考    

 エリミネーター250LXは1989年製、以前乗っていたBMWのR100RSは1986年製の後期タイプ。共にキャブ仕様の旧車である。前者は250ccで40馬力、後者はリッターバイクで60馬力。R100RSは出力を落としてトルク重視のセッティング、250LXはギア比によってやはりトルクを重視している。

 先日、バッテリーの充電について書いたが、現行のバイク(四輪も同じ)と違って、旧車には電圧計が必要になる。BMWには最初から電圧計が付いている。
 現行車と旧車では発電の仕方が大きく異なり、コイルとブラシの接点で交流を発電、レギュレーターレクチファイヤーで直流に変換しバッテリーに充電する。この時に12.5V以上で充電されるとコイルに回る電圧が高すぎるため、コイルの皮膜が溶け発電しなくなる。この皮膜の溶解を事前に防ぐのが電圧計である。ちなみに、現行のバイクは13.8Vで充電される。
 このような後付けによる計器類、電圧計、電流計、水温計、油温計、燃圧計、排気温度計、ブースト計、タコメーターなどは現在の車にあっては恰好を付けるの他、意味はない。コンピュータ技術の発達に伴い、フューエルインジェクションが開発され、すべてはECUによって制禦されるようになった。オートバイでは1982年に川崎重工業のZ750GP(Z750V1)に初めて採用され、90年代に這入って普及するようになる。要するに、ECUが開発されるまではいろんな計器が必要とされたのである。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月08日 20:59 | 固定ページリンク




鞄を持った女  |   一考

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 先日、ミーナの「IL Cielo in Una Stanza」が聴きたくなって、「La ragazza con la valigia」を検索した。ユーチューブで見付かったが、序でに、日本語字幕版のフランケンシュタイン、メトロポリス、カリガリ博士、アンダルシアの犬、エマニエル夫人無修正版等々を見付けた。
 その内、ルキノ・ヴィスコンティ「異邦人」はお薦め。

 https://www.youtube.com/watch?v=Jc3oQ20ZoOA


投稿者:   一考  日時: 2015年06月08日 10:52 | 固定ページリンク




GIVIとキジマのトップケース  | 一考    

 GIVI(ジビ)のトップケースにはモノキーとモノロックの2種類があって、ケースとベース共に形状が異なり、互換性はない。シェルの厚みが異なるので、長く使うならモノキーがお薦め。ただし、附属の汎用ベースを使用して、純正や市販のリアキャリアにも取り付け可能なため、日本ではモノロックが数では増さっている。理由はもうひとつあって、モノロックはシェルの厚みが薄いので小型のケースが多く、スクーターなどに重宝されている。
 キジマのトップケースが互換性を持っているのはGIVIのモノキーであって、モノロックではない。この件に関し、検索すると間違えたもしくは曖昧な書き込みが多い。当掲示板で前々回、写真で紹介したのはBMWで使っていたモノキーのベースである。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月05日 03:13 | 固定ページリンク




シャントとクラッチレバー  | 一考    

 5月26日からオートバイに乗っている、おそらく生涯最後のオートバイである。長くホンダに乗っていたので、それと比してシャカシャカと機械音が賑やかなエンジンである。兎にも角にも、ギア比が小さい。トルクは十二分にあり、アクセルを入れればいくらでも回転は上がるが、燃費は最悪になりそうである。整備をお願いした毎日自動車商会の川口さんによると、癖の強いバイクだそうである。癖の強いのはわたしで慣れている。100キロほど走ったが、嬉しくて自然と笑みが浮かんでくる。

 シャント設営後、シャントが潰れたらどうなるかと医師から何度も聞かされ脅かされた、それが理由で左手の握力がなくなってしまった。左はクラッチレバーだが、初乗りのとき、これは無理かもしれないと不安が過った。四輪も医師からマニュアル車は禁止されている。左手を使わないオートマ車だけである。100円ショップで贖ったハンドグリップを毎日30分は握っているが。
 ところで、シャントを見た川口さんからオートバイには乗られないのではと訊かれた。骨折なら良いが、左手に切り傷を負うと止血が効かないので1分ほどで死に至る。命懸けで乗るとはまさにこのこと。従って、任意保険は対人対物は無制限だが、搭乗者傷害には加入していない。這入る意味がないからである。搭乗者が無保険だと年間13000円、20等級とは云え、実に安価である。ちなみに、免許取得後、オートバイでは無事故、駐車違反と高速道路での通行区分帯違反が各1回、ただし顛倒は北海道をはじめ、全国の市町村で60回を超える。

 丹後から丹波にかけて挨拶に行かなければならないところが多い。手漉き和紙と焼き物は当然だが、縮緬、反物、草木染め、型染め、絞り染め、ベンガラ染め等々、本の装丁でお世話になったところが多い。とは申せ、左手が災いして、加古川、三木、神戸が走られる限界だが。

追記
 季節外れだが、三木で好物の葉わさびを買ってきた。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月02日 19:57 | 固定ページリンク




バッテリーの開放型と密閉型  |   一考

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 オートバイの整備が終わり、ナンバープレートが付いた。鉄工所の作業が済み、BMWとGIVI(こちらは使わない)のキャリアが付いた。截り落としたタンデムバーの根っこに幅広の鉄板を溶接、そこへキャリアをネジ止めした。もっかタイヤの到着を待っている。タイヤは前後共にひとまわり細くなる。100/90-17を90へ150/90−15を140へ換装。僅かだが、後輪は直径も小さくなる。選択に当たっては撥水性に留意した。
 正規品のサイドミラーは短すぎてなんの役にも立たない。見えるのは運転手のみ、長めの汎用品に取り替えの要あり。

 二輪は四輪と違って自分のためにしか乗らない、よってタンデムシートとタンデムバーは外した。ひとの代わりにテント、テントマット、シュラフ、ツーリングテーブルを積む。サイドバッグには小型チェア、ランタン、バーナー、クッカー、食器、小物、そして飲食品である。
 初乗りが近付いてきた。過ぐる2009年7月、靱帯剥離骨折でオートバイを降りた。腎機能の低下(クレアチニン6.0)による手足の痺れ、要するに痛風が理由である。それ以来なので、6年になる。ヘルメットの内装を洗浄したが、3年から5年の耐用年数は当然切れている。

 右端に中国製の密閉型バッテリーが写っている。バッテリーの開放型と密閉型の場合、密閉型の過充電ばかりが問われるが、そもそも電圧が13.8Vと13.2V以内と云うように異なる。よって開放型のバイクに密閉型を積むと、1000回転以下、例えばアイドリング時には充電されない。にもかかわらず、バイクは常時ライトオンである。バッテリーが頻繁に上がるのはやむを得ない。キックのないオートバイのバッテリーが上がれば、鉄馬がまさに鉄の固まりになってしまう。
 北海道で古いバイクに密閉型バッテリーを積み、立ち往生している場に何度も出くわした。わざわざ値の張るバッテリーに取替えたのに、と歎くこと頻り。コンデンサーの設定が違うのだからどうにもならない。ちなみに、昔は密閉型の方が値が高かったが、今では開放型の方が高値になった、需要と供給のバランスが逆転したのである。

追記
 密閉型は13.8V、開放型は12.8から13.2Vである。よって開放型バッテリーのバイクに密閉型バッテリーを積むとまったく充電されない。
 エリミネーター250LXはは旧いバイクなので、前照灯にスモール、バッシング、また駐車灯などが付いている。よって、すべての豆球をLEDに換装すれば必要な電流が画期的に下がる。また日中の走行は法的にはスモールだけで良いのである。こちらは徐々に換装する。


投稿者:   一考  日時: 2015年06月02日 19:19 | 固定ページリンク




Outzone VR-211M  |   一考

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 ライダーのあいだではちょいと知られたレーダー探知機である。
 バイク専用設計により専用ステーと大音量警報音、大型LED、防水仕様、簡単に脱着可能。ただし、ステーとコードはBMWに直づけしたためになくした。現在はマジクロスで取付けている。GPSなど最新機能はないが必要にして十分な機能を持つ。購入は1989年、26年使い続けている。大音響のため、急ブレーキが間に合う、北海道で何度も助けられている。
 レーダー探知機はGPSが内蔵されてから急速に変わっているが、機能自体は30年前からなにひとつ変わっていない。対応するのはパトロールカーや覆面パトカーが積んでいる移動オービスと通常のレーダー式オービスのみで、ループコイル式(北海道にはない)、Hシステム、LHシステムには対応していない。正確には対応していないのでなく、対応できないのである。
 それを補うためのGPS機能であって、居場所からオービスの位置を推定しているに過ぎない。GPSを積んでから情報が増えすぎて、通常のレーダー式ネズミ捕りの反応を見逃してしまうとの笑えない結果をもたらしている。わたしにとっては冗談としか思われないが、パトロールカーや覆面パトカーをはじめとする移動オービスに捕まる御仁はみなさん最新のレーダー探知機(例えばユピテル)を載んでいるそうな。
 VR-211Mのような20年以上前のレーダーはネズミ捕りにしか反応しないので、鳴った瞬間に急制動と相場は決まっている。真にもっとも有効なレーダーと云えよう。

 レーダー探知機は法律で禁じられている国が多い。わが国は設置が許されている数少ない国である。そしてレーダー探知機の目的はネズミ捕りから遁れることである。高速道路や国道のオービスは他の車が速度を落とすのですぐ分かる、やはり問題は移動オービスである。よって、最新のレーダー探知機であっても、ネズミ捕り専用に改造、則ち余分な機能は停止したうえで用いることをお薦めする。
 ただし、スピードガンを用いたオービスには、ループコイル式、Hシステム、LHシステム同様、対応しようがない。要するに、レーダー探知機ほどいい加減な商品はない。レーダー探知機の旧い新しいはGPSへ打ち込む情報が新しいというだけの話。それ以外、なんの意味もない。


投稿者:   一考  日時: 2015年06月02日 19:13 | 固定ページリンク




おっかないサイト  | 一考    

 ですぺら掲示板のプロバイダーがmySQLのバージョンを5.7.6へ上げた。それゆえ、機能しなくなり、ログインすることすらできなくなった。
 なんでも、文字コード仕様が変更になった関係上、多数の文字化けが発生。「書き込み」や「削除」「サイトの再構築」を行うと、一挙に文字化けだらけのとんでもないサイトに変貌するとやら。
 二進も三進も行かなくなった掲示板を相手におっきーさんが格闘、やっと元に戻ったようである。海外旅行中だったおっきーさんを煩わせたことに深謝。わたしにはどうにもならないことを美事に処理してくださり、本当にありがとうございました。


投稿者: 一考      日時: 2015年06月02日 18:52 | 固定ページリンク




外連味のない政治家  | 一考    

 大阪の橋本市長が政治家からのリタイアを発表した。ラルボーの云う最良の意味でのアマトゥールの引退である。
 横浜市政は、神奈川県との二重行政解消のため、県の持つ権限や事務などを横浜市に移譲し、より効率のよい市政運営を行うことが出来るよう「横浜特別自治市」構想を掲げている。全国で10の政令指定都市が特別自治市を目指してい、橋本の云う東京23区のような特別区の設置を目指しているところはひとつもない。
 要するに、特別自治市構想とは県税市税をまとめて市で頂戴しようとするもので、近隣の自治体や行政区への再分配を考慮する県の為事をなし崩しにするものである。
 大阪で60代、70代の高齢者が都構想に反対した理由は、大阪市で支払った税金が隣接する他の自治体へ流用されるのを防ぐためと捉えるのが正しい。しかし、住民エゴを利用し、地方自治を損得勘定だけで割り切って良いものだろうか。
 横浜市は特別自治市に邁進し、名古屋市は中京都構想を掲げる。そうした二分化のどちらを選択するのか、民意は常に間違えた結果を選んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2015年05月19日 00:16 | 固定ページリンク




キャブ仕様  | 一考    

 エリミネーター250LXは26年前のオートバイで、キャブ仕様である。オートバイのインジェクション仕様はBMWで懲りた。ガソリンが自重で落ちてゆくタイプが最良、直噴などもっての外である。
 まず、キャブレターのオーバーホールだが、内部に白い粉がこびり付いている。おそらく、ガソリンタンク内のコーティング剤でないだろうか。
 燃費を良くするために、一回り細く、かつ径の小さなタイヤに履き替える。幅の広いタイヤはこれまた四輪で懲りている。
 積載性を高めるために、サイドにはBMWのバッグを、自転車や原ちゃんに付ける買い物かごの大きなものを後方上部にあり合わせのキャリアと共に装着の予定。GIVIのリヤキャリアを持っているが、オートバイは顛倒するものと決まっている。顛倒が分かっていてGIVIを付けるのを蛮勇と云う。当然、ナンバープレートはリヤフェンダーの下へ移動。
 14,000回転以上がレッドゾーンだが、16,000まで回るエンジン。だいたい 8,000rpm辺りからトルクバンドに這入るようだが、わたしに使える回転数でない。
 12リッタータンク。ライトが小さいので暗いが、その分対向車には優しい。リヤフェンダーが小さいのでリヤから5メートルほど水柱をあげて走る。従って、後続車は車間距離を空けてくれるので安全である。「止まらん、曲がらん、車体が重い。タンク容量が少なさ過ぎ、燃費は最悪。ニーグリップが辛い。車検証以外なにも這入らない小物入れ 」が売りの馬鹿げたバイクである。
 悪い意味でワイルド(見掛け)なオートバイ。まったく人気がなく、とにかく中古価格が安価。蚊が鳴くようなホーン、排気音が非常に静かなので近所迷惑を考えなくていい。
 頻繁にプラグが被るが、プラグ交換にサイドカバー、シート、タンクを外さねばならない。Fスプロケットを 交換するのにエキマニを外さなければならない。エンジンが掛かっていないとギアが入らず、押しがけできない、そのあたり、頗るカワサキらしいオートバイである。


投稿者: 一考      日時: 2015年05月14日 16:45 | 固定ページリンク




ババ抜き  | 一考    

 moonさんから違法行為を掲示板で書くのはいかがなものかとのご指摘を受け、前項を削除した。過日、免疫抑制剤やステロイド剤がヤフオクで売られているのを見、愕かされた。強烈な副作用を持つ薬である、薬事法違反でないだろうか。
 オートバイからパソコンに至るまで、ヤフオクで贖うものは不動品とわたしは決めてかかっている。購入したものの不具合なので売却するのでないだろうか。ヤフオクは一種のババ抜きと心得ている。完動品を安く買おうなどと賤しい思いは抱かない方がよい。

 今週は月曜日から土曜日まで、ことごとくが病院行である。毎週2回は休みがあるのだが、今週は神大病院が這入ったために休みなしとなった。例によってmoonさんと話し込む。
 駐車場が1時間待ち、血液検査が100人待ちと、大混雑の病院だった。生検の結果が出たが、こちらは煩雑で解読に時間が掛かりそうである。降圧剤がより強いものに変わったため、車の運転には今まで以上に気配りを、と云われる。それが理由で埼玉で事故を起こしている。


投稿者: 一考      日時: 2015年05月14日 08:36 | 固定ページリンク




100円ショップ  | 一考    

 持ってはいるものの、コーヒースプーンやテーブルスプーンは使わない。カレーやシチューを食べるときもティースプーン一本である。テーブルスプーンは医師、栄養士から使用を禁じられている。一口を少なく、咀嚼回数を増やし、食事量を減らすのが目的である。
 そのティースプーンが引っ越してから急速に減る。おそらく間違えて捨てているのだろう。釈然としないが、なくなったものは仕方がなく、購入を考えてあちらこちらと捜し歩く。
 イオンには碌なものしかなかったが、イズミヤには良いものがあった。ただし、一本380円である。そこで一考、あと何年使うのだろうか、と。改めて、100円ショップへ行く。ブリキのようなぺらぺらのティースプーンが4本で100円である。業務用なら遠慮するしかないが、自家用ならこれで十分。
 序でに、リハビリに用いるためトレーニンググッズを購入。ハンドグリップ(25キロ)、ストレッチャー、フィットネス用の筒などである。このうち、ストレッチャーは役に立つ。以降、日々用いている。

追記
 ショップで風呂場の椅子も買った。こちらは100円でなく400円だった。100円ショップは屡々100円を超える商品を扱っている。
 阪神大震災の遙か前に木製の椅子を贖ったのだが、随分と長持ちしたものである。このようなものの材質にこだわりはないが、往時は木製に執着していたのかもしれない。高さに身体が合わないが、時間の問題であろう。もっとも、プラスチックに愛着など沸くはずもないが。


投稿者: 一考      日時: 2015年05月05日 15:26 | 固定ページリンク




エリミネーター250LX  |   一考

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 イズミヤのアンモナイトが北海道のアンモナイトに一歩近づいた。250ccの小さなオートバイを購入した。車のように5万円というわけにはいかず、6万円を費やした。連休明けに毎日自動車商会で整備していただく。
 前述したように、1日に約10枚の携帯トイレと2リットル以上の水が必要である。そのようなものを抱えてオートバイで北海道へ行かれないのは分かっている。二輪だと間違いなく、2日でクレアチニンは危険値に突入する。それを考えると四輪なのだが、川久保病院では北海道をオートバイで疾駆する風景に涕した。それが深くこころに刻まれている。

 思うに、遊びで車に乗ったことは一度もない。常に仕事で、酒や魚や野菜を運搬、ビールの仕入れではダンパーを二度壊している。昨今は週4回の外来と週2回の茶の仕入れ(2リットルを12本)に欠かせない、貴重な道具である。
 それゆえ、乗るに遊びが絡むのはオートバイである。もっとも、東京では小型のオートバイにBMWのバッグを取付け、1回で8本のウイスキーを運べるように改造した。四輪は都心部で小回りが利かない、日々酒屋を走り回るに二輪は最適だった。
 二輪か四輪かはさておき、おっきーさんからのメールに「北海道、現地集合&現地解散企画、ぜひ実現しましょう」とあった。これほど嬉しい言葉があろうか。今年もしくは遅くとも来年には間違いなく北海道へ行かれる。


投稿者:   一考  日時: 2015年04月28日 22:54 | 固定ページリンク




アンモナイト  | 一考    

 古生代オルドビス紀の三葉虫化石を買ってきた。三葉虫の化石は必ず頭と胴とが離れている。従って、くっついている化石は補修されたものである。まれに接続部分の完璧なものもあるが、それらは何万円もする。
 中生代白亜紀のアンモナイト化石も一緒に買ってきた。古生代シルル紀末期から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年もの間、海洋に広く分布し繁栄した頭足類。特にマダガスカル産のホワイトアンモナイトとクリオニセラスは美事である。表面に保存された真珠層が美しく、それをめくるとアンモナイト特有の縫合線があらわれる。もっとも真珠層に価値があるのであって、剥離すると面白くも可笑しくもないただのアンモナイトになってしまう。共に860円である。

 これらはオートバイの代わりに購入したものである。かつて透析治療のやむなきに至った折、川久保病院で自らの生死と諍っていた。ひとは死と直面するとさまざまなことを想起する、わたしはオートバイで走り回った北海道である。
 その後、ドナーのお陰で生体腎移植を受け、いつの日か再び北海道へ行かれるようになった。そのためのリハビリテーションを繰り返している。大量の携帯トイレ持参なら北海道も可能である。アンモナイトで有名な中川町の元町長亀井義昭さんと再会できるやもしれず。
 車はひとに見せるものにあらず、またひとと乗るものでもない。然るべきところへ素早くわたしを運んでくれる、そのための道具である。イズミヤのアンモナイトでなく、北海道のアンモナイトに触れてみたいのである。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月25日 18:22 | 固定ページリンク




嫌日  | 一考    

 退院後、体調がよろしくない。14日に拙宅の階段で顛び、15日には近所のスーパーで顛んだ。18日にはリハビリを途中で放棄、息切れでエアロバイクを漕いでいられない。今日も病院でどうかしたのと訊ねられる始末。

 ところで、失神とは脳血流減少に基づく短時間(長くても数分)の意識喪失、自然に回復し完治するらしい。短く云えば、数分で戻るのが失神なそうな。だとすれば、わたしの云う失神とはなんだったのか。意識喪失は短くても1時間ほど続き、心臓マッサージが必須である。
 そのことを医師に訊くとあなたのは立派な失神だと。その伝でいけば、数分で戻る失神は粗末な失神になりそうである。どうやら語釈に問題ありと思うのだが、わたし自身語釈を書くのを仕事にしていてみっともない話しである。
 失神の理由を調べて、戸田でも神大でも頸動脈の検査を試みた。こちらに異常はなさそうである。

 華奢を花車とも表記するが、花車の反対語に頑丈を持ってくれば、やり手ばばあの更に上前を撥ねる意にもなりかねない。とかく日本語はむずかしい。このとかくを兎角と書けば、日本語自体の存在が危うくなる。亀毛兎角は「日本人」の枕詞でなかったか。いやさ、ありえないではなく、あってはならない物事の例えなのだが。

 鈴木邦男さんが日本には嫌韓本が溢れているが、韓国でそのようなことは全くない、逆に「そんな本を出して面白いですか」と聞かれたと書かれている。日本人のくだらなさも谷まれり。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月22日 06:36 | 固定ページリンク




穿刺の達人  | 一考    

 関東の病院はいずれも禁食だった。絶食が絶命を想起させるからである。ところが、神大病院で、わたしが医師に禁食ですねと訊ねたところ、絶食ですよと云われた。医師に限らず、看護師も絶食と云っていた。
 木曜日は終日細やかな検査がつづき、金曜日は朝一で生体組織診断(生検)だった。生検に用いる針は16Gで人工透析に用いる針と同じである。数本麻酔を打つが、施術後2日ほど痛みがつづく。
 金曜日朝6時から8時までの間、糖尿検査があった。空きっ腹でサイダーのような甜い薬を飲み、30分置きに採血する。点滴用のラインを採っているので、静脈注射にしばしば利用される肘窩(肘の反対側)からの採血になる。その4回の穿刺が見事だった。1ミリづつ滑らせてゆくのだが、その正確さに呆れかえった。この方法だと戸田のように手の甲の血管など拾わなくてもよかったのにと思う。次回も同じ看護師がいてくださると助かるのだが。
 シャントの造設で入院した北里研究所病院は東京タワーをはじめ、景色の良い病院だった。神大病院は最上階の11階だったが、こちらもまた神戸の夜景を愉しませてもらった。北棟と南棟に分かれるが、便宜的なものであって、同一の建物である。北棟53床が泌尿器科、南棟の53床が婦人科と腎臓内科である。
 土曜日未明、隣人がアイソレーションとなった。戸田ではわたしが隔離されたことがある。あれは気分的にひどく落ち込む。

追記
 神大病院の建物はともかく、内部設備は刷新されている。特記すべきは水洗トイレ、便座の上蓋は除去されてい、ノズルの位置が前後に移動する。泡沫シャワーを選択できるのは云うまでもない。わたしはこの病院が県病の時代から知っているが、隔世の感がある。不満は照明が暗く、とても本なんぞ読まれないこと。従って、長期入院には向かない。
 施術の間、看護師と准看3名の見学があったが、みなさん名を告げて「よろしくお願いします」と儐してゆく。この辺りが大学病院の謂いか。気持の良い病院だった。そしてはじめての外来時よりお世話になっている腎移植の小川悟史医師に感謝。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月13日 05:00 | 固定ページリンク




入院の贈り物  | 一考    

 先週1日の血液検査の結果だが、クレアチニンの数値は2.57だった。風呂場でのトラブルが余程の影響を与えたらしく、1週間を経た8日の検査では1.82まで下がっていた。風呂へ這入るのが怖くなり、先ほど久しぶりに湯浴みした。
 風呂上がりにエロ子さんから電話、幹郎さんの著書「スコットランド酔夢紀行」寄贈の礼を述べる。病院で読むのが楽しみである。

 明日からの検査は骨塩定量DEXA、胸部CT、腹部CT、心エコースクリーニング、頸動脈エコー、ABI/CAVI、検体検査だと伺っていたが、MRIを追加したいと云われた。わたしの身体の検査結果は戸田中央には山とあるが、神大にはなにひとつない。いい機会なので幾らでも検査をしていただきたい。キャビィだけでなく、アンギオグラフィーも撮ればと思う。
 掲示板で書いたステロイドのパルス療法やリツキサン静注はなくなったが、検査自体はより煩雑になった。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月08日 23:38 | 固定ページリンク




入院費用  | 一考    

 「後期高齢者医療限度額適用・標準負担額減額認定証」と云う長ったらしい名前の証書を頂戴してきた。有効期間は4箇月で、入院時の食事1食300円が100円に減額される。この証書の利用は神戸では少ないようである。埼玉では国保同様、有効期間は1年、病院が取得を奨励していた。

 入院で困惑させられるのは費用である。わたしが受けた腎移植にしても、医師の話ではあなたは自立支援医療(更生医療)だから金はかからない、と。そして厚生労働省の概要に腎臓移植術には抗免疫療法を含むと記載されている。
 ところが、厚生労働省の云う抗免疫療法は保険対応の治療に限られるのだが、その旨の記述はどこにもない。リツキサンは悪性リンパ腫や血管炎症候群、ネフローゼ症候群、特発性血小板減少性紫斑病、全身性エリテマトーデス、臓器移植の際の拒絶反応治療、腎炎などこれまで治療が困難だった一部の自己免疫疾患への効果も期待されている。このうち、難治性のネフローゼ症候群が保険対応になったのは2014年9月。拒絶反応治療にあっては、もっとも一般的な治療法でありながら、いまなお保険には対応していない。
 詳しくは特定疾患の医療情報サイトを調べていただきたいが、例えば、非ホジキンリンパ腫にリツキサンを用いる場合、毎週病院に通いながら点滴静注する。1回の治療コースで最大8回投与する。身長170cm、体重60kg、体表面積1.65㎡の男性患者がこの治療を受けた場合にかかる医療費は約30万円。3割負担でも1回約9万円の現金が必要になる。8回投与すれば約72万円の出費になる。
 わたしの場合は保険に対応していないので、1回の投与が21万円、今まで4回打っているので84万円になる。リツキサンに限らず、保険に対応していない薬があまりに多いので困惑している。

 いずれにせよ、日本の健康保険は諸外国と比して手厚い内容になっているが、申請主義である。従って、手続きをしないと恩恵を受けられない、忘れずに活用すること。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月08日 14:33 | 固定ページリンク




メールアドレス  | 一考    

 拙宅のパソコンはJ:COM NETで繫いでいる。J:COMのメールは以下のごとし。

 burgr309@hi-net.zaq.ne.jp

 それ以外のメールアドレスは不通になっている。最初は繫がっていたのだが、いつしか繫がらなくなった。面倒なのでそのままになっている。ご用の方はJ:COMのアドレスでどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月03日 09:23 | 固定ページリンク




半身浴  | 一考    

 半夜、風呂にて気を失いそうになった。周章てて出で、扇風機で身体を冷す。血圧、脈搏、呼吸が元に戻るに2時間を要した。それが理由で本日の血液検査は惨憺たるものだった。面倒なので仕儀のみを書く、2泊3日の生検入院である。入院前日の8日に再度の血液検査、結果次第で10日の夜にステロイドのパルス療法もしくはリツキサン静注を行う。その他、なにごともなければ11日に退院する。
 引越後、ゆっくり風呂へ這入られるようになったのが嬉しかったのだが、今後しばらくは足湯か戸棚風呂様のものになるのかもしれない。

 移植手術から3年を経たが、下血の止むことなく、入院セットなるものを持ち歩いていた。「下血がはじまったらどこでも良いから病院へ飛び込め」と戸田中央の医師から云われていたからである。この1年下血はなくなり、そのセットを解体したばかりだった。年を取るに連れて趣味が皮肉になって行くと云うが、皮肉になるのは趣味に限らないようである。


投稿者: 一考      日時: 2015年04月01日 22:29 | 固定ページリンク




非関税障壁  | 一考    

 スズキワゴンR/RRを代車で拝借してきた。直列3気筒DOHC660ccエンジンに直噴ターボ(64馬力)、コラムシフトレバーを採用した4速ATである。サイドブレーキがフット式になってい、昔のトヨタの高級車を惹起する。とにかく走る、レスポンスの良さは目を見張る。

 軽自動車規格が「不公平な非関税障壁」として挙げられ、TPPの焦点のひとつになっているが、このような車に乗っていると、大きい車に乗る意味を見失う。軽自動車がわが邦のガラパゴスなら、ミッドサイズやフルサイズのSUVやピックアップトラック等々、アメリカ市場もまた日本市場同様にガラパゴスなのである。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月31日 17:08 | 固定ページリンク




手信号  | 一考    

 「車検2」で書き込んだごとく、ボルボの車載コンピューターが壊れている。さまざまな症状が現れるのだが、今回はウインカーが反応しなくなった。通常はステアリングシャフト内のウインカー連動スイッチを触ればよいのだが、わたしの車の不具合はことごとくがコンピューターのせいである。
 これでは乗られない、しかし、明日は通院日である。毎日自動車商会へ連絡すると軽自動車なら空いているらしい。軽自動車を借りにゆくのは自転車でよい。自転車はそのまま毎日自動車商会へ置いておけばよいのである。これで足は確保できたが、ボルボをどのようにして毎日自動車商会まで搬ぶかである。川口さんが考えるのも、わたしが考えるのも結果はおそらく同じ、手信号で走らせるの他、なさそうである。
 10代の頃、バイクの免許を取りに行った運転試験場を想い起こす。あの頃はみなさんが一発試験、昨今のように教習所へ通うのは余程の臆病者か金満家のみ。そして、二輪は手信号だった。手信号が災いして1回目の受験は落っこちた。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月31日 12:57 | 固定ページリンク




暗い思い  | 一考    

 去年の6月末と12月上旬に酒を飲んで以来、わたしの肝臓は素干しである。そして、わたしは生きている。医師によればあと3年は生きるそうな。されば「食べ物やITや健康の話題に夢中」ではなく、「食べ物と健康そのものに留意」しなければならない。そうでなければ、医師や看護師、とりわけドナーに申し訳が立たない。
 クマーラ・キシオさんが「余命一年を殆ど誰にも告げることなく去っていった梅木さんでした」と書き込まれたのが2010年06月。その言葉は重く痛切である。わたしはキシオさんに返事を認めようとしたが果たせなかった。返答でなく言い訳を書いたのが2013年03月の「逝者」。3箇月に及ぶ入院のさなか、病窓の向こうをガーッと走る埼京線を眺めながらである。

 ・・・ひとの生死にも「泡沫人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ散りはてし」から「のたうつ藍の虫の息」までさまざまである。新幹線がうたかたなら、さしずめぬたうつのが各駅停車であろうか。きわめて予後の悪い膵臓癌と大腸癌との違いとでも云い換えようか。死ぬ日まで時がなければひとは駈け抜けてゆくだろうし、死ぬ日までいささかでも余裕があれば自らの死について筆舌を累ねるやもしれない・・・
 ・・・沈黙を守って死んでゆくのと、もがきころびまわって死んでゆくのとどちらが潔いか、ことは簡単には済まない。この場合の潔いは未練の問題であろうか。未練を抱くのと未練を捨て去るのと、いずれにせよ、死にゆく人の未練であり、死にゆく人の時の過ごし方である。軽重を口にするのは生き残る人。いわずもがな・・・

 ひとの死を咀嚼するには少なくとも咀嚼しようとするひとの生涯が必要とされる。祥月命日だからと云って、なんぞ著せば良いと云うものでもあるまい。わたしなんざあ、50人を超える知己が旅立った。然れば、年中追悼文を認めろとでも云うのかしら。
 絢子さんへの眷恋を表したければ個々に著せばよろしいのであって、どうして当掲示板でなければならないのか。ひとの死から個々ひとは影響を受ける。その影響は内的なものであって、決して喧伝するようなものではない。そして知己の死に軽重のないことを願いたい。
 時の流れは静謐さのなかにひとを誘う、それは残酷さと云った熱や温かみの喪失、夥しい失意の葬列でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月24日 03:56 | 固定ページリンク




訃報  |   一考

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 金子國義さんが亡くなられた。今回の上京では周さんの世話にて金子國義さんと親しくさせていただいた。今は言葉もない。写真はシモンさんのブログから。

 https://twitter.com/studiokaneko?lang=ja

 関西では桂米朝さんが亡くなられた。米朝さんは大阪本の会のメンバー、谷澤さんや梶原さんと難波の割烹で呑んだのが忘れられない。


投稿者:   一考  日時: 2015年03月23日 23:31 | 固定ページリンク




名無しさんへ  | 一考    

 書くかどうかは別の問題で、エロ子さんとは何時もその話です。そのように仰有るあなたこそ、ご自分で掲示板を拵えればよろしいのでは。
 当掲示板でなく、彼女が定期的に書かれていた掲示板はすべて削除の上、会員制になりました。おそらくもっとも傷ついた方が多かったサイトだと思うのですが。

 文中「皆」とございますのは間違いではないかと。当掲示板に書き込んでいるのはわたしだけだと思うのですが。そのわたしが「食べ物やITや健康の話題に夢中」だとしたら、それは表層を擬えてのこと。失礼な書き込みに対し、これ以上申し上げることはございますまい。

追記
 佐々木絢子さんでなかったでしょうか。それと日々雑記帳の方かしらん。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月23日 22:24 | 固定ページリンク




佐々木詢子さんへ捧ぐ  | 2003/04/26    


この掲示版では、せめて4/26には毎年、彼女を思い出し彼女に捧げる文章を載せているのかと思っていました。

しかしながら、そうではありませんでした。

時の流れは残酷です。

皆、彼女のことなどすっかり忘れて、食べ物やITや健康の話題に夢中でしょうか。

いえ、これは批判ではありません。

時が経てば、一時の情熱も薄れ、忘れていくことは人間の良き機能ですから。

わたしもそうです。

ただ、そうはいっても忘れたくても忘れてはいけないこと、あの熱い心を保っておくことが必要なこともあると、わたしは思います。

それが、佐々木詢子さんです。

配慮の人であった彼女は、わたしのことなど忘れてくださいと言うでしょう
が。

せめてひとまわりした今年は4/26に彼女を思い出し、文章を書ける人は書いてください。

ご覧のみなさま、ぜひとよろしくお願いいたします。


投稿者: 2003/04/26      日時: 2015年03月22日 01:19 | 固定ページリンク




頻脈  | 一考    

 わたしの脈搏はひと(65〜80回)のそれよりも猫(130〜160回)の脈搏に近い。早いはなしが乳幼児(110〜140回)の脈搏数である。シロナガスクジラ(8〜10回)より早いが、ハツカネズミ(600〜700回)よりは遅い。
 運動不足やストレス、緊張、男性ホルモンの亢進、貧血、または各種精神疾患、生活習慣病(喫煙、肥満、高血圧、糖尿病)、甲状腺の異常、心臓疾患、腎不全による電解質異常などなど、頻脈の要因は多い。神大の医師はそんなものでしょうと、冷淡だが、リハビリの現場ではそうはいかない。
 脈拍数が100を切ればリハビリ再開だが、土曜日以降、まったく下がらない。医師は下がらないのを理由に安静を命じる。安静にしていれば脈搏はいつまで経っても下がらない。悪循環とはこのことでないだろうか。
 食事療法から呼吸法にいたるまで、あれこれ実践しているのだが、なにか良い方法はないものか。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月09日 22:02 | 固定ページリンク




豆カレーとミニ牛丼  |   一考

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 神戸物産で売られているインド産豆カレー2種、共に155円。神戸物産はとにもかくにも夥しい数のカレーを売っているが、なかでもピカイチのカレーである。比して左側が辛口、右側が甘口とでもなろうか。惜しむらくは量が300グラムと多いので1回では食べられない。わたしたちの食事は1単位80kcalで計算される。レトルトパウチ(恋愛至上主義者の学園漫画ではない)を3度に分けて頂戴するのはいかがなものか。

 先だって、牛肉をまったく食べなくなったと書いた。あまり食べないのもと思い、牛丼を食べることにした。すき家のミニ牛丼の具、冷凍3食詰めがラ・ムーで268円で売っている。同じものが拙宅の近所のスーパーではほぼ倍の520円である。1食が80グラムなので、わたしには恰度よい量である。ただし、カロリーは1食で132kcal、それだけで既にトップバリューの「ヘルシーアイ」を超える。
 先日、「わたしの身長だと、1500kcal/日までと医師から定められている」と書いたが、これは神大病院でのはなし。戸田中央では1200kcalまでとの指導を受けた。日本における1日に必要とする炭水化物の摂取基準をもとにした白米の量は男子243g、女子203gである。わたしは1日2食なので、1食は120グラム。それとドレッシング抜きのサラダのカロリーを牛丼に加えなければならない。
 もっとも、今日は脈搏を落とすため、食事抜き風呂抜き、極力おとなしくして寝ている。

追記
 牛丼のたれは吉野家をはじめとする専門店のたれよりもモランボンがもっとも旨い。わたしはモランボンの牛丼のたれを薄めて使っている。


投稿者:   一考  日時: 2015年03月08日 00:51 | 固定ページリンク




リハビリ中断  | 一考    

 リハビリの最中に倒れてしまった。本人は至って元気、倒れても気持は元気なのである。ただ、身体が付いてこない。血圧が急上昇、脈搏が早鐘のようで、どうにもならない。
 横になって、療法士の指示通り、2、3度足を上げたり下げたりしただけで、後の作業は中止。ベッドでひっくり返っていたが、何時までたっても直らない。
 結局、2時間ほど休んで帰ってきたが、次回の予約も立てられず。一昨日、エアロバイクで3キロ走ったのはなんだったのか。先が思いやられる。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月08日 00:02 | 固定ページリンク




ポルタレン  | 一考    

 病院でmoonさんと一緒だった。最近話すのは病院の看護師と療法士そしてmoonさんぐらいなもの。まるで老人の孤独死の予行演習である。そう云えば、先日のMac miniのCPU換装も病院の関係者だった。
 今日の血液検査の結果は思わしくない。いくら体調がよろしくとも問題は血液検査である。クレアチニン以下、ことごとくが悪化している。予想した通り、医師からも食事制限をすべきと。浦和の川久保病院で、サンドイッチを禁制品に指定されたのを想い起こす。
 行き着けの病院に安原歯科医院が加わった。昨日はじめて治療を受けたが、早速2本抜歯。痛み止めにポルタレンを1シート頂戴したが、わたしは毎度ロキソプロフェンを用いている。このように強力な鎮痛剤ははじめてである。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月05日 01:07 | 固定ページリンク




イヤホン  | 一考    

 オーディオテクニカのインナーイヤーヘッドホン ATH-CKS55X BKを買った。カナルタイプである。かつて阪神大震災の折、印刷会社の女性社員が逝った、イヤホンを耳にしたまま。

 子供の頃のトランジスタラジオを皮切りに、イヤホンとは親しく付きあってきたが、両耳にイヤホンを装着したことは一度もない。聴こえてくる音楽もさることながら、雨や風のさゆらぎにこそこころを奪われたから、もしくは性能のよいイヤホンを知らなかったからと云うのは共に理由にならない。なにが起こるか分からない世の中で両耳をイヤホンで塞いで生きられると思うほど平和呆けしていないと云うのが真実である。
 オーディオテクニカのそれがどのような位置を占めるものかを知らない。「おすすめ高音質カナル型イヤホンランキング 5000円以下の部」から選んだにすぎない。タイトルに5000円以下の部とあるからには高級品の部もあって、なかには5万円とのイヤホンもあった。
 比較の仕様がないのだが、ATH-CKS55Xが齎す立体感の豊かさと迫力に愕かされた。それゆえに三日ほどYouTubeに浸っていた。改めて、ちあきなおみと島津亜矢の歌の旨さに聴き惚れた。例えば「みだれ髪」は美空ひばりの情緒過多の歌い方より島津亜矢の方が傑れているのでないだろうか。「演歌」で「ブス」で「歌が上手い」と三拍子揃った歌手である。
 土屋アンナの「Let It Be」、大竹しのぶの「面影平野」の卓越した歌唱力にも愕く。劇中歌だった倍賞千恵子の「スラバヤ・ジョニー」がYouTubeに這入っていようとは、こちらも大層な愕きだった。「スラバヤ・ジョニー」はクルト・ヴァイルとベルトルト・ブレヒトのコンビで1942年に作られた曲、1956年にボリス・ヴィアンがフランス語の歌詞を付け、カトリーヌ・ソヴァージュが歌った。おそらく日本人で歌っているのは倍賞千恵子だけではあるまいか。

 件の女性の死から20年、悲しみの中からぼちぼちイヤホンを解放してあげてもよいのでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月03日 11:00 | 固定ページリンク




股関節  | 一考    

 明日からエアロバイクが10分に延長される。負荷は30ワット、ペダルの回転数は1分5、60回転である。60回転なら、およそ3.0キロの走行に該当しようか。
 最近は横に寝て、足をうしろへ跳ね上げるもしくはそのまま静止する練習が加わった。これは股関節にもろに響く。痛みが理由だが、身体を前へ屈めて歩く癖がついている。老人の姿勢の典型を思い起こしていただきたい。長期におよぶ入院はひとの身体をかくまで歪めてゆく。

 HbA1c(NGSP)が徐々に上がっている。腎不全の患者はやむを得ないと医師から云われているが、5.9から6.2と危険値ぎりぎりである。禁止していたカツ丼、パンと乳製品(マヨネーズ、ドレッシング、ヨーグルト、ミルク)等を摂るようになったからかもしれない。流石に、チーズ、バターは摂取していないが。
 それなりに自由は謳歌したので、そろそろ食事制限に這入ろうと思う。制限とは量と質の止揚であって、発展的統一とは体操に他ならない。他方、わたしの身長だと、1500kcal/日までと医師から定められている。


投稿者: 一考      日時: 2015年03月02日 17:03 | 固定ページリンク




ファーラン・イール  |   一考

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 FUARAN ILE はスコットランドのイアン・マックラウド社(マクロウド)がドイツ市場向けにボトリングしたモルトウイスキーの名、中身はラガヴーリン。ゲール語でアイラの泉の意だが、原音に則ってフーアラン・イーラ、もしくはファラン・イーラと読んでいたが、いつの間にかファーラン・イールに統一されたようである。
 このような表記はどうでもよろしいが、ファラン・イーラで検索すると出てくるのはですぺら掲示板のみ、ファーラン・イールだと30件ほど出てくる。

 往時、ラガヴーリンのディスティラリーズボトルが3500円ほどだった。値を上げようとした蒸留所が出荷制限をし、1万円を軽く超えるまでに値を上げた。その渦中に9000円から1万円で売り出されたのがファーラン・イールである。カスクストレングスと加水タイプがあって値は変わらなかったが、再入荷分から7000円から8000円ほどに値下げされた。わたしが知る限り、46度の加水タイプと5種類のカスクストレングス(55.0度、55.0度、55.5度、56.7度、58.0度)が頒されてい、すべてバーボンカスクである。扱いはTHREE RIVERS、ジャパンインポートシステムに居られた方が独立した。
 高騰したディスティラリーズボトルだが、ですぺらでは値上がりを見越して大量購入し、長く値は据え置いた。

 これからヤフオクで売ろうかと思っているので悪口は書かれないが、ファーラン・イールはラガヴーリンとしては中の下と云ったところか。去年の8月以来出品されていないが、その折の値段は1万円、まったく値上がりしていない。


投稿者:   一考  日時: 2015年03月01日 00:24 | 固定ページリンク




CPU換装  |   一考

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 知己のMac miniのCPU換装である。自分のMac miniで一度経験済みだが、やりたくない換装である。メモリやハードディスク、光学式ドライブなら構わないが、CPUは嫌である。写真左のCPUヒートシンクの留ビス(白いプラスチック棒にスプリングが付いている)が損傷するのが怖いのである。
 このピンはロジックボード裏側から外すのだが、ラジオペンチを用いる。壊れやすく、ピンそれ自体が入手不可能である。今回もなんとかうまくいったが、前回、二度とやるまいと思ったのである。元はLate 2006(Core Duo 1.66GHz)だが、換装するCPUがCore2 Duo T7400/2.16GHzである。同じ変えるのならCore2 Duo T7600/2.33GHzもしくはCore2 Duo T7800/2.60GHzにしろと云いたい。
 そして、それなりのトレードオフはある。本体底面がけっこう熱くなる、とりわけ冷却台は必需品になる。次に、定められたOS(10.6まで)しかインストールできないなどである。もっとも抜け道はいくらでもあって、他の機器でインストール済みのハードディスクを移植すれば良いのである。


投稿者:   一考  日時: 2015年02月21日 20:26 | 固定ページリンク




引越して初雪  | 一考    

 月曜日、雪の降るなかをリハビリに行く。但馬は北部南部共に大雪警報が出ている。戸田に住んでいた頃は雪の254号(川越街道)を日々バイクで走った。そのバイクで手脚が痙攣を起して事故を起こした。腎不全の明白な発症だった。

 プヒプヒさんから頂戴した電気ストーブがもっかのところ拙宅唯一の暖房機である。石油ストーブは使用禁止らしく、みなさんどうしているのかしら。この辺りはプロパンなので、ガスストーブに踏み切れなくて迷っている。そうこうしているうちに暖かくなるだろうと思っているのだが。
 2月に這入って寒くなった。頂戴したストーブは800ワットの小さなものだが、1月の電気代は2万円ほど掛かった。夏場のクーラーと変わらない電気代である。寒さは3月上旬までつづく、無断で灯油を買ってこようか。


投稿者: 一考      日時: 2015年02月11日 20:06 | 固定ページリンク




オランジェット  | 一考    

 わたしは昔から敬虔な林檎教信徒である。林檎神が与えたもうた試練を乗り越えて今なおMacユーザーであり続けている。しかし、チョコに関してはオレンジ教信徒に早変わりする。誰がなんと云おうが、オレンジピールチョコ(オランジェット)のファンなのである。
 赤坂にいたころは近くの菓子店(銀座コージーコーナーの支店)で買っていたが、引っ越してからは不自由している。もっとも、花の都三宮ならいくらでもあるのだろうが、チョコレートのために三宮まで行くのは勘弁願いたい。明石にも淡路にも有名店はあるのだが、わたしに云わせるとひどく不味い。
 オレンジの皮を砂糖で煮たのがオレンジピール、それをチョコレートでコーティングしたのがオランジェットである。チョコはともかく、問題はオレンジピールの作り方でないだろうか。流行なのか、最近は甜く柔らかく煮込んでいるものが多い。バレンシア産オレンジに固有の苦みが生かされていない、と云うよりも、国産のオレンジの皮を用いたものが多数を占めるようである。
 銀座コージーコーナーは不二家のような総合菓子店で、決して個性的な店ではない。しかし、オランジェットだけはわたしの口に合う。最近、御影にできたようだが。

 余談ながら、銀座コージーコーナー阪神・御影は昔、山本六三さんと広政かをるさんが住んでいたところである。6畳と8畳のアトリエに3畳の台所、わたしの故兄が作った風呂の小さな建物で、部屋から御影中学校の運動場が見えた。見えたと云うより、隣接していた。現在は立派な道路になっているが、このようなものはなかった。二人とも亡くなったが、十代の頃は通い詰めた場所だった。

追記
 風呂のリフォームに掛かった費用は六さんがポーカーで取り返していた。彼はポーカーの名手で、遊びに来る友人はみな餌食にされていた。


投稿者: 一考      日時: 2015年02月11日 14:37 | 固定ページリンク




ロマネコンティ  |   一考

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 45年のロマネコンティが1億円でヤフオクに出品されている。この後、52年までロマネコンティは生産されていない。故太田さんとわたしが飲んだのは74年。ワインラヴズの出品ゆえ、売る気満々だが。

 重く渋みの強いボルドーしか飲まないと云う若い女性が多い。ワインは熟成させれば香味はどんどん薄らいでゆく。黒みがかった暗いガーネット色は淡いピンクになり、飲みやすく口当たりの良いワインに化けてゆく。件の女性はなにか勘違いなさっているのである。


投稿者:   一考  日時: 2015年02月10日 06:48 | 固定ページリンク




古賀茂明氏が語る「I am not Abe」  | 一考    

 報道ステーションは見ているつもりだったのだが、この日に限って見ていない。こちらは是非お読みいただきたい。

 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/156835


投稿者: 一考      日時: 2015年02月05日 19:47 | 固定ページリンク




「若者はなぜイスラム国を目指すのか」  | 一考    

 池内恵さんの「若者はなぜイスラム国を目指すのか」と題するインタビューがある。イスラム国に関する、もっとも優れた記事である。わが国でここまで真摯にイスラム教徒を咀嚼し理解した例は希有である。
 池内さんはまず、「グローバル・ジハード」から書き起こす。
 「イスラム国に外国からの戦闘員が流入しているのはなぜか。この問題を理解するためには、まずイスラム国の唱える「グローバル・ジハード」の理念や歴史を知らねばならない。
 そもそもイスラム教徒は、自らが神と一対一の関係で結ばれており、一人一人が神の命令に従って義務を果たす責任を負っていると考える。つまり、世界のどこにいても、国家や民族を超えた一つのイスラム共同体に帰属している、という意識がある。そこから、たとえ他国であっても、異教徒に支配された国があれば、自ら戦いに赴いてジハード(聖戦)で解放する義務があるという考え方が出てくる。これがグローバル・ジハードだ。」

 http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html

 さらに、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題を提起する。
 「西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか」

 池内さんは欧州の移民がイスラム入りする動機は差別や貧困ではなく、「自由からの逃走」だと大書する。
 ドイツの国家意識、フランスの国家主権を賭しての表現の自由、そうした欧州の伝統そのものを超えたところにイスラム共同体があるとしながらも、イスラムの暴力的な側面に関して極めて批判的である。

 「イスラム教の解釈の方法論や体系そのものの改革を行わなければ、過激思想を退けることはできない。例えば、「コーランの中の異教徒への抑圧や個人の権利を侵害しかねない特定の章句は、現代社会では適用されない」と明確に宗教者が議論し、コンセンサスとして大多数のイスラム教徒に広まっていかなければ「イスラム国」の思想は論駁できない。いわばイスラム教の「宗教改革」だが、しかしその可能性はかなり厳しいといわざるを得ない」
 「そのような改革を実現するには、ヨーロッパ中世が経験した宗教戦争の惨禍や、ルネサンスの熾烈な思想闘争がなければならない」と池内さんは結論づける。

追記
 池内恵さんは池内紀さんのご子息である。昔、池内紀さんの二冊目の著書を拵えたのを惹い起こす。池内恵さんは「現代アラブの社会思想」以来、嘱目している。


投稿者: 一考      日時: 2015年02月05日 19:20 | 固定ページリンク




ウィシュケ  | 一考    

 新しいリハビリテーション計画書に、身体機能変わりなしと記載されている。エルゴメーター(エアロバイクのこと)は5分に延長、毎回1キロほど走っている。次回は7分、やがて10分へと引伸されるだろう。心待ちにしている。
 「アナフィラキシー」で書いたが、アレルギーに関して神大病院でも検査をしていただいた。本日結果が出たが、わたしにアレルギーの気配はまったくない。失神は猛烈な痛みが齎すもので、その痛みが嫌なら酒を嗜むなとのお達し。なんともはや、澆薄なものである。
 かつて、ありとある飲食物にさまざまな制限を設けられ、煙草を、二輪を、運動を禁止され、最後に戸田の瀬戸口医師から飲酒だけは認められた。その酒がわたしから遠のいてゆく。


投稿者: 一考      日時: 2015年02月04日 23:57 | 固定ページリンク




ウイスキーエレメンツ  |   一考

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 松友さんから宅急便が送られてきた。中身は「Whiskey Elements」、「たった24時間で3年分もウイスキーをおいしくする」と題された木片である。
 詳しくは下記サイトをお読みいただきたい。「Whiskey Elements」のホームページではなく、実践編である。

 http://gigazine.net/news/20150123-whiskey-elements-review/

 ウイスキーは元々は透明の液体である。熟成に用いる樽の成分が滲み出て琥珀色に変化してゆく。ホームページには「Whiskey Elementsは、毛管作用による蒸散を活用するように設計。エレメントを水平にカットすることにより、ウィスキーが短い距離で毛細血管の表面を繰り返して進みます。このプロセスを毛管現象による蒸散加速と呼び、独自の加工処理や養生方法でウイスキー樽を再設計しました・・・化学物質や添加物なしの100%自然なプロセスです。加工処理は独自のものですが、風味は温度と時間に由来します。 20度の温度変化で、メープル·オークの味からアーモンドコーヒーの味まで変えられます。驚くべきことに、加工の過程の小さな変化でも、風味に劇的な効果が現れます 」と著されている。

 樽でなく、チップや木片を漬け込んでの香り付けは以前からあって、例えば禁止されたが、コンパスボックスのスパイスツリーなどは良く知られる。メーカーズマーク46のごとく、フレンチオークの板をアメリカンオークの樽へ入れた、謂わばダブルマチュアードのような効果を狙ったウイスキーもあった。ウイスキーエレメンツは発想としては従来のものだが、オーブンで木片を深煎りするところが味噌である。
 ウイスキーエレメンツのフレーバーはオーク、バニラ、メープル、スモーキー、ピーティの5種類があり、それぞれ香りの行き着くところが異なる。安いものではないが、ウイスキーの香味を自ら思うように変えられるのは魅力である。
 わたしはこのような方式に大賛成であり、ご教示いただいた松友さんに感謝したい。


投稿者:   一考  日時: 2015年02月03日 10:50 | 固定ページリンク




有志連合  | 一考    

 このところイスラム国のニュースで持ちきりである。この事件は最初から結果が決まっている。2億ドルの身代金を支払う国はないし、サジダ・アル・リシャウィをヨルダンが釈放するわけはない。それよりなにより、イスラム国の目的はサイクス・ピコ体制の打破をはじめ、別のところにある。

 2013年6月に北アイルランドで開かれたG8サミットで、「テロリストに対する身代金の支払を全面的に拒否し、世界中の国及び企業に対し、我々の後に続き、テロリストにとり格好の他の収入源と同様に身代金を根絶させるよう求める」との共同声明が出ているにもかかわらず、ドイツ、フランス、イタリア、スペインとデンマーク(G8ではない)などは身代金を支払っている。
 アメリカもわが国も過去において身代金を支払っている。日本赤軍による1977年の日航機ハイジャック事件のときは福田赳夫首相が「一人の人の命はこれは地球よりも重い」と云い、超法規的措置が取られた。その後も否定し続けているものの、政府はイスラム過激派などへの身代金支払いを繰り返してきた。
例えば、イランで誘拐された横浜国立大の男子学生が解放された事件では、外交機密費から約2億円をイラン側に支払ったと、政府関係者が明かした。このような事例は枚挙にいとまがない。
 身代金支払いの是非は問わない。一方的な暴力やテロの目的が金銭である場合、応じざるを得ないからである。ところが、安倍晋三首相は「このようなテロ行為は言語道断であり、許すことのできない暴挙だ。強く断固として非難する」または「あらゆる外交ルート、手段をつくして解放に全力をあげている。後藤さんの救出、解放に関係各国としっかり連携をとりながら全力を尽くしていきたい」と繰り返すばかりで、具体的な手立てはなにひとつ打たない。リシャウィにしてもヨルダンこそ良い迷惑である。

 イスラム国が、後藤健二さんの妻に送りつけた身代金要求のメールは、昨年11月から今年1月上旬までに10通前後に上るようである。この遣り取りのなかで、身代金は約10倍に引き上げられ、安倍首相の中東訪問中には約1500万ユーロ(約20億円)の要求額になったと云う。早い段階で手を打っておれば安価に済んだものを。
 安倍首相の冀求するところはテロ組織壊滅のための有志連合へ参加することである。本音はイラクとシリアを空爆したいのだろうが、そのためには憲法を改正しなければならない。安倍首相が範とするのはアメリカとイギリスであって、ドイツとフランスのごとく軟弱な国家は儀形にならない。これでは朝鮮民主主義人民共和国の拉致問題など百年経っても解決できようはずもない。

追記
 去年の8月、そして10月から日本政府は民間人の人質の死はやむを得ないと判断していたようである。安倍晋三は恐ろしく冷酷な男である。さまざまな解釈があろうが、わたしの云う政治は安倍の政治とは相容れない。自国民に死刑を宣告するような政治などあってたまるか。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月26日 03:27 | 固定ページリンク




エアロバイク  | 一考    

 12月12日からほぼ1日置きで続けているリハビリがやっと次の段階へ進んだ。本日からコースの中にエアロバイクが這入ったのである。ただし、3分間だけである。負荷はかけずに30キロの速度、心泊数110から120まで。1分間隔で血圧を計りながらのエアロバイクである。心泊数には問題があって、普段でも110はある。
 リハビリの目標のひとつは自転車に乗ることなので、このようなヨチヨチ状態であっても始ったのは嬉しい。さて、どうなることやら。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月23日 23:39 | 固定ページリンク




万代  | 一考    

 洋酒用の梱包資材を買いにヤマト運輸へ出掛けた。ヤマト運輸のねきに万代というスーパーがある。本社は大阪だが、神戸市西区伊川谷町にも支店が設けられている。知ってはいたが、いままで這入ったことがなかった。はじめて這入ったのだが、良いスーパーだと思った。わたしの云う良いとは店舗に這入っている魚屋が好ましいとの意である。小型だが長崎の養殖トラフグが2580円、明石の馬面ハギが388円で売っている。自分で下ろせるならこれほど廉いものはない。
 わたしは編輯者になる前、10年ほどフグ専門の板前心得をしていた。たかが10年とわたしも思うが、前歯、血抜き、卵巣と肝臓の除去は済ませている。もちろん他にも食べられない部位はあるが、そもそも身と皮以外をわたしは食べない。次回、10万円を超えるウイスキーが売れた折には、是非フグを食したいと思った。

追記
 卵巣と肝臓は除去されていると書いたが、除去していないと処理に困る。拙宅の近辺に野良猫や鴉はいないが、業務店のような完全処理は難しい。昔、トラフグの目玉を喰った野良犬が走り回って死ぬのを見た。フグは怖い食い物である。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月21日 21:01 | 固定ページリンク




オコゼ  | 一考    

 オークションには評価と云うのがあって、いろいろとトラブルが生じる。最近は評価を嫌がる方が多く、3割は梨の礫である。そもそも、人が人を評価するなどあってはならないことである。よって、梨の礫はなんとも思わない。ただ、荷物が着いたときは連絡が欲しい。割れ物などが無事に着いたかどうかを知りたいからである。到着の連絡もなし、評価もなしでは当方は不安になる。その旨の連絡にすら無音というのがある。
 他人からいかなる評価を得ようが、わたしは「非常に良い」しか用いない。送られてきた陶器が割れていたこともあり、梱包方法を注意はしたが、評価は「非常に良い」である。喧嘩が目的ではないし、性善説に則っているからである。
 一方的に「非常に悪い」を頂戴したことがあるが、前述の通り、こちらは「非常に良い」で対応した。取引相手は謝罪してきたが、一度ついた評価は変わらない。そして、良かろうが悪かろうがそのようなことはどうでも良い。

 今回は取引ナビを読んでくださらないこと、日本語が不自由であることの二点が重なって閉口させられた。言葉が足らないときは電話に限る、長電話ですべてはうまく収まった。おかげで、久しぶりにラ・ムーへ白身の握り寿司を買いに出掛けた。ところが、ディスカウント・センターに相応しくないオコゼが売られていた。近海物、煮付け用となっている。16センチほどの小型が5匹で544円。背の毒針は除去しているが、腹の方はそのまま、処理を心得た板前の手になるものである。こんなに嬉しいことがあろうか、他になにもいらない、オコゼだけを抱えて家路を急いだ。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月20日 20:39 | 固定ページリンク




御下命  | 一考    

 スプリングバンク25年のアクセス総数が1000を超え、愕かされた。ですぺらをはじめた頃のショットの値は2000円、閉店時の値は3500円だった。オークションでの売価は10万円である。
 家人に云わせると、NHK連続テレビ小説「マッサン」のおかげでウイスキーがブームだとか。わたしは見ていないので良くは分からないが、商売のサントリーに対して良心のニッカの図式になっているのではないかと思う。良心のニッカなど後生の誰かが拵えた伝説に過ぎない。ニッカは創業以来、一度もピートを焚いていないとだけ云っておきたい。

 オークションのことだが、高額品の入札者には中国人が多い。差別する気はまったくないが、差別せざるを得ない状況に追い込まれる。住所の連絡もなく、二日以内に商品が到着するようにとか、明日中に代金を振り込むと言い乍ら振り込まれないとか、送り状にヤフオクの商品ID番号を書き入れろとか、事前に評価しろとか、およそ理不尽な物言いばかりである。取引をうまく取りまとめようとの意思がまったく伺えない。すべて自分に都合よくである。
 今回は明日中に振り込むので、明日中に商品を到着させろとのご下命である。当方は運送屋ではない、荷物がいつ着くかはわたしには分からない、勝手にしろである。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月19日 10:50 | 固定ページリンク




エロエロ  | 一考    

 ガパオですが、拙宅の近所(明石市大道町)のタイレストラン「ライタイ」にありました。名称は「ホーリーバジル炒め目玉焼き乗せ」とか。タイ人による経営ゆえか、随分と即物的な名称です。
 神戸物産が営むスーパーにガパオの缶詰が売られていたようです。今はツナのイエローカレーとチキンレッドカレーしか在庫していませんが。おそらく奈良のインターフレッシュの扱いではないかと思われます。
 いなば食品「とりそぼろとバジル(ガパオ)」、アライドコーポレーション「タイガパオチキン」、マルハニチロ「ガパオ」、明治屋「エスニックごはんの具 ガパオ」などがあるようです。廉いのはいなば、辛いのがマルハニチロ、旨いのが明治屋のようです。
 いずれにせよ、クックパッドでそれらをベースにしたレシピが載っています。丼式で食べるよりもチャーハンの方が美味しくいただけます。
 タイ産の罐詰は大体100円で売られていますが、結構なお味です。わたしは愛好しています。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月16日 06:23 | 固定ページリンク




「BOSS」  | 一考    

 杉下右京警部が番組内で「味あわせる」と云っていた。東京大学法学部を卒業後に渡英、帰国後キャリアとして警察庁に入庁したひとらしからぬ言葉遣いである。
 朝日テレビではないが、警視庁刑事部科学捜査研究所から警視庁捜査第一課特別犯罪対策室へ移動となった木元真実巡査が「散華」を「さんか」と云っていた。聞くところによると、神田女子大学理学部卒だそうである。確か、彼女はわたしと同じ中学校卒業と思っていたのだが、いつの間に神田女子大学を卒業したのであろうか。
 仏教での散華はともかく、靖国神社の云う象的、観念的な美辞麗句としての散華など願い下げたい。もっとも、木元巡査は単に死人の代わりに遣っていただけだが。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月16日 04:57 | 固定ページリンク




ありがとうございます  | エロ子    

一考さま

エロ子です。お久しぶりです。住所拝受、ありがとうございました。書き込みがしばらくないと、わたくしが本格的にエロ子と名乗らなくてはいけなくなるような気になってしまい、どきどきしていました。いつかは忘れましたが、だいぶん前に、これからはエロ子と名乗れ……と一考さんに遺言されるという奇妙な夢をなぜか見ました故。


投稿者: エロ子      日時: 2015年01月15日 23:35 | 固定ページリンク




手紙  | 一考    

 賀状を頂戴したが、返礼は出さない。事前の年賀欠礼状すら出さない。事情は当掲示板の「はじまりです」に著したごとく。
 それはそれとして、住所の問い合わせがエロ子さんよりあり。過去一度掲げたが、番地のみ削除した。考えてみれば削除の要もないので再録する。再録したからと云って、わたしは手紙を認めない、不悪。

 〒651-2137
 兵庫県神戸市西区玉津町出合37-1 シャーメゾン出合206


投稿者: 一考      日時: 2015年01月15日 19:21 | 固定ページリンク




アナフィラキシー  | 一考    

 神大病院の医師によると、移植の予後を診ているのでそれ以外のことは分からない、循環器内科で調べるしかないだろう、と。循環器内科は戸田中央の心臓血管センター(心臓血管外科を含む)に相応する。こちらは戸田中央へ下血で入院中に徹底的に検査した。循環器学の原点とも云える高血圧、虚血性心疾患、不整脈、心筋症、大動脈瘤、心不全、感染症(感染性心内膜炎・心筋炎)等々である。
 もっとも疑っていたアルコール不耐性なら、穿刺の際のアルコール消毒にも反応する。戸田中央の医師は真っ先にアルコール不耐性を退けた。

 素人判断だが、症状から逆算すれば、クームス分類の I型アレルギーのアナフィラキシーショックが疑われる。血管拡張や血管透過性亢進などが起こり、急速な血圧低下によるショック状態を呈する。ただし、アナフィラキシーだと皮膚の異常(発疹や蕁麻疹が)が先行するはずなのだが、そのような症状はなにもない。
 さらに、なにかを食べて惹き起こされるのであれば納得がゆく。うどん屋で失神したことがあるのでそれが剴切となろうか。しかし、1日、2日なにも食べていないのに失神することがある。例えば、戸田中央のトイレでの失神などがそれに当たる。血液検査の日は前日から水以外は禁止されている。免疫抑制剤の体内残量濃度が計られないからである。
 埼玉では月に1回は失神していた。そして失神がもっとも激しかった頃はほとんど食事を摂っていない。いかなるアレルギー反応であれ、引き金となる食物アレルギーがあるはず。食物アレルギーの過多を占める鶏卵、蕎麦、ピーナツ、ナッツ類などは昔からわたしの好物であり、それらを食して異常を呈したことがまったくない。ないと云うよりも前述したごとく、食事もしていないのに出現するアレルギーなど存在するのだろうか。

 食べ物でなく、対象が薬ならことは深刻である。現在服用している薬は止められない。前項で著したごとく、服用中止は死を意味する。そして皮肉なことに、ステロイドはアレルギーの特効薬でもある。
 アナフィラキシーの検査としてはブリックテストやRASTが考えられる。後者は長期間を有し、根気よく治療する必要がある。また、食物アレルギーの専門医は寡ない。県下で小児科医を除くと10人もいまい。さて、ピーナツを食べて平気なひとがアレルギー検査を受けるべきなのかどうか、「エポケー」とでも云っておこうか。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月08日 12:09 | 固定ページリンク




春の七草  | 一考    

 病院の帰り、蕗、菜の花、七草を買ってきた。今年の正月は粥しか食べられなかったが、これで七草粥と七草茶漬けが食べられる。和牛や鮪のトロのごとく、脂が多くてしつこい食べ物はなにがあっても食べたくない。
 東京ならまだしも、ここは明石、磯魚がいくらでも捕れる。カサゴ、ハタ、イシダイ、クロダイ、メジナ、ブダイ、ベラ、カワハギ等々、なかでも、カサゴ目のオコゼは最高級の魚である。これだけあってどうして、マグロのような下品な魚を食べるのか、わたしには理解できない。
 東京でも磯魚は捕れるが、末端の魚屋ではほとんど売られない。猫も杓子も一辺倒にマグロ、ギュスターヴ・ル・ボンを持ち出すまでもなく、群衆とは同じものを嗜好する。従って、磯魚は一部の割烹や高級寿司店へのみ流れる。

 ところで失神だが、内科医であっても分からないと思う。戸田中央でも泌尿器科、呼吸器内科、消化器内科、心臓血管センター、整形外科の各医師が調べてくださったが、直接の因果関係は分からずじまいだった。
 田中整形も血圧の急激な変動の理由は現状では分からない、と正直なご意見。実は神大病院でも水端に訊いているのだが、ヘマトクリット(ヘモグロビン)しか思いつかないと云われている。リハビリにせよ、アルコールにせよ、血圧が変化するのは当然なのだが、それが失神にまで至るところが不思議である。明日の血液検査でどのように説明しようかと思い悩んでいる。

追記
 入院中の失神は仕方ないが、自宅での失神はことごとく放置してきた。当然、医師からは叱られる。救急車を呼ばない理由は、心臓マッサージはともかく、人工呼吸器での気管挿管とベッドに縛り付けられるのが嫌なのである。腹を抱えての七転八倒、ベッドからの顛落を防ぐための拘束なのだが、この拘束が痛みをさらに増幅させる。戸田中央の医師は何度も経験しているので、聞き届けてくださるのだが、知らない医師だと身体を雁字搦に縛りつける。わたしにとっては耐えられない苦痛なのである。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月06日 14:30 | 固定ページリンク




新年  | 一考    

 失神とは血圧が下がった結果であって、血圧が下がればはらわたがねじ切れるような痛みと冷や汗が吹き出てくる。血圧が80-40になると激痛に襲われ、70を切ると痛みで失神する。わたしの場合はその数値が基準になる。失神の症状については過去20回ほど詳述してきたので繰り返さない。
 大晦日に血圧が下がり、少し落ち着いた状態で血圧が80-40だった。70は切らなかったようで、失神にまで至らずに済んだが、痛みはいまなお続いている。
 失神の理由は大脳皮質全体や脳幹の血流低下である。例えば、大食をし、一時的に血流が胃腸に集中するなどである。もっとも、わたしの場合は慢性の貧血もしくは度重なる下血が理由の大方を占めていた。神戸へ引っ越してからは下血が鳴りを潜め、貧血が幾分改善され(ヘマトクリット値が35から36)、失神から解放されたと思っていた。ところが、2度の経験で、引っ越してからの理由が貧血でなく飲酒だと分かった。

 明日5日と7日が通院日で後者は神大病院での血液検査である。通常の84項目の血液検査ではアルコール不耐性またはアルコールすなわちエタノールが代謝されてできるアセトアルデヒドと免疫抑制剤との関係は分かるまい。あるいは再生不良性貧血なども考えられる。いずれにせよ、症状を詳しく医師に伝えなければならない。医師は間違いなく困惑するだろう。アルコールと失神を結びつける病気など存在しないからである。戸田中央でも貧血以外に失神に至る因果関係は分からなかった。

 はなしは変わるが、わたしは高血圧の貧血である。腎障害の患者はほとんどがそうである。よって多量の降圧剤を服用している。一方で、この降圧剤は貧血を引き起こす要因にもなる。
 移植を経験すると生涯ステロイド剤が必要になる。ステロイドの服用を忘れるとそれは死を意味する。ところが、このステロイドは深刻な副作用を齎す。そして二度ほど死に掛けた潰瘍性大腸炎もステロイドによってかろうじて抑えている。ちょいと難儀な問題を抱え込んだようである。                    
 明日までになんとかしたいので、無理矢理入浴する。尾籠な話だが、入浴中、トイレへ二度駆け込んだ。正月用に贖った食料品はなにひとつ食していない。水菜や三つ葉など足の速いもののみ、お浸しで頂戴す。一日からミヤBMを服用、ぼちぼち効果が顕われるはずである。


投稿者: 一考      日時: 2015年01月04日 17:42 | 固定ページリンク




神大病院への道  | 一考    

 神大病院での治療日、帰りは2号線を用いることが多い。海沿いの道が好きなのと帰りに白身の握り鮨を買うのが楽しみなのである。行きは時間を短縮したいので、21号線を走る。
 つい先頃、65号線があるのを思い出した。玉津橋から玉津橋小学校を経て16号線へ抜ける。伊川谷駅を右折して65号線へ、あとは総合運動公園を経て雲雀ヶ丘の山麓バイパス入り口まで一直線である。で、有料の山麓バイパスを避けて夢野2丁目へ抜ける。この夢野2丁目とひよどり台の間は、品川鈴子さん宅へ日参するのに何度も走っている。65号線は途中で22号線を右折して板宿へ、もしくは長田へ抜けられる。僅かだが、21号線より早く神大病院へ着きそうである。

 海沿いで思い出したが、昔、武内ヒロクニさんから坂道の途中にある喫茶店を紹介されたことがある。まるでスタジオジブリの映画「コクリコ坂から」に出てくるような喫茶店で、坂の向こうには海が拡がっている。場所は港町か岬町だったと思うのだが、定かでない。武内さんが一言「いいだろう」、彼ならではのステキな光景だった。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月27日 13:26 | 固定ページリンク




アンクルウエイト  | 一考    

 yfさんが書かれている足の重しとやらを病院で確認してきた。500グラム、1キロ。1.5キロ、2キロ、さらに重いウェイトといろいろあるようで、2キロ以上のものは学生やスポーツ選手用とか。
 500グラムと1キロを装着してみたが、ズシッとくる。もっかのところ、震えの軽減と関節可動域の拡大が目的の初期ストレッチを試みている、と理学療法士。従って、アンクルウエイトはまだまだ先のはなしだそうな。
 病院は28日から4日までお休み、今日が最後の治療になる。理学療法士には女性も多いが、なかに栃木、埼玉、徳島、神戸と渡り歩いた御仁がいらして三郷にも詳しい。飲み屋に興味があるらしく西明石のノットホールを紹介する。いずれ、飲みに行くことになるだろう。

 自転車に乗ると屡々書いているが、自転車をカート代わりに用いているのであって、颯爽と跨がり漕いでいるわけではない。下りならともかく、ごく僅かな坂であっても登られない。スーパーへは頻繁に出掛けているが、カートがなければスーパーの中の移動もままならない。たまにカートに頼らず、店内へ飛び込むこともある。埼玉時代のように失神はしないが、座り込んで動かれなくなるのは必至。家人から一年掛けて1キロほど歩かれるようにしないと、と云われている。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月27日 10:01 | 固定ページリンク




yfさんへ  | 一考    

 ありがとうございます。「重さのある道具」はまだですが、付けずに脚の上下運動をしています。それと卓子に手をついての爪先立ちです。免疫抑制剤の影響で手脚の震えがひどいのですが、いずれは直るでしょうと云われています。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月20日 21:17 | 固定ページリンク




身体の能力  | yf    

 身体の能力は、使わなければ、弱って行きます。「重さのある道具」を足に巻いて朝軽く膝を2〜5センチを上げて膝を強化する運動があります。小生はこれを使って朝、腕の上下運動を始めました。10度でダウンが20度にまでになり、今度は前に出す運動をしています、少しづつです。お試しあれ。ご病気に無理がかからないように祈っています。


投稿者: yf      日時: 2014年12月20日 18:08 | 固定ページリンク




リハビリテーション2  | 一考    

 寒いときのリハビリは困る、身体が悴んで折角のリハビリが意味を失う。一昨日も今日もリハビリだが、取敢えず病名が決まった。運動器不安定症と云うらしく、主たる目標はADL自立度向上、移動能力向上(歩行、階段昇降)、疼痛の軽減となっている。
 医師によると「要介護2」に相当するらしいが、排泄、食事、入浴、薬の服用、電話、洗濯、掃除などが自分でできる要介護者はいないだろう。「要支援」ならいざ知らず、「要介護」はあたるまい。いずれにせよ、要介護認定(第27条)の曖昧さを知る。
 先日、数年ぶりに腕立て伏せに挑戦した。3度試みたのだが、激しい動悸と吐き気に襲われて止めた。吐き気の理由を医師に訊ねたところ、血圧同様、心肺能力の低下が理由だが、よりによって腕立て伏せを試みるなど常軌を逸している、と叱責を受けた。
 かつては腹筋、背筋、腕立て伏せ、懸垂が50回ずつ出来たのだが、との弁に「それは昔」と一言のもとにはねつけられた。年寄りはみなさん時間が静止する、まるで青春の渦中であるかのごとく。気張る(関西弁でいきむ、りきむの意)ような体操は止めるべし、「軽度のストレッチ運動」の軽度とは気張らないこと。普通に呼吸をしながらの運動に徹してくださいと云われた。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月20日 16:39 | 固定ページリンク




報道番組  | 一考    

 前項で「高倉健、全共闘、澁澤龍彦を並べると、共に思想のなさに於いて見事に統一されている」と書いた。思想のないのが必ずしも徒爾とは限らないが、このようなことはですぺら掲示板でしか書かれない。SNSだと雑言として物議を醸す。流れに棹差すのがSNSの常であって、わたしのように逆らっていると顰蹙を買うばかりである。SNSは北アフリカで見られたごとく、独立や革命に対する民意のうねりをなすと同時に、一方で衆を頼んだ横暴や苛斂を生む、謂わば諸刃の剣である。

 報道ステーションの前身ニュースステーションのメインキャスターは久米宏だった。ニュースステーションはテレビ朝日とオフィス・トゥー・ワンによる共同制作だったが、報道番組の制作が外部に委託された端緒でなかったか。これも異例だが、久米の個人的意見を番組に挟み込むことで従来の番組との差別化を図った。
 久米の文言や番組の基本姿勢は、久米がマスコミ人として持っている反権力、反体制、反戦争と云った信条を色濃く反映したものだった。このような趣旨はNEWS23(ツースリー)の筑紫哲也と同じものだが、一部自民党や保守派などから偏向しているとの根強い批判や反発を招いた。
 報道ステーションもニュースステーション同様、制作は外部委託で、古館プロジェクトがその任に当たっている。今回の朝日新聞の誤報(捏造)問題に対する古館の発言と、1996年3月25日の多事争論に於ける筑紫哲也のTBSビデオ問題に対する発言を重ね合わせるとふたりの性格、信条の違いが読み取れて興味深い。

 朝日新聞の「信頼回復と再生のための委員会」社外委員4氏のうちのひとり国広正は「朝日新聞には「事実(ファクト)に対する謙虚さ」が欠けています。自らの主張にこだわるあまり、ファクトに対する詰めが甘いのです」と発言しているが、ファクトを蔑ろにする新聞など存在してはならないとわたしは思っている。
 新聞社はファクトを伝え、読者はその是非を判断する。新聞社が主張を持つなど賢しら口を一歩も出るものであるまい。それでなくとも、朝日新聞は先の大戦に於いて戦争を煽りつづけた。戦争礼讃から反対へと立ち位置がいかに変わろうとも、その根幹にはオピニオンリーダーとしての矜恃と逞しい商魂がある。
 前記4氏のうちの古市憲寿は、「「再生」ということは、朝日新聞は一度「死んだ」という理解でいいのでしょうか」と著しているが、これは筑紫哲也の趣旨を擬えている。新聞社と放送局ではまるで違うが、古舘伊知郎はおそらく筑紫哲也より、朝日新聞より、さらに左翼に位置する信条の持ち主であろう。
 いずれにせよ、朝日新聞が惹き起こした問題が引き金になって戦後民主主義を標榜する人々、いわゆる進歩的文化人たちは肩身が狭くなったに違いない。谷沢永一に「悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人」との著書がある。同書は後年「反日的日本人の思想―国民を誤導した12人への告発状」「自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状」と改題、上梓されている。いずれにせよ、今では「反日左翼、自虐史観」との非難が渦巻いている。

 「反日左翼、自虐史観」が右巻きか左巻きか知らないが、鳴門の渦潮はコリオリの力に関係なく、潮流に沿って右側には右巻き、左側には左巻きの渦が巻くそうな。ちなみに、ポーの「メールストロムの渦」は右巻きである。
 ひとの信条に右左があるように、ファクトにもきっと左右があるに違いない。どうでも良いこととどうでも良くないことが、左右との概念それ自体が入れ子構造になっているのかもしれない。自らの立ち位置や信条と云ったものは無視するに如くはない。右から左へ左から右へ、小から大へ大から小へ、思惟するとは迷うことであり、立ち徘徊ることであり、相互嵌入の世界に踏み入ることである。一瞬でも立ち止まれば、それは精神の腐敗を死を意味するのかもしれない。

追記
 すてきなサイトである、ぜひお読みあれ。とりわけ渦と螺旋の深淵は面白い。

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/reft-right.htm


投稿者: 一考      日時: 2014年12月16日 00:37 | 固定ページリンク




総選挙  |   一考

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Photo by Yuliya Libkina(CC BY 2.0)

 引っ越してはじめての選挙、自転車に乗ってたまつ幼稚園体育館へ行ってきた。総選挙ゆえ、ポリタスに書き込みが増えている。その内、フェイスブックのY・Hさんがシェアしている森達也さんの「【総選挙2014】もう投票しなくていい」は素晴らしい記事である。

 http://politas.jp/articles/307

 選挙へ行かないひとは政治、哲学、歴史、藝術についてなにひとつ語る資格はない。森達也さんも触れられているが、「言論の自由度ランキング」で日本は59位、そのようなことすら肯定して羞じない国民に藝術など関係あるまい。反復すが、投票に行かないとは現状肯定の明確な意思表示なのだから。
 それはそうなのだが、今回の選挙ほど面白くない選挙はなかった。しかし一方で、今回の選挙ほど大事な選挙もなかったと思う。「秘密保護法」や「集団的自衛権行使」などに擁られた自民党すなわち国民は愈々言論統制や憲法改正へと歩を進めるに違いない。

追記
 鈴木邦男、斎藤貴男との共著「言論統制列島 - 誰もいわなかった右翼と左翼」で森達也は「僕は、思想・信条から自由でありたいというか、むしろ特定の思想・信条やイズム(主義)にどうしても埋没できない。だからね、左でも右でも、まあ、どっちでもいい」「マルクスなんか読んだこともない」と発言している。

 現今の政府の要請は強力である。選挙期間中、テレビジョンはノーベル賞受賞一色、選挙運動の放送は見事に自粛された。別のところで書いたが、くだらなさで双璧とも云うべきみのもんたと宮根誠司。その宮根が小泉進次郎のインタビューで最后まで「うん」「うん」と詰まらなさそうに繰り返す、年長者に変わると途端に「はい」、権威を誇示する典型的なおバカタレント。


投稿者:   一考  日時: 2014年12月15日 15:46 | 固定ページリンク




問題多発  | 一考    

 リハビリだが、股関節に異常は見られなかった。骨密度はおそろしく低いが、これは致し方ない。而して、問題多発である。平常の血圧は140-80ぐらいだが、足を10回ほど動かすと高い方の血圧は170、さらに10回動かすと190を超える。要するに、運動量に応じて、血圧は際限なく跳ね上がる。
 医学的な意味に於いて持久力は乏しいが、筋力はある。ただし、筋力を使えば動悸、息切れ、頭痛(偏頭痛だが)、肩こりが激しくなる。中性脂肪値、コレステロール値は低く、水分は十二分に摂取、また塩分は極力摂っていない。烟草は止めたし、酒はほとんど飲んでいない。よって、この場合の高血圧は一時的なもので身体に影響ない。
 影響ないとは申せ、血圧が200を超えれば一切の運動は中止しなければならない。これでは歩かれない、と云うより「歩いちゃ駄目ですよ」と云われてしまった。ウォーキングは諦めて、「体をほぐすような軽度のストレッチ運動からはじめましょう」。週3回で「3箇月ほど掛けて少しでも歩かれるようにしましょう」との結果を得た。「少しでも」の内訳は500メートルとやら、情けないはなしである。
 降圧剤に関しては神大病院の医師と再度話し合って欲しいとのこと。しかし、現在でも相当量服用している。これ以上増やすことは望まない。

追記
 引っ越してこちらで飲み屋をしようと思っていたのだが、10分ほど立っていると足腰が痛くなる、それも尋常の痛さでない。こちらも筋力でなく、血圧が理由だった。手の施しようもなく、唯々困惑するばかり。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月12日 18:17 | 固定ページリンク




リハビリテーション  | 一考    

 引っ越してから一度だけ倒れた。自転車で西明石のノットホールから帰るなり階段の下で倒れた。とんでもない吐き気で、階段を上って家へ這入ることすらできない。駐車場の隅でゲーゲーやっていたが、その内、あまりもの激痛に襲われ気を失った。過去、わたしが昏倒したときに傍にいらしたのは周さんと川津さん。川津さんによると口から泡を吹いて小一時間は気を失っているそうな。
 意識が戻って車に乗り、座席に座り込んでから、家人に扶けを請うた。1時間はのたうち回り、それから失神したので、階段の下で倒れてから家人に電話するまでに2時間は経っていたように思う。

 体調を整える目的で拙宅の横の河原を散策、とりあえず200メートルほどを歩く。股関節が痛くなりこれ以上進むと帰られなくなると振り返る。家は目の前に見えている、5分もあれば辿り着くはずだった。20分ほど休憩し、歩こうと思ったが歩かれない、躄ると云うよりも匍匐のような為体で200メートルを移動、辿り着くに1時間を費やした。この辺りで諦め、リハビリを受けることにする。

 神大病院の担当医にリハビリテーションについて相談する。わたしは以前のように歩きたい、要するに筋力を取り戻したいだけである。よって、スポーツジムのようなところで良いのではないかと思った、エアロバイク、ルームランナー、レッグプレスやレッグエクステンションの類いである。ところが医師から整形外科医の指導が必要と注意された。
 整形外科医で親しいのは田中整形外科しかいない。20年ほど前、交通事故や骨折で何度も面倒を見ていただいている。今は二代目だが、田中医師によるとレントゲンやDXA検査が必要らしい。彼が心配しているのは、ステロイド剤が齎す股関節の異常である。同じことは神大でも云われた。検査日は本日金曜日、問題がなければ、即日リハビリテーションに這入る。結果次第で、週当たりの治療回数を決める。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月12日 09:34 | 固定ページリンク




 | 一考    

 随分と冷え込んだが、今年の神戸の雪はどうなのかしらん。埼玉における今年の2月、3月の大雪には困惑させられた。ただし、埼玉県内の外環道は自動車専用部(高規格幹線道路)と一般部(国道298号)が併設する構造となってい、三郷から戸田のあいだは外環の真下を298号が走っている。従って、いくら降ろうとも走行に支障はない。距離は三郷、戸田間と西区と兵庫区の神大病院との間はほぼ等しい。しかし、こちらは吹き曝しの道である。
 調べると2005年、2013年、2014年は積雪の記録がある。三郷のケースでは4、5日は走られなかった、それを想い起こすと気が気でない。通院日に降らないことを切に祈る。

 12月1日、冥草舎の西岡武良さんが逝いた。養護施設に這入られていたが、そこで亡くなられたようである。当掲示板で「男根扼殺者」を書いている。「冥草舎の西岡さんが書いて人口に膾炙するようになった「君、禁欲とは限りなく淫蕩になることだよ」との塚本さんの言葉がある。この文言に対する出自や詳細には一切触れない。私は扇動家であっても舌禍の一群ではないからである。問われるのは個性であって情報ではない・・・・・・塚本や足穂のような似非ホモは多い。ただ、似非であろうがなかろうが、そのようなこともどうでもよい。本質となんらの脈絡も有しないからである・・・・・・サドの女陰の封印同様、男根を扼殺しなければ淫蕩にはなられない。淫蕩とは妄想の謂いである。これは種村さんの「躄にならなければダメだよ」と消息を一にする。表現者とは人生の故買屋である。そして窩主で売買されるもの、それが妄想でなければなんなのか。」
 同時に、山中貞子(旧姓)さんが二豎に罹ったことを知った。透析治療のやむなきに至ったようである。共に西岡武良さんの嫡妻戸田ヒロコさんからの便りである。70歳を出ての透析治療は余命を宣告されるに等しい。最大5年、これはわたしが松戸のクリニックで云われたことである。それにしても末期腎不全とは。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月09日 16:29 | 固定ページリンク




ヘルシーアイ  | 一考    

 前項で近隣のイオンが今年一杯で閉鎖されると書いたが、インスタント食品は予てよりイオンに頼っていた。大塚食品の「マイサイズ」やトップバリューの「ヘルシーアイ」である。腎障害や糖尿病を患っている方は大方が世話になっているはずである。
 量すなわちカロリーを減らした食品であり、大塚食品の「マイサイズ」はすべて100kcal、100グラムから150グラムを中心に構成されている。ちなみに、「マンナンごはん」は1パック130グラムで150kcal、それにカレーを加えて250kcalになる。
 「ヘルシーアイ」は「マイサイズ」からさらにカロリーと塩分を減らした食品で、80kcalを1単位として、1日の摂取カロリーを抑えている。「中華丼(150グラム)」や「すきやき丼(115グラム)」はお気に入りで屡屡食している。発症当時、一日の摂取カロリーを700までに抑えるよう指導されたが、手の施しようがなく「ヘルシーアイ」に頼ったのを覚えている。食品もさることながら菓子の類いは貴重である。
 今では80、100,120kcalと指示されれば、その通りの献立を組み立てるが、当時は難儀させられたものである。移植を受けた後は1200kcalまでにとの指導を受けているが、これは基礎代謝を踏まえたものと解している。

 さて、昨今もっとも問題になるであろう食品はラーメンと栄養ドリンクの類である。栄養ドリンクを常用すると死に至るのはネット上で多くの医師によって証明されている。よって、こちらではラーメンについて著す。
 流行りの六厘舎のつけめんは1,182kcalだが、これなどはまだ低カロリーな方である。こってり味と称するラーメンには「1g=9kcal」もある背油が追加される。それだけでも、10gなら90kcalになる。ラーメンの世界では1,400kcalや1,500kcalを超えるメニューが当たり前になっている。昔の支那ソバ(醤油味)は400kcalだったが、際限なく濃厚な味付け、高カロリーになっている。ラーメン一杯が一日の摂取カロリーを超えてしまうとは。

 イオンはマックスバリュ、ダイエー、マルナカなど、夥しい数のスーパーを傘下に持っているが、そのすべてがトップバリューを扱っているわけではない。マルナカは比較的置いている方だが、流石に「ヘルシーアイ」は扱っていない。イオン西神戸店の閉鎖は仕方ないとして、みなさんがイオンショップへ移行するとも思われないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2014年12月08日 20:23 | 固定ページリンク




柳葉魚  |   一考

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 釧路市漁協が作り販売している「ミスターししゃも」。云うまでもないが、本物のししゃもである。今年一杯で閉鎖される近所のイオンに置いている。3匹480円、神戸の在にとっていささか値が張るようである。買っているのはわたしぐらいなもので、300円になり、半額になり、やがて棚から消えてゆく。
 はなしは変わるが、引っ越してから牛肉や豚肉をまったく食べなくなった。200グラム買って来たのはよいが、2箇月を経てまだ冷凍庫で眠っている。日々、さまざまな魚一色である。
 くん製風味とあるが、くん液すなわち木酢液を使っている。燻蒸したわけでないので、正確に風味と記載されている。これが肉類の加工品、生ハムからハムやソーセージだとインチキ表示が未だに罷り通っている。
 ししゃもは遡河回遊魚であり、晩秋に産卵のため溯上する。この時期の卵を持った雌を子持ちししゃもと云う。酒肴として珍重されるが、実は雄の方が高価かつ美味である。また雄雌共に大きい(太い)ほど味がよいとされるが、それには疑問がある。と云うのは、赤坂のスーパー吉池で小振りの雄を目刺しにしたものが売られていたが、過去食したししゃものなかで最も旨かった。
 雄の臀鰭は、10月頃からの性成熟に伴い二次性徴として伸張する。この現象は、カワヒメマス の背鰭およびオイカワと同様に抱擁器官として使われ、受精率を高めるために重要な役割を果たす。写真に映っている臀鰭も伸張が顕著である。鮭同様、全体が変色し、赤みが濃く(婚姻色)なり、オスの体には所々、墨のようなまっ黒な模様が入るようになる。また頭全体がこの時期特有の嶮しい形相になり、上方へ尖がっている。

追記
 書くまでもないが、ししゃもは世界中で北海道南部の太平洋側だけに生息する日本固有の貴重な魚。全国の小売店で販られている「子持ちシシャモ」は「カペリン」または「カラフトししゃも」と云うししゃもの代用魚。代用品とは申せ、属はまったく異なる魚であり、遡河回遊魚ですらない。風味や食感は本物のししゃものそれと比してまるで異とする。


投稿者:   一考  日時: 2014年12月07日 12:59 | 固定ページリンク




価値とはなんぞや  | 一考    

 ペダルの軸径に対する質問があった。出品はミカシマのクイルペダルである。当然、分解掃除をし、カンパのグリスアップを施している。掃除と磨きとグリスアップだけで3000円はするのだが、800円での出品である。大門未知子は手術が趣味だが、わたしは自転車とレガシーMacの分解修理が趣味なのである。
 クランクへの取り付けネジの規格はフレンチ、イタリアン、BSCとさまざまで互換性はまったくない、しかし、ロードペダルの軸径は基本9/16×20のインチネジと決まっている。1/2×20はワンピースクランクのみ。
 質問の主旨は9/16なのか軸径の細い1/2なのかと云うことだと思うが、1/2規格はアメリカ国内向けで、輸入品のBMXにごく稀に見られる。最近、アメリカからの輸入品が増え、規格はさらに混乱している。

 軸径ではなく、軸のネジは前述したように複雑である。イタリアンはブリティッシュと同じ表記の9/16×20だが、、ネジ山の角度が違うので互換性はない。フレンチは14mm×1.25mmとのミリネジ。フランス規格以外はアメリカンを引っくるめてすべてインチネジである。
 最後になったが「JIS(日本工業規格)」と「BSC/BSA(イギリスの工業規格)」は同じものである。

追記
 ペダルを取り付けるのがクランク、クランクを取り付けるのがBB(ボトムブラケット)。BBにはシェル幅で決まる68mmと70mmがある。古くからあるスクエアーテーパーはシマノ、スギノ、ストロングライト、タンゲ、カンパニョーロ等各社から発売されているが、テーパー(傾斜角度)が異なり、互換性はない。四輪車のホイールと同じで、売るために意味も無くテーパーを変えている。
 他に、オクタリンク、ISIS、パワースプライン、ホローテックII、ウルトラトルク、MegaExo、アクティブリンク、BB30等が開発され、今ではわたしの手に負えない。BBハンガー幅、内径寸法、対応フレームはことごとく異なッている。パソコンやスマートフォン同様、新しいものは「新しい」と云うこと以上の価値はなにもない。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月28日 13:20 | 固定ページリンク




日陰者  |   一考

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 写真は橋本治さんの作、撮影は町田仁志さんである。1968年東大駒場祭ポスターであり、「昭和残狭伝」の主題歌「唐獅子牡丹」の一節のパロディである。

 つもり重ねた 不孝のかずを
 なんと詫びよか おふくろに
 背中で泣いてる 唐獅子牡丹

 高倉健さんが死んだのはともかく、報道ステーションのあり方が物議を醸している。曰く「高倉健さんの訃報を学生運動に結び付けるトンデモ放送」「全共闘の美化」「高倉健さんの功績に関する紹介や死を悼む声とは懸け離れた「別の内容(学生運動)」を紹介」した等である。
 要するに、往時の学生運動と一俳優の死を結びつけるのが安直であり、高倉健への冒涜だと云うのである。もちろん、二者に哲学的(情念)関連があるとは思われない。しかし、情緒的関連はかなり深かったと思う。
 高倉健の任侠映画を見にゆくと、やさぐれや街の兄ちゃんばかりが客ではない。映画の端々で、とりわけ「死んでもらいます」との台詞には、間髪を入れず「異議なし」との掛け声が這入る。全共闘と思しき学生からのそれである。掛け声と云うよりは、機動隊と対峙する自らへの喚起であり、励ましだったに違いない。高倉健の映画を観、唄を口ずさみつつ、ヘルメットをかぶりマスクで顔を隠して街頭へ向かったのである。
 高倉健と全共闘では心情はおよそ相容れないものだったに違いない。にもかかわらず、安田講堂事件の渦中、高倉健論議がなされたとの記録が残されている。いまひとつ、澁澤龍彦の著書がシンパにとって聖書のごとく取り扱われたとのことである。特に「黒魔術の手帳」のようなどう顛んでも学生運動とは縁もゆかりもない三面記事を蒐めただけの著書が持て囃されたと云う。この三者、高倉健、全共闘、澁澤龍彦を並べると、共に思想のなさに於いて見事に統一されていることに気付かされる。
 報道ステーションのタイトルは「「義理、人情」と戦後日本」だった。報道ステーションすなわち古舘伊知郎の云いたかったのは「義理、人情」と「情念」との識別すらできなかったのが学生運動であり、延いては全共闘運動の向こうに戦後の日本人を、その限界を見切ったのでなかったか。

 Dailymotionで高倉健主演の映画を探した「あなたへ」が「致亲爱的你」、「ホタル」が「tomoko」、「駅」が「车站」や「m-station」、「居酒屋兆治」が「sayo」、「昭和残侠伝」が「昭和残侠传」、「新幹線大爆破」が「新干线大爆破」、「君よ憤怒の河を渉れ」が「译制经典」、「鉄道員」が「铁道员」、「遙かなる山の呼び声」が「远山的呼唤」と「A Distant Cry From Spring」等々、まるで判じ物である。それにしても、中国で高倉健の受けが良いのは不思議である。


投稿者:   一考  日時: 2014年11月26日 21:31 | 固定ページリンク




バート・マンロー  |   一考

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 http://business.nikkeibp.co.jp/article/campanella/20141106/273522/

 1920年製のボロボロの中古バイク、インディアンを50年間一人でいじり続け、68歳にしてついに単車の世界最速記録を打ち立てた男の物語。


投稿者:   一考  日時: 2014年11月25日 16:20 | 固定ページリンク




煮付け  | 一考    

 季節である、セコ蟹がスーパーに出回っている。3匹で799円、かつて当掲示板で書いたが、東京の某所で1匹5000円で売っている蟹である。食べたいのだが。アラの処理に困る。最近、金目やカワハギの煮付けを良く食するが、この場合も同じである。
 生ゴミを棄てるのは月曜日と木曜日の8時まで、アラが出るものはその前日に食べるように心懸けている。男の一人住まいの常として、ゴミの日をついうっかり忘れるとか、時間を逃してしまうとか、結果、冷凍庫がアラで溢れかねない。
 今日は水曜日、今からカワハギを買いに行こうと思っている。最もこのところ、ミヤBMを常時服用している。調子が今一なのである。小腸、大腸をはじめ、消化器官には神経質になっている。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月19日 15:10 | 固定ページリンク




G5のCPU交換  | 一考    

 G5のファンの回転が高くなる理由はいろいろだが、概ねファンの掃除で片付く。特に電源のファンに埃がこびりつくとひどくなるようである。
 埃ではなく、人為的な場合がある。接続ミスは当然だが、それ以外ではCPU交換である。ごく偶に異変が生じないときもあるが、基本ファンの暴走がはじまる。シングル、デュアルプロセッサーにかかわらずである。デュアルの場合は上下のCPUの取り付けを間違えただけでも発生する。わたしはシングルの1.6GHzを1.8GHzに換装しようとして失敗したことがある。
 G5は全部で14種類ほどある。2005年前期までのシングルやデュアルプロセッサと2005年後期モデルのデュアルコアもしくはクアッドコアで後ろ姿に差異がある。その内、2.5DPや2.7DPは水冷式CPUなので、購入してはいけない。空冷の2.0DPもしくは2.3DPにすべきである。
 そしてCPUを換装した場合はサーマルキャリブレーションによるCPU並びにファンの調整が必要になる。所謂ポン付けは不可能である。このキャリブレーションを取るソフトは修理センターや正規サービスプロバイダのようなところにしか置いていない。で、調整価格は1台につき9000円である。G5は中古で4000円も出せば買える。要するに、G5のCPU交換は端から諦めた方がよろしいかと思われる。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月19日 13:52 | 固定ページリンク




G4 Cubeにコンボドライブを  |   一考

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 みなさん、G4 CubeのCDドライブの排出不良で泣かされている。もしくはMacOSXは、DVD-ROMで提供されており、MacOSX動作条件の一つにDVD-ROM搭載のMacとなっている。それらがG4 Cubeを手放す理由だと思う。
 かつて、TAXAN(加賀電子)から「PowerBookG4専用内部交換型コンボドライブPBG4COMB」(39800円)が頒布されたが、同バルクは結局でなかった。あと、VINTEGE COMPUTERで「Cube 用 DL対応 8x SuperDrive AD-7640+BKT-C」(10980円)、spiricaから「スロットインドライブ マウントキット(for Cube)」(7350円)が頒布されている。しかし、いずれもが高値である。
 スリムタイプの旧ATAコネクターが付いたスロットローディングのコンボドライブ(Macintosh用)が今ならまだ入手可能である。それを生かそうと、「スリムドライブ→IDE変換アダプター」(555円)と「5インチ4ピンメス、3.5インチ用4ピンメス分岐電源ケーブル」(278円)を買ってきた。共に、エスエージェーの製品である。
 どこのドライブであれ、ATAコネクターの位置は左右が逆になる。従ってCube付属のアダプターは使えない。
 電源ケーブルの一方はペリフェラル電源コネクタオスだが、もう一方の3.5インチ用の口が手に這入らなかった。東京ならコンピュエースで口だけ買ってきて自作するのだが、明石や神戸にはかかるパーツが揃った電気屋がない。これは今後とも問題である。

 コンビニで売っている蒲鉾は板が薄い。極力板が薄そうな蒲鉾を2種類買ってきてCubeに当ててみる、ぴったりである。Cubeの表側の側板と光ドライブとの間に蒲鉾の板を挟み、両面テープで装着した。クラレのマジックテープの方が良いのかも。

 ちなみに、元々付いていたドライブはスレーブ設定されている。また、HDDはCS(ケーブルセレクト)の設定になっていた。できるだけCSは使わない方が良いので、今回はHDDをスレーブに設定。スレーブ設定を持たないドライブはほとんどがマスター固定になっているからである。
 拙宅のG4 Cubeのプロセッサは1.2GHz、熱センサーの付いた大きなファンを装着済。ビデオカードもnVIDIA GeForce 2 32MB AGP ADC & VGAへ換装。わたしのお遊びである。

追記
 3.5インチ用の口が手に這入らなかった、と文中で触れた。デバイス側にFAN用3ピン、6ピン、8ピン、FDD電源コネクタなどはいくらでもあるが、写真中央に小さく写っているペリフェラル小4ピンメスはほとんどない。パソコンを自分で組み立てるなら、どうしても必要な部品である。不思議なので繰り返し述べておく。


投稿者:   一考  日時: 2014年11月17日 13:55 | 固定ページリンク




ビデオカードの互換性  |   一考

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 写真は上が改造後のRadeon 9600 Pro、下が未改造のRadeon 9600 Proである。ただし、厳密には上下は異なる。上はDVI端子が二つ、下はADC/DVI端子である。従って、ADC電源供給コネクタが付いている。ハズレ防止フックは理由があって切り取った。
 改造に際して、VINTAGE COMPUTERのHPを参照。

 http://www.vintagecomp.com/room/mactune/special/8xAGP/8xAGP.html

 PowerMac G4 Digital Audio、QuickSilver 2001/2002、MDD で使用可能。後端フックの切断によってFW 800でも問題なし。ツインモニター対応。OS 9を含む非対応OSでは、アクセラは効かないが表示は可能。
 ちなみに、改造後はG5では使用できないと書かれていたが、初期タイプのG5(シングル、デュアルプロセッサーの双方で確認)でのトラブルはなかった。このG4とG5との関係に関してはさらに調べる必要あり。

 Windows向けビデオカードをMacで使うにはさまざまな方法がある。PC用ビデオカードのBIOSをMacPro対応64bitEFIに書き換えるのが通常の方法だが、カード上に切り替えスイッチを用意し、Mac OS X向けのEFIファームウェアとWindows向けのUEFIファームウェアを切り替えるRadeon HD 7950のようなビデオカードがある。
 他にもNVIDIA TESLAのようにMac用ドライバの用意されているもの、またはNVIDIA GeForce GT630のようにWindows用がそのまま使える例もある。


投稿者:   一考  日時: 2014年11月15日 19:26 | 固定ページリンク




ビデオカード  | 一考    

 先日、ATI Radeon 7000について著した。スロットにAGPとPCIとがあって、最初写真を取り違えて掲載、即刻間違いを指摘され削除した。オークションにはかかる間違いや勘違いを見張っているらしき御仁がいて、わたしは重宝している。
 それはよろしいが、そのAGPとPCIの違いがどこにあるのかとの質問があって、困惑させられる。かかる質問はインテルに訊いていただきたいのであって、ビデオカードそのものについて語る資格はわたしにはない。わたしに云えるのは、スロットの違いによって、同じビデオカードであっても使えるもの使えないものいろいろである、と云うことぐらいである。

 最近のMacは発想が変わり、ビデオチップがオンボード実装されているか統合グラフィック機能を用いる製品が増えてきた。小型化のためには仕方がない方針である。しかし、高負荷な3D描画能力を求める用途にはまるで向いていない。従って、マルチディスプレイ機能を提供するためのPCカード接続タイプやUSB接続タイプのグラフィックアダプタが今後増えると予想される。それでなくとも、NVIDIA QuadroシリーズやATI FirePro(FireGL)シリーズのように、ビデオカードはますます専門家向けかつ大型になっている。
 デザイナーが今なおG4を用い、OS9で動くAdobe Photoshopを大事にする気持ちも理由も良く分かる。コンシューマ向けには現行のMacで良いのかもしれないが、拡張性が評価され、旧Mac ProがG4同様、見直される時がやってくるに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月15日 14:22 | 固定ページリンク




後熟  | 一考    

 先日著した「焼酎とシェリーカスク」 に以下を書き加えた。

 樽の値も数万円から数十万円まで状態によって千差万別、よって香味のすぐれた焼酎はそれに相応しい樽を用いている。焼酎に限らないが、シェリー樽熟成に高い安いは云わない方がよろしいかと。

 どうして書き加えたかと云うと、このところ原酒でなく、25度の加水焼酎を飲んでいる。ここで問題が生じる。原酒はシェリー樽貯蔵だが、加水された焼酎はそのままボトリングされる。否、そのままボトリングされている焼酎が多いように思う。ウィスキーだと加水後、もう一度樽へ戻す、水とウィスキーを馴染ませるためである。それを後熟という。後熟では水だけでなく、樽もプレーンな癖のないものを選ぶ。せっかく造ったウィスキーに妙な影響が出ては困るからである。
 サントリーには「山崎蒸留所 梅酒樽後熟」とのウィスキーがある。この後熟が焼酎の場合あまりなされていないように思う。なぜなら、加水タイプの焼酎には香味が割れたものが多々見受けられるからである。
 原酒が抜群に旨い焼酎メーカーの加水タイプが不味いとなれば、遣り切れなさを感じる。悪口は嫌なので、蒸留所名は臥せるが、もう少しの気配りを求めたい。

追記
 焼酎は酒税法でアルコール度数の上限が決められている。連続式蒸留焼酎(甲類)で36度未満、単式蒸留焼酎(乙類)で46度未満である。唯一例外として与那国島の泡盛だけは60度のものが許可されている。焼酎は蒸留酒なのでアルコールはいくらでも高くなる、しかし、規定のアルコール度数を超えるとスピリッツ扱いになる。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月15日 12:52 | 固定ページリンク




「自己割り当てIPアドレス」問題  | 一考    

 オークションでAGPビデオカードはまったく売れないが、PCIビデオカードは良く売れる。やはり7000番台からG3のレガシーマックを今なお使っている方が多くいらっしゃるようである。それにしても、自分で売っていて云うのもおかしいが、ATI Rage 128ではどうにもなるまい。同じ装着するならATI Radeon 7000がお薦めなのだが。Rage 128にDVDデコーダーボードを付けるよりも、単体のRadeon 7000の方が大幅性能アップになる。同じ買うのなら奮発して頂きたいものである。

 最後のパワーPCのG5をわたしは使っている。その電源が先頃壊れた。そのようなこともあろうかと、持っていたスペアと取り換えたが、急いで取り替えたので、どこかしら接続が雑だったようである。ファンが高速回転に陥ったまま、どうにもならない。ロジックボードの3本のネジを外さなければならないところ、ちょいと無茶な電源交換をやったようである。
 今回はロジックボードの分解を引っくるめて几帳面な作業を試みた。その甲斐あって、G5は完全に元通りになった。直ったのは良いが、今度は「内蔵 Ethernet は現在使用中です。内蔵 Ethernet に自己割り当ての IP アドレスが設定されており、インターネットに接続できない可能性があります」との長たらしい表記が出た。俗に云う「自己割り当てIPアドレス」問題である。
 検索エンジンハンター、Apple サポートコミュニティなどで触れられているが、正面な答えはどこにもない。検索エンジンハンターによると解決には5つの方法があって、つまるところ、初期化してOSを再インストールするようである。なにを考えているのだろうか。
 Apple サポートコミュニティはさらにひどく、「原因が分からないと手の施しようがない」とか「設定から変更しろ」、揚句は「LANケーブルがつながっているのか」、「LANケーブルの断線」等々、事情を理解できない者が返事をするから話はめちゃめちゃになる。質問者は分からないから質問している、それをさらに混乱させてどうなるのか。パソコンの世界における回答者の質はお粗末極まりない。

 この場合、パソコンにはなんらの問題もない、モデムもしくはルーターにのみ問題がある。従って、パソコンの電源を落とし、ルーターの電源を抜く、次にモデムの電源を抜いて10分待つ。今度はモデム、ルーター、パソコンへと逆に電源を入れてゆく。それでIPアドレスを拾ってくれる、一件落着である。間違えても、ネットワーク環境設定など触ってはいけない。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月14日 04:17 | 固定ページリンク




焼酎とシェリーカスク  | 一考    

 数年前、当掲示板で福田酒造の「蔵の秘蔵酒」をはじめ、「夢想仙楽」や「熟成倉岳」を紹介した(くまの焼酎屋のお薦め)。
 その後、シェリー樽熟成の焼酎は増え続けている。鹿児島県薩摩川内オガタマ酒造の芋焼酎「鉄馬」(蔵元の主人はライダーで、ラベルにはハーレーダビッドソン製エンジンの主軸となる、4ストロークOHV V型2気筒エンジン ファットボーイが用いられている)。
 他には常楽酒造の「秋の露 樽 原酒」,抜群酒造の「熟香抜群」、大石酒造場の「琥珀熟成」、堤酒造の「奥球磨桜」、豊永酒造「完がこい」、目野酒造の「こはく浪漫」、酔鯨酒造の「都佐」、深野酒造の「幻の3ナンバー」、瑞鷹の「なんじゃかんじゃ」、長野県伊那の仙醸「黄金丸」(くまの焼酎屋のオリジナル)、光酒造の「博多小次郎」と「佐友」、浜田の「直江兼続公 本格米焼酎シェリー樽貯蔵」、宮下酒造の「初代亀蔵」、ヨイキゲンの「シェリー樽貯蔵米焼酎 永久の至福」、久家本店の「竹宵 シェリー樽貯蔵」、玄海酒造の「むぎの精 シェリー樽5年貯蔵」、宮下酒造「シェリー樽貯蔵原酒 鬼神温羅」、福田酒造「笑福来 樽御輿」、壱岐焼酎協業組合の「十酔伝説」、久家本店の「樽貯蔵 KUROSHIMA」等々である。めずらしいところでは奄美の甚松(会社は京都)の「黒糖本格焼酎 甚松」がある。
 
 一言でシェリー樽と云っても、実態はさまざまである。まずカスクのコンディションが個々のカスクによって異なる。言い換えれば、カスクの数だけの香味がある。このあたりの消息はモルト・ウィスキーと同じである。当然、樽の値も数万円から数十万円まで状態によって千差万別、よって香味のすぐれた焼酎はそれに相応しい樽を用いている。焼酎に限らないが、シェリー樽熟成に高い安いは云わない方がよろしいかと。
 スペインから直接引いている蔵元もあるが、大方はインポーターがスペインやイギリスから輸入したシェリー樽を仕入れて再使用している。有明産業のように、輸入樽や業務用樽の製造、中古樽の再生処理(焼直し)を専門とする企業もある。いずれにせよ、シェリー樽(パンチョン)は近年、シェリー酒消費の減少から中古樽の相場が跳ね上がり、新樽の購入価格よりも高価になっている。
 さて、そのシェリー樽のコンディションのよろしくないものが多い。その中にあって「夢想仙楽」が流行っている理由は、シェリー香が安定しているからだと思う。わたしが味わったのはごく一部だが、特筆すべきはくまの焼酎屋が勧める焼酎である。「蔵の秘蔵酒 シェリー樽7年貯蔵」を超える焼酎にわたしはまだ出会っていない。


投稿者: 一考      日時: 2014年11月11日 22:51 | 固定ページリンク




イトメン  | 一考    

 かつて、無塩のうどんやパンを松友さんが探してくださった。しかし無塩製麺のラーメンはさすがになかった。無塩だと麺のコシが成り立たない。麺のコシは塩と重曹が基盤になる。さらに、タピオカである。タピオカについては掲示板でなんどか書いているが、添加物がなければ成り立たないような麺のコシにわたしはまったく興味を持たない。
 コシはあるが身体に悪い、もしくはコシはないが身体に良いとなれば、どちらを選ぶかは決まっている。蕎麦でも饂飩でもよろしいが、コシをどうのこうのと云うのは素人に決まっている。(重曹とは炭酸水素ナトリウムのことで、製麺時にかん水の代わりに使用しても同様の効果が得られる)

 ロングセラー「チャンポンめん」でおなじみのイトメン株式会社から「無塩製麺 あっさりしょうゆ味ラーメン」が販売されているのを知った。調べるとイトメンは昭和55年から無塩製麺を試みているようである。
 「無塩製麺 あっさりしょうゆ味ラーメン」は1食78グラム、8グラムのスープと薬味が付いている。当然、麺は無塩だが、スープにはナトリウムが21グラム、食塩に換算すると5.3グラムが含まれる。通常のインスタント乾麺の塩分が10グラム、ラーメン店のそれが20から30グラムはある。5.3グラムなら毎日は食べられないが、週に1食ぐらいならなんとかなりそうである。
 ちなみに、WHOが推奨する1日の塩分摂取量は9グラム、わたしが心掛けているのは5グラムである。ウィンナーを3本食べるとそれ以外の食物は一日中なにひとつ食べられない。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月30日 22:52 | 固定ページリンク




中川多里  |   一考

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 https://www.youtube.com/watch?v=s1BdH7kaFUo

ライオンのミルクと言われる酒ラクをトルコ土産に帰国した某女子。
彼女が好きに違いない人形作家。
昔なら間違いなく贔屓筋になっていた。


投稿者:   一考  日時: 2014年10月24日 00:38 | 固定ページリンク




ヤフオク2  |   一考

 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1410/20/news079.html

タイトルは「フラれた彼女にサプライズで渡そうと思っていたプレゼント」。
話し序でに、10月21日22時58分に35,853円で落札。
出品者の人品はともかく、ヤフオクに相応しい個性的な出品物。


投稿者:   一考  日時: 2014年10月22日 21:25 | 固定ページリンク




山本咲良  |   一考

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前項と同じサイト「ハッピーエブリデイ」からもう一題、
「読売新聞に投稿された俳句のクオリティがヤバい 」

クオリティはともかく、主体性は見事。


投稿者:   一考  日時: 2014年10月22日 21:15 | 固定ページリンク




赤塚不二夫  |   一考

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Yujiro Otsuki さんがリンクをシェアしている。
題して「赤塚先生すごい。涙出た。これを載っけた編集者もすごい。」


投稿者:   一考  日時: 2014年10月22日 21:08 | 固定ページリンク




ばらソース2  |   一考

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 写真は神戸市長田区庄田町2丁目のばら食品である。庄田町の筋向かいが二葉町で、そちらにヤギウ和菓子店がある。ほぼ無名の和菓子屋だが、腕は神戸ではトップクラスである。和菓子に関する知識はすべて彼から教わった。そのヤギウ和菓子店(先代は柳生)について書きたいのだが、そちらは次回にする。なお、柳生だとヤギフであって、ヤギウだと野牛になる。どうでもよろしいが。

 ばらソースだが、関西の地ソースについてこれ以上詳しいサイトはない。単なる紹介でなく、それぞれのソースの微妙な違いや書き手の好き嫌いまでを詳述している。

 http://taizo3.net/sauce/2010/12/

 文中、「あまたある関西地ソースの中でも孤高の存在。何が孤高かって原材料が他とは全く違う。ソースには必需品である野菜・果物がほとんど使われておらず、原材料表示は上から食塩・でん粉・アミノ酸液、たん白加水分解物・香辛料……という順番となっている。JASのウスターソース類の定義は、「次に掲げるものであって、茶色または茶黒色をした液体調味料をいう。1.野菜若しくは果実の搾汁、煮出汁、ピューレーまたはこれらを濃縮したものに糖類、食酢、食塩及び香辛料を加え調整したもの。2.1にでん粉、調味料を加えて調整したもの。」となっているのだが、これには当て嵌まらないのだろう。いやもちろんJAS規格を名乗らなければその点での問題はないわけだけども、まぁ標準的な「ソース」とはかなり違うことは確か。他にこんなソースは七星のマルマソース(旧マダムソース)くらいだ。甘味は控えめ、酸味よりもかなりスパイスが強く感じる。原材料通り、味もやっぱり他にはない個性的な味。とんかつには単品での使用、お好み焼きにはブラザーソースやビクトンソース、大陽ソースなどの甘めのソースとブレンドすると抜群ではないかと。現に長田区のお好み焼き屋さんはだいたいブラザーとばらとのブレンドで店の個性を出しているそうだ。あるいはソースが登場した頃のように、白飯にかけて食べるのもいいかもしれない。スパイスだらけなので、ちょっとカレーっぽい錯覚を覚えるのだ。焼そばソースには魚醤まで入ってるんだよなあ。ほんと面白い」と書かれている。

 触れられているのはお好み焼きソースなので、ウスターの原材料を書いておく。ウスターがすべてのソースの基本だからである。食塩、アミノ酸液(大豆)、香辛料、魚醤、ガーリックパウダー、トマトペースト、オニオンパウダー、醸造酢、砂糖、カラメル色素、甘味料(ステビア、甘草)、調味料となる。引用文で触れているように、野菜・果実(トマト、タマネギ、ニンジン、リンゴ)ならびに、それらの果糖は加えられていない。ユニークなソースである。
 東京で人気の中濃ソースや関西が発祥のとんかつソースなどは、ウスターに含まれる香辛料を希釈し、ソースの濃度を高めた、謂わば凡庸になったウスターに過ぎないと、わたしは思っている。

 http://osakeyasan.blog.fc2.com/blog-entry-1159.html

 文中、「広島風が長田風です」とあるが、これは異義のあるところで、戦前からある神戸の粉焼きを知っている身としては神戸のお好み焼きのルーツは練り込みと思っている。お好み焼きがどこではじまったかとの問いは詮ない、どこぞの好事家に任せれば良いことである。
 ただ、「広島県広島市ではこの焼き方(生地と生地の間にキャベツ、筋コン、豚肉をサンドする形式)ですが、広島県福山市では大阪風のキャベツ、具を生地に混ぜて焼く方法が採用されているようです」は面白い。「具を生地に混ぜて焼く」とは練り込みのことだが、それが必ずしも大阪風にはならない。もっとも、それが大阪なら大阪でなにも悪くないのだが。

追記
 上記のひとの著すものは信用できないし、面白くない。


投稿者:   一考  日時: 2014年10月19日 00:00 | 固定ページリンク




止血バンド  | 一考    

 今日は28日ぶりの病院行き。昨日昼前に終わると書いたばかりだが、今日は2時過ぎになった。理由は薬の処方である。処方に時間が掛かるのは分かっているのだが、院内処方の方が全体の費用が安くなる。
 LDL-コレステロール値ガ低いにもかかわらず、クレストール錠が2.5mgから5.0mgに増量されている。血圧をもう少し下げなければと医師と話していたのだが、出てきた薬は関係のない薬である。もっとも、免疫抑制剤以外の薬は減ろうが増えようが気にもしていないのだが。
 ところで、薬に関しては下記のサイトを利用している。

  http://allabout.co.jp/r_health/healthdb/medicinedb/

 血液検査の折に止血バンドをお持ちでしょと訊かれた。透析者に止血バンドは必需品である。当然持っているのだが、引っ越してから出てこない。透析に用いる針は太いので止血は最短でも20分かかる。通常の血液検査に用いる針は3番目に細い針で痛みはほとんど感じない。こちらの止血は30秒で済む。ところが、ヘパリンを打っていると、5分押さえていても吹き出すときがある。それを看護師が覚えていて病院の止血バンドを貸してくださった。
 来月の来院までに止血バンドを捜さねばなえらない、北里研究所病院で購入したブルーの止血バンドである。マジックでわたしの名前が書かれているが、それは東葛クリニックの看護師の手になるもの。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月15日 23:52 | 固定ページリンク




病院の駐車場  | 一考    

 戸田中央の泌尿器科は腎臓内科、泌尿器科、泌尿器外科が一緒になって腎センターを形成していた。神大病院は戸田中央とは違って、腎臓内科は泌尿器科でなく内科のテリトリーに属する。さらに驚いたのは透析治療は院内ではしていない。泌尿器科は、腎臓、尿管、膀胱、尿道などの尿路系、または副腎等の内分泌系、陰嚢内臓器(睾丸・副睾丸・精索)・陰茎・前立腺などを取り扱う。最近だと、結石及び腎がん、膀胱がん、前立腺がん、精巣がんの摘出手術が多いようである。要するに、外科系に特化している。
 戸田中央の泌尿器科で患者の多数を占める糖尿病性腎症の患者が神大病院では内科へゆく。従って、神大の泌尿器科は空いている。朝出掛けて午後2時3時が常だった戸田と比して、神大は昼前に終わる。それは良いのだが、駐車場には困っている。小一時間は待たされる。病院の規模に比べて駐車場が小さすぎるのである。その点、戸田中央の駐車場は広かった。
 佐々木幹郎さんに送っていただいたのだが、北里研究所病院の駐車場はさらに狭かった。主治医からいつ死んでもおかしくないと云われていたころのはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月14日 04:14 | 固定ページリンク




キャンプ あーだこーだ  | 一考    

 ヤフオクでOS9ののアプリケーションを高値で落札なさっているのは、複数の業者だと分かった。
 先日、コールマンのランタンをヤフオクへ出品した。30年前、オートバイでの北海道行きのために購入したものである。燃料は白ガスだが、レギュラーガソリンも使えるタイプである。常にオートバイだったので、バーナー(コンロ)の類もレギュラーガソリンを使えるタイプにした。
 4、5年を経て、北海道ではカセットガスボンベがもっとも便利だと知った。高山でないかぎりキャンピングガスはいらない。気温や気圧に関係なく安定した火力を維持できる燃料はガソリンかプロパンだが、丘キャンプ専門のわたしにはイソブタンの必要すらない。通常のカセットガスボンベがもっとも安価でどこへ行っても売っている。
 いまではカセットガスとアウトドア用のガスとのアダプターが売っているが、あれが出始めたのは10年ほど前であるまいか。昔、手作りしたアダプターをわたしは今なお用いている。
 さて、コールマンのランタンである。最初の1週間は入札がなく、送料出品者持ちで1万円ならとのメールを頂戴したが無視。2週目に這入って応札がつづき、15500円で落札された。そのようなものと思っている。

 下記アドレスは「キャンプ あーだこーだ」である。キャンプに関するユニークなサイトである。

 http://www.camp-japan.net/blogs/kudow/

追記
 北海道でアウトドア用のガスを売っているのは札幌と旭川だけだった。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月13日 20:21 | 固定ページリンク




マララ・ユスフザイさん  | 一考    

 いかなる戦争も、いつ勃発する戦争も自衛もしくは防衛を言い訳にしてはじめられる。世界第二位の軍事力を持つ日本の平和憲法とはなんぞや。詐欺のごとき日本国憲法でなく、マララ・ユスフザイさんとカイラシュ・サティヤルティさん、2人がノーベル平和賞を受賞したことは喜ばしい。去年、一昨年の平和賞には呆れ返った。ノーベル平和賞は往々にして詰まらないひとや組織が受賞する。
 ハルキストにとっては残念かもしれないが、ベストセラー作家にノーベル賞もあるまい。マララ・ユスフザイさんのごとく、無名であるにもかかわらず、峻烈かつ確固たる世界観、歴史観を持った若人にこそノーベル賞は相応しい。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月13日 18:29 | 固定ページリンク




ハゲ  | 一考    

 郵便局へ行ったのだが休みではどうにもならぬ。帰りにマルナカへ寄る。なぜだか魚が半額になっている。颱風が来ているというに、なんで魚がと思ったが、調べてみると、

本日の昼市
紅葉鯛、マルハゲ、ツバスで約10分のせり模様でした。
明日も11時30分開市となります。
台風が今まさに日本列島を縦断中です。
くれぐれもお気を付け下さい>

と明石浦漁協の日誌にある。さっそくマルハゲを購入。カワハギはこれからが季節である。それにしても、荒天に船を出す漁師がいることに驚かされる。
 今夜はマルハギ(関西では昔からハギをハゲと云う)の薄造り、ジンリッキーと合わせようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月13日 18:02 | 固定ページリンク




ヤフオク  | 一考    

 OS9で動く最終バージョンのファイルメーカープロ6がヤフオクで1万2000円を超えた。これは驚きである。拙宅にあるのはOS9で動くアプリケーションばかりである。わたしは今も必要なのでOS9を大事に使っているが、世の中にはわたしと同じような方が多くいると見た。
 OS9は丸ごとコピペして使える。よってわたしがインストールすることはない。持っているアプリケーションをすべてヤフオクに出品しようと思っている。

追記
 最終的に1万4500円だった。出品金額は1600円、高額の落札に感謝である。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月12日 00:30 | 固定ページリンク




安全運転と寿命  | 一考    

 去年、東京は記録的な大雪だった。一昨年も一昨昨年も雪が積もった。松戸への橋が凍結、295号線が走られないので、葛飾橋へ迂回したこともあった。この5年ほど、車は病院へ行くための足として必要欠くべからざるものとなった。透析患者は1日と云えども、病院を休まれないからである。
 2009年の夏から今回の引越まで丸5年のあいだ、小腸ならびに大腸からの下血で悩まされた。また。週1回は貧血に起因する発作を起こし失神していた。車の運転にこの失神ほど怖いものはなかった。完全に失神するまでに10秒近い時間がある。よって追い越し車線は走らない、車速は40キロまでに控える、どのような状態であっても即刻停車できるように心掛ける。
 この5年で安全運転というものがどのようなものなのか、身体に刻み込まれたように思う。かつて北海道でスピンターンやドリフトばかり練習した時期もあったが、国産車はサイドブレーキの効きが甘いのでやりにくい。と云うよりも、冬の北海道はどこもかしこもアイスバーンである。従って、バスもトラックも普通にドリフトしている。FRはおろかFFに至るまで、主婦から学生まで、ドリフトが生活のなかに根付いているのである。

 食べ物だが、引っ越してからは徐々に禁止項目を減らしている。パン、寿司、うどん、竹輪やウインナーのような練り物、フルーツ類などなど、塩分や果糖の影響で食べられなかった食品を順次解放している。まったく自由と云うわけにはいかないが、腎臓を頂戴したがゆえ、精一杯の食生活を楽しんでいる。医師が云っていた70歳まで、あと3年は生きられそうな気がする。

追記
 貧血だが、ヘモグロビンまたはヘマトクリットは頗る低い。しかし下血がなくなったのでそれなりに安定していると云えようか。こちらへ引っ越してから失神したのは一度だけである。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月11日 00:28 | 固定ページリンク




相場  | 一考    

 このところ、ヤフオクに嵌ってい、掲示板がお留守になっている。申し訳なく思っている。
 キャンプ道具、それに関連するオートバイパーツ、自転車パーツ、パソコン関連などを出品している。パソコン関連の売れ行きが思わしくなく、キャンプ道具は良好な売れ行きである。コッヘルやストーブ、ランタンやテーブルなど、大体は購入価格より高く売れている。
 ウィスキーはまだ出品していない。こちらはですぺらの中村店主と話したが、ダンカンテイラーのタンタロスのアードベッグは19年もので6万6000円、同じくポートエレン30年が27万9333円である。ヤフオクでアードベッグのオフィシャルボトル1976-1999が34万円だったが、新規で買うよりオークションの方が安いようである。
 ちなみに、先日紹介したパティキュラは2万円まで行ったらしいが、出品者がキャンセル。出品者はその倍の値が付くと踏んだように思う。キャンセルはどうにもならないが、ウィスキー相場は動いている。現実の値にヤフオク相場がついて行っていない。
 在京中は世話になったが、ジャパンインポートさんのアードベッグとラフロイグは安価なものでも5〜6万円はしている。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月10日 21:44 | 固定ページリンク




276円の極旨鮨  | 一考    

 しまあじの活きているのが安かった。小さいのが一匹1200円、たった今5枚に下ろしたところである。西区へ引っ越してからは魚付けの毎日である。マックスバリュー西明石南店ではかわはぎ、がしら、はもの刺身。ラ・ムー大蔵海岸店ではひらまさ、かんぱち、ひらめ、たい、かわはぎ、うに、さわら等の握り寿司(5巻)。その内、海胆とさわらは369円、他は276円、お薦めはたいとかんぱち。今日のしまあじはフレッシュ石守だった。
 以前、明石にいたころは明石卸売市場へ這入る鑑札や明石浦漁協での間接的入札の権利などを持っていた。入札は漁師および魚屋(市内の組合員)だけなので、1割の手数料を払って親しい漁師に入札してもらうのである。

 フレッシュ石守の敷地内に100万弗本舗というパン屋がある。15歳の折、はじめて働いて5000円の給料を頂戴した店が100万弗だった。2箇月分の給料をはたいて父にガスライターを買ったことは掲示板で書いた記憶がある。往時もっとも安価なガスライターが1万円だったのである。この1万円は現在の20〜30万円に相応する。
 神楽坂のメゾン・カイザーやポール、渋谷のヴィロンのような旨いパン屋ではないが、屋号に惹かれての100万弗である。ブランド志向はわたしにはなにもない。たかが所有によって自己の優越が誇示されるとは思っていないからである。さらに申せば、所有とか誇示とか優越などという戯言をわたしは信じない。序でに自己も。自己とは永遠につづく事故の謂いにほかならない。


投稿者: 一考      日時: 2014年10月10日 20:21 | 固定ページリンク




生物多様性を保つことは既に手遅れ  | 一考    

 病院の帰りムーンさんと会った、引越以来である。一段と顔色が白くなったと云われたが、血液検査の結果は徐々にだが、良くなっている。クレアチニンは2.02、1.74と下がり、今回は1.69となった。
 瀬戸口誠医師が戸田中央から済生会栗橋病院へ赴任となる最後の日(2013年04月)の検査の数値が1.63だった。本来あってはならない数値だが、それでも私にとってはもっとも低い数値である。移植手術は2012年7月18日、2年2箇月を経てやっと1.6代にまで下がったようである。次回検査からは月1回、正確には28日後になった。

 ムーンさんと新開地の料理屋と喫茶店へ行く。名のある店だが、共にひどく不味い。このところ、お好み焼きについていろいろ書いてきたが、ことごとくが不味かった。六本木、麻布、赤坂のお好み焼きの方がはるかに個性があって美味である。このあたりが地方の限界なのかもしれない。味を継承こそすれ、新たな個性にまでは思いが至らない。考えるのが面倒なので、もっとも安易な継承と云うことになるのだろうか。継承を難しく云えば、日本の食文化、歴史、伝統とでもなろうか。
 鯨や鰻を持ち出すまでもなく、日本人はその場しのぎに食文化、歴史、伝統を口にする。地球上には870万種以上の生物が存在するという論文が米オンライン科学誌プロス・バイオロジーに発表された。そして日々100から300種の生物が人類の営みによって滅んでいる。トキにせよ、ニホンオオカミにせよ、鯨にせよ、鰻にせよ、なにを騒ぐことがあろうか。現在、哺乳類の4分の1、鳥類の9分の1など、全生物の 25パーセントが絶滅の危機にさらされている。しかもその大半は汽水域もしくは岸辺に生息する目に見えない小さな生物である。ものの考え方を引っくるめて世は生々流転である。


投稿者: 一考      日時: 2014年09月18日 18:37 | 固定ページリンク




国家  | 一考    

 EUという民族意識をなくそうとの運動の渦中にあってスコットランドの独立選挙があった。これからの国家はいよよ細分化してゆく。民族や宗教について語るとき、人は昂揚し、排他的になる。ただ、そのような意識がどうして国家との概念に結びつくのか、共同体としての国家意識がわたしにはさっぱり分からない。
 イスラム国はサイクス・ピコ協定に代表されるヨーロッパの線引きにより作られた国家を否定する。事の是非は問わず、動機は評価できる。しかし、指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーの云うところによれば、ヨーロッパの線引きによる国家は崩壊し、イラクとシャームのイスラーム国(シャームはシリア地方または地中海の東部沿岸地方レバントを指す地理的概念)との広域に及ぶ国家を成立させるのが目的だそうな。それは大イスラームの再興であり、一種の国家主義に違いない。とりたてて目新しい概念ではない。
 近代国家との概念が誕生してさほど年月を経たとも思われない。にもかかわらず、一つの概念、一つの縛りから解放されるのは至難のようである。

 リベラル派と保守派では、脳構造に違いがあるとの研究成果が発表された。

 http://www.afpbb.com/articles/-/2794777?ctm_campaign=outbrain


投稿者: 一考      日時: 2014年09月18日 17:38 | 固定ページリンク




キャベツ焼き  | 一考    

 キャベツ焼きは大阪を中心に1990年代後半より流行りだしたようである。従って、わたしは知らない。幹郎さんの山小屋がある群馬の嬬恋は夙に知られるが、明石がキャベツがの産地とはこちらも知らなかった。
 明石大久保のJAあかし・フレッシュモア・大久保には地産地消をモットーにJAあかし管内の農産物を扱っている。実はフレッシュモア・西明石は明石浦漁協のまえもんを火曜と金曜に限って直売している。それで行きだしたのである。
 さて、フレッシュモア・大久保では、キャベツが採取できない真夏を除いて、土曜の午前中のみ、150円のキャベツ焼きを即売している。
 お好み焼きは通常薄力粉だが、少量の米粉を用いているらしい。以下は引用である。

 「焼いてるのは、近郊のキャベツ農家のお母さんら。 刻んだキャベツを少しの米粉の生地で焼いて、卵が1個、月見でのってます。
 じっくり蒸し焼きされてるようで、キャベツが柔らかく甘い、ん~~これは旨い!!
 こんなにシンプルでも旨いものですね。これは一枚でも大量にキャベツが食べられます。お好み焼きのように、生地を食べてる感じでは無く、まさにキャベツを食べてます。」

 http://corochan.exblog.jp/7278283/


投稿者: 一考      日時: 2014年09月15日 21:19 | 固定ページリンク




シングルトン旧ボトル(書き換え)  |   一考

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  蒸留所名はオスロスク。シェリーとバーボンの古樽を熟成に用いるダブル・マリッジ方式を採用。J&Bのキーモルト。10年もの、700ml40度と750ml43度の二種あり。
 フル・ボディでまろやか、豊饒な香りを持つ正統派ウィスキー。トフィー、カラメル、シェリー酒等の潤沢なこくと味わい。長いフィニッシュ、溢れんばかりの心地よい刺激。
 75、76、77、78、80、81、83年のヴィンテージが頒されている。その後、84年から91年まで、シングルトンのブランドでボトリングされている。最後のボトルは91年蒸留、2001年ボトリングだが、84年以降にヴィンテージの記載はない。
他に77年もしくは78年にパティキュラと題したブルー・ラベ ル12年がある。シェリー酒のテイストが濃厚、美味として珍重される。

 そのパティキュラ78年がヤフオクに出品されている。2万円ぐらいなら安価だと思う。


投稿者:   一考  日時: 2014年09月15日 18:50 | 固定ページリンク




子持ちと飯持  | 一考    

 周さんが小樽の居酒屋でルッツとイイダコを食べたらしい。季節外れだが、いまでは年中食べられる。ルッツは今では札幌や小樽など都会で食べられるようになったが、わたしが北海道へ行っていた1990年代初頭は浜益周辺でしか食べられなかった。
 イイダコの旬は12~3月。卵が米粒状をしていることから、イイダコは「飯蛸」と書く。卵をもった魚は「子持ち」だが、イイダコの場合は「いい持ち」と呼ぶ。明石と淡路島が著名な産地。北海道はミズダコの真子で、醤油漬けもしくはおでんで頂戴する。おでんには他にイカの白子、サケの白子、タチ(すけだち)、タツ(まだち)・カニ・ツブなどの海産物がある。
 蛸の子に関しては、産卵前の子と産卵後の子について当掲示板で何度も書いている。産卵後の子は海藤華(かいとうげ)と云い、三大珍味のひとつと思っている。

 周さんにとって飯蛸ははじめてだったようだが、子持ちの烏賊は東京で食していらっしゃるようである。子持ちで知られるのはケンサキイカとヤリイカ、どちらも似ているが、ケンサキは2本の触手が長いので、簡単に識別できる。共にアオリイカと並ぶ高級イカ、真子を持つのは春先。当掲示板で触れているシロイカは山陰で夏に獲れるケンサキイカのこと。
 ヤリイカは毎年、春先になると産卵のため 陸に近づき定置網で水揚げされる。比較的小さ目の体に目一杯卵を抱いてい、焼くよりも煮付けがお薦め。


投稿者: 一考      日時: 2014年08月24日 23:24 | 固定ページリンク




空き家  | 一考    

 隣が引越した。今時分空き家になると、来年の春まで借り手がない。それよりもお隣さん、多くの家具を捨てて行った。テーブル、椅子、クーラー、扇風機、照明機器、物干し竿、ファクシミリなどなどである。細々したものを何点か頂戴したが、そのうちタイガー炊飯ジャーは重宝している。
 いままで使っていたものと比して、ずいぶんと高級品で、白米、早炊き、玄米、分づき、おかゆ、無洗米、炊込み、おこわ、ピラフ、おこげごはんが炊けるようである。さらに蒸し調理からパン発酵やパン焼きができるとある。釜は土鍋コーティングのih炊飯ジャー(5.5合炊き) 、2007年製。20年以上使ってきた古い炊飯ジャーを代わりに捨てた。
 米の銘柄が変わるもしくは新米になったとき、水の分量は変わる。炊飯ジャーが変わったときはそれ以上に水の調整が必要になる。前の釜と比べて1割強ふやしたのだが、いまだ水の量は定まらない。火力の差が影響しているのだと思う。次回はうまく行くだろう。

 夥しい荷物を捨てて行くのは実家への転居のようである。そうでなければ、5年足らずのクーラーを破棄するはずがないだろう。


投稿者: 一考      日時: 2014年08月19日 03:39 | 固定ページリンク




道産の珍味  |   一考

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 周さんが仕事で北海道へ出掛けているらしい。飲み屋を紹介したいのだが、たとえ北海道であろうと、わたしは都会には興味がない。従って、季節外れの珍味を引き合わせる。
 刺身または炒め物として、なまら旨いものに浜益の珍味ルッツがある。日本海側の浜で、秋から冬にかけて海がしけた後、浜に打ち上げられる。ゴカイやミミズの仲間で、正式名称を「ユムシ」といい、磯の香と貝のようなこりこりした歯ごたえが特徴。冷凍や三升漬けにして年中食べられる。

 同じ石狩の初夏の高級珍味としてハマボウフウ(「懐石と低残渣」で浜防風について触れている)は忘れられない。噛むとセリ科特有の清々しい風味が口に拡がる。香味野菜は酢味噌和えや天麩羅にこそ相応しい。
 初夏の味でもう一品。苫小牧のアブラコ(関西で云うアブラメ、関東ではアイナメ)とクロソイは美味。本州のそれよりもコクを深く感じる。
 今年は打瀬舟漁による野付湾シマエビが不漁。7月に解禁される羅臼町のブドウエビ(一匹1000円以上する)ほどではないが、ボタンエビと値段は変わらない。シマエビの漁期は6月中旬~7月中旬と10月中旬~11月上旬の年2回。ちなみに、冷凍シマエビの浜茹には赤穂塩が用いられている。


投稿者:   一考  日時: 2014年08月16日 01:11 | 固定ページリンク




油かす  |   一考

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 引越してから油かすを屡々購入する。油かすとは、食肉から食用油脂を抽出した残滓を利用した食品だが、東京では見たことがない。牛、馬、豚、鯨、鶏など、さまざまな油かすがあるが、わたしがここで云うのは、牛の小腸を熱して牛脂を取り出したもので、お好み焼きやうどんの具として広く用いられる。
 中上健次に倣って被差別部落を「路地」と呼称する上原善広は油かすを「被差別部落のソウルフード」と呼ぶ。大阪河内のかすうどん、富士宮やきそば、長野のおたぐり、広島のせんじがら、おでんのコロなどは良く知られる。
 昔の神戸のお好み焼きには必ず油かすが香り付けに這入っていたが、最近は這入っていないものが多くなった。本来安価なものだったが、東京にいた15年のあいだに高級品になってしまった。

 http://cookpad.com/search/%E6%B2%B9%E3%81%8B%E3%81%99


投稿者:   一考  日時: 2014年08月15日 21:54 | 固定ページリンク




少年犯罪  | 一考    

 テレビのニュース番組がワイドショー化し、グルメスポット紹介や芸能ニュースばかりになったのはともかく、芸人が政治や経済から世事万般について語るのには困惑させられる。この傾向は関東より関西に顕著である。
 昨今、佐世保同級生殺人事件の父親の責任を問う声があれこれと囂しい。それに呼応して父親が自己弁護と取られかねない意見を陳述しているのはいただけない。マスコミ雀の一連のさえずりなど捨て置けば良いのである。そもそも彼女は病んでいるのであって、病の責任なんぞ、例え親と云えど取られるものではない。仮に娘が重度の癌に罹ったとして、それが親の責任だとでも云うのだろうか。
 彼女は知的で、すこぶる論理的である。通常云うところの論理とは、当然と思われている仮説すなわち前提や俗識、健全で実用的とされる常識などによってひどく歪められている。ところが、彼女は病んでいるがゆえに、因果性は意味をなさず、論理は時として奔放なまでに疾駆する。かかる自由人は社会のために隔離するしかないのだが、わが国の法体系でそれが可能かどうか、早晩、医療少年院から出てくることになる。

 管賀江留郎さんのウェブサイトは十全に吟味されている。佐世保のような案件は戦前の方が遙かに多かったようである。

 http://kangaeru.s59.xrea.com/ijou.htm

 管賀さんの著書「戦前の少年犯罪」には「戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!」とある。

 国民の多数が求めているとは云え、ジャーナリストでもない人間がニュースキャスター(英語ではニュースアンカー)という立場で、常識を振り翳し、知った風なコメントを呟くのに辟易しているのはわたしだけではあるまい。
 何事によらず決まりごとが優先されるわが国にあって、不条理そのものと評するしかない彼女のような存在は許されない。それはよろしいが、責任を周りに振るのは見苦しい。コメントを呟いているニュースキャスターこそが、彼女の精神の苗床であり、責任の元締なのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2014年08月14日 12:15 | 固定ページリンク




クーラー再起動  | 一考    

 盆休みだからか、病院の帰り、2号線の渋滞に嵌まってしまい、1時間のところに2時間半を費やした。クーラーを修理したくて急いでいたのだが。
 この3日間、クーラーは動かない。取扱説明書を探しているのだが、見付からない。電源ランプの点滅なので、室外機でなくエアコン本体(室内ユニット)の方である。フィルターの掃除、リセットなど、考えられることは試みたが、うまく行かない。面倒だが、室内機のカバーを外すしかなさそうである。
 内部のスイッチをあれこれ触っていると動き出した。理由は分からずじまいだが、動けばそれで良い。今のわたしにクーラーは要らない、ただし食欲はなくなる。室温が下がると覿面に腹が減る。

 血液検査はいたって良好、クレアチニンは1.74。このまま1.6まで下がると嬉しいのだが。医師から相当水分を摂っていますね、と云われる。1日4リットルは無理だが、2リットルは確実に飲んでいる。免疫抑制剤のグラセプターを4.5ミリグラムから5ミリグラムへ増量。神戸へ引っ越してから薬は細かく変動している。


投稿者: 一考      日時: 2014年08月13日 22:17 | 固定ページリンク




お好み焼き  |   一考

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 ウィキペディアの「ノート:にくてん」ではさまざまなな検証がなされている。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%82%93

 2009年10月の「湊川」でニクテン横町と書いたことを思い出した。にくてん横町とは俗称であって、そのような地名があったわけではない。ごく一部の人たちが勝手に名付けて用いていた。その中にあって、今なお営業を続けているお好み焼き屋に「とみちゃん」(昭和25年創業)がある。

 「神戸・湊川公園南側。お好み焼き「一ソ十(いそじゆう)」。平谷ひでのさん(58)の鮮やかなテコさばきに目がくぎ付けになった。
 さらりと、「もう何十年もやってますから」。
 花街・福原の老舗鉄板焼き「美丁(よしちよう)」で働いていた。店は芸妓さんや旦那衆に愛されたが、阪神・淡路大震災で閉じた。
 芸妓さんにせがまれたときにだけ作ったという“裏メニュー”の「甘焼き」。卵、粉に砂糖とバニラエッセンスを混ぜ、鉄板に薄く伸ばす。手前から奥へくるっと巻く。
 ソースのにおいの立ち込める店内に甘い香りが広がる。花街の情緒を、目と鼻で堪能する 」

 上記は過去神戸新聞に掲載されたもの。前記「とみちゃん」と「一ソ十」は是非行ってみたい。神戸のお好み焼きは大阪のそれとはまるで異なる。まず、ソースはオリバーソース、オリバーソースは震災までは兵庫区松本通りにあった。焼き上げたお好み焼きへ鰹節やマヨネーズのようなトッピングはなにも加えない。
 何はともあれ、下記の豚粉焼きの写真をご覧あれ。

 http://blog.goo.ne.jp/goo8823-h/e/030b263eecbd86d42915ecc947c3f391

 小振りのお好み焼きをさらに小さくしたのがねぎ焼き。昭和20年代、30年代の神戸のお好み焼き屋はどこでもメニューに加えていた。粉を薄くひき、多量のねぎと少量の牛すじ煮込み(ぼっかけ)を置き、醤油を引いて上記写真のように畳み込む。どこまでも粋な食べ物だった。


投稿者:   一考  日時: 2014年08月11日 22:47 | 固定ページリンク




マスコミの利権  | 一考    

 「世界的音楽家の坂本龍一(62)が中咽頭がんの治療に専念するため、演奏活動を全面的に休止することが9日、分かった。咽頭がんに効果があるとされる放射線治療については、反原発運動の先頭にたってきた立場から拒否する考えを主治医に伝えている。自らの命にかえても「反原発」だけは譲れないという不屈の精神で、世界の“教授”が闘病生活に入る」(スポニチ)とのニュースが流れた。

 わたしも原発は反対だが、放射線治療の拒否は考えられない。ここで云う放射線治療がなにを指し、どこまでを含めるのかが分からないが、例えば、X線撮影(レントゲン)やCTはどうなのだろうか。医療に限らず、空港の手荷物検査などの非破壊検査にも利用されている。
 骨折・骨病変の診断、科的診断、胸部X線、腹部X線、造影X線写真、透視などに必要とされるがどうなのであろう。わたしは骨粗鬆症の骨塩定量、結核、腸閉塞、血管の石灰化などの検査に日常的に使っている。
 スポニチの「誤報」「飛ばし」だと思うが、マスコミのいい加減さが分かる。

  http://musashikosugi-clinic.jp/blog/archives/794


投稿者: 一考      日時: 2014年07月13日 16:46 | 固定ページリンク




お好み焼きと・・・  | 一考    

 福原にいた少年期、ほぼ毎日お好み焼きを食べていた。粉焼きと称していた「美丁」、「新橋」、「よっちゃん」、浮世風呂の「ゑびす」の南隣にあったお好み焼き屋、今ではお食事処「竹」となっているが、この「竹」が50年前のお好み焼き屋かどうか分からない。生田耕作や広政かをると行ったのを覚えているが、当時店主は既に50歳代、生きているはずがなかろう。いずれにせよ、現在残っているのは「よっちゃん」のみ。
 「美丁(よしちょう)」はお好み焼きの元祖だったが震災でなくなった。「新橋」は美人の娘さんがい、「100万ドル」のバーテンの溜まり場だった。「よっちゃん」は父親が懇意にしていた、当然先代もしくは先々代の頃である。「よっちゃん」の隣にはふぐ料理の「現直し」が営業を続けている。新開地の「明石屋」と共に毎週のように通っていた。
 引越してきたのだからどこぞお好み焼き屋でもと思うが、大蔵天神町にあった店舗はなくなっている。「五」も代が変わっている。飛び込みで這入ったもののソースを大量に塗りたくってい、いまのわたしには食べられたものでない。外食産業の味が濃くなったと日頃書いていることだが、それは「つくし」ですら例外でない。ラーメンとお好み焼きは塩分の塊のごとき食い物である。このようなファーストフードは家で造るに限る。
 「夏の風物」でわらび餅やしがらき餅について触れた。文中、「するめのゲソの甘露煮を食べ過ぎて腎不全になったのかも」と書いたが、そこにお好み焼きも加えるべきだった。

 余談ながら、「玉家」「いろは」「ゑびす」はかつて同じ経営だった。「玉家」のホームページには「神戸「玉家」は、淫らな「熟女」と「人妻」の専門店です。男をむさぼる火照った躰を持て余したオトナの女性が、欲望の趣くままにエロスを追求する店です。神戸の熟女を、ご堪能下さい」とあって、玄関の看板には「熟女専門店」と記載されている。
 「いろは」のホームページには創業昭和60年となっているが、これは昭和60年に経営が変わったのであって、店は売春防止法が出来たときからある。
 わたしが贔屓にしていたのは「暖流」と「源よし」だが、後者は「おいらのチョコばなな」に変わっている。「源よし」の女性は福原では最年長で60歳なら若手とされるような浮世風呂だった。それが若さが売りのソープになっている。昔、若さが売りで福原へ初進出した雄琴系のソープランド「シンガポール」は現在の「ダンディーズクラブポール」になっている。隔世の感あり。


投稿者: 一考      日時: 2014年07月13日 15:49 | 固定ページリンク




共同通信のニュースより  | 一考    

 厚生労働省は14日、2011年度に病気やけがの治療で全国の医療機関に支払われた医療費の総額(国民医療費)が、前年度比1兆1648億円増(3.1%増)の38兆5850億円だったと発表した。国民1人当たりでは9700円増(3.3%増)の30万1900円で、30万円を初めて突破。いずれも5年連続で過去最高を更新した。
 高齢化が進んだ上、医療技術が進歩して治療費が膨らんだのが主な原因。国民医療費が国民所得に占める割合は11.1%だった。
 年齢別では、65歳以上の医療費が21兆4497億円で全体の55.6%を占めた。75歳以上に限ると13兆1226億円で34.0%だった。
 医療費を賄う財源の内訳は、国民や企業が負担する保険料が18兆7518億円で全体の48.6%。患者の自己負担は4兆7416億円で12.3%、国と地方を合わせた公費は14兆8079億円で38.4%だった。
 診療種類別では、医科診療が27兆8129億円で全体の72.1%。薬局調剤は前年度比7.9%増と高い伸びで6兆6288億円となり、歯科は2兆6757億円だった。
 国民医療費は、保険診療の対象になる病気やけがの治療に掛かった費用を推計する。保険外の診療や健康診断、正常な出産などの費用は含まれない。
 労災分などを含まず、国民医療費の98%程度をカバーする概算医療費は12年度分が既に公表済みで、38兆4千億円に達している。〔共同〕

 医療費が1兆円を超える都道府県のうち、一人あたりの医療費が多い順に並べると、北海道(365240円)、福岡(356162円)、大阪(330207円)、兵庫(302871円)、東京(299871円)、愛知(272811円)、神奈川(255117円)、千葉(248183円)、埼玉(234818円)となる。ちなみに、一人あたり30万円を超えているのは上位の4府県。当然、国保の保険料も高い。
 主たる診療科別医療費の推移によると、総医療費のほぼ半分を内科が占め、整形外科や眼科などそれ以外の診療科の集計が残りの半分を占める。わたしが罹っている泌尿器科(腎臓内科を含む)は項目すらなく、その他に分類されている。糖尿病から腎症を合併する人がこれだけ増えている(30万人)にもかかわらず、皮膚科や産婦人科よりも医療費は少なかった。


投稿者: 一考      日時: 2014年07月11日 21:07 | 固定ページリンク




イラク戦争  |   一考

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 戦争に行ったアメリカ兵の告発!「本当の敵はアメリカ国内にいた!」

 https://www.youtube.com/watch?v=cR5zoW1W4ac&feature=youtu.be

 アメリカ兵のマイケル・プリスナーが語るイラク戦争。自分も含む米軍人の信じられない行いへの告発会見。

 2014年4月16日の「クローズアップ現代ーイラク派遣10年の真実」によると、自衛隊イラク派遣後の自殺者合計が28名と放送された。 2007年の防衛省発表では、病死、死因が事故又は不明の者が他に19名、障害が残る重傷を負った者もいる。


投稿者:   一考  日時: 2014年07月09日 21:40 | 固定ページリンク




終日役所  | 一考    

 今日は市役所で親切な方と出遭った。釈然としないところをひとつふとつ解き明かしてくださった。前項で書いた国保の地域差だが、東北、北海道を別にして基本東低西高のようである。東京がもっとも安く、名古屋を境に関西が高く、京阪神なかでも大阪府の吹田市、門真市はもっとも高いらしい。
 在宅重度心障手当だが、阪神・淡路大震災の折にすべて廃止されたと分かった。政令指定都市のなかで廃止を続けているのは神戸だけ、「大きな声では云えませんが、身障者には住みにくい街ですね」と担当者。
 重度障害者医療費受給者証と更生医療の中身は同じですが、立場上、更生医療を奨めるしかないとも云われた。更生医療を受けるには「医学的意見書」(有料)が必要だが、実はあってもなかっても同じことです、と。ちなみに、育成医療、精神通院医療も同様で、重度障害者医療費受給者証があれば「医学的意見書」の手続きは必要ないと。
 後期高齢者医療は「現代の姥捨て山」と揶揄されていますがとの問いに、「そちらも大きな声では云えませんが、保険料が毎年変わるとのデメリットがあります」との説明を受けた。後期高齢者医療の保険料は後期高齢者がどれだけの医療費を使ったかで決まる。「保険料の軽減措置」が継続中なので、保険料はもっかのところ安いが、いずれ国保より高くなる、と。考えてみれば当然、その部分をして姥捨て山と称するようである。
 後期高齢者医療制度は、日本国内に住む75歳以上の後期高齢者全員と、前期高齢者(65~74歳)で障害のある者を対象としているが、そのうち前期高齢者は75歳になるまでは後期高齢者医療と国保を選択できる。要するに、来年保険料が国保より高くなった場合は国保に戻れば良いと聞かされた。それ故、八月付で後期高齢者医療に這入る手続きを済ませた。

 先日NHK(を名乗る地域スタッフ)が来た。拙宅にテレビはないがと云うと、それでは家のなかを確認させろと云う。押し入れば犯罪になりますよ、と押し問答が続いた。あまりに執拗いので、市役所へ行ったついでにNHK放送受信料の全額免除の手続きを済ませた。このようなことははじめてである。通常は申告だけで済むのだが、拙宅へ来たスタッフはよほど報奨金が欲しかったに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2014年07月08日 23:01 | 固定ページリンク




姥捨て山  | 一考    

 国保では、市区町村によって保険料に最大5倍の格差が存在する。沖縄県粟国村は25,000円だが、北海道羅臼町では119,000円である。関東圏では八王子がもっとも低いとされる。しかし、これは保険料だけのはなしで、附帯する条件がまた道府県によって異なる。
 埼玉では在宅重度心障手当というのがあったが、神戸ではそれに類する制度がないと聞かされた。ところが調べてみると、障害者特別給付金というのがあって、次回役所へ行った折に訊こうと思っている。
 不思議に思うのは、重度障害者医療費受給者証と更生医療が同じ効用を有し、わざわざ更生医療の手続きをしなくとも負担する金額は同じになる。埼玉では更生医療の指定病院以外の病院での治療費は後日還付されていた。神戸では病院で重度障害者医療費受給者証を提出すれば指定の金額(400円もしくは600円)で済む。
 要するに、障害福祉課の「その他の経済的支援」に精通した役人がいないのである。さまざまな共済制度、福祉資金、税金、公共料金、郵便料金、交通費などに即答できないのは問題でないだろうか。神戸市は「「特別障害者手当」制度について」とのファイルをPDF形式で提供している。役人は目を通すべきである。

 後期高齢者医療に関しては、国保より若干保険料が安くなるそうな。しかし、「現代の姥捨て山」と揶揄される制度である。保険料の負担が所得の低い人ほど高く、所得の高い人ほど低い逆進性になっているのも問題である。さて、どうしようか。


投稿者: 一考      日時: 2014年07月07日 21:20 | 固定ページリンク




後期高齢者医療  | 一考    

 市役所から「障害者用駐車券」「障害者用駐車券(公園)」が送られてきた。あと自動車税が残っているが、県税事務所からいまだ連絡はない。
 介護保険はすんなり決まったが、国民健康保険は揉めている。収入が定まらないときは第6段階の請求金額に決まる。それに異議を唱え、しかるべき段階に落ち着く。ところが、担当者は云ってはならないことを口にした。三郷市発行の25年度、26年度の非課税証明書を持参したにもかかわらず、あなたの収入がこれだけとの保証がどこにあるのか、当方で調べさせていただくと。国税庁ならいざしらず、市役所に非課税証明書以外の調査方法があるならご教示いただきたい。
 介護保険、重度障害者医療費受給者証、更生医療はすべて第2段階の請求金額になっている。同じ部署でありながら係が違うだけで、どうしてこのような応対になるのか。喧嘩をしたくないので穏やかに訊ねる。「同じ部署で椅子の位置が隣り合わせなだけでどうしてですか」「あちらはあちら、健康保険はわたしの担当、一緒にしないでくれ」どうやら権威主義者の本音が出たようである。7月半ばに新たな請求金額が送られてくるそうな。睨み付けて帰ってきた。
 7月に這入って国民健康保険から後期高齢者医療保険への切り替えの案内が送られてきた。かつて神戸市は被保険者に無断で切り替え、悶着を起こしていた。今回は事前に連絡があるだけまだましか。それにしても、神戸市の行政は明瞭さに欠ける。


投稿者: 一考      日時: 2014年07月07日 16:32 | 固定ページリンク




江川商店のちりめん山椒  | 一考    

 当地のスーパーで10種類を超えるちりめん山椒を試食した。その中に江川商店(神戸市兵庫区中ノ島1丁目1−1)のちりめん山椒があった。モンドセレクション4年連続受賞と記されているが、そのようなことに興味はない。ただ、使用している淡路のちりめんが小さく頗る上質、かつ香味に品がある。
 10種類を超えると前述したが、他の商品は味が濃すぎてまるで佃煮である。京都のちりめん山椒がブランド化された理由はそこはかとなく漂う醤油と酒の香りにある。江川商店のちりめん山椒は京都の木村九商店のそれと比して、まったく遜色ない。50g×3パックで税込み1296円は廉価、お試しあれ。ちなみに、江川商店が用いているちりめんはグラム400円はする、それから推しても安いと思う。
 山椒が少ないと思われる向きは有馬山椒を加えれば良い。既製品の有馬山椒は味が濃すぎる、作り方は当掲示板に詳しい。

 http://item.rakuten.co.jp/e-kaisan/0076/?scid=af_pc_link_tbl&sc2id=146355517

 実山椒もこちらで売っている。韓国産だが、さして遜色なし。

 http://item.rakuten.co.jp.3s3s.org/e-kaisan/10000938/

 上記アドレスは実山椒・江川商店で再検索していただきたい。楽天で実山椒を検索するといろいろ出てくる。わたしは京都の錦から丹波産を送らせているが、和歌山有田産ぶどう山椒は美味。

 http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E5%AE%9F%E5%B1%B1%E6%A4%92/%E8%AA%BF%E5%91%B3%E6%96%99-100300/p.1-s.1-sf.0-st.A-v.2


投稿者: 一考      日時: 2014年06月24日 23:43 | 固定ページリンク




やまちゃん  | 一考    

 神戸物産と共同仕入れをしている大黒天物産は「ラ・ムー (LAMU)」「ディオ (DIO)」などのメガディスカウントランドを経営している。魚住の明石南店と大蔵海岸店が明石の東西に展開されている。わたしはこのような巨大な店舗を信用していなかったのだが、大蔵海岸店の平目と鯛のにぎり寿司(各5巻270円)と大名寿司との巻き寿司(370円)は旨い。旨いと云うより、この値段で昼網の活魚が使えるところが立派と云うほかない。

 昔、贔屓にしていた「やまちゃん」との飲み屋が枝吉にあった。店主の名は山内武史、わたしより三歳年下だが、魚のプロで、どれだけ面倒をお掛けしたか分からない。西明石のですぺらのオープニングには包丁持参で駆けつけ、魚を片端から下ろしてくださった。爾来、明石浦漁協で昼網を競り落とすのが日課になった。彼の綽名はスーパーマン。明石、神戸に止まらない、加古川から西宮間のスーパーに精通していた。
 その彼が8年前に脳溢血で倒れ、リハビリに勤しんでいたと人づてに聞いた。動かれるようになってからはマックスバリュ西明石南店で働いていたようである。大黒天物産は岡山だが、マックスバリュは広島、今はイオングループの中核をなす。彼はこの7年、マックスバリュ西明石南店で朝網の魚を捌いていたのである。
 拙宅の近くにある山陽マルナカ玉津店も同じイオングループだが、こちらにも魚のプロが這入っている。今日はオコゼのアラ6匹分が150円だった。オコゼの身を買う金はないが、こちらなら大丈夫、唐揚げにしてもっとも旨い魚である。
 やまちゃんと16年ぶりに杯を傾けた。活魚専門の飲み屋でもはじめようかと、さまざまな料理に話は弾んだ。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月24日 21:21 | 固定ページリンク




単車への憧れ  | 一考    

 自動車保険契約「中断証明書」が見付かった。保険の解約日が平成22年7月8日、有効期限は32年7月8日。新契約のノンフリート等級は20等級である。当時は42000円の保険料が5960円だったが、現在なら9000円ほどになる。BMW R100RSの任意保険である、単車の保険は単車にしか通用しない。四輪のそれとは別口である。
 四輪での事故は物損(追突事故)が一回、逆に100対0でぶつけられたのが三度。二輪では自損(靱帯剥離骨折)が一回と二度四輪からぶつけられている。保険を用いたのは四輪での物損事故だけで、二輪は一度も保険を使っていない。従って、長く20等級だった。免許を取得した日から車種や事情を問わず人身事故を起こしたときは免許返上と弁えている。

 引っ越してから体調が良い。小さなオートバイなら乗られるのでないだろうかと思っているが、医師から禁じられている。シャント(橈側皮静脈と橈骨動脈の吻合)を造ってからは表皮を動脈が流れている。もしも、バイクが顛倒して腕に傷を負えば止血能力を超えてしまう。数分で失血死に至る。それを承知でどのようなバイクに乗ろうかと考えあぐねている。
 顛倒を避けるためにシート高は70センチまでならどうか、100キロまでしか出ない20馬力以下ならどうだろうか、買い物用の原チャリなら良いのでは等々、買いはしないのだが、あれこれ思いを巡らしているのが愉しいのである。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月23日 09:53 | 固定ページリンク




ポタリング  | 一考    

 北海道へ行くたびに走行速度が落ちてゆく。その結果が四輪でなく二輪、大型バイクでなく原チャリの一種、二種なのである。前項で林道について触れたが、林道にとどまらず、一般国道であっても、風景の種類は速度に比例して変化する。例えば、春先の原生花園に相応しい速度は時速5キロまでである。そこを大型バイクで50キロ(北海道は市内40キロ、郊外50キロ制限)で走ったとして何が咲いているのやら皆目見当もつかない。花が咲いているのかどうかすら分からない。なぜなら、花屋の花と違って原生花園のそれは一輪、一輪がとても小さいのである。
 10キロには10キロの、50キロには50キロの景色と云うものがある。澁澤さんは新幹線を忌み嫌った。窓が開かないような電車で旅をする気にはならないと。身体が不自由になったのも理由のひとつだが、わたしは自転車で北海道を回られなかったことをいまなお後悔している。
 時間が自由になるのは時間すなわち限界を意識しないで済む十代だけでないだろうか。二十歳になればパラサイトでいることは許されない、生計は自分で立てなければならない。要するに、働きはじめた人間が時間を手に入れるには、定年を待たなければならない。わたしが北海道でもっとも多く出逢ったのは、十代のチャリダーと定年退職を向かえて颯爽とカブに跨がる老人だった。
 北海道には安価に宿泊できるユースホステル、ライダーハウス、とほ宿、無料のキャンプ場がいくらでもある。よって北海道は自転車旅行者が全国でもっとも多い。ただし、道東、道北では都市間が数十キロ以上離れてい、食糧の調達には難儀させられる。さらに、食料品店やガソリンスタンドは17時には閉まってしまう。補給は事前に綿密な計画をたてなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月23日 00:54 | 固定ページリンク




神戸病院と神大病院  | 一考    

 神大病院の行き来に県道21号神戸明石線を利用した。神戸市中央区から明石市を結ぶ主要地方道で、須磨離宮付近以西の区間を地元では専ら「旧神明」と呼んでいる。21号には多聞通、大開通、水木通、七曲がりなどと名が付けられているが、とにかく古い道である。わたしは30歳の折、西区枝吉のマンション「シャトレ北川」を下検分に行くため、この道を走っている。
 月見山から離宮公園の間、名谷町の信号、多聞町大門の信号など車線を間違えるとあらぬ方へ行ってしまう。また、七曲がりのように狭隘な区間もあるため、常に渋滞気味である。それ故、朝夕の通勤時間帯なら2号線経由の方が早い。

 神大病院でのクレアチニンは2.02だった。膀胱炎も治まり、とりたてて気になるような数値は検査結果に顕れていない。目眩はするが、血色素量(ヘモグロビン濃度)10.6、ヘマトクリット32.5とさして低くはない。MCV(平均赤血球容積)、MCH(平均赤血球ヘモグロビン量)、MCHC(平均赤血球ヘモグロビン濃度)は基準値に収まっている。

 神戸大学医学部附属病院の源流となる神戸病院は1869(明治2)年に設立。1944(昭和19)年、神戸病院は兵庫県立医学専門学校附属医院へ、1946(昭和21)年に兵庫県立医科大学附属医院へ、1952 (昭和27)年に兵庫県立神戸医科大学附属病院へ、1964 (昭和39)に国立移管され、1967(昭和42)年に神戸大学医学部附属病院となった。従って、わたしが子供の頃は県病と云われていた。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月19日 17:45 | 固定ページリンク




サイクルライフマツダ  | 一考    

 サイクルワークショップクサカ(神戸市西区森友4丁目98-2)とサイクルライフマツダ(明石市王子1丁目15-1)へ挨拶に。神戸市と明石市だが、自転車で10分足らずの距離である。クサカについては過去掲示板で触れたことがあるので、今回はサイクルライフマツダを紹介したい。
 元々、両者は明石市硯町の同地番にあった。クサカは自転車を造るところ、マツダはそれを売るところ。正確には松田さんが日下さんのところに居候していたのである。その後、松田さんは硯町からハイツヒラノ(明石市大道町1丁目5)へ引越し、向かいの木造家屋へと再度引越された。
 クサカはビバロで知られたピストを造っていた。明石には競輪選手が多いが、その多くがかつてビバロに乗り、松田さんの客だった。その松田さんと久しぶりに話し込んだが、車体に軽量化したパイプを使うと耐用年数が短くなると云うところではなしが止まった。

 引越に際し、幹郎さん家(ち)と周さんのところへ嫁入りした自転車を思い出したのである。幹郎さんの自転車のヘッドチューブに罅が這入っているとか、周さんの自転車のチェーンの断裂、またはブレーキシューのワッシャーのひび割れなどを思い起こした。共にアルミフレームの自転車だが、やはりクロモリと比して軽量化には問題が生じることが分かった。
 競輪選手ならいざ知らず、通常は切れないチェーンがいとも簡単に切れるなど、周さんの脚力を甘く見ていたと反省している。クロモリフレームの自転車を置いてくるべきだった。それにしても、アルミ、チタン、カーボンなど、自転車の軽量化は極限に達している。10キロを切るのが当たり前になってい、なかには5キロほどの自転車すらある。しかし、わたしは10、12キロが限界だと云う。軽量化と耐久性についてはもう一度考え直すべき大きな問題を孕んでいる。

 http://cyclife.web.fc2.com/cyclife/shoppu_shao_jie.html

追記
 従来は手組ホイールしかなかったが、1990年代に這入って完組ホイールが登場した。スポークではなく一体成形のディスクを採用したカーボンホイールなどである。軽量化はフレームに止まらず、有りとあるパーツがカーボンで造られるようになった。レース用ロードバイクはUCIによって、合計重量が6.8kgを下回ってはならないと規定されているが、現実には下回っており、バラストを積んで走っている。
 わたしがここで云っているのは70年代のロードバイクであって、手組の自転車である。組み立てに興味があるのであって、完成品に興味はない。もっとも、エディ・メルクスのような軽量化に拘るレーサーもいたが。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月17日 18:53 | 固定ページリンク




フレッシュ石守  | 一考    

 2012年03月21日に「 ユニクロ流スーパー」と題して神戸物産のことを書いた。神戸物産は直営小売店を2店舗持っており、共に「フレッシュ石守」と云う。稲美店と伊川谷店(神戸市西区白水3丁目4-29)で、後者は県道21号(旧神明)白水橋のやや上にある。食料品の買い出しに利用している。鱧があれば、いつも購入しているが、明石界隈でもっとも安い店である。
 わたしの頭のなかでは神戸物産とフレッシュ石守はまったく結びつかなかった。伊川谷の鉄工団地に用があり、偶然見つけたのである。

 拙宅のすぐ横を明石川が流れている。手前は玉津町出合、川向こうは玉津町今津に変わる。名のない橋をわたってすぐのところにミニストップ神戸玉津店があった。伊川谷の鉄工団地はさらに東へ1.5キロほど進む。
 ミニストップは周さんに教えていただいたソフトクリームの旨いコンビニである。宣伝に釣られてぶどうソフトを注文。一口食して注文ミスに気付かされた、やはりバニラにしておくのだった。アイスクリームを食べた後に水が欲しくなるような種類の甘さは好みにあらず。一寸残念。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月13日 21:49 | 固定ページリンク




中央自動車  | 一考    

 昔、自動車教習所ではない自動車練習所が明石市中朝霧丘1-19にあった。中央自動車と称し、わたしがさまざまな車の練習をしたところである。最初の普通免許と普通自動二輪は山形の新庄第一自動車学校で同時取得した。東京からの合宿免許でもっとも安いところだった。合宿所は喜至楼、瀬見温泉の旅館でイワナ、ヤマメ、サクラマス、アユなどの渓流釣りで有名なところである。とんでもなくレトロな宿で、合宿生は4人部屋、当たり前だが、風呂もトイレも共同、湯沸かしポットと有料の洗濯機以外なにもなかった。食事は明けても暮れてもカレーライスの繰り返し。もっとも、バイクの度重なる顛倒で両脚は腫れ上がり、寝る以外なにも出来なかったが。
 前述の明石の練習所だが、本職は自動車整備工場で、片手間で大型、普通、けん引、大特、大型自動二輪を時間貸しで運転できた。実技が免除にならないので値は安く、大型で40分2000円だったと記憶する。だいたい20単位ほど練習すれば大概の試験には受かった。場所は明石市立大蔵中学校の裏、徒歩2、3分で明石運転免許試験場である。利点は試験場と同じ車種をレンタルできたこと。
 試験場が傍にあれば、高い金を出して教習所へ通う必要はまったくない。日々眺めておれば3種類あるコースは覚えてしまうからである。明石の友人の多くは中央自動車を利用して大型もしくは大自二を飛び込みで取っていた。
 先日、その中央自動車へ行ったものの高木マンションになってい、練習コースと思しき辺りにも家が建っている。毎日自動車商会の川口さんに訊ねたところ、どうやら廃業したようである。半生の一コマがまた・・・このようにして諸事万端は記憶に鎖されてゆく。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月12日 17:12 | 固定ページリンク




冬瓜  | 一考    

 2009年07月26日に「来客」と題する文章を書いた。この月16日に靱帯剥離骨折と腎機能の低下により川久保病院へ入院、10月にはときとうクリニックへ、同じく川久保病院へ再入院、21単位の輸血を受けている。「医学的には3度死んでいる」と山崎医師の云う3度はこの期間に集中している。
 「なだ万の弁当に鱧と冬瓜の煮付けを持って川津さんが来られた。冬瓜は確かカリウムの含有量が多く、慢性腎不全には不向きかと思ったが、これが実に美味い。冬瓜はかつて店のお通しにもよく使った、店では鱧の替わりに海老を用いたが。おそらく生涯で最後の冬瓜になると心して頂戴した」
 今日、冬瓜の煮付けを買ってきた。自分で造ればよいのだが、それでは量が多すぎる。ひとり住まいだと惣菜を買うに如くはない。ただし、なだ万のそれと比して味が濃い、白出汁の中へ入れて一煮立ちさせ、冷やせば美味しく頂戴できる。確かにカリウムは高いが、低残渣の野菜である。それにしても、腎移植に成功し、ふたたび冬瓜と見えることになろうとは。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月11日 00:06 | 固定ページリンク




車と用途  | 一考    

 免許を取得してホンダXL250を購入。四輪の方は金がなかったので丸一年はペーパードライバーだった。やがてトヨタの初代カリブ1500を購入。3年後の1992年、品川さんに運転を教えていて事故、カリブは廃車になり、代わりにトヨタのチェイサー2000GTを弁償していただく。
 この間、94年にですぺら開店、99年に東京へ移転。11年間18万キロ乗り継いだチェイサーを廃車。2003年からインプレッサ、マスタング(追突されて廃車)、ボルボ850(追突して廃車)、ボルボS80等を乗り継ぐ。
 このうち、カリブ、インプレッサ、ボルボ850の購入価格は5万円、マスタングは木村さんから頂戴したもの。わたしにとって車は北海道へ行くための足。よってカリブ、インプレッサ、ボルボ850はバンタイプ、かつ前の二者は四駆。
 要するに足であって乗りたい車になんぞただの一度も乗っていない。と云うよりも車なんぞ走ればよいとしか思っていない。こだわりがあるのは自転車やオートバイの方かもしれない。北海道での長期にわたるキャンプ道具を積むために二輪にはさまざまな積載方法を試みた。CBX125にはBMWのキャリアを溶接し、二輪としては最大の積載量を持たせた。
 四輪と比して二輪の走行距離は圧倒している。XL以外にもホンダCX400、BMW-R100RS、BMW-K100RSと乗り継いだが、なんと云っても前記CBX125カスタムは12万キロを、ヤマハジョグ49ccは15万キロを乗り回した。二輪の12万キロは四輪の24万キロに相応する。

 このまま身体が落ち着けば、もう一度125ccの原付きバイクで北海道へ行きたいと思っている。夏であれば、10万円で1箇月以上過ごすことが可能である。原動機付き自転車だとフェリー代は半額で2000円ほどで済む。
 北海道で舗装されているのは幹線道路だけである。にもかかわらず、皆さんはこぞって大型バイクでやってくる。従って、海沿いと富良野、美瑛を走って終わりである。昔、セローという225ccのバイクがあった。林道を走るにはあの大きさが上限である。大型はおろか、中型で林道を走る猛者がいれば拍手喝采したくなる。それほどに、北海道の林道は狭隘かつ線形不良な砂利道ばかりである。たまにジムニーが間違えて這入ってくるが、底がつかえて動かれなくなっている。身動きできなくなったジムニーを助けるのはわれわれライダーの仕事である。

 「知らない街や自然を見聞きし、バイクで駈けめぐり、北海道の見知らぬ大地の匂いに噎せた日々を想い起こす。小水の魚となったいまも、雨とともに、風とともにあった幾多の野営場が頭のなかをよぎる。わたしはなんという贅沢を味わってきたのだろうかと。深夜の病院のラウンジで幹郎さんの真似をしてデミタス珈琲をゆっくり啜る。ささやかな自由、そしてささやかな苦味が激痛のように口のなかを刺す。なぜか涙が濫れだしてとまらない」とかつて掲示板へ書いた。古平町の「白鳥古丹」の碑の前で佇んだ折、免許を取得したことを、車に乗られることを感謝した。

 ああ麗しい距離(デスタンス)、
 つねに遠のいてゆく風景・・・・・

 悲しみの彼方、母への、
 捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月09日 21:45 | 固定ページリンク




みどり屋  |   一考

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 175号線中古瀬南から社滝野線(567号)へ右折、松尾で372号線と合流する。今田町の北側、篠山の南側を掠めて、天引峠から湯の花を右折して、湯ノ花温泉方面へ這入る。松園荘保津川亭の先を右折するとみどり屋亀岡店がある。温泉町の民具、すなわち茶道具、煎茶器、漆器、掛軸等々が大量に置かれている。着物、和装小物を中心とした長岡店と共に、昔から世話になっているアンティークショップである。
 かつて装訂の資料にと多くのはぎれを購入したのを思い起こす。ところで、そのみどり屋がスタッフのブログをはじめている。題して「みどりや日記」、素敵に面白いと評しておこう。

 http://blog.recycle-midoriya.com/


投稿者:   一考  日時: 2014年06月07日 13:40 | 固定ページリンク




道場と江井ヶ嶋酒造  | 一考    

 地酒を口にしてこの酒に合う食べ物はとの質問が多い。わたしはそれを聞く度に不思議に思う。地酒ならば地の食べ物に決まっているだろうに。例えば、灘なら鱧の落とし、鱧皮酢、鯛の子の煮付け、玉筋魚の釘煮、わらびもち、穴子焼き、お好み焼き等々だが、わたしは明石焼きと江井ヶ嶋酒造の神鷹は似合いだと思っている。
 明石駅南側にあった飲み屋「酒道場」(今は北側へ移転)の隣には「お好み焼道場」があって、神鷹と明石焼きを同時に頂戴することができた。わたしは「お好み焼道場」の明石焼きが明石でもっとも安くかつ旨いと思っている。
 江井ヶ嶋酒造は昔、花園の藤本さんに連れられて行った。その折、ホワイトオークは飲んだが、シングルモルトあかしは飲んでいない。イチローズ・モルトよりよほど楽しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月05日 18:17 | 固定ページリンク




鯛の子の煮付け  |   一考

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 例によって、ある日の朝兼昼飯。鯛の子と白子の煮付け、肉じゃがの二品。肉じゃがとは申せ、牛肉は30グラムしか這入っていない。飯は変わらず120グラム。
 このところ、夕飯には鱧の湯引きもしくは落としががつづく。埼玉では生きの良い鱧が手に這入らないために諦めていたが、明石では200円から300円ぐらいで入手可能。鱧落ち以外にも鱧や穴子の骨せんべいは久しぶりである。


投稿者:   一考  日時: 2014年06月05日 18:07 | 固定ページリンク




立杭  |   一考

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 こちらは冷房の効く車のはなし。
 ボルボの調子がよくなったので、立杭(今田町)へ出掛けた。県道75号(小野藍本線)を選んだが、天神北で道に迷う。三田西ICから溝口、相野経由で逆方向から三本峠へ這入った。16年経てばこのようなものか。往き帰り走って何となく道の印象が戻った。次回は間違わずに行かれそうである。
 県道75号以外にも国道372号線、もしくは314号(大川瀬吉川線)から20号線との道もある。吉川経由はワインディングが楽しまれるが、ボルボで峠は無理である。
 国道372号線は京都府亀岡市から兵庫県姫路市に至る一般国道だが、わたしが離れている間に様変わりした。例えば、京都府亀岡市と兵庫県篠山市の県境になっている天引峠直下を貫通する天引トンネルが昔は存在せず、幅員狭小かつ急曲線な天引峠を越える山道だった。また、野村河高バイパスの旧道となる社町駅東方のクランク箇処が2005年にに拡幅、湯の花温泉界隈では幅員3mほどの狭隘かつ線形不良な離合困難箇所を多く抱えていた。
 もっとも変わったのは現日置バイパスで、篠山市辻から同市八上上に至る旧道は人家連担地区を通過する狭小な道路で、なかには人家の中庭を擦り抜けるような箇処すらあった。
 阪神・淡路大震災の際には国道2号や阪神高速道路、中国自動車道をはじめとした東西の交通が寸断されたことから、国道372号全線が東西の通過交通対策ルートに指定され、代替機能を担うこととなった。7本のバイパスによって拡幅整備され、旧道の面影はなくなった。

 今田町では清水千代市さんと旧交を温め、市野悟窯の市野哲次、市野英一、市野秀之、丹誠窯の大西誠一さんの作品を鑑賞した。千代市さんがギャラリーを設けて26年になるが、陶房にいらした佐藤さんは12年前に退職したそうである。一緒に備前の窯元を走り回ったのを思い出す。写真は大西さんの一輪挿し、白丹波窯変である。
 ところで気を遣わずに車を転がすとチェックランプは元に戻ってしまった。コンピューターのリセットはなんだったのだろう。騙し騙し乗るしか手はなさそうである。


投稿者:   一考  日時: 2014年06月03日 05:41 | 固定ページリンク




冷房のない車  | 一考    

 お説の通りです。車の歴史は熱対策の歴史で、これでも随分と発熱量は減ったと思われます。内燃機関(ガソリンエンジン)を用いた自動車の生みの親はダイムラーとベンツの両人でしょうが、フォード・T型からほぼ100年の歴史を経て、ガソリン自動車はなくなりつつあります。とは云え、中国や印度のような国々ではこれから原動機付きの車が増えてゆくのでしょう。
 考えてみれば、小学生の頃、自転車に乗るようになって一気にテリトリーが拡がりました。神戸から岡山、奈良、京都をはじめ、日本海側まで走り回りました。その後、二輪の免許を取得、北海道へ毎年のように行ったのですが、自転車や原動機付き自転車で北海道を旅する多くのひとと出会いました。
 広い意味での車と旅行とは切っても切れない関係にあると思います。わたしは小型のモーターバイクをとことこ走らせての旅が好きなのですが。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月03日 05:39 | 固定ページリンク




1冷房車は暑い  | なんで    

 歩いている人間にとって、冷房しながら駐車している車は「発熱体」だ。これほど技術が進んだ車でも「排気ガス」は垂れ流し、「綺麗」になったとはいえ、『ガスはガス」自己責任の時代なら、車の外側も冷房とはいわないが、発熱をしない工夫をする責任があると思う。
車の増加率と「肺がん」の増加率が「平行線」とは隠れた事実だといわれているが、今はどうなっているのだろう。たばこには「一服して考える」という長所がある。喫茶店で「禁煙」をいうところは「喫茶店」の「喫」の字を外すべきである。


投稿者: なんで      日時: 2014年06月02日 09:59 | 固定ページリンク




車検2  | 一考    

 チェックランプが消えないのでディーラーへ持ち込んでコンピューターチェックをしてもらう。セントラルエレクトロニックモジュール(CEM)とステアリングホイールモジュール(SWM)との交信がうまく機能していない、との結果が出た。
 一覧表を頂戴したが、わたしには何のことやらさっぱり分からない。車本体とコンピューターとの交信が一部断線しているということ以外、なにも分からないのである。SWMを交換して直るといった単純なものでもなさそうである。SWMそのものが故障しているのでなく、電源が供給されていない、もしくはアースリード線が断線している、端子の接続不良などが考えられるが、その修理に6万円ほど掛かると云う。
 捨て置いても車としての機能に問題はないが、さまざまな故障症状が出る。クルーズコントロールがまったく機能しないこと、ステアリングホイールに付いている各種ボタン(マニュアルモードのシフトとCDの曲送り・曲戻し等々)が作動しない、ターンシグナルランプが作動しない、ウィンドシールドワイパーが最低スピードでしか動かないなどである。
 この内、前二者はわたしには必要がなく、後二者は深刻な影響をもたらす。わたしの車の場合、現れた症状は右折時のターンシグナルランプがたまに途切れることである。しかしレバーを押さえておけば普通に点滅する。ボルボのターンシグナルリレーの動作音は大きく設定されているので、途切れたときにすぐ分かる、頗る便利である。
 取り敢えず、コンピューターをリセット(これはディーラーにしかできない)し、チェックランプは消えた。走行に問題は生じないのでこのままでどうだろうかと、ディーラーのひとは云う。(リセットの方法がネット上でいろいろ紹介されているが、「バッテリーのマイナスリード線の接続を外す」をはじめとして有効なものはひとつもなかった)

 エンジンオイル、ミッションオイル共に問題なし。タイミングベルトも良好、過去の持ち主が十分な整備を施していたことが伺える。摩耗しているブレーキのディスクパッドとディスクローターを交換すれば、当分トラブルは生じないそうである。江別のスーパーライン北翔へマイレのパーツを注文した。
 毎日自動車商会がボルボにも詳しくて助かった。神戸ナンバーへ変わったため、市役所での手続きがはじまる。使わないだろうが、市営駐車場が3時間無料になる。それと保険の登録変更を急がなければ。

追記
 欧州車はパッドとローターの両方が磨耗しながらクルマを停めるという設計思想なので、日本車に比べてダストの量が多い。そこへ持ってきてボルボのホイールはフィンタイプのため掃除が大変である。そこでブレーキダストカバーを付けようと思う。ブレーキダストカバーの装着はディスクローターまで外さないと無理なので、良い機会である。


投稿者: 一考      日時: 2014年06月01日 10:27 | 固定ページリンク




車検  | 一考    

 埼玉で二度ユーザー車検を試みた。そして分かったのは、エンジンのチェックランプが点いていても車検は取れるということだった。車検は安く済ませようとするならいくらでも安くなる、何もしなければ良いのである。しかし、それでは車は滅茶苦茶である。整備を自分でできる人はともかく、出来ないならユーザー車検はやめた方がよい。整備費用は18000円だが、整備費用、代行料ともに、事務手続きの煩雑さとそれに要するな時間を考えれば安いものである。
 わたしの車の場合、重量税32800円、自賠責保険27840円、検査・登録申請500+1800円、住所変更、ナンバープレート取得、ミッションオイル27000円、技術料5000円と代行料である。本当はここにブレーキ関連、クーラーベルト、パワーステベルト、タイミングベルト、ウォーターポンプ等が加算される。このうち、タイミングベルトの交換はディーラーなら150000円、民間の整備工場なら100000円以内、今回の車検の予算は200000円である。よって、タイミングベルトは次回へ見送る。
 ブレーキはディスクパッドのフロント15600円、リア13100円、ディスクローターのフロント35200円、リア29600円の合計93500円(工賃別)。
 前項のイグニッションコイルで書いたマイレ(MEYLE)のパーツだと、パッドのフロント7020円、リア8100円、ディスクローターのフロント14000円、リア11665円の合計40785円(消費税、送料、工賃別)で済む。
 パッドがあと10000キロ、ローターが20000キロほど持つ。計算上は次回の車検まで大丈夫だが、どうしようかと迷っている。

 代車はスズキのワゴンRワイド、1000ccインタークーラーターボ(100馬力)だが、ボルボより強力なターボである。昔の国産ターボはドッカンパワーと綽名されていたが、その言葉に恥じない性能である。これなら1000cc以上の排気量は不要である。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月30日 10:54 | 固定ページリンク




すみの酒店  | 一考    

 神大病院の帰り、長田区花山のすみの酒店へ行く。先代がいらして互いに愕く。明石へ戻るに至った事情を簡略に述べる。わたしが20歳代、2号線沿いの湊川大橋西詰に店があったころからの付き合いである。
 岩倉酒造場の芋焼酎限定原酒「妻」と磯自慢本醸造5年生貯蔵酒(2050円)を購入。16年前の上京時、大量の磯自慢を購入したが、それ以来久しぶりの磯自慢である。

 江戸時代の焼酎は米焼酎、侵略した琉球王朝(奄美、沖縄)の琉球酒には奄美の黒糖焼酎も含まれてい、こちらはとんでもない高級酒だった。中南米生まれの甘藷が琉球経由でわが国へ伝来するのは1705年のこと。芋焼酎の歴史は米のそれと比して新しい。
 岩倉幸雄さんはインタビューで語る。「昭和20年以前、戦前は、どこも焼酎といえば米焼酎だったんです。小作に貸している田んぼからの上納米で造るから米焼酎。それが、戦後の食糧難で米がなくなって、仕方なく芋を原料にするようになったんです・・・だから、芋焼酎の歴史はまだ浅い。技術的にも、完成度が低くて、それだから「芋は臭い」とか言われてきたんですよ」。
 一段落したようだが、このところの焼酎ブームにあやかって、飲みやすさを前面に打ち出した焼酎、樽で貯蔵したウイスキー擬きの焼酎(古来、焼酎は蘭引きといって樫樽で熟成された)など、さまざまな香味の焼酎が楽しまれるようになった。快なる哉。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月29日 23:38 | 固定ページリンク




ノットホール (Knot hole)  |   一考

 西明石のバー、ノットホール (Knot hole)ヘ挨拶に出掛ける。西明石でですぺらをはじめた20年前は世話になった。モルトウィスキーを置く店は今では増えたが、当時はですぺら以外ではノットホールしかなかった。
 往時は Knot hole であってノットホールではなかった。確かめるとマスターはネット上でいつの間にかノットホールにされてしまった、どうでも良いので捨て置いている、と。確かに、名前や屋号の誤表記は気分の良いものでないが、どうでも良いに違いない。
 営業時間が20時からと遅いので、ですぺらが終わってから明け方までよく飲みに行った。料理は挽肉のピザとガーリックトーストぐらいだが、それで結構。飲みに行くところであって、食べ処ではない。
 先日は自家用車(自転車)で出掛けたが、マスターの立岩さんと昔話になった。かつて愛子さんと共にオービスで捕まって三箇月間の免許停止を命じられた。「一般道で30km以上、高速道路であれば40km以上の速度超過」(ちなみに80キロオーバー)で最高金額の10万円の罰金だった。その三箇月の間、自転車通勤で押し通したが、乗るのはロードレーサー、泥酔運転に適した自転車でない。西明石から明石間を10数回顚倒を繰り返しながらの帰宅である。こういう時は両脚がべったり地面に付くママチャリが恋しくなる。
 立岩さんによると愛子さんがいなくなったあと、別の愛子さんがですぺらへ来たらしい。二代目愛子さんはわたしの影響でラガヴーリンを愛飲。その後結婚し、ノットホールの近くに住むという。失礼ながら、わたしには二代目愛子さんの記憶がない。
 亡くなられた太田さんが懐かしいと立岩さん。ですぺら創立時のはなしができる、わたしにとっては得がたい店である。


投稿者:   一考  日時: 2014年05月28日 16:43 | 固定ページリンク




駐車3  | 一考    

 パーキングメーターは駐車枠で指定した場所、方法に限り、短時間の駐車を認めるというもの。パーキングメーターの料金は駐車料金ではなく、機器等の維持管理のための手数料として徴収される。なお、パーキングメーターが設置されている場所は概ね駐車禁止の標識が設けられていて、当然駐車禁止。
 法律を決めるのは立法府、日本の場合は国会がそれに当たる。警察は国会が決めた法律を遵守するために働く機関、謂わば国家権力の僕。わたしは我が儘で身勝手なご都合主義者なので、自らの存在理由を国家権力に委ねるような生き方を是としませんが、なければ困るのも事実です。
 2006年6月1日から、駐車違反の取締り方法がまったく変わり、取締りの民間委託や駐車監視員の実地など、効率化が計られた。第3次小泉内閣時の議員立法だが、不愉快かつ鬱陶しい法律である。
 国会で決めた法律が例え理不尽であれ、現状にそぐわないものであれ、警察はそれに従わなければなりません。文句を云うなら立法府の国会議員に云うべきであって、取り締まる警察に苦言を呈するのは御門違いかと思うのですが。

 警察官による検問や道路交通法に基づく交通取締は行政警察活動ですが、覚醒剤の所持を確認して現行犯逮捕すれば、その時点から司法警察活動へ移行する。後者の司法警察活動にはグレーな部分が多く存在する。憲法で「戦力の不保持」が明記されているにもかかわらず、政府見解によれば、自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらない組織とされている。要は解釈によってどうにでもなるようなグレーゾーンを拵えるのが国会議員の延いては国家の仕事だそうです。
 ちなみに、2000年に議員立法されたストーカー規制法(2013年改正)によって、予備拘束が出来るようになったが、これなどは運用を間違えると戦前の治安維持法になりかねない危険性を孕んでいる。

追記
 パーキングメーターでの時間延長は駐禁になります。最近は重点項目らしく、2分以内にレッカー移動だそうです。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月27日 14:39 | 固定ページリンク




駐車2  | 一考    

 駐車に関しては、車の右側の車道の幅員が3.5メートル以上の余地が必要。路側帯に乗り上げる場合は、路側帯の余地が0.75メートル以上必要。路側帯に乗り上げようが乗り上げまいが、車道の幅員が3.5メートル以上の余地がなければ駐車違反になる。いずれにせよ、駐車禁止場所及び駐停車禁止場所は禁止です。
 前回の書き込みは神戸の北野町での駐禁が念頭にありました。同地に友人が住んでいるのですが、北野町界隈は全面駐車禁止、かつ重点地域に指定されています。駐車監視員によって頻繁に摘発されているのですが、違法駐車は後を絶たない。ちなみに、歩道に0.75メートル以上の余地がないと車椅子が通行できなくなる。車を運転するひとは車中心のものの考え方しかできないようです。

 http://www.police.pref.hyogo.jp/seikatu/guideline/pdf_data/ikuta.pdf


投稿者: 一考      日時: 2014年05月27日 14:28 | 固定ページリンク




道路は警察の私有地か?  | なんで    

 小生の働いていた店の前は大阪でも有名な通りで、警察管理の「パーキングメーター」があり、料金支払えば「駐車」許された。並んでいるお店へ来る取引の車には、大変な迷惑だった。「料金」さえ支払えば、「車が消える」わけでもなし、これが許されるのなら本来、この道路は「駐車禁止」にしなくてもよいとなる。民間駐車場に入れて「キッチリ所要時間」支払うより、これに1回分払って放置しておく方が「警官」守られて「得」と言っていた某氏の例もある。


投稿者: なんで      日時: 2014年05月24日 19:43 | 固定ページリンク




駐車  | 一考    

 身障者が所定の標章を掲出した場合、道路標識等により表示されている時間内(概ね60分)ならパーキングメーターは無料になる。身障者固有の標章を頂戴したところで、前述以外の特典はなにもない。身障者だからと云って駐車禁止の適用除外にはならない。
 先日、駐車について話していて、歩道に乗り上げての駐車は許される、はみ出しが車の半分未満なら違反にならない、何センチ乗り上げれば構わなくて、何センチなら違反になると、分かったような話を聞かされた。そのような下らないことでの議論は御免被る。それでなくとも、道路交通法上で、歩道に駐車することは許されていない。また、乗り上げるためには歩道走行(自動車走行帯外走行)をしなければならず、通行区分帯違反にも問われる。
 話の相手が免許取り立てとなれば、どちらで買ってきた運転免許証かと嫌みのひとつもいってみたくなる。少なくとも道路交通法84条で定められた免許証ではあるまい。

 捕まる捕まらないは他人の勝手である。金持ちはどんどん捕まって罰金を払えばよい。わたしのような貧乏人は捕まるわけに行かない。1995年に三箇月間の免許停止になったが、それ以降違反は駐車違反の一件のみ。ゴールド免許の制定はその前年だったと思うが、一貫してゴールド免許を保持している。
 警察官や巡視員だと甘いが、駐車監視員に掛かると即時違法駐車扱いとなる。公道上、私道上、公有地、私有地、いずれの場合でも無断駐車は日本国の法律では道路交通法、または、刑法の住居侵入罪または業務妨害罪、または、自動車の保管場所の確保等に関する法律の構成要件に該当する犯罪行為となる。私道は捕まらないと云った都市伝説が罷り通っている。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月24日 13:47 | 固定ページリンク




鱧皮  |   一考

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 ある日の食事、鱧皮酢と薇の煮付けと120グラムの飯。まるで酒の肴ではないかと云われそうだが、わたしの食事はこのようなものである。引越してから、焼豚以外の畜産肉は食べなくなった。


投稿者:   一考  日時: 2014年05月23日 11:16 | 固定ページリンク




神大病院  | 一考    

 薬がなくなるので神大病院へ出掛ける。移植外来は火曜と水曜日、わたしは水曜日の組のようである。更生医療は間に合わないが、6月30日まで有効の重度障害者医療費受給者証が15日付けで発行された。取り敢えず、こちらで間に合わせろとのことらしい。
 手続きにこんなに時間が掛かるとは思わず、1箇月ぶんの薬しか処方してもらっていない。分かっていれば、戸田で2箇月分処方していただいたのだが。

 担当医は小川、竹田のお二方、前回と同じである。今回は体調よろしくクレアチニンは1.8、この1年間でもっとも下がっている。これ以上は下がらないことを説明。前回はやはり脱水だったようですね、と医師の一言。血液検査104項目はすべて良好。戸田から送られた生理検査を参照に、精密検査の要はなくなった。
 福祉医療担当のなかのさんの世話になった。更生医療が有効になるまで支払いは停止、再三にわたって感謝を述べる。そのかわり、駐車場の割引がなくなっってしまったのは残念。
 院内処方の28日分の薬を抱えて帰宅、ニューモシスチス肺炎の発症抑制を目的にバクタ配合錠を服用していたが中止になった。腎機能への副作用を考えてのことと思われる。薬に若干の変更があるのはやむを得ない。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月22日 14:36 | 固定ページリンク




明石界隈の焼豚  | 一考    

 芋屋金時(神戸市西区水谷3丁目13-11)100g/500円
 きくや食品(明石市大蔵谷奥16-5 バザール明舞)100g/450円
 よしかわ(明石市大久保町駅前1丁目9-12)100g/380円
 山陽亭(兵庫県明石市桜町11-18)モモ100g/340円 肩ロース100g/360円
 谷崎精肉店(明石市野々上1丁目13-17)100g/300円
 神戸うすなが牧場岩岡店(神戸市西区岩岡町古郷2437-2)100g/275円

 最後のうすなが牧場は16年前、ヒラキの向かいにあった肉屋でなかったかと思う。こちらの焼豚をわたしは食べていない。(29日に出掛けたが、ヒラキの向かいにあった肉屋とは別物、焼豚は10点満点中5点の出来)
 芋屋金時の看板には「芋と焼豚の専門店」とあるが、他にソフトクリームも置いている。焼豚のたれは香港のペニンシュラのレストランの味と同じだそうで、鹿児島の南州農場直送のかごしま黒豚を用いている。値が張るのは致し方ない。
 きくや食品は明石を代表する焼豚。こちらも値が高いが、明石のブランドゆえ致し方なし。
 谷崎精肉店の焼豚はわたしのお気に入り。こちらではじめて住んだのは枝吉、わたしが三十歳の時である。往時は車の免許証を持たず、自転車で西明石駅を往復していた。その帰路、良く行った。
 焼豚は焼くまえに砂糖水を多量に注射する。その甘さだけで、焼きも浅く、深い香味を持たない焼豚もある。そうした癖のない焼豚もわたしは好きで、第二神明大久保インターのイズミヤ西神戸店にあった小さな焼豚専門店がそれで、亡くなられた太田さんが戸田へ送ってくださった焼豚はそちらのものである。同様の焼豚がイオン西神戸店で売られている。100g300円である。
 焼豚については概略のみで結構、これ以上深く知ろうとは思わない。ただ、東京の煮豚の濃厚な味と醤油臭さをわたしは好きになられない。

追記
 イズミヤ西神戸店にあった小さな焼豚専門店はなくなっていたが、その代わり、手造りのあぶり焼豚が売っていた。バラ100g/284円、こちらは10点満点中6点の出来。
 同じくバラの焼豚がパントリー 明石で売られている。100g/380円、焼豚はバラに限る。こちらは10点満点中8点の出来。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月20日 14:40 | 固定ページリンク




警告ランプ  | 一考    

 トランスミッションとの警告ランプが点いている理由が分かった。ミッションオイルの交換である。通常、どのような車でも、車検時すなわち2年毎に交換しなければならないが、わたしのボルボは何時交換したのか分からない。前の持ち主はユーザー車検だったので、おそらく交換していないと思う。譲っていただいた時は警告ランプは点いていなかったので、大丈夫だろうと楽観している。
 ミッションオイルの劣化がひどいと新しいオイルに取り換えることによってミッションブローが起こる。その場合、トルクコンバータや油圧ポンプなどを含んだミッションアセンブリ(ASSY)全体の交換が必要になる。そうなれば当然廃車である。
 調子の良い車に乗ろうとすれば、車検時にどれだけ金をかけるかに掛かっている。車は消耗パーツで構成されている、されば次にどこがおかしくなるかの予測はつく。国産車だと無理がきくが、外車はそうはいかない。どこまで先行投資が出来るかである。
 わたしはDレンジしか使わないが、マニュアルライクな運転(自動変速機構を無視しMTと同様に L→2→D3→D4 とシフトアップする、マニュアルモードがある場合それを使う)をすれば、ATFの交換サイクルを早めないといけない。車検から次の車検まで持たないようである。
 乗っているといろんなことを知る。ボルボの座り心地は確かに良いが、修理を考えるとやはりトヨタ車に勝るものはない。機会があれば、トヨタ車に乗り替えようと思う。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月18日 17:46 | 固定ページリンク




風評  | 一考    

 「美味しんぼ」が鼻血騒動でかまびすしい。テレビのコメンテーターはこぞって非難している。曰く、専門家でもないくせに、原発について発言するなら他の手段があるだろうに、漫画でこのような社会的な発言は止めるべき、風評被害の最たるもの、反日漫画家等々、差別に満ちた物言いばかりである。特にテレビ朝日のワイド!スクランブルのそれは目を覆うべき代物だった。
 大阪市長が周到な取材によるにもかかわらず、と揶揄した上で「美味しんぼ」の今回の騒動を非難していたが、わたしは雁屋哲氏が「しっかりとすくい取った真実をありのままに書く」作家だとは思っていない。かつてボウモアの香味が変わったのはサントリーが蒸留所を買収してからだ、との風評を信じ、出鱈目を書いて訂正ひとつしなかったのを知っている。要は雁屋哲氏の著す内容が必ずしも事実ではないことを踏まえた上で、今回の騒動を捉えたい。

 第1原発取材後に主人公らが鼻血を出した原因を双葉町の井戸川克隆前町長が「被ばくしたからですよ」と断定する場面、福島大行政政策学類の荒木田岳准教授が「除染しても人が住めるようにするなんてできない」と述べている場面はともに事実である。今回の騒動に対して井戸川克隆前町長は被曝自体を風評被害としてしまうところにこそ、問題があると看破する。
 鼻血が出るのか出ないのか、低線量汚染がもたらす影響は判然としない。ならば、議論を巻き起こす契機にすればよいのであって、風評を助長させるとの福島県知事の弁は上述の被曝自体を風評被害にしてしまう危険性を内包している。そもそも、風評を作り出しているのは政府、環境省、自治体、そしてマスコミでなかったか。
 云うまでもなく、風評被害とは根拠のない噂のために受ける被害であって、福島で農業や漁業に携わる人々が受けているのは「風評による被害」ではなく、「放射能による被害」である。政府はなにもかもを風評被害として片付けようとし、国民もそれに倣っているが、「風評による被害」と「放射能による被害」は本来厳密に峻別しなければならない。
 自民党の圧勝にはじまって、都知事選、集団的自衛権、原発再稼働と、国民多数の支持を得、世の中は核武装へ向かって一直線に進みつつある。「天皇陛下万歳」を三唱し、手に手を取って滅びる日はそう遠くはない。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月16日 20:56 | 固定ページリンク




逝去  | 一考    

 松山俊太郎さんが、11日の朝亡くなられた。享年83歳。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前10時30分から。ともに代々幡斎場(渋谷区西原2の42の1)。ご冥福をお祈り申し上げます。

 弔意を表し、しばらく掲示板はお休み。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月12日 06:43 | 固定ページリンク




初山別村みさき台キャンプ場  |   一考

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 加茂錦のしぼりくち微濾過酒を買ってきた。新潟の酒は濾過しすぎた酒が多い、そのなかにあって微濾過というところが気に入った。品質保持のため、遮光性の高い紐付きクラフト米袋を包装に用いている。三郷でもさまざまな酒を購入、周さんと酌み交わしたが、近頃の酒は旨くなった。
 東京にはないハモカワ、焼き穴子、焼き豚(東京は煮豚)を楽しんでいる。近隣のスーパーマーケットはどことも魚屋が這入ってい、昼網の魚をその場で下ろしてもらえる。もっとも、魚ぐらい自分で下ろせば良いのだが。
 富山のシロエビ(正確にはシラエビ)と北海道増毛の鮭とばが売っていたので購入。白エビは富山湾の漁師のあいだでは「ヒラタエビ」とも呼ばれる。駿河湾の桜海老同様、殻ごと頂戴する。殻にはキチン質との繊維が多く含まれ、糖質、コレステロール、塩分などを体外に排出する。糖尿病、高脂血症の予防に適し、骨粗鬆症に効果があるのは云うまでもない。
 増毛はカジカの子の醤油漬けや鮭とば黒コショウで知られる。カジカの子は「とびこ」もしくは「とびっこ」と似た食品。とびこにはシシャモの卵を使用した「ししゃもっこ」「まさご(真砂子)」とも呼ぶ代用品がある。
 
 魚卵は食べられなくなったが、昔は良く食べた。積丹から稚内へ北上の途次、石狩、増毛、留萌、小平、苫前、羽幌、初山別、遠別を経て天塩へ至る。いつも増毛か留萌で肴を仕入れ、初山別のみさき台キャンプ場でアイラモルトを飲むのを常とした。
 天塩で国道232号線は道道106号線と分かれる。106号線には風力発電の風車(昔はなかった)が並ぶほかは人家、電信柱、ガードレール、看板、北国固有の矢羽根などの人工物がほとんどなく、右側は地平線までサロベツ原生花園、左側は日本海の向こうに利尻富士を望むことができる。
 オロロンラインの名は羽幌沖の天売島に住むオロロン(ウミガラスの別名)にちなむ。ただし、現在では絶滅危惧ⅠA類に指定されている。天売島の売りは険しい断崖とそこに舞い飛ぶ海鳥の群れ、シーカヤックからの眺めは絶景。天売島のキタムラサキウニはバフンウニなど目ではない。食べた人にしか分からない絶妙の香味である。つぶのウニ和え、北海道でガヤと呼ばれるエゾメバルも絶品。
 初山別の天文台について掲示板で書いたことがあるが、その天文台、キャンプ場、岬の湯がある岬台公園が道の駅になったようである。

 http://www.youtube.com/watch?v=rFg5ve9z1NM

追記
みさき台キャンプ場の写真は以下からの無断借用、誠に申し訳ない。

 http://www42.tok2.com/home/monjirou2/2-saihokutannomisakiomezasite.html


投稿者:   一考  日時: 2014年05月11日 08:39 | 固定ページリンク




笑い種  | 一考    

 税金泥坊で詳しく書いたのは、国民健康保険は全国均一条件と誤解なさっている方が多いからである。健康保険の運用は地方自治体なので、全国様々である。前項で書いたように、無料から54600円まで、目眩くような落差が生じる。
 わたしは日本医師会が云うところの健康保険の効用なるものを額面通りには信じていない。ひとこと云っておきたいのは、裕福な自治体の制度が必ずしも手厚いとは限らないことである。東京や神戸の例がそれにあたる。先端医療都市として、神戸市は福祉の街づくりを謳い文句にしているが、それを信じる者はいまい。
 さらに大書したいことがある。福祉医療にまったく理解のない神戸市だが、しおりには医療の目的を持っての転入を禁ずと書かれている。日本国民は住みたいところへ住む権利を有している。神戸市は日本国憲法をなんと心得ているのか。首長から役人に至るまで、ことごとくが改憲派だとでも云うのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月10日 17:49 | 固定ページリンク




福祉医療つづき  | 一考    

 更生医療並びに重度心身障害者医療費受給者証の発行に時間が掛かり、5月の医療費は自費負担となる。病院薬局双方で30万円ほどになるが、ひとまず支払わなければならない。このケースの場合、高額医療費で指定された自己負担限度額は54600円になる。それ以外は後日返ってくるが、手痛い出費である。ちなみに、埼玉だと一切合切無料である。
 4月30日に引越したため、4月分の保険料も神戸への支払いになる。いくら請求されるのか暗澹たる思いである。
 戸田中央では更生医療が有効になるまでの間は病院側が気をきかせて後払いが効いた。2箇月分を溜め、併せて3箇月分7500円を支払うといった塩梅。埼玉ならではの、戸田中央ならではの、もしくは親しい事務員ならではの、人間味に溢れた便宜であり手厚いもてなしだった。
 前項で「埼玉県では行政、病院が一丸となって患者に負担がかからないように努めている」と書いたが、改めて埼玉県に感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月10日 17:46 | 固定ページリンク




税金泥坊  | 一考    

 車のナンバープレート及び車庫証明以外の役所の手続きがあらかた終わった。あらかたと書いたのは、三郷市の25年度26年度の所得証明がそれぞれ2通必要なそうな、1通は障害福祉課(更正医療の手続きに必要)、1通は市民課介護医療係(重度障害者医療費受給者証の手続きに必要)。ちなみに、同じ市民課の国民健康保険は三郷市へ所得証明を直接問うと云う。同じ役所であるにもかかわらず3通りの対応とはこれ如何に。役人根性はよく分かっているつもりだが、腹立たしく思う。
 西区の区役所に更正医療及び重度身障者医療に詳しい方がひとりいらして、随分と助かった。ただし、窓口を7箇所も回された。三郷市へ引越したときは僅かに2箇所、その理由は隣の窓口の業務は暇であっても一切手伝わないとの神戸市役所の悪しき慣習による。
 医療に詳しい方がひとりと書いたが、三郷の市役所には5人はいらした。人口比は10倍以上なのだが。そのお一人は障害者、車椅子での応対だった。埼玉と神戸の違いについて話し込んだが、互いにその余りもの違いに驚く。今後、親しくなられそうな方である。

 埼玉では更生医療を受けている重度身障者の医療費は、更正医療費を含めて一切無料になる。思うにこれは大変な特典である。どうやら埼玉県以外にはそのような特典は存在しない。東京も扱いの酷いところと聞いていたが、神戸はさらに酷かった。同じ病院の他の科に掛かれば、更生医療の対象外で有料となる。戸田中央では内科であれ皮膚科であれ泌尿器科を通しての治療となったが、かかる便宜は神戸にはない。要するに、埼玉県では行政、病院が一丸となって患者に負担がかからないように努めている。細かいはなしだが、整腸剤や感冒薬も泌尿器科医の処方で頂戴していたが、そのようなことも神戸では不可能である。

 車椅子の彼によれば、現時点では混合診療は認められていないので、自由診療は迂闊に受けられないとか。遡って健康保険が適応されなくなり、とんでもない請求書(数百万円)が行きますよとの注意を受けた。わたしは定期的にリツキサン(自由診療)を打つ必要があるので、なにかしらの方法(例えば埼玉県へ出掛ける)を考えなければならない。
 通院は病院薬局共に1回600円、月2回まで。入院は1回一箇月2400円、他の病院は悉く1回600円、2回まで。なお、一箇月6000円の障害者手当は出ず、ガソリン券も存在しない。概算だが埼玉と神戸を比べると、年間にして20万円ほど(駐車場代は別)の出費増となる。収入のない方はどう工面されているのだろうか。福祉医療に関しては全国で最低の水準である。
 それにしても、この程度のことを専門外として車椅子の御仁に押しつけ、学ぼうともしない神戸の役人の為体、税金泥坊とは如斯。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月09日 09:39 | 固定ページリンク




Uターン禁止  | 一考    

 トラブルは顕在化する前にいくつもの兆候を持つ。気づけば良し、気づかねば後悔する。気づいたところで、なにもせずに放置すれば同じこと。大概は退っ引きならなくなって初めて事態の深刻さに気づく。わたしが透析に至ったときの消息も似たようなものだった。
 病の場合は担保なり抵当が自分の身体なので自分の枠を超えることはない。しかし、男女の場合にあっては顕在化したときはお仕舞いのケースが多い。恋愛の根底にある強い性的興奮は青年期特有のもので、そのようなものをいつまでも引き摺っているわけでない。恋愛ほど容赦のない対人関係はない。時と共に恋着、追慕、懸想と思っていたものが細かく切り刻まれてゆく。
 家庭の本質は他の侵入や介在を許さない占有者の空間、謂わば縄張りそのものにある。従って、互いのテリトリーを異としはじめたところから既に破綻がはじまっている。ひとつの領域に複数の占有者の空間などあり得ない。夫婦間であれ、親子間であれ、自らの領域を持とうと思った瞬間、家庭は崩壊し、個々は独立した領域を持たなければならなくなる。そうでなければ、テリトリーをめぐって攻撃と防御の行動が生ずることになる。分かり易く云えば戦争である。
 例え、薬物依存であれアルコール依存であれ、または腎不全であったにせよ、それを攻撃や防御の行動の理由にはできない。事情の如何を問わず、家庭内暴力(言葉の暴力を含めて)は許されるものでない。それらは個内部の問題であって、テリトリーの問題ではないからである。
 ごく僅かずつ、時を掛けて歪められて行ったテリトリーの修復は難しい。その歪みは男性の傲慢さに比例する。そして男性は女性ほど寛大でもないし明晰でもない。何時も書いていることだが、男には男の、女には女の明晰さがあって、それらは相容れない。間違いなく云えることは、土壇場に陥ったとき、男の振る舞いは未練がましくなる。わたしも未練がましく、透析に這入り腎移植へと至った。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月08日 17:47 | 固定ページリンク




それなりけり  | 一考    

 わたしの文章は前略、中略、後略と取り付く島もないが、肉声はそれなりに鏤められていると勝手に思っている。もう少し言葉を補足して分かりやすくすべきと思いはするが、書き始めるとどうでも良くなってくる。当掲示板はわたしの日めくりカレンダーのようなもので、独り善がりな記号が多く、端から理解を抵んでいるのかもしれない。また、誰のために書いているのか、何のために書いているのか、その辺りの消息も敢えて暈かしている。それがさらに文意を掴みにくくしている。
 当掲示板を海馬の涎と名付けた時期があったが、その譬喩の骨子はいまも変わっていない。人にはよこしまで公平でないところがあって、わたしなども揶揄嘲弄を好しとするタイプである。しかし、ひとをからかえば不興を買う。よって揶揄の対象はわたし自身に限られる。もしも他人への皮肉と受け取られる方がいらっしゃれば、それは筆が滑ったまでのこと、本意にあらず。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月08日 17:36 | 固定ページリンク




涓人  | 一考    

 昔、移郷との刑罰があった。殺人罪で死罪に処せられるはずの者を恩赦によって強制的に他郷へ移住させることである。わたしは移郷らしきものを繰り返してきたが、それは強いられたものでなく、他郷そのものもまったくの偶然である。三郷も住みたくて住んだ街ではない。住んでみて、都内最大の水元公園やみさと公園に惚れたのである。そして当地の障害福祉医療の手厚さにも。旅は北海道、栖には三郷が最高と思うようになった。
 関西へは、どうあっても一度帰らなければならない理由があった。ひとと会う用なのだが、それはすぐに済む。済めばいままで住んでもっとも気に入った街である三郷市南端の鷹野もしくは高州へ戻りたい。
 帰ったとたんに三郷はなかろうと思うが、神戸や明石は好きになられない。京都や大阪を好きになられないのと同じ理由である。あまりにも多くの友を失ったからである。辻さんが水元公園を一見、中国によくある公園との感想を洩らしていたが、あの佳さを彼と共有できたことを嬉しく思う。ちょうどこの時期、公園では金魚の孵化が盛んである。
 わたしは自ら育てた金魚の写真を1枚も持っていない。持つ必要がないので持っていないのだが、黄金色の金魚の表彰だけは残っている。このようなちょっとしたオブジェが拙宅には多い。性欲のようなもので、所有の概念のひとつの顕れである。話序でに書いておくが、性欲は本能ではない、より広義な所有に属する心的形象である。
 理由は書かないが、わたしは勃起能力をなくした、しかるに性欲はなくしていない。恰度、涓人のようなものでないだろうか。去勢されたが、環境は後宮にある。言い換えれば、妄想のみの世界と云えようか。これも一種の移郷に違いない。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月07日 16:28 | 固定ページリンク




ネット接続  | 一考    

 7日付けでネットに繋がるようになった。プロバイダはJ:COM、身障者割引があって160Mで3000円(税別)。他に40M2750円もあったが、そちらは止めた。2500円なら躊躇なく40Mにしたのだが。ついでに固定電話は中止、携帯だけになった。よって長電話はできなくなる。機器が古いせいか、バッテリーの容量が小さくすぐ切れてしまう。
 眼鏡が未だに出てこない。バッグに入れていた携帯用の眼鏡を用いているが、すこぶる不便。薬を優先したために、眼鏡を含めて文具の類いは梱包してしまった。いずこで眠りについているのやら。

追記
 早速オークションでウィスキーを売って医療費を稼がなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2014年05月07日 14:36 | 固定ページリンク




ありがとう  | 一考    

 引越を手伝ってくださった佐藤、辻、増田、幣旛、飯田、中村、田中屋の栗林さんに感謝。最後となったですぺらでの飲み会に参加してくださった沖山、佐々木、櫻井、プピプピさん、お名前は書かないが数人の方に深謝。
 引越したが、荷物の梱包を解くのはこれからである。1箇月ほど掛かると予想される。ワイヤレスのキーボードが出てきたが乾電池が出てこない、包丁が出てこないので料理ができない、この種この類の捫着がつづく。
 引越した日はさすがに疲れた、それと水分不足である。普段は目の前に2リットルのペットボトルを列べ、量りながら飲む。そうでなければ、飲んだつもりがさして飲んでいないことになる。いずれにせよ、3乃至4リットルは苦行である。クレアチニンが上がっていなければ良いのだが。(5月2日)


投稿者: 一考      日時: 2014年05月07日 14:34 | 固定ページリンク




お別れ会のようなもの  | 隆    

一考に代わり、投稿させて頂いております。

本日19時より、ですぺらにて一考のお別れ会のようなものを催しております。


投稿者: 隆      日時: 2014年04月24日 18:07 | 固定ページリンク




引っ越し  | 隆    

一考の引っ越しが本格的な作業に入っております。

5月の10日頃までは、通信が開通しない予定でございます。
とり急ぎご連絡申し上げます。


投稿者: 隆      日時: 2014年04月24日 10:57 | 固定ページリンク




さようなら戸田中央総合病院  | 一考    

 透析治療のことではじめて戸田中央の診察を受けたのは2009年だったが、駐車場が有料だったのでそれきりになった。その後、北里研究所病院と東葛クリニックでの透析治療を経て、2011年9月初旬、腎移植の相談でふたたび戸田中央を訪れた。翌年1月検査入院、移植手術は半年後の7月だった。
 2014年4月21日が最後の診察だが、この2年半戸田中央へ日参したことになる。当初の担当医は徳本医師だったが、2012年4月湘南鎌倉総合病院へ移籍、その後担当医は瀬戸口さんに代わり、執刀していただくことになった。2013年04月、瀬戸口医師は済生会栗橋病院へ赴任、松田さんがその後の担当医となった。
 医師は変わっても事務員や看護師は変わらない。お名前は書かないが、見送ってくださった事務員、最後の説明をしてくださった看護師の鈴木さんに感謝。「腸と穿孔」で「採血を済ませ、採尿のためにトイレへ這入り、そのまま失神」と書いた2013年02月07日にも、鈴木さんの世話になっている。そもそも医師の云うことがどこまで患者に伝わるかは疑問である。それを翻訳し、正確に伝えるのが看護師の最大の勤めである。病気の性質上、わたしの周りには認定看護師が多かったが、ICU、入院病棟、外来共に、戸田中央にはすぐれた看護師が多い、どれだけ助けられたか分からない。
 誰もが経験することだが、別れを告げるに際し、わたしも感情が昂ぶり目頭が熱くなった。これではいかんと、極力平静を装ったが、捨て置けば泣き出したに違いない。事程左様に戸田中央にはわたしの血と涙が刻み込まれている。病院は入院した人の数だけの喜怒哀楽を飲み込んでいる。看護のような過酷な仕事にわたしなら堪えられるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月22日 13:25 | 固定ページリンク




系列  | 一考    

 国産車と外車ではまったく異なりますが、国産車の場合はパーツメーカーは系列に這入っております。例えば、スバルは日産車とパーツを共用していましたが、今ではトヨタ傘下です。スバルのインプレッサに長く乗っていましたが、ブルーバードのパーツを何時も使っておりました。今後、すべてのパーツはトヨタ系列のアイシン精機やデンソー、ジェイテクトに変わっていきます。
 ディーラーへ持ち込めば純正品ですが、街のガソリンスタンドなら当然、安価な汎用品になります。最近ではガソリンスタンドで車の修理をする方は少ないと思います。そして素人ほど純正品にこだわるようです。
 なんでさんがご指摘の通り、車種の多さに比べるとパーツは共用品が多いですね。ただし、車好きなら社外品の高級品を好みます。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月20日 23:58 | 固定ページリンク




引越はじまる  | 一考    

 24日までに2つの書庫を片付けて、25日からわたしの居室に掛からなければ間に合わないとかで、梱包がはじまった。周さんとヒロさんがお手伝いくださっている。今日は8個の本箱をベランダへ放り出し、10の梱包を済ませた。進捗率は5%。21日はわたしは病院で検査、よって荷造りはお休み。
 周さんによると、間に合うかどうか分からない、急がなければ、と。29日朝から引越なので、28日までにすべての荷造りを終えねばならない。7日で出来るのだろうか。おそらく、24日以降は徹夜になる。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月20日 23:01 | 固定ページリンク




純正部品  | なんで    

 小生が仕事をしていましたとき、お得意先の「キャブレターパーツ」の会社のカタログを作ったことがあります。カタログは国産各社の純正部品と照合する自社商品番号が並び、注文出来るようになっていました。おそらく取引先は街の無名の修理をするお店、ガソリンスタンドだったと思います。車の持ち主は「故障部品」を『純正」など指定しませんものね。カタログには自動車各社の車種の多さに比べると部品は、「車種専用」でなくほとんど共用しており、驚いたものです。


投稿者: なんで      日時: 2014年04月20日 15:12 | 固定ページリンク




マイレのパーツ  | 一考    

 車が生き返った。やはりマイレ社のイグニッションコイルで正解だった。82000円ほど掛かったが、最小のパーツ代で済んだ。
 エンジンの調子はよくなったが、ダッシュボードのエンジンチェックの点灯が消えない。「バッテリーのマイナスを外せば消える」「バッテリーはどこだっけ」「後ろに埋め込まれています」「ランエボやGT-Rにもあったね」。点灯は消え、試乗を終える、これで引越を手伝ってくださる方を松戸まで迎えに行かれる。

 マイレ社ホームページには「OE部品(Original Equipment Parts)を超える」と書かれている。ボッシュやビルシュタイン同様、純正品を真似て安く作った社外パーツとは異なり、純正品の弱点を見いだして改善、さらに合理的で耐久性の優れた製品に高めていくのがマイレのパーツである。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月19日 18:50 | 固定ページリンク




eonet  | 福永幸弘    

一考様
 お返事ありがとうございました。 そう言えばeonetは始まったばかりで、接続に日数がか掛かりました。
拙宅は種々、団体割引がありますので、加入致しておりまが単一の加入も出来るはずです。何より便利なのがTEL151の存在で、ここに掛けて、小生は何かと便利に教えて頂いています。今日もマックを無線LANに変更しようと先日来、パスワードを「打ち込め」の表示が出るのですが,小生が使うのは2種の「パスワード」しかなく、失敗の連続、今朝TEL151に電話致しまして、そのパスワードがWi-Fi装置の「KEY番号」でした。これで現在、無線LANのマックになっております。
 お身体に気をつけて、故里へ帰られますように、お祈りしております。
                                  福永幸弘拝


投稿者: 福永幸弘      日時: 2014年04月18日 18:00 | 固定ページリンク




吾妻語  | 一考    

 障害者手帳を人前で振り翳すのが嫌で、医療費を別にすると、100キロ以上のJRの普通乗車券とETCカード以外には利用していなかった。先般、神戸の役所で市バスは無料になりますと云われたが、西区は神姫バスしか走っていない。市バスを走らせる予定でもあるのですかと嫌みを云ってみる。
 三郷にも市バスは走っているが北部すなわち中央部のみ、私が住んでいる南端は京成バスと東武バスの二種類。そのバスではじめて障害者手帳を使った。200円が100円に半額の割引である。引っ越すまでに使う機会はあと二回。他人が使っているのを見たことはあるが、自分が使うのはなんとなく小っ恥ずかしい。
 
 先日、実の姉妹から身体障害者とは付き合いたくないと絶交を宣告されたが、周章てて当掲示板から退場していただいた。遡って抹消したのである。親はともかく、兄弟姉妹はいざとなれば他人以上に冷酷なものと思っていたのでなんとも思わないが。宣告されてわたしは障害者であることを再確認した。
 梱包用空き箱を130ほど運んだだけで桃色吐息ならぬ青息吐息である。明日はウィスキーの梱包用空き箱が到着するが、どこに置こうかと迷う。これも再確認のひとつである。姉妹なんざあ、1枚の梱包用空き箱としての価値すらないとでも解釈していただこうか。要するに、はったあしたくなる。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月18日 16:28 | 固定ページリンク




福永幸弘様  | 一考    

 ご連絡ありがとうございます。当方メールは受けられますが、送信が出来ません。従ってこちらで失礼致します。
 早速 eonet を調べたところ、引っ越し先が対応していないとのことでした。残念でございます。わたしが求めているのはインターネットへの接続だけで、テレビや電話は不要です。それゆえ、値は安く済みます。J:COM で問題が生じるようであれば ADSL に切り替えるつもりです。お気遣いありがとうございました。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月18日 13:07 | 固定ページリンク




荷造り  | 一考    

 引越がやっと契約にまで至った。五つの会社から断られての契約である。曰く、1月から云われていたら用意していたのに、と。一時はどうなることかと不安すら感じた。梱包材料は2日以内に宅急便で送られてくる。20日からは荷造りがはじまる。
 梱包はこれからであって、なにひとつ進んではいない。しかし、一仕事片付けたような塩梅である。住居と引越が決まっただけでも嬉しい、欣喜雀躍の態である。
 周さんのお世話がなければ、ことここに至らなかった。引越万般の相談相手なのだが、それに止まらない。身体の不自由なわたしに変わって仕事の休みの時間はすべてご協力いただいている。感謝あるのみ。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月18日 11:58 | 固定ページリンク




修正  | 一考    

 「イグニッションコイル換装(04月17日)」と「シャフトモータースポーツ2(04月16日)」を合体の上、修正を施した。誤字脱字の修訂、細かい字句の書き換えはあるが、こういうことは初めてである。
 なお、1気筒が死んだ時の対処法については稿を改める。検索したところ、間違いが多く見られたからである。車にもよるが、捨て置くと早晩エンジン本体の焼き付けに至る。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月18日 11:44 | 固定ページリンク




イグニッションコイル換装  | 一考    

 シャフトモータースポーツでセルを回すのを手伝ってきた。3番のイグニッションコイルと6本のプラグを交換、セルを入れるも状態は変わらない。コンプレッションは12.5と正常だが、エンジンは変則的な回転である。要するに6気筒が順調に点火されていない。大桃さんと話すに神戸からの帰路すでに異常だったのではと。
 ボルボにはプラグコードが付いていない。コンピューター制御のため、カプラーから直接イグニッションコイルに接続されている。そのイグニッションコイルが3本死んでいる。交換したものを含めると4本である。熱で焼き切れたと思われる。ひとつ8000円のイグニッションコイルを全部交換することになった。ディーラーへ持ち込めば触媒の交換になる。そうなると5、60万円の出費になるが、それは避けたい。他にO2センサーのトラブルも考えられる。
 イグニッションコイルの外装ならびに電装のコードカバー等々、ヘッド周辺の硬質プラスチックはことごとくが熱でぼろぼろになっている。いずれにせよ、エンジンはとんでもない高熱に襲われたようである。なんとか、イグニッションコイルの交換だけで済めばよいのだが。
 註文は北海道江別市のスーパーライン北翔、ベンツ、BMW、アウディ、ボルボ、VW、プジョー、シトロエン、ポルシェのリビルト並びにパーツ販売、パルカで識られる会社である。土曜日にパーツが届く。

追記
 昔、神戸トヨタへ1気筒が死んだクラウンが運び込まれた。気づくのが遅れたせいで車は回復しなかった。と云うよりも、修理代が嵩みすぎて廃車になった。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月17日 18:29 | 固定ページリンク




NTTフレッツひかり  | 一考    

 東から西への回線の引越を申し込んだ。担当部署(別会社)から電話があって、十数分一方的にしゃべっている。あまりの長電話(鷲巣繁男さんの電話を思い起こした)に呆れ返った。客が来ているのでと云っても、あと10分で終わりますからと強引である。仕舞いに腹が立ってきた、如何に仕事とは申せ、無礼である。
 内容が煩雑でなにひとつ理解できない。若者なら分かるのだろうが、こちらは老人である。苛立ちを覚えているのでなおさら理解できないのである。やがてわたしはフレッツを諦めた。神戸ではJ:COM NETへ切り替えることにした。身障者割引があって、わずかだがこちらの方が安いようである。J:COMでは面倒がないことを願っている。

 フレッツには後日談があって、何度か電話を頂戴したが、そのたびに担当が異なる。最後に、先日の担当者の説明ならびに態度を4段階で勤務評定しろとの自動電話があった。嫌悪すべき会社である。最良との評定を下したが、二度と付き合いたくない会社だった。
 それやこれやで、月末から10日間ほど、インターネットへの接続は遮断される。不悪。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月17日 14:28 | 固定ページリンク




下旬  | 一考    

 弱音は吐きたくないのだが、神戸で負ったダメージ(ダメージは外的損傷だから本当は意味合いが異なる)は強かった。9日からの身体の異常はいまなお続いている。シャフトモータースポーツを往き来したり、引越会社との折衝など、平気を粧っているが、内実は大変である。
 18日に引越会社を決め、19日に梱包資材を調達、20日からは引越荷物の梱包に這入る。しかし21日は戸田中央での最後の診察、28日にも診察を受けるように云われたが、さすがにそちらはお断りした。引越は28日もしくは29日、引越荷物を積んだトラックを即刻追わなければ間に合わない。出発の直前に掃除は済ませるが、マンションの立ち会いをどなたに頼もうかと思っている。5月12日からは神大附属で病理検査が目白押しである。

追記
 28日の診察を断ったと書いたが、21日の段階でクレアチニンを2.0以内におさめることならびに膀胱炎の完治が要件の一である。ともに出歩かないことと多量の水分を摂ることが必須条件になる。
 1日2リットルの水分は問題なく飲まれる。しかしそれを超えるとなると苦痛を伴う。先週は1日4リットルの茶(スポーツドリンクは糖分が高すぎるのでわたしはお茶にしている)を飲んだ、さすがに今週は2、3リットルに抑えている。それでも全身が茶漬けの状態である。山葵でも添加すれば目先が変わるのかも。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月17日 04:22 | 固定ページリンク




パコ  | 一考    

 四谷シモンさんがパコ・デ・ルシアをシェアなさっている。今年の2月に亡くなったが、わたしは黒木書店の息子さんを思い起こす。当掲示板で「神戸の古本力 」を書いたのは2006年11月のこと、泣きながら書いたのを覚えている。

 https://www.youtube.com/watch?v=XmLxVlHZZZs


投稿者: 一考      日時: 2014年04月16日 21:14 | 固定ページリンク




シャフトモータースポーツ2  |   一考

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 ボルボは3番プラグの火花がほとんど出ていない、他のプラグも先端が摩耗し丸くなっている。イグナイター(バイクならCDI)と共に交換。エンジンオイルも交換、パワステオイルを補充。相応にトルクが落ちていたと思われる。このようなオートマ車の構造は専門外でと謙遜する大桃さん。彼はなにも云わないが、ラリーショップへボルボのようなオートマ車を持ち込むのは気が引ける。

 http://webshaft.org/

 夜間救急専門の川越救急クリニック院長上原淳さん、川口の田近医院院長などがシャフトモータースポーツのお客さんで大桃さん共々ラリーを楽しんでいる。上原さんはミヤネ屋などで紹介された気鋭の医師である。
 今回のレース結果は4位と5位、1本2万円のタイやが20キロほどの走行で、完全に溝がなくなっている。金のかかる道楽、ラリー選手に医師が多いのも理解できる。車両はマツダデミオ、1.3Lのターボ仕様だと265馬力まで出るそうな。ちなみに、ラリーに使われるタイヤはほぼ決められていて、ダンロップゼクシオ GGC-X036W。大概は215×50×15である。


投稿者:   一考  日時: 2014年04月16日 00:18 | 固定ページリンク




見積もり  | 一考    

 引越の見積もりがはじめて出た。10屯車で33万円、値切って28万円とか。ベスト引越センターである。さまざまな引越会社が来たが、すべて断られた。それゆえ、見積もりを出してくださったことは嬉しい。
 食器、本、CD、酒の梱包はこちらで処理しなければならない。ウィスキー600本ならびにパソコンの損壊についての保証はない。従って、ごく一部のウィスキー(アードベッグとスプリングバンク24本)は自家用車で運ぶ。空き箱は田中屋の栗林幸吉さんにお願いしたが、50箱が必要なため、もっか交渉中である。煩わせて申し訳なく思っている。
 ウィスキーは1000本近くあったが、相当量売ったので減り続けている。もっとも、値の張るものはいまなお置いているが。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月15日 14:25 | 固定ページリンク




Sam Bailey  | 一考    

 天童大人さんが Facebook で Sam Bailey を紹介している。「35歳の刑務所の事務官という女性の聲を映像を見ないで、聲だけを聴いてみて、ほとんど10曲余り、本人の聲で、真似ではなく、自分の楽曲として歌いこなしている」と。

 https://www.youtube.com/watch?v=mCylXy-IRGU

 感涙に噎ぶような歌声。妙々たると云うか、絶巧とはこのこと。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月15日 12:45 | 固定ページリンク




マニュアル車  | 一考    

 車の運転の巧い下手は偏に左足の操作に掛かっている。シャフトモータースポーツの大桃千明さんは「ラリー界では左足ブレーキを多用するFFドライビングの第一人者としても広く知られてい」る。
 当掲示板で何度も書いているが、ポルシェ968、インプレッサ、ロータス7,シビック等々。わたしの周りにはマニュアル車に乗られる方が多い。にもかかわらず、わたしは大衆車という名のオートマ車に乗り続けている。オートマ車はハンドルをぐるぐる回しているだけで、運転の巧拙とは縁がない。謂わば、車に乗せられているだけで、車を乗り回しているわけではない。
 
 先ほど、ボルボをシャフトモータースポーツへ預けてきたが、修理に今週いっぱい掛かると云う。来週月曜日に病院へ行かなければと云うと、代車にインプレッサならお貸しできる、と。ラリー仕様のターボ車である。何馬力出るのかは聞かなかったが、走らせてこそのラリー車である。2002年5月以降、マニュアル車には乗っていない、楽しみである。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月15日 11:54 | 固定ページリンク




検査結果  | 一考    

 予想通りクレアチニンは2.37、順調に下がっている。なんとか2.0を切るところまで持って行きたい。血液検査のうち、日数の掛かる項目の結果が出た。それによると水分が引き金になったのは事実だが、やはり拒絶反応が強かったようである。
 他に異常はないものの、沈渣の細菌がプラスに、白血球が30-49/毎になっている。膀胱炎の再発である。ただし、CRP定量が0.0なので、多量の水分補給によって洗い流せると思う。

 これからお世話になるので、神大附属病院での悶着は書かなかった。理由は病理学検査をわたしが持参しなかったことだが、当然紹介状に添付されているとわたしは思っていた。どうやら戸田の担当医が失念していたようである。だからと云って、どうしてわたしが非難されねばならないのか、釈然としない。単純なミスであり誤解なので話せば分かりあえると思っている。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月14日 23:13 | 固定ページリンク




料理人不在  | 一考    

 片や「炎の料理人」片や「ラーメンの鬼」、共に糖尿病で逝く。塩鮭と青ネギのチャーハンにせよ、醤油ラーメンにせよ、命懸けで食さなければならない料理であった。ラーメンが料理のカテゴリーに這入るのかどうかはともかく、「ラーメン道」などと宣う権威主義はいただけない。素人ほどなにかにつけて「道」を付けたがる。剣道、柔道、空手道、ことごとくが権威主義の権化である。剣道とラーメンとどちらが偉いのか、冥界で気が済むまで議論していただきましょう。

 身体を案じて奥方が拵えしラーメンの味が薄すぎたとか、料理は万人によって食されねばならない。味の濃淡は個々の客が好みに応じて付けるもの、料理人の好みを客に押し付けるなどあってはならないことである。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月14日 22:27 | 固定ページリンク




息切れ  | 一考    

 周さんがいらしたので、買い物に出掛けた。支えなしで歩かれないので、自転車を支え変わりに押して歩く。止せばよいのに、ちょいと自転車に跨ってみたくなった。ペダルを5回転ほど回しただけで息が切れる。ゼェーゼェー、ハァーハァー、ヒューヒューと、わたしの呼吸器は大騒ぎである。
 息切れと共に、水が飲まれなくなる。明石ではこれが理由で水分不足におちいったのかなと思う。明日は徒歩と電車で病院まで行かなくてはならない。覚悟をきめなければ。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月13日 18:01 | 固定ページリンク




追い炊き  | 一考    

 7日に三郷を発って1週間ぶりに風呂へ這入った。風呂へ這入られるほどに回復したと云うことになる。昨日も4リットルの水分を摂取、おそらく月曜日のクレアチニンは2.5ぐらいには下がっていると思う。

 かつて掲示板で書いたが、三郷へ来るまでは古い戸建てにのみ住んでいたので、追い炊き機能付き全自動の風呂ははじめてだった。まず湯温設定だが、日々の寒暖に合わせて1度下げたり上げたり微調整をとる。今は40度に設定している。「沸かす」のボタンを押すと自動的に沸くが、その段階では表面が設定温度に達しただけで底は冷たい。掻きまぜて「追い炊き」を押すと具合良く沸きあがる。
 十分に身体を暖めたら、湯船を出てシャボンを用いるが、その間に「追い炊き」を押す。シャボンを洗い流して再度湯につかるときに温かくなっている。まるで風呂場に魔法使いが住んでいるようである。

 追い炊き機能はマンションなら必ず付いているものとわたしは思っていた。ところが、今回明石で賃貸マンションを探して「追い炊き」が極端に少ないことに気づかされた。追い炊き機能が付いているだけで家賃が15000円ほど高くなる。水回りは工事費が嵩むゆえ、仕方がないのかもしれないが、三郷ではおんぼろな棟割り長屋ですら追い炊きが付いている。借り手の希望を家主がどこまで汲み取るかなのだが、明石や神戸は人口わずか13万の三郷や戸田よりも遅れている。愚息に尋ねてみると、やはり住居に追い炊きは付いていない、どうしているのか訊くと、シャワーのみ利用すると云う。
 中には差し湯と称する逆さ水(水に熱湯を注いで適温にする)機能もあるが、わたしは湯灌を連想するので嫌である。なにを考えているのかと云いたい。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月13日 12:36 | 固定ページリンク




生みの親  | 一考    

 新住所は兵庫県神戸市西区玉津町出合 シャーメゾン出合。57.84㎡の3DKである。西明石駅からアパートまでの距離は現住所と松戸の駅に等しい。バスはJR明石駅より神姫バス(30・35・36・43系統)出合橋下車4分。築後新しく、駐車場の広いのが結構。
 
 不動産会社から引越し会社を紹介していただいたのは良いが、3箇所から連絡があった。どこぞと特別なかかわりでもあるのかと思っていたが、そうではなく、見積もりの安いところと契約しろとのことらしい。見積もりでバッティングさせるわけにいかない。12、15、16日と振り分けていただいた。これでなにがあろうと入院は出来なくなった。
 どんなに頑張っても一杯しか飲まれないが、おっきーさんや櫻井さんとはゆるりとお会いしたいと思っている。当掲示板の生みの親はわたしにとって父親のような存在である。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月12日 14:38 | 固定ページリンク




審査  | 一考    

 不動産会社の審査が受かった。金融関係が通るのは分かっていたが、女房がいながら一人住まいとは是如何に、と問われるであろうことは気付いていた。案の定、そちらで引っ掛かったようだが、不動産会社の女性の気配りにてことなきを得た。同女性、藤田さんの紹介にて引越会社を手配していただけることになった。こちらも感謝したい。今月28日からの契約にし、手続きは隆さんに任せる。引越会社との折衝は15日。

 自前の薬としてミヤBM細粒とPL配合顆粒を必要に応じて服用している。身体の免疫がほとんど機能していないため、とりわけ整腸剤は欠かせない。帰宅後、急速に身体は元に戻りつつある。昨日も4リットルの水分を補給。旅先ではスポーツドリンクやファーストフードなど、身体にそぐわないものばかりになる。レストランの食事がいかによろしくないかは分かっているのだが、どうにもならない。結果、食べない飲まないの繰り返しで身体はとんでもないことになる。

 血圧を昨日記したが、今朝は131-66-70、血圧が正常値に戻ったのは2008年以来である。ヘモグロビン数値(10〜11)と相まって高血圧と貧血の双方から解放されたようである。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月12日 12:27 | 固定ページリンク




引っ越しはどうなる  | 一考    

 戸田の検査結果ではクレアチニンが3.00に下がっている。ちなみに、1.9以上が常態だと即入院となるが、わたしの判断通り、水分補給が十分でなかったのが理由のようである。このまま1日、3〜4リットルの水を飲み続ければ、2.2ぐらいに落ち着くのでないだろうか。
 週明け月曜日にステロイドのパルス療法、その後、二週間ほど様子を見ることになった。昨夜も書いたが、看護師の鈴木さんに度重なる迷惑をお掛けした、ここに記して感謝する。
 
 様子見とは申せ、引っ越しは進めなければならないが、問題は不動産会社の審査である。昨日今日にも結果が出ると担当の女性はおっしゃっていたが、連絡はない。審査に受からないと、また端から住居探しである。月末に家は明け渡さなければならないのに、どうなるのだろうか。

 その住居探しだが、車が動かなくなってしまった。6気筒ののうち1気筒が死んでしまった。点火プラグとプラグコードを取り替えれば済むはなしだが、変則的な状態で戸田を往復、50キロほど走ってしまった。当然、40キロ以下で走行したが、生ガスが触媒に流れ触媒が熱を持って損壊する。どの程度壊れたのかが分からない。死んでいる所のインジェクターのコネクターを抜けばよいのだが、必要な工具を積んでいない。
 難儀なことがつづく。シャフトモータースポーツの大桃さんはラリーレースに出場中。火曜日に車を預かるとのこと。来週一杯車は動かない。通院も電車である。

追記
 いつもより詳細な血液検査104項目のうち、クレアチニン以外の異常は見受けられない。血圧も115-71-80、体温は36.3。身体の疲れのみが目立つ。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月11日 15:54 | 固定ページリンク




帰宅  | 一考    

 隆さんに運転していただいてなんとか三郷へ辿り着いた。明日の朝、8時30分から戸田中央にて改めて検査である、必要なら即入院する。担当医が休みのため、親しい看護師が段取りを付けてくださった。
 血中および尿に蛋白が下りていないので、単純に考えれば点滴だけでなんとかなりそうである。順調に過ぎゆくことを願う。とは申せ、クレアチニンがあまりにも高い。神大附属の医師は強烈な拒否反応を想定している。よってステロイドのパルス療法とリツキサンを薦める。4箇月に一度とか半年に一度との常識は通用しないとうるさく云われた。また、パルス療法の内容量を増やすようにも云われた。副作用は無視すべきと。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月10日 23:18 | 固定ページリンク




西明石にて  | 一考    

 ホテルがインターネットに接続されているので、その後の事情を書く。
 神大附属病院の検査結果だが、クレアチニンが3.68。このように高い数値ははじめてである。予想通り、医師はこのまま帰すわけにいかない、即刻入院していただく、との一言。数値上は当然の判断である。わたしは今後の治療の連絡に来たのであって、入院が目的でない。医師と押し問答がつづく。即刻戻って、埼玉で入院するとの約束でなんとか勘弁していただいた。
 わたしの判断だが、旅先ゆえ、水分を控えていた。一日、2リットルから4リットルは飲まなければならないところ、昨日は500ミリリットルしか飲んでいない。それがクレアチニンが跳ね上がった最大の理由だと思う。点滴を5本ほど静脈注射すれば体内の水分は元に戻るのではと考えている。ちなみに体調は最悪、200メートルも歩かれない。これでは住居を探すことなど覚束ない。どうしようか迷っている。

 医療費の還付の問題だが、当地では還付なるものがほとんど存在しない。山崎医師から伺っていたよりも、遥かにきつかった。まず、更生医療だが、所得によって支払う金額が異なる。わたしの場合は月額2500円だが、その立て替え分は役所での所定の手続きのあと、還付される。ところが、神戸ではこの請求金額が病院と薬局と別々になる。要するに倍額になって還付は一切ない。そして他の病院での治療、すなわち更生医療以外の治療だが、高額医療の還付以外の還付はない。要するに、重度身障者の特典ならびに優遇は一切ないのである。月に換算すると2、3万円の自己負担金が増える。
 神大附属病院の駐車料金だが、戸田中央での4時間100円が450円になる。ただし、点滴を打つと病院での時間は8時間ほどになる、戸田中央だと200円だが、神大附属だと2000円になる。こちらも特典はなにもない。昨夜、櫻井さんから電話があって少々話し込んだが、東京都と兵庫県はどうして身障者に斯く迄つれないのか。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月09日 22:09 | 固定ページリンク




片影  | 一考    

 どなたかの面影を探す。とりわけ京都という街ほど記憶や形見、心によみがえるものと照応し合う街もあるまい。多くの友をわたしも失いましたが、縊死して果てた友の片影がつらくて京都から足が遠のいた時節がありました。
 そうしたたたずまいと云いますか、匂い、アンビアンス(周辺の雰囲気)が文章にも必要と思います。言い換えれば、文章を著すときにもっとも大切なのは「周辺視野」でないでしょうか。自分が描きたいことに集中していると周りへの気配りが稀薄になります。周りへの気配りが薄らげば薄らぐほど文章は独善的な趣をもってしまいます。他人の目を通過したときに文意がどのように変貌していくのか、そのあたりへの心遣い、留意が文章を馥郁たるものに仕上げていくのだと思います。
 生意気なことを云うようですが、編輯者としてはわたしに一日の長があると愚考します。とにかく、執筆していただき、最後の仕上げはお任せください。

 「湯川書房について」では、些かきついことを書きましたが、伊東さんをはじめ、みなさんが湯川さんにシンパシーを感じて集った人々だと思っています。ただ、遺されたひとを悲しませたり、憤りを憶えさせるのはいけません。「冗談が判らなかった」で済む問題ではないと思います。自分が知っていることと、書いてもよいこととは必ずしも重なり合いません。要するに、伊東さんの周辺視野が少し曇っていたように思うのです。忖度は控えなければなりません、それよりも事実の重なり、繰り返しのなかに湯川成一を立ち上らせることが肝要です。
 70年代に関西にあって湯川書房という希有な冒険を試みた出版社があった。あなたがご存じのとおり、出版は金銭との壮絶な戦いです。その事実を後生の人たちに伝えなければなりません。それはわたしたちの仕事だと思います。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月05日 15:50 | 固定ページリンク




おでかけ(HKTに倣って)  | 一考    

 不動産会社からの物件がいくらか溜まったので、週明けに神戸へ向かうつもり。予定では二泊、宿は明石ルミナスホテル。引っ越し先を早く決めないと運送屋の段取りがつかない。
 車で行かないと向こうで不動産屋巡りができない。無理を承知で休みながら走る。今までSAなるものをほとんど利用したことがないが、今回は全SAへ寄る覚悟である。夜行バスが8~9時間だからその倍も掛ければ到着するだろう。7日の昼過ぎに出て、8日の朝に着けばよろしいかと思っている。
 知らなかったが、連泊すると二日目から後は値が1割ほど高くなるようである、逆に安くなるのかと思っていた。笑われそうなはなしだが、わたしがホテルで泊まったのは26歳と44歳の二度(共に北海道)だけ、他はすべてキャンプ場でのテント生活である。北海道で二箇月余を過ごしたことがあるが、その折も全泊テント、かつ無料のキャンプ場ばかりだった。もっとも病棟もホテルのようなもので、そちらは4、5箇月になる。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月05日 14:26 | 固定ページリンク




感謝  | なんで    

 ご指名を頂いて感謝しております。一つだけ伊東康雄氏の本について弁護したいと思います。奥様が激怒された「冒頭」、大阪人なら「又、言うてるわ」で済むところ、関東の方は、「真に」受けた、冗談が判らなかった。行きつけの喫茶店「ホルン」様でこの手の「冗談」を連発、しかし「おち」がありまして、「俺は軟派と見られるがほんまは硬派や」と申して居りました。
 冗談が好きなのもほどほどで、小川国夫さんに名づけて頂いた、ご子息の事まで「言うもの」ですから、小生は「なんぼなんでも止めなさい」と注意しました。(小生年長故) 湯川さんの悩みの種、ご子息の学校での「行動」は近年「病気の一種」と解明されています。
 湯川書房が御幸町から河原町三條の事務所に移る際、仲間でお手伝いを、トラックを運転して来たご子息が、「父が大変お世話になりまして」と立派な挨拶をされました。
 伊東氏より大阪での人たちの「感想文」を集めと言われ、小生が集めて氏に渡しましたが、一向に出す気配なく、仕方なく小生がワープロに残っていたファイルで作成し、「文集」に製本して、書いて下さった方々に配布、「自分の書いた文」が初めて活字になったと喜ばれた方もありました。
 京都に移られた後、ホルン様で当時のお客様にお会いすると、よく「湯川さんはどうされてますか」とお尋ねを受けまして、小生は執事ではありませんと言いながら「相変わらず、金が、金がないと言いながら、元気にやって居られるようです」と答えるのが常でした。今、小生が京都に参りますと遺跡後に出来た、「珈琲直」さんに立ち寄るのが小生の京都道です。


投稿者: なんで      日時: 2014年04月05日 09:50 | 固定ページリンク




「影の居候」  | 一考    

 お名前を出してよろしいのかどうか分かりませんので、「なんで」さんで参ります。あなたのことは湯川の奥方と公子さんから幾度となく聞き及んでおります。湯川さんがどれほどあなたの世話になったかも重々承知致しております。取り次ぎへの配送などもすべて引き受けられ、あなたがいなければ、湯川書房が成り立たなかったであろうことも、聞き及んでおります。わたしが口にするのもおかしなはなしですが、心底からありがとうございました。
 「湯川拾遺」で「湯川伝の筆者なら他に適任者がいらっしゃる」と書いたその念頭にはあなたのことがございました。湯川を慈しみ、湯川に詳しいのはあなたを除いて他にだれもいないのです。
 奥方はいまでは豊中にお住みですが、少々身体が不自由になられたとか。湯川さんは「影の居候」としてあなたのこころのなかに、また吹田の貴宅でピースを燻らせておられるとか、当掲示板では礼を失することになりますが、湯川の思い出を書き綴ってはいただけますまいか。わたしは出版は止めましたが、あなたが著された湯川の思い出ならよろこんで上梓いたしたく思います。

追記
 わたし宛メールは当掲示板の最下段に「ですぺらへのメール」というところがございます。そこをクリックしてください。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月04日 18:56 | 固定ページリンク




神戸へのさがな口  | 一考    

 分からないことは教わるに如くはなし。先月分の医療費の請求がてら、三郷市の障害福祉課へ行き、いろいろと教えていただいた。
 医療費に限ってのはなしだが、ひとつの道府県は同じと思っていたが、市町村によって異なり、神戸の場合は区によって違うとのとんでもないことを知った。埼玉は県下統一されてい、一種一級の身障者の場合、更生医療以外の治療費も還付される。余談だが、還付されるのは健康保険対応の治療に限られる。免疫療法のように保険に対応していない薬価は還付されない。この値が注射一本数十万円と高いので困っているのだが。
 担当者は随分と話し込んでいたが、どうもよく分からないと匙を投げた格好で、結局、明石市と神戸市の西区役所の障害福祉課の電話番号を教えてくださった。あとは直接聞いてくれと。神戸のような大きい都市は当然同じだと思っていたのだが、と担当者は小首を傾げる。ひょっとすると自己負担金が増えるかもと暗い貌。いずれにせよ、障害福祉課のひとが訊ねて理解できないものをわたしが聞いて分かるはずもあるまい。
 
 それよりなにより、神戸市は震災後再開発計画を強力に推し進めた、住民の意見は無視して。長田地区では44棟もの商業ビル、高層住宅を建設し、地元の商店、否、長田全体を住民が住めない街へと改造した。「復興」という名の悪夢であり、復興災害以外のなにものでもない。
 震災時、「幸か不幸か燃えた」とテレビで口走った小川卓海・神戸市助役(当時)は後日、須磨海岸で焼身自殺した。にもかかわらず、神戸市は箱モノを作りつづける。後がどうなろうと、彼らは眉ひとつ動かさない。

追記
 明石から電話があって、公営住宅へ入居するに際し障害者優待は一切ないと。三郷だと、障害者は1階へ優先して這入られる。と云うよりも、1階は障害者用に開けてある。神戸は何事によらず若者優先、老人や障害者は減らしたいのが本音だそうな。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月04日 15:33 | 固定ページリンク




手代  | 一考    

 当掲示板2011年02月17日付けで「湯川書房について」「湯川さんについて追記」を書きました。湯川紀美子さんからの依頼でございました。お読みいただければ幸いに存じます。
 ご指摘の男は元浪速書林の手代で梶原さんと喧嘩になって辞めました。彼に限らず、湯川成一亡きあと、けしからぬ人、または私だけが親友だったと宣うこまった御仁が複数現れました。湯川書房の編輯の一部を手伝った者として、見るに見かねて書きました。

 毎回書いておられますが、削除云々は無用です。先日、堺屋太一を削られていましたが、あのような気遣いも無用に願います。堺屋さんとは谷澤さんの関係で面識はございます。ただし、それとこれは別の問題です。前項で「書く内容に制限は設けていない」と書きましたが、当掲示板の文責はことごとくわたしにあります。くれぐれもお気遣いなきよう、ご自由にお書きいただければ嬉しく思います。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月03日 22:59 | 固定ページリンク




石神井書林  | なんで    

 ありがとうございました。何もかもご存じで、小生は「石神井書林古書目録」で貴殿の本を一冊、一冊と求めています。
「湯川書房・湯川成一さん」が亡くなった時、事務所を整理してあげると言って、ねこぞぎ自分のものにした男もある。奥様がせめて、加藤先生に書いて頂いた「看板」だけでも返して下さいと、大雨の日出かけたのにもかかわらず、「居留守」を使って断る男、「ずぶれになって」なって帰宅されたと聞き、小生が「返してあげて下さい」と電話「居留守を使って断った」と平然たる答え、湯川さんに貸した、小生の大きな額も返らず、結局『看板』は返ったが、他の物品は自分のものに、本当の話です。世の中、悪い奴はびこる。小生が湯川さんに貸していた物品も返らず、これ事実です。 
 小生死亡のときは湯川さんから頂いた『般若心経』で「身体を包んでくれ」と娘に依頼しています。


 

「石神井書林」 追記 »


投稿者: なんで      日時: 2014年04月03日 20:25 | 固定ページリンク




風光  |   一考

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 写真は舞子坂の物件である。垂水から舞子にかけては急峻立てるが如き勾配となる。目の前に明石海峡大橋と淡路島が拡がる。
 明石、朝霧、舞子、垂水、塩屋、須磨と神戸から西の地名は美しい。しかし、暮らすには不便なことが多い。例えば役所で駐車場を設けているのは東灘、灘、西区役所のみ、あとは若干安くなるものの有料である。
 わたしのように頻繁に役所に行かなければならない身にとって毎回200円の出費はいたい。それよりも優先されるのは病院の駐車料金である。
 埼玉県の役所は戸田にせよ、三郷にせよ、繁華街から遠く離れている。それが理由でどことも無料の駐車場を設けている。この中心部から外れたところに建てるのはアイデアだと思う。しかも、周辺を上下水道の広大な設備や商工会、公立学校などで固めるので一般店舗が這入り込む余地がない。一般は利用できない身障者の専用駐車場もある。要するに、神戸の役所の市民サービスは体(たい)をなしていないのである。
 それやこれやで、神戸市西区の南東部へ引っ越すことに決めた。大蔵谷から玉津のあいだである。風光はよろしくないが、日々景色を見ながら暮らすわけではない。物件の再探索がはじまる。

追記
 なんでさんに感謝。薬はステロイドのフルタイドですね、一方はニトログリセリン、当然副作用の強い薬だと思います。誤嚥の患者と同室したことを当掲示板で書きましたが、あれは怖い病気です。
 吹田の限定本蒐集家は浪速書林で何度かお会いしました。湯川本とともに小生が拵えた限定本もお買い上げくださいました。


投稿者:   一考  日時: 2014年04月03日 19:46 | 固定ページリンク




個人医  | なんで    

 小生が住んでいる大阪府吹田市は何とも言えないが、80歳超えた身には老人医療費は安くして頂いている。基幹病院と「かかりつけ医」の連携が基本とされているが、前任の医師が引退し、引き継いだ「かかりつけ医」から、「薬」が無茶に増えた。薬局から「バックマージン」がと・・・。いわゆる「ゼイゼイ音」を意識したこともないのに「喘息」ありと、朝晩『フルティフォーム』なる薬を吸入している。基幹病院は「淀川キリスト病院」14歳からの結核後遺症のため「アスベスト障害」の方たちと同じ状態、肺活量40%の上、気道が、少し開いている、いわゆる「誤嚥」を厳重注意されています。
 基幹病院「淀川キリスト病院、呼吸器科」で「気管支鏡検査」を2度したが、扱いは優しかった。そこへ「狭心症]が加わり、発作予防の為、「ニトロダームTTS25貼付薬」を、副作用で1日「倦怠感」に悩まされている、こうして、ものを書くときは、どうと言うこともないが、歩行苦しく、30分程度の処が、今は1時間以上かかっている。だけど「心臓」のため「歩け歩け」だ、どうしても書店のある一つ向こうの駅に行く、行きは「電車で、帰りは歩く、糸田川の堤防上は今は花が満開、主の居なくなった、某限定本蒐集家のお宅に「椿」が咲いていた。
 「淀川キリスト病院」は職員含めて3分の1が「クリスチャン」と言われている。看護婦さんはどこでも優しいが、ここで検査入院して、「仕事のドクターストップ」がかかって、仕事から離れられる幸運を得た。
一考さん、お身体が「一番良いところ」を選ばれる事が大切です。
 参考にならなければ削除して下さい。
 


投稿者: なんで      日時: 2014年04月03日 17:36 | 固定ページリンク




はてさて  | 一考    

 住居探しで難儀している。ネット検索で片端から問い合わせ、資料を収集しているのだが問題多発である。まず、明石はやめろとの意見が多い。身障者に対する手当が神戸と明石では若干異なるようである。自治体が変われば条件が変わるのは当たり前だが、現在受けている医療環境は維持しないと困ることになる。
 埼玉県の医療環境は恵まれている、埼玉を離れれば条件は厳しくなりますよ、と当地の医師から聞かされている。ただし、何がどのように厳しくなるのかがさっぱり分からない。そして明石に住んでいる身障者はみなさんが明石は駄目と応える。こちらもなにが駄目なのか、詳しく説明できるひとはいない。なんとなくそのように思っているだけなのではと疑いを持っている。第一に明石と神戸では同一の県ではないか。条件の変わるはずがないと思うのだが。
 明石で救急車に乗ると行き先は明石市内限定である、公営住宅への枠が明石は著しく少ない等々、聞かされる話は詰まらないはなしばかりである。わたしが知りたいのは医療関連のはなしである。今なら、更生医療に限らず、国民健康保険対応の医療費は全額二箇月後に補填されている。外科、内科、歯科、対象が問われることはない。こうした基本環境が変わるのだろうかと案じている。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月03日 12:15 | 固定ページリンク




鬼火  | 一考    

 理化学研究所に関する文章を改竄してFacebookに再録した。わたしにとって当掲示板がメインなので、あちらは当然再録になる。理由は簡単、長年書き込んできたので、ですぺら掲示板は気が置けない友人のような存在になっている。
 組織団体の悪口は認めるが、個人のそれは滅多に書かない。美味なものは書くが、不味いものは雑言になるので極力控える。そうした気遣いはあるが、基本、書く内容に制限は設けていない。
 今月中に明石乃至神戸へ引っ越すが、掲示板はこのまま続けていきたいと思っている。先日もおっきーさんに迷惑をお掛けしたが、今後とも、どうかよろしくお願いしたい。

 最近リンクの貼りつけ方法を知った。ログインしておっきーさんの書き込みをコピペしただけなのだが、このような単純なことに気がつかなかったのだから度し難く思う。そのリンクタグが面白いので、このところ頻繁に用いている。
 序でにリンクを貼る。わたしの好きな映画であると同時に梅木英治さんがもっとも愛する映画だった。彼のくしゃくしゃになった泣き顔を思い起こす。

 https://www.youtube.com/watch?v=Nr7nwezFxaw


投稿者: 一考      日時: 2014年04月02日 12:21 | 固定ページリンク




磊落な医師  | 一考    

 戸田中央総合病院の移植外科部長だった徳本直彦医師のインタビューが連載されている。文中、徳洲会グループの徳田虎雄氏にも触れている。徳本さんのあだ名はアザラシ、磊落な医師である。

 http://hospital.yomidr.jp/interview-dr/20131017_1308_1.php

 人工透析のクリニックとして田端駅前クリニックはお薦めのひとつ。
 人のiPS細胞から腎臓の組織を形成する細胞を開発、尿細管の細胞へと成長させることに成功した、とのニュースだが、腎臓の完成に20年は必要。費用は当初、数千万円から億単位になると予想される。ちなみに、フィリピンでの生体腎移植の費用は医療費だけで7万米ドル(約1000万円)、免疫抑制剤を入れればそれに倍する費用になる。

追記
 おあしの話のついでに、今回の神大附属への紹介状も無料だった。このような病院ははじめてである。埼玉にお住みなら、戸田中央総合病院は一押しの病院である。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月01日 16:13 | 固定ページリンク




水郷筑波国定公園  | 一考    

 銚子の犬吠埼へ行きたいと思っていたが、先日周さんとその友人に連れられて念願を果たせた。白亜紀浅海堆積物らしいが、ささくれ立った断崖から突然開ける円形の太平洋は壮観だった。ひとつとして遮蔽物がなく、見廻せばすべてが海。さすが関東および千葉県の最東端である。
 ウィキペディアの語釈が面白いので引用する。「埼という字が最後に付く岬は珍しい。これは埼という地名が土偏の成り立ちのごとく、草木が生えない荒れ地が突出している地形を表すからである。一方、岬、崎は山がそのまま海に迫り上がった地形を指し、石偏の碕は、石がゴロゴロとしている海岸が突き出た地形を表す、といわれている。他に土偏の埼が用いられる岬では和歌山県の日ノ御埼などがあり、山偏の岬に静岡県の石廊崎や城之崎がある。また石偏の碕が付く岬は島根県の日御碕が著名である」。他に西日本で多く見られる「鼻」を追加しておきたい。 

 多くのライダーが集っていたが、大型バイクばかり、カブで岬巡りをするような方はついぞ見掛けなかった。大きいばかりがバイクの醍醐味ではないのだが。
 銚子まで行って著すようなことではないが、途次、周さんに薦められて食べたミニストップのソフトクリームが美味かった。量の少ないのがこれまた結構。残念なことに拙宅の近辺になく、葛飾区南水元の店舗が一番近い。明日にでも自転車で出掛けてみよう。
 銚子と云えば海鮮どんぶりだが、旨くなかったので屋号は伏せる。わたしは半分も食べられなかったが、食後の運転はやはり無理。周さんの友人、鈴木さんのご登場となった。詳しくは存じ上げないが、彼は徳洲会グループの看護師らしく、周さんによると透析治療の心得もあるとか。わたしを気遣っての人選であろうか、感謝あるのみ。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月01日 15:57 | 固定ページリンク




閃きのつづき  | 一考    

 わたしはいかなる組織であれ、国立、国営は止めた方がよいと思います。例外は古の文化を遺すための図書館と博物館ぐらいなもので、国家は小さいほどよろしいかと。
 海洋開発、宇宙開発、スーパーコンピュータといった大規模研究開発や国家レベルでのインフラ整備が必要なのは重々承知しているものの、地方自治体はやがて広域自治体へと収斂解体し、近代国家そのものも任をいずれは解かれるものと信じたい。
 国家、民族、言語、宗教そういったものが並列に置換され、価値観そのものが伸縮自在にして相互嵌入可能な時代になれば、人間同士の争いはなくなると思うのですが。思うに、わたしの当面の敵は「日本人」という名のナショナリズムかと。


投稿者: 一考      日時: 2014年04月01日 13:51 | 固定ページリンク




血液の安定  | 一考    

 前田昌雄さんから「体調が安定するというのはなかなか難しいものなのですね」とのメールを頂戴した。引越の予定が立つ度に血液検査の結果が乱れ、思うようにならなかったが、どうやら今回は決まったようである。戸田中央で神戸大学附属病院泌尿器科の藤澤医師宛の紹介状を頂戴した。ちなみに、藤澤医師は泌尿器科の医師であるとともに、神大病院の病院長でもある。さすがに女子医の顔は広い。
 
 腎移植の予備手術のひとつとして2011年12月東葛クリニックで大腸ポリープ除去、年明け1月に2週間の検査入院、移植手術は2012年7月だった。爾来、血液の不調に悩まされることになる。
 クレアチニンは2.24で決してよろしくないが、それ以外の78項目は概ね良好である。今日は久しぶりにエコーを撮ったが、腎臓内部の血流も悪くない。薬局で指摘されたことだが、尿AIb/cre補正値がさらに下がって14.29となっている。膀胱の炎症は治まったようである。ヘモグロビン値は11.5と下がり気味だが、二桁は守っている。後はポリグロビンの投与しかないのは分かっているのだが、それだけは避けたいと思っている。莫大な費用が掛かるからである。

 明日から引越と転院の準備に這入る。4月の3週目に神大病院の医師と話し合い、結果を4週目の月曜日に戸田中央総合病院へ連絡、6月の生検の準備を女子医としなくてはならない。うまく行けばよいのだが。神戸との行きつ戻りつがつづきそうである。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月31日 23:20 | 固定ページリンク




閃き  | 一考    

 理研に関しては組織が個人を利用しようとしたに違いない、と思っている。研究室の模様替えやムーミンのキャラクターシール、祖母から譲り受けたとの割烹着などなど、理研によって急遽拵えられたものばかり。ただ、理研非難はともかく、個人攻撃は気が進まない。
 嘘をつかない人などいないだろうし、人はなんらかの虚勢を張って生きている。人生は虚勢を張っているときだけ、キラキラ輝くのでないだろうか、とすら思っている。
 これから先どうなるか分からないが、STAP細胞の作製に成功したと発表したときの彼女は輝いていた。おそらく、生涯に一度の煌めきであり、眩耀であったに違いない。これから彼女が支払うであろうオブリゲーションに思いを致すと気が重い。だからこそ、わたしは小保方叩きには参加したくない。

追記
 昔、京都から神戸への帰りは何時も阪急電車でした。泥酔の為体でございました。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月31日 23:15 | 固定ページリンク




国立  | なんで    

 今回の『理化学研究所』のスキャンダルは、「予算獲得」のため若い女性で注目を集めようとした「黒幕」存在するように思います。大阪の橋下市長の黒幕に万博で用済みの「S氏」のように。
 こういう処は本来、国立であるべきで、名は「国立博物館」とありますが、ほとんどが『独立行政法人』となっています。
 JRもしかり、民間となれば「採算」を考える、利益を生み出さないようなら、今回の北海道のような処は放置されます。
 郵便局も「万国郵便連合」?に加盟していますから、消費税は別として、簡単に外国宛ての郵便料は変えられないはずです。
 そうかといって、国立だと「職員」の横柄さ、小生も利用駅で「喧嘩」(口争い)をしたことがあります。よく利用する大阪の「阪急電車」の駅員さんの態度とは、とても違います。いつでしたが故山口瞳氏が国鉄職員の横柄さに「一度民間の・・・・」と書いていたことを、思い出しました。


投稿者: なんで      日時: 2014年03月31日 16:40 | 固定ページリンク




騙り、衒り、語り  | 一考    

 対象が金品であれ名声であれ、人を欺いてかたりとれば広義な意味で詐欺になる。このところ、偽ベートーベンや理化学研究所の某研究ユニットリーダーが、かたり、いかさま、ペテン師でなかろうかと騒がれている。
 偽ベートーベンは原作者を名誉毀損で訴追すると宣う。せっかく得た地位なり名誉なりを疵付けられたことへの私怨に駈られているだけである。詐欺師の風上にも置けないとはこのことで、姑息と云うの他ない。
 もう一方は女性である。個人が組織を利用したのか、組織が個人を利用しようとしたのか定かでない。偽ベートーベンと異なるのは謝罪会見がもっかのところなされていないことである。言い換えれば、確信犯的要素が強い。わたしはこのまま突っ撥ねていただきたいと思っている。いずれにせよ、わが国に彼女が踏み止まれる場は既にない、海外逃亡あるのみ。
 研究不正には、特に悪質なものとして捏造(fabrication)、改竄(falsification)、剽窃(plagiarism)の3つがあり、略してFFPと呼ばれるそうである。マイレージサービスの別称であろうが、神戸のフルーツ・フラワーパークの略称であろうが、知ったことでない。そもそも、論文捏造やデータ改竄を科学への背信行為だと決めつける大方の学者やマスコミの思い込みが腑に落ちない。だとすれば、プトレマイオスやガリレオ、ニュートン、ドルトン、メンデル、ミリカン等はどのように解釈すれば良いのだろうか。ガリレオは実験を重視する現代経験科学の祖とされながら、「新科学対話」で実験を自ら行ったのかとの問いに「試みていないし、その必要もない。なぜなら落体の運動はその通りであり、それ以外はありえないと断言できるからだ」と堂々と述べたそうな。
 今回の事件を論じるにジョン・ロング事件、エリアス・アルサブティ事件、マーク・スペクター事件、ヘンドリック・シェーン事件などを持ち出すのはいかがなものか。平仄が合わないのはどちらの方であろうか。そもそもわたしはオリジナルなものを信じない。著すものから考えることまで、ことごとくは剽窃であり、盗作であって、偽作そのものである。北条団水の「昼夜用心記」に見られるがごとく、「かたり」の話法の巧みさに一瞬酔い痴れればそれこそ本望。

追記
 削除されたが、24日の朝日新聞のインターネットサイトに、「小保方さん、『大人AKB 48』で歌手デビュー!(うそ)」とのタイトルで、小保方氏が割烹着姿の写真とともに登場。「ご存じの通り、今私は八方塞がりの状態です。生き地獄です」「もう全て無くしました」とした上で、「このまま一生逃げ続けるわけにもいかない」ので、「30歳以上対象の『大人AKB 48』」に応募したい、などと相談する内容が著されている。「デビュー曲は『人生切り貼りしちゃえるNO!』」「あとは新垣さんに曲を作って頂ければ、話題性も十分かと」などの記述も。朝日に相応しいおちゃらけな内容であった。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月30日 22:02 | 固定ページリンク




縦書き  | なんで    

 よいテキストをお教え下さりありがとうございます。小生は「一太郎」を使って縦書きをしておりますが、しかし「コピー」をしてメールに貼り付けますと「横書き」になります。小生は今頃気がつく「アホ」さですが、最近になって「一太郎」ソフトの「メールソフト」の名前が「syuriken」(手裏剣のこと?)メールを送る友人に「手裏剣」を投げるつける、その無神経さに使って10年以上になって、今頃、気がつきました。お嗤い下さい。これが改まらない限り、新製品は使わないつもりです。
 但し、小生は「アウトルック・エキスプレス」を使っています。
 尚、これが中傷に当たるようでしたら削除して下さって結構です。
勤務先では「ワード」「エクセル」でしたが、使い慣れたせいか「一太郎」の方が日本語の互換が優れていたように思います。最初に求めたPCに「一太郎」が入っていただけのことですが。


投稿者: なんで      日時: 2014年03月30日 16:05 | 固定ページリンク




なんでさんへ  | 一考    

 櫻井清彦さんのお世話にて当掲示板を立ち上げたのは2001年10月。以降、緯書きがはじまりましたが、馴れるのに10年ほど掛かりました。今のわたしには文章の経緯や歴史的仮名遣いよりもウェブサイト上の漢字制限が気になります。そちらの方が表現にはより切実な問題かと。
 石川九楊氏の「縦に書け」は未読ですが、類書は数多ございます。それよりも、あなたのご指摘、すなわち天地や父母によって面白いことに気づきました。ひょっとすれば、緯書きはさまざまな上下関係、要するに差別を一蹴するところのものでないだろうかと。

追記
 拙宅では経書きのワープロソフト LightWayText を用いております。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月30日 12:45 | 固定ページリンク




縦書き  | なんで    

 このような長い文章を読むには「忍耐」を要する。しかし何故、縦書きにならないのだろうかと、いつも思っています。
 石川九楊氏の『縦に書け』祥伝社新書のご一読をお勧めしたい。
「表音文字と表意文字とは根本的に違う」今の世の混乱はここから、『縦書き』即ち
『天地』生じると、我々は『父母』を横には見ない、『上』に感じるのが普通だと・・・


投稿者: なんで      日時: 2014年03月29日 08:42 | 固定ページリンク




暗黒プロデューサー  | 一考    

建石修志さんがバルテュス2点へのリンクを張られていたのでこちらでも。

バルテュス&勝新太郎
 https://www.youtube.com/watch?v=XBz-GCiSd8M

勝新太郎の三味線演奏を聴くバルテュス
 https://www.youtube.com/watch?v=tox-pvyIt2o

「怪人タネラムネラ 種村季弘の箱」にご登場願っている康芳夫さんについてご存じの方は少なかろう。「博士も知らない康芳夫(暗黒プロデューサー)」が6回に亘って収録されている。

 https://www.youtube.com/watch?v=3fsWw28j8wA&list=PL307E95F5729DBEB3


投稿者: 一考      日時: 2014年03月21日 16:58 | 固定ページリンク




3分の1ルール  | 一考    

 このところお浸しが続いている、菜の花や菠薐草の類いである。茹でるには色や味などを良くするために少量の塩を入れる。他に蓮根や独活などの色を白くあげたいときには食酢、筍の灰汁抜きには米糠、蕨や薇には重曹を用いる。発色のための塩は茹でたあと、さらに冷水に晒すので塩は完全に抜ける。
 頂戴するのは白だし、醤油、芥子味噌、酢味噌などだが、味噌の場合はぬた和えも造る。少量の海産物、烏賊や貝類が手に這入るからである。一人住まいだと、この少量が常に問題となる。キャベツやレタスなど野菜はとにかく小さいものを選んで買う、捨てたくないからである。

 近隣のスーパーは野菜類に限らず、売り切れを常とする、謂わば理想的なスーパーである。
 食品業界には1990年代に始まった「3分の1ルール」という商習慣があり、メーカーや卸業者は、製造日から賞味期限までの最初の3分の1の期間内に小売店に納品することが求められている。納品期限が過ぎたものは、賞味期限が残っていてもメーカーに返品され廃棄されることになり、それが食品ロスを生み出す大きな要因となっている。
 要するに、仕入れを売り切る分量に限ればロスは出ない。ところが、そのようなスーパーはほとんど存在しない。書店の委託販売と同じで、わが国固有の悪しき商習慣である。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月15日 04:23 | 固定ページリンク




キャスター古舘伊知郎  | 一考    

 古舘氏は現在もっともコメントに肉声を籠めるニュース‐キャスターである。次のニュースへ移るときの間の取り方でもって先ほどのニュースへの是非を示唆する、嫌みや皮肉の連発とも取られているようだが、わたしが見るところ見事なパントマイムである。
 朝日新聞が「朝日のDIY」から解放されるのは冷戦終結後のことと思っている。もっとも、新聞社とテレビ局では話しは異なる。久米宏がメインキャスターを務めた「ニュースステーション」に次いで古舘氏をキャスターに登用したのは成功である。もともと、バラエティーやスポーツ実況を多く担当していた古館ゆえ、最初はどうなることかと思っていたが、妙々たる変身ぶりである。

 3月11日の報道ステーションの詳細が以下に掲げられている。孫引きも併せて掲げておく、ぜひお読みいただきたい。今なお、福島県立医科大学の鈴木眞一教授がごとき、徹底的に情報は隠す、一般国民の不安を煽るようなことをしてはならないといった選民意識かつ権威主義を持つ医師がいるのが許せない。

 http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3607.html

 http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/d55fa38c905cfc63498e6a0f99a0be30

 報道ステーションの報道に対する反論は以下のごとし。馬鹿馬鹿しくて読んでいられない。

 http://www.j-cast.com/2014/03/13199174.html?p=all


投稿者: 一考      日時: 2014年03月14日 14:07 | 固定ページリンク




HUFFPOST JAPAN  | 一考    

 ハフィントン・ポスト(英語:The Huffington Post)は、アメリカ合衆国のリベラル系インターネット新聞である。保守系ニュースサイトである「ドラッジ・レポート」に対抗するリベラルな意見発表の場として、編集長のアリアナ・ハフィントンが開設。2013年5月7日、朝日新聞社と連携して編集長に松浦茂樹を置き日本版を開設している。

 http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/10/happy-11311_n_4932896.html
 福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く

 http://www.huffingtonpost.jp/akira-tachibana/311_b_4947040.html
 福島原発事故から3年を経て、「責任」についてあらためて考える

 特に下段はお読みいただきたい。日本人における責任の有り様にユニークな視線を加えている。執筆は橘玲さん(元・宝島社の編集者)。


投稿者: 一考      日時: 2014年03月14日 11:57 | 固定ページリンク




慰安婦の歌  |   一考

 従軍慰安婦の歌は美輪明宏が有名だが、「満鉄小唄(慰安婦の歌 ver.1.2)」は戦時歌謡「討匪行」の替え歌。なぎら健壱が昔歌っていた。
 本歌の方は昭和17年12月、八木沼丈夫作詞、藤原義江作曲、「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ 三日二夜を食もなく 雨降りしぶく鉄兜 雨降りしぶく鉄兜 」にはじまって15番まであり、「戦友」と共に愛唱された。こちらは加藤登紀子が歌っている。

 https://www.youtube.com/watch?v=KwaLCeB7p4U


投稿者:   一考  日時: 2014年03月11日 04:22 | 固定ページリンク




ホウボウ  |   一考

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 東京でホウボウ(竹麦魚、魴鮄(魚に弗))の刺身をはじめて食べた。カサゴの仲間でカナガシラ(金頭、方頭魚、火魚)と同種、すこぶる美味な魚である。関西ではアイナメと共に常に食していた。煮付けはフキと併せて頂戴した。それにしても、近隣のスーパーはありがたい。

追記
 魴鮄の鮄はブラウザもしくはシステムによって表記されたりされなかったりである。


投稿者:   一考  日時: 2014年03月05日 23:41 | 固定ページリンク




炭水化物  | 一考    

 牛丼の飯量は小盛り160〜180グラム、並盛り260〜290グラム、大盛り350〜400グラムとなっているらしい。並盛りはカロリー過多になるので、常に小盛りを食している。従って、拙宅での食事には150グラムを計っていた。
 ところが、複数の知己より150グラムが多すぎると云われた。実は炭水化物(米、パン、麺類)の量は病院で指示されたものだった。しかるに、免疫抑制剤の影響もあって急速に太ってしまった。120グラムに下方修正、2箇月を経たが一向に体重は減少しない。1週間前から1日1食に限定、もっか様子を見ている。
 
 血糖値を計るのに便利な換算表を上げておく。食パン6枚切り1枚(炭水化物30.7グラム)で角砂糖9個、白米飯150グラム(炭水化物55.6グラム)で角砂糖17個、素うどん1食(炭水化物56.1グラム)で角砂糖17個に相当する。食パンにはバターやマーガリンの、うどんには出汁に含まれる糖分は加えていない。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月25日 16:36 | 固定ページリンク




パルス療法  | 一考    

 暗い話である、よって飛ばしてお読みいただければ幸甚。昨日の血液検査でクレアチニンが2.87になった。移植手術以降で最悪の検査結果である。リッキサンは副作用が激しいので次回は半年後になる。よって昨日はパルス療法を受けた。
 症状が重くて、早急な対処が必要とされる場合、内服では十分に効果が出ない場合にステロイド剤を大量に注射する療法をパルス療法と云う。わたしの場合は1日500ミリグラムだが、これはソル・メドロールの錠剤125錠分(プレドニンに換算すると625ミリグラム)になる。
 静注後、入院病棟の看護師と出遭い、パルス療法なら入院すれば良いのにと云われた。極力外来で処理していると説明する。
 セルセプト250ミリグラムを朝夕4錠ずつに増量。保険対応で1錠千円の薬なので、1日8千円である。

 尿沈渣6項目のうち白血球が30-49毎、細菌が1+でどうやら膀胱炎を起こしているようである。ただし、尿AIb/cre補正値が36.36から17.25へ下がっているので、抗生物質で治るだろう。ただし1日3リットルの水分補給が必要。セフジニル100ミリグラムを朝夕四日間服用の予定。
 他では、尿素窒素、中性脂肪、血糖、LDH、尿中微量アルブミンが跳ね上がっている。これらはステロイドをはじめとする免疫抑制剤の副作用である。特に血糖値はすぐ上がる。副作用分を端折れば、現状では糖尿の心配はまったくない。新しい薬局の薬剤師は免疫抑制剤に詳しく、服用量と副作用の数値を手際よく計算してくださる。

 ステロイド剤は薬効がある、と云うことは副作用もそれなりにある。大量投与で現われる副作用として、感染しやすい(抗炎症・免疫抑制)、糖尿病、胃潰瘍、精神症状、ムーンフェイス・中心性肥満があり、長期投与で現われる副作用として、副腎機能の低下、骨粗鬆症、高脂血症・高血圧、筋力低下・筋肉痛、白内障・緑内障がある。また、人工透析患者にしばしば現れる特発性大腿骨頭壊死症はステロイド剤の服用が要因のひとつとされる。わたしの場合は、手足の痺れや異常感、力が這入らない、筋肉痛、歩行時のふらつきや目眩などの症状が顕著である。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月25日 08:31 | 固定ページリンク




薔薇の葬列  |   一考

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 http://www.youtube.com/watch?v=wjD12QFBEi0

薔薇の葬列(ばらのそうれつ)は、1969年制作の日本映画。
映画評論家、実験的映像作家として知られていた松本俊夫監督の劇場用長編第1作であり、ピーター(池畑慎之介)のデビュー作でもある。英題は "Funeral Parade of Roses"。(ウィキペディア参照)
1964年に安部公房の砂の女が勅使河原宏によって映画化されている。共に情念の視覚化に成功している。60年代を代表する傑作である。

 http://www.youtube.com/watch?v=FZpn5RkB5WA


投稿者:   一考  日時: 2014年02月25日 06:42 | 固定ページリンク




脱原発  | 一考    

 わたしは埼玉県民で選挙権すら持ちません、それ故本当はなにも云えないのです。ただ、何時も思っていることがあります。大学であれ、会社であれ、新聞社であれ、政党であれ、国家であれ、宗教であれ、民族であれ、機構・団体・組職なるものを信じません。わたしは個のみ信じます。
 芸能人とか政治家はそれぞれの閉鎖的な徒党のなかでのみ権威や権力を行使して生きています。その意味で細川氏は政治家ではありません。一方、まつりごとを執行するのは官僚です。従って、首長は(この場合は細川護煕ですが)ひとつの命題を完遂すれば、それだけで良いと思うのです。いかなる人であれ、あれもこれも出来るものではないと思います。
 関係者のあいだでは、舛添は高齢者や福祉に冷たいので夙に識られています。都知事選ではあたかも福祉に理解があるかのようなイメージで高齢者の指示を得たようです。

 書き込みに感謝します。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月25日 06:02 | 固定ページリンク




選挙  | なんで    

 今日の一考さんに諸手を賛成します。都知事選挙の時「桝添」氏は「反原発」を唱えました。当選するや「口をぬぐって知らん顔」です。都民。議員は何をしてるんですが、詰問するべきです。又、首相は「これで原発推進にお墨付が・・・・」「どこがでしょうか」?????ちょっと考えれば小泉さんならずとも、世の中は反原発でしょうが。


投稿者: なんで      日時: 2014年02月22日 10:00 | 固定ページリンク




国際宇宙ステーション  |   一考

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ハッと息を呑む美しさ... 国際宇宙ステーションから撮影した地球が美しすぎると話題

 http://whats.be/949

whatsはfacebookから得た。あまり好みでないが、リンクをシェアすると云うらしい。Whatsのホームページには「Whats(ワッツ)とは、“未知を届ける動画・画像サイト”です」と記載されている。驚く、なごむ、刺さるのカテゴリーがあって、刺さるの項目には「心に刺さる、社会問題、人々が目を背けている問題等を動画で取り上げます」とある。


投稿者:   一考  日時: 2014年02月19日 12:37 | 固定ページリンク




福島第一原発  |   一考

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福島第一原発1号機 格納容器から燃料冷却水の8割が漏洩 放射性濃度最大237万μシーベルト ほとんどのメディアが黙殺(日刊ゲンダイ)

 http://financegreenwatch.org/jp/?p=40876


投稿者:   一考  日時: 2014年02月19日 07:28 | 固定ページリンク




個別のケース  |   一考

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 病に関する書き込みが暗すぎるとの指摘を頂戴した。殊更に暗く書いているつもりは毛頭ない。ただ後人のために、わたしが置かれている身体の状態をいささか詳しく綴ったに過ぎない。
 「献腎移植」で著したように、慢性腎不全の治療法は腎移植と人工透析の二つに分けられる。そして、人工透析の患者の5年生存率が60%、10年生存率36%、20年生存率16%にとどまるのに対し、腎移植のそれは95%、91%、82%に達する。また子供の場合,人工透析をすると発育が止まるケースが多々見受けられる。それゆえ、現状では腎移植が最良の治療法となる。
 血液型不適合は大した問題にならないが、リンパ球クロスマッチ陽性の場合はさまざまな拒絶反応が術後に起こる。腎不全患者の貧血に対する治療が輸血ではなく、エリスロポエチンなどに変わったために輸血での抗HLA抗体が産生されにくくなった。しかし、わたしの場合は移植手術の3年前に憩室からの下血が理由で21単位の輸血を受けている。従って、HLAフルマッチ(ゼロミスマッチ)は望むべくもなかった。そうした拒絶反応の症状としては、尿量の減少、尿たんぱくの出現、血中クレアチニンの上昇、発熱などがある。
 
 健康な状態では、微生物による病気は発症しないが、免疫抑制療法を受けている状態では様々な感染症を惹き起こす可能性がある。とくに導入期は免疫抑制が強く行われるので、肺炎その他の感染症に罹りやすく、重篤になりやすいので注意が必要。維持期には免疫抑制剤の量は減り免疫力も若干回復するが、結核などの細菌や真菌(カビ)、ウイルスの感染に要注意。
 移植後にかかる感染症としてよく知られているのはカンジダによる食道炎や肺炎、そしてサイトメガロウイルス(CMV)による肺炎や潰瘍、網膜炎などである。わたしはサイトメガロウイルスによる潰瘍性腸炎で苦しめられた。患部は最初は大腸だったが、途中から小腸に転移した。看護師によると過去体験したことのない大量の下血だったそうで、13単位の輸血を受け、ヘモグロビン値は8にまで戻している。

 2012年07月の腎移植から2013年11月までの間に8回、3箇月間の入退院を繰り返した。拒絶反応と感染症が理由だが、わたしのケースは稀なようである。クロアチニンは通常で2.5、最も状態の良いときで1.9、こちらも思わしくない。複数の病院関係者に訊ねたところ、他の移植患者の術後の経過はもう少し順調なようである。ちなみに、クロアチニンは1.1から高くても1.4までに下がるらしい。
 思うに、病と云うのは個体差があって、単純に類比するのは意味がない。他人がうまく行ったから自分もうまく行くとは限らない、その逆も云える。感染症にしても、症例は千種万様、軽重し難きものである。大方は術後の最初の年に起こるが、遅い症例では移植後数年で発症するケースもある。

 冒頭で述べたように、わたしには自分の身体のことしか分からない。後人の参考の一助にと願いつつ書き記している。病を明るく快活に描くなど不可能である。淡々と事実を書き連ねてもやはり悄々たる心象風景を重ねることになる。次回は透析時と移植後の食生活の劇的な変化について述べたい。

追記
 巻頭の図は移植腎が左になっているが、余程の事情がない限り右側である。腎臓は元々背中側にあるが、移植腎は腹側に設けられる。


投稿者:   一考  日時: 2014年02月19日 01:13 | 固定ページリンク




引っ越し延期  | 一考    

 佐藤周さんが雪掻きに来てくださった。車に降り積もった雪を除去したところで腰痛発生。呻っているところへ周さん来訪。前へ進もうとするも、車の前部が雪に乗り上げて身動きが取られない。その雪の壁をきれいに除去してくださった。さっそく車で近隣のスーパーへ赴き、トラフグの握り寿司と日本酒での晤語。
 車は購入時に新品のラジアルタイヤが付いていたので、いかに四駆といえども雪が降ればどうにもならない。スタッドレスタイヤへ交換できるのはかなり先のはなしである。余談だが、ミシュランのX-ICEをわたしは愛用している。
 
 周さんによると3月4月の引っ越しは止した方が良さそうである。引っ越し・運送業にとっては一年一回の稼ぎ時、普段の7〜10倍の値になるそうな。彼の意見を取り入れて、引っ越しは延期。担当医にその旨を伝えた。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月18日 15:48 | 固定ページリンク




重ねてfacebookについて  | 一考    

 facebookの使い方がさっぱり分からない。もっとも、分からなくてもなんの不自由もないのだが。
 mixi同様、基本データというのがあって、スポーツ、音楽、映画、テレビ番組、本、尊敬する人などの項目がある。惘然として気が抜けるとはこのことで、例えば、音楽など14名を検索するも、出てきたのはビル・エヴァンスのみ。パーカーにパウエルに次ぐ名ピアニストと言わしめたジョー・オーバニーが出てこないのはどういうことか。トニー・フラッセラ、レッド・ロドニー、ワーン・マーシュも検索に引っ掛からない。かかるけちくさいリストからの選択で個性を際立たせろとは此は如何に。
 スポーツとの項目があるが、丁度ソチとやらでオリンピックが催されている。国家なるものに敬慕の念を植え付けるに最短のまつりごとである。褒めたたえ、仰ぎ見るものとしての国歌、国旗、国家などあろうはずもない。スポーツとは、昔から、為政者に限らず、政治家全般が市民の権利より国家の利益を優先させるための方便でなかったか。
 念のために書いておくが、金銀銅などと云う等級ならびに国家が介在しないスポーツを否定するものにあらず。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月18日 15:02 | 固定ページリンク




健康を回復されつつあることの報告  | 一考    

 二十歳の頃からの知己に促されてfacebookに這入った。そのfacebookの最初の書き込みが伊藤敬さんである。伊藤さんが松山さんについて触れられた文章がある。タイトル共々お許しを得たので転載する。
 
 「松山俊太郎さんは、手術直後は体力低下はなはだしく、コトバを口に出すのも大儀という状態が続いていましたが、術後1年を経過して、徐々に快方に向かい、現在は嚥下機能の回復や車椅子での移動訓練などのリハビリに励んでおられます。最近は口述筆記も可能な状態にまでなりました。世田谷の3DKマンション内にあった数万冊の蔵書は、群馬県の某所に移動しましたが、そこから仏教関係の本を何冊か病院に取り寄せて、研究も少しずつ再開されています。
以前のですペら掲示板では、胃窶と点滴による栄養補給を混同されておられたようですが、現在の胃窶は、よい方への可逆性もあるようで、結果として1年近く液体のカロリーメイト様の高栄養液を補給しつづけたことが体力の回復をもたらし、リハビリにより、まもなく食事も可能な状態にまで復帰される見込です。」


投稿者: 一考      日時: 2014年02月18日 14:48 | 固定ページリンク




豊かな東京、切り捨てられる地方  | 一考    

 「3月16日に、新潟県泉田知事から、新潟県は南相馬市民全員を受け入れると言っていただきました。私は、天から、神からの声の様に嬉しかった。市民の命を守るのが政治家じゃないですか。 政治家が命を守れなくてどうするんですか。東京にオリンピック、いいですよ。でも、現場でどういう事が起きているか、皆さん分かってますか・・・なぜ福島が犠牲にならなければいけないんですか、これ以上。
 原発で、危険な電力で、東京は豊かになったんじゃないですか。その東京が豊かになって、地方が捨てられる、こんな現実許されませんよ。
 ・・・・・・
 私が細川さんを応援に来た理由は、佳代子夫人が、国が20キロ、30キロ線引きをしたとき物が一切入らなくなったときに、そのとき彼女は私のところにガソリンを運び、物資も運んできたんです。今、命の防潮堤を作ろうとしています。津波で亡くなった方の命を再生させるのが、私の仕事なんです。そのときに瓦礫をつかってでも、植林をして、命をまもる防潮堤をつくって先頭に立っているのが、細川護煕元総理なんです。だから私は、ここに応援に来ているんです」

 上記は桜井勝延南相馬市長の細川護煕への応援演説の一部である。知事になった桝添は世界一とオリンピック万歳との題目を唱えるばかり。当初、オリンピックに反対していたのは細川のみ。この細川と桝添との落差は感じることと考えることとの乖離、もしくはインテグレイションを示唆している。
 桝添は自民公明の傀儡、都民は桝添に投票することによって、地方を切り捨て、原発再稼働にお墨付きを与えた。地元としての東京さえよろしければ、福島なんぞくそったれの明白な意思表示である。要は都民のエゴによって脱原発は葬り去られたのである。

追記
 舛添と田母神が得た票を合わせると270万票になる。脱原発派が候補を統一したところで、詮ないはなしである。東京にはとんでもない数の隠れ右翼がいらっしゃる。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月14日 22:21 | 固定ページリンク




生酒  | 一考    

 八海山 越後で候(しぼりたて原酒)、出羽桜 純米吟醸酒(生酒)、出羽桜 枯山水(低温三年熟成)、拙宅の近くで生酒となるとこのようなものしかない。四谷か神保町まで出掛ければなんでも手に這入るのだが、ちょいと面倒である。面倒と云うより、普段飲みにはこれで十分。さるにても、磯自慢 本醸造しぼりたてもしくは特別本醸造生を呑んでみたいもの。
 
 アルガブランカ クラレーザ ディスティンタメンテとアルガブランカ ヴィニャル イセハラの二種類の甲州ワインを味見した。前者はシュルリー醸造法による辛口ワイン。ワインとの相性が難しいとされ ていた味噌、醤油、わさび等によく合う。刺身が似合う不思議なワイン。後者は爽やかな酸味と微妙な甘さのバランス佳し、強い個性をうちに秘める。共にお薦め。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月12日 00:13 | 固定ページリンク




都知事選最大の争点  | 一考    

 ニュースでは27センチらしいが、拙宅の駐車場の積雪は30センチを超えている。丸二日は車を動かせまい。この積雪だと投票率は下がり、細川護煕候補は落選するに違いない。
 脱原発に関し、大方の政治家は10兆円の貿易赤字がまるで原油のせいであるかのように喧伝するが、2012年と比して2013年の原油の輸入量は減っている。3.11以前と比しても増えた金額は最大1兆3000億円。しかもそれは為替が理由であって、円高から円安に振ったアベノミクスに責任がある。
 それもこれも平成の全権委任法と云われる国家戦略特区法案の目眩ましではないかと思われる。国家戦略特区法案と比べると、秘密保護法や環太平洋連携協定などは赤子のようなものである。にもかかわらず、反対の声はついぞ聞こえなかった。国家戦略特区法案は徹底した中央集権化であって、地方自治体や住民が持っていた権限がことごとく国家戦略特別区諮問会議へ委ねられる。謂わば、全体主義国家への里程標と云えようか。
 
 それにしても、今回の都知事選におけるマスコミの徹底したアンチ細川、暗黙の小泉隠しには驚かされる。原発再稼働で足並みを揃えた五大全国紙なら仕方がないのかもしれないが、細川・小泉タッグを「無責任」という一言で片付けるのは安直に過ぎる。
 一方、シナリオを書いた小泉純一郎の変貌ぶりは目覚ましい。かつて権力を恣にした元首相が、「我々は不明だった。過ちを改むるに憚ることなかれ」と宣い、脱原発へと至った道程を理路整然と語る。YouTubeへ載せられた彼の演説で「夢かもしれない。しかし、夢は実現しないと思っている人が多いかもしれない。けれども、この原発ゼロの社会を作ろうという夢は、実現できる夢なんです」と。彼の脱原発は本物である。都知事選のあとも彼の運動は続く。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月09日 12:18 | 固定ページリンク




古伊万里染付蓋付碗  |   一考

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 京都は昔から市の町。寺や神社の境内に市が立ち、骨董・生活雑貨から新鮮な野菜や特産品などが並ぶ青空縁日は、京都人にとっては欠かせないものだった。京都の佐伯直寛さんの影響で種村季弘さんも骨董(がらくた)市にはまり、北野天満宮の天神さんや東寺の弘法さんなどへ機会あるごとに出掛けていた。
 今回購入したのは古伊万里染付蓋付碗だが、種村さんも古伊万里を好んでいらした。所謂民芸に見られる殊更めいたところがなく、日常生活にとけこんだ風情、佇まいがお気に召したのであろう。拙宅へ来られた折も陶器より磁器を多く賞でていらした。
 焼締めや自然釉でなく、色絵磁器を好み、細かい窯傷は当たり前、完品でなく逆にカケやニュウそのものを趣として捉えていた。焼き物に限らず、欠け、疵、歪みを内包した人を好んだ種村さんに相応しかった。


投稿者:   一考  日時: 2014年02月08日 15:09 | 固定ページリンク




降圧剤アルドメット  | 一考    

 降圧剤の量を増やした、尋常な量でない。松田医師はどうあっても、神戸への引越までに血圧を下げるようである。理想の上限は130〜80だが、取り敢えず、低い方を80以下にと繰り返し云われている。移植腎のためにも血圧は下げなければならない。
 この1週間、血圧は急速に下がりつつある。今月の20日までになんとか及第点を取れそうである。貧血に次いで高血圧からも解放されれば、身体はずんと楽になる。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月08日 11:23 | 固定ページリンク




再びJRS  | 一考    

 2002年08月以降、JRSことC-Life-CLUBに這入っている。往時「半官民のJAFと比して入会金はなく、年会費は半額の2000円。ロードサービスに関してはJAFを圧倒し、対応車両数が約7倍、従ってサービス・カーの到着までの待ち時間が短縮されます。また、四輪に限らず二輪もサービスの対象(いまではJAFも対応)になるのが私にとってはありがたく、ライダーは JRS に入らざるを得ない」と書いている。
 現在の年会費は1800円、対応車両数は約10倍である。自動車保険会社が這入っているロードアシスタンスの大半はJRSである。奥平さんがご存じなかったので紹介する。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月08日 11:22 | 固定ページリンク




自動車の任意保険  | 一考    

 一昨年の11月、追突事故を起こした。3等級と思っていたが、5等級下がって任意保険の掛け金は倍以上に増え、6万円を超えた。そして今年の等級と継続の保険金額の連絡があった。等級は上がったものの割引率は据え置きである。釈然としないので、インターネットで他の保険会社の見積もりを取った。同じ保険会社のグループ会社である。そうすると、掛け金は半額以下になって3万円を切った。

 平成9年、保険の自由化を受けて誕生したのがリスク細分型自動車保険である。今では自動車保険の主流となったリスク細分型を日本で初めて販売したのはアメリカのAIG傘下の保険会社だった。
 往時、日本の自動車保険会社のサービスは最悪だった。査定と称して待てど暮らせど保険金が下りない。しかも掛け金は10万円を下ることはなかった。そこへ外資系企業が参入し「1事故1名の専任担当者制」を取り、21時までに連絡のあった事故に関しては、当日中に初期段階の事故対応を実施し結果報告まで行う、といった迅速かつ丁寧な対応、しかも保険金は2〜3万円の安価だった。
 このところ、ニュースで騒がれている東京海上日動火災保険は「当時(平成15年6月以前の契約)は本体保険とは別に請求してもらわないと支払わない運用をしていた」と釈明。つまり、契約者に気付かれなければ補償する必要もないとする、保険会社にあるまじき“事なかれ主義”が罷り通っていたことになる。これは同社に限らない、だからこそ、加入しておくと心強い味方になるのがリスク細分型の1項目「弁護士特約」である。
 競争がなければ碌な結果にならない。何事によらず、自由化は大切である。

追記
 サービス向上は良いが、高級外車は車両保険加入を断られる。わたしが乗る車もボルボが販売する一般車では最も高い、よって車両保険には這入られない。もっとも、如何ような車に乗ろうと車両保険なるものに這入ったことはないが。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月07日 18:43 | 固定ページリンク




献腎移植  | 一考    

 戸田中央総合病院腎センターのセンター長は当間紘医師、彼は同時に戸田の名誉院長でもある。自転車好きで、当掲示板へも何度かご登場いただいている。その彼が日刊ゲンダイ(平成26年1月10日)の取材を受けている。新企画「この病院の看板診療科」の第一回「腎移植」である。
 
 ・・・慢性腎不全の治療法は腎移植と人工透析の二つに分けられる。水分や食事の制限をはじめ、1回3〜4時間の透析を週3回受けなければならない人工透析と異なり、腎移植を受けた患者さんは健康な人とほぼ変わらない生活が送られるようになる・・・なにより、人工透析の患者の5年生存率が60%、10年生存率36%、20年生存率16%にとどまるのに対し、腎移植のそれは95%、91%、82%に達するというから、かなりの違いだ・・・

 同院は月2〜3件のペースで腎移植を実施、民間市中病院であるにもかかわらず、累計200件を超え、国内ベスト10に這入っている。日本の腎移植をリードする東京女子医大と密接な連携をとっているため、血液型不適合やリンパ球クロスマッチ陽性の患者の移植も手掛けている。
 日本の腎移植の最大のネックは、夫婦や親兄弟などから腎臓を提供される生体腎移植が大半を占めること。地域の医療機関による腎移植の普及が、脳死移植などの献腎移植を増やすテコになる、とこれが当間さんの持論である。
 私事に亙るが、わたしにとって鉄分の服用はかなり危険を伴う。移植腎の経過観察、免疫抑制剤の副作用、小腸の出血などに留意し、慎重に服用しなければならない。その治療にゴーサインを出したのは当間さんである。おかげで造血に成功し、入浴を楽しむことが可能になった。

追記
 脳死下もしくは心臓停止後の献腎移植は1989年の261例を最高にその後は減り続けている。ちなみに、2002年は112例、2013年は130例だった。運転免許証の裏面には臓器提供の意思表示ができるようになっているが、わが国での理解は稀薄である。人口100万人あたりの臓器移植件数がウィキペディアに記載されているが、日本は先進諸国のなかで最も少ない。


投稿者: 一考      日時: 2014年02月01日 11:53 | 固定ページリンク




洋式便器が媒介するウィルス  | 一考    

 立って小用を足せば飛び散るのは当たりまえ、わたしは大小ともに着座オンリーなので、飛沫は少ないと思っていた。それ故、洋式便器の水を流すことによる飛沫は想像だにしなかった。
 単純な比較だが、洋式便器で男性が立った姿勢で小用を7回(1日分相当)行うと、「約2,300滴の尿」が便器外に飛び散る。一方、1回の使用で飛び散る目に見えない微細な水滴は約3000滴という。大便をなしたのがノロウィルスの陽性患者なら、その一滴一滴に数千のウィルスが含まれているそうな。
 このところのノロウィルスの流行で知った、院内感染の多くは洋式便器が理由である、と。担当医は回診で部屋を移動するたびに手を消毒していた。看護師は常に腰に消毒液を吊している。それがゴージョーのゲル状消毒剤であれなんであれ、エタノール系の消毒剤はノロウィルスには無効である。
 微細な水滴は背中の水タンクや馬蹄、トイレットペーパーはおろか、通常の便所の腰下1メートルは一帯が汚染地帯となる。次亜塩素酸ナトリウム液もしくは塩素系漂白剤の希釈液が有効。厚生労働省の「ノロウイルスに関するQ&A」に詳しい。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月30日 23:31 | 固定ページリンク




湯浴み  | 一考    

 「鉄分」でヘモグロビン値が12.7(平均値は13.5〜17.5)へ戻ったと書いた。2009年10月、川久保病院での21単位の輸血にはじまった貧血だが、丸5年を経てやっと収まったようである。その間に今一度危機に瀕したときがあった。昨年2月の13単位の輸血である。
 貧血が収まって嬉しいことがいくつかある。車の運転やプラットホームからの顚落もさることながら、わたしが大書したいのは入浴である。入浴中に失神すればほぼ溺れて死ぬ。現に「ヤバイ」と思って裸で風呂から膝行り出たことが何度もあった。そうした気遣いなく、ゆるりと風呂へ這入られるのは歓しい、欣快の至りとはこのことか。
 全身にこびり付いた血を洗い落とすため、看護師に付き添われて入浴したことを思いだす。身体が生気を失ったときの惨めさは筆舌に尽くしがたい。あのような状態だけは繰り返したくない。なんとか二桁のヘモグロビン値を守り続けたいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月29日 23:07 | 固定ページリンク




転院決まる  | 一考    

 次回の生検を戸田で診るのを条件に、転院が許可された。2月24日に神大付属病院泌尿器科への紹介状を頂戴する。要するに、2月24日が戸田中央最後の診察となる。
 クレアチニンは1.87、前回の1.96から僅かに下がった。下がったと云うよりは静止したと云うのが正しかろう。白血球数が9240から7440と下がったが、こちらはさらに下がってゆく。神大付属病院での最初の治療は白血球対策となる。次回のステロイドのパルス療法とリツキサン静注はおそらく神大付属になるだろう。
 いずれにせよ、引越しがやっと日程に這入ってきた。2月中旬から明石での借家探しである。3月上旬には引越したいと願っている。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月28日 20:45 | 固定ページリンク




肝機能障害  | 一考    

 二十歳からお付き合い願っている詩人Iさんが膀胱癌になった。膀胱癌には表在性膀胱癌と浸潤性膀胱癌の二つのタイプがあって、後者だと命取りになる可能性がある。浸潤性の場合、前立腺、骨盤壁、腹壁のいずれかに浸潤、またはリンパ節転移が屡々見られる根治困難な病である。前立腺癌と膀胱癌はともに泌尿器外科、瀬戸口医師の専門である。

 こちらは身内のはなしだが、尿酸値、LDLコレステロール、中性脂肪の数値がやや高いらしい。医師は肝機能に問題ありと診断しているようである。おそらく、メタボリックドミノになりかけているようである。既に罹っているのかもしれない。メタボリック症候群によって高血圧、肥満、高脂血症(脂質異常症)、高血糖の「死の四重奏」を惹き起こしてしまうことをドミノ倒しに例えて、メタボリックドミノと呼ぶ。
 お腹がポッコリと膨らんだ内臓脂肪型肥満にはじまる。それだけだと大したことはないが、そこに高血糖、高血圧、脂質異常などが加わるととんでもないことになる。取り敢えず、食事療法しかない。刺激の強い食品(カレー、辛子のかけすぎ、ニンニク、ねぎ類の食べすぎ、濃いコーヒーや紅茶、チョコレート、甘味の強いものの食べ過ぎ)。油脂性の強いもの(焼き肉、とんかつ、フライ、天麩羅、鰻、鰤や鮪の腹身などに注意。植物油の野菜炒めなどで、油性を補給)は厳禁。朝食は極力抑え、一日二食が最良。
 以上が守られなければ、やがて病は不可逆となる。自己再生が不可能になった場合には肝移植が待っている。いずれにせよ、外食は止めた方が良いに決まっている。

追記
 わたしが最も懼れているのは糖尿病である。糖尿病は一度なると基本的には治らない病気、末期腎不全まで一瀉にして千里に流れ去る。血液検査で少しでも異常が出た場合は心しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月28日 05:33 | 固定ページリンク




院外処方  | 一考    

 前回通院の折、薬事法に詳しい事務員に院外処方について訊ねた。彼女によると、薬局の選択に法的規制はないようである。例え軽井沢の薬局であってもそれを拒否する理由も根拠もないとのこと。三郷の薬局で決まったので蒸し返す気はないのだが、なんとなく釈然としない。
 
 本日、その新しい薬局ではじめての院外処方を受けた。親切な薬局で、病院と役所への電話連絡で当方の不備を補い、わたしが置かれている更生医療の状況を確認してくださった。
 薬剤の内容では一点ずつに後発品の有無ならびに後発品の薬品名が記載されていて、すこぶる分かりやすい。注意事項や副作用に関する記述が親切、院内薬局のそれよりも格段に丁寧である。これはこれで良かったと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月28日 01:27 | 固定ページリンク




最後の優良ドライバー  | 一考    

 運転免許証の更新に吉川警察署へ行く。年末に身障者の駐車の件で三度ほど苦言を申し立てに出かけたばかりである。身体障害者用の駐車禁止等除外標章の交付は受けているものの、時間制限駐車区間(パーキングメーター)が無料になることぐらいで、駐停車はどこであろうと基本禁止である。ところが、そのパーキングメーターで捕まった。担当者の詫びの一言で済んだが、通常はあり得ないことである。
 無事故無違反(一昨年11月上旬に追突事故を起こしたが物損ゆえ、無事故扱いになる)なので前回同様30分の講習で済んだが、目の検査でもたついた。わたしは大型第二種運転免許を取得しているので、深視力が義務付けられている。
 深視力とは、三桿法の奥行き知覚検査機で、3本の黒く細い棒が並んでいて中央の棒が前後に動く。2.5m離れたところから並んだと感じた地点でボタンを押し、誤差が3回測定して平均2センチ以下でないと受からない。
 ところが3本の棒が5、6本に見える、乱視が進行しているのである。担当の警察官は親切な方で10回ほど繰り返し、今のは後ろすぎる、前すぎると懇切丁寧に教えてくださる。スタートしますと云ってから何秒後が並んだ地点かを暗に示唆しているのである。お陰で合格となったが、次回(平成31年)は大型二種は返上することになる。と云うよりも、わたしに次回があるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月22日 15:35 | 固定ページリンク




鉄分  | 一考    

 去年の五月からフェロミアを飲んでいたが年明けから中止した。ヘモグロビン値がやっと正常に戻ったからである。一度、体内の鉄分が枯渇すると、食事だけではなかなか回復できない。そのような場合に必要なクエン酸第一鉄ナトリウムである。鉄分の体内貯蔵量も少しは戻ったと思われる。
 それにしても、ひどい貧血に悩まされた。人生の半分は失神していたような塩梅である。腎不全なので血管が老化し、拡がらなくなっている。よって高血圧の貧血である。わたしに限らず、貧血のひとには高血圧が多い。むしろ、高血圧の症状に眩暈や立ちくらみが多いと解釈するのが自然である。
 わたしが食塩感受性か食塩非感受性なのかは分からない。ただし、食塩はほとんど摂っていないにもかかわらず、血圧は下がらない。要するに、減塩による食事療法が役に立たず、血圧のコントロールが頗る難しいのである。効き方が異なる三種類の降圧剤を服用しているが、一向に下がらない。なんとかならないものか。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月18日 22:52 | 固定ページリンク




明日は御座なく候  | 一考    

 蓮如の「明日は御座なく候」を座右の銘とする細川護煕の都知事選出馬が決まったようである。某代議士秘書から聞いたのだが、嗾したのが小泉純一郎と云うから面白い。マスコミでは細川が小泉を口説いて協力を得たとなっているが、はなしは逆で、脚本を描いたのは小泉だそうな。
 他の候補は細川陣営の脱原発をシングルイシューとして非難するが、二項対立は小泉の得意とするところ。二項対立との単純図式を云々する前に、喉元過ぎれば熱さを忘れるのごとく、現今の東京都民にとって原発がさしたる問題になるとは思われない。わたしはオリンピックを返上してでも原発はなくすべきだと思っている。そのためなら小泉方式であろうがなんであろうが、利用しない手はない。脱原発で二人が揃って選挙カーに乗って熱弁をふるえば、瀬戸内寂聴、大江健三郎、孫正義なども協力するに違いない。

 新潟の泉田知事の周辺が危うい。かつての福島県知事佐藤栄佐久が原発に反対したがゆえに、実弟が関与した汚職事件の追及を受け、5期目の任期途中で辞職に追いやられた。知事抹殺のためのでっちあげ汚職事件である。泉田裕彦も既に外堀は埋められた。なんとか踏み止まっていただきたい。

 前都知事猪瀬直樹は公職選挙法違反でなく贈収賄で立件の予定だが、日歯連事件とよく似ており、立件が断念されるおそれがある。以下は揶揄だが、東京都民344万(本人の弁)の票を集めた成り上がり度と都民の民度とはそれなりにバランスが取られていて感心させられる。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月17日 17:41 | 固定ページリンク




SSD換装  | 一考    

 先項で書いたように、Mac miniのCPUを最新のものに載せ替えた。MacOS 10.9.1をインストールしたが、その折ハードディスクをSSD(100GB)に換装。起動時間が20秒に短縮された。結果に気をよくしてG5にもSSD(250GB)を積んだ。ところがこちらは45秒にしか短縮されない。G5のOSは10.4.11である。OSが理由だと思うのだが、うまく行かないものである。
 詳しく書けば、10.9.1の方の使用状況は11.76GB、10.4.11の方の使用状況は42.66GBである。わたしはPC用のソフトしか持っていないので10.4.11すなわちG5の容量は大きくなる。10.9.1は正確にはファイルの違法ダウンロードに用いている。それにしても、マップは拡げるのが楽しい。新しいOSはそれだけでも値打ちがある。

追記
 クラシック環境なしでは手持ちの資料がどうにもならない。従ってG5は必要な機器である。ただしPC環境では音楽ならびに映像など、動画のダウンロードができない。よってMac miniもまた必要な機器なのである。


投稿者: 一考      日時: 2014年01月17日 16:58 | 固定ページリンク




医薬分業  | 一考    

 厚生労働省が進める医薬分業により、院外処方が決まった。院外の保険薬局を利用するのだが、更生医療だとややこしいようである。法律上はどのようになっているのかをわたしは知らないが、役所(障害福祉課)によると近くの薬局でなければ困るそうである。書類の遣り取りが頻繁に行われるのが理由だそうな。
 関さんご紹介の軽井沢の薬局は使えなくなった。役所にとっての理想は戸田中央総合病院の指定薬局らしいが、前述の三郷のたかの薬局でも良いとの結論が出た。千葉東病院の腎移植患者が顧客にいたらしく、たかの薬局は免疫抑制剤を扱っている。
 内容は分からないが、障害福祉課の担当者は薬局と随分と長く話し込んでいた。書類を作成し、病院と薬局への送付は役所が行うと、宛先のみ認めて今年最後の手続きを終えた。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月28日 19:47 | 固定ページリンク




プリプリプリ  | 一考    

 魚屋へゆくとブリブリブリとの歌が毎日掛かっている。しばらく前までは「お魚天國 」が掛けられていた。

 好きだとイワシてサヨリちゃん タイしたもんだよスズキくん
 イカした君達見習って 僕もカレイに変身するよ
 サンマ ホタテ ニシン  キス エビ タコ
 マグロ イクラ アマゴ シマアジ

 魚 魚 魚  魚を食べると   頭 頭 頭  頭が良くなる
 魚 魚 魚  魚を食べると   体 体 体  体にいいのさ
 さあさ みんなで魚を食べよう   魚は僕らを 待っている

 新しい歌はわたしにはプリプリプリに聞こえる。シシド・カフカが歌うグリコプリッツのCMソングである。彼女はドラマーだけあって、リズム感に闌けている。
 そのプリプリプリを聞きながら、今日はカサゴを買った。オコゼやカサゴはわたしの好物である。ただし、ミシマオコゼはリズム感に欠ける。三島女郎衆が醜悪でみだらなところからつけられた名であろう。オコゼとは名ばかり、身に張りも華もなく、コリコリ感はほとんどない。関東の魚屋でよく見かけるが、元来産額も低く、練製品の原料くらいの用途しかなかった。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月23日 23:45 | 固定ページリンク




服用中の薬  | 一考    

グラセプターカプセル1㎎ 1日1回朝食後4錠
グラセプターカプセル0.5㎎ 1日1回朝食後1錠
セルセプトカプセル250㎎ 1日2回朝・夕食後各3錠
メドロール錠2㎎(ステロイド剤) 1日1回朝食後1錠
 以上が免疫抑制剤

アテレック錠10  1日1回夕食後1錠
オルメテック錠20㎎  1日1回朝食後1錠
オルメテック錠10㎎ 1日1回夕食後1錠
アルドメット錠250㎎  1日2回朝・夕食後各1錠
 以上が降圧剤

ユリノーム50㎎(尿酸排泄) 1日1回朝食後1錠
クレストール錠5㎎(コレステロール抑制) 1日1回朝食後1錠
パリエット錠10㎎(胃酸抑制剤、潰瘍改善) 1日1回夕食後1錠
バクタ配合錠(感染予防) 月水禽のみ朝食後1錠

 降圧剤は症状によって増減するが、免疫抑制剤その他は死ぬ日まで飲み続けなければならない。薬を中断したり、飲み忘れたりするとそれは死を意味する。
 前項で著したごとく、健康保険適応で月に253800円、もし保険がなければ処方料等は別にして、純粋に薬価だけで月に846000円になる。この費用を薬局が一旦負担しなければならない、小さいところだと到底無理である。いずれにせよ、わたしが生き延びるに必須の費用である。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月17日 19:37 | 固定ページリンク




年間の薬価  | 一考    

 日々服用している免疫抑制剤は保険対応で1箇月の保険点数は25380点(1点10円で計算、253800円)である。他にも移植後患者指導管理料300点、特定薬剤治療管理料470点、内服・頓服調剤料9点、外来処方料29点、調剤技術基本料8点などが附帯する。個々の値は分からない。おそらくステロイド剤が高いのでないかと思っていたが、調べるとセルセプトカプセル250の10錠シートが9786円、1日6錠だから約6000円である。もっとも、抗がん剤で1カプセル150万円と云うのがあった。
 前項で書いた薬局から電話があって、免疫抑制剤はいままで扱ったことがなく、かつあまりにも高いのに驚いた、と。ついてはより大きな薬局がよろしかろうと、みさと健和病院指定の薬局を紹介された。たかの薬局と称し、以前交通事故で胸骨を骨折した折に世話になっている。処方箋を扱う薬局ならどこでも同じと思っていたのが甘かったようである。
 いずれにせよ、戸田ではなく三郷で見つけたいと思っている。戸田や浦和なら免疫抑制剤を扱う薬局を知っているのだが、おそらく三郷ではあるまい、口説くしかないだろう。

追記
 それにしても、年間の薬代は300万円を軽く超える。生涯この費用が続くわけだが、それに止まらない、さらに自由診療の薬価が加わる、恐るべし。
 ここまで書いてから関さんに相談する。やはり小さな薬局だと仕入れに無理がかかるようである。免疫抑制剤の仕入れにロスが出るかどうか、最小ロットを調べていただくことになった。そうでなければ、薬局に迷惑をかけることになる。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月17日 18:25 | 固定ページリンク




年内は三郷  | 一考    

 読まれる方がいらっしゃるので、書いておかなければならない。リツキサンの効果が顕れるのは一箇月目から二箇月目にかけてである。本日午前の血液検査でのクレアチニンは1.96、クレアチニン値だけだとまったく好転していない。ただし、尿ALB/cre補正値が24.84と若干下がっている。
 尿中アルブミン指数は糖尿病性腎症の早期発見に利用されるが、健常者だと8.00、腎移植者だと30.00が基準とされる。要するに、アルブミン指数 が下がってきたのは後を追ってクレアチニンも下がるだろう、ということである。その場合、現在9240の白血球数が下限値(3800)まで下がる、よって途中で二回ほど注射(点滴静注)が必要になる。リツキサン静注の結果が明瞭になるのは1月末になる。

 院内処方だった薬が外部調達に変わる。免疫抑制剤が入手可能かどうか、更生医療への理解があるかどうか、処方箋を持参して薬が間に合わないではどうにもならない、近々引っ越すこと等々、薬局との事前協議が必要である。可能な場合はその薬局を市役所で登録、書類を病院へ提出しなければならない。とりあえず、町内の薬局で考えていただくことになった。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月17日 00:36 | 固定ページリンク




つかみ寿司とつかみ漬け  | 一考    

 「深川文化史の研究」に、つかみ寿司と深川丼(深川めし)に関する記述があった。共にアサリ料理だが、このつかみ寿司は正確には掴み漬(つかみづけ)と云うらしい。華屋與兵衛に関する書物で、アサリを握った深川の掴み漬(つかみづけ)の記述に出遇ったことがある。
 アサリは通常、軍艦巻きである。しかし、昔は握っていたようである。ここで云う昔は実にいい加減な表現である。そもそも江戸前(江戸前自体が後から生れた言葉)の握り寿司は今のそれの三倍はあった。昨今の1貫25グラムと云うのは大正から昭和に這入ってからのことである。1貫の握りを二つ三つに切って出す理由はそこにある。
 さて、深川の掴み漬はアサリを握り、秘伝のタレをかける、よほど固く握らないとばらばらに解れてしまう。ところが、これと似た握り寿司を三橋敏雄さんに馳走になったことがある、八王子である。八王子から電車でまっすぐ下れば茅ヶ崎、三橋さんによると魚は小田原すなわち相模湾からやって来る。近海物のマグロのカマ焼きが八王子で流行ったのも同じ理由による、と。確かに八王子の寿司は旨い、内陸にしては随分と魚が活かっている。

 江戸流つかみ寿司と同じ名称のつかみ寿司が大阪にある。こちらは「握る」のではなく「つかむ」ぐらいの力加減でシャリを成型する。従って、江戸前や八王子のそれとは似て非なるものである。ほろほろと崩れそうになる飯をしっかり握るところに深川のつかみ寿司の技術の真骨頂があるのだが、大阪のそれは単なる手抜きとしかわたしには思われぬ。最悪の握り寿司の一種である。ちなみに、深川の流れを汲む寿司屋も大阪の寿司屋も屋号は同じ吉野である。


投稿者: 一考      日時: 2013年12月01日 18:50 | 固定ページリンク




健康保険法について  | 一考    

 今回はリツキサンだが、健康保険の効かない薬を点滴静注するために一日だけの入院をする。要するに自由診療である、この場合、看護師の血圧や検温、入院費や食費をはじめとする一切の費用が健康保険の適応外となる。
 治療はそれで止まらない。後は健康保険による治療となる。従って一旦退院し、次の日再入院となる。もしも続けて入院すると永遠に自由診療扱いとなって健康保険は効かない。この場合一番困るのは、入退院を繰り返すことを一般の患者は理解しない、ということである。
 医師は云う、渡辺さんのような理解ある患者さんなら良いのだが、普通は理解どころか食って掛かられる。どうして意味もなく入退院を繰り返さなければならないのかと。また、胃瘻や人工呼吸器など、入退院の繰り返しが物理的に出来ないような重篤な患者さんもいらっしゃる。そこで医師は考える。患者の生命を大事に思うなら、混合診療との法令違反もあり、と。

 さて、皆さんは現在の健康保険法をどう思うのだろうか。健康保険法に基づいて混合診療を認めず、すべてを自由診療として保険診療の7〜8倍の値を請求し、免役療法や高度医療を金持ちだけに許される特殊な治療として、医学の差別化を計るのを良しとするのだろうか。
 そうした医学の狭間で治療を受けられず、死んでゆく濾膿性リンパ腫や全身性エリテマトーデスの患者をあなたは無表情で見送ることができるのか。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月21日 00:03 | 固定ページリンク




ステロイドのパルス療法とリツキサン  | 一考    

 何度も書いているが、ポリグロビンという薬は健康保険に対応していない。よって、200万円を軽く超える高値であるにもかかわらず、全額患者負担である。この薬を勧められはするものの、過去二度断わっている。そして三度目、考える振りをしながらも、こころは決まっている。
 先日、櫻井さんと話したが、かつて知己が癌で死んだ。アメリカ製の抗癌剤を打つと身体が随分樂になるとその友は云っていた。一回の点滴静注が50万円、彼は何度も打っていたが、やがてその延命策に疑問を抱くようになる。彼は発症してからは、いつもワインのミニボトル(小瓶の半分)を嗜んでいた。「一考よ、これが飲まれなくなってきたよ、そろそろお仕舞いだね」そう云って彼は静かに杯を置いた。
 リンパ腫(非ホジキンリンパ腫)を患うと各種免疫療法(リンパ球療法)を受けるしかなく、一千万や二千万の金はあっという間になくなる。一部、わたしが服用する薬と同じである。

 わたしはリンパ腫ではないので、うまく行かなければ人工透析に戻るだけである。透析治療をはじめたときに、最大持って6年(70歳)と医師は云っていた。それでよいと思う、あと4年、ステロイドのパルス療法とリツキサンを繰り返し、それまで凌ぐつもりである。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月20日 20:35 | 固定ページリンク




キジハタ  | 一考    

 キジハタは島根が有名な根魚、キロもので3000円以上する。値から云えばオコゼや金目鯛と同じぐらいの高級魚である。もっとも関西地方、特に瀬戸内一帯ではキジハタのことをアコウと呼ぶ、わたしにはその地方名が馴染みである。なお、関東地方でアコウ(赤魚)と呼ばれる魚はアコウダイという別の種である。しかも、関東でアコウダイと云えば、通常カサゴ科の目抜けを指す。この辺り、大変ややこしい。ちなみに、全国のホテルのレストランやフランス料理の店ではメヌケを「あこうだい」と呼称し、高級魚とする。関西人にとってはこれも詐欺商法である。もっとも、いずれも味は良いので構わないが。
 スーパーで赤魚として売られてるのはアラスカメヌケ、これは内幸町の超有名フレンチ店の模倣である。せいぜい40センチ程度にしか育たない代物で、アコウダイとは比較にならない安価な魚。こうした食材偽装は全国に蔓延している。

 拙宅の近所のスーパーで本物のキジハタが売っていた。切り身での販売ならいくら高くても喜んで買うのだが、このように大きい魚をひとりでは処理しきれない。刺身、煮付け、うしおと夢想し、結局一夜干の鰈を買った、残念である。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月18日 16:55 | 固定ページリンク




寒ブリとひねどり  | 一考    

 魚の数え方は大きく分けて匹と尾だが、匹は生きている状態、尾は水揚げされた状態を指す。この尾のなかには本や枚も含まれる。ただし、わたしは生きていれば例え商品としての魚であっても匹と数える。それほどに、活魚かどうかは重要な問題である。東京では活魚は諦めていたが、ここ松戸では千葉で採れた活魚が潤沢に手に入る。
 寒ブリとブリとが売っていた。どこぞのホテルならどれもこれも寒ブリに化けるのだろうなと思いつつ、安価なブリの短冊を買った。寒ブリは寒中にとれるブリではない、日本海を南下する親ブリを寒ブリと呼ぶ。産卵にそなえて餌を飽食しよく太り、脂がのっていて非常に美味、80センチ以上がブリだが、1メートルを超えるものが特ににうまい。

 いつぞや当掲示板で屋号は書かずに、椿山荘の料理を糞味噌に書いた。案の定、食材偽装で物議を醸している。今回は蟹ではなく大山地鶏焼きと表示しながら地鶏ではない鶏を使っていたようである。他にも、有機野菜のスティックと表示しながら大半が有機野菜でなかったようである。この地鶏に関してはさまざまな焼き鳥屋と悶着を起こしてきた。大概の焼き鳥屋はひね鶏を地鶏と称して売っている。
 当掲示板の2008年05月03日の「陳鶏」で食材偽装もしくは詐欺商法について書いている。ひねどり(陳鶏もしくは老鶏と書く)については「陳鶏は卵用鶏(レイヤー)のなれの果てである。陳る、要するに老生した鳥であるが故に脂肪は少なく身は堅い。鳥インフルエンザを畏れてケージに閉じ込められた地鶏を喰うのなら、いっそ陳鶏を陳鶏として楽しめばよい」と。
 検索したところ、 ひね鶏セット(もも肉・むね肉各一枚 )が3000円で売られている。10キロで4000円が相場である。ひね鶏にもブランドがあるようである。開いた口が塞がらないとはこのことか。

 今日は小さな甲イカを買った。先日の白イカのような甘味は少ないが、身のこりこり感はこちらがまさる。久しぶりの甲イカゆえ、美味しく頂戴した。イカだけでは淋しいので、エビも贖う。アルゼンチン産の赤エビと北海道産の赤エビがあって、アルゼンチンのは18センチぐらいで1匹50円、北海道のそれは20センチほどで1匹80円。共に刺身用だが、この80円は現地で買うより格段に安い。医師ではなく栄養士が刺身の禁食を命じた、大きなお世話である。それが理由でこのところ魚づいている。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月18日 03:33 | 固定ページリンク




頑張れ徳洲会  | 一考    

 女子医のホームページには拒絶反応の起こり方として「腎臓が移植されると、免疫の見張り役のマクロファージがこれを見つけ、異物の侵入を免疫の司令官であるTリンパ球(ヘルパーTリンパ球)に知らせる。その情報を得たヘルパーTリンパ球は、異物を破壊する力を持つ他のTリンパ球(細胞障害性Tリンパ球)を動員して移植腎に侵入し、攻撃します(急性拒絶反応)。ヘルパーTリンパ球はまたBリンパ球に抗体を作るように促す。抗体は移植腎の血管にとりついてこれを壊す(慢性拒絶反応)。こうして移植された腎臓は破壊される」と記されている。
 このリンパ球の働きは前項で述べたように、濾膿性リンパ腫であろうが、全身性エリテマトーデスであろうが、移植の際の拒絶反応であろうが同じである。ところが、特効薬のリツキサンは濾膿性リンパ腫のみ健康保険対応で、その他の治療では保険対応外すなわち自由診療となる。自由診療になれば、リツキサンに限らず、その他の薬剤から入院費、食事代までことごとくが保険に対応せず、全額を支払うことになる。わたしは一種一級の身障者なので重度心身障害者医療費受給者証や標準負担額減額認定証(入院の際の食費などが安くなる)を所持している。しかし、自由診療だとそれらすべての証書が無効になる。

 それにしても、濾膿性リンパ腫のみが保険対応とは、日本医師会の恣意的なと云うよりも政治的な俗臭が芬芬としてくる。かつて腎友会を選挙票田と見て擦り寄ってきた医師会と自民党、そのお陰で当時月100万円と云われた人工透析治療が更生医療対応になったのも事実だが。
 昨今、徳洲会の選挙違反が喧噪されているが、徳洲会を政治権力でもって徹底的に追い込んだのはどこの医師会だったのか。徳田虎雄は1993年の再選時にいったん自由民主党に入党するも、徳洲会と対立する日本医師会の反発でわずか3日で同党を追われている。また、24時間年中無休の病院など死活問題だと地元の医師たちは日本医師会と一緒になって病院建設計画に反対してきた。
 先日、NHKのクローズアップ現代「揺れる巨大医療グループ 徳洲会・不正選挙の実態」で「徳洲会は医師の本分を忘れている」と宣っていたが、鹿児島県の離島、種子島、屋久島、奄美大島、喜界島、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島、与論島、加えるに沖縄県の宮古島、石垣島、伊良部島に病院やクリニックを設立したのはどこの病院なのか。徳洲会以外のいずこの病院が離島などの僻地医療、夜間、救急医療などに尽瘁したと云うのか。
 徳洲会は選挙動員した医師看護師にきちんとその分の日当を支払っている。もちろん、それが選挙違反なのだが。自民党や日本医師会の金権選挙では運動員をただ働きで奴隷のようにこき使っている。「生命だけは平等だ」との高邁な理念のもと、救急や不採算医療に邁進してきた徳洲会を選挙違反で摘発する、それ自体が政治的陰謀とわたしは信じている。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月17日 02:36 | 固定ページリンク




輸液ポンプ  | 一考    

 些かひどい目にあった。行きも帰りもスムーズにはいかなかった。戸田公園駅から戸田中央総合病院まで三回の休憩を取った。外来で荷物を預けたのはよいが、その場でしゃがみ込んでしまった。事務員がまだなにか用事ですかと訊ねるが、申し訳ない動かれないのです、と。
 入院病棟は医師も看護師も顔見知りばかり。取敢えず、座薬を打って点滴をはじめる。リツキサンはとにかく副作用が強い、特に高熱に魘されるので座薬が必須なのである。テルモ糖注250mlにリツキサン(100mg/10ml)が。他に大塚生食注100mlにリンデロン注4mlとネオファーゲン20ml。さらにソルデム輸液200mlにプリンペラン注射液2ml以上がテルフュージョン輸液ポンプを経て注入される。この20万円の僅かな量の点滴に昼の12時から深夜の1時15分まで掛かった。
 担当医は前回と同じく、神澤さんと石郷岡さん。今回は神澤さんと随分と話し込んだ。内容は書かれないが、今のわたしにとって最もありがたい医師である。
 帰りも行きと同じく、順調にはいかない。赤羽まではなんとか辿り着いたが、その後は一駅ごと、東十条、王子、上中里、田端と各駅で下車、休憩所で休み休みの道行きとなった。田端で京浜東北線から山の手線へ乗り換え、西日暮里、日暮里へと進む。そう云えば日暮里に休憩所はなかったと思い起こす。日暮里では何時もホームに座り込んでいたなあ、と。しかし、日暮里まで行くと後は大丈夫、昼の常磐線はがらがらである。松戸まで落ち着いて座れる。

 松戸でスーパーへ寄る。関東ではハナダイ(花鯛)だが、わたしはレンコダイで覚えている。調べるとレンコダイは広島県倉橋島での呼称らしい。旨そうなので20センチほどのを一匹購入。序でに酒を買う。富久娘がこのところ物議を醸しているので秋田の酒を買った。秋田と云えば喜久水の縄文能代が贔屓だが、今回は北鹿の大吟醸にした。最近頑張っているようである。案の定、端正な酒である。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月15日 23:03 | 固定ページリンク




ウェルゴのペダルとQRDについて  |   一考

M111.jpg

 台湾のパーツメーカーWellgoのQRD(Quick Release Device)シリーズのペダルは輪行の際は非常に便利である。ワンタッチで外れるし、何より盗難防止にも最適である。しかし、ウェルゴのペダルには問題も多い。
 通常のペダルの場合、スピンドルの先に切られたネジでわん(bearing cup)の当たりの調整を取る。そしてスピンドルのネジには溝が穿られていて、玉押しと止めネジの間のワッシャーを固定する。ところがウェルゴのスピンドルには溝がない、もしくはワッシャーが這入っていない(例えばC27Gやb017など)、一度解体すると特殊な工具がなければ組み付けができない。購入者がグリスアップすることを端から考えていない、要するに使い捨てということになる。もっともスピンドルを自分で工作できるなら問題はないのだが。
 つい先頃、M111とのペダルを入手したが、こちらはシールドベアリングである。シールドベアリングを用いたペダルとしてはサンツアーのシュパーブプロ(三ヶ島製作所)が過去最高のペダルだが、そのサンツアーをサカエが買収、サカエを台湾メーカーが買収した。そうした曰く付きのシールドベアリングだが、ウェルゴのシールドベアリングは頗る滑らかである。ちなみに、三ヶ島はミカシマ、またペダルでなくペタルと呼称する(サンツアーに関しては別稿を立てる)。

 M111(同一のペダルがGIZAからPDL09600として発売されている)は返しが付いていない両面ノーマルペダル、よってトーストラップは付けられない。わたしはビンディング(バインディング・ペダル )は用いないので、トーストラップがないとアンクリングができない。もっとも、最近はポタリング(和製英語)が関の山だが。アンクリングにこだわる方にはビンディングペダルQRD-R096BとフラットペダルQRD-M079のセットもある。
 QRDの取付けだが、ネットを検索すると上記写真のように脱着ユニットのロック解除レバーがクランクの内側へ来るようにセットしている。これは逆ではないかと思う。ロック解除レバーがクランクの内側にあれば、靴で踏んづけることになる。それでは靴底がボロボロになる。当然、クランクの外側へ逃がすべきでないだろうか。これはFreeGoの着脱式のペダルのアダプターであろうが、MicroStepのそれであろうが同じである。どうあってもロック解除レバーが気になると思われる方はアダプターをQRD2へ変更すればよい。三ヶ島のEzyとEzy Superiorの間には互換性がないが、QRDとQRD2は互換性がある。直径がやや大きいのが気になるが。

 QRDについて触れたので三ヶ島のEzyについても一言。謳い文句に「ペダルの国際ブランド、三ヶ島製作所のオリジナル着脱方式Ezyシリーズ」とあるが、構造はエアコンプレッサーのカプラーそのままである。三ヶ島はその方式を利用しただけで、特段のアイデアを生み出したわけではない。それよりも、三ヶ島のベアリングの玉当たりの強さが気になる、結構ゴリゴリしている。使っているうちに熟れてくると云いたいのだろうが、わたしは常に調整し直している。ただし、最高級品のカスタムヌーボ、RX-1、ロイヤルヌーボなどのシールドベアリングは別口、頗るスムースな転がりである。特にロイヤルヌーボはクランクから根元ベアリング、先端ベアリングのピッチがカスタムヌーボーより外側に配置しており、比較するとよりマイルドな乗り心地になっている。 これは、かつてのサンツアーのシュパーブペダルと同じピッチの再現である。

追記
 最近、A-ESTをはじめ、3社からチタン合金のスピンドルを持つシールドベアリングのペダルが販売されている。それらはスピンドルを固定してペダルを回すと10数回回転している。これは行き過ぎである、なにごとにも程度がある。況んや、トーストラップもトークリップも装着できないペダルにこれほどの回転が必要なのだろうか。


投稿者:   一考  日時: 2013年11月12日 18:37 | 固定ページリンク




リツキサンとポリグロビン  | 一考    

 病院の駐車場は病院の真ん前にある、その短い距離が歩かれなくて愕く。
 クレアチニンが1.97、手の施しようがない。即日の入院を命じられるも、二日ほど遅らせてもらう。13日に取敢えず一泊、リツキサンの投与を行う。濾膿性リンパ腫や全身性エリテマトーデス(SLE)の特効薬だが、自由診療で20万円ほど掛かる。日本ではB細胞リンパ腫にのみ保険適応されてい、他の治療に用いる場合は自由診療となる。臓器移植の際の拒絶反応治療、腎炎など治療が困難であった自己免疫疾患の一部への効果を狙ってのことである。
 去年の10月にクレアチニンが跳ね上がった時もリツキサンの投与を行っている。その際は長期入院で、他にもさまざまな治療を受けていたため混合診療となったが、今回はリツキサンのためだけの入院なので、入院費も実費であって保険適応にならない。

 膀胱に炎症あり、とやらでフロモックス錠を朝昼晩各100ミリグラムを服用。血圧が下がらないのでアルドメット錠を750ミリグラムに増量。先週はソルメルコート(ステロイド)の大量投与(パルスと云うらしい)が続いた。女子医のカンファレンスで指摘されたのだが、やはり200万円の薬ポリグロビンが必要なのか。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月12日 00:17 | 固定ページリンク




例によって  | 一考    

 市役所の障害福祉課から医療費の支給があった。今月は24650円、更生医療が含まれているが、毎月このようなものである。当然、支給されるのは国民健康保険対応の医療費だけである。3割負担なので大体、月に8万円から10万円の医療費をわたしは使っている。これ以外に健康保険外すなわち自由診療分が必要になる。こちらは1回が30万円ほど、ただし毎月というわけではない。
 現状ではこの金額で済んでいるが、自由診療を受けるとすべての診療が健康保険の対象外になる。要するに毎月8万円から10万円、さらに更生医療が無効になるので15万円が加算され、月額25万円ほどになる。それに自由診療分である。平均すると月額40万円の医療費が必要になる。

 以上は、混合診療がどうあっても必要な理由である。何度も書いているが、混合診療を認めると医療費が上がるという意見が一部にある。そうした理不尽な意見と闘い続けている。そして闘っているのは患者だけではない。
 骨髄移植から腎移植に到るまで臓器移植に拒絶反応は付きものである。免疫抑制剤抜きでの移植手術は考えられない、と云うよりも、免疫抑制剤の開発があればこその移植手術である。医師は重篤な患者を生かすために移植手術を施す。そして免疫抑制剤の約半数は健康保険が効かない。移植を手掛ける医師もしくは免疫治療を行う医師はそれを承知で混合診療を行う、でなければ患者が死んでしまうからである。
 混合診療がなくなると、現在行われている臓器移植の大方は不可能になる。大金持ちだけしか移植手術を受けられなくなる。そうした医療差別があってはならないとわたしは思う。


投稿者: 一考      日時: 2013年11月09日 01:58 | 固定ページリンク




山菜と茸の丼  |   一考

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 料理人をはじめたころ、父と毎朝市場へ買い出しに出掛けた。わたしは天婦羅が得意で、季節に応じて山菜またはきのこを重宝した。山菜もきのこも車海老とよく合った。ブラックタイガー(牛海老)は輸入がはじまったばかりで、バナメイエビが出回るのはずっと後のことである。
 そもそも山菜ときのこは季節が違う。ところが、違うはずの食材が、今では一緒に食べられる。何気ない風を粧っているが、食品加工技術や流通の発達によってとんでもない食材がスーパーでデペイズマンに並んでいる。これを利用しない手はなかろう。
 鶏肉と油揚げ(生揚げ)、そこへ山菜ときのこを入れると結構な丼になる。卵とじ良し餡かけ良しである。

 山口産の白烏賊が二杯499円で売っていた。刺身用の鯣烏賊と同じ値段である。腎不全にはよろしくない食べ物だが、ビールよりはまし、少量ならかまわない。ところで、イカの数え方は状態によって異なる。生きている時は匹だが、水揚げされると杯、干すと枚である。
 刺身も良いが、白烏賊のげそは焼くに限る。旧ですぺらを、「かさね」を思い出す。去年の末、かさねがミシュランガイドに掲げられた。そのお祝いにも行っていない。


投稿者:   一考  日時: 2013年10月29日 14:45 | 固定ページリンク




チンピラの目つき  | 一考    

 ブラックタイガー、バナメイエビ、シロエビなど、冷凍エビのサイズは1ポンド(453.6g)当りのエビの匹数で表示される。例えば16/20とか31/40と称し、1ポンドあたり16〜20匹もしくは31〜40匹となる。一尾の重さは16/20が22〜29グラム、31/40が11〜15グラムとなる。
 1961年エビの輸入自由化が始まった。その前年は625トンだった輸入量は一挙に4,000トンを超える。自由化と共に、堰を切ったかの如く63年1万トンを突破、65年には2万トンを超え、67年には4万トンを超える倍々ゲームが展開された。そして1973年には10万トンを突破しアメリカを抜き、世界一のエビ輸入国になった。その後1994年には30万トンを超え我々の食べるエビの99%は輸入品となった。
 他方、福原桜筋中村美容院の跡地に割烹「赤坂」が開店したのが1963年12月、その前年から隣のハイボールセンター百万弗で働いていたわたしは開店と同時に赤坂へ移った。エビの輸入ははじまっていたが、赤坂ではクルマエビを使っていた。
 このところ海老がずいぶんと話題になっている。ブラックタイガーをクルマエビと詐称したと云うのである。活けのブラックタイガーを十代の頃食したことがあるが、滅多に食べられない希少品で、まず流通していない。
 そもそも冷凍のブラックタイガーは安価なためエビフライ用に輸入された。給料が一万円の頃に鰻の蒲焼きは一万円、エビフライは2000円ほどしていた。そのエビフライがブラックタイガーだと一挙に300円にまで下がった。当時のはなしである。
 赤坂は活けふぐの店である。河豚にせよ、鰻にせよ、エビフライにせよ、高級品で庶民が食するようなものでなかった。要するに、自由化でもって食べられるようになった。
 味だが、鮨屋におけるエビの躍り食いのごとく刺身でない限り見分けはつかない。もっとも冷凍品を生で食べられないが。レッドキャビアととびっこ(ゴールデンキャビア)を識別できないような客がホテルのレストランへ行くこと自体おかしいのでないだろうか。

 阪急阪神ホテルズの社長は最初の記者会見ではおよそ詫びとは縁のない戦闘的な目つきで記者を睥睨していたが、二度目のそれは人が変わったような低姿勢、目をしょぼつかせ、まるで人生ではじめて味わった挫折に打ち拉がれている様子だった。

追記
 活車海老1尾20グラムぐらいのが400円、10尾使えばそれだけで4000円になる。中華料理店が冷凍輸入エビを用いるのは当り前。況して濃厚な中華味に芝エビや車エビの必要はまったくない。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月29日 11:55 | 固定ページリンク




極東のペダル  | 一考    

 奥平の奥方の自転車のペダルキャップが脱落している。ペダルは極東のプロエース、国産ではもっとも傑れたペダルである。もっとも、極東はいまではサイクルパーツは作っていない。FET極東は元々は自動車関係の輸入商社、1985年頃から自転車の世界に参入し、DE-ROSA、Eddy-Mercx、CINELLIなどのロードレーサー、カンパニョーロやチネッリ、レジナ、カステリなどのヨーロッパ一流ブランドの部品やウェアーなどを取り扱うようになった。その後、2002年頃自転車の世界から撤退、自動車関連パーツに戻った。
 クランクとBBのスギノ(カンパとBBのテーパーが合う、国産唯一のクランクである)、ハブの三信、ペダルの極東はわたしの世代にあっては自転車の業界を代表するパーツである。
 ペダルキャップは明石なら電話一本で発注できるのだが、ここは埼玉、そこで最近売り出しの大型店舗へ行く。置いていないのは承知、註文するつもりである。「ペダルキャップを註文したいのですが」「ペダルキャップってなんですか」こちらではダストキャップと云うのかしらと思って、「ダストキャップですが」「ダストキャップってなんですか、クランクキャップのことですか」このあたりで話は諦めた。自転車の組み立ては国家試験を受けなければならない。ここの大型店舗はもぐりの業者である。
 自転車とは云え、人が命を預ける乗り物である。法的規制がないのを良いことにして、自転車の最終組み立てを素人が手掛けている。これも人件費節約なのか。

 極東と三ヶ島ではペダルキャップのネジの直径が異なる、わずかに極東が大きいのである。台湾のパーツメーカーVELOやALEXやwellgoなども合いそうにない。ヤフオクで調べてみると、とんでもない高値である。そこでwellgoのペダルを買った。左右セットで250g、MTB用のハイブリッドペダルである。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月27日 21:45 | 固定ページリンク




血を引く  | 一考    

 リンパ球サブセットとFlow PRAの検査は女子医で行われる。血液検査と点滴静注は一緒にできるのだが、わたしの場合は採血室と処置室(点滴、注射、吸入などを専門とする)なので、毎日複数の穿刺が行われる。
 腎不全によって血管の硬化が目立つ、その硬化によって高血圧となり、注射針は素直に刺さってくれない。腕は無理なので手首もしくは甲の血管を用いる。一方、処置室の看護師は穿刺のプロである。一度刺した以上は、例え血管が採られなくても簡単には抜かない。ぐりぐりと血管を探して針を動かすことになる。
 今回は二日連続で血管を抜いてしまった。刺した瞬間にそのことは分かるのだが、わたしは黙っている。いずれ探し当てるかもしれないからである。穿刺の成功を「血を引く」と云うが、なかなか血が引かれない。やがて看護師は申し訳なさそうに、遣り直しますねと云う。通常、一人の看護師は1回の穿刺で終わる。失敗した場合、2回目は他の看護師に変わる。ところが、同じ看護師が続けると云う、根性がある。こういう看護師がわたしは好きである。何度失敗してもかまわないから頑張れよ、と思う。
 わたしの手首は内出血で痣だらけになった。しかし、毎度のことなので、気にはならない。人工透析の穿刺を思えば、こんなものは痛みに這入らない。

 それにしても、ひどい処置室だった。腎不全、糖尿、石灰化、火傷による皮膚移植等々、血管を採りにくい患者ばかりがつづく。こんな日の看護師は可哀想だなあと同情する。

追記
 血液検査は項目によって2000円から数十万円まで、検査結果が出るまで一日から一箇月までいろいろである。
 以下は関さんに。日本におけるCTの導入は東京女子医科大学病院に設置されたのがはじまり。単純CTに対して造影CTがあり、わたしが受けた特殊な造影CT撮影法としてダイナミックCTがある。CTと云ってもX線CT検査に止まらない。ポジトロン断層法(PET)や単一光子放射断層撮影(SPECT)等が含まれる。X線CTとMRIはなんども受けたが、消化管疾患が中心となったので、わたしの場合はMRIよりもCTが有用となった。MRIにはさまざまな核磁気共鳴画像法があって、撮影時間から造影剤までいろいろ。血液検査同様、値も2000円から数十万円まである。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月25日 09:09 | 固定ページリンク




なぎさ食堂  | 一考    

 引っ越しに具えて食料品を減らしてきたが、改めて買い出しに行かなければならない。三郷市を商圏にもつ市場に松戸南部市場がある。関連棟、水産棟、青果棟、花卉棟の四部門からなり、青果部を除いて一般の入場、買物が可能。ただし、ほとんどの店舗が午前中のみの営業となっている。毎週行われる鮪の解体ショーと日向鶏が人気。素晴らしく安価かつ品数が揃った市場である。神戸の湊川市場と似ていなくもない。

 松戸南部市場にも結構な鮨屋や食堂がある。今日は石川の鯵刺身を購入、こちらは千葉の近海物ばかりで、日本海産の鯵は珍しい。それはそれとして、出来合いで食するのは寿司ぐらいなものである、もっともわたしが食べる寿司は8個399円である。先日、関さんと幹郎さんが自転車を取りにこられた。その御礼にと行きつけの回転寿司へ出掛けた。1660円の高級寿司だが、イクラや数の子は当然食べられない。ウニも駄目なのだが、積丹半島のなぎさ食堂を偲ぶよすがとして頂戴した。なぎさ食堂は当掲示板「ホテル地の果」で紹介している。
 腎臓を移植したにもかかわらず社会復帰はならず、病院詰め。15箇月で7回入退院を繰り返し入院日数は90日を超える。それが理由で今年は北海道へ行かれなかった。ひょっとすれば、来年は幹郎さんと行くことになるやもしれず。
 その幹郎さん来訪、ドアを開けてまず顔が白くなった、ですぺらの頃は真っ黒な顔だったと。末期腎不全のせいである。同様に最近太ったと云われたが、こちらはリバウンドでなく大量のステロイド剤が原因である。何事によらず、免疫抑制剤の副作用が優先される。しかし、薄志弱行でなくって出来る色は天下にあるものでない、とも云う。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月23日 20:26 | 固定ページリンク




生検の結果  | 一考    

 先々週の入院の結果が出た。生検の病理組織検査報告書は見せてはくれるが原則非公開である。無理を云ってコピーを頂戴したものの、診断医の許可を得ないと公表はかなわない。そしてわたしは女子医の診断医と面識がない、よって病理診断および病理所見は伏せる。要するに、組織学的に抗体関連型拒絶を呈しているようである。
 担当医師松田さんからは年内の引っ越しは遠慮するように云われた。取敢えず、今日明日の二日間、拒否反応を抑えるためにステロイド剤の点滴静注を打つ。いつものステロイド剤である、何度このステロイド剤を打ったことか。薬の詳細も同じ理由で遠慮する。
 通常、移植手術から三箇月経つと社会復帰できるようである。社会復帰とは相応に服用する薬の量も減る。ところが、わたしは既に一年三箇月を経たにもかかわらず、免疫抑制剤は止処なく増え、二箇月前のほぼ倍になった。クレアチニンは1.86、血圧は150、これらは腎機能の拒否反応が理由である。降圧剤はオルメテック30㎎、アテレック10を毎日服用していたが、さらに朝夕アルドメット250㎎を加える。

 書くことは幾らでもあるのだろうが、いささか疲れた。朝七時に拙宅を出て、帰ったのは五時半、久しぶりに高速道路(外環)を使った。

追記
 明日は点滴静注の前にリンパ球サブセットとFlow PRA(フローサイトメーターによるHLA抗体測定)の検査がある。ステロイド剤の結果説明は11月11日。
 サイトメガロウィルスpp65抗原定性の保険点数は426点、一口で血液検査と云ってもピンからキリまである。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月21日 20:20 | 固定ページリンク




意識喪失  | 一考    

 一昨夜、久しぶりに意識を喪失した。食器洗いをしながら調理をしていたのだが、少々量が多く、危ないなあと思いつつ一気呵成に洗っていた。途中で腰が痛くなったのは分かっていたが、毎度のことと気にしなかった。吹き出る汗にも気付いていたが、このところの気候の温暖さが理由とこちらも気にしなかった。それにしても、蒸し暑いなと独りごちながら、頑張っていた。その内、この汗が冷や汗なのに気付いた。しかし、時既に遅かった。ガスを止め、水を止めるのが精一杯、崩れるようにその場に倒れ込み、それきりになった。
 目覚めたときは全身びしょぬれ、タオルで顔と頸を拭って惘れ返った。どうしてもう少し手前で気付かなかったのか、と。時間にして30分ほどと思う。昏倒でなく、謂わばプチ失神である。プチと書いたのは、このところ病院内で何度も失神した。毎回心臓マッサージがサービスで付くようだが、後から訊くと大体1時間強ほど気を失っているようである。本人は10分か15分と感じているのだが。
 最中にどのような夢を見たのかは分からない。ただ、目覚めたときに無性に腹が減っていた。もっとも、空腹を感じはしても、食べられるものではない。それにしても、随分と健康的な失神でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月08日 19:23 | 固定ページリンク




無料の本箱  | 一考    

 拙宅の本箱が不用になった、必要な方のご連絡をいただければ幸いである。昨今流行りの合板なら反ったり割れたりするが、白ラワンの一枚板で頑丈なことこの上ない。板代だけでも一本7〜8万円はするが、当然、無料である。
 昔、実家を出て、明石の一軒家を借りた折に拵えた。幅は90センチと100センチが22本あって、床から天井まで8段。収納を最優先に考えたので、奥行きは16.5センチ、格段の高さは最下段を除いてA5判に合わせている。
 木造家屋とマンションでは高さがまるで違う。で、現在はマンションに住んでいる。従って、若干寸を詰めた。11月の引っ越しの折に棄てることになる。出来るだけ迅速なご連絡をお願いする。
 本箱は一本、二本でも可能、好きなだけ引き取っていただければありがたい。

 連絡先048−954ー7170(引っ越しと同時に電話番号も変わります)


投稿者: 一考      日時: 2013年10月06日 01:35 | 固定ページリンク




好転せず  | 一考    

 moonさんから最近掲示板への書き込みがないねえと云われた。書き込みがないと云うことはその後の進展、好転がなにもないのである。体調はそのまま、血液検査にも変化が出ない。引っ越しも転院もストップがかかったまま、なにも出来ないのである。
 今回の腎生検も転院するための根拠なり理由が見付からないかとの医師の厚意の表れであって、あちらさんも大変なのである。月曜日の入院の日、先に外来の窓口へ赴いて血液検査を申し込んだのだが、現状ではなにも変わらないと断わられてしまった。
 もっとも、ヘモグロビン値だけは若干好転している。慢性の貧血と高血圧(常に140を超える)はどうにもならないが、平均値7だったヘモグロビンは9前後を行きつ戻りつしている。下血がなく、サイトメガロウィルスがおとなしくしているだけでも気は休まっている。

追記
 降圧剤のオルメテックを30ミリ、一箇月以上服用しているがまったく血圧は下がらない。とは云え、服用量をさらに増やすわけにいかない、さてどうしようか。


投稿者: 一考      日時: 2013年10月02日 20:08 | 固定ページリンク




注射針の種類  | 一考    

 腎生検で入院。いつもは2回の穿刺で済むのだが、今回は四回、最初の2回は針が曲がってしまった。曲がった理由は腎臓の表皮が硬くなったからである。穿刺針は16Gの極太である。
 ちなみに、ネット検索してみると、腎生検の入院期間は平均6日、費用は3割負担で6、7万円ほどである。わたしの場合、今回が三度目の腎生検だが、毎回一泊、費用は前回が28000円、今回が29000円である。
 今回はいつものように気分爽快とは行かなかった。術後二日目、要するに昨日は終日痛みが残った。いまだに止血テープを貼ったままである。

 腎生検に用いる穿刺針は二重構造になっていて、内側の針は先端付近が1cmほど削って凹んでいる。この針がバネ仕掛けで腎臓に刺さった次の瞬間に外側の針が中の針を包むように進む。凹んだ部分の組織が切り取られて、細紐のようになった腎臓が採取される。穿刺針には1cm間隔で目盛りが描いてあり、エコーで計った腎臓の深さに合わせる。
 引っ越し先の新しい病院(病院名は伏せる)では腎生検で動静脈瘻(腎臓のなかにある動脈と静脈がつながってしまうこと)を合併し患者が死亡している。情けない病院である。

針のサイズ 外径 色
14G 2.1mm  pale green
15G 1.8mm  blue grey
16G 1.6mm  white(人工透析用)
17G 1.4mm  レッドバイオレット
18G 1.2mm  ピンク(輸血用)
19G 1.1mm  クリーム
20G 0.9mm  黄
21G 0.8mm  深緑(筋肉内注射)
22G 0.7mm  黒 (採血・静注)
23G 0.6mm  deep blue(皮下注射など)
24G 0.55mm  medium purple
25G 0.5mm  オレンジ(予防接種,麻酔・鎮静)
26G 0.45mm  茶色(ツベルクリンなど)
27G 0.4mm  medium grey(皮内用)
28G 0.36mm  青緑
29G 0.33mm  赤
30G 0.3mm  黄 (インスリン用)

透析時の針の太さと血流の限度を考えると、
17Gでは、180ml/mまで
16Gでは、250ml/mまで
15Gでは、350ml/mまで  
となっている。要するに、穿刺針は太いほど効率が良い。

 http://blog.livedoor.jp/aki684210/archives/cat_50045887.html


投稿者: 一考      日時: 2013年10月02日 07:00 | 固定ページリンク




国保の地域差  | 一考    

 前項の松山さんの件だが、生活保護を受けると医療費は無料になる。そのようになさっていると掲示板に書かれている。ただしこの無料はわたしが受けている更生医療同様、健康保険対応の治療に限られる。一部の免役療法や高度医療はおろか、無菌室の使用も不可能である。なぜなら無菌室は個室になるので保険に対応しない。
 産婦人科、歯科、介護医療の三分野では混合診療が当り前だが、それ以外の科目にあっては法律で混合医療が禁止されている。患者の生命を重視して違反を承知で混合診療を試みる医師もいるが、ごく一部である。

 余談だが、国民健康保険は、疾病、負傷、死亡等に関して療養の給付等の保険給付を与えることを主たる目的として設けられた社会保険制度である。ただし、国の管轄でなく、市町村および特別区が運営している。したがって、給付内容はそれぞれの地方自治体で異なる。詳しくは書かないが、埼玉県は国内でもっとも給付内容が手厚く、それと比して東京などはかなり冷遇される。国保の地域差については医師がもっとも詳しい。


投稿者: 一考      日時: 2013年09月29日 06:58 | 固定ページリンク




体重と免疫抑制剤の量  | 一考    

 血液検査の結果、ヘモグロビンは据置、クレアチニンが悪化、同じくアルブミンと尿酸値が悪化、セルセプトは検査中だがタクロリムスは下がりすぎ、それ故、免疫抑制剤を増やすことになった。この数箇月で薬の量はずんと増えた。
 腎臓悪化の理由のひとつに体重の増加がある。65キロのドライウェイトが今年3月の入院時、55キロまで減った。それをさらに50キロにまで減らすように云われていたが、退院後リバウンドしてしまった。体重が増えればその分腎臓に負担がかかる。当然、血圧も高くなり、薬の量も増える。諸悪の根源である。
 折角減った体重をなぜ元に戻したのかと叱られた。もう一度、50キロを目指して努力すべしと云われた。食事の絶対量は少ない、それ故、回数を減らすしかない。禁食には慣れているはずである。

 今月30日の生検の結果だが、女子医でカンファランスの結果が出るのは10月28日だそうである。月曜日はほとんど病院なので、21日にでも判明すれば引っ越しだと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2013年09月14日 15:21 | 固定ページリンク




悲しいお知らせ  | 一考    

 大腸癌が厄し穿孔、大腸の全摘手術。血栓が理由で左足が壊死し、切断。嚥下機能をなくし、胃瘻を施される。
 当掲示板でも書いたが、点滴で得られるカロリーは「ハイカリックNC-L輸液(480カロリーのビタミン入り栄養剤)、イントラリボス(脂肪乳剤)」ぐらいなもの、最大でも800カロリーが限界と聞く。わたしの場合、二箇月に及ぶ入院だったが、最初の一箇月で体重は10キロ以上減った。聞くところによると、内科とリハビリが専門の三軒茶屋の病院へ転院、奇跡的な恢復で会話も可能とか・・・松山さんが現在置かれている状況である。
 詳しくは以下のアドレスを。
 http://matsuyamainukai.blog.fc2.com/


投稿者: 一考      日時: 2013年09月04日 14:17 | 固定ページリンク




越谷の竜巻  | 一考    

 昨日午後、越谷の県税事務所へ出掛けた。恰度竜巻発生の時間で、かなりの負傷者が出るなと思ったが、案の定64名のけが人が生じ、内3名が重傷だったようである。ニュースでは竜巻と思しきものもしくは突風と表現されていたが、完全な竜巻である。ただし米国のごとく、大型のトレーラーが根刮ぎ巻き上げられるようなトルネードとは比しようもない。

 病院の未払い金、自動車税、介護保険、健康保険等々、合わせて40万円の支払いを済ませた。さて、田原総一朗の妻は2人とも同じ乳ガンで亡くなっているが、彼が混合診療を認めろと言い続けている理由はそこにある。妻の診療費は保険診療で月10万円ほどだった、ところがある日、アメリカ製の抗癌剤を服用した途端にその10万円に保険が適応されなくなって100万円に跳ね上がった。もちろん自由診療分は別口である。
 荻原博子が混合診療はよろしくないと異議を挿んでいたが、田原総一朗は非論理的なことを口にするなと一喝。思うに、病気に罹ったひとでなければ理解できない種類の消息なのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2013年09月03日 16:33 | 固定ページリンク




薩摩焼  |   一考

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 写真は野崎錦正さんの作品、薩摩焼である。作品と一緒に「薩摩焼のしおり」が投げ込まれている。おそらく他の薩摩焼にも同じしおりが添付されているものと思う。
 文中、薩摩焼には「白もん」と「黒もん」がある。その二種はそのまま用と美の両面を表現しているとされるが、用と美の意味はそういうものではないだろう。用と美と云うように、対立的概念として捉えるから話はおかしくなる。柳宗悦が唱えたのは「用の美」であって「用と美」ではない。民芸運動を起こした先人の文言を恣意的に改竄するなど以ての外である。

 「白もん」とよばれる白い細かな罅り(貫入)の這入った陶磁、植物の宝石と云われる錦蘭(斑入りミヤマウズラ)の美麗な上絵はことのほか気に入っている。本品は蔓が右巻きゆえ野田藤だと思うが、折角の陶磁がつまらないしおりで台無しにされるのが忍びがたい。


投稿者:   一考  日時: 2013年08月20日 16:26 | 固定ページリンク




アイドル  | 一考    

 アイドルとの言葉の誕生はもう少し前だが、一般に遣われるようになったのは70年代に這入ってからである。「スター誕生!」(1971年10月3日 - 1983年9月25日)で阿久悠と中村泰士がはじめて用いた、と中村泰士が後年述べている。それはさておき、昨日まで素人だった小中高の生徒にある日突然スポットが当てられるわけである。小中高生が目指す生業の一位にアイドルが君臨するのは已むを得ない。
 往事、スターを目指した朱里エイコ、前野曜子、しばたはつみが思うほどに持て囃されなかったのは彼女たちの歌唱力が卓越していたからである。アイドルは根が素人であるがゆえ、適当に踊れて歌えて演じられれば良い。例えばモーニング娘は傑れたエンターテイナーだが、AKBは大島、板野を除いて素人集団である。その素人っぽさが、持て囃される唯一にして最大の理由である。
 繰り返すが、疑似恋愛の対象にできる親近感こそがアイドルの真骨頂である、それ故アイドルに図抜けた才能は不用である。ハロー!プロジェクト(モーニング娘、Berryz工房、Buono!、℃-ute)とAKBグループはアイドル養成機関、それを除けばももいろクローバーZ(有安杏果のダンスは傑出している)、BABYMETAL、私立恵比寿中学、SUPER☆GiRLS、でんぱ組.inc、9nineぐらいなものであろうか。所属事務所の組織力が最終的にはものを云う。これまでアイドルに興味を持たなかったファン層を取り込むコンセプト‐アドが大切である。

 わたしはアイドルよりもアングラ、安田南や山崎ハコが好みである。

追記
 ダンス&ボーカルユニットのE-girls(Dream、Happiness、Flower)は外せない。ダンス技術の正確さと表現の美しさで他の追随を許さない。ちなみに、AKBグループではSDNが一頭地を抜いていたが敢えなく解散、歌やダンスの技術よりも若さが優先される。浮世風呂(ソープランド)で年増がいかにテクニックを駆使しようが10代の女性にはかなわない、それと同じである。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月19日 00:40 | 固定ページリンク




傍迷惑  | 一考    

 無用のことを書くなと古書店主から叱られた。古書マニアで当掲示板を読まれる方がいらっしゃるようである。読むのは勝手だが、それを片方の当事者に伝えるというのはいかがなものか。それでなくとも、わたしが売った書物は彼が過去取り扱ったものばかりである。また、どのような買い方売り方をしようが、当方の勝手である。よって前項は抹消する。

 古書店主が来訪なさったのは病院に於ける結果を知りたくてである。彼には掲示板で書かれないことも仔細打ち明けた。1箇月乃至2箇月に一度神戸から戸田までの通院はどうだろうか、と医師から云われたが、彼もその方が良いのではとの意見。それよりも神戸への帰路、まさか自走するのであるまいな、と。彼はどうあっても神戸まで運転を代行するという。
 考えてもいなかったが、それほど危険なことだろうか。先般東京山形間400キロを走ったが、福島県内へ寄り道したため、かなりな道程になった。東京明石間はほぼ600キロ、それほど変わるものでもあるまいに。一番行きたいのは北海道なのだが、遉にそちらは遠慮している。もし行くのなら運転に慣れた方と一緒でなければと思っている。
 このところ薬の量が尋常でない。免疫抑制剤は止められないが、通常の薬は二日ぐらい服用しなくとも、どうこうなるものでない。例えば、アテレックやオルメテックの類である。長距離車に乗る場合はそれぐらいの胸算用は必要であろう。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月17日 15:24 | 固定ページリンク




再入院  | 一考    

 月曜日早朝から戸田中央総合病院で血液検査。慢性の貧血と高血圧、クレアチニンはほんの少し下がって1.68。U-Alb補が23.13H、拒絶反応がひどいようである。U-ALBは尿アルブミン、簡単にいえば尿蛋白のこと。尿中のアルブミン(蛋白)は、尿量による変動があるため、尿クレアチニン(Cr)1g当たりに換算した濃度として表わす。しかし、わたしはU-Alb補の読み方が分からない。
 腎移植とアルブミンで検索するとループス腎炎の慴れありと出た。医師は3度目の生検が必要とかで、9月30日に入院することになった。結果が分かるのは早くて10月14日、それまではステロイド剤による積極的治療が必要とか。良きにつけ悪しきにつけ今少し安定しなければ他の医師への引き継ぎができない、と云われた。入院病棟の看護師に引っ越しを伝えたにもかかわらず、またまた雑作をかけることとなる。尋常なら今頃神戸へ引っ越していたはずなのだが。

 2012年01月23日の「更生医療2」のなかで「更生医療に関して戸田中央の事務員は詳しい」と書いた。事務員の名は沼里さん、2012年01月の検査入院のときからの付き合いである。彼女からは実に多くを教わった。
 更生医療の対象には角膜手術、関節形成手術、外耳形成手術、心臓手術、人工透析療法、腎移植術、唇顎口蓋裂の歯科矯正、抗HIV療法などがある。また、更生医療は毎年更新が必要で、その度に医師に「医学的意見書」を著して頂かねばならない。医学的意見書は他病院への紹介状と同じく、戸田中央では2500円、他病院なら5000円から10000円の間である。

 7月末から8月にかけてのステロイド剤点滴静注の治療代を支払ってきた。それは良いのだが、注射代だけで、前述の「医学的意見書」の料金すら加えられていない。これは医師のサービスなのか、それとも事務員の厚情と解すべきなのか。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月15日 00:06 | 固定ページリンク




蔵書捐棄  | 一考    

 書物整理の二日目、4人で午前9時から午後4時まで掛かった。拙宅は1階なのでトラックは横付けできる。それ故2日で済んだが、足腰がかなり痛い。奥平さんによるとわたしが大量に本の整理をするのは6回目なそうな。

 蔵書をすべて売り払って、たったの1冊の本に化けるというようなことが過去2回あった。ものは所有者にとってしか意味をなさない、他人にとっては塵にしかならない。そしてものは塵であるがゆえに、通常死んだときにしか捐棄できない。しかし、それに異を唱えるのが蔵書の整理でないだろうか。変わらない個があり得ないのと同様、変わらない趣味と云うのもあり得ない。ひとが新陳代謝なら書物も同様である。
 今回の代金はことごとくがステロイド剤に変わる。生きている限り、あと数年は飲み続けなければならない薬である。2、30冊は取り置こうと思ったのだが、それらもごた混ぜになってしまい、分からなくなった。まあ、どうでも良いか。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月09日 02:34 | 固定ページリンク




散書  | 一考    

 田村書店主奥平晃一さんとアルバイト2名が本と格闘、2噸ロングに約半分の書物を積んで引き上げた。残る半分は明後日(8日)午後になる。引っ越しの用意が着々と進んでいる。あとに残される本箱の処理を考えなければならない。

 障害者自立支援法第54条並びに第58条の規定に基づく自立支援医療費(更生医療)支給認定通知書が送られてきた。おそらく、当地に於ける最後の通知書になる。このような所で書いて良いものかどうか躊躇われるが、これで混合診療が可能になる。現在投与されているステロイド剤の点滴静注は一本につき15万円で、保険は効かない。
 繰り返すが、免疫療法や高度医療を学んだごく一部の医師は医師会の方針に反対している。現行の医師法を遵守すれば患者を見殺しにすることになる。移植なんぞ到底叶わないからである。

 前項でワクチンも免疫療法と書いたが、免疫抑制剤を服用する患者は、必要に迫られてさまざまなワクチンを自費で注入している。5年に1回というようなワクチンもあるが、毎年10万円を軽く超える金額のワクチンを投与している。なぜ、このようなことを書くかと云えば、このところ乳癌をはじめワクチンに要する費用は国が負担すべき、もしくは副作用の責任を国が取るべきなどと云う暴論が罷り通っているからである。
 ここで大書すべきは、予防治療は原則健康保険の対象にならないということである。例外はいくらでもあるが、そこは医師会の匙加減、ご都合主義によるものである。子供から大人まで、ワクチンは病気の予防であるからして保険適応外、当然自己責任に於いてなされるべきである。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月06日 16:19 | 固定ページリンク




前項の写真  | 一考    

 スポーツカーの生産を行なうオランダの自動車メーカー「ドンカーブート・アウトモビーレンB.V. 」の最新モデルD8GTOである。心臓部には、アウディの直噴2.5リットル直列5気筒ガソリンターボ「TFSI」エンジンが収まる。同エンジンは『TT RS』用をベースに、最大出力を340psから400psへチューニング。45.9kgmの最大トルクは、1600rpmという低回転域で引き出される。D8GTと比してエンジン自体も30kgの軽量化が施されている。
 ドンカーブートの伝統で、車両重量は約700kgと非常に軽量。その効果で、0-100km/h加速3.0秒、最高速255km/hという優れたパフォーマンスを実現する。当然、アンチロック・ブレーキ・システム、横滑り防止装置、トラクションコントロールシステムなどの電子式車体制御機構を装備しない。ケーターハムの「ロータス7」の血を引く、松友さん好みの車である。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月05日 08:45 | 固定ページリンク




前輪駆動車(FF)若葉マーク  |   一考

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 ダッシュボードのハザードランプが点きっぱなしである。ハザードランプ自体が点いているわけではないので車の運転に支障はない。ランプの接触不良と云った単純な問題ではない。メーカーでなければ正確な理由は分からないが、おそらくトラクションコントロールに原因ありと見た。
 で、そのトラクションコントロールに悩まされている。トラクションコントロールは自動車の制御機構の一種で、発進・加速時のタイヤの空転を防止する装置。ボルボは古く1986年から開発が進められ、1991年6月に850シリーズにはじめて標準装備された。ABSの制御を利用して行われるタイプだった。
 日本ではレガシィ2代目 BD/BG系(1993年-1998年)のGT-BおよびRSのMT車は、一般量産2.0L車としては世界で初めて最高出力280psに到達、FF車としては初のTCS(トラクションコントロールシステム)が設けられた。

 わたしは今まで後輪駆動車(FR)にばかり乗ってきた。前輪駆動車(FF)に乗ったこともあるが自然吸気だけだった。今回はじめてFFのツインターボに乗ったわけだが、これが難儀な車である。わたしには発進時にアクセルをベタ踏みする悪い癖がある。その度々に駆動輪が空転、周章ててアクセルから足を開放する。アクセルペダルの踏み込みを細かく調節して空転(ホイールスピン)を防止しなければならないのである。ボルボの場合、徹底的にトラクションコントロールでパワーダウンを計っている。
 大パワーだとFR有利、小パワーはFF有利となるのだが、今の技術レベルだと、ボーダーラインは一般車で車重1トンあたり160馬力。レーシングカーが1トンあたり300馬力程度だと言われる。このレベルを超えると、FF車はホイールスピンにより十分な駆動力を伝えることが出来なくなり、下回るとFR車の価値が薄れていく。
 要するに前輪駆動車の運転にわたしは慣れていない。FF車は普通は全てトランスアクスルになるので、デフとミッションは一体構造だし、プロペラシャフトもない。後輪なんぞドライブシャフトもなく転がってるだけである。況んや直列6気筒が左右のタイヤハウスを浸食し、回転半径はとんでもなく大きい。糅てて加えて俊敏な加速をするようなレーシーな走りは行えない。はてさて、どうしたものだろう。

「自動車を物理する」のアドレスは以下のごとく
 http://phys.dip.jp/cars/practice/


投稿者:   一考  日時: 2013年08月04日 23:43 | 固定ページリンク




ステロイド剤の大量投与  | 一考    

 免疫抑制剤を併用してステロイドの量を極力少なくする方法が最近では主流になりつつある。それほどにステロイド剤の副作用ははげしい。感染症:ウイルス、細菌、真菌、原虫、寄生虫などによる感染症の誘発または感染症の徴候隠蔽、感染症悪化、もしくは胃腸穿孔、消化管出血、消化性潰瘍、胃腸穿孔、消化管出血、消化性潰瘍が顕れる。
 このところ、拒否反応を抑えるためにステロイド剤の点滴静注が続いている。拒否反応は少なくなるもののサイトメガロウィルスが暴れだし、潰瘍性腸炎再発の可能性が高くなる。拒否反応と下血とはわたしにとって一枚のコインの裏表である。
 便潜血のチェックを繰り返し、異常が認められた場合にはステロイド剤投与を中止しなければならない。ちなみに、便潜血検査は大腸がんの発見を主な目的とした検査である。
 潜血が仮に陽性になれば大事である。またまた内視鏡検査、入院、下血となる。それゆえ、食事にも万全の注意を払っている。クレアチニンは1.81で静止したまま、12日まで無事に過ぎゆけばステロイド剤を減らすことができるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月03日 23:42 | 固定ページリンク




最悪のコマーシャル  | 一考    

 アサヒビールのCMでプリン体オフのビールを飲むにウインナを大量に食べるシーンがある。「ソーセージ」篇というらしいが、普通のビールを飲んでも良いからウインナを食べるのは止めろと云いたい。
 プリン体オフのビールを必要とするひとは痛風を疾んでいる。そして痛風患者は高尿酸血症である。従って、プリン体含量の高い食品やアルコール飲料の摂り過ぎに注意しなければならない。同CMの制作者に病気に関する知識はまったくない。何のためのプリン体オフ、糖質オフなのか、少しは考えていただきたい。もっとも、責任はメーカー側にあるのだろうが。


投稿者: 一考      日時: 2013年08月03日 21:02 | 固定ページリンク




日々の支払い  | 一考    

 血液の検査詳細情報は多少読めるようになった。しかし、診療明細書の点数の読み方はわたしには分からない。そこで直近三箇月の医療費概算額算定表を事務員に拵えていただく。外来診療料(再診)700円、免疫抑制剤等150000円、尿・血液検査等12000円、特定薬剤治療管理料4700円、合計167400円。これは平均であって、拒絶反応により投薬変更があれば金額も変化する。
 167400円は毎月の維持免疫抑制療法の費用で死ぬまで継続される。この費用のみ、国保の更生医療によって2500円に引き下げられる。引き下げ料金は個々の収入によって異なる、高額医療費の減免金額の異同と同じくする。わたしのように収入の途絶えた者に課せられる最低金額が2500円なのである。ただし、更生医療の対象は維持免疫抑制療法に限られる。他の疾病は通常の三割負担になる。
 サイトメガロウィルスに起因する潰瘍性腸炎の内視鏡検査、下血に用いる薬剤やステロイド剤、輸血、入院費などは維持免疫抑制療法の範疇だと思うのだが、しっかりと別途料金を請求される。維持免疫抑制は国が面倒を見るが、感染症で死ぬのは罹った者の勝手であってそこまでの面倒を国は見ない。どうしても病を癒したいと自由診療を取り入れる患者は金持ちと判断して遡って保険診療を取り消されるのである。
 維持免疫抑制療法であれ、潰瘍性腸炎に用いる薬剤であれ、保険で対応しない薬剤があって、それらは自由診療となる。自由診療の免疫抑制剤、ステロイド剤の薬価は保険診療の同剤とほぼ同じ価格(150000円)である。自由診療の場合は全額、保険診療の場合は原則3割(3割で収まる筈はないが)である。

 TPPのデメリットのひとつとして、遺伝子組み換えの規制緩和により食の安全が脅かされる、と云うのがある。ところが、遺伝子組み換え技術の発達に呼応する形でさまざまな抗癌剤や免疫抑制剤が誕生してきたのも事実である。とりわけ、ステロイドの人工合成品はステロイド剤と称して医薬に広く応用されている。
 TPPの実体は何ひとつ顕にされていない。賛否どちらにせよ、現状では拙速かつ浅薄は逃れ得ない。従って、わたしは自身が深い関わりを持つ免疫療法に限って話している。少なくとも、免疫療法に於ける混合治療はどうあっても解禁しなければ、医療格差が際限なく広がってゆくと思われる。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月30日 17:31 | 固定ページリンク




自由診療と保険診療  | 一考    

 昨夜、TBSの報道の魂「光と音を失った女子大生」の放送があった。某大学生が体中の神経に腫瘍ができる難病、神経線維腫症2型を発症、一昨年秋に聴力を、昨年春には視力を失い盲聾者となった。月に1回抗癌剤アバスチンの点滴治療を受けるも、彼女の病気には保険が適用外のため、1回の治療で15万円の実費がかかる、と番組で紹介されている。
 その後「2006年4月21日、中外製薬が製造販売承認を厚生労働省に申請し、翌2007年4月18日治癒切除不能な進行・再発の結腸・直腸癌の治療薬として製造販売承認を受ける。2013年6月14日には初発の悪性神経膠腫(グレード3、4)を含む悪性神経膠腫に対する効能・効果、用法・用量追加の製造販売承認を取得」となった。
 放映の前月にアバスチンは保険対応となった。初発でも再発でも悪性神経膠腫であれば保険診療で使用ができる。医師、看護師、薬剤師がこの薬剤の使用に関して十分な知識を有することが条件となる。保険診療が認められても薬剤費だけで月に数十万円ゆえ、高額医療費の対象となる。自己負担額は患者の年収によって異なるが、一般的な3割負担の患者で、外来では毎月8万から10万円ほどの負担となる。

 「混合診療の解禁により、国保制度の圧迫や医療格差が広がるのを危惧する」というのがあるが、これは既得権の権化たる医師会の意見でしかない。この場合の「医療格差」がなにを意味するのかわたしにはさっぱり分からない、おそらくどなたにも分かるまい。
 それにしても目が見えず耳も聞こえない盲聾者とは筆紙に尽くしがたい。外界との一切の接点が失われるのである。今回の厚生労働省の製造販売承認は快挙である。すべての高度医療、免疫療法が等し並みに保険診療として扱われるようになればなにも云うことはないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月29日 22:14 | 固定ページリンク




生検の結果  | 一考    

 生検の結果が出たが、実状は惨憺たるものである。冗談だろうが、入院しますかと訊かれた。サイトメガロウィルスが陰性反応なので、問題は激しい拒否反応である。ならば外来で処理してくださいと懇願する。
 免疫グロブリンの点滴は280万円、ステロイドの点滴なら1本につき、18万から15万円。ソル・メルコートなら保険対応で、わたしの場合は1本2500円である。いずれにせよステロイド点滴治療のため、3日ほど戸田中央へ通わなければならない。例によって、わたしの予算は一回につき15万円以内である。
 今日の診察を最後にして神戸へ引っ越すつもりだった。医師はこの状態での転院はとても認められない、と云う。8月12日に点滴の結果を確認、その後の治療を考える。このような状況を想定していなかったため、持ち合わせがない。知己に連絡して用立てていただこうかと思ったが、事務員が付けにしておけばと仰有る。「かかりつけの医者」はあっても「つけが利く病院」はおそらくあるまい。親しくなると素晴らしいことが起こる。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月29日 21:23 | 固定ページリンク




電脳選挙  | 一考    

 わが国の投票形態は任意投票制である。一方、世界には30箇国に及ぶ義務投票制の国があって、なかには罰則適用の厳格なウルグアイ、キプロス、オーストラリア、シンガポール、スイス、ナウル、フィジー、ベルギー、ルクセンブルクなどがある。違反者に対する罰則は罰金、入獄、選挙人名簿からの抹消など多様である。
 例えば、オーストラリアでは正当な理由なく投票しなかった有権者に対する罰金は約1800円、罰金の支払い要求に応じず起訴されて裁判で有罪となると約4500円の罰金が課せられ、加えるに裁判費用の負担も要求される。よって、オーストラリアにおける投票率は95%ほどを維持している。ルクセンブルクでの罰金はさらに高額で、初回は約13000円、6年以内に再度棄権すると約13万円と跳ね上がる。
 投票義務化への反論の主たるものに、「多数者による統治は民主主義の原則ではない」と云うのがある。曰く、民主主義の原則は全会一致まで合意形成を迫る政治意思の調整であり、「自由権」を前提にするのが民主主義である。従って、「投票を強制されない自由」を蔑ろにする義務化は民主主義に反する。
 しかし、投票する自由があれば投票しない自由もある、との対極的考え方には無理がある。自由権を如何に弁証させようが、投票するしないは対置されない。要するに、白票ならまだしも、棄権はなんらの意思表示にもなり得ない。わたしに云わせれば、棄権の実体は単に面倒なだけであるまいか。仮に棄権者が「投票しない自由」を口の端に掛けたとたん、それは詭弁になる。いずれにせよ、任意投票制と義務投票制にはそれぞれ一長一短があって、簡単に結論は得られない。

 今回からネット上の選挙活動が解禁された。今後徐々に投票率は上がるだろうが、いささかの危惧を孕んでいる。理由は岡田斗司夫さんが云う「イワシ化」である。群れるのが好きで、みんなが見るものしか見ない、みんなが選ぶ投票先しか投票しない。すなわち、与野党に関係なく、人気筋に集中する。好き嫌いが思惟の過多を占め、視座は固着され、視力は簡素化されて単眼となる。ネットの怖さはそのようなところにある。

 混合診療の解禁を口にするふたつの政党のうち、脱原発を公約に掲げたのはみんなの党。わたしの選挙区は埼玉ゆえ、行田邦子さんに投票した。ちなみに三郷は市議選も同時選挙だったが、わたしはそちらに詳しくない。よって、みんなの党へ投票しておいた。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月21日 23:40 | 固定ページリンク




潰瘍性腸炎  | 一考    

 前項で「自己免疫疾患による潰瘍性大腸炎の治療にも免疫抑制剤が必須である」と書いた。ここで問題になるのは潰瘍性大腸炎は医療費助成の対象だが、潰瘍性小腸炎は対象にならないようである。大腸より小腸の方が難儀な病なのだが、如何せん類例が寡なすぎる。流行病と違って難病が保険の対象になりにくいのと理由は同じである。
 わたしの疾患は大腸から小腸へ這入って10センチから20センチの箇所。医師の匙加減でどうにでもなる箇所である。もっかのところ、祥いにも自立支援医療(更生医療)の対象になっている。ただし、病院が変わればどうなるか分からない。この辺りの法がどうなっているのか、わたしには良く分からない。

 05月28日の「最後の入院」で夫婦間の生体腎移植について書いた。わたしを中心に著してしまったので誤解が生じるといけない、若干補足しておく。
 出産を経験した妻の体内に、夫に対する強い抗体が残り、それが激しい拒絶反応になる、と書いた。繰り返すが、夫の遺伝子を受け継ぐ子を妊娠することで、妻の体内に夫に対する抗体が作られるのである。良人がレシピエントで妻がドナーの場合は大した問題にならない。しかし逆の場合、すなわち妻がレシピエントで夫がドナーの場合、移植はすこぶる難しくなる。このようなところにも男女格差が生じる。女性は随分と損な存在である。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月11日 23:14 | 固定ページリンク




TPPと混合診療解禁  | 一考    

 前項で「免疫療法は自由診療分が加算されるのでこの限りでない。わたしの場合、点滴一本分で10万円から18万円、さらに体重比で300万円ほど掛かる」と書いた。現行法では混合診療が認められていないので、一部に自由診療を取り入れると、遡ってすべての診療が健康保険の対象外となる。要するに前述の40万円は133万円に、80万円は270万円になる(3割負担の場合)。
 TPP反対論者の意見だが、医療費の高額化によって差別化がはじまると云うのがある。ついこの間、知己からも云われたが、勘違いも甚だしい。高度医療は結果として高額医療であって、昔も今も受けられるひとがいれば、受けられないひともいる。そして混合診療の禁止が医療費をとんでもない高額に引き上げている。
 例えば歯科医にあっては混合診療が認められている。大都会には保険診療を受け付けない歯医者もいるが、多くは保険診療と自由診療を併用している。保険対応の部分入れ歯はクラスプだけだが、他にもコーヌス・テレスコープ、スマイルデンチャー、シリコーン、ホワイトクラスプ、アタッチメント義歯などがあって、すべて保険外だが、患者は懐具合と相談の上、適宜利用している。わたしは保険対応のみの治療だが、それを医師が差別することはない。
 要するに、歯科医院の場合、患者はさまざまな治療を選択することが可能である。ところが、歯科医院以外の病院や診療所にあって自由診療を一部でも取り入れると、それ以外のすべての診療が保険の対象外となってとんでもない金額を請求される。「医療費の高額化による差別化」が行われているのは現在であって、TPP締結によって混合診療が自由化されると医療費は廉くなり、ひとつひとつの治療は患者が納得した上で選択できるようになる。

 歯科医はともかく、免疫療法のごとくそれしか治療法がない場合が困るのである。例えば大腸癌と膵臓癌の抗癌剤は同じ物だが、大腸に用いる場合は保険対応で、膵臓に用いる場合は保険外になる。わたしが毎日用いている免疫抑制剤は全身性エリテマトーデスには保険対応だが、臓器移植がもたらす拒絶反応の抑制に用いる場合は保険対応外となる。
 現行法下で混合診療を受けようとすると、ふたつ以上の病院を往き来しなければならない。入院中にこの点滴は保険対応外すなわち自由診療ですがと云われると、直ちにA病院からB病院へ移り、そちらで点滴を済ませてA病院へ戻ることになる。すなわち、保険診療専門の病院と自由診療専門の病院とを別けて考えなければならない。そのようなことは現実には不可能に近い。
 過日、クレアチニンを1.2に戻すための免疫抑制剤が300万円ほど掛かるがどうするかと問われて断わった。移植した臓器や組織に対する拒絶反応に限らず、自己免疫疾患による潰瘍性大腸炎の治療にも免疫抑制剤が必須である。こちらは即刻命にかかわることなどで治療を受けた。共にわたしの自由意思である。
 大きな声では云えないが、一部の医師は内緒で混合診療を取り入れている。そうでなければ臓器移植など端から不可能である。治療はおろか、生命を維持する上で健康保険外の治療が必要な患者は多くいる。そのひとたちにとってTPPは一刻も早く締結されなければならない。難病で苦しみ悩むひとびとを健常者はなんと心得ているのだろうか。感情論に基づくTPP反対なんぞ、糞食らえである。

追記
 免疫療法は副腎皮質ホルモン(ステロイド)剤だけではない、三種混合ワクチンをはじめとするさまざまなワクチンも免疫療法である。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月10日 23:54 | 固定ページリンク




腎生検  | 一考    

 極度の貧血以外さしたる問題はなく、今回の入院は生理検査だけで退院できた。従って一泊である。生検は二度目だが、移植腎の拒絶反応や現疾患(わたしの場合は腎結石)の再発の有無、薬剤の影響などを評価する。
 エコーで移植腎を観察し、局所麻酔を施し、数回針を刺して腎組織を採取する。採取の後は15分間手で圧迫止血、再度エコーで止血確認後、6時間の安静が必要。最初の3時間はテープで圧迫するが、うち1時間は漬け物石を腎臓の上に乗せる。当然、6時間は溲瓶を抱えて我慢しなければならない。
 担当医は神澤さんと石郷岡さん。石郷岡さんとは臓器移植についてずっと喋っていた。参考になることが多かったが、いろいろ觝触するところがあってこちらでは触れられない。
 組織採取の針は人工透析のそれよりも幾分細い、ブロック治療の針とほぼ同じでないだろうか。採取する組織は、太さは鉛筆の芯ほどで長さは1〜2cmくらいである。肥満のため通常の生検用の針が届かない場合は全身麻酔による開放腎生検もある。なお、神戸大学医学部付属病院で2000年5月、腎生検の実施後に芦屋市の男性19歳が出血性ショックで亡くなっている。エコー観察が粗雑で、針が血管に命中したものと思われる。

 序でに、麻酔について一言。手術台に上がるとまず吸入器が口に当てられる。同時に点滴の中に麻酔剤が流される。数秒で麻酔は効くが、必要なあいだずっと麻酔剤は注入され続ける。注入を止めると10分ほどで目が覚める。
 麻酔が効くと自発呼吸はできなくなる。従って気管に深くチューブが挿入され、人工呼吸器が動き始める(調節呼吸)。チューブが挿入されると口腔はからからに渇く。何度も書いているが、この衝撃で鼻炎がすっ飛んでしまった。冗談だが、全身麻酔は慢性鼻炎の特効薬でないだろうか。
 入院費は一泊だったので26020円(うち食費420円、減額認定証によって1食210円)で済んだ。単純計算だが、一箇月の入院だと30万から40万円ほど、前回のように二箇月だと60万から80万円ほどの費用が掛かる。当然、高額療養費の規定によって自己負担金は軽減される。
 ただし、免疫療法は自由診療分が加算されるのでこの限りでない。わたしの場合、点滴1本につき10万円から18万円、さらに体重比で300万円ほど掛かることもあり、こちらは現金払いである。自由診療を受けるか否かは当方の自由である。わたしは一点につき、20万円を超える治療は受けないことにしている。

 朝食に「ご退院おめでとう」のカードと共に、赤飯が添えられていた。赤飯など何年ぶりだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月09日 23:17 | 固定ページリンク




下町のバームクーヘン  | 一考    

 拙宅の根際のスーパーでバームクーヘンのメロン味を買った。夕張の北菓楼や銀座千疋屋のメロン味バウムクーヘンは知られているが、高値に過ぎる。私が買ったのは墨田区太平の乳糖製菓のそれで、兎にも角にも廉い、300グラム299円である。
 スーパーの店員から乳糖製菓の押上店がお薦めだと聞いたが、わたしは如何なる知識もない。ただ食して只管旨いと思った。調べてみると、アップル、シナモン、バニラ、メープル、ココア、紅茶、珈琲、黒糖、チーズ、ヨーグルトバナナ、ヨーグルトストロベリーがあるようだが、メロンはない。見本のような商品だったのかもしれない。
 病院の帰り、久しぶりに鮨が喰いたくなってスーパーへ行くと、5種類のバームクーヘンが売っていたので2種類を贖った。

 浅草、西川口、亀有、北砂、草加、松坂屋パークプレイ、大森、池袋など、いろんなところで売られているようである。廉いものなので、是非お試しあれ。


投稿者: 一考      日時: 2013年07月09日 20:14 | 固定ページリンク




薬剤師  | 一考    

 何度も書いているが、死ぬまで免疫抑制剤を毎日、決めた時間に二度服用しなければならない。わたしの場合は午前九時と午後九時だが、もしも飲むのを忘れると移植腎が壊れ、その日付で透析に舞い戻らなければならない。
 その免疫抑制剤の量が徐々に減っている。グラセプターは4ミリグラムを3.5ミリグラムに、メドロールは4ミリグラムを2ミリグラムへという塩梅。他では尿酸値(正常値は3.0から7.5)が5.0から4.3へ下がったので、ユリノームを服用中止。血糖値(正常値は65から105)は98と、ぎりぎり正常値に収まっている。コレステロールが増えている、よってクレストールを新たに加えた。
 フェリチンは飲み続けているフェロミアが功を奏し、数値(39.4)に改善が見られるが、正常値の下限は55、上限は185である。要するに、貧血自体に好転の気配はない。

 今日はまたとんでもない量の薬を院内処方で頂戴してきた。免疫抑制剤は折々の検査によって量の増減がある、従って院内処方が原則である。ただし、病院によっては院外処方になる、その場合、かなり高くつく。高値になっても薬剤師の管理が必要な場合もある。その理由は出鱈目な処方箋が罷り通る、もしくは患者が内緒で複数の医師に掛かっているなどである。要するに、薬剤師の存在は医師の能力に比例して重要である。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月18日 03:11 | 固定ページリンク




擬き商品  | 一考    

 久しぶりの食パン、それは良いのだが、バターを塗りたくる。ほぼ四年ぶりのバターである。正確にはバター風味のマーガリンだが、実に旨い。やはりパンにはバターである。もっともそのように思い込んでいるだけなのかもしれないが。
 先日、無性にチーズが食べたくなって、スーパーのチーズ売り場の15gのミニプロセスチーズの前で暫し彳んだ。結局買わなかったが、烟草同様、なにかの機みに口が思い出すのかもしれない。
 イタリアのコインの形をしたミニベルパエーゼはわが国では冷蔵のチーズ売り場で陳列されているが、本国では常温で積み上げて売られている。ベルパエーゼはチーズ風味の加工品でチーズではない。
 日本という国は、夥しい種類の食品が店頭に並べられている。一見、豊かな食生活が約束されているかのように見えるが、実態はベルパエーゼのごとし、人工的に味付けされた擬き食品が多いだけなのである。

 この消息は食品に限らない。三郷にも日曜大工の大型店舗があるが、ドライバーが300種類揃っていると豪語する。ところが、そのすべてがプラスとマイナスのドライバーであって、先日紹介したヘクサロビュラは一本も這入っていない。プラスのドライバーなどそれこそ10種類ほどあれば用は足りるのであって、残る290種類はさまざまな形態のドライバーを取り揃えてほしいものである。
 先日、ネットでヘクサロビュラのT10からT40のビットセットを351円で買ったが、送料には代引き手数料が加算される。3000円以上購入すれば送料は無料と記されていたが、それは単に商売であって、応じるほどお人好しでない。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月11日 08:42 | 固定ページリンク




ヘクサロビュラ  | 一考    

 SONNET CRESCENDO/ST G4におけるCPUとヒートシンクとのかしめにはヘクサロビュラ規格ネジが使われている。特殊なネジでその辺りの日曜大工の店では売っていない。当然、専門店ということになる。
 CPUとヒートシンクの取付けになぜ、このようなネジを用いるのか、理由がまったく分からない。外すのにヘクサロビュラ規格のドライバーが必要だからである。
 前述したスイスのPB社は特殊なドライバーならなんでも揃う、それこそ特殊な会社である。もっとも、わが国はビットに関しては怖ろしく傑れている。インチサイズの変形ビットまでほとんど揃う。おそらく車の整備の必要上生れたものと思われる。
 ハーレーは当然としてBMWのエンジンを触るのにインチサイズの工具が必要だった。それよりも、自転車に使われているネジはイギリス、フランス、イタリア、アメリカとすべてサイズ、ピッチから正逆まで異なる。ネジは時計回りに締めるものと思っているとひどい目に遭う。そのことを思えば、パソコンなんぞ、容易いものである。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月10日 15:52 | 固定ページリンク




電圧と電流  | 一考    

 USB接続のLEDスタンドライトだが、アウトプットのDC7V 0.75Aというのは中国規格で、日本国内だとDC5V中心だそうである。「だそうである」ではなく、それがUSB2.0の規格である。
 とにかく電化製品は中国製が多い、わたしが愛用するアップル社のマッキントッシュやタブレットのiPadはじめiPod、iPhoneなどほとんどが中国製である。それは良いのだが、電圧電流に関しては輸出先の規格に合わせていただきたい。
 ヒロさんが随分と調べてくださった、おそらく秋葉原を歩き回ってくださったに違いない。申し訳なく思う。電気に関してわが国は特異な規格をもっている。それとは関係ないが、バッテリーにしても「日の丸電池」は頻繁に火を吹く。二十年前ならいざ知らず、今では韓国製の方がすぐれているようである。

追記
 アダプタを開けてみる。構造は簡単だが、わたしにはさっぱり分からない。抵抗器を換えればなんとかなるのだろうが、無理なものは無理、諦めるしかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月10日 00:08 | 固定ページリンク




サイトメガロ陰性  | 一考    

 一週間前と当日の血液検査評を頂戴する。サイトメガロウィルスの陽性細胞数スライド−1ならびに2は共に0。移植以来、サイトメガロが0になったのは三度目。医師は来週にでも再発するかもしれないなどと慎重だが、陰性反応は嬉しい。いずれにせよ、七月の入院まで再発はないと思っている。
 再開していた雑炊は土曜日でお仕舞い、早速セロリ炒めを食べる。間違いなく高残渣食品である。序でに日本酒を飲む。

 病院の帰途、コンピュエースへゆく。USB接続のLEDスタンドライトを買ったのだが、ACとUSBの変換アダプタがわずか30分で壊れた。そのアダプタを探しに行ったのである。ところがLED用のアダプタはどこを索してもない。小さくは0.5A、大きくても1.0Aが限度、携帯電話やスマートフォンならそれを超えれば本体が毀れる。ところが、ライトには電流が足りない。
 定格を調べると、インプットが0.4A Max、アウトプットがDC7V 0.75Aとなっている。それなら1.0Aで十分な照度が得られる筈だが、うっすらと光るのみ。どうも納得がゆかない。どなたかご存じの方がいらしたらご教示いただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月09日 17:49 | 固定ページリンク




肉醤  | 一考    

 「嘗物2」で「大分県日田市や秋田県横手市で開発された鮎魚醤」と書いた。そして嘗物(なめもの)や醤(ひしお)で検索するとですぺら掲示板がトップページにやってくる。それが理由でさまざまなメールが送られてくる。そのうちのひとつには以下のごとく書かれている。

 日田市大山町は県内有数の梅の産地、その大山町の梅干しを使った嘗物「梅びしお」がいかに美味であるか。町内を流れる大山川の上流域は林業が基幹産業。昔は伐採した杉を川に流して搬出する仕事に従事する人が多かった。防腐効果などに優れた梅びしおは常温で年中保存が利く。川で働く人たちには欠かせない調味料だった。
 さらに、 日田市中本町のみそ・しょうゆ醸造元「まるはら」(原正幸代表)は、県産冠地鶏のレバー、心臓を材料にした肉醤を新たに開発、販売をはじめた。
 大分県は鶏肉の消費量が日本一。それゆえ、レバー、心臓などの内臓や頭、足が残り、食肉業者は処理に困っている。まるはらに鮎魚醤の開発実績があることから、大分市の食品加工会社が2010年、余った内臓などの活用を依頼、まるはらが約2年半かけて製品化した。
 原料はレバー、心臓、食塩とタンパク質分解酵素だけ。肉醤は国内では他に1社が製造しているが「こうじを入れず、しょうゆができた当時の製法で造るのは弊社だけ」と原代表。
 酵素の働きで肉のタンパク質がアミノ酸に変わり、強いうま味を生み出すという。うま味成分は一般的な醤油の2倍以上。「素材の味を引き出し、焼いたり熱する料理に使うと特に効果が出る」ようである。
 平安時代には穀びしお、魚びしお、肉びしおの3種の醤油があったとされる。同社はこれまで一般的な醤油と鮎魚醤などを販売。肉醤が加わったことで原代表は「平安時代のしょうゆ屋と同じ製品を造っている国内唯一のしょうゆメーカーになった」と話している。

 以上、紹介文をほぼそのまま引用した。健康なときなら肉醤を送っていただくのだが、今のわたしには到底食されない。問い合わせは、まるはら(TEL0973-23-4145)。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月09日 07:08 | 固定ページリンク




PowerMac G5と水冷システム  | 一考    

 先にG5の水冷ユニットとその静粛性について書いたが、macの解説では「M9457ではじめてクローズドループ式の水冷システムを採用」とある。と云うことは、M9020、M9031、M9032、M9393、M9454、M9455の6タイプが空冷で、他の7タイプすなわちM9457、M9747、M9748、M9749、M9590、M9591と最後のQuad、M9592は水冷である。エントリー用としてM9457の次に頒されたM9555は先ほど確認したところ、水冷だった。
 より手っ取り早い判別法があって、GeForce FX 5200 Ultra 64 MBもしくはATI Radeon 9600 Pro 64 MBを積んだG5は空冷で、それ以外は水冷である。それ以外とは ATI Radeon 9600 XT 128 MB、ATI Radeon 9600 128 MB、ATI Radeon 9650 256 MB、NVIDIA GeForce 6600 LE 128 MB、NVIDIA GeForce 6600 256 MBを指す。
 前項の繰り返しになるが、間違えても水冷は買ってはならない。販売が2003年から2005年、従って現在動いている水冷機器は修理されているか、もしくは毀れる寸前である。

 静粛性だが、G5はアルミニウム・アノマイト合金仕上げの新ボディで登場。新しいボディは個別に制御された4つのサーマルゾーンを中心に設計されている。各ゾーンには、温度と電力の組み合わせによって制御可能な高性能ファンが装備され、エアフローの制御が向上したほか、Power Mac G4と比べて作動音が半分になった。
 アノマイトとはアルマイトのこと(だと思う)で、アルミニウムの陽極酸化皮膜の一般名称として用いられる。酸化アルミニウムは非常に硬質であり耐久性に優れるが、強酸や強アルカリに対しては溶解、腐食するので注意が必要である。また、アルミニウムはイオン化傾向が高い金属であるため、安定な酸化物であるとしても、海水や醤油(食塩などの電解質)に曝される場合、または、鉄や銅などの金属に湿潤状態で接触すると腐食しやすい。
 ところで、G5に多い症状としてファンの暴走がある。その場合はロジックボードの交換が必要だが、速度の異なるプロセッサに交換した折もファンは暴走する。
 其の他、書き置くべき症状にについて一言。ランプが点灯しなければ電源ユニットの交換、起動不良の場合はロジックボードもしくはCPUの交換修理、アップルマークより先に起動しなくなった場合はハードディスクの故障、カーネルパニックはメモリーに異常あり、画面に縦線が入いる現象はビデオカードの交換が必要。

追記
 どうでも良いことだが、2003年に発売されたG5とそれ以降のG5ではCPUの取付けネジが異なる。前者は直径が大きく、後者は直径が小さい。より正確に書けばCPUそのものは互換可能だが、ヒートシンクとロジックボードとの取付けに互換性はない。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月06日 17:24 | 固定ページリンク




検査漬け  | 一考    

 サイトメガロのせいでクレアチニンが1.81に跳ね上がった。医師によると2.0にまで上がるだろうとのこと。ちなみに正常値は下限が0.4、上限が1.1である。女子医の医師が入れ替わり立ち替わりやって来る。今日は神澤さんとか、愉しい方だが「下血はまだですか」「下痢はまだですか」には愕く。下血をなんとか禦ぐのが医師の為事でなかったか、下血だけは勘辨願いたいにもかかわらず。
 サイトメガロとセルセプト(ミコフェノール)の検査結果は月曜日に分かる、いつものごとく看護師から電話連絡があるらしい。大きな変化がなければ向こう一箇月毎週土曜日に血液検査、数値がさらに上がれば週2回の検査を受けてほしいと。
 土曜日の病院は空いていて看護師と徒口を叩く。入院棟の看護師が顔を出し、「生検の入院は」と尋ねる。「生検もだけど、いずれにせよ7月の頭には入院します」と云うと、「入院棟へ帰ってくるのね」と懐かしげに応える。これにも困惑、看護師にまったく悪意はないのだが、「入院棟へ帰る」には参った。序でだから、入院中の食事は無用と伝える。

 瀬戸口医師から念の為にと云われて持っていたバリキサを先週水曜日から服用、今後一週間分の追加を頂戴する。


投稿者: 一考      日時: 2013年06月01日 21:05 | 固定ページリンク




ブルートゥース  | 一考    

 「Bluetooth内蔵していないMac miniを買ったので、手許のWindows用USB BluetoothアダプタPLANEX GW-BH03Uを試してみました。
 A5504Tと繋げてデジカメデータを受け取ったり電話帳を受け取ったりできました。
 iPAQ rx3715と繋げてファイルのやりとりができました」

 某所で以上の書き込みがあった。
 アップルは、IBMが開発した64bitプロセッサであるPowerPC 970を採用してから、デスクトップモデルについてはG4シリーズの採用を終了した。G4を採用した最後のノートPCはiBook G4であり、デスクトップモデルはMac miniである。
 さて、Bluetoothを内蔵していないMac miniとはG4であってインテルではない。そしてPower PCの最後のバージョンにはBluetoothは内蔵されている。最後のバージョンとは1.5GHzで、グラフィックボードにATI Radeon9200-64MBが掲載されている。
 Mac miniとG5は頻繁に中身が変更されている。特にG5はプロセッサの変更に止まらない、冷却を取ってみても空冷から水冷へと移行している。余談だが、同水冷ユニットは100%に近い確率で5〜6年後には壊れる。CPU部分から液漏れをおこし、CPU基盤が腐食、やがて最下段の電源ユニットへ液が流れ込む。G5の上位モデルの電源、ロジック、CPU、水冷キットはいずれも爆弾を抱えている。買うなら2.0GHzまでの空冷に限られる。
 話は前後するが、「Mac Pro 用純正内蔵 Bluetooth 2.0+EDRモジュール」は5000円はする。その点、上述のUSB Bluetoothアダプタなら300円か400円で購入できる。性能は同じである。同じなのだが、ちょいと問題がある。屡々認識しなくなるのである。拙宅はアップルのBluetoothモジュールとUSB Bluetoothアダプタ(iBUFFALO)が混在しているが、双方共に手を焼いている。従ってBluetoothを設けながら、キーボードとマウスをUSBで接続している。これでは何のためのBluetoothか分からなくなる。

追記
 空冷のG5だが、G4と比してずんと静かである。ただし、cpuを換装すると立ちどころに五月蠅くなる。G4は1.8GHzまで自由に置換できるが、G4と違ってG5はcpuの積み替えは考えない方が良い。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月31日 16:56 | 固定ページリンク




せんぽ東京高輪病院  | 一考    

 低残渣を顧みて一箇月つづいた雑炊だったが、水曜日早朝から再開した。極力下血は避けたいからである。下血が重なれば輸血が必要になる、そして輸血は抗体の暴力を覚醒させる。出血性潰瘍が雑炊だけで治まるとも思われないが、出代りや三粒降ても気は心と雑俳に云う。

 食事と云えば、タニタの社員食堂の次に脚光を浴びているのがせんぽ東京高輪病院の病院食であり、その病院食が食べられる同病院の食堂である。
 タニタは「愉しくげっそり」がモットーだが、片方は病院食だけあって、「日本一おいしい病院ごはんを目指す」が売りである。ワニブックス社から「せんぽ東京高輪病院 500kcal台のけんこう定食」なるレシピ集が頒されている。タニタの低カロリーは基本、量を減らしただけの話(ご飯にしても低カロリー米でなく、量を減らしただけなのに、低カロリーとして売っているのは問題)だが、せんぽ東京高輪病院は栄養が治療の一部であり、重要であると考える医師や管理栄養士によって厳密に組み立てられている。
 同病院の管理栄養士は食事だけでなく、静脈栄養、経腸栄養のすべてを含め、どこからどれだけ栄養補給を行うのが望ましいかを主治医や看護師に提言し、一緒に改善に向けてゆく。食欲がないのはビタミンやミネラルなどの栄養が不足しているのか、もしくは便秘や下痢など排便コントロール、炎症、薬物の副作用などが影響しているのかを評価、査定し、具体的に対策を考える。摂食によって必要量が摂れないことが明白になれば、静脈栄養もしくは経鼻胃管から経腸栄養を補給するなどを主治医に提案する。これには、全患者さんの栄養摂取量と検査値、薬物の変化、症状、病態などを管理し、それらを検討するための熟練した技術が必要である。手練れた管理栄養士でなければ、栄養治療はかなわない。一度、病院の食堂へ出掛けることを奨める。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月30日 18:26 | 固定ページリンク




腰痛  | 一考    

 このところG5との格闘が続いたため、ちょいと腰が痛い。なにしろ20キロを超えるパソコンである。戸田中央へ入退院するときはいつも腰がおかしい。整形外科医はわたしの腰と頸の異常を知っているのだが、他の医師は知らない。
 ひどいヘルニアでないので、一泊か二泊の内視鏡手術で済むのだが、こちらは治す必要を覚えない。いままでブロックで処理してきたし、命に関わらないからである。ところで、ブロックは脊柱の軟骨に打つ麻酔注射である。わたしの場合は交感神経節ブロックでなく、硬膜外ブロックであって、硬膜外腔に注射を行うためには奥深くに針を到達させなければならない。透析を知るまで、ブロックに用いる注射針が一番太い針だと思い込んでいた。

 外来の看護師と入院の手続きについて話し合っていた折、「左耳はどうなったの」と訊かれた。昔から左耳は良く聞こえない。「なんで知っているの」と逆に尋ねたが、検査入院で全身を調べた、その資料がカルテに挟まれているに違いない。腎センターの看護師は下血のことは知っているが、それ以外にも人渉りのことは知っていそうである。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月29日 20:30 | 固定ページリンク




担当医  | 一考    

 月曜日の血液検査の結果が判明、サイトメガロウィルスの値が異常に高くなっている。このままだと下血がはじまるとかで、土曜日に再検査、再診察ならびに薬の処方に戸田中央へ出掛ける。状況に応じて点滴、または内視鏡検査、もしくは入院となるが、そのあたりは心得ているので如何ようにも対応できる。
 「非常時は計算に入れていない」と昨日書いたが、早速非常事態と相成った。今度の担当医は腎臓内科で、泌尿器外科ではない。今のわたしに必要なのは消化器内科、従って腎臓内科医の方が話がしやすい。それにしても、瀬戸口医師は相当に詳しい申し送りをしてくださったようである。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月29日 09:35 | 固定ページリンク




最後の入院  | 一考    

 戸田中央に於ける最後の入院ならびに最後の診察が決まった。当然非常時は計算に入れていない。その非常時だが、輸血によって上がっていた鉄分が急速に下がっている。貧血の慴れ濃厚とのことで、フェロミア(クエン酸第一鉄ナトリウム)を処方してもらった。
 鉄は赤血球の原料であり、不足すると鉄欠乏性貧血を起こす。鉄分の多い食事(肉類、レバー、鰻、ひじき、しじみ、あさり、海苔、大豆、ほうれん草など)を摂ることも大切だが、一度、体内の鉄分が枯渇すると、食事だけではなかなか回復できない。そのような場合にフェロミアで鉄分を補給する。問題は胃潰瘍や大腸炎など胃腸に病気のある人は、慎重に用いなければならない。
 今回は医師だけでなく、外来および入院棟の看護師にも引っ越しの挨拶をした。心配するのは引っ越し先での病院だが、神大付属は腎移植の経験が浅く少ないので、みなさんが反対する。県立西宮病院を全員が勧めるが明石からではいささか遠い。
 余談だが、夫婦間の生体腎移植で、特有の拒絶反応が生じることに対し、兵庫県立西宮病院腎疾患総合医療センターが、拒絶反応を回避するために免疫抑制処置を行ったうえで移植する手術に3例連続で成功したことが2011年9月、判明した。拒絶反応は、出産を経験した妻の体内に、夫に対する強い抗体が残るのが原因。成功例が続いたケースは珍しく、韓国でのアジア移植学会で報告された。今までは出産を経験した妻の20〜30%が、夫の遺伝子を受け継ぐ子を妊娠することで、夫に対する抗体が作られ、激しい拒絶反応を警戒して移植を断念するケースが多かった。
 わたしはもっかこの拒絶反応で困惑させられている。拒絶反応がひどいので、免疫抑制剤を減らすことができない、それでサイトメガロウィルスに罹り、下血に苦しめられている。要するに、治療すら思うにまかせない。このところ風疹が噪がれているが、わたしは免疫が抑制されているので大半のワクチンを必要にせまられて射っている。保険が効かないのでワクチンだけで十万円ほど費っている。

 最後の入院は7月8日、最後の診察は7月29日。身体にこれ以上疵をつけるのは嫌だが仕方がない。そこまで済ませてわたしは東京を離れる。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月28日 21:32 | 固定ページリンク




G5用六角レンチドライバ  | 一考    

 大阪市東成区深江のベッセル(かなり知られた会社である)がドリル用のビットを作っている。長さは170ミリ、ビットなのでどこにでも売っているラチェット式のドライバで間に合う。スイスのメーカーPBのビットなら3000円はするが、国産品は410円である。これでPowerMac G5のCPUの取り外しが可能になった。
 で、前述のPowerMac G5のジャンク品だが、電源とロジックボードをそこら中出鱈目にテスターを用いて計った。どこにも問題は生じず、CPUを取付け直したところ無事起動した。やはり思った通りである。ところが、今度はオプティカルドライバが動かない。相性の問題なのだろうが、G4で動いていたドライバが動かない。ひょっとすれば他に理由があるのかも、こちらはこちらで調べてみなければならない。
 いずれにせよ、業者が手放したジャンク品が蘇ったのは嬉しい。過去にも書いたが、拙宅へやってくるパソコンは悉くが壊れている。理由を問わず、わたしは3000円を超えるパソコンを買わないからである。今回のG5は500円、起動はおろか、少々触ろうが撫ぜようがうんともすんとも応えない。時間を掛けて拈弄することによって、はじめて反応するのである。なにかと似ていなくもないが。

追記
 オプティカルドライバを認識しない理由は簡単なことで、ロジックボードからのケーブルが逆だった。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月28日 18:26 | 固定ページリンク




PowerMac G5  | 一考    

 Apple PowerMac G5 2.0GHz Dual ジャンク品を安価(500円)で購入した、当然送料(1500円)の方が高い。電気はきているが起動しない、ジャンと鳴らないからジャンクなのか。もっともそれを承知で購入したのであって、これから修復を試みようと思っている。
 ところがCPUを外すための2.5ミリ、160ミリ以上の六角レンチが手元にない。近所の日曜大工の店へ行くも、そのように長いものはなさそうである。昔、160ミリの六角レンチセットを買った記憶があるのだが、度重なる引っ越しでもっか行方不知。先ず以て、CPUを除去しないとロジックボードも電源ユニットも確認すら取られない。
 CPUはそのままに其の他をチェック、とは云えオプティカルドライブ、HDD、メモリは付属していない。グライックボードのみATI9800に換装されてい、まったく異常はない。3.6Vの乾電池も大丈夫。外さないと分からないが、おそらくCPUの取付けに問題ありと見た。
 Macのパソコンのなかで、G5はもっとも大きなヒートシンク(高さ130ミリ)が付けられている。その巨大さが禍して装着の折にずれが生じたのであるまいか。
 件の日曜大工店で註文した六角レンチが到着するまでに二週間ほど掛かるようである。それにしても、写真ではスマートに見えたのだが、G5は図体がでかい。オークションで脚の歪んだG5が多い理由は重量である。横置きで梱包しないで、縦置きで発送すれば立ちどころに脚は湾曲する。それを考慮するとデスクトップはやはりminiの方が良さそうである。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月23日 15:27 | 固定ページリンク




ブルーノート  | 一考    

 このところ、ブルーノートのCD版を買っている。
 アート・ブレイキー、ウエス・モンゴメリー、キース・ジャレット、キャノンボール・アダレイ、クリフォード・ブラウン、ジェリー・マリガン、ジミー・スミス、ジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、ソニー・ロリンズ、チェット・ベイカー、チック・コリア、ナット・アダレイ、ハービー・ハンコック、バド・パウエル、ハンク・モブレイ、ベニー・カーター、ホーレス・シルヴァー、マックス・ローチ、マル・ウォルドロン、リー・モーガン、ルー・ドナルドソン等々である。
 別にブルーノートがすべてでないし、なかには嫌なものもある。例えば、ミシェル・ペトルチアーニがそれで、夭折の天才と謳われているが、ピアノが走りすぎて原曲がさっぱり掴めない。ジャズ・ピアノは得てしてアグレッシヴに疾走するものだが、ミシェル・ペトルチアーニは才に溺れている。コルトレーンのような暗さがどこにもない。重度の身障者であればこそ、失意あるいはピアニストとしてのコンフリクトを際立たせてほしいと思うのだが。
 ブルーノートの4200番台はフリー系の作品が目立つ。オーネット・コールマンの「ゴールデン・サークル」をはじめ、ドン・チェリーやセシル・テイラーのブルーノート初演も4200番台である。オーナーのアルフレッド・ライオンも背に腹はかえられず、ブームに乗って経営難を凌ごうとしたのであろう。サム・リバースはその典型なのだろうが、フリージャズの代表作とも云うべき盤に、RVGコレクションの「フューシャ・スイング・ソング」がある。ところが、この盤のなかにはジョー・ヘンダーソンやスタン・ゲッツが取り上げている名バラード「ベアトリス」のオリジナルが収録されている。ジャズマンの書いたバラードとしては出色の出来だと思う。ただし、これ一作のみである。
 フリーの合間にハンク・モブレーやリー・モーガンのジャズ・ロックあり。ウエイン・ショーターやボビー・ハッチャーソンらの新世代、ハンコックの「スピーク・ライク・ア・チャイルド」などと云う実験作も含まれるが、総じて駄作が多い。謂わば、ブルーノートの断末魔と云えようか。
 
 ブルーノートを買うのは、わたしにとって自分の青春買ってくる、なのである。例えば、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットはソロ・コンサートを除くと原曲の美しさを際立たせるがごとき演奏が多い。神戸のジャズ喫茶バンビーを思い起こすのはそんなピアノ曲を聴く時なのである。

追記
 話はあくまで4200番台に限られる。例えば4000番台(1950年末〜1960年代にかけて吹き込まれたアルバム)だとアート・ブレイキーの「ハーレムの使徒たち」、ソニー・ロリンズの「エイジアティック・レエズ」、ホレス・シルヴァーの「フィンガー・ポッピン」、アート・テイラーの「シーダス・ソング・フルート」、ドナルド・バードの「マイ・ガール・シャール」、ケニー・バレルの「ミッドナイト・ブルー」、ジャッキー・マクリーンの「ブルー・ロンド」などが収録されている。


投稿者: 一考      日時: 2013年05月22日 20:12 | 固定ページリンク




南米のビル・エヴァンス  |   一考

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 南米のビル・エヴァンスと呼ばれるルーベン・ロペス・ファーストの名盤、「Jazz Argentino,Jazz En La Universidad」のカップリングCDが出ている。
 ピアノ、トランペット、ベースのトリオ。ヤフオクで700円から800円で出品されているが、お買い得である。


投稿者:   一考  日時: 2013年05月12日 15:55 | 固定ページリンク




アラン  |   一考

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 田村書店主奥平夫妻が見舞いに拙宅へ来られた。序でに夫妻の自転車を預かり、乗ることもないのでと処理を頼まれた。三十年以上前にわたしが組み立てた自転車である。フレームの一台はなるしまフレンド神宮店で、もう一台は加古川のマツイじてんしゃ館(元は西明石)で購入した。
 フレームはイタリアのアラン、1972年ビチューなどに先駆けてアルミニウムで出来たフレームセットを最初に紹介した会社である。下って1976年、アランはトレカ・カーボンファイバーチューブを鋳造アルミラグに接着するというカーボンフレームの開発・製造で、再び最初の会社となった。この工程は、現在も多くのフレーム製造会社で模倣されている。
 奥平さんの自転車はどちらも70年代初頭の製造で、当時は超高級車だった。なるしまフレンドへ売却に行ったようだが、このクラスの自転車になると差し替えのパーツだけで二十万円は超える。売りようがないので、と断わられたようである。
 消耗品は別にして、拙宅には適当なパーツが揃っている。組み立てなおすが、入り用の方はいないだろうか。奥平さんの手入れは頗る良好で、BBやヘッドパーツなどを完全分解して摩き、グリスアップすれば綺麗な自転車に生まれ変わる。必要ならフレームの耐久度も調べる。どなたか声を掛けていただきたい。


投稿者:   一考  日時: 2013年05月05日 18:22 | 固定ページリンク




さようなら  | 一考    

 瀬戸口誠医師の戸田中央での最後の日、明日からは埼玉県済生会栗橋病院へ赴任となる。済生会栗橋病院は東京女子医科大学の関連病院であり、医師は同大学からの派遣によっている。瀬戸口さんは「おいでよ」と云うが、茨城、群馬、埼玉の県境、ちょいと遠すぎる。
 済生会栗橋病院には名物外科医の本田宏さんがいる。日経メディカルブログの「勤務医よ、闘え!」はじめ、数冊の著書でもって医療崩壊と闘いつづけている。「朝まで生テレビ」の「医療崩壊」にも出演なさってい、過激な発言は夙に知られる。本田さんと瀬戸口さんの組み合わせだとどうなるのか楽しみである。
 それにしても、医師とここまで親しくなったのは稀である、山崎医師に次いで二人目になる。瀬戸口医師の後任は松田さんという女医らしいが、第一印象がすべて、決してトラブルを起こさないようにと念を押された。

 6月末に1年目の生検を戸田中央で済ませてから神戸へ引っ越して欲しいと瀬戸口さんは云う。移植手術は7月18日だったが、通常は手術後3箇月で拒否反応は収まる、しかしわたしの場合は11箇月を経て未だに落ち着かない。拒否反応さえ収まれば、免疫抑制剤の量を減らしてサイトメガロウィルスの退治ができるのだが。
 今日の血液検査はクレアチニン1.63H、Hb10.5L、Ht33.2L、タクロリムス4.8、セルセプトとサイトメガロは検査中。検査中なれど、サイトAgは3から4を行きつ戻りつしている。他はそれなりに安定している。それなりにと書いた理由はクレアチニン1.63Hなど、本来あってはならない数値だからである。

 瀬戸口さんが下血にだけは気をつけて、命に関わる問題だから、下血がないときも下痢には注意をするように。大丈夫、ミヤBMを飲んでいますから、とわたし。病院慣れしてきたね。看護師が二人、暖かい笑みを浮かべてわたしたちの遣り取りを見守っている。瀬戸口さんと別れの挨拶を重ねる。なにかしら云わなければならないことがあるのだが、口篭ってしまう。御懇情を賜わり・・・それから後は言葉にならない。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月30日 22:00 | 固定ページリンク




益子焼  |   一考

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 昭和12年日立製作所の窯業文化(特に碍子研究)向上のため大甕(おおみか)陶苑が設けられた。戦後になってより本格的な陶房として操業すべく、昭和31年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に技術員の紹介を依頼。その折、日立へやってきた若き陶芸家が、富本憲吉の指導を受けた加守田章二と竹内彰だった。やがて加守田はより自由な作陶をもとめて益子へ移り、竹内は日立に残って伝統的な要素を持つ政策をつづけた。
 加守田章二と同じく日立製作所および塚本製陶所の研究生になった弟子筋に当たる陶芸家に菊池昭がいる。生年はわたしと同じで、はじめての個展は昭和51年に西武デパート池袋店で催している。
 益子は何度か行っているが、今までさしたる興味を持たなかった。なるほど加守田章二の作品には良いものが多い、しかしわたしの手に負える価格でない。今回の菊池昭作うずら文茶碗は内容価格共に一目惚れだった。
 那須烏山市に築窯したヘスアルド・F・ブラボ、益子木綿の日下田正氏に師事し草木染手びき木綿織りを手がける箱田侑子も忘れられない作家である。後者は確か目白千種画廊で個展を催したと記憶する。


投稿者:   一考  日時: 2013年04月28日 19:12 | 固定ページリンク




HPのリクエスト  | 一考    

 .edu(米国高等教育機関)からリクエストがあって愕いた。ついでに、同日「クレアチニンが4.6、貧血が9.9 造血ホルモン」とのリクエストがあった。「腎不全で手術ってあるの?」と云うのもあった。
 クレアチニン値が4.6mg/dLと云うのは、腎臓の機能が30パーセントから10パーセントに低下した状態で腎不全の症状が出てくる。クレアチニン値が8mg/dL以上になると人口透析か腎臓移植が必要になり、それを捨て置くと一年以内に確実に死ぬ。貧血が9.9とあるが、こちらは取り立てて貧血というほどのものでない。況んや、造血ホルモンはクレアチニン値が4.6の段階では不必要である。
 「腎不全で手術ってあるの?」は愚問である。腎不全の段階で手術の要はないが、早晩末期腎不全になる。人工透析をはじめるに当たって動脈と静脈を直接吻合しなければならない、その箇所をバスキュラーアクセス(シャント)と云う。これも立派な手術である。腎不全になれば、何等かの手術(透析か移植)を施さなければ生きてゆかれない。「あるの?」ではなく、必須である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月28日 17:14 | 固定ページリンク




関根の白胡麻油  | 一考    

 先日、衣揚げで東西の天麩羅油の違いについて著した。ところが、さらに調べてみると意外なことが判明した。
 「関東と関西では今もむかしも揚げ方ならびに油の調合はまったく異なる。胡麻油は常温で圧搾すると淡黄色の油が得られるが、わが国では事前に胡麻を炒る。従って、搾られる油は黄褐色で特有の香りと味をもつ。特に関東で使われる黒胡麻(くろしぼり)と云う胡麻油はその香りが強烈である・・・関東ではくろしぼりをメインに、綿実油(最近は大豆油が増加している)などさまざまな油を調合するのにたいして、関西では綿実油をメインに1、2割ほど白胡麻(しらしぼり)もしくはくろしぼりを入れる。よって胡麻油特有の香りは関西ではほとんど見受けられないか、縦んばあっても淡い」と著した。
 天麩羅が江戸で人気を博したのは周知だが、江戸期の天麩羅油といえば春日部から船で古利根川を下り、江戸へ運ばれた武州胡麻油である。武州でもっとも知られた油屋と云えば関根である。
 関根が武州春日部で胡麻油を造り始めたのは今から290年以上前の八代将軍吉宗の享保年間である。往事、胡麻油はとても貴重で、燈油、薬や化粧品に用いられた。やがて作付面積も増え、江戸前天麩羅の揚げ油として流行っってゆく。
 武州胡麻油は白胡麻で、風味を損わないように低温で煎り、低圧搾し、ゆっくり濾過を繰り返し純度を高める。要するに江戸期の天麩羅油はことごとくが白胡麻(しらしぼり)だったのである。癖のないさらりとした口当たりとほのかな香り、謂わば胡麻油の一番搾りとでも云うべき質の高い油だった。
 それがいつ頃黒胡麻(くろしぼり)に変わって行ったのか分からない。ただ、江戸っ子を気取るような人間は得てして田舎者が多い。明治に這入って急速に東京の人口は増える、おそらくその過程でしらしぼりの品の良さよりもくろしぼりの強烈な癖が江戸っ子に相応しく思われたのであろう。今では東京の天麩羅屋はくろしぼり一色になった。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月28日 11:56 | 固定ページリンク




Mac mini  |   一考

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 マックがインテルを使うのは良いのだが、二、三世代前のアクセラレータでもってニュータイプはなかろう。マック特有の大名商売がはじまったようである。はじまったと云うよりは回帰したというべきか。
 写真は解体したminiのロジックボードである。ロジックボードの上に写っているヒートシンクを外すのがちょっと厄介だった。CPUを差し替えるまでに掛かった時間は二時間弱、ネジはすべてで17本、次回からは一時間以内に短縮される。miniだけあって構造は実に簡素化されている。
 マックのパソコンは昔から高い、アイデアだけで商売する会社である。もっとも新品で購入する気はまったくなく、どうでも良いのだが。


投稿者:   一考  日時: 2013年04月28日 05:19 | 固定ページリンク




QuickSilver  | 一考    

 PowerMac G4 733MHz QuickSilverのジャンク品を300円で買った。発売当時は「五月蠅い」と振り向くひともいなかったのに、その後人気が出たという不思議なモデル。ジャンクの理由はHDD、同IDEケーブル、同マウンタの欠品。メモリは512MBが1枚ささっているとの代物。
 仮に起動しないとすれば、わたしの出番である。電源、ケーブル、グラフィックボード、ロジックボードのいずれかに問題がある。LC475からG5に到るパワーPCならデスクトップからノートブックまで、どのような修理でもお手のものである。
 かつてiBookの不動品を掴まされたことがあったが、電源とロジックボードのケーブルならびにロジックボードとキーボードのケーブルが双方ロジックボード側で外れていただけ、繋ぐと瞬時に起動した。おそらく前の持ち主が組み立ても出来ないのに解体したのが理由のようである。足らないネジを補い、パソコンは明石へ行ったが、どうやら使われていないようである。使わないなら戻してほしいのだが。
 QuickSilver到着後、手持ちのG4 450MHzから欠品を補填、同じく手持ちのパーツばかりだが、グラフィックボードはNVIDIA GeForce2 MX 32MをNVIDIA GeForce4 MX 64Mへ、メモリは1.5GBへ、CD-R・RWドライブはDVDドライブへ換装した。ただし、MOはヤノ電気なのでドライバが入手不可能、こちらは富士通のMOを200円で購入、到着を待っている。

 以前買ったG4 Cube 450MHzは非力なCPUが理由で動画が一切開かない。メモリは1.5GB、グラフィックボードもNVIDIA GeForce2 MX 64Mへ換装したが、やはり動かない。こちらはSONNET ENCORE/ST G4 1000/2M 1.2GHzのCPUを2450円で購入。これでG4としてはほぼ最速のモデルに化けた。動画はグラフィックボードでなく、アクセラレータの問題だと分かった。

 Intel core Duo 1.66GHzをcore2Duoへ換装しようと思い、2000円を奮発してIntel core 2 Duo 2.2GHzを買ってきた。こちらはヒートシンクの外し方が難しそう。ものはMac miniである。これだけ遊んで計5000円。金の問題でなく、触っているのが愉しいのである。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月26日 17:32 | 固定ページリンク




ひよこ豆とレンズ豆  | 一考    

 リゾット風を造った序でに、ひよこ豆とレンズ豆を検索。ひよこ豆が750グラム650円、水煮罐なら400グラム204円と安価である。チャナーマサラやチャクチュカは以前から造ってみたいと思っていた。そしてレンズ豆はさらに廉い。1キログラム558円、水煮罐なら400グラム189円である。拙宅のメニューが増えそうである。
 カレーはもとより、ひき肉をレンズ豆で代用し、生姜味噌で煮込んだビーガンのレンズ豆の肉味噌風は美味。ビーガンにこだわりがなければ、鶏肉を用いればさらに結構。
 インド北部のカレーは南部のそれと比してスパイスが控えめ、それと香菜の使い方が絶妙、そうでなければ毎日は食べられない。南部のカレーはとろみがなく、口当たりはしゃばしゃばで淡白だが、とにかく辛い。もっともわが国のカレーは北部のそれの筈なのだが、激辛が多くて困惑させられる。

 葉山のティラキタ(http://www.tirakita.com/food/id_spc_dal.shtml)はインド系アジアン雑貨ショップだが、レトルトカレーを多品種扱っている。ベジタリアンカレーが17種類、豆のカレーが12種類、鶏肉カレーが2種類、パニール(チーズ)カレーが9種類、他にカレーピラフが2種類とスープが2種類。他にもあるだろうが、これだけ揃えているところは尠ない。

 http://cookpad.com/category/1228
 http://cookpad.com/category/1230
 http://cookpad.com/search/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E8%B1%86

追記
 カレー粉を用いた雑炊など邪道かもしれないが、これだけ粥が続くと、少々越軌しようがしまいが、どうでも良くなってくる。昔からそうだが、料理には行儀も作法もなにもない。旧套を脱するところから新たな料理が創られてきた。極端な云い方をすれば、河豚や茸のように「食む」との行為に命懸けで立ち向かってきたのである。わたしは須臾前から深海魚に凝っているが、これらの魚をはじめて口にしたひとはなにを考えたのだろうと何時も思う。料理に先達の教えもへったくれもあったものでない。
 30日まで下血がなければ、サイトメガロウィルスの影響は今回は脱したと考えて良いのでないかと云われている、あと一週間ほどである。30日の血液検査の結果は3日の金曜日に判明する。結果次第で少しは動かれるようになるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月25日 02:04 | 固定ページリンク




輸血の問題点  | 一考    

 輸血をしないと死ぬのは分かっている。そして輸血によって露命を繋いだ。医師に感謝し、夥しい献血者に満腔の謝意を表したく思う。
 粥を啜って露命を繋ぐと世に云うが、正に地で行くとはこのこと。そこまでは良いのだが、とんでもない問題を突きつけられている、抗体である。輸血は臓器移植のひとつだが、血液製剤にはさまざまな献血者の抗体も含まれる。自分の体内にこれまでなかった種類の抗体が潮津波のごとく押し寄せてくる。
 それでなくとも移植者は免疫抑制剤で抗体を抑えなければ生きてゆけない。そこへ新たな抗体が悪戯をする。延齢を図ると碌なことにならないとの証左である。

 人工透析器は腎臓の代わりに拵えられた血液浄化装置である。ただし、腎臓は脳の次に複雑な器官で、血液浄化以外にもレニンというホルモンを分泌し血圧を調節する、ビタミンDを活性化する、骨髄に作用して赤血球の産生を促進するエリスロポエチンというホルモンを作る等々、さまざまな働きを持っている。翻って人工透析器は血液浄化すなわち老廃物を身体の外に排出する役目以外の機能は持っていない。
 人間の赤血球は、四〜五箇月程度の寿命しかない。従って、人工透析を続けている患者はほとんどが輸血に頼って生きている。輸血のおもしろいところは、癌を防止する体質をもつ人の血液を取り出し、癌を患っている人に注入すれば、例えば腫瘍の萎縮という形で、血液の抗ガン効果が即座に現れる。ただし、その作用は短期間に限られる。わたしの場合は輸血によって鉄分が補給されたため、ヘモグロビン値が暫くは上昇する。要するに下血がない限り、四箇月間は貧血すなわち失神から解放されるのである。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月24日 12:55 | 固定ページリンク




嚥下障害  | 一考    

 わたしが入院した直後に誤嚥による窒息で緊急入院、気管切開した患者が隣のベッドへ這入った。喉周辺の筋肉や嚥下中枢(延髄)の機能が衰えた高齢者に多い事故で、屡々誤嚥性肺炎を招く。齢八十、上背があって顔付きが生田耕作によく似ている。
 今回は肺炎に罹らなかっただけ幸運なのだが、もっかお襁褓と尿管で排泄の処理をしている。毎日リハビリ療法士が入れ替わり立ち替わりやって来る。咀嚼筋と嚥下をうまく連動(咀嚼反射)させ、唾液を出させるべく治療が続いている。
 唾液腺のマッサージ方法には耳下腺、顎下腺、 舌下腺の三種があって、それらを刺激し、唾液の分泌を促す。詳しく書けば、耳朶の下を人差し指でぐるぐる押しながら回す、顎の骨の左右のエラから少し内側を親指で押しながら回す、顎の下(舌の根元)を親指で 押す、以上である。
 リハビリではなく、肝心の治療だが、食事にかける時間が短すぎるので常に厄介が生じている。医師は米粒が残っているとか副食をもっと小さくしろ、とか云っているが、そのような問題ではない。咀嚼反射はゆっくりと時間をかけなければ解決しない。自分のペースで食べることは誤嚥に限らず、各機能の低下防止にもつながる。

 ちなみに、誤嚥の場合、家でできる治療に「イマムラ IMG 吸引ノズル 」がある。市販されているほとんどの掃除機に接続可能である。高齢者がいる家庭に於ける必需品のひとつ。
 誤嚥しやすい食材として水、お茶、ジュース、汁物など、粘り気のないさらさらした飲みもの。ゆで卵、焼き芋、そぼろ類、焼き魚、ナッツ類、雪花菜など、湿り気がなく口の中でぱさつくもの。菎蒻、蒲鉾、海苔、若芽、餅など、うまく噛めないものや粘着力のあるもの。林檎、牛蒡など、硬いものや繊維質の多いもの。肉類など。
 誤嚥を防止するために、水物は葛や片栗粉でとろみをつける。ぱさつく食材は餡かけやゼリー寄せにする。肉や魚はテリーヌに、卵は卵豆腐になどの工夫が必要。しかし、生田似の御仁は家人の協力がどこまで得られるのであろうか。

追記
 嚥下(えんか)をえんげ、口腔(こうこう)をこうくうなど、医学での慣用読みは多い。禁飲禁食なども病院特有の用語である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月22日 21:27 | 固定ページリンク




いいはしデンタルクリニック  | 一考    

 病院の梯子をしたが、十四箇月ぶりの歯医者について一言。
 三箇月に一度の来院を勧められていたが、そのような暇がなかった。馴染みの受付の女性が入れ替わり、些か淋しい。歯石の除去をして帰りしなに「お口の健康手帳」を頂戴した。診断書説明、ムシ歯診断書、歯の汚れ診断書の三枚組で、一本ごとの歯の状態が絵で表示されている。近頃の歯医者はここまでサービスをするのかと感心させられた。
 個別の診断はともかく、歯ブラシの使い方に関して磨き残し率が62.0パーセントとある。一見よろしくない結果に思われるが、38パーセントは完全に摩かれていて、成績良好の部類に属するようである。
 はじめての折は歯茎に麻酔を打って歯石を取った。そのことから推してかなりひどい状態を医師は想像していたようである。一目見て良く摩かれてい、歯石はほとんど付着していない、と。新たなそれではなく、歯茎のなかに残っている歯石を完全に除去したいらしく、次回に二箇所ほど麻酔を打ちましょうと云う。あまり気は乗らないが「そうしたいならどうぞ」がわたしの意見である。
 歯はすべてFCK(金属の冠で治療)、In(金属の詰め物で治療)、CR充(プラスチックの詰め物で治療)となっていて大丈夫。死ぬまでの間、歯石の除去を除いて治療の要はあるまい。

追記
 須臾掲示板はお休み。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月21日 12:51 | 固定ページリンク




山菜いろいろ  | 一考    

 簡単に入手できる(拙宅の近所のスーパーで売っているもののみ)山菜を紹介する。

 3月の旬の山菜、葉山葵、蕗の薹、たらの芽、土筆、蒲公英、山葵の花芽
 4月の旬の山菜、野蒜、蓬、嫁菜(嫁菜は関西のみ、関東嫁菜は食用にしない)、野蕗、蕨、雪の下、烏野豌豆、烏野豌豆(豆のみ)、虎杖、屈(草蘇鉄の方言だが、こちらの方が一般的)、根曲竹、山独活、漉油
 5月の旬の山菜、谷水菜、孟宗竹、真竹、淡竹
 6月の旬の山菜、蛍袋
 9月の旬の山菜、石蕗、通草
 10月の旬の山菜、浜防風(「懐石と低残渣」でも触れている)
 1年中、旬の山菜、黒文字

 良く知られる山菜の食し方、簡単なもののみ紹介する。筍に関しては、大概の料理本で糠を用いるとあるが、新しければ単に湯掻くだけで大丈夫。薄く切って塩焼きか天婦羅が美味。
 古くは山菜として利用されていたものが栽培化され、現在では野菜となったもの。あるいは昔は栽培されていながら、今は山菜となったものなどさまざまである。

 屈。春、芽吹いた若葉を浸し物、汁の実、天婦羅などにする。蕨や薇と比して灰汁が少ない。
 通草の芽。浸し物、胡麻和え、煮物などにする。「庭訓往来」以下の諸書に見える鞍馬の木芽漬の材料の一つ。
 たらの芽。独特の香りと風味があり、天婦羅や蒸焼きにする。
 うるい。百合科の擬宝珠類の若い葉柄。浸し物や汁の実、和え物などにする。独特の歯触りと滑りがある。
 牛尾菜の若芽。百合科の蔓植物。たらの芽と共にもっとも人気のある山菜。和蘭雉隠しに似た風味があり、茹でたり、天婦羅に。
 みず。蕁麻科の多年草。食べるのは柔らかい茎と根で、茎は茹でて浸し物、和え物に、根は生のまま摺り下ろし、味噌、醤油などで調味して食べる。
 とんぶり。藜科の一年草箒木の実。大根下ろしや薯蕷と合わせて醤油で食べる。形、味ともキャビアに似る。古くは地膚子と呼んで薬用にされた。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月19日 15:12 | 固定ページリンク




リゾット  | 一考    

 リゾットはパエリア、ビリヤニ、ピラフ、炊き込みご飯などと同類だが、水分を多めに造るのは自由である。沖縄料理のジューシーにはクファとヤファラーがあって、濃厚な味付けはともかく、後者は雑炊である。すなわちリゾットをジューシーに見立てることも可能である。
 粥や雑炊ばかりも飽きる、そこで蕎麦雑炊に尋いで雑炊風リゾットを造ってみた。鍋でオリーブ・オイル(又はバター)を熱し、ニンニクの代わりに唐辛子、ポロネギの代わりに白ネギとタマネギを炒める。そこへ米と白ワインだが、代用品で酒を少々。野菜ブイヨンと米の3倍の水(適宜増量したが、通常は1.5倍から2倍 )を入れアルデンテになるまで煮込む。具材は茸、ハム、ソーセージ、魚介類。身体の都合でパルミジャーノ・レッジャーノもしくはパルメザンは除去。
 茸はシイタケ、エノキタケ、シメジ類、ヒラタケ類、マイタケ、ナメコ、ツクリタケ(マッシュルーム)、エリンギ、ヤマブシタケ、ヒメマツタケ、フクロタケなど何でも良い。こちらは近所のスーパーで売っている茸を片端から扣えてきた。特にツクリタケはホワイト種、ブラウン種、オフホワイト種、ジャンボマッシュルームと揃っている。わたしの田舎の高田同様、千葉県習志野では戦前から、現在では香取市で多く栽培されている。要するに千葉はツクリタケの名産地のひとつである。
 わたしは茸の同定には疎遠である。従って北海道で茸狩りの機会がなんどもあったが、いつも遠慮していた。今回はツクリタケと短く切ったエノキを用い、エンドウ豆、莢隠元、人参、赤茄子、ピーマン、セロリ、その他では小海老と烏賊を用いた。さらに薬味として茗荷を少々。
 先日の蕎麦雑炊なら具材は人参、大根、椎茸、豆腐、油揚、菎蒻、牛蒡、青葱(渭東ねぎ)となるのだが。蕎麦雑炊は徳島だけの食べ物ではない、山形も同じく昔から蕎麦雑炊を食している。渭東ならぬ平田赤ねぎもしくは軟白ねぎということになろうか。

追記
 近所のスーパーでさまざまな茸を売っていたので、あれこれ取り揃えて茸の天婦羅盛り合わせを造った。天婦羅では肉厚のあわび茸が知られるが、そちらは置いていない。その代わり、徳島の茸醤(きのこひしお)が売っていた。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月18日 10:42 | 固定ページリンク




蕎麦米  | 一考    

 蕎麦の実から殻だけを除去したものを蕎麦米として売っている。長野市の製粉会社から購入したものだが、このところの粥三昧では飽きが来る、と思って引っ張り出した。久しぶりに蕎麦雑炊を造ってみたが結構旨い。米よりも消化は悪いだろうが、そう気にするものでもあるまい。そこでまた蕎麦について一言。

 挽きぐるみとは、玄蕎麦を殻をつけたまま石臼で挽き、それをふるいにかけ、殻を取り除いた粉を指したが、最近は殻は取り除き、甘皮を一緒に碾き込んだ粉(全粒粉)を云う。甘皮まで一緒に碾き込んでいるため、色は黒っぽく、野趣に富んだ味わいがある。とくに出雲蕎麦が著名。
 蕎麦切りには太麺と細麺の二種類が有って、まず太麺で在ること、次に更科系に対して色が黒い(すなわち挽きぐるみ)こと、それを概して田舎蕎麦と呼ぶ。上述の出雲蕎麦は細麺だが、秋田、山形の蕎麦に更科系はなく、且つ大半が太麺である。

 蕎麦の種実の中心部分を挽いた一番粉で打った蕎麦を更科と称する。舌触りが良く、白く上品なのが取り柄だが、蕎麦らしい香りはほとんどない。日本酒で云えば大吟醸のようなもので、高級志向の極にある。その更科以外に東京には薮と砂場がある。薮は上野と浅草に本店があり、つゆが濃すぎるのが難点だが蕎麦の香味は傑れている。砂場は麺にもつゆにもこれと云った特徴がなにもない。酷い云い方になるが、箸にも棒にも引っかからないとはこのことかと。

 上高井郡小布施町の「せきざわ」、志賀高原(下高井郡山ノ内町)の「山の実」、黒姫(上水内郡信濃町野尻字山桑)の「ふじおか」、静岡県島田市船木の「藪蕎麦・宮本」、近鉄奈良駅から徒歩15分の「玄」など著名な蕎麦屋は多い。そしてそのなかに、東京都中央区八重洲にあった「三日月」を加えておきたい。
 三日月の外山時男さんは山梨長坂「翁」時代の高橋邦弘名人に師事したという、要するに藤岡さんとは兄弟弟子になる。藤岡さんは独学と紹介されているが、間違いでないだろうか。翁時代のことは何度か聞いたが、差し障りがあるので止めておく。ただ彼との話で、現在の蕎麦王国は栃木と茨城であると、これだけは著しておきたい。
 外山時男さんが膵炎で急逝されたのは2005年4月17日、掲示板を契機に知り合った最高の友のひとりだった。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月17日 05:35 | 固定ページリンク




シャフトモータースポーツ  |   一考

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 前項で紹介した大桃千明さんはやはりただ者ではなかった。ホームページをご覧いただければ分かる。

 http://webshaft.org/

 「私たちシャフトモータースポーツは埼玉県三郷市にあるモータースポーツショップです。競技車両製作、ボディ補強、セッティング、メンテナンス、競技用オリジナルパーツの開発・販売を通じて、皆様のモータースポーツ活動をサポートしています。ラリー、ダートラ(ダートトライアル)、ジムカーナ、レースなどの本格的なモータースポーツから、サーキット走行会やストリートチューンまで、何でもご相談ください。
 当店代表の大桃千明は、1985年全日本ラリー選手権チャンピオンという経歴を持つ現役のラリードライバー。ラリー界では左足ブレーキを多用するFFドライビングの第一人者としても広く知られています」

 今のわたしは動体視力が落ちた、と云うことは反射神経がまったく駄目なのである。従ってラリー車に乗るのは不可能になった。20年前ならシビック6代目EK型や7代目EU型(共にタイプR)もしくはフィットあたりで走り回ったかも。
 そのシビックのエンジンを解体していた。レース途中でヘッドへ異物が混入したらしく、バルブがすべて壊れている。おそらくシリンダーも壊れているだろう。どんなエアエレメントを使っていたのかしら。レース車両の過酷さの一端が伺える。それにしても、大桃さんのところへ運び込まれる車はことごとくエンジンを下ろしている。
 ちょっとしたチューニングなら試みるが、エンジンOHにせよ、リビルトにせよ、40、50万円はかかる。中古車を購入する方が廉いのでわたしは未経験である。
 今日は随分と話し込んだ。はじめてリフトアップしたが、センターパイプに太鼓(サイレンサー)が三つも付いている、これでは走らないのは当たり前である。社外品を調べてみるが、ボルボを触る人はいないだろうからワンオフマフラーを作ればどうなのと大桃さん。
 S80はラグジュアリーな車、車重は2トン近い(マスタングは1.5トン)、改造するような種類の車でないのは分かっている。あくまでもライトチューニングであり、20、30馬力も上がれば結構、発進時の加速を娯しみたいだけである。
 太鼓をストレートに交換したところで、ターボ車なので排気音はNAほど大きくならない。ただ、ストレートに取替えれば、エアフィルターも吸い込みのいいものに交換、燃料関係のチューニングが必要になる。それ以上に車検に対応するかどうかが問題である。社外品だとほとんどが車検対応なのだが、ワンオフとなるとそうはいかない。車検のたびのマフラー交換は勘辨してほしいのだが。

追記
 シャフトモータースポーツの紹介文のなかで「左足ブレーキを多用する」と書かれているが、ワインディングを好むひとならみなさんご存じである。右足はアクセル、ブレーキとクラッチは左足である。エンジンの回転数を落とさないためにアクセルは踏みっぱなし。左足は蟹足になってブレーキとクラッチの双方を踏むのである。結果、逸早くカーブを走り抜けることができる、高等テクニックのひとつである。
 オートマ車でも左足ブレーキを多用するひとがいる。同じくエンジンの回転を落とさないためだが、ローターの摩耗が激しくなる。速く走られるが、非経済的乗り方である。


投稿者:   一考  日時: 2013年04月16日 08:16 | 固定ページリンク




ブースト計  | 一考    

 ETCのセットアップを終え、市役所で手続きを取った。2週間後には使用できる予定。ETCの配線ついでに、ダッシュボードから線を取ろうと思っていたが、シガープラグ延長コードで間に合わせた。
 車に電圧計が付いていないので、オルタネーターの状態が分からない。羽根は定期的に摩耗するものなので、必要欠くべからざる一品である。よって簡単な電圧計を設けた。
 ポルシェ、ボルボ、アウディー車等にターボを供給しているのはボーグワーナー社。S80-t6はシーケンシャルツインターボチャージャーだが、タービンの材質が金属でなくセラミックなのでブーストアップはほぼ不可能。別にタービンを換装したいとは思わない。従って、ブーストコントローラーは不要だが、ブースト計は必要。前の850には付いていたのだが、ブースト計はアナログメーターが欲しいと思っている。

追記
 わたしが住む大幸マンションの大家の友人に、近所で車の修理屋を営む大桃さんがいる。事情をなにも知らずに飛び込みで面識を得たのだが、ラリー専用の改造を主としている。GTRや2Jの改造車が並べてあって、それとすぐ分かる。
 玄関先で1時間ほど話し合ったのだが、とにかくエンジンに関して嬉しくなるほど詳しい。20年ぐらい前の車だと簡単に500psに持って行けるのだが、現在はコンピューター制御だからどうにもならない、と歎く。お説のとおりで、ディストリビューターを取ってみても、今ではディストリビューター・レス・イグニッション(DLI)や、プラグキャップの先端に直接イグニッションコイルを配置しプラグコードをも廃止したダイレクトイグニッションへと移行している。
 BCNR33型やJZA80スープラRZはマフラーなどで出力を絞っているだけであり、吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンで400psの出力が発生する。わたしが乗るS80-t6もマフラーが大きなネックになっていて、370psはあるであろう出力を272ps(現行は304ps)に抑え込んでいる。100ミリほどのマフラーに換装したいのだが、社外品で適当なものが売っているのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月15日 06:28 | 固定ページリンク




葉山葵  | 一考    

 葉山葵(はわさび)の季節、わたしがもっとも好きな山菜である。灰汁が出ないので、葉山葵漬けは簡単にできる。採取時期は3月中旬から5月一杯と11月から12月上旬。荻窪の市場でよく売っていた。

 ①アルコールを飛ばした酒と醤油の同割の調味料を作っておく。面倒ならポン酢でも可。
 ②葉山葵を掃除し、2cmから3cm程度に刻む。
 ③笊に入れ、80度から90度のお湯を振りかける。
 ④よく絞り、十分に水切りをする。
 ⑤密封できる容器(タッパーなど)に入れ調味料を入れる。
 ⑥30分ぐらい、叩き付けるように振る。振るほどに辛みが出て旨くなる。
 ⑦冷蔵庫で一晩寝かすと出来上がり。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月14日 07:08 | 固定ページリンク




三好春樹さんの時事問題調理法  | 一考    

 生活とリハビリ研究所主幹三好春樹さんは介護分野の第一人者。ホームページのアドレスは以下のごとし。

 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/index.htm

 トップページ最下段に時事問題に関する発言が紹介されている。「二流国家同士のケンカ」「近代主義者には困ったものだ」「外国人労働者導入反対の理由」は是非お読みいただきたい。「近代主義者には困ったものだ」はモダニズムの全面否定で頗る個性的。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月14日 07:07 | 固定ページリンク




夏の風物  |   一考

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 病院の売店で蕨餅買ってくる。ちょいと高いと思ったら、あん黒蜜入りとやら、嫌な甘味が口に残る。餡は定番どおり漉し餡(白練餡)、原材料は葛粉である。
 蕨餅は澱粉と水、砂糖から作る和菓子。原料として蕨の根から取れる澱粉すなわち蕨粉が使われたため、蕨餅の名がついた。名古屋の芳光の蕨餅は著名だが、京都では餡入りが古くから親しまれてきた。それは分かっているのだが、今スーパー、むかし駄菓子屋で売っている安価な蕨餅がわたしの好みである。
 子供のころ、紙芝居と同じく、自転車やリヤカーで蕨餅や信楽餅を売り歩いていた。安価な蕨餅は、蕨粉の代用品として甘藷やタピオカから取られた澱粉、あるいは葛粉を原材料にしていた。蕨粉で作った蕨餅は昔から高級品だった。蕨粉だけのものは茶色がかった色で、無色透明にはならない。また品質が変化するので、冷蔵庫で冷すこともできない。和菓子屋と自転車のそれではまったくの別物で、わたしは涼しげな透明感、うんと冷した蕨餅が好みなのである。
 近頃、金を取るための高級化が流行っている、嫌なご時世である。高級化と云っても、餡が這入っているだけで、蕨粉を用いているわけではない。結局は擬い物に過ぎない。蕨餅や信楽餅もさることながら、わたしは安価な駄菓子そのものが好きなのである。

 麦こがし、ねじりおこし、みじん棒、豆板、芋羊羹、鉄砲玉、鼈甲飴、拳骨飴、肉桂玉(ニッキ飴)、きな粉飴、かるめ焼き、花林糖、塩煎餅などがあって、他ではサメの皮入り煮こごり、するめのゲソの甘露煮(これを食べ過ぎて腎不全になったのかも)、細く切った赤い紙で束ねた肉桂(ニッキ)の小枝、お好み焼きやアイスキャンデーも売っていた。露地裏の小店では菓子だけでなく、めんこ、べいごま、ガラスのおはじき、石蹴り玉、夏は花火、冬は凧や羽根を売っていた。
 駄菓子屋は保育所や幼稚園同様、こどもがはじめてデビューする社交場であり、社会である。家で天皇だった子供が、駄菓子屋で他者と出遇い、他者の存在を知る。それは失意と裏切りのはじまり、懐疑と自己否定、謂わば大人への登竜門などと書くと随分と如何わしくなってくる。「事更物々しく否定し、懐疑して得々たるが故に滑稽なのである」と長与善郎は著している。

追記
 当書き込みは04月05日の「入院セット」の書き込みと前後する。
 後日調べると、葛粉と蕨粉では葛粉の方が値が高いことに気づいた。


投稿者:   一考  日時: 2013年04月13日 15:51 | 固定ページリンク




衣揚げ  | 一考    

 某辞書では「江戸で発達したてんぷらは、明治以降も東京名物としてますます盛んになり、全国的に広まっていった。江戸前の海が東京湾と名を変えても、ここでとれる魚貝類はてんぷらに好適であったのである。羽田の穴子、小柴の濱の車蝦、沙魚、銀宝、女鯒、白鱚などはとくに有名だった。当時の東京のてんぷらは、衣を厚くしてごま油を用いて高温で揚げるので、表面がすこし焦げるぐらいに揚げるのを特徴とした。関西では薄衣をつけ、サラダ油などで淡泊に揚げたが、現在ではこの関西式の揚げ方が一般化している」
 書いたのは関西人と思われるが、この記述は間違いである。関東と関西では今もむかしも揚げ方ならびに油の調合はまったく異なる。胡麻油は常温で圧搾すると淡黄色の油が得られるが、わが国では事前に胡麻を炒る。従って、搾られる油は黄褐色で特有の香りと味をもつ。特に関東で使われる黒胡麻(くろしぼり)と云う胡麻油はその香りが強烈である。「えびはいさ どこにも勝る 江戸前は 油は胡麻の 香に匂ひける(酔狂老人卍)」
 関東ではくろしぼりをメインに、綿実油(最近は大豆油が増加している)などさまざまな油を調合するのにたいして、関西では綿実油をメインに1、2割ほど白胡麻(しらしぼり)もしくはくろしぼりを入れる。よって胡麻油特有の香りは関西ではほとんど見受けられないか、縦んばあっても淡い。
 子供の頃は値を気にしたことがなかったのでわたしには下手物も上手物もない。食い物に関してはただ旨いか不味いかだけである。で、この旨いか不味いかなのだが、これは慣れがものをいう。わたしは臭いや匂いに敏感で、例えば大蒜などは身体が受け付けない。同様に、胡麻油の香ばしさが強烈すぎて駄目なのである。従って、てんぷらは関西に限ると思っている。

 てんぷらが江戸の人気を博したのは屋台の食べ物として庶民に歓迎されたからで、天明(1781‐89)の頃の黄表紙には多くの屋台が登場する。それらの挿絵から推すに、屋台の天ぷらは串刺し、今日いう串揚げの先達だった。蜀山人の「左に盃をあげ、右にてんぷらを杖つきて(から誓文)」という一節も、当時のてんぷらの形状を示唆している。当初は、もっぱら屋台が中心だったが、嘉永(1848‐54)頃から居つきの店も多くなり、当時の著名料亭の中にはてんぷらを看板にする店も現れ、てんぷらは名実ともに東京名物となった。
 関東大震災で東京のてんぷら職人が関西へ移住したため,以降阪神地区のてんぷら技術は著しく向上したといわれる。その逆に天つゆの代わりに塩(粗塩の他、抹茶、柚子、山椒などを混ぜる)を用いる関西流の食べ方が東京へ拡がった。これはてんぷらに止まらず、関東煮、すき焼き、鮨、蕎麦など多くの技術の移転乃至東西融合が行われた。
 「此世をハ と里や お暇尓 せん古う能 煙りと供尓 者ひ 左樣なら(十返舎一九)」食べログのグルメレビュアーで識られる酔狂老人卍さんは著す。「昭和の頃天麩羅で名高きは、淺草「中清」、銀座「天金」、新橋「橋善」。この内、今になほ商ふは纔かに「中清」のみ。今をときめく天麩羅店は粗方、銀座「天一」、神田駿河臺「山の上」、神田猿樂町「天政」、茅場町「みかわ」の流れを汲む。何れも京坂の技法を取り込みたる輕やかな味はひ」 と。

 前述の辞書で「てんつゆは、みりん1、しょうゆ1、だし汁1の割合で混ぜ合わせ」るとある。これはとんでもない間違いで、だし汁の比率は4か5になる。作って食べてみれば分かったろうに、語釈を書くとはそこまで実証してみないといけないのである。天つゆは近代に這入ってからの食べ方で、江戸時代には醤油をかけて食べていた。
 余談ながら、湯豆腐のつゆの割合も天つゆと同じである。ただし、天つゆは甘く、湯豆腐のそれは辛く作らないといけない。従って、味醂を焼き味醂にする。現在の味醂の成分はアルコール分13パーセント前後,糖分37パーセント前後である。よって火をいれると入れないとではまるで香味が異なる。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月12日 08:09 | 固定ページリンク




練り天とてんぷら  | 一考    

 辞書の語釈というものは良い加減なもので、あまり信用できない。しかし、中には執筆者の名を明らかにしたものもあって、よくぞここまで調べたというような力作もある。前項で書いた粥についての語釈は感心させられた。先日、天婦羅について調べていて、
 「江戸末期、京坂でははんぺんの油揚げを「てんぷら」といい、いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」
 「上方では今日いう薩摩揚げをてんぷらと呼び,江戸ではもっぱら衣揚げをてんぷらと称していた」
 違う辞書だが上記のような箇所があった。ところで、水産練製品には、蒲鉾、竹輪、半片、真薯(しんじょ)、薩摩揚げ(鹿児島ではつけ揚げ)、伊達巻、摘入れなどがあって、それぞれに異なる。京坂でてんぷらと称したのは薩摩揚げのことで、半片のごとく柔らかい練製品は当時もいまも存在しなかった。後半の「いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」は概ね正しい。この著者は半片と薩摩揚げを同じものと思っている。一方、下段の語釈は正しい。
 ただ、ここで問題なのは関西のてんぷら屋はどこでもそうだが、水産練製品全般を取り揃えていて、薩摩揚げを指しててんぷらとは云わない。全体がてんぷらなのである。てんぷら屋と称するが、てんぷらとの商品は存在しない。個別に呼び名がある。しかもその名は一定の方針に則ってはいるが、店毎に異なる。
 例えば野菜焼きもしくはタマネギ焼きと云うのがあって、玉葱の微塵切りを中心の煉り物にパン粉を付けて揚げている。関東にも玉葱の微塵切りを中心の煉りものはあるが、素揚げでパン粉は用いない。そこで埼玉の大手の練り天屋に訊いてみた。そうすると、関西で人気商品なので作ったが、関東ではまったく売れないらしく、現在では生産していないとのこと。またいまでは流通が発達しているので、関東で関西向けの商品を、関西で関東向けの商品を作ることもある、と。
 ちなみに、パン粉を塗して揚げたカツレツ製品では、島根の赤てん、廣島のがんす、北海道のパンロールなどがある。
 練り製品と衣揚げの双方をてんぷらというのは混乱しないかとよく訊かれる。はなしの前後でそれとなく察しがつくから混乱することはない。混乱すると思えば、練り製品を練り天、衣揚げを天婦羅と云えば済むことである。「江戸の三味」すなわち、蕎麦・寿司・てんぷらは江戸(東京)の郷土料理。衣揚げをてんぷらと称したのは江戸地方だけで、練り天をてんぷらと称したのは上方に止まらない。今でも和歌山、九州、四国、中国地方へ行けばてんぷらは練り天を指すのが一般的である。
 フランス料理のクネルが薩摩揚げに相応するとの意見もある。確かにクネルは摘み入れの一種だが、主としてクリーム煮にて頂戴する。よって揚げ物ではない。ちなみに、てんぷらの文献上の初見は1669年(寛文9)刊、京の医師奥村久正による「食道記」である。文中、「てんふらり」に「小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」と記されている。これは小鳥のミンチを餡掛けにしたもので、この記述では揚げ物と限定していない。この方が薩摩揚げよりはクネルに似ている。
 「上方流と江戸流では実体の違っていたてんぷらが、衣揚げこそてんぷらであるというような地位にのしあがっていったのは、《言海》はじめ多くの近代国語辞典が江戸流てんぷらだけを採択したせいかと考えられる。明治以降、方言が中央語に収れんされていく過程でてんぷらも巻添えをくったものであろう」と書いたのは平田万里遠さん、これなど肉声を鏤めた見事な語釈で、編輯者の手前なかなか書ける文章でない。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月11日 08:24 | 固定ページリンク




饅(ぬた)について  | 一考    

 大体が、触穢(しょくえ)などという概念を屁とも思わないわたしなれば、「店家物は穢れ無し、店家物で為済、店家火とて銭一文出し穢家の物を食ふ忌服穢なし(譬喩尽)」をどう思うかと問われても、意見の持ちようがない。ただ旨いからとしか云いようがない。
 福原で育ったせいか、こどもの頃から店屋物が好きだった。店屋物には料理屋、蕎麦屋、鮨屋などの飲食店で売っている食物。またはその店から取り寄せる食物、の二通りの意味がある。わたしは出掛けるのが好きで、取り寄せたことはほとんどない。そもそも、店で食べる方が旨いに決まっている。
 ところで、上記の蕎麦屋と鮨屋だが、阪神だと少し様子が異なる。高級鮨屋は別にして、蕎麦屋ならぬ饂飩屋が大方で、温飩のあるところ蕎麦があって、蕎麦のあるところ天婦羅があって、さらに簡単な鮨がある。それが通常いう町の饂飩屋である。他にも酒肴がいろいろあって、特に饅(ぬた)あえはお気に入りだった。その饅について一言。これは余談だが、羹(なます)は温飩をいう女房詞。

 饅は和え物の一種。鮪、烏賊、蛸、蛤、浅蜊、青柳などの魚貝類に葱、分葱、韮、若布(わかめ)などを配し、酢味噌などで和えたもの。江戸時代には、ぬたなます、ぬたあえと呼び、「料理網目調味抄(1730)」には「饅膾(ぬたなます)は酒の糟、酢、芥子を以てあゆるを云也」とある。また、より古く室町末期ごろの成立とされる「大草家料理書」には「のたあへ鱠」との料理があり、酒粕に大豆粉などを合わせ、酢を加えて擂り伸ばしたもので魚を和えるとしている。「のた」「ぬた」は共に酒粕に酢を加えることを基本としている。
 ここで問題になるのは、室町期から江戸期にかけて酒粕と酢を用いていたものが、現代では酢味噌に化けていることである。正確には辛子酢味噌だが。酒粕は独得の風味と甘味があって奈良漬け、わさび漬け、魚や野菜の粕漬け、もしくは粕汁に用いられる。分葱と烏賊の饅がわたしは好きだが、酒粕を少量いれてみたところ、まったく旨いと思わなかった。酒粕の渾った味わいが味噌の舌触りまで渾ったものにする。やや甜い味噌と鼻へ抜けるような辛子と食酢の酸っぱさの三拍子にはかなわない。「若芽出でて古根枯るる」と云うが、饅は新陳代謝によって香味がシンプルになり見違えるように旨くなった。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月10日 10:41 | 固定ページリンク




河北の陳蕎麦  | 一考    

 「冷たい肉蕎麦」は、山形県河北町の郷土料理。鶏肉(歯応えのある親鶏すなわち陳鶏のこと)と葱を上置きする。つゆは鶏だしで冷製、延びないように冷やして出したのが始まりと云う。また、延びにくいということで酒の肴としてあてがわれる。 冷やしすぎると鶏の脂が固まるため、冷たいというよりはやや常温に近い。 地元では温かい肉蕎麦も供されるが、冬でも冷たい肉蕎麦を注文する客が多い。余談ながら、陳鶏(ひねどり)の燻製はすこぶる美味。西明石のですぺらで最も売れた肴のひとつ。

 尾花沢発祥の郷土料理に「だし」と云うのがある、出汁ではなく和え物である。茄子、胡瓜、紫蘇、茗荷、葱、生姜、オクラ、昆布など、夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油、酒などで和え、一晩ほど寝かせる。大皿に盛り、各自が適量を温かいご飯に載せて食べるのが一般的。冷奴の薬味として食べられることも多い。蕎麦つゆと同割で、麺に絡ませる食べ方もある。「だし」に似た和え物を蕎麦に絡ませるのは東北に多い食べ方。
 この尾花沢の「だし」を近所のスーパーで買ってきた。1914年創業の庄内町のマルハチが「山形のだし」を商標登録しているが、そちらは調味料が濃厚。わたしが購入したものは他に四、五種類売られている「だし」のひとつで、マルハチのそれと比して甘味がなく、淡い酸味が心地よい。

 長野県北部から新潟県西部にかけて、「やたら」という呼び名で同様の郷土料理がある。ぼたんこしょう、茗荷、丸茄子、大根味噌漬けが基本材料。子供の頃によく食べたが、こちらは食べる直前に混ぜ合わせる。上越ではこの「やたら」を上記「だし」同様、蕎麦に絡ませて食べる。
 同地域でもう一品、「こしょうみそ」と称する郷土料理。材料はぼたんこしょう、砂糖、味噌、青紫蘇。ぼたんこしょう別名ぼたごしょう(上越ではそう呼称していた)は激辛ピーマン、斑尾山麓の長野県中野市永江地区で栽培される。ぼたんこしょうは微塵切り、青紫蘇は細切りにする。鍋に味噌と砂糖を入れて弱火で混ぜる。砂糖が溶けたら、ぼたんこしょうを入れて10分位練り、青紫蘇を加えて良くなじんだら出来上がり。今なら、「やたら」より「こしょうみそ」を好むだろうが、幼少時は「やたら」ですら、やたら辛いと思った。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月09日 07:22 | 固定ページリンク




再発  | 一考    

 サイトメガロウィルスが再発して五日目、いつ下血がはじまるのか、心して待っている。半年から一年ぐらいは大丈夫と思っていたのだが、僅かに一箇月。うまく行かないものである。どうせなら戸田の病院で死にたいと思っている。この期に及んで病院が変わるのはうんざりである。

 食事は低残渣を意識して粥に切り替えた。おそらく二、三週間は粥三昧になると思う。掲示板で和えものや嘗めものの紹介が繰り返されるのは粥に理由がある。同じ食するならより旨いものを食べたいからである。
 もともと粥と雑炊の境界は曖昧で、大根や葱などの具を刻みこみ味噌で味付けをして炊いた粥が雑炊の走りとされる。古くは「みそうず」といい、女房詞では「おみそう」「おじや」といった。「みそうず」は未曾水、醤水などと書かれ、味噌で味をつけたのが由来。雑炊も当て字で古くは増水と書いた。江戸期以降、醤油が一般に普及しはじめるが、それまでは味噌しかなかった。
 現在では雑炊と粥との違いは味付けするかしないかに収斂されるが、これはあくまでも慣習に起因する。さして意味のないものと解釈していただいて結構である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月09日 07:16 | 固定ページリンク




三歳児のお襁褓  | 一考    

 部屋替えによって見られなくなったが、前の病室の下には児童公園があった。幼児から小学生が対象である。小学生に個体差が出るのは当然として、幼児にも顕著に現れるのを見ていろいろと考えさせられた。
 小学生の方から書くが、毎日来るグループのなかに、いささか体力に自信ありげな少年がいる。彼だけはランニングシャツで一回りがたいが大きい。そして何かにつけてボディビルや空手を思わせるような恰好をする。ところが今はサッカー全盛である。ボディビルは流行りでない。彼も走りとなるとさっぱりである。俊敏さに欠けるというか、ボールは遠くに行っているのにひとり取り残されている。
 ある日、グループでトラブルがあって、喧嘩の真似事がはじまった。当然、がたいの大きな子が勝つかと思ったが、豈図らんや、サッカーに長じた痩身の弱そうな子が勝った。まわりもその子を後押ししている。これは流行りの勝ち負けであって、個々の図体の問題でない。
 幼児の方である。最初に気付いたのは縄跳び。覚えの早い子は縄を回す前に身体が動いている。リズムを取っているのである。こういう子は二重跳び、三重跳びも軽くこなす。一方、間怠っこい子は回した縄を見詰めていて、足下にきてから足を上げる。よって頻繁に縄に足が引っかかる。なにごとも経験という、確かに経験がいつの日かじれったさを補ってゆく。それまではひたすら跳び続けるしかない。
 ももいろクローバーZとかいう健康的なアイドルグループがあって、身体を空中で海老反にする演出がある。ある幼児がそれを真似していたのだが、見事な運動神経だと思った。また、走り出すとその差はうんと強調される。先頭の子が走り出しているにもかかわらず、2番手3番手はまだ用意どんの段階である。
 さて、個体差を強調したのは他でもない。幼稚園児、要するに3歳児のお襁褓が禁止された。それが理由で幼稚園へ入園できない子供が続出している。お襁褓の禁止にどのような意味があるのだろうか。1歳、2歳でお襁褓が取られれば結構でないか。そしてなかには4歳、5歳でお襁褓が必要な子だっている。このようなことは文部省が決めるようなことではない。鈍臭いのは役所の大人の方である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月07日 06:18 | 固定ページリンク




梨とカリウム  | 一考    

 今回の隣人は腎移植の手術を済ませ、週末には退院という男子学生。両親は腎不全をよくご存じで、ドナーは父親。初期の慢性腎不全から即移植ということで、シャントも透析も経験なし。経験があるのは腎生検のみ。非常に珍しいケースである。
 同級生をはじめ、毎日見舞客が引きも切らず、病室にはフルーツや花が溢れかえっている。梨が好物だったが、カリウムの制限で食べられなくなったと。ところが、移植でカリウムの制限がなくなり、フルーツを食べることで頭が一杯。ポテトチップを親に所望していたが、なにを考えているのか。将来の人工透析を踏まえての制限食が望まれるのだが。
 人生バラ色の方で、温泉と旅行とテニスのはなしばかり。テニスは全国大会の腕前らしく、リハビリや筋トレを考えているらしい。医師が筋トレと温泉だけは駄目ですと念を押す。そもそも腎不全がどういう病かご存じないようである。
 やがて、希望がひとつずつ消えてゆくに違いない。移植が成功したからと云って、健康なときの状態に戻るわけではない。死ぬまで移植腎が機能し続ければよろしいのですが。まあ、頑張ってみてください、としか云いようがない。

 上記に関して看護師との会話、看護師、わたしの順。
 「まだ、シャントしてるんだ、どうして」「移植しても全員シャントはそのままですよ」「どうして」「また、必ず使うからね」「・・・・」「移植腎は何時までももたない、いつか必ず透析にもどるからね」「そんなこと医師が云ったの、インターネットで調べたの、でたらめよ」以上は学生でなくちゃんとした看護師の弁である。それも、泌尿器科と消化器外科の病棟の看護師である。開いた口が塞がらない。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月07日 06:17 | 固定ページリンク




火曜日の結果次第  | 一考    

 サイトメガロの数値は2。下血もしくは腹痛がなければ、様子を見ようとのこと。ヘモグロビンが下がっているが、この際どうでも良い。
 サイトメガロが陰性になったのは大下血の次の日の2月25日、よって40日ぶりの陽性反応である。本日の血液検査の結果が出るのは週明け、その数値を確認の上どうするかを決める。数値が10になれば確実に炎症が進捗する、もしそうなれば躊躇なく入院である。緊急避難用にバリキサを7錠もらってきた。
 拙宅では当然血液検査はできない。しかし、糞便の状態から憶測することはできる。消化能力が落ちているので、野菜を食べれば植物繊維がほぼ原型のまま糞便に残る。その残渣の程度から潰瘍の状態を逆算するのである。これはかなり有効な方法である。

 いずれにせよ、入院しなくて済んだのは嬉しい。そこで日本酒を買ってきた、灘の生貯蔵酒である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月06日 17:37 | 固定ページリンク




赤紙  | 一考    

 血圧、体温に異常はない、とりたてて腹痛もない。よって現状では入院になるかどうか分からない。最悪、入院になっても土、日の入院でデノシンの大量点滴で済めばよいと思っている。しかし、どのようになろうと諦めと云うか、覚悟は出来ている。ひょっとすると深夜から生死に関わるような下血がはじまるかもしれない。
 動ける内にと思って、部屋を片付けている。野菜を2週間分買ったばかりだが、こちらは手を付けずに出掛ける。ただし、湯通しするもの、水に浸すものなど、それなりの処理は施してゆく。牛蒡はそのままだと萎びてしまうが、千切りにして水に漬けておくと1箇月は持つ。
 電話は外来の小牧さん、何時もお世話になっている看護師である。本当はもう一言説明が欲しいところだが、わたしが相手ならサイトメガロが陽性になったで十分かもしれない。退院前日の3月14日から22日の検査までは陰性だった。折しもあれ、爆弾低気圧とやら、腹模様にも似て。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 22:52 | 固定ページリンク




サイトメガロ陽性反応  | 一考    

 4月4日に血液検査をした。その内、タクロリムスは5.5だったが、セルセプトとサイトメガロウィルスの結果がさきほど判明した。かなり危険な数値が出たようで、病院側は下血を心配している。明日午前中に来院するようにとの電話があった。前項で書いたように、入院セットは持ち歩いているので大丈夫だが。

 4月6日土曜日にですぺらへ行く予定にしていた。酒は無理なので面倒を掛けた病院の事務員もしくは看護師を同伴、代わりにお飲みいただこうと思っていたのに中止になった。残念である。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 18:01 | 固定ページリンク




入院セット  | 一考    

 下血から入院までの時間差をなくすために、入院セットを拵えて車に積み込んだ。寝間着、下着、お襁褓、洗顔・風呂・洗濯・食卓用具、携帯ラジオ等々である。医師もそれには賛成で、戸田まで来る時間がなければどこでもよいから病院へ飛び込みなさいとのことだった。必要なのは内視鏡と輸血とはいえ、下手な医師だと穿孔の虞がある。
 医師と相談の上、ステロイド薬を減らした。其の他8種類の薬は同じだが、なぜかイソジンが追加されている。口腔の殺菌・消毒効果があるうがい薬だが、どうして処方されたのかしら。
 クレアチニン、尿酸、ヘモグロビンなどに異同なし。免疫抑制剤の血中濃度にも大きな異同はないものの、免疫抑制剤の抑制がどうやら効いていないようである。それで量を僅かに増やしたり減らしたり細かい操作をしている。もっとも、一部の結果はまだだが。

 銀行に用があって雨のなか松戸まで乗り合いバスで出掛けた。腰の調子がよくなったので、3月15日以来久しぶりに買い物を兼ねての外出である。
 能美市の金鍔と蕨餅を買ってきた。どちらも掲示板で書き込んだもののうち、わたしが食べたかった商品である。当然、餡の這入っていない普通の蕨餅である。
 序でに蓼科高原「わけあり割ラスク」を買ってきた。茅野のわけあり商品がなぜ三郷で浮上するのか不思議だが、パンについては発酵食品で書き込んだばかりである。醗酵にせよ、残渣にせよ、そこまで神経質になる理由がよく分からない。
 潰瘍性腸炎における食事制限が透析時代の食事制限と比して、内容はともかく、範囲は腸炎のそれの方が厳しい。下血がはじまったときに高残渣食品や醗酵食品の制限が有効になるが、どのみち出血を止めるには20日ほどの禁食を続けるしかない。だとすれば、普段の生活で神経質かつ孱弱になる必要もなかろうにと思う。
 思いはするものの、内視鏡で散々に潰瘍の痕を見せつけられてきた後である。それを思い起こせば醗酵食品よりも高残渣が気になる。ならば醗酵食品はほどほどにして、植物繊維の摂取を削るによくよく心すべきである。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 17:40 | 固定ページリンク




オーロラソース  | 一考    

 病院のオーロラソースについて苦言を呈しようかと思ったが、そもそも高級と名の付くレストランでオーロラソースを旨いと思ったことがない。香辛料についての知識が浅薄なのである。そして病院のそれは香辛料など月並みなものしか使っていない、それを云々するのは可愛相。洒落たつもりだろうが、よく分からない料理に手は出さない方が良いに決まっている。
 オーロラソースのオーロラは極光(白色)でなく、ローマ神話の曙の女神アウロラからきてる。ホメロスの叙事詩にいう「薔薇色の指をもてる」「番紅花(サフラン)色の衣をまとえる」女神である。
 病院では花甘藍(カリフラワー)をよく使う、それが理由でサフラン色にしたいのだろう。オーロラソースの基本はマヨネーズ大6、ケチャップ大1、生クリーム大1、ブランデー小1、檸檬汁小1、タバスコ少々、ウスターソース少々。スパイスはセロリ、タラゴン、デイル、オールスパイス、パセリ、カエンペッパー、ファインハーブ、胡椒、塩から選択。
 序でに、カリフラワーは塩と小麦粉同量を加えて茹でる。茎を上にして落とし蓋、硬く絞った濡れ布巾を2枚被せたまま冷ます。市販のマヨネーズを用いるときはどんなときでも生クリームと少量の砂糖が必要、嘘のように旨くなるのでお試しあれ。
 オーロラソースは元来がサラダ用のソースだが、いっそ和風で酢味噌、梅肉和え、すき焼き風味の方がよほど美味だと思うのだが、いかが。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 08:17 | 固定ページリンク




種物  | 一考    

 岩手県陸中海岸の腹子蕎麦について書きたくて稿を起こした。
 岩手県南部の鼻曲がりの鮭は有名だが、三陸沿岸を遡上する鮭の腹子をかけ蕎麦に上置きした郷土色豊かな種物。手がやっと這入るぐらいの熱い湯で筋子の表皮(この表皮がもっとも生臭い)をとり、ぱらぱらにほぐしてイクラにしてから蕎麦の上へ配う。暖かい出汁を入れるが、イクラがちょうど半熟になるように仕上げる。生臭さを除去するために軽く白濁しない程度の温度が良い。温度が高いとイクラは白く濁って臭みが出る。低いと生のままで、違った意味で生臭い。そのところの兼ね合いが難しい。

 汁蕎麦にいろいろの具を配ったのが種物で、加薬(かやく)蕎麦とも呼ばれた。ただし、月見かけ、納豆かけ、おろしかけ、狸かけと呼称した。幕末ころまでに花巻き、霰(あられ)、天婦羅、卵とじ、鴨南蛮、おかめなどが売り出された。花巻きは焼海苔、霰は馬鹿貝の柱をのせたもの、鴨南蛮の南蛮は葱のことである。おかめは結び湯葉、蒲鉾などの具を上置きしておかめの面をかたどったもので、卓袱もほぼ同じものである。
 地方の名物蕎麦には、青森県の津軽蕎麦、岩手県盛岡の椀子蕎麦、福井県のおろし蕎麦などが知られ、身欠き鰊を巧みに生かした京都の鰊蕎麦も独特の風味をもつ。そのほか蕎麦切りの食べ方としては、蕎麦鮨、蕎麦サラダなどがある。
 調べただけでも33種類の現行の加薬蕎麦があって、なかには奇想に属するものあり。そのうちに紹介する。

 下記の麺類雑学辞典はお薦め。
 http://www.nichimen.or.jp/index.html


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 08:15 | 固定ページリンク




嘗物2  | 一考    

 嘗物(なめもの)は、塩辛、醤(ひしお)、嘗め味噌など半固形体の副食物の総称。醤は古くは比之保と書いた、味噌や醤油の祖型。戸田中央総合病院では粥に醤や嘗め味噌を入れて食べたが、これは昔からよくある食し方。
 前項の北京味噌は北京ダックに用いる北京味噌でなく、通常の焼き味噌に大蒜を加え甜麺醤を入れて甘くしたもの。それを浅い盃(さかずき)に塗り付けて炙る。

 なお、魚醤(ぎょしょう)は醤から発展したもの。わが国では秋田の塩汁(しょっつる)、能登の魚汁(いしる)、香川のいかなご醤油、広島の牡蠣醤油、北海道の鮭醤やほっけ醤油、熊本の隠しあじの達人、南知多町豊浜のしこの露、新潟の南蛮えび醤油、大分県日田市や秋田県横手市で開発された鮎魚醤などが知られる。南米や南欧のアンチョビーソース、ベトナムのニョクマム、タイのナンプラーなども魚醤に含まれる。

 醤と嘗味噌について書いたので、味噌と醤油の関係について一言。
 江戸の頃まで醤油は庶民にとって大変貴重な調味料だった。醤油が普及する以前は、酒と鰹節と梅干しでつくる煎酒(いりざけ)で刺身を食べた。他方、蕎麦を食べるときは、現在の醤油ベースのめんつゆでなく、味噌から作る煮貫(にぬき)で食べていた。
 江戸っ子は外皮や甘皮も除去したぬき実を製粉した白い蕎麦を持て囃した。魚や鶏肉に熱湯をかけて霜降りにするのも灰汁抜きが目的だが、蕎麦の実も徹底的に灰汁抜きして嗜むのを粋とした。いわゆる一番粉のことで「さらしな」とも呼ばれる。
 原料ソバは石臼にかけてゆっくり挽くが、粉の歩留りは70パーセントほどである。歩留りを高くするほど粉は黒くなるが、風味はかえって良くなる。一番粉や二番粉とは別に挽きぐるみがあって、外皮をとっただけで全部挽くか、外の殻まで一緒に挽いたもので、色が黒くごつごつした感じである。出雲蕎麦や出石蕎麦などはそうした蕎麦粉が使われる。江戸っ子は見て呉れにこだわり、繊細な香りには一顧だにしなかった。
 「料理物語(1643)」には生垂(なまだれ)、垂(たれ)味噌、煮貫の名が見える。生垂は味噌1升を水3升でといて袋に入れ、滴り落ちる液汁を濾したもの。垂味噌は「みそ一升に水三升五合入せんじ三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候也」とあって、3升ほどに煮詰めて生垂同様に濾したもの。煮貫は生垂に大量の鰹節を入れ、煮たてて濾しとったものとされる。江戸時代の料理書には「常の如く」とか「よき加減に」などとあり、分量など詳細については書かれていないことが多い。それこそ常の如し。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月04日 14:57 | 固定ページリンク




嘗物の梅びしお  | 一考    

 低残渣食に嘗め味噌は付きもの、塩味のない粥を食べるに必要なのかもしれない。緊急入院3追記15で梅醤(うめびしお)について触れた、そこで一言。
 梅醤に似たものに梅が香、梅醤油(うめじょうゆ)がある。
 梅が香は梅肉を裏漉しして大量の鰹節と合わせ、少量の醤油と酒で味を整えながら伸ばしたもの。懐石にも使われ、ですぺらで人気の肴だった。「合類日用料理指南抄」(1689)に掲げられている。
 梅醤油は通常云う梅肉のこと。塩抜きした梅干しを裏漉しにかけ、醤油を加え酒で伸ばす。鱧の湯引きの他、さまざまな魚貝類や野菜などの和え物に用いる。一部の地域では鱧に酢味噌を用いるが、あれはもっての他。
 梅醤は塩抜きした梅肉に砂糖を入れてジャム状にしたもの、江戸時代に愛好された。同様のものでは鉄火味噌、鯛味噌などが知られる。

 鉄火味噌は江戸の庶民が愛好したもの。江戸時代すでに鮪は定置網漁業の発達によって庶民の食べ物だったが、それとはまったく関係ない。鉄火味噌の鉄火とは鉄火場の雰囲気を唐辛子の辛さでもって表現せしもの。大豆、刻み牛蒡、麻の実などを胡麻油で炒め、赤味噌、砂糖、味醂、生姜、赤唐辛子の微塵切りなどを加えて練り上げる。
 江戸の鉄火味噌に呼応するのが京阪の鯛味噌と桜味噌。鯛味噌は鯛を蒸してほぐしたそぼろを、砂糖、味醂などで味をつけ、味噌を加えて練り上げる。最後に水飴と片栗粉を加えて仕上げる。大坂の料理屋八百源の売り出し。現在では市販品の多くが鱈、竹麦魚(ほうぼう)、鰈などの白身魚を用いる。桜味噌は牛蒡、生姜などのほか水飴や砂糖を加えた甘いもの。
 江戸後期の三都に共通して見られたのは径山寺(きんざんじ)味噌で、嘗味噌(なめみそ)の代表選手。煎った大豆を挽き割り、麦麹と塩を合わせ、塩圧した瓜、茄子、生姜などを刻んで混ぜ、さらに茴香、山椒、紫蘇などを加え,密封して3箇月ほど熟成させる。風味のよい赤褐色の味噌である。「金山寺みそは紀州若山金山寺の名物にて、江戸に流行出しは享保年中よりとなむ」と「嬉遊笑覧」に書いてある。享保は他の文献で調べても正しいが、和歌山に金山寺という寺はない。
 嘗味噌にはご当地物が多く、柚子味噌、鶏味噌、胡麻味噌、生薑味噌、牡蠣味噌、榧(かや)味噌、蛤の剥き身を加える時雨(しぐれ)味噌、田楽味噌、甘口の八千代味噌などがある。なお、八千代味噌は最近味噌つけ麺に使われている。
 新しいところでは岩手県紫波町の「ばっけ味噌」。岩手では蕗の薹をばっけと云う、そのばっけを突きいれた味噌で、蕗の薹のほろ苦さを楽しむ和え味噌。同じく岩手県奥州の「弁慶のほろほろ漬」。人参、胡瓜、大根、茄子、紫蘇の葉などを細かく切って塩抜きし、醤油と味噌の中間のようなもろみ(唐辛子入り)と混ぜ合わせて熟成させた刻み漬け。

 嘗味噌のバリエーションに焼き味噌がある。杓文字や盃に味噌を塗って炙ったもので、飛騨の郷土料理朴葉(ほおば)味噌や帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」に取り入れられた鉄火味噌は有名。焼き味噌は当初、味噌、鰹節、おろし生薑、大葉を混ぜていたが、やがて蕎麦味噌や北京味噌などさまざまな種類が派生し、左党を娯しませている。奴豆腐には梅が香が似合うが、焼き味噌を添えるのも一興。
 鉄火味噌について一言。鉄火味噌は八丁味噌と根菜(牛蒡、蓮根、人参、生薑)を胡麻油で炒める。梅醤の鉄火味噌と間違わないように。梅醤は練り味噌、こちらは焼き味噌。余談ながら、鉄火味噌は極陽性食品、貧血防止になるそうな。塩分が気にならなければ、わたしに相応しいのかも。
 梅も味噌もわたしの好物であり、北京味噌を専門とする大阪阪急の居酒屋には、よくお邪魔した。今ではその梅も味噌も食べられなくなってしまった。「焼味噌を好く者は金得延ばさぬ」(「えのばさぬ」はふやせない、貧乏するの意)、金を命に置き換えれば今のわたしである。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月04日 00:25 | 固定ページリンク




木の葉丼と蒲鉾  | 一考    

 「辺つ風」で、山陽、中国の窯元へ行きたいと書いたが、明石からもっとも近いのは篠山市今田町上立杭である。車なら1時間半ほどで行く。そこに立杭陶の郷があって、レストランがある。そこの木の葉どんぶりが滅法旨い。過去、木の葉どんぶりなど旨いと思ったことはないのだが、ここのどんぶりは蒲鉾が少なく山菜が大半を占めている。それなら山菜どんぶりに名称を変更すればと思うが、よほど店主が木の葉の名が好きなのであろう。もしくは木の葉とは山菜のことと思い込んでいるのかもしれない。篠山名物の鴨や猪肉のどんぶりもあるのだが、わたしは陶の郷へ行けばいつも木の葉どんぶりを食べていた。

 どんぶりの端緒はうなぎどんぶり、簡便な方式が庶民の愛好するところとなり、「江戸名所図会」に見られるごとく「丼物」なる語を生むに到った。鰻丼、天丼、カツ丼、親子丼、開化丼(親子丼の鶏を牛肉に)、牛丼、鉄火丼、木の葉丼など種類はさまざまである。掛け蕎麦の種物ほどではないが、20種類ほどある。
 鉄火丼のみ、寿司米を用いる。木の葉丼は通常、蒲鉾、椎茸、長葱を用いる、店によって鶏卵も。

追記
 木の葉丼の具材、蒲鉾について一言。魚肉を擂りつぶし竹串に塗って焼いたものの形が蒲(がま)の穂に似ているところから蒲鉾と呼んだ、と室町時代中期の古文書に見える。要は竹輪である。古文書とは「四条流庖丁書」(1489)と「宗五大双紙」(1528)。
 小田原式の蒲鉾が現れるのは江戸末期。蒲鉾の命ともいうべき強い弾力を「足」と称する。現在は弾力補強剤として臭素酸カリウムを擂潰(らいかい)の際に加える。多くの煉り物同様、塩分もしくはカリウムが多く、ハムやソーセージと共にわたしには禁制品のひとつとなった。
 なお、板つき蒲鉾には小田原式の蒸して作る蒸板(むしいた)、京阪地区に多い蒸し上げてから表面を焼く焼板(やきいた)、関西各地のはじめから焙焼(ばいしよう)する焼抜(やきぬき)の3種がある。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月03日 06:57 | 固定ページリンク




醗酵食品  | 一考    

 パン並びにバターとマーガリンは控えるようにと云われた。パンは残渣の問題にあらず、醗酵食品が理由である。許可が出たのは食パンのみ、それも一日一枚まで。それはともかく、バターやマーガリンが罷り成らんとはこれいかに。もっとも、入院中は各種ジャムしか当たらなかったが。
 原料油脂が植物油であれ植物硬化油であれ、乳化剤や乳成分が添加されるのは当然。それ故にバターとマーガリンが融会混同されるのであろうか。
 前項で書いた発酵食品のうち、わたしの食生活で觝触するのは、酒、酢、味醂、醤油、味噌、鰹節、紅茶、烏龍茶そしてパンだが、量を摂るのは紅茶と烏龍茶である。透析時代なら引っ掛かっていた緑茶が移植によって今では問題なし、紅茶と烏龍茶双方を緑茶に切り替えればうまく収まる。
 酒、味醂、醤油、味噌、バターは元来控えている。従って酢、鰹節、パン、マーガリンの四点が觝触する。酢は塩の代わり、鰹節は塩と出汁の素の代わり、マーガリンは乳製品すなわちバターの代わりとして摂取していた。出汁の素、バター、醤油、味噌はいずれも塩分の塊のような食品である。
 パンは量は減らすが止めるつもりは全くない。一々云うことを聞いておれば、粥と菠薐草の浸し物しか食えなくなる。JAと書くと問題が生じる、米問屋から賂でも貰っているのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月03日 06:55 | 固定ページリンク




ジオスとマージ  | 一考    

 東間医師と話し合い、貧血と低血圧とがまったくの別物と聞く。目から鱗とはこのこと、わたしは医学に関してあまりにも無知だと思う。簡単に書けば、貧血は血液中のヘモグロビン濃度が低くなった状態をいい、低血圧は最大血圧が100〜110mmHg以下の場合をいう、とあるが、100ぐらいなら普通だと思うが。わたしのそれは貧血で、度重なる失神のはなしをしたところ、医師も調べてみようとのこと。

 東間医師は自転車好き、以前に著したようにイタリアのジオス、正確にはジョスに乗っている。1948年設立、本拠地はイタリアのトリノ。ちなみに、チネリはチネッリが、マジーはマージが正しい。
 わたしが乗っていたマージは梅木英治さんに譲ったが、気に入りの自転車だった。もっとも好きだからこそ彼に譲った。往事のジオスの鋼材はコロンバス、マージの鋼材はレイノルズ531、違いはレイノルズの方が剛性が低く靭やか、一方コロンバスは剛性が高くハードな乗心地。
 かつジオスの方がシートピラーが立っており、マージと比してフレームサイズがずんと短い。要はジオスが現代的、かつプロ向けの自転車ということになる。
 その後、わたしはコロンバスを乗り継ぐが、やはり乗心地が堅く、やがてチタニウム、アルミニウム、ジェラルミンなどの柔らかい自転車に乗り換える。今では舶来でなく大阪のアラヤのアルミニウムのトリプルバテッドのフレームを自家用に持っている。理由は自分の体力の限界を知ったからで、プロの乗る自転車はわたし向けでないと悟ったからである。もっとも、それすら乗られなくなってしまった。
 東間医師と自転車のはなしをはじめると、他の医師は呆れかえった顔でそそくさと退室、遊びの世界とはそういうものなのです。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月02日 00:22 | 固定ページリンク




車と吸排気  | 一考    

 このところ入院がつづき全く乗っていないので、折角購入したボルボS80-t6に愛着が湧かない。実はスタイルや車の寸法すら頭に這入っていないし、エンジンの癖もよく分かっていない。ダッシュボードの改造もまだだし、ETCの手続きさえ済んでいない。明瞭なのはエンジンがポルシェの設計であり、セルシオよりボディの幅が広いということぐらいで、前の850-t5の方がよほど記憶に鮮明である。
 そもそもグレーが好きでないのだが、車は道具、色なんぞ詰るところはどうだってよい。要は走るか走らないかである。その点、ボルボS80-t6はよく走る。ただし、四輪駆動と二輪駆動が選択できるので燃費はよろしくない。燃料消費率6.2km/Lとなっているが、現実には5.0kmから5.5kmが精一杯である。
 4速ギヤ1880回転で100km/h、3380回転で180km/h、これほど低い回転数であれば高速道路での巡航は向かうところ敵なし。この車の新車価格をわたしは知らなかったが、8520000円だそうである。
 足回りの改造は考えなくもないが、明石へ引っ越せば毎日自動車商会という行きつけの自動車屋がある。彼なら説明しなくても、ことごとく了解済みである。かつて1Gや1Jを気が済むまで改造してもらった。まず、吸排気だけでも変えたいと思っている。

追記
 スバルのBRZがトヨタの直噴技術である「D-4S」を組み合わせただけで120psから200psに化けた。さすがにトヨタの実力である。あの回らないスバルのエンジンをよくぞ蘇らせた、レースでの実績はこのところ目覚ましいものがある。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月02日 00:17 | 固定ページリンク




道路交通法マナーバージョン  | 一考    

 病窓から戸田公園駅が見える、駅から戸田中央までは一本道である。その道を電動車椅子が走ってくる、四つ辻を斜めに突っ切って一方通行の道へ逆走で這入ってゆく。運転者は婆さんなのだが、道路交通法をご存じないようである。
 昨今、自転車の無法走行が問題になっているが、ここ戸田も朝の通勤時、自転車の一方通行逆走、右側通行、一旦停止無視、信号無視、大人の2人乗り、携帯電話、雨天の傘等々は常態化している。取り締まればきっと大混乱が起きるに違いないが、と云って捨て置いて良いものでもあるまい。
 例え弱者であろうと、軽車両の入手の段階で道路交通法マナーバージョンを学ぶ(敢えて「学ばせる」ではない)べきでないだろうか。
 あまりに常識的すぎて書くのが躊躇われるが、同じ自転車乗りとして一言述べておきたい。

追記
 同じ一方通行を125ccの小型バイクが逆走、ドライバーは女性、戸田は一体どうなっているのだろう。この女性、先々週も逆走していたような。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月01日 01:40 | 固定ページリンク




衛生マスク  | 一考    

 看護師がN95マスクを着用しなければならない患者2人が入院した。1人はわたしが輸血を受けたナースセンター内の病室A1422(4階の最終番号で窓が一切ない)で、重度の治療が必要である。いま1人は個室、共に五月蠅いほどシーリングチェックをしている。詳細は分からないが呼吸器感染症に違いない。
 N95は細菌の遮断効果が要求されるマスクで、不織布の中にフィルターとしてグラスウールと活性炭が這入った3層構造のもの。もっともこのマスク、15分以上は苦しくて使えない。手術用のサージカルマスクなどとは区別し、レスピレータ(呼吸用保護具や防塵マスクとも呼ばれる)と呼ぶ。サージカルマスクは装着者の側から発する飛沫の拡散を防ぐために用いるが、レスピレータは装着者を空気中の微粒子(有害物質やウイルスなど)から防ぐために用いる。なお、N95は普通に販売されているが、微粒子用マスクなど何に使うのかしら。
 序でにマスクについて一言。最大の用途は咳、嚔(くしゃみ)、痰、唾液の飛沫による病原菌の放出を防ぐ。風邪の予防としても用いるが、ウイルスや細菌はマスクのガーゼを通過して鼻腔や口腔内から体外に飛散、また逆に侵入するので役に立たない。さらに、マスクそのものが呼吸によって温まり湿潤すると、細菌の繁殖を助ける。従ってマスクを使用する場合、1時間以上同一のものを使用すると逆効果になる。10枚100円の安物を頻繁に交換するのが最も効果的。安物が嫌な神経質な方は防毒マスク着用を。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月01日 01:38 | 固定ページリンク




落書き  | 一考    

 ひだる神は憑物の一種、とくに空腹時に峠道で憑かれることが多い。ダリ神、ダリ仏、ダニ、ダラシ、ジキトリ、ヒモジイ様、イザリ神などともいう。行逢神に同じ。愛知県北設楽郡の花丸峠には非人の行き倒れを奉ったというダリ仏の石像があるそうな。行き倒れの石像であれば、さぞかし瘠せたダリ仏かと思う。

 ひもじい(形シク)、ひもじがる(自ラ四)、ひもじげ(形動)、ひもじさ(名)、「ひだるい」とも。

 病院に峠道はないが、ひだる神はうじゃうじゃいる。わたしの病室にもいるが、こちらは神などと云う代物にあらず、綴れを纏ったヒモジイ様が似合いである。このヒモジイ、何時までわたしにまとわりつくのか。小腸の内視鏡検査が済めば即解放されるかと云うと、そうでもなさそうである。結果次第で下血の心配があれば一層強く取り憑きそうである。
 羸痩(るいそう)は身体に浮腫がみられないので乾性飢餓とも云う。この場合、水をまったく摂らなければ1週間くらいで死亡するが、水を摂取すると20〜40日間は生存可能と云われる。羸痩の逆は栄養失調症で、尼崎で虐待や監禁の結果、飢餓死を招いた事件があった。犯人は警察の留置所で縊死した。
 さて、水を摂取すると20〜40日間と書いた。わたしの場合は20日目だが、点滴を注入しているので死にはしない。ただし、身体はますます見窄らしくなってゆく。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:24 | 固定ページリンク




面会  | 一考    

 このところ面会が厳しくなってきた。インフルエンザやノロウィルスのせいである。ところで、腎臓に限らず移植患者が惧れるもののひとつに青黴がある。この黴菌がもっとも多く含まれている食品がロックフォールチーズ、要するにブルーチーズである。ブルーチーズの好きな人が面会に来ると大変なことになる。病室に止まらず、病棟全体が汚染される。チーズ好きは忘れないでいただきたい、移植病棟だけはオフリミット。ちなみに、納豆菌と乳酸菌は問題ない。

 チーズについては過去にも書いている。なお、免疫抑制剤は骨髄、心臓、肝臓などの移植患者に用いられる。しかし元々は膠原病などの治療用に開発されてきた。わたしが移植患者と書いたのは免疫抑制剤を必要とするすべての患者である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:21 | 固定ページリンク




MacBook Air  | 一考    

 iPadについて各位からご教示に与った。お名前は明記しないが深く感謝している。
 まなさんのご指摘通り文章の打ち込みではなんの役にも立たないようである。Bluetoothでキーボードの接続はできるが、辞書の移し替えはできないらしい。辞書なしで文章なんぞ書けるわけがない。
 櫻井さんのお薦めはMacBook Airである。iPadよりはMacBook Airの方が遙かに有用で、金額も大して変わらない。購入するならもっとも廉いMacBook Airをと云うことでした。
 11インチだと新品で64799円、中古だと3万円から5万円。フラッシュストレージとメモリの換装は至って簡単。重量は1.08kg。パソコンの代わりになるタブレットなど存在しないようである。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:07 | 固定ページリンク




皮相の見  | 一考    

 タブレットと云えば、通票もしくは錠剤のことだが、どうしてコンピューターの入力装置をタブレットと名付けたのだろうか。タブレット方式(閉塞方式)との関連性がなにひとつないのだが。
 名称の理不尽さ同様、近頃のパソコンはあらぬ方向へ進みはじめたように思う。パソコンが出はじめた頃、マウスとキーボードが必ずセットで付いていた。要するにパソコンは入力装置だった。入力装置とネットとの合体によって、一億総表現者との言葉が踊ったのは何時のことだったのか。
 それが何時の間にか、人様から与えられるコンテンツ(この言葉の遣い方がよく分からない)に溺れ、一億の表現者は今や百万人もいるのだろうか。揚句はつぶやき一色になってしまった。
 140文字との限定に一億の人間が慣らされたのか、それとも一億の人間が140文字で十分だと判断したのか定かならず。ただ、携帯電話からタブレットに到るまで悉くが軽率、軽躁、軽挙、軽佻浮薄、妄動、粗忽、不謹慎、無思慮、暴虎馮河の世界へと驀地に突き進んでいる。
 まなさんは書く、閲覧向きであって文章の作成には不向きだと。この「閲覧向き」との文言が意味するのは、前述の「人様から与えられる」ところのものと同じく、発信者のそれではなく受動者のそれである。
 考えてみれば、携帯は電話であって入力装置ではない、にもかかわらずその携帯で文章を書こうと云うのだから、短くなるのは当たり前。今後「つぶやき」は「つぶ」になり、やがて「つ」になってゆくに違いない。パソコンの世界に巣食う軽薄子の浅知恵をどなたか退治していただけまいか。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 11:39 | 固定ページリンク




懐石と低残渣  | 一考    

 昔、袂に用意する残菜袋もしくは残肴袋というものがあった。懐石料理のとき、箸をつけられなかったものや、食べ残したもの、また魚の骨や、向付に添えられた防風(セリ科の多年草。若い葉柄は紫紅色で香気があり刺身のつまに使う。お浸しや和え物にも。浜防風とも)、穂紫蘇の芯などの残肴、残菜を入れる袋である。建前上、懐石で皿上に盛られたものはすべて食べられることになっている。従って、亭主に気づかれぬよう手早く処理する心遣いが肝要。
(註 懐石で向付といえば膾のこと。懐石と本膳料理では全く異なる。現在の懐石では初めに亭主が持ち出す折敷に飯、汁とともに向付が配され刺身を盛る。これで個々の腹加減を同じように調整してから山海の珍味に具える。要するに懐石では最初に飯が供される)

 残渣から残菜を連想、次に懐石を連感したまで。懐石料理は珍味であるがいずれもが粗食揃い、植物繊維の塊のようなものが多い。懐石に屡々登場する野菜に椎茸があるが、これは茸類のなかではもっとも消化が良さそうである。
 他に高残渣の野菜を代表するものに、牛蒡、蓮根、筍、和蘭雉隠し、白菜、小松菜、胡瓜、セロリ、玉蜀黍、隠元、絹莢、貝割れ大根、もやし、葱、韮、春菊、茸、海藻などがある。では低残渣の野菜にどういうものがあるかと云えば、馬鈴薯、里芋、大和芋、甘藷、菠薐草、人参、南瓜(皮を除く)、茄子(皮を除く)、オクラ、大根、蕪、冬瓜、玉葱、蕃茄(皮を除く)、甘藍、ブロッコリー、カリフラワーなどである。一読、疑問に思うのはもやしである。わたしの頭のなかで植物繊維ともやしは結びつかない。後で出てくる「木の葉丼」を書いていて気づいたが、固い、柔らかい等、見て呉れは残渣と直接関係なさそうである。

 低残渣食を摂るひとは醗酵食品を控える、という項目がある。すべての酒類、酢、味醂、醤油、味噌、納豆、鰹節、塩辛、くさや、なれ寿司、魚醤、アンチョビ、漬け物、キムチ、ザワークラウト、ピクルス、ナタ・デ・ココ、ヨーグルト、チーズ、麺麭、紅茶、烏龍茶等々である。「控える」だからまだしも、醗酵食品が禁止されるということは調味料の禁止に等しい。それでは食生活が成り立たなくなる。
 それにしても、低残渣の米は不味い。国産米というが、ミャンマー、ラオス、カンボジア、どこの国産米なのか。あれでは残渣でなく残滓米である。
 野菜ではないが、鶏の唐揚げなんぞ、油濃くて食べられなかったが、米粉を使えば油臭が抜ける。腎不全になったときから食べられなくなった縮緬、畳鰯、目刺しなど、小魚はどうしようかと思っていたが、粉末にして振り掛けにすれば問題解決。高残渣で知られる大豆にしても「納豆も豆なら豆腐も豆」という。女性の化粧のごとく、要はちょっとしたことで食材はどうにでも化ける。それが割烹の醍醐味である。

追記
 水溶性食物繊維は十分に摂取することとある。水溶性食物繊維と不溶性食物繊維については改めて。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 08:14 | 固定ページリンク




低残渣と野菜  | 一考    

 烟草は完全に止めた、酒もほとんど飲んでいない。低塩分は当然として、これからの食生活の問題点は低残渣である。残渣は辞書では「溶解、濾過などのあとに残った不溶物。残りかす」となる。要は食事のあと腸に残る食べ物のかす、と解釈すれば結構。その残りかすが潰瘍と擦れて出血するのである。よって、極力低残渣の食品を食べれば良い。とは云え、低残渣食はわたしにとってまったく新しいカテゴリーで、一からの勉強となる。
 かつて腎不全になったとき、食事のことで途方に暮れた。それを思えば低残渣食を簡単とは云わないが、決して難儀な問題とは思わない。以前のように、イモ類、ムギ類、イネ科、マメ科、タデ科、果菜類、根菜類、葉菜類、茎菜類(たけのこ類)、花菜類、山菜、藻類、菌類と分類し、片っ端から高残渣か低残渣か分類して行けばよい。
 例えば、果菜類だとウリ科のキュウリ、スイカ、カボチャなど、ナス科のナス、トマト、ピーマンなど、マメ科のインゲンマメ、ササゲ、フジマメなどは若莢(わかざや)を、またダイズ(枝豆)やソラマメの未熟種子を、エンドウは若莢と未熟種子の双方など。根菜類だとアブラナ科のダイコンやカブ、セリ科のニンジン、キク科のゴボウ、ユリ科のタマネギやシャロット、スイレン科のハス、シソ科のチョロギ、オモダカ科のクワイなど。葉菜類だとアブラナ科のキャベツやハクサイ、セリ科のミツバやパセリ、キク科のレタスやフキ、アカザ科のホウレンソウやオカヒジキ、ユリ科のニラやネギ等々となる。野菜ひとつ取上げてみても、約1万種類と云われているが、普段食べる野菜は季節物を入れても100種類ほどである。

 低残渣食の基本は、1日平均17g前後摂取している食物繊維を3g以内に制限することのようである。食物繊維専用の量りがあればともかく、みなさんはこの3gをどのようにして計量しているのであろうか。
 腎不全に罹った最大の生活習慣は野菜不足とやら。しかし、罹ってしまうとカリウムが理由で野菜が食べられなくなる。それが今回は食物繊維でやはり食べられない。皮肉なものである。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 08:12 | 固定ページリンク




まなさんへ  | 一考    

 入院の度に、iBookを抱えてうろうろするのが重いので、ご教示いただけないかと思ったのです。軽量のノートPCなら、ウインドウズの方が便利かつ安価でしょうね。面倒をお掛けしました、ありがとうございます。
 大室さんは元気ですか。彼の実家は震災のど真ん中、しかも福島ではありませんか。以前の入院の折、見舞いを受けましたが、御見舞いが必要なのは彼の方なのでは。
 まなさんは病院の方はうまく行っていますか。仲良く暮らしてください。またお会いできる日を楽しみにしております。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 06:46 | 固定ページリンク




iPadのこと  | まな    

お久しぶりです。

iPadのこと、大室氏に聞いてみたのですが、Padは閲覧には使いやすいのですが、作成にはしんどいそうです。
短い文章をメモ的に残すのならいいのですが、長い文章を書くのには不向きとのこと。
あと、ATOKが入っているメモアプリはありそうですが、ATOK単体ではおそらくないだろう、と。
一考さんの用途だと、使いにくいだろう。とのことです。

彼は持ち歩き用に以前iPadを使っていましたが、文章を書くのがつらくなって、結局今はノートPCを持ち歩いています。


投稿者: まな      日時: 2013年03月29日 23:32 | 固定ページリンク




iPadについて  | 一考    

 iBook 800MHz PowerPC G3を入院の際に使っている。ワープロとしての機能さえあれば良いので、これで十分である。ところが、このiBookが重たくなってきた。そこでより軽量のiPadはどうなのかしら。
 条件は三つ、まずワープロソフト(LightWayText)が機能すること。大量の単語一括登録(ATOK17)ができること。Jammingによる辞書の検索ができること。登録単語と辞書で10GBである。
 どなたかiPadに詳しい方のご教示を願う。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 16:43 | 固定ページリンク




新幹線  | 一考    

 松戸ー上野間の移動に2時間かかる、と書いた。移植後、わたしは2度山形へ行っている。2度とも松戸ー上野間と上野ー山形間の所要時間がほぼ同じだった。電車は座っていればよいのだが、松戸ー上野間は階段を下りたり上ったり、特に上野駅の新幹線乗り場は地下深くに設けられている。歩く距離が長くて、身体がもたないのである。
 東海道新幹線はさらに大変である。体調を崩してからこの電車には1度しか乗っていないが、まず、ホームや車両が長すぎる。東京駅では八重洲側へ辿り着くのに一苦労、構内をやはり小1時間歩かないと到着しない。問題はそれからである。指定の車両へ行き着く時間がなく、適当なところで飛び乗ることになる。わたしにとって1両の長さが一息で歩ける限界である。要するに青息吐息で1両5分、連結部での休憩に5分、仮に16両を歩くとすれば160分、そのころ電車はどこまで走っているのだろうか。
 それを考えると、目的地までの所要時間は長くても深夜バスは身体が樂である。乗るまでに時間はかかっても、乗ってしまえば歩かずに目的地へ着く。新幹線が1両乃至2両編成になれば乗ってやっても良いと思っている。
 長い距離は不得手だが、短い距離をちょこちょこ歩くのは得意である。要するに途中に休憩場所さえあれば、思いのほか歩く。病院なんぞ椅子だらけ、2キロでも3キロでも、隅から隅までもってこいの散歩道である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 06:53 | 固定ページリンク




辺つ風  | 一考    

 明石へ行けば、まず中国、山陽の窯元へ行きたい。次に日本海である。敦賀、もんじゅ、美浜、大飯、高浜などの原発の傍らには必ずキャンプ場がある。そして贔屓にしていた久美浜兜山のキャンプ場がある。すぐ根際の魚屋でいつも角飛(かくとび)を買っていた。小振りだが1匹100円。それを刺身や洗いにして日本酒をちびりと飲む。
 飛び魚の洗いと飛びっ子を混ぜた食べ方は当掲示板で何度か紹介した。京都の鮒の洗いと同じ食べ方である。確実に角飛の方が美味い。ところで、鮒の洗いの前身は鯉である。江戸後期には鯉の刺身より洗いが賞美された。洗い鯉と呼ばれ、江戸では向島の葛西太郎、大黒屋孫四郎などの料理茶屋が有名だった。
 ちょっと長くなるが折角なので紹介しておく。「料理物語(1643)」の鱠の部に「鯉の子付けなます」がある。古くからの料理で、鯉を三枚におろして細作りにし、煎った鯉の子をまぶしつける。その後の調理方法がいささか凝っている。鯉の身の半分には、熱くした煎酒酢(煎酒に酢を加えたもの)をかけ、半分には冷やした山葵酢をかけ、両方をかきまぜて供するとある。暄寒入り乱れた様が興味津々、味わってみたくなる逸品である。なお、煎酒(いりざけ)については「嘗物2」で触れている。

 兜山のキャンプ場は晴れた日も雨の日も年中通して出掛けた。松葉蟹は昔から高価だが、小さな雌蟹はセコと云って子供のおやつで、笊一杯7、8匹が300円ほどだった。どことは書かないが東京某ホテルのランチで松葉蟹雌1匹付き5000円というのがあった。メニューに雌蟹がいかに貴重で美味かを繰り返し書いている。当然セコ蟹のことだが、現地でセコを松葉とは云わない。わたしに云わせれば松葉を語ったインチキ商品である。
 海産物はともかく、原発の金で拵えたキャンプ場は立派すぎて面白みがない。造りは劃一、ゲートで区切られていて、出入りにカードを使う。ACアウトレットが全サイトに完備され、客は照明、炊飯器、冷蔵庫、テレビ、髭剃りなどを持ち込む。日常生活をそのまま持ち込むのをキャンプとは云わない。だからわたしはちょっと離れた久美浜へゆくのである。
 久美浜湾は内湾になっていて牡蠣の養殖で知られる。波は穏やかだが、立ち泳ぎなどすると、結構な底流があって愕かされるときがある。辺つ風が爽やかな海水浴場でもある。久美浜は京丹後市だが、すぐ隣は兵庫県の城崎温泉、反対側には丹後半島、天橋立と観光地がつづく。むかしから割烹旅館の多い地域だが、湾の左岸にもへきすい苑や碧翆御苑旅館など知られた割烹が並んでいる。
 出石には1軒だけ十割蕎麦の店がある。研究熱心な主人で全国の十割蕎麦店を歩き回っている。日本海とは逆だが、瀬戸内しまなみ海道はぜひ行きたい海道である。虎魚(おこぜ)の産地があって楽しみにしている。こちらも刺身もしくは洗いが美味い。

追記
 「出石には1軒だけ」と書いたのは、「そば庄・鉄砲店」(兵庫県出石郡出石町鉄砲27-13 0796-52-5479)である。しかし、今では出石を中心に4、5軒増えたようである。
 丹波篠山・今田黒石の県道141号線沿いの時夢館(たいむはうす)にねじき蕎麦と号する十割そばを喰わせる店ができた。

 http://www.oct.zaq.ne.jp/papua/tajima-so.htm
 http://sobajin.toured.jp/tabearuki/hyogo/


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 00:04 | 固定ページリンク




逝者  | 一考    

 戸田の病窓から遠く9時の方向に奥多摩が、7時の方向に箱根が、そして中央に富士が見え、ずんと手前を埼京線が走る。埼京線は新幹線と在来線が併行する。日中は2階建て新幹線の一回り大きながたいが際立ち、在来線のそれは貧相で目立たない。ところが夜ともなると様相が一変する。新幹線の小さな窓は闇から闇に紛れ、一気に存在感が薄れる。他方、電飾に色彩られた各駅停車の電車は輝きを増す、多くの人生を積み込んだまるできらびやかな特別車両のごとく。
 ひとの生死にも「泡沫人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ散りはてし」から「のたうつ藍の虫の息」までさまざまである。新幹線がうたかたなら、さしずめぬたうつのが各駅停車であろうか。きわめて予後の悪い膵臓癌と大腸癌との違いとでも云い換えようか。死ぬ日まで時がなければひとは駈け抜けてゆくだろうし、死ぬ日までいささかでも余裕があれば自らの死について筆舌を累ねるやもしれない。
 沈黙を守って死んでゆくのと、もがきころびまわって死んでゆくのとどちらが潔いか、ことは簡単には済まない。この場合の潔いは未練の問題であろうか。未練を抱くのと未練を捨て去るのと、いずれにせよ、死にゆく人の未練であり、死にゆく人の時の過ごし方である。軽重を口にするのは生き残る人。いわずもがな。

追記
 梅木英治さんを慕びつつ。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月28日 04:02 | 固定ページリンク




現場の人  | 一考    

 病院A棟の隣ビルはマンションだった。それが取り壊され、病院の一部として改築に這入った。パワーショベルやクラムシェル、クレーン、ミキサー、ダンプなど、さまざまな重機が入れ替わり立ち替わり送り込まれる。職人から土工、鉄筋工に到るこれまたさまざまな人々が現場に群れる。
 かつて福井県のダムサイトで、わたしも働いたことがある。重機のオペレーターとしてである。重機の運転免許証は公道を走らせるためのものであって、現場(閉鎖された特定の地域)では免許証は不要である。わたしも免許証は持っているだけで、現場で叩き上げた人の技術には到底かなわない。
 隣のショベル(関東ではユンボと云われる、ユンボはメーカーの商標名)の運転は実に巧い、見惚れるほど鮮やかである。わたしにはそのような腕前の持ち合わせがなく、福井では固定式クレーンの運転を仰せつかった。ちなみに、わたしが持っているのは移動式クレーンの免許証とショベルローダーの掘削、積み込みである。それほどに、有免許と例え無免許であっても現場の人間の実力は違う。
 重機の運転はメーカーごとにまったく異なる。わたしが習ったのはKOBELCOだが、確か日立建機とはレバーの位置がことごとく反対だった。隣の現場はKATOとICHIHARAだが、大分違うようである。極端な云い方をすると重機のメーカーごとに免許証が異なるようなものである。この煩雑さが現場の人間の実力をさらに高める。

追記
 鉄筋工が持っているきらきら耀く短い指揮棒はなんだろうか。左手に細い鉄線を持ち、右手で持った棒をくるくると回す(左右は単なる癖、どちらでもよい)。鉄筋と鉄筋を結びつける小道具に違いないのだが、その様がまるで手妻遣のように見える。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月28日 04:01 | 固定ページリンク




新胡椒  | 一考    

 わが国では新胡椒(生胡椒とも云う)はあまり売られていないが、新と旧では香りの種類がまるで違う。大半がインド産だが、カンボジア、タイ、インドネシアから新胡椒が少量輸入されている。恰度3月が収穫期。香辛料で個性を発揮するごく一部の割烹やレストラン向けである。
 緑色の未熟の果実を房ごと収穫し、2日間日干しにすると皺がよって黒くなる。足で踏んで柄を除き、粒だけにしたものが黒胡椒。新胡椒は黒くなる前の緑色の果実。えぐみが出る前の胡椒で、さっぱりとした爽やかな辛味が特徴。海鮮料理に良く合う。神戸では売っていたが、見つけたら是非一度お買い上げを。

 近松門左衛門の「大経師昔暦」に「本妻の悋気と饂飩に胡椒はお定り」とあるように、江戸前期温飩(うどん)には胡椒と梅が付きものだった。後期になってそれが廃れたようで、大田南畝は「近頃まで市の温飩に胡椒の粉をつゝみておこせしが,今はなし」と「奴師労之」に書いている。唐辛子は渡来当初は胡椒の一種と考えられていたが、温飩の薬味は胡椒と梅からやがて七味唐辛子と刻みネギへと置き換えられてゆく。
 江戸期の温飩は「かけ」である。現在云うかけ「熱いだし汁をかけただけの饂飩」、関西で云う素饂飩とは異なり、加薬の這入った「熱いだし汁をかけた饂飩」となる。すなわち、卓袱(おかめ)かけ、天麩羅かけと云うように用いる。そのかけに胡椒が合うかどうか疑問だが、冷やし温飩に胡椒と梅は不思議に合う。後段で書く梅が香ならなお美味。

追記
 クラタペッパーのホームページでカンボジア胡椒入り「天むす」が紹介されている。また本文中に「胡椒は、香り付けや辛味といった味覚成分だけではなく、カリウムを多く含むため塩分の排斥を促進したり、菌の繁殖を防ぐ防腐作用があったり、胃を強くする健胃作用があったりと体にいい成分も多く含まれて居ます」と書かれている。なお、沖縄の八重山に伝わる島胡椒「ピィパーズ」は国内唯一の胡椒である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月27日 07:41 | 固定ページリンク




大間クロマグロ  | 一考    

 「茉莉花(まりか)」「瑛美花(えみか)」と名付けられた犬はどうなったのだろう。大間のクロマグロを喰っていたというが、セレブを感じるのはセレブを意識する人間だけで、犬にとってはマグロもカツオも大間もへったくれもあるまい。主人が殺される前にどこぞ山奥の道端にでも棄てられれば、生き残ることすらかなわない種類の犬だったに違いない。
 主人にとっても、気懸かりは犬のことで、目減りした相手の資産など最後まで眼中になかったに違いない。彼等にとって、客とは愛犬が食する大間のクロマグロを背負ってくる鴨に他ならなかった。
 金持ちはさらに資産を増やすことに精を出し(結局、自滅したが)、貧乏人はセレブを目ざして奔走する。1億数千万円のマグロを1貫270円で喰ったとか320円で喰ったと、例えそれが2億であれ3億であれ同じこと、世はあさましい限り。
 マスコミはとかく猟奇的に捉えようとするが、実体は単なる金の奪い合い。何かありそうでなにもない、今回の事件はあまりにも単純な分捕勝手、合戦の一絵図。

 セレブとはセレブリャコワのことかと思っていた、と云うような冗談はさておき、セレブはセレブリティの略語。宮崎哲弥さんは「セレブは誤用であり、成金ときちんと言うべきである」と発言している。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月27日 07:39 | 固定ページリンク




西明クリニック  | 一考    

 西明石の西明クリニックを検索するも口コミはひとつもなかった。同クリニックの医師は神戸大学医学部出身の麻酔科医で、同大学医学部の元学部長の紹介で知った。なんでも20年に一度出るかどうかの名人らしく、ブロックの巧さで右に出る医師は関西に居なかったとされる。
 わたしは西明石で商売をしていた頃、しばしばお世話になった。下手な医師のブロックは痛くてうめき声を上げる、ところが、西明クリニックで痛みを感じたことは一度もなかった。今回知った戸田中央総合病院消化器内科の羽山弥毅医師は内視鏡検査に鎮静剤や鎮痛剤の類を使わない。それと同じで世の中には達士がやはりいらっしゃるようである「達人解其会、逝将不復疑」。
 西明石を離れてからわたしは一度もブロックを打ったことがない。腰痛には悲鳴を上げているが、信頼できる医師を知らないからである。
 今回、明石市医師会のホームページの2012年7月27日の項を読んでいて「姉崎外科医院、西明クリニック、閉院のため検索システムより削除しました」とあった。西明石でお会い出来るのを楽しみにしていたのだが。ちなみに、電話は通じない。

 西明クリニック
 兵庫県明石市松の内2-1-6 コーポ山口3F
 電話番号 078-927-5910


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 16:02 | 固定ページリンク




嗽(うがい)  | 一考    

 90歳の男子、30分毎の頻尿で看護師を困らせている。トイレまでの往き来に介添えが必要なのである。頻尿には理由があって、夜になると30分毎に含嗽を繰り返し水を飲む。嗽はともかく、水を飲まなければ頻尿にならなくて済むのだが。
 薬では治らない、謂わば生活習慣。看護師には迷惑だが、90歳になって生活習慣は変わらない。さらに、トイレへの往き来、深夜であるにもかかわらず、カーテンを力一杯開閉する。
 彼の妻は80歳、見舞いの時の晤語は聞いていて微笑ましい。この年齢で会話に笑いが途絶えない、そして互いによく喋る。欠点は夜通しガラガラと嗽の五月蠅いこと。検査の結果、どこかを手術することになったらしい。全身麻酔に具えて器具を購入していた。
 その彼がトイレの近い病室へ引っ越しとなった。実はナースセンターにもっとも近い角部屋は、夜っぴてナースコールを鳴らし続ける問題児の溜まり場である。行った先でのトラブルをわたしは案じた。しかし、わたしがいる病室は重症患者のそれである。勝手は云えない。

追記
 検査で直腸癌が発見され、切除は成功した。6日間は元気だったが、突然の脳出血によって、右半身に重度の障害が残った。脳出血の理由は分からず、もっかICUで検査中とのこと。とても仲の良い老夫婦である、奥さんの悲しげな顔を見るのは辛い。トラブルにならなければ良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 02:30 | 固定ページリンク




認知症  | 一考    

 わたしがいる病棟にも認知症患者が入院している。上品そうな老女なのだが、昼夜の別なく叫んでいる。「ヘルパーさん、来てください、お願いです」「ヘルパーさん、助けてください」「食事をしておりません、誰か食べさせてください」「ごはん、ごはん、ごはん」7種類ほどの文言の繰り返し、張りのある明瞭な発音である。彼女は自力での食事はかなわない、従って発言は悉くが食事とその介助を求めるもの。要するに終日、飯はまだかと叫び続けているのである。
 認知症には一過性と完結型とがあって彼女は典型的な完結型である。完結型だとコミュニケーションがまったく取られない。看護師はあの手この手と考えている。昨日は静かだったが、睡眠薬が効いたらしい。その薬がまた効くとは限らない。
 一過性の認知症患者を同室させるのは有効である。一種の気取りのようなものが生じるのか、かなり温和しくなる。重症患者が同室したが、こちらは重症ゆえの無反応。そうすると彼女は朝病棟に電気が灯る6時から食事が出る8時まで、重症患者を一顧だにせず、寸暇を惜しんで「ごはん、ごはん」と叫んでいた。
 完結型であっても、環境に対しては敏感に反応する。この反応、意識の変化に興味を持たされる。わたしは医者ではないのでよく分からないが、「意識の変化」の底流に流れる大きな無意識を治療に利用できないものか。人はもともと無意識のかたまりのような存在だし、意識などというものは表層のごく一部にしか過ぎず、それ自身客観的な実在性をもたない一種の仮象に過ぎない。健常者はどうも意識を過信しすぎるきらいがある。本来、基軸や中軸を持たない意識は揺れ動き、常に変化しつづける。言い換えれば、認知症そのものが治療を要する病気かどうかきわめて猜疑わしいと思っている。

 それにしても愕くのは男女を問わず、ベッドから動かれなくなった患者もしくは自力で食事が摂られなくなった患者の食欲への執着である。食事の時間が近づくと催促し、出たものは一切残さない。結果、看護師には大量の糞尿の片づけが待っている。その糞尿の山を前に病院とはなにかを思う。

追記
 今朝、老女が元いた施設へ戻った。彼女に訪人(まれびと)は絶えてなかった。と云うことは、身辺を気にかける者が居ないと云うこと。にもかかわらず、彼女の日常生活は続く。病院は静かになったが、施設での彼女の無意識(埋没する自己なのか、それとも解放された自己なのか)の徘徊はつづく。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 02:28 | 固定ページリンク




EDのことなど  | 一考    

 「貧血と失神」が一つのヒントになった。息が切れるようになり、階段を上られなくなり、走られなくなり、自転車に乗られなくなった。この8年、半年に1回は失神に襲われるようになった。糅てて加えて同時期にはじまったEDである。わたしの場合は自慰を含む勃起能力が完全に損われた、という書き方は好きでない。「御利生もいざりの立つははぜらしい(柳多留拾遺)」という、なまくらはぜになったとでも云っておこうか。
 これらの症状に通底するのが貧血である。さまざまな理由が考えられるが、腎不全による血圧の急激な変動、シャントによる血液の逆流、それらにわたしの血管が耐えられず、血圧と血管の管理能力双方に狂いが生じたのであるまいか。
 EDに関しては、かつて主治医と話し込んだことがある。透析の段階で勃起不能、射精不能になるケースが多いとか、もちろん結婚し子供を拵える透析患者もいて個体差は大きい。わたし自身は勃起しようが勃起しまいがそのようなことはどうでもよろしく、EDであるからと云って治療しようとは思わない。
 もっとも、わたしの場合の治療は一重に造血となるだろうが、これは問題点が多すぎて実現は困難である。慢性の貧血患者が云うようなことでないが、体重から推してヘモグロビンが13g/dlを超えれば勃起するのかもしれない。世の中には極度の貧血で性欲旺盛な吸血鬼と呼ばれる一族もあって、こちらの個体差も大きいようである。
 腎不全患者の場合、高血圧かつ糖尿病もしくは貧血のどちらかになるようだが、何年にも及ぶ貧血によって身体が徐々に馴染んでくる。ヘモグロビンが7g/dlから9g/dlぐらいなら平気で動き回るようである。その貧血の症状が現れやすいのは、酸素消費量の多い部位である。中枢神経(脳)、心筋、呼吸器(肺)、消化器(胃腸)、生殖器(卵巣)などがそれにあたる。わたしの場合は海綿体用の血液がまるで不足している。
 腎臓の病とは血の病である。血を拵え濾過するのが腎臓の為事、それゆえ腎臓が毀れれば血も毀れる。今回、息が切れる、失神、EDが一直線に結びついただけでも、わたしには十分納得が行く。

 腎不全は移植手術でお仕舞いではない。移植腎が十全に機能すれば健常者と変わらない生活が可能だが、拒絶反応や腎疾患の再発がある。さらに1度移植を受けると、例え移植腎が壊死し人工透析に戻っても、生涯免疫抑制剤を飲み続けなければならない。その免疫抑制剤には副作用や感染症に罹りやすくなるなどの致命的欠陥がある。拒否反応にばかり目が向けられがちだが、げに怖ろしきは感染症の増大。問題はそこにこそある。

追記
 先般2人の歌舞伎役者が亡くなったが、免疫抑制剤による感染症(肺炎)が直接の死因だった。免疫抑制剤を服用する者にとって、1度罹った感染症が根治することはない、体内に残存し出番をしぶとく窺っている。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月25日 02:53 | 固定ページリンク




貧血と失神  | 一考    

 「トイレで昏倒、その後悶絶するような患者を帰すわけには行かない」と医師から云われたが、この失神はなんとかならないものか。96年に野戦病院からはじまった失神だが、すでに8年になる。この間半年に1回は襲われている。
 東間、瀬戸口両医師が口を揃えて危険を指摘する。車の免許証に貧血や低血圧の条件はないが、もしあれば取得できないだろうと。車は捨て公共機関に切り替えなさい、と瀬戸口医師の持論である。
 総合造血剤(あまりにも高価)による貧血の急速な回復が期待できないときは、対症療法としてしばしば輸血(極力輸血はしたくないし、するべきでない)が必要である。輸血だと十分な鉄分が補給される。しかし輸血で正常ヘモグロビン濃度まで回復させると、エリトロポエチン産生刺激がなくなって赤血球産生能は低下してしまう。よってヘモグロビン値で云うと10.5ぐらいで抑えるべきなのか。いずれにせよ、薬物療法を試みるべきなのは分かっているが、さまざまな副作用があって、この造血ほど難儀なものはない。
 わが国のヘモグロビンの正常値は成人男性で14〜18g/dl、成人女性で12〜16g/dl とされる。国際的な貧血判定基準として、ヘモグロビンが幼児(6箇月〜6歳)11g/dl、小児(6〜14歳)12g/dl、成人男性13g/dl、成人女性12g/dl、妊婦11g/dl に達しないとき、とする基準が設けられている。
 わたしは低いと7g/dl、よほど高いときで10g/dl、幼児以下で端から問題にならない。7g/dlを切るといつ失神してもおかしくないそうである。貧血でも低血圧でもどちらでもよいが、誰か失神から解放してくれないものか。

追記
 短時間の一過性の意識消失。昏睡はもっとも高度の意識障害で、種々の反射機能の消亡、尿、便の失禁などを伴った意識の完全な消失を意味する。わたしの失神の特徴に痙攣がある、それから推してアダムス‐ストークス症候群かもしれない。理由は全くないが、癲癇なのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月25日 02:30 | 固定ページリンク




下血と輸血  | 一考    

 わたしの下血は大体1000ミリリットルから2000ミリリットルの間である。そしてわたしの血液量は4300ミリリットルから最大4800ミリリットル。その内、8パーセントは水分である。
 輸血はすべて血液製剤。600ミリリットル以下の出血に対しては原則として無輸血とし、600ー1200ミリリットルの出血に対しては濃厚赤血球を、1200ミリリットルを超える場合にはじめて濃厚赤血球と全血を適宜併用する、となっている。なお、輸血の1単位とは140cc、わたしが今回輸血したのは計13単位だから1820ccになる。
 今回の下血は、1日から13日間に亙って1500ミリリットル強の血が流れ出た。特に24日は1時間足らずで700ミリリットルを出血、見てる間に血圧が下がり、60を切って痙攣と失神に到った。書いてしまえばこのようになるが、下血は悍ましい。なぜかと云うに、自分が意志するとしないとにかかわらず、血は吹き出てくる。
 トイレへ這入るなり、下血がはじまり、お襁褓を下ろす暇さえなかった。穿いているお襁褓の上部から血が溢れ出てくる。一瞬たじろぐ、どうしようかと考える。何等の旨意すらなく、脂汗が出、血圧が低下し続けているのが分かる。このままでは危ない、気を失うのでないだろうか。手に負える状態でなくなりつつある。看護師の手を借りようとトイレのナースコールを押す、と同時に第二波の下血、トイレが血の海と化す。
 看護師が現状を把握、相棒を連れてストレッチャーと共に戻る。ストレッチャーを指して防水だから大丈夫、そのまま乗って、と大きな声。ストレッチャーを押して走りながら、Dr.コール、酸素、点滴、ベッドに防水などと適確な指示を出してゆく。
 血塗れのわたしをベッドへ移し、看護師が2人がかりで拭き取ってくれるのだが、お襁褓を抜き、パジャマを抜き、尻の血は下半身全体に回っている。そんな中、わたしの掌についた血をきれいに拭き取ってくださるひとがいる。人間というもの、旨意や知覚がまったく関与できない時の情けなさはない。このような悃款が身に滲みるのはそうした時である。
 運を天に任せるのは良いのだが、この場合、命をも任せることになる。早急に下血を止める、早急に輸血する、なんらかの手を打たないと死ぬ。ちなみに、循環血液量の約3分の1が失われると血圧が低下して出血性ショックに陥り、生命が脅かされる。2分の1以上失われると心停止をきたす。心停止とは即死を意味する。

(註 お世話になった看護師のお名前は「再度顛れる」で著した。深甚の謝意を表したく思う)
(註 これで直接入院に関する稿はお仕舞い。思い出すことがあれば、改めて著す)


投稿者: 一考      日時: 2013年03月24日 20:06 | 固定ページリンク




緊急入院4  | 一考    

 10日、2日目の食事がはじまったが下血はなし。実は気が気でない、トイレへ行く度に便が赤くないかと冷や汗の連続である。もっかのところ、下痢気味。
 頸の点滴ラインが外された。これで身体に取付けられたものはなくなり、いよいよ退院が近づいてきた。おそらく、汁粥が固粥に変わったときが退院、今週末か。

 ところで、頸の点滴ラインは頸の皮膚に縫い付けられている。外すときは左右二箇所の糸を鋏で切る。

追記2
 麻生セメントやトヨタの病院など、株式会社の医療機関は医療法以前に設立された病院のみ。1948年、医療法は医師法と共に制定。1950年、医療法人が導入。爾来、株式会社は病院経営に参入できなくなった。病院長は当然医師だが、本来経営に専念する理事長までが医師でなければならない。考えてみれば、妙な法律である。
 海外へ進出したわが国の病院は他の国同様、ことごとくが株式会社。題して成金病院。理事長は経営のプロであって医師ではない。胃カメラや各種内視鏡などわが国固有の高度医療を誇るがゆえ、当然、金持ちしか相手にしない。貧乏人は病院へ這入ることすらできない。

追記3
 11日、朝飯はシンプルで旨い。今日は3分粥と菠薐草(ほうれんそう)の煮浸し、煮浸しには縮緬少々と大根下ろし。メインは献立では炒煮となっているが、馬鈴薯3切れ、人参2切れ、鶏のミンチ少々の煮物である。野菜は2センチ角。香辛料は使っていないが、醤油と味醂のバランスが結構。定番の本物の牛乳が200ミリリットル。ゆっくり喰えば、これで腹が一杯になる。いくら病気とは云え、鼻の下のくちいが肝腎。

追記4
 昼食は3分粥から5分粥に出世。全粥の半分の量だが、それでも随分と増えた気がする。シルバーサラダなるものがメニューに登場。春雨、ゆで卵のスクランブル、青葱の微塵切り、缶詰のミカンを混ぜたものにドレッシング。要は春雨サラダである。月並みなネーミングだが、それ以上は問わない。「春雨の柳は全体連歌也。田にし取烏は全く俳諧也」連歌と俳諧の本質的な違いを述べた芭蕉の言葉。

追記5
 溜っていた小腸の空気が抜け、調子が戻ってきたようである。はじめて細いが固形の便が出た。繰り返すが24日ぶりの固形の便、色艶申し分なし。この項書いていてすこぶる嬉しい。この調子で頭の回転も戻って欲しいものである。

 瀬戸口医師来室、何事もなければ週末に退院との許可下りる。今週の金曜日で37日間の入院。看護師から祝辞を受ける。取敢えず、喜んでおくとしよう。固形の便は嬉しいが、退院の方は心中は複雑である。

追記6
 12日、体重は61キログラム未満で推移。ちなみに、今朝は60.25キログラム。今のところリバウンドはない。それにしても、食べはじめると結構ひもじさを感じる。なんとかドライウェイトを62キログラムに抑えたいと思っている。1箇月間守ることができれば大丈夫なのだが。

追記7
 入院以来はじめての外出、駅を往復した。距離は500メートルほどなのだが、一気に歩かれたためしがなかった。ところが今日は歩かれる、ヘモグロビンが少しでも上がったせいと思われる。駅中のスーパーでもみ海苔(きざみ海苔は高価なので)とふりかけを購入、残りの日の粥を少しでも贅沢にと。
 医師から態態しくことごとしく外食を禁止された、パリエットを飲んでいてそれはないでしょう(実は内緒でクロワッサンを2個購う)。途次、スーパーで大きな鏡と出会す。確かに腹はへこんだが、もう少し瘠せてもよいと思う。見た目には57、8キログラムが理想型かもしれない。「夏痩によしと云物そ鰻取り食せ」生きていれば、夏が過ぎるころには瘠せましょう。

追記8
 昼食は5分粥から7分粥に出世。愕くべきはごく僅かだが塩が這入っている。どんなに微量であっても塩は分かる、そういう生活をしてきたからである。そして惣菜が一品増えている。いままでお浸しか煮浸しか酢の物か和え物、もしくは炒煮か煮物かサラダといった2品だった。そこへゆで卵のエッググラタンなどというバタ臭いものが突然乱入してきた。もっとも、かかる乱入は歓迎である。
 この調子だと、13日が全粥、14日が易消化食、15日が普通食で16日午前に退院となりそうである。

追記9
 13日、便通は日々滞りなく。7分粥は同じだが、昨夜から心臓・高血圧食に変わった。これは易消化食とほぼ同じ内容で、過去にも何度か食べている。
 菜はシーチキン和、煮付け、味噌汁の3点。菠薐草のお浸しと思って食べていたが、最後の一口にツナが引っかかった。ところでシーチキンは商標名でなかったか。煮付けは5箇の焼麩。麩を莫迦にしてはいけない。焼麩は串に刺して茶請として使われたし、生麩は懐石料理や精進料理にかかせぬ食材。また麩饅頭は京都の名菓の一つである。それにしても、いささか貧相な食事。段々と口が肥え、図々しくなってくる。

 12日から心臓・高血圧食に変わったと書いた。爾来、夕飯には魚の切り身がつく。背の青い、陸でもない魚ばかりだが、一応は魚である。味噌漬けが続くのは臭み取りに苦労している証。添えられる野菜は、なぜか茹ですぎの隠元豆。

追記10
 昼食はやはり全粥だが、量が1割強減った。元々の献立はとろろ蕎麦、わたしは口内炎だったので麺類禁止になっている。もっとも、ここの麺は御免被りたい。

 このところ、木の葉丼と蒲鉾、嘗物の梅びしお、饅について、てんぷら、衣揚げ、駄菓子屋と食べ物に関する別稿が続いている。腹が減っているのかしら。そのうち掲載する。

 瀬戸口医師がリバウンドに注意、と。退院が15日の金曜日に決まった。何事もないことを祈る。

追記11
 14日、朝飯のメーンディッシュが正油和と名付けたサラダ、マヨネーズしょうゆで和えたもの。具材はブロッコリー、玉葱、人参。サラダがメーンとは個性的、サブに豆腐のつくねの餡かけを5箇、焼麩の煮付けよりは幾分料理らしい。何時ものことながら簡略で結構。

 飯は最後まで全粥。2月1日以降、拙宅、病院共に粥で通したことになる。5日の誕生日も1食のみ、100グラムの粥にぱらぱらと振られた海苔が唯一の菜だった。明日の夕食には握り鮨を食べたい。

追記12
 前項の正油和について。醤油のルーツは醤(ひしお)である。「しょうゆ」という語は15世紀ごろから用例が現れる。漢字表記の「醤油」は和製漢語で、「多聞院日記(1568年)」に初めて登場する。醤の漢字が常用漢字に含まれていないことから、当て字に正を用いて正油と書くこともある。西日本では遣わないが、甲信越、関東、東北、北海道では正油を屡々用いる。いくら正油漬や正油ラーメンは北海道や東京に多い。
 歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。ただし「せうゆ」という仮名遣も、いわゆる許容仮名遣として広く行われていた。したじ、むらさきとの別称もある。
 病院では他にブロッコリーの胡麻酢しょうゆ和え、菠薐草(ほうれんそう)の辛子しょうゆ和え、トマトとオクラのしょうゆ和えなどが出された。

追記13
 わたしは麺麭好きである。麺麭食の残渣が多いとは思わないが、ただ、ぱさつくのは気になる。あれが潰瘍と擦れないかと気を揉んでいる。気を揉むくらいなら食べなければよいのだが。さて、どうしようか。
 水1リッターよりもごく僅かな胃液の方が遙かに強力と聞いた。心配はなさそうである。

追記14
 2月7日の昏倒の折、面倒をかけた外来病棟へ退院の挨拶にゆく。「いやだあ、まだ居たの」「入院してないで、こちらへいらっしゃい」と云われる。24日の輸血のはなしなどする、「それにしちゃあ、いい笑顔をしてる」。こちらは気が置けないスタッフばかり。
 入院病棟にも気が置けない看護師がいらっしゃる、このところの3度の入院で欠かさずに面倒をかけた群馬出身の高橋里奈さんである。お名前を記して感謝の証とする。

追記15
 入院最後の血液検査、クレアチニンは1.62、ヘモグロビンは10.0。共に現時点ではまずまずの結果、クレアチニンが下がった理由は体重の減少。よって最低でも現在の体重60キログラムを維持するように云われる。しかし、これらの数値は血圧と同じで日々異動する。どうでも良きことながら、ほぼ4年ぶりに朝立ち(にわか雨ではない)した。

 3日前から腰痛に苦しんでいるが、医師にも看護師にも内緒にしている。そのようなことで退院の取り消しは困るからである。

 「再度顛れる」の末尾で「理由が分からないままに下血が止まり、身体も落ち着いて退院、数年後に再発というのがもっとも困るパターン」と書いたが、どうやら、予想した通りの状況に嵌まったようである。「退院の方は心中は複雑」と著した理由である。

追記16
 体調悪しく、1月30日から風呂に這入っていない。2月1日からはじまった下血はますますわたしから風呂を遠ざけた。今日は3月15日、この間、3度のシャワーを浴びたのみで、風呂には1度も這入っていない。這入っていないではなく、禁止されていた。しかも、右手をかかげてのシャワーで、ほとんど身体を洗えなかった。今日午後はどうあっても拙宅の風呂に這入りたい。温度を1度高めに設定し、暫くは湯船から出ないつもり。その間に溜まった洗濯物を片付けなければ。

追記17
 最終日。入院中、ずっと聴いてきたラジオ放送が退院で中断される。毎日もしくは一日置きで福島原発に関する放送を続けていた。抽象化は一切行わず、どこやらの商店主、あるいはどこやらの仮設のおばちゃんなど、登場人物は自由に語る、「東北へ行こう」とのキャンペーンと相俟ってすこぶる具体的だった。その具体は具体で結構、一方で文学に於ける抽象化の試みも大切である。
 意味あるいは判断は経験より抽象された一部であって、事物や表象を抽象しようとすれば、抽象と捨象という二側面を必ずや形づくる。その抽象と捨象という弁証にこそ、思考それ自体の蠢きがある。
 対象が天災であれ、人災であれ、事象は抽象されねばならない。抽象されない災害は早晩記憶から消し去られる。869年(貞観11)、1611年(慶長16)、1677年(延宝5)、1896年(明治29)、1933年(昭和8)、2011年と津波を伴う大地震が三陸沖を常襲している。わたしたちが忘れてはならないのは具体としての災害ではない、抽象という言葉と概念そのものの再検討の場を通過してきた災害なのである。

追記18
 次回の外来は21日、木曜日。採血、採尿は8時30分。
 入院以来、免疫抑制剤以外の薬はことごとく中断し、パリエットだけになった。パリエットは維持療法の薬で、胃酸の分泌を抑え、胃や十二指腸の潰瘍や食道の炎症を改善する。似た薬にレバミピドやアルロイドGがある。
 それと入院中は服用していないが、退院後はバクタ配合錠が再度出るそうな。細菌など病原微生物(細菌、ウイルス、真菌(カビ)、原虫)及びそれらがもたらす感染症に有効。真菌のなかでも特にニューモシスチスに有効。ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)は、いわゆる日和見感染症のひとつ。免疫抑制療法で抵抗力が落ちている人が感染すると厄介。治療がすこぶる困難、命にかかわる。
 免疫療法を受けている患者のなかで死亡率がもっとも高いのが、ニューモシスチス肺炎。新聞などでは単に肺炎とのみ記載される。
 少し似た働きを持つ薬に、バリキサ、フリードゲルなどがある。

 免疫抑制剤を飲み忘れたときの注意。次の服用まで5時間以上あける、2回分の服用は不可。グレープフルーツや一部の柑橘類を禁止。グレープフルーツジュースやライムが一部這入ったオレンジジュースが売り出されているが、当然禁止。セイヨウオトギリソウ(セント・ジョーンズワート)を含む鬱病の薬もしくは健康食品の禁止。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月24日 04:36 | 固定ページリンク




緊急入院3  | 一考    

 消化器内科の羽山医師來室、8日の小腸内視鏡検査の詳細が決まった。午後下剤を飲み(実は前日の夜)、17時から18時半まで(結局19時から2時間)。まずは肛門から、次の日に口から挿入する。これはグラスファイバーの長さが短いため、上下から半分ずつ検査する。肛門側が先になった理由は、大腸に近い部分の方が潰瘍の可能性が高いため。機器は3月13日まで拝借しているものの、数箇所ある腸の狭窄(特に大腸と小腸の繋ぎ目の狭窄がひどい)によって全小腸観察の可能性は低いとのこと。
 内視鏡は筒自体が二重構造になり、先に風船の膨らみあり、細い方の管が直径10ミリ(通常の内視鏡は11ミリ)。細い方が2、3センチ先行し、太い方が後を追う。要するに、全体が腸の形態に合わせて匍匐前進する。検査に伴うリスクは穿孔と出血。
 大腸中央部にも新たなサイトメガロウィルスの潰瘍痕あり、ただし陰性。なお、血液検査も現在は陰性になっている。デノシンが効いたものと思われる。下血は止まっているので、検査が終わる土曜日もしくは日曜日から食事ができそう(期待はしていないが)。
 思っていたとおり、小腸、大腸のサイトメガロウィルス腸炎ならびに潰瘍は腎不全同様、持病として長く付き合って行くしかなさそう。

追記2
 7日、今朝の血液検査には新しくクォンティフェロンという結核菌感染の診断が加わっている。いつもは5本なのだが、今日は8本の採血。この前の胃液採取(泌尿器科のオーダー)の結果は陰性と聞いていたのだが、訊けば羽山医師のオーダーだとか。
 胃液採取はチューブを鼻の穴から胃へ45センチから50センチ入れ、注射器で吸い取る。そのチューブをマーゲンチューブ(Maチューブ)と云う。簡単だし、痛みも伴わない。ただし、気持ちが悪い。病院にはこの種の検査が多い、胃カメラや内視鏡も少し似ている。

追記3
 2月26日に腕の点滴ラインが外された。「腕全体が浮腫で腫れ上がっている」と書いたが、3月7日にやっと腫れが引いた。9日目である。不思議なことに、今頃血管が僅かに浮いてきて穿刺し易くなった。

 免疫抑制剤について。グラセプターは血中濃度を見ながら5.5ミリグラムから3ミリグラムへ減らした。問題はセルセプトで、入院以来250ミリグラムと普段の半分の量に止めている。サイトメガロ腸炎からの出血を防ぐためである。ただし、セルセプトを減らした分、身体の免疫抵抗が高まり、クレアチニンが2.32と高止まりしている。早く元の量に戻したいのだが、下血がないことを確認しなければどうにもならない。

追記4
 8日、長い禁食ゆえ下剤の要はないのだが、飲まざるを得ない。内視鏡前段のセレモニーである。大腸の内視鏡検査に鎮静剤も鎮痛剤もなにもいらないという医師ははじめて。薬剤を使わざるを得ない医師の腕の未熟さ、過去の内視鏡検査はなんだったのだろう。

 下剤のせいで腹が痛い。トイレで息むと下血を思い出して血の臭いに噎せ返る。それにしても、24日のあの非常時にどうして輸血用血液がタイミングよく出てきたのか。瀬戸口医師が必要と思って事前に用意していたのか。赤血球製剤の有効保存期間は21日、通常は需要が生じてから血液バンクへ発注する。間に合わないときに病院間で融通為合うようなシステムは当然あるだろうが。あの血液がなければ確実に死んでいた。

追記5
 東間医師から貧血と低血圧とがまったくの別物と聞く。従って、貧血と低血圧についての過去の記述には混乱がある。ちなみに、わたしは貧血。東間医師と自転車については再度別項を設ける。

追記6
 9日。昨夜の検査について。簡単な鎮静剤と聞いていたが、いきなり酸素マスクで点滴の管になにかを注入、施術の前後は覚えているもののあとは前後不覚。術後、ストレッチャーで病室へ戻り、朝の4時までぐっすりと眠った。小用で起きたが、1時間を経たいまも頭も足下もふらふらする。あんな鎮静剤があるものか。(看護師に訊くと、やはり静脈に打ったのは強力な麻酔剤だそうである。術後、一時覚ます薬を打ったので記憶が残っている筈とか)。
 羽山医師と羽田医師、東京医大の医師だろうかあと一人、それとレントゲン技師と看護師、羽山医師の助手の看護師、以上が施術に当たった方。著しく断片的だが、痛みの合図のつもりで右手を盛んに振っていたことしか記憶にない。小腸内視鏡がいつ挿入され、いつ取り出されたのか、それすら記憶にない。
 手術中はずっとレントゲンは作動中、小腸を透視しながらの内視鏡だが、動く臓器だけに検査しにくく、小腸の狭窄がひどくて深くは這入らなかったようである。潰瘍は大腸から20センチの箇所。要するに大腸内視鏡で見える範囲と変わるものでなかった。折角の機械だが、最新の機能は発揮できなかったようである。下血が止まっていることのみ視認。
 小腸も大腸同様、粘膜および粘膜下組織にびまん性炎症、糜爛、潰瘍形成などをきたす疾患。多くは慢性に経過し、悪化と軽快を繰り返し、下血、粘液血便、腹痛、下痢などが現れ、屡々癌化する。原因は不明。
 いずれにせよ、土曜日の追加の検査はなくなり、朝から食事が当たるとか。所要時間は2時間を軽く超えたと聞かされたが、如何せん記憶がなければどうにもならない。ただ術後、24日に羽田圭佑医師のおかげで命長らえたと、感謝の意を尽して伝えた。

追記7
 朝の6時30分に瀬戸口医師が病室を訪ねてくださった。昨日の内視鏡検査の結果を聞きにである。点滴を取り払い、「よかったね、まずは朝飯、退院に向けての準備に這入りましょう、本当によかった」と、嬉しい言葉をかけてくださる。彼への感謝は言葉にならない。

追記8
 羽田医師に命を救われた、と書いた。同じく、主治医の山崎医師にも感謝しなければならない。往事、21単位の輸血をしたことは何度も書いているが、量にして2940cc、体内の血液の6割に近い。医学的には確実に死んでいたはずだし、山崎医師はわたしの死を予測し、家人にその旨を伝えている。
 あの時、立っておられず足下から崩れ落ちる、崩れるということは括約筋は用をなさず、糞尿は垂れ流しになる、わたしは何という人間だろうかと発奮(脱糞ではない)させようとするのだが、気力が付いてこない、付いてこないではなく、気根や気魄といったもの自体が消え失せてしまっている。
 特に糞尿垂れ流しのインパクトは大きかった。あのとき、生きてあることの含羞(はじらい)をわたしは知った。重い病の人にとっては細やかなことかもしれない、しかし、死と寄り添うのはわたしにとってはじめての経験であり、全身を貫く衝撃だった。病室の隅で、看護師の目を逃れて、何度涙したことか。

追記9
 隣にICUからまたひとり、下腹からパイプが2本出ている、排出用の管である。看護師がこれから生涯使うパイプですから大事にしてください、と説明している。直腸と排泄腔の除去だが、病名はなんだろうか。人のことを気にしてもはじまらないが、大層な病気であるに違いない。
 わたしは喧しいのはまったく気にならないが、一晩中痛みに堪えられなくて呻っている。ただし、酸素吸入器を使用しているので、なにを云っているのか分からない。「喉が渇いた」「腹減った」はなんとか理解できたが、当病院のICUは手術当日を入れて基本3日である。開腹手術の場合、一般病棟へ移って1週間やそこらで食欲なんぞ湧くはずがない。おそらく聞き違いだろう。
 やはり、彼は当分禁飲、禁食だった。逆の立場だったら平気なのだが、いくらなんでもその横で飯は食べられない。部屋の引っ越しを申し出た。彼は今日から車椅子に乗る練習がはじまるようである。頑張っていただきたい(結局、練習は先送りになった)。わたしが寝ていたベッドには、もうひとりの重症患者が這入った。共に酸素ボンベを抱えている。
 さらに、1402号室から1414号室へ、引っ越した先にも禁食の患者がいた。なんともはや。

追記10
 9日。白湯が200グラム、飯が50グラムの粥、当病院では3分粥という。米でなく飯というのが面白い、それが小さな茶碗の底に3センチほど。申し訳なさそうな高野豆腐が3切れと甘藍の味噌汁、嘗物(なめもの)の梅びしお、それになんと本物の牛乳が付いている。21日、計23日つづいた禁食のあとの朝飯である。
 好物の高野豆腐を口に含む、このような贅沢なものを食べて良いのだろうか、としみじみ思う。この日の3食を完食して体重は61.45キログラム、食い過ぎである。梅びしおについては別項を設ける。

 全粥は米と水を重量比で1:5にして炊いたもの、7分粥は1:7、3分粥は1:15の割合である。重湯は米1に水10の割合で煮て汁だけを濾し取ったもの、おまじりは全粥1に重湯9の割合にしたもの。
(註。辞書によって米と水の比率はてんでんばらばら。どう考えても出鱈目と思われる語釈が多かったが、ひとつだけ正確な語釈があったので引用する。なお、古くは蒸したもの飯(いい)に水を入れて炊いたものを粥といった)

追記11
 即刻、セルセプトが500ミリグラムに戻った。すこしでもクレアチニンを落とさなければ。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月23日 02:44 | 固定ページリンク




薬剤復活  | 一考    

 タクロリムスが下がりすぎたので、グラセプターを3.0ミリグラムから4.5ミリグラムへ上げる。メドロールも4ミリグラムから6ミリグラムヘ上げる。免疫抑制剤以外の薬も復活、維持療法のパリエット、降圧剤のオルメテックとアテレック、尿酸のユリノーム、カリニ肺炎のバクタ等である。このうち、アテレックはめまいが起きるので車の運転には注意。
 クレアチニンが微妙に下がって1.51。ヘモグロビンが11.0へ上がったが、入院中は7.0を切って6.0前後を迂路迂路していた。それが理由で2回も昏倒。11.0は私には未経験の数値、過去10.5が最高。ひょっとすれば、ED(別項で後日掲げる)がEHになるかも。

 今日は羽田圭佑医師の診察を受ける。久しぶりの外来、看護師や事務員のみなさんが貧血を心配してくださる。2月7日に現場にいなかった方までがわたしの失神ぶりを詳しく知っている。尻丸出しでの昏倒、どなたがパンツを穿かせてくださったのか、記憶がないので羞ずかしくもないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月22日 20:56 | 固定ページリンク




小腸内視鏡2  | 一考    

 今週の小腸内視鏡だが鉗子止めで出血が収まれば良いのだが、もしも小腸の摘出となれば大事になる。小腸と血管が癒着している場合がそれにあたるが、内視鏡や腹腔鏡で小腸の除去手術はできない。当然、開腹手術となる、それだけは避けたいのだが。

 内視鏡(ファイバースコープ)の概略を。東京大学の宇治達郎がオリンパス光学の杉浦睦夫、深海正治らの協力を得、50年に胃のなかに挿入して撮影できる小さな写真機を発明し胃カメラと名づけた。その発想に光ファイバーの技術を加えて内視鏡が完成する。現在では内視鏡を用いた診断技術、器具の製造共に日本が世界をリードする。
 内視鏡で調べることができるのは食道、胃、小腸、大腸、喉頭、気管、気管支、鼻腔、副鼻腔、尿道、膀胱、腟、胸腔、腹腔、胆管、関節腔などである。「百聞一見に如かず」のごとく、直接視認できるのが最大の強み。さらに必要に応じて生検や細胞診によって顕微鏡レベルでの診断ができること。

 今回の小腸検査だが詳細はわたしには分からない。なにしろ小腸は5メートルもある。内視鏡を口から入れるのか肛門から入れるのかそれすら知らない。パソコンに這入っている医学書では「十二指腸以外の小腸は長さが2メートル前後あるファイバースコープを口から挿入して検査」とあるが、2メートルではどうにもなるまい。単純計算でも7メートルは必要、第一に大腸用の内視鏡でも2メートルは優に超える。瀬戸口医師は内視鏡による前立腺癌の除去手術を行っているが、小腸は専門外で全くご存じないようである(小腸の内視鏡は口と肛門の両方から半分ずつ挿入する)。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月22日 17:59 | 固定ページリンク




混合診療とTPP  | 一考    

 序でだから書いておく。日々服用している免疫抑制剤のなかには保険非対応のものがある。対応していない薬が一品でも這入っていると、保険対応の薬を含めてすべての薬と診察に保険が効かなくなる。すなわち全額自己負担となってとんでもない金額を支払わさせられる。この消息が自由診療と混合診療の関係である。
 TPP(環太平洋連携協定)に関して「医療保険の自由化、混合診療の解禁により、国保制度の圧迫や医療格差が広がる」と危惧されているが、混合診療を法律で禁止することによって、難病に苦しむもしくは免疫療法を必要とする国民は多大な金銭的犠牲を払わされている。
 免疫療法の大方は現在自由診療である。わたしのようなプロレタリアートは例えそれが命にかかわることであっても、金額によって自由診療を受けるか受けないかを決めている。従って、医療格差があるのは日常であり、当然と思っている。と云うよりは、国民健康保険のシステムそれ自体がとんでもない医療格差を作っているのである。
 国民健康保険の矛盾点について一言。先進医療(平成17年7月現在で、承認された高度先進医療は111種類)は保険診療との併用が認められていて、診察、検査、投薬、入院料は健康保険の給付対象となる。ただし、先進医療の特別料金部分(技術料)は健康保険の給付対象外となるため、全額自己負担となる。これは例外的に保険治療と保険外治療を併用する混合診療である。要するに、世の中には保健医療が認めている混合診療もある。ご都合主義とはこのことであるまいか。
 わが国の国民健康保険のどうにもならない矛盾点については、これまで何度も具体的な例をあげて書いてきた。何もかもが既得権で雁字搦めに縛られている。国民皆保険を名告っているものの実体は国民不在保険である。どうあっても自由化もしくは徹底した規制緩和が必要である。もっとも、この規制緩和とやら、外圧なしで緩和されたためしがない。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月22日 05:54 | 固定ページリンク




小腸内視鏡1  | 一考    

 大宮の医科歯科大学か新宿の東京医大のどちらかと聞いていたが、新宿に決まったようである。転院ではなく、こちらが出掛けて行って小腸内視鏡を撮るとの方法になる。往き来の交通機関はもっか医師が思案中とか。ちなみに、女子医と共に東京医大も戸田中央の関連病院。
 瀬戸口医師がわたしを極力手元に置きたがっているのは、医療費の支払いを考慮しているのでないだろうか。戸田中央の泌尿器科のみ更生医療が有効だからである。国民健康保険による更生医療の対象はひとつの病院ひとつの科目に限られる。
 転院はおろか、同じ病院でも消化器内科だと更生医療の対象外になる。すなわち、腎不全ならびに腎移植に伴う免疫抑制剤のみが更生医療の対象で、免疫抑制剤の服用による感染症は更生医療では面倒をみてくれない。ところが、いかなる科目の診断であれ、治療であれ、泌尿器科を窓口にすると更生医療の対象に化ける(化けるのであって、それが法的にどういう扱いになるのかは分からない)。
 入院費用は更生医療とは別計算になる。入院が2箇月に及ぶため、食費や保険外負担金(お襁褓代など)を加算するとかなりの金額になる。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月22日 05:52 | 固定ページリンク




外来  | 一考    

 腰痛で本日の外来を延期。こういうことははじめてである。腹痛なし、下血なし、体温は36.6度、血圧は退院後降圧剤を飲んでいなかったので180から190。即刻オルメテックを服用する。
 病院へ電話したところ、どのような手段を使ってでも来院すべき、と一言。些かおかんむりである。長期入院のあとだけに当然である。来週のつもりだったが、無理をしてでも金曜日に出掛けよう。

 瀬戸口医師は遅刻しないし休まない、入院患者が倒れれば、何時であろうが駈けつける。酒は飲むが、2箇月に一度、非常呼集のかからない確実に安全な日を選んで飲む。医師は半端な意志力で務まる職業でない。患者も心しないといけないのは分かっている。もっか反省中である。

 降圧剤を飲んで5時間で140-80、畏るべし。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月21日 09:50 | 固定ページリンク




緊急入院2  | 一考    

 2月25日、明石より日帰りで女房来たる。手伝いを得て念願の散髪ができた。ただし、頸に点滴ラインを拵えたため、入院中の風呂は諦めざるを得ない。寒い季節だからまだしも、一箇月も二箇月も風呂に這入らないとどうなるのだろうか。
 彼女は医師から病状、特に小腸の下血の状態について説明を受けていたが、「これから原因究明です」に終始していた。感染症なら癒らないが、感染症かどうかすら定かならず。移植手術以前から続いている下血ゆえ、わたしは感染症でないと睨んでいる。もっとも、下血の理由がひとつとは限らないが。

追記2
 26日、禁飲が解除、この日からA-4病棟内に限って散歩を黙認される。今日はあまり元気がない、ひどく疲れている。身体を拭く元気すらない、このようなことははじめてか。
 頸の点滴ラインが稼働、腕のラインが2本とも外された。37箇所ほどの穿刺の傷跡があって、腕全体が浮腫で腫れ上がっている。元へ戻るのに一週間は掛かりそう。でも、これで血液検査の穿刺が容易になる。
 ハイカリックNC-L輸液(480カロリーのビタミン入り栄養剤)、イントラリボス(脂肪乳剤)、これらははじめての点滴である。イントラリボスは牛乳のような脂肪液で、茶と水以外、特に牛乳は飲むなと云われているが、点滴ならかまわないらしい。成人男子の基礎代謝量は一日1500カロリーだが、点滴だとこの480カロリーが上限。大体、血管からの栄養なんぞ、効果があるのかしら。

追記3
 大きなお襁褓が外れ、小さなパンツ型のお襁褓になった。これで用が足しやすくなる。大小便共に極力自力で用を足したい。

 前述の小腸用内視鏡の貸し出しに一週間ほど掛かることになった。そこで大学病院へ転院するのが一案。主治医を消化器内科の羽山医師へ変えて小腸の内視鏡を待つのが一案。羽山医師によると、兎にも角にも小腸を見てみないとなにひとつ判断できないとのこと。仮に主治医変更の場合、免疫抑制剤を服用する患者はA棟4Fに限られているので病室はそのまま。いずれにせよ、医師同士の折衝なので詳細は分からない。

追記4
 27日朝、わたしに出来ることは栄養を付けることだけ。けれども、点滴の栄養のみ。現在の点滴は一日7本計500ミリリットル(主としてデノシン、抗生物質、止血剤)とハイカリック700ミリリットル(1本24時間の点滴)。

追記5
 28日、病院内は自由に歩かれれるようになる。3日間検査もなにもなし。禁食にも慣れてきた、とは云え、たまに甜い饅頭、特に金鍔を食べたくなる。
 神戸の金鍔は方形に決まっていたが、都々逸でうたわれた吉原の「土手の金鍔」は円形、表面に2本の指でくぼみをつけて刀の鍔に似せた。商品名を思い出さないが、金鍔とはまったく違う饅頭で刀の鍔に似せたものがあった。1本と2本の指でくぼみをつけた二種類有って、小麦粉の薄い水溶きではなく、普通の厚みの皮だった。それにしても円形の金鍔など、焼きにくいことこの上なし。

追記6
 3月1日、入院はいつまでつづくのか。先月は7日に入院して15日間の禁食と4日間の禁飲。もっか5日間下血なし。よって止血剤を中止、点滴は1日5本に。
 27日に体重が60.8キログラムに減り、今日59.9キログラムになった。60キログラムを切るのが存外早かった。下腹はぺちゃんこ、念願の55キログラムも夢でなくなってきた。

追記7
 じっとしてれば腹が減る、さりとて動けばよけい腹が減る。ラクトアイスは乳脂肪は這入っていないし、乳固形分も3.0パーセントと低い。謂わば贋作アイスクリームだが、これなら食してもよいのでなかろうかと考える。冷たいものなど食べられるわけがないのだが、食い物の妄想である。禁食中でも食べられるものはないだろうか、茶が良いのなら具のないスープや味噌汁もよかろうに、と莫迦なことを思案する。
 思案だけでなく、売店へ調査にゆくも、具沢山のカップスープしか置いていない。聞くとクラムチャウダーが一番人気とか。クラムチャウダーほど種類の多いスープはあるまいに、分かっているのかしらと一抹の疑念。わたしが欲しいのは安物の低残渣のスープ、クノールの袋入りスープにそのような商品があったような気がする。
 禁食の目的は消化液(唾液、胃液、膵液、胆汁、腸液など)の抑制、本当は一粒のキャラメルすら食べられない。

追記8
 3日の日曜日、死にかけてから一週間経った。昨日、瀬戸口医師から改めて「良かったねえ、命拾いしたね」と。この間下血の気配なし。

追記9
 嬉しいことに看護師が付き添いで風呂に這入ろうか、と。看護師の付き添いが嬉しいのではない、嬉しいのは風呂に這入られることである。頸に点滴ラインを拵えたので諦めていたが(ラインが風呂禁止の理由でないらしい)、点滴は30分間止めればよいとか。風呂と云ってもわたしが這入れるのはシャワーのみ。
 頸筋のラインの防水がちょいと大変だが、腕のラインは既にない。腕さえ自由に使えれば、何とかなりそうである。慎重にとの条件付きだが、頸を除けば髪も洗える。何日ぶりだろうか、垢がぼろぼろ涙もぼろぼろ出るに違いない。

 看護師が一言、爽やかになったわね。本人が一言、瘠せたわね。
 自分を鏡に写して老いた親父の身体を思い出した。そっくりだなあ、と。

追記10
 4日、よもや下血はあるまいと思うが、禁食は19日になる。
 二転三転したが、小腸内視鏡検査機器は東京医大から戸田中央へ持ち込むことになった。検査の日付は8日の金曜日。何事もなければ土曜日からでも食事再開となるらしい。しかし、「何事もなければ」の意味がまったく分からない。小腸に異変がなければあれだけの下血はしないだろう。自然快癒などあろう筈がない。

追記11
 足穂の云うAO虚空をこれほど意識させられたことはない。一回の入院で二度も内視鏡を入れられたのははじめて、糅てて加えて三度目の小腸の内視鏡が加わる。以前、尿管バイパスを拵えるときは後ろから前からだったが、今回はまさに「循環端なきが如し」、上から下からどうぞ、である。
 ところで、内視鏡を先っぽから尿管へ突っ込まれたとき、麻酔をしているにもかかわらず、ぎゃあと云ったのを覚えている。腎臓まで届いていたが、痛いなんてものじゃなかった。尿管結石でも飛び上がる痛さなのに、さらに太いものを突っ込まれて痛くないわけがなかろう。あの時は「はぜ(陰茎のこと)」が破壊されたと思った。
 それにしても、あれは何のためのバイパスだったのか。いまだに必然性がさっぱり分からない。

追記12
 5日。待ち惚けを食らっていた内視鏡が来るのは嬉しい。なんでも良いが、退院したい(退院するつもりだから困ってしまう)。自炊がしたい。取敢えず、退院の日はカツ丼を拵えたい(冗談)。カツ丼は味が濃すぎて外では食べられない。やはり、拙宅の白出汁で造った、ほとんど醤油味のしないカツ丼でなければならない(死ぬの生きるのと云っていた人間が書くようなことか)。

追記13
 繰り返すが、低残渣米は最悪の米、しかし旨かったというのが本音。粥ばかりだったが、滅多に与えられないとどのような食事でも旨く感じる。それほどに、入院中はほとんど食事をしていない。
 低残渣食については退院後、勉強する予定(要は植物繊維)だが、拙宅の近所で低残渣米は売っていない。

追記14
 6日。移植前の検査入院は二週間、移植手術は予定通り三週間で退院した。10月の拒絶反応は三週間、前回は2日(この入院は抹消した)、今回は本日で一箇月になった。検査入院は運良く去年の扱いになる。国民健康保険の規定で、ひとつの世帯で高額医療費の支給が一年間に4回を超える場合の4回目以降は限度額が減額される。末期癌の人は年間三度の入院で済まないだろう、自己負担が増えるのだろうか。

 今回はおそらく来週には退院できる、曜日までは分からないが。新幹線の車両のように長い入院だった。

(註 追記を屡々遣いますが、意味なく遣っております。どうかよろしく)


投稿者: 一考      日時: 2013年03月21日 01:05 | 固定ページリンク




再度顛れる  | 一考    

 2月24日は大変な一日だった。午前3時過ぎ、トイレへゆくが、一挙に200cc近い下血、お襁褓の上端を越えて血が溢れてくる。便器に座り込んだまま動かれなくなる。そのままの状態でストレッチャーに乗り、ナースセンターの診察室へ運ばれる。意識はあるが脂汗と軽い痙攣。同じ病院で立て続けに昏倒するとは。
 泌尿器科の当直の羽田医師が呼ばれ、消化器内科の医師も集まる。10分置きに吹き出す鮮血、医師によると約700cc。医師が同時に輸血(念の為に書いておくが、輸血は臓器移植の基本、何度も輸血するのは身体によろしくない)をはじめるが、袋を絞るような塩梅での緊急輸血。「非常時」「非常時」と呟いている。3単位目からは通常の速度に変わり、8単位の輸血(16日の5単位と合わせて13単位)を済ませる。ところで、4単位目から7単位目までの輸血の記憶が一部脱落している。聞くところにとると血圧が60を切り、おそらくその度に昏睡していたものと思われる。
 ところでこの間、ライン取りで医師は失敗を繰り返していた。そこで羽田医師は股の付け根の静脈から採血。正しい選択だし、それで良いのだが、結構痛みを伴う穿刺だった。
 この間、わたしは半ば失神、半ば覚醒していた。突然痙攣を起こすので両手首はベッドへ固く縛りつけられた。失神のときの注意事項として頭を下げ肢を上げるのはわたしには禁物である。看護師は無視するが、医師が聞き届けるようにと一言。序でに右手はラインがあるので構わないが、左手は自由にしてくれと懇願。こちらも聞き入れられ、縛り方を若干弛くしていただく。失神するには失神するためのスタイルが必要なのである。
 日曜日の早朝なるも、内視鏡で贔屓の羽山弥毅医師が駈け付けてくださり、下血箇所が大腸でなく小腸の奥だと判明。憩室でないことははっきりしたが、小腸の下血の理由がサイトメガロか、他に原因があるのかどうかは判然としない。要は感染症かどうかも分からない。内視鏡検査は7時半から8時過ぎまでかかった。抜き取るときに出血はほとんど止んでいた。なお、非番だった羽山医師の助手の看護師はバイクでご登場。その手の冷たかったこと、さぞかし心が暖かいに違いない。
 大宮の病院に小腸の内視鏡があって貸し出しが可能かどうかの問い合わせ。この内視鏡には麻酔もしくは鎮静剤が必要とか。鎮静剤がいらないカプセル型の小腸内視鏡もあるが、カプセルが小腸内で思うように回転しない。要は傷口を確認できるかどうかは運任せ、また鉗子のような処理を施す小道具もついていない。なんの役にも立たないが、おそらく用途が異なるのであろう。
 戸田中央では放射線による患部を特定した造影検査をはじめる。結核菌確認のため胃液採取。禁食が長期に及ぶため、頸に高栄養剤用(には限らないが)の点滴ラインを拵える、こちらは局所麻酔が必要。
 医師によるとサイトメガロウィルス腸炎による小腸の摘出手術の経験があるらしい。小腸は人間の臓器ではもっとも悶着の少ない箇所、その代わりおかしくなると執拗いようである。そう云えば幼児の小腸出血を耳にしたことがある。ところで、血液と共に腸の粘膜と思しき肉片がたくさん剥がれ落ちていた。腸の粘膜は新陳代謝のもっとも激しい部位のひとつだそうである。

 今回の下血ならびに発作が起きたのが、拙宅であれ屋外であれ間違いなく死んでいた。羽田圭佑医師が「非常時」と呟きながら対処してくださった熱意に感謝。病院内ならではの対応で、下血から輸血までおそらく15分足らずだった。今回もまた、命拾いをした。多くの医師、看護師、日曜日の早朝であるにもかかわらず、駈けつけてくださった瀬戸口医師にも感謝。
 それにしても痼疾(しかも命にかかわる)とも云うべき下血の理由が定かでないとは。理由が分からないままに下血が止まり、身体も落ち着いて退院、数年後に再発というのがもっとも困るパターンである。

追記
 トイレからストレッチャーで運んでくださった角田さんと話す。彼女は移植手術の際、ICUから一般病棟へ運んでくださった看護師でもある。長く看護師をしているが、あんなにひどい下血ははじめての経験だと。あそこまでではないにせよ、通常下血すると一種の錯乱状態もしくは認知症のようになって点滴の管などを抜くケースが多いとか。あなたは暴れるから縛り付けたと云っていたが、あれは暴力的な行為ではなく、いつもの痙攣である、と云っても分かって貰えそうにないが。
 日曜日ゆえ、当直の看護師は3名、霜凍さんと北海道北見の松平さんに感謝。移植手術の折、松平さんには重なる迷惑をお掛けしている。わたしは将軍家の姫と渾名している。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月20日 03:00 | 固定ページリンク




緊急入院1  | 一考    

 31日 下血 37.0度 腹痛
 01日 下血 37.6度 腹痛
 02日 下血 37.5度 腹痛
 03日 下血 37.3度 腹痛
 04日 下血少量 37.3度 腹痛
 05日 下血止む 37.3度 激しい腹痛
 06日 37.3度 激しい腹痛

 1月31日から2月4日まで拙宅で下血。病院へ到着したのは7日の8時、その時点で下血は止まっていた。一時間後の9時に下血による貧血で昏倒。よく分かったことは、下血初日にお襁褓をして、垂れ流しの状態ででも病院へ行くべき。それだけが今後助かる唯一の手立てである。
 7、8日は完全看護の元に置かれ、禁飲、禁食。9日の昼食から粥が出たが、5日後の14日には再度下血で二進も三進も行かなくなった。
 繰り返すが、初日ならどのような無理をしてでも病院へ行かれる。ただし、病院の駐車場が初日2000円、後は一日500円、一箇月17000円かかる。垂れ流しのお襁褓履きで電車に乗られるかどうかは疑問、おそらく援助がなければ階段の上り下りができないだろう。

 今回ばかりは簡単に病院から出られないと覚悟した。外出はおろか、風呂へ這入ることも、売店へゆくこともできない。そこで、病気に関する記述を日誌仕立てで書き継ぐ。

追記2
 2月14日15時50分、再度下血。今までの下血とは傾向が異なるような気がする。深夜より点滴再開、15日10時の段階でデノシン(サイトメガロウィルスの薬、1日2本)や抗生物質を含む8本の点滴。入院時の状態に逆戻り。免疫抑制剤を限界まで落とし、その間に憩室からの出血を治す予定。
 9日から出ていた粥が停止、14日夕から取り敢えず17日まで禁食。Hb(ヘモグロビン)が6.8、来週には輸血の予定。それにしても、透析時と違い、今はドナーの腎臓が生きている。それで造血されないとは。

追記3
 16日3時、6時ふたたび下血、血量いささか多く、下腹痛し。退院は愈遠のく。今回の下血でさらにヘモグロビン値が下がる。いつ失神してもおかしくない状態、持って行かれないように全神経を集中、気の張りを弛めたらおしまい。

追記4
 穿刺に自信のある看護師が輸血ラインを拵えに来る。血管はさらに硬化していて、傷跡だらけで刺す場所がない。最初に来てくれれば良かったのにと思う。一度目は失敗、二度目に成功。取敢えず5単位を16日午後から緊急輸血。栄養剤、デノシン、止血剤、抗生物質など多数を平行して点滴。禁食の間、点滴は24時間間断なく続く。

 血液検査の針は細いのでどこへでも穿刺可能。左手の血管は基本的に動脈である。ただし、シャント箇所は手首、そこより先は静脈なので問題ない。そこで左手の甲の血管を用いることを提案、3本の血管を遠慮なくぶすぶす刺していただく。看護師は大喜びだった。

追記5
 輸血によってヘモグロビンが8.8まで好転、しかし予測より低いのは下血分か。
 17日午前3時下血。どうやら本格的な憩室下血がはじまったようである。輸血しながらの下血ゆえ、安心と云えば安心だが。禁食期間は下血終了後プラス3日の日数で順延。

追記6
 18日、やはり下血。
 これだけ禁食が長引けば体重への影響大。moonさんによると、神戸のインド人は部族(宗派)によって一週間から一箇月の断食期間があるそうな。時間はたっぷりある、その一箇月に挑戦してみようか。

追記7
 19日14時、20日5時、相変わらず下血は続いている、と云うことは禁食もつづく。微熱なく血圧等体調良好、この体調良好に医師は嗤う、良好なら下血はせんだろうと。わたしもそう思う、思うが体調がよいのも事実である。看護師はわたしが今にも下血によって昏倒するかの扱いだが。
 それにしても、憩室は出血しやすいが、普通は4、5日で止まるものである。内視鏡をもう一度入れてみようかと医師、私は下血が止まるものならなんでも試していただきたい。

追記8
 20日9時半、下血止まる、少なくとも止まったように思われる。これで止まれば嬉しいのだが、糠喜びにならぬよう願う。

 心電図を取り、心臓血管センターで診断を受ける。改めてホルター心電図を装着、24時間の不整脈を調べるそうな。失神の原因を多方面から調査中なのだが、わたしは貧血だと睨んでいる。他方、医師は念のためにヨード造影剤によるCTスキャンを撮ると云う。こちらは憩室以外の出血の有無を全身の血管から調べる。二度の内視鏡(結局三度になった)、三度のCTスキャン、検査漬けとはこのこと、どこの重病人かと思う。

追記9
 21日6時、下血が止まって二日目。順調だが気は許せない、と、ここまで書いて昼頃下履きに結構な血の跡。予定は御破算に。

 ホルター心電図、造影スキャン共に異常なし。異常は偏に憩室からの出血。
 ヘモグロビンが僅かに上がっている。輸血時の8.8がもっか9.5。この程度だと再度輸血が必要になるのは明らか。

追記10
 22日5時、液状もしくは粘液状になった血が大量に下履きに付着。自身の消化器系のコントロールを失ってしまった。看護師がパットを貸そうかと、紙オムツを購入するので不要と応える(オムツの私物は使用禁止だそうである。病院の専属業者との契約が必要とか)。
 憩室ではないが、出血が止まらず、一箇月ほど禁食を続ける患者が屡々いらっしゃるとか。どうやら今月中の退院は難しくなった。

追記11
 22日、消化器内科の診察を受けることになった。これがわたしにとって最後の「藁」。こうなれば何でも彼でも掴む覚悟。
 消化器内科の医師はさらなる内視鏡は必要なし、と。この二日間の下血の色に濁りがある、それゆえ、出血は憩室からサイトメガロウィルス腸炎へ移った。憩室からの出血なら鮮血だそうである。
 内科医の指示によって昼から食事が出ることになった。これで「虐待」は終了、八方塞がりから一転、なにかが見えてきたような心地す。慎重に食を進めるようにとのアドバイスあり。

追記12
 久しぶりの粥に鮭が一切れ、それと吸い物の低残渣食。カリウム、塩分制限食(6グラム未満)。自炊の場合は塩は一切使わないので、さらに低い。
 それにしても美味い。賤しいはなしだが、食物は噛むもの割くものであって、栄養補給剤のように飲むものではない。
 入院生活が長くなると味のない粥がとっておきの馳走に思えてくるから不思議。その粥との縁によってふりかけの達人になった。食品制限ゆえの自炊が基本である、よってプレタポルテは一部の寿司と病院食ぐらいなもの、そこへふりかけを加えなくてはならない(ふりかけは塩分が高いが、一食で使う量が5グラムなので問題なし)。

追記13
 23日2時40分下血、鮮血。食事は昨日の昼と夜でお仕舞い。わたしの知識など葦の髄から天井のぞくの類だが、どのように考えても憩室からの出血。「出血は憩室からサイトメガロウィルス腸炎へ移った」と云えるのかどうか。長い禁食からか、便そのものは未だ出ず、便通をもって判断すべし。

追記14
 23日5時45分、6時50分、9時25分、11時10分、18時15分、20時40分便通。海嘯のごとき下血。憩室とサイトメガロウィルス腸炎の双方からの出血でないのか。これでまた貧血が亢進する。症状が貧血に止まるわけもなし、気が滅入るのを禦ぐ手立てなし。
 お襁褓を二重三重に穿けばもごもごして歩かれない。しかし、二重三重では溢れてしまう。一体、何を穿けばよいのか。看護師はゴム引きのお襁褓しかない、と云う。

 23日14時、車は7日から病院の駐車場に起きっぱなし、このままではバッテリーが上がる。そうなればレッカー移動だが、レッカー車が病院の駐車場へ這入らない。林自動車に泣きつき、車を引き取っていただくことにする。

追記15
 23日深更、14日の下血再開後、最大の出血。
 入院が長引くほど危機的状況に到る。禁食を続けた方が良かったかなどと様々な思いが心に浮かんでは消える。

追記16
 23日に続き24日はさらに大量の下血。ヘモグロビンは6を切る。別項を設ける。

(註 追記を屡々遣いますが、意味なく遣っております。どうかよろしく)


投稿者: 一考      日時: 2013年03月19日 03:46 | 固定ページリンク




点滴と体重について  | 一考    

 入院二日間は一日の点滴本数は13本だった。一旦4本に減ったが、14日の再下血後は9本になった。うち1本は禁食に伴う総合栄養補給剤(86カロリー、医師がわたしの体重管理のために選択)である。
 計画的な減量なら別だが、このような禁食はまったく減量にならないらしい。食事を再開すれば二日ほどで元にもどるそうな。22日朝の体重が61.80キログラム、9日以降、禁食を含めて1.7キログラムしか減っていない。
 わたしの身長から推して医師はできれば50キログラム以下に、せめて60キログラム以下に減量せよと云うが、聞き置くと云う以外手立てがない。この半年の間、55キログラムまで減らそうと格闘しての為体。体重を増やすのは簡単だが、減量がいかに難しいか身に滲みてよく分かっている。

追記
 よい機会である、ドライウェイトを65キログラムから62キログラムに落とそうと思う。入院中のことゆえ、どうなるか分からないが。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月18日 06:26 | 固定ページリンク




初の訪人  | 一考    

 それにしても長い入院である。書いても仕様のないことながら、うんざりである。寝間着から下着にいたるまでなにひとつ用意していない。爪を切り髭は剃ったが、なによりまず散髪をしたい。わたしは頭髪は十代の頃から自分で刈ってきた。風呂場と鋏があれば可能なのだが、病院の風呂は禁止されている。就寝に関係なく、二十四時間ひっきりなしの点滴である。まず、その段階で風呂は諦めるしかない。
 下着は拙宅から持ってきさえすれば病院で洗濯はできる。しかし現物がなければどうにもならない。例え病院であってもわたしはまだ生きている、生きていればこそ生活がある。食事は禁食中だが、食事以外にも生活は山のようにある。せめて、駅中のスーパーへ買い物に行かれればよいのだが、外出許可は下りない。

 病窓を哀れ詮ない粉雪舞う

追記
 24日の大量下血の結果、パジャマすら失ってしまった。午後、迷惑を顧みず櫻井さんに電話、ベッドから動かれないわたしに替わって病院の売店からパジャマを買ってきていただく。彼と久しぶりに晤語を娯しむ、ついさっきまで六人掛かりで押さえつけられて悶絶していたのに。生還後、初の訪人(まれびと)、ありがたきかな。
 生と死のあわいの儚さを知る。一方で包括も包摂もできない、離叛し乖離した関係。一方で死と生を隔てるものはなにもない。ひょんな偶然が生をもたらし、ひょんな偶然が死に至らしめる。それが病院での日々の出来事。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月18日 06:24 | 固定ページリンク




高野豆腐を三切れ  |   一考

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 全粥、高野豆腐、椎茸、人参の煮物、鯛味噌、洋梨

 03月09日の「ご報告3」でmoonさんが書かれた三切れの高野豆腐である。わたしが食べた低残渣食ではないが、ネットでそっくりの食事を見付けたので転載する。フルーツの代わりに牛乳が付いていた。細かいことだが、高野豆腐はこちらの写真の方が大きい。
 この高野豆腐が、小松菜の卵とじ、菠薐草(ほうれんそう)のお浸し、青梗菜(ちんげんさい)の煮浸し、サラダなどに変わってゆく。

 「緊急入院3」追記15で、当高野豆腐について触れている。数日後に掲げる。
 鯛味噌については「嘗物の梅びしお」で詳しく書いている。上記に同じく。


投稿者:   一考  日時: 2013年03月17日 14:02 | 固定ページリンク




改めて憩室について  | 一考    

 今回の出血箇所は憩室と決まったが、過去のそれと比して華やかさがない。下血は朝に多く、トイレ一面が血の臭いで充たされる。今回はだらだらと途切れることなく下血がつづく。期間は長いが、かつての21単位の輸血の四分の一である。もっとも、止血剤や抗生物質が効いていることも理由のひとつに違いないが。
 以前にも書いたが、凸がポリープ(癌)なら凹が憩室、日本人は大腸の右側(小腸側)によく発症する。わたしの憩室も炎症(憩室炎)を起こしているのは右側である。
 憩室はわたしの持病のなかでは軽度な方に属する。しかし、貧血の主たる要因であって、さまざまな面で悪さを惹き起こす。その影響力は生活万般に亙っている。また21単位との輸血量からも想定できるように、気を抜くと容易に死に到る。
 俗な云い方だが、気長に治すしかない。しかし治った次週に炎症がひどくなることもあり、気長に治すではなく、気長に付き合うしかなさそうである。
 以上、moonさんから憩室について質問があって。

追記
 24日の大量下血の結果、二回目は憩室が下血の理由でなく、サイトメガロウィルス腸炎と判明。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月17日 08:06 | 固定ページリンク




憩室と口内炎  | 一考    

 透析時から失神の際は全身が痙攣に見舞われるのは常で、全身が海老のように反り返り、がくんがくんと急激な収縮を繰り返す。内視鏡検査の結果、今回の出血は憩室、出血箇所は三箇所、やはり下血による貧血が失神の理由だった。
 車椅子に縛り付けられ、トイレの中まで看護師が付き添う、ベッドを離れるとナースセンターのブザーが鳴るという完全看護。用便中も看護師が付き添うのは病人になって慣れた。最終的な個人情報とはオケケの数と性器の臭いぐらいなものだが、わたしに個人情報なるものはなにもない。
 31日から4日までは総量100グラムの雑炊、5日以降は8日昼まで禁飲、禁食である。泌尿器科の医師は反対していたが、消化器科の医師の口添えによって9日から粥が出た。爾来体重は63.5キログラムで静止している。ちなみに、ドライウェイトは65キログラム。
 ところで、菠薐草(ほうれんそう)のお浸しに味が付いていて驚かされる。口内炎に滲みて食べられない。菠薐草には菠薐草の味があり。温野菜(最近はソテーと称するらしい)にも箇々の野菜の味がある。さかしらな味付けは止めていただきたいもの。それが病院食の基本である。
 アシクロビルとイソジンガーグル液を処方される。これで口内炎は治る。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月17日 07:59 | 固定ページリンク




ライン取り  | 一考    

 今回は血管の硬化に悩まされた。透析患者特有の症例なのだが、点滴のライン取りがうまく行かない。左手はシャント、右手は四六時中点滴、採血は足からになる。血管には個体差があるので、看護師を非難するのはあたらない。毎回二度乃至四度の穿刺ミスが重なり、腕は傷だらけ、手首から肩まで十箇所のライン取りの傷跡が残った。次回四日後のライン取りはどうするのかしら。
 造血剤の注射を打つ、強烈に痛い。造血剤は東葛クリニックでなんどか打っているが、こんなに痛かったかしら。思わず止めてと叫ぶが、看護師も心得ていて、もう終わりですと涼しい顔。

追記
 穿刺はますます難儀になりつつある。22日朝の採血は六度目、ライン取りは五度目でやっと成功。ところで、落合、深川さんと云う穿刺の達人がいらした。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月17日 07:58 | 固定ページリンク




腰痛  | 一考    

 腰痛を抱えて退院した。医師や看護師には内緒である。腰痛で死にはしないからである。退院の日は動けたので買い物は済ませた。二週間分の食料は大丈夫である。
 腰痛と云ってもピンキリだが、おそらく四日から一週間後がもっともひどいと思う。茶や水は2リットルは飲まないといけないので、トイレには行くが、電話に出られない程度である。この出られないは20回や30回のコールには間に合わないということ。よって、枕元の携帯電話の方が出る可能性は高い。以上よろしく。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月16日 08:45 | 固定ページリンク




穿孔と肺炎  | 一考    

 7、8の両日は穿孔の検査に追われ、休み明けは肺炎の検査に明け暮れた。というのも、休みの間、体温その他が乱れにみだれた。例えば、朝38.1度が昼には36.9度、夜には37.8度といったたぐい、明らかに肺炎の兆候である。
 今回は問題はなかったが、サイトメガロウィルスとは命ある限り付き合わねばならない。肺炎に限らず、いかなる病であろうとも根治はない。免疫が抑制されているのでウィルスを自分で飼い続けることになる。肺炎ならば悪くて半年、良くて三年、いずれ死が訪れる。
 移植腎の拒絶反応が続いていること、糅てて加えてサイトメガロウィルス、そんなところへ貧血による失神である。食事をすれば腹に血がまわり、トイレで息めば下肢に血がゆき、昏睡状態に陥る。注意をするようにと云われても、失神の際の絶望的な痛みはよく分かっている。好き好んで失神する物好きはいまい。いつも書いていることだが、病は天災と同じく理不尽なものである。意識するとしないとにかかわらず、一方的に押しかけてくる。不条理の悪夢そのものである。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月16日 07:19 | 固定ページリンク




腸と穿孔  | 一考    

 6日に何とか動かれるようになったので、7日に病院へ。採血を済ませ、採尿のためにトイレへ這入り、そのまま失神。医師、看護師3名、男性職員2名によって助け出される。病院で良かった、これが拙宅だとどうにもならない。下手すれば腐乱屍体ができあがっていたかも。
 下血は少ないと思っていたが、血圧は失神時60を切ったようである。意識を回復したのは70近くに戻ってから。それにしても、意識が戻ってからトイレでストレッチャーに乗せられて臨時の病室へ行くまでの間、気が狂うような腹痛だった。当然、緊急入院である。
 レントゲン、CTスキャンを撮り、3.6に跳ね上がったクレアチニンを落とすため、初日13本の点滴、8日の内視鏡に備える。泌尿器科と消化器科の医師が入り乱れての診察だった。このような大騒ぎになったのは腸の穿孔を疑っていたからで、もしそうなら小腸と大腸の部分摘出になっていた。
 サイトメガロウィルスの腸炎は穿孔が付きもので、一刻を争う、もっとも危険な腸炎とされる。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月16日 07:17 | 固定ページリンク




日本国民万歳  | 一考    

 「病気に関する書き込みを先行させる」と書いたが、その前にmoonさんに感謝申し上げる。電話がなく、とmoonさん。実はその間に死にかけていた。
 今日は忙しかった。病院の帰り、市役所の障害福祉課へ行く。一年に四度以上入院すると四度目からの高額医療費が減額される。前回の入院は5000円ほど、今回は100000円ほど。後から差し替えが可能かどうか、なんぞ抜け道がないかとの相談に行ったのである。これも小泉元首相の置き土産なのだが、重傷の患者は早く死ねとの国民健康保険並びに日本政府の方針である。国民健康保険に疑問を抱かない能転気な日本国民に万歳。
 拙宅はひどい状態だった。飲みさしの茶やスポーツドリンクのボトルの底に黴が蔓延っている。主人が黴菌で死にそうなのに、主人のいない家では黴がのさばる。ひょっとしたら、わたしがばらまいたサイトメガロウィルスなのかしら。
 冷蔵庫は一度は掃除をしてもらったのだが、やはりぐちゃぐちゃ、それは分かっていたので、野菜を多品種購入してきた。病院の野菜炒めはキャベツのみ、でも食費が安いので文句は云わない。しかし、たまには生にせよ、炒めものにせよ、野菜盛り合わせが食べたいのである。
 1月30日からずっと風呂へ這入っていない。這入らなかったのでなく、禁止されていたのである。話ついでに、移植した人は温泉には這入られない。こちらも禁じられている。拙宅の風呂だと構わない。今日はどうあっても風呂へ這入る。それと溜まった洗濯物を洗わなければならない。これは同時にできる。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月15日 15:40 | 固定ページリンク




甦生  | 一考    

 一箇月前に入院したが、また死にそびれて戻ってきた。入院中に二度昏倒し、11日間に及ぶ下血、とりわけ24日には死と逢著した。最近はこのようなことで死ぬわけがないなどと思わなくなった。今回は死ぬのかなあ、と何時も思っている。入退院を繰り返すなかで、ある日突然当掲示板が一年間ほど放置され、そして閉鎖されるに違いない。それは次回かもしれないし、今回だったのかもしれない。入院は一箇月を超えた。次回はおそらく二箇月になると思う。そして二箇月になったとき、わたしは戻られなくなる。
 最初は憩室からの出血だったが、やがてそれが他の腸炎からの出血と分かった。サイトメガロウィルスの潰瘍性大腸炎ならびに小腸の出血性腸炎と結論が出た。怖いのは小腸の方であって共に感染症である、従って対症療法しかなく、根治は難しい。下血と輸血を繰り返すの他、手立てはない。とは申せ、今回のように首尾よく病院で下血するとは限らない。突然、死が目の前にごろんと轉がった。

追記
 以下、一箇月を超える病院生活をできるだけ時系列に並べる。病気に関する書き込みを先行させる。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月15日 14:24 | 固定ページリンク




候可候  | 一考    

 明石のカラオケ喫茶が2月20日開店である。屋号はですぺらは止めたらしい。開店心得のような候べく候を伝えた。備前、立杭、浜田、益田など、拙宅の食器の大半と薩摩切り子が明石へ旅立った。順調な営業と共に店の役に立つことを願う。
 芋焼酎に関して手伝うつもりだったが、この為体。どうやら2月はおろか3月もわたしはダイエットの刑で病院へ籠りっぱなしになりそうである。

追記
 明石市鍛治屋町4-14 078-917-5801 999ビル6F 貸しビル名(スリーナイン)に合わせて屋号は銀河鉄道。定休日は月曜日、営業時間は12時の23時。カラオケ喫茶との業態の陳腐さに合わせた屋号か、銀河鉄道なら明石にだって在りそうな気がする。

 銀河鉄道は芋焼酎専門店だが、シェリー樽熟成の焼酎が芋でもないのに人気だとか。当たり前なのだが、彼女は今頃気付いたようである。シェリー樽熟成品は絶対数がない上に1年1回の頒布である。在庫があるうちの購入を奨めたい。

 候可候の意は、成行き次第であること。おざなり。いいかげん。「日切りまではそろべく候の揚げづめ、心任せに遊び給へ」


投稿者: 一考      日時: 2013年03月15日 14:22 | 固定ページリンク




ご報告4  | moon    


 一昨日、再度お電話を戴き、退院は明日(金曜日)になるとの事でした。小腸や大腸からの出血は止まったものの、病が完治した訳ではないので、退院する方が不安になるとの事でした。明石へ戻る事が出来れば良いのですが、病院やお住まいの事もあり今のところ少々難しい様です。

 ご報告まで。

  moon


投稿者: moon      日時: 2013年03月14日 12:36 | 固定ページリンク




ご報告3  | moon    

 一考氏から暫く電話が無いので少々心配になり正午頃に電話を致しました。留守電にメッセージを残したところ先程電話を戴きました。憩室からの出血が契機の小腸炎と大腸炎との事、二十一日間の絶食、今日初めて重湯と好物だと仰有る高野豆腐を三切れ、そして本物の牛乳(明治牛乳)を飲まれたそうであります。声の調子からは至ってお元気そうで、退院はあと四、五日ほどとの事でありました。一週間後にはこの掲示板にも新規の書き込みがあると思います。案じて居られる方へのご報告まで。

  moon


投稿者: moon      日時: 2013年03月09日 13:06 | 固定ページリンク




ご報告2  | moon    


 先日、再度一考氏から連絡を戴きました。未だに憩室からの出血が止まらない、輸血しながら止血剤を服用、絶食状態が続いているので栄養剤の点滴をしている、入院は多分一週間では済まない等々と、ご本人は冗談を雑え意外にしっかり話されるのですが、実際の病状は少々深刻な様であります。つい先程も、明石に「カラオケ喫茶」を開店されたばかりの奥様からも電話を戴きましたが、昨日に到るも未だ出血は止まっていないとの事。彼は、病院に停めている車を一旦自宅の駐車場へ移したいので一時帰宅したいと言うが、それだけはどうにか止めさせたと仰有る。担当医のお話でも、ご本人はいつ退院出来るのかと再三お尋ねなのだが、そのような事を言っている場合ではない、治療に専念すべし、と仰有っているそうです。早く出血が止まり、病状も悪化しない様に祈るばかりであります。

  moon


投稿者: moon      日時: 2013年02月20日 14:02 | 固定ページリンク




頑張れ、一考!  | なかじま    

昨晩、『太陽』のバックナンバーをひらいていたら渡邊氏の書棚が
登場した。見上げるだけですごい。震災で倒壊しても、くずれない
バベルの塔のようだ。

谷沢先生と泉鏡花の論集を出されていたが、もうあのような仕事は
なされないのでしょうか?この混沌とした世に渡邊氏こそ必要な
余人をもって代えられない方だ。どうか早くよくなってください。


投稿者: なかじま      日時: 2013年02月18日 12:41 | 固定ページリンク




ご報告  | moon    


 入院中の一考氏より連絡があり、再度憩室からの少量の下血もあり現在治療中だとの事。様子見の入院は一週間ほど、退院予定日は症状が悪化しなければ今月の22日か23日頃との事でありました。呂律も回っており、悪態をつくのもいつもどおりなので多分大丈夫だと思います。掲示板の更新も無く、案じておられる方も多く居られると思いますので、ご報告まで。

 moon



投稿者: moon      日時: 2013年02月15日 11:40 | 固定ページリンク




経過  | 一考    

 下血は常に鮮血である。下血は続いているが、二日目(一日)の量は多少減っている。午後37.0度の微熱発症、深夜には37.6度にまで上がる。PLを服用するも、二日午前十時の段階で37.5度。
 症状から推してサイトメガロウイルスの活性化なのだが、熱があるということは何らの合併症が出ているとの証。風邪でもひいているのだろうか。バリキサは減らしたばかりで、ストックなし。副作用のせいか、バリキサは余分に持たせてくれない。血液検査以外に、先月はそのバリキサを頂戴するためだけに病院を二度往復している。
 三日目(二日)の下血はわずか、しかしこれで終息するとは思われない。血圧は134-71、先月後半の平均血圧は105-70。
 腹の痛みはいやますばかり。一日一食、粥に卵と天かすを入れ、丸美屋のちりめん山椒を振りかける。口内炎が痛くて、このようなものしか食べられない。


投稿者: 一考      日時: 2013年02月02日 17:34 | 固定ページリンク




潰瘍性大腸炎  | 一考    

 潰瘍性大腸炎、ただし安倍晋三氏のそれとは異なり、わたしの場合炎症の原因は分かっている。それにしても腹が痛い、今まで激痛に襲われたことはなかったが、今回はどうにもならない。腹を抱えて転げ回っている。
 先日の内視鏡検査で新しいポリープがふたつ見付かったが、潰瘍性大腸炎は大腸癌との合併頻度がすこぶる高いと医師から云われている。またサイトメガロウイルス感染の場合、難治性となる可能性が高いとも聴かされている。合併症はすでに一部出ていて口内炎が治らない。
 前回はステロイド療法だったが、次回入院の場合は緩解導入療法に免疫抑制剤を用いるようである。それにしても、痛みのために動かれない、週が明けてからの外来となる。


投稿者: 一考      日時: 2013年02月01日 10:31 | 固定ページリンク




おしゃぶり  | 一考    

 久しぶりに客人があって、戸田中央へ寄った後、飲料水を大量に買いに出掛けた。行った先のスーパーで倒れはしないまでも動かれなくなり、未だに体調が戻らない。食欲がなく、全身に痛み乃至嫌悪感がある。折角止めていた痛み止めを再開した。努力しないと呼吸が苦しい、まるで酸素不足のよう。
 今朝また下血、止血剤も整腸剤も手持ちはなし。どうしようか。

 禁煙をはじめて半年を超えた。禁煙は守っているが、未だに禁煙パイポの世話になっている。2本120円の「リフレッシュパイプ・メンソール」という商品を使っている。1本で1週間は持つ、おしゃぶりのような感覚である。このような玩具のような代物であっても、必要にせまられて用いている。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月31日 09:40 | 固定ページリンク




乳製品  | 一考    

 イタリア料理やフランス料理でチーズを用いない料理などあるのかしらと思う。欧州では町のパン屋の大半が塩抜きのパンを作っている。それはそれで素晴らしいことなのだが、腎不全によってチーズを食べられない人も各国に10万人から15万人ほどいるはずである。
 屋号は伏せるが、某イタリア料理店のコックと話し合う機会があった。彼によると乳製品ということになれば、使っていない料理はほぼ存在しないようである。牛乳は鶏卵に次いで2番目に多い原因アレルゲン。昨年12月21日、調布市で小学5年の女児が給食を食べた約4時間後に死亡、死因はアレルギー反応のアナフィラキシーショック死だった。腎臓病に食物アレルギーのひとを加えればかなりな数でないだろうか。
 わが国では和洋食が渾然として一如を成すが、元来わたしは和食が好きである。よってイタリアンやフレンチを看板に掲げる店へ滅多に行かない。和食の場合は塩だが、イタリアンやフレンチの場合は塩に加えるに、乳製品である。欧州の腎不全患者はどうしているのかしらと思う。

追記
 何時も書いていることだが、ヨーグルト、チーズ、バターなどは禁制品である。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月30日 19:57 | 固定ページリンク




新薬開発  | 一考    

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)は生物学の基礎を革新したものであって、当初は再生医療に役立てようというものでなかった。iPS細胞のメカニズム並びに生物学的性質がよく分かっていなかったからである。ところが、山中教授のノーベル賞受賞を機に臨床応用へ向けた研究や計画が本格化しそうである。
 昨日のニュースによると腎臓細胞の生成に成功したとある。臓器に関しては早いもので20年、遅くとも40年ほどで目処が立つとされる。腎臓は臓器のなかでもっとも複雑で、40年以上掛かるとされる。二世代後には腎移植は過去の治療法ということになりそうである。
 難病患者の皮膚などの細胞からiPS細胞を作り、それを神経細胞にすれば病気の起きる過程を試験管の中で再現できる、そこにはさまざまな治療薬が開発される可能性がある。腎臓の再生より先に、副作用の少ない免疫抑制剤はじめ、新薬の開発が進められるだろう。
 再生医療が現実のものとなるのはこれから生まれてくる世代である。ただ、薬事法の規制緩和がなされれば、10年ほどで新薬の恩恵に浴することは可能かもしれない。

追記
 日本の薬事法は安全性を重視している反面、他の先進国に比べ承認審査期間が長く、新しい医薬品等がすぐに治療に使えないというデメリットがある。再生医療も新薬も海外の開発が先行するに違いない。過去の医薬品同様、日本は10年、20年遅れになる。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月24日 00:43 | 固定ページリンク




内視鏡  | 一考    

 消化器内科の羽山医師と話し合う。大腸の生理検査の結果、やはりサイトメガロウィルスがもたらした炎症と結論が出た。改めて内視鏡映像を見せられたが、かなりひどく爛れている。サイトメガロも炎症も無くなりはしない、また出血があればその度に内視鏡で処理しましょう、と羽山医師。
 サイトAg、タクロリムス、セルセプトなどの数値は血液検査に加えている。サイトメガロウィルスはサイトAgだが、本日の値(正確には17日の検査結果である)は1.3。後2、3日で一旦終息そうである。ちなみに、白血球10960、尿酸4.0、クレアチニン2.15。
 副作用を極力抑えるために、バリキサ、メドロール、グラセプターの量を減らすことにする。血液検査の結果から服用する薬剤の内容量を決めるように瀬戸口医師から云われる。当然、医師の管理下でのことである。
 瀬戸口医師は腸炎より骨折の方を気にかける。合う度に必ず訊くのは骨折の痛みである。痛みはあるが痛み止めは飲んでいないと応えるのが常なのだが、その度に困ったものだと医師は呟く。服用している薬もしくは腎臓と骨折の痛みが関係するのであろうか。
 インフルエンザが流行っている。幼児はすぐ感染するがすぐ治る、あなたが感染すれば肺炎を併発、即命取りだよ、と注意を受ける。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月23日 10:07 | 固定ページリンク




残雪  | 一考    

 白血球が14600まで下がった。少なくとも体内から炎症はなくなった。点滴および飲み薬の止血剤が効いている。長くヘパリンを打ってきたので、まるで正反対である。
 赤血球に劇的な変化はなかった。血圧が140から100へ下がったぐらい。予想通りの結果に安心している。腸炎の生理検査の結果はまだ出ていない。ウィルス検査などで女子医の方で処理しているのであろうか、そちらの結果は22日。
 ところで、消化器内科への入院を泌尿器科は知らなかったようである。それどころか、内視鏡検査すら連絡がなかったようである。連絡項目はサイトメガロウィルスによる腸炎であるとの結論のみ。もっともわたしが細かく説明すれば済むことだが。

 胸骨の骨折の方は進展なし。修復されつつあるものの、未だ痛みは抜けない。もっとも痛み止めはとっくに中止しているが。整形外科医は2月28日を次の目安にしてくれと。

 昨日はそこかしこに積雪が残り、注意しながらの走行になったが、ボルボS70は二駆から四駆への切り替えが可能。ただしノーマルタイヤなのでよく滑る。アイスバーンでは駆動方式よりタイヤの方が問題になる。もっともFRは論外だが。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月18日 13:32 | 固定ページリンク




一段落  | 一考    

 10日に入院し、12日に退院した。下痢はともかく、6日から始まった下血は13日深夜には収まったようである。「ようである」と書いたのは結論を出すには早すぎる。次回の外来は17日と22日、その折の血液検査で失われた血液量が分かる。移植腎が生きているのでエリスロポエチンは生成されている。従って6単位ぐらいの失血なら輸血の要はあるまい。
 下血が止んだので久しぶりに食事と入浴を済ませる。風呂の温度は冬場なので42度に設定している。湯温はさまざまだが、温泉や銭湯は通常45度に設定してある。マンションの風呂なので湯量が少なく、湯槽に浸かると40度以下に下がる。透析の頃はさらに2度低く設定していた。ちょいとぬるめだがわたしには丁度良い。下血を防ぐために食事は控えてきたが、このところ、腹が減って仕方がない。昨日から食事量を元に戻した。
 外来の日数および薬の量を減らそうと医師といつも話している。にもかかわらず、なにかしらの感染症によって薬は増える一方である。もしくはサイトメガロウィルスのごとく、バリキサの服用を減らすとたちどころに悪さをはじめる。免疫抑制剤を除くと、大半が予防薬なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月16日 20:13 | 固定ページリンク




黴菌(かびきん)  | 一考    

 サイトメガロウィルスでもっとも恐れているのは腸炎でなく肺炎(間質性肺炎)である。こちらの死亡率は七割を超える。従って予防接種を打っているが、それがまったく当てにならない。それほどに、サイトメガロウィルスは掴み所のない黴菌(かびきん)である。
 臓器移植のような免疫を落とす治療を行っている場合、すでに体内に潜んでいたサイトメガロウイルスが暴れることがあり、これを「再燃」と呼ぶ。わたしのサイトメガロウイルスは再燃であって、他人から移されたところのものではない。元々自分のなかにあった菌で、免疫の低下によって活性化したのである。
 サイトメガロウイルスの遺伝子に目標とする微生物の遺伝子を載せ、その上に免疫回避機構をなくしたウイルスを作れば、安全性の高いワクチンになるかもしれない。しかしこれはまだ理論段階であって、有効なサイトメガロウイルス用のワクチンは現在のところまだ作られていない。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月13日 12:48 | 固定ページリンク




追加の薬  | 一考    

 サイトメガロの数値がさらに上がった。泌尿器外科と消化器内科双方の医師から薬(バリキサ)の量を増やすようにとの電話があった。追加の薬を取りに来いとの要請だが、想定済みである。瀬戸口医師は22日まで待てないのでそれまでに来院するようにと、病院を離れたことを気にしている。
 わたしはもっか三科目に罹っている。従って若干の誤解が生じるのはやむを得ない。腸炎の痛みは食べてから腸の傷んだ箇所に食べ物が届くまで時間がかかる、4時間から10時間位後に痛くなる。誤解とは丁度その時間差と似ている。
 腸の感染症で下血を伴う場合は、かなり重症と考える。細菌検査と腸の内視鏡検査、抗菌薬の内服も必須になる、とそれぐらいはわたしも認識している。要するに誤解は生じないというのがわたしの意見である。
 他の注意では、食事はできるだけ腹に負担のかからない程度に減らし、たんぱく質(肉、魚など)、パン、ご飯、めん類(うどん、そば、スパゲッティー)の中止。飲料は緑茶、ウーロン茶、紅茶、コーヒーの中止。ただし、白湯、ジュース、ポカリスウェットなどスポーツ飲料、うすめの番茶、ほうじ茶などは量を倍に増やすこと。食事はまったく摂らなくても結構、大事なのは食事ではなくて、水分補給である。
 下血の影響でクレアチニンが2.2にまで上がってしまった。処置なし。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月12日 19:36 | 固定ページリンク




感染症の是非  | 一考    

 腎移植によって暫時透析治療から解放された。しかし一旦移植した以上、例え移植腎が壊死しようとも、生涯に亘って免疫抑制剤を飲み続けなければならない。数年後には透析治療に戻るわけだが、戻ったところで、免疫抑制剤は死ぬ日まで飲み続けなければならない。
 そして免疫を抑制することによって、さまざまな感染症に罹り続ける。それが良かったかどうかの結論はない。少なくとも賽は投げられた、感染症に罹り続ける立場を自ら選択したのである。そしてすべての感染症は死と深く結びついている。
 先般の歌舞伎役者の死にしても、抗癌剤治療による免疫力低下、そして肺炎感染が理由であろう。少なくとも免疫力が低下しているときは面会謝絶である。個々の見舞客はそれぞれに健康である、しかし免疫力が低下している人にとっては菌の固まりが訪ねてくるようなものである。そうした押付の好意が人を死に追いやる。

 免疫抑制剤の調整は一週間に一度だが、やがて二週間に一度になるだろう。しかし、二週間に一度はなんらかの感染症に罹っている。要するに通院しない週がわたしにはないのである。しかも二回に一回は入院している。月一回の入院ということになろうか。このような状態で戸田中央総合病院を離れて生活が成り立つのかと疑問に思う。どうすればよいのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月12日 15:55 | 固定ページリンク




サイトメガロウイルス感染腸炎  | 一考    

 手に負えない下血で即刻入院となった。憩室や癌だと事は簡単なのだが、もっとも面倒な腸炎からの出血である。それもサイトメガロウィルスの腸炎である。手の施しようがないとはこのことで、とりあえずバリキサとアドナしか服用するものが見当たらない。
 内視鏡検査で大腸と小腸の繋ぎ目に腸炎が発生している。ついでだが大腸の憩室の出血箇所はすべてクリップ止め、こちらからの出血は一年間は大丈夫。繰り返すが、憩室もしくは癌の炎症並びに出血の修復は簡単である。
 消化器内科医の羽山医師は最初キャンピロバクターを疑っていたようである。しかしわたしは移植手術が決まって以降、禁じられた食事は一切摂っていない、その中には生玉子や生鶏肉も当然這入っている。
 余談ながら、内視鏡ではじめて信頼できる医師と出会えた。内視鏡は通常、大腸の検査に用いる。ところが見付かった炎症箇所は小腸である。そして、大腸のポリープや憩室も手早く処理してゆく。二箇所から腸壁標本も採取、こちらは結果が出てから、泌尿器外科の医師と消化器内科の医師、そしてわたしを挟んで話し合おうと云われた。大腸内で見付かった二十箇所ほどの凹みの一つ一つについて説明をしてくださる。過去、このような医師はいなかった。羽山弥毅さんは内視鏡の専門医だそうである。

 http://ibdhotnews.exblog.jp/2813657 で以下の記載が見付かった。

 「サイトメガロウイルス感染症は基本的に日和見感染症だそうです。サイトメガロウイルスは、免疫機構が健全な時にはおとなしく隠れていて、AIDS(=エイズ。後天性免疫不全症候群)にかかったり免疫抑制剤やステロイド剤を使用したりして免疫力が低下したときに表に出てきて活動を初め、感染者に肝炎、網膜症、大腸炎、肺炎、脳炎などの症状を起こし、それらは重篤に経過する場合も多く、文献によりますと、死亡に至る例もあるようです。

 古い医学辞典には「このウイルスに対して有効な薬剤は開発されていないので、発症してしまうとその後の経過は非常に悪い」と書かれていたりします。現在はガンシクロビルという抗ウイルス薬が開発されており有効であるそうですが、投与した全員に効果ありということではないようです。また、投与で症状がおさまったとしても再発する可能性が高いようです」

 下血が止まれば、何時退院しても構わないと云われているが、まだ出血は続いている。ちなみに下血時に風呂は禁止である。食事は重湯中心だがいっそ断食した方が止血効果がある。医師に云ったところ、それはそうだが、腸炎からの下血が止まるわけではない、と。
 サイトメガロウィルスの腸炎は重篤になる確率が高く、ガンシクロビルは副作用があまりに強い、残念ながら気軽に使用できるという薬剤ではない。同腸炎の快癒は一説によると二、三箇月、一説によると二、三年という。いずれにせよ、明日午前中に退院するつもり。後の治療は医師と話し合う22日以降に決める。難儀はさらに重なる。(1月11日)


投稿者: 一考      日時: 2013年01月12日 14:57 | 固定ページリンク




下血3  | 一考    

 念のため、前回のWBC(白血球)、RBC(赤血球)、Hb(ヘモグロビン・血色素)、Ht(ヘマトクリット)、血小板・赤沈(赤血球沈降速度)をチェック。WBCが21850と跳ね上がっている。体内のどこかに炎症が生じている証拠である。
 下血は血液検査後なので、当然赤血球に異常は出ていない。MCVもぎりぎりだが基準値に収まっている。憩室の場合、赤血球がおかしくなる前に白血球に必ず異常が出る。明日になっても下血が止まらなければ、血液一般検査をしていただくつもりである。
 現在の血液検査の項目は多いが、何時も腎臓ばかりに注意が集中する。杞憂であればよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月09日 15:37 | 固定ページリンク




下血つづき  | 一考    

 6日午前の下血は一旦収まったものの9日にはぶり返している。それも半端な出血でない。トイレ中が血の臭いである。一回、二回なら問題ないのだが、これが続くと輸血が必要になる。痛みを伴わないだけに、わたしにとっては苦手な病のひとつである。
 エリスロポエチン(腎臓でつくられる造血ホルモン)は目下正常なので、腎性貧血からは免れている。従って、以前のように急を要する状態ではないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月09日 06:12 | 固定ページリンク




憩室下血  | 一考    

 先日は車で戸田へ行った。行きはノンストップだったが、帰りは二度の休憩を挟んで外環下の298号線を走った。
 下血は午前中だけで無事に収まったものの、その代わりに下痢がひどくなった。ミヤBMとレバミピドが手元にあるので服用。レバミピド(ムコスタ)は本来ロキソニンやリンゲリーズなどと併用する薬なので、下痢に直接関係するのはミヤBMである。より正確に書けば胃炎と腸炎の薬ということになる。基本的にサプリメントは信用しないが、「乳酸菌革命Super」は良いサプリメントだと聞いている。もっともミヤBMがあれば不要だが。
 憩室からの下血は持病になってしまった。ただし、命にかかわる病なので蔑ろにできない。65歳以上の成人の場合、特に血行動態が不安定な人や高血圧、糖尿病、慢性閉塞性肺疾患、慢性腎機能障害、冠動脈疾患などの併存疾患がある人では、憩室出血が原因で重い疾患にかかることもある。憩室出血の主な症状は無痛の大量直腸出血だが、9ー19%の患者で急速な大量出血が認められる。まず生理食塩水か乳酸加リンゲル液で輸液補充療法を始め、出血が持続するようであれば赤血球製剤を輸血する。わたしの場合は輸血と内視鏡クリップを併用している。
 出掛けた先で倒れるというのは、それが寒さであれ貧血であれ問題にならない。ただし、下血には要注意である。

追記
 サイトメガロウィルスが陽性と書いた。このところ、2ー3の間を行き来していたが、12と跳ね上がっている。明日、バリキサ錠450㎎を頂戴に戸田へ出掛ける。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月07日 20:37 | 固定ページリンク




薬九層倍  |   一考

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 5日は医師と随分と話し込んだ。誰が悪いと云うのではないが、団体とか学会とかになるとひとは怖ろしく保守的になる。活性化、自由化、規制緩和等々、あれやこれやと考えはするが現実にはどうにもならない、と。折角学んだ治療法や医薬品などが金額の問題で制限を受ける。薬九層倍といわれるが、医薬品が高価に過ぎて用いられない等々を話す。さすがに医師だけあって個別の批判はしないが、わが国固有の医学界の悪癖には辛辣だった。こちらで詳細が書かれないのが残念である。

 死因別死亡割合の28.5パーセントは悪性新生物(悪性腫瘍のことで癌や肉腫など)。癌の死亡率の一位は肺癌だが、近年になって日本人に大腸癌や前立腺癌、乳癌が増えてきた原因のひとつには、食生活の欧米化による動物性脂肪の摂取の増加と食物繊維の摂取不足がある。大腸での便の停滞時間が長くなって発癌物質が大腸粘膜と長時間接するため大腸癌が多くなったと考えられる。
 煙草は口腔、咽頭、喉頭、食道、胃、肺、膵臓、肝臓、腎臓、尿路、膀胱、子宮頸部、骨髄性白血病などの癌をもたらすが、特に飲酒中の喫煙は最悪の結果を生む。


投稿者:   一考  日時: 2013年01月06日 14:20 | 固定ページリンク




検査結果  | 一考    

 89項目の血液検査結果が出た。尿酸、蛋白以外では相変わらずサイトメガロウィルスが陽性反応である。ただし、もっとも大事なクレアチニンが少々下がった。数値は1.79、ごく僅かだが2.0を切ったのは嬉しい。免疫療法を拒否したのだから、これ以上の数値の好転は望むべくもないが、取り敢えず入院はなくなり、生理検査も一旦遠のいた。

 病院の帰り、戸田の行きつけのスーパーで倒れた。店員と客が一緒になって助けてくださった。冷え込みに身体が耐えられなかったのが理由だと思うが、みっともない話である。親しくしていた店なのでよかった、大きい店ほど構ってもらえないのはよく分かっている。
 腹痛はまったくなかったのだが、今朝はひどい下血だった。心当たりは憩室のみ。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月06日 05:42 | 固定ページリンク




くまの焼酎屋のお薦め  | 一考    

 先日、シェリー樽熟成の焼酎を紹介した。そのうち、熊本県福田酒造から限定200本で頒布された蔵出し40度、7年シェリー樽貯蔵の米焼酎について述べておきたい。福田酒造は不定期だが、シェリー樽熟成の焼酎を何度か頒布している。今回送られてきた焼酎はカスクナンバー貳拾参号となっている(どうでもよろしいが、ラベルは新旧字体が入り乱れている)。
 ウィスキーの世界では熟成にシェリー樽をもちいるのは普通で、特に戦前はすべてのウィスキーがシェリー樽で熟成されていた。焼酎の世界では蘭引きと云ってオーク樽で熟成された焼酎が昔から頒されている。江戸時代に広く利用された陶製の蒸留器「ランビキ」から来ているが、北九州に多く、南九州は甕熟成を主とする。現在でも、ゑびす酒造の「らんびきGOLD」は殊に識られ、10年貯蔵で年間生産量3000本となっている。
 さて、福田酒造の焼酎だが、聴くところによるとカスクはファーストフィルのようである。そうであれば今回の貳拾参号はドライシェリーのカスクである。シャープでデリケートなアーモンドのような香り、軽い口当たりに留意すればフィノシェリー、ややソルティな風味とカモミールを思わせる香りに留意すればマンサニーリャであろうか。いずれにせよ、シェリー香が抑制されており、口あたりはとても滑らかで美味である。さすがはくまの焼酎屋のお薦め品である。

 福田酒造の焼酎を飲んでいて、刺身か寿司が食いたくなった。正月に寿司もあるまいが、拙宅に近隣する魚屋は生け簀を持っているところが多い。彷徨けばなんぞ見付かるに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2013年01月02日 16:13 | 固定ページリンク




節供(せちく)  | 一考    

 次回の血液検査は5日である。従って年が明ければ変なものは食べられない、血中に痕跡が残るからである。年内なら普段食べられないものでも食べられる。前述のショートケーキもそうだが、クッキー、蜜柑、甘栗、つるし柿、ビーフジャーキー、ポテトチップス等々である。およそ食べられないものばかりだが、分量は極力控えている。例えばポテトチップスは一回30グラム×5袋を10日かけて食べる。このポテトチップスは酒の肴だが、他の食品の塩分は極端に落としている。そもそもわたしは間食はしない。特に菓子の類は好みでないのだが、正月ぐらいはと思い、少々仕入れてきた。
 一人で節供もなかろうと思い、筑前煮、きんぴら、牛蒡巻き、海螺(ヒメエゾボラ)の煮込みを作った。煮しめに違いはないが、所謂節供ではない。それと茶碗蒸しが付く。これで5日間は大丈夫である。
 酒は日本酒、焼酎、ビール、シャンパンを用意した。客があればともかく、一人でシャンパンを開栓することはあるまい。それにしても緩りとした年末である。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月30日 20:41 | 固定ページリンク




スポンジ生地  | 一考    

 先日、一人なので小さなケーキを買ってきた。わたしが知るケーキとはベースをなすスポンジケーキで食べるところのものである。スポンジの組成は牛乳、バター、卵、砂糖、トレハロース、薄力粉、コーンスターチ、ラム酒等からなるが、生地の基本は鶏卵、砂糖、小麦粉である。等量配合が基本とされるが、パティスリーごとに微妙に異なり、その差がパティスリーもしくはパティシエの個性とされる。
 このところ、ロールケーキのブームによってスポンジケーキの質が落ちた。ロールケーキも本来はスポンジケーキで食べるものなのだが、生クリームばかりが強調され、スポンジケーキは等閑視されてきた。その結果、素人が作る生クリームだらけのロールケーキが跋扈し、クリームを除けば食べられないような、およそケーキとは言い難い代物ばかりになった。
 要するに、ロールケーキのブームがケーキそれ自体の衰退をもたらすのではないかとわたしは危惧していた。どうやらその通りになったようである。買ってきた小さなケーキのスポンジ生地には、こくも香りも味わいも何もない。然るべきパティスリーへ行かなければ、ショートケーキひとつ食べられなくなった。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月30日 12:32 | 固定ページリンク




老いと骨密度  | 一考    

片足立ちで靴下を履かれるか。
青信号の内に信号が渡られるか。
階段を上るに手摺りが必要か。
十分以上立ち続けられるか。
十五分以上歩き続けられるか。
二キロ以上の荷物を持って歩かれるか。
しょっちゅう蹴躓く。
屋内で蒲団のような重いものが持たれない。

 というような項目があって、ひとつでも心当たりがあれば骨粗鬆症の疑いあり、骨密度を調べるべしとのテレビ番組が先ほどあった。わたしは全項目に心当たりがある。
 医学的な基準ではわたしの骨密度はぎりぎり正常値に這入っている。併乍、全項目に心当たりがある。あるどころでない、手摺りのない階段は端から昇らない、真ん中に休憩所が設けられていない信号は渡らないことにしている。十分以上立っていると猛烈な吐き気に襲われる、十五分以上歩いていると脚が縺れてくる、そんな時は道端に座り込んで休憩する。
 番組を見ていて思ったのは、それでは年寄りはみんな骨粗鬆症なのかと云うこと。老人が十五分以上歩かれないのは常識であろう。東葛クリニックで二階へ上がるのに階段を用いていたのはわたしともう一人の女性のみ。その二人にしてからが、手摺りを必要としていた。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月23日 19:00 | 固定ページリンク




体重  | 一考    

 身長マイナス110が最大体重だと医師は五月蠅く云う。わたしの場合は57キロ以下にすべきだと、でなければ健康が損なわれると。医学的にはそのようなものだと思う。しかし、現在は9キロほど超過している。一時期57キロまで下がったが、すぐドライウェイト(65キロ)まで戻ってしまった。この三年間ドライウェイトを中心に2キロ以内を上下している。思い切ってドライウェイトを60キロにまで落とすべきだろう。たかが5キロなのだが、前述したステロイド剤の影響でなかなか思うにまかせない。体重に限らない、なにもかもが薬剤の影響下にある。

 骨折は1月17日に治ると、これは整形外科医の意見である。肋を骨折したときの二倍の日数がかかった。これは現在の体質と年齢からくるものだろう。痛み止めはあと十錠と勝手に決めた。首回りと胸部を冷やすと治らない。早く出歩きたいので、毛布を被り、蒲団から目だけを出してテレビを観ている。年内はひたすら寝ることにする。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月23日 12:50 | 固定ページリンク




ステロイドつづき  | 一考    

 「ステロイド」で免疫抑制剤とステロイド剤が別物のように書いたが、性格は異なるものの同じ免疫抑制剤に違いない。
 メドロールは保険適応外、メドロール静注用(メチルプレドニゾロンコハク酸エステルナトリウム)は当然自由診療である。わたしが打ったのは1000mgで、4mg錠剤に換算すれば250錠、2mg錠剤に換算すれば500錠分になる。他にも自由診療の点滴は多数受けている。

 「一部の民間病院では混合診療を行っている」と書いたが、自由診療や免疫細胞療法を行うことが出来る医師は限られる。従って病院も大都会を除くと、一県にひとつかふたつしかない。全く存在しない県の方が多い。どこそこが混合診療を行っていると書けば、病院の特定はいたって簡単である。よって書かれないと云うか、わたしは絶対に書かない。わが国では法律に抵触するので大変なことになる。

 木曜日は朝6時に拙宅を出て、病院へ着いたのが9時7分、家から日暮里間に2時間以上かかっている。吐き気がひどくて立っていられない。例によって一駅毎に下車、休憩を重ねた結果、2時間を超えてしまった。老人が10分以上歩かれないのと同じで、決して体調が悪いわけでない。
 体調の方ではクレアチニンと尿酸、それと蛋白がかなり下りている。それが分かっているが故に、よくぞ年末の休みをくれたものだと感謝している。

追記
 ちなみに、わたしがもっか服用しているメドロールは毎朝9時に10mgである。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月21日 18:36 | 固定ページリンク




ステロイド  | 一考    

 正月の入院は勘弁してもらった。それどころか、年末は家でゆっくりしろと休みを頂戴した。ありがたい話である。1月は5日、12日、17日に検査が入った。ただし、5日の検査結果によっては即刻入院である。その場合は20日までの入院になる。
 例によって大量の薬を頂戴する。この二箇月、免疫抑制剤の細かい変更がつづく。免疫抑制剤の併用によってステロイドの量を減らす方法が最近では主流になりつつあるが、わたしの場合もステロイドもしくは副腎皮質ホルモンの量を少なくしている。
 わたしはソル・メドロール静注用を以前大量に用いたが、このメドロールは腎臓移植に伴う免疫反応の抑制もしくは膠原病の治療において一番効果がある。

 ステロイド剤の種類と商品名は以下のごとく。
 プレドニゾロン   プレドニン
 メチルプレドニゾロン   メドロール
 デキサメサゾン   デカドロン
 ベタメサゾン   リンデロン

 ステロイドは副作用が激しく、大量投与の副作用として、抗炎症・免疫抑制、糖尿病、胃潰瘍、精神症状、ムーンフェイス・中心性肥満など。長期投与の副作用として、副腎機能の低下、骨粗鬆症、高脂血症・高血圧、筋力低下・筋肉痛、白内障・緑内障などがあり、特発性大腿骨頭壊死症もステロイドが原因と云われている。にもかかわらず、わたしは死ぬまで飲み続けるしかない。
 特に鬱病は大きな問題で、21世紀にはステロイド剤に代わる副作用のない治療薬の登場が待たれる。
 ステロイドは通常体重が増える。従ってステロイドを服用しながら体重がほぼ静止しているのは大したものなのだが、医師は体重はどんどん減らす方が良いという。気持ちは分かるが、これ以上は難しい。
 ロキソプロフェンも頂戴してきた。胸骨の骨折による痛みはかなりしつこい。しかしこちらは怪我なのでとりたてて問題にはならない。

追記
 医師から聞いたのだが、一部の民間病院では混合診療を行っている。当然違法である。公立病院では事務方が許さないようである。
 アメリカの民間保険は高かったが、この二年で安価な保険が多く出てきた。一部はわが国の国民健康保険よりさらに安いようである。ただし、生活保護世帯(無料)の保険料をわが国の一般国民は負担している。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月20日 20:44 | 固定ページリンク




寒日  | 一考    

 外来は毎週木曜日なのだが、医師からは少しでもおかしいことがあれば連絡もしくは病院へ来るように云われている。しかし、今まで木曜日以外に行ったことはない。多少のことには目をつぶるからである。
 それが月曜日に戸田まで電車に乗った。咳が止まらなくなって、結果、胸骨が痛くて耐えられない。胸骨の悪さによってサイトメガロが咳を惹き起こしたと思うのだが、先週のCTによって医師には分かっていたようである。
 医師は寒さで胸骨に痛みが出るはずなのだが、と云う。そういえば、胸部が冷たいと思っていた。回りはみんな分かっていて、どうやら痛かったのはわたしだけのようである。
 帰りに身体障害者手帳の確認を忘れ、事務員に戸田公園駅まで来ていただいた。相済まぬことである。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月18日 10:17 | 固定ページリンク




健康優良児  | 一考    

 確かにインターネットの利点ですね。大谷剛彦裁判官にはチェックをいれることにします。それにしてもありがとう御座いました。

 TPPに反対するのは個人の勝手ですが、TPPの内容も意味もなにひとつ理解せずにムードだけで賛成反対を口にしているのを見ると腹が立ってくるのです。
 誰とは書きませんが、当掲示板へ書き込んでいた某仏文学者も反対らしく、フェイスブックなどで大声を張り上げております。感じる能力はあるのでしょうが、考える能力はなにひとつない、そのようなタイプの典型です。思想や思索とおよそ縁のない文学者が理をなにひとつ述べず、好き嫌いだけの発言を繰り返すなど以ての外です。
 田中康夫の意見には賛成すべき点が多いのですが、TPPに関しては納得がいかない。国民皆保険が壊されるとの意見を述べているが、米国は国民健康保険は触らないと再三再四にわたって述べている。民間の保険はすでに自由化されているので、米国が求めているのは混合診療の自由化と薬価の自由化である。
 「一般に保険診療医は自由診療を行わないし、免疫細胞療法の実施経験を持たない」と書きました。ただし、それら保険診療医がわが国の国民健康保険制度を守り、多数の国民の命を守ってきたのも事実です。従って、国民健康保険制度は触るべきではないのです。
 一方で自由診療や免疫細胞療法によって命長らえるひともいるのです。末期癌のような大きな病気になってはじめて混合診療の矛盾点に気づくのです。前述した某仏文学者のごとき健康優良児には理解できないことです。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月16日 11:42 | 固定ページリンク




混合診療と国民審査  | ですぺら2代目    

最高裁で「混合診療の禁止は適法である」としてしまったのは大谷剛彦裁判官ですが、16日の最高裁判所裁判官国民審査では彼も審査対象に含まれています。審査対象10人の裁判官について過去の実績が容易に調べられるのはインターネットの利点の一つでしょう。
どうも軽視されがちな最高裁判所裁判官国民審査ですが、納得できない判決を下したと考えられる裁判官に対しては数少ない機会を積極的に活用したいと思います。


投稿者: ですぺら2代目      日時: 2012年12月15日 20:16 | 固定ページリンク




前項に関係して  | 一考    

 移植を受けるに際し、最初に心配したのは費用のことだった。通常、ドナーとレシピエント併せて300万円から400万円だが、国民健康保険の高額医療が適用される。
 相談したのが戸田中央の名誉院長東間さんである。彼によると更生医療だろうから金の問題は生じないと。国民健康保険も更生医療も結果は同じで、基本は無料である。従って、移植手術における当方の負担は30万円から40万円で収まるはずだった、免疫細胞療法がはじまるまでは。
 身体の外から入ってくる異物を排除するのが免疫だが、誤って自分の身体のある部分を敵だと思って攻撃してしまう病気を自己免疫疾患という。皮膚、血管、関節などに炎症を起こし、炎症が全身に及ぶのが膠原病である。現在のわたしの身体のなかではこの自己免疫疾患が起きている。理由は免疫抑制剤が十全に機能していないからである。
 最近は免疫抑制剤が発達して少々合わなくても移植に踏み切る。この場合、血液型は端から問題にならず、抗体が合うかどうかが問題になる。
 さて、免疫細胞療法に代表される高度医療の大半は国民健康保険が適用されない自由診療になる。ここで問題になるのはわが国では保険診療と自由診療の混合診療は認められていないということ。ごく一部であろうと自由診療を併用すると、保険が利くはずの検査や治療も全額自費負担となり、標準治療の部分は、免疫細胞療法以上の莫大な出費を強いられてしまう。
 例えば腎臓癌の場合、腎臓の摘出費用は35万円だが、転移による免疫細胞療法を受けると最低70万円の費用が必要となる。そしてその間に風邪でも引けばそれだけで10万円か20万円が加算される。
 これは国民皆保険を守るため、というと聞こえは良いが、貧乏人は保険診療以外の診療を受けずに死ねということである。一般病院で未認可の新薬やANK自己リンパ球免疫療法(ANK免疫細胞療法)などを行えない理由であって、結果、多くの癌患者は金銭的に行き詰まり、追加の治療を受けられずに死んでゆく。金の切れ目が命の切れ目と揶揄した理由はそこらにある。

 わたしは国民健康保険に反対はしない。優れたシステムだと思う。しかし、一方で規制緩和が急がれるのも事実である。少なくとも薬価は自由化されるべきである。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月15日 16:46 | 固定ページリンク




TPP反対か賛成か  | 一考    

 2012年01月28日に「ANK療法」を書いている。以下が全文だが、入院中に書いている。

 日本では健康保険適用となる手術や化学療法が広く行われる。また、保険適用外の薬の使用や免疫細胞療法も、自費で負担すれば自由(自由診療)である。しかし、「混合診療規制」により、自由診療を併用すると、保険が利くはずの検査や治療も全額自費負担とされ、標準治療の部分は、免疫細胞療法以上の莫大な出費を強いられてしまう。これが、一般病院で未認可の新薬やANK療法などをなかなか使えない理由のひとつである。せっかく、投与量とタイミングを自在にコントロールできる培養技術が日本人研究家の手で完成、実用化されたにもかかわらず・・・

 との記事があった。現在、TPP交渉で問題になっている箇所のひとつである。アメリカ側の言い分は、混合診療を認めろとの至って単純なものだが、わが国はどうあっても、混合診療にすると全額保険適用から外すという。
 標準治療だけでは「延命」が目的化している。「CAPDとTPP」で述べた問題と同じ問題がここにもある。命を第一に、健康を取り戻す治療法が目前にあるにもかかわらず。
 医師の多くは標準治療のメリットも限界も知り尽くしている。しかし、一般に保険診療医は自由診療を行わないし、免疫細胞療法の実施経験を持たない。そうした医師を保護するための混合診療規制だとすれば由々しき問題である。医療を票集めに利用するのは止めたがよい、政治の道具から解放すべきである。(1月18日17時)

 TPPに反対する人の真意がわたしには分からない。病人の身になって考えればTPPに賛成するしかないだろうに。それとも日本では大金持ちしか診療を受けられないとでも云うのだろうか。もしもTPPに反対するなら事前に自由診療や混合診療に関する規制を撤廃すべきである。諸外国と比して日本の薬価は高すぎる。大方の薬品メーカーや一部の保険診療医の既得権をそこまでして守って、一体なにがどうなると云うのか。免疫細胞療法や混合診療でこのところ頭を悩ましている。義憤に駆られての再録である。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月14日 23:47 | 固定ページリンク




Join  | 一考    

 mpgファイルを結合するJoinというフリーソフトがある。使用法は至って簡単、OS 9の時から重宝しているソフトなのだが、OS 10.5.8でも正常に機能する。GraphicConverterと併せて使えばほぼ対応しないファイルはない。ウィンドウズならいくらでもあるのだが、マックだと二つしかない貴重なソフトである。紹介しておきたい。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月14日 20:56 | 固定ページリンク




危機感  | 一考    

 体調がよいと書いたが、この一週間食欲はない。吐き気がひどいのである。朝飯も戻してしまい、淡い塩鮭を食べている。やはり体調はよろしくないのだろうか。友人の腎臓癌を気に病んでいると云ったところ、瀬戸口医師は先週も腎臓癌の摘出手術をしている、命にかかわるのはあなたの方だろうと叱られた。
 医師には申し訳ないが、わたしには危機感が欠落している。透析治療に戻ればしまいだろうと思っているからである。透析治療があればこそ、死ぬことはあるまいと高を括っているのである。わたしは間違っているのだろうか、医師との話し合いが必要である。
 カレンダーを見ていたら、入院が正月に引っかかる。これはどうあっても嫌である。拙宅でコップ半分ぐらいの酒は飲みたい。そのために買い置きした菊正宗ピンが冷蔵庫で寝ている。次回の外来は二十日だが、即入院とは聞いていない、正月明けに延ばしていただきたいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月14日 20:37 | 固定ページリンク




何度目の入院だろうか  | 一考    

 体調は血圧、体重、体温共に良好、下痢もない。胸骨の痛みはあるが、わずかに骨はくっつきつつある。長期間、骨粗鬆症だったため、胸骨の痛みはあと一箇月は辛抱してくれと云われる。戸田中央でCTとレントゲンとエコーを撮る。
 血液検査は例によって最悪。一週間後の再検査の結果を待って、再び入院の要ありとか。300万円コースは嫌だよといったところ、それは分かっている、前回と同じ20万円コースで、と。前回は20万円と云われていたが、入院が長引いたため、結果は30万円だった。まあ10万円ぐらいはどちらでもよいが。入院初日に生理検査を済ませる、ということは最短十日ほどの入院になりそう。
 整形外科で撮ったCTを移植外科の医師が診ている。ただし、見ている箇所がまったく異なる。咳の原因が骨折にあるのか、サイトメガロウィルスにあるのかの確認らしい。やはり骨折が全身に響き、悪影響をもたらしているようである。

 腎臓癌について書いたが、わたしの担当医はそちらの専門家でもある。腎臓癌による摘出手術は過去百例ほど経験しているようである。彼によると腎盂癌なら遠隔転移が怖いが、腎臓癌ならなんら問題はないとのことだった。
 で、腎盂癌か腎臓癌かの確認はわたしにはできない。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月13日 20:18 | 固定ページリンク




リスタート  | 一考    

 胸骨が痛くて車に乗られない。おそらく冷え込みだと思うのだが、あまりに痛い。車を買うのを急ぎすぎたようである。警察へも行かれなくて、まだ車庫証明すら取っていない。
 明後日は大事な血液検査がある。毎週の血液検査と異なり、今後のわたしの身の振り方にかかわってくる検査である。事故後、車に乗るのが怖くなって、常にバスと電車を用いている。明後日も電車で戸田へ行く。

 何時も使っているUSBメモリが炎上、掲示板に関する一切が這入っていたため、困惑している。炎上とは燃えるように熱くなったの意、全く再起不能である。困惑とは何年にも及ぶ書き込みのすべて(未発表を含む)が収録されていた。例えば、中村勘三郎氏の死に関し、疑問が多々あった。そうしたことを書きなぐってい、後から整理して掲示板に載せていたのである。
 そうした疑問、書き込みのすべてが失われた。残念に思うならコピーを残しておけばよさそうなものだが、後悔先に立たず。まあ、わたしの人生のようなもので、常にリスタートを繰り返している。その度に一から人生を遣り直しているので、同じことかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月11日 16:23 | 固定ページリンク




放射線  | 一考    

 事故から一箇月経った。折れた箇所はやはり痛い。腎不全とは骨粗鬆症だということ、骨粗鬆症にとって骨折がそう簡単に治るはずがない。くっつくべき骨のエキスがどこを絞っても出てこない。昨日、周さんが来、やはり肋を折ったが一箇月は仕事も出来なかったとか。周さんが一箇月なら今のわたしには二箇月は必要かも。
 腎移植の折に接着剤を用いた。真皮を縫い合わせて表皮をボンドでくっつける。この方法で骨の接着もできないものか。太い注射針で折れた箇所にボンドを注入する。医師に云ったところ、治療として確立していないが、可能だろうとのことだった。だろうではなく、懸命に模索していただきたいものである。
 ところで、みさとの病院でレントゲン撮影の折、身体が静止しない。免疫抑制剤のせいで震えが止まらなくて申し訳ないと技師に伝えたところ、手伝いましょうとわたしの身体を押さえつけていた。CTもそうだが、わたしのせいで余計な放射線を多量に浴びさせてしまった。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月09日 02:07 | 固定ページリンク




リハビリテーション  | 一考    

 「残存機能」で「今回の入院でリハビリテーションの世話になったが、こちらは残存機能の鬩ぎあいだった。患者はわたしを含めて一人残らず障害者で、最初は目のやり場に困った」と書いたが、この機能は足がないとか手がないといった単純な問題を示唆しているのでない。脳の損傷による機能不全は個体によってまったく異なり、瞽、唖、聾などという既存の概念で括るわけにはいかない。のんちさんの云う「大学で学んだものは、ほとんど現場では活用できない」との理由はそこにある。学校教育の限界は概念から離れられないところにある。もっとも、概念を教えるのが大学教育ゆえ、どうにもならないが。
 俗に心身と云うが、心と身が別々に存在するわけでなく、どこまでが心でどこからが身か、曖昧の海のなかへ打っ遣られたままである。ひとは常に有機体である。ひとつの有機体のなかに心があり、身があって綱を引き合うと同時に補完しあっている。身体であろうが、躯であろうが、躰であろうが、名辞はなんでも良い。要はひとは統一体だということである。
 光を音を失ったからと云って光や音との縁が切れるわけでない。音を失った作曲家をわれわれは知っている。要するに失われた機能を補完する新しい機能が生まれることがある。それは既知の機能でなく、まったく新たな機能である。そうした機能を引きずり出すための切っ掛け作りがリハビリテーションでないだろうか。あらたな機能の手がかりや機会、もしくはその原因や動機を究明するための学問でないだろうか。
 繰り返すが、リハビリテーションとは残存機能の確認でなく、失われた機能の復元でもない。復元できる機能もあるが、一度失われた機能は基本元には戻らない。そうではなく、新たな能力の模索であり、加えられるであろう新たな機能の探索にリハビリテーションの真骨頂がある。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月07日 14:35 | 固定ページリンク




腎臓癌について  | 一考    

 自分のことなら詳しく書くが、ひとの病について書くのは躊躇われる。従って以下は一般論である。
 腎臓癌は大きく、小細胞癌と非小細胞癌の二つの型に分類され、早期発見が難しく、膵臓癌に次いで治療の困難な癌とされる。癌細胞の増殖が速い型が多く、また脳、リンパ節、肝臓、肺、副腎、骨などに転移しやすい悪性度の高い癌でもある。
 そのため、病状やステージに合わせた、適切な積極的強化免疫治療の実施が強く望まれる。

 Ⅰ期は、腎臓内だけで2.5cm以下であること。
 Ⅱ期は、腎臓内だけで2.5cm以上になっていること、少し大きいが腎臓から外には影響をしていないこと。
 Ⅲ期は、腎臓の静脈に浸潤しているけど、被膜は越えてない場合のこと。
 Ⅳ期は、遠隔転移をしている場合。

 腎臓癌の治療としては、腹腔鏡や内視鏡による部分摘出もあるが、基本としては腹部を切り開いての全摘出である。ただし、全摘出したとしても再発の可能性はすこぶる高く、術後のケアが必須である。前述したように、遠隔転移にはまず肺や肝臓への転移、次にリンパ節や骨転移などの可能性が高い。なお、腎臓癌自体には痛みはないが、骨転移に至ると激痛に見舞われる。
 摘出手術だけなら一週間から十日だが、それを超える入院の場合はサイトカイン療法や分子標的薬(ネクサバール)を利用した治療方法が取られている可能性がある。
 サイトカイン療法とは、「インターロイキン」や「インターフェロン」を用いる免疫療法だが、副作用が激しい。食欲不振、だるさ、鬱、肝機能障害などだが、これらについてはわたしの病気で何度も触れている。
 いずれにせよ、喫煙、飲酒、肥満、糖尿は最大の敵で、結果として食事療法も必要になる。繰り返すが、二年、三年、五年、十年といった単位で遠隔転移を起こす可能性が高い。腎臓癌で命を落とす理由はこの遠隔転移にある。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月06日 23:23 | 固定ページリンク




残存機能  | 一考    

 前項で書く必要のないことを認めた。というのも、のんちさんからメールが這入っていたからである。mixi経由のメールだが、わたしはmixiを見ないので、随分と前のメールだろうと思う。メールは近況報告にはじまる。
 「4月2日に、病院でケアワーカー(ヘルパー)として常勤になりました。認知症のすすんだ高齢者の方が主な患者さまです。陰部洗浄、おむつ交換、いろうをしていらっしゃる患者さまのチューブをきれいにしてさしあげる業務、シーツ交換、清掃等、とてもやりがいのある仕事です。病院に入って気づいた事があります。それは大学で学んだものは、ほとんど現場では活用できないという事です。例えばこちらがやれ音楽療法をやりましょう、ピアノを弾いて皆で歌いましょうと言っても、残存機能が限られた患者さまには不適切ですし、音楽がきらいな患者さまもいらっしゃいます・・・」
 胃瘻と残存機能のふたつの言葉が目に染みる。このところの長期入院で患者とその人格の問題に心を悩ませてきたからである。健康は意図して手に入れるものではない。病とは意志力や精神力といったものが一切通用しない世界の出来事である。要するに、理不尽にはじまり、理不尽に終わる。震災と同じで、弁証法や思索を持ち込んだからといってどうこうなる種類の事象でない。鴨長明に倣って、自らの心の弱さを凝視告白するの他あるまい。
 わたしは胃瘻以外の陰部洗浄、おむつ交換、シーツ交換、清掃等を経験した。特に肛門の清掃にはいろんな意味で衝撃を受けた。そしてどうあっても健常者に理解されないのが、人格の最後の砦が排泄だという事実である。もちろん、排泄が人任せになったからと云って、人格がなくなるわけではない。ただ非常に大きな節目であり、変わり目だと思う。迂闊なことは書かれないのでこれ以上はやめる。
 今回の入院でリハビリテーションの世話になったが、こちらは残存機能の鬩ぎあいだった。患者はわたしを含めて一人残らず障害者で、最初は目のやり場に困った。かかる心中にのんちさんの現在があるかと思うと、いささか同情したくなる。

追記
 のんちさんへ、わたしのメールアドレスは掲示板の最下段で公開しています。今後はそちらをどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月05日 00:08 | 固定ページリンク




シェリー樽熟成の焼酎  | 一考    

 芋焼酎以外は焼酎にあらずといった風潮である。かかる固定観念がいやなのである。出自がなんであれ、旨いものは旨い。とりわけ、シェリー樽など芋焼酎には不向きである。芋であれ、麦であれ、米であれ、それなりの楽しみ方が幾通りもある筈である。
 最近発売された旨い焼酎を紹介する。
 熊本県の福田酒造から限定200本で頒布された蔵出し40度、7年シェリー樽貯蔵の米焼酎。題して「蔵の秘蔵酒」、容量500ml、頒価2,362円 (税込 2,480 円) 送料別、6本単位だと送料無用。特にお薦め。

 スペインより輸入したシェリー樽に長期間貯蔵した麦焼酎を福岡の光酒造が販売。題して「夢想仙楽」、40度、720ml。頒価2,553円 (税込 2,680 円) 送料別。装いが振るっている。

 しもん芋仕込み、さらにシェリー樽熟成の芋焼酎が熊本の房の露酒造から。題して「熟成倉岳」、容量1800ml、度数 25度、頒価2,581円 (税込 2,710 円) 送料別。

 上記はくまの焼酎屋の取り扱い、電話0966-24-5443。楽天からも取り扱っている。

追記
 くまのは焼酎の専門店だが、わたしの付き合いは古い。もっとも、わたしはモルトウィスキーの付き合いだが。九州中の珍しい焼酎を掻き集めてくる、その努力と店主の舌には狂いがない。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月04日 17:21 | 固定ページリンク




糞の嘆き  | 一考    

 ミクシーに這入っている理由はある個人に頼まれたからで、彼によると掲示板に書き込んだ折にミクシーから連絡があるかららしい、他に理由はなにひとつない。フェースブックにも這入っているが似たものである。人から頼まれて這入っているのであって、わたしにとりたてての理由も必然性もなにもない。わたしはソーシャルネットワークにまったく書き込まないし、友人と思しき人からの申し込みも無視している。わたしはネット上の友人なるものを信じない。今までネットで知り合った人でわたしを震撼させた人などいらっしゃらない。どなた様も馬の骨、河童の屁の類いである、と糞が云うのだから間違いない。
 そのようなわたしにソーシャルネットワークは無用である。今年一杯で中断する。櫻井さんやおっきーさんが掲示板を拵えてくださったが、そうした個人的な厚意こそが大切なのである。ミクシーも一年以上開けてもいないし、メールの遣り取りも絶えてない。どうして形だけの友達が欲しいのかその理由がさっぱり分からない。友人などというネット上のお祭り騒ぎに踊らされて、わたしには千人の万人のファンがいると信じることの方が怖ろしい。人は孤独で淋しいものとの原点の確認こそ絶えざる問題ではないか。その孤独に変化を与え、色を添えるのが生活であり、家族だろう。それを否定はしないが、だからと云って原点を否定するのは如何なものか。

 ネットはつい最近まで存在しなかったし、わたしが携帯電話を持ったのはさらに新しく2008年、まだ五年にしかならない。あっても良いがなくても良い、どちらにしようかといまだに迷っている。そうした通信に頼らなくても、無数の知己を得てきたし、親友、盟友、戦友と思しき多くの友を得た。相手の顔を視、目を確かめ、酒を酌み返し、声を交わし、対話を幾度となく繰り返す。友というのはかかる手続きのなかから生まれ育むものだ、とアナログのわたしは思っている。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月04日 10:44 | 固定ページリンク




ユリノーム  | 一考    

 尿酸値が10.2HHまで上がっている。それが理由で久しぶりにユリノームを頂戴してきた。毎朝一錠の服用である。朝は二十錠以上、服用する薬があって、一錠ぐらい増えたところでなんと云うことはない。ユリノームは副作用の強い薬である。痛風の特効薬だが、腎臓には最悪の薬であるそうな。当然、痛みが理由の服用は許されない。痛風の痛みだけならカロナールの類を薦められる。

 胸骨の痛みは日ごとに引いてくるが、ケンタンはまだ必要である。
 血液の状態はぼちぼち落ち着くはず、今月の半ばぐらいには良きにつけ悪しきにつけ、それなりの結果が出るはずである。その結果次第で引っ越しを引っくるめて後の動きが決まってくる。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月03日 10:18 | 固定ページリンク




HLA  | 一考    

 移植はHLA( Human Leukecyte Antigen:ヒト白血球抗原 )が完全に合致しなければならないが、免疫抑制剤の発達によって6座すべてが合致しなくても移植に踏み切るケースが増えてきた。だからこそ、「experimental 」な治療とまでは云えないのだろうが、それは免疫抑制剤に潤沢な費用を遣えることが前提である。この消息は骨髄移植でも同じだが、腎臓と違ってHLA間の合致はさらに厳密に求められる。要するに、骨髄移植の場合は「experimental 」な治療だったと云えるのである。マイケル・ブレッカーを持ち出すまでもなく、多くのミュージシャンが、また近くは横須賀さんが造血幹細胞移植を経て白血病で亡くなった。
 それら移植は結果だけをみて失敗とも成功とも云えないところが難しい。ただ、移植であれ癌であれ、保険診療で間に合っているうちは軽微な病と云えようか。問題は保険診療の場を離れてからである。一概にはいえないが、癌に於ける延命治療は大方が保険外診療となる。数百万から数千万の金が瞬く間に消えてゆく。
 国民皆保険は市の特定検診、市の指定医療機関による定期予防接種と法定外予防接種、例えば肺炎予防球菌ワクチンなどで役に立っている。しかし、いざ病気になると保険治療はほとんど役に立たない。役に立つと思い込んでいるのは健常者だけであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月03日 10:14 | 固定ページリンク




串カツ  | 一考    

 牡蠣フライが食べたくなって、大粒の牡蠣を大量に買ってきた。ついでに千葉産鰈の開きの良いものがあって、そちらも購入。日頃、アフリカの大型の熱帯魚を白身魚フライとして食している。たまには出自のしっかりした白身魚が食べたいものである。お陰で冷凍庫は一杯になった。
 明石の焼酎屋は串カツを置くようである。おでんよりはその方がよほど良い。それに串が必要なのかどうか、わたしにはよく分からない。あの串は資源の無駄遣いのように思われて仕方ない。
 掲示板で書いた記憶があるが、千本中立売のストリップ劇場の横に姉妹でやっている串カツ屋があって、生田耕作と足繁く通ったものである。鰈に大葉を巻いた串カツが人気で、今では当たり前の演出だが、当時はその大葉がなんとなく高級に思われたのである。極端に衣が薄いのも、大阪のそれと比べて高級感が漂ってい、塩や山椒で頂戴するのを常とした。
 串カツのソースについて訊かれたが、神戸の「ばらソース」については何度も書いている。2011年05月11日の「地ソース」をお読みいただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月01日 21:50 | 固定ページリンク




ボルボ到着  | 一考    

 ボルボが届けられたが、警察、市役所、税務署、陸運局へ行くためにその車が必要である。昨日、外来のついでに戸田の林自動車へ赴く、強賠の名義変更である。とはいえ、車検証に「車の所有ならびに使用の実態は渡辺一孝である」との一筆と押捺、担当保険会社へ提出するのだが、これで明日から車に乗られるようになる。
 大きい車である。トヨタのセルシオより幅が70ミリ広く、95ミリ背が高い。その代わり、小回りがきかない。車両総重量は2噸に近い。各種安全装備が充実されている、運転席エアバック、助手席エアバック、サイドエアバック、ABS(アンチロックブレーキ)、トラクションコントロール、前席シートベルトプリテンショナー、SIPS(側面衝撃吸収システム)、WHIPS(後部衝撃吸収リクライニング機構付きフロントシート、DSTC(ダイナミック・スタビリティ&トラクション・コントロール)、IC/インフレータブルカーテン等々、このような車に乗るのは当然はじめてである。
 ボルボ固有のブレーキのことだが、S80のブレーキはフロントにアルミ製対向4ポッドキャリパーを装備している。出力が高くなれば、相応のブレーキが必要になる。申し分のない車である。


投稿者: 一考      日時: 2012年12月01日 19:27 | 固定ページリンク




見舞い  | 一考    

 明石から見舞いが来、それは嬉しいのだが、風呂へ這入れには困惑する。サイトメガロと骨折双方と折り合いを付けなければならない。たつて書けば、近所のスーパーから買ってきた烏賊の煮付けやチーズを喰えという。腎不全に罹った病人にいくらなんでも烏賊やチーズはないだろう。食事療法に関する本を読むからと彼女は持って帰っている。
 見舞いは見舞いであって、当人は好きなものを食せばよい、気を遣う必要はどこにもない。ただし、ひとに勧めるのはいかがなものか。風呂についても、東葛クリニックで看護師から五月蠅く云われた、「あなたは一人住まいだから、風呂には最大の注意を払ってください」「朝、あなたが来なければ、自宅へ走るのはわたしたちなのですから」と。この言葉には隠れてそっと泣かされた記憶がある。入浴中に発作が起きればそれまでである。そして発作が起きたこともある。軽い発作ゆえ、ことなきを得たが。
 隆さんに緑茶を運んで貰った。一日に最低一本は飲まなければならない、よって十本あっても一週間でおしまい、いくらあっても間に合わないのである。今のわたしに茶の類は運ばれない。明日、ボルボの持ち主が千葉市から三郷まで車を運んでくださる。ありがたい話である。最初は車庫証明の取得だが、一週間ほどで走られるようになる。これで買い物も自分でできるようになる。もう少しの辛抱である。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月27日 18:47 | 固定ページリンク




腎センター  | 一考    

 普段女子医と書いているのは、東京女子医科大学付属病院のことである。その女子医の元病院長が東間さん、09年からは戸田中央総合病院の名誉院長である。彼が腎センターの生みの親であり、戸田で腎移植をはじめた張本人、今までに2000例の腎移植を手掛けている。同時にイタリアのジオスに乗るサイクリストである。
 失礼ながらわたしと同じく、足の短い方なので、シートチューブもピラーも控えめ。平日は10キロ、休日ともなれば50から100キロは多摩川河畔を走っている。ジオスはフレームの立ったかなりハードな自転車、かつ素材はコロンバスである。レイノルズの方がよろしいのでは、と思うのだが、彼にしてみれば大きなお世話であろう。イタリア車に乗るひとにはそれなりのこだわりがあるのである。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月26日 16:08 | 固定ページリンク




ボルボ S80  |   一考

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 VOLVO S80のT-6 型式 GF-TB6284 排気量2,780 cc 走行距離は73,972 km 平成26年6月までの車検付き。
 T-6は2.8Lの直6エンジンをツインターボで過給したモデル、馬力は270から280、トルクは400 Nm、100 km/h到達時間は7秒を切る。全長4850(4660)、全幅1890(1760)、全高1495(1415)。括弧内は前の850の寸法。
 「クリーン・シティ・リムジン」と銘打たれた、ボルボのフラッグシップサルーン。排気量が大きくなった分、前の車よりさらに走ると思う。今回は名義変更、ナンバープレート取得、その他の事務手続きはすべて当方で処理する予定。
 ボルボでこれ以上の高級車はない、それにしてもやけくそである。胸はずきずき痛む。


投稿者:   一考  日時: 2012年11月25日 01:18 | 固定ページリンク




バリキサ錠  | 一考    

 サイトメガロウィルスが暴れまくっている。今回は前のように一筋縄で行きそうにない。
 エイズや癌、あるいは臓器移植で免疫力が低下するといろいろな感染症にかかりやすくなる。サイトメガロウイルス、カリニ原虫、カンジダ等々、ふつうなら感染しにくい微生物にまで侵される。
 バリキサは保険対応の薬で、サイトメガロウイルスの増殖をおさえる抗ウイルス薬。もう少し詳しく書くと、サイトメガロウイルスに直接作用する化学療法薬。ウイルスの遺伝情報をもつDNAの複製をじゃますることで、ウイルスの増殖をおさえる。DNAポリメラーゼ阻害薬とも呼ばれる。
 サイトメガロウィルス感染で起こる肺炎や肝炎、腸炎、食道炎、目の網膜炎などの治療に用いる。完治は難しいが、進行をおさえ病状を落ち着かせることができる。通常は一日二回、一回二錠らしいが、わたしは一日一錠服用している。一部の免疫抑制剤と抵触するようである。
 サイトメガロウィルスにかかって怖いのは肺炎だが、その胸のあたりが重く、痰が切られない、気道がいがらっぽく咳が収まらない。この咳が胸骨の骨折には最大の敵である。微熱はないが、日曜日から完全な下痢、体調管理がよろしくないと、また医師から苦言を呈されそうである。

追記
 カンジダ菌の増殖を阻害するフロリードゲル経口用は大量に用いている。保険対応外の免疫抑制剤を拒否したので、対応する薬剤でもって凌ぐしかない。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月23日 22:15 | 固定ページリンク




痛みの種類  | 一考    

 ケンタン錠について書いた。ロキソプロフェンナトリウムだけあって、痛みに効く。効くが腎臓の状態が状態だけに、強い薬は控えるようにと瀬戸口医師から窘められる。一日二錠は欲しいところだが、もっか一錠以下で我慢している。以下と書いたのは痛みによって飲まない日もあるからである。
 いつぞや肋骨を二箇所骨折したときがあった。胸骨同様、呼吸の度に動くのでギブスが填められない。当時は若かったので一箇月で治ったが、今回はそうは行くまい。
 しかるに骨折である。胸部であれ、手脚であれ、指先であれ、似たものである。頭蓋骨の陥没ならともかく、直接命にかかわるようなものでない。要は怪我である。
 腎臓の移植手術で感じたのは痛みの鮮烈さである。昨今は内視鏡手術が普及し、摘出手術であっても三、四日の入院で済む。なによりも痛みがない。それと比して開腹手術は壮絶な痛みを伴う。できれば二度と経験したくないと思っている。

 瀬戸口医師からロキソプロフェンナトリウムとゲファルナートに変わるレバミピド(胃薬)を頂戴した。三郷の病院で交通事故なら健康保険は効かないと云われた。正しくは健康保険は無効だが、そこは目をつぶってということになる。瀬戸口医師にあちらの病院へはもう行かないと告げたところ、薬を手当してくださった。忝ない。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月23日 21:22 | 固定ページリンク




MJQ  | 一考    

 このところジャズのCDを買っている。いかなる種類のオークションであれ、わたしは最初に自分が入札した上へ再入札することはない。従って、先週の日曜日に車でこれというものが出品されていたが、ことごとく外してしまった。
 車はともかく、CDで必ず外すのがMJQである。海外では5枚セット、10枚セットなどで旧盤が覆刻される。しかし、MJQにはかような覆刻が少ない。おそらくそれが人気の理由だと思うのだが、ミルト・ジャクソンがそれほどの演奏家だとは思わない。
 ソニー・クラーク、ウォルト・ディッカーソン、ジョン・ルイス、ホレス・シルヴァー、マヌエル・ヴァレーラ、フィリー・ジョー・ジョーンズなどは他に入札者がいないようである。マル・ウォルドンはわが国でも随分と活躍していたが、人気はなさそうである。情念過多の彼の演奏は昔のバンビではやんやの喝采だったのだが。バンビーのマネージャーも確かマル・ウォルドンのStablematesのファンだったと記憶する。ジャズの世界でも時代と共に人気は動くのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月21日 03:33 | 固定ページリンク




DVDプレイヤー  | 一考    

 mac用のDVDプレイヤーが必要になった。拙宅のどこかにあるはずなのだが、雲を霞と消えてしまった。ヤフオクでmac用で検索するととんでもない高値で、呆れ返ってしまった。大概のものならウインドウズ、マック共通で使えるはずである。特にLogitecかLacieならドライバなしでも認識するはず。
 mac用なら5000円、同じ商品がウインドウズ用なら1000円である。これって良い商売になるのかもしれない。
 「最初の一週間」と題する阪神淡路大震災のCDを買った。漢字トーク7.1以降対応と書かれている。OS Xが発売されるのが2001年だから、当然なのだがOS 9までしか対応していない。震災のあったのが1995年1月17日、もっとも不安定だったSystem 7.5の時代でないだろうか。7.5が安定する漢字Talk 7.5.5が発売されるのは震災から一年以上を経た1996年のことである。
 他にも阪神淡路大震災のCDを数種類持っている。わたしにはまだまだOS 9が必要なようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月21日 03:31 | 固定ページリンク




腎臓癌  | 一考    

 佐々木幹郎さんから電話があって、尿管結石で激痛に見舞われて救急車で入院。CTスキャンで腎臓に癌が発覚、除去手術を施したようである。
 この場合、対応を急ぐのは当然癌の方である。腎臓は近隣をリンパが走り、腎臓そのものが血管の集積場である。癌が転移すれば大事になる。わたしは尿管結石でなく、腎結石を患った。腎臓の結石が流れ出して尿管に詰まると、尿管結石ということになる。
 現在の泌尿器科では腎結石が理由で腎不全に罹らないようだが、わたしの場合は悪化した。その理由は未だに正確には分からない。結石が表面化してから、腎不全の発症までに15年ほど掛かっている。
 例えば、「わたしは認知症に罹らない」と云うのは嘘である。何人であっても罹るのだが、問題は生前にそれが表れるか表れないかの違いである。病全般も同じで、生前に症状が顕著になるかならないかの違いである。それは一種の運命であって、自分の意志ではどうにもならない。
 幹郎さんの腎臓の生理検査を知らないので、それが命にかかわるような病だったかどうかは分からない。ただ、いかなる病であろうが、時を経れば命にかかわるようになる。発見は早いに越したことはない。例え早くとも、わたしは手当が遅くなって命の遣り取りを演じることになった。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月20日 20:31 | 固定ページリンク




胸骨骨折  | 一考    

 あまりの痛さに悲鳴をあげて、拙宅の近所のみさと健和病院へ、白亜の大きな建物である。もっとも、ほとんどの病院は白色に塗られているが。そこの救急外来の外科へ抛り込まれる。心電図、エコー、CT、レントゲンで胸骨の骨折と判明。上部肋骨と胸骨は隣り合っているので、さすがに識別できなかったようである。医師の結論は最短でも一箇月半は痛みに魘されると。みさとの医師は戸田中央の瀬戸口医師と随分と話し合っていた。おそらく用いる薬が抵触しないかどうかだと思う。
 さて、その薬だがアセトアミノフェンを処方されるも、これならカロナールと大差ない。痛みに効きますかとの質問に、もうひとつケンタンを用意していると。
 CTスキャンを撮ったが、骨折が明確に判明したのはレントゲン、それよりもCTルームに驚いた。一面がブルー一色で見渡す限り熱帯魚が描かれている。
 熱帯魚の想定に、海の魚はあるまいが、鰺か笠子の一匹も泳いでおればわたしは嬉しいのに。かつて松戸から上野まで三時間と書いたが、似た状況に戻ってしまった。こういうことの繰り返しのなかに死んでゆくのかもしれぬ。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月13日 16:18 | 固定ページリンク




外来  | 一考    

 次回外来は15日だが、電車に乗って戸田まで行けるかどうかが心配である。それほどに胸が痛い。しかし、行かねば薬に困る、免疫抑制剤は余分に貰っているが、バリキサは日数分しか貰っていない。3日もしくは一週間に一度の血液検査がある。それと銀行へ行く必要が生じた。
 弱り目に祟り目と云うが、ぐつの悪いことはつづく。まるで川久保病院へ入院した時のよう、あの頃はどう考えても八方ふさがりだった。ひとつ押さえ込むと次の難関が待ち受け、またひとつ押さえ込むと、の繰り返しである。これも年齢がもたらしたものなのか。
 ひとの身体は一度狂いはじめると箍がはずれる。そういえば、箍が緩むで老いぼれるの意になる。川久保の折も端はオートバイ事故による骨折だった。そこへ腎不全と憩室からの大量出血。今回も三つも四つもの病と怪我が一気に押しよせてきた。一つならなんとか対応できるのだが。さるにても、健康を失うとはげに怖ろしきもの。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月11日 15:40 | 固定ページリンク




BGM  | 一考    

 中村さんが見舞いに来られた。それは有り難いのだが、かなりの金数を包んで来られた。そのような関係ではないので、お断り申し上げたところ、ウィスキー代だという。
 ウィスキー代なら拒否することもあるまいとありがたく頂戴する。これはCDの購入費にあてるつもり。次店舗はカラオケだが、BGMでジャズをかける。既に200枚ほど購入したが、前回とは異なり英国と独逸の音源が中心である。ビル・エヴァンスとマイルス・デイヴィスには特に力を入れているが、国産とは音質がまるで違う。赤坂のですぺらでもコピーを取っておくべきか。

追記
 ジャズピアノだとアート・テイタムも良いと思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月10日 15:04 | 固定ページリンク




激痛  | 一考    

 追突したのは自分である。従って相手の身体の心配をこそしなければならないが、二日目になってわたしの方のダメージもはっきりしてきた。上部肋骨が二箇所おかしい、記憶のある痛みで寝返りや立ち上がる時にひどく痛む。ひびが這入るか骨折のどちらかである。いずれにせよ、肋骨は呼吸と共に動くので医師にも手の施しようがない。一箇月は痛みがつづくと思われる。
 エアバッグが素知らぬ振りだったが、どうやらハンドルの中は空だった。それでハンドルに胸が激突したようである。相手側の速度は40キロ、よって当方は50乃至60キロぐらいか。一瞬だが寝入っていたので記憶はなにもない。胸の痛みや心痛では意味が異なる、鈍痛の類だが、黴菌からくる胸の重さはふっとんだようである。
 今まで追突されたことは何度かあるが、わたしが追突するとは。これでは大型二種の免許が泣く、かなり落ち込んでいる。
 拙宅にある頓服はカロナールとロキソプロフェン、こんなものでは効かないが、ないよりはまし。次回の外来の折にでもレントゲンを撮って確認するとしよう。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月10日 15:03 | 固定ページリンク




追突事故  | 一考    

 はじめて事故を起こした。病院の外来は朝が早いので、帰りはいつも眠たくなる。危険を予知しながらの事故である。走りながらの追突、ボルボは前方が完全に壊れた。居眠り運転の典型である。もっとも迷惑なのは相手の方なのだが。物損か人身かは時間が経たないと分からない。
 代わりの車をどうするかだが、ボルボにするか、トヨタのE-JZX100にするか、迷っている。都合の良い車は急には見付からない。
 とにかく事故を起こすと忙しい。警察官から「あなた事故ははじめてだね、もっとちゃんとしなさい」と叱られる。こちらのことより、相手のレッカーを呼んだり、帰りの車を手配したり、保険会社との応対に追われた。まだその渦中にあって、忙殺されている。事故についてはまた。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月08日 19:26 | 固定ページリンク




感謝の一字  | 一考    

 日常で思い出したが、昔、コーベブックスで出版をしていたころ、給料は安く、昇級もなし、ボーナスもなしだった。にもかかわらず、そのような条件であってもわたしと一緒に為事をしたいと云う若者たちがいた。生活を考慮すれば当然収入に思いを致す。それを振り切っての参加希望である。そういう人たちに支えられて出版部があった。
 仲間の大方は書店員であり、昇級やボーナスの時期には顔を綻ばせていた。だが、出版部にそのような慶事や恩恵はなかった。しかし、書物を造る造形的慶びがあり、造った書物を売るために全国の書店を歩き回る満足があった。
 手分けして九州から北海道まで、切符だけを持って営業に訪ねるのである。金がなく、食費はおろか寝泊まりの面倒まで相手にみていただく。おかげですぐ仲間意識が芽生え、ひとを紹介され、他店を紹介され、どんどん人脈は拡がった。アナログの世界ゆえの人とひととの繋がりの強さ、堅さがあった。
 お互い様だが、あの頃はひとが訊ねてくるのは大変なことだった。東京から某出版社の誰それが訊ねてくる。それがマイナーな出版社で、かつ反体制の書物を上梓しているとなれば、大騒ぎである。大阪、京都の書店員まで集めて酒盛りである。その場で三百冊、四百冊の註文を取り纏める。それが良かったか悪かったのか、口コミの世界は担当者がいなくなるとあっけなくお仕舞いになる。いつしか、あの熱気はゴールデン街に封印されたようである。
 書いておくべきことがある。前述の酒盛りに時間制限はなかった。夜中の三時であれ、五時であれ、酔っ払いが徒党を組んで拙宅へくる。もし女房が寝ていたとすれば誰かが叩き起こす。明日為事だと云ったところで、それはあんたの勝手、酒を温めろ、肴をつくれと、落花狼藉。わたしがお付き合い願った女性は狼狽えもせず、みなさん平気で対応していた。二人して二十人前の天婦羅盛り合わせと烏賊と菎蒻の煮付けを造ったこともあった。感謝の一字あるのみ。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月07日 10:05 | 固定ページリンク




保険外治療  | 一考    

 日本はアメリカと違って国民皆保険である。しかしながら、これは形式的な問題であって、アメリカと日本の医療の実態はさして変わるものでない。先日も書いたが、もっとも親しくさせていただいた某作家も最後は保険外治療(アメリカの製薬会社による点滴剤)を拒否して逝った。要するに、保険治療だけではどうにもならないのが実状なのである。
 透析治療のことも書いたが、30万人の腎不全患者が月45乃至50万円の治療費を使っているが、その総額は癌患者の高額医療費(保険対応)の5パーセントに満たないと聞く。癌とはかくまで金を喰う病なのだが、その癌(に限らないが)自体、最終的に健康保険で手に負える病気でない。言い換えれば、先進医療はおろか、高度医療の大方は保険適用外なのである。
 今回の入院でよく分かったが、健康保険の高額医療費で目一杯落としてなお600万円ほどの実費を必要とする。保険治療と保険外治療の乖離を知った。悪口になるが、日本の健康保険に関する費用は安い、従って治療もそれに相応しい安価なものに限られる。
 アメリカでは民間保険だが、この保険にはわが国の保険外治療の多くが含まれる。ただし、1000万とか2000万円の上限が設けられている。他方、わが国は前述したように国民皆保険なので、民間保険に重複して這入るひとは極端に少ない。問題は複雑に絡み合っている。さて、あなたならどちらを選ぶだろうか。もっとも、国民に選択肢はない、外資系の民間保険加入者が急速に増えている、とだけ云っておこうか。要するに医療の世界ではとっくにTPPどっぷりなのである。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月07日 00:47 | 固定ページリンク




日常とは面妖なもの  | 一考    

 中村さんから電話があって見舞いに行くという。時間がないので遠慮していただき、病院へなら来てくださいと伝える。
 中村さんからもニャル子さんからもパソコンがどうしてネットに繋がらないのかとの質問を受けた。ですぺらでは最も遅い ADSL に繋いでいた。ゲームはまったく興味がないので、回線は遅くて結構。で、ADSL に繋がっているので、携帯電話はネットに繋がる必要がどこにもない。今は店の営業は止めて家にいるので、家の電話が一本繋がっておればそれで良い。よって、病院ではどこへもつながらない。
 携帯電話、スマホ、iPadの類、パソコン等々、繋げれば回線料がいくらあっても足りないし、通信会社の陰謀に乗せられる気はさらさらない。当方の携帯電話は月額1200円以下だし、拙宅の光通信は電話賃込みで5400円、通信費の総額が6600円を超えることはない。要するに、一回線だけ繋がっておればよいのである。このフレッツ光にしても、NTTがメタル回線を撤去しているので、やむなく維いでいるだけで、本来なら3000円のADSLで十分なのである。
 最近電車に乗るので、三十路にもなってゲームをしている人を屡々見掛ける。カードを集めるらしいが、あれは小学生のめんこ遊びだろう。膝の上でモバイルを開け、同時にスマホに見入っているオッサンがいる。莫迦じゃないのかと思うが、彼にとっては日常生活そのものが回線で埋められている、面妖な日常があったものである。そのようなひとがいるから障害者や病人が座られなくなる。
 ミクシーかフェイスブックか知らないが、あのようなものに嵌まるようでは戦後のこぢんまりした為合せはまだ当分つづきそうである。あのようなメディアは若松孝二の死すらをAKB劇場に仕立ててしまう。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月05日 17:26 | 固定ページリンク




想定外  | 一考    

 先日、ひかりTVについて書いた。NTTるるぶとの会社である。電話があって本人かとの確認のあと、どうなっているのかと質問があった。どうなっているのかを聞きたいのはこちらであって、佐川急便のご不在連絡票に連絡先が一切記されていない。聞くところによると取り置きは二週間だそうである。その間、二度拙宅へ戻り、本社の方へ配達を希望するも、午後四時までの配達は出来ないと云われた。ちなみに、佐川急便以外の荷物はすべて入手した。これではどうにもならない。配達時間にどうしていないのかとの質問に、入院を伝えると向こうは黙った。再度送るとのことだが、同じことの繰り返しになるのでないだろうか。NTTるるぶにとって想定外とはこのようなことか。マニュアルではどうなっているのだろうか。

 マニュアル人間との名付け親は藤井康男で1985年らしいが、この短い期間に、あちらこちらでマニュアル人間が増え続けている。最初は喫茶店のようだが外食産業全般に拡がり、やがてサービス業、営業職へと際限なく拡がってゆく。これは他人の身になるというか、推し量る能力の欠損で、およそ想像力が働かないのである。為事に限らず、存在それ自体にマニュアルが必要になっているようである。教員や役人や議員は特に。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月05日 17:23 | 固定ページリンク




黴菌  | 一考    

 買い物を済ませた。米。牛乳、茶、寿司、刺身(鰤はらみ、鳥貝、海胆、鮪少々)、野菜等々。手術以来、はじめてジーパンを履く、這入らないかと思っていたが大丈夫。
 久しぶりの日常生活。いつまで三郷に居られるか分からないが、黴菌は早く処理したい。健康なひとならなにも起こらないが、免疫がまったく失われたわたしにとっては健康人そのものがとんでもない外敵である。とりわけサイトメガロウィルスは困りもの。ちょいと身体が弱っている。
 moonさんと免疫抑制剤について話し合う。毎月200万円の出費を余儀なくされた知己がいるそうな。200万円の出費を何箇月続けられるのだろうか、金の切れ目が命の切れ目である。
 この消息は他人事にあらず。アメリカの薬剤購入かなわず、つい先頃複数の知己が癌を患って逝った。点滴一回分百万円と云っても、治療にあらず、単なる延命策に過ぎない。余命を金で買う、そのことについて当事者と語り合った。強面の作家が目にうっすらと涙を浮かべていた。詳細は伏せるがmoonさんもまた、免疫抑制剤もしくはその代金と長年闘ってきた。健康保険で間に合うような在り来たりの病気だと良いのだが。
 隆さんから300万円なら出すよ、との電話。ありがたく伺うが、そういう問題ではなかろう。金もさることながら、それ以上にこころの問題でないだろうか。二箇月の入院は長い、腎移植がもたらした結果とその後の過程に少々疲れたと云うのが本音である。


投稿者: 一考      日時: 2012年11月04日 23:19 | 固定ページリンク




脳内出血  | 一考    

 成田一徹(本名成田徹)さんが亡くなられた。新聞によると、「8日の夕、都内の駅で脳内出血のため倒れて救急搬送、14日死去、63歳。」とある。血圧が少々高いとは聞いていたが、そこまでとは思っていなかった。もっとも、私自身、160から200の間を行ったり来たり、お互い何時死んでもおかしくなかったのである。
 中島さんが書かれているように、成田さんとは母校が一緒だった。学生時代のはなしをしたおそらく唯一の友人でなかったか。成田さんが中島さんと共にですぺらへいらしたとか、身体が不自由になって店を続けられなくなり、失礼をいたしました。
 「神戸は大震災で人肌の暖かみや歴史を刻んだ沈黙の声があらかた消えてしまった。その幽かな残り香を絵にしたいんですよ」と彼は語る。その残り香を宝石を拾うがごとく、彼は蒐集した。長田にはシャイなひとが多い。寂しがり屋であかんたれ、恥ずかしがり屋で照れ屋、だからこそ、そんな彼が大好きだった。

 http://ittetsu-narita.com/blog/


投稿者: 一考      日時: 2012年11月04日 23:16 | 固定ページリンク




友の死  | 中島俊郎    

成田一徹さんが急逝しました。
渡辺さんと母校をともにするとよく言っていました。
美味しいモルトをご馳走になったこともよく話していました。
一度、いっしょに貴店に伺いましたが休店でした。

ご存じと思いますが、お知らせまで。


投稿者: 中島俊郎      日時: 2012年11月03日 21:01 | 固定ページリンク




ちりめん山椒  | 一考    

 ちりめんも山椒も京都では採られない。おそらく、ちりめんじゃこの高級品なら淡路だろうし、生山椒なら京都の錦市場だろう。共に、百グラム三百円はしない。京都産のちりめん山椒が東京のデパートなどで高値で取引されているが、いくらなんでも、あれは高すぎる。50グラム2000円から4000円もする。
 最近、丸美屋からふりかけ「ちりめん山椒」が販売された。28グラム、118円である。味はともかく、はじめて妥当な値段で販売されたちりめん山椒である。かなり売れていると聞く、やがて他メーカーも追随することになる。
 ですぺらでもちりめん山椒を造っていたが、味に関してはどこの商品よりも自信があった。そして料理人からもそのような評価を受け、しかるべき雑誌に幾度となく紹介された。あれは元々、播磨(山椒の産地だった)の漁師料理、例えばクギ煮のようなもので播磨の家庭ではどこでも造っていた。わたしはそこにちょっとしたアレンジをしただけである。播磨や京都のように鍋で炊かずに、フライパンで煎ったまでである。
 戦後、京都の料理人が模倣し、なにも知らぬ文化人が乗せられてちりめん山椒なる伝説が誕生した。伝説は所詮はうわさでしかない。前述の後追いする他メーカーが丸美屋と似たものを出さずに、さまざまな食感のちりめん山椒にトライしていただきたい。文化は今はじまったばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月31日 17:54 | 固定ページリンク




キーボード  | 一考    

 拙宅のモニターがエプソン製(HDMI)のため、購入したマックが繋がらない。アダプターを買うならコードを買った方が良い。アナログVGAかVDI-Dを買わなければ、昔は高くて買えなかったFlexScanなどどうかしら。パソコン関係を買うのは久しぶりだが、随分と値が下がったように思う。モニターは500円から1000円までである。
 G5の中古が2000円ほどで売っている。パソコン自体に需要がなくなってきたと云うことか。インターネットとメールと動画と、パソコンの使い方はまるで変わった。今ではモバイルと云うのかタブレットやスマホの方が流行っている。わたしは掲示板だけで動画はほぼ見ない。古い流行歌を聴くぐらいか。ただ、書き込みにキーボードは必要である。
 キーボードなしに書き込もうと思えば、携帯電話かフェイスブックにならざるを得ない。わたしは情報に興味はなく、ひとの考えにしか興味を抱かない。考えは逡巡であり迷いであり類推である。迷いが迷いとして顕著になるには一定量の文章が必要、そうでなければ理解し諒解できない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月31日 17:53 | 固定ページリンク




通院  | 一考    

 戸田と三郷の間を移動するには埼京線で赤羽へ、赤羽から京浜東北線で日暮里、日暮里から常磐線で松戸へ行くか、武蔵野線を使うかのふたつがある。地元のひとは武蔵野線が近いと云うが、とんでもない間違いで、まず電車賃が日暮里経由だと450円、武蔵野線経由だと540円になる。所要時間は日暮里経由が二時間弱、武蔵野線経由が二時間半はかかる。
 日暮里と赤羽間の連絡がうまくゆかない。この間がスムースだと所要時間は一時間半に短縮されるが、時間帯による。
 武蔵野線経由は埼京線で武蔵浦和へ、武蔵浦和から武蔵野線で新松戸、新松戸から常磐線で松戸へゆく。途中に三郷との駅があるが、これは三郷の北の端、拙宅は南端であって市を縦断しなければならない。
 JRは走行距離が正確に料金に反映される。駅の数は少ないが、武蔵野線は電車が遅いので時間がかかる。こちらは武蔵野線がネックになる。
 どちらを利用しようが、松戸から拙宅までは乗り合いバス、こちらは一時間に二本である。待ち時間は別にして所要時間は十五分から三十分、この時間差は上葛飾橋の混み具合による。朝夕は特に問題である。
 三郷、戸田間を車だと一時間から一時間半で走る。時間差は渋滞で、こちらも朝はひどく混む。500円を奮発して高速道路を走ればもう少し短縮され、三十分から一時間。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月30日 10:08 | 固定ページリンク




金喰い虫  | 一考    

 メドロール、グラセプター、セルセプト三種類の免疫抑制剤を服用している。他に健康保険が適用される同剤は四種類、その他の百種類を超える免疫抑制剤は健康保険の適用外。従って、用いようとすると数十万乃至数百万円の実費が必要となる。免疫抑制剤に関してはmoonさんが詳しい。
 退院後、初の外来。次回の入院の計画は出来上がったが、概算三百万円の実費が必要となる。用いる免疫抑制剤は体重一キロにつき、四万円ほどかかる。わたしは既にそれぐらいの金額を今回の医療に注ぎ込んでいる。一方、医師は治療が目的だから、一千万や二千万円は平気である。そこで、医師と話し合いである。
 仮に今回三百万円出費するとして、それでお仕舞いになるのかどうか、答えは否である、否と云うよりも個体差があって分からないが正確である。どうやら、わたしの身体は金喰い虫になったようである。
 わたしは医師に礼を述べ、これから先の治療を拒否すると告げた。折角の移植手術が無駄になると医師は残念そうな顔付きだった。しかし、決めるのはわたしである。十秒ほど置いて、それが渡辺さんの意見ならそれを尊重するしかない。現在罹かっているサイトメガロウィルスは治さなければならない、大量の薬を頂戴し、次回外来を一日と決めた。
 朝七時に拙宅を出て、帰宅は夕七時、丁度十二時間の迷える病院行だった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月30日 10:02 | 固定ページリンク




飛脚  | 一考    

 佐川急便が「飛脚」との吟醸酒を株主はじめ関係者に配っている。中身は愛知の関谷醸造謹製の蓬莱泉純米大吟醸「空(くう)」でないかと思う。関谷醸造の酒はしぼりたてと生酒が旨い。特に生酒は貯蔵酒であって、磯自慢の生貯蔵や真澄のあらばしりを想起させる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月28日 01:31 | 固定ページリンク




白耳義麦酒  | 一考    

 ヒューガルデンホワイトの瓶詰めを久しぶりに飲んだ。ですぺらを開店した際にわが国ではじめてヒューガルデンホワイトの樽生を置いた。西明石のような田舎では評判がよろしくなく、最初に旨いと誉めてくださったのは故太田さんと松友さんだった。同樽生は季節によって香味が変わる。その良いかげんなところが堪らない。日本の金太郎飴がごとき、品質の管理がすみずみにまで行き届いていない。酵母が生きていればこそなのだが、そこが白耳義麦酒の楽しみ方のひとつ。特に酸味と甘味の絶妙のバランスには舌を巻くの他なかった。
 ヒューガルデンは一時期米国資本になったと聞いたが、朝日ビールが取り扱う現在では生産は白耳義になっている。随分と苦み走った香味になり、日本人向けに改造されている。日本のメーカーが代理店になると酒の味は必ず変わる。香味に五月蠅かった太田さんなら、バッカスが宰る飲豪の煉獄でぎょろ目を剥いて居るに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月28日 01:30 | 固定ページリンク




無知の涙  | 一考    

 先日、掲示板で永山のことを書いた。そうすると早速ETVで永山の特集番組があった、奇遇としか云いようがない。わたしは運命論者なので、生まれ落ちることがアンガージュすることにはならないと思っている。サルトル流に云えば、彼は貧乏に生れたのでなく、貧乏に育ったとなるだろうが、そもそも貧乏などという概念が属性足りうるのかどうか。それはともかく、
 永山は多くの兄弟を有し、それらの軋轢もしくは暴力のなかで育った。とても一般でいわれる家庭とはほど遠い環境だった。彼の兄弟には犯罪者が多く、彼は間違いなく貧困者として、犯罪者として生れ、そして育った。犯罪者として育つ前にすでに彼は犯罪者だった。彼は生まれ落ちた偶然性を呪い、生活してゆく上での境遇を嘆き、割り切れない定めとして世の中を憎む。その結果がピストルによる連続射殺事件だった。
 彼は獄中で文筆に目覚め、その文筆から弁証法を倣う。その過程で境遇に対する、生まれ落ちた偶然性に対する抗いがたい理不尽な怒りと悲しみを知る。しかし、骰子は抛げられたあとであって、世の中に対する自らの行為は常に不可逆なものである。もしも、彼が事前に不条理の構造を知り得たとするなら、異なった生き方があったように思う。また、理不尽乃至不条理を理解するに、弁証法のみを武器にしたところに彼の重なる不幸があった。
 わたしは日本文芸家協会への入会問題になんら興味はないが,死刑廃止論議にはいささかの興味をそそられる。自らの行為が不可逆なものである以上、そこには一定の歯止めが必要である。わが国の法制度では無期懲役と死刑とのあいだの乖離が大きい。無期懲役の懲役期間の平均が15年から20年と聞くとその感をより深くする。イスラエルのように、無期懲役が真の意味に於いて無期に近づいたとき、死刑は廃止されるべきと思うが、現状では到底無理である。
 永山則夫、97年8月1日、東京拘置所で死刑執行。泣岐を思い、涙す。

追記
 裁かれるのは加害者であって被害者でない。だからこそ、加害者が犯行に到った経緯、その生い立ち、家族構成、境遇などが吟味される。昨今の裁判で被害者側の意見の陳述が多いように見受けられるが、被害者側の本音は報復判決でしかない。被害者側の意見を加味しての裁判などありえない。このところの厳罰化にもそのあたりの消息は顕著である。繰り返すが、裁かれるのは加害者である、加害者のための裁判を望む。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月26日 02:55 | 固定ページリンク




マックのソフト再び  | 一考    

 アドビの統合ソフトAdobe Creative Suite Premium Macの動作環境はMac OS X 10.2.4 〜 10.3 日本語版となっているが、10.4.11、10.5.8 でもインストール可能。問題なく使用できる。
 所収の
 Adobe Photoshop CS 日本語版
 Adobe ImageReady CS 日本語版
 Adobe Illustrator CS 日本語版
 Adobe InDesign CS 日本語版
 Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
 Adobe GoLive CS 日本語版
 などCSは最初のバージョンだが、これ以後はアクティベーション(ネット認証)が必要。従って、最初のCSが使いやすくて便利。

 OS 9ではATOK14と共に、EGWORD12、egbridge11.8も使っているが、今後はEGWORD/egbridge シリーズ(Universal シリーズもあり)を使わない。日本語入力システムはATOKに統一。そのATOKのパワーPC対応は以下のごとし。
 ATOK 2011 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8(10.6以降はインテルマック)
 ATOK 2010 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8
 ATOK 2009 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.5~v10.4.11
 わたしが用いていたATOK 17 は2004年製、Mac OS 10.4.11 と Mac OS 10.5.8 を併用するなら上記 ATOK 2009 を、10.5.8 に完全移行するなら ATOK 2011 がお薦めだが、取敢えず、ATOK 2009を使うことにした。
 ATOK 2009は辞書が充実、単漢字情報などが出てくるのだが、これは行き過ぎ、わたしには五月蠅いだけ。同音語用例なども出てくるが、こちらも同様に不要である。環境設定でどうにでもなるが、辞書は辞書で大量にパソコンに入れてある。日本語入力システムの辞書機能を充実させるなら語彙を増やす方が遙かに役に立つのだが。許せないのは顔文字パレットが追加されたこと、バカにするなと即刻削除。
 ATOKに関しては、OS X へ移行してからは辞書はともかく変換の癖は一切読み取らない(読み取ると書いてあるが)。従って新しくなっても使いにくくなるだけなのだが仕方ない。OS 9 のときのシステムの方が使い込んでいただけあって良くできていたように思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:44 | 固定ページリンク




いまさらcube  | 一考    

 マックのキューブを買った、当然OS 9が動くからである。ついでに1.2GMHzのCPUと1.5ギガのメモリも買ったのだが、なんと1ギガのメモリが新品で1700円である。ディスプレイカードが16MBなので32MBに換装。64MBはなんと10000円もするが、32MBは1000円。DVDドライブは500円。ちなみに、黒姫の最後のパソコンはキューブだった。
 Mac OS X 10.5.6(PCマックで動く最後のソフト、ただしクラシック環境対応せず)、ATOK 2009 for Mac、ユーティリティー・ソフトのDiskWarrior 4.2とTECHTOOL PRO 5.0.4、それと統合ソフトのAdobe Creative Suite Premiumを購入した。
 ユーティリティー・ソフトは非常用だが、結構役に立つ。USBメモリをパソコンに差したまま10.5.6をインストール、USBメモリは壊れてしまった。その修理を簡単にやってのけた。
 ハードディスクとDVDドライブはパソコンのなかで唯一の消耗品、寿命がきたら取替えるしかない。ところで、マックの窓口は素人集団、あのようなところで修理を頼むと火傷を負う。

 Adobe Creative Suite Premiumには以下のソフトが這入っている。
・Adobe Photoshop CS 日本語版(Adobe ImageReady CS 日本語版を含む)
・Adobe Illustrator CS 日本語版
・Adobe InDesign CS 日本語版
・Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
・Adobe GoLive CS 日本語版
・Adobe GoLive Co-Author
・Version Cue ファイルバージョンマネージャ
 この内、インデザインは使ったことがない。ただし、イラストレーターが多少なりとも使えるのであれば大丈夫といわれて購入した。
 最もよく使うファイルメーカープロも最新ではないが上級バージョンを入手、クラシック環境最後の6と OS X 専用の7を購入。ついでにファイルメーカープロに付帯するソフト数点(Bento他)を購入。エクセルよりもファイルメーカープロはうんと軽い、項目が増えれば増えるほどさくさく動く。これがなければ数万種類に及ぶ酒のデータ処理はできない。ファイルメーカープロとフォトショップは共に1.0から使っている。最初は簡単なソフトだったのだが。
 moonさんからパソコンを触るなら書き込みに精をを出せと叱られたが、レガシーマックはわたしの楽しみ。インテルマックならウインドウズを使う方が合理的で、どうしてマックでなければならないのか。ずんと遅れて10.4.11だったのだが、ブラウザが扱いにくく、これでやっと10.5に生まれ変わった。
 それにしても、ソフトは高いがハードとしてのパソコンはデフレの世界にどっぷり浸っている。1万もしくは2万円もあれば、最新のパソコンが出来上る。ハード、ソフト共にわたしが購入するおそらく最後のマックになると思う(次回はウインドウズ)が、とにかくパソコンは頑丈である。LC475から十数台のマックを使いつづけて最近はBookが多いが、ただの一度として本体が壊れたことはない。

追記
 キューブのDVDは不良品だそうである。ミニ同様、スロットローディングはよく毀れる。車でもパソコンでもなんでもそうだが、早く組み立てたいが入院中ゆえどうにもならない。弄くっているあいだが一番たのしいのである。
 Mac OS X 10.5.6はG4用(PC用)を買ったが、機種によってはインストール不可。10.4のときもそうだったが、マックのシステムは機種によって細かく別れている。製品版の互換性がもっとも高いが、値も高い。さて、どうしたものか。余談ながら10.7にはリテール(製品)版がない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:42 | 固定ページリンク




ナビレーダー  | 一考    

 意気揚々と出掛けたが、結果は意気消沈とは外泊のこと。遊びに出掛けたのでなく、また女人に惹かれてのことでもない。パソコンと車という大人の玩具に魅せられてのこと。つまりは遊びである。
 ユピテルのナビを買った。ユピテルはレーダーメーカーである。同社のGPSには全国最新のオービス情報が収録されている。警察の取り調べで捕まることはないが、オービスでは見事に捕まる。そこでナビの登場である。画面、要するに地図はどうでもよいので、4.5インチの小さいのを買った。スマホと同じ大きさである。前回は7インチのワンセグ付きだったが、それでも見られないことに違いはない。通常のテレビの字幕すら見られないのに、小型のモニタに写る図が識別できよう筈もない。仮にそのようなものを見ておれば事故を起こすに違いない。要するに、わたしにとって機能としてのナビなんぞ、どうでもよいのである。オービスが近づいた折にサイレンでも鳴らして知らせてくれればよい。
 そのナビに嵌め込むレーダーがあるのに気づいた。全国の道路に埋め込まれたオービスと取り締まりのレーダー波の双方を検知する優れものである。これは買わない手はない、しかし値が張る。ところが4.5インチのような小型に需要はない、と見た。読みは的中、音はでかいが可愛いナビがダッシュボードに鎮座する。
 夕べ、ナビレーダーをはじめて使った。怖ろしいほどの優れもの、一押しである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:36 | 固定ページリンク




ボルボの車検  | 一考    

 乗れば乗るほど嬉しくなる車、ボルボにやっと馴れてきたものの、スイッチの数が多すぎてどうにもならない。先日は夜であるにもかかわらず、ダッシュボードが突然真っ暗になった。車内灯をつけてことなきを得たが、ちょいと周章てさせられた。
 おそらく前照灯のスイッチの接触不良だと思う。ボルボ解説の二枚組DVDは頂戴したのだが、ハイブリッドにあらず、ウィンドウズ専用でマック党の役に立たない。
 ショックとサスはがちがちに固められている。国産車のような乗心地優先の軟弱なショックとは次元を異にする。昔、チェーサーのターボ車に乗るに際し、ショックやサスをはじめ足回りをことごとく履き替えたのを思い出す。片方で一千万円の車を拵え、さらに片方で百万円の車を造る、これでは手を抜かずにできるわけがない。正規品というものが如何に役に立たないかを思い知らされる典型である。
 車検には20万円ほどかかったが、自動車税を減免されてこれである。最初の車検収得は費用がかかるもののだが、それが分かっているのでブレーキの換装は次回に見送った。ブレーキパーツの代金だけでも16万円はする。キャリパーが8万円、ローターとパッドで8万円。工賃を入れると重量税その他の車税はおろかブレーキ代だけで、今回の車検代と等しくなる。
 計量によると後輪の左は150、右は100とぎっちょんちょんである。性能に大差が出るわけでないので我慢している。
 それにしても、良く走る車である。一般道で追い越しでちょいとアクセルを踏み込むと立ちどころに140,50キロになる。それほどにスピード感がない、要注意である。

追記
 前照灯のスイッチの接触不良と書いたが、ボルボのウッドのダッシュボードは分解が大事である。スイッチの単価(13000円)は安いが工賃が心配、とはいえ、あれは自分では出来ぬ。
 大宮から春日部にナンバープレートが代わったのに伴い、障害者用ガソリン券も変更。身障者がスピード違反を犯しては申し訳がないのでナビレーダーを購入。これって発想が逆かも。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:34 | 固定ページリンク




いろいろ  | 一考    

 OS X のライブラリーの Desktop Pictures のなかに Black & White とのフォルダがあって、モノクロの写真が収録されているが、気に入っている。こういうのを見ていると横須賀さんの写真を頂戴しておくのだったなと思う。資生堂の宣伝写真だが、身の毛がよだつモノクロ作品が多く含まれていた。
 TechTool Pro 5.0.4のサーフェーススキャンは時間がかかる。不正なブロックを見つけるらしいが、病院へ持ち込んだiBookのHD250GB上のブロックをスキャンするに7時間を必要とする、ノートンの悠長な様を思い浮かべる。切るに切られないので捨て置き、書き込みに耽っている。二度とTechTool Proは使うまい。
 明日で茶が切れる、車があるときに二度ほど大量に運んだが、毎日2リットルだからすぐなくなる。このところ尿量は1.8から1.9で、規定量に達していない。ずっと烏龍茶だったが、移植手術を受けてからは日本茶を嗜んでいる。それも腎機能復活が前提条件なのだが。今回はどこで仕入れようか。(突然、退院となり杞憂に終わった)
 病院では平気だが、拙宅へ帰ると無性に煙草が咽みたくなる。今回の禁煙もすでに四箇月を超す、なか二週間を除いて計八箇月の禁煙である。にもかかわらず、咽みたくなるとは。畏るべし、下手な薬物より習慣性が強い。覚醒剤と共に習慣すなわち滅びゆく日常生活の怪物、謂わば鵺のようなものだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:36 | 固定ページリンク




名無しのさかな  | 一考    

 病院の日曜日の夜食(よるしょく)はみそ漬焼、まだ、名無しのさかな料理がつづいている。拙宅へ戻った土曜日の夜食はカレーとかで頗る人気があったらしい。爺さん、婆さんであってもカレーが持て囃されるとは不思議な気がする。隣の爺さんがピーマンが嫌いらしく、看護師にピーマンを抜けと小言を云っている。ピーマンが嫌いなのは子供の筈なのだが。その横の爺さんは牛乳が苦手らしく、ヨーグルトに取替えろと文句を云っている。あきれた老人たちである。本来非日常であるべき病院へ日常を持ち込んでいる。70歳代や80歳代ですら好き嫌いが口の端にのぼるとは。食事の世界でも世代交代が進んでいるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:34 | 固定ページリンク




追加書き込み  | 一考    

 水曜日、退院前にに三度の血液検査を済ませる。問題多発、サイトメガロウィルス再発、喉がいがらっぽく、肺上部に重みがある。微熱はないが、自覚症状有り。サイトメガロウィルスの抗体はすでに出来ているので大きな心配はしていないが、クレアチニンは下がるまい。それにしても、この時点でのウィルス感染は困る。医師もまた頭を抱える。にもかかわらず、退院強行。
 月曜日に血液検査の結果について話し合う予定。どうするかはその結果待ち。

 今回の医療費は138089円、保健医療適用外がこの金額になる。保健医療は高額医療費なので35400円の上限が請求されている。それ以外ということになる。帰りに役所へ趣き、医療費だけの生活保護について話し合うも不可能と云われる。入院はあと二度ほど続くのだが、これは問題が生じる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:31 | 固定ページリンク




一旦退院  | 一考    

 水曜日にひとたび退院となった。退院とすべきか保釈とすべきか。クレアチニンは2.0、(高値安定)となった。このままだと慢性の拒否反応となり、決してよろしくない。明日、もう一度、わたしの体内にあるドナーへの抗体の有無とその状態を女子医で調べる。医師は週末に女子医にて相談、来週月曜日の血液検査の結果で再入院を図る。もう一度、メドロールの点滴治療を試みるようである。
 以上が本日の決定事項。何時までも入院させておくのも残酷とかで、(有罪放免)である。有罪でもなんでも佳し。これでパソコンが組まれるのとソフトのインストールが出来る。大人の玩具の起動である。いよよ、愉しかりけり。
 (この項目追加有り)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月24日 18:41 | 固定ページリンク




考えさせられること  | 一考    

 入院はあと十日から二週間かかりそうだが、今週の一週間でなんらの結論が出ると思う。出てもらわないと困る。
 それにしても医師は非日常の、謂わば達人である。拙宅に用事があるというと、どんな用事なのか、その用事と腎臓とどちらが大事か、と問いかけてくる。彼は何時も手術をしていて、患者のあいだを走り回っている。その過程で医師としてのぎりぎりの生き方を、最終的な価値観を自ら描いている。言い換えれば、非日常の頂点たる医師そのものを生きている。例え三人の子供を儲けたにせよ。そして、それは患者にも跳ね返る。おそらく、逆らう患者はいないだろう。
 どうやら、わたしが生活を気にするのが理解できないといった風情である。その度々にわたしは保守的になったなあ、との思いを抱く。こんな筈じゃなかったのに、どこで間違えたのかしら、もしくは老いてしまったなあ、と。
 人は若ければ若いほど、非日常を生きる。わたしもかつてはそうだった。生活なんぞ、他人任せだった。大体がどうでも良かった。唯々、がむしゃらに生きる日々があり季節があった。今回、瀬戸口医師を視て、わたしは惘然として自失している。もう一度、人生をやりなおそうか、と。
 六十五歳になって久し振りに孤独と向き合うひとと出遇った。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月24日 18:36 | 固定ページリンク




かきや  | 一考    

 「かく」(動カ五[四])「掻く」と同源。体内にある汚いもの、好ましくないものを外に出す。「走ったものだから汗を—・いた」「大きないびきを—・く」「人前で恥を—・く」

 戦後、青線にて「かきや」もしくは「掻き屋」という商いが流行った。「マッチ一本擦る束の間の快楽」からマッチ売りの少女とも呼称された。この赤線、青線というのはそこに立つ女が公娼か私娼かで決められたが、劃然と区分けされていたわけではない。戦後は双方が入り乱れ、赤線のあるところには青線があり、他の色線もあった。
 戦後のことゆえ、この掻き屋の掻く対象を蚤や蝨と勘違いなさる人がいるやもしれず、対象は十数センチあったことを記しておかねばならない。蒼い夜空めがけて迸る白い稲妻、抛物線あるいは双曲線を描く真珠の切り口、円錐曲線の屈折・透過する白い光、そうしたものを日々一所懸命に掻き出す為事であった。
 前述のマッチ売りの少女には異なる意味も付与されていた。マッチ一本燃えている間に陰部を照覧、その勢いをかって白いものを飛ばすという著しく能動的な商いである。かきやのマッチ売りは手を添えて相手が飛ばす手伝いをするという、客にとっては受け身のそれであった。
 つれづれなことを消(ショウ)すにマスを掻くは一番の代謝、往事はマスを掻く御仁多くありてかきやの商いも繁盛せりという。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月21日 11:10 | 固定ページリンク




駅構内  | 一考    

 このところ、何度もバスと電車で病院と拙宅を往復。一向に慣れない、その理由は休憩できる場所が極端に少ないから。通勤や通学で使っている人は休憩の要ががないからなんとも思わないのであろう。病人や障害者にとっては東京の交通機関は地獄である。
 まず、30分立ちっぱなしというのが無理なのである。ところが三郷のバス停からして、椅子やベンチは設けられていない。そしてバスは30分に一本である。松戸駅はホームに僅かだが椅子はある、しかし駅の構内に椅子はない。日暮里駅にも僅かに椅子はあるが、わたしが乗り換えるホームにはない。次は赤羽駅だが、松戸駅と似たり寄ったり。最後の戸田公園駅だが、ホームにはあるが、構内には一切設けられていない。駅から病院までは4,5分、雨天でなければ公園があって座るところはある。その4,5分にわたしは15分をかけている。
 気づいたことは構内で休憩する場所は一切設けられていない。これはきついと思う。みなさんは急ぎ足でひたすら歩いている、まるで軍隊蟻の行進である。誰かが止まると流れに異変が生じる。わたしはどこであってもべちゃっと地べたに座る。ヤンキー座りでなく、梓みちよ座りである。そうでなければ身体が持たない。今日は逆方向だが、田端駅で30分ほど動かれなくなった。諸外国はどうなのであろう。
 過日、山形へ行ったが、駅という駅にはことごとく休憩所があった。山形駅の休憩所は喫茶店なども併設され、かなりな広さをもっていた。もっとも、東京駅に休憩所があるのは知られているが。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:46 | 固定ページリンク




思案投首の体  | 一考    

 病症が安定しないのが入院の理由。クレアチニン、体重、尿量の安定を指す、特にクレアチニンである。腎臓と退院のどちらが大事と切だされれば二の句が継げない。わたしはやはり病人なのか。一時は入院の強制終了も考えたが、医師と悶着を起こしたいわけではない。
 医師に特別な処方があるわけでない。もう少し、安定するまで様子をみようとのこと。そのためには外泊はおろか、外出すら控えろと、こちらはそれとなく示唆する。それを無視して土曜日は帰るが、医師の軍門に下るしかあるまい。
 最短十日間の延長、これで入院は二箇月を超えた。来週は点滴による新たな診療を試みる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:28 | 固定ページリンク




熱帯魚  | 一考    

 拙宅の干物は出自の明白なものばかりである。とは申せ、魚の見場が熱帯・亜熱帯産であろうがコーラルフィッシュであろうが、わたしは委細構わない。気にしないどころか、面白がるに違いない。温暖化によってこれからはそうしたケースが増えてくるからである。そして、わたしが娯しむのは魚の文様と味のコントラストである。
 日本人はいつ頃から食する魚の色を赤、黒、銀、灰と決めたのか。それだけを考えても、琉球の文化は日本のそれとはまるで違っていたことが窺い知れる。ベラとブダイのごく一部を除いて、日本人は箸を触れようともしない。モンガラカワハギやフエダイ、あとウツボ類に手を出すのはスキューバダイビングの心得のある人に限られる。

 註・1872年(明治5)の琉球藩設置から79年の廃藩、沖縄県設置にいたる明治政府の一連の措置を琉球処分というが、その過程で、形式上日清両属だった琉球王国は滅亡し、日本に併合される。この武力による併合に結論は出ていない。そして異議を申し立てたのは琉球人にとどまらない。清国もまた・・・。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:27 | 固定ページリンク




居酒屋  | 一考    

 カラオケ居酒屋を開店すると書いたが、年内に明石でオープンする。明石駅のすぐ根際の大明石町である。現在は焼酎の店だが、焼酎プラス清酒の店にする。ビールはアイリッシュだが、なにを置くかは思案中。ウィスキーは置きはするが、基本扱わない。ワインは酒にあらず、酢か味醂に属するので、こちらも扱わない。要するに普通の居酒屋である。もっか駐車場を探している。
 わたしは料理当番で、魚がメインのかつての(明石時代の)ですぺらのごときちゃらんぽらんな調法に明け暮れる予定。いっそ世界の煮魚とか世界の白身魚フライ盛り合わせでも置こうか。カラオケと同じく一品百円。而るにカラオケ居酒屋である、唄うに決まっている。
 焼酎はブランド品は扱わない、小泉の規制緩和によって誕生した二千に及ぶ無名の蔵元の頑張りを評価したい。特に宮崎と鹿児島では小さいが、力(りき)の這入った焼酎が次から次へと生れている。以前の岩倉酒造のようにエールを送りたい蒸留所の五つ、六つは生れている。今、もっとも新しい酒の世界が展開されようとしている。わたしなどは新しいものにこそ興味を抱く。

追記
 金町で新規オープンの予定だったが、別に金町であろうが明石であろうがわたしには同じである。それと大事なことをひとつ。死期が近づいてきたようである。12月にわたしが生きながらえての話しである。店は1月にずれ込みそうである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:26 | 固定ページリンク




魚のグローバル化  | 一考    

 「久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し」と書いた。今回は甘酢煮、酒蒸、照焼、みそ漬焼、中華風、ソテー、ホワイトソース添などと調法を記して肝心の魚名は記載がない。何時かこうなるのではないかと思っていたが、やはり魚名は消えた、どころか魚とすら書いていない。
 例えば、ベラは沖縄から関西まで食するが、東京は熱帯魚みたいとして水族館の人気者だが原則食さない。同じ伝で東南アジア産の魚を東京人は一切食べない、これは表皮を見たら食べないのであって、見なければ食している。歌舞伎好きが派手な魚を忌嫌うのはどのような理由によるものか。
 地域地域で食べる魚、食べない魚がある。ちなみに学校や病院の給食に用いる魚はベトナム、フィリピン、タイ、マレーシアなど東南アジア産がほとんどである。その理由は小骨に到るまで完全に取り除くところにある。これらは魚名を付けないのではなく、つけようにも付けられないのだと思う。地元の名称を用いても混乱するだけ、ならばいっそ「骨なし魚」とか「白身魚フライ」というような商品名の方が通りがよくなる。過日、鯵のフライを「骨なし魚」として売っていた。「骨抜魚」でなく「骨なし」である。どうやら一部の地域では骨がない新種の鯵が捕れているようである。
 その白身魚フライだが、メルルーサ、ティラピア、ナイルパーチに混じって、背の青い魚であっても、身が白ければ白身魚になるようで種目が入り乱れている。国民は混乱していないのだが、業界だけが混乱している。なんだか、アフリカの海や川には白身魚という魚がうようよ泳いでいそうである。もっとも、この白身魚昨今では太平洋から大西洋に至る世界の海(海に限らないが)で日本の商社が血眼になって追っかけている。のり弁当に使うのか、聞くところによると、クロマグロやミナミマグロのそれを上回る争奪戦のようである。
 それにしても、病院では意地を張っているのかと思うぐらい、煮魚がつづく。なかには不味いものがあって困惑させられるが、それも愛嬌。一切れ10円20円という値段で骨を抜いた魚が食べられる。この際、名称に拘らず、大いにグローバル化に肖ろうではないか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:25 | 固定ページリンク




戻り鰹  | 一考    

 鰹は夏に黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖まで北上し、秋に親潮の勢力が強くなると南下する。夏の到来を告げるその年初めての鰹の水揚げを初鰹、南下する鰹を戻り鰹と呼ぶ。戻り鰹は低い海水温の影響で脂が乗り、北上時とは異なる食味となる。
 その戻り鰹と黄肌鮪(共に生)が安い。身四分の一の短冊が200円で購える。さらに安価になったのが鯖と秋刀魚で、鯖は大一匹が180円、秋刀魚は70円代へ下がった。鯖はマサバとゴマサバがあって、一切れ20円ほど。生海胆は200グラムの木箱が1300円、50グラムの木箱が380円。他にも甘藍、大根、ピーマンなどは50円を切っている。高値なのは白葱ぐらいなもの。物価のデフレは良いのだが、甘藍や大根のようになると輸送の箱代の方が高く付く、これでは生産者が堪らないだろう。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:18 | 固定ページリンク




塩害  | 一考    

 病院の売店で松屋がさまざまなファーストフードの販売をはじめた。牛丼からカレーなどである。売れ行きは良好だが、これは良いアイデアだと思う。栄養士が管理した病院食以外に飯を食うことが良いかどうかとの問題はあるが、腹が減った人には格好の食い物である。ただし、松屋の食事はファーストフード店のなかではもっとも味付けが濃厚、カレーなんぞ、まるで塩のかたまりである。ひょっとして、戸田中央との病院の特殊性もしくは地域性を考慮して腎臓病向けの味付けに注意が払われているなら納得がゆくのだが。現実には味付けが濃厚であれば濃厚なほど、人口に膾炙する。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:33 | 固定ページリンク




カツサンド  | 一考    

 病院の売店のカツサンドとクロワッサンとメイプル・ラスクが滅法旨い。ところがクロワッサンの方は滅多に見掛けない。今日は久しぶりに入手、幸運である。
 このなかで味付けからもっとも遠い存在がカツサンドであるまいか。豚肉の質、揚げる油種と温度、油切りぐらいなもので、他は似たり寄ったりである。ベーカリーの技術がものをいうとは思われない。ところが、このような単純な食い物ほど実は味の違いが出てくる。
 まず、売店のカツには肉そのものに雑身がない。ヘレでなくロースを使っているが、きれいに油身を除去している。つまり肩ロースなどは使っていないのである。そして回し取りをしていない。一挙につくっているから揚げ方に斑が生じない。それらが成功の一因である。魚の甘酢煮とカツサンドとは奇妙な組み合わせだが、値は250円。お気に入りである。ちなみに、拙宅の近くのベーカリーは450円だが非常に不味い。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:32 | 固定ページリンク




珈琲各種  | 一考    

 アルミ罐に這入ったブラックコーヒーだけで、ボス(サントリー)、タリーズ(伊藤園)、UCCの三種類が売店で売っている。きっと他にもあるに違いない。中身の識別はわたしにはかなうべくもないが、おそろしく不味い。よくぞ、これだけひどい豆を揃えたものである。UCCなどもっと競いようがありそうに思うのだが、芸のないことこの上なし。
 大体、珈琲なるものは資本主義社会の標本のようなものである。寡占化の見本と言い換えてもよいし、搾取の、または民族蔑視の典型と云ってもよい。生産者価格と末端価格にこれほどの差があるのは麻薬と珈琲ぐらいなもので、比して煙草の生産者はまだ守られている方である。
 珈琲がなぜこのような飲料に化けたかについてはしかるべき歴史学者がいくらでもいる。ただ、珈琲愛好家は民族が血で贖った飲料だということを忘れてはならぬ。

追記
 ブラックコーヒーの味の順だが、書いた順に不味い。後ろほどましと云うこと。ましであって決して旨いとは云っていない。酸味が利いているのは伊藤園、珈琲というものがまるで分かっていないのがサントリー。生産者と販売者のどちらに責任があるのか分からないが、共犯と捉えるのが順当。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:31 | 固定ページリンク




 | 一考    

 病室の向かいのビルの屋上に大きなクレーンがある。何時もは風任せで、西を向いている。今日は風が逆、クレーンはどうなるのか見守っていたところ、30度回転して止まった。どうやらストッパーが付いているようだ。わたしは移動式クレーンの免許は持っているが、固定式クレーンの免許はない。従って固定式のシステムに暗い。あれは顛れなくていいなあ、と思いつつ眺めるばかり。移動式には車や列車、船があるが、倒れたり、フローティングクレーンなら顛覆沈没する。その分、移動式は3000噸といった超巨大なものがある。「倒れたり、沈没する」と書いたが、一度のミスも許されない世界である。事故が起きれば会社は馘になり、免許は取り消される。
 ところで、クレーンのことはどうでもよい。わたしの病状にストッパーはあるのだろうか。生理検査の結果待ちがつづく。いまひとつの方法もやはり免疫抑制剤の点滴、連続しての入院だけは止めてほしい。今週末で17日になる。移植手術を合わせれば47日の入院になる。どうあっても今週末は退院するが、次週の二週間を加えれば、二箇月の入院になる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:29 | 固定ページリンク




氷の味  | 一考    

 病院から富士山が見えると聞かされて数箇月が経つ。今日はじめて富士山が見えた。見えたのは富士山、従って見えたからと云ってどうこういうことはない。多田智満子さんの娘の名は摩耶、神戸の加藤邸の裏山が摩耶山だが、摩耶との名はここからきた。こちらは名称が美しい。
 富士山より、利尻富士や羊蹄山の方がわたしには馴染みが深い。図体以外、富士山に魅力はなにもない。どうしてあれが日本を代表する山なのか。尖閣諸島のおまけとして付けてやればよい。立派なおまけとして重宝されるに違いない。
 国境ごときでなにを右往左往しているのか。今は間氷期、氷河に蔽われれば海も島も見定めがたくなる。同様に、氷河に蔽われれば温暖化によって破壊された筈の環境はどうなるのか。省エネは、原発はどうなるのだろうか。その原発が埋った氷河を国民総出で買い漁ろうと云うのかしら。部署部署で、氷の味でも違うのかしら。否、人は生きているのかしら。もし、死に絶えでもしていたら、地球はそれこそ美しいに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:28 | 固定ページリンク




長生  | 一考    

 お喋りな看護師がいて、移植後クレアチニンの悪化で入院中の患者について聞かせてくれた。個人情報とやらで、誰とは教えてくれないが、体調は佳いにもかかわらず入院が続き、はや一箇月と。わたしは三年の透析を経ているので、クレアチニンの最小の値が1.3というのは低い部類に属するらしい。透析中は14から18ぐらいはあった。
 低い部類に属するとは云え、1.0以下でなければ満足な生活は営まれない。それ以上だとたちどころに末期腎不全に罹ってしまう、既に罹っているのだが。おそらく、1.0未満でよほどこころして塩分制限食のみを頂戴し、うまく推移して10年は生きると云ったところか。わたしのクレアチニンは2.0、これでは三分の一も持たない。いささか酷い状態に陥りつつある。
 と云うことを気にしてもはじまらない。どうして長生きしなければならないのか。そのための入院なんぞ、いしだあゆみならどうする。永田耕衣も種村季弘も二百まで生きると宣っていたが、あれは質の悪い冗談。三分の一結構、三分の一あれば他人の三十倍の人生を生きられる。これから三十倍もの人生は考えただけで蒙御免。必要なら一週間で結構、moonさんと極上のウィスキーを聞こし召すべし。

 それにしても、診療拒否を医師は怒るに違いない。さて、いかに・・・。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:27 | 固定ページリンク




外泊  | 一考    

 今回の入院ではじめての外泊だったが、クレアチニンは2.0に跳ね上がった。これは絶望的な数値である。風呂だけは這入ったが、忙しくて水分を摂る暇がほとんどなく、食事もまったく摂らなかった。それが禍いした。いまからでは遅いが、せっせと水分の補給に努めている。脱水状態を確認するに、腎臓だけでなく、胃袋までエコー検査で調べられた。これで当分は閉門蟄居、外出すらかなわなくなった。

 わたしのドライウェイトは65キロ。その体重が術後65キロから57キロへと減り、今回の入院で68.5キロへと増えた。現在は66キロをわずかに切る。何度も書いたように体重は二次的なもので、免疫抑制剤によってどうにでもなる。しかし、ドライウェイトよりも低いが良いに決まっている、
 あと二、三日でドライウェイトを切るのは間違いない。拙宅の食事ならさらに早い段階で切るのだが、病院食だと食べる量まで管理が行き届いているのでそうそう痩せはしない。
 さて、このような体重の管理、細かな血液検査(血液検査は2000項目から10000項目まであって、一時間で識別可能な検査から二週間ほどかかるものまでさまざま)に興味が失せてきた。透析時代、体重管理のために一切外食はせず、内容にも徹底した制限を自ら設けた。それは各週の血液検査の折、ざまあみろと自分に言い聞かせる楽しみがあったのである。ところが、今や体重は免疫抑制剤で勝手に上下し、クレアチニンも食べ物による規制を外れたところで動いている。自分で制禦できないものに、人は興味を抱かれない。
 体重に限らない、腹回りから無精ひげに到るまで、個々人々それぞれのダンディズムがある。今日、看護師から以前の入院のことを思えば太りましたねえ。例え病人であろうとも、いやはや豚のようには太りたくない、とただそれだけ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:26 | 固定ページリンク




教職について  | 一考    

 昨今、虐めがクローズアップされている。警察が学校へ強制調査を行うようになってはじめて虐めの問題に光が当たった。どうして50年前に警察が介入しなかったのかと思う。これについて書くことはいくらでもある。殊に、部落の問題、朝鮮の問題とわたしの世代は難題続出だった。教師を巻き込んだ暴力抗争についてはずっと書くのが躊躇われてきた。わたしがどうして夜間高校で朝鮮人学級へ這入らなければならなかったのか、わたしは中卒者で押し通してきた、それは自分の学生時代を伏せて生きてきたからである。
 中学校時代の部落相手の壮絶な抗争(虐め)を想い起こす。教師側はことごとくが日教組、つまり部落側である。わたし一人の闘いに教師から教育委員会までが参加し、わたしは義務教育である筈の中学校から一方的に暴力でもって追い出された。そのことを恨みに思ってはいないが、わたしは教員とか教師と聞いただけで、その人間性を疑う。性格破綻者か人格異常者でなければ教師は勤まるまい。教師教員の類いでわたしが後年、頭を垂れたのは宇野邦一ただ一人、彼の頭脳は旧象の牙にも似て過度適応の好例である。
 取敢えず、こちらでは結論のみ書いておく。人は、異に教師は、差別や虐めをこころの拠り所に、選民意識を生きている。教師などというものは史上最悪の稼業であって欺瞞に充ちている。誰某は教え子などと口にするだけでも悍ましい。他者に物事を教えられると信じているところからして狂っている。まず、世の中から教師を取り除かねば、虐めはなくならない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 21:29 | 固定ページリンク




医師とは  | 一考    

 病院を外出するに、どうして頭を下げてお願いせねばならないのか。向こうに向こうの都合があるならこちらにはこちらの都合がある。病院は慈善事業でなく、商売でやっている。さればこちらの言い分も聞くべきであろう。聞く気がなければご縁がなかったのである。極力医師の言い分は聞いている。傲慢不遜に振る舞うのは若い医師達である。わたしはかなり本気で怒っている。土下座をしてまで癒してくれとは頼んでいない。
 今日はクレアチニンがまた悪化した。その血液検査や対応策を取るのは昼である。従って昼に病院にいなければならない。ところがこちらの用事も昼ばかり。命と生活とどちらが大切かと云われると、ここが難しいところで、どちらともわたしには云われない。それほどに生活というものは大切であって、時として命という正に時そのものを跳びこえてしまう。
 ところで、ここで云う悪化とはなんだろうか。腎移植が一種の抵抗運動によって悪化してクレアチニン値が高くなる。結果、人工透析へ戻るだけではないか。医師はそれでは困るのかもしれない。しかし、わたしは納得ずくである。
 このまま行くとやがて医師と衝突する。繰り返すが、ご縁がなかったというただそれだけのこと。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 21:28 | 固定ページリンク




苦言を呈す  | 一考    

 いろんな病院へ入院してきた。例えば、北里研究所病院、東葛クリニックなどだが、PL配合顆粒(塩野義の総合感冒薬)を註文すれば五分以内に薬剤師がベッドへ届けてくれる、それが当たり前だと思っていた。ところが、戸田中央では責任を取る看護師がいない。なにを云っても医師から聞いていない、云われていないの一言。要するに想定外の為事の引き受け手が端からいないのである。看護師は客である入院患者の方を見なければいけないのに、管理者側しか見ていない。
 某看護師にPLを註文したところ、医師に話しておきます、で24時間経っても梨の礫。別の看護師に外出しますと云う、医師に聞いておきます、で24時間経っても梨の礫。朝夕に医師が診察に来る、その折にPLを註文する。「分かった」で医師全員がそれを確認している。にもかかわらず、看護師は聞いていない、指示されていないの一点張り。
 この辺りから、病院内の体制は虐めの問題と同じだなと思う。生徒は三年経つと卒業していなくなる。取敢えず、三年間なにごともなければ世はこともなし。仮に自殺者が出たにせよ、虐めと自殺の因果関係は不明で終わりである。入院患者は長くても三箇月で退院する。生徒よりさらに短い。入院患者は看護体制のなかでがんじがらめに縛り付けておけばよい。ひっくりがえったり、転げたりして骨折されるのがもっとも怖い。事故のないのが一番なのである。この消息をことなかれ主義という。

追記2
 註文から50時間を経てやっとPLが手に這入った。お陰で風邪をこじらせてしまった。退院に絡んで病院への怒りが沸々とわいてくる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:20 | 固定ページリンク




紋次郎  | 一考    

 月曜日の退院が決まったのか、それともまた延長になりそうなのか、血液検査の結果に医師は優柔不断になっている。どうでもよいから客のわたしに決めさせろと云いたい。
 クレアチニンの数値がよろしくないので、再再入院であろうが再再再入院であろうが、なんでも構わぬ。しかし、メドロール療法になんらの期待もできなくなったので、困惑の態。治療もないままにどうしろと云うのか。血液検査の結果で一喜一憂していてもなにもはじまらない。クレアチニンは変わらず1.6から1.7に張りつき、最悪である。血液検査の他の項目に異常はなく、体重は減少、尿量は増えていて上々。されば、体重が減れば退院できるのかと伺いたい。
 寝ていてもクレアチニン値はよくはならない。痛みがあればともかく、入院もさすがに10日を超えると疲れてくる。入院は続けても良いが、一度気分転換に外泊させてもよさそうなものである。シャワーでなく風呂へ這入って洗濯、ビールを飲んで寿司を喰い、塵を捨てる。それが生活である。そう云えば冷蔵庫の中身はどうなったやら、野菜の液状化が進んでいるに違いない。一人暮しだと生活がどんどん滞ってゆく。
 一所懸命の治療は分かるが、相手が悪い。わたしがごとき一所不住と一所懸命では命のかけようがまるで異なる。医学の世界に木枯し紋次郎はいないのか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:09 | 固定ページリンク




ガスの臭い  | 一考    

 泌尿器科でもっとも多い手術といえば前立腺癌だろうが、腎移植は代わりの医師が少ない世界である。専門医として頑張っていただくには雑用(一般外来を雑用とする)から解放されなければならない。そのためにはわれわれ患者も発言しなければならない。戸田中央は埼玉で唯一移植を手掛けている病院、そこで唯一の執刀医が瀬戸口さんである。わたしは自らの腹を開腹していただいたので良く分かっているが、彼は名医である。
 上京して以来、主治医の山崎医師をはじめ、多くの卓れた医師と出遇ってきた。思うに、この間の季節の変化を反覆しつつ月日は容赦なく推移した。体外衝撃波を受けに山崎医師のもとをオートバイで訪れ、発作が起きればどうする、なにを考えているのかと叱られたこともあった。多くの医師に見守られ、多くの医師に励まされ、ここまで生きてきた。二度ほど危機に瀕したこともあった。その度に、わたしの心の目は北海道にあった。オートバイで走り回り、廻り巡った北海道の山河、いつ死んでも良いと思ったとき、それはちまちました故郷でなく、キャンプで訪れた北海道の大地と雨と風、そして焼き付き饐えたガソリンの臭い、そこに人の姿は絶えてなかった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:08 | 固定ページリンク




リハビリテーション3  | 一考    

 もっかリハビリに力を入れているが、二十歳前後で脳卒中や脳梗塞に苦しんでいる人が多いのに愕いている。ボールを床に投げて戻ってくるボールを受ける練習をしている。キャッチボールみたいな書き方だが、ボールの移動距離は10センチ足らず、そのボールが受け止められないのである。ボールの動きに身体がついてゆかない。注視していると頭が震えて静止していない、当然視線も定まらない。即、手脚にも震えが生じている。頭部切開の大きな手術跡のある人もいる。
 脳出血すなわち突然の脳血管障害によって意識障害や運動麻痺をきたすわけだが、横でみていて大変である。療法士が寄り添い、多くの患者は身体を揺すられている。揺すられて動くのであって、自力では動かれない。そのような状況を眺めていると済まなく思う、わたしは自分の意志によって可動しているからである。痼疾などと書いたが、比してわたしの病は軽微なものだと思い知る。
 美人の療法士に揺すられて老人が股間を膨らませている、と書けば顰蹙を買うだろうか。わたしはそうは思わない。これも立派なリハビリになっている。おそらく納得ずくの能力恢復に違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:07 | 固定ページリンク




リハビリテーション2  | 一考    

 週末にも退院可能だったが、念を入れて来週の月曜日か火曜日の退院となった。生理検査の結果を見て再再度入院、再再度生理検査を行う。外泊は無理だが、週末以降外出は認められる。車の修繕、郵便・宅急便、洗濯、役所の手続き(ETC・車税・保険他)など諸用を片付けられる。
 病棟ではメドロールの点滴中止(意味がなくなった)でリハビリテーションだけになり、暢気になった。気楽とは申せ、採尿、血液検査、エコー検査などに一喜一憂はつづく。なお、リハビリは腹式呼吸法のそれで、うっすら汗ばむ程度。とにかく歩くことが一番効果があり、病院の外周を歩き回っている。女性の理学療法士に変わったが、なかなか達者な療法士である。脳卒中や脳梗塞の後遺症に苦しむ障害者とともに、理学療法に励んでいるのである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:06 | 固定ページリンク




リハビリテーション  | 一考    

 リハビリを受け、体調不調の原因は腹筋の断裂にあると悟った。まず腹式呼吸法が駄目である。法などといったものでなく、単純な呼吸ができていない。立って座って寝て深呼吸、腰を持って、腹を押さえて、背を伸ばしての深呼吸である。負荷を掛ける云々の遙か以前の状況である。
 リハビリの理学療法士はまず、上記手術の縫合後を見、これではどうにもなりませんの一言。瀬戸口医師から傷口はしっかり付いているものの、今回は生理検査だし、特に右側は無理をしないようにと云われたようである。人は身体の傷口側を庇護う。わたしは右側に大きな疵があるため、左側で庇護っているようである。
 理学療法士は左右の足の筋力を確かめて力の差違を確認、きちんと呼吸をすれば一週間でリハビリらしきものは終了する。あとは自宅で気長にやってください。腹筋が元に戻るに三箇月、筋力ケアのための道具や器具は無用、あなたの身体なら基本はできているので呼吸法だけで大丈夫です、と。はなしを聞いて一安心である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:05 | 固定ページリンク




移植手術その結果  | 一考    

 市役所へいって国民健康保険限度額適用証をもらってきた。24年4月から外来の限度額適用認定証が有効になった。これで高度医療は35000円ほどに減額される。ただし、減額は保険適用内の医療に限られる。

 国民健康保険及び福祉障害課の担当者に相談した。特定疾病療養受療証で透析を受けている人が移植手術を受けると自動的に特定疾病療養受療証は失効する。移植によって病気が癒ったと結論づけられるのである。ところが術後、三箇月を経ずに移植した腎臓が落ちた場合、透析を受けるための特定疾病療養受療証はどうなるのか。
 担当者によれば、当然特定疾病療養受療証は再発行されるが、そのようなケースは想定されていない、と。わたしがなにを云いたいかというと、「移植によって腎不全が癒るもの」とみなさん勝手に思い込んでいるのである。移植が成功するしないにかかわらず、患者は人工透析に必ず戻る、戻らざるを得ないのである。腎不全は不可逆性の病だということをみなさん忘れている。一度罹ると腎臓が新しくなろうとどうなろうと関係なく病症は進行する。
 仮に移植した腎臓が二年間生着した場合、手術は大成功で、二年間その腎臓は生きたのである。そして三年目、彼のもしくは彼女の透析生活が再開されるのである。問われるのはこの生着年数であって、一年、二年といった著しくたわいもない論拠にわたしたちは振り回され躍らされている。もっとも、日本の場合は米国のそれとは違って生献腎である、それゆえ生着期間はさらに長く平均すると十年を超えているが。
 云いたいことは多くある。例えば、わたしの場合は拒否反応がひどいので予想される生着期間が二、三年と頗る短い。その短い生着期間のために、ドナーから生きた腎臓を奪ったのである。事前に分かっておれば移植手術を試みたろうか、との反省がつきまとう。重度の腎不全に罹った状態で新しい腎臓が起動する虚しさに思いを致すしかないのである。
 瀬戸口医師が手術前に腎移植はあくまでips細胞が完成するまでの過渡的な措置であると、仰有っていた意味がそこにある。勿論のことだが、すべての外科領域における治療は過渡的なものである。医学とは割り切れない、卓れて倫理的な問題に晒され続けている。この件は生涯に亙ってわたしのなかで反芻される。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:04 | 固定ページリンク




縫合術  | 一考    

 皮膚の最表層は表皮とよばれる層状の上皮であり、その下にある真皮は主として丈夫な結合組織からなり、そのために皮膚は外力によって容易にちぎれなくなっている。真皮の下の皮下組織は主として脂肪組織からなり、栄養による変動を受けやすい。
 さて手術の際、真皮を縫合する、そして表皮に接着剤(ボンド)を用いる。縫合された部位は表皮に蔽われるため傷口の穢らわしさは隠蔽される。ひとによっては傷口が消えてしまうようなことすらあると聞く。科にもよるが、大旨十年ほどまえから伝搬普及した手術法だそうである。
 昔の縫合は非道かった。縫い合わせた左右に段差が生じ、あまつさえ肉片がぎざぎざにぶら下がり、女性は整形手術を繰り返すのが常だった。わたしの世代は肺結核が多く、かかる疵痕をしばしば目撃した。もっとも、わたしは元来この疵というのが好きで、逆に心身共に疵を持たない人間にはいささかの興味も抱かなかった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:17 | 固定ページリンク




無縁  | 一考    

 久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し、まったく肉が出てこないので安心して頂戴できる。今回は腎臓食でなく、端から心臓・高血圧食が用意された。別に血圧が高いわけでない。高血圧食がもっとも塩分が低いのである。前述したように、腎不全の進行が急である。なにがどうあろうとも、塩分を控えねばならぬ。
 今回の退院後は干物も遠慮せねばなるまい。透析時代を顧みて刹那の自由を楽しんだわけだが、それは消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」を意味したのだろうか。重痾に犯されたとき、選択や決断の自由と呼ばれるものはひどく形を変える。わたしが云うのは狼藉、濫吹といった専恣横暴でなく、無縁、公界、十楽など、共同体からの自由であり、遁走である。それはときとして人を卑屈にさせる。
 わたしは大体自由なるものをプラス思考で捉えたことがない、自由の語義は常にマイナス評価とともに訪れる。身寄りのない貧しさを意味する語、無縁は転じて親子・主従等の縁を積極的に切った自由な境地を示す語となり、私すなわち内証に対する公・世間を意味する公界は、私的な縁・保護を断ち切る自由を示す言葉として用いられる。そしてそれは同時に、無縁は極貧に、公界は苦界へ、らくは被差別民の名称ともなる。すなわち、本来自由であり遁走であったはずの概念が階級のそれへと、言い換えれば精神的荒廃へと転側する。階級闘争は難儀である、階級闘争は自己責任の転嫁を招き入れる。被害者が難なく加害者へ、加害者が被害者へと化け果せる。無知と貧困は仕置きの対象にこそなれ、決して同情の対象すなわち涙にはなりえない。
 散るを知らず、爛柯を聴き、共同体の蘭塔を守るは敗亡の輩。花は定まらない、花は揺れ動く、花は舞い散る。ひとは只管転側を繰り返すのみ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:11 | 固定ページリンク




抗体反応  | 一考    

 わたしと同じように拒否反応が顕れ、移植後入院する患者のはなしを聞いた。大量のメドロールによってぶくぶく太る人やクレアチニンの数値が収まらず、透析の止むなきに至った患者などさまざまである。
 移植はうまくゆけば6年、拙ければ三箇月の命である。いずれにせよ、透析に戻らねばならない。わたしの場合は前記したようにクレアチニンが1.6から下がらない。0.7まで下がっても、3年後に透析に至った例もある。今云えることは明年は透析からは免れるということ。従って、明年は北海道へ旅ができる、楽しんで来ようと思っている。
 拒否反応は事前にある程度の予測はつくが、やはり顕れてみないと分からない。私の場合も事前に予測できたが、ここまで強いとは思わなかったようである。それにしても、移植を済ませながら透析に戻るのは残念であろう。東葛クリニックでもそのような例を数多く聞かされてきたが、やはり事実だった。ただし、病院で聞いたところでは、薬の飲み忘れとか服用時間が厳守されなかったという患者の自己責任に帰する問題ばかりだった。しかし事実は少々違ってい、拒否反応による不可抗力が大方を占めていた。それはそうである。移植患者が命より大切な免疫抑制剤を飲み忘れるなど起こりえないからである。クリニックの医師は薬の大事を強調するためにあのようなはなしをしたのだと思う。
 そうした患者の無念が免疫抑制剤の今日をつくっていることを忘れてはならぬ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:09 | 固定ページリンク




痼疾  | 一考    

 10月11日、クレアチニンが1.6へ。メドロールが効いてはいるが、クレアチニンはこれ以上はさがらぬ。今日からメドロールの点滴は中止、錠剤へ移行。体重は400グラムの減少。
 何度も書いてきたが、腎移植に於ける免疫抑制剤の処方に関して東京女子医大の右にでるところはない。それを信じて、東京女子医大の医師がいる戸田中央総合病院へ入院した。今回、術後三箇月目に発症した拒否反応への対策も早かった。これが遅れれば当然、腎臓は落ちていた。
 場数を踏んでいるだけあって、免疫抑制剤への知識が豊富で対応が的確である。ただ困ったこともある。戸田中央を離れられなくなったことである。移植者にとって、免疫抑制剤は生涯に亙って飲み続けなければならない薬である。いつ何時、拒否反応が起きるやもしれず、その心配が生涯つきまとう。拒否反応に止まらない、サイトメガロウイルスやカンジダ菌などの感染症の問題もある。移植とは一種の痼疾のようなものである。(10月11日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:59 | 固定ページリンク




体重減少へ転ず  | 一考    

 10月10日、クレアチニンが1.5へ下がる。1.2が理想値ではないが、1.2までもう一息。今週末になんらかの結果が見えるかも。今日もメドロールを47で落とす。
 現在68キロの体重を元通り60キロ以下に落とすことと、全身の震えを終熄させること。いまのところ、震えは非道いが、熱、下痢、浮腫、腫れはない。今朝は増え続けていた体重が一キロ減った。10日で8キロの増加ならやはり10日で減るだろう。血圧順風。尿も1.8、1.9リットルとコンスタンスに出ている。あとは利尿剤で体重を減らすのが最善。
 免疫抑制剤の影響だと思うのだが、震えがひどい、なんとかならんものか、と瀬戸口医師。この震えはさまざまな要素が加味されている。全身の筋肉の硬直、強張りにも大きな理由があって、肩の凝りを解すようなまたは全身を弛緩させるようなリラクゼーションは有効だと思う。早い話が、ウィスキーでも飲めば震えは止まると思うのだが。(10月10日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:56 | 固定ページリンク




三割負担  | 一考    

 9日はクレアチニンが1.75にまで下がる。尿酸値は28.3。体重は下がらないが、体調はまずまず。このまま1.3ぐらいにまで下がれば日曜日に一日外泊できるかも、と甘い考え。これからの一週間が正念場と医師から念を押される。
 今回の入院は通常の国民健康保険なので三割負担である。毎日、免疫抑制剤ステロイドのメドロールを血管注射で打っているが、これが錠剤の数十倍の濃度になる。当然値段も数十倍だと思われる。取敢えず、事務員に一週間分の概算を出すように依頼す。金曜日入院なので、木曜日までの概算で20万円ほど。ということは請求額は70万円ほど。仮に一週間の延長になっても40万円、想像していた額より少ないが、役所での手続きが必須。
 当然のことだが、金額の嵩の問題にあらず、病が癒るかどうかである。(10月9日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:55 | 固定ページリンク




槐安の夢  | 一考    

 元々の腎臓であろうが移植された腎臓であろうが同じことで、腎臓の病はことごとくが不可逆である。もっか移植腎の拒絶反応によって腎臓と抗体とが闘っているが、この闘いはまさに末期腎不全の進行そのものであって、闘いのあとは焼け野原となる。腎臓は片端から壊死し、罹災を免れた部位の機能のみが僅かに残される。
 月曜日の血液検査でクレアチニンがわずかに下がって2.2、はじめての朗報である。朗報とは云え、癒ったわけではなく、また癒るわけでもない。壊死する部分が多少なりとも減ったということに過ぎない。
 2.2で止まれば、2.2の腎機能しかあとに残らない。医師によれば1.7乃至1.6ぐらいまでの腎機能の復帰を希望するようだが、それは既に望むべくもない。
 抗体には二種あるそうだが、どのように異なるのか詳細は審らかにしない。この闘いはあと一週間ほどつづくのだそうである。数パーセントにせよ機能が残り、自炊生活が叶うのか、それとも緩慢に透析へ戻ることになるのか、それとも一気に人口透析に戻ることになるのか。医師によると、最後はなかろうが、徐々に透析へ戻る可能性はまだ残されている、と。いずれにせよ、透析時代と同じ水準の食事制限が間違いなくつづく、あとに残るのは荒漠たる腎臓のむくろ。
 如何に抗体とは申せ、新たな腎不全がここまで急速に悪化しようとは。移植腎を目前に、ドナーに対し済まなきことのみ多かりき。(10月8日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:52 | 固定ページリンク




戸田中央総合病院  | 一考    

 点滴が理由で体重が毎日1キロほど増える。それを利尿剤でもって300から500ほど落としている。ところが、この利尿剤、わたしには利糞剤として霊験あらたかなようである。もっとも、糞につられて尿も出るのだから利尿に違いはないのだが。
 クレアチニンは2.6、危険水域に張り付いたまま。体重は二次的なものなのでどうでもよく、本命のクレアチニンが下がってくれれば良いのだが。毎日の血液検査の結果が気に掛かる。
 巷は連休、同室の患者はみなさん外泊。わたしも外泊を申し込んだのだが却下され、外出ならと一時間の帰宅のみ認められた。

 戸田中央は民間病院で病棟は三棟。わたしが入院しているA棟は一階が救急とCTやMRIなどの重機が並び、二階が複数の手術室とICUで構成され、三階から七階までが病室になっている。四階が腎移植の患者専用だが、専用と云っても腎移植は月に二例のみ。
 ワンフロアに50床、A棟だけで250人の入院患者がいる。前回は満床だったが、今回は八、九割ほどの入り。主として腎移植と前立腺癌、心臓血管と脳外科の手術を執刀している。最新医療機器のダヴィンチを設置しているのだから愕かされる。確か、前立腺癌の手術入院が三日と聞いた。
 前回書いたが、C棟には胃瘻の患者が多く、ここはあまり通りたくない場所である。ちなみに、女房がドナーとして検査入院したのはB棟、心臓血管センターの病棟だが、もっとも豪華な部屋が設えられた棟だった。(10月7日)

追記
 9日には満床になった、賑やかな病院である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:51 | 固定ページリンク




点滴つづき  | 一考    

 先日の小便の量は摂取量と見合ってい、1.5リットル。にもかかわらず、入院してから毎日1キロずつ体重が増加している。顔もぱんぱんに腫れ上がってきた、ムーンフェイスとはこのことか。丁度点滴分がそのまま体内に残されてゆく、しかしながら血圧は110の60と低いまま。そこのところの理屈が分からない、どうなっているのであろうか。クロアチニンは悪化の一途、身体が管理下から離れ、暴走をはじめたようである。免疫抑制剤の怖ろしさを知る。
 昨日は終日東風だった、おそらく今日も。熱を逃がすと書いたが、滅茶暑く感じる。窓を開けて夜風を取り込む。湿気を孕んでいるが、それが心地よく爽やかである。(10月7日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月07日 16:51 | 固定ページリンク




電気仕掛けの点滴  | 一考    

 今回の入院である。初日に痛いことは済ませ、6時間の絶対安静を経て21時半に解放された。尿管の挿入、点滴のライン取りなど若い看護師が失敗を繰り返し年増に変わる。わたしの血管は硬いので注射針では難儀する、小型の電気ドリルなら良かったろうに、と冗談。若い人はいたく恐縮している。それで良いのですよ、何事によらず最初から旨くは行きませんよ。
 入院前日のエコー検査では技師医師とも血流がよろしくないとの結論だった。しかし、連日の点滴が効を奏したか、血流はいたって順調。最短一週間の入院と告げられたが、それで無事に終わりそうである。ただし、生検の結果が出るのは二、三週間後。その時点で新たな入院があるやもしれず。
 日中の時間が惜しいのでリハビリテーションを受けることにした。荷物を持って歩くと5分もせずに右の股関節が痛くなる。かつての靱帯剥離骨折からあと、腎不全がひどくなってかまけていたもの。家でのリハビリでは体重以上の負荷は掛けられない。せめて2、300キロぐらいの負荷に堪えられるようになりたい。

追記
 クレアチニンが2,5にまで跳ね上がった。免疫抑制剤を中断し特殊な薬を用いるが、値が一回につき10万円を超えるようである。それでも抗癌剤のことを思えば安価なものだそうである。これから後、施すべき方策はふたつしかない、どちらも薬物治療で詳しく聞いたがなんのことやらさっぱり分からぬ。通常の国民健康保険は有効だが、校正医療の適用外という。病院側の過去の経験から推して退院時に全額は払わなくても良いといわれた。相応の額を覚悟しろといわれているようなものである。100万円はいくまいが、50万円は下るまい。

追記2
 熱を逃がすのが目的との理由で座薬を打つ。点滴に座薬ははじめての経験、加えるに心電図。副作用が激しいのだろうが、さすがに10万円超ともなると演出が細かくなる。一回目はネオファーゲンで落下速度は147。二回目の点滴は二本同時に、プリンべランの速度は43、リツキサンの速度は13(以降3時間おきに25、50と速度が変わる)。200ミリと250ミリのくせに終了までに要する時間は11時間。夜が明けてしまうではないか。(10月6日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月07日 16:49 | 固定ページリンク




お知らせ  | ニャル子    

ですぺら掲示板に這いよるニャル子です。
一考氏は昨日から緊急入院、本日からお見舞い可能とのことです。
入院先は、以前と同じく埼玉の戸田中央病院となります。
期間は、予定では1週間ほどとのこと(まだ予断を許さないようですが……)。

以上、お知らせでした。


投稿者: ニャル子      日時: 2012年10月06日 14:59 | 固定ページリンク




死ぬであろう日  | 一考    

 かつての大量輸血の際も死ぬとは思わなかった。素人意見だからどうなるかは分からない。しかし、死ぬときは事前にそれとなく悟るのでないかと思う。それにしても、死を近しく感じるようになった、と云うより思いを致すのは死のことばかり。
 先日、身の周りを一新と書いた。わたしは有終とはまったく縁がない。縁がないがゆえの一新である。憂愁、優柔、薄弱とは昵むが決して恰好の良いものではない。あくまで冗談で生きてきた。
 移植者のうち拒否反応に罹るのは50パーセント、内95パーセントが治療により恢復するという。戸田中央の瀬戸口医師はそちらの名医、95パーセントにわたしも是非入れていただこう。
 「何とかしてよ、予定が立たないのです」とわたし。「なんとかしてほしいのはこちら、入院の遣り繰りがつかない」「あなたの身体でしょ、責任とって」と医師、冗談を飛ばすところに余裕があると信じたい。さて、生きるも冗談、死ぬも冗談、どちらに顛んだところで糞の上。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月05日 04:47 | 固定ページリンク




ブナハーブン  | 一考    

 エクスクルーシヴ・カスクからニューボトルが頒布された。ブレイヴァル、アルタナベーン、グレン・スペイ、ブナハーブンの四種。面白いのはすべてのフィニッシュがペドロヒメネスである。
 ウィスキーについて書こうと思ったのは、つい先頃ラフロイグのトリプルウッドが終売になってペドロヒメネスに変わると当掲示板で中村さんが書かれていたからである。
 ペドロヒメネスをフィニッシュに用いたウィスキーで旨いと思ったボトルがない。例えばラガヴーリンのダブルマチュアードがペドロヒメネスである。
 今回のボトルは前記三点が不味い。ブレイヴァルは好きなウィスキーなのだが、リッチなシロップ漬けレーズンのアフターはデザートワインを思わせて興ざめである。ただし、ブナハーブンは成功している。1991年の蒸留、21年、52.8度、7250円のお薦め。スモークでとてもオイリー、重厚な焚き火の味わいがペドロヒメネスを跳ね返している。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月05日 01:57 | 固定ページリンク




再入院  | 一考    

 今日医師から即刻入院を命じられた。クロアチニンが1.98にまで上がり、移植した腎臓が拒否反応を示している。このままだと確実に落ちる、透析に逆戻りである。
 生検が今日は出来ないので、入院は明日の早朝、従って今日は朝から晩まで点滴の繰り返し。
 このところ身の周りを一新。車も新しくなったので、パソコンも新しくしようとオークションで註文中。註文だけしてほったらかしでは何もかもがうまくゆかない。相手にわたしの病気は関係ないからである。よって女房に無理を云って上京してもらうことにする。ただし、彼女にパソコンが触れるかどうかが問題だが。
 医師にオークションの話をするも、命とどちらが大切かと一蹴される。仮に腎臓が落ちたにせよ、命だけは救わねばならない、と。余程深刻な状態のようである。わたしは折角くっついた下腹をまた開けるのかと思うとうんざりである。入院は明日だが、退院が何時になるかは分からない。予定を一切立てずに入院してほしいとの医師の命令である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月04日 20:58 | 固定ページリンク




尺鰺  | 一考    

 塩の関係で長く食べられなかった干物を食している。秋刀魚、鯵、鰈、飛び魚、金目、キンキなどである。種村さんが相模湾と駿河湾の鰺の干物の味の違いを述べておられた。血液検査の度に薬の内容量が変わるので一泊か二泊しかできないが、伊豆半島ならいつでも出掛けられる。伊豆半島に止まらない、外房なら干物でなく刺身だが、尺鰺は有名。なめろう(別名沖なます)は房総半島沿岸部一帯に伝わる郷土料理。拙宅からならこちらの方が利便。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月03日 03:26 | 固定ページリンク




ひかりTV  | 一考    

 先日、有線テレビについて書いた。今日はNTTの連結会社から電話があって、ひかりTVなら2625円のコースにヒストリーチャンネルが這入っているそうな。有線テレビより2000円ほど廉い。もっとも、チューナーその他のレンタル費用が加算されるのだが。
 どうでも良いことだが、最大二箇月は視聴料が只らしい。いずれ免疫抑制剤の量が落ち着けば、神戸もしくは明石へ引っ越すしかないと思っている。それまでのお遊びにひかりTVを繋いでみようかと。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月03日 03:23 | 固定ページリンク




ダマスカス鋼  |   一考

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 英国のナイフ職人Mr MAAN'Sのハンドメイドナイフシリーズの一本。ダマスカス鋼で造られたフォールディングナイフである。ダマスカス鋼は異種の鋼材を折り返し鍛接された木目状の模様を持つ鋼のこと。積層されたブレードは優美な波模様に仕上げられる、職人の腕の見せどころか。
 特にナイフに興味があったわけでない。ただ、ナイフとして使用するに躊躇するほどの仕上がりである。ブレードに限らず、ハンドル部のボルスターにもダマスカス鋼が用いられている。ゴールド真鍮とスタッグホーンで彩られたハンドル材が木目の模様とよく似合う。


投稿者:   一考  日時: 2012年10月03日 00:36 | 固定ページリンク




領有権  | 一考    

 中国の外相が国連で敗戦国との言葉を四度繰り返していた。中韓にとって日本は敗戦国というのが歴史的事実なのである。今般の領土問題に対するわが国の態度は戦勝国に対するそれとして著しく不敬だというのが彼等の本心である。領土問題に限らない、戦後処理の問題は彼等にとってなにひとつ終わっていない。
 いずれにせよ、尖閣や竹島の領有権で戦後処理の問題が浮かびあがってきた。これから長い長い我慢比べがはじまる。
 わが国は経済のことを大言する。経団連の米倉会長は戦後最悪の会長だと思うが、尖閣諸島が日本の領土でない可能性を含めた発言をして波紋を広げている。他方、野田首相の支持率が跳ね上がっている。その上がり方は日本人の屈折したナショナリズムを示唆している。
 わたしは経済を二の次に置く国があってもよいと思う。別に中国がそうだといっているのでないが、わが国は経済のためなら信じるところを曲折させてきた。このような国は一度経済を離れて局地的な戦争を経験すべきと思うのだが。
 ウスリー川の中州、ダマンスキー島(中国語名は珍宝島)の領有権を巡って軍事衝突が発生したのが1969年、尖閣問題は日本側が対応を一歩間違えると同様の紛争をもたらす。もっとも、自衛隊員が射殺されようが、自衛艦が沈没させられようが、反撃の根拠になる法体系がなにもない。国内法を整えるに半年以上はかかる、その間中国海軍のミサイルを相手に海上保安庁が機銃だけで持ちこたえるしかないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月01日 12:44 | 固定ページリンク




大動脈瘤  | 一考    

 移植で入院した折、ドナーも共に精密検査をした。その検査によって大きな動脈瘤が見付かった。直径はゆうに三センチは超えている。おそらく四センチ近いのではないだろうか。
 動脈瘤とは動脈が局部的に拡張膨隆し、嚢状、紡錘状、円柱状を呈する疾患。動脈硬化症、動脈炎、外傷などによって起るほか、先天性のものもある。彼女は動脈硬化症が理由の嚢状大動脈瘤だそうである。周囲を圧迫して呼吸困難,嚥下障害,胸痛を起こし、穿孔すると即死する。年内の手術を医師は勧めていたが、どうなったのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月01日 00:25 | 固定ページリンク




LBP3300  | 一考    

 先日、車庫証明を取るに際し、配置図は書くにしても拙宅の周辺地図はパソコンからのプリントアウトで間に合わせていた。ところがプリンタが壊れて久しい。東京へ引っ越して最初に購入したのがキャノンのレーザープリンタだった。ですぺらのカタログから案内状、葉書に至るまで随分と役に立った。
 プリンタがなくなってことの大事に気づかされた。プリンタがなければどうにもならない、それもモノクロのレーザープリンタが必要である。かつOS9と10.4.11で動き、古いが新品に近いもの。いろいろ調べてCanon Satera LBP3300を見付けた。2011年12月購入、三箇月の短期レンタル品である。
 大きく重いのが玉に瑕だが、この際なにも云わない。問題は値段である。3300だとトナーも2500円ほどで入手可能。到着を心待ちにしている。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月30日 12:29 | 固定ページリンク




減免登録  | 一考    

 吉川警察にて2600円の証紙を購入、車庫証明の手つづきを済ませる。有効期間は一箇月、従って10月中に車検を取得しなければならない。
 今回の車検はバッテリーのみ、そしてそのバッテリーはすでに交換した。韓国製なら6千円ほどだが、韓国製のバッテリーは出来不出来があまりに激しい。3万円払って国産品にした。ちなみにボルボの正規品と異なり、購入品は密閉式。従って正規品より性能はよい。
 ブレーキローターとバッドとキャリパーは買い替えるつもりだったが、車検のためにローターを2ミリほど研摩、キャリパーは右後輪が錆び付いていたのでバッドと共に交換、取敢えず車検優先とする。
 それにしても後輪のブレーキが錆び付いたまま高速を飛ばしたとは。比率は七割が前輪なのでなんとかなったが、そこらじゅうに危険が濫れている。

 身障者ゆえ車検は減免登録になる、この減免登録が結構面倒である。車検からETCにいたるまで、すべて抹消が先になる。完全廃車と新規登録の手続きを同時に済ませようと思ったのだが、甘かったようである。昨日はインプレッサの廃車手続きとボルボの登録準備に追われる。インプレッサが消えてなくなったので代車を用立ててもらう。
 林自動車にボルボの登録は任せて、わたしはETCの抹消と新規登録。ついでに役所の減免の手続きだが、一週間から二週間ほどかかる。しばらく高速は使われない。29日の土曜日にボルボの車検が出来上る。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月28日 07:10 | 固定ページリンク




翼賛報道体制  | 一考    

 政治部の記者クラブの界隈が毎週金曜日、反原発のデモで濫れている。朝日の記者がわれわれは政治部であってデモを取上げるなら社会部だろう、関係ないの一言。屋上からの写真撮影をフジテレビが申し込んだところ、おまえたちは記者クラブに入っているのかと、却下したのも朝日の記者(久米宏「ラジオなんですけど」)。
 詳細は控えるが、わたしの知己に朝日の編集長と複数の副編集長がいた。彼等は異口同音に朝日であるがゆえの取材の難しさを訴える。朝日が如何に財務省と、いやさ体制どっぷりかは新聞社で働いたひとならみんな知っている。朝日は国内の新聞社では最大の戦犯である。それは戦前に大政翼賛会をなし、戦後は沈黙をもって戦争責任を逃れてきた。日本人は沈黙を清廉として崇ぶが、新聞社の沈黙など許されるものではあるまい。
 戦後、朝日は時の政権に、はたまた国民に媚を売り、最大の組織を築いてきた。他方、東京新聞は財務から不動産に至るまで政府の干渉を忌嫌い独立独歩を守ってきた。
 「水遊び」で触れた野田に対する野次や罵声の詳細を報じたのも東京新聞、朝日は触れもしない。朝日は国民が求める記事を、似非進歩的知識人が求める記事しか著さない。それが売れ行きを維持する唯一の方法だと知っている。翼賛報道体制の社是はいまだに続いている。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月27日 14:38 | 固定ページリンク




水遊び  | 一考    

 19日、民主党代表選の街頭演説が東京新宿で行われた。詰めかけた聴衆の手には「辞めろ」「ウソつき」などと書かれたプラカード。野田が登場すると「帰れ」「人殺し」と野次や罵声が飛び交い、最後は「辞めろ」コールの大合唱で演説がまったく聞こえなくなった。さすがの野田も涙目になっていたが、再選されると「私は心から国民を愛しています」。かかる確信犯は手の施しようがない。
 街頭演説の映像を流した放送局は、日テレ、TBSのみ、フジは帰れコール等はすべて消音して放送。テレ朝とNHKは当然映像自体を流さない。

 政調会長に起用された細野豪志環境相兼原発担当相は「原発利益共同体」の求めに応じて原発再稼働を主導した人物。幹事長代行には安住淳財務相を、国対委員長には山井和則国対副委員長を任命。安住は「四年間は消費税を上げない」との公約を翻し増税法案を強行。山井は政権交代の大きな要因となった後期高齢者医療制度の廃止を先送りした張本人。
 海上保安庁は尖閣で台湾の漁船相手に放水による水遊びに興じている。水をかけるべきは首相官邸でなかったか。

追記
 海上保安庁の巡視船が35ミリ単装乃至20ミリ多銃身機銃を装備しているのに対して、中国の海監船および台湾の巡視船は重装備の武器を装備していない。それゆえ、彼等の対応はあれしかなかったろうと思う。決して海上保安庁を揶揄しているのでない。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月27日 14:30 | 固定ページリンク




店舗  |   一考

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 カラオケ居酒屋、近い将来営業するかもしれない店舗。もっか思案中。


投稿者:   一考  日時: 2012年09月26日 11:23 | 固定ページリンク




上がるクレアチニン  | 一考    

 クレアチニンが二回に亘って上がり続けている。前々回が1.35、前回が1.45、今回が1.68である。ついでに白血球は9240から13750へ上がっている。
 エコー、レントゲンによればサイトメガロは発症していない。下痢も微熱も浮腫もない、しかし血液検査によるとどこかに異常が出ている。異常どころか危険ですらあるが、現時点では理由が分からない。血液検査の回数と免疫抑制剤の量を増やし、様子見となる。

 尿検査でのはなし。摂取している水の量が少なすぎると叱られた。心当たりあり、頻繁な排尿が面倒につき、昨今水分を減らしていた。おそらく1リットルも摂っていないのでないだろうか。最低2リットルは摂るように執拗く注意される。

 体重がエスカレーターのように推移する。下痢が収まって増え始めたが、おそらくステロイド剤の服用による食欲増進が理由だろう。詳しくは合成副腎皮質ホルモン剤メドロール錠(メチルプレドニゾロン)の副作用である。これは防ぎようがなく、食事制限しか対処法はない。

 手術の際、麻酔の管で声を喪ったと書いた。そしてそれが理由で鼻炎が癒ったとも書いた。本当に癒ったのかどうかは分からない。ただし、今のところは癒っている。酷いときは一日にティッシュペーパー二箱で足らないような日もあった。
 もっとも、わたしが小学生のころはティッシュペーパーなるものは存在せず、従来のちり紙を全身のポケットに詰めるだけ詰めて出掛けたものである。日本初の箱入りティッシュが発売されるのは1964年、当初はとにかく高級品で手が出なかった。ちなみに、わが国の年間消費量は世界一。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月26日 03:52 | 固定ページリンク




捜狐  | 一考    

 以下は尖閣諸島に関する産經新聞の記事からの要約。
 「社会保険と医療保険はなくてかまわないけれど、釣魚島の主権がなければダメです」「国民の人権より国家の主権が大事だ」「家を買えないので、是非釣魚島を奪い返してそこに自宅を建てたい」「500人汚職官僚を派遣すれば、日本はすぐに食いつぶされる」「パソコンを釣魚島に持ち込み、ユーチューブとフェースブックにつなげてみる。つながらなければ間違いなく中国の領土だ。なぜなら、これらのサイトへのアクセスを禁止しているのは中国だけだ」これらは「捜狐」に寄せられた書き込みである。いずれも痛烈な国体批判となっている。デモの一方で、このような諧謔を見せるのが中国の人民である。
 神戸の中国人学校で放火によるとみられる火災が発生した。中国には中国の、日本には日本のナショナリズムがある。わたしには一見穏やかにみえる日本人のナショナリズムの方がより高慢かつ陰湿に思えるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月25日 16:12 | 固定ページリンク




中韓の歴史観  | 一考    

 中国はフィリピンと南シナ海のスカボロー礁でも領有権を争っている。南沙諸島に止まらない、西沙諸島、中沙諸島と南シナ海一帯でさまざまな国の監視船が対峙している。フィリピンからの甘蕉の輸入を止め、中国からフィリピンへの旅客はゼロになった。
 フィリピン、ベトナム、マレーシアに次いで日本との経済関係も長期(10年乃至20年)にわたって冷え込むのは必至。油圧ショベルに代表される建機などの生産業は他国へリスク分散すれば済むが、現今の中国への進出企業はサービス業が多い。甚大な被害を受けるのはわが国の方である。わが国が持つ経済開発に必要な知識や技術をすでに中国は欲していない。われわれはわが国の技術を過信している。欧州や韓国など、代わりは他にいくらでもある。それでなくとも、中韓は日本の歴史観に対して間違いなく共同戦線を張る。わが国と中韓とのあいだに横たわる溝はさらにヒステリカルなものに変貌するに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月25日 16:10 | 固定ページリンク




民主党の瓦解  | 一考    

 このところ遺憾の意が日中のあいだを飛び交っている。遺憾の意を表するとは便利な言葉であって、自分の言動を釈明して詫びる場合にも、相手の言動に対して非難の気持ちを表す場合にも用いる。もっとも政治家が詫びることはなく、実体は非難の応酬に過ぎない。
 詫びない政治家の典型が野田首相だが、野田は胡錦濤を虚仮にした。世界最大の人口を擁する国家の主席である、怒るのは当たり前。野田が云う国民は野田を信奉する国民に限られる。信奉しないとは非国民に過ぎない。野田が云う政治家は野田に付き随う政治家に限られる。ノーサイドを表明したにもかかわらず、追従しない政治家は70人まとめて首にする。野田は日本国の宰相であって、1949年に成立した中国ごとき新興国の胡錦濤から表敬を受けこそすれ、なんでこちらから挨拶する必要があろうかと思っているに違いない。
 先般の民主党党大会で67パーセントの支持を得て圧勝。輿石に続投を依頼、前評判は岡田だったようだが、岡田が幹事長だと民主党は総選挙を待たずに瓦解する。民主党を割った張本人は野田、岡田の二名。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月24日 06:54 | 固定ページリンク




禁煙  | 一考    

 なにがあっても禁煙は譲られない。もしも烟草を咽むなら腎臓が落ちるのを覚悟せよとの医師の脅しに屈するの他なかった。禁煙パイポおよびそれに類する商品、よく知らないものまで銜え込んでいる。三、四箇月の禁煙経験ならいくらでもある、しかし今回は完全な禁煙である、それが理由で難渋している。むかし、種村さんが禁煙で苦しんでいらしたのを想い起こす。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月23日 08:41 | 固定ページリンク




アクセスログ  | 一考    

 最近のアクセスログに「減塩 割り下」とあったが、「あぶ玉」で書いたように、減塩製品は健常者向けの食品乃至補助食品である。塩分の替わりにカリウムを用いているので、あまり信用しない方が良い。それよりも醤油であれば、うんと薄めて用いるのが正解。

 「ESWL」とあったが、結石と腎不全が結びつくのは滅多にないことなので、ESWL(体外衝撃波結石破砕術)を気にする必要はない。わたしの場合は最初期にESWLの理解に関して誤解があった。それは「宝籤」で書いた「クレアチニンは1.0か1.5までなら治りはしないが、進行を停止させることは可能である。そのためには徹底した食事療法が必要だが。2.0を超えるとUターン禁止となり、腎臓は崩壊へ向けて一直線である」を参照していただきたい。Uターン禁止とは腎不全の不可逆性を意味する。なにがどうあろうとも、一度進行した腎不全がよくなることは起こりえない。例え1.5でも進行こそすれ、良くはならない。

 「尿素窒素の数値が上がるのとメチコパールを飲んでいるのと関係はあるのですか」との質問があったが、関係はまったくない。
 メチコバールは補酵素型のビタミンB12。ビタミンB12は細胞の発育や機能を正常に保つのに必要。とくに葉酸とともに血液をつくるのに欠かせない。不足すると貧血を起こしたり、末梢神経の働きが悪くなり、手足が痺れる。
 そのほか、味覚障害や臭覚障害、耳鳴り、難聴、眼疾患など各診療科で神経の働きを助けるために応用される。応用とはいえ、強い作用がないかわりに副作用の心配もない。

 「透析患者の医療費の返金はいくら」との質問。こちらは何度も書いているように、透析患者は一種一級の身障者手帳を持っている。従って、更生医療もしくは特定疾病療養受療証のどちらかを取得しているので全額返金される。立て替え額は収入が少なければ少ないほど更生医療の方が低くなる。

 「イチゴ 血糖値」との検索があった。カリウムは細胞内外のイオンバランスを調整することで浸透圧を一定に保つ非常に重要なミネラル。カリウムは、塩分の摂りすぎ、コーヒーや酒、甘い物などの嗜好品、ストレスなどで失いやすく、血糖値が気になる人にとっては 積極的に摂取したい栄養素。果物は総じてカリウムが高く、栗、バナナ、桃、柿などは特に多い。ただし、腎臓に障害がある場合はコントロールが必要。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月22日 00:25 | 固定ページリンク




ボルボー2  |   一考

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 今回の車はHIDヘッドやCFFLイカリングに限らず、アーシング、ホイールのインチアップ、プレミアムサウンドオーディオ本体、タイミングベルトも交換されている。従って、当方で換装すべきはブレーキローターとブレーキパッド、そしてエアクリーナーである。
 ボルボのタイミングベルトは国産車と違ってマニュアルによれば3万キロとなっている。わたしの車は一回目は3万キロ、二回目は5万9千キロ、で、わたしは11万キロまで交換するつもりはない。
 トルクアップで識られるダイレクトエアクリーナー「BMC CDA150」もしくは「GruppeM M'sスーパークリーナー カーボンダクト」が必要になる。後者はセンターコーン形状のカーボン製インテークダクト。熱気の遮断に関しては前者の方が効率的。
 簡単に済ませようとすれば「K&N純正交換エアクリーナー(33-2670)」もしくは「AFEエアクリーナー(30-10077)」との手もある。
 エアクリーナーで肝要なのは熱処理だと思っている。よって既存のクリーナーボックスは可能な限り触りたくない。とすれば最後の方法が安易だが、もっとも相応しいような気がする。
 ボルボの欠点はブレーキローターである。摩耗が激しく3万キロはもたない。ディーラーに云わせると、ローターは消耗品で頻繁に交換してほしい、また社外品はお薦めにあらず、と。社外品がお薦めでなければ何がお薦めなのか。車もパソコンや家電同様、中身はなにか分からない。アイシンのATはじめ、国産品が随分と使われているのだが。
 ブレーキはローターとバッドの性能が合わないと危険だが、街乗りだとバッドはレジン(ノンメタル)かセミメタルのどちらかだろう。

 ボルボ850 8B5252W フロントローター
 LUCAS製 フロントディスクローター(新品2枚セット)13230
 TRW(LUCAS)製 ブレーキローター フロント1台分 13860
 LUCAS製 フロントとリアディスクパット(新品前後4枚づつ)10400
 ATE製 輸入車用 フロントブレーキパッド(左右) 7219
 ATE製 輸入車用 リアブレーキパッド(左右) 4107
 ATE製 フロントブレーキローター(左右) 20339
 febi bilstein製ブレーキローター&バッド 13800(44520)
 import tuner(インポートチューナー)セミメタル製リアブレーキパッド 3150
 import tuner(インポートチューナー)セミメタル製フロントブレーキパッド 4200
 DIXCEL製 ディクセル VOLVO 850R 前後ローター1台分 30870 43990( バッド共)
 DIXCEL製 プレミアムタイプ ブレーキパッド 前後セット1台分 15120-16290
 DIXCEL ディクセル 超低ダスト ブレーキパッドMタイプ1台分 30290

 ちょっと調べただけでも以上のごとし。DIXCEL製がよさそうだが、こちらに詳しい御仁はいらっしゃらないだろうか。
 120キロで走っていてアクセルを踏み込む。ターボチャージャー特有のキーンという吸気音が聞こえて、車は前へ押し出される。ストレスなく260キロまで一気に駆け上がる。BMWのオートバイ同様、乗りやすい車である。


投稿者:   一考  日時: 2012年09月21日 10:14 | 固定ページリンク




ボルボ  |   一考

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 車の登録だが埼玉県は大宮、所沢、川越、熊谷、春日部に分かれ、三郷市は春日部ナンバーに属する。登録に出掛けるのは春日部自動車検査登録事務所。車庫証明は吉川警察。廃車は大宮ナンバーなので、さいたま市西区の本庁舎。他に、ETCのセットならびに登録、市役所福祉課への車の登録が必要。三郷の市役所以外、いずれもが遠い。一気にはできないので車検は十月中に処理するつもり。
 ボルボ850は傷ひとつない美車で、購入価格は5万円。二輪は高いが四輪は中古になると安い。この値ではスクーターすら買えない。他に同じ価格ででスバルB4の76000キロがあった。三菱のターボチャージャーなので好みでないが、スバルはもう二度と乗るまい。ちなみに、ターボチャージャーは国産では日立、三菱、石川島播磨(IHI)。海外ではボルグワーナー(旧KKK)やギャレット・システムズ(米国)が知られる。ちなみに、ボルボ850はKKK社のターボ。

≪ボルボ850≫
平成7年1月登録 ハイプレッシャーターボ・セダン
実走行80300キロ

≪車両装備≫
運転席記憶付きパワーシート
全席革シートヒーター
サンルーフ
フロントフォグライト
HIDヘッド・CFFLイカリング・LEDポジション&バックライト
左右独立式フルオートエアコン
本革巻きステアリング
ウッドパネル
セキュリティ付キーレス
ETC
モード切替付AT
T-5R用 17インチ アルミホイール 205/45/17

≪安全装備≫
オートクルーズ
トラクションコントロールシステム
ABS(アンチロックブレーキシステム)
SIPS(側面衝撃吸収システム)
Wエアバック

≪車両詳細≫
駆動方式 FF
車両形式 E-8B5234
トランスミッション 4AT
寸法・重量・その他全長×全幅×全高 4660×1760×1415mm
ホイールベース 2665mm
車両重量 1470kg
乗車定員 5名

エンジン種類 直列5気筒DOHC(ポルシェが開発に関与した960の直6から1シリンダー減らした設計)
エンジン形式 B5234
過給器 インタークーラー・ターボ
総排気量 2318cc
使用燃料 ハイオク
燃料タンク容量 73L
性能最高出力 225ps(−kw)/5280rpm
最大トルク 30.6kg・m(−N・m)/5280rpm
パワーウェイトレシオ 7kg/ps
燃料消費率(10/15モード走行) 8.2km/L(高速で10kmは走る)

最小回転半径 5.4m
ブレーキシステム(前) Vディスク式
ブレーキシステム(後) ディスク式
サスペンション(前) ストラット式
サスペンション(後) デルタ・リンク式(トレーリングリングトーションバー)

850、940、960シリーズが米国高速道路損害データ協会により「最も安全なクルマ」に選出される。850シリーズがイギリスとドイツで「世界で最も安全なクルマ」に選出される。(共に1995年)


投稿者:   一考  日時: 2012年09月20日 00:17 | 固定ページリンク




マイコプラズマ肺炎  | 一考    

 マイコプラズマ肺炎が流行っている。肺炎球菌による肺炎とは異なる種類の肺炎で、学童から始まり家庭内感染にて広まる。病原体分離例でみると七歳から八歳にピークが認められる。全体の約十五パーセントは薬剤耐性菌と云われてい、薬では癒らない可能性がある。特に免疫障害のある患者の体内で、耐性ウイルスが発生するリスクが高い。
 子どもに恨みがあるわけではないが、とにかく子どもには注意するように繰り返し云われている。しかし、子どもの自己免疫疾患は大人ほど多くはみられない。リウマチ熱、若年性関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、アレルギー性紫斑病ぐらいなものであろうか。このうち、腎臓に関係があるのは紫斑病だが、なにがわたしの覚束ない免疫に觝触するのだろうか。

 前回書いたサイトメガロウイルスについて調べたが、一箇月近い入院を何度も繰り返している患者が複数いらした。わたしのように400近くまで上がりながら、あっさりと陰性になるのは珍しいようである。もっか夥しい量のフロリードゲルを経口している。経口と云うより、フロリードゲルで舌と口蓋を擦っているに等しい。服用後、一時間は飲食が禁止される。それが毎日四回、都合四時間つづくのである。透析治療の代わりと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月19日 15:26 | 固定ページリンク




有線テレビ  | 一考    

 テレビで秋刀魚の高値が喧伝されているが、当地では去年と値は変わらず百円前後である。ことしは既に十回以上、秋刀魚を食している。先日は金目鯛、真鯵、鰹、秋刀魚の刺身と寿司をまとめて味わう機会にめぐまれた。

 テレビと云えば、有線テレビが三郷にも進出。 フレッツ光からやっと解放されるかと喜んだが、有線の値が高すぎる。ヒストリーチャンネルのみの視聴はかなわず、いまさらテレビのチャンネルを増やすつもりはない。インターネットと電話だけならフレッツ光の方が安い。大いなる矛盾である。独占企業であればこそ、さらなる企業努力が必要であろう。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月19日 05:44 | 固定ページリンク




ニャル子さんへ  | 一考    

 水元公園の金魚だが、生きて行くに最小限必要な餌しか貰っていない。金魚すくいの金魚の飼育法なのだが、もっとも病気に罹らない育て方でもある。
 通常、当歳魚は品評会の花とされる。従って、当歳と云っても五、六センチにまで育てる。限界まで大きく育てなければ品評会で盆に乗ることはない。要はミジンコをはじめとする餌を限界まで与えるのである。ところが、水元公園の金魚の体長は二、三センチしかない。体積にすれば十分の一以下である。
 良い悪いを云っているのでない、そのような育て方もあるのかとそれだけである。ただ、わたしには貧相な金魚が可哀相に思われる。金魚とくに蘭鋳は人の手を放れては存在それ自体が危うくなる。そのようなデカダンな存在であればこそ、当歳で花と咲くのである。その妖しげな花の表皮、絢爛たる皮膚の色調にひとは魅せられる。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月18日 02:42 | 固定ページリンク




国民の熱狂  | 一考    

 尖閣諸島の所有で中国と日本が揉めている。島は小さいが付随する領水は途轍もなく大きい。
 明日は柳条溝事件があった日である。戦前、日本軍を中国へ向かわせたのは大衆の熱狂だった。群集心理はわが国の御家芸であった。戦中戦後を通じて変わらない上から目線は日本人の民族的汚点である。そして81年を経て、日中の熱狂は逆転した。聞くところによると、一万隻の漁船が尖閣を目差すという。尖閣の消息は南沙と同一である。中国は常に本気であり、日本の尖閣国有化に対する実力行使は日本が尖閣を断念するまでつづく。戦後の日本人は損得尽で生きてきた。しかし、経済の問題など中国は一顧だにしない。中国人は理を優先させる、少なくとも、尖閣を法的に国有化したのは中国の方が先である。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月17日 14:57 | 固定ページリンク




更生医療  | 一考    

 自立支援医療(更生医療)が認められ、8月に遡って適用となった。もっか就労せず、貯金を取り崩して生活している。・・・市町村民税非課税世帯で障害者の収入が年収80万円(障害基礎年金2級相当額)以下の方・・・にわたしは属するらしく、月額2500円と認定された。
 国民健康保険特定疾病療養受療証の際は自己負担限度額の月額が10000円だった。従って、限度額が四分の一に下がった。
 透析治療はひとりにつき一箇月50万円近い金額が遣われている。その50万円に患者数の30万人を掛け合わせた金数が保険で負担されている。ところが、その透析に遣われる金額は癌患者の高額医療費の5パーセントにも満たないという。これは病院の事務員からの伝聞なので確とは分からないが。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月17日 01:33 | 固定ページリンク




帰宅  |   一考

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 羽前長崎でボルボ850を受け取り福島へと思うが、バッテリーが上がっている。エンジンはかけられるがイグニッションスイッチを切るわけに行かない。切れば切ったところで動かれなくなる。これでは福島はおろか、どこへも行かれない。暫し迷ったが結局三郷へ戻ることにした。ボルボの車検を取る、もしくはバッテリーを取替えればいつでも福島へ行ける。
 それやこれやで果敢無い旅に終わったようだが、思い切って出掛けたというだけで楽しかった。福島山形県境に点在する葡萄畑が記憶に残る。扇状地の中上部に位置し、かつ斜度が30度から45度くらいの斜面にぶどう棚が設けられている。日当たり、水はけ、風通しを考慮した結果であろうが、この辺りの葡萄の着色はどうなのであろうか。
 実は南会津大内宿の高遠蕎麦を食べに行こうと思っていた。高遠蕎麦は一風変わった食べ方で識られる。冷たい汁蕎麦なのだが、箸の代わりに添えられた長葱で食べる。つまり、葱で蕎麦をたぐり、蕎麦を食べつつ葱を囓るのである。会津に長野伊那高遠の蕎麦がある理由は、兵庫の出石同様領知替えである。
 ちなみに、大内は「おおち」と読み、歴史的仮名遣いでは「おほち」あるいは「あふち」と表記していたが、いつしか標準語風に「おおうち」と読むようになった。
 それにしても、帰りの高速道路は至るところが東北大震災の影響下にあって修復中である。福島の除染はほとんどが手付かずのまま、この先どうなることやら。

 ボルボはよく走る。国産のターボ車はドッカンパワーが売りだが、ボルボのそれは優しい。低い回転数からでも十分過給がかかるような小さなターボを使って最大トルク発生回転数を低く設定している。扱いやすい車でターボラグはまったく感じさせない。とは申せ、日常使用領域のドライバビリティは確実に向上されている。BMWと同じく、メーター通りの速度が出る。
 前の持ち主がヘッドライトをHIDへ換装、足回りはショックアブソーバーおよび純正ホイールを17インチに取換えている。インテークマニホールドもしくはマフラーをステンレス製に換えるだけでかなり個性的な走りになるだろう。


投稿者:   一考  日時: 2012年09月16日 15:49 | 固定ページリンク




原発ゼロ  | 一考    

 水平坑井掘削技術の発達に伴って、2020年までに北米の天然ガス生産量のおよそ半分はシェールガスになると云われている。そのシェールガスに加えるにカナダのオイルサンドの値がいずれ下がる。2030年にはガソリンの値は1リットル50円(わが国の値)を切るとされる。
 二酸化炭素は地中深く送り込まれ、省エネやエコといった概念は意味をなさなくなる。現今騒がれている電気料金も半額以下になる。だとすれば、2030年代に原発ゼロと云うのは合理的判断なのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月16日 09:44 | 固定ページリンク




旅行初日  | 一考    

 松戸から上野までの移動が大事なのは分かっていた。まず、松戸までのバスだが、男子学生が脚を拡げるだけ拡げて座っている。足下にサッカーボールと思しきものが置かれている。若い子ほどかかる虚勢を張りたがる。朝夕の上葛飾橋は渋滞で動かない。駅までの4キロに30分は掛かる。ここでまず疲れ果ててしまった。足腰の痛みが全身に拡がってゆくのが分かる。
 松戸から上野行きの電車に乗るも、時間が時間だけに通勤客で満員である。北千住、南千住と駅へつくたびに下車、待合室で身体を休める。日暮里でやっと車内が空く。拙宅と上野間の移動に3時間を要す。9時6分発の新幹線に滑り込みセーフである。ちなみに、松戸上野間の通常の所要時間は15分。
 無理を承知で出掛けたのはいずれ身体を馴らさないといけないからである。
 新幹線は新幹線で学生達と隣り合わせになった。彼等はのべつ幕なしに喋る、男性は女性に、女性は男性相手に自己表現に務める。その媚を売る様は一心不乱で、迷いというものをまったく持たない。まるでジャパネットたかたの社長のようだが、あちらは喋るのが商売、ちやほや褒めそやすのが学生の商いとは思わないが。
 ミニ新幹線に乗ったのははじめて、福島までは新幹線だが以降は料金も普通の特急料金であって、速度はうんと落ちる。福島を出ると県境の急勾配を走る、米沢、高畠、赤湯、かみのやま温泉、山形とつづき、電車は新庄まで走る。わたしは山形で左沢線へ乗り換える。左沢(アテラザワ)との呼称は最上川の「左方(アチラ)」または「あちらの沢」に由来する。一時間に一本あるかないかの電車に乗って羽前長崎が今回のわたしの行き先である。羽前長崎のふたつ先に桜桃で識られた寒河江がある。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月15日 10:28 | 固定ページリンク




身障者割引  | 一考    

 福島はどうなるか分からないので、山形を先に片付けることにする。先日戸田中央で検査を受け、マスク付きなら大丈夫とのお墨付きを頂戴する。病院から帰宅後寝入ってしまい、目覚めたのが五時半、周章てて松戸駅へ向かう。
 山形新幹線の切符購入で身障者手帳をはじめて使う。松戸へのバスは頻繁に用いるのだが、面倒なので身障者割引は使ったことがない。割引はETCのみ使っている。こちらは車(特定単数)に付くのであって、人に附属するのでない。公的機関以外の割引は民間のサービスであって役所は関与しない。従って理不尽が生じたところでやむを得ない。
 上野駅での乗り換えは距離があって30分から1時間は余裕をみたほうがよいなどと、緑の窓口の女性は至って親切だった。その女性の指摘で気付いたのだが、どうやらわたしは日付を間違えていたようである。五時半起床と書いたが、12日でなく11日の午後五時半だったようである。よくあることですと女性は12日の午前の切符に訂正してくださった。「よくあること」との気遣いを忝なく思いつつ、旅へ出掛けるに日付を間違うなど決して「よくあること」ではないだろう。認知症を患ったかのごとし。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月14日 22:34 | 固定ページリンク




ボルボ850  | 一考    

 ブラバス Cクラス CV8 (W203)5.8Lとボルボ850ハイプレッシャーT-5セダンの二種類の車が入手できることになった。現在乗っているインプレッサは26年2月まで車検があるもののそろそろ嫌になってきた。思い切って廃車にするとしよう。
 今日、戸田の行付けの林自動車へ出掛けた。ブラバスは最高機種のひとつで排気量が5800cc、わたしには大きすぎる。ボルボは2300cc、225馬力、最高速は260キロ、こちらは丁度よい。
 ブラバスはベンツにしては故障が多いので識られる。ボルボの欠点はブレーキローターであろうか、以前262Cを林自動車で整備、掲示板で書き込んだことがある。いずれにせよ、エンジンは国産車にまさる車はないと思うが、外車には外車のよさがある。
 850はディストリビュータが付いた最後の車だと思う、僅かだが点火時期をずらすことができる。かつて1G-GEUに乗っていたが、やはりディストリビュータが付いたトヨタの最後の車だった。
 ボルボにのみ乗っている友人がいる。本人は安全性を口にするが、おそらく革張りの内装に惹かれてのはなしだと思っている。ボルボもそうだが、ドイツ車は小石を撥ねても塗装に瘡がつくことはない。堅牢な内外装は国産車がかなわない点である。
 インプレッサに乗っていたからか、革張りのシートに座りたくなったようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月11日 01:44 | 固定ページリンク




旅行  | 一考    

 火曜日の検査次第だが、出歩けるようになったので水木の二日間福島の友を訪ねる。用事があって山形寒河江まで足を伸ばす予定。例え一泊であろうとも、旅行は五年ぶりだろうか。これも腎移植のおかげである。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月09日 19:48 | 固定ページリンク




疵痕  | 一考    

 血液検査ならびに胸部レントゲンの結果、サイトメガロは完全に消滅。黴ウィルスへの要注意はあと一箇月になった。移植した腎臓が落ちる可能性が高いのは最初の三箇月、三箇月経てば免疫抑制剤が身体に馴染んでくるそうな。
 タクロリムスが下がっているのでグラセプターカプセルを増量する。血液の検査項目は70、コレステロールの数値が異常だが、食事内容に大きな変更はない。透析時代から高脂血症には留意し、卵黄、鯣、畳鰯、ピータン、鮟鱇肝、筋子、うずら卵、豚レバー、海老、バターなどに多量のコレステロールが含まれているのは知っている。食事ではなく、免疫抑制剤が理由だと思う。

 手術の疵痕が随分ときれいに癒ってきた。医師の腕が良いのであろう。施術直後はどうなることかと思うほど大きな疵だったのだが、薄い線になってきた、愕くような恢復である。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月05日 14:01 | 固定ページリンク




恢復  | 一考    

 腋臭症と書くとなにやら病気のようだが、わきがのことである。わが国では時として疾患として扱われるが、腋臭は一種のフェロモンであり、楊貴妃を持ち出すまでもなく、相手を魅了する体臭形質のひとつである。
 わたしは長くわきがで制汗剤を用いてきた。ところが、クロアチニンが2.0ぐらいから新陳代謝が滞るようになり、いつしか体臭も消えてしまった。ここ4年ほどは汗をかかなくなったのである。
 腎移植後、ぼちぼち汗をかきはじめたが、先日病院で脱衣した折、久しぶりに腋臭を覚えた。新陳代謝と共に体臭が戻ってきたのである。体臭に止まらない。生に対する覇気も戻ってきたようである。
 今週は体調が良い、腹帯なしで出歩いている。どこで躓くか分からないが、ほぼ恢復と云えるのでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月01日 05:08 | 固定ページリンク




異常なし  | 一考    

 症状は風邪と思われ、手当が早かったのでPL配合剤が奏効したようである。微熱は月曜日に引き、白血球にも異常はなかった。結果、クロアチニンが1.38、タクロリムスも8.4から5.3へ下がった。
 血液検査は東葛時代と違って項目が64に増えた。患者に見せるのが目的でないので、項目は略記号ばかり。ウィルスや免疫抑制剤の残留濃度などだが、随分と煩雑になり分かりにくくなった。
 ウィルスはウィルスでも黴菌でなかったのでもっか日本酒を飲んでいる。術後はじめての酒である。そろそろ活動をはじめなければならないと云いきかせながらの酒である。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月01日 05:01 | 固定ページリンク




微熱発生  | 一考    

 少しでも悪化すれば即刻入院といわれながら、先の一週間を過ごした。前項で書いたようにサイトメガロはなんとかクリアしたようである。しかし22日の深夜から37度乃至37.3度の微熱が発生、PL配合顆粒を服用するもまったく効かない。黴菌が原因なので風邪薬が有効な筈もないのだが。
 医師からは微熱が出れば即刻入院と云われている。次回の外来は火曜日だが、どう考えても危うい。体温計と血圧計との睨めっこが三時間おきにつづく。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月25日 21:55 | 固定ページリンク




サイトメガロ  | 一考    

 サイトメガロウイルス感染症に罹っていたようである。数値が80から下がりつづけ、取敢えず一段落、本日から免疫抑制剤を再開。再入院は一時遠のいたが、これで安心というわけではない。他の薬の量が減り、カンジダ菌の経口剤の量が増えた。口腔に塗りたくるゼリー状の難儀な薬である。
 下痢が癒ったのでドライウェイトまで体重を増やすように医師から勧められる。食欲はあるのだが、それが必ずしも食べることには結びつかない、時が解決するのを待つしかない。

 病人はそうなのだが、生きるための手続きを持っている。腎不全の場合は透析治療がそれで、一日置きに五時間を必要とする。いまは薬を飲むのがそれに当たるが、そうした優先事項は病人である限り何時如何なるときも存在する。透析時間乃至服用時間になれば、すべてを擲って専心する。それが生きるための必要欠くべからざる手続きなのである。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月22日 09:32 | 固定ページリンク




 | 一考    

 食前に服用する薬があれば食後のそれもある。薬によって朝、昼、夜、就寝前と細かく分かれる。毎日の薬もあれば水曜と土曜に飲む薬もある。錠剤だけでなく、三種類の経口剤もある。ややこしいのでプラスティックの函に小分けして管理している。
 免疫抑制剤は朝晩それぞれ九時に服用する。こちらは時間厳守で飲み忘れは許されない。腎臓が落ちるからである。外来の日は必要とする薬を持参、診察のあいだに服用する。
 再入院の危機は何時までつづくのか訊ねる。三箇月だそうである。綱渡りがつづく、移植の難しさを知る。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月19日 19:44 | 固定ページリンク




インプレッサ  | 一考    

 車(インプレッサ)の屋根の塗装が剥げてきた。スバル社の塗装の粗末さは有名だが、他社なら塗装検査不合格車間違いなし。数度のワックス掛けで鉄板が表れ、タッチペンで補修するがどうにもならない。米車や獨逸車はファウンデーションよろしく白地なら白を塗り固め、その上から色を塗る。要するに何層にも塗られている。ところがわたしのインプレッサは緑色を鉄板の上へ直接塗っている。これでは剥離するのが当たり前。過去、トヨタ車に乗っていたが、塗装が剥げるとの経験はない。
 トヨタ車は二度とも18万キロである。オイル下がりでターボチャージャーのリビルトのやむなきに至り、廃車にした。
 わたしが乗るインプレッサは自然吸気の車なのでまったく走らない。その変わり長く乗るつもりだったが、さまざまな問題点が浮かび上がってきた。塗装を筆頭に、座席右側の内部ウレタンがよれよれになり、右腕を置く箇所の布がぼろぼろになってきた。共にトヨタ車では考えられない不手際である。ちなみに、インプレッサは現在14万キロ、すでに満身創痍、これではとても20万キロは乗られない。
 マークIIのE-JZX105は素晴らしい車だったと思う。1000馬力が可能な世界最強の直6エンジンだった。それと比してマイナーな車はやはり造りまでマイナーなのか。スバルは二度とお断りである。グランデFourを買いたいが、今年の二月にインプレッサの車検を取ったばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月19日 11:25 | 固定ページリンク




好転  | 一考    

 クレアチニンが1.7から1.38へ好転、腎臓の腫れも引いた。そしてなによりも先月の13日から続いていた下痢が収まった。微熱なく、血圧も安定。体調はすこぶる良い。
 このままあと3日間、セルセプトを中止する。免疫抑制との綱引きがつづく。本来なら入院するところを外来で処理している。よって頻繁に病院へ赴かねばならない。次回は21日の火曜日。いまのところ、表面上はうまくいっている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月18日 18:42 | 固定ページリンク




カンジダ症・続  | 一考    

 移植腎が落ち着くのに術後三箇月ほどかかる。すなわち、手術が成功したかどうか、新しい腎臓が生着するかどうかは三箇月経たないと分からない。そして生検を経て免疫抑制剤の量と種類がある程度決まる。
 東葛クリニックへ最終月の医療費の支払いへ。責任者が37度の微熱を気にしている。微熱は引き、その後異常なしと応える。カンジダ症は微熱にはじまる、もっとも怖い感染症ですと、わがことのように喜んでくださる。
 もっか三種の経口薬が効いているようだが、例によってどうなるか分からない。只管副作用に振り回されている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月17日 21:46 | 固定ページリンク




カンジダ症  | 一考    

 三種類の免疫抑制剤のうち、一種(セルセプト)をもっか中断しているが、この中断は五日間が限界だそうである。五日のあいだに下痢を治し黴を退治しようとのことらしい。推測なのは体内で繁殖しているであろう黴がカンジダ菌なのかどうか、わたしにはなにも分からない。
 ウィルスや黴は雲を掴むようなはなしで、医師から同意を求められても、生返事しかできない。ただ、下痢は速効で治ったようだが、こちらも推測で、セルセプトを再開すればどうなるか分からない。明日も戸田中央へ出掛ける。
 「カンジダ症の定義には口腔カンジダ症や性器カンジダ症のような表在性のものから全身性の致命的となり得るものまで含まれる。後期のカンジダ症はカンジダ敗血症と呼ばれるが、これは一般的に悪性腫瘍、移植、後天性免疫不全症候群(エイズ)の患者のような免疫抑制状態の患者に限定して認められる」と書かれている。はてさて。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月17日 12:54 | 固定ページリンク




コチニン検査  | 一考    

 ニコチンが代謝されたものをコチニンと云う、従ってニコチン検査ではなくコチニン検査が正しい。前項で書いた喫煙は腎臓関係の血液検査がもたらした結果であって、唾液もしくは尿によるコチニン検査をしたわけでない。
 禁煙後のコチニンはほぼ60日で限りなくゼロに近くなる。限りなくであって確実に反応しなくなるには一年はかかるとされる。
 わたしには一年の禁煙の経験はない。最長で四箇月、他に一箇月が四回である。腎臓が落ちるなら仕方がない、今回は腰を据えて禁煙に取り組む。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月15日 04:25 | 固定ページリンク




其のまたつづき  | 一考    

 セルセプターを一時中止、グラセプターの量をぎりぎりまで削る。イトリゾール内容液をフロリードゲル経口用(カンジダ菌の増殖を阻害する薬)へ変更、感染症のバリキサ錠の服用。以上でもって血液検査の結果待ち、再入院の是非は今週のの土曜日に委ねられた。
 ウィルスを処理しないことには抗体に取り掛かることは叶わないとのこと。わたしの発想は逆だった。
 腎機能の低下はウィルスもさることながら喫煙が最大の理由だそうで、絶対禁止と云われてしまった。今回僅かだが、またクロアチニンが上がっている。
 フロリードゲルは服用後一時間は一切の飲食(うがい、歯みがきを含む)を避けなければならない。しかも一日四回、四時間は活動停止を余儀なくさせる、難儀な薬である。
 可能であれば再入院はしたくないと、意思表示はした。それ故、内用薬との鬩ぎ合いがつづく、どうなることか。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月14日 20:50 | 固定ページリンク




前項つづき  | 一考    

 免疫抑制剤の副作用として、グラセプターの手脚の痺れ、震えがあり、セルセプターの下痢がある。他に夥しい副作用があるが、わたしの身体に顕著に顕れているのは以上のようである。メドロールはステロイド薬でムーンフェイスで知られるが、グラセプター同様、誘発感染症や感染症を惹き起こす。
 相変わらず下痢がひどく、体重は58キロを切った。考えるに、元々52乃至55キロくらいだったのだからそこまで減るに問題なし。年老いての肥満など、のんこのしゃあ以外のなにものでもあるまい。

 サントリーからフランス産の飲料水オランジーナが販売されている。オレンジピールのキャラクターが口に新しく、愛飲していたが、グレープフルーツが這入っていることに気付いた。わたしには不向きである。不向きどころか害をなす飲料である。良く調べなければ。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月13日 19:28 | 固定ページリンク




ブルーチーズは禁制品  | 一考    

 37度から37.5度の微熱から解放された。感染症でもっとも怖いのが微熱と子供だと聞かされている。免疫抑制剤によって身体の抵抗力がまったくない。例えワクチンを打っていても、感冒から肺炎などに罹れば手の施しようがない。
 泌尿器科は三階にあるが、同じビルの一階に小児科がある。従って、マスクは外さないように五月蝿くいわれている。憤っている子供、はしゃいでいる子供、さまざまだが、あまり多人数の場合は三階の渡り廊下を利用し、小児科を避けるようにしている。
 免疫力低下時に感染症に罹らないように、最大限の注意を払っている。血液検査の結果、なんらかのウィルスが活躍しているようだが、心当たりはなにもない。微熱が引いたように、大したウィルスでないと冀求する。抗体は手に負えないが、ウィルスの方は気を引き締めて対処したい。

 セルセプトカプセル、グラセプターカプセル、メドロール錠の三種が免疫抑制剤、他に一般薬としてパリエット錠、アテレック錠、ラシックス錠、セレコックス錠、ミヤBM錠、バクタ配合錠、内容液としてイトリゾール内容液、アルロイドG内容液、量は区区だが以上を服用している。このうち、バクタ配合錠が細菌を殺し感染を治療する薬であり、ミヤBM錠はわたしの註文で追加した整腸剤である。
 イトリゾール内容液は口腔ならびに食道の黴(カンジダ菌)を殺す薬だが、黴菌に関しては健常者なら問題にならないが、移植患者の場合はブルーチーズは全面禁止。ブルーチーズに止まらない、国産の一部のプレーンチーズを別に、舶来の黴入りチーズは悉く禁止品となる。ちなみに、青黴に近い麹黴は味噌や甘酒、ワインの醸造にも使われている。
 易感染宿主(コンプロマイズドホスト)になると、俗に云う日和見感染を発症する。薬剤耐性を獲得している病原体もあり、いったん発病した場合にその治療に有効な薬剤が限定されることから、医学上の大きな問題になっている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月13日 00:55 | 固定ページリンク




総選挙  | 一考    

 次回総選挙は既成政党対新党の争いになるが、民、自、公の大連立に勝てる新党は現在のところなさそうである。民、自のどちらが主導権を握るかはともかく、これからの四年間、野田首相か野田副首相がつづきそうである。
 消費税、原発、TPP問題などいずれを取っても首相の目線に国民は存在しない。これほどポピュリズムと縁のない首相はわが国では珍しい。決断する政治家としてなら立派であるに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月12日 10:37 | 固定ページリンク




習慣  | 一考    

 柑橘系の一部を除いてジュースが飲まれるようになったのが嬉しい。烏龍茶、焙じ茶、麦茶、紅茶しか飲まれなかったのが一挙に花開いた感じ。季節が季節だけに小気味好い。
 取敢えず、珈琲、牛乳、生茶、オレンジジュース、柘榴ジュース、サイダー、コーラを買ってくる。選り取り見取りの飲み放題である。わたしにとって大きな自由である。夢と自由は異なる。夢は心の迷い、夢は醒めるが、自由は自在、自由(ほしきまま)なり。透析治療中、このようなことが楽しまれるとは思ってもみなかった。

 痛みがなせるわざか、しばしば透析治療へゆく夢をみる。腎臓が落ちそうになり、急遽透析へ駈けつけるのである。祈るような思いで街中を走り抜ける、やっと辿り着き、穿刺を受けるところで目が醒める。わたしの身体は透析を必要としなくなったのに、習慣はかような悪夢を繰り返す。否、悪夢ではない、どこかしら慕わしい甘酸っぱい心持ちすらする。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月12日 01:02 | 固定ページリンク




再入院2  | 一考    

 再入院を覚悟してほしいと医師から宣告されたが、ウィルスか抗体かということになれば、当然ウィルスは後回しになる。抗体を押さえ込み、感染症対策は入院で処理するのだろう。主なワクチンは打っているので重篤なものにはならないと勝手に決め込んでいるのだが。
 わたしにできることと云えば、定められた曜日、定められた時刻(一日三回)に指示された量の薬を忘れずに飲む、それだけである。忘れると腎臓が落ちるのは理解している。それだけは避けねばならない。
 それにしても、一度退院して自由を味わった身としては再入院は辛い。しかも、感染症とくれば風邪引きから隔離される疾病まで千差万別である。かつ白血球が機能しないので、拗らせる可能性が高い。また入院がどのくらいの期間になるかはまったく分からない。拗れぐあいによるのかもしれない。
 東葛クリニックで感染症患者が出たことがあったが、トイレの清掃や消毒など大層な騒ぎになった。ちょうど、大腸のポリープ手術で下剤を飲んでいたわたしはトイレが使えず酷い目にあった。風呂と衣服の洗濯は処理してもらったが、手術着で震えながら、再度下剤を服用することになった。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月10日 07:22 | 固定ページリンク




吸血鬼  | 一考    

 退院の前日、絨毯爆撃のごとき血液検査があった。夕5時にはじまったのだが、初回が10本、6時が7本、7時から深夜の3時まで、一時間毎に3本の計41本である。検査入院の際にも同じ経験をしている。
 血を抜く穿刺だから針は細く、痛みはない。しかし、3回目からは肘の内側(ないそく)が内出血で遣えなくなり、あとは右腕のいたるところへ穿刺、明け方には9箇所の痣ができていた。
 これには面白いはなしがあって、わたしは担当の看護師を吸血鬼と名付けた。一時間置きにやってくるのだが、「来た、吸血鬼」と戯けてみせる。看護師もよくしたもので、九時の消灯後は懐中電灯を持ってそれらしき趣で「刺すぞ」とくる。
 この検査で退院後の免疫抑制剤の種類と量が決まる。もっとも、前項のトラブルが理由で、免疫抑制剤の量は目まぐるしく変わっている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月10日 00:39 | 固定ページリンク




再入院  | 一考    

 ウィルスと抗体の双方が暴れているそうな。共に、わたしの体内にあったものだが、暴れ出すとの予測はなかったようだ。免疫抑制剤によって抗体が効かなくなり、ウィルスが飛び跳ねている。一方、ウィルスを殺そうとすれば、免疫抑制剤を減らさなければならない。そうすれば、腎臓が落ちる。
 免疫抑制剤による副作用はすでに出ていて、手の震え、微熱、腎臓の腫れ、腎機能の低下などなどである。次回は14日の火曜日だが多量の血液検査を東京女子医大で行う。
 15日以降、禍禍しい日を選んで再入院となりそうである。ちなみに、件の抗体は輸血の際に体内へ取り込まれたものらしい。
 医師は「まずいなあ」を繰り返していたが、一人暮らしは駄目、完全看護の必要ありとのことだった。暫しの自由だったが、満足している。この先どうなるか、不安は感じていない。どうせなるようにしかならない。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月09日 19:04 | 固定ページリンク




60キロを切る  | 一考    

 今日は調子が良く思われたので、幕の内でもと思って買いに出掛ける。15分ほどで冷や汗に見舞われる。目眩いがひどく立っていられない。便意も尿意もなし、帰宅後に計ったが血圧も異常なし。悪しき体調の理由を知りたい。
 店員には申し訳ないが、レジでしゃがみ込んで動かれなくなった。荷物を車まで運んでいただき、車中で休息。暑さのせいだろうか、30分ほど冷房に当たっていると動悸呼吸ともに落ち着く。

 透析中の栄養制限もさることながら、それ以上に気を遣っていたのが量の制限である。例えば麺麭食なら食パンに換算して4枚切りを一枚、レタス一枚、いもサラダ20グラムだった。体重を静止させるのが、最大の懸案だったからである。それが今では倍ちかく食している。にもかかわらず、体重は一向に増えない。こちらも理由が分からなくて困っている。
 水分の摂取量は最低でも5乃至7倍、米飯は130グラムから150グラムへと増やしている。二食だったのを今では三食ちゃんと頂戴している。体重は静止しつつあるものの60キロを切ってしまった。もっとも痩せるのが老人性のそれなら構わないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月09日 04:12 | 固定ページリンク




現行トリプルウッド  | 一考    

 オロロソやパロ・コルタドはワインが染みた木樽やクルミ、ナッツを思わせる華やかな香りを持つ本来辛口のシェリー。ペドロヒメネスはずんと甘口、元々デザートワインの原料です。樽がペドロヒメネスに変更されれば、確実に味は変わります。シェリー香が五月蝿くならなければ良いのですが。在庫処分が始まっているなら安価な内に2、3本買っておいた方がよさそうですね。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月09日 04:11 | 固定ページリンク




現行トリプルウッド終売、そしてモデルチェンジ  | ですぺら2代目    

現行のラフロイグ・トリプルウッド(オロロソ・シェリー樽を使用)は終売とのことで、特に1,000mlボトルは在庫処分が始まっています。私も先月に田中屋さんで購入し店に補充しました。なおトリプルウッドはフィニッシュに使用する樽をペドロヒメネス・シェリー樽に変更して再発売する予定だそうです。


投稿者: ですぺら2代目      日時: 2012年08月08日 23:13 | 固定ページリンク




個人の勝手  | 一考    

 先週の木曜日から、一日24錠と薬は劇的に減った。来週の木曜日からはさらに6錠減る。薬が減るのはありがたいが、免疫抑制剤は死ぬ日まで飲まなければ腎臓が落ちる。
 何度も書いているように、生理機能(糞尿)が元に戻れば勝手に出歩けるようになる。わたしが戻ってほしいと願っているのはその糞尿に代表される自由である。
 透析治療も免疫抑制剤も共にわたしにさしたる抵抗はなかった。わたしは常に運命をありのまま受け容れる。そして自由と思しきものを探す。医師は無理だと云ったが、わたしは透析後のサイクリングを楽しむようになった。透析治療や免疫抑制剤が理由で自死に向かうなど、わたしには考えられない。いかなる治療であれ、副作用であれ、わたしを潰すことはない。
 もちろん、個体差があるので他人のことについてはなにも申すまい。否定も肯定もしない。死にたい人は死に、生きたい人は生きる。ただそれだけのこと。
 どのような目に合おうと、どのように追い込まれようが、なにがしの自由はある。その自由が個体差によってまるで違ってくる。違いはすれ、どのような瑣細なことでも自由に化ける。ちょっとした気持のありようによって、自由はさまざまに形を変える。人にとってもっとも大切なこと、それは答えの多様さをあるがままに受け容れることである。なにが正しくてなにが正しくないか、正邪や好悪にこだわるとは、取りも直さず思考の停止であり放棄である。

追記
 サッカーに勝ったと澁谷で騒いでいる若者たちが今日の平和を築いている。掬すべき情景はかかる凡俗にこそある。知識人にとっては腹立たしいだけだろうが、わたしは「個人の勝手でしょ」を大事にしたい。良きにつけ悪しきにつけ、多様性を支えるほぼ唯一の真理だとわたしは思っている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月08日 12:30 | 固定ページリンク




トリプルウッド  | 長谷川    

たしか発売当時に購いましたが、700mlより1000mlの方が熟成まろやかとは存じませんでした。
バルヴィニー、グレンキース、ブレイヴァルほか多くの美酒を教わった者として、私も完治祝いに取り置くことといたします。

激痛のなかで想い起こされる白土三平~新薄雪物語、大変に失礼ながら記憶の不思議に思いをいたす次第です。


投稿者: 長谷川      日時: 2012年08月08日 00:07 | 固定ページリンク




陰腹  | 一考    

 今回の入院でもっとも情けなかったのは14日の朝7時、手術後12時間目に立って体重を計ることだった。体重だけなら透析治療に使う体重計付きのベッドとか方法はいくらでもある。従って体重を計るのが目的ではない。立たせるのが目的である。腹筋が断絶したあと、12時間目に身体を立たせろとの無謀な仰せである。わたしはその12時間のあいだ、どう対処すれば立てるのか、そのことだけを考えていた。
 ベッドの上で身体を起こすだけでも激痛が走る。看護師に確認するも、みなさんが受ける最初の試練だと云う。昔、忍者武芸帳に陰腹というのがあった。人知れず切腹し、内臓が吹き出さないようにサラシで腹を固く巻いて闘うのである。
 わたしは12時間をかけて身体を起こす訓練からはじめた。わたしにも意地がある。やれと云われて出来ませんでは先祖に申し訳が立たぬ。高田藩城代家老の末裔である。
 陰腹は人形浄瑠璃や歌舞伎の世界に於ける演技だが、死を賭しての暴挙である。しかしここは病院、まさか立ち上がるくらいで死ぬわけもあるまい、とべそをかきながら云いきかせる。
 時間到来、男性の看護師が腕を輪っかのようにして仁王立ちになり、その中で立てという。覚悟を決めて立ち上がる。立ち上がろうとするも、腹に力が這入らないので崩れ落ちそうになる。身体が震えています、体重計が静止するまで我慢してください。なんとか我慢できたようである。
 済んでから、よくやりましたね、できないひとの方が多い、仮にできたにしても、朝から頑張って夕刻になるひとがほとんど、と聞かされた。
 どうしてあのような無茶が必要なのか、わたしには分からない。しかし、無茶であればこそ医学的には必要なのであろう。医師に尋ねても納得のいく応えは返ってこない。しかし、済んだことに腹は立てたくない。その手術から24日を経たいまごろ、痛みませんかと医師は訊く。痛いに決まっているだろう。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月07日 10:23 | 固定ページリンク




体内のカオス  | 一考    

 絹地の服を着た見るからに裕福そうな老人が男女ふたりずつのお供を連れて泌尿器科にいた。不安そうな顔と安心させようと務める回りのひとの華やかな装い。どのような関係か、どのような状況かは詳細を聞かなくても分かる。
 糖尿でクレアチニンが上がり、シャントの施術準備に病院へとの雰囲気。理由は異なるがわたしが北里研究所附属病院へ入院したときと同じ消息と見た。本人は透析を嫌がっているが、シャントの準備ということは透析の不可避を意味する。お供はあくまで予定であってクレアチニンが下がり、透析には至らない可能性もあると口説いている。ありえない気休めである。
 畜肉類ばかり食してきた天罰とわたしはおもうのだが、そのようなことは云われない。お供は説明を医師、看護師から受けているようだが、本人はクレアチニンが下がる可能性にしがみついている。
 老いてからの透析の大変さは理解できる。いかに裕福であろうと透析はひとりで受けなければならない。代理人は立てられない。個であることと向き合い、個であることを身につまされる。大体がこのような場へ高級自家用車に乗り共連れで来ること自体、彼のこれまでの生き方を雄弁に物語っている。自らの意志や権力が通じない世界、それが自らの身体でないだろうか。智力や意識が意味をなさなくなるカオスが体内に巣食っている。そのような当たり前のことは二十歳ぐらいで弁えておけと云いたい。

 現状では取り付く島もないが、体内に蠢くカオスと精神とのあいだで繰り返される弁証にこそ思想があるやもしれず。口先だけの思想なんぞ御笑い種である。

追記
 繰り返すが、自らの表層としての智のなかには結果として権威、権力志向しか存在しない。その智から遠く意識下に位置し、意識の深層部に水準器を下ろさねばならない思考とでは構造ならびに働きがまったく異なる。たまには智を脱ぎ捨てて考えてみることこそ必要でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月06日 01:07 | 固定ページリンク




長谷川さんへ  | 一考    

 忘れていましたが、ラフロイグの免税売店専用品のトリプル・ウッドも美味い。48度で1000ml、最初はバーボン樽、次いでクォーターカスク、最後にオロロソ・シェリー樽セカンドフィルでフィニッシュ。税込み5670円の逸品です。ウイックの扱いがもっとも安価で、サントリーの扱いはなし。ぜひお飲みあれ。
 750もしくは700mlより1000mlの方が熟成はまろやか。わたしは完治祝いに一本取り置いています。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月05日 22:05 | 固定ページリンク




食材  | 一考    

 昨日は花火大会、近隣だと松戸である。元気だと観にゆくのだが、痛みがひどくてどうにもならない。恒例の寿司すら買いに行かれない。こんな日は不貞腐れるに如くはない。
 このところ、献立で混乱している。いまは買う対象を事前に撰んでから手早く買い物をする。以前は出掛けてから安価なものを探していたが、その余裕はなくなった。何時おかしくなるか予想がつかないからである。もっとも、腎臓が新しくなったことで食する対象が拡がったことも混乱に拍車をかけているが。

 膀胱と括約筋の生理構造がうまく機能していない。共に身体の出口にあたる重要部位である。生理に纏るところゆえ、回復は早いだろうと思うが、手術の傷口の痛みがそれを阻んでいる。既に手術から24日が経つ。交通事故をはじめ、幾度となく、さまざまな手術をかつて経験しているが、痛みで泣いたのははじめてである。実に情けなく思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月05日 11:54 | 固定ページリンク




握り寿司  | 一考    

 近所のスーパーの399円の握り寿司が旨いと書いた。この399円は全8貫なのだが、その中には一貫の真鯛もしくは目鯛の握りが這入っている。この白身が常に活かっている。ここからが問題なのだが、午前中であればその真鯛または目鯛をのみ握ってくれる。代金は8貫で600円ほどである。
 寿司を腹一杯喰うような下司はいないだろうが、わたしなら12貫は頂戴できる。他にも魚を買いさえすれば握ってくれるのが同魚屋の利点である。
 体重減少を防ぐために一日一食、わたしはこのシステムを利用することにした。少々高くつくが、どうやらこれで65キロのドライウェイトを維持できそうである。ちなみに現在61.4キロ。
 ドライウェイトの維持に最も必要なのが水分の補給。腎臓が試運転中なので、なおのこと慎重になる。1日2リットルを基準にしているが、汗を1リットルかけば水分は3リットル、1.5リットルなら3.5リットルの摂取が必要になる。外出した折は体重計、血圧計と睨めっこである。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月05日 11:53 | 固定ページリンク




腎臓  | 一考    

 自転車に乗られないものかと跨がってみる。10メートルほど走って諦めた。激痛に堪えられない。当然、それなりの辛抱はするつもりだった。しかし辛抱は辛抱であって、それが拷問であっては困る。

 傷口を詳述すると、事前に彼女の左側の腎臓を摘出するのだが、上端は大動脈から分枝した前腎動脈で切断、下端は腎静脈と輸尿管の最下部で切断。これを裏返してわたしの下腹部へ取り付ける。取り付けると云っても、腎動脈をわたしの腎動脈と縫いつけ、あとはぶら下げるだけである。要するに固定しようがないのである。血液は腎静脈を経て下大静脈に到る。
 下端の輸尿管はわたしの膀胱左側へ縫いつけられる。かつてのわたしの腎臓は左右とも上端は腎動脈で、下端は膀胱で切断され、あとは放置される。
 手術は以上だが、腎臓はその言葉通り、非常に重要な臓器の一つで、血液からの老廃物や余分な水分の濾過及び排出(尿)、体液の恒常性の維持を主な役割とする。
 重さは約150gで、縦約12cm、幅約6cm、厚さ約3cm。健康な人ならば、移植などで片方を失っても機能上問題はないとされる。
 生涯、免疫抑制剤で抗体を押さえるわけだが、抗体は問題になっても血液型はほとんど問題にならない。ちなみに、わたしの場合、抗体はことごとく合わなかったが、どうあっても拒否すると云った種類の抗体がわたしの中になかったのである。もしかような抗体があった場合、移植は中止される。それは腎臓に止まらない。

追記
 手術のついでにわたしの腎臓の結石の成分を調べるため、生検をたのんだところ、手術が二重になると断わられた。その場合は既存の腎臓の摘出になるらしい。それよりなにより、今更成分を調べたところでなんの役に立つと云われてしまった。どうやら、新しい腎臓がよしんば腎結石になるとして、それまでにわたしの寿命が尽きるようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月04日 13:36 | 固定ページリンク




いやはや  | 長谷川    

術後の大変なさなか、過日は酔言にて失礼いたしました。鼠蹊部切開との件はまさに想像を絶します。

タリスカーのダブルマチュアードはわが冬季の定番、お店ではいただいたことがなかっただけに嬉しく思います。
佐々木幹郎さんのモルト随筆は「嗜み」連載の単行本化なのでしょうか、今から楽しみでなりません。

敬愛する一考さんとのスランジバーを希いつつ、心よりご恢復をお祈り申し上げます。


投稿者: 長谷川      日時: 2012年08月04日 00:27 | 固定ページリンク




差し込み  | 一考    

 昨日は病院でなにごとも起きず、今日は八潮へ麺麭を買いに出掛けた。そして突然の差し込みに襲われた。かなりの痛みでしばらく動かれなかった。急遽帰宅し、着ていた服をすべて洗濯、風呂を浴びる。しばし放心の体だった。
 整腸剤にビフィズス菌を加えて毎食後服用している結果がこれだとどうしようかと迷う。免疫抑制剤は三箇月ほど経てば落ち着き、量も減るという。まさかそれまでの期間紙おむつの世話にならねばならないのか。
 いまは風呂に這入られるので後処理はずんと遣りやすくなった。とは云え、わたしにとっての紙おむつは尿管と同じで著しい人格障害をもたらす。もっとも、障害者に人格もへったくれもあったものでないが。一箇月も経てば、そのような時期もあったと嗤って暮らしている、となればよろしいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月03日 23:26 | 固定ページリンク




幹郎さんの著書  | 一考    

 佐々木幹郎さんから電話あり。次回の著書「シングルモルト(仮題)」の相談である。八月の二十日ぐらいには動かれるようになると伝える。同書は真当な日本語で書かれた最初の随想集になる。モルト・ウィスキーに関する著書は数多くあるが、なによりも表現がよろしくない。先行する著書の焼き直しばかりで、オリジナリティーに欠ける。個性に欠けるとはリアリティーに欠けると云うことである。
 彼のウィスキーとの距離の取り方には独得の呼吸法がある。例えば、わたしはボウモアをもっとも苦手とするが、そのボウモアが彼にかかると美味くおもえてくるから不思議である。詩人による奇想に充ちた、なによりもわたし自身がもっとも必要とする書物である。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月03日 11:09 | 固定ページリンク




西瓜と迷信  | 一考    

 カリウムの高い食品として西瓜、メロン、赤茄子、甘蕉などがある。当然すべて禁止製品である。西瓜には利尿効果があって腎臓に良いなどといわれるが、真っ赤な嘘である。他に一部の病院の腎臓食として用いられているヨーグルトは牛乳以上にリンが高い。これなども迷信に属する。
 基本的に香辛料は大丈夫と云われるが、ペッパー系はともかく、豆板醤や甜麺醤は原材料が蚕豆と大豆なので、よろしくない。特に豆板醤には問題が多い。香辛料の大量摂取にも問題があって、なんでもと云うわけにはいかない。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月03日 11:08 | 固定ページリンク




とりとめなく  | 一考    

 このところ、とんでもないものを食べている。朝飯にホットドッグと牛乳、昼飯に80グラムのミニステーキと30グラムのイモサラダ。ちなみにこれらはすべて禁制品だったが、リンの規制がなくなったので食している。体重が61.5キロまで下がったので、見境なく食べることにした。もっとも、肉は基本的に好きでないので、食は進まない。
 ちなみに、牛乳やホットドッグのウインナは一本食べれば60日間は高リン血症になる、すこぶる具合の悪い食べ物だった。結着剤(リン酸ナトリウム、カリウムなどのリン酸塩)の含有量が多く、とんでもないものと書いた理由である。それでなくとも、牛乳は血液検査の結果と睨めっこでの試飲である。

 退院に際し、栄養士と話し合ったが、かなりいい加減である。腎臓食にヨーグルトはないでしょうとの質問に、毎日ではありませんから。一週間はリンが抜けませんよと応えると、病院側が決めているので、これでは答えにならない。なんのための栄養士かと問い質したくなる。こちらの知識に振り回されてぃたが、いままで逢った栄養士のなかでは若いだけあってよく勉強している。
 移植後も制約を受けるのは塩分、プリン体、尿酸値に関する項目だけだが、カリウムは塩分と密接な関わりを持つので、お構いなしと云うわけにはいかない。
 リンと蛋白も補完関係にあるが、こちらは気を遣わなくてよい。わたしが一番悩まされたのがリンなので、そちらから解放されるのは嬉しい。魚卵を除く魚の摂取が自由になる。退院してからはほぼ毎日魚か寿司を食べている。近隣のスーパーに寿司売り場があって399円と799円の握り寿司盛りあわせが滅法旨い。
 新しい腎臓を頂戴したので、カロリー制限はなくなった。好きに食べれば良いのにと思うのだが、身体がそれを欲しない。免疫が落ちているから生魚はよろしくないと聞かされていたが、栄養士が云うには活きがよければ問題なし、とか。どのような形であれ、寿司が許可されれば、寿司しか食うまいに。
 長年の食事制限が食そのものを細くしたのか、自由化されたからと云って食欲はまったく増進しない。まるで十代の頃の食欲に戻ったようである。そのようなときは間食に励めばよい。せめてドライウェイトは保持しなければ。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月03日 04:23 | 固定ページリンク




長谷川さんへ  | 一考    

 このところ腹の立つことが多く、理屈っぽいことを書いております。
 担当医師がウィスキー好きらしく、タリスカーのダブルマチュアードをお送りしようかと思っています。
 ダブルマチュアードならタリスカーですが、アイラではラフロイグに止めをさします。クオーターカスク、10年オリジナル・カスク、18年共に美味いですね。
 腎臓が新しくなったので、痛みさえ引けば以前のようにウィスキーが飲まれるようになります。鼠蹊部を左右20センチ切りました。おちんちんの上部4センチほどのところです。謂わば腹筋が断絶したわけで、現状では腹を支えることができないのです。傷口を見ていると切なくなってきます。早い完治を願うのみ。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月02日 22:07 | 固定ページリンク




腎臓の機能2  | 一考    

 クレアチニンが1.64にまで下がったのは結構だが、カリウムが跳ね上がっている。わたしの献立は下手な栄養士のそれより自信がある。基本中の基本であるカリウムが摂取過剰になるなどあり得ない。医師に責任はそちらでしょうと詰め寄る。免疫抑制剤のグラセプターカプセルが犯人である。1ミリグラムを7C摂っていたのを4Cに減らす。
 医師は大丈夫ですかと繰り返す。あなたは黙して頑張りそうだから困る、云ってくれないと。疵痕は痛いですよ。しかしそれ以外は食事の用意で身体を使っているので徐々に元気になりつつあると思います。非常のときは必ず連絡してください。
 
 今日は紙おむつでしっかりガードしていったが使わず仕舞い、整腸剤を一週間分追加してもらったが、次週までに下痢が治れば紙おむつから解放される。そうなると嬉しいのだが。
 体重は60キロを切らなければ問題なしだが、あと1.5キロしか余裕がない。ここにきて食欲が問題になるとは。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月02日 18:55 | 固定ページリンク




腎臓の機能  | 一考    

 新しい腎臓が機能している。クレアチニンは14.04が2.01、尿酸は7.4が6.9になった。腎臓の筋肉の男女差があるので、クレアチニンは2.0が精一杯。
 疵はまだまだ痛むが、機能回復によって生活にはさまざまな変化がでてきた。まず、今回の移植まではクーラーを一度も使ったことがなかった。それが今では汗にまみれている。一日、400.乃至500の水分は2000乃至3000にまで跳ね上がっている。
 全身の痒みが嘘のように消えた。それら痒みの疵痕が急速に消えつつある。
 もっとも変わったのは味覚だろうか。今まで感じなかった種類の香味を覚える。まったく使わなかった塩味だろうか。ちょっと斬新な味わいである。しかし、例え腎臓が新しくなっても、塩分は徹底的に排除しなければならない。それを守らなければ、新しい腎臓が腎不全に罹る。
 尿酸値は低いのだが、掌の痛風に悩まされている。念のためにユリノームを処方してもらっている。どうやらこれも免疫抑制剤の悪戯らしい。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月02日 17:43 | 固定ページリンク




一考さま  | ニャル子@暑くて触手でそう!    

ひとまずは手術の成功と退院、なによりでした。
では、菊が蕾になりますころに、以前にお聞きした金魚の子供たちを見に伺いたく思います。
まだまだご体調に波があるかと存じますが、順調に回復なされますよう願っております。


投稿者: ニャル子@暑くて触手でそう!      日時: 2012年08月02日 01:01 | 固定ページリンク




一考さん  | 長谷川    

ここ数ヶ月間、折にふれ一考さんの笑顔を想起しつつ生きておりました。
記事から察するに予断を許さないようですが、どうかお大事になさってください。

改めながら、続けてアップされた一連の文章に感じ入っております。
「世の中に人の来るこそうるさけれ」という状況かとは思いますが、お許しがあればぜひお目にかかりたく。

果たして「永遠には歴史がない」のか、「歴史には永遠がない」のか。
所詮は言葉あそびと仰るかも知れませぬが、酒の肴にそんなことを考えております。

「ビックリするくらい甘い(うまい)」と仰っていたラフロイグ18YOを舐めつつ。


投稿者: 長谷川      日時: 2012年08月02日 00:37 | 固定ページリンク




外出  | 一考    

 腹帯と紙おむつ、ユニクロの喇叭ズボンとの正装で今日戸田中央へ。朝八時から夕六時まで、退院以来初の外来である。尿検査、血液検査の結果を得て、一週間分の免疫抑制剤を頂戴する予定。
 医師はじめ、みなさんが術後患者は急速に太るという。なんでも無闇と食欲が増進するそうな。わたしは痛みがひどくて食欲どころでない。もっか自然に任せているが、どうなるのだろうか。イトリゾール内用液、アルロイドG内用液の他、整腸剤のミヤBM錠も服用しているのだが、下痢は収まらない。三種の免疫抑制剤の副作用が強烈に過ぎるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月02日 00:08 | 固定ページリンク




卓球  | 一考    

 オリンピックに興味はないが、卓球にだけは関心がある。それは山本六三が自前のラケットを持っていたからである。グリップ部にコルクを使用した日本式ペンホルダーだったと記憶する。わたしは自前のキューをもっていたことがあるが、どうにもならない安物だった。
 山本六三はなにをするのも、どこへ行くのもわたしと一緒だったが、卓球だけは見せなかった。理由は彼のダンディズムにある。きっと上手くなかったのであろう。卓球は動体視力と反射能力、高い瞬発力や持久力が必要であり、技術面、フィジカル面ともに総合的な実力が要求されるスポーツであり、そのような能力が六三さんにあったとは信じられない。
 彼はなにごとによらず、スタイルから這入るひとで、彼が好んだ机龍之介、眠狂四郎は共に、そうしたスタイリストの典型だった。机龍之助は、小説「大菩薩峠」に登場する元甲源一刀流の剣士、音無しの構えで知られる。日本の時代小説におけるニヒリスト剣士の系譜の事実上の元祖。眠狂四郎は円月殺法で知られる剣士で、同ニヒリスト剣士の系譜と柴錬の作風を貫くダンディズムが融合する。
 思うにニヒリズムを標榜する剣士がふたりともスタイリストだったというのも妙なはなしだが、その辺りがわが邦の時代小説の限界だったのかもしれない。ニヒリズムに対する理解などどこにもなく、安易な商売用小道具として利用されたにすぎない。
 さて、福原愛さんは自らのスタイルにこだわりを持ってきた選手で、そのスタイルが通用しないと泣き出して駄々を捏ねる。片や、石川佳純さんは自らのスタイルを持たない。スタイルがないがゆえに中国の選手とも互角に闘える。バックハンドやサーブのトスの高さを変えるなど、変幻自在の戦い方が可能である。彼女が勝とうが負けようがどちらでも良い。見処は机龍之助の概念を書き換える選手の到来にある。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 19:10 | 固定ページリンク




カラオケ  | 一考    

 宇野邦一さんとカラオケへ何度か行く。彼のお得意は井上陽水で、歌唱力はたいしたものである。それは良いのだが、好きな唄に共通項がほとんどない。学生時代歌いに行くとの癖はなかったのかしらと質問され困惑。素天堂さんとなら趣味は類似しているのだがと思う。年齢差は僅かであっても歌う唄は大きく異なる。またわたしには学生時代なる経験がまったくない。
 それにしても、子供の頃は近所のゲイバーで歌ってばかりいた。二葉あき子「夜のプラットホーム」、奈良光枝「赤い靴のタンゴ」、服部富子「思ひ出のユーモレスク」、山口淑子「暗い部屋」、灰田勝彦「恋はバラの花か」、松島詩子「追憶」、淡谷のり子「夜のタンゴ」など当時の愛唱唄は枚挙のいとまがない。昭和二十年代の唄ならほとんど歌えるのでないだろうか。おそらくわたしの特技の一つに違いない。

 昨今のゲームセンターは老人で一杯である。同じくカラオケバー(ボックスではない)も老人で濫れている。一曲百円で男女を問わず、寂しさを紛らしに老人が集まってくる。おそらくこれからの商売はシングルモルトでなくカラオケである。もうかりはしないが、死ぬまでの暇つぶしにはなる。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 09:24 | 固定ページリンク




透析クリニック  | 一考    

 二年通った東葛クリニック松戸(通称根本)へ挨拶に出掛ける。この途を二度と走ることもあるまいと思うと込み上げるものあり。3・11で多くの患者が関西へ去り、多くの患者が東北からやって来た。毎日(取上げたのは毎日新聞のみ)によると透析患者の死者は80を超えたとか。
 計画停電によって蒸留器と血液ポンプが使えず、頻繁に予定が変更された。関係者は不眠で頑張った。阪神大震災の折に看護師が神戸へ出掛けたように、3・11では医師、看護師が東北へ走った。そして、根本でも急な変更が原因で犠牲者が出た。
 3・11で東京都下では取り立てての被害はなかった。しかし、透析病院の患者は常に命懸けである。わずか一時間前に透析開始時間が変更され、透析時間そのものが短縮される。
 わずかな搖れで都民は周章てていたが、その搖れがわれわれにとっては命取りになる。福島第一原発の暴走によって四キロ四方の病院は避難を命じられたが、寝たきりの重篤な患者を移動させるための交通機関の用意は最後までなかった。通常の乗り合いバスに乗せられて死に至った患者は70名(こちらも毎日の発表による)に及ぶ。
 透析クリニック、この非常または非情の場について、いずれわたしは著さなければならない。なぜなら、同室の患者はわたしにとって戦友以外のなにものでもなかった。

追記
 企業が潰れようが、会社が倒産しようが再建すれば済むこと。しかしながら、死んだ友は帰らない。政府と東電によってなされた計画停電をわたしは殺人と同義語として捉えている。


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 09:23 | 固定ページリンク




ユニクロ  | 一考    

 ジーパンを履いて入院した、よってジーパンでは退院できない。パンツがきつく、履くことがかなわないのである。そこで女房にユニクロへ買い物に。ゆったりした喇叭風のパンタロンを調達。すこぶる扶かっている。
 ところでユニクロの社員の九割が外国人、楽天の社員の八割が外国人。そういう製造業も増えてきた。企業の公用語は当然英語にすべきである。南アジアの亡国で暴動が起きたと聞く。日本企業でそのようなことはあるまいが、レイシズムはよろしくない。人種差別主義とファシズムは極力排すべし。(7月23日)


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 04:09 | 固定ページリンク




潤い  | 一考    

 「頑張る」「絆」「癒す」について書いた。そして過日、こまどり姉妹が出演するテレビを見た。彼女は癒しとの言葉を慎重に避ける。彼女は言葉の潤い、唄の潤い、人生の潤いなどとうるおいを多様する。潤い、濡い、沢い、澤いとも書き、趣、情趣、情味に富んだ言葉だが、自己中心性が少しく抑えられている。ひとつの識見と解釈したい。(7月12日)


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 04:08 | 固定ページリンク




乾杯  | 一考    

 乾杯が嫌である。ですぺらで大きなワイングラスがいくら割られたことだろうか。わたしは物品を大切にしない人、要はは乾杯を好むひとはきらいである。ひとりで三つ割った方が五名いらっしゃる。普段は上品な風を装う方に劃ってである。

 わたしは団体で飲食するのを苦手とする。鍋奉行のような方がおられ、なんのようもないのに、すべての唐揚げに檸檬を搾る。檸檬に限らず、醤油、辛子、ソース、マヨネーズ、ドレッシングいずれも同様である。地域色もある。例えば豚まん(関東では肉まんだろうが)は関西では味噌に決まっているが、辛子、醤油、ソースなど好みでよいと思っている。
 料理が出てき、のっけにこれにはなにをかけるのですかと訊ねるひとがいる。味見をしてから決めればよいのに、貧しい味覚である。個々の食し方、個々の味付けを尊重すればよいのにと思う。ちなみに、わたしは基本的に添えられた以外の調味料を用いない。(7月12日)


投稿者: 一考      日時: 2012年08月01日 04:07 | 固定ページリンク




小便と体重  | 一考    

 術後、点滴によって4000乃至5000の水分が体内へ放り込まれた。膀胱のおおきさは250ほどなので、一度の尿量は150から200。逆算すれば日々、30回はトイレへ行っている計算になる。
 体重も不規則になり、一時は70キロに達していた。術前に体重は72、3キロほどに増えて落ち着くと聞かされていたが、いままでのドライウウェイトの管理状態から推して、65キロまでに押さえたかった。押さえたかったが、薬物の影響がもたらす下痢の問題もあって無理な管理は当分の間、諦めることにした。
 帰宅後、重湯から米飯に切り換え、水分は一昨日から2000に統一した。体重は徐々に減り始め、現在62キロで落ち着いている。摂るだけ摂ったうえでの増減なので、現下の体重に満足している。痛みが続いているので、まだ分からないが、このまま徐々に減量できればと思っている。

追記
 何度も書いているが、動くのに一箇月は必要。括約筋の一部を縫ったため、緩んだままである。尿意をもよおしてから出るまでの時間差がほとんどない。従って、行く先によっては紙おむつが必須。そのような状態なので見舞いは遠慮申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月31日 21:23 | 固定ページリンク




友と約す  | 一考    

 櫻井さんから掲示板を読んだとの電話あり、酒はと問われて、実は飲みたかった日本酒を買ったと話す。酒に止まらない。身体が痛くて動かれないので、公子さんに無洗米をはじめ、一箇月分の食料、茶、煙草など日常品を買ってきて貰った。動かれなくても生活できるようにとの塩梅である。
 脚の衰弱がひどいが、可能な限り身体を動かしている。わたしのことだから、一箇月もすれば出歩けるようになる。もっとも、それとは別に週一度の血液検査と免疫抑制剤の調達に戸田中央へゆかなければならないが。
 酒は新潟の高野酒造、病人には打ってつけの軽口である。一箇月後には酒でも酌み交わそうと約する。お互い、常民同士の約束事、守られようが守られまいが、世はこともなし。友とはかくあるべし。

追記
 突然だが、ひどく苦しくて、七転八倒で目が醒める。身体が背負い込んだダメージはかなり大きいようである。云うまでもないが、櫻井さんに虐められたのではない。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月31日 15:53 | 固定ページリンク




概念  | 一考    

 主観的、客観的とは主人にとってもしくは客人にとって著しく主観的ということであって、意味するところは変わらない。
 例えば、日本語で蜥蜴と守宮は異なるが、英語では同じ。蝶と蛾は英日では異なるが、佛蘭西ではよほどの昆虫学者でないかぎり同じ。虹は何色かとの質問では日仏なら七色、英独なら六色、トルコなら、と別れる。要は言語体系もしくは日頃の慣習によって微妙に異なってくる。
 日本語はというよりも、日本文化は川単位で括られ、縦方向のそれが縦横に組み合さっていた。それが何時しか水平方向へ置き直され、特に維新以降は富国強兵のもと、道路、鉄道とひたすら頑健かつ均一に引き延ばされてゆく。
 歴史的仮名遣いとは「仮名の正しい使い方。同じ音を表す仮名が二つ以上ある場合に、どちらの仮名を用いて国語を書くのが正しいかを定める定め方」なのだろうが、戦後制定された正漢字同様、この「正しい」との概念にわたしは胡散臭さを覚える。正しいとされるものがどうして単数に劃られるのか。上方の板木屋の数だけ字母があったわけで、正しいか正しくないかと云えば、そのいずれもが正しい。わたしが旧字旧仮名との名称をよく用いる理由である。
 信奉者は正しいものを決めておかなければ安心できないのだろうが、それを権威主義と云わずしてなんとする。琉球語もまたわが国最大級の川言葉であり、日本の母国語の一だった。それが帝国臣民に相応しくないと云う理由で圧殺されて七十年になる。
 この消息は政治と似ている。戦後、われわれは議会制民主主義を目差している。されば政権の数と種類を増やすべきであって、自民党野田派、小沢新党、新党きづな、新党大地・真民主、社民党、みどりの風なんでも結構である。試みるべきでないのは、一方的な批判であって否定である。いくら政治家がよろしくないからと云って批判や否定を繰り返せば、遠からずヒトラーを生み出すことになる。
 先頃、文学者からオピニオンリーダーへと華麗なる転身を遂げた似而非文化人がいる。自称思想家らしいが、彼などは自らがヒトラーに相応しいと信じているに違いない。(7月21日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月31日 00:47 | 固定ページリンク




詩論と思しき・・・  | 一考    

 いつぞや、詩論と思しきものを書いた。全く理解されなかったが、ことさら理解を求めてのものでない。無用のものを書いたとすら思っている。
 バタイユの詩論の一部を換骨奪胎した。その意味は戦後の日本で詩論とおもわれるようなものが見付からなかったからである。ひとはものごとを勘案するに弁証法との武器しか持たぬ。弁証法と云おうが、対局主義といおうが、なんでもよろしいが、古代希臘より花田清輝を経て林達夫へ至るまでひとは弁証法のなかでのたうち回る。その弁証法の不純さを痛烈に罵倒したのがバタイユであり、名を引くのは恐縮なのだが橋本真理や宇野邦一でなかったか。
 思想とは試行錯誤であり、試行そのものであってその対局に不条理がある。論理的あれかこれかが停止する場が不条理であって、不条理は固着されたところのものである。謂わば状況論としてしか咀嚼できない。
 分かり易く云えば、徴用礼状や召集令状がそれであって、近くは3・11の原発崩壊である。個人的なはなしだが、わたしの父は高田出身なので、五度満州へ召集されている。その度に昇進し、最後は曹長で終えている。戦後直江津の海岸で父がひとこと、わたしの青春は満州だった、戦後の日本に生きるべき国土はなかった、と。
 わたしの母は生活で苦労はしたが、自分を見失うひとでなかった。糖尿で認知症を患ったが、生活べったりの為合せなひとで父のような喪失者ではなかった。母が死んだとき、父に女がいたかどうか訊かれた。野崎さんといってわたしは十五年ほどお付き合いし、うち十年は共に為事をこなした。母とは異なる親近感を持っていた。
 颱風一過の直江津、さかしらな同情をきっぱりと否定する父の後ろ姿にわたしは深く涙した。これが不合理なのだと。ひとは不合理を前に遁走するしか手立てを持たない。従って、不合理を弄ぶひとをわたしは憎む。弄ぶ対象が詩であれば詩をもわたしは躊躇なく否定する。
 「詩人の為事は世界の不条理を情念の不条理に、言葉の不条理に置き換えて提示する。不条理とは世界の属性でも人間の属性でもなく、人間に与えられた条件の根源的な曖昧さに由来する世界と人間との関係そのものであって、変更不可能なものである。言い換えれば、人間存在の置かれた状態を示す言葉ではなくて、世界に対する態度を示す言葉である」かつて以上のごとく著した。意見はなにひとつ変わらない。詩について二度と書くまいと思っている。(7月20日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月31日 00:46 | 固定ページリンク




生検  | 一考    

 折角閉じられた腎臓からの生体検査である。術後、六時間は動かれなくなる。身体を幅広のテープで縛り、重石をつけるそうな。免疫抑制剤は飲み続けるため、食事も摂らないといけないらしい。糞尿の処理ができなくなるのが困る。というのも、一生飲み続ける免疫抑制剤との格闘が既にはじまっている。とにかく量が多いのと、下痢に困惑させられているからである。一日の入院だが、生検は今後も定期的に続くようである。
 看護師から痛いと十二分の脅しをかけられていたので、全身で構えていた。麻酔の注射が透析の穿刺と同じ番線の注射針なので、ひどく痛いと聞く。ところが、透析の最後の方は痛みを記憶するためユーパッチをわたしは用いていない。これも記念とばかり、痛み止めは遣わなかった。従って、唸るような痛みを感ぜずに済んだ。
 透析をはじめたころの全身の硬直はどこへいったのだろうか。慣れとは怖ろしいものである。それやこれやで、わたしにとって生検は痛みを伴うものでなかった。ただ、六時間の身体の固定は大層な苦痛で、放置プレーに等しいものだった。
 
 人工呼吸器から胃瘻、認知症然り、他にも動かれない病は多い。糞便の処理を扶けてくれるのは家族だけである。いかに看護師といえど、お座なりになる。というか、看護師の為事はお下の世話ではない。外国だとお下の世話はあり得ない。独身の病人は糞尿にまみれて死んでゆくしかない。食事の世話同様、いずれ病院から端折られてゆく行為である。近い将来、家族を持たない人間は入院すらできなくなる。下の世話と食事の面倒が病院医療から削られるとき、わが国の医療崩壊がはじまる。
 それにしても、最短コースでの退院となった。わたしの二週間前に移植手術を受けた患者はいまなお入院中である。医師、看護師に感謝。(7月26日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月30日 18:44 | 固定ページリンク




ストリップ  | 一考    

 今回の生体間腎移植に関して、自分自身がなにを考えているのか、なにを考えようとしているのか。またはなにをしようとしているのか、このまま寿命を全うすればよいではないか。透析治療から腎移植へ移る必要があるのかどうか。健康な他人の身体を犠牲にするような価値がわたしにはなにもない。おそらく、何人にもなにもない。にもかかわらず、腎移植などという治療法がどうして存在するのか。
 思いは千箇に乱れた。実にわたしは泣き出していたのである。わたしのすることなすことが、ことごとく本意から外れてゆく。というよりも本意なるものが奈辺にあったのやら。わたしは生に執着しているのか。わたしは長生を望んでいるのだろうか。自らのあさましさに愕き入る。

 それにしても、よく泣いた。鮭が旨いといっては泣き、体内から突き出た管が抜かれたといっては泣き、亡き父を思っては泣いた。またドナーが受けたであろう痛みを思っては泣いた。自らの脆弱な精神、身体もさることながら、破綻した弁証法の在り方にすら涙した。観念世界に照応するところのうつつが群れをなし、至るところで負け戦が繰り返された。

 六十五歳を過ぎて、はじめて家族との概念と逢着し、培ってきたニヒリズムと相対するしかなかった地点でわたしの全面敗北は分かっていた。生きるとはこのようなことなのか。

 思考が停止すると、ひとは弁証を繰り返すしかない。弁証は徹底して自己中心である。そこにとんでもない不純が派生する。しかし、いかに不純であろうともそれしか手立てがないのである。もうひとりの自分を求めて、わたしは病院のカウンセラー宮元沙織さんを積極的に利用することにした。神経が昂ったまま、押さえる努力すら投げ打って、纏まりのないはなし、論理性のないはなし、なんでもよろしいから話しかけることにした。彼女が河合隼雄さんをご存じだったのは救われる思いだった。(7月24日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月30日 08:10 | 固定ページリンク




執刀医との晤語  | 一考    

 執刀医は瀬戸口さんだったが、山崎医師とおなじく、存分に個性的な方だった。自ら移植手術を執刀するがゆえ、移植には賛成である。しかしながら、それが夫婦間の問題ならどうだろうか。例えば女房が腎不全に罹り、わたしがドナーになる、このケースは問題なし。次ぎにわたしが腎不全に罹り、女房がドナーになる、このケースなら断わる。あと三十年ほど経ってIPS細胞が実用化されるまで、この微妙な問題は生じ続ける。
 わたしに最初移植を勧めたのは隆さんである。隆さんはわたしの肉親であるがゆえ、遺伝子上の問題が生じる可能性が残る。わたしは移植をお断り申し上げた。そのころからである。東葛クリニックでの話し合いがはじまった。ベースにしたのはこの二年間の血液検査一覧である。移植手術は術後数年で透析治療へ戻る方が多い。特に糖尿病の場合、術後の栄養指導、食事療法が有効に効かないからである。糖尿病をどうのこうのは云わないが、糖尿病患者であればこそ、事後の食事療法とそれを全うするにたるだけの調理技術の取得の双方が患者に求められる。そうでなければ折角のドナーから提供された腎臓を無駄にすることになる。
 さて、東葛クリニックである。わたしはこの二年間、リンを除いてそれ以外の食事療法をほぼ実直に守ってきた。三年間、わたしは外食をしていない、すべてを自炊で賄い、徹底した塩分の除去を計った。二年間守られた食事療法ならこれからも守られる、これが結論だった。わたしは改めて公子さんに移植の相談を持ちかけた。なにごとにも完璧はあり得ない。移植腎にしても、一年よりも二年、二年よりも三年、長生きさせるのがレシピアント最大の務めである。

 今回、戸田中央で十六年前に最初の移植手術を受けた女性、一年前に移植手術を受けた男性、来週移植手術を受ける男性、さまざまなひとと話し合った。その結果、わたしのなかに大きな疑問が湧いた。失明を含む合併症、慢性腎不全、それらは最終症歴の一部であって、因果関係は糖尿病にある。まず、糖尿病と闘い、例え根治せぬまでも、十二分に鳥瞰するだけの識見を持たねばならない。

 当掲示板に結論はない。結論を導くのが目的でないからである。当掲示板はわたしの試行錯誤の場、一方に明解な解答をもって知的と振る舞うひとたちがいる。ひとの知とはそれほどに浅薄なものとは思われない。解答を得た途端、指先から毀れおちる無数の疵や迷いがある。多くの事例には多くの種類の答えがあって、それら答えのなかでひとは必ずや引き裂かれる。そのようなときでないだろうか。なにかしら遠くにたち上る翳みのようなものを目にするのは。「白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉を千箇に染むらむ」(7月22日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月30日 05:57 | 固定ページリンク




重湯と粥  | 一考    

 今日から車椅子をやめ、歩いてエコー検査へ出掛ける。痛いが、歩いた方が恢復がすこしでも早いからである。退院は28日、あと一週間ほどである。大きな出血はなんとか止まっているが、小さな出血は続いている。そもそも、血尿は素人に判断できない。
 重湯から普通の飯に変更されたが、再度粥にかえていただくことにした。重湯と粥の違いになれば一家言あるが、面倒は云うまい。飯が喉に支えて食べづらくなったという、ただそれだけのこと。
 連日の血液検査、その結果、大量の免疫抑制剤を飲んでいる。少ない日で二十錠、多いと四十錠にもなる。この免疫抑制剤に関する豊かな知識が女子医の専売である。
 公子さんに云わせると、ベッドの回転を上げるため、入院はぎりぎりの日付だそうな。今日も同室三人が退院、即行で次の入院患者が這入ってきた。
 公子さんの入院費は当然わたしの支払いだが、聞くところによると118万円ほどらしい。併せて300万円にはなりそうである。来週からわたしの保険は国民健康保険から厚生保険に切り替えられる。
 公子さんのために、神戸大学医学部附属病院への紹介状を書いて頂く。申請書、許可証、紹介状の類いは通常は一万円から一万五千円、ところが戸田中央は千円である。三郷や戸田のの役所でも安いと愕いている。(7月20日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月30日 05:52 | 固定ページリンク




忝なく思う  | 一考    

 今日、公子さんが一足早く退院した。病院では黙っていたが、彼女の身体もまた大きな痛手を負っている。拙宅で一週間ほど泊まって帰ると云っていたが、それが良いと思った。
 ICUを出しな、医師の判断で公子さんがわたしのもとを訪れている。手を指し出して涙含んでいたが、わたしは黙って手を握り返したのみ。動揺をきたすと双方が激痛に見舞われるのが分かっていたからである。
 あらかじめ想像したとおり、彼女は埼京線の赤羽根駅で顛倒したようである。女子高校生に援けられたようだが、あとは松戸駅まで六人の駅員が車椅子のリレーを繋ぎ、送り届けてくださったと聞き及んだ。ひとの優しさに感謝す。

 先だって、拙宅のすぐ根際で高年の主婦が熱中症で倒れた。またたく間に五、六人の住人が駆けつけ、てきぱきと指示を下していた。新興地だが人情には滅法厚い。触れあう先々で嬉しいことが起きる。(7月19日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月30日 05:51 | 固定ページリンク




移植手術  | 一考    

 12日の夜から禁じられていた食事が16日から再開(いつも思うが病院の重湯は不味い)。朝昼夕共に一口しか食われず。水分は1リットルのみ、生食点滴を3リットル。17日は重湯二口、量にして十分の一。水分は2・75リットル。生食点滴を2リットル。18日朝はじめて重湯を完食。これで軌道に乗れそうな気がする。
 開けても暮れても呑め、喰え、動けと叱責されるが、個体差があって思うに任せず。移植手術で六十五歳は高齢、三十万人の透析患者のうち、年間に約千五百人が腎移植を受ける。大半は六十歳台の親からの腎移植、従ってレシピアントの平均年齢は三十歳代が主であとは四十歳代。わたしの年でダメージが大きいのは考慮すると医師。例え考慮されても痛みは消えず、出血は続いている。
 十三日に移植した腎臓のレントゲン検査は毎日だが、十七日からエコー検査とCTスキャンが追加。エコー検査は夜空に咲き乱れる赤と青のネオン管のよう。遠ざかるのが青、近づくのが赤、腎臓内の血管がさんざめき、活躍する様が窺える。技師も年齢の割に順調である、と太鼓判。腎臓の隅々にまで血液が経巡っているそうな。
 何時ものことだが、全身麻酔には愕かされる。手術台へ上がって十秒か二十秒で気を失う。六、七時間の手術を終えても麻酔は一向に醒めず、序でに声を喪った。酸素が92を超えられず、酸欠が続く。従ってパイプを鼻の穴から肺のなかへ挿入。そのことと慢性鼻炎とが相乗し鼻も口もからからに乾燥し、うんともすんとも返事を発せられなくなってしまった。医師から凄い衝撃と素見されるも為す術なし。でもこれで鼻炎は癒るかもしれない。
 戸田中央にはICU十床(うち三床が個室)、CCU六床が設けられている。コンクリート剥きだしの器械やモニターに囲まれた部屋で、わたしが放り込まれた個室はまだしも、大部屋は病棟とは言い難い殺風景な冷たさに充ちていた。声を喪ったこととあまりの痛さにICUの思いは最悪である。その悪夢に小樽の爽やかな海風を持ち込んだのが東行啓子さん。もっとも彼女は北海道産というだけで興味があるのは札幌、積丹半島に興味がありそうには見えなかった。じつは彼女に生れてはじめて尿管に繋がった下腹部を洗っていただいた。わたしにとっては衝撃だった。
 お名前は存じ上げないが、三年ほどのサラリーマン生活を経て看護師の世界へ飛び込んでこられた方がいた。仕事に執心する看護オタクのような方で、十分置きに身体を触りに来るのでいささか閉口した。動もすれば彼の為事の邪魔をしたかもしれず、お詫びしておこう。(7月18日)

追記
 たった今、首筋と腕の三本の点滴ラインと尿管が抜き取られた。出血はあるが膀胱に蓄尿能力が遺されているので、溲瓶の利用を命じられた。これで人間を取り戻せる、嬉しくて声をあげて泣き出す。(7月19日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 19:55 | 固定ページリンク




病院細々  | 一考    

 中三日を開けたため除水が2900になった。わたしにとっては最大値の透析である。よって一時間の延長、九時半から十四時半の五時間になった。なにもかもがはじめてなので、看護師は随分と気を遣ってくださった。なんとか無事に済んだが、時間除水量共に最高記録だった。
 「体重と血圧」で書いたように、血圧を下げるために体重を減らしている。しかしながら透析室で120だった血圧が病室では170。減食がなんらの効果もあげていない。

 夕食が煮魚ばかりになった。美味というわけではないが、不味くもない。以前の病院よりは結構。どのような魚であろうが、きれいに骨は抜き取られている。ベトナム産の鰺や白身魚のフライで知ったのだが、なんで骨を抜くのだろうか。面倒なことをする。

 昨夜から珈琲を飲みだした。禁制品なのだが、移植がちかいので、もう大丈夫だろうと勝手に思っている。この三年間で四杯の珈琲を飲んだ、丘の上ホテル、北里病院、川久保病院、戸田中央である。今日のは明治のキリマンジャロ、パック入り250グラム、110円。とにかく飲まないのでこのようなものでも旨く感じられる。(7月11日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 19:45 | 固定ページリンク




発症と寿命  | 一考    

 かねてより、血圧が狂うので柑橘類は法度である。特にグレープフルーツ、八朔、朱欒、スウィーティはよろしくない。今回は免疫抑制剤の血中濃度が変動(高くなる)するので控えなければならない。腎不全の患者にフルーツはどのみち禁止なので同じこと。

 透析治療の歴史については前回入院したときに何度か書いた。移植については腎不全に罹ったときに書いたきりである。死体からの移植ならともかく、生体間移植はどこか後ろめたい。ドナーにとっては健康な身体に疵を負わされるだけであって、プラスはなにもない。立場が逆だったらとそればかりを考える。
 団鬼六が腎不全で亡くなったが、身内やファンで腎臓提供を申し出るひとはいなかったのかしら。彼は三日に一回昏倒するようになってから透析治療に這入ったと聞く。透析患者はみなそうなのだが、辛抱に辛抱を重ね、これ以上ないというところまで我慢する。巷間で噂される透析治療に慴れを抱くのである。わたしも毎週昏睡状態に陥るようになってからシャントを造った。
 透析治療は発症からあとの寿命が約半分になると思えば間違いない。若くして発症すれば余命は長いし、老いて発症すれば短い。二十歳で発症すれば三十年は生きるだろうが、五十歳で発症すれば六十歳まで生きるのが難しい。前述の半分が長いか短いかはひとによって異なる。そして不可逆な疾ゆえ、捨て置けば二週間ほどで死ぬ。透析患者にとって一番の気掛かりは、あと何年生きられるかだと思う。透析患者とその寿命を引用して以来、当掲示板の検索項目ナンバー1である。(7月10日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 19:44 | 固定ページリンク




糞尿譚  | 一考    

 かつて、二十一単位の輸血で入院したおり、下腹部の締まりがなくなり、糞尿の垂れ流しを経験させられた。入院に伴う最大の苦痛は手術の痛みもさることながら、やはり糞尿の問題である。今回も紙おむつを利用したが、じゅくじゅくの下腹部は気持が悪い。下腹を左右に20センチ切ったのだが、せめて切開箇所はきれいにしなくてはならない。
 黄色いタオルと白いタオルが三枚、アッチチの状態で身体を拭くために午前中に配られる。拭かれないときは手伝いますから、と看護師は云うが、じゅくじゅく状態の清掃などとてもたのめたものでない。一部は乾燥して腰のあたりにこびり付いている。
 糞尿にまみれればまみれるほど人格が崩れてゆく。せめて髭ぐらいは剃ってと思うのだが、ますます偽善家ぶることになる。
 和式であれ洋式であれ、小便をするときにわたしはしゃがむ。これは昔からの癖である。立って用を足せば回りへ小便が飛び散ることになる。その場合、誰が掃除をするとおもっているのだろうか。かかる男子の傲慢さをわたしは許すことができない。ひとはみな平等であってしかるべき。そう思いつつ生きてきたわたしのこれも老いのなせるありさまか。

追記
 拙宅の寝具は臭わない。病院の蒲団のあれは加齢臭なのだろうか、それとも。

追記2
 自宅のトイレに磔獄門にされてしまった。まったく動かれない。整腸剤は服用しているのだが。免疫抑制剤がいかに強力かを思い知る。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 14:23 | 固定ページリンク




社会復帰  | 一考    

 術後、三箇月は旅行も社会復帰もできないようである。序でに寿司や刺身などの生魚、生野菜も三箇月間は嗜まれないそうだ。移植手術が失敗する理由はこの三箇月に感染症を惹き起こすことにある。長い三箇月になりそうである。
 北海道行きを楽しみにしていたが、どうやら来年になりそうである。なぜなら十月の頭に大雪は冠雪する。阿寒などのキャンプ場では明け方は二度、三度にまで下がる。北海道の夏はあまりに短い。(7月9日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 09:28 | 固定ページリンク




よすが  | 一考    

 語感はひとそれぞれ、わたしにとって「頑張る」はほぼ置換不能、いささか白むが「絆」も許せる。許せないのは「癒す」と若干ニュアンスは異なるが「褒美」、最悪なのが「懐かしい」。
 癒しの食品とか癒しの動植物、癒しの空間等々、実に多彩に用いられる。「湯治場で傷を癒す」ならまだしも、飢えや心の悩みなどを解消された日には堪ったものでない。「自分へのご褒美」は女性専用かと思っていたが、近頃は男性も用いるようである。それにしても気持ち悪い語法である。平気で遣うひとの神経を疑う。
 懐かしび、懐かしぶ、懐かしむ、懐かしみ、これらは情動と同じく、気分や雰囲気をもたらす言葉であって、深い意味があるわけでない。これほど無意味かつ非論理的な言葉はなかろう。

 かかる言葉を繁く用いるのは政治家、芸能人、芸人と決まっている。わたしがもっとも忌嫌う、媚や諂いを生業とする人々である。テレビを見ていると歌手や芸人が連れ出って東北を巡っている。その巡る方も、巡られる側も異口同音に「癒し」「癒された」と宣う。自己中心性、具体性、情緒性が顕著、まるで国をあげての退行現象である。(7月9日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 09:27 | 固定ページリンク




リリック再び  | 一考    

 昔、神戸の新開地に三角公園という小さなバスターミナルがあった。ロマン座と称する映画館があって、鞄を持った女、太陽がいっぱい、狂っちゃいねえぜ、いとこ同士、ヘッドライトなどの古いフランス映画ヤ西部劇を三本立てで上映していた。往時、新開地にはエデン、歌舞伎、リリック、他にも歌舞伎の向かえに一休というアーモンドをおまけに付けた喫茶店などもあった。
 リリックについて書くに季村敏夫さんに事前に問い合わせをすべきだったと反省している。「新開地の洋酒スタンド。昭和三十四(一九五九)年七月十二日、伊勢田史郎の第二詩集『幻影とともに』の出版記念会を開く。君本昌久らが雑誌『蜘蛛』を創刊するまで、ここで何度も打ち合わせをする」と季村さんは書いておられる。
 そのリリックの田中さんと福永を結びつけたのはわたしの軽率さ以外のなにものでもなく、娘さんには慎に申し訳のないことを致しました。深くお詫び申し上げます。

追記
 ニャル子とはいずこの娘かと思いきや。一月に及ぶ入院のため、造作をお掛けいたしました。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 05:48 | 固定ページリンク




体重と血圧  | 一考    

 体重と血圧は比例する。太れば血圧は増し、瘠せれば血圧は下がる。今回、血圧を160から120にまで降ろすように云われた。体重に換算すると4乃至5キロほどである。二回の透析で1.4キロ下げたが、手術まで透析はあと二回、頑張っても1.6キロ、併せて3キロしか落とせない。で、血圧の結果だが、思わしくない。一箇月あれば十全に落とせるのだが、これ以上続けると脱水状態になる。
 体重と血圧は比例すると書いたが、水分の摂取量すなわち血中水分の嵩で血圧は決まる。それは同時に心臓の大きさにも比例する。透析患者が頻繁に心胸比を計る理由はそこにある。心胸比は4.5までを理想とする。

 移植直後からクレアチニンや尿素窒素をはじめ、さまざまな尿毒素が排泄されてゆく。それに伴う変化として以下があげられる。
 1 味覚が敏感になる。
 2 顔色が良くなる。
 3 肌に透明感が出る。
 4 汗をかくようになる。
 5 貧血がなくなる。
 6 血圧が安定する。
 とりわけ4と5は嬉しい兆候である。4は代謝を、5は昏睡から解放されるからである。(7月8日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 03:25 | 固定ページリンク




個室と屁  | 一考    

 差額23100円の個室に這入っていたが、今日、大部屋へ転居した。個室はありがたいが、連れ込みと比して随分と値が高い。この前の検査入院で女房が這入っていた部屋は差額が35000円、10日入院すれば差額代だけで35万円である。徒広く応接セットとキッチンが付いた、わたしたちにはおよそ不向きな部屋だった。
 いずれにせよ、これで気儘に屁がこけなくなった。年が行くと無闇に屁をひることが増え辛抱できなくなると、永田耕衣と高橋睦郎さんが繰り返し書いている。芳菲ならぬ放屁、これは重大事である。(7月7日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月29日 03:23 | 固定ページリンク




浸し物  | 一考    

 メドロール、セルセプト、グラセプターなど、手術に向けて免疫抑制剤の大量投与がはじまった。自家製でないところのものを体内に植え付けるのである、免疫抑制剤は術前がもっとも多いと見た。
 13日から16日までは集中治療室、後は五本の管に繋がれて病室へ戻る。首からの点滴、腎臓下部からのパイプ、尿管等々である。
 免疫が抑制されているので、たわいなく感染症に罹る。生れてはじめてマスクを強いられる。病棟は感染を防ぐために子供は這入られない。子供は黴菌の温床であるそうな。
 体重は現在45.1キロ。手術の際に4乃至5リッターほどの水が血中へ這入る。心臓の負担を減らすため、体重を減らすのが良い、と。どうこう云うことではないが、一週間で4キロほどの減量である。
 術後は点滴も相俟って日量、8乃至9リットルの尿が出るらしい。退院時には新しい腎臓が体内の水分調整を行うので、6キロほど痩せるそうな。
 もっとも長年の食事制限の反動で一気に体重は増えるらしい。その主たるものは肉だそうだが、わたしは蒙御免。寿司と干物に限らせていただく。干物は型の大きい高級品があるが、あれは不味い。小型の鰈の一夜干、同じく鱚、柳葉魚など、他では鱈子、縮緬の類いが好みである。
 ところで病院食は国籍不明の料理だが、かろうじて浸し物で和食の面子を保っている。ゆでる、ゆがく、ゆびく、ゆどる、あおる等があって、総じて湯掻きすぎなのだが、それでも旨い。菠薐草や小松菜など、青菜に小型の縮緬を入れるとさらに美味。かぶら蒸しとともに日本の美饌。(7月6日)


投稿者: 一考      日時: 2012年07月28日 22:43 | 固定ページリンク




yF様  | 一考    

 いずれ掲げますが、「七時間の手術を終えても麻酔は一向に醒めず、序でに声を喪った。酸素が92を超えられず、酸欠が続く。従ってパイプを鼻の穴から肺のなかへ挿入。そのことと慢性鼻炎とが相乗し鼻も口もからからに乾燥し、うんともすんとも返事を発せられなくなってしまった」と書きました。六日間も酸素吸入のお世話になりました。まさかわたしが酸素不足に陥るとは。
 しかし、それが奏効し、鼻炎はなくなりました。酷いときは一日にティッシュペーパーを一函費やしていたのですが。
 「家人とも一緒に歩けません」とお書きですが、わたしもちんたらとマイペースです。急ぐ人生でもなしと思っております。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月28日 22:38 | 固定ページリンク




米食  | 一考    

 たった今退院してきた。体力に不安があるため、もう二週間ほど入院するように医師から云われたが、体力のことはわたしにも分かっている。昨日から今日にかけて50回を超える血液検査を繰り返した。腕は穿刺の内出血で痣だらけである。結果、向こう一週間の免疫抑制剤の細かい指示を受けた。

 一箇月に及ぶ重湯の生活が嫌になったのである。好きなものを食せば体力は戻ると思っている。昨日は土用丑、重湯の上に二センチほどの鰻が乗っていた。美味しく頂戴したが、それより愕いたのは前日の紅鮭、病院食なので薄塩に決まっているが、それにしても塩鮭は四年ぶり、うまいなんてものでなく、こちらは涙を流しながら食した。これから徐々に食生活が変わる。取敢えず、米食を200グラムにするように云われたが、それは無理、150グラムを目標にする。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月28日 15:14 | 固定ページリンク




ある書物  | 一考    

 このところ、のんちさんと本を読んでいる。某死刑囚の句集である。3・11の具象はなにもない。、ただし、抽象としての3・11は存在する。3・11に限らない、ことごとくの事象は濾過されてある。具象とは社会であり、抽象とは精神である。戦後、弁証をここまで掘り下げた書物はあるまい。封じ込められた窓との数十年に及ぶ対話、窓に吹き込むわずかな湿気が彼の手に震えをもたらす。
 わたしは何年ぶりに書物を繙いたろうか。何年ぶりに文学と出遇ったろうか。自分が読む書物は自分で撰ぶ、この当たり前を何年忘れていたのだろうか。

 掲示板のはじまりに「年始の挨拶は辞宜します。世界二十八箇国三十二地域で殺戮が行われているなかにあって、何がいかように「めでたい」のか迂生には皆目見当がつきません。
 挨拶は日常の人間関係を円滑に取り運ぶための儀礼的な相互行為であると同時に、人間関係を疎遠にするためにも交わされます。仮に前者であっても、紐帯を深めるための儀であれば控えさせていただきます。友とは影のように付き従うものであって、決して獲得するものでも出遇うものでもないのです。眼前に私情を携えての友誼など迂生にとっては毒にも薬にもなりません。
 私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝を諾うことに難儀致しております。あまつさえその能書に追従や欺瞞が加味されるソーシャル・ネットワーキングなど論外だと思います。当掲示板の行き先はまったく異なります。個の搏動を伴わない虚礼を排し、どっちつかずな不本意な遣り取りを廃するところからなにかしら滲み出てくるものがあればと、それだけを冀っているのです」と書いた。
 その原点に立ち帰りたく思う。従って、今後一切の書物の寄贈をお断り申し上げる。美辞麗句を並べ、考えることを失念した書物など今後一切読みたくもない。また情念があると思い込んでいるような浅薄な書物はさらに無用である。世間を狭めるとまた叱られそうだが、わたしは与えられた余命を思うがままに律したいとおもう。(7月25日) 


投稿者: 一考      日時: 2012年07月28日 14:23 | 固定ページリンク




リリックの娘様  | 一考    

 軽率なことを書き、お詫び申し上げます。
 田中様と福永氏とはなんの関係なく、どうしてこのようなことを書いたのか。深くお詫び申し上げます。
 取り急ぎ。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月28日 14:20 | 固定ページリンク




リリックの娘様  | ニャル子    

一考氏が入院中のため、代わりに書かせていただきます。

こちらの記憶違い、大変申し訳なく、退院して掲示板に書きこめるようになりましたら、
あらためて訂正、お詫び申し上げますとのことでした。

大変恐縮ながら、いましばらくお待ちください。どうぞよろしくお願いいたします。


投稿者: ニャル子      日時: 2012年07月15日 02:35 | 固定ページリンク




リリックについて  | リリックの娘    

一考様
偶然記事に行き着きました。

「湊川」の文中
 『新開地の三角公園にあったリリックの店主は名は福永金之助、長髪であること以外なんの取り柄もない絵描きだったが、山本六三と逢うことをわたしに薦めた最初の男だった。彼はその後、三宮で「金ちゃんの店」を開けたり閉めたりしていたが、今では凋化と名乗って垂水で茶房を営んでいる。』
の部分は間違っています。私はリリックの娘ですが、父の名は福永金之助ではありません。田中一朗です。画家でもありませんし
「金ちゃんの店」を開けたり閉めたりしていたが、今では凋化と名乗って垂水で茶房を営んでいるのは全くの別人だと思われますので
訂正していただけることをお願いします。


投稿者: リリックの娘      日時: 2012年07月06日 18:39 | 固定ページリンク




腹式呼吸を  | yF    

小生も兄の結核を濃厚感染し、完治しないまま78才まで来ています。滅多に肺活量検査はしませんが先日やったら3000ccでした。漢方医は腹式呼吸を勧めます。小生はこの方に助けられたようなものですが、家人とも一緒に歩けません。遅いです。
 頑張ることはない、それを受け入れるのみ、ドクターストップがかかる75才まで働きました。


投稿者: yF      日時: 2012年07月05日 08:58 | 固定ページリンク




無気肺  | 一考    

 中学二年生のときに8000だった肺活量が3400にまで落ち込んだ。煙草の量に比例するようである。無気肺を防ぐために呼吸練習をさせられている。インセンティブ・スパイロメーターと云うそうだが、全身麻酔に必要らしい。
 今月は入院のため、掲示板は月末まで休み。拙宅の電話やメールも同時に休止となります。十三、十四の両日はICUだが、十七日までは痛みを伴うようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年07月03日 22:25 | 固定ページリンク




核武装の道  | 一考    

 どさくさに紛れて原子力規制委員会設置法が二十日の参院本会議で可決、成立した。、民主、自民、公明三党などの賛成多数だった。
 原発の運転期間を原則四十年とする「廃炉規定」も置いたが、規制委発足後に速やかに見直すことを定めている。要するに六十年にするためのザル法である。付則には原子力の利用目的として「安全保障」の文言が盛り込まれている。
 上記三党はどうあっても核武装を考えているようである。首相は国民の生活を守るための原発再稼働を強調する。その生活の守りの最上位とは「安全保障」に違いない。そうした原子力の利用目的を日本国民の八割が間接的に支持している。原発再稼働反対を唱えているのはどこの国民なのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月27日 23:56 | 固定ページリンク




手術  | 一考    

 戸田中央から電話があって手術の日取りが変わる。七月二日の検査日はそのままだが、四日に入院、十三日の手術となりそう。従って七月二十七日には退院できそうである。なお、血管の造影スキャンが検査項目に加わった。
 ドナーは七月二日の検査は同じだが、入院が十一日になる。ドナーあっての手術なので予定がどうなるかは定かならず。
 東葛クリニックでの透析治療は七月三日の火曜日が最後になる。今週の血液検査が東葛における最後の検査になったが、尿酸値以外はやっと正常の範疇に戻ったようである。尿酸とカリウムは薬を服用していないので問題なし。それにしても、この数箇月というものリンで困惑させられた。術後の食事制限には万全の対策が必要。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月22日 03:07 | 固定ページリンク




ウインドウォッシャー液  | 一考    

 インプレッサのウインドウォッシャー液が出なくなった。目詰まりを起こしたようである。ボンネットをあけてタンクから噴射口までのパイプを調べるも詰っている箇所がよく分からない。どうやらパイプとパイプのジョイント部のようである。
 分からないことは聞くに限る。近所のスバル松戸店で教えを乞う。やはり、二センチほどのプラスティック製のジョイントが詰っている。愕いたのはこのジョイントが一方通行なのである。片側に金属玉が這入っていて逆流を防いでいる。その玉が水垢で詰ったのである。三郷へ引っ越してから、細かいパーツを何度もスバル松戸店で註文している。今回のジョイントは百円。

 ベンツやBMWのウィンドウォッシャーはヒーテッドシステムだが、純正のウォッシャー液を用いる必要はまったくない。純正と云えども界面活性剤入りのアルコール希釈水に過ぎない。市販のウォッシャー液を二倍に薄めて使えば問題は生じない。さらに、北海道のように冬季の凍結が気にならなければ水道水がもっとも良い。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月17日 16:18 | 固定ページリンク




タイヤハウスの蜘蛛  | 一考    

 駐車場の真ん中にブロック製の塵の集積場がある。その壁面と車とのあいだに蜘蛛の巣が張られる。取っても取っても夜のあいだに張られている。透析治療のため朝八時半に出掛けるが、必ずや立派な巣が造営されている。
 十数度巣を除去したところで、肝心の蜘蛛がいないのに気づいた。ブロック塀をくまなく探したが見付からない。蜘蛛がいないにもかかわらず、夜な夜な巣は造られる。わたしは頭を抱え込んでしまった。もしやと思って後輪のタイヤハウスの裏側を確認する。豈図らんや蜘蛛の住処はタイヤハウスだった。よりによって車に巣食うとはふてぶてしい奴である。
 先週の金曜日は土砂降りで雹が降り、震度4の地震があった。その最中、隣町まで麺麭を買いに出掛けている。流されもせず、泥水を被りながらしがみついていたに違いない。わたしは蜘蛛を裏庭の木々が植わっているところへそっと運んだ。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月07日 22:17 | 固定ページリンク




老いに協賛  | 一考    

 最近の書き込みから誤字を三箇所訂正した。理由は視力の衰えである。フォントサイズを大きくすれば良いのだが、面倒なのでついそのままにする。毎度のことなので、ご笑覧いただければさいわいである。
 このところ流涙症、いわゆる涙目で困っている。おそらく鼻涙管閉塞だと思うのだが、日々ひどくなってくる。ゴーグル無しで二輪に乗るとか、窓を開けて四輪に乗るなどわたしには想像もできない。老いは脚からというが、わたしの場合はそれだけに止まらず、目玉も協賛しているようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月06日 16:07 | 固定ページリンク




麻疹  | 一考    

 戸田中央へゆく。朝十時から十九時まで掛かった。PSA検査と麻疹ワクチンを打つ。いまさら麻疹もないものだが、抗体検査で引っ掛からなかったようである。値は8230円、ワクチン代としては安価な方である。次回は七月二日、採血、検尿、心エコー(スパイロ、心電図)、レントゲン、培養などが主たる検査項目。その後。輸血はしていないので問題は生じない。
 七月二十五日入院、手術は翌月三日、早ければ十七日、通常だと二十四日の退院になる。ただし、これらは予定であって、どうなるかは分からない。
 八月二十日前後が退院日とすると、二週間ぐらいの北海道旅行も可能だが、先のことは考えないようにしている。手術が成功してのはなしだが、食べ物に自由の幅が拡がるのはうれしい。透析治療から解放されるのもうれしい。併し乍ら明日を思うは虚しい。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月06日 00:23 | 固定ページリンク




天女の湯と吹きの湯  | 一考    

 先日テレビで北海道旭岳の天女の湯が紹介されていた。吹きの湯と共に、冬場スキーでしか行かれない野湯である。軍手、ヘルメット、ロープが必需品という難儀な温泉である。
 天女の湯は元々は秘湯でなかった。旭岳ロープウェイは1996年にスイスガラベンダの大型ロープウェイに架け替えられ、その際に中間駅天女ヶ原が廃止になった。天女の湯が秘湯になったのはそれ以降である。かつての中間駅から徒歩数分、吹きの湯は天女の湯から5、6分ほど離れた沢違いにあった。いまでは山麓駅もしくは姿見駅方面から徒歩で行くしかないが、道は掻き消され北海道の自然のなかに溶け込んでしまった。
 多雪期以外、熊出没注意、落石注意、崖崩注意、雪崩注意、多量降雨水量増加注意等々、注意報多発の天女ヶ原である。熊の冬眠期以外、迂闊に近寄られない文字通り幻の秘湯となった。


投稿者: 一考      日時: 2012年06月03日 11:52 | 固定ページリンク




自家製のミジンコ  | 一考    

 公園の金魚は二センチほどに育った。食欲旺盛な時期、餌はミジンコである。養魚場の隅に深めの池が設けられ、鶏糞でミジンコを育てている。採卵が少ないと書いたが、どうやらミジンコの量に幼魚の数を合わせているようである。
 今日は親魚の池の水替えをしていたが、池を洗った後、井戸水を注水している最中に金魚を戻している。水の勢いが激しく、金魚がぐるぐる流されている。強い水流は金魚に厳禁、荒っぽい遣り方に愕いた。魚体に傷がつくし、泳ぎ方に変な癖がつく。わたしは腫物に触るように育てたものだが。
 コメットの幼魚が池二面を占めている。地金、土佐金、蘭鋳、南京、江戸錦、秋金、京錦あたりなら分かるのだが、どうしてコメットなのか、詰らない金魚を飼育している。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月31日 21:01 | 固定ページリンク




孫の手  | 一考    

 背中の真ん中が痒い。手が届かない場所なので孫の手で掻きむしることになる。シャツが血だらけになるので繁く洗濯する。一人住まいの切なさを覚えるのはこのような時である。
 湿布剤を背中に貼る器具ならデンソーで売っている。しかし、ピンポイントの絆創膏用はない。どなたか発明すれば売れるのでないだろうか。それでなくとも背に手の届かぬ高齢者の時代である。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月30日 18:53 | 固定ページリンク




休息  | 一考    

 2009年07月の靭帯剥離骨折と腎不全発覚、同年10月の大量下血とはじめてのブラックアウト、そして2010年08月の透析治療開始。それから二年近くを経た。上り下りが少なければ最近やっと電車にも乗られるようになった。
 本年一月、戸田中央への入院の際はバスと電車を利用した。戸田、松戸共に駅の構造を熟知しているからであって、不案内なら電車は利用しない。近隣の公園へは頻繁に出掛けているが、至るところに長椅子が設けられている。自転車で十分走っては三十分休憩の繰り返しである。車が利用できるならどのような遠くへでも出掛けるが、それは車のなかで休まれるからである。
 コンビニは問題ないが、スーパーは広すぎて疲れる。かつて周さんと買い物をしていて倒れたことがある。車に辿り着くと同時に痙攣がはじまった。意識がないままに三十分ほど周さんにお付き合いいただいたのだが、後日、医師から痙攣がもたらす危険性について聞かされた。
 先日、透析終了後、失神した患者が帰らぬひととなった。やはり、失神、痙攣がはじまったときは心臓マッサージが必須である。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月28日 23:33 | 固定ページリンク




加藤郁乎さん逝去  | 一考    

 十七日夕、加藤郁乎さん逝去との報が増田さんからもたらされた。
 葬儀にわたしは欠席、非礼を深くお詫びする。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月19日 16:14 | 固定ページリンク




 | 一考    

 前々回8.4だったリンが前回は7.7、今回は6.8にまで下がった。あとひと息で元に戻りそうである。
 いつも書いているが、牛乳、チーズ、バター、ギー、ヨーグルト、ヤクルト、クリーム、アイスクリーム、それにケーキの類い等々、乳製品がリンの過度な摂取の理由になる。乳製品はアレルギー、消化不良、肥満、ガン、心臓病、感染症、骨粗鬆症などを引き起こす。謂わば悪魔の商品である。
 骨粗鬆症は骨からカルシウムが流れ出ることで起きるもので、カルシウムの摂取量と直接の関係はない。大人になってもカルシウムを摂れば骨が丈夫になると多くのひとは信じている。骨量の増加が止まつてしまった成人がカルシウムをいくら摂ったところで効果は期待できない。カルシウムが必要なのは幼児と妊婦だが、それとて野莱に含まれるカルシウムのほうがずっと豊富で、健康的かつ吸収がよい。
 アメリカ乳牛の乳量は野生のそれの10倍という途方もない量である。そうした牛乳が乳癌の原因のひとつになるとされている。日本の乳牛はアメリカのようにウシ成長ホルモン剤(BGH)や抗生物質の大量投与と縁がないのでまだ安心だが。
 徒し事は扠置き、血中リンが高いと背中が痒い。ぼりぼりと掻きむしっている。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月12日 00:17 | 固定ページリンク




バディントンズ・パブエール  | 一考    

 保存していたバディントンズ・ドラフトビールを飲んだ。購入したのは17年前、95年の大震災の後である。当時は大阪の重松貿易が輸入代理店で、アルミ罐に貼られたフィルムは日本語で印刷されている。

 ビール醸造250年の歴史と伝統を誇る英国ウィットブレッド社の代表的銘柄。「クリームオブマンチェスター」とも呼ばれるこのビールは、まさにクリームのような繊細な泡立ちを持ち、豊かなホップの香り、深いコク、そして心地よい苦みとほのかな甘味との完全な調和により、素晴しい味わいを実現、今や、英国内のビールファンのみならず、世界中のビール通により絶賛されています。

との文言が印刷されている。文章の陳腐さはともかく、バディントンズが輸入されていたのは有り難かった。前年には小西酒造によって白耳義のヒューガルデン白生の輸入がはじめられている。詳しくは08年12月05日に書き込んだ「麦酒について」をどうぞ。
 現在ではギネスのフローティング・ウィジェットとの名称が知られるが、当時はドラフトフローシステムと称し、同じ窒素ガスを使っていた。従って、17年を経ても香味にいささかの変化もない。日本のビールだとガスが抜けてこうはいかない。
 ちなみに、白いプラスチックのボール(ウィジェット)の容量は少なく、その中に窒素ガスが詰められているわけではない。気圧の変化でボールの中に閉じ込められた少量のビールが、ジェット噴流のように飛び回ってサージング(泡立て)しているのである。

http://www.kitasangyo.com/e-Academy/Gas/N2Gas-for-Beer/N2Gas-for-Beer.htm


投稿者: 一考      日時: 2012年05月09日 21:25 | 固定ページリンク




採卵そして孵化  | 一考    

 このところ公園へ日参していた。金魚は採卵が終わり、孵化を待っている。近々新しい命の誕生である。通常、採卵は一匹の雌に複数の雄を用いる。雄が単数だと精子がかからない卵が生じる。無精卵はすぐ腐敗して黴が生え、有精卵にも移ってゆく。それを防ぐための乱交であって、魚類のほとんどが父親不知である。
 二歳魚以上なら二、三万箇は産卵する。産卵用のビニールが4、5メートルは必要になる。ところが、こちらの公園は変わっている。30センチほどの平テープを10本ほど纏めたものを一箇である。おそらく多数の卵の中から偶然産みつけられた千もしくは二千ほどを採卵し、他は棄てるようである。
 二、三万の産卵で秋まで育てる金魚は十匹を切る。それを考えれば千、二千と云うのは極端に少ない。しかも、愕いたのはひとつの池に複数の平テープの束が置かれ、それぞれに蘭鋳、阿蘭陀獅子頭、江戸錦などと札が貼られている。随分と乱暴な採卵であり、飼育である。当歳魚がごたまぜに育てられている理由が分かったのだが、金魚は種類によって発育の速度が違う。金魚は原則平和主義者だが、あまりに大きさが異なると共食いする。
 先祖帰りの鮒の除去をはじめ、これから色変わりする夏まで撰別がつづく。金魚愛好家の正念場である。

追記
 ところで餌のミジンコやアブラムシはどう手当するのだろうか。ほうれん草パウダーを使ってミジンコを自己増殖させるのかしら。もしそうなら金魚の数倍の池が必要になるが。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月09日 17:12 | 固定ページリンク




今年は関西  | 一考    

 同室の三人が入院し、ふたりが戻ってきた。一週間もしないうちにひとりが再入院し、別の患者が入院した。わたしのまわりは空きベッドが増えつづけている。みなさん心臓の弁に異常が生じている。血管の石灰化と共に、透析患者ならではの持病と云うべきか。そうして帰らない患者もいるのだが、誰もそのことを話題にしない。

 去年は無計画停電とやらで困惑させられた。今年は関西が計画停電に追い込まれそうである。電気と水がなければ透析はできない。水にしても水道水をそのまま使っているわけではない。各クリニックやサテライトでしかるべき濾過器を通している。血液を吸いだしそして体内へ戻すポンプはおろか、電気がなければ水すらままならないのである。計画的であろうがなかろうが、人工呼吸器や透析機器を用いる患者にとって停電は最大の不条理である。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月09日 12:17 | 固定ページリンク




太田守さん逝去  | 一考    

 淡路の太田守さんが亡くなられた。太田かつみさんからのメールで知ったが、二箇月ほどメールを見ていなかったので遅くなった。申しわけなく思う。
 西明石のですぺらで親しくしてくださった。毎晩のように朝まで生テレビのごとく議論を繰り返した。メールには、

 ・・・太田は3月10日、土曜日淡路の陶芸館からの仕事帰り、立ち寄った店先で急な心臓発作で倒れて一時間後には帰らぬ人となりました。
 誰とも言葉を交わさぬままこの世を去りました。
 設計会社を立ち上げ西明石での仕事あとのですぺらでの時間は本当に至福の時であったように思います。
 葬儀での遺影はそのころのこれ以上の笑顔はないような、この世での幸せだった彼の写真を飾りました。

と書かれている。当時、太田さんは川崎重工の機械設計をなさっていた。彼はわたしより一箇月遅れの同年代。美食家で彼のためにさまざまな刺身を造った。縮緬山椒や生海苔もそうした内のひとつで、赤坂で造った縮緬山椒に用いた縮緬は淡路から送られしもの。ただ、彼の健啖ぶりが心臓発作の遠因になったとも考えられる。
 わたしはこのところ体重の静止に苦しめられているが、体重の増加は即心臓に負担をかける。病むことによってはじめて分かったが、体重の増加ほど怖いものはない。西明石時代、折角得た友を早くに喪ったことを無念に思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年05月04日 05:10 | 固定ページリンク




穿刺技術  | 一考    

 先日、「透析穿刺技術高める」との検索語句があった。穿刺に然したる技術が必要とは思われない。穿刺の巧拙よりも痛みの深浅の方が問題だろう。巧拙は場数がものを云う。例えば、糖尿病患者の場合、血管そのものの損壊が非道く、穿刺は難儀を窮める。そのようなケースでは看護師より経験を積んだ臨床工学技士が多く穿刺に当たる。
 わたしの経験則だが、男性より女性の方が痛みが少ないように思う。その理由は力の入れ方にあると思われる。針先を立てて然るべき深さまで刺し、それからぐいと角度を変えて挿入する方法と端から力を入れず、自然に血管に沿って穿刺する二通りに分けられるようである。
 表現しにくいが「ぐい」のところに要点があって、力を加えない方式があとの止血もうまく行くようである。
 わたしの透析は一年九ヶ月だが、まだ穿刺箇所を肘下に限っているためにかなり皮膚は傷ついてきた。屡々止血で困惑させられている。それゆえ、痛みの少ない穿刺に出会うとほっとする。巧拙よりも痛みの深浅の方が気になる理由である。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月26日 00:24 | 固定ページリンク




問題児  | 一考    

 三月二十九日と四月十二日は共に血圧が70まで下がった。この70と云うのは意識の分水嶺のようなもので、70を僅かでも切れば人事不省に陥る。
 このところ、祈るような思いで透析を受けている。ドライウェイトと除水のバランスが崩れたようである。先の月曜日は90で止まったが、血圧が100を切ると夥しい発汗と目眩いに襲われる。それよりも後に残るダメージが嫌なのである。
 160乃至170の血圧が透析終了時には100まで下がる。祈るようなと書いたのは100で止まってほしいとの願いである。それでなくとも、わたしの回りには空きベッドが増えてきた。三人が入院したのである。除水速度が急速な血圧低下をもたらすため、その速度を緩める。結果、四時間透析が五時間になり、やがて五時間でも手に負えなくなる。後は入院である。わたしは透析期間が短いので入院には至らないが、昨今は問題児のひとりになってしまった。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月25日 19:03 | 固定ページリンク




昏倒  | 一考    

 三月二十九日以来の昏倒。このように期間が短いのははじめてである。因果関係は血圧だと思っているが、医師と看護士は目眩いが引き金になったのではないかと云う。耳鼻科での診察を勧められた。
 前回同様、完全に気を失っていないと思っているが、実体はどうなのだろう。除水は2.4リットル、確実に減っているのだが。除水分2リットルを体内へ戻したが、体重増加は500グラム、と云うことは1.5リットルの冷や汗を流したようである。十二日は深夜までダメージから抜けられなかった。いささか落ち込んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月13日 20:09 | 固定ページリンク




無保険  | 一考    

 六十五歳になったので介護保険にも這入ることになった。国民健康保険と合わせて保険料は倍になった。
 わが国では国民健康保険の保険料を一年間滞納すると保険証は返納、かわりに国保被保険者資格証明書が発行される。同証明書で治療を受けると、かかった医療費はすべて自腹。後日市町村に領収書を提出すると保険給付分が返還される。一年半滞納が続けば、保険給付そのものが差し止めとなる。
 国民保険の滞納世帯数は、2001年には390万世帯(全体の17.8%)だったものが、2006年には481万世帯(全体の19%)に増えている。そして、保険を取上げられた人も2000年には10万人程度だったのが、2007年には35万人に急増している。
 わが国の国民皆保険制度と違い、アメリカでは無保険者が人口の二割弱いるとされる。つまり、5人に1人は健康保険に入っていないのである。前述したように、 わが国も高齢者に無保険者が増えている、しかも増え方が近年急増している。二割になるのも時間の問題である。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月11日 09:40 | 固定ページリンク




栄養士  | 一考    

 月曜日の血液検査の結果が木曜日に出た。その評価表と体重の異変について栄養士と今日話し合った。ちなみに、わずか一日、二日のことだが急速に体重はもどりつつある。飯は150グラムを120グラムに減らした。煙草の効果は覿面である。
 禁煙を試みると体重が増えるようだと栄養士も云う。一気に禁煙したところに問題があったのでないか、意志強固なのだから少しずつ減らすべきだったのでは、と。
 移植が成功し、透析が終わってもリンとカリウムには注意が必要だが、体重の多少の増減からは解放される。

 上記評価表に基づいて日々服用する薬の内容は変わる。一日置きの透析の度に回診があって、体調の確認がある。痛み止め、風邪引き、点鼻液などさまざまな薬を処方していただく。ありがたい限りである。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月08日 00:26 | 固定ページリンク




玉子焼きと明石焼き  | 一考    

 金曜日の神戸新聞に明石における玉子焼きと明石焼きについての記事が掲げられていた。意味は同じだが、もともとは玉子焼きである。従って年長者は玉子焼きだが、歳が下がれば下がるほど明石焼きが増えてくる。
 先日、男鹿の棒アナゴについて書いたが、この玉子焼きにもたこ焼きと出し巻きの二種の意味があってややこしい。関西の居酒屋における玉子焼きは出し巻きと相場が決まっているので間違うことはないが、大阪の居酒屋ならたこ焼きと玉子焼きは別物である。
 ちなみに、明石にも二種の玉子焼きが共存する店があって、註文の仕方が異なる。たこ焼きの玉子焼きは鍋を一枚、二枚と注文する。これは銅板製の玉子焼き器を鍋と云うからである。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月07日 03:33 | 固定ページリンク




禁煙中断  | 一考    

 四箇月間禁煙をつづけ、そして中止した。止める気になれば何時でも止められると分かったからである。もうひとつ、体重管理に失敗したのが大きな理由である。
 このところ、管理栄養士と話し込んだ。彼女が云うには煙草は害しかもたらさないが酒は百薬の長とか。しかし透析治療のあいだは体重管理がすべてに優先する。
 禁煙をはじめるまでは除水が1リットルを超えることはなかった。それが一気に3リットルにまで増えてしまった。今日は0.2リットル減らしたが、なんとか1.5リットルにまで減らしたいと思う。
 酒は身体の痒みがひどくなるので基本的に飲まれないが、最近は350ミリの罐ビールと一杯のウィスキーなら飲む。好きな銘酒が手に這入るなら日本酒がよいのだが。いずれにせよ、わたしは酒を嗜むときはなにも食さない。酒の味が分からなくなるからである。酒と煙草は食欲を減らすにすこぶる有効である。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月07日 01:54 | 固定ページリンク




血圧低下と造血  | 一考    

 土曜日は除水を2.8リットルに押さえた。にもかかわらず、透析途中で血圧が100を切った。このままでは危険である。除水は中止、連日の異常事態である。血圧を130から160ぐらいで静止できればよいのだが、こればかりは食事コントロールでどうにもならない。血圧を100で止めるために飴をしゃぶる。お得意の誤魔化し作戦である。このような綱渡りがあと五箇月続くと思うとうんざりである。

 遺伝子組み換えの造血剤エポジンを打ちはじめたのが去年の九月、最近ヘマトクリットとヘモグロビンが上昇している。先日、医師と相談したのだが、遅々たる速度だが自力で血液が造られつつあるらしい。現在の数値はヘマトクリット33.0、ヘモグロビン11.1。エポジンは四月中で中断することになった。
 このような例が多いのか少ないのか知らない。ただ、不可逆な病は気が重い、そうしたなかでの朗報である。特に血液に関係する病なので嬉しい。


投稿者: 一考      日時: 2012年04月01日 15:19 | 固定ページリンク




失神寸前  | 一考    

 去年の十二月十日からはじめた禁煙だが、丁度そのころから体重管理に大きな狂いが生じるようになった。先日の除水は三リットル、生れてはじめての量だったが、やはりおかしくなった。三十分を残して気分が悪くなり、その旨を看護師に伝えた。気分が悪くなったときの血圧は110だったが、100を切り、90を切り、15分後には80にまで下がった。看護師はその間、除水分を身体に戻していた。
 今回は気付くのが早く、失神にまでは至らなかったが、冷や汗で全身はびしょ濡れ。動かれないので、看護師がきれいに拭き取ってくださった。ちなみに、この冷や汗分が約一リットル。70まで落ちた血圧を90まで上げるのに一時間ほど費やした。暫く降圧剤を控えるように云われた。
 東葛クリニックでの失神騒ぎは二度目。前回は透析をはじめて間無しのころだった。それ故、看護師は症状がよく分からないので困惑する、と。気絶するひと、四肢強直、痙攣発作に襲われるひと、嘔吐を繰り返すひと等々だが、それぞれに固有の症状があって、個々に対応が異なるようである。それにしても、戸田中央のときのような衝撃がなかったのは救いだった。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月31日 06:05 | 固定ページリンク




身欠フグ  | 一考    

 東京で身欠フグが解禁されるようである。わたしは活フグ専門店で十年ほど働いていたので、フグは肝を引っくるめて頻繁に食していた。
 神戸には株式会社 ナガノが経営する「ふぐ政」が昭和40年からある。身欠が専門で、通販部門はてんだいフーズと云って明石市上ノ丸にある。設立時は専ら冷凍品を扱っていたが、あまりの美味さに愕かされた。冷凍技術は19世紀末の冷凍機完成以降のことだが、凍結品を融解して常温に戻す解凍技術が発達するのは案外と近年のことである。冷凍フグに関してはふぐ政が最初と思われる。扱いが身欠なので、当然食中毒は起きない。フグの価格破壊がはじまりそうである。

追記
 回転寿司でもっとも原価がかかるのはブリだろう。活フグはキロ一万円を上下しているので到底使われない。身欠でも現状なら不可能である。博多の寿司店はフグを置いているが、回転寿司ではもう少し企業努力が必要になる。関西はフグの取扱いが厳しく、人件費が嵩み値下げは望むべくもない。しかし東京が規制を緩和し、身欠フグの扱いを自由にすれば値は下がる。数年後にはフグが回転寿司の看板になりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月21日 09:15 | 固定ページリンク




ユニクロ流スーパー  | 一考    

 食中毒を惹き起こすようなユッケは困りものだが、牛丼やカレーのように値下げ可能なものはいくら下がってもよい。価格破壊のきっかけは神戸物産のデリマーケットだろうが、器に這入れば盛りに関係なく190円である。
 デリマーケットの特長は販売する商品の多くが倒産会社の工場を買収、自社生産したオリジナル商品であること。また、自前の農場を持ち、製販一体の仕組みを強化している。謂わば、スーパーのユニクロ流を押し通している。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月21日 09:13 | 固定ページリンク




穿刺ミス  | 一考    

 血管の石灰化について書いたが、石灰化までゆかなくてもこのところ穿刺ミスが重なる。先週の土曜日、穿刺が浅かったのが理由で透析の最中に留置針が抜けそうになった。刺し直してことなきを得たが、傷が大きく開き、出血が止まらない。透析の場合は止血用の強力な絆創膏を用いるが、それが効かない。通常は当日の深夜に止まるのだが、止まったのは火曜日の早朝だった。出血が止まらないと風呂へも這入られない。
 また先々週は穿刺ミスで、血管を三度突き破ってしまった。この場合は静脈側のラインを変えて穿刺した。穿刺箇所が限られているので血管が大分痛んできたようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月15日 00:12 | 固定ページリンク




血管の石灰化  | 一考    

 ダイアライザーがAPS 11SAからPES 11SEaへ変更された。手術が近づいてきたのでクレアチニンを落とすのが目的である。詳しくは分からないが、ダイアライザーの尿素クリアランスを高めるのだそうである。ちなみに、クレアチニンの術前と術後の比率を平均すると18-8から15-5にまで落ちている。間違いなく有効である。

 向かえの二人の透析が五時間に延長された。除水量が増えたわけでなく、除水速度を落としたのが理由、体力が持たないのである。横の御仁は血管の石灰化で悲鳴を上げている。注射針が太いので穿刺の際に血管に傷がつく。その傷が治るまえに次の穿刺がやってくる。それが度重なって血管はぼろぼろになる。
 血管石灰化はカルシウムとリンの化合物が血管に沈着したものと従来考えられていたが、現在ではリンが血管の細胞を骨芽細胞に変性させてゆくためと分かった。血管にカルシウムが沈着するのでなく血管そのものが能動的に骨化するのである。
 その血管の損傷と石灰化が透析における穿刺そのものを失敗させる。透析中に脱血が、もしくは返血が屡々止まる、その度に穿刺の遣り直しである。なお、穿刺の痛み止めは一時間乃至二時間前である。よって痛み止めなしでぶすぶすと針を射すことになる。
 長期透析患者にとって血管石灰化は逃れられない合併症である。透析患者の死因のトップは心不全、心筋梗塞、狭心症などの心血管疾患である。それを少しにせよ遅らせるにはリンの吸着剤しかない。炭酸カルシウム(カルタン)と塩酸セベラマー(レナジェル・フォスブロック)、炭酸ランタン(ホスレノール)の三種である。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月15日 00:11 | 固定ページリンク




スバルBRZ  | 一考    

 先日、TBSのドラマを見ていて黄色のTVRのT350が出てきたのに愕いた。通常の番組で使うような車でない。鋼管チューブラーフレームにFRP製のボディ、車両重量は1187kgである。エンジンは自社開発の3.6リッター直列6気筒「Speed Six」をFRレイアウトで搭載。最高出力は350ps、トランスミッションは5速のMTのみ。サーキット走行を意識して、シート下のクッションが取り外し可能になっている。安全面では相変わらずエアバッグやABSが搭載されていないものの、サイドインパクトバーのみ追加されている。
 FRといえば、スバルからBRZが発売された。エンジンの開発はスバルが、ボディデザインはトヨタである。トランクルームはリア席を倒すとホイール4本が丁度収まるようになっている。履き替えてサーキット走行を楽しむことが可能である。自然吸気で200ps、メーターは260キロまで刻んでいる。競技用のベース車両としてRAとのカスタマイズグレードが頒されている。値は205万8000円、素晴らしいスポーツカーである。


投稿者: 一考      日時: 2012年03月05日 02:47 | 固定ページリンク




連絡  | 一考    

本日、久しぶりにですぺらへ参ります。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月24日 09:28 | 固定ページリンク




三月は不可  | 一考    

 病院側の予定に合わせたにもかかわらず、移植手術は延長戦に入った。月に四回、毎金曜日が手術の日だが、年内はびっしり一杯、上手くゆけば八月に潜り込ませそう、とか。悠長に待っておられない、それまでに東京を離れることにする。西ノ宮の県住を申し込んだ、うまく当たるとよいのだが。東京と違って関西は物件が少なく、厳しいようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月19日 18:13 | 固定ページリンク




三大うどん  |   一考

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 三大うどんというのがあって、五島(長崎)、稲庭(秋田)、水沢(群馬)、または讃岐(香川)を指すようである。うち、五島と稲庭は手延べなので他とは製法が異なる。同じ手延べとして、氷見(富山)と鴨方(岡山)がある。鴨方は備中うどんとも云い、生産量は日本一。
 三大云々は日本人の得意とするところだが、手延べと手打ちを一緒に語るのは失礼でないだろうか。手打ちは蕎麦切りならぬ饂飩切り(切麦)で、包丁を使うところが手延べと異なる。手延べうどんは手打ちうどんの十数倍の手間と時間を要する。かつ讃岐のように太くなく、細いにもかかわらずこしが強い。細いぶん、出汁のからみがよく、五島のアゴ、稲庭の比内地鶏などが生きてくる。


投稿者:   一考  日時: 2012年02月19日 17:51 | 固定ページリンク




後期高齢者  | 一考    

 六十五歳になったので、介護保険被保険者証が役所から送られてきた。愈老人の仲間入りである。わたしの場合は障害者なので、十年早く後期高齢者医療制度の被保険者となった。窓口負担は三割から一割になるが、保険料は均等割りが18600円から40300円へと値上がりする。均等割りを紹介したが、一定以上の所得がある場合は三割負担は変わらない。これらは高齢者医療費の増額に手を焼いた小泉元首相の置き土産である。
 その後期高齢者医療制度だが、六十五歳から七十四歳までは選択制になっている。現状では必要がないので申告しない。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月18日 22:59 | 固定ページリンク




当事者  | 一考    

 神戸の友人Nさんは学生向けのアパートや下宿を営んでいる。震災の日、多くの店子が崩壊した建物の下敷きになって身動きできなくなった。友人は店子と声を掛け合うも重機はなく、自衛隊も来ない。店子に止まらない、あちらこちらから助けてとの声が聞こえる。彼は素手で瓦礫と闘いはじめる。間もなくほうぼうから火の手が上がり近づいてくる。「助けて」との声が「熱いよ」に変わり、やがて沈黙へと置き換えられてゆく。爪が剥がれ、手を血だらけにした友人は泣きながら彳む。
 親しくしていた印刷会社の事務員は両耳にイヤホーンをしたままの状態で押し潰された。他にもいくらでもあるが、これらは友人のことゆえ書くことができる。死者6,434名、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、目の前で6,434名の生活が中断され、命が絶たれた。
 神戸の震災については何度か書いた。しかし、具体的な事例は保留したままである。おそらく書くことはあるまい。上記友人にしても神戸新聞社の取材記事であって、彼自身は語ろうとしない。その気持は痛いほど分かる。ひとには触れたくないことだってある。
 今なお、運転していて不意に泣き出すことがある。震災当日の夜、長田であったことを、灘であったことを思い出すのである。震災は不条理である。書くも書かないも自由だが、わたしに不条理は書かれない。のっけから意義もなく意味もなく、筋が通らず道理が立たない。条理を尽くして絶望や暴力を描くのは可能かもしれないが、そこから生じるのは二律背反のみ。

追記
 当然のことだが、わたし個人について書いている。シニシズムの立場で首尾一貫できないのは分かっている、しかし犬儒派をわたしは信奉する。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月10日 12:55 | 固定ページリンク




いばら  | 一考    

 掲示板でかつて「鱒助」について書いたことがあった。文中「横須賀さんはですぺらに残っていた「いばらの内子」を来るたびに食されていた。内子の在庫が無くなったとき、それが彼の命日であったように思う」とある。開店から横須賀さんの死まで、いばら(イバラガニモドキ)の内子を置いていた。イバラガニモドキはエゾイバラガニ(ミルクガニ)と共に深海に住むタラバガニの一種。
 既に閉鎖されたが、網走オホーツク水族館で生きたイバラガニモドキを見たことがある。深いが小さな水槽で脱皮するだけのスペースがなく、脱皮途中で甲羅が硬くなって死んでしまったと聞かされた。
 掲示板には「モルト・ウィスキーには積丹の生海胆かエゾ・アワビの肝、海螺貝、イバラ蟹の内子、牡丹海老、サロマ湖の北海シマ海老、宇登呂の鮭トバなどがよく似合う。一度、道産の海産物をごく少量取り合わせてモルト会を催したいと思っている」とも書いている。今年、北海道へ行くときは必ずや食したいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月08日 13:40 | 固定ページリンク




渡り鳥  | 一考    

 久しぶりの水元公園、雰囲気がまるで違っている。種目は分からないが、浮寝鳥が随分と増えている。小合溜はどろんとした鉛色の塊のよう、水鳥は北端にたむろして翔ぶでなく、泳ぐでもなくじっとしている。水面を窺う限り、寂しい光景である。
 昔、蘭鋳を飼っていた頃もそうだった。薄い氷の下、池の底に腹を付けて金魚は動かない。やがてくる産卵の季節を目差して体力を温存する。なにもかもが静止している。
 先日、エロ子さんから電話があって、六十五歳の誕生日だとか。そう云えば、失念していた。寒さのせいか、わたしも静止しているようである。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月06日 17:37 | 固定ページリンク




 | 一考    

 粥とは炊き粥のことだが、病院では面倒なので入れ粥が出てくる。炊き粥は生米から炊き、入れ粥は米でなく飯から作る。
 通常の粥とは汁粥のことだが、全粥(米の5倍量の水で炊く)、七分粥(米の7倍量の水で炊く)、五分粥(米の10倍量の水で炊く)、三分粥(米の20倍量の水で炊く)に分かれる。
 わたしがポリープを除去した際は最初三分粥、次ぎに五分粥だった。拙宅に戻ってからも一日は粥を、次日は雑炊を食した。ところが、女房の手術の場合は粥は出ず、のっけから普通食だった。医師に確認したところ、粥である必要はどこにもないとのこと。わたしは透析食なので、普通食なるものの中身を知らないが、想像するは易い。
 粥の従兄弟とでも云うべき雑炊はおじやとも云い、スペイン語の「鍋料理」を意味するオジャ(olla)に由来する。又従兄弟にリゾットやクッパがある。韓国のクッパと日本の焼肉店のクッパには大きな違い(韓国のクッパはスープとお菜と飯がセットで供される)があって共に入れ粥だが、リゾットはその製法から云って炊き粥になる。
 余談はさておき、病院食では普通食より三分粥の方が特別食といって値が高い、どう考えても可笑しいが、栄養士の思慮と手間賃が加算されるようである。リゾットやクッパにはインスタントの素があるが、粥はオリジナルの料理であるそうな。


投稿者: 一考      日時: 2012年02月06日 11:32 | 固定ページリンク




投げ遣りな女  | 一考    

 研ナオコは天城湯ヶ島町の生まれ、プチャーチン提督もしくはマホフ神父の末裔でないかと種村さんとはなしたことがあった。種村さんはこの手の話題が好きで、抛っておくとはなしは突拍子もない方へ膨らんでゆく。その研ナオコもまた突拍子もない歌手で、どこかしら捨て鉢な歌唱法とハスキーな発声法が相俟って、わたしはファンのひとりである。「あばよ」「夏をあきらめて」「かもめはかもめ」の三曲は特にお気に入りである。
 シャンソンやファドの歌い手のような良い意味でのと云うことは個性を持った流行歌手だと思う。ただ、作詞家や作曲家に恵まれない、従ってカバー曲を増やせばよいのにと思う。山口百恵や中森明菜のカバーなどいかがかしら。このところ、由紀さおりのスキャットが流行っているそうだが、ならば研ナオコもお薦めである。由紀さおりより不健康なところが良い。水色のワルツや湖畔の宿なども編曲によってはちょっと爛れた曲になる。
 それにしても、露西亞海軍元帥・伯爵の血を引くだけあって、多少のことには動じない。「だから何なのよ」「勝手にすれば」との台詞が似合う助番タイプで、シャイに唇を歪めてみせる。背徳と無邪気が背中合せになった素直な悪女とでも云うべきか。歌同様、チューリッヒのダダイズムを想起させる間の抜けた顔つきには深い味わいがあリ、岩田専太郎から「百年に一人出るか出ないかの不世出の美人」と絶賛される。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月30日 05:32 | 固定ページリンク




ヌタウナギ  | 一考    

 2007年差別問題に端を発し、日本魚類学会による魚名改名が続いた。アシナシゲンゲ、イザリウオ、オシザメ、セムシウナギ、バカジャコ、ミツクチゲンゲ、メクラウナギの類いである。うちメクラウナギはヌタウナギに改名された。これは言い得て妙。
 韓国ではこのヌタウナギをニンニクと炒めコチュジャンで味付けして食す。コムジャンオ・ポックンと云ってよく知られた料理である。ヌタウナギの一種、クロヌタウナギを秋田県男鹿市では棒アナゴと称して珍重する。炙り焼きで頂戴するが、何故か昔からアナゴと云えばこちらの方が一般的。寿司屋へ行けば真物のアナゴと棒アナゴの双方が置いているが、真物を註文するひとは滅多にいない。郷土料理に限らず、地元の食堂や居酒屋など、大概の店舗に棒アナゴは置いている。
 此奴、装訂材料として図抜けた属性を持つ。牛革より強度が勝り、靭やかさでは山羊革より傑れている。韓国や米国ではヌタウナギの革で作った財布などが高級品として流通。繁殖力はそれほど強くなく、食用や皮革用に集中的に漁獲すると資源が急速に枯渇するそうな。
 見落としがありそうなのでなんとも云えないが、ヌタウナギを表装に用いた書物はないと思われる。魚類では鮫革を表紙に用いた書物が戦前と戦中にあるが、鰻は見たことがない。
 わが国では食用として韓国向けに養殖している方がいらっしゃる。ぬめりを取り、細工するのが大変(革が細長いので繋げなければならず、コートだと三百匹分が必要)だろうが、湯川成一さんが使っていない、と云うことは珍にして綺なる限定本になるのだが。湯川といえども、未使用の装訂材料はある。(1月13日14時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月29日 13:00 | 固定ページリンク




遠い日  | 一考    

 戸田中央での検査はすべて終了、問題は出なかったようである。最後に肺炎球菌ワクチンやインフルエンザワクチンの確認、謂わば書類審査である。月曜日の午前中に退院。土曜日は主治医とゆっくり話し込んだ。ドライウェイトを上げるとは聞いていたが、一挙に800グラムも上げたようである。考えられない数値である。現在の心胸比が3.9、800上げて4.2。心電図、エコー共に良好、透析患者にあるまじき心臓だと云われた。
 念のために書いておくと、5.0以下が正常値で数値が小さいほど良好とされる。医師はなにかしらスポーツをしてたのかと訊く、登山とサイクリングかなと応える。この雑談のなかで気付かされたことがあった。
 小、中学生の頃、摩耶山や六甲山を走り回っていたが、わたしは極端に水を飲まなかった。これは自分に敢えて課した試練のようなもので、当時のスポーツ選手は皆さん水を飲まなかった。医師によると、それが結石になりやすい体質を造った、と。移植に成功した折は極力水を飲むようにとの注意を受けた。こんなところに病の伏線があったのかと愕く。
 食事制限でかなりの筋肉が失われた。食事制限とは要するに水分の制限なのだが、それが引き金となって筋肉が水分に分解されたようである。ドライウェイトを守るための食事制限との概念を戸田中央の医師ははじめて理解してくれた。間違えているが、結果的に正しかった、と。
 除水が2000を超えると失神の可能性がでてくる。それを防ぐための逆算なのだが、過去、理解を得るには至らなかった。例えば、もう少し食べたいので、ドライウェイトを500ほど上げてもらえないかなどと云おうものなら、きついお叱りか無視されたものだった。または体重が増えると水の飲み過ぎで片付けられた。きちっと栄養はとって、しっかり食べるものです、と云われ続けてきたのである。
 食事が筋肉になるひとと、肥満になるタイプとがあってその辺りを丼勘定していませんか、がわたしの言い分である。わたしが云う体重制限はダイエットと同じで、肥満タイプはそれなりの覚悟が必要である。飲食を共々計量し尽くして当たらなければ、ドライウェイトなど守られるものでない。況や、移植をすれば生涯ステロイドを飲み続けなければならない。太るのは目に見えている。十キロ、二十キロと増加する例もざらである。移植以降はさらなる体重管理が必要となる。(1月22日12時)

追記
 退院後、東葛クリニックでドライウェイトをさらに200上げて64キロに修正、心胸比が4.38となった。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月29日 05:47 | 固定ページリンク




通いなれた途  | 一考    

 高額医療ならびに老人医療を避けるための欧州の諸法律は日本人の感覚では理解できないであろう。そもそもが延命治療そのものを認めていないし、病院は病気を、怪我を治すところで、養老院ではないからである。
 まず、食事の面倒はみない、看護師が爪を切るとか、身体をタオルで拭くなどという行為は一切しない。痴呆は引き受けないし、動くのはあくまで自力であって手を貸したりもしない。あまりにもドライで、屡々「患者の命は治療に値しない」と役所の担当部署が判断する。それが福祉国家である。わが国でそのような事態が起こればどうなるだろうか。
 とは云え、何があってもわが国でギリシャのような暴動は起きようはずもない。一億二千万の国民を番号順に並べ、個々の余命を「おまえはあと五年」「おまえはあと十年」と国家が決めたところで、唯唯諾諾と付従うのが日本人である。それほどに判断を仰ぎこそすれ、自分で自分を律することを潔しとしない。この志向は明治維新以来変わらない。それをして「坂の上の雲」とは能転気に過ぎるというものである。おそらく、日本人が燃えるのは日比谷焼打事件に見られるように、夷狄排除の機運が高まったときだけである。
 とにもかくにも日本人は変わらない。戦後、アメリカの民主主義が結構となると、それまでの国旗や国歌を打棄り、六十七年を経た今日、未だに認めようともしない教員がいるとか。それなら、星条旗を国旗に制定すればよいではないか。国歌が英語であってなんら不自由はないとわたしは信じる。ラ・マルセイエーズを持ち出すまでもなく、いずこの国歌であろうと国粋主義の手本にしかならない。比して、日本の国歌はすこぶる情操豊かなものと理解する。
 歌詞の原型は古今和歌集賀の部に「わがきみは」、和漢朗詠集には「きみがよは」の初句で、いずれも詠み人知らずで掲げられている。天皇の治世を奉祝する歌と云われるが、古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられている。
 何度も書いてきたことだが、明治天皇も大正天皇も典侍(ないしのすけ)の子、律令制度からの名残りを保っていた女官制を廃止したのは昭和天皇。分かりやすく云えば、昭和天皇は後宮の廃止を宣した。その段階で既に天皇家は滅びへの一歩を踏み出してしまった。消え行くものを愛でるのは日本人の特性のひとつである
 消え行くものすなわち時事は時時であって、その最たるものは災害である。そうとでも思わなければ、今回の原発事故を諒解できない。国家が加害者であるにもかかわらず、その加害者に倍賞を求めてなんとする。本気で国家が倍賞に応じると思っているのかしら。地震の破壊力は加速度で計る。陸前高田が神戸の二百分の一、東京二十三区は三千分の一の規模だった。その神戸で、村山首相は見て見ぬ振りを最後まで押し通した。
 趣味としての自虐を日本人は生きる。深い感傷を抱くが、責任を自己に押し付けることはない。どこの誰でもない、どこかの誰かが常に悪いのである。国民を被曝させた責任の大方はマスコミにある、にもかかわらず、マスコミを誹難し排斥する者はいない。これもまたいつか来た道である。(1月18日13時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月28日 23:42 | 固定ページリンク




ANK療法  | 一考    

 「日本では健康保険適用となる手術や化学療法が広く行われる。また、保険適用外の薬の使用や免疫細胞療法も、自費で負担すれば自由です(自由診療)。しかし、「混合診療規制」により、自由診療を併用すると、保険が利くはずの検査や治療も全額自費負担とされ、標準治療の部分は、免疫細胞療法以上の莫大な出費を強いられてしまう。これが、一般病院で未認可の新薬やANK療法などをなかなか使えない理由のひとつです。せっかく、投与量とタイミングを自在にコントロールできる培養技術が日本人研究家の手で完成、実用化された」にもかかわらず。

 との記事があった。現在、TPP交渉で問題になっている箇所のひとつである。アメリカ側の言い分は、混合診療を認めろとの至って単純なものだが、わが国はどうあっても、混合診療にすると全額保険適用から外すという。
 標準治療だけでは「延命」が目的化している。「CAPDとTPP」で述べた問題と同じ問題がここにもある。命を第一に、健康を取り戻す治療法が目前にあるにもかかわらず。
 医師の多くは標準治療のメリットも限界も知り尽くしている。しかし、一般に保険診療医は自由診療を行わないし、免疫細胞療法の実施経験を持たない。そうした医師を保護するための混合診療規制だとすれば由々しき問題である。医療を票集めに利用するのは止めたがよい、政治の道具から解放すべきである。(1月18日17時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月28日 16:52 | 固定ページリンク




CAPDとTPP2  | 一考    

 アメリカ・トラベノール社について触れた理由を書く。
 CAPD、要するに家庭内療法では病院の利益が減る。一部だが、国策によって医学業界は手厚く保護されている。今回のTPPにしても、目本の医療市場がアメリカ医療産業複合体の格好の標的になりつつあることを示しているが、それは70年代から指摘されているところである。
 前例をかなり調べたが、アメリカからの苦情や査問によってわが国の医療費は随分と下がっている。TPPによって医療費が上がるとの意見があるが、そのような事例は過去において皆目見受けられない。少なくとも、医療産業複合体は日本の保険制度を利用しての金儲けを企んでいるのであって、医療体制の改新は考えていないと思われる。
 TPP反対の声にしても、好悪に基づく発言ばかりでなにがどう悪いのか、具体的内容に踏み込んだ意見はあまり見受けられない。賛成するにせよ、反対するにせよ、自らの思想すなわち具体に富んだ論拠を陳述していただきたいものである。少なくともわたしは毎回論拠を示しているつもりである。(1月16日7時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月28日 16:49 | 固定ページリンク




CAPDとTPP  | 一考    

 本稿はすべて引用である。引用なら括弧で閉じればよさそうなものだが、文章が分かりにくいので編輯し、新たな書き込みを加えた。原典は前述と同じ(http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/america.html)なので、若干の重複がある。

 70年代に這入って透析医療の保険点数が高く設定され、民間の透析施設が急増。その結果、83年には私立透析施設は全透析施設の64.0パーセントを占め、全透析患者の74.7パーセントを占めるに到った。
 その自由化(民営化)によって、透析患者一人当たりの年間医療費も外来ベースで1,000万円から600万円にまで低下。国民医療費に対する比率は患者増にもかかわらず減少傾向になった。
 外来医療費ベースで透析患者の総医療費を計算すると82年度で2,879億円となり、同年度の国民医療費13兆8,659億円の2.1%である。透析患者の薬や検査等を除いた人工腎臓のみの費用は1,750億円で、国民医療費の1.445パーセント。
 欧米で普及しているCAPD(腹膜利用連続透析法)は、英国では45.5パーセントで普及率は血液透析とほぼ拮抗する。わが国でも84年3月より保険適用となったが、点数設定、実施医療機関の基準の問題などで普及に大きな隘路がもうけられ、同年6月現在、保険請求可能な医療機関は全国でわずか20箇所にすぎない。
 「CAPDが日本で普及しないのは、保険点数が低いからである。これは非関税障壁だ」とのアメリカ・トラベノール社(CAPDの独占企業)の要求で、摩擦解消という高度な政治判断も加わってCAPDの保険点数は段階的に引き上げられたが、この種の要求がなければわが国の医療はなにひとつ動かないし変わらない。この点、厚生省と教育委員会はよく似ている。

 わが国の病院の器械・設備の保有率は欧米諸国のそれを大幅に上回っている。例えば高額医療機器の代表ともいえるCTスキャナーの設置台数は82年で人口100万人につき18.5台であり、アメリカの10.7台の1.7倍に達し、その差は開くばかりである。CTスキャナーにせよ、内視鏡にせよ、エコーにせよ、検査は一年に一回で良いのだが、病院を変わるたびに検査が繰り返される。その理由のひとつがパソコンによるカルテのデジタル化である。病院ごとにシステムが異なるために共有化がなにひとつ進まない。デジタル化が逆に足を引っ張るとは。こうしたところにも、医療の意味のない高額化の原因があるのだが。
 それら機材と比して、人材面の水準は諸外国のそれを大幅に下回っている。厚生省「医療施設調査」によると100床当たりの職員数は一般病院でも84.6人、全病院では76.5人(82年)にすぎない。それに対してアメリカのコミュニティ病院の患者100人当たり常勤職員数は376人(82年)に達し、欧州の一般病院でも100人は大幅に上回っている。わが国の最高の看護体制である特類ですら、欧米諸国のナーシングホームの水準にすぎないのである。(1月16日6時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月28日 16:46 | 固定ページリンク




薬価その他  | 一考    

 ニューヨーク特にマンハッタンは全米で医療費がもっとも高いようだが、ハワイは比較的安い。透析費用は一回あたり580ドル、個人の申し込みだと670ドル。わが国は一回あたり43000円だから、さほど変わらない。ただし、薬価は、
 EPOGEN $75/1000U
 Ferrlect $56.90/12.5mg
 Zemplar $40/2mcg
となってこちらは結構高価である。
 上から遺伝子組み換えエリスロポエチン (EPO) 製剤のエポジェン。
 ferrlecitは造血薬、グルコン酸第二鉄ナトリウムと同じ。
 Zemplarはパリカルシトールと同じ。
 パリカルシトールは腎不全患者の副甲状腺機能亢進の治療に使用されている物質。がん治療の分野で研究されている。パリカルシトールはビタミンdアナログという種類の薬物である。

 上記は「医療費」で日本の薬価は高いと書いたので、その逆を調べたまで。
 現在、新薬を開発する能力を持つのはアメリカ、ドイツ、スイスと日本ぐらいなもの。先般、震災の影響で某薬剤が手に這入らなくなった。原産国のアメリカより、ジェネリック(でないと自称している)の国産が高いとはどういうことよと耳を疑った。
 先発品と後発品は副剤が異なる。なかには副剤が異なるがゆえに後発品(ジェネリック)でないとする薬剤もあって、わたしのような素人には識別がつかない。薬価にはお国柄がありそうで、比較して高いの安いのといろいろである。
 いずれにせよ、わが国の安価な医療費は人件費、要するに医師、看護師、技師らの薄給によって支えられている。それと比して心臓ペースメーカー、PTCAカテーテル、人工関節等々の機器の価格は欧米の2〜4倍以上、ものによっては十倍近い機器もある。

 追記
 文芸書は安価だが、医学書は下手な限定版より値が高い、医師の書物代は給料の十倍は掛かると云われる。勉学に勤しむ医師にとっては痛い出費である。同情を禁じ得ない。(1月15日20時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月27日 06:26 | 固定ページリンク




医療費  | 一考    

 「まず、日本の薬剤の平均価格はイギリス、フランスの約2.6倍、ドイツの1.4倍、アメリカの1.2倍と言われており、ペースメーカなどの一部の医療器具や医療材料には、欧米の数倍もの値段が付いていたりします。それなのに何故、逆にアメリカでは日本と比べてこんなにも医療費が高いのでしょう。
 その理由は例えば日本では一般病院のベッド100床に対して医師数は13人、看護師は44人以上が施設基準ですが、アメリカでは医師は72人、看護師は221人にもなり、アメリカでは日本の5.5倍の医師と、5倍の看護師がいると言うわけです(1998年OECD統計)。また同じような規模での病院の職員数を比較した資料では、ボストンのSE病院ではベッド数350床に職員2011人、病床数310床の日本の国立病院では総職員数200人で、アメリカの方が約10倍であるとのことです。このような職員数格差を考えれば、アメリカの医療費が高くなるのは当然だという気もしますし、もっとゆとりのある手厚い医療や看護も可能だろうと思われます。
 このようなコストを問題にしないのなら、アメリカの基準の方が優っているのは当然で、多くのマスコミがこのコスト格差に触れることなく「アメリカの医療・看護はずっと手厚い」と安易に報道することは、国民の皆さんをミス・リードし兼ねぬものと危惧します。
 因みに日本の大学病院には、研修医や無給医局員という若い医師たちが多数存在し、職員数不足を補っていますが、薄給或いは無給ですから、医療費は高騰しないのです。そのほかにアメリカで大きく日本と違うのは、医療費自体が統一価格でないこと、州によって医療費が大きく違うこともあるようです(http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/america.html)」

 との記事があった。「アメリカの医療・看護はずっと手厚い」とか「アメリカの医療・看護はずっと高価」との書き込みは同じ種類のミス・リードを起こす。いずれにせよ、諸外国の医療費と日本のそれとを単純に比較することはできない。文化的差違を考慮しない比較は浅薄な結果を露呈するのみ。(1月13日13時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月27日 00:26 | 固定ページリンク




英国で透析打ち切り  | 一考    

 旧い新聞記事で恐縮だが、欧州と日本の医学内容を比較するに適した資料である。なお、現在ではその差はますます開きつつある。

 「「値せず」と透析打ち切り/施設暮らしの貧しい男/英公立病院・患者協が調査要求」『朝日新聞』1985.01.11夕刊、15面。
 英国の公立病院が、施設暮らしの貧しい男の腎臓の人工透析を「患者の命は透析に値しない」と打ち切ったところから、論争が起きている。……事件が起きたのはオックスフォード市の公立チャーチル病院。2年前から通院、週2回透析を受けている44歳男性の治療を新年早々打ち切った。「彼は知恵遅れで精神分裂病。透析の基準に合わない」というのが理由。生命線を絶たれた男性の容体は悪化した。男性が住んでいる施設の寮長から連絡を受けた英腎臓病患者協会が治療費を全額負担、ロンドンの私立病院に7日入院させてひとまず急場は切り抜けた。……同病院に対する批判と同時に問題になってきたのは、透析施設の不足。100万人に22台という5年前の状態から、現在は33台まで増えた。しかし、ヨーロッパではベルギー、スペインの61台、西独56台、フランス44台に比べて大幅に遅れている。毎年、2千人が透析を断られており、ホームドクターは45歳以上の患者を病院に送ることをためらっているともいわれている。 65歳以上になると、公立病院で透析を受けられる可能性はほとんどない。……<注>1983年末現在で、日本には約24,500台の透析機器がある。人口100万人当たりで210台。透析の必要な患者の2.2人に対して機器1台がある計算で、欧州諸国に比べてかなり高い水準となっている。それでも「いちおうの数は足りているが、地域的なバラつきが大きく、まだ不足がちな地方もある(全国腎臓病患者連絡協議会事務局)という。

 文中の人口100万人当たりの透析機器の数は当てにできない。わが国にあっては慢性質不全の治療は透析(しかもそのほとんどが血液透析)によって行われているのに対して、欧米諸国では腎移植が治療の中心だからである。しかも、透析は根治療法でなく対症療法にすぎない。
 当掲示板で幾度となく触れてきたが、わが国の臓器移植は血液すらままならない。五体満足でなければ地獄へ堕ちると云った類いの迷信がいまだに蔓延っているからである。血の池、針の山、竜巻地獄、死屍糞泥の地獄など因果応報の地獄絵ワールドを拵えた仏教僧の罪は大きい。穢多非人などの差別問題と相俟って、寺は諸悪の根元である。もっとも宗教は他宗教に対する差別意識やエリート主義を自らの帰属意識のエネルギー源にする。仏法僧を非難したり、傷つけたりすると無間地獄に落ちるといわれる。なんと勝手なことよ。(1月13日10時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月27日 00:22 | 固定ページリンク




ブルーノート  | 一考    

 一時帰宅したついでに、駅中書店でブルーノートのマイルス・デイヴィス(CD)を購入した。隔月で全七十号なので、到底生前には揃えられない。それでも買うのだから、それだけの思いがブルーノートにはあった。D51やGTR、和時計や天球儀などさまざまな組み立て玩具が月々発行されるが、この手の企画が完結することはほとんどない。
 新刊屋で本を買うなど、何年ぶりかしら。二十五歳の折の連れ添いがジャズと民謡の気違いで、大阪外大を卒業後、マイルス・デイヴィスを生で聴くために米国の大学へ通ったという強者だった。考えてみれば、わたしより五、六歳年長のひとは一人残らずジャズに狂っていた。その彼女が拙宅へ来るようになった理由は、ブルーノートのレコードが揃っていたからだった。
 ブルーノートについては当掲示板で書いた記憶があるが覚えていない。最初に贖ったのはソニー・ロリンズで、確かわたしが十四か十五歳の時だった。盤が厚く重量があって、相当に値が張ったのを覚えている。針を置いて愕いたのは、曲と曲とのあいだが完全に無音になることだった。日本のそれにはノイズが這入っていて、無音のレコード盤は存在しなかった。
 マイルスはとんでもない自信家で、人品は好きでなかったが、音は間違いなくクールだった。ご多分に洩れずハーマン・ミュートに惹かれた。ブルーノートでなかったが、マイルスの枯葉(イン・ヨーロッパ)をはじめて買ったとき、聴きながら涙したのを覚えている。
 音楽は別にして、ナルティストでありながら、「わたしはアーティストでない」と宣言しつづけたキース・ジャレットのインプロビレーションに当時は感心したものである。いずれにせよ、わたしのように遅れてきたジャズファンにとって、ハード・バップもモード・ジャズもなかった。歴史的時間は平面に置き換えられて一挙に押し寄せてきたのである。
 発祥の地の神戸で4トラックのカラオケが流行ったのが67、8年頃、流石にジャズはカラオケに這入っていなかったが、民謡は今以上に収録されていた。彼女はカラオケ(当時はカラオケ店などなく、所謂スナック)へ行くと何時も民謡で、日本のあらゆる国の民謡を唄っていた。
 拙宅のブルーノートだが、他のレコード(クラシック)も引っくるめて彼女にプレゼントした。爾来、音楽は余程のことがないかぎり聴かなくなった。それが彼女へのせめてもの罪滅ぼしと思っている。彼女には学研文庫でご登場願っているが、増田さんや辻さんは彼女を知る数少ない友人である。(1月15日19時)

追記
 iBookのパソコンで聴いたが、良い音をしている。ただし、昔聴いた曲と曲とのあいだの無音の部分は端折られている。曲のあいだの遊びがないのである。
 中学生の頃のジャズ喫茶バンビーを思い出す。一日中、バンビーにいたような気がする。長くA子ちゃん(下中A子、バンビーの主のような女性)とわたしの指定席だった一階の階段の下、身の丈ほどあるスピーカーの前で身体を小刻みに震わせていた。わたしが行くと、なにも云わずに、ブラック珈琲とA列車で行こうが最初にかかる。往時は小脇に送られてきた睦郎さんの詩集を抱えていた。嫉妬と羨望の対象でしかなかった三冊の詩集とジャズ・・・・・・。(1月18日21時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月25日 10:28 | 固定ページリンク




あぶ玉  | 一考    

 奇妙な病院食が昼食で出た。「あぶ玉」といって玉子を薄揚げでくるんだものの煮付け。他に菠薐草の添浸し、辛子和え、ひじきの煮物などが盛られていた。決して不味いものではないが、このような食い物ははじめてである。
 一度揚げの厚揚げはおでんに使う、玉子を入れるのは二度揚げの薄揚げをおでんに使うための小細工と思うが、なかなかに洒落た食い物である。関西にはこういったものはなかった。何人かの看護師に聞いてみたが、戸田中央総合病院にしかない食べ物ではないかということになった。念のため、戸田では知られた料理人に訊ねたが誰も知らなかった。ちなみに、狂言や昔話に見られる狐の好物は鼠の油揚げであって豆腐の油揚げでない。
 もう少し調べてみようと思うが、おでんの具材にこそ相応しい。それ故、どこぞにありそうな食い物である。ご存じの方がいらしたらご教示いただきたい。(1月20日17時)

追記
 先程、栄養士が来たのであぶ玉について質問。東京のひとだというが、さまざまな料理本に掲載されている料理だという。ポピュラーな料理ですが、名称が違いましたっけと仰有る。さて、不明を恥じるのはどちらか。
 戸田中央ではヨーグルトが頻繁に出てくる。リンが多いので、前回の入院先で揉めたばかりである。わたしは平気だが、透析患者にいかがなものかと思う。少なくとも、こちらの栄養士とは肌が合わない。
 減塩醤油や減塩ソースの類いはサプリメント同様、健康なひとのための食品である。塩分を除いた替わりに、カリウムが大量に這入っている。そしてメーカーはカリウムの量を明記していない。そのようなことも知らないで、栄養士対調理師とのはなしなど不愉快である。

追記2
 帰宅後、検索すると「あぶ玉」はいくらでも出てくる。恥じ入るのはわたしだった。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月25日 06:37 | 固定ページリンク




雪日和  | 一考    

 退院後、そのまま戸田中央から東葛クリニックへゆく。ポリープ摘出後の病理組織検査報告書を受け取りに行ったのである。「グループ3の診断だった」が、口頭でなく書類で必要と云われたのである。
 東葛クリニック宛の透析に関する書類も持参した。序でに失神のこと、心臓マッサージを受けたことなどを話す。明日は心臓マッサージを用意して迎えなくてはと早速素見されてしまった。
 明けて火曜日、前夜からの雪は98年3月の大雪以来とか。東葛クリニックへ一時間遅れで到着。もちろん、はじめての透析遅刻である。昨日持参の書類を皆さん読んだらしく、失神のはなしで持ちきりだった。戸田中央の医師が稀に見る壮絶な失神とこと細やかに記したようで、若干羞ずかしい思いをさせられた。
 寒さのせいか、透析中に戻すひとや終了後に動かれなくなるひとが続出。看護師が車椅子を持って走り回っていた。何時ものことながら、賑やか且懐かしいクリニックである。あちらは若い子、可愛い看護師が多かったと云えば、二、三人連れて帰ってくればよいのにと男性の看護師。誰しも思うことは同じである。
 失神の詳細は前項のごとく。「肋骨は大丈夫ですか」云々は心臓マッサージは肋骨の骨折が多いからである。次の日の深夜に血圧が元に戻ったが、大きなダメージを受けてしまった。
 今回の入院は病室でなにをするでもなく無為に過ごした。従って二十篇ほど書き散らかしたが、順不同で載せてゆく。次回は二月十三日(月曜日)、一日だけの入院である。

 女房の内視鏡検査で大腸ポリープが見付かった。即行で除去したようだが、生検の結果が出るのは一日。本人は知らなかったので、いささかショックを受けたのかも。それにしても、通常は初回の内視鏡検査で除去手術はしないものなのだが、よほど患部が安定していたものと思われる。年を取れば全員が大腸ポリープもしくは癌に引っ掛かるようである。彼女の退院は予定通り、二十六日の午後、わたしは透析を終えてから迎えにゆく。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月25日 06:04 | 固定ページリンク




意識消失  | 一考    

 前回が前回だけに、今日の透析には不安が残る。失神のたびに全身に痙攣が走り、筆舌に尽くせぬ激痛が全身を駈けめぐる。失神に関しては皆さん同じかと思っていたのだが、まったく違うことに気付かされた。
 今回分かったことは脚が痙るのは皆さん同じ症状として、傾眠、昏眠、昏睡などの状態に這入るに際し、二、三秒のタイムラグがあるらしい。要するに、意識が割と簡単に持って行かれるのである。その間、看護師は声を掛けつづける、と云っても名前を呼んでいるだけだが。というふうな非常におとなしい状況の方が多いのである。
 それと比してわたしの失神は賑やかであり派手である。ドタンバタンと七転八倒の構えであり、失神に至るタイムラグが非常に長い。気を失うことに対する気構えができていないというか、わたしは失神に逆らっているのである。逆らうなどと云ったものではなく、闘っているのである。最後の最後まで抵抗しつづける、どうあっても、失神が嫌なのである。その精神の拒否反応が身体の強い反応を導くかのごとく。
 また、失神の最中にも、意識は行きつ戻りつを繰り返している。看護師に云わせると、馴れていないだけらしいが、かようなことに馴れようとは思わないし、そのような云い方はないだろうとも思う。アダムス‐ストークス症候群だとの意見もあるが、徐脈、顔面蒼白、意識障害、癲癇様痙攣など表層の症状から窺うにそうなのかもしれない。尿・便の失禁の経験はないので、昏睡にまで至っていないのかもしれない。
 戸田中央は入院患者が多いので、重篤な患者の比率が高く、月に十名ほどの失神者が出るらしい。失神は脳貧血がもたらす短時間あるいは一過性の意識消失なのだが、わたしの場合は少々時間が長すぎるようである。痙攣の中心部は腰から腹なのだが、きっとその辺りの血液が何等かの理由で不足するのだろう。そして痙攣が終わったあとも、無関心や傾眠が執拗く尾を引く。
 いずれにせよ、透析をはじめる前から失神はつづいている。脳貧血と酸素不足が理由だとしか云いようがないのだが、医師は分からない、前例がないと云う。医師に分からないことはわたしにも分からない。ただし、症状を書き連ねることはできる。いつの日か、明々白々になることを願いつつ。(1月21日11時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月24日 20:47 | 固定ページリンク




透析時の失神  | 一考    

 十九日の木曜日、朝から透析だったが、運悪しく失神。透析をはじめて二回目のブラックアウトである。血圧が100を切っていたのでなんとなく危ないなとは思っていたが。
 透析がほぼ終わるまでは大丈夫だったのだが、血圧がどんどん低下、やばいと周章てたときは70を切っていた。そのまま60を切り、計測不能になった。どうやら血圧計を引きちぎったようである。まるで全身が腓返りにあったよう。とにかく記憶の中では腰の激痛がつづくのだが、それをうまく表現できない、そのもどかしさに身体はますます硬直する。
 吐き気と全身痙攣がはじまったまでは覚えているが、強直と間代に繰り返し襲われる。こういうときは定石通り、看護師はベッドの頭と脚の部分を高くするのだが、それがどうにもならない苦痛を腰に与える。その苦痛に襲われるたびに呼吸困難に陥って意識が一部戻っているように思う。脚部を下げてくれと何度も何度も頼むのだが、その願いが意識下のことなのか、無意識のことなのか定かならず。おそらく、意思表示が意思表示になっていないのか、看護師は云うことを聞いてくれない。
 そのうち、女性の看護師が気付いてベッドを下げてくださる。そう、こういうときは患者の無意識な冀求を読みよって欲しい。定石は定石であって、いつも通じるとは限らない。無意識には無意識の領域や体系があって、意識を理解するには無意識側の穿孔から覗くしかないのだから。
 なお、痙攣がつづき、あとはまた闇のなかへ沈んでゆく。例によって簡易式の心電図を胸に貼っていたが、どうやらそれも暴れて壊したようである。強烈な心臓マッサージを受けたのを朧に覚えている、意識が戻ってから肋骨は大丈夫ですかと、繰り返し聞かれた。身体が落ち着きを取り戻し、時計を確認したところ、一時間半が過ぎている。それから三十分ほど放心状態。今回は四、五人の看護師によって救出されたが、大層な騒ぎになってしまった。透析室から車椅子にて帰還。
 予後、透析室の看護師加藤あすかさんが病室を訪ねてくださる。かなりな部分に記憶が残されていることに、看護師は愕いていた。完全に気を失っていたのに、と。失神にも個体差があって、十人が気を失うと十通りだそうである。特に腰の痛みをここまで強調されたのははじめてのケースだと。
 彼女によると2300を除水し、戻したのは600、別途300ccは汗で流れ出していると。確かに、シャツもパンツもパジャマごと、びっしょりと濡れていた。次回はさらに注意を払うので、ドライウェイトを500は上げてくれと、注意を払わなければならないのはこちらなのだが。やはり2000を超える除水はわたしには鬼門のようである。さらなる量的食事制限が必要である。
 痛みをさらけ出すのは素裸になるようなものである、ベッドを舞台に何度ストリップを演じてきたことか。そのようなとき、経験を積んだ看護師がいてくださるのはありがたい、屈託ない看護師は患者を勇気づける。そして脚を下げることに気付いてくださった加藤さんに感謝。手を握りしめ、忝ないと繰り返す。

 失神しているあいだに女房が検査入院したが、満室で特別室を提供されたようである。応接室、風呂、トイレ、炊事場、大型冷蔵庫、大型テレビが付いた病院で一番豪華な部屋である。誰が金を払うのよと思ったが、病院の責任ですから結構です、と嬉しいことを云ってくださる。土曜日はそちらで風呂へ這入ろうか。
 その特別室があるB館の看護師が勇気ある決断をなさいましたと彼女に伝えている。若ければともかく、歳を経てからドナーになるのは思い切りが必要になる。女性は男性より検査項目が多い、例えば乳癌検診のためのマンモグラフィーや数次に及ぶ尿検査などが付帯する。彼女は膀胱の造影検査や胃カメラの経験があるものの逆流性胃炎を疾んでいる。それ故、喉に異物が這入っているあいだはずって戻し続けるという。今日はその嫌な胃カメラを飲まなくてはならない。済まなく思っている。(1月19日17時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月24日 19:03 | 固定ページリンク




VCG検査  | 一考    

 同性愛者もしくは性技に闌けた女性なら胃カメラを飲むのは造作のないことだろうが、普通はそうはいかない。二種類の麻酔剤を喉に塗り、痛み止めの筋肉注射をして、それですら吐き気が残るひともいる。このような検査にさえ、個体差が生じるようである。待合室で二十回目の胃カメラとの猛者と出会った。ひとを尊敬する一瞬とはこのようなときぐらいなものか。
 上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)と大腸消化管内視鏡検査とどちらが生理的に嫌かと問われれば、やはり上部のそれだろう。瞬間のことなどで、どうこう云うのも烏滸がましいが、胃の洗浄が苦しい、透析と同じように大量の水を注入しそして吸い出す。その折にファイバースコープが十二指腸を掻きむしる。
 大腸はまったく麻酔なしで突っ込まれたことがある。大腸に吐き気はないが、喉や胃からの吐き気はどうにもならない。大腸は術後、屁が一日中つづく。で、上部消化管にポリープや炎症などの問題はなかったようである。
 眼球検査も異常なし。ただし、目の焦点がまったく合わなくなった。四、五時間は駄目なようである。最後の頸動脈のエコー検査は時間が掛かるので、途中で寝入ってしまった。看護師は笑っていたが、検査漬けの身を気遣ってくださったようである。
 全体を判断している泌尿器科の医師によると退院が二日、三日早くなりそうである。新しく分かったことは、さらに身長が小さくなって165センチ。想像通りの蟹股であることの再確認ぐらいか。
 明日の検査はVCG、心臓エコーと擬集能採血。VCGは膀胱と前立腺の造影検査だが、カテーテルを尿管へ挿入する。わたしが最も嫌な検査である。カテーテルが深く尿管へ這入るため、大量の水を一緒に流し込む。かつて尿管バイパスを造るため内視鏡を尿道から腎臓へ入れたことがある。術後、括約筋が痲痺するため、大量の水が棹の先から溢れでて、そこら中が水浸しになる。考えただけでも怖気立つような検査だった。
 VCG検査は尿管などの検査箇所が傷つく可能性が高い。従って感染症に用いる抗生物質パセトシンを内服する。当然ムコスタも同時服用である。(1月16日18時)

追記
 想像していた検査とはまるで異なり、カテーテルを棹の先から膀胱へ突っ込むだけ。50ccづつ250ccの水を挿入、それを小水よろしく排泄するだけの検査。透析期間が一年半と短いため、膀胱はいまだ十全に機能している。50ccも這入らないケースや、膀胱から腎臓へ逆流することもあるそうな。レントゲンを撮りながらの排泄は括約筋の能力を調べる。勃起能力のチェックにもなる。医師からそちらは大丈夫と云われる。
 生理検査室というのがあって、心電図、超音波、脳波、トレッドミル、肺機能と別れている。初日の呼吸器系と書いたのは肺機能である。昨日の頸動脈と本日の心臓は共にエコー検査である。これから透析だが、明日は腹部のエコー検査。早朝の六時から三十分乃至一時間ごとのトレランGを飲んでの採血が四回つづく。入院してから連日採血である。それでなくとも貧血がひどいのに。午後は整形外科医の診察、前日の骨密度測定結果をいい渡される(骨密度は0.459、若人のそれと比して79パーセント。かろうじて骨粗鬆症は免れる)。(1月17日13時)


投稿者: 一考      日時: 2012年01月24日 18:57 | 固定ページリンク




宝籤  | 一考    

 「見舞い」で書いたお隣さんだが、二人とも糖尿病で血糖値が二百を超えている。それゆえ、日々のインシュリンで大変である。血圧も押し並べて高い。糖尿と云っても、入院するようでは既に末期症状である。透析は時間の問題で、いまさら元に戻る身体でないと思われる。
 クレアチニンは1.0か1.5までなら治りはしないが、進行を停止させることは可能である。そのためには徹底した食事療法が必要だが。2.0を超えるとUターン禁止、腎臓は崩壊へ向けて一直線である。点滴自体は対症療法で、腎臓にとって何の役にも立たない。

 腎不全が大変なのに、大腸の内視鏡検査と云われて「俺は癌で死ぬ」と吹聴している。事ほど左様に癌というのはインパクトがあるようである。糖尿でひとは死なないとでも思っているのかしら。
 ひとりは鼻のかみかたが尋常でない。とんでもなく大きな音を出すのである。これでは耳が悪くなるのは当たり前。注意するひとがなく、そのようなものと思い込んできたか、もしくは親の鼻のかみかたを学習したかのどちらかであろう。いずれにせよ、品のないこと夥しい。
 耳鼻科の女医が補聴器を奨め、指定の業者が来院。音を補強するだけの安物なら十万円も出せばあるが、ちゃんとした補聴器なら三十から五十万円は下らない。本人は「こんなものいるか」と云っているが、ほとんど聞こえていない、どうするつもりかしら。

 他人事なので、わたしは黙することにしている。喧嘩はしたくないからである。わたしは食事を減らしているのに、あちらは量が少なすぎると文句を云っている。揚句、売店から弁当を買ってくる、間食が過ぎるようである。人はここまで覚悟が定まらないものかと呆れている。
 掲示板で何度も触れているように、慢性腎不全に根治療法はなく、あとは死ぬのを待つだけの病である。透析治療との対症療法があるが、これには透析由来の合併症が否応もなく纏わり付いてくる。
 問題はその合併症で、患者はみなさん合併症で死ぬ。死因に腎不全というのはない。死因は心筋梗塞か心不全に決まっている。自殺を試みてすら、わが国では自殺者としてカウントされない、病死扱いである。
 毎年三万人が発症し、うち二万人は一年未満で死ぬ。一万人が人生への居残りを決めるわけだが、そのうちの半数はまた半年ほどで死ぬ。三年を生き延びるのは、千人に満たないとされる。透析技術の発達によって、そこから先の死者は急速に減るが、日々、ロシアンルーレットを転がし続けているようなものである。二十年生きた、三十年生きたとのはなしもあるが、それらは万分の一、十万分の一のはなしである。
 慢性腎不全に罹った患者に宝籤のはなしをしても詮無いことである。宝籤の実体を話すことこそ望まれる。ことの深刻さを弁えずに透析に這入るべきか、それとも強烈な脅しをかけてでも透析導入を遅らせるべきか、自死を防ぐためにもこうした選択は必須だと思うのだが。(1月16日14時)

追記
 大きなお世話かと思ったが、主治医に癌の件を伝えた。去年も大腸の内視鏡検査をしているとのはなしだったので、初期のポリープですねと訊くとそうだと応える。その旨を患者にちゃんと納得させないと駄目ですよ、と伝えたまで。即刻、看護師が説明に走っていた。
 その患者の内視鏡は無事に済んだものの、貧血がひどく、一日置いて胃カメラを飲むことになった。本人は貧血は痔からの出血だと云っているが、それは内視鏡検査によって問題ないことが分かっている。従って、胃からの出血を調べるようだが、わたしが心配しているのは腎機能低下による高血圧、貧血症状である。輸血は予定に這入っているようだが、急いだ方が良いと思われる。
 それにしても、病に対する思い込みは各自それなりに強い。内視鏡は大腸癌を調べるだけではない、憩室から痔に至るまでありとあらゆる炎症や出血の有無を検査をする。看護師は腎性の貧血を匂わせているのだが、患者は聞く耳を持たない。患者にとって、腎臓は病気の因果関係からは遠く外れているかのようである。入院先は内科でなく、循環器科でもなく、腎センターである、そのことを彼はどのように解釈しているのだろうか。
 また、彼は入院に至った自分の身体への恨み辛みをことごとく他人に転嫁する。転嫁されたのは女房である。その喧嘩をわたしは聞きたくないし見たくもない。況や病室は大部屋である。歳をとれば子供に戻るというが、許されない我が儘もある。このようなとき、看護師は見て見ぬ振りをするのだろうが、辛い為事である。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月23日 18:00 | 固定ページリンク




看護師の気配り  | 一考    

 十二日の呼吸器系につづけて十三日は全身骨密度の検査、頭蓋骨から手脚の先まで、股関節など隅なく撮る。必要なのは二十枚らしいが、結果四十枚ほどのレントゲンを撮った。異常があるのは首、腰椎、鼻、右の股関節、腰椎以外は交通事故によるもので事前に分かっている。過去の骨折でそこら中に疵が残っているはずなのだが、ほとんど消えている。十四日は全身のCTスキャン、骨盤は特に重点的に撮るらしい。従って前日の夕方から食事は抜き、午後は二度目の透析。戸田中央の透析センターはベッドとベッドの幅が広く取られていて快適である。十六日は胃カメラ、頸動脈のエコー検査、眼科の精密検査。再度朝飯は抜きである。
 体重管理はまだうまく行かない。食事の量を十四日から勝手に半分に減らしている。栄養士が必要とされる量を計算して調理しているから食べなければと看護師は云うが、2500ccを除水して、800から1000グラムほど体重が残ったままである。ドライウェイト+一キロほどに戻さなければ。
 烟草を止め、食事の量が増え、運動をしない、これでは太るのが当たり前。昨日からはじめたが、深夜の病院の階段を上り下りしている。体重を減らすための苦肉の策である。入院先は四階建てなので、四、五回上下すればそれなりの運動になる。
 水分摂取は取敢えず、三日間で2000ccにした。もう少し削れるが、無理はしたくない。こちらは医師と相談のうえ、わたしが決めている。

 前述したが、「対処療法」と表記するのは間違いで、「現状のところ根治療法はなく対症療法にとどまる」が正しいようである。ところで、戸田中央の看護師の関谷今日子さんは個々のベッドを訪ねるたびにカーテンに手を掛けて「トン、トン」と声を掛ける。有音のパントマイムとでも云っておこうか、この種の気配りとしては非凡である。感心させられることのみ多かりき。(1月15日21時)

追記
 関谷さんには当掲示板にお名前を掲載する旨を伝えた。それほどに「トン、トン」は面白い。わたしの知己には看護師が多い、参考にしていただければ幸いである。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月23日 14:54 | 固定ページリンク




更生医療2  | 一考    

 今回は検査入院なので、川久保病院へ入院したときのような死ぬの生きるのと云った切迫感はない。初日は呼吸器系と心臓の検査、名称は分からないが、あれやこれやと呼吸を計られて最後は両手足の血圧と心電図とレントゲン。16日はAO虚空の内視鏡のようである。下部内視鏡はポリープの除去手術をしたばかりなので不要ともっか交渉中。
 穿刺の痛み止めはユーパッチでなく、ペンレスをはじめて使った。ユーパッチは一時間前だが、ペンレスは二時間、何ともはや悠長な麻酔剤である。値はペンレスの方が安いようである。透析機器は東葛より戸田中央が新しいが、ダイアライザーが同じなので意味はない。

 更生医療に関して戸田中央の事務員は詳しい。先日書いた「医学的意見書」の料金だが、戸田中央は二千百円。この値は圧倒的に廉い、病院もしくは医師によって値は違うが、通常は五千円から一万円の間である。継続申請自体は無料だが、継続には毎年「医学的意見書」の提出が必要なので、その費用が別途かかる。
 障害者手帳の申告にも医師の意見書が必要だが、そちらも二千百円から一万円の値の開きがある。もっとも多いのは一万円だが、その金額によって医師の良心を計ることができる。
 「更生医療は生活保護世帯は無料、他は収入によって上限額が異なる。限度額は2万円」と書いたが、限度額がいくらであれ、特定疾病療養受療証の一万円同様、戻ってくる。従って、立て替え料金が違ってくるだけである。生活保護世帯に限らず、更生医療が利便と役所はいうが、立て替え分だけで、他は変わらない。
 先日記載したが、腎移植をすると特定疾病療養受療証は効力を失い、返納しなければならなくなる。それゆえ、更生医療が必要になる。免疫抑制剤は生涯にわたって更生医療のお世話になるが、移植手術をどうするかは個々の判断に委ねられる。
 ネット上で、更生医療と特定疾病療養受療証のどちらが安くつくのかとの質問が多いが、これでお分かりいただけたであろうか。戸田中央では透析治療に更生医療を使う方もいらっしゃるようである(元々対応しているのは更生医療だけだった)。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月23日 14:50 | 固定ページリンク




佐々木幹郎詩集「明日」  | 一考    

 先日、幹郎さんと久しぶりに会った。ヒルトップの水出しコーヒーを飲みにゆく。わたしはウイーン風カフェを頂戴した。代金は980円とかで、味から推して安い喫茶店である。ちなみに、ランチは2700円。宣伝する気はまったくないが、昔、齋藤磯雄さんと赴いたことがある。谷澤さんや浪速書林の梶原さんが何時も利用していたホテルでもある(以上は不要のこと)。

 佐々木幹郎さんが新詩集「明日」(思潮社)を上梓なさった。その詩集について話し合ったが、前項の「不条理」は概要の一部である。今回の詩集は薄い詩集である。圧巻は巻頭の「珊瑚の岩の神の」で、息詰まるような濃密な内容で本詩集最大の特徴を成している。「珊瑚の岩の神の」はパーソナルな鎮魂歌であって、それとは逆の巻末のインパーソナルな鎮魂歌(このような云い方が正しいかどうか分からないが)と比して際立っている。謂わばパーソナルな厄災とインパーソナルな震災とのあいだで彼は引き裂かれる。
 詩を読むのは難しい。「オポッサムと豆」のような傑作を抽出して語るのは最も簡単な読み方だが、詩はそれでは済まない。修辞法と作品が内包する問題とが必ずしも重ならないからである。一方に、形式上は伝統的で明晰な論理と流麗な言語と緊密な詩法とによって読み手の同意を得ようとする寓意詩があって、他方に抽象的な概念をそのまま表現しようとする詩がある。前記が不条理についての条理をつくした作品とするならば、後者では文章、語、シラブルの間の論理的、文法的つながりが喪われ、不条理を作品上の不条理そのものに置きかえて提示する。有り体に云って作品の完成度がそのまま内容の完成度とはならないのである。
 要するに、詩にあっては修辞法と内容とが屡々離背する。ここに詩の読み方の難しさがある。

 昨日 ここへやって来たのはわたしではありません
 わたしの弟です
 なぜ彼とわたしを あなたは見まちがったのか
 なぜ あなたを愛でるためだけにやってきた弟から
 声を奪い 左半身を奪ったのか
 いえ 声だけは時とともに戻りました
 そのことは感謝します
 弟の出血がわずかだったことも あなたに感謝いたします
 弟はこの洞窟で 昨日 あなたに出会いました
 素晴らしかった と弟はまわらぬ舌でわたしに伝えました
 しかし 白色に輝く感動の聖痕だけを残して
 その右脳の一部を あなたは血で満たしたのです
 まちがっていませんか
 それはわたしにくださるべき罰でした

 「息詰まるような濃密な内容」と書いたのは双子の弟が沖縄で脳内出血で倒れた時のことを指す。同じ消息は散文でも書かれている。「旅に溺れる」所収の「17ccの血」がそれで、出血箇所は右脳、従って左半身痲痺が残される。「人間の手の機能は脳の大部分が司っているので、この機能の回復が一番後になるだろう」「那覇の病院に一カ月入院した後、大阪の病院に移送する日が来た。弟は歩く練習をはじめていた。わたしはK子さんと二人で斎場嶽に行き、ウタキの神に祈った。17ccの最小限の出血で止めてもらったこと。そのことをなによりも感謝した。これは啓示であることを肝に命じておきます。これからは、違う人生を送れとの天啓でしょう。これはわたしたちの革命であって、わたしはその通り歩みます、と」。
 バタイユの云う松果体は脊椎動物の間脳背面に突出する内分泌腺の一種であり、上生体、松果腺、松果器官とも云う。頭部の皮膚を通過する外界の光を感受することができる。松果体の発生過程で生ずる副松果体は一般にはあまり発達しないが、爬虫類のうちトカゲ類ではよく発達して顱頂眼(ろちようがん)となり、フナ類では頂天眼となる。これは視覚細胞と類似の構造を持ち、第三の眼とも呼ばれる光感覚器である。バタイユの特性はこの第三の眼と目眩いを相似と見立てたところにある。
 突然のバタイユで恐縮だが、幹郎さんと弟さんは双児の関係、バタイユの云う第三の眼と目眩いとの関係と瓜二つである。さればこその天啓であり革命であろう。この双児の関係は他人には窺いしれないが、ただひとつ、ことの重大さでは震災の及ぶところでない。
 おそらく、幹郎さんは「珊瑚の岩の神の」の取扱いに困ったのでないかと思われる。異質な内容の詩であるが中心に添えたい、しかして詩集を編むにどのような策を講ずれば良いのか。その結果が震災詩との合併であり、薄い詩集誕生の理由となった。はじめに書いたパーソナリティ同士の擦れちがいがここに生じたわけである。
 思考の原理のひとつに充足理由の原理なる概念があるが、ことの深浅を計ることはできない。要するに、わたしは震災詩との合併を歓迎しない。あまりの異質さに嚥下仕切れないのである。もしくは同種の鎮魂として読み手に誤解を与えかねないとすら思う。
 わたしは津波は津波で大変な出来事と思っているが、数段規模の大きな地震と過去出遭っている。だからこそ、原発という人災と一緒に語りたくない。震災と原発問題は断じて峻別しなければならない。
 そもそも罹災地へ詩人が出掛けてなんとする。それでなくとも、詩人は常にパーソナルな問いを突きつけられている。詩人にインパーソナルな質問、すなわち一般的な態度や判断を問うひとはいない。およそ非常識な応えしか返ってこないからである。分かり易く云えば、流行歌手や役者が罹災地でひとを癒し励ますことができても、詩人に傷心や失意を癒すことはできない。詩人は罹災者をさらに苦しめるだけである。
 詩人の為事は世界の不条理を情念の不条理に、言葉の不条理に置き換えて提示する。不条理とは世界の属性でも人間の属性でもなく、人間に与えられた条件の根源的な曖昧さに由来する世界と人間との関係そのものであって、変更不可能なものである。言い換えれば、人間存在の置かれた状態を示す言葉ではなくて、世界に対する態度を示唆する言葉である。

 ことさら薄いとの形容詞を用いた。「明日」はさらに薄くてもよかったのでないかと思う。真に傑れた詩は一篇で詩集になるとわたしは思っている。わが国に十人の詩人はいるが、十五人の詩人はいない。不用意に遣いたくはないが、わたしが頑張れと云いたいのは罹災地でなく幹郎さん本人である。

追記
 「司馬史観と呼ばれる歴史観に違和感を覚えている」と前述した理由は、明治との時代を捉える楽観的な上昇志向に堪えられないからに他ならない。わたしにとって文学とは常に暗く、美しいものでなければならない。幹郎さんの詩のごとく。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月14日 21:56 | 固定ページリンク




見舞い  | 一考    

 御見舞いメールなるものを頂戴した。見舞いに伺うとあるが、だったらメールはいらないだろう。いずれにせよ、検査入院に見舞いは無用である。日曜日は休みのため、拙宅へ帰ってきた。とにかく忙しい、日々透析の合間をぬって検査漬け。

 お隣さんが糖尿で腎不全、合併症で耳が聞こえなくなっての再入院だが、わたしに云わせると問題は腎不全のみ。クロアチニンの価を知らないのでなんとも云えないが、医師によると一年以内の透析らしい。と云うことは2.5か3.0ぐらいか。
 ご当人は点滴がつづくだけで悲鳴を上げている。なんともはや軟弱なお方である。その女房とはなしたのだが、ファーストフードの唐揚げやハンバーガーがお好きで、女房の手料理には箸もつけないとか。女房の料理は味が薄いようだが、この関東人の薄い味が曲者である。薄いとは色が薄いであって、即ち塩っぽいを意味する。濃口醤油より薄口醤油、トンカツソースよりウスターソースが塩味が濃いに決まっている。
 医師が食事制限のはなしをしている最中に、烏賊が喰いたいと女房に催促している。一方で、透析は嫌なので、医師が治すと思い込んでいる。わたしが半年以内に透析ですよと注意しても、わたしは大丈夫の一言、なにを云っても他人事である。糖尿病患者の一端が分かった気がした。
 深夜、お隣さんが暴れ出した、透析と云われたのが癪に障った様子。「チクショウ」「もう帰る」を連発しながら、「タクシーを呼べ」と看護師を手古摺らせる。わたしより年嵩だが、はじめて不条理と出遭ったがごとく、実はこの出遭いががはじまりなのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月14日 21:55 | 固定ページリンク




止水栓  | 一考    

 少量にせよ、自力で出ていた小便が止まった。除水が一気に3000から4000に跳ね上がり困惑している、遠からずこうなるのは分かっていたのだが。
 ちょうど明日から二週間の検査入院、入院と同時に水分を摂らない訓練をはじめないといけない。まず食事、次いで禁酒、禁煙、最後に水である。発病のときから諦めているので、どうと云うことはないが。
 昨日の透析からダイアライザーが変わった。詳しくは分からないが、移植に向けての変更だそうである。除水量の影響もあると思う。
 二週間ほど掲示板は休止する、退院後は続けるのでどうかよろしく。

追記
 「更生医療」が分かりにくいとの指摘をいただいたが、「特定疾病療養受療証」と「更生医療」との損得問題だと思う。複雑でケースによって異なるが、原則、更生医療が受けられるなら受けた方が良いとしか云えない。
 諸外国と比してわが国の医療費は安いが、逆に薬価は高い。特定疾病療養受療証と更生医療は共に薬価がずんと安くなる。利用しない手はない。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月12日 00:00 | 固定ページリンク




更生医療について  | 一考    

 更生医療について幾人かにお訊きしたが、どうも瞭然としない。病院には専門職の方がいらっしゃるのだが、更生医療に関してはみなさん曖昧である。そこで、当方で調べたことを書いておく。
 更生医療は障害者自立支援法により、精神通院医療、更生医療、育成医療を一元化した「自立支援医療」に変更されている。なお、更生医療は指定医療機関でなければ利用ができない。
 対象は身体障害者手帳を持つ満18歳以上の方で、事前申請が必要。ただし、区市町村民税(所得割)が年23万5千円以上の世帯の方は、原則として対象外となる。
 適用の範囲として、障害を軽減あるいは機能の維持が保たれるなどの効果が期待できる場合。身体障害者手帳に記されている障害に対する医療であること。保険診療に限られるので、特定療養費の差額部分や入院時食事療養費は支給対象にはならない。(角膜手術、関節形成手術、外耳形成手術、心臓手術、人工透析療法、腎移植術、唇顎口蓋裂の歯科矯正、抗HIV療法等々がある)
 更生医療は申請から認定まで二箇月以上かかる。市役所の障害福祉課で申請書提出、同時に「医学的意見書」の用紙をもらい、医師に記載していただく。この間の消息は身体障害者手帳と同じ。要するに記述費用として、3000円から一万円の実費が必要。この費用は継続の場合、毎年必要になる。継続申請は三箇月前から可能。
 更生医療は生活保護世帯は無料、他は収入によって上限額が異なる。限度額は2万円。従って、「特定疾病療養受療証」を持っている場合は最高額が1万円なので、更生医療とどちらが安くつくかは一概に云えない。
 わたしは腎移植に更生医療を用いる予定。腎移植が成功した場合は「特定疾病療養受療証」はなくなるが、「重度心身障害者医療費受給者証」は残る。免疫抑制剤を生涯飲み続けることになるが、その費用は二年目以降は月間10〜15万円、年間120〜180万円になる。だとすれば、毎年然るべき費用を払うにせよ、更生医療を続ける方が安くつく。

 http://www.medicalexpense.net/cat6/post_10.html

追記
 外来透析の費用は月52万円、年間624万円である。透析治療が普及しはじめる1973年当時、透析患者の一箇月平均医療費は、週三回で入院も含めると80〜100万円、一年間の平均では1000万円を超えていた。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月11日 11:40 | 固定ページリンク




不条理  | 一考    

 人間の条件としての不条理性への認識の深化は、人間の行為や表現の無意味さについての意識の先鋭化をもたらした筈である。はずであって、実状は知らない。人間は屡々退歩し、忘れるのを常とする。もしくは人間の行為や表現に対して意味性すら求めるような事態が起こり得る。
 その証拠に面と向かって話していて、君の作品は無意味だと云うと、例外なく喧嘩になる。そのような頓珍漢とのお付き合いは断じて蒙御免。単に社交辞令を求められるならわたしではなく他の方を御薦めする。
 どうでも良いこととどうでも良くないことを峻別できるひととのみ、付き合うように心掛けている。どちらが本音で建て前か、そんなこともどうでも良いことのひとつだが、例えば今回の震災にしても、罹災者は個別に受けたであろう苦衷を強調する、もしくはその解決方法の示唆を期待する、解決策がないにもかかわらず。なにひとつ元には戻らない、元に戻らないがゆえの不条理なのだが。
 先日朝まで生テレビを見ていて、司会者の独善に呆れ返ったが、そのようなことを気にしてもなにもはじまらない。原発の暴走は国の非常事態だと思うのだが、政府はそうは思っていない。思っていないどころか、一年を経ずして収束を宣う始末。廃炉はもとより、使用済み核燃料の最終処理すらこれから十万年、二十万年後に先送りである。おそらく、一年もすれば原発は稼働し、電力会社は新卒者を雇い、わが世の春を謳歌する、「世はこともなし」である。

 不条理を多少なりとも浄化すればシシフォスの神話になるが、罹災者はそのようなものを求めていない。罹災者は不条理ではなく、不条理の弁証法的展開をしか望んでいない。それこそが不条理性の否定なのだが。弁証法が内包する不純な面を際立たせるのが不条理の概念の半分、その不条理を再度弁証させて、一体どうしようと云うのか。意図するところはなんぞや、と訊きたくなる。 
 歌手、俳優、アスリート、政治家が現地へ赴けば、ひとを癒し励ますことができる。しかし、詩人に傷心や失意を翻すのは不可能である。罹災のパーソナリティを前に、詩人になすべき手立てはなにもない。不条理の極北は戦禍だとわたしは思っている。戦禍に類する事象がそれにつづく。個々の生活が断絶し、個々の人生が蹂躪される。詩人は芸能人ではない、「世界のやさしい無関心に心を開く」ことはあっても、不条理を否定することはない。他人の安寧を祈るのは祈る側の勝手だが、それほど無責任なこともあるまい。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月06日 05:59 | 固定ページリンク




姨捨山  | 一考    

 「欧州では七十歳を境にして、透析にせよ、癌にせよ、一切の延命治療は断たれる」と前項で書いたが、あれは延命治療でなく、治療全般の間違い。イギリスやスカンジナビアなどでは七十歳を出ると治療そのものが停止される。当掲示板で何度も触れているが、高齢者医療費の抑制が目的である。
 治療全般と書いた理由は、認知症なども含まれるからである。自力で食事がかなわない人には餓死が待っている。欧州では七十歳を越えると、速やかに死ぬようにと諭されながら生きているようなものである。日本と違って怖ろしくドライである。これに関してはウィキペディアの「後期高齢者医療制度」をお読みいただきたい。
 金持ちは中近東や米国へ出掛けて治療を受けるしかない。ちなみに、透析治療は一日置きなので生涯に渡って転居することになる。米国ではダイアライザー(人口腎臓)の持ち回りがあって、肝炎やHIVなどの感染、または死に至るケースも多数報告されている。
 国々によって法律が異なる。わが国のそれだけを眺めていると分からなくなる。さて、ローカリズムとは・・・。

追記
 ローカリズムを考えるに、マーストリヒト条約は適例であろう。なぜ適例かと云うに、元々ECSCにはじまるEUの概念は戦禍を避けるためのものである。昨今では経済問題ばかりが強調されるが、理念はまったく異なるところにある。TPPから派生する問題の粗方はEUに、マーストリヒト条約に内包されている。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月04日 10:35 | 固定ページリンク




不調法  | 一考    

 高遠さんからご挨拶をいただいた。恐縮しているが、挨拶は元々不得手である。不調法で申し訳ない。


投稿者: 一考      日時: 2012年01月04日 09:57 | 固定ページリンク




よいお年をお迎へください。  | 高遠弘美    

一考さん。しばらくお目にかかつてをりませんが、いつもこちらのサイトでご消息を確かめてをります。
先日は拙訳プルースト第二巻について、この上ないお言葉を賜り、いつものことながら忝く存じます。
病院とご自宅の行き来はさぞかしお辛いと思ひますが、くれぐれも御身大切にお過ごしくださいますやうに祈念申し上げます。
プルーストはまだまだ先があります。一考さんにお見せするのが私の一番の願ひです。私も健康に気をつけますが、一考さんもお体をおいとひください。
どうかお元気で、穏やかな新年をお迎へくださいますやうに。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2011年12月30日 23:57 | 固定ページリンク




透析患者の体操  | 一考    

 はなしを進める前にシャントについて一言。人工透析を行うに際し、短時間で大量の血液を浄化するための太い血管が必要になる。前腕の動脈と静脈をバイパスさせることによって、静脈血管は次第に怒張し、200ml/min程度の体外循環血流量の確保が可能になる。用いる針も16ゲージ程度の太い針を毎回穿刺しなくてはならない。もともと存在する血管を作為的に吻合するため、血管の炎症や閉塞など副作用を併発することもあり、心疾患を合併する患者には心臓への負担が大きい。

 アクセスログ一覧によると、このところシャント体操なるアクセスが多い。シャント体操が意味するところが分からないが、ふたつあると思う。ひとつはシャントを延いては血管を鍛えるための体操で、早い話が握力である。リストカール、リバース・リストカール、ハンドグリップ等がそれで、シャントを造った後、半年ぐらいは励む必要がある。
 いまひとつはシャントを造った後、身体が萎えてゆくのを防ぐための体操である。こちらはいささか複雑な問題を抱える。透析患者にとってシャントは命そのものであり、絶対に傷付けてはならない大切なものである。にもかかわらず、動脈硬化症を防ぐための最低限の運動はしないといけない、その兼ね合いが難しいのである。
 シャントを拵えたとき、腕にものを掛けない、重量物を持たない、手枕をしない、シャント側を下にして寝ない、腕時計やブレスレットを用いない等々の注意をうるさく受ける。例えば、腕立て伏せにしても自己責任であって、医師は決して奨めない。自転車やオートバイに乗るひともいるが、皮膚一枚を隔てて動脈が走っている。顛倒で動脈を傷付けると二、三十秒ほどで失血死する等々。
 運動は緊張と弛緩の連続、そしてその緊張と弛緩の均衡を喪うのが病である。さらに血管の状態が個々に異なる。糖尿の場合、特に血管は脆い。糖尿でない場合は可能な運動が、糖尿だと不可能とのケースが多い。要するに透析患者の体操に一般論はない。個々の患者の血管の状況に応じて個別に選択するしかない。問われるのは主体性であって、宛行扶持の体操では役に立たない。
 わたしは血管が比較的丈夫である。そして除水が2000までの部類に属しているので、透析後のダメージが少ない。従って透析後、病人特有の廃用症候群(生活不活発病)を防ぐために自転車に乗っている。だからと云って他人に奨められるものではないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月30日 10:49 | 固定ページリンク




ローカリズム  | 一考    

 五百年ほど昔、大航海時代にはじまったグローバリズムが植民地主義や帝国主義の苗床となった。振り返るに、最初のTPPとでも云うべき衝撃の出会いはフランシスコ・デ・ザビエルであり、ルイス・フロイスだったに違いない。
 グローバリズムの対義語はローカリズムだろうが、リージョナリズム、セパレーティズム等と複雑に絡み合い、単純に片付けるわけには行かない。わたしなどは地域主義の典型は鎖国だろうと思っている。1639年(寛永16年)から1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶようである。
 はなしを面白くするために、1866年の坂本龍馬が計った薩長同盟や1868年の新撰組局長近藤勇処刑によって日本のローカリズムは息の根を断たれる。近藤勇がローカリズムの守護神であり、坂本龍馬がその逆との図式になる。坂本龍馬ほど節操のない人間も珍しかろうが、亀山社中は日本最古のグローバル企業だった。
 TPPへの賛否が囂しいが、維新以降の日本は一貫して植民地主義、帝国主義の道を歩んできた。戦後、帝国主義の衣は脱ぎすてたものの、本質はなにひとつ変わっていない。海援隊以降、企業のグローバル化は止まるところを知らず、日米の二箇国で世界の七割(計算方式によってまったく異なる)を占める。日本が進出していないのは飲食関係ぐらいなもの。
 ローカリズムだが、日常生活の場でパソコンを用い、携帯電話を必需品とするような現代人にいまさら鎖国時代の生活が営めるのであろうか。海外交通はおろか、近隣の旅すらが禁止され、外交、貿易が制限された時代である。水平でなく、鉄道や国道を廃し、文化を川単位すなわち過去の垂直のそれに変更しなければならない。「日本の橋」の含意をこころの旅の本意とする、言い換えれば、ブータンの国民総幸福量に顕著なスローライフへの回帰である。
 さて、わたしはTPPに諸手を挙げて賛成だが、民意が反対ならそれでも佳いと思っている。それでなくとも、維新それ自体に否定的だし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの司馬史観と呼ばれる歴史観に違和感を覚えている。私事で恐縮だが、二箇月前から米国由来の遺伝子組み換え医薬品によって命脈を保っている。そうした最新の医療技術を棄てる覚悟は端から出来ている。欧州では七十歳を境にして、透析にせよ、癌にせよ、一切の延命治療は断たれる。決して飛躍はしていない、ひとの命の問題も間違いなく一種のローカリズムである。
 もっともTPPへの参加を決めるのは米国であって、永田町の傀儡政権ではないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月28日 13:30 | 固定ページリンク




病理学検査  | 一考    

 二十三日の昼頃から拙宅のネット環境は不通だった。たかだか二日なので、どうと云うこともないのだが、回線が切れているのを知ったのは明石の女房からの連絡だった。メールを送ったらしいのだが、返事がないがゆえの電話だった。
 掲示板を運用してい、頻繁に見る方だと思うのだが、書き込まなければ一週間ほどパソコンを立ち上げないときもある。大体が、ムーンさんはじめ関西在の方に用事があれば電話を用いる。

 ところで、ポリープ生検の病理学的検査が出た。検査結果は顕微鏡検査で中程度の異型を伴う腺腫で、グループ3の診断だった。グループ3は良性ポリープで癌ではない。大きさはふたつは10ミリを超えていたが、医師はこの大きさなら癌かもねと云っていた。良性のポリープと癌とのあいだには、明瞭な境界線はが引かれない。子供が成長して徐々に大人になるように、良性のポリープは徐々に悪性度を増して癌になる。中間病変の場合は、判定する医師によって良性か悪性かの判断が異なる場合すらある。

 グループ1 正常粘膜、および異型(細胞や腺管の形態が正常から離れること)のみられない炎症性あるいは過形成性粘膜
 グループ2 炎症性あるいは再生性変化、および軽度異型を示す過形成性ポリープ
 グループ3 軽度〜中等度異型を示す腺腫
 グループ4 高度異型腺腫、良悪性境界病変、きわめて分化のよい高分化腺癌
 グループ5 明らかに癌と診断しうる病変

さらに分かりやすく説明すると、

 グループ1  完全な良性
 グループ2  まあ良性
 グループ3  要注意の良性
 グループ4  癌とはいえないがかなり癌に近い
 グループ5  完全な癌

 術後の病理検査でグループ5すなわち癌の結果が出なければ、良性とまでは云えなくとも、すべてポリープである。癌とポリープの差は大きさと聞いていたが、例外もあるらしい。
 この四、五年のあいだに摘出手術を受けた知己に検査結果を聞いたが、全員が1から3の診断、なかには転移なしと応えた方がいる。これは癌でないとの強調型と思われるが、意味は不明である。
 わたしのポリープは肛門から五十五センチの位置。大腸癌の原因は肉食であって、魚肉は安全である。さて、前述のメールだが届いていない。彼女にはメールの送付はまだ無理のようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月25日 14:02 | 固定ページリンク




サイクリングロード  | 一考 

 江戸川の東岸を松戸野田関宿自転車道路(41キロ)、西岸を三郷幸手自転車道路が、その先は茨城県となって利根川、渡良瀬川へ、サイクリングロードは古河岩井自転車道路へと繋がる。その先はどこまで続くのか、手持ちの地図では定かでない。
 三郷幸手自転車道路は総距離35,950メートル、通称江戸川自転車道と呼ばれてい、路面状況は東岸のそれよりも勝る。拙宅から往復で72キロ、丁度淡路島一週(155キロ)の半分である。起伏もなく、リハビリには最適。往路と復路を川の東西に切り換えると楽しい。
 淡路島はよく走ったが、南岸エリアは起伏が多く、ブラインドコーナーも多い。わたしは大事故を起こしているが、それと比して江戸川は事故の起きよう心配もない。公園もよいが、たまにはちょっとした遠出をしようかと思う。

 http://park20.wakwak.com/~toukatsu/toukatsucycling.htm
 http://park20.wakwak.com/~toukatsu/

東葛一円のサイクリングコースが紹介されている。


投稿者: 一考    日時: 2011年12月23日 11:10 | 固定ページリンク




 |   一考

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 ユリカモメやカルガモの群れに混じって穢い鳥がいる。体長は六十センチほど、黒褐色乃至真っ黒で図図しく回りを睥睨している。見様によってはダンガリー、ドンゴロス、頭陀袋のようにも見える。最初、この鴉の親分のような鳥はなんだろうなと思っていたが、ペリカンのような大きく尖った嘴に記憶がある、鵜である。カワウかヒメウかは分からないが、鵜であるに違いない。
 それにしても、鵜が一羽で水元公園でなにをしているのかしら。鵜飼いでしか知らなかったが、単独行するものかしら。不忍池にコロニーがあると聞いたことがあるが、浅草から飛んできたのかしら。二日連続で流れの真ん中の杭に止まっている。
 小浜市の鵜の瀬では、天平の昔、白黒の二羽の鵜が岩から飛び出し、留まった樹の跡から甘水が湧き出し、香水が満ち溢れたのが湧水のはじまりという記録が残っている。三次の鵜飼いには一部白い鵜が使われているが、あの鵜は中国四川省雅安市から贈られしもの。
 猫の白いのは気味が悪いが、逆に鳥の黒いのは落ち着かない。水元の鵜も白ければよかったのにと思う。
 写真はユリカモメと戯れる子供。


投稿者:   一考  日時: 2011年12月22日 06:27 | 固定ページリンク




禁煙3  | 一考    

 東葛クリニック本院の栄養士からヨーグルトを奨められて食べはじめた。いろいろ種類があって良く分からない。今流行のダノン・ビオは甘くて水っぽい、森永乳業が販売しているギリシャのパルテノは美味いが値も高い、地元だがちばらく(千葉酪農農業協同組合)のヨーグルトがもっかのところ一番口に合うが酸味が足りない。牛乳は駄目だがヨーグルトは構わないとの根拠が良く分からないままに食している。おそらくオリゴ糖と思うのだが。
 穿刺者にヨーグルトのはなしを洩らしたところ、さっそく東葛クリニック根本の栄養士が駆けつけた。迅速な反応に愕いたが、粗方は予想通り。コレステロールに異常はないので、現状ではヨーグルトを食べる必要はなさそうである。仮に食べるにしても、三日に一度かもしくはヤクルトの方がよいのでは、いずれにせよ血中のリンと相談しながら慎重にとのことだった。

 禁煙だが、三日目が大変とか、一週間辛抱できたら止められるとか諸説紛々だが、ちょっと異なるようである。昔、種村さんから横で煙草を旨そうに咽むなと叱られた。俺は嫌で止めたのでないからと泣き言を仰有っていたのを想い起こす。要するに禁煙というものは止めた、止めないとの単純なことではない。酒と同じで、半年経とうが、一年経とうが、日々煩悶がつづくのである。取敢えず、明年の四月までは止める。しかし、移植が終わった後はふたたび煙を燻らすつもりである。
 先週の土曜日はドライウェイトを五百グラム取り置いた。禁煙が軌道に乗るまでは体重の管理が乱れるのも仕方がない。それにしても、禁煙が食欲増進と対になっていたとは。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月21日 05:02 | 固定ページリンク




セーリング  | 一考    

 みさと公園でヨットを走らせている老人と会った。八十センチほどあろうか、玩具としてはかなり大型のヨットである。型式は小型クルーザーといったところか。季節柄少々風があるにもかかわらず、風下へ向かって回頭している。この人は真物のヨットは未経験だなと思いながらも、楽しく見物させていただいた。
 推進器にエンジンもしくは電動モーターを積んだリモコンの船は良く見るのだが、あれは五月蝿いばかりで興味はない。風任せというか、風頼みのこのようなヨットははじめての経験であって実に結構、ずっと座り込んで眺めていた。
 ラダー(舵)とセール(帆)が無線で動く仕掛けになっている。タッキングを繰り返していたが、回頭の度にひっくり返りそうになる。なんとか持ちこたえていたが、おそらくそういう構造になっている、もしくは顛覆しない構造になっているのであろう。ひとしきり遊んだ後、キールを見せてもらったが、三十センチほどある。艇長から推して異常に深いキールである。しかも突端に重しが付いている。これで横羽を付ければまるで競技用ヨットのウィングキールである。聴けばこれも競技用のヨットだそうで、と云うことは競技会もあるのだろう。ある種、完成された玩具だった。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月19日 10:19 | 固定ページリンク




空包と実包  | 一考    

 東葛クリニックでの主治医は秋山和宏さんだったが、ネット上で随分と発言なさっているし、著書もお持ちである。通常クリニックは毎回医師の回診がある。そして回診する医師の多くはアルバイトである。従って落ち着いてはなしもできないのが実状である。ところが秋山医師の診察は鄭重である。具体的には書かないが、感謝している。今回も月曜日に診察、火曜日に入院手術、水曜日に予後確認、木曜日朝退院とまさに緊急措置を取っていただいた。

 内視鏡を差し込むと、一緒に多量の空気も腸管へ這入る。それが理由で術後、頻繁に放屁がつづく。いわば空包で、三、四日便秘が続くのは了解事項である。
 最初の便に出血があれば大変だが、なければ一安心である。そして実包が出てくればそろそろ風呂が可能になるはずである。そうして徐々に日常を取り戻してゆく。とはいえ、金曜日に一度便通があったのみ、いささか気にはしている。
 自転車での散歩、買い物を引っくるめて今回の入院は生活になんらの影響も与えなかった。畏るべし内視鏡。画質を維持するためにこれ以上ファイバースコープを細くできないというが、それとて時間の問題である。上部消化管から下部消化管、胸腔から腹腔、膀胱から関節、脊椎から血管へと内視鏡の活躍範囲は拡がりつづけている。日本の医療器具の独擅場である。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月18日 11:56 | 固定ページリンク




曜日  | 一考    

 わたしは火、木、土と透析治療を受けている。と云うことは月、水、金のグループがある。曜日は面白いもので、前者と後者または朝の部、準夜の部、夜の部と患者の相貌がまったく異なる。人気は月、水、金の朝の部に集中している、そして重篤な患者が多い。半分は車椅子である。正反対なのが火、木、土の準夜と夜の部で、働いている方が比較的多い。
 本院で透析を受けたのははじめてだが、ぴくりとも動かれない方が数人いた。ベッドに乗せて運び、ベッドで去ってゆく。まるでグラックかジャコメッティーのごとく、十代の時の暗さをそのままに生きている。
 治療と云い、治療食という。治療とは病気やけがをなおすことであり、治療食も疾病の軽減、健康回復のための食事となっている。ところが、世の中には癒らない病がある。肝硬変などもそうだが、不可逆な病は多い。治療と称しているがそれは名ばかり、死に向かっての行進で、前述の暗さはそこに由来する。ちなみに、東葛クリニックで昨年一年間に亡くなられた患者数は八十五名。ほぼ四日に一人、櫛の歯を挽くように仲間は喪われてゆく。さまざまな事情があってそれ以上のことは書かれない。黙祷。

追記
 今日からいつもの透析部屋へ戻った。相変わらずの修羅場である。命懸けの透析が繰り返されている。他人事ながら涙が落ちる。それ故、口癖のように死にたいと洩らす女性をわたしは憎悪する。死にたいなら死ねばよい、なにを遠慮することがあろうか。死との概念を玩具にすることをわたしは許せない、許さない。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月17日 16:02 | 固定ページリンク




植物のざわめき  |   一考

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 水元公園の蘭鋳である。三十年前なら二十万円はする金魚、今なら幾らぐらいするのかわたしには分からない。やや小振りなのが難点だが、尾が太く真っ直ぐで親として用いるに最適、見惚れる蘭鋳である。金魚の守護神はユイスマンスとプルースト。

 水元公園、みさと公園はどこにいても水の音が聞こえる。シラカバ、ニセカンバ、ミズナラ等、木々の命の音をはじめて聞いたのは北海道のキャンプ場だった。地中深くから水を吸い上げるゴーッ、ゴーという音ほど逞しくはないが、人間のお腹からはとろとろもしくはぽくぽくと水の流れる音がする。このぽくぽくはわたしが手にした聴診器であって、機器が変われば音も変わるのかも知れない。
 ひとの身体はとんでもないざわめきを秘めている。このざわめきを音楽にしたアバンギャルドな表現者もいたが、ざわめきを言葉に綴った鏡花やプルーストのような作家もいる。間違いなくラルボーも同種の書き手であろう。プルーストが「失われた時を求めて」に着手したのは09年秋、翌年、騒音や外気を遮断するために部屋をコルク張りにする。遮断によってざわめきは醇化され、さらに明瞭な形を取ったに違いない。
 高遠弘美さんの「スワン家のほうへ2」が上梓された。プルーストは岩波書店からも刊されているが、読むべきは光文社の高遠訳。ざわめきと静謐さとの鬩ぎ合い、プルーストの息遣いが聞こえてくる歴史に残る名訳である。


投稿者:   一考  日時: 2011年12月16日 13:35 | 固定ページリンク




禁煙2  | 一考    

 禁煙は口が淋しくなる、と云うことは自動的に食欲が増える。煙草を止めると太るとよく云う。他方、摂取量は押さえなければならない。そこに問題があって解決策はない。
 そもそも、止めようとの積極的な意志を持たずに、何となくはじめた禁煙である。東葛クリニックの栄養士はあなたなら意志力がありそうなので止められると云う、しかしわたしに意志力はない。
 某医院の女医が喘息らしく喫煙者の横に行くと発作が起きそうになると云う。また免疫上問題があって禁煙しないと移植手術は行わないともいう。前者は医師の我が儘だし、後者は移植を担保にとった恫喝でないかと思う。わたしは他人から脅されて行動の制約を受けるのは不愉快である。禁煙が要請であればともかく、命令であればいっそ移植を諦めても良いとすら思う。
 そのようなことを書いているのも、苛ついている証拠である。わたしが見事だと思うのは木村さんである。彼はある日突然ではなく、徐々に、消え入るように止めてしまった。禁煙の理想形だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月16日 06:25 | 固定ページリンク




美女  | 一考    

 さきほど退院となった。看護師が打ち揃っての見送り、このような経験ははじめてである。東葛クリニック本院は美人が多い、これだと入院が長引いても嬉しかったのだが。
 約束通り、朝食に二百グラムの重湯を馳走になった。二、三日は五分粥を食して欲しいと云われたが、そのような心配は無用、雑炊にして食べると云ったところ、野菜がどうの、植物繊維がとはなしになった。分かっていることだが、若い女性と話しているのが愉しくて黙って相槌をうつ。暫くの間だが、根菜、蕈、麺麭のようなぱさつくもの、固いもの、香辛料を含む刺激物は遠慮したほうがよろしかろう。
 天気が良いので自転車で水元公園へ出掛けた。ゆっくりと日向ぼっこしながら、ソフトクリームを食べたく思った。スジャータのソフトクリームなので専ら観光地向け、決して旨くはないのだが。割烹料理を頂くときは五月蝿いが、牛丼や天丼、トンカツやコロッケ、寿司や蕎麦、饅頭やアイス等々、下世話なものを頂戴するときはなにも云わない。

 http://www.sujahta.co.jp/tomi/flavor.html


投稿者: 一考      日時: 2011年12月15日 12:46 | 固定ページリンク




AO虚空  | 一考    

 東京へきてから四度目、明石を入れると五度目の内視鏡検査である。経口腸管洗浄剤が随分と飲みやすくなったように感じられる。何時もは少し残すのだが、今回は時間通りに飲み干した。大腸の方は術後の出血もなく、うまく片づいたようである。硬く縛った箇所は一箇月以内に千切れて便と一緒に流れるそうな。
 今は十三日の深夜だが、冷えた茶が滅法旨い。明日は九時二十分からヘパリンを替えての透析治療である。

 今回がはじめてではないが、内視鏡による施術は便利になったものである。喉頭から食道、胃、そして盲腸、結腸、直腸、肛門管に区分される大腸、要するに小腸を除く消化器官のごく一部の手術が開腹せずに可能になった。
 内視鏡はAO虚空に止まらない。棹の先から内視鏡を突っ込んで、尿管にバイパスを拵える術も明石時代に受けた。十九世紀なら考えられない科学の進歩である。
 内視鏡と共に注射針も細くなっている。注射針のサイズはゲージ(太さ)だが、通常使われる針が24から20ゲージ。管の内径は皮下注射用は0.6〜0.7ミリ、筋肉、静脈注射用は0.8〜0.9ミリ、輸血用には1ミリ前後のものが用いられる。病院で真っ先に穿刺される血液検査には22ゲージが使われている。一番細いのがインシュリンに用いる33ゲージで、これは日本にしか存在しない。ゲージ数が少なくなるほど太くなる。注射針を作る技術は日本が世界一で、どんどん細くかつ硬質なプラスチックに置き換えられている。ただし、血量を求める透析用は細くはできない。透析には17、16、15ゲージを用いる。20番台の針とはまるで異なり、直径が1.5ミリを軽く超える。刺すときのインパクトは大きく全身が硬直する、痛み止めがなければどうにもならない。20ゲージまでの注射針で痛がるのは赤子だが、16ゲージでも痛くないというのは変態、どうにもならないマゾヒストである。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月15日 10:50 | 固定ページリンク




禁食  | 一考    

 昨日の夜から禁食に這入った。木曜日の朝までなにも食べられない。出血がなければ重湯が木曜日に出るらしく、重湯が出れば退院である。
 この手の禁食には馴らされている。飴かチョコレートが欲しいところだが、今回は完全禁食を守ろうか。

 前項で百四十グラムと書いたが、困るのは汁物である。スープや味噌汁の類いだが、腎不全用のカレーは百グラム、スープは百四十グラムである。小さな茶碗で六分目ぐらいなのだが、量はともかく、副食が一杯の汁物でお仕舞いというのはいささか切ない。同じ食べるなら固形物を食べたい。元々好きな汁物だったが、めっきり食べなくなってしまった。
 十三歳から二十五歳までは体重が五十キロだった。当時は寂滅思想に魅せられてい、食べるということに羞じらい乃至嫌悪感を抱いていた。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月13日 05:33 | 固定ページリンク




久しぶりの入院  | 一考    

 除去する癌は四つ、他は現状では除去する必要のないポリープ。ときとうクリニックでポリープの癌化は四年ほど後のはなしと聞かされたのが九年十月、思いの外早まったようである。
 明日入院手術、予定だと木曜日の退院である。今晩から明日一杯は絶食である。ときとうクリニックの方が腕は達者だろうが、透析が必要なので東葛クリニック本院四階へ入院する。病室を見てきたが、患者は透析治療を受けている高齢者ばかりで、食事を自分で摂られない方ばかり、うんざりである。
 ヘパリンを投与しているので、医師は出血に気をつかっている。特に手術による穿孔が怖いと云う。出血が続いた場合は入院が長引くこともあるそうな。
 火曜日の透析日を本日の準夜に急遽変更する。本院と東葛クリニック根本との間で何度も遣り取りがあった、透析日の変更は大事で申し訳なく思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月12日 13:34 | 固定ページリンク




日乾し  | 一考    

 血液検査に異常なしなどと繰り返し書いているが、実は至難の業である。透析患者で異常がないのは百人か二百人にひとりだろうか。とんでもない食事制限を試みているのである。
 透析患者の楽しみは飲食に収斂される。例えば旅をしたいと云っても、行った先で腹一杯飲んで喰ってが結句となる。水分が何ミリリットルと常に計算しながらの飲食がどれほどの苦痛を伴うかは経験した者にしか分からない。透析生活が数年に及ぶと一日の飲食の総量が一リットルから一、五リットルに制限される。その場合、水として飲まれるのは二百ミリリットルを切る。食事の度に二十、三十と計算しながら口を湿らせることになる。結果、身体は潤いを失い小さくなって乾涸らびてゆく。
 除水は一日置き、四時間で最大三、二リットルまでである。そして摂取量を一日一リットルで収めるのは現実的でない、おそらく不可能である。健康なひとは一日二リットル以上の水を飲み、同量の食事をしている。二日で八リットルである。
 ドライウェイト(除水後の体重)を決めるのは心胸比と血圧である。血中水分が増えれば血圧が上がり、心胸比が高くなる。心胸比が高まれば肺水腫になり、呼吸不全や心不全に陥る。健康であれば尿の排泄によって余分な水分を除去し、翻っては血圧を低く保つ。その尿の排泄がまったくできなくなるのが慢性腎不全である。
 素人には難しいことが分からないのでドライウェイトを基準に考えるしかない。除水が過ぎれば血圧の急激な低下を招き、全身の痙攣や失神に至る。それを防ごうと思えば自分の身体に適した除水率を守るしかない。わたしの場合は二リットル以下である。逆算すれば一日一リットルとなる。
 一日一リットルだと小振りの弁当一食分と水を五百ミリ(わたしは食事を削って水の量を増やしている)である。その一食分の食事を二回に振り分けて食べている。肉じゃが、おでん、すき焼き、なにを食べようが一日百四十グラムまでである。パンならマーガリンを塗るので五十グラムにしている。かてて加えてリン、カリウム、ナトリウム、カルシウムと五月蝿い条件が付帯する。
 わたしは自力で五百ほどの尿がまだ出ている。従って除水は二日で一リットルで済んでいるが、こちらは時間の問題である。たまにもう少し食べたいと思うこともある。肉一切れ、豆腐ひと欠けと思うが、そこへ足を踏み入れると際限がなくなる。そのような時は多量の煙草で誤魔化してきた。その煙草を止めろと云われてもっか困惑しているのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月12日 04:58 | 固定ページリンク




パソコン  | 一考    

 女房からパソコンの使い方について質問があった。パソコンの使い方と云うよりも、アプリケーションの使い方と云ったほうが正しい。彼女はイラストレーターを使いたいようだが、そうであればイラストレーターの入門書を買うのが手っ取り早い。わたしなどは非常に偏った使い方しかしていないので、教えるような知識はなにもない。
 彼女はワープロの経験があるので両手打ちができる。わたしは未だに右手の中指一本である。それでも本職のキーパンチャーとほぼ変わらない速度で打てる。それは漢字変換の速度が違うからである。必要があって日夏耿之介の文章を打ち込んだことがあったが、キーパンチャーとわたしは同時に終わった。要するに、難しい漢字が多いほどわたしには有利になる。
 当掲示板はブログ用のソフトを掲示板用に書き換えていただいた。おっきーさんにお願いしたのだが、プログラミング言語はわたしには珍糞漢糞である。エクセルのセルの入れ方もひろさんに教わった。遡れば、文字の打ち込み方はムーンさんに教わっている。すべて他人から教わったことばかりだが、分かったような顔をして使っている。
 それにしても、教えることができると云うのは素晴らしいことである。理解していなければ教えることなんぞ出来ないからである。問い掛けに対して五月蝿いとか面倒だと思うひとは問い掛けの内容を理解していないのであって、いくら訊いても無駄である。
 彼女にプレゼントしたパソコンはわたしが使っているのと同じ型式のレガシーマックだが、二十万字の漢字と熟語を追加登録している。そちらに関しては最新のパソコンと比しても遙かに勝る性能を持っている。
 パソコンはどこまで行っても道具であって智慧とは縁のない存在である。論語以上の智慧を現代人は持っていないと書いたのは小林秀雄だが、彼は同時に智慧が科学を批判する必要性を説いている。何時もの繰り返しになって恐縮だが、道具は進化するが人の心に深化はあっても進化はない。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月11日 01:09 | 固定ページリンク




海泡石  | 一考    

 幹郎さんから為事を止めて身体の調子はどうかと訊かれた。この言葉にはいろんな意味が内包されているが、わたしは刺激がなくなったので掲示板に書くことがなにもないと応えた。思うに日々、店でさまざまな方の意見を伺う、それに託つけての書き込みだった。要は客を罵っていたようなものだが、個々の方にそれとなく分かるように仕掛けているので、罪は浅いだろう。
 他人からの刺激がなくなれば自分を喧ればよさそうなものだが、それが結構難しい。翻ってクリニック乃至病に関する書き込みが増える。腎臓を病んでからわたしの人生は病と共にある。命にかかわる病気なので仕方がないと云えばそれまでだが、闘病そのものが人生となった。

 その幹郎さんから連絡があって、海泡石(かいほうせき)のパイプ並びに喫煙具一式の嫁入りが決まった。ものがものだけに行き先に困っていた。幹郎さんなら持ち主として相応しい。十二日の月曜日に入院の日取りが決まれば早速お会いして手渡すつもり。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月10日 23:22 | 固定ページリンク




メシャム  | 一考    

 禁煙の已むなきに至ったので、拙宅の葉巻、シガーを片端から咽んでいる。結構な量があって、あと六、七十本ぐらい。喫煙具も多数あって、竹中工務店の元電算室長から吉田一穂がらみで頂戴したタンザニア産海泡石のパイプがある。多田智満子さんがキリマンジャロから持ち帰ったタンザナイトの原石同様、親しみを覚えている。その海泡石のパイプは幹郎さんに貰っていただきたいのだが、彼はパイプを嗜まない。さて、どうしようか。(海泡石のパイプについては掲示板1.0で書いた記憶があるのだが出てこない)

 書肆山田の大泉史世さんから酒をよく止められましたねと云われたが、酒が止められたのだから煙草もうまく行くと信じている。もっとも、今では酒は凄まじい胃痛と吐き気をもたらす、脂汗を滴らせながら酒を飲む図はいただけない。
 ニコチン中毒とアルコール中毒だが、わたしは生活環境から云って後者の方が近しい。アルコール中毒は強迫的な精神疾患であってニコチン中毒とは種を異にする。2003年度の「アルコール使用による精神及び行動の障害」による精神病院入院患者数は2,751人、ちなみに死亡率は四十パーセントである。覚醒剤中毒に準じ、禁断症状には目を背けたくなるものがある。覚醒剤同様の妄想や振戦譫妄、全身の痙攣発作(アルコール誘発性癲癇)、または幻覚症状が頻繁に現れる。神戸の福原時代、身の回りに常に五、六人はいた。ですぺらには軽度の依存症患者が二名いらしたが、「山型飲酒サイクル」にまでは移行していない。そのうちの一人は上記の方であり、いまひとりは装訂家として著名な方である。
 禁煙ニコチンガム、禁煙パイプ、電子タバコなどニコチン依存症向けの禁煙グッズが多く売られている。なんぞ見繕ってこようか。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月09日 16:27 | 固定ページリンク




橋下徹のこと2  | 一考    

 大腸癌の摘出について、今月の十二日に消化器外科の医師とはなしあう。わたしにとって癌の摘出手術は前座であって真打でない。年内に処理したいので時間がなく、無理を押し通す。いつものことながら、看護師に迷惑をおかけし申し訳なく思う。

 先日書いた橋下徹のことだが、被差別部落の問題に反論したのは読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」のみ。やしきたかじんの他、辛坊治郎、桂ざこば、三宅久之、宮崎哲弥、勝谷誠彦たちがかかわる。関西では圧倒的な支持を得る人気番組である。
 石原慎太郎や野中広務が突如橋下支持を打ち出したのも文春、新潮の差別発言に反撥したのが理由である。思うに、野中広務の出身も同じでなかったか。詳細は書かないが、両誌もしくはウィキペディアでも検索していただきたい。
 前述したように、わたしは必ずしも橋下支持ではなかったが、新潮、文春の問題発言を読んで橋下支持に変わった。聞くところによると、横浜市長だった中田宏、元改革派官僚の古賀茂明をブレーンに迎えるようである。そちらは結構な人選だが、両誌が展開した論旨に対しては糾弾に乗り出すべきと信じる。断じて看過してはならない。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月09日 03:53 | 固定ページリンク




尿量低下  | 一考    

 前回の血液検査の結果によると、低カルシウム血症、高カリウム血症は元に戻り、肝機能障害を除いて正常に戻ったようである。肝機能は一箇月に一回の検査なので、次回の血液検査(本日)を待たなければならない。貧血は若干の改善が見られたが、エポジンの投与はは当分続きそうである。
 穿刺の担当者は二週間のあいだ毎回異なる。そういうローテーションが組まれている。看護師は前回の記録を見ながら、あなたが2000を超えるなんて珍しいと云う。次いで、鍋物を食べた折、ご飯はどうしたと質問された。飯は食べていないと応えたところ、鍋物だけだと水分の摂りすぎになって血圧に悪影響を与える、副食は押さえてご飯は必ず食べるようにとの忠告を受けた。分かっているのだが、体重を増やしたくないので飯を食べなかった。結果はまったくよろしくなかったが。 
 それよりも、このところ急速に尿量が減ってきた。水分制限が冬期にはじまったのは不幸中のさいわいと云うべきか。

追記
 最新の血液検査はきれいなものだった。久しぶりに異常はなにもない。コレステロール、血糖、リン、カリウムは正常値に。肝機能も戻った。ヘマトクリットがやっと上昇、遺伝子組み換えの医薬品はさすがによく効く。上述したように、念の為にエポジンは続ける。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月08日 15:30 | 固定ページリンク




馬鹿な奴  | 一考    

 このところアダルトサイトを紹介する書き込みがつづく。まず云っておきたいのは当掲示板の主人は慢性腎不全である。従って性的能力はまったくない。インポテンツ相手にアダルトサイトを奨めるその真意はどこにあるのだろうか。少なくともわたしは性的なことにいささかの興味も持たない。持たないどころか不愉快ですらある。面識があれば張り倒すところだが、それができないのが残念。世の中には馬鹿な奴がいる。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月08日 03:14 | 固定ページリンク




禁煙  | 一考    

 入院患者のうち、ふたりが昨日戻ってきた。当然なのだが、透析患者は常に死と隣り合わせである。回りの患者が次から次へと倒れてゆく。過剰な除水で血圧が降下し、下呂を吐き、痙攣を起こし、気を失う。
 今日は戸田中央からの用事があって女房を連れて東葛クリニックへ行った。ちょうど朝の部と準夜の部の入れ替え時でごった返していた。半分が車椅子、半分は跛を引きながら列をなす。異所性石灰化によって、透析患者はまず脚の自由を喪う。惨憺たる状況に彼女は愕いて口をあんぐり。一度この光景を見、記憶に残してほしかった。彼女にはちょいと酷すぎたかもしれない。

 戸田中央の検査入院が明年一月十二日から二週間と決まった。彼女は十九日から一週間。移植手術は三月上旬、一箇月の入院である。共に入院なので誓約書が必要。書面には支払い責任者と連帯保証人双方の書名押捺が必要である。幹郎さんにお願いするつもりだが、支払い責任者を頼むとさすがの幹郎さんも怒るであろう。よって連帯保証人を依頼する予定。連帯ゆえ、結果は同じことなのだが。
 十二月中に大腸の癌ならびにポリープ(違いは大きさだけである)の除去と憩室の洗浄を済ませるようにと云われた。その手術が可能かどうかを確かめに東葛クリニックへ行ったのである。わたしの予定は二日の入院、無理を承知のはなしだが、なんとかなりそうである。
 さらに重大なはなしがあって、煙草を止めなければならない。頻繁にニコチン検査があるそうで、禁煙が叶わない場合は移植を諦める、どちらかを選択してくれと強く云われた。禁酒はなんとかなったが、禁煙はきつい。しかし守るほかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月08日 01:40 | 固定ページリンク




バイオ食品  | 一考    

 遺伝子組換え作物とは遺伝子組換え技術を用いた遺伝的性質の改変によって品種改良等が行われた作物のこと。ゴールデンライスやプランピー・サップは特に知られる栄養強化食品で、国連世界食糧計画(WFP)の主力となっている。他に栄養強化された植物油、ビスケット、ブレンド粉(大豆とトウモロコシの粉にビタミンやミネラルを添加したもの)などの食糧が全世界で配給されている。
 プランピー・サップというピーナッツペースト状の食品は五歳未満の栄養不良の子供たちの栄養補給に使うために開発され、ビタミン、ミネラルなどの栄養素が豊富に含まれる。世界で一億人以上の子供がビタミンA欠乏の影響を受け、毎年二百万が死に、五十万が失明している。
 開発途上国の人だけが食するからと言って、遺伝子組換え作物の安全性をおろそかにしてはいけない。そして、ヨーロッパや日本のような豊かな国の人々による組換え食品、作物に対する科学的理由を越えた過度な懸念や警戒心が、途上国の人々の利益を損ねることがあってはならない。
 現在では醤油や味噌、食用油など大豆(または脱脂加工大豆)の加工品は、ほとんどが遺伝子組み換え品種で占められている。また、外食産業などによって、より大量の遺伝子組み換え食品を摂食している。サプリメントや医薬品を入れれば膨大な量になる。世界でもっとも遺伝子組み換え作物の輸入量が多く、おそらく世界でもっとも遺伝子組み換え農産物を口にしている日本であるにもかかわらず、自国での生産は手つかずである。
 栄養強化の逆になるが、特定のミネラルを除去した食品もしくは肥料三要素と云われる窒素、リン、カリウムを低減した作物なら簡単にできると聞く。低蛋白作物も同様である。病人向けの農作物や食品にはバイオテクノロジーがどうあっても必要である。

 遺伝子組換えに賛成であれ、反対であれ、取敢えず対象そのものについて知らねばならない。普段飲む炭酸飲料やダイエット飲料など六千種類以上の製品に遺伝子組み換え補助食品が使われている。

 http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/natureland/pandora/index.html
 http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/index.htm
 http://pumipom.jugem.jp/?eid=559


投稿者: 一考      日時: 2011年12月06日 16:22 | 固定ページリンク




橋下徹圧勝  | 一考    

 大阪の選挙が終わったが、今回ほど非道い選挙も珍しい。自、民、共の三党とマスコミが結託しての妨害工作だった。橋下徹の改名、出自、家族、部落、同和、暴力団、父の自死等々、プライベートな事案をここまでと云うぐらい暴きたてての選挙戦だった。
 特に「新潮45」「週刊新潮」「週刊文春」は三流誌としての実体を存分にさらけ出した。違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを徹底的に侵害し、「新潮45」では少年期に補導されたことまで明かしていた。当然、真偽を確かめての記事だろうが、だとすれば法務省からの漏洩がなければならない。未成年者の犯罪は法務省以外に資料はない。国家権力とマスコミとの結託は最近では小沢一郎に次いで二度目だが、今回は政治資金規正法違反などの脱法行為はなにもない。このような誹謗中傷は東京だったら効果があったかもしれないが、大阪の若者を中心にした勝手連には通用しなかったようである。
 私は橋下の政治行動を全面支持するものでない。福田和也、西部邁、城内実、池坊保子、櫻井よしこ、小林よしのり、野田佳彦などと同じく橋下は核武装論者である。アメリカが認める筈のない政策や理念など、わが国では笑い話にもならない。
 既存の構造を維持しようとする既得権益勢力は、大阪維新の会を封殺しようとした。この既得権益利権複合体の一角を占めるメディアも、橋下に対して激しい集中攻撃を浴びせた。集中攻撃と云うよりは狂気の形相と云った方が相応しい。政治理念を闘わせるならまだしも、部落問題を書き立てるなど以ての外、差別意識が総身に沁み込んだ魂の欠けたジャーナリズムである。大阪維新の会が圧勝したが、このことが示唆するものは計り知れない。

追記
 上記雑誌で触れていることなので構わないであろう。江藤は江頭すなわち穢多頭であり、橋下はハシシタに決まっている。そのような名字は百を超える、名字については殊更に書くようなことでない。上記雑誌の編輯者は恥を知れと云いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年12月05日 04:25 | 固定ページリンク




ブラック珈琲  | 一考    

 どこでもそうだが、病院の前には灰皿が置かれている。朝、煙草を咽みながら罐珈琲をのんでいる患者がいた。五時間は煙草が咽まれなくなるので、わたしもそこで煙を燻らすのを常とする。
 珈琲は身体に悪いのでは、と質問。無糖だから問題はありません、と御仁は応える。どうやら糖尿病患者のようである。「糖分はともかく、カリウムが高いのでは」と質問したが話は噛み合わない。「糖分を控えるように云われていますから」。それ以上話すのは止めた。ひょっとしたら、朝の一杯の珈琲が生き甲斐なのかもしれないからである。
 久しぶりに栄養士とはなしをした。カリウムと、わたしの肝臓の数値を気にしているらしい。「カリウムは次回の検査までに落とすから気になさらないでください。カリウム、リン、蛋白、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、コレステロールの類いはしっかり管理しているつもりですから。ただ、管理できないのは貧血と血圧ですね、肝臓の数値もそれと同じです。おそらく何等かの体内の炎症に起因しているのでないかと思うのですが。いきなり白血球が増えたりしますから」とお喋り。
 「評価表について」で書いたが、評価表を読み解くのは難しい。さらに難しいのが心電図、こちらはさっぱり分からない。エコー検査は病院によっては詳しく教えてくれるところもあるが、大体は医師の方から説明があるからと逃げられる。もっとも、検査するひとは技師であって、判断するのは医師の為事である。
 件の糖尿病患者だが、血圧が低い。透析終了時は70まで下がるそうな。低いからまだしも、これで高ければ珈琲も相俟って不整脈への気配りが必要になる。ますますもって生活習慣の改善が大切なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月24日 15:35 | 固定ページリンク




ジェネリック  | 一考    

 インタール点鼻薬(クロモグリク酸ナトリウム)を使っていたが、今回からジェネリックのクモロール点鼻薬に変わった。他にもリノジェット、ステリ・ネブクロモリン、クリードと云った後発品がある。点鼻薬なので、過日書いたレナジェルのように副剤の明記はない。先発品と後発品の違いは副剤にあって、似た薬だが、決して同じ薬ではない。
 政策仕分けでジェネリック医薬品について質疑があった。同じ薬効の後発品が出た以上、先発品の薬価を下げるべき、その理由として中身も同じとの発言があった。それをわたしは暴論と思う。わたし自身多くのジェネリック医薬品を用いているが、値段だけを問題にするなら世の中はジェネリックだらけになってしまう。そうすれば、誰が大枚をはたいて新薬を開発するのであろうか。医薬品メーカーの価値はその開発にあるのであって、薬価にあるのではない。

 たまにあるのだが、穿刺のあとの出血が止まらない。透析の日の風呂は禁止されているが、止血されなければ次の日も這入られない。今は十一時過ぎ、そろそろ止まってくれないと明朝の穿刺に困るのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月23日 23:10 | 固定ページリンク




すき焼き  |   一考

 透析をはじめて一年四箇月になる。ドライウェイトが定まってからはじめて体重管理でミスを犯した。日、月と食べ過ぎて体重が二キロ増えた。すき焼きとか鍋物の一人前は難しい、ついつい口が賤しくなる。外食の量が多いので拙宅で済ませているにもかかわらず、腹一杯喰ってしまってはなにをしているのか分からない。
 看護師がさっそく「何かあったの、どうする、残す」とはなしが早い。残すとは全量除水せずに、次回へ回すという意味である。「明後日には元に戻しますから、400ほど残してください」。透析機器のなかに200ほど生食(生理食塩水)が這入っているので、都合1800の除水である。
 二日で二キロの減量になる。平均より少ない除水率だが、わたしにとってはみっともないはなしである。
 このところ、櫛の歯が欠けたように合併症による入院がつづく。季節柄仕方がないが、無事の帰還を祈る。火曜日は二週間ぶりの血液検査、前回は問題が多く困惑させられた。結果は木曜日だが期待している。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月23日 06:16 | 固定ページリンク




蘭鋳  | 一考    

 日曜日にはじめて公園へ行く。日曜、祭日は金魚展示場と隣接する釣仙郷歴史館が開いている。さまざまな金魚がいたが、わたしが興味があるのは蘭鋳。肉瘤の形から見て京都系列の蘭鋳もいて久しぶりに楽しませて頂いた。関西にはいない蘭鋳、もしくは品評会へ出品されないような種類の蘭鋳もいた。青色、黒色に透明なうろこを混じえた東錦のような蘭鋳も泳いでいたが、あれはどこの系列なのだろうか、まるでぶち猫である。品評会の蘭鋳は赤色と白色との斑紋と決まっている。
 飼育法は全国共通、コンクリート製で二メートル四方、深さは三十センチほど。まったく異なるのは井戸水をちょろちょろと出しっぱなしにしている点。いかに微量といえ、水に流れが生じるので蘭鋳には不向きである。流れがあると泳ぎ方に妙な癖が生じる。癖があるとどうしても尾の形に歪みが出てくる。
 三十面ほどあったが、藻を除去しているのは二面のみ、他の池は藻が繁殖して金魚がよく見えない。これも蘭鋳にはよろしくない。色づけを良くするために青粉(藍藻類クロオコックス目の微小な淡水藻)を与えることもあるが、それは真夏。冬場は水を深くして藻の掃除も休止するが、それは十二月になってからのはなし。陽当たりのよい池なので、まだ掃除はすべきである。
 年間の育て方を通して見ていないので何とも云えないが、少なくとも品評会向けの育て方ではない。大型の蘭鋳が三匹だけ這入っている池があったが、そのうちの二匹は立派な蘭鋳で、尾の付け根の形が結構、親として使うに最適である。一番小さな蘭鋳について飼育人に「三歳魚ですか」と質問。「五年は経ています」との応えに口あんぐり、五歳でこの大きさなら栄養失調である。藻しか食べていないのでないだろうか。金魚は人間ではない、十二分に餌は与えるべきである。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月20日 16:47 | 固定ページリンク




バイオ医薬品  | 一考    

 世界で最初の遺伝子治療は、1990年(平成2)にアメリカ国立衛生研究所の医師フレンチ・アンダーソンの手で行われた。患者はADA欠損症を患う、当時四歳のアシャンシ・デシルバという少女。
 ADA欠損症は、リンパ球にADA(アデノシンデアミナーゼ)という酵素がないために生じる病気。重症の免疫不全を起こし、感染症による死亡率が非常に高いため、無菌室のなかでしか生きていけない状態となる。その治療に採用されたのが、患者の体内にADAをつくる遺伝子を入れ、リンパ球の機能を回復させる方法、つまり遺伝子治療だった。(製薬協)

 遺伝子治療に地平を開いたのがドリーとポリー。ドリーは、1996年(平成8)にイギリスで誕生したクローン羊のこと。そしてドリーに続いて、同じイギリスで誕生したのが、人間の遺伝子を組み込んだ最初のクローン羊ポリー。このポリーこそが、薬の動物工場への可能性を開いた。
 バイオ医薬品として、ヒトインスリン製剤、エリスロポエチン製剤(EPO)、ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF)、インターフェロン(IFN)、ヒト成長ホルモン(hGH)などがある。
 わたしが用いているのはエリスロポエチン製剤で、遺伝子組み換え技術により、1990年(平成2)にヒトエリスロポエチンの量産が可能となり、透析患者の腎性貧血の治療に画期的な成果をもたらした。要するに、遺伝子治療の歴史は1990年からはじめられた。
 エリスロポエチン製剤が開発されるまでは輸血しかなかった。腎不全の患者は定期的に輸血を繰り返していたのである。一年半前の大量出血の折は量が量だけに輸血するほか、手立てはなかったが、いまでは同製剤のお世話になっている。
 糖尿病の患者が用いるインスリン製剤。B型およびC型慢性肝炎、腎臓がんなどの治療薬として用いられるインターフェロン。小人症の治療薬であるヒト成長ホルモン。抗癌薬の連続投与を可能にするヒト顆粒球コロニー刺激因子(抗癌薬の副作用の一つに白血球の減少があるが、その白血球の増殖作用がある)。
 その他にも、腎臓がん、血管肉腫の治療薬インターロイキン2、A型血友病の治療薬の血液凝固第VIII因子、血栓の治療薬ウロキナーゼ、急性心不全の治療薬ナトリウム利尿ペプチド等々がある。また、特定の細胞、例えば癌細胞に薬を誘導するモノクローナル抗体なども、バイオテクノロジーによる開発が有望視されている。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月20日 09:57 | 固定ページリンク




体重増  | 一考    

 為事を止めたことはクリニックにも伝えている。先日、看護師が「体重が増えると思ったのに、逆に減っている、あなたは変なひとねえ」と。看護師の意見は正しい。することがなくなれば体重は自動的に増える、それを減らすのは至難である。わたしの場合は血圧を落とさなければならないのでいささか深刻である。
 前回、隣の患者のことを書いたが、彼の除水は少なくて3000、普段は3500である。要は食べ過ぎ飲み過ぎなのだが、個人的なことなので看護師は強くは云わない。除水を減らせば良いのだが、心胸比が高いので体重を増やせない。仕方なく現状維持を続けている。昨日も500ほど残して透析を終わらせていた。
 お隣さんゆえ、気にはなるが、なにを云っても大きなお世話になる。頻繁に大声を張り上げるが、苦しいであろうことはみなさん分かっている。誰も咎めないのは、次は自分の順番かもしれないからである。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月18日 14:27 | 固定ページリンク




常備薬  | 一考    

 下がっていた血圧が130から150ほどに上がり静止してしまった。貧血が昂進し、エポジンを打ち続けている。検便はマイナスだったので心配はしていないが、あまり気持の良いものでない。貧血の理由は分からない。
 カリウムだが、数年間服用をつづけてきたウラリットを中止することにした。ウラリットにはカリウムが含まれているからである。ウラリットは尿アルカリ化剤で、痛風や高尿酸血症などの治療に用いられる。腎結石のわたしには必需品だったが、もう関係ないだろうと思う。医師も透析をしながら呑む薬ではなかろうと云う。
 透析中の慢性腎不全患者における高リン血症の改善に用いるレナジェルとアルファロール(慢性腎不全における骨病変に有用)、それと降圧剤二種に減らすつもり。
 アルファロールは活性型ビタミンD3製剤。ビタミンDの多い食品は魚類の肝臓や椎茸、レバーなので、わたしには食べられない。もっとも麺麭にも含まれるが。アルファロールの副作用に腎結石や尿路結石があるので、ウラリットと同時に服用するのも妙なものである。
 医師はカリウムに神経質である。高カリウム血症は生死に関わるので当たり前だが、だったらカリメートを処方すればよいのにと思う。カリメートの副作用は腸管狭窄、消化管潰瘍。当然のことだが、副作用のない薬などそれこそ毒にも薬にもならない。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月18日 13:42 | 固定ページリンク




食事制限  | 一考    

 透析中、隣の患者が猛烈な吐き気に襲われ、血圧がどんどん下がってゆく。不均衡症候群だが、症状は足がつるに止まらなかった。三十分を残して透析は中断された。
 透析をはじめてから、わたしも一度だけ昏睡を経験した。透析以前は頻繁にブラックアウトに襲われていた。そのブラックアウトがどうあっても嫌で、それで食事制限を取り入れた。
 ドライウェイトが定まる前、二リットルの除水を繰り返していた。透析とはそのようなものと医師、看護師から聞かされ、疑念もなく、二リットルを踏襲していた。ところが、この二リットルが嘔吐や目眩いをもたらし、脂汗は滴る、血圧は急激に低下するで、手に負えなかった。
 さすがに昏睡の後はこちらの言い分を取り入れ、ドライウェイトを増やす、要するに除水を減らされた。爾来、例え言い争いになっても、除水量は自分で決めるようにしている。
 ここからが難しいところだが、心胸比をもとに医師がドライウェイトを決める。ドライウェイトとは基準体重で、毎回増えた分を除水する。言い換えれば、わたしの食生活は常にドライウェイトと共にある。仮に除水を五百と決めた場合には、ドライウェイトプラス五百グラムの体重を厳守するのである。食べ過ぎたと思えば、次回の透析までなにも食べない、体重の増え方が少ない場合は食パンを一枚追加で食べたりもする。体重計と睨めっこの生活である。
 事前に食事量ありきなのだが、それに加えるにカリウムとリンの調整である。血液検査は二週間に一度なので、検査があった週は比較的自由に食事している。次の週はカリウムとリンは極力除いている。リンは蛋白質だが、カリウムは命にかかわるものなので、とりわけ気を遣う。
 最近では自己管理が行き届き、除水量の少ない患者と認知され、わりと言い分が通るようになった。例えば管理ミスで七百グラムの除水になったとき、百グラムは次回に回してくださいといった類いである。
 そこまでして、はじめて昏睡から解放された。意識がなくなると云うのは堪えがたい苦痛なのである。それゆえ、他人の昏睡も、見ていて涙がでてくる。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月16日 12:31 | 固定ページリンク




アフェレシス  | 一考    

 京都大学附属病院によりますと、死亡したのは、5日、脳死からの肝臓移植を受けた50代の男性患者です。男性は、腎臓の機能が低下していたため、移植手術のあと人工透析を受けましたが、12日、看護師が、血液中の老廃物を取り除く部品を機械に取り付けるべきところ、間違えて血液中の血漿成分を取り除く部品を医師に手渡し、医師も確認せずに取り付けたということです。男性は、このあと脱水症状を起こして意識不明となり、14日、死亡しました。部品の間違いに気付いたのは、男性が死亡したあとだということで、京大病院は、医療ミスと認めて遺族に謝罪するともに、警察に届け出ました。

 とのニュースが流れた。ニュースでは吸着カラムとなっていたが、血漿分離器(アフェレシス)の間違い。要するに腎不全で透析治療を受けている患者が肝臓を患い、肝臓移植を受けたのである。
 アフェレシスは赤血球、白血球、血小板以外の血液成分(血漿)を交換する器具で、透析に用いるダイアライザーとは太さも長さも用途もまるで異なる。O-157食中毒の治療などに用いられる。
 かかる間違いがどうして起きたのか理解できない。しかも医師は二人いたようである。腎臓内科もしくは泌尿器科の医師なら見ただけで識別できる。透析に携る技工士か看護師がひとりでも同席していたら起きようのないミスである。京都大学附属病院でこのような基本的間違いが起こるとは。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月15日 01:26 | 固定ページリンク




抗体検査の結果  | 一考    

 大量の輸血をしたにもかかわらず、わたしの血液に抗体はなかった。ただ、レシピエントとドナーの組織適合性抗原(HLA抗原)は六種類すべてが合わない。詳しくはわたしには分からないが、移植に問題は生じないようである。
 これから繁雑な検査がはじまる。まず、十二月に移植内科医の認可が必要になる。認可されると再度泌尿器科の移植外科へ戻り、検査入院となる。この検査で許可が下りてはじめて移植への道がオープンになる。手術の一箇月前にさらに免疫検査があって、予定通りだと三月に手術となる。
 移植内科医の認可とはレシピエントとドナーの関係に理不尽なものがあるかどうかと云った道義的問題を徹底的に調べるそうな。透析における血液の評価表(一種の成績判断)、これは後々免疫抑制剤の服用が指示通りできるかどうかの確認である。検査入院も相当に難問らしく、この段階で移植を諦めるケースが多いと聞かされた。特に悪性腫瘍にはうるさそうである。
 ちょっとしたことでも、移植は断念していただくと繰り返し念を押された。そこまでしないと成功率を上げるのは難しいのだろう。また移植手術は週一回行われているが、体調によって繰り上げ繰り下げがあるようである。
 朝八時前に出掛けて、帰宅は四時過ぎだった。帰りに役所へよって何時もの手続きを済ませた。余談だが、移植を受けると以降、更生医療は受けられなくなるらしい。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月14日 21:36 | 固定ページリンク




有りの実  | 一考    

 血圧は確実に下がりつつある。一昨々日の平均値はは138-87だった。その血圧と心胸比が3.8と4.0を切ったことで今度は体重を増やせという。聞いて聞かぬふりをしている。せっかく減らした体重を増やしてなるものか。
 下血の方だが、目に見える形での下血は収まったようである。エポジンのことを書いたが、あれは遺伝子組み換えの薬品であることを強調したかったまでで、下血の薬ではない。仮に増血したからと云って、それで貧血が収束するわけでない。憩室を洗浄しないことには収まるまい。昨日はさらにエポジンの投与量が増えた。意味があるとも思われないが。
 「評価表について」で書いたGOT、GPT、LDHの数値が跳ね上がっている。念の為に医師に訊ねたが、現状では気にしなくてよいとのこと。数値の関連性がいまひとつ理解できない。
 火曜日の血液検査は不用意だった。月曜日に果物を食べておきながら、カリメートを飲まなかった。已んぬるかな、カリウムが基準値を超えていた。看護師から柿は食べなさんなよと注意を受ける。旬のキノコや柿はカリウムが特に高い。承知の上で食する患者はいないだろう。わたしが食べたのは有りの実である。
 このところ、三度の内視鏡を経験しているが、三度ともオリンパス製だった。早晩上場廃止になるだろうが、医療部門は残していただきたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月13日 10:15 | 固定ページリンク




TPP追記  | 一考    

 「具体性」でTPPが内包するデメリットを書いた。ISDS条項はそれほどに真剣な問題を抱えている。それゆえ、最初からISDS条項に関しては触れている。にもかかわらずTPPに賛成したのは文中で触れたとおり、医薬品から食品まで遺伝子組み換えに対する拒否反応に風穴を空けたいからに他ならない。
 アメリカ、カナダ、メキシコ、ホンジュラス、コロンビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ボリビア、コスタリカ、中国、インド、パキスタン、ミャンマー、フィリピン、オーストラリア、南アフリカ、ブルキナファソ、エジプト、ポルトガル、スペイン、ドイツ、チェコ、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、スウェーデンなどで遺伝子組み換え食品(厚労省によれば遺伝子組み換え農作物、農水省では遺伝子組換え農産物)が生産されている。
 腎不全に罹るとカリウムが排泄できなくなる。血中濃度が上がりすぎると人体に重篤な悪影響を及ぼす。致死的不整脈を起こすのである。そのカリウムは、パセリや乾燥させたアンズ、粉ミルク、チョコレート、木の実(特にアーモンドとピスタチオ)、ジャガイモ、タケノコ、テンサイ、ホワイトビーンズ、バナナ、桃、栗、柿、アボカド、ダイズ、糠、トマトペースト、オレンジジュース、珈琲、茶葉などに特に多く含まれる。従って、遺伝子組み換えバイオテクノロジーによってそれらの食品からカリウムを除去すればよいのである。
 ところが、わが国では国家のみならず、地方自治体が条例で遺伝子組み換え食品の生産を禁じている。要するに、わが国ではバイオテクノロジーによって作られた作物は極端に少ない。ほとんど口に這入らないと云うに等しい。普段目にするものに、フルカラーのカーネーションやサントリーのブルーの薔薇などがあるが、それらは食べ物でないからである。
 遺伝子組み換え食品が国民からどれほど嫌われているかを知っている。それゆえ、遺伝子組み換え食品はその旨を明記して販売すればよい。購入者が選択すれば済むことである。それがないと困るひとも居るのである。
 日本の輸入穀類の半量は既に遺伝子組換え作物で占められていると聞く。海外では病人向け食品にバイオテクノロジーが活用されている。わが国で作られないならせめて輸入の自由化を認めてほしい。取敢えずそこからしかはじまらない。
 腎不全になって良く分かったのは、腎不全の大半は糖尿病患者であるということ。食生活の変化がもたらしたものだが、肥満の人は増え続けている。肥満や痛風は腎不全の予備軍だが、糖尿病になるひとはその病気に対する意識が希薄である。今後ますます蔓延してゆくに違いないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月13日 00:10 | 固定ページリンク




具体性  | 一考    

 午後の参院予算委における佐藤ゆかり議員が奮っていた。はなしの内容が具体的で野田では太刀打ちできない。佐藤はISDS条項によって国内法が歪められると指摘、ところが野田は国内法を優先させるとの繰り返し。佐藤の云っている方が正論である。質疑はなんども中断した。
 ISDS条項は一種の治外法権で国内法に優先される。条例に則って諸務を施行するのは地方自治体だが告訴されるのは国家、国家が地方自治体をマネージメントするのはわが国では不可能。TPP反対にせよ賛成にせよ、はじめて具体的かつ説得力のある意見を聞かされた。
 佐藤は云う。TPPに参加表明をしたところで、アメリカの議会で認可されるのに三箇月、参加の協議がはじまるのは早くとも半年後、その時点ではかくかくしかじかの条件を択一するしかない。鳩首そのものへの参加は到底無理である。
 沖縄でサトウキビしか栽培できないからといって、助成金などの保護を与えれば、そのこと自体が非関税障壁として告訴の対象になる。その辺りの処方箋を野田から聞きたいのだが、何等かの援助もしくは今後の交渉でと返事にならない返事を繰り返す。
 日本の薬は大半がゼネリック医薬品、知的財産条項によって薬価の高騰は避けられない、と佐藤。新薬の開発には九〜十七年の年月と、約五百億円もの投資が必要といわれる。臨床試験などのさまざまな試験のあとも、数々の審査や承認申請するための手続きがあり、しかも新薬として承認される成功率はわずか1/15000以下である。それら開発費を端折った後発品が安いのは当たり前。日本では認められていないが、手術における個々の技術にも著作権はある。謂わば、薬価を含む医学そのものが著作権無視のうえに成り立っている。日本の規制によって、今ではシンガポールとマレーシアがアジア全体の医薬品のセンターになっている。TPPの是非に関らず、改革は一刻を争う。
 繰り返すが、非関税障壁はことごとくが告訴の対象になる。とすれば、TPPは単なる通商条約でない。社会構造そのものに変化をもたらす条約である。このISDS条項はニュージーランドで激論になっている。個別の経済連携協定(EPA)や自由貿易協定(FTA)を進めるべきでないかというのが佐藤の意見だった。
 仰言るとおりなのだが、そのEPAやFTAが国内の既得権者の妨害によってまったく進捗しないのが実情でないだろうか。わが国の保守主義者を相手にするには強制的な方法しか残されていないように思う。同じ女性であっても佐藤と比して小宮山大臣のだらしなさはなんだろうか。政治は抽象論だけではない。具体性を内包しないと国民には理解できない。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月11日 18:36 | 固定ページリンク




常識  |   一考

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 先日の一列に並んだユリカモメはこちらの写真の方が分かりやすい。もっとも、ユリカモメは必要に迫られて一列になったまでで、一列に並んだのは欄干の方かもしれない。だとするなら、欄干は真っ直ぐに並べなければならないとする人間の常識がユリカモメの行動を規制しているのかもしれない。

 野田の「エフタープへの一里塚」に関する長い国会審議を聞きながら、他国への斟酌があったのは公明党と社会民主党のみ、他の政党は国内企業の既得権を強調するのみ。
 減反政策と戸別補償はどちらも補償金漬けの悪法でないだろうか、遣る気のある農家が作地面積を拡げようと思っても田圃を売る農家はまったくない。先日テレビで国産米が五キロ三千円、カリフォルニア米が二百六十円、十分の一以下であると紹介していた。この二百六十円は一キロの値段だし、現行法下ではカリフォルニア米と内地米との値段差は二割から三割ほどである。かかるデタラメが反対派を勇気づけているとすれば問題である。内地米にしても、わたしは千五百円ほどの千葉産の米を買っている。だとすれば二百円の差でしかない。細かくは書かないが、タイ、ベトナム、ブラジル、オーストラリア、インドネシアなどの現地価格と比しても二倍以内がよいところである。例外はインディカ米だが、日本人は食さないであろう。いずれにせよ、このような話は水掛け論にしかならない。よって今後繰り返さない。
 先般3・11に起因する薬のことを何度も書いたが、アメリカの元薬に助けられた。一日に二十三錠の薬を飲んでいるが、この内の一種を除いて他の原産国はアメリカである。山崎医師が「後発品に関して」で書かれているように、かなりいい加減な副剤を含むところの後発品を服用している。薬ではないが、オレンジやサクランボにしても、生産農家の絶滅が危惧されたものの、自由化が理由で潰れた農家は一軒もない。逆に国産のミカンもサクランボも相乗効果で売上を増やしている。
 2010年七月に「 遺伝子組み替え」を書いた。同食品に関しては当掲示板で何度も触れてきたが、わたしは大賛成である。遺伝子組み換えなら品種改良と違って時間を短縮できる。例えば、腎不全の患者には低蛋白米を、カリウムを除去した茶葉はじめ、さまざまな野菜なども簡単にできる。これには国家でなく、地方自治体の条例を変えなければならない。食品ではないが、スギ花粉からも解放されるのだが。
 いずれにせよ、もっとも切実な問題は規制緩和と自由化である。規制緩和によって問題が生じたなら、折々に修正すればよい。「弱者に対して寛容さがこれほどない国も珍しい」と書いたのは日本人の常識を非難しての文章である。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月11日 13:24 | 固定ページリンク




療養型病床群  | 一考    

 先日「入院」を書いたが、長期入院の問題は難解で複雑な診療報酬制度の代表的な存在でないだろうか。わたしが通うクリニックは「療養型病床群」の認可は受けていないが、患者は90日を超えて入院している。透析患者は90日規制から除外されているが、病院が赤字であることに違いはない。透析患者の長期療養先を確保するのは、都道府県全域(場合によっては近県)まで対象エリアを拡大しても難しい。余談だが、先日書いた理由のなかで最も多いのは「家族に見棄てられた者」らしい。
 それはさておき、診療と医療機器をセットで輸出するなら、序でに皆保険制度も併せるべきでないだろうか。TPPが巻き起こした問題のひとつに皆保険の瓦解を云々するひとがいるが、わが国の保険制度がなくなる理由はどこにもない。ニュージーランドは保険診療に関しては交渉の舞台にすらあげさせないと明言している。そして保険診療と混合医療とはなんの関係もな。ちなみに、わたしは混合医療に賛成である。
 基本的診療は保険対応にすべきだが、なかには一人の患者に複数の看護師が付き切りで担当するところもある。千葉から九州まで高級ホテルをイメージしたとんでもない病院はいくらでもある。全室保険診療に未対応で、一泊二十万、三十万といった部屋ばかり設えた病院もある。歯医者のなかには端から保険診療を断わるところもある。貧乏人と金持ちが同一の診療を受けなければならない理由はどこにもない。
 前述のはなしだが、病院をまるごと輸出するなら、保険制度がないのは関税障害であるとしてISDS条項に則って告訴する。それでこそ、相手国の民に感謝される。TPPに具合の悪いところがあれば、それを自ら積極的に改善してゆく、そうでなければ一握りの政治家や高級官僚専用の病院になってしまう。 TPPの善し悪しを口にする前に、一寸立ち止まって考えて頂きたい。現状維持はひとが選択する最悪の方策でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月11日 11:29 | 固定ページリンク




貧血と低血圧  | 一考    

 女性で朝起きられない、目眩いがする、血圧が低い、貧血とのはなしを良く聞く。それら症状のあいだに関係はなにもない。貧血と低血圧が同じものと思い込んでいる女性が多いが、それはまったくの勘違いである。
 先日書いたように貧血はヘマトクリット、ヘモグロビン、血清鉄の数値で計る。血圧が低いとか、高いのは血中水分の問題(水分だけではないが)である。高血圧で貧血のひとは多い。
 さて、この二日ほど軽い下血があった。軽いので気にしていなかったが、一昨日の血液検査の結果に愕いた。ヘマトクリット、ヘモグロビンは共に安定していたのだが、数値が急速に下がっている。医師の命令で、今日エポジン(増血剤)を打った。心当たりは大腸からの出血である。
 余談だが、エポジンの主成分は遺伝子組み換えヒトエリスロポエチン(エポエチンベータ)である。昨今、TPPが問題になっているが、わたしは病人なので、健常者と意見は異なる。薬はおろか、腎不全の患者の食品は遺伝子組み換え食品でなければ困る。日本ではほとんどの食品が入手不可能である。TPPに反対する人が声を大にして述べる意見にわたしはことごとく反対である。まず、自由化ありきで、選択は個々の国民の自由裁量に任されるべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月10日 16:26 | 固定ページリンク




ユリカモメ  |   一考

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 三郷側から葛飾の水元大橋を望む。展望台の欄干の上に四十羽のユリカモメが一列に並んでの出迎えである。横ではカルガモが群れをなして芝生を啄ばんでいる。水草や藻が主食だと思っていたのに、芝とは。
 釣り人の横に一羽のコサギ、なにをしているのかと思えば、釣った小魚を釣り人から馳走になっている。餌ぐらい自分で摂れよといいたくなる。それにしても、慣れたものである、きっと釣り人は毎日同じところで棹を垂らしているに違いない。コサギが逃げると悪いので慎重に近づく、釣り人はコサギに一心不乱に話しかけている。仄仄とした光景である。

 TPPへの参加は今日表明される。原発のベトナム向け輸出、消費税、TPPと首相は常に海外での発言が先行する。歴代の首相が進めててきたことゆえ、TPPの交渉に参加するのだろうが、国民は蚊帳の外。こちらは殺伐たる光景である。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月10日 00:34 | 固定ページリンク




TPP  | 一考    

 マスコミはTPPで囂しいが、実情はどうなのであろうか。北米自由貿易協定(NAFTA)におけるカナダ、アメリカ合衆国、メキシコの告訴合戦を持ち出すまでもなく、問題になるのはISDS条項における投資家保護だと思うのだが。いずれにせよ、経済界はとっくの昔に個々の国家の垣根を越えたところで活動している。
 マスコミが興味を示すのは農協、医師会、電力会社に関するはなしだろうが、わが国の農政、保険医療、電力行政をわたしは信じていない。788パーセントもの関税に守られた米などあってはならないし、小沢が云った農家個別補償は農業従事者を公務員に仕立てるようなもの。それでなくとも、失政によって日本の農業はこの十年で二兆五千億円も減額している。
 北原脳神経外科病院(東京都八王子市)が来年早々、カンボジアに進出することが明らかになった。救命救急センターや医科大学を併設する大規模総合病院になる計画。他にも中国、ロシア、ベトナムへ日本の高度な診療と医療機器をセットで輸出するという。当然、富裕層向けである。混合医療は既に国内此処彼処ではじまっているが、その先端に日本は立つようである。どうやら、医学の世界にもTPP賛成派と反対派がいるそうな。
 過日、頭痛に悩まされてMRIを撮ったが、脳ドックは保険診療で六万五千円である。最近問題になっている高度医療(一千万とも二千万円とも云われる)を保険診療の対象に加えるなら、その前に対象外になっている難病治療をこそ優遇すべきと思う。ちなみに、難病の治療とはアメリカ製の新薬にも深く関係する。種村さんが飲まれていた薬も保険未対応の抗癌剤だった。
 特定疾患医療費助成の対象は現在百ほどだが、その認定基準のさらなる緩和、そして既得権益に固執する業界の自由化が先行すべきでないだろうか。いずれにせよ、わが国の農政も保健診療もとっくに破綻している。
 安愚楽牧場の問題点は畜産の金融商品化にある。その底辺には農協の体質と消費者の国産和牛への好みの偏りがある。原発の安全神話と事故が起きてはじめて周章てる利用者の無責任ぶりと似ていないだろうか。わたしは原発の再稼働などもっての他だと思っているが。
 TPP発足時の目的は「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」と聞くが、日本を加えた十箇国のGDPのうち、日米で91パーセントにのぼる。日本人は国内のことしか考えないが、振り返れば日米以外の国が反対しないのが不思議である。わが国はTPPはおろか、FTAも結ばずに、他国への侵略をはじめている。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月09日 10:24 | 固定ページリンク




検査中  | 一考    

 150-90と血圧が正常に戻ってきた。来週は戸田中央へ行くが、130-80まで下げると約束している。なんとかぎりぎり間に合いそうである。
 現在の検査は三つ、血液型、組織適合性抗原(HLA抗原)、リンパ球交叉試験(クロスマッチ)である。レシピエントとドナーの血液型はAプラスで同じ、仮に不適合でもドナーの血液中の抗体が少ない場合は移植可能。抗体を除去するために、血漿交換を行うこともある。クロスマッチはドナーのリンパ球(特にTリンパ球)に対する抗体がレシピエントの血液中にないことを確認する。もしも陽性だと拒絶反応を起こす可能性が高く、移植は不可能になる。
 他にドナーの適応条件として、感染症がないこと、悪性腫瘍がないこと、腎疾患、心疾患、糖尿病、高血圧、肝疾患がないこと等があげられる。
 次回に詳細を聞いてくるつもりだが、ドナーは一週間の入院検査になる。わたしはその間に悪性腫瘍の摘出を済まさねばならない。先日の勉強会では約七十万円といわれたが、わたしは更生医療のお世話になる。
 レシピエントとドナーの関係は2000年には親子が68.8パーセント、非血縁(配偶者)17.5パーセント。2008年には親子が44.7パーセントに下がり、非血縁が37.2パーセントに上がっている。
 ちなみに、提供可能な臓器および組織を抜き書きする。脳死下では心臓、肺、肝臓、小腸。心停止下では腎臓、眼球、膵臓、皮膚、耳小骨、気管、心臓弁、血管、骨があって、他に血液がある。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月09日 06:04 | 固定ページリンク




入院  | 一考    

 わたしが通うクリニック(分院)の二、三、五階は透析室である。四階は入院者用のフロアになっている。透析患者が合併症を起こすと本院へ入院する。それでは四階の用途はといえば、一人で生活が営まれなくなったひとたちのためである。当然、車椅子生活者が大半を占める。なぜなら、透析患者は透析アミロイド症や異所性石灰化によって脚の自由が確実に奪われてゆく。そして入院に至る理由はさまざまである。独身者、身寄りを失くした者、家族に見棄てられた者、連れ添いが介護に疲れての入院もある。
 入院患者の実情はともかく、間がよければ透析室へ帰還することもある。本院へ入院した者は合併症が癒ればともかく、帰還する率が少ない。そう云えば、わたしの真ん前のベッドも空いたままになっている。死ぬときぐらいは自宅でとの願いが透析患者には通用しない。死の直前まで透析は続けられる。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月07日 21:30 | 固定ページリンク




訂正  | 一考    

 10月28日に書いた「大場川」を書き直した。三郷は元下総国葛飾郡、明治4年の廃藩置県により埼玉県葛飾郡となった水郷で、文中で触れたように、大小の河川や放水路、疎水が迷路のように入り組んでいて住んでいてもよく分からない。水害で被害を受けているタイ同様、高低差がないので、川の流れが掴みにくい。
 自転車に乗るようになって、少しずつ理解の幅を拡げている。例えば、拙宅の前を流れる大場川は西から東へ流れている、それと並行して小合溜が流れているが、その間を幅二、三メートル足らずの土手が仕切っている。土手は異常に狭く、徒歩乃至自転車でしか行かれない。なんのための土手なのか首を傾げる。
 大場川は拙宅の横を抜け、江戸川の手前で直角に曲がり北上する。江戸川と並行するわけだが、川の流れは逆である。奇妙な光景でないだろうか。大場川は三郷放水路を経て江戸川へ、小合溜は三郷と葛飾の県境を描きながら南下してやはり江戸川へ合流する。ちなみに、江戸川は天井川である。天井川であるがゆえに生じる流れの混乱なのだが、慎に分かりずらい景色である。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月07日 20:49 | 固定ページリンク




評価表について3  | 一考    

 血液検査の評価表は十年ほど前から貰っているが、読み方がまったく分からなかった。基本なので当然医師や看護師は分かっている、しかし素人に分かるものでない。尿酸値が、コレステロールが、中性脂肪が、血糖値が高いとのはなしは屡々聞かされるが、それらはいずれも断片的な意見であって、喋っている本人が何のことやら理解していないのが実情でないだろうか。わたしの場合はクレアチニンだが、クレアチニンのことがよく分からず、言われっぱなしで何の改善策も立てずに放置していた。気付いたときはいきなり透析治療だった。
 この一年余、全四十一項目の評価表に対して質問を繰り返してきた。特に対症療法についてである。上がった下がったは結果論である。だとすれば、どのようにすれば下がるのかまたは上がるのか。腎機能が痲痺しているのでさまざまな異常値に悩まされるが、問題はその修正法にある。ひとつの数値を取上げてもあまり意味がない。それぞれの数値は複雑に関連し絡み合っているからである。
 昨今サプリメントが流行っているが、腎不全の患者にとってはいずれも禁制品である。サプリメントは健康なひとのためのものであって、病人には害しか与えない。必要なものは薬で摂取すればよいのである。

 日曜日は透析は休みだが、早朝から移植に関する勉強会がある。天気がよければ午後はコサギに会いに行こうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月06日 05:57 | 固定ページリンク




ソフトクリーム  | 一考    

 水元公園とみさと公園の境界をなす小合溜とその北側を流れる大場川が分離する際に、わたしは住んでいる。昨日は水元公園へ行くのにはじめて北回りで行った。いつもは南側を回るのだが、北側だと随分と遠く感じる。
 ちょっと贅沢をし、公園でソフトクリームを食べた。註文がなかったとみえて、器械から捻り出てくるアイスクリームが固くなっている。要は冷えすぎである。どうするかと思っていたら、座布団を畳む要領で、四角く折り畳んだアイスがコーンカップの上に鎮座している。通常のソフトクリームのイメージとは異なるが、これも立派なソフトクリームである。店側は恐縮していたが、見て呉れをかまうわたしでない。水元流ソフトクリームとして美味しく頂戴した。
 食べながら「らんこし・ふるさとの丘」のソフトクリームを遠く想い起こす。はなしが通じる方は東京にもいらっしゃる。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月06日 03:43 | 固定ページリンク




写真追加  |   一考

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 よく見れば三郷が写っていないので、もう一枚。こちらは自転車の下部が切れているが。ところで、鳥は携帯では写らない。おっきーさんから預かっている写真機ならズーム機能があるのだが。
 ユーノスコスモ、RX7、ランエボ、B4、フェアレディーZ、スカイライン、シルビア、ソアラ、アリスト等々、北海道へ行く車を探している。とはいえ、買うつもりはない。ヤフオクを見ているとドリフト車で走行距離が十万キロを超えた車が十万円ほどで出品されている、四百馬力はありそうな車たちである。ドリフトだから当然ドアは歪んでいるし、バンパーも付いたり外れたりとさまざまである。車は見て呉れで乗るものでない。エンジンと足回りとブレーキに数百万円をかけた車こそが車である。十万キロでタイベルは交換すれば済むが、ターボの羽は十八万キロほどで壊れる。最良の車で八万キロは楽しむことができるわけである。
 わたしはインプレッサのNAに乗っているので、偶に過給機が恋しくなる。もっとも、今のわたしに改造車を運転する気力はない。眺めて悦に入るだけである。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月04日 21:37 | 固定ページリンク




コサギ  |   一考

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 コサギに見とれていて自転車ごと立ち木に激突した。愕いたのはコサギの方で、五羽いたのが一斉に飛び立った。ぶつかったのが立ち木でよかった、川に嵌まると大事である。明石の頃、酔っ払ってなんども田圃へ自転車で突っ込んだ。今は酔いの心配はないが、運転が下手なので夜は走らないように心掛けている。水元公園の川縁には垣根もなにもない。今のわたしなら間違いなく抜き手を切ることになる。そうでなければ自転車と心中である。なぜなら、わたしが組んだ自転車は水陸両用車でないからである。それにしても何という下手糞、われながら呆れ返る。
 写真は葛飾から三郷を眺めるの図。「評価表について」の続きを書かなければならないが、そちらはまた。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月04日 16:42 | 固定ページリンク




積丹ブルー  |   一考

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投稿者:   一考  日時: 2011年11月04日 16:33 | 固定ページリンク




島武威海岸  |   一考

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 そうあればよいのに、と云うことです。手術が最短コースで済めば来年の七月に北海道へ行けるのではないかとの希望的観測。四輪に冷蔵庫を積み、ボディントンズとラフロイグのカスクストレングスを小脇に抱えて積丹から知床のホテル地の果てを巡りましょうとの企画だそうです。

 http://dendenmushimushi.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18

 先日お喋りしたのは積丹の島武威海岸(しまむいかいがん)のことです。検索で上記アドレスが引っかかりました。わたしが知る隧道は支柱などなかったし、崖も通行止めでなかった。隘い隧道を抜けると急峻な崖下にいきなり積丹ブルーの海が目に飛びこっんでき、海岸の右方には鄙びた番屋がありました。過日、吉田一穂が彳んだ番屋に違いなかろうと、おそらく北海道のなかでもわたしにもっとも大きな衝撃を与えた海岸だったのです。


投稿者:   一考  日時: 2011年11月04日 16:25 | 固定ページリンク




ですぺら有志のみなさま  | エロ子    

来年7月、北海道は知床の「地の涯(!)」にて結集とのこと。
現時点における規定事項は、現地集合、現地解散、以上。詳細を待て、だそうです(謎)。


投稿者: エロ子      日時: 2011年11月03日 21:16 | 固定ページリンク




評価表について2  | 一考    

 個々の名称は前項の通りだが、次ぎに簡略に説明を付す。
 まず、血圧が上昇した場合、自律神経を介した反射性の制御によって心拍数が減少し、同時に血管が拡張して血圧は正常な範囲に保たれる。腎不全の患者の場合は往々にして高血圧症に罹る。血圧を下げる効果のある食品は多いが、カリウム、マグネシウム、カルシウムといったミネラルを多く含んでいる。そこで腎不全の場合にもっとも有効なのは酢である。
 次いで尿素窒素だが、透析効率を計るもしくは食事の内容や量を把握する目安となる。数値が上がると蛋白質の取りすぎ、下がると栄養状態の悪化を示唆する。
 クレアチニンは腎不全の進行度を示唆する。数値が食事によって変化することはないが、筋肉量や運動量の影響は受ける。透析効率の目安になる。
 β2-MGは透析アミロイド症の原因物質。透析歴が長くなるとアミロイドが肩や首の骨や関節に沈着、炎症を起こす。関節の運動が必要。

 ナトリウムは主に食塩の形で経口摂取され、身体の水分の保持や浸透圧の調節をする。腎臓の機能が低下すると尿量が減少し、体内の水分が外へ出ていかなくなるので浮腫(顔や手足のむくみ)になり、体内のナトリウムが水分で薄まって血液中のナトリウムは低くなる。水分の摂りすぎや血糖値が高いと低くなるので、塩分控え目の食生活が肝要。
 カリウムは本来は体内に必要不可欠なミネラルのひとつだが、血中濃度が上がりすぎると人体に重篤な悪影響を及ぼす。放置すると致死的不整脈を起こす。高カリウム血症は死に至る病態であり、定期的に心電図検査を行うべき。
 尿酸は多くの食品に含まれるプリン体が分解された老廃物。一定濃度を上回ると結晶化して結石になり、痛風の原因となる。ビールや烏賊に多く含まれる。腎不全の初期段階に顕れる。
 マグネシウムは心臓や血管の機能を維持するに欠かせない。腎障害はMgの高値をもたらす。市販の下剤や胃薬に必ず含まれているので要注意。

 ヘマトクリットは赤血球(血液の濃さ)の含有率を示す。腎臓が悪くなるとエリストポエチンという腎臓由来のホルモンが排出されなくなり、貧血が生じる。薬物療法または輸血しか手立てはない。
 ヘモグロビンは赤血球に含まれる赤い色素蛋白で、血液濃度を示す。低下すると貧血となり、身体は十分な活動を行えなくなる。
 血清鉄は赤血球の材料となる。数値が下がると内服薬や注射による補給が必要になる。赤身肉、レバー、鮪などに多く含まれている。
 フェリチンは体内の鉄量を示す。減少すると鉄欠乏性貧血の指標となる。逆に高値の場合は肝臓、脾臓、骨髄、心臓、肺などの炎症もしくは腫瘍を示している。

 白血球は細菌などが体内に浸入したときに、それらを退治する。従って、細菌感染や炎症によって数値は上がる。
 血小板は傷口を塞ぎ、出血を止める。透析中に用いる抗凝固剤(ヘパリン)の影響で減少する。内出血(青あざ)が表れたりする。
 C反応性蛋白は体内に急性の炎症や組織の損壊があると増える。他の検査と組み合わせ、病気の重症度や経過観察に役立たせる。

 カルシウムは低い状態が続くと副甲状腺ホルモンの分泌が促進され、骨が脆くなる。高いと骨以外への沈着(異所性石灰化)が起こる。異所性石灰化は血管、皮膚、関節などにカルシウムが沈着する合併症。
 リンはカルシウムと深い関係を持つ。リンを多く含む食品(乳製品、豆類、小魚など)の摂りすぎによって数値が上がると、カルシウム値が低くなる。結果、異所性石灰化を惹き起こす。また全身の痒みにも関係する。蛋白質を多く含む食品は比例してリンの含有量も多い。リン吸着剤の服用は必須。
 アルカリフォスファターゼは主に骨や肝臓の病気で上昇する。他の検査と組み合わせ、病気の重症度や経過観察に役立たせる。
 副甲状腺ホルモンは腎不全の場合、ビタミンD3の活性化ができなくなって数値は高くなる。骨のカルシウムを溶かし、繊維性骨炎をはじめ、骨痛、骨変形、病的骨折などの原因となる。さまざまな場所へカルシウムが沈着(異所性石灰化)し、動脈硬化、弁膜症、関節炎などを惹き起こす。亢進すれば手術が必要。
 アルミニウムは骨や脳のなかに蓄積され、認知症などの合併症を起こす。井戸水や市販の胃腸薬に含まれているので、要注意。痔の手術でも用いるので、腎不全の患者には危険である。

 血清総蛋白は血液中に含まれる百種類以上の蛋白質の総量で栄養状態を計る目安となる。腎不全の患者の場合は身体の水分によって薄められ、数値は低くなる。
 アルブミンは血液中の蛋白の60パーセント以上を占める。栄養状態が悪くなると減少する。
 総コレストロールは動脈硬化の原因となる。数値が上昇すると高脂血症になる。
 中性脂肪が高くなると肥満、脂肪肝、動脈硬化の原因となる。菓子、ジュース、果物などの摂りすぎに注意。
 高比重リポ蛋白は善玉コレストロールとも。喫煙、肥満、運動不足、糖尿病などが原因で低くなり、動脈硬化を伴う病気につながる。
 血糖値は血液中の葡萄糖の量。高血糖が続くと糖尿病の引き金になる。血糖値が高いとは代謝に異常があるということ。血糖値が高いと善玉コレステロールが低くなったり、中性脂肪が高くなる場合が多く見られる。余分な血糖は血管が炎症を起こす原因となり動脈硬化も進む。ちなみに、糖がたっぷりの清涼飲料水、例えばコーラや珈琲を毎日大量に飲むだけで容易に糖尿病性ケトアシドーシスのような重篤な疾患を起こしうる(ペットボトル症候群)。
 ヘモグロビン エーワンシーはヘモグロビン(血色素)の一部が葡萄糖と結合したもの。糖尿病における血糖コントロールの指標となる。

 総ビリルビンは肝臓、胆嚢の病気で数値が上がる。黄疸の原因となる。
 トランスアミナーゼは心筋、肝臓、骨格筋、腎臓などに多く存在する酵素。それらの臓器の細胞に異常が起こると高値になる。肝臓障害、心筋梗塞、溶血などを診断するうえで、重要な手懸かりとなる。
 GPT(トランスアミナーゼ)は肝細胞の異変に反応する。肝臓、胆道系の病気の診断に欠かせない。
 γ-GTPは肝炎や結石などで胆管が閉鎖されたとき、あるいはアルコールで肝臓に障害が起きたときに数値が上昇する。GOT、GPT、γ-GTPは薬剤の副作用によって肝臓の異変を判断する指標になる。
 アルカリ フォスファターゼはγ-GTP同様、高脂肪やアルコール、薬物の副作用によって数値が上がる。
 乳酸脱水素酵素は悪性腫瘍、肝臓病、心臓病、血液の病気などで数値が高くなる。
 コリンエステラーゼは肝臓が蛋白を作り出す能力を計る。脂肪肝になると上昇し、肝臓の病気では低下する。

 以上は二週間毎の血液検査だが、他に三箇月、半年、一年の間隔での検査がある。


投稿者: 一考      日時: 2011年11月01日 04:17 | 固定ページリンク




評価表について1  | 一考    

 血圧は終日上下している、従って平均値を取らないと意味をなさないが、昨日のそれは160ー100だった。低い方がちょっと高いが、随分と下がってきた。一昨夜はですぺらで愛子さんと血液のはなしになった。血液検査といってもさまざまな検査があるが、透析患者の評価表は通常三十一項目、それに「透析効果について」と題して、BUN(尿素窒素)、CRE(クレアチニン)、β2-MG(ミクログロブリン)を含む十項目が加わる。
 三十一項目の内訳は「塩分・尿酸について」「貧血について」「感染炎症について」「骨の状態について」「蛋白・コレステロール・糖」「肝・膵・筋について」に分類される。
 「塩分・尿酸について」のなかにはNa(ナトリウム)、K(カリウム)、UA(尿酸)、Mg(マグネシウム)。
 「貧血について」のなかにはHct(ヘマトクリット)、Hgb(ヘモグロビン)、Fe(血清鉄)、フェリチン。
 「感染炎症について」のなかにはWBC(白血球)、Plt(血小板)、CRP(C反応性蛋白)。
 「骨の状態について」のなかにはCa(カルシウム)、IP(リン)、ALP(アルカリフォスファターゼ)、I-PTH(副甲状腺ホルモン)、AL(アルミニウム)ALは前Ca補正と表記される。
 「蛋白・コレステロール・糖」のなかにはTP(血清総たんぱく)、Alb(アルブミン)、Tcho(総コレストロール)、TG(中性脂肪)、HDL(高比重リポ蛋白、俗に云う善玉)、LDL(低比重リポ蛋白、俗に云う悪玉)、BS(血糖値)、HbA1c(ヘモグロビン エーワンシー)。
 「肝・膵・筋について」のなかには総ビリルビン、GOT(トランスアミナーゼ AST-アスパラギン酸アミノトランスフェラーゼとの名称に変更されつつある)、GPT(ALT-アラニンアミノトランスフェラーゼとの名称に変更されつつある)、γ-GTP(ガンマ グルタミル トランス ペプチターゼ)、ALP(アルカリ フォスファターゼ)、LDH(乳酸脱水素酵素)、Cho-E(コリンエステラーゼ)が含まれる。

つづく。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月31日 19:23 | 固定ページリンク




大場川  | 一考    

 みさと公園と水元公園を隔てる大場川について一言。大場川は埼玉県三郷市を流れる。細かくは吉川市川野付近の干拓地に端を発し、三郷市を南に流れ、中川の東側、二郷半領用水と江戸川のあいだを通る。葛飾区の水元公園付近を抜けるが、その端にわたしは住んでいる。この辺りは小さな河川や放水路、疎水が迷路のように入り組んでいて住んでいてもよく分からない。
 拙宅界隈から水元公園の突端まで大場川は小合溜と並行して流れ、その間を遮る形で細い土手がある。早いはなしが三郷と葛飾の県境である。徒歩乃至自転車でしか走られない未舗装の細い道だが、地元の釣り人のメッカのようになっている。葛飾区側は自然環境保全区域に設定されている。この後、大場川は二郷半領用水と共に八潮と葛飾との境を経て中川へ合流する。

 みさと公園には1.5キロのマラソンコース(自転車専用道かも)がある。他に外周道路が2キロほどあって、そこを自転車で日々五周は走っている。水元公園はその六倍以上あって、両公園の南端は木道が縦横に入り組んでいる。一帯が湿地帯で水生羊歯の宝庫である。サンショウモやデンジソウが浮遊し、昨今では珍しくなったミズニラやミズワラビが生えている。みさと公園側では子供が水生昆虫と戯れている。そして水元公園側にはオニバスやアサザの自生地が設けられている。季節柄、アサザは黄色い花を咲かせている。
 公園の此処かしこに釣り人がいる。場所が決まっているようで、毎日おなじ顔ぶれである。水元公園の北端はバードサンクチュアリーとして閉鎖保護されている。子供はそちらにはいささかの興味も抱かない。みさと公園は間伐が行き届いているが、水元公園の北端は意識して捨て置かれている部分があり、昼なお薄暗いところもある。
 みさと公園の南端と東葛クリニックは拙宅から等距離。テリトリーは一気には拡がらないが、先日は牛蒡、葱、白菜など、すき焼きの材料を買ってきた。久しぶりの自転車に惚けている。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月28日 00:17 | 固定ページリンク




降圧剤  | 一考    

 収縮期血圧が220、230と昨今の円高同様、上がり続けている。オルメテック錠も併せて飲むようにと処方された。カリウムが高くなるそうだが、仮にカリウム血症になってもあなたは管理が行き届いているので直に戻るだろう、と医師は予測する。それよりも早く150ぐらいにまで落としたいらしい。このところ、降圧剤の大量投与で目眩いや頭痛に襲われている。過去、六回ぐらいの服用で効いた筈なのだが、どうしたのだろう。
 わたしは一日二食なので、食前食後に四錠ずつ飲むレナジェルやウラリットも二回しか服用していない。また透析患者には必需品のカリメートも飲んでいない。要するに、食事の徹底管理によって、極力薬を減らしている。それでも一日に二十三錠になる。薬の配付は個々異なるが、とんでもない量の薬を受け取っている方がいる。

 昨日は右側四人目の患者が治療中に失神していた。寒暖差が関係するのであろうか。やたらと失神が多発する。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月26日 11:59 | 固定ページリンク




ですぺら  | 一考    

 今週の土曜日にですぺらへ行きます。先日、中村さんにアイラストームのカスクストレングスをお持ち頂いたのですが、土曜日はゴードン&マクファイル社が最後にボトリングしたスピリッツ・オブ・スコットランドのアードベッグの樽違いを持参します。
 特段の用事もなく、ゆっくりさせて頂きます。モルトファンのご来店をお待ち申し上げます。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月26日 11:29 | 固定ページリンク




工具  | 一考    

 わたしの時代のBB(ボトムブラケット)はカップアンドコーン型で、シマノ、スギノ、カンパニョーロの三種の工具(ロックリング、ピン、ボトムブラケット)があればサンツアーを含め、大概のBBの分解ができた。カップアンドコーン型は分解、洗浄及びグリース注入が自由にでき、未だにもっともすぐれた方式と思っている。
 最近ではクランクの軸がクランクと一体になり、ベアリングとカップのみのパーツがBBユニットとして切り離されているものが多い。また昔はストロングライトしかなかったが、昨今はシールドベアリングガ多勢を占めるようになってきた。そして、イクスターナルBBのアダプター(16切込み)のごとく、工具もさまざまに変化してきた。
 車のホイールのテーパー角同様、ボトムブラケットのテーパー角度も異なり、スクエアテーパー(シマノ系)、スクエアテーパー(カンパニョーロ系)、オクタリンク、ISIS、パワースプラインなど様々な規格が存在する。
 シェル幅は68、70、73とあり、ネジ山のピッチはISO、JIS、BSC規格とITA規格の2種類があり、ワンの左右のネジ切りも異なる。さすがに、ボトムブラケットを加工したことはないが、自転車にはさまざまなネジが用いられてい、細かなネジは自分で造ってきた。そのためのタップやダイスも小型のものは取りそろえている。
 今回二十年ぶりに自転車を組み立てて思ったのは、新しいパーツは手持ちの工具では間に合わないと云うこと。長く自転車のメカニックを担当してきたが、こちらもそろそろ引退のようである。酒も同じで、特にワインなどは日々飲んでいないと香味の変遷が分からなくなる。ひとは何を一所懸命覚えようが、所詮は時代の子でしかない。与えられたある時代の局部を知るの他、為す術はない。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月23日 08:49 | 固定ページリンク




冠水  | 一考    

 タイもそうだが、日本にあっても水害の折、車やオートバイが水に浸かりながら走っている。通常の車は先端に空気取り入れ口がある。エアクリーナから水を吸い込んでしまえばエンジンはロックする。もしくはラジエーターファンが水を巻き上げ、エンジンルームが濡れればエンストする。共に再生はほぼ不可能である。それでなくても、水を被れば電装関係が駄目になる。ベンツやBMWの新品と見まがうばかりの車が四、五万円で売られているのは往々にして水没乃至冠水車である。
 オートマ車ではトランスミッションに水が入るとバックギアから順次不調になる。またオートマ車はローギアでエンジンを吹かし気味にして走行することが肝要である。間違えてもDレンジで走行してはならない。ホイールベアリングなどの回転部分にはシールがあるが、浸かっている期間が長いと水が浸入する。
 この消息は二輪でも同じである。オートバイは座席の下に空気取り入れ口がある。エンジンロックでないまでも、電装の取り替えは新車を買うのと同じぐらいの費用がかかる。また自転車の場合、BB(ボトムブラケット)、ペダル、ハブ、スプロケット、ディレイラーなどの回転部分に浸水すれば、錆び付いて動かなくなる。膝や腰まで水に浸かりながら自転車を押している図をよく見掛けるが、後々どうする積りなのかと思う。
 いずれにせよ、車やオートバイならラジエーター下端もしくはマフラー位置が冠水道路走行の基準となり。自転車ならさらに低く5センチほどが限界になる。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月22日 00:17 | 固定ページリンク




窓際  | 一考    

 血糖値が高まった状態が続くことを糖尿病という。糖尿病は合併症の病気だが、症状がないためそのまま放置することになる。他の合併症による症状が顕著になって、はじめて気付くのだが、受診した折には既に手遅れの場合が多い。そのようなことを書くのは新たに糖尿病の若い女性が透析治療に這入ってきたからである。肥満と痛風は糖尿病最大の症状である。
 先日書いた入院透析に至った方は腸閉塞もしくは腸管穿孔を患ったようである。レナジェルの副作用でないかと思われる。かなり激しい腹痛や便秘など、自覚症状があったはずなのだが、不思議である。以上の理由によってわたしは窓際へ配置換えになった。病院まで窓際かと空を眺めて溜息をつく。
 ニフェジピンからアダラートCR錠に薬品変更、もっとも同種の薬だが。医師によるとCRの方が効くそうな。最低血圧が130を超えているのだからとんでもなく高い血圧だと思うのだが、対応が少々遅いようである。収縮期血圧が180を超えた頃から再三云っていたのだが、200を超えてはじめてのニフェジピンである。当然のことだが、低血圧よりは高血圧の方がわたしには処理しやすい。どうあっても失神は嫌なのである。動悸や息切れがつづき、脳貧血で意識を失うなどの症状だけは勘弁してほしい。
 一昨日はわたしだったが、今日は向かいと二人置いて右側の患者が痙攣を起こして失神していた。共に血圧の下がりすぎである。看護師がつきっきりで脚をマッサージし、大声で名前を呼び続けている。一年前のわたしを思い起こしていた。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月20日 16:54 | 固定ページリンク




自転車続き  | 一考    

 深夜に重湯のような玉子丼を喰ったきりだったが、さすがにサイクリングは腹が減る。今回は200グラムの雑炊を作る。これでなんとか腹は落ち着くだろう。
 体調からか久しぶりだからか自転車がふらつく。こんなに運転が難しいものだったかと思い知る。サドルとハンドルの角度が合っていないようでもある。こちらは帰宅後微調整。ハンドルには通常のバーテープを巻いたが小径の自転車なので、サドルとの距離が近い。よってハンドルバーに力が這入る。これもふらつく理由である。大きさは逆だが、はじめて牽引車に乗ったときのような感じ、この自転車には慣れていたはずなのだが。
 フロントのアウターが拾われない、と云うよりはアウターの必要がない。それほどに脚力が弱っている。かつてはインナーなど使ったことすらないのに。以前のように漕ぐようになるには一年はかかりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月20日 16:28 | 固定ページリンク




自転車  | 一考    

 パーツが揃ったので、十七日は自転車を組み立てた。BBやヘッドパーツからの組み立てはほぼ二十年ぶり。ホイールがインチサイズなので英式バルブだが、わたしは700Cに乗っていたので、仏式(シリカ)のポンプしか持っていない。英式を仏式に変換するアダプタがあったと思うが、近隣の自転車屋にはその逆のアダプタしか売っていない。ちょっと迷ったが、安いものなので英式ポンプを購入。担当者が高圧は無理ですよ、と声を掛けてくださる。
 700Cだとダンプカー並に8気圧は入れるが、WOだとそんなに這入らない。ミシュランのWOなら大丈夫だが、国産ならせいぜいが5気圧ほどである。今回の自転車のホイールはママチャリのそれなので低気圧で問題なし。
 BBもヘッドもバラ玉をレールに切り換え、可能なところはすべてアルミに変更している。さすがと自画自賛。サドルにはブルックスの一枚革のピスト用い、序でにバックミラーと前照灯、後部反射板を取り付けて終了。脚のリハビリのために組み付けたのだが、これでみさと公園や水元公園を走り回れる。

追記
 みさと公園を走ってきたが、バックミラーは役に立たないので外す。四キロほどの走行で息は切れるし脚はがたがた、少しずつ慣らさなければ。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月19日 10:47 | 固定ページリンク




頭痛  | 一考    

 降圧剤を飲んでいるにもかかわらず、血圧は上がり続けている。十八日朝は214-134だった。血圧が高いということは血中水分が高いのが理由だが、除水分は900で大した量でない。後はドライウェイトを下げて除水率を上げるしか方法はないが、そちらは二週間前に63キロに下げたばかりで、実質62キロ代である。心胸比からいっても、これ以上急激な体重移動は無理なようである。
 その血圧が理由かどうか分からないが、透析を一時間残して気分が悪くなった。頭が割れるように痛い。体調は風邪気味、歯痛も残っている。汗びっしょりになってなんとか透析は終了したが動かれない。一時間ほど休憩して取敢えず帰宅。例によってハルシオンを四錠服用し、寝ようとするが痛みで眠られない。二十一時頃猛烈な吐き気に襲われ、トイレへ駈けこむ。ちなみに前日の日付が変わってからはなにも食していない。茶色の液体(烏龍茶か紅茶)を吐きながらトイレでしゃがみ込む。気付くと、どうやらトイレで一時間ほど寝込んでいたようである。
 そのまま午前二時頃までうつらうつらと過ぎゆく。総量100グラムの玉子丼を作り、二十七時間ぶりの食事。これでなんとかなりそうである。
 医師から風邪薬と咳止めと新たな降圧剤を頂戴する。一日で終わったから良いが、このような因果関係の分からない不調はただただ困惑する。ナトリウムは137、カリウムは5.1、尿酸は7.4、マグネシウムは2.4、血中の塩分と尿酸に異常はない。にもかかわらず、血圧は上がる。血圧が現状の半分になれば落ち着くかと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月19日 05:26 | 固定ページリンク




諸妄  | 一考    

 抗体検査に行ったのは十月三日、結果は一箇月後ということだったが、担当の看護師から電話があって十一月十四日以降の来院を命じられた。
 辞書によれば、高等動物における生物学的自己性を確立・保全する生体反応を免疫というそうな。現在では、単に生体防御反応としてでなく、自己・非自己を認識する生物学的な一連のしくみとして把握されている、とある。抗体・免疫について話しだすとまるで哲学問答である。
 この自己と非自己の垣根を跳び超え、生物学的自己性に錯覚を与え狂わせるのを免疫抑制剤と云うのかもしれない。意識するとしないとに関らず、生物学的に自己というものは確立されてある。
 病院へ行くと役所同様、一考は消え去り、一孝のみが存在する。そのことと相俟ってわたしは既に錯覚の渦中にある。臓器移植と向かい合ってはじめて顕れる種類の自己もある。わたしが迷い続けていることなど、生物学的にはおよそ意味をなさない。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月15日 22:12 | 固定ページリンク




18インチのタイヤ2  | 一考    

 18×1-3/8のWOタイヤがなくて困っていた。予想通り、井上ゴムから車椅子用のタイヤで同サイズがあった。しかし車椅子用なので、専用色のグレーしかない。
 検索してみると、同タイヤを他にも探している方がいて、「このタイヤのサイズが容易に手に入らない。九州のホームセンターに要望があればできるだけの品揃えを行うところがあるらしい。何でもあそこのホームセンターに行けば揃うという付加価値を付けている。それにより多くの人を集めている」とある。宮崎県のハンズマンを指してのはなしだと思う。ハンズマンのような特異なホームセンターは九州にしか存在しない。
 埼玉は自転車屋が多い。どこぞ置いていないかと思ったが、一軒では単価が3500円と云われた。奈良の自転車屋だと1100円である。そうこうしている間にヤフーオークションで見付けた。ナショナルパナツアーのタイヤが二本で1800円だった。こちらも車椅子用だが、ガムサイドで色は黒色。もちろん生産は中止されている。
 ウカイのリムは18×1-3/8だが、18×1-1/4までは使える。18×1-1/8は到底無理である。無理云々より、タイヤ自体が生産されていないのだからどうにもならない。今回はうまく見付かったが、18インチのWOはもう手に這入るまい。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月14日 14:11 | 固定ページリンク




チリパウダー  | 一考    

 生のニンニク100グラム中、リンは153mg、カリウムは401mg含有する。他の食品でカリウムと云えば、さといも640mg、さつまいも470mg、大豆1900mg、納豆660mg、ホウレン草690mg、みつば640mg、バナナ360mg、メロン340mg、昆布5300mg、ひじき4400mg、豚もも肉360mgとなる(食品が含む水分量によって若干異なる)。
 不思議なのは生のニンニクを乾燥し粉末にするとカリウムが減少する。要するにガーリックである。腎不全の患者の場合、香辛料に特段の制限はない。成分を調べる器具を持っていないので、云われるがままに信じている。
 最近はスモークを作らなくなったので、以前ほど香辛料を使わなくなった。その代わり、ミックススパイスを良く用いる。ガラムマサラ、チリパウダー、五香粉、祇園の黒七味の類いである。
 ガラムマサラは下手に使うとカレー粉になるが、チリパウダーはほとんどの洋食に使える。例えばミートソース、ハンバーグ、タンドリーチキン、タコス、チリコンカーン、オムライス、チャーハン等々である。昨今流行の半熟玉子のオムライスは好みでない。昔のチキン入りケチャップライスを玉子で薄くくるんだものが良い。もっとも、今のわたしにはケチャップは禁制品になってしまったが。
 そのチリパウダーは唐辛子、デイル、オレガノ、グローブ、ガーリック、オレガノ、クミン等のミックススパイスである。インド料理を簡便に作るためにカレー粉を発明したのはイギリス人だが、メキシコ料理に必要なスパイスを調合したのがチリパウダー、作ったのはアメリカ人である。カレー粉ほど複雑でないところがいかにもアメリカ的である。
 ミックススパイスは対象によって混合比率を変える。例えば前項で書いたジャンバラヤの場合はチリパウダーにさらにチリペッパーを加えて辛みを出す。せっかくのミックススパイスを利用しない手はないが、そのまま使うのは芸のないはなしである。
 ちなみに、黒七味は秋刀魚や鰺などの焼き魚に振りかけると美味。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月12日 18:44 | 固定ページリンク




フーテン  | 一考    

 インフルエンザワクチンの摂種を申し込んだ。皮下注射はまだだが、インフルエンザならぬ風邪を引いてしまった。病院が広く用いている塩野義製薬のPL配合顆粒を服用。ウィルスに対しては無効だが、風邪にはよく効く。
 先日、歯痛と頭痛が重なってハルシオンを飲んだ。この種のドラッグに手を出したのは何十年ぶりだろうか。酒と薬に溺れる日々があった。金があれば酒を飲み、金がなければ薬を飲んでいた。わたしは両刀遣いだが、下戸はみなさん薬を飲んでいた。酔わなければ生きて行けなかったのである。らもさんではないが、酒ともドラッグとも縁のない人生なんぞ考えられない。
 睡眠薬遊びでなく、痛み止めとして飲んだのだが、十分もしないうちに寝込んでしまった。三時間ほど熟睡し覚醒したが、頭はふらふらで千鳥足、唇の痺れと軽い嘔吐、あの手の薬品特有の酔いを想い起こした。
 アングラ、アンパン、ギる、グラス、ゲイテイ、サイケ、スクェア、ヒップ、ダンモ、ディグ、ドカチン、ナオン、ハイちゃん、バム、ヒッピー、フーテン・バッグ、フラワー・チィルドレン、ホーボー、マッポウ、ラリパッパ等、わたしの世代の若者言葉である。
 五年間透析治療を受け、逝った漫画家永島慎二に「フーテンをすすめるうた」がある。

まず 親をうらぎれ
つぎにきょうだいもあったら うらぎれ
いまきみが 中学生だったら 勉強を投げだせ
高校生なら 学校をやめてしまえ
話はそれからなんだ
もしきみが
本を持っていたら それをたたき売って旅にでよう
けっして働くな 勉強するな
努力なんかも おさおさするな
そこで きみは
自然が すでにわれわれを
けっして 楽しませてくれるものでないことを 知るだろう
そこで きみは
おのれが 自然の一部であることを はじるだろう
そこで きみは
いのることを知るだろう。
あそべ あそべ 力のかぎりあそぶのだ
金を盗め 友情を盗め 女を盗め
元気のないやつは ふんずけていけ
そして傷つけ 血を流せ
その血を 大地に吸わせることこそ
愛なのだ
ということを知ったとき
きみは ひとりのフーテンに進化する
フーテンばんざい
なんにもするな 気にするな
あそべ あそべ ただあそべ


投稿者: 一考      日時: 2011年10月08日 23:42 | 固定ページリンク




大腸癌  | 一考    

 集中治療室と書かれていたので周章てました。ちょっと元気でなによりです。
 先日、移植のための抗体検査で戸田中央へ女房と二人で出掛けたのですが、免疫というものは何度聞いても素人にはさっぱり分かりません。輸血について質問を受けたのですが、「二十一単位の輸血はなくはないが死亡率の方が高い、生還なさったわけですね」と云われ、生還者との徒名を頂戴しました。それゆえ、生還者も悪くはないなと思っていたのです。
 抗体検査で問題がなければ、ドナーは一週間の検査入院。わたしはその間に七つの大腸癌とポリープ、胆嚢のポリープの除去にあたります。すべて内視鏡手術ですが、透析を受けながらの手術なのでいささか面倒です。あなたと同じ交感神経節ブロックになります。抗凝固剤を一日置きに打っている、免疫機能が弱い、血圧が高い等々、問題だらけですが、東京女子医の医師なので大丈夫そうです。先頃親友がS状結腸の癌を摘出しましたが、術後三年を経て、まだ生きております。こちらに関しても先輩はあなた、今後ともどうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月08日 16:06 | 固定ページリンク




ちょっと元気  | 素天堂    

取り上げて頂いてありがとうございます。
8月は検査入院、実際の手術は記述の通り、9月20日でした。ICUとは言ってもその病院では術後の患者のほとんどが入室しているにすぎず、その晩、同室の前立腺切除の患者が夜中に看護士に怒鳴り散らす程度のところでした。
事後の経過は順調で、現在は自宅でリハビリというグウタラ生活を送っております。今日は退院後始めてバスに乗って外出という小冒険に出ましたが、無事帰宅致しました。というわけで、生還どころか年甲斐もなくピンピンしているので、執刀医も呆れておりました。以上ご報告であります。


投稿者: 素天堂      日時: 2011年10月07日 18:26 | 固定ページリンク




素天堂さん退院  | 一考    

 素天堂さんが八月上旬に大腸癌の摘出手術をしたのは聞いたが、その後も入院は続いていたようである。

 09/13 あそか病院 外科病棟入院(病名は省略)胸部CTスキャン撮影
 09/15 手術カンファレンス
 09/18 朝から食事なし 点滴開始
 09/20 9:30AMより手術 6時間 患部切除 ICU入室 酸素吸入
 09/21 ICU処置終了 15:30 病室徒歩で戻り、脂汗でまくり
 09/22 胃ドレン、脊椎麻酔チューブ抜く 歩行開始 痛み止め継続
 09/23 1140 カテーテル抜き 水飲み開始 自由歩行開始
 09/24 腹腔ドレンチューブ抜き 昼重湯実食開始
 09/26 昼三分粥 実食開始 立ち上がり、歩行時の疼痛やわらぐ
 09/28 昼五分粥 実食開始 点滴外す ほぼ通常歩行
 09/30 昼全粥 実食開始

 ブログには上記のように記載されている。集中治療室は重要臓器に機能不全があり生命が危険に晒されているということを示唆している。
 文中、脊椎麻酔チューブ抜くと記されている。これはわたしも何回か経験している 背中からの注射による下半身麻酔だが、しばしば全身麻酔と併用される。病名は省略されているため、医師でないわたしには分からない。かなり重篤な病であったことは推定できる。彼の生還を願っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月07日 13:09 | 固定ページリンク




18インチのタイヤ  | 一考    

 二輪がなくなったので、小径の自転車を16年ぶりに引っ張り出した。ほったらかしだったので泥だらけだが、BB、ヘッド、ブレーキ、ペダル、チェーンホイール、フリー、前後のディレイラー等、鉄の部分以外はぴかぴかの状態に戻った。BBはカンパレコード、ブレーキはシマノ、チェーンホイールはスギノ、ハブはスプリント、リムはウカイ、ペダルはゼウスのチタニウムというようにばらばらの組み合わせだが、それなりに気に入っていた自転車である。
 今回上京してから捨て置かれていた自転車だが、ベアリング部分にはカンパのグリスが使われていて、グリスアップの必要すらない。さすがカンパである。しかし、タイヤとチューブは腐ってしまった。元々は小径のチューブラーとして乗っていたが、クリンチャーの18×1-3/8のWO(ワイヤードオン)に切り換えた。そのタイヤが手に入らなくて困っている。昨今はアメリカタイプのHE(フックドエッジ)ばかりで、1.75と記載されている。同じ18インチであっても、ビードの形状が違うので互換性はない。要するに、昨今では18インチのWOは顧みられなくなった。確か井上ゴムから車椅子用のタイヤで同サイズがあったと記憶するが、間違いなく使えるかどうかの確認ができない。
 リムやタイヤの寸法が時代によって変わるとは思っていなかった。だとすれば、スポークも作っていないことが考えられる。チューブラー用のリムとスポークはスペアを持っている。遠出をしないので、チューブラーに切り換えるのも一案である。
 インチサイズの自転車を作っているのは日本と台湾ぐらいなものと思うが。それが理由で日本の自転車サイズは怖ろしく複雑である。チューブラーもWOもフランスサイズに統一すれば良いのにと思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月04日 16:02 | 固定ページリンク




若者言葉  | 一考    

 ありげに、うまげに、おもしろげに、さりげに、なさげに、なにげに、よさげに、わるげに、等々の若者言葉がある。語尾に「に」や「な」をつけて用いるようである。
 平安時代には「清げ」や「浄げ」が用いられ、紅葉ではないが江戸、明治の言葉の乱れは枚挙にいとまがない。それらを兎や角いうのは権威主義めいたところがあって、好みでない。また辞書に収録された文字のみを遣うとなれば短歌や俳句は成り立たない。そもそも「短詩形」との言葉自体、かなり怪しい(げな)ところがある。
 「全然」は本来の意味は「すべて」であって否定でも肯定でも遣える。漱石は肯定否定双方で遣っている。現代にあっては否定がほとんどだが、江戸期は肯定の方が目に付く。他にも江戸時代にはオランダ語の訳語として蘭学書のなかに、明治期はドイツ語の訳語としてさまざまな言葉が生み出された。

 掲示板1.0で書いたが、辞書の類いがいかに無責任かつ好い加減なものかは辞書の制作会社で働いていたのでよく分かっている。それを承知の上で、なんらかの模範、笵例を必要とするのも事実である。従って、諸橋大漢和(親字48,000、熟語530,000)が上梓されたときは安堵した。しかし、国語、類語に関しては語釈を確認しなければ安心できない。いづれも辞書も一長一短あって甲乙つけ難い。見出し語数や用例だけでは判断不能である。
 ですぺらで飛び交っていた言葉のひとつに「〜みたく」があったが、あれなども新東京方言のひとつで、漫画を媒体にして急速に拡がったのであるまいか。もっとも、言葉に関しては大きな事は云えない。かつて高遠さんからご注意を受けたが、「すべからく」のように、陸に知りもしないで遣っている言葉がわたしには多い。学歴のなさがもたらす小賢しさというよりは、わたしの狠戻な姿勢に理由がある。

追記
 掲示板1.0における誤記、誤用については暇を見付けて訂正してゆこうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月03日 21:30 | 固定ページリンク




思い  | 一考    

 婚姻届に複数の証人が必要とは思わなかった。ムーンさんはじめ神戸の知己にお願いしたが、迷惑をお掛けし申し訳なく思う。証人であって保証人ではない、実体は立会人で責任を追求されるようなことはない。
 かつて(平安)は通い婚を終えたあとに、同居するのが普通だった。従って、女性は家でひたすら待ちつづけ、もしも男性が来なければ、婚姻は自動的に消滅したと云う。夫婦との概念は希薄で、口約束のようなものだった。ちなみに、現代では結婚後に性的不能だとわかった場合、それを理由に離婚が成立する。
 日本は男性中心の国だからなにかにつけ手続き(改姓手続き)は女性の方が大変である。わたしは名前は記号にしかすぎないと思っているので、わたしが改姓する方が良かったのではと思う。
 生体移植の場合は手続きがおそろしく煩雑である。宇和島徳洲会病院での開業医夫妻による臓器売買事件もあって、さらに厳しくなったようである。それが結婚の理由ではないが、大きな要因のひとつである。身内であれなんであれ、他人様の臓器を頂戴すると云うのは簡単なことでない。せめて籍を同じくするのは理の当然であろう。
 運転免許証乃至被保険者証の裏面に臓器提供に関する意思表示欄が設けられることとなった。1億2000万の人口に対して、日本臓器移植ネットワークに登録された臓器移植希望者は1万2009人。そして2009年中に実施された移植件数は僅かに213件(生体移植を含む)。わが邦にあって移植がいかに希有なことか、こころ致さねばならぬ。


投稿者: 一考      日時: 2011年10月01日 04:36 | 固定ページリンク




初婚  | 一考    

 水道費を支払いに役所へ。バーコードの部分を切り取ってしまったのでコンビニでの取扱いができなくなったのが理由である。もっとも、医療費の申請が主たる用事だったが。
 東葛クリニックだけでなく、今月は本院の領収書も二枚加算される。さらに戸田中央、北里、いいはしデンタルクリニックで計十二枚。北里と戸田中央の中身を訊かれたので、移植の予定と応える。ドナーは見付かったのですか、女房です、と応える。いろいろ質問が続くので丁寧に応答する。移植に関する埼玉県下の情報を知りたいようである。
 ところで、書類が送られてこないので詳細は不明だが、今週初めにわたしは結婚した。彼女が上京した折に役所へ行き、手続きについて尋ねた。初婚に限って本籍地は勝手に決められるようである。「でも、貴方の場合は再婚でしょうから」「わたしは初婚ですが」彼女の方を向いて「どちらかが再婚のばあいは無理です」担当者には、六十過ぎの男女が共に初婚というのが理解できないようであった。
 もっとも本籍地など、わたしにとってはどうでもよいことである。新潟県から離れることになりそうだが、埼玉であれ、神戸であれ、明石であれ、知ったことでない。ムーンさんが神戸の住処を使っていいよと云ってくださったようだが、いっそ北海道斜里町岩尾別(ホテル地の涯の住所)でも結構だと思っている。

 http://ca4.livedoor.biz/archives/50093629.html

 新得町のヌプントムラウシ温泉の紹介もあり。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月30日 01:49 | 固定ページリンク




難問  | 一考    

 降圧剤によって収縮期血圧が180、拡張期血圧が100になっている。低い方を90以下に下げるように云われたが、どうすれば下がるのだろうか。医師は塩分の摂取を控えれば良いというが、塩分など摂ってはいない。塩分と尿酸に関する血液検査の結果はナトリウム138、カルシウム5.2、尿酸7.6、マグネシウム2.3と基準値に収まっている。
 血液検査だが、一年前にはどこから手をつければ良いのか途方に暮れた。尿素窒素に問題あり、フェリチンに問題あり、やれ蛋白がどうの、コレステロールがどうの、血糖値がどうのと云われても困惑するばかり。まず、食生活と味付けを根本から見直すのがスタートだった。少しでも抵触するものは台所から追放した。塩、醤油、ソース、マヨネーズ、ケチャップなどは真っ先に追い払った。一年かけてなんとか血液検査は目標に達するようになった。然るに、今回は血圧である。
 高血圧が困るのは視力が駄目になる点である。本を読もうと思っても、十分以上続けられない。全神経を目に集中するのだが、視点が定まらなくなる。降圧剤が有効なのだから降圧剤で下げればよいと思うのだが、薬に頼るのはよろしくないようである。さて、難問にまたぶつかった。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月29日 22:55 | 固定ページリンク




沈粉(じんこ)  | 一考    

 小麦粉は強力粉、中力粉、薄力粉、浮き粉、全粒粉、グラハム粉、セモリナ粉などに別れるが、その内の浮き粉について一言。
 浮き粉は、小麦粉から麩の原料として使われるグルテンを分離した残りの澱粉分のこと。分かり易く書けば、麩(グルテン)を作った後、沈殿した澱粉を精製したもの。
 東京では「沈粉はグルテン粉のこと」とする意見が多いが間違っている。むしろ沈粉は浮き粉とするのが正しい。お好み焼きや明石焼き、和菓子、台湾の大根餅、小ロンポウや蒸し海老餃子の透明な皮などに用いられる。関西の商品名はじん粉だが、関東だと中華の食材店や乾物店で浮き粉の名で売られている。
 最近は関西人が経営するお好み焼き店が東京で増えてきたので、沈粉を使う店も増えた。それとは逆に、大阪のイカ焼きやたこ焼きのように、昔は沈粉を使っていたが、現在はメリケン粉(薄力粉)のみという店が大半になった。
 浮き粉を広辞苑で引くと「小麦粉中の澱粉質を精製したもの。菓子を製し、また紅を凝結させるのに用いる。また、米をこまかく粉状にしたもの」とある。前半は正しいが、後半は沈粉としん粉をごた混ぜにしている。この沈粉としん粉に関しては大辞林も国語大辞典も同じ間違いを犯している。大辞林では「米の粉。また、小麦粉の澱粉を精製したもの。和菓子・糊・医薬品などに用いられる。また、紅を凝結させるのにも用いる」とあり、国語大辞典では「米を粉状にしたもの。和菓子の材料、紅や臙脂(えんじ)を凝結させるのに用いる。また、小麦粉のでんぷんを精製したもの。菓子の材料、かまぼこの増量材、糊の素材として用いる」となっている。国語大辞典は大辞林の語釈を掻っ払っただけで、後半に小麦粉のでんぷんを持ってきたのは誤解を生むだけである。序でながら、関東の和菓子にはしん粉が用いられるが、関西では沈粉の方が多い。
 「 ひがれい」(2007年09月)で書いたが、懐石料理や精進料理で用いる言葉は宮崎、京都、大阪で生れた用語が大方を占める。従って関東人(東北を含む)が編輯した辞書に料理用語はほとんど這入っていない。仮に這入っていても、とんでもない誤解に基づいている。日本古来の食文化に忠実な辞書がそろそろ出てきてもよいのだが。

追記
 ふすま(麩)の語釈でもっとも纏まりがよいのは大辞林、先行する広辞苑の盗作だが、国語大辞典も同様。新しい語釈を書くときはもう少し気を遣っていただきたい。なお、語釈にある洗粉は太平洋戦争前までは最も需要の多い化粧料のひとつ。髪洗粉は洗粉に酸性白土を加えたもの。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月28日 14:19 | 固定ページリンク




高血圧  | 一考    

 透析時は六回以上血圧を計る。その血圧が昨日はじめて200を超えた。収縮期血圧が205、拡張期血圧が114だった。それが理由で昨日は終日臥せっていた。200超えははじめてだが、まず目が見えなくなる。ピントが合わなくなるのである。
 降圧剤のニフェジピン(カルシウム拮抗薬)を処方され、ドライウェイトを63.5キロまで落とすように云われた。「減量」で書いたが、わたしは63キロを希望したのだが。
 体重を落とせば血圧は下がる。血圧はカルシウムや塩分と密接な関わりを持っているが、今のところ他に異常はない。取敢えず63.5キロまで除水、降圧剤を飲んで170ー90にまで下がった。飲み続ければさらに下がるだろうが、医師は降圧剤をあまり奨めない。
 食事、水分、体重が血圧を決める要因だが、こればかりは思うようにならない。それでなくとも一年前までは低血圧で困惑させられた。いずれにせよ、失神だけは避けたい。

 「忙裏」で書いたように、水分制限の要はなしと云われた。為事中は1リットルを目安に、為事を止めてからは600ミリを目標にしていた。その制限が一挙に取り払われたため、体重が少々狂いはじめた。そしてその分、尿量が増えている。1.3リットルの尿量が1リットルにまで減っていたのだが、最近は1.3リットルを超えるのも屡々。心做しか勢いもよくなったようである。そのことも関係していると思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月28日 09:24 | 固定ページリンク




抗体検査  | 一考    

 来週の月曜日(三日)が戸田中央での血液検査日と決まった。採血が朝の八時半なので、拙宅を七時に出なければ間に合わない。外環ならびに十七号線がもっとも混雑する時間帯だが、戸田界隈の間道には精通している。
 いつもの検査と異なり、今回は抗体というか免疫体の検査である。詳しくは分からない、結果や如何に。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月26日 13:02 | 固定ページリンク




ドライウェイト  | 一考    

 このところ透析のあと、動かれなくなるひとが続出している。血圧の急速な低下が理由である。150乃至160から一気に90、80へ下降している、過剰な水分除去によって血液が濃厚になりすぎたのだが、これは自己管理に属する。
 先日、席の移動があったと書いたが、入院患者が複数出たからである。症状の悪化、感染症、合併症など理由は多々あるが、今回は入院透析である。除水量が多すぎて通常の透析で間に合わない。ちなみに隣人も2900の透析、今一歩で入院である。
 水分制限は比較的守られているが、問題は食事からくる水分である。わたしには食事制限より水分制限の方が守りにくいのだが、どうやら逆の方が多数を占めるようである。
 透析をはじめるときは太った方が多いが、三年、四年と続けることによってどんどん瘠せてくる。平均すれば身長170センチで60キロは切っている。従って3000超の除水だと体重の5パーセントになる。わたしは失神するのが嫌なので1パーセント内に収めている。
 医師がドライウェイトを決めるのだが、300から500グラムぐらいなら自己申告でどうにでもなる。「今日は食べ過ぎたので300グラムほど残してください」で済むはずである。残した体重は一、二週間かけて徐々に減らしてゆけばよい。ドライウェイトは目安であって、厳密に守るというものでない。それを遮る看護師はいないと思うが。

追記
 九日に「カリウムが規定値を超えた」と書いたが、僅か二週間で血液検査はクリア。豆類、根菜、果物など、徹底的にカリウムを抜いた結果だが、われながら愕いている。早速梨を喰いたいと甘いことを考えている。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月23日 09:53 | 固定ページリンク




叙勲  | 一考    

 わたしは関西出身なのですき焼きといえば牛肉に決まっている。肉といえば牛肉を指し、豚肉は「豚肉」といい、安物の代名詞だった。豚バラが活かされるのはお好み焼の豚玉ぐらいなものである。在日文化のひとつである焼肉は「肉」なので、当然牛肉である。関東のホルモン焼は豚の臓物なので、品種がまったく異なる。昔は牛の臓物は関西へ、豚の臓物は関東へ送られていた。ところが、放射線が理由で牛の値崩れが起こり、同じクラスなら牛肉の方が安くなってしまった。焼肉酒家えびすの問題は論外としても、昨今の牛丼によって牛神話が崩れたのである。
 他方、回転寿司は寿司の権威を崩壊せしめた。元々焼肉同様、車夫馬丁の食い物だったものを一部の料理人が食する順序とか食べ方なるものを拵えて寿司道とした。蕎麦も同様である。
 かような権威主義はどこにでもある。例えば役人が決める叙勲なども気に障ること夥しい。終身年金が支給される文化功労章があって、そのなかから文化勲章受章者が撰ばれる。勲章を授与される場合の服装は、男子は紋付羽織袴、フロックコートまたはモーニングコート、女子は白衿紋付またはローブモンタントである。勲章はとくに和服に似合うようにつくられ、中綬で胸部中央に着用する。製式は、橘の花弁を模様化した章の中央に勾玉を配し、鈕に橘の葉と実を配してある。
 元々、勲章は役人が功績顕著な役人を讃えるためのもので、旭日章、瑞宝章、宝冠章等々がある。叙勲の対象は政治家や自治体の首長、公務員をはじめ、大学教授や経済団体役員などである。勲章以外に賜杯や褒賞(特定分野の民間人を表彰する制度)があるが、それらには原則、年金などの金銭は付加されない。あくまでも名誉賞である。日商会頭や経団連会長のように叙勲まではと居座る例はよく知られているが、役人や財界人はこの種の名誉に滅法弱い。権威権力に弱いのは勝手だが、それは権威権力を欲する気持の裏返しに過ぎない。
 名は伏せるが、わたしの知己で一切の叙勲を拒否しつづけている詩人がいる、一方で勲章を求めて駆けずりまわっている詩人がいる。文学を志す身であれば、名利を求めない姿勢を貫いて辞退するのが当然。どちらが真物の詩人かはいうまでもない。
 文学の苗床は情念である。内に秘めた怒りがなくてなにが文学であろうか。文化勲章であろうが紫綬褒章であろうが、役人に自らの為事を功績と評させるなどあってはならない。デカルトの時代ならいざ知らず、現在では情念は心の盲動でない、身体性をもった具体としての人間そのものを示唆している。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月21日 18:16 | 固定ページリンク




手続き  | 一考    

 移植にはドナーへの多大な迷惑が伴う。感謝だけでは到底収まらない。まず双方の血液検査があって、結果に一箇月かかる。これは抗体の検査らしいが、わたしは大量の輸血を受けているのでかなり煩雑になりそうである。なお、検査は女子医で行われる。ここで適合するとされた場合、次ぎにドナーの健康状態ならびに移植臓器の提供に堪えられるかどうかの検査がある。手術の三箇月前に一週間の検査入院が必要になる。前項で記したように、子宮癌や乳癌などの癌があれば移植は諦めることになる。癌細胞が転位する可能性があるからである。この間に当方は大腸癌ならびにポリープを除去、転移がないかどうかの病理学検査が行われるようである。
 レシピアントは手術の一週間前に入院して手術前の検査、血液検査、胸部X線、心電図、心臓超音波検査、肺機能検査、胃の検査、膀胱の検査、目の検査などを受ける。退院は一箇月後。以降、移植後四箇月間の導入期を向かえる。急性拒絶反応、感染症、合併症との闘いである。いずれにせよ、生涯にわたる免疫抑制薬の服用が必要。
 移植後の食事制限について聞かされたが、主たるものは塩分制限とカロリー制限である。こちらは問題なし。わたしには元々好き嫌いがなにもない。これは文学についても同じことが云える。みなさん良く好悪を口にされるが、それは読んだ範疇でのこと。喋れば喋るほどに趣味の悪さを露呈する。第一に好き嫌いがあれば編輯者は務まらない。同様に好き嫌いがあれば料理人は務まらない。あるのは面倒か否かだけである。もっとも、その面倒が料理なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月19日 10:12 | 固定ページリンク




ぺたんこ  | 一考    

 猫が轢かれて死んだ。マンションの前には外環から隣町の八潮へ抜ける道がある。高速ではなく外環の下を走る国道である。国道とはいえ、八十キロから百キロの速度で大型車両が這入ってくる。マンションからどこかへ出掛けるにはその道を通らなければならない。見通しが悪いので日々冷やひやしながら走っている。
 死んだ猫は二代目の黒猫である。当初居た黒猫はお産の後いなくなった。生れた猫は白猫が二匹と黒猫が一匹、それと斑が一匹である。他にも二匹の猫がいるが、わたしが些かにせよ、気に掛けていたのは黒猫だけである。気にするとは云え、餌を与えたことは一度もない。声を掛けるだけである。
 米国では二千八百キロを旅した猫がいるという。日本の猫のテリトリーは狭い、せいぜいが百メートルほどである。その範疇ゆえ闖入者は車の方である。ぺちゃんこになって、道には血がこびり付いている。どう考えてもトラックの為業である。
 かつて水戸街道の中川大橋で片側三車線の国道を猫が渡っていた。後方を確認のうえ、わたしは急制動をかけた。しかし深夜の国道である、他の車が止まってくれるとは限らない。周章ててハザードを点けたところ、後続車両も猫を見付けて止まってくださった。竦んでいた猫は脇目も振らず駆け抜けて行った。人よりすぐれた視力を持ちながら傍目がないから猫は轢かれる。もっとも、近頃はそのような人ばかりになってきたように思う。その場合は止められる方が傍迷惑だが。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月17日 22:55 | 固定ページリンク




果報  | 一考    

 昨日、透析中に震度3の地震があった。わたしはベッドでなく椅子を使っているが、透析がはじまれば透析器と椅子は鎖で繋がれる。そうでないと穿刺部が引きちぎられるからである。震度6であれば器械を両手で押さえた方がよい。震度7だとなるようにしかならない。椅子と器械は列なって転がり、行先不明になる。そうなると念仏を唱えるのが一番の良策。
 久しぶりに夜の透析を受けたが、夜の部は空いている。何よりも静かなのが良い。朝はおばさまがお喋りに興じている。きっと彼女たちは透析に来るのが嬉しくて仕方がないに違いない。そのお喋りをもっとも聞かせたいのは透析をはじめるもしくは始めたばかりの男性である。男子は暗い、聞くも涙語るも涙の物語、世の中の苦衷を双肩に担ったがごとき顔色である。
 なにびとであろうとも、透析を中断すれば即死である。それが分かっていれば諧謔を弄して生きるしかない。わたしの回りには死の手立てを考えあぐねて逝ったひとが多い。あぐねる必要はどこにもない、目の前にごろんと転がっている。これを果報と云わずしてなんとする。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月16日 12:57 | 固定ページリンク




飲料二種  | 一考    

 嬬恋村の増屋薬舗の干川伸之さんからの贈り物、茜屋珈琲店のぶどうじゅーすについて書いたことがある。あのような生ジュースではなく、濃縮還元ジュースだが、めいらくからコンコード種の葡萄ジュースが売り出されている。パッケージにはポリフェノール1900ミリグラム、プロアントシアニジン150ミリグラムと書かれている。茜屋のそれほど濃厚でないが、大量生産の品としてはまずまずの出来映えである。
 オーガニック紅茶が守山乳業から頒されている。パッケージにはセリンボーン茶園産ダージリン茶葉使用と記されている。セリンボーン茶園は良く知られた茶園である。軟水抽出、無糖、こちらもまずまずの出来映え。最近ちょっと高級だが、うまい飲料が多く販売されるようになった。共に1000ミリリットル、三百円ほど、拙宅の近隣のスーパーでのはなし。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月16日 10:31 | 固定ページリンク




忙裏  | 一考    

 朝九時に家を出て、戻ったのは夜の八時、終日病院を梯子した。腎移植だが、憩室は問われないが輸血と大腸癌は要注意と聞かされた。癌はポリープを引っくるめて事前の完全な除去を命じられた。輸血はさまざまな抗体をもたらす。輸血によってドナーの血液に対する抗体があれば移植はできない。免疫抑制薬が効かず量を増やせば増やすほど、出血箇所が気になる。最悪、憩室も問題になると聞かされた。
 このところ、腹部のレントゲンとエコーを撮り続けている。エコーは一週間で三度である。しかし映像を見たのは今回がはじめて、右側が重傷で左はそれほどでもない。結石に黴が生えてそれが腎臓のネフロンを破壊する。左側の腎臓が生きているので尿だけは出ている。尿と云っても単なる水分で尿毒素は排出されない。ちなみにこの二年間、白血球が異常に高かった理由は前述の黴がもたらす炎症のようである。
 戸田中央の医師と云うよりは女子医の医師によると、現状だと水分は十分に補給してもらって結構と。クリニックへ戻って泌尿器科の医師に伝えると「そうかもしれない」。結石の患者のことはよく分からないのが本音であろう。

 以下は書きにくいことだが、他の患者のために記しておく。
 戸田中央で最初の質問は腎不全に罹った理由である。結石と応えたところ、その腎臓は摘出しましたかと聞かれた。摘出をわたしは考えてもみなかった。明石時代の症状を根掘り葉掘り聞く。体外衝撃波から尿管バイパスまでを説明したが、どうやらその初期段階にわたしの判断ミスがあったようである。四回ほど体外衝撃波を受けて結石が流れ出さない場合は内視鏡で取り除くなど方法はいくらでもある。最悪、摘出すべきだった。破片で捨て置くから腎不全になった、と。
 通常、結石で腎不全になるなど考えられない、あり得ないことであると云われた。わたしの知識不足と、どうでもいいやとの投げ遣りな考えが理由だが、捨て置けば透析になると聞かされていたら初期段階で何等かの処置を施したかもしれない。すべてはわたしの遣る気のなさにある。
 結石はどのような人間にも起こっている。流れ出すか止まって石になるかどうかである。

 丸一日診察で追われたため、食事は摂っていない。当然体重はドライウェイトを一キロ近く下回ってしまった。しかしクリニックの看護師はなにも云わない。汗だくのわたしを見て「どうだった、うまく行きそう」それが嬉しかった。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月16日 09:10 | 固定ページリンク




虫歯  | 一考    

 左の奥歯で梃摺っている。二十年ほど前に修理した虫歯の蓋を外したところ、膿が出てきた。外科的手術を避けるために、日々繰り返し消毒液を塗っている。そろそろ膿が止まりそうである。前の歯医者の処置に問題があったようである。
 今日は口腔をバキュームして沁みる箇所を調べた。上部前歯が二本沁みる。沁みないように接着剤を塗ってプラスティックを盛りつける。歯医者は削ったり盛ったりと大変である。
 治療中のさらに奥の歯もかつて虫歯治療を済ませているものの、やはり沁みる。こちらは神経が残っているので三回ほどで済むらしい。問題はもっか治療中の奥から二本目の歯である。気長に構えているので何日かかろうともよいのだが、こんなに長く歯医者にかかるのは初めてである。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月14日 22:59 | 固定ページリンク




正心誠意と誠心誠意  | 一考    

 朱子学の「大学」を総括する三綱領の細目八条目が格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下である。朱子学は江戸期の官学で「朱子学は生きた天神のごとく、徂徠派は玄蕃の火の見のごとく」などと揶揄されている。
 朱子学において要とされたのが上記の「格物致知」だが、陽明学では「誠意」を要とする。江戸期は正心誠意が通例として用いられていたようである。それでなくとも勝海舟は幕閣のひとり、正心とするは当然のこと。
 時代は下り明治中期、貨幣経済の滲透による商業主義の渦中にあって、陽明学が持て囃されるのは理の当然。また同じ頃、日本語にも急速に変化が顕れる。例えば句読点がそれである。文芸の分野では尾崎紅葉や山田美妙が明治十九年五月の我楽多文庫で用いたのを端緒とする。
 要は日本語にはさしたる歴史も伝統もないと云いたい。句点と読点は数年のあいだに入れ替わってしまったが、現在の読点「、」には打つべき基準もなにもない。
 現在、編まれる辞書の類いは明治以降の文化の上に胡床をかいている。しかも地域的におそろしく限定されている(この件に関しては掲示板1.0で詳述)。日本語の問題点は正誤にあらず、慣用にあるとかねて思っている。

追記
 テレビ朝日のアナウンサーが氷川清話を「ひかわしんわ」と読んでいた。モーニングバードでのはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月14日 17:51 | 固定ページリンク




諠譟  | 一考    

 現在のクリニックへはじめて行った折、月、水、金が忙しく、火、木、土が比較的暇だと聞かされて透析日を後者に決めた。ところが、戸田中央総合病院腎センターは火、木、土なので困ってしまった。クリニックはやはり曜日の変更は無理だという。非常用のベッドがひとつあって、たまになら変更可能だという。福島からいらした患者のためにもこれ以上の無理は云えない。
 木曜日の透析を夜の部にして、午前中に戸田中央へ出掛け様子を見ることにした。今は時間制限がないので昼夜は何とでもなる。

 透析は四人が一グループを成し、同じスタッフから穿刺を受ける。滅多なことでグループに移動はない。ところが、今回クリニックの患者に入れ替えがあった。直接の理由は分からないが、次回から席が替わることになった。
 わたしが属するグループには五月蠅い患者がいて、屡々看護師とトラブルを起こす。大声を張り上げるだけなので黙っているが、もしも看護師に手を出すようなことがあれば撲り倒してやろうと思っていた。夜の部から朝の部に移ったときから癪にさわっていたが、目的は治療であって喧嘩でない。それにしても穢い言葉を遣う。看護師は強い、泣きもせずにひたすら謝罪を繰り返している。どうやらその患者がいなくなったようである。他のクリニックへ転院したものと思うが、これで少しは静かになる。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月14日 15:45 | 固定ページリンク




情念の欠落  | 一考    

 誰かさんが「死の町」との発言で辞任したが、その意見表明はさまざまな問題を孕んでいる。これが状況論でなく、「死の町にした責任はわれわれにある」乃至「まるで死の町である。全力を尽くして何とかしなければならない」だったら辞任に至っていない。当事者意識、要するに情念が端から欠落している。言い換えれば身体性の欠損である。
 昨今、そのような人が増えてきた。状況を分析し認識はするものの、そこから先がなにもない。考えがないのか、それとも組み立てができないのか。

 TBSの震災報道スペシャル「原発攻防180日の真実」を見た。水素爆発の原因究明の前半は科学的な検証に徹しながら、後半はすこぶる情緒的な構成になっている。全体としては不自然かつ中途半端な番組だったが前半は良い。ただし既知のことばかりである。
 全電源喪失に至っても水素爆発は防ぐことが可能だったとチームFは指摘する。まずバッテリーを電源に用いる(弁の開閉のみ)非常用復水器(IC)がある。第二に水素を外部へ逃がすベントである。ICは当初機能したものの、すぐ停止したことに関係者は誰も気付かなかった。
 同じく電源喪失で、ベントのための弁を開けなくなったため、バッテリーやコンプレッサー(空気圧縮機)を探したが、現場では備蓄状況さえ把握しておらず、調達に手間取った。また東電によるとバッテリーは四時間しかもたず、バッテリーを取換えようとしたものの、重量があって運ぶだけの人員がいなかったと弁解する。また、ベントを手動で開けるマニュアルがなく、資料を取り寄せての作業となったが、結局間に合わなかった。こうしたことから一号機の原子炉への淡水注入が始まったのは電源喪失から約十四時間後の十二日午前五時四十六分、すでにメルトダウンは発生していた。同日午後三時に一号機は水素爆発を起こした。

 http://blog.dandoweb.com/?eid=123210
 http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110517/1940_1gouki.html

 国会が提出を求めた非常時の事故対策マニュアルに東電は通常事故対策マニュアルを供出。しかも十二頁中九頁は真っ黒に塗り潰されていた。思うに、非常時の事故対策マニュアルを東電は作っていなかったのでないかとの疑念が涌く。
 なお、これらの検証にチームFは台湾の同型原子炉を取材、非常用復水器なども撮影している。福島第一の原子炉の建屋内部は未だに非公開である。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月13日 15:26 | 固定ページリンク




謄本  | 一考    

 隆さんを入籍するに際し謄本を取り寄せた。わたしは平成元年に渡邉の邉を正しい漢字に訂している。改名の手続きが必要とのことで云われるがままに手続きを取った。親の名字はそのままにわたしの名字のみ変えたつもりだった。
 昭和期にとった謄本は手書きだったが、今回は活字になって送られてきた。それを見て愕いたのだが、遡って名字が訂正されている。両親の邉も正しい邉になっていたのである。
 府中で免許を取ったときも、また住民票を移す度にしんにょうの点は一つですね、と確認された。それが面倒でしんにょうの点を二つにしたのである。そして謄本からは改名の記載が消えている。その辺りの法律をわたしは知らない。名字が正しくなったのだからそれで良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月12日 14:39 | 固定ページリンク




心臓の負担  | 一考    

 クリニックで心臓のエコー検査があった。透析患者の持病とでもいうべき心臓大動脈弁膜症を調べるためである。要するに心不全の原因たる血液の逆流の有無を調べるわけである。わたしが属する部屋にも五名の弁膜症患者がいて、うち一人は四段階のステップ三である。防ぐ手立てはなにもない。
 二十年三十年と透析を続けている方がいるが、率からいえば数万分の一である。そこまで心臓が持たないのである。それでなくとも、静脈を動脈に代えることで血液の流れが変わり、心臓に負担が掛かっている。
 わたしは先週エコー検査を済ませたばかりだが、心臓だけは定期検査なので端折ったと云う。それが病院の流儀なら仕方がない。火曜日に再度受けなければならない。
 腎移植の専門医によると、移植が成功したときはシャントを元に戻して心臓への負担を軽減するとか。しかし、クリニックの医師によると例え移植に成功してもシャントはそのままにする方が良いと。生着の期間が短く、大方は透析に戻ってくるという。現場の意見と云えるのはクリニック側であろう。他方、たとえ短期間であろうとも、透析から解放されれば旅行も可能になる、その悦びはなににも代えがたいと医師はいう。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月11日 14:48 | 固定ページリンク




戸田中央  | 一考    

 戸田中央総合病院腎センターへ行く。婦長と思しきひとが移植のはなしは東京女子医科大学病院の医師がいるときにしてほしいと云う。最初からわたしはそのように説明しているし、受付でも同じはなしを繰り返している。はなしは何一つ通じていない。大きな病院はこれだから嫌である。
 婦長は親切な人で紹介状を読み、女子医から来ている医師の名と曜日を細かく教えてくださる。月、木、土曜は午前、火曜は午後、ただし月曜日は混雑するので避けたが良いと。また、待たされるので十二時直前の来院が望ましいと。そうすると火、木、土曜になり、透析とぶつかってしまう。透析を月、水、金曜に替えるしかない。明日、東葛クリニックで相談である。うまくベッドが空いていると良いのだが。
 問診に対する質問があって、大腸の出血は要注意。胃カメラと内視鏡は戸田中央で撮り直し、他の検査結果は東葛クリニックから当方へ送ることになるそうな。
 診察料はなし、駐車場は割引となった。2009年08月17日に同病院の駐車場について悪口を書いている。今回は婦長の指示に従って百円だった。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月10日 04:28 | 固定ページリンク




バースト  | 一考    

 病院の駐車場でパンクしたようで、外環で調べたところ、後輪がバーストしていた。スペアタイヤに取換えて帰宅。拙宅でホイールを四論とも取り換えた。
 書けばこれだけのことなのだが、手作業のため随分と時間が掛かった。勿体ないのでスタッドレスを履いたままだったが、四駆のスタッドレスは最後は大概バーストする。宿命のようなものである。
 高速でのパンクは久しぶりだが、僅かにハンドルが左に切れたようである。よく高速のパンクで分離帯に激突したり、回転したりの大事故を起こしているが、わたしには理解できない。東名阪や中国道など、至るところでパンクしているが、どうこういうことはない。掲示板1.0で書いた記憶があるが、二輪同時にパンクしたこともある。速度は書かないが、制限速度を遙かにオーバーしていた。
 久しぶりにラジアルタイヤに戻った。空気圧は2.6。スタッドレスは燃費が悪く、雨天の急制動が効かない。これからは少しは飛ばせそう。

 汗でびっしょりになったが、愕いたのは体重が五百グラム減ったこと。明日は透析なので水分の補給に務めている。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月09日 17:51 | 固定ページリンク




果物  | 一考    

 カリウムが規定値を超えた。「貴方らしくない」と看護師。何度も書いているが、透析をはじめてからカリメートを服用していない。従って規定値に持って行くのは簡単だが、どこでミスを犯したのか、反省しなければならない。
 リンは心当たりが幾らでもあるのだが、カリウムとなれば豆、果物、珈琲しか思いつかない。先日、北里病院でブラックコーヒーを二杯飲んだ。先週は目先を変えようとして豆御飯を炊いた。幸水、豊水(共に梨の品種)、巨峰を食べた。ある看護師は珈琲だといい、ある看護師は豆御飯だという。わたしは果物と豆だと思っている。
 食欲のないときに果物は結構である。梨はともかく、葡萄は比較的カリウムが低い、西瓜やメロンとか果物ではないが赤茄子(トマト)や茄子、ピーマンほどに高くはない、そう思って食しているのだが、やはり量が問題になるようである。五、六粒に収めた方が無難である。
 カリウムにせよ、リンにせよ、二週間では数値は下がらない。次々回の血液検査で元に戻さなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月09日 00:26 | 固定ページリンク




旧掲示板  | 一考    

 急かせたつもりはなかったのだが、おっきーさんが掲示板1.0の一部検索機能とホームページを改変してくださった。何時ものことながら申し訳なく思っている。
 おっきーさんによると「googleは、まだ掲示板1.0のクロールが終わっていないため、記事を検索してくれないようです」と書かれている。このあたりの消息はわたしにはまったく分からないが、クロールを検索すると「既知のWebページをダウンロードして解析し、別のページへのリンクが含まれる場合そのページをダウンロードする、というプロセスを繰り返して、次々にWebページを収集していく」ようである。よってgoogleロボットが動くのは時間の問題かと思われる。
 為事が忙しいなか、掲示板リンクを主体に変更するなど、さまざまな細工をしていただき感謝の他なし。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月08日 16:03 | 固定ページリンク




独立  | 一考    

 知己が独立するとか。とは云え、心裡留保は得意とするところでない。よってこの種の書き込みは苦手である。苦手というよりもどうでもよい、みなさんが一度は経験することだからである。
 親はいずれ死ぬ、望むと望まないとにかかわらず、例外なく子等らは自らの生計と取り組むしかない。独立する、言い換えれば行政サービスを受けるには税金を自分で支払わなければならない。市県民税、保険、年金、所得税の類いである。従ってさまざまな準備が必要になる。独立を意識してから数箇月乃至数年はかかる。最大の問題は生計費だが、食生活の勝手も大きな問題を孕む。そのための準備をしてきた人ならいざ知らず。用意のないひとがいきなり家を出ても早晩戻ることになる。
 昨今はファストフード店が発達したと云うが、かようなもので生涯押し通すことはできない。わたしが十代のころ、板前修業をしたのもそれがためである。醤油の使い方、味醂の使い方、出汁の取り方、なんでもないことが大きな障害になる。どうでもよいことだが、拙宅ではキャラメルを一箱買えば半年はある、チョコレートを一箱買っても半年はある。そのような物品に遣う金数はないからである。
 今は透析治療を受けているので無断で休めば看護師が走ってくださる。命が懸かっているので透析を休むのは考えられない。しかし透析をはじめる前は大変だった。入浴中に昏睡状態に陥ると手の施しようがないからである。入浴前には命懸けであることを自らに五月蠅いほど言い聞かせていた。一人住まいだとそのようなことも問題になる。障害者に限らず、人は常に埋められない間隙を背負っている。
 さて、知己はどうするのであろうか。生活の場にあって伊達であろうが不恰好であろうが、そのようなことはどうでもよいことである。生計を独立させてはじめて間隙に情念が割り込んで来るのでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月07日 13:33 | 固定ページリンク




颱風  | 一考    

 和歌山、奈良が大きな被害を受けた。次は北海道である。北海道は車や二輪で何度も走り回っている。途次、二度颱風に出遇った。一度は室蘭でフェリーが欠航となって二日間待たされた。先日十勝で400ミリを超えたと聞く。きっと農産物は大きな被害を受けたと思うが、今一度はその足寄や陸別界隈を走っていて颱風と遭遇した。
 足寄の辺りは牧場経営のキャンプ場が多いが、掲示板1.0で書いたと思って検索したところヒットした。2005年06月09日に書いた「コバルトブルー」がそれである。
 「中標津町の開陽台の売りは「地球がまるいことが実感できる」、標茶町の多和平の売りは「今にも落ちてきそうなほどの星が、満天に広がる」。共にライダーなら必ず訪れるところだが、牧場はゴルフ場同様、保水能力はまったくない。ちょっとした雨でいたるところが川となり、地面をえぐって滝となる。台風が上陸すれば、河川の氾濫、土砂崩れが方々で起こり、道路は流され、水田や畑は泥に埋り、流木が家屋をなぎ倒していく。満天の星空にはなんの罪もないが、牧場はひどく環境を破壊している。反論を喰らうのを承知で言いたいのだが、それら根釧台地から積丹の海に至るまで、自然はひとの悪意を飽食してきたのだと思う。いまにそこら中が悪意だらけになって、死の匂いが充満し、日本全土が崩壊する日がくるのを一日千秋の思いで待っている」。
 和歌山、奈良方面も高野山から天川村、冬季通行止の道を経て大台ヶ原、谷瀬の吊橋から十津川村と走り回っている。国道はともかく、県道は未舗装、一車線でガードレールはない。乗り合いバスと出遇うと一キロ二キロとバックさせられる。今回崩れ落ちた道を引っくるめて、げに怖ろしき地域だった。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月07日 11:13 | 固定ページリンク




マッチョマン  | 一考    

 東葛クリニックのグループ病院にボディビルのジムに通っている人がいるようである。マッチョマンは筋肉と毛細血管が発達して血管本体は硬く深い、よって穿刺に向かない。日々、大層難儀しているようである。看護師に訊いたところ、ボディビルに限らず、スポーツをよくする人はみなさん大変らしい。それはわたしが知らなかったことである。

 右耳が40dBから50dB以下だと聞こえない。前から分かっていたことだが、左は普通に聞こえるので不自由は覚えない。電話は左耳でしか受けられない、右耳だと仰有っていることがまったく聞き取られないからである。聞こえなくなった理由は不明、おそらく中耳炎を拗らせたのではないかと。治す気はまったくない。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月07日 10:51 | 固定ページリンク




高遠さんへ  | 一考    

 お読みいただいて恐縮です。プルーストは楽しみにしております。それがための読書論でございます。
 ですぺら終了について掲示板で明記するのは避けました。わたしにとっては廃業ですが、あとは知己の中村さんが屋号をそのままに営業を続けられるからです。
 一年かけて腎移植を受けようかと思っています。成功すれば七十歳まで生きられると看護師から云われました。戸田中央総合病院への紹介状も書いていただきました。うまくいけばよろしいのですが。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月07日 10:35 | 固定ページリンク




ありがたうございます  | 高遠弘美    

一考さん。的確にお書きくださつてありがたく拝読しました。
ですぺら終了のこと、うつかりしてゐて、たいへん残念に思つてをります。お元気であられますやうに。
私のプルースト、続いてをります。一考さんにお読み頂くのが支へです。どうか御身、くれぐれもお大事に。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2011年09月05日 23:06 | 固定ページリンク




読書  | 一考    

 「愛読書、といふより人生の書として司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎の歴史小説を挙げ、一方で、ここに名前を書くのも憚られる絶対に詩ではない安手の人生訓の作者の言葉を座右の銘にする。いつになつたらかういふ政治家がゐなくなつてくれるのか。文人政治家といふのはこの国ではつひにあり得ないのか」と高遠さんが嘆いている。
 最近頻繁に出掛ける歯医者に相田みつをの書がたくさん掛けられている。「うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい」の如くたわいない作品である。詩人なら「うつくしい」との言葉は用いない、また「うつくしい」との言葉の概念に対する考察を端から放棄している。別に誰がだれの作品を愛唱しようが心にとめようが勝手であって、他人がとやかく云うことでない。ただこれほど思慮のない箴言風の作品が詩だとは驚きを通り越して呆れ返る。
 上記三名、司馬、藤沢、山本などは政治家に限らず、経済人も好みとするところである。文人経済家との言葉があるかどうか知らないが、左右経済人もものを考えない人種である。この「ものを考えない」は時代に関係なく存在する。おそらく大多数がそうであろう。
 星新一や小松左京を好きな方がいらっしゃる。対象が森茉莉か倉橋由美子ならいざ知らず、よりによって星、小松とはどういうことなのであろうか。前述の経済人同様、よほどものを考えるのが嫌なのだと思われる。そしてその御仁は自らの考えのなさを趣味の違いで片づける。文学の世界に趣味とはなんたることであろうか。「趣味は読書と音楽鑑賞」ですとの陳腐かつ低劣な言い種を思い浮かべる。星新一や小松左京にしても断じて趣味でものを書いているのでない。
 ひとは生きて行くなかでさまざまなことで壁に頭を打ち付ける。その度にひとは変わりもしくは深化する。ひとは救いを求めて書物を繙くのであって、癒しや楽しみ乃至教養を求めて読むのでない。
 理解できない書物と出遇ったとき、ひとは自らの不明を恥じる。その対象がプルーストであれベケットであれ、事理に暗いこと、識見のなさを思い知らされる。ならば対象の内に融合し、解体する努力こそ問われるべきである。ラルボーのいう弁証法的読書が有効になる一瞬である。
 読書は生涯続く、続く限り人は迷い憂え頭を傾く。反芻を必要としない文学など、それだけで如何わしい。高遠さんは「「相田みつを」的なものに私も蟷螂の斧ではあるけれど、抗し続けてゆくつもりである」と書く。「安手の人生訓」即ち分かり易い文学に心惹かれる人の思考回路は相応に平易であるに違いない。そして人生をエンジョイできるものと信じているに違いない。お手軽文学結構、ただしわたしはそのような方を知己にする気は毛頭ない。

追記
 悪口を著すに引用されるのは迷惑千万、それを承知の引用である。お許しを乞う。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月05日 13:25 | 固定ページリンク




掲示板1.0  | 一考    

 おっきーさんの尽力によってですぺら掲示板1.0が起きた。現行のbbs2をbbs1にすれば展開する。検索はまだ出来ない。

 http://www.despera.com/bbs1/

 前項で結果だけ述べたが、北里研究所病院について一言。
 去年の八月三日から二十三日の間、北里病院に二度入院した。「この一年、さまざまな葛藤はあったが、生き延びる途をわたしは撰択した」と書いた。書いた以上死ぬわけにはいかなかったが、実体は心細かった。入退院は共に幹郎さんを煩わせたが、何時ブラックアウトに襲われても仕方のない状況で、幹郎さんの運転で病院へ着いたときにはこれで命が繋がったと安堵したものである。
 病院の二階には「つくし」との喫茶店が設けられているが、そこで珈琲を註文した。丁度一年前にも珈琲を飲んでいる。珈琲は禁止品目のひとつだが、次回の血液検査まで三日の猶予があって響影は残らない。
 一杯の珈琲はわたしにとって危険を孕んだ飲料だが、一瓢の飲であるに違いない。掲示板同様、貧しさも不安も焦躁も悦楽も引っくるめての戯れであり冗談である。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月04日 10:14 | 固定ページリンク




腎移植  | 一考    

 腎移植に関しては東京女子医科大学病院がもっとも経験を積んでい、その女子医がスタッフを送り込んでいる病院がお薦めということ。埼玉県だと戸田市の戸田中央総合病院が卓れているそうである。女子医が一千例、戸田中央が百例を達成している。
 詳しくは以下のサイトにて。

 http://www.twmu.ac.jp/KC/Surgery/kidneytx.html

生体腎移植では一週問ほど前に入院して準備する。手術前の検査は血液検査、胸部X線、心電図、心臓超音波検査、肺機能検査、胃の検査、膀胱の検査、目の検査などが行われる。特に出血を伴う箇所は重点的な検査が必須。わたしの場合は胃カメラと大腸の内視鏡検査が欠かせない。
 免疫抑制が不十分だと拒絶反応、行き過ぎると感染症という、ぎりぎりのところで免疫抑制療法は行われる。免疫抑制薬は、腎障害、高血圧、高脂血症、糖尿病、満月様顔貌、白内障・緑内障、消化性潰瘍、大腿骨頭壊死などの感染症や合併症をもたらし、肝障害や骨髄抑制による白血球減少などに関係する。また副作用が強く、鬱患者や自殺者を生んでいる。
 約一万三千人の方が献腎移植の登録をしているが、年間七百例に止まっている。いずれにせよ、検査期間を入れてほぼ一年を要する。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月03日 06:07 | 固定ページリンク




減量  | 一考    

 体重が増えれば血圧が上がり減れば血圧が下がる。言い換えれば、太れば血中の水分が増え、瘠せれば水分が減って血液が濃厚になる。血液が濃厚になれば除水ができなくなって、愈濃厚になってゆく。
 体重を減らせないかとの質問に返ってきた看護師の意見である。透析治療の基本であるよく食べよく除水するとの教えがここには流れている。
 先日「体重を57キロ、ウェストを70糎まで落としたい」と書いたが、どうやら無理のようである。ドライウェイトは現在63.8キロだが、最大限落として63キロだそうである。一箇月に200グラムが限界で、それも心胸比と血圧次第と云うことになる。
 先月は一箇月で500グラム減らしたが、医師が特別に認めたのであって、あのようなことを続けるのは以ての外だと叱責された。「あなたは除水率が低すぎる。今年一杯掛けて除水を1.8キロにしてドライウェイトを実質62キロにすれば」と云われてしまった。これは摂食量を増やせとの意見である。
 透析を行いながらの減量は難しい。いろんな検査結果が連動している。ぼちぼち減量するしかなさそうである。

追記
 来週からレナジェルが復活する。3.11から半年掛かったことになる。


投稿者: 一考      日時: 2011年09月02日 19:28 | 固定ページリンク




本箱の整理  | 一考    

 阪神淡路大震災の折、本箱が天井を突き破ったと書いた。突き破ったのは天井だけでなく、壁は半分が崩れ落ちた。鏡花の初版本が家出して外のドブに落っこちていた。要するに、日本橋が崩落して二つ折りになって溝のなかに鎮座していたのである。
 それを思えば、今回の地震(3.11)はちょっとした搖れに止まった。しかし本箱は十糎ほどずれた。以前は六糎の角材を五十糎間隔で本箱の上部に組み付けていた。ところがそれら角材は全てが折れ、三寸釘も抜け落ちた。爾来、地震対策は止めた。用をなさないからである。
 廃業してまず片付けなければならないのは本箱を正常な位置に置き直すことだった。そのためには本を一旦書庫から出さなければならない。考えただけでも気が遠くなる作業である。某女子の協力を得て先週片づけが済んだが、慎に申し訳なく思っている。

 年内は三郷にいることにした。年内一杯は体重を絞りながら体力の回復を試みる。体重を五十七キロ、ウェストを七十糎まで落としたい。そしてうまくいけば腎移植を済ませたく思う。相手あってのことゆえどうなるか分からないが、北里病院での打ち合わせは二日の午前である。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月31日 19:54 | 固定ページリンク




ジーンズ  | 一考    

 体重が減り続けている最中にジーンズもないものだが、手持ちのサイズが大きくなったので買いに行った。最大36インチを履いていたが、現在は31インチ。まだまだ瘠せそうだが、取敢えず
購入。32インチが一本、手持ちがあるが、いつごろ履いていたものか分からない。
 太りだしたのは三十五歳を過ぎてからだが、車の免許証を取るまではジーパンなるものを履かなかった。オートバイに乗り出してからやむなく履くようになった、四十代半ばのことである。
 車の整備には希硫酸を使う。普通のズボンなら一日でボロボロになる。なによりも裾がはためくのが恰好悪い。オートバイにはやはりジーンズが似合う。余談だが、最終日の帰途、ワンピースでアメリカンに乗っているひとを見た。露わになった太腿を被いもせず、アクセルをふかしている。あれはなんだろうかと思いつつ、気になって仕方がなかった。
 三十五歳までは女性とズボンを共有していた。インチで云えば26か27であろうか。取敢えず、29インチで止めようかと思っている。体重は減少するも、体調は良い。しかし体力は心細い限りである。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月30日 20:57 | 固定ページリンク




挨拶回り  | 一考    

 保健所の他、手続きを済ませるために都内を回る。銀行を巡った後、田村書店へ挨拶に。昨今のデフレは古書に止まらず、原稿や尺牘にまで至っていると聞く。明治古典界で二百万円の値がついた某作家の原稿が三十万円とか。奥平さんから割烹料理を誘われるも、今のわたしには食べられない。
 腎移植について北里病院へ行くも、ゆっくり話しましょうと云うことで日を改める。それやこれやで月始めまで忙しい。歯医者の予約もキャンセル、三日ぐらいから通常の生活に戻られそう。

 薔薇一輪と一緒に雑司ヶ谷紅谷のみみずく干菓子を頂戴した。大泉さんに感謝しているが、それにしても考えたものである。干菓子なら水分はゼロ、甘いが塩気はまったくない。これで甘さが控え目なら云うことなしだが、それでは干菓子になるまい。
 日経新聞の泉宣道さんが来店、掲示板をご覧になられたようである。気をつかって十五分ほどで帰られたが、今回執行役員になられたとか、慶賀すべきことである。泉さんは西明石時代からのお客で、明石の割烹「魚作」と共にですぺらを愛してくださった。十五年を越えるお付き合いに感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月27日 15:45 | 固定ページリンク




超音波検査  | 一考    

 急速に体重が減少、やむなくカレーを造った。カレーなら食べるだろうとの魂胆。今年は汗とのはじめての格闘だった。夏場は一リットルから二リットルの汗をかくという。体重をグラム単位で管理しようと思うと汗を正確に計量しなければならない。
 水分が過剰になると血圧があがり心胸比もあがる。透析すなわち除水によって血液中の水分を減らし、血圧や心胸比を正常に保つ。余分な水分(食事を含める)を摂取すると除水率が上がり、血圧の急速な低下を招く。そこの兼ね合いが難しい。
 隣の婆さん(あちらに云わせればわたしは爺さんだろうが)が透析のたびに血圧の低下で苦しんでいる。血圧が低下したときは頭の位置を身体より低くするのだが、そうなるとそうなったで足がつり痙攣を起こす。こちらも兼ね合いが難しい。他人事ながら同情を禁じ得ない。

 定例のエコー検査で、腎結石の確認のつもりが甲状腺、副甲状腺、前立腺、胆嚢のポリープの推移など、腹部全体をを調べた。結果、その後の変化なしの一言で仕舞い。検査が続いたために食事を十分に摂る時間がなく、体重は下がりっぱなし。悪循環である。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月26日 22:23 | 固定ページリンク




栗林幸吉さん  | 一考    

 酒席を先に退席するのは非礼であって、過去経験がない。そのために酒を殺して飲む術を身につけてきた。いくら飲んでも泥酔しないのを常としてきた。ところが昨夜はおっきーさんと増田さんを置き去りにしてしまった。不眠で透析を受けるとどうなるかが分かっていたからである。お二人には申し訳ないことをした。透析のない日なら朝までお付き合いしたのだが。

 土曜日は田中屋の栗林幸吉さんが来店なさった。嬉しい賓である。長時間の酒談義に有頂天外になる。ワインやモルトウィスキーから焼酎に至るまで、彼ほどアナログに酒に浸ってきた人は珍しい。何時も稀酒を馳走になっているので、わたしの方からはカルバドスを賞味していただいた。彼の人となりについては幹郎さんが書いていらっしゃる。雑誌「嗜み」連載の一齣であり、是非お読みいただきたい。
 熟成されたウィスキーには光陰がもたらす深いなれが、やんちゃな酒には蒸留所の稟質が烽火のごとく立ちのぼる。それら総体を引っくるめて酒の個性がある。問題はその個性が好きか嫌いかである。一切の理屈は通らない、酒の世界にバーチャルはない、悉くがアナログである。言い換えれば抽象はなく、カスクがもたらす一樽ごとの香りが揺蕩う。概念の分析は意味をなさず、嗅ぐ飲むから生じる内的体験がすべてをなす。そして、酒の好き嫌いに関して彼と意見を異にしたことはない。そのような例は滅多にあるものでない。過去催された七十二次に及ぶモルト会は彼の手を煩わしている。ですぺらは栗林さんがあってはじめて自在にはためくことができたのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月21日 12:12 | 固定ページリンク




遺伝  | 一考    

 心胸比が上がっている。透析をはじめた頃は37から39だったが、今は46.5。それに応じて血圧も上がっている。前収縮期血圧が160、前拡張期血圧が97平均。180を超えれば降圧剤を服用するように云われているが、もっかのところ160で落ち着いている。前収縮期血圧が100から160までが透析患者の正常値である。長く低血圧に悩まされてきたので、体調は良い。
 薬効あらたかで血液検査は万全である。何時ものことだが、尿素窒素が56でやや低い。尿素窒素は60から100が正常値だが、56以上に上がったことがない。食欲がないのだからこればかりはどうにもならない。
 ドライウェイトを一挙に1.5キロ減らされたのは参ったが、最近は徐々に減少している。今日から500グラム減らされることになったが、除水は100グラムから300グラムの間で安定している。従って500グラムの体重減なら納得がゆく。
 血便、血尿で常に検査を繰り返される。血便は憩室、血尿は結石だと思っているが、結石はともかく、憩室には最大限の注意を払っている。主たる死因になる可能性が高いからである。
 本日の医師は泌尿器科である。結石はどうなっているかと訊かれたが、わたしには応えようがない。透析に至ってから結石とはおさらばしている。医師からエコー検査を受けるように云われた。二十四日の予約だそうである。その後の腎臓がどうなっているのか、知るのも一興。

 歯科医師から電話があって、病院へ出頭。四回にわたって麻酔をかけての歯石除去は歯の根っ子の掃除(ルートプレーニング)だったと聞かされる。どうりで痛い筈である。残る一本の虫歯の治療に取りかかる。内部でかなり雑菌が繁殖していて、ちょいと面倒そう。それにしても巧い医師である。
 歯石には個体差があって、おっきーさんは半年に一度。わたしの場合は三箇月ごとだと一日で済むらしい。いずれにせよ、血中カルシウムが理由らしく、遺伝する可能性が高いと聞く。腎結石が遺伝するのをわたしは畏れている。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月18日 16:51 | 固定ページリンク




営業日  | 一考    

 来週の二十二(月)、二十三(火)は営業日、どうかよろしく。

 書きたいことがあるものの、書きたくない。ただ、当店はショットバーであって談笑屋や団欒亭ではないとだけ書いておく。二十三日までのわたしの願いです。それ以降は気が済むまでごゆるりとなさって下さい。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月17日 15:31 | 固定ページリンク




大衆  | 一考    

 北海道長万部町のゆるキャラ「まんべくん」のツイッターでの発言をめぐって同町に苦情が殺到、炎上するとのニュースがあった。「明日は終戦記念日だから、まんべくん戦争の勉強をするねッ」と書き込んだ上、「日本の犠牲者三百十万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数二千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」との発言内容だった。
 書かれた内容は事実であって、まんべくんの文言のどこに無理があると云うのか。ブログが炎上に至った理由が分からない。
 中国の高速鉄道の死者数は三十五人となっている。河南平頂山の炭鉱事故の死者も三十五人、重慶の大雨による死者も三十五人、雲南の大雨による死者も全省で三十五人だった。死者が三十六人を超えると市共産党委員会の書記長が免職になるからだそうである。中国では三という数字は「多数」を意味する。従って南京大虐殺の死者三十万人、抗日戦争の中国側の死傷者数を三千五百万人というのも同じ論理である。
 そのような中国発表の数値をそのまま引用したのならいざ知らず、二千万人というのは日本国家が認めた人数である。太平洋戦争の引き金になったのは支那事変である。中国からの撤兵を拒否したがゆえのABCD包囲陣だった。さまざまな意見があるだろうが、軍部で日米開戦をのぞんでいた者はいなかった。大衆がはたまたマスコミが戦争を讃美し煽ったのである。大衆は常に国家をも在らぬ方向へ引きずってゆく。長万部町の謝罪文が掲げられていたが、自治体が謝る必要がどこにあるのか、ネットも同じ大衆であって多数はほとんどの場合間違いを犯す。

追記
 野田佳彦財務相が「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」との立場を再確認したことに韓国政府が反発している。総体としての日本国民が戦争犯罪人だったと云いたいが、それでは裁判が成り立たない。彼等は国民の代表として裁かれたのである。市井の臣ならいざ知らず、国家の代表者たる大臣が云うべきことではないだろう。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月17日 14:00 | 固定ページリンク




七月十二日  | 一考    

 大泉女史来店、付き合いは四十年を越える。親友ならぬ心友。無理をしてウィスキーを三杯飲んでいたが、寿命を縮めることにならねばよいが。貴方は酒は断ったのと訊かれたが、この一年まったく飲んでいない。飲まずに生きてゆかれないでしょうとの問い掛けである。十代、二十代の頃の友はみんな人生を抛げていた。擲身そのものが文学だった。六十を過ぎても基本はなにひとつ変わらない。素面ではとても生きてゆかれない、四六時中杯を傾けていた。
 血管の硬化によって穿刺が不可能になり、次回の癌の摘出手術はできない。今生の別れを告げられたが、お互い癌で死ぬのかもしれぬ。共に医師から余命を宣告されながら生き延びている。
 彼女が大手術をしたとき、為事の残務処理を頼まれた。「とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらむほどぞはかなき」後に残された身も亡き者も同じ、露の世に心を残すのは儚く虚しいとおもわばこそ引き受けた。
 二年を経て今度はわたしがよくもって二週間と劃られた。限定本を拵えてきたその為事に相応しい劃り方と思ったが、死ななかった。二十歳のときからの死に損ない、そうは簡単に死なせてくれないのかもしれぬ。
 贈られた一輪の薔薇、初対面からのこころの郷愁はいまなお消えず、いやさ深まるばかり。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月16日 02:33 | 固定ページリンク




アードベッグ  | 一考    

 3月8日に「 ショットの値段 」を書いた。アードベッグの一部分の値を載げたが、60年代、70年代のアードベッグが2000円から5000円までで飲まれる。ちなみにボトルの値段は7万円から20万円である。まったくの赤字なのだが、飲んで頂きたいがゆえの遊びだった。応じてくださったのは幹郎さんとおっきーだけだった。それもあと一週間、それ以降はショットで5万円になるやもしれず。高級酒は二度と扱わない。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月15日 11:00 | 固定ページリンク




ジュレ  | 一考    

 ポン酢と柚子胡椒のジュレが流行っている。柚子胡椒のジュレ(ユズリッチ)は合鴨に合うので以前から使っているが、ポン酢のジュレについて一言。
 ジュレを用いるのは基本的に冷菜が多い、そして冷たい料理は味覚を狂わせる。生ぬるいコーラを飲みにくいのと同じで、冷やせば冷やすほど味覚は鈍感になる。香りを楽しむウィスキーにわたしは氷やソーダを用いないが、その理由も同じである。
 調味料はいかに少量を用いるかに料理の本懐がある。素材本来の味わいが分からなくなるからである。ソースを楽しむフランス料理と素材を楽しむ割烹調理との違いでもある。
 冷菜にジュレだと、使用量は普段の二、三倍になる。メーカーの狙いはポン酢の消費量を増やすことにある、従ってメーカーの勝利である。わたしは腎不全なので、醤油の替わりにポン酢を使っているが、量が増えれば同じである。
 昨今の拉麺や牛丼など、味わいは際限なく濃厚になっている。ポン酢のジュレの好評に伴い、醤油をはじめさまざまな調味料がジュレ化するに違いない。益々もって日本人の味覚は狂ってゆく。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月15日 10:33 | 固定ページリンク




歯科医師  | 一考    

 右側下部の歯石除去、次回からは歯の根っ子の歯石除去のようである。あまり気が進まないが、捨て置くと歯周病〈歯槽膿漏〉になるようである。医学用語で云えば、スケーリングが済んでこれからはルートプレーニングになる。しかし、歯周病になるまでわたしは生きていない。
 それよりも、驚かされたのはわたしの歯石は過去体験した治療のなかでもっとも硬かったそうである。そして歯石の硬いひとは身体に石が出来やすいらしく、医師から胆石のはなしを何度も聞かされた。透析治療を受けていることは最初に伝えたが、透析に至った理由は述べていない。通常だと糖尿を思い浮かべる筈である。腎結石が腎不全の理由だと応えたところ、歯を触れば諒解できると一言。
 腎結石に関しては十数度の体外衝撃波治療を受けたが石は割れず、流れもしなかった。よほど堅牢な石だったようである。 この衝撃波は本来は潜水艦攻撃の兵器として考案されたが実用化に至らず、医療機器に応用され成功したもの。
 昨夜、偶然歯科医師がいらした。貧乏作家や編輯者を多く治療している、その世界では識られた医師である。ちらと見ただけで、一考さんの歯は頑健だと云われた。歯が丈夫かどうかはそのひとの体躯と大きく関係する、頑丈そうな骨組みであると。
 病人を掴まえて頑健もないものだが、透析に至った理由のひとつが氷解した。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月13日 15:59 | 固定ページリンク




牛丼  | 一考    

 三度連続でドライウェイトを切った。口腔が痛くて食事どころでない、歯茎の内側の歯石を取るに麻酔を用いている。あと右側下部で終了の予定。長く捨て置いたので歯石ががちがちに固く締っている。歯と歯の間に爪楊枝が這入るぐらいの隙が生じ、やっと健康体の歯になってきた。もっとも身体は健康からはほど遠いが。
 食事のせいで尿素窒素は下がり続けているが、他の項目に異常は見られない。何時も書いていることだが、尿素窒素と除水率が少ないので看護師は食事を勧める、しかし食事を摂ればリンやカリウムが増える。リン、カリウムは共に最高値に張り付いたまま、迂闊に食べられない。
 体重を静止させるのは難儀である。通常の食事一食分あれば十分である。されば一食分を二回か三回に分けて食べることになる。外食が出来なくなった最大の理由はここにある。
 牛丼屋は庶民の味方とわたしは思っているが、並盛りの三分の一はさすがに註文できない。牛丼で思い出したが、通常、焼肉屋で用いる肉はA3かA4である。ちなみにA4の卸値が五割から六割引きである。豚肉よりもはるかに安くなった。値がつかなくなった魚について前記したが、牛肉がそれを追っている。
 牛丼屋が用いる肉はB級、もっとも高価なY家の肉がB3、適正利潤はともかく、三百円であれば成り立つ。牛肉より飯の方が原価が掛かっているように思われる。もっとも現状は体力勝負、存続を賭けての値引き合戦になっている。庶民に気遣いは無用、他人の戦争を横目に、十円でも安い牛丼を楽しめばよい。わたしのように牛丼すら食べられない身体になるとお仕舞いである。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月08日 14:11 | 固定ページリンク




ノース・ポートについて  | 一考    

 モルト会の変更、ノース・ポートの解説です。

00 ノース・ポート '79(レア・モルト)
 20年もの、61.2度のカスク・ストレングス。
 ライトでドライな飲み口、程良くシェリーが効く。香りは鼈甲飴とグレープシード。味はとろっとした甘さとペッパーのスパイシーがバランス良く共存。洋梨のような余韻、グレネスクと似ている。
 アンガス地方のもっとも古い町のひとつブレチンの蒸留所。1823年にブリーキン蒸留所となり、1839年にノースポートと改められる。1983年に突然閉鎖され、建物は取り壊された。ディアジオ社の生産調整によるもので、1983年から1985年までの三年間で実に21もの蒸溜所が閉鎖に追い込まれた。現在ブレチンに残る蒸留所はグレンカダムのみ。共にディスティラリー・ボトルのシングル・モルトは一度も頒布されていなかったが、蒸留所閉鎖後、ディアジオ社からブリーキンの名で28年ものカスクストレングスがボトリングされている。ブリーキン(ブレチン)は蒸留所があった町の名前。
 ゴ−ドン&マクファイル社とセスタンテ社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、シグナトリー社、リンブルグ・ウィスキー・フェスティバルからカスク・ストレングスが頒布されている。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月08日 12:57 | 固定ページリンク




レアモルト出現  | 一考    

 レアモルト「ノース・ポート」が拙宅から出てきた。在庫は他にもあると思うのだが、地震以降散らばったままで何がどこにあるのかが分からない。いずれにせよ、モルト会の解説は書き直す。アードベッグとノース・ポートを差し替える。
 モルト会はお陰で満席となった。有り難うございました。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月06日 16:57 | 固定ページリンク




「澤」特集永田耕衣  | 一考    

 「澤」の特集永田耕衣が上梓された。特集のみで二百四十七頁の大冊である。高橋睦郎と小澤實の対談を巻頭に安井浩司、仁平勝、鳴戸奈菜、橋本真理と並んで耕衣の云う「絶景」がここにもある。カラー四十頁に及ぶ耕衣書簡、遺墨は圧巻、よくぞこれだけのエッセイを蒐索、誌面を編まれたものと感心する。文中、間村俊一が「梅が笑う」と題してわたしのことを書いてくださっている。過日、装訂した「耕衣百句」と「しゃがむとまがり」についてのエッセイ、ありがたいことである。
 耕衣の作品は非凡だったが、日常は三鬼のようにもしくは橋本真理のように非凡なものでなかった。そこのところを橋本真理がどのように料理するのかがわたしの着目点だった。趣味で対象を撰ぶ、言い換えれば偏愛といった要素を突き放し、彼女はそれに真向から応えてくださった。四十年前と比して彼女の立ち位置は不動、論法は冴え渡っている。蓬勃たる気に充ちている。耕衣はまた傑れた読み手を得た。
 土肥あき子「遠くて近き」とのエッセイと同じ土肥あき子編になる「鹿火屋」石鼎選耕衣俳句一覧との労作が掲げられている。耕衣から幾度となく石鼎のはなしは聞かされている。興味津々、このような書誌学は大賛成である。大冊ゆえ、これから時間をかけた彷書三昧になる。〈文中敬称略〉

住所 東京都調布市深大寺東町8-17-4 原方 澤俳句会


投稿者: 一考      日時: 2011年08月06日 16:43 | 固定ページリンク




歯石除去  | 一考    

 尋常な方策で取られず、麻酔をかけて二ブロックの歯石除去がはじまった。取敢えず、上顎の右半分である。力任せに削るので後々響くだろうなと思いつつ清掃は済んだが、口腔全体が痛い。夜になって痛みはさらにひどくなる。食事などまったくできない。相澤さんが来られたが、満足な会話もかわせない。
 夜が明けて早朝から透析である。ドライウェイトを切っているので看護師は「除水はゼロですね」と念を押す。「ですから加水してください」と冗談を云う。冗談を云える看護師と云えない看護師がいる。その見極めが難しく、たまに悶着を起こしている。特にドライウェイトの変更に関しては、口煩い看護師がいる。このようなことは医師か当人が決めることなのに。体重を増やせば血圧が上がる。それを心配してのことなのだが、わたしは透析がはじまってから降圧剤を飲んでいない。180を超えれば飲むようにいわれているが、超える心配はない。
 今日は上顎の左半分、いささかうんざりだが、医師はわたしの歯を思ってのこと。適宜処置していただくしかない。

 相澤さんとはこのところ俳句のはなしばかり。江戸三百年の間、和歌は惰眠を貪っていただけ。その点、俳句はとんでもない言語空間の探検を繰り返している。なにはともあれ、蕪村をはじめとする現代詩の基盤を生んでいる。それが理由かどうかは分からないが、相澤さんから肉筆の句集を頂戴した。収録句は二百句を超える。彼は詩人であり歌人だが、やはり俳句も書かれていた。活字にはしないとの句集を手に、読まれる嬉しさと遺稿集を頂戴したような複雑な心持ちである。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月05日 12:00 | 固定ページリンク




始業時間  | 一考    

 明日から営業時間を一時間早く19時15分始業にする。駐車場の夜の部が19時からになったからである。しかも午前8時まで300円で打ち止めという超安値である。ちなみに、昼の部は1200円の打ち止め。終日駐車しても1500円である。東京中でもっとも安いのでないだろうか。ただしオープニング・キャンペーンであって、早晩値上がりする。

あれこれ
 モルト会解説に若干の書きミスがあってもっか修正中。モルト会ご参加の電話に恐縮、あと二日で満席の予定。会費は二、三割は値引きしている。レアモルトのうち三本は新規開栓、別途サービスも考えている。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月03日 12:33 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

8月13日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
通算72回目、2010年7月以来だから恰度一年になります。内容は前項の通り。
最後ゆえ、癖の強いモルト会と思いましたが、結局レアモルトに落ち着きました。
会費は15000円の予定。
フードは造らないので、事前に食事を済ませてください。
前項で書きましたが、ブローラは五人分しか在庫がなく、飛び込みはお断り致します。
必ず連絡してください。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2011年08月02日 16:35 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(レアモルトを飲む)  | 一考    

 レア・モルト・セレクションは花と動物シリーズの好評に気をよくしたユナイテッド・ディスティラーズ(U.D)社がすでに閉鎖された蒸留所や稀少なモルト・ウィスキーを樽出しにて94年よりボトリング。より高価、よりレアなコレクションとして愛飲家に大いなる刺激と満足感を与えたが、既に廃止された。
 熟成に用いたカスクはシェリー樽が多いが、アメリカンオークやヨーロピアンオークのリフィールカスクが主として用いられている。
 知る限りではインチガワー、オルトモーア、カードゥ、カリラ、クライヌリッシュ、クレイゲラヒ、グレン・オード、グレンダラン、グレンモール、グレンユーリー・ロイヤル、グレンロッキー、コールバーン、コンバルモア、セント・マグデラン、ダフタウン、ダラス・ドゥー、ダルユーイン、ティーニニック、ノース・ポート、バルミニック、バンフ、ヒルサイド、ブレア・アソール、ブラッドノック、ブローラ、ベンリネス、ベンローマック、ポート・エレン、マノックモア、ミルバーン、モートラック、リンクウッド、ローズバンク、ロイヤル・ブラックラ、ロイヤル・ロッホナガーが頒布されている。
 その内、ブレア・アソール、グレンモール、ミルバーン、リンクウッド、ベンリネス、オスロスク、コンバルモア、バンフ等の在庫が僅少だがまだある。2001年のリリースにブラッドノックがあって、もっとも新しいボトルでないかと思われる。他ではグレンモア〈バーボン〉がボトリングされている。
 忘れられないのが、花と動物シリーズのカスク・ストレングスで逸品揃い。アバフェルディ、オルトモーア、カリラ、クライヌリッシュ、ダルユーイン、ブレア・アソール、モートラック、リンクウッド、ローズバンクが出ている。96年から97年にかけてレアモルトと並行してボトリングされたが、値以外レアモルトとの違いがどこにあるのか分からない。ただし、香味がまったく異なるのは云うまでもない。

01 カリラ '75(レア・モルト)
 21年もの、61.3度のカスク・ストレングス。
 他に74年蒸留の20年ものと77年蒸留の21年ものあり。
 酒質は軽く色は淡いが、うがい薬や消毒液の錯綜した臭い、スモーキーかつシャープな辛口。しかし、バランスのなさとでも云うべき蒸留所の特徴がU.Dにかかると薄らぐ。カスクのせいだが、ピリピリ感がなくまろやか、より繊細にしてしたたかな味わいに化ける。花と動物の加水タイプはそれが顕著で、とても飲まれたものでない。比較だが、花と動物のカスクストレングスがもっとも、蒸留所の個性を出している。レアモルトはあまりに旨すぎる。バランスのよさで一歩抽(ぬき)んでていると云えば聴こえは良いが、アイラモルトに求めるものでないだろう。

02 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)
 22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 創設は1888年。株主のひとりピーター・マッケーが1890年にブレンデッド・ウィスキーのホワイト・ホースを発売。爾来ホワイト・ホースのメイン原酒となった。現在ではデュワーズのメイン・モルト。
 1998年、ギネス社とグランドメトロポリタン社が合併してディアジオ社が誕生、傘下のUDV社とIDV社も一つにまとまった。しかし、合併は独占禁止法に抵触。デュワーズ社と傘下の四つの蒸溜所をバカルディ社に売却、以降のバカルディ社のニュー・ボトルはアバフェルディのみ。
 ディスティラリー・ボトルは同じU.D社の花と動物シリーズだったが、それと比して遙かにリッチ。アイリッシュ・クリームの香り、オレンジやナッツの風味、長く濃密なフィニッシュ。最良の食後酒のひとつ。元々はオスロスクやダフタウンに似て、心地よいが幾分ショートなフィニッシュが特徴だが、本品のフィニッシュはロング。そのあたりがレアモルトの真骨頂。

03 マノックモア '74(レア・モルト)
 22年もの、60.1度のカスク・ストレングス。
 グレンロッシーとは兄弟蒸留所。共にヘイグとディンプルの重要な原酒モルト。蒸留所の近辺には多くの丘や森が点在し、野鳥の宝庫として識られる。リンクウッドと共に花と動物シリーズのラベルがよく似合う。
 1989年に操業再開。樽の内側の焦がし方が尋常でなく、ウィスキーの色合いを濃厚にする要因となっている。
 フレッシュでクリーン、絶妙の軽み。青い果実、シリアル系の香り。フィニッシュにシナモンの香、暖かみのある切れ上がりを経て、心地よいラスト・ノート。
 ロッホ・デューと名付けられたブラックウィスキーを造っている。内側を極端に焦がしたオーク樽を熟成に用いる。ナッツの香りと太いボディ。滑らかにして濃厚な飲み口と口腔に残る苦みが特徴。わたしの趣味ではないが。

04 モートラック '78(レア・モルト)
 20年もの、62.2度のカスク・ストレングス。
 ダフタウン最古の創業、スペイサイドのよさをすべて備えたメローな食後酒。ジョニー・ウォーカーの原酒モルトのひとつ。六基のポット・スティルはすべて形状が異なり、蒸留作業は煩雑を極めるという。幸いにして、その工程がモートラックの豊かなこくを生み出す要因になっている。
 チョコレート、ダーク・ラム、シェリー酒等の深い甘味、豊かなフルーツ香とペカンの実の香り、僅かに青林檎のキャラクター、充実のフル・ボディ。甘さとピート香のバランスに優れる。どこまでもまろやかにして濃厚、穣々たるフィニッシュ。

05 ヒルサイド '71(レア・モルト)
 25年もの、62.0度のカスク・ストレングス。ボトリングは97年。
 VAT69の核をなす原酒だったが、1985年に閉鎖。モルト・ウィスキーの生産は休止したままである。今後、入手が困難になることは必定。
 モルトの生産は停止されたままだが、麦芽製造部門はフル稼動。アバフェルディをはじめとするU.D社傘下の蒸留所に麦芽を供給し続けている。
 ライトでドライな飲み口だが、若干アルコール臭がある。フィニッシュは長く、スパイシーななかに甘味が残る。
 蒸留所名が幾度となく変わっているが、グレネスクと改名された1980年までの名称はヒルサイド。ケイデンヘッド社とゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒布されている。なお、ヒルサイド名義のボトルは本品のみ。

06 グレンユーリー・ロイヤル '70(レア・モルト)
 28年もの、58.4度のカスク・ストレングス。
 同じヴィンテージの29年ものもある。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。宅地開発のため、1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 他ではカスク・ストレングスがシグナトリー社、ダンカン・テイラー社から頒されている。本品は例によってオロロソ・シェリーのアロマが顕著。そのユナイテッド・ディスティラーズ社から1953年蒸留のの50年ものがボトリングされている。1953年はDCL社(現在のUDV社)がオーナーになった年。

07 ティーニニック '73(レア・モルト)
 23年もの、57.1度のカスク・ストレングス。
 同じヴィンテージの27年ものあり。
 ヒースの花のエキスを用いたウィスキー・リキュール「ドラムブイ」の原酒モルトとして有名。
 生産量は多いが、大半がブレンド用。ケント州の独立瓶詰業者ザ・マスター・オブ・モルト社の17年ものしか手に入らなかったが、1992年から花と動物シリーズが出回るようになった。
 ゴードン&マクファイル社、サマローリ社、ヘッジス&バトラー社、ベリー・ブラザーズ&ラッド社、イアン・マクロード社、ムーン・インポート社から加水タイプが、キングスバリー社、ダグラス・レイン社、イアン・マキロップ社からカスク・ストレングスが頒布されている。

08 ブローラ '77(レア・モルト)
 21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 残僅少につき足りないときはご勘弁。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

09 セント・マグデラン '79(レア・モルト)
 19年もの、63.8度のカスク・ストレングス。
 蒸留所が建てられたのは1765年、しかしアダム・ドーソンによって蒸留がはじめられたのは1797年とされる。1914年、ローランドの五つの蒸留所が吸収合併してできたSMD(スコティッシュ・モルト・ティスティラリーズ)に参加。リトルミルやローズバンク等と共に最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖。建物は外観はそのまま、高級アパートになった。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。地名のリンリスゴー名義のボトルもある。
 ローランドの特徴であるソフトでスムースな飲み口、ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。
 ローランドの銘酒キンクレイスの生産終了が75年、レディバーンが76年、ついで「幻の酒」と化すのがセント・マグデランである。ディスティラリー・ボトルは頒されていない。かつてのボトル70年蒸留のレア・モルトは極めて入手困難。

10 アードベッグ '67(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。ダーク・シェリー樽の32年もの、47.5度のカスク・ストレングス。限定185本のシングル・カスク。
 レアモルトを十本揃えるつもりが足らなくなった。そこでレアモルトのコンディションに近いものから本品を撰んだ。ダブルマチュアードと異なり、32年間シェリー樽で熟成されたモルトである。いささかカスク由来の渋味が強いが、珍品であるに違いない。
 似たボトルがシグナトリー社からもボトリング。67年蒸留、ダーク・オロロソの樽による30年もの、49.8度のカスク・ストレングス。香味はこちらに軍配が上がる。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月02日 16:04 | 固定ページリンク




レアモルト  | 一考    

 駐車場を探しに六時に赤坂へ出てくる。かなり手広く宮城から新宿通一円を探すも、隣ほど安いところはなく諦める。最安値がやはり一時間六百円といったところ。明日からは知己の紹介で麹町の駐車場が使えるやもしれず。その具合によって営業時間を決める。

 十三日のモルト会の原稿が進まない。最後なので気を入れているのだが、思うに任せず。レアモルトだけのモルト会ははじめてだが、レアモルトがどれだけのボトルを出しているのかがよく分からない。西明石開店当時は二、三万円のボトルばかりで、高くて買えなかった。今では三万円など普通になったが。要するに馴染みのないボトルが多くて全貌が掴めない。同じ作るのならレアモルト一覧を拵えたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年08月01日 19:56 | 固定ページリンク




駐車場  | 一考    

 利用してきた麹町の駐車場が突然閉鎖になった。議員会館の跡地ゆえいずれなくなるのは分かっていたが。利用期間は八月二十日過ぎまでだったので困っている。
 土曜日は仕方なく隣の駐車場を利用したが二千五百円、四日で一万円になる。隣は赤坂ではもっとも安い、他の駐車場なら一日四、五千円になる。しかしこのような大金は払えない。現在より遠くなるが、麹町界隈で探すしかない。帰りに道すがら心当たりを訪ねたが思うようなところがない。月曜日に早出して今一度探すしかない。
 この十余年、駐車場には泣かされてきた。赤坂では月極で六万円から十万円もする。もっともバブルの頃は十五万円はしたと聞くから大変である。利用するのは夜だけなので、なんとか頼み込んで比較的安いところを工面してきた。
 かつて日本コロンビア裏の駐車場を借りていた。ある大雪の日、へべれけで駐車場へ辿り着いた。ところが道が凍てついて発進できない。連れが近所から大きなスコップを借りてきてアスファルトをがりがりやっている。申し訳ないと思うのだが、とても手伝えるような状況でない。酔いが醒めるまでと思って椅子を倒して不貞寝のありさま。気がついたときは拙宅に着いていたようだが、未だに当時の連れに悪いことをしたと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月31日 14:49 | 固定ページリンク




障害者医療  | 一考    

 病院の領収書を持って市役所の障害福祉課へゆく。今月の領収書は十枚、先月分を含めて十四枚の領収書である。透析クリニックは月極なので一枚、他に三日に一回は何等の診察を受けていることになる。ちなみにいいはしデンタルクリニックでは六回の治療を済ませた。今日からは歯石の除去。二十分ほど削ってもらったが、硬くて取られない、麻酔をかけて三、四度にわたって治療することになった。歯石を取るに麻酔など聞いたことがないが、その方が確実に取れるようである。几帳面な医師と思う。
 障害福祉課は請求書を四枚書かねばならないところをコピーしますから一枚で結構と云われる。戸田市もそうだったが、役所の障害福祉課は親切である。
 序でに数万円の国保分を入金してきたが、まことにありがたい。一年前までは高額医療費だけだったのに、障害者手帳のお陰で月十度の診察代が全額戻ってくる。こういうときだけ日本国家に感謝している。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月28日 21:15 | 固定ページリンク




詩集  | 一考    

 詩人が云うには八十篇を超える詩ができあがったと、そこから二十一篇を選び、久しぶりに詩集を拵えるとか。題して「明日」、もっか目次構成に彼は呻吟している。
 これがプロの為事である。今回のような精神に動揺を来さざるを得ない異変に出会い、その動揺、こころの揺らぎを如何にして揺らぎのまま定着させるのか。大きな事件事故であればこそ、白紙の原稿を前にして刻苦しなければならない。ときとして描かれるのかとの迷いすら生じる。
 迷い迷っての八十余篇、それをさらに四分の一にまで刮げる。そこまで持してはじめて情念が立ち上ってくる。自分流の詩を著すとは自分流の言葉と立ち会うことである。言葉との出逢い、それは新たな精神との逢着である。逢着ではなく、新しい精神を生み出すと云うに等しい。

 昨今あまりにも安直に詩集が生まれているのでないだろうか。作品が二十篇できたからと云ってそのまま本を設えるのはいかがなものか。編輯との場が欠落しているし、詩集など生涯に何冊も持てるものではない。良い作品が誕生してはじめて本にすることを考えるべきでないだろうか。詩集を存在証明にしてはならない、生涯に一冊あれば結構と思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月27日 18:38 | 固定ページリンク




エネファーム  | 一考    

 高遠さんがエネファームの不具合を指摘なさっているが、あれは簡単な操作でクリアできる。要するに停電時にも使えるように設定を変えればよいのである。停電時に使えないように設定されているのは東電の責任でなく、法律上の問題である。関連法案を拵えた政府の責任に帰着する。
 菅の云う脱原発にしても風呂屋の釜に違いない。経産省と外務省の役人、財界人、石原や石破といった政治家達、そしてなによりも民主党の成長戦略・経済対策プロジェクトチームを敵に回すことになる。全電力会社並びに日立、東芝、三菱、日本原研といった原発に携る企業群とも敵対することになる。菅は不可能を承知で口吻に上らせているに過ぎない。
 節電との東電の物言い自体、経産省の役人の意見を代弁しているに過ぎない。経産省の役人から東電に至るまで玄人はひとりもいない。素人だからこその原発礼讃である。

 http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


投稿者: 一考      日時: 2011年07月27日 18:33 | 固定ページリンク




パソコン修復  | 一考    

 店のパソコンを修復、やはりケーブルの接触不良だった。デスクトップ型だとこのような問題は起きないが、ブックタイプだと仕方がない。序でにシステムをOS10.4に更新したが、とにかく重い。大メモリと強力なCPUで動かすシステムになり、マックらしさは消え去った。非力なパソコンには10.3までが似合っている。
 先日、藤木さんがデスクトップG5の不調を訴えておられたが、症状を聞くかぎりにおいて内蔵電池が切れかけているようである。常に触っておれば簡単に直るのだが、彼女はどうするのだろうか。デスクトップにせよブックにせよ、電源が這入らないとかハードディスクを認識しないと云った他愛ない故障でパソコンを修理に出したり手放すひとがいる。もっとも、他人のこと故、関知するところでないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月25日 16:01 | 固定ページリンク




歯と食欲  | 一考    

 いいはしデンタルクリニックへ五回通って虫歯の治療が一本終わった。歯の根本にタワーを建ててその上に金属製の歯を被せる作業だったが、次々回からさらなる虫歯の治療に取り掛かる。入れ歯や差し歯の予定はないので、その二本で取敢えず終了する。
 余命があまりなく、飯が喰えればとの注文だったが、随分と立派な歯が造られた。このところ体重が減り続けているが、これを機会に食欲が増えればよいと思う。

 「透析患者の寿命」で検索するとトップに当掲示板がやってくると云われて検索。驚いて他の項目で試みると、ほとんどが最初のページに這入っている。何時しか透析掲示板になったようである。今週末はABI検査(足関節上腕血圧比検査)だが、心機能の低下、動脈硬化症、透析アミロイド症(手根管症候群など)、腎性骨異栄養症等々、これからは合併症について書かねばならない。
 過日書いたように、透析患者の三分の二(年間約二万人)は一年未満で死去する。この一年と三年目はひとつのネックになるようである。八月二十日でわたしの透析生活も一年になる。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月25日 09:54 | 固定ページリンク




マックのクラシック環境  | 一考    

 過去のマックではアプリケーションがどこに這入っていようとファイルをクリックすれば自動的に起きる。この消息はマックには拡張子が必要でないのと似ている。要はパソコンが判断するのである。わたしはそうしたマック固有の機能を重宝してきた。
 OS Xはトラブルが少ないが、OS 9はブラウザの問題もあって頻繁にフリーズする。それが理由でパーティーションを切って異なるハードディスクにシステムを置いている。それまではさらにパーティーションを切ってさまざまなアプリケーションを纏めて入れていた。ところがクラシック環境でそれをするとアプリケーションは起動しなくなる。OS X用のアプリケーションは「Applications」とのフォルダーへ、OS 9用のアプリケーションは「Applications (Mac OS 9)」のフォルダーへ入れないと起動しなくなる。
 それをわたしは最近まで知らなかった。従って、クラシック環境は不便なものと思い込んでいた。無知とは怖ろしいもので、面倒だが用いるアプリケーションに応じてOS XとOS 9を交互に起動させて使っていた。
 わたしはパソコンに関する解説書なるものを読んだことがない。それがこのような誤解を生んだ理由だが、クラシック環境の利便性にいまごろ目覚めるとは羞ずかしい限りである。
 パソコンを購入するに際して、今まではOS 9の単独起動にこだわってきたが、その必要は全くなくなった。とは云え、さらに速いCPUを積んだパソコンを欲しいとは思わないが。
 OS 9とMac OS X双方の環境で動くcarbon applicationは「Adobe Photoshop 7」や「Illustrator 10」で終わりである。システムはMac OS X v10.4..11で打ち止めになった。インテルマックになってマック自体がわたしとは関係なくなった。
 序でながら、フレッツはクラシック環境、すなわち複数のシステムが入れ替わるような環境には適していない、おそらく最初から想定していないのだと思われる。他のブロバイダーなら複数台のパソコンを同時に繋いでも問題は生じない。フレッツは頗る面倒なブロバイダーである。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月22日 23:19 | 固定ページリンク




モルト会  | 一考    

 中村元昭さんと一箇月ほど一緒に為事をすることになりそう。従って、来週の月曜日からほそぼそと小鉢ものを再開する。八月十三日〈土曜日〉にはモルト会を開催。レアモルトの予定だが、詳細は後日。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月21日 21:38 | 固定ページリンク




減量  | 一考    

 一週間で1.3キロ、二週間で1.7キロ体重が減った。減量は週に300グラムまでに収めるようにとの注意を受ける。去年の今頃は体温調整機能が痲痺し、一滴の汗もかかなかった。それが今年は全身汗でずぶ濡れである。汗をかけば体臭が戻る、それは嬉しいのだが疲れがひどい。
 透析の時に汗をかく。四時間ちょいの透析だが、除水とは別に300グラムほど体重が減る。体重管理が行き届かない理由のひとつである。血液を身体に戻すときの温度は36度だが、試しに35.5度に下げると汗はかかなくなった。ところが、今日は35.5度でも汗が流れる、35.3度にまで下げて少しはましになった。げに怖ろしきは血液である。
 わたしの場合、日々の食事量はグラム単位まで厳密に守っている。暴飲暴食の心配がないので、夏のあいだはドライウェイトを無視することにした。基準は前回の除水後の体重なのだが、その除水量も今では自分で決めている。
 頻繁に体重を計っていると、一日のうちに二キロぐらいは増減がある。食事量は一キロ以内だが、飲料はそれを超える。ところが汗は二キロを軽く超過している。その差が減量に結びついている。汗の分を食事で補おうとすると体重はさらに狂いはじめる。健康だと腎臓が自動的に処理してくれるのだが。なりゆき任せが一番、おそらく馴れとはこうしたことをいうのであろう。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月19日 21:12 | 固定ページリンク




非凡な若人  | 一考    

 あまねさんと土屋さんが来店。フロマンタルの「10ぴきのペンギンくん」を頂戴した。仕掛け本で制作はフランス、二箇所ほどわたしが友情出演しているようである。
 福島の原発から小沢一郎に至るまですぐれて文学的な話になった。良く調べている、何時もながら感心させらる。
 それにしても、ふたりは仲が良い。読書は趣味を後生大事にしていては進まない。理解できない書物に出遇うたびに自己解体が必要になる。本は読めば読むほどに自分というものが増え続け、徐々に溶解してゆく。種村さんの云う怪人百面相の世界である。ふたりにはその辺りの消息が分かっている。若い人で驚かされるのは決まってこのふたりである。
 あわよくば、スタイルといったものを持たずに育って欲しい。出鱈目結構、ちゃらんぽらんでなければ「仏宇陀の海」も政治も理解できない。事象の海そのものが文学である。書物のはなししかできないような片輪者には育ってもらいたくない。東京へ来てはじめて非凡な若人と出遇った。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月15日 22:00 | 固定ページリンク




ホロカ温泉旅館  |   一考

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 おっきーさんと話していて、一枚の写真を前に、これはどこの温泉だったっけと考え込む。たしか糠平湖か然別湖の近辺だったと思い出す。地図を調べてすぐ分かった。ホロカ温泉である。273号線を音更川に沿って糠平温泉郷から三国峠へ向かう、十数キロを走りユウンナイ川へ左折するとホロカ温泉である。十数年前に二輪で旅行中に立ち寄った。主人総島諄さん急逝により、平成23年1月14日から休業している。詳しくは下記サイトをご覧あれ。床は析出物で千枚田状態になっている。

 http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-227.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/hitou_sukisuki_dabe/53994497.html


投稿者:   一考  日時: 2011年07月13日 22:00 | 固定ページリンク




天変地異説  | 一考    

 東京都と同じ震度五の地震が和歌山であった。大きな被害がなかったのが幸いだが、前震災では宮城県で震度六〈一町村のみ震度七〉、神戸では震度七だった。地震の規模、すなわちマグニチュードは東日本大震災が他を圧するが、震度では神戸が最大だった。
 東北大によると、津波は高さ6メートル、時速23キロに達した時点で鉄筋の建物群を次々と押し流したようである。地震もさることながら、今回最大の災害をもたらしたのは津波である。
 「神の業 鬼の手創り 仏宇陀 人の世為らぬ 処なりけり(桂月)」と詠まれた仏ヶ浦のことは掲示板で幾度となく触れた。シャコタンブルーを想わせる鮮やかなブルーと生物のいない白色の海底の対比はわたしを愕かせた。仏宇陀の海を死滅させたのは人間であって、それも一種の厄災である。
 明治期にひとまず高台へ移住したにもかかわらず、ひとは低地へ戻り、今回の厄災を招いた。人は代謝する生物、記憶は受け継がれない。人生は一代限りにして同じことが繰り返される。それにしても、まるで戦後の情景が蘇ったかのようである、灰燼とヘドロの差こそあれ。
 今回の天変地異説の証しとでも云うべき異変によって東北は変わった。詩人はこのような状況をいかに捉え、いかに対処するのか。東北一円が仏宇陀の海と化したかのようである。
 いやしくも文学に興味を抱く者なら、このような変事を眼にして、如何に感じ、如何に思惟するのか。既存の言葉では捉えきれない事象の海が拡がっている。

追伸
 岩手には浄土ヶ浜がある。入り江を形成する岩塊の外海側には、入り江側とは対照的な荒々しい浸食が見られる。剣の山(針の山とも)、賽の河原、血の池等、同じ東北に位置する恐山の地名呼称と共通する。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月13日 15:58 | 固定ページリンク




パソコン  | 一考    

 moonさんの真似をしてエコーを購入、ゴールデンバットと比して結構旨い。moonさんのパソコンはマックキューブのようだが、わたしはiBookのG3をもう一台購入、完動品ゆえ、大枚7000円を支払った。旧G3の修理に二、三日掛かるのでスペアが必要になったのである。
 今回はDVD付きなのでシステムのインストールが容易である。以前はCDなので接続が難儀だった。プレイヤー自体は外付けでよいのだが、マザーボードを騙さないとDVDプレイヤーがインストールできなかった。
 前述したように二万円ほど出せばインテルマックが買えるが、わたしの役に立ちそうもないのでレガシーマックに止めた。バットがエコーに変わったようなものだが、それでも新規のパソコンが這入るのは嬉しい。今日到着したが、AdobePhotoshop7.0がインストールされている、欲しかったアプリケーションなので嬉しい。日曜日にハードディスクとメモリを取換えもしくは追加してシステムを更新、フォトショップを移植した。
 G4のシステム10.4がインストールできない。やはりG3にはG3用でなければ不可能なようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月11日 15:37 | 固定ページリンク




糖尿病と認知症  | 一考    

 先日、隣の患者から焼肉について質問があった。質問と云うよりは肉への信仰告白である。リンが多いので少量を自宅で食べる分には構わないのではと応えたが、焼肉屋でなければと云う。焼肉屋だと摂取量が増えるのと、なによりニンニクがよろしくない。その場合はリンでなくカリウムが問題になる。オッサンは腎不全の患者はニンニクが食べられないことをご存じでない。食事療法の初歩ではないか。韓国料理、中華料理、伊太利料理等々、ほとんどの料理は食べられない。だからこそパスタを食するにせよ、ニンニクと塩分抜きで自炊するしかない。年金生活者なら時間はある、もう少し調べていただきたいものである。

 その患者は糖尿から透析に這入った。糖尿病に罹ると認知症になる率が高くなる。と云うよりも認知症患者は高血圧かつ血糖値はすこぶる高い。糖尿病それ自体が血管性認知症のみならず、アルツハイマー病の危険因子なのである。認知症の予防と治療の方法はまだ研究中だが、高血圧や高血糖値、糖尿病は予防や治療が可能である。それらの治療は脳卒中や心臓発作などの心臓血管疾患と腎臓疾患を予防するだけでなく、認知症の予防にも役立つ。要するに、透析に這入ったひとであっても、認知症に罹るのは防がなければならない。その予防法はやはり食事療法しかない。
 認知症も鬱病同様、病であって自分の心懸けや気持だけではどうにもならない。食事療法の大事を思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月10日 12:22 | 固定ページリンク




電力  | 一考    

 国会がはじまったが、みんなの党の渡辺喜美代表が「脱原発」を争点に解散に踏み切れと首相を焚き付けていた。経団連はまったく駄目だが、経済同友会は縮原発を表明したようである。他では大阪と神奈川の知事、金融機関では城南信用金庫。
 渡辺代表が6000万キロワットの自家発電のうち、1600万キロワットは融通できる筈と発言。だとすれば福島の原発分を補って余りある。電話一本で確認できるではないかとの渡辺の質問に「興味はあるが」と菅の素っ気ない返事。必要性のない電力使用制限や節電にいつまで振り回されるのか。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月07日 22:46 | 固定ページリンク




体調  | 一考    

 某所から少量だがレナジェルを入手、二週間ほどリン吸着剤を大量に服用した。その甲斐あってか、高リン血症から三箇月ぶりに解放された。歯の修理が効いて、白血球もはじめて減少。後は低カルシウムと体重である。
 今週に入ってからドライウェイトを切ったままである。看護師と相談するも、血圧が正常かつ心胸比が四を切っているので体重を減らすのは難しいと云われる。そうは云っても既に五百グラムは減った。現在の食欲では一キロ以上減るだろう。
 食欲を表す尿素窒素は五十を切ったまま。これは体調が思わしくない証拠だが、ひとりでの為事は今月一杯。いずれにせよ、あと一箇月と少しになった。頑張らなくては。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月07日 21:16 | 固定ページリンク




透析患者の年間検査  | 一考    

 日々の検査は体温、体重、脈拍、血圧。そして二週間に一度の血液検査、四週間に一度の心胸比〈レントゲン〉と心電図、検便、検尿が加わる。さらに半年に一度の骨密度、ABI検査、エコー、内視鏡検査である。以上の検査を繰り返しながら、来月の二十日で透析は一年になる筈である。もっとも内視鏡検査は大腸癌を患うわたし固有のものかもしれぬ。
 この間、五分の遅刻が一度あったきり。三十分までの遅刻なら透析に応じてくださるが、それを超えると夜の部に回される。五分の遅刻と書いたが、曜日によって穿刺の順序が変わるので、平均すると十五分ほどは待機する。この待ち時間が気持を楽にさせる。
 三回ほど目覚まし時計をセットしわすれたことがある。周章てて起きたが、時間には間に合った。ユーパッチという穿刺の痛み止めを一時間前(七時五十分)に貼るのだが、これが間に合わず、痛い思いをさせられた。

 看護師から移植についての注意があった。結石の成分検査をしたかと問われてしていないと応える。主治医からも云われていたことだが、結石は流出せず、結局成分検査はしていない。看護師によると、かつて結石の患者が腎移植したものの、一年ほどで移植した腎臓が再度結石になり、透析に戻ってきたと。嘘か本当か分からないが、果物の林檎が結石の理由だったと看護師は云う。壊死した腎臓から結石の抽出は出来るだろうが、そこまですべきかどうか、主治医と話し合わなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月07日 16:13 | 固定ページリンク




いいはしデンタルクリニック  | 一考    

 moonさんと久しぶりに電話で話す。時を同じくして彼も歯医者へ行ったらしい。虫歯を抜歯したようである。わたしの方は抜歯はせずに修理するようである。二本で十二、三回通ってくれと云われた。レントゲンで確認しながら穴を削っている。
 今年の二月にオープンしたばかりの医院である。医師は若いし、建物から設備まで新品である。おまけに看護師も美人揃い、良い病院へ来たものである。いいはしデンタルクリニックと云って、三郷のデンソーの真裏にある。
 昨日レントゲン代を忘れていました、と云って追加分を取られたがそれも愛嬌。透析にも知識があって、ヘパリン〈血液が凝固するのを防ぐ薬〉のことも説明。序でにHIV、梅毒、肝炎の心配がないことを伝える。暫くはお世話になる。

 店のパソコンが不安定ながら起動した。やはり接触不良のようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月06日 21:02 | 固定ページリンク




本日営業  | 一考    

 昨日は店を休んだ。透析中は何事もなく、六回計測する血圧、脈拍共に異常はなかった。夕方から頭痛と吐き気に襲われ、深夜まで続いた。飲食物については自己管理しているので問題は生じない。いつもと違うのは歯が痛く、歯医者でもらった痛み止めを飲んだことぐらい。もしくはセベラマーを米国製に替えたことが関係しているのかもしれない。
 一日、三十錠の薬を服用することで命長らえている。震災が理由と云え、薬が変わるのは大きな影響を受ける。
 判然としないが、猛烈な嘔吐だった。嘔吐と云っても戻すものはなにもなく胃水ばかり、丁度二日酔のそれに近かった。
 今日は慎重な飲食にはじまったが、ドライウェイトが一キロほどマイナスである。これを機会に体重を減らそうと思う。体重維持に少々無理がかかっているようである。

 店のパソコンが臨終を迎えた。修理に必要な道具(テレホンカードの類い)は拙宅のどこかにある。そのうち修理する。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月06日 09:06 | 固定ページリンク




電力の不思議  | 一考    

 去年の十月の東電のホームページで電力供給量は7700万キロワット、原発分を除いても6000万キロワットである。それが何時の間にか5000万キロワットに化けている。ちなみに、今日の供給電力は5170万キロワット、これには仕掛けがあるに違いない。
 東京ガス以外の自家発電は購入していないし、その東京ガスの分すら供給量に含まれていない。揚水発電も一切含まれていない。原発を維持するための涙ぐましい努力がなされている。なんとしても計画停電にまで持って行きたいようである。経団連が経済の先行きを危惧せず、東電を支持しているのは滑稽ですらある。端から分かっていることだが、経団連は経産省の外郭団体のようなものであり、原発推進派の政治結社である。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月04日 21:22 | 固定ページリンク




コンコードと葡萄ジュース  | 一考    

 今津っ子さんからメールがあった。

 http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10001375

 コンコードの珈琲は一時パーコレーターだったので良く飲みに行った。葡萄ジュースのことをどうして覚えているかと云えば、わたしは十代の頃、福原で料理人をしていた。仕入れで中央市場へ頻繁に出掛けたが、行くたびにコンコードのマスターが葡萄の半端物を仕入れていた。房になったものでなく、ちぎれたものとかバラバラになったようなものばかりを集めていた。原価を下げるためと思われるが、あまりに熱心だったので覚えている。
 文中バンビーについて「神戸と大阪は系列店だったようで」とあるが、大阪の二店は同じ経営だったが、神戸のみ経営は異なった。大阪の経営者は男性だったが、神戸は女性。謂れがありそうだが、プライベートなことなので詳しくは聞いていない。
 村上春樹が通っていたさりげなくは女友達が働いていたので、わたしは遠慮してあまり行っていない。
 バンビーとコンコードについては掲示板1.0で何度も触れているが、現在検索はできない。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月04日 20:52 | 固定ページリンク




マック  | 一考    

 店で使っているiBookのモニターが不調になった。接続不良なので、回線はマザーボードの上に乗っている。簡単に直るが分解しなければならない。序でにもう一台、OS.9起動するマックを購入しておこうと思う。
 インテルマックに興味はないが、MacBookのCore Duo - 2.0GHz/1.2Gが二万円で売っている。iMacの同クラスも二万円前後である。マックは中古になると値が付きにくいようである。わたしはPCしか使わないので一万円以下で売っている。
 パソコンはまず壊れない。LC475からG3のiBookまで十数台のマックを使ってきたが一度も壊れていない。不調にはなるがいずれも簡単な修理でなんとかなる。もともと起動不可とか電源這入りませんというジャンク品ばかり買ってくるので、文字通り、最初は起動すらしない。ハードディスクやコンボのような回転するものは寿命があって、それらを取換えると問題は生じない。G4のデスクトップで一度だけマザーボードを交換したが、それは端からマザーボード不良と記載していたからである。
 iBookはマックのなかでもっとも分解が面倒と云われるが、それほどでもない。なにごとも馴れである。あと二、三年なので前記ジャンク品で押し通すつもり。


投稿者: 一考      日時: 2011年07月01日 21:09 | 固定ページリンク




歯科医  | 一考    

 「奥歯がぼろぼろと欠けてゆく」と月初めに書いた。何時までも捨て置くわけにいかず、透析を終えてから歯医者へ行く、病院の梯子である。拙宅の近所だが、若くて良さそうな医者に思われる。
 麻酔は極端に少なくしてもらった。効けばよいので、それ以上は無用である。化膿止めと痛み止めを頂戴したが、痛み止めを飲むことはあるまい。薬に関しては腎不全であることを何度も説明した。例えば胃薬のようにアルミニウムが這入った薬剤は服用できない。腎臓が機能していないので、排出できないからである。
 レントゲンを撮って、取敢えず奥の二本を修理しようということになった。歯の形の四分の一ほど残っている。当然抜歯だと思っていたが、残すと云う。二分割した差し歯を作って奥と手前から差し込み接着剤で合わせるようである。わたしには修理方法が皆目分からないが、分かる必要もあるまい。わたしごときに理解できない新しい技術が開発されたのであろう。だから若い医師は素晴らしい。もっとも、二、三年もてばそれで良いのだが。
 ただ、歯医者は時間が掛かる。いつぞやの野戦病院のようには行かない。透析に合わせて暫く通わなくては。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月30日 22:54 | 固定ページリンク




菊芋  | 一考    

 菊芋を買ってきた。サラダオイルで炒め、牛肉、人参、いんげん、菎蒻などを入れて煮る。菊芋が柔らかくなったら、醤油と味醂、塩、胡椒で肉じゃが風に味付け。他に短冊切りにして金平牛蒡風、スライスしてサラダもしくは天麩羅など食べ方はご随意に。
 菊芋は知ってはいたが、調理したのははじめて。形はワサビかショウガのそれだが、食感は蓮根に近い。それ故、金平牛蒡風がもっとも旨く感じられた。材料は肉じゃが風と同じだが薄切りにする。仕上げには胡麻や唐辛子の輪切りが良く似合う。
 通常の芋類と異なり、デンプンはほとんど含まれない。主成分のイヌリン〈ノンカロリーの糖質〉は消化によってオリゴ糖の一種キクイモオリゴ糖(イヌロオリゴ糖)となるため、血糖値をあげず、健康食品として扱われる。
 芋なので、カリウム、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、リン、亜鉛、セレン等を含み、ポリフェノールの含有量が高い。「菊芋は天然のインスリン」と云われるだけあって、1型糖尿病に効果があるそうである。
 しゃきしゃき感を残した方が美味。近所のスーパーでは二百グラム、百五十円で売っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月29日 17:21 | 固定ページリンク




レナジェル最後の在庫  | 一考    

 透析中は眠っている。もっとも血圧測定その他で頻繁に起こされるが。土曜日は「渡辺さん」との声で目が覚めた。いつもは通り過ぎる栄養士が書類を持って座り込んでいる。案の定、高リン血症についてである。日々の食事の内容と量について語る。
 飯は低蛋白米でなく、通常の無洗米である。四合ほど炊いて140グラムにラップで小分けしている。週に二回ほど焼肉も食べているが、80から100グラム内に収めている。副食は総じて120から160グラム。一日二食、600グラムが二日で1200グラム。結果600グラムほどの除水になって体重は静止している。
 尿素窒素が低いのでもう少し量を増やそうと思うが、増やせばリンがさらに過剰になる。蛋白とリンは別物として認識できない。
 透析がはじまってから塩分、尿酸(ナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム)と蛋白、コレステロール、糖(総蛋白、アルプミン、コレステロール、中性脂肪、血糖)に関しては異常は出ていない。ちなみに、カリメートと降圧剤は服用していない。要するに食事療法は完璧に効いている。
 にもかかわらず、高リン血症に陥った。栄養士と看護師はわたしの食生活の内容を知っている。知っているがゆえに、二箇月のあいだリンが高くなっても黙っていた。私自身、食事に落度があるとは思っていない。すべては薬の(塩酸セベラマー)のせいである。
 自己診断では食事を一日三回に振り分け、レナジェルを四錠ずつ計十二錠に増加する、である。土曜日は看護師と栄養士が一緒になって医師に抗議してくださった。おかげでレナジェルの処方箋が変わった。透析病院の回診医師はアルバイトなので変化を嫌がる、自分で判断するのを嫌がるのである。そこで、一番若い医師のときを狙っての作戦だった。
 その日のうちに、最後(追加分)のレナジェルを持って薬剤師がにこにこ笑いながらやって来た。「これで一箇月待ってください、リンは必ず下がりますから」と嬉しいのはわたしの方である。
 回診がないクリニックもあって、医師が来るだけでもましなのだが、小回りが利かないのは問題である。ドライウェイトにしても頻繁に動かして良いと思うのだが、失神でもしない限り当方の云うことは聞いて貰えそうにない。ならば些か無茶をしてでも現在のドライウェイトを守り続ける方が無難なのである。

追記
 以上は土曜日のはなし。今日は別の医師、「誰だ、処方箋を変えたのは」の一言で元に戻った。元に戻るどころでない、セベラマー二錠に減らされてしまった。レナジェルは八錠で2000ミリグラム、セベラマーは二錠で1600ミリグラムである。
 たかが薬のことで喧嘩をする気はない。途中から黙ってしまった。なるようになるのだろう。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月28日 20:42 | 固定ページリンク




猫の手  | 一考    

 明石から二組の客がきた。一組は隆さんの友人のようだが、もう一組はですぺら西明石店を手伝ってくださった愛子さんである。十一時に店を閉めて久しぶりにナベサンへ行く。明石を離れて十年余、彼女にもさまざまなことがあったようである。
 人は繰り返し疵を負いながら生きる、従って当たり前のことだが、彼女も子連れになった。子供が疵だとは云っていない。疵とはこころの問題であって、子供をつくる過程で彼女の内面に生じる疵である。子はそういったことに無頓着に生れそして育つ、ある歳までは。
 のっけに面接した時のことを云われた。店の表に「猫の手募集」と書いていた。わたしは覚えていないが、愛子さんによると五、六人の猫の手が店内にいらしたそうな。そして彼女は履歴書を持ってきたようだが、わたしはそのようなものを読みはしない。それどころか、名前すら覚えない、必要があればそのうち覚えるからである。その証拠に愛子さん以外の名前をわたしは覚えていない。
 当時、彼女は女子大生だった。二年ほど経て、彼女は就職試験を受けたが、その会社に君が居ようが居まいが会社は存続する。ですぺらのホールは君が居なくなればどうなるのかね、と云ったらしい。慎にもって勝手なはなしだが、彼女はですぺらを選択してくださった。おかげでですぺらの営業は続いた。それが良かったか悪かったかは書かない。彼女にとっては悪いに決まっているからである。ですぺらは食堂だったので、とにかく忙しかった。やがて彼女はあしらいを覚え、厨房に欠かせない存在となる。
 わたしは毎日酒を嗜んでいた。飲み出すとウィスキーなら一本は空けていた。よって毎日泥酔運転だった。愛子さんはそうしたわたしの滅茶苦茶な性格をよく心得ている。ある日、神戸の三ノ宮へ飲みに出掛けた。一軒目で二本目のボトルを開けたまでは覚えているが、後は定かでない。明石への帰り道、高速道路がどこまでも畝ってい、地球は丸いものだと実感させられたのを覚えている。同乗するにさぞかし勇気が必要だったと思うのだが。
 彼女に云わせるとわたしには透析を楽しんでいるかのような風情があるそうな。楽しんではいないが、悲しんでもいない。あるがまま受け容れているだけである。ごくたまに面倒と思うこともあるが、命が掛かっているので手抜きはできない。ただ、自殺の心配はもっかのところない。わたしは先行きは考えないようにして生きてきた。なるようにしかならないからである。能転気なところなきにしもあらずだが、楽天的なわけではない。その辺りの呼吸法のようなものを彼女に掻っ払って欲しかった。
 人生、猫の手で結構。ひとつの賓辞を自分に強いているとき、そんなときだけである、人生が輝いて見えるのは。

追記
 男女のいかんを問わず、主辞の大安売りには閉口する。ひとがなにを考えていようが、わたしの知ったことでない。私自身、わたしの主辞など信じていない。云った口の下から含羞や逡巡が押し寄せてくる。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月27日 20:35 | 固定ページリンク




立法  | 一考    

 神戸での経験だが、ボランティアが必要になるのは二、三年後から五年後である。そのためのサポートはなされているのだろうか。神戸や富山のボランティアグループが活躍なさっているが、あまりにもボランティア任せでないだろうか。
 経済界では電力の値上がりを懸念して、原発の存続を強調する。今回の事故に纏る費用を加えなくても、原発電力の価格は現在の十数倍との試算がある。使用済み燃料の処理や将来の廃炉の費用を加えてのはなしである。
 このような大事故があって原発は停止されるのが当然である。前述したように、停止に伴う電力不足に対応するための立法がなにひとつなされないのはどうしてか。法律を改正すれば電力不足は回避できるが、そのためには東電の解体、電力の自由化が必須条件である。例えば、ガス会社の自家発電を今の十倍にするに、インフラ費用は東電のそれをはるかに下回る。
 国外へ出られる大手企業は出るしかないだろう。国内の経済活動は根幹から変わらざるを得ない。将来を見据える経済人も政治家もわが国には見当たらない。
 五年後、十年後には原発被害者が顕在化する。広島同様の長期裁判が繰り返されることになる。そのための立法を手当しておくべきだと思うのだが。霞ヶ関も経済界も念頭にあるのは対症療法のみ。対症療法とは申せ、決して適切な処置ではない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月27日 09:09 | 固定ページリンク




震災復旧  | 一考    

 ある金融関係者が、今回の大震災と阪神淡路の違いを指摘する。「阪神淡路のときは家屋は壊れたけれども、仕事は残っていた。今回は、職場そのものまで失った人たちが大勢いる」。確かに自助努力を求めるには、あまりに事態は深刻である。
 為事が「なくなった」30.2パーセント、「減った」と応えた方36.9パーセント、人口にして十一万人。阪神淡路大震災の際は失職乃至離職した人は十万人、率にして3.6パーセントである。ちなみに罹災後、神戸を離れた人口も十万人だった。そして、自宅または工場や商店の再建による二重ローンを抱えた被災者は一万人を超えた。東日本の場合は車や漁船といった生活手段がそれに加わる。糅てて加えて福島である。

 電気がほぼ復旧したのは、阪神淡路が震災から六日後の一月二十三日、これに対して東日本は二十日後の三月三十一日で、約十七万戸が停電したままだった。もっとも、神戸の場合も全面復旧に電気は一箇月、水道は三箇月掛かっている。今回は四箇月目に入った現在、水道とガスは目処さえつかない町村がある。瓦礫の処理に兆単位の予算が必要だが、こちらの目処も立たない。

 自民、公明、みんな、たちあがれ日本、新党改革の野党五党は二十一日、福島第一原発事故の被害者への賠償金を東京電力に代わって国が仮払いし、生活再建を支援する「原子力事故被害緊急措置法案」を参院に共同提出した。東電が支払うべき損害賠償額の半分以上を国がまず支払い、後で東電に請求する内容だが、これから審議に這入る。法案山積でどうにもなるまい。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月25日 20:48 | 固定ページリンク




「父がいなくなった時」  | 一考    

 北九州市子どもノンフィクション文学賞というのがあって、佐木隆三さんが中心になって審査をしている。第二回の最終審査会は二月二十五日、小倉北区のホテルで行われた。全国・海外から934(中学生の部)の応募があり、中学生の部の大賞を「父がいなくなった時」が受賞。受賞者は梅光学院中学校三年生の江原千花さんだった。入賞作品の表彰式は北九州芸術劇場で三月二十八日に催された。
 梅光学院の中学三年生は同文学賞に全員応募することを目標にしている。今年は江原さんの大賞はじめ、佳作に垣田紗幸さんの「私の夏休み」、そして学校団体賞(中学校の部)のトリプル受賞だった。
 受賞作品は冊子にまとめて全国の図書館に送られる、そちらでお読み頂きたい。中学二年生の秋、突然消息を絶った父が遺体で見つかるまでの出来事や心情を描いた傑作と佐木隆三さんは激賞する。久しぶりの天才児の出現を思わせる。
、遺体の「腐敗のにおいが、ぎんなんの香りとそっくりなこと。(中略)ぎんなんの香りでいっぱいの十月の道は、通る度にあの日のことを思い出させた。他の人はそんなこと知らないだろうなと思いながら、その道はなるべくゆっくり通るようにした。決して良い思い出ではないのだけれど、少しでもパパを感じていたいと思うと、そうなった。自分でも、よくわからない行動だと思う。」
 江原千花さんには異なる話題もあるが、わたしはそちらに興味がない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月24日 16:26 | 固定ページリンク




レナジェル不足  | 一考    

 米国ジェンザイム社のセベラマー塩酸塩錠に変わったのは良いが、やはり量が十分には行き渡らないようである。わたしの服用量も減らされてしまった。高リン血症は当分続きそうである。主治医に問い合わせたが、川口の薬局でも新規の入手は無理だそうである。
 血清リンの正常値は2.5〜4.5mg/dl、値が5.0mg/dl以上に上昇した場合を高リン血症という。手指が引き攣ったり、唇の痺れなどがおこる。捨て置くと、血管に石灰化が起こり、心筋梗塞や脳梗塞の危険性が高まる。それよりも、骨の劣化や変形が嫌なのである。長期透析患者はことごとく足の骨が変形し跛を引いている。
 今回の品不足は中外のレナジェル、キリンのフォスブロック(名称は異なるが同じ薬)共に委託製造会社の被災によるものだが、考えてみれば心許ない薬である。2003年6月から販売された新薬で、特許があってジェネリック薬品はない。検索したところ、九月末には元に戻るようである。
 クリニックで苦言を呈したところ、取敢えずアルファロール〈ビタミンD〉を頂戴したが、これでは解決にならない。

追記
 他のリン吸着剤としてバイエル薬品のフォスレノール(炭酸ランタン)がある。昨今、中国の輸出規制で問題になったレアアースが原料の一部に用いられている。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月23日 23:35 | 固定ページリンク




脱原発  | 一考    

 瓢箪から駒は出ずとも涙は眼から出で灰吹から蛇は出ずとも間違ひは欲から出る。権勢欲も極まれり、今回も菅首相の作戦勝ちである。辞める気はさらさらないように見受けられる。震災をここまで人質に取り込まれては為す術はあるまい。
 然り乍ら、瓢箪から駒でも良いから脱原発を称えないだろうか。大阪の橋下知事は脱原発、滋賀の嘉田知事は卒原発を表明した。前項で記したように、原発から脱却しようとすれば、夥しい数の新規法律が必要になる。そうでなければ広域停電は避けられない。現在の大臣の過多は反対するだろう、むろん政党もである。菅自身、原発を五十パーセントにまで拡大すると、三月十二日の東京電力福島原発爆発までは宣っていた。爆発が彼を変えたのなら結構、彼の欲がそれをさせたのなら猶のこと結構である。事情は問わない、日本中の原発が廃炉になるなら菅万歳なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月22日 22:01 | 固定ページリンク




レナジェル  | 一考    

 汗をかく季節になった。透析が功を奏し、わたしにも体臭が戻った。腋の下を手の平で拭い、匂いを嗅ぐ。この二年間、遠のいていた匂いである。それにしても、汗と高リン血症が相俟って背中が痒い。主治医に処方箋を書いていただこうかと思う。食べ物同様、薬も自分で管理したいのだが。
 震災で委託製造会社が被災、レナジェルの安定供給に支障が生じていたが、米国ジェンザイム社からセベラマー塩酸塩錠800ミリグラム「G」が輸入されることになった。代用品となっているが、米国製が元の薬品である。有効成分は同じだが、添加物はまったく異なる。添加物として二酸化ケイ素、ステアリン酸、ヒプロメロース、ジアセチル化モノグリセリドが這入っているが、わたしにはなんのことやら。
 レナジェルは中外製薬とキリンビールの共同開発だが、当分のあいだ米国産セベラマーを処方せよとのこと。クリニックではわたしが最初だそうである。アルミニウムやカルシウムを含まないので、安心できる薬である。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月21日 22:33 | 固定ページリンク




原発  | 一考    

 政府の被災地支援は論外だが、菅首相が云う電力会社の発電部門と送配電部門の分離、風力や太陽光など再生可能エネルギー法案、原発の廃炉について国が責任を持つ新法などは、もし制定されれば画期的なものになる。
 東電の電力供給量はすこぶる恣意的なもので自家発電や揚水発電は含まれない。要するに原発を止める気はまったくないからであって、それは東電に限らず、経産省も民主党も自民党も同じである。経産省は六月中に新たな審議会を設置、原子力発電をエネルギー供給の「三本柱の一つとする」との方針を打ち出した。海江田が経産省の依頼で全国の原発再開を命じたのも、菅の主張に対する牽制であろう。
 東電の最大供給量は600万キロワットだが、民間の自家発電も600万キロワットほどある。それに細かい風力、太陽光、地熱などを入れれば、原発がなくても大丈夫だが、そのためには法律改正が必要になる。東電を解体するか、電力会社の発電部門と送配電部門の分離ができれば民間の発電を利用できるのだが、問題はその法律改正ができないところにある。
 原発が定期検査に入ったまま再稼働できないという状況にもっか陥っている。安全性について地元自治体の理解が得られないためで、このままでは来春にも国内五十四基の全原発が止まるかもしれない。そのような状況下で橋本府知事は海江田に猛反発し、石原都知事は核武装の必要を説く。原発はどこへ行くのだろうか。
 汚染された瓦礫の処理に関する法律すら出来ないのに、東電を解体するような法律が通るわけがない。マスコミが云うように菅首相は延命しか考えていないのか、それとも脱原発を本気で考えているのだろうか。

追記
 十一時過ぎの共同通信で、菅直人首相の退陣条件として公債発行特例法案と2011年度第二次補正予算案の成立を図ることで大筋合意した、とあった。結局はそのようなものか。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月21日 21:55 | 固定ページリンク




懐疑  | 一考    

 昨夜、伊波普猷や仲宗根政善の生涯を描いたETV特集を見ていて涙す。日本人なら標準語を遣えと命令され、沖縄方言を遣う者は米国の間諜とみなされ処刑された。旧軍部は朝鮮に於けるのと同様の振る舞いを沖縄でも続けた。それは戦後も長く続き、琉球大学の琉球文学に執筆した多くの学生は退学のやむなきに至った。琉球大学国文科の助手や学生など若者たちによるおもろ研究会(沖縄の万葉集と云われる)の発足が1968年。その学生たちによって細々と続けられた琉球方言研究クラブが中心になって沖縄言語研究センターが設立されたのが1978年。禁じられていた「しまくぅとば」が小学生に解放されるのは沖縄返還後、十数年を経てのこと。
 ちなみに、同じことをアイヌ民族相手に日本人は強いてきた。いづこの国も同じであろうが、日本の歴史も血で彩られている。日本語に恨みはないが、日本語を用いる国民、大衆には恨みを感じる。ひとは常に徒党を組む、数は権力を生み権威をもたらす。その権威は伝統や歴史の名でもって少数者の生命を簒奪する。日本の歴史もまた多民族の否定であり、異民族虐殺の歴史である。
 「国旗掲揚」で触れたことと消息は同じである。日本語や国旗そのものに罪があるわけでない。運用する側の心根に問題がある。特定の民族や社会、団体が長い歴史を通じて培い伝えてくるところのものは個とのあいだに齟齬を生む。その食い違いに常に身を晒しつづける精神的在り方があっての歴史であり、伝統だと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月20日 11:39 | 固定ページリンク




粘り腰  | 一考    

 「これは何なのか、見たことのない光景だ」西岡武夫が菅首相の意外な粘り腰について語った言葉である。辛坊治郎が「週刊朝日」で「発言する西岡参議院議長」について糞味噌に書いていた。参議院議長としての権威を貶めるとか議長としての中立性うんぬんだが、いずれにせよ、同氏の型破りの姿勢を揶揄してのはなしである。その西岡は尖閣問題や原発問題に対する政府の責任放棄を痛烈に非難する(ニコニコ生放送「山本一太の直滑降ストリーム」)。
 菅総理は一旦は「辞める」「退陣する」というニュアンスを醸し出して、不信任決議案に賛成しようと思っていた人たちを反対に回したとあるが、菅首相はニュアンスを匂わせただけで、辞めるとは一言も云っていない。わたしはそれを「取りも直さず菅首相の作戦勝ちである」と書いた。不見識と云えばそれまでだが、復興基本法も自民党と公明党の案を丸呑み、今回は「1.5次補正」を、さらには内角改造までも口にしだした。
 一昨夜幹郎さんと話していて、菅は総理の座にあって市民運動を、政治家を相手に抵抗運動を試みているとの発言があった。卓見であって、どうやら個に徹しているのは菅と思しき風情がある。菅にとっては与党も野党もない、要するに味方はいなくなった。従って、利用できるものはなんでも利用する。よって国会の延長も野党は断り切れなくなった。
 復興基本法案、第2次補正、3次補正予算の上程の他、電力会社の発電部門と送配電部門の分離検討を提起したと思えば、風力や太陽光など再生可能な自然エネルギーを基幹エネルギーに加える方針を表明、原発の廃炉について国が責任を持つ新法を検討するようである。菅首相を「延命学」の大家と名付けたのはみんなの党の渡辺喜美だが、それは今のところ有効である。
 菅の横紙破りは既に政治家のそれではない。戦略として西岡や小沢のそれをはるかに凌駕する。個に徹し、加えるに総理大臣である、怖いものはない。八月の頭「原爆の日」に「脱原発」を争点に解散、総選挙を打つやもしれぬ。頑固一徹、とんでもない市民活動家を抱え込んだものである。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月18日 03:12 | 固定ページリンク




災害関連死  | 一考    

 気仙沼で八十代の夫婦が無理心中した。妻を絞殺後、夫は電気コードで縊死。夫婦の自宅は東日本大震災の津波で損壊。妻は寝たきりで介護を必要とした。
 五月の自殺者数は岩手県三十二人、宮城県五十人、福島県六十八人。福島第一原発事故が収束しない福島県が十九人増えている。阪神大震災では地震発生後しばらくたってから高齢者の自殺が相次いだ。多くが仮設住宅で一人暮らしだった。
 津波で建物が全壊するなどして運営できなくなった高齢者施設が三県で約八十箇所に上り、入所していた高齢者約三千三百人が現在も他施設で避難生活を余儀なくされている。岩手で約五百人、宮城で約千二百人、福島で約千六百人。このうち認知症の患者数は四百から六百人とされる。環境の変化などで症状が悪化するケースが多く、施設再建への支援が求められる。被災した建物の多くは賃借物件なので再建に国の補助は受けられず、自治体にも支援の枠組みはない。
 詳述しないが、原発周辺の入所施設から避難した知的障害者の死亡が相次いでいる、こちらも同様である。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月17日 21:16 | 固定ページリンク




国旗掲揚  | 一考    

 国旗、国歌について囂しいが、どうして向きになるのだろうか。わたしは東山小学校の一期生だが、国旗掲揚係だった。誰よりも早く登校し、日曜、祭日を含めて無遅刻無欠勤を通した。当時は日教組が過半数を占め、苦虫を噛みつぶしている教師も多かったと思うが、直接なにかを云われたことは一度もない。国語の教師からやってくれるかと頼まれ、好きな教師だったので気楽に引き受けた。教師一般に対する反抗心があったのかもしれない。
 国旗、国歌に対しては多少の思い入れがあるが、オリンピックや国体で国旗を打ち振る趣味はまったくない。個として国旗、国歌にお付き合いしたまでである。従って、公務員〈教員〉が反対する理由がわたしには分からない。先般の戦争にしたところで、一握りの戦犯が起こしたものと思っていない、国民の支持があればこそであって、どちらかと云えば、わたしは日本の国民をこそ憎んでいる。議会制ないしは政党制を支持しなくなったのは大衆であって、その大衆の支持を得て台頭してきたのが軍部でなかったのか。消息はワイマール体制下のナチスと同じである。
 繰り返すが、わたしが信じるのは個のみ。国民とか大衆とか世論などと云うものは眼中にない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月17日 21:01 | 固定ページリンク




魚屋  | 一考    

 震災のせいで、このところ魚が極端に廉い。鮪の値が下がっているのは周知だが、その他の高級魚も例外でない。ヒラメ(四十糎、890円)、カレイ(680円)、マダイ(980円)、クロダイ(880円)、イシダイ(1200円)、カワハギ(290円)、メバル(580円)、イサキ(320円)。ヒラメ以外は三十糎ほどの刺身用、立派な魚体である。目下一尺の魚は刺身にして八人前以上ある。一人では食べられないので、購入は控えた。
 ちなみに、国内産本鮪の大トロがグラム510円、中トロが390円である。百円寿司で朝網や昼網のヒラメやイシダイが扱えるとは信じられない。ここまで値が下がれば、高級寿司店はどのように値を付けているのであろうか。
 ともあれ、値下がりによって代用魚の出番はなくなる。やはり、深海魚は深海魚として楽しみたいものである。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月16日 17:49 | 固定ページリンク




被曝  | 一考    

 透析中ニュースを見ていたのだが、郡山で小学生の鼻血が多発しているようである。沖縄の喜友名さんが原発で内部被爆し多発性骨髄腫で死亡、初の労災認定を受けたとの報道があった。家人によると風呂場で血の塊が鼻から噴き出たとあったが、やはり頻繁に鼻血が出たと証言している。病気を発症してからの一年は老人のようになってしまったとも。
 喜友名さんが被曝した線量は六年四箇月で99.76ミリシーベルト、年間15.8ミリシーベルトだった。東電の200ミリシーベルトと比して遙かに低い。原発に従事した労働者7829人中内部被曝量を測定したのは約1800人、なかには5.2ミリシーベルトで白血病を発症した人もいる。
 東電社員ならびに作業員の中から八人の被曝者が出た。放射線医学総合研究所の評価で三十代社員の被曝量は678ミリシーベルト、四十代社員は643ミリシーベルトと判明。新たに六人が250ミリシーベルトを超えた可能性があると厚労省が発表。また、双葉厚生病院の関係者三人が、除染後の検査でも高い放射線量の値を示したため、第二次被曝医療機関に搬送されていたことも判明した。
 放射性物質がピークだった三月に福島第一原発で作業していたのは3726人。そのうち内部被曝量が判明しているのは約六割の2367人。残る1359人の半分は検査すら受けていない。これから被曝者が続発する。前記、郡山の小学生は十年後にどうなるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月16日 17:01 | 固定ページリンク




「菫の花の片隅で」  | 一考    

 ルネ・ヴィヴィアン詩集「菫の花の片隅で」が彩流社から上梓された。訳者は中島淑恵さん、ですぺらのお客さんでもある。ヴィヴィアンについてわたしは書くべき資格を持たない。そこで腰巻きの文章をまるごと引用する。

 同性愛者として知られ、フランス象徴派詩人のマドンナともいうべきルネ・ヴィヴィアン〈1877-1909〉の遺稿詩集本邦初訳。

 曽根元吉さんからルネ・ヴィヴィアンの名はよく聞かされた。新しくは土屋さんからも夭折した彼女の詩文について聞かされた。巻頭の詩を一篇、紹介する。

  菫の加護のもとに

 我置かん、菫の加護のもとに
 いとも慎ましく物言わぬ敬いを
 おお、汝ら、菫よ。

 香りの枝に長けて、かの声、
 かの褐色の長い眼差しを呼び起こす汝ら、
 その香りの力強さよ。

 汝らを愛する女の叫びを聞き入れたまえ
 かくして我が生と我が詩とを薫らせたまえ
 我が汝らを愛するのを知って。

 我百合に倦み、薔薇にも疲れぬ。
 その気高さ光輝にも、花咲ける瑞々しさにも、
 かの大いなる百合や、薔薇の全き麗しさに我は倦めり。

 汝らの香気は日暮れどき闇の中に募る。
 菫よ、おお、胸塞ぐ甘美なる花よ、
 夕べの菫よ。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月15日 23:20 | 固定ページリンク




深海魚  | 一考    

 毎年車で北海道へ旅をしていた時期があった。その往き来、日本海側を走る時は山形、秋田の蕎麦を、太平洋側のときは漁港廻りで鮨屋へ飛び込むのを常とした。同じ蕎麦屋、鮨屋へは二度と這入っていない、それほどに多肢に亙る選択が可能だった。
 いま思えばどこでなにを食したか、詳細を控えておくべきだったが、鮨屋で耳目を属したのは深海魚だった。掲示板1.0で何度か書いたが、それぞれの漁港にそれぞれの深海魚があって、わたしのように白身が好きな者には堪えられない。
 ところで、川内村から東へ下ると富岡だが、さすが原発の街だけあってアトムという回転寿司がある。芳賀さんとその命名に大笑いしたが、福井を中心に展開しているチェーン店で「鉄腕アトムのキャラクター使用許諾契約を結び」とあって原発とは関係ないようである。
 アトムは詰らない店だが、相馬から小名浜まで福井の漁港には必ず鮨屋があって、鮨屋のあるところには深海魚がいる。そして個々の深海魚はすこぶる旨い。それは福井に止まらない。八戸から三陸を経て亘理に至るまで、名物はいちご煮やはらこ飯だけではない。東北の珍味は深海にありと思っている。ただし、鮨屋の職人は深海魚について詳しく知らない、訊ねても無駄である。
 と云うよりも、この深海魚は偽装魚、代用魚というもうひとつの悪名を持っている。偽装魚とはアメリカナマズをヒラメ、ティラピアをマダイ、赤マンボウをキハダマグロ、アロツナスをカツオ、ウミヘビ科のマルアナゴをアナゴ、シルバーワレフをブリ、オヒョウをヒラメのエンガワ、スギをカンパチ、ナイルパーチ、ブラックバスをスズキ、ヒモダラをアイナメ、ロコ貝をアワビ、サルボウ貝を赤貝の類いである。
 伊豆半島を挿んで相模湾、駿河湾はカイワリをはじめとする各種アジ、シモフリハナアンコウをはじめとする鮟鱇各種が採れる。種村さんが好物だったアカヤガラやマトウダイの産地としても知られるが、深海魚と云うよりも地魚の鮨屋が沼津、戸田、土肥にはある。かね半は有名だが、ソコアマダイモドキ、げほう(トウジンとも、正式名称はソコダラ)、めぎす(ニギス)、とろぼっち(アオメエソ)、どんこ(エゾイソアイナメ)、ごそ(ハシキンメ)、赤かさご等を鮨ネタとして扱っている。
 東北にはそうした専門店はなく、鮨屋に飛び込んだときの偶然に合わせるしかないが、他にスミヤキ、オキギス、ヘリダラ、アブラボウズ、カナガシラ等を食した記憶がある。代用魚はともかく、深海魚は足が早い。運良く巡り会えたときはここぞとばかりに註文する。鮨屋の多くは漁港に寄り添ってある。今回の震災で潰滅したと思う。生きているあいだに深海魚と二度と出遭えそうにない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月15日 17:37 | 固定ページリンク




旧象の牙  | 一考    

 地震、津波、原発が複雑に絡み合っているので今回の震災については書きにくい。地震と津波に関しては被災者即被害者なのだが、原発は災害ではない。原発を是認し、認容し、原発と共に生きてきたことにおいて、日本人は加害者である。例え原発から被害を受けていても、やはり加害者であるに違いない。
 廃炉はおろか、使用済み核燃料の処理方法すら未定のまま原発の運営は続けられている。原発は過度的な存在であると同時に過度適応の好例であろう。正常運転の廃炉であっても二十年以上の歳月が掛かり、廃炉できても使用済み核燃料の処理に数兆円を必要とする。全国の原発では国家予算の数年分の費用が掛かる。そうしたことを先送りにしてのコスト計算である。
 日本で大規模な原発反対運動が起きないのは、地域が政府や電気事業者から支出される補助金や公共事業に依存しているからである。敦賀市長の公開質問状に対して大阪府知事は「立地地域の経済や雇用のために原発を維持するのは本末顛倒だ」と反論している。どう考えても大阪府知事の方が正論だと思うが、わが国ではその本末顛倒が罷り通ってきた。
 わが国のように言論の自由が保障され、政治家が民主的に選ばれる国において、政府は国民の鏡のような存在である。明日よりも現在の利益、理念なき近視眼的な利益配分にしか目が行かないのが国民ならば、政府も近視眼的にならざるを得ない。一年ごとに首相が交代するのは世論の賜物である。
 日本という国は何をするにも行き当たりばったりである。台湾の植民地化から朝鮮併合、満州事変や支那事変から太平洋戦争に至るまで、日本人は遣りたい放題で、反省もなければ責任を取ったことすらない。一握りの政治家もしくは軍人に責任を被せて、一般は頬被りである。頬被りならまだ良い、政府が駄目、軍人に責任があったとの大合唱である。日比谷焼打事件から今に至るまで日本国民はなにひとつ変わっていない。
 低金利にもかかわらず、資産は銀行預金のみ、国が穴埋めしてくれない商品には目もくれない。どこかの航空会社や金融機関は国が救うのが当然と思っている。震災に遭えば国が個人の損失を補填するのが当たり前と思っている。
 世論調査で菅首相に辞める必要がないと応えた方が二十五パーセント、政治という詰め将棋はとっくに終わっている。しかし、いま握っている権力は手放したくない。そしてそれを支持する国民もしっかり存在する。これが日本の国民である。

追記
 非常事態ならば、党派を超えた政治が必要である。党籍を離れた政治家、枯れた政治家でなければ不可能である。小泉純一郎元首相と党員資格停止中の小沢一郎の組み合わせなどぴったりだと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月13日 22:58 | 固定ページリンク




蔵書  | 一考    

 遠くでドーンと音が聞こえる。ゴォーと低い唸りが近づく。一秒か二秒の時間差、「来るぞ」と思いつつ搖れがはじまる。昨日、地震に見舞われた夢をみた。夢のなかの地震は東日本大震災の時のそれと同じで、大した搖れではなかった。小刻みな搖れで、阪神大震災のときのような暴力的なパワーはない。
 小倉さんが飲みにいらしたが、彼とのあいだには共通する友人が多い。で、その友人が東京で被災して困惑している。困惑どころでなく、泣き出してしまったとの話を聞かされて呆れ返った。それが理由で地震の夢を見たに違いない。家中の書物が滅茶苦茶になったらしいが、別に家が崩壊したわけでなく、身内が亡くなったわけでもない。書物が棚から飛び出したくらいで死ぬ思いであれば、神戸の蔵書家はみんな死んでいる。
 小倉さんはちょうど帰京時で、東京駅から吉祥寺まで歩いて帰ったようだが、それにしても道は歩けたわけである。神戸はビルの倒壊ないしは道路の陥没と隆起、ひび割れで主要道路はことごとく通行不能になった。
 神戸の家屋やビルの倒壊箇所は十万箇所を超えたが、二千五百の主要ビルに限っても、倒壊十七、大破二十五、解体五十六、補修二百十七棟だった。日本ではありえないとされていた中層階のパンケーキクラッシュが多数起こり、低層ビルでは一階の崩壊や、今まで日本では見られなかった建物が土台から切り離されての倒壊などの被害が出た。倒壊しないまでも、室内は冷蔵庫、箪笥、食器棚が倒れ、大型ブラウン管テレビが飛び跳ねた。アルミサッシのドアや窓のガラスも砕け散る。多くの被災者はそうした家具に挿まれて圧死した。
 旧いビルだから壊れた、一階が駐車場になっていて強度が足りず潰れた、屋根瓦が重くて倒壊した、土台と建物との結合に問題があった、そうした嘘が罷り通り、建築家は知ったかぶりの意見を吐露する。倒壊の理由は住民にしか判らない。木造家屋、低層ビル、高層ビル、道路の見境なく、断層に沿って一列に家屋は崩れる。
 阪神淡路大震災のときの瓦礫の総重量は約2000万トンと前項で書いた。東日本大震災で生じた瓦礫は2392万トン、加えるに岩手、宮城、福島、茨城四県に津波によって打ち上げられたヘドロの量が1000万から1600万トンと云われる。合わせて4000万トン近い瓦礫とヘドロが綯交ぜになって被災地を蔽っている。一旦緩急あれば、書物どころの話でない。物品から生命まで、所有欲は根底から覆される。何のための想像力なのか、少しは被災地のことを考えろと云いたい。早晩、東京も震度七の直下型に襲われる。前回のエネルギーの三千倍の地震である。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月11日 16:02 | 固定ページリンク




ゴールデンバット  | 一考    

 ゴールデンバットの販売再開は八月上旬だそうである。先日、烟草屋で確かめたが、最初は一ケースか二ケースのみ。通常に入荷するようになるのは九月まで待たなければならない。女主人は申し訳なさそうに、隠していた一ケースを頒けてくださった。
 このところ、本数は極端に減らしているが、それでも二日に一箱はなくなる。今月中にストックが尽きる。

 このところ掲示板に誤植が多く、一週間に一度は振り返って訂正している。お詫び申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月10日 22:02 | 固定ページリンク




浄財  | 一考    

 全国から届いた浄財は「義援金配分委員会」で立てられた配分計画に基づいて被災者に届けられる。わたしは明石在だったのでまったく貰っていないが、神戸市内では死者一名につき十万円、損壊家屋一世帯につき十万円が配られた。即効性が求められているにもかかわらず、1788億円の義援金が行き渡るのに一年近くを要した。
 場所にもよるが、今回は一次分として既に三十五万円が手渡されたと聞く。五月末で2500億円を超える金数が日赤と中央共同募金会だけでも集まっている。従って、個人への手渡し分はその数倍になると予測される。
 他にも、同義援金や原発事故の損害賠償金は借金の差し押さえ対象から外すための法制度、企業や個人が生活再建のために新たな借金を抱える「二重ローン」を支援する措置、利子負担の軽減措置などが検討されている。

 神戸では両親を同時に喪った被災児童〈中学生〉に市が火葬費二十万円を請求して問題となったが、岩手県は震災後約二箇月間に遺族自らが行った分の葬儀費用を還付すると発表した。至矣尽矣の援助は良いのだが、自活したくないので仮設に罹災者が這入らないとか、援助物資でこと足れりとして地元の商店に客が来ないとか、阪神大震災の時には生じなかった問題が多々起きている。お上への依存心が高いのは地域性か、それとも日本人固有の政府への不満の裏返しか。

追記
 阪神淡路大震災と東日本大震災、火災と津波の違いがあって、同日に語られないのは云うまでもない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月10日 14:21 | 固定ページリンク




瓦礫  | 一考    

 港湾、道路、橋梁、トンネルなどは全国どこのゼネコンであろうと為事はできる。ただし瓦礫(災害廃棄物)は一般廃棄物と同様に市町村が回収処理するよう定められている。要するに地方自治体の指定業者に限られるのである。今回のような大震災になると、業者それ自体が壊滅した市町村も多い。そこはひとつ超法規的に指定外の業者でも廃棄物を扱えるようにすべきである。その消息を前項で「目的は規制緩和」と書いた。
 阪神淡路大震災の折は東京ドーム約12.4杯分の瓦礫が出た。廃棄物の総重量は約二千万トン。四トンダンプ500万台分である。今回はそれを遥かに超える。
 津波は国内法に則ってやって来るのでない。だとすれば対応策も超法規的にならざるを得ない。もっとも、政令を出せば終わりなのだが、菅総理はそれを指示しない。そして八月までは総理を務めるそうである。確信犯なので手の出しようがない。それよりなにより、総理が辞めてもいないのに、民主党の次の候補選びの囂しさはどうしたことか。

 自民党が小沢と手を組んで谷垣総裁を首相にする。間不容髪、解散総選挙を打って小沢チルドレンを落選させる。あとは自民党の天下、との青写真を描いていたとのニュースが這入ってきた。一方で、菅総理は小沢を除名させるまでは辞めないとのニュースも這入ってきた。党員資格停止処分を受けている一兵卒がそこまで怖いとは不思議な国である。誰か永田町1丁目7−1に屯する瓦礫を処理するひとはいないのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月09日 23:31 | 固定ページリンク




病死  | 一考    

 阪神大震災での震災関連死は九百十九人。今回も高齢者の孤独死など関連死は数千人になると思われる。四月末で震災関連の病死は五百人を超えている。感染症、生活不活発病、静脈血栓塞栓症、肺炎、高血圧など徐々に慢性疾患に移ってきた。阪神大震災では仮設住宅で孤独死した病死者の死因の三割がアルコール依存からくる肝疾患だった。
 日本の人工透析患者は約二十九万人。今回、震災の被害が著しかった岩手、宮城、福島の三県には約一万二千人の透析患者がいた。北海道の避難住宅に入居を希望する者は少ないが、岩手と宮城の透析患者は多数避難している。東北からの透析患者の移動で関東圏の病院もほぼ満床になっている。
 現地の透析治療は今なお変則的である。通常四時間の治療が三時間に短縮された病院が過半数を占める。除水を短時間にすると血圧の急な低下、頭痛や吐き気などの不均衡症候群が起こる。尿毒素が抜けきれず、カリウムの数値も高くなり、肺水腫、不整脈、心不全、さらには死に繋がる。
 余談だが、東京で震度七クラスの地震が起きればどうなるのだろうかと思う。電気と水道が破断すれば透析はできなくなる。十日も止まれば十万人ほどの患者が死ぬ。それをカバーするだけの医療設備は関西にもない。全員で天皇陛下万歳と叫んで死ぬ他ないのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月09日 15:01 | 固定ページリンク




食欲  | 一考    

 除水が一キロになったのは二箇月ぶりである。二百、三百デシリットルがこれ以上続くとドライウェイトを下げると通告されていたので嬉しい。あまりの嬉しさにメバルを買ってきて刺身を造った。
 震災の影響で薬が手に入らなくなって高リン血症になった。高リン血症と云うことは低カルシウム血症でもある。要するに十箇月ほどのあいだ守ってきた身体のバランスが崩れてしまった。せめて体重だけは維持したいと思っていたが、まったく食欲がない。低リン酸血症は食欲不振を招くが、高リン血症と食欲は関係ないと思う。しかし、なぜか食べられなくて困っている。
 起床は七時半、朝飯は透析が終わった午後二時から三時のあいだ。為事を経て帰宅してから深夜の二時か三時に夜食を摂る。それがなぜか土曜日に少し食欲が湧いた、店の近くのコンビニでサンドイッチを買った。間食は数箇月ぶりである。ちなみに、金曜日は四粒の葡萄で腹が一杯になった。いっそ沈降炭酸カルシウムを服用しようかと思っている。
 日曜日はベランダに置いていた本箱や箪笥の解体に忙しく、食事らしい食事は摂らなかったが、なんとなく腹は空いていた。月曜日は朝飯に百六十グラムのハンバーグと百四十グラムの飯を喰った。肉は高リン高蛋白だが、とにかく食欲優先である。その甲斐あって久しぶりに食欲が戻ったような気がする。このまま、ドライウェイトを守れると良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月08日 13:33 | 固定ページリンク




大政翼賛会  | 一考    

 主として民主党の仙谷由人代表代行がいろいろ画策しているようだが、大連立構想が紙面を賑わしている。この時期に大連立を口にするような政治家はそれだけでも失格である。政党政治の崩壊を政党人が望むとはこれ如何に。近衛文麿とその側近によって組織された官製国民統制組織をなんと心得ているのか。 政党政治を守るのが共産党と社民党とは皮肉である。二大政党制とは共産党と社民党のことだったのか、と問い質したくなる。
 ウォールストリート・ジャーナルは「国民世論が小沢氏を嫌っているのは紛れもない。ここでこの政治家の嫌疑について何らかの法的免責を与えれば大きな物議を醸すことは必定だ。しかし小沢氏が自民党と袂を分かつことになった彼の長年にわたる政治信条——利益供与型政治の改革へのたゆまぬ努力、官僚支配の打破——を考えると、その力は重要だ。もし小沢氏が民主、自民両党の改革支持勢力を束ねることができれば、小さな政府と経済成長の促進政策への国民的コンセンサスを形成することも可能になるかもしれない」と書いている。
 ここで云って置かなければならないのは、小沢のいう「官僚支配の打破」とは官僚の排除にあらず、官僚の行政への関与を極力排すとの意味合いである。目的は規制緩和にあって、菅のような官僚との闘い(闘いは癒着と同質の弁証)を意味するものでない。
 小沢にかくまで好意的な書き方をするのは流石外国のジャーナリズムである。日本のそれだと決してこうは書くまい。文中の要は「改革支持勢力を束ねる」にあって、単なる大連立でない。大連立を最初に口にしたのは小沢だが、彼の頭のなかにあるのは常に理念であり、利益供与などという打算は一切含まれない。
 素人の予想だが、大連立構想なるものは纏まるまいと思っている。纏まったところで、三箇月は持たないであろうことは必定。連立の画策が可能な政治家は小沢を除いて他にはいない。小沢に「壊し屋」との異名があるのは、彼の離合集散の中心には「常に理念」があるからである。ところが政治家の過多は利益供与を求める、それ故結果として離合集散の蹴り返しになる。ここが理解できなければ小沢を解することは不可能である。
 衆院で小沢グループが七十人前後、鳩山グループが三十人、合わせて百余名。新党を立ち上げる金はある。そうすれば、民主党は衆院で単独過半数を割り込む。小沢の新たな破壊と創造を願っている。

追記
 菅が消費税を十パーセントに上げると云う。マスコミは「欧州の消費税に比べれば、日本の税率は低い」と解説する。だが、欧州に消費税はない、あるのは付加価値税だ。インボイスと呼ばれる請求書を用い、払った税額を確定する間接税で、軽減税率の適用がある。同日に論じるべきでない。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月08日 13:13 | 固定ページリンク




合鴨  | 一考    

 大切なお客の水谷さんが戻られた。胆管結石を患い、胆嚢の摘出手術を受けられたようである。胆石症、総胆管結石症、肝内結石症などがあるが、詳細はお聞きしていない。普通は胆石症は体外衝撃波結石破砕法を、胆嚢摘出は約九十パーセントが腹腔鏡下で行われるようになったが、その低侵襲な治療法でなく、水谷さんは開腹手術を受けられたようである。いずれにせよ、再度モルト・ウィスキーが飲まれるようになったのは慶賀に堪えない。
 その水谷さんが合鴨の薫製を食したいと仰言る。ところが、台湾産合鴨肉の極端な品不足のために方々に問い合わせを出したがどことも売り切れである。ハナマサも高騰のため扱っていないと云う。国産は入手可能だが、肉質が薫製には向かない。以前にも台湾産がなくなって、東北ならびに北海道の合鴨を購入したが、薫製には使えなかった。その国産品もとんでもなく値が上がっている。暫く諦めるしかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月06日 23:36 | 固定ページリンク




椿花書局  | 一考    

 橋本真理さんのことを書きながら、いろいろと思い出した。一時期荻窪のミニヨンには青柳瑞穂、瀧口修造、西脇順三郎、窪田般彌、中井英夫、相澤啓三、種村季弘、三枝和子、斎藤慎爾などが集っていた。その中に真理さんもいらして、わたしなどは仰ぎ見ていた。同世代にも天才児や問題児が多く、大方は若くして亡くなられたが、一時は綺羅、星のごとき状況だった。例えば、編輯者にして造本家だった椿花書局の中山さんはわたしの手に負えない逸才だった。
 たった今、少年院から出てきましたと云うニヒルな相貌、あまりに冷たい眼差しに、どのような幼年期を過ごしたのだろうかと想像させるような暗い青年だった。わたしは礼儀正しい人間をまったく信用しない、その理由は誠実さに欠けるからである。寄らば斬るぞ、と云った雰囲気で懐に匕首をひそめるタイプのみ信用する。彼については掲示板1.0で詳しく書いたが、ミニヨンにかかわった他の編輯者など、彼に比べればまるで赤児である。
 中山さんと最初に遇ったのは神戸の拙宅だった。鈴木信太郎の訳詩集「ポエジー」の特装本を小脇に抱えて彼は現れた。装訂ではなく造本の基本について語りあかしたのを覚えている。装いは二の次ぎで、守るべきは麻糸による糸縢り、巻き見返し、捨て紙、額貼、本文共紙、遊び紙、限定記号の活版刷り。してはならないこととして回し取り、別丁立て、表紙や貼函への絵画の印刷(木版絵の直刷りを除く)、そして何よりも精興社に代表される東京式印刷(天地逆転)の拒否等々、造本に関してはなしができた生涯唯一の機会だった。
 先日、間村さんが「耕衣百句」の本文に用いた一号活字が分からないといっていたが、あの活字は元活の活字で今はなくなってしまった。昔は元活、日活、秀英、築地、岩田と云った活字メーカーがあって、文字の形や縦横の肉の比率が異なっていた。旧漢字を揃えるには上海や台湾から活字もしくは字母を輸入するしかなく、上海の活字にもっとも近いのが元活の活字だった。
 中山さんはわたしより二歳ほど年下だったと思うが、大変な人が現れたと畏怖の念に打たれた。暫時、彼が出版をはじめ、わたしにはできない基本を守り続けているのを知って嬉しくなった。旧漢字は当方の専門と思っていたのに、彼が上梓する書冊は見事な旧漢字が並んでいて、どこで揃えたのかかなり苦心の後が見受けられた。その彼を病魔が襲い、三冊の歌集を遺して逝った。昨今の出版界にあって、彼が大切にした基本はひとつとして守られていない。もっとも、そのような安価な書物をのみ大衆は求めているのだが。
 さて「ポエジー」である。わたしは丁寧にお断り申し上げた。貴重な典籍以上の贈り物を彼から頂戴したからである。一条の光を、夢を求めて彼は驀地に死地へ赴いた。彼もまた南柯の夢を追う幻の狩人だったと云えようか。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月06日 16:21 | 固定ページリンク




辞任  | 一考    

 朝日新聞社説の鸚鵡返えしのごとき民主党の言い分を聞いているに、彼等は震災を政権維持のために利用しているに過ぎない。猫も杓子もこの大変な国難に当たってとか、被災者のために野党は無条件で協力すべきだと云う。ところが、捩れ国会になった理由は国民が民主党を見放したからである。責任は民主党の現執行部にあって、自民党側にあるのでない。実情は震災復興が進まないから菅に辞めろと云っているのである。民主党が云うような大連立になれば体政翼賛会の再来ではないか。
 自民党が云うように、連立は復興支援に関する法律、すなわち現地の規制緩和もしくは特例法に限るべきである。復興に関し、民主党の案件で足りない部分を自民党が補っているが、その内容は項目にして四百を超える。ごく一部は民主党が取り入れたが、山積みにされた小中学校の校庭の汚染土砂の撤去など、直接票に結びつかない項目は無視している。要するに、子供に関する特例はただの一件も通していない。民主党がかくまで姑息な党だったとは思わなかった。国民は二度と民主党に政権を取らせないであろう。

 「やっと菅が引退するようである」と書いた。しかし、首相の地位にかくまで執着する菅に、何人がいかなる手立てを以て引退させるのか。二次補正と特例公債法案に目処がつけばと云っているようだが、目処などつく筈もなかろう。きっと、自民党に責任を転嫁して居座るつもりでないだろうか。菅と岡田幹事長は共に我執の人、自分の思い込みが世のすべてであって、ひとの意見に耳を貸すようなタイプでない。だからこそ、方法は不信任案しかなかった。その採決に失敗した時点で、小沢一郎の政治家生命は終わった。そのことについて小沢はどう思っているのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月05日 23:32 | 固定ページリンク




仮設と避難所  | 一考    

 被災者が仮にどこかへ避難したとして、離れた地であれば、一時帰宅や車を取りに戻るなどの機会は失われる。埼玉には役所ごと引っ越してきた町村があるが、そこも蚊帳の外である。また、県外に避難した人は仮設住宅への入居が後回しになる。今、被災者のなかでは在所の近隣へ戻ろうとの動きがある。そして、阪神大震災のときがそうだったように、近隣の家賃は二、三倍に跳ね上がっている。
 仮設の抽選に当たったものの、仮設に這入れば食料などの支援物資を受けられなくなる。そこで避難所に居座ったままのひとが多く、抽選に外れたひとが怒り出すとの状況も起きている。
 インフラ(鉄道、橋梁、道路)が回復しなければ電車もバスも動かない。公共交通機関が動かなければ住民は移動できない。動かれなければ買い物も労働もできない。しかるにインフラは三箇月を経て未だに手つかずである。阪神大震災の折は政府の命令で大量の重機が一週間を経ず、投入された。その裏付けとなる二次補正予算が国会を通過するのは何時のことなのか。
 そして、なによりも子供の放射能汚染である。大人が死のうが生きようがわたしの知ったことでない。福島県下の小中高校生二十六万人、中学生までなら二十一万人、乳幼児一万八千人に対して、放射線の線量計フィルムバッチを渡す予定は未だに懸案中だそうである。今頃、提供しても遅きに過ぎるが。
 いずれにせよ、やっと菅が引退するようである。引退してもまだ民主党の政権は続く。賞味期限が済んでいるのは自民党でなく民主党の方なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月05日 00:59 | 固定ページリンク




偏向報道  | 一考    

 福島原発から三十キロ以上離れたところで年間被曝二百ミリシーベルトを軽く超える場所が複数ある。そこに小中学校があってと書けば問題になるのが当然なのだが、指摘する政治家は原口一博前総務相のみ。菅と云うのはどこまで愚劣な輩であろうか。
 国際放射線防護委員会の基準値を厳しくとれば福島県の大半は非居住区域の範疇に這入る。先日書いたように、福島市や郡山市の保育所、小中学校等の汚染度はチェルノブイリでは非居住区域に相当する。避難区域が十キロ拡がれば補償金は数十倍になる。政府が二十ミリシーベルトで頑張るのには然るべき理由がある。
 原発との人災に関して政府は東電任せで対応策を立てようともしない。今もっとも大事なのは土壌の汚染除去だが、そのための手立てはなにひとつない。汚染除去のみならず、三箇月を経て、義援金の配布、補償金の支払い、瓦礫の撤去、インフラの復興、仮設住宅の建設、すべては遅延したままである。瓦礫処理の進捗率は十五パーセント、うち五パーセントはボランティア、十パーセントは自衛隊によるもの。被災地へ派遣された重機は地方自治体のそれを除いて一台もない。
 当初予算の約四割の財源を裏付ける特例公債法案すら宙に浮いたままだ。特例法案が通らなければ赤字国債を出せず、当初予算はもちろん、二次補正の財源も賄われない。しかしこのままでは自民党の協力は得られない。菅でなければ野党は連立を組むと云っている。そこまでして政権にしがみつく菅の頭のなかはどうなっているのだろうか。権力の亡者と云うしかない。
 今回の不信任決議案の報道に関して朝日新聞の偏向報道には呆れ返った。わたしの命があと何年かは知らないが、二度と朝日新聞を読むことはあるまい。公器があの為体では日本の将来も知れたこと。
 以下は余談。 相澤さんは朝日新聞社出版局にいらしたが、朝日であるが故に屡々執筆を拒否されると嘆いていた。朝日ジャーナルかアサヒカメラの編集長の折にも、何度も執筆拒否に合っている。わたしの友人に関することなのでここで詳細は書かないが、わたしの回りには執筆拒否派が多いようである。もっとも、他人のことは云えないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月03日 04:21 | 固定ページリンク




永田耕衣特集号  | 一考    

 小澤實さん来店。「澤」で永田耕衣特集号を出されるとか、ついては編輯者の目から見た耕衣について書けとの仰せ。耕衣さんとは親しく接してきたが文章にまとめたことはない。わたしに書けるかどうか分からないが、取敢えず受けることにした。
 十代の頃、天才と謳われた橋本真理さんが数十年ぶりに詩集を上梓した。そこで小澤さんを焚き付けて耕衣俳句について書いていただくことになった。彼女が二十歳のころに書いた三橋敏夫論がわたしのなかに強烈な印象を残している。真理さんはわたしと同い年だが、三橋敏夫に着目したおそらく最初の詩人でなかったか。高橋睦郎さんにそのはなしをしたところ、彼女はとにかく頭が良い、将来をもっとも嘱望されていた詩人だったと。原稿はまだだが、鶴首して待つ。
 わたしは談林俳句とシュルレアリスムの関係について書いた。シュルレアリスムの技法であるデペイズマン、オートマティスム、コラージュ等は談林俳句の中にいくらでも見て取れる。其の辺りについて七枚ほど書いた。真理さんと原稿が並ぶのは光栄と思っている。
 本日、書物の写真撮影も終了。間村さんがわたしの造った耕衣本について書いてくださるそうである。いろいろと楽しみが増えた。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月03日 01:32 | 固定ページリンク




政治  | 一考    

 「東日本大震災や福島原発事故に一定の目途がついた時点で、辞任する」意向だそうである。取りも直さず菅首相の作戦がちである。「原発事故に一定の目途」がつくのが十年後か三十年後か、何時まで菅が首相を務めると云うのだろう。いずれにせよ、以降は小沢と岡田の怨念の闘いに移る。おそらく小沢の全面敗退になるに違いない。
 小沢が自民党を割った93年以来、良い夢を見させていただいた。彼のバイタリティーはそれほどに血湧き肉躍るものだった。彼が居なければ具体としての政治に興味をいだくことはなかった。ここから先、政治に興味は持たない。況や、菅政権になってからの旧態以上の秘密・密室政治に関心など持てようはずもない。学生運動や市民運動で活躍した人はどうにもならない選民意識を内に秘めている。わたしがもっとも嫌いな人種である。
 芸能人と政治家は自分を買いかぶり世の中を舐めたよこしまな人間だと思っている。もっとも政治家の存在は議会制民主主義のコストであって、芸能人や政治家をそのように育んだのは大衆である。されば自分を買いかぶっているのは大衆そのものなのかもしれない。さようなら、日本の政治。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月02日 21:04 | 固定ページリンク




不信任案  | 一考    

 菅直人首相から五月三十一日に国営諫早湾干拓事業の開門調査などの課題をめぐり協力を求められたことを民主党の原口一博前総務相が明らかにした。「今の時期にこの話をするのかと思った」と述べているが、いよいよ菅首相も切羽詰まってきたようである。
 政党を作るには数十億の金がいる。民主党の立ち上げに関しては鳩山由紀夫前首相が費用を捻出し、前回の総選挙の費用は小沢一郎元代表が負担した。で、菅直人首相は金銭の負担はしていない。だからこそ、今回の震災復興でゼネコンからの歩戻しを期待している。どうあっても、小沢を再起させない理由はそのあたりにある。しかし、菅に選挙はできない。自前の政治資金を持たないからである。金はないが権力は欲しい、いささか矛盾したはなしである。
 ドイツは2022年までの全原発停止を発表したばかり。これは福島第一原子力発電所の事故発生以降では、主要国として初めての対応である。菅内閣は浜岡原発は全面停止したが、他の原発を停止する気はまったくない。中国と北朝鮮が核武装すれば韓国の核武装も時間の問題である。近い将来の日本の核武装を念頭に置いての対応であろう。菅内閣に対する不信任決議案が賛成多数で通過することをわたしは願う。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月01日 21:44 | 固定ページリンク




高リン血症  | 一考    

 このところ体調が思わしくない。高リン血症と低カルシウム血症に泣いている。糅てて加えて虫歯である。もっとも透析療法に付きものの高リン血症は骨粗鬆症を引きおこす。よって奥歯がぼろぼろと欠けてゆく。
 食欲がなく、除水も500ミリリットルを切ったまま。無理をしてでも食べないといけないのだが、どうにもならない。中二日で500はないでしょう、と看護師。ちなみに隣のオッサンは5500ミリリットルだとか。
 小魚類、桜えび、スルメ、あさり、肉類、豆、ナッツ類、卵黄、ハムや蒲鉾などの練り製品、牛乳チーズなどの乳製品、それに加えて生野菜とフルーツ類は極力避けているのだが、震災の影響で肝心の薬が手に入らない。2ちゃんねるでスレッドが立つぐらいだから余程のことなのだろう。
 医師はレナジェルを減らすことばかり考えていて、話にならない。リンとカルシウムのバランスが崩れるとしてアルファロールも据置である。透析をはじめて十箇月、やっと身体が狂いはじめたようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年06月01日 13:18 | 固定ページリンク




山崎利彦さま  | 一考    

 「「消極的な安楽死」として、極めて厄介な立場に立たされます」はよく分かります。だからこそ、医師でなく家族の問題に帰着するようにも思います。「にも」と書かざるを得ないほど複雑な問題を孕んでいるように拝察致します。わたし自身、腎移植に関していまだに迷い続けています。「本来人間の死に様は個人が決定する事ではないかと」のご意見に異存は御座いません。異存はないのですが、やはり家族の意志のようなものが大きく被さってきます。たかだか四、五年長生きするに、これほど難儀させられるとは。死に際を自分で決めるのは可能ですが、余命を自分で決めるのは至難の業でないでしょうか。

追記
 「国家に丸投げする」のはわたしも疑問を抱きます。しかしながら、それを求めているのは大衆でないのでしょうか。民意にせよ、民度にせよ、わたしは日本乃至日本人なるものに極度の不信感を抱いているのです。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月28日 00:41 | 固定ページリンク




>胃瘻  | 山崎利彦    

御久し振りです。一考さんの掲示板ならば、一考さんのコメントへの誤解は少ないと思いますが私見をひとつ。
 胃瘻の造設は、脳梗塞その他の患者さんで経口摂取が困難と成られた方にとっては重要な命綱であり、必ずしも否定的な物ではありません。私も在宅診療で胃瘻管理の患者さんを何人か担当しています。脳梗塞の後遺症で嚥下機能が低下して、口から飲食物を摂取すると気管に入ってしまい、肺炎を起こして仕舞う方々です。意識も知能もしっかりされており、「口から食べたい」と云う希望を常に持たれていますが、ゼリー等でさえ誤嚥を起こしてしまい断念しています。
 ここで問題に成るのは、脳梗塞に限らず、単に「経口摂取が出来ない」状態が延々と続き、御本人の意思も確認出来ない状態の方々です。一考さんの御指摘の通り、認知症(この呼び名も私は今でも抵抗がありますが)等で、「食べる欲求さえない」方々をつなぎ止めておくだけの為に胃瘻を使い続けるのは正直多くの医師も疑問を持っています。しかし、充分な信頼関係を構築していない状況で、こちらも安易に胃瘻を放棄して仕舞うと、「消極的な安楽死」として、極めて厄介な立場に立たされますのは周知の事と思います。胃瘻に限らず、漫然とした延命処置に関してはその是非に限らず、それによってもたらされる家族や介助者の負担に関しても充分な議論が社会全体で持たれる事を私自身も希望しています。
 ただ、多くの医師が「社会的議論して国家としての指針を出して欲しい」と望んでいる事にも私は疑問があります。それは人間の死に様を国家が決定する事につながる危険性を感じるからです。一定の指針が、多くの国民の議論の元に形成される事を拒絶する積もりはありませんが、本来人間の死に様は個人が決定する事ではないかと私は思っています。人間が死に行く時に、そこに寄り添うべき職業人である医師が、単に国家によって決定された指針であるからと云う理由だけで選択肢を決定するのは問題があると思っています。周囲の常識がどうであれ、本来人間は自分の死に様は可能な限り本人の自由意志で決定出来るべきでは無いでしょうか。勿論、だからと云う理由で周囲や国家に、手間や金子を要求するような事は「自由」の履き違えである事は云うまでもありません。
 人間の死に様さえ、国家に丸投げする事に、多くの医師が疑問を持っていない事を考えると、今回の震災で明らかに成った原子力発電所の一連の「事件」は必ずしも東電と云う一企業や、政府が単独で起こした物ではなく、私達多くの国民が生み出してしまった人災であるような気持ちにも成っています。

最後の一段落は余計かも知れません。一考さん、不適切でありましたら、御削除御願い致します。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2011年05月27日 15:49 | 固定ページリンク




胃瘻  | 一考    

 認知症はどのような人間にもやってくる。ただ、生前に発症するかしないかであって運任せのようなところがある。高齢化の進展は認知症患者の増大をもたらす。そして認知症や脳血管障害で困るのは、食べ物を口から摂取できなくなることである。昨今、胃瘻が問題になっているが、現在国内で胃瘻を設けているひとは約四十万人という。
 以前なら老衰死を迎えていた高齢者が意識のないまま何年間も生きている。胃瘻というバイパス手術本来の目的と利用方法が異なってきたようである。
 過日、イギリスでは透析及び腎移植は七十歳以上では行われないと書いた。そのイギリスでは進行した認知症患者に胃瘻の造設は、通常行わない。フランスやオランダ、スウェーデンでも同様である。日本人の寿命が長くなったと云われるが、植物状態での生存になんぞ意味でもあるのだろうか。うやまうべきは死であって、決して長生ではない。
 わたしは人生というものは二十歳までと思っている。二十一歳からは認知症への行進が只管はじまる。腎不全同様、不可逆の行進である。気付いていないのは本人だけだが、気付かないところにこの病の惚けたる所以がある。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月26日 20:21 | 固定ページリンク




臨時休業  | 一考    

 建物の塗り替えと高圧洗浄でベランダに出しているものを処理せよということになった。従って、本日はですぺらは臨時休業である。

追記
 拙宅のベランダは七間半ほど、3DKのマンションとしてはかなり広い方である。戸田の旧宅の荷物が多く、引越のあと、分類できない荷物はことごとくベランダへ放り出したままだった。取敢えず部屋のなかへ収納したものの、今度は寝るところがない。一間の座卓とテーブルを大家が欲しいと云うので、それを交換条件に、明日塗装さえ済めばベランダへ置くのは構わないとの由。例によってあまねさんの手を煩わせた、深く感謝する。ちなみにマンションの色調は格段に明るくなって心地好い。感染症もしくは合併症を発症するまではあと二年ほど、この地で骨を埋めたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月25日 18:29 | 固定ページリンク




自死と移植  | 一考    

 23日午後10時45分ごろ、埼玉県越谷市南越谷の公園で、男性が倒れているのを近くの住民が発見、110番通報した。男性は既に死亡しており、遺体のわきに猟銃と遺書があった。「警察に迷惑を掛け申し訳ない。人工透析で疲れました」と書いてあった。越谷署は男性が頭を撃ち自殺したとみている。
 透析治療苦に猟銃自殺の上記記事が産経新聞にあった。越谷市内で一人暮らししている無職の五十七歳男性で、東京都公安委員会から猟銃所有の許可は得ていたという。
 個体差があるので一概に云えないが、透析治療は日常生活への復帰を目的とする。しかし、わたしが通うクリニックの朝の部で働いているのはわたしだけである。みなさんの覇気のなさと接するに情けなくなってくる。近頃は挨拶することすら嫌になってきた。復帰が嫌な者は透析を受けなくても良いではないかとすら思う。
 透析患者に自殺者が多いのは周知の事実だが、そうした自殺者からの臓器移植がこのところ続く。親族への優先提供は、改正臓器移植法の柱の一つで、全面施行前の10年1月に一部施行という形で認められた。だが、親族優先の規定は自殺による提供を認めていない。臓器移植は「命のリレー」であって、その主旨から云っても大きな矛盾を孕んでいるからである。
 「国内での臓器提供数は、年間7000〜8000件行われるような米国などと比べて少ない。過去最高となった昨年でも113件(脳死後32件、心停止後81件)で、腎移植を希望している待機患者は3月31日現在で1万2201人いる(毎日新聞5月)」とあるが、平均待機年数は約十七年に及ぶ。その間、透析などでしのぐが、移植できないまま感染症や合併症で死亡するケースが過多を占める。
 先日の腎移植は母から長女への移植だった。娘は先天性水腎症で、小学校低学年で父親から生体腎移植を受けたが、機能が低下し、人工透析を受けていた。マスコミでは自殺の件は伏せられたが、典型的な密室医療となってしまった。
 他にも、鬱病患者で自宅で縊死を図った二十七歳の女性。関東甲信越地方の医療機関に入院中だった二十歳代の女性。信越本線で轢死を図った十七歳の少年等々、特に鬱の女性は死ぬ僅か三箇月前にドナーカードを拵えている。まるで自殺者が臓器供給源になっているかのようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月23日 08:21 | 固定ページリンク




掲示板  | 一考    

 ですぺら掲示板1.0が暫く前から検索できなくなった。牛込櫻会館の一部が閉鎖されたようである。読むだけなら掲示板2.0へ転写すればよいのだろうが、そのような必要もあるまい。その間、ひろさんのご協力を得たですぺら通信も閉鎖された。
 櫻井さんのおかげで掲示板ができてから十年を越える。彼には深く感謝している。いまどき掲示板でもあるまいに、ですぺらは飽きもせず続いている。どこまで続くのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月20日 20:50 | 固定ページリンク




除洗  | 一考    

 昨夜ETV「ネットワークでつくる放射能汚染地区」を見た。再再放送は土曜日の午後三時。福島の土壌汚染は想像を絶する。福島市内ですら3から4マイクロシーベルト(毎時)で、これは現在のチェルノブイリの三キロ圏内、当然立ち入り禁止区域である。郡山市内の学校で4.1マイクロシーベルト(毎時)。京都大学、広島大学の研究者が現地で測定し、長崎大学と神奈川大学が協力している。汚染は福島に止まらず、北関東一円に及んでいる。ちなみに、わたしが住む三郷も、松戸、柏と共にホットスポットだそうである。
 小中学生の子どもがいるとの理由で東京を離れた知己が複数いる、その一方で飯舘村の乳幼児や妊産婦がいる124世帯の避難がはじまったと云う、既に二箇月を経たというのに。十五歳以下の子供を持つ親は考慮すべきである。村の名は伏せるが、前記研究者の問い掛けに対して、某村長は文科省からの土壌汚染に関する正式の通告がない、または政府からの正式の連絡を受けていないと云う。いくら待ってもそのような通告などあろう筈がない。
 大人と子供の違いは自意識の有りようにある。自己の本質や限界を知るのも意識のひとつの働きだが、そうした種類の働きは子供にあっては二の次である。親が諦めた夢が子供にあっては諦めにならない。だからこそ命懸けで守らなければならないのは子供の成育であって親の生活ではない。
 話は飛ぶが、東電の責任ばかりが問われている。想定通りの安全基準に則って原発は造られ、その基準を拵えたのは原子力安全委員会や原子力安全保安院、延いては通産省や経産省の官僚でないのだろうか。細野豪志首相補佐官、 高木義明文部科学相、海江田万里経済産業相、枝野幸男官房長官、岡田克也幹事長、菅直人首相、渡部恒三最高顧問等々は子供のことを、すなわち土壌除洗を考慮しないがゆえに戦犯である。しかし、被災者の政府への責任転嫁は許されない。なぜなら、その政府を選択した個々の国民に責任は帰着するからである。今こそ直接民主主義の必要が問われるべきなのだが。

追記
 正しくは「除染」なのだろうが、武田邦彦さんに倣って「除洗」としておく。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月20日 16:48 | 固定ページリンク




地名当て字一覧  | 一考    

 このような辞書を十数点拵えて、ATOK、EGBRIDGE、ことえりに変換して遣っています。一括登録が可能ですので、多少は役に立つかと思います。全国の地名辞書、和暦西暦変換辞書等々、さまざまですが、ファイルが大きいので掲示板への掲載は不可能です。しかし、地名当て字辞書もしくは差別用語辞書なら大丈夫です。
 わたしが遣っている地名当て字辞書は本稿の約二倍ですが、そちらは地名のみ抽出することができません。小さなテキストファイルですが、ベースにどうぞ。

 さんちゃご 三的牙〓
 らおす 老〓
 のようなブラウザが対応していない外字は端折っています。

// このテキストファイルを加工してユーザ辞書の一括登録ができます。

あーれ 愛耳 【地名】
あいすらんど 氷島 【地名】
あいすらんど 氷州 【地名】
あいすらんど 愛斯蘭 【地名】
あいるらんど 愛倫 【地名】
あいるらんど 愛蘭 【地名】
あいるらんど 愛蘭土 【地名】
あいるらんど 愛爾蘭 【地名】
あいるらんど 愛耳蘭 【地名】
あじあ 亞細亞 【地名】
あじあ 亜細亜 【地名】
あてね 雅典 【地名】
あびしにあ 亜比西尼 【地名】
あふがにすたん  亜富汗斯坦 【地名】
あふりか 阿弗利加 【地名】
あまぞん 亜馬孫 【地名】
あむーる 阿模爾 【地名】
あむすてるだむ 安特坦 【地名】
あむすてるだむ 安持擔 【地名】
あむすてるだむ 奄特坦 【地名】
あめりか 亞米利加 【地名】
あもい 廈門 【地名】
あらすか 阿拉斯加 【地名】
あらびあ 亞拉毘亞 【地名】
あらびあ 亞剌比亞 【地名】
あらびあ 亜剌比亜 【地名】
あるざす 亞撒西 【地名】
あるじぇりあ 阿爾及 【地名】
あるぜんちん 亜爾然丁 【地名】
あるぷす 亜力伯 【地名】
あるぷす 亞爾伯 【地名】
あるめにあ 亜爾弥亜 【地名】
あれきさんどりあ 亜歴山大 【地名】
あんです 安的斯 【地名】
あんです  安地斯 【地名】
あんとわーぷ 安都厄比 【地名】
いぎりす 英吉利 【地名】
いくえいたー  厄瓜多 【地名】
いすらえる  以色列 【地名】
いたりあ 意太利 【地名】
いたりあ 意太利亞 【地名】
いたりあ 伊太利亞 【地名】
いたりあ 伊太利 【地名】
いらん  伊蘭 【地名】
いんぐらんど 英倫 【地名】
いんぐらんど  英蘭 【地名】
いんだす 印度河 【地名】
いんど 印度 【地名】
いんどしな  印度支那 【地名】
うぃーん 維納 【地名】
うぃーん 維也納 【地名】
うぃってんべるぐ  維丁堡 【地名】
うぇーるず  威爾斯 【地名】
うくらいな 烏克蘭 【地名】
うすりー  烏蘇里 【地名】
うらじおすとっく 浦鹽斯徳 【地名】
うらじおすとっく  浦塩斯徳 【地名】
うらる 烏拉 【地名】
うるぐあい  宇柳具 【地名】
うるぐあい 烏拉乖 【地名】
うらんばーとる  烏蘭巴特 【地名】
えくあどる  依怪佗爾 【地名】
えくあどる 厄瓜多 【地名】
えじぷと 埃及 【地名】
えじんばら 壱丁堡 【地名】
えじんばら 以丁堡 【地名】
えでぃんばら 以丁堡 【地名】
えちおぴあ  越屋比屋 【地名】
えちおぴあ 越日於比亜 【地名】
えでん  以典 【地名】
えるされむ  耶路撤冷 【地名】
えるば  以爾巴 【地名】
おーくらんど 奥克蘭 【地名】
おーすとらりあ 濠太剌利 【地名】
おーすとらりあ  濠太剌利亜 【地名】
おーすとりあ  墺太利 【地名】
おーすとりあ 墺地利 【地名】
おーでんせ 痾典斯 【地名】
おせあにあ 阿西亜尼亜 【地名】
おっくすふぉーど  牛津 【地名】
おっくすふぉーど 阿斯福 【地名】
おっとまん  阿多曼 【地名】
おはいお  呵海呵 【地名】
おらんだ 阿蘭陀 【地名】
おらんだ 和蘭 【地名】
かいろ  改羅 【地名】
かいろ 薤露 【地名】
かなだ 加奈陀 【地名】
かなん  迦南 【地名】
かなりあ 加内黎 【地名】
かぶーる  加布爾 【地名】
かむちゃっか 堪察加 【地名】
かむちゃっか 加莫察加 【地名】
からこるむ 和林 【地名】
からふと 樺太 【地名】
かりぶ 加里比安 【地名】
かりふぉるにあ 加利福尼 【地名】
かりふぉるにあ 加利福尼亜 【地名】
かるかった 甲谷陀 【地名】
かろにな 格阿利納 【地名】
かんざす 剛色斯 【地名】
がんじす 恒河 【地名】
かんぼじあ 柬埔寨 【地名】
ぎあな 歪阿那 【地名】
ぎにあ 幾内亜 【地名】
きゅーば 玖瑪 【地名】
きゅーば 玖馬 【地名】
ぎりしあ 希臘 【地名】
ぎりしゃ 希臘 【地名】
きれないか 馬留加国 【地名】
くーろん 九龍 【地名】
ぐあてまら 瓜地馬拉 【地名】
ぐあてまら 跨的馬拉 【地名】
ぐらすごー 額拉士哥 【地名】
ぐらすごー 哥羅斯哥 【地名】
ぐりーんらんど 緑州 【地名】
ぐりーんらんど 臥児狼徳 【地名】
くりすちゃにあ 幾斯底安 【地名】
ぐりにっじ 緑威 【地名】
ぐれーとぶりてん 大不列顛 【地名】
くれめんと 克力門 【地名】
けーぷたうん 岌朴敦 【地名】
け−ぷぶれとん 新必烈単 【地名】
けべっく 貴壁 【地名】
げるまん 日耳曼 【地名】
けるん 哥羅尼 【地名】
けんたっきー 建徳基 【地名】
けんぶりっじ 剣橋 【地名】
こーかさす 高加索 【地名】
ごーと 俄狄 【地名】
ごーる 高盧 【地名】
ごあ 俄亜 【地名】
こねちかっと 于捏底格 【地名】
こぺんはーげん 骨片波邊 【地名】
こぺんはーげん 哥本哈于 【地名】
こぺんはーげん 哥木哈牙 【地名】
ころんびあ 哥倫比亞 【地名】
ころんびあ 哥倫比 【地名】
こんご 公果 【地名】
こんすたんちのーぷる 君府 【地名】
こんすたんちのーぷる 君子但丁 【地名】
さいごん 西貢 【地名】
さいごん 柴棍 【地名】
さきそん 撒遜 【地名】
ざくせん 薩克索尼亜 【地名】
さくらめんと 桜州 【地名】
させっくす 索塞 【地名】
さはら 薩哈拉 【地名】
さはら 撒哈拉 【地名】
さまるかんど 撒馬児干 【地名】
さるじにあ 沙第尼亜 【地名】
さんくとぺてるぶるぐ 聖彼得堡 【地名】
さんさるばどる 聖薩刺弗佗爾 【地名】
さんどいっち 三維斯 【地名】
さんぱうろ 聖保羅 【地名】
さんふらんしすこ 桑港 【地名】
しーらんど 西蘭 【地名】
しあとる 舎路 【地名】
じぇのば 治那亜 【地名】
しぇらん 日倫 【地名】
しかご 市俄古 【地名】
ししりー 細々里 【地名】
ししりー 西西里 【地名】
しどにー 悉徳尼 【地名】
しどにー 悉土尼 【地名】
じぶらるたる 日巴拉爾太 【地名】
じぶらるたる 日巴拉大 【地名】
しべりあ 西比利亜 【地名】
しべりあ 西伯利亞 【地名】
じゃかるた 加拉巴 【地名】
じゃくそん 邪苦損 【地名】
じゃまいか 牙買加 【地名】
しゃむ 暹羅 【地名】
じゃわ 爪哇 【地名】
じゃわ 闍婆 【地名】
じゅねーぶ 壽府 【地名】
じゅねーぶ 寿府 【地名】
じょーじあ 卓爾治亜 【地名】
しりあ 叙利亜 【地名】
しんがぽーる 新嘉坡 【地名】
すーだん 蘇丹 【地名】
すいす 瑞士 【地名】
すいす 瑞西 【地名】
すうぇーでん 瑞典 【地名】
すえず 蘇素 【地名】
すえず 蘇士 【地名】
すかんじなびあ 斯干的那維 【地名】
すこっとらんど 蘇格蘭 【地名】
すとっくほるむ 斯徳哥摩 【地名】
すとっくほるむ 土篤恒 【地名】
すとらすぶーる 斯達拉斯堡府 【地名】
すぱるた 斯巴爾達 【地名】
すへるで 士加爾達 【地名】
すぺいん 西班牙 【地名】
すまとら 蘇門答刺 【地名】
すりじゃやわるだなぷらこって 曾理邪夜和瑠蛇那波古手 【地名】
せーぬ 塞納 【地名】
せいろん 錫蘭 【地名】
せねがる 塞内加 【地名】
せねがんびあ 瀬根賀宮 【地名】
せばすとぽーる 西巴土多 【地名】
せるびあ 塞爾維 【地名】
せんとへれな 三厄里那 【地名】
せんとるいす 聖路易 【地名】
せんとろーれんす 聖螺瀾 【地名】
そびえと 蘇緯埃 【地名】
そまりあ 楚森 【地名】
たい 泰 【地名】
だいぶりてん 大不列顛 【地名】
だったん 韃靼 【地名】
だにゅーぶ 大奴皮 【地名】
だにゅーぶ 多悩 【地名】
たひち 対比地 【地名】
だぶりん 都伯林 【地名】
だぶりん 都泊林 【地名】
だますかす 大馬士革 【地名】
たんざにあ 三義原 【地名】
ちぐりす 地革里斯 【地名】
ちぐりす 底格里 【地名】
ちぇこ 捷克 【地名】
ちぇにす 突尼斯 【地名】
ちべっと 西蔵 【地名】
ちべる 堤伯 【地名】
ちゅにじあ 突尼斯 【地名】
ちり 智利 【地名】
ちろる 的羅里 【地名】
ちろる 地羅利 【地名】
てーべ 徳巴斯 【地名】
てきさす 徳過瑟斯 【地名】
てきさす 得撒 【地名】
てへらん 徳黒蘭 【地名】
てべる 低伯 【地名】
てむず 達迷塞 【地名】
てむず 達迷斯 【地名】
でらうぇあ 特拉華 【地名】
でんまーく 典馬 【地名】
でんまーく 丁抹 【地名】
どいつ 獨逸 【地名】
どいつ 独逸 【地名】
とすかーな 得斯加尼 【地名】
とすかーな 多加納 【地名】
どなう 多悩 【地名】
とりぽり 特里波里 【地名】
とるきすたん 土留喜須丹 【地名】
とるこ 土耳古 【地名】
どれすでん 徳勤斯達 【地名】
とろいあ 多来 【地名】
どん 頓 【地名】
ないあがら 尼亜吉拉 【地名】
ないる 尼羅 【地名】
なぽり 拿破里 【地名】
なぽり 那不勒 【地名】
なぽり 那不児 【地名】
なぽり 那波里 【地名】
にからぐあ 尼加拉瓜 【地名】
にねべ 尼々微 【地名】
にゅーいんぐらんど 新英州 【地名】
にゅーおーりんず 細哈連 【地名】
にゅーぐれなだ 新加拉那大 【地名】
にゅーじーらんど 新西蘭 【地名】
にゅーじゃーじー 鳥遮爾些 【地名】
にゅーぎにあ 新基尼 【地名】
にゅーはんぷしゃー 牛含布什爾 【地名】
にゅーふぁんどらんど 紐方蘭 【地名】
にゅーぶりゅんすうぃっく 新不倫端 【地名】
にゅーめきしこ 柳墨西哥 【地名】
にゅーよーく 紐育 【地名】
にゅびあ 努皮亜 【地名】
ねーぷるす 那不里斯 【地名】
なざーらんど 尼達蘭 【地名】
ねぱーる 尼波羅 【地名】
ねぱーる 捏巴爾 【地名】
ねるちんすく 尼布楚 【地名】
のるうぇー 那威 【地名】
のるうぇー 諾威 【地名】
のるまんでぃー 諾曼的 【地名】
はーぐ 海牙 【地名】
ばーじにあ 費爾治尼亜 【地名】
ばいえるん 倍愛倫国 【地名】
ばいかる 貝湖 【地名】
はいち 海地 【地名】
ぱきすたん 俾路芝 【地名】
ぱきすたん 巴基斯坦 【地名】
ばぐだっど 巴古達 【地名】
ばるちすたん 尾留知須丹 【地名】
ぱたごにあ 巴多呉仁屋 【地名】
ばたごにあ 巴他峩尼 【地名】
ぱなま 巴奈馬 【地名】
はのい 河内 【地名】
はのーばー 黒那法 【地名】
はばな 嚇法拿 【地名】
ばばりあ 巴威里亜 【地名】
ばびろん 巴比倫 【地名】
ぱらぐあい 巴羅貝 【地名】
ぱらぐあい 巴拉圭 【地名】
ぱり 巴里 【地名】
はりうっど 聖林 【地名】
ばるかん 巴爾幹 【地名】
ばるせろな 巴塞羅 【地名】
ばるちっく 波羅的 【地名】
ばるてぃっく 波羅的 【地名】
ばるちもあ 麻爾底磨 【地名】
ぱるま 巴馬 【地名】
ぱれすちな 巴勤斯旦 【地名】
ぱれすちな 巴勒士底納 【地名】
ぱれるも 巴務摩 【地名】
はわい 布哇 【地名】
はんがりー 洪牙利 【地名】
ばんくーばー 晩香波 【地名】
ばんぐらでしゅ 孟拉加国 【地名】
ばんこく 盤谷 【地名】
ばんこく 万谷 【地名】
はんぶるく 漢堡 【地名】
はんぶるく 旱堡 【地名】
ぴさ 畢撒 【地名】
ひまらや 喜馬拉 【地名】
ぴょんやん 平壌 【地名】
びるま 緬甸 【地名】
ぴれねー 必里尼斯 【地名】
ひんどすたん 院土須丹 【地名】
ぶーたん 不丹 【地名】
ふぃらでるふぃあ 費府 【地名】
ふぃりぴん 比律賓 【地名】
ふぃれんつぇ 佛稜斯 【地名】
ふぃれんつぇ 仏稜 【地名】
ふぃんらんど 芬蘭 【地名】
ぶえのすあいれす 不宜塞利 【地名】
ふぇにきあ 非尼亜 【地名】
ぷえるとりこ 波爾多黎各 【地名】
ふらんくふると 法蘭法爾答 【地名】
ふらんくふると 仏朗仏 【地名】
ふらんくふると 仏蘭克仏 【地名】
ふらんす 佛蘭西 【地名】
ふらんす 仏蘭西 【地名】
ぶりたりあ 貌利太仁亜 【地名】
ぶるがりあ 勃牙利 【地名】
ぶるごんど 不于的 【地名】
ふろーれんす 佛稜斯 【地名】
ぷろいせん 普魯西 【地名】
ふろりだ 福落里得 【地名】
ふろりだ 仏勒里達 【地名】
ふろれんす 福楞察 【地名】
ぶらじる 伯剌西爾 【地名】
ぶりゅっせる 佛律悉 【地名】
ぶりゅっせる 比律悉 【地名】
ぶるがりあ 勃牙利 【地名】
ぶれーめん 不來梅 【地名】
ぶろしあ 普魯西 【地名】
ぶろしゃ 普魯西 【地名】
ぺてるぶるぐ 彼得堡 【地名】
べとなむ 越南 【地名】
べにす 威尼斯 【地名】
べにす 厄西 【地名】
へぶらい 希伯来 【地名】
べらるーし 白露西亜 【地名】
ぺるー 祕魯 【地名】
ぺるー 祕露 【地名】
ぺるー 秘露 【地名】
べるぎー 比利時 【地名】
べるぎー 白耳義 【地名】
ぺるしあ 波斯 【地名】
ぺるしゃ 波斯 【地名】
べるもんと 花満的 【地名】
べるりん 伯林 【地名】
べるん 伯爾尼 【地名】
べねずえら 委内瑞拉 【地名】
べーりんぐ 白令 【地名】
べんがる 孟加喇 【地名】
ぺんしるばにあ 西辺威業 【地名】
ほーちみん 胡志明 【地名】
ぽーつます 波都毛士 【地名】
ぽーらんど 波蘭 【地名】
ぼすとん 波士頓 【地名】
ぼすとん 波士敦 【地名】
ぼすにあ 波斯尼亜 【地名】
ほのるる 花瑠瑠 【地名】
ぼへみあ 波希米亜 【地名】
ぽりねしあ 波蘭西亜 【地名】
ぽるとがる 葡萄牙 【地名】
ぼるどー 波耳多 【地名】
ぼるどー 波多府 【地名】
ぼるねお 渤泥 【地名】
ぼりびあ 暮利比亜 【地名】
ぼんべい 盆買 【地名】
まいんつ 迷尼津 【地名】
まかお 澳門 【地名】
まかお  阿媽港 【地名】
まさちゅーせっつ 馬洩朱些斯 【地名】
ませどん 馬基頓 【地名】
まだがすかる 麻打曷先葛 【地名】
まだがすかる 馬達加斯加 【地名】
まどらす 孟打拉沙 【地名】
まどりーど 馬徳里 【地名】
まどりっど 麻土律戸 【地名】
まにら 馬尼剌 【地名】
まらい 馬來 【地名】
まらや 馬來 【地名】
まらっか 麻拉加 【地名】
まらとん 馬拉敦 【地名】
まりーらんど 瑪理蘭 【地名】
まるせーゆ 馬塞里 【地名】
まるせーゆ 馬耳塞 【地名】
まるせいゆ 馬塞里 【地名】
まるせいゆ 馬耳塞 【地名】
まるせいゆ 馬爾塞 【地名】
まれー 馬来 【地名】
まれーしあ 馬来西亜 【地名】
まんちぇすたー 満遮士打 【地名】
みゅーにっく 慕尼克 【地名】
みらの 米蘭 【地名】
みらの 未蘭 【地名】
みししっぴー 密士失比 【地名】
みゅんへん 摩尼克 【地名】
みゅんへん 慕尼克 【地名】
めきしこ 墨西哥 【地名】
めじな 麥地拿 【地名】
めそぽたみあ 米所並大迷亜 【地名】
めっか 麥加 【地名】
めっしーな 墨西拿 【地名】
めでぃあ 馬太 【地名】
めらねしあ 新貌利顛 【地名】
めらる 美拉 【地名】
めるぼるん 瑪母綸 【地名】
もざんびーく 門沙皮刻 【地名】
もすくわ 莫斯科 【地名】
もすくわ 馬斯高 【地名】
もろっこ 摩洛哥 【地名】
もろっこ 馬邏可 【地名】
もろっこ 馬羅哥 【地名】
もろっこ 莫羅哥 【地名】
もろっこ 茂禄子 【地名】
もんごる 蒙古 【地名】
もんてねぐろ 黒山国 【地名】
もすくわ 莫斯科 【地名】
ゆーふらてす 由非刺底 【地名】
ゆた 武達 【地名】
ゆだや 猶太 【地名】
よーくしゃー 約克舎 【地名】
よーろっぱ 欧羅巴 【地名】
よるだん 約但 【地名】
らいん 来因 【地名】
らいん 來因 【地名】
らっぷらんど 臘巴蘭 【地名】
らてん 拉丁 【地名】
らてん 羅甸 【地名】
らぷらた 良富羅多 【地名】
らんかすたー 蘭加斯徳 【地名】
らんぐーん 蘭貢 【地名】
りおでじゃねいろ 里約日内路 【地名】
りおでじゃねいろ 来約熱内盧 【地名】
りすぼん 里斯本 【地名】
りすぼん 里斯奔 【地名】
りばぷーる 立抜普爾 【地名】
りびあ 利比亜 【地名】
りひてんしゅたいん 列敦斯丁 【地名】
りべりあ 理部利屋 【地名】
りゅーべっく 律北克 【地名】
りゅせるぬ 路塞尼爾 【地名】
りよん 里昂 【地名】
るーまにあ 羅馬尼 【地名】
るーまにあ 羅馬尼亜 【地名】
るくせんぶるく 廬森堡 【地名】
るそん 呂宋 【地名】
るいじあな 禄細亜那 【地名】
ればのん 黎巴嫩 【地名】
れきしんとん 歴星頓 【地名】
ろーあん 拉安 【地名】
ろーどあいらんど 洛哀倫 【地名】
ろーま 羅馬 【地名】
ろさんぜるす 羅府 【地名】
ろしあ 露西亞 【地名】
ろしあ 魯西亞 【地名】
ろしあ 露西亜 【地名】
ろっきー 落機 【地名】
ろってるだむ 鹿特坦 【地名】
ろれーぬ 羅來内 【地名】
ろんどん 倫敦 【地名】
ろんばるでぃあ 朗罷地 【地名】
わーてるろー 瓦得路 【地名】
わしんとん 華盛頓 【地名】
わるしゃわ 華沙 【地名】


投稿者: 一考      日時: 2011年05月19日 02:36 | 固定ページリンク




「螺鈿」  | 一考    

 昨夜、高橋睦郎さんが小澤實さんと来店。永田耕衣、多田智満子、水嶋波津のはなしになった。睦郎さんによると、わたしのことを「神戸の美少年」と云ったのは多田さんらしい。そのような時もあったかと往時の多田さんの貌を思い浮かべた。死期が近づいてきたからか、近頃、多田智満子、山本六三、広政かをるなど、十代の頃の夢をしきりに見る。
 三島由紀夫が自ら果てる直前、激賞した作家に水嶋波津がいる。明治二十九年新潟県村上市に生れ、結婚後北朝鮮にわたり、三十年を経、岡山県美作に住む。岡山を代表する俳人でありながら、読書子からは等閑視されている。著書に「遠樹集」「扉音」「螺鈿」がある。

 初日やゝ狂気を帯びて出でにけり
 天国は地に在りと射す寒の月
 晩夏といふ時の扉がひらく音
 寒梅の紅一言につきにけり
 春たけなはふとよこしまに匂ふ泥
 海ほゝづき鳴らし五体が暗くなる
 ひとすぢの血もなき鯉のあらひかな
 晩年のわが指を膝にそろへおく
 はがれたくなりてはがれし螺鈿かな
 一冊の書物のごとき捨て氷
 女とはどこも悲しい抽斗か
 気がついてみれば地面も仮面かな
 反撃をせんとて冬の蜂あるく (「螺鈿」より)

追記
 「気がついてみれば地面も仮面かな」の仮面は生地の豪雪を描きしもの。水嶋波津には雪の句が多いが、彼女の飛躰はまるでシュルレアリスムのそれである。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月18日 05:01 | 固定ページリンク




「風のなかの挨拶」  | 一考    

 風のなかの挨拶   佐々木幹郎

 ねむる月
 なお ねむる月
 おさない葉の
 枝の風を抜けて
 夢乱れて
 泣くなら 泣け
 千のピアノ 千のヴァイオリン
 生まれたての
 やわらかな黄緑の葉をさわり
 愛が人間のなかに入り込むときの
 なんという奇妙な瞬間
 猫 尾を立てて歩き
 挨拶する あなたに

 こぼれ散る風の向こうの あなた
 生きる水 あふれる
 音ひくく
 うた遠く
 知らないうちに
 笛と太鼓が鳴り
 笑い声が
 扉を開けて 次々と扉を開けて
 鉦は鳴る 欲しいものすべて
 四月の大きさ 五月の深さ
 六月の強さ
 芽吹くときの やさしさ すべて 

*4月30日夜、30年ぶりに集ったメンバー7人と「うたげの会」という名称の会を結成しました。東日本を見守る。日本の文化構造を変える。未来の子どもたちのために、必ず変える。生涯最後の、本気の闘いを始めようと思います。

 以上は佐々木幹郎さんのブログからの転載である。昨今の詩人にとって天災か厄災のような詩である。深い覚悟のほどを味わっていただきたい。
 わたしは屡々幹郎さんに助けを乞う。乞うとは云っても「助与」と叫ぶわけではない。「笑いながら突っつきあい、じゃれあってい」るのである。その叫びと戯れとのあいだに友と称する橋が架けられている。糠平湖のタウシュベツ橋梁のような橋で、季節の水位変動によって忽然と姿を消すかと思えば、冬季は氷面を突き破って現れる。
 「幻の橋」と云われる由縁である。移ろいゆく幻なのかもしれぬ、夢なのかもしれない。しかし、詩人にとって夢幻はあってはならない。今ここに在るとの消しがたい思いに明瞭な形を与え、名辞しなければならない。詩人の闘いは続けられる。

追記
 幹郎さんの講演が明治大学和泉校舎で催される。6月7日(火)16時20分から90分間、「詩人と旅」という題で豁達にお話し頂く。コーディネーターは高遠弘美さん。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月13日 14:43 | 固定ページリンク




東日本大震災とは  | 一考    

 川上さんと話していて気付いたことがある。今回の東日本大震災で被害を受けたのは東北であって、東京都内はほんの僅かな被害だった。神戸の震災については何度か書いたので繰り返さない。ただ、倒壊したのは灘区の高速道路だけではない。高取から月見山を経て名谷に至る高速道路も倒壊。新幹線が地上に出るのは伊川谷だが、そこから西明石までの橋桁はほとんどが落下した。私鉄が動き出すのに阪急は地震発生から146日、神戸高速鉄道は208日もかかりました。地下鉄は上部が落下して地面に大きな穴が開き、建物は新築のビルを引っくるめて次々と倒壊した。倒れたビルが国道、県道を塞ぎ、中心部はまったく歩かれない。倒れないまでも、大型の冷蔵庫、タンス、食器棚、テレビが室内を飛び跳ね、壁が抜けたり屋外へ飛び出した。
 おそらく、東京での最大の被害は、都内から自宅に帰られなかった人が約三百万人に上ったこと。震度五強の被害とはその程度のものである。震度が一違うとエネルギーは千五百倍異なると云う。とすると今回の二十三区内の搖れのエネルギーは神戸のそれの三千分の一になる。

 東京電力がまとめた三月の電力需要実績によると、管内(関東七都県と静岡県東部、山梨県)の産業用大口需要は五十四億キロワット時で前年に比べ17.6パーセント減。震災と計画停電により激減した。一方で、全体の三分の一を占める家庭用は八十九億キロワット時と3.5パーセント増えている。二十三区に限るなら、増加率はさらに多い。東京人にとって地震は他人事というのがこのようなところにも表れている。

追記
 五人の死者が出たのは残念である。ただ、論旨と異なるので敢えて触れなかった。申し訳ない。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月12日 15:43 | 固定ページリンク




『ガリガリ博士の犯罪』  | 一考    

川上史津子さん来店。下記催しの前売り券ですぺらにあります。

劇団☆A・P・B-Tokyo第23回公演
寺山修司作品『ガリガリ博士の犯罪』@ザムザ阿佐ヶ谷

作/寺山修司 
演出/高野美由紀+East 10th Street 
チラシ画/智内兄助
音楽/J・A・シーザー

2010年10周年を迎えた劇団☆A・P・B-Tokyoの第23回公演!
1970年に天井桟敷で初演された寺山修司初期の名作に、現代小劇場界を代表する俳優たちが集結!!

出演
高野美由紀 マメ山田 丸山厚人 保村大和 澤魁士
福谷セイジ 川上史津子 来栖隆文 小堀智弘 ジェニファー松井 
山下満璃奈 尾前志織 関根愛 浜名沙綾    
たんぽぽおさむ 浅野伸幸

2011年6月9日〜6月13日
6/9(木) 19:30
6/10(金) 19:30
6/11(土) 14:00/19:00
6/12(日) 14:00/19:00
6/13(月) 19:30

前売/一般3800円
   ペア7000円
   学生3000円
当日/4300円   
(いずれも日時指定・全席自由)

詳細は川上史津子コミュにて
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61763030&comm_id=48287


投稿者: 一考      日時: 2011年05月11日 23:45 | 固定ページリンク




地ソース  | 一考    

 2008年08月06日に「ばらソース」を挙げた。文中「神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた」と書いた。ロンドンの北西部180キロほどのイングランド中央部、ウスターシャー州の州都ウスター市で初めてつくられたため、地名をとって「ウスターソース」と呼ばれるようになった。しかし、日本のウスターソースは名こそ同じだが、独特の香味を持ち、原材料もイギリスのリーペリン・ソースなどとはまったく異なる。どちらかと云えば、フランス料理に使われるブラウンソースに近いものと思われる。なぜなら、わが国では揚げ物などに多量にかけて食すのに対し、イギリスではシチューやスープなどの隠し味としてごぃ少量用いられる。
 現存する最古のソースメーカーである神戸の阪神(日の出)ソース(神戸市東灘区)は、創業者である安井敬七郎が1885年に開発販売した。他にも、オリバーソース(神戸市中央区)、ブラザーソース(神戸市兵庫区)、プリンセスソース(神戸市灘区)、タカラソース(神戸市東灘区)、ばらソース(神戸市長田区)、ニッポンソース(神戸市西区)があり、近隣ではワンダフルソース(尼崎市)、七星ソース(伊丹市)、ドリームソース(明石市)、メイジョーソース(揖保郡太子町)、ミツバソース(たつの市新宮町)などがある。ばらソースと共に神戸のお好み焼きソースを二分してきた二見ソース(神戸市長田区)も忘れられない。震災と大手メーカーの安売り競争に押されて廃業したのは残念である。
 オリバーソースには「どろソース ハバネロ・ライム」との商品があって、じっくりと熟成させたウスターモルトの沈殿を世界一ホットな唐辛子ハバネロと爽やかなライムジュースでさらに過激に磨き上げた超辛口の濃縮ソース。ドリームソースは明石のお好み焼き屋を代表する激辛どろソースで、「ドリームNO.1ステーキソース」も販売している。プリンセスソースはコロッケや串カツに相応しいソースで、それぞれが個々のテリトリーを守っている。子供のころはそれらのソースを使い分けて味わっていた。お好み焼きの地域差すなわち個性を楽しむとは取りも直さず、地ソースの違いを楽しむことだった。
 渋谷の中華料理店「一品香」の焼きそばをはじめ、とんかつの渋谷「蓬莱亭」なども地ソース「ハチ公ソース」で有名になった。わたしは詳細を存じ上げないが、東京にも二十社ほどの地ソースメーカーがあると聞く。前述したように、大手メーカーの安売り競争に押されて地ソースメーカーが減ってゆく。廉ければなんでも良いとの昨今の消費者の精神の貧しさを嘆く。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月11日 16:57 | 固定ページリンク




焼肉追記  | 一考    

 食肉加工業者から焼肉酒家えびすに卸された十四頭の牛に廃用牛が含まれていたようである。廃用牛とは出産を繰り返し、子牛が産めなくなった雌の経産牛のこと。肉質が硬く、独得の臭みがあって、ハンバーグやカレーなどの加工食品、レトルト食品の原料などに使われる。
 トリミングや歩留まりが問題になっているが、例えば、河豚の肝の歩留まりは五パーセントほど。回りの毛細血管をそこまで削り落とし、残った芯の部分を薄切りして十分な流水(河豚一匹に水一斗と云われる)に晒す。歩留まりが五パーセントでは商売にならず、大方は二十、三十パーセントの肝を販売、死者が相次いで販売禁止になってしまった。ユッケも河豚の肝と同一の道を歩むようである。
 ちなみに、某食肉加工業者はネット上では「交雑種/外モモ/B2です。赤身率が高くユッケやロースで使用できます」として販売、焼肉酒家えびすへは和牛として売っていたようである。それらは詐欺商法に当たる。廃用牛は再肥育して1キロ500円程度。グラム換算で50円の肉をトリミングしなければ280円売りで利益は十分出る。河豚同様、安売りが逆に自分の首を絞めることになろうとは。わたしに云わせると、280円のユッケを求める客も同罪と思う。
 関西系の安価な焼肉屋では叙々苑が知られているが、同店のユッケは1400円。わたしはこれ以下の値段のユッケは食べないことにしている。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月09日 22:58 | 固定ページリンク




ビンラディン追記  | 一考    

 パキスタンに透析治療が可能な病院はいくらでもある。そしてビンラディンがイスラマバード近郊に潜んでいたのは03年ごろからという。妻の証言によれば、タリバーン政権下のアフガニスタンで治療を受け、腎臓は回復していたとある。ということは、ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。
 ビンラディンの年齢から推して、移植後の平均余命は全うしている。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月07日 22:49 | 固定ページリンク




インタビュー記事  | 一考    

 http://gendai.net/articles/view/syakai/130234

 「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)——オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。

 との前置きに続けてウォルフレン氏のインタビュー「未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸」が掲載されている。強く共感す。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月06日 22:30 | 固定ページリンク




「わ印」の作家  | 一考    

 腎不全で透析治療を受けていた団鬼六さんが六日午後二時六分に亡くなられた。享年七十九歳。死因はある種の合併症で、胸部食道癌。透析治療を受けるのが嫌で一年ほど拒否なさっていたが堪えきれず、04年から透析に這入られた。昨年四月、癌の治療中であることを公表。透析をはじめて七年なので長命になるが、腎不全で癌を患うとどうにもならない。

 震災の映像がテレビで放映されるたびにこんなことがあっていいのかと目を覆いたくなるような心境である。
 老婆が泥だらけになった孫のランドセルを手にしながら、孫の姿を懸命に探していたり、震災で親をなくした子供たちが里子に出されるなどという報道を聞くと、まさに戦後さながらの殺伐とした状況に戦慄さを覚えるのである。自ずと遠い昔、私が中学生であった当時の戦後に自然と思いは馳せる。
 当時は日本政府なんてものはあってなきにしの如くで、アメリカ人の管理下に置かれた不甲斐ない状態で、当時の飢え、貧困をはじめ、不衛生、犯罪、人の安否、求職などの不満を一体どこにぶつければいいのかもわからなかった。
 家も、食べ物も、親戚も、金もない、という人間がいたるところに溢れていた。あるのは命だけだった。・・・
 命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。(鬼六最後のブログより)

 人間にはそれぞれの価値というものがある。それが個性になり、魅力になり、その人の器になっていくわけだ。人に敬われるだけの人間が価値あるってもんじゃないでしょ。(鬼六ブログ)


投稿者: 一考      日時: 2011年05月06日 22:10 | 固定ページリンク




アルファロール  | 一考    

 前回と血糖値が変わらない。しかし、ヘモグロビンエーワンシーが安定しているので問題はないだろう。困るのは低カルシウム血症である。カルシウムD剤(前項のアルファロール)は毎日服用しているのだが、ほとんど効果がない。カルシウムD剤の後発品は種類が多くて手に負えないが、以前飲んでいた帝人のワンアルファ錠(本品は後発品でない)の方が体質に合っているように思う。しかし、病院の薬剤師にそのような註文はできない、黙して与えられた医薬品を服用するのみ。
 東葛クリニックへ通い出したころ、薬の変更を希望したところ、当方では扱っていないと拒否された。こればかりは医師もしくは事務局が決めることなので、どうにもならない。さらに二週間ほど様子を見るしかなさそうである。
 それにしても、血液検査のうち食事によって制禦できない部分はお手上げである。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月06日 12:22 | 固定ページリンク




レナジェル  | 一考    

 2ちゃんねるにも面白い書き込みがある。

 「大丈夫?」っていうと半月遅れて、
 「大丈夫」っていう。

 「発注可能?」っていうと半月遅れて、
 「発注可能」っていう。

 「物はある?」っていうと半月遅れて、
 「物はある」っていう。

 そうして、あとで不安になって、

 「でも本当はちょっと欠品?」って聞くと
 「ちょっと欠品」っていう。

 こだまでしょうか。
 いいえ中外。

 もっか服用中の薬はレナジェル(食前四錠)、ウラリット(食後四錠)、アルファロール(朝食後一錠)、ポララミン(掻痒時一錠)の計二十六錠、必要最低限の薬である。以前は一日百二十錠を超えていたので随分とすっきりした。
 中外製薬のレナジェルはリンの吸着剤で、腎不全の患者には欠かせない医薬品のひとつ。福島県岩瀬郡鏡石工場の二十四時間操業がかなわず、欠品がつづいている。薬品メーカーに停電、節電は通じない。成分の均一性を保つには二十四時間操業が避けられないのである。
 四月のはじめからレナジェル錠の入手が難しくなった。わたしは一日二食なので、他人と比して服用量は少ない、にもかかわらず次回から削るという。同じセベラマー塩酸塩でキリンからフォスブロック錠が、バイエルからはホスレノール錠が販売されてい、他にも印度からジェネリック医薬品が販売されていたように記憶するが、どうなのであろうか。
 大きな医院は医薬品メーカーとの独得の結びつきがあって、簡単に切替はできないようだが、患者優先でことは運ばれるべきである。わたしは必要なら主治医に処方箋を書いていただく、もしくは個人輸入の手もあって心配していないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月06日 11:14 | 固定ページリンク




液状化  | 一考    

 先日、百貨店だとホールマネージャーと思しき工学技師から除水を1500か2000に増やすか、ドライウェイトを一キロ減らすように云われた。要するに摂取量を増やせとの命である。除水がこの七箇月のあいだ一リットルを切っているのはおかしいとの意見である。その技師をわたしは予てから敬愛している、それゆえ言葉は重く受け止める。しかし、透析をはじめた頃は低血圧に悩まされ、治療中に失神も経験させられた。やっとリズムに乗ってきたのに狂わせられるのは困る。
 病院中でわたしがもっとも除水量(率)が少ない。それは分かっているが、これがわたしのドライウェイトと摂取と除水のバランスである。平均除水が三リットルだから、せめて二リットルにせよ、というのは逆におかしい。他人は他人、わたしはわたしである。おそらく摂取量を増やそうが、ドライウェイトを減らそうが、一箇月も経てば除水は一リットル以内に落ち着くに違いない。それよりなにより現在のバランス、体調を崩されるのが怖い。
 透析カレンダーなるものを頂戴した。曜日によって時間が微妙に異なる。透析をはじめてから欠席、遅刻は一度もないが、本当は時間を決めていただく方が対応しやすい。穿刺の順番を平等にとの気遣いは理解するが、ならば遅くて結構。ひとりが六、七人に対応しているので、ひとり八分として一時間弱で全員の穿刺が終わる。

 月曜日は客が居なくなったのが三時過ぎ、そのまま寝ずに透析を受け、帰宅は午後二時過ぎ。気付けば、ズボンやワイシャツを着たまま寝入っていた。少々疲れているようだが、良い時に連休が入った。原稿の締め切りが近づいているが、それどころでなく、もっかのところ寝つづけている。まずは食欲を戻して体調を整えなければならない。
 月曜日が血液検査だったので、帰りにメロンを買ってきた。乳製品と果物、特にメロン、西瓜、トマト、ピーマンは普段だと食されない。検査の直近だといかようにも処理できる。わたしの食生活にとって検査の後の二、三日が楽しみなのである。ただし、安価なものを買ったので熟れすぎている。液状化した果肉を啜るにどうやら浦安産のメロンのようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月06日 00:11 | 固定ページリンク




焼肉  | 一考    

 下世話なはなしが続く。焼肉酒家えびすの客から三人目の犠牲者が出た。溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症し、人工透析治療を受けていたが死去。四月二十三日に食し、二十七日に入院したが、急性腎不全としてはあまりにも遅い。血便と激痛に襲われたのは二十六日というが、食中毒の自覚症状は食後三、四時間目からはじまる。二十四日に透析をはじめておれば助かったのではないかと思われる。
 わたしには焼肉屋を営む在日の友人が複数いる。厚労省によれば牛の生肉は存在しないと、それは兼ねてから知っている。友人に云わせると、仕入れ先との暗黙の了解だと云う。生肉で大丈夫との示唆があって、はじめてユッケを引く。従って数量限定で週に二、三回ほど、品切れの日の方が多いようである。ちなみに、ユッケには通常ランプかイチボの先端が使われる。
 一般的に和牛はAクラスだが、A-5に評価されるのは全体の十五パーセントほど。焼肉にはA-5もしくはA-4のもも肉(焼肉屋のロースとはもも肉のこと)が使われるが、神戸ビーフだと仕入れ値はグラム千五百円を下回ることはない。友人から貴方だったら二百八十円のユッケを註文するかねと逆に質問されてしまった。Bクラスの5や4でも仕入れ値は五百円ほど。問題になったユッケは売価から推して原価は八十円以下であろう。要するにどのような肉を食べさせられているかは想像がつく。
 死人を出した焼肉屋ではユッケの註文率は七十パーセントとか、一番の売れ筋商品である。そのように多量かつ上質のユッケが入手できる筈もない。さぞかし無茶な仕入れと販売をしていたと思われる。現に同店の肉の仕入先は東京板橋の大和屋商店とハンナンフーズグループ、それと地元のS館の三店。今回のユッケは大和屋商店が仕入れ先だが、主たるハンナンフーズはBSE偽装事件で夙に知られた悪質業者(Y組傘下の企業舎弟)である。利益至上主義に走る激安チェーン店の実体が垣間見られる。

追記
 激安店を支えているのは仕入れ先である。某鯨肉専門店で尾の身と称する単なる赤身が出てきて焼いて食べたのを思い起こす。また新宿の某焼肉屋でユッケを註文、肉種を確認して食べるのを止めた。客が廉いものを求める限り、このような事故はつづく。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月05日 06:52 | 固定ページリンク




宛字  | 一考    

 真偽のほどは知らないが、ビンラディンは2004年から透析治療を受けていたようである。阿富汗斯坦(アフガニスタン)で透析治療が可能なのは加布爾(カブール)のみ。従って、足がつくのを承知で巴基斯坦(パキスタン)に住んでいたと想像する。巴基斯坦なら透析治療が可能な病院はいくらでもある。ただし、透析治療に関して知識のないひとの書き込みばかりなので、ビンラディンの件はがせねたと思う。そうでなければ震災時の停電並びに断水をどのように乗り越えたのであろうか。一度の透析で二百リットルの真水が必要になる。いずれにせよ、ビンラディンを匿っていた巴基斯坦政府は立場を失った。今後の亜米利加、巴基斯坦、印度の関係は核保有国であればこそ、目を離せなくなった。
 仮にビンラディンが腎不全ならば、幾許もなく死去したと思われるが、そのための阿富汗斯坦、次いで伊拉克(イラク)への出兵だったとすれば割に合わない。亜米利加というのは随分と阿呆な国乃至は中国人以上に面子を重んじる国なのであろうか。100645〜109942人(
http://www.iraqbodycount.net/)の戦死者を顧みない国家の実体を膝癢掻背と捉えるのはわたしだけか。

 メソポタミアには米所並大迷亜との当て字はあるが、イラクにあるとは不思議である。考えてみれば第二次世界大戦後に独立した国に当て字のあろう筈がない。

追記
 妻の証言によれば、タリバーン政権下の阿富汗斯坦で治療を受け、腎臓は回復していたという。ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月04日 18:16 | 固定ページリンク




差別  | 一考    

 警戒区域への一時帰宅で、南相馬市小高区の足の不自由な母娘の参加が困難な状況になっているとの記事(毎日新聞)があった。「移動に支援を必要とする者は対象としない」との国の見解に対して一部で非難が起きている。明らかな少数者差別であって、国の見解には憲法違反の疑いがある。同様の理由で参加を断念するしかない住民は他にもいる。憲法記念日に起きた看過できない問題である。
 朝日新聞は菅首相を支持している。新聞社が特定の政治家を支持するのは構わないし、日露戦争に於ける主戦論から日中戦争を経て太平洋戦争に至る時期の朝日新聞の歴史を問い質すつもりもない。ただ、非常時に首相を替えることを理不尽とする論調には与し得ない。菅が首相の座を固持する限り、このような独尊的言動は続く。このような非常時ゆえ、一刻も早い首相交代を願う。


投稿者: 一考      日時: 2011年05月04日 10:53 | 固定ページリンク




申し開き  | 一考    

 何度か書いているが、透析を朝の部に移してから、まだリズムが掴めないでいる。透析のない日は大丈夫だが、透析のある火、木、金が起きられないで遅刻している。起床が朝の七時半、寝てしまうと起きられないので、伏せったまま起きている。透析が終わって帰ってくるのが二時から三時、それからすぐに寝れば三、四時間は眠られる筈なのだが、そう旨くはゆかない。結局、透析のない日に二日分眠ることになる。透析優先なので、皺寄せはですぺらの営業時間へ跳ね返る。以上、遅刻の言訳である。

 長谷川さんから来店予告のメールを頂戴しているのを知った。今頃気付いても遅いのだが、申し訳ない。営業開始は八時十五分だが、前述したように、火、木、金は十分か十五分ほど遅れる時がある。相済まぬことで恐縮している。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月29日 09:23 | 固定ページリンク




リベラル  | 一考    

 田中秀征さんの政権ウォッチを面白く読む。文中「世論も既に潮目が変わり、「大震災だから首相を代えない」から「大震災だからこそ首相を代える」に大きく転じつつある」とある。
 田中康夫さんは人工股関節の手術をして入院中だったが、退院を早めて3月19日には南相馬市で炊き出しをしていた。松葉杖をついてのボランティア参加である。
 田中秀征さんは新党さきがけの理論的指導者、石橋湛山の研究家としても知られる。田中康夫さんは元知事。選挙区は長野県、共に落選。民意を反映した弁証とは、屡々妙な結果をもたらす。
 お二方に関して、矢川さんと話し合ったのを想い起こす。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月29日 09:07 | 固定ページリンク




小沢一郎  | 一考    

 原発由来の放射線が大した問題でないと云うことと、原発は経済にとって必要であると云うのは論理的整合性に欠けている。事実認識はひとによって異なる筈がないのだが、現実には異なる。論拠を持たずに好悪で判断する恰好の例かと思われる。そして、そのような暴論を吐くのは東京在のひとに限られる。
 地方在の原発の恩恵を被るのは都会である。だとすれば原発は都会にこそ相応しい。東京周辺に原発を拵えるのは論理の必然的帰着である。
 前述の発言の底に滅びの思想があればともかく、滅びを抱きつつの経済論はなかろうと思う。暴論とする理由である。あらゆる種類の経済学は如何わしい。情念の入り込む余地がもっとも少ないのが経済学でないだろうか。

 政治家がいないと多くのひとは云う、しかしわたしに云わせれば小沢一郎がいる。彼は自民党を割った93年以来、政局のひととなった。五十五年体制の瓦解が彼の目差すところであれば致し方のないことである。政局を宿命として彼は生きた、生きつづけなければならない。
 爾来、09年の第45回衆議院議員総選挙での政権交代に至るまで小沢の目覚ましい活躍はつづく。小選挙区制の導入をはじめ、二大政党制に持って行きたいという明確なビジョン等、小沢の姿勢は首尾一貫している。この二十年ほどの政治は彼と小泉を抜きにして考えられない。良きにつけ悪しきにつけ民主党の首相候補のなかで人間的魅力があるのは小沢一郎だけ、と云ったのは西部邁だが、言葉の正確な意味においてわたしは深く同意する。
 政権交代によって小沢の為事は政局から「日本改造計画」の履行へ変わったかに思えた。ところが、今回の統一地方選は大敗に終わった。菅のお陰で襤褸襤褸になった地方組織を建て直さなければならない。だとすれば、小沢にはもう一度政局の場へ戻っていただくしかない。そうでなければ折角の二大政党制は生きてこない。民主党を一から再構築するか、もしくは政界再編である。思うに、小沢はよくよく恵まれない政治家である。まるで政局が彼の唯一の為事であるかのごとく。しかし、五十五年体制を徹底的に崩壊させるには小沢が必要である。彼にしてはじめて可能な荒事である。
 自分に自信のないひと、個としての自覚がないひとほど、世論を重視する。世論は風俗に過ぎぬ。作為的な世論形成に背を向けて、小沢はひとりわが道を行く。小沢の行動力と実績、そのバイタリティーにまだまだわたしは期待を抱いている。

追記
 「小沢一郎の三人の秘書、石川知裕衆議院議員、大久保隆規、池田光智に対する裁判がはじまった・・・吉田正喜元特捜副部長をはじめ、田代政弘、前田恒彦と札付きの検事が取り調べを担当。冤罪だった村木厚子元厚労局長への取り調べと構図を一にする。
 そもそも小沢一郎の事件(事件かどうかは分からないが)は検察のリークとそれを鵜呑にしたマスメディアが主をなす。担当検事の一名は左遷、一名は退職、一名は獄中にある。」
 2011年02月11日に上記「札付き」を書いた。93年以来、一貫してわたしは小沢一郎さんのファンである。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月25日 20:32 | 固定ページリンク




下血  | 一考    

 血尿のつぎは血便である。血尿の理由は腎結石、血便の理由は憩室と分かっているが、血便には少々困惑している。一年半前に憩室からの大量下血で死にかけているからである。実は一昨日の朝、僅かだが下血があった。嫌な記憶が頭を過ぎる。
 直前の血液検査ではCRPは増えていないし、ヘマトクリット、ヘモグロビンは共に正常である。特にヘモグロビンは12.1から12.2と平均値よりも高い。ただし、この前の内視鏡検査では憩室は大腸全面に拡がっている。今はヘパリンという抗凝固剤を一日置きに処方している、それが理由で出血すると止まらない。従って、下血がはじまれば二、三日でヘモグロビン値は7を切るところまで急落する。そうなれば、またブラックアウトもしくは失血死が待ち受けている。暫くのあいだ、大便との睨めっこが続く。
 主治医から、定期的に輸血が必要になることもある、との注意は受けている。考えるまでもないことだが、綱渡りのような人生である。

追記
 その後、下血はなさそうである。このまま無事に済めば良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月25日 02:23 | 固定ページリンク




原発推進  | 一考    

 2011年03月31日の「疑惑」で触れたが、経産省の方から聞いていた情報の一部が週刊ポスト2011年4月29日号で暴かれた。

 http://www.news-postseven.com/archives/20110418_17850.html

 題して「「揚水発電」をカウントすれば原発なしでも夏の電力間に合う」。
 政府の新成長戦略では原発輸出を柱に位置付けていたのは周知。菅首相はどうあっても原発を推進したいようである。従って原発の被害は極力小さく、電力不足は過大に喧伝しなければならない。やはり、計画停電は原発推進のための詐欺でしかなかった。
 前福島県知事の佐藤栄佐久は原発推進派にとって天敵的存在だったが、原発は「危ないから注意しろと言うと、国家にとっての危険人物になってしまう」との記者会見での言葉通り、ゼネコン絡みの収賄疑惑から辞職に追い込まれた。一審、二審は共に有罪。官権とマスコミの罠に嵌められた小沢一郎と相似形をなす。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月23日 03:36 | 固定ページリンク




小女子  | 一考    

 血液検査は無事にクリア、栄養士は挨拶だけで、わたしの前を素通りである。看護師は「何時ものことだけど、どうやってリンと血糖値を減らしたの」答えが出てくるような種類の質問でない。「極力摂取しなかっただけです」としか応えようがない。そのことよりも、最近は除水を一リットルで統一するように心掛けている。一リットルとは八百グラムの体重増である。こちらはいささか高踏技術を要する。透析日の早朝、パンをあと一切れもしくはスクランブルエッグを一箇分、そうでなければ紅茶を半杯と、実に細かい計算が必要になる。
 穿刺するひとは毎日替わるが、記録は残されている。松戸のパン屋を教えて下さったベテラン看護師は気付いている。「八百グラムって意識しているんでしょ、遊んでるのよね」。遊びがなきゃあ、透析なんぞやってられませんよ。
 何をどのように食べればリンが減るかは実はわたしにも良く分からない。ただ、透析をはじめてからの八箇月で得た経験則がある。それほどに意識して食事を摂っている。日々、体重計と頸っ引きなのである。かつては酒と首っ引きの人生だった。今は体重計がわたしの生き甲斐とでも称すべきか。
 今日は僅かにカルシウムが減っている。前述の看護師は馴れたもので、「最近、ビタミンD剤を飲んでないでしょ」「次回の血液検査で戻しますから大丈夫」。低カルシウム血症も困るが高カルシウム血症はさらに困る。指の関節に軽い痺れが出ていたので、ちょいとカルシウムを控えたまで。いま話題の茨城の小女子でも食してカルシウムを摂りましょうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月22日 14:54 | 固定ページリンク




透析と震災  | 一考    

 透析患者緊急カードというものを貰った。封印されていて中身は分からないが、透析時間、透析器種類、薬剤アレルギーの有無などが記載されているようである。事故や災害などの緊急時に他の透析施設のスタッフに透析患者であることを伝達するためのカードである。阪神淡路大震災以降、発行するようになったと聞く。スタッフが神戸へ透析を手伝いに行った折、症状の詳細が分からなくて苦慮したのが理由だとか。
 そう云えば、神戸の震災では二十三日(罹災六日目)に透析患者を六甲アイランド病院から津市の三重大付属病院へヘリコプターで搬送。ただし、ヘリコプターによる搬送はこの一例のみで、その後、多くの死者を出した。その反省から新潟県中越地震では被災地の三病院の患者三百四十人がヘリコプター、救急車、バスで受け入れ先へ搬送され、全員が無事だった。今回は初動が遅く、岩手県大槌町吉里吉里地区のように自衛隊のヘリコプターによって多くの患者が助けられたものの、神戸同様、結構な死者を出したようである。たしか菅首相は元厚生大臣だった筈なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月20日 20:26 | 固定ページリンク




一本の回路  | 一考    

 五度続いた尿検査は尿路結石で落ちが付いた。誰もなにも云わないので、看護師にむりやり問い質した。血尿の理由は腎結石だと最初から云っている、当方の見立てを信じればよいのにと思う。結局、新たな癌は見付からなかったようである。わたしの剣幕が過ぎたようで、医師に悪いことをしたと思っている。
 ところが、尿検査が済んだと思ったら、今度は検便である。よほど興味を抱かせるに足る身体のようである。憩室からの脱血が怖いので、普段から便には注意している。そしてもっかのところ、異常はなにもない。
 今日は定例の心電図とヘパリンが適正かどうかの検査で血を抜くという。検査を引っくるめて週一回以上、血を抜かれている。以前はナーバスになっていたが、最近は造血されているのを知ったので、いくら採血されても平気である。
 透析をはじめて八箇月になるが、最初の予想とは随分と異なる。エリスロポエチンが生育され、尿も1.2リットルほど出ている。看護師に云わせると、腎臓のどこかの回路が一本だけまだ繋がっているのでないかと。未練がましい身体である。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月19日 22:43 | 固定ページリンク




ふたたび苺  | 一考    

 血糖値が167に上がったが、ヘモグロビンエーワンシーは5.1と落ち着いている。血液検査の直前の食事内容によって血糖値はどうにでもなる。リンを伴っているので犯人は苺である。それを承知でふたたび苺を買ってきた。前回触れたように、一日二粒だと血糖値に変化は出ない。西瓜やメロンは大きくて自殺者向きだが、苺は小さいので助かる。
 前述したように茨城産の苺で問題児である。制限内なのだろうが、汚染されているに違いない。子供には食べさせられないが、わたしは放射能の症状が出る前にくたばるので関係ない。これからは産地偽証の食品が増えるに違いない。現地のひとには申し訳がないが、農業と漁業はどうあっても諦めていただくしかないのだが。

 店の水が減ってきた。硬水は大丈夫だが、軟水はあと一週間ほどで売り切れる。このような状況なので、無理をして買い集めるのは避けている。なくなれば鉄管ビールになるが、悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月15日 21:25 | 固定ページリンク




放射線マップ  |   一考

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福島大は13日、浜通り、中通り地方の372地点で測定した1時間当たりの放射線量を示した地図を発表した。実測データに基づいて詳細な放射線量の分布が示されるのは初めて。(河北新報社)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110414t63010.htm
菅首相が隠蔽、公表しない放射線マップを民間が公開した。


投稿者:   一考  日時: 2011年04月15日 17:45 | 固定ページリンク




期限内独裁  | 一考    

 国会図書館にいらした西来寺さん来店。はなしは当然、震災と原発に終始する。
 神戸では復旧、復興に必要な労働者は大阪や東京から大挙して這入った。今回は地元優先で雇用すべきである。そうでなければ、岩手、宮城、福島三県の海岸部の就労者八十四万人は行き場を失う。北茨城市にある大津漁港では漁に出られない漁師らを市の臨時職員として採用することを決め、双葉郡八町村の各役場では避難者を臨時雇用する制度をスタートさせたという。しかしそのような雇用で何が片付くわけでもない。せめて二、三十万人は傭わなければならない。そのための政令を発布すべきと思う。

 原発の問題ひとつを取ってみても、菅首相の能力を超えている。と云うよりは閣僚や各省庁を使いこなす能力が端から欠落している。官僚を凌駕する能力が菅首相にあればともかく、実態は惨澹たるものである。首相たるものの確たる信念が微塵も感じられないのである。亀井静香が提唱している与野党を幅広く糾合した救国内閣を樹立して、国難を乗り切る以外に手立てはない。ところが、ことここに至っても連立とか副首相格とか、政局絡みもしくは政権延命しか脳裏に浮かばないようである。
 震災対応の協力と連立とは次元の異なる話である。協力するに際して、どうして入閣しなければならないのか。連立は平時に民主的な手続きを経た上で行うべきであり、震災の混乱に乗じての連立など可笑しかろう。菅首相は政権公約(マニフェスト)の抜本的見直しに触れることなく、閣僚増員でもって自民党に連立を呼びかけた。これでは断られるのは当たり前である。相手に責任を転嫁して政権延命を図ろうとしていることが発覚してしまった。
 このような非常時こそ、小沢一郎の出番だろうに。彼なら三日を経ずに大連立を拵える。そして連立のためなら、自民党であろうが共産党であろうが、他党の党首を首班に据えるに違いない。西来寺さんは田中角栄がいればと仰有っていたが、政治のダイナミズムをもう一度味わいたいものである。いずれにせよ、最悪の首相のときに最悪の厄災が降りかかった。
 菅首相の出自は市民運動だが、この市民運動ほどいかがわしいものはない。市民運動としての公共性を主張するためには代表性や公益性についての考察が必須となる。市民運動において、市民の名で行われるものが、常にすべての市民を代表するものとは限らない。市民運動が特定の市民の意見、いわゆるノイジー・マイノリティによって誘導されるのは必定である。菅の市民運動の底辺には特定の政治的利益集団の陰が常に見受けられる。
 民主党と比して自民党の事務能力の高さは評価する。とは云え、現在54基の原発を122基にまで増やそうと政治指導によって構想したのは自民党である。統一地方選前半戦の民主党惨敗は納得がいくが、その票が自民党に流れるのはさらなる問題を生じさせる。

 阪神・淡路大震災時には、復旧、復興の関連法十六本のうち三本が一箇月以内に、八本が約四十日で成立した。今回は未だに一本の関連法すら成立していない。「民主主義とは期限を区切った独裁だ」と明言して憚らない菅首相である。独裁を保持するために「保身」と「隠蔽」が続けられる。菅首相と岡田克也幹事長、亡国の徒とはこのことか。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月14日 16:53 | 固定ページリンク




核燃料  | 一考    

 高遠弘美さんがふたつのサイトを紹介なさっている。

 http://hiroakikoide.wordpress.com/
 http://francemedia.over-blog.com/

 文中、某ジャーナリストが原発職員、消防員の方達が三十一人亡くなっているとの報告があって詳細が気になった。
 それと小出裕章さんが触れていない点がひとつ。
 福島原発の一号機から四号機までの原子炉の出力を会わせると約三百万キロワット。そしてチェルノブイリ原子力発電所の出力は恰度百万キロワット。その上に使用済み燃料プールにほぼ匹敵するだけあるとのことですが、燃料プールには使用済み燃料だけでなく、未使用の燃料が同量含まれている。単純計算でもチェルノブイリの九倍以上の核燃料が危機的状況にある。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月13日 23:18 | 固定ページリンク




スーパー一考  | 一考    

 金、土曜と久しぶりに忙しかった。昔、唐さんが新宿を焼け野原にすると云っていたが、今回の原発事故で下手をすれば東京は滅んでしまう。滅んだ方が良いと声を大にしていたのはシモンさん。シモンさんと幹郎さんの絶妙の会話は面白かった。
 中井英夫さんが生きていたら小躍りして喜んだに違いない。似而非文化人が原水爆反対を唱えていたとき、ひとり中井さんは原水爆賛成だった。人類を滅ぼすかもしれない折角の玩具を棄てるなど以ての外だ、と。
 このようなことは思っていても書かれない。原発で苦しんでいるひとがいらっしゃるからである。掲示板を長く続けてきたが、考えてみると本音を吐露したことなどあったかしら、と思う。
 例えば、先日福島へ行きたいと云ったところ、どうしてとの応えがあった。放射能で腎臓が突然変異を起こし、完全に治癒する。そこで名を改めてスーパー一考。このようなことも書けば顰蹙を買う。
 掲示板をつづけて、愉快なこともあった。高遠さんとないこと、ないことのオンパレードを書き連ねた。文学がいかに質の悪い冗談であるかを身をもって証明したのである。書きながら笑いが止まらなかったのを覚えている。
 本音とはなにかを問うつもりは毛頭ない。本音とはちょっとした屈折である。ただし、ひとを大いに傷つける屈折である。これからまた、素知らぬ顔をして平常の掲示板に戻る。

追記
 先日「わたしに放射能は無効である」と書いた。放射能で身体に異常が出る前に寿命が尽きる、意味するところはそれだけである。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月11日 21:10 | 固定ページリンク




葡萄葛  | 一考    

 一月十二日に「茜屋軽井沢店の柘榴のジュースとコンコード(神戸の喫茶店)の葡萄ジュースはわたしの好物だった」と書いた。その茜屋珈琲店にもぶどうじゅーすがあるのは分かっていた。共に生ジュースで、季節限定メニューである。先日、幹郎さんが来店、小脇に茜屋珈琲店のぶどうじゅーすを抱えている。嬬恋村の増屋薬舗の干川伸之さんからの贈り物である。詳しくは知らないが、干川さんは脊椎を損傷なさっている。わたしと同じ片輪者である。
 わたしは身障者とか不自由な方といった思わせぶりな云い方が好きでない。掲示板で片輪と書けば物議を醸す、仕方なく前記書き方を踏襲しているが、片輪は片輪で良いと思っている。種村さんに「影法師 唖(おし)で聾(つんぼ)でど盲(めくら)で」との作品があって、わたしの愛唱詩である。
 唖を唖、聾を聾、瞽を瞽、跛を跛、佝僂を佝僂、乞丐を乞丐と云って、なにが悪いのであろうか。片手ひとつ取ってみても、片腕、片落ち、片手打ち、片手桶、片手落ち、片手擲り、片贔屓、隻手、隻腕と差別用語が続く。
 ひとはみな差別意識を持っている。「俺の子は俺に似て頭が良い」など、他人は俺と違って頭が悪いと暗に断言しているようなものでないか、差別の最たるものとはこのような表現を指す。わたしは差別するが差別されるのは好まない。それがアクティヴな生き方を強いているのかもしれない。
 前置きが長くなったが、頂戴したぶどうじゅーすは滅法旨い。品種は信州産のコンコードとナイヤガラ。水増しのジュースまたは濃縮還元と違って、甘味その他の添加物は這入っていない。香味が濃密かつ能動的なのである。色調は黒紫色、ひとくちごとに酸味と渋味の階調が際立つ。階調と書いたが、階調であって諧調ではない。酸味と渋味が口腔で別々の味わいを奏でる。アクティヴと表現したのはその香味の闘いのさまを表す。まるで後熟を経ないモルトウィスキーのようである。調和のなさが絶妙の美味さを生んでいる。干川さんに大感謝である。妄言多謝。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月11日 15:30 | 固定ページリンク




サイトあれこれ  | 一考    

 http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/0ae40973f2449556dad937ea3aab9184/

 上記サイトでは、人工透析患者の最後の砦として役割を発揮した仙台社会保険病院が紹介されている。
 計画停電は中止になりそうだが、病院のスタッフのためにも結構なことだと思う。睡眠不足で技師や看護師が倒れたら患者はどうなるのか。ちなみに、市川市は最多の七回、松戸市は六回停電している。
 今夏に起こるとされる制御不能な大規模停電を避けるために「電気使用制限令」が発動されそうである。大口需要者に対して、ピーク時の電力使用量を前年より二十五パーセント減らすのが目的。本当は一般家庭の消費電力(冷房)にこそ使用制限令を出すべきなのだが。
 痒みからくる出血のため、下着は毎日着替えている。その下着はまとめて、風呂に浸かった状態で洗面器で洗っている。空調や便座は当然として、洗濯機の消費電気も浮かしている。自粛ではなく謂わば他粛だが、それで良いと思っている。

 http://gigazine.net/news/20110314_spaceimaging_jp_quake/

 日本スペースイメージングが「東北地方太平洋沖地震」被災前後の衛星写真を公開した。相馬市の磯部地区も写っている。
 日本気象学会の新野宏理事長(東京大学教授)が、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう通知していたことが分かった。国民に余計な不安を増幅させないようにとの民主党的配慮からだが、例の文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の調査結果が槍玉に上げられている。学者にせよ、政治家にせよ、芸能人にせよ、権力を握る人間にはろくでなしが多い。尖閣問題同様、情報と権力とのあいだには根の深い問題がある。

 先日、追記で「わたしの身の回りにも関西へ疎開するひとが増えてきた」と書いた。閉店後、神戸へ帰ろうかと思っていたが、状況が一変した。これからの東京に興味がある。正確には東京でなく、人心にである。また、わたしに放射能は無効である。よって、滅びへの意志力を有するか、もしくは自覚なしか、その辺りを見届けようと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月08日 22:43 | 固定ページリンク




浄水器  | 一考    

 スリーマイル島では燃料棒取り出しまでが六年、廃炉完了まで十四年かかった。今回の放射能物質はチェルノブイリの十倍と聞く。一段落するまでに三十年、廃炉までに百年は掛かりそうである。土壌汚染と海洋汚染によって、福島県の畜産、農業、漁業は元に戻るまい。
 元に戻るどころのはなしでない、完了するまではひとも住めない荒寥の地になるに違いない。暖かくなれば風は南風になる。既に汚染されている福島市をはじめ、仙台市など北方の都市にも汚染は拡がる。福島の人口は二百二万だが、おそらく東部に住む百二十万人ほどは土地を離れざるを得ない。東北の農業は壊滅し、三陸の漁業も衰退する。
 書物に惹かれるとは滅びを友として現世に背を向けることである。それを諒解している方は良い。しかし現世に未練を持ち、子孫を残そうと考えるひと、もしくは十五歳までの子供を持つ方にとっては他人事でない。東京を離れるのが理想だが、それが出来ないひとにとって米国で売られている放射能除去機能を持つ浄水器は必需品となる。

 過日、高遠さんが紹介なさっていた武田邦彦さんのブログをこちらでも紹介しておきたい。

 http://takedanet.com/

追記
 わたしの身の回りにも関西へ疎開するひとが増えてきた。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月07日 16:02 | 固定ページリンク




 | 一考    

 東北産の野菜や果物が安売りされている。先に書いたが苺(とちおとめ)が安いのでせっせと食べている。苺はカリウムが高くミネラル分が多いので危険である。危惧した通り、血液検査で引っ掛かってしまった。やはり一日に二粒が限度である。三つ、四つ食べると覿面におかしくなる。果物もそうだが乳製品、例えばチョコレートなども一日一粒にすべきである。せっかく順調だった血液検査が狂ってしまう。
 朝の部へ移ってから、どうも調子が取られない。睡眠を二回に分割したからだろうか、食事の間合いがうまくない。要するに体重がが安定しなくなった。リズムを掴むのにもう少し日数が掛かりそうである。
 看護師と苺のはなしをしていて、果物や野菜で自殺を計った患者に及んだ。その患者は普段から透析を嫌悪していて、ある日、西瓜を多量に食べてカリウムを異常に高くしたらしい。他にも、甘蕉、赤茄子で自殺を試みた患者がいたそうである。死ぬために西瓜を無茶食いするとは夢のないはなしだが、さらに夢のないのが納豆の多量摂取である。目的が死ぬことだから、どうでもよいのだろうが、納豆臭いのは気になる。わたしなら、せめて煎茶か珈琲の飲み過ぎで死にたいものである。
 その看護師の紹介で、松戸の新宿中村屋とアンデルセンへ行く。原料の小麦粉の違いか、アンデルセンの麺麭は軽くサクサクした感じ、昔のピゴの麺麭を想い起こす。新宿中村屋のそれは佛蘭西の小麦粉を使っていて舌触りに癖があり、重量感があって好みに合う。稲見さんの麺麭のような芸の細やかさはないが、まずまずの麺麭であろうか。もっか稲見さんから送られてきた麺麭と新宿中村屋のそれとを交互に食べている。わたしにとっては最高の贅沢である。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月05日 20:27 | 固定ページリンク




疎開  | 一考    

 透析医療のネットワーク組織が動き、福島県いわき市周辺から約四百十人の人工透析患者が、東京都内に避難。千葉県の某病院でも、いわき市の患者三十三人を受け入れたとのニュースがあった。個人で避難した方がいて、数はさらに三十人ほど増える。このネットワークは、阪神淡路大震災の折も多数の技師、看護師を神戸へ送り込んでいる。わたしが通うクリニックの看護師も神戸へ出掛けたようである。
 一方で、停電の影響で東京から多くの患者が西日本へ避難している。この七日間は停電がないが、いつ復活するか分からない。折角東京へ来ながら、停電ではどうしようもあるまい。夏になれば夥しい数の透析患者が西日本へ疎開するに違いない。
 二時間半とか三時間の短縮透析をわたしも受けたが、身体が痒くなる副作用に悩まされている。そしてスタッフは睡眠不足で疲れ果てたと云う。

 宮城県でカリウム性心不全で透析患者が複数亡くなった。三月十八日に「一週間透析を断つと身体中が浮腫んでくる。二週間断つと心不全や心筋梗塞で斃れる方が出る」と書いたが、看護師に云わせると二週間はもたないようである。宮城県の患者は四日目と六日目の発作だった。


投稿者: 一考      日時: 2011年04月04日 13:31 | 固定ページリンク




疑惑  | 一考    

 社民党の福島瑞穂党首が経済産業省から原子力安全・保安院を分離すべきだと指摘。菅首相は前向きに検討するそうである。政治家の「前向き」を信じるほど、わたしはお人好しでない。とりわけ相手が菅であれば。
 民主党は09年に公表した政策集に、原発事故など万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け「独立性の高い安全規制委員会を創設する」と明記していた。その後、マニフェストを裏切りつづけた菅ならではの、さらなる裏切りがここにもある。
 保安院は経産省の外局である資源エネルギー庁の特別の機関として設置された。原子力利用を推進する経産省の傘下に安全規制を担う保安院があると云うのも妙なはなしである。保安院は昨今のテレビでお馴染みだが、最初に出演した頓珍漢も、今ご登場の禿面(あれはカツラである)も共に経産省のお役人。東電のカネに汚染した東大の学者連中と一緒になって原発を守ろうと必死である。真に見習うべきは、斎藤寛を学長に選んだ長崎大学の例であろう。
 新規の原発は暫くは無理にしても、既存の施設は残したいのが本音である。福島第一原発の廃炉はやむを得ないとしても、風評被害が他の原発に及ぶのを避ける、そのための大芝居がもっか進行中の計画停電である。
 停電を回避する方法はいくらでもある。例えば都心部を走る地下鉄などもそうだが、大口の電力使用者は民間のそれと比べて実に安価な料金設定になっている。それはいざというとき、使用停止になるのを断わった上での低料金である。されば、いっそ地下鉄を止めれば計画停電の要はなくなる。以前書いたように、山手線の内側は自転車か原チャリを利用すればよい。
 東電の火力、水力を含む全発電能力と首都圏の約九割の電力を賄っているJR東日本の自営の発電所の能力を天秤にかけてみれば、東電の計画停電は詐欺ではないかとの疑惑を抱くはずである。少なくとも、火力発電所の性能にはかなりの余裕が認められる。おそらく電力の重要さを、延いては原発推進の重要さを強調せんがための芝居なのである。
 先日おっきーさんと、拙宅で暖房はことごとく切っているとはなしをした。おっきーさんの会社も暖房は切っているそうな。国の行政機関も切られている、ただし国会議員の居るところを除いて。考えれば考えるほど、節電に協力するのが虚しくなってくる。JR同様、旧財閥は多くが自営の発電所を持っている。電力供給の自由化を先に議論すべきでないだろうか。
 東電本社前に数万人のデモ、沸き上がる原発止めろのシュプレヒコール。もしもそうなって今後原発の営業が成り立たないと悟れば、立ちどころに停電は中止になるに違いない。

追記
 東電の発電能力に関して一言。火力発電所の稼働率が六、七割まで伸びれば計画停電の用はなくなる。
 暖かくなれば風向きが変わる。南風になれば、汚染地域は福島や仙台に拡がる。それまでに収まると思っているのだろうが。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月31日 20:53 | 固定ページリンク




仮設住宅  | 一考    

 某市の首長が低地にあった住宅を高台に移す計画を伝え、国に対して支援を求めたという。これは一例だが、家屋が役所乃至政府によって元通りに復旧されると思っているかの発言に愕いた。国が私有財産の再建に手を貸すのはどう考えてもおかしい。それでなくとも、阪神淡路大震災の後、被災者生活再建支援法が議員立法により制定された。今では収入、年齢によって異なるが、最大三百万円が支給されるようになった。
 かつて書いたことがあるが、本州最東端のトドヶ埼灯台から南西約二キロ、姉吉漁港から延びる急坂の上に位置する姉吉地区ではすべての家屋が被害を免れた。その坂の途次に立つ石碑には以下のごとく刻まれている。

   高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪

 その想いを喪ったが故の大きな災厄だった。
 三陸は猫の額のような狭い土地に家が建て込んでいる、山陰も消息は同じである。住むのが可能なところには当然家屋があった。それに近接するかたちで広大な空き地(山間地)があればともかく、浸水地域への復旧は許されない。だとすれば、村外、町外あるいは県外に仮設住宅を建てるしかない。要するに被災者は住処を捨てるしかない。それでなくとも地盤の沈下によって山手線の内側の七倍の土地が水没した。
 再建費用は所有者負担が原則、少なくとも神戸ではそうだった。そして仮設は仮設であって、二年後には撤収される。避難所には学校をはじめとして本来のの用途があり、仮設住宅同様、苟且の居場所である。好むと好まざるとにかかわらず、生活基盤は他に求めるしかない。漁業、農業、畜産の何如を問わず。
 仮設住宅の入居は妊婦や乳幼児、高齢者のいる世帯などが優先される。地域別でなく、無作為な抽選になる。それがコミュニティの寸断を呼び、高齢者や障害者は結果として見棄てられる。神戸に於ける福祉避難所や多発した仮設住宅に於ける孤独死の問題は、今回もそのまま引き継がれる。神戸の仮設住宅は老人の絶滅を待って五年の長きにわたって存在した。死後数週間あるいは数箇月を経て発見される独居死が倍増したとの記事が、十年後の神戸新聞に書かれている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月30日 20:57 | 固定ページリンク




秬鵡返  | 一考    

 先日触れた某村に残っている畜産業者は新聞によると十数人だが、村人に聞くと七十名だそうである。二十キロと三十キロの双方に跨がって村は在る。現時点で屠殺すれば補償が出ない、と云えど乳は汚染、肉も汚染されている。しかも土壌が汚染され、今後数年は牛を飼うことすらできない。にもかかわらず、餌を与え続ける営みの切なさを思う。
 菠薐草がどうの、甘藍がどうのと云っているが、そうしたことにさしたる興味はない。わたしが興味を抱くのは土壌の汚染である。二十、三十キロの同心円にも興味はない。スピーディによる計測では、南へ四十キロ、北西へ五十キロが汚染されている。気象庁はそのデータを公表しない。そして一部の汚染はチェルノブイリを越えつつある。にもかかわらず、人体に影響はないと判で押したように答えが返ってくる。乳幼児のみが云われるが、チェルノブイリでは十四、五歳までの少年、少女の甲状腺癌が問題になった。こちらも学者に云わせると影響は考えられないようである。

 原発の半径十キロ圏内で見つかった遺体の収容が見合わせられている。遺体から測定された放射線量が高く、搬送は危険と判断されたのである。
 避難した人たちが、放射線量を確認するスクリーニング検査で「異常なし」とする証明書を提示しなければ医療機関で受診できないケースが続出。避難所に入所する際、スクリーニング検査を事実上義務付けられるケースすら起こっている。ナチスに於ける猶太のマーク同様、被災者が被災者を差別する、非科学的な偏見による過剰反応である。
 某副大臣が原発事故の今後の見通しについて「予見しうる最悪の事態を考えているが、それ以上は神のみぞ知るだ」と述べ、陳謝していたが、想定していなかったが故に正しい発言だったのかもしれない。これだけ放射性物質による汚染が拡がり、プルトニウムやウランが検出されるなかで、学者連中はいまなお人体に影響はないと宣っている。思うに、最悪の事態を予見している学者、政治家は皆無でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月29日 16:40 | 固定ページリンク




EDF  | 一考    

 東京電力が福島第一原発の事故で、フランス電力(EDF)や核燃料会社アレバ、原子力庁などフランスの原子力関連企業・機関に支援を要請したことが分かった。ベッソン産業・エネルギー・デジタル経済担当相が二十八日、ラジオ番組で明らかにした、とのニュースが流れてきた。
 EDFは十八日、専門家の派遣や原発事故に対応するロボットを含む資材百三十トンの搬送など独自の救援計画を発表したが、日本側は拒否。アメリカの最初の支援も日本政府は拒否、オバマ大統領は菅政権の隠蔽体質に激怒したと伝えられる。
 愈、原発事故が統御不能に陥ったようである、いまからでは遅すぎるが。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月29日 16:36 | 固定ページリンク




ゴールデンバット  | 一考    

 日本たばこ産業(JT)は今回の震災による生産設備への被害と計画停電の影響を受け、全九十七銘柄のたばこの出荷を一時的に停止すると発表。原材料の調達が滞っていることに加え、栃木県と福島県の工場の操業停止で安定供給が難しいと判断、銘柄を大幅に絞って生産し四月十一日から出荷を再開する。この間に、東海以西の製造拠点で「マイルドセブン」や「セブンスター」といった主要二十五銘柄の増産、在庫充実を図るようである。ただし、二十五銘柄のうちに「エコー」と「わかば」は這入っているが、「ゴールデンバット」は這入らない。
 あなたはずっと買っているので五ケースは取り置くと云われたが、次回はいつ這入るか分からないと云われた。巫山戯るなと云いたいところだが、安物を造っている暇はなさそうである。このような形で高齢者は切り捨てられてゆくのかもしれない。愈、禁煙が近づいてきたようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月28日 22:54 | 固定ページリンク




本日の営業  | 一考    

諸用があって七時十五分に開店します。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月28日 11:43 | 固定ページリンク




午前の透析  | 一考    

 朝の部へ移って間がない。従って挨拶はするが、話をしたことはなかった。夜の部と比して雰囲気がまったく異なるからである。今日、夜から朝へどうして移ったのですかと訊かれ、停電によって為事ができなくなるからです、と応えた。「はあ、為事をしているんですか。一級じゃないんですか」「一級ですよ」「一級で為事をしているのですか、信じられない」。
 信じられないのはこちらである。透析をしながら為事をしているひとは多くいる。透析に限らず、身障者に理解のある会社だってある。透析優先なので、残業や夜のお付き合い、社員旅行は無理だが、それらを除けばなんとかなる。当然、給料は半額以下になるが、十万から十二、三万円でみなさん遣り繰りしている。要するに、生活保護を受けるのを嫌っているのである。

 停電のない二十二時から六時二十分までの間に透析の半分を変更しようかとのはなしがあった。一部の病院が朝の三時から三時間透析をはじめたようである。わたしは構わないが、スタッフが大変だろうと思う。生活もなにもあったものでない。東電の無計画停電によって域内の国民は弄ばれる。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月28日 10:38 | 固定ページリンク




天災と人災  | 一考    

 前項で書き忘れたことがある。阪神淡路大震災では家屋の倒壊に公的補償は付かず、火災保険は天災ということで免責になった。支払われたのは地震保険のみ、ちなみに地震保険の支払い金額は七百八十三億円だった。爾来、地震保険が一般化される。
 本来、地震や津波などの天変地異による被害では保険会社は免責になる。加入者に対する死亡保険金や給付金の支払いから免除されるのである。しかし、今回は生命保険や損害保険を全額支払うことで業界が一致結束している。阪神淡路大震災を超える多大な被害が予想されるが、復興を支援するためにも業界は支払うという。されば保険の方は問題ない。米リスク調査会社の試算によると、地震と津波による保険対象の損害額が最大三百億ドル(約二兆四千四百億円)に上るという。
 今回は天災と人災とが複雑に絡み合っている、例えば福島県のように。保険会社同様の超法規的判断が政府によってなされれば良いが、杓子定規な菅、岡田体制では望むべくもない。結果、人災は補償され、天災は補償されないということになる。この場合の人災とは原発を指す。要するに、同じ罹災地でありながら補償に格差が生じる。おそらく、罹災者にとっては納得のいかない格差になると思う。
 避難地域が八十キロでなく二十キロになっているのは、生じる補償金の減額を狙ってのことである。民主党とマニフェストとの相関関係しか念頭になく、非常時との認識は岡田幹事長の頭のなかにはまったくない。これは阪神淡路大震災時の村山首相の発想と同じである。家を再建するなら自己責任でどうぞ、である。
 二十キロから三十キロのあいだの住民は自主避難ということになって、当然補償の圏外になる。思うに、福島県下の相馬、鹿島、原町、小高、浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野、いわき等では遺体の捜索すら満足になされていない。被災者数が最後まで判然としない地域になるだろう。天災か人災か、福島に於ける罹災者の選別が難航するは必至。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月27日 23:41 | 固定ページリンク




温泉  | 一考    

 どことは書かないが、某村へ行くには四号線から山越えの道しかなかった。当然、未舗装一車線で、かなり危険の伴う嶮しい道だった。それがある日、立派に舗装されたなだらかな道が完成し、旧道は走るひとも居なくなった。原発が費用を負担し、無料で解放したと聞かされた。同じ原発が村に温泉を造った。鉄筋コンクリート三階建ての立派な建物で、二階が大浴場になっている。村で唯一の社交場は近隣の村民や町民の喝采を受け、温泉は繁盛した。
 村民は三千人だが、原発事故によって隣町の町民約二千五百人を受け入れ、一時住民は約五千五百人にふくれあがった。ところが村も汚染に晒され、村と町の合同災害対策本部は住民の村外への避難を決めた。豚や牛など家畜の管理などで離れられない十数人を除き、より内陸の都市へ避難した。温泉はラジウムならぬセシウム温泉になってしまい、訪ねるひともいない。
 今回の事故がアメリカ、フランス、ドイツで起きていたら、今頃東京の人口は半減していたに違いない。現に多くの大使館は大阪へ移転し、外資系の会社は順次関西へ移動している。一部の国は飛行機の発着を東京から大阪へと変更した。
 原発は落ち着いたと云え、何時水素爆発によって、大量の放射能を撒き散らすか分からない。にも拘らず周章てるひとはいない、大方は汚染されていない牛乳や水を求めて右往左往するだけである。一歳から五歳までの幼児にとって、好ましくないミネラル水を求めて。
 ロシア、中国、シンガポール、オーストラリア、アメリカ等々では日本の農産物は輸入禁止になった。福島県、群馬県、茨城県、千葉県、栃木県の乳製品、野菜、果物、水産物が該当する。わが国はこれから中国の安全な農産物を輸入しなければならない。これもTPPの先取りか。
 拙宅の近所では茨城産の野菜や果物の安売りがはじまっている。青梗菜は五十円、大粒の苺が一箱百五十円で売られている。当分、デザートは苺である。

 阪神淡路大震災の折は自主避難の経費はおろか、家屋の倒壊などに補償はまったく出なかった。私財の損壊に税金は使えないとの方針が最初から決まっていたからである。それはそれで良いのだが、原発問題は同日に語るわけにいかない。今回は地震即津波の問題と原発の問題を混同してはならない。ことは複雑である。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月26日 22:31 | 固定ページリンク




 | 一考    

 透析の最中に夜の停電が中止になったのを知った。停電の予定は十五時二十分から十九時までだった。わたしは朝の部へ移ったが、夜は十九時半にはじまり、二十三時半から二十四時まで透析、それから返血だから終了は二十五時になる。スタッフの出勤は八時である。
 疲れから技師のひとりが風邪を引いたが、頑張っている。声を掛けると、一日で良いから休めると癒るのだがと一言。今日は休んでくださいと応える。

 透析が終わって帰りにスーパーへ寄る。案の定、水は売り切れ、そこへおばさん達があらわれて水を探している。水より珍しい商品がこのスーパーには濫れている。停電がわざわいして魚を置く店が極端に減っている、その渦中にあって豊富な魚が揃っている。ところが、水がないのを確認すると団体客はなにも買わずに出ていった。こういう人が買い占め、買い溜めをするのであろう。

 二十三区の住人にとって今回の地震は他人事なのだろうか。今回のように水道水が汚染されれば水の買い占めが起こるように、どこまで行こうが授与される側でしかない。ホンダが良い例だが、工場が停電で生産停止になっているのに、二十三区はほんの一部を除いて停電と縁がない。工場や電車を除いて消費電力の四割近くは民間の消費が占めているにもかかわらず。
 優先順位は工場にあるのでないだろうか、先の項目で大田区と品川区を入れたのは飛行場があり、町工場が多いからに他ならない。工場を優先させなければ経済はさらに大きなダメージを負う。ものがないと云うが、玉子、納豆、モヤシの入手が難しくなったのも理由は停電である。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月24日 15:31 | 固定ページリンク




停電  | 一考    

 停電かと思っていたら、午前の停電は中止。朝の部は定時からはじまり、夜の部が繰り上げられた。いつも思うのだが、午前、午後の停電が這入ると透析は一回しかできない、それが日曜日へずれ込む。地震以来、スタッフは休みなしで頑張っている。個々の命がかかっているので中止はあり得ない。わたしが通うクリニックは関東でも最大規模である。札幌ほどではないにしろ、罹災地からの透析患者を含め、もっか満床である。ちなみに成田にも大きな透析病院がある。
 現在の計画停電は五グループに別けられているが、どうして二十三区から二グループを作らないのか。荒川、足立、練馬、板橋は一部停電してるがどうして一部なのか、太田、品川、千代田、港、中央、新宿は仕方がないにせよ、目黒、世田谷、中野、杉並、北などは主として住宅街ではないか。成田を前述したが、同地区は六時から二十二時までの間ほぼ毎日八時間の停電がつづき、透析治療は痲痺している。節電に例外は認められない。現状では周辺の県や市が二十三区の犠牲になっている。
 東京は狭い、山手線の内側の移動は徒歩もしくは自転車か原動機付自転車に限定すべきでないだろうか。このままだと、いずれ怒りが爆発する。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月23日 06:51 | 固定ページリンク




震災後  | 一考    

 阪神大震災では、避難所への支援が遅れたため、神戸市内の店舗や住宅で空巣狙い、窃盗、略奪が多発した。避難所に於ける支援物資の奪い合いや喧嘩もあった。東北でこれから生じる問題は神戸のそれと似たものになるだろう。トイレの不備、インフルエンザや胃腸炎、肺炎などの感染症の蔓延、遺体安置所ならびに火葬場の不足、それに伴うドライアイスの不足。大量の産廃処理、視覚障害者や原発流民に対する手当等々も問題になる。
 Yahoo!知恵袋を読んでいて「車・バイク・自転車はあるので家からキャッシュカードさえあれば渋滞で時間はかかりますが大阪、明石、三田方面に車で行きコンビニやスーパーで水・食料品などを買いに行くことはできました」とあったが、あれは一部は嘘である。西明石ならともかく、明石は停電でキャッシュカードは使えない。また地震当日に明石と三田のスーパー、コンビニは商品が空っぽになった筈である。ですぺらの向かえがダイエーだったのでよく知っている。
 地震当日(1995年1月17日)は車で走ることができたが、三日目から一箇月間は一般車の市内走行は禁止(除外車は別)された。それでなくとも、六甲有料道路、新神戸トンネルならびに有馬街道は通行止め、渋滞どころの話でなかった。西明石以西と西ノ宮以東からの援助物資は三日目から入ったが、売り物でなく、例えば生協は無料で配っていた。

 今回も罹災地の映像の報道規制には感心させられる。陰惨な映像(例えば屍体など)は見事に端折られている。阪神大震災同様、これでは他人事と解されてしまう。かねてよりこの種の統制には疑問を抱いている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月22日 00:34 | 固定ページリンク




ガス購入  | 一考    

 拙宅からもっとも近いガソリンスタンドは休み、仕方なく松戸で二時間並んでガソリンを入れてきた。これで明日はですぺらへ行ける。リッター151円也、何時もは138円なので、ちょいと高いが、やむを得ない。それにしても、朝の六時から列をつくるなど、わたしを引っくるめてご苦労なことである。
 最短コースを走り、徹底した省エネ運転を心掛けているので、今週はこれで大丈夫。

追記
 前述した石油備蓄二十二日分の放出を今日、政府が決めた。地震から何日経ったと思っているのか、何もかもが後手に回っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月21日 10:35 | 固定ページリンク




あれこれ  | 一考    

 今後、長くボランティアが必要になってくる。ところが、身体の具合が悪くボランティアはできない。献血は三箇月後に再度必要になるが、わたしは輸血しているので献血すらできない。クレーン免許は持っているだけでなんの役にも立たないが、建機や重機なら大概のものは動かすことができる。罹災地区の放送を見ていて、これならわたしにも可能なのにと思うことが他にもある。ガソリンが手に入らないので自転車のリサイクルが奨められているが、自転車の修理ならどのようなことでも可能である。ただし、ボランティアは自己完結型でないと地元は迷惑する。神戸のときならともかく、東北での自己完結は不可能である。

 芳賀さんの川内村の家は村全体が福島原発の三十キロ圏内に這入った。放射線について詳しいことは分からないが、逃げ出した方が良いに決まっている。政府や原子力安全・保安院は楽天的なことしか云わない。レントゲンやCTスキャンといった一瞬の放射線を引き合いに出すが、数箇月間、毎分、毎時レントゲンを浴び続ければどうなるのか。

 海外からの原油供給途絶に備えて百六十四日分の原油が蓄えられている、このうち民間備蓄七十日分のうち三日分(126万キロリットル)が大臣通達によって十四日に放出された。近隣のガソリンスタンドに云わせると、タンクローリー車の配達は毎日で、回数は普段よりはるかに多い、しかし二、三時間の販売分しか供給されないらしい。わずか三日分ではどうにもなるまい。
 透析患者の大半は自家用車もしくは看護用の車で通院する。そのガソリンが手に入らなくて困っている。わたしの車も、あと一メモリで仕舞いである。通院用としては十分だが、通勤用は残っていない、どうしようかと思っている。ガソリンスタンドによると、以前に戻るのに一箇月は掛かると云う。

追記
 福島第一原発は落ち着いたようだが、冷却に三箇月以上掛かる。放射能の問題はこれからである。わたしが読んだサイトでは以下がお薦め。
 http://ameblo.jp/satoshitaka/entry-10834940369.html


投稿者: 一考      日時: 2011年03月21日 04:09 | 固定ページリンク




ガス  | 一考    

 近隣のガソリンスタンドの半分は閉店、残り半分は営業している。ところが朝六時までに並んでくれと云う。ちなみにガソリンスタンドの営業時間は八時から。八時に並ぶとその日の割り当てはないそうな。昔、黒姫に素敵な蕎麦屋があったが、朝五時に並ぶと食べられるが、六時だと食い逸れる。開店時間は十二時である。しかも店主はそれを自慢げに語る。何度か馳走になったが、やがて足が遠のき、途絶えてしまった。
 いくら旨い蕎麦であっても、蕎麦のために七時間は勘弁を願う。ガソリンもさぞかし美味しく、きっと二、三百キロの速度が出るに違いない。しかし興味はない。並んでまで購入するなら家で不貞寝する。

 十時からの停電の場合、七時にはじめて二時間半の透析になると云う。次回火曜日の透析は六時半にクリニックに這入るか、もしくは九時はじまりのフルタイムだそうである。火曜日だからまだしも、中二日で二時間半はきつい。
 日本中の電力の三分の一を東京で使っている。経営は民間でかまわないから、国設の火力発電所を五つ、六つ東京近郊に創設する必要がある。でなければ夏は大変なことになる。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月19日 20:28 | 固定ページリンク




節電  | 一考    

 土曜日は透析の日だが、停電は中止の模様。わたしの穿刺時間は九時八分なので、九時には病室へ這入るようにと云われる。指示がおそろしく細かくなった。これも計画停電のせいである。
 透析へ行く前は停電が多い、従って信号機は点いていない。馴れていないのか、頻繁に信号が無視される。どのような道にも優先順位はあるが、信号機が無点灯の場合は双方が一旦停止するのが作法である。互いの次の動きを目か手で確認してからでなければ前進はできない。その確認が覚束ない、とりわけ原付バイクが一旦停止を怠る。自転車感覚で乗っているのがその理由と思われる。危険この上ない。

 節電で夜の国道、高速道路は街灯が消えている。神戸の震災時は真っ暗闇だった、それと比して随分とましだが、何時もと勝手が異なるのは仕方がない。ガソリンがないので、街を走っているのはプロパンを使うタクシーのみ。赤坂の夜にタクシーの列が戻ってきたのは良いが、客がまったく居ない。ホテルも閑古鳥のようである。
 拙宅の暖房は電気を使っている、よって暖房は切ったままである。寒く思うときもあるが、火燵すら遠慮している。節電をモットーにしているが、例外は風呂、穿刺箇所が痛いからである。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月19日 03:25 | 固定ページリンク




時間短縮  | 一考    

 今日の第五グループ(松戸の一部)は十八時二十分から二十二時まで停電である。朝七時にはじめたとしても、十八時二十分までに二サイクルは終了しない。朝晩どちらかの透析の時間短縮を試みるしかない。時短となると今まで以上の厳密な体重自己管理が必要となる。
 スタッフの皆さんは事前のミーティングの時間が取れなくて困っている。休憩などとんでもないとの状況だが、穿刺の瞬間、瞬間は気を張りつめないといけない。わたしが通うクリニックも満床となり、技師、看護師は気力だけで頑張っている。非常時である、患者は我が儘を控えなければならない。
 某サイトで三時間に短縮されると四分の一ずつ尿毒素が溜っていくとの書き込みがあったが、それは一概に云えない。一週間透析を断つと身体中が浮腫んでくる。ぱんぱんに膨らんでくる。二週間断つと心不全や心筋梗塞で斃れる方が出てくる。しかし、透析の時短で死ぬようなことはない。罹災から一週間、被災地の透析患者は危険な状況に陥ってきた。電気もさることながら、透析時には多量の水が必要となる。電気と共に水道の復興を願いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月18日 16:36 | 固定ページリンク




アドワーズ  | 一考    

 Googleプレイスのアドワーズ用無料お試し券が送られてきた。今回の金額は七千五百円、登録期限は三月三十一日となっている。何時ものことながら有り難い。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月18日 00:04 | 固定ページリンク




主婦と労働者  | 一考    

 朝の部ははじめてなので勝手が異なる、まるで新入生である。労働者は夜の部、家庭の主婦は朝の部と聞いていたが、とにかく女性が多い。ピーチクパーチクと五月蠅いことこの上ない。三分の二は婆さんである。しかも糖尿症でない方を探すのに一苦労する。糖尿というのは食に好き嫌いを持つ男性の病かと思っていたが、逆だった。見ていて穿刺が大変である。通常のシャントと違って人工血管や動脈を筋肉の上へ追い上げたものなど、さまざまな腕、血管のオンパレードである。糖尿は血管を脆くするが、ここまでかと愕かされた。あの人たちの食生活はどうなっているのだろうか。横の婆さんは生茶を飲んでクッキーを食べている、なにを考えているのだろうか。
 第五グループなので、二度目の停電があって三時間の透析になるなと思っていたが、午後の停電は休止、無事に終了する。看護師、技師がさかんに目で合図を送る。「あなたは理想的な患者だから」と呟きつつ、最初に穿刺をしてくださる。夜の部では最後だが、朝の部ではトップバッターである。

 地震以来、はじめてスーパーへ行く。酢と辛子を買いに行ったのだが、序でにひとわたり見回す。米、水、牛乳、玉子、インスタントラーメンは在庫しているが、一品もしくは二本限定となっている。その後、百均へ行く、欲しかったポケットティッシュが売っていた。松戸のガソリンスタンドもすべて閉まっている。わたしの車はあと四回赤坂を往復できるが、そのあとはどうなるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月17日 16:50 | 固定ページリンク




営業時間  | 一考    

 透析を準夜から朝の部へ変更したので、営業時間を遅くする意味がなくなった。とはいえ、当座は罹災が禍して、店は閑であろう。そこで八時十五分の開店にする。十五分というのは麹町の駐車場から店までの歩く時間である。早いお客さんは連絡さえしていただければ何時にでも出てくる。どうかよろしく。

 三郷市が罹災者二百五十人を受け容れると云う。大切なことは期間が限定されていないこと。他の諸都市は大半が一週間とか一箇月と期間が限られている。
 気仙沼の市立病院に血液回路が這入ったようである。罹災地のみならず、透析患者はひどい目に遭っているようである。「非道い目」と書いたが、病人は透析患者だけでないのは承知している。ただ、わたし自身が透析治療を受けているので、気になるという、それだけのことである。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月16日 20:10 | 固定ページリンク




買い占め  | 一考    

 国道は空いていて思ったより早く店へ着いた。理由は走りはじめて直ぐ気付いた。ガソリンスタンドが真っ暗である。三郷を出て、麹町の駐車場まで一軒も開いていない。ガソリンや灯油の買い占めは聞いていたが、ここまでとは思ってなかった。
 非常時になると買い占め、買いだめが横行する。折角透析を朝の部にしていただいたのだが、今度はガソリンの入手が難しくなった。燃費が悪いのは当方の勝手だが、車がなければ動かれない、困ったものである。精米した米同様、ガソリンも買いだめはできない筈である。二週間ほどで品質が落ちるからである。
 買い占めでなく押し売りだが、神戸の震災の折、三ノ宮のガード下商店街が片端から盗人に襲われた。また、ブルーシートが二万円、握り飯が二千円で売られ顰蹙を買っていた。西ノ宮からの担ぎ賃が加算されたからだが、大阪商人の逞しさが如実に表れていた。
 わたしは日本人のそのような癖をまったく信用していない。特に東京では、米、水、インスタントラーメン、トイレットペーパー、乾電池、懐中電灯、カセット用ガス台とボンベ、山岳用のランタンとストーブ、生理用品などが商店から消えた。米のように有り余っているものが店頭から消えるなど、想像すらできない。真に日本人とは如何わしい存在である。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月16日 19:48 | 固定ページリンク




朝の部へ編入  | 一考    

 松戸市は逸早く被災者の受け入れを決めた。今日、福島から大型バスが到着、公営施設を開放するという。
 東葛クリニックはごった返していた。松戸の東葛飾は第五グループのようである。停電の影響で朝の部は七時からになったが、受けられなかった方が準夜もしくは夜の部へ殺到。スタッフは朝の五時から夜十時までの勤務、透析時間の短縮は考えていないと云う。わたしは準夜なので四時からだったが、透析がはじまったのは五時過ぎ、終了は十時前、ですぺらは休むしかなかった。何時ものことながら、スタッフの熱心さには頭を垂れるしかない。
 次回の木曜日から朝の部へ変更した。そうしなければ店の営業が覚束ないからである。具合良く一人だけスペースが空いていると云う。開始時間は停電に合わせて、七時から十一時の間。睡眠を二度に分けることになる。ちなみに、木曜日は十時からである。

 国際援助隊の中国人が日本の原発は旧すぎる、中国のそれは安全性に於いて日本の原発を遙かに凌ぐ、と。そうだろうとは思うが、情けないことこの上ない。代替の火力発電と云っても、横須賀火力発電所ぐらいなもので、他はやはり一から建設するしかない。最短コースを走っても三年は掛かるだろう。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月15日 23:47 | 固定ページリンク




お粗末  | 一考    

 先日記述した通り、今日の透析は四時から八時に変更、終了は八時半になる。それから赤坂だと順調にいって九時半、開店は十時になる。この変更時間は日々異なり、当日にならないと分からない。このような状態で店の営業など出来るのだろうか。
 透析患者のなかには関東を離れ、西日本へ転院する方が増えている。
 透析可能病院とベッド数は以下の如く、

 日本透析医会災害情報ネットワーク
 http://www.saigai-touseki.net/sendsdata/total.php

 原発の専門家が東電にいないことが露呈した。炉心格納庫の損壊によって放射能がフィルターを通さずに垂れ流されている。原発に残った五十人の作業員は防護服を着用しているが、一般国民に防護服はない。これをお粗末と云わずになんとする。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月15日 14:55 | 固定ページリンク




東京電力  | 一考    

 透析治療は時間が変更されるようである。どのように変わるかは担当スタッフにも分からない。東京電力が判然としないのに、病院のスタッフに分かる筈がなかろう。透析は中断が許されない、許されないと云っても、停電になればどうにもなるまい。
 停電が理由で透析を断念もしくは短縮する医院が多いと聞く。わたしは除水が少ないので時間短縮が可能である。短縮した分を他の患者に回していただければありがたい。
 五つのグループに別けての計画停電だが、そのグループは日々輪番制になっている。要するに停電の時間帯が毎日変わるのである。これでは治療の計画の立てようがない。透析患者は長期間にわたって東京電力に振り回されることになる。
 原発の問題にしても、エンジンポンプを用いて海水を炉心に注水中、燃料が切れてポンプが停止したのに気づかず、再度燃料棒が露出したと、このようなことを発表する無神経さに呆れ返る。危機管理能力が皆無である。経営陣の責任が問われるべし。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月15日 03:54 | 固定ページリンク




計画停電2  | 一考    

 気仙沼の市立病院は市内で残された唯一の透析治療が可能な病院である。近郊の透析患者が集まり、約二百人がフルタイムで治療を受けている。透析の血液回路があと二日分でお仕舞いとか、ヘリコプターを使ってダイアライザーと血液回路、生食と薬品などを急送できないのだろうか。
 妊婦健診、人工呼吸器、透析治療等々の紹介をしているのはNHKのみ。民放は何度も放映している刺激的な映像を繰り返している。このような非常時ですら視聴率を気にかけるとは世も末である。
 公共の交通機関はたとえ間引き運転になっても運行すべき、たとえ一般家庭の電源を切ってでも。数年間に及ぶものゆえ、停電なら停電にしないとダイヤグラムの組みようがないではないか。病院の電力も切られない、人工呼吸器を用いている家庭の電源も切られまい。発電機やバッテリーの手当が済んだとは聞いていない。優先順位はなにがあっても遵守すべき。計画停電と云いながら、奈辺に心算があるのか。
 福島第一原発の二号機の炉心が暴走をはじめそうな雰囲気である。避難距離は十分に取っているのだろうか。格納容器の損壊について楽観的な意見ばかりが跋扈しているが、実態はどうなのだろうか。事前に予測可能なことゆえ、最悪の事態をも考えておくべきでないだろうか。

 私事で恐縮だが、三郷市は今日は停電がなかった。拙宅では風呂から電話に至るまでが停電だと使えなくなる。昔のガス釜だと沸かせるのだが。現今の電化生活の不便さを思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月14日 22:36 | 固定ページリンク




息も絶え絶え  | 一考    

 能転気は脳天気の間違い、心良いは快いの間違いとの指摘を校正を生業とする方から受けた。わたしも校正をいささか囓ってきた。共に間違いではないので、言葉の前後のつながり、もしくは意味合いによって変える、あとは好みと云うことになろうか。ただし、どこそこの辞書ではこうなっている、と云うのは間違いである。信じられる辞書などあろう筈がない。とりわけ漢字に関しては顕著である。それにしても脳天気と記載された辞書があるとは不思議である。
 わたしは過去読んできたさまざまな書物から得た知識を基調にしている。なかには無理な遣い方もあるが、それは承知の上である。逆に明治、大正期の無謀とも云えるような遣い方にこそ個性がある、と信じている。
 わたしが著す文章に関してなら出典を明らかにすることができる。文字というものは統一されれば個性がなくなる。不用意乃至無意味に統一する校正は校正でないとすら思っている。言葉は生きものである、だからこそ、慎重な取扱いが必要になる。怠れば言葉は感染症に罹る。感染症で止まれば良いが、昨今は重度の肺炎に罹っているのではないかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月14日 18:32 | 固定ページリンク




政令  | 一考    

 電話があって交通渋滞で動かれないとか、取敢えず今日はですぺらはお休み。申し訳ない。

 神戸の震災の折、自衛隊の車両を山口組の組員が誘導しているのを見た。それに止まらない、停電の信号に組員が張り付いていたのである。
 自衛隊の緊急派遣隊の優先扱いについて法律の改正が必要と書いたが、どうして政令を発布しないのか、今回の計画停電などはその典型だと思う。責任を問われるのが嫌なのか、あまりにも行き当たりばったりである。対症療法を繰り返しても良くはならない、政治と医学とは基本理念が異なる。
 企業にしても、これを良い機会にフレキシブルな勤務を取り入れるべきであろう。通勤、通学で不用意なエネルギーを費やすのは止めた方が良い。
 停電がはじまったようだが、関東と関西の周波数を変えたのは、このような非常時にネックになる。やることなすこと、悉くに統一性がない。なんのための政権交代だったのか。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月14日 17:34 | 固定ページリンク




計画停電  | 一考    

 計画停電によって交通機関に乱れが出ている。当然、国道にも影響は出る。ですぺらは営業の予定だが、定時通りに行かないだろう。ご来店の際は事前に電話(03-3584-4566)をいただければ幸い。

 拙宅は第五エリアなので、夕刻に摂る朝飯の時間帯である。生活のリズムを変えなければならない。神戸の震災ではライフラインが一箇月以上途絶えた。それを思えば計画停電は順当な手立てと思う。
 東京電力は取敢えず一箇月と云っているが、夏になればさらに電力使用量は増える。福島原発の一方は壊滅、新規の原発を建設しない限り、計画停電は終わらない。しかし、現状で新たな原発など造られるのであろうか。おそらくは隣接する形でしか造られまい。いずれにせよ、三年以上はかかる。どうするつもりなのか、道筋はなにひとつ見られない。

追記
 政府ならびに原子力安全・保安院、東京電力が云うように安全なものなら、東京湾岸に沿って原発を二、三十基ほど造るべし。もっとも合理かつ電力移送のロスも出ない。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月14日 16:20 | 固定ページリンク




三拝  | 一考    

 身の回りを書物が飛んでゆく、わたしはパソコンを押さえていただけ、と幹郎さんが仰有っていた。拙宅は回りに積み上げた引越荷物が三方から崩れ落ち、蒲団のなかのわたしは身動きができない。隣の部屋では書物と酒が交互に乱れ飛んだようである。地震は経験済みなので愕かないが、割れたウィスキーの匂いには悩まされる。今のわたしは酒を嗜まないからである。
 早朝から片付けをはじめて、やっと人が歩けるようになった。もっとも、ウィスキーは整理して並べていたが、それらは目茶苦茶になった。これから拭き掃除に使ったタオル数十枚の洗濯である。それにしてもアードベッグの六十九年蒸留の高級品は勿体ないことをした、十五、六万円はしたろうに。末期の水として取り置いていたボトルだったが、これは冗談。
 片付けが一応済んだのでテレビを見る。どのチャンネルを見ても神戸の長田を想い起こす。わたしにとっては心底忘れられない記憶である。わたしが季村さんの書きものに惹かれるのは、それらの記憶と季村さんの存在とが混在しているからなのか。いずれにせよ、所有する「もの」に対する執着がなくなった。それは世界観が変わったに等しい。
 東葛クリニックの猪俣さんのことは書いたが、わたしに残された日々を託すのはかかる病院なのかもしれない。いっそ、松戸で食堂でもはじめようか。
 中村元昭さん、前田昌雄さん、隆さん、また電話をいただいた方々にも御礼申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月13日 18:47 | 固定ページリンク




営業  | 一考    

 十二日午後十一時、首都高速は全線の通行止めを解除。従って、ですぺらは月曜日から平常の営業に戻ります。月曜日は幹郎さんがいらっしゃるとか、どうかよろしく。

(取敢えず)追記
 宮城県南三陸町や岩手県大槌町では一万人近くが安否不明とのニュースを視る。最終的には阪神淡路大震災の死者(直接死は5,483人)を大きく上回るだろう。
 もっとも気になる仮設トイレは五千個を提供とあったが、そのような数で足りる筈もない。全国の自治体が所有する仮設トイレのすべてを運ぶべし。でなければ、飲料水も食料品もなんの役にも立たない。水洗便器などあっという間に詰ってしまう。仮設トイレ自体が二時間毎のメンテナンスが必要、そうでなければ糞尿が溢れ出してしまう。分かっているとは思うが。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月13日 12:57 | 固定ページリンク




取敢えず  | 一考    

 赤坂への行きは九時間、帰りは十三時間掛かった。距離は二十一キロなので徒歩の方が早い。途次、練馬自衛隊の緊急派遣隊と遭遇するも渋滞で身動き取られず、非常時の法律の改正が問われる。
 透析が間に合わず、東葛クリニックの猪俣さんが日曜日に来いという。言問橋を渡るだけで一時間を費やす、六号線を諦めて白鬚から鐘ヶ淵を抜けて堀切へ、高速道路の下を伝って八潮から松戸方面へ。土曜日の午後五時にクリニックへ到着、心良く邀えられる。
 訊くと地震のため、透析時間を早めたという。広い病室でひとりで透析を受ける。ちなみに日曜日は休院、命が掛かっているので休みもなにもない、当然です、と猪俣さん。技師、看護師の情熱に感涙す。被災地の透析治療はどうなっているのやら。
 一日半、食事を摂っていないので、体重が足らない。体重維持のため、除水でなく、生理食塩水を血液へ多量に注水。除水はできないが、でも毒素は抜けますからと云われる。

 高速道路が閉鎖されると東京の交通事情は痲痺する。阪神淡路大震災の教訓はなにも生かされていない。
 政府ならびに原子力安全・保安院、東京電力が福島原発をメルトダウンと認めないのは不思議である。セシウムが検知されれば、その段階でメルトダウンである。今後、被爆者をどのように隠蔽すると云うのか。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月13日 10:21 | 固定ページリンク




無事で何より  | 隆    

関東への電話回線が絶たれているため、心配していたところです。

@desperaにメールを送りました。


投稿者: 隆      日時: 2011年03月11日 20:29 | 固定ページリンク




地震  | 一考    

 定時より三十分早く、七時四十五分から営業致します。
 住居は玄関の本箱が崩れましたが、やっと出入りが可能になりました。数十本のウィスキーが割れ、異様な匂いに酔っております。こちらの整理は二、三日掛かりそう。
 仙台の南方が燃えています。震源地の悲惨さに思いを致す。

 交通機関が不通です。赤坂界隈の方は休憩所として店をお使いください。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月11日 17:43 | 固定ページリンク




谷澤永一さん死去  | 一考    

 谷澤永一さんが八日午後十一時二十三分、心不全のため死去された。八十一歳だった。ですぺらへも何度もお見えになり、旧交をあたためた。
 谷澤さんは年少者であろうが異性であろうが、委細構わぬ方だった。ある日、他に客がいてわたしは厨房へ這入らざるを得なかった。その間、客のひとりとはなしになった。谷澤さんと文学に関するはなしをするときには、ひとつだけ注意が必要である。対象となる作家乃至書物についてオリジナルな意見を陳述すると云う、ごく当たり前の注意である。何々を読んだとか識っていると云った類いのはなしには、彼は激昂で応える。プロとして当然の心意気である。ところが件の客は持てる知識の大安売りをはじめた。谷澤さんは怒りはしなかったものの、二度とですぺらのドアを叩くことはなかった。
 似たはなしが読売のときにもあって、谷澤さんの著作集を出版したいので纏めろと命がかかった。わたしひとりかと思ったが、案の定役員がついてくる。梅田のいつもの割烹で待ち合わせたのだが、酒が這入るとその役員は文学論をはじめた。よりによって佐藤春夫から保田与重郎、蓮田善明とはなしはつづく。役員は早稲田の国文出身で書物を読んでいるところを披露したかったのだろうが、これでは纏まるものもまとまらない。テーブルの下で足を蹴飛ばして注意を喚起するのだが、一向に通じない。谷澤さんはわたしの顔を覗き込むようにして溜息をつく。はなしは終わったなと思った。
 割烹を出て、ちょっと用事がと云ってばらばらに別れる。谷澤さんの行くところは分かっている、あとを追って某バーへ。「やあ、一考さん、はなしはなかったことにしてくれ」「分かっています、済みませんでした」。折角の企画が潰えた、全巻の構成まで考えていたのに。
 谷澤さんをわたしは黒木書店と浪速書林の師匠と思っている。書誌学者は古書店から生まれる。黒木正男さんも梶原正弘さんも、そして谷澤永一さんも逝った。わたしも近く幕をおろさねばならない。「遊星群 - 時代を語る好書録」(和泉書院刊)について書評を書きますとの約束を果たせなかったのが心残り、雑書研究の金字塔と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月11日 00:15 | 固定ページリンク




無責任  | 一考    

 前原元外務大臣の弁だが、かつて大阪のオバハンが駐車禁止のチケットをくしゃっと丸めて食べてしまうとの傑作CMがあった。オバハンの言い分は「なんでわたしだけが捕まるの」にある。わたしを捕まえるならあの人もこの人も捕まえてこその平等でしょうとの叫びである。
 どうしてわたしだけが契約社員であの人は正社員なの、どうしてわたしだけが身障者であの人は健常者なの、どうしてわたしだけが独身であの人は女にもてるの。これらはおそらく説明の付く問題であろうが、わたしには説明する気は毛頭ない。多分に偶然性が介在するので、なにを云ってもことを煩雑にするだけである。
 平等との概念は悋気や差別の概念と深く結びついている。マイノリティーの問題と同じで、根が相対的であるがゆえ、明解な解答は見つかるまい。なにを発言しても条件付きの発言しかできない。分かり易く云えば、ことごとくは好悪の問題に帰着する。その帰着点でもって、こころのなかは常に内戦状態である。かかる状態とご縁のない方は能転気という他ない、もしくは根っからの差別主義者であろう。
 わたしなどは差別の表層を撫でているだけで、差別の本質とやらを掴むつもりはさらさらない。何がなににとって差別なのかを見極めるだけでも気が遠くなる。かつての神戸の震災のような非常時には差別に対するそれなりの意見を抱くが、それだって発想の原点は非常に限られた状況である。差別が逆差別を生み、さらに逆逆差別を生む。いっそ片っ端から差別だ、差別だと騒いでいるのが一番良いのかもしれない。
 平等とか差別の概念はよく分からないが、悋気なら多少は分かる気がする。されば悋気諍いだけはすまいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月10日 00:07 | 固定ページリンク




無題  | 一考    

いろいろ御座いましょうが、わたしは一介の亡国の徒。お構いなく。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月09日 14:23 | 固定ページリンク




在日の納税  | 神軍平等兵    

http://www.zaitokukai.info/modules/bluesbb/thread.php?thr=507&sty=1&num=l50


投稿者: 神軍平等兵      日時: 2011年03月08日 22:51 | 固定ページリンク




ショットの値段  | 一考    

 あと半年で閉店なので値のことを書いても構わないだろう。ですぺらは開店から二、三年はショットは60ccだった。その後45ccを経て、現在では30ccに落ち着いた。その間、値はほとんど据置である。要するに、徐々に値上がりした。
 おそらく、60ccの時は東京でもっとも安いバーだった。倍に値上げした現在でも、ボトルによっては安いと思っている。他店でさらに安い店があれば遠慮なく申し出ていただきたい。
 店内在庫のアードベッグのごく一部分を記載する。

【アードベッグ '90(ゴードン&マクファイル)】 1000円
 コニッサーズ・チョイスの11年もの、40度。
【アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)】 1300円
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
【アードベッグ・オールモスト・ゼア '98】※ 1300円
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・スティルヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・ベリーヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '90(マーレイ・マクデヴィッド)】 1800円
 バーボン樽の9年もの、46度のシングル・カスク。
【アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)】 2000円
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '93(ダグラス・レイン)】 2000円
 オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
【アードベッグ '78(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 コニッサーズ・チョイスの一本。21年もの、40度。
【アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ17年】※ 2000円
 40度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '74(シグナトリー)】 2300円
 23年もの、43度。3樽、限定610本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '90】※ 2500円
 ファーストフィル・バーボンの13年もの、55.0度のカスク・ストレングス。日本向け1140本のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75】※ 2500円
 23年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75(ジョン・ミルロイ)】 3800円
 シェリー・バットの25年もの、58.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
【アードベッグ '75(ダグラス・レイン)】 3800円
 オールド・モルト・カスクの一本。24年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。713本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '77】※ 4000円
 24年もの、46度のディスティラリー・ボトル。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月08日 22:25 | 固定ページリンク




差別  | 一考    

 某ワイドショーで鳥越俊太郎と山本一太自民党参院政審会長のバトルがあった。前原外務大臣の辞任について鳥越曰く、
 外国人といっても在日韓国人は長く日本に住み、仕事をし、税金を払っており、表面的には日本人と変わらない。法の趣旨は、外国人が政治的な影響を及ぼしてはいけないということだが、焼肉屋のオバちゃんの献金にそれほどの影響力はないはずだ。一応まあ決まりだから、と事務的に返金すればすむはなしだろう、と。
 一方、山本一太は前原外務大臣の辞任さらには民主党の解散総選挙が目的だから、「鳥越さんの言うことは暴論、あまりに極論だ」と噛みつく。
 ここで大切なのは在日朝鮮人ら永住外国人の地方参政権の問題である。地方参政権に止まらない。納税の義務を果たしていながら選挙権を与えないという根本的な差別問題にある。話をそこまで掘り下げれば山本一太の立場はなくなる。しかるに、鳥越の弁を暴論とはよく云ったものである。前原が自民党の福田元総理が北朝鮮系企業から献金を受けていたのを強弁していたが、他人がしているのだからわたしも構わないと云った種類の発言こそが暴論であろう。
 法律というものは時節によってどうにでも変化してゆく。その法律を越えたところに理念や情念がある。わたしは前原を好きではないし、また政治から遠ざかろうとしている鳥越も好きでない。かと云って山本の教条主義的な物言いはさらに好まない、憎悪すら感じる。

追記
 根本的な差別問題と書いたが、念頭にあったのは1925年以前の制限選挙である。日本国籍を持ち、かつ内地に居住するとの条件は当然であって、在日と帰化した人とを同日に語るのは不用意。謝罪の他なし。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月07日 21:39 | 固定ページリンク




血尿  | 一考    

 秋の引越を技師に伝えたのだが、次の日には全員が知るところとなった。尼崎から姫路までの透析可能な病院の所在地をコピーしてくださり、個々の評判をご教示くださるなど、至れり尽せりのサービスである。普段は気難しい年長の看護師までもがいろいろと声を掛けてくださる。分からないことゆえ、みなさんに感謝している。

 血尿が出てから血液検査と尿検査が三度ずつ続いている。わたしは腎結石のせいだと思っているのだが、この一箇月、なにを調べているのだろうか。前立腺癌の疑いはありませんと云われたが、前立腺癌の検査など依頼した記憶はない。どうやら膵臓のポリープ同様、大腸以外のポリープ乃至癌を繰り返し探しているようである。明日は四度目の尿検査、剥離した癌細胞の細片の有無を調べるそうな。通常の尿検査と異なり採取量が多い。結果はまとめて教えてくださるようである。
 それにしても、こんなに検査が多いものなのだろうか。他の病院を知らないので、比較しようがない。それと他の患者の血液検査も尿検査も定期検査だけである。なにかしらの違変があればこその検査なのであろうが、その元が確認できればありがたいことである。もっとも、なるようにしかならないので、気にはしていないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月07日 20:28 | 固定ページリンク




脱血  | 一考    

 このところ穿刺ミスが多い。内出血にも馴れてきたが、血流の確保に困っている。通常は一分あたり三百ミリだが、わたしの場合はダイアライザーが小さいので百八十ミリである。それゆえ簡単に思われるのだが、血管の太さは均一でなく起伏が激しい。分岐していたり、畝っていたり、突然九十度に曲がっていたりと脱血箇所の確保に手を焼く。浅く刺したり深く刺したりいろいろと試みているのだが、満足な脱血を得られないときがある。そのための刺し直しが増えたのである。
 静脈の方は腕の内側に一直線のところがあるのだが、この内側は神経が集中していて痛いことこのうえない。穿刺のときだけでなく、刺している間ずっと痛いのであまり使う気にならない。いずれ使うしかないのは分かっているのだが。

 除水量によって寿命が決まると書いたが、ここにも個体差があって、クリニックでは良く透析し、良く食べるがモットーだそうである。良く食べると書いたが、透析患者のそれは健常者の半分から三分の二までである。身長体重もしくは新陳代謝によって差違が生じるのでカロリー数は書かれない。
 わたしの除水量は100から500の間を推移しているが、先日はドライウェイトを切ってしまった。尿素窒素が低いので看護師や技師は食事を疑っているが、十分に食している。透析をはじめて八箇月目に入ったが、いまなお飲む量に応じて尿が出ている。腎臓は壊死状態だが、どこかの回路が生きているのだと思う。その尿が理由なのだが、除水量があまりに少ない、況やマイナスになるようでは困るのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月03日 23:00 | 固定ページリンク




クォーターカスク  | 一考    

 佐々木幹郎さんの土産話のなかに、ラフロイグのクォーターカスクがあった。サントリーが扱うウィスキーのなかでもっともコストパフォーマンスがよく、かつ旨い。最初出たころのクォーターカスク(エイコーンやスリーリバーズの取扱い)は現行のそれと比してもう少し荒々しさがあった。やがてサントリーが扱うようになって香味はうんと滑らかになる。どちらが好きかは個人の好みである。ただし、初期のそれはずんと値が張る。
 クォーターカスクの中身だが、幹郎さんによれば五年ものと十一年ものだそうである。いくら小さな樽とはいえ、五年であれだけの膨よかさが出れば申し分ない。十一年は香りづけに数パーセントと思われるが、蒸留所にとっては儲けがしらと思われる。
 クォーターカスク(小樽)をフィニッシュに用いるという新規の製法だが、マスターブレンダーのロバート・ヒックスが2004年に完成させた。同じ製法は他の蒸留所も試みている。グレンファークラスにはドイツ向けのボトリングがあるが、高級品扱いである。他にもアベラワー、アードモアがそれに倣い、スプリングバンクはさらに小さなカスクを用いた商品を頒している。
 クォーターカスクを用いる利点はバーボン同様、短期熟成が可能だというところ、さればこそ五年もので十分ということになる。他の蒸留所も良いところはどしどし取り入れるべし。
 なお、クォーターカスクをシェリーでフィニッシュした「ラフロイグ トリプルウッド」が免税店向けにボトリングされている。こちらは高級品である。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月02日 22:56 | 固定ページリンク




編輯について  | 一考    

 「物議」が高遠さんからお褒めに預かった、悪乗りしてさらに一言。多くの書物が編輯者を介さず、陽の目をみるようになった。おそらく書き手の自己判断が基準になっているのだと思う。しかしこれ以上危険なことがあろうか。
 自分で文字を打ち込めば十万円もあれば本らしきものが造られる。他方、編輯者の目を通すのに五十万円掛かったとする。それでもなお、編輯者が読むことに価値があるとわたしは思う。校閲ないし校正とはそれほどに大変な作業である。
 文章を著すときに編輯者を意識するとは読者を想定するに等しい。最初の読者が編輯者であって、彼(彼女)ならどのように表現するだろうかと考える。そこから文章の鏤刻がはじまり雕琢がはじまる。推敲を重ねるとは既存の書物のあらゆる表現と照らし合わせ、もっとも適確な用語を選択することである。ときとして、句読点ひとつに何日も考え込むこともある。
 それら艱難は著者と編輯者の秘め事であって外には表れない。わたしなどは二十回ほど書き直しをする。書き直すではなく、書き直さざるを得ないのである。理由は手持ちの引き出しの数の少なさにある。
 文学にあってもっとも大切なのはイノベーションだと思う。情念における革新性は当然として、表現法としての革新性も問われつづける。そして情念における革新性と表現法における革新性とは同一のものである。既存の書物から得た夥しい引き出しの古層のなかからのみ、その革新性は生まれる。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 21:34 | 固定ページリンク




閉店予告  | 一考    

 店を借りているのは八月二十三日までですが、店内の器機撤収に一箇月は掛かりますので、営業は七月までとなります。まだ数箇月ありますので、どうかよろしくお願い致します。
 mixiのコミュニティ「ですぺら」の管理人stewardさんには満腔の謝意を表したく思います。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 04:36 | 固定ページリンク




樽について  | 一考    

 某ウィスキー解説書には緯度の関係でスコットランドでオークは採られないと書いていた。わたしはなんの疑いもなく信じていたが、佐々木幹郎さんがアイラ島から帰られ、オークの森の写真をブログへ掲載なさった。調べたところ、

 http://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/17/

で書かれていた。以下に紹介する。

 熟成を目的としてウイスキーの貯蔵が始まったのは19世紀後半で、まずヨーロッパから輸入されてきたワインやシェリーの空き樽が使われ、次いで50年ほど前からはバーボンの空き樽が大量に使用されるようになった。次に述べるがこの時代までにスコットランドのオークはほとんど枯渇しており、地元の樽で作ったウイスキー樽は作られなかったのである。

 ピート湿原が広がる荒涼とした風景はスコットランドを代表する風景の一つであるが紀元数千年までは広い範囲が鬱蒼とした森林であった。特にローランド地方や、ハイランドでも海岸部はオークの森林に被われ、オークはスコットランドを代表する樹木であった。これらの森林がほとんど消滅した理由は気象変化もあったが何と言っても人間の活動による。森林は草地への変換のために伐採されたが、オークは船の建造、建築用材、家具、皮なめし用のタンニンの原料、燃料として非常に有用であったので18世紀頃までに大量に伐採されてしまった。しかしながら、資源として利用するには不充分でも今でもオークはスコットランドでよく見かける樹木である。現在私がいるグラスゴー大学の構内でもよく見られるし、グラスゴー市のシンボル・ツリーでもある。
 スコットランドのオークはセシル・オーク(Sessile Oak: Quercus petrae)で、フランスのコニャックの熟成に使われるオークと同種、イングランドやスペインのコモン・オーク(Common Oak: Quercus robur)とは種類が異なっている。スコットランド産のオークで作った樽で熟成したスコッチ・ウイスキーはどんな味がするか出来れば飲んでみたいものである。

 キリスト教の歴史を知らないでフランス文学は理解できない。同様にスコットランドの歴史を知らずしてスコッチウィスキーについて語ることは出来ない。この当たり前のことをわたしは失念していたようである。恥を知るとはこのことで、赤面の至りである。
 「シャルドネ荘園」とのブログでは樽香について詳述されている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/chardonnay/diary/200804020000/

 樽香のみならず、地質、タンニン、フェノール化合物(フェノール酸、酒石、アントシアン)等々について実に詳しい。オーガニック、循環型農業(パーマカルチャー)を基本とし、北海道で葡萄栽培を主とした農業を営まれる方だが、生産者側の貴重な意見に充ちている。ぜひお読みいただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 04:19 | 固定ページリンク




フリー  | 一考    

 自転車のフリーはエベレストかレジナを用いてきた。チチチチもしくはジャージャーと音がする。レースのときなど、その音が重なり合って蝉の声もしくは珠盤玉をひっくり返したような音に感じられる。自転車であれ、車であれ、わたしはホーンを鳴らさない。人にぶつかりそうになったときはブレーキを掛け、クランクを後方へ回転させる。フリーの音で自転車の接近を報せるのである。気持がとどかなければ停車する。ところが最近は無音のフリーが増えてきた。それで歩道を走られると危険この上ない。先日も無音の自転車が横をすり抜けていった。後輪を蹴飛ばしてやろうかと思う。
 自転車は軽車両なので、車道を走らなければならない。歩道は押して歩くものと道路交通法で定められている。ところがそれを取り締まるべき警官が歩道を疾走しているのはなぜ。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月26日 22:05 | 固定ページリンク




物議  | 一考    

 このところ物議を醸すことを書いたので掲示板のカウントが跳ねあがっている。同時に当掲示板に意外な読み手がいらっしゃることに気付かされた。露愁さんもそうしたおひとりで、いたく恐縮している。
 文責と書いたのが戦闘的に見えるようだが、書かれた文章に責任を持つのは当たり前である。かつて触れたことがあるが、二十代の頃、著作権で問題を起こし何度か裁判沙汰になった。昨今はインターネットだが、メディアが替わっただけで著作権に関する法律は昔より五月蠅くなっている。もっとも病人の書く文章でないと云われればそれまでだが。
 盗作は置き引きと同じ犯罪である。裁判を望まれる方にはどうぞと云いたいが、あの煩わしさは蒙御免。繰り返すが、編輯者の不在が現今の問題を惹きおこしている。ブログに於ける内容のいかがわしさ、日本語の乱れ、細かくは打ち間違い、変換ミス等々、編輯の機能が働けば問題はおきない。編輯者不在で文章を認めることの怖ろしさを思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月25日 23:57 | 固定ページリンク




天国  | 一考    

 放置バーと云ってもSMバーではない。ですぺらでは客が放置されるの意である。わたしは放置バーが好きである。どうせ大した話などあろう筈もない。昔からバーへ行ったときは黙して飲むことに専念する。酒だけは大したものだからである。
 佐々木幹郎さんがアイラ島から戻られたが、前回のスペイサイド紀行が「嗜み」で三号にわたって連載されている。宇土美佐子さんについて触れられているのはその最終号(九号)である。文中、エジンバラのバー「カニイマン」について触れている。喫煙、携帯電話、写真撮影はNG、クレジットカードもバックパッカーもお断りのバーだが、実にうまく描かれている。(引用はカニイマンでない)

 スコットランドでお酒を飲むときの魅力。それを一言で言えば、夕陽に頬を照らされて飲む楽しみ、に尽きる。
 わたしはまだ五月のスコットランドにいる。もう少し、この時期のスコットランドについて語りたい。
 新鮮な樹木の緑が次々と芽吹く季節。英語では「ラッシュ・グリーン」と言うそうだ。勢いのある言葉だ。その勢いと並行するように、この時期のスコットランドは午後八時になっても外は明るい。首都のエジンバラでも田舎のスペイサイド地区のクライゲラヒ村でも、夕方からバーのカウンターでウイスキーを飲みだして、もう数時間は経つのに、窓の外を見るとオレンジ色の夕陽が皓々としている。隣の酔客の頬に夕陽があたっている。日本のバーで、こんな飲み方をしたことがない。夜の電灯の下でボトルをあけることしか知らなかったわたしには、これは驚くほど新鮮なことだった。少しずつ酩酊しながら、わたしの頬にも夕陽があたる。ここは天国に近いな、と思う。

 ウィスキーについて書かれた文章は数多あるが、どれもこれも無味乾燥である。幹郎さんの文章はいずれ纏まるだろうが、はじめての読み物になるに違いない。わたしも最後は夕陽が頬にあたるバーを営みたいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月24日 21:27 | 固定ページリンク




恢復  | 一考    

 赤坂にはコンビニが多い、ところがコンビニからジュースが消えた。各種茶とレモンウォーターの類いばかりである。気持はよく分かるが、たまにジュースが飲みたいときは困惑する。セブンイレブンにはオリジナル商品でグレープ、グレープフルーツ、オレンジ、アップルが揃っている。それ以外のコンビニ(ただし赤坂店に限る)はよほど売れないのか一掃されてしまった。
 先々週、そのオレンジジュースとアップルジュースを試しに飲んだ。二週間に一リットルだと、血液に問題は生じなかった。この分だとレモンジュースも大丈夫かもしれない。
 ダイアライザーはカリウムは多少除去するがリンは無理である。透析患者が難渋しているのはリンとカルシウムの吸着剤である。そのリンとカルシウムがもっとも多く含まれるのが牛乳だが、こちらも二週間に一リットルだとわたしの場合、血液に異常値は出なかった。とはいえ、技師から個体差があるので、そのような無茶は止めて欲しいと云われた。
 透析患者の血液検査は基準値が健常者のそれとはまったく異なる。当掲示板で血液検査の結果を屡々書き込んでいるが、健常者の参考にはならない。例えば血圧にしても上が150から180だと透析患者にとっては正常だが、健常者の場合は110から120ぐらいである。
 わたしの血圧は低く(高い方が90から70)、失神に泣かされてきたが、最近は正常値(150の80)を維持している(貧血で低血圧と云うのはよほどの失血を除いてあり得ないのだが)。降圧剤の服用を止めてから徐々に戻ってきたようである。貧血の方もヘモグロビンが12.1にまで恢復している。

 ところで、木村さんが高血圧に悩まされているようである。彼の血液検査の結果を見ていないのでなんとも云えないが、降圧剤が効かない場合は利尿剤である。例え減塩生活をしていても、血中はナトリウムの過剰になる。腎臓で排出されても再び吸収してしまうからである。利尿剤は血糖値や尿酸値を上げるとされていたが、最近は見直されている。特にナトリウム再吸収のガードになる。要は尿と共に塩分も排泄されるのである。場合によっては救いの妙薬になる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月23日 20:51 | 固定ページリンク




為事  | 一考    

 神戸の岡田さんと大阪の木村さんから電話あり。岡田さんは創文社でわたしを担当なさった方で、青春を共に暮らした。コーベブックス名義で拵えた六十四冊の書物は悉く岡田さんの手になるもの。彼とわたしが敷いたレールの上へ、後日サバト館と湯川書房が相乗りしたのである。
 京都の森田和紙の協力があって、とにかく和紙を多用した。創文社と手漉和紙に関してはですぺら掲示板1で幾度となく著したが、印刷機と和紙の相性はすこぶる悪い。和紙は厚みが均一でなく、四方に耳が付いている。しかも、裏表のノンブルが重ならないとわたしの機嫌が悪くなる。文選、植字、刷りすべての職人の呼吸が合わないと美しい版面はできない。費用は眼中になく、ただただ東京で刷られない、精興社で刷られない書物を求めて、また英国の印刷工房に負けない印刷をと、がむしゃらに為事をした。それらを指揮なさったのが岡田さんだった。
 わたしが出版について語るとき、それは取りも直さず岡田巌について語るに等しい。湯川さんと政田さんよろしく、岡田さんとわたしもまた二人三脚だった。二人して、神戸の印刷史に新たな一頁を開いたとわたしは信じている。
 木村さんはコーベブックスで一緒に為事をした。わたしが出版というような勝手な真似ができたのは、木村さんと秋山さんという現場を仕切る方があればこそである。出版が赤字のため、わたしはさまざまな展覧会で利益を上げていた。画展には強力な助っ人の田村書店があった。いずれにせよ、わたしの為事は屡々現場を裏切るような結果になった。済まなく思うと同時に、誰かがやらねばならない蛮勇に類することだった。その木村さんからの電話である。彼は還暦を迎えたとか、ひとには変わる部分と変わらない部分がある。双方引っくるめて話がしたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月23日 04:03 | 固定ページリンク




腎結石  | 一考    

 2010年7月17日の新華網によると、中国では腹膜透析や血液透析をしながら腎移植を待つ患者が毎年百万人、肝炎末期で肝臓移植が必要な患者は三十万人いる。そのうち臓器移植を受けられるのはわずか一パーセントだという。
 わたしが腎不全になった理由は腎臓結石だが、この腎結石もしくは尿路結石にかかる比率は二本では人口十万人で五十三人ほど。また、生涯のあいだに百人のうち四人が一度は尿路結石になると言われる。結石から透析に至るのはさらに少なかろう(一説によると結石患者の二パーセント)が、その正確なデータは持っていない。ちなみに、東葛クリニックでは患者一千人のうち、腎結石が引き金になったのはわたしを入れて二名しかいない。
 上皮小体(副甲状腺)と呼ばれる米粒ぐらいの臓器が首の甲状腺の裏に四つある。血中のカルシウム濃度を正常に保つためのホルモン(副甲状腺ホルモン)が分泌されている。結石の治療は腫瘍化した副甲状腺を切除するようである。そうした手術をわたしは受けていないので詳細は分からない。わたしが何度か受けたのは体外衝撃波結石破砕術(ESWL)のみで、経尿道的尿管砕石術(TUL)も受けていない。要するに、本気で癒さなかったのが祟って透析となった。

 現在では透析に至る腎不全患者の七割は糖尿病症であり、その数は増え続けている。糖尿病症の治療法を紹介するのがもっとも役立つのだろうが、わたしが糖尿病症でないので違いがよく分からない。いずれにせよ、透析をはじめてしまえば似たものだと思うが、それ以前の食事制限は似て非なるものである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 22:30 | 固定ページリンク




湯川拾遺  | 一考    

 伊東さんは焼き肉でなく畜産肉の貿易業者らしい。わたしは存じ上げないし調べる気にもならないので失礼する。湯川さんの実家は東住吉の田辺。摂津正雀の家は父親が住むつもりで買ったものの、横浜への転勤で新婚の湯川さんが住むことになった、と湯川紀美子さんから連絡があった。湯川成一さんの伝記を著すなら調べもしようが、事実関係はここまでで良いと思っている。湯川伝の筆者なら他に適任者がいらっしゃる。わたしは異を唱えるだけで勘弁願いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 00:46 | 固定ページリンク




年内閉店  | 一考    

 体調が良いあいだに身辺整理をはじめなければならない。一番の問題はですぺらと病院である。まず、ですぺらを年内に処理するつもり。赤坂店は2000年3月24日の開店だったので、十一年間の赤字におさらばすることになる。この十一年どうも非合理的な金の遣い方をしたようである。出版といい、飲み屋といい、わたしはおよそ商売に向いていない、分かっていてこの為体である。
 出版はとんでもない赤字を抱えたが、飲み屋の方も似たようなものである。なにもしないのが一番金を遣わない。生活費だけならなんとでもなる。神戸へ帰るのは気が進まなかったが、病気になると致し方ない。
 松戸のクリニックは気に入っている。最新の器械を使っているので心置きなく透析を受けていられる。最近はこちらから細かく指示できるようになった。やっと馴れたかなと思っているのに残念である。神戸に良いクリニックがあればよいのだが。

 チュニジア、エジプトについでリビアが騒然としている。イエメン、ヨルダン、シリア、パレスチナ自治区、スーダン、アルジェリア、バーレーン、サウジアラビア、イランと連鎖反応はつづく。君主乃至は独裁者がいなくなるのは良いが、個々の欲が絡んで無政府状態に陥る。もっとも、共和制とは一種の無政府状態だとわたしは思っている。ただし、病人になるとそれは困る。特に透析の場合、休みなしなので周章てるのは身体である。チュニジアやエジプトの透析患者はどうしているのだろうか。満足な透析など受けられはしまい。
 腹膜透析はエジプトのミイラ造りに端を発するが、今日の腹腔穿刺法は17世紀の腹水症治療と同じ原理、方法で行われている。1744年、Stephen Halesは赤ワインを用いた持続的腹腔洗浄法を発明したが、赤ワインにより腹膜は繊維化し腹腔は閉塞したという。赤ワインの生体適合性が極めて低かったのが理由である。キリスト教徒ならではの試みだったと云えようか。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 00:23 | 固定ページリンク




裏面  | 一考    

 湯川さんも政田さんも自分を語るひとでなかった。必要を感じなかったと云うよりはどうでもよかったのだと思う。これは編輯者によくあることで、自らが編輯する著者に代弁させる、すなわち黒子のさらなる裏面といった趣がある。政田さんは上戸で、彼の名古屋時代にわたしは何度か酒を酌み交わしている。しかし、塚本さんの前では決して盃を持つことはなかった。塚本がそれを嫌がったからである。従って、政田さんを下戸と思っているひとは多い。彼はそうした誤解を気にするような素振りすら表出さなかった。
 大相撲の八百長問題でこのところ囂しい。日本相撲協会は八百長はなかったの一点張り。貴乃花や大乃国にとって八百長はあってはならない本質的問題だったが、現実には八百長が横行していた。またマスメディアの連中にとって八百長は相撲取りの大半が毒されてい、八百長は単に相撲協会の立前であったに違いない。なにを云いたいのかというと、本音と立前は常に入れ子構造にあって、なにが本音でなにが立前かは、ひとの立ち位置によって異なる。
 テレビで某評論家が「立前は美しい、立前には美学がある」と分かったようなことを云っていた。日本相撲協会を弁護する発言だったが、本音と立前を識別できるひとだと、妙に感心させられた。感心させられた理由は彼は嘘をついていると云う点にある。前述したように本音と立前のあいだに境界線はない。常に揺れ動いている概念だからである。
 余談だが、わたしは詩歌をよく読む。その評価は前述の嘘が含まれているかどうかの一点である。詩人でその峻別ができるのは谷川俊太郎の他、おそらく十名しかいない。一語、一語その言葉が正しいのか嘘なのかを吟味して用いる作家は寡ない。それは作品の巧拙を越えて大切なことである。翻訳の場合、その嘘があるかないかはさらに少数者になる。横文字を縦文字に変換するに止まらない。なにげなく用いる言葉にこそ、嘘は介在する。その嘘を刮げ落とし、かつ名調子に仕立て上げる高遠弘美など神業に近いものだと思っている。
 さて、湯川と政田である。彼等は相手に応じてなにものにでも成り遂せた編輯者である。出遇った相手の数だけの顔を湯川さんも政田さんも持ち合わせていた。そこのところを誤解するととんでもない湯川像が政田像が誕生する。もっとも、彼等はにんまり嗤ってそれを許しただろうが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月18日 23:23 | 固定ページリンク




湯川さんについて追記  | 一考    

 前項で悪口を書いた。あまり書きたくなかったのだが、告訴とか裁判とかが聞こえてきたので書かざるを得なくなった。いわばガス抜きである。文学とは縁もゆかりもないひとがコレクターには多い。それはそれで大切な方々である。コレクターがいればこそ後世ののひとが美本を入手できる。そして限定出版はそういったコレクターによって支えられている。ただ、コレクターが常に分を弁えるとは限らない。誰かが迷惑を被れば、叩かざるを得ない。
 今回は岡田露愁さんに関する文章があまりに酷かった。何度か事実関係を調べたが、本に書かれていることはまったくの伝聞か創作の域を一歩も出るものでなかった。それは分かっていたのだが、例え掲示板と云えどもしっかり調べないと書かれない。貴重な時間をわたしのために割かれた方には御礼申し上げる。
 あのような内容の書物は上梓する前にゲラ刷りを関係者に見せるべきであろう。そうした通常とられる手続きが踏まれなかったところに不幸がある。理由は編輯者の不在である。同書は八十部の限定本だが、劃ったがゆえに許されるというものでない。印刷は複製技術であり、例え一部であっても公刊本である。
 露愁さんの肉筆一部本が献本として彼の手に渡っている。それは世話になったもしくは雑作を掛けた相手への湯川の謝意である。その段階で貸し借りは終了している。それを露愁さんのせいにするのは逆怨みである。今回の件で露愁さんが立腹なさるのを危惧する。それでなくとも湯川の奥方は腹を立てていらっしゃる。
 彼についてはわたしはなにも知らない。どうやら焼き肉に関する会社の社長のようである。かなり神経の粗雑な方とお見受けする。でなければあのような文章は書かれない。土足で他人の家屋を荒らすような風情である。他に書くことはあったが、水掛け論はしたくないので控えた。
 繰り返すが、前項の文章の文責はわたしにある。なにかあればわたしを相手にしていただきたい。文を著すとはそういうことであって、常に責任が生じる。責任が取られない文章は決して書いてはいけない。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月17日 22:26 | 固定ページリンク




湯川書房について  | 一考    

 携帯電話が架かってきたときに、眼鏡が近くにあればよいのだが、大概は見当たらない。要するに、誰からの電話なのか声を聞くまでは分からない。今回の電話は湯川書房についてであった。
 「夢のあとで」と題する著書が上梓された。「湯川書房・湯川成一と四十年」との副題がつけられている。刊行は伊東康雄氏だが、「伊東康雄語り、片柳草生文」と記載されている。伊東氏は湯川書房の株主ではないがコレクターである。片柳草生氏は元文化出版局、現在はフリーで活躍なさっている。本書の場合、文責がどちらに在るのかよく分からないが、取り敢えず伊東氏ということにしておこう。文責と書いたが書かねばならないほど本書には間違いが多い。おそらく触れられている各人に直接取材をせずに、著者の思い込みで書かれたものと推察する。本書には夥しい固有名詞が著されているものの、どこにも小説乃至は創作とは記されていない、さればこそ問題が生じる。以下「夢のあとで」の本文に添ってはなしを進める。(文中敬称略)

 文中、塚本邦雄の「茴香変」以降、政田と湯川との関係は急速に親密度を増したとあるが、政田岑生と湯川との交わりは古く、政田が広島で詩の同人誌を出していた頃からの付き合いである。湯川に断わりなく政田が湯川書房の名で勝手に本を出した、とあるのは間違っている。湯川と政田は親友で、彼等の営みは二人三脚のようなものだった。従って、互いに足らない部分を補っていたと云うが正しい。念の為に云っておくが、両名とも同性愛的なものとは遠く、世にいうストレートだったと断じておく。いわんや「溶ける魚」「水の巵子」「火の雉子」は男色趣味とは縁もゆかりもない書冊であり、鶴岡善久と政田両氏の編纂になる。伊東のような色眼鏡で見られては立腹なさる方もなかにはいらっしゃる。
 季刊湯川の発刊も政田の影響下ではない。季刊湯川の編輯をわたしはお手伝いしたが、政田の影響としては、岩波書店の書冊を手掛けていた精興社で印刷した点、それ以外彼はほとんどタッチしていない。蛇足ながら、辻邦生、小川国夫、塚本邦雄の三名を「三クニオ」と最初に揶揄したのは記憶に間違いがなければ旭屋梅田店の海地さんだった。
 湯川がみすず書房のファンだったかどうかは知らないが、レイアウトはみすずのそれとは全く異なる。むしろ湯川は岩波書店のファンで、精興社への憧れが強かった。レイアウトに関しては詩書出版の書肆山田もしくは小沢書店の方が湯川のそれに近い。
 株主七人と発起人一人の計八人で湯川書房は株式会社となった。株式会社設立後、東販と日販は注文口座を、東京の鈴木書店は新刊配本の口座を開設する。鈴木のそれは痒いところに手が届くような配本で、湯川書房には特に力を入れていた。関西は地元ゆえ構わないが、鈴木の取扱いがなければ東京の書店への配本はかなわなかった。
 鶉屋の飯田さんが繁く登場なさるが、ならば浪速書林の梶原さんを取上げなければ片手落ちになる。「死者」に関して生田との間に生じた確執は岡田露愁とわたしが起因している。強調しておきたいのは生田が露愁と不仲になり名前を返せと云ったとき、湯川は珍しく生田の態度に大人げないと立腹していた。ちなみに、「湯川72倶楽部」の限定記号に木偏の活字を用いると言い出したのは大阪の波宣亭主人、泉さんだった。
 岡田露愁の「魔笛」について一言。まず九条の公団は湯川が用意したものでなく、金数も出していない。数名の刷り師にアルバイトを頼み、五千余枚を刷り上げた。画料の一部を先払いし、露愁はそれをアルバイト代として遣い、最後の清算は曖昧になった。曖昧に終わったでは誤解が生じる、露愁が辞退したのである。文中で触れられているような生活の面倒までみたはとんでもない間違いで、当時の湯川にそのようなゆとりはなかった。99部の「魔笛」は完売、湯川本としては大成功だった。伊東が土地を手離したのは事実だろうが、それは伊東と湯川の問題であって、露愁とはなんの関わりもない。この件に関してはいくら強調しても強調しすぎるといったきらいはない。
 湯川と奥方の紀美子さんは社内結婚、二人にとって小川証券は思い出深い会社である。その小川証券のことを伊東は書いているが、かかるプライベートなことは書くべきでない。自殺云々とはかつての湯川の部下と運転手のことであろうが、事実関係を往事の小川証券の関係者に問い合わせたのであろうか。わたしが調べた限り、湯川とはなんの関わりもなかった。小川証券の一節の結句として伊東が引用する有生夫の名で書いたエッセイは小川国夫著「闇の人」へのオマージュであって、湯川は洒落気の強い人で闇とは最期まで縁がなかった。暗さのない人間などいないだろうが、闇と云うような弁証法的転嫁は彼には生涯無縁だった。
 学生時代ボクシング部に籍を置いたとか、浜村美智子のバックダンサーをしていたと書いているが、湯川が親しくしていた同級生に問い合わせたところ、そのような事実関係はなかった。洒落気と書いたが、このような冗談を湯川は屡々口にする。例えば、父親がスーパーを経営していて、その土地建物を売った金で出版を維持しているとの類いである。昭森社の森谷均の法螺を擬えたものであって、本気にしては恥をかく。
 湯川が左手で仏画を描いたのは永田耕衣の模倣、作品も耕衣ゆかりのものが多い。正雀の家を実家と書くのも間違い。湯川の父親は高島屋の部長だった方で、摂津正雀の家は結婚の祝いに購いしもの。
 湯川の出資者についてだが、わたしにできたのは吉岡実の詩集を全冊買い支えたことぐらい。前述した梶原をはじめ、株主の方々は各位可能な限りの協力をなさっている。ご協力を忝なく思うが、出資は伊東だけではない。それについては個人的なことゆえ、詳細は触れない。

 湯川書房の編輯を手伝った一人として看過できない点があった。それゆえ、不本意ながら重箱の隅を楊枝でつつくようなことを書いた。しかし、「夢のあとで」の基本姿勢は湯川へのオマージュである。それは重々承知の上で、遺族を悲しませるような書き方は止めた方がよろしいかと思う。本書の上梓をもっとも慨いているのは湯川紀美子さんである。戸田勝久や創文社など、湯川と親しかった人々が名を連ねながらどうしてこのような書物が陽の目をみるに至ったのか。文芸書ではないにせよ、関係者各位の猛省を促したい。なお、当文責は渡辺一考にある。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月17日 04:39 | 固定ページリンク




長生きの秘訣  | 一考    

 「不必要な長生きなんぞしたくもない」と書いたが、欲求がないわけではない。それは北海道への旅行である。制約が多すぎるので、透析を受けながらの旅は願い下げである。そのためには腎移植が必要となる。そして移植は透析以上の問題をわたしに突きつける。
 わたしの意見は2009年07月22日に書いた「腎不全」の時のままである。移植に対する意見は変わらない、変わらないと云うよりは迷い続けていると云った方が正しい。ドナーに云わせると、失敗してもともと、少しでも長生きできればそれで良いではないかと。有り難いはなしだが、それは長生きをしたいひとに云うことである、翻ってわたしが長生きしたいのかと云うと、そこのところがよく分からない。
 若ければ若いほど、ひとは先を読むことができない。読まれないがゆえの狼狽え、怯え、すなわち執着がある。しかし、三十歳を出て先行きが読まれないのはおよそ無知曚昧に等しい。人生の概念、要するに設計図を引くのは三十歳までにあらかた終了する。あとはその概念に則って残された日々を送るだけ。長生きしようとも途中で中断されようともそれ以上の者になれる筈もない。それ以上の者とは非凡を示唆している。非凡を一廉の人物もしくは世間的な評価と置き換えても構わない。
 明日になればなにか起こりそうな気がする、そう思ってひとは生き延びる。選民意識も長生きの秘訣かもしれない、わたしは撰ばれた人間で他人が必要としていると。そうした勝手な思い込みがない場合の口実は、家族ないしは友の存在だろう。それを言い換えれば、悲しむひとがいるとなる。しかし、悲しむひとのために生き延びるのでは、あまりに他人事に過ぎよう。恋愛同様、他の存在があってのはなしゆえ、選民意識と似たようなものである。
 それにしても、他人から必要とされるような理不尽かつあり得ない関係をどうしてひとは求め、信じようとするのか。近頃、無縁社会が問題になっているが、団塊の世代が大家族での暮らしを拒否したところから派生した問題であって、意図した以上、ひとは無縁にならざるを得ない。無縁者は誰からも必要とされない、ならばそれに徹すべきとわたしは思う。無縁は社会問題でなく、個々の心構えの問題であろう。

 長生きへの思いに結論はない。さればこその北海道旅行である。生きようと思えば、生きることになんらかのこじつけが必要となる。理に合わない牽強附会こそが生きるための唯一の手立てなのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月16日 20:29 | 固定ページリンク




追記  | 一考    

 靭帯剥離骨折と憩室からの大量下血だが、それらは腎不全のなせる業である。腎不全発症によって骨粗鬆症になったのが骨折の引き金となり、尿毒素によって出血性になった身体から下血したのである。憩室の手術の際、痔も共に手術しなければと云われ、この大変なときにどうして痔の手術をと思ったのだが、出血の可能性のあるところはすべて修復した方が良いとの主治医の命に従った。考えてみれば懸命な処置で、感謝しなければならないのだが、当時は前後の脈絡が分からず、狼狽えるばかりだった。透析をはじめてからさまざまな事柄が一直線に結びついてくる。
 それにしても凄まじい病院だった。入院は僅か二日。サンドイッチ、キャラメルなど食べ物は取上げられ、いきなり下剤を飲まされ点滴がはじめられた。二日目に手術が続き、その日は一日中痛みに堪えかねて唸っていた。痛み止めなどなにも効かない。そして術後、血が滴っているにもかかわらず、また痛みの渦中にあって退院だと云う。案の定、駐車場で失神してしまったが、あれが医術なのだと感心させられた。世の中には面白い医師が居ると驚くと同時にこころを動かされた。主治医の紹介でいろんなタイプの医師と出会う、感謝の他なにもなし。

 腎不全とは結果的に血液そのものが病に罹ることだが、近い将来IPS細胞が実用化されれば簡便に治療できる病になる。おそらく五、六十年後と思われる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月15日 21:56 | 固定ページリンク




腎不全発症時  | 一考    

 発症前後の処置によって生存率は大きく変わる、そこで腎不全発症の頃を書いておく。わたしは腎結石なのでいずれ腎不全に陥るのは明らかだったが、本人にそのような覚悟はなにもなかった。結石が尿管に落ちるときの激痛は覚悟していても、腎臓は沈黙の臓器であって痛みを伴わない、痛みのないところに不条理は感じようがなかった。
 オートバイの顛倒事故によって左脚の靭帯剥離骨折、その折の血液検査でクレアチニンが6を越えているのを知った。医師にとって骨折は二の次で、即刻シャントの作製と透析を命じられた。ちなみに、事故前年のクレアチニンは2だった。
 通常はクレアチニン6でシャントを作り、7で透析に這入る。ところが、当時のわたしは透析を試みる気はまったくなく、死ぬつもりだった。その理由は捨て置けば心不全でぽっくり死ぬと聴かされたからである。わたしは何時死んでも悔いのない生き方を心掛けてきた。従って、苦しまずに死ぬのであればそれに越したことはないと思った。
 クレアチニンが8を越えたあたりからさまざまな症状に襲われるようになった。顛倒事故からきた松葉杖は別にして、骨粗鬆症、憩室からの下血による慢性の貧血と血圧の低下(通常は高血圧に苦しめられるが、私の場合は違った)、尿毒症がもたらす頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、歩行困難、全身の痒み等々、しかしそれらは堪えられる種類の痛みだった、たったひとつブラックアウト(急激な血圧低下)を除いて。度重なる失神にわたしは悲鳴を挙げた。ブラックアウトのときの痛みと恐怖心に根負けし、透析に踏み切らざるを得なかった。透析時の年齢は六十三歳。
 わたしがシャントを作った時のクレアチニンは10を越えていた。ここまでで発症から一年半を費やしている。ここで書いておきたいのはもっと早い段階で透析に踏み切っていたら、生存率はさらに上がっていたであろうこと。
 シャント作製から四日目(通常は二週間)に透析をはじめた。それほどに非常事態だった。しかし本人は呑気ななもので、透析をはじめれば多少のことは大丈夫と、病院近隣の喫茶店で葉巻を薫らせ珈琲を啜っていた。流石に珈琲はその一度だけで止めたが、烟草はいまなお馴れ親しんでいる。
 文中で触れたように、高血圧と貧血で悶々とするのが腎不全である。また浮腫は付きものの症例だがわたしには起きなかった。ブラックアウトも前例はあるが頻発するような例はない。このあたりにも個体差が顕れている。そして平均生存率は五年だが、無理が祟って四年というのが医師の見立て、すこぶる冷静な判断だと思っている。
 透析をはじめた以上、わたしが為すべきことはその四年をどこまで延ばすかであろう。よって食事制限とその制限と密接な関わりを持つ血液検査で異常値を出さない、ドライウェイトの三パーセント以内の除水率を守る、以上に全力を傾けるのが医師への礼儀であり謝意だと心得ている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月15日 03:33 | 固定ページリンク




願い  | 一考    

 ですぺら掲示板はヤフーとはほとんど付き合いがなかった。ところがヤフーがグーグルロボットを使いはじめてからヤフーからの検索が増えた。特に透析に関する検索に置いて顕著になった。透析患者の寿命についてはほぼ連日検索されている。先日も十五歳から透析をはじめると何歳まで生きられるかというのがあった。答えは平均で二十五年、従って四十歳までは大丈夫である。
 東洋医学と西洋のそれとでは平均というデータの取り方が異なる。西洋医学にあってはあらゆるデータが採られている。ただし、云っておかなければならないのはデータとは過去に遡っての積算になる。医学は日進月歩であって、透析患者の生存率は年々延びている。その一方で毎年二万人の患者が一年未満で亡くなっているのも事実である。だからこそ除水率が問題になる。
 検索で当掲示板へ来られた方にはぜひ他の頁もお読み頂きたい。除水率ひとつで平均余命を延ばすも縮めるも自在になる。血液透析はあくまでも腎臓の働きのごく一部を代行するものであって、基本的に問われるのは自己管理である。その自己管理についてわたしは経験したすべてをさらけ出している。悲しむ暇があれば、まず自己管理に精通していただきたい。それがわたしの願いである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月14日 03:29 | 固定ページリンク




パンフレット  | 一考    

 本日の除水は200ミリリットル、正月にも食事がかなわずドライウエイトを切ったことがあったが、それを別にして最低量だった。食事はいつも通り、ただ水を少々控えた。これには訳があって、小水が出ているあいだはできるだけ水を飲むように心掛けてきた。ところがクリニックの技師によると突然水を飲むのを止めるのは不可能に近い。少しずつでも減らしてゆくべきでないだろうかと注意を受けた。いわれてみればその通り、で、ちょいと控えた。
 冬場は汗をかかないので夏と比して水分量は増えるはずである。にもかかわらず、200ミリリットルは少なすぎる。ちなみに向かいの患者は4リットル越えで一日では処理しきれず次回まで持ち越し、隣は3.4リットルだった。そのまた隣(彼とは親しい)はコンスタントに2リットル。
 器械が新しくなったので、看護師から「血液透析のしくみ」と「腎臓のしくみと働き」とのパンフレットを頂戴した。それを纏めて気付いたことを追加したのが前項である。過去の書き込みと重複するが、まとめとしてお読み頂きたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月13日 17:58 | 固定ページリンク




生活習慣病  | 一考    

 腎臓は血液を濾過する臓器で糸球体と尿細管から構成されている。一日1500リットルの血液を濾過し、150リットルの原尿を作り出し、約1.5リットルの尿を排泄する。大きく別けて六つの働きを持つ。老廃物の排泄(尿素窒素、クレアチニン、尿酸など)、水分量の調節、電解質の調節(ナトリウム、カリウム、リン、カルシウムなど)、血圧の調節、ビタミンDの活性化、造血ホルモンの分泌(エリスロポエチン)。
 腎臓病になる理由としては、慢性糸球体腎炎、多発性嚢胞腎(遺伝による)、糖尿病性腎症(高血糖により糸球体が傷む)、腎硬化症(高血圧、動脈硬化により糸球体がが硬くなる)、その他がある。その他には腎結石の他、膠原病やアルポート症候群、バーター症候群等々、遺伝子系の疾患が含まれる。
 腎不全の原因は上述したように、慢性腎炎、嚢胞症、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病が挙げられる。生活習慣病は食生活からくるものが大半だが、なかには遺伝ないしは体質由来のものもある。上記その他に含まれる疾患の場合は生活習慣病が理由にならない。
 腎不全の症状は上記六つの働きと同じだが、高血圧、貧血、骨粗鬆症、尿毒症などが挙げられる。尿毒症は頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、出血症、浮腫、それと例外事項になるが、わたしが苦しめられたブラックアウト(急激な血圧低下)などがある。

 腎不全になる患者の七割が糖尿病性腎症で、その数は増え続けている。ごく一部の例外を除いて、生活習慣病が理由である。禁煙や食生活の改善によって避けることが可能。腎不全に至るには数年あるいは数十年の年月が掛かる。訊ねるに、痛みがないので捨て置いたと異口同音に応える。いかに自己責任とは云え、糖尿病から透析に這入る患者の九割以上は透析にまで行く必要はどこにもない。ところが透析をはじめてすら、好き嫌いを口にするひとがいる、何をか云わんや。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月12日 22:24 | 固定ページリンク




お休み  | 一考    

 明日の土曜日は降雪のため、ですぺらはお休み。申し訳ございませんがどうかよろしく。
 今月はボトル整理につき、1300円以上のウイスキーは二割引(端数は適宜処理)となります。併せてよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月11日 21:57 | 固定ページリンク




札付き  | 一考    

 小沢一郎の三人の秘書、石川知裕衆議院議員、大久保隆規、池田光智に対する裁判がはじまった。裁判の詳細についてはそちらで調べていただきたいが、吉田正喜元特捜副部長をはじめ、田代政弘、前田恒彦と札付きの検事が取り調べを担当しているのは強調しておきたい。冤罪だった村木厚子元厚労局長への取り調べと構図を一にする。
 そもそも小沢一郎の事件(事件かどうかは分からないが)は検察のリークとそれを鵜呑にしたマスメディアが主をなす。担当検事の一名は左遷、一名は退職、一名は獄中にある。
 虚偽記載とされた問題点は二点。その内、新政治問題研究会と未来産業研究会に関しては、検察側証人として出廷した西松建設元総務部長が二つの政治団体に実体があったと証言。また、検察側は水谷建設から一億円の裏金を受け取ったことを前提に論を進めるも、水谷建設元会長は裏金問題が検察による創作であると証言。自ら立てた証人により自らの論理が崩されてゆく。
 こうした重大ニュースをメディアが一切報道しない意味はどこにあるのか。立証もできない事柄をあたかも事実であるかのように吹聴する検察、小沢は悪者とのイメージ報道を繰り返すマスメディア、ここには一連の事件の異常さが明確に示唆されている。
 わたしは小沢一郎に首相を務めて貰いたかったが、もっとも大切な季節を検察の謀略によって奪われてしまった。彼が政治家として再登場できるかどうかは年齢的にみて難しい。だからこそ、今の彼に望みたいのは法廷闘争によって、検察の思い上がり、司法制度の矛盾、マスメディアの不正義を暴露し、陽の光のもとに晒していただきたいと、それだけである。怖ろしく難儀なこととは分かっている。しかし、彼なら可能である、小沢一郎にしかできないとわたしは信じている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月11日 16:19 | 固定ページリンク




湿布  | 一考    

 穿刺に失敗、十数センチの針先が動脈を突き抜けてしまった。若干の内出血だが、これは明日から二、三日痛みを伴う。身体の順応性には怖ろしいものがあって、骨折も何回も繰り返していると、自分で修理ができるようになる。この前の靭帯剥離骨折ははじめてなので、思うようにいかなかったが、手脚の単純骨折はレントゲンで確認するだけで、修復は自前で行ってきた。今回の穿刺ミスも前の病院で経験済みなので、どうということはない。周章てたのは看護師でどうしましょうかと訊く、どうとでもしてくれ、と云って湿布を貼るしかなかっぺと応える。一同大笑いで幕。
 今日から透析の器械が新しくなった。わたしの回りに四、五人の技師、看護師がたむろし、器械を弄くっている。ところで、今日の除水は五百ミリリットル、渡辺さんはやはり食事をしていないと云われ、下着を捲りあげて腹を見せる。喰ってるんだよ、のデモンストレーションである。先程の看護師が器械が新しくなったので、長生きするわよ。不必要な長生きなんぞしたくもないのに。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月10日 23:50 | 固定ページリンク




民主党  | 一考    

 小沢を政権内部にどうして取り込まないのか、現今の民主党執行部の方針は分からないことだらけである。小沢を除名すれば、小沢支持者の造反で予算案と関連法案はますます不成立になる。反小沢を旗印にした時から菅政権の瓦解ははじまっている。
 55年体制終焉後の日本を代表する政治家として小沢一郎と小泉純一郎を挙げたい。後者の不良債権処理と前者の政権交代を重視したい。共にマスコミではまるで悪者扱いだが、わたしはそうは思わない。逆に菅首相は小沢が敷いたレールの上で胡坐をかいているにすぎない。小沢のいない民主党など、山葵抜きの鮨であって喰えたものでない。
 「現在の体たらくには大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」とは小沢支持を掲げる稲盛和夫氏の弁だが、全選全敗の菅首相は一刻も早く解散総選挙すべき。次回の選挙で民主党は小さくなるだろうが、菅、仙石抜きで一から遣り直すしか二大政党制への手立てはない。何度も書いてきたが、市民運動家は赤軍派と同じで権力闘争に明け暮れる、まつりごとなど掌るは不可能。

追記
 石川知裕議員の裁判がはじまったが、石川氏に限らず関係者全員が無罪になることは火を見るより明らか。裁判が進めば検察調書のでっち上げが明白になるだけである。
 去年の8月31日に書いた「雑音」の意見はなにひとつ変わっていない。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 21:05 | 固定ページリンク




世界観追記  | 一考    

 「世界観」は書いていて困惑させられた。書けば書くほどにドイツロマン派のそれと似てくる。わたしは観念論は嫌である、にも関らず、どうして似てくるのか。どうやら未分化なところが多すぎるようである。補足すると書いた理由は以上。もう少し風通しがよくなるのを待って書き直す。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 20:55 | 固定ページリンク




鼻炎  | 一考    

 ポララミンという内服薬を去年の八月以降飲み続けている。抗ヒスタミン作用により掻痒時に効能ありと書いてある。そうかもしれないが、痒みは尿毒素のなせる業で、腎不全には付き物、よって半ば諦めている。どうにもならないときはサリラベートのローションタイプを用いている。ただ、この薬は鼻炎にも滅法効く。アレルギー性鼻炎治療薬としてインタール点鼻液を用いているが、最近はポララミンを専ら内服している。
 透析をはじめた頃は洟がひどくて、看護師が驚いていたが、近頃はめっきり鼻を噛むことが少なくなった。鼻炎の専門薬でないだろうが、慢性のアレルギー性鼻炎に有効である。お薦めする。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 20:45 | 固定ページリンク




大腸憩室症  | 一考    

 ひとの血液量は体重のおよそ十三分の一(男性で約8パーセント、女性で約7パーセント)。従って、体重70キロの場合は5.4キロ、60キロの場合は4.6キロとなる。失血による致死量は半分とされているが、静脈では全体の血液の半分が出血しても処置がよければ生命は助かり、動脈では四分の一で生命の危険にさらされる。
 わたしの憩室からの出血は2リットル強、通常なら失血死に至っている。死なないまでも、意識は朦朧となるはずだった。医師は即刻の入院を命じたが、わたしは車で赤坂を往復。通いの医師なのでなんとかなったが、そうでなければ束縛されていたかもしれない。21単位の輸血によってヘモグロビンは10にまで回復したが、主治医によると交通事故のように一挙に出血した場合は死んでいたらしい。
 入院後の意識ははっきりしているが身体がいうことをきかない。粗相を繰り返したのもはじめての経験だった。御下の面倒が自分で看られないのは最大の苦痛であり屈辱である。済まないと陳謝しつつ汚れたシーツの処理を看護師に頼むのだが、人権を剥奪されたような心持ちだった。身体だけがまるで他人のそれで、老年を逸早く体験させられたと思っている。認知症をはじめ、ひとは歳行けばみな同じになる、まさか自分がと思っていても例外はない。ひとは一人では生きてゆけないと思い知らされた。
 まず思い浮かべたのは私自身が拒否し続けてきた家族である。非常時にならないと思いが及ばないところのものに、わたしも気付かされた。ところが、気付いたときには既に親はいない。家族との概念は晩年のわたしにとって大きな問題として立ちはだかる。
 それにしても、靭帯剥離骨折に末期腎不全、あのような火急の折にどうして大量失血が続いたのか、ただただ不条理を噛み締めるのみ。

追記
 従来、欧米では左側大腸(S状結腸)に好発するのに対し、日本では右側結腸が多いとされる。わたしの場合はまず左側に発生、今では左右一面にに拡がり、立派な大腸憩室症となった。大腸のポリープと共にわたしが抱える爆弾である。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月08日 21:09 | 固定ページリンク




世界観  | 一考    

 何事によらず考えるに際して、自己と他者、精神と肉体、光と闇、善と悪というように二元的に捉えたがる。なにかしらその方が上等な思考回路のように思われるからであろう。しかし、人はひとつの有機体として一元的に考えるのが自然である。病気になって分かったことと云えば、人間は肉体の各部位が互いに緊密な関わりを持つひとつの統一体であって、単なる部分ないしは要素の寄せ集めでないということ。
 クリニックでは糖尿病から透析に這入った方が多いが、固形物を摂取している状況にあっては好き嫌いが生じるのはやむを得ない。近い将来、食品に対するイメージが大きく変わるに違いないが、その時は糖尿病から透析に這入るというのは昔語りになる。世界観とはおかしなもので、折々の時代、状況から一歩も出られるものでない。
 人工多能性幹細胞(IPS細胞)はまだ細胞レベルの基礎研究であり、実際に移植した際の機能や組織補完能力については良く分かっていないのが現状である。いずれにせよ、IPS細胞が実用化されれば、また新たな世界観が表れると思う。
 わたしが子供の頃、巷には傷痍軍人が濫れていた。片目をを損った父もそうだったが、往時の大人の半数近くはなんらかの障害者だった。わたしが六十歳を出て、手脚のない人は減り、別な意味での障害者が増えた。往時、IPS細胞の実用化がなされておれば、傷痍軍人のイメージも、さらには戦争のイメージもまるで異なったものになっていたに違いない。考えるだに怖ろしくなるが。
 わたしが屡々ひとは時代の子と云うのは、そのような事情による。さて、二元的な考え方だが、花田清輝、石川淳、安部公房、吉本隆明、埴谷雄高、林達夫等々、枚挙に遑がない。そしてそれらは時代の要請であり、時代の必然だったと思う。ひとは過去のなかを彷徨うが、未来を生きることはできない。余談だが、わたしがSFを認めない理由はそこら辺りにある。
 認めないとは云っても、IPS細胞は拒絶反応のない移植用組織や臓器の作製が可能になる。男性から卵子、女性から精子を作るのも可能となり、同性愛者同士による子の誕生も可能になる。世界観と緊密な関わりを持つ倫理観も大きく変化するに違いない。そうしたことは想像するだに楽しい。思うに、夢とは倫理の崩壊が端緒でなかったかと。
 遠い将来、ひとの身体同様、社会、国家、民族、宗教、そうしたものが、全体は要素(あるいは個人)の単なる総和には還元できない独自の存在であるとする考え方が証明されるに違いない。独自の存在であればこそ、闘いは虚しい。なぜなら、違いを違いとして認知するところにしか独自性はない。善悪といった二元的証明は必要でなくなる。(この項に関してはいずれ言葉を補足します)


投稿者: 一考      日時: 2011年02月07日 23:18 | 固定ページリンク




CAVI検査  | 一考    

 六十四回目の誕生日を迎えた。計算によると、あと二回誕生日を迎えられれば御の字だそうである。よほど巧く推移して三度目がやっとだそうである。六十六歳で死のうが、六十七歳で死のうが大差はない。既に擲げた人生であって、酒は嗜めなくなったが、一日、一日を楽しく過ごしている。透析ももっかのところ、なんの苦もなく打ちすぎてゆく。今年も独りかなと思っていたが、訪人あってひとときの晤語を楽しむ。
 ところで、ALSの検査と書いたが、あれはCAVI(キャビィ)検査の間違い。動脈硬化度検査で、動脈硬化の程度と狭窄、閉塞の有無、要するに高血圧、高脂血症、糖尿病などの危険因子を調べる。具体的には仰向けに寝た状態で両腕・両足首の血圧と脈波を測定する。簡単だが、半年毎に検査することで動脈硬化の経時的変化が分かる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月05日 21:44 | 固定ページリンク




保険点数  | 一考    

 民主党政権になってから医療に関する出費が目に見えて減ってきた。先月も透析の保険点数が減らされた。業者にとってはかなりの負担になる。現在、透析治療への国庫からの出費は年間一兆四千億円を超えたと聞く。問題は糖尿病からの透析患者と高齢者が増え続けていることにある。斯くいうわたしも高齢者のひとりだが。
 透析治療には毎月六十万円が必要である。民主党の思惑は月に八万か十五万円ほどの負担を患者に強いることにある。次回の総選挙で民主党は間違いなく透析患者とその家族を含めて百万票は目減りする。民主党と云うよりも菅政権の臨終は近い。新進党時代より、わたしは小沢一郎のファンだったのでなおさらその思いを強くする。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月04日 16:08 | 固定ページリンク




ワクチン  | 一考    

 過日、肺炎球菌ワクチン(ニューモバックス)を受けたが、値は六千五百円。ちなみにワクチンの類いは国保が効かないので実費である。これで風邪に対する手当は済んだが、一万円ちょいの出費になった。死亡率から考えて、命の値段だから安いものである。ただ、ワクチンは罹らなくなるのでない、罹っても重度にならないという一種の保険である。
 ALSの検査(動脈血液ガス分析)があったが、時間の都合がつかず、次回(半年に一回)になった。医師に云わせると血圧の高低差があるので問題なかろうと云うことだった。ところで、ALSが何の検査なのかわたしにはさっぱり分からない。患者が理解できない検査を受けさせるとはいささか強引なクリニックである。透析患者なら知っていて当たり前との論理が屡々罷り通る。当方で調べれば済むことだが、困惑させられる。どうやら、ちょいと痛みを伴う検査のようである。聞くところによると足の動脈へ穿刺するらしい。痛みには毎度慣らされているので問題ないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月04日 15:51 | 固定ページリンク




カロリー  | 一考    

 一日一キロと書いたが、毎日一キロも飯を喰っていると太るに違いない。透析患者は体重を安定させる必要がある。基礎代謝量が個々に異なるが、一日1300から1800カロリーで十分である。ちなみに、ほっかほっか亭ののり弁当が720kcal、とんかつ弁当なら933kcal、松屋の牛めし(並盛)が671Kcal。普段食べる蛋白制限食は一包装あたり300kcalなので怖ろしくハイカロリーなのが分かる。
 わたしが子供の頃の支那ソバもしくは饂飩蕎麦の類いは150グラムだった。今でははなまるのかけ小盛りの饂飩が210グラムで273kcal、拉麺に至っては倍以上の量になっている。要するに、現代人は飯の食い過ぎである。
 一日一キロは除水量からの逆算で、一キロ喰わねばならないというわけでない。今日も技師とはなしたが、除水でもっとも多いのは2リットルだそうである。おそらく、一日二食が一般的なのだと思う。一食分の除水は大体400ミリリットル、二日で1.6リットル、水と併せて2リットルちょいである。わたしは今多いときで1.2リットル、技師からさらに減らすべきと云われた。自力で尿が排泄されているからである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月03日 22:53 | 固定ページリンク




一日一キロ  | 一考    

 「カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは摂取量をいかにして抑えるかである」と書いた。血液検査が各週になってからさまざまな実験を試みた。野菜や練り物、ウィンナや魚の子等々、危険なものがどこまで食べられるのかという実験である。結果、血液検査になんらの異常は見られなかった。問われるのは分量であって、一日一キロの食生活を守る限りほとんど問題は生じない。三食で飯が450グラムの場合、副食は550グラムになる。
 例外は中華料理とラーメンとキーマカレー等々である、あれはナトリウム過多でどうにもならない。パンと麺類は規定量を食している限り、問題は生じない。外食は基本的に分量が多すぎて困惑させられるばかり。半分残すのであれば、たとえ外食であっても大丈夫。
 一日一キロさえ守れば、リンやカリウムが少々増えても、レナジェルやカリメートのような吸着剤で処理できる。カルタンのような「沈降炭酸カルシウム」はビタミンD製剤と併用すると血清カルシウム値が上昇する。わたしはレナジェルのような塩酸セベラマーを薦める。ただし、便秘の問題は残るが。
 食べ物単品でどうのこうのと云うまえに、総量規制を重視すべき。あまり五月蠅く制限を設けると食欲をなくする、そちらの方が問題。この半年でわたしが得た結果である。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月03日 11:16 | 固定ページリンク




食事量  | 一考    

 2キロの食事と1.5リットルの水が日本人の平均摂取量である。そのうち大便になるのが600グラム、他の2.9キロが水分となる。二日で5.8キロ、透析患者が健常者と同量の食事を摂ると半年以内に臨終を迎える。カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは食事量をいかにして抑えるかである。
 1キロの食事と0.5リットルの水、これで二日で2.4キロになる。これが透析患者が摂る量の上限である。今後の余命を考えればこの半分が理想だが、現実には無理である。「透析患者の寿命」で書いた余命を全うしようと思えば、2.4キロは譲られない。守られなければ、一年以内に三分の二の透析患者が死去する、そのなかに這入ることになる。
 前述したリンとカリウム、蛋白制限などは守る必要はない、と云うのは2.4キロを守れば余程偏った食事(例えば拉麺)でない限りクリアできるからである。まずは量ありきである。
 透析患者は大方があと何年生きられるかを問題にする。ならば2.4キロを守れば「透析患者の寿命」で書いた平均寿命は生きられる。それを制限ととるか、病気に罹ったが故のタックスととるかである。日本国憲法には国民の三大義務のひとつとして納税の義務が上げられている。その納税の一部だと思えばよいのである。
 繰り返すが、1キロの食事と0.5リットルの水、これは守られない量でない。好きなものを食べられないと悄気るまえに、好きなもので良いのである、ただし量を少々控えめに。それだけで寿命を全うすることができる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月02日 21:11 | 固定ページリンク




転蓬の憂え  | 一考    

「ノミトビヒヨシマルの独言」の末尾を書き直した。季村敏夫さんはすぐれたドゥルーズの読み手である。遊牧的、流動的な思考回路を持つ詩人は極端に寡ない。相互嵌入を詩形に定着させた希有な手練である。それを書こうとしたのだが、当方の読みが浅くて巧く表現できない。季村さんに深謝する。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月31日 20:28 | 固定ページリンク




除水率  | 一考    

 寿命や余命について何度か書いてきたが、そのようなことで一喜一憂しているわけではない。透析患者のサイトを読み、もっとも気になることだと思ったから書いている。楽観的なひとがあれば悲観的なひともいる。それらは生まれつき持っている稟質であって、悲観的なひとを楽観的に改造するのは不可能である。ひとそれぞれで良いとわたしは思っている。
 もっとも大切な水分管理にしても、現状では少量だが自身で排尿されている。よって除水率は少ないが、尿が出なくなると一挙に除水量は増える。そうなった時にも管理できるかどうかの自信はない。
 意外と見落とされているのが、食べ物が含んでいる水分である。食べ物の七割近くは水分である。二キロの摂取によって一キロ半ほどの水分が蓄積される。二日間水を一滴も飲まなかったにせよ、三キロの除水になる。仮に一日一リットルの水を飲んだとすれば、計五キロの除水になる。これでは心不全を惹き起こす。従って、一日の摂取を一キロ以内に、一日に飲む水を五百ミリリットルまでに制禦しなければならない。それで二、五キロの除水になる。ちなみに、松屋の牛めし並盛りが四百グラムほど、三食喰えばそれだけで一キロをオーバーする。
 このようなことを何故書くかと云えば、「透析時体重減少(除水)率と1年間の生存に関するリスク」によると、ドライウェイトに対する除水率は、
 2.0〜4.0パーセントの場合1(最もリスクが少ない)
 4.0〜6.0パーセントの場合1.02
 6.0〜8.0パーセントの場合1.16
 8.0〜10パーセントの場合1.68
とリスクが増えてゆく。体重六十キロの場合、除水量は一、二キロから二、四キロが理想であって、それを越えるとリスクが増える。リスクが増えるとは寿命を縮めることである。現実的な数値ではないと思うが、余命はそうして決められる。長生きをしたければ、節食、節飲に務めることである。わたしにはそこまで徹底する気は毛頭ないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月30日 15:34 | 固定ページリンク




利尿  | 一考    

 今日は技師でなく看護師が穿刺に当たった。曰く、「前回が600、今日は500(ミリリットル)、除水の単位ではないのですが。本当に食事しているの」と叱られてしまった。わたしは朝飯を食べてすぐ病院へゆくので、一日のうちではもっとも体重が重い。玉子ふたつのオムレツと飯を150グラムそれとコップ二杯のお茶、きっちり食べて出掛けたのである。にもかかわらず、このような結果になった。
 透析をはじめる前は惨憺たるものだった。買ってきた弁当を一日がかりで食べていた、それを思えば食事量は倍以上に増えている。体重も徐々にだが増えている。ところが除水分がなかなか出てこない。二リットルぐらいはなんとかと思っているのだが。
 まだ当分はもっとも細いダイアライザーで間に合いそうである。主治医は利尿だよ、と云ってくださるが、どうもそれだけではないようである。量をもう少し増やそうかと思うが、これ以上は食べられそうにない。週に一度ぐらいは猛烈に腹が減ることがあるが、それも単発で終わる。処置なし。

 追記
 最近アクセスログを見るのが嫌になってきた。物騒な項目が多く、動脈へ注射針を刺して自殺というようなものまであった。生きたいひとは生き、死にたいひとは死ねばよいと思っている。人品骨柄は病に罹ったから罹らなかったからで変わるものでない。三万人の内、二万人に這入ろうが、一万人に這入って居残りを決めようが、大したことでない。なるようにしかならない、狼狽えるなと云いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 22:35 | 固定ページリンク




余命  | 一考    

 毎年三万人が新たに透析患者になり、二万人が亡くなるため、約一万人が純増している計算になる。現在総数は二十八万人とも三十万人とも云われている。単純計算だと三分の二は一年未満で死去している。単純計算と述べた理由は発祥時の年齢を考慮していないからである。「透析患者の寿命」で記したように、余命は透析を始めたときの年齢に左右される。透析生活三十五年十一箇月との記録があるが、これは二十歳で透析をはじめたケースで、かつ二十八万分の一の確率である、従って参考にはならない。
 透析患者の死因の一位は減少傾向にあるものの心不全。心不全は水分管理を怠ると惹き起こす。血圧値や心胸比を参考にしながらドライ・ウェイトのこまめな調整が必須。二位が感染症で肺炎が含まれ、高齢者、糖尿病性腎症の増加に比例している。風邪引きは命取りと書いたが、風邪に予防薬はない。罹ったときに重度に陥らないためのインフルエンザワクチンや肺炎球菌ワクチンの積極的な接種が肝要である。
 透析を受けながら何年生きられるかは分からない。膠原病やアルポート症候群の患者もいて、一括りでは考えられない。医師は大きく別けて糖尿病と糖尿病以外とに分類しているようだが、やはり個体差があってなんとも云えない。「透析時体重減少(除水)率と1年間の生存に関するリスク」などを検索しても、具体例に触れているわけでない。自らの寿命は自ら考えろということのようである。ただし平均値は出ている、健常者と比して極端に寿命が短くなるのは間違いない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 21:27 | 固定ページリンク




透析掲示板  | 一考    

 グーグルから新春特別無料お試し抽選券なるものが送られてきた。金額は三万円、これで宣伝がもう少し続けられる。当方のカウント数が高いせいだが、グーグルにはお世話になっている。もっとも近頃はシングルモルトでなく、透析掲示板の趣が強くなっているが。

 わが国にはろくでもないソーシャルサイトしか存在しないと思っていたのだが、フェイスブックは良さそうである。匿名でないこと、本名、顔写真というのが気に入った。かねてより、匿名子の発言には胡散臭さを感じていた。匿名ゆえの著作権無視など以ての外である。わたしは掲示板を開いているので用事はないが、フェイスブックなら参加しても良いと考えている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 00:59 | 固定ページリンク




寿命  | 一考    

 骨密度が戻ったのを祝して半額の海胆丼を四百四十円で買ってくる。値が値だけあって、軍艦巻の二巻ぐらいの量の海胆である。北海道の海胆丼は三千円から四千円はするが、海胆の量がこちらの丼の五、六倍は盛られていて、結果的には安いのである。
 近頃は刺身、鮨、焼き肉と好きなものを喰っているが、量は少ない。例えば焼き肉は80グラムから100グラムまで、三切れか四切れしか食していない。飯が150グラムなので、併せて250グラム以内である。それを一日二食、当然、間食はしない。それでもじわりじわりと体重を増やしている。ちなみに、週一回は味噌汁も頂戴している、ただし総量規制はしっかり守っている。守らなければ血液検査はクリアできない。
 ダイアライザーで尿毒、クレアチニン、尿酸などは除去できるが、カリウム、リン、ナトリウムなどは全量処理できない。腎臓は二十四時間動いている。週三回四時間の透析で代行できるのは腎臓の機能の七パーセント。生きてゆくのに最低の機能をダイアライザーが担っている。従って、通常の食事を摂るのはかなわない。特にリンを減らそうと思えば蛋白を減らすしかない。蛋白を減らすとは食事の量を減らすことである。
 いずれにせよ、透析によって尿毒素が浄化されるが、次回の透析まで血液中の老廃物は体内に残されてゆく、それが寿命を短くするのは当たりまえである。

追記
 前項の透析患者の寿命について一言。英国では七十歳を越えるとと移植はおろか、透析さえ拒否されるようである。瑞典では自力で食事ができなければ餓死するしかない。看護師は食事は出すが、それから先の面倒はみない。外国は実に明解である、老人は寿命を守れ、不必要に長生きするなということらしい。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月28日 20:27 | 固定ページリンク




「ノミトビヒヨシマルの独言」  | 一考    

 わたしの父は五度召集令状を受けている。新潟県人なので行き先は五度(たび)満州である。二等兵からの従軍なので、招集の度に階級が上がり、終戦は曹長で向かえている。要は青春のすべてを満州で過ごしたのである。父が死んだ折、いくつかの従軍記章とともに勲章が出てきた。このようなものを置いていたと云うのがわたしには不思議だった。扇動され、動員され、そして裏切られ、国家の表象とでも云うべき勲章にどのような思いを抱いていたのか。戦地のはなしならいざ知らず、戦争について父が語ることは絶えてなかった。
 震災の日、季村敏夫さんから詩集が送られてきた。題して「ノミトビヒヨシマルの独言」(書肆山田)。文中「海峡にさしかかった瞬間、外地の記憶は貨物船から棄てました」とあって、眼が釘づけになった。重いテーマの詩集である。昭和二十一年四月、アビの捕虜収容所を出て復員した彼の父への思慕と同地へ救い出しに行かざるを得なかった子息を綴った詩集である。巻頭ふたつめに「生かされる場所」と題された詩がある。

 ふしぎ、である
 わたしが、父であり
 おまえが、息子であること
 父であるわたしが
 息子でもあることに

 待つ、待たされる
 子であり、母であるひとが
 家のなかでうなだれる

 波の火につつまれる

 うごめきのなかの
 おまえを包む精霊
 王である父とその息の子が
 救出に向かって
 波の火をくぐったこと

 生まれる前
 おまえもわたしも
 ひかりであったこと

 大地にたたきつけられ
 父たることを知り
 子であることを知らされ
 ともに立ちあがったことが
 ふしぎ、である

 遠ざかっているのに
 森の精霊にいざなわれ
 ざわめきのなかの声を感じとれるのが
 ふしぎ、である

 おまえとわたしが死んでも
 森や波は動きをとめないだろうことが
 ふしぎ、である

 わたしの父が息の子であったころ
 茸採りをして歓声をあげたこと

 その歓声が北ボルネオの森からよみがえり
 孫であるおまえを救出したこと

 息を吹き
 息を吹きかけ
 手をたずさえ
 起きあがって歩むことが
 ひとつの災厄からもたらされたこと

 炎の森を
 三人の木霊がしずくとなり
 火の玉となって転がったこと

 三つ巴になった三叉路から
 野犬が飛び出し
 ことばが目覚めたこと
 
 ふしぎ、である

 昔、澁澤氏からその書冊がすぐれているかどうかは腰巻きに使えるような名文章が這入っているかどうかだと、聞かされたことがある。そのような観点で「ノミトビヒヨシマルの独言」を読むことはできない。できないと云うよりも意味をなさない。名文句などと伺う前に、なぜ詩を書くのか、なぜ詩であらねばならぬのかとの問いかけでこの詩集は充ちている。どの頁を繙いても季村敏夫という詩人の肉声が蠢いている。巧い下手を口にする前に、わたしは季村敏夫のルサンチマンに圧倒される。
 一読すると、未整理にして乱雑な詩の羅列にしか思われない、ところが熟読すればひとつひとつの詩語が常に置換可能であり、実に注意深く並置されているのが分かる。わが国にあっては非常に珍しい詩形である。彼はこのような手法をどこで学んだのであろうか。
 「ノミトビヒヨシマルの独言」は一般受けする詩集でない。詩集で一般受けもないものだが、通常は読者を想定する。この読者設定は作品をより普遍化する。普遍化とは、作品を分かり易くすることである。しかるに季村敏夫の姿勢は一貫して読者不在である。おそらく、読者とは彼にあっては内に秘めた憤りそのものであって、憤りが憤りを伴って際限なく分裂してゆく。一種の怒りの細胞分裂である。
 このように書くと怒髪衝冠を思い浮かべるかもしれないが、ご当人は牧師のごとく温厚にして柔和な性格の持ち主である、脆弱ですらある。だからこそ、ルサンチマンが際立つ。自身の無力を痛感し、自身の能動性を受容し、弱者の憤りや怨恨、憎悪が繰り返し詳述される。言い換えれば、弁証法的止揚とか批判的活動を廃し、ルサンチマンを肯定的かつ反弁証法的に再生しつづける。現在では絶えて見ることがかなわなくなったタイプの詩人である。
 彼の詩から「独言」が消えることはあるまい。彼はそれでよいと思っているに違いない。止揚という概念が顕れたとき、それは季村敏夫が季村敏夫でなくなるときである。彼は自らと闘いつづけるが、他人と諍うことは絶えてない。自虐的なまでの彼の姿勢にわたしは並列共存の思想を視る。それを被虐と名辞しようが、倒錯と名辞しようが一向に構わない。そして、彼にあっては顔と言葉が相似形を成す。そこには掛け値もなければ、自負のような選民意識もない。多くの詩人が持つ酔いや陶酔ともっとも遠いところに彼は存在する。
 さまざまな詩があってよい、あるべきである。そのことを彼は彼の詩作でもって証明してきた。もっとも新しくかつ難儀な精神のひとつの有り様を彼は審らかにする。転蓬の憂えを身に纏ったわたしが愛する詩人である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月27日 21:23 | 固定ページリンク




シール交換  | 一考    

 タイミングベルトの脱着、カムシャフト、クランクシャフトのオイルシール交換と車の修理は大事になってしまった。パーツ代だけで六万円ほど掛かったが、どうもオイル洩れはフロントだけでなさそうである。とりあえず、オイル洩れの添加剤を抛り込んだが、どうなることやら。同添加剤は日産の製品を使った。トヨタ製やBMWの添加剤も使ったことがあるが、安いだけにあまり性能はよくなかったと記憶する。
 裏窓のバタンバタンは結構だが、車のバタンバタンは困惑する。行き帰りの道ではせいぜいが出しても120キロまで、だとすれば相手がベンツだろうとなんだろうと関係ない筈である。ところが軽四にすら追い越される有様。久しぶりに普通に加速するようになった。
 今回も使えるものは日産のパーツを利用したが、オイルシールの類いはトヨタが圧倒的にすぐれている。現在の走行距離は137000キロだが、インプレッサのシールやOリングはこちこちに固まっている。スバルはトヨタの傘下に入ったが、パーツ類も日産からトヨタへ移行するはず、そうするとこの距離では問題がなくなる。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月26日 20:57 | 固定ページリンク




免疫抑制剤  | 一考    

 帰りしなに代車を駆って山崎医師のところへ寄る。腎臓ならびに体調の有様を解いて意見を伺う。排尿があること、造血されている(エリスロポエチンが生成されている)ことを指摘。ヘマトクリットが35.8、ヘモグロビンが12と細かく説明。壊死するのは時間の問題だと思うが、いまなお腎臓のごく一部が機能しているのが面白い。山崎さんも不思議だと強調なさっていた。
 腎不全の患者は貧血と高血圧に悩まされる。同時に高リン血症、二次性副甲状腺機能亢進症(要するにリンとカルシウムの調整)は厄介な病である。しかし、透析に伴う合併症が多発するのは三年後とのこと。
 腎移植による免疫抑制剤の副作用について話する。透析よりは移植の方が平均生存年数はほぼ倍になるものの、表に出てこない数値として免疫抑制剤の拒否(腎臓に限らない)による自殺がかなりの数に上ると聞く。副作用にも個体差があって一概に云えないが、重度の鬱病を惹き起こすようである。
 透析か移植かはむづかしい問題を孕んでいる。透析による時間的制約が気にならなければ移植は避けた方がよいのかもしれない。ただし、移植から透析へ戻ってきた患者に後悔の弁はない。例え一時にせよ、拘束を解かれたことに対する感謝の言葉しか聞こえてこない。

 山崎医師と話すのは楽しい。あと三、四年が寿命です、または長生きの話になると彼はその芽を摘んでゆく。癒らない病と云うと、人は暗い顔をする。しかし山崎さんは違う、優雅なる冷酷とでも云おうか。こんな症状も出る、あんな症状も出る、やはり長くないよ、否わたしは死なないよ、そうかなあ、と物云いがつづく。二人で他人事のように病症を分析する。その他人事にどれだけ救われたか分からない。事前に知識があるとないとでは対応の仕方がまるで違ってくる。期待するから裏切られるのであって、はじめにどうにもならないと教わるのは正しい。山崎さんから透析を薦められたことはない、しかし、透析をするとなるとちゃんと紹介してくださる。判断は自分でしろと云うことである。
 クリニックの技師からは本人があと何年元気に生きたいかで総てが決まる、と云われている。精一杯寿命を全うさせるための協力はする、あなたには七十歳近くまで生きていてほしい、とも云われている。今後、いかなる感染症に罹ろうとも、例えわたしが死ぬことはあっても精神を病むことはない。気力そのものがわたしの最大の抑制剤である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月25日 22:04 | 固定ページリンク




代車  | 一考    

 車の修理に戸田へ出掛ける。プラグ、プラグコード、点火コイルの交換である。工具を借りて無事に修理完了、念のために車を持ち上げてみる。右エンジンの後部パッキングは入れ替えたが、オイル洩れはそれだけでなかった。エンジンの下部、ドライブシャフトのフロント部分からのオイル洩れが激しい。これはわたしの手に負えない。必要なパーツを註文、ここから先の修理は専門家に任せるしかない。明後日の夕刻出来上る予定、代車を借りてすごすごと引き上げる。
 その代車だがFFである。わたしはFRもしくは4WDにしか乗ったことがない。速度が出ると同じだが、スタートで必ず前輪が空転する。右左折の時など特に空転が激しく、車があらぬ方を向いてしまう。アクセルの踏み込みが急すぎるのであって、わたしの足癖の悪さを思い知らされた。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月25日 01:14 | 固定ページリンク




透析患者の寿命  | 一考    

 某移植外科医が拵えたデータ、他のブログからの無断引用です。
 移植に関しては生着でなく生存ですから移植後、再度透析に戻った人も這入っている。

 年齢     血液透析(平均生存年数) 移植(平均生存年数)
 15歳〜19歳  男24.8年 女24.6年   男46.1年 女47.0年
 20歳〜24歳  男21.5年 女21.6年   男41.9年 女43.0年
 25歳〜29歳  男18.5年 女18.9年   男37.6年 女38.9年
 30歳〜34歳  男15.5年 女16.3年   男33.3年 女34.7年
 35歳〜39歳  男13.0年 女13.8年   男29.2年 女30.9年 
 40歳〜44歳  男10.8年 女11.8年   男25.3年 女27.3年  
 45歳〜49歳  男 9.0年 女 9.9年   男21.8年 女23.8年     
 50歳〜54歳  男 7.4年 女 8.1年   男18.5年 女20.5年  
 55歳〜59歳  男 6.2年 女 6.7年   男15.7年 女17.8年 
 60歳〜64歳  男 5.2年 女 5.6年   男13.2年 女15.2年 
 65歳〜69歳  男 4.4年 女 4.8年   男11.0年 女13.2年

 透析や内シャントが治療法として確立されたのは1966年。翌年に人工透析装置が米国から輸入され、69年に国産第一号作製。下って72年身体障害者福祉法の対象となり、75年に現在の構造と同じ人工腎臓の登場によって急激に人工透析治療が普及する。この初期段階で透析をはじめた若人で、透析生活三十五年という猛者もいる。
 人工腎臓、すなわちダイアライザーは無選択的な濾過機能を代行するに過きず、尿細管における選択的再吸収や分泌機能は行なわれない。すなわち、エリスロポエチン、プロスタグランディンというホルモンや、レニンなどの酵素は生成されない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 18:47 | 固定ページリンク




骨密度  | 一考    

 血液検査と同時に骨密度の検査結果が出た。骨密度にもいろんな種類の検査があるが、わたしが受けたのは音響的骨評価値である。数値は2.694、同年齢の骨密度と比して101パーセント、若年成人時と比して93パーセント、要するに異常なし。一年半前には川久保病院で靭帯剥離骨折の理由を腎臓由来の骨粗鬆症と診断された。骨粗鬆症が癒ったとは信じられないが、検査を繰り返したので間違いない。木村さんからゾンビのような人間だと云われたが、そうなのかもしれない。
 松葉杖が不要になってから久しいが、いまなお歩行の一部に不便がある。歩くもしくは階段を上るのは人並に出来るようになったが、下りるのが未だに不器用である。おそらくハムストリングが恢復していないのだと思う。ハムストリングは膝関節の屈曲・内旋を行う筋肉だが、動きがぎこちない。サイクリングで鍛えたつもりだが、素早く階段を下りられないのである。
 川久保病院にはリハビリ科もあったが、腎不全が酷くなり、尿毒症の痛みでリハビリどころでなかった。結果、丸一年にわたって脚を引きずりながら店へ通った。完全に癒るかどうかは自信がない、こちらもやはり長い目で見るしかない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 03:09 | 固定ページリンク




満点  | 一考    

 北里では医師が自ら穿刺していたのに愕かされたが、現在のクリニックでは穿刺は技師か看護師に限られる。医師は一日に一度回診に来るだけで、問診のみ。従って、医師と親しく会話できないのが少々不満である。血液検査の結果は栄養士と、分担が決まっているようである。レントゲン、心電図、エコーなど、他に定期検査は多いが、結果に異常が見られない限り、説明もなにもない。わたしは異常が出ないので、「どうですか」「なにもありません」それで頷いてお仕舞い。血液検査にしても専ら自己判断で済ませている。
 その血液検査だが、一昨日は四十一項目すべてに亙って結果値が許容範囲に収まった。このようなことは始めてである。看護師からもなにも云うことなし、見事なものです、敢えて云えば食がちょっと細いようですが、と云われる。これは尿素窒素が56と低いのを指摘されたまで、60を切れば食欲不振と診断される。診断はともかく、食欲は旺盛である。正月明けが大変だったので、その分もりもり喰っている。前回は50なので、随分と改善されている。たかが血液検査だが、学生時代にテストで満点を取ったような嬉しさである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 01:59 | 固定ページリンク




メンソール  | 一考    

 例によって何時もの煙草屋へ。普段ならパイプ煙草かシガリロの試供品をおまけに頂くのだが、今回はメンソールは咽むのかとの問い掛け、で、ケントのブーストメンソールなる新製品を一箱頂戴する。フィルターの中央部に一ミリ足らずのブルーのカプセルが入っている。それを割ってから咽むのだが、恰度、ビールのカスクフローと似ている。ニコチンとタールを落としてメンソールを効かせるにはこの方法しかあるまい。アイデアとしてはすこぶる面白い。
 好みのコイーバは五百円に値上げ。紙巻きと比してシガリロは相対的に安かったのだが、今回は随分と値が上がった。上がったからといって止めるつもりはない。あと何年咽むことになるか分からないが、ベースにしているゴールデンバットは二百円である。安価な煙草がある限りは咽み続ける。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月22日 23:32 | 固定ページリンク




マッカラン  | 一考    

 マッカランの新製品を購入、メーカーズ・マークのカスクを熟成に用いたもの。何時も書いていることだが、マッカランはシェリーカスクでない方が好みである。シェリー香が強く、渋味が勝ったものが多いように思われる。長期熟成品ならともかく、十年から十二年ではシェリー香は押さえ気味の方が旨いと思う。
 以前、ボトラーものでマッカランのバーボンカスクを飲んだが、マッカラン固有の男性的な味わいに惚れ直したことがある。今回のボトルは当たりは柔らかいが、マッカランの違う側面を強調している。
 序でに、ファインオークの十二年もののニューラベルを購入。ラベルにトリプルカスク・マチュアードと記されている。フレンチオークのシェリー、アメリカンオークのシェリー、バーボンの三種だそうである。以前のファインオークはフレンチオークのシェリーとバーボンの二種だったと記憶する。色も随分と異なる、もっとも色ほど当てにならないものはないが。新しいファインオークの方がシェリー香は強い、渋味が表面に躍り出た感じである。旧ボトルがわたしの好みに近い。オーナーが変わってからマッカランの試行錯誤が続く。今のところ、大量生産が裏目に出ている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月21日 22:42 | 固定ページリンク




紅茶  | 一考    

 最近エスプレッソのミルク紅茶が増えてきたが、いずれも頗る旨い。香味は一律に濃厚である。珈琲ならロブスタ種を増やせば簡単に苦味が出るが、紅茶の場合はどうしてるのかしらと思う。わたしは紅茶党なので、かかる商品が発売されるのは嬉しい。珈琲は煎茶と同じくカリウムが高いので喫まれない。
 エスプレッソとは正反対だが、中国の紅茶はインドやスリランカ産の紅茶に比べてタンニンが少なく(要するに渋味が少ない)、素直な味を楽しむことができる。有名な台湾の鶴岡紅茶に一炮紅(イーパオホン)というのがあって、かつて喫んだ中国紅茶のなかでは群を抜いていた。
 プヒプヒさんに買って頂いた電気ストーブと同じものを拙宅で使うために購入。「修行」で書いたように、風邪に対する意志力の補完財のつもりである。上述の紅茶も補完財のひとつと考えている。風邪を避けるには水分が一番、大量の紅茶を淹れて冷蔵庫で保管、必要に応じてレンジで温めて嗜んでいる。尋常な喫み方でないのは分かっているが、一人暮しだと一杯ずつ淹れるのが面倒なのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月21日 20:42 | 固定ページリンク




感染症  | 一考    

 何度も書いていることだが、透析治療を受けている人は感染に対する抵抗力が著しく低下する。風邪に罹ると癒りにくく、感染期間が長引く。高齢者は肺炎に移行する場合もあり、日ごろから細心の注意が必要。
 市販の薬は厳禁である。胃腸薬にアルミニウムが含まれているように、風邪薬には熱冷ましや咳止めなどが含まれており、体外へ排出されにくい成分が多い。栄養ドリンクの類いもビタミンAをはじめ、透析患者が摂ってはいけない成分が含まれているので禁止品である。
 要するに、体力や免疫力が落ちている透析患者が風邪をひいた場合、最悪の状況を覚悟した方がよい。そしてさらに怖いのは院内感染である。両手を拡げれば隣の患者と手が触れるような環境である。一人が風邪を引けばたちどころに蔓延する。わたしが通うクリニックなら一室六十名が感染する。重度の場合は入院、そして個室で透析ということになる。
 いずれにせよ、透析患者は風邪を引かないように、普段から格別の注意を払う必要がある。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月20日 22:21 | 固定ページリンク




修行  | 一考    

 クリニックの室温は27度から29度に保たれている。為事をしているとうっすらと汗ばむ温度だが、こちらは身動きできず寝ているだけ、従って寒く感じるときもある。
 体感温度は体内へ戻す血液の温度に大きく影響される。冬場は体温プラス0.5度が適温らしい。わたしの体温は36.0度から36.2度なので36.5度が相応しい。回りを見回すと37.0度がほとんどである。透析をはじめたのは去年の八月末だが年内は36.0度、年が明けてから36.5度を選択している。
 透析は四時間だが、わたしは新米なので順番が最期になる。従って拘束時間は五時間。この間はトイレに行かれない。みなさんは食事したりお茶を飲んだりなさっているが、わたしにそうした余裕はない。わたしは男性だからまだしも、尿道の短い女性だと大変だろうと思う。朝起きるとまずトイレへ行って便意を調整するのが日課だが、便秘や下痢は禁物、二日酔も厳禁である。熱も風邪も食あたりも、とにかく下痢に結びつくことは一切禁止されている。禁止と書いたが、意志力だけで風邪を引かずに済むものかどうか、わたしには自信がない。これは一種の修行のようなものに違いない。
 飲酒は土曜日の深夜に限られるが、ギネスの小瓶一本に収めている。ほんとうは燗酒が飲みたいのだが、癖になると困るので遠慮している。今頃は真澄のあらばしりが旨いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月19日 21:25 | 固定ページリンク




内視鏡  | 一考    

 穿刺の際の「事故」は滅多にないようですが、起こるのは事実で、看護師という職業は大変だと思います。「針刺し元の患者さんへの採血」はわたしが通うクリニックでも行っています。「マナーを当然の事として事業を行うのは、職場管理上、より問題がある」に関しては確かにそのように思います。マナーで処理するのは軽率に過ぎるようです。

 エリスロポエチンの分泌は順調、赤血球は増えています。骨粗鬆症はかなり改善されてきたようです。理由は分かりませんが、骨密度の検査では年齢相応で異常なしと云われました。もっか風邪に注意するよう五月蠅く云われています。もしも風邪を引けば、同室の六十人の透析患者に危機が及びます。命にかかわることなので、この種のプレッシャーには困惑させられます。
 痛み止めなしで大腸の内視鏡検査をしました。内視鏡恐怖症に陥りました。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月18日 22:51 | 固定ページリンク




看護師の検査  | 山崎利彦    

連続での書き込み、御許し下さい。
通常の病院では針刺し「事故」が発生した場合、その看護師への採血等は労災として扱い、病院側が負担します。病院の取り扱いに寄りますが、東京都立病院のように強力に官僚支配が行われる場合には、針刺し元の患者さんへの採血も行います(この費用は病院負担の場合と、御本人に請求する場合が両方あるようです)。また、気付かずに感染する場合も当然ありますので、定期的に感染症等の検査は病院が行っています(これは病院の開設者の意識にもよります)。私の診療所でも年に1度は感染症の検査は私が支払います。その場合、診療所の福利厚生扱いですので経費計上が出来ますから、必ずしも損失とは言えません。患者さん側が「マナーとして」普段感染症を検査しておくと云う発想、私には思い付きませんでした。大変有り難いお心遣いではありますが、「マナー」を当然の事として事業を行うのは、職場管理上、より問題があると私は思います。どちらかと云うと、風俗に通う場合にこそ、そのマナーを求めたいとは思いますが(笑)。

追伸:昨年末より、病院入院中の方々の在宅への導入がより進行し始め、私の診療所でも在宅診療が多数に成って来ました。午後の診療が極めて不定期になりつつありますので、不在の折は御容赦下さい。と、同時に、殆ど浦和を出るのが叶わぬ状況にあり、お店にもなかなか伺う事が出来ず、すっかり御無沙汰しておりますが、何とか近々伺いたいとは思っております。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2011年01月17日 21:02 | 固定ページリンク




死因  | 一考    

 ブラックアウトのような処理仕切れない痛みはどうにもならないが、昨今の穿刺による痛みは異なる感慨をもたらした。まず生きているとの実感、言い換えれば生に対する執着である。執着するほどの未練があるわけではないが、このようなことで死んでたまるかとの気概である。
 痛みというのは不思議なもので、限界を超えるとひとは受け身にならざるを得ない。しかし臨界点以前だと無性に戦闘意欲が湧いてくる。
 わたしの余命はと云う前に、こんなことでは死なないな、と思う。かつて憩室から下血した折にも同じように思い、そして死ななかった。思い込みがすべてとは云わないが、寿命が近づいてきたとき人はそれとなく悟るものである。透析をはじめて四箇月、少なくともわたしの死因は別なところに在ると信じるに至った。
 震災で生き延びて十六年、下血で生き延びて一年余、腎不全で死に損なって半年、まるで悪霊にでも取り憑かれているようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月17日 20:32 | 固定ページリンク




マナーとは  | 一考    

 無音に過ぎゆき、こちらこそ恐縮しております。実はわたしの先行きに関し、ご相談致したきことあり、近々お伺いしようと思っております。
 感染症予防に関する制度はよく分かりました。「透析期間中に定期的にSTDやHIVの検査を行うのは、検査料金として医療機関が全て負担する場合を除くと不可能です」も納得です。ただ、危険にさらされる看護師のことを考えると合点が行きません。わたしが通うクリニックの看護師によると、注射針を誤って刺してしまったときは自ら検査を受けると云っていました。この場合、自腹を切ることになるのでしょうね。
 私的検診と保険診療の違いは当然だと思います。わたしが云いたいのは私的検診に金数を使うのがマナーでないだろうかと云うことです。日頃血液を出したり入れたりしていると、その感を強くします。それでなくても、肺炎の予防接種や動脈硬化の検査など、保険適用外の診療は多くあります。だとすれば、そこにSTDやHIVの検査も入れるべきだと思うのです。毎回、お世話になる技師や看護師に対する、せめてもの心遣いでないかと。
 もっとも保険適用外になると、ほとんどの受診者は拒否します。現実には難しいでしょうね。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月17日 17:11 | 固定ページリンク




>マナー  | 山崎利彦    

御無沙汰しております。良い透析先が見付かった様子で、取り敢えずは安堵しております。
さて、感染症予防に関しまして「マナー」として御記述がありましたので、「制度」としての投稿をさせて頂きます。
「マナー」としてのマスクの着用に関しましては一考さんの御指摘の通り、日本人は外国人(欧米人に限らず)と比較して極めて敏感です。新型インフルエンザ騒ぎの際に、成田空港に到着した外国人達が大層驚いていたと云うのは何度か報道もされています。これは多くのワイドショー等で多くのコメンテーターが推奨していた事にも原因はありますが、それ以上に元々「花粉症」の有病率が高く、多くの国民がマスクの着用に馴れていた事も原因ではないでしょうか?インフルエンザはウイルス性疾患ですので、本来マスクでの予防効果は市販の物では低く、「N-95(浮遊粉塵等の95%以上の除去効果がある物)」以上の性能を有し、かつゴーグルと手袋を併用、頻繁に使い捨てて手洗いとうがいを積極的に行う必要があります。実際に手荒いやうがいを行う一般市民を殆ど目にしませんので、マスクのみが流行するのはこうした背景があるのではないでしょうか?
 では、マスクは全く無効であるかと云うと、逆の立場では有効です。即ち、自分から他人に伝染させない効果です。呼吸器感染症の多くは「飛沫感染」で、咳きに伴う「しぶき」に多くの病原体が含まれています。これは通常のマスクでブロック出来ますので、他人への配慮としては有効です。実際、医療従事者が患者さんの前で咳きをしまくると、患者さんは相当不安に成ると思います。欧米人も、「自分が重度の感染症を発症した時は」マスクを着用します。逆に、診療の際に直接飛沫を浴びる可能性が高い医療従事者の場合は、N-95以上のレベルのマスク+ゴーグル、場合によってはガウン着用+手袋に成り、その頻度や程度により増減します。因に私のクリニックではマスクと手袋は支給して、着用は本人の自覚に任せています。
 STD(性行為感染症:性病と云う表現は性病予防法の範疇の疾患との混乱を防ぐ意味で最近私達はあまり使いません)の検査ですが、「マナーとして」はあくまでも「私的検診」の扱いに成りますので、保険診療では行えません。自覚症状があった、又はパートナーが有病者である場合にのみ可能と云う事に成ります(混合診療の是非に付いてはこの場では敢えて触れません。必要であれば御呈示下さい)。ある程度の侵襲的処置(手術等)を伴う医療行為の場合には、梅毒反応、ウイルス性肝炎(B型とC型)は保険適応がありますが、その後は算定不能です。HIVに関しましても施行は可能ですが、その際は患者さんの同意が必要です。北里で書面を要求されたのは同意を得た旨の証拠が必要だからです。従って、透析期間中に定期的にSTDやHIVの検査を行うのは、検査料金として医療機関が全て負担する場合を除くと不可能です。別の医療機関で新たに手術その他を行う場合は、当然初診扱いに成りますので、再度検査が可能ですから、術前検査として行っています。
 以上、あくまで「制度」の問題なのですが、保険診療を行う以上、制度に外れた請求を行うと医療機関か患者さんのどちらかが莫大な負担をしなければ成りませんので少々解説致しました。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2011年01月17日 13:05 | 固定ページリンク




マナー2  | 一考    

 埼玉にはダイソーという店が沢山ある。百円ショップで拙宅の近所にもあって先頃灰皿を買いに出掛けた。何から何まで揃っているのに驚いた。序でに鉄製のフライパンと靴下とパンツを買った。百円だけあって、パンツには社会の窓が開いていない、横から引っ張り出すタイプである。もっとも、わたしは立ちションは滅多にしないので、これで十分である。
 通常、男性は立ちションで済ませる。当然、回りへ飛び散ることになる(徒散るは朽葉ばかりで結構)。飛び散ったところで、自分で掃除するならそれで良い。しかし、ほとんどの場合は他人もしくは連れ添いが掃除する。それが嫌でわたしは洋便器なら必ずしゃがむようにしている。
 旅の恥は掻き捨てと云うが、人は家の恥まで掻き捨てている、みなさんは何時から転蓬となったのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月16日 20:03 | 固定ページリンク




マナー  | 一考    

 欧州では原則マスクをしない。全くしないというわけではないが、それは塗装とか手術中の医師とかに限られる。飛行場へ降り立った日本人がマスクを掛けているのを見て、外国人は驚くようである。そしてわたしが通うクリニックは全員がマスク着用である。そこで訊いてみた。
 血液を触る場合は本当はゴーグルをしないといけないらしい。しかし、そのような完全装備だと患者に負担をかける。そこでマスクと手袋の着用に及ぶそうな。さらに質問。血液検査は二週間ごとだが、HIVや各種性病、HTLV-1や肝炎などの検査はしているのかと。
 かかる検査はしていないとの返事が返ってきたのには驚かされた。わたしは輸血の前後は当然として、それからは病院が変わるたびにその種の検査を繰り返している。北里ではHIVの検査のため、捺印した書面まで提出させられた。当然、クリニックでもしていると思い込んでいた。
 心当たりがないならともかく、もしあれば(例え相手が連れ添いであろうとも)性病検査ぐらいは受けるのがマナーだと思う。かつてわたしの女友達も毎年検査はしていた。先進国は減り続けているのにわが国の性病患者は増え続けている、理由はそのようなマナーの欠落にあるに違いない。
 口にマスクをするのなら下のマスクもお忘れなくと云いたいところだが、どうやらあのマスクは単に流行りでしているようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月16日 19:59 | 固定ページリンク




ユーパッチ二分割  | 一考    

 五箇月目に入って穿刺に使っている箇所の皮膚が硬化してきた。技師によると硬化したところから瘤のように膨らんでくるらしい、そして硬化した部分は神経も麻痺し痛みがなくなると。ところが、わたしの場合は硬化した部分に限って大層痛い。これも個体差なのかもしれない。
 血管というものは畝っている。最初は真っ直ぐに見える血管も太く発達すればするほど上下左右に歪んでくる。穿刺には四、五センチの真っ直ぐな部分が必要なのだが、そのような箇所は現在のところ二箇所しかない。他の患者を見ていても、肩から手首まで腕の表裏のさまざまなところを穿刺している。みなさんがそれなりに四苦八苦しているのが分かる。
 今は静脈を用いているが、ずっと動脈へ血液を戻していた。その傷跡があと一週間ほどで癒える。癒えれば血液の採取口として使いたいのだが、謂わば血管の支線であって本線でない。よって充分な血量が採れるかどうか不明である。貰えるユーパッチ(痛み止め)は二枚のみ、従ってユーパッチを二分割して用いるしかない。間違いのない箇所と不明の箇所の双方である。どうあっても痛みは避けたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月15日 21:49 | 固定ページリンク




自決  | 一考    

 動脈、静脈ともに位置を変えてうまくいった。刺し直しがあったが、久しぶりに痛みを伴わない透析だった。ただ、静脈の止血に失敗、回りを少々血で汚した。静脈側はバンド、動脈側は手で圧さえて止血する。手のセンサーはすぐれているがバンドはそうはいかない、たまには血が吹き出ることもある。
 それにしても針が刺さってくるときの痛みというか、皮膚の引き攣った感がないというのは嬉しい。痛みを顧みながら穿刺の位置を自分で決めなければならないのがよく分かった。看護師や技師はこちらの注文を注意深く聴いてくださる。黙っていては分からない、痛い目に合うのは自分である。
 看護師によると穿刺の痛みに耐えかねて透析を諦める方がいるそうな。当然、命を失うわけだが、そこまで行くまえにどうして看護師や技師と話し合わなかったのかと思う。受け身でいてはなにひとつ解決しない。痛みに耐えるのが闘いでなく、看護師や技師と共に痛みを避けるための方策を探す、病と闘うとはその探求心のことでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月14日 18:23 | 固定ページリンク




異音  | 一考    

 ゆっくりと走り出せば音はしないが、わたしの癖でアクセルは突き当たりまで踏む。その度にバーンバーンと車が唸る。まるでドアを強く開け閉めしているようである。後方から聞こえるが、車で異音が出るのはエンジンルームに決まっている。他に異常はなさそうなのでこの二週間ほど捨て置いた。それがこの二、三日マフラーがパンパンと詰ったような爆発音をだすようになった。周章ててボンネットを開けると思ったとおり、エンジンが一気筒抜けているようである。前回の車検でキャブは交換済みなので、コイルか点火コードだと思われる。
 わたしの車のエンジンは水平対向四気筒1800ccだが、思い切り吹かしていると煙りが出てくる。右エンジンの後方下部のOリングからオイル洩れ。これは簡単だが、穿刺のせいで腕が動かない。片腕ではなにもできないので、とりあえず戸田の修理屋まで。高速道路を走って、なおのこと修理箇所が明白になった。車はノーマルのままなので180キロまでしか出ない。で、1××キロ(違法速度なので記載できない)からの加速が思うに任せない。たまに三気筒で走っているようである。
 必要なパーツは月曜日に入る。ついでに戸田の市役所で昨年の納税証明書とロジャーズで靴を買う。久しぶりのロジャーズだが、三郷にあればよいのにと願うことしきり。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月13日 00:24 | 固定ページリンク




蜂蜜  | 一考    

 幹郎さんから栗の花の蜂蜜を頂戴した。わたしは基本的に甘いものを食さなかったので、食べ方がよく分からない。蜂蜜で馴染みなのは少量カレーに入れるか、コーヒーノキから作った黒褐色の蜂蜜のみ。後者は砂糖と比して独得の風味(微かにジャスミンの香)があって珈琲とすこぶる相性が合う。こちらも上島珈琲で教わった。ちなみに、ホットケーキやフレンチトーストとも合う。喫茶店で働いていたときに実証済みである。
 季村さんが元町五丁目の茜屋珈琲店について書いていらっしゃる。コーヒーノキ(コーヒーの木)はアカネ科コーヒーノキ属に属する植物の総称、屋号はそこから取られている。今では全国区の喫茶店だが、本店は神戸三宮駅北側にある。茜屋軽井沢店の柘榴のジュースとコンコード(過去掲示板で何度か触れている)の葡萄ジュースはわたしの好物だった。共に生ジュースで、季節限定メニューである。ちなみに、茜屋珈琲店元町店に入浸っていた俳文堂主人有川さんは砂糖の取りすぎで糖尿病に罹り、それが理由で死に至った。
 余談ながら福原のハイボールセンター100万ドルではじめて飲ませてもらった飲料が明治屋のグレナデンジュースを炭酸で割ったもの。小学生の時のはなしだが、爾来柘榴ジュースには特別の思いがある。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月12日 21:04 | 固定ページリンク




痛み  | 一考    

 腎臓を病んでから感染症、特に風邪には注意するように云われている。確実に肺炎に罹るからである。罹ると癒らない、それほどに抵抗力がなくなっている。木造家屋だと室内温度は外気温と比して二、三度高いだけである。ところがマンションは下がっても十二度はある。ちょっと暖めれば十六度になる。引っ越してよかったと思う。
 二輪だと体感温度は五度以上下がる。今日の気温は二度、だとすればマイナス三度以下になる。そこで男性用ストッキングを履いていた。今年から二輪は乗らなくなったのでストッキングの類いも不要になった。履かない方が脚は具合よい、体毛が逆向きになって気持悪いのである。
 食欲がなくなるほどではないが、今日も穿刺が痛かった。四箇月間痛いと思わなかったが、最近は怺えることが多くなった。それだけ血管や皮膚が傷ついてきたのであろう。
 アメリカでは人工血管を用いる。人工血管の利点は穿刺の痛みが伴わないこと、欠点は三箇月から半年しか維持できないこと。ただし、アメリカの場合は移植までの期間が短いので人工血管で十分なのである。比して日本では移植は原則あり得ない。透析を死ぬまで続けるしかなく、内シャントしか方法がない。これは医療でなく、文化の違いである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月11日 23:00 | 固定ページリンク




寒鰤  | 一考    

 一切れ食べただけで氷温で置いていた鰤を食べる。実に美味い、さすがに寒鰤である。この土日は食事に一切制限を設けない。刺身とミニステーキと肉豆腐を喰う。塩分やカリウム、リン含有量の多い食品の他、脂溶性ビタミン類、ビタミンC等も危険な食品だが、今日に限ってお構いなし、それほどに空腹だった。明日の月曜日に体重を整えればよい。
 好きなものを飲み、好きなものを喰う、そんな日があっても良いと思いつつ、久しぶりに食べていると涙が出てくる。命永らえるのを交換条件での食事制限であり透析である。それ以上望むものが何処にあろうか。思わず、箸を置く。こうした迷いがこれからも続くのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月10日 00:07 | 固定ページリンク




留置針  | 一考    

 通常、血流は動脈にあっては身体の端々へ流れ、静脈は心臓へ向かって流れる。ところで内シャントによって静脈を動脈に改造した血管の流れは当然心臓を向いている。要するに透析の際に用いる血管は動脈でありながら心臓へ流れ込む。これが心臓に負担をかける理由である。
 二本穿刺する血管内留置針、すなわち血液を抜き出す側と戻す側は血流に沿って互い違いに刺される。ただし、取血側は血量が十分に取られれば逆でも差し障りはないし、戻す側は静脈であれば全身どこでも構わない。
 穿刺は心臓から離れるほど痛みが増すと云われる。肩より腕、腕より指先の方が痛い。臂の内側のような関節部も痛みは少ないが、血管内留置針は長さが三十ミリほどあって、平坦な部位でないと血量が確保できない。ちなみに血管内留置針は、少々の動きで抜けたり血液が滲んだりしないように、柔軟性があって生体適合性の良い材料で造られている。
 静脈は細く表皮を匍うように流れ、動脈は太く体内深く隠されている。斬り方にもよるが、動脈を截断すれば二、三分で死ぬ、静脈は止血すれば滅多なことで死ぬものでない。リストカットは手首を切る自傷行為だが、切っているのは静脈であって動脈ではない。手首の動脈は十ミリほど深いところにあり、手首を切り落とす覚悟で刳らなければ死ぬのはかなわない。もっとも死んでしまえば自傷行為を通り越し、自殺行為になる。
 今まで透析には穿刺する二箇所共に、動脈に改造した血管を用いてきた。太く発達しているので穿刺しやすいからである。しかし、同じところを使っていると血管が早く傷つく。痛んだ箇所は荒廃し、血管が団子のように膨らむ理由のひとつになる。ゴム製の管を想像していただければ分かるが、いつしか弾性を失って止血が効かなくなる。
 注射針が太いので穿刺の傷跡が消えるのに五、六日はかかる(糖尿病の場合は血管が脆くなっているのでさらに日数がかかる)。動脈側はできるだけ真っ直ぐなところを撰んで使うしかないが、静脈側は幅広く穿刺する方が個々の血管の痛みが少なくて済む。そこで穿刺箇所を他の静脈に変え、血液を戻していた箇所も取血に使おうと思ったのである。そして針を反対側から刺せば、穿刺箇所はさらに拡がる。
 前回「針を反対方向から刺してもらった」と書いた理由である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月09日 23:21 | 固定ページリンク




穿刺  | 一考    

 火曜日から木曜日は食事を抜き、金曜日は深夜の一食のみ、火曜日の穿刺が痛かったからである。おそらく神経に触ったのだと思う。透析中から違和感はあったものの、透析中の四時間半ほどは身動きできない。針を抜いた辺りから激痛に見舞われた。
 血管内留置針は金属(人工臓器用穿刺針、AVフィスチュラ)とカニュ−ラ(テフロンやポリプロピレン製)があって、わたしが通うクリニックはポリプロピレンを用いている。針本体は十センチほどの長さでステンレス製だと思うが、その上をスライドさせてカニュ−ラを刺す、序で金属針を抜き出すという二重構造になっている。
 激痛と書いたが、そのことを病院では喋っていない。穿刺の巧い下手が理由でないので、穿刺者に悪いからである。神経がどこを走っているかは個々に異なる、事前にそのようなことは本人ですら把握できない。患者のサイトでよく穿刺に関する悪口が書き込まれているが、何度も刺されれる、もしくは血管を突き抜いて内出血すれば腹が立つだろうが、そうでない限りは穿刺者の責任にはならない。間が悪いとしか云いようがない。
 木曜日の透析では痛い箇所をずらし、針を反対方向から刺してもらった。前回とは一センチほどずらしたわけだが、やはり痛くて呻っていた。金曜日には湿布を貼って怺えたが、痛みがなくなったのは土曜日の朝だった。
 動脈(元は静脈)の心臓に近い方を静脈、遠い方を動脈と便宜的に呼んでいる。今日は血液を体内に戻す側に本物の静脈を用いた。静脈は細くてカニュ−ラと同じぐらいである。要するに穿刺に高等技術が必要になる。しかし、そうでもして動脈側の使用できる部分を増やさないと叶わない。この四箇月、わずか二センチの幅に六十回を越す穿刺が繰り返されたことになる。静脈側は理屈ではどこでも良いのだから、これで動脈側の使用範囲が倍になる。
 北里で一度血管を突き抜いている。そのときはなんともなかったが、次の日から内出血部に痛みが出た。しかし、今回の痛みはそんなものでなかった。もっとも、ブラックアウトに比べれば痛みといえるようなものでないのだが。

追記
 今日はじめて用いた静脈の止血がうまくいかず、十五分ほど掛かった。馴れるのに一箇月は必要とのことだった。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月08日 23:26 | 固定ページリンク




性欲  | 一考    

 糖尿病は性欲が減退する、透析に這入る前に大方は性欲を失うと複数の医師から聞いている。この糖尿と性欲の問題、さらには尿毒素と性欲の因果関係はわたしにはよく分からない。医師や看護士に訊いても個体差があるので応えられないと云う。副甲状腺をはじめとして高血圧症、高脂血症、動脈硬化症などが複雑に関係するのだと思う。わたしの場合は尿毒素の除去に伴って性欲が戻ってきたように思う。
 思うと書いた理由は確かめようにも、もっか一人暮しだからである。従って、性欲は自慰でもって確認している。ただし、一度勃起不全に陥ったので十全には戻らない、要は勃起しにくいのである。性技に闌けた女性なら大丈夫だろうが、そうでなければ不能なままである。こちらは尿毒素の問題か加齢の問題か定かならず。
 いずれにせよ、性の領域は脳に属する。内服薬の副作用などよりも、発症に伴うストレスや不安感が引き金になる場合が多いと思う。わたしも同様でこの一年余は性どころでなかった、生きていればこその性である。だとすれば長い目で見るしかない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月08日 21:05 | 固定ページリンク




宿題  | 一考    

 一日の血液検査の結果が出た。リン、カリウムその他の気になっていた数値が基準内に収まった。それを良いことにさっそく鰤の刺身を購入、新年早々鮨三昧の生活を送っている。低蛋白米では鮨米にならないので普通の米を買ってきた。一週とばしの血液検査は助かる。少しでも異常値が出ると対処できる。三週あれば大概のことに対応できるようになった。
 今回の問題は肝臓の機能障害である。GPT43(平均値は3-36)、γ-GTP100(平均値8-76)となっている。看護師から年末年始に相当量の酒を呑みましたねと云われたが一滴も呑んでいない。他の理由を探すが、ビリルビンが0.30なので炎症は起きていない。薬物は以前から服用している指定の三種のみ。医師は肝炎だろうと云うが、そちらの血液検査はエイズから梅毒に至るまで北里で済ませている。次回まで様子見となった。
 おっきーさんから治療に関する経過を記述すればどうかと云われた。体重、心胸比、小便の量と除水量、血液検査の結果、誰も触れない性欲などである。細かく記述したサイトはなさそうだが、他の患者の役に立つのだろうか。わたしは腎結石から透析に這入った、ところが糖尿病から透析に這入った方が今では多数を占める。例えば食事制限ひとつ取っても、まるで内容が異なる。こちらに関しては考慮の余地あり、宿題とする。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月07日 20:30 | 固定ページリンク




ベストセラー  | 一考    

 何時も書いていることだが、読書とは生きることであり、個々の人生そのものである。作家は書くことを生きるのであって、読書人は読むことを生きる。学研文庫版「後方見聞録」の解説で書いたのはそのことに尽きる。当然、自らの生に相応しい書物があれば相応しくない書物もある。要するに、好きな書物は個々に異なる。その差違を重んじるがゆえに、大量に売れる書物を訝しく思う。
 おニャン子クラブとAKB48、出自は違うがモーニング娘といった個々の差違でなく、シンクロが売りのグループがある。この場合、個は問題にならないのでメンバーは次々と替わってゆく。端から核になるものがないので、悉くが代用品である。ここでベーコンを持ち出せば揶揄となる、現代ではアイドルすらが代用品で有効なのであろう。
 昔はクレイジーキャッツ今はAKBと云いたいところだが、前者に顕著なナンセンスは後者には見られない。AKBは素人ゆえの直向さはあるもののおよそ能転気なグループである。その調子のよさが時代に受けたと解するべきか。個の否定に甘んじるか、それともグループはわたしで持っているとの錯覚に身を任せるか、いずれにせよ当人達に覚悟はなにひとつとしてあるまい。
 この消息はアイドルに止まらない。昔、サーニンが発売禁止処分になった。自殺者が続いたからである。往時の書物の社会的地歩と現在のそれではあまりにも異なる。エンターテインメントと云えば聴こえは良いが、まるで読書から人生が消え失せたようである。きっと消え失せたのは人生だけではない。
 個人の価値や好みを集計して弾きだした公約数を並べたものがベストセラーだとわたしは思っている。そうとでも思わなければベストセラーなるものを理解できない。多数の支持を得るにはなによりもまず平均的でなければならない。当然ながら、読者も平均的人間ということになる。このふたつが仕合せな結婚に成功したのが現代であろう。
 書き手と読み手に限らず、なにもかもが置換可能な世界、個のない世界、貌のない世界の浸食がはじまった。私流に云えば、情念のない世界ということになる。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月07日 00:20 | 固定ページリンク




若葉マーク  | 一考    

 透析を終えてからとにかく寝た。腹が減ってごそごそ起きるだけ、喰えばまた寝つづける。日本酒が飲みたかったが、結局酒は呑まず仕舞い。烏龍茶と紅茶は随分と飲んだが、食事は極力減らした。中二日の休みだと捨て置けば体重が増える。除水はなんとしても1.5キロまでに収めたい。
 食事はすべて冷凍品で済ませた。例外は茶碗蒸し、これだけは三つ葉と蒲鉾を年末に購入、他の具は冷凍で間に合わせる。まだ寝るのかしらと訝しく思いながらも眠りつづけたが、身体が欲しているのだから致し方なし。腎不全が進行してからは身体の欲求には極力逆らわないようにしている。
 さまざまな疾病や障害を抱えたひとを知った。彼等のためにわたしに何ができるのだろうか。思いを致すには自らの疾病そして障害についてもっと学ばねばならない。透析ひとつ取ってみても、わたしには分からないことが多すぎる。透析について最小限を知るに一年は掛かると云う。世話になっているクリニックにしてからが、全貌を理解しているのはおそらく医師だけだろう。その医師にして泌尿器もしくは腎臓内科のことにしか理解は及んでいない。質問には常に専門医にどうぞと返ってくるだけ、余計なことには一切首を突っ込まない。これでよいのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月04日 21:43 | 固定ページリンク




体操  | 一考    

 屋内で体操をしたいのだがと回診の医師と看護師に云ったところ、大騒ぎになった。透析患者から体操の話が出たのははじめてらしい。明日にも死にそうな患者が多数を占めるなかにあって、せめてものレジスタンスのつもりだった。内シャントが傷つかなければと云われたが、どうすれば傷つくのかがわたしには分からない。腹筋、背筋は問題なし、腕立て伏せと懸垂にはクレームが付いた。五十づつ計二百は問題なく出来ていたが、おそらく今なら十回も繰り返せば疲れるに違いない。
 靭帯剥離骨折は癒すに途方もない時間が掛かった。今は内シャントを造ったせいで左手首が曲がらない。曲げるには腕立て伏せが最適と思ったのだが、医師までが責任は取られない、自己責任でと云いだす始末。2009年07月からまったく身体を使っていない。医師は水泳を薦めるが、わざわざプールへは出掛けられない、やはり自転車だろうか。いずれにせよ、腕に力が加わる種類の体操は原則禁止だそうである。
 看護師は自転車に興味があるらしく、遠距離の場合何キロぐらい走るのか、スピードはどれぐらい出すのかなどと根掘り葉掘り訊く。若い頃はともかく、わたしはポタリングを楽しんでいる。淡路島一周150キロはよく出掛けたが、南端の公園とか五色浜など寄り道が多く、時間は気にせずに走っている。京都や岐阜へ遠出したときは二十時間は平気で漕ぎつづける等々、訊かれるがままに応える。
 クリニックの看護師、技師には年長者が多い。経験豊富で穿刺の巧いのがなによりだが、最近は徒言も交わせるようになった。みなさんのお陰で新しい年を迎えられたことを嬉しく思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月04日 01:58 | 固定ページリンク




初詣2  | 一考    

 ヒデキさんと初詣、豊川稲荷は閑散としていたが、花園神社は人の波、素通りしてゴールデン街へ行く。飲み屋でコーラを飲んでいるのをオネエさんに揶揄われるが、透析と聞いた横のカメラマン(女性)が話しかけてくる。二十代から透析をしていた父親が先頃亡くなったらしいが死因は脚部の血栓、その理由が分からないということで説明する。
 リンの過剰摂取による血栓、脳だと脳梗塞、心臓なら心筋梗塞、肺なら肺梗塞んとなる。全身のどこに生じるか分からないのが血栓で、四肢壊疽を呈することもある。肺水腫や心不全、感染症と共に透析患者の死因のひとつだが、糖尿病の人は要注意などと話した。
 彼女は透析は生活するための治療だと正確な知識をもっていたが、一方で大変困難な治療だと思い込んでいる。さかんに同情されるが、わたしは同情されるような治療方だとは思っていない。父親とわたしの人生観の違いだと思うが、疾患に罹ろうが罹るまいが人には寿命というものがある。仮にあと三年の命と告げられたところで、悲壮感はなにもない。与えられた時間を淡々と生きるのみ。
 今ひとつ、彼女は個々の存在には意味があると信じている。一種の神秘論を信奉してい、それ故の改革が必要と思っている。わたしはスパンがもう少し長く、世の中には反動というものが必ずやあって、捨て置けばよいと思っている。例えば、シンクロを売りとする昨今の歌手連や、現在の漫画文化の蔓延などは気にもしていない。早晩滅びて顧みる者もいなくなると思っている。
 前述のオネエさんが、とにかく彼女は真面目でと云っていたが、真面目結構、ただ真面目に生きられなくなったところからそれぞれの真の個性がはじまると思う。個人の価値や好みは永遠に集計できない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月03日 05:03 | 固定ページリンク




初詣  | 一考    

 本年最後の営業です。去年はろくに歩かれなかったが、今年は大丈夫。初詣に行かれる方はご一緒にどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月31日 18:52 | 固定ページリンク




三箇日  | 一考    

 同室の患者のことだが、五百グラム取り置いて三千七百の除水との声が聞こえた。二日で四千二百である。これでも節制している方である。節制などなにもしていない患者がいる。どのみち良くはならないのだからとの気持は分かる。しかし、自分が苦しい思いをするだけである。一日あけて体重の3パーセント、2日あけて5パーセント以内の制限を守らなければ、いらぬ負担が心臓に掛かる。排尿がなくなると結果的に心臓との闘いを余儀なくさせられる。
 十キロの除水という剛の者がいたらしい。当然入院となり、透析に十時間以上掛かったようである。三箇日は特に酷くなるそうで、酒とアルコール分解の水と食い物で過半数の患者が5パーセントを超過するそうな。看護師から三箇日の食事には注意するように五月蠅く云われている。もっとも、わたしのような一人住まいにそうした心配は無用である。わたしには正月もなにもない、何時もと同じである。鮪、数の子、田作、黒豆、根菜の煮付け、紅白の蒲鉾等々、お節料理はどれを取っても身体に悪い。といって多量のリンを含んだ中国製冷凍餃子を食べるわけもなく、重金属が這入ったワインを飲むでもない。せいぜいが餅一切れと蜜柑一個を余分に喰うぐらいである。
 一日と四日は透析だが、二日と三日は暇である。高速道路が混むので遠出もできない。季村さんから頂戴した本はこんな時にしか読まれない。関さんから多量の眼薬も頂戴している。今年の正月は読書と洗濯で過ごすつもり。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月30日 22:37 | 固定ページリンク




白州ヘビリーピーテッド再販  | 一考    

 サントリーの「白州ヘビリーピーテッド」がISC2010とIWSC2010の金賞を受賞。受賞を記念して「白州ヘビリーピーテッド2010」が数量限定で新発売。当然、前回とはカスク違いになりますが、香味はほぼ同じ。アメリカンホワイトオークのバーボン樽熟成、48度のプリファードストレングス。

 ウィスキー部門の売上がこのところのハイボールブームで五倍に跳ねあがったのは良いが、このままだと原酒不足に陥る可能性あり、先日紹介したトリス・エキストラはそのために開発されたハイボール専用ウィスキー。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月30日 00:48 | 固定ページリンク




糖尿  | 一考    

 名前は伏せるが、店の客の家人が透析をはじめた。糖尿からの透析なので血管が細くて脆い、従って腹膜透析にしたようである。他にもバルーンカテーテルを用いたPTAや人工血管によるブラッドアクセスなどがあるが、腹膜透析が無難であろう。ただし、三年ほどしか持たないのが腹膜透析の欠点である。わたしが通うクリニックにも糖尿の方は多いが、止血が思うにまかせず困っているようである。通常止血は十分だが、糖尿患者の場合は十五分ほど見ている。それでも血が吹き出る。血管が脆くなっているのが理由だが、見ていて可哀相になる。
 わたしのように腎臓の病気で機能そのものが損壊してゆく場合は仕方がないが、糖尿の場合はクレアチニンが2.0までに自覚症状が顕われる。其の後は食事制限で元に戻すことが可能である。ただし、家族の協力が欠かせない。糖尿患者を前にして野菜の煮物や野菜サラダ、フルーツを食していては駄目である。総出で食事制限に参加しないといけない。糖尿病が生活習慣病と云われる所以である。
 糖尿病患者が末期腎不全に至る理由の過多は家人の非協力と理解のなさにある。そしてもっとも大事なのは本人の意志である。食事量を減らすことと病人食を試みる、その二点だけでも病状が進むのを防ぐことが可能である。それと月一回の血液検査で過剰摂取がでたものは控える、そうすれば透析にまで進まないはずである。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月29日 21:10 | 固定ページリンク




味覚不全  | 一考    

 リンが減ったのでショートケーキとクレープを買ってきた。クレープを食べたのははじめてである。昨今流行のロールケーキと同じでホイップ、正確にはクレームシャンティイーの味だけで他にはなにも残らない。モルト・ウィスキーの複雑な香味と比べては申し訳ないが、バニラオイルかバニラエッセンスの単純な香りだけで他に取り立てて匂いと称するものはなにひとつ窺えない。味覚不全というか、要は甘いだけの幼児の味覚である。これならちょっと高級なチーズケーキやバウムクーヘンのほうがはるかに複雑な香味や食感を楽しむことができる。
 甘いだけの廉いラム酒でなく、ヴィンテージものには解析不能な香味を持つものが多い。ラム酒に精通していなければ、ショートケーキひとつ造られるものでない。二度とクレープやロールケーキは食べないが、素人でも造られるようなものが商品として売られていることに愕く。芸のないことこの上ない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月27日 20:30 | 固定ページリンク




剽窃  | 一考    

 一度でも警察のお世話になった人ならご存じだが、パトカーや覆面パトの後部ドアにはノブが付いていない。要は中からドアは開けられないようになっている。脚本家の責任なのだろうが、そのような間違いがテレビドラマで散見される。
 主人公が板前の番組で寸胴で白出汁を取る場面があった。コンビニで売っているような花かつを、恐らく100グラムか80グラム入りの袋から三分の一ほどを放り込んでいたが、あれでは出汁は取られない、一袋全部を入れても到底無理である。番組の制作に当たって料理人が付ききりだと聞いたが、どこの料理人であろうか、嗤ってしまった。
 過日触れた「ONE PIECE」の紹介がテレビであった。数人のコメンテーターが激賞していたが、人は何時死ぬかという箇所があった。前後は下らないので端折るが、「人が死ぬとき、それは忘れ去られたとき」という文言を誉めていたのである。古くはシェイクスピアからか、新しくはピエール・ドリュ=ラ=ロシェル、もしくはジャック・リゴーからの剽窃か、おそらくはモーリス・ロネのモノローグであろう。いずれにせよ、かくまで使い古された常套句に驚いてみせるコメンテーターの無知蒙昧ぶりに恐れ入った。そんな話をしていたら、某編輯長から漫画相手に盗作で立腹していたら憤死するよと注意を受けた。他にも盗作と思しき箇所はあったが、漫画文化とはそのようなものかと惘れ果てた。
 インターネットの普及によって著作権の無視が罷り通るようになった。いずれ整理されるのであろうが。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月25日 22:45 | 固定ページリンク




年末年始の営業  | 一考    

例年通り、三十一日までの営業です。新年は四日からですが、透析ゆえ九時からの営業になります。御贔屓に。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月25日 22:09 | 固定ページリンク




延命  | 一考    

 腎不全は悪くなる一方で良くなることはない。わたしの場合、既に機能は一、二パーセントに落ちている。この僅かなパーセントすら風前の灯火で、絶えれば自力での排尿が不可能になる。末期腎不全の最終コースは透析だが、最初から透析を前向きに考える人はいない。「延命はあさましい」として当初透析を拒否した団鬼六氏のように、周章て、狼狽え、そして辛抱する。クレアチニン値が9.0を越えておよそ一年が我慢の限界だが、そのような状態に至ってもわたしはまだ迷っていた。その迷いを払拭させたのはリンとカルシウムの滞留がもたらす血栓である。血栓は心筋梗塞や脳梗塞の因子となる。そのまま亡くなれば良いが、半身不随や植物人間になる危険性を多分に孕んでいる。糅てて加えて、ブラックアウトは身体にさまざまな意味で衝撃をもたらした。ブラックアウトの理由は血栓ではないが、度重なる意識喪失は植物状態を窺わせるに十分だった。
 延命を否定する文章を2009年07月22日に腎不全と題して書いている。恰度丸一年我慢したわけだが、2010年8月北里研究所病院へ入院する前後はさすがに死を覚悟していた。「意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない」「自らの意志によってどうこうなるようなものではない。死は想像を絶するほど暴力的である」等と書いている。それにしても怖ろしく淋しい時期だった。幹郎さんも葬儀を心していたようである。
 延命策を取ったことが良かったのか悪かったのか、わたしにはまだ判らない。だからこそ、他人に薦めはしない。長く生きていると「自らの意志で制禦できないこと」に何度となく逢着する。その度に、わたしには詩集が、書物が、要するに骰子の一擲が必要となる。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月24日 23:22 | 固定ページリンク




赤坂見附陸橋下  | 一考    

 食事制限が効いてリン減少、一安心である。その代わりカリウムが増えているが、この三箇月除去剤のカリメートを服用していない。リンと違ってカリウムは御しやすい。骨密度も平均値に戻ったようである。昨年七月十五日の靭帯剥離骨折の前後は相当に危険な状態だった。骨折が続くのを防ぐためにオートバイに乗るのを諦めた。
 赤坂見附陸橋下の北側の横断歩道は丁度七十歩、松葉杖はおろか、歩かれるようになってからも一気に渡るのは不可能だった。ほぼ四箇月のあいだ、横断歩道の真ん中で座り込んでいた。そして昨年十月には失血による輸血、その後は腎不全の慢性化による歩行困難で歩くことかわなず、本年八月に透析をはじめるまで魔の交差点と思っていた。それが今では青信号のうちに渡ることができるようになった。一年余のあいだ、難渋させられた交差点だが、それゆえの愛着もある。
 一年前から同所に浮浪者が住みついている。先月からは蒲団の上にブルーシートを掛けて暖を取っている。夕刻には通行人を見定めるかのごとくぎょろりと観察している。浮浪者にしてはきつい目である。媚るようなもしくは部外者への畏れのようなものは微塵も感じられない。あの巷を睥睨する眼差しの裏側を覗いてみたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月24日 05:49 | 固定ページリンク




少女の死  | 一考    

 十八歳の少女が透析を拒否して九月に死んだ。マスコミで大きく取上げられたのでご存じの方は多いだろう。彼女は八歳で心臓移植を受け、十五歳のときに人工呼吸器をつけて声を失う。
 主治医との対話は携帯電話のメール、手書きのボード、そして表情豊かな笑顔。数度に及ぶ治療のなかで、「次に何かあったら延命しなくていいから」と訴えていたと云う。
 本年六月に腎不全を発症、改めて「延命はいらない」と告げる。八月肺炎を併発、痰を吸引する管が気管に入らず、死亡。
 医師でなく詳細はわたしには判らない。しかし心移植の場合、透析を受けても二年ぐらいの命でなかったかと思われる。病との壮絶な闘いに頭を垂れるしかない。クレアチニンの数値が分からないのでなんとも云えないが、尿毒素との闘いはわたしにも理解できる。肺炎は腎臓を疾んだ人には必ず付きまとう病症である。
 父親は透析を薦めたようだが、彼女の意志は固く、翻すことはなかった。十八歳で覚悟を定めたこと、涓塵の乱れも見せなかったことに涙する。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月21日 05:35 | 固定ページリンク




血圧2  | 一考    

 医師に内緒で血圧を上げる薬を飲んだ。腎不全の患者は高血圧になる。わたしも降圧剤をずっと飲んできた。ところがこのところ、血圧が低すぎて困っている。十一日の昏倒のさい、血圧は65にまで下がっていたらしい。なんとか処置しようと思っての服用だった。
 血圧の高低とは心臓の伸縮である。ポンプが血液を吐き出すときの大きさと吸い込むときの大きさ、その伸縮の差が血圧となって表される。血圧を下げるのは簡単だが、上げるのは難儀である。腎不全の患者は水分を尿として排出できないので、体内に余剰の水分が溜る。水分の一部が血中に滞り、血液の総量が増える。総量が増えればポンプの活動量が増え、心臓の容量そのものが大きくなる。血圧が異常に高くなる理由である。
 心臓の容量を計るのが心胸比もしくは心胸率である。詳細は記述したので繰り返さない。先週の土曜日に最新のレントゲンによる心胸比が分かったが、3.99だった。透析前のレントゲンなので、やはり低すぎる。透析すなわち除水によって4.0にまで心臓を小さくするのが治療である。そこで医師はさらなる体重の増加を命じる。
 わたしが血圧を上げる薬を服用したのは医師に対する反乱である。体重を上げないで心臓を大きくする、要するに血圧を上げるには薬の力を借りるしかない。思い通りに行けばよいのだが。

追記
 戦後長く血圧は130-70が理想とされてきたが、最近は120-70とされる。食生活の変化が理由だと思われる。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月20日 15:58 | 固定ページリンク




秋川牛ジャーキー  | 一考    

 カレーには香辛料で喰わせるカレーとブイヨンで喰わせるカレーとがある。同様にビーフジャーキーには醤油で喰わせるものと肉で喰わせるものがある。前記で喰わせる天狗印のジャーキーを好ましく思ってきた。他にもカナダ、オーストラリア、ニュージーランドはじめ、国産のいろんなジャーキーを食してきたが、天狗印の右に出る商品はなかった。ところが、土曜日のパーティーで秋川牛ジャーキーなるものに出遇った。あきる野市松村商店の製品である。「秋川の地酒に漬け込んだふくよかで味わい深い逸品」とあるが、字義通りの逸品だと思った。
 間違っていたら申し訳ないが、多摩の秋元さんがお持ちになったものではないかと思う。黒毛和牛を用いたとあるが、確かに肉が旨い。肉で喰わせる種類のジャーキーである。この種のジャーキーは味付けによってはさしが五月蠅い、執拗くなってしまうのである。要するに量は食べられない、もっとも、かなり高級品と推察される、従って量を食べるものではないが。味醂の代わりに清酒を用いたのだが、その清酒と醤油のバランスが巧く計られている。味見の価値ありと判断した。
 同日モッツアレラの味噌漬けも入手、こちらは足が速いので試食される方はお早くどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月20日 15:27 | 固定ページリンク




文学  | 一考    

 わたしにとって、文学とは自らの生き方にあれこれ思案を巡らすことである。それは生死にかんする万象を意味する。わたしは痛感ではなくて不条理感に重きを置いている。なぜ、不条理を感じるかと云えば、覚悟が整っていないからである。それなりの覚悟はあるのだが、覚悟の一歩手前で右往左往するように仕掛けている。思案を巡らすの意はそこにある。
 文学を知るに典籍を繙くのは最短距離に思われる、しかし、読書は方法論であって目的ではない、そこを履きちがえると永遠に文学は解らない。極論を吐けば文学はセンスである。その論を拡げれば昨今のわたしにとって病気こそが文学である。
 だからこそ、失血したときの排泄が意のままにならなかったこと、意識が失われる瞬間のこと等々、要するに存在の尊厳にかかわることを詳述してきた。さまざまな文学があり、さまざまなアプローチがある。それはそれでよい、わたしがとやかく云うことではない。ただ、思案のなかに、反芻のなかに文学は在る。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月20日 13:19 | 固定ページリンク




会談  | 一考    

 菅、小沢会談が終わった。小沢氏に引導を渡せるかどうかの最後のチャンスである。口説けなければ菅政権すなわち民主党政権は終わりになる。小沢が拒否した場合、菅に小沢の除名が出来なければ予算案は幻になる。結果、たった一度の予算案すら組まれなかったことになる。もっとも、組む必要のない予算案だと思うが。
 新たな為事を立ち上げようとすれば、旧いなにかを切らねばならない。切ることが叶わなければ、取捨はできない、新たな為事を端から諦めるしかない。何のための政権交代だったのか、わたしにはさっぱり分からない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月20日 12:55 | 固定ページリンク




深い感銘とともに  | 高遠弘美    

一考さま。
続けての書き込みをお許し下さい。
「それにしても、プルーストは素晴らしい。最晩年に「失われた時を求めて」と出会えたこと、生きていて良かったと喜んでおります」
とのお言葉。涙が出ました。ありがたうございます。どうしても、全巻完結までお元気でゐて頂かなくてはなりませぬ。それのみをひたすら祈つてをります。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年12月16日 23:51 | 固定ページリンク




高遠様  | 一考    

 あのようなことを書くべきかどうか迷ったのですが、書いてしまうところが元編輯者というところでしょうか。文章というものは肉声が籠められているかどうかが判断の唯一の基準です。巧い下手を云う前に、知識がどうのこうのと云う前に、肉声がどうなっているのか、その一点をクリアすれば、雑誌社からの原稿依頼も舞い込みます。某氏に分かっていただきたかったのはその箇所だけなのです。それ故に啓蒙のつもりで書き込みました。
 大兄にはご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。それにしても、プルーストは素晴らしい。最晩年に「失われた時を求めて」と出会えたこと、生きていて良かったと喜んでおります。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月16日 23:28 | 固定ページリンク




 | 一考    

 胃を半分除去するのは当人にとっては大変なことであろう。似たはなしがあって、知己から電話で元気かと訊かれて、元気でないと応えた。どこが悪いかとの質問に腎臓と答える。腎臓そんなもの病気にも這入らぬ、俺は癌だ、参ったか。
 これにはほとほと「参った」である。病名は掃いて捨てるほどある。直接命に関わる病気は諦めるしかないが、わたしは失明がもっとも怖い病と思っている。視力がなくなるのはまさに絶望である。思索はおろか、概念づけから臭覚、嗅覚、触覚に至るまでが一端無力になる。ひとは目で考え、目で感じ、目で味わう。人生の再構築がもっとも難儀な病である。それを思えば、確かに腎臓など高が知れた病気である。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月16日 23:26 | 固定ページリンク




一見客  | 一考    

 木村さんから頂戴した葉巻を喫んでいたら一見さんのグループがやって来た。クラブへ通い慣れたひとらしく、お通しを造っているのに客をほっておくのかと云った雰囲気、困った客の類いである。酒の説明を求まられ、説明している最中に他の客がこちらの酒の説明はどうなっていると、五月蠅いことこの上ない。わたしはひとりですからと言訳をすると、じゃあ傭えばしまいじゃないか。雇い人にウィスキーの説明なんぞできるものですか。
 体調不良につき、ゆっくり営業させていただけませんかと云うと、どのような不調なのかと聞く。面倒なので身体障害者手帳を見せると、この手帳は知っていて知人も持っている、高速道路の料金が無料になる手帳だろ、だからどうした。わしは胃を半分除去している。それにまさる病気はあるまい。この辺りで話すのも嫌になる。
 連れのひとりは道楽で新宿でクラブを経営しているそうな、一人の客に数人の女性がつくそうな。では新宿へどうぞと云いたくなる。赤坂へは滅多に来ないらしく、開高健さんが常連だった木家下のことを執念く聞く。当店は高級バーではございません。当店は四人で14000円、他店なら一人でそれ以上は掛かるでしょう。
 帰りしなに今週の土曜日に七、八人で宴会をしてくれと仰言る。先約済みと断わるも、一見で予約をして来たためしが過去一度もない。一見ばかりだとこのようなことも起こる。
 気分直しに、木村さんから頂いた葉巻をおもいっきり吸い込んで昨日の営業を終えた。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月16日 23:09 | 固定ページリンク




私はそれで満足です  | 高遠弘美    

一考さま。

先日は拙訳プルーストについてお書きくださり、まことにありがたく存じてをります。
一考さんの読み方で読んで頂けたことが何よりと喜んでをります。どうかこれからも続くプルースト、一考さんの読み方でお読み頂き、ときに応じてお言葉を賜れば私はそれだけで満足いたします。
どうかお体お大事に。
ひと言、御礼とお見舞ひまで。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年12月16日 22:20 | 固定ページリンク




生海苔  | 一考    

 生海苔が売っていた。明石にいた折は寒くなるとですぺらの定番商品だった。東京へ来て見たのははじめて、さすが千葉の魚屋である。一番海苔ではないだろうが、十分に楽しまれる。今日は塩抜きと乾燥、明日と明後日は食べられる。今のわたしに海藻は禁制品だが、以前は大好物だった。
 ついでに千葉産のそらまめも買ってきた。時季外れで随分と高値だったが、当店にはそらまめが好きな方がいらっしゃる。山形の桜桃の苗木を濠太剌利亜へ持ち込んで育てたり、苺のように年間を通して食べられる食品が増えてきた。旬はなくなるが、好きな方にはこたえられないのであろう。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月16日 21:53 | 固定ページリンク




私流  | 一考    

 かつて当掲示板で椎名麟三の永遠なる序章について書いたことがある。文中、やくざに撲られてガラスのあるところまで蹣跚めいてゆき、自ら頭を突っ込むとの描写があった。血だらけになればそれ以上の暴力は受けまい、勘弁してもらえるとの消極的乃至は情けない逃避である。わたしは同じ経験を何度もしているので書き手の心中が痛いほどよく分かった。
 わたしにとって本を読むとは体験もしくは追体験である。従って本についてなんらかのことを書くのは自らの経験の一部を描くに等しい。類推すらが体験に基づくところのものであるに違いない。
 さて、先般書き込んだ「意識」を序でに書き込んだだけと某氏から云われた。「序で」と受け取られたならわたしの文章が稚拙だったと反省するしかない。しかし、あの文章はわたしの経験が従であってプルーストが主であることに間違いはない。肉声を搦めながらプルーストへ持って行くにはどうすればよいのか、結果があの文章である。いっそプルーストの新たな読み方を示唆したつもりだったとでも書けば許されたのだろうか。
 随分と前の書き込みだが、これまた佛蘭西在の某氏から今回の書き込みは林達夫論ですねと指摘されたことがあった。文中に林達夫の氏名や書名はおろかそれと匂わすことすら慎重に避けたにもかかわらず。当掲示板はわたしが自分自身の楽しみのため、もしくは精神衛生のために書いている。書評というものがどういうものなのかある程度は知っているつもりである。しかし、これが書評などという定義はどこにもない。プルーストの文章を引用してひとつずつ証明してゆけば少しは書評らしくなるのだろうが、生憎とわたしは書評家ではない。百人のひとが読めば百通りの感想があるだろう、それでよいと思っている。これからもわたしの云うところの肉声を書き込んでゆくつもりである。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月15日 21:13 | 固定ページリンク




電子書籍  | 一考    

 ソニーのリーダーとシャープのガラパゴスが出て、電子書籍用情報端末が出揃ったようである。他にアマゾンのキンドル、アップルのiPad、サムスン電子のギャラクシータブなどがある。その内、キンドルはまだ日本語に対応していない。
 問題は電子書籍の品揃えだが、ソニーが約1万1000冊、シャープが約2万4000冊にとどまっている。それよりなにより電子書籍の規格の標準化がなされていない。アマゾンが北米で配信している約75万冊はiPadでも読まれるようだが、わが国は未統一である。日本の電化製品はいつもそうである。それぞれが、わが社のものを標準にすればよいとのことらしい。やがて売れないメーカーはハードから撤退、役に立たない電子書籍は置き去りにされる。
 現状ではiPad以外、薦めようがない。このような理不尽はいつまで続くのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月15日 20:24 | 固定ページリンク




リッチな失神  | 一考    

 医師に先日の醜態を謝ったところ、血圧が70-40を切ればいかような人間でも失神すると、憐憫とも励ましともつかぬ言葉がかえってきた。それは分かっているのだが、医師、看護士、技師に看取られながら意識を失うのはいささかリッチである。いざとなれば電気ショックの器具も揃っている。死ぬ懼れがないのである。わたしにとっては初めての経験だった。
 心胸率というのは肺臓と心臓の比率である。肺臓の左右の寸法の40パーセントが心臓の理想的な大きさとする。腎臓を患うと水分が分泌されなくなり、血中の水分含有率が高くなる。要は心臓の肥大である。4.0の数値が5.0になり6.0にもなる。そうなると全身に水が溢れる、心筋梗塞や心不全の引き金になるのである。
 その肥大した心臓を除水によって4.0にまで小さくする、それが透析のひとつの役割である。ところが、わたしの場合は透析前にすでに4.0を切っている。透析をすればさらに小さくなって、血圧が下がる。それがブラックアウトの理由だそうである。
 今回500グラムほど体重を増加するように云われた。前記したように体重というものは急速には増えない。だとすれば、除水率を減らすしかない。しかしと思う、健康が心胸率だけで計られてよいものだろうか。もちろん失神はもっとも嫌な避けるべき症状である。その一方でわたしの身長に相応しい体重があるに違いない。最初のドライウェイトが62.8キロ、それが僅か三箇月で65キロにまで増やされた。そのことに若干の疑問が伴う。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月14日 23:11 | 固定ページリンク




広告  | 一考    

 おっきーさんにお願いして、ですぺら初のWEB広告にトライしていただいている。送られてきた画像表示広告は非常に好ましく思うのだが、googleの審査に一度落ちたようである。詳細はわたしには分からないが、迷惑をお掛けしている。
 最近は一見の客ばかりで、その大半がインターネットを見てと云うことである。それが理由でのWEB広告である。旨く行くと良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月13日 22:11 | 固定ページリンク




意識  | 一考    

 自ら歳を取ったとは思っていないが、意識をコントロールできないようではなにを云っても詮ないはなしである。意識とは精神の問題ではなく、カテゴリーは肉体に属する。要は脳の問題であろう。肉体の一部として精神はあるが、精神単体での生息は不可能である。ブラックアウトを繰り返すことによって、信じるに至った消息である。言い換えれば、精神と肉体などと云った二元論は成り立たず、さらに包括されるべき筋合いのものと思っている。それも弁証法的な、即ち統一されるような包括でなく、並立されるような意味合いでの包括である。精神と肉体と云ったところで、その間に垣根があるわけでなく、どこまでが精神でどこまでが肉体なのか、その実体は判然としない。判然としないものに弁証法的思惟は無用である。
 よって精神論とかこころの問題、気持の持ちようと云った類いのはなしをわたしは眉に唾して聞いている。シュルレアリスムやオカルティスムなるものを聞く気にもなられないのは同じ理由に基づく。それにしても、人は何時弁証法から解放されるのであろうか。考えを深化させたり、助長させるに弁証法はもっとも基本的な方策ではある。しかしそれに拘泥するがあまり、常に対極的な考え方の泥沼に陥る。
 高遠弘美さんのプルースト「失われた時を求めて」を繙いていま云ったような「並立されるような意味合いでの包括」を感じ取る。ストーリー然り、時間の概念然り、登場人物然り、それどころか心象それ自体が、表現それ自体がある種の法則に則って並列共存の場に置かれる。ひょっとしてプルーストは誰もが描きもしなかった新たな思想の領域を開示したのでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月13日 21:34 | 固定ページリンク




血圧  | 一考    

 日曜日は一歩も外へ出掛けなかった。全身の節々と顳かみがひどく痛む、皮膚感覚もおかしい。さきほど入浴、少しはましになったと思いたい。入浴後、血圧は正常である。
 「魚と乳製品」は血液検査の報告である。いくら調べても異常は顧みられない。以前何度か失神しているが、その折の血圧は計っていない。きっと今回と同じように血圧が低下している筈である。どうやらブラックアウトの主たる原因は尿毒素と血圧にありそうである。それにしても、最初の引き金はヘモグロビンの低下だが、輸血してからは10から12を維持している。と云うことは赤血球の不足ではない。東葛の医師も理由は解らないと云う。医師によると取り敢えず除水を減らすの他思い付かないようである。心胸比にゆとりがあるので、除水と体重の数値は共に動かすことができる。血圧の急速な減少に留意しつつ、様子を見るしかない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月13日 05:53 | 固定ページリンク




魚と乳製品  | 一考    

 透析をはじめて三箇月になる。透析の時間を睡眠時間に組み入れたので、一時間ごとの血圧計量を除いてほとんど眠っている。聞くところによると、透析のあいだに句作に耽る奇特の士がいらっしゃるそうな。わたしにはそうした粋な心得がない、ただただ眠り惚けているばかり。
 隔週の血液検査の結果が出た。結果表を持って栄養士が各患者のもとを訪れる。透析直前のクレアチニンが9.19、尿素窒素が55。食欲がないのではと云われる。ドライウェイトが63キロから64.5キロに増えたが、体重が65キロぐらいにしか増えない。除水分が捻出されないのである。食欲はあるので、その内増えるだろうが、急速には無理である。心胸比が39.9と低く、あちらとしては体重をさらに増やしたいようである。身長が減っているのに、体重を上げろと云われても納得がいかない。大体が成り行きでよいではないかと思う。透析患者が通常陥る飲み過ぎ食べ過ぎにはもっかのところ縁がないようである。
 ナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウムは標準値。ヘマトクリット、ヘモグロビン、血清鉄も標準値、フェリチンも減りつつある。感腺炎症も良好。蛋白、コレステロール、糖も大旨良好。HDLコレステロールが徐々に増えてきたので、LDLコレステロールが相対的に落ち着いてきたようである。問題はリンが6.6と上昇中であること。高リン血症は掻痒感、二次性副甲状腺機能亢進症の進展、異所性石灰化、心血管病変の引き金などをもたらす。簡単に云えば透析による骨や関節の痛み、石灰化沈着による痒みなどを防止するポイントである。それにしても、カルシウムとリンのコントロールは難儀である。魚と乳製品をさらに控えなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月13日 05:09 | 固定ページリンク




倒れる  | 一考    

 ヒデキさんから開店時間の問い合わせがあったが、今日は店はお休みである。誠に申し訳なく思う。昨夜、金曜日は客がなかったので、今日は頑張るつもりだったのに残念である。実は透析後、病院で倒れてしまった。血圧が急速に下がり、70-40までは覚えているのだが、その後の記憶は定かでない。例によって猛烈な吐き気と冷や汗で全身びっしょりになった。ブラックアウトの時と同じ症状である。
 医師、看護師の皆さんに面倒をお掛けした。身体には心電図を取るための電極が張られていた。おそらく、心電図と血圧を睨めっこしながらの処置だったと思う。除水の一部、300ミリリットルを血中に戻したようである。
 ヘマトクリットは36.8、ヘモグロビンは12.0、血清鉄は54、フェリチンは295、どう考えても貧血ではない。心胸比は39.9、心臓にも何等の負担は掛かっていない。要するに理由が解らない。
 帰宅は九時を回っていたが、生命維持装置で生きていることを思い知らされた。

追記
 今日の昏倒はショックだった。血液検査に異常がなくともいろんなことが起きる。後から聞いたのだが、高い方の血圧は60台にまで下がったらしい。血圧は90台にまで戻ったが、まだ足下がふらつく。今日、明日は大人しくして、云われたとおり栄養摂取に務めるつもり。
 透析後の為事は無理と改めて云われたが、わたしの場合収入がなくなるので続けるしかない。と云うよりも、為事を止めて落ち込むのが嫌なのである。
 命が懸かっているから当然だが、透析に休みはない。明年は一日から透析である。元旦早々穿刺の痛みに合おうとは。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月11日 23:31 | 固定ページリンク




「稀有の酒場」  | 一考    

 Google マップでですぺらを検索。麻布鬼瓦という方が「稀有の酒場」と題する文章を掲げておられる。以下に無断で引用させていただく。

 此処に絶望の淵を彷徨える老いたる男の酒場が有る。
 柳生新陰流の使い手の如き鋭き眼差しは、瞳の奥に妖しき炎宿るも、時に憂いに其の火が揺らぐ。
 分厚き大谷石のカウンターは、鉛ガラスの盃に恰も軟らかき欅の如き弾みを与え、柔かきダウンライトはカスクのモルトに時の醸す光を与える。
 白髪のバー・マスターは背負いし己の歴史に疲れ、虚無の心に弄ばれながら、今宵もモルト酒を守る僧院の衛視の如く丹念に酒瓶を磨く。
 今宵珍侘の酒に酔いしれんとするものは、集うべし。
 はたまた、バー・マスターの手塩に掛けて作り置きし鴨の燻製を食すべし。
 其の姿、飽くまでルビーの色香を纏い、そのヒッコリーの如き燻煙の香りに驚嘆するであろう。

 どのようなお方か存じ上げないが、書かれたわたしはいたく恐縮しそして喜んでいる。葉巻に一家言をお持ちと察するが、次回来店の折はぜひ声を掛けていただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月10日 17:08 | 固定ページリンク




トリハイ  | 一考    

 先日、あまねさんと新宿へ出掛けた。二時、三時に若い女性の多いのが気になった。彼に云わせると新宿はここかしこで酔っ払った女の子がぶっ倒れているそうな。今も昔も変わらぬ風景である。女の子はさておき、あまねさんに新宿の文壇バーを紹介しなければならない。掲示板で書いたことがあるが、いまなお十軒ほどは健在である。とは云え、一本のビールで赤い顔になるようでは話にならないが。
 久しぶりにスズキの子の煮付けを造った。昨日、今日のみのお通しである。明年はトリスのハイボールでも置こうかと思っている。巣ごもりの季節に相応しい飲み物といえばトリスを除いて他にあるまい。わたしが子供の頃はサントリー、ニッカ、オーシャン、45の何如を問わず、ウィスキーはトリス級だった(ホワイトや角は戦前からだが、トリスは46年から)。六十年を経て同じ銘柄を嗜んでいる、もっとも中身はまったく異なるが。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月10日 00:43 | 固定ページリンク




ナッツ  | 一考    

 民主党の代議士と思しき団体と第2クワムラビルの入口で鉢合わせになった。恰度ビルへ這入ろうとしていたわたしはSPによって弾きとばされた。以前なんどか小沢一郎氏と出遇っていて、その都度一言二言口を交わしたが、このような目に合ったことはない。仮に入口で鉢合わせになれば小沢氏ならお先にどうぞとなる筈である。小沢氏にあって、SPが人を妨げるなどあってはならない。ことほどさように選挙を強く意識している。
 先般、小沢氏と会った折は肩を叩きながら頑張ってくださいとの励ましに有り難うと復ってきた。昨日の代議士に知った顔はなかったが、なんという居丈高な態度であろうか。改めて民主党なるものに権威主義を感じさせられた。
 そのSPに睨まれながら関さんと稲見さんが来店。例によって稲見さん手造りの麺麭とオークラの食べるラー油、それとナッツを頂戴した。ナッツは濃いめに焙煎したものだが滅法旨い、ウィスキーによく合う。飴を絡めたナッツは既製品でもあるが、飴の量を極端に少なくし、少量のバターを加えたところが味噌でろうか。売り物になる逸品である。ヒデキさんもお気に召したようである。毎度のことながら、感謝している。

追記
 菅氏と江田氏が後から合流したらしい。行き先は当ビル二階の鮨屋、その後銀座へ流れたようである。平の代議士にSPはつかない、可笑しいと思っていた。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月07日 21:08 | 固定ページリンク




選択制度  | 一考    

 透析の日は風呂は禁止されている。注射針の傷跡が化膿するからである。従って、入浴日は月、水、金、日である。マンションへ引っ越してからはよく風呂へ這入るようになった。風呂を沸かすのが簡単になったのと、傷跡が痛いからである。洗濯は日曜日だが、風呂へゆっくり這入れば同時に終えることができる。
 日々の食事の用意と茶を淹れるのは欠かせない。茶は紅茶と烏龍茶を大量に冷やしている。塩分のせいで煮物は極端に減り、炒め物が増えた。好物だった麺類は食べられなくなって代わりに塩抜きの焼き饂飩が食卓へよく上るようになった。
 痒み止めは関さんから教わったサリラベートの他にベネトベーネとヒルドイドを用いている。もっとも有効なのはサリラベートのローションの方、まだステロイドの副作用は出ていない。
 看護師から聞いたはなしだが、沖縄での透析時間は五時間、外国では七時間から八時間だそうである。先日書いたように、わたしの場合透析後のクロアチニンは4.0、透析前は8.0である。さらに低い数値を望めば当然時間は長くなる。回数を増やすか、五、六時間への延長が考えられているそうだが、それが隔日四時間で慣らされた患者に通用するかどうか問題である。体調を良くしようとすれば六時間、現状で可とすれば四時間、選択制にすればよいのではないかと思う。それでなくても透析患者には鬱病が多い、時間を長くすればさらに増えるのは間違いない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月06日 21:50 | 固定ページリンク




繕い  | 一考    

 パジャマを繕いたいのだが、ミシンやスチームアイロンが手元にない。二十年ほどむかしに買った記憶があるのだが、どこへ消えたのだろうか。女性のせいにしたくはないのだが、女性が変わるとわたしの持ち物も大きく変わる。といって新たに購入する気はない、荷物が増えるのは勘弁である。今回の引越で随分と荷物を捨てた。トラック一台分になるが、捨てたと云うより捨ててもらったと云うに相応しい。幹郎さんがその一部を新著「田舎の日曜日」(みすず書房)で書かれている。
 頂戴した書物の御礼を書かねばならないのだが、今日は遠慮しておく。月並な誉め言葉でお茶を濁すような付き合いでないからである。十二月十八日は幹郎さんの山小屋メンバーの忘年会。久しぶりの宴会なのだが、生憎とわたしの透析の日に当たる。従って九時までは幹郎さんにバーテンをお願いする予定。相済まぬことゆえ心苦しく思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月06日 20:57 | 固定ページリンク




お通し  | 一考    

 富良野の生ウィンナー(元々ウィンナーは生だが)五種類が売り切れた。さまざまなお通しを買ってくるが、久々のヒット商品だった。わたしの食生活にウィンナーは向かないので、五種類を一日一本ずつ食した。全品ハーブ入りだったが、いずれも旨いと思った。
 フードを止めて久しいが、店は以前にもまして暇である。こんなに暇ならフードを造ってもよいと思うのだが、二、三人前のお通しは量から云って造られない、日持ちも二日がせいぜいである。いろいろ考えた結果、乾き物になってしまう。このような閑散期、他店はどうしているのだろうか。

追記
 今日は烏賊の煮物を造った、客があればよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月03日 21:23 | 固定ページリンク




ダイアライザー  | 一考    

 田村書店から電話があって、このところ松本へ仕入れにゆくと云う。その仕入れ先の客が人工透析に罹っている。聞くところによると、大きな透析器械だそうで、フルーツなども好きに食べてもよい、酒も好きなだけ飲んでもよいということらしい。大きな器械というのがよく分からないが、おそらくダイアライザーだと思われる。東葛クリニックではわたしは新米なので、もっとも小さなダイアライザーを使っている。いずれ大きなものに変わってゆくのだろうが、大きいほど除水能力が増す。現在用いているダイアライザーは最大二リットルの除水能力だが、わたしにはこれで十分である。除水すればその量に応じて血圧が下がる。それでなくても高い方が100しかない、これ以上の除水はわたしの場合無理である。
 さて、フルーツや酒というのがさらに分からない。酒は飲んでも構わないがアルコールの分解には水が必要である。フルーツは多量のカリウムやリンが含まれる。それらはダイアライザーで除去できない。田村の客が云うにはその器械は東京だと江戸川橋のクリニックにしかないそうな。きっと既存の器械とは全く異なるもののようである。明日再度松本へゆくので、詳しく聞いてくるとのはなしだった。
 透析と云っても個体差があって、元の病名も個々に異なる。わたしにその器械が使えるのかどうか、詳細を聞かなければ判断できない。でも、多少の期待はある。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月03日 21:17 | 固定ページリンク




カスク  | 一考    

 ワイン樽熟成のモルト・ウィスキーでよく知られているものにボウモアのダスクがある。ボウモア特有のコスメティックな香りは幾分和らぎ、その代わり、京都の麩饅頭のような苦みが後口に残る。好感の持てる苦みなのだが、それが渋みでないのが不思議、樽のなせる魔術の一種と思う。
 ワイン樽を熟成に用いたのは、蒸留所ではグレン・モーレンジとグレン・モール、ボトラーではイアン・マクロードが早いのであるまいか。ワイン樽でワインの熟成が行われるのは二箇月から二年、ウィスキーのような後熟は行われない、しかも一度きりで再使用はない。再使用されないという点はバーボン樽と同じである。
 バーボン樽は小さいのでスコッチの熟成には適さない。そこで側板を増やして用いている。所謂ホグスヘッドである。ところがワイン樽は端から大きい。スコッチをゆっくり熟成させるには相応しい大きさなのである。
 昨日のニュースで見たのだが、ボルドーの某ワイナリーでは四万個のワイン樽が毎年焼却処分されている。その点もアメリカと同じである。もっとも、ニュースの主旨は樽材を用いた家具すなわち再利用にあったのだが。
 ワインの年間生産量はボルドーとブルゴーニュだけでも1000万ヘクリットルを越える。昨今、随分と用いられるようなったワイン樽だが、まだまだ少ない。シェリー樽の不足が騒がれる今日、無尽蔵なワイン樽は魅力である。しかもフレンチオークにはタンニンが多く、モルト・ウィスキーに複雑な香味をもたらす。マーレイ・マクデヴィッドのクライヌリッシュに、シャトー・ラトゥールのカスクをフィニッシュに用いたものがあった。ワイン樽固有のはんなりした味わいは特筆すべきものと思う。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月02日 22:59 | 固定ページリンク




勘違い  | 一考    

 先日、肉腫について書いた。今日詳しく聞いたのだが、あれは血管の膨らみだそうである。通常、動脈は体内深く隠されている。透析患者はシャントによって表皮へ動脈が移動する。圧力がなくなるための膨張と今ひとつは同じところへ繰り返される注射のせいだそうである。血管は均一でない、血管自体の薄いところ厚いところいろいろである。また複雑に畝っている。それが錯綜した瘤のようになるらしい。早い人で二年、大方の腕は三年も経てば凸凹になる。十年選手だと異様な様になる。それにしても血管の直径が太いところで五、六センチにまで発達するとは驚きである。知己から瘤と云われ、それを信じていた。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月02日 22:25 | 固定ページリンク




味噌漬け  | 一考    

 味噌漬けの豆腐について書いたことがある。水切りした豆腐をガーゼでくるみ、味噌を塗りつけてタッパーに入れる。チーズのような味わいのお通しができる。ちなみに、チーズそのものにも味噌漬けの製品が複数ある。
 他では卵黄の味噌漬がある。小さな器に味噌を詰めガーゼを敷いてくぼみをつける。くぼみに卵黄を入れ、ガーゼをかぶせて味噌でおおう。二日ほどでペースト状になり、さらに置くと固まって半透明になる。これを薄切りにするとからすみに似る。
 この味噌とガーゼの組み合わせはさまざまな料理に用いられる。わたしが贔屓にしていた荻窪の飲み屋では同じ造りで牛タンの刺身を喰わせた。牛タンは家庭ではできないが、少量のものなら可能である。スモーク同様、家庭で簡単にできるお通しである。
 ただし、現在のわたしには塩分濃度の高いものは味見すら不可能である。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月30日 21:31 | 固定ページリンク




冬日  | 一考    

 この一年、スタッドレスタイヤを履きっぱなしだった。スタッドレスの寿命は四年、冬季だけだと減らないので勿体ない。燃費が少々悪くなるのと、雨天の制動がよろしくないのを我慢すれば年中走ることができる。言問橋の西詰めではいつもスリップしている。
 さすがに十度を下回るといささか寒く感じる。しかし、わたしの冬服はオートバイ用である。今は車で往復しているので、手持ちの衣服だと厚着になる。薄手のヒートテックが最近流行っているようである。オートバイでは役に立たないが、普段着としては充分な機能をもっている。もう少し寒くなればうんと薄いカーディガンかセーターでも購入しようと思っている。
 加藤周一氏が存命中、山崎剛太郎さんの出版記念へコートを着て出掛けた。ホテルでコートを預かりますと云われたが、コートの下は夏物のワイシャツ一枚で困惑させられた。爾来、わたしはコートなるものは着ない。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月30日 21:17 | 固定ページリンク




NTTフレッツ光  | 一考    

 拙宅のパソコンが一箇月ぶりにネットに繋がった。なにかしらの理由があるのだろうが、調べる気は起こらない。早速、延坪島砲撃のニュースを見る。尖閣諸島もいずれ焦臭くなる。そうなれば現今の政治家では対処しきれまい、吉田茂ならどうしただろうか。

 繋がったと思ったら次の日には繋がらなくなった。NTTのフレッツ光には本気で腹が立ってきた。止めればよさそうなものだが、違約金を払わなければならない。しかし、遣いも出来ないものに金を払い続けるのはさらに可笑しい。
 今までさまざまなプロバイダーを遣ってきたが、接続に問題が生じたことは一度もない。NTTがはじめてである。わたしの知己でNTTを遣っている方はいらっしゃらないが、当然だと思う。フレッツに責任があるのか、エキサイトに責任があるのかすら分からない。ある日突然繋がらなくなったり、繋がったりの繰り返し。最悪の状況である。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月29日 22:35 | 固定ページリンク




企画書  | 一考    

 先日関さんと話していて、もっとも為事ができるのは何歳ぐらいだろうかと思いをめぐらした。わたしは三十歳、彼女は三十三歳ということだった。自らの経験に基づいたはなしであって、なんの参考にもならない。しかし、二人共にほぼ同じような答えだったのには理由があるはずである。
 三十歳乃至は三十三歳以降の為事はどうかと云うと、それらは既にそれまでに芽生えている。要するに、三十歳までの為事以上の為事はできないと云うことにもなる。確かに怖いもの知らずで、がむしゃらに為事ができるのは三十歳ぐらいが限界であろう。もっとも、三十歳との年齢自体が晩期大成型を内包している。早熟であれば二十歳までに人生の大略を処理している、そのようなケースも多いに違いない。
 正社員であろうがアルバイトであろうが、はなしは同じで、為事をしておればなんらかの理不尽、非効率、納得しがたいものを感じる。されば企画書を提出するのみ、断わられても、拒否されても何十回となく企画書を提出しつづけるしかない。やがて上司は手に負えないと見ると、必ずやさらに上の上司にはなしを通す。この間の消息はただただ根比べである。二、三百も企画書を出せば、やがて役員のお出ましになる。企画書が会社の方針に見合わなければ、連結会社への配置換えもしくは定款の書き換えになる。二、三百の企画書に対して無言でいるような会社は日本では見受けられない。
 大方は二つもしくは三つの企画でもって諦める。そして転職する。転職するひとは転職すれば思いのままの為事ができると期待している。そこがわたしには分からない。例えば某チェーン店の喫茶店でアルバイトしているとする。そのチェーンは業態の異なる四十ほどの企業を経営している。さればこそ、先程の企画書を武器に本社へ乗り込み、定款を書き直すことも可能である。為事をしようと思えば、いかなる状況にあろうとも可能である。そう云った為事ができるのが、三十歳乃至は三十三歳までと関さんもわたしも思うのである。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月29日 21:27 | 固定ページリンク




「ポスターを貼って生きてきた」  | 一考    

 ポスターと云えばコーベブックスでの最初の仕事「タロット展」を思い浮かべる。当時、西武百貨店にいらした草刈順さんにポスターの制作を依頼した。最初のポスターは神戸展専用のもので、阪急、阪神の駅などに貼り出した。ところが、貼っても貼っても持って行かれる、一日として貼ったところにないのである。後日聞くに、ポスターを切り抜いてタロットカードを造ったそうな。1974年6月のことだが、当時はかくまでタロットが珍しいものだった。
 同年末、池袋の東武百貨店で東京展を開き、一挙にタロットは知られるところとなったが、主宰コーベブックスと小さく刷られたポスターが東京中の地下鉄に貼り出された光景には誇らしさを感じた。
 徒し事はさて置き、笹目浩之さんの著書「ポスターを貼って生きてきた」がパルコ出版から発行された。ポスターハリス・カンパニー主持であり、近著に「ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター100」がある。新宿ゴールデン街からはじまって、渋谷、下北沢、六本木、西麻布、青山等々の飲み屋に演劇のポスターを貼るのを生業としている。
 ナジャのクロちゃんは昔、ゴールデン街で文庫屋というバーを営んでいた。劇団状況劇場御用達の店で、笹目さんもわたしも常連客の末席を穢していた。彼のポスター貼りの歴史は文庫屋にはじまると云っても過言ではあるまい。それぐらい大きな契機を彼は文庫屋から得ている。「ネオン輝く夜の繁華街は、いわばぼくやスタッフにとって「舞台」だった」その舞台を「街のいたるところや人々の生活の中にまで演劇や芸術的なものを広げる」「実利実益しかない街に、演劇という虚構の世界、想像の世界への窓口となり入口にもなるポスターを貼りめぐらす」と云った彼の思いで染め抜いていった。
 彼の脚本とは、「一日に貼る枚数は七十枚ほど、ポスターというのはまとまると案外重いもので、これだけで二十キロ程度の荷物になる。このほかに・・・ポスター貼りの七つ道具がある」、その「重いポスターを担いで一晩に何十キロもの道のりを歩きまわ」ること。一種の隙間産業といえようか。彼のユニークな人柄あっての商売と思われる。
 今回の著書を頂戴した折、彼は文学とは関係のない本で恐縮ですが、と繰り返した。思うに、生業をポスターハリス・カンパニーと名づけた瞬間から彼の唯一無二の人生がはじまった。「貼ったり人生」結構、彼の存在それ自体を文学と云わずになんとする。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月26日 20:35 | 固定ページリンク




血圧  | 一考    

 病院で居残りになった。血圧と体重に異常値が出たのが理由である。体重はともかくとして、血圧は高い方が100を切った。わたしにとっては問題にもならないが、医学的にはそうでもないらしい。月曜日の血液検査でもおかしいところは見られない。また血圧は透析の最中に計六回計る。今日はもっとも高かった数値が113、だとすれば96ぐらいに落ちるのは当然だと思う。
 ヘモグロビンは赤血球の中にあるタンパク質だが、とりたてて異常はなかった。しかし、わたしは最も気にしている数値である。輸血は失われた血液を全量補うわけでない。生きてゆくに最低限確保できれば成功である。後は身体が血液を造ってくれる。人の細胞はことごとくが新陳代謝で、血液も三箇月ほどで入れ替わる。しかし、腎臓が機能していないと血液は造られない。補充のために、定期的な輸血が必要になるかもしれないと医師から云われている。況や、憩室からの大量出血があればどうにもならない。だから用を足すときには注意しているし、ヘモグロビンの数値にも気を遣っている。
 腎不全の患者は高血圧になる、ところがわたしは同時に複数の病に罹った。従って血圧が低い。医師は機械的に降圧剤を飲めと云うが、わたしは自己判断で降圧剤を飲んだり止めたりしている。そうでもしなければ血圧は90を切るどころで収まらなくなる。血圧が70の50を切ってなお、車で走り回っていたことを思えば、なにが異常なのか、わたしにはさっぱり分からない。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月25日 21:48 | 固定ページリンク




『田園に死す』転送です  |   一考

denen2006.jpg

2006年11月に劇団☆A・P・B-Tokyoが、初の舞台化 
2008年12月に再演
いずれも満員御礼となった舞台の三演でございます 
初演・再演に引き続きまして、わたくし川上史津子が主人公の
少年を演じます!
39歳独身、賞罰ナシ(笑)の川上史津子が15歳のカワカムリ少年
に化けられるや否や!? ご期待下さい!

☆A・P・B-Tokyo 10th Anniversary Performance ㈼
『田園に死す』
2010年11月26日〜12月5日@ザムザ阿佐ヶ谷

作/寺山修司 
演出/高野美由紀+East 10th Street 
音楽/J・A・シーザー

11/26(金) 19:30
27(土) 14:00/19:30
28(日) 14:00/19:30
29(月) 19:30
30(火) 19:30
12/ 1(00(当日学生証提示・限定枚数販売) 
当日 ¥4,300 
(共に日時指定・全席自由)

チケットご予約は、わたくしまで直接お申し付け下さいませ
その際に、日時、枚数、フルネームをご明記願います
お振込み、または当日精算方法をお返事申し上げます
お得なペアチケット・学生チケットもございます

ご連絡は、ご観劇の前日までに
shizukokawakami@gmail.com(携帯からチェックできます)
まで、よろしくお願い致します

川上史津子


投稿者:   一考  日時: 2010年11月23日 00:02 | 固定ページリンク




贈り物  | 一考    

 秋元美和子さんからレナジーの試供品が送られてきた。お気遣いに感謝。以前にも有り難く頂戴したが、クリニコの栄養補助飲料である。
 彼女の同級生が二年の透析を経て腎移植に成功、今ではビールをぐびぐび飲んでいるそうな。羨ましいかぎりである。
 わたしは摂っていないが、透析医院では療養食を注文できる。その折、お茶か氷水がついてくる。最小五十ミリから最大百五十ミリまで、症状にあわせて飲料を注文している。五十ミリしか飲まれない人の横で百五十ミリはないだろうと思うのだが、他人への気遣いは見られない。透析は四時間、拘束(血止め)を含めて五時間と十分ほどなので、わたしはその間は水分も遠慮している。
 秋元さんが風邪について書かれている。客に遠慮せずマスクを掛けた方がよい。ティートゥリーというフトモモ科の樹木のエッセンシャルオイルがインフルエンザに効果があって、施設でも使われている。ちなみに、アロマポットでティートゥリーを焚くと鼻炎にも効果がある等々。そこまでする気はないが、肺炎のワクチンぐらいは打っておくべきかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月22日 21:17 | 固定ページリンク




蛋白とリン  | 一考    

 透析患者が注意しなければならないのは血圧とリンとカルシウムの過剰である。理由は血管が脆くなること。特に糖尿のひとには顕著に表れる。今のところ、リンによる血管への影響は見られないが、迂闊に済ませると大変なことになる。鮪は最悪の食品だが、煮魚や焼き魚を思えば、刺身はまだましである。そう思って刺身を食してきたが、リンが減らなくて困っている。今日も本院の看護師からリンについて注意を受けた。
 リンの這入っていない食品はない、だから困惑するのである。増えだしたのはこの一箇月、とすれば理由はやはり刺身か鮨だと思われる。
 牛肉にせよ、魚肉にせよ、蛋白質を摂れば必ずリンが付いてくる。蛋白質一グラムに十二、十四ミリグラムのリンが含まれる。蛋白かリンか、悩ましいところである。フルーツ、チョコレート、ナッツ類は食べていませんか、との訊いに、問題になるほど食べてはいないと応える。低蛋白米は止めてください、分かっています。蛋白の低い食品は相対的にリンが増える。丸干し、畳鰯、縮緬雑魚、煮干、イカナゴ、シラス干し、柳葉魚のような小魚。牛乳やチーズやバターをはじめとする乳製品もしくは乳製品を原料とするケーキ、プリン、チョコレートなど菓子類。玄米やライ麦のような非精製の穀物。ナッツ、栗、銀杏などの種実類。結着剤を用いた食品もリンの含有率は高い。例えば、豆腐、アイスクリーム、麺類、ハム・ソーセージ・蒲鉾などの練り製品。他ではリン酸塩を添加物として使ったもの、醸造用剤、乳化剤、pH調整剤、膨張剤、変色防止剤、酸化防止剤などが考えられる。清酒やワインは特にリンが多い。その伝でいけば佃煮や漬け物も食べられない。
 しかし、血液の検査結果がもたらすのは悪い面だけではない。白血球の低減やフェリチンが徐々にだが減少しつつある。食べ物による調整はほぼ限界である。あとは薬、特に吸着剤の助けを借りるしかない。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月20日 23:39 | 固定ページリンク




眠気  | 一考    

 鬱はこころの病ではない。こころと云うものに機能はなく、機能のないところに障害はない。鬱は正真の脳の病である。そして鬱には百種類を越える薬がある。自分の症例に見合った薬と出遇うまでが一仕事である。腎不全も同じで関連疾患の薬品を入れると百どころのはなしでない。もっか痒みをやわらげる内服薬としてボララミンを処方してもらっているが、ひどく眠気を誘う。わたしは睡眠薬の類いは随分と服用してきたが、それらとは効用が異なる眠気である。降圧剤を飲んでいるので、相乗効果を起こしているのかもしれない。よって就寝前に服用している。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月20日 21:01 | 固定ページリンク




白と黒  | 一考    

 舌は5種類のセンサーしか持っていないが、鼻は358種類のセンサーを備えている。358種類は犬や豚ほどではないにせよ、猫よりは傑れている。
 その猫がマンションから消えて二箇月になる。一匹だけ生き残った子猫と駐車場で寄り添っていたのだが。今日、病院へ行こうとして向かえの大屋の家の塀で日向ぼっこしているのを見付けた。随分と久しぶりである。最小限の餌をもらっているのであろうか、大きさに変化はない。
 大屋の家には数匹の猫がいる。飼い猫ではなく、なんとなくたむろしていると云った風情である。その内、いちばん体躯の立派な白猫が父親である。こやつはわたしと相性がよろしくない。お産のあとの黒猫の餌をも奪おうとする、賤しい根性の持ち主である。よって何度かわたしに追いかけられている。深夜帰宅して車のまわりを徘徊していると、わたしは怪獣のような唸り声をあげる。其かあらぬか最近はわたしと顔を合わさない、そ知らぬ風でぷいと他所へ行く。一方、黒猫はわたしが害を及ぼさないのを知っているので、逃げ出しはしない。一匹、一匹が独立採算になっているようである。
 猫に限らないが、雄は図体がでかい。大きくて純白だから気持が悪い。猫のせいではないのだが、愛嬌は大事である。人であっても同じこと、愛想がよければいろいろと特をする。わたしのように貧相な老人になると損ばかりしている。
 大屋とはじめて話をした。当たりの柔らかい人柄で、猫のお産のはなしをした。増えて困っているとの内容だったが、少しも困っているようには思われなかった。勝手な憶測だが、蕎麦屋なので、日々残り物が出るのであろう、猫の餌には不自由していないようだった。わたしがかつて食事に困って犬や猫の餌を喰っていたとは云わずじまい、店子は口が腐っても貧乏とは云われない。あらぬ心配をかけるからである。
 それでなくても家賃は安い、以前の三分の一である。いとせめて猫の餌でも見繕ってこようかしら。

追記
 猫の盛りの季節がはじまった。いやな鳴き声が終日聞こえてくる。餌にピルでも入れてやろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月19日 20:28 | 固定ページリンク




珈琲  | 一考    

 以前、山本六三さんについて書いていて、神戸の上島珈琲に触れた。当時の喫茶店はドリップ、サイフォン、パーコレーター、コーヒープレス、エスプレッソ等々、一軒の店で幾通りもの珈琲を飲ませる店があった。なかにはコンコードのようにパーコレーター専門の店から一杯一万円という会員制にしむらのウィンナコーヒー専門店まであった。パーコレーターで立てた珈琲は酸味が強いのであまり好みでなかったが、コンコードのトイレは洋式、1962・3年頃のはなしだから店舗としては神戸初でなかったかと思う。その証拠に客の大半は洋式トイレの使い方を知らず、馬蹄の上にしばしば足跡が残されていた。
 その頃、わたしは珈琲に凝っていてコーヒーミルを各種取り揃え、焙煎は上島珈琲にお願いしていた。コピ・ルアクを教わったのもその頃である。コピ・ルアクはわたしに云わせれば成金趣味の珈琲で、下賎な焙煎の濃い珈琲に凝っていた。コピ・ルアクは独得の香りを楽しむために浅煎りで頂戴する、その浅煎りが気に入らなかったのである。ダージリン・ウバやキームンなどの超高級ゴールデンティップスの淡い香りよりも、強烈な香りに惹かれる、若さゆえの特権にわたしも浸っていたのである。ミルクティーやミルクコーヒーなどは好事家の嗜むものとして却けていた、今思うに勿体ないはなしである。
 これはウィスキーについても云える。飲み始めはアイラモルトのような個性的なウィスキーに惹かれるが、やがてより複雑な香味を求めるようになる。ただ、十五、六歳の頃にコピ・ルアクを味わう機会を与えてくださった上島珈琲には感謝している。あの経験がなければ、後日日本酒の利き酒はできなかったと思う。ウィスキーの味見としてわたしはグラスに一ミリしか飲まないが、一ミリで香味の違いが分かるようになったのもコピ・ルアクのお陰と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月17日 23:27 | 固定ページリンク




ニセカンバ  | 一考    

 ダケカンバを北海道ではニセカンバとも云う。検索では出てこないが、かなり一般的に用いられている。北海道を旅していて何度か聞かされ、その都度確認したので間違いないだろう。念のために幹郎さんに訊ねたところ、やはり北海道の農学部の人が説明のなかで別称として用いていたらしい。ダケカンバはシラカンバ(白樺)より上層に育つと云われているが、ニセコでは群生している。奥志賀でも大台ヶ原でも、最近行ったところでは榛名山でもやはり群生していた。紅葉の季節には赤と黄と白の三色が鮮やかに乱れる。

 昨今、ウィスキーのカスクにはミズナラが多く用いられているが、青森の下北地方のヒバはどうなのだろうか。ヒバは油分の含有量が多く、水を弾くのでまな板をはじめとする調理道具ならびに風呂桶などに用いられる。水を弾く点に問題があるが、油分はフレンチオーク同様ウィスキーに複雑な香味を齎すのでないだろうか。熟成に時間はかかりそうだが、ミズナラも二十年はかかる。フレンチオークのように二年や三年ではどうにもなるまいが。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月17日 23:20 | 固定ページリンク




畸形  | 一考    

 腎臓は二十四時間機能している、それと比して人工透析は一日置きに四時間、生きてゆくにぎりぎりの腎臓代行である。当然、無理が生じる。透析後にクレアチニンは3.0から4.0の間にまで下がるが、透析前には7.0から8.0にまで跳ねあがる。8.0を越えればわたしの場合、ブラックアウトが待っている。次回は死と固く手を結んだブラックアウトである。
 他では、なんと云っても注射の後が痛い、ユーパッチという痛み止めを用いているが、針を刺すときの痛みがやわらぐだけである。針跡はやがて四、五センチの瘤に成育する。その瘤が腕中に拡がる、と云うよりも腕中が肉塊だらけになる、畸形の腕を防ぐ手立てはなさそうである。七、八本のテープ(絆創膏)で血が流れるチューブを腕に固定するのだが、テープ跡の肌荒れが手に負えない。さまざまなテープが用意されているのだが、わたしの肌に合うようなものはない。そして背中の痒みが止まらない。もっとも尿毒素による気の狂うような痒みではなく、孫の手で間に合う程度の痒みだが。困るのは背中に薬が塗られないこと、一人暮しだとなんでもないことに不自由を憶える。

 来週は骨密度の検査、さぞかし酷い結果が出るのだと覚悟している。九日のレントゲンの結果が出た。心胸率は3.9、血圧は98の57、僅かずつだが共に下がり続けている。それが理由なのだが、前述したようにドライウェイトを64.5キロへ1.5キロ増やすように指示された。透析患者にとって心胸率の上限は5.0だそうである、よって十分な余裕があるらしい。ドライウェイトが増えるとはいま少し水分を摂ってもよいと云うこと。一方で、蛋白をもう少し摂れと繰り返し云われている。透析前には蛋白を減らすために難儀した、それがある日突然増やせと云われても躊躇する。ただ、透析のおかげで食欲はある、すき焼きでも喰えばたちどころに体重は増えるのだが、それでは主旨が違うだろう。さて、体重は増やすべきなのか、それとも増やしても構わないとして、そのゆとりをこそ味わうべきなのか。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月15日 22:48 | 固定ページリンク




 | 一考    

 透析によって取り敢えずブラックアウトから解放された。小さな死が遠のき、平穏な日々が続く。最近は滅法涙脆くなった。ドキュメントを見たり、読書をしたり、医師や看護師との晤語など、何かにつけて涙が零れることが多くなった。益々以て「断稗断章」の世界へ沈潜、エンターテインメントが嫌になる。
 長い付き合いになるので、看護師とはできるだけ距離を置いている。わたしはこの種の距離の取り方がおそろしく稚拙で、過去において失敗ばかり繰り返してきた。もっとも成功とはいかような関係かとも思うが。
 透析患者のコミュニティーと聊かの関わりを持っているが、聞くと見るでは大違い。わたしが行く病院には患者の共同体意識などどこにもない。お疲れとかお先にと云った挨拶のみで、わたしは隣の患者の病名はおろか、名前すら存じ上げない。要するに会話がないから揉め事もなにも生じない。それが理由で血液検査やレントゲンの結果と睨めっこで、後は自分一人で判断するしかない。
 シャントを大切にと日々云われる。左手の手枕は禁止、左手を下にして寝ない、買い物袋などを腕に掛けない、左手で重いものを持たない等々、要は血流を妨げないことに留意させられている。静脈を動脈に改造したため、心臓にあらぬ負担が掛けられているそうな。寝ているときまで責任は取られないが、極力意識している。シャントに止まらず、医師の指示もしくは意見表明には素直に従っている。不必要に早死したくないからである。残された命をあるがままに全うしたいと思っている。全うと書けば誤解が生じる、すでに身心は共に十分いびつである。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月15日 20:44 | 固定ページリンク




自由  | 一考    

 このところ公務員の内部告発で囂しい、例の尖閣諸島の映像流出問題である。しかしながら内部告発がなされなかった時代、すなわち戦時中はどうだったのか。大本営の発表に異を唱えれば、まちがいなく国賊として処刑された時代である。仮に往時、今回のごとく心意気のある公務員が居れば戦争はより早く終わっていたに違いない。そのようなファッショな状況がよろしくないとするのが戦後教育の要でなかったのか、発言の自由を求めての紆余曲折が戦後の歴史そのものだった。私人であろうが、公務員であろうが、一切の発言は自由であるべきである。この場合、罪に問われるかどうかは問題にならない。法律などと云うものは時代によっていかようにも姿を変える。われわれが守らなければならないのは理念としての憲法のみであろう。
 核に関する日米の密約の存在を明らかにしたのは民主党でなかったか、国家に秘密があってはならないとするのが市民運動の原点でなければ何処に立ち帰ろうと云うのか。その民主党がこのところ国家機密の粗製濫造に励んでいるように見える。市民運動でのし上がってきた筈の菅、仙谷はなにを思い違いしているのか。剰え三権分立という民主主義の基本理念を民主党は踏み躙った、実態としての指揮権発動はその辺りの消息を物語っている。政治の素人が権力を手にすると、まるで権力の亡者と化すようである。権力そのもので叩かれながら育つ党人派との差違が如実に顕れたように思う。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月13日 21:28 | 固定ページリンク




雑居ビル  | 一考    

 開店時間がおそくなったので、閉店も相応に遅くなっている。ただし、事前に電話連絡が欲しい。基本的に暇なので十二時にお客がなければ帰宅するからである。今週は常連さんは一人のみ、他はことごとくが一見さんで遅がけの客だった。初手の客はありがたいのだが、当店はスコッチの専門店でと一から説明しなければならないのは些か疲れる。それにしても、小さな雑居ビルの三階へどうして一見さんがいらっしゃるのであろうか。
 帰宅時、この三、四日の気温は十二度。わたしの身体にはちょうど良い塩梅である。店は商売なので暖房を入れているが、往き来の車ならびに拙宅はまだ暖房を入れていない。清清しい日々である。駐車場までは休みなく歩かれるようになった。もっとも、追い越されるばかりで人を追い越すことはない。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月13日 21:01 | 固定ページリンク




狐臭  | 一考    

 狐臭と長く連れ添ってきた。過去形なのは腎臓を疾んでから新陳代謝が衰え、汗をまったくかかなくなったからである。従って、長年世話になった制汗剤の類いは不要になった。体臭がなくなるというのは不思議なもので、なにかのはずみにわたしは存在しているのだろうかと疑念が湧く。動物が写真や鏡に驚かないのとおなじで、臭いのないところに存在はない。
 人工透析をはじめたのが八月末、ほんの少し代謝が戻ってきた。その証拠に垢が出るようになった。うっすらと汗もかくようになった。平行してわずかながら体臭も感じられる。まるで存在が復してきたようである。年と共に体臭は薄れてゆくものだが、あまりに淡れるのは淋しい。流れる血と同じで、存在の数少ない証のひとつである。まだ用はないのだが、制汗剤を買ってきて飾っておこうと思う。いまだけだから。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月11日 22:37 | 固定ページリンク




ありがたうございます  | 高遠弘美    

お言葉、有り難く拝読いたしました。肝に銘じて、完訳を目指します。
どうか御身大切に。ただそれのみを祈るやうに願つてをります。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年11月11日 08:04 | 固定ページリンク




高遠弘美様  | 一考    

 貴重な翻訳書を頂戴しながら、無音に過ぎ行き恐縮致しております。とりわけプルーストの奥記にてストーリーを追うことの虚しきを語り、表現の部分部分に着目する、本読みの醍醐味を大胆に語られている箇所など、読んでいてぞくぞく致しました。卓れた読み手ならではの示唆に富んだ読書論として拝読させていただきました。
 近頃、鳥瞰図とか筋立てなど、わたしは意にも介さず、さりげない文章に罩められた筆者の吐息や搏動にのみ讃歎致しております。間違いなく、本邦初のプルースト訳に尽きることのない表現のそして文学の葛藤の極限を視る思いです。
 またお会いできる日を楽しみに。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月10日 21:02 | 固定ページリンク




お元気でせうか  | 高遠弘美    

一考さん。
ご無沙汰してをります。お元気でせうか。透析を始められたご様子も、お引越しのことも拝読いたしました。
今回お書きのご高文に深く納得いたしました。私もさう思ひます。頃日感じてゐたことをあまりに見事にお書きなので、つい書き込みました。
またお目にかかります。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年11月09日 22:28 | 固定ページリンク




内視鏡検査  | 一考    

 月曜日の内視鏡検査は朝の九時から四時まで掛かった。痛みがひどく、動かれるようになったのは夜の十時を回っていた。三度目の検査などで高を括っていたが、憩室が拡がっていて激痛を伴うものになった。ポリープはまだ癌化しておらず、除去を薦められたが、さして急ぐものでないと判断した。ただし、憩室は大腸の左右に均等に拡がり、手の施しようもない。その憩室に内視鏡の突端が引っ掛かるのである。看護師が二人付き添って下さったが、一人が医師の指示によってわたしの腹部を順次押さえ、もう一人はわたしの手を握りしめていた。こんなことでもなければ看護師との接触はないと思いつつ、彼女の手を強く握り返していたが、嬉しくて泣いていたのか、痛みで泣いていたのか定かならず。内視鏡は非常時以外ご免蒙りたいと思った。
 かつての憩室からの出血を執拗く訊かれ、二十一単位と応えたところ、医師は愕いていた。普通なら出血多量で死んでいたと。非常事態に陥ると、ひとは自らの生死の限界点が分かる。要するに身体の状態に応じて生への諦めが付くのである。死にそうとか死んでも良いなどと云う恣意的なものでなく、死んで行くんだなあと云った、ただただ受動的な感慨である。

 今日は心胸率のレントゲン。わたしの心胸率は4.1なので、体重を一キロほど増やせばどうかと云われる。摂取する水分が規定を越えているようである。小便が出ているあいだは酒を飲んでも構わないと云われたので、週二、三本ギネスビールを嗜んでいる。体重が増える理由のひとつだそうである。そして刺身が祟ってリンが増えてきたようである。少々控えるようにと勧告を受ける。酒にせよ、刺身にせよ、嗜好品に関して医師は止めろとは決して云わない。リンが増えていますねとか、カリウムが増えていますねと云うだけである。あとはそちらで判断しろと云うことらしい。もっともな意見表明である。

 拙宅のパソコンがネットに繋がらなくなった。最初からだが、光フレッツとは相性がよろしくない。おそらくケーブルだと思うのだが、別に繋がらなくてもどうと云うことではないので捨て置いている。従ってメールは店で確認している。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月09日 22:11 | 固定ページリンク




天邪鬼  | 一考    

 文化の日はゴールデン街へ、行った先で某出版社の漫画編輯者と会う。尾田栄一郎の「ONE PIECE」の累計発行部数は2億部を超え、最新刊の60巻は初刷340万部だそうである。500万部であろうが2000万部であろうが、わたしの知ったことではない。漫画であろうが小説であろうが、大衆受けするものに興味はない。少数者が選民意識のひとつなら、多数者も選民意識そのものであるに違いない。況や大衆の支持を受けているとの理由により、漱石や太宰の次を担う日本の文化そのものとは片腹痛い。漱石や太宰が代表選手たりうるかどうかすら疑問だが。
 ママとその編輯者は村上春樹の小説でも言い争いになっていたが、わたしに云わせれば、二葉あき子と安室奈美恵とどちらが好きかと大差ないはなしである。書物は嗜好品であって、好き嫌いが底辺にある以上、端からはなしは折り合わない。文章の美醜についても同様のことが云える。わたしは自分勝手に本を読み散らかし、勝手に評価し、勝手に納得している。よって、かかる話題を好まない。人前で信仰告白を披瀝するほど野暮ではない。
 編輯者であれ、書店員であれ、現役であれば作品の内容について意見を述べるのは避けるべきである。判断は読書人が個々になすべきことであって、編輯者や書店員がそれを口にすると押し売り(ファシズム)と受け取られかねない。「売れる本は良い本である」とは書店員が屡々口にする文言であるが、そこには懐疑精神がまったく見受けられない。漱石にしても詩精神がもっとも顕著に顕れているのは晩年の漢詩と思われるが、漢詩が340万部も売れることはあるまい。「売れる本は良い本である」が正しければ、「売れない本は悪い本」になる、では漱石はどうなるのか。
 人口に膾炙しない典籍をおそるおそる読書子に差し出すところに編輯者の、書店員の真骨頂がある。「売れる」との理由によって全国の書店が同じ書物を扱うようになれば、この世は闇となる。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月05日 20:47 | 固定ページリンク




風邪引き  | 一考    

 透析の度に2キロの水を除去している。ただし、除去できるのは血中水分であって、体内の水分は除去されない。まず、血中水分の除去はそのまま、血圧の低下を招く。わたしの場合、透析終了後の血圧は高い方で110から100、低い方は60から70の間である。体内の方は肺水腫のような浮腫が問題になる。従って、毎月定期的に心臓のレントゲンを撮っている。水分による心臓の肥大が透析患者の一番の死因である。慢性腎不全の不全は腎臓だけに止まらない。心臓、肺、前立腺の不全ならびに全身からの出血が止まりにくくなる。よって、合併症を患えば間違いなく命取りになる。医師によると感染症、特に風邪は危険で、一直線で心臓や肺をやられるようである。もっとも、客商売をしていると必ず風邪は移される。そのときの諦めは既についている。一考殺すに刃物はいらぬ、咳のひとつでご臨終。さて、わたしの鼻炎だが、こちらは一向に癒らない。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月03日 23:13 | 固定ページリンク




胆嚢検査  | 一考    

 月曜日は検査日だった。胆嚢のポリープは直径八ミリで問題なし。十ミリを超えると悪性となって癌化するらしい。以降、四箇月ごとの定期検査を命じられた。大腸の方だが年内は店を休みたくないので明年一月に手術することにした。従って年内は検査のみ、八日に内視鏡と病理学検査、結果が判明するのは二十二日である。八日(月曜日)は憩室の出血も確認するので麻酔を打つ、車に乗られなくなるので、もしかすると店は休みになるかもしれない。
 東葛クリニックは約一千人の透析患者を抱えている。その内の三人が大腸癌を患っている。わたしが四人目の患者である。手術中であれなんであれ人工透析は欠かせない、よって東葛クリニックですべてを処理することにした。入院設備を覗いたが知己の看護師がいる、少しは気が休まる。
 透析患者は敷布、毛布、タオル等々は自前である。自宅で余っていたものを持参していたが夏物である。今日具合のよさそうなものを購入、これで洗濯が可能になった。

 マンションの保温性と密閉生に驚かされている。このところの気温の変化が室内に居ると感じられない。室温は常に二十度を保っている。従って蒲団は薄い夏布団のまま。今年は暖かい冬を迎えられそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月03日 20:57 | 固定ページリンク




祭日  | 一考    

 祭日ということを知らずに、店へ出てきた。折角だから営業するが、客は来るはずもない。

 ところで尖閣の次は北方領土で揉めている。第二次大戦の戦後処理問題で、北海道の分割を主張したスターリンに対し、ドイツの二の舞いを避けるべく、トルーマンは樺太に加えて北方四島をソ連邦に与える提案をした。千島列島の四島と北海道を天秤にかければ後者がよいに決まっている。前原はじめ、民主党のお歴々は狂いはじめたようである。それとも、札幌をベルリンのようにしたかったのか。
 ミクロネシア連邦は第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国の委任統治領となった。日本の敗戦後はアメリカによる国連信託統治を経て1986年独立に至ったが、住民の半数は日系人である。膨大な水産資源を狙って、こちらをこそ復帰させるべきでなかったのか。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月03日 20:44 | 固定ページリンク




とりとめもなく  | 一考    

 山本六三さんの夢をよくみる、そして広政かをるさんの夢も。広政はわたしにとっては天敵のような存在だったが、あれほど個性的な女性も珍しかろう。個性的な女性にわたしは五度出遇っている。最初が広政で、二度目が多田智満子さん、三度目が矢川澄子さんである。あとはご存命なのでここでは触れない。わたしは女性の意見はあまり聞かないが、才学顕著な方の意見はその限りにあらず、黙して拝聴する。
 一九六五年三月、「市バスの中で山本六三と思しき人に声を掛け、その夜、阪神御影の山本宅を訪れる。以降、山本宅での火曜会に欠かさず参加。山本六三夫人は広政かをる、後の生田耕作夫人」と日瀝に記されている。わたしは十八歳、おそろしく情緒不安定な頃の出来事だった。情緒不安定と書いたのは往時自殺の真似事をいくどとなく繰り返していたからである。要するに典型的な自閉症児だった。

 後年、広政がサバト館を営むになんらの問題はなかったが、わたしなら生田耕作の御用出版社にはしなかった。サバト館設立に関してはいずれ書くことになるだろうが、人文書院の元編輯長谷誠二さんの世話になるところが大きかった。谷さんと山本六三とわたしが中心になったのだが、書物を拵えた経験があったのは谷さんのみ。印刷会社から用紙の手配までことごとく谷さんの手を煩わせた。
 広政は花田流弁証法を武器に持つ実証主義的な人で、常に観念論を嘲笑っていた。わたしの云う経験が体験として広政に伝わらなかったところが問題で、そこさえうまく処理できれば喧嘩にはならなかったと思う。もっとも、年少者の云う経験なんぞ、年長者特に女性にかかれば赤子のそれであって、太刀打ちできようはずもなかった。それでなくとも、彼女はアイロニーの達人で、徹底した皮肉屋だった。皮肉が他人に発せられる分には愉快なのだが、自分にだと骨身にこたえる。しかも鋭い非難が間断なく投げかけられた日には逃げ出したくなる。プラトンの「対話篇」におけるソクラテスの態度に日常晒されているようなものである。
 彼女のような女性は福原などではよく見受けられるのだが、決定的に異なるのは水商売の女性が抱くリリシズムの欠如であろうか。広政にリリカルな部分がなかったと云っているのではない、そう云ってしまうには、彼女の好奇心ないしは芯の強さが際立っていたのである。山本六三と別れてから生田と出遇うまでの数年のあいだに彼女は自殺未遂を経験している。おそらく、彼女がもっとも不安定な状況にあったと思う。生田を紹介したのはわたしだが、結果、生田とわたしの関係もおかしくなるであろうことは最初から予測できた。予測できたにもかかわらず、紹介せざるを得ない退引きならないものを当時の彼女から感じ取っていたのである。わたしとは相性が合わなかったが、山本や生田にとって広政は眷恋として棄つるに忍びざる処だったに違いない。素晴らしく個性的であるにせよ、反目しあうような関係というものもある。
 山本六三については何度か当掲示板で書いている。奥歯にものが挟まったような文章だが、その後関係者は亡くなり憚るところはなくなった。つまりなにを書こうと構わなくなったわけだが、そうなるとそうなったで書くことが多すぎて雲散霧消する。きっとわたしの余生は彼との遣り取りを擬えることに費やされる。十八から二十三までの五年間にわたしは人生への思いの過多を置き忘れて来たのである。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月02日 22:42 | 固定ページリンク




ビール  | 一考    

 かつて二度ほど限定頒布されたサントリーのプレミアムモルト黒ビールが売られている。ギネスより25円安い。わたしはビールはアイルランドかイングランドに限ると思っている。特にマンチェスターのバディントンとアイルランドのキルケニー(今ではギネス社)は好きである。他ではギネスの黒とドイツのビットブルガーである。国産のビールはアサヒのスーパードライのようにコクがまったく感じられないか、キリンの黒ビールのように雑味が多く酸味が強いか、いずれにせよ評価しない。
 サントリーの黒ビールだが、国産特有の酸味が少ない。ギネスのそれとは比較のしようもないが、国産では間違いなく旨い。どうやら焙煎に秘密がありそうである。黒ビールで飲まれるのはサントリーとサッポロのみ、アサヒとキリンはビールに関してはお粗末極まりない、とわたしは思う。


投稿者: 一考      日時: 2010年11月01日 20:54 | 固定ページリンク




体水分率と対水分率  | 一考    

 身体障害者手帳が再交付された。第一種三級が一級になったわけだが、このような手続きは忘れた頃に連絡がくる。で、なにが変わったかといえば、車の燃料券(710円)が月に二枚助成されることと、市民税が課税されていない方に限り月々5000円の在宅手当が出るようである。わたしは市民税が課税されているので在宅手当は出ない。また燃料券は三郷市内の指定のガソリンスタンドのみと云うことで、こちらも関係がない。二輪にでも乗っておれば利用することもあるだろううが。
 今週、役所から五月から八月十五日までの医療費が振り込まれた。北里の医師の指示によって標準負担額認定証、特定疾病療養受領書、重度心身障害者医療費受給者証の手続きが済まされた。それらによって自己負担は十数万円で済んだが、そうでなければ北里だけでも七十万円を超えていた。八月以降の医療費は200万円を軽く超えている。まるで金喰い病である。

 体重計を買えと五月蠅く云われていたので買ってきた。普通の体重計と違って計る対象が多い。体重以外に、体脂肪率22.8パーセント、体水分率56.3パーセント、骨量3.2キログラム、体筋肉率33.8パーセント、基礎代謝量1255キロカロリーなどが分かる。年齢から推して大半が平均値に収まっているが、これらの数値は日々変化する。体重管理のためらしいが、計器の値は3400円、高い玩具である。おそらく、用があるのは体重と体水分率であろう。透析がはじまった今は自由にしているが、やがて食事の対水分率と格闘することになる。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月28日 02:47 | 固定ページリンク




透析食  | 一考    

 体調がよいので、この一年我慢していたものを食している。例えばフルーツがそれで、葡萄、二十世紀、雷電メロンなどを試食している。試食と書いたのは血液検査と睨めっこしながら食べているからである。カリウムは大丈夫だが、果物が含む水分が理由で体重が増え続けている。食べるのは構わないが、体重はしっかりと管理するようにと医師からの注意。それやこれやで、この三日間飲食を中止した。二キロほど体重を減らそうと思ったからである。計算通り、三日で二キロ減らし、ドライウェイトは元に戻った。荒っぽい体重管理だが、「見事な管理」とお誉めの言葉を頂戴した。もっとも、絶食したのは内緒だが。
 蛋白をもう少し増やすように云われたが、これは難儀である。ちょっと食べれば体重が規定を超過する。そして体重の超過分が食べ物なのか水分なのかがわたしにはよく分からない。要は栄養を摂れと云うことなのだが、難しい註文である。透析をはじめる前の蛋白制限食と透析後のそれとではまったく異なる。透析食なるものがわたしにはよく掴めていないようである。速効で血液検査に表れるので、もっかあらゆる食べ物を試している。三箇月ほどあれば、大筋が分かると思う。
 それにしても、量はともかく、自由な食事というのは楽しい。食材が増えただけでも嬉しい。例えば刺身だが、山葵もしくは柚子胡椒だけで頂戴していたのがポン酢を使えるようになった。わたしは白身魚が好きなので、ことのほかポン酢は合う。刺身の味わいに奥行きが増したようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月22日 17:39 | 固定ページリンク




電話  | 一考    

 携帯のリチウム電池が膨らんで蓋ができなくなったのでソフトバンクのショップへ行く。月額980円のコースなのでポイントがまったく溜っていない、従って電池代3150円を請求される。拙宅にも店にもパソコンがあるので携帯はインターネットに繋がない、さらに電話として用いるのは一月に二度か三度、携帯なんぞ不要と思いつつも、出先で車の事故にあったときに役立つ、そのための保険としての980円だと思えば安いのかもしれない。
 ワンセグ対応の安い機種を訊ねたが、四万円ほどするらしい。ワンセグのためだけだと非常識な値段である。拙宅の電話は光電話だが、月に一度架けてくるひとは決まっている。通信機器を減らそうかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月19日 04:59 | 固定ページリンク




大腸癌  | 一考    

 このところ年増の看護師と親しくしている。彼女によれば、透析拒否による病死が多いのは一年目と十年目だそうである。過去にも書いたが、透析拒否は自殺としてカウントされない。大概は心不全として処理される。直接の死因はともかく、死に至る理由の多くは鬱病、統合失調症(統合失調症後抑うつ )である。腎不全と鬱にかかわりはないが、透析がもたらす生活環境だと思う。ただ、透析患者は自分のことを語りたがらない。よって治療は難しい。また、非定型抗精神病薬には副作用として高血糖、糖尿病を誘発するものがあり、話を拗らせている。

 その看護師によるとわたしの鼠蹊部に皮膚癌と思しきものあり、かなり拡がっているので皮膚科での診察を薦められた。癌と云えば、胆嚢と大腸のポリープ、ならびに憩室の検査が十一月一日になった。憩室からの出血は一年ほどなかったのだが、先日一デシリットルほど出血した。透析には血液が凝固しにくくなる薬を用いる。薬の変更で取り敢えず出血は収まったが、去年十一月の二十一単位の輸血を思いだした。あのような経験は二度としたくない。輸血の前後、痔をはじめ出血を伴う部位の手術が繰り返されたが、今になって理由がよく理解できる。

 大腸癌の検査は二十四時間の飲食停止と下剤の服用が必須なのだが、看護師からはなんらの指示もない。前日の入院を覚悟していたのだが、どうなっているのだろうか。日を同じくして以前入院したときとうクリニックからも大腸癌の再検査をしたい旨の連絡があった。手術をするとなるとときとうクリニックの方がよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月18日 22:05 | 固定ページリンク




南の島  | 一考    

 1895年、下関条約によって台湾を日本へ割譲、それまで尖閣諸島は台湾の一部だったが、以降は台湾県から外し、沖縄県に編入した。この件に関し、細かいことを云うひとがいるが、大略は以上のごとし。下って日中平和友好条約締結の折、日中両国は尖閣諸島の問題を棚上げにすることで同意。にもかかわらず、今回の事件でわが国は一方的に「国内法で裁く」と発言、歴史を解さない民社党政権に対して中国が怒ったとするのが正しい。
 わたしは中国という国が好きでない。しかし、歴史は認めなければならない。もちろんこの件は台湾相手の問題だが、わが国は共産党政権を中国唯一の合法政権と認めている。認めたが故の日中平和友好条約だった。中国にしてみれば、ある日突然、手のひらを返したように尖閣諸島は日本固有の領土だと云われたに等しい、立腹するのは当たり前である。菅、仙谷、岡田、前原の戦後世代はわが国の歴史をもう一度振り返っていただく必要がありそうである。
 ちなみに、琉球王国の廃止が1872年、1879年に琉球藩が鹿児島県へ編入、同年沖縄県が設置されている。沖縄が日本へ返還されたのは72年だが、その折、台湾も強く尖閣諸島の領有権を主張している。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月12日 23:35 | 固定ページリンク




減塩パン第二弾  | 一考    

 稲見直子さんから減塩パンの第二弾が送られてきた。リュスティックはエビ、フィセル、バターフランスの三種、それにロデブとカンパーニュである。エビは前回はナッツ入りだったが、今回はクリームチーズが入っている。普通はベーコンと相場が決まっているが、エビにクリームチーズとは奮っている。関さんの山小屋ではモルトウィスキーに合うと好評だったようだが、確かにクリームチーズの僅かな塩分がモルトウィスキーを際立たせる。マッカランやスプリングバンクのような男性的な酒に相応しいリュスティックである。前回のナッツ入りだとノックドゥーのような女性的で香りが高いモルトウィスキーが合う。例によってレシピを紹介する。
 リュスティックはメゾンドカイザー・トラディショナル250グラム、グリストミル25グラム、全粒粉(ハルユタカ)25グラム、塩(シチリア産海塩)1グラム、同表面への振りかけ1グラム、イースト小匙八分の一、水250グラム。ちなみに、バターフランスには無塩バターが用いられている。
 ロデブは全粒粉20グラム、ライ麦粉30グラム、メゾンドカイザー・トラディショナル200グラム、塩2グラム、イースト小匙四分の一、水200グラム。ちなみに、シチリアは岩塩も有名でスモークをかけたものは特に知られる。炒飯や焼きそばにぴったりだったが、パンにも面白かろうと思う。
 オレンジカンパーニュはメゾンドカイザー・トラディショナル240グラム、北海道産石挽ライ麦40グラム、全粒粉(ハルユタカ)20グラム、塩(シチリア産海塩)2グラム、イースト小匙四分の一、砂糖5グラム、水180グラム、清見タンゴールのオレンジピール。
 メゾンドカイザー・トラディショナルは蛋白11.0、灰分0.48。全粒粉(ハルユタカ)は蛋白13.5、灰分1.2。ライ麦粉(北海道産)蛋白8.5、灰分1.6。グリストミル蛋白13.5、灰分0.95。以上は含有量だが、若干上下する。
 今回のエビとかクロワッサンのように多量のバターやチーズが入っているパンは冷凍できない。よってエビは今日中に馳走になる、他は小分けして冷凍する。稲見さんのご尽力もあって最近は一日一回はパン食である。透析の効果もあって多少のナトリウムは摂ってもよいことになった。とは云っても塩に換算して5グラムが6.5グラムになった程度だが。前項で触れたが醤油やソースは極端に控えている、よって増えた塩分はすべてパンに当てている。
 稲見さんが造るパンは市販のそれと違い、中身(麦粉)が濃厚である。同じ体積なら重量は倍近くあって、フランスパンとドイツパンの中間に位置するようなパンである。要は食べ応えのあるパンなのである。その素材が生かされたパンをわたしは楽しんでいる。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月11日 13:59 | 固定ページリンク




開店時間  | 一考    

 血液検査は月二回、以前と違って細かく管理できる。尿素窒素が基準より低いのと、フェリチン(鉄)と白血球が過剰、低HDLコレステロール血症は変わらないが、大旨基準値に収まっている。特にナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム、それと蛋白、中性脂肪に異常は見られない。透析の効能、畏るべしである。
 医師に尋ねたところ、透析を三回中断すると透析をはじめる前の状態に戻って苦しみだす、五回中断すると生命の危機に陥るそうである。と云うことは自然に任せるとわたしの命は二週間で消え去るらしい。平和な時代でよかったと思う、戦時下だと透析患者というだけで非国民となるに違いない。

 それにしても体調はよくなった。ごく僅かだが汗をかくようになった。そして麺麭を食べられるようになったのが嬉しい。ところが、赤坂に次いで三郷のイトーヨーカドーに入っていた麺麭屋も閉店した。今は八潮にまでバゲットを買いに行っている。松戸にも麺麭屋はあると思うのだが、まだ調べていない。麺麭屋というのはあまり儲からない稼業のようである。わが国ではやはり菓子麺麭が主流を占めるようである。
 儲からないで思い出したが、ですぺらの開店時間は遅くなった。しかし、その分閉店時間を遅らせている。事前に連絡を頂ければ午前二時まで営業している。繰り返すが、月、水、金の開店は八時十五分、火、木、土は九時である。どうかよろしくお願いする。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月08日 16:53 | 固定ページリンク




体重管理  | 一考    

 ドライウェイトが62.8キロなので、透析時の体重超過は二キロほどに収まればよいと思っている。水分すなわち烏龍茶と水に関しては簡単だが、食物に含まれている水分の量で頭を抱えている。例えばカレーは九割、シチューは八割、飯は七割が水分とされる。こちらの計算が難儀なのである。
 ちなみに、ファーストフード店のカレー一人前で水分含有量は280グラム、加えるに喉が渇くので水を200グラムで併せて480グラム、これを二食摂って二日で二キロの水分補給になってしまう。もっとも、ファーストフード店のカレーをわたしは食べないが。それにしても驚くべき量の水分を摂っている。
 「透析時の体重超過は二キロ」と前述したが、透析で除去される水分は血中水分に決まっている。だとすれば四時間で二キロが限界である。それを越えると血圧の低下で苦しむことになる。苦しんでいるあいだはよいが、水分制限の手綱を緩めると瞬く間に心不全でご臨終となる。
 この一箇月は食事制限、体重管理共に理想的だと医師から云われている。しかし結果がうまくいっているだけで、当人に自信があるわけでない。食事制限は随分と弛んだが、その替わりに水分制限が加わり、思い悩まされることに違いはない。
 僅かにせよ、自力で排尿されているあいだに酒を嗜みたいと思う。アルコールを分解するのは水だが、二、三杯なら問題あるまい。肝機能はr-GTPで表されるが、正常値は8から76。これを超えている知己はMさんとUさん、ウィスキーを二、三本飲んでいても、休肝日を設けていればアルコール中毒にはならない。ちなみにわたしの数値は82だが、こちらは輸血が理由である。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月08日 05:54 | 固定ページリンク




蜉蝣  | 一考    

 先日、ナベサンへ行く。ナオさんのアナーキーな声が久しぶりに聞きたくなったのだが、新宿ゴールデン街へは今年になってはじめてである。例によって学生運動の闘志と思しき先客がいた。「彼らは団塊の世代といわれるが、僕は風がふけばすぐ形が変わる『砂山世代』だと思っている。革命を叫んでおきながら、エコノミックアニマルになったり、市民運動家になったり。雰囲気にあわせて姿かたちを変える世代だと思う。つまり典型的な『マス(大衆)』なんだよ」と云ったのは西部邁さんだった。
 生憎といらしたのは団塊世代でなく、さらに若い世代だった。はなしの内容は赤軍派のそれだったが、要するに観念としての学生運動を弄んでいる世代である。近頃、この種の観念論者が増えてきた。彼等は学生運動に限らず、なべて観念で済ませようとする。この場合の観念論は難しいはなしではない、わたしが云っているのは「現実ばなれした頭の中だけでつくり出された理想論」を宣う人々のことである。言い換えれば、バーチャルの世界を生きる人たちと云えようか。
 わたしは経験至上主義ではないが、と云って経験に基づかなければ類推のしようがないではないかと思っている。昔流行った「原点」とは若い頃に出遇い、深くこころに刻み込まれた風景であり、心象であり、体験だった。その経験すら持たないとすれば、それは「砂山」を通り越して「蜉蝣」のようなものであろうか。ナオさんの爪の垢でも煎じて嚥めと云いたくなる。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月27日 22:51 | 固定ページリンク




石垣鯛  | 一考    

 食事制限が効いているので、カリウム、リン、ナトリウムが高い生魚と鮨を食べてよいことになった。ただし、吸着剤を忘れないようにとの但書が付いている。半年ほど前からだが、醤油抜きで刺身がおいしく頂戴できるようになった。ちなみに、フライ類もソース抜きでなんの差し障りも生じない。その日はさっそく鯵丼を食した。
 過日、家の近所のスーパーに石鯛と石垣鯛の刺身が入荷、一人前四百八十円といささか高かったが、久しぶりに石垣鯛を味わった。それにしても、刺身や鮨が公認になったのは嬉しい。
 カリウムが抑えられているのはフルーツ類を食べなくなったからである。それでなくとも、この一箇月、カリメートは服用していない。ひところはどうなることかと案じていた多量の薬も、血液状態に異常が見られないため、次から次へと減らされている。もっかのところ、食事制限はすこぶる有効なようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月25日 22:23 | 固定ページリンク




 | 一考    

 子供のころは鼻炎と吃音に悩まされていた。当時の医者に云わせると好悪が吃音の理由だそうである。従って嫌いだった胡瓜を食べれば吃音は癒るとのことだった。なるほど好き嫌いは酷かったが、中学校を終えて板前になったころから好き嫌いはなくなった。なくなった代わりに濃厚な味付けを嫌うようになった。父親が造るすき焼きなども味が濃すぎて食べられなくなってしまった。しかし、吃音は続いた。ある日、吃音を訂そうとして編輯者になった。作家交渉が出来なければ編輯は務まらないからである。これは功を奏して以前ほどには訥らなくなった。体験の世界で自らを追い込んでゆくとの世界観はこのころ出来上ったものだと思っている。
 鼻炎だが、こちらはどうにもならなかった。小学生の折、二年間ほど病院通いをした。病院通いとは云っても、塩水の蒸気を鼻で吸い込むだけの簡単な療法だった。そのようなもので癒るはずもなく、洟紙はわたしの伴侶になった。今、透析に行っているが、そこの医師が鼻炎を癒せと云う、鼻炎は癒るものですかとの問いに簡単に癒ると一言。六十を過ぎるまで、わたしは伴侶を取り違えてきたようである。
 松戸の病院の医師は透析が落ち着いたら、大腸や胆嚢のポリープから鼻炎まで、序でに皮膚科へも行けという。血液透析の注射の後がひどく荒れ、皮膚炎を起こしているからである。親切なのだが、鼻炎以外はもっかのところ遠慮している。
 人が年を経るように、付き合う病も日々変化してゆく。「ああ、肉体は悲し」と慨いてみてもなにもはじまらない。ひとは肉体を離れては思惟することすらできない。現実こそが認識の、思索の唯一の苗床なのであろう。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月24日 21:27 | 固定ページリンク




除水  | 一考    

 わたしのドライウエイトが62.8キロに決まった。透析の度に1.0から1.6キロの除水、約半分は食品由来の水分である。一年掛けて50キロ代に落とすように心掛けろ、と云われた。体重を減らすのは簡単なことなので、問題はあるまい。蛋白制限が50から60に緩和されたが、相変わらず低蛋白米を摂っている、その分を副食に回すことができるからである。
 幾分馴れてきたとみえて、透析中によく眠るようになった。しかし、透析を終えた後の左手の痺れと腕や肩の怠さに変化はない。尿毒素がやっと抜けてきたようで、駐車場の往き来に休憩をとらなくても済むようになった。身体がどこまで戻るかは個体差があってなんとも云えない。ただ、痒みは随分と軽減された。
 病院は個別にAC電源とTVアンテナがきているので、ポータブルテレビが欲しいと思っている。集中できないので、何度か試みたが読書はおよそ無理である。

 今週は暇で、ですぺらは相変わらず閑古鳥が欠伸をしている。刺身の良いのがあったので、月曜から木曜まで連日用意したがどうやら無駄に終わったようである。贔屓の魚屋は週末は月並なものしか扱わない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月16日 22:51 | 固定ページリンク




想像力  | 一考    

 若い頃は徒にセックスのことばかり考えていた。今ではセックス以外のことも考えるようになった。理由は勃起能力がなくなったからである。病院では女が替わればできるんじゃないの、と云って看護師(女性)を笑わせている。勃起能力がなくなったからと云って、性欲がなくなったわけではない。勃起はしないが射精はする、要は性欲は残されているが、ただ三寸ばかりの出し入れが出来なくなったのである。思うに、性欲とイマジネーションががっちりと手を結び会って他人の介在を許さなくなったようでもある。
 セックスというものは面白いもので、男の場合は最初に知った女性、女性の場合は最初に知り合った男性によって大きく歪められる。歪められるを染め抜かれると言い換えた方が良いかもしれない。セックスは学校で修学するものでない、学ばずともなんとかなるものだし、人は皆染め抜かれながらも適宜処理している。わたしは福原で育ったので、禁止項目がなにひとつなかった、AVを地で生きてきたようなものである。結果論だが、まったく必要のない経験だったと思っている。そう云えば、完全な結婚などという巫山戯た本があったが、完全なセックスというのも意味をなさない同義語のたぐいであろう。
 同性愛にせよ、SMにせよ、持って生まれたところのものが理由の過多を占めるが、なかには歪められてそれきりと云うのもある。このようなものと染められて、そのようなものかと思い込むのもセックスの一形態に違いない。例えばエクスタシーがそれで、有名な某報告によると、女性の過半数はエクスタシーを知らないまま一生を終えるとか。仮にそれが事実だとして、知らないなら知らないで、どのようなものなのだろうかとの夢は残る。そこから生まれるイマジネーションが個が個であるための基本を形成することだって有り得る。別に知ったから知らないからと云って大した問題ではないようにも思われる。
 前述した基本だが、スタートが歪められているので、基本も歪められているに違いない。しかし、強烈な個性というものは常にどこか歪である。ワイルドからプルースト、大手拓次から深沢七郎まで、変態を理由にそれらの才能を否定するひとはいないであろう。要するに、例え歪んでいようと不都合を感じないなら、それはそれで良く、触るべきではないのである。
 「禁欲とは限りなく淫蕩になること」を持ち出すまでもなく、不能や禁欲は問題にならないが、淫蕩は大切なことである。この場合の淫蕩とは想像力そのものを意味する。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月14日 22:02 | 固定ページリンク




googleマップ  | 一考    

 googleから取材のひとが来た。ですぺらのホームページと掲示板へのアクセス数が多いので、Googleマップで取上げるとのこと。アクセス数が多いのは櫻井さんとおっきーさんのご尽力によるもの。大半はロボットだが、一日平均3500から4500ほどのアクセスがある。
 取材は日本だが、マップへの掲載はアメリカ本社が行うそうで、年末もしくは来年春にはマップにですぺらの頁が誕生するそうな。無料なのでですぺらにとっては良いことずくめである。明年まで営業が続いてのはなしだが、少しは忙しくなるやもしれず、期待している。
 魚眼レンズであれやこれやと撮影が続いたが、モルトウイスキー専門店であるにもかかわらず、寡多録が常備されていることに驚いたようである。寡多録の常備は東京では当店一軒のみ、これは自慢できるのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 21:56 | 固定ページリンク




左肩の痛み  | 一考    

 左肩が痛くて腕が上がらなかった。シャントによる血流の変化が理由かと思っていたが、そうではなく、一日おきに四時間以上腕は固定されている、それが理由だそうである。思うに、それにわたしの注射嫌いが加味されていると思う。透析には通常十六番の注射針が用いられるが、わたしは十七番にしてもらっている。それにしても太い注射針である。動脈と静脈に突き刺すのだが、その度に全身が硬着する。腕を動かすと血流に変化があってブザーが鳴る。従ってじっとしたままである。肩というか腕全体が凝るのも致し方のないところである。病院で頂戴した湿布薬を貼って三日、やっと肩が動くようになった。
 北里へ入院前の身体の状態を考えれば、腕一本動かなくなることぐらい、どうと云うこともないのだが、喉元過ぎればの類いでひとは勝手なものである。
 透析によって身体の痒みは薄らいできたが、今度は注射針を固定するテープの気触れに参っている。透析の度に十本ほどのテープを貼るのだが、柔肌テープを用いても結果は同じで、テープの周辺がまるで蕁麻疹のように腫れあがる。なんとかならないものかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 21:55 | 固定ページリンク




御礼  | 一考    

 ユーハイム系列のパン屋さんペルティエ赤坂店が閉鎖された。同店のバゲットを贔屓にしていたので困惑している。そんな折、稲見直子さんから減塩手造りパンが送られてきた。ライ麦入り(プレーン)とオレンジピール入りの二種類である。レシピが添えられていたので紹介する。
 ライ麦30グラム、準強力粉220グラム。塩1グラムと表面への振塩0.5グラム、イースト小匙八分の一、準強力粉は強力粉より低蛋白。
 全粒粉25グラム、準強力粉225グラム、塩1.5グラムと表面への振塩0.5グラム、イースト小匙八分の一、清見タンゴールの自家製ピール。
 わたしは自分でパンを焼かないので詳しいことは分からないが、表面への振塩とは少ない塩を少しでも活かそうとの稲見さんの心づくしだと思う。過日、北里病院での朝飯の無塩パンの味気なさを書いたが、それを読んでの心遣いと思う、感謝の言葉もない。必要な量を取り置き、早速冷凍庫へ格納。小出しにして楽しませていただく所存。

 秋元美和子さん(掲示板ではM・Aさん)からの贈り物は森永乳業のサンキスト・ポチプラス、アップル&キャロット、グレープ、オレンジの三種類。内アップル&キャロットは人参とビタミンの味が濃く、まるで野菜ジュースのようである。鉄、亜鉛、食物繊維などが補強されているが、オレンジが一番無難な味である。
 栄養補助飲料レナジーのコーヒー風味と乳酸菌飲料風味の二種、共に蛋白、ナトリウム、カリウム、リンは低く抑えられている。
 以上全品が125ミニリットルで、これら一本とコップ一杯の水が将来の水分補給となりそうである。このところ小便の量が減りつつある。それに伴って透析時の水分除去も1リットルから1.6リットルにまで増えている。
 秋元さんには北里病院への入院時もお世話になった。併せて御礼を申し上げる。

 玲はる名さんから見舞いの花が届けられた。ですぺらで飾らせていただきます。ここに記して感謝したく思う。余談ながら、彼女の作品には情念の処理法にいささか不器用さが見られる。しかし、その処理法が旨くいったときの作品には目を見張るものがある。そこから先は個の有り様である。期待している。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 06:19 | 固定ページリンク




検査漬け  | 一考    

 透析をはさんで肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓、脾臓と甲状腺の検査が済んだ。明日は心肺の検査である。連日病院通いで、休みがまったくとれない。それと血液検査も上がってきた。尿素窒素とHDLコレステロールが低すぎるのと、フェリチンが異常に高い、高いと云えば白血球の価もである。
 クレアチニンが8.69であるのに、尿素窒素は52、バランスがまったく崩れている。これは食欲のなさを示唆している。コレストロールは低HDLコレステロール血症である。白血球は111.3だが、これは過去と比するなら決して高くはない。輸血前後は140位にまで跳ね上がっていた。従って、白血球の増加による自覚症状はなにもない。問題はフェリチンである。体内の鉄分が不足すると血中の鉄分を求めるため、鉄過剰となる。この理由は腰椎の炎症でないかと思っている。腰椎は軟骨が磨り減っていると以前書いた。軟骨は再生されたり補強されることはない。減れば減ったままである。身体はすこしはましになり、息切れも若干減ったように思うが、腰の痛みはどうにもならない。ショックアブソーバーの壊れた車のようなもので、歩くたびに衝撃が腰を襲う。この痛みは座っていても、立っていても同じである。
 前記の検査だが、胆嚢にポリープが見付かった。来週は胆嚢の精密検査である。それと大腸のポリープと憩室の検査も入っている。医師が云うにはポリープは切除手術をした方がよいとのこと。大腸のポリープは癌化するまでにもう少し時間的余裕があった筈なのだが。どうやら手術を趣味とする医師がいるようである。血液透析をはじめて一箇月にも充たないのに、新たな手術は止めてくれと云いたい。癌は除去した方がいいに決まっている、ただ、今のわたしの身体にそれを受け容れる余裕はない。

追記
 前述した尿素窒素をはじめ、ナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム、カルシウム、リンは基準値に収まっている。これだと薬は減らすのが可能である。血圧は110-65位なので、降圧剤は既に服用していない。今のところ、食事制限は有効に働いているようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月10日 04:19 | 固定ページリンク




来週からの営業  | 一考    

 一人に戻ったので、来週からですぺらの営業時間は月、水、金は8時15分、火、木、土は9時15分から1時になります。
 勝手を云って申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。火、木、土は透析のある日で医師によると数箇月を経て馴れるまでは無理なようですが、取り敢えずはじめてみます。

 今日は八回目の透析、馴れたような馴れないような複雑な心境です。このところ、水抜きをはじめてい、一昨日は1000cc、今日は700ccの水を血液から除去しました。63キロをオーバーした体重を毎回元に戻すのです。この水抜きは疲れます。血液の総量から1リットル抜かれるのですから、疲れるのは当たり前かと。北里に続いて定期的にエコーとレントゲンによる心臓検査がはじまります。透析患者の死因はほとんどがカリウム性心不全、要は心臓の肥大です。吉岡さんはじめ、いろんな作家たちの死の因果関係がこれで理解できました。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月04日 23:26 | 固定ページリンク




山崎医師来店  | 一考    

 自らの命が危うくなるまで透析をしない、このような患者も珍しかろう、と山崎医師から一言。相済まぬことで申し訳ない。自分の身体の限界点を知りたかっただけなのです。流石に透析をはじめようと思ってからはじまるまでのあいだは死ぬ思いを味わいました。何度か諦めかけたのです。済んだことだから云えるのですが、渦中にあってすら、生きるべきか死ぬべきか迷い続けていたのです。意識が跡切れる瞬間、これですべて終わったと思いつつ、三十分後には意識が戻る、そのような莫迦なことを何度か繰り返して、状況を記憶させようとする自らの意志を確認して参りました。同時に、意識とか意志と云ったものが存在の本質とはなんら縁のないものと知りました。肉体から肉体が内包する意識に至るまで、およそ即物的なものだとよく分かりました。
 当たり前といえば当たり前なのでしょうが、わたしにとっては未知なるわたしの部分と何度か再開したような気持がします。山崎さんの示唆するところを我流に曲解し、不要なご心配をお掛けしたことを深くお詫び致します。でも、わたしのようにざわざわした人間にはあのような生き方しかできなかったのも事実なのです。なにごとによらず、おそらく死ぬ日まで狼狽し、迷い続けるのでしょう。
 透析には這入ったものの、新しい病院で懐疑的なことを口にして看護師を困らせています。どういう状況に至っても逡巡はなくなりません。きっとわたしの癖なのでしょう。どのように処理すべきなのか分からなくなれば、これからも何度も浦和へお伺いします。その折はどうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月02日 21:57 | 固定ページリンク




薬について  | 一考    

 アバプロ 一日一回一錠(血圧降下)
 アルファロール 一日一回一錠(ビタミンD)
 ウラリット 一日三回十二錠(尿路結石を抑える)
 メチコバール 一日三回三錠(ビタミンB12)
 アロシトール 一日二回二錠(尿酸値を下げる)
 アーガメイト 一日三回三個(カリウムを下げる)
 クレメジン 一日三回三十錠(尿毒素の吸着剤)

 レナジェル 一日三回十二錠(リンを下げる)
 コレバイン 一日二回六錠(コレステロールの吸収を抑える)

 上段は前から飲んでいた薬、下段は新たに増えた吸着剤。双方併せて一日七十錠になる。透析をはじめたので、クレメジンはいらなくなるかと勝手に思っている。それにしても食前、食後の六回に分けてこれだけの薬を飲まなくてはならない。ところがわたしは食事は一日二回、何時飲めばよろしいのか、宙に浮く薬が生じる。基本的な薬は食事に関係なく一日を三期に分けて適当に飲んでいるが、吸着剤は意識して服用しないことが多い。薬で保たれている命ですからと医師からは五月蠅く云われるが、こればかりはどうにもならない。
 血液の検査表を指し示してカルシウムが、リンが高すぎるとの意見は十分に納得できる。しかし、薬を飲み忘れたことまで示唆されるのは辛い。生活と服用のタイミングが端から合わないのである。
 食料でなく飲料だと思うが、先日体重が六十四キロになっていた。透析で水分を一キロ減量、六十三キロに落としたが、かなりの疲れが出た。もっとも、その疲れの理由が透析かどうかは定かでない、とはいえ、他に思い当たるところはない。おそらく究極のダイエットとは透析のことでないだろうか。
 入院中の食事は、朝飯の菓子パンないしは食パン一枚と少量のジャムとコールスロー一皿を除いて、昼晩併せて松屋の牛丼並盛とコールスローぐらいの量に該当する。旨い拙いは別にして量的にはわたしの身体には既に馴染んでいる。ただ、退院後の食事内容はさらに厳しくなった。愈本格的に食事制限を考えなければならなくなった。甚だしく自信がない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月01日 23:29 | 固定ページリンク




雑音  | 一考    

 政治には金が掛かる。よって資金を頂戴してもよろしいから、革命を起こしてくれる人に一票を入れたい、というようなことを羽仁さんが書いていた。傑れた専制主義よりも、悪しき民主主義を選択してきたのが日本の戦後の歴史である。されば革命とは云っても悪しき民主主義のそれでないと整合性が取れない。その悪しき民主主義の典型が小沢一郎でなかったかと、かつて彼が自民党を割ったときから思っている。少なくとも、数が力だという彼の思いはわが国にあっては正しい。
 わたしは官僚頑張れの一人なので、菅とか岡田と云った官僚どっぷりの政治家は結構なのだが、それにしても人間的魅力に欠ける。現状では野党の党首を政権の中枢に、もしくは首相に持ってこない限り、一本の法律も国会を通過しない。そうした芸当が菅にできようはずもない。他方、小沢にとってはなにもかもが二党制を成り立たせるための素材でしかない。わたしは菅が首相になることには最初から反対だった。二項対立の対象に小沢を持ってくるのはよい、しかし、彼に小泉の真似はできない。権力に執着しているのははたしてどちらなのか。政治家として良識があるのならここは一番、小沢に委ねるべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月31日 23:01 | 固定ページリンク




透析初日  | 一考    

 東葛クリニックへ行く。二時半に出掛けて、透析終了後ですぺらへ車を飛ばし、到着は九時少し過ぎ。思いの他、時間が掛かる。クリニックと総合病院では患者層が異なる。クリニックではほとんどの患者が同じダイアライザーを用いている。要は入院の必要のない患者ばかりなのである。
 東葛クリニックでは当座、火、木、土曜の三時からの四時間透析がはじまる。パジャマ、毛布、タオルの類いは持ち込みである。採血の血管は皮膚下二ミリ、直径は三・四ミリだそうである。
 搏動は好んで用いる言葉だが、すこぶる具体性を帯びてきた。脈搏は知ってはいても、本人には聞こえない。それがシャントを拵えたことによって身近な存在になった。北海道旅行の際、みずならや白樺の幹に耳を寄せると樹液の流れる音がきこえる。幹の太さに比例するらしく、ごーっという音からストローで吸い上げるようなさらさらした音まで木々の呼吸はそれぞれである。その呼吸が把握され、音も聞こえてくるようになった。誰かさんではないが、人も植物であるかのよう。
 左手のシャントから先が痺れたままである。手前へ血液を逆流させたため、十分な血が流れていない。痺れが取れるに一月ほど掛かるそうである。体重は六十三・二キロから六十三・五キロの間を基準にするようである。越えた分はまるのまま余分な水分となって除去される。一キロの食材には約半分の重さの水分が含まれる。食事による体重管理がうるさくなる。今まで以上に迂闊にものが食えなくなる。それにしても、カレーやシチューが問題になるなんて。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月28日 22:40 | 固定ページリンク




北里退院  | 一考    

 今回の入退院に関し、逐一幹郎さんと関さんの世話になった。今日も退院祝いとかで早速拙宅の近くの回転寿司へ出掛けた。栄養士が聞けば目を白黒させるような禁止食品ばかり腹一杯詰め込んだ。そして浅蜊の味噌汁を二杯、どうなるかはしらないが当然大量のクレメジンも服用。
 透析だが、取り敢えずブラックアウトからは解き放たれたようである。一箇月ほど経てば痒みからも自由になるそうな。疲れや痒みはともかく、ブラックアウトからの解放はなににもまして喜ばしい。そして透析のダメージはすこぶる小さい。個体差が激しく、主治医から脅されていたので気に病んでいた。確かに、術後、動かれなくなる方も多くいらした。わたしの場合は直後足下がふらつく程度で、どうということはない。
 透析の種類の多さに驚いた。わたしが受ける透析は透析の内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から透析に至ることを知った。
 やはり問題になるのは、ナトリウム、カルシウム、カリウム、リンの血中濃度で、蛋白はほとんど問題にならない。とはいえ、ここにも個体差があって、あくまでわたし個人のはなしである。何度も繰り返すが、透析に一般論は通じない。療法は一部似ているが、結果は個々に異なる。
 クロアチニンは透析後、9.41から5.49へ急落したが、カルシウムとリンはそれぞれ12.3、5.8と異常値を示している。透析ではどうにもならない数値で、食事療法でしか解決しない。ここ二週間ほど、食事は医師の管理下にあったが、ここまで管理しないといけないかと愕かされた。当然、薬物療法に二種類の吸着剤が新たに加えられた。今回の東葛クリニックではさらに吸着剤が加えられるようである。
 幹郎さんとは随分とブラックアウトの話をした。彼によるとここまでブラックアウトについて書き込まれた文章はないようである。しかし、かかる文章があろうがなかろうがどうでもよい、わたしは強く自分自身を意識の管理下に置こうと努めてき、それが破綻する場を垣間見る状況に追いやられた。その絶望感を書き記しておきたいのである。
 そのブラックアウトと密接な関わりを持つのが汗線である。透析をはじめてごく一部だが、汗が戻ってきた。汗と失意、そこのところの関係を究明しなければならない。
 幹郎さん、有り難う。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月28日 12:47 | 固定ページリンク




整形外科  | 一考    

 今日は透析の合間をぬって整形外科医の診察を受ける。やはり腰痛が気になって仕方がない。筋力トレーニングは必要なしと云われる。そこでレントゲンを八枚、上背が五センチ縮かんだだけあって腰椎の軟骨がひどく磨耗している。「これじゃあ、痛くて歩かれないよ」間歇に炎症が起こっている。「カルシウムを摂るしかないが、腎不全ではね。薬の投与は不可能だし、悪化するばかりで、良くはなりませんよ」「そう云われるのは分かっていたのですが、なにか方法は」「諦めろとは云えないので、様子を見る以外に方法はありませんね」「随分と消極的ですね」「MRIを撮りますか、そうすればよりはっきりしますが」「どうにもならないことが、さらにはっきりするわけですね」「そうですね、仰有ってるお店から駐車場間は何度休んでいるんですか」「三度です」「それを五度にしてください」
 だんだんと腹が立ってきて、これで診察料が数万円なら割があわない。馬鹿野郎である。腹の虫が治まらないので、向かいのコンビニへ行って240円のティラミス(ナトリウム74.0ミリグラム)を食べる。ヤケ食いをしてやろうかと思ったが、世話になった嶺井医師の顔が浮かび、それは控える。

 特定疾病療養受領証は入手したが、更生医療の方はまだなにもしていない。北里病院は指定医療機関なので、申請が可能。申請をしなければ腎移植手術は受けられないようである。身体障害者手帳も新たに申請する。それら書類の件で木曜日の退院が金曜日になった。嶺井医師に感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:34 | 固定ページリンク




眼科  | 一考    

 今日は目の検診をする。左右は裸眼で0.8と1.2、四十五歳の時に検診しているが、その時と同じ数値である。大型二種免許であっても、眼鏡は必要ないと云われた。免許の更新時に、常に注意を喚起されているが、警察で目の検診を執りおこなう人に問題がありそうである。心配していた腎不全の眼底への影響もなく、わたしの思い過ごしだった。
 序でに、目玉のなかに不純物が多いと指摘された。目を瞑ると瞼の内側を泳ぐ、さまざまな幾何学模様の元である。心の万華鏡と名付け、わたしは面白がっているのだが、医学的には不純物にしかならないようである。あまり酷いようだと除去も考えられると云われて、周章てて診察を終えた。わたしにとって、不純物は宝の山そのものである。子供の頃、枕元に陽が差している、瞼を光に向けるといろんな模様が走馬燈のように瞼の内側を巡ってゆく。夢は続きを見ることができるが、こちらはあまりに抽象的でどこがはじまりで、どこが続きだか定かでない。おっとこれは、という絶妙のシチュエーションもあるが、繰り返しは不可能である。夢の持つ生臭さがこちらにはなにもない。この抽象的な万華が不純だなんて冗談ではない。こちらと比べれば夢の方がよほど不純ではないか。どうやら眼科医とは趣味を異にするようである。

 厳密な体重と血液検査の結果、紅茶やコーラを飲んだことまで発覚する。食パン半枚でも食べようものなら、たちまちリンが跳ねあがる。与えられる食事以外はなにひとつ食べていないが、これほどの管理が必要だという勉強になる。人は日々、およそ衝動的にものを食べている。余分に摂ったカルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分は腎臓が自動的に排泄してくれる、健康であれば。その安全弁が機能しなくなったのだから問題である。それらすべては脳溢血、脳梗塞と密接に結びついている。透析をはじめて蛋白制限からは解放されるが、カルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分の制限はさらに厳しくなる。リンの摂取制限が厳しくなれば蛋白制限の解除がなんの意味も持たなくなる。リンと蛋白は常に手を取り合ってやってくる。せいぜいが、低蛋白米が不要になることぐらいかしら。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:32 | 固定ページリンク




尿毒素  | 一考    

 尿毒素がもたらす症例に、手脚のしびれ、筋肉痲痺、脱力感、倦怠感、腰から下が抜ける感じ、吐き気、腰痛、下痢、不整脈などがある。
 その尿毒素は急に回ったのではない。四年ほどかけて生じたのが現状である。現在の歪な血液状態が今のわたしには正常になってしまっている。それ故、血液の状態を急速には戻されない。様子を見ながら徐々に戻してゆくしかない。透析器の濾過率を五パーセントずつ上げてゆくようなものである。気長に付き合うしかない。

 この件に関して、透析を受ければ即刻元気になるとほとんどの方は思い込んでいる。しかし、何度も繰り返すが、腎不全に治療法は存在しない。人工腎臓を用いても高カリウム血症へ至るのを遅らせることしかできない。どの程度遅らせることができるのかは、その人の食事制限、水分制限の結果次第である。人工腎臓はそのための手助けでしかない。要するに死が約束された病であって、人生と同じである。透析を何年続けたかは問題にならない、一年であれ十年であれ、その期間はその人の寿命と比例する、とわたしは思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:31 | 固定ページリンク




病院食  | 一考    

 這這の体で病院へ帰ってきた、人いきれには滅法弱い。銀行と薬局の他、用事があったのだがなにひとつ片付けられなかった。明日は透析の前に再び胸部レントゲンとか、胸になにかしら問題が生じているのだろうか。三度目のレントゲンである。きっと剛毛が生えているに違いない。

 てんぷらやチキンフライと魚の煮付けもしくは焼き物が交互に続く。入院当日は鯖の味噌煮、二日目は赤魚の粕漬け焼き、三日目はムツの山椒焼き、以降、サワラの蒲焼、アジの梅風味照焼きと続く。チキンフライは親指の先っぽほどのが三切れ、魚は鮭弁当に付いている鮭の三分の一ほどがメインディッシュなのだが、とにかく不味い。考えた献立なのだろうが、魚の活きの悪いのだけはいかように細工しようともいただけない。わたしが東京へ来て魚を食わず、揚げ物ばかり食っているのは魚が不味いからである。今は千葉の結構な魚屋と懇意にしているが、大体が東京の魚なんぞ食えたものでない。活きのよい魚を煮たり焼いたりしてこそ旨いのであって、例えばコチや目鯛などは身離れからしてまったく異なる。臭うような魚だと正体不明の白身魚のフライの方が気が利いている。冷凍品に限定されるのはやむを得ないとして、山椒を振った上で凍らせるとはなにを考えているのか。山椒の匂いのまったくしない山椒焼きをなんと名付ければよいのか。病院の料理には栄養士だけでなく、調理師の参加も必要でないだろうか。

追記1
 その後、病院の栄養士と会った。随分と失礼なことを云ったようだが、不味いものは不味い。ソテーとかお浸しの類いは時間が勝負である。温野菜は十秒とか二十秒とか、ものにもよるが、冷水の用意をした上で、いかに手早く湯通しするかであって、茹ですぎても、水っぽくなってしまっても捨てるしかない。鱧の湯引きなど典型で、湯を引いた後、冷水で締めるが、湯の温かさが残っている状態でいただく。湯をひくのは表面、冷水で締めるのも表面の好例であろうか。
 病院や家庭のような緊張感のない職場で造る場合、もやしナムルやアスパラソテーのような神経質な食べ物は造らないに越したことはない。まずもってびちゃびちゃである。わたしが肯定いたのはシャレーン豆腐ぐらいなもので、かたくりがダマになるという基本的ミスを別にして、まずまずの出来映えだった。
 それと書いておきたいのが、低リンミルクである。これは不味くて飲まれない。小学校低学年のころ、ペプシコーラをはじめて飲んで吐き出したことがあったが、これをミルクとは云わんだろう、が実感である。低リンミルクを飲むしかなければ、ミルクそれ自体を食卓から追放する。今回の入院で参っているのが、朝飯である。無塩パン、ジャム、フルーツ罐、低リンミルクの組み合わせなのだが、ジャムとフルーツ罐の不必要なまでの甘さと無塩パンと低リンミルクのもみなさは際立った対照をなす。要するに気持が悪いのである。食パンのように焼きの甘い無塩パンなど食えたものでない。リンにせよ、ナトリウムにせよ、制限によって食する気がまったくなくなるのであれば、食べない方がよいに決まっている。杓子定規な制限よりも取り入れ可能な制限からはじめるべきでないだろうか。

追記2
 レントゲンを連日撮っているのは心臓の大きさを見ているそうである。透析による水抜きは心臓をコンパクトにし、負担を軽減させるために必要な療法らしい。知らないことを知るのは面白い、興味津々である。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:30 | 固定ページリンク




あれこれ  | 一考    

 初回透析が終わるも、結構面倒なものである。止血は自分でするのだが、シャントを潰さないように、慎重にと注文がつく。シャントは透析患者にとって命の綱だそうである。ならば病院側で処理すればよいのにと思うが、一人七分として二十人なら止血だけで百四十分掛かる計算になる。まずもって、止血は保険点数に這入らないようである。
 「入院すればブラックアウトから解放される」と書いたが、そのような生やさしいものではなかった。透析によって齎されたのは、軽い目眩いのみ。いささかでも効果が現れるのは一箇月以上経てからのこと、十五回もしくは二十回目から徐々に尿毒素が抜けて行くそうな。
 筋力の衰えが気になって、今回の入院はリハビリを試みる予定だったが、その心配はなさそうである。脚力は七十キロをかるくクリア、腹筋、背筋、懸垂共に異常はなく、腎不全由来の極度の疲れや息切れが理由だそうである。
 腰が痛く歩くのが疲れる、その一点を最も気にしていたのだが、透析を続ければ十月中には癒るのではないかとの話。逆に若い頃、かなりスポーツをやっていましたね、と身体を誉められたりもした。将来、自転車に乗りたいと思う。パーツはすべて売り払ったが、自分の分だけは残している。

 看護師にウィンクでもって病院から抜け出してき、これを書いている。ですぺらまで近いので地下鉄で来たが、やはり電車は無理である、帰りはタクシーを利用する。外食を固く禁じられたが、それはよく承知している。本当は喫茶店でババロアかパフェでも食べたいのだが、約束は守る。一日おきに血液検査をしているが、カルシウム、カリウム、リンが多すぎるようである。今までの入院と比してかなりハードな食事制限が設けられている。分量が少ないので、大部屋でわたしだけが三時のおやつが出るのだが、塩分ゼロのクッキーなんぞ食えたものでない。「分量が少ない」と書いたが、一食につき低蛋白米が百グラム、こちらは家では八十グラムまで落としていたので問題ない。ただ飯の炊き方はひどい、水分が多すぎるのである。朝食はこれまた塩分抜きの菓子パン一箇と少量のジャムに薄い茶が一杯。出るだけましかと思って食している。水分制限は医師が途惑っているようである。自力で1.6から1.8リットルは排尿している。どうして出てくるのかはわたしにも分からない。もっかのところ、排尿されるのだから飲料に制限は設けていない。

 店は暇そうである。前田さんに申し訳なく思う、これに懲りずに前田さんの客が付くことを願っている。二人三脚で旨く行くようにと、それだけを願う。加藤 仁さんからメールあり、手伝いのお申し出に忝なく感じ入る。二十六日の夕刻もしくは二十七日の午前中に退院の予定。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月20日 15:58 | 固定ページリンク




ですぺらの営業  | 一考    

 今日一日無事であれば、十八日は北里研究所病院である。入院すればブラックアウトから解放される。ここ数日は祈るような日々だった。入院は最短七日、最長十日の予定。

 ですぺらの営業は入院中も前田さんの手によって続けられる。暫くのあいだ、六時半から十二時までである。モルトウィスキーの種類が多いので、前田さんに分かるように註文していただきたい。同じヴィンテージ、同じ熟年数、同じボトラーであっても異なる酒がある。例えば、加水タイプとカスクストレングスである。
 前田さんにも強く云っているが、寡多録で確認の上、現物のボトルで再度確認していただきたい。彼にはわたしの退院後もできるだけ長く手伝っていただきたいと思っている。どうかよろしくお願いしたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月17日 04:50 | 固定ページリンク




身長  | 一考    

 11日の入院時、身長を測る。納得がいかず繰り返し慎重に測っていただくも、やはり165センチメートルだった。山崎診療所で何度も計測しているが、主治医によると5センチぐらいはすぐ小さくなると云われていた。発病後、一年で丁度5センチ小さくなった。畏るべし、骨粗鬆症である。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月16日 18:15 | 固定ページリンク




営業再開  | 一考    

 16、17の両日はですぺらへ出ます。前述の前田さんと一緒です。もっとも、わたしは座ったきりになりますが、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月16日 00:28 | 固定ページリンク




東葛クリニック  | 一考    

 東葛クリニックへ行く。医師との話は十分で済んだが、その後を追ってきた看護師(医師かもしれない)と一時間半ほど話し込む。一種のインフォームド・コンセントだが、これほどの時間を費やしたのは今回が初めてである。
 従来の医師の権威(パターナリズム)に基づいた医療にわたしは反感を抱いている。その反感を突き崩したのは主治医だった。患者の選択権、自由意志を大切にする人が主治医だけでなかったと分かっただけでも、東葛クリニックへ行った価値があった。
 正確な病名を知っているのは糖尿症と膠原病の患者ぐらいなもので、あなたのような非糖尿症の患者の大半は因果関係が分からない。腎結石が理由の一であることは間違いないが、それだけかどうかの判断は付かない。手術前のCTスキャンで腎結石が左右の腎臓に拡がっていたが、残存する腎機能が既に4パーセントを切っているため、いまさら手の施しようがない。治療をしない場合の経過は主治医と同じ説明だったが、他の腎臓内科の医師はお茶を濁すような返事しか帰ってこず腹立たしい思いをさせられた。無治療の場合は二、三年で死ぬのはよいが、どういう死に方になるのかは誰一人応えない等々、事細やかな話をした。病気以外はおそろしくプライヴェートなことばかりだったが、これは要介護の介護の内容を知るに仕方のない話であろう。車で赤坂へ通勤していると云ったところ、数値から推してあり得ないと愕いていた。
 車で思い出したが、診療を拒否された病院は送迎の車を出してい、透析技術の発達と相俟って長く透析をつづけている、要するに老人ばかりだそうである。新陳代謝が止まっているので新規患者を受け付けられないのが真相らしい。
 いずれにせよ、十八日から死ぬ日まで透析が続く。わたしのことだから、受け身でいることはないだろう。この一年、さまざまな葛藤はあったが、生き延びる途をわたしは撰択した。自らの生にいかように抗うか、これから本領を発揮しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月14日 17:20 | 固定ページリンク




シャントは済んだが  | 一考    

 シャント造設は思いの外旨くいった。ただ深い動脈を表層の静脈と縫い合わせるため、多少の痛みは残る。所要時間は二時間二十八分四十五秒だった。局部麻酔だが、我慢する気はまったくないので、キシロカイン注ポリアンプ10ミリを打つ。手術の間寝ていようと思ったのだが、そこまでは効かない。微酔い程度で舌が軽くもつれるような感じだった。
 従って、麻酔醒めには頓服のカロナールを処方される。しかし眠られず、隣のベッドから大丈夫ですかと云われる。傍に迷惑を掛けるといけないので、睡眠薬を頂戴する。大きな傷であれ、小さな傷であれ、縫ったあとは二日ほど痛む。
 シャントは謂わば動脈と静脈のバイパスで、造設の目的は静脈を動脈に改造することにある。透析に必要な血量(一分あたり300ミリリットル)は静脈からでは足りないからである。時間が経てば皮膚に面している静脈が動脈となって脈打ち太くなる。人工的なミミズ腫れを拵えるようなものである。
 わたしの血管が健康なため、五日ほどで透析に耐えられるようである。そのシャントから出来るだけ離れた箇所へ血を抜く注射針とダイアライザー(人工腎臓)で老廃物を除去した血液を戻す注射針を挿入する。透析に要する時間は一回四、五時間、週三回が基本となる。
 内シャントは感染症に注意しなければならない。透析当日の入浴は禁止、シャント側の腕で重いものを持ったり、血圧測定や注射も厳禁である。
 一日の体重増加は1キロが上限、従ってシチュー、カレー、白菜、牛乳、トマト、豆腐、果物のような水分の多い食事は当然として、うがいにすら注意を払わなければならない。普通、一日に摂る食物中の水分は1200ミリリットル、食物が体内で燃えるときにできる水が350ミリリットル、水を飲むまでもなく、それだけでも既に水分過多である。実に苛しい水分管理が必要となる。

追記
 穿刺部位を濡らすのは厳禁、は良いのだが、ゴム手袋を買って来ないといけない。店のグラスはともかく、家の食器が洗われない。困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月13日 21:28 | 固定ページリンク




蕎麦佶更  | 一考    

 シャントは成功して退院。その影響でカリウムが6.0を突破、クレアチニンも10.0を超え、危険な状態。特にカリウムは心筋梗塞を誘発させる。時間がないので14日に再院し、18日から7、10日ほど再入院、緊急透析を施す予定。通常はシャント造設から二週間ほど待たなければならないが、血管が丈夫なので、一週間で透析に這入る。パジャマが出血によって汚れたため、洗濯に帰ってきた。
 緊急透析後だが、北里研究所病院の医師が素敵なところを見付けてくださった。江戸川の対岸、松戸橋を渡ったところにある東葛クリニックである。駐車場も完備、火、木、土曜の透析が可能だそうである。拙宅から車で五分の位置にある。三郷市南部のクリニックは全滅、市役所の担当者は診療を断わるなど三郷ではあり得ないと云っていたが、実態は二年以上新規透析患者を受け付けていない。ひどいところへ引っ越してきたものである。

 北里研究所病院正門のすぐ横に「佶更」という蕎麦屋がある。蕎麦粉は北海道産、挽きぐるみとか十割でなく、二八蕎麦だが、これが結構旨い。とにかくよく締り、蕎麦の実のつぶつぶ感が残る。蕎麦の甘味が強く感じられ、汁なしでもおいしく頂ける。饂飩同様、汁なしで頂けると云うのは最高の誉め言葉である。天麩羅には異議あり、やはり蕎麦だけを楽しんでいただきたい。聞くところによると。立川で三十年ほど営業、白銀へ越してきたようである。店内にはジャズが流れる、煙草も可能とか、三日月もそうだったが、煙草が呑める蕎麦屋はわたしにとっては最高である。蕎麦は美味いが禁煙というだけで寄り付かない店が多数ある。佶更は田堀よりわたしは格上と見た。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月13日 12:05 | 固定ページリンク




ですぺらは十六日から  | 一考    

 身体のなかが大変なことになっている。自分の身体の制禦がまるできかない。二十七日になればなんとかなるのだろうが、それまで身体を維持させる自信が完全に消え去った。取り敢えず、明日十日から十五日まで店を休む。今回はシャントを造設するための入院だが、透析が可能になる二十七日までなんとか生き延びるための方策を医師に相談しなければならない。情けないはなしだが、なにかしらの薬物に頼るしかなさそうである。
 いずこの病院も同じだが、電化製品の持ち込みは禁じられている。よって入院中、掲示板への書き込みはできなくなる。

 ですぺらは十六日から前田さん(元バーテンダー)の手助けを得ることになった。おっきーさんや木村さんの知己でもある。いずれ、前田さんによってですぺらの営業時間は明け方まで延長される。詳細は決まれば掲示板に明記する。よき首尾を願っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月10日 05:15 | 固定ページリンク




連絡をいただいたみなさんに感謝  | 一考    

 十一日は白タクが向かえに来てくださるようである。しかも、運転手と看護師が一緒である。運転手の名前は詩人、ありがたい話である。これで安心して内シャント造設術を受けられる。
 尿毒素が左脚に回ったらしい、痛くて動かれない。昨日は無理を押して店へ出たが、今日は休むことになりそうである。気を張りつめてですぺらを営んできたが、ここへ来て全身は襤褸襤褸の有り様。二十六日までの辛抱なのだが、一日一日が重く憂鬱である。

 このところ、麺麭食が増えている。食パンやクロワッサンなど軽い麺麭ばかりだが、理由は便秘に関係がある。ブラックアウトに至るときの生理状態を考えるに、どうやら便秘が関係しているように思われる。一日、二食なのだが、便通は三、四日に一度である。その便秘が酷いときにブラックアウトが起こっているように思う。ブラックアウトのとき猛烈な吐き気を伴うことが多いのもそこに理由があるのでは、と思う。
 便秘になる因果関係はカリウムと水分の制限のために食物繊維に富む野菜類や乳製品、豆類、海藻類を充分に取れないこと、要するに繊維質の不足である。それとリンを下げる薬、カリウムを下げる薬、コレステロールを下げる薬など、便秘になりやすい薬の服用がある。
 いくら低蛋白米でも飯は腹にもたれる。麺麭の方が少しでもましかと思って摂っている。日本蕎麦や中華麺よりは饂飩やスパゲティの方がよいとか、白滝のようなより効果的な食品があると思うが、こちらはこれからの勉強である。日本蕎麦はわたしの好物だったがリンやカリウムが多く含まれるのを知って愕いている。好悪による判断は慎重に避けなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月07日 18:28 | 固定ページリンク




再度、ブラックアウトについて  | 一考    

 M・Aさんは幹郎さんの知己で、某病院の婦長を務めた人である。関さんを通して何度かお話を伺い、直接お手紙も頂戴している。彼女のような方が当掲示板を読んでくださるのは非常に嬉しく、また心強く思っている。わたしの書くことが戯言でないと理解してくださるのは医学の心得のある方に限られるからである。
 それでなくとも、わたしも死ぬような目にあったとか、死の淵から生還したなどと囂しい。わたしは病を自慢しているのでも泣き言を陳ねているのでもない。それが理解できない人に当掲示板を読んでいただきたくないとすら思っている。当初、今回の病について書くべきか書かざるべきか随分と迷った。しかし、同じ症例(腎不全は病名ではない)を抱える人が二十万を超えると聞いて、書く気になった。末期腎不全のさらなる症例を細かく書き留めておくのはこの種の病を客体視する上できっと役立つと思ったからである。
 わたしは特別な人間でないし、特異な人間でもない。人はいずれ死ぬのだからと屡々口にするが、そのような達観を持っているわけではないし、運命論者でもない。避けられるなら透析は避けたいし、人工臓器に繋がれて命永らえるほど価値のある人間だとも思っていない。要するに誰もが考える程度のことで自ら悩んでいる。ただ些かやんちゃだったので、喧嘩はよくした。今思うに、おぞけを震うような喧嘩の繰り返しだった。両手、両脚を何度か骨折し、また骨折させられた。交通事故で上半身が砕けたこともあった。そのような目にあっても怖いと思ったことは一度もなかった。それどころか、喧嘩で骨折とは滑稽以外のなにものでもないと思っている。今回ブラックアウトと遭遇してわたしははじめて真剣になった、はじめて恐怖心を抱いたのである。

 手に汗を握るとよく云うが、その因果関係が心理的なものか生理的なものかは意味をなさない。双方を分離して考えることはできないからである。気を失う時、人の身体は汗でびっしょりに濡れる。滴りおちる汗に個体差はなさそうである。あの汗は恐怖心からきているのでないかと思っている。わたしは自分の症例を知るに認知行動療法の手法に範をとっている。要するに、徹底的に自分と話し合っている、話し合いのなかから明日の自分が垣間見えてくる。
 ブラックアウトは意識の消失という一点においてすこぶる暴力的である。自らの意識や意志が奪われるが故におそらく最も死に近いものと思われる。ブラックアウトは事前に予知できる。衝撃に見舞われ、やって来るなと身構えた瞬間から気を失うまでに三十秒ほどのタイムラグが生じる。この三十秒は想像を絶するほど長く感じられる。薄れて行く意識と知覚を取り戻そうとする意志力との葛藤であり、闘争である。抗っても無駄なことは分かっているのだが、その抗いのなかにこそ、わたしの生に対する思惟の大略がある。生への思惟、それは生への深い悲しみでもある。
 昏倒するときに注意しなければならないのは頭部への打撃である。それを防ぐのは最後の最後まで抗うことだけ。途中で自分を投げ出して諦めたらお仕舞いである。意識が消え去る一秒か二秒前にわたしは自ら倒れるようにしている。しゃがみこんでから痙攣がはじまるようだが、その段階では既にに意識はなくなっている。やんちゃと書いたように反抗精神だけは発達している。それを逆手に利用しているのである。
 昏睡状態の記憶があるのかどうかはわたしには分からない。ただ、名状しがたい苦痛と恐怖が残される。可能ならば意識消失それ自体を把握し記録したいと願っているのだが、思うようにならない。ブラックアウトとはよく云ったものである。明晰さといってもさまざまな明晰さがある。一般的な意味に於いてわたしは明晰というものを信じない。ひとの生は想像する以上に渾沌としている。わたしはきっと、その渾沌を渾沌として捉えようとしているのかもしれない。
 それは夢の分析と似ていなくもない。異なるのは苦痛と恐怖に彩られている点であろうか。悪夢というものもあるが、その悪夢だけが抽出されて長く続くといった塩梅であろうか。あまりに酷い悪夢の場合、ひとは無意識に夢を遮断する、強制的に覚醒するのである。ところが意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない。きっと無意識自体が広い意味で意識の領域に属しているのと違って、別の領域の出来事なのであろう。言い換えれば、最初から安全回路が設けられていないのである。意識消失は死に寄り添う影のようなものと心得ている。
 状況があまりにも苛酷な場合、自らの意志で制禦できないことに逢着すると人は悲しみを憶える。その悲しみのなかにこそ文学がある。わたしは知識や書物を文学だと思ったことはない。自らの生に対する抗い、その息遣いこそが文学だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月06日 15:08 | 固定ページリンク




M・Aさんへ  | 一考    

 お気遣いありがとうございます。先程役所から戻ってきたばかりです。介護認定は65歳以上もしくは糖尿性腎症のみ有効で、63歳、非糖尿性腎症のわたしは条件外になります。ちなみに、福祉タクシーは一種一級の場合、月二枚基本料金(1440円)のみ補填されるようで、しかも県内のタクシーに限るとのことでした。要するに、福祉タクシーはなんの役にも立ちません。
 介護タクシー会社に電話で問うたところ、歩けるならタクシーの方が廉く済ませられると云われました。一般のタクシーであろうが介護タクシーであろうが、料金に大差はなく、そこへ介護料金が加算されるとのことです。
 介護保険が不可能なので、ヘルパーはもとより、車椅子の補助も出ないそうです。当地のタクシー会社に聞いたところ、ハイヤーなら14000円で行くと云われました。二往復で56000円だそうです。諦めるしかなく、他の手立てを考えることにしました。
 いつもご迷惑をお掛けし、申し訳なく思っております。今回は当方で処理致します。この段階で他人様に甘えていては将来が思いやられます。どうも有り難うございました。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月06日 14:03 | 固定ページリンク




お近くの介護サービスの事業所に  | M・A    

毎日の暑さ、お身体きついことと思います。
一考さんのご自宅の近隣で、介護サービスをやっている事業所に相談されてはいかがでしょうか。
まだ介護認定は受けておられないようですので自費になってしまいますが、通院介助というのもあります。
1時間いくらという設定だと思うのですが、介護認定がおりればさか上って料金を返してくれる所もあるようです。
それから、お住まいの市で介護タクシーのチケットを出してくれる所もありますが。
付き添って電車で行かれるか、介護タクシーを使って車で行くか、予約状況や料金など検討してみてはいかがでしょうか。
それでも無理な場合は、ご連絡ください。11日から夏休みですので。
車は運転できるのですが。23区内には乗り入れたことがありません。
電車の付き添いならば可能です。


投稿者: M・A      日時: 2010年08月06日 08:21 | 固定ページリンク




中断証明書  | 一考    

 BMWの自動車保険契約中断証明書が送られてきた。新契約時のノンフリート等級は20等級、有効期限は平成32年7月8日となっている。明石の毎日自動車商会の手を煩わせた、感謝したい。
 もっともこの保険を再び使用する日がやってくるかどうかは分からない。過去に於いて自動二輪車に乗っていたとの証明にしかならないのかもしれない。

追記
 珍しく伊藤敬さん来店。ジャン・ロランの翻訳をなさっているとか。
 時悪しく、ブラックアウトの予兆、猛烈な吐き気と吹き出す汗、伊藤さんに失礼してトイレへ飛び込む。いつもの癖で鍵を閉めたが、もしもの時を考え周章てて鍵を開ける。十分ほどでなんとか押さえ込んだが、足下はふらついたまま、伊藤さんに申し訳ないことをした。それにしても体力のなさに呆れ返る、この辺りが限界かもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月05日 21:21 | 固定ページリンク




介護サービス  | 一考    

 二十七日から血液透析に這入るので二十七日からの入院にはなんの問題も生じない。退院時にはいささか元気になっている。それまでの間、どのようにして日々を送るかである。一番の問題はシャント造設のための十一日からの三日間の入院である。例によって運転ができる友人はいない。松戸から日暮里経由恵比寿までの道程だが、電車を利用するしかない。荷物があるのでブラックアウトに陥る可能性が多分にある。なにかしらの介護サービスはないものか、頭を抱えている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月05日 18:05 | 固定ページリンク




交通渋滞  | 一考    

 今回も出血を伴う手術である。梅毒や肝炎はじめさまざまなウィルス検査が事前に必要になる。その内HIVは任意だそうである。わたしの身体には大量の血液製剤が注入されている、従って病院としてはなおさら調べる必要がある。三枚の同意書に署名したが、もしも患者がHIV検査を拒否した場合はどうするのだろうか。深部の動脈を引っ張り出して静脈と繋ぐのだからしかるべき出血はある。感染の危機に身を晒す医師はたまったものでない。
 北里の医師からも透析後の身体の疲れはさらに増すと云われた。それと水分制限をはじめなければならないようである。取り敢えず、五百ミリリットルにまで減らすように、と。一日、コップ三杯からのスタートになる。これぐらいならなんとかなりそう。
 ところで、水戸街道(六号線)の混雑をはじめて知った。拙宅を出たのが八時と書いたが、江戸川と中川を渡るまでに一時間を費やしている。中川大橋から浅草橋でさらに三十分、浅草から白金は一号線を利用したが、こちらは一時間三十分、併せて三時間掛かった。病院の近辺で迷ったのもあるが、夜間なら一時間強の道程、日中の東京都下を走るのは大事である。
 電車の利用をよく薦められるが、これは論外である。ホームからホームへの移動など、健常者にとってはどうと云うこともない距離がわたしにとってはフルマラソンに相応する。もしも電車を利用するなら昏倒覚悟で車椅子が必須になる。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月04日 15:12 | 固定ページリンク




北里研究所病院  | 一考    

 朝八時に出掛けて帰ってきたのは六時過ぎ、終日検査漬けだった。
 まず、憩室の出血ならびに大腸のポリープの進行によって腹膜透析は不可能といわれた。主治医の見立て通り、あと二箇月は持たないだろうといわれる。カリウム性心筋梗塞に襲われ、あっけなくご臨終だそうである。十一日から三日間の入院、その二週間後に一週間の入院、要するに八月二十七日から血液透析に這入る。ただし、これは予定で、そこまで持たない可能性が多分にあって緊急入院も有り得るといわれた。
 自分で車を運転してきたことを知ると医師は無茶だという。いくら金数が掛かってもタクシーにすべきだと。買い物にも自分で行くと応えると、それも到底無理な話ですね、と。
 最近はウィスキーのボトルが三十キロのダンベルに思われてくる。五、六本も動かすと全身が悲鳴をあげる。カウンターのなかでは終日座っているのだが、それが二時間と持たない。腰が痛くて呻き声を洩らす。ウィスキーをグラスに入れようとすると目眩いに襲われる。客には申し訳ないのだが、とても笑顔は出てこない。月曜日は増田さんがいらしたが、帰り道で目の焦点が定まらず、危険を感じて三度も四度も停車した。
 医師からは三箇月ほど経てば透析に馴れてくる。そうすれば店の再開は可能だと告げられた。わたしのことだからそれまでに再開するだろうが、その間の店の維持費を捻出しなければならない。居るわけがないのだが、これほど手伝いが欲しいと思ったことはない。

 北里研究所病院の医師は若い、なによりも正直な医師である。質問に対して曖昧な物言いをしない、決して期待を抱かせない、さすが山崎医師の友だと思わせる。わたしはすこぶる好感を持った。初回のシャントは左手首に設ける、十一日の午後三時から医師が直接執刀する。糖尿ではないので、血管は丈夫、脈搏も問題なし。T字帯(越中褌)を持ってくるように云われたが、手首の手術にどうしてT字帯が必要なのか、考えれば考えるほど不思議である。わが息子に予備のシャントを造設するつもりかしら。

追記
 明日から店ははじめるが、開店時間をさらに遅らせて、八時半にする。それ以上立っていられないからである。事情を知らない客に迷惑をかけるので、しばらくの間会員制とする。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月03日 21:08 | 固定ページリンク




つづき  | 一考    

 医師が変わるというのは大変なことで、手続き(検査)を一から始めなければならない。尿、血液、心電図、エコー、レントゲン、CT、MRIと続いて、結果が出るに一両日が必要である。それは仕方がないのだが、この真夏しかも日中に白金を往復するのは体力的に自信がない。それでなくても、気温の上昇に比例して、目眩い、吐き気、便秘の昂進ならびに全身の倦怠感はとどまるところがない。拙宅は外気温に関係なく二十五度に保たれているので大丈夫だが、外気に晒されて二十メートルも歩くと意識が薄らいでくる。個体差があるのでなんとも云えないが、他の末期腎不全の患者はどうしているのだろうか。
 現在は自力で小用を足している。そのために多量(一日二リットル)の水分を補給している。透析をはじめると早晩自力での小用は不可能になる。そうなると、一日一デシリットルの水分制限に陥る。ただし、この一デシリットルは飲まれない、薬の嚥下に必要だからである。水なしの人生なんぞ、わたしに耐えられるはずがない。大方は耐えられなくなって水に手を出す、それが浮腫や胸水の理由になるのである。
 透析は尿毒素の除去もさることながら、余分な血中水分の除去に主たる目的がある。通常は週三回三時間からはじまって七時間半にまで延長される。現在の機能では二日で二デシリットルほどの水分しか除去されない。一日一デシリットルというのは、そこからの逆算である。透析がはじまれば厳密な体重管理が必要になる。飲んだ分だけ体重が増えるからである。それを捨て置けば命取りになる。また、透析に伴う急激な血圧の変化が心臓に負担をかける。透析に至る前と這入ってからでは身体の疲れ方が数倍異なるようである。
 わたしは糖尿病ではないので、網膜症には罹らない筈である。しかし、このところ視力が異常に弱っている。視点を定めるのにとんでもない意志力が必要になってきたのである。先日店で聴力の衰えを指摘されたが、視力、聴力共に老いが理由ではあるまい。造血から骨粗鬆症に至るまで、腎臓はとんでもないものを引きずってくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月02日 11:22 | 固定ページリンク




今日は営業、休みは明日  | 一考    

 北里研究所病院へ行こうと思って準備を済ませるも、一抹の不安を感じ、念の為に調べてみる。主治医から紹介状を頂戴した医師の外来担当は火曜日と金曜日、やはり間違えていた。出掛ける前に気付いただけでもまし、近頃のわたしはどうかしている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月02日 08:27 | 固定ページリンク




お休み2  | 一考    

 モルト会はおっきーさんに面倒をお掛けした。棚からボトルを取り出し、閉店後にボトルを片付けるところまで、お世話になった。また、新規ボトル四十数本の運搬から棚差しは川畑さんを煩わせた。さまざまなご協力があって、現在のですぺらは成り立っている。忝なく思う。
 モルト会に限らず、あれもこれもとの希望はあるのだが、とにかく身体が付いてこない。昏倒まではいかないが、今週はひどい眩暈になやまされている。短い営業時間だが、それすら無理をしているのは分かっている。透析がはじまれば、さらにダメージが大きくなり、曜日を決めての営業になる。迷惑をお掛けするが、どうかよろしくお願いしたい。
 まだ決めていないが、本日土曜日は休みにしようかと思っている。日中に主治医を訪ねたため、ひどく疲れている。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月31日 14:54 | 固定ページリンク




お休み  | 一考    

 月曜日は北里病院へ行くのでですぺらは休業です。あとの予定は現状ではなにもなし。医師すなわち検査結果によります。末期腎不全の場合、高血圧になると同時に貧血にもなります。目眩いはともかく、意識消失の因果関係が貧血以外にあるのかどうかを知りたいのです。
 今週は目眩いがひどく、脱力状態に陥っています。なんとかしたいと思っているのです。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月29日 21:40 | 固定ページリンク




新入荷のボトル2  | 一考    

 新入荷のボトルはかなり書き直しました。前回とロットが異なるためヴィンテージは同じでも、アルコール度数や本数が異なるからです。ピアレスシリーズなどは、前回と比して大幅な値下げとなりました。また新入荷のボトルへ記載はしていませんが、クラガンモアのカスクストレングスも25パーセントの値引きです。後から入荷した商品の値下がりが理由です。初回は航空便のため、運賃が一本当たり八百円から千円ほど掛かります。船便を待てば確実に値は下がるのだが、その折には売り切れという商品もあって、悩ましいところです。
 このところ、インポーターのモルトウィスキーからの撤収が続く。ハードリカーは思うほど売れない、在庫を抱えなければならないので、個人会社ならともかく、企業としては難しいのではないだろうか。そのため、在庫限りの安売りを見掛けるようになった。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月29日 21:38 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 一年近く入退院が続き、店を捨て置いてきましたが、この度新規ボトルが四十種類ほど入荷しました。その内の一部です。詳細はですぺらの方で。

 【スキャパ '88(ケイデンヘッド)】※ 1700円
 オーセンティック・コレクションの一本。97年のボトリング、オーク樽の9年もの、63.6度のカスク・ストレングス。
 【レダイク '79】※ 2000円
 1998年のボトリングにして19年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 1983年に閉鎖され、93年にバーン・スチュワート社が買収して操業を再開。それ以前の蒸留。他に99年ボトリングの20年ものがある。
 【ハイランド・パーク '80(ハート・ブラザーズ)】 1300円
 ファイネスト・コレクションの一本にして、16年もの、43度。
 【ハイランド・パーク '88(ウィルソン&モーガン)】 1600円
 99年のボトリング。バレル・セレクションの一本にして、10年もの、57.2度のカスク・ストレングス。
 【ハイランドパーク '86(ダンカン・テイラー)】  1800円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の22年もの、55.7度のカスク・ストレングス。176本のリミテッド・エディション。
 【ブナハーブン '97(ダンカン・テイラー)】 1100円
 2009年のボトリング。NC2の一本。12年もの、46.0度。
 ピーテッド・モルト。
 【ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド '97(シグナトリー)】 1200円
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの11年もの、55.8度。336本のリミテッド・エディション。
 【ボウモア8年】※ 900円
 40度のディスティラリー・ボトル。
 若いモルトを好む伊太利亜のみに出荷。12年ものと比して香味は硬く、華やかさに欠ける。
 【ボウモア・マリナー15年】※ 1300円
 43度のディスティラリー・ボトル。
 もともとは免税品店における限定商品。
 【アイリーク '89(ハイランズ&アイランズ)】 700円
 マン・フロム・アイラとのサブ・タイトルを持ち、通称はイラック。
 ハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー・カンパニーのボトルにして、元々はドイツ向けの商品。当初はラガヴーリンを詰めていたが、ラベルに描かれた蒸留所の絵柄から推し量るに、現在は40度のラフロイグかと思われる。しかし、ブリニーなピート香にラガヴーリンのおもかげが色濃く、なお疑問は残る。
 【ラガヴーリン '91(スコッチ・モルト・セールス)】  2200円
 ディスティラリー・コレクションの一本。10年もの、55.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 樽の提供はイアン・マクロード社。ボトリングはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社。
 【ラフロイグ '96(ウィスキー・エクスチェンジ)】 1600円
 エクスクルーシヴ・モルトの一本。06年のボトリング、オーク・カスクの9年もの、52.3度のカスク・ストレングス、311本のシングル・カスク。
 ウィスキー・エクスチェンジ社はスピリッツへの情熱と40年間の豊富な経験を持つシャキンダー・シンとラジャバー・シンの2人の兄弟によって創設された酒類専門会社。1500以上のウイスキー、100以上のコニャック、ラム、その他のスピリッツなど、豊富な品揃えを持つ。また、最近ではボトラーズとしても活躍、数々のシングルモルト・ウイスキーを発売している。
 【グレンヒース(スコッチ・モルト・セールス)】 800円
 10年もの、40度。中味はオスロスク。
 かつて、グレン・マレイを核とした同名のピュア・モルト・ウィスキーが頒されていたが、本品は全く異なる。オスロスク蒸留所のシングル・モルト3樽をボトリング。1000本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルのシングルトンと比してまろやかさで優る。色は淡く、カラメル香もなく、シェリー酒のテイストが濃厚。
 【オスロスク '90(キングスバリー)】 2000円
 05年のボトリング。ケルティック・シリーズの一本。バーボン樽の15年もの、62.8度のカスク・ストレングス。240本のリミテッド・エディション。
 【キャパドニック '72(ダンカン・テイラー)】 2600円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の36年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
 【クラガンモア '89(ケイデンヘッド)】  1200円
 オリジナル・コレクションの一本。01年のボトリング。シェリー・バッドの12年もの、46度。限定678本。
 【クラガンモア '78(ゴードン&マクファイル)】  2300円
 96年のボトリング。17年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンアラヒ '69(ゴードン&マクファイル)】  2500円
 87年のボトリング。18年もの、56.8度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンキース '68(サマローリ)】  2800円
 72年のボトリング。オーク樽の24年もの、45度。限定318本。
 【グレンロッシー '80(マキロップ)】 1700円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。19年もの、63.2度のカスク・ストレングス。
 【ダルユーイン16年(ユナイテッド・ディスティラーズ)】※ 1200円
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 【ベンリネス '85(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。14年もの、61.5度のカスク・ストレングス。
 【グレンモール '76(インタートレード)】 2200円
 97年のボトリング。オーク樽の21年もの、43度。
 【ティーニニック '83(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。16年もの、53.3度のカスク・ストレングス。
 【ティーニニック '73(レアモルト)】 2800円
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトの一本。96年のボトリング。23年もの、57.1度のカスク・ストレングス。
 この後、27、29年ものがボトリングされている。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ハリス)】 1200円
 2008年のボトリング。12年もの、46.0度。850本のリミテッド・エディション。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ダンカン・テイラー)】 2000円
 2010年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の23年もの、54.5度のカスク・ストレングス。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月28日 03:03 | 固定ページリンク




泣き言其の二  | 一考    

 近頃は酒屋で見掛けなくなると、酒の値はたちどころに値上げする。ちなみに、焼酎でもっとも高価なものは森伊蔵の長期洞窟熟成酒で、720ミリリットルが八千円、これ以上高い焼酎はない。東京ではブランドものの焼酎はことごとくが万単位で売られているが、異常である。モルトウィスキーも同様で、昨日まで一万円だった商品がある日突然二、三万円に値上がりする。それも値を上げているのは数人のマニアと便乗組の一部の酒屋であってインポーターではなかった。それがローズバンクの値上げのようにインポーターまでが悪乗りするようになった。
 どうしてこのようなせこい商売が流行るのか、先日書いたゼロスタイル(定価三百円)がオークションで千八百円で売られている。販売が東京だけなので、もっかのところは需要があるのであろう。それもこれもすべてはオークションに理由がある。前述の森伊蔵にしたところで、昔から予約をしているところへはコンスタントに這入っているし、どうしてもという向きは山形屋か高島屋へ予約をすれば入手可能である。どうして定価の三倍ないしは四倍の金数を払うのか理解に苦しむ。越の寒梅なども灘の酒と比して安価だったので流行ったのでなかったか。
 モルトウィスキーはほんの一部に代理店形式が残っているが、大半はインポーター経由である。発売即売り切れという商品もなかにはあるが、数本ならインポーターの手元に残っている場合が多い。高いものを掴まされる前に打つべき手立てはある。わたしは酒の仕入れにオークションは使ったことがないが、インポーターへの連絡は繁くしている。
 古書値は本の美醜によって四、五倍は開きがある。その最も高い値を地方の古書店は参考にする。要するに、通信の発達によって古書は神田がもっとも安くなったのである。それと同じでモルトウィスキーも一度高値が付くと下がらない。ところがインポーターのダンピング商品が東京には出回っている。前述のローズバンクも、東京では一万円を切ったが、地方ではいまなお高値で頒されている。
 蒸留所のオーナーが変われば酒の香味も変わる。しかし、ディスティラリー・ボトルは基本的に変わるものでない。ハイランドパークやタリスカーなどは瓶が変わり、ラベルが変わっても香味にさしたる変化はない。にもかかわらず、旧ボトル、旧ボトルと囂しい。まるで一億総商売人と化したようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月28日 02:44 | 固定ページリンク




泣き言  | 一考    

 ヤフオクでモルト・ウィスキーを購入したことはないが、参考までに見てはいる。ハートブラザーズ社のラガヴァーリンが64444円で出品されている。1988年蒸留2000年ボトリングの12年ものだが、この十年間に飲んだラガヴーリン(ラガヴァーリンの方が正しいのだが、わたしはラガヴーリンと表記している)のなかでは最高の品質だった。十年前、三箱十八本を一本当たり8900円から10080円で購入、一杯1800円で売りきった。三年後、某インポーターが35000円で取り扱い、前回のヤフオクでは50000円だった。従って、64444円はけっして高くないと思う。
 マッカラン1935、1936、1937、1947が出品されている。価格は85000円から110000円の間である。ひとの出品をよいしょする気はないが、液面に異常はなく、こちらも廉いと思う。とてもじゃないが、海外のオークションで買える値ではない。60年代の一部のボウモアやスプリングバンクが300000円から500000円、70年代のアードベッグが120000円から160000円、それらと比して破格値と云えようか。明石時代なら間違いなく購入していた。
 ですぺらはアードベッグに力を入れているが、60年代、70年代のアードベッグを一杯2500円から5000円で売っている。2500円だと20杯売れても50000円にしかならない。店売りはやめてオークションへ出品しようかと思う。それにしても、とんでもないものが出品されるようになった。いよいよ宝籤の購入に走ろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月26日 15:08 | 固定ページリンク




ひとりモルト会  | 一考    

 モルト会で困ったことがある。当日はお手伝いさんがいるので大丈夫なのだが、モルト会以外の日のひとりモルト会である。数人そのような方がいらっしゃる。今までは喜んで対応させていただいたのだが、手間暇は同じ、現状では到底無理である。従って、モルト会はその日限定の催しにさせていただきたい。勝手を云って申し訳ないのだが、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月23日 22:25 | 固定ページリンク




任意保険の凍結  | 一考    

 10年ほどの期間限定だが、任意保険を凍結できるのを知った。末期腎不全による骨粗鬆症でオートバイに乗られなくなった。顛倒の度に骨折するからである。自分の身体を大事にするのは趣味ではないが、こればかりはどうにもならない。
 自損事故は別にしてオートバイでは無事故である。従って、任意保険は20等級、割引率は60パーセントである。オートバイは遠慮するが、スクーターなら乗ってもよいと考えてる。スクーターはフルカバーなので足が保護されている。ところがオートバイは廃車にした。折角下がった保険がもったいないと思っていたところ、明石の毎日自動車商会から凍結すればというありがたい連絡が這入った。再契約の折に元の等級が復活するのである。しかるべき契約証と元の契約証、それと廃車証があれば可能だそうである。さっそく手続きを取ったが、任意保険にかかる項目があるのをわたしは今まで知らなかった。大体が保険証書など読んだこともない。迂闊といえば迂闊である。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月23日 22:11 | 固定ページリンク




ウィスキーもいろいろ  | 一考    

 一年ぶりに寡多録が新しくなった。カウンターに並べていたボトルも棚へ収納、随分とすっきりした。あとは今週一杯かけて新規ボトルの調整である。簡単に見えて休みのすべての時間を費やした。
 モルト会の解説は概略である。細かく書けば際限がなくなり長くなるので打ち切った。記憶違いは訂正した。「寡多録が新しくなった」と書いたが、こちらは随分と手を入れた。さらに修正を施してゆく予定である。とんでもない間違いが散見されたが、人から注意を受けたことが一度もない。やはり自分で訂してゆくしかない。この種の為事に終わりはない、人生と同じである。
 人の生き方の間違いを指摘するのは煙たがられるだけである。とはいえ、自分の間違いは正してほしいと思う。少なくとも、わたしはそう思っている。なぜなら、生きることに対してわたしは素人だからである。何歳になろうとも、これでよいという生き方がわたしにはない、ないと云うよりも理解できないのである。
 この消息は調法とも似ている。例えばわたしの田舎は高田だから蛍烏賊の生は子供の頃から馴染んでいる。しかし、物流の発達していなかった時代の神戸では蛍烏賊と云えば湯掻いたものしかなかった。過日引越でmoonさんがいらした時、蚕豆を買ってきたが、彼は湯掻くより焼く方が旨いという。それはきっと湯掻いたものばかり食べて育ったからではないかと思う。料理屋はどこでも焼いたものを出す、従って、わたしにとっては一分以内で湯掻いたものの方がおいしく頂戴できる。第一、面倒でないのがよい。虎魚などは千差万別で、刺身、揚げ物、椀物と囂しい。
 それでは調法の極意は珍しさにあるのかとなるが、それはどうやら正しい。わたしは人品骨柄にしても、珍にして奇なるをもって貴ぶ。そう思って今回のモルト会のウィスキーを見回せば納得できる。次回は決して旨くはないが、強烈な個性を持ったウィスキーにしようかと思う。輪ゴムの味、濡れた製材所、黴の生えた下穿き、出来損ないのパヒューム香等々、抱腹絶倒空前絶後のモルト会になる。題して「突飛なるものの」飲み会。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月21日 04:34 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
 VAT69の核をなす原酒だったが、1985年に閉鎖。モルト・ウィスキーの生産は休止したままである。今後、入手が困難になることは必定。
 モルトの生産は停止されたままだが、麦芽製造部門はフル稼動。ディアジオ社傘下の蒸留所に麦芽を供給し続けている。ディアジオ社のモルトスターでは他にグレン・オード、ブレチン(グレンカダム)とポートエレン・モルティング社がある。
 ライトでドライな飲み口だが、アルコール臭がある。フィニッシュは長く、スパイシーななかに甘味が残る。
 蒸留所名が幾度となく変わっているが、グレネスクと改名された1980年までの名称はヒルサイド。ケイデンヘッド社とゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒布されている。なお、ヒルサイド名義のボトルがユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから97年に頒されている。

02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
 スコットランド最東端に位置する蒸留所。1831年にビール醸造所として創立。何度もオーナーが変わるも、1970年ロング・ジョン・インターナショナル社が買収、その後ウィットブレッド社の傘下に入る。ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されないまま、1983年に閉鎖。蒸留設備は取り壊され、再開の見込みは全くない。
 ポマードのような香りと苦みを伴う濃厚な味わい。飲む人によって大きく好みが分かれる。
 シグナトリー社、ゴードン&マクファイル社、ダグラス・レイン社、ブラック・アダー社、マーレイ・マクデヴィッド社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。

03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
 オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
 スペイサイドを想起させる花の香り、豊かでスイートな芳香、胡椒のキャラクター、フィニッシュは頗るドライ。同年蒸留の16年ものあり。
 ネス湖の畔、ウィスキー産業の中心地として栄えたインヴァネスには多くの蒸留があったが、時と共に廃れ、最後まで残っていたグレン・アルビン、グレン・モール、ミルバーンも80年代に相次いで閉鎖。グレン・アルビンは83年に操業停止、88年には蒸留所も完全に取り壊され、スーパーマーケットに。
 グレン・モールとは姉妹蒸留所。1972年にはスコットランド最大手のDCL社の傘下に入り、その後ユナイテッド・ディスティラーズ社のグループに吸収。仕込み用水はネス湖の水を用いる。
 加水タイプがシグナトリー社とゴードン&マックファイル社のコニッサーズ・チョイスから、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒されている。

04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
 夏の牧草地と蜂蜜の香り。いまいち個性に欠ける。
 1892年に創立、マッキンレーの原酒。道を挟んでグレン・アルビンに隣接する姉妹蒸留所だったが、83年に共に閉鎖、88年には完全に取り壊された。仕込用水にネス湖の水を利用。観光客が多く、近頃はネッシーも姿を見せなくなった。地元ではグレン・ヴァーとも。
 加水タイプがハートブラザーズ社から、カスク・ストレングスがダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。

05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。宅地開発のため、1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 他ではカスク・ストレングスがシグナトリー社、ダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルは例によってオロロソ・シェリーのアロマが顕著。そのユナイテッド・ディスティラーズ社から1953年蒸留のの50年ものがボトリングされている。1953年はDCL社(現在のUDV社)がオーナーになった年。

06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
 かすかにトフィーやバターの香りがするものの、バンフ同様、印象が薄く、余韻の残らないモルト。
 創業は1898年。悲運の歴史を重ね、1983年に閉鎖。パゴダ屋根の蒸留所は歴史的建造物として保存されたが、内部の設備は取り払われ、再開の可能性はなくなった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが1995年に頒布されたがすでに絶版。本品以外ではゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスから40度のボトルが、ダンカン・テイラー社、シグナトリー社、ケイデンヘッド社からシェリー樽熟成のカスク・ストレングスが頒されているのみ。ダグラス・レイン社から52年蒸留の49年ものが2002年に発売されたが、高価につき、店主は飲んでいない。

07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
 ねっとりとしたアプリコットフレーバーが特徴。ライトでドライな飲み口、いささかホットな味わいのなかに甘味が残る。グレネスクとよく似た香味を持つ。
 アンガス地方のもっとも古い町のひとつブレチンの蒸留所。1983年に突然閉鎖され、建物は取り壊された。現在ブレチンに残る蒸留所はグレンカダムのみ。共にディスティラリー・ボトルのシングル・モルトは一度も頒布されていない。1823年にブレチン蒸留所となり、1839年にノースポートと改められた。
 ゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

08 バンフ '80(シグナトリー)
 オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
 熟成年数の割にアルコール臭があり、後口に渋みと苦みが残る。全体としてはソフトでクリーン、要するにすべてに於いて物足りないモルト。加水するとジンジャー・ビスケットのような味わい。
 1824年に創設されたが、1863年には近郊に立て直された。83年に閉鎖、建物は取り壊され、蒸留所自体過去のものとなった。バンフという名称と共に土地の名前でもあるインヴァボインディーを名乗っていたこともあり、当時イギリス国会(下院)にも納入していた。
 70年代に閉鎖されたガーヴァン(レディバーン、エアシャー)、キンクレイス、ベン・ウィヴィス、または80年代だがモファット(グレン・フラグラー、キリーロッホ、アイルブレイ)のようなローランドの蒸留所のモルトも自己主張のない、すべてに於いて物足りないモルトだった。かかるボトルが一部のマニアの間で高値で取引されているのは、なにかしら、胡散臭さや虚しさのようなものを感じる。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、イアン・マクロード社から、カスク・ストレングスがウィスク・イー社の土屋守コレクション、シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社、ボトラーズ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒布されている。

09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
 北ハイランドの中心地であり、ネス湖の畔、インヴァネスの蒸留所。ディスティラリー・ボトルが頒布されないまま、1985年に閉鎖、4年後にはレストラン兼パブに改装。近い将来、飲めなくなるモルト。足腰の強いモルトで、長期熟成ものにも若さがある。
 加水タイプがスペイサイド・ディスティラリー社、シグナトリー社から、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが、シグナトリー社とユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
 リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
 軽くスムースな味わい、ドライなフィニッシュだが余韻が残らず、なんら特徴を持たない。グレンモーレンジ同様、ミネラル分を含む硬水を仕込み用水に用いる。本品のラベルには「真の主役 東のスプリングバンクを楽しんでください」と記載されているが、何かの間違い。
 もともとジェームス・ドーチャーと言うビール醸造所、1957年にウイスキー蒸留所として創業。スペインの会社(マグナブ・ディスティラリー社)がオーナーだったため、マグナブスの主要モルトとして、またディステラリーボトルも主にスペイン市場で売られていた。
 モントローズにはロッホサイドとグレネスク、ふたつの蒸留所があったが、共に80年代半ばから操業停止、90年代に閉鎖された。ロッホサイドの閉鎖は92年、操業期間はわずか35年。ただし、グレネスク蒸留所はモルトスターとして活躍中。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、スコッツ・セレクション社から、カスク・ストレングスがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ブラック・アダー社からボトリングされている。

12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
 11年もの、40度。
 1938年に操業開始、ハイラム・ウォーカー社がバランタインに用いるグレン・ウィスキーのダンバートン工場を建設した際、モルトの蒸留所も同時に創設。1970年後半からローモンドスティルの使用を停止。操業停止は1991年だが、2002年にバランタインの蒸留所の複合施設が取り壊された時に蒸留所も消滅。過去、ディスティラリー・ボトルが販売されたことはない。
 インヴァリーヴンには、まったく異なる二つのタイプのポットスティルがあり、インヴァリーヴンとローモンドという別々のモルトウイスキーを生産。ローモンドスティルは、ハイラム・ウォーカー社が開発したもので、導入は1959年。ローランド地域で最後までローモンド・スティルを使用した蒸留所。ちなみに、ローモンド・スティルを用いたモルトではアイランズのスキャパが有名だが、他にも、グレンバーギ蒸留所のグレンクレイグ、ミルトンダフ蒸留所のモストウィ等がある。
 現在ゴードン&マクファイル社で瓶詰したものが少量で回っているがこれはインヴァリーブンのモルトで、ローモンドスティルで蒸留したモルトは完全に幻のウイスキーとなっている。
 シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、パール・デ・ザンジュ社からカスク・ストレングスが、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが頒されている。

13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。
 ローランドモルトとしてはボリューム感があり、ソフトでスムースな飲み口。クリーミーで、モルティーな甘さのあとにドライフルーツ、ナッツなどのキャラクター。ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。
 セント・マグデラン蒸留所が建てられたのは1765年、一方で創業は1797年ともされる。いずれにせよ、リトルミルやローズバンク等と共に、最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖、現在ではアパートメントになっている。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。地名のリンリスゴー名義のボトルもある。
 ゴードン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、シルバー・シール社、スコッチ・シングル・モルト・サークル社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、ハート・ブラザーズ社、ブラック・アダー社、マキロップ社、ウイスキー・エクスチェンジ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルはお薦め。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 09:06 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

ですぺらモルト会

モルト会のウィスキーは差し替えました。
7月24日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
1月以来、半年ぶりのモルト会です。
今回はハイランドとローランドのサイレント・スティルから選びました。会費は15000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(ハイランドとローランドのサイレント・スティルを飲む)

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
  オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
  40度。
05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
08 バンフ '80(シグナトリー)
  オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
  リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
  11年もの、40度。
13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 01:52 | 固定ページリンク




遺伝子組み替え  | 一考    

 今夜は外食、今年に入ってはじめてである。外食とは云え、近所の回転寿司へ行く。これだと体調がおもわしくなければ一皿で中止できるからである。金目、伊佐木、目鯛、鮃、鮪トロの五皿で千円、一巻百円である。廉いと云えば廉いのだが、抹茶に閉口。考えてもみなかったが、鮨屋へ行くには烏龍茶を持ち込まなければならない。白湯で鮨は勘弁願いたい。
 あとからクレメジンを飲めばいいや、と思って抹茶を一口啜る。旨い、お茶の味を忘れかけていた。日本人であるであることを再確認、やはり煎茶、抹茶の類いは美味。遺伝子組み替えによる、カリウム抜きの緑茶の登場が待たれる。もっとも、日本ではほとんどの県で遺伝子操作の食品は製造すらが禁止されている。弱者に対して寛容さがこれほどない国も珍しい。遺伝子組み換えが自由になれば、食事制限はおおよそ解放されたものになるのに、と愚痴りつつ残りの抹茶を一気に呷って店を出た。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 00:35 | 固定ページリンク




正規品と並行輸入品  | 一考    

 もっかモルト会の解説を起こしているが、気づいたことを一言。
 寡多録で触れたが、限定品を別にして、ディスティラリー・ボトルには正規品と並行輸入品とがあって、香味が随分と異なる場合がある。またはボトリングの年次によって味がまったく違う場合もある。さらに売値も倍から異なることがある。そのような場合は双方を在庫するように心掛けている。大半のお客さんは細かい味の違いでなく、安価なものを求められるので問題は生じないが、ごく一部に香味に五月蠅い客がいらっしゃる。そういう場合は仰有っていただければ対応する。
 売値が一万円と二万円といった場合、必ず香味に差違がある。ワインと同じで廉いとの理由だけで購入するのはいささか無謀である。まず、ヴィンテージの確認をすべき、一方でヴィンテージの記載がないウィスキーも多いが。マッカラン、ラフロイグ、ボウモアなどは要注意である。なお、オーナーやマスター・ブレンダーが入れ替わった場合も香味が徐々に変化してゆく。余談ながら蒸留所の消長もしくは閉鎖によってブレンドウィスキーが変化するのはやむを得ない。
 ボトラーズ・ボトルの大半はシングルカスクなので、並行、正規の違いはない。言い換えれば、カスクの違いはともかく、もっとも安心して飲まれるのはボトラーズ・ボトルである。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 23:29 | 固定ページリンク




寡多録  | 一考    

 土曜日は店へ助っ人が這入った。ビールとおしぼりと足りないウィスキーを六本補填、しばらくは大丈夫である。(六本のなかにはラフロイグ18年のように一箇月を経ず、売り切れたウィスキーもある。同品には並行輸入もあって香味にマッカランのような違いはない。今回は並行もので1600円に値下げした)。二十四日のモルト会のウィスキーを確認、併せて寡多録と店内在庫の調整を計る。こちらは三日ほど掛かる。序でに家の在庫品を店へ運ばなければならない。
 去年の七月から入退院が続き、寡多録はそのままである。寡多録に掲載していないウィスキーが三十本ほどあって、逆に寡多録に掲載されているが在庫切れのウィスキーが三十本ほどある。それと新規ボトルが二、三十本。おそらく二十六日の月曜日に寡多録は一新される。
 やっと念願のウィスキーと寡多録に手を加えられる。これが今のわたしにはもっとも嬉しいことである。文面にも手を入れようかなどと欲が出てくる。いっそ定番商品はすべて外した寡多録にしようかと迷ったりもする。そう云えば、蒸留所のオーナーも随分と入れ替わった。先日も書いたが、マッカランのように香味がまるで変わったウィスキーもあれば、シーバス社が抱えていた蒸留所は約半数が店仕舞をした。ウィスキーの歴史も日々変化している。
 お名前は存じ上げないが、最近面白いお客がいらっしゃる。金曜日にもいらしたが、舌がずいぶんと鍛えられている、と云うよりは自分の舌を持っている。迂闊な酒は出せないが、なにを出しても実に適確な判断を下される。ウィスキーについて饒舌にならざるを得ない客、そうした客がもう少し増えて欲しいと願う。そうすれば、わたしも少しは元気になるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 04:53 | 固定ページリンク




蔚藍天  | 一考    

 意識が、自分という存在のひとつの側面にしか過ぎないことはよく分かる。意識が消失したところで、やがて意識は戻ってくる。その間にも存在はあるのであろう。ただ、意識が失われて行くときに次に現れるであろう意識を想定するのは不可能である。それっきりになることだって起こりうる。
 それにしても、意識が失われていくときの苦痛、全身の緊迫感はなんだろうか。背中のかゆみが一瞬にして全身に拡がる。非常事態のサイレンが身体中に谺する。知覚は視力から奪われ、皮膚感覚がなくなり、全身が熱のかたまりとなって、純白の残像を結ぶ。やがて真っ白の像が汗を迸らせる。なにかから逃げだそうとするのだが、その対象がなんだか分からない。知覚を取り戻そうと必至になればなるほど、身体は制御不能になってゆく。身体の先端から痙攣がはじまる。痙攣が腰へ来る頃、無駄な足掻きを諦める。ただただ、汗で濡れそぼった頭と顔と熱そのものが不愉快である。誰か熱を拭き取ってくれないだろうか、そうすれば安らかに眠れるのにと。記憶が跡切れ、時が失われる。
 記憶が再開されるとき、それはいつもなにかしら冷たいものからはじまる。冷たい地面、冷たい壁、涼しい風、氷か鏡のように凍てついた手、そうしたものに触れたもしくは触れられた気がして徐々に目覚める。目覚めと同時に記憶を辿るのだが、肝心なところは虚ろである。この時になにかを掛け違えると再び昏睡状態に陥る。そのなにかは名状しがたい。身体は常に消失の方向へ向かっている。従って気を張りつめなければならない。おそるおそる半眼で遠くを見る。見慣れた光景がおぼろに浮かび上がってくる。あと一息、蔚藍天を取り戻すにはあと三十分ほどの我慢である。

 意識消失を誰かさんに擬えてわたしは「小さな死」と名付けている。意識消失が繰り返されることによって、思いも知覚も身体も垣根がなく、存在はひとつの「もの」であることがよく分かる。だからこそ死を直前まで描写できても死そのものは理解できない。死は突然、天から舞い降りてくる。抗いようがない。例え、契機が自死であったにせよ、やはり死はにわかに翔け降りてくる。生活苦とか心象風景によって死を撰ぶほどわたしは軟弱でない。しかし、自らの意志によってどうこうなるようなものではない。死は想像を絶するほど暴力的である。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 04:13 | 固定ページリンク




M・Aさんへ  | 一考    

 お手紙ありがとうございました。返書はこちらで書かせていただきます。簡略に掲示板を巻き戻してみます。
 末期腎不全であることを知ったのは去年の七月、当掲示板で「腎不全」なる文章を書いている。あの段階でクレアチニンが7.21、尿素窒素が79.9だった。担当の腎臓内科の医師からは即刻透析に入るべしと勧告された。突然、腎不全だ、透析だと云われても、こころの準備がなにもなされていない。考えるから待って欲しいとの願いに、待っている暇はない即刻透析に入るべしと繰り返されるばかりだった。末期腎不全がどういう病気なのか、因果関係は奈辺にあったのか、放置すればどのような死に至るのか、どのような対処療法があるのか、詳しいことはその時点ではなにひとつ分からなかった。説明不足に対して、医師に不信感を抱いたこともあった。
 同年十月、身体障害者手帳が交付された。当初は一種三級、要介護と大きく印刷されている。同じく十月、大腸憩室炎による大量出血と輸血。この折に死んでいてもなんの不思議もなかったと医師から云われました。命拾いとはこのこと。
 山崎医師のインフォームド・コンセントによって末期腎不全の概略が分かるも、透析や腎移植に対する抵抗感は一年を経た今もなくなりません、輸血をしたのですから同じことなのですが。

1 腹膜透析か血液透析かは決めておりません。身体の問題点が腎不全だけではないので、合併症を心配して医師は血液透析を薦めております。
2 電動車椅子の簡易バージョンですが、40万から300万円、あまりの高値なので迷っています。中古車なら5万円、スクーターで10万円、助手席に置ける小径の折り畳みの電動アシスト自転車なら新車で10万円ですので、そちらで間に合わせようかと思っております。
3 意識消失に伴う介護ヘルパーはぼちぼち考えなければなりません。仰有っての通り、買い物からゴミ捨て、風呂の掃除、市役所や郵便局、銀行の往復なのです。家では立ったり座ったりがきついので、ずっと寝そべるか匍匐前進です。
 問題は店の方で、今日お手伝いさんが来るので、ビールの購入をお願いしますが、今のわたしに仕入れはまったく不可能になりました。おしぼりや水の補給もいつ止まるか分かりません。手伝うと云ってくださる方は多いのですが、当方が望むようなことはなにひとつお願いできません。従って、お気持ちだけ頂戴しております。

 同封の資料、忝なく読了、腹膜透析を今一度考えてみましょう。
 今年の一月の血液検査でクロアチニンが9.25になり、医師からこれ以上は無理だろうと云われたのですが、その後、今月にいたるまで8.2から8.4の間を行き来しています。通常5.0位でさまざまな症例がでてくるのですが、わたしの場合は8.0を越えてから特有の症例に悩まされるようになりました。病気の進行ならびに症状の現れ方があまりに遅く、現れたたときには意識消失になってしまいます。これも個体差だと思っています。ただ、意識消失は因果関係が分からず、悩んでおります。意識消失は事前に予知できるのですが、手の施しようがなく、あの苦痛だけは避けたいと願っているのです。
 永らえるには腎移植しかないのは分かっています。結果的に移植になると幹郎さんとも話し合っています。それまでの間、応急処置として透析になりますが、その透析に這入るまでの期間を医師はあと二、三箇月とみているようです。

 医学的なことよりも、一番の問題は介護ヘルパーです。早晩、ヘルパーなしでは生きて行かれなくなります。もっか全エネルギーをですぺらの維持に費やしています。そのため、五時間の営業時間外は耄けたようになっています。何時この緊張感が切れるか、時間との格闘が続きます。
 最後になりましたが、この度はいろいろとご心配をお掛けし恐縮いたしております。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月17日 11:04 | 固定ページリンク




できる限り永く  | 高遠弘美    

拙訳のこと、かくまでお書き頂き、恐縮してをります。
先日は久しぶりにお目にかかることができて嬉しく存じました。
お元気さうで何よりでしたと、書けないところが何とも残念でなりませぬが、それでも、一考さんの強い意志の力をひしひしと感じてをりました。
どうかあらゆる手だてを尽くして、可能な限り永らへて頂きたいと切に切にお祈り申し上げます。 

お見せ頂いた佐々木幹郎さんのエッセイには私も深く感銘を覚えました。御礼を申し上げます。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年07月16日 12:58 | 固定ページリンク




 | 一考    

 カワハギ、イサキ、メバルと毎日刺身を店へ持ってきている。もっとも、一人前か二人前なのだが、今日のメバルは売れ残りそうな気がする。とにかく活きがよいので、昨日は好評だった。売れ残りそうだと書いたのは、わたしが食べたいからでもある。
 妙なもので、忙しい筈の週末にはあまりよい魚が這入らない。ハマチ、カンパチ、タイ、ヒラメなど月並な魚ばかりで、磯魚は寡ない。ただ、常備品にさまざまなつぶ貝、ホッキ貝、トコブシが這入っているのが嬉しい。贔屓筋に鮨屋が居るに違いない。
 トコブシはアワビと同じミミガイ科の貝だが、殻の背面に並ぶ穴の状態で識別する。アワビでは4、5個なのに対し、トコブシでは6、8個の穴が開いている。昔は子供のおやつ替わりだったが、近頃は高値になった。四センチぐらいので一箇百円ほどする。客がコンスタントにあれば、いろんな刺身が置けるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月15日 21:03 | 固定ページリンク




友という名の刺客  | 一考    

 「洪水」第六号が発売されている。詩と音楽のための雑誌で発売元は草場書房、定価は840円。第六号は「特集 佐々木幹郎、音に遊ぶ」と題され、対談、座談会、詩、エッセイ、インタビュー等々が収められている。特集中に「コムロ・ヒトシというクスリ」がある。「雨過ぎて雲破れるところ」からの再録だが、いつ読んでも絶品である。どこまでが小室等でどこからが佐々木幹郎なのか、渾然として一如となっている。「渾然として一如」とは二葉亭の言葉だが、ここには二項対立を越える趣があってわたしの好きな言葉である。二葉亭と鏡花の言葉遣いにはよく味わうととんでもないことを示唆している場合が多い。

 目の前にいる人の発言には、かならず「そうだよねえ」と相槌を打つことから始めて、決して他人の話をそらさない。テーブルの向こうにいる人の話に彼が応じていて、あんまり、そのフォローが過ぎるときがあったので、わたしは彼の隣で、思わず笑ってしまったことがあった。すると彼は苦笑しながら言った。
「いや、いまのはさすがに僕自身も、フォローが過ぎると思っていたんだ」

 他人をフォローする人生を歩んできた達人たちの遣り取りである。強烈な個性を持ったひとは他人の話に逆らわない。知識というのは歴史の断片もしくは側面で、人によって捉え方が異なる。別に世の中が右側通行であろうが左側通行であろうがどちらでもよいのである。そうしたどうでもよいことと、どうでもよくないこととの識別に個の妙味がある。
 幹郎さんの文章は全編これ肉声で填められている。ところが読み終えて振り返ると、いままで何人も触れ得なかった新たな思想が開示されているのに気付く。肉声と云っただけでも至難の業なのだが、彼の主音はそんなところに止まっていない。仕掛けは二重三重に錯綜している。書物を繙くことの愉しみと書けば穏やかだが、彼の言葉は常に真剣勝負を挑んでくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月15日 12:12 | 固定ページリンク




失われた時を求めて  | 一考    

 わが国のトイレには便器しかない。しかし、フランスでトイレと云えば、化粧室のことである。用足しはもちろん、化粧直しから着替えまでがその用途になる。ちなみに、ホテルオークラなどではレディルームと表記されている。「トイレのドア越しに衣擦れの音が聞こえる」と翻訳すれば日本人なら下履きの上げ下ろしの音としか解釈しない。
 また二重ドアは観音開きのドアを指し、寒冷地に於ける字義通りの二重ドアを想起すると誤訳になる。
 さらに、ベランダは庭に突き出たガラス張りの部屋の意で、居間と一続きになっている。明治期に建てられた洋館にしばしば付帯し、サロンとして用いられた。ところが現在では吹き曝しの物干し台のイメージしか湧かない。
 月曜日に高遠さん来店、以上のような話が肴に持ち出された。プルーストの「失われた時を求めて」には井上究一郎と鈴木道彦の翻訳があるが、わたしに云わせれば双方共に噴飯物である。何時も書いていることだが、高遠さんや宇野さんのように生きたフランス語を解する人による翻訳は原作の解釈それ自体の評価を新たにする。謂わばプルースト咀嚼の歴史が書き換えられるわけである。
 前々日に光文社の駒井編輯長来店、駒井さんから高遠さんのプルーストがいよいよ九月から刊行開始と聴いた。悦びを共にしたい。高遠さんからはプルーストが完結するまでは生きていて欲しいと云われた。そちらはどうなるか分からないが、今のわたしにこれ以上の励ましはあるまい。

追記
 高遠さんから「突飛なるものの歴史」の寄贈に与った。前付の誤植箇所は修正されている。よく見ると一枚分が張り直されている。前付と後付は著者校すら許されなかったと聞く。担当編輯者の猛省を促したい。
 土曜日には宇野さん来店。念願のジャン・ジュネが同じ光文社から秋には上梓される予定とか。嬉しい話が続く。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月15日 11:47 | 固定ページリンク




椅子に座る苦痛  | 一考    

 店の営業だが、疲れがひどく、椅子に座っているのが四時間が限界になってきた。途中で十分ほど仰向けになればもう少し大丈夫なのだが、そううまく客が跡切れるとは限らない。それが理由で開店時間がどんどん遅れている。この一週間は七時半に開店した。そして営業中に屡々カウンターで仰向けになっている。わたしが仰向けになっているからと云って、気分が悪いわけでない。身体が重力に逆らえなくなっているだけである。
 何時まで営業が続けられるか分からないが、常連さんの理解を得て変則的だがなんとか続けている。一層のご理解、ご協力をお願いしたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月15日 10:43 | 固定ページリンク




「野に住みて」  | 一考    

 伊藤文学さんは父伊藤祷一が創立した第二書房で働いていた。その第二書房から片山広子の歌集「野に住みて」が1954年に上梓されている。先般、荷物の整理中、同書の在庫が伊藤文学さんの自宅から発見された。何冊か必要かと岡田夏彦さんから連絡があった。近く入荷の予定、ご入り用の方は連絡してください。ただし発送不可。
 ところで、若き伊藤祷一が働いていた第一書房のスポンサーは大黒田元雄と片山広子の亭主。その縁で「野に住みて」が第二書房から出版されたと聞く。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月13日 20:10 | 固定ページリンク




残日  | 一考    

 意識というものは決して空間的なものでなく、肉体と歩を共にしている。肉体の搏動は意識の搏動であり、意識の呻きは肉体のそれである。脳であれ、胃であれ、腎臓であれ、変調をきたしている部分が意識のすなわち肉体の中心点となる。その部位に軽重はない。
 生死とよく云われるが、人は死が視線内に這入ったとき、はじめて死を意識する。視線内とは人生の射程距離で、残日が数年、数箇月あるいは数日に限定された場合を指す。人は自らの生を意図できないように、死を想像することはできない。できないと云うよりは許されないのである。
 若者と老人ではその残日の在り方がまるで違ってくる。人生の落日を過不足なくわたしの前でさらけ出して逝った横須賀功光さんを思い浮かべる。彼がですぺらへ初めていらした日、あと一年の命と宣言なさった。彼が自らの死について語ったのはその時と死の一週間前の二度のみ。だからこそ、わたしは毎日、毎日、零れおちる涙を怺えながら晤語を繰り返した。わたしにとって、死とは常にそういうものであってほしい。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月13日 08:08 | 固定ページリンク




終点酒場  | 一考    

 わたしは死にたくないし、病気にも罹りたくない。にもかかわらず、末期腎不全になった。結果、日々その症状と闘っている。死は抽象的なものでなく、ひとつの具体として目前にごろんと転がっている。そういう人間を相手に軽々しく死にたいとか死しか残されていないとか口先で云うことの無神経さはどこから来るのだろうか。掲示板でなく、直接会って話すならきっとぶん殴っていたと思う。長く生きてきたが、これほど莫迦にされたのははじめてである。
 人というものはここまで傲慢に不遜になれるものなのだろうか。物書き志望ならなおのこと、気配りができなくては登場人物に心理的膨らみをもたらすのは不可能である。一体全体なにを考えているのか、恥じを知れと云いたい。
 当掲示板は常に開かれている。しかし、書き込む前に考えてほしい。相手の心理的、肉体的状況がどうなのか、書き込むことへ対応できる状態なのかどうか。今回のような件がさらに続けば、当掲示板はブログに変更せざるを得なくなる。
 ですぺらは終点酒場と徒名された。それほどに多くの客が病に斃れもしくは自死を撰ぶのやむなきに至った。それら友の死を遣る瀬なく思っている。しかるに、生あるものが生きるの死ぬのと無責任な発言を繰り返す。これは死者への冒涜であるまいか。死にたいのであればさっさと死ねばよい、わたしは鼻にも引っ掛けない。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月13日 07:52 | 固定ページリンク




無煙たばこ2  | 一考    

 東京郊外でゼロスタイルが常に在庫しているコンビニを見付けた。ヤフオクで300円から1800円で売買されているが、定価は300円ぽっきりである。ひとつあれば十分なのだが、カートリッジが手に這入らない。やむを得ず300円のパイプとカートリッジのセット販売を買っている。おかげで家中パイプだらけである。お客さんで必要な方は知らせてください。ちなみに、発送は致しません。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月13日 05:56 | 固定ページリンク




風呂  | 一考    

 洗濯用の洗剤がなくなったので買いに行くも、スーパーの駐車場で気分が悪くなり周章てて帰宅。洗剤はおろか、休日用の刺身も飲み物も買い損ねる。キャンプ用に取り置いた洗剤を持ち出して下着を洗う。
 深夜風呂に這入る。最初は四十二度に設定していたが、最近は三十九度。意識の喪失を懼れてのことである。以前住んでいたところでは、風呂を沸かすのに五十分、冬は一時間以上費やしていた。現在は十分で沸く。従って、体調の良い折を見計らって入浴できる。それは実にありがたいのだが、風呂に這入るときだけは誰かにいてもらいたい。一人だとまことに心細く思う。心神喪失に対する恐怖心は徐々に大きくなってくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月12日 04:51 | 固定ページリンク




感謝  | 一考    

 誉めるのは簡単なのですが、誉めただけでは済みますまい。と云って自分の意見や考えを率直に述べるのは難しいですね。どちらさんも本人が居ない場では云いたい放題ですが、本人が居ると途端に態度が変わります。オマージュしか書かないなどと云うのは真っ赤な嘘で、みなさん腹に一物も二物もあるようです。偽善との言葉はなんのためにあるのでしょうね。
 意見を率直に述べていると、回りは敵だらけになってしまいます。編輯者が最後まで黙っているのは理由があってのことなのです。他方、書き手はみなさんそれなりの自信をお持ちです。自信があるというより、誉める編輯者が理解ある編輯者で、誉めない編輯者は文学が分かっていないとなります。今回はきっとご立腹かと案じておりました。食い下がられた場合、どう対処しようかと悩んでいたのです。
 質問の類いは答えを拵えてから訊うのが常で、応えが想定外の時、ひとは食い下がります。いや、そうではなくこうなんだと、だったら最初から質問など試みるべきでないと思うのです。これは割烹の作法と同じで、割烹で出てくる料理にチョイスはありません。想定外の料理すなわち出会いを求めてひとは割烹へ行きます。それが一期一会です。一期一会が嫌な方は、定番といわれる料理を置いている食堂か居酒屋へ行けばよいのです。この消息はショットバーでも同じです。決まった酒を飲まれる方にショットバーは不向きです。
 いずれにせよ、これで玲さんとのあいだにあった垣根がひとつ外されたように感じています。酒は飲まれませんが、美味い刺身を馳走させていただきます。機会を設けてください。どうもありがとう御座いました。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月12日 03:24 | 固定ページリンク




謝謝  | 玲はる名    

一考さん掲示板にお言葉頂戴するのはもったいないです。日録を汚させてしまって申し訳なかったです。謝ります。
ちなみに高島さんは一考さんとはタイプが違いますが、男前の歌人さんです。はい。

天真爛漫といえばまだ聞こえがいいですが、僕は思慮が浅いことをときどき忘れてしまうのです。
今回頂戴したお言葉が的確なので、今までお店や時々で頂戴した僕への言葉が俄然真実味おびてきたなと思いまして過去回想しています。人生経験相応の意識の欠落について、過去にもらった言葉を考え直してみようかなと思います。
ですぺらに出入りしている若い詩人たちと自分を比べるのは怖いのですが、僕は確かに幼稚なのです。歌でも同じ過ちを犯すことがあります。オナニーはいいけれど、廃棄物を垂れ流すのでは読み手がかわいそうだと頭では理解しているのですが実生ならずです。推敲と、己を知る作業と、読者の目と、ナルシストからの脱却。それと、恋愛。恋愛は最近遠慮気味です。


投稿者: 玲はる名      日時: 2010年07月11日 00:28 | 固定ページリンク




「朝が来ると信じているのだね」  | 一考    

 死ねと云われれば死ぬなどというのは通常は恋情の表明なのだが、玲さんにそのような気持の持ち合わせはなにもない。にも関らず、あの文言がぷいとでてくるところが玲さんらしい。およそ不用意で天真爛漫である。
 玲さんから「Sai」第三号と「朝が来ると信じているのだね」の二冊が贈られてきた。「Sai」の方は高島祐さんの短歌と玲さんの評論に感心させられた。ただ、ここでは玲さんについて書くのが筋だろうから高島さんについては触れない。
 「朝が来ると信じているのだね」は玲さんの個人詩集であって、所収の「愛すべき孤独」については2008年12月19日にふれているので繰り返さない。ただ、「愛すべき孤独」は用語に若干の無駄があって、リリカルに流れている。しかし、それを乗り越えるだけの緊迫感を内包している。
 同詩集には「永遠」「愛」「うつくしい」「やさしい」「哀しみ」「かなしい」「さみしい」といった不用意な言葉が汪溢している。そうした言葉はもし遣うなら効果的に用いなければならない。思い付きや感情移入のオンパレードでは詩にならない。ごく一部を除いて消化不良をきたした習作集といえようか。
 それにしても、推敲が必要である。推敲が繰り返されればもう少し風通しがよくなる。おそらく、天真爛漫などという言葉を彼女は嫌がるだろうが、わたしの目にはそうとしか映らない。可愛いといえば可愛いのだが、いまさらセンチメンタルな少女詩を書く歳ではあるまい。言葉の概念に対する疑念が淡く、イマジネーションが類型化しているところに問題がある。
 「可能性が一分にせよ、間違いなく産声を上げている」と書いた。詩としておよその形は成り立っている。想像力の大胆さと奔放さが今後の課題となる。それにしても、作品は生みっぱなしでは困る。納得いくまで書き直すべきである。いわんや書冊に纏めるときは二重三重の慎重さが求められる。
 その慎重さと重なるが、彼女にとって大きな問題は、彼女の内部に読者の目線が欠落している点である。書き手と読み手のバランスが取られて、はじめて他者の目に耐える作品が生まれる。それを邪魔しているのはおそらく彼女のナルシシズムだと思うのだが、彼女は否定するだろう。いささか謎めくが、恥じと外聞をかなぐり捨てた、言い換えれば素顔でなく仮面を被った玲さんと出遇いたいと冀求している。
 人は無数の賓辞を内包してい、ひとつの賓辞は他の賓辞を平気で裏切る。彼女の場合は他人の誤解でなく、自分自身の誤解を懼れている。誤解を懼れていると、いつまで経っても作品は独立しない。妄言多謝。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月10日 20:26 | 固定ページリンク




失礼します  | 菊坂澄江    

お読みになりたくないということならばお送りするまいと思っておりました。わたくしは同人誌の編集者を、ないがしろにしているわけではないし、渡邊さんのことを知りあいの域にお入れするのは僭越すぎると思っておりますし(実際知り合いではございません)、どなたともそんなに御縁は深くはございませんが、軽々しいと思われるのなら、そう思われても仕方ありません。もうすでに、送らないつもりでおりましたが、この歳にしてネット社会に案外嵌まっていたんだなという思いがあります。すみませんでした。


投稿者: 菊坂澄江      日時: 2010年07月10日 11:26 | 固定ページリンク




冷房  | 一考    

 店で昏睡状態に陥るたびに常連さんがいらして助かっている。しかし、何時も常連さんとは限らない。一見さんが周章てて救急車を呼び、その時に意識がなければ面倒なことになる。事情が分からない医師だと間違いなく、股間からの緊急透析になる。これには対処の仕様がない。山崎医師が店の営業はできないよ、と云っていたのはこのことか。
 これから夏本番、先が思いやられる。今日も寒いから冷房を切ってくれと一見さんから云われた。なるようにしかならないが、不安感は拭いがたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月10日 06:29 | 固定ページリンク




菊坂さんへ3  | 一考    

 2010年07月05日の「同人誌」によると、読むということを前提で送付すると仰言る。だとすれば、わたしとしてはお断りするしかないのです。あなたも病気だそうですが、わたしは一種一級の障害者です。第一に面識もない他者に対して失礼に過ぎると思います。2008年06月08日に書いた「長い季節」についての他、書くべきことは御座いません。作風に根本的な変化が生じれば、またその折に。
 29号だか30号だか忘れましたが、編集長が後記を書かれていました。短いものを書けという正論で、大層しっかりした方とお見受け致しました。小説については彼と話し合うべきと愚考致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月10日 04:02 | 固定ページリンク




失礼します  | 菊坂澄江    

なにがしか書くということは、怖いことです。臆病な者ですので「隠された思い」が露わになるような瞬間はたまりません。いやこれは快感の極みの意ではなくて、もう戦々恐々といった感じです。病気でなくてもいずれ病気になりそうな気がしますが、妄想的気分が渦を巻きます。渡邊さんがお書きくださったように、あっけらかんと書き始めたわたくしでも喜ばしいことに、いやなんですけれども少しは自信をなくしているのです。逆説的にわたくしの病気にとっては、病的確信が揺らいだ方がいいのかもしれませんが、そのような戯言はもう書きますまい。自信というも恥ずかしいことですが、その自信が揺らがされるのが小気味がいいので、まことに勝手ながら渡邊さんに愚弄されたいのかもしれません。自虐的ですが。絶対にお褒めの言葉などいただけないのは、わかりきったことですから。こちらの掲示板を読ませていただいていると、自分の書いているものがいかに渡邊さんの喜ばれるものとは違っているか、それくらいは自明と言ってもいいくらいです。何が嬉しくてわたくしは自分の評判を落としに同人誌に載った文章をわざわざ渡邊さんにお読みいただこうとしているのか。わたくしは同人誌という場が与えられたことは素直にうれしいのですが。でもやはり有り体に申して、読者におもねるような気持ちや、また逆に技術すらないただの反逆心が皆無とは言い切れないのがわたくし個人の実情です。またつまらないことを書きました。でも、自分の本心を書く方法をどうにかしたいという気がしてまいりましたが、余計なことを書きました。わたくしの傷はもうすでにかなり深いもので、これ以上深くなるものかどうか、あとは死ぬか少しの回復があるのみかと思われます。


投稿者: 菊坂澄江      日時: 2010年07月09日 23:23 | 固定ページリンク




意識の散歩  | 一考    

 腎不全を患う方々のために、確認できたことを毎回書き綴っている。昨夜は夕刻までは調子はいつも通りだった。問題は駐車場からの歩きにはじまった。一キロ歩くのに行きは休憩なし、帰りは三度ほど休んでいる。それが昨日は歩かれない、行きに二度の休憩を取った。
 店へ出たあと、早速椅子を並べて十五分ほど横になっていたものの、電話の音で起きた。木村さんからの電話で周章てて開店準備を整えた。三十分ほどはなんともなかったのだが、急速に皮膚感覚がおかしくなってくる。木村さんから外へ出て休めばと云って頂いたが、時すでに遅く、そのままトイレへ駈け込む。便意ではなく猛烈な吐き気である。ちなみに朝飯は十時半、従って空腹を感じていた。そこからして既におかしい、空腹感など感じる筈がないからである。
 空戻しが十分ほど続き、それが収まると急速に意識が薄れてゆく。トイレの床に座り込んで失われてゆく意識との格闘が続く。立ち上がろうとしてどうと倒れ込む。出ない筈の汗が吹き出て、全身がびっしょりである。特に顔と頭はまるで水を被ったようにぐしょ濡れになる。なんとか意識を繋ぎ止めようと必至なのだが、朦朧としている。二十分ほど経ったであろうか、トイレのドアの隙間から流れ込む冷たい風に気がついた。普段なら気づかないごく僅かな風である。「ああ、涼しい」これで格闘は終わった。トイレを出て店の椅子を並べて横になる。三十分ほどでカウンターへ復帰するも、ふらふらする。話せるようになったとき、時計を見たのだが九時半、一時間半ほど木村さんを捨て置いたことになる。申し訳ないことをした。

 木村さんは高脂血症だそうである。高コレステロール血症でなく、中性脂肪のみが多い高中性脂肪血症。理由は酒の飲み過ぎである。自重なさっているらしいが、身体にだけは気をつけていただきたい。わたしが云うことではないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月09日 04:41 | 固定ページリンク




発作  | 一考    

 久しぶりに木村さん来店なるも、また発作を起こす。今日は夕方から体調悪しく、目眩いを感じていたもののやはりダウン。完全に気を失うところまでは行かなかったが、視力は定まらず、回りは霞のような白色一色となった。トイレで顛れていたものの、あと十分出てこなければ救急車を呼んだと木村さん。もし一人なら、昏睡状態に至っていたに違いない。木村さんに迷惑をお掛けした。冷房を二十度にまで下げ、なんとか話を再開するまでに漕ぎつけたが、今日は不安だらけの一日だった。
 木村さんから白耳義産のシガリロ二種と同じく獨逸産のシガリロ一種をありがたく頂戴する。早めの帰宅、拙宅でシガリロを味わうつもり。烟草はなんであれ、わたしは肺の奥まで咽み込むのでシガリロは恰度よい、葉巻はいささか重い。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月08日 23:03 | 固定ページリンク




久しぶりにモルト会  | 一考    

 今日はメバルの刺身を買ってきた。メバルにはキンメバル、アカメバル、クロメバルなどがあるが、生息地によって色が変わるだけで、同一種である。色によって味が異なるとの意見が板前のなかにすらあるが、それは間違い、味わいも同じである。17、8センチの小型のメバルだったが、一枚三百円、それを二枚下ろしてもらった。おっきーさんがいらしたが、それが分かっていれば店へお持ちしたのにと思う。

 おっきーさんと話したのだが、今月はモルト会を催す。名付けてハイランドのサイレントスティル。ハイランドの閉鎖された蒸留所のモルトウィスキーを試飲します。美味といえるのはグレンユーリー・ロイヤルとブローラぐらいのものですが、在庫があるうちにとにかく飲んでおこうというのが、今回の主旨です。
 グレネスク(1985)、グレンアギー(1982)、グレン・アルビン(1983)、グレン・ギリー(1995)、グレン・モール(1983)、グレンユーリー・ロイヤル(1985)、グレンロッキー(1983)、ノース・ポート(1983)、バンフ(1983)、ブローラ(1983)、ミルバーン(1985)、ロッホサイド(1992)の十二種類ですが、いささか値が張ります。詳細はまた。( )内は蒸留所の閉鎖された年。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月08日 03:57 | 固定ページリンク




玲さんへ2  | 一考    

 「冗談はさておき」の後に、さらに質の悪い冗談が続くのも一興。あなたが割腹してもわたしには得るものはなにひとつありません。佶屈していますが、励ましのつもりで書いています。その意が通じるかどうかは別にどうでもよいことですが。
 これはどなたに対してもそうなのですが、編輯者がよく云う「肉声がない」に尽きると思います。根拠、傷跡、情念、いかなる文言を用いようと要は肉声なのです。その可能性が一分にせよ、間違いなく産声を上げている、だからこそ口汚く罵りもするのです。
 世の中を見回して多くの作品は自信に満ち溢れています。それは書き手が自らの作法(意識)に疑問を抱いていないからです。そういう方は勝手になさればよろしいのであって、わたしとは縁なき人々です。迂闊にわたしの前で立ち止まると傷跡を拡げることになります。
 「隠された思い」はどなたにも御座います。ならばその思いをこそ描くべきで他に何を描けばよろしいのでしょうか。「思い」が巧く表現できないと悩み、刻苦勉励するのが書き手の務めです。この場合の巧みとは、読み手にうまく伝えられるかどうかです。決して表現の巧拙を云っているのでないのです。文章を著すとは自己を表現し、自己を他者に伝える行為です。伝わらなければそれまでです。況や、思いを伏せていては永遠に思いは伝わりません。わたしが結社とか同人とか仲間に反対するのはその伝達に対する甘えが生じるからです。読者は常に不特定多数であって、書き手が読者の顔を窺うのは不可能です。表現者は常にオナニストであることを強いられます。
 わたしは他者の作品に接するとき、ほぼ白紙の状態で向かいます。見落としがないか、気配りが足りているか、わたしの能力で読み切れるのかどうか、アプローチを変えた方がよいのでなかろうか等々。当然、至らない点も多々御座います。しかし、その至らない部分を突っついてどうして理解できないのかと問われるのはご免被りたく思います。
 さて、玲さんはいつも恋愛なさっているべきです。恋愛は下らない自意識などからの蝉蛻を余儀なくさせます。読書と同じで、恋愛は人をどこかへ連れて行きます。常に自己解体の危機に晒されて生きるのはそれこそ大いなる快感だと思うのですが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月07日 20:10 | 固定ページリンク




お酢はどうでしょう。  | 玲はる名    

身体には葉巻もお悪いでしょうし……お酒もお悪いでしょうし……。冗談はさておき、僕はこの人になら殺されてもいいとか、殺されてもしかたないという人がなんにんかいます。産んでくれた人を筆頭として、僕がひどい目に合わせた人とか、恩人とか数人います。自国はその中には含まれていません。もし、一考さんがこれ以上書いても無駄だから死ねと仰ったら、僕はその場で切腹する価値はあるなと思いますね。無駄な文章を書くなら切腹した方が後々笑ってくれる人がいるかもしれないです。


投稿者: 玲はる名      日時: 2010年07月07日 13:53 | 固定ページリンク




とどのつまり  | 一考    

 いかなる人であろうとも、何かを著そうというからには著すべきなにかを持っている。作品を読んでそのなにかが窺えない場合、理由はふたつある。ひとつは表現が稚拙な場合、いまひとつは表現すべきなにかが未分化である場合である。
 わたしは斯く斯くしかじかの人間で、と云った自注が必要な場合、その因果関係は双方にあると思われる。
 わたしは学校へ行っていないので分からないが、多くの人は学生時代に喧喧囂囂たる論議を経験するようである。そうした議論の繰り返しのなかから徐々に個体として分化されてゆく。
 当掲示板はすこぶる生臭い掲示板で、死を迎えた老人が未だにぶつぶつ文句ばかり云っている。きっと現在がわたしにとっての学生時代なのかもしれない。偶には目の醒めるようなクリンチもあったが、それは相手次第である。正確には目が醒めるのは常にわたしであって、相手側ではない。
 わたしもかつて連載の真似事を試みたことがあった。ただ、読者を近在に託したことはない。自分が書いたものなど他人が読むはずもなく、況や理解など望むべくもないからである。文章を著すとは、宛先のない小包を送り続ける作業に似ている。せいぜいが美辞麗句に飾られたおよそ中身のない礼状が送られてくるのが関の山。わたしは自ら書いたものが例え誉められても嬉しくもおかしくもない。そのようなことが理由で掲示板を続けているのではない。
 掲載誌であれ著書であれ、自ら送ることはあっても、それが読んでいただけるものかどうかは分からない。そのようなことは強制すべきことではないからである。また、自身礼状を書くのは不得意である。従って送られて来ないことを願っている。どうあっても必要なら自費で購入する。ところで、今のわたしに必要な書冊は腎臓に関する本だけである。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月07日 03:25 | 固定ページリンク




菊坂さんへ2  | 一考    

 「あらゆる人間の行為」とは書いておりません。そこまで人は意図的には生きられないでしょう。わたしは書くという行為に限定した筈ですが。
 わたしは戦後世代で、根拠を問う世代に生れました。その残滓がさまざまな結果をもたらすようです。玲はる名さん宛の書き込みに記したようにネットの影響には畏るべきものがあります。
 仰有っての通り、文学にと云うよりも人の精神に深化はあっても、進歩や進化などないと思います。思いながらも、西洋の硬直化した弁証法的ものの考え方にはうんざりしています。あなたが示唆なさっている「期待と落胆の相克はどうもアミニズムの支配的な世界では生まれようもない背反だと思われる」は大旨正しいご意見だと思います。ただ、今の日本がアミニズムの支配する世界だとは思っておりません。「くっきりとした何かの傷」とあなたは表現なさっていますが、誤解を懼れずに申しますと、世の中を正邪に色分けするキリスト教文化の謂いではなかろうかと思います。
 わたしにプリズムを求められてもそれは不可能です。わたしに与えられた材料は作品だけです。作品のなかに秘められた痕跡ないしは傷跡のようなものからイマジネーション(すなわちプリズム)を働かせるしかないのです。こう申しては失礼ですが、その傷跡が今のわたしには見えて来ないのです。わたしの虹彩の能力が失われているのかもしれません。いずれにせよ、「粗い」とのお言葉は甘んじてお受け致します。
 続同人誌と違って、続々同人誌は随分と風通しがよくなっているように見受けられます。三島由紀夫やユイスマンスの小説にあっては、文中にいきなり続々同人誌に書かれたような内容が紛れ込んでいます。あれもひとつの方法論かと思います。契機は衝動で結構、ただ、書いている内に衝動で済まないものが育まれてくると思うのですが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月06日 22:18 | 固定ページリンク




続々同人誌  | 菊坂澄江    

あらゆる人間の行為に根拠が必要であるのかどうかという問いが立てられると思います。これこそどの行為に根拠が必要で、どの行為に根拠が必要ではないのかということになってしまいます。それは異常と正常の線引きがあいまいだとおっしゃるのと同様のロジックです。粗すぎるでしょうか。ベケットのような作品が日本で出るのは50年早いとおっしゃるのならば、文芸は進歩するというか或いは破綻へ向かうのかということでしょうか。リヒャルトシュトラウスは、その時代もうすでに古臭いといわれる作曲をしており、同時代には顧みられなかったようですが、寧ろ今は受け入れられているということもあります。何が言いたいかと言いますと、つまり、作り手の意識だとか、受け手の意識だとかは、一定ではないということだと思います。作り手の意識、ここでいう根拠はそれほど絶対的なものではないということを申し上げたいのです。なにがしかの理由をつけることは、何か作るときにはある程度必要かもしれませんが、それに世界が拘束されるとはどうも思えないのです。何がいいと感じるかは、ほとんど偶然と言っていいかもしれないと思えるのです。わたくしはベケットのような作品は、日本では50年たっても生まれないような気がします。なぜかと申しますと、あの期待と落胆の相克はどうもアミニズムの支配的な世界では生まれようもない背反だと思われるからです。それほどにくっきりとした何かの傷がないと書かれないものだと思われます。わたくしにも大きな傷はありますが、あのような世界を書かねばならないかどうか、今のところ必ずしも追随する必要も感じません。今後はどうなるかわかりませんが。だからと言って極端にホームドラマを書いていると受け取られるのは、粗いと思います。やはり白光の世界もプリズムを通せば赤外線から紫外線まで別れるように幅があると思われます。渡邊さんのおっしゃり方はわたくしには何か無頼派文士のあり方を思い出させます。仮面紳士的にふるまおうとは思いもよりませんが、それでも、自分というものをさらけ出すというのは、わたくしには出来かねることのようでありながら、やはり出てしまっているところはあるのだと観念しております。わたくしは自分からきっぱりと自己表現をしようという意図は持ちませんが、自分の意図は裏切られるものだということぐらいは感じてもいるのです。ところで、わたくしは書きたいから書くという以外のことはあまり申し上げられないという気がしております。何か衝動のようなものを感じて書くというのはおかしいでしょうか。天才肌でもないのに滑稽かもしれませんが、理由をつけてもその理由から乖離してゆくだろうことは、推察可能と思われます。


投稿者: 菊坂澄江      日時: 2010年07月06日 11:26 | 固定ページリンク




玲はる名さんへ  | 一考    

 食べ物が不自由になったひとを見舞うに食べ物はないでしょう。
 昨今、ネットの影響によって書くという行為に理由が必要でなくなりました。それがよいことがどうか疑問があるのですが、間違いなく新たな方式と視点が生れつつあるのは事実です。かなり前のことですが、黒瀬さんと話していて、方法論といえば、携帯小説ほど方法論に彩られたものはありますまい、この辺りで恋愛を持ち出して、この辺りで失恋を持ち出して・・・これにはわたしは絶句致しました。しかし、考えてみれば方法論それ自体が新たな方式、新たな視点を内包し、わたしが思う方法論は既に過去の遺物で、冗談にすらならないのではないかと。
 さて、玲さんの作品、といってもわたしが評する作品数はあまりにも寡ないのですが、その作品には間違いなく情念が濫れています。だからこそエッセイを認めたのですが、あのような魂がけぶれるような作品がその後現れませんね。念の為に云っておきますが、傑作というのは計算尽くで生まれるものではありません。多分に偶然性のお世話になるものです。それ故、偶然の機会を生かす心構えが常に必要になります。自分の意識は決して世界の中心にはなりませんが、意識することによって、偶然を利用するのは可能です。偶然を丸め込む、自家薬篭中の物とする。それも立派な方法論なのですが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月06日 06:14 | 固定ページリンク




菊坂さんへ  | 一考    

 異常と正常の概念自体が入れ子構造になっていると思います。なにが異常で、なにが正常なのか、そこに線引きができるようなひとがいるのでしょうか。これはブルトンやジュネについて書いたときに明らかにしたように、相剋する概念というのは非常に珍しい概念ではないでしょうか。ブルトンに云わせると、相剋しあう概念が相剋しあわない至高点がどこかにあるようですが、ブルトンが証明として持ち出した概念に相剋しあうものはひとつも御座いません。花田清輝の楕円の思想にせよ、林達夫の庭園としての弁証法にせよ、それらは対局主義に薄化粧をあるいは厚化粧を塗りたくっただけのはなしで、わたしにとっては新規なものなどどこにもないのです。だからこそ、先項で書いた「書き手の根拠」を問題にするのです。林達夫の弁証法にはなんら興味が持てないのですが、彼の「共産主義的人間」には書くという行為の根拠がしっかりと描かれています。
 わたしはベケットが書くような作品には惹かれますが、あのような作品が日本で生まれるにはまだ五十年早いと思っております。ベケットの作品は根拠と疑問の繰り返しのなかにかろうじて屹立しているような作品です。
 「不満の捌け口」と書きましたが、内的体験でもかまいません。「内心はアンビバレンツに晒されて」いるとか、ならばその不安定な心情そのものを不安定に描いてくださるまいか。書くものが結果として妄想になろうが、狂気の衣を被っていようが、いかなるホームドラマよりも素敵な作品になると思います。あなたの綱渡りに興味はありません。作品だけがあなたとわたしを繋ぐカラザです。繰り返しますが、綱渡りが破綻してゆく様を読みたいのです。小説らしく取り繕った作品を読むのであれば、世の中に掃いて捨てるほどあるではありませんか。

 わたしは病いに罹ることによって、自身に忠実に、さらに申せば悪意をもう少し前面に出そうと思っております。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月06日 05:14 | 固定ページリンク




無煙たばこ  | 一考    

 5月18日発売のゼロスタイルをやっと購入できた。かぎたばこを応用した無煙たばこで、幹郎さんに云わせるとスコットランド行きの機中で重宝したとか。電子煙草はいくらでもでているが、咽むのが水蒸気では焦れったい。かぎ煙草とはよいところに目を付けたものである。
 それにしても、入手が難しい。赤坂の煙草専門店では十個ほどしか手に入らないそうである。予約で半年は詰っているそうな。その煙草屋の主人からセブンイレブンを探せばと云われて、店の帰り途、十一軒目でやっと遭遇した。販売は都内だけで、都心部はすぐ売り切れる。わたしが購入したのも六号線沿いの中川大橋の手前だった。次はカートリッジの購入である。パイプにはカートリッジが二つしか添付されておらず、二日で吸い終わってしまう。ゆうパックの遅配同様、JTにしては準備不足でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月06日 04:04 | 固定ページリンク




続同人誌  | 菊坂澄江    

渡邊さんが腎臓なら、わたくしはさしづめ脳です。脳というのは体の中枢ですが言語野でもありますから、そこのところをうまく言い分けることはできません。わたくしは異常なんで、異常でない様に書いていると言えるかもしれません。そういう意味では、不満の捌け口をわざわざ隠しているように感じられるかもしれません。それはわたくしの弱さに通じると思われますが、内心はアンビバレンツに晒されております。わたくしは前の二作をお送りしましたときには、こっぴどく何か言われることは覚悟しておりました。ただ寧ろおっしゃらないというところに、反感があるのだと思っております。それは感得しております。その興味をもたれない種類の小説だということだと思われますが、小説そのものに興味を持たれてはいらっしゃらないのか、いや、そういうことじゃないのでしょうが、渡邊さんの前に誰が自信などもてましょうか。わたくしの脳は異常なので、そこに拘っているのであって、二重三重の複雑な思いは理解されないものと思ってはおります。妄想的な何かを書けば脳についてなにがしか書いたということには単純にはなりますまいが、わたくしが異常を隠しているようなのは、わたくしの内心としては綱渡りなのです。このことはわたくし個人においては特別な立場なのです。やはり先人は病気ではないので『妄想』などと題したということもできると思います。でもやはり正しい狂気に憑かれているという風にわたくしなどは感じてしまうのです。わたくしは不用意に文芸学の徒に勘ぐられることを避けているだけかもしれませんが、わたくしがおかしいということは知られていても、わたくしの小説様のものがおかしいと言われないようにしている、けれどもホームドラマではない何かを書きたいという思いもあるのです。まさに綱渡りなのです。御託を並べてしまいました。わたくしは脳が悪いのです。これだけでもう薄気味悪いものをお感じになられると思います。これはわたくしの特殊な立場です。不満がないわけでは全然ないことはおわかりいただけるとは思いますが、小説に不満を反映させているかと言うと、単純にはそうは言えないということになります。小説というジャンルをやはりわたくしは好んでおります。ただ病んでおりますところは脳ですから。とくに言語に観念的にかどうか知れませんが、傾いているのは確かかもしれません。どうも失礼いたしました。やはり人には隠された思いがあるのだと思っております。病んだものからすると、普通のものは美しいのです。ほとんど送るなと言われているようなものですが、お送りするかもしれません。まだ決めかねておりますが。


投稿者: 菊坂澄江      日時: 2010年07月06日 03:20 | 固定ページリンク




おじゃまします。  | 玲はる名    

一考さんの考えていることがなんとなく分かるので本ができてもお送りするのに躊躇するんですよね。前回の[sai]が出たときは結局僕は送ることができずに、黒瀬くんが僕が送っていないのを知って、焦って送ってくださったとか。僕は未だに送るのに勇気がなかなか出ません。黒瀬くんは強いんでしょう、たぶん。3号ができたので近日送ります。まあ、初対面の頃は、声をかけるのも躊躇したぐらいですから、あの頃からすれば随分勇気は振り絞っています。今、お酒が飲めないのでそちらにうかがえないのです。客にすらなれないという。めんもくない。

詩と短歌の発生の前後の話、前にもお伺いしましたが、今回の記事の方がより理解しやすかったです。定型ありきではないという話ならば共感できます。僕は未だに定型がなんなのかよく分かりませんが、少なくとも自由と定型は対立点ではないと考えています。ああ、余計なことを書いてしまいました。ごめんなさい。というなら書くなといことなのですがやっぱり書いてしまいます。

一考さんは食べ物がたべられないのでおみまいに何を送っていいかよくわかりません。アイスクリームがお好きだけど、それも食べれないとなると想像させるのも申し訳ないと思うのです。ごめんなさい。というなら書くなということなのですが(以下同文)


投稿者: 玲はる名      日時: 2010年07月06日 01:01 | 固定ページリンク




フルーツの再利用  | 一考    

 書き込みに対してmoonさんから林檎シャーベットなるメールが送られてきた。

 http://cookpad.com/recipe/290226

 この donchanさんのホームページならびにブログには役に立つ記事が多い。わたしも参考にさせていただく。フルーツ罐詰の汁を捨てていたが、もったいないことをしてきた。いろいろと考えつくものである。下段はパン。

     http://donchans.exblog.jp/tags/%E5%86%B7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%83%87%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%88/

http://donchans.exblog.jp/tags/%E6%89%8B%E6%8D%8F%E3%81%AD%E3%83%91%E3%83%B3/


投稿者: 一考      日時: 2010年07月05日 22:49 | 固定ページリンク




菊坂澄江様  | 一考    

 当掲示板で翻訳以外の小説を頌めたことはほとんどないと思います。翻訳にあってすら、原作についてあれこれ書くのは差し出口になるらしく、今後言祝ぐのは短詩系に限ろうかと思っております。翻訳とは純粋に技術的な問題もしくは言葉に対するセンスの問題です。ところが、わが国にあっては、ブルトンやバタイユが訳者に乗り移るらしく、取り憑かれたように向きになる方ばかりが目につきます。物の怪や悪霊はそちらの筋に任せるとして、そこまでして文学という鵺にしがみついていたいのかと呆れております。
 短詩系は短歌の歴史は詩よりも古いなどという能転気なお題目を唱える莫迦が過多を占めます。太初に定型ありき、などともし本気で思っているのなら、無知曚昧も極まれりというところでしょう。ところが、道理にくらい筈の人が著す作品がたまさかきらっと輝くものを内包しているときがあります。もっとも、それは輝きを示唆した人の栄に属することで、原作者が莫迦であることはなんら変わりません。原作者が与り知らぬところにまでイマジネーションの羽先を延ばすのは徒か悪意、いずれにせよ、それから先は読み手の世界のはなしです。
 高見順が魂ではなく胃だと看破したように、おそらく文学は言葉の問題でなく、自らの体内に属する問題だと思うのです。さしずめわたしなら魂でなく腎臓だと叫ばなくてはなりませんが、ことほど左様に文学と肉体は不可分のものなのです。そしてそれらを結ぶカラザのようなものをわたしは情念と名付けています。
 ストーリーがあって、主人公がいて、情景描写があって、心理的起伏があって、時間軸が絡み合ってなどという作品の表層にわたしはなんらの興味も持たないのです。興味があるのは、なぜ書くのか、なぜ表現するのか、なにに向かって書くのかといった書き手の根拠のようなものなのです。言い換えれば、充足している人、不満を抱いていない人の書き物にはいささかの興味もありません。不満の捌け口(情念)が顕れているとお思いでしたらお送り下さい。
 きっとわたしより、読み手としてもっと相応しい方がいらっしゃると思います。どうかよろしく。

 プロバイダは変わりましたが、メールアドレスは過去のままです。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月05日 22:15 | 固定ページリンク




同人誌  | 菊坂 澄江    

29号、30号とお読みいただきました同人誌ですが、この度31号がやっと日の目を見ます。いろいろございまして随分発行が遅れました。掲示板によりますと、新居に移られた由、書籍類もだいぶ処分されたご様子ですが、そのようなところへお送りしてもよろしゅうございましょうか。ご体調は拙作をお読みになった時、噴飯ものだったりしたら大丈夫でしょうか。メールに接続できず、このようなところに書いております。よろしかったらお送りさせていただきたいのですが。


投稿者: 菊坂 澄江      日時: 2010年07月05日 04:17 | 固定ページリンク




北海道旅行延期  | 一考    

 天候不順のため北海道行きは延期することにした。九月の連休を利用しようかと思う。九月だと海胆丼は食べられないが、巴丼なら食べられる。そして五月と九月は花が咲く季節である。特にサロマ湖の珊瑚草が美しく色づく。
 理由はもうひとつ、いよいよ歩かれなくなってきた。駐車場から赤坂までの帰りはともかく、行きすら休憩を挿まないと無理になってきた。おそらく気温のせいだと思うが、疲れがどんどん深くなってくる。防ぐ手立てがなにもないので困惑している。

 食物についてひとこと。澱粉と油以外の食品には欠かさず蛋白、カリウム、ナトリウム、リンが這入ってい、それらを完全に除去するのは不可能である。フルーツの罐詰にしても、生よりは若干カリウムが少ないというだけで、決して安全なわけではない。そのことは逆に云えば、食べていけない食品はない。問題は食事量をいかに減らすかである。
 例えば、林檎や梨やメロンにしても、一切れか二切れ、葡萄なら三、四粒なら許容範囲に収まる。そこで問題になるのは一切れ食べた後の林檎の処理である。危険なものを毎日食べるわけにはいかない。結果、破棄する食品が急速に増え続けることになる。戦後の困窮世代に育った身ならば心苦しく思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月02日 16:46 | 固定ページリンク




辛口とはなんぞや  | 一考    

 利き酒で必要なのは甘味、苦味、酸味、塩味、うま味の五基本味で、辛味は痛覚ゆえ味覚には這入らない。ところが辛口の酒とよく云われる。辛味と辛口は一緒にできないが、それにしても酒の世界に於ける辛口とは灘の酒についてのみ云えることで、一般的でない。理由は当掲示板で何度も書いてきたので繰り返さない。
 ここまで書いて掲示板を検索するも出てこない。よって簡単に繰り返す。灘は江戸へ酒を運ぶ港として栄えたが、それならいっそ蔵元を灘へ持ってきた方が便利と、伊丹と池田双方から徐々に蔵元が集まってきた。ひとつの街に味の異なる二種の地酒が同居することになった。そこで菊正宗や剣菱のような伊丹系列の酒を辛口、日本盛のような池田系列の酒を甘口と呼称するようになった。もともと酒はことごとくが地酒であって、地酒に甘辛はない。地酒はその地域固有の味を持っているだけである。ところが灘だけが二種類の地酒を内包するに至った、以上が甘辛二種の酒が存在した理由である。従って、灘以外の酒を甘口、辛口と識別するのはナンセンスである。
 モルト・ウィスキーもスコットランドの地酒である、よって甘辛の概念は通用しない。余談だが、客の大半は辛口を所望するが、辛いと思われるであろうアイラやアイランズの酒を出すと決まって不味いという。そこでスペイサイドのストラスアイラやグレンキースのようなフルーティーなモルトを出すと旨いと仰言る。わたしの舌では新潟の酒は淡麗甘口ばかりである。ところが大半の客はあれが淡麗辛口だという。淡麗な辛口なんぞ存在するわけがないのだが、コマーシャルを見ていても、言葉だけが独善がりに躍っている。ピート香とヨード香が一緒くたにされているのと同じである。
 五基本味の確認は味が薄く付いた溶液と無味の蒸留水を識別するところからはじめる。モルト・ウィスキーも蒸留所の違いにチャレンジする前に準備運動が必要である。五基本味の識別がしっかり出来るようになってからだとわたしは思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月01日 14:09 | 固定ページリンク




JRS  | 一考    

 麹町の駐車場で鍵の閉じ込み。JRSへ電話をしたところ、約十五分で小さなツールバッグを持ったスクーターが現れた。ピッキングに要した時間は五分ほど、当然のことながら無料である。以前、ときとうクリニックで閉じ込みを経験したが、15000円取られて一時間は掛かったと記憶する。念の為、車種と年数をいったところ、例えアメ車でもインプレッサと同種の鍵なので、五分でピッキング可能と云われた。一時間掛かったと食い下がったが、笑っている。最近のキーは複雑で、それでも十分もあれば開くらしい。ピッキングに一時間も費やしていたら商売にならないと云われた。どうやら我々は引っかけられたようである。
 それにしても素早く、段取りがよい。JAFとの営業規模の違いが如実に現れた、駐車場での出来事だった。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月29日 20:06 | 固定ページリンク




海鮮丼  | 一考    

 イクラを食べて大丈夫かと訊かれた。大丈夫ではないだろうが、いさきの刺身はポン酢で、焼き魚は塩抜き、醤油抜きで頂戴した。海鮮丼は当然醤油抜きで山葵だけ。刺身はなにか付けないともみないが、海鮮丼はなにも付けないでも問題はない。わたしなりに食べ方には工夫をしている。最近は刺身が多いので、土佐酢を重宝している。刺身には刺身醤油と云った常識は拙宅では通用しない。
 馬鈴薯を揚げれば塩を振りかけたくなるので、わたしは馬鈴薯にパン粉を付けて揚げるようにしている。そうするとケチャップでおいしく頂けるからである。この澱粉と油のお陰で栄養失調にならずに済んでいる。一月に一回だけだが、ビーフカツレツなども楽しんでいる。なにしろ、食べる量が極端に減っているので、少々危険なものにも手を出している。イクラ入りの海鮮丼は結局二日にわたって食することになった。ナトリウム、カリウムは規定内で収まっている。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月29日 03:23 | 固定ページリンク




シルバーシート  | 一考    

 店はクーラーが効いている。25度を超えるとわたしが危なくなるからである。土曜日、清水弘子さんが連れ立っていらしたが、クーラーが効きすぎている、即刻切れとのお達し。幹郎さんが席を替わってくださったので、事なきを得たが、これから同様の問題は起こる。
 奥の三席がもっとも稼働率が高いのだが、この三席は冷房が効いていない。クーラーは強力なものを設置しているが、ちょうど死角になっている。そこで、奥の三席をご老体もしくは女性のためにリザーヴしたい。常連客は入り口の四席をご利用いただきたい。勝手を云って申し訳ないが、わたしが失神すれば営業は停止である。席がどうのこうのと云ってられなくなる。
 どうかご協力をお願いしたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月28日 19:45 | 固定ページリンク




道東は猛暑  | 一考    

 二十センチほどのいさき(伊佐木・伊佐幾・鶏魚)が売っていた。千葉に倣って伊先とする。腹部が張っていて、魚体は絞まって堅い、実に旨そうないさきだった。半身を刺身で残りは塩焼きにすべく下ろしていただく。値は四百八十円。
 それと併せて海鮮丼も購入。三百八十円から千円まで三種類あったが、どうせ一度では食べ切れないので、千円のものを買った。生ウニ、海螺貝、帆立、甘エビ、烏賊、イクラ、蟹、サーモンが乗っかった豪華な丼である。ひとわたり食べたあとはいさきの海鮮丼にするつもり。
 焼き魚だが、焼く直前に塩をふる。ふり塩は精製塩や食卓塩は避け、必ず粗塩を使用。火力は強火の遠火。一番大事なことは裏返すのは一度だけである。それさえ守ればまずまずのものが出来上る。
 それにしてもリッチな日曜日になりそうである。聞くところによると道東を中心に気温が上がり、北見や帯広など十五箇所で気温35度以上の猛暑日となったらしい。足寄で37.1度、北見で37度、上士幌で36.6度、三十年ぶりの真夏日が続いている。これでは北海道旅行はできない。行く先々で昏睡状態の繰り返し、誰やらさんではないが、この歳で失神旅行でもあるまいに。いとせめて、冷房が効いたわが家での海鮮丼となったわけである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月27日 15:30 | 固定ページリンク




酒は変わるもの  | 一考    

 マッカランの利き酒会はサントリーの好意になるもので、参加費用は無料です。従ってモルト会ならびに一部の常連さんだけで催す予定です。ですぺらモルト会は体調が戻るまでお休みですが、体調が戻るわけもなく、洗い物をしてくださる方が見付かれば再開したいと思っています。今日も某女性客からどうなっているのかとのお訊ねがありました。気持は逸るのですが、こればかりはどうにもなりません。
 モルト会は催していませんが、最近はそれに準じた日々が多くなっています。今日は幹郎さんたちがいらしたのですが、前述のマッカランの新旧ヴィンテージ違いを飲み比べました。十年前に責任者が変わったのですが、その前と後ではまったくの別物と云ってよいぐらい、香味に差違が生じています。大きな理由はカスクの提供元が変わったということなのですが、わたしはそれだけとは思っておりません。アイラモルトは特に香味の変化が激しいですし、キャパドニック、トミントール、ベンリアック、ベンローマック、アバフェルディ、オーヘントッシャン等もこの数年で随分と酒質そのものに変化がありました。ラフロイグやボウモアやブルイックラディのように旨く化けたモルトもあれば、アードベッグのように小首を傾げたくなるものもあるのです。嗜好品相手に好き嫌いを云ってもはじまりません。過去にもモルトは変わってきましたし、これからも変わり続けてゆくのでしょう。香味に変化があればその変化を楽しむべし、というのがわたしの、ですぺらの方針なのです。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月27日 04:48 | 固定ページリンク




チクロ  | 一考    

 飲み物にせよ、食べ物にせよ、かつての駄菓子屋の品揃えには自ずと限界があった。例えば、飲み物ならラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯もしくは冷したもの、それにジュースぐらいなもので、家庭では粉末の渡辺のジュースの素が全盛だった。冷蔵庫のない時代で、冷えた水だけでも立派な飲み物だった。歴史は古いのだが、市販の炭酸水(いまで云うソーダ)はウヰルキンソンだけで、圧力タンクにドライアイスと水を加えて振り回したものを飲み屋は使っていた。ソーダサイフォンの業務用と思っていただければよい。ビールのサーバーと炭酸のサーバーが並んで設置された店は福原でも十軒となかった。世はあげてハイボールの時代、1956年のはなしである。
 ちなみに、バャリースの発売は50年、ウヰルキンソン・タンサンは51年からだが、庶民の飲み物でなかった。粉末ジュースは砂糖と比して安価な人工甘味料(主としてチクロ)を原料として用いていたので安かったが、69年以降は使われなくなった。さしずめわたしなどはチクロ少年で、三度の飯は喰わずとも、渡辺のジュースの素や春日井シトロンソーダを飲んでいたのである。

 振り返るに現今の自動販売機の前に立って、わたしは常に迷う。種類が多すぎるのである。かつてチョイスは寡なかったが、十分われわれは満足していた。この満足というのは註釈が必要なのだが、その内容を問うのが目的ではないので、先へ進む。
 先日、友と語らっていて、学生運動の某闘志にはなしは及んだ。聞くところによると、その闘志は学生運動の綱領を拵えるに澁澤龍彦の黒魔術の手帳に範をとったとか、週刊現代か週刊実話に掲載するようなエッセイからどこをどう拈れば学生運動の綱領が生まれるのか。雲を掴むようなはなしだが、60年代とはそのような時代だった。チョイスのなさは時としてとんでもないイマジネーションをひとに与える。逆に申せば、ひとから不満の捌け口(情念)を奪うには気が遠くなるようなチョイスを与えておけばよいのである。当然、それはお為着せの選択なのだが、構いはしない、気付く筈がないからである。例えば、ラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯がマルクス、レーニン、トロッキー、バクーニンであったにせよ、なんにせよ。要は迷わせることにあって、かつそれを気付かせないところに大事がある。
 まつりごとのガス抜きとはそのようなものだが、知らずに乗せられている人々とまつりごとを執る人々、といった単純な図式でものごとは計られなくなった。かつて政治家たるもの世論ごときに惑わされはしなかった。それが今では世論調査に右往左往するようになった。チョイスを差し出す側がチョイスを受諾する側へ変身したのである。その場しのぎのマスコミが仕掛けた罠に政治家が搦め捕られたのである。既に日本の政治はバラエティと化した、謂わば寄せ木細工の変種であろうか。そのなかでも飛び切りの珍種が爺受けのよい小沢と婆殺しの管である。172億9700万円の政党交付金争奪戦は取り敢えず管に軍配があがった。久しぶりに狐と狸の化かし合いが演じられそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月25日 19:19 | 固定ページリンク




クーラー  | 一考    

 今度入居した四階建てマンションは不動産屋によると鉄筋コンクリートだそうだが、実体は旭化成のヘーベル(軽量気泡コンクリート)だった。「水に浮くコンクリート」で周知であると、先程クーラーの設置に来た電気屋さんから教わった。コンクリートだと穴開けに一万五千円掛かるが、ヘーベルなら無料とのこと。言葉通り、二、三分で深さ十センチの穴がいとも簡単に開いた。近頃は高層マンションにもヘーベルはよく使われているが、なるほど細工にいろいろと便利である。
 わたしは成人してから七度転居しているが、その度にクーラーを購入している。昔はなんでこんなに五月蠅いのと思うほど、騒がしかったのだが、今回のそれは風切り音のみ、傍で騒いでいるのはパソコンのモーター音である。
 クーラーのお陰でむくみと痒みが少しはましになるかと思っているのだが、家にいる限り失神からは逃れられそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月24日 19:35 | 固定ページリンク




辛み  | 一考    

 モルト・ウィスキーにはタリスカーのような胡椒系の辛さとダルユーインやピティヴェアックのような蕃椒系の辛さ、そしてクライヌリッシュのような辛子(マスタード)系の辛さを持つ三種がある。なかにはスプリングバンクのようなブリニー(塩辛さ)が売りのウィスキーもある。そしてウィスキーではないが、山葵という日本原産の香辛料もある。それらのうち、もっとも一般的なのはカレー粉やキムチに代表される蕃椒系の辛さだろうが、和食の場合は醤油に代表される塩の辛さでないだろうか。
 ところで、この塩っぱいを関西では辛いと表現する。塩っぱいの分岐点が気になって東海道に住む友人に片端から訊き歩いたことがあった。それによるとどうやら分岐点は三ヶ日あたりだそうである。三ヶ日の猪鼻湖の左岸と右岸で「辛さ」の概念が異なる。要は三ヶ日温泉と大崎では同じものに対する反応がまるで違うのである。片方では辛いと表現し、片方では塩っぱいと表現する。辛さの意味内容が若干ずれているのである。
 このはなしを進める前に、饂飩つゆについて一言云っておかなければならない。何度か書いたことなので、くどいと思われる方は飛ばしていただきたい。
 関西は白醤油もしくは薄口醤油を主として用いる。従ってつゆの色は薄い。関東では濃口醤油を用いるが、それにとどまらず色出しと甘味のために溜まり醤油を使うことが多い。従ってつゆの色は真っ黒である。
 それ以上に異なるのが出汁そのものである。薄口醤油は塩分が高くうまみ成分が少ない。そこで、荒節に雑節(サバ、ムロアジ、ウルメイワシ、マイワシなど)を加えて複雑なうまみを出す。一方、関東では臭みを消す昆布がなかったので、本節(荒節の熟成品)という黴付け鰹節をのみ用いる。アミノ酸、グルタミン酸、イノシン酸の含有率では関西に、香味のシンプルさでは関東に軍配があがる。
 いずれにせよ、竜野の薄口醤油と野田の濃口醤油という醤油そのものの地域性が饂飩つゆの東西の違いをもたらしたのである。現在では東西の饂飩つゆの境界は新幹線では三河安城、在来線では一宮といわれている。
 さて、関東では塩っぱいを辛いとは云わない。塩の辛さとは別に辛さの本命のようなものがありそうである。もっとも、香味のキャパシティは広いに越したことはないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月22日 11:16 | 固定ページリンク




むくみ  | 一考    

 梅雨入り直前にベランダに積み上げた荷物の整理が済んだ。取りも直さず、荷物の山と格闘なさった方に心底から感謝申し上げる。引越の前に周さんが荷造りより荷ほどきが大変と云っていた意味がよく分かる。あとは室内の整理だが、こちらは気長に当たるしかない。
 騒動の渦中、業務用の珈琲メーカーやビールサーバーが出てきた。生ビールのサーバーは捨て、ギネスのそれは嬬恋村へ嫁いでいった。それにしても、どうして拙宅に珈琲メーカーがあるのかが分からない。
 夥しい量の食器が嬬恋村の山小屋へいった。搬送に関さんは難儀なさったに違いない。インプレッサの後部席を倒して、屋根までびっしり積み込んで四回分はあった。そのはなしを幹郎さんがみすずで書かれている、ぜひ読み頂きたい。

 土曜日は足のむくみが酷く、店へ出たものの結局休んでしまった。歩かれずに、と云うことは車の運転すら出来ず、駐車場で三時間ほど足を叩いたり、揉んだり、摩ったり、最後は右足で左足を、左足で右足を蹴りつづけ、なんとか自宅へ辿り着いた。扇風機の前で濡れタオルを足に巻き付けるなど、兵役逃れの肺炎の図を思い起こす光景だった。車椅子は冗談のつもりだったが、まんざらでもないなと一人苦笑いである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月21日 13:25 | 固定ページリンク




錦の御旗  | 一考    

 日本ほど世論調査が繁く行われるところはない。しかもマスコミが直接行う世論調査ほどいかがわしいものはあるまい。にもかかわらず、大手メディアは粗雑なな世論調査の結果を錦の御旗にする。大衆がものを考えるときの規範とはマスコミそのものである。謂わばマスコミは大衆をどのようにでも手懐けることが可能なのである。
 マスコミにせよ、政治家にせよ、大衆の意をこれほどに意識した時代があったろうか。大衆の意に動じず、自ら思うところを述べ、行動するのがマスコミであり政治家でなかったのか。何人の策謀かは知らないが、世論調査なるものを新聞ならびにテレビ局は頻繁に試みる。一時期マスコミといわれるところに身を置いていたのでよく分かるが、マスコミは自分たちに都合のよい結果が表れた世論調査だけを公表する。例えば、小沢は辞めた方がよいとなったら辞めるべしとの世論調査ばかりを発表し、その高まりにマスコミは一喜一憂する。このような自主性を喪ったマスコミが世界のどこかにかつてあったろうか。二大政党制を打ち立てた彼の業績は誰一人として歯牙にかけない。
 マスコミの劣化は取りも直さず政治の劣化を齎す。そして劣化したマスコミが操作する大衆とは群れにしか過ぎない。大衆はばかにできないとよく云われるが、それは個として物事を考えなくなった人たちの与太とわたしは思っている。いま必要なのは一箇月間、新聞やテレビを中断することであるまいか。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月16日 07:54 | 固定ページリンク




マラソン  | 一考    

 宮城の横を抜け、半蔵門から新宿通を曲がって麹町の駐車場へ入いる。従って土曜日を除いて、連日マラソンの群れと出遇う。特に新宿通にはマラソン向けのスポーツセンターとやらがある。脱衣場とシャワーがセットになっただけのものなのだが、夕刻ともなるとあでやかなショートパンツに履き替えたひとたちがぞろぞろ這い出してくる。いまや、宮城の回りはマラソン人で押すな押すなの大盛況である。
 ここには大人や権威に対する怒りや反抗はない。マラソン人である以上はシリトーぐらいは読んでおけと云いたくなるほどに、平和で充足した表情が濫れている。誰が決めたかしらないが、全員が時計と逆回りにまわっている。一人ぐらいは時計回りに回る天邪鬼がいてもよさそうに思うのだが、絶えていない。
 先日も「群れ」で揶揄したのだが、どうしてこうも人は群れたがるのか。お陰で元赤坂の御用地の回りは静かになった。かつてはあちらにもマラソン人がいたように思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月16日 07:24 | 固定ページリンク




マッカラン利酒  | 一考    

 サントリーのご好意でマッカランの宵を催すことになった。ブランド・アンバサダーのロバート・ストックウェルさんをお招きし、各種マッカランを飲む。ニューポットからファインオーク、通常のマッカランまで、さまざまな酒齢のマッカランの利酒とロバートさんの蒸留所秘話を楽しむ。所要時間は二時間ほど。詳細は決まり次第発表致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月15日 22:50 | 固定ページリンク




シャコタンブルー  |   一考

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 七月二日金曜日の仕事を終えてから北海道へ行こうかと思っている。「ホテル雷電」で書いた蘭越のソフトクリーム、なぎさ食堂、ホテル地の涯が目的地である。そして出来れば中川町へも。
 最後の旅行になる可能性大なので、やはり車で行くことにする。釧路湿原から根釧原野、厚岸から霧多布を経て風蓮湖に至るさまざまな霧の匂いを腹一杯吸い込んできたい。今回はサロマ湖のキャンプ場にも泊まってみたい。やはり北海道は西端と東端に見るべきところが多い。 
 先日、グリーンランドのニュースを見ていてブルー・アイスを知った。説明によると「長年にわたる圧縮によって、内部の気泡がほとんどなくなった古代の氷で、赤系統の光を吸収し、青系統だけを反射する」ようである。積丹の海の青をシャコタンブルーというが、まるで解けた水でえぐられて、姿を現した氷床の峡谷と瓜二つだった。いろんなブルーがあるが、わたしが取り憑かれたのは日本海のそれも積丹の海の青である。


投稿者:   一考  日時: 2010年06月15日 13:44 | 固定ページリンク




車椅子  | 一考    

 増田さんから書き込みがないが生きているのかとの問い合わせあり。よって今一つ。
 腎不全とか透析は症状であって病名ではない。さなざまな病気から腎不全になって透析に至る。従って、個体差は著しい。そこで透析をなさっている方々のはなしを伺ってきた。透析のあとは疲労困憊で、百メートル歩くのがやっとの状態になるようである。駐車場との距離が一キロと聞くと、皆さんが歩かれないと応える。通常、透析は寝る前に施されるものだが、わたしの場合は透析のあとに仕事が待っている。山崎医師が透析しながらの仕事は無理だと仰有ってた理由が納得できる。
 ところで、駐車場の管理人と親しくしてい、サービス券を頻繁に頂戴している。先日、立ち話をしていて、毎日利用なさっているのだから夜だけの月極が可能かどうか上司に聞いてみると仰言る。一箇月五万三千円の駐車場なのだが、夕六時以降の利用なら二万五千円でよいということになった。家の駐車料金が六千円なので、併せて三万一千円になる。これなら廉い、廉いものの「百メートル歩くのがやっと」の言葉が引っ掛かる。いっそ車椅子で往復しようか。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月15日 12:37 | 固定ページリンク




蒲団  | 一考    

 一日に二リッターの水分を補給している。水もしくは烏龍茶だが、医師から云われたとおり極力摂るように努めている。従って、眠っていても二時間か二時間半毎に小用に立つ。小用を終えてすぐ眠られればよいのだが、そうはいかない。全体としての睡眠時間が長くなる理由である。睡眠時間というよりは蒲団に臥せっている時間が長いのである。蒲団と書いたが、蒲団は遣っていない。板間へ毛布を二つ折りにしてくるまって寝ている。身体が休まらないのでは、と人は云うが、身体を休める必要などどこにあるのだろうか。本当は寝心地のよい敷き蒲団を頂戴したのだが、蒲団を敷くスペースがどこにもない。このところ寒暖の差あり、夏物だが掛け蒲団を引っ張り出した。暖かいとやはり安心して眠られるようである。
 その小用だが、透析をはじめれば一気に水分制限に陥る。自力で用を足すことができなくなるからである。そうなると、一日にコップ一杯の水しか摂られなくなる。一日三度の薬の服用にコップ一杯の水は必要である。よって水分の補給はほぼ断たれる。透析の主たる目的は尿毒素の除去、すなわち水分の除去にある。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月15日 12:28 | 固定ページリンク




超末期腎不全  | 一考    

 めまいや失神発作などの脳虚血症状に困惑させられている。また、同発作を伴う不整脈はすこぶる危険である。それは分かっているのだが、因果関係が不明で、主治医も小頸を傾げている。
 先日、山崎医師と話していて腎不全の患者は造影剤が使えないことに気付かされた。脳のMRIを撮ろうかというところで気付いたのである。造影剤は尿として体外へ排出されるが、腎機能が痲痺しているために排出されず、それどころか一気に悪化するようでる。末期腎不全がさらに悪くなると超末期腎不全とでもなるのだろうか。いっそ即死なら腎不全も浮かばれように。買ってきた腎不全の本に即死に関する記述はなかった。
 いずれ死ぬのだから大部は平気なのだが、一抹の不安もある。はじめて革靴を履いたときにさぞかし足が痛かろうにと憶測する不安と同種の不安である。
 長生きしてもあと四年とか三年とか云われてはや十一箇月が経った。身体が負っているダメージは確実に大きくなっているが、まさか自分がこのような緩慢な死に取り憑かれるとは思ってもみなかった。人生とはある意味意外性の連続なのかもしれぬ。巧く表現できないが、あまり苦しまずに死ねたらなァと人並に思うこと頻り。
 もっとも輸血の際に生死の境は彷徨っている。ナオサンと語らっていて看護師からこっぴどく叱られた。面会禁止なんですよ、あなたは重篤なんだからと。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月10日 03:07 | 固定ページリンク




解決  | 一考    

櫻井さんとおっきーさんのお陰をもって無事送信できるようになりました。ありがとうございます。今まで認証を必要とするプロバイダをつかったことがなく、もたつきました。NTTは難儀ですね。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月10日 03:04 | 固定ページリンク




Outbound Port25 Blocking  | 櫻井    

メール送信ができない件、
送信ポートを587に
送信時 認証あり
に変更すればできると思いますよ。

理屈は
Outbound Port25 Blocking
http://ja.wikipedia.org/wiki/Outbound_Port_25_Blocking

スパムメール対策の一環です。


投稿者: 櫻井      日時: 2010年06月09日 15:14 | 固定ページリンク




メール  | 一考    

 フレッツ光に切り換えて困ったことが起きている。メールが出せないのである。どのようなシステムになっているのか分からないが、despera.comとso-netがどちらも応答しない。現在はメールは店からのみ送っているが、不便なことこの上ない。
 どなたかご教示いただければありがたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月09日 04:29 | 固定ページリンク




目鯛  | 一考    

 今日は目鯛をかってきた。各種辞書では眼鯛と表記されているが、なにかの間違いではないかと思う。メダイであってガンタイではない。メダイというのは関東、四国ではメナもしくはダルマ。福島ではアゴナシ、他にもタルメ、セイジュウロウ、メブトなどと呼ばれる。関西ではダルマが一般的。イボダイ科の海産魚だが、イボダイより体はやや細長く眼が大きい。背は照り焼き、腹は刺身で頂戴する。伊豆七島周辺の海域が主産地。旬は冬だが年中出回り、腹身の脂の乗りは絶品。
 カンパチより旨いことは請合う。その目鯛の腹身が売っていたのである。今日は他にも三和豆水庵の生湯葉、馬刺のユッケなどを買ってきたが、こんな日に限って店は暇である。こうなればわたしが片付けるまでである。

 年間七万頭処理される兵庫県の牛肉の内、僅かに千二、三百頭がAー5等級で、神戸牛のサーロインならグラム四千円を切ることはない。一人前二百グラムとして原価が八千円。レンガ亭のステーキが二万円からというのも頷けようか。元町の西外れに昔から神戸牛専門の肉屋がある。一番安いバラ肉のスライスがグラム千五百円。わたしが何を云いたいかというと、肉などというものは金さえ出せばいくらでも旨いものが喰えるということ。それと比して魚は神経質である。金数を積んだからといって旨いものが喰えるわけではない。顔と目と勘と運がものをいう。謂わば肉は成金趣味の食い物で、魚は食通の食い物といえようか。どれだけ元手を掛けてきたかが問われる世界である。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月08日 23:19 | 固定ページリンク




ニャア  | 一考    

 わたしは猫が大嫌いである。明石に家を借りたとき、前の借主の飼い猫と思しき猫が門前を立ち去らなかった。餌をやればお仕舞いと猫とわたしの根比べがはじまった。猫は日増しに衰えていく。最初は鳴いていたもののその元気もなくなったのか、恨めしそうな顔つきでわたしを眺めるようになった。ある日、酔っ払って帰ったわたしの足下で同じように猫も蹣跚めく、わたしの負けかなと思いつつ一本の竹輪を差し出すと、猫はそれを咥えてどこかへ消えた。
 次の日、宿酔の頭を叩きながら新聞を取りに玄関へ。愕いたことに、昨夜の猫が五匹の子猫を率えて一列に並んでいる。こいつ俺を騙しやがったと気付いたが、ときすでに遅し。わたしは一夜にして六匹の猫の飼い主にされてしまった。
 今回引っ越した三郷のマンションに白猫と黒猫がいる。白が雄で黒いのが雌である。わたしは大家でもある向かえの蕎麦屋の飼い猫かと思っていた。ところが、その気配はない。黒い方は実に馴々しい、朝ドアを開けるとニャア、深夜に帰ると起きていてニャア、揚句は隙があれば人の家に入ってこようとする。此奴、明石のときの繰り返しだな、俺は二度と詐欺には遇わないぞと覚悟を決める。
 そんな黒猫がある日突然にいなくなった。猫は犬と違って餌を求めて旅はしない。きっと空腹で死んだに違いないと思うと不憫になってくる。最後のニャアの日、本当はウインナをやってもよかったのに、と一抹の後悔すら覚える、別におまえを殺すつもりはなかったのにと呟きつつ、マンションの回りを探すもどこにもいない、死骸も見当たらない。マンションの住人はわたしだけではないと、自分に言い聞かせる。わたしは一番の新参者で、長く住んでる人もいる。猫の死は共同責任ではないかと言い聞かせ、わたしは肩の荷を下ろした。
 七日目、仕事を終えて帰ると何時ものニャアが聞こえた気がした。アレッと思っていると再度ニャア、あいつ生きていたんだと思うと嬉しくなって、こちらもニャア、周章てて家へ飛び込み、ウィンナを持って猫のところへ、隣の車の下に隠れていた。覗き込んでビックリ、子猫が四匹もいるではないか。なにごともなかったような顔をしてわたしはウィンナを隠す。あとは知らない、知ったことかよ。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月08日 12:38 | 固定ページリンク




私小説  | 一考    

 月曜にしては珍しくお客があった。ブラックアウトについて書いたので、おっきーさんと増田さんそれと素天堂さんが心配していらした。はなしが弾んで閉店は二時頃。最近は十一時半には店を閉めているので、久しぶりのロングランである。はなしが弾んでと書いたが、わたしの頭は終日ふらふらしていた。
 増田さんから「最近の書き込みは随分と変化したね、まるで私小説を読んでいるような」との指摘を受ける。それが分かっていただけたのは嬉しい。変えようと強く意識している。
 流石に減ってきたが、未だに本が贈られてくる。むかし編輯を生業にしていた時期があったからであろう。とりわけ詩、俳句、短歌が多い。しかし、著者の顔が伺える書物は寡ない。年に一、二冊あれば重畳。その理由は執筆に当たる気構えが著しく散文的になったことでないだろうか。顔が伺えないとは肉声がないということ、私としての情念が皆目見受けられないということにもなる。今こそ立ち帰らなければならないのは私小説ではないかと思っている。詩的な煌めきが私小説のなかにしかないとすれば、あまりに逆説に過ぎようか。この件に関してはいずれ詳しく。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月08日 10:05 | 固定ページリンク




ブラックアウト  | 一考    

 日曜日午後四時過ぎ、ふたたびブラックアウト。周さんとスーパーでの買い物の最中、燈台つぶと海螺貝の二種が入荷していたので、そちらに目をやった途端に立ち眩み、思わずそこに座り込んでしまった。立ち眩みでないことはすぐ分かった。周さんに簡略に事情を説明し、買い物を委ね、急いで車に戻る。スーパーの玄関口あたりで世界はすでに真っ白に変化し、行き交うひとの影もおぼろ。ここから先、車までの移動は覚えていない。あとの記憶は断片的である。
 三十分ほど寝ていたようだが、周さんによると全身の痙攣が酷かったとか。痙攣は記憶からまったく拭い去られている。それにしても、日中の移動は危険を伴う、これからの病院通いに不安が残る。
 繰り返しのなかから、ブラックアウトの予兆のようなものが掴めた気がする。気付いたときから失神までの間に三十秒ほどの時間差がある。この間に待避行動を取ればよいのである。三十秒のあとは、若干の意識はあっても視力が完全に奪われる。今回は体調が戻るのに十二、三時間掛かっている。こちらはどんどん長くなっているようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月07日 06:07 | 固定ページリンク




別れ際  | 一考    

 カラオケを合唱しましたか。とにかく梅木さんとは飲みました。十年分を一年で飲んでいました。三宮ではじめてお会いした日、ウィスキーが三本開きました。決めたわけではないのですが、以降お会いするたびに三本と決めていました。おそらく飲みつぶれるにはさらにボトルが開いた筈です。毎日一本半、二人で三本のウィスキーを一週間立て続けに開けたのを覚えています。しかし彼の病は酒の飲み過ぎですね。あれは気の弱さがなせる業だったと思います。ひとのことは云えませんが。
 一度難波ではりはり鍋を馳走になりました。その日も行きたいところがあればと云われて恵美須東の通天閣へ行きました。例の串カツ屋で気炎をあげたのを覚えています。酒を酌交わした別れ際の彼の淋しそうな顔が忘れられないのです。あれほどシャイで気配りの行き届いたひとはいなかったと思います。六月九日は三郷の空を眺めつつ彼を偲びたく思います。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月06日 10:39 | 固定ページリンク




梅木英治さん  | クマーラ・キシオ    

一考さんと間さんの出会いを拝読して、1992年10月25日の写真を探し出しました。梅木さんの画集『最後の楽園』の出版記念をするために、大阪鴫野のBarキメラギュヌスでイベントを開催したことがあります。私と梅木さんが組んで二頭の像の踊りをご披露しましたが、そこに一考さんがいらっしゃってカウンタ越しの背後に梅木さんが写っています。確かこの時お二人で仲良くカラオケを合唱されたのではないでしょうか? 一考さんが拙宅にお泊りになったのがこの日だったのか、1994年2月20日のタルホナイトの日だったのか定かではありませんが、一考さんが難波の道具屋筋で買われた「たこ焼き器」を一式ぶらさげて梅木さんと一緒に朝恐縮しながら帰られたのを覚えています。梅木さんが亡くなられたのは昨年の6月9日でしたが、6月6日に堺の近大病院にお見舞いに伺った時「いよいよ最期ですわ」と開口一番おっしゃったのが今も心に残っています。『最後の楽園』の出版記念の写真をご覧になって「一番ええ時やった」と懐かしんで下さいました。この時、写真に写っていた一考さんのことを「今どうしておられるのでしょう」と私が尋ねると、「神戸の震災後、東京でバーを開いている」とお聴きしました。6月20日に梅木さんの一周忌を堺のご自宅で弟の勇治さんと、梅木さんの古い友人中島さんと行います。余命一年を殆ど誰にも告げることなく去っていった梅木さんでした。夏の空が大好きだった空を眺めつつ梅木さんのことを偲んでいます。


投稿者: クマーラ・キシオ      日時: 2010年06月06日 09:00 | 固定ページリンク




出版社  | 一考    

 佐々木幹郎さんの「旅に溺れる」が岩波書店から上梓された。題名、腰巻きの「死が降りてくるとき」からしてアナロジーに富んだ書物である。無線綴じだが、扉は本文共紙になっている。この本文共紙という造本のabcを守っている書物をわたしは見たことがない。現在では書肆山田の書冊だけかもしれない。さすが岩波と誉めて置こう。無線綴じは経費節減が理由だが、だとするならどうして扉だけ別刷りにするのか、まったく釈然としない。もともと扉を別丁にした理由は本文紙に安価な用紙を用いたため、せめて扉ぐらいはというところからはじまった。安価な紙であろうと高価な紙であろうとわたしが拵えた書物はことごとくが本分共紙である。
 東京というところは本分の組付けも天地が逆である。逆組をはじめたのは岩波だが、なぜに東京中の出版社が右に倣わなければならないのか、わたしには分からないことだらけである。逆組ゆえ、地がアンカットの本ができる。天は埃が積もるようにバラバラに拵えてある。これでは旧漢字歴史的仮名遣い(いい加減なものだが)が嗤おうというものである。わたしが東京で造った本は正組にしてあるが、これとて印刷所と擦った揉んだがあった。
 幹郎さんの「旅に溺れる」について書こうと思っていたが、それは次回に回すとして、腹に据えかねることだらけなので、今回はそちらを書く。
 先にも書いたが、無線綴じは経費節減が最大の理由である。ところがそのような書物に限って賑賑しくも懼れ多い装訂家諸君(装幀、装釘、装丁家か)の名が印字されている。十万だか二十万円だか知らないが、装訂賃を払うなら、それを削って糸縢りに用いるべきであろう。わたしならそうする。良心よりも銭という心ない装訂家と売れればなんでもかまやしないという営利至上主義の版元ばかりなのである。かくして数物出版の遣い捨ての本が罷り通る。
 当社は活版ですという、活版刷りとは云わない。その理由は活版組みから清刷を取る、あとはフィルムで起こして刷版を造る。直刷りしないものをいつから活版というようになったのか。直刷りすれば印刷費に活字代が加算される。これも経費節減が生んだ奇策であろうか。
 売れない本を限定にして金を巻き上げる。これも営利出版社の常套手段である。そのような出版社に限って普及版と同じ本文用紙を用いて特装本を拵える。これなどは恥じを知れといいたくなる。
 旧漢字歴史的仮名遣いなどというまやかしがある。旧漢字は日本国内だけでは揃わない。韓国、台湾、中国(とりわけ上海)の印刷屋の協力がなければ到底無理である。わが邦に残された旧漢字はごく僅かである。旧漢字で刷ろうとすれば活字を聚めるだけで二年は掛かる。それに挑戦したのは椿花書局あるのみ。
 また一部の限定版出版社は選ばれた少数者のために等といって無知蒙昧の輩の選民意識を掻きたてる。これなどゲッベルスの掲げたスローガンそのままではないか。さらに困惑させられるのは、そうした出版社を持ち上げる読者子がいるということである。好き嫌いはともかく、戦後、昭森社、書肆ユリイカ、書肆山田、季節社、湯川書房、小沢書店以外に良心的な書物を拵えた出版社があればお目に掛かりたいと思う。ことごとくは遣い捨てのマスプロ出版を一歩もでるものではない。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月06日 05:59 | 固定ページリンク




男前豆腐  | 一考    

 三和豆水庵といえば男前豆腐が有名である。京都の男前豆腐店と茨城の三和豆水庵の関係については検索していただきたいが、以前三和豆水庵の生湯葉を食して旨いと思った。その三和豆水庵の男前豆腐が売っていたのでさっそく購入した。噂だけのことはあって値は張るが、結構な商品である。旨い豆腐には醤油と鰹節は禁物であるとよく云われるが、本品も醤油をかけない方がおいしくいただける。なによりもウィスキーに合う。ウィスキーは食後酒で肴は無用だが、豆腐ならバッティングしない。生ハムと共に最良のつまみではないかと思った。来週は生湯葉と共に男前豆腐を店へ持参する。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月06日 04:00 | 固定ページリンク




終焉近づく  | 一考    

 先のことは分からないが、年貢の納め時がちかづいてきたようである。年内一杯は店の営業をつづけたかったが、どうやら不可能になってきた。幹郎さんと話し合ったが、精一杯頑張っても七月か八月までだろうとの意見だった。主治医はとっくに無理と断言している。今回の引越は無駄だったようだが、蔵書を処分するには段階を踏む必要があった。一挙に処分する気になられなかったというだけのこと。
 店を閉じれば神戸へ帰るしかない。神戸でなにをするかは決めていない。いずれにせよ、本も車も手放すしかない。余生はいくらか残されているので、できることを考えなければならない。閉店パーティーはしない、というか告知せずに黙って去るつもり。第一に多くの人に来られても疲れが酷くて対応できない。あと二箇月余、最后の頑張りをお見せしたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月06日 02:56 | 固定ページリンク




番屋  | 一考    

 流石に音をあげたくなってきた。思いを超えて病が進行しているようである。駐車場までの一キロが歩かれない距離になりつつある。このところ、コルセットを常時離せなくなった、それでもなお、うんうん唸りながら歩いている。今日は雨だったが、何時も歩く清水谷公園側の道は遠慮する。雨宿りするところがないからである。
 愈済なすべきことを片付けなければならない。来月念願の北海道旅行を計画している。間違いなく最後の旅行になる。危険な旅行になるのは分かっている。しかし、積丹をもう一度見たいと去年の七月から思い続けている。今回は走り回ることはできない、渡島半島と積丹半島だけでもよい、北海道の南端だけで結構。一穂が遊び耄けた番屋がもう一度見たい、そして紺青の海を。
 友に話したところ、付き添いなしで行くのはあまりに無謀だと云われた。しかし回りに免許を持った人はいない、そして病弱である。よって予定の立てようがない。体調と相談しながら一人で走るしかないと思う。その友は北海道で死ぬ気かと訊う。明日のことは分からないが、死地が北海道なら願うところ。覚悟は常にしておけ、決して狼狽えるなと、これは父の口癖だった。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月05日 04:19 | 固定ページリンク




アトリエ空中線  | 一考    

 昨夜は奥平晃一さんを囲む会だった。総勢五名、郡さんと共に間奈美子さんがいらした。未生響の筆名を持つ詩人である。彼女とは古い付き合いである。94年2月のはなしだが、彼女が主宰する「二月のタルホとメリエスの月世界旅行」との催しが大阪であった。梅木さんが踊るというので、わたしも出掛けた。なにやら挨拶をした記憶はあるのだが、なにを喋ったかは覚えていない。席に生田の奥方がいらしたので昔話をし梅田駅までお送りしたのはよく覚えているのだが。
 間さんはそれ以前に明石の拙宅へ見えられている。たしか彼女が第一詩集を上梓したときだと思う。この辺りの記憶が薄らいでいて申し訳なく思う。きっと生意気なことを云ったのだろう。にもかかわらず、彼女はわたしを記憶なさっていたようである。現在ではアトリエ空中線との特異なインディペンデント・プレスを営んでおられる。聞くところによると近く京都へ戻られるとか。なにひとつご協力できなかったのを残念に思い、申し訳なく思っている。

 奥平さんの会は昔話に花が咲き、楽しい晤語を過ごした。かかる飲み会ならいつでも大歓迎なのだが、わたしの体調は最悪だった。背中がぴりぴりする、これはブラックアウトの予兆である。愛子さんが手伝ってくださったので、なんとか無事に切り抜けることができた。愛子さんがわたしの愛人は孫の手だと云うが、その孫の手を握りしめたまま、店を閉めてから二時間ほど動かれなかった。食べられなくなり食欲は急速になくなりつつある。それに比例して覇気も失せつつある。家の片づけはさっぱり進捗しない。ベランダに荷物は積みっぱなしである。しかし、体調はそれを待ってくれない。兎にも角にも寝ること、それ以外にできることはなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月04日 23:27 | 固定ページリンク




群れ  | 一考    

 掲示板は詮無いもので、わたしなどは端から応答があるとは思っていない。(とど)の涎とか(とど)の祭りとかよく云ったもので、個人宛私信ならばひとは返書を認めるが、そうでないものは無視をする。わたしは私信すら屡々無視して顧みないが。
 人と人との関係は誤解の上に成り立っている。従って、応答を繰り返すうちに誤解が拡がって修復不能になる。こんな筈ではなかったが、三年前にあなたはこう云った等々、掛け違いは分かっていても面倒なので捨て置く、打っ遣た結果が破綻である。その点、虚無は完結でよい。虚無なんぞ持ち出された日にはそこですべては終了する。話し合う必要すらなくなってしまうのである。ところが、虚無について七時間喋り続けた例もある。
 徒し事はさておき、人はどうして群れたがるのか。話相手がほしいから、淋しいから、なにかしら刺激が欲しいから、なかには忖度から群れているひともいる。淋しいから群れるひとは一人になったときさらなる孤独に耐えなければならない。刺激が欲しいから群れるひとはなにか誤解がある、刺激というものは与えるものであって与えられるものではない。話相手が欲しくて群れるひとにも誤解がある、ひとはみんなてんでに自己宣伝をするだけで、ひとの話を親身になって訊くような構図は皆目見受けられない。関係というのは常に一方通行である。忖度から群れるのがおそらく一番多いケースだと思うが、云いたくても黙っている方が得策と判じ、大樹の陰で控えている。お零れにあずかる小動物のようなものである。待てど暮らせどお零れなんぞあろう筈がない。
 群れる暇があれば本でも読むことである。それも極力人が繙きそうにない本がよろしかろう。評価の定まった本は既存の評価に惑わされるだけである。無名の新人か、忘れ去られた作家ならまだ参入の余地がある。ひとが気付いていないメッセージを見付けられる可能性がある。わたしはそのようなメッセージを見付けてきて一人で北叟笑んでいるのが仕合わせなのである。その悦びをひとと頒かち合うつもりは毛頭ない。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月04日 04:45 | 固定ページリンク




連絡事項  | 一考    

 明日三日木曜日は奥平さんの貸し切りです。営業はいたしませんのでよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月02日 19:08 | 固定ページリンク




感慨  | 一考    

 新陳代謝の意は「新しい物が古い物にとってかわること」とある。そしてひとは二百万年の間、代謝を繰り返してきた。代謝それ自体に意味があるのかもしれないが、個々のものとしてのひとにさしたる意味があるとは思われない。ひとに限らないが、生あるものはことごとくが代謝される。永遠の命なるものは存在しない。このことはひとに悲しみを齎す、失意といってもよい。
 自死を薦めたことは一度もないが、存在やその本質である人生になんら意味は生じないというようなことを書き継いできた。もちろん、わたしはわたしの信じるところを綴っているだけで、他人がそれにどう反応しようと知ったことではない。ただ、わたしとお付き合い下さるひとは何等かの黙契乃至は諒解があるはずだと勝手に思っている。
 表現や行為には意図、理由、目的、折々の気持ちなど、要するに内容またはメッセージがこめられている。しかしながら、百万遍念仏を唱えようと存在それ自体に意味を与えることはできない。どこまで行こうが末の露、本の雫を一歩もでるものでない。ところが、多くのひとが短詩系文学は分からない、どのような意味なのだろうか、と問う。前述した意図、理由、目的、折々の気持ちなどを素直に受け取ればよいのであって、それ以上の意味を文学に求めてもなにも帰ってこない。
 意味のない人生を送っているひとが文学にのみ意味を求めるのはどう解釈すればよいのだろうか。意味のない人生から編み出されるものに、意味なんぞあろう筈もなく、ただ、身にしみて感ずるところがあればそれでよいではないか。詩歌とは感じ取るものであって、意味などという功利を求めるものであってはならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年06月01日 22:16 | 固定ページリンク




排水ホース  | 一考    

 洗濯機の排水ホースを周さんが変えてくださった、水漏れしているらしい。早速使ってみるがやはり水浸しである。よく見ていると下水から濫れ出している。下水管を掃除する道具は捨ててきた。相手はコンクリートの中、道具がないとどうにもならない。困ったものである。
 カルキ、水垢、髪の毛、理由はなんでもよろしいが、年月を経れば管は動脈硬化を起こす。虚無のよいところはそこにぽっかりと空洞の生じることである。虚無のあるところ、冷たい風が吹き渡る。凍えるような風かもしれぬ。しかし、わたしには生活必需品のように思われてならない。
 中井さんのピーマン嫌いは有名だったが、理由は中身がないということだった。虚無への供物の作者が云うようなことではないなと思って聴いていたが、彼によると虚無への供物はなによりもまず美しいものでなければならないようだった。ここには虚無と供物という弁証法があって、どうやら中井さんの夢見は供物にこそあれ、虚無にはなかったようである。されば、虚無は食べられないがピーマンは煮ても焼いても食べられる。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月31日 22:36 | 固定ページリンク




苟且の芸  | 一考    

 周さんに付き添っていただいて、水元公園を散策。途次、種村さんのことばかり思い浮かべる、「玉葱の皮剥き」について掲示板で触れたからか。初めてお会いしたのは私が二十歳の時、以来、虚無のはなしばかりしてきたように思う。最後になった対談(活字には出来ずじまい)も話題は虚無ばかりだった。虚無などと口にするとはなしはそれ以上進まない。青臭い感慨なのだが、どうも虚無からは逃れ得ない。この消息は横須賀さんとも同じだった。彼も名うての虚無好きで、おそらく酒や女よりも実体のない概念に恋い焦がれていたように思う。
 そう云えば、六さんの口癖も虚無だった。もっとも、彼の虚無は老子直伝の虚無のようで、「形状がなく、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞えない」という花も実もないところのものであった。虚無に花があるかどうか知らないが、マラルメの詩篇などはそれに近いものであるまいか。おそらく虚無が咲かせる花は美しいに違いない。だって、美とはそういう実体のないものだからである。
 周さんが一考の書く種村論も種村さんの書く一考論も、どちらも玉葱の皮剥きなのだが、皮の内側については一言も触れられていないと云う。中身がなにもないんだから仕方がないよと応える。・・・周さんは歳は若いけれどなにかしら「見ようとしても見えず、聞こうとしても聞えない」要は本質とか本性といったものの意味のなさを知っているように思う。好き嫌いといった売れ残りの弁証法を周さんは嘲笑う。そう虚無主義者には嘲笑しか残されていない。
 何時だったか文学はネトニミーだと書いたことがある。その置換のありかたにこそ、苟且の芸があるのではないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月30日 23:54 | 固定ページリンク




玉葱の皮剥き  | 一考    

 このところ意識の不確かさについてよく思う。自分のルーツとかアイデンティティとかひとは宣う。あるひとは才能を、趣味を、知識を、意識を、記憶を、持って生まれた性格を自分そのものだと錯覚する。しかし、ひとは手脚を失っても生きているし、記憶を失っても生きている。意識を失ってすら生き続けているのである。意識や記憶を自分と仮定するのは健康者が考えつく与太に過ぎないとわたしは思っている。自分を知るというのは玉葱の皮むきのようなもので、終着点はどこにもない。すぐれた文学というものはその終着点のなさを描き、玉葱の皮むきに精を出すことではないかとすら思う。ボードレール、マラルメ、ジュネ、ベケット、カフカ皆そうではないか。
 一篇の詩が革命をもたらさず、一篇の詩が何等の変革をももたらさないであろうことは分かっている。それでもなお、虚無相手のデスペレートな闘いは続けられる。その営みこそが文学だからである。「文学をやっています」と人は云うが、「虚無をやっています」とか「絶望をやっています」と人は云わない。云わないひとは「文学」と「虚無」とがどのような関係にあるのか、その辺りの消息に目をつむっているからである。
 詩歌を読んでいても世の中は欠損商品だらけである。況や詩歌を読まない読書人などあってはならない存在だと思う。何時から詩歌が等閑視されるに至ったのかはどうでもよい。等閑視して済ませようという個々の人の心根こそが問われるべきである。詩経を持ち出すまでもなく、文学は詩にはじまって詩に終わる。散文では表し得ない種類のシミリ、メタファー、ネトニミー、シネクドキ、アレゴリーに満ち溢れている。それらを理解し咀嚼する詩精神を養うことこそが読書人の唯一の務めであるまいか。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月29日 04:37 | 固定ページリンク




店で倒れる  | 一考    

 今日店で倒れた(斃れたたのではないからご安心を)。相澤さんが帰られて午後九時過ぎだが、突然眩暈がし意識が失くなりかけた。今日は出しなから体調は悪かった。ひできさんが来るのでないかとメバルの刺身を買い、何時もより慎重に運転した。十二分に気を引き締めていたのである。
 意識が持って行かれようとするのを必死に堪える。堪えきれずに混濁状態に入りかける。数を数えたり、頭のなかで念仏のように「あヽ麗はしい距離(ディスタンス)、つねに遠のいてゆく風景‥‥悲しみの彼方、母への、捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。」と唱える。目を覚まそうと何度もトイレへ行く。気を失いそうなので、ドアは開けっ放し。もしもの時は店にいらっしゃるひできさんとりきさんが助けてくださるに違いない。そして救急車、二人が呼んだようである。三名の救急隊員が店へ雪崩れ込んでくる。その頃には混濁状態からはいくぶん遠ざかっている。どうやら気絶せずに済んだ、ピアニッシモに助けられたようである。瞼の裏が白いとか血圧が低すぎるとか、緊急入院を薦める救急隊員には詳しく事情を説明し、お引き取り願った。
 失神にもある種のコツがあって、一歩手前で踏みとどまれるようになればよいのにと思う。それにしてもお二方には迷惑をお掛けした。御免なさい。

 夜風は冷たく気持よかった。身体の鈍重さとは正反対になんと風のさわやかなこと、きわやななことよ。確実にまた一歩死に近づいたように思う。明日は雨、終日家に引き籠もっていようか。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月29日 02:42 | 固定ページリンク




ルーター  | 一考    

 拙宅にはDHCP機能が付いたルーターと付いていないルーターの双方がある。要するにバッティングはしない筈である。「サーバー側で接続状態を管理し、トラフィック制御しやすくするというエンジニアの希望はわかりますが、ユーザー視点ではないですよね」とはおっきーさんのご意見だが、ユーザー軽視は昔からのNTTの社風である。これでよく会社が存続しているなあと思う。一度でもフレッツ以外の回線を利用したひとなら、二度とフレッツは使わないであろう。常時接続でありながら、接続動作が必要なシロモノを商品として販売するなど以ての外である。
 怒っていても仕方ない。NTTから送られてきたルーターのPPPが点灯していればよいのである。アナログ的なわたしならさしずめ豆球を買ってくるか、もしくは配線を変えてPPPを点灯させるしか思いつかない。なんの役にも立たないが。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月29日 01:51 | 固定ページリンク




櫻井さんへ  | 一考    

 NTTから送られてきた機器はPPPoE対応のルーターですが、それを承知でもう一台ルーターを入れました。結果は同じでダイヤルアップにしないと接続できません。なにか方法があるのでしょうが、わたしにはお手上げです。フレッツ光はそのようなものとして付き合うしかなさそうです。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月28日 03:52 | 固定ページリンク




フレッツ光  | 櫻井清彦    

↓の件、PPPoEでつながるんだったら、回線とパソコンの間にルータをかませばいいんじゃないでしょうか。


投稿者: 櫻井清彦      日時: 2010年05月27日 21:02 | 固定ページリンク




フレッツ  | 一考    

 引越先には光フレッツが引かれているので、それに入った。ところがブラウザ、メールソフトなどを立ち上げても繋がらない。いちいちフレッツ専用のアプリケーションを立ち上げなければ繋がらない。なんともはや面倒なことこの上ない。これからフレッツを引こうと予定なさっている方はやめたほうがよい。しかも添えられたCDからインストールされるアプリケーションはOS9専用で、OSXのものは用意されていない。PPPで繋がりはするが、しばしばトラブルが発生する。要するにフレッツはマックのことはなにも考えていない。最悪である。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月27日 20:08 | 固定ページリンク




八年七月  | 一考    

 引越してからは刺身三昧だが、食事制限はともかく、ナトリウムやカリウムの総量規制はきちんと守っている。八年七月の血液検査では尿素窒素が22.8、クレアチニンが2.25である。尿酸は9.2、中性脂肪は306、血糖は127と当時の食生活の内容を如実に表してい、危険な兆候だらけである。しかして一年後には尿素窒素51.5、クレアチニン6.55に一気に跳ね上がっている。
 去年の靭帯剥離骨折の前、顛倒事故を起こして足の調子が思わしくなく主治医の元を訪れた。その際の診断が痛風、ビールの飲み過ぎと鯣の食べ過ぎが祟ったようである。八年七月の段階で食事制限に這入れば発症を遅らせるのは可能だった。それでなくても腎結石との爆弾を抱えていた、すべては後の祭りである。
 引越で父の写真が出てきた。一心不乱に大車輪を回っている写真である。わたしも鉄棒が好きで、よく父と一緒に車輪を舞った。そして自分の体力を過信するに至った。その過信が八年七月での対応を遅らせたと思っている。
 喧嘩による怪我ばかりしていたが、命に関わるような病とはついぞ無縁だった。従って、今回は後手に回っている。わたしはこの後手が得意でない、後手と気づいたときには狼狽えるしかないのである。もっとも病人とはそういうものなのかもしれない。
 外食はとんと途絶えた。たまに腹が減るが、失神が嫌で出先では食さない、一に辛抱、二に辛抱である。家でなら気を失おうがどうなろうが、大の字になって寝ておればよい。カリウム性心筋梗塞でお陀仏にならなければやがて目醒める。いずれ死ぬのだから不安感はない。不安があるのは車の運転中である。他人を巻き込むのだけは避けたいと思うが、それだってどうなるか分からない。すべては初体験である。分からないことだらけなのである。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月27日 02:55 | 固定ページリンク




本と魚  | 一考    

 まなさんが遊びにいらした。魚が好きだとのことで、例のスーパーへ。大きな肝が添えられたカワハギの刺身を見付ける。一匹丸ごとで三百九十円。嘘のような値段である。オコゼとカワハギはわたしの好物。いまのわたしは食べてはいけないと思いつつ、西明石以来の活け料理を堪能する。
 余談だが、蛸の湯掻いたのが売っていた。脚の太短い見るからに旨そうな真蛸である。買いはしないが、引いているのを見て愕いた、芯は生で透明感がある、元手の掛かった見事な湯掻き方である。蛸には少々五月蠅い、わたしはこの魚屋をますます好きになった。
 昼網の魚を午後三時過ぎに買っている。従って、その日の七時か八時ぐらいまでなら刺身でいける。生け簀を備える店は別だが、いかなる割烹でも鮨屋でも消息は同じである。夜に刺身を食べるような無調法はいない。夜食べられるのは貝類だけである。
 何時も書いていることだが、平目が好きだから平目を、鯛が好きだから鯛をというのは外道の食べ方。魚は活きですべてが決まる。くたびれた平目より新鮮な鰯の方が旨いにきまっている。これは翻訳文学にも通じる。拙いマンディアルグより、上質なオー・ヘンリーに軍配があがるのは云うまでもない。この好き嫌いというのは屡々ひとの目を眩ませる。好悪はそのひとからアプローチの多様さを奪う。薄っぺらな文学、とりわけ散文がお好きな方にはそれまでだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月27日 02:11 | 固定ページリンク




透析と病院  | 一考    

 久しぶりの血液検査。尿素窒素は86.7、クレアチニンは8.46、蛋白、尿酸は減り、血糖値は上がっている。血圧は低い方が58でちょっと気になるが、正常値である。要するに、前回と比して悪化はしていない、小休止といったところか。カリウムの数値がわずかに上がってきたので、一箇月間服用を制限していたカリメートを復活。血圧計と睨めっこしながら降圧剤を少々減らそうと思う。ただ、このところ手脚のつりが繁くなっている。なんとかならないものか。
 シャント手術と透析導入は北里研究所病院の泌尿器科で行うことになった。秋元さんの仰言るメデイカルソーシャルワーカーの協力も得ることになった。医療費はわたしの試算ではとても足りず、東京での障害者申告で負担が軽減されるようである。この件に関して、またまた山崎医師の手を煩わせた。医師と電話で話していて嬉しくて泣き出しそうになった。

 過日、関さんから薦められたサリラベートだが、マツモトキヨシのオリジナル商品と判明。探してもない筈である。今日、無事にスペアを購入した。

追記
 郡さんの連れ添いが関係なさっている透析専門の病院が三軒茶屋にあるらしい。先程、郡さんがですぺらへ来られて紹介があった。忝ないお心遣いである。北里研究所病院に決まりそうなのでご心配なく。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月25日 23:38 | 固定ページリンク




看護師さんの意見です  | なぜか薬にくわしい関陽子です    

 2月にそちらでの宴会に参加したベテラン看護師さんからの伝言でーす。

「ですぺらの一考さんの文章読ませていただいているのですが
> 今回地元の病院を断られてしまった件ですが、満床ということで断られたようですね。
>
> 透析用のシャントを作ったりするのに入院が必要ではありますが、断られるのはどうかと思うのです。
> 予約でベッドが空くまでに何ヶ月かかりますというのならまだわかるのですが。
> 代わりが見つかったとはいえ、地元でないと何かと不便だと思います。現金も必要になってくるでしょうし。
> 最近では初診でかかる場合、まずかかりつけの医師が紹介したい病院の地域連携室というところへ電話を入れて
> 状況を話し、予約を取る方法が多いのです。今回のように行って断られるなんてショックですよね。
> 私の母も物忘れ外来にかかるのに、杏林大学病院の予約を掛かりつけ医から取ってもらいました。現在通っています。
> ある程度の規模の病院であれば必ず地域連携室というのがあるはずなのですが、なければМSW(メデイカルソーシャルワーカー)でも良いので
> 病院には必ずいるはずですから連絡して相談してみてはいかがでしょうか。
 お手間をとらせますが知らせてあげてください。
   > 秋元美知子


投稿者: なぜか薬にくわしい関陽子です      日時: 2010年05月24日 22:18 | 固定ページリンク




整理  | 一考    

 整理はこれからだが、荷物の確認が終わった。二つに別けた薬がどちらも行方不明である。おそらくそうなると思って手当をしたのがよかった。わたしの身体は薬がないとやって行かれない。薬と一緒に必要な手紙類も紛失した。これらは引越に伴うものでどうにもならない。運転免許を持っているのがわたしだけ、というのが今回の致命的な問題点だろう。それにしても荷物を管理できなかったことが悔まれる。あげてわたしの責任であって、お手伝いくださった方には申し訳なく思っている。
 もっか酒の整理をしている、店が機能しないからである。アイラのみ終わったが、残りの方がはるかに多い。カタログの書き直しを捨て置いてきたが、それを進めるためにも早く整理を済ませたい。
 旧宅では本の整理が終わったのは二年後のこと、今回は寿命が尽きるころに完成するのでなかろうか。いずれにせよ、書物の整理は最後である。まずは台所、風呂、トイレの機能回復が最優先である。先日、水道の蛇口がポキッと折れた。旧宅に蛇口のスペアはあったのだが捨ててきた、三千円の出費で修理。トイレの蛇腹も寸法が合わないので買い換えた。こちらもスペアは持っていたのだが。
 テレビのことを訊かれたが、テレビを購入する気はない。それよりもクーラーが必要である。クーラーがなければ失神の連続となる。難儀な身体になったものである。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月24日 21:03 | 固定ページリンク




今日も魚  | 一考    

 今日も刺し身、ひさき、かさご、金目の盛りあわせを購入、サラダ風に頂戴する。夜食用にと真子鰈を煮付けにすべく百五十円にて贖う。ここまで食生活が変わるとは想像だにしなかった。ひさきは過日のとびうおと共に、癖になる旨さとの註釈が値札に添えられている。かなり魚に詳しいひとが包丁を握っているに違いない。一度話したいものと思っている。
 わたしは多少心得があるからいいようなものだが、出世魚の名称は地域でまったく異なる。当地も江戸のそれではなく、埼玉のそれとはまったく異なり、千葉の名称に準じている。灯明台に似ているところから灯台海螺貝と名付けられたゴマがあった。周さんが見付けたのだが、次回にでも試食してみよう。
 むかし篠山や福知山へ行った折、兵庫県とは名ばかりで、京都の文化圏であることを思い知らされた。三郷の鷹野も江戸川を挿んで千葉と対面している。日本の伝統文化は河川を中心として縦割りに栄えてきた。いわゆる山窩の文化である。それを維新政府は鉄道と道路によって打ち壊そうとし、そして横割りの文化構築に成功したかに見られる。奥州南部藩では川一本距てれば言語が異なると云われた。言語の多様性、その伝統こそ顧みられるべきものだったに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月23日 20:57 | 固定ページリンク




風呂と魚  | 一考    

 引越先には魚屋があって、その魚屋が近隣のスーパーへ出店している。東京で刺し身を食するのは諦めていたのだが、ここ三郷の南端では恵まれたことに、毎日千葉方面からの魚が潤沢に踊っている。一昨日はとびうおと鰺、昨日はいさぎ、今日は小振りだがすずきとチヌを買ってきた。西明石と同じく活かっている、しかもほとんどの刺身が三百円から五百円の間で売られている。こりこりしたチヌを食べるのは久しぶり。よいところへ引越したものとほくそ笑んでいる。

 全自動の風呂に這入った。窓のがないのにいささかの抵抗はあったが、這入ってみるとすこぶる具合がよい。体温で湯温が下がるとたちどころに燃焼マークが出て設定温度に戻る。湯量はもちろん、なにくれとなく女の声で状況がアナウンスされる。入浴が女人ならば男の声で説明されるのだろうか。ひょっとすれば風呂が好きになりそう。
 長らく鏡を見ていなかったが、わが肉体衰えたり、これでは女が逃げ出すのも然もありなんと納得する。新居は旧居にもまして駅から遠い、女人の訪なう心配はまったくない。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月23日 04:48 | 固定ページリンク




透析と痒み  | 一考    

 新居の近くの病院へ行ったが診察を拒否された。満床というのが理由である。わざわざ女医が出てこられ、申し訳なさそうにしかしきっぱりと断わられた。256床の大型病院なので、断わられるとは思っていなかった。当てが外れ、血液検査も処方箋も頂戴できないので、浦和の主治医のところへ行き、善後策を相談する。三田の主治医の後輩を紹介していただくことになった。ただし、都府県が跨がるため、二箇月分の治療費110万円ほどを立て替えなければならない。痛い出費になりそうである。糖尿から透析に入るひとが激増中だそうで、そのあおりを食ったわけである。
 関さんからサリラベートが送られてきた。引越のどさくさで薬がどこかへ紛れ込んでしまった。一番大事なものがなくて困惑していたが、今日無事にすべての薬が揃った、一安心である。プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステルがステロイドで、クロタミトンがかゆみ止めである。似た薬にオイラックスH(市販品とは異なる)があって、主治医から薦められた。
 人工透析後の吐き気や倦怠感ならびに透析掻痒症は透析をはじめてからの方がはるかに重度で、糖尿患者の場合の食生活の緩和のようなメリットがなにもないようである。透析によって身体の症状はずんと悪化する。多くの患者が透析を引き延ばす理由がよく分かる。透析ははじめてしまえば止められなくなり、生命を長らえる以外採るべきものはなにひとつなく、悩ましいところだと主治医から聞かされた。かかる見解をあるがまま教えていただけるのは有り難い、幻想を抱かなくて済むからである。
 日中の車のなかは灼熱地獄だった。熱くてハンドルが握られない、さりとて汗ひとつかかない。これは痒みとも関係があるのだが、肌が乾くのでなく、新陳代謝が著しく鈍ってきたのが理由である。汗をかかないので体温調整ができない。体温調整ができないので失神する。これから夏に向かって意識喪失は頻繁に起こりそうである。困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月22日 14:48 | 固定ページリンク




老婆親切  | 一考    

 引越で愚息の協力を得た。そのことには感謝しつも、彼の腹の出っ張りが気になった。二十歳で腹が出るのは異常である、五十代か六十代のそれである。あのような状況に至るまでにどうして誰かが注意を喚起させなかったのか。食事制限をし、運動に汗水垂らしてもおそらく元に戻るに七、八年は掛かるだろう。なによりも恰好が悪い、祖父が生きておれば不様なと罵ったに違いない。要は食い過ぎなのだが、既に糖尿の兆候が見て取られる、詳細な血液検査を強く薦める。
 聞くところによると肉しか食べないようである。魚は鮪の大トロと海胆しか食べないとか。そこへジャンクフードを加えると最悪の食事内容となる。今ならイナダかワラサもしくはアイナメが旨い。イナダなら目下一尺の天然ものが一匹三百円も出せば売っているし、ワラサならブリほどではないにせよ、十分に脂が乗っている。食事の間口を拡げることをお薦めする。それと飯が一番、お菜をいくら食しても満腹感は得られない。体質にもよるが、糖尿を避けるには中華やパスタのような洋食を遠ざけることである。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月19日 20:04 | 固定ページリンク




漆黒の蘇格蘭  | 一考    

 幹郎さんが蘇格蘭から帰られた。早速電話を頂戴したが、聞くところによると蒸留所の回りの木々は漆黒、その黒々とした幹に夥しい苔がこびりついているそうな。真っ黒な幹から突き出た下枝に桜の花が咲く、なんともはや、シュルレアリスムを想起させる光景ではあるまいか。
 愛蘭土とも英倫とも異なる特有の景色はアルコールによるものなのだが、醤油や酢の醸造所の壁や瓦が赤黒く彩られているのと同じ理由による。
 蘇格蘭の蒸留所の旅行記は数多あるが、ピートによって河川の水が黒ずんでいるとか、蒸留器のスワンネックがどうのと先行する文献の再確認に終わるのが常である。十人が十人とも同じ内容にこころを奪われ、同じような文面を著す、個性がないことこの上ない。ここは一つ詩人の目に映った蒸留所ならびに近在の風景を楽しませて頂きたいと願っている。次回の「嗜み」が期待される。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月19日 14:20 | 固定ページリンク




透析  | 一考    

 国民健康保険特定疾病療養受療証が発行されたが、認定疾病名に「人工腎臓を実施している慢性腎不全」と記載された。本証の再発行に関しては戸田市役所の担当者と随分長く話をしていたようである。もちろん、血液の状態から推してとっくに人工透析ははじめていなければならないのだが、引っ越すまではと我慢してきたのである。身体が黒ずんできたのも分かっている。目眩いや痒みなど憎悪が一段と激しくなってきたのも分かっている。手の震えが止まらなくなったのも分かっている。しかし、頭の片隅に人工臓器に頼って生き延びることへの嫌悪感がある。こちらで詳細は書かれないが、主治医はそのことを知っている。選択するのはわたしでしかないことを。
 透析拒否はわが国では病死扱いになる。海外のように自殺としてはカウントされないようである。もとより、医学とは延命策であり対処療法である。癒る病なら迷いはしないが、癒らない病に手を加えるのが釈然としないのである。命が劃られたときに、ひとはいかに抗って生きればよいのか。自らの死についてひとは相談すべき相手を持たない。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月17日 21:55 | 固定ページリンク




引越騒動2  | 一考    

 主たる搬送は10日だったが、混乱を極めたのはそれから後である。新居のドアを開けたところから段ボール箱が天井まで堆く積まれている。段ボールを開けて中身を然るべき棚なり箪笥を入れようにも、そこへは辿り着かれない。荷物を持ってマンションの玄関先を迂路迂路するだけである。そこへ現れたのが周大監督である。彼は段ボールの壁面をよじ登り、天井との僅かな隙きから奥へと侵入する。わずか四、五日で台所が姿を現し、蒲団は敷けないまでも毛布が敷ける空間を編み出した。手品師のような彼の動きに讃歎す。
 昨夜、周大監督と酒を酌み交わした。葡萄酒を台所の小さな隙間で頂戴した。いまのわたしは以前のようには呑まれないが、美味い酒だった。改めて感謝したい。

 転居手続きのため役所と警察へ赴く。警察は簡単に済んだが、役所は終日掛かった。転入届と印鑑証明を戸籍課で済ませ、国民健康保険課で住所変更、障害福祉課で身体障害者手帳と重度心身障害者医療費受給者証、車の登録、車検証、ETCカードの書き換え、さらに国民健康保険課へ戻って国民健康保険特定疾病療養受療証の再交付。戸田市役所は障害福祉課と国民健康保険課が同じフロアーで隣接している。ところが、三郷市役所は別棟である。障害者のことを何も考えていない。これから月に何度も往復することを思えばうんざりである。それはともかく、障害福祉課の人はみなさん親切である。二人がかりで馴れないわたしをサポートしてくださる。「あと三十分ほど我慢してください」の一言に「こちらこそ馴れなくて申し訳ない」と復す。これから死ぬ日までのお付き合いになる。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月17日 21:17 | 固定ページリンク




奥平晃一さん  | 一考    

 古書通信2009年11月号12月号に「書肆ユリイカの本・人・場所」と題する鼎談が掲載されている。奥平晃一、田中栞、郡淳一郎のお三方である。その延長線上ということになろうか、郡さん主宰になる「奥平さんに話を聞く会」がですぺらで定期的に催されるようである。奥平さんがなにを喋るのかわたしも楽しみにしている。
 わたしはもともと黒木書店の客だったが、黒木さんは国文学が専門で、現代詩はあまり得意でなかった。十代の頃のわたしは短詩系の作品ばかり読んでいたので、神戸の古本屋がいささか物足りなくもあった。二十歳ぐらいの頃、大月雄二郎さんの西荻窪のアパートへ半年ばかり転がり込み、東京中の古本屋を歩き回った。宜しく注意属目せざるを得なかったのが、渋谷の中村書店と日暮里の鶉屋、それと神保町の田村書店だった。爾来、田村書店の奥平さんとは厚誼を重ねる仲になる。毎年のごとく本を売ったり買ったりで今に至る。
 彼は商売柄、本についてはよく知っている。知っているどころのはなしではない。いかような問い合わせであろうとも、即答できなかったことはない。他方、彼は本をほとんど読まない。読まないので思い入れがない。思い入れのなさが値付けに現れる。要は拈らないのである。古本屋の店主は大方が自分の趣味を客に押しつける。その厚かましさが奥平さんには微塵もない。要は清々しいのである。
 彼の旧宅では上京の度に泊めていただいた。わたしが元料理人だったのをご存じなので、食事には気を遣ってくださる。彼は上戸ではないが、常に吟醸酒が出てきたように記憶する。彼の自転車を三台誂えたことがある。内一台は旧宅の裏手にあった鮨屋のご主人が乗っている。
 なにしろ四十年を越える付き合いである。書くことは山のようにある。本にまつわるはなしは追々書いてゆきたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月17日 20:37 | 固定ページリンク




引越騒動  | 一考    

 29日から始った引越騒動も15日の粗大ゴミ処理で一段落、最後まで稼働していた冷凍庫も16日に三郷へ移動する。わたしの車であと四往復である。狭い住居ゆえ、蒲団を敷くスペースはもちろん、足の踏み場のない有様。これから本の整理と台所の機能を回復させなければならない。
 引越先のダンボール箱を開けてみるとゴミが入っていたり、逆に必要なものが随分と捨てられている。ネジや一部のパーツの紛失によって必要な家具の破棄を余儀なくされるなど混乱も起きたが、これは仕方のないことである。
 引越に際し、多くの方の尽力に与った。佐々木幹郎さん、関陽子さん、奥平晃一さん、辻健さん、川畑公子さん、隆さん、垂野創一郎さん、中村裕さん、土屋和之さん、佐藤周さんとその友人たちに感謝。とりわけ周さんには引越万般を取り仕切っていただいた。彼が居てこその引越だった、深く感謝したい。また神戸から泊まり掛けで駆けつけてくださったお三方には深甚の謝意を表したく思う。
 今回は四トンほどのゴミを捨てた。一口で四トンと云うものの大層な量のゴミだった。人は生きてゆく上でさまざまな「もの」を身辺に惹きつける。誰もがそうなのだが、それら「もの」はその人にとってのみ意味を有する。今までいろんな人の死に立ち会ってきて遺品の山を見るにつけその感を強くする。
 長年、一戸建てに住んできたからか、大工道具、接着剤、ペイント、刷毛から下水管の掃除道具に至るまで揃っている。例えば、スパナとレンチを併せて50本、鋸4丁、砥石は八個、さらにコーキングガンから危険な薬品までが多種多様に揃っている。それら薬品の処理には頭を悩ませた。
 書庫を引っくるめて蔵書は二トン車一台分、加えるに調度品が一台分、それぐらいが相応しいように思う。わたしにとって生きるとは物欲との闘いだった。恥にまみれた人生である。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月15日 19:41 | 固定ページリンク




新居住所  | 一考    

埼玉県三郷市鷹野5-321-1大幸マンション103号
電話048-954-7170

 埼玉と千葉と東京葛飾の県境、最寄り駅は常磐線の松戸ですが、駅からは三キロほど離れていて松戸橋を渡ったところになります。江戸川と中川に挿まれた水郷地帯で、車だと外環の三郷南を出たところ。真っ直ぐ南へ下れば、柴又、小岩を経て舞浜の東京ディズニーランドへ出ます。
 引越の詳細は次回に。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月13日 15:46 | 固定ページリンク




ですぺらの営業について  | 周    

一考さんよりの伝言です
ですぺらは十三日の木曜日より営業を開始します。よろしくお願いします
とのことです。


投稿者: 周      日時: 2010年05月10日 23:55 | 固定ページリンク




了解いたしました。  | 藤原棟世    

了解いたしました。
お身体どうぞ、ご無理なさりませぬよう。
これからも、
覗き見は続けさせていただきます。
パワーをいただけますので。


投稿者: 藤原棟世      日時: 2010年05月02日 04:44 | 固定ページリンク




松島智里さんへ  | 一考    

 12、13、15、17日は拙宅の後片付のため、開店が遅くなりそうですが、14日は通常通り営業の予定です。お待ち致しております。
 奥歯さんの名は久しぶりです。つい先日、櫻井さんがしんみりと追悼なさっていました。
 そろそろ回線が切れそうなので失礼します。ですぺらの方は異なるプロバイダなので繋がっています。従って、営業がはじまれば書き込みを続けます。どうぞご贔屓に。


投稿者: 一考      日時: 2010年05月01日 13:17 | 固定ページリンク




おひさしぶりです  | 松島智里    

久しぶりの上京を画策していて、ぜひまたですぺらに行きたいなあと、ここを訪れました。
ただただ御身体が心配です。
ですぺらに最後に行ってからもう何年が経ってしまったのでしょうか。
もうきっとお忘れだろうと思いますが、岡山在住の四谷シモン先生の弟子で、二階堂奥歯さんにもミラージュでの個展をですぺらの掲示板で紹介いただいた者です。
菅原さんに連れて行っていただいてから、上京する時には楽しみに行かせてもらっていました。お酒も飲めないのに。
あれからいろいろありました。ありすぎました。
5月14,15日あたりに上京が叶うかもしれません。
お会いしたいです。
こんな大変な状況で営業されているのでしょうか。
どうか症状が少しでも治まりますように。
数回しかお会いしたことはありませんが、心からあの空間、一考さんという人の醸し出す気のようなものをとても尊いものだと思っています。


投稿者: 松島智里      日時: 2010年05月01日 11:22 | 固定ページリンク




藤原棟世さんへ  | 一考    

 二日はわたしが転居先と拙宅を往復しなければならず、お手伝いは不要になってしまいました。折角のお申し越しなのですが、来ていただいてもわたしがいなければどうにもなりません。申し訳御座いません。

 引越が手一杯のため、明日の一日はですぺらは臨時休業です。おそらく、六、七、八日も休業になると思います。どうかよろしく。引越のピークは四、五日と十日、十一日の二度になります。一日以降の連絡は携帯電話のみとなります。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月30日 21:08 | 固定ページリンク




かゆみ止め  | 一考    

 嬬恋の山小屋のご主人、関陽子さんは薬に詳しい。今回もかゆみ止めでお世話になった。慢性腎不全に罹っている人はみなさん全身の痒みで頭を抱えている。わたし一人の問題ではないので、彼女のコメントの一部を紹介したい。

 サリラベート
 今のところ一押し。副腎皮質ホルモンが入っているので、一箇月以上続けると、副作用として更に肌が荒れる。

 ポリマック
 副腎皮質ホルモンの代わりにブフエキサマクガ入っているノンステロイド。アトピーの人に好評な薬剤。連続使用可能。

 ブレバリン
 副腎皮質ホルモン。ピンポイントで患部に効くと云われる。サリラベート同様、一箇月が限度。

 ちなみに、わたしはムヒソフトを使っていたが、まったく効かない。効かないので身体を掻きむしる、更に肌が荒れ、下着は血だらけになる、の繰り返しだった。今回、上記三点を頂戴し、さっそく試してみた。関さんの意見通り、サリラベートはよく効く。塗ったあとの爽快感には好感が持てる。さらに書けば、久しぶりに痒みから解放されて熟睡できた。
 ポリマックには速効性はない。患部に塗ったときになんらの変化も現れない。速効性のなさが頼りない印象を与える。ただし、長期利用ができるのは利点である。
 サリラベートとブレバリンの違いだが、爽快感ではサリラベートに軍配があがる。肝心の効き目は似たように思う。後は時間を掛けて様子を見るしかない。関さんに御礼申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月30日 06:37 | 固定ページリンク




今後の連絡先  | 一考    

 一日の十五時から二、三週間、メールも電話も不通になります。連絡は携帯電話(080-3219-6221)へお願いします。
 despera@cablenet.ne.jpは廃止になりました。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月29日 15:57 | 固定ページリンク




蔵書の整理  | 一考    

 蔵書の五分の一から四分の一に当たる二千冊ほどを奥平さんに預けた。明日の市への出品物であって、七日に全体の金額が分かる。残りは二トンの箱車なら二回で運べそうだが、積み込みが大変である。いずれにせよもう一度、明治古典会向けに二千冊ほど出品の予定。
 先日六トン車五台の仕入れがあったらしい。冊数はおよそ六万冊。四十坪の書庫は書物で濫れていたそうである。鉄筋で四十坪あれば計算上八万冊までなら収納できる。そういう蔵書は上方ではよく見たが、東京では珍しいのであるまいか。春山さんの蔵書がそれぐらいだと聞いたことがある。上方だと谷澤さんが十万冊を一気に売り払ったことがあった。とんでもない書庫を持っていればのはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月29日 13:43 | 固定ページリンク




ですぺらの営業  | 一考    

 4月30日と5月1日は営業します。5月6日から8日は現在のところ未定。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月28日 17:08 | 固定ページリンク




引越のつづき  | 一考    

 明日は旗日だが、田村書店にきていただくことになった。いよいよ本の整理に入る。ただし、彼の車には一度に千冊ほどしか積まれない。二度ほど運んであとはどうするか相談である。
 あまねさんから電話があって、四日の二トン車の手配が済んだようである。開始時間を訊かれたが、全身の痒み、憎悪がひどくて眠られない。二日の徹夜になることも頻繁である。引越が済めば透析をはじめるので、多少はましになるのだが。
 先項で書いた粗大ゴミの処理は8日からはじまる。身体が少しでも動けばよいのだが、それだけが気掛かりである。みなさんに迷惑をお掛けし申し訳ない。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月28日 16:03 | 固定ページリンク




ゴミの山  | 一考    

 明け渡しが17日、引越のあとの大掃除が待ち受けています。なにしろ9DKですから三日は掛かると覚悟していたのですが、そちらは手伝っていただける方が見付かりました。
 それにしても、粗大ゴミに困惑させられています。粗大ゴミは一度に十個までしか捨てられません。しかるに、大型の鉄製の棚が三本、大型の本箱が十本ほど、小型の本箱が五本、カラーボックス五十本、食器棚一本、机三脚、ガス台二台、湯沸かし、炊飯器、トースター、電子レンジ、音響器具一式、レガシーマック十台等々、三トン分のゴミが待ち構えています。
 ブルーシート、椅子、グラス、食器など、車二台分のゴミ(わたしにとって)を幹郎さんの山小屋で引き取っていただいたのですが、それらは手始めに過ぎません。さて、どうしようか。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月28日 00:08 | 固定ページリンク




連休の引越  | 一考    

 幹郎さんに続いて、短歌、俳句と短詩系の揃い踏みで畏れ多いことです。二日は予行演習ですから、十時頃で結構です。中村さんには連休の間のご都合のよろしい日にお願いできればと思います。埼京線の戸田公園駅までお迎えにあがります。
 ところで、食器の梱包とゴミの分別を手伝っていただける方、ならびに駅と拙宅を往復してくださる運転手はいらっしゃらないでしょうか。贅沢を申して済まないのですが、わたしが離れると本の整理が滞ります。どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月27日 23:14 | 固定ページリンク




引越のお手伝いします。  | 中村裕    

先日、お店にうかがった時も申しましたが、
ぜひ引越をお手伝いさせてください。
連休中は、どの日も大丈夫ですから、
いつ、どこへと指定してください。
あるいは直接、お宅へ行ってもいいです。

中村裕


投稿者: 中村裕      日時: 2010年04月27日 20:37 | 固定ページリンク




2日(日曜日)よろしくお願いいたします。  | 藤原棟世    

当方、始発に乗ると、6時52分に戸田公園駅に着いてしまいます。
これでは早すぎるかなと思います。
戸田公園駅着時刻を指定していただけたら、
その時刻に伺います。

こちらから一度お電話さしあげますが、
何時頃がよろしいでしょうか。


投稿者: 藤原棟世      日時: 2010年04月27日 16:08 | 固定ページリンク




藤原棟世さんへ  | 一考    

 ありがたいお言葉を賜わり恐縮です。月輪山荘ならよろしいのですが、戸田の陋屋で申し訳御座いません。佐々木幹郎さんは八日まで山小屋、十一日からは蘇格蘭へお出掛けです。要するに居られないのですが、それでもよろしかったら是非お願い致します。
 お電話(080-3219-6221)いただければ埼京線の戸田公園駅までお迎えにあがります。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月27日 03:22 | 固定ページリンク




引越し手伝います。  | 藤原棟世    

貴掲示板を覗く内のひとりです。
5月2日日曜日、引越し手伝いたいです。
当方可能時間、朝は交通機関次第出来るだけ早く行きます。
帰りは、小田急線を使うので、
小田急新宿駅19時頃に着きたいです。
幹郎さん(佐々木幹郎さんだと私は想定しているのですが、
間違っていたら御免なさい。)とほぼ同年代ですから、
力は若い人に劣ります。
でも、気持ちは、佐々木幹郎さんが、
油まみれの鳥を救いに、ひしゃくで行ったレベルに、
負けないつもりです。

単純なボランティアですから、
掲示板で覗いたことなど、口にしないつもりです。


投稿者: 藤原棟世      日時: 2010年04月27日 01:15 | 固定ページリンク




引越予定  | 一考    

 五月二日から五日の連休を引越日に決めた。二日と三日は自家用車で、四日と五日は二トン車を使う予定。その四日間で運ばれなかった家具、すなわち本箱、机、椅子、食器棚、冷蔵庫、などは十日過ぎに運送屋にお願いする。
 今回の引越が過去のそれと異なるのは、前回運んだ荷物(四トン三台)の三分の一がゴミになるという点です。要するに四トン近いゴミが出ます。従って家具類は四トン一台に収めるつもりです。既に一トン近い荷物を処理しました。それとは別に、四日に二トン車を手配しました。二往復で四トンになります。これで主たる本は運べると思います。酒と食器はわたしの車で運びます。
 以上が引越のあらましですが、お手伝いくださる方はぜひお願いします。とにかく人手がなくて困っています、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月26日 23:58 | 固定ページリンク




営業中  | 一考    

ですぺら再開、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月26日 16:44 | 固定ページリンク




感謝  | 一考    

 幹郎さんと関さんが引越手伝いをしてくださった。75リットルと50リットルのゴミ袋が50ほど出来上った。分類不能のゴミは関さんが家で捨てるとかで大量に持ち帰られた。9DKの部屋の内、洋酒を置いている部屋の整理がほぼついた。ゴミ袋には捨てる曜日が記載されている。至れり尽くせりのてわざに感謝のしようもない。
 ゴミ袋がなくなったので、とりあえず400袋ほど買ってきた。幹郎さんによるとこの調子で二、三週間は掛かるとのこと、関さんによると時間切れになる可能性大だそうで、腰痛で唸っているわけにはいかなくなった。今日不動産屋へ赴き、契約を二日からに早めてもらった。少しでも運びたいからである。
 それにしても、持ち物が多すぎる。なにを考えて生きてきたのだろうかと思う。一に整理、二に整理である。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月26日 05:32 | 固定ページリンク




臨時休業  | 一考    

冷え込みが腰にきたようである。腰痛で動かれない。よって臨時休業、申し訳ない、


投稿者: 一考      日時: 2010年04月23日 16:35 | 固定ページリンク




大麦麦芽  | 一考    

 原材料すなわちモルトがスコットランド産であろうが、アメリカ産であろうが、カナダ産であろうが、日本国内で蒸留したウィスキーはジャパニーズ・ウィスキーである。この場合のモルトとは乾燥させた麦芽をミルにかけて粉状にする。この粉すなわちグリストのことである。
 各蒸留所は原材料(グリスト)をモルトスター(精麦工場)から仕入れる。その消息は、ラフロイグやボウモアのように自らの蒸留所でフロアモルティングを行っているところですら、例外ではない。自社での精麦はいわばデモンストレーション用で、生産量全量を賄っている蒸留所はおそらくないだろう。
 モルトスターは自社のオリジナルのモルトというものを持っていない。蒸留所のレシピに則って造るのである。従って、ポートエレンのモルトといえども、ピートを焚いていないモルトがある。アードベッグのモルトをポートエレンで精麦するときはピートの数値を上げる。そしてアイラモルトのモルトがポートエレンとは限らない。スペイサイドやハイランドのモルトスターも使っている。
 日本の蒸留所もモルト(グリスト)は海外のモルトスターから購入している。豆腐や醤油の原材料や蕎麦粉を輸入に頼っているのと同じである。中国産の蕎麦粉であろうが、カナダ産の蕎麦粉であろうが、日本の水を用いて打てばそれは国産品である。
 なぜこのようなことを書くかと云えば、日本のウィスキーはすべて国産と思っているひとが未だにいらっしゃるからである。それをしてニセモノ呼ばわりされた日には堪ったものでない。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月23日 00:01 | 固定ページリンク




駐車禁止  | 一考    

 駐車禁止除外の許可証を張り出しているにもかかわらず、駐車禁止で捕まった。いつもは駐車場へ入れるのだが、今日は腰が痛くて店の前に三十分ほど放置した。その間の出来事である。乗っていればよかったのだが、痛いのは腰、店内で椅子を並べて腰を伸ばしたかったのである。許可書が万能とは思っていないので仕方がないが、それにしても付いていない。

 気を紛らわそうと、駐車場から満開の関山を観ながらですぺらへ辿り着く。ニューオータニの前の径には関山という大島桜が樹えられている。花びらは桜湯に、若葉は塩漬けにして桜餅に、材は目が細かく均質であるため浮世絵の版木として、またスモークチップとして用いられる。伊豆諸島の特産だが箱根園の大島桜は有名。里桜類の一種で、普賢象や菊桜とは兄弟筋にあたる。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月22日 22:25 | 固定ページリンク




地ウィスキー  | 一考    

 地ウィスキーについては是非以下のURLを読んでいただきたい。

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM0610-04.pdf

 キプロスワインのショップとして知られる八王子の京晴はスコッチはじめ、グランシャンパーニュ地区ルネ・ロワのコニャックを扱っている。詳しくは京晴のホームページを見ていただきたいが、かつてですぺらではアーマーを常備していた。主たる商品は以下の三点。

 アーマー12年 ピュアモルトウィスキー 43% 750ml ¥3,203
 アーマー20年 シングル・ハイランドモルト 43% 750ml ¥19,950
 アーマー21年 ハイランドモルト 43% 750ml ¥6,195

 12年ものはハイランドを主体にアイラ及びローランドモルトをバッティングしたもの。かなり甘口に振られているが、わが邦にあっては珍しい香味を持っていた。20年もののオイリーな味わいはグレンファークラスで、頒布から20年近くを経ているので、蒸留は70年頃と思われる。今となっては価値の高いウィスキーである。21年ものはピーターラッセル社が造ったブレンドウィスキー。他にアーマー27という一升瓶のウィスキーがあって、こちらは水割り専門で用いていた。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月22日 09:15 | 固定ページリンク




モンデ酒造  |   一考

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 箕面の酒屋のような業務スーパーで「シングルモルト1983 カスクストレングス ウイスキー」(1800ml、アルコール分 64%、 原材料 モルト、モンデ酒造株式会社、山梨県笛吹市石和町市部476)値段表示は¥9,999.-でした。(添付写真は一升瓶のラベルです)
これ飲んだこと有ると思いますが、どんな具合のものですか?

 上記メールが京都の佐伯直寛さんからあった。
 詳しくは存じ上げないが、知っていることだけでもと思い、記す。
 東邦酒造株式会社が1960年6月にモロゾフ酒造株式会社へ社名変更、さらにモンデ酒造株式会社へと社名変更されたのが1972年7月。
 そのモンデ酒造株式会社が造ったシングルモルトが1983 カスクストレングス、アルコール分 64%、 原材料モルトとあって、どちらのモルトスターのモルトかは不明。モンデ酒造名義では1800ml、¥9,999.-で頒布。2006年半ばに石和(いさわ)と名付けて独特なボトル形状と、660mlという変わった容量でボトリング。
 モンデ酒造によると、25年の中で樽の移し変えを行った経緯があるが、最終的には25年間、樽で熟成したシングルモルトであるとの事。
 タンクにて保管されていたモルトウイスキーを、とある酒店が購入し、「笛吹郷(うすいきょう)」と題して販売している。他では練馬区の有限会社石塚商店のプライベートボトルとしても販売。
 貴重な国産モルトウィスキーだが味はいまいち。


投稿者:   一考  日時: 2010年04月22日 00:16 | 固定ページリンク




ストレス  | 一考    

 今日は言問通りから東京芸大と東大をかすめて水道橋へ、四谷まわりで赤坂へ出た。東京駅周辺を避けようとの魂胆である。結果、所要時間は一時間、言問橋からあとはどこを走ろうと同じように時間が掛かる。六号線を日本橋まで突き当たり、東京駅の一つ手前の高架をくぐり、読売と毎日の前を抜けて千鳥ヶ淵から麹町の方が道は簡単である。靖国通り、特に神保町から九段は混雑する、それさえ避ければ似たようなものである。
 やがて転居するであろう物件をはじめて内見した。書庫にすべき洋室にエアコンが設置されている。まったく無用のエアコンである。3DKなのだが、他の部屋にはエアコン設置用の穴すら開けられていない。ウオッシュレット未設置、デジタル放送未対応、ただしNTTのフレッツ光は這入っているそうな、しかもLAN配線方式。なんともちぐはぐな塩梅である。
 地デジに関しては間際になればアンテナを立てるそうな。其他は入居者の随意らしい。随意とは云え、ケーブルテレビを個人で引けばべらぼうな金数が掛かる。フレッツ光にしても個人契約なら3500円にプロバイダ料金が1000円ほど加算される。まず第一にわたしが使っているマックのパワーPCは光通信や高速ADSLに対応していない。有効速度はせいぜいが1.658Mbpsである。従って、もっとも遅い12Mbpsのコースを契約している。動画やゲームは見ないのでこれで十分である。
 さっきmoonさんに電話したところ、インテルマックを購入したようである。わたしはあと三年のために、新しい機器を買い揃える気はまったくない。存在それ自体がとんでもないストレスをもたらしている、パソコンのストレスなんざあ、ストレスに這入らない。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月20日 21:27 | 固定ページリンク




審査  | 一考    

 つい先程、電話があって審査に受かったようである、不動産の審査である。ついてはいつ頃引越の予定ですかと訊かれてさすがに苦言を呈した。審査結果を聞かされたばかりで、手続きはこれからである。現在住んでいる家の管理会社と契約書を確認の上、解除の手続きをしなければならないが、最低一箇月は掛かる。引越はあまねさんに手伝っていただくつもりだが、時期が時期だけに、引越会社の都合があるだろう。転居に際して多くの不動産屋に迷惑を掛けた。謝罪に赴かなければならないところもある。要するに段取りはこれからである。「はい、明日引っ越します」と云えないのは当たり前である。それはともかく、転居先が決まったのは嬉しい。水元公園の新緑が急速に近づいてくる。
 昨日、二輪四台が庭から消えた。川越街道の中村モータースへ引き取っていただいたのである。仕事を終えて帰ると、がらんとした庭が一面雪で覆われていた。さすがに意気消沈、共に走った北海道に思いを馳せる。これからは人力二輪で水元公園を徘徊することになる。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月17日 20:14 | 固定ページリンク




角トビ  | 一考    

 東京産角トビが280円で売られていた。例によって拙宅の近隣の魚屋である。伊豆諸島から小笠原諸島、果ては南鳥島までが東京である、東京と云ってもいささか広い、広いなんてものではない。そのどこかは知らないが、とにかく東京産となっている。
 山陰のキャンプ場では馴染みの魚である。小振りだが大体が100円で売られている。今回の角トビは280円、それだけの価値のある大きな体躯だった。
 それにしても、東京で飛び魚と云えば、丸トビであって、それもくさやである。丸トビは不味い、とても刺身で食べられる種類の魚ではない。いつごろから東京で角トビが出回るようになったのか。姿寿司(棒鮨)にすると無性に旨い。飛び魚と云えばこまぶりを想い起こすが、そちらは掲示板1.0で詳しく書いたので繰り返さない。
 三年ほど前、「かさね」から飛び魚の棒鮨を頂戴した。見事な角トビで、あれは美味かった。まぐろ、いか、えび、サーモン、穴子、玉子と云った月並な鮨は食べる気も起こらない。回転寿司などもこのような下世話な魚をメニューに加えるべきである。鰯と秋刀魚は刺身でよく見るが、角トビは一向に見られない。東京人の魚に対するセンスだけはいただけない。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月16日 00:00 | 固定ページリンク




カイワリ  | 一考    

 主治医と会ってひとつ変わることがある、それは食欲が少しでも湧くことである。ちょっとした血液、血圧の変化が気になって、ひとりだと際限なく心細くなる。山崎医師が相手だと大したことないですよ、と虚勢を張る。この虚勢がわたしを元気づける。
 元気付いたところで、魚のはなしである。過日、神戸の元町二丁目でベルマニアを営む村田啓二さんがいらした。ベルマニアはガラス・ジュエリー・オブジェを扱うミュージアムコレクションで、イタリアのガラス作家ブルーノ・アマディ、ベアトリス・ペリーニ のビスクドール、フランコ・デ・カルの金細工などが展示されている。

 http://belmania.co.jp/

 村田さんが来られるなり、カイワリのはなしになった。「日本近海には約五十種の鰺がいる、伊豆のカイワリと福井の寒鰤にとどめを刺すと思うのだがいかが」と書いたのを読まれたらしい。彼は瀬戸内の小振りのカイワリを食されたようで、シマアジとは違った食感を褒めていらした。カイワリも鰤と同じで、大きい方が脂が乗っていて旨い。
 このところ、拙宅の近辺で珍しいものを見掛ける。石垣鯛、イサギ、ちりめんの刺身などを買ってきた。鯛よりチヌ、チヌより石鯛、石鯛より石垣鯛が旨い。ちりめんは東京でも生で食べるようになった。磯臭さの醍醐味は苦味にある。先日書いた鯛の子やウニをはじめ、ちりめんに至るまで独得の苦味を持つ。
 江戸湾で採られたミルガイが売られていたが、価格は三千円。鮨屋だとおそらく一貫五千円は取られるであろう本ミルだった。こちらはさすがに買わなかったが、こんなものが近所のスーパーに並ぶようになった。どこが不景気なのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月14日 23:55 | 固定ページリンク




カーナビ  | 一考    

 山崎医師と久しぶりにお会いした。例によって定期検診である。不動産屋の審査が無事に済めば、連休明けにも引っ越しの予定、それに伴う三郷市のみさと健和クリニック透析室のはなし等をした。なかなか良さそうな病院である。

 http://blog.cabrain.net/CN004042/article/id/13401.html

 血液検査の結果は小休状態、もう少し持ちそうである。全身が痒いのはどうにもならないが、合併症も起こしていない。ヘモグロビンも正常の範囲内だそうである。あと三箇月で透析待機一年になる。別の医師から頭が呆けて、ものごとを正常に考えられなくなる、と脅されつづけたが、いまのところそうした異常は見受けられない。
 最近は食事療法を守っていないと云ったところ、食欲の方が大事だと一蹴された。寿司に鯛飯、鯵飯などを頻繁に喰っている。ただ、いくら腹が減っても外食は一切避けている。
 このところ、家探しで千キロは走ったろうか、おかげで戸田、三郷間のいろんな道路を覚えた。特に川口、蕨、鳩ヶ谷、草加、越谷、八潮辺りの妙な路地や抜け道を知った。不動産屋は混雑を避けて幹線は走らない。酒屋、米屋、不動産屋、それに警察と消防とタクシーが道に詳しい稼業である。拙宅にも明後日、韓国製のカーナビが到着する。宮城を挿んで東京の東半分がわたしにはまったく分からない。六号線は何度走っても言問橋か金町の辺りで迷ってしまう。これからは迷わずに済みそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月13日 21:04 | 固定ページリンク




水郷  | 一考    

 獨協大学横の戸建ての方が安価で広く、庭の紫陽花と日当たりの良さに惹かれたが、三郷のマンションに決めた。隣接する水元公園の魅力に抗しがたいものを感じたからである。現在の体調で散歩などできよう筈もないのだが、水郷に囲まれているというだけでこころが安まる。
 他にも理由はあって、戸建ての風呂は寒い、隙間風はこころのなかだけでよい。マンションの密閉性が今のわたしには向いているように思われる。
 水元公園は878.995.71平方メートルの水郷自然公園だが、一日一箇所に決めてなら散策も夢ではない。以下のURLでスライドショーをどうぞ。生きている限り、お世話になる透析病院がすぐ近くにあるのも選択枝のひとつだった。

http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E6%B0%B4%E5%85%83%E5%85%AC%E5%9C%92&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=c3fDS53RM8yOkQWy2NS_BQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCoQsAQwAw

 庭に転がっていた大型シートを捨てようと畳んだのだが、それだけで青息吐息である。引越のための荷造りをどうするのか考えなければならない。とんでもない宿題が生じる。

追記
 アドレスがとても長くて入らない、関係のないところへ飛ぶらしい。よって「水元公園」でGoogle検索、トップ頁の「水元公園 の画像検索結果」を開けていただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月13日 15:31 | 固定ページリンク




渋滞  | 一考    

 審査がまだだが、家はほぼ決まった。川を挟んで葛飾の水元公園が見える三郷市南端のマンション、もうひとつは一軒家で、草加の松原団地の近くである。マンションは53.7平米、一軒家は71.42平米である。赤坂からだとマンションの方が近い。4号線ならびに6号線はどちらも走ったが、夕方の東京は上野もしくは浅草から麹町までが思いの外時間が掛かる。最後の十分の一の距離に三十分は費やす、想定外である。明日もう一度走ってみようと思うが、一時間を切るのはどうやら無理である。
 今日は三郷の不動産屋へ行ったのだが、外環三郷西までが戸田から十五分、29号の流山街道へ入ったが、わずか三郷までの一駅に一時間を費やす。新三郷に出来たらしい大型ショッピングモールが混雑の理由らしい。このようなところに住むのはまっぴらである。帰りは田圃のなかの訳の分からない道をうねうねと走り、なんとか21号へ抜けた。カーナビの必要を痛切に感じる。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月11日 01:10 | 固定ページリンク




moonさんへ  | 一考    

 どうせ、二年後ぐらいには動かれなくなるので、そうなれば神戸へ帰ります。それまでは一日でも長くですぺらを続けたいのです。いろんなことをしてきましたが、モルトウィスキーが最後のお勤めになります。
 このところ、血圧がまた異常に下がりはじめました。低い方が65から69、一箇月か二箇月後には再度輸血が必要になるでしょう。高血圧から低血圧へとジェットコースターのような目まぐるしさです。その度に心臓に負担が掛かり、疲れやすく目眩いや頭痛がひどくなります。今日は最悪の体調で、椅子を並べて寝てるところへお客さん来店、相澤さんの詩について話し込みました。
 住居の方は、山梨から通うわけにも行かないので、八潮か三郷辺りで決めるつもりです。

 昨日、ポロロッカでヤリ烏賊の姿寿司を見付けました。柚子がもう少し利いていればさらにおいしかったのですが、文句は云いますまい。神戸では好物のひとつでよく造ったものです。鮨米も烏賊も禁制品ですが、久しぶりの姿寿司に堪能しました。今日は鯛の子を見付けました。炊き合わせに高野豆腐を用い、こちらも久しぶりの夜食です。東京で生の鯛の子ははじめてです。独得の苦みが磯の香を思い起こさせます。明石の魚の棚で種村さんと酔っ払ったことが目に浮かび、無性に酒が飲みたくなりました。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月10日 03:06 | 固定ページリンク




月例コンサートのお知らせ  | 一考    

杵屋三七郎さんの邦楽夜会が新宿ゴールデン街のナベサンで催される。
4月14日(水)夜8時より、料金は飲み代のみだが、おひねりは歓迎される。
杵屋三七郎さんのホームページは以下のごとし。

 http://37ro.com/00top/index.html

杵屋さんは飲み仲間であり、わたしの邦楽に関する知識は彼の受け売りである。
穏やかだが非凡、もっとも非凡な方はみなさん穏やかである。
ひとの顔色ばかり窺っている長髪で青白い顔をした自称芸術家が多いなかにあって、心身共に抜きんでた逸材である。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月06日 19:53 | 固定ページリンク




余命  | 一考    

 一日からひとりの生活がはじまった。別れというものは何度経験しても淋しいものである。一人でいるのに慣れるまで一箇月ほど掛かる。あるべきところにあるべきものがない、謂わば風景の損壊がこころに傷をもたらす。わたしはこの手の傷に滅法弱い。身体に異常がなければ酔っ払って誤魔化すのだが、今回はそうもいくまい。とは云え、この淋しさは転居するまでの感慨であって、新宅ではお構いなしになる。否、そうあってほしいと願っている。
 余命は計算では三年半、それはともかく、一人なので、昏睡状態だけはなんとか避けたいと思っている。そのために外食も控えている。貧血の理由になるようなことは極力避けたいのである。三年半というのはおそろしく短い。あっという間に過ぎ去るに違いない。だからこそ、不用意な真似はしたくない。存分に手脚を伸ばした三年半であってほしいと願っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月05日 01:40 | 固定ページリンク




moonさんへ  | 一考    

 大阪の画廊での「湯川成一と湯川書房ゆかりの美術家たち」展は存じ上げています。初日に露愁さんもいらしたようですね。露愁さんがわたしの病気をご存じなので驚きました。きっと掲示板をお読みなのでしょう。
 掲示板に書き込む時間はまったくなくなりました。今日も朝から不動産屋巡りで、夜は店でオークションの荷造りです。サイクルパーツはあと一週間で売り切れそうです。それが済めば食器と雑誌の販売に取り掛かろうかと思っています。
 家の方ですが、50平方メートル7万円を目安に探しています。都心部でも大森、旗の台、六本木、麻布十番、白山、高円寺、西新井、葛飾の水元、特に足立区と葛飾区では多数見付かったのですが、駐車場代を入れるといまいちの物件ばかりです。間違いなく歩かれなくなるので、車は必需品です。
 高円寺の物件は禁煙とかで、幹郎さんと大笑い。今日行ったところは川口の峰地区の一軒家で家賃は4.8万円ですが、おつりのくるトイレで驚かされました。十分に広いのですが、庭木が多くて閉口、また引越しのトラックが近所まで入られません。もう一軒は4.9万円ですが、こちらはかなり改装費が必要です。台所の床の張り替えですが、30万円以内で済みそうなら思い切って住もうかと思っています。いずれにせよ、あと一週間は探すつもり、決まり次第ご連絡致しますので、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月04日 22:34 | 固定ページリンク




近況  | 一考    

 何時になるかはともかく、引越の用意として「国民健康保険特定疾病療養受療証」を市役所で発行してもらった。「戸田市重度心身障害者医療費受給者証」は戸田市内の病院しか通用しないからである。書類は指定医でなくても主治医でよいと云うことで、浦和と戸田を二往復して片付けた。おかげで睡眠不足、ふらふらしている。これから医療費は身体障害福祉課へ、薬代は国民健康保険課へと手間が煩雑になるが、負担額は一万円に抑えられる。
 三月末日ぎりぎりでオートバイの廃車手続きが済んだ。これで今年の車税がいくぶん安くなる。廃車手続きは二度目なのだが、いつ経験しても難しい。詳細は書かないが、あの広い陸運局のなかを何度行きつ戻りつさせられたか。最後に税務署へ申告書を提出するが、係の女性が「これで全部終わりました」と云ってくださったときは嬉しくて涙がこぼれ落ちそうになった。

 このところ掲示板への書き込みもなく、心配をお掛けしている。毎日、不動産屋回りに明け暮れている。今日は草加から北越谷まで足を延ばした。流石に北越谷まで行くと安価な物件があるが、赤坂まで車で一時間半掛かる。これには考えこんでしまった。
 三十分遅れの開店になったが、神戸からのお客さんがあった。山本六三さんや湯川成一さんのはなしになったが、途中で岡田露愁さんの近況になった。露愁さんはわたしが過去出遇った絵描きのなかでは最も才気煥発な絵描きだった。絵描きと書けば叱られるかもしれない。あらゆるチャンネルへ越境し続ける御仁である。過去にクルヴェルやラルボーのカバー絵でお世話になった。下記ホームページのガラス絵をご覧あれ。どこかで見た絵が出現するはずである。

 http://www.roshiw-art.com/index01.html

 露愁さんと多くの書物を造りたかったのだが、儚い夢となってしまった。ただ、彼が元気なことを伺い、わがことのように嬉しい。


投稿者: 一考      日時: 2010年04月03日 22:09 | 固定ページリンク




「冬至の薔薇」について  | 一考    

 子供のころ、自分の死を持ち歩くように、いつも詩集を小脇に挿んでいた。有明、清白、朔太郎、そして吉岡実であり田村隆一だった。そこへ相澤啓三の詩集が加わった。
 先日「冬至の薔薇」が書肆山田から上梓された。彼の詩集はいつも遺書の形を取る、それは分かっているのだが、今回は特にその感が強い。巻頭を飾る「冬至の薔薇」と巻末に置かれた「まだ見ぬかたの花」のコレスポンドンス、「アントン/アントン」の後方に位置する「革命」と「非在のノイズ」、そして「島」、詩の一篇、一篇がどうしようもない地歩を占める。彼の詩は順序を違えると理解できなくなる。かくまで冷徹な計算によって組み立てられた詩集が他にあったろうか。
 詩は私でなければならぬ。この当たり前のことをひとは等閑(なおざり)にする。私小説という言葉が遣われた意味はともかく、「冬至の薔薇」一冊はすぐれて私集といえようか。
 作品が作者を離れて独立するというようなことをしたり顔で宣うひとがいるが、作品はその人そのものである。人品骨柄のことごとくは作品に如実に反映される。人格が不明瞭な作品は精神と情念との相剋が未分化なだけである。そんな詩が持て囃される時代にあって、相澤啓三の私はまさに詩として屹立する。
 心ある人は戦中戦後を生きてきた、革命のためだけに。「沈黙の音楽」から「マンゴー幻想」に至る作品にはその苦衷が詳述されている。その「心」を相澤さんはかなぐり捨てたようである。形振りを構わなくなった詩人の絶叫がここには流れている。静と動、あるとないと云った弁証法を越えて、相澤啓三は非在のノイズのなかに深く身を沈める。

  あらゆる言葉がけがされるなかで
  「革命」ほど汚辱にまみれたものはない

 上記の二行から「革命」は書き始められる。長い詩なので引用はしたくない。詩の引用がなにを意味するかは掲示板でさんざん書いてきた。ただ、最初と最後だけを引用する。後は読み手次第である。

  言葉よ眠れ 唾されるがままに
  いま言えないことを浮かび上がらせるために
  深い傷の底へ 言葉よ沈め 見えないアクションをもって

  踏んでゆくしかないそこが ペダルとなって鳴る
  不可解な革命 もしくは永遠に回帰して心を乱しつつ
  光の繭をつむいでは闇に呑まれる音楽

 革命のあらゆる方策があらゆる刃が自分に向けられてゆく。「どこでもいい 自分でないところなら」。子供のころ、ひとはなにものかを睥睨して生きている。そしてある日気付く、睥睨すべき対象はどこにもなかった、ひとり、自分自身を除いて。(文中敬称略)


投稿者: 一考      日時: 2010年03月26日 03:41 | 固定ページリンク




夏蜜柑  | 一考    

 眼鏡を買ってきた。世の中が隅々まで一段とよく見えるようになった。45歳のときにはじめて眼鏡を誂えたのだが、その折は大旨1.0だった。63歳になって相当進んだように思っていたのだが、1.5だった。老眼の進捗はかなり遅い。もともと視力が良かったせいなのかもしれない。
 今日はいろいろと買い物を済ませたのだが、ロジャーズで夏蜜柑を見付けたのは嬉しかった。いつぞや見舞客が持ってこられた罐詰のなかに夏蜜柑が入っていた。それと同じ商品が120円で売られていた。ロジャーズはやはりバッタ屋である。食欲がなくなったときにこれは最高の贈り物になる。ついつい箱で買ってしまい、雨のなかを大事に抱えて車へ急いだ。今日の夜食は夏蜜柑である。
 「物買ってくる、自分買ってくる」耕衣さんが柳宗悦から掻っ払った言葉だが、わたしもしばしば用いる。書画骨董から雑器に至るまで、自らの眼力にひとは金を出すのである。蜜柑罐ひとつにしても、旨いものから拙いもの、どっちでもないものに分かれる。この場合は眼力ではなく舌力であろうか。自分の記憶や意識の有り様が即存在を意味しないが、意識が働いている限りにおいて、ひとはそれを信じるしかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月25日 20:51 | 固定ページリンク




昏睡其二  | 一考    

 気を失うような痛みとか昏睡状態は何度か経験済みなので、どうということはないが、のんちさんには初めての経験でさぞかし驚かれたと思う。重ねてお詫び申し上げる。
 わたしにしても、出来るだけ避けたい状況である。通常、あのような状態は貧血で起こることが多い、そちらは愛子さんが先達なので、昨日はなしを伺った。大旨諒解できたが、わたしは二日前に血液検査をしている。その検査では血圧に異常はみられなかった。もっとも、大腸からの下血以来、大量の輸血はしたものの、血液は慢性に不足している。それにしてもと医師は小首を傾げる。山崎さんに分からないものはわたしにも分からない。とにかく、食事のすぐ後のことゆえ、一種の貧血に違いはないだろう。増血剤でも飲むしかなさそうである。
 直接ですぺらへいらした方、または電話で多くの見舞いを受けた。こちらを借りて御礼申し上げる。moonさんからは長文のメールをいただき恐縮している。文中「連れ合いや伴侶なんて最近では全く宛てにならないのですから」には笑ってしまった。わたしは今週末から独り身になるようだが、こちらはmoonさんが先輩。老いてからの独り身は骨身に応えるらしい。ここは一番「生活なんぞ召使いに任せて」入滅するしか手立てはなさそうである、自分でいうのも可笑しいが。
 滅度で思いだしたが、このところ摂取量が減りつづけている。牛丼の小盛りを残すようになってしまった。前述の件もあり、もっか二回の食事を三、四回に分割し、一度の摂取量をさらに減らす方がよいのかもしれない。消化器官への負担を少しでも減らすことになるからである。いずれにせよ、食べることがますます億劫になってくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月25日 19:02 | 固定ページリンク




転居  | 一考    

 22日は終日不動産屋巡り、夜は売れた商品の梱包にですぺらへ行く。リクルートフォレントインシュアトやらの認可を得なければならず、不動産屋で源泉課税表の問題に突き当たった。もっか減価償却の最中のために赤字申告である。よって収入のない人に家は貸せないと云われる、もっともな意見である。
 12年前にも同じ問題で引っ掛かった。その時は連帯保証人のみで通る物件を探すしかなかった。探し始めて現在の住居に辿り着くまでに一年以上掛かっている。インターネットで探し出した物件はことごとく断わられた。その間に何度上京を繰り返したか。今ふたたび同じ問題で頭を抱えることになろうとは。
 娑婆でのわたしの評価は限りなくゼロに近い。もっとも、評価すべきなにものをも持たないが。大方は間道というか、掻い潜る手立てをお持ちなのだろうが、わたしにはそれすらない。以前と違ってVISAカードを持てたことが自慢だが、それすらプロバイダへの支払い以外、ただの一度も使ったことがない。
 それにしても、安定収入がないとどうしてかくまで肩身の狭い思いをさせられるのか。世の中は勤め人だけでもあるまいに、と思う。

 大泉学園の方で結構な物件があった。条件に高齢者とあった。出掛けたところ、女房が死に親しくお付き合いできる女性に入っていただきたいとか、なるほどこのようなリクルートもあったのかと失笑させられた。
 入院の要はなく、本日から店は通常通り営業する。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月23日 07:24 | 固定ページリンク




昏睡  | 一考    

 今日は大阪から前田さんがいらっしゃる日で、自転車談義を楽しみにしていた。そのような日にわたしは気を失うようなのっぴきならない破目に陥った。のんちさんがいらしたので。事なきを得たが、五分ほど人事不省になった。場所は赤坂のはなまるである。気が付くと店長とおぼしき黒服の人とのんちさんが電話をしている。救急車を呼んでいるのが分かった。口から泡を吹いていきなりぶっ倒れたようである。
 どこで何時死のうが覚悟はしている。ただ、ベッドに縛り付けられたり、寝たきりになるのだけは避けたい。なんとか救急車だけは勘弁していただき、外へ出るもやはり歩かれない。脚が縺れて、視力が失われている。道端へしゃがみ込んだが、再び昏睡状態に陥る。気が付くと通行人の女性とのんちさんが、救急車を呼びに再度電話をしている。見知った赤坂の街なのだが、焦点が定まらない。抱きかかえられるようにしてなんとか店まで辿り着く。こういうこともあろうかと用意しておいたマットと寝袋を床に敷いていただき横になる。
 そうこうしている内に前田さん到着、やがて正気が戻るも、みなさんに悪いことをした。のんちさんには多大な迷惑を掛けてしまった。深くお詫び申し上げる。
 意識不明は昨今家にいてもたまに起こる。ただ一、二分で、五分というのは初めてである。愈死の臭いが近づいてきたようである。来週は入院しなければならない。また山崎医師を煩わせることになりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月21日 01:15 | 固定ページリンク




サイクルショップ・クサカ  | 一考    

 自転車のフレーム素材の鉄鋼関係では神戸製鋼所、中山製鋼所、大同特殊鋼、山陽特殊製鋼があり、非鉄金属では日本軽金属、大紀アルミニウム工業所、大阪チタニウムテクノロジーズ、東邦チタニウム、住友軽金属工業がある。2008年7月のコベルコのニュースによると、パナソニック・サイクルテック株式会社から2008年6月20日に発売された「軽量プレミアム電動自転車"チタンライトEB"」のフレーム素材に、神戸製鋼所(TSE:5406)のチタン溶接管が採用された、とある。正確には同グループの神鋼特殊鋼管である。
 考えてみれば、神戸製鋼所とチタン溶接管の歴史は古い。最初にチタニウムのフレームを売り出したのはフジで、86年発売となっているが、実際は84年に既に存在していた。いかなる経緯で流れたものかはともかく、わたしがチタニウムのフレームを入手したのは84年の末だったと思う。余談だが、ケンメリスカイラインGT-RとフェアレディZ432が履いていたマグホイールも神戸製鋼所の製作によるもの。
 自転車に戻るが、フジのチタニウムフレームは神戸製鋼所のチタン溶接管を用いていたと、これは同じ業界筋のひとから聞いた。わたしはマージ、コルナゴ、チネッリ、ポリアギ、ビチュー、アランとさまざまな自転車を乗り継いできたが、チタニウムのフレームのしなやかさには驚いた。カーボンフレームの欠損はよく聞くが、チタンフレームのそれは聞いたことがない。もっとも、しなやかすぎてプロには不向きだろうが。
 このところ、オークションで知り合った大阪の友人としばしば自転車談義をする。よく自転車をご存じの方で、明石のクサカサイクルをご存じだった。料理、陶芸、和紙、反物、製本、金魚、自転車なんでもよろしいが、わたしは職人と名のつく人が大好きで、自転車の組み立てを教わったのがクサカサイクルである。普段はニコニコと温厚な店主なのだが、専門のこととなると目の色が変わる。はじめてホイールを組んで持って行ったとき、センターが出ていないと大目玉を喰らった。怒りすぎたことに気付いて、最初はそんなものだと慰めもする。振れ取りが許されるのは0.1ミリまでで、横振れよりも縦振れがより大事である、自転車に使われるすべてのネジには相応に必要なトルクがあって、締めればよいというものではない等々、実に細かいことまでご教示いただいた。
 ちなみに、クサカサイクルはビバロで知られるピストの専門店で、集まるのは競輪選手ばかり、わたしのようなロード乗りは番外の客だった。2009年に不幸な事故があり、ビバロはNJS登録を抹消された。当時、21名のS1を含む597名の競輪選手がビバロに乗っていたが、その後クサカサイクルはどうなったろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月19日 02:15 | 固定ページリンク




来客  | 一考    

 今し方松山さんから電話、近著を持ってこられるとか。相沢さんに続き、松山さんとも久しぶりに話ができる。同時代によい知己を持ったと、生あることに感謝。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月16日 20:10 | 固定ページリンク




冬至の薔薇  | 一考    

 オークションはまたも完売、今日は発送の日である。最近は日曜日にも店へ出ている、梱包のためである。別けて処理しないと身体が持たない。荷物を持って向かえの運送屋へ三度の往き来で呼吸は乱れ、吐き気がひどくて座り込んでしまう。山崎医師の「掻痒感や易疲労感が増悪していますので、早急な透析導入を御検討下さい」の言葉が身にしみる。医師に云われるまでもなく、体調は最悪である。食器を洗っていてすら目眩いに悩まされる。
 先日の血液検査で山崎医師はあまり乗り気でなかった。どっちみち透析のときには改めて検査が必要だからである。「体内は大変なことになっている。よく動いているね」と医師。本当は店へ出るのにすらとんでもない意志力を必要としている。駐車場への往復もこれが出来なくなれば死のうとの悲壮な覚悟を持って当たっている。食欲がなく、背に腹は変えられず、近頃は外食に手を伸ばしている。
 尿素窒素(BUN) 73.3、クレアチニン(Cr) 8.23、尿酸(UA) 6.6、ナトリウム(Na)139、カリウム(K) 5.4、クロール(Cl) 103、カルシウム(Ca) 10.4。これが最新の値だが、前回よりは多少良くなっている。もっとも、良くなるはずがないのであって、「「少々良い」と言うよりは「悪くなっていない」と云う方が適切」と医師。
 土曜日に幹郎さん来店、相澤啓三さんの新詩集「冬至の薔薇」について語り合った。相澤さんの詩集は常に遺書の形をとる。わたしは「冬至の薔薇」を読んで号泣した。いずれ書かなければならないが、生涯に一度か二度しか出会うことのない詩集である。詩の怖ろしさをわが身に刻み込まれる、そんなときである、八方塞がりのなかにあって、生きていてよかったと思うのは。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月15日 21:39 | 固定ページリンク




ゼウスのペダル  | 一考    

 今週のオークションへの出品は二十点、おそらく残るのは一点か二点。梱包に困るので、手つかずなのがフレームとハンドルバーとホイールである。そして二階からサドルを引っ張り出したのだが、一緒にチューブラー(タイヤ)とスポークが山のように出てきた。タイヤの在庫にはミシュランのセタ(絹)が混じっている。プロが使うタイヤで一本が数万円もする。車の30パーセントのレーシングタイヤよりはるかに値が張る。スポークはすべてスイスのDTである。
 フレームの方は大阪の知己が興味があるようで、気に入れば引き取りに来てくれるようである。アランの最高級車から住友金属がはじめて作ったチタニウムのフレーム、イタリアのポリアギやアラヤのトリプルバテッドのアルミフレームなどが残っている。
 かつて東京にいた頃はロードに乗っていたが、明石では小径のチューブラーに乗っていた。理由はふたつあって、ひとつは何時も酔っ払っているので両脚がしっかり地面につかないと危なっかしい、今ひとつは街灯がなく道が暗くて頻繁に溜め池や畑へ突っ込んでいた。要は高級車に乗られない理由があったのである。今はなきやまちゃん(炉端焼き)の帰りに田圃へ突っ込み、食用蛙を押し潰して恨みを買った。高麗苑(焼肉屋)の帰りに明石城の横で顛倒、カンパニョーロのリアディレイラーを壊してしまった。その焼肉屋の店主は愛車のジャガーで田圃へ突撃、車は天井を下にひっくり返った。酒にまつわる武勇伝は数限りないが、こちらは掲示板で何度か触れている。
 その小径の自転車だが、拙宅の倉庫で眠っている。整理しようと覗いたところ、ペダルにゼウスのチタニウムが付いている。磨けば高値で売れそうである。とんだところでオークション付いたものである。

追記
住友金属と書いたが、神戸製鋼所の間違い。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月11日 23:44 | 固定ページリンク




BMW  | 一考    

 今日は十八時の段階で赤坂の気温は零度、路面は既にシャーベット状態である。車を乗り換えたので、十センチまでの積雪なら平気である。怖いのは明日の路面凍結、タイヤを履き替えていない車は大事になる。
 特定疾病の指定を受けに役所へ行くも、指定医の一筆が必要とか。主治医は指定医でないので毎回困惑する。特定疾病の指定を受ければ、医療費の支払いが一万円にまで下がる。そうでなければ、毎月五十五万円の医療費と薬代二万円ほどを立て替えなければならない。川口へ引っ越す予定だが、その前に片付けなければならない。そして引っ越し先が川口なら書類上の問題はなにも生じないと、障害福祉課の窓口は至って親切である。
 その足で警察へ、駐車禁止除外の許可証をもらってきた。鑑札の真ん中に大きく歩行困難者と記載されている。歩行困難であるに違いないが、ここまで派手に書かなくてもよいではないかと思う。しかし、有り難い鑑札である。処方を待つあいだの薬局の近所での駐車、病院の駐車場が一杯のときもその辺りへ停めておいて捕まらない。

 二輪の処置に困っている。こちらで動くように修理をした上で、オークションで売るしか方法はなさそうである。この件では知己のバイク屋も頭を抱えている。廃棄物としてなら引き取ってくれるようだが、BMWを廃車にするつもりはない。修理費に三十万円ほど掛かるらしいが、掛ける価値はある。二十年の記憶が染みついたバイクである。そういえば、梅木さんの愛車(BMW−R1100)はどうなったろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月09日 21:46 | 固定ページリンク




新規ボトル  | 一考    

 久しぶりにあれやこれやとウィスキーを見繕ってきた。キルホーマン3年もの、アン・アード・ビーグ(アードベッグ)2000年蒸留の9年もの、グレン・キース13年もの、ブローラ(ゴードン&マクファイル)である。他にタリスカー、クラガンモア、ラガヴーリンなど常備品を購った。
 キルホーマンはニュースピリッツしか置いていなかったが、これでやっと三年を経てウィスキーの仲間入りをした。買ってきたのは46度の加水タイプとウィスキーライヴで売られたカスク・ストレングス、フレッシュ・バーボン樽熟成61.5度の二種。加水の方は僅かな苦みが気になる。開栓したばかりなのか、ひょっとすると加水が熟れていないのかもしれない。このところフェノール値が高いウィスキーが多く頒されているが、キルホーマンも50PPM。アイラ島西端にオプティック種を用いた素晴らしい蒸留所が増えた。
 アン・アード・ビーグはスリー・ピートの姉妹品で、ワン・ピートと名付けられ、ラフロイグと同時にボトリングされた。現今のディスティラリー・ボトルとは異なる香味だが、わたしには旨く思われる。一言でいえば雑味がなくシトラスの香が強い。
 ブローラは82年の蒸留、前回のコニッサーズ・チョイスが17年もの、今回は26年ものである。リフィール・シェリーでシェリー香は抑えられ、すこぶるナチュラルに仕上げられている。購入価格は12810円、一万円二枚でおつりがくる唯一のブローラである。
 二十四種の「カーンモア ヴィンテージコレクション」で知られるケニー・マッカイの「セレブレーション・オブ・ザ・カスク」の一本がグレン・キース。バーボン樽熟成の19年もの、52.3度のカスク・ストレングス。223本のリミテッド・エディションである。

 今日は忙しくて疲れた。駐車場まで歩く気力がない。椅子を並べて寝そべっている。明日は庭に転がっている厨房機器を引き取りにイラン人が来る。帰らなければならないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月06日 01:22 | 固定ページリンク




開店休業  | 一考    

 店へは出てきたものの、昨日は開店休業である。一昨夜、引越を早くするように依頼され、ちょっと無理を押してサドルを磨いた。それが理由で、身体が痛くて動かれない。moonさんに聞けば、彼も右肩が動かなくなって二、三週間痛みが続いたという。年を取るとはそういうことなのである。
 今日の電話の用件はとmoonさんから訊かれ、「愚痴をいいたいのですよ」と応える。「よく分かる、近くにいればねえ」とmoonさん。人生から乙張がなくなり、愚痴っぽくなってくる。典型的な老人性症候群もしくは痴呆予備症候群である。耕衣の句に「天心にして脇見せり老の雁」とあるが、それを傍見に凡人の嘆き節が続いた。
 このところ、困惑させられている。なににもまして引越のためには荷物を減らさなければならない。透析をはじめなければならないが、透析がはじまればますます荷物の整理が遅延する。病気のせいにはしたくないのだが、さまざまなことが一度に起きて、手に負えなくなってきている。六十三年分の垢を一気に拭えといわれても、ただただ放心するばかり・・・

 ここまで書いてカウンターで寝てしまったようである。優しく肩を揺り動かす気配がして目覚めた。御礼を云おうとして回りを見回すも誰もいない。どこまでが夢だったのか。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月04日 20:29 | 固定ページリンク




蒐集家  | 一考    

 週明けは忙しい。土曜と日曜の深夜にオークションが終わるように設定している。三週間で61点出品して売れ残りというか再出品は4点のみ。なかにはこのような高値で売れてよいのだろうかと小頸を傾げるようなものもある。
 取り付けネジが枕頭式かナット止めかとの質問があって、どちらにでも対応できるが、現状を記載するようにしている。バイクを触っている方なら、ネジやナットぐらいは自分で作る。ちょっとした金具屋ならタップのたぐいは取りそろえている。どうして遣い勝手がよいように改造しないのかわたしには分からない。
 ついこの間、植木屋さんの電気鋸が故障したので修理した。植木屋さん曰く「父がよく修理していたのを思い出す」。パソコンでも車でもなんでもそうだが、自分で修理できないものに乗ったり遣ったりするのがいまひとつ理解できないでいる。
 自転車などその最たるもののひとつで、自分で組み立てが出来なければツーリングは止めた方がよい。スポークが折れる、チェーンが切れる、ディレイラーが壊れる、パンクする等は日常茶飯で、事故で拗れた自転車に跨がって40キロを移動した剛の者にも北海道で会った。応急処置にさらに応急処置を施して、自転車屋までの20キロを詳しく教えた。車で運ぼうと云ったのだが、頑として聞き入れない、立派なサイクリストだった。
 さて、オークションは四週目に入った。自転車パーツはまだ半分にも減らない。わたしはコレクターではない、実戦部隊だと、どの面を下げて云ってきたのだろうか。パーツの山を見て反省しきりである。


投稿者: 一考      日時: 2010年03月01日 22:55 | 固定ページリンク




PCDについて  | 一考    

 カンパニョーロ社のクランクセットを出品しているのだが、PCDは何ミリになるのかとの質問あり。PCDはピッチ円直径のことで、同クランクの場合、Pitchが84.64ミリなのでPCDは144だと思われる。それにしても、このような専門的な質問をどのように役立てるのか、そちらがわたしには皆目見当もつかない。
 PCDは車のホイールではよく使うのだが、その場合でも問題になるのは車軸のテーパー角で、一般素人にはどうでもよいことである。黙っていればタイヤ屋が車種にあったホイールを選択してくれる。後輪がハの字に拡がったシャコタンを屡々見掛けるが、あれは暴走族が恰好をつけるためだけに履かせているので、タイヤは片減りするし、接地力がなくなってワインディングは出来なくなる。
 カンパニョーロ社のクランクはインナーの最小が41Tだったので、わたしには使えない。そこで、スギノのマイティーを使っていた。スギノのマイティーはテーパー角がカンパのそれと同じなので、カンパのBBに装着できるのである。ちなみに、マイティーのPitchは64.66ミリなので、PCDは110ミリ。これだと34Tが使えるとの計算になる。しかし、この計算は結果論で、カンパのBBに使えるクランクはないかと探してそうなっただけの話である。
 自転車の世界には高等数学から入ってこられる方がいるようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月28日 16:04 | 固定ページリンク




最後のマスタング  | 一考    

 マスタングとインプレッサの車両入れ替えが終わった。インプレッサの車検ははじめてのことが多いので、林自動車にお願いし、練馬で予備車検を取っていただくつもりが、結局埼玉の陸運局まで行った。それやこれやで、警察と市役所と銀行などを走り回る日々が続いた。明日はETCのロムの書き換えである。その後、市役所での再度の手続きが必要になる。
 距離的にさして乗ってはいないのだが、マスタングには随分と世話になった。3.8リッターの醍醐味は存分に味わった。マスタングは燃費が悪いと聞いていたが、リッター5.5キロは走る。国産の4リッタークラスと比して遜色はない。セルシオやシーマでも5キロほどしか走らない。日本の車で燃費がいいのは小排気量の二輪駆動の車だけである。ガスの消費量は排気量と比例する。
 ノーマルのまま乗っていたが、走る基本は国産車となにも変わらない。180キロを超えると風きり音が激しいとか、曲がるときの沈み込みが大きいのは国産も同様である。マスタングはワインディング用の改造が効かないのが欠点といえば欠点であろうか。国産車にあってもスポーツカーと名のつく車にはビルシュタインやブレンボが奢られているのを考えると、ブレーキの利きがよかったのは救いだった、おかげでオカマされたが。
 ボンネットを抑えて下がるような車で峠は攻められない。どのような車であっても、走りたければ車の購入価格と変わらないパーツの交換費用が必要になる。点火系や足回りを固めるような車にもう乗ることはないだろうが、たまに懐かしくなるときもある。マスタングに乗る最後の日は某所へ赴き、ローリング族の真似事でもしてみようかと思っていたものの、生憎と雨天。おそらく、廃車後のマスタングは中近東へ最後のお勤めに行くに違いない。マスタングとそして木村さんに感謝。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月27日 19:36 | 固定ページリンク




JISとBSC  | 一考    

 カンパニョーロのヘッドパーツを売りに出した。自転車屋さんが函にJISと大きく書いていたので、深く考えずにわたしもJIS規格と書いて出品した。質問があって「JIS規格との事ですが、BSCではないでしょうか?ヘッドロックナットの裏側に“English”の刻印があればBSCなのですが」と確認するむねの質問があった。イタリアのメーカーがJISでもあるまいと思うのだが、わたしの失態であるに違いない。
 わたしは世界中の自転車を組んできたので、ネジの違いは心得ている。ボトムブラケットのテーパー角、長さとワン(カップ)の直径、逆ネジかどうか、またヘッドの形状、ペダルのネジのピッチ、ボスフリーの互換性等々である。質問者は「JISとBSCは基本的に同じですが、唯一ヘッド小物だけが違います、ネジピッチ(1”x24tpi)は同じですが、JIS(30.0mm)のフレームにはBSC(30.2mm)のヘッドセットは入りません、また下玉受け部のサイズも違います」と仰せだが、それはセットしてみれば分かる。わたしは悉くが現場の叩き上げなので、緻かな寸法は知らない。ただ、使えるか使えないかを知っているだけである。
 前述したようにイタリアのメーカーがJIS規格のものを作る筈がなく、BSCかイタリアンに決まっている。従って、この場合のJISはBSCを指している。ということは質問者は自らの知識を披瀝したかった、もしくはわが無知を嘲笑するための書き込みだったのか、それにしては手抜かりがある。カンパニョーロの自転車パーツにはBritishと書かれてはいてもEnglishとは書かれていない。
 この消息はオートバイでも同じで、ミリネジとインチネジがあって、それぞれにピッチが異なる。拙宅に工具が山のようにあるのはそれが理由である。近く手放すつもりだが、BMWは顛倒で被害を被るであろうところのネジはすべてミリネジに取換えている。出先で困るからである。
 日々扱っているボトルのコルク栓の直径もボトラーごとに異なる。こんなものぐらい統一しろと思うのだが、日本語のコードと同じで、メーカーごとにまちまちである。なにをもって正漢字とするのかわたしには皆目見当もつかない。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月24日 21:59 | 固定ページリンク




オークションその後  | 一考    

 困ったことが起きてしまった。左手のしびれについては何度か書いてきたが、今日定食屋でみそ汁をこぼしてしまった。セーター、ズボン、パッチ、パンツとすべてびっしょりと濡れてしまった。いつかこのような事態が来るのではないかと思っていたが、案の定である。店員が気に病んでくださったが、申し訳ないのはこちらである。その内、茶碗や丼椀も落とすに違いない。

 月曜日はオークションの発送日なのだが、今週中にあるいは今月中に振り込みますと悠長な方もいらして微笑ましく思う。人々都合がいろいろあって、思うように処理していただければ構わない。ただ、無音に過ぎるのは困る。それといまひとつ困惑しているのが評価である。このようなことで他者を評価するのは釈然としない。納得はいかないものの、それが自然の流れなら逆らうのに抵抗が生じる。わたしは事情のいかんを問わず、機械的に「非常によい」を繰り返している。
 わたしは業者ではないし、その金数が入らなければ明日首を縊るといった塩梅でもない。どだい金券であって、都合の付く人が都合しておればよい、と思ってこれまで生きてきた。いまは借りるばかりだが、昔は金を貸してそのままになった例も多くある。それも経験と割り切らなければ、出版なんぞやって来られなかった。帳尻は死ぬときに合えばよいのである。
 その発送だが、事務員から今日は叱られてしまった。彼女の労働時間が過ぎているのは分かっていたが、締め切りぎりぎりになっての持ち込みが多い。そこへ私がサイクルパーツを山と持ち込むのだから、どうにもならない。こんな日にデートの約束でもあれば腹が立つだろうに、といらぬ気を回す。
 ヤフーからオークションの手数料が知らされたが、五万円を超えている。いかに儲かる商いかがよく分かった。濡れ手で粟とはこのことか。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月22日 21:06 | 固定ページリンク




マンナンライス  | 一考    

 コンビニでマンナンライス入りのミニ弁当を見付けた。女性のカロリー控えめ乃至は糖尿病に対応した商品である。さすがにナトリウムやカリウムにまでは気を遣っていないが、腎不全用の弁当まであと一歩である。タンパク制限がこのような形で実現化するとは思っていなかったので驚かされた。
 マンナンライスをわたしはMさんから頂戴したのだが、女性のあいだでは結構知られた商品であるらしい。ファミリーマートやサークルKサンクス、一部の生協などで弁当や握り飯として売られている。ここ二、三日のように家で食事が摂られないときに利用しようかと思う。それにしてもLGC米やでんぷん米は種類が多いのに、どうしてマンナンライスだけが女性に持て囃されるのか。きっと原材料の蒟蒻の受けがよいのであろう。されば、梅干しと塩の代わりに山葵と山葵菜を用いた握り飯を作れば喜ばれるに違いないのだが。
 提灯持ちはしたくないのだが、木村さんから訊かれたので一言。値段はともかく、他のでんぷん米と比して癖もなく、特有の臭みもない、療養食の貧しさと比べてもお薦めである。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月19日 23:54 | 固定ページリンク




手続き  | 一考    

 このところ、携帯電話を使うことがないので、たまに架けようとすると画面は真っ暗である。今日も車庫証明をとりに警察署へ赴いたところ、書類の不備で刎ねられた。自動車屋へ電話をしようにも繋がらない。
 車検にせよ、障害者手帳の手続きにせよ、公と名の付く文書は苦手である。人任せにしてきたツケが回ってきたようである。車庫証明は今回が四度目、いつになったら覚えるのであろうか。車検はさらに大事である。マスタングまでは当時の連れ添いが処理してくれたが、今回はひとりで処理しなければならない。障害者の減免手続きも二月中だそうである。保険も車両入れ替えその他の手続きが必要になる。おっきーさんと話したが、継続車検なら鮫洲がよさそうだが今回は初車検、ナンバープレート取得のため埼玉の陸運局でなければならない。警察署や市役所と違って埼玉の陸運局は親切心がまったくない、うんざりである。
 今日は印鑑証明を取りに警察署から市役所へ。序でに高額医療費が支給されるとかで相談にゆく。昨年十月のときとうクリニック、川久保病院の入院費の一部、六万円ほどが戻ってくるようである。身障者医療費と高額医療費との関係がわたしには皆目理解できない。いずれにせよ、双方併せて全額還付になるようである。わたしは二重取りを心配していたのだが、杞憂にすぎなかった。
 透析がはじまれば、いよいよ重度心身障害者医療費受給者証の出番である。毎月五十五万円もの金数を、たとえ一時にせよ、負担はできないからである。さらに、駐車禁止で捕まらないための許可証も取得しなければならない。車の減免手続きは毎年自動更新されるのかどうか、気掛かりなことは山のようにある。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月18日 04:50 | 固定ページリンク




過ぎゆくもの  | 一考    

 忠告というほど難しいものはない。忠告は心添えとも云い、ふたつのパターンがあるように思われる。ひとつはひとえに愛情に基づくものであって、ひとつは注意や勧告といったニュアンスを帯びたものである。ただし、この分類にはなんらの意味もない。そのようなことよりも、心添えは対等であるとの仮説に基づいて発せられる。おそらく世の中に対等という概念は存在しようがないと思うのだが、論理的に未分化な人にあっては存在するようである。未分化とは文字通りの未分化である。例えば、稼ぐひと、稼がないひと、几帳面なひと、自堕落なひと、万般に対して積極的なひと、消極的なひと、書き出せばきりがないが、およそ対局主義的なものの考え方の一方を選択する人、しない人、それらすべての状態を未分化と名付けたい。
 ウィスキーの香味について「重いの軽いの、臭いのよい香りの、辛いの甘いのといった註文は意味するところがよく分からない」と書いたが、消息は同じで、なにが重くてなにが軽いのか、なにが辛くてなにが甘いのか、その基準はどこにあるのか、一向にわたしには分からない。例えば、シェリー香が強いウィスキーをビギナー向けとは思わない。一般的に云って、ブレンド・ウィスキーは万人向け、すなわちビギナー向けと思っている。要するに没個性的なウィスキーこそがビギナー向けだと思う。図抜けて旨いウィスキーをビギナー向けという方がたまにいらっしゃるが、その旨い不味いそのものが個性なのであって、そこにビギナーという概念を持ち出すのは間違っている。
 シールダイグのラガヴーリンは近年にない傑作とわたしは思っているが、半数の客は不味いとおっしゃる。これはラガヴーリンと馴染みのない方にとっては当たり前のはなしで、いわんやカスク・ストレングスというだけで拒否反応を示す方が多いのも、いかにブレンド・ウィスキーが数多く出回っているかを示唆している。ここ数年のアードベッグを旨いとおっしゃる方も、最近のアードベッグしか飲まれていない方にとっては当たり前のことで、逆にダグラス・レインやゴードン&マクファイルのアードベッグを飲まれてもなにも感じないようである。
 90年代半ばからのディスティラリー・ボトルにしても、それしか飲まれていなければボトラーズ・ボトルを軽視するのも分からないではない。ただ、蒸留所元詰めとは言いながら、ボトリング設備をもっているのは三蒸留所のみ、グレン・フィディックとスプリングバンク、ブルイックラディである。現状では蒸留所元詰めなどと気安く云ってもらいたくないと思っている。

 他との関係、比較の上でしか成り立たない状況に対して忠告というほど大それた、無意味かつ味気ないものはあるまい。掌や一握の砂に価値があるのではなく、大事は指のあいだをこぼれ落ちていった砂のなかにこそある。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月17日 20:55 | 固定ページリンク




オークション2  | 一考    

 オークション第一週は三十万円ほど売れた。第二週は十点ほど出品したので、もう少し売上が伸びると思う。出品と同時に百を超えるアクセスが入るようになった。見知らぬ友に感謝している。
 金嵩だけならモルト・ウィスキーを出品すればよいのだが、こちらは商売道具、またはわたしの死を待ち望んでいる方が幾人かいらっしゃる。簡単に手放すわけにはいかない。
 来月から無料出品が五十点に増える。いずれにせよ、二、三箇月はサイクル・パーツの発送に追われる。向かえのクロネコ宅急便の事務員が親切な方で助かっている。こちらはものを運び込むだけ、梱包はあちらが手伝ってくださる。梱包材料費は当方で負担しているが、安いものである。便利な世の中になった。

 話題は変わるが、昨日は身体が異常だった。夕刻、かゆみ止めとロールティッシュを買いに薬局へ、それから買い物にスーパーへ赴いたのだが、脇腹が痛くて駐車場からの百メートルほどが歩かれない。泣くに泣かれず、道端に座り込んで時が過ぎ行くのを待った。帰宅後も寝床からトイレまで歩くのが苦痛である。痛みはいまなお間断なく続いている。為す術がない。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月15日 22:52 | 固定ページリンク




カストリ麺麭  | 一考    

 西明石のときは地酒も置いていたので、少々酒のことも囓っております。神亀とか大七は辛口の代表選手ですが、酒粕ならはなしは別ですね。それにしても酒粕で酵母を起こすとは面白い。さしずめ、カストリ麺麭とでも名付けましょうか。かかる柔軟さが調法にとってもっとも大切な心掛けなのだと思います。
 表面に塩を振るのも結構なアイデアだと思います。づけ丼は無理ですが、醤油を皿に取っての刺身なら大丈夫、少しの塩分でいかに感じさせるかに、またまた調法の極意があるように思うのです。
 楽しみに致しております。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月15日 21:51 | 固定ページリンク




カウンター  | イナミ    

金曜日は、ありがとうございました。カウンター越しにいつもの仲間の顔をみると少しちがった風景を感じることができ、なんだかとてもよい気分でした。
思いつきのお題がシングルモルトに変換されていくのもすごく興味深く、気づくと結構飲んでいたようです。
パン(麺麭というほうがずっと重みがありますが)についても、貴重なご意見に感謝です。無塩にして表面にわずかな塩をふると最も塩分を感じることができるのではないかと思いますがいかがでしょうか。昨日は地元の酒屋で入手した神亀の酒粕で酵母を起こしバケットを焼きましたが、香りが素晴らしく何もつけることなくおいしくいただけました。近々また試作をお届けいたしますので、忌憚のないご意見を賜りたく、よろしくお願いいたします。


投稿者: イナミ      日時: 2010年02月15日 20:58 | 固定ページリンク




オークション  | 一考    

 オークファンで調べてこの三年間に見掛けないものを優先的に出品した。ほとんどが6、70年代のカンパニョーロ、ストロングライト、TAなどのサイクルパーツである。内一点はアクセス数が500を超えた。大変な数であるにもかかわらず、入札は半数。オークションの世界までもが不景気なのかと驚いている。
 売れなかったものは一巡すれば再出品すればよいのであって、安売りはする気もない。なにが売れるか分からないので、次回はブルックスをはじめとする60年代の革製のサドルを出品しようかと思う。こちらの在庫は十個ほどだが、輸入元でひとつずつチェックして購入している。ただ、当時は銅鋲を用いているので錆がひどく、磨くのが大事である。
 先日、出品したカンパのトリプルクランクセットは、必要だろうと思ってボトムブラケットも付けた。トリプル用BBには117ミリ(ロード)と122ミリ(ランドナー)の二種があって、そのことに対して質問があった。しかし、これは応えられない質問である。今ではコロンバスのトリプルバテッドが中心だが、昔の自転車はレイノルズのパイプを使っている。フレームの硬度が変わっただけでなく、スケルトンそのものが変わっている。要はコンパクトに短く立ってきたのである。そして問題はエンド幅が広くなったことである。現今のフレームサイズでは117ミリのBBは使い物になるまい。
 かつてのアランやビチューのアルミフレーム同様、レイノルズ531のフレームは柔らかくしなり、素人にも乗りやすい自転車だった。ところが、今では素人がツール・ド・フランスでプロが乗る自転車に乗っている。ちなみに、フロントのアウターは49Tでも下りで100キロまでは軽く踏める。わたしは46Tを使っていたが、それでも平地で60キロまでは大丈夫である。選手が使うような53Tは脚を痛めるだけである。それでなくてもフリーとチェーンが発達し、枚数も増えた。大きな歯数を用いるのでなく、脚の回転数を上げる訓練をする方が真当である。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月14日 16:52 | 固定ページリンク




吝嗇  | 一考    

 二人連れ来店、這入ってくるなりランチの話をしている。安いランチを探しているらしく、五百円からはじまって四百円、三百円、それ以下のランチへと話は進む。五十円のランチがあっても一向にかまわないのだが、聴けば聴くほどに中身というか内容の話がなにひとつ聞こえてこない。維新号(もっとも高価なディナーは六万円)や天一のディナーが五千円になるのなら安いだろうが、三百円で儲かる設定になっているものを値付けだけで安いとは云えない。中身と値段は相対的なもので、中身を切り捨てて値だけを問うのなら、ですぺらは切り捨てられなければならない。随分と前のはなしだが、余市を置いた。あれはですぺらの原価計算なら一杯三百円になるが、当店は安売りが目的の店ではないので、以降余市は置いていない。バランタイン、シーバス、カティーサーク、ジョニー・ウォーカーもしくはアーリータイムズ、フォアローゼスなどの売価は二百円にも満たない。千円ウィスキーを三、四十種類ほど置いて全品百九十円の方が儲かるかもしれないが、そのような店の営業は蒙御免。
 ホワイエのマスターが屡々来られるが、知己がカクテル百九十円の店をはじめたらしく、大層混雑していると聞かされた。そのホワイエはカクテルを止めてモルトウィスキー一本に営業方針を改めたいといっておられた。こういう不景気なときこそ原点を大事にしたいともおっしゃっていた。それにしても、赤坂に相応しい十の店について話し合ったが、その内の数店はすでに閉店している。老夫婦が営まれるジョーク(未だに真空管のアンプを使っている)などは何時までも残ってほしい店なのだが。
 さて、件の二人連れが帰ったあと、愕いた。ですぺらのカウンターは大谷石なので、小さな穴が無数にあいている。その穴へお絞りをちぎって埋めていたのである。爪楊枝で穿って元に戻したが、カミュの「シーシュポスの神話」を思い起こした。吝い部下を持つ上司の溜息が聞こえてくるようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月14日 16:28 | 固定ページリンク




山小屋の仲間  | 一考    

 まず、ご参加くださった山小屋の仲間たちにスランジバー。途中から興に乗り、偲ぶ恋、失われた時を求めて、老いらくの恋等々、モルトウィスキーの註文までが、感情豊かな悲恋ものに変わった。というか、悲恋のみが大きな感情の振幅を内包する。
 わたしはかような概念的註文が大好きである。重いの軽いの、臭いのよい香りの、辛いの甘いのといった註文は意味するところがよく分からないのである。例えばヨード香、ピート香、スモーキーは各々異なる香りである。スキャパのようにピート香はないが、ヨード香を持つウィスキーもある。そのヨード香とピート香を識別なさる女性がいらしたのに愕いた。いずれにせよ、概念的註文を受けると幹郎さんのいう物語が立ち上がってくる。そこにこそ、ウィスキー飲みの醍醐味がある。
 初手は柔らかく、爽やかな喉ごし、馥郁たる香りを持つものの、気づけば後になにも残らない、ダフタウンやシングルトンもそういったウィスキーである。特にシングルトンは一級の悲恋ものとしてわたしは高く評価している。
 
 イナミさんお手製の麺麭は旨かった。無塩だとそのもみなさ(もみない=味気ないの意)にバターを多量に用いる。従って塩分一グラムの減塩麺麭の方が結構と思った。たくさん焼いてきてくださったので、次の日は終日麺麭を囓っていた。久しぶりの麺麭の感触に涙する。
 ナカザワさんのハーブオイルはにんにくの香りが強く、麺麭には不向きと思われたが、炒めもの、特にパスタには最適、併せて感謝する。
 聞くところによると、山小屋に麺麭工房を造るようである。釜は大谷石、いよいよ嬬恋村も忙しくなってくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月14日 16:27 | 固定ページリンク




限定本  | 一考    

 かつてNさんの限定本を企画した。挿絵はUさんにお願いした。NさんもUさんも亡くなり、企画はそれきりになった。先日、わたしの誕生日にPさんが現れ、あの本を造りたいと仰言る。問題はふたつ、ひとつは綴じ込み本をわたしは造る予定だった。版画は単品だと高いが本文に綴じ込むと挿絵となって安くなる。しかし、綴じ込みだと数物製本では間に合わない、例え数物であっても、少なくともルリュールの心得のある方の製本でなければならない。
 いまひとつは、Pさんが代金のことを口になさっていたが、あまり安く売ってUさんの他の画が値下がりするようでは困る。これは大きな留意点である。
 わたしの余命はいくばくもない。従ってPさんのような奇特の士が現れるのは嬉しい。企画を練り直してもらえないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月09日 21:50 | 固定ページリンク




珈琲  | 一考    

 福原のすぐ横、多聞通に上島珈琲があった。木造家屋だったのを昭和三十五年に立て直し、神戸本社ビル(現UCC第1ビル)となった。山本六三さんが珈琲好きで、珈琲豆を買いに日参していた。焙煎はじめ、いかにうるさい注文であっても、店員は快く応じてくださった。
 ミルを股で挿み、がりがりと挽くのである。西明石のですぺらには古い鉄製のミルが大小取り混ぜて四、五台飾っていたが、あれは当時のなごりである。とにかく、山本さん共々、珈琲にはこだわりを持っていた。どこの喫茶店へ行こうとも、ブレンドの豆の配分が手に取るように透けて見える。山本さんはブルーマウンテンかキリマンジャロ単品がお気に入りで、漆黒の濡れたような輝きを持つ、深煎りを好んだ。シングルモルトに嵌る素因はすでに当時から醸されていたのである。
 そんなことを思い出したのは、先日知己に罐珈琲を出したところ、ブラックしか飲まないのでと断わられたからである。罐珈琲は出来合いであって、大量生産されたものである。微妙な香りなんぞ楽しむためのものではない。わたしもちゃんとした珈琲ならブラックで飲む、しかし罐珈琲なら何でもよいと思っている。運送屋で働いていた頃、職場の自販機に牛乳屋のミルク珈琲というのがあって、冬の早朝それを飲むのを楽しみにしていた。
 書物でも同じである。マスプロ出版で拵える本の装訂なんぞ、なんでもよいとわたしは思っている。逆に云えば、綴じ糸に麻が使われていない書物なんぞ糞食らえである。無線綴じや網代綴じの本を手に装訂がどうのこうのというのはまさに笑止。
 ああ、云われたばかりなのに、また悪態をついてしまった。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月09日 21:48 | 固定ページリンク




風景  | 一考    

 花柳界では女性客は嫌がられる。その理由のひとつが風景に溶け込まないからである。女性はどのような場にあっても自らの立ち位置を探し出してきて主調する。抽象化された、すなわち濾過された話題にはついていかれないのである。もしくは年端もいかない芸妓から風景のように扱われることに堪えられないのである。まるで見下ろされているかのごとく錯覚するのであろうか。
 個と個のあいだにあって、分離はあっても対等はないとする考え方をわたしは福原で学んだ、例によってちょんの間である。浮世風呂の一時間は四十分、ちょんの間のそれは二十分である。わずか二十分の交接のあいだに、男は思いの丈を吐きだし、女は男の思いを眺めやる。おそらく、ここには愛と名付けられるさまざまな種類の思いと行為が凝縮されている。
 「仮象と客観的な実在性とがさかしまになっていた」と書いたが、いつも女は風景を眺めている。きっと、受け取るお足すらがひとつの風景だったに違いない。この消息はジュネのような男色家にとっても同じだった。男にしてからが、排泄と同時に逸るこころは鎮められ、一瞬の後には「ばつの悪そうな、済まなさそうな顔」に戻って立ち去ってゆく。
 前述した女性客が持つ主体性を娼婦は持たない。もっとも、眺めるという行為も一種の主体である。しかし、能動的な主体ではなく、著しく静的な主体である。娼婦には選択も参画もない。あるがままに過ぎゆく行為を眺めているだけである。まるで神のように。

 理屈が優先されるのがわたしの癖で、立ち位置を探しているのはわたし自身なのかもしれない。知己から悪罵は書くな、主観を除いたところに悲しみが派生するといわれた。表現の骨幹を端的に示唆されたようで、身震いした。感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月09日 16:33 | 固定ページリンク




通用しなくなった為来り  | 一考    

 お茶屋では仕事、経済、政治のはなしは禁句である、時として趣味のはなしすら。お茶屋に上座、下座はあっても、みなさん常連であって平等に扱われる。それでなくとも、人品に上下などあろうはずがない。従って仕事のうえでの上下関係は無視される。花柳界はどこまで行ってもフィクションの世界であって、それがいやなら席へ上がらなければよいのである。
 スナックやクラブは水商売ではないのでお茶屋とバーを一緒にできないが、仕事に関するはなしは極力避けるのが無難である。そのための共通の話題として当店ではモルト・ウィスキーがある。とは申せ、吉行のような遊び人はめっきり寡なくなった。飲み屋へまで自分の世界を引きずってくる方がいらっしゃる。飲み屋はしがらみから離れ、ひとり静かに酔いを愉しむ場であろうに。
 昔、なぜワーさん、ターさん、ナーさんと名前を呼ばずに符丁で呼んだかといえば、名前だと現実に引き戻されるからであった。時計がないのも同じ理由である。里ことばも同様で、芸妓に出自は無用である。祇園に就職(置屋に所属すること)した若い女性が雲と蜘蛛、箸と橋、雨と飴を同じ発音にするに腐心していたのを思い起こす。
 フィクションの世界と書いたが、パーソナルな部分を捨てた、謂わば人形劇の世界をわたしは花柳界に視ていた。裏側では集娼や散娼、または黴毒や麻薬などが蠢いていたが、お茶屋の席もしくは花魁(これこそ一緒にならないが)というものは、そうした雑事一切に関わりなく、常に美しく輝いていた。「夢こそ真」ではないが、あの世界では仮象と客観的な実在性とがさかしまになっていた。その危うさに少年がどうして惹かれていったのか、そこのところを描きたいのだが、思うに任せない。
 いずれにせよ、苟且の場とはなにかと、いまにして考えさせられる。大切にとはしかるべき距離を指し、諛いとは一足飛びに相手の胸元へ蹴りを入れることに他ならない。距離をなくしてひとときの囲いは提供できない。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月08日 20:42 | 固定ページリンク




でんぷん米  | 一考    

 昨日、ヒデキさんがMさんからと云って、マンナンライスをお持ち下さった。去年の七月、メーカーは違うが、でんぷん米をはじめて食した。人間の食い物ではないというのが、その時のわたしの印象だった。たしか掲示板でも書いたように記憶するが、外米と同じで炒飯や雑炊もしくはカレーライスに向いているとも思った。
 でんぷん米と書いたからには製法は同じなのであろう。しかし、何のでんぷんかでおそらく香味も違ってくるのだろう。 コーンスターチと小麦粉でんぷんで作ったものを食べたのだが、今回のマンナンライスは菎蒻、すなわち芋である。このところ、LGC米ばかりで、でんぷん米からは遠ざかっていた。折角のMさんのご好意を無にすることはない、再チャレンジしてみようと思う。何事によらず、印象が変わるというのは実に楽しいことである。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月08日 01:01 | 固定ページリンク




タンゴール  | 一考    

 「雨過ぎて雲破れるところ」を読んだ時のことを思い出します。2008年09月24日に掲示板で書きました。「生きなくっちゃ。夢なんか見ている暇はない。という息せき切った思いが、山のあちこちにみなぎっている」との幹郎さんの言葉がわたしを熱くさせます。
 イナミさん、ナカザワさんにもお世話を掛けました。いよいよ動かれない身になりつつありますが、山小屋のはなしは幹郎さんから伺っております。
 清見自体が交配種ですが、デコポンの母御ですね。先頃、親しくしている編輯者が来店「カツ丼や焼き肉を食べたくならないか」との訊いに「欲しいのはオレンジジュースかアップルジュース、それも腹一杯」と応えました。それほどに柑橘類や林檎はわたしにとって手の届かないものになってしまいました。
 チレ・セラーノ(Chile Serrano)はさわやかな酸味が特徴の青唐辛子ですね、あまり辛くないとの印象を持っていますが、おいしそうなハーブオイルですね。さっそく試してみましょう。糖尿ではないので、エネルギーは糖分と油分で補っています。従って、ハーブオイルは有り難く頂戴致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月08日 00:20 | 固定ページリンク




初メールで失礼致します  | ナカザワ    

以前、山小屋でお会いしました地元のメンバーです。
関さんから伺いましたが、私の使っているハーブオイル(無農薬のチリセラーニョ・ローズマリー・ニンニク入り)が、パンに塗ったり、炒め物に良い味を出しますので使ってみては如何でしょう。
関さんに持っていってもらいますので、ご試食下さい。


投稿者: ナカザワ      日時: 2010年02月06日 09:57 | 固定ページリンク




パン  | イナミ    

山小屋メンバーのものです。
関さんからお話のあったパンの件、12にちまでに少しだけですが研究してみます。オレンジピール、おもしろいアイデアです。自家製のもの(清見タンゴール)があるので早速作ってみます。減塩パン、乞うご期待!!


投稿者: イナミ      日時: 2010年02月05日 21:22 | 固定ページリンク




第一回鍋句会のお誘い  | 一考    

今般、中村裕を主宰として、ナベサンに於いて句会を始める事になりました。広く参加者を募ります。

一、経験の有無、性別、年齢、不問
一、提出句は有季無季、定型不定型、不問。但し俳句である事
一、自由題(雑詠)にて五句、当日、提示の席題にて一句
一、参加料無料、飲代のみ、花代可

 主宰・中村裕 勧進元・渡辺ナオ

 日時 2月9日(火)夜7時半〜
 場所 ゴールデン街 ナベサン 電話03-3208-0627

中村 裕さんは1948年北海道生まれ。三橋敏雄に師事。フリーランスの編集者、ライターとして活躍。句集に「石」、著書に「名句で味わう四季の言葉」「やつあたり俳句入門」「俳句鑑賞450番勝負」など多数。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月05日 12:47 | 固定ページリンク




ですぺら貸切  | 一考    

 来週の金曜日(12日)、ですぺらは貸切になります。佐々木幹郎さんと山小屋の仲間たちのパーティーです。

 関さんへの伝言です。昨年の七月以来、療養食なるものを食べていますが、飽きてしまったのです。あまりの拙さに食欲不振で、そちらからの解放もあって透析を今月中にはじめることにしました。ところで、かつて赤坂のパン屋をまわった折、食塩を減らせばもみないパンになる。それよりも食する量を減らせばどうか、と逆提案されました。正論で、食事量が減ったいまなら納得がいく意見です。
 例えば、わたしは一日二食ですが、肉饅だとひとつ食べれば半日は大丈夫です。腎不全用の肉饅もあるのですが、ひとつだけなら中華屋の肉饅を食するに如くはなし。この伝でいけば、大概のものは大丈夫ではないかと勝手に判断しています。大食漢の方には申し訳ないのですが。
 パンにはなしを戻しますが、一部のパン屋さんは生のオレンジの皮を磨りつぶして塩の代わりに使っているようです。でもこれだとカリウムが禦がれません。そこで、一般で売っているオレンジピールならいかがでしょうか。生ほどの香りはありませんが、ごく僅かカルダモンを追加してやればいけそうな気がします。そして食パン程度の塩(バゲットに換算して二グラム以下)だといかがでしょうか。期待しております。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月04日 20:00 | 固定ページリンク




吉祥古書店  | 一考    

 「書物の整理の件ですが、お役に立てるかどうかは判りませんし、また東京のそれも専門店の方が便利で安心で高価とは思われるものの、もしそれら馴染みの店でどうにもならない本がありましたらどうぞ小さな古本屋の戸を敲いてみてください」との挨拶を添えて、神戸の荻野勝さんからメールがあった。
 荻野さんはコーベブックスのお客さんで、神戸の拙宅へ来られたことがある。探偵小説をよくする読書家で、当掲示板をご覧になる方には垂涎ものの古書店である。ぜひ紹介しておきたい。書肆風狂を改め、現在では吉祥古書店と号しておられる。URLは以下のごとし。

 http://homepage2.nifty.com/huni/

 荻野さんには取り合えず、ハヤカワポケットミステリーを整理していただこうかと思う。初期のものばかりだが、二百冊余蔵している。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月04日 02:32 | 固定ページリンク




サンリオ文庫  | 一考    

 生ける屍、深き森は悪魔のにおい、アバ、アバ、キングとジョーカー、猫城記等、計48冊のサンリオ文庫が拙宅に在る。もう少しあったと思うが、取り敢えずそのようなところ。
 おっきーさんからデジカメを拝借できたので、このところ、持ち物の整理をはじめた。とにかく拙宅にはものが濫れている。そして、雑誌(約三千冊)や文庫本(約一千冊)は出入りの古書店では金にならない。自転車のパーツはオークションで処理をはじめたが、こちらは月に十点しか出品できない。五百点はあろうかと思われるので、業者登録が必要である。登録費用は月間18000円。
 いままで、書物が常に転居のネックになってきた。昨今はやりの空調設備の整ったレンタルルームならいざ知らず、コンテナの類いに詰め込んでで多くの書物を駄目にしてきた。そして阪神淡路大震災では蔵書の中枢を一万点ほど失った。爾来、三村竹清の嘆きがよく分かるようになった。
 いずれにせよ、目の前に陳べることができない書物は蔵書にならない。これに関して幹郎さんの意見は正しい。糅てて加えて、わたしは極端に視力が弱くなった。ぼちぼち店仕舞の季節(書物であって飲み屋ではない)である。
 先日は上田敏、矢野峰人、蒲原有明、薄田泣菫が関係する雑誌を各一口で売却。このあたりだと出入りの古書店でも取り扱うようである。過日、近松秋江の一口が右から左へ売れたので店主は自信ありげである。日夏耿之介、平井功、正岡容が関係する雑誌も一括で売ったが、サバトは買い叩かれた。店主曰く、復刻が出たからね。誰があのようなものを拵えたのでしょうねェ。
 流行りの古書店ならいざしらず、わたしが馴染みの古書店では幻想文学関係は金にならない。一冊、十円とか百円にしかならないのである。上記サンリオ文庫は金高にはまったく這入らない。とはいえ、オークションは面倒である。そこで、病気見舞いを兼ねて高値で知己に買っていただきたいと思っている。

追記 
 さっき眼鏡が壊れた。幹郎さんから頂戴した眼鏡があるが、わたしは幼少の砌から淫乱の気があって、老眼だけではあまり役に立たない、新調しようかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月03日 19:50 | 固定ページリンク




インプレッサは雪の中  |   一考

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 一昨夜、雪に気付いたのは八時。マスタングはFRで、しかもタイヤはミシュラン、雪道は走られない。川越街道から17号バイパスへの道は毎年何度かアイスバーンになる。降雪の具合から十時までが限界と判断する。駐車場へ走るも、車はすでに雪の中、十分な暖機を取らないと窓の曇りが取られない。走り出したが、みなさんのろのろ運転で一向に捗らない。池袋までは極力飛ばしたが川越街道はひどく吹雪いている。大山市場の交差点も毎年凍り付く場所だが、道はシャーベット状態、タイヤにごつごつした感触が伝わってくる。
 山形での氷上運転の訓練を想い起こす。氷上では四駆もチェーンもなんの役にも立たない。車の立て直しはアクセル操作だけである。なにかしら嫌な予感に襲われる。ぐんと速度が落ち、車間距離が開いてゆく。17号バイパスの入り口は大丈夫だろうかと気が気でない。
 17号バイパスの入り口は前後が遮音壁と高速道路で囲まれているが、中央部だけが吹き曝しになっている。そこに路面凍結注意の看板、分かっているのだからなんとかしろと云いたくなる。17号バイパスの入り口部分を抜けると笹目橋だが、ここから先は高島平から回り込む大型トラックが走っているので余程の降雪でないかぎり大丈夫である。
 帰宅は恰度十時、今回は無事だったが、いよいよインプレッサの車検が近づいてきた。しかし、タイミングベルト、ウォーターポンプ、ドライブブーツ、ブレーキディスクの研摩、ガソリンタンクの洗浄、右後部窓ガラスのモーター、左サイドミラーのモーター交換など、車検と併せて最低でも二十五万円ほど必要である。車は四、五万円で買えるが、走れば走った分、維持費がとんでもなく掛かる。さて、どうしようか。


投稿者:   一考  日時: 2010年02月03日 14:49 | 固定ページリンク




数値表  | 一考    

 山崎医師が血液検査の推移が一目で分かる数値表を作ってくださった。それによると、尿酸、ナトリウム、カリウム、血糖などが標準値にまで下がっている。確かに食事制限が効いているようである。特にカリウムは生野菜や果物に大量に含まれているために、制限が非常に難しい。水漬けのフルーツ罐を無理をして食しているが、カリウムが減るのはいささか嬉しい。
 このところ、日常生活が二進も三進もゆかないので、血液検査表がわたしの唯一の話相手となっている。などと書けばお寒い限りだが、いまのわたしに必要なのはどのようなことでもよろしいから自信をつけることなのである。カリウムが減っている、それだけでエッヘンと威張りたくなる。それが内弁慶だというなら甘んじて受けようではないか。
 山崎医師からカリメートを減らして活性炭を増やす、もしくは活性炭だけでもよいかもとの指示を受ける。早速、そのように書き直した処方箋を頂戴する。わたしは医者ではないが、自らの病症についてあれこれと思いを巡らしたい。考えることによって少しでも客体化できるからである。
 ここまで書いて外を覗くと雪、帰られなくなるので今日は早仕舞である。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月01日 20:07 | 固定ページリンク




如何でもよいこと  | 一考    

 「最後の鍋会」の後半はちょいと難しく書いた。理由はこれ以上ひとを傷つけたくないからである。しかし、病人が感じる疏外感はわたし個人のものではないだろう。繰り言がどなたかの役に立つかしらとも思う。
 例えば、風呂へはいるとさまざまな問題が生じる皮膚疾患に罹った場合、苦痛を避けようとして風呂から遠ざかる。しかし、回りは疾患に罹ること自体が非衛生にしているからだと憶測する。湧いているよ、這入んなさいよ、旺んに薦めるが、それで駄目なら、たまさか入浴した際に、やはり気持いいでしょ、無精髭はない方がいいよ、男前があがったねなどと褒め上げる。しかし、これは鬱病のひとに頑張れと言い続けるのと同じ効果をもたらす。この場合の「頑張れ」は気にかけているもしくは気に病んでる、同情しているとの意思表示なのだが、これが患者にとっては新たな苦痛のたねになる。ひとに迷惑を掛けて生きているといった種類の自覚ないしは自意識が患者のなかでいやまさり、一段と鬱を昂進させる。要はデフレのスパイラル現象と同じである。
 基礎疾患に限らないが、ひとつの病はさまざまな症例をもたらす。わたしのような慢性腎不全の場合は血液が異常になるために、なにが起こるか予測不能になる。そのような場にあって成因論は意味をなさない。なぜ罹患したかではなく、いま出来ることはなにかが問われなければならない。ひとつひとつの病例に則した薬物の種類と量が必要になる。よって、当方の心掛けも症例に応じて揺れ動く、対応するに精一杯で、まわりへの気配りは疏かになる。ところで、気配りというものは双方向ではじめて成り立つものである。気配りが方向性を見失ったときの結果は明らかである。
 以上は気配りが病を進行させる典型なのだが、この構造は看る側、看られる側の双方に通じる。どちらかが諦めるまでつづく構造なのだが、諦めた時は双方の関係は新たなディメンションに立ち至る。
 「鬱病」はかつて「怠け病」と揶揄されてきた。そしてあらゆる病気は鬱病同様、怠け病と解されかねない症例を抱えている。「今回の病症から感じる疏外感を顧みて、鬱病と同種のものを嗅ぎ取った」と書いた内容のほんの一部だが、ここから先は書きたくないので以下削除。


投稿者: 一考      日時: 2010年02月01日 13:58 | 固定ページリンク




最後の鍋会  | 一考    

 おっきーさんのご好意によって一羽九千円の鴨がみなさんの胃袋におさまった。当方で用意した鴨が恰度二羽分、併せて三羽の鴨が地上から消えた。おっきーさんには後片付をお願いした。そうでなければ、後片づけに朝まで掛かっていたに違いない。これでですぺら最後の鍋会が無事に終了した、それほどに身体が弱っている。おっきーさんに深く感謝したい。
 片づけが終わり、帰ろうにも身体が動かない。店で休憩しているところへ山崎医師が来られた。他にも一時を過ぎてから常連さんが複数来店、事情を説明して早急に切り上げていただく。帰宅は三時半だった。

 今週も血液検査で山崎医師を訪ねる予定だが、病院外で話し込むのは久しぶりである。このところの体調不調など、人前では憚られることを細々と相談する。全身に拡がってきた発疹、皮膚の剥離感、睡眠中にまでつづく痛み、むくみと頭痛、倦怠感と疏外感、目に見えて衰えてゆく生気等々、ことごとくがはじめての経験なので施す術が分からない。
 「よく喧嘩をしたのは吃音がもたらす精神的緊張と意志疎通が思い通りにいかないことが理由である」と前項で書いたが、精神的緊張が吃音をもたらすのでなく、吃音が精神的緊張をもたらす。今回の病症から感じる疏外感を顧みて、鬱病と同種のものを嗅ぎ取った。健常者(この言葉の概念はいまだに理解できないが)にも、さらには医師にすらどこまで理解できているのかすこぶる疑問が残る。医師の場合は症例に対する記憶の引き出しが一般と比して格段に多いのは認めるが、理解という点では同じように心許ない。医師としての発想が時として患者の疏外感を昂進させることもありうる、と医学の本質に迫るような会話がつづいた。
 看る側と看られる側、双方がより多面的な発想法を持たない限り、医学が医学として成立し難いのではないだろうか。かかる柔軟な意見を持つ山崎医師の素晴らしさを思う。吃音と同じで、病人にとってはまず症例ありきである。症例がすべての発端となるのであって、そこに意志力や精神力の軟弱を読み取るのを藪医者という。日本の医学は遅れている、とりわけメンタルな面にかんしては未だに戦時のそれ(大和魂)と大差ないのではないだろうか。
 さて、わたしは看られる側だが、そのわたしに多面的な発想法の持ち合わせがあるのだろうか、自らの生と死をどこまで客体化できるのだろうか。山崎医師から学ぶことは多い。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月31日 23:00 | 固定ページリンク




種村薫さん逝去  | 一考    

種村薫さんが亡くなられた。種村季弘さんの奥様である。

通夜は二月二日(火)十八時より。告別式は三日(水)十時から十一時。
西湘ホール 足柄下郡真鶴町真鶴1902-2 電話0465-69-1444(代表)


投稿者: 一考      日時: 2010年01月31日 20:20 | 固定ページリンク




鴨鍋会  | 一考    

 明日は鴨鍋会です。この種の会はなんども催していますが、ですぺらでの消費量は半端でない。鴨一羽で胸ロース二枚、もも肉二枚が採れるが、これでやっと二人前にしかならない。前回は七人で二十人前を食している。今回はつくねを作らないので、さらに量が増えると見込んでいる。
 あしらいに白菜、葱、椎茸、しめじ、豆腐などを用意したが、青物で困ってしまった。季節から推して芹を用いたいのだが、芹は香りが強く、合鴨とバッティングする。そこで水菜を使用することにした。食べ方にコツがいるがそこはよろしくお願いします。
 例によって午後七時半から閉店までの貸切。会費は5000円。酒は別料金だが、モルト・ウィスキーはアフター以外は厳しく、前述のビールと今日焼酎をお持ちします。

 なお、あと一名は参加可能です。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月29日 11:47 | 固定ページリンク




皮膚感覚  | 一考    

 鴨鍋に必要なものの一部を仕入れにゆく、併せてビールもである。何時ものマーフィーズ、ボディントン、ギネス、白生などを各四本づつ、手に持ってですぺらへ戻る。道半ばにして動かれなくなる。あとは休みながら時間を掛けて歩くしかない。
 わたしが子供のころ、アトピーなる概念は一般的でなかった。よって分類はアレルギーもしくは蕁麻疹である。そしてわたしは蕁麻疹に苦しめられた。因果関係はいまだに分からないが、発疹、鼻炎、吃音等々、さまざまな疾病に遭遇してきた。
 例えば、よく喧嘩をしたのは吃音がもたらす精神的緊張と意志疎通が思い通りにいかないことが理由である。先日、「すうどん」のことを書いたが、あれは「かけうどん」の最初の「か」が発音できないからである。わたしが「かけうどん」を注文すると必ず「ぶっかけ」が出てくる。それが分かっているので「すうどん」としか注文できないのである。これは吃音者にしか理解されないが。
 蕁麻疹は二十歳ぐらいで収まっていたのだが、腎臓が悪くなってから同じ症状が再発した。わたしが風呂嫌いになったのは、風呂自体は良いのだが、その後は全身が引きつれたようになる、あの感覚が嫌なのである。毛細血管かリンパ管か汗管かなにか分からないが、その一本一本に七味唐辛子を擦り込むようなぴりぴりした感覚なのである。弱電気を流されて皮膚が剥がれ浮游してゆくような感覚、それが長く続くといつしか激痛に変化する。
 人と暮らすと、風呂へ這入ることを強く勧められる。当たり前といえば当たり前なのだが、それがいかような苦痛をもたらすかについては前述の吃音と同じで、おそらく経験者にしか理解されない。

 右足の痛みもさることながら、ビールをぶら下げた手にはじまって、ぴりぴりしたもしくはびりびりした痛みが全身を蠢く。それが理由で立ち止まってしまったのである。狂いそうになる種類の痛みであって、全身を掻きむしりたくなる。この種の痛みには慣らされてきた筈なのだが、どうにもならない。汗をかく夏が思いやられる、その頃まで生きていたとしての話だが。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月28日 20:36 | 固定ページリンク




フラット  | 一考    

 近所のプラセールでおまけの葉巻をもらってきた。パンター・カフェとパンター・アロマ(共にオランダ)、前にも頂戴した記憶があるのだが、ダヌマン・ムーズ(ドイツ)、そのほかにパイプ煙草を二種。ありがたいはなしだが、ゴールデンバットの客にしてはサービスが過ぎるようである。
 それにしても、昨今喫煙量がめっきり減った。同時に食事の量も減り続けている。飯は一食140グラムにまで減ったが、それすら残すことがある。ますますもって喰うことへの執心が薄らいでくる。そして血圧は上がり続けている。
 血圧で思い出したが、先日ディスカバリー、チャンネルでブロンクスの救急病棟を見た。血圧が85-55の急患が抛り込まれるシーンがあった。体内出血だが、CTスキャンを中断して血圧の維持をはかる。医師は明日まで生きるかどうかは五分五分といっていたが、二十時間ほど生きてその患者は死んでしまった。思い起こせば、わたしが大腸の出血で入院したときの数値と同じである。やはり、死んでいたのかもしれないな、と思うと妙に悲しくなってくる、生き残ったことがである。木村さんが血圧が50にまで下がるとフラットになると云っていたが、人の精神がフラットになるとどうなるのだろうか。もっとも、変化がなく平板であるのが人生の常なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月26日 10:00 | 固定ページリンク




反省  | 一考    

 モルト会の土曜日は大入り満員だった。立ち客が出る始末、みなさまに迷惑をお掛けして申し訳なく思います。終日、元Ageのママ清水弘子さんに手伝っていただいた。満席のですぺらは珍しいとのことで、さっそく写真を撮ってですぺらファンが営まれる山口のバーへ送る、夢の一日だった。営業は三時半まで続き、往時の新宿を思い起こさせる雰囲気となった。
 かような席でプライベートなはなしは禁句である。飲み屋にあって絶対に避けなければならない事態に陥り、いささか気まずい思いをさせられた。酒はまだあって、話題は尽きることがない、そして話はオチを拵えてからでなければ語ってはいけない。店主としての至らなさを痛感させられた。幾重にもお詫び申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月25日 05:30 | 固定ページリンク




訂正箇所  | 一考    

 1月21日の訂正箇所で書き忘れた。
 12月16日の「水と茶」で「濃縮還元なのでカリウムの心配もなさそう」などと書いたが、濃縮還元の方がカリウムは高い。わたしの勘違いで、やはり飲まれるものは葡萄ジュースぐらいなもの。
 大方は検索で当掲示板へ這入ってこられる。従って、違う箇所で訂正しても訂正の意味をなさない。遡って加筆か削除、もしくは追記でもって訂している。諒とされたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月25日 04:57 | 固定ページリンク




かも鍋会  | 一考    

 今回の解説を書き上げてふうっと溜息をつく。右手の人差し指一本で一時間半キーボードを叩きっぱなしである。かつて書いた稿のコピーペーストの部分があるので助かっているが、いつもぎりぎりになってから書きはじめる、悪い癖である。すぐ白髪葱に取りかからなければ土曜日に間に合いそうもない。
 今回はともかく、来週の土曜日(三十日)の鴨鍋会はどなたかに手伝っていただかないと一人では処理しきれない。今月なら手伝えると仰有っていた方がいらしたが、いかがかしら。もっかのところ、参加者数は五名もしくは六名、鴨肉の仕入れは六名分にする。おっきーさんがなにかお考えのようだが、味見用に二、三人前もあれば十分でないだろうか。後はこちらで潤沢に用意する。

追記
 二十九日に野鴨が送られてくる。こちらでバラすのかと思いきや、部位ごとに下ろしたものがくるそうな。鳥をまるごと下ろすのは久しぶりなので、どうなることかと気をやんだが、一安心である。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月22日 13:36 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

ですぺらモルト会解説(スペイサイドを飲む)

01 アベラワー '90(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61度のカスク・ストレングス。限定283本のシングル・カスク。
 蒸留所はヴィクトリア朝の美しい建物。モルトもまた、その佇まいに似て、華麗なシェリー・ホグスヘッド。酒質は軽いが甘口のため食後酒に。
 ソフトな口当たりとクッキーの甘さ、我が邦でいえばティー・キャンディの「純露」。とめどなく拡がる芳醇なバニラ香とまろやかな喉ごしはニート(水を加えない)がお奨め。くつろぎの一本。
 ブラックアダー社は1995年にザ・モルトウイスキーファイルの著者であるジョン・レイモンドとロビン・トゥチェクが創業したウイスキー専門のボトラー。ロウ・カスクの発想はきわめて単純でユニーク。大きな木片のみを除去、オリ(沈殿物)も一緒にそのままボトリングする。もちろん、氷点下フィルターもカラメル着色も施さず、すべてはカスク・ストレングスである。

02 オスロスク '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。シェリー・バッドの15年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定636本。
 15年を経てもフッと居なくなるようなあっ気ないフィニッシュに変わりはない。香味とフィニッシュのなさとのバランスがユニーク。クラガンモアと共に、スペイサイドのよさをすべて備えた銘酒。
 ケイデンヘッド社は1842年、エディンバラにて創業。現在はキャンベルタウンを本拠地とし、エディンバラのキャノンゲートとロンドンのコヴェント・ガーデンに店舗を持つ。スコットランド最古のインデペンデント・ボトラーにして、ゴードン&マクファイル社と共に業界の雄。オーナーはJ&Aミッチェル社でスプリングバンク蒸留所とは同資本。「オーセンティック・コレクション」「オリジナル・コレクション」「ボンド・リザーヴ」「チェアマンズ・ストック」等のコレクションがある。着色と低温濾過を施さず、樽と樽とのヴァッティングも一切行わない。一樽限定のシングル・カスクという贅沢な飲み方を世界に広めた第一人者。子会社にダッシーズ社とイーグル・サム社(現キングスバリー社)があり、サマローリ社やスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティー社等、多くのボトラーに樽を供給している。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルに満足せず、さらなる刺激をお求めの方にお薦め。

03 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
 熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。
 他にリフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年ものと29年ものがボトリングされている。

04 クレイゲラヒ19年(イアン・マクロード)
 チーフテンズ・チョイスの一本。43度。
 香りは非常に華やかで、フルーツの香りが濃厚。はじめにビールのホップのようなほんのりとした苦味を感じるが、アップル、ライチ、フレッシュな洋梨の味わい。クリーミーでバランスが良く上品な味わい。心地よい余韻が長く続く。
 1999年に頒された「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった。初入荷は14点、同シリーズの売りは、ラム、ポート、シェリーなど、さまざまなカスクが用いられる点にある。ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に今後目の離せないシリーズとなった。他に「ダン・ベーガン」「アズ・ウィ・ゲット・イット」「シールダイグ」「ファラン・イーラ」等、多彩なボトル展開をしている。

05 グレンアラヒ '91(シグナトリー)
 シェリー・バットの8年もの、43度、限定902本のシングル・カスク。
 女性に人気のエレガントな食前酒であり、僚友アベラワーと通底する味わいを持つ。きれのよさは心地よく、極上のフィニッシュに飲み手を誘う。オーク・カスクにはない、アーモンドのようなナッツ系の香りが特徴。
 シグナトリー社からは数種の加水タイプが、ケイデンヘッド社、ゴードン&マクファイル社、スコッチ・シングル・モルト・サークル社、ダグラス・レイン社、イアン・マクロード社からカスク・ストレングスが頒布されている。

06 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
 ディスティラリー・ボトルではシャルドネやシュナンブランの樽を熟成に用いたものが知られる。本品は過去飲んだグレン・マレイのなかで一押し。
 インデペンデント・ボトラーのボトルでは加水タイプがイタリアのドナート社から、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、ブラックアダー社、マキロップ社からはカスク・ストレングスが頒布されている。現在グレン・モーレンジの傘下から離れた。
 シグナトリー社はゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社に次ぐ三番目のボトラー。同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

07 グレンロッシー '81(シグナトリー)
 甘口シェリー樽の17年もの、43度、限定595本のシングル・カスク。
 とりわけ81年は珍重される。ヘイグとディンプルの重要な原酒モルトで、ブレンダーの間でも高い評価を受ける。
 清々しい白檀の香りが特徴。ミント香とクリーミーなピート香。U.D社のものと比して円熟度高く、よりスイートな味わい。重厚な香りと切れ上がりの暖かさが絶妙。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。

08 ダフタウン '87(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・フィニッシュの14年もの、43度。996本のリミテッド・エディション。
 軽くドライで食前酒向きだが、ベクトルが定めなく稀薄、総体として纏まりに欠ける。おなじ飲むなら、兄弟蒸留所のピティヴェアックのほうが美味。ベルの原酒モルト。
 蜂蜜、バター・キャラメル、クッキーのような柔らかく甘い香り。ただし口に含めば、さらさらと流れるが如き辛口。こくのなさが淋しく、些か物足りない思いに。フィニッシュは軽く短く、舌先に苦みが残る。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー、エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られる。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。

09 バルヴィニー '89(DB)
 ポート・ウッド、40度のディスティラリー・ボトル。
 ポート・ウッドの21年もの43度のディスティラリー・ボトルとは異なり、初のヴィンテージ・ボトル。
 スペイサイドのみならず、スコットランドのすべてのモルトを代表する酒のひとつ。グレンフィディックとは兄弟蒸留所だが、フィディックが二級酒とするならば、バルヴィニーは大吟醸。加水にもバランスを崩さない腰の強さが身上。
 シナモン、ジンジャー、オレンジピール等、稠密な芳香と甘味、香りの迷宮に立ち至った感あり。タンニンが支える味わい。ずしりとくる重厚なフィニッシュ。
 ディスティラリー・ボトルには、ファウンダーズ・リザーヴ10年、ダブルウッド12年、シングルバレル15年、ポート・ウッド21年、他に数種のヴィンテージものシングル・カスクがあるが、すべて製法が異なる。職人の妙技と芸の細やかさに脱帽。かかるこだわりこそが、愛飲家の耳目を峙たせる。 麦はすべて自家栽培、現在なお、フロア・モルティングを行う数少ない蒸留所のひとつ。5世代にわたる家族経営にて、モルト担当が4人、マッシュ担当が3人、タンルーム3人、スティルマンが3人の計13人ですべてのモルト・ウィスキーを醸す。

10 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。
 アルタナベーンとは兄弟蒸留所だが、こちらは重厚な味わい。メイプルシロップや干し葡萄の甘い香り、蜂蜜のような深くまろやかなこくとオレンジ・ピールの風味。フィニッシュは長くドライ。創業は73年と新しいが、ストラスアイラと共に傑出したモルト。ストラスアイラが甘すぎるという方に強くお薦め。
 蒸留所名はブレイヴァルだが、長くブレイヴァル・グレンリヴェットの名でボトリングされていた。シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になった。しかし近年、入手がむずかしくなっている。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社の系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。2008年にラベルを一新。

11 マッカラン '96(ウイルソン・モーガン)
 バレル・セレクションの一本。マルサラ・フィニッシュの10年もの、46度。
 マルサラ・フィニッシュのマッカランは本品がはじめてでないだろうか。ラムやポート樽のダブル・マチュアードと比して、甘すぎず、適度の酸味が加味される。これはマルサラとマディラに限られる。すこぶる美味。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者である。

12 モートラック '90(ヴィンテージ・モルト)
 ヴィンテージ・モルト社のクーパーズ・チョイスの一本。シェリー・カスクの8年もの、59.1度のカスク・ストレングス。
 濃厚なピート香と僅かに青林檎のキャラクター、柔らかいタンニンを持つミディアム・ボディ。シェリー樽由来のナッツ香とソフトなバニラの味わい、甘さとピート香のバランスに優れる。フィニッシュは長く、U.D社の16年ものと比べ、より爽やかにしてエレガント。
 ヴィンテージ・モルト社は1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトでは「クーパーズ・チョイス」の名でコレクションを頒している。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月21日 22:17 | 固定ページリンク




訂正箇所  | 一考    

 前述したように頭が尿毒素でピンボケなので、このところの書き込みに誤字、脱字が多い。気付けば遡って訂正しているが、変換ミスのように分かるだろうと思われるものはそのままにしているものもある。平井功のように一部文章を差し替えたものもある。要は気分次第、申し訳のないことである。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月21日 20:46 | 固定ページリンク




モルト会追記  | 一考    

 グレンロッシー '81(シグナトリー)の購入価格が思いのほか高くついたので、9700円の会費を10000円にさせていただきます。それとクライヌリッシュを一杯おまけに付けさせていただきます。ラ・トゥールのワイン樽をフィニッシュに用いた逸品で、おっきーさんのご協力によるもの。お通しは前回同様、合鴨もも肉の白髪葱和えを考えております。
 なお、アードベッグのコリーヴレッカンが入荷しました。請求書が届いていないのですが、売価はシングルショット1500円です。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月21日 12:25 | 固定ページリンク




どこへ行く赤坂  | 一考    

 ですぺらを出て左へ行くとコンビニがあって、その向かえに鮨心があった。過去形で書くのは閉店したからである。戸田公園や川口にも屋号を同じくする鮨屋があるが、おそらく経営は一緒なのだろう。鮨ネタに不満はあるがそのことはどうでもよい。書きたいのは家賃が坪二十万円というバブル期そのままの値だったことである。
 駐車場が月十五万円だったのだから坪二十万と聞かされても驚きはしない。ちなみに、コンビニの反対角には薬局が這入った。以前は長く理容室だった。こちらの家賃は坪五万円、設備がないために物販専門の店舗である。しかし、物販で坪五万はどう計算しても出てこない。さらなる転居のための前段階のようだが、月三百万ほどの赤字が出ているはずである。
 他人の財布の中身はどうでもよろしいが、鮨心の赤字は維持費に限っても月八百万円は出ていたと思われる。回転率を二倍と見立てても消費単価が一万円を超えないとやっていかれない。不思議なのはそこまでして赤坂へ店舗を出すことにメリットがあるのかどうかである。チェーン店ゆえ、全体で収支が合えばよいのだろうが、この時世ではそうもゆくまい。
 もっとも、無理をしてでも赤坂へ出店したいというひとが、企業が引きも切らない。それゆえ、適当に開店が続いているものの、新築もしくは改築を試みてそれきりになったビルはことごとくが空いたままである。なかには施工主が夜逃げし、宙に浮いたビルが四棟もある。目立たないが、開きテナントが着実に増えている。赤坂へもシャッター商店街の魔手は近づいているのである。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月21日 12:04 | 固定ページリンク




浅川マキ死す  | 一考    

 昨夜、櫻井さんから浅川マキが亡くなられたことを聞き及び、終日マキさんのCDをかけていた。素天堂さんの奥方から頂戴したダークネスである。
 昨日の朝六時頃、裏窓の店主がナベサンへ来店、泣き伏していたと聞かされた。昨夜はゴールデン街のそこかしこで個人的な追悼が営まれたようである。
 個人の情念を詩うアンダーグラウンドの星がまたひとつ墜ちた。アイドルだかなんだか知らないが、詰らない歌手ばかりになってゆく。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月20日 11:47 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

1月23日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
今回はスペイサイドのダブルマチュアードから選びました。会費は9700円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
なお、アイラ、キャンベルタウン、ハイランド、ローランドは別の日に催します。

ですぺらモルト会(スペイサイドのダブルマチュアードを飲む)

01 アベラワー '90(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61度のカスク・ストレングス。限定283本のシングル・カスク。
02 オスロスク '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。シェリー・バッドの15年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定636本。
03 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
04 クレイゲラヒ19年(イアン・マクロード)
 チーフテンズ・チョイスの一本。43度。
05 グレンアラヒ '91(シグナトリー)
 シェリー・バットの8年もの、43度、限定902本のシングル・カスク。
06 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
07 グレンロッシー '81(シグナトリー)
 甘口シェリー樽の17年もの、43度、限定595本のシングル・カスク。
08 ダフタウン '87(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・フィニッシュの14年もの、43度。996本のリミテッド・エディション。
09 バルヴィニー '89(DB)※
 ポート・ウッド、40度のディスティラリー・ボトル。
10 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。
11 マッカラン(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本。マルサラ・フィニッシュの10年もの、46度。
12 モートラック '90(ヴィンテージ・モルト)
 ヴィンテージ・モルト社のクーパーズ・チョイスの一本。シェリー・カスクの8年もの、59.1度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2010年01月20日 10:09 | 固定ページリンク




剃毛礼讃  | 一考    

 福原について書かなければならないことは山のようにある。しかし、書きづらい。ちょんの間の母娘がどうしてわたしを受け容れたのか、覚醒剤と性病が蔓延するなかで、あの人たちはわたしになにを伝えようとしたのか。もしくはわたしにいかに生きろと、一体なにを助言しようとしたのか。今いえるのは、書物からは得られない生きた情念を彼女たちはわたしの身体に刻み込んだということのみ。
 お名前は伏せるが、Sとだけ申しておこう、往時わたしより十二、三ほど年長だったので、存命ならば七十半ばである。否、生きてはいまい、あのような稼業のひとの寿命は極端に短い。女郎ならば三十代、拘束を受けない私娼であってすら四十代であって、五十歳まで生き延びるのは奇跡に近かった。戦後、GIによってペニシリンがもたらされたが、梅毒がひいては性交渉が死と直接結びついた時代がその後も長く続いたのである。それ故、「Oの物語」の取って付けたような最終章を読んで鼻白む思いを抱かされた。なぜなら、ビクトリア朝時代、陰毛は汚染物質のように忌嫌われた。夥しいエロティック絵画が発表され、陰毛を描かないことで、ポルノグラフィーか否かの識別がなされていた。「Oの物語」は剃毛という儀式によってビクトリア朝以来の性的道徳のパースペクティブを逆手に利用し、ポルノグラフィーに新たな概念を与えた。言い換えれば、なにが裏でなにが表かといった相対として揺れ動くポルノグラフィーに妄想という決定的な因子を付け加えたのである。わたしは妄想というよりもいっそ夢物語と名付けたいのだが。その性倒錯において「Oの物語」は「ジュスティーヌ」と列ぶ作品となった。已矣かな、あの最終章がなければ。
 わたしがもしも福原を描けば夢物語はおろか、べたべたの私小説になってしまう。泰西とわが邦の気質の差違であろうか、どのように考えても「Oの物語」のようにはならない。悍しいまでの悲惨さを見てきた者にとって、まったく合点がいかないのである。

 閑話休題。エロ子さんが剃毛は女性の身だしなみだと云っていた。わたしはその身だしなみを具えた人と多く付きあってきた。福原という街がそうさせたのかもしれない。ただ、その身だしなみの裏には宿命とも云える深い嗟咨が寄り添っていた。聴くところによると、多くは十代からカミソリと戯れはじめたという。そのことは性衝動の激しさを示唆している。ただし、このリビドーとデストルドーは識別しにくい。自我リビドーと対象リビドーは一種の入れ子関係にあって、リビドー概念はつねに量的な概念を構築する。フロイトの本能二元論である。
 ところで、世の中には自分の才能を信じたり、自分の存在に過剰な自信を持つ方がいらっしゃる。それらは自我リビドーやナルシシズムとは関係なく、わたしに云わせれば単に自己中心性が強いだけの論理回路が未発達なひとを指す。
 動物にはグルーミングという行動特性がある。友好的態度を表すか、攻撃性を隠すかのいずれかが基本にあるのだが、剃毛を一種の毛繕いと取ってとれなくもない。そして女性の身だしなみと書いた理由のひとつが内省にあると思う、心理学でいう内観である。リビドーが力学的なものである以上、そこには搖れとか振れが生じる。わたしが興味を抱くのはそこから先である。性器を赤裸にするための剃毛であっては困る。剃毛はあくまでも攻撃性、翻っては内省をすら隠秘するためのものでなければならない。
 さて、エロ子さんが剃毛なさっているかどうかをわたしは知らない。一度チラとでも覗いてみようか。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月19日 20:28 | 固定ページリンク




平井功  | 一考    

 昭和四年八月十八日平井功の纂輯になる襍誌『游牧記』が創刊された。木炭誌を本文に用い全頁二色刷りの手縢本、表紙に用いた極上の局紙には上海の聚珍倣宋字体の活字によって「游牧印書局」と刷られている。扉には限定記号および蔵儲の氏名が活版にて刷り込まれ、巻末には第一号より最終号に至る全冊子の購読者氏名が記されている。恐るべき執心であるが、かかる定見は本邦における先駆的な造書家の一人にこそふさわしく、あっぱれな為事であった。
 当時、改造社の『現代日本文学全集』に端を発した大量生産による廉価版は空前の盛況を呈し、世に謂う円本ブームの真直中。その雑駁な出版界にあって衆愚を厳しく蔑如し、またなんら典籍学上の規矩を持たないいわゆる〈豪華版〉を忌みきらった平井功の見識は、襍誌の部数を六百十六部と劃った事に端的に現れている。もとより書物とは選ばれた少数者のために在し、内容に応じた活字と用紙と装いが献ぜられねばならない。造書家平井功の面目もまたそこに存在した。かつて処女詩集『孟夏飛霜』(大正十一年十二月)の上梓に際し、典籍の形態美における特異な才能の片鱗を示した平井功の、蘊蓄を傾けたであろう開板趣向書が、世の具眼者を瞠目せしめた事は想像するに難くない。だが、この日は栄光への苦衷に満ちた歩みの始まりでもあったろう。十一月三日発售の第一巻第三冊の游牧後記には、両手に小包を持ち、郵便局へと、ぬかるみを雨にうたれながら幾度となく往復する様がこと細やかに記されている。
 「わたくしは何の為にかくの如くにしなければならないのかと考えずにはいられなかった。唯損失を招き、自己の時間を奪われる為だけに、こんなことをしている自分の愚を嘲らずにはいられなかった」
 個人の手になる出版事業が引き起す問題のすべては財政上の一点に帰着すると言っても過言ではあるまい。単なる奢侈逸楽を排し、すぐれた材質の用と美を極限まで活かし、印刷と造本に完璧な気韻を求めた平井功も、拠りてたつ基盤を持たぬ以上自滅するの他はなかった。かくて自家の排印工房を夢み、「書肆経営術に頼らず、専ら純粋の典籍学上並に造書術の知識による書肆の経済的独立」を究めんがため剏められた游牧印書局は、わずか四冊の襍誌を刊して終焉を迎える。所詮は〈南柯の一夢〉であろうか、いま「游牧記」は清楚な趣に溢れてかぎりなく淋しい。

 七十二年の頃、図書新聞へ上記文章を書いた。今ではこのような安っぽく非論理的な考え、即ち「書物とは選ばれた少数者のために在し」といった選民意識を憎悪こそすれ、決して受け容れないが、当時は平井功をそれなりに畏敬していたのである。文中にある孟夏飛霜が上梓されたのが平井功十六歳のとき、思うに十五、六から二十五歳位までが人にとっての旬で、あとは老残ということになろうか。
 アナーキーとニヒルでは政治的動機と位置づけが異なるが、わたしは大正期のそれに倣って均しく扱っている。アナボル論争はあったが、アナニヒ論争なるものは存在しなかった。季村敏夫さんの「山上の蜘蛛」を読んでもそうした消息は変わらない。そして平井功もアナーキズムに走り、獄中で感染した病で夭折する。当時のそういった未分化な考えは同じ大正期に流行った相対性とも通底する。要は中心点の喪失である。中心点の喪失を信じる、言い換えれば信じないということを信じるという、撞着甚だしい考えに囚われたきり、わたしの精神から進歩の概念が失われた。
 以降は、どうでもよいこととどうでもよくないこととの撰別に傾注してきた。それこそが趣味に近いどうでもよいことなのだが。いかなる言葉、すなわち概念であろうともなにものかに相対する。その一方をとって絶対視すること自体がどうにもならない矛盾なのだが、その優位性を競ってひとは議論する。わたしがいうどうでもよいこととどうでもよくないことはそこはかとなく漂う臭いのようなもので、議論の対象にはなりえない。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月18日 19:38 | 固定ページリンク




コリーヴレッカン  | 一考    

『救命艇に人を乗り込ませてください!ここに、このおいしく深くて、強力に泥炭質で、素晴らしく野生のウィスキーの第2の波は、来ます。Corryvreckanはアイレーの北方にある有名な渦からその名前をとります、そこで、最も勇敢な魂だけは冒険する勇気があります。
渦巻いている香りと深い、ピートの、ピリッとする味覚の連続は、この美しくバランスのよい一杯の表面の下に潜みます。パリッとした海草、甘いバニラと栄養に富む、暗い溶かされた果物のその海特徴は、あなたを長い深い終わりに引き入れます。
渦そのものの様に、Corryvreckanは気の弱いものに賛成でありません!』

 ウィスキー業界というものがあるのかどうか分からないが、知己の編輯者や物書きで業界という言葉を好んで用いる方がいる。およそパーソナルな仕事であるにもかかわらず、業界などという巫山戯た文言が罷り通るのであれば、ウィスキーに業界があってもなんら不思議でない。
 上記コピーはアードベッグの新作、コリーヴレッカンのもの。ウィスキーのコピーはとにかく酷い。酷いを通り越して無惨ですらある。上記のコピーを読んでコリーヴレッカンを飲みたくなる人がいたとすればお目に掛かりたい。
 それにしても、このようなコピーを作るひとはなにを考えているのだろうか。どうして素直に書かれないのだろうか。置き換える言葉が見付からなければ「ピートが効いていて美味」でも結構、「アイラ島北方のコリーヴレッカンの渦に巻き込まれるような風情あり」でよいではないか、と思う。新作ゆえ、やむなく来週にでも一本だけ購入する予定だが。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月18日 01:08 | 固定ページリンク




要介護  | 一考    

 障害者手帳には大きな文字で要介護と印字されている。現状ではそう大した介護が必要なわけではない。身体が重いのととにかく寒い、そして尿毒素のせいで疲れやすいのと常に頭はピンボケ、家ではセーターを襲ね着して蒲団に潜り込んだままである。しかし、買い物や食事の用意は自分でしている。ただし、それは症状が基礎疾患のときに限られる。骨折や出血のような他の症状が加わるとお手上げである。死ぬときは独りかもしれないが、生きてゆくに一人ではまるで間に合わない。とはいえ、わたしの主義主張から推して他人に介護は頼みにくい。この先、どうするべきか考えなければならない。とりあえず、小さな借家へ引っ越して様子を見、将来はさらに小さな一間のアパートか公営住宅(独り者には六畳一間しか貸してくれない)へ身を寄せるしかない。引越に必要な荷物の整理が現状では捗らない。身体が冷え切っていて情けないほど動かないのである、ストーブも炬燵も入れっぱなしなのだが、パーキンソン病のように震えが止まらない。少し暖かくなれば身体の自由を取り戻せると思うのだが。
 それやこれやで、掲示板をやめようと思い、「誤解」を書いた。三、四日考えて極度に個人的な「はみだし者」を書いた。さて、これからどうなることやら。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月13日 22:30 | 固定ページリンク




脚註  | 一考    

 moonさんから「はみだし者」を褒められた。書いていて註が必要な時代になったと思った。「チーチク、チーカマ、魚肉ソーセージ、目刺し、あたりめのフライか醤油焚き」と書いたが、念のために検索してみた。やはり、チーちく、チーかまは商品登録されていた。チーかまは魚肉ソーセージのバリエーションで、丸善(書店ではない)が1970年に発売。紀文のホームページにチーちくヒストリーというのがあって1996年に誕生となっている。わたしが描いた時代は60年代前半で、共に存在しない。要は似て非なるものである。
 魚肉ソーセージが開発されたのは50年代初頭(発売元は明治屋)だが、1966年に六甲バター(QBBチーズ)が魚肉ソーセージにヒントを得て、世界ではじめてスティックチーズを発売、その二年前にはプロセスチーズを売り出している。わたしがいうチーチクはそのプロセスチーズをスティック状に切って竹輪に突っ込み切りそろえたもので、チーカマは鮨屋で流行った板ワサに前述のチーズの薄切りを添えたもの。共にワサビ醤油で頂戴した。竹輪に胡瓜など生野菜のスティックを差し込むのは昔から見られる簡便なお通しで、それをちょいとハイカラにしただけのこと。
 当時は、せこ蟹(コッペ)、蝦蛄(しゃこ)そして烏賊の耳(耳烏賊ではない)は食するひともなく、子供のおやつだった。それに目を付けたのが引揚げ者たちで、戦後の串カツ文化は鯣烏賊の耳と鯨肉、それとラードからはじまったとされる。
 あたりめのフライやげそ醤油煮はよっちゃんイカが有名(ロールスロイスはさらに有名)だが、わたしが頻繁に食したものとよっちゃんイカとでは味が異なる。わたしがいっているものは酢を使わず、醤油と味醂と七味で甘辛く煮付け、ずんと固かった。よっちゃんイカのデビューは60年代だが、さらに古く、神戸や大阪には鯣烏賊のげそを煮付ける小さな家内制手工業が多くあって、駄菓子屋や紙芝居屋へ卸していた。一箇一円で後年には三箇十円になったが、馴染み客にはちぎれた足をおまけに付けてくれる、十円硬貨を握りしめてよく通ったものである。ちょんの間のお通しだけでも、このような脚註が必要になる。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月13日 14:38 | 固定ページリンク




はみだし者  | 一考    

 昔、福原町に柳筋というのがあった。その筋というか通りは今でも健在である。ただ、わたしが近しくした柳筋はなくなった。柳筋がなくなったのなら、桜筋も三十軒筋もなくなったに違いない。しかし、桜筋や三十軒筋と違って、柳筋はどこか名状しがたいですぺれーとな街だった。桜筋や三十軒筋が女郎屋、待合い、仕出し屋、置屋の街なら、柳筋にはその筋からはみでた人たちがたむろしていた。特に柳筋の東側にはちょんの間がところ狭しと犇めいていた。赤線地帯に隣接した一条の青線もしくは白線(ぱいせん)のようなもので、歌舞伎町の新宿ゴールデン街や横浜の黄金町と同種の街だった。
 わたしが新宿ゴールデン街へ好んで足を向けるのは、あの街には遠い幼少期の思い出がいまなお漂っているからかもしれない。ちょんの間は二階屋で、一階に小さなカウンターがあって二、三人這入れば満員御礼である。冷蔵庫などという気の利いたものがなく、ビールをロックで飲ませるか、燗酒の二種がメニューのすべてで、他にはチーチク(竹輪の穴に乾酪を差す)、チーカマ、魚肉ソーセージ、目刺し、あたりめのフライか醤油焚き、それに鯨か牛罐と銘打たれた畜産肉の罐詰などが用意されていた。それだけ書くとまるで角打ちのようだが、ちょんの間の客と角打ちの客とでは目的が異なる。
 やがて二階から客が降りてくる。ばつの悪そうな、済まなさそうな顔をして「おさき」といって夜の街へ消えてゆく。すかさず女が階段の上から顔を覗かせて次の客を急かせる。カウンターの婆が袋入りの乾きものを破り、「あと一回戦だよ、一回戦。すぐだからね、これでも喰ってな」。ちょんの間を営むのはあらかたが親子である。
 母が客を品定めし、娘が客を取る。昔からある風景なのだが、昭和三十年代から四十年代の柳筋にはまだ戦後の息吹がそこかしこに残されていた。父母は交番を派出所、JRを省線と呼んでいた。その派出所が柳筋西側真ん中にあった。向かえにわたしが日参した浮世風呂「暖流」があって、その横の筋に三軒のちょんの間があった。子供の頃はちょんの間でバヤリースジュースを、十五六歳からは燗酒を嗜んでいた。「暖流」に限らず、「えびす」「いろは」「たまや」等々、往時の浮世風呂にはわたしが親しくしたバーテンたちがい、ちょんの間では恋の手習いを、浮世風呂では洋酒の手ほどきを受けた。
 「その筋からはみでた人たち」と前述したが、どのような世界にもはみだし者、世にいう零落者がいる。なるようにしかならないと固く信じ込み、すべてを投げ打った人たちである。喰うための必要最小限のこと以外、目もくれない。そういう人たちに見守られてわたしは育った。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月07日 23:33 | 固定ページリンク




営業  | 一考    

 本日から営業です。どうかよろしくお願いします。
 今月の催し物は23日のモルト会と30日の鴨鍋会です。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月04日 14:59 | 固定ページリンク




誤解  | 一考    

 掲示板がどういうものなのか、なにを書けばよろしいのか、2001年10月03日にはじめて以来、迷い続けている。「中庸」で「料理人は客を啓発させるのが仕事であって、決して迎合したり同意を求めてはならない。常にひとりそっぽを向いていなければならないのである」と書いた。この啓発すなわち異義申し立てがわたしの為し得た唯一のことでなかったかと思う。ただ、啓発のために、知人も他人も自分も引っくるめて利用してきた。それ故、誤解が生じる。その誤解は「常にひとりそっぽを向」いておれば済むものと心得てきたのである。
 誤解の構造については当掲示板で執拗に書いてきたつもりだったが、そうもいかない種類の誤解が生じてきた。類推でなく言葉尻を捉えられては何を書いても誤解される。そしてそれら誤解を解くつもりはわたしにはまったくない。どうやらわたしは今一度繭ごもらなければならないようである。これだけでは閉じ籠もりの理由にもなんにもなりはしない。それは分かっているのだが、これ以上の詳細は蒙御免。病気の進行に関する事務的なことがら及びモルト・ウィスキーについては書きつづけるつもりだが、内的なことに関しては口を鉗みたく思う。
 管理乃至は技術指導をお願いした櫻井、ヒロ、おっきーさんに深謝すると共に、いままでお読みいただいた方々に満腔の謝意を表する。

 最後に相澤啓三さんから頂戴した一首、
 「ですぺら」は凄絶の粋 笑ひつつ 
   臓器のテープ靡かせ奔る


投稿者: 一考      日時: 2010年01月03日 04:58 | 固定ページリンク




鴨南蛮  | 一考    

 今日は饂飩の鴨南蛮を作ります。鴨南蛮といってもさまざまな食し方があり、冷たい蕎麦を暖かい汁で頂戴するのが一般的だと思うのですが、こんかいは通常の温饂飩にしました。饂飩は吉野葛が這入ったもので、特に旨くはないのですが、少々雅な喉ごしかと思われます。
 最初は治部煮にして饂飩の上に添えようかと思いましたが、残りの使い回しがよろしくないので、軽く炙って後は焚くことにしました。東京の鴨南蛮は濃厚な味付けで、南蛮が意味する「なんば」すなわち葱は直角にぶつ切りにするのが決まりごとのようですが、わたしは白髪葱にしました。理由は食べていただければ分かります。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月31日 04:37 | 固定ページリンク




鼻糞  | 一考    

 鼻から排泄される液汁を鼻汁もしくは鼻糞という。その鼻をかむ紙を鼻紙という。鼻糞は不浄のものであって、それを捨て置かずに鼻をかむのはエチケットである。ただしそのエチケットがエチケットたるためには鼻をかんだ鼻紙がゴミ箱へ捨てられなければならない。近辺にゴミ箱が見当たらなければ、ポケットへいれて持ち帰るのが当然であろう。トイレで流せばトイレは必ず詰るが、生理用具を捨てるためのゴミ箱を設置していない店はないだろう。それでなくとも、ゴミ箱を置いていない店舗はないだろうし、駅やコンビニへ行けば必ずある。わたしは鼻炎なので家や車中をはじめ身の回りはゴミ箱だらけである。
 なぜこのようなことを書くかといえば、客で約一名、かんだ鼻紙を丁寧に丸めてカウンターの上へ並べて帰るひとがいらっしゃる。親の顔が見たいとはこのことで、自宅ではどうなさっているのだろうかと思案する。自己中心との言葉があるが、きっとこのような方を指すのであろう。カウンターでゲロを吐いて一言の謝罪もなく傲然と帰られる方、または使用済みの生理用具をカウンターの上へさらけだして帰られる方、そのような人はいないだろうが、鼻糞の忘れ物も似たり寄ったりである。
 日常生活とは恐ろしいもので、ここかしこに人品骨柄があらわれる。おそらく、その人が書かれるものも件の鼻糞のようなものと思えばよいのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月30日 22:48 | 固定ページリンク




米にもいろいろ  | 一考    

 ヘモグロビンは11.6、造血機能は働いているようである。そちらは良かったのだが、腎機能は着実に悪くなっている。クレアチニンは8.55、すでに透析に這入っていておかしくない数値である。暫く止めていた活性炭の服用を薦められる、腎臓の保護のためだそうである。

 「米180cc(150グラム)は炊飯すると約350グラム、2.3倍ほどの重さになる」と書いたが、これにも例外は多々ありそうである。「春陽」と「晴米」では炊きあげた時の重量がまるで違ってくる。「春陽」と比して「晴米」は約1.2倍の質量がある。おそらく水分の含有量が異なるのだと思うが、正確な理由は分からない。米屋によると、低蛋白米に限らず、米一般について云えることらしい。書物から得た知識はしばしば現実の場から訂正される、その好例であろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月29日 13:11 | 固定ページリンク




料理人  | 一考    

 某ホテルへ働きに行った友人から、あちらでは三種類の魚しか捌けず、勉強にならないと告げられた。河豚は出荷しなに歯をペンチで折るので危険はない。危険なのは鱧や虎魚である。子供のころ、鱧を下ろしていて柳刃で左手のひらを抜いたことがある。危うさはともかく、魚の種類は夥しい。そして骨の位置、下ろす塩梅もことごとく異なる。それは店で習うような種類の仕事ではない。
 わたしは板前をしていたころ、給料の大半を費やしてさまざまな魚を買っていた。下ろし方を学ぶためである。見習いが捌いた魚など売り物にならない。下勉強は隠れてするしかない。どのような割烹であれホテルの厨房であれ、直接習うものはたかがしれている。他は応用であって、それは自ら考案するしかない。自宅で包丁を持たない料理人もしくは焚き物をつくらない料理人を料理人とはいわない。労働時間外に文献を蒐め、日夜勉励に励まなくてはならない。外食で間に合わせる料理人など聞いたことがない。
 本当に彼が料理人になる気があるのかどうか、いささか心許なく思う。教わったことだけを繰り返してことたれりとするならそれは猿真似でしかない。なにごとによらず、環境は問題ではないとわたしは思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月28日 21:16 | 固定ページリンク




中庸  | 一考    

 本年最後の血液検査に行ってきた。尿タンパクが異常に下りている、腎臓がタンパクを留められないのである。とはいえ、これ以上タンパクを制限すると体内の残留タンパクが危うくなる。悩ましい問題である。
 いずれにせよ、もう少し様子を見ようということで処方箋をもらってくる、一月末までの薬である。血圧が若干高いのだが、降圧剤を50ミリグラムから100ミリグラムに取換えたばかりなので、あまり気にしないでいる。いま処方されている薬剤は身体に馴染むのに四箇月ほどかかるそうである。
 このところ、療養食に飽いてしまい、タンパク、ナトリウム、カリウム、リンは守っているものの、それ以外はかなり自由に食している。例えば、焼き肉は駄目だがステーキの粒胡椒焼きなら大丈夫、白身魚フライはチリペッパーで味付けをする、先日の合鴨も塩抜きで晒した白髪葱を大量に添えて家のメニューに加えようと思っている。どうやら魚と肉に飢えているようである。

 昔、西洋料理店はどことも薄味だった。味が薄いと思う方は自分でソース、醤油、塩、胡椒などを追加して食べていた。そのために、テーブルにはそれら調味料が用意されていた。現在では、そうした中庸の味付けはホテルの食事にのみ残されているとわたしは思ってきた。朝食の目玉焼きやスクランブルエッグにいくらなんでも塩胡椒は振るまいと思っていたのである。ところが行く先々でそうでもないことに気付かされた。乙張の利いた濃厚な味が好まれる、まるでホテルや割烹の料理までが拉麺なみになってきたようである。ちなみに、わたしは拉麺を料理として認めていない。
 子供の頃、料理人になるとは薄味に馴れるのが必定の条件だった。板前が身を持ち崩すのはことごとくが酒を嗜むことによって味付けが濃くなってゆく、もしくは一人住まい故に外食に口が慣らされてゆくのが理由だった。蛙の列なった卵を想起させる蛸の卵(海藤花)を吸い物で頂戴するとき、一緒に入れる浜ぢしゃの新芽と松の実の幽けき香を楽しむのが料理の醍醐味だと聞かされて育った。そうした割烹料理までが時代に取り残されてゆく。
 陸ちり(おかちり、白身魚の薄造り)で一枚の皿に河豚、虎魚、皮剥、平目、鰈と順に並べて、食べ分けられる方が幾人いるのだろうか。日本近海には約五十種の鰺がいる、伊豆のカイワリと福井の寒鰤にとどめを刺すと思うのだがいかが。料理人は客を啓発させるのが仕事であって、決して迎合したり同意を求めてはならない。常にひとりそっぽを向いていなければならないのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月28日 19:48 | 固定ページリンク




Mac OS 9.2とブラウザ  | 一考    

 2009年7月から入手可能になったブラウザ「Classilla9.0.4」は役に立つ。Internet Explorer 5.1と違ってmixi、Google、ヤフオクにも対応している。Netscape7.0.2、Mozilla1.3、wazilla-macos9-1.3f-7のように左端が切れることもない。レガシーMacを使っている方にとっては朗報である。
 ただし、デフォルトでJavaScriptが無効になっているため、ウインドウの右下に表示されている「S」のアイコンをクリックし、一括あるいはサイトごとにJavaScriptのオン・オフを切り替えなければならない。例えばですぺら掲示板へ投稿するにはアドレスを一度登録しておけば大丈夫である。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月26日 02:08 | 固定ページリンク




年末年始の営業  | 一考    

 年末の営業は例年通りだが、大晦日に来られる方は事前にご教示いただけるとありがたい。人数分だけ麺類の出汁を作ろうかと思っている。初詣は豊川稲荷の予定。年始は四日の月曜日から。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 21:15 | 固定ページリンク




ピンクの軽四  | 一考    

 昨日、帰りがけのことだが、東池袋から右折してなか卯の前の信号で停止した。前方にピンクの軽四、後方にBMWのZ4、左側はジャガーだった。信号が変わった途端になか卯の前へ配送車が割り込み、ジャガーは右へ大きくハンドルを切った。それが理由で軽四とジャガーは接触、スタートをはじめていたわたしは急ブレーキをかけて止まった。
 はなしは簡単で、二台の車は道端へ寄せて話し合いとなるところだった。しかるに、軽四が猛然とダッシュをかけ、逃げ出したのである。どうするのかなと見ていたところ、ジャガーも急発進で追いかけはじめた。当然、わたしもその後を追いかける。陸橋から川越街道へかけて深夜のカーチェイスとなった。陸橋は真ん中から先が三車線になっている。ジャガーは左端の車線を走る軽四の真後ろを追う。追いかけるときは車線を変える方が得策である。わたしは右側車線を走り、二台を追い越してしまった。ところが追いかけられていることを知った軽四は割り込みに車線変更禁止を無視、他の車がクラクションを鳴らすなか、三車線を縦横に走りながら川越街道へ突入。そうなると小型車に分がある。ジャガーやマスタングだと間違いなく事故を起こす。走行車線を逃げる軽四が信号を利用して一気に道路を横断、右折するのを確認してわたしは追いかけるのを止めた。
 それにしても、信号内は車線変更禁止である。接触事故の非ははジャガーにある。非のない軽四が逃げて、非のあるジャガーが追いかける。これは滅多に見られない光景である。もっとも、はなしは単純で逃げたから追うという条件反射のようなものだったのかもしれない。もしくは軽四が無保険車、車検切れ、飲酒運転、無免許ということだって考えられる。それにしても見事な逃げっぷりだった。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 20:48 | 固定ページリンク




素うどん  | 一考    

 無性にうどんが喰いたくて、赤坂のはなまるへゆく。(一言云って置くが「かさね」で教わった旨いうどん屋も知っている)。白醤油を使っているので、色は薄いが、薄いのは出汁の色だけ。あまりのしょっぱさと化学調味料による味付けにお手上げ、こくと云うものがまったくない。以前からこのような味だったのかしらと思う。香川ならともかく、東京ならこれぐらい濃くしなければ客は納得しないのかもしれない。
 話序でに、松屋の牛丼の出汁が吉野家のそれに似てきた。要するに、濃くなったのである。もっとも105円のうどんや290円の牛丼にケチを付けてもはじまらない。はなまるで「かけ」と注文するところを何時もの癖で「すうどん」と云ったところ、「ハイ、すうどんです」と応じてくださった。これだけでも105円の価値はある。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 20:11 | 固定ページリンク




味見  | 一考    

 合鴨の白髪葱和えは好評だった。モルト会へわざわざ来てくださる方のために、サービス品として拵えた。ヒデキさんからリクエストがあったが、小人数でよほどの宴会でもないかぎり、料理は作らない。割烹では平目であろうが秋刀魚であろうが、値は変わらない。要はものの原価ではなく手間暇の問題である。ちはらさんが今年は大変な年だった、料理ができるまでに戻ったと喜んでくださった。しかし、帰りはくたびれ果てていた。
 加水タイプだが、あらたに開栓したクライヌリッシュは旨かった。加水もカスクの選択も申し分ない。ラム・カスクで美味と思ったのは、マクロードのカリラ以来のこと。マルサラやマディラの場合は酸味が加味されて結構なウィスキーが多いが、ポートとラムは品のない甘味が強調されることが多い。ダグラス・レインのクライヌリッシュは滅多に当たらぬ逸品であった。
 解説でも触れたように、ベニーヴァのクライヌリッシュとリンクウッドは共にバーボン・カスク、マキロップ同様ずんと辛口に振られているが、オロロソ・シェリー樽熟成が多数を占めるなかにあって傑出している。
 解説では触れなかったが、ダン・ベーガンのブローラは2005年に24年ものカスク・ストレングスが頒されている。23年ものの倍の値段に跳ね上がったが、23年24年共に絶品、ぜひ飲み比べていただきたいと思う。23年はバーボンホグス、24年はフィノ・シェリーである。マクロードのチーフテンズにもフィノ・シェリー熟成品があるが、香味はダン・ベーガンに軍配があがる。フィノ・シェリーで他に記憶にあるのはスコッチ・モルト・セールスのタリスカー、実は拙宅にあと一本あるのだが。
 幹郎さんからご指摘を受けたが、味見にいと少しのウィスキーを飲んでいる。飲んでみなければ解説は書くのは不可能。ちなみに、合鴨も三種の焼き方を試みて、網焼きに決定した。三種ということは三切れだが、こちらには塩も使っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月24日 21:42 | 固定ページリンク




山本美智代さんの展覧会  | 一考    

 ですぺらから歩いて二分のところで、もっか山本美智代さんが個展を開いていらっしゃる。会期は26日まで、12時から7時までである。乾ギャラリー(赤坂3-8-8 赤坂フローラルプラザビル2階 03-3584-3850)。同ビルの三階にはですぺらが入るビルの管理会社がある。
 先日、相澤啓三さんが個展の帰りに来店。身体障害者になったあらましを話したが、思えば詩人とは一級の言語障害者のようなものである。他人に分からぬ言の葉をさらに弄くり、ことさら難解なものに仕上げる。これでお互い障害者同士になりました、で爆笑。ちなみに、脳梗塞を患い、リハビリ中の知己を挿んでの語らいである。気が置けないとはこのことで、遠慮も本音も立前も味噌も糞も一緒くたである。かかる楽しい晤語が繰り返されるのはあと何年か。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月23日 15:13 | 固定ページリンク




風物詩  | 一考    

 先週と先々週は土曜日を除いて女性客が多かった。木曜日などは終日女性だけだった。ですぺらにしては珍事である。今週も妙な一見客が多い。とある二人連れは英語のカタログを所望、以前作ったことがあるが、書き換えが面倒なので止めてしまった。アメリカ国籍を持つ中国人だそうで、互いの中国語が異なる、従って会話は英語でなさっていた。中国という国の広さが分かる。
 お通しで出したスケトウダラの卵巣の煮付けがことのほかお気に入りで、お代わりまでなさっていた。鱈子と書けば塩漬けになってしまうので、卵巣の煮付けと煩雑に書いている。生鱈子という表記の方が分かり易いかもしれない。
 スケトウダラは日本海、茨城県以北の太平洋沿岸、オホーツク海、ベーリング海、カリフォルニア州沿岸まで、北太平洋に広く分布する。もっとも、わたしは鯛の子の代用品として用いているだけで、鯛の子の方が香味は勝る。今頃は明石の魚の棚では終日、鯛の塩焼きが焼かれているに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月22日 23:04 | 固定ページリンク




合鴨  | 一考    

 モルト会のご予約は三名、合鴨の血抜きと白髪葱を四人前拵えた。串焼きとしていたが、肝心の串がない。そこでフライパンで焼くことにする。悪しからず。
 同居人の出張先はどうやら名古屋だったらしい。例え同居人であってもプライヴェートなことは滅多に聞かない。聞いたところで聞き及んだにとどまる、わたしとは関係がないからである。関係なくもないのが、明日のモルト会である。その日は運転を手伝ってくださるらしい。要するに僅かであろうが、わたしもウィスキーの味見ができる。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月22日 22:55 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 クライヌリッシュ14年
 46度のディスティラリー・ボトル。
 2002年夏の発売だが、正規代理店を経ての入荷は10月より。
 U.D社のボトルと比して、初手はよりホットにしてスパイシーな味わい。暖かく長く続くフィニッシュの中に僅かな甘味があり、バランスの良さでは本品が優るものの、旧ディスティラリー・ボトルにみられるバターのようなこくと香りはなくなった。香味にかなり差異があり、好き嫌いが訣れるところか。
 カードゥ、タリスカーと共にジョニー・ウォーカーのキー・モルト。

02 クライヌリッシュ '89(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
 1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社の系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。2008年にラベルを一新。

03 クライヌリッシュ,'89(ダグラス・レイン)
 OMCの一本。ラム・フィニッシュの13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、360本のリミテッド・エディション。
 1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年より「オールド・モルト・カスク」と題するシングル・モルトのコレクションを頒布。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営む兄弟会社、ミルロイ兄弟とは古くからの友人。

04 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 食前、食後を問わない、秀れたオールラウンダー。絹綾のように滑らかで豊かなこくと杳杳(ようよう)たる余韻。銘酒の誉れ高い一本。
 1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトでは「クーパーズ・チョイス」の名でコレクションを頒している。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。

05 クライヌリッシュ,'83(ベニーヴァ)
 バーボンカスクの18年もの。46度。
 ジョン・ミルロイの兄のウォーレス・ミルロイが起こしたコレクション、題してベニーヴァー。初回は下記の三点だが、2001年秋に二回目が頒布され、以降沈黙している。クライヌリッシュと共にボトリングされたリンクウッドのバーボン・カスクは珍品。北ハイランド特有のピートの効いたアロマが顕著。
 モートラック    フレッシュ・シェリー  1974 27年 46度
 クライヌリッシュ  バーボン・ホグス    1983 18年 46度
 リンクウッド    バーボン・ホグス    1983 18年 46度

06 クライヌリッシュ,'83(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。15年もの、57.3度のカスク・ストレングス。
 マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションにはダルユーインやリンリスゴー等、稀少なものが含まれる。

07 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のプリファード・ストレングス。
 スコットランドのマン島のインディペンデントボトラー。さかのぼること300年以上も前から酒類業界に身を置いている。ビールの醸造所を所有していた1960年頃に、副産物としてのウイスキーを生産したのが、ロンバードウイスキーの始まり。当初はウイスキーの樽をブレンデッドウイスキーのメーカーに売っっていたが、1990年代にシングルモルトが注目されるようになると、いち早くブローカーからインディペンデントボトラーに転向。カスク・ストレングスの強いモルトというよりは、46度や50度の少しやさしいプリファード・ストレングスをリリースしている。

08 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
 リキュール系の輝くような甘さとスパイシーな薫香。マスタードの辛さ。加水すると甚だドライでシャープな切れ上がりをみせる。
 1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。

09 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
 販売は07年から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等の香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味される。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

10 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニン。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。

11 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
 1967~8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。

12 ブローラ '80(ダン・ベーガン)
 04年のボトリング。23年もの、50.0度のカスク・ストレングス、ホグスヘッド324本のリミテッド・エディション。
「DUN BHEAGAN」とはスコットランドのスカイ島にある村の名前で、この地を支配していた地元のクラン(部族)が、生産者であるウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、このブランド名になった。現在のオーナーはイアン・マクロード社。1997年にフランス向けにボトリングをスタート、その後2002年後半に現在のパッケージになり、アメリカ、ヨーロッパや台湾などの世界各地で販売を開始。値付けがお手頃でありながら品質も優れ、売れ筋商品も含めて数多くラインナップされている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月20日 16:09 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

12月23日(水曜日)の19時半から久しぶりにですぺらモルト会を催します。
今回はクライヌリッシュです。会費は11000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(クライヌリッシュを飲む)

01 クライヌリッシュ14年
 46度のディスティラリー・ボトル。
02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
03 クライヌリッシュ,'89(ダグラス・レイン)
 OMCの一本。ラム・フィニッシュの13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、360本のリミテッド・エディション。
04 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
05 クライヌリッシュ,'83(ベニーヴァ)
 バーボンカスクの18年もの。46度。
06 クライヌリッシュ,'83(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。15年もの、57.3度のカスク・ストレングス。
07 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のプリファード・ストレングス。
08 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
09 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
10 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
11 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
12 ブローラ '80(ダン・ベーガン)
 04年のボトリング。23年もの、50.0度のカスク・ストレングス、ホグスヘッド324本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566

追記
旨い岩塩が少量手に入ったので、合鴨の串焼きを造る予定。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月19日 22:59 | 固定ページリンク




腕時計  | 一考    

 「街頭インタビューや、色々な職業の方にインタビューをし、そこから上がった様々な“法則”の中から興味深い“法則”を検証していく」というTBSテレビの番組があるらしい。
 「“優秀なバーテンダーは、腕時計をしない”という法則が正しいのか、どうか?」という「検証企画の取材に、ご協力をお願いしたい」とのメールがあった。
 かかる阿呆な番組に協力する気はないので、メールは即ゴミ箱行きである。祇園の芸妓や銀座のクラブの女性が腕時計や携帯を持ち歩いているとでも思っているのだろうか。花柳界に限らず、客の目前で時刻を確かめたり、携帯を掛けるなどその客に対する冒涜であろう。もっとも、ですぺらにいるバーテンダーは何時も云うとおり、パーテンダーかハ−テンダーであって、憂愁ではあっても決して優秀ではない。従ってその限りにあらず。
 大体が飲み屋は時を憂え、失恋を慨き、酔いという非日常の世界に身を委ねるための場である。終電を気にかけて酒を呷る向きは居酒屋と相場が決まっている。本来、飲み屋には時計すらあってはならないのである。ところが飲み屋へ来て、まずテーブルやカウンターに携帯を置くひとがいる。己が属している領域からの離脱を懼れ、まるで携帯こそが唯一の存在証明であるかのごとく。思うに、腕時計や携帯は自分のなかに穿たれた現実の楔のようなものであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月17日 20:34 | 固定ページリンク




水と茶  | 一考    

 某メーカーのグレープフルーツ(濃縮還元果汁100パーセント)を買ってきた。成分表示にナトリウム0と記載されている。濃縮還元なのでカリウムの心配もなさそう。このようなジュースもあるのだと知った。おさらいだが、ナトリウムは食塩以外にも含まれている。そしてナトリウムに塩素が結びつくと食塩(塩化ナトリウム)が生成される。そのナトリウムに対する食塩相当量は以下のように求められる。
 ナトリウム(ミリグラム)×2.54÷1000=食塩相当量(グラム)

 緑茶はカリウムが高くて飲まれないので、拙宅ではいつもウーロン茶を飲んでいる。大きな鍋で大量につくって冷蔵庫に入れている。よってカテキン色素が酸化して変色し、ひどく不味い。例えウーロン茶であっても淹れ立ての熱いのが旨い。分かっているのだが、面倒なのである。その点、市販されている茶の類いはチルフィルターで濾過されているので問題ない。「宵越しのお茶は飲むな」はすでに死語であろう。
 それにしても、ピンク・レディーに端をを発する缶・ペットボトル入りのウーロン茶や紅茶の開発はやがて日本茶へと拡がってゆく。はじめてペットボトルの茶を目にしたとき、水同様、誰がこのようなものに金を出すのかと驚いた。それまで有料の茶といえば、長距離列車で弁当と共に売られる煎茶しか存在していなかった。店の水も茶も市販品だが、わたしが飲んでいるのは水道水である。いまだに金を払う気にならないでいる。ナトリウム、カルシウム、カリウム、マグネシウム等、ミネラルがが含まれているのも大きな理由のひとつだが。

追記
 「濃縮還元なのでカリウムの心配もなさそう」などと書いたが、濃縮還元の方がカリウムは高い。わたしの勘違いで、やはり飲まれるものは葡萄ジュースぐらいなもの。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月16日 22:35 | 固定ページリンク




先輩と後輩  | 一考    

 同居人が出張である。わたしはと云えばおでんを大量に作り置きし、大根と蒟蒻と玉子以外は二人前ずつ抛り込む。別につぶ貝とスケトウダラの卵巣の煮付けがあるので併せておまんまを頂戴している。
 かつて掲示板で書いたが、わたしは一日二食、一食は低蛋白米160グラムである。ところで、外食の牛丼とやらは並盛りが260グラムもあって到底食べられない。松屋に180グラムの小盛りができてやっと手の届くものになった。十代から二十代にかけて山本六三さんと一緒だった頃はさらに食べなかった。八島の天丼を二人で二等分して恰度の量だった。なぜか、二人とも食べるということに嫌悪感を抱いていた。飲みながらの葱炒めや鱧皮酢、生鮨(しめ鯖のこと)が十分に食事の代わりになっていた。
 わたしが遠慮なく食べるようになったのは二十五歳から後のはなしである。既に余生なのだからなにをしても構わないだろうと思っていたのだが、覿面に体重は増えた。一時は70キログラムを超えたことすらあった。現在は65キロから55キロのあいだを行きつ戻りつしているが、これでも多いと思っている。食べ物の質量は血液検査を睨めっこしながら決めている。次回二十二日の血液検査で輸血の結果が出る。

 成田一徹さん来店。彼は多血症で定期的に瀉血を施しているらしい。因果関係はまったく逆だが、似た症状を呈す。即ち頭痛・めまいなどの非特異的な中枢神経症状や高血圧である。血液検査表をお見せしたがさすがに詳しい。
 神戸在の石井一男さんのはなしになる。石井さんは神戸らしい強烈なニヒリズムに色彩られた画家、一度お会いしてみたいと思っている。成田さんは夢野台高校の後輩、石井さんは先輩のようである。もっとも三日ほどしか行っていない学校だが。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月14日 23:25 | 固定ページリンク




 | 一考    

 一昨夜、稲葉真弓さんがすっぽんスープの罐詰を土産にいらした。雑炊にすると旨いらしい。そういえば、雑炊と茶漬けは食塩を嫌ってこの半年ほど食していない。成分表示によると他にナトリウムを摂らなければ大丈夫そうである。稲葉さんは薄めればと仰有っていたが、いくら薄めても全量飲めば同じことである。支那料理の出汁、饂飩・蕎麦の出汁、焼きそばソース等々、ことごとく定量の半分を用いている。すっぽんスープも二度に小分けし、水で薄めて雑炊にすればよい。
 病は致し方ないが、それにしても元気だけはとの稲葉さんのお気持ちに感謝したい。彼女には黙っていたが、同世代で何人もの知己が癌で苦しんでいる。なかには余命を宣告された方もいる。過日、人は生きているあいだは元気である、と書いたのには万感の思いが籠められている。死の前日までみんな元気を装って生きている。それが解っているがゆえに、他人の健康状態については口を閉ざそうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月11日 16:46 | 固定ページリンク




モルト会  | 一考    

 しばらく休んでいたですぺらモルト会の予行演習を今月23日に催します。祭日ゆえ一般客はなく、モルト会の貸切です。
 酒はクライヌリッシュとブローラ、クライヌリッシュ単一のモルト会ははじめてでなかろうかと思います。
 このところ、当店ではなぜかクライヌリッシュの呼声高く、拙宅の在庫を調べたところ三本出て参りました。ブローラは少なからず在庫しておりますが、クライヌリッシュはこれでお仕舞い。こぞってのご参加よろしくお願い致します。詳細は追って掲載します。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月10日 19:09 | 固定ページリンク




フルーツ罐  | 一考    

 増田さんからフルーツ罐を大量に頂戴した。それにしても罐詰はどうしてかほどに甘いのか。中に含まれているシロップを捨て、冷蔵庫で二、三日水に晒すとおいしくいただける。特に洋梨やマンゴーにはカリウム・ナトリウム共に0から2ミリグラムしか這入っていない。香味は生には遠く及ばないが、わたしは結構楽しんでいる。
 果物以外にも干しヒジキ、切り干し大根、海苔、昆布、大豆、納豆、ほうれん草、さつまいも、パセリ、筍、きのこなど、カリウムが豊富に含まれた食品は多い。意外なところではベーキングパウダやインスタント珈琲にもかなり含まれている。店に置いているドライフルーツやナッツ類もカリウム含有量は高い。ナッツ類はさらに塩分が加味されているので困りものである。
 近頃、家でお好み焼きをよく作る。辻さんのパスタの向こうを張っているようなものである。塩は用いないとは云っても、出汁を採るのが面倒なので出しの素を少量使う。後は同じだが、焼き上げてからソースとマヨネーズはほとんど塗らない。そのために極端に小麦粉を水で薄める。早いはなしがもんじゃ焼きの厚焼き版である。おかげで屡々失敗し、崩れてしまうときがある。
そのようなものでも、塩分と縁がなくなったわたしにはおいしく頂戴できる。
 前述のフルーツ罐に甘夏があった。みかん罐は総じてライトシロップを用いるので好きなのだが、増田さんご用達の甘夏罐は上白糖使用で本来のほろ苦さが残っていた。同じ仕様で八朔があれば良いのにと思う。

追記
 検索したところ、八朔の罐詰が売られているのが分かった。しかし、普段購入している蜜柑、二十世紀、梨、桃、パイナップルの四種は一罐百円である。近所のバッタ屋はやはり安価である。あるものを喰っていればよいのであって、贅沢は云うまい。それでなくとも子供の頃、パイナップル罐は憧れの高級食品で、中華料理屋の酢豚に必ず這入っていた。それが理由で昨今の黒
酢の酢豚が苦手である。パイナップル、玉葱、ピーマンが添えられた野菜炒めのような酢豚がお気に入りなのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月01日 10:38 | 固定ページリンク




フクさん来店  | 一考    

 月曜日にフクさんが大阪から来られるようである。営業日時の問い合わせがあったのでこちらでも書き込んでおく。十一月七日以降、通常営業にもどった。カレンダー通りだが、営業時間は七時からになった。通勤に四輪を用いているが、その駐車場の費用削減対策である。知己から貸切で忘年会の申し込みがあったが、その場合は営業時間を早くする。その辺りは個人経営なのでなにごとによらず自由である。なお、モルト会は一月から再開の予定、年始に鴨鍋会を催したいと思っている。
 健康状態はこのところ安定している。とは云っても、慢性腎不全は進行こそすれ良くはならない。気長に死を待つだけのはなしである。七月十五日から八月十日まで、十月十一日から十一月六日までの二度の休みは慢性腎不全ならぬ靭帯剥離骨折と大腸憩室からの下血によるもの。それらは腎不全と関係なくもないが、やはり別の傷病と解するべきである。
 輸血から約一箇月、次々回の血液検査で結果が出るだろうが、血色素量(ヘモグロビン)は増え続けている。ともあれ、これ以上の下血もなく、年内は無事に終えたいと願っている。売上の二箇月分に当たる三十五万円の国税をこれから捻出しなければならない。一年ほどは喰うや喰わずの生活がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月30日 01:51 | 固定ページリンク




金狼ならぬ禁狼  | 一考    

 輸血が落ち着いてから異変が起きている。三、四日前からなのだが朝立ちするようになった。ここ数年来なかったことで、いささか狼狽てている。某歌人は朝立ちを利用して御子息をもうけたらしいが、春風の再来になるやもしれず、もしもそうなればどうしようかと途惑っている。
 思うに貧血とEDとは密接な関わりを持っているのでないだろうか。わたしは最近まで貧血とは縁がなかったので、性欲の貧しさは想像力の衰えと解釈していた。言い換えれば、妄想が生ままれなくなったと、さらに言い換えれば老いが理由だと思い込んでいたのである。ところが実体は海綿体にまで血液が回らなかったと、それだけのことでなかったか。
 ここ数年来のEDは腎臓の病症の進捗と平行していたのではあるまいか。糖尿病患者は透析に這入る前にEDになると山崎医師から聞いた。わたしは糖尿でないが、クロアチニンが上がれば上がるほど同じことだとも聞いた。仮に輸血によって性欲が戻ったとしても、おそらくは一時のものだろう。ただ造血能力が少しでも残されているとすれば・・・そこまで考えなくても、輸血したときのみ性欲が復活するなら、こんなに愉しいことはあるまい。
 それにしても、一体全体だれの血液がわたしのなかへ入れられたのか。飢えたヤング狼か。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月24日 23:50 | 固定ページリンク




血液検査  | 一考    

 山崎医師より血液検査のメールあり。
 腎臓に関する方は尿素窒素(BUN)64.2、クレアチニン(Cr) 7.58、尿酸(UN) 7.9と若干悪くなったようが、血液自体は白血球(WBC) 12700、赤血球408、ヘモグロビン(Hb) 12.5(最悪期の約三倍の数値に戻った)、血小板(Plt) 39.5万と輸血時よりさらに改善されている。ホルモン検査になお一週間ほどかかるらしいが、再輸血もしくはエポジンの世話にならなくて済むことを願う。たとえ一時のこととはいえ、取りも直さず嬉しい。山崎さん、ありがとう。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月21日 02:48 | 固定ページリンク




ビタミンB12  | 一考    

 指先の痺れがひどい。寒さと関係ないと思うが、このところの冷え込みでますますもってひどくなる。降圧剤がなくなったので主治医のもとへ参上、ついでにメチコバール(メコバラミン)を処方していただく。末梢性神経障害を改善するビタミンB12製剤だが、効き目があらわれるのに二、三箇月ほどかかるという。
 ビタミンといっても野菜や果物類にはほとんど含まれていないビタミンのため、菜食主義者でも欠乏症になる。しじみ、あさり、あかがいの他、レバー類に多く含まれる。ビタミンB12のサプリメントではナチュレサプリメントのB100、ファンケルのビタミンB群のふたつが結構。櫻井さんが腰痛について語っていたが、腰痛にも効果を発揮するそうです。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月19日 22:49 | 固定ページリンク




こちらこそ感謝いたします  | 一考    

 高遠さんは訳者あとがきで実に注意深く旧訳に触れられてい、その慎重さゆえに触れてはならぬ問題かとわたしは思っておりました。随分と前ですが「ジャン・ジュネについて一言」を掲示板で書きました。あの拙文はそっくりそのまま「Oの物語」にも関連するはなしです。
 進化とは繁殖により適した形態への変化を指すと理解しておりますが、六十年代、七十年代の文学は反進化論に彩られていたように記憶します。反進化論を反体制、エロティシズム、オカルト、幻想と置き換えても同じです。内省もなく、ことごとくに反対する彼等の姿勢は旧社会党や共産党のドグマティズムとなんら変わるものでありません。オカルトにしてからが、徹頭徹尾相対的な概念によってでっち上げられたもので、これがオカルトといった概念は何処にもございません。
 「サルトルの失敗はものと人間という二元論で世界は割り切れるものではないという一点に帰着する。同性愛者は同性愛者として生まれるのであって、同性愛者として育つのではない。ひとしなみに取り扱うのでなく、世の中にはさまざまな例外があることを認めなければならない」と書きましたが、当時、事実を実証主義的に認識しようとした作家が、文学者がどこにいたのでしょう。「新宿泥棒日記」を取上げたのも一部の男性の宣う一方通行のエロティシズムに疑問を抱いたからであって、あのような方々にこそ「Oの物語」が必要でなかったかと。否、彼等こそが「Oの物語」を曲解していたのではありますまいか。
 翻訳のことだけを述べているのではないのです。澁澤龍彦、生田耕作といった人たちの思想性のなさにはうんざりさせられます。フランス語ができるという理由だけで翻訳を試みる資格があるのでしょうか。澁澤氏は時代の寵児といいますかアイドルのような方で、ご指摘の「旧訳支持者」が多くいるであろうことは容易に憶測できます。アイドルはイドラであって盲目的尊信の対象物にしか過ぎません。従って、そういう人たちに高遠訳と澁澤訳との質的な違いを述べたところで詮無いはなしです。読者のおつむが花田清輝的弁証法から一歩も離脱していないのですから。
 今回の「Oの物語」を読むに際して、新旧の訳を比較して読むなどということができよう筈がないのです。てにをはという文章作法を比較していては嗤われます。巻頭のジャン・ポーランの「奴隷状態における幸福」を読めば分かるのであって、これまで意味不明だった箇所がことごとく解明されます、かつ平易な文章で。これを「至芸」と呼ばずなんと呼べばよろしいのでしょうか。
 「男の性に対するカリカチュア」と書きましたが、これには二重、三重のクエスチョンが付きます。ひとつは書くに至った経緯ですが、「序 恋する娘」はマンディアルグが指摘したごとく愛惜措く能わざる一篇。いまひとつ「ふたたびロワシーへ」はさらに大きな問題、文体、構成が前章と異なるという点です。このふたつの問題の因果関係は同じものでなかったかと、そこにドミニック・オーリーの作家としての限界を垣間見たような気がしたのです。限界などと書くと己が不明を露呈することになります。わたしはジャン・ポーランのあまりにも大きな影を示唆したかっただけなのです。

 「必ずしも反映されてゐないオーリーの思想や文体を生かさなくてはならない」と書いていらっしゃいますが、対象たる作家をかくまで敬愛し、理解し、解体し、同化しての翻訳は顧みてもほとんど存在しないのです。同時代に高遠さんのような希有な翻訳者を持ち得たことに感謝すると共に、わたしがごとき外国語を解さぬ者へのあまりにも大きなプレゼントに読書の醍醐味を堪能させていただきました。エロティシズムについては「Oの物語」一篇で大満足、あとはプルーストの翻訳を鶴首致しております。それまでわたしの命が長らえばよろしいのですが。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月18日 22:05 | 固定ページリンク




感謝いたします  | 高遠弘美    

一考さま

 この度は拙訳「Oの物語」に関して、過分のお言葉と鋭いご指摘をお書き頂き、まことに有り難く存じてをります。
 ドミニック・オーリーにたいする敬愛が今回の拙訳の根幹にあります。澁澤龍彦その他先人の訳にときとして逆らふかたちになつたのは、そのゆゑでした。先人の訳「O嬢の物語」では必ずしも反映されてゐないオーリーの思想や文体を生かさなくてはならない。それが訳者としてのわたくしの採るべき道だと思ひました。いまなほ、先人の訳の方がいい、といふばかりで、拙訳の意図を汲まうとしない方が尠くないのは承知してをりますが、新訳にはさういふ、旧訳支持者からの反撥がでることはむしろ当然と考へてをります。
 いつか、二十年か三十年後には、拙訳「Oの物語」の意義がわかるだらうとなかば諦めてをりましたが、すでに、佐々木幹郎さん、古屋美登里さん、藤原作弥さんをはじめとする方々が活字でご高評を下さいましたし、一考さんをはじめ、インターネットのブログでも高く評価して下さる方も複数おいでです。わたくしとしてはありがたきことと存じてをります。
 一考さんに感謝いたします。
 末尾ながら、お体のこと、案じてをります。どうか御身大切に。ご快癒を切に祈りつつ、擱筆いたします。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2009年11月15日 18:17 | 固定ページリンク




気力  | 一考    

 病は身の惚けというが、生きることへの覇気が少しずつだが着実に衰えてきたように思う。病気のことだけしか考えられないようである。毒舌は相変わらずだし、人は生きている限りは元気である。ただ、生きてゆくためにはさまざまな手続きなり義務が必要である。それらが嫌になってきたのである。例えば引越だが、透析がはじまるまでに済まさなければならない。ところがいまのわたしに引越をするだけの体力が残されているのだろうかと思う。例えば日常の細かいことでも億劫に感じるようになった。これは疲れやすくなったことと睡眠時間が長くなったことが関係する。共に極度の貧血に起因する。
 面倒は起こしたくないなどと考える自分がそこら中にいて、暗澹たる気分になる。前項で書いた「自分自身とのあるいは社会との葛藤、いかに抗い、もつれ、対立したか」が生の証しであるにもかかわらず。
 病気なのだから必要に迫られて病院へは行く。そして血液検査は受ける。しかし、日々の生活のなかで蛋白が少ないとかカリウムが増えたとかで食べものを変えなければならない。日々下血に注意を払い、血圧と脈拍に留意し度々薬の量を変更しなければならない。それら面倒になにもかも絶ちきりたくなる。今は保存期なのだが、これで透析がはじまれば思いはさらに強くなるに違いない。
 不治の病といえば大層だが、癒る当てのない病気であるに違いない。今回は八単位の輸血だったが、それは阪神大震災と変わらない衝撃をわたしにもたらした。それだけでも、わたしにとっては消え行かねばならない心持ちで一杯になる。現世では飲まれなくなった酒も地獄でなら浴びるほど飲むことができる。山本さんや横須賀さん、種村さんや梅木さんとも。・・・というような泣き言を常日頃考えるようになった。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月15日 18:06 | 固定ページリンク




詩について  | 一考    

 知己から数篇の詩を頂戴した。一篇ごとに読むと結構良い作品があるのだが、通して読むとなにを訴えたいのかがいまひとつ掴めない。適確な表現を求めるにあたってヴォキャブラリーは豊富にこしたことはない。ただ、ヴォキャブラリーだけでは詩にはならない。ときとして言葉に対する禁欲的な姿勢が必要になる。禁欲が行間を生み、余白を生む。その行間や余白でひとは思いをめぐらし、思索に耽る。
 語彙の乱反射は見て取れるのだが、作品としての方向性に欠ける。これは若い方の詩作について回る問題点なのだが、自分の存在の輪郭(友人の表現)が本人に見えていない、言い換えれば表現しないといけないところのものが見えていないとなる。心象をいくら詳述してもそこからはなにも生れない。読み手をどこかへ連れて行こうとするなら、そこには書き手の思惟が加味されなければならない。その思惟は時として読み手をとんでもないところへ連れて行く。そこに読書の醍醐味がある。
 自分自身とのあるいは社会との葛藤、いかに抗い、もつれ、対立したかを描くことが作品の底辺になければ、それは思惟を欠いた作品となる。いっそ社会と対峙したときの自分の弱さを徹底的に赤裸に描くとか、相対性のなさを自分自身に向かって暴くとか方法はいくらでもある。
 友人は輪郭といったが、それは個性であり、アイデンティティであり、自分の位置づけのようなものである。自分を知るには自分について考えなければならない。自分について考えるとは常に自己を表明しつづけることである。詩作を試みるとは、取りも直さず、考えることである。自己を表明しようとする意思と思索は手に手を取ってやってくる。傷つくことを拒んだり、気取っていては詩は書かれない。

 詩作とは難儀なものだが、それを評するとはさらに難儀である。若いひとの夢を削ぐようなことばかりしているような気がする。それにしても人はいづれ独立しなければならない。生きのびることから生じる悶着を一身に担うようになる。好き嫌いという頬被りではなにひとつ片づかない。いづれ自分を開国しなければならないとするなら早いに越したことはない。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月15日 06:32 | 固定ページリンク




Oの物語  | 一考    

 ジャン・ポーランをはじめて読んだのは堀口大学訳の「嶮しき快癒」(伸展社)、次いで澁澤訳の「O嬢の物語」序文(河出書房、人間の文学)、下って「タルブの花」だった。とりわけ「タルブの花」はわたしには難解で取り付く島がなかった。訳者にも意味が分かっていないのではないかと思われる惨憺たる日本語に出くわすケースがよくある。「タルブの花」などもそれに当たろうか、そんな時わたしは潔く本を閉じる。思考回路が難解なのは時間が解決してくれる、しかし、日本語そのものが難解なのは困惑するばかり。「噫、これは日本語訳ではないのだ、日本語訳が出たときに読ませていただこう」もしくは「また欠損商品に当たってしまった」と諦めるのである。その点、高遠弘美さんの訳書には外れがない。今回の「Oの物語」はジャン・ポーランの序文のみならず、巻末にマンディアルグの「ロワシー・アン・フランス」が添えられている。あの煩雑なエッセイが高遠さんの手にかかるとスコラ学の「神学大全」のダイジェスト版を読むようにすらすら判読できるから不思議である。フランス語と日本語とのあいだにどのような滲透膜を設けておられるのか、いつなんどき繙こうが、彼の為事にはほとほと感服させられる。至芸とは彼のごとき翻訳を指す。
 「Oの物語」にはかなり長文の訳者あとがきが収められている。「O嬢の物語からOの物語へ」とのサブタイトルが付けられている。この「嬢」を付けるかつけないかでアナロジーが生きも死にもする。詳しくは「Oの物語」を繙かれたいが、高遠さんは私見のひとつとしてランボーの「母音」から「O=性的絶頂で見開いた目」を挙げられている。ジュネの項でも書いたが、「O嬢の物語」が上梓された頃は、エロティシズム即反体制で、そこには疑問のひとかけらも挿まれなかった。余談ながら、過日「新宿泥棒日記」を久しぶりに観た。作中で評論家と思しきひとたちが酔っ払って議論しているシーンがあって、その低劣かつ俗悪なさまに恐れ入った。
 もっとも、この「O嬢」から「Oへ」の推移変遷に関してわたしはなにも著さない。訳者あとがきを擬えたところでそれがなにになるのか。書評にも解説にもならず、それは単なる剽窃にしかならない。

 通常、男性が愛するといった場合、欲望、支配、所有が一体になっている。ところが、本書で描かれる愛には所有と支配との概念が失われている。カミュが「ねえ、ジャン・ジャック。女は絶対にあんなこと考えつかないよ。絶対にね」と述べたらしいが、マッチョなカミュには分からない女心がここには秘められている。「女でなければ絶対にあんなこと考えつかないよ。絶対にね」だと通りがよくなる。本書を読む前にジャン・ジュネの初期作品を読んでいたので、なおさら男の作品ではないと思い知らされた。
 「Oの物語」にあってはルネ、スティーヴン卿、指揮官等々にとって支配、所有は葛藤の対象にならない。謂わば、欲望のおもむくままに振る舞う。彼等の視線はほとんど等価にエロティックなものになり、それゆえに性的な価値さえも失ってゆく。それは同時にジュネの小説の特質でもある。「Oの物語」は読み方によってはジャン・ポーランへの、というよりは男の性に対するカリカチュアと読んで読めなくもない。
 レアージュはリアリズムを信じない。彼女が立ち会う出来事はいつも現実、幻想、言葉、理念が滲透しあう次元を彷徨う。にもかかわらず、最終章で堕胎避妊薬について詳述する。書く必要のない稿を起こしたな、とわたしは思う。せっかく紡いだ夢物語をどうして現実の場へ引きずり落とす必要があったのか、ジャン・ポーランと彼女とのあいだになにがあったかは知らないし、知る必要もおそらくない。ただ、夢は夢で置いておけばよいのにとわたしは思う。もしも、あれがポーリーヌ・レアージュの計算づくだというのなら、既にこれは戯画以外のなにものでもない、恋する女もしくは恋した女への。

追記
 ですぺらで書いたので原本が手元にない。もう少し触れたいことがあったのだが、これで失礼。なお、本訳書を担当した編集者幣旗愛子さんについて書くと約束をしたのだが、次の機会に。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月13日 20:51 | 固定ページリンク




あれこれ  | 一考    

 月曜日はまったく暇だった。週明けはそんなものだろうと思っていたので、一向にかまわないが。七月からこっち休みの方が多かったので、常連さんは他店へ流れている。以前いらした女性はメールを繁く出していた。わたしはまったく出さない、これでは客足が遠ざかるのは当たり前である。
 新宿のナオさんは女を雇えとうるさくいう。雇うもなにも五年後には店主が臨終を迎える。後を継いでくださる人があればウィスキー込みでお願いしたいのだが、当ても何もない。よほど店主の人品に魅力がないものと思われる。それもこれも当掲示板のせいか。
 六十過ぎのオジンに魅力があれば気味が悪いが、天本英世さんには不思議な魅力があった。文化出版局で何度かお会いし、山中湖のペンション・モーツアルトでもご一緒したが、さわやかな謎の怪老人だった。天皇制と、昭和天皇の戦争責任を追求してやまないラディカルな精神の持ち主で、彼のように老いたいものと願っていた。天本さんについては改めて書く機会もあろう。

 閑中にやってきたのは税務署の督促状のみ。差し押さえをするとかで、勝手になんでも持ち出せばと思うが、開封されたウィスキーを差し押さえてどうするのであろうか。閉店している店に十日ごとに督促状が送られていたようである。健気といえば健気だが、払えないものは払えない。国税ゆえ払わずに済むものでないと分かっている。さて、どうする積りなのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月13日 19:20 | 固定ページリンク




マスタングの電装  | 一考    

 マスタングの窓の開閉ができなくなった。耳を欹ててみるとモーターの音が聞こえない。どうやら焼き切れたようである。よくある故障で、モーターさえ手に入れば自分でも直せる。最初に乗ったカリブは12万キロ、チェイサーは16万キロで焼き切れた。BMWやベンツも電装が壊れるのは早いが、アメ車もそのようである。マスタングの走行距離は6.3万キロ、オドメーターが故障中なので正確ではないが。これではBMWと同じである。やはり、電装品は国産に一日の長がある。
 車内に張り巡らされた電気コードはより線でなくストレートなものが用いられている。これでは捩れや引っ張りに弱く、断線やショートが起こる。しかし、エンジンは構造が簡単なだけあって至って元気である。
 それにしても、木村さんのお陰で左ハンドルを十分に楽しませていただいた。庭で吹きさらしになっているインプレッサをもう一度動くようにして、最後まで乗り潰す予定である。こちらはエンジンを除いて、パーツの大部分が日産車で間に合う。日産車なら近所の廃車置き場にいくらでもある。少なくとも修理費は安くつく筈である。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月12日 07:43 | 固定ページリンク




音楽療法  | 一考    

 二十日の宵、若い方が音楽療法について幹郎さんと話されていた。詳しくは知らないが、音楽療法士というのはボランティアでこそ可能で、職業として成り立つものではあるまい。音楽療法であれなんであれ、基本は心理療法であって、骨格をなすのは臨床心理学である。心理学者が音楽をカウンセラーの場で利用するのは有効かもしれないが、音楽家が癒しまたは治療目的に音楽を用いるという構図は、わたしには理解できない。目的は癒しまたは治療にあるのであって、問われるのは患者への問い掛けとその話術の積極性にある。生きる意欲を引き出す、あるいは他人を救おうという考え(偽善ともいう)が心理療法の基本をなす。繰り返すが、相手の苦衷を繙き、そのなかにいかに解体してゆくかが問われるのである。どこまで行っても、対話が主であって音楽は従となる。
 日本音楽療法学会認定の音楽療法士という資格があって、そのような権威、権力が必要な職業とはどのようなものであろうか。資格というからには資格認定士がいるはずであって、そのひとたちは資格を授けるのを商売とする。その場合、資格を得ることによって甘受できるであろう特権を大書しなければならない。よって資格の差別化のためには詐欺的行為をも平気で働く。昨今問題になった漢字検定や数学検定を持ち出すまでもなく、あらゆる検定協会の類い、または官僚の天下りに至るまで構造は同じである。
 飯が食えるのは資格認定士だけであって、認定される側は単なる鴨である。認定証であれ、卒業証書であれ、宛にならない紙切れのために出資するのは資格認定士の懐を沃やすだけなのである。組織、団体、法人、大学、予備校のいかんを問わず、資格の売買を商いとするひとをわたしは信じない。
 金銭についてまじめに考えれば考えるほど、ひとは資格取得の泥沼へ嵌まる。もう少し、暢気に気楽に人生を考えていただければ良いのだが。ひとを介護するにも資格がいるらしいが、それなども介護士の認定試験を行う人の懐を潤しているだけなのである。生きるのになぜ資格が必要とされるのか、人生の免許証乃至は卒業証書なんてものはどこにもありはしない。また、権威、権力といかに抗って生きるか、文学が考えることといえばその一点のみとわたしは思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月11日 15:47 | 固定ページリンク




物欲  | 一考    

 輸血の結果が出るのは一箇月半後と聞かされた。理由はヘモグロビンの寿命がおよそ120日、すなわち100日ほどすれば輸血された血は死に絶える。ミジンコのようなもので、死に絶えると子孫が生まれる。ただし、その時に腎臓が生産するエリスロポエチンというホルモンが必要になる。エリスロポエチンが機能していると問題はないが、末期腎不全の患者のほとんどは機能していない。機能しないときは新たな療法を案じなければならない。もしくは二箇月ごとに輸血が必要になる。ところで、輸血というのは一種の臓器移植である。この先、他人の血に縋って生きのびるとなるとどこかで断ち切りたくなる。
 本日の迅速検査結果レポートによれば、赤血球数364、血色素量(ヘモグロビン)10.4、ヘマトクリット34.9、血小板数33.3となっている。随分と改善された数値なのだが、下血がなくても一箇月後から数値がどんどん減ってゆくかもしれない。血というのは難儀なものである。

 わたしは地上なんぞ思い出にすらならないと思っているので、タルホは願い下げだが、梅木さんが書かれているように、十分に物の世界を楽しんだ。物欲と性欲(性欲も物欲に違いないが)を満たすこと以外、現世に用事などあろうはずもない。従って思い残すことはなにもない、思い出を引っくるめて。
 わたしは私小説的生き方をしているので、梅木さんのような恰好良い死に方は望むべくもない。恰好良いとの云い方に差し障りがあるなら潔いと置き換えても構わない。わたしは這いつくばって駄々を捏ねながら死のうとおもっている。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月11日 04:12 | 固定ページリンク




梅木英治さん逝去  |   一考

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http://www.sakai.zaq.ne.jp/ikemu/page/diary01.html
上記サイトに、

お先に失礼ごきげんよろしゅう
とうとうわしも旅に出んならん事になりました
行き先は地獄だっしゃろなあ、まあ楽しみだ
色々好きなもん置いていかんなりまへんけど、もう十分楽しましてもらいました
今は”地とは永遠(とわ)に思いでならずや”(タルホ)
ちゅう心境でおます

ほなさいなら

酔生夢死
平成21年6月9日永眠(すい臓癌)

と著されている。死後一月を経ての発表である。膵臓癌は治療がもっとも困難な癌の一つである。治癒切除が行われた場合でも約九割が再発を来し死亡する。また、慢性膵炎は長年の飲酒などによって膵臓が徐々に破壊されていく病気、破壊された細胞は繊維化していくため、腎臓と同じく膵臓の機能が回復することはない。
 梅木さんの病歴をわたしはなにも知らない。膵臓癌とあるからには、発見したときには手遅れであったろう。
 はじめて出遇ったのは大阪プチ・フォルムの紹介で二十五、六の頃、共に酒を酌み交わし、自転車に乗り、オートバイで駈け回り、旅をし、一緒に何冊かの本を造った。いろんなことを思い起こすが、今はそのときではない。冥福を祈るのみ。

追記
 プヒプヒさんから梅木さんの死について問い合わせがあった。彼のホームページを見ていれば気づいたことだが、もう構わないだろうと思う。既に五箇月を経た。


投稿者:   一考  日時: 2009年11月09日 14:52 | 固定ページリンク




月曜日から営業開始  | 一考    

 土曜日は暇だと思っていたら満席だった。ありがたいはなしだが後が続かないのは困る。本当はぽちぽちのご来店を期待したい。そうでないと当方の身体が持たないのである。
 さすがに十一時以降は疲れた。はじめてカウンターのなかへ這入ったときのようで、足腰が懈い。駐車場までは三度休んで小一時間かけて歩いた。輸血のかいがあって眩暈や息切れはないが、七月以降歩いていないので腰が痛い、腹筋が弱っているのが理由である、コルセットがなければ歩かれなかった。経験から推して一月末ぐらいまではコルセットの世話になりそうである。
 月曜日からは通常の営業がはじまる。下血がないことを祈る。二度、内視鏡検査をしているが、手術はしていない。従って、下血、輸血はまだ続くそうである。末期腎不全の患者はそれでなくとも貧血がひどい。死ぬ思いは繰り返したくないのだが。
 このところ、普段は食さない甘いものばかり食べていたので血糖値が跳ね上がっている。腎機能が衰えると、食べたものの結果が血液検査に如実に現れる。今後、甘いものは控えなければ。そして総蛋白が基準値より減っている。こちらは規制をかけ過ぎたようである。塩は断ち切れば仕舞いだが、蛋白はそうはいかない。ナトリウム、カリウム、リン以外の規制は結構難しいものである。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月09日 03:18 | 固定ページリンク




お泄らし  | 一考    

 今回の入院で参ったのは糞便のお泄らしである。禁食(病院では絶食とはいわない、絶食は死に絶えること)がつづき、水分の補給だけが許される。よって消化器官内は液状化し、淡黄色の液体もしくは血しぶきがしばしば主人に無断で迸る。三、四日の禁食が間断なくつづくと下部消化器官の暴走がはじまるのである。
 持参した御襁褓では面積が小さいので、病院でより大きいものを頒けていただいた。それでも泄れるので御襁褓カバーを頂戴したが、見苦しいものである。
 生死の境を彷徨う人間に見苦しいもないと思うが、自意識とはそのようなものである。早鐘のように撞く心臓に喘ぎつつ、看護師を呼びつけるでもなく、ナースセンターへ詫びにあがる。「済みません、また汚してしまいました。本当に申し訳ない気持で一杯です」「いいんですよ、大腸から出血してるんですから」。危殆に瀕したとき、人は存外冷静を保つ。
 知己の医師から電話があって、「掲示板に書かれた検査レポートに愕いた。あの数値ならほとんどの人は死んでいる。それを病院へ車を運転して行くとは。畏るべき意志力だ」と。似たことは川久保病院の医師からも、主治医からも聞かされた。もっとも、ちはらさんに云わせると「ただのバカ」となるだろうが。
 いやさ、バカにも取り柄はある。バカだからわたしは最終的に医師を信じている。信じているが故に処置を施されるまでは死なれない、わたしの一存で死ぬような身勝手は許されないのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月07日 16:33 | 固定ページリンク




さっき  | ちはら    

掲示板を見て、初めて「予行練習」なるものを知りました。
血便出た時も同じように掲示板で知って驚いたなあ…と思い返しました。
口頭で伝えてくれたらいいのですけれど。

さて私、明晩はあいにく仕事につき、手伝いにいけません。
ご本人が「歩ける」と仰っているので、迎えにもいきません。
と、本当に大丈夫なのか心配ですが、とりあえず放っておくことに
しますので、何かありましたらご連絡ください…と、虚空へ呟いておきます。
何卒よしなに。


投稿者: ちはら      日時: 2009年11月07日 01:18 | 固定ページリンク




予行演習  | 一考    

 明日の土曜日、予行演習を兼ねてですぺらを再開します。土曜日だから暇、身体の様子を見るには最適と思います。
 先月27日に冷蔵庫を空にし、電源も落としてきたのです。従って、準備しなければならないことが山積です。輸血が効き、もっか手の痺れを除いて元気です。以前のようなご迷惑は掛けずに済みます。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月06日 16:02 | 固定ページリンク




成績書  | 一考    

 輸血をしたので、梅毒血性反応成績書なるものが送られてきた。TPHAとRPR法双方がマイナスになっている。生物学的偽陽性反応(BFP)を呈する可能性のある疾患として種痘、水痘、エリテマトーデス、癩、流行性肝炎、伝染性単核症、原発性非定形肺炎などが列記されている。
 唐瘡はともかく、現今噪がれているのはHIVやウイルス性肝炎であろうか。わたしは素人なので、詳しいところはなにも分からないが。調べてみると、日本赤十字社では1999年10月から全輸血用血液に対してHBV、HCV、HIVについての核酸増幅検査(NAT)を開始したとある。わたしに用いられた血液製剤は赤血球濃厚液−LRのようだが、2000年以降は輸血による感染例数が1998年よりもさらに低くなると予想される、と書かれてあった。
 いずれにせよ、わたしはエホバの証人の信徒ではなく、輸血しなければ死んでいた。命の変わりにどのような疾患をもらうとも気にはしない。それも運命と積極的に諦める。それでなくとも、わが五体は疾患だらけ人生は失陥の繰り返しである。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月05日 16:58 | 固定ページリンク




絶対安静  | 一考    

 同室の患者が大腸癌であまりに下血がひどく、総合病院へ緊急搬送されていた。その担当看護師がわたしのところへやって来て、「あなたも本当は総合病院行きなのよ、それを嫌がるから看てるけど、絶対安静面会謝絶なんですよ」と叱りつける。この日、わたしは愛子さんたちと遅くまでラウンジで喋り続けていた。それよりなにより、わたしが川久保病院を気に入った理由はベッドである。いろんな病院へ入院してきたが、病人にとってはベッドがすべてである。寝癖のついたベッドだけは願い下げである。他人のひとがたにわが身を合わせて寝ることほど嫌なことはない。
 今朝の血圧は150-85、脈搏は70から66にまで下がっている。わたしの標準値は110-75、脈搏は60-58ぐらいである。ちなみに、テレビの音量レベルを5ポイント落としても聞こえている。要は、心音が聞こえなくなった、急速に元に戻りつつあるということ。
 全身のさまざまな感覚が急速に戻ってゆくと書いたが、左掌の感覚だけがまだ戻らない。小指と薬指が痺れたままで、感覚が戻らない。グラスを握るのにまた洗うのに必要である。今まで十数度に及ぶ手脚の骨折や腰痛でリハビリを受けたことがない。水を張ったバケツもしくはコンクリートブロックに棒切れを通したものなどを用いて我流でリハビリをしてきた。それが遠因ではあるまいと思うが、一刻も速く癒ってほしい。グラスが掴めるようになれば店が再開できるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月04日 15:47 | 固定ページリンク




検査レポート  | 一考    

 輸血は8単位だが、ときとうクリニックで8本、川久保病院で点滴を19本受けた。主として葡萄糖と生理食塩水だが、それ以外にビタミン類と痛み止めの注射を9本。血液検査は連日だった。ちなみに、川久保病院での痛み止めは保険適用外だったが、これは座薬を嫌がったわたしに対する気配りだったと思う。気を失うことがダイレクトに死に結びつく場合、方法は他にはない。感謝している。
 一回目の輸血のあとの検査レポートでは、赤血球数が144から175へ(正常値は438-577)、血色素量が4.5から5.5へ(同13.6-18.3)、ヘマトクリットが14.1から17.8へ(同40.4-51.9)、血小板数は正常、白血球数が19800から11700へ(同3500-9700)、CRPが0.96から0.36へ(同0.30以下)へ改善されている。退院時ではヘモグロビンの数値は10にまで戻っているので、血液の状態は飛躍的に良くなっていると思う。ちはらさんが書いているエポジン(商品名)を服用すべきかどうか、次回にでも主治医と相談しなければならない。
 肝心の腎臓関係では、尿素窒素が62.2から49.5へ(同8-20)、クレアチニンは7.37が7.33へ(0.65-1.09)僅かに下がっている。こちらは逆にその後の輸血によって跳ね上がっていると思われる。
 血圧の高い方の数値が70から150へ上がるなど、輸血の影響はすでに出ている。ただ、降圧剤(ニューロタン50)は肝炎はじめ副作用が起きるので要注意である。いずれにせよ、もっかのところ気分爽快元気溌溂、次回の検査結果が楽しみである。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月04日 02:58 | 固定ページリンク




インフォームド・コンセント  | 一考    

 今回はパソコンを持ち込んだので日記をつけていたが、「輸血」は思うところがあって書き直した。書き直したといっても一種のコラージュだが。
 世の中の医師は全員が山崎医師ではない。山崎さんのインフォームド・コンセントの執拗さには頭が下がる、基礎疾患がある場合、予期される合併症や、代替方法が常に問題になる。例えばわたしが抱え込んだアルツハイマーなどがそれに当たるだろう。そしてそれ以上に問題になるのが、患者個人の心情や価値観、理解力に配慮がなされているかどうかである。患者は個々のひとであって、一般概念としての患者なるものは存在しない。医師は毎回、その事実と対面する。にもかかわらず、個の主体性は往々にして無視される。インフォームド・コンセントとは名ばかりで形骸化している。主体性の尊重とパターナリズムとの衝突は、結果として病院による診療拒否にすら繋がるが、それを懼れて患者は泣き寝入りし、医師はますます増長する。それでなくとも、忙しいときに面倒な客は来てくれるなというような姿勢が垣間見えたとき、その医師は医師として失格である。その点、山崎医師の「アプローチの多様さ」にはいつもながら愕かされる。今回もまた多大なご迷惑をおかけした。きっとちはらさんも日参したに違いない。山崎利彦という名医と知り合えたことにわたしは感謝しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月03日 16:51 | 固定ページリンク




輸血2  | 一考    

 二度目の内視鏡検査が終了、特段の問題は生じなかった。第一に問題が生じたところで応急手当以外、現状では為す術がない。大腸の状態は悪化するばかりだし、何時下血するか分からない。それと共に輸血も続くのかもしれない。あれもこれも補修は効かないとして大腸の出血を甘くみていたため、五年の寿命をさらに短くするところだった。基礎疾患を疾む者はすべてに注意を払わねばならない。
 輸血による血液の変化が腎臓に与える影響を極力抑えなければならない。といいながら、櫻井さんの見舞いの電話で、のしいかや烏賊の天麩羅やミニステーキを買ってきてむしゃむしゃ食べてると白状する。一両日だけだが、食べたいものを食するつもり。
 大腸を休めるために、三十、三十一、一日、二日と再度禁食。このところ三、四日の禁食がつづいた。最初の頃は胃袋がびっくりしていたが、最近は馴れてきたのか動じもしない。ついでに煙草もやめてみた。こちらは先週の日曜日に増田さんが見舞いに来られた日に一箱ほど吸ったばかりである。それもあっていまのところ平気である。実は十日や二十日の禁煙はしょっちゅうである。ただ本人に止める気がないので首尾の松となったためしがない。
 禁食はいと易いはなしだが禁飲は難しい、同様に禁煙は簡単だが禁薬(覚醒剤)はむずかしい。後者は共に半年から一年目に音をあげるという。透析における禁飲にも個体差があって、ある人に我慢できたからといってどなたにも可能とは限らない。一日に1デシリットルの水という制限がない方は比較的成功例が多く、制限のある方には自死が多い。半数近い透析患者が1デシリットルに堪えられず、命を断つと聞く。わたしは保存期間中だが、すでに酒は断った。これなども断ち切られなくて悶々となさっておられる方がいるときく。
 さて、血液検査は連日だが、二日から輸血再開である。現在のヘモグロビン値は三十日の下血のために8.0で止まっている。失われた2.5リッターの血は大きい。残りは二単位、併せて1.6リットルの血液が補填される。これでなんとか露命を繋いだことになる。事程左様に死んでいても何の不思議もない数値だった。万象の生滅変顛を杜鵑と語りあった二週間余、思うところは多くそれなりに得るところもあった。
 りう、素天堂、ヒデキ、大浦、あまね、愛子、ひろ、ナベサンさんの見舞いを受ける。わざわざ浦和まで申し訳ない。ヒデキさんに元気がなさそう。人はみなさまざまな事情を抱えて生きる、なんとかしてうまい解決策が見付かることを願う。
 明日は小生の身内が上京するとか、わが性分から推して、身内の見舞いがもっとも困惑する。この六十二年間、身内にあるまじき冷酷かつ勝手なな生き方をわたしが繰り返してきたからである。合わせる顔などどこにあろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月03日 13:04 | 固定ページリンク




輸血1  | 一考    

 多くの人々のご好意によって命長らえた、感謝のしようもない。ひとりひとりのお名前も履歴もなにも知らない。ただ献血なさった方々のご厚志によってわたしの身体の中には1.6リットルの他人の血が流れている。同量の自前の血と頂戴した血とが同居することになった。これでわたしの命はわたし個人のものでなくなったともいえようか。
 血液は一気に失われると三分の一で死に至る。わたしの場合は徐々になので半分なくなってもなんとか生きている。ヘモグロビンの数値は4.5(平均値は13)、要するに血液の濃さからいうと三分の一になってしまった。失われた量ではなく、残留血液が三分の一なのである。
 某医師が巫山戯て「君は既に死んでいる」と云っていたが、二十四、五日の増田さんが見舞いに来てくださった辺りが、もっとも不安定だったらしい。意識を失うようなことがあればそれきりだったようである。

 二十八日に濃厚赤血球一単位(一単位とは含まれる構成分子らしく、量ではないらしいが、大旨200ml)二本の輸血を試みた。見てる間に脈搏は110から80にまで下がり、頭のなかで鳴り響いていた拍動から解放された。これでヘモグロビン値はおそらく6.0ぐらいへ上がったはず。通常は二単位を一時間で点滴するが、わたしの場合は三時間は掛けている。
 心臓が持ちこたえてくれたので、それ以降はもう少し大胆に輸血ができるようになった。それにしても、皮膚感覚をはじめ、全身のさまざまな感覚が急速に蘇ってゆく。
 二十九日は二単位を一本。輸血をはじめる前のヘモグロビン値はやはり6.0、脈搏は75まで下がる。二回目以降は腎臓をチェックしながらヘモグロビン値が10.0に届くまで輸血をつづける。そうすれば、恢復能力が自動的に機能するそうである。全快には一箇月半かかるらしい。ヘモグロビンの寿命は百二十日、この一箇月半がなにを意味するかはわたしにはさっぱり分からない。
 三十日の二単位の輸血もうまく行き、これでヘモグロビン値は10.0にもどるはずだった。ところが大腸から突然の下血、大腸に滞留していた術後の血が流れ出たのか、それとも血圧の変動のせいなのか、定かならず。
 下血と同時にわたしは三回目の禁食に這入った。医師もヘモグロビン値4.5での下血なら確実にショック死していたという(医師のいうところが正しければわたしは三、四度すでにショック死している)。
 急遽予定を組み替えて土曜日三十一日の午後は再度内視鏡検査、憩室なのかポリープなのか、出血箇所を特定し修復しなければならない。入院は延長である。
 点滴で用いる生理食塩水(スポーツドリンクと同内容のもので500mlを一日三本)を毎日打っている。他方、内視鏡検査ないしは手術で座薬をつかうことには懲りている。このあたりの話し合いを医師となんども持った。わたしは素人なので、ちゃんと説得していただければ従う。従いたくなるだけの言葉が欲しいだけなのである。

 今月に入ってから貧血で悩まされ続けたが、その一方で血液検査は五回も受けている。ときとうクリニックへ入院した十四日のヘモグロビン値は6.0、これでもひどい数値だが、今日明日命に関わる数値ではない。当然掛かり付けの医療機関で輸血するものとして退院した。ところが術後の出血がひどく、十六日の夜にはヘモグロビン値は既に5.0を切っていたものと思われる。
 ヘモグロビン値が4.5になっているのを医師が確認したのは二十七日だが、その検査は二十日の日になされている。問題は検査と確認のあいだに存在する一週間のタイムラグである。
 十八日以降二十七日までの十日間、わたしは死ぬ思いで唸っていた。否、死んでいても何の不思議もなかった。二十日の火曜日にはどうにも身体が動かないので、入院を直接希望したのだが、二十日の日に医師の手元にあった検査ペーパーは十三日付の検査結果だった。わたしは途方に暮れた。身体の調子ががここまで悪いのに施す術がないとは。
 二十七日の入院は本当の緊急入院だった。生命の危機を感じたとき、入院の是非を決めるのは患者であってほしいと願うことしきりである。
 追記
 この件に関しては、退院の日に院長と話し合った。血液に関しては院内検査なので必要とあればその日の内に結果は出る。慢性腎不全の患者は血圧が不安定である。このようなことを避けるためにこれからはシステムを改めるとの意見を得た。すぐれた病院がひとつ増えるのは嬉しいことである。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月02日 22:17 | 固定ページリンク




退院  | 一考    

明日の予定だったのですが、院長の許可を得てたったいま退院してきました。詳細はまた。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月02日 18:34 | 固定ページリンク




闇の契約は幻想なのか  | taguchi    

こんにちは 始めまして
青春回想小説を書いてます。
良かったら読んで下さいね。

人の幸せにことごとく背を向け、
あえて、非情の道を貫いていく
闇の声に惑わされた青春の日々 

URL
http://homepage1.nifty.com/designb2/pochinaka2.html

「闇の契約は幻想なのか」 追記 »


投稿者: taguchi      日時: 2009年11月02日 14:26 | 固定ページリンク




入院中  | ちはら    

一進一退が続く一考さんの体調ですが、一昨日また下血が起こりました。
おそらく、輸血による血圧上昇の影響とのこと。
昨日、大腸の内視鏡検査が行われており、あと3日くらいは絶食のまま
入院が続きます。命に別状はないようですが、ご本人はさすがにお疲れ気味です。

もしお時間あれば、顔を覗きに行ってくださると嬉しいです。
■ 川久保病院 http://www.kawakubo-hospital.com/
病室は207、入って左手前のベッドです。そちらにいなければ
検査中かラウンジで面会中かと。


投稿者: ちはら      日時: 2009年11月01日 10:20 | 固定ページリンク




順調に  | ちはら    

昨日より始まった輸血ですが、これといった問題もなくスムーズに進行しています。
顔色も心拍数も正常に戻りつつあるようで、心音も以前ほどは気にならないとか。
このまま順調に進み検査結果も悪くなければ、土曜日中に退院できるとのことです。

まだ食欲が戻らないことと歩くのが辛いという点は心配ですが、
全体としては事前の想像よりも良い方に進んでいるようです。
お見舞いを考えてくださっていた方々、来ていただく間もなく
退院できそうな風情です。お気遣い、本当にありがとうございました。

ちなみに主治医の山崎先生が「輸血するとすごく元気になる方もいます」と仰ってましたが、
それがそのまま当てはまったような一考さんは「月曜日から店を再開する」と一言。
来週は火曜が休日だからせめて水曜日からに…!と説得し、どうにか落ち着いた次第です。
この無計画さと体力の過信はなんとかならない…ですよね。
思わぬ来訪者に説得されると良いのですけれど。

以上、再開に関しましては、一考さんが戻られたらご自身で書かれると思います。
今しばらくお待ちください。

なお、輸血自体の問題はクリアしているものの、この輸血による腎機能低下の恐れや
赤血球の産出を促すホルモン(エリスロポエチン)がうまく働いてくれるのかなど、
今後の経過次第ではまた対処していかねばならぬこともあるようです。

ただ、どれも今から考えたところで打つ手もありません。
とりあえず安堵しつつ、次の山に備えたいと思います。


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月30日 02:14 | 固定ページリンク




バトンタッチ  | ちはら    

されましたので、遅ればせながらご報告にて。

一考さんは昨日(27日)川久保病院へ定期健診に行き、血液検査でのヘモグロビン値が
4.5だったため、そのまま緊急入院を言い渡されたそうです(207号室)。
その後、自分で入院グッズ(自宅)とノートパソコン(赤坂)を回収し入院されたとのこと。
その気力というか生命力には、感嘆するほかないと申しますか、いやはや…!

さて一考さん先述のとおり、現在の心拍数上昇は貧血を補うために心臓が
フル回転している状態で、そのため心臓にも相当の負担がきているようです。
輸血は心臓の負担を減らす方向に働けば吉ですが、腎機能がそれを支えきれないと
透析をしながらの輸血となるため、転院の可能性もあります。

輸血は本日(28日)の午後からで、この3~4日でその効果がでてくれば
早期の退院もあり得ます。まずは結果次第、でしょうか。

現状「頭がぽやぽやする」とぼやいている一考さんですが、喋る内容等は
はっきりされています。ただ、輸血次第ではこの状況がどう変わるか
わかりませんので、もしお見舞いにきてくださるという方がいらっしゃるのであれば、
少しだけご猶予くださいませ。こちらでまた詳細をお知らせいたします。
それまで、お待ちください。

なお、私宛に何かご連絡くださる場合はto_chiharaに@とyahoo.co.jpを
足してください。宜しくお願いいたします。


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月29日 02:02 | 固定ページリンク




輸血  | 一考    

 川久保病院へ緊急入院です。体重の十三分の一の血液を人間は持っているのですが、その六十パーセントが失われているそうです。このままだと危険、輸血も危険なのですが、取り敢えず輸血することになりました。心臓と腎臓の調子をみながら一週間かけて輸血します。
 詳細はちはらさんから。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月27日 20:36 | 固定ページリンク




野戦病院  | 一考    

 ときとうクリニックはわたしがはじめて行った種類の病院だった。療養のための病院でなく、手術専門の謂わば野戦病院のようなところで、医師から看護師までがぴりぴりしている。入院即絶食で、消化器官を空にし、血液検査と心電図など手術に必要な基礎資料を拵える。二日目は早朝からニフレックという下剤を二時間掛けて飲んで内視鏡検査、午後は手術である。三日目の午前は術後検査で、患部からの直接の出血の有無を確認後、そのまま退院。短ければわたしのように二泊三日、長くとも五泊までが通常だそうである。駐車場は広く、県外からひろく入院患者が集まる。さぞかし著名な専門医なのであろう。隣に薬局とメモリアルパークがあるのはご愛敬だった。
 初日の検査で貧血を注意され、透析をはじめていれば輸血できるが、そうでなければ輸血は不可能、「ちょっときついが、まあ、なんとかなるさ」といわれた。これは輸血に際してカリウムの除去フィルターが使えないことを意味している。
 西明石時代、腰痛による神経ブロック療法を受けていた。また、腎結石に伴う尿管バイパス手術などで神経根ブロックや椎間関節ブロックは何度も経験している。このブロックに関しては西明石に天才的に巧い麻酔医がいて、事前に痛み止めの注射を表皮に打ってからことに当たる。それに慣らされていたので、今回いきなりブロックを打たれて、思わず唸ったところ、前述のようなサービスを当院は行っていないと一喝された。山崎医師の飲み仲間だけあって、ある種、野人のような相貌を持つ医師だった。
 失神について書いておかなければならない。慢性腎不全の患者に座薬は使われない、主治医によるとショック死した例を複数知っているらしい。そのことを医師は熟知している。にもかかわらず、どうして起こったかだが、二日目の夜、朝までわたしは痛みで呻っていた。看護師にそのむねを伝えたのだが、痛み止めの用意はないと断わられた。術後検査の折にまだ呻いていたわたしに、あろうことか医師が同情し、効能の低い座薬を打った。貧血で体調不調のわたしはそれにすら耐えられなかったのである。覚醒したとき医師に「死ぬ思いをさせられた」と一言、「死んでないじゃないか、分かってんだよ、それぐらい」。それから先、議論する用意はわたしにはない。主治医とは異なるが、時任さんもまた非常に個性的な医師だった。
 今回のことは症状に対する認識の相違であって、医師やわたしに責任があるわけではない。失神ぐらいは野戦病院では日常起こり得ることであって、珍しくはない。これぐらいの痛みがなんですかと、医師が一喝しておればおそらくなにごとも起きなかったに違いない。

 ジオン注は患部を薬品で火傷させ、傷跡を引き攣らせて治す治療法である。火傷だけあって、手術から十一日を経てなお痛い。わたしは痛みには結構強い方だと思っているが、内部からの痛みには弱い。じくじく疼くような種類の痛みへの対応策を持たないのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月26日 05:33 | 固定ページリンク




術後  | 一考    

 二十一日朝、通じがあった。一センチほどの便だが、固形物を放り出したのは十日振りだった。通過に伴う痛みにギャアと悲鳴をあげるも、生体であることを思い知らされた。糞を愛おしく思うとは妙なはなしだが、出てきた糞を食したくなった。
 血圧と貧血は直接関係ないが、わたしの血圧はもっか100-50、ヘモグロビンは8を切っている。二十一日朝から憩室の出血は止まったものの、痺れがひどく、掌の感覚がまったくない。貧血の昂進によって、駐車場から店までの一キロが歩かれない距離になってしまった。輸血以外に解決策はないのだが、輸血が可能かどうかの検査結果が来週の火曜日に出る。輸血されるのは濃厚赤血球、場合によっては心不全の危険性が大きく、予断は許されない。
 頸部動脈を流れる血の音が全身に響く。心音が頭蓋のなかを谺する。脈拍数は105から110で、異常などというものではない。まるで、猫のそれである。横にいるだけで搏動が聞こえると、ちはらさんがいう。
 血圧と脈拍は毎日、朝夕に計っている。血圧は振幅の幅が大きいが、脈拍は高いなりに安定している、不整脈であるにもかかわらず。不思議だなあ、と思っていたら、二十三日は98、100を切ったのは十八日ぶり。このまま60にまで下がってくれれば嬉しいのだが。

 二十日はみなさんのお世話になった。大腸の憩室炎とポリープの内視鏡写真を肴に、ウィスキーはゆっくりと注ぎ、水はボトルごと出しっぱなし、揚句は幹郎さんにグラス洗いをお願いする始末。なにもかもがスローモーションに過ぎゆく、夢のなかのような一日だった。おかげで四、五日は休養を取られるようになった。感謝のしようもない。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月23日 12:50 | 固定ページリンク




芳賀啓講演会  | 一考    

ナベサン文学散歩でおなじみ、芳賀さんの講演のお知らせです。

東京新聞がおくる
2009年神保町ブックフェスティバル・タイアップ企画
芳賀啓講演会『神保町地図物語』
11月1日(日) 13時30分開場・14時開演(入場無料)
会場=岩波ブックセンター3階・セミナールーム
<申込み方法>
郵便番号・住所・氏名・電話番号を明記して、
ハガキは100-8502(住所不要)東京新聞出版広告部「神保町地図物語」へ
ファックスは03-3502-7227へ
メールはhttp://www.tokyo-np.co.jp/ad/book09へ
いずれも10月23日必着。定員80名。応募多数の場合は抽選。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月22日 17:17 | 固定ページリンク




横須賀功光さんの好きなワイン  | 一考    

 かつてラルボーは「一介の読者であることに満足し、自分の愛する本、いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの本を、ひそかに、最良の友たちに推奨するだけで満足する人」を読書人の理想として描いた。それはもっともラディカルな読書論としてわたしの記憶に深く刻みつけられた。
 そのラルボーが横須賀功光と仮装して現れたのが何時だったか、はなしの突端はワインからだった。「最近のドメーヌでお気に入りは」と問われて、わたしはフォンテーヌ・ガニャールと応えた。1985年に設立されたドメーヌで、当主はシャサーニュ・モンラッシェ村のガニャール・ドゥ・ラグランジュを一族に持つ。横須賀さんがワインにどれだけの元手を掛けてきたかは二言、三言で諒解済みである。さればこそ、「好きなワインは」ではなく、「最近のドメーヌ」はとの質問が出てくる。謂わば、試されているわけである。「いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの」ワインをひそかに推奨するにしくはないと判断したのである。「渋いねえ、87年のバタール・モンラッシェは良かったねえ」「87年はないけれど、89年のバタールとシャサーニュはありますよ」。
 当掲示板でなんども触れているが、スペイン、リアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスやチリ、ラベル・ヴァレーのラ・ミッション・シャルドネ等々、いつの時代にも耳目を欹たしめるワインがある。新参のドメーヌのワインは旨く、そして安価である。だが、誕生して四、五年もすれば美味なワインは倍々ゲームのように値は上がってゆく。客に楽しんでいただくにはそれなりの先行投資が必要になる。

 先日、横須賀安理さんからメールを頂戴した。ゆくりなくも功光さんの最後の心と身体の格闘を思い起こした。喪いたくないものが喪われる、うしなわれる時間をなすべきこともなく待ち続けなければならない、彼との一年はそんな一年だった。安理さんは、父は最後の一年、一考さんとの「言霊というクリエイティブ」に救われたと書く。その一方で、なにもかも投げ出して泣き崩れたくなる淋しさに絶えず身は晒されていた。病名はまったく異なるものの、わたしもいま血液の病に冒された。救われたのが功光さんだったのか、わたしだったのか、やがて記憶は定かでなくなる。安理さんに感謝。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月22日 17:07 | 固定ページリンク




再度休業です  | ちはら    

本日(20日)営業したですぺらですが、明日からまた休業いたします。
一考さんの体調が戻られるまで、今しばらくご猶予ください。

手短ながら、お知らせにて。


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月21日 02:41 | 固定ページリンク




営業再開  | 一考    

 事情があって本日から営業をはじめます。発言が振れて申し訳ございません。どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月20日 06:11 | 固定ページリンク




遅ればせながら  | ちはら    

りうさん、こんばんは。そして、はじめまして。

お気遣いありがとうございます。正直、お手伝いしているこちらの気力体力の方が
底を払うんでないの?と思うときも、たまにあります。
ぼちぼち、出来る限り頑張ってみます。

そしてヒデキさん、改めてありがとうございます。
一考さんが元気になったら、ロールケーキ、ですぺらでご一緒したいです!


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月20日 00:04 | 固定ページリンク




恋愛の主張  | 一考    

 自称エロ子さんから電話があった。聞くところによると、夢にわたしが現れて今後はエロ子を名宣れと、それが遺言だったそうな。
 この話には触れがあって、気を紛らすために付けていたテレビで、弱点さらけ出しお見合い「運命の赤い糸」と称する番組に登場する独女、独男のあまりのばかばかしさに大笑いさせられたのである。カレーが好物で週に三、四回は食する。よってカレーの嫌いなひとは許されない。わたしの作る料理にケチをつけるひとは許されない。男性との外食では絶対に金は出さない。車狂いで、オートマ車に乗るようなひとは許されないの類いで、このような他愛ないことで伴侶を決めるのかと、そのこだわりのなさを笑いとばそうというのが番組の主旨とわたしは解した。
 犬好きは犬と結婚すればよく、カレー好きはカレーと結婚すればよい、そこで独女や独男が登場するからのお笑いであって、他意はいずれにもない。例えば、ちはらさんはちはらさんなりに自炊し、わたしはわたしなりに自炊している。食事などという甚だしく個人的なことを人任せにすればトラブルが起きるのは当たり前である。個人的な趣味、それが下着であろうが、剃毛であろうが、映画であろうが、文学であろうが、フィギアであろうが、マニュアル車であろうが、なんであろうが、個人の趣味は個人で楽しめばよろしいのであって、他人に強いるようなものではない。
 恋愛というものは個と個の違いを違いとして認識し、その差違を楽しむためのものである。言い換えれば、ひとに認識の幅、アプローチの多様さをもたらすものでなければならない。おそらく、もっとも優雅な形での自己解体が恋愛だろうとわたしは思っている。自らの主張や好みの理解を求めるなら恋愛なんぞしない方がよいに決まっている。
 さて、エロ子さんである。彼女によるとその呼び方は嫌ではないそうである。嫌でないどころか、いささかお気に召したそうな。ひとは無数の賓辞を抱えて生きる。ひとからひとつの賓辞を強いられて生きる、それを優雅な恋愛と呼べまいか。そんなところにも「oの物語」を読み解くヒントがある。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月19日 20:49 | 固定ページリンク




再々入院か  | 一考    

 nosさん、りうさんにご心配をお掛けし申し訳なく思う。
 このところ、連日主治医と電話連絡をとっている。わたしにとってはいのちの電話のようなもので、いたく恐縮している。先日の意識の混濁は腎臓機能のシャットダウンによるものらしい、痛みだけでひとは失神しないものらしい。
 断片的な記憶しか残されていないが、全身がねじ切られる思いを味わった。ちはらさんに云わせると四、五度犬のように大声で吼え唸り痙攣し、そして沈黙したようである。倒れたのが病院の駐車場なので、看護師が駆けつけ、ストレッチャーから処置室へ病室へと運ばれ、といってもそれを記憶しているわけではないが、医師の事態把握の声、看護師の「ごめんなさい」「大丈夫よ」といった声が錯綜し、光の渦のなかへ放り出された。この看護師の謝罪の声は強く記憶している。悪いのはわたしであって、病気になったのはわたし、看護師さんにはなんの責任もない。にもかかわらず、あなたはどうして謝るの、「やさしいんだね」と声にならない声。
 さっきまで入院していた病室とは違う部屋、匂いも色も異なるうんと明るい部屋で窓帷だか光だかに全身が包まれ、なんとなくざわついた暖かい心地がする。点滴がはじまったとき、「俺はまた、生きのびてしまったのかなあ」と涙したような、一瞬の淡い記憶。やがて鎮静剤か、すべてが薄らいでゆく。目が醒めるまでの三時間余、ちはらさんを呼び続けていたように記憶するのだが、こちらも声にならない声。
 ストレッチャーに乗せられるとき、わたしの身体を持ち上げたのはちはらさんだと思ったが、実は看護師さんだったと聞く。どちらであれ、またひとに面倒を掛けてしまった。生きてゆくにやすらぎは無用だが、死はどこまでも個人的なものである。だからこそ、時としてひとは心細くなる。生と死の交錯するところに、どうにもならない淋しさがあるような。

 血便と出血がつづき、大人用紙おむつと吸収パッドを併用している。術後の患部が痛い、患部といっても肛門のことである。打ったジオン注は十二本、出血は大腸の憩室からのもので痔とは関係がない。なお、主治医から大丈夫といわれ、ポステリザン軟膏とフェロミアの服用をはじめた。
 パッドを取換えにトイレへゆくのが現在可能な唯一の運動である。十時に目玉焼きを二つ焼いたが、いまだに全部が食べられない。とにかく、血圧を戻さなければ。鼓動が全身に共鳴し、うるさく思う。身体が悲鳴をあげているのは分かっているのだが、どうにもできない。山崎医師は点滴のための入院を勧めるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月19日 19:16 | 固定ページリンク




どうぞお大事に  | nos    

はじめまして。
ですぺらでスコッチを飲むのを夢のひとつにしている者です。
もちろん面識はないのですが、こちらの掲示板での一考さんの書き込みもそれなりに長いこと読ませていただいて、一方通行でお人柄を見知ったような気になっています。「痛い」という字が、辛いです。どうかあせらずゆっくりご静養ください。ご回復をいつまでも待っております。


投稿者: nos      日時: 2009年10月18日 20:23 | 固定ページリンク




Les Misérables  | りう    

突然の書き込み失礼します。

ちはらさん、いつも父がお世話になっております。
話をお聞きするばかりで、ご挨拶の一つもなく申し訳なく思っております。


一考さん、もう以前のように気力と気合だけでは二進も三進も行かないようになってしまったのは周知のことです。
私の自宅の方にも掲示板を見て心配されている方からのお電話をいくらか頂戴しました。
店の方も大事ですが、今度ばかりはいつもの4,5倍は休養に時間がかかるものだと思って、お身体を労わって下さい。
どうか無理をなさらぬように。


投稿者: りう      日時: 2009年10月17日 18:36 | 固定ページリンク




ご報告 その3  | 一考    

 大腸のポリープは九つほどで、癌化するのは四年ほど後のはなし。また痔は三つで、ジオン注による治療とは有効成分が硫酸アルミニウムカリウム水和物(ミョウバン)なので、腎不全の患者に用いるとアルツハイマーに罹る。ただし、発症は十数年後なので、わたしは生きていない。
 余命から逆算して慢性腎不全がもっとも大きな障害なのでそちらへ全力投球。大腸癌とアルツハイマー、それに胃からも出血が認められたが、それらには目をつぶることにした。
 14、15、16日と絶食、貧血と相俟ってふらふらの状態。慢性腎不全だから高い筈の血圧が90-80-70と下がりつづけ、ヘモグロビンの値が一時は6にまで下がった。今回の入院で生れてはじめて失神を繰り返した。輸血ができないので、終日点滴が続けられた。
 痔の手術のあと、痛みに耐えかねて座薬を打った。主治医から注意を喚起されていたにもかかわらず。間髪を入れず、激痛に襲われ、昏睡状態に陥った。人事不省になる直前大声を張り上げて泣きわめいたのを覚えている。腰部を中心に全身の筋肉があらぬ方を向き、ねじ切られるような感覚。死を意識させられる種類の痛みだった。それにしても、痛みがひとを意識不明にするとは、はじめての経験だった。
 今回の手術は失血死を避けようということだった。取敢えず、大腸からの出血は止まったが、それも時間の問題である。ちはらさんが書いているように、今後体内を切り刻むような手術はむずかしくなった。検査結果を貰ってきたので、主治医と話し合わなければならない。それにしても、今日、明日は動かれない。

 薬はいつものようにと云われたが、ザイロリックとニュー・ロタンはもっか服用を中止している。他にもポステリザン軟膏とフェロミアも服用していない。フェロミアは構わないような気もするが、もっか薬物恐怖症である。
 ひできさんも書かれているが、ちはらさんには申し訳なく思っている。

追記
 ポステリザン軟膏とフェロミアは腎機能に影響は及ぼさないことが分かった。迂闊な書き込みにお詫び申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月16日 20:03 | 固定ページリンク




ほんとうに。  | ヒデキ    

 ちはらさん、お疲れさまです。たいへんですね。
 一考さんお大事になさってください。ほんとうに。


投稿者: ヒデキ      日時: 2009年10月16日 06:15 | 固定ページリンク




ご報告 その2  | ちはら    

続報です。

本日、一考さんの大腸検診の結果が出ました。
軽~中度の憩室炎といくつかのポリープが見つかりました。
出血は前者からだったようです。ポリープは放置するとがん化するそうですが、
今は体調の問題で手術もできないため、しばらく様子見になるようです。
それから、痔(いぼ痔)についても多少の出血痕が見られたため、
こちらは本日午後に緊急手術が行われました。

詳細についてはご本人が後日書かれると思います。

なお退院は明朝(!)で、しばらくは自宅療養になるようです。
「見舞いは無用」とのことでした。


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月15日 23:27 | 固定ページリンク




ご報告  | ちはら    

本日午後、一考さんが入院されました。
診察によれば出血は痔からではなく、大腸から?との診立て。
詳しくは、明日の検診以後に判る模様。

医療法人時任会 ときとうクリニック 大腸肛門病センター
〒336-0963
埼玉県さいたま市緑区大門1941-1
TEL 048-878-6411

めまいがひどく顔色もかなり悪いため、入院してすぐに点滴開始。
ですので入院期間についても未定です。
出血の原因次第のようです。

まずはお知らせまで。


投稿者: ちはら      日時: 2009年10月14日 19:56 | 固定ページリンク




再入院か  | 一考    

 やはり出血が止まらない。手術にはミョウバンを用いるので不可能。また、慢性腎不全の患者に輸血は難しい。カリウムが跳ね上がるなど、危険を伴うのである。よって、再入院となりそう。ときとうクリニックというところらしいが、詳細は後ほど。
 いずれにせよ、ですぺらは今日もお休み。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月14日 13:10 | 固定ページリンク




臨時休業  | 一考    

 今日は動かれないのでですぺらはお休みです。申し訳ございません。

 休業の理由は貧血である。市役所と病院は行ったものの、人目を憚らず何度長椅子で横になったか分からない、それほどに二日間の出血はひどかった。血便は続いているが、多量の出血はなくなった。手脚の表面が剣山で突かれたように痛みと痺れと痒みが交錯する、貧血特有の症状である。血が大量に喪われると皮膚感覚がおかしくなる。毛細血管を血が流れにくくなるところから来る症状らしい。
 慢性腎不全で他に出血を伴う持病があると寿命がさらに短くなるそうな。医師は痔は癒さなければという、そして痔以外の直腸ポリープを心配している。しかし、検査だけならともかく、これ以上の病気を抱え込むのは勘弁してほしいと思う。どのみち、死ぬのだから。
 緩慢な死を迎えるに際して、病気を意識し過ぎると生への執着が湧く。いまさら恒久的な反抗の夢想を抱くのは嫌だし、百千の繰り言に関する諦観論も嫌である。そのような積極性もしくは当てを抱かずに、前項で述べた「アングルのヴィオロン」のような生を送りたいと思っている。それがわたしの自然体なのである。

 身体障害者手帳と重度心身障害者医療費受給者証をもらってきた。手帳のど真ん中には大きく要介護と印されている。聞けば、本人と介護人の双方がJRや市バスなら半額になるそうな。利用する機会はないだろうが、なんとなく得をしたような気分である。
 来週の火曜日に検査結果が出る。内服薬に異同がありそうである。腎不全を癒す薬は存在しないので、ことごとくは血液に関する薬ということになる。当たり前といえば当たり前である。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月13日 16:31 | 固定ページリンク




血便  | 一考    

 このところ血便がつづく。火曜日は診察の日なのでそれまでは様子見。痔からの出血とは血色が異なり、消化器内科に属する症状のよう。しかし、腎不全となんらかのかかわりがあるように思う。なにかしらの合併症を起こしたのかも。
 タール便でなく、鮮紅色なので大腸もしくは直腸からの出血と思われる。痔を疑うのが順当なのだが、過去の経験から推して異なるところが多い。痔なら滴りおちるように出血するものだが、今回の出血は多量で、しかも吹き出てくる。排便の度にトイレ中に血の臭いが立ちこめる。
 時を追って下痢状態が進行、排便の回数が増えてきた。これで腹痛を伴えばO157の感染が疑われるが、もっか食事制限中につき生ものは食していない。いわゆる食中毒の自覚症状はなにもない。眩暈はひどいが、それが尿毒素によるものか血便に起因するのか定かでない。
 状況はそのようなところで、慢性腎不全が直腸や痔にいかなる影響を及ぼすのか。または出血を伴う合併症にどのようなものがあるのか、素人のわたしに判断はつきかねる。

 丸三箇月単車のエンジンをかけていない、充電をしておこうと庭へ出るも、芝生のうえへ崩れ落ちる。なんとか車のなかへ転がりこむが、ひどい脂汗と眩暈である。自宅だからよいようなものの、出先なら救急車のお世話になるに違いない。一時間余そのままで辛抱し、蒲団のなかへ戻る。明日、病院へ行かれるのだろうか。

追記
 取り敢えず、出血は止まった。とすれば痔が理由のようである。それにしても、立ちくらみ、眩暈、息切れなど神経症候の増悪がひどい。降圧剤で抑えているが基本的に血圧は高い、慢性の腎性貧血に陥っているので、ある程度の眩暈は仕方あるまい。いずれにせよ、明日の血液検査でなにかが分かる。
 糸魚川の幹郎さんから電話、「救急車を呼べ」と一言、ご心配を掛けて申し訳ない。(13日1時30分)


投稿者: 一考      日時: 2009年10月12日 05:35 | 固定ページリンク




身障者手帳  | 一考    

 身体障害者手帳の交付通知書が役所から送られてきた。祭日なので、火曜日か水曜日に取りに行く予定。手帳を受け取る手続きが結構煩雑で、郵送された書類、印鑑、写真、健康保険証、郵貯以外の預金通帳、特定疾病療養受療証、それに運転免許証、車検証、ETCカードとETC車載器セットアップ申込書・証明書が必要である。さらに、身体障害者手帳の申請にあたって必要だった医師の診断書ならびに諸費用の領収書、八月一日以降の医療費と薬代の領収書等々である。
 取り敢えず、市役所はこれで済む筈である。あと東京都税事務所、警察署、陸運局へ行かないといけないが、車は明年二月に乗り換える予定なのでどうしようかと思っている。いずれにせよ、身体障害者になったからといって世界観や歴史観が変わるわけではない。ただ、月々の医療費と薬代から解放されるのが嬉しい。
 それやこれやで、腹一杯飯が喰いたくなった。三箇月の食事制限で常に腹が減っている。食事制限は死ぬ日まで続くわけだが、三箇月に一度ぐらいはと思って馬鈴薯バターを作った。しかし、ひとつ食べれば腹がくちくなる。存外だらしのないものである。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月11日 18:17 | 固定ページリンク




湊川  | 一考    

 「山上の蜘蛛」の文中、「日本残酷物語」からの引用がある。「バラック・・・が川の上にまではみだしている。川に満足に水があるのは雨のあとと満潮のときだけである。たいていはむきだしの河床にごみが堆積して異臭をはなっている。橋のちかくの共同便所を、附近の数十軒が常用する有様だから、川が水洗便所に代用されているのはいうまでもないが、肝心の水がなく、川は流れないのだから、いわば大きな露天の便所地帯といったほうがよい」
 これは長田に限らない。わたしが幼少の頃、湊川市場の北端、湊川に添う形で丸新市場と新町商店街があった。会下山の暗渠の手前である。満州からの引き揚げ者ばかりが「日本残酷物語」さながら、川の上へ一メートルほどせりだしたバラックを建てていた。ニクテン、串カツ、饂飩、寿司、喫茶、玩具、古着、古靴等々、市場からはみでた商店が新町商店街を構成していた。対岸から見れば洗濯物と垂れ流し式便所のオンパレードといった感じで、戦後はどこででもお目にかかる情景だったに違いない。
 湊川市場の南端のミナイチについても触れられているが、役所裏のミナイチと電車筋(荒田一丁目と福原町の境)の間にニクテン横町があった。十数軒のお好み屋が軒を並べ、とはいってもすべてバラックで、屋根はトタンの波板。新開地周辺にもゴールデン街はあったのである。子供のわたしはカストリこそ飲まなかったが、飴湯、ソップ、ラムネを片手に新聞紙に包まれたニクテンをほおばっていた。当時のわたしにとって市場は恰好の遊び場だったのである。

 「寿」のことは書かれているが、現代詩神戸研究会の同人が必ず流れた東門筋の西側、確か(タキイ)といった小さなバーについては触れられていない。わたしが現代詩神戸へ這入ったのは1963年7月、16歳だったと記憶する。神戸在の詩人の多くと面識を得たのはその「滝井」とかいうバーだった。日教組の溜まり場のような薄暗い店で、オーシャンの当時シルクハットと称した安ウィスキーを飲まされたのを覚えている。

追記
 にくてん横町とは俗称であって、そのような地名があったわけではない。ごく一部の人たちが勝手に名付けて用いていた。今なお営業を続けているお好み焼き屋に「とみちゃん」がある。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月09日 23:32 | 固定ページリンク




ラクロワのことなど  | 一考    

 人生にあって継続はもっとも大切な概念のひとつであろう。継続といってもいろんな継続があるだろうが、とびっきり大事なものは「努力しないという根気よさ」である。
 季村敏夫さんから贈られた本を読んでラクロワが出てきたのに駭いた。スティルナーやアン・リネル、辻潤らと共に忘れられないエゴイストで、迷いが生じた時には常に立ち返るようにしている。
 前項で述べた「出世をしない秘訣」には附録があって「貧困も醒めてる間だけのこと」「やけになって事にとりくむよりは、根気なんてものを忘れて、出世をしないにしくはない」といった格言が著されている。
 季村さんの著書に「『いかに生きるべきか』という日本の近代文学を貫いてきた倫理」との箇処がある。十代の頃、わたしもその倫理に呑み込まれていた、おそらく現在も。「いかに生きるべきか」との問いかけに日夜示唆を与えつづけたのは山本六三。その後、知りあった生田耕作には山本六三が抱いていたけぶれるような懐疑精神は微塵も感じられなかった。生田はラクロワ描く画家フォランのような人物で、「注文が来るったら、ありゃしない! わしは小便に行く度んびに一ルイ損しちまう」というような根っからの権威主義者であり、政治屋だった。
 足立巻一さんの「やちまた」出版記念会の席上、わたしの名前を口にした足立さんの顔面にビールをぶっかけた生田の狼藉を山本芳樹さんから聞かされ、いたく傷つくと共に足立さんに済まなく思ったのを思い起こす。
 「エゴイズムは人間に根ざしている意地悪さと悪運とに対する自衛の一様式であり、われわれを、勝手にその思召しにかなったものに作りあげようなどという神に対する返答の一つの仕方である」といったのはアンリ・ジャンソンだが、アヌイも似たようなことを云っている。「誰でもがシレスティナの礼拝堂を作るってわけにはいかない。だが、われわれは誰でも、すばらしい皿絵描きぐらいになることはできる」
 ラクロワが「出世をしない秘訣」で述べたかったのは「(諸君の誰もが、否応なしに生業を営んで、パン、恋、本、タバコなどのために、それ相当のお銭を儲けなければならないぐらいのことは、私だってよく知っている!)……ただ、この生業を、生涯かけた職業なんぞと思い込まずに、一つの趣味、なつかしく心を惹きつける『アングルのヴィオロン(道楽)』ぐらいに見做す」ことなのである。わたしは屡々「質のわるい冗談」との言葉を用いるが、あれは「道楽」に置き換えてなんら差し支えはない。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月08日 21:30 | 固定ページリンク




山上の蜘蛛  | 一考    

 明石蛸ならぬ「山上の蜘蛛」と題する書冊が季村敏夫さんから送られてきた。蛸も蜘蛛も八本脚だが、中味は八本どころのはなしでない。極端な例ではわが国で96本脚の蛸が捕獲されたことがあるようだが、季村さんのそれはさらに多い。
 「山上の蜘蛛」には「神戸モダニズムと海港都市ノート」とのサブタイトルが付けられている。タイトルの蜘蛛は神戸のプライヴェート・プレス蜘蛛出版社にちなみしもの。モダニズムとは云っても、彼のいう「地域の出来事の共時性」すなわちダダイズム、アナーキズム、マルキシズムなど、実に幅広く同人誌を博捜する。多脚と書いた理由は一読していただければ理解できよう。
 文中にわたしの愛読書でもある「出世をしない秘訣」の書影が飾られている。著者ラクロワについては素天堂さんがかつて書かれている。

 http://d.hatena.ne.jp/sutendo/20040221

 モダニズムというどこかしらハイカラな幾何学を想わせる概念を本書に求めるひとは失望させられる。椎名其二のテーゼを引用しつつ、季村さんは「いたましさ」と「むごたらしさ」が表現の故郷だと著す。そこに「情けなさ」を加えれば、詩人の苗床の概略が顕れる。いまどき、このようなことを書く詩人がどこに存在しようか。慟哭が必ずしも文学とは限らないが、文学に接したときひとは必ずや慟泣させられる。
 わたしが一部の書誌学者を嫌うのはそこに肉声が流れていないからである。そのようなひとに限って撰択に立場の闡明があると宣う。本書がいくら重層的に書誌学の仮面を被ろうとも、全篇は季村敏夫の詩精神で染めぬかれている。

 「草野心平にならえば、天体に属さず、地上に天国をひきずりおろそうとする発想である。一方、・・・ポエジーはあるが詩人は存在しないとし、非個性、半個性を目指す傾向がある。神戸モダニズムと呼ばれるが主流は前者で、林喜芳や能登秀夫、伊勢田史郎、中村隆、直原弘道、西村昭太郎、和田英子などの足跡をたどれば明らかである。後者には石野重道、稲垣足穂、多田智満子らが位置し、岡田兆功、鈴木漠、時里二郎らを入れても差し支えないだろう」との鳥瞰を示しつつ、天体と地上とのあいだで搖れつづけ、のたうちまわった君本昌久の蜘蛛出版社にフロイトの「揺れども、沈まず」の一言を奉げる。その振幅は取りも直さず、「いかに生きるべきか」に対する季村さん自身の倫理観そのものであり、思索の果てである。
 書物の前後にあってリルケの詩が引用される。

 誰が、では、私たちの向きを変えたのか、私たちが
 何をなそうとも、過ぎ行く者のあの姿になるとは?
 登ってきた谷間を一望できる最後の丘で
 振り返り、立ちどまり、しばらくためらう……、
 そのように私たちは生きて、つねに別れてゆく。
         リルケ「ドゥイノの悲歌第八」中井久夫訳

 喪われた同人誌の古層を前にして、歳月は贅を刮げ情念を浄化する、透き通るような弧絶感と一条の冷涙が見て取れる。無機質な書物が蔓延るなかにあって、山上の蜘蛛一巻は間違いなく屹立している。A5版403頁の大冊である。

 山上の蜘蛛 季村敏夫著 みずのわ出版 本体価格2500円 
 神戸市中央区旗塚通3-3-22-403 電話078-242-1610


投稿者: 一考      日時: 2009年10月07日 21:59 | 固定ページリンク




赤坂署  | 一考    

 掲示板で書いた内容について赤坂署から何度か問い合わせがあった。行方不明者の安否についてというプライヴェートなことなので詳細は書かない。ただ、それが契機となって赤坂署との付き合いがはじまった。わたしのような非社会的な人間と警察とは考えてみればおかしな関係である。
 今日も警察の方が訪ねてらしたが、這入ってくるなりお体は大丈夫ですかと問われた。まさか赤坂署の方が掲示板をお読みとは知らなかった。お名前は遠慮するが、ご心配いただいたことに感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2009年10月06日 20:16 | 固定ページリンク




砂漠の薔薇  |   一考

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 磯巾着は唐揚げもしくは味噌汁の具として用いられる。味は牡蠣と似ていてすこぶる美味、成分もほぼ同じだそうである。わたしはその磯巾着の骨を持っている。昔、福井に住んでいたころ、東尋坊の土産店で贖った。
 磯巾着の骨とよく似たものがわたしのコレクションに加わった。チュニジアの砂漠の薔薇である。こちらはおっきーさんの海外旅行の土産である。共に無用の長物なので気に入っている。このところ減塩食で悩まされている。それ故、塩(わたしの勘違いで、本当は硫酸カルシウムもしくは硫酸バリウム)をオブジェとして飾るというおっきーさんの逆転の発想は刺激になる。
 後の瓶はチュニジア南部ドゥーズのサハラ砂漠の沙、ですぺらのお客さんから頂戴した。フランスの統治時代、第十二外人部隊が駐屯していたところから生じた地名である。前のふたつが砂漠の薔薇。 


投稿者:   一考  日時: 2009年10月06日 19:19 | 固定ページリンク




蒐集  | 一考    

 街の本屋さんに新本屋と古本屋があるように、バーにも新しいボトルを専門とするところと旧いボトルを得意とするところがある。古本屋が哲学書、文芸書、理工学書、美術書、洋書などと派れるように、旧ボトルもディスティラリー・ボトルとボトラ−ズ・ボトルがあり、さらにさまざまなボトラーの系譜ごとに細かく分類される。
 ですぺらが目差してきたのは他店では飲まれないボトラ−ズ・ボトル。ボトリングから十年以上を経たボトルを中心とした品揃えだった。ニューボトルも少量は購入しているが、それらは十年後の開栓を目当てにしてのコレクションだった。そしてこの十年後という年月がですぺらから喪われることになった。跡を継ぐひとがいればともかく。
 ひとは蔵書であれなんであれ、コレクションを持っては死なれない。収蔵品というものは、亡くなったひと、所有者にとってのみ価値があるのであって、他人からすればただの塵に過ぎない。いろんな人の死に立ち会ってきて、その感は愈つよくなる。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月28日 10:42 | 固定ページリンク




オドメーター  | 一考    

 マスタングのオドメーターが壊れた。スピードメーターとタコメーターは正常に機能しているので、センサーに問題はなし。機械式のオドメーターだが、その機械が壊れたのである。パーツだけで四、五万円するらしい。アメリカの車なので工具はインチサイズ、ハンドルとダッシュボードを外すだけなのでわたしでも修理はできる。ただ、マスタングは年内一杯で廃車の予定、以前乗っていたインプレッサのタイミングベルトとウォーターポンプを取換えて車検を取るつもりにしている。理由は積雪でも走られるからである。
 去年は大丈夫だったが、毎年二、三回は雪が積もる。FRは一センチの積雪でもフロントはどちらを向くか分からない。札幌の友人がBMWに乗っているが、毎年幾度となくスピンを繰り返している。今のわたしにはそれを乗りこなす運転技術は既にない。運転技術だけにとどまらない、生きる技術全般が未熟かつ未分化な状態へもどってゆく。オドメーターを喪ったのは車だけではないようである。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月27日 09:48 | 固定ページリンク




ザイロリック  | 一考    

 ザイロリックからサロベールへ、そしてザイロリックへと移行。ただし、朝夕に飲んでいたものが朝食後の一回になった。一日十五錠六包の薬を飲んでいるが、ザイロリックは痛風や高尿酸血症の治療薬。100ミリグラムに減らして三日目だが、さっそく掌の痛風が頻繁に起こるようになった。尿酸値は9.0、6.3、5.4と下がっているので問題はあるまいと思うが、痛風は決して気持のよい疾患ではない。
 はじめて痛風が出たときは痛みに愕かされたが、馴れとは怖ろしいもので、ああ、また攣りはじめたとの自覚にはじまって、脳性麻痺のように指が一本ずつあらぬほうを向く。纏まりのなさはまるでわたしの性格そのものである。どうやら、右手指の関節に尿酸塩が沈着、結節を形成しているようである。
 三割負担だが、基礎的な薬代だけで月14000円ほどになる。ゼネリックに関しては山崎医師からいろいろ教わったので、なにも云わない。処方された薬を黙って服用するだけである。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月19日 02:58 | 固定ページリンク




尿毒症  | 一考    

 昨夜は客がなかった。なかったのかどうか本当のところは分からない。終日カウンターで眠っていたからである。最近、ちはらさんに起こされることが多くなった。いつもカウンターに顎をのせて眠っている。どうやら過眠症が常態化してきたようである。尿毒症が理由なのだが、困った症状である。
 尿毒症は拒食症と活力の低下をもたらす。また、遅発性症状として知力減少と昏睡を含む、とウィキペディアに書かれている。さらに、血液(エリスロポエチンの低下)、性器(テストステロン/エストロゲンの低下)および骨格(骨粗鬆症、転移性石灰沈着)など多くの身体組織の機能障害を惹き起こす、とある。異なるサイトでは、尿毒性物質の貯留によると思われる神経精神異常が認められる、眠気から意識障害や精神症状まで程度も症状もさまざま、と書かれている。
 わたしは最近まで、ものを考えるのは頭脳だと思っていたが、思索を巡らすのは腎臓だと知った。ひとつの内臓(普通はふたつ付いている)がここまで響影しあっているとは驚きだった。
 自覚症状は頭痛ならぬ鈍痛である。とにかく頭が重い、斬首したくなるような重さである。おそらく、効果がはっきりしない活性炭を主治医が薦めた理由はそこにある。先日は車を運転していて危険を覚え道端に停車、一眠りした。慢性腎不全の患者は疲れがひどいので車を繁く利用するが、ますますもって危険がいっぱい、危険思想や危険人物とは違った危うさを内包している。
 前述のサイトでわたしが感心させられたのは、猫ほどの個体差を人は持たないという点にある。おそらく、頭がよいなどと自惚ているのは地上では人間のみ。自晦であれ自衒であれ、世は自分を中心に回っている。思うに、頭がよいとは、他の知への畏怖もしくは未知なるアプローチへの懼れであった筈なのだが、時代と共に変わってきたようである。今日では、未知なるアプローチすなわち発想の自在さは個人の好みの差で片付けられてしまう。巷では口角泡を飛ばすことがなくなってきたが、泡を飛ばす必要がないほどに、みなさん確固たる自己にお目覚めのようである。どうやら、わたしの場合は朽ちたる木をば雕るべからずであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月17日 21:01 | 固定ページリンク




活性炭  | 一考    

 薬局でクレメジン細粒を購入。「活性炭と聞いているが、中身はなんでしょうか」との問いに薬剤師は「ポリスチレンスルホン酸ナトリウムです」と応える。これはカリメート(ポリスチレンスルホン酸カルシウム)と取り違えたのだと思う。クレメジンは黒色球形の粒子で炭素に違いない。
 オブラートを買ってきたが、ここまで飲みにくい薬ははじめてである。竹炭の粉と冗談で書いたが、まったくその通りで、口腔がじゃりじゃりする。薬というのも憚られるシロモノである。当然、硝化されない、尿毒症をもたらす有害物質を吸着して体外へ便と一緒に排泄するわけである。透析導入を遅らせるのが目的で、病気そのものを癒すものではない。もっとも、慢性腎不全を治す薬など存在しないが。

 http://www.gyaos-kingdom.com/medicine/medicine3.html

 上記サイトでは医薬品(クレメジン・コバルジン)と食品(ネフガード・ヘルスカーボン)の違いについて述べている。どうやらクレメジンは人よりも猫において効果が顕著だそうである。犬、猫と人間が同列に論じられているところが面白い。人間にはオブラートも可能だが、動物の場合はカプセル詰めでなければどうにもならないだろう。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月17日 11:50 | 固定ページリンク




万歳三唱  | 一考    

 安倍、城内、枝野、石破、平沢、小泉等々、今回の選挙で万歳三唱をしなかった人たちがいる。理由は個々に違うだろうが、いささかの爽快感を味わった。
 なにかに付け、万歳三唱をしたがるひとがいる。わたしが一番反吐が出るのは出版記念と結婚式のそれである。ホメロスのイーリアスに見られる共飲共食や三日厨をはじめとする、もてなしとしての紐帯を否定はしない。ただ、いやしくも文学などという個の意識とそこから生じる問題に一度でも頭を悩ませたのであれば、万歳三唱などという能転気な戯言にかかわっていただきたくないと願っている。
 それが理由でわたしは出版記念会と結婚式には極力出掛けないように心掛けている。他人の結婚式にわたしが出席したのは一度しかない。二十五歳のときのはなしだが、訳知りの友人(その結婚の当事者)から万歳三唱はしないと事前に聞いたからである。爾来、仕事の都合でやむを得ず出席した出版記念会はあるが、件の儀式がはじまると逃げるように立ち去る。
 わたしの残日からはそのような目出度い式典は都合よくなくなった。余生は心置きなく過ごしたい。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月15日 02:27 | 固定ページリンク




山崎さんへ  | 一考    

 こちらこそ、早とちりだったようです。どのような薬であっても試みます。このような形で薬物依存になるとは思ってもいなかったので、興味津々です。
 最近、巷では非定型うつ病が流行っていますが、典型的な過眠症にわたしもとらわれたようです。六、七時間の仕事以外は終日眠っています。このまま永遠に眠り続けられたらよいのにと思っているのです。
 人は存外だらしのないもので、他人さまから真当な評価を受けたいとの野心を抱いたことがございません。どうやら、わたしのような怠け者に似つかわしい病気のようです。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月14日 00:49 | 固定ページリンク




活性炭  | 山崎利彦    

一考さん、申し訳ないです、誤解される表現でしたね。
活性炭、保険適応のある「薬」です。但し、高価なので折角頂いた手帳を御活用されては如何かと、御勧めした次第です。
数年前まで、血清クレアチニンが5を超えると意味が無いと言われていましたが、最近は積極的に使用しているようです。
近々サンプルと検査結果を持って伺いますね。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2009年09月13日 19:35 | 固定ページリンク




あれこれ  | 一考    

 今日は雨、駐車場から店までの途次に休憩するお気に入りのベンチが濡れそぼっている。為方なく歩き続ける。脇腹にはじまった痛みが骨をつたわって全身に拡がってゆく。いくどとなく立ち止まるがどうにもならない。情けなくて涙がでてくる。行きはともかく、帰りはちはらさんに車を回してもらっている。思い返せば、駐車場まで歩いて帰ったのは三度しかない。やがて歩かれなくなると聞いていたが、ここまでとは。

 山崎診療所で血液検査を済ませる。忝なくも山崎医師からクレアチニンは6.55で安定しているとの連絡。減塩が効いていているようである。素材に含まれるナトリウムはともかく、食卓塩はまったく使わなくなった。医師から尿毒素を吸着させる活性炭の使用を薦められる。保険の適用外で、高価なものらしい。椰子殻や竹炭でよければ自分で作ればと思う。

 赤坂でフランスパン(バゲット)が旨い店は三軒、うち一軒は4.3グラム、他は4.5グラムの塩を用いている。塩抜きを作ってもらえまいかと相談したが断わられた。自前で作るしかなさそうである。
 寿司米の合わせ酢はご飯2合に対して米酢36cc、砂糖16グラム、塩10グラムが標準であろう。いろいろ試してみたが、塩は6グラムまでしか減らせない。それ以上減らすと寿司でなくなる。米以外の具材に含まれるナトリウムを考慮するとやはり禁止品目のようである。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月12日 20:09 | 固定ページリンク




カホウということ  | 素天堂    

一考さんがお世辞という言葉を自身の辞書に持たない人なのは、短いお付き合いながら、よく存じている。
だから、一考さんが愚作をblogで取り上げてくれるというから、きっと、素人の遊びを冷やかすのだと思っていた。
一考さんが書いてくれるのなら、悪口でもうれしいと思って、快諾したら思いがけない褒め言葉を頂いた。そりゃあ、うれしいけれども、後が大変かもしれないから、今のうちに、謝っておきます。貧乏人の旦那芸は、四畳半でこそ光る。過褒におごらず、小さく、小さく遊んでいきます。一考さんの笑顔を果報と心得、出来ることからゆっくり、まったりと進んでいきます。それでご勘弁。


投稿者: 素天堂      日時: 2009年09月11日 06:41 | 固定ページリンク




黒死館逍遙  | 一考    

 先月末、素天堂こと山口雄也さんと新宿ナベサンへ行く。丸二箇月ぶりである。一杯に一時間ほどかけてゆっくりとウィスキーを二杯飲む、そこで山口さんは酔っ払って退場、三杯目に口をつけたとたんに異変が起こった。店に迷惑は掛けられないので、慌てて外へ出る。脂汗が顎から滴り落ちて、腹部がきりきりと痛む。途端にしゃがみ込んで動かれなくなる(これは最近のパターンである)。胃痙攣を想わせる激痛襲来。
 なんとか移動できるようになったのは次の日の夕五時、血液検査の日だったがそれどころではない。纔かずつ戻る体調に恐怖と悲しみが宿る。わたしの内臓はどうなってしまったのだろうかと。主治医が酒を飲めるのは今うち、無理をしてでも飲んでおいた方がと云ったかいわなかったかはともかく、もう懲り懲りである。

 素天堂さんから「黒死館逍遙」第九号・黒死館輿地誌略を頂戴した。こちらでの紹介ははじめてかもしれない。小栗虫太郎を語らせて松山俊太郎さんと山口雄也さんの右にでる者はいない。
 およそ研究と名の付くものは鳥瞰図を引き関連図書を博引旁証するを常とする。しかし、素天堂さんのエッセイには逍遙と打たれている。これは大事なことで、書誌学をよくするひとにしばしば見られる癖のようなもの、大向こうからのアプローチを意図して避ける旦那衆の芸事のような屈折した趣向が見られる。言い換えれば、彼は好きかってに典籍を読み散乱し、そのなかから随意に論理を組み立ててゆく。エッセイを書くために本を読むのでなく、本を読んだ結果としてエッセイが生まれ落ちるのである。従って、知識のひけらかしに彼は一顧も与えない。
 ある日を境に彼の文章から連体詞や指示代名詞に見られる「コソアド」が極端に減った。減ったと云うよりは皆目見られなくなった。おそらく校正を受け持つ奥方の影響と思われる。失礼なものいいだが、かつての持って回った云い方が消え失せ、随分と素直な文章になった。それ故、溝の口で育った著者自身の幼年期の思い出がパスカーヴィル家の犬とクロスオーバーする箇所など、無理なく読まれる。
 「黒死館逍遙」第九号はテーマが絞られている。それが奏効し、文章の乙張が利いている。結句に用いられた「ボスポラス以東」は種村さんのいう亞細亞と欧州の識閾「ヴォルガ」を想起させる。「テレーズの住んだところ」にみられるごとく、彼のイマジネーションはとどまるところを知らない。谷沢永一さんの手によって明治大正文学が書誌学の対象になったように、素天堂さんのようなすぐれた読み手によって、やがて昭和の時代も書誌学の対象になってゆく。
 最近読んだ書冊のなかで一押しのエッセイである。志を持つ編輯者が着目されんことを願う。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月09日 20:04 | 固定ページリンク




往き来  | 一考    

 四つ脚の生活が続いたので、両膝が出血し大きな瘡蓋ができていた。それとは別に、腎臓の影響で身体を掻きむしるため、小さな瘡蓋が至るところにできていた。薬の効用か、それらが綺麗になった。
 瘡蓋が消滅したのはよいのだが、身体の疲れは日一日とひどくなってゆく。息切れと目眩いに襲われ、駐車場から店までの一キロが十キロにも二十キロにも思われてくる。途中には公園のベンチ、階段、ホテルの植木の縁など休むところはいくらでもる。それらを利用する回数が日ごとに増えてゆく。店へ這入れば元気になるのだが、往き来に難儀させられる。
 午後もそうだが、午前中に起きられないので、病院へ行っていない。しばらく血液検査をしていないのである。他の病院なら結果を知るに一週間から一箇月かかる。検査ペーパーが欲しいだけなので、山崎医師にお願いしようかと思う。それだと一日で済む。血液検査は食事療法の結果ならびにクレアチニンと尿素窒素の値の推移が分かる。いまのわたしにとっては唯一の存在証明である。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月08日 22:28 | 固定ページリンク




雲水の減塩レシピ集  | 一考    

 「膠原病、全身性エリテマトーデス」を検索していて、「オイラの生き様ブログ」へ、そして「雲水の減塩レシピ集」へ辿り着いた。「1日5g以下の塩分生活を送る、料理好きな男の減塩料理レシピ。素人ですが、減塩食のお役に立てれば・・・」と書かれている。SLEのみならず、滅茶役に立つブログとレシピ集である。

 http://unsu.blog90.fc2.com/


投稿者: 一考      日時: 2009年09月07日 06:44 | 固定ページリンク




無塩食品  | 一考    

 松友さん来店、無塩パンや無塩麺についていろいろ教えていただく。療養食で検索していたので、今まで気付かなかった。松友さんのおかげで食材が一気に拡がった。早速、取り合わせて註文。深く感謝申し上げる。

http://www.google.com/search?hl=ja&source=hp&q=%E7%84%A1%E5%A1%A9%E9%BA%BA&lr=

 無塩パンに関しては、塩の替わりにオレンジ果汁で味を調えたとあるのが気になった。フルーツのなかでオレンジはもっともカリウムの含有量が高い。某メーカーの減塩だしの素や減塩醤油同様、ナトリウムの替わりにカリウムを使うのであれば同じである。こちらはもう少し調べてからにする。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月07日 05:44 | 固定ページリンク




腎結石  | 一考    

 ウィキペディアによると、慢性腎不全から透析導入に至る症例では、糖尿病性腎症38パーセント、慢性糸球体腎炎32パーセント、高血圧に伴う腎硬化症7.6パーセントとなっている。他に、難治性ネフローゼ症候群や家族性遺伝性疾患の多発性嚢胞腎などがある。
 医師からは、「大まかに云って糖尿から透析に這入るひとは透析患者の90パーセントを占める」と聞かされた。その医師の診断書によれば、わたしの末期腎不全の原疾患は腎結石となっている。某サイトには「痛風から始まる腎障害が重症化すると、腎不全になり、透析が必要になる」と書かれている。
 一年前にクレアチニンが2.0になり、痛風に悩まされた、他方この十六年間腎結石を患ってきた、要するに予てより兆候はあった。ただ、この一年で血液の状態はドラスティックに変化した。丼もの、麺類、フランスパンなど、比較的塩分の高い食べ物が好物だったが、それだけでここまで悪化するものなのかどうか、透析を目前にしていまなお、一抹の疑問が残る。
 疑問が氷解したからと云ってどうということはない。現に末期腎不全を疾んでいるのだし、恢復不可能な病気だということも知っている。あるがままを受け容れるとの基本はなにも変わらない。ただ、腎不全の因果関係を知っておきたいだけなのだが。

 http://medical-checkup.info/article/44598029.html

 上記は検査前の予備知識ならびに血液検査の結果習得に最適のサイトと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年09月02日 19:20 | 固定ページリンク




国民食  | 一考    

 「低タンパク米」が解答になったかどうか心許無いが、この一箇月のわたしの経験を率直に述べたつもりである。本当は身長と体重も書かねばならないが、このところ急速に体重は変わりつつある。従って、医師からの指示は「身勝手」に書いた通り。
 療養食を一度でも食べた人なら分かるように、間食をしなければ蛋白質、カロリー共に制限内に収まる。仮に療養食でなくとも、療養食並の量であれば収まる筈である。だからこそ、問題になるのは塩分だと思っている。そちらの制限値が守られているかどうか、わたしには自信がない。一日に一食、まったく食卓塩を使わない、非常に不味い食い物を我慢して摂っている理由はその自信のなさにある。ひとが摂取する塩分の六割強は食卓塩、醤油、ソース、ケチャップ、味噌等の調味料由来である。他方、大方の食品には元々ナトリウム、カリウム、マグネシウムが含まれている。うっかりすると、両々相俟って簡単に制限値を超えてしまう。
 わたしは栄養士からの指示に従い、一日の食塩相当量5グラムを極力守ろうとしている。この食塩相当量5グラムはナトリウム1.9グラムである。ナトリウムと食塩相当量との関係は約2.54倍、ただし、実際の食塩含有量は食塩相当量(計算値)よりやや低くなる。
 チャーハンであれ、焼きそばであれ、炒めビーフンであれ、野菜炒めであれ、健常者が食べて旨いと感じる炒めものには一人前1.1から1.3グラムのナトリウムが這入っている。これは食塩相当量にすると2.8から3.3グラムになる。汁物すなわち温うどんやラーメン、汁ビーフンになると値は二、三倍に跳ね上がる。その理由はつゆに含まれる塩分である。前項で書いた某メーカーのバゲットには約4グラムの食塩が含まれている。それにバターが加われば、わたしにとってどうにもならない食品になってしまう。つゆ抜き、バター抜きならまだしも。
 生きていくために必要な食塩相当量は成人で一日1.5グラム、WHOの指針は6グラム以下だが、日本人の平均摂取量は12グラムとされてぃる。ちなみに、昨今のラーメンの濃厚スープだと一杯で12グラムを超える。日本人の寿命を縮めるために支那ソバをラーメンに改竄したとするなら、発案者の心がけは見事というほかない。日本人は長命に過ぎる、ラーメンが国民食といわれるまでに育ったことを慶賀に思う。

 http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/salt.html


投稿者: 一考      日時: 2009年09月01日 15:18 | 固定ページリンク




颱風  | 一考    

颱風の影響は六時から七時がピークとか、従って本日の開店を七時半に遅らせます。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月31日 17:38 | 固定ページリンク




低タンパク米  | 一考    

 LGC米は低グルテリン米の一種で体内に吸収されるタンパク質量が約二分の一になる。タンパク質には易消化性タンパク質と難消化性タンパク質とがあって、前者にはグルテリンが、後者にはプロラミンが含まれる。従って、なにを基準に計算するかで、数値はまるで違ってくる。また、生産地域や栽培方法もさまざまなので、数値はなおさら一定しない。炊飯後のカロリーや総タンパク質量に関する質問が多いが、かんたんには応えられない。
 米180cc(150グラム)は炊飯すると約350グラム、2.3倍ほどの重さになる。従って180グラムの飯なら78グラムの米が必要で、春陽を例にとると、総タンパク質が3.9グラム、易消化性タンパク質が1.87グラムとなる。要するに低タンパク米が含有するタンパク質は大体2グラムで計算すればよろしいかと。「体内に吸収されるタンパク質量」と頭に書いた理由である。
 春陽でもひかるくん56でもLGC米でもさしてタンパク質の含有量が変わるわけではない。あとは香味と値段だろう。わたしは5キロ1,850円の晴米を用いている。送料735円と振込手数料を入れて、180グラムだと一食44円ほど(光熱費は別)になる。低タンパク米のパック飯が180グラムで210円(送料は別)だから、炊飯米を購入する方がはるかに安くつく。

 似た質問がネット上でなされているが、答えは書かれていない。そしてそこでは餃子のタンパク質について触れられているが、餃子はメーカーによって大きさも具材も味付けも異なる。よって餃子ひとつのタンパク質にいかほどの意味があろうか。
 「腎臓病食品交換表」を基準にするところから療養食ははじまるが、上記と同じ理由で鵜呑にはできない。同書によるとフランスパン(バゲット)とクロワッサンには190ミリグラムのナトリウムが含まれているが、知己のパン職人にいわせると、パンの大きさや重さを決める基準値はどこに置いているのかとなる。通常のクロワッサンが190ミリグラムとするなら、バゲットは4000ミリグラムを軽く超えるナトリウムが含まれているそうである。欧州では事情を説明して塩分抜きのパンを焼いてもらうようだが、日本ではそれはできない。わたしは食卓からフランスパンとドイツパンを永久追放した。
 タンパク質やカロリーに執着するのも大事だが、それ以上にナトリウムの摂取量は問題である。塩分換算すなわち食塩相当量はナトリウムの含有量を常に超える。こちらはさらに繁雑な計算が必要になる。われわれはよりアバウトだが個々の好みに則した計算法を身につけるしかない。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月28日 12:27 | 固定ページリンク




肉じゃが  | 一考    

 海藻はカリウムの含有量が多くて原則禁止だが、心太(ところてん)と海蘊(もずく)はかまわない。トロロ昆布も少量だと問題ない(もっとも大量に食べられないが、微かな潮の香が気に入っている)。芋類もカリウムは多いが、菎蒻は栄養士のお薦めである。この辺の消息がうまく掴めない、ひとつずつ覚えてゆくしかなさそうである。
 昨日は塩を用いない肉じゃがを大量に拵えた。二リットルの鍋に醤油とインスタントの減塩だしの素をティースプーン各二杯、他は差し障りのない味醂を同四杯。牛バラ肉を五十グラム、大きな玉葱を一つ半、馬鈴薯を六つ。以上で塩分に換算して約五グラムになる。三日かけて食べるのだから、ナトリウム、カリウム共に問題なし。結果、醤油を一杯追加することになったが、水を沸かすところからはじまって所要時間二十分というのが結構。
 毎日メニューを考えるのは面倒臭い、以前はカレーを大量に作り置きしていた。カレーも肉じゃが同様、塩抜きで拵えられる。小麦粉を使わなければ塩分換算で約六、七グラムで収まると思う。そうすると一食あたり700ミリグラム、低蛋白米と併せても規定内。仮にナンと食べても食塩相当量は一枚につき700ミリグラム、ちょっと危険だが、他を控えればなんとかなりそうである。こちらは所要時間三十分。

 ここまで書いて幹郎さん来店。腹痛の理由はやはり空腹にあるとの指摘を受けた。朝夕二食の療養食では身体がもたない、分かっているのだが、毎度考えるのが億劫なのでついつい食事を抜く。さすがに一食だと仕事中に眩暈がする。ついこの間も素天堂さんを尻目にサンドイッチを貪る。とりあえず低蛋白米の量を十グラムほど増やそうと思っている。制限値を目一杯食べないと寿命がさらに縮まりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月28日 02:36 | 固定ページリンク




身障者手帳  | 一考    

 身障者の手続きがこんなに面倒なものとは知らなかった。役所の担当者は同情しきりだが、医師側の書類が個々の病院の条件によって異なる。北海道で起きた事件を境に安易に認めないとの風潮(自己規制)ができあがったのかもしれないが、月五十万円の診療費をもたらす患者の囲い込みに真意がありそうである。そこには個としての医師と組織としての病院の葛藤も絡むようである。微妙な問題なので固有名詞は一切省くが、透析をはじめてからでなければ診断書・意見書を書くことはできないのが相場のようである。
 資格認定は書類提出から一箇月半あとだが、発症から認定までのあいだ、個々の患者が負担するであろう金数がわたしには理解できない。病気をすると湯水のように金は消えてゆく、それはわかっているのだが、世の中には貯えを持たないひともいる、そのようなひとはどうするのであろうか。貧乏人は迂闊に病気もできない。
 わたしの手に負える問題ではないので、またまた主治医を煩わせることになった。休日にもかかわらず、山崎医師は電話に齧り付いて、この難儀からわたしを救ってくださった。感謝の一念あるのみ。

 昨夜、帰りしなに車に乗ろうとして足首を捻った。今朝から痛みがあったが上記諸用のため、終日動き回った。そのせいで骨折箇所が腫れあがっている。折角くっつきかけたところが外れたような痛みである。湿布を施したが、今日明日は忙しい、困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月27日 12:02 | 固定ページリンク




ブランド品  | 一考    

 かし原のほんねりという羊羹を食べている。上部を鋏でぴっと切って絞り出す、棹というのも烏滸がましい一口羊羹である。その練り羊羹を掲示板へ書いたのを目にとめた伊藤敬さんがとらやの羊羹を担いで来店。かし原には申し訳ないが、こちらは真物の羊羹である。種村さんご推奨の「岡山の焼鳥」でもない、正真のとらやの羊羹である。とはいえ、わたしは差別はあまり好まない、よって越谷と赤坂の地域差を体現した羊羹とでもしておこうか。
 伊藤さんがお持ちになった羊羹は五種全品材質が異なる、値も違うのか気になるところだが、などと書き出すとはなしはいじましくなってくる。ひょっとすると、否、間違いなく、わたしの一箇月分の食費より高価に違いない。大層な出費をさせてしまった。わたしの落書きを気に止めてくださった伊藤さんには感謝のしようもない。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月26日 03:56 | 固定ページリンク




類推  | 一考    

 ちはらさんが林達夫を読みたいという。最初ならと、「歴史の暮方」と「共産主義的人間」の仙花紙本を持ち出すも、気になって理由を尋ねた。彼女がいうには類推を知りたいとのこと。本を読んでも裏の意味を読み解くところまでは手が及ばないらしい。マラルメでも読むのなら林達夫も悪くはないが、最初がそれなら、類推がスイスイ進まず自爆する。そもそも類推なんてものは小中学生の頃に読むであろう詩歌がその能力の骨格を決める。三十路になれば生活体験がそれを補うものである。
 そこで、柿沼さんが編輯した種村さんの「楽しき没落」所収のキング・コングの図像学からまず薦めた。彼女はキングコングを観ていないという。ゴジラのようなものだが、観る必要などどこにもないとわたしが応える。あのエッセイは図像学とのタイトルからしても、類推の構造をうまく説きほぐしている。種村さんは往時を振り返って、映画評論の依頼しかなかったのでと仰有っていたが、託つけてものを書くという表現の本質が繰り返されたのが最初のエッセイ集「怪物のユートピア」だった。
 キング・コングの図像学一篇を読んだちはらさんの目は輝いていた。類推のみならず、種村さんの底意地の悪さ、悪意のようなものを読み取ったようである。彼女は既に類推の渦中にある。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月25日 19:18 | 固定ページリンク




ポテトフライ  | 一考    

 店の烏龍茶がなくなったので買いにゆく。遅かったので売れ残った寿司が安売りになっている。高蛋白に高カリウムだがどうしようかと迷う。海苔などで巻いていなければよいのにと考える。巻き寿司を半本食べると他になにも食べられなくなる。しかし今日は休み、あとは野となれ山となれ、と思い切って贖った。当然、醤油は抜き、先程から眺めているが、まだ手はつけていない。
 moonさんからのメールの末尾に「食餌療法のお料理、不味そうですね」とある。塩抜きの料理なんぞ喰えるわけがない、「負け惜しみ」と書いた理由である。過日、ポテトフライと格闘した。栄養士のお薦めはパン粉をつけたイモフライだが、わたしはポテトフライが食べたい。塩の替わりにチリペッパーとバジルを用いた。食べられなくもないが、きっと馬居七郎兵衛や大谷五郎右衛門なら腰を抜かしたに違いない。
 蜂須賀家とチリペッパーの関係についてなど、さぞかし面白い文化史ができると思うが、今のわたしにそのゆとりはない。いずれにせよ、食べられるものの一覧表をつくり、あれやこれやと試行しなければならない。試作品をつくるに一年は掛かると思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月23日 21:49 | 固定ページリンク




塩、塩、塩  | 一考    

 干し肉から干物、乾酪から漬物、揚句は米、麺麭、麺類までが食べられなくなった。昨日までは普通の食生活を送っていた、それがある日突然、療養食への切替を強いられたのである。医師や栄養士が責付くのは当然かもしれないが、同居人までがやいのやいのと急き立てる。
 わたしは料理人ではあっても栄養士ではない。蛋白質45グラム、塩分5グラムと書けばそれまでだが、なにを食べればその数値に収まるのか、想像すらつかない。塩分5グラムを三食で割れば1.6グラムほどになる。しかし、食品そのものに這入っているナトリウムを除くと使える塩は最大でも7、800ミリグラムになる。これでは味付けはできない。
 われわれが蕎麦を打つ場合、蕎麦粉と水以外は用いない。しかし、生であれ乾麺であれ、売られている蕎麦にはナトリウムが這入っている。それどころか、夥しい種類の「副剤」が紛れ込んでいる。蕎麦でありながら、小麦粉の含有量の方が多い商品が大半である。
 一輪の素麺には400ミリグラム、150グラムの饂飩玉には700ミリグラムのナトリウムが這入っている。この饂飩が曲者で、コシや食感を良くするために添付される「副剤」は蕎麦の比ではない。メーカー名は書かないが、企業秘密とやらで実にちゃらんぽらんな成分表示になっている。なかには小麦粉の成分表示をそのまま写したものさえあった。
 麺類でナトリウムが這入っていないのはビーフンとデュラム粉を用いた一部の乾燥パスタのみ。ケチャップは論外として生クリームやパルミジャーノやゴルゴンゾーラすら使わないパスタなど考えられるだろうか。この辺りでわたしは頭を抱え込む。
 先日、道端でしゃがみ込んだと書いたが、あの激痛は空腹のなせる業でなかったかと思う。今は朝夕の二食だが、蛋白質は18グラム、飯を含めて28グラム、塩分は2グラムしか摂っていない。常食になるものをもっか探し回っている。当分は試行錯誤がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月23日 17:20 | 固定ページリンク




透析延期  | 一考    

 ギブスを嵌めて二十日が過ぎた。自宅ではギブスを外しているが、状態がぐんぐん良くなってゆくのが分かる。今月末には間違いなく恢復する。塩煎餅かフランスパンで全快祝いをしたいと思っている。
 ここまで書いて、実は昨夜動かれなくなった。素天堂さんの奥さんが来店し、帰られて十五分ほどの後片付、外へ出た途端に激痛に襲われ、道端へしゃがみ込んでしまった。ちはらさんに車を回してもらったが、帰宅後も痛みは間断なくつづく。午後二時過ぎになってようやく二十六時間ぶりに食事を済ませた。腹痛の理由は判らないが、病人であることを思い知らされた一日だった。

 わたしが透析を受けるなど信じられないと、木村さん、幹郎さん、山崎医師までが仰言る。その透析の導入だが、取り敢えず半年の猶予を得た。薬と食事療法が効果を呈し、血液の状態がすこぶる落ち着いている。クレアチニンと尿素窒素の値が同率で、ごく僅かだが下がっている。クレアチニンは7.21から6.4になった。導入延期はその分まるまる命存えるということである。喜ぶべきか。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月22日 15:41 | 固定ページリンク




苦言  | 一考    

 漢字に関して苦言のメールがあった。食餌療法と書きたくないので、食事療法を用いている。この変遷に関しては主治医から既に聞かされている。
 鏡花が豆腐を忌嫌い、豆府を用いたのはよく知られている、神戸で贔屓にした豆腐料理の店は豆富と表現していた。ちなみに、豆富は木版印刷の時代に遣われている。
 わたしは漢字についてむづかしいことは云わない、通じればそれで良いと思っている。永田耕衣さんは造語の達人で、エディタースクール出身者による校正なら大半の文字が刎ねられてしまう。しかし、あの造語にこそ耕衣さんのひととなりが顕れている。談林の時代、およそ漢字は自由だった。遡れば、輸入品に満足せず、適宜国字を拵えてゆく器用さを持っていた。そこには文字に対する柔軟な日本人の特性が反映されている。岩波や筑摩の生真面目乃至唐変木な校正によって近年多くの漢字が修正され統一されてきた。なにごとによらず、そういう風潮をこそ危惧している。

追記
 moonさんからメール到着、彼は食餌療法を用いている。個人の趣味にわたしは口を挟まない。それよりも、彼の自炊の記はおもしろい。そのうち紹介しようかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月22日 14:56 | 固定ページリンク




もやし炒め  | 一考    

 街のトンカツ定食なら、カロリー、ナトリウム、カリウムともに制限値を超えてしまう。そこで、半裁のトンカツを作った。厚みはそのままに、面積を半分にする。塩は控えめにあとはトンカツ屋のそれと仕様は同じである。間違っても、デミグラスソースやトンカツソースを使ってはならない。かつてファーストフード店でなんにでもソースをかける人がいた。一方、ソース、醤油、ドレッシングを几帳面に遣い分ける人がいる、これらはどちらも生活習慣のようなもので、止められるものなら止めた方がよい。ご飯にマヨネーズ、お好み焼きにソースとマヨネーズを塗りたくるようなもので、昔はそのようなものをかけはしなかった。店のスモークになにをかければよいのかとの質問が舞うが、思い込みとは怖ろしいものである。

 配いである。キャベツがカレー粉と相性が良いように、もやしは酢と相性がよい。フライパンに油を入れ、鷹の爪を刻んだものを焙煎するように炒める。そこへ酢ともやしを入れるだけだが、酢が強いと思ったら、前項で書いた割醤油を三滴ほど滴らせばよい。舌当たりが柔らかくなる。鷹の爪と一緒に豚バラを入れても旨い。当然、塩胡椒は用いない。わたしならこれだけで、充分一食の副食になる。
 トンカツがもたらすカロリーは配いで低減される。肉の大きさ次第だが、おそらく蛋白は十二グラム以下、低蛋白米を百五十グラムで規定内に収まる。ナトリウムはトンカツの豚肉に振りかける分だけである。
 食事療法は総量規制である。従って、要諦は普段当たり前のように使っているソース、醤油、マヨネーズ類を止めることからはじめるべきである。さすれば食域は拡がり、量を減らせば禁止品を食することも可能になる。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月21日 16:22 | 固定ページリンク




青春  | 一考    

 サバト館の広政かをるの通夜が17日にあったとあまねさんから連絡が這入った。詳細を確認する気もないのでそれきりになっている。彼女とは十代からの付き合いだが、二十六歳の折りに一度呼び出されたのを最後に会っていない。わたしにとっては天敵のような存在で、不快感以外なにもない。
 南輝子さんの文章(当掲示板の「読書」で紹介)にロクサンの同居人として彼女が出てくるが、同居人ではなく女房だった。その後離婚、京都在の生田耕作と彼女を引き合わせたのはわたしだった。それを契機に彼女とわたしの仲は急速におかしくなっていくが、この件にかんしてはそのうち詳しく書こうとおもっている。
 天敵はともかく、これで十代からの知己は居なくなってしまった。個であり孤であることを確認すべく、昨夜はラ・ボエームを聴き涙した。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月20日 07:55 | 固定ページリンク




シーグラム社について  | 一考    

 国立にお住まいの方からシーバス・ブラザース社について問い合わせがあった。曰く「イスラエルの資本が入っているか」どうかという内容だった。これはシーバス・ブラザース社でなく、正確には親会社のシーグラム社のことと思う。下記サイトをご覧あれ。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/98523841.html

 ヴォルヴィックで思い出したが、イスラエルとパレスチナの闘いは水利権を根こそぎ奪うための闘いであって、現在では周辺の公水はことごとくがイスラエルの管理下にある。ヨルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原のパレスチナ人口が減り続けている理由は生活用水の供給制限によるもの。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月18日 21:38 | 固定ページリンク




割下  | 一考    

 前項で「減塩醤油、減塩味噌、減塩マヨネーズ、減塩ソース、減塩だしの素等々がある」と書いた。しかし、大半は塩化ナトリウムを減らした分、塩化カリウムやマグネシウムを添加している。正確には低ナトリウム商品というべきで、さらによろしくない結果を身体にもたらす。低ナトリウムを必要とする病気があるのかと思って調べるも、そんな器用な病気は存在しない。カロリー半分やサプリメントと同じで、所詮は健常者のための食品に過ぎない。
 別に難しいものではないので、マヨネーズやドレッシング、出しの素ぐらいは自分で作ればよいのだが、醤油や味噌となるとさすがに面倒である。一方、透析患者のブログを読んでいると、薄味の方が素材の味がよく分かるといった、「負け惜しみ」と頻繁に出遇う。わたしの食事療法はまだはじまったばかり、私流負け惜しみに関してはおいおい書き込んでゆく。

 醤油は大きく別けて白、薄口、濃口、たまりの四種類があるが、たまりがもっとも消費されるのは東京である。饂飩や蕎麦の真っ黒な出汁にみられるように、関東ではたまりを色づけと甘味を出すために多用する。関西でたまりと云えば寿司に用いるぐらいであろうか。そしてナトリウムの含有量は前述の順に多い。要は色が薄いほど塩分濃度が上がるのである。減塩中濃ソースはできても減塩ウスターソースはできないのと理屈は同じである。
 素天堂さんから聞いたはなしだが、彼は濃口と酒と白出汁を同割りにしたものを食していたらしい。いわゆる割醤油だが、わたしが試みたのは濃口1、たまり0.25、味醂0.25、白出汁5の割醤油である。この場合の白出汁には昆布はつかわない、昆布にはカリウムが多いので、鯖節や鰹節を用いる。鰹出汁のコツはひとつ、プロが作る白出汁と素人のそれでは鰹節の量が十倍ほど異なる。要するに、想像を絶するくらい大量の鰹節を使えばよいのである。
 たとえ割醤油にしても使用量は減らさなければなんのための割りなのか分からなくなる。わたしはこの割醤油をさらに薄めて丼ものの割下として用いている。食事療法とはどこまで薄めたものに耐えられるか、その根比べに相違ない。

追記。
 山崎医師来店、食事療法による地域活性化をはかりたいとの壮大な計画を伺う。前述したごとく、わたしは新参者だが、余生が食事療法であることに異存はない。香辛料やスモークに関する知識を活かせそうな気もする。透析患者が食べられる懐石料理、饂飩やカツ丼があっても不思議ではない。最後ぐらいは人の役に立つことを考えてみようか。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月18日 02:47 | 固定ページリンク




後発品に関して  | 山崎利彦    

こんにちは。過大な御褒めを頂き恐縮です。「個」に対する概念は、実は私は一考さんに教わったような物なので、逆に恥ずかしかったです。
さて、戸田中央病院の処方箋に関してですが、プラチビットとサロベール自体が後発品です(各ワンアルファ=アルファロール、ザイロリック=アロシトールの)。
後発品薬の検索用に比較的面白い(?)サイトが在りますので御活用下さい。http://www.genecal.jp/
後発品の使用に関しましては我々現場医師に大きな混乱が在るのは事実ですし、私自身もかなり翻弄されています。
「薬には味付けなんて無いんだから、主成分が同じならどんな物でも一緒だ」と平然と言ってのけるような政治家が導入をしてますから当然ですが。
実は薬には「主剤」と「副剤」で成り立っていて、「主成分」と云うのは主剤のみを指しています。ので、副剤に関しては実は後発品はかなりいい加減です。
吸収率やアレルギーに関与するのが副剤である場合も少なくなく、この辺りが充分に判らない後発品はかなり使い難いと云う現実もあるのです。
また、供給体勢や安全性確保、情報提供状況等は後発品メーカーによっては全く明らかでないどころか殆ど連絡も取れない会社もあります。
従って、安易に「後発品への変更可能」とした場合は、全く知らない薬剤に変更される危険がある為、後発品を指定して使用する場合が多々あります。
私も後発品を使用する場合は、先行品を使用する場合以上に気を遣います。「安ければ危険でも良い」と云う訳には行かない上に「許可したのは医師」と
我々に責任が転嫁される危険性もあり、この辺りが日本で後発品が浸透しない最大の原因があると、私は考えています。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2009年08月17日 19:09 | 固定ページリンク




新規の病院  | 一考    

 戸田中央総合病院へ行く。今回は初診、精密検査は次回ということで、処方箋をもらう。ワンアルファがプラチビットに、ザイロリックがサロベールに、ニューロタンがミカルディスに変わってい、最下段にジェネリックス医薬品への変更不可と書かれている。薬剤に知識はまったくないが、なんとなく釈然としない。薬剤以外にも診察自体に多くの疑問が生じた。主治医に相談しなくてはならない。
 診察はさておき、駐車場からの出しな、千二百円を請求された。時間四百円だが、駅前の市営駐車場は時間百円、病院の駐車場のすぐ隣の百円パーキングは三十分百円(これでも高い)である。広大な駐車場だが、わたしが赴いたときは満車。病人の弱みにつけ込んで暴利を貪る、すこぶる不愉快な病院だった。五時間で二千円、週三回で六千円、月に二万四千円の駐車場代が必要になる。このような病院で長時間に及ぶ透析を行うのかと思うと、うんざりである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月17日 14:39 | 固定ページリンク




気付かされたこと  | 一考    

 店をお手伝い下さっている素天堂さんを昨夜お送りした。方向は西、わたしにはもっとも不案内な場所である。ナビはついているが、アンテナが機能していないので役に立たない。隅田川がどうの橋がどうのといわれても、ちんぷんかんぷんである。神戸か明石ならどのように細い道であっても精通している。しかし、東京西方は鳥瞰図すら引かれない。左右どちらの車線を走ればよいのかすら分からない。何キロ先であれ、次が右折か左折かが分わかっていないと直進もおぼつかない。事故の大半は信号周辺で起こる、そして信号周辺は車線変更禁止である。それやこれやで素天堂さんにはすっかり迷惑をお掛けした。申し訳なく思っている。

 初日と二日目は松葉杖を使わなかった。それが災いして右足首が腫れあがった。初日は本当は九時に店を閉めたかった。それほどに痛みが酷かったのである。三日目からは松葉杖を用いたが、それでもなお腫れは引かない。湿布を施したちはらさんから大目玉を頂戴したが、老いてからの骨折は大変だと気付かされた。
 話序でに、中学校を卒業したときに身長は170センチだった。十五年前に腎結石で明石市民病院へ入院したときが169センチ、都立豊島病院へ入院したときが168センチ、それが今回の入院で166センチになっていた。腎不全のせいで、カルシウムが下りてこないので骨粗鬆症になっている。医師によるとまだまだ小さくなってゆくそうである。MRIを撮ったときに脳がスカスカになっているのに気付かされたが、背骨までが萎縮している。そうやって、やがて存在は形迹なく消えてゆく。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月16日 23:44 | 固定ページリンク




パピヨン  | 一考    

 退院後はじめて二食を満足に頂戴した。メインディッシュは三センチ角の唐揚げ一箇、二センチほどに切られた茄子と椎茸が半かけ、あとは菠薐草のお浸し二種である。ちなみに唐揚げには低蛋白の小麦粉が使われ、塩は使っていない。それに低蛋白米が百五十グラム。それにしても小さな一欠片の唐揚げがメインディッシュとは。療養食を食べる度に思うのだが、普通の食事をしてきた人には絶えられないだろうと思う。透析患者の半数が一年未満に死んでゆく理由のひとつは苛しい食事療法にある。隠れて焼き肉や寿司を食べ、症状を悪化させてゆく。わたしはこのような粗食には馴れ親しんでいるので平気だが。
 いま食している内容だと二食であってもカロリー、蛋白共に制限範囲に収まっている。そこでわたしは菓子を摂っている。菓子といっても食べられるものは限られる。練り羊羹、ミニ最中、コーヒーゼリー、ボンタンアメ三粒のうちの一種、といったところ。ちなみに練り羊羹は駄菓子屋で売っている一箇二十グラムのもので、これを一ミリずつ前歯で刮げるようにして食べている。ただ、ここにはわたしの自由がある。糖尿の人には申し訳ないが、このささやかな菓子が韃靼を渡るパピヨンに思われてくる。
 山崎さんとの帰路、EDについて語り合った。本題は透析患者とEDだったが、はなしは透析にとどまらない。揚句は包茎から間違えたマスターベーションの方法にまで及んだが、ここでそのはなしを繰り返すつもりはなく、透析患者に性欲は失くなっているとだけ書いておく。要するに、性欲と食欲というひとを突き動かす大きなファクターを喪ってまで生き続けるという、存在の不思議を主治医と語り合いたかったのである。おそらく、そこには夢見の、そしてイマジネーションの本質があるに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月15日 13:23 | 固定ページリンク




山崎利彦さん  | 一考    

 山崎医師来店、幹郎さんと一緒になって病について死について語り合う。幹郎さんはずいぶんと山崎医師を気に入ったようだが、然もありなんと思う。医師はわたしを街の不良親父と見立てている、よって気に入らなければ診療拒否も有り得ると考える。しかるに診察に来るということは、どうにもならなくなってなんらの扶けを求めている、そういう時は必要最小限の手立てを講ずる。さらなる診察が必要であっても、そこから先の判断は本人に委ねる。
 このようなことを書くと、まるで医師としての務めを投げ出しているかのようだが、決してそうではない。彼は間違いなく名医である、と同時に不良の扱いにも精通しているのである。わたしが「あと一年生きようと十年生きようと、そのような瑣末なことはどうでもよい」と書くとき、その真意を深く諒解する能力を彼は併せ持っている。
 聞いたはなしだが、スウェーデンでは子と親が同居することはない。親はしかるべき歳になると施設に這入る。施設の看護師は食事を提供するが、摂取行動は手伝わない、腕組みをして黙止するのみ。食べないという行為も食べられないという行為も均しく摂取拒否と判断される。要するにそこで老人を待っているのは餓死である。雑宝蔵経を源流とする「更級の姨捨山」や「木の股年」を想起していただければ結構だが、わが国の老人介護の有り様とはまったく異なる。その根本には個というものへの認識の差違が横たわっている。
 先日、癌を患っている友人に事後報告したところ、その友は抗癌剤の投与を止めたという。最期だけは自らの意志でと云っていたが、われら不良の最期はそうでなければならない。
 主治医と呼んでいるが、山崎さんは泌尿器科の医師である、にもかかわらず、骨折の修理は自分でするからレントゲンだけ撮ってくれ、痔の発作が起きたときも緊急外来で深夜に押し掛けて痛みだけ除去してくれ、と無茶を承知で専門外のことをお願いしてきた。要は全人的に信頼しているのである。山崎さんは医師であると同時に個としての倫理感を持っている。その振幅は尋常な距離ではない。迷いを迷いとして容認するにいかほどのエネルギーが必要かをわたしは知っている。わたしは複雑な存在が大好きである。かかる医師と知り合えたことに深く感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月14日 15:37 | 固定ページリンク




身勝手  | 一考    

 「一日の摂取量は1800キロカロリー、蛋白は上限が45グラム、塩分は5グラム、カリウムは1800ミリグラム」と前項で書いた。蕎麦であれ、饂飩であれ、サンドイッチであれ、丼ものであれ、お好み焼きであれ、外食すれば一食でいずれかの数値が超えてしまう。第一に白米が食べられなくなったのは辛い、味のないものを味気なく食べ続けている。昨日も浦和の病院からの帰り、腹拵えをしなくては仕事にならないと思ったが外食はできない、遠回りをして拙宅経由でですぺらへ行く。
 店のお通しでナトリウムを使っていないものはない。スモーク類でなら焼き豚に直接塩は用いていない、しかしタレにはふんだんにナトリウムやカリウムが入っている。いかに簡単な料理とはいえ、味見せずに出すことはできない。もしも味見をすれば、拙宅での食事制限がさらにきついものになる。フードに関して迷い続けている理由である。松友さんが註文なさるピッザやウインナなら味見せずに出せる。この件に関しては何かしらの方策が必要である。
 余談ながら、ウインナなら一本でわたしの一日の許容量を充たす。ヒデキさんがサラミソーセージを持ち込まれていたが、二枚食べればお終い、他には終日なにも食べられなくなってしまう。当分は持ち込み歓迎である。
 クレアチニンと尿素窒素を除いて血液の状態はずいぶんと改善された、降圧剤のせいで血圧も正常値に戻っている。医師のいうことを聞かないわたしだが、だからこそ食事療法だけは守りたいと思っている。
 昨日は駐車場から店までの一キロを松葉杖なしで歩いた。三十分を要したが、いずれ歩かなければならない。山崎医師が骨はまだついていないよと仰有っていたが、それを気にしていては何もできない。どうせ劃られた命である、ある程度の勝手はさせていただく。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月13日 13:23 | 固定ページリンク




初日  | 一考    

 二十六日ぶりの営業再開である、終日店は混み合った、ご来店のみなさんに感謝したい。十一日は通院の日だが、はじめて屋外での歩行訓練、うまくいきそうに思えたのだが、やはり長時間になると疲れる、帰りは疲労困憊だった。初日はちはらさんの協力を得たが、今日からは素天堂さんがお手伝いしてくださるとか、忝なく思う。ふたり併せて百二十四歳、よろしくお願いする。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月12日 11:11 | 固定ページリンク




寡多録  | 一考    

整理のついたものから掲載してゆく。ゆっくりだが、どうかよろしく。

アードベッグ10年※900円
 46度のディスティラリー・ボトル。
 ノン・チル・フィルターを謳い、往年のアードベッグを意識して造られたファースト・エディション。ボトリングは2000年初頭。
 フロア・モルティングが最後に行われたのは1976年から77年にかけてであり、80年代の閉鎖期間の後はポート・エレンが供給する麦芽を用う。木の幹をかじるようなスモーキー・フレーバは望むべくもないが、アードベッグの先行きへの不安を解消させるにたる出来映え。特にヘビーにピートを焚き込んだ麦芽を用いたモルト・ウィスキーの登場には、今暫くの猶予が必要。

スモークヘッド(イアン・マクロード)900円
 43度。中身はアードベッグ。
 ベリーヤングと比してアルコール度数は低いが、その分リーズナブル。カスクのコンディションもよく、ベリーヤングと同じコンセプトで造られたのでそれなりに美味。

アードベッグ '90(ゴードン&マクファイル) 1000円
 コニッサーズ・チョイスの11年もの、40度。
 前回頒布された78年蒸留の21年ものが終売になり、本品に取って代わった。同じコニッサーズ・チョイスで、73、74、75、76、78、79、90、95、96年のヴィンテージがある。

アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)1300円
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
 頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。G.M社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続くフィニッシュは申し分なし。
 フローラルな味わいの理由はポート・エレンのモルトを使用したこと。かかるボトルがコレクターズ・アイテムになるのなら異議はない。

アードベッグ・オールモスト・ゼア '98※ 1300円
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤング、06年発売のスティルヤングに続いて07年に頒された。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。アードベッグ10年への最終のボトルである。
 ピートオイル、ビターチョコレート、松の実、樺タールが複雑にミックスした香り。前二者とは異なって噛み応えと香味に深みあり、一年の差とは思われない。

アードベッグ・スティルヤング '98※1400円
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤングに続いて06年に発売。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品についで08年にオールモストゼアが発売された。他にコミッティー・ヴァージョンやウィスキー・フェア用に異なるヴィンテージのものがボトリングされている。ソフトでクリーミーな甘さの出現。

アードベッグ・ベリーヤング '98※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
 前年のコミッティー会員向けボトルの一般市場向けの商品。2004年8月ボトリング、ファーストフィルのバーボン樽で熟成。限定20,000本。翌2005年にも別ロットのベリーヤングが頒されている。若々しくフレッシュで刺激的。

アードベッグ・ウーガダール※1400円
 ディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングス、54.2度。
 2003年12月発売。93年バーボン樽熟成のアードベッグをベースに、75年、76年のシェリー樽熟成原酒を加える。ウーガダールとは仕込み用水を採取する泉の名。
 バーベキューソースやスペアリブにつけるソースのような味を持つ。

アードベッグ・ルネッサンス '98※ 1600円
 ディスティラリー・ボトルの10年もの、55.9度のカスク・ストレングス。
 1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングした一連の流れの到達点として、2008年7月25日に発売。
 トロピカルフルーツの果汁、バニラやホットシナモンのスパイス、パイナップルの風味、芳しい花のキャラクター。ピートオイルとがぶつかりあって共存し、力強さを感じさせる。ピーティーな熟成の極み。

アードベッグ・アリー・ナム・ビースト '90※1800円
 バーボン・カスクの16年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
 クリーミーでスモーキーなフレーバーの中に感じるフェンネルや松の実のキャラクター。ピート・オイルの粘り気のあるファッジ・ソースの霧雨。

アードベッグ '00(インプレッシブ)1800円
 6年もの、62.7度のカスク・ストレングス。
 昔日の荒々しさが残る、ボトラー版ベリー・ヤング。言い換えれば、不良のアードベッグ。インプレッシヴ・カスクはダンカン・テイラー社のボトル。美味。

アードベッグ '90(マーレイ・マクデヴィッド)1800円
 バーボン樽の9年もの、46度のシングル・カスク。
 他に同じヴィンテージの8年もの、91年の9年ものと11年ものも頒されている。

アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)2000円
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 ボトリングはグラスゴーのマルコム・プライド社。リリースはスコッチ・モルト・セールス社。

アードベッグ '93(ダグラス・レイン)2000円
 オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
 G.M社のボトルと比して、アルコール度数がもたらすインパクトあり。マクギボンのボトルが持つフローラルな香りはなく、頑強なまでの塩味。よりオーソドックスな味わい。

アードベッグ '78(ゴードン&マクファイル)2000円
 コニッサーズ・チョイスの一本。21年もの、40度。

アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)2000円
 スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
 G.M社のアードベッグを侮ってはいけない。このようなとんでもない隠し球が出てくる。ラベルに記載されたスペイモルト・ウィスキー・ディスティラリー社はゴードン&マクファイル社の子会社。
 店主が呑んだスピリッツ・オブ・スコットランドのアードベッグは、78年・53.9度・バーボン・バレル、90年・58.4度、90年・56.4度、91年・55.6度、91年・52.6度・リフィール・シェリー、91年・52.5度・リフィール・シェリー、93年・54.4度、93年・56.2度・シェリー・バット、94年・55.0度・バーボン・ホグス、94年・55.8度・バーボン・ホグスの10種類。他にもあろうかと思われるが、ダグラス・レイン社のボトルと共に、最良のアードベッグである。

アードベッグ17年※2000円
 40度のディスティラリー・ボトル。
 80年代初頭に蒸留所が閉鎖される直前のモルトを用いる。シグナトリー社の74年のボトルと比してスモーキー・フレーバーは控え目に、ヨード香は抑えられている。相応分、甘味を伴うフレーバーに優れ、喉ごしは淡くまろやか。

アードベッグ '74(シグナトリー)2300円
 23年もの、43度。3樽、限定610本のリミテッド・エディション。他に同じヴィンテージでカスクの異なるものあり。
 同じヴィンテージのカスク・ストレングスには一歩譲るが、当ボトルもまた、こしかたのアードベッグを語るに欠かせぬ一本として記憶されるは必定。

スティルベリーヤング・アイラモルト '00(リンブルグ)2300円
 リフィール・シェリーバットの7年もの、59.1度のカスク・ストレングス。
 ドイツの南西部で催されるリンブルグ・ウイスキー・フェスティバルのボトル。さほどスモーキーでなく、やわらかさの中に、ほんのりスモーク。シェリーバットの影響か、マイルドな口当たり。ディスティラリー・ボトルと比してすこぶる美味。

アードベッグ '90※ 2500円
 ファーストフィル・バーボンの13年もの、55.0度のカスク・ストレングス。日本向け1140本のディスティラリー・ボトル。
 ウーガダールの騒々しい香味とは異なり、こくバランス共に申し分なし。

アードベッグ '75※2500円
 23年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 74〜75年は殊更に美味にして稀少。本品は98年発売のグレンモーレンジ社二回目のヴィンテージ・ボトル。
 微かな甘味を含んだ磯の香。しっとりと落ち着いたやや骨太の酒質。
 極端な煙臭さ、いつまでも残るスモーキー・フレーバー。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月11日 16:39 | 固定ページリンク




寡多録  | 一考    

 お見舞い金を頂戴した方のために在庫一本の貴重なウィスキーを開栓する。みなさんがお求めのアイラモルトである。事前に声をかけていただければ幸い。お一人様二杯まででお願いする。
 今月のサービス品はポート・エレン75年蒸留、24年もの、43度、オーク樽、402本のリミテッド・エディション、シグナトリー社のミレニアム・エディションの一本である。売価は1600円、在庫は二本、売り切れるまでのサービス品である。
 これからウィスキーの値は公表する。書き直した寡多録は順次掲載してゆく。他店と比較していただければ幸甚。より安い店があってもわたしは関与しない。

ザ・カスク・オブ・ヤマザキ '93(サントリー)※ 1900円
 14年もの、62.0度のカスク・ストレングス。539本のリミテッド・エディション。
 サントリー初のヘヴィリー・ピーテッド・モルト。熟成はパンチョン樽。カスク由来の甘味とスモーキーな香り、のびやかなフィニッシュ。
 同時発売にシェリー・バット熟成のものがある。追って08年3月、白州のヘヴィリー・ピーテッドとボタコルタ熟成の二種がボトリングされる。

ザ・カスク・オブ・ハクシュウ '93(サントリー)※1800円
 14年もの、58.0度のカスク・ストレングス。232本のリミテッド・エディション。樽違いあり。
 白州のヘヴィリーピーテッド・モルト。ウッドタイプはホワイト・オーク、カスクタイプはバーボン樽を組み替えたホグスヘッド230リットルを用いる。
 ロットが少ないので製麦業者(モルトスター)は決まっていないが、おそらくシンプソンと思われる。
 山崎ほどの意外性はなく、やはり白州だと思わせる品のよさを持つ。青林檎のキャラクター。極めてドライ、なんの抵抗もなく、喉の奥にストンと落ちてゆく。この透明感は日本のウィスキーに総じて言えることであって、間違いなく水のせい。

ザ・カスク・オブ・ハクシュウ '93(サントリー)※ 1800円
 14年もの、60.0度のカスク・ストレングス。571本のリミテッド・エディション。
 白州のシェリーモルト。ウッドタイプはスパニッシュ・オーク、カスクタイプは480リットルのボタ・コルタ。
 ボタ・コルタはバット樽と容量は同じだが寸が短い、逆に直径が大きいのである。従ってウィスキーとカスクの触れ合う面積が小さい。それだけ熟成がゆっくりなされる。十四年にしてはシェリー特有の渋味が少ない。甘酸っぱさが濃厚で微かな苦みがあり、フィニッシュはしっかりと伸びる。

ハクシュウ・ヘヴィリーピート(サントリー)※1800円
 48度。
 白州を構成するさまざまな原酒のなかから数種類のヘヴィリーピートをヴァッティング。国内外を併せて6000本のリミテッド・エディション。ザ・カスク・オブ・ハクシュウ '93のヘヴィリーピーテッド・モルトより美味いのは不思議。

アズ・ウィ・ゲット・イット8年(イアン・マクロード)1400円
 オーク・カスクの8年もの、59.0度のカスク・ストレングス。中味はタリスカー。
 アズ・ウィ・ゲット・イットの商標をイアン・マクロード社が買収、当初はスペイサイドのモルトをボトリングしていたが、最近はアイラ・モルト、それもラガヴーリンを専門にボトリングしている。

マクローズ '89(ハンジアティシィ)1400円
 04年のボトリング。バーボン・カスクの14年もの。384本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
 ハンジアティシィはイアン・マクロードの独向け。他に85年蒸留の18年もの348本、86年蒸留の17年もの264本あり。

ヘブリディーズ '89(キングスバリー)1600円
 02年のボトリング、18年もの。ホグスヘッドの46度。300本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。

タリスカー 57 ノース※1800円
 57ノースという名前は、蒸留所のある緯度(北緯57度)と、イングリッシュプルーフ100度(57%)にちなんだもの。ヨーロッパの空港と北欧のフェリー船内専売の限定品。

タリスカー '92(ジャン・ボワイエ)2400円
 07年のボトリング、15年もの。ワンショット・コレクションの一本、58.7度のカスク・ストレングス。

ハイランドパーク '78(サマローリ)2000円
 78年蒸留、95年ボトリング。オーク・カスクの17年もの。45度、360本のリミテッド・エディション。
 サマローリ社は1968年創業のイタリアブレア市にある酒商。スプリングバンク蒸留所、ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持ち、オリジナルのヴァテッド・モルトも頒している。
 同じイタリアの酒商インター・トレード社についてひとこと。インタートレード社は伊太利亜リミニ市のボトラー。オーナーのナディ・フィオリは当地に於ける業界の草分け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社のウィスキーはサマローリ社同様、檻が多く含まれるのが特徴。ディスティラリー・ボトルでは味わえない個々の樽の稟質、即ち微妙な持ち味を愉しめる。

ハイランドパーク '78(ボトラーズ)2600円
 シェリー・カスクの18年もの、57.6度のカスク・ストレングス。
 ザ・ボトラーズ社は1994年、エディンバラにて設立。同じエディンバラのジェームズ・マッカーサー社と共に、閉鎖された蒸留所の珍しいモルトを取り扱うことで識られる。コニャックを想わせる撫で肩の丸瓶とシンプルなラベルが特徴。同社の商品の大半はディスティラリー・コンディション。それ故、面白味には欠けるが、破綻のないのが取り柄。

アードベッグ・スーパーノヴァ※1800円
 58.9度のディスティラリー・ボトル。
 アードベッグ最強のフェノール値。

カリラ'95(インプレッシヴ)1400円
 インプレッシヴ・カスクの一本。08年のボトリング、13年もの、60.4度のカスク・ストレングス。
 インプレッシヴ・カスクはダンカン・テイラー社のボトル。

スプリングバンク10年※800円
 ファースト・エディションは2000年春、バーボン・カスクの17年もの、46度のディスティラリー・ボトル。

スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)1600円
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品はバーボン・カスクのみを用いる。

ストラスミル'92(ジェームズ・マッカーサー)1300円
 オールド・マスターズの一本。03年のボトリング。11年もの、64.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月10日 19:43 | 固定ページリンク




明日再開  | 一考    

 透析のための精密検査や透析シャントを造る手術を受けないといけないので、店は開けても早晩、入院しないといけない。日付其他はいまだ未定。予定が立たないまま、取り敢えずの開店である。
 いつまで店の営業ができるか、今のわたしにとってもっとも気掛かりな問題である。医師のひとりは五年が限界だろうという。いまひとりの医師からははるかに短い期間を示唆された。多くの患者を看てきた医師の意見を拝聴するが、個体差があって、そこまで持続できるとは限らない。半年単位で考えるしかないのだろうが、それにしても、拙宅のモルト・ウィスキーの在庫を処分するのは不可能である。例え五年かけてもアードベッグやポート・エレンはなくならない。安価なウィスキーの値は変えないが、一杯2000円から5000円のウィスキーは大幅に値下げしようと思っている。残ったウィスキーの処理はおっきーさんや幹郎さんにお願いする予定。四、五種の定番を除いて、現在の六百種の在庫は売り切ってゆく。要するに、新規ボトルの購入は極力減らしてゆく。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月10日 13:59 | 固定ページリンク




私様  | 一考    

 今回の入院に際し、実に多くの方のご好意に甘えた。いくら感謝しても感謝しつくせるものではない。と同時に、いささか困惑させられるようなメールも頂戴した。
 腎不全になったからと云って、同情を買うつもりはなく、嘆き節を書いているつもりもなく、もし左様読まれたとするなら、わたしの文章が拙かったというだけのこと。ことごとくは私事であって、私事に興味をお持ちでない方が当掲示板を繙くことはなかろう。ですぺらの常連さんにあっても、いつも詰らないことばかり書いている、と忠告してくださる方の幾人かはいらっしゃる。
 わたしがあと一年生きようと十年生きようと、そのような瑣末なことはどうでもよく、ひとの存在は新陳代謝だと常日頃から書いている。為合せ、不為合せといった問題も他人のことであればこそ同情もするが、我が身のことなら論外。金が失くなることも、命が劃られることも、あるがままに受け容れるしかないと心得ている。繰り返すが、透析を受けて生きのびようと、拒否して死のうと、かかる世俗への配慮はどうでもよいことなのである。
 これからどう振る舞うかはとうに決めている。そしてそれを決めるのは私いちにんのみ。それまでの個の搖れもしくは搖れと思しきものを書き綴っているのであって、明瞭な概念にはいささかの興味も未練もない。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月09日 17:53 | 固定ページリンク




よき友  | 一考    

 年少者がすばらしいことを書けば、褒めそやさなければならない、それが例え自分の子であっても。掲示板は毎日覗いているが、メールは三日に一度ぐらいである。だから隆さんからのメールが届いているのに気付かなかった。
 隆さんについて書くにはいささかの躊躇いがある。その躊躇いはわたしが親として成すべきことを何ひとつしていないところにある。何もしていないにもかかわらず、隆さんは親としてわたしを遇してくださる。言い換えれば、わたしは彼によって親にさせられているようなものである。文中に「もしお手伝いできるようなことがあれば言って下さい。親孝行らしき事はまだ何もできていなかったもので」とある。恨まれてこそ順当、憐憫の情をかけられるとは意外だった。お気持ちに対し、深甚の謝意を表したい。葬儀は願い下げだが、数年後には彼なりの野辺送りをすることになろうか。海原への散骨を望むが場所に希望はない、とでも書いておこう。
 同じメールのなかに「沢山の人が、まだまだあなたを必要としていますし、私もそんな中の一人であります」と書かれている。双方が当事者であることは差しおいて、自らの心情の吐露に先立って見知らぬ他者への気配りを忘れない。彼がいつ頃からこのような遠慮の構造を学んだのか分からない。ただ、見事な心掛けと感服させられた。またひとり、よき友を得たと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月09日 17:38 | 固定ページリンク




緩慢な死  | 一考    

 来週十一日のですぺら営業再開目差して、歩行訓練に明け暮れている。駐車場から店までの一キロが歩かれないと営業が覚束ないからである。
 末期腎不全の特徴のひとつに身体が疲れやすくなるというのがあるが、とにかく、よく寝るようになった。起きてる時間は八、九時間で他はずっと寝入ったままである。これではまるで寝るために生きているようなものである。腎不全に罹ったひとは為事ができなくなるというのがよく分かる。
 透析患者のブログを読んでいてひとつ気付いたことがある。誰も触れていないと云うことは個体差があるのかもしれないが、性欲についてである。わたしは2002年頃から急速に性欲が衰えていった。何時からとは書かないが、このところ数年は完全に性欲はなくなった。去年、四谷シモンさんと紀伊國屋書店でお会いし、若い女性と暮らしているといったところ、性欲はないでしょうと問われた。ないですねと応えたが、それは二重の罪を犯しているとの鋭い指摘を受けた。視力の衰えについてはすでに書いたが、これらはすべて腎不全に起因するようである。
 個体差があるので、なんとも云えないが、透析患者の半数は五年以内に死亡する。そして開始から十年以内にほとんどの患者は死亡する。なかには二十年を超えて透析を続けているひともいるが、それは例外であろう。そもそも腎不全は不可逆な病であり死の宣告である。医療技術の発達によって透析で生かされているが、基本的には人工呼吸器と同じく、人工腎臓(機械)につながれての延命に違いない。いずれにせよ、血液透析に入るのは余命のカウントダウンに入るのと同じことである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月08日 23:25 | 固定ページリンク




アクセスログ  | 一考    

 当掲示板で異変があった。いつも面白がって見ているアクセスログ閲覧だが、このところ「ですぺら」やシングルモルトを追い越して、「田中香織」と「カセットガス 自殺」がトップにやってきた。後者はともかく、前者はちはらさんの本名なのだが、同時に押尾学事件の変死体女性の本名(源氏名、麗城あげは)でもある。某紙によると押尾学は半年前から麗城あげはさんと不倫関係にあったらしいが、わたしは聞き及んでいない。昨日は出社すると、「あれ、生きていたの」と同僚から声をかけられたという。はなしはそこまでである。
 当掲示板は私事かモルトウィスキーに関する記述を専らとする。公人を除き、他人についてはなにかしらの事情がない限り触れない。それがウェブサイトにおける唯一の礼儀だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月08日 14:05 | 固定ページリンク




悶絶薬  | 一考    

 一日の摂取量は1800キロカロリー、蛋白は上限が45グラム、塩分は5グラム、カリウムは1800ミリグラムが今月の食事の内容です。牛丼だと並盛り一食で超えてしまいます。従って、すべて自炊になります。絶対量が少ないのでハイカロリーの食事がよろしいのですが、なかなか相応しい食べ物がなく、難渋いたしております。
 菜食はわたしにとっては夢のまた夢になりました。野菜は果物同様、カリウムが非常に高いので、そのままでは食べられません。何度も水洗いし、数時間水に晒す、もしくは温野菜をごく少量になります。芋を食べたいなら菎蒻を、豆を食べたいなら油揚げか凍り豆腐、または醤油抜きの湯葉となります。
 「春陽」や「晴米」は炊飯米です。外食は禁じられました。わたしは料理人なので、カリウムがどうの、ナトリウムがどうのと云われてはなしは通じますが、そもそもプリン体や塩分を含まない食品はほとんど存在しません。はじめて食事療法に入った方にとっては絶望的な作業になると思います。
 お説のとおり、シアナマイドはマゾヒストを狂喜乱舞させるための薬ですが、断酒に医師が必要でしょうか。わたしは自分の意志で煙草を咽んでいますが、禁煙のやむなきに至れば、即刻やめます。煙草に限らずですが。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月07日 09:15 | 固定ページリンク




断酒  | れいはる。    

一考様

お酒をやめたいと頼んだら
「死ぬほど苦しむ薬があるよ」と
いって処方してもらったんです。
残念ながら禁酒中なんです。

ローカロリーで
塩分控えめのおいしい食事ですかね。

水炊でせふか。
僕も菜食主義宣言をする日を夢みて
野菜を食べているんですけれど
完璧というのは手ごわいですね。
欲望に負けまくってます。

私事でお恥ずかしいのでこのへんで。
重ね重ねですが、おだいじになさってくださいませ。


投稿者: れいはる。      日時: 2009年08月07日 00:36 | 固定ページリンク




営業再開  | 一考    

来週十一日からですぺらの営業を再開します。
例によって片肺飛行で、フードは持ち込みで結構です。
当分は車での出勤になりますので、午後七時開店です。
どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月06日 23:58 | 固定ページリンク




恢復  | 一考    

 屋内に限られるが、松葉杖なしで歩けるようになった。といっても、支えがいたるところにあるトイレとキッチンだけなのだが。しかし嬉しい、本当に嬉しい。事故から二十二日目、順調な恢復である。昨夜は風呂に入り、身体をはじめて洗った。骨はまだくっついていないが、リハビリの看護師は愕いている。これもみなさんのお陰である。
 今までは筋や筋肉を伸ばす訓練ばかりしてきたが、これからは縮める練習をしなければならない。こちらは体重をかけなければならないので、痛みが走る。それにしても、この調子だと一箇月半で全快しそうな勢いである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月06日 22:36 | 固定ページリンク




れいはるさんへ  | 一考    

 シアナマイドは抗酒剤ですが、どうして必要になったのですか。ですぺらには約一名、シアナマイドが必要と思われる装訂家がいらっしゃいます。劇薬ですよ、あれは要注意です(シアナマイドが劇薬か、装訂家が劇薬か判然としない、このような書き方がわたしの好みなのです)。
 食事制限に入ったので日々困惑させられています。蛋白質、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、リンは厳禁です。果物は全滅ですが、缶詰のフルーツなら構わない、その理由はカリウムが水に溶けるからです。ちなみに柿ピーは一日十五粒が限界だそうです。熱量は摂らないといけないのですが、栄養にはさまざまな制限が設けられています。早い話がでんぷんと砂糖を喰っていれば、熱量だけは大丈夫なようです。糖尿のひとはその糖分すら駄目で、一体なにを食しているのでしょうね。
 でんぷんを米のかたちに成形加工したものがでんぷん米、これは不味いです。透析が続かない理由のひとつに食事療養が上げられます。水は一日にコップ一杯、薬は唾液で嚥下しないといけません。欧米では透析患者の自殺率が高いのですが、日本では病死扱いで、自殺にはカウントされません。数は書きませんが、病気が理由の自殺を含めればわが国の自殺者数は約倍になるそうです。それも自愛のヴァリエーションのひとつかと思いつつ・・・。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月06日 17:02 | 固定ページリンク




ご自愛。  | れいはる。    

一考様

こんにちは。
れいはるです。

シアナマイドという薬を
医者からもらって
試しにそれを飲んでみて
更にウイスキーを飲んだら

最初に顔が赤くなり
次に顔が黒くなり
最後の顔がまっしろになった。

鏡をみたら
瞳孔が開いたようになっていて
あれはたのしかった。

一考さんはなにを栄養にして生きているのか
僕にはよくわからないけれど
栄養をよくとって
たまには休まないと。

どうぞ、ご自愛くださいませ。

ではまた。


投稿者: れいはる。      日時: 2009年08月06日 09:56 | 固定ページリンク




迷い  | 一考    

 先日、高遠弘美さんの見舞いに与った。お忙しいなかをわが身ごときのために時間をお割き下さって恐縮している。「Oの物語」について書かなければならないが、今のわたしには到底無理である。このところ、自分が罹った病気についてばかり書いている。その理由は集中力をなくしたからである。眩暈がひどく、ひとつことを考え続けられない。最近書いている文章にも誤字脱字が多いのではないかと案じている。「Oの物語」についてはいずれ書かせていただくとして、今夜もまた私事を書き連ねる。

 今日は医師と数時間、医学を超えたはなしをした。腎臓は悪化の一歩、一週間以内に透析をはじめなければ一箇月も持たない数値になったと医師は云う。透析に問題があるのでなく、生きながらえる価値がわたしにあるのかどうか、迷いつづけている。死ぬことばかりを考えていた若い頃の感慨がいまなおわたしのなかに残っているとすれば、躊躇なく死を選ぶはずである。moonさん宛に書いた文章だが、「とりとめもなく」の末尾が気になって仕方がない。
 かかる迷いが生じるのは分かっていた。分かっていたが故に今回の一連の書き込みの頭に「腎不全」を置いた。そしてその迷いを他者はいかように処理しているのか、そこのところを医師と話し込んだのである。当然、結論が得られるとは思っていない。
 「渡辺さんのような考えをお持ちの方はままいらっしゃる。しかし、現状では毒素が頭にまで回っている。透析さえはじめればより冷静にものごとを考えられるのではないだろうか。そして私たちの為事は、一日一日、単なる延命策にこころを摧くことだ」。実に誠実な医師である。延命策などと云う文言を吐露させたことを済まなく思う。
 とりあえず、身体障害者手帳取得の手続きは済ませた。透析をはじめるしかないことは分かっている。そして透析をはじめるであろうことも分かっている。ただ、もう少しこころを整理し、風通しをよくしておきたいのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月05日 07:53 | 固定ページリンク




遺伝子組換え作物  | 一考    

 御見舞いとの札をぶらさげて明石蛸がやってきた。胴と足をばらばらに解体して冷凍しなおす。胴の半分と足一本は生のままバター炒めで頂戴した。送り主の季村敏夫さんに感謝する。ですぺら再開の折に、お世話になった方々にバター炒めを味見していただこう。わたしは塩が使えないので山椒と檸檬だけの味付けになったが、やはりもの足りない。店では塩をたっぷりと使うつもり。

 「やさしお」という塩分二分の一の食卓塩をちはらさんが見付けてきた。「塩味はそのまま、塩分二分の一」が売りなのだが、釈然としない。ナトリウムの替わりにカリウムやマグネシウムを増やしただけではないのかと思う、栄養士に相談してみなければ分からない。
 他にも減塩醤油、減塩味噌、減塩マヨネーズ、減塩ウスターソース、無塩バター、無塩マーガリン、減塩だしの素等々がある。買い物に行かれないので、減塩醤油と減塩だしの素のみ入手した。塩のかわりに使ってもかまわない調味料は胡椒、山椒、辛子、七味唐辛子、山葵、生姜、紫蘇の葉、梅干し、カレー粉、酢、檸檬、柚子、かぼす、トマトピューレーである。従って、味付けの方法を根本から変えなければならない。
 低蛋白米「春陽」を購入したが5キロ3000円(送料700円)、いままで5キロ1400円以下の米しか口にしたことがない。LGCソフトの「晴米」5キロ1850円(送料735円)と混ぜ合わせて食べている。副食は横浜のメディカルフーズから試食用12食7200円(送料一部負担342円)を取り寄せた。一食あたり600円で、ネット検索による最安値だった。
 わたしは酒も煙草を嗜むので食費は切り詰めている。米や調味料それに菓子などを加えても月にならすと1万5000円までである。それが一挙に三倍に膨らみそうである。「療養食こそ、おいしくなくては」がこのようなメーカーの宣伝文句だが、「療養食こそ、安く利用できなくては」と思う。わたしが取り寄せたコースはたんぱく調整食で一食9グラムとなっている。特許を無償公開したゴールデンライスのように、遺伝子組換えによる成分改変食品の発達が待たれる。
 わたしのような末期腎臓不全のみならず、糖尿やスギ花粉などに悩んでいるひとは結構いる。茶葉からカリウムを減らすぐらいは技術的に可能だと思うが、環境や消費者団体などへの影響を顧みて一部自治体では条例で遺伝子組換え作物の栽培が規制されている。まったく禁止されている都道府県も10を算える。また、スギ花粉症緩和米などは医薬品としての規制を受ける。前述の春陽も規制が激しく、それが高値の理由になっている。ここにも健常者(マジョリティ)の専横がある。


投稿者: 一考      日時: 2009年08月03日 11:26 | 固定ページリンク




某サイト  | 一考    

 知己からあのひと検索SPYSEE[スパイシー]とのサイトを教わった。
 自分の名前を検索するほど野暮ではないが、わたしを冷かしたいひとには面白かろう。よって、アドレスを掲げておく。

http://spysee.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E4%B8%80%E8%80%83

 写真中央に新宿二丁目のナジャ店主安保由夫さんが写っているのが微笑ましい。面識のないひとなら安保さんをわたしと思ってしまう。安保さんが不快でなければそれも一興だが。
 相澤啓三さんがつながりの強いひととやらに這入っていないのは、項目の登録者の個人的趣味によるものか。松山俊太郎さんが這入っているのは嬉しいが、俳人がことごとく抜けているのは片手落ちだろう。半生を編輯者として送ったが、為事の九割方は俳句出版だったと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月30日 08:26 | 固定ページリンク




サンドイッチ  | 一考    

 日曜日は諸用を頓けるにおっきーさん運転のポルシェ968カブリオレを利用させていただいた。ポルシェ製水冷FRスポーツカーの最終モデルで、直列4気筒としては世界最大排気量三リットル。着座位置は極端に低く、わたしのように足が短いとサンバイザーが頭の上に来てしまう、いささか乗りにくそうな車である。わたしはポルシェに乗るのははじめてだが、空気圧は見込みどおり2.6を軽く越えている。ゲトラグ製の6速マニュアルトランスミッションを持ち、このところオートマ車が続いたわたしにとって、ちょいと羨ましい。
 おっきーさんから多種多量のこわめしを頂戴したので冷凍、これだけでも一週間は大丈夫である。てんこ盛りの串カツや練り天も頂戴したが、腎臓によいかどうかを考える暇もなく片付けてしまった。
 火曜日はサンドイッチが無性に食べたくなって、増田さんに買い物をお願いした。ところが山崎医師の怪訝な顔。川津さんからの「腎臓病食品交換表」を調べて愕いた。果実と芋類のカリウムが高いのは知っていたが、レタス、みつば、ほうれんそう、ふき、にんじん、ねぎ、こまつな、セロリー、だいこん等々もカリウムの含有量が飛び抜けて高い。山崎医師と石川医師から野菜と果物には要注意と聞かされていたが、ハムよりレタスが問題だったとは。これからなにを食すればよろしいのか、考え込んでしまった。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月29日 19:53 | 固定ページリンク




ギブス  | 一考    

 今日は足が固定される日なので、帰りは心配していなかったが、行きしなは随分と迷い、結局マスタングに乗って浦和の病院まで行った。こういうこともあろうかとオートマ車は左右どちらの足でも運転できるようにしている。アクセル操作は問題ないが、ブレーキがかなりぎこちない。もっとも、看護師は呆れ返っていたようだが。
 レントゲンを撮ったが、骨はまだくっついていない。しかし、さすがに山崎医師が紹介した医師である。フレキシブルなバンドによる固定で、三十キロまでなら体重がかけられる。痛みを感じる限界まで右足を使うようにと云われた。小一時間、足首の運動を試みる。捻ることはできないが、足首の前後角は健康な左足のマイナス五度。これなら一箇月後には特別なリハビリなしで元に戻る。
 骨折を経験したひとなら分かるのだが、就寝時にギブスはいらない。わたしはギブスを縦割りに二分割してバンド止めする方法を実践していた。骨折で最大の難儀は癒ったあとのリハビリにある。そして骨には適当な刺激を与えつづけるほうが癒りは速い。今回のマジックテープを利用した脱着可能なギブスがいつ頃から使われているのか知らないが、最良の医療器具の一である。一昔前なら間違いなく骨が癒着するまでは石膏でがちがちに固めていた。川久保病院の院長はわたしより大胆である。この分だと来週末には営業を再開できるかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月28日 20:23 | 固定ページリンク




食事療法  | 一考    

ワンアルファ(腸からのカルシウムの吸収を促進し、骨がもろくなるのを防ぐ)1回1錠 1日1回
クレストール(血液中のコレステロールや中性脂肪の量を下げる)1回1錠 1日1回
ザイロリック(体内で尿酸が作られるのを抑える。結果、痛風の発作を予防する)1回1錠 1日2回
ウラリット(酸性尿をアルカリ化し、尿酸結石を防ぐ)1回4錠 1日3回
カリメート(とにもかくにも飲みにくい薬)1回1包み 1日3回
ニューロタン(血圧を下げる)1回半錠 1日1回

 日々、以上の薬を飲んでいる。問題は食事療法で、こちらはかなり難儀である。食塩と水分の制限、カリウム、蛋白質、リンの取りすぎは要注意。ちなみに、飯は120グラム、うどんが半玉、中華麺・パスタの類いは60グラム(ということは三分の一)が適量であるそうな。
 このところ体調が思わしくなく、一食の弁当を片づけるのに二十四時間以上掛かっている。通常の弁当(例えば海苔弁)には飯が200グラム入っている。二年ほど前から、これを全量食すれば嘔吐してしまう。従って、ミニ弁当にはすこぶる助けられている。
 おっきーさんの紹介でミールタイムというところの会員になった。慢性腎不全や糖尿病の方向けの通販サイトである。金は掛かるがこういうものからはじめながら、腎臓病食を学んでゆくしかない。果物ジュースや野菜ジュース、スポーツ飲料にはカリウムが多く、コーラやサイダーにはまったく入っていないなど、知らないことが多すぎるからである。
 嬉しいことにウィスキー、ブランデー、ジンは水さえ飲まなければ問題なさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月28日 07:12 | 固定ページリンク




来客  | 一考    

 なだ万の弁当に鱧と冬瓜の煮付けを持って川津さんが来られた。冬瓜は確かカリウムの含有量が多く、慢性腎不全には不向きかと思ったが、これが実に美味い。冬瓜はかつて店のお通しにもよく使った、店では鱧の替わりに海老を用いたが。おそらく生涯で最後の冬瓜になると心して頂戴した。それにしても、なだ十かなだ百ならともかく、なだ万の弁当とは恐れ入った。川津さんに御礼申し上げる。
 「腎臓病食品交換表」と「腎不全がわかる本(出浦照國著)」の二著を川津さんがお持ち下さった。共に、食事療法の本だが、今のわたしには必要な著書である。とりわけ前書はよってたかって書かれた本だが、よく纏まっている。詩書の選択ではなく、かかる実用書の撰にあたって随分と迷われたのではないかと思う。併せて感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月26日 02:18 | 固定ページリンク




弁当  | 一考    

 誠に申し訳ないのですが、26日、日曜日の御見舞いはご遠慮いただきたい。日曜日は車の都合がつくので、銀行、振込、買い物等々処理しなければならない用事が山積みです。従って、在宅時間がわたしにも分からないのです。
 今月末まではわたしはひとりです。動かれないので、弁当ひとつ買いに行かれない。今日、明日はその幕の内弁当が手に入りそうで、嬉しく思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月25日 07:55 | 固定ページリンク




ですぺら  | 一考    

 この一年余、尿酸値や尿蛋白、あるいはカルシウム不足で痛風に泣かされてきた。食生活や酒が災いして腎臓に無理が掛かっていると勝手に判断してきた。ところが、既に腎臓が壊れてい、それが理由で尿酸値や尿蛋白、揚句はクレアチニンと尿素窒素が危険な値にまで上がってしまった。腎臓結石が引き金になったに違いないのだが、今回の症状は素人判断の限界を示唆している。わずか一週間の入院だったが、その間にも数値はどんどん高まってゆく。腎臓が出し続けたサインを見落とした、もしくは見誤ったというところか。
 済んだことは諦めるしかなく、末期はおろか、後期高齢者の仲間入りもできなくなった。横須賀功光さんではないが、わたし自身が残日指折り数えるはめに陥ってしまった。
 「かかる内向的なニヒリズムこそが人を失意のどん底へと誘う」と書いたのは本音である。本音であるが故に迂闊には書かれない、誤解を生むからである。相手がおっきーさんであればこそ可能な物言いだった。
 この一週間、思いは揺れ動いた。千々に乱れたと書いた方が思いに添う。そして、さらにデスペレート(捨て鉢)になったに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月24日 11:31 | 固定ページリンク




病院食  | 一考    

 一汁二菜が基本である。飯は140グラム、みそ汁は80cc、菜は卵焼きのあんかけ、量は玉子半個分、それに小鉢に菠薐草のお浸しを少々。松屋の牛飯やカレーの半分の量と思えば間違いない。家で飯を炊くと150グラムずつラップで巻いて冷蔵庫へ入れる。ただ、副食が玉子半個ということはない。一度だけパン食だったが、6枚切り食パンを2枚と玉葱のスープを100cc、それに5グラムのマーマレードと牛乳のみ、学校給食ですらマーガリンが付いたのにと思う。これが一食660円、一日あたり1980円である。要するに病院食は思った以上に高価な粗食である。コンビニの弁当と違い、日替わりなので、それなりに原価は掛かる。それにしても、企業努力が入り込む余地はそこら中にある。わたしが給食屋なら半額で成り立つ、他は賂か。

 身体に生じるトラブルはひとつずつであって欲しい、と勝手なことを思う。二十二日の昼からなにも食していないので、先ほどインスタントカレーを食べた。温めるだけなので、健康であれば三分でできるのだが、三十分以上掛かる。食する時間を加えると、小一時間費やしたことになる。カレーが腎臓に良いか悪いかといえば悪いに決まっている。しかし食欲がなく、口が悪い(味覚がないの意)。明日、見舞い客が訪れるという。幕の内弁当でも買ってきていただけると有り難いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月24日 10:16 | 固定ページリンク




LAN接続  | 一考    

 久しぶりに掲示板に接続。纏めて書きなおせばよいのだが、それも面倒である。従って書いた順に掲載した。
 退院は、まなさんとひろゆきさんに手伝っていただいた。まなさんには山崎診療所から松葉杖を運んでいただいた。それがないと退院すら覚束なかった。ここに特筆大書して感謝する。
 それにしても松葉杖の使い方は下手である。リハビリの医師から120パーセントひっくり返ると云われた。あまりの下手さかげんに医師がわたしの身体をチェック、過去遭遇した事故や骨折の跡をことごとく言い当ててゆく。特に左肩には筋力がなにもなく、これでは体重を支えられないとの由。松葉杖が使えなければ退院させられないというのを無理矢理説得した。人類はもともと四つ足だった、と。
 昨夜は惚けたように眠り続けた。 おそらく、これを書いたあと、また眠るに違いない。身体がそれを欲したときは逆らわないのが一番である。
 「人生というのは始まったときから余生のようなもの、体中の器官はすべて常に未病から病に移行しつつある時限爆弾のようなもの」とはおっきーさんからのメールだが、さすがに巧く表現なさる。かかる内向的なニヒリズムこそが人を失意のどん底へと誘う。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月23日 12:50 | 固定ページリンク




退院  | 一考    

 慶應義塾大学病院で頂戴した痛み止めロキソリンと胃薬ムコスタ各一錠、それにワンアルファ半錠、ザイロリック一錠、クレストール一錠、ウラリット四錠、以上が当分のあいだ飲み続ける薬である。平成元年に怪しげな薬は断ったので、久しぶりの薬漬けである。
 退院時の請求書を見ておどろいた。十六日からだからわずかに六日、それで店一箇月分の売上金額だった。手持ち資金では足りない、御見舞いとして頂戴した金数がなければ退院することすら叶わなかった。各位に満腔の謝意を表したく思う。
 事前に値段が分からないのは問題である。それが嫌で、ですぺらは寡多録を拵えている。病院も入院、診断、投薬、食事等々のメニューを明示すべきである。慌てて、栄養指導やリハビリの予約を取り消した。骨折に関してはギブスさえ装着してもらえば後始末は自分でつけられる。
 腎臓の機能障害を捨て置くとどうなるのか山崎医師に尋ねた。不整脈でポックリ死ぬそうな。それもまた、すこぶる個性的な死にざまではないか。余談だが、死にざまに倣って生きざまとの言葉が(ライフスタイル)の意で用いられる。しかも自嘲や否定でなく、近頃は肯定的な意味合いに遣う。わたしの辞書にはない言葉である。(22日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:52 | 固定ページリンク




最終日  | 一考    

 今日はレントゲンと再度の静脈からの血液検査、昨日は動脈からの血液検査で、これは血中の酸素濃度を調べた。腎臓の専門医石川さんの診察日が火曜日、従ってわたしの通院日も毎週火曜日になる。バイクには乗られないので、スクーターの手配をしなければならない。
 今日から自炊がはじまる。炊飯器やまな板、カセットガスの類いを台所の床一面に拡げておくように伝えた。腹這いになって調理するしかないからである。このカセットガスに関しては自殺を案じた方がいたが、いまはまだそのような時期ではない。いずれそうなるかもしれないが、その時はその旨を掲示板で書く。いずれにせよ、今月一杯は徘徊老人ならぬ寝たきり老人になる。
 痛みがひどいので、立ち上がらなければならないのはトイレだけにしたい。あとわたしにどうにもならないのは食料品の買い出しである。冷凍庫に一週間分の食料は入っている、必要な生野菜だけでもちょいと追加できれば嬉しいのだが。
 八月四日以降の通院は自分で処理できる、問題は七月二十八日である。これには運転手が必要である。どなたか協力してくださる方はおられないものか。(22日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:46 | 固定ページリンク




人工透析  | 一考    

 CTスキャンが終わり、専門医と話し合った。腎機能は結石に関係なく加速度的に悪くなって行く。恢復の見込みはまったくなく、明日はじまるかも知れぬ透析を延ばしても三箇月先、半年先には必ずやって来る。これからは今までにもまして貧血と不整脈に頻繁に襲われるようになる。そのあいだに足の方を癒さなければ。
 少しでも生きながらえるには薬物療法と食事療法しかなく、栄養士の講義を受けるのは必須と云われた。調理師が栄養士の講義を受けるとは、果敢無いはなしである。今思うに、関節痛は腎機能の低下が理由、腎臓からのビタミンDの補給がないのでカルシウムが摂取されず、この一年で骨が極端に弱くなっているそうな。山崎医師の口添えもあって二十二日夕刻の退院許可が出た。骨折の方は月末にギブスの装着が決まった。

 知らない街や自然を見聞きし、バイクで駈けめぐり、北海道の見知らぬ大地の匂いに噎せた日々を想い起こす。小水の魚となったいまも、雨とともに、風とともにあった幾多の野営場が頭のなかをよぎる。わたしはなんという贅沢を味わってきたのだろうかと。深夜の病院のラウンジで幹郎さんの真似をしてデミタス珈琲をゆっくり啜る。ささやかな自由、そしてささやかな苦味が激痛のように口のなかを刺す。なぜか涙が濫れだしてとまらない。(22日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:44 | 固定ページリンク




松葉杖  | 一考    

 CTスキャンはまだだが、腹部エコーの結果がでた。それによると右側の腎臓に結石が六つか七つほど一面に散らばっている。左の腎臓はほとんど機能していない。素人判断だが、体外衝撃波の手術にわたしは麻酔はおろか痛み止めもいらない。だとすれば右側の石割がうまくいけば、たとえ少しにせよ、機能が取り戻せるかもしれない。小便が出にくいにせよ、いくらかでも出ているということはまだわたしの腎臓も捨てたものではない。
 新しい専門医は腹膜透析が可能ではないかと云ってくださる。それだと家での透析が可能になる。ことここに至っても、ひとは楽観的にものごとを捉える。さして執着しているわけではないのだが。

 別の日付、異なる場所でのはなしだが、少年が車椅子をウイリーさせて疾走する。少女が松葉杖を器用に使って駈け回る。わたしはデルヴォーの画に出てくる目を剥いた老人のようである。もしくは若いころに愛読したシュオッブを想起する。(21日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:42 | 固定ページリンク




車椅子  | 一考    

 移動には車椅子を用いる、唯一の足である。溲瓶も用意されているが、わたしは這ってでも自分のことは自分で処理したい。今回かかわった三軒の病院の車椅子はことごとくが不調である。チューブの虫ゴムが期限切れなのである。従って、空気を入れても一日で洩れてしまう(四谷シモンさんの唄を思い出す)。空気圧の足らない車椅子(車椅子に限らないが)は乗りにくい。キーキー音が出て、うまく回転できない。また走行に余分な労力が必要になる。ハブにはゴロが出ている(要するにグリスが古くなっている)、しかもいずこの車椅子もホイールは24穴の四本組なのである。障害者が用いるものこそ、日頃のメンテナンスとより強度を増すための技術が必要でないだろうか。おそらく、新品で購入して不具合が生じれば買い換える、修理は端から念頭に置かれていないのであろう。こんなところにも街の自転車屋が活躍する場所はあるのだが。
 足が治れば、山崎診療所の車椅子はわたしがしっかり修復する。(21日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:41 | 固定ページリンク




御見舞いに感謝  | 一考    

 十九、二十日と多くの方の御見舞いを受けた。芳賀さん、弘子さん、ナオコさんが連れ立っていらした。彼等に云わせると、障害一級だと優先的に都営住宅へ入居できるらしい。この障害一級は前日にひできさん、大浦さんから聞き及んだことなのだが、医師、看護篩からも重ねて聞かされた。他にも医療費、NHKの受信料、タクシー券、高速道路の無料券等々、嬉しいような、情けないような複雑な心持ちである。
 大室・まなさんご夫婦、あまねさん、りきさん、多大なご迷惑をお掛けしたひろさんに感謝。そして看護師のみなさんにも、冷すために右足を氷漬けにしているのだが、この両日は話すに忙しくて氷は虚空を冷すのみ。
 十九日と二十日はここ浦和でも夏祭り、花櫚、冬青、木犀の木立のそよぎの向こうを神輿が通り過ぎる。南の空に虹が浮かぶ。なにかがはじまってなにかが終わる、わたしの場合はこれからすべてが順次終わってゆく。(20日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:34 | 固定ページリンク




待ち遠しきはギブス  | 一考    

 靭帯剥離骨折は事故から二、三週間で腫れがひくそうな。従って、八月五日頃にギブスを嵌めるらしい。それまでは慶應義塾大学病院で施された応急処置で持ちこたえるしかない。ギブスをしてしまえば何とか動けるようになる。松葉杖を振り回しながらでも営業を再開したいと思っている。
 二十一日のCTスキャンを撮ってしまえばあとは絶対安静が八月五日頃まで続く。病院にいても仕方がないので退院したいと、これは当方の希望であって医師と話し合ってみないとなんとも云えない。
 おっきーさんが臨時休業の素敵な看板をつくってくださったようである、忝なく思う。(20日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:17 | 固定ページリンク




腎不全  | 一考    

 山崎医師が頻繁に訪ねてくださる。血液検査でクレアチニンが7.21、尿素窒素が79.9、クレアチニンの値は昨年が2.9なので、どうしてここまで悪くなったのか理由がわからない。麻酔と抗生物質が使えないので、骨折の手術は見送り。癒すのに正味三箇月(ということは二箇月)かかるそうである。食事も減塩食に切り換えられた。整形外科での入院なるも、内科が優先されることになってしまった。火曜日に腎臓のCTスキャンを撮るが、いずれにせよ来週からは人口透析がはじまる。考えてみれば、尿管バイパスの手術をしたまま十年前に上京、明石の後処理をお願いしたのが松友さんの紹介になる山崎医師である。彼はわたしの死生観を熟知している、それかあらぬか、他人のためにもう少し生き延びてみませんかとの忠告。わたしごときをあと七、八年生かすために山崎さんに辛労をお掛けする。

 人口透析が本格的に行われるようになったのは50年代以降だが、心臓移植がはじめて行われた68年、この度、解散直前の国会で臓器移植法改正A案が可決、成立した。臓器移植が法的に問題になることがわたしには理解できない。移植する側とされる側では問題の立て方がまるで異なる。移植する側には脳死を人の死として認めるかどうかが問われ、移植される側は脳死を人の死とすることが当然となる。どちらの側に立つかで意見は分かれる。ことは深刻でいくら議論したところで結論は出てこない。いわんや倫理、道徳、歴史観にかかわる問題は国会での議論には不向きである。
 「開明性」に闌けたひとは臓器移植におおむね肯定的である。移植のもっとも一般的なものは輸血だが、骨髄や肝臓の一部のように再生されるものもあれば、腎臓や角膜などのように心臓死移植によるものもある。ドナーカードを携帯している方は店のお客さんにもいる。ただ、それが自分の子供のことになるとはなしは複雑である。爪や髪の毛が伸び、心臓が動いている子を死者とは認めがたい。自分のことなら構わないが子供のことだけは、との親のエゴが出てくる。
 医学の発達によって脳幹機能が停止しても生命維持装置とくに人工呼吸器の発達により呼吸が継続され、結果として心臓機能も維持される。戦前なら自発呼吸の消失がそのまま死を意味していたが、そこへ脳死という概念が新たに生れたのである。おそらく、今後のさらなる医療技術の発達は脳死概念をすら変えてゆくものと思われる。従ってエゴのひとことで片付けられる問題ではあるまい。
 だからこそ、移植にあっては臓器を提供する側の承諾がなにより必要となる。今般問われているのは幼児の心臓移植である。大きさの関係で幼児の心臓移植のドナーは幼児に限られる。この難儀に突破口を設けようというのが今回の臓器移植法改正A案である。だがこの場合、問題になるのは前述の承諾であって、そうでなければ移植する側とされる側との類似、反映、置換の関係が成りたたなくなる。そして、それら個別に勘案されるべき問題が法律で一律に規制されるのはなにがあっても反対である。かつて札幌医科大学の心臓移植が社会的に問題となったように、このような場への国家権力の介在はろくな結果をもたらさない。橋本元首相は一時は「行政の責任者は判断すべきでない」と云っていたのだが。
 解決にもなににもならないが、わたしならどうするだろうかと考える。わたしの子供が心臓移植を必要とした場合、冷たいようだが諦めさせる。病すらが人類が内包するひとつの個性ではあるまいか。前項で触れたように、人類の進化の過程では実にさまざまな個性が誕生する。スピノザの必然的存在性は認めないが、わたしは一種の運命論者である。(18日)


投稿者: 一考      日時: 2009年07月22日 21:15 | 固定ページリンク




入院のご報告  | ちはら    

こんにちは。店主の一考さんから告知しておくよう承ったので、
失礼します。

一考さんは本日、主治医の山崎先生と相談され、川久保病院へ入院されました。
浦和駅から徒歩五分、病室は218号室の大部屋で退院予定はまだ経っていません。
面会時間は平日が14時から20時、土曜日は11時から20時(だったような)です。

この程度の怪我は入院するほどのことではないと、一考さんは頑なに
仰っていましたが、山崎先生が腎機能の低下を心配されたのと、
「家にいてもこの人はきっと安静に過ごしたりしない!」と断言され、
説得を重ねて、入院することに決まりました。

先の日記にありますように、命に別状はありませんが全治3ヶ月ほどと
いう診断は変わらず、手術するかどうかは足の腫れが引いた頃合に、
入院先の先生が判断されるとのことでした。放っておくとすぐに出てきそうな
勢いなので、今後また変化がありましたら、ご報告申し上げます。


投稿者: ちはら      日時: 2009年07月16日 16:46 | 固定ページリンク




Oの物語  | 一考    

 皆さんにご迷惑をお掛けした。連絡を頂戴した櫻井、ヒロ、ヒデキ、愛子さん各位に感謝申し上げる。顛倒現場に行き会わせた後続車両の運転手、現場に駆けつけてくださった滝沢弘幸さんとその友人に深謝。弘幸さんはバイクを赤坂の駐輪場まで搬送、まったく動かれない私を弘幸さんの友人は病院まで付き添い、車椅子の手配其他諸々繁雑な手続きをしてくださった。
 骨折は十七年ぶり、以前は両手の拳の骨折だったが、今回は足首、それも剥離骨折なので痛みの種類が異なる。二箇月間は松葉杖との格闘が続きそうだが、二、三日は痛みで松葉杖どころではない。
 痛みのみならず、高熱を伴うので本を読むような状況にはないが、慶應義塾大学病院からの帰り、高遠弘美さんと学研のみなさんが本を持って御見舞いに来店。Oの物語にちなんで、O見舞いのためにだそうで、これには思わず苦笑い。
 先に紹介した鈴木創士さんのジャン・ジュネと共に高遠弘美さんの「Oの物語」の完訳が上梓されたのは嬉しい。澁澤訳と比して百七、八十枚が増補されたと聞く。このような文学史の書き換えに直接結びつく訳書が陸続と出版されるのはなににもまして喜ばしい。熱さえ引けばゆっくり読ませていただく。

 完訳Oの物語 ポーリーヌ・レアージュ 高遠弘美訳 学習研究社 定価2000円


投稿者: 一考      日時: 2009年07月16日 04:38 | 固定ページリンク




バイク事故  | 一考    

 十五日夕六時前、外堀通りの四ッ谷駅手前で顛倒。右足首靭帯剥離に伴う骨折ということで、慶應義塾大学病院へ放り込まれました。今は拙宅で死んだ振りをしておりますが、暫くですぺらは休業です。全治三箇月だそうですが、明日にでも主治医と話し合って、治療方法とですぺらの休業期間を決めるつもりです。詳細は改めて。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月16日 02:28 | 固定ページリンク




私書函  | 一考    

 早速、サントリーの方が飲みにいらした。曰く、どうなるかまだ分からないとのこと。サントリーの社員自体が日経新聞朝刊で事情を知ったらしく、当日の夕刊各紙を買いに回ったそうである。どうしてここはいつも情報が早いのかなあ、と仰言っていたが、そちらは秘密である。わたしにしてからが、朝刊の配送を確認してから書き込むようにしている。それは作家の死亡記事や受賞記事を先走って書いて叱られた経験があるからである。

 ところで、このところの書き込みがあまりに切ないものばかりだと注意を受けた。当掲示板は往々にして個人宛に書かれる。従って、書き手の気分の反映とは限らない。何故だか昔からメールによる遣り取りが多く、その一部を掲示板に掲載するとの方式がしばしば採られる。わたしは公私混同滅私奉公だが、それは当方の勝手であって、ひとにそれを強いる気はまったくない。よって、公人でない限り個人攻撃は慎むが、それ以外はどのようなことでも書くように努めている。掲示板であると同時に私書函でもある、そのような掲示板がひとつぐらい在ってもよかろうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月14日 22:45 | 固定ページリンク




キリンとサントリーの経営統合  | 一考    

 土曜日に聞いていたが、本日の日経新聞でキリンとサントリーの経営統合が発表されるようである。両グループは07年10月、資材調達の協力で合意し、段ボール原資の共同調達や缶蓋の規格共有化を実施していた。また、サントリーはキリンビールの支援を受け、204径缶をビールや発泡酒、第三のビールなどの新ジャンル商品に採用。これは国内で普及している206径缶に比べ缶ぶたの口径を2.45mm小さくしたもので、缶ぶたのアルミニウム使用量が約13パーセント少なくなる。
 今回の統合によって世界最大規模のメーカーが誕生する。それよりも、ディアジオ社と関係が深いキリンと一緒になることによって、サントリーは念願のディアジオ社と強力な関わりを持つことになる。モルト・ウィスキーのファンとして嬉しいはなしである。

追記。
 「経営統合が発表されるようである」と書いたが、国内食品トップのキリンホールディングスと同二位のサントリーホールディングスが経営統合に向けた交渉を進めているのが真相らしい。小耳に挿んだのとは少々異なる。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月13日 05:59 | 固定ページリンク




ケーブルTV  | 一考    

 ケーブルネット埼玉が社名変更に伴ってサービス内容にも異同が生じる。現在は37チャンネルが入っているが、そこから7チャンネルが減ることになった。減るのはかまわないが、その内にヒストリーチャンネルが入っているのに困惑している。もっとも繁く観ているのがヒストリーチャンネルなのである。新メニューは10月から、さてどうしようか。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月10日 02:24 | 固定ページリンク




とりとめもなく  | 一考    

 ワインが必要なので、近所の酒屋まで歩いていった。例によって跛を引きながらゆっくり歩く。何度もぶつかりそうになりながら無事に用は済ませたが、妙なことに気付いた。回りへの気配りに欠けるのは女性ばかりである。男性は数メートル先からわたしを避けてくださる。ところが女性には避けようとの意志がほとんど見受けられない。若い人ほどそちらが避けて当たり前との風情である。個人差があるので一般論としては成り立たないが、どう考えても女性に分が悪いようである。
 そのようなことを云っていると持てないよ、との声が聞こえてきそうだが、女狂四郎や女龍之介は無用。この手の非情にわたしは興味を抱かない。親しくなれば女人は複雑、時として奇々怪々なまでの情愛を発揮するが、見知らぬ人に対しては突慳貪な応対に終始する。そうした差別意識がなければ異性愛は成立しないのかもしれない。逆に申せば差別意識が失せたとき、それが別れるときなのかもしれない。
 先頃、知己が連れ添いと別れた。以下は憶測である。理由はいろいろあるだろう、暗くしないと眠られない、テレビの音がうるさい、鼾がうるさい、寝相がわるい等々。しかし、別々に寝るようになればふたりのあいだは終わったも同然である。何かが終わったわけだが、それは次の段階に至ったまでのはなしであって、すべてが終わったわけではない。関係自らが新たなディメンションを求めはじめたということなのであろう。
 関係というものは刻々変化してゆく。その変化に個別に対応してゆくのは大事(おおごと)である。例えば同衾にしてからが、朝立ちを利用しなければできるものではない。発奮しようとして可能なのは若いあいだだけである。もっとも、朝立ちが朝とは限らない。生活のテンポがひとひと異なるからである。違う生活を互いが持っているとき、その契機が改善されることは永遠にない。だからこそのディメンションである。恋愛に現場があるとして、その現場を再構築してゆくのだからなおさら大仕事になる。
 人はそうした繰り返しのなかから自らに相応しい次元解析を学習してゆく。別に物理法則について述べたいのではない。学習とは申せ、結果は逃げられたか、逃げ出したかの違いだけで、大して差違があるわけではない。問題は互いが逃げ出さなかった場合にどうするかである。ここではなしは頭に戻る。

 「この世に帰るということの厭わしき」と云ったのが誰だったか忘れたが、ひとは歳と共に風であり、通行人であることを忘れてゆく。詰らない人生と知りつつ、しがみつくようになる。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月09日 21:27 | 固定ページリンク




政局  | 一考    

 首相が帰ってくる。都議選は自民党の敗北に終わる。麻生降ろしの大合唱のなかで彼は全閣僚を罷免、ひとり内閣で解散に挑んで小泉越えを果したと溜飲を下げる。
 そのまんま東でなく、志位和夫を総理、副総理に福島瑞穂を迎えれば今の自民党でも闘えるのではないだろうか。その場合の幹事長は石原伸晃か。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月09日 21:22 | 固定ページリンク




丸富水産  | 一考    

 赤坂に丸富水産が居酒屋を開店、魚介類専門店である。見附の駅から田町通り、みすじ通り、一ツ木通りの順だが、その田町通りが赤坂通と交錯する手前にある。安い店なので、ですぺらへ来られる前の腹拵えに打ってつけと思う。玄関には丸富市場もしくは丸富食道と書かれている。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月08日 23:07 | 固定ページリンク




どうにも止まらない  | 一考    

 関節痛が三週目に入っていよいよ激痛になってきた。風呂でマッサージをしたのが悪かったようである。バイクの駐輪場から店までは歩いて二分足らずなのだが、これが十分掛けても歩かれない。向こうから歩いてくる女性とこのままだとぶつかるので停止したが激突、思いっきり毒づかれた。ぶつけられたのはわたし、尻餅をついたのもわたし、携帯電話を掛けながら歩くのにも道路交通法の適用を求めたくなった。
 痛み止めは通常の二倍服用している、でこのありさま。十二分に老いは意識しているが、この苛立ちはどうにもならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月08日 22:54 | 固定ページリンク




つけ麺  | 一考    

 イオンから278円の弁当が頒され、それなりの騒ぎになっているようだが、わたしが買う弁当はさらに安い。拙宅の近所に安売り店があって、焼きそばが100円、天丼、親子丼、フライ付きカレーライスが200円である。天丼は海老が二本と野菜もしくは烏賊が三枚と野菜が入っている。もっとも、焼きそばに入っているのは一切れの肉とキャベツのみ、原価は三十円ほどである。わたしが作るときはさまざまな具材を用いるのでこの値段ではできない。
 松友さんの薦めもあって松屋のフレッシュ・トマトカレー290円を食べてきた。松友さんに云わせるとかつてメニューにあったチキンカレーを想起させるそうである。わたしはチキンカレーを知らないので比較しようがないが、エスニックな味付けで結構なものだった。それでなくとも、カレーの風味はトマトの使い方ひとつで決まる。
 カレーなので水が必要になる。目の前のポットが空だったので、他のポットに手を伸ばしたがそちらも空。さらなるポットで用を済ませたが、どうやら水の補給はマニュアルに記載されていないようである。
 乾麺をよく頂戴する。従って合挽とショウガを炒めたカレー風味のつけうどんを頻繁に作る。早いはなしが和風キーマカレーである。刻みミョウガを薬味に用いる。
 先日moonさんからのメールに食事はほとんど外食ばかりで過ごしているとあった。それでつい思い出したのだが、こんなことばかり書いているとなにかしら惨めになってくる。やはり食事はどんなに簡便なものであっても自炊に限る。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月06日 13:44 | 固定ページリンク




まじない  | 一考    

 ここ二週間関節痛に泣かされている。冬場にバイクに乗るときに利用しているサポーターを膝に巻いているが一向によくならない。蟹股と書くとわかるとおり、わたしの大腿骨はひどく外側に捻じれている。不良が自分を強く見せるためにわざと足を拡げて歩く、その癖がもたらす痛みではないかと思っている。
 小学生の折、六甲山へハイキングに行った、ひょっとしたら、摩耶山か再度山だったかもしれない。後方を歩く女子たちがくすくす嗤っている。振り返るとわたしの足の間から向こうの景色が見えるという。風通しがいいんだよ、と云った記憶があるが、後から作られた記憶なのかもしれない。ただ小さいときからわたしは間違いなくがに股だった。十四歳で観た「太陽がいっぱい」に出てくる貧乏な若者トムがやはりがに股で、爾来アラン・ドロンのファンになった。
 さるひとに云わせると運動不足だそうだが、そう単純なものではあるまい。変形性関節症は中高年者のみならず、若いころ激しいスポーツを続けていた人も罹るようである。とりあえず、バイクに跨がるたびに「痛いの いたいの 跳んでいけ」と呪いをとなえている。「針聞書」にいうコセウに魅入られたようである。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月06日 05:05 | 固定ページリンク




忘れ物  | 一考    

 不動産会社の佐々木さん、お土産をお忘れです。必要と思い、冷蔵庫に入れていますので、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月05日 17:20 | 固定ページリンク




性の多様性  | 一考    

 同性愛を例外事項として捉えること自体が差別ではないかとのメールを頂戴した。差別と受け取られたのであれば、差別かもしれない。不快感を与えたのであれば、深くお詫び申し上げる。なにぶんわたしは古い人間なので、LGBTなる言葉を知っていても馴染みがないので遣う気になれないでいる。
 今後、遺伝子の研究が進めば、同性愛に関してなにかしらの取っ掛かりが生じるかもしれない。しかし、わたしが興味があるのは遺伝子でなく、個体としての生物である。言い換えれば、個としてのジャン・ジュネであって、けっして同性愛にあるのではない。
 よく持ち出される文言に、同性愛者でなければジャン・ジュネについて語る資格などない、というのがある。わたしに云わせればそれこそが差別ではないかと思う。いずれにせよ、わたしは同性愛が精神障害であり病いだと思ったことは一度もない。だからこそ性の可視性(visibility)が問題になるのであって、大書したいのは性の多様性なのである。
 ちなみに、わたし自身も学歴経験賞罰から推して例外事項的存在でないかと思っている。幼少期は筆舌に尽くしがたい差別の渦中を生きてきた。だからといって人を差別する気にはなれないでいる。性の問題に限らず、例えばダウン症も人類が内包するひとつの個性であって、人類の進化の過程ではすべての個性が等価であらねばならないと願い、そして信じている。

 以上は書くべきかどうか随分と迷った。ことほど左様に深い問題が一通のメールによって突きつけられた。かかる短い文章が結論になるとは思われないが、取り敢えず認める。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月04日 20:47 | 固定ページリンク




西明石  | 一考    

 二号線を走っていて新幹線西明石のガード下で他のバイクに追突した。先方は大した損傷もなかったが、当方のバイクは動かなくなった。降りてきたひとが「大丈夫ですか」といいながら当方のバイクの修理を試みる。「アクセル・ワイヤーが切れてるし、他にも・・・まかせてください」といいながら懇意のバイク屋を呼びつける。オカマしたのは当方、わたしが一方的に悪いのである。ほどなくトラックが到着、わたしのバイクを積み込んで、一緒に乗ってください。行き先は伊川谷のオートバイショップ。まったくの偶然だが、そのバイク屋の当時の店長もぶつけた相手のバイク乗りもですぺらを知っていた。店に集まってくる走り屋と同じ仲間だという。お近づきのしるしにと云って修理代を受け取らない。
 moonさんもご存じだが、西明石のときの走り屋仲間に中尾さんや小松さんがいる。中尾さんは介護の仕事を、小松さんはもっか職に溢れている。前述のバイク乗りは小野でFRPの専門工場を、バイク屋で働いていた尾鼻さんは独立したと聞く。明石で唯一旧車(カワサキ)のパーツをハンドメイドで造っていた稀少業者、当時の愛車CBXの面研をやっていただいた大久保の専門業者、BMWのヘッドのバルブシート面を修整していただいた内燃機関屋さん(ガスを有鉛から無鉛に切り換えるのに必要)、忘れてならないのはチェイサーを185馬力から260馬力にまで改造してくださった毎日自動車商会、さまざまな業態のひとがバイクや車を中心にしてですぺらへ集まった。
 昨夜、中尾さんから電話を頂戴した。多くは昨年の金融危機以来、酷い目に遭っていると聞いた。なんとか生き残っていただきたいと願っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月04日 19:31 | 固定ページリンク




中途半端  | 一考    

 2008年03月25日に「供花」と題するいささかセンチな文章を著した。文中に記載はないがmoonさん宛の文章である。それ以来だろうか、久しぶりにmoonさんからメールを頂戴した。彼のことだから必要があれば掲示板を用いる、メールとの手立てを取ったのはあくまで私信ということである。従って、内容には触れないままに返信を認める。
 ですぺら掲示板1.0をはじめた頃、少しでも賑やかにしようと彼は一所懸命に書き込みをしてくださった。彼とわたしの書き込みはほぼ猥談だったが、あれは肉体的に枯れた者通しでなければ成り立たない内容だった。わたしはすることはいたってノーマルなのだが、そのノーマルなことすらが妄想を抱かないと不可能なのである。従って、普段は妄想のなかを生きている、といっても決して過言でない。お付き合いくださる女性もそこのところを弁えてい、適当に合わせてくださる。もしそうでなければ、わたしの一物はなんの役にも立たないのである。
 その辺りの消息がmoonさんには分かっていらっしゃる。ふたりしてイマジネーションの世界を詼諧の道行と洒落てみたのである。わたしは文学などというものを関わりの要に置くような不調法は滅多にしない。おそらく山本六三とmoonさんの二人であろうか。言い換えれば、数少ない友ということになる。だからこそ、山本六三を著した文章はmoonさんに奉げられている。
 わたしに関する部分は引用しても構うまいと思う。「貴兄の様に義務やしがらみが無ければ随分と楽なのにね」とmoonさんは書かれる。この歳まで生きてきてしがらみがないというのはどうかと思う。わたしの場合は親のこと、子のこと、そして家庭とおぼしきものから逃げ出して知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいるだけのこと。その分、誰かがどこかで泣いている。もしくは泣かせているに違いない。
 moonさんが持っている律儀さがわたしにはまったく欠落している。奥村チヨの唄に「責任とって 責任とって あなたも男なら」というのがあるが、そのようなことを云われて真っ先に逃げ出すのがわたしである。六三さんが市役所横の公園で似たことを問われて一言、「箪笥を買ってあげる、中味は勝手にどうぞ」どうせ何を買っても質草になるだけのはなしである。この場合の箪笥は謂わば金の成る木であろうか。六三さんの半ば真剣、半ば不真面目な諧謔には叶わないと思い知らされました。
 わたしは一種の禁治産者で、都合の良いときだけ心神喪失になる生活破綻者です。徹底した卑怯者で、義務やしがらみから逃げ回っている弱虫なのです。ぼちぼち、ふたりして男であることを止めませんか。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月03日 20:34 | 固定ページリンク




しがらみ  | 一考    

 ニュースで、表参道交差点の七階建てファッションビルが空きビル同然になっているとあった。オーナーだった不動産ファンドが昨秋、経営難でビルを手放したようである。似た話はそこら中にあって、赤坂にもですぺらがある通りに開いたままの新築ビルがある。このビルはオーナーが破産、行方不明になったらしい。
 わたしはと云えば、連ちゃんで雨に打たれて雨具が乾く暇がない。一昨夜は大型トラックがはねる泥水を頭から被ってしまった。同じしょぼくれた話でも当方には打つ手がまだいくらでもある。moonさんから哀しいメールが入ったが、老後は長く苛しい。何かしらの策を講じなければならない。わたしにとっての策とはしがらみからの遁走でしかないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月02日 23:45 | 固定ページリンク




燃料電池自動車  | 一考    

 欧米の車メーカーにとってハイブリッド車は車でないようである。なぜなら日本の車メーカーごときに主導権は取られたくないからである。従って電気自動車、水素自動車と囂しいが、そのような車の開発が可能なのであろうか。二箇月ほど前、二次電池について書いたが、高性能なリチウムイオン電池で車を走らせるには最低でも百、二百本は必要らしい。一本二万円としても二年ごとに膨大な電池代が必要になる。
 細かくは書かないが、実用化にはおそらく半世紀近い年月が必要となるに違いない。馬力あたりの重量から推して、二輪の方が先行すると思うのだが、スーパーカブなどは既にリッターあたり百六十キロ走行する。従って、バイクにハイブリッドは必要あるまい。
 燃費を考えるならシステムよりもボディの軽量化に金を使う方が合理的でないだろうか。アルミ、マグネシウム、チタン、FRP、カーボン等々、旧GTRの百五十キロ軽量化に成功した友人がいる。ちなみに、わたしがいま乗っているマスタングは3.8リッターで重量は1.5トンを切る。安全性はともかく、軽量化では理想的な車である。別な意味で燃費はよろしくないが。

 IQに直列4気筒1.3リットルガソリンエンジンを搭載したモデルがある。最高出力は100ps、車重は1トンを切る。これなどは理想的な車だと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年07月01日 13:54 | 固定ページリンク




定額給付金申請に伴う書類の確認  | 一考    

 定額給付金の申請用紙が送り返されてきた。預金通帳のコピーが添えられていないとのことらしい。推測で書くのは「定額給付金申請に伴う書類の確認について」に書き込まれた手書きの文章が余りにも小さな字で眼鏡をしても判読できないからである。わたしは校正のときはできるだけ大きく書く。文選、植字工には職業柄目の悪い方が多い、また、旧漢字には違いが分かりにくいものが多い、それらを慮ってのことである。戸田の役所にはかかる気配りが見受けられないように思う。役所で直接話し合うぶんには戸田市も中野区も明石市もすこぶる謙虚であり、親切である。そうであれば、文章を添付するときには相手方の年齢を今一度確認すべきでないだろうか。
 先日taspoの申し込み証をもらってきたが、こちらは判読できる。自動二輪の任意保険は明石の毎日自動車商会でお願いした。入金手続きをどうするのかが分からなかったが、先の連れ添いが処理して下さっていた。ありがたく思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月30日 20:25 | 固定ページリンク




改造スクーター  | 一考    

 雨の合間をぬってタコメーターを修理、ワイヤーの交換だけだが近所のバイクハウスしろうま(戸田市笹目5丁目25-5)でお願いした。しろうまの店主にはBMWで何度も面倒をお掛けしている。信頼できるオートバイ屋である。
 タコメーターが動かなくなって、どれほど依存していたかが理解できた。ギアチェンジのタイミングを計るのに必須の計器である。速度計はわたしにとって二次的なものだと云うことがよく分かった。以前乗っていたチェイサーはターボ圧を高めていたので、タコメーターとブースト計が必要だったが、二輪、四輪を問わずオートマチック車にタコメーターは不要である。
 オートマチック車は女子供の乗るものと決めつけていたが、このところ二輪までがオートマチック全盛になってきた。いわゆるスクーターである。スクーターはバイクでない、というのがわたしのかねてからの持論で、あのような平和な乗り物には乗りたくないと思っている。
 四輪はすでにオートマチック一色、二輪がそうなるのは当然である。しかし、馬力のないスクーターのマフラーを触るのは止めていただきたい。走り屋が改造するのは構わないが、トルクが抜けてうるさいだけのスクーターは困りものである。左のサイドミラーを取り外すとか、両脚を突きだして走行するとか、自賠責に未加入とか、理不尽なスクーターは一発で免許を取り消すべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月30日 20:18 | 固定ページリンク




値下げ  | 一考    

 モルト・ウィスキーの値が上がり続けている。今までは二万円を超えるボトルは遠慮してきたが、そうも云っておられなくなくなってきた。ブローラ、ポートエレン、セント・マグデラン、コールバーン、コンヴァルモアのような80年代に失くなった蒸留所の酒はともかく、欧州で品薄になってきたアイラ・モルトの値上げが激しい。そこで高値のモルト・ウィスキーの値を下げることにした。来週中に寡多録を書き直すべく調整中である。どうかよろしく。

 追記。来週中には到底無理だと分かりました。出来るところから少しずつはじめることにします。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月27日 13:22 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(ポート・エレンを飲む)  | 一考    

01 ポート・エレン '80(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの19年もの、40度。
 80年は別して美味とされる。酒質が軽くドライなため食前酒に。
 接着剤と含嗽(がんそう)剤を綯い交ぜたエキセントリックな臭い。塩辛く鋭角なこく。舌を刺す刺激と極めてスパイシーなフィニッシュ。

02 ポート・エレン '82(シグナトリー)
 オーク樽の15年もの、43度。2樽、710本のリミテッド・エディション。
 現在はモルトスター(麦芽を専門につくる業者)であり、アイラのすべての蒸留所と隣のジュラにモルトを出荷している。兎にも角にも82、83年の生産量は多い。01年にはじまったポート・エレン・モルティング社のシリーズ8作目は29年もの、シリアルナンバー入り6618本のリリース。ちなみに、7回目は5274本。ディスティラリー・ボトルを購入するなら79年蒸留の6回目まで。

03 ポート・エレン '76(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本にして21年もの、46度。
 カリラとポート・エレンは共に、店主の嗜むところ。芋焼酎同様、一度嵌ると抜けられなくなる。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者である。

04 ポート・エレン '75(シグナトリー)
 ミレニアム・エディションの一本。オーク樽の24年もの、43度、402本のリミテッド・エディション。
 押し寄せる胡椒、ヨード、海藻、鞣し革の香り。アイラ党を熱狂させるオイリーなボディとピクリング・スパイスを噛みしだくような深く長いフィニッシュ。

05 ポート・エレン '81(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの18年もの、43度。他に、82年蒸留の17年ものも頒されている。
 ポート・エレンの香りを正露丸と示唆したのは土屋守さんだが、まさにデンタル・クリニック・モルトに相応しいのはカリラとポート・エレンの二つ。ピリピリと鼻毛がちじれるような刺激臭、饐(す)えたヨードの臭い、病膏肓に至ったアイラ党が必ずや立ち戻るモルト。

06 ポート・エレン '81(ダグラス・レイン)
 フィノ・シェリー・カスクの19年もの。50度のプリファード・ストレングス、474本のリミテッド・エディション。
 シグナトリー社の次はダグラス・レイン社。売り頃とみたのか、一挙に7種のポート・エレンが2000年に頒布された。兄弟会社のマクギボン社のボトルを加えると計9種にもなる。
 本品のカスクは再使用のため、ほとんどシェリー香は感じられない。

07 ポート・エレン '78(グレン・スコマ)
 オーク・カスクの22年もの、43度。限定388本。
 スモーキーでピーティーなファーストインパクトと強烈なパワーの後のフィニッシュに感じるほのかな甘さ、典型的なポート・エレンのテイスト。
 国内ではA&Mプライベート・リザーヴ、エイカーダイク、ゴードン&マクファイル、シグナトリー、ダグラス・レイン、ダグラス・マクギボン、ブルームスバリー、BBRあたりが酒屋によっては入手可能。むきになって買い集めるような状況ではない。

08 ポート・エレン '79(ゴードン&マクファイル)
 18年もの、61.1度のカスク・ストレングス。2樽の限定品。
 現行のディスティラリー・ボトルとそれに先行するレア・モルトはすべてオロロソ・シェリー・カスクによる熟成。旨いかと訊かれれば旨いとしかいいようがないが、もはやポート・エレン特有の潮味(ブリニー)はどこにもない。従って、店主に云わせると本品の右に出るポート・エレンはない。

09 ,ポート・エレン '76(シグナトリー)
 オーク・カスクの23年もの。55.6度のカスク・ストレングス。296本のリミテッド・エディション。
 ダンピー・ボトルのシリーズに次いで頒されたカスク・ストレングス・コレクションには82年蒸留の25年もの、58.7度、491本が入っている。なお、78年蒸留のポート・エレンが7種類シグナトリーから一挙に頒されている。その内のポート・ウッド・フィニッシュは傑作。

10 ,ポート・エレン '81(ザ・ボトラーズ)
 リフィール・シェリーの19年もの。60.4度のカスク・ストレングス。
 ザ・ボトラーズ社は1994年、エディンバラにて設立。同じエディンバラのジェームズ・マッカーサー社と共に、閉鎖された蒸留所の珍しいモルトを取り扱うことで識られる。コニャックを想わせる撫で肩の丸瓶とシンプルなラベルが特徴。同社の商品の大半はディスティラリー・コンディション。それ故、面白味には欠けるが、破綻のないのが取り柄。


98年から03年までの間に頒されたポート・エレンの主なもの。

※,ポート・エレン'79,'79/03,24年,57.3度, ,9000本,(DB),ポート・エレン・モルティング社第3弾、04年3月発売
※,ポート・エレン'79,'79/01,22年,56.2度, ,6000本,(DB),ポート・エレン・モルティング社第1弾
※,ポート・エレン'78,'78/02,24年,59.5/59.35/59.4度, ,12000本,(DB),ポート・エレン・モルティング社第2弾、03年3月発売
※,ポート・エレン'79,'79/01, , , , ,(UDV),レアモルト
※,ポート・エレン'78,'78,22年,60.5度, , ,(UDV),レアモルト
※,ポート・エレン'78,'78,20年,60.9度, , ,(UDV),レアモルト
※,ポート・エレン'82,'82/03,21年,50.0度,ダークシェリー, ,(A&Mプライベート・リザーヴ),第2弾
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,61.7度,ダーク・シェリー, ,(A&Mプライベート・リザーヴ)
※,ポート・エレン'82,'82,21年,61.2度,ダーク・シェリー,95本,(JWW),オールド・トレイン
※,ポート・エレン'82,'82, ,61.5度,シェリー, ,(エイカーダイク),DLの姉妹会社
※,ポート・エレン'78,'78/04,26年,50.7度, , ,(エイカーダイク),DLの姉妹会社
※,ポート・エレン'78,'78/04,26年,60.4度, , ,(エイカーダイク),DLの姉妹会社
※,ポート・エレン'82,'82,17年,カスク, , ,(ARN)
※,ポート・エレン'76,'76,21年,46度, , ,(W&M),BS
※,ポート・エレン'79,'79,16年,43度,オーク, ,(キングス)
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,40度, , ,(GM),CCニュー・ラベル
※,ポート・エレン'82,'82/01,19年,40度, , ,(GM),CCニュー・ラベル
※,ポート・エレン'82,'82/01,18年,40度, , ,(GM),CC
※,ポート・エレン'81,'81/00,19年,40度, , ,(GM),CC旧
※,ポート・エレン'80,'80,19年,40度, , ,(GM),CC
※,ポート・エレン'80,'80,17年,40度, , ,(GM),CC
※,ポート・エレン'80,'80,16年,40度, , ,(GM),CC
※,ポート・エレン'80,'80/01,20年,60.7度, , ,(GM)
※,ポート・エレン'80,'80, ,カスク, , ,(GM)
※,ポート・エレン'79,'79/00,21年,60.7度, , ,(GM)
※,ポート・エレン'79,'79,18年,61.1度, ,2樽,(GM)
※,ポート・エレン'80,'80,17年,40度, , ,(ザ・ウィスキー・ハウス),伊ショップがGMに依頼したオリジナル・ラベル
※,ポート・エレン'83,'83,13年, , , ,(シグ)
※,ポート・エレン'82,'82,15年,43度,オーク,2樽710本,(シグ)
※,ポート・エレン'80,'80,16年,59度, , ,(シグ)
※,ポート・エレン'79,'79,22年,43度, , ,(シグ),独向け、カスクNo.5148
※,ポート・エレン'79,'79,22年,43度, , ,(シグ),独向け、カスクNo.5536
※,ポート・エレン'79,'79,22年,43度,シェリー, ,(シグ)
※,ポート・エレン'78,'78/02,24年,59.0度,ポート・ウッド・フィニッシュ,792本,(シグ),デキャンタ、日本への入荷は60本
※,ポート・エレン'78,'78/02,24年,58.0度,ポート・ウッド・フィニッシュ,804本,(シグ),デキャンタ、日本への入荷は60本
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,54.3度, , ,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,56.0度, , ,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,56.3度, , ,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,56.7度, , ,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,57.6度, ,274本,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'76,'76,23年,55.6度, ,296本,(シグ),ダンピー
※,ポート・エレン'75,'75,24年,43度,オーク,402本,(シグ),ミレニアム
※,ポート・エレン'82,'82,20年,40度, , ,(シルバー・シール)
※,ポート・エレン'82,'82,20年,40度, , ,(シルバー・シール),マネージャーズ・ドラム、ブラック・ボトル
※,ポート・エレン'80,'80,21年,43度, , ,(シルバー・シール)
※,ポート・エレン'75,'75,25年,46度, , ,(シルバー・シール)
※,ポート・エレン'69,'69,31年,40度, , ,(シルバー・シール),オールド・ヴィンテージ
※,ポート・エレン'82,'82/03,20年,61.2度, , ,(SSMC),独の愛好家団体、スコッチ・シングル・モルト・サークル
※,ポート・エレン, , ,56.9度, , ,(スコッツ・コレクション)
※,ポート・エレン'78,'78,22年,43度,オーク,398本,(スコマ)
※,ポート・エレン'83,'83,19年,43度,シェリー, ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'82,'82,20年,46度, , ,(DM),プロヴァナンス、特にスパイシー
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,61.7度,シェリー, ,(DM),プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
※,ポート・エレン'82,'82/01,19年,61.3度,シェリー, ,(DM),プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
※,ポート・エレン'82,'82,19年,43度,シェリー, ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'82,'82,18年,43度,シェリー, ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'82,'82/00,17年,43度, , ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'81,'81/00,18年,43度,ダーク・シェリー, ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'78,'78,23年,62.2度, , ,(DM),プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
※,ポート・エレン'78,'78/02,23年,60.9度, , ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'76,'76,24年,55.1度, , ,(DM),プロヴァナンス
※,ポート・エレン'83,'83・07,24年,57.7度,リフィール・バット,472本,(DL),OMC、ファイナル・ヴィンテージ
※,ポート・エレン, ,20年,54.9度,シェリー,120本,(DL),トップノッチ・コレクション
※,ポート・エレン'82,'82,21年,50.0度,シェリー,198本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'82,'82,20年,50.0度,シェリー, ,(DL),OMC
※,ポート・エレン'82,'82/01,19年,50.0度,シェリー,570本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'82,'82,18年,50.0度,オロロソ・シェリー,780本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'81,'81,19年,50.0度,リフィール・フィノ・シェリー,474本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'81,'81,18年,50.0度,シェリー, ,(DL),OMC
※,ポート・エレン'79,'79,21年,50.0度,シェリー,120本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'79,'79,21年,50.0度,オーク,240本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'79,'79/00,21年,50.0度,オーク,318本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'78,'78,25年,50.0度, , ,(DL),OMC,
※,ポート・エレン'78,'78,24年,50.0度, , ,(DL),OMC
※,ポート・エレン'78,'78/01,23年,50.0度,シェリー・フィニッシュ,764本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'78,'78,22年,50.0度,オーク,354本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'78,'78/00,21年,50.0度,オーク,342本,(DL),OMC
※,ポート・エレン'76,'76,25年,50.0度,オーク, ,(DL),OMC
※,ポート・エレン'75,'75,25年,50.0度, , ,(DL),OMC
※,ポート・エレン'78,'78/01,22年,60.4度, , ,(HSC),スコティッシュ・カラーリスト。伊のボトラー
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,60.0度,オロロソ・シェリー, ,(ブルームスバリー),PS
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,61.7度,シェリー, ,(ブルームスバリー),PS
※,ポート・エレン'82,'82/01,19年,61.3度,シェリー, ,(ブルームスバリー),PS
※,ポート・エレン'82,'82/01,19年,61.7度,リフィール・シェリー, ,(ザ・ボトラーズ)
※,ポート・エレン'82,'82,19年,59.5度,リフィール・シェリー・バット, ,(ザ・ボトラーズ)
※,ポート・エレン'81,'81,19年,59.5度,リフィール・シェリー, ,(ザ・ボトラーズ)
※,ポート・エレン'81,'81,19年,59.4度,リフィール・シェリー, ,(ザ・ボトラーズ)
※,ポート・エレン'81,'81,19年,60.4度,リフィール・シェリー, ,(ザ・ボトラーズ)
※,ポート・エレン'82,'82,17年, , , ,(MMC)
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,61.7度,シェリー, ,(マッカーサー),ミルロイ選
※,ポート・エレン'82,'82,25年, , , ,(マクダフ),GC
※,ポート・エレン'83,'83, ,50.0度, , ,(ムーン・イン・ポート)
※,ポート・エレン'82,'82/02,20年,50.0度,バーボン, ,(ロンバード)
※,ポート・エレン'82,'82/01,20年,50.0度,バーボン, ,(ロンバード)
※,ポート・エレン'82,'82,19年,50.0度,バーボン, ,(ロンバード)
※,ポート・エレン'82,'82,18年,50.0度,バーボン, ,(ロンバード)
※,ポート・エレン'79,'79,22年,59.3度, , ,(ワールドハウス),瑞西向けシグのサイレント・スティル


投稿者: 一考      日時: 2009年06月26日 05:34 | 固定ページリンク




武力  | 一考    

 飛行機事故や地下鉄事故など、ニュースを見ていたちはらさんから日本人がいるいないが常に問題になるが諸外国はどうなのかと訊かれた。国家の最大の為事は国民個々の生命と財産の保護にある。そして大使館や領事館はそのためのアンテナを常に張り巡らしていなければならない。日本の国家がそのつとめを果たしているかどうかには疑問があるが。
 2004年4月に起きたイラク邦人人質事件の折、自己責任という言葉をキーワードとした批判が渦巻いたが、自己責任とは当事者が自らに言い聞かせるための文言であって、決して第三者が用いるようなことがあってはならない。いわんや政治家が用いるなど以てのほかである。
 拉致問題にしても、わが国は自衛隊という軍隊を持っている。武力を持つことの是非はともかく、自衛隊を有する限りは港湾封鎖ぐらいの実力行使はあってもよろしかろう。戦闘機にしてもF-86Fにはじまって、F-104J、F-4EJと巡り、現在は一機百二十億円のF-15を203機も保有している。これはアメリカに次ぐ大戦力である。次期主力戦闘機の有力候補機に上がっているF22は一機250億円という。おそらく小一時間で制空権は手に入る。戦闘に問題があるなら、せめて威圧に使われなければ一機百二十億円の金が無駄になる。意味のないスクランブルなどやめて、北朝鮮の上空から拉致被害者を帰せとのビラを散蒔くぐらいは試みるべきだと思う。
 闘いに慴れを抱くなら端から戦力を持つべきではないし、またそれに従事してはならない。武力は遊びではない、国民の生命と財産を守るためにこそ活用されなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月25日 21:43 | 固定ページリンク




ウルトラC  | 一考    

 タコメーターのワイヤーが鈴鹿のパーツ店に二本在庫があった。二、三日で送られてくる。このようなときにインターネットの有り難さを感じる。昔だったら大層な電話賃が掛かったに違いない。ものの世界でのオンライン化には助けられる。しかし、知の世界にあってはどうだろうか。
 「ネットは能動的なメディアなので、暇があって、問題意識がある人にしか波及しない。ユーザーは、時間を割いて検索したり、ブログを書いたりしない限り、“ネットの知”には参加できない・・・それでも既存の秩序を取り崩し、新しい動きを進めたいなら、ネットコミュニティー内の議論で終始するのではなく、エスタブリッシュメント層にも届くよう言葉を磨き、説明し、分かってもらう努力が必要」というようなことを「日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く」のなかで梅田さんが語っている。
 当然のことだが、わたしにはなんらの異議異論はない。ネット上での学術論文の層の厚味は米国と日本のそれとでは比較にならない。ただ、梅田さんのいうハイソに興味はないが、その逆の低人の方にはいたく興味がある。ハイソか低人かは個人の好みだが、その狭間にいる多くのひとたちには嫌悪を通り越して憎悪をすら抱いている。
 例えば、次期総理にしても鳩山兄弟の知的水準から推してそのまんま東であってもまったく問題は生じない。いっそたけし軍団全員でもって内閣総入れ替えにすればどうだろうか。大臣の陰口を叩けば、即軍団の殴り込みである。想像するだけでも愉しげな内閣になること間違いなし。ところが、そうはならないところに、前述の狭間にいる多くのひとたち、言い換えれば保守そのもの、常識にどっぷり浸った存在としてのマジョリティがいる。
 もっとも、自民党というのは社会党であれ、郵政であれ、政権維持のためにはどのようなウルトラCでも編み出す。次はいかなる妙技でもって国民を唸らせるのか、楽しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月25日 19:59 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

6月27日(土曜日)の19時半から新装開店後、十八度目のですぺらモルト会を催します。
会費は15000円。
今回はポート・エレンです。蒸留所の操業は1825年。1929年から1966年まで操業停止し、いったん再開されたが1983年5月から再び休止状態に、再開の見込みはまったくない。しかし製麦部門は拡張され、現在はモルトスター(麦芽だけを専門につくる業者)として、同じUD社系列のラガヴーリン、カリラをはじめアイラ島の他の蒸留所に麦芽を供給している。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(ポート・エレンを飲む)

01 ポート・エレン '80(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの19年もの、40度。
02 ポート・エレン '82(シグナトリー)
 オーク樽の15年もの、43度。2樽、710本のリミテッド・エディション。
03 ポート・エレン '76(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本にして21年もの、46度。
04 ポート・エレン '75(シグナトリー)
 ミレニアム・エディションの一本。オーク樽の24年もの、43度、402本のリミテッド・エディション。
05 ポート・エレン '81(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの18年もの、43度。
06 ポート・エレン '81(ダグラス・レイン)
 フィノ・シェリー・カスクの19年もの。50度のプリファード・ストレングス、474本のリミテッド・エディション。
07 ポート・エレン '78(グレン・スコマ)
 オーク・カスクの22年もの、43度。限定388本。
08 ポート・エレン '79(ゴードン&マクファイル)
 18年もの、61.1度のカスク・ストレングス。2樽の限定品。
09 ,ポート・エレン '76(シグナトリー)
 オーク・カスクの23年もの。55.6度のカスク・ストレングス。296本のリミテッド・エディション。
10 ,ポート・エレン '81(ザ・ボトラーズ)
 リフィール・シェリーの19年もの。60.4度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年06月25日 05:40 | 固定ページリンク




橋の上  | 一考    

 タコメーターが動かなくなった。エンジンを切っても回転が落ちない場合は除霊してからの修理になるので高く付くが、今回はゼロ回転から微動だにしない。間違いなく、ワイヤー切れである。十五年前のバイクのパーツだが、ホンダなので大丈夫と思う。
 この一年半乗り続けて、もっか二万三千キロ。エンジン音には馴れてしまったので、タコメーターは不要といえば不要なのだが、五速六千回転で時速六十八キロが巡航速度である。何時もタコメーターを基準に走っているので、ないとなるとそれなりに周章てる。
 先立つものがないのでスピード違反には気を遣う。それでなくとも帰路、毎夜のように橋の上で四輪、二輪が捕まっている。先日もBMWのR1200が覆面に逮捕されていた。とっ捕まる可能性のあるところでは決して飛ばさないのがわたしの運転の極意である。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月23日 23:09 | 固定ページリンク




月光仮面  | 一考    

 鳩山邦夫前総務相を思わせる正義の味方はどこにでもいる。西方ではラフサンジャニとムサビがハメネイ、アフマディネジャドと悶着を起こしている。マスコミは保守派、改革派と囂しいが、要は権力闘争でしかない。抑圧する側もされる側も正義の味方であることに違いはない。
 バシジに変わって革命防衛隊の登場になりそうだが、そうなれば夥しい数の犠牲者が出るやもしれず、「サッカーの試合の後の暴動のようなもので、大したことはない」と切り捨てられる大衆は堪ったものでない。躍らされる大衆に責任があるのか、シニカルになりきれないイスラムの文化そのものに責任があるのか、いずれにせよ、正義ほど恐ろしいものはない。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月23日 22:09 | 固定ページリンク




苛立ち  | 一考    

 定額給付金の申請用紙及び自動二輪の任意保険用紙の書き込みをやっと済ませた。9ポの大きさの文字ならともかく、両用紙共に文字が小さすぎてなにひとつ判読できない。以前は人に頼んでいたのだが、今回は自分で処理しろと拒否された。仕方のないことだが、どうしてあのような小さな文字を用いるのだろうか。同じように困惑している老人は多くいると思う。
 9ポと書いたが、その大きさでも読むにいままでの三、四倍の時間が掛かる。ルビに至ってはそこになにかしら文字らしきものがあるという程度にしか分からない。急速に書物から遠ざかっていると書いたが、視力の衰えはどうにもならない。悲しみと苛立ちが手に手を取って押し寄せてくるのが老いである。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月22日 02:51 | 固定ページリンク




ボトル・ドラフト  | 一考    

 日本で造られるビールはビアホールで飲む樽生ビールであれ、家庭で飲む瓶ビールであれ罐ビールであれ、中味は同じである。さらに申せば、生ビールもラガービールも同じものである。そもそも日本に生ビールはほとんど存在しない。酵母菌をミクロフィルターで除去し、熱処理していないとの理由だけで生と称している(最近出回っている無濾過・チルドタイプの生ビールを除く)。
 そこでメーカーは売るために涙ぐましい努力をする。同じビールになんらの差違を設けようとするのである。今回、サントリーはボトル・ドラフトという樽生ビールに近い味わいを実現する器材を開発した。営業マンのはなしによると、管が突き出てきてプシュっとガスをひとふき、それだけで泡立ちが異なるようである。仕掛けは面白そうだし、かかる玩具がわたしは大好きである。理屈は抜きにして、瞞されることにした。七月一日からザ・プレミアム・モルツを置く。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月20日 16:29 | 固定ページリンク




アードベッグについて  | 一考    

 スーパーノヴァ第二弾と書いたが、なにかしらおかしいと思い再度連絡を取ってみた。それによるとキャンセルによる返品があったらしく、三本と云われれば在庫はなかったそうな。
 限定品と謳ってはいるものの、蒸留所の親会社の営業方針ををわたしはまったく信用していない。ブランド化の進捗に伴い急速にアードベッグへの興味は薄れてゆく。その分、無理をしてでもボトラーズ・ボトルを買い集めている。値は記さないが、友が貴婦人の香りと名付けたシグナトリーの74年カスク・ストレングス、ゴードン&マクファイルの旧ボトル、グレン・モーレンジが買い取る前のディスティラリー・ボトルなどを見付ければ必ず仕入れている。もっとも、店ではさっぱり売れないが。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月19日 20:01 | 固定ページリンク




スーパーノヴァ第二弾  | 一考    

 全体の本数は分からないが、アードベッグのスーパーノヴァ第二弾が入った。さきほど電話があって、幾らでもご希望に添いますと云うので二本取り置いてもらった。当店にはそれ以上は必要ない。
 この前はあまりよく書かなかったのだが、飲んでみると結構美味いモルト・ウィスキーである。あまりに強烈なピート香にお代わりを飲みたいとは思わないが、ピートが効いているが故にアフターの甘味が活かされてくる。ただ、最後に飲むに問題はないが、スーパーノヴァの後に飲むウィスキーは見当が付かない。ショットバーとしては困惑させられるウィスキーである。

 ところで、東京も梅雨に入った。出掛けしなに雨だと四輪を利用する。何度も書いているが、駐車場の利用は午後六時半以降。従って開店がやや遅れる。申し訳ないが、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月16日 20:10 | 固定ページリンク




ホタルイカ  | 一考    

 この二週間、お通しに柳葉魚を使っていた。他に所用があって、序でに北海道鵡川町から送ってもらった。ごく少量のため売り切れたが、評判はよかった。天日干しで地元のひとはそのまま食する。機会があればまた取り扱う。
 その替わりになるかどうか分からないが、兵庫県香住産ホタルイカの干物を置いている。わたしは珍味と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月12日 20:49 | 固定ページリンク




量販店  | 一考    

 赤ワインに限らず、白ワインや日本酒にも熟成が必要なことは何度も書いてきた。前期プルミエ・ジュールほどではないにせよ、樽熟が十分になされたワインにスペインの北西、大西洋に面したリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスがある。98年以降は熟成期間が短くなったと聞くが、リースリングに似たアルバリーニョ種から産出されるだけあって、柑橘系の厚い酸味と凝縮した果実味のバランスが心地よい。年初に03年ものを飲んだが、味の基本はしっかり守られていた。ちなみに、同ワインの96年ものは、添加剤の入らないボトルが間違えて輸入されている。神戸の酒屋でそれとヴィッキオマッジオのリパ・デッレ・モンドーレ(こちらは赤ワイン)をですぺら赤坂のオープニング用に十ケースずつ購入、雀躍りしたものである。
 上述したワインの一部は以下のサイトでも紹介されている。信頼できる書き込みである。
 http://www.atelier-v.jp/column.html

 2006年08月21日に以上の記述がある。いまさら紹介に及んだのは先日著した酒屋とリパ・デッレ・モンドーレについて書きたいからである。リパ・デッレ・モンドーレはもともと池袋の和泉が扱っていた。そこへ某酒屋(インポーターでもある)が割り込んだのである。某酒屋は量販店で、大量だが、同商品はスポット扱いだった。要するに和泉より安いがその値で後は続かない。
 昔、ブレンデッド・ウィスキーには正規品と並行輸入品とがあった。並行輸入品は混載で送られてくるスポット商品で、宣伝費が掛からないぶん安くなる。モルト・ウィスキーもそうだが、ワインも多品種少量生産のものが多い、その商品をいかに育てて行くかは個々のインポーターの手腕に掛かっている。
 わたしが云いたいのは後々扱わないのであれば、量販店には手を出してもらいたくないと云うことである。リパ・デッレ・モンドーレは値崩れを起こし、和泉は取扱いをやめた。そして某酒屋の在庫がなくなったとき、リパ・デッレ・モンドーレは飲まれなくなってしまった。
 同じ量販店のビッグがウィリアム・フェーブルのラ・ミッション・シャルドネを扱っている。こちらは既に四年になるが、コンスタントに在庫している。こちらのインポーターは稲葉、去年、脱税で挙げられたインポーターである。
 それはさておき、ボディントンは毎年のごとく輸入元が変わる。そして値も一定しない。おそらく、最初に扱った重松貿易がもっとも安く、今はとんでもない高値で売られている。引用したオロサル地区のサンティアゴ・ルイスが最初日本へ入った時のヴィンテージ95年ものは1,880円だった。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月12日 20:40 | 固定ページリンク




VOICE SPACE 公演「声の幻」  | 一考    

 東京芸術大学の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ VOICE SPACE。2004年に成田英明、佐々木幹郎両氏を顧問に発足した VOICE SPACE は、詩をいかに朗読するか、音楽とどのようにコラボレートするかを実験するために設立された。
 作曲、声楽、クラシック楽器、邦楽器、アイリッシュ音楽のメンバーによって構成され、これまで日本および海外の詩人のさまざまな作品を対象にして、ジャンルを越えた幅広い音楽的アプローチをはかってきた。
 今回、初の単独公演となる本公演は、谷川俊太郎、佐々木幹郎両氏の作品の音楽的新解釈のほか、中国を代表する三人の詩人の作品とのコラボレーション、朗読劇「子守唄よ」の音楽による中原中也の詩の世界を紹介する。

6月26日(金曜日) 18時半開場 19時開演
新宿文化センター小ホール
全席自由 2500円

 かつて小室等さんなどと倉敷、山口、東京、北京などで活躍してきた VOICE SPACE のメンバーとは幹郎さんの山小屋でご一緒したことがある。いまでは半数がプロとして演奏なさっているが、グループの団結は強い。若い音楽家に懸ける幹郎さんの意気組が伝わってくる。行かれた方は改めて前衛というものの渦中に放り込まれるに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月11日 19:48 | 固定ページリンク




 | 一考    

 幹郎さんのJT土産とちはらさんの沖縄土産でこの二箇月、煙草を買わなくてすんだ。この間に喫んだのは四カートンと葉巻が少々、それとパイプ葉が一袋と刻みを半分。わたしにとってはこれでも劇的に減らしたのである。一日六十本から二十本へ、止めるつもりはないのだが、量はさらに減らそうと思っている。
 健康への留意などなにもない。自らの悪意でもってわが身が滅びるならまさに結構。わが身を引っくるめて人など早く死んでしまえと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月09日 19:27 | 固定ページリンク




ウィスキーあれこれ  | 一考    

 先日書いたダンカン・テイラーのブローラにまた注文が入った。それと白州のヘヴィリーピートである。双方を購入、無事にお客さんの手元に届けた。ダンカン・テイラーのブローラに続けて、セントマグデランがインプレッシヴ・カスクで頒される。82年蒸留、25年もの、62.2度、頒価は12,333円。最近のボトルのなかでは最安値、お買い得である。ポートエレン、ブローラ、セントマグデランは共に83年に蒸留所は閉鎖されている。
 このところ品切れが多数出ていたが、日曜日に補填。アベラワーのアブナック、グレンファークラス105、シグナトリーのブナハーヴン等々、常備品の追加と併せて九本を仕入れてきた。暫くは大丈夫と思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月09日 19:19 | 固定ページリンク




ブレーキパッド  | 一考    

 ドライバースタンド和光2りんかんと言うのを見付けた。早い話が「2りんかん」和光店である。住所は埼玉県和光市下新倉5丁目11-1。ホンダグループの自動車教習所レインボーモータースクールのすぐ傍、ヒロユキさんがバイクの免許を取りに行ったところである。いままで気付かなかったのが不思議である。
 今日、ブレーキパッドを買いに行く。ハイパーパッドが2,940円なのでまずまず、それよりも従業員が若くそしておそろしく親切である。もたついていると、バイクの台車ナンバーから型番を調べてくださった。街の車屋さんは別にして東京へ来て親切だと思ったのは鎌田のハネホンのみ、従ってとても心地よかった。
 ディスクブレーキの構造は二輪も四輪も同じ、簡単な作業と思われた。パッドの交換に着手するも、家庭用の工具では間に合わない。ネジが固くて動かないのである。三十分で済む作業に一時間以上費やしてしまう。某バイク屋での修理に腹を立てたが故に、自分で修復するはめに陥った。しかし、セッティングが悪く、キーキー泣いていたローターの音からは解放された。さっそく赤坂まで乗って来たが、いたって調子はいい。結構飛ばすので磨耗が激しく、パッドは一年と持たない。ゆとりが出来ればスペアを購入する必要がありそうである。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月03日 22:12 | 固定ページリンク




月曜日  | 一考    

 今日は朝早くから都税事務所まで、納税にイチャモンを付けに出掛けた。税金を払うのはやぶさかでないが、マチキンから金を借りてまで払うことの理不尽さを訴えに行ったのである。結論は先送りで、七月に入ってからもう一度話し合いましょうということになった。納税が東京と埼玉に跨がるため、少々煩雑である。

 このところ、金が入るたびにグレン・ロセスを購入してきた。五千円以下で手に入る数少ないモルト・ウィスキーである。ところが、今日やまやで新入荷のグレン・ロセス・セレクテッドリザーヴを見付けた。値は3,980円、扱いはコルドンヴェール、やまやとイオンの共同出資による輸入事業会社である。商品は今のところセレクテッドリザーヴのみで、ヴィンテージものを今後扱うのかどうかは分からない。
 モルト・ウィスキーのインポーターは減り続けているのに奇特なことである。ただ、ワインに関してやまやの商品をわたしは信用したことがない。信用どころか、大喧嘩をなんども繰り返してきた。詳しくは書かないが、コンテナで入荷してから店頭に並ぶまでの商品管理に問題ありとわたしは思っている。
 やまやに限らないが、搬送で横積みにされた酒はコルク栓が傷む。黴臭のするワイン、フォーティーファイド・ワイン、モルト・ウィスキーは返品に応じるのが当たり前である。親しくしている某酒店から電話があって、マッカラン12年ものの異臭でもめていた。飲むまでもなく、臭いだけでわたしには分かる。店員はしぶしぶ交換に応じていたが、わたしが行かなければサントリーの商品に問題はないで押し切っていたに違いない。
 それはサントリーの責任でも酒屋の責任でもない、そして半分はインポーターの責任でもない、おそらく搬送にあたった業者に知識がなかっただけなのである。安売りの商品は船便を多用する。船便の多くは混載である。それ故、専門の運送業者が扱うとは限らない。逆にいえば、どこで買うかはどうでもよいことである。扱う運送業者とインポーターにこそ注意を払わねばならない。値の安いものを購入するときにはそれだけのリスクを覚悟しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年06月01日 19:31 | 固定ページリンク




いちご煮  | 一考    

 ずいぶんと前のはなしだが、四戸さんからいちご煮を二罐いただいた。ひとつはそのまま煖めて、いまひとつは炊き込みご飯で頂戴した。青森から岩手にかけていちご煮はよく知られた潮汁である。ウニとアワビが基本だが、頂戴したものは蒸しウニとチリのロコ貝を用いていた。わたしの遊びがはじまったのはそこからである。ロコ貝が可能ならツブ、バイ、ゴマなんでもござれである、池波正太郎ならアサリかシジミだろうが。
 北海道から冷凍の蒸しウニを送ってもらい、さまざまな貝を用いてみた。そして気がついたのはウチムラサキ貝であった。ウチムラサキ貝を神戸ではオオガイもしくはホンジョガイという。戸田界隈の魚屋では北海大アサリというらしい。これは三番瀬の大アサリと識別するために名付けられたようである。もっとも同じアサリとはいっても属は異なる。掲示板1.0の2006年09月22日「おでん」の項で詳しく書いているのでここでは繰り返さない。
 いちご煮はカツオ出汁だが、ウチムラサキの場合は塩と少量の酒だけのほうが旨い。そして大事は焚いたあと保温で置かないことである。保温するとウニが不味くなる。炊きあげてすぐラップで一人前ずつ小分けをし、冷蔵庫へ入れる。そして食べしなに大葉を刻む。
 四戸さんからいただいたいちご煮は八戸市の味の加久の屋の商品だったが、内容量は415グラム、これはほぼ二合の米と合う。よいものを頂戴したと、感謝している。五月の連休は宮古から八戸の野営場へ小型バイクで出掛けたかったのだが、結局は行かずじまい。そのかわりに、拙宅でウチムラサキ貝と戯れていた。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月31日 16:21 | 固定ページリンク




ジャン・ジュネについて一言  | 一考    

 鈴木創士さんからメールを頂戴した。掲示板のほうに書くのは照れくさいとか、そういうシャイなところこそ彼にはふさわしい。武内ヒロクニさんは「病気などどこ吹く風といった感じで、元気に画業にいそしんでおられる」とか、わたしにとってはなによりの消息である。山本六三さんが亡くなられてから、おそらく彼しかいないように思う。
 「花のノートルダム」に附せられた鈴木創士さんのあとがきにエドマンド・ホワイトの「ジュネ伝」があった。読むかどうか分からないが、購入してきた。「パサージュ論」とどちらを購うべきか迷った。ベンヤミンの「主題をなくした思想」に興味はあるが、それにしても観念論に近いものはおそらく今後は読まないだろうとジュネに軍配をあげた。
 「ジュネ伝」の巻頭に謝辞というのがあって、「指導的権威」とか「学識の記念碑」といった言葉が散見される。ゲイに権威もないだろうなどと書けば誤解を生む。マイノリティであろうが、マジョリティであろうが文学に「指導的権威」は必要ないとわたしは固く信じている。同じ理由でエライ先生と思しきひとの序文を冠した著書をわたしは小馬鹿にする。ただし、出版社の営業から出た戦略ならなにも云わないが。
 突端から興醒めなことを書いたが、「ジュネ伝」の中味はすこぶる面白い。文中、「聖ジュネ」からの引用が目にとまった。「彼が同性愛者になったのは、泥棒だったからだ。人間は同性愛に生まれついたり、また正常に生れたりするのではない。その経歴の中での事件とそれに対する反応によって、人間はそのどちらかになるのだ。私は断言するが、性的倒錯は生まれる前の選択の結果でもなければ、内分泌の機能不全によるものでもなく、ましてやコンプレックスの受動的で決定的な結果でもない。それは、窒息しそうな子供が見つけ出した一つの出口なのだ」
 微笑ましいといえば微笑ましいが、こういったサルトルの誤解・曲解には度し難いものがある。下巻の49頁からあと、この問題は続く。当然、ジュネは、「一方男色の件では、私は何も知らないのだ。人がそれについて何を知っているというのだろう? セックスをするときに、どうして自分があれこれの体位を選ぶのかという理由を、人は知っているものだろうか? 男色は、ちょうど目の色や足の数のように、私に押し付けられたのだ。まだほんの子供だった頃、私は自分が他の男の子たちに惹きつけられることを意識した。女の人には全く惹かれなかった。私がサルトル的な意味で自分の男色を自由に「決心」し、「選択」したのは、こういった種類の興味を自覚した後のことにすぎない。別の言葉でもっと簡単に言えば、それが社会から非難されるものだということを知っていたので、私は自分を抑えなくてはならなかったのだ」と反論している。
 サルトルは実存主義を標榜する、従って実存が本質に先立つ。その結果、同性愛すらが後天的な選択によるものと解釈する。繰り返すが、ものの世界にあっては本質が実存に、人間の世界にあっては実存が本質に先立つというのがサルトルの思想である。この本質を概念もしくは設計図と解釈しても差し支えはない。要するに、一つのコップが存在するためには事前にコップの概念すなわち用途と設計図が必要ということである。
 サルトルの失敗はものと人間という二元論で世界は割り切れるものではないという一点に帰着する。同性愛者は同性愛者として生まれるのであって、同性愛者として育つのではない。ひとしなみに取り扱うのでなく、世の中にはさまざまな例外があることを認めなければならない。未だに、同性愛に対してサルトルのような暴論を吐くひとが垣間見られるのは残念である。
 鈴木創士さんが著されているバタイユの問題点も、詰るところ、聖性と悪といった二元論に帰着する。バタイユのいう裂け目とはヘーゲル譲りの弁証法的契機と、聖性と悪といった二元論とのあいだに横たわる裂け目だったように思う。ブルトンにしてもその発展の中で矛盾が止揚されるのはともかく、土台となるべき二元論自体が矛盾だらけである。この件に関しては何度も当掲示板で書いているが、もう一度繰り返す。
 高いところと低いところ、昼と夜、現実と想像、そういった境界線を引かれない概念を二項対立の図式で捉えるのは間違いではないかとわたしは思う。元来相克しないものを相克するかのごとく位置づける、その繰り返しのなかに「シュルレアリスム宣言」は成り立っている。
 思想を構築するのは構わないが、その思想からはみ出るものをむりやり押し込めようとしたり、例外を例外として認めないのは問題である。そうした気配りを欠いたもろもろの思索や行為をわたしは権威・権力の行使と呼んでいる。

 かつてモラリーの「ジャン・ジュネ論」 を読んだ折、なるほどこのような読み方もあるのかと感心させられた。モラリーはジュネ自らが脚色し、コクトーやサルトルによって神話化された天才的泥棒作家という伝説を覆す。「彼は死にもの狂いで読み、死にもの狂いで書く。一九四二年以来ではなくて、昔からだ。十三歳で、「ナノ・フロラーヌ」は手記を書き、二十七歳で、彼はそこに音楽が聞こえる数通の手紙を書くが、その音楽はやがて彼を有名にするだろう。以後、本当に囚人となり、独房、遠方の豪邸、近郊の屋根裏部屋もものかは、彼はその先端だけがきらめいている氷山=作品を作成し、それを発表する。友情、旅行、情事、彼にあっては文章表現が一切を決定する」
 ことの是非はともかく、モラリーはたまたま作家になった泥棒ではなく、たまたま泥棒になった作家を強調する。サルトルの「聖ジュネ」とは正反対の立ち位置というべきか、後半の「ジャン・ジュネの架空の日課帳」はボルヘスの「架空の図書館」を想わせて圧巻であった。
 エドマンド・ホワイトはアメリカのゲイ文学を代表する作家のひとりであって、彼自身HIVの保菌者である。そしてリチャード・コーからモラリーに至るまで「聖ジュネ」の書き直しは異国では続けられている。それと比してわが国のジュネ解釈は宇野邦一さんと鈴木創士さんによってはじめられたばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月29日 12:50 | 固定ページリンク




ちょいとお待ちを  | 一考    

「蒐書散書」には分かりにくいところがあるといわれたので、書き直しています。悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月29日 11:44 | 固定ページリンク




OHのこと  | 一考    

 ヴィヨンの時代の白馬亭や松笠亭(記憶定かならず、調べたい方はシュオッブかシャンピオンをどうぞ)にはじまって現在に至るまで、文学を語るとは取りも直さず飲み屋の歴史を繙くことに他ならない。そして歌舞伎町(ゴールデン街は一丁目一番地)や新宿二丁目にもそういった飲み屋は多くある。その二丁目の新千鳥街に大野さんが営むOHがあった。
 須永さんに連れられて行ったのが最初である。74年か75年のことと記憶する。五、六人しか入られない小さな店で、トイレへ行くには入り口の客は起立を余儀なくされた。当時のゲイバーの常で店内はほとんど暗闇に近く、カウンターの奥には天井に届けとばかりに大層な花が日々途切れることなく飾られていた。
 上京の折には必ずといってよいほど、ゴールデン街の文庫屋かOHへ入浸っていた。そして音楽に聞き惚れるのはOHだった。大野さんから薦められた金子由香利の「初めまして」と「めぐり逢い」のLPはいまも大切に置いている。もっとも、聴くための設備をいまのわたしは持っていないが。子供の頃から福原のタミーへ出入りしていたのでゲイバーは好きである。ゲイというよりは大野さんの人柄に惹かれての日参だった。
 須永さんの出版記念の会を西ノ宮の割烹で催したことがあった。OHの常連客を中心に十名ほどが神戸へ集結した。上京中のわたしは大野さんと一緒に神戸へ向かった。新幹線のなかで「あちらから来る毛むくじゃらねえ、あれもゲイなのよ、嫌ねえ」と他人事のように笑う。本人はどこから見ても集金人としか思われない小さな革鞄を持ってちょこなんと座っている。ちょっとしたオネェ言葉と物腰のやわらかさに彼が舐めてきたであろう辛酸が仄見える。
 会がはじまってまなし、コーベブックスの北風さんの登場となった。それまでオネェ言葉の氾濫だったのが、大野さんの「いまからエライひとが来るのだから、今日は男っぽくいきましょう」のひとことに全員が「オー」と応える。なるほど屋号のOHはこのためのOHだったのかと勝手に合点する。而るに男っぽいのはわずかに十分ほど、あとはもうハチャメチャである。神戸のゲイバーには精通しているつもりだったが、さすが現役のオネェさん達、あとは大阪や神戸のゲイバーや六甲山ホテルへと散って行った。
 OHへ同伴したのは山中さんと大泉さん、そして稲葉真弓さん、ふたりの編輯者とひとりの詩人だった。2002年12月16日のですぺら掲示板1.0で書いた「稲葉真弓さんのことなど」に出てくる「ストッキングを脱い」だ店とはOHのことだった。
 銀行員だった大野さんは会社をやめてゲイバーをはじめた。しかし、それは好きではじめたのだろうか。当時のマイノリティが置かれていた環境は決して生やさしいものではなかった。わたしは自己責任とか選択という概念を信じない。おそらくOHを営むしかない状況に追いやられたのだと思っている。大野さんが死ぬ日まで店はつづけられた。それが彼の悲しみであり人生だったと、それは大野さんの伴侶だった小石川さんにしか言えないことである。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月28日 04:26 | 固定ページリンク




ヒロシさんへ  | 一考    

 書き込みありがとうございます。大野さんのお住まいはたしか信濃町だったと記憶します。小石川さんには須永朝彦さんの滅紫篇の装訂をお願い致しました。
 東京にいながらOHへは行かなかったのです。何時も女性が一緒なので店に迷惑を掛けてはと遠慮しておりました。ある日、お客が一斉にいなくなり衝撃を受けました。大野さんは「あら、子宮持ちと一緒なのね、構わないのよ」と仰有っていたのですが。
 行きもしないで申し訳ないのですが、わたしにとってはとても大切なお店でした。行けばいつも金子由香利をかけてくださり、「衿に巻いたスカーフよ 二人だけの絹の思い出」のところで決まって泣き出してしてしまうのです。「一考、いいのよ」という大野さんの声を思い出します。
 これ以上、書かれません。ごめんなさい。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月27日 16:40 | 固定ページリンク




大野さんの事  | ヒロシ    

大野さんは去年の暮れにお亡くなりになったそうです。
偶然上野で友達に聞いて自分もビックリしています。
小石川さんはお元気なのでしょうか。
それも気になっています。


投稿者: ヒロシ      日時: 2009年05月26日 22:56 | 固定ページリンク




ウィスキーあれこれ  | 一考    

 次回のモルト会はポート・エレン、シグナトリーのダンピーボトルを開栓する。76年蒸留、23年もののカスク・ストレングス。ダグラス・レインやダグラス・マクギボンのポート・エレンはともかく、シグナトリーのものは見掛けなくなった。ご期待あれ。

 二月中旬にはいったダンカン・テイラーのブローラ、本体価格二万円は予約で完売。当店のお客も入手できなかったらしく、その彼のために今日一本仕入れてきた。リフィールシェリーバットの一本。店に置いているのでよろしく。
 二万円以下で入手可能なブローラはコニッサーズ・チョイスを別にするとダン・ベーガンのボトルのみ。ダン・ベーガンはスコットランドのスカイ島にある村名。支配者である地元のクラ  ン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、ブランド名が決まった。なお、ウイリアム・マックスウェル社はイアン・マクロード社と同一資本。1997年にフランス向けにボトリングをスタート、2002年後半に現在のパッケージ  になり、アメリカ、ヨーロッパ、台湾などで販売を開始。

 唐辛子三部作と名付けているホットなウィスキー、ダルユーイン、ピティベアック、グレン・キンチーのうち、BBRから頒されたダルユーイン、74年蒸留05年ボトリングの30年もの46度の在庫が少量ある。9500円という破格の値である。

 ところで、友人が某インポーターへ取材に赴き、二十数万円を請求されたそうだが、その金数ならびに商売上手についてひとこともふたことも著すべきかと思う。転びっぱなしはいけないのでは。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月26日 22:19 | 固定ページリンク




「花のノートルダム」再読  | 一考    

 君が風邪を引くとトドインフレだと云われた。通常、トドといえば成長したボラのことである。わたしの場合は海馬であって、鯔ではない。そしてインフルではなく、インフレだそうである。巷では海馬が風邪を引くと洛陽の紙価が下落するらしい、意は価値基準の崩壊にあるようだが。もっとも、現行のインフルエンザは年齢制限があるらしく、六十歳を過ぎると掛からないようである。
 それやこれやで、ここ二箇月ほどひどく落ち込んでいた。日々死ぬことばかりを考えていた。「散骨」や「虚しさ」にはそう云った心情が表されている。昨日、鈴木創士さんの「花のノートルダム」を読んでいて少し元気が出てきた。孤絶が売りの小説を読んで元気もないものだが、ドストエフスキーやベールィ、ゴンブロヴィッチやベケットなどを読むとこころの病のようなものが恢復する。他人も同じなのだと気づかされるからであろう。
 考えてみれば書物の効用はそこにこそある。言い換えれば、疾んでいないひとは本など繙かないほうがよいに決まっている。健康なひとが「トドインフレ」に罹ることだって起こりうるのである。
 むかし、澁澤が「エドワルダ夫人」についてのなかでサルトルの引用だったと思うが「ヘーゲルのように弁証法的な展開を認めようとしないバタイユは、ただ現実世界に、テーゼとアンチテーゼとの悲劇的な葛藤のみを見る」と書いていたのを思い起こした。一部を捉えてどうのこうのはナンセンスだが、これでは曲解を通り越して浅ましさすら覚える。浅ましいのがサルトルなのか澁澤なのかは敢えて問わない。
 「花のノートルダム」のあとがきは三島に次いでバタイユを痛烈に糾弾する。「さらに「悪」さえも裏切ることによってそれをじっと見据える冷徹な目は、たとえ汚辱の悲しみを湛えているように見えようとも、すでにしてコミュニカシオンの埒外にある・・・聖性はジュネにとってはつねにより孤独なものであり、世界からの孤絶、後ろ向きにすべての視線を消し去り、美しいフェダインの少年の日に焼けた顔にこぼれる微笑みのように、あるいは聖体顕示台の後光のように放射されるその否定である」
 戦慄であり、これは既に一篇の詩である。ジャン・ジュネについてここまで書き込まれた文章をわたしは知らない。ジュネか創士か、創士かジュネか、ふたりが溶け合い、ひとつの個を目指して境界線が消えてゆく。あとがきとはこうでなくてはならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月22日 22:11 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(ハイランド・パークを飲む)  | 一考    

前項で明記したように一部差し替えです。ザ・ボトラーズのハイランド・パークはショット2600円ですが、会費は500円のアップ、12500円に修正させていただきます。
解説に関してひとこと。同じボトラーの場合、2008年1月以降のモルト会解説と重複しています。そうでない場合は新たに書き起こしました。
途中、一年間の休みなどがありますが、通算70回目のモルト会です。

01 ハイランド・パーク '90(ウイルソン&モーガン)
 シェリー・カスクの9年もの、46度。
 ヘザーハニーの香り、少々塩辛く微かにドライな味わいだが、加水すると甘口に変化する。豊かでビッグなフィニッシュ。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者である。

02 ハイランド・パーク '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。シェリー樽の10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、478本のリミテッド・エディション。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年よりオールド・モルト・カスクと題するシングル・モルトのコレクションを頒布。現在はオールド&レア・プラチナ・セレクションにも力を入れる。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは親しい。
 アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。ポート・エレンをはじめ、入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。
 ダグラス・レイン社のボトルはチル・フィルターの施されたものがクリアー・ボトルに、施されていないものがグリーン・ボトルに詰められていたが、現在ではすべてのボトルがノン・チル・フィルターである。

03 ハイランド・パーク '88(シグナトリー)
 シェリー・バットのミレニアム・エディション。10年もの、43度。同じヴィンテージの9年ものも頒されている。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティル」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」や「ストレート・フロム・ザ・カスク」ドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」日本向けに「ザ・フラゴン・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

04 ハイランド・パーク '88(ブラックアダー)
 01年のボトリング。ロウ・カスクの一本。シェリー・バットの13年もの、58.0度のカスク・ストレングス。限定505本のシングル・カスク。
 ブラックアダー社は1995年にザ・モルトウイスキーファイルの著者であるジョン・レイモンドとロビン・トゥチェクが創業したウイスキー専門のボトラー。ロウ・カスクの発想はきわめて単純でユニーク。大きな木片のみを除去、オリ(沈殿物)も一緒にそのままボトリングする。もちろん、氷点下フィルターもカラメル着色も施さず、すべてはカスク・ストレングスである。

05 ハイランド・パーク '88(マキロップ)
 シェリー・カスクの10年もの、61.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションには稀少なものが多く含まれる。例えば、リンリスゴウ '82は現在入手可能なセント・マクデランのひとつ。

06 ハイランド・パーク18年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 北緯59度、オークニーの荒々しい自然に鍛え抜かれた「北の巨人」。ヘザー風味が強くハイランド・パーク独特の個性を醸し出す。オールラウンダーの食後酒。
 きらびやかなヘザーハニーの香り、まろやかでとろけるようなシェリー風味。
 グラン・シャンパーニュを想起させる長く力強いフィニッシュ。
 2002年初頭にラベルとボトルの形状が変わり、そして2006年に現行の楕円底の薄型ボトルに変わった。

07 ハイランド・パーク '77(シグナトリー)
 オーク樽による19年もの、43度、限定570本のシングル・カスク。
 本品とミレニアム・エディションとは、ほぼ同一の内容。

08 ハイランド・パーク '70(ゴードン&マクファイル)
 ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルの一本。シェリー・カスクの25年もの、40度。
 同記念ボトルには美味なもの多し、要注意。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。

09 ハイランド・パーク '75(ブラックアダー)
 オーク・カスクの20年もの、58.9度のカスク・ストレングス。
 蒸留を経たスピリッツのアルコール度数は約70度。加水により63度前後に落としてから樽に詰める。年数にもよるが、マチュレーションガ終わる頃には、樽の中のウイスキーは50〜60度位になっている。カスク・ストレングスとはその樽出しの状態の酒精をいう。本品は香味共に絶品。

10 ハイランド・パーク '78(サマローリ)
 78年蒸留、95年ボトリング。オーク・カスクの17年もの。45度、360本のリミテッド・エディション。
 サマローリ社は1968年創業のイタリアブレア市にある酒商。スプリングバンク蒸留所、ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持ち、オリジナルのヴァテッド・モルトも頒している。
 同じイタリアの酒商インター・トレード社についてひとこと。インタートレード社は伊太利亜リミニ市のボトラー。オーナーのナディ・フィオリは当地に於ける業界の草分け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社のウィスキーはサマローリ社同様、檻が多く含まれるのが特徴。ディスティラリー・ボトルでは味わえない個々の樽の稟質、即ち微妙な持ち味を愉しめる。

11 ハイランド・パーク '78(ザ・ボトラーズ)
 シェリー・カスクの18年もの、57.6度のカスク・ストレングス。
 ザ・ボトラーズ社は1994年、エディンバラにて設立。同じエディンバラのジェームズ・マッカーサー社と共に、閉鎖された蒸留所の珍しいモルトを取り扱うことで識られる。コニャックを想わせる撫で肩の丸瓶とシンプルなラベルが特徴。同社の商品の大半はディスティラリー・コンディション。それ故、面白味には欠けるが、破綻のないのが取り柄。

12 ハイランド・パーク25年※
 53.5度のカスク・ストレングスにして旧ディスティラリー・ボトル。
 現行のボトルとは香味に差違あり。ディスティラリー・ボトルでは他に、200周年の21年ものと2000本限定の12年ものカスク・ストレングスが美味。長らく本品がハイランド・パークのフラッグ・シップだったが、現在では30年、40年の長期熟成品あり。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月22日 15:49 | 固定ページリンク




モルト会追加  | 一考    

ハイランド・パークの差し替えです。78年蒸留のボトラーズ社と共に昔のサマローリ社のボトルが入手できました。78年蒸留、95年ボトリング。オーク・カスクの17年もの。45度、360本のリミテッド・エディションです。共に珍品かと思います。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月22日 04:04 | 固定ページリンク




鈴木創士訳「花のノートルダム」  | 一考    

 ですぺら掲示板1.0の終了直前、2006年末のことだが、エスさんとの遣り取りが続いた。エスとは鈴木創士さんである。平井呈一や齋藤磯雄の雅文について書きたくないことにまで触れてしまったが、あれはわたしの本音である。鈴木創士さんのようにですぺらを地で行くひとを相手にいい加減な問答は許されない。わたしにしては珍しく気合いの入った遣り取りだった。
 その鈴木創士さんがジャン・ジュネの「花のノートルダム」を翻訳なさった。河出文庫で去年の末に上梓されている。数年前から翻訳なさっていると宇野さんから聞かされていたが、上梓をわたしは知らなかった。突然本が送られてきたのである、そして愕いた。
 のっけから引用とは芸のないはなしだが、訳者あとがきが素晴らしい。「花のノートルダム」についての若干の指摘という箇所には、「過剰で幾何学的なカテドラルはまるで数学のように冷厳そのものであり、ふんだんに盛り込まれたキリスト教的な聖体をめぐる隠喩も、そこでは充填されたあらゆる意味を結局は逆に放逐してしまう物言わぬ冷たい大理石の輝きだけを反射している・・・天空と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している」と著されている。
 あとがきは続く、「三島由紀夫を筆頭に、かつてわが国の読書界が常套手段としていたジュネの小説を狭い意味でのエロティシズム文学において読むやり方からますます私を遠ざけることになった。死とエロティックな同性愛について語りながらも、ジュネはすでにこの最初の小説において、むしろ彼が後に革命について語るような「あまりに強力なので、あらゆるエロティシズムを追い払おうとする官能的な喜び」(「シャティラの四時間」)に打ち震えているように思われた・・・それらの喜びはたしかにエロティシズムを追放していたのだ。それは聖性とも汚穢とも呼べないまま、そのままで冒涜的な「全実体変化」の瞬間的な場所と化す」 

 六十年代、七十年代にあってはエロティシズム即反体制だった。三島由紀夫に限らず、澁澤龍彦、生田耕作など狭義な意味でのエロティシズム文学が大流行だった。その消息は堀口大学の時代からなにも変わっていない。弁証法的発想のうえに成り立った二項対立がことのすべてで、サド、バタイユ、マンディアルグ等、ことごとくが歪められて行った。そのような解釈の上に成り立った翻訳が大手を振って跋扈していたのである。河出書房の人間の文学にしたところで玉石混淆、実体は浪速書房の世界秘密文学選書などと大差なく、風俗小説の域を一歩も出るものでなかった。
 彼等が抗弁の援用に持ち出すのは決まってバタイユでありブルトンだった。それもご都合主義による任意の引用であって批判精神はその破片すらなかった。どうやらわが国では、翻訳は味読玩弄すべきものであって、思惟の対象にはついぞ成り得なかったようである。
 それら文学史の書き換えが今日まで捨て置かれた理由が奈辺にあるのか。鈴木創士の論旨は鋭く、文意は高騰だが、文章は平明、そしてなによりも説得力を持つ。美しい文章とはかかる文章を指す。彼は趣味や余技、あるいは情趣といったものを峻拒する、ここには考え抜かれ、自らの体躯で諒解した鈴木創士の文学がある。翻訳というものが文学のなかにあってどのような領域を占めるものなのか、そのことをわたしは鈴木創士さんから教わった。彼に深く感謝したい。
 訳文に関して一節を引用しておく。堀口大学訳では雲をも掴むような翻訳である。

 気をつけろ。
 第一に、ラ・ロープ(性倒錯者)ことジャン・クレマン、
 第二に、ラ・ペダル(男色家)ことロベール・マルタン、
 第三に、タタ(オネエ)ことロジェ・ファルグ、
 ラ・ロープはプティ‐プレ(社交界の女)に、
 ラ・タタはフェリエールとグランドに、
 ラ・ペダルはマルヴォワザンに惚れている。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月22日 01:38 | 固定ページリンク




白州ヘヴィリーピーテッド  | 一考    

 白州ヘヴィリーピーテッドが今月末にサントリーから頒される。前回とは異なって、アルコール度数は48度、白州を構成するさまざまな原酒のなかからスモーキーな原酒のみをヴァッティング、国内外を併せて6000本だそうである。混ぜ合わせた分、前回よりも旨く感じた。
 月末の予定だが、理由があって当店への入荷は来月一日。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月21日 21:16 | 固定ページリンク




飲酒運転違反点数の改正  | 一考    

 6月1日から罰則規定が新たになる。酒酔い運転は25点が35点へ、酒気帯び運転は0.25ミリグラム以上が13点から25点へ、0.15ミリグラム以上0.25ミリグラム未満が6点から13点へ、そこへ速度50キロ超過が加われば13点から19点へ、ひき逃げは23点から35点へ違反点数が引き上げられる。
 免許取消が15点以上だから、小さなグラス一杯のビールでも駐車禁止と重なれば免許証とはおさらばになる。免許証の再取得が禁じられる欠格期間の上限も5年から10年に延長された。
 モルト会の日は落ち着いて酒を飲まれなくなる。ちはらさんのエヘン、エヘンが聞こえてくる。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月20日 21:44 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会(ハイランド・パークを飲む)  | 一考    

5月23日(土曜日)の19時半から新装開店後、十七度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円。
今回は「北の巨人」と呼ばれるハイランド・パークです。ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

01 ハイランド・パーク8年(ゴードン&マクファイル)
 マクファイルズ・コレクションの一本。シェリー・カスクの40度。
02 ハイランド・パーク '90(ウイルソン&モーガン)
 シェリー・カスクの9年もの、46度。
03 ハイランド・パーク '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。シェリー樽の10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、478本のリミテッド・エディション。
04 ハイランド・パーク '88(シグナトリー)
 シェリー・バットのミレニアム・エディション。10年もの、43度。
05 ハイランド・パーク '88(ブラックアダー)
 01年のボトリング。ロウ・カスクの一本。シェリー・バットの13年もの、58.0度のカスク・ストレングス。限定505本のシングル・カスク。
06 ハイランド・パーク '88(マキロップ)
 シェリー・カスクの10年もの、61.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
07 ハイランド・パーク18年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
08 ハイランド・パーク '77(シグナトリー)
 オーク樽による19年もの、43度、限定570本のシングル・カスク。
09 ハイランド・パーク '70(ゴードン&マクファイル)
 ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルの一本。シェリー・カスクの25年もの、40度。
10 ハイランド・パーク '75(ブラックアダー)
 オーク・カスクの20年もの、58.9度のカスク・ストレングス。
11 ハイランド・パーク '78(ボトラーズ)
 シェリー・カスクの18年もの、57.6度のカスク・ストレングス。
12 ハイランド・パーク25年※
 53.5度のカスク・ストレングスにして旧ディスティラリー・ボトル。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年05月19日 20:25 | 固定ページリンク




スーパーノヴァ  | 一考    

 去年の七月のモルト会はアードベッグだった。解説で「アードベッグのディスティラリー・ボトルにはココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる」と書いた。それ以来ダグラス・レイン、ダンカン・テイラー、ゴードン・マクファイルのごとく、アードベッグを購入するなら高くてもボトラーズ・ボトルをと心掛けてきた。同じ飲むなら美味いものがよいからである。しかし、世論はオフィシャル・ボトル一色である。先頃売り出されたスーパーノヴァが巷では奪い合いになっているらしい。近所の酒屋にはまったく入荷していない。オークションではとんでもない価格が付けられている。
 非常用のルートを使って入手してきたが、このような酒の入手がどうして非常用になるのかがわたしには理解できない。ひと頃のラガヴーリン同様、ヴーヴ・クリコジャパンの策略にまんまとかけられたようである。タリスカー57ノースの一リットル瓶と一緒に買ってきた。
 ところで、ラフロイグ10年とクオーターカスクの一リットル瓶が出ている。昔からあるボトルなのだが、うしろのラベルにデンマーク語でカラメル色素の使用がうたわれている。デンマークでは記載が必要なようである。サントリー扱いのクオーターカスクとそれ以前のボトラー扱いのクオーターカスクでは値も違うが味もまったく異なる。後者の方がやんちゃである。話序でに、このところのラフロイグ10年がすこぶる旨くなってきている。あれほど不味いモルト・ウィスキーはないと思っていたのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月18日 21:07 | 固定ページリンク




タモリ倶楽部  | 一考    

 ナベサン文学散歩ならびに当掲示板にてお馴染みの芳賀啓さんが5月15日(金)深夜12時15分からタモリ倶楽部へ出演します。タモリさんと気が合ったようで、三度目の出演です。今回は三田用水、ぜひご覧ください。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月14日 19:01 | 固定ページリンク




散骨  | 一考    

 草森紳一さんの散骨式が下記サイトで描かれている。

 http://www.machikara.net/event/index.html

 クルージングの模様は幹郎さんから詳しく聞き、そして感心を持った。核家族化がはじまったのは団塊世代からである。当掲示板でもなんどか触れているが、両親の死後、難儀させられるのは遺骨、位牌の処置である。親が死ねば次はわが身である。ひとの精神や存在は相対的なものだが、死という名の虚無が暴力的な力をもって近づいてきたのをこのところ痛感する。そしてその結末をいまのうちに考えなければならない。「可及的速やかに」との言葉はこのような場合に用いるのではないだろうか。
 幹郎さんから教わったように検索すると、散骨に関する多くの項目が引っ掛かる。草森さんの場合はクルージングだが、お任せコースだと六万円ほどで済む。ちなみに、ヒデキさんに火葬の費用を訊ねたところ、行き斃れで三万円、遺族がいる場合だと十万円らしい、この金数はおおむね阪神・淡路大震災のときと同じである。併せて十六万円で葬儀は終了し、あとにはなにも残らない。
 恋愛であれ家庭であれ為事であれ、極力、意義や価値とは無縁の生き方を心掛けてきた。されば死後に遺すものなどなにもない。わたしにふさわしい消滅法を教わったことに感謝。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月14日 13:09 | 固定ページリンク




権力指向  | 一考    

 小沢の辞意表明に呆れている。小沢ほどの人間が世論に負けるのかということである。かつて野田聖子が復党条件を受け入れ郵政民営化支持などの誓約書を添付したが、その時の言い種が世論への対応だった。いつから政治家は理念を捨て去り世論に迎合するようになったのか。
 歌舞伎町の監視カメラをはじめ、Nシステムからグーグルの地図、政治資金規正法から世襲議員の排除に至るまで、どうして大衆は国家ないしは国家権力による規制を求め続けるのか。大衆どころか国会議員までが、それも野党が規制を設けるようなことを口にするとは。
 まるで世論の名を借りた国家主義が跋扈しているようである。昨今の大衆のそしてマスコミの権力指向に国体明徴運動を感じるのはわたしだけなのか。日比谷焼討事件とそれを扇動した朝日新聞はさして昔のはなしではない。それら権力指向に恐ろしいものを感じる。
 選挙の結果が人気投票になるのなら、議会制民主主義は瓦解する。今はガス抜きとして用いられているインターネットもやがては管理の具として重宝されるようになる。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月12日 19:32 | 固定ページリンク




新千鳥街  | 一考    

 土曜日、新宿二丁目へ飲みに行く。到着が遅すぎてブラもナジャも閉まっている。大野さんとこへ行こうかと新千鳥街を覗くも屋号が変わっている。どうやらOHは閉店したようである。気になるが調べようがない。
 ナオさんの紹介でゲイの居酒屋「から味処」へ。元は女装バーで、看板がナオさんの手書きだそうである。彼女は我流だが、書にとどまらず焼き物にも熟達している。から味処の売りは麻婆豆腐、残念なことにわたしは酒を飲むときは食さない。肴はともかく、ほぼ十年ぶりに磯自慢の別撰生を飲む。赤坂のオープニングに特撰生と別撰生を十本ずつ送らせたのだが、飲んだのは一部の広告会社の人たちのみ。モルト・ウィスキーの店のつもりだったが、新聞や雑誌で取上げられたのは日本酒と焼酎ばかり。売れればなんでもよいのだが、一本二、三万円の焼酎が一杯七百円で飲めるという取上げ方には抵抗があった。
 置酒は客に合わせてと思っていたが、それだと酎ハイと国産ビールばかりになってしまう。神戸や明石の客の方がチョイスの幅は広かった。人生は月並で、人はどこにいようと等し並みに扱われる、せめて酔うときぐらいは自らの意志であってほしいと願う。ちなみに、から味処ではパンツまるだしの女装のお姉さまたちが大挙して押し寄せたが、飲み物は云うに及ばず、てんでに食べ散らかす。取り敢えずビールとか、右へ倣えでマッカランというような飲み方はしない。それを見ていて嬉しくなった。
 先だって福島泰樹さんのお寺で渡邉英綱さんの七回忌があった。そちらは遠慮してモルト会の酒の仕入れ。アイルサ・クレイグやスコマ社のカスク・ストレングスが入ったが、モルト会には間に合わなかった。またの機会に開栓する。


投稿者: 一考      日時: 2009年05月08日 20:39 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(タリスカー)  | 一考    

 スコットランドは小さな国で、人口は約500万人。車で南北を縦断しても6時間、東西なら2時間掛からない。タリスカー蒸留所はスコットランドの西端、アイランズ最大の島スカイ島にある。気候は本島と異なり海洋性で、湿度が高く、激しい風が吹く。
 冷却工程に近代的なコンデンサーでなく、伝統的なワームタブを使うのがタリスカーの特徴のひとつ。冷却水が入れられた大きな桶の中をパイプが螺旋に走り、蒸留されたニュースピリッツは液化される。コンデンサーと比してワームタブは銅管が短く、銅に触れる時間が短くなる。ウイスキーはよりヘヴィーに、香味は強く残される。
 蒸留所のキャラクターを大事にしようとの姿勢は熟成にも表れている。熟成にはシェリー樽とバーボン樽が用いられるが、カスクの影響を避けるため共にリフィルカスクを使う。樽の役目の「除去すること」と「加える」こととのバランスに常に留意している。

 創業は1830年。スコットランド中で採用されていた伝統的な三回蒸留法が二回蒸留になったのは1928年頃だが、蒸留法の変更がウィスキーに影響を与えなかったとされる。1941年、大麦を食糧として確保するため、戦時下のウィスキー製造が中断される。1960年、火事により蒸留棟が損壊。焼失した五基の蒸留器は厳密に復元され、石炭窯を用いた、元来の外部加熱方式を引き続き採用する。1972年、フロアモルティングを廃止。以降、グレンオード・モルティング工場から麦芽の供給を受ける。ピートレベルは中程度、スモーキーだがアイラモルトほど重くはない。二基のウォッシュスチルと三基のスピリッツスチルの加熱システムは、重油ボイラーを用いた蒸気加熱システムに変更。1989年、通常より高いアルコール度数45.8%でボトリング。この年、タリスカー10年がクラシック・モルト・シリーズのひとつに選ばる。それまでは8年ものをシングルモルトとして販売していた。


01 タリスカー10年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、45.8度のディスティラリー・ボトル。
 スモーキーな潮の香、頭頂に抜けるシャープな辛口。舌の上で火花が弾けるパワフルな後口、妥協を許さない個性。
 ディスティラリー・ボトルは2003年8月からラベルが新しくなったが香味に異同はない。アモロソ・シェリー樽を用いたダブル・マチュアードと10年(フレンド・オブ・クラシック)、15年、18年、20年(蒸留所限定ボトル)、25年(蒸留所限定ボトル)、28年のカスク・ストレングス等々が頒されている。

02 タリスカー '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。11年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定374本のシングル・カスク。

03 アイランド10年(シールダイグ)
 ウィリアム・マックスウェル社のリリースになるタリスカー。43度。
 シールダイグとは西ハイランドにある風光明媚な漁村。アルマニャックのボトルを用い、ギフト用として仏蘭西国内で販売されている。
 ディスティラリー・ボトルと比して、アルコール度数が低い。その分、香りがいささか弱いのは否めないが、シャープで飲みやすいのが利点。

04 タリスカー '90(ハート・ブラザーズ)
 12年もの、46度。
 ラベルにはご丁寧に二箇所にカスク・ストレングスと印字されているが、これはなにかの間違い。甘味が強く、やさしく美味なタリスカー。

05 アズ・ウィ・ゲット・イット8年(イアン・マクロード)
 オーク・カスクの8年もの、59.0度のカスク・ストレングス。中味はタリスカー。
 アズ・ウィ・ゲット・イットの商標をイアン・マクロード社が買収、当初はスペイサイドのモルトをボトリングしていたが、最近はアイラ・モルト、それもラガヴーリンを専門にボトリングしている。
 タリスカーには珍しく微かにミントの香り。

06 マクローズ'89(ハンジアティシィ)
 04年のボトリング。バーボン・カスクの14年もの、46度。384本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
 ハンジアティシィはイアン・マクロードの独向け。他に85年蒸留の18年もの348本、86年蒸留の17年もの264本あり。素顔のタリスカーを識るに最適。スコマ社のタリスカー同様、胡椒と荒塩の強烈な味わい。ラスト・ノートに烟るが如き甘味。

07 タリスカー・アモロソ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 45.8度。
 U.D社のクラシック・モルト・シリーズのダブル・マチュアード版。本品はアメリカンオークの樽で熟成後、フィニッシュにアモロソ・カスクを用う。

08 ヘブリディーズ '83(キングスバリー)
 02年のボトリング、18年もの。ホグスヘッドの46度、300本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
 フィニッシュに独得の甘味。

09 タリスカー175周年記念※
 45.8度のディスティラリー・ボトル。
 タリスカー蒸留所は以前スカイ島の北部に位置していましたが、1830、31年に現在の位置へ移動。そこからの175年を記念したオフィシャルボトル。わが国へは600本が入荷。

10 タクティカル '79(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。21年もの、50度のプリファード・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
 オールド・モルト・カスクはタリスカーのような刺激が強いモルトも優しく仕上げる。本品も例外ではなく、ずいぶんと熟れたタリスカーである。

11 タリスカー '92(ジャン・ボワイエ)
 07年のボトリング、15年もの。ワンショット・コレクションの一本、58.7度のカスク・ストレングス。
 ジャン・ボワイエ社はフランスのみならずヨーロッパでも最大級のボトラー。設立は1993年だが、1975年にスコットランドからの輸入をはじめ、1985年にはフランス国内屈指の輸入卸業者に成長、スプリングバンクやボウモアなどの正規代理店になる。現在では数種類のレンジ(ラベル)で総計50種類以上に及ぶ多彩なモルトの品揃えを誇る。同じヴィンテージで14年もの加水タイプあり。

12 タリスカー '81(ユナイテッド・ディスティラーズ)】※
 シェリー・カスクの20年もの、62.0度のカスク・ストレングス。9000本のリミテッド・エディション。ボトリングは2002年末。
 2001年には75年蒸留の25年もの、59.9度のボトルが6000本頒されている。また、1999年には89年蒸留の10年もの、59.3度のカスク・ストレングスがフレンド・オブ・クラシックの一本としてボトリングされている。一連のシリーズのなかでは本品がもっとも美味いが、ちょいと美味すぎて気になる。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月25日 19:15 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

4月25日(土曜日)の19時半から新装開店後、十六度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12600円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
タリスカーの前回の飲み会は2005年。その折にもシールダイグ社のアイルサ・クレイグやスコッチ・モルト・セールス社のタリスカーなど美味いボトルがあったのですが、今回もイアン・マクロード社のアズ・ウィ・ゲット・イット、ダグラス・レイン社のタクティカル、ハンジアティシィ社のマクローズ、キングスバリー社のヘブリディーズ、ジャン・ボワイエ社のカスク・ストレングスなど結構なボトルが揃いました。お楽しみください。
今回もボトルの差し替えがあるかもしれません。なお、夕方に土屋守さんとお会いするのでモルト会を三十分遅らせます。

ですぺらモルト会(タリスカーを飲む)

01 タリスカー10年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、45.8度のディスティラリー・ボトル。
02 タリスカー '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。11年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定374本のシングル・カスク。
03 アイランド10年(シールダイグ)
 ウィリアム・マックスウェル社のリリースになるタリスカー。43度。
04 タリスカー '90(ハート・ブラザーズ)
 12年もの、46度。
05 アズ・ウィ・ゲット・イット8年(イアン・マクロード)
 オーク・カスクの8年もの、59.0度のカスク・ストレングス。中味はタリスカー。
06 マクローズ'89(ハンジアティシィ)
 04年のボトリング。バーボン・カスクの14年もの。384本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
07 タリスカー・アモロソ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 45.8度。
08 ヘブリディーズ '83(キングスバリー)
 02年のボトリング、18年もの。ホグスヘッドの46度、300本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
09 タリスカー175周年記念※
 45.8度のディスティラリー・ボトル。
10 タクティカル '79(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。21年もの、50度のプリファード・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
11 タリスカー '92(ジャン・ボワイエ)
 07年のボトリング、15年もの。ワンショット・コレクションの一本、58.7度のカスク・ストレングス。
12 タリスカー '81(ユナイテッド・ディスティラーズ)】※
 シェリー・カスクの20年もの、62.0度のカスク・ストレングス。9000本のリミテッド・エディション。ボトリングは2002年末。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年04月21日 20:06 | 固定ページリンク




虚しさ  | 一考    

 先日、友と語らった、わたしはなにをして来たのだろうかと。きっと、このままなにもせずに朽ち果てるのであろうかと。こんな情けないはなしができるのは友を除いて他にはない。
 何者かになろう、何者かでありたいなどという願いは十七歳のときに捨てた。結果として何者にもならなかった、従って云うべきことはなにもない。意志弱行、無為徒食の輩とはわたしのような人間を指すのであろう。それにしても、六十を過ぎて何者でもないというのはいささか侘しい。偶につらく思うときがある。
 往時わたしは詩らしきものを書いていた。しかし典籍を繙けば有明、泣菫、清白がい、同時代には多田智満子や高橋睦郎がいた。昭和三十九年に「薔薇の木・にせの恋人たち」が、翌四十年に「眠りと犯しと落下と」が、そして四十一年に「汚れたる者はさらに汚れたることをなせ」が上梓された。嫉妬と羨望を持ってそれらの詩篇を仰ぎ見ていた。詩人というものに、どうにもならない隔絶をわたしは感じていたのである。その隔絶が昂じて、わたしはことばの職人になることをやめた。ことばに対して自由民主主義者となり無政府主義者となった。

 前項で触れたように、土地、ことば、民族、国家、宗教、文化、歴史、伝統などにこだわる人にわたしは近づかないよう心掛けている、たとえ親であろうとも。なぜならいずれの項目を採ろうとそこにはアイデンティティーが、そして排他性がつきまとう。自らが置かれた立場、経験、知識がものをいう世界だからである。この「立場」「経験」「知識」という概念は哲学的に問題の多い概念である。解釈いかんによって覆う領域がいかようにも伸び縮みする。
 排他とはバベルの塔以来、神がひとに与え給うた戒めから生じたものでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月18日 21:26 | 固定ページリンク




寺山修司映像詩展2009  | 一考    

寺山修司映像詩展が4月25日から5月8日まで催される。渋谷のユーロスペースで映像作品24本を一挙上映。
同じく渋谷のポスターハリスギャラリーで4月25日から5月17日まで寺山修司と天井桟敷全ポスター展が催される。
案内状とポスターハリスギャラリーの招待券はですぺらにあります。声をお掛け下さい。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月18日 20:57 | 固定ページリンク




辻潤について  | 一考    

 おれはまじめといじめと唐変木とわからずやとおせつかいとインチキとコンチキとモンツキとシルコハットとケーザルヒゲがあまりすかんぴんばれおんとろぢいのあべろくろのろぢいのスカンポみたいな野郎はだいきらひでも向ふが好きなら仕方がないがまんして置くことにきめてるムツシユウ!
 心にもなきことは云ひたくなきものかなホトトギス おまへさんちよいとバカにおしでないよと投げ島田 汐見橋あさもやに生のどよみかな 観音は自在におはす鰻かな かなかなが鳴けば肌へに岩清水の次郎長の大股小股なり平によく似たと云はれやにさがり松の葉越の日の出かな ざっとエトセトラ。

 ご存じ辻潤の「のつどる・ぬうどる」からの抜粋だが、身辺雑記が彼にかかるとこのように化ける。個性だけの作品と云えなくもないが、個性もここまで思い切って屈折すると来歴を通り越して強烈な可視光線となる。絶望的な失意を前に、山本六三とふたりしてお腹を抱えて笑い転げたのを思い出す。辻潤読みの醍醐味はこういうところにある。講談社から文庫で「ですぺら」が上梓されたが、この種のエッセイがことごとく略かれているのは残念である。
 「のつどる・ぬうどる」は「ぼうふら以前(ぼうふらは漢字である)」(昭森社1936年刊)に収録されたが、初出は萩原朔太郎が主宰した個人雑誌「生理」である。「生理」全五号が冬至社から復刻されたのは昭和三十九年二月五日、わたしの十七歳の誕生日だった。あとにもさきにも誕生日を指折り数えたのはあの時だけだった。あれからわたしは歳を取るのを抛りだした。それが「のつどる・ぬうどる」と題された変哲な文学に対する唯一の讃辞であり私淑であった。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月17日 21:27 | 固定ページリンク




花の悲鳴  | 一考    

 このところヒストリーチャンネルをよく見る。先日は「新シルクロード」と「人間の戦場」の再放送を見た。前者はさまざまな民族が当たり前のように共存していたトルファンの街を民族の十字路ととらえ、後者は1948年5月のイスラエル建国以降に滅ぼされた418の村々の現状を描く。パレスチナを過去に存在し逃げ出した民族としてとらえるユダヤと歴史になったことを振り返るだけの、謂わばシオニズムとシニシズムとの残酷なまでの対比が執拗に描かれる。
 当掲示板の「はじまりです」にあって「世界二十八箇国三十二地域で殺戮が行われているなかにあって、何がいかように「めでたい」のか迂生には皆目見当がつきません」と書いたが、その殺戮のど真ん中にパレスチナの問題があるのはいうまでもない。
 かつて阪神大震災の折、崩れかけた家で父が「どこへも行かない、死ぬならここで」と依怙地になっていたことを想い起こす。父は新潟生まれで育ったのは東京、そして四度の召集を受け、満州で青年期を過ごした。その父が神戸に寄せる思いがわたしにはまったく理解できなかった。「人間の戦場」に於ける双方の土地への執着と同質のものがここにはある。土地に限らない、ことば、民族、国家、宗教、文化、歴史、伝統、そのいづれをとっても同じである。わたしはそこに精神の老いを視る。
 イギリスを相手に展開した爆弾闘争を祖国の解放と位置づけ、パレスチナのそれをテロと断じるイスラエル。解放かテロか、抵抗かテロか、そうした相対的な問題に深入りする気は毛頭ない。ただ、双方が繰り返す報復の連鎖に狂気を覚える。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ砂漠が生んだ一神教である。同じ宗教の解釈の違いが血で血を洗うことになるのなら宗教などないほうがよいに決まっている。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月15日 19:40 | 固定ページリンク




新寡多録  | 一考    

 昨日、一日がかりで寡多録をプリントアウト、三分の一ほどが新しくなった。なくなったウィスキーが多く、文章も大半を書き直した。ご参考いただければ幸いである。
 安かったので、新しい水を買ってきた。詳細は以下のごとし。

名称:Jamnica ヤムニツァ 採水国:クロアチア 採水地:ヤニノ・ヴレロ 硬度・PH:400.76・6
炭酸の有無:炭酸あり 
成分(/1000mL)  ナトリウム:900.3mg  カリウム:29.4mg  カルシウム:105.2mg  マグネシウム:33.6mg

 ヤムニツァ社は創業175年の歴史を持つクロアチアで最も大きなミネラルウォーターとノンアルコール飲料の生産者。原水となる炭酸水は地下500mの深さから採掘され、1772年からの歴史がある。マリア・テレジア・フォン・エスターライヒが愛飲したハプスブルグ家御用達の水、かなり強炭酸(自然)で、含有物としてはナトリウムが多いので、塩味が強く堅め。扱いは大阪の重松貿易。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月09日 22:56 | 固定ページリンク




キムアネップ岬  | 一考    

 「故障に対応できないようでは車に乗る資格はない」などと生意気なことを書いたが、わたしごときに対処できる症状は限られている。ただ、車には個々に問題点があって、乗る以上は知っておいた方がよい。BMWにはよく乗るので、多少の癖は知っている。水漏れ、オイル洩れ、クランク角センサーの不調なのである。二輪の場合はセルモーター、リターンスプリング、イグニッションコイルなどが損壊しやすい。
 四輪でセルが回ってエンジンが掛からないのならクランク角センサーの不具合で、二輪の始動性をよくするならセルモーターを日本電装 ND-9に交換、ついでにイグニッションコイルをDYNAに交換すれば激変する。
 新車で、それもトヨタ車に乗っている分にはほとんどトラブルはない。しかし、わたしのように中古車にばかり乗っているとさまざまなトラブルに遭遇する。たとえ新車であっても十万キロを越えれば、定番の大型出費の整備が必要になってくる。これは二輪の五万キロに該当する。北海道を走り回っていたので、五万、十万といった距離は何度も経験している。

 高速道路が千円である。八時間あれば函館へ着く。五月は積雪で走られないが、九月の連休は一週間ほど北海道へ行きたい。大雪の旭岳の初冠雪は例年二十三、二十四日である。山中のキャンプ場は寒さで震え上がる。そしてサロマ湖にはサンゴ草が真っ赤な絨毯を敷き詰めたように咲く。それまでは生きていたい。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月07日 22:10 | 固定ページリンク




さくら川  | 一考    

 拙宅から徒歩二分で桜の名所である。荒川左岸排水路が正式名称だが、さくら川ともいい、古くは聖前落排水路(ひじりまえおとしはいすいろ)といった。八幡橋から聖橋にかけての両岸二キロに桜並木が続き、とりわけ南端の早瀬橋と聖橋の間は美事である。そこで桜を撮ろうと携帯電話を持って早瀬橋へ行く。十枚ほど撮ったつもりが、店で確認すると一枚しか写っていない。致し方なく、その一枚をちはらさんへ送る。どこもかしこも桜だらけで、ピントが合っているかどうかすら分からない。
 彼女との連絡以外に携帯電話はほとんど使わない。一箇月に二、三通話であろうか、インターネットにも繋いでいない。しかし、役に立つこともある。いつぞやの交通事故の折、車で迎えにきてもらった。ガス欠やパンク乃至はエンジントラブルで呼びつけたりはしない。それは四輪の場合も同じである。故障に対応できないようでは車に乗る資格はない。ライトの予備、配線の予備、針金、布テープ、牽引ロープ、空気入れ、パンク修理をはじめ必要最低限の工具は載せている。工具を揃えるのは自転車で数百キロの遠出をしていたころからの癖である。おそらく、対応しきれないのは小物ではオルタネーターの羽だけだと思う。ただ事故はどうにもならない。とりわけ身体のダメージには困惑する。必要な薬剤、止血剤と痛み止めを持ち歩いていないからである。
 さて桜である。駅から近ければ拙宅で花見をするのだが、埼京線戸田公園駅から三キロは離れている。車で見送りをするとなると私が酒が飲まれない。他にも彩湖・道満グリーンパークというのがあって、ピクニック、バーベキュー、釣りを楽しむことができる。しかし、事情は同じである。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月06日 22:33 | 固定ページリンク




悪巧み  | 一考    

 時事問題はすぐに消去する。消すぐらいなら書かなければよいと思うのだが、腹が立って仕方ない。苛立つのは今般の小沢問題である。贈収賄事件と違って政治資金規正法違反という形式犯で秘書を逮捕するのは言語道断である。国家権力の亡者がまた永田町に現れたようである。国策捜査を命じることができるのは自民党内に二人ほどいる。戦後もっとも狡獪な政治家をわたしたちは首相にしたのでないだろうか。
 小沢降ろしをマスコミが吹聴するが、いつの世にあっても世論とマスコミは同罪である。世論とやらを無視するのはファッショだが、日清戦争、日露戦争、支那事変、太平洋戦争等々を支持しつづけたのは世論である。他方、新聞雑誌は売れなければ赤字になる。テレビは視聴率を稼ぐための番組編成をしなければならない。以前にもましてマスコミが大衆に迎合し媚を売るのは当然なのである。世論とマスコミは悩ましい問題を常に抱えている。

 円安になり、米国の株がすこし上昇しただけで経済は底を打ったと囂しい。30兆ドルとも60兆ドルとも云われる不良債権の処理が済んだかのような騒ぎである。米国にはひとりの小泉もひとりの竹中平蔵も生れていない。クレジット・デフォルト・スワップはなにひとつ清算されていないのである。エンロン、ワールドコム、リーマンブラザーズの倒産から米国の政治家はなにを学んだのであろうか。株価が5000ドルを割り込み、1ドルが75円にならないという保証はどこにあるのか。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月04日 21:02 | 固定ページリンク




恋の奴隷  | 一考    

 一昨夜Tさんと担当編輯者が来られて六月末に某書が出版の予定だと聞かされた。期待している書物である。そこで別のTさんにサイン会もしくは講演会を依頼したところ断わられてしまった。これには理由がある、かつて金子國義さんのサイン会をお願いした折に不始末があったからである。同じトラブルを繰り返したくない気持はよく分かるが、どうやらわたしが持ち込むはなしは懲り懲りというのが実体のようである。ところでこの実体、実相であれ、実態であれ、実状であれ、実情であっても大差ないが、要は実体を持たぬわたしに対する見事な切り返しになっている。
 料理人、編輯者、飲み屋の主人とさまざまな職業を経巡ってきたが、いまだこれが実体というものにお目に掛かったことがない。「お目に掛かったことがない」などと書けば、お目に掛かるべき実体が別途設けられているようにも思われる。しかし、どこを探してもそのようなものは見当たらない。なぜかというに、わたしは真性のちゃらんぽらんだからである。
 一昨夜、山本六三から奥村チヨ(わたしとは同年同月生れ、弘田三枝子とは生年月日が同じ)のはなしになって「恋の奴隷」を合唱、大笑いになった。時代は一億総白痴化からニッポン無責任時代へと突入、植木等をあきつかみとして育ったわたしにとって「右と言われりゃ右むいて とても幸せ 影のようについてゆくわ 気にしないでね 好きな時に思い出してね あなた好みのあなた好みの 女になりたい」は国歌にも等しい。
 わたしにとって最も縁がないのは書物を中心とした教養主義的な世界観である。教養は人間の想像力や思考力を低下させる。さらに、教養などといわれると実相観入を想い起こす。わたしならひっくり返して皮相観入に戻したくなる。「実相に徹するをもって短歌写生道の要諦とする」といった自己本位性をわたしは浅薄と云いたい。皮相と実相という茂吉が示唆する二項対立には悲壮なまでの覚悟とナルシシズムが漂う。実体を現象認識のためのカテゴリーに過ぎないと看破したのはカントだが、事物の根底から実体が逃げ出して久しくなる。世の文学者はいつになったらそのことに気付くのであろうか。
 それでなくとも、対象概念と属性概念はしばしば入れ子構造をなす。というよりは言い回し、文脈、論理構造によってどこへでも好きなところへ飛んでゆく。「飛んでゆく」と「飛ばすのが可能である」では意味合いが随分と違ってくる。この違いは石川淳と漱石のそれにも似ている。わたしは当然、石川淳の側に立つ。


投稿者: 一考      日時: 2009年04月03日 19:37 | 固定ページリンク




老人ぼけ  | 一考    

 渋谷は何度いってもいやな街である。ひといきれに圧倒される。五分もしないうちに気分が悪くなる。人とひととのあいだには然るべき距離が必要である。それが分かっていて出掛ける。山本六三さんの展覧会へ行くのである。渋谷でロクさんの画を観なくても、記憶に深く刻まれているはずである。御影のアトリエから南茨木を経て西神のアトリエまで、機会があるごとに彼の作品を覧てきた。にもかかわらず、どうして行くのだろうか。
 ひとを避けつつ歩いていて迷ってしまう。渋谷と銀座はいつきても迷う、わたしにとっては迷路のような街である。南画廊、南天子、椿、青木、養清堂、番町、シロタ、ガレリア・グラフィカ等々、昔はすっと行けたのに今は迷う。先日はスパンアートギャラリーですら分からなくなってしまった。
 かつては自転車で東京の街を走り回っていた、それが今では決まった途を単車で決まったように走るのが精一杯なのである。赤坂以外の街へ行くときは、赤坂の駐輪場へいつものように単車を放り込んでから地下鉄で出掛ける。それですら乗り換えが必要なときなど、切符の買い方が分からなくなる、どの電車に乗ればよいのかが分からなくなる。揚句、喉が渇いて上気し、咳き込み、落ち着きがなくなる。心臓は早鐘になって手足が震え出し、どうしてよいのか分からなくなる。ひとりではなにも出来なくなる性分なのかもしれない。それとも、単純な老人ぼけなのか。思うに、この種のぼけがはじまったのは平成元年に車の免許証を取得してからではあるまいか。車はひとを気儘にさせる。好きなときに煙草を喫み、好きなときに飲料が飲まれる。四輪だと外気の流入、温度調整も自由である。要は生理状態を好きに保つことが可能なのである。
 ロクさんについて書こうと思いつつ、はなしは脱線する。2003年07月14日の掲示板1.0に「新掲示板に託けて」と題して書いた、しばらくは書くこともあるまい。会場で山本六三展覧会のカタログが売られていた。注文しようかと思いつつ、彼が逝ったのが2001年、その時のロクさんの歳を越えてしまったことに気付いた。いまさら物欲を満足させたところでなんとする、というロクさんの澄んだ声が聞こえた。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月31日 23:50 | 固定ページリンク




二次電池  | 一考    

 現行のハイブリッド車はニッケル水素電池を使っている。一方、電動アシスト自転車はリチウムイオン電池を使っている。重量面と容量面でリチウムイオンの方が有利で、車体全体の軽量化、充電一回あたりの走行距離が優れている。ただ自転車に使われているリチウムイオン電池で車を走らせるとなるとさらに高性能なものが四、五十連装は必要になる。ひとつ二万円として八十万円、それが二年しか持たないのである。
 年内にベンツとBMWもハイブリッド車を出すが、こちらは燃費が一割ほど改善されるだけでトヨタやホンダのそれと比して形だけのハイブリッドである。トヨタは三千人のスタッフを電池開発事業へ注ぎ込んでいる。ハイブリッド車が諠譟されて三十年、二次電池の革命は何時のことやら。リチウムイオンポリマーやカルシウムイオンをはじめ、電極材料としてマグネシウムやナトリウムを使うアイデアもあるらしい。前述のサプリメントを思わせるから不思議である。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月30日 23:00 | 固定ページリンク




バイオリズム  | 一考    

 ひところバイオリズムというのが流行った。飲み屋の店主のあいだでは今もよく用いられる。例えば先々週の木曜日は店は満席だった。ですぺらに限らず二階のお店も一杯だったらしい。ところが先週は月曜日から金曜日までひっくるめて客はわずかに一人である。これには生物リズムが深くかかわっているとみなは云う。
 先々週が忙しかったので先週の月曜日に肴を数種拵えた。結果として無駄になったが、そういうこともあろうかと自分の好物しか作っていない。わたしの酒量がちょいと増えただけなのである。
 その月曜日にカレーを大量に作った、土曜日の分まである。要するに、一週間の料理から解放されたのである。先々週は肉じゃが、今週は山菜丼、来週はシチューの予定である。ひとりだとメニューは週単位で変わる。なんだ肉ばかりじゃないかと云われそうだが、カレーには人参、馬鈴薯、マッシュルームが肉以上に入っている。どうして肉じゃがなのかと云えば、糸蒟蒻が一キロの袋で九十円だったからである。同じ日に山菜の一キロ袋を百円で購入している。メニューを決めて買い物に行くのでなく、行った先で安価なものを組み合わせて料理を作る。何々を食したいとの意見は持たない。よほどの懐石かコース料理でない限り、食に期待するところはなにもない。カレーにしたところで、半額のマッシュルームと半額のカレー用牛肉(グラム五十円)が偶然手に入ったからに他ならない。
 さてバイオリズムである。東回りより西回りの旅行のほうが時差ぼけから早く回復する。生活のリズムは速めるより遅らせるほうが容易だからである。そのようなことよりも、老いと酔いを自由継続性リズムと同調因子とに別ける方が分かりよい。ズレやブレ自体、生体が内包するリズムのひとつであって、規制のみならず、狂わせるのもバイオリズムの役目とわたしは心得ている。いつぞやの木曜日を一糸乱れぬとまでは云わない、連休前であってすべては偶然のなせる業なのである。ただ、狂いもせずによく生きているなあと日々感心している。

 土曜日はモルト会だった。大浦さんからディー・エイチ・シーの「カルシウム・マグネシウム」の百八十錠入りを頂戴した。昨今流行りのサプリメントなのだが、すこぶる有り難い。彼は背筋がつるので悲鳴をあげたらしい。指先の予防には芍薬甘草湯よりもこちらの方が効きそうである。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月30日 22:15 | 固定ページリンク




高級品  | 一考    

 アードベッグ30年をはじめて扱ったのはジャパンインポートで、頒価は21,105円だった。同じくラフロイグ30年の最初の値は57,750円だった。後者は記載されていないが、ヴィンテージによっては30,000円まで下がっている。逆にアードベッグ30年は十万円を軽く超えている。ちなみに、ですぺらのラフロイグ30年(初年度ヴィンテージ)は無事に売り切れた。
 今回高級品が数点入荷する。

 ブラックラフロイグ第二弾 81年蒸留 27年もの オロロソシェリー・カスク 56.6度 736本 100,000円(税込み)ボトリングは2008年

 ラフロイグ25年 ファーストフィルのバーボン&オロロソシェリー カスク・ストレングス 国内110本限定販売 東京地区40本 参考価格60,000円 ボトリングは2008年

 ホワイトボウモア 64年蒸留 43年もの バーボン・カスク カスク・ストレングス(43度)6樽732本 国内90本限定販売 東京地区41本 参考価格350,000円

 ボウモア 92年蒸留 16年もの ワイン・カスク カスク・ストレングス 国内2,340本限定販売 参考価格12,000円 バーボン、シェリー、ポートと続いたシリーズ第四弾(ボウモア・ダスクが平行もので出回っている)

 山崎1984 25年もの ミズナラ・カスク 48度 参考価格100,000円

 ブラックラフロイグは五月中旬だが、他はサントリーの扱いで四月二十一日、山崎のみ三月発売。これでも為替の好転によりリーズナブルになっているらしい。ですぺらでの購入はどれですかって、企業秘密ですよ。当然、試飲会には参加しますが。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月27日 22:00 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 ストラスミル '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。11年もの、50度のプリファード・ストレングス。420本のリミテッド・エディション。
 ストラスミル蒸留所の創業は1891年、キースの町の製粉工場を蒸留所に改築。当初はグレンアイラ・グレンリベットと名乗る。ちなみにグレンキース蒸留所も製粉工場の跡地に建てられた。J&Bやダンヒル・オールドマスターのメインモルト。ブレンデッド用の原酒を造るための蒸留所で、オーナーは現ディアジオ社。シングルモルトの販売は1993年から。

02 ストラスミル '85(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本、10年もの、46度。
 キース地区特有の熟した果実の香りと長く続くスパイシーなフィニッシュ。丁字を思わせる芳香、爽やかな苦みが特徴。

03 ストラスミル12年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 花と動物シリーズの一本にして、43度のディスティラリー・ボトル。
 2002年初頭より頒布されたニュー・ボトル。同時頒布は本品の他、オスロスク、グレン・エルギン、グレン・スペイの4種。
 わが邦での評価は低いが、キース地区の卓越したモルト。インデペンデント・ボトラーのボトルは本品と比してより薫り高く、ラスト・ノートで優る。

04 ストラスミル '85(シグナトリー)
 オーク樽による12年もの、43度、限定503本のシングル・カスク。
 ゴードン&マクファイル社、ウイルソン&モーガン社、シグナトリー社から数種の加水タイプのボトル、またダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、イアン・マキロップ社、マッカーサー社、シグナトリー社からは数種のカスク・ストレングスが頒布されている。特にシグナトリー社がボトリングした、74年蒸留の25年もの、77年蒸留の27年ものは傑出している。 

05 タリバーディン10年※
 40度の旧ディスティラリー・ボトル。
 スコッツ・グレイの核をなす原酒モルト。酒質はモルティなライトボディ。フルーティーな香りと麦芽の風味、甘く切れ上がるソフトなフィニッシュ。
 現在のディスティラリー・ボトルはヴィンテージ表記になり、エイジング表記は消えた。また、ヴィンテージによって用いるカスクの種類も異なる。

06 タリバーディン '94(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。リフィール・シェリー・ホグスヘッドの10年もの、46度。
 蒸留所は1949年、ビール醸造所の跡地に設立。1994年から操業が停止されていたが、2003年に四人のプライベートメンバーが蒸留所と保有する樽を買収し再開、2004年新生タリバーディンがリリースされた。
 蒸留所が在るハイランド地方の南端ブラックフォード周辺ははミネラル・ウォーター「ハイランド・スプリングス」の産地として識られる。同じダニー川の水を仕込水に用いている。ハイランドモルトでありながら、ローランドを思わせるようなスムースで柔らかい個性。

07 タリバーディン '89(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。
 フルーティーな味わいで、南ハイランドを代表するウィスキー。
 ロンバード社のメインとなるシリーズで、すべてがシングル・カスク。冷却濾過やカラーリングを行わず、46度からカスク・ストレングスまで幅広くボトリング。2回目の頒布はブローラ、ロッホサイドと本品の3点。

08 フェッターケアン12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
 2002年10月の発売。ブランドと蒸留所名が統一され、熟成年数が10年から12年に、アルコール度数が43度から40度に下げらた。当初は1・ボトルによる頒布。
 旧ボトルと比して確実にまろやか、唇に触れた時のえも言われぬ甘味。

09 オールド・フェッターケアン10年※
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。
 蒸留所名はフェッターケアン。オールド・フェッターケアンはディスティラリー・ボトルのブランド。ホワイト&マッカイの原酒モルトのひとつ。
 芳ばしいヘーゼルナッツや胡桃の風味、甘辛のバランスにすぐれたユニークな食前酒。スムースでシルキー、清爽なフィニッシュ。ミディアム・タイプ。

10 オールド・フェッターケアン '92(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。10年もの、60.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 ボトラーではキングスバリー社とマッカーサー社のカスク・ストレングスの他、パシフィック・カレドニアンから6年ものカスク・ストレングスが頒されている。かつてシグナトリー社から80年蒸留のヴィンテージものがボトリングされたが、キンダル社のボトルと共に特筆大書すべき逸品。

11 オールド・フェッターケアン '91(ダグラス・レイン)
 04年のボトリング。オールド・モルト・カスクの一本。13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。289本のシングル・カスク。
 蒸留所の創業は1824年、当初ネザーミルと名付けられる。閉鎖蒸留所が多い東ハイランドで生産を続けている数少ない蒸留所のひとつ。フェッターケアンは熟成庫の広さと保管する樽の量が多いことで識られる。

12 オールド・フェッターケアン26年(スティルマンズ・ドラム)※
 リミテッド・エディションであるスティルマンズ・ドラムの一本。45度。
 旧オーナーのジム・ビーム・ブランドからスティルマンズ・ドラムの一本として26年ものと30年ものが頒布されている。さらに、現オーナーのキンダル・インターナショナル社からシングルカスク・セレクションと銘打って72年、73年蒸留のカスク・ストレングスが頒布された。

00 ストラスミル '92(ジェームズ・マッカーサー)
 03年のボトリング。オールド・マスターズの一本。11年もの、64.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月27日 20:43 | 固定ページリンク




ストラスミル見付ける  | 一考    

 明日のモルト会で用いるフェッターケアンのスティルマンズ・ドラムは田中屋で購入したが、記憶に間違いがなければ杉本酒販で買ったものと同じヴィンテージだったと思う。だとすれば、1999年のボトリングである。西明石店閉店の間際だったと思う。
 オールド・マスターズのストラスミルを購入した記憶があって、昨夜拙宅を探し回った。92年蒸留の11年もので扱いはスコッチモルトセールス。ユナイテッド・ディスティラーズのボトルからは想像もできない逸品で、シグナトリー社がダンピーボトルで頒した74年蒸留の25年ものの次に旨かった。そのストラスミルが見付かったのでモルト会へ追加する。従って、会費は八百円ほど上がるが、ご満足いただけると思う。解説は蒸留所の部分を端折って掲載する。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月27日 20:38 | 固定ページリンク




喫煙病はとりとめなく  | 一考    

 近所の煙草屋と先日書いたのは赤坂のプラセール(http://www.placer-tabaco.com/)である。同じキューバの黒たばこ系シガレット「ロメオ Y ジュリエッタ」より「コイーバ・シガレット」の方が美味いと云ったところ、今日はナットシャーマンの試供品を頂戴した。
 前述のもの以外の紙巻きシガレットだと、キングエドワード アメリカ、アルカポネ ドイツ、ブラックストーン アメリカ、ミュリエルスイート アメリカ、サンタフェ アメリカ、マトリックス ハンガリー、シルクロード オーストリア、キース オーストリア、キャプテンブラック アメリカ、ボルクムリーフ アメリカ、ランバージャック オーストリア、ブラックバニラ ドイツ等々がある。パイプ煙草を用いたアークロイヤル ウルグアイも入れておかなければならない。
 甘草、カリンエキス、ミントが配合され、キャラメルクリームの味わいを持つシルクロードは新発売だが、大略は明石に居た折に味わっている。掲示板1.0で「神戸の元町一丁目に杉本酒販というモルト・ウィスキーと葉巻煙草の専門店がある。最初はオールド・フェッターケアンとタリバーディンのスティルマンズ・ドラムで知り合ったのだが、話し込むにつれ、葉巻のとんでもないプロだと分かった。かなわないひとには逆らわない、黙って教えを請うのが一番である」と書いた。
 先般、母の葬儀で神戸へ行った折、元町で一日を過ごした。記憶の整理に立ち寄ったのだが、新たな記憶も生じた。殺人などというあらぬ嫌疑を某大学の名誉教授からかけられ、二度と足を踏み入れることはあるまいと思っていた海文堂を訪ねた。かつての仲間、後藤さんがいらっしゃると聞いたからである。掲示板1.0で季村敏夫さん編輯の瓦版なまずについて触れた箇所で、「なまずは元町の海文堂に置いてあるそうです。海事の担当者が昔私と一緒に仕事(コーベブックスか)をしていたそうですが、お名前はじめ詳細は分かりません」と書いた。それが後藤さんだった。秋山さんの死をはじめ、コーベブックスで働いていた方々のその後について一時間ほど話し込んだ。私もそうなのだが、手に職を持たぬ売り子の末路は切ない。後藤さんのはなしを聞いていて暗澹たる思いにとらわれた。
 杉本酒販は煙草はともかく、酒に関しては月並な商品構成になっていた。売れないのが理由であろうか。黒木書店、俳文堂趾で手を合わせ、心持ちはいよいよ暗く、せっかく元町まで来ながらなにひとつ食さずに葬儀場のある神戸電鉄へと歩を進めた。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月27日 20:25 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

3月28日(土曜日)の19時から新装開店後、十五度目のですぺらモルト会を催します。
会費は8400円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はハイランドからタリバーディンとフェッターケアン、スペイサイドからストラスミルの三点です。ストラスミルはキース地区を代表するモルトで、ストラスアイラやグレンキースと屡々比較されます。飲み口は最もすっきりしているのですが、ですぺらモルト会には初見参です。
タリバーディンは南ハイランドを代表するウィスキー。フェッターケアンは東ハイランドを代表するウィスキーでノックドゥーと共にナッティーな香味が強い。要するに収まりきらないモルト・ウィスキーを掻き集めたということ。

ですぺらモルト会(ストラスミルとフェッターケアンを飲む)

01 ストラスミル '88(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。11年もの、50度のプリファード・ストレングス。420本のリミテッド・エディション。
02 ストラスミル '85(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本、10年もの、46度。
03 ストラスミル12年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 花と動物シリーズの一本にして、43度のディスティラリー・ボトル。
04 ストラスミル '85(シグナトリー)
 オーク樽による12年もの、43度、限定503本のシングル・カスク。
05 タリバーディン10年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
06 タリバーディン '94(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。リフィール・シェリー・ホグスヘッドの10年もの、46度。
07 タリバーディン '89(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。
08 フェッターケアン12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
09 オールド・フェッターケアン10年※
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。
10 オールド・フェッターケアン '92(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。10年もの、60.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
11 オールド・フェッターケアン '91(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。289本のシングル・カスク。
12 オールド・フェッターケアン26年(スティルマンズ・ドラム)※
 リミテッド・エディションであるスティルマンズ・ドラムの一本。45度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年03月25日 19:47 | 固定ページリンク




効かぬ芍薬甘草湯  | 一考    

 ゴアテックスのジャケットはまだ着用しているが、三月十六日に単車の防寒具を外した。駐輪場でハンドルカバーをつけているのは私のみ、どうやらオートバイとは痩せ我慢をして乗るものらしい。ところが、今日再びハンドルカバーを装けた。昨夜左手の人差し指と中指が絡まってクラッチレバーが握られなくなった。要するに指がつったのである。
 このところ、頻繁に指がつる。今日も池袋で右手が、講談社の前で左手の中指がつってやむなく停車。エンジンで暖をとりながら十分ほどマッサージをした。このようなこともあろうかと、芍薬甘草湯は常に持ち歩いている。しかし効能の方はさっぱりである。腓返りの痛みには効くが、指先の予防には役立たない。血液検査でこちらの異常は指摘されなかったのだが、再検査の必要がありそうである。もっとも、握力が落ちている理由は運動不足の初期症状以外のなにものでもない。単車に半分、あとの半分は自転車に乗れということか。
 来月は久しぶりに自転車を組み立てようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月24日 21:21 | 固定ページリンク




スプリングバンク10年  | 一考    

 スプリングバンク10年ものが長く売り切れていたので買ってきた。登場は2000年春だったが、たしか2002年夏頃にボトルが変わったと記憶する。縦縞の赤っぽいラベルから黒いラベルに変更された。前回はシェリー香と甘味は抑えられ、替わりに僅かな塩味。C.Vにより近い味わい。スプリングバンク蒸留所はアイラ産のピートを用いる。その特質が活かされたディスティラリー・ボトルだった。黒いラベルは味見をしていないが、バーボン・カスクなのでおそらく香味は変わるまい。
 在庫ではロンバード社のボトルがもっとも安価だが、こちらはもっともブリニーなスプリングバンクである。比してディスティラリー・ボトルの10年ものの方が美味いに違いない。売価は900円。松友さんに迷惑を掛けていたので、これで一安心である。
 先日、ちょっと余裕ができたので他にも五、六本仕入れてきた。整理がつき次第、棚へ陳べる。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月23日 20:49 | 固定ページリンク




感謝  | 一考    

 puhipuhiさんのいう救難信号を発信してからstewardさんが連日来店なさっている。来ていただけるだけでもありがたいのに、二十日は通常営業にしようと仰有ってくださる。四、五人参集してくださるようである。忝なき御心、たぐひなきを頼みに思いおる次第。
 春分の日は久しぶりにお好み焼きを用意しようかと算段している。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月18日 23:15 | 固定ページリンク




第30回 ナベサン文学散歩の会  | 一考    

春の武蔵野を歩く

日時 3月22日(日曜日) 午後2時半
場所 JR中央線国分寺駅集合(改札1つ)
引率 芳賀啓(携帯080-6554-3805)
   20日までに出欠をお知らせください。(世話人渡辺ナオ)

註)1.今回の集合時は30分遅らせて2時半です
  2.今回もまた「銭湯付」ですので、入る方はタオルをご持参ください
  3.テキストを添付していますので、
参加者は事前に「予習」してきてください

コース JR中央線国分寺駅→北口→日立中央研究所南(野川源流:大岡昇平『武
蔵野夫人』)→伝村上春樹夫妻旧居跡→姿見の池→西国分寺駅→古代官道(東山
道武蔵路)跡→JR中央線西国分寺駅→国分寺駅→南口→旧国分寺書店(椎名誠
『さらば国分寺書店のおばば』)→鳥八(三億円事件秘密捜査本部跡)→都立殿
ヶ谷戸庭園→ほんやら洞(中山ラビの店)→ピーター・キャット(村上春樹夫妻
店)跡→殿ヶ谷戸→もみじ橋→もみじ橋遊歩道→イグネ脇→野菜無人直売所→
東元町→タンポポ・ハウス(藤森照信邸)→桃の湯→国分寺駅

之 潮(コレジオ)
185-0021東京都国分寺市南町2-18-3-505
URL http://www.collegio.jp
e-mail: info@collegio.jp

上記の連絡先は端折りました。参加なさる方はナベサン(03-3208-0627)へ直接電話してください。添付テキストが必要な方は一考(080-3219-6221)もしくはですぺら(03-3584-4566)へどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月16日 20:45 | 固定ページリンク




ふたつの展覧会  | 一考    

 日曜日にエコール・ド・シモン人形展へ行く。場所は新宿三丁目の紀伊國屋画廊だが、単車で出掛けたので四谷シモンさんと酒を飲むのはかなわなかった。名前は伏せるが、結構な人形が二体出品されていた。視線が定まらず、暗い宙を舞う眼差しにわたしは魅せられる。人形展は二十四日まで、休日が二日挿まれているので、お出かけあれ。
 先日書いた忘れ物はシモンさんにお預けしたのでよろしく。

 山本六三展は三月二十四日から三十一日まで。渋谷道玄坂の文化村ギャラリーで催される。今回はタブローも販売されるようである。案内状はですぺらに置いている。彼については掲示板1.0で幾度となく触れているので繰り返さない。おそらく最後の機会ではないかと思う、鑑賞していただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月16日 18:58 | 固定ページリンク




山本六三展  | 一考    

 三月二十四日から渋谷の東急文化村で山本六三展が催される。もっかスパンアートギャラリーから案内状を送っていただいている。詳細が判り次第、ご案内申し上げる。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月14日 19:25 | 固定ページリンク




危機的状況  | 一考    

 拠んどころない事情があって、今月のですぺらは危機的状況にある。お誘いあわせのうえ、ご来店賜わりますようお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月13日 20:32 | 固定ページリンク




モルト・ウィスキーと為替  | 一考    

 インポーターから日々十通を超えるメールが入るようになった。これをどのように解釈すればよいのだろう。取引が活発になったのなら慶賀なことである。しかし、そうとは思われない。売れ行きが鈍く、扱いが多品種少量にならざるを得ないのであろうか。近しい友に聞いてみると、高級品はさっぱり売れなくなったという。
 インポーターの多くは半年契約もしくは通年契約をしている。契約期間が長ければ一ポンド二百五十円が二百三十円になる、といった類いである。まさか為替が百三十円にまで変動するとは誰も思っていなかったに違いない。先日も書いたが、ゴードン&マクファイルのボトルが二十一年もので三千九百円にまで下がったが、これなどはほんのごく一部で、大方はまだ下がらない。その理由はインポーターの在庫にある。去年の春から夏にかけてモルト・ウィスキーの値が暴騰した、ダグラス・レインのブローラが八万円の類いである。その暴騰期に購入したボトルが売れずに残っている。在庫が捌けるまでは、現在の為替相場で入荷してもおいそれと下げられないのである。
 為替相場だが、現況はあと二年はつづく。続くというより、欧州の金融はこれから第二幕を迎える。ポンドもユーロもさらに下がるとわたしは思っている。暫くは我慢比べだが、おそらく五月になれば雪崩を打って安価なボトルが出回るのでないだろうか。十年ほど前のように八百円位で飲まれるモルト・ウィスキーが増えてほしいと願っている。

 ポート・エレンの値が下がっている。八十年代の生産量がよほど多かったのか、ファイナル・ヴィンテージがいくらでも出てくる。ひところ三万五千円の値が付いていたが、一万五千円にまで下がった。逆に、コールバーン、コンヴァルモア、バンフ、グレンユーリー・ロイヤル、グレンロッキー、グレンアギー等、八十年代に閉鎖された蒸留所のモルト・ウィスキーが高騰著しい。
 ところで、ボトラーものならシルバーシールなど、ディスティラリーものならマッカランやボウモアの高級品、ヴィンテージものに贋ボトルが出回っている。ヤフオクでも大阪、京都の出品者で指名手配された輩が複数いる。いずれも中味はブレンド・ウィスキーだが、ラベルはカラーコピー、コルクが新しいので注意すればそれと気付く。以上はイタリアのコレクターの談だが、オークションは要注意だそうである。

追記
 早速クレームが付けられたので一言。多くの業者がオークションに出品なさっている、それら出自の明白なボトルに問題はない。要注意と書いたのは個人の出品に限られる、それもごく一部が問題なのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月13日 20:18 | 固定ページリンク




忘れもの  | 一考    

 昨日はエコール・ド・シモン人形展の初日、如月さんが九名でですぺらへ見えられた。帰られたあと、黒いコートの忘れ物があった。ポケットにマンションのキーが入っている。さぞお困りだろうと思う。店主のわたしが悪いのだが、カウンターの端に置かれていたため、閉店まで気付かなかった。ご連絡をお待ちする。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月13日 18:01 | 固定ページリンク




「嗜み」三号  | 一考    

 某出版社からモルト・ウィスキーの本を造りたいとのはなしが先週舞い込んだ。この手のはなしはうんざりである。企画がないがゆえの点数稼ぎであって、著者一任の原稿依頼なんぞ真っ平である。下らない専門書とやらが巷に濫れている、屋下に屋を架すとはこのことである。
 モルト・ウィスキーに関する書物は千編一律で何の変化も見られない。蒸留所の概略とたたずまい、ボトラーの歴史、ボトルの写真と香味。香味はapple、citrus、floral、dried fruits、oily、malty、vanilla、woody、spicy、peatyに1から5までの段階を設けて数値によって表出される。先行するマイケル・ジャクソンの著書に倣えで、レイアウトまでが機械的な流し込みでよしとされ、ことごとくがフォーマリズムで片付けられる。要するにウィスキーの物語がどこにもない。
 随分と前のはなしになるが、上京した折、書肆山田の大泉女史からウィスキーの解説が詰らないといわれた。香味は描けば物語になる。その物語を詳述する乃至は拵えないことにはウィスキーを書き表したことにならない、との仰せだった。わたしは元編輯者ゆえ、蒸留所やボトラーの型録を拵えるのは得意である。逆に云えばそれしかできない。解説を書くことはできても物語はわたしには創られない。思うに、世に在る書物とはその大半が解説書ではなかろうか。モルト・ウィスキーにまつわる物語など、未だに存在しないのではあるまいか。
 そうしたなかにあって唯一気を吐いているのが佐々木幹郎さんである。かつてサントリーのPR誌で彼のモルト・ウィスキーに対する頌詩を読んだ。そして「嗜み」での試みはモルト・ウィスキーにまつわる物語の探求である。前回は目白の田中屋を、今回はインポーターのエイコーンを取上げている。エイコーンの蔦清志さんとはスリーリバーズの大熊慎也さんと共に、かつて料理王国誌上で鼎談した。今回は幹郎さんの筆になるものだが、おそらくエイコーンが取材の対象になったのははじめてでないだろうか。「人形記」同様、幹郎さんの柔軟さとアプローチの多様さに驚かされる。なにを持って多様とするかは「人形記」の方で書く。
 幹郎さんのエッセイを読んでいて、久しぶりに本を造りたくなった。モルト・ウィスキーに物語があるなら書物にも物語がある。そして中味も外装も既存の書物のイメージを覆すところから物語ははじまる。幹郎さんのエッセイに相応しい書物とはどのような書物なのか、それを考えてみたくなったのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月11日 19:16 | 固定ページリンク




ル・グラン・ヴェフール  | 一考    

 佐々木幹郎さんの「人形記 日本人の遠い夢」について書こうと思いつつ、このところ書かれないでいる。淡交社から定価2800円で上梓されている。大西成明さんの写真が多数刷入された美書であって、類書はない。なぜに類書がないかということをそのうち書こうと思う。取り敢えず、案内のみにて失礼する。

 「ギイ・マルタンの芸術」がですぺらへ入ったが、料理もさることながら、書物自体が芸術品である。ル・グラン・ヴェフールのテーブルクロスが表装に用いられ、クリストフルのユニが添えられている。中扉にはそれぞれ六十三種類の型抜きが施され、かつての湯川本を髣髴させる。マルタンさんが齋藤芳弘さんの本づくりに魅入られた理由がよく分かる。幹郎さんにも覧ていただきたい書物である。その理由はここでは書かない。
 久しぶりの話し合いで、誤解は氷解した。それにしてもわたしの頭のなかはヒロユキさんのことで一杯だった。彼には最低三年の修行を命じたが、その間にフランス語を学んでいただきたい。ル・グラン・ヴェフールで包丁を持たせるのがわたしの夢である。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月04日 21:08 | 固定ページリンク




新宿行  | 一考    

 四月の十四日までひとりの生活になるようである。居なくなるひとは自宅周辺の桜の様子を写真で送れという。携帯メールの写真の送り方なんぞわたしには興味がない。
 近隣の桜は一種類だが、駐車場から店までの途次にはいろんな桜が咲く。歩いて十五分ほどの道程なのだが、結構気に入っている。突き当たりに東京タワーがあって左は清水谷公園、右側にはホテルニューオータニがあって、ブルガリ、アルマーニ、ヴェルサーチ、パルジレリ、フェラガモ、ヴァレンティノ等々、わたしとはおよそ縁のない店舗が軒を並べている。桜が咲かなければ外国へでも旅した雰囲気に浸れる。
 駐車場を利用するのは雨降りに限られるので、この路を歩くときは女ものの傘を差す。せめてもの気取りである。店舗は閉まっているが、ショーケースには明かりが点いている。「おまえがヴェルサーチか、おれはユニクロだ、文句あっか」つぶやきながらマヌカンと睨めっこする。フェンシングよろしく傘を振り回していて二度ほど職務質問を受けた。実体な警官はわたしを酔っぱらいと見定めたのであろうが、わたしがそんなことをするときは素面に決まっている。酔っ払っていれば寂しさから見境なく抱きしめる、おそらく這いつくばってガラス越しにマヌカンと愛を語らうに違いない。
 土曜日はちはらさんのおかげで気持ちよく酔っ払った。しばらくは足がないので、新宿へは行かれなくなる。それを見越しての新宿行だった。感謝している。


投稿者: 一考      日時: 2009年03月02日 23:47 | 固定ページリンク




コイーバ ・シガレット  | 一考    

 このところCOHIBA(コイーバ)を喫んでいる。普段はゴールデンバットなので、月に一度の贅沢である。安い煙草を買っているにもかかわらず、近所の煙草屋の女主人はサービスに勤しむ。ダスマン・ムーズ、ダスマン・スペシャル・スマトラ、パンター・アロマ、ミックスチュア・メンソール、ガレリア・アイリッシュ・クリーム等々、行くたびに試供品を頒けてくださる。先日はコイーバ・クラブのミニシガリロが舞い込んできた。それがあまりに美味かったのでコイーバ のシガレットタイプを購入した。葉巻を買う金はないのでいつも機械巻きかシガレットタイプになる。シガーを嗜むひとに云わせれば邪道だろうが、わたしはそれを十分に楽しんでいる。モルト・ウィスキーと同じで、香りがすべてと思っている。そのうち宝籤でも当たればヴェルタ・アバホのハバナシガーを買うこともあろうかと、これは想像しているあいだが花なのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 20:43 | 固定ページリンク




修正  | 一考    

 シーグラム社の解説を書くことによって過去の間違いを十数箇所発見。掲示板2.0に限られるが、遡って修正を加えた。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 11:01 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(シーグラムの蒸留所を飲む)  | 一考    

 シーバス社はスペイサイドの東端アバディーンで1801年に創業。1838年にジェームス・シーバスが事業に参加。その後、彼の弟ジョンも加わり、シーバス・ブラザーズ社として発展する。同社がブレンデッド・ウィスキーを発売するようになったのは1870年代からで、1949年にはシーグラム社の傘下に入る。商品名のシーバス・リーガルはシーバス家の王者の意で、スコッチのプリンスとも称され、二度のロイヤルウォラント(王室許可書)を授かっている。ちなみに、12年ものをはじめて発売したのもシーバス社である。ウィスキーの熟成は12年をもって完成する。あとは枯淡の味わいとなって若さは喪われてゆく。
 グレン・リヴェット、グレン・グラント、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ストラスアイラ、グレンキース(ストラスアイラの第二蒸留所)、ロングモーン、ベンリアック(ロングモーンの第二蒸留所)、アルタベーン、キャパドニック(グレン・グラントの第二蒸留所)等、シーグラム社が所有していた九つの蒸留所は実に旨いモルトを造っていた。2001年の同社の売却後、閉鎖された蒸留所、売却された蒸留所など消息はさまざま、もったいないことをしたものである。現在シーグラム社はペルノ・リカール社傘下となっている。

 ペルノ・リカール社による買収後、存続が決まった蒸留所はグレン・グラント、グレンリベット、ロングモーン、ストラスアイラ。閉鎖が決まったのはアルタベーン、ベンリアック、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリベット)、キャパドニック、グレン・キースだが、もっかのところ現実に閉鎖されたのはグレン・キースとキャパドニックで、2002年に閉じられた。ブレイヴァルは生産調整のため操業停止のまま、アルタベーンは2005年5月に操業再開が報じられた。ベンリアックは、2004年にバーンスチュワート社の前オーナーであったビリー・ウォーカーが中心となってシーグラム社から蒸留所を買収。クラシックなスペイサイドタイプのモルトとピーティータイプの二種類のシングルモルトを醸している。また、一部フロアモルティングを復活、蒸留所内で麦芽の供給を行っている。
 なお、ペルノ・リカールの子会社キャンベル・ディスティラリーズが所有していたアベラワー、グレンアラヒ、エドラダワーのうち、エドラダワーはボトラーのシグナトリー社が2002年に買収している。
 2001年のシーグラム社のワイン・スピリッツ部門の獲得のあと、ペルノ・リカール・グループはアライド・ドメック社を2005年に買収。アライド・ドメック社はバランタインやマーテルで知られるコングロマリット。次いで2008年、スウェーデン政府からヴィン&スピリト社を買収したことにより、ワイン・スピリッツ部門ではディアジオ社を追い越し、世界第一位の企業グループとなった。


01 ストラスアイラ12年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 ディスティラリー・ボトルは本品のみ。シーバス・リーガル並びにロイヤル・サルートの核をなす原酒モルト。完熟林檎の香りを持つ卓越した食後酒。
 ヘーゼルナッツの香り。滑らかでオイリー、佳麗なこく。シェリー酒を想わせるきらびやかな風味。長くスムース、揺蕩(たゆた)うようなフィニッシュ。

02 ストラスアイラ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 ダグラス・マクギボン社の創業者は現在のオーナーの祖父にあたるが、彼はアイラ島で水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者。スコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれ、1949年からスコッチウイスキーの販売をはじめてから頑なに“ノーカラーリング・ノーチルフィルターリング”を貫く。
 プロヴァナンス・シリーズは2009年2月で終売、リニューアルの予定。

03 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社とは兄弟会社。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を抜く。
 本品は記載はないものの、リフィール・シェリーと思われる。ストラスアイラは多くのカスク・ストレングスがボトリングされているが、本品は他と比してまろやかさで卓れる。

04 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
 ザ・クライズデール・オリジナル・スコッチ・ウィスキー社は1998年の設立で、ブラックアダー社のロビン・トゥチェクが代表を務める。熟成5年から10年の比較的若いカスク・ストレングスをシングル・カスクにて瓶詰め。他のボトラーとの差別化を図る。低温濾過、加水、着色を一切行わず、モルト・ウィスキーの素地を知るには最適。ダグラス・マクギボン社の「プロヴァナンス」と共に一押しのコレクションである。総称の「クライズデール」とはグラスゴー近郊に1919年まで存在した蒸留所名。
 2006年にボトルをリニューアル、ダンピーボトルに変わり、若いものに限らず長期熟成品のボトリングをはじめた。

05 ストラスアイラ '89(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定278本のシングル・カスク。
 コルク栓を抜く、グラスに注ぐ、静かに回してトップ・ノート、口に含む、口腔に拡がる、喉元を過ぎゆく、そしてラスト・ノート。スペイサイドのすべてのモルトの中で、香りの階調をきわやかに愉しむにはストラスアイラが最適。
 ブラックアダー社は1995年にザ・モルトウイスキーファイルの著者であるジョン・レイモンドとロビン・トゥチェクが創業したウイスキー専門のボトラー。ロウ・カスクの発想はきわめて単純でユニーク。大きな木片のみを除去、オリ(沈殿物)も一緒にそのままボトリングする。もちろん、氷点下フィルターもカラメル着色も施さず、すべてはカスク・ストレングスである。

06 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 アバディーン・ディスティラーズ社は1993年頃、スコットランド北東部のアバディーンで設立。ホグスヘッドからのボトリングを専らとする。ヨーロッパ市場向けのボトリングだが、過去一度、スリーリバーズによって極少量が日本へも入荷している。本品はその一本。

07 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
 ボトラーのグレン・キースはディスティラリー・ボトルと比してべっこう飴の芳ばしさに少し欠ける。これはボトラーのグレン・キースに共通して言えることで、シェリー香がより弱く、やや辛口に振られている。ちょうど、ゴードン&マクファイル社のマクファイルとディスティラリー・ボトルのマッカランの関係に似ている。私はボトラーの方が好きなのだが。
 コニッサーズ・チョイスは2008年にラベルと外箱がリニューアルされた。

08 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。
 グレン・キース蒸留所は2001年にペルノ・リカール社によって買収されたものの、休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ないので、流通在庫はローズバンクよりはるかに少ない。飲むなら今のうち。

09 グレン・キース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はマキロップ社と共にアンガス・ダンディ社の傘下。なお、マルコム・プライド社はアンガス・ダンディ社と同資本のカンパニー。なにを言いたいかというと、玉石混交だということ。

10 グレン・キース10年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 ストラスアイラの第二蒸留所として1957年に誕生。すべてがシーグラムの原酒に回されたため、ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されたことがなかった。待望のボトルは94年から。しかし、蒸留所は2000年から休止状態に入り、本品はまったく生産されていない。
 火にかけられた鼈甲飴の芳ばしさ、インデペンデント・ボトラーのそれと比してシェリー香が強く、より甘口に振られている。

11 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
 ヒビテン液(洗浄剤)のような不思議な香りはなく、スペイサイド特有の西洋梨や完熟林檎の馥郁たる香りを伴った辛口。その方がよほど不思議である。キャパドニックのヘヴィリー・ピーテッドは現在のところ本品のみ。
 シーバス・リーガルの原酒として使用されていたため、シングルモルトのディスティラリ・ボトルは一度も発売されていない。グレン・グラントと同じ仕込み水や麦芽を使っているのに味わいは異なる。

12 キャパドニック '74(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの28年もの、46度。3樽、636本のリミテッド・エディション。
 グレン・グラントの第二蒸留所として1898年に設立されたが、わずか3年後に操業停止、再開されたのは1965年。グレン・グラントと共に1977年にシーグラム社の傘下に入った。グレン・グラント、グレンロセス、グレン・スペイ、スペイバーン、キャパドニックと五つの蒸留所がローゼスの狭い町なかにひしめいているが、グレンロセスを除き、印象の薄いウィスキーが多い。
 土屋守さんは「銀みがきの粉、ヒビテン液(洗浄剤)のような不思議な香り」と著している。商品名で恐縮だが「パイプマン」を思い起こしていただきたい。要は苛性ソーダ、水酸化ナトリウムの臭いである。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 10:51 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

2月28日(土曜日)の19時から新装開店後、十四度目のですぺらモルト会を催します。
会費は9700円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はシーグラム社が所有していたストラスアイラ、グレン・キース、キャパドニックの三つの蒸留所のモルト・ウィスキーを味わって頂きます。このうちグレン・キース蒸留所は2002年に閉鎖されています。

ですぺらモルト会(シーグラムの蒸留所を飲む)

01 ストラスアイラ '90(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
02 ストラスアイラ12年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
03 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
04 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
05 ストラスアイラ '89(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定278本のシングル・カスク。
06 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
07 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
08 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。
09 グレンキース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
10 グレンキース10年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
11 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
12 キャパドニック '74(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの28年もの、46度。3樽、636本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年02月25日 00:48 | 固定ページリンク




淡麗ダブル  | 一考    

 麒麟麦酒から淡麗ダブルと称する発泡酒が発売された。プリン体が99パーセントカットされたビールである。プリン体の変わりにポリフェノールが添加され、アルコール度数は5.5度。主治医からプリン体を極力摂取しないようにと云われたのが去年の七月、バイク事故の折の精密検査で痛風が発覚したのである。爾来ビールを飲むのは憚られた。
 酒というのは妙なもので、飲まれないとなると居たたまれなくなる。燗酒かウィスキーが好みで、ビールはあまり好きではなかったはずである。ところがそのビールがむやみと飲みたくなる。先日の文学散歩の時も、ちはらさんには内緒で周さんと生ビールを一杯だけ飲んだ。八箇月ぶりのビールだった。ころころと喉奥を通り過ぎてゆくきわやかな快感とはこのことである。
 さて、淡麗ダブルである。昨夜、拙宅で飲んだのだが結構いける。カテゴリーでは第三のビールに属するらしいが、なんら遜色は見受けられない。あまりの旨さにステーキを焼き、腰を据えて二罐目を開けた。しばらくは淡麗ダブルへの礼讃がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月21日 19:50 | 固定ページリンク




「ギイ・マルタンの芸術」  | 一考    

 スーパースタジオの齋藤芳弘さんが丸二年越しで編輯なさっていた「ギイ・マルタンの芸術」が完成した。ギイ・マルタンはパリのレストラン「ル・グラン・ヴェフール」の総料理長。今回の著書は前菜、魚料理、肉料理、デザート、六十三種類のレシピブックで、六百三十六頁の大冊、限定三千部、頒価五万円である。
 ギイ・マルタンさんを招いてフランス大使公邸でレセプションが催されるらしく、招待状が拙宅にも舞い込んだ。送られてきたのはともかく、かつて告訴合戦を演じたところへよくぞとの思いである。掲示板1.0で書いたので繰り返さないが、私はフランスという組織ないしは制度を天敵のように思っている。もっとも主宰者である現大使のお名前はフィリップ・フォール、往時とは異なる。しかし、フランスの公的機関に違いはない。齋藤さんには申し訳ないが、どうあろうとも欠席である。
 去年の二月にはギイ・マルタンさんの「シェフの哲学」が白水社から上梓された。そちらは自伝と四十種類のレシピが事細かに解説されている。ただし、翻訳は稚拙を通り越して低劣ですらある。そして今回と同様のイベントが東京會舘で催された。「ギイ・マルタンの芸術」では写真に力点が置かれているが、そちらについては改めて書かせていただく。それにしても、素晴らしい書物であることは認めるものの、料理の本にどうして権威づけが必要なのか。大使館を巻き込むギイ・マルタンさんの姿勢に若干の疑念を抱く。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月20日 20:21 | 固定ページリンク




バッテリあれこれ  | 一考    

 マスタングのバッテリの寿命が尽きた。木村さんによれば新車のときから替えていないそうである。だとすれば十年、五万八千キロもったことになる。夜間の走行が極端に少なかったのであろうか、信じられない期間である。密閉式MFバッテリで背丈が低く国産品では間に合わない、よって純正品を購入した。容量が小さいのでベンツやBMWの半値だった。秋月電子通商が扱う台湾クローンのような商品も探せばあるのだろうが、メイド・イン・チャイナには懲りている。
 アメリカの車メーカーは四月頃には破綻する。会社更生法では退職者の健康保険などから会社が解放されないからである。一気になくなりはしないが、やがてテスラ・モーターズやアプテラ・モーターズのようなメーカーが勃興してくる。日本メーカーも同様であって、バッテリやモーターの専門メーカーが車を造るような時代がやってくるかもしれない。四輪の世界も電動アシスト自転車や電動スクーターのようになる。いずれにせよ、これからは異種産業を引っくるめて新陳代謝が激しくなる。
 究極のハイブリッド車というべきトヨタの「FT-HS」が紹介された。ホンダも方針を変更してハイブリッド車を造りはじめた。それにスズキと三菱を加えた四社が生き残りを賭けて闘う。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月19日 19:45 | 固定ページリンク




ホットカーペット  | 一考    

 電気毛布の歴史は古く、もともとは結核患者の医療補助具として開発された。派生商品に電気敷布があり、ホットカーペットがある。このホットカーペットと電気やぐらこたつはおそらく日本にしかない商品だと思われる。パリ在の友人が秋葉原で100V用コンバーターとAとCのプラグアダプターを購入、重宝していたのを思い出す。ちなみにフランスのプラグはCとSEの二種、電圧は127、220、230Vと統一されていないらしい。
 開発者の東京芝浦電気の山田正吾について書きたいのではない。またそれら日本人の生活に根ざした電化製品の歴史について書きたいのでもない。ただ、土屋さんがパリで寒がっているとのはなしを小耳に挟んだ。一人用サイズのホットカーペットと寝袋があれば人生は暖かくなる。奇特な人はいないものか。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 22:27 | 固定ページリンク




ランドルト環  | 一考    

 調べるのが億劫なので書き流したが、「お役所仕事」で書きたかった視力検査の丸とはランドルト環だった。私は乱視表やクロスシリンダーを使ったことがないので詳しくは分からないが、眼鏡を造ったときに乱視だと云われた。今用いている眼鏡は四十五歳のときに拵えたものなので、既に十七年が経つ。五十を超えてからは眼鏡をしても見づらいので、書物から遠ざかるようになった。
 免許証を更新してから視力が気になるので、運転中に右目をつむったり左目をつむったりして確認している。その結果、左目だけだと前の車のテールランプが二重に見える。重なるというよりは、左はほとんど見えていないようである。秋成ではないがなんらかの因業なのかもしれぬ。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 21:02 | 固定ページリンク




文学散歩その後  | 一考    

 「板橋の貧民窟はどのへん」との質問に、佐藤さん(編輯者)が紀田順一郎さんの「東京の下層社会」を指摘なさっていた。「関東大震災後東京最大のスラム」といわれた場所は、交番と「縁切榎」のあたりを中心とした「岩の坂」で、当時の東京市によって「不良住宅地区」に指定されていた、と書かれているのがそれである。
 昭和五年の四月に東京朝日で報じられた、養育費目当ての「もらい子殺し」は別名「岩の坂事件」として、世間の耳目を集めた。宿場町でも、駅を平尾地区に取られ、そこからもっとも離れた寂れた場所に、震災後貧民が流れ込んだというのが実態らしい。以上のメールが先程芳賀啓さんから届けられた。
 ところで、ナベサン文学散歩には周さんとその友人が参加なさった。途中で飲み屋へ三十分ほど脱線、そこでの周さんとの会話が「忘れ物」である。上昇志向のひとが嫌だとの彼の言葉への私の応えである。このような会話ができるようになった彼を好もしく思う。周さんに分かっていただきたいのは書誌学とはかような散策にあるのであって、決して読書だけで得られるものではないという点である。
 馬頭観音の次に立ち寄った文殊院は投込寺だった。南千住の浄閑寺、浅草の西方寺、新宿の成覚寺、品川の法禅寺、海蔵寺などが知られるが、浄閑寺の過去帳には売女や遊女との戒名がみられる。文殊院にも妙○信女との戒名が続き、なかには獣、熊、狛、鬼などという然るべき階層のひとたちの戒名が散見された。両親の死に伴う法名には嫌な記憶しかない。私の死には一切無用である。

 私は酒を飲むときは一日でも二日でもなにも食べない。そのような教育を受けたからである。よって今回も芳賀さんに迷惑をお掛けした。ここに記してお詫び申し上げる。体調思わしくなく私は帰宅したが、周さんは朝までナベサンで痛飲、ナオさんに多大な迷惑をお掛けしたようである。若い時はなにをしても許されるが、やがて許されなくなる。ほどほどに。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 20:11 | 固定ページリンク




忘れ物  | 一考    

 「アンダーグラウンド」から意図して数問端折った。なかには「原田芳雄のように脚が長ければどうしたのか」というのがあって、これは応える必要のない愚問である。「君を事前に知っていたので、鈴木清順にも原田芳雄にも驚かなかった」は質問にならない。しかし、原田さんと比されたのは光栄である。
 「原田が中砂を演じ、以後十年間役者としての自分を見失った」こととアナーキズムとの関連についての質問があった。原田さんの述懐を私は額面通り信じていないし、そのことと彼のニヒルなキャラクターもしくは清順のアナーキズムとはまったく関係がない。いずれにせよ、彼の仕事は演技にせよ唄にせよ社会とかかわるためのリハビリテーションみたいなもので、五体満足な健常者や自らに充足しているひとには理解しづらい。人を欺くのが芝居の本質だが、原田さんのような役者はいつも自らに欺かれている。自意識というよりは我が強すぎてのアナーキー(デタラメの意、アナーキズムとは異なる)である。
 先日、清順の「けんかえれじい」「殺しの烙印」や吉田喜重の「エロス+虐殺」のはなしをしていて相澤さんから拒否されてしまったが、私は彼等の映画を観ていると血が騒ぐ、とてもじゃないがシニカルな態度で居られなくなる。原田芳雄もその類いで、たわいなくミーハーに戻ってしまう。
 私が十代の頃は身の回りに原田芳雄のような人が多くいた。ゲイバーのタミーのことは掲示板1.0で書いた記憶があるが、そのタミーのママやエレクトーン奏者の当麻さん、浮世風呂の恵比寿でバーテンをしていたケンちゃんや同じく玉家でシェーカーを振っていた中条さん、アイスピックを片手にやくざを睨み付けていた哲ちゃん等々、私にとってはみんなが川向こうの男たち女たちだった。この場合の川向こうとは私の儚い憧憬を意味する。
 彼等は真っ正直に生きていた。オカマはオカマ(この言葉遣いに対して睦郎さんからこっぴどく叱られたことがある。差別用語なのは分かっているが、タミーの人たちはオカマという言葉を昭和三十年代は平気で遣っていた。性的なマイノリティに対する理解がもし私になければ後年同性愛者の書物を多く造るわけがなかろう。また岩田準一の著書を新本で最初に扱ったのが私なら、それをわざわざ東京から買いにいらしたのも睦郎さんである)で、ヒモはヒモ、前科者は前科者で、今あるところのものでしかなく、それ以上のものになるわけもなく、背伸びをすることもなかった。だからこそ「大きくなったら、何になるの」といった類いの厭みな質問を聞かされずに済んだ。大きくなっても福原の住人だとみんなは思っていただろうし、誰もが他人のまたは自らの将来にいささかの興味も夢も抱いていなかった。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 16:52 | 固定ページリンク




深更に及ぶ  | 一考    

 昨夜は迂生の誕生日、遅くまで店は満席だった。相澤啓三さんはじめ、多くの方に感謝申し上げる。土曜日には新宿で祝い事があるそうな、愉しみにしている。

 芳賀啓さんについて「彼にとって文学は喋るものではない、要は自己主張のネタにはならないのである。このあたりから並のひとではない。現場での叩きあげとは彼のようなひとを言う。彼はひたすら歩き、ひたすら書く、そして沈思黙考のあとふたたび歩く。「現場のない文学なんて」との呟きが聞こえてくる」とかつて書いた。今回の文学散歩にですぺらから三名の参加者があった。併せて感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月06日 10:46 | 固定ページリンク




第29回ナベサン文学散歩  | 一考    

場所 埼京線板橋駅西口集合
日付 2月11日
時間 14:00
案内 芳賀啓
   今回は銭湯付きなのでタオルをご用意ください。
   9日までに出欠をお知らせください。(世話人渡辺ナオ)

JR埼京線板橋駅西口→谷端川跡→板橋駅東口・近藤勇土方歳三墓碑(旧処刑場)
→千川上水跡→板橋下宿→旧中山道→加賀公園(旧前田藩下屋敷跡・石神井川)
→弾道検査管標的跡→野口研究所前(水俣チッソ研究所)→王子新道碑→黒色火
薬製造圧磨機圧輪記念碑・極地研究所→旧中山道馬つなぎ場(馬頭観音)→仲宿
商店街→板橋宿本陣跡→高野長英潜伏跡→板橋(石神井川)→縁切榎(和宮下向)
→竹の湯(銭湯・午後3時から入浴可450円)→くらち(力士料理)→板橋本町
駅(都営三田線)

芳賀

之 潮(コレジオ)
185-0021東京都国分寺市南町2-18-3-505
URL http://www.collegio.jp
e-mail: info@collegio.jp

上記の連絡先は端折りました。参加なさる方は一考(080-3219-6221)もしくはですぺら(03-3584-4566)、またはナベサン(03-3208-0627)へ電話してください。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月04日 22:16 | 固定ページリンク




アンダーグラウンド  | 一考    

 よく似たひとを見つけたときどう思う。嬉しいね。
 でも、あなたは自分のことを好きじゃないでしょ。そうだね。
 どちらかと云えば自分のことを憎んでいるね。そうだね。
 それはジェネレーションの違いなの。関係ないよ。
 あなたは自分のことをどうでもよいと思っているでしょ。そうだね。
 あなたは自分に才能があるなんて思っていないでしょ。まったくね。
 無謬性なんてものも持ち合わせていないでしょ。謬りだらけだよ。
 あなたは明日のこと真剣に考えたことないでしょ。行き当たりばったりだね。
 よく今まで生きて来られたわねえ。厚志に甘んじて。
 あなたは人生に意味があるなんて思っていないでしょ。そうだね。
 あなたは恋愛なんてしたことないでしょ。そうだね。
 他人なんて死んでしまえと思っているでしょ。そうかもね。
 自分なんて死んだほうがいいと思っているでしょ。生きててもいいんじゃないの。
 他人も自分も同じなのね。そうだね。
 どうして表現者にならなかったの。編輯で結構。

 今日、ツィゴイネルワイゼンを観てきたの。あの作品をどう思う。
 生きることに筋書きはない、ならば映画にあってもね。筋書きのあるような作品はどうでもいい、この消息は映画に限らないが。要するに、異議は認めても意義も威儀も認めないね。ツィゴイネルワイゼンはその異議だけで成り立っている。原田芳雄がいいねえ。

 上記はちはらさんとのある日の会話。タイトルは私が勝手に付けた。どうしてこのような会話になったのか、その理由は彼女が早稲田松竹で鈴木清順の作品を観てきたからに他ならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月02日 19:21 | 固定ページリンク




お役所仕事  | 一考    

 運転免許証の更新へ行く。普通車と大型車とのあいだに中型車との区分が設けられ、該当車種は車両総重量5トン以上11トン未満となる。平成19年6月2日に施行されたが、それ以前に普通免許を取得した者は車両総重量8トンまでの限定ながら中型免許が与えられる。車両総重量8トンとは最大積載量5トンを指す。要は名称が換わるだけで乗られる車種は以前と変わらない。
 そこまではよいとして、私は大型免許を取得済みである。従って免許証に「中型車は8tに限る」との条件は不要である。その旨を伝えたが、記載する決まりになっていますのでと断わられた。お役所仕事の典型かと思われる。

 更新へ行くときは朝から目薬を指して目の体操を試みる、目玉をぐるぐる回したり棒切れの先を凝視つつ前後させる。いつものことなのだが心構えとしかるべき準備が必要なのである。ところが、その日に限って目薬が見当たらない。やむを得ず、惚けた目を引っさげて更新に及んだ。視力検査は丸の隙きの開いた方を上下左右と指示するのだが、丸がふたつに見える。いくら目を凝らしたところでやはり丸はふたつである。そこで上の丸は下が開いていますと応える。次のはどうですかと問われたが、丸はやはりふたつ見える。上の丸は右で下の丸は左が開いていますと応じる。担当の婦人警官が「さっきからひとつしか写っていないのですが」と困惑の声。ふざけなさんなとの叱責にも聞こえる。すると視界が明るくなって両眼で見られるようになった。要するに右単眼の検査は端折られたのである。両目で見ると、なるほど丸はひとつである。さらに小さな丸が写し出されたが、私にはなにも見えない。結局、一番大きな丸が両眼視で識別できただけである。
 深視力検査は三度繰り返されるが、三度目に件の婦人警官がひとこと。「三度目は誤差が五ミリだったので合格にしときます」このようなお役所仕事なら大歓迎である。十年以上前のはなしだが、西明石では受かるまで検査が繰り返された。とりあえず更新は終了し、久しぶりのゴールド免許を手にしたものの、次回の視力検査はどうなるものやら。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月29日 20:44 | 固定ページリンク




ユーチューブのダウンロード  | 一考    

 有線テレビが月額三百円の値上げでアナログからデジタルに移行された。つまり拙宅へデジタル放送が迷い込んできたわけだが、テレビはアナログのままなのでハイビジョンだデジタルだといっても、なんの恩恵にも浴していない。もっともバイク通勤に必要な天気予報が見られるようになったのはうれしい。こちらはいちはやくデジタル化し、困っていたのである。
 ADSLは有線を利用しているが、明日から電話も有線である。それにしてもと思う。テレビや映画を覧るになぜ鮮明でなければならないのか。かつてVHSが発売された折、巻き戻したり静止画像が見られるようになったのに喜んだ。ヴィスコンティの用いる小道具や絵画を確認できるようになったからである。それまでは目を皿のようにして見続けなければならなかったのである。爾来、お煎にキャラメル、あんパンにジュースを片手の映画鑑賞が可能になった。
 私が申し込んだのは基本コースであって、有料放送は写らない。しかし、とんでもないチャンネル数で、到底使いこなせるものでない。前述のブラウン管方式のアナログテレビはひろさんから頂戴したものだが、年月が経って上部五分の一ほどが写らなくなった。さらに五分の一が写らなくなれば薄型の小さなテレビを購入したいと思っている。
 ひろさんで思い出したが、ユーチューブの音楽をダウンロードするに際しvixy.netは何の役にも立たない。当方はマックなのでmp3へ変換しなければならない。彼から教わったフランスのサイトの方が確立は高い。ちなみにOS 10.3.9で落としたものをOS 9.2.2へ転写、iTunes J1-2.0.4で聴いている。マックユーザーでお困りの方は下記サイトへどうぞ。

 http://catchvideo.net/online-video-converter.aspx


投稿者: 一考      日時: 2009年01月27日 22:41 | 固定ページリンク




モルト会解説(スプリングバンクとその仲間を飲む)  | 一考    

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 アバディーンに事務所を構える新しいボトラー、ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
 オーナーのゴードンライトはスプリングバンク蒸留所の創業者の子孫で、マーレイ・マクデヴィッド社の関係者。同オーナーの記憶のなかにある60年代のスプリングバンクを再現すべく、年数の異なるバーボンとシェリー数種類のカスクをブレンド、クラシックなスプリングバンクの香味の再現に成功している。1990年前後のカスクを使用、発売は2002年。レッドファウンダーズとは仮の名で、ファウンダーズリザーヴと記載されている。
 シトラス、蜂蜜、メロン等のリッチな香り。バーボンとシェリーカスクのコンビネーションからくる甘味と微かなバニラ香。すべてのクラシックなスプリングバンク同様、潮味の効いた長く繊細なフィニッシュを堪能できる。

02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。発売は2003年12月、本数は不明だが2006年2月に再入荷あり。

03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまではビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。エイジングが記載されているが、バーボンとシェリーカスクのコンビネーションはそのまま。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。

04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品はブラックファウンダーズとは異なり、バーボン・カスクのみを用いる。
 1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングしたアードベッグのベリーヤングからルネッサンスに至る四種のシリーズとよく似た愉しみ方が可能。最終リリースがバーボン・カスクなのはよく考えられている。

05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 以前の「ジュエル・オブ・各地域名」をリニューアル。ボトル形状はコニャックのそれに、地域ごとに色分けされたラベルの下部にカスク番号やテイスティングのコメントが付されている。同時頒布にモートラック90年蒸留の10年ものとローズバンク89年蒸留の12年ものがあり、すべてバーボンのシングル・カスク。チル・フィルターや着色は施されていない。
 リニューアル後、最初のボトリングにしては問題あり。割水とウィスキーとが馴染んでおらず、水っぽく感じられる。舌先で香味が割れるようなちぐはぐな味わい。同時頒布のモートラックやローズバンクがまずまずの出来映えだけに残念。しかしながら、塩味は強烈、スプリングバンクの香味の幅を知るに絶好のモルト。

06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
 個性的な甘さと深みのあるこくを控え目に、スプリングバンクのいまひとつの個性“Briny”(塩辛い)を強調。
 間違いなく、アイラモルトに似たスプリングバンクの稟質にもっとも近いモルト・ウィスキーである。もともと同社は多面的な商品構成を社是とする。本品に先行するシェリーカスクの12年ものが持てはやされ、本品はさんざんな悪評を被る。CVが蒸留所の顔として位置づけられるのを嫌ったのか、敢えなく絶版。実験品としてコレクターズ・アイテムの仲間入りを果たした。

07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
 ディスティラリー・ボトルの12年と21年にみられる馥郁たる甘味は熟成に用いられるダーク・シェリー樽由来のもの。素顔のスプリングバンクはマル島やアイラ島のモルトの如く、オイリーなテキスチャー、ヨード香、塩辛さ等のキャラクターを内包する。決して口当たりのよいウィスキーではなく、強烈なパワーと複雑な香味を併せ持つ、類い稀なウィスキーなのである。タリスカー・アモロソを持ち出すまでもなく、スプリングバンクのような辛口かつシャープな酒質にこそ、シェリー樽が相応しい。ただし、ロイヤル・ロッホナガー・リザーヴ同様、本品も熟成に必要な樽の確保が困難になり、現在ではボトリングされていない。2000年前後に生産終了、2002年以降はとんでもない高値で取引されている。

08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
 1997年から生産がはじめられたスプリングバンク蒸留所の第三のシングルモルト。原料の麦芽にピートを焚き込まず、三回蒸留でつくられる。ローランドタイプのモルトを現代に蘇らせた。

09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
 特質は麦芽の乾燥にピートのみを用いる点。スプリングバンクの6時間に対して、55時間もピートを焚くといわれる。
 湿った草や土の匂い、微かにシェリーの甘味、長くピーティーなフィニッシュ。塩辛く、口腔が沸き立つようなオイリーな後口。通好みのヘビーなモルト。
 1973年から74年にかけて蒸留、85年より発売。ブランドはスプリングバンク蒸留 所に隣接していた蒸留所の名。同蒸留所は1896年に閉鎖され、現在ではスプリングバンク蒸留所の瓶詰工場になっている。
 90年以降、年毎の生産量は増え、2000年からは定期的にボトリング。91年からはヴィンテージが記載されるようになった。しかるにヴィンテージは92年で終了、以降はオーク・カスクとシェリー・カスクのヴァテッド・モルトに統一された。10年もの以外ではシェリー・カスクの14年ものがあり、テキスト・ラベルのカスク・ストレングスがごくたまに頒されている。
 ボトラーではキルシュ・インポート、サマローリ、ドリームス、マーレイ・マクデヴィッドからボトリングされているが、いずれも入手困難。

10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。
 ロングロウのディスティラリー・ボトルにはブルー・ボックス、蒸留所の近影を写したラベル、テキスト・ラベルの三種がある。新しいところではブルー・ボックスが99年に、蒸留所ラベルが98年にボトリングされている。いずれも極めて入手がむずかしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月21日 08:32 | 固定ページリンク




温野菜  | 一考    

 ヒロユキさん来店、温野菜で頭を抱えているらしい。この場合の温野菜は茹でる、蒸すであって、焼く、煮る、炒めるは除外する。秘訣らしいものはないが、湯掻く時間を極端に短くすることと多量の氷水につけること。温野菜に禁物なのは余熱である。
 いつぞや枝豆の湯掻き方を書いたが、沸騰して一分である。ホテルの温野菜はジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどを別にすると、ほとんどは葉物である。種類は異なるがブロッコリーの葉もしばしば用いる。この場合は秒単位で時間差攻撃を掛ける。
 東京ではサヤインゲンがよく使われるが、旨いと思ったことが一度もない。湯掻きすぎで芯までぐちゅっとしている。これはビアホールの枝豆も同様である。豆類は氷水につけないので湯掻く時間はさらに慎重にかつ短めにしなければならない。例えば、唐揚げは十秒から二十秒揚げて取り出し三十秒置く。その三十秒の間に余熱で芯まで火が入る。あとは仕上げで表面をからっと揚げるのである。
 繰り返すが、レタスは十秒、キャベツは二十秒で十分である。業務用のガスの火力は強い、そして器は大きい。家庭用とは基本が異なることに留意すべし。それにしても、と思う、嬬恋村で温野菜は食べないだろう。衛生面での配慮なのだが、私はホテルの温野菜に興味がわかない。ただし、コンソメや白出汁を湯掻き汁に用いた温野菜は好きである。野菜が野菜でなくなり、新しい食べ物に変身するからである。

 ヒロユキさんは仕事が続きそうだという。私にとってそれ以上の土産はない。ちょうど一箇月になろうか。嬬恋村の出世頭になってほしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 19:20 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

1月24日(土曜日)の19時から新装開店後、十三度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はスプリングバンク、ヘーゼルバーン、ロングロウのボトルを楽しみます。ロッホデールの四種類のスプリングバンクを中心にブリニー(塩味)からシェリー香に至るさまざまな味わい、加えるにノンピートのヘーゼルバーン、強烈にピートを焚き込んだロングロウ、要するにスプリングバンク蒸留所の全貌を味わって頂きます。

ですぺらモルト会(スプリングバンクとその仲間を飲む)

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。
03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 07:42 | 固定ページリンク




「嗜み」三号  | 一考    

 「嗜み」三号はインポーターのエイコーンを取上げる。先日、幹郎さんの取材が済んだ。エイコーンの蔦さんから「先方のご期待に添えたかは わかりませんが・・・」とのメールがあって、いまいち噛み合わなかったような気がしないでもない。「リヴェット系」との蔦さんの言葉に幹郎さんはちょいと引っ掛かったようだが、リヴェット系はシーグラム系に置き換えて問題ないと思う。グレン・リヴェット、グレン・グラント、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ストラスアイラ、グレンキース、ロングモーン、ベンリアック、アルタナベーン、キャパドニック等、シーバス・ブラザーズ社が所有していた蒸留所は実に旨いモルトを造っていた。シーグラムの売却後、閉鎖された蒸留所、売却された蒸留所など消息はさまざまだが、もったいないことをしたものである。
 温厚なひとほど人見知りするものである。これは幹郎さんのことではない、蔦さんのことである。幹郎さんをして温厚とは口が裂けても言えない冗談である。温厚とくれば篤実である。他への思いやりより悪意と嘲笑が優先されなければ詩は書かれない。一方、蔦さんは外国で長くワインの勉強をしてきた、いわば酒のプロである。香味にいささかの狂いもないが、ラベルのデザインが良くないとの悪口ぐらいは幹郎さんのことだから言ったに違いない。いずれにせよ、四号から舞台はスコットランドへ移る。
 私は口先だけの人間で、分かったような話をしているが、海外旅行の経験はまったくない。私のいう海外とは北海道であり、四国であり、淡路島であり、小豆島なのである。要するにパスポートを必要とする旅行には行ったことがない。先日も客がアイラ島のどこそこの岬が風光明媚でと話すものだから、数え切れないほどアイラへは行っているが、何時も霧でなにも見えません、大体があの辺りは霧が深くて・・・と見てきたような嘘をつく。そんな私だからボトラーではダグラス・レインとイアン・マクロード、蒸留所ならブナハーヴンかバルヴィニーが良いのではと言いはするものの当てにされては困るのである。ここは一番、土屋守さんにお出まし願うしかない。

 先日、幹郎さんからフランス土産にボウモアとダルモアのニュースピリットをいただいた。今週のモルト会で試飲していただこうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 01:01 | 固定ページリンク




チョコレート  | 一考    

 サントリーがモルト&ショコラプロモーションと題して山崎と白州の販売促進を図っている。さまざまなマリアージュが計画されているようだが、その内のひとつにロイズの生チョコがある。シェリー樽熟成の山崎とミルクチョコレート、白州8年とホワイトチョコレートの組み合わせである。
 ちはらさんが昨年、北海道土産に山崎の方を買ってきた。これは大層旨かった。いつ頃から売り出されたものか詳細は審らかとしない。しかし絶妙の口どけである。私は口に入れるものはその是非のほとんどを香りで決める。そしてロイズの山崎は及第点である。しかし、チョコレートのためにモルトウィスキーを購入するほど裕福ではない。従ってチョコレートだけを大量に買って来てとお願いした。
 モルトウィスキーの方はかつての山崎のヘヴィリーピーテッドのようなシングルカスクが発売されれば無理をしてでも購入するのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月19日 20:27 | 固定ページリンク




大谷石  | 一考    

 カウンターの天板は旧店同様、大谷石を用いている。カウンターの立ち上がりの部分も同じ部材である。立ち上がりは36枚の大谷石で構成されているのだが、その内の23枚が金曜日の営業中に崩れ落ちた。客に怪我がなくて安堵させられた。
 大谷石の裏は張り合わせの合板ではなく、普通のベニヤ板が用いられている。従って圧力が加えられれば歪む。客の足が当たる部分なので一年のあいだに弛んできたのであろう。土曜日に大量の木工ボンドを買ってきて処置した。しかし、これは予測できたことである。再度剥がれるのは時間の問題であろう。剥がれれば張り直す、繰り返される応急処置、私の人生のようで微笑ましく思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月19日 20:26 | 固定ページリンク




雪の結晶  | 一考    

 中川町の町長亀井義昭さんが来店。北海道の今年の雪はまるで北陸に降るようなべた雪だそうである。マイナス17度までは下がったものの今年は暖かいらしい。とは言え、私には想像を絶する寒さに違いない。時代と共に様変わりしてゆく雪の結晶について話し込む。
 ちはらさんからウィルス性胃腸炎に罹り、先週の土曜日から嘔吐と下痢に悩まされていると連絡があった。佐々木さん(幹郎さんではない)の意見によるとインフルエンザらしい。養生しなければ十日から二週間は癒らない。札幌で紹介できる医師を私は持たないので困惑している。今日の北海道は吹雪である。明日の午後からすこしは緩むらしいが。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月15日 10:37 | 固定ページリンク




次回モルト会のことなど  | 一考    

 ゴードン&マクファイル社のコニッサーズチョイスからローズバンク91年が頒された。アメリカンオークのリフィールシェリー、17年、43度の加水タイプ。参考価格は6909円だが、ほぼ二年ぶりの四桁の売価である。大手ボトラーはさすがに値が下がってきたようだが、小規模なボトラーは為替の差額を超える値上げをしている。このままでは売れなくなるとの危機感を一部の酒屋が抱くようになった。当然である。
 ロッホデールのスプリングバンク・ゴールドファウンダーズが昨年末に頒された。同シリーズの四回目で最終リリースである。前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品の特徴はバーボン・カスクのみを用いたところにある。
 クラガンモアのカスク・ストレングスは10年ものがボデガ・ユーロピアン・オーク、17年ものがリフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッド、29年ものがアメリカンオークのリフィルを用いている。ゴールドファウンダーズもカスクの不必要な影響を排したというところか。同様の配慮はロングモーンにもいえる。ロングモーンのオフィシャル・ボトルはひどく不味いが、ウィスキー・エクスチェンジのリージョンズ・ウイスキーの一本はバーボン・カスクである。従って、カスク由来の妙な癖がなく、オフィシャルと比して随分と旨い。
 さて、拙宅にファウンダーズ・シリーズが一本ずつ取り置いている。今月のモルト会はそれを中心に据えるつもりである。二年前に「六十年代のスプリングバンクを飲む」とのモルト会を催した。今ではそれぞれが六、七万円はする。仕入れだけで八十万円を超える。もう二度とあのようなモルト会はできない。しかし、一本だけ隠し球を用意している。期待に添えるものと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月15日 09:12 | 固定ページリンク




不可分物  | 一考    

 一月十四日は横須賀さんの遠日。連れ添いの誕生日はおろか親の不楽日すら覚えていないのに、なぜか彼のそれは鮮明である。これからしばらく私の「青の中」がつづく。
 このところ、深夜の赤坂では一度から四度の日々がつづく。私の身体は至って頑健なのだが。
 先日ナオさんと話していて、「男が女の身体に興味を抱くのは四箇月だね」四箇月の春情というのも切ないが、まあそのようなものだろうと思う。ならば、接触しなければ長持ちするのかということになるが、そうもゆくまい。肉体の触れあいと精神の交流は不可分の関係にある。要するに、人間は不可分物なのである。失意などというものはその取り分け不可能な点を諒解するところにはじまる。精神的であるにせよ、肉体的であるにせよ、そのような絶望は自慰的行為にしかならない。自慰としての絶望など考えるにナンセンスである。
 ひとが不可分物でなくなるのは死人と向き合う時のみ。いくら身体が丈夫とは申せ、このところの気落ちははげしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月14日 16:50 | 固定ページリンク




重ねて  | 一考    

 前項で書いた「ふりかえる」を繰り返し口遊みながら、森田童子の「海を見たいと思った」を聴く。同日の談ではないが、浅川マキはアンダーグラウンドを固守し、森田童子は75年から83年までの活動のあと沈黙する。私性に対する姿勢という点では共通項が見られる。
 私性と書いたが、これは個性を意味する。早いはなしが自分の生き方を擬える行為それ自体が唄になっている。もしくは唄そのものが生き方を示唆しているといえようか。この消息は文学にもそのまま通じる。そこで私はいつも考えさせられる。
 デュシャンの登場が絵画と文学との蜜月に終止符を打ったように、いつ頃から文学と人の存在との間の架け橋がなくなってしまったのか。例えばカラオケへ行ったとする。当然のことながら歌う側は自らの人生を顧みて共感なしうる唄を歌う。この場合、巧拙は問題外である。大事は味わいであって、味わいは同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。
 例えば古書店へ行ったとする。堆く積み上げられた書物のなかから選ぶのは当然のことながら共感なしうる内容の書物である。この場合、作品の巧拙は問題外である。大事は同化であって、同化は同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。その同化しようとするこころを私は自己解体と呼ぶ。
 「熱と理由」一冊がどうして私を涙ぐませたかといえば、死んだ友への共振が全篇の基調モチーフとなっていたからである。「熱と理由」は彼の「二十歳のエチュード」であり「死人覚え書」だった。読了し、涙腺がゆるまなかったとすれば、その人には書物を読む資格なんぞありはしない。
 人は不器用なもの、「さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない」と書いた。人はどうあろうとも全力で疾走するしかない。ありとあらゆるジャンルでもって人は個であることを証明しつづけるしかない。ある領域の自分とある領域の自分とが異なることなどあってはならない。その染め抜かれた色が私性であり個性である。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月11日 23:42 | 固定ページリンク




不如意  | 一考    

 ちはらさんが居ないので新宿へ行く、居てもゴールデン街へ行く。要するに彼女の存在と呑みに行くゆかないは関係ない。関係ないなら書かなければよいのだが、そうもいかない。帰りの足があると安心して泥酔できるが、足がないと酒がすすまない。酔っ払った時に私がどうなるかを知っているのは私だけである。いつぞや新宿駅で踊り出したらしく、その舞踊はいまだに語りぐさになっている。時としてベンチと交合、しがみついて離れなくなる。時として電信柱と熱烈な抱擁を繰り返す。時として電車の床が天蓋付きの寝床に思われてくる。しかして一宿目合うのは物体ばかり、酔うと生身に興味はなくなる。要は不如意、言い換えれば適度に酔うのが苦手なだけなのである。
 ところで不如意を広辞苑でひくと「どちりなきりしたん」が出てくる。ポルトガル語の「どちりいなきりしたん(キリスト教の教義)」に由来するのであろうが、そのような意味があることすら私は知らなかった。天正のキリスト教教義のカテキズモは知っているが、どうして不如意なのであろうか。さて、また酔っ払ってきたようである。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 20:27 | 固定ページリンク




続けて  | 一考    

 「現代詩手帖」一月号に、去年の十一月に神戸で催された佐々木幹郎さんの講演「私が詩を書き始めた頃—1968年前後」が掲載されている。「熱と理由」と併せてお読みいただければ嬉しく思う。
 過去を「ふりかえるための文体が、わたしのなかでまだ見つかっていない」ので二十代について書くのは辛く苦しいという旨のメールを幹郎さんから頂戴した。ひとの身体は前進にこそ向いているが、後ずさりには適していない。単にふりかえるだけなら簡単なのだが、それでは肝腎の「熱」が失せてしまう。ふりかえる時にはしかるべき後ずさりが必要になってくる。それを弁えない冷や飯のような文章が世上に濫れている。文学は搖れつづける自分のことを書くのであって、決して他人事であってはならない。
 「熱と理由」のなかに小林秀雄について書かれた「最も奇妙な場所」がある。文芸時評をはじめたのが川端康成なら文芸評論は小林秀雄をもって嚆矢とする。そして小林を凌駕するものは未だに現れていない。小林は好悪でものごとを判断しない、常に最終判断は留保されている。彼は理解しにくいものがあると、対象となる場へ後ずさりする。早いはなしが彼自体が揺れ、振れつづけている。文芸評論家としてでなく、思索者として高く評する理由がそこにある。
 前項で「魘された時代」と書いたが、あの騒乱期にあってしっかり小林秀雄を見据えていた佐々木幹郎さんの眼力に脱帽、よき友を得たと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 16:23 | 固定ページリンク




「熱と理由」  | 一考    

 かつて澁澤、出口、種村さんと太宰コンプレックスと云うべき人たちと知り合った。私たちはその癖をダザコンと呼びならわしていた。1950年生れ以降はさすがに減ったのだが、1920年代から40年代生まれには蕁麻疹に罹るがごとくダザコン病が蔓延した。そしてその世代は1959年から1970年までの安保闘争となんらかの関わりを持っている。他方、1950年代の朝鮮戦争特需により1955年ごろには日本経済は戦前の水準に復興、1968年には国民総生産が資本主義国家の中で第二位に達した。1950年生れ以降は太宰コンプレックスと縁が薄いと書いた理由は、その世代が物心がついた頃、日本は戦中・戦後の影響からすでに脱していたということである。
 私は間違いなく戦後そのものを生きた。そしてまわりには私同様、遅れて戦後を生きたひとたちがいる。そのひとりが佐々木幹郎さんであろうか。幹郎さんに「熱と理由」と題する熱くかつ直向な本がある。1977年10月に国文社から上梓されたが、初刷がまだ新刊で手に入る。内容は69年から75年の間に書かれたエッセイ集である。
 「昔、シェストフと共にバンジャミン・クレミウの「不安と再建」がよく読まれた。戦後の1918年から1930年を超現実主義と逃避の期間とし、人格分解の時代、不安の時代と位置付けていた。要は花田清輝式二項対立の先駆を担うがごとき評論集だった・・・始源と終末を繰り返す歴史のなかにあって、第一次世界大戦であれ、第二次世界大戦であれ、戦後というのはひとを不安にさせる。櫻井さんのいう単孤無頼の独人も本を正せば不安がもたらす人格分解にある。よるべを喪えばパーソナリティーそれ自体が体を成さなくなる。振り返る過去がなければ感傷も追憶もなにもなくなる」と書いた。名状しがたい不安感について触れた文章だが、「熱と理由」を読んで同種の感慨を抱かされた。
 幹郎さんが二十代になにを思い、憬れ、抗い、闘い、書き綴っていたのか、それら桎梏が手に取るように分かる。自ら在した時代を克明に綴り、その進行形がいまになお続いているところに彼の表現者としての真骨頂がある。書評を書くつもりは毛頭ない。新本で入手可能と書くこと自体が彼に対する私の最大の批評であり評価である。

 学生運動に取り憑かれた者にとって熟読玩味し、反芻せざるを得なかった「イカロスの翼」が本書には収録されている。敗戦の玉音放送を聞かされた箇所、それは太宰の「トカトントン」の削除された部分でもあるのだが、「戦争体験であれ戦後体験であれ他のどのような体験であろうと、現実がある何かの引力によって歪めさせられ、歪みを歪みとしてとりあつかうことのできない世界のなかで、個人を中心点とした遠心力とも求心力とも切り離されて、人間の内部にあるもうひとつの現実がものとして浮かびあがり、それが最初に切り開いてくる滅亡感覚である」と幹郎さんは著す。文章はつづく、「わたしが一篇の詩を書くために深夜の机にむきあっているとき、わたしの胸とつりあった高さで一人の死者が、その死の固有の輪郭を求めて悶絶し浮游しているさまと出逢うことがある。彼は叫び声をあげず、ただ瞳をひらいたままだ。その瞳の奥にただよっている熱と苦悩の軌跡を追ううちに、声をあげるのは生者の側であるわたしの方であり、その声はまた死者の瞳と出逢って存分に叩きつけられる。そのたびに叩きつけられた上皿天秤の一方の皿から、手で触れ目で確かめることのできぬもう一方の皿の方へ乗り移ろうしては詩を書いてきた」
 友の死に逢着し、その惨劇を目の当たりにして、自らを「擦過してゆくもの」と位置づける彼ののっぴきならない純情に私は涙する。あの魘された時代の渦中にあって、否、魘されていたが故に「個」に、「私」に、幹郎さんは拘泥する。こだわるが故の擦過である。私ならさしずめ咲嘩とするところだが、そのような駄洒落が通用しない熱と弁証法的屈折が汪溢している。澁澤さんは重度の弁証コンプレックスに罹かっていたが、幹郎さんのそれも、澁澤に勝るとも劣らない複雑骨折である。ひとはどこまでゆこうが時代の申し子である。それは「熱の理由」でなく「熱と理由」と題されたところにも顕れている。さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない。と云って、統一された自我なんぞさらに無い。戦後の一時期、「私」を求めて人々は自己解体を繰り返した。その運動がいかに虚しく切ないものであったにせよ、その熱だけは死ぬ日まで忘れてはならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 03:02 | 固定ページリンク




ナオさんふたたび  | 一考    

 このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
 彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
 詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされた裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
 かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。

 ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。

 本年最後の書き込みである。三十一日は例によって来ていただいたお客さんと豊川稲荷へ初詣、そのあと私はゴールデン街のナベサンへ飲みにゆく。花園神社で楽としたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月30日 23:38 | 固定ページリンク




ライダー  | 一考    

 「こんな寒い日にバイクはないでしょう。笹目橋の上でカチンコチンに凍てついて死んじゃうよ」と云われてしまった。伝説の編輯者でなくなって、正真正銘伝説のライダーになるとかで、それも悪くないなと独り言ちた。今年は防寒具を買ったので比してましなのだが、去年は防水処理も施されていない薄い皮ジャン一枚でよくぞ押し通したものだと感心する。たとえ一年にせよ、あの頃は若かったとしか云いようがない。
 合羽を着ていても袖口や襟元から雨が浸入してくる。寒さが冷たさになってちぎれるような痛みに変わってゆく。雨天は無惨である。普段よりも前方に着座位置を変える。ハンドルに力を入れて上体を曲がる側へ突き出すように走る。速度が落ちるのは覚悟のうえで、一段低いギアを使う。それもこれも顛倒を防ぐためである。
 わが家に辿り着いてバイクを降りる、濡れそぼちつつ戸口でしばし彳む。ちぎれるような痛みが冷たさになりやがて寒さが襲ってくる。人であることを、生身であることを取り戻すための儀式のようなものである。合羽を脱いで濡れた体躯をタオルで拭き取る。この拭き取りで手抜きをすると風邪を引くことになる。
 私がなぜバイクに乗るのかは、それがもたらす極度の興奮と緊迫感にある。まるで本を読んだり著すのと同じである。詩であろうが、短歌であろうが、俳句であろうが、日常雑記であろうが、著されるのは著者の思想であり息吹であり個々の肉体の搏動である。形態が変わるからといって著者が変わるわけはない。また立ち位置が変わるわけでもない。表現の対象は自分を除いてどこにもない。そして人は複数の自我を内包する器用さを持たない。例え持ち得たにせよ、その対立項は、より高次の総合概念の契機となる。結果としての個人は直接的、抽象的なものではない。個人はより普遍的で、かつより具体的なもの、具体的普遍だと私は思う。そうとでも思わなければこの濡忍を生きて行かれない。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月28日 18:30 | 固定ページリンク




もうひとりの就職  | 一考    

 当店にはM編輯長が二名いらっしゃる。編輯子も入れれば四名になる。同様に佐々木さんは三人、鈴木さんは二人いらっしゃる。2008年06月の「口籠りてはきとは聞こえず」はその鈴木さんについて書いたのだが、佐々木さんから出版社を営む鈴木さんと間違えられた。であるからして、一方の佐々木さんは幹郎さん、「口籠りてはきとは聞こえず」の鈴木さんはケンちゃんと呼ぶことにする。ケンちゃんといっても洗濯屋のそれではない、東大出の土木工学のケンちゃんである。客商売を営んでいてケンちゃんもなかろうと思うのだが、そんなことで怒るケンちゃんではない。しかし、いささかの遠慮があるのでケンさんにしよう。
 一昨夜はクリスマス・イヴ、そんな日に店が坊主ではあまりに情けない。落ちこんでいたときにケンさんが女性を伴って来店。お客さんはそれだけだったが、おかげでゆっくりと話ができた。ケンさんは店があまりに暇なのに仰天、昨夜ふたたび来られた。なんでもご子息がバーテンに憬れているとか、しかるべき学校を紹介したのだが、学費が百三十万円と聞いて呆れ返った。運転免許を取得するのに学校が必要かと問われれば必要ないと答える、バーテンになるのに学校はさらに必要ない。その種の学校を私はニッチ産業の一形態と思っている。
 バーテン修行でもっとも困るのが調理である。オードブルから軽食そしてデザートぐらいはこなせなければならない。どのように考えても、調理師からソムリエそしてバーテンの世界は一直線に結びついている。どこからはじめるかは勝手だが、やはり難儀なものからはじめるのが順当ではないだろうか、とすれば調理師である。ヒロユキさんの就職について掲示板で書いてきた。ご当人にその覚悟があるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月26日 06:15 | 固定ページリンク




紫陽花と止揚花  | 一考    

 川津さんと夢にかんするメールの遣り取りをしていて、「色は色を否定する。しかし紫陽花は渡ってきたすべての色を紫陽花として生きることで肯定する。 だからこそシヨウカなんだ」と」というくだりがあった。「シヨウカという言葉が 「止揚花」となり、目が覚めました」と続くのだが、この「止揚花」には驚かされた。いうまでもなく、ヘーゲルのアウフヘーベンを指している。
 彼女はいつのまにこのようなアナロジーを駆使するようになったのか。詩人おそるべし、と思った。このところわけがあって情念について書き継いできたのだが、見事に先読みされたようである。
 「紫陽花は渡ってきたすべての色を紫陽花として生きることで肯定する」それにしても美しい言葉である。詩はこうでなければならない。彼女の詩はいささか観念的というか頭で拵える詩が多い、言い換えれば視覚に捉われて自ら作り出すイメージに翻弄されている感がある。だからこそ、作品を意識しない、このようなさりげない場面にあって本領が発揮される。のんちさん、これを詩精神というのですよ。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月25日 20:53 | 固定ページリンク




ジャパン・アヴァンギャルド  | 一考    

 かつて催されたジャパン・アヴァンギャルド(アングラ演劇傑作ポスター展)が渋谷パルコで再度開かれる。会期は12月31日から1月5日まで。1月1日には寺山修司実験映画新春特別上映が併催される。蝶服記、ローラ、審判の三作品です。
 店に招待券を用意している。希望される方はお申し付けください。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月25日 19:33 | 固定ページリンク




呪われてあれ  | 一考    

 「明けましておめでとうございます」は論外として、「よいお年を」が私には云うことができない。それを口にすると悲しくなって泣き出してしまうのである。小学生まではよかった、だが中学校へそれも高学年になってからは云わなくなってしまった。
 今年もあちらからこちらから喪中につき年賀は遠慮するとの手紙が送られてくる。どうして喪がその年だけでお仕舞いになるのかそれが私には分からない。礼儀だけなら、そのような手紙は出さない方がいいに決まっている。私の母は今年死んだが、それと賀状を出す出さないはなんのかかわりもない。前項で書いた事件にしても、保健所で殺されたチロを覚えているはずがない、怒りはそのように続くものではない、というのが大方の意見である。しかし、それをしっかりと胸のなかへ刻み込んでいるひともいる。
 自らを振り返ってよい年などあったのだろうか、と思う。それでなくとも、私のまわりには自殺者が多かった。ひとは死ぬと同時に他人になる。同時に、口にこそしないが、こころの友になる。ひとひとり死んで私より悲しむひとは多くいる。だからこそ、口にできないこころの友なのである。悲しみはいやまさるばかり。その憤りも私の大きな情念のひとつである。
 前の店では店のドアを閉めてエレベーターのドアが閉まりかけた瞬間に「よいお年を」という。頭を垂れたまま涙が濫れてくる。その涙を拭き取ってから、なにごともなかったように店へ戻るのである。ひとには云わなければならない、だが、誰が自分のために「よいお年を」などというものか。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月24日 22:50 | 固定ページリンク




「宛先のない小包」  | 一考    

 破滅と自己顕示とは常に寄り添っている。このところ起きる事件を見つつそのように感じる。因果関係はことごとくが私忿であり、そこから生じるトラウマである。アナウンサー、リポーター、キャスター、コメンテーター、アナリストと称する人たちは事件の裏を探ろうとして、そこになにものも存在しないことを知って愕然とする。例えば元事務次官の殺害に関して政治的背景やテロリズムを端倪するも、幼少期の保健所による犬の死が理由だと聞かされて、その虚しさに嗟咨する。
 しかし、と思う。放送に携る人たちは自らの知を切り売りするのが商売である。その高踏と思われる知識が逆に目眩ましになっていることに彼等は気付かない。知識が邪魔をしてひとの情念が読み解けないのである。
 私は義務教育しか出ていないので、安保世代でありながら学生運動のなんたるかを知らない。それが幸いして、私忿をポリティカルに飾る術を持たなかった。だからこそ、憤りとは個にまつわるものであり、どこまでも私事に由来するものだといまだに信じこんでいる。
 自意識の発育過程で周囲に示す反抗的態度、自ら存在することへの憤り、反抗期の八つ当りほど謂れなきものはない。何に対して怒りが湧いてくるのか、またその怒りをどこへ振り向ければよいのか、ことごとくが理不尽であり、謎であり、ただただ困惑するばかりである。それら宛先のない怒りを私は私忿と称している。小泉某にしたところで、殺されたのが犬であろうが、猫であろうが、兄弟であろうが、親であろうが、自分であろうが同じことである。また殺める対象が元事務次官であらねばならぬ理由はどこにもない。ただ、厚労省の職員名簿の閲覧を禁止したのは役人の自意識過剰であって、臑に傷を持つからに違いない。次は私かという擬似被害者が十人、二十人いてもおかしくないのである。
 安保世代はそのポリティカルな粉飾を情念の名で呼んだ。デカルトは体に起因する心の乱れと解した。それは共に間違っている。デカルトの時代にあっては対立概念だったものが、今日では包括概念になっている。また安保世代は修辞法を組織論に応用したに過ぎない。私にいわせれば、国家権力、国家体制、警察国家、官僚政治等々、いくら修辞を凝らしてみたところで、私忿であり私怨であることに変わりはない。その素裸の私忿、私怨をこそ私は情念と名付けたい。前述したコクトーのいう「宛先のない小包」である。情念とは目には見えない透明な膜に蔽われた憤りであり、愁いによりその淵に凍りついた鏡のような絶望そのものだった。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月24日 20:29 | 固定ページリンク




偏向  | 一考    

 佐々木幹郎さんから読んでいい作品があればどんどん評価すべきと強く言われた。私もそのように思う。玲さんについて重ねて書いたのは幹郎さんの言葉に共感したからに他ならない。過日、川津さんの詩を嬬恋村まで持参したこともある。その原稿に幹郎さんは丹念に朱を入れてくださった。それは私にとっても勉強になる。
 先月「自意識」で「現世の評価などいかほどのものであろうか。現代の詩人はそのようないかがわしいものを求めて詩を著すのであろうか。結社や同人に属し、関連行事や出版記念会で顔を繋ぎ、当たり障りのない挨拶を繰り返すのが自らの価値を定め高めることだとでも思っているのだろうか」と書いた。昨今の若手は年長者の顔色を窺う、もしくは対抗しようとする。どちらに転んでも、それでは駄目である。より超然と構えるべきと思う。真に必要なのは比較しようのない場に行かざるを得なかった作家である。月並かもしれないが、女性を知らない男、男性経験のない女性、もしくは性的なものからスポイルされたひと等々、ある意味ある部分、世間から隔絶されるのが大切な場合だって有り得る。
 生活環境が許すなら空想の世界、妄想の世界だけを生きたところで、一向に構わない。私の知己で二十代に結婚したものの、僅か四、五日で嫁いだ北海道から神戸へ逃げ帰った女性がいた。曰く「夜な夜な男が私の寝室へ潜り込んでくる、あれは何なの、一考さんどう思う」と。これでは嫁として失格である。結婚について恋愛について、もしくは生活そのものについて事前の話し合いが不足していたか、常識というものが端から欠落していたかであろう。他方、彼女はすぐれた言語感覚を持つ詩人だった。だからこそ、問題はその偏向が作品を著すこととどのように結びついているかにある。
 ひとの精神はなにかしら不自由であって、どこかしら疾んでいる。そしてひとは死ぬが、作品は遺される。そこまで行かなくても、著すことが「自分の生き死にとって必要だと痛感」される場合もある。おそらく、作家とはそのような存在なのである。あとはその偏向に相応しい理解者が得られるかどうかに掛かっている。もっとも、そちらはそちらで別なる問題を抱えているが。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月24日 02:50 | 固定ページリンク




就職2  | 一考    

 ヒロユキさんが初日から包丁を持っているらしい。馬鈴薯と人参の皮むき、それと天麩羅の下拵えをしたとの連絡が入った。これは吉報である。初日から包丁を持つなどは普通ではあり得ない。紹介者kioraのシェフ中原さんの尽力によるものである。彼の就職に関してはさまざまなひとを煩わせた。詳細は明示しないが深く感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月24日 01:10 | 固定ページリンク




玲はる名さんについて  | 一考    

 先日紹介した「愛すべき孤独」の作者は玲はる名、歌人である。紹介文を著した後、玲さんから、あれは一考さん好みの作品ですからと云われた。彼女がどういうつもりで云ったのか定かでないが、私は好き嫌いで作品の判断は下さない。それどころか、どちらかと云えば好きな作品ではない。富永太郎や伊東静雄を想起させるリリシズムがあって、吉田一穂のようなアナロジーに充ちた詩が好きな私には食い足りない。しかし、「愛すべき孤独」一篇は屹立している。過去読んだ彼女のいかなる作品よりも胸中に素直に入ってくる。恋愛という人生最大の自己解体作業の息せき切った思いがみなぎっている。
 いまは閉じられたブログで彼女は「ぼくはいい年齢のくせして未だに胸がしめつけられたり、想うだけで涙が流れてくるような恋ができることは恵まれていると思う。でも、それは苦しみや迷いの連続で、浮き沈みの激しいものだと思う」と書いている。確かに「胸がしめつけられ」る恋をしているのは事実であって、「想うだけで涙が流れてくるような恋」の渦中にあるのは事実なのだが、恋の対象たる対手はどこにいるのだろうかと思う。その相手すなわち他者が私には見えてこないし、浮かび上がってこない。
 ここで述べておくが、私は彼女のことをよくは知らない。いわんやプライヴェートなことなど皆目である。一緒に酒を飲んだのも二度か三度、それもひとと会してである。従って、私のいうところは的がはずれているかもしれない。だからこそ、作品をのみ対象として喋っている。
 玲さんの恋は常に受動であって、完結すらが情念のなかでなされる。言い換えれば、彼女は恋などしていないし、失恋する必要がないのである。いっそ端から恋なんぞなかったとすら云えるのではないだろうか。
 前項で「外界を受容して内面に生まれる作者の情念がひしと伝わってくる」と書いたが、情念の世界にあって外界と内面とはしばしば入れ子構造を形作る。すなわち弁証法的かかわりを有するのである。なれば、外界がみだりな想いであることも重々可能である。「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学」だとみせびらきの詞で書いた。思うに、外界と内面との垣根を苦もなく跳びこえるのも想像力のなせるわざであろうか。私などはかかる恋愛、妄想の対手にされるのは迷惑なこととしか思っていなかったのだが、その妄想が「愛すべき孤独」を作りだす創造的な構成力、想像力の一とするならどうだろうか。ここにはしたたかに計量された玲さんの文学に対する「息せき切った思い」が汪溢している。
 私は引用があまり好きでない。作者は必要とするだけの文字数で自らの情念を綴る。よって作品を截り取るのは書き手に非礼を働くことになる。今回は玲さんの許可を得たので全文を引用する。なお、佐々木幹郎さんが当作品を誉めていらしたことを書き添えておきたい。

愛すべき孤独   玲はる名

日中最高気温16度/最低気温2度。文字化けに記録されたあなたの不機嫌な真昼。アメリカが嫌いなあなたはジーンズを穿かないから、こんなに寒くなってもコットンのパンツで過ごしているはず。強がりではなく弱ければ弱いほど強固になる命の染みが、あなたの全身に犇いているのだろう。ぼくは祈る。ぼくよりも遥かに高潔で賢いあなたが目を見開いて世界を見る意志を持つ日を。知性ではなく、肉体でも、精神でもなく、血汐で詩の一頁を捲る日が来ることを。この祈りがまっすぐに通じるといいな。孤独は愛されてはじめて意味を持つのだろう。身近な例で言えば「エリザベート」。いや、そんな安易な演劇であなたは納得しないかもしれないけれど。ぼくはけしてあなたを癒そうとはしないけれど、だからこそ、せめて、あなたが孤独を愛することができるように。ぼくは祈ろう。零れ落ちる木の実たちが母樹の側で誕生とも死ともつかないはじまりを向かえるように。大地は恵まれてばかりはいない。けれどもそれらはひとつの大地なのだとぼくは思う。その大地が広大で変化の激しいものであったとしても、ひとつの大地であるとぼくが語ったことをあなたは忘れないで欲しい。このひとつの大地に孤独は存在しない。孤独をつくるのはあるいは時間なのだ。ひとひとりが同じココロで同じ時間を歩むことがどれほど困難かをぼくは知っている。生まれてから今日の今日まで、ひとりの人間として確固たる自我であることなどありえないのだ。それは、自己を記録している人間ならばわかる。同様に他人も確固たる自我であることはないとぼくは思う。動いて揺れるものが自我なのではないか。あなたとぼくは同じ精神を持っている。あなたを知ったとき腹違いの双子をみつけたとぼくは思った。固体の精神はやがて崩壊し、無形の精神は常に浮遊し続ける。あなたがどう思うかわからないけれど、ぼくは後者の精神を好む。あなたが再びぼくをみるとき、ぼくはすべてを了解するのではないか。それが、ちょっと怖いけれど。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月23日 19:27 | 固定ページリンク




痙攣  | 一考    

 土曜日は久しぶりの新宿行、朝までナベサンのナオさんと唄う。帰宅後、ふくらはぎが攣り痛みで二度三度と覚醒。このところ腰痛が出ないので安心していたが、どうやらふくらはぎの痙攣に魅入られたようである。
 途中でAgeの弘子さんも合流、三枝和子さんの話に時を忘れる。改めていうまでもないが、弘子さんとの付き合いは長い。そして私たちの交わりはどこかしら間が抜けている。旅をしていても積極的な意見、例えばどこそこへ行こうとか誰それと会おうといった意見は出てこない。すべては行き当たりばったり、投げ遣りで捨て鉢なのである。年齢のもたらすものではなく、個々の生き方に起因すると思っている。
 団体だとその消息はさらに顕著になる。個々がてんでんばらばらなのである。勝手な時間に起きだして杯を傾けては酔いつぶれる。全身を投げ出しての高鼾があれば、輾転反側するひとがいる。要するに、ひとの心情に関与しないという優しさを互いが持っている。言い換えれば、ひとのはなしは聞くが訊かない、云いたくないことは口にする必要がないのである。
 mama-witchさんが書いている「本人が話さないことは何も聞くな」(http://witch-vill.blog.so-net.ne.jp/)はもんきゅに限らず、新宿ゴールデン街の不文律である。逆にいえば、しゃしゃり出るひとは意外なところから攻撃を受ける。先夜もお喋りなオカマちゃんがいて自分の作詞を自慢、他の客から「おまえは詰らない」と宣告されていた。私なら口にしない言葉だが、宣うだけの優しさをその客は持ち合わせている、さすがナベサンの常連客である。
 さて、美が痙攣的だと宣ったひとにとっては愛も痙攣的なものだったらしい。あれでは全体主義は痙攣的と宣言しているようなものである。だとすれば、私のふくらはぎの痙攣も追放しなければならない。なにかしら方策はなきものか。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月22日 16:09 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

 ロングモーンの香り、味わい、フィニッシュについては蒸留所紹介の項に譲る。ここでは個々のロングモーンのボトラーを紹介したい。

01 ヴィンテージ・ハイランド(シグナトリー)
 7年もの、40度。中味はロングモーン。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」がある。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いを楽しむことができる。ゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社に次ぐ三番目のボトラー。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

02 ロングモーン '96(キングスバリー)
 セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
 同時頒布にカリラ、グレン・グラント、マッカランの三種あり。
 元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからスコットランド東部アバディーンへ、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。ついでハンドライティング・シリーズを頒布。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられている。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズ。

03 ロングモーン'90(ドナート)
 ダン・イーディアンの一本。シェリー・カスクの10年もの、46度、415本のリミテッド・エディション。
 イタリアはジェノヴァの酒商。「ダン・イーディアン」とのコレクションを頒す。ダン・イーディアンとはスコットランドの古都エディンバラのケルト語読み。オスロスク12年、同カスク・ストレングス、カリラ10年、ボウモア9年、マッカラン11年等が当初ボトリングされた。カスク・ストレングス以外はすべて46度のシングル・カスク。無着色、低温濾過は施されていない。適度に澱もあり、コンディションは良好、かつコスト・パフォーマンスに勝れる。他にカスク・ストレングスも頒布している。シグナトリー社の関係子会社だが、大いに期待できるボトラーである。

04 ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
 バーボン・カスクの12年もの、46度。
 ウィスキー・ガロア社はダンカン・テイラー社の子会社。他にヴァッテッドモルトも販売。ダンカン・テイラー社のピアレス・シリーズ同様、ノン・チル・フィルター、ノン・カラーリングで、46度まで加水のうえボトリング。
 親会社のダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構える。ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアレス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱う。同コレクションは元々B・デヴェロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。デヴェロップ社のボトルはわが邦には未入荷。なお、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。

05 ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
 本品は40度。ディスティラリー・ボトルと比して度数は低いが、キリキリと咽を刺すようなフィニッシュはこちらの方が強烈。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。1995年にボトリングされた「100周年記念ボトル」は総じて樽の選択がよく、美味なものが多いのでお薦め。また、「コニッサーズ・チョイス」は各地の蒸留所のモルト・ウィスキーを網羅、ユナイテッド・ディスティラーズ社の「クラシック・モルト・シリーズ」と共に入門編として最適。

06 ロングモーン15年(DB)※
 45度の
 シーバス・ブラザーズ社がボトリングしていた旧ディスティラリー・エディション。04年位までは酒屋の棚の隅に在庫していたが、最近ではまったく見掛けなくなった。

07 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
 蒸留所のオーナーはシーバス・ブラザーズ社からペルノ・リカール社へ変わった。今後の動向が気になる蒸留所である。本品の発売は07年から。ゴードン&マクファイル社のカスク・ストレングスやスピリッツ ・オブ・ スコットランドのボトル、またはダンカン・テイラー社のピアレス・コレクション等、ロングモーンはボトラーズ・ボトルが旨い。トップから南国フルーツの香りが顕著、オレンジマーマレード、マンゴー、グレープフルーツの皮のフィニッシュがディスティラリー・ボトルと比してより強い。値が高いばかりで、ディスティラリー・ボトルはいまいち。

08 ロングモーン'76(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はアンガス・ダンディー社傘下のカンパニー、本社はグラスゴー。従って、マキロップ社とは兄弟会社になる。ボトリング・ライセンスを持ち、樽と樽とのヴァッティングは一切行わず、スモール・バッチを売りとする。第一回頒布は2000年末。
 親会社のアンガス・ダンディー社はモルトウィスキーの他ブレンデッドやスピリッツ全般を扱い、50年以上の歴史を持つロンドンの酒類販売業。スペイサイドのトミントール蒸留所、ハイランドのグレンカダム蒸留所のオーナー。モンゴメリーズ社やマキロップ社のボトリングはトミントール蒸留所の設備を用いている。樽の選択はマスター・オブワインの資格者ローン・マキロップ。
 モンゴメリーズ社、マキロップ社、ウィスキー・エクスチェンジ社は中味と比して安価なボトルが多い。

09 ロングモーン・グレンリヴェット '70(ベリー・ブロス&ラッド)
 ベリーズ・オウン・セレクションの一本。オロロソ・シェリー・カスクの28年もの、43度。
 1698年創業のベリー・ブロス&ラッド社は、カティーサークやブルーハンガーのプロデューサーとしても有名なロンドンの老舗酒商で、18世紀から現在までロイヤルファミリーにワインを供給している名門。マスターオブワインの資格者を常時雇用し、秀逸なワインやモルト・ウィスキーをベリーズ・オウン・セレクションとして販売。
 ロンドンのセントジェームスストリートにある本店は18世紀に建てられた古い建物で、香港のコーズウェイベイのリー・ガーデン(Lee Gardens)内に支店がある。セントジェームズストリートはホワイト・ブルックス、ブードルズといった古くからのジェントルマンズクラブが点在し、ジェントルマンの聖地(クラブランド)でとなっている。またセントジェームズパレスにも近く、同時にロンドンのクラフトマンシップの中心地でもある。通りの南側には8軒の老舗が集まっている。靴のジョン・ロブ、帽子のジェームズ・ロック、薬局のD・R・ハリス、銃砲のウイリアム・エバンス、世界最古の葉巻商ジェームズ・J・フォックスとロバート・ルイス、そしてワイン商のベリー・ブロス&ラッドとジャステリーニ&ブルックスである。

10 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 ジャック・ウィバース・ウィスキーワールド社は、その名の通りジャック・ウィバースが主宰するドイツのボトラー。「ウィスキー・ワールド」「オールド・トレイン」「ザ・クロスヒル」ドイツ限定ボトリングの「プレミアモルト」「スコティッシュ・キャッスル・コレクション」等がある。わが国ではエイコーンが扱っている。

11 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 バタースコッチ、キャラメルの香り。蜂蜜やスパイシーさが長く続き、心地よく甘い味わい。シンプルなラベルデザインながらも、スペイサイドは青、アイランドは茶色といったように各地域で色合いが異なる。当シリーズは他にリンリスゴー、マッカラン、オルトモーア、ハイランドパーク、ローズバンク等が頒されている。
 ロングモーンの長期熟成にはシェリー樽が多く用いられる。本品はバーボン樽だが、味わいは実に美味。
 ザ・ウイスキー・エクスチェンジ社は、ロンドン北部、パークロイヤルにある酒屋で、1200種を超えるシングルモルトの在庫を抱える。多くのディスティラリー商品の販売を手掛けることによって代表のスキンダー・シンは蒸留所関係者とも密接な関係を持つ。ブランド名となっている「ザ・シングルモルツ・オブ・スコットランド」シリーズは、同社を代表する製品。

12 ロングモーン '73(ゴードン&マクファイル)
 30年もの、55.8度のカスク・ストレングス。
 バニラやレーズン、ラム酒を想わせる華やかな香り。ドライでスパイシー、かつ拡がりのある味わい。喉ごしは滑らかだが、舌先にごく僅かな渋味が残る。蓋し、秀でた食前酒であり、エルギン地区を代表する佳酒。
 他では64年、66年、69年蒸留のものが多く頒され、特に66年の41年ものがケルティック・ラベル、69年の39年ものがスピリッツ・オブ・スコットランドとして08年にボトリングされている。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月22日 00:25 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

12月27日(土曜日)の19時から新装開店後、十二度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11700円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はロングモーンのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(ロングモーンを飲む)

01 ヴィンテージ・ハイランド(シグナトリー)
 シグナトリー社が7年もののロングモーンを瓶詰め。40度。
02 ロングモーン '96(キングスバリー)
 セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
03 ロングモーン'90(ドナート)
 ダン・イーディアンの一本。シェリー・カスクの10年もの、46度、415本のリミテッド・エディション。
04 ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
 バーボン・カスクの12年もの、46度。
05 ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
06 ロングモーン15年(DB)※
 45度の旧ディスティラリー・エディション。
07 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
08 ロングモーン'76(モンゴメリー)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
09 ロングモーン・グレンリヴェット '70(ベリー・ブロス&ラッド)
 ベリーズ・オウン・セレクションの一本。オロロソ・シェリー・カスクの28年もの、43度。
10 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
11 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
12 ロングモーン '73(ゴードン&マクファイル)
 30年もの、55.8度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年12月20日 18:56 | 固定ページリンク




「愛すべき孤独」  | 一考    

 先頃知己のブログを読んでいて「愛すべき孤独」という詩に行きあった。誰がだれのために書いたのかある程度の予測はつくものの、そのようなプライヴェートなことを離れて読ませる作品である。言葉遣いのごく一部に詰めのあまさが感じられるが、こちらも気にはすまい。外界を受容して内面に生まれる作者の情念がひしと伝わってくる。

・・・アメリカが嫌いなあなたはジーンズを穿かないから、こんなに寒くなってもコットンのパンツで過ごしているはず。強がりではなく弱ければ弱いほど強固になる命の染みが、あなたの全身に犇いているのだろう。ぼくは祈る。ぼくよりも遥かに高潔で賢いあなたが目を見開いて世界を見る意志を持つ日を。知性ではなく、肉体でも、精神でもなく、血汐で詩の一頁を捲る日が来ることを・・・

・・・生まれてから今日の今日まで、ひとりの人間として確固たる自我であることなどありえないのだ。それは、自己を記録している人間ならばわかる。同様に他人も確固たる自我であることはないとぼくは思う。動いて揺れるものが自我なのではないか。あなたとぼくは同じ精神を持っている。あなたを知ったとき腹違いの双子をみつけたとぼくは思った。固体の精神はやがて崩壊し、無形の精神は常に浮遊し続ける・・・

 この種のポエジーが近頃の詩には見受けられなくなった。頭に知己と書いたが、身近にこれだけの詩を著すひとがい、それに気付かなかったとすれば迂闊である。おのが不明を恥じるしかない。
 幼少の頃、本を読むとは詩歌を繙くことだった。戦後詩に限っても、石原吉郎、黒田三郎、吉岡実、石垣りん、鮎川信夫、北村太郎、田村隆一、吉本隆明、吉野弘、茨木のり子、飯島耕一、相澤啓三、入沢康夫、谷川俊太郎、堀川正美、渋沢孝輔、岩田宏、中桐雅夫、三好豊一郎、衣更着信、鈴木志郎康、天沢退二郎、吉増剛造、高橋睦郎、佐々木幹郎等々、お気に入りの詩集を小脇に挿んで議論していた。それが何時の頃からか、詩歌は読まれなくなった。文学という情念と縁なき人々が文学の世界へ彷徨いこんできたのである。彼等は散文を専らとするらしい。速読術とやらが持て囃され、心身合一ではなく、知識の量ばかりが珍重される。謂わば、身体論の欠如である。
 詩歌を読まない理由を訊くに、異口同音になにが書かれているのかが理解できないと云う。読み手のおつむの鈍さを詩書に被せられてはかなわない。それどころか、彼等が得意とする散文にあっても、ゴンブロヴィッチ、ベケット、アルトーのようなストーリー性を持たない作家は読まれない。言い換えれば、一冊を読了するに数箇月掛かるような読書は慎重に避けているようである。
 詩は散文とは異なって数段高次に存在する。その理由は情念を生な形で孕んでいるからである。この場合の情念は哲学と解していただいて差し障りない。デュジャルダンがいう内的独白やバタイユのいう内的体験と軸を一にしている。
 かつて鏡花の「化鳥」について、「化鳥」では、読者はのっけから主人公の思考のなかに置かれる。われわれは少年廉とともにいきなり窓から顔を出して雨の降っている橋の上を眺める。少年の意識にとって、過去も未来も、いやな経験も楽しい空想も、すべては《ここ》と《いま》に現前している。はじめの八行目に「寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日(いつか)でしたっけ、窓から顔を出して見ていました」とあるが、現在も、過去のなかの現在も、すべてひとしなみに《ここ》であり《いま》でしかない。対自としての意識、論理的に組み立てられる以前の、より無意識に近い思考にあって、時間は隔たりを持たない。「母様(おつかさん)が在(い)らっしゃるから、母様(おつかさん)が在(い)らっしゃったから」との言葉で小説が閉じられるが、現在形と過去形とを並べることによって、語られたすべての時間はくずれ、時はなだらかに融化していく。いや、廉の夢が大きくふくれあがって、すべての物語の時間を呑みこんでしまったのである。と書いたことがある。
 「愛すべき孤独」にあっては作者の夢が大きくふくれあがって浮遊しはじめ、時と日を呑みこんで、無形の精神となって彷徨い迷い続けるのである。ここで注意しなければならないのは、日々が跡切れずに繋がっていることである。この当たり前のことに多くのひとは気づかない。パトスはそのベクトルのなさからロゴスと比較され、刹那であるところからエートスと対比される。しかしパトスはありとある表現の苗床、パトスの知が蠢かないところに内面の表出はありえない。情念は心身合一を冀求し、身体性をもった具体的な人間のありようを示唆する。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月19日 20:38 | 固定ページリンク




フォアグラ  | 一考    

 西明石の頃はビールの種類が多く、頻繁にカタログを書き換えていました。松友さんには申し訳のないことを致しました。それにしても体調にはご注意、お互い若くはないのですから。
 私もフォアグラの悪化でこのところ食事制限がきつく、困っております。私の場合はウィスキーとワインは結構、ただしビールと烏賊と干物は遠慮してくれと山崎医師からのきついお達しです。プリン体がいけないようですが、プリン体の入っていない食物などなく、適当な食事を繰り返しているので一向に改善しないようです。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月16日 23:31 | 固定ページリンク




御礼  | 一考    

 金沢の「かわべ」主人河崎徹、「亀鳴屋」社主勝井隆則両氏より大包みが到着。イワナ卵の醤油漬け、ニジマス卵の塩漬け、同佃煮、同薫製が送られてきた。早速、昨夜のぼたん鍋の前菜として頂戴した。ぼたん鍋は定員をはみでる盛会で金沢からのお歳暮は消えてなくなった。私事で恐縮だが、十二月の家賃がやっと払えて安堵している。これも河崎、勝井両氏の厚誼のたまものと御礼申し上げる。
 勝井さん曰く、好不況の(渦外)の地べたを這う身なれば、せめて不況の渦中に仲間入り致したく、当方もデストラの日が近づいております、と。destra(右手)ではなくdestructionの略だが、亀鳴屋の場合は滅亡、破滅よりですぺら同様駆除の方が当たっているように思う。害毒にしかならぬ書物を飽きもせずに上梓している彼はさしずめ害虫そのものであろうか。ちなみに、近著は「高祖保書簡集 井上多喜三郎宛」外村 彰編、「續人譽幻談 水の底」伊藤人譽著、「伊藤茂次詩集 ないしょ」(売り切れ)である。ここはひとつ、舟木伝内に倣って陰の備忘録「奈落の栞」をお書きいただきたいと願っている。
 河崎さんの「イワナ売ります」は既に四十回を数える。「大風呂敷」もいよよ研がれて舌鋒鋭く、「勝ってくるぞと勇ましく…」では金メダルに於ける運の大事を説き、その「運(好運)は誰れにでも等しくある」と結論づける。当然、好運であろうが悪運であろうが消息は同じである。思うに、金メダルであっても何でも構わないが、そのようなもので感動するような軟な人心への警告と私は読んだ。前回の三十九回は「ふるさとの山に向かいて金はナシ(この方が面白い)」で閉じられている。ずっと遡って第二十七回では俳句が詠まれている。その「賢者と愚者」と題された項では歴史と経験を主調に教育について大学紛争についてイジメについて気の向くままに「エラソウな事」が詳述されている。
 哲学するという行為を大学で教えることはできない、大学で教えることができるのは哲学の通史のみ。それは対象が文学であれ歴史であれ同じである。思想の数だけの歴史観があり、日本人の看るアジア史と朝鮮人の、中国人の看るアジア史はまったく異なる。客観的な歴史などと云うものはどこにもなく、独立した日本史などと云うものもどこにもない。あるのは世界史のなかの日本史であり、世界史のなかのアジア史である。さらに踏み込めば歴史観のないところに思想はなく、思想そのものが歴史と云っていえなくはない。
 亀鳴屋がどうして貴重な出版社かと云えば、自身の価値観なり歴史観すなわち世界観の書き直しを余儀なくさせる書物を上梓しているからに他ならない。「イワナ売ります」然り、河崎さんのブログも亀鳴屋の大切な為事の一と私は考えている。文中、河崎さんは「大切なのは歴史に自分は何を学ぶのか(学ばないのか)、この社会で身につけた経験がそれでよかったのか(悪かったのか)をいつも自問自答する事だと思う」と著す。その問いかけは良い悪いと云った二項対立を通り越してさらに深い渦中に個を誘う。河崎さんの遠慮がちな文言は考えるってなに、という自問自答を私に突きつけてやまない。

 齢食えば 見馴れた秋も又よしと
 刈った田に バアチャン一人と赤トンボ
 野菊折り 名知らぬ 墓に添えてみる
 千年も 同じかと思う 秋の暮れ
 見上げれば 耳鳴りだけ 秋の空
 秋だけは 孤独もよしと 一人ごと
 何時からか 秋の花が 好きになり(河崎徹)


投稿者: 一考      日時: 2008年12月15日 23:38 | 固定ページリンク




伺うのも難く  | 松友    

 就職先が決まりましたか。掲示板上であいすみませんが、

おめでとうございます。

 それにしても赤坂でですぺらさんが新新居を構えてからというもの殆どお伺いできていないのが実情、お恥ずかしく存じます。今年は私事、仕事先の事務所移転や組織替えや案件のデスマーチ化やらもありましたが。何にましてスピリッツ系が殆ど飲めなくなってきたというのがあります。栄養の偏りやら肥満やらできっと肝臓が疲れきっているのでしょう。今年の夏は終始ひどい夏ばてで閉口していたのもきっとそのせいかと。自家製フォアグラは必要ないのですけれども、そんな塩梅なので最近はビール風味酒をちびちびです。
 えーとヒューガルデンの白生をガンガン飲んでたみたいに流布されているような気もいたしますが、ではないのは分かりますけれど、ヒューガルデンの白生は一押しでいらした記憶がございましたしお客さんは皆様召し上がっておられましたしボディントンも同様でした。そんな中、ですぺらさんへお伺いした当初は330mlのビール2缶でへろへろになっていた訳でして、缶ビール2つと春巻きorささみチーズフライ、で、おいとまというのが当初のパターンでした。ビールをカタログ順に飲んでいたら並びを入れ替えられて訳わかんなくなったりしたのは今となってはいい思い出です。
 年越しに近辺の神社めぐりに御一緒させて頂いたのも懐かしく、ってそれは赤坂にお見えになってからの事ですが未だ年末ではないのでそれまでには一回くらいはお伺いできたらなと考えている、松友でした。


投稿者: 松友      日時: 2008年12月14日 02:40 | 固定ページリンク




嬬恋村の少年  | 一考    

 ヒロユキさんの就職先は目白のフォーシーズンズホテル椿山荘のメイン厨房である。今日の昼過ぎに決まった。仕事に入るのは22日から。佐々木幹郎さんは十八日までフランスへ行っているが、彼共々喜んでいる。
 幹郎さんに云わせるとですぺらは予備校、嬬恋村の少年がいかに変わったか、椿山荘で真価が問われる。幹郎さん、彼は大丈夫です。屈折こそすれ、挫折することは二度とないと、私がそのように信じるに至ったのです。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月12日 19:25 | 固定ページリンク




為替  | 一考    

 アイルランドのスタウト「マーフィーズ」を二割引で入手、本日から売価も二割引にする。

 10月16日にドルは80円代にまで下がると書いたが、今日88円にまでなった。第4四半期の結果が出るころには80円にまで下がりそうな気がする。さらに酷いのはユーロであり、ポンドである。第1四半期の結果を待たずして100円にまで下がりそうである。去年の夏、ポンドは250円だった。それが現在は130円、さらに下がるのは必定。ウィスキーの値は半額以下になっていい筈である。いずこで滞っているのか定かでないが、一向に値は下がらない。インポーターはどうも一時の現象と思っているようである。欲しいウィスキーはあるのだが、今月は差し控える。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月12日 19:23 | 固定ページリンク




ぼたん鍋4  | 一考    

 猪肉が送られてきた。肉質はまずまずの状態、これでひと安心。あとは取合せ、焼豆腐、ちぎり菎蒻、白菜、葱、牛蒡、えのき茸、椎茸の類いである。明日から用意に入るが、焼豆腐とちぎり菎蒻は指定があって今日中に仕入れる。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月12日 18:43 | 固定ページリンク




リストラ  | 一考    

 かつてですぺらが在ったサンエム赤坂ビルが不況のあおりで建て直しを断念、あのままで賃貸物件となることが決まった。従って、ビルに残っている四店舗はそのまま居座ることになった。心中穏やかでなかった「かさね」さんも落ち着きを取り戻されたと思う。
 現在工事に入ったところは別にして、建て直しを断念したビルが他にも複数ある。そして工事中のビルのひとつは中断したままである。そこかしこに不況の影響が現れはじめた。余波ではなく、本番はこれからである。
 ですぺらもまた、その影響の渦中にある。私が営む店だから暇なのは当たり前なのだが、十二月というのに客足は途絶えたまま、すでに月のうち三分の一が過ぎ去って開店以来最悪の売上である。ですぺらがリストラクチュアリングされる日が近づいてきたようである。ですぺらがリストラされればへらへら、軽薄でしまりがないのは私の性根そのものである。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月10日 19:59 | 固定ページリンク




ゆきずり  | 一考    

 「是が非でも」と云った覚悟は疾うに私の人生にはない。ああ生きたい、こう生きたいという思いは十代のときに棄てた。生きるところ万端がかりそめであり、ゆきずりと思っている。そして、少しでも楽しいゆきずりであってほしいと願う。
 人の死亡率は百パーセント、それは分かっているのだが、歳を取るのは初体験である。五十を出てからは日々懼れおののきながら生きている。
 オートバイでどうしていたのかと掲示板を弄るってみる。二月二十五日に「次の冬は鉄馬に跨がることができるのだろうか」と書いている。ヒロユキさんによると二十四日の嬬恋村は猛烈な吹雪だったそうな。
 ちはらさんがユニクロのヒートテックという下着を買ってきた。パッチは去年はじめて穿いたが、長袖のシャツを着るのは生れてはじめての経験である。今までは真冬でも縮の半袖で通してきた。オークションで千円の革ジャンと三千円のゴアテックスのジャンパーを購入、併せてこの冬を乗り切るつもりである。
 乗るのが快感だったオートバイが地獄の責具に思われてくる。そういえば、ゴアテックスを検索するにラテックスで検索、SM用コスチュームが出てきて困惑させられた。店の客からゴアテックスではないのかと指摘され大笑い。頭のなかでオートバイが責具、責具とスピンしていたのかもしれない。
 それにしても、楽しいゆきずりとは暖かい人肌でしかない。この種の生臭さだけは消えそうにない。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月10日 15:19 | 固定ページリンク




就職  | 一考    

 ヒロユキさんの就職がほぼ決まった。就職先へランチでも食べに行こうかと思ったが、もっとも高価なコースだと一万六千円である。ディナーは二万五千円。とんでもない世界が目白の方にはあるそうな。
 なにはともあれ、喜ばしいことである。いささか難産したが、よき紹介者に恵まれて理想的なかたちで決着がつきそうである。料理人として最初の就職先は生涯のあらましを決定づける。さればこそ、料理の基礎を学ぶになんら不足はない。三箇月はアルバイト、一年は契約社員、正社員になるのは一年三箇月後になるが奮起していただきたい。
 総料理長との面接を済ませ、金曜日が総支配人との最終面接らしいが、手に付着したブドウ球菌の検査があるといわれたのには驚いた。私にはそうした儀式めいた面談の機会がまったくなかった。なかったことを是とべきか、非とすべきか私には分からない。ただ、生きる過程で必要が生じた最小限の許可証、修了証、免許の取得はその都度済ませてきた。
 正社員になってから五年はなにがあってもしがみ付いてほしい。その間は自分の人生を捨ててほしい。そうでないと応用が利かないからである。十年と云いたいところだが、料理の世界はセンスである。センスが秀でていれば十年の要はない。あとは武者修行を繰り返す方が良いに決まっている。いずれにせよ、自らの腕と相談しながら決めるに越したことはない。修行がはじまれば人はひとりになる。決して連まずに耐えていただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月09日 23:53 | 固定ページリンク




ぼたん鍋3  | 一考    

 ぼたん鍋の会は12月14日の日曜日19時からということに急遽決まった。会費は人数次第だが、鍋代に五千円を考えている。鍋だけでなく、刺身も仕入れる予定。
 参加なさるのは現在のところ二名、あと五名募集している。ご希望の方は電話(03-3584-4566)もしくはメールをいただければありがたい。掲示板トップをクリック、ホームページ扉の一番下にメールアドレスが記入されている。複数あるメールアドレスはすべて拙宅のパソコンに通じている。

 追記
 先ほど二名増えてもっか四名。刺身用フィレ肉が一本手に入ればよろしいのですが、月曜日夕に判明の予定。もしも入れば、ひどく安価なぼたん鍋になります。E型肝炎満載の生肉です、みんなで食べてぬたうちまわりましょう。
 追記2
 さらに一名増えてもっか五名。あと二名さまです、どうかよろしく。
 二度の猪肉註文のメールに返事がなく、もしやと思って電話したところメールが不通とのこと。改めて註文し、フィレ肉共々ぼたん鍋が空を翔けてくることになった。ちなみに拙宅のメールも先ほどから不通、こちらはルーターのコンセントが抜けていました。(8日14時)


投稿者: 一考      日時: 2008年12月06日 00:04 | 固定ページリンク




麦酒について  | 一考    

 アイルランドビールといえば、ギネス、キルケニー、スミディックス、ビーミッシュ、マーフィーズ。ギネスはダブリン、キルケニーとスミディックスはギネスの傘下に入ったため、今では生地のキルケニーを離れてダブリンで醸されている。南部の第二の都市コークで醸造されているのが後者のふたつ。それにイングランドのマンチェスターのボディントンを加えると私の好きなビールの勢揃いである。
 明石で飲み屋をはじめた頃、正確には1994年11月、大阪のインポーターからボディントンを百ケース買い取ったのを覚えている。ベルギービールのヒューガルデン樽生を小西酒造から取り寄せたのも同じ頃、小西の担当者に云わせるとですぺらが関西で最初ということで、一緒に伊丹の飛行場まで60リットルの樽を取りに行った。小西の社史ではヒューガルデン樽生の輸入は1993年からとなっているので、東京ではですぺらが取り寄せる前年から扱っていたことになる。ブラッセルズあたりであろうか。
 掲示板とは個人的なもの、ここで書いておかなければならないのはヒューガルデンのジョッキを片手に笑顔が絶えなかった松友さんのことである。四、五日で六十リットルの樽をコンスタントに開けていたのだから日々繁盛していた。ボディントンは一日平均二十罐は出ていただろうか。ボディントンについては掲示板1.0で書いたように思うのだが、検索で出てこない。従って以下は繰り返しになるかもしれない。
 前述のインポーターとは重松貿易である。重松貿易は当時の正規代理店で表記はバディントンズ・ドラフトビール、330ミリリットルで4.8度だった。イギリスの友人に問い合わせたところ、現地では3.5度のものが出回っているらしく、わが国へ入れるに際し酒精を強化したと思われる。ウイットブレッド・ペールやニューキー・スチーム・ラガーなどもそうなのだが、私は長い間イギリスのビールはアルコール度数が低いものと思いこんでいた。ボディントンは現在、440ミリリットルで4.8度のものが出回っている。ただし、香味は決定的に変わった。変わったとは云っても、こればかりは比較して飲んでいただくしかない。今となっては詮ないはなしである。
 重松貿易はインバー・ハウス・ディスティラリーズ社のスペイバーンやプルトニーの代理店だが、ボディントンは売れなくて手を焼いていたらしい。当方の大量注文に値引きで応じてくださり、さらに百ケースを追加した。ですぺらでの売価はボディントンが五百円、ヒューガルデン樽生が六百円だった(これは今の仕入れ値に近い)。西明石にアイルランド人が働くアイリッシュパブがあったが、ボディントンやマーフィーズに二千円を請求されて憤慨したことがあった。
 今では日本中にアイリッシュパブやベルギービールの店があるが、当時ボディントンやヒューガルデンが人気だったのはですぺらのみで、明石や神戸、大阪の知己に配っても屁のようなビールだと酷評された。ちなみに当時のカタログを見ると、アイルランドとベルギーだけで百六十二種類のビールを置いている。ですぺらにもそのような季節があったのである。
 昨今、ボディントンやマーフィーズの終売がネット上を騒がせているが、蒸留所や醸造所はどこへも行かない、グレンロセス同様輸入元が変わるだけである。そのようなことよりも親会社の都合で工場が閉鎖されるのが辛い。05年2月に閉鎖予定だった(http://www.iuf.org/cgi-bin/dbman/db.cgi?db=default&uid=default&ID=2612&view_records=1&ww=1&ja=1)ボディントンはうまく収まったようだが、未だに不安定である。ボディントンの親会社だったウィットブレッド社は2000年にベルギーのインターブリュー社へ経営権を身売りし、マーフィーズはハイネケン傘下となって現在オランダ工場をはじめEU各地で造られている。ビールの世界もモルト・ウィスキーと同じである。

追記
 ベルギーのインターブリュー社は2004年、ブラジルのAmBev(アンベヴ)と合併してInBev(インベヴ)となり、2008年にアメリカのアンハイザー・ブッシュ社を買収し、アンハイザー・ ブッシュ・インベヴとして世界最大のビールメーカーとなった。ヒューガルデンもその傘下で、ボディントンの生産はサウスウェールズのプレストンビール工場に移転され、歴史を誇るマンチェスター醸造所は閉鎖された。興味ある方は検索されたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月05日 14:52 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 アイル・オブ・ジュラ'99(マシュー・フォレスト)※
 ヘヴィリー・ピーテッド3年とピーテッドでない13年と21年もののヴァテッド・モルト。58.8度のカスクストレングス、705本のリミテッド・エディション。
 パシフィック・カレドニアンが頒した一本にして、ディスティラリー・エディション。マシュー・フォレスト氏死去のあとパシフィック・カレドニアンは解散、在庫はウィスク・イーの取扱いとなった。

 ポート・シャーロット'03(スコッチ・モルト・セールス)
 08年のボトリング。4年もの、46度、373本のリミテッド・エディション。ディスティラリー・コンディション。
 日本のある企業が創立50周年を記念してつくったプライベートラベル、扱いはスコッチ・モルト・セールス。

 ポート・シャーロット'01(DB)※
 07年のボトリング。オーク・カスクの6年もの、61.6度のカスクストレングス、18000本のリミテッド・エディション。
 ブルイックラディ蒸留所ではポート・シャーロット、ロッホ・インダール、オクトモア(未頒布、80ppm)と呼ばれる三種のヘヴィリー・ピーテッドを造っている。現在、かつてのロッホ・インダール蒸留所の建物にインヴァーレーヴン蒸留所の設備を移設してポート・シャーロット蒸留所の名前で蒸留所を開くプランが進行中。アイラ島の蒸留所がまたひとつ増える。5年もの(PC5)に次ぐ6年もの(PC6)。

 カリラ(UDV)※
 フレンド・オブ・クラシック・モルトの一本。07年のボトリング、43度のリミテッド・エディション。
 ノンヴィンテージ、ノンエイジングで樽はフィールシェリーとリフィールバーボンのヴァテッド。裏ラベルにはディアジオ・スイスと記され、ヨーロッパの「クラシックモルト」の会員向け。発売は08年末。

 ラガヴーリン'95(UDV)※
 フレンド・オブ・クラシック・モルトの一本。08年のボトリング、ファースト・フィル・シェリーバットの12年もの、48度のリミテッド・エディション。
 ドイツとスウェーデンの「クラシックモルト」の会員向け。過去「タリスカー10年('89、59.3度)」「クラガンモア14年(47.5度、4987本)」「グレンキンチー12年(58.7度、5010本)」等が頒されている。

 ラフロイグ'96(ウィスキー・エクスチェンジ)
 エクスクルーシヴ・モルトの一本。06年のボトリング、オーク・カスクの9年もの、52.3度のカスク・ストレングス、311本のシングル・カスク。
 ウィスキー・エクスチェンジ社はスピリッツへの情熱と40年間の豊富な経験を持つシャキンダー・シンとラジャバー・シンの2人の兄弟によって創設された酒類専門会社。取り扱う商品は1500以上のウイスキー、100以上のコニャック、ラム、その他のスピリッツなど、豊富な品揃えを持つ。また、最近ではボトラーズとしても活躍、数々のシングルモルト・ウイスキーを発売している。

 グレンスコシア'99(リンブルグ)
 リンブルグ・ウィスキーフェアのボトル。06年のボトリング、バーボン・バレルの6年もの、52.7度のカスクストレングス。ディスティラリー・コンディション。
 99年から蒸留がはじめられたヘヴィリー・ピーテッドモルトの第一弾。この後、「グレン・スコシア・ピーテッド」との加水タイプがボトリングされた。

 マッカラン・グレンリヴェット・レジェンド'89(ドラミン)
 03年のボトリング。ペドロヒメネスの13年もの、55.9度のカスクストレングス。
 89年蒸留の同じラベルのボトルが3度頒されている。91年蒸留のの14年ものからはラベルを一新、ボトルもクリアーになった。ボトラーのドラミンはアバディーンの新規ボトラー。量産されはじめる(74、75年)以前の「昔のマッカラン」を復活させようとの試み。敢えて「Macallan-Glenlivet」と銘打つ。伝統的なノンチルフィルター・ノンカラーリングで、時間が経つにつれほのかに主張をはじめるシェリーの奥ゆかしさを秘める。

 マッカラン'88(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。03年のボトリング。オロロソ・シェリーの15年もの、55.9度のカスクストレングス。
 マルコム・プライドの樽をスコッチ・モルト・セールスがボトリング。

 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
 蒸留所のオーナーはシーバス・ブラザーズ社からペルノ・リカール社へ変わった。今後の動向が気になる蒸留所である。本品の発売は07年から。ゴードン&マクファイル社のカスク・ストレングスやスピリッツ ・オブ・ スコットランドのボトル、またはダンカン・テイラー社のピアレス・コレクション等、ロングモーンはボトラーズ・ボトルが旨い。トップから南国フルーツの香りが顕著、オレンジマーマレード、マンゴー、グレープフルーツの皮のフィニッシュがディスティラリー・ボトルと比してより強い。値が高いばかりで、ディスティラリー・ボトルはいまいち。

 ロングモーン'76(モンゴメリー)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はアンガス・ダンディ社の傘下、従ってマキロップ社とは兄弟会社になる。モンゴメリーズ社、マキロップ社、ウィスキー・エクスチェンジ社は中身と比して安価なボトルが多い。

 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 ジャック・ウィバース・ウィスキーワールド社は、その名の通りジャック・ウィバースが主宰するドイツのボトラー。「ウィスキー・ワールド」「オールド・トレイン」「ザ・クロスヒル」ドイツ限定ボトリングの「プレミアモルト」「スコティッシュ・キャッスル・コレクション」等がある。

 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 バタースコッチ、キャラメルの香り。蜂蜜やスパイシーさが長く続き、心地よく甘い味わい。シンプルなラベルデザインながらも、スペイサイドは青、アイランドは茶色といったように各地域で色合いが異なる。他にリンリスゴー、マッカラン、オルトモーア、ハイランドパーク、ローズバンク等が頒されている。ロングモーンの長期熟成にはシェリー樽が多く用いられる。本品はバーボン樽だが、味わいは実に美味。

 ブローラ'75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名された。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。

 リンリスゴー'82(ウイスキー・エクスチェンジ)
 07年のボトリング。リフィルシェリーバットの25年もの、62.4度のカスクストレングス、606本のリミテッド・エディション。
 新シリーズ「リージョンズ・ オブ・ スコットランド」の第一弾。ローランドモルトとしてはボリューム感があり、クリーンで華やかな特徴はしっかり残っている。クリーミーで、モルティーな甘さのあとにドライフルーツ、ナッツなどが現れる。味わいはミルクをかけたフルーツグラノーラとピーチティー、フィニッシュと共にバランス佳し。

 ローズバンク12年スリーディスティレーション(DB)※
 1980年代のスイス向けボトル。43度のディスティラリー・ボトル。
 アルコール感は弱く、優しい華やかな香りが広がる。おとなしいローズバンク。
 創業は18世紀後半の1773年と言われており、在所の地名を冠しキャメロン蒸留所と名乗っていた。現在の建物は地元の穀物・ワイン商のジェームズ・ランキンが1840年に建てたもので、製麦棟を改造してローズバンク蒸留所の名で再スタート。
 1914年、同じローランドのグレンキンチー、セント・マグデラン、グランジ、クライズデールと共にスコティッシュ・モルト・ディスティラーズを形成、ハイランドモルトのウィスキー業者に対抗したが、こ の中で現在創業を続けているのはグレンキンチーのみ。

 最近はシングル・ショットで三千円を超えるモルトが増えてきた。その一方で安いモルト・ウィスキーも置いている。昨夜もあまねさんとそのことで話し込んだが、余市は五百円だし、七百円の商品も増やしている。ただし、安いものはまったく売れない。安価なボトルが飾りで高価なボトルが頻繁に開いてゆく。妙な時代になったものである。
 上記十六本のうち、一万円を切る安価なボトルは四本のみ。商売だから高級品が売れるのは嬉しいのだが、安酒で他愛ないお喋りがうだうだ続くのも好きなのである。
 ロングモーンが多いのは今月のモルト会の用意である。あと一本シェリーカスク以外のものを探している。木村さんからモルト会の会費が安いと云われ、ちょっぴり嬉しくなった。なんでも四軒のバーで見積もりなさったようである。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月03日 11:01 | 固定ページリンク




ぼたん鍋2  | 一考    

 ヒデキさんからのお申し込みなれば、いいかげんな猪肉は使えません。なんでもよろしければグラム800〜1000円であります。しかし、丹波篠山産の極上部位なら、送料消費税別で1500〜1800円はします。ちなみに極上ロースは地元の料亭旅館でもほとんど用いません。ひとり200グラムとして材料費だけで4500円ほど掛かります。
 それはよいのですが、居候の彼は12月から就職ですし、ちはらさんは19日以降は北海道へ出張です。従ってぼたん鍋を予定していた20日、22日、27日(モルト会)は不可能になりました。拙宅から鍋釜食器を大量に運ばないといけないので、そのためのお手伝いさんを探しています。うまく行かなければ明年一月に順延となりましょうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月29日 15:09 | 固定ページリンク




ぼたん鍋期待。  | ヒデキ    

 ぜひお願いします。伯父が九州の山中で仕留めたイノシシの鍋を幼少の砌食して以来、ぼたん鍋は好物であります。楽しみにしております。


投稿者: ヒデキ      日時: 2008年11月28日 22:59 | 固定ページリンク




ギネスとキルケニー  | 一考    

 「サッポロはいっそギネスの子会社としての生き残りを考えればどうか。それでなくとも、外資の禿鷹ファンドに狙われている。三菱グループの麒麟麦酒や三井系の大日本麦酒同様、ディアジオ社傘下のビールメーカーがあってもよい。ディアジオ社と関係が深いのはキリンビールだが、なぜか日本国内でのギネスビールの販売権はサッポロビールが持っている。それを利用しない手はないと思うのだが」と書いたのが8月4日。
 「おそらく近い将来、サッポロもギネスから袖にされるに違いない、と思っているのは私だけなのであろうか。そのようにならないことを願っている」と書いたのが9月4日。
 そして11月26日のロイターは「キリンビール、ギネスなどの国内販売権を取得」と伝えた。全文は以下のごとし、

 「キリンビールは26日、英酒類大手ディアジオが持つ「ギネス」などの国内販売権を取得、2009年6月1日から輸入・販売を開始すると発表した。
 ディアジオ社は、1964年からサッポロビールと販売代理店契約を結んでいたが、09年5月末での契約打ち切りを通告。国内販売代理店をサッポロからキリンに切り替えた。
 キリンが販売するのは「ギネス」、「キルケニー」、「スミノフアイス(アルコール飲料)」。
 「ギネス」は、2006年に55万ケース(1ケースは大瓶20本換算)を売り上げてピークを付けた後、07年は53万ケース、08年も同程度の販売を見込んでいる。
 サッポロによると、ディアジオ分の07年の売上げ分は70億円で、サッポロの国内酒類売上高の2.2%となっている」

 キリンは93年にサントリーから、アンハイザー・ブッシュの「バドワイザー」の販売権を取得、現在はライセンス生産を行っている。そして今回、キリンが狙っていたのはディアジオ社の契約打ち切り、これでキルケニーが不安定な販売から解放される。失礼なはなしだが、上面醗酵と下面醗酵を繰り返しているキリンの黒ビールはひどく不味い。ギネスを取り込むことで、スタウト本来の上面醗酵の旨いビールを手中にした。
 セブンイレブンの一部店舗限定のチルドビールがはじまったのが2002年7月。無濾過ビールを販売するにコンビニの配送ルートを利用しない手はない。このコンビニの配送ルートに関して私は99年に講演で述べた。キリンは大手メーカーなのだが、もっとも小回りがきくメーカーである。キルケニーのさらなる発展を祈る。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月27日 10:50 | 固定ページリンク




ぼたん鍋  | 一考    

 黒豆枝豆や生山椒の仕入れで親しくしている篠山から丹波の冬の風物詩、ぼたん鍋の案内があった。「今年の秋は木の実が豊作だったようで、猪にとってもとても良い秋だったようです。ここにきて冷え込みもありさぞかし脂のノリもいい具合になっているのでは・・・」との文章が添えられてあった。
 明石では猪や猪豚をよく食した。松坂牛のもとは神戸牛、神戸牛のもとは淡路牛、そして淡路は猪豚の飼育でも有名である。猪は篠山と静岡の天城山、岐阜の郡上が三大名産地だが、なかでも丹波篠山産は美味とされる。「猪肉の良し悪しを見分けるのは爪の磨耗度を見る」と云われる。起伏に富んだ険しい地形で生れ、雑木林や竹藪に体をぶつけながら走り回ることで良質の猪が育つ。また猪は大食漢、たらふく食べた木の実の香りが身に滲みこんでいる。
 「静々に五徳にすゑにけり薬食」と詠んだのは蕪村、「シシ食えば古傷がうずく」は古傷がうずくほど精が強いの意。肉食が禁じられた江戸時代にも山鯨と称され、寒さ厳しい冬の季節の栄養補給源として山窩に食べられた。
 ぼたん鍋にはだし昆布、たまご、こんにゃく、やき豆腐、白菜、ねぎ、えのき、菊菜、ごぼう、生椎茸、山の芋などが用いられる。要点は薬味の山椒の粉を三十分ほど前に猪肉に振りかけること。白味噌、赤味噌、味醂、酒に粉山椒を加えた合わせ味噌を昆布だしで薄める。猪肉は他の肉と違い、煮れば煮るほど柔らかくなる。というよりは少々煮詰まる方がおいしくいただける。煮詰まると脂身が縮れてぼたんの花のようになるところからきたぼたん鍋である。
 「雪がチラチラ丹波の宿に ししが飛び込むぼたん鍋」はデカンショ節の一節。さて、今年はですぺらでぼたん鍋の会を催そうかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月26日 20:48 | 固定ページリンク




モルト会御礼  | 一考    

 「クライヌリッシュとブローラ」を新稿に差し替えた。それに伴って「モルト会解説」も一部字句を修正。それにしても素晴らしいモルト会だった。みなさん有り難うございました。
 12月はロングモーンとベンリアック、元はエルギン地区の兄弟蒸留所。ベンリアックの方は2004年に、バーン・スチュアート社の前オーナーだったビリー・ウォーカー氏が中心となってペルノ・リカール社から買収、現在はアンゴスチュラ・グループの傘下。ノン・ピートからヘヴィリー・ピーテッド、そして様々な樽を用いたダブル・マチュアードをボトリング、積極的にシングルモルトを商品化している。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月23日 18:13 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

01 クライヌリッシュ14年※
 46度のディスティラリー・ボトル。
 2002年夏の発売だが、正規代理店を経ての入荷は同年10月より。
 U.D社の花と動物シリーズと比して、初手はよりホットにしてスパイシーな味わい。暖かく長く続くフィニッシュの中に僅かな甘味があり、バランスの良さでは本品が優るものの、旧ディスティラリー・ボトルにみられるバターのようなこくと香りはなくなった。香味にかなり差異があり、好き嫌いが訣れるところか。

02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
 足腰が強く、スパイシー、かつ長く豊かなフィニッシュをもたらすモルトは、熟成の年月にこだわらず、若いものを味わうのが最適。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社と同系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。かつての「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を出す。「マクギボン・プレミアム・リザーヴ」とのブレンデッド・スコッチも頒している。割水を施した低アルコールのモルト・ウィスキーをマクギボン社より、プリファード・ストレングスもしくはカスク・ストレングスをダグラス・レイン社と割り振りしている。
 ラベルの左部分には彼らのシングルモルトウイスキーへのこだわり、そして右部分にはテースティングノートが。そしてもっとも特筆すべきは春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を配している。

03 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 ヴィンテージ・モルト社は1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトでは「クーパーズ・チョイス」の名でコレクションを頒している。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。

04 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のカスク・ストレングス。
 ロンバード社のボトルは総じて塩辛い。スプリングバンクも辛いが、本品もクライヌリッシュとしては図抜けて辛口に振られている。
 ロンバード社はスコットランドのマン島のインディペンデントボトラー。「ジュエルズ・オブ・アイラ」「ジュエルズ・オブ・キャンベルタウン」等々、地域ごとにラベル・デザインが異なるジュエルズ・コレクションを頒布している。ジュエルは至宝、珠玉、貴重の意。
 家族経営の会社で、さかのぼること300年以上も前から酒類業界に身を置く。ビールの醸造所を所有していた1960年頃に、副産物としてのウイスキーを生産したのが、ロンバード・ウイスキーの始まり。当初はウイスキーの樽をブレンデッド・ウイスキーのメーカーに売るブローカーだったが、1990年代にシングルモルトが注目されるようになると、いち早くインディペンデントボトラーに変身。カスクストレングスよりは、46度や50度のモルトを中心にリリースしている。2001年からニューシリーズが頒され、ロングボトルになってラベルも新しくなった。

05 クライヌリッシュ '89(アデルフィ)
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 アデルフィ蒸留所は1826年グラスゴーにて設立。1880年にはスコットランドでもっとも大きな蒸留所のひとつになる。しかし、20世紀に入り景気が後退、生産調整のために多くの蒸留所が閉鎖。アデルフィ蒸留所も時局を免れること能わず、1902年に閉鎖。ボトリングラインと倉庫のみ使用されるという状態で1960年まで建物は残っていたが、その後取り壊されました。
 蒸留所の最後のオーナーであったアーチボールド・ウォーカー氏より数えて四代目にあたるジミー・ウォーカー氏はアデルフィ蒸留所の再興を願い、1993年にエディンバラでインデペンデント・ボトラーを設立。2004年にオーナーが変わり、テイスティングメンバーにはチャールズ・マクリーンが参加している。
 アデルフィ社は低温濾過すなわちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門する。ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。すべてが一樽のみのシングル・カスクのため、イギリスでは主にメール・オーダーで頒布されている。信頼できる瓶詰業者のひとつですが、わが邦での評価は異常なまでに高い。もっとも美味なクライヌリッシュのひとつである。 

06 クライヌリッシュ '90(キングスバリー)
 バルデスピノ社のコリセオ・アモンティリャード・シェリー・カスクを用いた10年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
 バルデスピノ社は1340年創業のシェリー酒専門メーカー。アモンティリャード・コリセオは140年を超える古酒でありながら、若々しい香味を失わない銘酒。その樽を用いたというだけで、酒通にはこたえられない。2000年4月リリースの本シリーズには、他にスプリングバンク91年とリンクウッド90年の二種がある。
 キングスバリー社はスコットランド東部アバディーンのワイン商。現在ではロンドンに本社を持ち、ワインと蒸留酒全般を扱う。ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社イーグル・サム社と太いパイプを持つ。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。

07 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
 1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社に次ぐ三番目のボトラー。
 アデルフィ社のボトルと共に傑出したクライヌリッシュ。

08 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
 販売は07年から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等の香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味される。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

09 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー、エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られる。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。
 1999年に頒された「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった、初入荷は十四点。ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に今後目の離せないシリーズとなった。他に「ダン・ベーガン」「アズ・ウィ・ゲット・イット」「シールダイグ」「ファラン・イーラ」等、多彩なボトル展開をしている。

10 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。25年もの、43度、限定263本のシングル・カスク。01年のボトリング。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニン。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

11 ブローラ '81(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。18年もの、50度のプリファード・ストレングス、限定263本のシングル・カスク。
 蒸留所最終年のボトルに五万円もの値がつけられている。それが妥当かどうかはさて置いて、25年ものがもっとも若くなってしまったいま、18年は貴重である。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼ブローカー兼ボトラー。1999年より「オールド・モルト・カスク」と題するシングル・モルトのコレクションを頒布。アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。
 50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。
 ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは懇意にしている。

12 ブローラ '77(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本。21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 ギネス・グループの一員にして、半数近い蒸留所(閉鎖もしくは休業中の蒸留所を含め、現時点で36箇所)を所有するスコッチ業界最大のウィスキー・メーカー。ダグラス・レイン社をはじめ、多くのボトラーへ樽を供給していたが、昨今樽売りを極力控えている。モルト・ウィスキーのブームに鑑みて、傘下の蒸留所のオフィシャル・ボトルの販売を促すためと思われる。
 「レア・モルト・セレクション」は「花と動物シリーズ」の好評に気をよくしたU.D社がすでに閉鎖された蒸留所や稀少なモルト・ウィスキーを樽出しにて94年よりボトリング。より高価、よりレアなコレクションとして愛飲家に大いなる刺激と満足感を与えた。
 「インチガワー」「オルトモーア」「カードゥ」「カリラ」「クライヌリッシュ」「クレイゲラヒ」「グレン・オード」「グレンダラン」「グレンユーリー・ロイヤル」「グレンロッキー」「コールバーン」「セント・マグデラン」「ダフタウン」「ダラス・ドゥー」「ダルユーイン」「テナニャック」「ノース・ポート」「バルミニック」「ヒルサイド」「ブローラ」「ベンリネス」「ベンローマック」「ポート・エレン」「マノックモア」「ミルバーン」「モートラック」「リンクウッド」「ローズバンク」「ロイヤル・ブラックラ」「ロイヤル・ロッホナガー」の30種が頒布されている。2001年のリリースに「ブラッドノック」がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月21日 00:02 | 固定ページリンク




クライヌリッシュとブローラ  | 一考    

 北ハイランドの東沿岸部、ゴルフとサーモン・フィッシングで有名なリゾート地ブローラにクライヌリッシュ蒸留所はある。創設は1819年。創業者はスタフォード侯、のちのサザーランド公。余剰大麦の利用と密造酒への対策を兼ねて、自らの領地に蒸留所を建て賃貸した。1925年にD.C.L社が買収。1967年、新たな蒸留所が道路を挟んだ向い側に建てられ、そちらをクライヌリッシュ、旧蒸留所をブローラと命名。下って、83年5月にブローラ蒸留所は操業停止。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。1986年以降はU.D社の傘下となった。
 ここでややこしいのは、1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。ちなみに、ブローラとはヴァイキングがつけた地名で「橋のある川」の意。仕込み水はクラインミルトン川から採取、初留釜、再留釜各一基を持ち、カードゥ、タリスカーと共にジョニー・ウォーカーのキーモルト。現在ではポットスチルの数は六基に増えている。

 スコットランド本土にありながら、オーバンと共にピート香を内包し酒質はややドライ、アイランズ・モルトの特徴を兼ね備えている。絹綾のように滑らかで豊かなこくと杳杳たる余韻、食前・食後を問わないオールラウンダーの銘酒として知られるが、ブローラに限ってなら私は食後酒の典型と思っている。そのブローラとクライヌリッシュの違いだが、スチルも麦芽も仕込み水も、さらには熟成庫も従来のものと全く同じであり設備が近代的になったにすぎない。敢えて申せば、ブローラの方がややスパイシーで苦みが強いということであろうか。ただし、この苦みはマッカランのディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングスに著しい苦みと同質で、甘口のシェリー・カスクで熟成されたものに限られる。言い換えればフレンチ・オークに屡々見られる樽から滲みだしたタンニンのなせるわざである。最近のボトルで云えば、U.D.Vやシグナトリー社のカスクストレングス・コレクション、イアン・マクロード社のチーフテンズ、ボトラーズ社などに顕著。他方、ダグラス・レイン社の約半数とダグラス・マクギボン社、ロンバード社、同じマクロード社だがダン・ベーガンのボトルは23年ものがホグスヘッド、24年ものがフィノ・シェリーである。従って苦みは少なく、素顔のブローラに近いと云える。
 69年以降のクライヌリッシュと以前のそれとはフェノール値が異なると聞くが、真偽のほどは知らない。ただ、ピート香にさしたる変化は認められない。前述した苦みをピート香と勘違いしているのではあるまいか。思うに、煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニンと云ったブローラの特質を味わうには若いモルトが最適である。詮無いはなしだが。
 ゴードン&マクファイル社から84年から89年にかけて蒸留された12年ものクライヌリッシュのカスク・ストレングスの香味はブローラとほとんど識別不可能だった。もっとも、今となってはブローラは長期熟成品のみになった。それ故、プラムやプルーンなど熟した果実の香り、焼いたオレンジやレモネードの甘さ等々、カスク由来の香味とタールもしくは消毒液の微かな香りとが綯い交ぜになった円熟したアロマが汪溢する。食後酒の典型とした理由である。ライトからミディアムへ、ミディアムからフルへとブローラはどこまでもリッチになってゆく。ポート・エレン・モルティング社が最後に出したポート・エレン同様に、U.D.Vのニュー・カスク・ストレングスはスモーキーなピートの風味や塩辛さからはどんどん遠のいて行く。これも閉鎖された蒸留所の運命であろうか。
 余談ながら、90年代以降のディスティラリー・エディションはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、あの濃厚なバターのようなこくと香りには閉口である。それ故、ゴードン&マクファイル社のクライヌリッシュを基準にすると何かと便利である。例えば、ヴィンテージ・モルト社やマキロップ社のそれは口当たりが柔らかく、ケイデンヘッド社のものはやや硬派。もっとも、酒の硬軟は日本酒に於ける甘辛同様、美味、不味とはなんのかかわりもなく、要は飲み手の体調次第である。なお、ゴードン&マクファイル社のクライヌリッシュの旧ボトルとよく似たラベルで蒸留所元詰のカスク・ストレングスも頒されているので注意が必要。
 特筆すべきはアデルフィ社のクライヌリッシュ。89年蒸留の12年もの、88年蒸留の11年もの、84年蒸留の16年もの、72年蒸留の28年もの、74年蒸留の27年ものなどがカスク・ストレングスで頒されているが、リキュール系の輝くような甘さとスパイシーな薫香、マスタードの辛さが顕著。ごく僅かな加水によって甚だドライでシャープな切れ上がりをみせる。他ではシグナトリー社とダグラス・マクギボン社の加水タイプのクライヌリッシュも傑出したモルト・ウィスキーである。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月20日 19:17 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

11月22日(土曜日)の19時から新装開店後、十一度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12900円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はクライヌリッシュとブローラのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(クライヌリッシュとブローラを飲む)

01 クライヌリッシュ14年※
 46度のディスティラリー・ボトル。
02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
03 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
04 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のカスク・ストレングス。
05 クライヌリッシュ '89(アデルフィ)
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
06 クライヌリッシュ '90(キングスバリー)
 バルデスピノ社のコリセオ・アモンティリャード・シェリー・カスクを用いた10年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
07 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
08 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
09 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
10 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。25年もの、43度、限定263本のシングル・カスク。01年のボトリング。
11 ブローラ '81(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。18年もの、50度のプリファード・ストレングス、限定263本のシングル・カスク。
12 ブローラ '77(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本。21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年11月17日 23:23 | 固定ページリンク




迷惑カキコ  | 一考    

 久しぶりの休みなのでオートバイの修理に専念。修理を済ませて走ってみると後輪がひどく滑る、前輪の空気圧が低いのが理由である。タイヤを替えたばかりで、どうして空気圧が減るのか、理由はチューブの虫でしかない。ついでにスクーターをチェック、こちらの後輪は1.2気圧、燃費が悪い筈です。黴の生えた虫を洗って押し込んで応急処置。茶毒蛾の次は生ゴムのムシに襲われた塩梅。それやこれやで、この間掲示板はほったらかし、気が付くと「パナマからの手紙」で埋められていました。おっきーさん、済みません。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月17日 16:34 | 固定ページリンク




訃報  | 一考    

 早朝、浪速書林の梶原正弘さんが昨夜亡くなったとご子息の武文さんから連絡があった。今日が通夜で、葬儀は明日十三日十二時から、大阪府池田市新町一の十六の弘誓寺(ぐぜいじ)会館にて。一年に及ぶ闘病生活の果てだそうである。七夕市や明治古典会など大市がある度に上京、必ずですぺらへ立ち寄っていただいた。
 (続きは明日)
 本が好きだったので黒木書店、浪速書林、田村書店と家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。神戸在のころは梶原さんと泥酔、福島の旧宅で何度もご厄介になった。旧宅の入り口には金網を張った一画があって、梶原さんのお子さんが蛙を飼っていた。梶原さんはいくら酔おうが、蛙の餌だけは忘れなかった。蛙は生き餌しか食べない、蠅か蟋蟀である。小さく切った蒲鉾をピンセットでつまんで根気よく鼻先で動かしたり、見えないほど細い針金をつけて動かしたりしても、口に含んだときに動かなければ吐きだしてしまう。活け造り専門の、蛙は美食家なのである。
 「ごねんなあ、ちょっと待っててや」梶原さんは生き餌のはいったビニール袋を大事そうに抱えて戻ってくる。「これなあ、私の人生なんや」「古本屋をやめてペットショップにしたら」「あほ云うたらあかん」そんなときの梶原さんの目はあたたかだった。
 小さい小さい梶原さん、きっと死んでさらに小さく、消え入るように小さくなったと思う、私の父がそうだったように。十代半ばの頃の私を知るのは山本六三、黒木正男、梶原正弘のお三方のみ。そして三人とも鬼籍に入られた、と同時に私の十代も消え去った。存在は記憶のなかにしかない。そして記憶が跡切れたとき、存在したことも消え去る。

 十月の末に山崎剛太郎さんの「夏の遺言」と題する詩集が水声社から上梓された。巻頭に昭和十四年に松下博によって撮影された写真が二葉掲げられている。一葉には信濃追分の径を肩を寄せ合って散策する小山正孝、野村英夫、山崎剛太郎、中村真一郎の後ろ姿が写っている。山崎さんのキャプションがなければ個人を特定するのは難しい。途の向こうへと消え去ってゆく影、顔はなく、存在はなく、そこに在るのは蜉蝣のように立ちのぼる記憶だけ。かかる写真を選択した山崎さんの詩精神とタイトルの「夏の遺言」とのコレスポンドンス、霜の音が聞こえてくるような冴えわたった記憶である。この写真を前にして私は本文を繙くことができなくなった。読むのはいい、ただ泣き出してしまうに違いない。そんな記憶を梶原さんと私も共有していたのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月12日 20:45 | 固定ページリンク




自意識  | 一考    

 詰らないと思いつつ、少しでもましなところを探して拾い読みすべきか、それとも思想のなさから抛り出すべきか、書物を繙く度に溜息が出る。最近では根気がなくなって投げ出すケースが増えてきた。結論を先に申せば、書物に対する好奇心が急速に失せつつある。
 好奇心が失せつつあると書けば間違いになる。好奇心を抱かせるような内容のある書物がめっきり減ってきたのである。俳句では永田耕衣、三橋敏雄、高柳重信が逝いて興味の持ちようがなくなってしまった。短歌では葛原妙子、塚本邦雄、寺山修司、春日井建、山中智恵子、安永蕗子以降は俳句同様、興味が持たれなくなってしまった。
 記紀歌謡末期、万葉集初期の作品に成立した短歌と比して詩は歴史がはるかに古い。古いとは申せ、江戸漢詩と新体詩との断絶、ならびに現代詩との隔絶は昭和三十年代の前衛短歌運動にはじまった現代短歌と同じく、過去と現在とのあいだに横たわる脈絡を探せと云われても困惑するのみ。この消息は散文の世界においても似たり寄ったりである。

 詳細は端折るが、先日地方に住む詩人が来られた。年格好は私と似ているのだが、旺盛な常識と権威主義には呆れるばかり。作品と人品骨柄のあいだにいささかの乖離があってとの註釈が付けられていたが、そこのところが既に怪しい。いかな人品骨柄であろうとも、作品はそれを忠実に擬える。良きにつけ悪しきにつけ、作品と人柄のあいだに乖離などあろう筈がない。それが読み解かれなければ、作家はおろか、読み手にすらなり得ない。もっとも不快を感じたのは「私は書き手であって、他の一般大衆とは異なる」のひとことである。当掲示板で触れ続けてきた選民意識の権化のような御仁だったと記しておこうか。
 地方に住む詩人は地方に在ることへの恨みを刺激のなさ乃至は評価のなさと結びつける。評価のなさは発表誌の確保に苦しむことになる、と。しかし、と思う。現世の評価などいかほどのものであろうか。現代の詩人はそのようないかがわしいものを求めて詩を著すのであろうか。結社や同人に属し、関連行事や出版記念会で顔を繋ぎ、当たり障りのない挨拶を繰り返すのが自らの価値を定め高めることだとでも思っているのだろうか。また件の詩人は「言葉は進歩する」「詩は勝負だ」とも云う。「詩のボクシング」があるのだから詩を格闘技の一種と看做すひとがいてなんの不思議もないのだが、勝ち負けの判定の基準をどこに設けるのであろうか。そして、その結果をいさぎよく受け容れるようなひとがいるのだろうか。
 「アナロジーの魔の渦中にぽいと抛り出されるのが詩の宿命、もっとも、類推があってこそ、詩は書き手を離れて自立し、読み手の頭上を翔けていく」とかつて川津さんに宛てて書いた。詩はつねにストレイシープ(迷子)である。生前にひとりの読者を得ることがいかに至難か、それをもっともよく知るのは「シジン」であろう。「シジン」が好んで用いる文言に「超高速で発射される言葉」がある。それを超高速で受け取る読み手などそんじょそこらに居るわけがない。もし可能だとするなら、その読者は書き手の趣味や生き方の根本的な更新を余儀なくさせる。すぐれた読者は作者が予想だにしなかった新たな領域を作品にもたらす。言い換えれば、作品を作品たらしめるのは最後は読者でしかないと、世の詩人はこのことに心致さねばならない。

 愛惜措く能わざる詩人のひとりに相澤啓三がいる。彼は発表機関誌はなにも持たない、単行本を出すべき版元も持たない、そして誰も評さないがゆえに無名である。況や現代詩文庫にも入っていない。もっとも、現代詩文庫のような有相無相と一緒くたにされるのは本人が嫌がるだろうが。しかし、私はわが国でもっとも偉大な詩人のひとりと思っている。明晰な頭脳の持ち主と思っている。前述したように「書物に対する好奇心が急速に失せつつある」なかで、相澤さんの著書は大切にしている。おそらく、読み手が私ひとりになっても、彼の詩に対する私の評価は揺らがない。読者は一般大衆のなかにしか存在しない、そして読者は限られている。しかし、その少数者と大衆は齟齬をきたさない。格差と差別は同心円を描く。政治であれ経済であれ文学であれ、格差の解決は論理的帰着として必ずやナショナリズムに行き着く。齟齬をきたさないのではなく、齟齬をきたしてはならないのである。個は大衆の投影であって、大衆は個の鏡である。私はその教えを十五の歳にボードレールから学んだ。肉体という概念を介して生涯そのことと闘ったのがマラルメでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月10日 05:16 | 固定ページリンク




蕎麦  | 一考    

 新蕎麦の季節になった。二〇〇五年四月十七日に急逝した三日月の外山時男さんを想い起こす。
 このところ、木村さんとおっきーさんが蕎麦造りに執心なさっている。おっきーさんの目がどんぐり眼になってなおのこと外山さんを思い出させる。
 そばを揚げたスナックとそば茶にはじまって、そばの芽のサラダ、そばの芽のジュース、そばの芽のてんぷら、そばの実の浅漬、そば豆腐、そばの実雑炊、そば団子、そば切り、最後にデザートとしてそばの実の入ったシャーベットかゼリー、もしくはクレープ(ガレット)を付ける。
 以上が一般的な蕎麦コースである。私が子供のころはデザートを端折り、団子をデザート替わりに配ったものが、讃岐、神鍋、高田などで食べられた。確か、神鍋では松葉肉や鴨の炭火焼き、やまめの塩焼きなども添えられていたように記憶する。
 山形へでも蕎麦を食べに行こうかと、こちらは思っているだけである。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月10日 04:09 | 固定ページリンク




パシフィック・カレドニアンのことなど  | 一考    

 パシフィック・カレドニアンとはインポーター兼ボトラーの名前である。詳細は存じあげないが、故マシュー・D・フォレスト氏のオリジナルボトルを扱っていた。フォレスト氏が経営なさっていたインポーターなのかもしれない。ヘヴィリー・ピートのアイル・オブ・ジュラ、99年蒸留、3年もの、60.7度のカスク・ストレングス、447本のリミテッド・エディションをかつて蔵していた。
 他にもジュラのカスク違い、同じくジュラの75年蒸留、バーボン・バレルの25年もの、60.9度。オールド・フェッターケアンの21年もの、62.3度。タムナヴーリンの66年蒸留、クリーム・シェリー・カスクの35年もの、52.6度、472本。スプリングバンクの68年蒸留、30年もの、49.2度、271本のリミテッド・エディション。ベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、45.9度、187本のリミテッド・エディション。同じくベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、43.1度、146本のリミテッド・エディションなどが頒されたのを記憶している。73年蒸留のハイランドパークもあったと思う。新しくはジュラのスーパー・スティションの初の輸入元だった。
 ベン・ウィヴィスはハイランド地方の北部インバーゴードン蒸溜所の熟成庫内で隠れるように眠っていた最後の二樽をカスク・ストレングスでボトリング。2000年にリリースされた。キンクレイス、グレンフラグラー、レディーバーンと共に幻のモルト・ウィスキーと騒がれている。幻であることは認めるが、香味の方はさっぱり、金を出して飲むような代物ではない。
 ここで触れたいのは前述したジュラのカスク違いである。99年蒸留、02年ボトリング、3年もの、58.8度のカスク・ストレングス、705本のリミテッド・エディションがそれで、前者はブルーのラベルで後者はクリーム色のラベルである。記憶が正しければ、クリーム色のラベルは3年のベリーヘビーピートに1970年代の原酒を加えたものだった。いずれにせよ、ジュラ蒸留所がヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造ったのは99年が最初で、フェノール値40ppmのポート・エレンのモルトを用いている。
 今回購入したボトルには前回同様、ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏のサインが入っている。ディスティラリー・コンディションだが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いている。レダイグ15年ものを想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュを持つ。今では、ディスティラリー・ボトルでヘヴィリー・ピーテッドが頒されているが、本品が最初に市場に出回ったヘヴィリー・ピーテッドである。

追記
 フォレスト氏の急逝が2005年5月、それ以降はウィスク・イーが「ジュラ1999・ヘビーピーテッド・マシューフォレスト」として扱っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月03日 06:30 | 固定ページリンク




客裡  | 一考    

 去年の十月「友よ、いずこ」を書いた。それを覚えているひとがいて、一昨日メールを頂戴した。プレオープンの一週間前、よきはなし相手に恵まれ、こよなく穏やかな宵だった。滄海桑田の世にあって疏簾委委斜のごとく、ひっそりと酒を酌み交わすのは素直にうれしい。
 消尽、焼尽、消失、寂滅、寂黙、寂歴等々、話し合ったことは「消え入ること」のみ。かつて辻潤がペール・ラシェーズでなにを思い、なにを自らと語らったのか。ガンベッタから下る坂道に生う雑草に、彼は明日あるであろう命を託した。
 あなたを煩わせたひとは鮮やかに立ち直ったようである。書くことで経験するようにしているとのメッセージが届いた。躄がひとり、身の回りに増えたような。そう、膝行にならなければ文学は分からない。日常は繰り返す悔い、肉体はツール、あれもこれも決して悲しみに昇華することはない。
 何ごとによらず、顧みないひとがいる。きし方は夢のなかに定かならず、紐を解かないのは「さきだたぬ悔い悲しきは流るる水のかへりこぬ」ことを知っているから。まことに悲しいのは流れる水、繰り返される悔いが悲しいわけではない。
 「日本語を捨て、フランス語で考え、文章を著せば、そうすれば、自分が消えるのではないかと……」素敵滅法な覚悟かと拝察。「文学とは消え入ることに命をかけること」自分の言葉なれば間違いはなかろうと思うが、さらに委身曲附(しゃがむとまがり)を付け加えておきたく思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年11月03日 04:09 | 固定ページリンク




自動二輪の免許  | 一考    

 ヒロユキさんが自動二輪の免許を取得した。取得だと簡単だが、しゅうとくと書くと修得、拾得、収得、習得など意味合いが異なってくる。私ならさしずめ宿徳が免許を拾得したとなるのだが、このような冗談は適切でない。
 彼は拙宅の近隣の教習所へ通っていたので、いつでも見に行けたのだが、最後の卒業検定まで捨て置いた。理由は彼が二十歳なので、最短コースであっても、なんら問題は生じないと思っていたからである。だが、卒業検定はさすがに気になったので見学に行った。
 三十八人中、大型が三名と中型が六名失格、一名がスラロームでパイロンと接触、他はいずれもが一本橋と波状路での脱輪である。彼は中型なので波状路は免除される。従って、苦手課題は一本橋であろう。実は、落下、足付きさえしなければ受かるということを伝えに行ったのである。規定時間は七秒以上だが、例えそれを切っても一秒あたりマイナス五点で済む、それと比して脱輪はその場で失格、ニーグリップの不良はマイナス十点である。
 彼の走行になんら問題はなく、一本橋での所要時間は十秒、大型でも受かる時間だった。車線変更が速すぎたようだが、マイナス特五点というのがあって、違反が一回までなら減点なし、二回以上重ねると遡っての減点となる。従って、彼は満点で通過したはずである。それを確認して私は帰宅した。
 ただ、先達として気になったことがある。彼の着座位置が後方に過ぎる。それが理由で両腕を張っている。大型だとマイナス十点になる。教習所のバイクはステップは前方へ、ハンドル位置は高くかつ後方へ設定している筈である。傾斜ポジションすなわち前傾姿勢が格好いいと思っているのだろうが、油蝉がバイクに止まっているように見える。レーサーレプリカのつもりでネイキッドに乗るのは困りものである。注意しなくては。
 受かったと戻ってきた彼を連れて鮨を買ってくる。今日はですぺらを休み、拙宅のバイクの名義変更と免許証の更新に嬬恋村へ帰った。東京で乗るのだが、嬬恋ナンバーがいいと彼は云う。彼の無邪気なアイデンティティをいささか羨ましく思った。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月27日 23:23 | 固定ページリンク




グレンスコシア・ヘヴィリーピーテッド  | 一考    

 前項で「操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた」と書いた。そのリンブルグで発売されたグレン・スコシア99年が手に入った。ゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスと差し替えることにした。双方を開栓しない理由は棚がモルト・ウィスキーで一杯だからである。会費は9700円に訂正させていただく。

 田中屋へはヒロユキさんを運転手として連れて行った。佐々木幹郎さんが馳走になったアードベッグを私も飲みたくなったからである。他では62年と74年のマッカラン、幹郎さんの云う「埃を飲むような香り」を堪能した。昔のウィスキーはアルコール度数が低い、低いものしか売られていなかった。しかし、低いが故にシェリー香のコントロールが効いている。アーリー・ランテッドが40度を守っているように、昔のウィスキーも香り、味、フィニッシュの三拍子が揃っていて美味い。私は特に74年が気に入った。何時も飲むマッカランとは異なり、ノックドゥー、グレンロッシー、ロイヤル・ロッホナガーのような植物の味がする。カスク由来だと思うのだが、繊細なところが生きている。これもアルコール度数が46度に抑えられているからである。このところ、カスク・ストレングスを多く飲んでいたのだが、やはりウィスキーの醍醐味は加水タイプにあると再認識させられた。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月25日 08:02 | 固定ページリンク




ラガヴーリン新入荷  | 一考    

 昨夕、スリーリバーズからフレンド・オブ・ザ・クラシック・モルトのラガヴーリンが入荷した。95年蒸留、08年ボトリング、12年もの、48.0度、ファースト・フィル・シェリーバットの熟成品である。香味については書かない、旨いに決まっているからでる。
 それにしても、年が明ければ1ユーロ100円代にまで円高になる。160円からの推移だからウィスキーはずんと安くなる。現時点での購入は控えた方がよろしいかと思う。株価と円相場は連繋すると経済アナリストはいうが、私はそうは思わない。よしんば株価が持ち直すことがあっても円高は容易に解消しない。もっとも、それがいいことだとは思っていないが。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月25日 07:41 | 固定ページリンク




恋情  | 一考    

 ひとから誉められるのは大好きである。とりわけあまねさんからの讃辞にはこころが動かされる。日頃から、存在は新陳代謝と書いている。そして彼は私のまわりで最年少である。老いては子ならぬ個に従えである。私は原則、ひとには頭を垂れないが、個として生きるひとは別格である。個にとって年少も年長も問題にならない。永田耕衣と接するのと同じ緊張感をもってあまねさんと付き合わねばならない。
 「懐かしい」という言葉を私は好まない、私が用いれば不用意ということになる。ただ、彼はその言葉に万感の思いを託している。文中の「・・・僕にはそれも出来かねます」と相俟って、彼がシャイな青年であることを物語っている。老いとは悲しいものである、シャイがシャイでなくなり、「差異もなき夢の気がかり」にしかならなくなる。
 「関係の難しさ、隔たりの深さ」と彼は書く、その懸隔は歳に比例して弥増して行く。年齢のへだたりはともかく、考え方のへだたりはどうにもならない。多くのひとはそれを趣味の相違と解釈する。相違という択一的図式で世の中が片づくと思うのは安易に過ぎる。世の中が常に対等だとは限らないからである。あまねさんは「隔たりの深さ」に畏敬の念を抱いている。懼れを抱くのは素晴らしいことである。思索の苗床は畏怖を除いてなにもない。畏怖は自己解体を余儀なくさせる、そして自己解体とは他者に惚れることに他ならない。間違いなく、土屋さんもあなたと同種の解体を繰り返していた。私には痛いほどよくわかる。あなたの「恋情」は決して身勝手なものでなく、相手に関係ないことではなかったと。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月25日 05:09 | 固定ページリンク




アイデア商品  | 一考    

 何処の駅か忘れましたが、新幹線で同じ様式のトイレに入ったことがございます。防水工事の大変さに気を揉みつつも、アイデアとしては一級品と思ったのですが、どうやら先人がいらしたようです。それにしても読ませますね。「わづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつ」で小生は吹き出してしまいました。福地桜痴「文章論」の「達意ノ文章ハ決シテ奇僻ノ文字ヲ用ヒ、高尚ノ語句ヲ用フルモノノ為シ得ル所ニアラズシテ、己レガ口ニ述ベント欲スルモノヲ筆ニテ、己レガ知ル所ノ文字ヲ書キ下ダスニアル事ヲ知ルニ足ルベシ」を想起。文章はこうでなくては、との思いを新たに致しました。
 襟裳岬の百人浜オートキャンプ場にはジェットガンが備えてあって驚きました。それだけ糞尿を撒き散らす方が多いと云うことになりましょうか。かつてのですぺらでも週一回はそれで泣かされました。もっとも、掃除をしていたのは女人の方ですが。
 ところで、今日田中屋さんでアブサンの素と称するものを頂戴してきました。直径13ミリ、長さ50ミリのカプセルにエッセンスが入っているのですが、96度のウオッカに入れるとたちどころに96度のアブサンに早変わりするという逸品です。当然、非合法なのですが、妙なものを造るひとがいるものだと感心するやら呆れかえるやら。話の種に取り置きます。傷むものではなし、序での折にでも。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月24日 20:20 | 固定ページリンク




毛繕い  | 周    

「エアブラシ有り難く拝読」しました。一考さんのいう親分の元に初めて手伝いに行った日、僕が命じられたのは庭掃除と食器磨きでした。渡されたピカールと布で必死に銀食器を磨きあげたのを記憶しています。研磨剤が強力であればあるほど研磨する側も身を削られます。一考さんも用意してあるのは道具だけではないと感じました。
確かに僕は友達が欲しかったのかもしれません。そして土屋さんにその望みを抱いていたようです。底にあるのは身勝手な恋情。相手には関係ない事でしょう。一考さんと横須賀さんのような例は稀だと思います。「ひとがたまらなく好き、だから人を拒絶する」という文言は一考さんにもそのまま当て嵌まります(誰でもないご自身についてかかれた言葉ですもの)。一考さんは誰も拒絶していないですし、だからこそ、その失意は大きいのだと思います。それを間近で見て来た土屋さんも同じような失意を抱いているように感じます。その失意に僕は懐かしさを感じました。友達という言葉を口にするのはたやすいですが、いざその関係を持続するのはどれほどのエネルギーを必要とするのでしょうか。前のですぺらの時に、ですぺらの「ファン」を自称する人達がですぺらにしてきた事、言っている事を見ていた時に、関係の難しさ、隔たりの深さに気付きました。
友達が欲しければ「がふりよれば」よいのですが、僕にはそれも出来かねます。
以前一考さんは「残日を指折り数えて」と「俳諧の軽みのような笑い」という二編のエッセイを書かれました。ともにですぺら掲示板への書き込みを母体としたものでしたが、当時僕には「俳諧の軽みのような笑い」のほうが納得出来ませんでした。いうなればやっつけ仕事に見えたのです。「残日を指折り数えて」に比べてという事ですが。
今では、あの短さにどうしようもない一考さんの悲しさを感じます。


投稿者: 周      日時: 2008年10月24日 15:55 | 固定ページリンク




かの國の思ひ出——水見舞にかへて  | 高遠弘美    

まづは何より水見舞を申し上げます。水ならぬ酒を飲めば金時の火事見舞になるわたくしが水見舞を申し上げても何のお気休めにもなりますまいが、一日も早い復旧を祈りをります。
 最近ではめつきり少なくなつたと思ひますが、かつてフランスにあつたトイレのひとつに、足場がまるで洪水のごとくになるものがありました。何かですでにご存じではありませうが、簡単に申し上げれば、ドアを開けると、イェテイの足跡よろしく、もちろんあれほどは大きくはなく、足を乗せれば靴の方がはみ出すくらゐの大きさの、床面からは浮き彫りのごとくわづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつその上に乗せ、苦心惨憺の末、用を足します。さて、流す段になつて、天井から下つた鎖を引くと、逃げる間もあらばこそ、ものすごい勢ひで水が流れ込み、思はず溺れさうな錯覚にとらはれ、せめて片足をかはるがはる持ち上げて水難を避けようとしますが、水は撥ね、渦を巻いて床一面を覆つたまま。何世紀にも感じられる時間(実は数十秒なのでせうが)が過ぎるとそれだけで疲労困憊。飛びはねた水で裾を濡らして、惨めな思ひでドアを開けて出てくるといふありさま。トイレに就いてはいつも悩まされるフランスではありました。
 かの國に比べればはるかに細やかなまほろばのこの國。水仙などを床に生けた手水場はいつそ奥ゆかしいかもしれません。
 冗談はともあれ、怨念にかかはりなく、技術上の問題ですぐに解決なさいますやうに。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年10月24日 12:02 | 固定ページリンク




異変2  | 一考    

 排水管が再び詰った。17日のうちににトイレットペーパー以外の紙類はトイレから除去、18日からはタオルを手拭きとして用意した、にもかかわらず詰ったのである。
 今般の理由はなにかと思案してみる。「radiesthe´sisteの業をもせし怪人」とは高遠兄の綴るところだが、ありもしない「赤坂みすぢ通りの暗渠」を揶揄したのが禍を呼び込んだのではあるまいか。「裏の川を流れるのは下戸や新仮名ばかりとは限らない、篤胤によって等閑視され脇腹の子として偶われてきた新仮名の怨念、そのうらみが溶け込んだ書物の毒、その毒を呷った読書家の悪意等々、さまざまなものが漂い、浮き沈みしているのである」と書いた。今回の捫着は新仮名の怨念ではなく、篤胤の逆怨みでなかったかと思う。
 手水へ立つに長靴に履き替えるのはどうだろうか。夏から秋に紫色の六弁花を開くのは雨久花、いっそトイレの床に水を張り、一面に花を咲かせようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月24日 09:49 | 固定ページリンク




モルト会追記  | 一考    

 昨日、「嗜み」第二号が発売された。田中屋の栗林幸吉さんを佐々木幹郎さんが取材している。私はゲラ刷りしか読んでいないので、ちはらさんが届けてくれるのを心待ちにしている。
 その栗林さんと電話で話していて、ちょっと珍しいモルト・ウィスキーが在庫しているかもしれないと知った。グレン・スコシアのヘヴィリー・ピーテッドのカスク・ストレングスは記憶が正しければ、過去二度ボトリングされている。その内の一本がドイツの「リンブルグ・ウイスキーフェスティバル」で発売されたグレン・スコシア99年である。どうやらそれが見本として一本取り置かれているらしい。明日、田中屋へ行く予定だが、明後日のモルト会にこれ以上相応しいモルトはない。モルト会用にゴードン&マクファイル社のグレン・スコシア92年、14年もの、59.0度のカスク・ストレングスを既に購入済みである。これでふたつの大輪が咲く。会費が若干変わるが、喜んでいただけるものと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月23日 17:31 | 固定ページリンク




一周年  | 一考    

 「開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します」と案内したのが去年の十月二十九日、あれから一年が経った。
 この一年を顧みてなどという感慨はなにもない。それは年初に挨拶はおろか、なんらの計すら持たないのと理由は同じである。一月一日は十二月三十一日の次の日であって、それ以上でもそれ以下でもない。そして一月一日に二日のことは考えない。目が覚めて生きていたら、その日のことを考えればよいのである。
 とは申せ、この一年は目まぐるしかった。もっとも目まぐるしいのは目の前にあるものであって、世の中であり時代の変化だった。目がちらつきはするものの、自分にはいささかの変化もない。個であることに、変化の持ちようがないのである。ただ、個であるために周章て、噪ぎ、狼狽えることがあった。しかし、それは内面の浮沈であり、起伏である。その一端は掲示板で著した。従って、これ以上述べ立てる要はない。
 さて、一周年の日のお手伝いさんが決まった。その日はモルト・ウィスキーを飲もうと思っている。ひとりでは淋しい、お付き合いくださる方を求めている。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月22日 10:32 | 固定ページリンク




レダイグとグレンスコシア  | 一考    

 レダイグはトバモリー蒸留所のセカンドラベルだが、1970年代まではレダイグ、1980年に操業を再開してからトバモリーとなった。創業は1798年、海運業者のジョン・シンクレアの手になる。1890年から1916年までジョン・ホプキンス&サンズ社が所有。1930年から1972年まで休業。同年蒸留を再開するも、1981年から1990年の10年間の操業停止を挿んで、1993年にバーン・スチュワート社により買収された。
 バーン・スチュアート・ディスティラーズは1940年後半に設立、グラスゴーに本拠地を置く。1988年以降、急速に拡大し、世界で第三位の独立したスコッチ蒸留所となった。1990年にインヴァーゴードン社よりディーンストン蒸留所を、カーク・リーヴィングトン・プロパティ社よりトバモリー蒸留所を相次いで買収。ブローカーまたはボトラーとしても活躍している。トバモリー蒸留所の前の所有者がアパートを建てるために熟成庫を売却、現在は中央ハイランドにあるディーンストン蒸留所の熟成庫を用いている。
 トバモリー蒸留所のモルトはピートを焚き込まないトバモリー、ピートを焚き込むレダイグ、マル島限定発売のアイオーナの三種。1972年から1975年蒸留のレダイグのディスティラリー・ボトルは美味とされるが、三年ほど前にボトリングされた、バーン・スチュワート社による買収前に蒸留された15年ものディスティラリー・ボトルは絶品である。過去のどのボトルよりもヘヴィリー・ピートなモルトで、どこかで見掛けたら是非お飲みいただきたい。
 ところで、神戸大学の某教授は毎年スコットランドへ旅行しているが、彼女の友人の言語学者によるとレダイグの現地での発音はレチョックだそうである。トバモリー蒸留所はマル島の玄関口、トバモリー村の港に面して建てられている。そのトバモリー村に二十年余住んでいるひとが云うのだから信じる他ない。ちなみに、某教授は美学が専門だが、バタイユを深く読み込んでいる。その彼女の初の土産が1972年蒸留のレダイグだった。

 グレンスコシア蒸留所の創業は1832年。スチュアート・ガルブレイスによるもので、創業当初の名前はスコティア蒸留所。1919年、ウェスト・ハイランド・モルト・ディスティラーズが買収。1924年に同社が破産すると同社のディレクター、ダンカン・マッカラムが買収するも1928年には操業停止。1930年にダンカン・マッカラムは借金を苦にキャンベルタウン・ロッホに身を投じ、爾来蒸留所には彼の幽霊が現れるといわれる。1933年、オークニーのスキャパ蒸留所がグレンスコシアを買収。1954年にハイラム&ウォーカー社がスキャパとグレンスコシアを買収。翌55年、A・グリル社が新オーナーになる。 下って1970年、アマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社がA・グリル社を買収。1979年から1982年にかけて蒸留所は大改修されるも、1984年に再度閉鎖。1989年、ギブソン・インターナショナル社がアマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社を買収して操業再開。1994年にグレン・カトリーヌ・ボンデッド・ウェアハウス社(ロッホ・ローモンド・ディスティラリーの子会社)が蒸留所を買収したが操業停止。1999年、スプリングバンク蒸留所の協力を得て操業再開。2000年、ロッホ・ローモンド蒸留所とスタッフによる運営が開始されて現在に至る。
 蒸留所の経緯は上記のごとく、操業停止と再開を繰り返して今に至っている。現オーナーのロッホ・ローモンド・ディスティラリー社はロッホ・ローモンド、リトルミル、グレン・スコシアの三蒸留所を所有。先頃、ボトルが一新され、ラベルも雰囲気を統一、ちょいと見分けが付けにくくなった。ポットスチルはストレートヘッド型で初留、再留釜はそれぞれ1基ずつと規模は小さい。仕込み用水はクロスヒル湖の水と、蒸留所の地下80フィートから汲み上げた地下水を利用している。操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた。
 詳しくは土屋守さんの「モルトウィスキー大全」を繙かれたいが、レダイグ、グレンスコシア共に、アイラモルトとはひと味異なるピーテッド・モルトを造っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月21日 22:12 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

10月25日(土曜日)の19時から新装開店後、十度目のですぺらモルト会を催します。
会費は9300円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はレダイグとグレン・スコシアのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(レダイグとグレン・スコシアを飲む)

01 レダイグ・ピート※
 42度のディスティラリー・ボトル。
02 レダイグ・シェリー※
 ミレニアム記念の限定エディション。シェリー・フィニッシュにして、42度。
03 レダイグ '90(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの8年もの、40度。
04 レダイグ '92(ブラックアダー)
 オーク樽の6年もの、43度のシングル・カスク。
05 レダイグ '92(クライズデール)
 熟成は6年11箇月、63.4度のカスク・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。
06 レダイグ '93(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。10年もの、56.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
07 レダイグ '79(バーン・スチュアート)※
 ディスティラリー・コンディションの19年もの、49.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
08 グレン・スコシア12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
09 グレン・スコシア '92(キングスバリー)
 14年もの、46度のリミテッド・エディション。カスクはBRL、オロロソ・シェリーである。
10 グレン・スコシア・ピーテッド '99※
 アメリカン・オーク・カスクの8年もの、45度。325本のリミテッド・エディション。
11 グレン・スコシア '91(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン・バレルの11年もの、57.0度のカスク・ストレングス、限定276本のシングル・カスク。
12 グレン・スコシア'92(ゴードン&マクファイル)
 14年もの、59.0度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年10月20日 23:02 | 固定ページリンク




エアブラシ  | 一考    

 あまねさんに呼応する形で文章を綴っている。互いに気脈を通じているわけではないので、照応の方が相応しかろう。あまねさんも誰でもないところの(もの)に憑かれたのであろうか。爽やかさのなかに一抹の屈折が宿っているように思う。
 あるがままに描けばよろしいのであって、誤解を懼れてはいけない。もしくは何を書いたところで誤解される。いずれにせよ、誤解、曲解が待ち受けているのであれば、好きに書き継いでいただきたい。私などは文章のなかに埋もれて輝きを喪った屈折を掘り起こすことに専心する。屈折は多くは泥にまみれて冱えない、そのような穢れた(もの)を琢くのが私の仕事である。サンエバール、ピカール、テガール、アルボン、酢酸、酸化クロム、コンパウンド等々、研磨剤や研磨布には不自由しない。必要ならアルミナからサンドブラストの用意まである。
 さて、とんでもない屈折がまたひとつ迷い込んできたようである。

追記
 屈折と書いたものの彼のやさしさが身に沁みる。あまねさんはきっと友達が欲しかったのだと思う。そしてパリの彼はあまねさんに相応しい友だった。なぜ相応しいかと云うに、双方が距離の取り方を体得していたからである、まるで恋人同士であるかのように。
 私の歳になると、悲しむのが嫌でこころのまわりに予防線を張り巡らす。そして生な言葉(懐かしい、あがく、苦しむ、もがくの類い)を遣わなくなる。それを羞ずかしく思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月20日 21:05 | 固定ページリンク




エアメール  | 周    

 知り合いと呑んでいたときに彼が夢見るように「このまま経済が崩壊して日本がぐちゃぐちゃになったらいいのにな」と語った。普段そのようなことを口にしない人だ。また他の知り合いと話していたら、「明日の事を知っていると思うやつは馬鹿だ」と言い出した。僕も含めてみな底辺労働者であって、コンビニエンスストアの前などでいい年をした大人が集まって缶ビールなどを呑みながらたむろしているような光景をみたなら、それは僕らと同じような人種だ。だからこれは僕の知り合いというような特定の誰かが行ったというよりも、あなたが街角のコンビニエンスストアで聞くとはなしに聞いてしまった話と思って差し支えはない。
 別の知り合いは「何者かであろうとすることをよしとしない」と語った。知り合いと書くのは彼を貶め、遠ざけようとするからではない。会っているとき、語り合っているとき、その今は確かに彼と僕はそこに在るがその次のことなどわからない。「じゃあ」といって手を振ったその瞬間に彼と僕はまたそれぞれがそれぞれのうかがい知れない他人へと戻る。それはすぐ近所に住んでいても、遠方に住む人であっても何も変わらない。一度出会ったならば必ず別れ、別れたからにはまたどこかで会うかもしれない。しかし次にあったときの彼と私は以前の彼と私ではない。そのことを得心しているからこそ、彼は僕にとって知り合いであり、また懐かしい人でもある。その彼はまた、担がれることを嫌った。「誰でもあり、誰でもないもの」と語る人ならば当然だったろう。個の集合体としての仲間であれば喜んで参加したが、それが党派になることを嫌った。ひとつの権威であることを決して潔しとしなかった。それは友人関係でも上下関係でも変わらない。そもそも安定した関係などを信じていない。外面を取り繕わずに怒りを表明していることもあった。彼の言う個も「確固たる自分」などではなく、あがいても、苦しんでも、もがいても決して抜け出ることのかなわない存在としての個であったのかもしれない。 友と酒を酌み交わしても、恋人と抱き合っても、師に褒められようと、どうにも消えない孤独というものを個と言い表していたのではないかと、そう思う節もある。そんな人が「我々」などという言葉に組しようはずもない。何かをするのはそれぞれであって「我々」などというものではない。彼はそのことを良く教えてくれた。我々という言葉に潜む多人数の優越感というものを教えてくれた。


投稿者: 周      日時: 2008年10月20日 20:35 | 固定ページリンク




異変  | 一考    

 隣のインディアンサマーのマダムが訪れ、下水がおかしいと告げられる。トイレを覗いたところ、床に水が溜まっている。新たに流したところ、トイレ及びシンクから水が濫れてそこらじゅうが水浸しになる。鹿島の鈴木さんが来られている最中である、せっかく二項対立で盛り上がっていたはなしに水をさされた塩梅である。濡れそぼるですぺらも風情があるが、相手が汚水では洒落にならない。修理屋の来るのが二時とか、気長に待つしか手立てがない。長尺のルーラーがあれば当方でもなんとかなるのだが、手持ちのルーラーは二メートル強、百均で買ってきたものである。アイスピックにせよ、ドライバにせよ、百均は百均でしかなく、火急の間に合わない。
 業者のルーラーが停止したのは便器から6.9メートル。手拭きとしてキッチンペーパーを置いているのだが、それが流され詰ったのが理由である。それにしても、縦管に至る15センチほどはルーラーの直径しかゆとりがない。何時詰るか分からない危険な下水管である。トイレットペーパーはスコッティの強いエンボスの入った高級品へ、さらにトイレにはトイレットペーパー以外の紙類を置かないように注意された。汚水の掃除を済ませて帰宅は五時。とんでもない一日だった。
 縦管は排水管と汚水管に分離されている。にもかかわらず、店の配管は両方が一緒になって汚水管と繋がっている。シンクから汚物の臭いが漂っていた理由がやっと解った。今日は朝からシンクの排水管を組み直した。素人ゆえ、工事は明日もつづく。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月18日 19:57 | 固定ページリンク




告解  | 一考    

 「パンツ 掲示板」「地元民は行かない 明石 きむらや」「わさび菜 食べ方」「柘榴口」最近のリクエストで数の多いものを採り上げてみた。後の三者はともかく、「パンツ 掲示板」には恐れ入った。誰がこのような文言で検索するのであろうか、その思いの一端を知りたいものである。
 掲示板で追記を私は多用する。書きづらいことは追記に限ると思っている。なぜなら、掲示板というものは書き流し、読み流しされるものであるらしい。よって遡って読まれることはない。ところが、当掲示板の主たる読み手は検索でやって来る人たちである。検索で入られるひとはどこを読むか分からない。半年前の書き込みを書き直す理由、追記を加える理由はそこにある。
 それにしても、一日三十件の「パンツ 掲示板」には考えさせられる。記憶ではバイクの項でオーバーパンツについて書いたことぐらいだが、検索の本音はズボンでなく、ズロース、ブリーフ、さるまた、パンティだと思われる。
 「土砂降りのなかを帰宅。雨がレインコートを抜けて、下腹部の大事なところがびしょ濡れになった。レーサータイプのバイクならガソリンタンクの手前が盛り上がっていて下腹部が濡れはしない。しかし、それでは腹が閊えるのと前傾姿勢に身体が耐えられない。
 下腹部は冷たいのを通り越して感覚がまったくない。帰宅後、モノを確認するも純白にちぢまっていた。指も真っ白、髭も真っ白、序でに髪も真っ白、心做しか腹までが白く思われた。二重、三重に重ね着しているのだが、膝は振るえだすと止まらない。ガクガクガタガタのまま、家路をたどる。そろそろオーバーパンツが必要になってきたようである」
 女性が愕くのは勃起したそれではなく、小さく縮まった一物である。その消息は提灯か桃燈で書いたような気がする。年相応なのか、近頃ではびしょ濡れにならずともちぢまったままである。一週間に一度とは云わない、せめて月一回でも役に立てばと思うのだが、そのような季節は遠くに過ぎ去ったようである。それにしても「パンツ 掲示板」には熟計させられる。私も回春を夢見て検索してみようか。それとも順序から申せば悔悛の秘跡からか。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月17日 22:43 | 固定ページリンク




もどかしい人  | 一考    

 先日パリの友人からアン・リネルの原書数冊を手に入れたとのメールがあった。しかも彼は辻潤のですぺらだけを持ってフランスへ行ったらしい。彼が林達夫に惹かれていたのは承知していたが、辻潤とは恐れ入った。かくいう私も辻潤の影響を受けて若い頃、アン・リネル、ジョルジュ・パラント、ルイ・ギルーなどに興味を持った。アン・リネルの「赤いスフィンクス」が松尾邦之助訳で上梓されたのが昭和31年、同46年から53年にかけてパラント著作集三冊が翻訳出版された。第一回配本は「ペシミズムと個人主義—近代個人主義の研究」で、いまなお拙宅に蔵している。

 世の中には自分の思いを表明しないひとがいる。表明するのを潔しとしないのである。それは誤解を畏れるのではなく、自分が信じられないのである。今日は斯く斯く然然だが、明日はどうなるか分からない。そのような不確かなことを口にしてよいのだろうか。人は迷いつづけ、震えわななき、そして寡黙になる。寡黙なひとは世間を狭めて生きる。既に形を成しているものを書物にまとめるのではなく、不確かなものを、眩暈そのものをこそまとめるべきでなかったか。文学を解さない編輯者が造る二十冊の書物よりは、文学を解する編輯者が拵える一冊の書物を持つことこそがその人の生を全うする。
 彼がパリへ出掛ける直前、ですぺらで話し合った。フランスへ行って語学を学ぶだけでは不甲斐ない。アイルランドやハンガリーから亡命し、母国語を棄ててフランス語で文章を著す人たちがいる。そういう人たちの屈折したものの考え方をこそ学んでいただきたいと強く薦めた。日本にいては理解すらかなわない種類の思惟がある。五年から十年、うまくいけば更に長くフランスで生活すべきだと語った。帰る必要すらないのではないかとも話した。文学するという行為が必ずしも表現とは結びつかないことだってある。詩を書く人間だけが詩人ではない。詩は書かないが、詩を生きている人だっている。要は思いであり思索である。
 私は彼と今生の別れを済ませた。彼に倣えば、明日のことは誰にも分からない。十年経てば老いた私は保守的になっているかもしれない、もしくは認知症になっているかもしれない。話がはなしとして成り立つのは今だけなのである。その今、彼と知り合えたことを光栄に思う。彼が光り輝けば私も照りきらめく。そんな風景はそうあるものではない。私にとっては横須賀功光以来であろうか。
 「誰でもあり、誰でもないもの、揺るぎない自分というものなど信じない、そうした精神の動きこそ『文学』なのではないか」というとき、その揺らぎには「私(ひそか)に淑(よ)しとする」こころも含まれる。影響とか感化といった概念は微妙である。なぜなら、相手も揺らいでいるからである。従って、あくまで秘めやかなものでなければならない。「今だけ」と書いたのはその消息をさらに厳密にする。
 彼から私は多くを学んだ、私かに。掲示板1.0では彼に宛てて、または自らに言い聞かせる形で文章を綴った。「誰でもあり、誰でもないもの」はときとして彼であり、ときとして私であって、そして誰でもあり、誰でもなかった。人称は自称、対称、他称のあいだを自在にすり抜けてゆく。掲示板2.0ではアナロジーについてメトニミックもしくは重語法を用いて語り続けた。「閉店サービス」のようないささか過激な書き込みすらが、彼への気配りであり便宜であり、そして挑撥だった。彼がいなくなった同人誌にはいかなる意味においても存在理由はない。それでも続けようとするなら、新たな存在理由を構築しなければならない。文学はどこまでも「個のはかなごと」である。
 ですぺら掲示板は「辻潤の虚無思想を伝播させるのが唯一の願いである。願いであって目的ではない。いやしくも辻潤の読者であるなら、人生に目的を持つような愚挙には至るまいと思っている。ただし、勝手にそう思っているだけで、実態は存じ上げない」その願いだけは今なお変わらずにある。

追記
 「もどかしい人」と題したが、間怠っこいのは私の方である。パリの彼にはひとりの師もひとりの先達もひとりの友もひとりの恋人もいなかった、と書くのが相応しいのだが、そのように書けば傷つくひとが多く出る。もっとも真に傷ついたのは彼なのだが。責は常識という錯綜した網を彼にかけた方にある。ひとは秀でた才能をみると自らの位置にまで引き下げる。それが如何に不当なものであっても、かれらは自らの定規を押し当てて溜飲を下げるのである。
 それが理由でこのところ掲示板の書き込みがめっきり減った。じれったいことを書く自分に嫌気がさしたのである。長く掲示板を続けているとそのような気分に陥るときもある。書きたくないときは書かなければよい、ただそれだけのことである。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月15日 05:42 | 固定ページリンク




保険金  | 一考    

 事故を起こしたのは七月九日午前二時。その示談金がAIU保険会社から振り込まれた。外資系は対応が素早いと聞いていたのだが、結構もたついたようである。おそらく二輪の事故に馴れていなかったのであろう。パニアケースひとつ取ってみても、私の買値は六万六千円だったが、中古相場は八万円ほどする。物品は購入したときがもっとも高く、使用するにつれて値が下がるものだと言われても、世の中には下がらないものだってある。理由はメーカーのクラウザーの値上げであって、現行品は三十万円ほどする。ケースに支払われた金数は結局三万円だったが、これでは新たな購入は望むべくもない。
 はかどらない理由がAIGの破綻かとも思ったが、損害保険に特化するそうで、AIGエジソン生命とAIGスター生命、アリコジャパンを含めた米アリコが売却されることになった。AIUやアメリカンホームダイレクトは残留である。
 この十年ほど、四輪の保険はアメリカンホームダイレクトだった。ところがややこしい規約があって、複数台の車を持っている場合、保険の移動が効かない。それが理由で損保ジャパンへ切り換えた。二輪は免許を取得して以来、三井住友海上である。保険金の金額ではなく、どれだけ融通が利くかが私の場合は問題になる。件の規約はAIU、アメリカンホームダイレクト、アクサダイレクト、チューリッヒは同じである。値が安いというだけで外資系へ戻ることは二度とない。私が知るバイク乗りは複数台のバイクを乗り回している。もっとも対人無制限の任意保険に入っているのは私ぐらいなものだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年10月06日 22:11 | 固定ページリンク




カイワリ入らず  | 一考    

 下田のカイワリは入手かなわず、本日は手ぶらです。カンパチ、かつを、平目、目鯛、ブリなどがあって、その順で活かっていたのですが、カンパチは食する気もなくやめました。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月27日 16:47 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 グレン・マレイ8年※
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。2000本のリミテッド・エディション、80年代前半の蒸留という触れこみで出回った。
 1980年代ものと比してラベルに相違あり、イタリア市場向けのボトリングでないだろうか。いずれにせよ、「ワイン・メローイング・シリーズ」以前のストック商品。
 大麦の香り、フレッシュでソフトな風味。ライトな口当たりが印象的。ロングモーンがクラシックなら、グレン・マレイはモルト・ウィスキーの軽音楽。

02 グレン・マレイ・シャルドネ※
 40度のディスティラリー・ボトル。ノン・エイジだが7~8年熟成のモルト。
 フレッシュで軽く、ソフトで飲みやすいモルト。言い換えれば、個性に貧しく、パンチに欠ける。その個性を補うにワイン樽をフィニッシュに使用。本品はブルゴーニュの白ワイン主要品種シャルドネのリフィール・カスクを用う。
 ブレンダーの間では評価が高く、ほとんどがブレンド用に出荷されていたが、最近では12年物を中心にシングルモルトが数種類販売されている。
 カスク由来のシトラス、バナナ、蜂蜜、レモン風味があり、第一級の食前酒として人気がある。

03 グレン・マレイ・シュナンブラン12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
 上記と同様、シュナンブラン種のワイン樽をフィニッシュに用う。モルトの癖のなさが、逆に樽由来の果実味を際立たせている。他に16年ものもある。ウッドフィニッシュはグレンモーレンジ社のお家芸だが、本品はそのグレンマレイ版。
 なお、シェリー樽を用いたマネージャーズ・チョイスも頒されている。エド・ドットソンが特別に樽を選んだ限定シリーズで、サインとナンバリングが手書きで記載されている。高価だが美味なカスク・ストレングスである。

04 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
 インデペンデント・ボトラーのボトルでは加水タイプがイタリアのドナート社から、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、ブラックアダー社、マキロップ社、マクダフ・インターナショナル社のザ・ゴールデン・カスク、SMWSからはカスク・ストレングスが頒布されている。グレン・モーレンジの姉妹会社だけあって、ボトラーには滅多に売らないようで、極端に少ない。
 上記マネージャーズ・チョイスと共に、本品は一押し。

05 グレンロセス '90(シグナトリー)
 アン・チルフィルタード・コレクションの一本。シェリー・バットの11年もの、46度。842本のシングル・カスク。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」がある。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 なお、現在頒されているカスク・ストレングス・コレクションはノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、寸胴型丸瓶のシリーズに変わるコレクション。

06 グレンロセス '90(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの11年もの、43度。
 ダグラス・マクギボン社は1949年の創設。創業者は現在のオーナーの祖父にあたる。祖父はアイラで水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者。現オーナーのスコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれ、頑なにノーカラーリング、ノーチルフィルターリングを貫いている。ラベルの左側には彼らのシングルモルトウイスキーへのこだわり、そして右側にはテイスティングノートが著されている。春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を配している。

07 グレンロセス8年(ゴードン&マクファイル)
 マクファイル・コレクションの一本、40度。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。1995年にボトリングされた「100周年記念ボトル」は総じて樽の選択がよく、美味なものが多いのでお薦め。また、「コニッサーズ・チョイス」は各地の蒸留所のモルト・ウィスキーを網羅、ユナイテッド・ディスティラーズ社の「クラシック・モルト・シリーズ」と共に入門編として最適。

08 グレンロセス '89(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本。シェリー・ウッドの10年もの、46度。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者となっている。

09 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 11年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 1698年創業のベリー・ブロス&ラッド社は、カティーサークやブルーハンガーのプロデューサーとしても有名なロンドンの老舗酒商で、18世紀から現在までロイヤルファミリーにワインを供給している名門。マスターオブワインの資格者を常時雇用し、秀逸なワインやモルト・ウィスキーをベリーズ・オウン・セレクションとして販売。
 ロンドンのセントジェームスストリートにある本店は18世紀に建てられた古い建物で、香港のコーズウェイベイのリー・ガーデン(Lee Gardens)内に支店がある。セントジェームズストリートはホワイト・ブルックス、ブードルズといった古くからのジェントルマンズクラブが点在し、ジェントルマンの聖地(クラブランド)でとなっている。またセントジェームズパレスにも近く、同時にロンドンのクラフトマンシップの中心地でもある。通りの南側には8軒の老舗が集まっている。靴のジョン・ロブ、帽子のジェームズ・ロック、薬局のD・R・ハリス、銃砲のウイリアム・エバンス、世界最古の葉巻商ジェームズ・J・フォックスとロバート・ルイス、そしてワイン商のベリー・ブロス&ラッドとジャステリーニ&ブルックスである。

10 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 ローゼス地区を代表する食後酒。ブレンダーの間で夙に高い評価を受ける。カティサーク、フェイマス・グラウスの原酒モルトのひとつ。レーズンの香り、シェリー酒の風味。こくに奥行きがありオイリー、シルクのようにスムース。柔らかい甘味が残るフィニッシュ。

11 グレンロセス '82(ベリー・ブロス&ラッド)※
 15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 グレンダランと比してクリーム・ブリュレを思わせる香りが濃厚、プリンにつきもののカラメルを舐めるような甘さがある。本品は蒸留所元詰めのグレンロセスの定番。実に多くのヴィンテージが頒されている。72年以降は入手可能だったが、現在ではベリー・ブラザーズ&ラッド社の手を離れた。

12 クレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 ジェームズ・マッカーサー社は1982年、エディンバラで創業したボトラー。主として、閉鎖された蒸留所のモルト・ウィスキーを取リ扱う。他に「ファイン・モルト・セレクション」等がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月26日 21:57 | 固定ページリンク




カイワリ  | 一考    

 鯵はムロアジ、オニアジ、マアジ、メアジ、クボアジ、ヒシカイワリ、カイワリ、イトヒキアジの各属に属する四十を超える種が日本近海に分布し、そのうちカイワリ属だけで三十種を超える。ただし、多獲されるのはマアジとムロアジ、味がよく珍重されるのはカイワリ属のシマアジである。そのシマアジよりさらに体高があって、扁たいのが俗にカイワリと称される。当掲示板で何度か触れてきたが、アジ科でもっとも旨い魚である。
 新井白石の「東雅」に「アジとは味なり、その味の美をいふなりといへり」とある。そのカイワリが自宅の近所の魚屋に入っている、下田産である。今週の土曜日に入手可能かどうか分からないが、もし入ればモルト会で使いたく思う。グレン・ロセスやグレンマレイと合う。乞うご期待。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月24日 21:33 | 固定ページリンク




「とと」  | 一考    

 「ちょうど赤坂だし、赤坂見附『とと』にも顔を出したら・・・ 共同経営だった頃のオーナーがタイから帰国していてリクエスト頂いたので、『夜来香』と『何日君再来』を。 何年たっても私というと『夜来香』なんだなぁ〜 」
 と緒方美穂さんが書かれている。ですぺらの隣のライブスポット「とと」での話である。05年新宿ジャズ祭りに結成されたクラリネットの松平恒和&高橋三雄デュオが毎月演奏なさっていた。
 オーナーのギタリストととさんのことを私はなにも知らない。六本木で五年間「とと」を営業なさっていたが、再開発が理由で2007年7月に閉店、同年11月に第二クワムラビルへ引っ越していらした。年齢は六十代半ば、自宅は六本木、出身地は青森、それだけである。
 そのととさんの消息が17日から分からない。店は閉まったままである。心配なのだが、私にはどうすることもできない。「やあ、しばらく」と元気な顔を覗かせてほしい。

追記
 ととさんが亡くなられていたことを知った。ご冥福をお祈り申し上げます。(九月二十九日)


投稿者: 一考      日時: 2008年09月24日 20:03 | 固定ページリンク




雨過天晴雲破処  | 一考    

 嬬恋村の山小屋へ行く。マスタングによる初の遠出、初の高速道路だった。赤い光に三度ほど照らされたが、オービスだったのか監視カメラだったのかは定かならず。小諸ICからは霧のなかを北上、なにも見えず、何度かセンターラインをはみ出す。カーナビに助けられてなんとか到着。かつて奥志賀へ出掛けた時も同じような霧に遇った。
 三時間ほど走って早朝の四時に到着、佐々木幹郎さんを叩き起こしてアードベッグで乾杯。余談だが、最近は時間を掛けてだらだら飲むことができなくなった。三、四時間が限界で、あとは夢うつつの世界へ潜り込む。
 爽快な目覚、さっそく幹郎さんの書斎の前を山小屋バーに見立てての酒盛り。どうやら、この長丁場の酒盛りが祟ったようで、深夜に悪酔い。幹郎さんと関さんに迷惑をお掛けしてしまった。
 新宿でたまに長時間飲むのだが、その後は自宅なので水、お茶、トイレと必要なものは身の回りに揃っている。よしんば宿酔になっても時間が解決してくれる。やはり、ひとの家では緊張するのかもしれない。嬬恋村があまりに素敵なところだけに、酒は控えた方がよさそうである。

 佐々木幹郎さんに「雨過ぎて雲破れるところ」との著書あり。彼の嬬恋村のコミューンを描いたエッセイ集であって、文学を生きる彼の懸命さが伝わってくる。
 カメムシの大群、成長する氷のオブジェ、杜父魚の骨酒、樽ランプ、長野・群馬の山地にだけ自生する酸塊で作ったアリス・ジャム、地蜂、ポンプ車を想わせるミズキ、大型バスの機動隊、風のブランコ、さまざまな事象が人々が、星座表のごとく「シジン」を経巡る。
 標高千三百メートルの六月の山はいっせいに芽吹きはじめる「生きなくっちゃ。夢なんか見ている暇はない。という息せき切った思いが、山のあちこちにみなぎっている」かかる息吹きをわれわれは忘れてはいないだろうか。
 巻末に村の少女がハープを欲しがるシーンがある。

 山奥の村の少女がハープを弾いている、というイメージは想像するだけでも楽しいし、素晴らしい。まるで日本じゃないみたいだ。実現させてやりたいが、手に入れるのは無理だろうと、わたしは自分自身の経験から考えた。セキさんに相談すると、なんとかしてユリカちゃんの夢を実現させるべきだ、という答えが返ってきた。「欲しがっているいまが絶好の機会。将来、ハープを途中で止めてもいいんじゃないの。大きくなったとき、少女の頃、ハープを弾いていた、という思い出を持つだけでもユリカちゃんの宝物になるでしょう」
 
 関陽子さんの意見に私は胸を熱くした。ひとは大人になると功利的になる。そして自分が子供だったころのことを忘れて子供たちに説教する、まるで自分が立派な子供であったかのように。
 山小屋のオーナーのひとり関さんもそうなのだが、幹郎さんが著す文章にはある種の観音力が漂う。それは自然の治癒力が乗り移ったようである。ひとを補い扶ける天賦の才があるように思う。まるで人生の編輯者のようである。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月24日 02:52 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

9月27日(土曜日)の19時から新装開店後、九度目のですぺらモルト会を催します。
会費は8000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はグレンロセスがメインで、加えるにグレン・マレイのボトルを楽しみます。
 
グレン・マレイ蒸留所はエルギンの郊外、ロッシー川畔にある。1815年に建てられたビール工場を改造して蒸溜所が建てられたのは1897年。白ワイン樽をはじめて熟成に用い、「ワイン・メローイング・シリーズ」をリリース。同シリーズはフレッシュでさわやかな食前酒として識られる。
マクダナルド・アンド・ミュアー社にグレンモーレンジ蒸留所と共に買収されたのは1920年代。改装後、長い閉鎖期間を経て創業を開始。ちなみに、グレンモーレンジが蒸留所名を冠したシングル・モルト・ウィスキーとして発売されたのも同じ頃である。
マクダナルド・アンド・ミュアー社は96年にグレンモーレンジ社と社名変更。翌97年にアードベッグ蒸留所を買収したが、2004年にLVMH(ルイヴィトン・モエ・ヘネシー)の傘下に入った。過去形で書くのはLVMHが必要としたのはグレンモーレンジとアードベッグのみ、グレン・マレイ蒸留所は売りに出されていたからである。
グレン・マレイを買収したのはフランスのラ・マルティニケーズ(La Martiniquaise)・グループで、グレン・ターナーとのモルト・ウィスキーを頒している。傘下にバルディネット社などを抱え、バーボン、カナディアン、ウオツカ、ジン、リキュール類にスティル・ワインやカバまで扱う酒類メーカー。本拠はパリにあったが、聞くところによると、スコットランドの西ロージアン(West Lothian)に移設し、スコッチ・ウィスキーメーカーに変身したようである。
グレン・マレイ蒸留所の年間の生産量は約185万リットル。発酵槽はステンレス製で合計五基、イースト菌は純粋培養酵母とビール酵母の二種類を用い、ボットスチールはグレンモーレンジのそれとは逆に背の低いストレートヘッド型で合計四基。仕込水はロッシー川の水を利用している。ブレンダーの間では評価が高く、大半がブレンド用に出荷、ハイランドクィーン、ジェームスマーティン、バリー・ニコル・ジャービー等のモルト原酒である。1999年から方向転換し、シャルドネとシュナン・ブランの樽でフィニッシュをかける。今後モルトスターとしての活躍も期待できる、わがサントリーの取引先のひとつでもある。

グレンロセス蒸留所は1879年創業。スペイサイドの中心部に位置する小さな町ローゼスにある。ポットスティルは十基、二回目に蒸留したスピリッツのミドルカットから僅か十四〜十八パーセントを抽出し熟成にまわす。 モルト・ウィスキーのアロマ、油分、フレーバーを活かすために、氷点下ではなく摂氏四度でフィルタリングを行う。
ブレンダーからトップ・ドレッシング(フレーバーとクオリティを高める原酒の意)として高く評価され、長きに渡って重宝されてきた。カティサークの核となるモルト原酒。
先頃発売されたノンエイジのセレクテッド・リザーヴを除き、蒸留所の製造能力の二パーセントだけがディスティラリーのヴィンテージ・モルトとしてボトリングされ、残りはすべてブレンド用に回される。パッケージは蒸留所のサンプルルームにあるボトルをモチーフに、透明でシンプルなデザイン。小さなラベルにはマスター・ブレンダーによる、キャラクターと蒸留年月日、ボトリング承認年月日が記載されている。
ウィスキーの製造過程において、熟成に使用される樽木のクオリティがもっとも重要と蒸留所は考えている。シェリーの熟成に用いたアメリカ産オークとスペイン産オークの樽を主として利用。シェリーのフレーバーがウィスキーの個性を消さないように、ヴィンテージによってはリフィル・バーボン樽がブレンドされる。マッカランのファイン・オークの先取りのようなもので、ドライフルーツやトフィーの甘味や香りを抑え、バニラやジャスミンの複雑な香りとほのかなスパイシーさが加味される。
扱いはバカルディ社へ変わり、2002年にビー・ビー・アール・ジャパンからイー・エス・ジャパンへと移った。

ですぺらモルト会(グレンロセスとグレン・マレイを飲む)

01 グレン・マレイ8年※
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。2000本のリミテッド・エディション。80年代前半の蒸留とされる。
02 グレン・マレイ・シャルドネ※
 40度のディスティラリー・ボトル。ノン・エイジだが7〜8年熟成のモルト。
03 グレン・マレイ・シュナンブラン12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
04 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
05 グレンロセス '90(シグナトリー)
 アン・チルフィルタード・コレクションの一本。シェリー・バットの11年もの、46度。842本のシングル・カスク。
06 グレンロセス '90(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの11年もの、43度。
07 グレンロセス8年(ゴードン&マクファイル)
 マクファイル・コレクションの一本、40度。
08 グレンロセス '89(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本。シェリー・ウッドの10年もの、46度。
09 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 ベリー・ブラザーズ&ラッド社の手になる11年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
10 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 ベリー・ブラザーズ&ラッド社の手になる15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
11 グレンロセス '82(ベリー・ブロス&ラッド)※
 ベリー・ブラザーズ&ラッド社の手になる15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
12 クレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年09月22日 02:11 | 固定ページリンク




プロプライエタリ・ボトリング  | 一考    

 先日、木村さんからオフィシャル・ボトルとの云い方はないが、オフィシャル・ボトリングならあるのではと教わった。もっとも使用例はほとんどなく、通常はプロプライエタリ(proprietary)・ボトリングではないかとも聞かされた。プロプライエタリ・ボトリングはワインの世界では広く用いられている。意はオーナーズ・ボトルである。
 至近な例ではジム・ビーム・ブランド、バーン・スチュアート、ハイランド・ディスティラーズ、アライド・ディスティラーズ、ユナイテッド・ディスティラーズ等のボトルが充当する。前項で著したように花と動物シリーズやレア・モルト・セレクションはプロプライエタリ・ボトリングと云うことになる。一部はディスティラリー・ボトルと重なり、一部は重ならない。いずれにせよ、チョイスが多いのは良いことである。
 クレッグホーンの例を持ち出すまでもなく、ディスティラリー・ボトルだけではモルト・ウィスキーの香味は分からない。ブレンダーに供するために蒸留所はさまざまなモルト・ウィスキーを造る。これがと思われるような香味を持つ酒もなかにはある。タムドゥーやプルトニーなどは典型であろうか。違いを違いとして楽しむ、もしくは蒸留所の全貌を知るためにもボトラーズ・ボトルとプロプライエタリ・ボトリングは必須である。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月21日 20:18 | 固定ページリンク




鳥の羽と蝶の翅と隠翅虫  | 一考    

 子供のころ、昆虫の翅を毟って放置したことがある。蜥蜴の尻尾切り、蛇の皮むき、蛙の解剖等々、子供は残酷なことをする。そして幼なごころをそのままに大人になる人がいる。勝手、気儘、我が儘、傲慢、不遜がそのまま大人になるのだから始末に負えない。おそらく「人とは違う」といった選民意識を持つ人はこのカテゴリーに属する。なかには相対化が繰り返されて屈折した負の選民意識を持つ人もいるに違いないが。
 隠翅虫と書いたのはその虫の生態に理由がある。隠翅虫の体液にはペデリンという毒があって、触れると猛烈な皮膚炎を惹き起こす。間違えて目に入ると失明のおそれもある。身体にとまったときはそっと払いのけるのが無難である。人はこの種の危機に無防備である。無防備であればこそ、気付いたときには黙って立ち去らねばならない。しかし、世の中はさまざまである。好んで失明するひともい、それすらが選民意識のひとつの顕れになることもある。
 人間生活の二重の相貌の境界に生きる人々がいる。共同体にとって不可欠な存在でありながら、他面で危険なエレメントと深くかかわる存在である。そうした共同体を超えた世界と接する人は懼れと賤視の対象とされる。賤民の多くがそれであって、結果として鮮民あるいは棄民とも相通じる。そして賤民に紛れ込んでそしらぬ顔を決めこむ存在がたまにいる。そやつの名は詩人。二重の相貌の境界に生きると書いたが、糅てて加えて悪意という三重の領域を往き来する。
 世の中には傍へ寄るだけで火傷をおわされるような人がいる。ラルボーではないが、「二十一世紀初頭の忘れられた詩人になりたい」 そのような危うい詩人の誕生を私は待ち望んでいる。思うに、詩人とは言葉のテロリスト、太古の昔からもっとも危険なもっとも賤視すべき存在である。詩人は容赦しない、捨て置けば朽ち果てる伝統や文化を敢えて破潰してやまない。詩人は真喩であれ隠喩であれはたまた重語法であれ、さまざまな手立てを用いて言葉の苗床を大海原と化す。
 詩人は常に在野に在る。詩人の悪意は自分に向けられる。個に徹して自らの羽をもぐことに専心する。捻り取ろうが、千切り取ろうが、観念の羽がもがれ果てることはない。自らの羽をもぐ行為を加えれば領域は三重どころではなくなる。詩人にとっては迷想も冥想も、さらには迷走すらが伸縮自在なオブジェとなる。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月21日 03:13 | 固定ページリンク




トマス・ピンチョン「スロー・ラーナー」  | 一考    

 トマス・ピンチョンの「スロー・ラーナー」新装版 (ちくま文庫)が上梓された。訳者は志村正雄さん、あとがきに小生の名前が載っている。
 少々補足すれば、「海」へ掲載された「秘密のインテグレーション」に大いに啓発され、安原顕さんに相談を持ちかけたのが事の発端。当時、雪華社に在籍していた私は「海」以降、ピンチョンの翻訳が進まないのに業を煮やし、短篇集を拵えようと思ったのである。安原さんに関しては何やら訝しい噂も流れているが、私にとっては竹内書店時代に彼が編輯したパイデイア以来のお付き合い。パイデイアの創刊は確か1968年だったと記憶する。その後、彼が中央公論社へ潜り込んで、「海」の編輯に携ってからは繁くお会いするようになった。その頃のことは事情があって書かないが、彼は私にとって数少ない先達のひとりだった。
 ピンチョン短篇集には安原さんも殊の外乗り気で、ゲラまで出たのだが、雪華社が突如解散、志村さんに多大なご迷惑をお掛けするこになってしまった。
 志村さんには雪華社が解散に至った経緯もお話していない。にもかかわらず、今回の新装版へわざわざ名前をお書き込み下さって恐縮である。ここに記して深甚の謝意を表したく思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月13日 19:59 | 固定ページリンク




マック玉砕  | 一考    

 拙宅のマックが不調である。不調の理由は何時の間にかハードディスクにパーティーションがかけられている。つまり、影のようなシステムが誕生しているのである。日曜日一日かけて修復を試みるも起動しない。10.3のインストール用CDで起こし、ハードディスクを初期化、9.2.2を丸ごとコピーする。9.2.2はなんとか起動するようになった。10.3の方もインストールを済ませたものの、こちらはソフトが多いので一日では無理。
 4GBのUSBメモリもクラッシュ。ファイルのクロスが理由らしい。収録している12,925項目がおよそ25,000項目にもなっている。この歳になると最初からサルベージは考えない。それにしても、ノートンが役に立たなかったのは初めてである。このようなトラブルは纏めてやって来る。
 拙宅のマックが恢復した九日、店のiBookのハードディスクがクラッシュ。持ち帰ってハードディスクを交換する。iBookの分解は難儀である。こういうこともあろうかと、使用済みの図書カードを大量に書店からもらってきた。図書カードがなければiBookのパーツの交換はかなわない。こちらの理由は熱暴走、東芝のハードディスクはぴくりとも動かない。纏めて壊れるのなら、何のためにパーティーションを切ったのかと思う。本日から一部が機能するようになったが、データの過多は喪われ、清々しいマックに生まれ変わった。

 掲示板、mixi、ユーチューブ、なにもかもがOS.9には対応しない。ログインする時は10.3に切り換えなければならない。どうしようかと迷う。迷いながらも、どうでもよいと思う。携帯電話は電話帳の代用品としてしか使っていない。インターネットにも繋いでいない。一事が万事で、パソコンにもひとときの熱はなくした。
 最新のマックなど端から買う気もないが、櫻井さんに言わせると中国製だそうである。冷凍食品同様、しばしば腹痛に見舞われるらしい。中国製で良くないのは餃子とコンデンサーだそうである。私は日本が嫌いなので、日本製が良いと云われてもピンと来ない。でも日本製はすぐれているらしい。日本語も好きではないが、それしか教わらなかったので遣い続けている。ただし例外もあって、付き合う女性は日本人がよいと思う。要するに好悪に理由はいらない。勝手にそう思い込んでいるだけなのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月11日 21:33 | 固定ページリンク




キルケニー追記  | 一考    

 何処の酒屋も「大人気で当店にも取り寄せ先にも現在在庫がございません。入荷時期も未定です」となっている。ところが、前述のサンクス某店舗ではいくらでも入手可能である。六日に一ケース追加注文をして八日に入った。ですぺらへの行き帰りにもサンクスはあるのだが、そちらでは取り寄せできないとのこと。摩訶不思議な流通径路を辿っているようである。ちなみに、新規入荷の度に賞味期限は延びている。サッポロで働く知己に訊いても埒は明かない。要するに酒屋ルートは閉ざされたままである。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月11日 20:56 | 固定ページリンク




高級ブランド  | 一考    

 MHD(ディアジオモエへネシー)は、仏LVMHグループの洋酒部門であるモエ ヘネシー及び英ディアジオ両社の合弁会社。LVMH(エルブイエムエイチ・モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)は、フランスを本拠地とするコングロマリットで、1987年にルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの両社が合併して誕生した。ルイ・ヴィトン、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、ジバンシー、ゲラン、タグ・ホイヤー、ゼニス、デビアス等々五十近くの高級ブランドを持つ。
 ワイン・スピリッツの部門はモエ・エ・シャンドン、ヴ−ヴ・クリコ・ポンサルダン、クリュッグ、ルイナール等の企業と同時にブランドが含まれ、世界のシャンパン市場において、LVMHはゆるぎない地位を占めている。なお、日本で人気の高いドン ペリニヨンはモエ・エ・シャンドン社の製品。
 日本においてはモエ・エ・シャンドン社及びヘネシ−社の製品及びベルヴェデールは、MHD(ディアジオモエヘネシー)が、ヴ−ヴ・クリコ、クリュッグ、グレンモーレンジ、アードベッグはヴ−ヴ・クリコジャパンが、ルイナールはルイナールジャパンが販売に当たっている。
 さて、そのLVMHからグレンモーレンジ・シグネットとアードベッグ・ブラスダの案内が出た。ディアジオジャパンではなく、ディアジオモエヘネシーでもなく、ヴーヴ・クリコジャパンでもなく、LVMHの発売である。
 発売はシグネットが10月3日で、ブラスダは10月21日、扱いはエイコーン。宣伝では「濃い官能的なフレーバー、ヴェルヴェットのようなテクスチャー。複雑で卓越したプレミアム・シングルモルトを実現。これまでで最も革新的で、比類なき豊かなフレーバーが味わい深い、型破りなウイスキー。厳選された原料、ユニークな製造方法について、その詳細は明かされていませんが、一部ヒントが公開されています。
・グレンモーレンジの最も古く、希少なウイスキーをブレンド
・原料の一部に深焙りした「チョコレートモルト」を使用
・グレンモーレンジが所有する単一畑のモルトを使用
・グレンモーレンジが特注したデザイナーカスクで熟成」
となっている。46度の加水タイプで、香りはグレンモーレンジらしく上品かつ華やかなモルト・ウィスキーなのだが、腰が弱いように感じる。このところの値上がりを考慮しても、20,600円(エイコーン価格)の売価はちょいと高価にすぎる。デザイナーカスク、チョコレートモルトとの文言が繰り返し遣われているが、意味するところは不明。クリスチャン・ディオールやゲランのパフューム&コスメティックスと同じ感覚での販売のようである。そちらはボウモアの専売特許でなかったか。
 アードベッグ・ブラスダの方は、「ピーティなだけでない、アードベッグの魅力。アイラモルトの中でも、もっともピーティなことで知られるアードベッグから、ライトピート麦芽(フェノール値8ppm)を使用した軽やかな味わいの限定品。ブラスダとは、ゲール語で「甘くておいしい」という意味。他のアードベッグとの違いを強調するため、グリーンボトルではなくクリアボトルに冷却濾過を施し、40度でボトリング。ブランド・ディレクターのヘイミッシュ・トーリ氏は『食前酒としてお勧めします。午後八時には(8ppm)のアードベッグ・ブラスダのボトルを開けましょう』」となる。こちらの売価はは6,800円(エイコーン価格)。
 ブラスダは試飲していないが、8ppmのアードベッグなら午前八時の間違いではないのか。いくら値上がりしようが、不味いドン ペリニヨンは飲みたくない。同様に「甘くておいしい」アードベッグには興味が湧かない。いよいよアードベッグも高級ブランド化の道を歩むのか。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月08日 22:02 | 固定ページリンク




キルケニー在庫  | 一考    

 8月4日にも書いたことだが、5月21日発売のキルケニーの入手が難しくなっている。サッポロによると罐の原材料の調達がかなわず、次回の入荷はまた延びて10月末になるそうな。おそらく年内には無理ではないかと思う。
 ギネスは1997年末にグランド・メトロポリタン社と合併してディアジオ社を形成、今はディアジオ社のビール部門という扱いになっている。2007年8月現在、総資産267億ポンド(約6兆1800億円)の会社がアルミニウムの入手に事欠くとは不思議なはなしである。
 モルト・ウィスキーのファンにとってディアジオ社とその傘下のU.D.V(ユナイテッド・ディスティラーズ&ヴィントナーズ)ほど由縁の深い会社はない。スコットランド最大のブローカーにして、全蒸留所のほぼ半数を所有している。元はU.D(ユナイテッド・ディスティラーズ)と名乗り、ギネス社のスピリッツ部門を担う会社だった。それが合併でグランド・メトロポリタン社傘下のI.D.V(インターナショナル・ディスティラーズ&ヴィントナーズ)と一緒になって、さらに大きくなった。扱いはとにかく、私の頭のなかで親会社はギネスであって、世界最大の酒類販売メーカーであることに違いない。
 「年内には無理ではないかと思う」と書いたが、明年になっても相変わらず無理なのではなかろうか。サントリーがU.Dからすげなくされ、アライド社と手を組んだ。アライド社は、ラフロイグ、グレンドロナック、スキャパ等の蒸溜所を所有し、バランタインやティーチャーズを擁するが、モルトウィスキーのシェアは5パーセントに満たない。おそらく近い将来、サッポロもギネスから袖にされるに違いない、と思っているのは私だけなのであろうか。そのようにならないことを願っている。

 ところで、キルケニーはダイエーとサンクスでは一部の店で手に入るようである。私はサンクスから購入している。現在の在庫は3ケース、10月末までは持ちそうだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年09月04日 22:06 | 固定ページリンク




板前修業  | 一考    

 「意地っ張り」で板前修業の理不尽さを書いたが、考えてみれば簡単なはなしである。フレンチを学ぶ人は語学で頭をぶつける。ひとつひとつの料理の仕込みからあしらいまでをを言葉で覚えていかなければならない。従って、帰郷後は言葉で料理を教えようと務める。一方、和食の世界にあっては語学の必要がない。「見て奪え」「見て盗め」はそこから派生する。
 「精神論」と揶揄するようなことを書いたが、板前には調法を言葉で表現する能力が欠けているだけのはなしである。能力が欠けているのかその種の能力が必要とされないのかは同じ結果をもたらす。それでは板前修業の中味は永遠に変わらない。
 「素質を持つ板前がみんなフレンチやイタリアンへ逃げ出してゆく」と書いたが、その逆はどうだろうかと考えた。五年ほど基礎をフレンチで習い、その後和食へ転向する。これはよいアイデアではなかろうか。捌きと舌のセンスはどのような料理であろうとも錬磨は可能である。包丁にしてからが、親しくしているフレンチの料理人は片刃を用いている。片刃と両刃では切れ味が異なる。彼等は納得のいくことはどのようなことでも取り入れるにやぶさかでない。
 ヒロユキさんとの別れが近づいてきた。彼の将来に対して私のなかで割り切れないものがずっと渦を巻いていたが、どうやら決断を下す時がやってきた。知己にはフレンチやイタリアンで一家を成した方もいる。先日話したところ、八割は三週間以内に辞めてゆく、残りの二割の内三箇月もつのは一人いるかいないかと聴かされた。三箇月我慢できれば五年という年月は問題にならないらしい。語学も料理も似たものである。思うに、挑戦とはそのようなものでなかったか。されば超一流のシェフの元へ送り込もうかと考えている。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月30日 20:47 | 固定ページリンク




ホテル雷電  | 一考    

 北海道の岩内といえば雷電温泉、朝日温泉、飢餓海峡、そして新宿ナベサンのマダム、ナオさんの出生地である。私がもっとも好きなニセコアンヌプリから下るパノラマラインの終着でもある。その雷電温泉のホテル雷電が廃業した。2002年11月20日付でホテル層雲と共に廃業が決まっていたので今更いうこともないのだが、残念である。
 温泉は岩内町が一括管理し、ホテル雷電からホテル観光かとうへも配湯していた。かとうの方は営業を続けているが、ホテル雷電の玄関には破産管財人の告知が貼られてあって、かなり酷な倒産だったと分かる。
 天井が高く、日本海側に面した大きな窓硝子からは沈む夕陽が眺められた。雷電海岸の奇岩と相俟って道南では屈指の温泉だった。ただし、奇岩に蔓延るのはカモメでもウミネコでもなく、閑古鳥の大群。岩内町自体が過疎化に苦しんでいる状態では仕方がなかった。昨年閉鎖していた朝日温泉が今夏、再開したのは未だしも吉報だった。
 北海道で知られた温泉は以下のごとし、

 石狩地方 定山渓温泉、小金湯温泉、支笏湖温泉
 胆振地方 登別温泉、洞爺湖温泉、北湯沢温泉、虎杖浜温泉、新登別温泉、カルルス温泉、壮瞥温泉、蟠渓温泉
 渡島地方 湯の川温泉、大沼温泉、東大沼温泉、恵山温泉、長万部温泉、濁川温泉、鹿部温泉
 後志地方 ニセコ温泉郷、朝里川温泉、いわない温泉、雷電温泉、盃温泉
 檜山地方 湯ノ岱温泉
 上川地方 層雲峡温泉、白金温泉、旭岳温泉、天人峡温泉、十勝岳温泉
 十勝地方 十勝川温泉、然別湖畔温泉、糠平温泉、雌阿寒温泉、幌加温泉、幕別温泉
 釧路地方 阿寒湖温泉、川湯温泉、和琴温泉、摩周温泉、仁伏温泉
 網走地方 ウトロ温泉、温根湯温泉、滝の湯温泉、網走湖畔温泉、女満別温泉
 根室地方 養老牛温泉、羅臼温泉、尾岱沼温泉
 宗谷地方 豊富温泉、稚内温泉

 私の友人でこれらすべてを駈け巡っている人がいる。彼は定山渓、登別、洞爺湖、湯の川、層雲峡、阿寒湖、川湯の観光バスが行くようなホテルには見向きもしない。団体行動を忌み、ホテル雷電で風呂を浴び、神恵内のプチ・ダイヴか積丹のなぎさ食堂でウニ丼をひとりで食べる。旅人の範のようなひとで、彼の温泉の薦めは信頼できる。その彼が道南で一押しの温泉がホテル雷電だった。ホテル雷電の廃業に伴って、似たロケーションを眺められるのはモッタ海岸温泉旅館になった。北海道でもっともラジウム濃度が高い温泉だが、デッキブラシで擦られて白く褪せたホテル雷電のような鄙びた雰囲気は味わうべくもない。

 ですぺら掲示板1.0で「二セコビュープラザという道の駅があって、そこにニセコヌプリホルスタインズミルク工房の売店があり」そこのソフトクリームが旨いと書いたが、あれは「らんこし・ふるさとの丘」の間違いだった。国道5号沿いは同じだが、所在地は磯谷郡蘭越町字相生969番地、電話は0136-55-3251である。
 併設のアイス工場は町営だそうで、ソフトクリームとカップアイスは、牛乳の甘味を生かしたバニラのみ。ソフトクリームは乳脂肪分よりも無脂固形分にこだわった製法で、シャーベットのようなざらざらした食感を持つ。生乳で拵えたソフトクリームは通常、食した後に水が欲しくなるものだが、「らんこし・ふるさとの丘」のそれは、後味が実にさわやかである。
 http://www.shiribeshi-i.net/jouejoue/2005summer02

 話序でに、通年ウニ丼ならぬウニ定食が食べられる道の駅がある。アルトリ岬キャンプ場の傍にある洞爺湖町(旧虻田町)の道の駅「あぷた」である。値は1500円、味については何も書かない。積丹と比較しては礼を逸することになる。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月30日 16:47 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 モルト会へ来られたにもかかわらず、クレッグホーン社のモルト・ウィスキー四種を再度飲みに来られた方がいる。ことほど左様にクレッグホーンは旨い。
 西明石および上京後間もない頃に購ったモルト・ウィスキーをこのところ開栓している。今月は暇だったので、新規ボトルはほとんど購入していない。従って、新規の開栓は十年以上昔のボトルばかりである。先月は少しだけ購入した。その双方を掲げておく。

 タクティカル '79(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。21年もの、50度のプリファード・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
  オールド・モルト・カスクはタリスカーのような刺激が強いモルトも優しく仕上げる。本品も例外ではなく、ずいぶんと熟れたタリスカーである。

 アードベッグ・ベリーヤング '98※
  ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
  前年のコミッティー会員向けボトルの一般市場向けの商品。2004年8月ボトリング、ファーストフィルのバーボン樽で熟成。限定20,000本。翌2005年にも別ロットのベリーヤングが頒されている。若々しくフレッシュで刺激的。

 アードベッグ・ルネッサンス '98※
  ディスティラリー・ボトルの10年もの、55.9度のカスク・ストレングス。
  1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングした一連の流れの到達点として、2008年7月25日に発売。
  トロピカルフルーツの果汁、バニラやホットシナモンのスパイス、パイナップルの風味、芳しい花のキャラクター。ピートオイルとがぶつかりあって共存し、力強さを感じさせる。ピーティーな熟成の極み。

 アードベッグ・アリー・ナム・ビースト '90※
  バーボン・カスクの16年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
  クリーミーでスモーキーなフレーバーの中に感じるフェンネルや松の実のキャラクター。ピート・オイルの粘り気のあるファッジ・ソースの霧雨。

 スティルベリーヤング・アイラモルト '00(リンブルグ)
  リフィール・シェリーバットの7年もの、59.1度のカスク・ストレングス。中味はアードベッグ。
  ドイツの南西部で催されるリンブルグ・ウイスキー・フェスティバルのボトル。さほどスモーキーでなく、やわらかさの中に、透明感のあるスモーク。シェリーバットの影響か、マイルドな口当たり。ディスティラリー・ボトルと比して値は張るもののすこぶる美味。

 ブナハーブン・ピーテッド '97(シグナトリー)
  アンチルフィルタード・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの10年もの、46度。852本のリミテッド・エディション。
  同じシグナトリー社のカスク・ストレングス・コレクションと比して加水タイプの弱さはあるが、香りはこちらの方が上かも。

 クラガンモア・カスクストレングス '73※
  04年3月発売の29年もの。アメリカンオークのリフィル、52.5度のディスティラリー・ボトル。6000本のリミテッド・エディション。
  以下は蒸留所のテイスティング・ノートより。
  香りはドライさと甘みの混じる芳香。若草、薬草、焦げた砂糖、クリームブリュレ。加水すると種子のようなオイル香。
  ボディーは ソフト。かすかにオイリーでドライ。
  テイストはドライ、ジャコウの花、ペッパー。カンゾウ(甘草)とオレンジ。加水しなくても飲みやすいまろやかさ、多少の酸味とナッツの風味を感じる。
  フィニッシュは ミディアムからロング。ドライ、そして花を想像させるようなやわらかな甘さとナッツのような後味。香味共に文句なし。

 クレイゲラヒ 14年※
  14年もの、40度。
  正式販売される商品ではなく、蒸溜所のスタッフ及び関係者だけに配られる限定ボトル。アルコール度数は低いが美味。

 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
  ゴードン&マクファイル社最後のコニッサーズ・チョイス、以降はラベルが新しくなった。

 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
  チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。

 グレンファークラス '89※
  オロロソ・シェリーの16年もの、56.3度のカスク・ストレングス。278本のリミテッド・エディション。
  ロンドンにあるウイスキーショップ、ウイスキー・エクスチェンジ向けにリリースされたボトル。ファーストフィルのオロロソシェリー樽で熟成、シェリー樽ならではの甘い香りとオイリーな飲み口が重なってエイジング以上の練りを感じさせる。

 オーキンドゥー '82(クレッグホーン)
  13年もの、55.2度のカスク・ストレングス。限定232本のリミテッド・エディション。中味はタムドゥー。

 ベルチャロン '79(クレッグホーン)
  14年もの、59.7度のカスク・ストレングス。247本のリミテッド・エディション。中味はダルユーイン。

 ブレイヴァル '95(ダン・ベーガン)
  ダン・ベーガンの一本。シェリー・バットの11年もの、46度、750本のリミテッド・エディション。
  ダン・ベーガンはスコットランドのスカイ島にある村名。支配者である地元のクラン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、ブランド名が決まった。なお、ウイリアム・マックスウェル社はイアン・マクロード社と同一資本。
  1997年にフランス向けにボトリングをスタート、2002年後半に現在のパッケージになり、アメリカ、ヨーロッパ、台湾などで販売を開始。

 グレン・クエッチ '75(クレッグホーン)
  19年もの、58.2度のカスク・ストレングス。243本のリミテッド・エディション。中味はアバフェルディ。

 ワリゴー '81(クレッグホーン)
  13年もの、56.4度のカスク・ストレングス。250本のリミテッド・エディション。中味はプルトニー。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月29日 10:43 | 固定ページリンク




プルトニーの香味  | 一考    

 プルトニーは大ブリテン島の北の端、北海に面した港町ウィックの蒸留所。バランタインの主要モルトのため、ゴードン&マクファイル社の8年、15年ものが僅かに出回るのみだったが、95年に12年もののディスティラリー・ボトルが、次いで98年には15年ものカスク・ストレングスが頒された。
 「海風や磯の香、魚介や海藻の潮味等、塩辛さが織りなす極めてシンプルな辛口」と書いたが、これはディスティラリー・ボトル、ゴードン&マクファイル社のボトル双方について言えることで、まずゴードン&マクファイル社が香味を定め、ディスティラリー・ボトルがそれに倣ったというのが真相であろう。
 ところで、スコティッシュ・リキュール社のビーン・ア・チェオ、クレッグホーン社のワリゴー(共にプルトニー)はどちらも甘口である。ビーン・ア・チェオはカスク違いも試してみたが同じだった。「オキシフルに漬け込んだ海藻の匂いが顕著な辛口」といったイメージはどこを探してもみつからない。また、不思議なことにこの二種類のプルトニーは香味が似ている。
 ちなみに、前述のミレニアム・エディションの15年ものカスク・ストレングスは、すべてシェリー樽熟成のシングル・カスクである。ビーン・ア・チェオやワリゴーがシェリー・カスクだからというのは甘口の理由にならない。ウィックはロバート・スチーブンソンの生誕地である。ジョン・シルバーのラム酒の雰囲気すら漂わせていると書けば書きすぎであろうか。
 ゴードン&マクファイル社のマクファイルとマッカランのディスティラリー・ボトル、もしくはスピリット・オブ・スコットランド(ゴードン&マクファイル社)のアードベッグと現行のアードベッグのディスティラリー・ボトルを比較すればよく分かるように、ゴードン&マクファイル社は少々辛口に振る癖がある。私はその方が好きなのだが、プルトニーの場合は差違では済まされない。ここにも、ブレンダーのセンスひとつでウィスキーの味はどうにでも化けるとの典型例がある。おそらく、どちらの香味もプルトニーなのである。強調させる部分が異なっただけなのである。それにしてもどこをどうすればこのような落差が生じるのか、と思う。

 クレッグホーン社のボトルについて一言。オーキンドゥーはマクファイルズ・コレクションのタムドゥーと比して頗るフルーティー、「際立った個性はない」どころか、スペイサイド固有の蜂蜜ナッツや熟した果実、レーズンの香り、シェリー酒の風味が豊か、こくに奥行きがありオイリー、柔らかい甘味が残るフィニッシュが長く続く。要するに銘酒の一つである。現在ですぺらに在庫するのはオーキンドゥー(タムドゥー)、グレン・クェッチ(アバフェルディ)、ベルチャロン(ダルユーイン)、ワリゴー(プルトニー)の四種類。そして孰れもが美味である。発売は94年から95年、今から13年前である。その後、ワイン商に戻ったらしく、モルト・ウィスキーのボトリングはついぞ聞かない。早過ぎたボトラーとして惜しまれてならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月26日 15:04 | 固定ページリンク




クレイゲラヒとレアモルト  | 一考    

 クレイゲラヒのフィニッシュについて「心地よい余韻が長く続く」と書いた。これは蒸留所の説明をそのまま写したまでで、飲んだ結果気付かされたことがあった。
 クレイゲラヒのフィニッシュはオスロスクのそれに似て、心地よいのだが幾分ショートである。同じようなフィニッシュにダフタウンがある。「ふっと消え入るような風情」と寡多録に書いているが、そっくりそのままクレイゲラヒにも通用する。
 例外はレアモルトのクレイゲラヒで、「クリーミー」は「アイリッシュクリームの味わい」へ、「アップル、ライチ、フレッシュな洋梨」は「オレンジとナッツの風味」へと変化する。そして「最良の食後酒のひとつ」に相応しく、長く濃密なフィニッシュを有する。このフィニッシュは同じユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズにもみられないものである。

 何度も書いていることだが、花と動物シリーズは元々ディスティラリー・ボトルを持たない蒸留所のビジターセンター及び近隣での販売用に九十年代に入ってからボトリングされた。それが理由で、蒸留所周辺に棲息する動物や植物の絵柄をラベルにあしらい、土産品としての付加価値を高めた。全部で二十七種類(詳細はホームページのオーナーズ・ボトル一覧を参照)が頒され、蒸留所の売店で売られたところからディスティラリー・ボトルと思い込んでいる人も多い。しかし、オーナーズ・ボトルではあってもディスティラリー・ボトルではない。私は単純にボトラーズ・ボトルの一種と解釈している。
 それにしても、レアモルト・セレクションは旨い、あまりにも旨過ぎるのである。ダグラス・レイン社はじめ多くのボトラーへ樽の供給をしていたぐらいだから手持ちの駒は潤沢である。樽の選定からして並のボトラーとは違う。レアモルト・セレクション三十一種類はことごとくがシェリー樽を熟成に用いている。伝統的な熟成法に則った最後のシリーズでなかったかと今にして思う。現行のシグナトリー社のカスクストレングス・コレクション四十四種類(他に未確認有り)と比してもその完成度は水際立っている。
 前述のクレイゲラヒにしても、あれがクレイゲラヒだと私は思っていない。ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルト・セレクションを飲んでいるのである。かかるボトルをボトラーズ・ボトルといわずに何とする。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月25日 22:30 | 固定ページリンク




チーフテンズ・チョイスほか  | 一考    

 2001年にはじまったイアン・マクロード社のチーフテンズの前身にチーフテンズ・チョイス(名義はスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ)がある。現在は46度でヴィンテージはじめ詳細が明記されているが、当時は43度でエイジングのみ、なかにはヴィンテージの記載があったりと不統一だった。2000年にクレイゲラヒ18年と19年、ダフタウン12年、グレンバーギ11年(1988)、コンヴァルモア15年、リンクウッド10年(1990)、ティーニニック16年等がボトリングされている。
 ダフタウンはシェリー・ウッドフィニッシュ、ティーニニックはフィニッシュにポート・バレルを用いたダブル・マチュアード。95年から97年発売のユナイテッド・ディスティラーズ社のクラシック・モルト・シリーズのダブル・マチュアード版を強く意識している。
 チーフテンズはダン・ベーガンと共にイアン・マクロード社の中核を成しているが、ホグスヘッドに混じってラム、ポート、シェリー、クラレットなど、さまざまなカスクをフィニッシュに用いる。ウッド・フィニッシュ物は当初例外アイテムとして扱われてきたが、最近ではやっと存在理由を得たようである。
 蒸留所を所有するのがボトラー生き残りの秘策とか。シグナトリー社が2002年にペルノ・リカール社から買収したエドラダワーもそうしたひとつだが、ボトラーが蒸留所を所有するとウッド・フィニッシュ物が増える。熟成に闌けたボトラーならではの実験だが、私は好意的に見ている。それでなくてもシェリー樽は減り続けている。これからはフォーティファイドワインからスティルワインに至るさまざまな樽が熟成に用いられる。カスクの違いがウィスキーに与える影響の差異、インデペンデント・ボトルを楽しむ醍醐味はそんなところにもある。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月22日 15:23 | 固定ページリンク




オフィシャル・ボトルとはなんぞや  | 一考    

 かつて「オフィシャル・ボトル」と題する文章を書いた。私もごくたまに遣う、遣いながら奇妙な言葉だと思う。「オフィシャル・ボトル」は和製英語で、正確にはディスティラリー・ボトルもしくは蒸留所元詰めになる。ところで、ボトリング設備を自前で持っている蒸留所はグレンフィディックとスプリングバンク、それとブルイックラディとキルホーマンの四社のみ。要するに他の蒸留所のボトリング(註一)を引き受けているのはスプリングバンクのみということになる。従って、多くの蒸留所はブローカーやボトラーの設備を借りてボトリングしている。「蒸留所元詰め」は言葉の持つ意味において矛盾している。
 ウィスキーの世界はブローカーを中心に動いている。ブローカーはニュー・スピリッツの段階で蒸留所からウィスキーを買い取ってメーカーへ卸したりボトラーへ転売する。グレンフィディックやグレンモーレンジのように、すべてをシングル・モルトとして出荷。現在、一切の樽売りはしていない蒸留所もある。そのような蒸留所を除いて、熟成庫やボトリング設備を持つ必要はどこにもなかった。モルト・ウィスキーをモルト・ウィスキーとして楽しむ人々は少なく、一部のブローカー兼ボトラー、ケイデンヘッド社とゴードン&マクファイル社が細々とボトルを頒していたに過ぎなかった。われわれがモルト・ウィスキーを広く嗜むようになったのは90年代に入ってからである。ウィスキーの歴史は古いが、モルト・ウィスキーの歴史ははじまったばかりである。もっか最先端の飲み物といえようか。
 メーカー(註二)すなわちブレンド・ウィスキーを作っているところは代理店を持つ。ブレンド・ウィスキーにおける正規品、並行輸入品の概念はそこから生まれる。代理店経由が正規品で、それ以外が並行輸入品となる。モルト・ウィスキーの場合も、ヴーグ・クリコジャパンが扱うアードベッグとグレンモーレンジ、サントリーが扱うボウモア、ラフロイグ、マッカラン、スキャパ等は正規品と並行輸入品の双方が存在する。それらは数少ない例外であって、ブレンド・ウィスキーとは異なり、正規品の方が安価な場合がある。
 「オフィシャル・ボトル」との言葉を誰が遣い出したのかは知らない。ただ、罪作りな言葉を造ったものである。この言葉には正規品とのイメージが深く刻まれているように思う。日本人は正規とかオフィシャルという言葉に弱い。最近ではオフィシャル・ボトルが正規品で、ボトラーズ・ボトルが並行輸入品と思い込んでいる方すらいる。ボトラーズ・ボトルとオフィシャル・ボトルの違いについてはホームページの「インディペンデント・ボトラーズについて」で詳述しているのでここでは繰り返さない。
 ただ、オフィシャル・ボトルがはじまったのとボトラーが雨後の筍のように増えた時期は共に90年代に入ってからのことである。そして、ディスティラリー・ボトルを頒していない蒸留所も多く存在する。アルタナベーン、インペリアル、キャパドニック、グレントファース、グレンバーギ、コンヴァルモア、ダラス・ドゥー、ブレイヴァル、グレン・アギー、グレン・カダム、ノース・ポート等がそれで、他にもグレンキースのように94年から2000年までと短命に終わったディスティラリー・ボトルを入れると果てがなくなる。
 オフィシャル・ボトルが任意の蒸留所のウィスキーの基準になるとよく聞かされる。しかし、おおよその目安にはなれ、香味の基準にはならない。オフィシャル・ボトルは大量生産なので、味は平均化される、ただし、ウィスキーの香味は樽の数だけ存在する。ボトラーがシングル・カスクにこだわる理由はその樽の数だけ存在する異なった香味を異なったものとして楽しもうというのが趣旨だからである。過去を振り返っても、ボトラーズ・ボトルがオフィシャル・ボトルの香味に先行し、蒸留所のブレンダーに影響を与え続けた例は枚挙に遑がない。
 どうやら、ここにも日本人特有の短絡的思考が垣間見られるようである。ディスティラリー・ボトルをいくら飲んでもウィスキーは分からない。2008年5月17日に「ボトラーとラベラー」で紹介したイアン・マクロード社、ゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社の五社がこれから生き残るボトラーと云われている。モルト・ウィスキーを知りたい人はまずボトラーズ・ボトルから賞味していただきたい。
 以上が武蔵屋の竹内元さんと話した内容である。今後オフィシャル・ボトルを私は遣わない。人のことはどうでもよい、私はディスティラリー・ボトルを用いる。

(註一)樽から瓶詰めして販売することをボトリングという。従って、ボトリングしているからといってボトリング設備を持っているとは限らない。
 スプリングバンク蒸留所とボトラーのケイデンヘッド社は同資本の会社、同じくブルイックラディ蒸留所とボトラーのマーレイ・マクデヴィッド社も同資本。
(註二)通常、蒸留所をメーカーとは云わない。メーカーとはジョニー・ウォーカー、バランタイン、シーバス、ベル、ホワイトホースのようなブレンデッド・ウィスキーを販売する会社を指す。貯蔵庫、ブレンディング、ボトリング設備を持ち、原酒確保のため傘下に蒸留所を抱えたり、直接蒸留所を設営することもある。わが国とはシステムが異なる点に留意。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月19日 20:18 | 固定ページリンク




ディアジオ傘下のモルトスター  | 一考    

 毎日のように更新しているので、掲示板の誤植が絶えない。モルトウィスキーに関しての書き直しは仕方がないが、そうでないものにも間違いが増えてきた。少しピッチを落とすことにした。もっとも書き込み速度と誤記、誤植とのあいだにはなんの因果関係もないが。
 6月18日の「ですぺらモルト会」にもミスがあって、「ディアジオ社はその傘下に四つのモルトスターを持っている」と書きながら、三つしか記載していない。グレネスク、グレン・オード、ブレチン(グレンカダム)とポートエレン・モルティング社の四社である。このような間違いや勘違いは無数にあって二十箇所ほど修正した。掲示板の休みの間、極力訂正に務める。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月15日 23:17 | 固定ページリンク




一筆啓上  | 一考    

 巷は盆休み、ですぺらは普段通りの営業だが暇である。去年は夏休みだったので比較すべき材料がない。一昨年まで盆は忙しかったのだが。
 ですぺらはともかく、掲示板はしばらくお休みにする。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月15日 02:14 | 固定ページリンク




掲示板と原稿料  | 一考    

 武蔵屋の竹内さん来店。ボトラーズ・ボトルに関する書き込みを一部盗用させていただいたとのご挨拶。何時も書いていることだが、ウェブサイトに著作権は原則存在しない。用に供するのであればいつでも掻っ払っていただきたい。地元はおろか、名古屋の某酒店はですぺらホームページからふんだんに盗作なさっている。思考などというものは糊と鋏の使いようひとつでどうにでもなる。況や書き物なんぞ、その思考の残滓ではないか。盗用であろうがなんであろうが、それでモルト・ウィスキーのファンがひとりでも増えればありがたいことである。
 ところで、掲示板への書き込みに対して原稿料が支払われた。これには私も愕いた。何時ぞや、吉行に関する書き込みが続いた。憤懣の一端を吐露したまでなのだが、担当編輯者の能力を私は買っていた。末尾を削り、二箇所ほど順序を入れ替えると素直なオマージュになるように細工した。それを見抜いた彼女も立派だが、掲載した責任者も技有りとしか云いようがない。
 雑誌というか、活字の場合、多くは匿名で著す。「いくらでも書くが、名前を載せてはいけないよ」が私の口癖である。なぜなら私はプロの書き手ではない。そういうことで専門家面するほど酔狂でなく、人目を惹きたいとも思わない。そして一番大事なことは匿名だと文責は編輯部に在るということである。他方、ウェブサイトには編輯を担当する者がいない。よって掲示板では名前を明記するしかない。文責は名告った名前にしか掛かってこない。名無しの権兵衛では責任の取りようがないのである。つい先頃もちょっとした叱責を受け、注意深く修正を施した。
 いずれにせよ、書けば問題が発生する。トラブルが生じないのは何も書いていないに等しいか、もしくは匿名で逃げているに他ならない。その消息は為事に対するのと同じである。トラブルが生じないのは何も為事をしていないか、もしくは上司がうまく処理しているからに違いない。同じく、この消息は生きることにも通じている。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月14日 11:08 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

8月23日(土曜日)の19時から新装開店後、八度目のですぺらモルト会を催します。
会費は10000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はクレイゲラヒがメインで、加えるにクレッグホーン・ディスティラリーのボトルを楽しみます。クレッグホーン・ディスティラリーについては当掲示板2008年07月02日に書いているのでご参照下さい。
 
1998年、ギネス社とグランドメトロポリタン社が合併してディアジオ社が誕生、傘下のUDV社とIDV社は一つにまとまった。しかし、合併は独占禁止法に抵触。デュワーズ社と傘下の四つの蒸溜所をバカルディ社に売却。四つの蒸溜所とはオルトモーア、クレイゲラヒ、アバフェルディ、ロイヤル・ブラックラ。以降のバカルディ社のニュー・ボトルはアバフェルディのみ。
クレイゲラヒは長くホワイトホースのメインモルトだったが、現在ではデュワーズのメインモルトとなった。ディスティラリー・ボトルはなく、シングル・モルトとして出回るのは生産量の一パーセント。先頃14年ものが頒されたが、正式販売される商品ではなく、蒸溜所のスタッフ及び関係者だけに配られた限定ボトル。スペイサイドの隠れた銘酒だけに惜しまれる。
香りは非常に華やかで、フルーツの香りが濃厚。はじめにビールのホップのようなほんのりとした苦味を感じるが、アップル、ライチ、フレッシュな洋梨のキャラクター。クリーミーでバランスが良く上品な味わい。心地よい余韻が長く続く。

ですぺらモルト会(クレイゲラヒを飲む)

01 クレイゲラヒ 14年※
 14年もの、40度のディステラリー・ボトル。
02 クレイゲラヒ '89(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。12年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。360本のシングル・カスク。
03 クレイゲラヒ19年(イアン・マクロード)
 チーフテンズ・チョイスの一本。43度。
04 クレイゲラヒ '84(ハート・ブラザーズ)
 ファイネスト・コレクションの一本。15年もの、43度。
05 クレイゲラヒ '81(シグナトリー)
 オーク樽による16年もの、43度、限定410本のシングル・カスク。
06 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本にして22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
07 オーキンドゥー '82(クレッグホーン)
 13年もの、55.2度のカスク・ストレングス。232本のリミテッド・エディション。中味はタムドゥー。
08 ベルチャロン '79(クレッグホーン)
 14年もの、59.7度のカスク・ストレングス。247本のリミテッド・エディション。中味はダルユーイン。
09 グレン・クエッチ '75(クレッグホーン)
 19年もの、58.2度のカスク・ストレングス。243本のリミテッド・エディション。中味はアバフェルディ。
10 ワリゴー '81(クレッグホーン)
 13年もの、56.4度のカスク・ストレングス。250本のリミテッド・エディション。中味はプルトニー。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年08月13日 14:44 | 固定ページリンク




金子國義サイン会のお知らせ  | 一考    

日時:8月23日(土)15:30〜
会場:ジュンク堂書店池袋本店1階エントランス
同書店にて「金子國義の世界 L'Elegance」(平凡社)を買われた方限定のサイン会です。
予定は八十冊ですが、まだ残部があります。
金子國義さんのことですからサインだけでなく、宛名も書いていただけます。
サイン本購入の最後の機会です。こぞってお出掛け下さい。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月13日 09:19 | 固定ページリンク




櫻井幡雄さんのことなど  | 一考    

 「旧字の薦め」を読んで櫻井幡雄さん来店。何年ぶりだろうか、かつてコーベブックスで共に仕事をした間柄である。彼はオール関西の編輯者だった。それが思うところがあって、多田智満子さんの紹介でコーベブックスへ来られた。彼とは活字と酒の日々を過ごした。
 「旧字の薦め」で触れた冨山房や角川の漢和辞典には一部木版活字が使われている。コーベブックスの出版物はなにがあろうとも活版で押し通そうというのが彼と私とのあいだで交わされた黙契だった。一冊の書物を印刷する費用は百二十万から百五十万円ほどだったが、母型の制作代金がしばしば印刷費を上回った。正漢字の活字がなければ母型を作るしかない。母型を作るにはパターンから起こさなければならない。須永さんの本を作っていて二百ほどの母型を作ったこともある。そこまでして正漢字を揃える必要があったかどうかは問うまい。ただ、当時の私たちに不可能はなかった。今にして思えば滑稽である。否、滑稽と思われるような活字まで拵えた。
 出版物はすべて活版の直刷り、限定記号までも一字ずつ差し替えて活版で刷った。それが出来たのも彼がいたからである。製本は須川精四郎、帳簿の職人である。フランスで拵えたルリュールを何冊も持ち込んで口説き落とした。
 活字は母型屋が変わると微妙に縦横の肉厚の比率が異なる。また活字の回りの面積も微細に異なる。元活の活字が私にはもっとも気に入った。なによりも、母型を削る機械の精度が違う。精度が違えばエッジがシャープである。
 箔押しは本金しか使わない。従って通常の凸版は駄目で、当初はスーパー活字を用いた。ただしスーパー活字に旧漢字や正漢字はない。そこでスーパー活字の母型を作る。通常の活字は鉛だが、スーパー活字は超合金である。それの母型だから一般活字の数倍の金数がかかる。活字屋でどれだけの時間を費やしただろうか。編輯の仕事が油に塗れ、工作機械との睨めっこになるとは思いもかけなかった。
 スーパー活字よりさらに深い箔押しをするため、須川製本所の紹介で大阪の辻川彫刻所というところに発注し、金属板を電動ノミで彫刻してもらった。そのような話ができるのは櫻井幡雄さんを除いて他にはない。そして旧字を知れば知るほど正漢字が訝しく思われてくる。江戸期の読本に氾濫する俗字の正統性が浮かび上がってくる。櫻井さんがひとこと、「旧字の薦め」を読んで青春のなにかが終わった、というよりも肩の荷が下りたと。
 櫻井さんからのメールを無断で引用して申し訳ないが、「赤坂見附は長い間、ホロ苦い思い出の地でした。1970年6月14日、青山通から溜池方面に大きく右旋回するデモ隊列の中にいた私は「イカロスの翼」をはばたかせるどころか、いきなり両脇から機動隊員に抱え上げられて体が浮き、弁慶橋のたもとに待機していた車まで運び込まれて留置場行きとなる屈辱を味わったのです。以来、足を向けられずにいましたが、還暦を過ぎてようやく「赤プリ」に宿をとり、一考さんのお店に行くという合せ技のショック療法を敢行し、トラウマの解消に努めた」とある。文中の「イカロスの翼」は佐々木幹郎さんが展望に書いたエッセイで、彼の第一評論集「熱と理由」国文社に収められている。その幹郎さんと彼は偶然ですぺらで会った。我々はいまなお権威・権力と熱い闘いをつづけている。

 震災で櫻井さんは家も蔵書も喪った。崩れ落ち埃で埋もれた書冊のなかから三十箱ほどを選び、何時か綺麗にしようと数度の引越を共にした。已んぬるかな、湿気が黒カビを呼び開けたときには書物でなくなっていた。極度なストレス性の狭心症発作のため救急搬送されたと彼から聴いた。名前は伏せるが、某詩人、某仏文学者は震災で蔵書を喪ったあと耄けていたが、数年後そのまま死んでしまった。私はといえば、愛書家読書家といわれる人たちを爾来嘲笑っている。書物を所有することと文学とはなんの関わりもない。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月12日 19:43 | 固定ページリンク




黒豆枝豆  | 一考    

 黒豆枝豆といえば丹波篠山が名産地だが、私が引っ越してきた埼玉でも作っている。今日は群馬県赤城高原産の黒豆枝豆を見付けた。粒が大きくて莢に張りがあって旨そうである。おそらく他でも黒豆の生産に励んでいるに違いない。今日見掛けたものは早生品種であって、普通は九月から十月末までが食べ頃である。莢が黄色く変色し実が黒くなってきたものを私は好む。
 東京へ来て枝豆の湯掻き方がひどいのに気付かされた。どうひどいかというと、ゆがきすぎである。枝豆をボールにとって塩揉みする。沸騰した湯のなかへ入れて四十秒以上はやめていただきたい。本当は二十秒から三十秒といいたいところだが、家庭だと鍋が小さいので湯の温度が下がる。逆に塩分濃度が上がれば沸点も上がる。それを差し引いての四十秒である。明治、大正期に出版された京都の料理書には十五秒と書かれたものもある。
 それと湯掻いたあと、水にはつけないでいただきたい。熱いところへ塩を振って自然に冷ます。それだけで見違えるような枝豆が出来上る。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月11日 19:32 | 固定ページリンク




ウェブサイト  | 一考    

 母が逝いて、残された家族のこと、家のこと、寺のこと等々、微妙かつ煩雑な問題が生じる。そして個人情報保護法に関して家族と論争するつもりはまったくない。従って、家族の名前を掲示板へ出したことを深くお詫びする。今後、家に関する発言は一切控える、控えるというよりも書くことはない。

 随分と前のはなしだが、縊死した某作家に関する書き込みで困惑させられた。よかれと思う書き込みが人の怒りを買う。新潮社の知己からは抑制が効いていてよい文章であると云われたのだが、書いた場所(ですぺら掲示板)が悪かったらしい。ウェブサイトにはなお偏見が強く残る。おそらく匿名性と文責のなさがそうさせるようである。
 いまだに街中を銜え煙草で闊歩するような方がいる。車中からの煙草のポイ捨ては常識であるらしい。その無神経さが昨今の禁煙運動に結びついている。法律で許されているとか禁じられているというのは本末顛倒である。禁じられないような努力がなされなかった結果がいま出ているのである。今に車中での喫煙も禁じられるに違いない。
 煙草を喫むひとの無神経さは目に余る。同様にウェブサイトも今に法律で雁字搦になるに違いない。なってからでは遅いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月11日 00:05 | 固定ページリンク




お詫び  | 一考    

 湯川成一さんのお名前を湯川誠一と間違えていた。申し訳なく思う。ですぺら掲示板2に関しては遡って訂正させていただいた。
 従って2008年07月29日の「自家中毒」で書いた「湯川成一の名で検索しても当掲示板のほかには出てこない」は間違い、お詫び申し上げる。

追記
 湯川成一さんのお名前を誠一と勘違いしたのは須川製本所の二代目、須川誠一さん(精四郎さんの長男)との混同が理由ではなかろうかと櫻井幡雄さんからご指摘があった。さらに、「櫻井幡雄さんのことなど」に記憶違いならびに誤認があって書き直すことになった。櫻井さんに深甚の謝意を表したく思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月08日 23:58 | 固定ページリンク




フランスパン  | 一考    

 ヴィロン、モナ・カフェ・エ・ブティック、ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション、メゾン・カイザー、ベッカライ・ブロートハイム、ルヴァン、ユーハイム・ディ・マイスター丸ビル店、ラ・フーガス、ラ・ブランジェ・ナイーフ、プーヴー、グードファリーヌ、横浜のパン・ド・コナ、伊勢原のブノワトン、鷺沼のビゴの店、千葉のル・クール、松戸のパオ、福岡のジェラール・ミュロ、京都のたま木亭、大阪のア・ビアント本店とル・シュクレ・クール等々、バゲットやカンパーニュのようなハード系のフランスパンが旨い店である。残念なことに神戸は一軒も入っていない。
 今回久しぶりに神戸へ行って一日パン屋巡りをした。そして意気沮喪した。かつて神戸のパンは美味かった、それは私の自慢のひとつだった。フィリップ・ビゴがドンクを離れたのは1972年、その辺りから神戸のパンの凋落が徐々にはじまった。もうひとつ気付いたのが、神戸のパンは東京のそれと比して値が高い。おそらく競争がないからだろう。焼きも随分とあまくなってしまった。
 その間に東京では若手のブランジェが多く生れた。数軒のパン屋とは懇意にしていて、窯を見せていただくこともある。仕事は大変だし、労働時間は長い、しかし「意地っ張り」で書いたような理不尽な修行はない。その闊達さが若者を魅了する。
 神戸へ行く理由はまだ残されている。ただ、パン屋へは二度と行かない。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月08日 04:22 | 固定ページリンク




二風谷アイヌ文化博物館  | 一考    

 幹郎さんの友人から問い合わせがあったのでひとこと。
 白老のアイヌ民族博物館から東へ七十キロほど行くと平取町二風谷アイヌ文化博物館がある。もう少し詳しく書くと、日高本線の富川(とみかわ)駅がもっとも近く、そこから道南バスで沙流川に沿って237号線を北上、約二十分で二風谷へ到着する。
 アイヌに関心をお持ちならぜひ足を延ばしていただきたい。萱野茂さんの蒐集になるが、アイヌの民族舞踊がビデオで収録されている。夥しい量のビデオが入館料さえ払うと無料で視聴できる。私は北海道へ行くたびに必ず立ち寄るが、二日や三日ではとても見ることはかなわない。
 類似の博物館は多いが、ほとんどは生活優先で商魂逞しい。二風谷のそれは発想がまったく異なる。日本人によって滅ぼされていった民族の悲しみが咀嚼できる。博物館の機能という点では網走の北方民族博物館と双璧であろう。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月07日 03:56 | 固定ページリンク




五目焼き  | 一考    

 櫻井幡雄さんが今夜も来られるとか、三十数年前の記憶を整理するいい機会である。湯川成一さんのことを書かなければならないので、なおのこと乱れは許されない。櫻井さんのところへはこちらから取材に行かなければと思っていたのである。

 昨夜、はじめて明石焼きを造った。三度失敗したが四度目からはうまくできた。取り敢えず、メリケン粉(薄力粉)とじん粉(浮粉)の比率は四分六にした。最終的には五分五分にしなければならない。明石焼きを盛る色板がないので、たこ焼きをやめて五目にした。これが結構旨い、二、三人前なら今日もできる。作り置きができないので常備しない。ヒロユキさんがいる間だけ、事前に予約があれば造る。それにしても、一人前に鶏卵がひとつは必要である。思っていたよりも玉子を使う。
 久しぶりにミミガーの薫製を造った。ちょいとピリ辛で、ウィスキーには相応しい。こちらは櫻井さんに味見していただこう。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月06日 15:22 | 固定ページリンク




ばらソース  | 一考    

 豚饅といえば新開地の春陽軒である。ピリ辛の赤味噌が効いた味で昔からウスターソースで頂戴する。このウスターソースの癖からいまだに脱け出せないでいる。
 小学三年生の折、生れてはじめての骨折を経験した。母親から上沢七丁目の接骨医院までタクシーで行くか、それとも春陽軒の豚饅かと択一を迫られ、私は躊躇なく豚饅を選んだ。母と私のあいだに何の屈託もない時期があった。
 名物に旨いものなしで、老祥記の豚饅を私は好きでない。私に限らない、神戸っ子なら誰も食べないであろう。「タコヤキ屋三十軒」で「東京のマスコミで取上げられ、観光客が玉子焼きと蛸の関東煮を求めて列をなす店があるが、あれは明石でもっとも不味い店である」と書いたのは「本家きむらや」である。同様に、老祥記で列をなすのは何も知らない観光客である。この消息は「駒形どぜう」に至るまでなにも変わらない。
 大体が醤油と酢で豚饅を食べるなんざあ、気が狂っている。なにもつけないか、もしくはウスターソースに決まっている。大正十三年に下山手七丁目の駄菓子屋ではじまった一銭洋食(お好み焼きの走り)をはじめとして、肉天(お好み焼きの別称)発祥の地とされる六間道商店街のばらソースに至るまで、神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた。
 ライスを皿に盛ってソースをかければ西洋ライスというがごとしで、ビフカツ、ハンバーグ、カレー、コロッケ、サラダなど見境なしにウスターソースをぶっかけて食していた。逆にいえば、ウスターソースさえかければ何だって立派な洋食に化けたのである。ウスターソースの登場は明治期、マヨネーズソースの発売が大正十四年、タルタルソースはずんと遅れる。そんなところも、私のようなウスターソース好きをいたく喜ばせるのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月06日 14:08 | 固定ページリンク




切なる願い  | 一考    

 仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい。かつて定時制高校で朝鮮語の授業を受けたときにそれを痛感させられた。
 「神戸の残り香」で「成田一徹さんとは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された」と書いた。
 この三度目が定時制高校だった。県立から市立そして夜間へと、それが転校してゆく者に定められた規則だったらしい。学校名は湊川高校、当時は詩人の金時鐘さんがおそらくボランティアで教師をなさっていた。彼は1973年に湊川高校の教員になった。日本の教育史上初めて朝鮮語が公立高校で正課にとりあげられ、日本の公立高校初の朝鮮人教師になった。
 私が同校へ通ったのは1963年、彼が正規の教員になる十年前のはなしである。どうして朝鮮語の授業が必要だったかといえば、生徒の過多が在日であり、被差別階層の人だった。政府が同和対策に取り組み出したのは1969年からのことであって、当時は金時鐘さんのような無給の非常勤教師が連夜授業を受け持っていた。
 生徒の中にはいまの私ぐらいの年格好の者もいて、上下左右といった漢字すら書かれない。高校生とは名ばかりで、まず自分の名前を漢字で書くことからはじまるのである。現在では在日の大半は日本人学校へ通っている。それはそれで在日同士の結婚がかなわなくなるという別の問題を孕んでいるのだが。
 似たような不条理を私は過去にも経験している、売春防止法である。当時の女郎には次の勤め先はおろか、帰るところすらない。貧農で口減らしのために売られてきたひとたちである。帰ろうにも家にとっては迷惑なだけである。詳しくは書かないが、結果として彼女たちは警察とやくざの双方から追われる身となった。臭いものには蓋をするとの発想はオリンピックを前にした中国の現況と重なり合う。
 さて、「仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい」と書いたのは、定時制高校では蒲原有明も薄田泣菫も通用しない。通用しないことは分かっていたが、その乖離はあまりにも激しかった。私は文学にできることは何だろうかと考えた。その思いはいまなお続いている。
 文学は決して選ばれた少数者のものであってはならない。筑摩書房からかつて現代語訳の全集が上梓された。原文で読むに越したことはないが、点字訳や現代語訳がもっと古典籍にあってもよいと思う。そもそも翻訳という作業は読むという行為を簡便に済ませるための方便である。フランス語やドイツ語が分からない人のために翻訳がなされる。翻訳によって原著者に興味を抱かれた方はそれに相応しい語学を学べばよいのである。後学(本来の意味は異なるが、ウィスキーの世界では後熟という言葉が用いられる)を促すための契機といったところか。
 ところが翻訳者のなかには翻訳を日本語による創作と勘違いなさる方があとを断たない。「ブルトンやマンディアルグが日本語でものを書いたのではない」といって、自らをブルトンと相似形の学者と錯覚し、翻訳を自らの作品といってはばからなかった大先生はともかく、つい先頃、とある書物の制作依頼に預かった御仁も自らの翻訳を芸術作品と得意がっておられた。
 翻訳にもいろいろあるが、一語の訳を巡って一箇月も二箇月も考え倦ねるのは当たり前ではないか、それが翻訳という技術者の務めであって、その難儀を自慢するなどもってのほかである。「会得していて当たり前」と前項で書いたのは翻訳者の良心を示唆してのはなしである。
 象徴派の詩人の作品を翻訳するに際し正漢字歴史的仮名遣いはよいとして、出来上った書冊を繙くにどこが正漢字なのかと問い質したくなる。思うに、東京ではここまでしか揃わなかったとの言訳が続くのだろうが、それでは何故に中国、台湾、韓国、淡路の母型を探さなかったのであろうか。このようなちゃらんぽらんな不揃いな漢字でよろしいのであれば、どうして最初に私に制作を依頼したのか、不愉快この上ない。漢語の引用が多いのも気になるところである。漢和辞典の語釈ではあるまいし、分かり易く翻訳することこそが翻訳者の責務ではあるまいか。好事家の余技として看過できない高慢さを感じる。
 不快序でに、「ディヴァガシオン」に収められたバレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件等々、さまざまな批評はことごとくが文学の問題へと収斂されてゆく。マイホーム主義者のどこに「形而上学的危機」を語る資格があるというのか。「ディヴァガシオン」を持ち出すまでもなく、文章で問われるのは問題意識の有りようであって修辞ではない。満足な文章を書く、修辞に秀でた文章を著す、それはそれで大切なことである。ただ、それ以上に大事なこと、それが文章の中身でないだろうか。翻訳家といわれる人はその中身を原著者に委ね、修辞にのみ奔走する。かつての定時制高校が置かれていた位置にわが身を曝し、文学にできることは何だろうかと考えていただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月05日 16:17 | 固定ページリンク




キルケニー在庫  | 一考    

 キルケニーの在庫が跡絶えた。サッポロとギネスが責任の擦り付けあいをしていて見苦しい。もっとも、ギネスの意見自体がサッポロ経由なので、噂のいきを一歩として出るものでない。そのようなビールメーカーだから四位に顛落しもする。発言は転変するも、どうやら九月中に二回目が入荷されるようである。とんと見掛けなくなったキルケニーだが、ヒロユキさんが玉川上水から運んでくださっている。ですぺらにはもっか四十本ほど在庫があって、八月一杯はもちそうである。
 サッポロはいっそギネスの子会社としての生き残りを考えればどうか。それでなくとも、外資の禿鷹ファンドに狙われている。三菱グループの麒麟麦酒や三井系の大日本麦酒同様、ディアジオ社傘下のビールメーカーがあってもよい。ディアジオ社と関係が深いのはキリンビールだが、なぜか日本国内でのギネスビールの販売権はサッポロビールが持っている。それを利用しない手はないと思うのだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月04日 14:31 | 固定ページリンク




R100RS  | 一考    

 四輪はハンドルで乗るが、バイクは身体で乗る。ハンドルは体重移動に合わせて勝手に切れ込んでゆく。手はハンドルに添えているだけである。ところが事故を起こすと、身体はしっかりとその痛みを覚えている。この二日間、バイクに引きずられていた。腰が引けるというが、身体が引けてしまっているのである。
 戸田橋を渡って志村に親しくしているバイク屋がある。今日そこを訪れた、泣き言を並べにである。バイクは気合いだよ、貴方のようなベテランライダーならそれぐらい分かっているだろうにといいながら、玄翁のような大きな木槌を持って彼は私を追っかける。私を撲るのかと思いきや、木槌はもっか修理中の他のバイク目掛けて振り下ろされた。その一撃でなにかが吹っ切れた、走りが元に戻ったのである。
 今回は二日で終わってよかった。やがて、これが一箇月になり二箇月になり、そしてバイクに乗られなくなる。バイクに跨られるのは何時までだろうと思う。そう思うと居ても立っても居られなくなってBMWの車検を頼んだ。時速二百四十キロを遠い思い出にしてはならない。おそらく、リッターバイクに乗る最後の機会になる。今を除いて気合いが入るときはない。


投稿者: 一考      日時: 2008年08月01日 19:29 | 固定ページリンク




金子國義さんについて  | 一考    

 金子國義展へ行ってきた。足を引きずりながらであったが、あまねさんと約束していたので無理を押して出掛けた。会場は「L'Elegance」のサイン会で賑わっていた。
 如何な作品であろうとも、それは描き手の歴史観や世界観を如実に顕している。従って、詰らないものは詰らないし、詰るものは理句義のよく詰る仕掛けになっている。何を持って詰らないと云うのか、その事訳は簡単である。多くの作家や物書きは自らの美学を信じ、自らの文章を矜る。自分の体験や価値観がものをいう世界に繭籠もり、いっかな殻を開こうとしない。孤高などという障壁を大事に抱え、抱え込むだけならまだしも、その境地に安住してヒステリカルにまわりを睥睨してみせる。大尽風を吹かし己が空疎な知識をひけらかす俗人たち。彼等の言うことはことごとくが大本営発表である。文学そのものはともかく、そこから得た知識が自らの考えや生き方になんらの影響も与えていない。まるで生き方と知識とが別会計になっているかのようである。「それは小説のなかのはなしだから」とよく云われるが、そのような詭弁を人生に対しても抱いているなら悲しいことである。
 知識の反映の結果が大本営発表(欺瞞とでたらめの代名詞)では、箸にも棒にもかからない。そして、言葉に対する美意識や矜恃を持ち出すようでは未熟の謗りを免れない。会得していて当たり前で、ことさらに強弁する理由がどこにも見当たらない。美などというものはおよそ芸術にとって副弐的なものに過ぎない。浮きて流るる細波のごとき波動、振幅、屈折のようなささめきが皆目見受けられないのである。
 その点、金子國義さんは面白い、作品と人とのあいだになんら乖離がない、これは簡単に思われて大変なことである。金子さんは一見趣味の人であり、一流の美学に支えられた楽園を顕現しているようにも思われる。「L'Elegance」の文中にも「好きなものと好きなものを組み合わせるのが肝心でそこからいいものが生まれる」との金子さんの言葉が引用されている。ところが、この文章の要点は「組み合わせ」にある。思うに、彼の組み合わせはあまりにも大胆である。傍若無人と云っても差し支えはない。「そこからいいものが生まれる」と書かれているのは一見、弁証法的展開のようにも思われる。もっとも、弁証法的であろうとなかろうとそのようなことはどうでもよい。問題はかれの好奇心の旺盛さにある。彼は尻込みしない、ひるまない、作品と人とのあいだを填めるために日夜邁進する。その飢餓感に、私は旧家の今際の炎を想い起こす。
 芸術とは野放途なものである。際限やしまりがあってはならない。一切の約束事や因縁、来歴は積極的に拒否しなければならない。言い換えれば、人生に禁忌があってはならないのである。さらに大切なことは一度拒否したならば、死ぬ日まで拒絶し続けなければならないということ。金子國義さんを見ていて個の冒険者を憶う。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月31日 13:57 | 固定ページリンク




旧字の薦め  | 一考    

 一度削ったものの、問題はなかろうと思い再録する。

 昨夜、加藤郁乎さんが来店。考えてみれば郁乎さんは会津藩士の末裔、とすれば御預一千七百四十二名のなかに入っているはずである。今度機会があればと思ったが、私が家系図を繙くことは二度とない。郁乎さんと私のあいだにもきっと不思議な縁があるのだろう。
 酒井良佐、八木操利、渡邉千之助ら八十八名は高田藩を脱藩、神木隊を編成して彰義隊と合流。上野で官軍と激闘のあと、一部は会津戦争へ、一部は榎本武揚の蝦夷共和国に渡り、伝習士官隊、遊撃隊、新選組などと共に第一列士満を編制。函館戦争で神木隊は全滅する。
 「上越市史・通史編」や「浅川町史・第一巻」には寛政10年(1798年)正月、越後高田藩浅川領内で起きた百姓一揆について著されている。仕置きをしないとの領奉行の申し渡しを破り、一揆を主導した者は捕えられ打ち首になった。この浅川一揆に対する権力者側の言い分など私が知りたいことは多い。
 一級資料と云ったのは家系図そのものにあらず、一緒に綴じられた書き込みにある。江戸時代の上級管理職の苦衷のほどが淡々と綴られている。ただ、書体もさまざまにして字体はことごとくが俗字、なれば私に読み解くことはかなわない。

 思うに、美華書館に範をとった築地活版製造所や秀英舎に端を発する活字の歴史などはなしにならない。況や第二次世界大戦後に現れた正漢字なる概念など笑止千万。一点之繞と二点之繞の違いや、三画の草冠と四画の草冠の違いなどはなしを不必要に混乱させるばかりである。当用漢字、正漢字などという不毛の争いはやめて旧字や俗字を大らかに用いればよいと思う。
 正漢字を意識して用いはじめたのは塚本さんだが、当時の編輯者にとっては正漢字と俗字の区別すらつかず、みなさん諸橋大漢和をこぞって購入したものである。その塚本さんにしてからが、この漢字は冨山房の、こちらの漢字は角川のそれをと言い出す始末。何をもって正漢字とするかの定見はどこにもない。その水掛け論を私は笑止といっているのである。
 先頃、間村さんが句集を上梓されたが、その「間」には百けんのけんが用いられていた。渡辺のなべにしてからが邊が正字にして邉が俗字だとか。しかるに古文書で邊の字は見たことがない。現在の大家の姓はクワムラだが、そのクワは木が三つである。柿なども正字を用いるのはその人の勝手だが、見ていて滑稽である。
 そもそも正字の範をかつて用いられていた旧字にとるのであれば、木版を含めて印刷会社(要するに母型や版木)の数だけの漢字がある。字体が異なるからと云って、誰もそのことに不自由を感じなかったのである。返り点が付いていようがいまいが、そのようなことはどうでもよい。問題は書き文字を活字に置き換えようとした戸籍事務の電算化にある。後述する「担当者」から為の字の四点が連なっているので一にすべきだと、これは某大学の学者(名前も聞かされた)が口にしたようである。古文書を読み解くに学者では覚束ない、草書または行書などくづし文字を知り尽くしている書家の手を借りるにしくはない。書き文字をそのまま活字にしようとするから無理が生じる。

 「はなしは旧字、略字にとどまらない。渡辺の辺には六十五種類、斉藤の斉には三十一種類、佐藤の藤には十四種類、高橋の橋には六種類の異体字が謄本や住民票で用いられている。かつて当掲示板で改名について書いたが、明石の市役所で六十五種類の「辺」を見せられて愕然とした。まるで八百屋の店先で今日の「なべ」に入れる具材はどれにしましょうかと、品定めをさせられているような塩梅である。
 異体字が際限なく膨らんだ理由の半分は謄本をデジタル化するときの書き文字の判読にあり、あとの半分は官による字体の統一がなされなかったところにある。之繞の崩し字の「てん」が繋がっていればひとつ、分かれていればふたつ、といった滅茶苦茶な分類・識別が繰り返されたと担当者から聞かされた。
 国家や政府による規制の有無に対して私は意見を持たない。ただ、「りったつ」の「てん」や「そうへん」または「はね」や「かえりてん」のように、字形の異なる母型が無数に存在する理由はすべてを民間に委ねたところにある」

 とかつて掲示板で書いた。オフィシャル・ボトル同様、正字などというもっともらしい権威主義的な表記が人を狂わせる。歴史的仮名遣いはともかく、正漢字は古文書のなかにはほとんど存在しない。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月31日 12:10 | 固定ページリンク




新入荷ボトルの一部  | 一考    

 ヘヴィリー・ピーテッドの寡多録を解体して本体へ収録。新入荷ボトルの寡多録を新しくした。それに伴って寡多録の三分の一を刷り直した。このところ、ボトルの新陳代謝が目まぐるしく、二箇月に一度は寡多録を刷り直している。
 クラガンモアの17年と29年の在庫はほぼなくなったが、新規に購入した。エイコーン扱いのグレン・キース(イアン・マクロード、13年43度)とポニリ・ジャパン扱いのブナハーブン・ピーテッド(シグナトリー、10年46度)とスリーリバーズ扱いのブレイヴァル(イアン・マクロード、11年46度)が入荷した。売価は1000円から1300円のあいだ。
 ブナハーブン・ピーテッドは前回紹介したカスク・ストレングスの加水タイプ。アン・チル・フィルタード・コレクションの一本、リフィール・シェリー・バットで852本のリミテッド・エディション。ポートエレン・モルティング社のモルト(38ppm)を使用。チーフテンズにはたまに失敗作があるが、アン・チル・フィルタード・コレクションは後熟がうまく行っている。今のところ失敗作に当たったことはない。ブナハーブン・ピーテッドもすこぶる美味である。
 
 「嗜み」第二号の取材先が目白の田中屋に決まった。いよいよ栗林幸吉さんの出番である。ウィスキーとワインに関しては東京随一の酒屋である。地酒日本一の神戸のすみの酒店の先代から和泉を教わり、その和泉のワインの卸し先ということで私は田中屋を知った。もっとも田中屋で私はモルト・ウィスキーしか買っていないが。とにかく栗林さんはウィスキーに詳しい。十年前、二十年前のモルト・ウィスキーのはなしが自在にできるのは彼しかいない。
 今回は酒のためなら乾坤を賭すといわれる佐々木幹郎さんが相手である。栗林さん曰く「要は飲ませてりゃいいんでしょ。飲ませるのは得意ですよ」幹郎さんは彼となら間違いなくはなしが合う。実はさらにめずらしいウィスキーをと、三回目にはエイコーンを考えている。バーの次が酒屋、その次がインポーターで、そのまた次がボトラー、その次に蒸留所を予定している。勝手にボトラーも蒸留所も決めているのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月31日 00:04 | 固定ページリンク




自家中毒  | 一考    

 湯川成一の名で検索しても当掲示板のほかには出てこない。ある時期ある時代がウェブサイトから欠落しているのは周知だが、人の興味のありようは想像以上に偏っている。
 先日、木村さんと話していて思ったのだが、やはり出版は自己満足ではできない。自己満足を辞書で引くと「客観的評価に関係なく、自分自身にまたは自分の行為に自ら満足すること」とある。「関係なく」とあるからには「客観的評価」などどうと云うこともない。問題は「自ら満足する」にありそうだが、どのように考えても自らに満足している出版人などいそうもない。居るかもしれないが、それはよほど経済的に恵まれるか権威・権力を手にした人だろう。この経済と権威は一枚のコインの裏表のようなもので、互いに相殺し合っている。
 もしくは「自ら満足する」可能性があるのは、しかるべき対価を得た人ではないだろうか。それならば、経済活動を自らの為事としている人などは似つかわしい。銀行員から大学人、経済的貢献は少ないと思われるサラリーマン編輯者から傭われバーテンダーに至るまでがここには含まれる。
 組織に属していようがいまいが、人は大概が自分を過大評価している。よって自己満足はしていないとの声が返ってきそうだが、もともと客観的評価なんぞこの世の中に存在しない。かつて年功序列から能力給に切り換えたとき、サラリーマンの九割以上が自分の給料が上がると信じ込んだ。これなど、笑えるはなしではないか。これも嗤えるはなしだが、自分の頭が良いと思っている人の比率はなんと九十八パーセントだそうである。そしてなんらかの選民意識を持っている人は九十九パーセントを超えるそうである。間違いなく、この九十数パーセントは自ら満足している。
 どうして自己満足のはなしになったかといえば、湯川書房や南柯書局の本は原料費の段階から原価割れを起こしている。ですぺらにしてからが、十三万円(6、70年代のアードベッグ)のボトルを一杯五千円で売ると十万円にしかならない。その赤字は一杯千円ほどのウィスキーで購っている。経済の法則を無視しているが故に自己満足ではないかとの論法である。吉岡実の限定本は一冊あたり十五万円掛かったが、売価は二冊(薬玉とポール・クレーの食卓)で十五万円だった。これは金のある時に原材料の多くを購入していたからである。当然、購入していた材料費は加算されていない。死に際に帳尻が合えばそれでよいと思っている。もし死に際に間に合わなければ自死すればよいだけのはなしである。
 この辺りからはなしはアナーキーになってくる。自己満足はおろか、自己なんぞ一体全体なんぞやと云いたくなる。好きな本を好きに造って好きに死んで行く。そんな本を買う物好きは百万人に一人しかいまい。売れようが売れまいがそのようなこともどうでもよい。かわべの佃煮と共に送られてきた手紙に「龜鳴屋は自律神経に失調をきたし、長期スランプから脱け出せずにいる」と勝井さん。しかるに少々本が売れてくれればスランプはどこぞへ霧散する。そうした繰り返しのなかにわれわれはいる。経済活動でないところにわれらが寄る辺がある。されば、われわれは小児性嘔吐症、いわば重度の自家中毒患者なのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月29日 21:44 | 固定ページリンク




歪み  | 一考    

 日曜日はオートバイの修理。一日ではなにも片づかないが、取り敢えずハンドル回りを分解。フロントフォーク、ステム、ブリッジを分解して再度組み立ててみると、思っていたよりも歪みは少ない。ブリッジの三角の部分をもっとも心配していたのだが、速度を出さなければ大丈夫そうである。
 どうやら歪んでいるのはハンドル・バーのようである。それなら身体を捩って乗れば問題はない。もっとも、ひとの身体は左右シンメトリーには出来上っていない。私の場合は大本のこころが大きく歪んでいる。斜に構えて世の中を睥睨するのはもっとも得意とするところである。
 衝撃でメーター内部の電球が切れていたので取換え、純正品の3ワットが手に入らず、四輪用の1.5ワットで間に合わせる。内部には六つの電球が入っていたが、それぞれワット数が異なる。面倒なものである。しかし、夜間に視認できれば問題ない筈。
 ブレーキディスクローターの歪みは素人にはどうすることもできない。練馬の車検場の裏に研摩屋があるのは知っていたが、オートバイというだけで断わられてしまった。
 もっか、ウィンカーの入手待ち。ウィンカーが入れば取り敢えず動くのだが。

 このところ、幹郎さんのところで書き込みが続く。ミクシイの足あとが幹郎さんの友人ばかりになった。当掲示板でしか私は書き込みをしないので、マイミクになられてもなにもない。それでもよろしければマイミク歓迎である。訳知り立ての文学者や物書きくずれはうんざりだが、野放図な幹郎さんの友人なら「わたしの友人か、友人の友人でもあります」


投稿者: 一考      日時: 2008年07月29日 12:36 | 固定ページリンク




若いアードベッグを飲んで  | 一考    

 アードベッグ蒸留所の創業者はアレグザンダー・スチュアート。創設は1794年だが、その年のうちに敢えなく倒産。1815年にマクドゥガル社が再興、同社は1959年に経営が行き詰まった。以降はアードベッグ・ディスティラリーズ社のもとで生産が続けられたが、1973年にカナダのハイラム・ウォーカー社の傘下に入った。1981年から操業は停止されていたが89年に再開。1997年にグレン・モーレンジ社が買収、グレン・モーレンジ社は04年にルイヴィトン・モエヘネシーグループに買収された。
 フロア・モルティングが最後に行われたのは1976年から77年にかけてであり、80年代の閉鎖期間の後はポート・エレンが供給する麦芽を用いている。ヘビーにピートを焚き込んだ昔ながらの自家麦芽を用いたモルト・ウィスキーの蒸留は98年から。わが国では20008年7月25日に10年ものがお目見え。

 どこの蒸留所もそうなのだが、さまざまな香味のウィスキーを造り、それらを混ぜ合わせて蒸留所元詰めを発売する。従って、テイスティングもしくはブレンドをする人のセンスひとつで酒はいかようにも化ける。
 今回、アードベッグを十二種類飲んで、旨かった順に書けば、コニッサーズ・チョイス、マーレイ・マクデヴィッド、オールド・モルト・カスク、インプレッシヴ、リンブルグ、プロヴァナンスとなる。アルコール度数の違いは差っ引いている。要するにディスティラリー・ボトルは順位に入らない。敢えて申せば、加水タイプの10年ものなら入れてもよいというのが私の評価である。
 ウーガダールを飲んだときにバーベキューソースやスペアリブにつけるソースのような味が濃厚で嫌な予感がしたのだが、それが的中してしまった。前述のウィスキーと比して、なにかしらディスティラリー・ボトルには雑味が伴う。ピートのフェノール値を高めた結果だとしたら、いささか切なくなる。しかし、フェノール値の問題ではあるまい。パシフィック・カレドニアン社のアイル・オブ・ジュラ、グレン・スコシア・ピーテッド、キャパドニック・ピーティー・バレル、シグナトリー社のベンリアック・ヘヴィリー・ピーテッド、ゴードン&マクファイル社のベンローマック・ピート・スモーク等を私たちは知っている。
 上記のうち、ゴードン&マクファイル社からダンカン・テイラー社までの四種類にはやわらかさの中に、ほんのりとした煙香が漂っている。ピート香よりもさらにソルティーな味わいが強調されている。これはポート・エレンにも共通した香味で、ソルティーなポート・エレンといえばゴードン&マクファイル社のカスク・ストレングスにとどめを指す。「接着剤と含嗽(がんそう)剤を綯い交ぜたエキセントリックな臭い。塩辛く鋭角なこく。舌を刺す刺激と極めてスパイシーなフィニッシュ」といった表現はレアモルトやポート・エレン・モルティング社名義のボトルからは窺われない。ユナイテッド・ディスティラーズ社のポート・エレンはカスク由来のシェリー香が強く、旨すぎて本来のポート・エレンとは懸け離れている。
 ブレッヒンほどではないにせよ、アードベッグのディスティラリー・ボトルにはココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる。それは10年ものを除いて、アリー・ナム・ビーストからルネッサンスに至る全商品に共通している。それが蒸留所としての姿勢なら仕方がない。ゴードン&マクファイル社はアードベッグ蒸留所との契約更新がかなわなかったと聞く。されば、ダグラス・レイン社やダンカン・テイラー社のシングル・カスクを飲むしかあるまい。それにしても、リンブルグのボトルはディスティラリー・コンディションである。蒸留所のブレンダーの手が入らなければ、かくまで旨いアードベッグがボトリングされる。管理体制の刷新を強く望む。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月28日 16:17 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

7月26日(土)の19時から新装開店後、七度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11200円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はアードベッグ・ルネッサンスの発売に合わせた飲み会となります。同じ蒸留年数の6、8、9、10年ものを順次味わうことができます。序でにリンブルグのウィスキー・フェスティバルへ出品されたディスティラリー・エディションのスティルベリーヤングも加えます。
他に若いアードベッグの加水タイプ三種とプリファード・ストレングス一種、カスク・ストレングス二種、そしてアリー・ナム・ビーストを加えました。
今回は隅田川花火大会のために参加なさる方が寡なく、ゆるりとモルト・ウィスキーの話ができると思います。

ですぺらモルト会(若いアードベッグを飲む)

01 アードベッグ '90(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの11年もの、40度。
02 アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
03 アードベッグ '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン樽の9年もの、46度のシングル・カスク。
04 アードベッグ・アリー・ナム・ビースト '90※
 バーボン・カスクの16年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
05 アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
06 アードベッグ '93(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
07 アードベッグ '00(ダンカン・テイラー)
 インプレッシヴ・カスクの一本。6年もの、62.7度のカスク・ストレングス。
08 アードベッグ・ベリーヤング '98※
 ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
09 スティルベリーヤング・アイラモルト '00(リンブルグ)
 リフィール・シェリーバットの7年もの、59.1度のカスク・ストレングス。
10 アードベッグ・スティルヤング '98※
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
11 アードベッグ・オールモスト・ゼア '98※
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
12 アードベッグ・ルネッサンス '98※
 ディスティラリー・ボトルの10年もの、55.9度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年07月24日 15:44 | 固定ページリンク




出版人  | 一考    

 数箇月後のはなしになるが、湯川成一さんの出版人としての仕事について書くことになった。書くとは云っても覚束ない。私ごときになにが出来ようか。ただ、生き残りは私だけになってしまった。湯川さんへの感謝の意と出版に対する意見の最後の表明になる。

「出版人」 追記 »


投稿者: 一考      日時: 2008年07月24日 03:21 | 固定ページリンク




家系図  | 一考    

 母が死んでやはり問題になったのは家系図だった。歴代の氏名から禄高の推移まで実に細かい。苗字と書いたのは、出藍の誉れ高きが跡を継ぐものであって直系とは限らない。さらに昔は養子や養女が入り組んでい、分家が拍車をかける。とりわけ1741年11月、榊原家九代当主政永が播磨姫路藩第四代藩主から越後高田藩初代藩主へ十五万石で移封、六代を経ての戊辰戦争、また戦後の会津藩士一千七百四十二名の御預に至るまで触れられている。城代の差配の一として当然のことなのだが、一級資料としての価値を内包すると認めざるを得ない。
 榊原家は本多忠勝と並ぶ徳川四天王の榊原康政を祖とする譜代の名門だが、渡邉家が留守居頭を務めるのは1608年、流罪になった三人の家老のあとを継いでからである。詳細は歴史書や分限帳に譲るが、愕かされたのは勝海舟の執事を務めた者が家系にいたことであった。そちらの末裔は伯剌西爾大使を努めるなど三代に亘る外交官である。
 さて、私はその家系が嫌で家を棄てた。どうしようかと相談を受けても困惑する。隆さんへ渡せばとしか応えようがない。話は変わるが、今回隆さんと会って、どうして音大なのかと問い質した。聴覚能力が足らなくて芸大へは行かれないと彼は答える。何時も幹郎さんと話していることだが、二、三歳からはじめないと音楽は無理である。彼が音楽をはじめたのは小学校へ通い出してからである。無理を知るだけでも、それ自体が一つの識見であり才能である。同様に、彼は文学にも取り立てて興味を抱かない。文学は音楽と違って晩成が可能である。しかし、それにしても十四、五歳が上限であろうか。十八歳にもなってから書物をいくら読んでも身には付かない。それは単なる情報として身のまわりを擦り抜けてゆく。おそらく、隆さんの次の世代に家系図を繙いていただくしかない。
 両親の死によって、私は本籍地を高田から他へ移し、再度改名する。最後にプライヴェートなことながら、父君が亡くなられたのは2000年2月21日、寂年八十六歳。母は九十歳で亡くなった。ひとつの家がこれで跡絶える。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月23日 14:59 | 固定ページリンク




湯川書房愛惜  | 一考    

 書肆季節社の政田岑生さんにつづいて湯川書房の湯川成一さんが亡くなられた。政田さんが逝いたのが1994年6月29日、寂年58歳だった。叢書溶ける魚、水の梔子、火の雉子などは政田さんが編輯を担当し、湯川さんが装訂する。湯川さんと政田さんとは盟友にふさわしい親密な間柄だった。
 湯川成一さんは一時期、数もの出版を試みた。76年以降の数年間がそれで、77年1月に季刊「湯川」が創刊されている。同誌に郡司正勝さんや十四次新思潮の面々が執筆しているのは私のいたずらである。湯川さんは加藤周一をはじめとする「進歩的文化人」が好きで多くの著書を出版している。私は彼らの毒気のなさが嫌で、ちょっとした異議申し立てをしたまでである。
 出版社としての体裁を整えるために、元コーベブックスの川畑さんが湯川書房へ入社したのも76年末。吉行淳之介の著書などを担当し、隆さんの母親でもある。
 湯川さんと政田さんの後を継ぐ形になったのが書肆山田と小沢書店。共に戦後の数もの出版のレベルを引き上げるのに尽力したと私は思っている。政田さんと違って、湯川さんは最後までアマチュアにこだわった。レイアウト用紙を用いない。新聞紙や週刊誌から文字を切り抜き、バラ打ちよろしく貼り付けたものを印刷会社へ持ち込む。晩年は京都と大阪をやめて、神戸の創文社と須川製本所を専らにしたが、それは同社の岡田巌さんと呼吸があったからに他ならない。
 78年に私が交通事故で二百万の示談金を手にしたとき、湯川さんはそれを羨ましく思い、しばらくのあいだ交通事故、交通事故と呟いておられた。生憎と湯川さんが交通事故に合うことはなかった。湯川さんのところへ出版を志す若い方が来られた際、「ところで親御さんはいくつ山をお持ちですか」。これは湯川さんの口癖になったが、昭森社の森谷均さんを念頭に置いての話に違いない。
 とにかくに私たちは金がなかった。当時は一点の限定本を造るに二、三百万の金が掛かった。私が土方をしたり、期限切れのドッグフードや破摧された古米で五年の歳月を過ごしたのも、すべては書物の制作費を捻出するためだった。湯川さんが経験なさった辛酸は私のそれをはるかに超えていたが、それは書くまい。書いたところで誰も信じないであろう。
 光文社の古典新訳文庫は望月通陽さんの装画だが、彼がデビューしたのも湯川書房である。加藤周一詩集の箱を染めたのが最初で、「出埃及記」では彼の作品に塚本邦雄が短歌を添えている。齋藤磯雄が籠っておられた山中湖のペンション「モーツアルト」は望月さんのモーツアルトに関する作品が多く飾られている。湯川さん亡き後も湯川成一の精神的遺産のなかにわれわれはいる。(私自身、彼がいなければ出版に手を染めることはなかった。湯川さんについてはいずれ稿を改めたい)


投稿者: 一考      日時: 2008年07月22日 22:27 | 固定ページリンク




母の死  | 一考    

 当掲示板は身内の方もご覧になっていらっしゃるので一言。
 十九日十一時五十五分、母君渡辺千代子死去。通夜は二十日十八時から、葬儀は二十一日十二時から十三時。場所は山の街平安祭典会館(神戸市北区山田町下谷上字上の勝3-10、Tel.078-583-9754)。なお、葬儀は身内のみにて執り行います。香典、献花の儀は辞退申し上げます。
 家族の筆舌に尽くしがたい苦衷を察するに「相済まぬ」を繰り返すのみ。幾重にもお詫び申し上げる。今日ですぺらの営業を済ませたあと、私は神戸へ向かいます。
 それにしても、位牌の処置に困惑している。父の遺骨は宗派の異なるお寺さんへ預けたものの、家族も私も早晩お迎えが来る。その後はどうすればよろしいのか。当然のことだが、私は無縁仏を望む。戒名も墓も位牌もなにもいらない。どこかですべてを消し去らなければならないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月19日 13:24 | 固定ページリンク




赤い雨靴  | 一考    

 笹目さんが九条今日子さんと共に来店、昔話に花が咲いた。こちらでは書かれないことばかりだが、差し障りのないことのみ著す。
 東急百貨店でのタロット展初日、寺山さんが雨のなかを赤い雨靴を履いてこられた。どうして覚えているかといえば、お手伝いいただいた大泉女史も真っ赤なビニールの雨靴を履いていたからである。多量の荷物(タロットカード)に押し潰されて東京駅で立ち往生していた私を、設立間もない牧神社のスタッフが総出で手伝ってくださった。私が二十五歳の折のはなしである。
 寺山さんもタロットの蒐集家で、後年オリジナルのカードを制作された。その彼が一人目の客になろうとは予想だにしていなかった。独得のアクセントで「やあ、元気、儲かっている」が最初の挨拶で、「雨のなかをありがとうございます。儲けるのはこれからです」が私の返事。早朝から爽やかな笑顔で迎えられて、私は嬉しかった。問われるがままにタロットの説明が続いたが、他愛ないひとことひとことに秘められた彼の発想のユニークに笑い転げた。お会いした回数は少ないものの、彼の立ち居振る舞いというか造詣の非凡さ(ここでは詳細は書かない)に常に感心させられた。
 1969年夏の渋谷事件のときも私は現場にいた。アマンドから出てきた唐さんがサイドミラーに映り、車を停めたのがわざわいしたと九条さんからお聞きした。詳細は四谷シモンさんの「人形作家」(講談社現代新書)に譲るが、双方の親分通しは仲が良かったのである。演じたのは間違いなく大立ち回りだが、激怒とか襲撃ではなかったと私は思っている。あの乱闘騒ぎで天井桟敷も状況劇場も一気に全国区へ昇格したと、これは私の冗談である。
 昔は寺山派、唐派と別れていて囂しかった。私のように両方が好きな者にとってはずいぶんと肩身が狭かった。現在では九条さんは李麗仙さんと競馬仲間で、親しくお付き合いなさっている。今度馬で儲けたとき、一緒に飲みに来ましょうと仰有っていた。李さんとは澁澤さんの葬儀以来、お会いしていない。
 亡父は神戸駅前の進駐軍の米軍キャンプで働き、西宮の鳴尾へのベースキャンプ移設に伴って移った。寺山修司の母ハツさんと似た経歴を持っている。そのあたりを話したかったのだが、機会はなかった。中井さんがらみで書くことも多々あるのだが、頭で触れたように、書くことは未だかなわない。ゴシップと受け取られるのが嫌なのである。いつの日か、寺山の俳句と短歌については書きたいと思っている。
 ところで、二代目高橋竹山には寺山修司が彼女のために作詞した「さらば東京行進曲」「歌のわかれ」「せきれい心中」「紅がすり抄」などがある。小室等さんには状況劇場の思い出が深い。嬬恋村の佐々木幹郎さんの山小屋でのコンサートを楽しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月17日 16:31 | 固定ページリンク




湯川書房  | 一読書人    

ご承知のことかと存じますが、
平成20年7月11日
湯川成一様が死去されたそうです。

http://suijinsha.jugem.jp/


投稿者: 一読書人      日時: 2008年07月17日 08:57 | 固定ページリンク




お好み焼き  | 一考    

 不良の名はヒロユキ。彼がですぺらへ迷い込んできたのは先週の火曜日、もう名前を出してもよいと思う。
 彼にもっかお好み焼きを覚えていただいている。二十一日に嬬恋村の佐々木幹郎さんの山小屋で小室等と竹与こと二代目高橋竹山のコンサートが開かれる。コンサートには地元の小、中学生が多く集まる。その彼らにお好み焼きを食べさせたいと彼は云う。嬬恋村にお好み焼き屋は当然ない。彼もですぺらではじめて食べたらしい。彼の感想は旨いのひとこと。でも、それを年少者に食べさせたいとの思いは旨いとの言葉をこえて重く響く。彼のためにのみ、今日一キロのすじ肉と同量の蒟蒻を買ってきた。センチメンタルな不良にセンチメンタルに惚れたとでも云っておこうか。
 その心意気を忘れないでほしい。料理とは、割烹とはつねに人様に食していただくのが目的であり、一種の供物である。文学と同じように、自己表現が目的ではない。どんなに腕が達者でも、こころの伴わない割烹は画竜点睛を欠く。割烹にもしも目的があるとするならば、それは主人と客人とがもてなしを挿んで相対する、その会話であり対話である。例え無言であっても一向に構わない。私は彼に権威づけに奔命した本膳料理を学んでほしいとは思わない。江戸時代に入って生産が本格化する醤油の登場以降でよい。煩瑣な約束事に対する批判として生れ、簡素化され闊達を重んじた懐石だけを学んでほしい。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月17日 03:24 | 固定ページリンク




元運転手  | 一考    

 フクさん来店。大阪へ行かれてからも、変わらぬご贔屓に感謝。昨夜は日赤の方が多数見えられて店は満席だった。製薬会社の方は前店舗からの長い付き合いになる。一昨夜は前川佐美雄賞の授賞式、今年の受賞作は島田修三さんの「東洋の秋」。関係者が徒党を組んで見えられ、深夜の三時まで騒いでいらした。
 それにしても、足が痛い。今日も痛みに耐えかねて主治医のところへ出掛けた。精密検査の要ありとのことで、明日結果が出る。取り敢えず座薬を打って、ハイペン錠200mgを頂戴してきた。この種の打撲は結論が出るまでに時間が掛かる。山崎医師とちはらさんの初の対面である。ちはらさんは「一考になにかあればここへ放り込めばよいのね」と主治医の場所が分かっただけでも一安心だそうである。
 ところで顛倒の後、オイルでやられたねとは大型トレーラーの運転手の弁、見れば後輪にはオイルがべったり。大きなバンパーを避けて端へ寄ったつもりがオイルに乗り上げたのでは身も蓋もない。これで前方不注意なら、完全停車しかないのか。ちなみに後続の四輪車はことごとくが、残骸の上を乗り越えて走り去って行った。箒がないので、道を掃除したと云っても完全な除去は不可能。四輪車はバリバリと音をたてて細かいバンパーをさらに細かく砕いていた。四輪には問題にもならないことが、二輪では致命傷になる。
 私は大型二種免許を持っている。飲み屋をはじめる前はトラック運転手をしていた。それが理由で酒気帯び運転は一度もしたことがない。安全運転には人の二、三倍気を遣っている。それでも駄目なときは駄目なのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月16日 20:29 | 固定ページリンク




事故其三  | 一考    

 「心配することも許されない」とちはらさんから叱られたので、主治医のところへ出掛けた。骨と靱帯に異常はなかったが、靱帯膜の損傷は十分に考えられる、だとするならば、骨折よりも時間が掛かることもあり得る、と脅された。さらに一週間ほど様子を見ないと軽々に判断は下せないが、打撲にしては少々痛みが過ぎるようである。
 山崎医師とは久しぶりで、2006年10月の偏頭痛事件以来である。あの時紹介された南浦和の映像フェチの医師は津々として興味は尽きない存在だった。当時、「編輯は偏執に通じる。従って、なにごとによらず偏ったものに興味がある。ただし、オタクであれマニアであれフェチであれ、パラノイアやモノマニアにとどまる限り、箸にも棒にも引っ掛からない。一つのことに異常な執着をもつのは結構だが、それが人格の荒廃をきたさなければ、なんのための固執であり妄想なのかと問い質したくなる。一度偏りはじめた障害者の行き先は餓鬼偏執しかない」と書いた。
 浦和の駅前の区画整理が終わり、路地奥にあった病院が四車線の公道に面している。改めて覧ると立派な建物であり、山崎医師が一層頼もしく思われた。主治医と常に書いているものの実体は押し掛け患者である。東京へ出てきてかつての主治医とはぐれ、困惑しているときに松友さんが紹介してくださった。都立病院で三度ほど手術を施していただいたが、腕は秀でている。私は医師であれ、物書きであれ、翻訳者であれ、料理人であれ、生業のいかんを問わず腕達者が好きである。ちなみに私は口達者である、そつがあって、抜け目があって、このようなデタラメな日本語を平気で用いる脆弱さを併せ持っている。来週、四年ぶりの健康診断をお願いしたが、彼のためにしかるべきモルト・ウィスキーを持参しなければならない。

 ところで、事故の当事者が判明した。隣の町内(笹目四丁目、拙宅は三丁目)の運送会社だった。早朝に警察から、さきほど運送会社から人が見えられて挨拶があった。運送会社であればなおのこと猛省を促したい、事情のいかんを問わず逃げるのはよろしくない。あとは保険会社との交渉であって、事務的に済むのは結構なはなしである。単車の修理費を一部負担していただければありがたいのだが、どうなるかは分からない。
 書いている最中に保険会社から連絡があって、どうやら修理してくれるようである。詳細は月曜日になるが、これはありがたい。

追記
 顛倒のあと、大型トレーラーの運転手と二人で散らかったバンパーやランプの残骸を道端へ片付けた。そうこうする内に、運転手の仲間が事故現場へ到着、発炎筒を焚いたりして後続車両を誘導していた。それとひとこと云っておきたいのは、深夜に道に黒い滲みがあったとしてそれがオイルだと誰が判断できるのか。気付いたときには既に単車は宙を舞っている。あのバイパスは国道であり、故意にオイルを撒いたとなれば立派な犯罪である。
 ぶつけた側の運送会社の人が「居眠り運転をしていて」と弁護していたが、まさか事故の後まで眠り続けていたわけではあるまいに。居眠り運転のまま、バイパスから離れて細い側道へハンドルを大きく切って逃げ出したとでもいうのかしら。今回は人命にかかわらない事故だからよいようなものの、しでかしたことの後始末ぐらいは自分でつけろと云いたくなる。昨今の日本人は不始末の後、まず遁走する、逃げてしまえばまるで現場が無くなるかのようである。福岡の事件を持ち出すまでもなく、機転が利かない人とわれわれは共生している。恐怖はすぐ隣に在る。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月12日 13:43 | 固定ページリンク




意地っ張り  | 一考    

 根性、覇気、やる気、意気込み、意志力、闘志、精神力などという戯れ言を久しぶりに聞かされた。特殊な技術や知識を得たいもしくは学びたいと思うからこそ相手のいうことを甘受するまでであって、その人の人品骨柄に惚れてのことではない。特殊な技術や知識を得るに際して、上述の戯れ言を必要とするかどうかは個々の問題であって、一般論としては成り立ちがたい。「根性」が必須であれば「根性」に精進すればよいのであって、「ちゃらんぽらん」が必要な人は「ちゃらんぽらん」にひたすら励めばよいのである。
 指物師や板前をはじめとする職人から、大学や研究機関で文学なるものを教えている職人に至るまで、精神論と自らの人格の問題とを混同しているのではないだろうか。精神などというものは私には意地汚さにしか思われない。理由は後述する。
 かつて空手に通じた人から「俺が若い頃は花粉症などというものはなかった。近頃の若いものは弛んでいる」、また調理に通じた人から「俺が若い頃は暴力でもって身体に技術を刻み込まれた。近頃の若いものは甘やかされている」と。前者は戦後の林野庁の全国森林計画に対する無知を露呈しているに過ぎないし、後者に至っては人権侵害であろう。いずれにせよ、睹ざる所を以て人を信ぜざるは、蝉の雪を知らざるが若し(塩鉄論)である。
 確かに、私は撲られ蹴られて育った。昔の板前修業ではそれが当たり前だった。吸い物仕を造る、出来上るのを待っていて鍋ごとぶっかけられる。一瞬、何が起こったのかが理解できず、熱いと気付くまでに時間が掛かる。叫びにもならない「ヒェー」とのうめき。頭からホースで水を被り身体を冷やしていると、板長から「遊びに来たのか、仕事をしき来たのか」と怒声。
 仕事ができなくなるからこれ以上は勘弁してくれと土下座をして謝っても無駄である。土下座している掌を高歯で踏み付ける、指の骨が折れる音が聞こえる。包丁が飛んでくる、鍋が飛び交う、フライパンが跳び、熱湯が舞う、それでも技術を奪いたいから黙って耐える。板長の木刀が止めになって身体が動かなくなる。どうやら失神したらしい。バケツの水をかけられて、その後は精神論の説教が続く。これは映画のはなしではなく、私の体験を書いている。
 そのような世界へ若者をひとり送り出さねばならない。事情の何如を問わず気が重い、憂鬱な日々を送っている。これから彼は理不尽な世界へしばし追いやられる、そこで得るのは技術や知識といった情報でしかない。しかるに実体は誤った精神訓の洪水である。洪水を往なしはぐらかす狡賢さをまず学んでおかなければならない。そのこつは沈黙でしかない。沈黙とは動じない心である。若者に動じない心を薦めるのは一種の自己矛盾である。さて、どのように説得しようかと迷う。
 それにしても、と思う。かくまでして型に嵌まった人間を拵えてなんとする。若者には老人にはない夢があり一途さがある。歳老いたというだけでも、それは一種の権威、権力を有する。老いたる者は心しなければならない。にもかかわらず、老いたる職人は尊大になる。それが理由で、京都では素質を持つ板前がみんなフレンチやイタリアンへ逃げ出してゆく。名のあるフランス料理店の半数は板前出身者がシェフを努めている。その逆はあり得ない。わずか四、五年で割烹を遁走、そのような未熟者でも東京では西洋料理のコックとして十分に通用する。かくまで割烹の修業は苛しい、いっそ修行と呼称したい。

 右手を折られたら左手で喧嘩をする。左脚を折られたら右足を軸足にする。ドスで刺されても三分の一の血が喪われるまでは闘える。私の生への意地汚いまでの執着はそのような状況下で培われた。昨年の十月、鉄工所で左手を削った折、吹き出る血をタオルで縛って鉄板を研摩しつづけた。傷が塞がらなければ瞬間接着剤を多量に流し込めばくっついてくれる。夕方、仕事を終えて家へ戻ったとき、ちはらさんはただ呆れ返っていた。繰り返すが、そうした意地汚さが間違いなく私のニヒリズムの根幹を形づくっている。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月11日 12:53 | 固定ページリンク




顛末其後  | 一考    

 佐々木幹郎さんと高遠弘美さんのご厚情に感謝。四輪と違ってバイクは倒れるもの、致し方ございません。若いときなら平気な打ち身が前期高齢者ともなると、スプレーをかけたり湿布をしたりと大騒動になります。お恥ずかしい限りです。
 以下は自らへの誡め。已んぬる哉、昼の光で眺めるとヘルメットやサイドミラー、革靴にも大きなダメージが残されてい、ナンバープレートは辛うじてネジ一本でぶら下がっている。人の身体は自動修復装置が働きますが、バイクはそうもいかず、ヤフオクで安いバイクを探したり、出費が重むようであれば、庭に転がっているBMWを車検に出そうかと思いおる次第。
 顧みるに、車重が軽いために割れたバンパーへ乗り上げただけで単車はあらぬ方向を向いてしまう。車重があればバンパーを砕いて止まっていたのでないだろうか。ただ、今の私の体力でリッターバイクが取り回せるかどうか、何かしら心許無い。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月10日 03:31 | 固定ページリンク




事故  | 一考    

 川越街道から十七号バイパスへ曲がったところで、ホンダのミニバンが三十頓の大型トレーラーへ追突。バンパーとラジエーターを大破し、オイルを撒き散らしながら逃走。逃げた理由は酔っ払い運転と思われる。私はその後を走っていたが、割れたバンパーとオイルへ乗り上げて顛倒。時間は二時十五分。バイクは壊れ、左脚をしたたかに打った。前方に何があろうが、状況の何如を問わず顛倒は当方の責任、オイルの奴めと地団駄踏んでも後の祭り。
 パトカーが三台と近所の下赤塚の交番の警察官が出動、後者はしきりに同情してくれるが、交通警官はけんもほろろの応対だった。可哀相なのはトレーラーの運転手で、新潟まで運ぶ荷物が遅れるとかで電話対応に追われていた。私もつい先頃まで運転手をしていたので、事情はよく分かる。荷が生鮮食料品で市場への搬入が一分でも遅れるとその食料品は運転手の買い取りとなって、四、五箇月は無給になる。私が営業車の進路妨害をしないのはそうした経緯を飲み込んでいるからである。
 一時間ほど触っていて取り敢えずエンジンは掛かった。ちはらさんに迎えに来ていただいて荷物は車へ、トコトコ走って家まで辿り着いたものの、ハンドルの歪みがひどくウインカーは前後共に破損、前照灯とタコメーターは機能的には問題ないがやはり破損、右のマフラーとブレーキレバーも破損、バッグはセンター・サイド共々飛び散っている、要するにバイクは重体である。
 よって今日からは車出勤である。車は費用が掛かるので早急の対策が必要である。困った、困った。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月09日 09:52 | 固定ページリンク




金子國義展  | 一考    

 先日、あまねさんや土屋さんに誘われて酒を飲んだ。私は四時四十分に泥酔、そのまま車のなかで高鼾、その日の夕方まで死んだ振りをしていた。あえて書き置きたいのだが、気持のよい酒で久しぶりの天下太泰を決め込むことができた。またの小斟を庶幾する。
 話していて改めて思ったのだが、何を読んだの、何を書いたの、何をしたいのと、みなさん自己顕示欲に駆られているとか。私の虚言癖はつとに知られるが、これはヒステリー的性格異常者に見られる空想性虚言症であって、人がそれを真似るのは怪しからぬはなしである。掲示板にせよ、ブログにせよ、控えるべきこと遠慮すべきことがある。プライヴェートに過ぎるのはいかがなものか、プライヴェートと肉声とはなんの関わりもない。もっとも書き込みが随筆としての体を成しておればその限りでないが。
 意思、感情、思考をいま少し律するべきではなかろうか。律するを「ため(日舞などの用語)」との言葉を用いて警めてきたが、ひとさまの勝手な解釈の前では形無しである。昨今のそれは「吾落拓邪遊」に過ぎない。
 比して金子國義さんの作品には圧縮され密度が高くなった締り雪のような緊迫感がただよっている。そして、あまねさんが金子さんの展覧会の案内状を持って来られた。今回は平凡社から上梓される「L'Elegance(金子國義の世界)」の出版記念を兼ねての展覧会と聞く。期間は七月九日から十五日、場所は伊勢丹新宿店本館五階のアートギャラリー、なお、日曜日の午後四時から五時はサイン会の予定とか。ただし、同会場で書冊お買いあげの方に限るそうな。私はミーハーなので、署名を頂戴しに日曜日に行く、みなさん挙ってのお出掛けを願う。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月08日 18:32 | 固定ページリンク




料理人  | 一考    

 宛先のない小包に宛先を書き加えるに十年は掛かる。赤坂の料理屋で三年、京都の割烹で五年、仕上げに自らの創意工夫が任意の店で二年、合わせて十年になる。
 仕出しにとってもっとも大事なのは炊き合わせ、こいつが一番時間が掛かる。そうでなければ、赤坂の三年と京都の五年が逆転する。それでなくとも、既に五年が喪われている。料理人は舌が定まる前にはじめなければならない。それが理由の十五歳である。二十歳にもなった人を京都の割烹は雇わない。なにかしらの方策が必要である。後れ馳せながら、今日から不良さんの時間との格闘がはじまる。頑張ってほしい。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月08日 06:52 | 固定ページリンク




恐縮  | 一考    

不良の御託にお付き合いいただき、ありがとうございます。

マイミクさんのような哀悼の文は私には書かれません。
私にとって友であれ家族であれペットであれ、死は言祝ぐべきこと。
海辺にてひとりきりで見送るのを常としているのです。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月08日 06:25 | 固定ページリンク




他者  | 高遠弘美    

「私が受け容れる他者、それは書物だけであった」

 このお言葉、深く納得いたしました。一考さんのやうに徹底して「不良」を思想化すなはち、行為化してゐるわけでもない自堕落なわたくしですが、他者とは書物。それは幼き頃からずつとさうだつたやうな気がいたします。
さまざまに感謝をこめて。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年07月07日 21:49 | 固定ページリンク




不良つづき  | 一考    

 前項で著したように、不良を概括的に扱うことはできない。同様に文学を概括的に扱うことはできない、一般論としての文学なんぞ存在しないからである。文学は常に個別的ないしは具体的な問題を提起する。いっそ、不良を学ぶのが文学ではなかろうかと私は思っている。
 「自分も社会もくそったれ」と思いつつ、人は生き延びねばならない。人生の前半にあっては自殺を考えつつ、後半はわが身がどのようにしてこの世と別れてゆくのかを考える。あるときは悶え、周章て、狼狽え、畏れながら、死と隣り合わせに生きるのである。生れ来たものの宿命とはいえ、容易ならざることである。
 私は学校へ行かなかった。人から教わることを拒否したのだから自分で学ぶしかない。それが理由の読書だった。学研の文庫で加藤郁乎や酒井潔に託つけて私は私自身の読書論を書いた。購入なさった方には申し訳ないが、私は自分のためにのみ文章を綴る。他人のことなんざあ、私の知ったことではない。それこそ「くそったれ」である。「くそったれ」の裏返しには恐怖心が横たわっている。怖いが故の暴力にまみれた人生だった。私が受け容れる他者、それは書物だけであった。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月07日 20:18 | 固定ページリンク




Explorer 5.1  | 一考    

 mixiがExplorer 5.1に対応した。ずっと未対応だったのでNetscape 7.0.2もしくはMozilla1.3などを併用するしかなかった。昨日の深更には駄目だったので、おそらく今日明けてからだと思う。実にありがたい。これで遣い勝手がよろしくなる。ですぺら掲示板にも対応してくれると助かるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月07日 20:03 | 固定ページリンク




予定の予定  | 一考    

 ですぺらへ不良が舞い込んできた。詳細は書かないが、元不良と進行形の不良が来週からしばらくのあいだ一緒に仕事をする。従って、お通しから乾き物は徐々に減らしてゆく予定。ただし、お客の註文を受付けるのはスモークとお好み焼きだけで、他は日替わりの小鉢ものを造る。こちらも現在のところ予定のみ。一緒に仕事をするのは一箇月だけなので、フードの再開というわけではない。滅多にないが、金曜日や土曜日のような忙しいときはお断りすることもあるので、悪しからず。
 さて、元不良とは私のことで、未成年の喫煙、酒婬、登校拒否、引き籠もり、薬物乱用、銃刀剣不法所持からはじまって、最後は行き着くところまで行ってしまった。昨今、秋葉原で行き摺り殺人があった。「親が悪い、会社が悪い、社会が悪い」が犯人の捨て台詞だったが、このなかに「自分が悪い」が入っていないのが、現在の自己中心的な世相なのかと思われた。被害者には申し訳ないが、犯人はちょいと拗ねてみせただけであって、彼のような人間を不良とは呼ばない。
 私の時代に遣わなれなかった言葉に「自己責任」がある。本来、他者に対する責任転嫁をいましめる言葉なのだが、他者に対して責任を負うべき者の責任回避に利用される危険性がある(例えばイラク日本人人質事件における一部政治家の言動)。この場合、自称ボランティアの側の是非は問わない。
 言葉というものは常に相反する意味を内包する。それどころか、「自己責任である限りは何をしても良い」との逆説すら成り立つのである。それ故、誤解が生じ、あらぬ非難を被ることになる。ひとつひとつの言葉の意味ないし定義づけは個々の性格の違いに求められる。私が匿名性を非難する理由はそこにある。
 性愛構造同様、不良といっても百人いれば百通りの不良がある。要するに、不良を概括的に扱うことはできない。不良について考えようとすれば、その対象たる個人のなかに深く水準器を沈めるしか手立てはない。これは不良に限らないが。
 彼の目は尖がっている。それだけで不良入門としては申し分ないが、目が据わっただけの不良なら世の中に掃いて捨てるほどいる。これから彼を私なりに知らなければならない。思い詰める、身を焦がすといった一途さや餓えと対峙しなければならない。ひとつ気になるのは、他者に対する甘えのようなものが彼にはある。これは不良らしからぬ部分である。生きることにも為事にも恋愛にもなんにも意義なんてものはない、「自分も社会もくそったれ」が不良が持ちうるおそらく唯一の理念であり憲法でないだろうか。生きのびるために「くそったれ」と「まあ、仕方がない」のぎりぎりの攻防がはじまる。例え意義はなくとも、そのための方向性を示唆することは可能である。それが私にできるかどうかはやってみないと分からない。根競べになるが、彼が私にとって久しぶりの友になる可能性だって皆無ではない。不良、これもまた宛先のない小包である。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月07日 03:07 | 固定ページリンク




平常通りの営業  | 一考    

今日の土曜日は平常通りの営業です。私が飲みに出掛けるのは深夜の十二時からです。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月05日 02:50 | 固定ページリンク




スランジバー  | 一考    

 こちらでは書かれないが、本当に嬉しいことがあった。まずはTさんにおめでとう。五十年後に生きる同時代人に乾杯。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月04日 18:57 | 固定ページリンク




食み出た荷物  | 一考    

 シェリー香はシェリー樽ですが、バニラの甘さやクリームの滑らかさを附与するのはバーボン樽です。元々、ウィスキーの熟成にはシェリー樽が用いられてきました。昨今さまざまな樽が用いられるのはシェリー樽が減ってきたからです。世界中の人がシェリー酒を飲めば、シェリー樽の供給は潤沢になります。
 日本酒から洋酒に至るまで酒は甘いもの、というよりは甘いものほど高級品でした。カクテルは洋酒をさらに甘く飲むための調法ですし、羊羹は日本酒の肴として開発されました。ただ、世界的な傾向として、甘いものは流行らなくなりました。その端緒になったのがスモール・バッチ・バーボンであり日本のビールであり酒だと思うのです。
 ピートの効いたウィスキーが男性の飲み物で、シェリー香のある甘いウィスキーが女性のそれ、というのはまったく理解できません。そして、嗜好品であればこその棲み分けというのは何に対しても当たりません。
 あなたが女性であるとして、さらに甘いウィスキーが好きであるとして、それはあなたの嗜好であって女性一般の嗜好ではありません。6月19日の「シングルカスク」で「最初からサントリーのウィスキーとして生れてくるのではない」と書きましたが、女性は最初から女性として生れてくるのではなく、半ば強制的に女性として育てられるのだと思います。
 男女という分類、それ自体に私は反感を抱いています。世の中には男、女といった区分に収まりきらない人が多くいらっしゃいます。「茶毒蛾その二」で「昨日単独行の幼虫を発見した。毛虫の世界にまで欄外に食み出すやつがいるようである」と書きましたが、私はそうした食み出し者に共感を抱いて、当掲示板を開きました。ちなみに、食み出し者とは男女の問題に限りません。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月04日 16:38 | 固定ページリンク




ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド  | 一考    

 「本品(シグナトリー)に先行してドイツのスコッチ・シングルモルト・サークルから97年蒸留、8年もの、57.8度のボトルあり。同じくシグナトリー社のアン・チル・フィルタード・コレクションからリフィール・シェリー・バットの加水タイプがボトリングされている。共にヘヴィリー・ピーテッド」と6月5日の「新入荷のボトル」で書いた。
 昨日、栗林さんからファクシミリがあって、もう一品あることが分かった。サマローリ社の97年蒸留、10年もの、45度である。なお、九月にはジャン・ボワイエ社のベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本として43度のヘビーピートがボトリングされる。スリー・リヴァーの扱いだが、ボワイエのボトルはユニークである。
 サマローリのブナハーヴンは塩素系で、シグナトリーのそれとは香味が異なる。ピーティーな味わいではなく、市営プール(都営でないところがミソ)の水に含まれる消毒剤の臭みが強調されたものらしい。プール熱(咽頭結膜熱)やあたまじらみに注意。なお、あたまじらみに消毒剤は効かないことに留意。

 ところで、M・フォレスト氏のボトリングになるジュラ・ヘビーピート・カレドニアが入荷の予定。99〜02年の3年もの、水色ラベルは既に市場になくクリームラベルの方である。水色ラベルは60.7度、447本のリミテッド・エディション。パワフルでスモーキーなジュラだったが、クリームラベルはどうだろうか。ディスティラリー・ボトルはフェノール値40ppmのポート・エレンのモルトを使用しているが、こちらは60ppm。楽しみである。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月04日 14:48 | 固定ページリンク




残念です  | tk    

返信読みました。
ピートのウィスキーが新しく出始めたからテースティング会なのですね。
やはり男性や紳士向けの会のようで残念です。
だけれど嗜好品なのでこうして住み分けをされてしまうのも仕方ありませんね。
最近やっとこの現実も仕方のないものだと受け止められるようになりました。


投稿者: tk      日時: 2008年07月04日 09:35 | 固定ページリンク




ウィスキーの寡多録  | 一考    

 クレッグホーンについて書いていて思ったのだが、ホームページの記述はおよそ十年前、半数はそれ以前の西明石時代に書かれた。従って、すべてに亘って記述が古い、早いはなしがなんの役にも立たないのである。その間に、蒸留所は閉鎖されては新たに生れ、蒸留所のオーナーは変遷し、多くの食料品店やワイン商がボトラーとなった。なかにはブローカーがボトラーになった例もあって、その逆も現在進行中である。
 オーナーの変遷と書いたが、それに伴って夥しい数のディスティラリー・ボトルが誕生した。昨今ではディスティラリー・ボトルしか飲まないような人がいる。それはそれで構わないのだが、ディスティラリー・ボトルを頒していない蒸留所はその人にとって存在しないのかしら。ちょいと不思議な気がする。
 先日のヘヴィリー・ピーテッドのように、新たな情報はできるだけ掲示板で触れるようにしている。今だからこそ書くこともあって、いっそホームページを書き直せばよいのだが、その気力は既にない。とても一人で処理できるものではないのである。ただし、店内のカタログだけは最新のものに常に書き換えている。二週間に一度、約三分の一ずつ更新している。要は一箇月半毎にカタログは生まれ変わっている。もっとも、読まれる人はほとんど居ないが。
 情報だけならウェブサイトに濫れている。気になる人はそれらを糊と鋏でコラージュすれば済むのであろう。先日の書き込みにプラスカーデンを忘れていた。書き加えるに際し、一部字句の修正を施した。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月03日 19:02 | 固定ページリンク




クレッグホーン・ディスティラリー  | 一考    

 サマローリやムーン・インポートなど著名なボトラーのボトルは少々古いものでも手に入る。他方、いくら探しても入手が難しいボトルもある。例えば、クレッグホーン・ディスティラリーなどがそれに相応しようか。
 クレッグホーン・ディスティラリーはリバプールの元ワイン商。クレッグホーン・ヴァントナーズ社と同資本のカンパニーで、ラナークに本拠地を置き、リバプールに熟成庫を持つ。白ラベルの時代を想わせる透明の角瓶を用い、カスク・ストレングスを専門とする。このオールドボトルを連想させる角瓶を現在用いているのはキングスバリーの関連会社アベイヒルぐらいなものだろう。概してコンディションはよいが、酒名から蒸留所を判断するのはきわめて困難である。例えば、アバフェルディをグレン・クェッチ'、タムドゥーをオーキンドゥー、グレンロセスをブルイマレイ、ダルユーインをベルチャロン、プルトニーをワリゴー、ミルトンダフをプラスカーデンと名付ける。この中でなんとか連想できそうなのはブルイマレイぐらいであろうか。
 スコッチ・ モルト・ウイスキー・ソサエティのボトルにみられるヒントやエイコーンが扱う水源地シリーズなどは判りやすい。ラフロイグがキルブライト、ボウモアがザ・リヴァー・ラーガンあたりはさしずめ初級篇である。また、ダグラス・レインのクレディタブルがクラガンモア、グリーミングがグレンキンチー、タクティカルがタリスカー、ローダブルがラフロイグも消息通ならすぐ判る。ところが、クレッグホーンのボトルはひとつひとつ味見するしか手立てはない。
 クレッグホーンを取上げるのは、ここのボトルが蒸留所の素顔に近い香味を持っているからである。例えば、オーキンドゥーは色濃いタムドゥーの中にあって珍しいプレーン・タイプであり、グレン・クェッチはディスティラリー・ボトルと比してよりクリーミーにしてリッチなフレーバーを持つ。ベルチャロンは蕃椒の辛さが著しく、ワリゴーはかつてスリーリバーズが扱ったビーン・ア・チェオと似て、結構な甘口。こちらが本来のプルトニーの香味ではないかと私は思っている。
 スコッチ・モルト・セールスが扱っていたような記憶もあるが、私が知っているインポーターは武蔵府中酒類販売有限会社で、上記六種類だった。欠点はと云えば、売り出しのときの値が少々高かったことであろうか。94年から95年の販売だったが、当時税抜きで八千四百円から一万円のあいだだったと記憶する。田中屋の栗林さんと高いですねえと喋ったのを思い出す。しかし、その値も今となっては安い。どことは書かないが、某所に在庫があると聞く。当掲示板をご覧の方はしかるべき「某所」へお出掛けあれ。

追記
 ですぺらホームページではクレゴーン・ディスティラリーと表記しているので訂正する。スペルはCleghorn Distillers。ちなみに検索では孫引き以外に出てこないボトラーである。


投稿者: 一考      日時: 2008年07月02日 21:24 | 固定ページリンク




物語  | 一考    

 七月五日の土曜日に有志が集まって酒を飲むとかで愉しみにしていたのですが、新宿のナベサンは山梨のコンサート行き、数年ぶりの休みだそうです。従って、新宿はあきらめて赤坂にしましょう。
 先日、用事があってナベサンと会ったのですが、近頃近隣で飲み屋を営む方がよく来られるので、朝の八時、九時になるとのこと。それに対する彼女の意見は伺わなかったのですが、私は同業者の内で金が回るのは反対です。私のことですから、身内意識など端からないのですが、来られれば行かないといけない。そのような義理掛けがいやなのです。赤坂で飲まないのは来られると困るからなのです。親しくしている方もいるのですが、そこへは店がはじまる前に行くように心掛けています。よって、そういう心配のない赤坂亭や白木屋といった飲み屋が私が行く場所になります。ですぺらのような個人商店は避けるのが互いのためなのです。
 亡父が晩年、福原振興会の理事をやっていたので、あの世界の醜悪さは身にしみて解っています。組織のいかんを問わず、理事とか役員とかいった人たちは改革を嫌います。
 これはウィスキーの世界でも同じで、佐々木幹郎さんのように一杯のウィスキーから物語を紡ぐひとこそが酔っ払う資格を持っていると思うのです。今は情報ばかりが大事にされます。大麦麦芽がどちらの、水はどちらの、蒸留所の歴史はオーナーは、過去のボトルはと囂しいかぎりです。ボトラーは一部を除いて歴史は持たないので安心していたのですが、五年も経つと中堅で十年も経つと老舗だとか、嗤わせるではありませんか。
 「ところで、もし作品が他日を期してとりおかれ、後世になってはじめて日の目を見るとしたら、後世はその作品にとって後世ではなく、五十年後に生きる同時代人の集まりということになるだろう(プルースト・高遠弘美訳)」五十年はともかく、ここに描かれた消息はウィスキーにとっても同じである。モルト・ウィスキーほど流行りと縁遠いものもありますまい。飲む前ならいざ知らず、口に含んでしまえば、その瞬間からウィスキーは一切の情報を拒否します。
 初めてまみえた時のほのかな潔い香りや透明感に充ちた、つややかな黄金色の階調、口に含んだ時のこくとしか称しようのない物そのものの持つ甘さ、酒が玉になってコロコロと音を立てて喉三寸を通って行くきわやかな快感。酒との出会いは多くの物語を生みます。幹郎さんが著したように「シングルモルトの味と香りを語ることは人生を語ることに似ている」
 情報の量が一種の権威になるような、そんな世界が嫌になってのモルト・ウィスキーではないのでしょうか。情報は物語ではないのです。再度、幹郎さんの文章を引用する。
 「ああ、これは十四歳の不良だな、と考える。中学の上級生になって、ナイフなどを懐に入れて、粋がっている。まだ、世の中の怖さを知らない。一匹狼だが、喧嘩の仕方を知らない。春の漁港の突堤の上で、あぐらをかいて、睨みをきかせている。
 それから数年経った、同じ蒸留所のボトルと飲み比べる。ゆるやかに熟成されていて、味のコントロールもいい。スモーキーさは少し薄れているが、飲み干したあと、香りの余韻が上がってくる。こいつは優等生だな、と思う。しかし、なんとなく儚い。
 白い夏の光りが見えてくる。十六歳の夏休み。少年が帽子を被り、田舎道を歩いていく。そのとき、突然、優等生を続けるのはもうやめようか、と思った。もっと好きなことをやりたい。蝉の声がジンジン響いて、初めての自由を覚える。海の匂いが吹きつけてくる、将来は何になるのか、まだわからない」
 以前にも引用したのだが、何度でも引用したい。かつてウィスキーについてこのような文章が著されたことがあっただろうか。この文章を読んで、私は嗚咽を怺えることができなかった。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月30日 21:33 | 固定ページリンク




次回モルト会  | 一考    

 去年の六月から十二月の半年を除いて、ですぺらモルト会は2002年から毎月第四土曜日に催してきました。バニラ香はともかく、シェリー香のあるウィスキーだけのモルト会は当分開く予定はありません、悪しからず。
 次回は「差し替え」で書きましたようにアードベッグとその他のヘヴィリー・ピーテッドになります。その他は稀少なウィスキーばかりです。従って今月のモルト会とは異なり、会費はずんと高くなります。

 6月5日の「新入荷のボトル」をまたまた書き直した。オールド・バランデュランの香味についてよく分からないままに人の文章を盗作した。掻っ払ったのはよいのだが、意味不明である。昨夜、飲む機会があったので序でに全文を訂正した。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月29日 23:05 | 固定ページリンク




参加したかったのですが。  | tk    

こんにちは。
1ヶ月位前から分かっていたら参加させていただけたのですがお財布の都合がつきませんでした。
私はバニラやシェリー香のあるウィスキーが好きなのですが
甘いウィスキーは紳士はお嫌いですか?


投稿者: tk      日時: 2008年06月29日 11:34 | 固定ページリンク




第四土曜日  | 一考    

 今日はヘヴィリー・ピーテッドのですぺらモルト会。モルト会のために購入したボトルばかりである。にもかかわらず、都合悪しく、参加くださる方は過去最小の人数となった。
 木村さんはいつも後日飲まれているが、今回は遅れてのおさらいが他にも出そうな雰囲気である。店主としては力を入れてきただけに残念。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月28日 16:27 | 固定ページリンク




茶毒蛾その二  | 一考    

 ウィキペディアのチャドクガの項目には「幼虫は若齢のうちは一箇所に固まっている。数十匹が頭を揃えて並び、葉を食べていて、ひとつの枝の葉を食べつくすとまるで誰かが指揮でもしているかのように一列に並んで隣の枝に移動していく。何らかの刺激があると、思い出したように頭を上げ左右に振るのを見ることが出来る。数十匹の幼虫がいっせいに同じリズムで頭を振る姿はユーモラスだ」とある。その通りなのだが、昨日単独行の幼虫を発見した。毛虫の世界にまで欄外に食み出すやつがいるようである。「群にあつてただひとり、反対をむいてすましてる」がごとき毛虫を私は断腸の思いで殺害した。チャドクガには殺戮が相応しいが、この場合は単数であって殺害である。
 引用は達者な文章だが、問題は肉声とおぼしき「ユーモラス」にある。毛虫のダンスがユーモラスに見えるのだからよほどの虫好きと思われる。この場合、毛虫そのものに滑稽の素養があるのではなく、観察する側の諧謔的な性格が問われている。もしくは双方が完全変態ということだって有り得るのである。
 北朝鮮のマスゲームを観てユーモアを感じたとすれば、それはシンパサイザーか皮肉家に決まっているが、上述のような完全変態だとはなしは面白くなる。何も北朝鮮に限らない、オリンピックであれ国民体育大会であれ連帯感あるいは集団のもつ表現力を目的とするようなマスゲームなら結果は同じである。この消息には学生から警察官や自衛隊、もしくはスクール水着から制服美少女愛好家に至る制服組ことごとくが内包されるのかもしれない。私にとっては背広にネクタイだって立派な制服としか思われない。
 中学生のころ、体育のない日にはトレーニングパンツを、体育のある日には黒いズボンを穿くのを常としていた。これは単なる天邪鬼に過ぎないが、とにかく学校を、組織を憎んでいたことに違いはなかった。「子供の頃は生まれを理由に学校でよく虐められた。応じるに暴力をもってしたが」と「付木突き 」で書いたが、その殴り合いは丸一年にわたって休みなく続けられた。お陰で教職員から不良とのレッテルを張られ、それは転校を強いられるまで止まなかった。当時の私には同級生をチャドクガに見立てるだけの度量はなかった。もしあれば、学校がユーモラスに見えたのだろうか。
 先日、成田一徹さんが来店。彼は私がわずか一日にして放校された高校の後輩である。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月27日 12:29 | 固定ページリンク




口籠りてはきとは聞こえず  | 一考    

 鈴木さんが来られた。もっとも、新店には既に何度もお見えになっている。鈴木さんのことは書きづらい。どうして書きづらいかというと、彼が話す内容のおそらく二、三割ほどしか聞き取られないからである。すこぶる論理的な方なのだが、酔っ払った振りをして口のなかでもぐもぐ言う。ひとつには私の耳が遠いせいもあるのだが、それ以上に彼は聞き取りにくく喋る。従って、私の応答は大半が生返事なのである。それを申し訳なくも思うが、他方それでよいとも思っている。どうしてよいかというと、互いの意思表示はできていると信じているからである。
 彼の喋り方には常に曖昧さがつきまとう。そのくぐもった様子を私は半分芝居ではないかと訝っている。何故そのような疑念を抱くかといえば、彼の喋り方はかつて近しく付き合ってきた話法であって、私の記憶に深く刻みつけられているからである。本音は別なところにあって、韜晦とまではいわないが、なんとなく世の中を暈かしていたい、そのような雰囲気が垣間見られるのである。
 彼のあやふやな物言いは隠れようのない素直さと衒いのなさを示唆している。それは団塊世代固有のものではないだろうか。照れくささ、羞ずかしさ、ぶざまさ、至らなさ、きまりの悪さ、面目なさ、気後れ等々、どういってもよいのだが、基部には存在そのものへのはじらいが横たわっている。きっと彼がそのような羞恥を示すのは仕事を離れたときだけなのだと思う。私もそうなのだが、仕事の場では人品が豹変する、要するに遣り手に化けるのである。化けると書いたが、どちらが化けているのかは定かでない。ひょっとしたら仕事をしているときも離れたときもどちらもが仮装であって芝居なのかもしれない。
 そもそも含羞があればこその酔いである。酔いとは実体をさらに不確かなものにしてゆく。それは避けるでもなく逃げるでもなく、ただ曖昧さのなかに自己を意図して拡散させてゆく。きっと彼は今とは違う自分を夢見たこともあったと思う。しかし考えるに、確かな自己ほど好い加減かつ如何わしいものもあるまい。ここまで書けば、あやふやと素直さとのある種デペイズマンな関わりがお分かりいただけようか。
 おそらく、はにかみやはじらいと縁のないひとに酔いは解るまい。酔いは決して心地好いものではない、しかしここちよげに振る舞わなければならないとの宿命を背負っている。彼の酔い方はその辺りの消息を十二分にわきまえている。
 一抹の投げ遣りもしくは捨てばちな態度の底辺には他者を愛おしむこころがいつも流れているように思う。飾り気のない彼の酔態は一種の苦い愛情表現とも受け取られるのである。彼のような淋しい酔い方をするひとは目に見えて減ってきた。いなくなったわけではないが、滅法寡なくなった。なんらの迷いなく酔いつぶれるひとは自己に酔いしれている。体力にまかせて酒を呷るように飲むひとは彼を見倣うべきである。私自身、一度店を離れて心ゆくまで彼と酒を酌み交わしたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月25日 22:52 | 固定ページリンク




茶毒蛾  | 一考    

 6月5日の「新入荷のボトル」をさらに書き直した。ただし、ジュラの一部分のみ。

 5月8日に「蕁麻疹騒動」を書いた。その皮膚炎の理由がチャドクガであることが判明した。NHKのニュース番組で岡山でのチャドクガ(茶毒蛾)の大量発生が伝えられ、毛虫の姿形が大きく写されたからである。拙宅の庭に椿の木があって、同じ毛虫に葉をことごとく喰われて壊滅状態になった。あとには生け垣をはじめ至るところに数百匹の毛虫の脱け殻が残された。
 チャドクガの幼虫には、毒針毛が1匹に50、600万本あり、危険を感じると毒針毛を空中へ大量に発射して身を守るとか。 毛虫に触れていないのに毛虫に近づいただけでやられるのはそのためらしい。また、サナギの脱皮殻や殺虫剤散布後の死骸に残された毒針毛も要注意だそうである。
 椿の木は根を残して伐り捨てたが、その際にも皮膚炎が発症した。検索してみると幼虫は5、6月と8、9月に現れるとある。年二回のサイクルで発生するが、それは何としても防がねばならない。噴霧器とスミチオン乳剤を買ってきた。これからチャドクガとの格闘がはじまる。まずは伐った椿と毛虫の残骸を火に焼べることからはじまる。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月25日 06:11 | 固定ページリンク




読書  | 一考    

  昨夜ですぺらへ電話があって、「古本を扱っておられますか」「当方はショットバーです」「インターネットを見たのですが、同じ名前のバーと古本屋があるのですか」「私には分かりませんが、当方はショットバーです」「済みませんでした」との遣り取りがなされた。
 なんとなく気になるので、「ですぺら古本」で検索してみた。辻潤がいくらでも出てくるし、店の客には古書好きが多い。面倒なので頭の二頁だけでやめてしまった。その一頁目に南輝子さんが書いておられた。題して「 神戸バンビひりひり」

 http://home.kobe-u.com/lit-alumni/essey67.html

 「ひりひり感覚」はともかく、「ロクサンにピッタリくっついていた」のは事実で、「いつもロクサン家にいて、いつも本を読んでいた」のも「毎夜酔っぱらって」いたのも事実である。その理由はロクサン家には書物があったからである。私にとっては「一宿一飯の恩義」どころではない。南さんが書かれたのは私が十代の頃のはなしだが、六十歳を出た今にしてなお金とは無縁である。預金通帳には一万円以上あったためしがない。預金がないものだから入出金の手数料を何時もふんだくられている。
 文中、「三冊百円の文庫本」とあるが、私が買うのは文庫は十円、単行本は百円、そして田村書店の玄関には無料の本が山積みである。その値以上の書冊を購入するのは三年に一回二冊までと決めている。人が読む本を私は読まない。その理由は、人気筋は百円で売っていないからである。日夏耿之介から薄田泣菫、松永延造から野村隈畔、鈴木善太郎から山田一夫、そして野溝七生子などはかつては振り向く人などいなかった。だから百円で買えたのである。
 その癖はいまも続いていて、ブックオフで誰も知らないであろう本を購っている。当然百円を超える本には見向きもしない。そのような本は図書館を利用する。問題は如何に読み解くかであって、なにを読むかは私の眼中にない。どのような書物にもなにかしら引っ掛かるところがあって、そこから私の物語がはじまる。読書とはその物語であって、夢見だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月21日 20:31 | 固定ページリンク




シングル・カスク  | 一考    

 前項で「さまざまな種類のウィスキーを造らなければ、香味を安定させることはできない」と書いたが、それはディステラリー・ボトルのこと。ボトラーズ・ボトルは多種多様をあるがままに味わうのである。原材料のモルトも違えばカスクもひとつひとつ異なる。これが同じ蒸留所のウィスキーなのか、というところにモルト・ウィスキーの、シングル・カスクの味わいの醍醐味がある。
 九十年代の後半、蒸留所の多くがディステラリー・ボトルを持った。そして最近、蒸留所がシングル・カスクを扱いはじめた。これは慶賀すべきことである。ケイデンヘッドやゴードン&マクファイルの戦略を、延いてはモルト・ウィスキーの愉しみ方の原点を理解したようである。
 一方、わが国にあっては製造から販売までをメーカーが独占している。ブローカーやボトラーに類似する存在が皆目見当たらないのである。日本酒に於ける樽買いすらウィスキーの世界にはない。だとすれば、メーカーがシングル・カスクを拵えるしか手立てはない。ところが、ヴィンテージの違いはあっても、味も香りも一本調子、拍子抜けするほど穏やかなウィスキーが大半を占める。これにはわが国の水の特性が大きく影響している。わが国の水は世界中でもっともクリアなのである。軽い飲み口と加水に強い性質はそこに起因するが、ブレンダーにとっては悩ましい日々が続く。そのような状況下で山崎のヘヴィリー・ピーテッドは愕くべきウィスキーだった。
 話序でに、サントリーのウィスキーにしても、最初からサントリーのウィスキーとして生れてくるのではない。原材料のモルトはさまざまなモルトスターから提供を受けているし、カスクは実に雑多である。それらいろんなウィスキーをブレンダーがヴァッティングを繰り返してサントリーのウィスキーらしきものを拵えてゆく。なんだか、ボーヴォワールの第二の性になってきたようである。ここから先は書くまでもない。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月19日 09:28 | 固定ページリンク




差し替え  | 一考    

 6月5日の「新入荷のボトル」を書き直したので差し替えた。その後、判明したことがあまりに多かったのが理由である。

 「ルネッサンスが入荷した折、ベリーヤング、スティルヤング、オールモストゼアを含めて四種類のアードベッグの飲み比べを試みる」と書いた。そのルネッサンスの入荷日が七月の二十六日午後六時と決まった。加えるにアリー・ナム・ビーストとウィスキー・フェア用のスティルヤング等々が七月のモルト会のメニューとなる。
 アードベッグ、ラフロイグは共に高級品は十万円を軽く超えた。旧店舗閉店前に催したような六十年代や七十年代のヴィンテージの飲み会はできなくなった。オークションの悪しき影響か、売り切れから僅かに二、三年のモルト・ウィスキーが高値になる。それ故、新生アードベッグを愉しむのも一興かと思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月19日 08:22 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

6月28日(土)の19時から新装開店後、六度目のですぺらモルト会を催します。 会費は9300円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

 97年のブナハーヴン、99年のジュラ、01年のブルイックラディと続いて、これでアイラ島のすべての蒸留所がピーティーなモルトを造るようになった。他方、スペイサイドやハイランドの多くの蒸留所がピーテッド・モルトを造るようになった。なかにはベンリアックのように昔から試みている蒸留所もあるのだが。
 未入荷はトマーチンの試作品(13年ものカスク・ストレングス)とポート・シャーロット、そしてグレン・キース蒸留所で造られたクレイグダフとグレンアイラである。もっとも、ヘヴィリー・ピーテッドと名付ける以上は山崎、白州、レダイグ15年、ロングロウが仲間入りする。ヘヴィリー・ピーテッド・モルトの第二回をいずれ催したいと思っているが、クレイグダフとグレンアイラはきわめて高値のモルトなので迷っている。
 アイラモルトは仕込み水と加水に用いる水とが異なる場合が多い。その理由はキャンベルタウンのスプリングバンク蒸留所のボトリング設備を利用しているからである。ウィスキーは加水のあともう一度樽へ入れてウィスキーと水を馴染ませる。それを後熟という。後熟では水だけでなく、樽もプレーンな癖のないものを選ぶ。せっかく造ったウィスキーに妙な影響が出ては困るからである。
 ディアジオ社はその傘下に四つのモルトスターを持っているが、どのモルトがグレネスクのグレン・オードのブレチン(グレンカダム)のと飲み分けているひとはいまい。ポートエレン・モルティング社のモルトを使っているからフェノール値が高いなどということもあり得ない。モルトスターは蒸留所の指示通りのモルトを造るのである。
 それでなくとも、ポートエレン・モルティング社のモルトの値上がりによって、現在アイラでポートエレンからモルトを調達する蒸留所は減っていると聞く。そしてフロアモルティングを行っているところでも、他のモルトスターからグリストを購入する。さまざまな種類のウィスキーを造らなければ、香味を安定させることはできない。ブレンダーの技術が活かされるにはカスクのみならず、ウィスキーの香味自体も多種多様でなければならない。

ですぺらモルト会(ヘヴィリー・ピーテッドを飲む)

01 アイル・オブ・ジュラ・ヘヴィリー・ピーテッド '99※
 ヘヴィリー・ピーテッド・エディション。56.9度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。
02 ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド '97(シグナトリー)
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの9年もの、59.1度。585本のリミテッド・エディション。
03 ブルイックラディ 3D ピートプロポーザル※
 46度のディスティラリー・ボトル。
04 グレン・スコシア・ピーテッド '99※
 アメリカン・オーク・カスクの8年もの、45度。325本のリミテッド・エディション。
05 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
06 オールド・バランデュラン※
 ヘヴィリー・ピーテッド。オーク樽の8年もの、50.0度。
07 ベンリアック・キュオリアシタス10年※
 10年もの、46度。フェノール値は55ppm。
08 ベンリアック・ヘヴィリー・ピーテッド '94(シグナトリー)
 アン・チル・フィルタード・コレクションの一本。ホグスヘッドの11年もの、46度。389本のリミテッド・エディション。
09 ベンローマック・ピート・スモーク※
 46度のディスティラリー・ボトル。
10 アードモア・トラディショナル・カスク※
 2007年発売、46度のディスティラリー・ボトル。
11 ブレッヒン '02※
 46度のディスティラリー・ボトル。
12 クロフテンギア '01※
 アメリカン・オーク・ホグスヘッドの5年もの、45度。430本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年06月18日 09:44 | 固定ページリンク




付木突き  | 一考    

 削除するには淋しいものがあって、出だしを書き直してみる。
 言葉は生き物であり、時代の風俗を担っていると書いた。同じように想像は個人の生活に基盤を置く。その想像力が私は逞しい。煙は大火に、煙のないところには煙草の煙でもよろしいから精一杯撒いてくる。時には火のないところに火種を、煙のないところには煙草の燃えさしを置くことすらある。勢い余って創作することも再三である。
 奴のいうことは信用できない、のっけから割引して聞かないと間尺に合わない、思うに余談しかなくて為合がどこにもないなどとよく言われる。それらは一見正しく思われる。しかし、真実とか有用とか善悪などといった時代と添い寝するような概念を私はいかがわしいものと思っている。
 ことごとくを疑って掛かる性癖は出自と関係するのかもしれない。子供の頃は生まれを理由に学校でよく虐められた。応じるに暴力をもってしたが、それだと偏見という名の社会全体を敵にまわすことになる。それでは躯がもたないので一計を案じた。それが書物であった。
 社会全体を敵にまわしても書物の世界だと対応できる。それが私のいう想像であって解釈である。従って、私にとって文学はなによりもまず反社会であって反道徳である。文学で身を立てたい名を馳せたいなどという柔な輩は傍に寄らないほうがよいに決まっている。恋愛や友情に薄いのもそうした人倫に反する考えに則ってのことである。そして当然のことながら官学ふうをもっとも忌嫌っている。
 一事が万事で、私にはなにが結構で、なにが悪しき作品かといった価値基準がない。「化鳥は鏡花がはじめて試みた口語体の小説で、少年の一人称による内的独白の形式をとっている」にしてからが、それが正しいかどうかは私の生半可な知識では解らない。当てずっぽうに書いたまでである。そして、「哄笑に彩られたとびきり淡麗な辛口文学」で触れたが、私は文学を学問だなどと思ったことは一度もない。
 私の人生にあって、唯一縁がなかったのが学問である。職歴は三十を軽く超えるし、多くの現場を踏んできたが、勉学だけは常に避けてきた。誇大で華美な文辞を用いた駢儷体には興味があるが、勉励とか刻苦にはいささかの興味もないどころか逃げ出したくなる。学問や技術に精を出したい人は高校や大学へ行けばよろしいのであって、私は御免蒙る。
 編輯者とはいえ、それが生業たりえたのは僅かに五年、いまはひょんな偶然で、飲み屋の親父を演じているが、人生の大半は自由労働者として過ごしてきた。自由といえば聴こえはいいが、あんこう、にこよん、土方、日雇いの類いで、私の制服は長らくにっかぽっかだった。さすがに老いてからは車の運転に従事。北海道がどうのこうのと宣巻くが、実体は身体があまりにつらいので免許を取得したまでである。
 さて、新生ですぺらにも常連客がついたようである。酒はどんな無理をしてでも集めてくる。しかるに、店はいまだに勉強しない。これも勉強嫌いがなせる業か。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月17日 21:25 | 固定ページリンク




有害玩具  | 一考    

 先日、幹郎さんから「小粋」を教わった。現在のところ唯一の国産刻み煙草である。
 タバコはナス科の植物だが、煙草、丹波粉、淡婆姑などの字をあて、糸煙、相思草、返魂(はんごん)草などとも呼んだ。ちなみに草がつく名称なら、他に延命草、養気草、大平草、南霊草、思案草、分別草、長命草などともいう。相思草の相を取って、思い草もしくは忘れ草との異名もよく知られている。
 紀元前から中央アメリカのマヤ族によって用いられ、コロンブス等によってヨーロッパへ伝えられた。日本へは近世初頭に南蛮船によってもたらされた。葉巻、巻煙草、刻み煙草、嗅煙草、噛煙草などの種類があるが、わが国では刻み煙草のみが発達した。近世初頭と書いたが一般化するのは元禄以降のことで、欧州同様、伝搬にはかなり時間がかかっている。なかには煙草に対する弾圧政策で首をはねられた国王もいるが、それらは歴史書を繙かれたい。
 それにしても、刻み煙草は綿毛のように細かく柔らかい。しかし、触感の繊細さとは異なって香味はずんと辛口である。聞くところによると、香料や添加物が使われていないのはマイルドではない証拠で、両切ピースと小粋だけだそうである。
 キセルでパイプ煙草は喫まれないが、パイプで刻みを喫むのは可能である。そこで、小粋と分割される小粋用のキセル、それと小さなパイプを買ってきた。このパイプは使い捨ての玩具ですよ、と煙草屋の店主。おもちゃで結構、煙草そのものを私は有害玩具と理解している。千円以下での遊びなら耄けてみたいと常日頃から思っている。
 幹郎さんが仰有っていたが、火皿の煙草の火が消えないうちに掌に載せて転がす、その火で新しく丸めたキセルの煙草に火をつけるのが通だとか。習熟しなければできない芸当である。それよりなにより、火をつけるのが難しい。パイプならライターの火を強く吸い込む、ところが刻み煙草はそっと火を置くようにして着火しなければならない。
 私は普段はシートタバコ(葉タバコを原料として人工的に紙状に成形した模造タバコ)で巻いた安価な葉巻シガリロとパイプ煙草を喫んでいる。敷島や桔梗は知ってはいたが、嗜まないままに廃盤になってしまった。そこへ新たな玩具が加わったのである。もっか小粋に打ち興じている。
 日本各地の銘葉の芳香を生かした喫味と共に、タバコ入れ(刻みタバコの携帯容器)、タバコ盆、がちゃがちゃ煙草、タバコ休み、タバコ銭、煙管焼き、羅宇屋(羅宇のヤニ取りやすげ替えを生業とする露天商)など、さまざまな言葉が喪われてゆく。言葉は生き物であり、その消長は時代の風俗と共にある。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月17日 19:38 | 固定ページリンク




雨天  | 一考    

 今日は読みが甘かったので、ずぶ濡れになった。昼は降っていたが夕方出しなに雨はやんでいた。戸田にいて東京の雨は予測できない。晴れていたのは全行程二十二キロのうちわずか四キロ、川越街道へ出た途端に雨にひどく打たれた。池袋を通過するときはヘルメットの前方が見られない。瞬時であろうが、篠を突く雨とはよく言ったものである。思わず愉しくなって笑い出してしまった。

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ 丈夫ナバイクヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニハシッテヰル

 車は改造するものの、バイクは改造しない。改造する必要を覚えないからである。小型で百十キロ、大型で二百三十キロ、これだけ速度が出れば充分である。車を改造する理由は加速をよくしたいからである。バイクは馬力あたりの重量が車と比してはるかに少ない。マフラーを変えたところで、排気音が大きくなるだけでトルクは抜ける。目立つのはいやである。トコトコと何時も静かに走っていたいのである。

追記
 川越街道には適当な場所がない。池袋の高速道路の下へ寄り道、雨具に着替えた。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月09日 22:34 | 固定ページリンク




「長い季節」について  | 一考    

 「大言海」の猫にまつわる大槻文彦と芥川龍之介との経緯の一端は「澄江堂雑記」に書かれている。しかし、澄江堂について書きたいのではない。澄江という人から「西九州文学」なる同人誌が送られてきた。澄江と書いてすみえと読む、氏は菊坂である。彼女との面識はない、従って履歴や人柄についてなにも知らない。ただ、作品を読めばおおよそのところは推測できる。これは詩についても同じことがいえる。一篇の詩だと対処に困惑させられることもあるが、一冊の詩集となれば調法は自在になる。それだけ、張りぼての舞台裏が透けて見えてくるのである。
 (以下、簡略に突っ走る)思いを著す時、いくつかの問題が生じる。その思いがひとに伝えるに相応しいかどうか、思いが自分のなかで十二分に反芻、咀嚼されているかどうか。思いと自分とのあいだに必要な距離が保たれているかどうか。次に文章力の問題だが、これは美すなわち個人差が大きくかかわってくるので触れない。美の定義はいかなる手立てを用いても不可能だし、それに触れた瞬間からファシズムの讃美に陥ってしまう。同様に、固着した考えもファシズムの賞揚にしかならない。要は自信のなさ、定見のなさ、自らのふがいなさ、なんの役に立たない様などが文章を綴る折にもっとも求められるものである。文学とは髪のほつれのようなものと心している。
 最後に、なぜ書かねばならないのか。多くの人はこのことを深く考えない。自らの人生のある側面を書きとめておきたいといった軽い気持から、あるいは人を啓蒙したいとの尊大な気持ちから書くような人もいる。他方、作家になりたいもしくは作家と呼ばれたいといった能転気かつお手軽なひとたちもいる。そうした人たちはひとが個であることを失念している。
 書くという行為は「なぜ書かねばならないのか」ということを書き綴る、もしくは「なぜ書かねばならないのか」ということに躪り寄るためのいとなみだと思っている。先頃、知己がプルーストの翻訳を出したが、読むほどに、アルベルチーヌの浮沈も消息もさらに云えばストーリーすらがどうでもよくなってゆく。脳裏を去来するのは「なぜ書かねばならないのか」のひとことだった。ここで思うのはベケットにせよ、アルトーにせよ、根本は同じということである。

 さて、「西九州文学」に掲載された菊坂澄江さんの一篇の小説、題して「長い季節」である。文章はこなれてい、書き慣れた雰囲気すら感じさせる。しかし、起承転結にこだわるあまり安易な結論を、それもハッピーな結末を据えたところに、この小説の破綻がある。結果として身辺小説の域を一歩も脱していない。書き手が実生活に充足していて小説は書かれない。さらに云えば、書き手は書くという行為を生きるのであって、実生活や実体験に対しては背を向けるしかない。言い換えれば、想像力という自らの妄想のなかをさ迷うしかないのである。今回の小説にしても、読者が求めるのは恋愛に於ける著者の内面的な葛藤だと思う。これだけはどうあっても書いておきたかったのであれば、何もいうまい。ただ、書き手の迷いが、揺れ動く精神が見えるような作品を次回は望みたい。

追記
 「活字になったものなら読ませていただきたく思う」と書いた。それは誤字、脱字が極端に減るからに他ならない。雑誌に誤植が多い場合、それが理由で私は目を通さない。その点、「西九州文学」の校正はしっかりなされていた。
 同人誌における合評会とは辛辣極まりないものである。作品の否定にとどまらず、人間性の全否定にまで及ぶことも屡々である。存在が存在を潰しにかかる、それが同人誌の唯一の取り柄であり利点だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月08日 14:19 | 固定ページリンク




アードベッグ・ルネッサンス  | 一考    

 1980年に閉鎖を余儀なくされたアードベッグ蒸留所だが、1997年にグレンモーレンジ社が操業を再開。そのモーレンジ社自体のオーナーが移り変わっているが、アードベッグの香味にはいささかの変化もない。2004年にベリーヤング、2006年にスティルヤング、2007年にオールモストゼアと、1998年に蒸留された原酒が熟成される過程を順次ボトリング、スモーキーかつピーティーな味わいをさらに増してきた。
 オールモストゼアを継ぐ10年ものがいよいよボトリング、7月25日に限定発売される。題してアードベッグ・ルネッサンス。55.9度のカスク・ストレングスで、定価は税込みで7500円ほどになる。

 ところで、オールモストゼアの平行輸入は1万円を超えていた。その正規品が入荷したので値下げする。実はアードベッグ・ルネサンスの発売を前に、蒸留所からオールモストゼアのラストストックが出荷された。国内入荷本数は300本だが、その内の数本を入手したのである。
 なお、ルネッサンスが入荷した折、ベリーヤング、スティルヤング、オールモストゼアを含めて四種類のアードベッグの飲み比べを試みる。このようなこともあろうかと、拙宅に隠匿していたのである。ご期待あれ。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月07日 08:42 | 固定ページリンク




沈黙  | 一考    

 ガーリッシュなるファッション用語がいつごろから文芸に用いられるようになったのかは知らない。ただ出版社の標語なのであろうが、「志は高く心は狭く」の文言はすこぶる面白い。
 自分の意識だけが実在し、他の自我やいっさいのものは、自我の意識のなかで存在するにすぎないとする独我論ないしは唯我論の薦めのように思われて仕方がない。シュティルナーやウィトゲンシュタインの主観的認識論のプロパガンダであろうか、蓋し名言である。「志は高く心は狭く」との標語は妄挙、妄執、褊狭といった言葉を想い起こさせる。
 偏愛という言葉は修辞として用いるには面白いが、真面目に取り扱うようなものではない。偏愛はある種の開き直りの表明であって、もしそうでなければモノマニアを示唆するに止まる。澁澤氏が用いていたが、あのふてぶてしさがおそらく氏の唯一の魅力であった。
 モダニスム、シュルレアリスム、構造主義等々、なんでもよろしいが、そうしたラベル貼りでしか文学は理解できない(という逆説のひとつも書きたくなる)。ファム=アンファンにしてからが、籌木のようなものがきらきら輝いてくるから不思議である。
 江戸期、盲腸も結核も梅毒も死の病だったと思われる。「思われる」としたのはかかる病名が存在しなかったからである。在ったかもしれないが、なにぶん抗生物質のない時代である、照査したところで詮無いはなしである。病名のないところに病は存在しない、それが云いたいだけである。シュペルヴィエル風にいえば、ひとりの詩人が現れるまで、世界は沈黙していたとなる。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月06日 06:34 | 固定ページリンク




哄笑に彩られたとびきり淡麗な辛口文学  | 一考    

 文学は学問である。従ってまず学ばなければならない。幼少期の乱読がこれに充当する。当然、思い込みが優先され、歪な鳥瞰図が引かれる。歪であればこそ、その正当性を巡って侃々諤々の議論が巻き起こる。文学青年の誕生である。しかし、そこで踏み止まらなければならないのは、読書は古典からはじまるという点である。現代文学へ至るには相応の時間が必要とされる。時として、生きているうちに現代文学へ辿り着かれない。そこで一部の若者は手続きを簡素化する。極端なはなしが流行りの現代文学から読み始める。もしくは触りを読むだけでレッテル張りに興ずる。古典は「早わかり世界文学」の類いで間に合わせるのである。そこまでゆけば半可通が跳梁するに、あと一歩である。
 吉行淳之介が昨今読まれなくなったと聞く。それは吉行に限ったはなしでない。花田清輝も石川淳も既に時代遅れなのである。時代に取り残されては自らの存在が危うくなる。吉行を読む暇があれば、「diaries」を繙いて今様のカルチャーを学ばねばならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月05日 21:58 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 最後のロイヤル・ロッホナガー以外はヘヴィリー・ピーテッドであって、今月のモルト会用に購入した。キルホーマンはかつて紹介した。ブナハーヴン、ジュラ、ブルイックラディと続いて、これでアイラ島のすべての蒸留所がピーティーなモルトを造るようになった。
 未入荷はトマーチンの試作品(13年ものカスク・ストレングス)のみ。もっとも、ヘヴィリー・ピーテッドと名付ける以上はレダイグの15年ものやロングロウも仲間入りする。
 ところで、ごく最近モルト・ウィスキーのファンになった方にとって、前述のアイラ・モルトはいかように評価するのであろうか。私にとってはピーティーなブナハーヴンは例外として扱うしなかいのだが。
 先日もシグナトリーのブナハーヴンは旨いという客が来られたが、シグナトリーがかつてボトリングしたブナハーヴンはピートをほとんど焚いていない。これではブナハーヴンが旨いのでなく、シグナトリーが旨いのでもない。97年の585本のボトルのみが旨いということになる。当然、モルト・ウィスキーは一樽の限定品であって香味はさまざま、従って評価もさまざまでよい。同様に、どこそこのボトラーのウィスキーは旨いというのは妄言である。
 ごく一部の蒸留所を除いてアイラ・モルトは加水にキャンベルタウンの水を用いている、と客に喋ったところ、その理由を執念く訊かれた。聞きかじったままに云ったまでで、他意はない。蒸留所がどこのモルトを使おうが、どこの水を用いようが、私の知ったことではない。例えばグレン・オードは最大のモルトスターだが、モルトの出自を確認して酒を飲む人はいまい。それとモルトスターは蒸留所の要請に応じてどのようなモルトでも造る。ポート・エレン・モルティング社がやたらと有名だが、そのポート・エレンにしてからがピートを焚かないモルトも造っている。正確には蒸留所に卸すのはモルトではなくグリストだが。
 近頃、ウィスキーを学問なさっている方が多い。それはそれで結構だが、困惑させられる質問は願い下げである。私にとって酒は飲んで旨いか不味いか、ただそれだけである。この消息は文学も同じである。
 ※はディスティラリー・ボトル

 アイル・オブ・ジュラ・ヘヴィリー・ピーテッド '99※
 ヘヴィリー・ピーテッド・エディション。56.9度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。06年、600本ののボトリング。
 ヘヴィリー・ピーテッドが最初にボトリングされたのは、パシフィック・カレドニアンから頒された99年蒸留、02年ボトリングの3年もの。フェノール値は60ppm。ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリングだった。その後、同じヴィンテージの5年ものが頒されている。
 従来のディスティラリー・エディションと異なり強烈にピートを焚いている。レダイグ15年ものを想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュ。本品にはフェノール値40ppmのポート・エレンのモルトを使用。同じヴィンテージで58.0度のピーテッド・モルトも頒されている。
 二回目は08年6月26日の発売。リフィール・シェリーバットの9年もの、59.1 度、300本の入荷。仁丹、靴磨きクリームやミンクオイルの香り、歯科医で食べるポークリブの味わい。

 キルホーマン '07※
 フレッシュ・バーボン・バレルによるニュー・スピリット。熟成は49日間、62.4度。2樽のリミテッド・エディション。
 キルホーマン蒸溜所はアイラ島に2005年にオープンしたスコットランド最西の蒸溜所。現在はアイラ産の麦を自らフロアモルティングした麦芽とポートエレンの麦芽と二種類の麦芽が原料に使われている。ピートもアイラ産でフェノール値は50ppmと非常にピーティ。麦の栽培からボトリングまでのすべての工程を自社で行う。

 ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド '97(シグナトリー)
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの9年もの、59.1度。585本のリミテッド・エディション。
 ブルイックラディ蒸留所に先駆けてブナハーヴン蒸留所はヘヴィリー・ピーテッドを頒布。こちらはポート・エレンのモルト(38ppm)を使用。今ではすべてのアイ ラ島の蒸留所がピーティーなタイプのモルトを造っている。
 本品に先行してドイツのスコッチ・シングルモルト・サークルから97年蒸留、8年もの、57.8度のボトルあり。同じくシグナトリー社のアン・チル・フィルタード・コレクションからリフィール・シェリー・バットの加水タイプがボトリングされている。共にヘヴィリー・ピーテッド。

 ブルイックラディ 3D ピートプロポーザル※
 46度のディスティラリー・ボトル。
 1989(5ppm)、1998(25ppm)、2001(40ppm)の三種類のモルトをヴァッティング。ちなみに、カスクもリフィールシェリー、リフィールバーボン、フレッシュバーボンとそれぞれ異なる。結果としてブルイックラディ蒸留所初のピーティーなモルト。本品はやや物足りなさを感じるものの、この2001年蒸留のモルトがやがてポート・シャーロットへと結実してゆく。
 94年蒸留のブルイックラディ、01年蒸留のポート・シャーロットとアイリッシュをヴァッティングしたフェノール値18ppmの「ケルティックネイションズ」もある。
 ブルイックラディではポート・シャーロット、ロッホ・インダール、オクトモア(未頒布、80ppm)と呼ばれる三種のヘヴィリー・ピーテッドを造っている。現在、かつてのロッホ・インダール蒸留所の建物にインヴァーレーヴン蒸留所の設備を移設してポート・シャーロット蒸留所の名前で蒸留所を開くプランが進行中。アイラ島の蒸留所がまたひとつ増える。

 グレン・スコシア・ピーテッド '99※
 アメリカン・オーク・カスクの8年もの、45度。325本のリミテッド・エディション。
 同じピーテッドに00年蒸留06年ボトリング、45度、350本のエディションもある。共に美味。
 最近はピートを深く焚き籠めたモルト・ウィスキーが増えてきたが、その魁をなしたのがスプリングバンク蒸留所のロングロウ。グレン・スコシア蒸留所はもっかスプリングバンクが操業を手伝っているので、ヘヴィリー・ピーテッドを造るのはお手の物である。

 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
 ヒビテン液(洗浄剤)のような不思議な香りはなく、スペイサイド特有の西洋梨や完熟林檎の馥郁たる香りを伴った辛口。その方がよほど不思議である。キャパドニックのヘヴィリー・ピーテッドは現在のところ本品のみ。
 グレン・グラントの第二工場として1898年創業。その後長い間閉鎖され、1965年に再操業。シーバス・リーガルの原酒として使用されているため、シングルモルトのディスティラリ・ボトルは現在なお発売されていない。グレン・グラントと同じ仕込み水や麦芽を使っているのに味わいは異なる。

 オールド・バランデュラン※
 ヘヴィリー・ピーテッド、オーク樽の8年もの、50.0度。
 トミントール蒸留所で仕込まれた初のヘヴィリー・ピーテッド、熟成年数や蒸留年の記載はない。オーク樽8年の記述はウイスキー・マガジン56号に基づく。
 ヘザーの煙と癖の強い柑橘系の香り、どことはなしに甘酸っぱさが感じられる。スモーキーかつピーティーなフィニッシュ。
 現オーナーはアンガス・ダンディー社で、トミントールの他グレン・カダム蒸留所を所有。オーナーが変わったのが2000年、その折に試験的に少量生産された。ちなみに、バランデュランはマザーウォーターを採る川の名。
 他ではジャン・ジャック・ウィバース社から60.7度のカスク・ストレングスが、イアン・マキロップ社から62.1度のカスク・ストレングスが頒されている。共に2001年蒸留、2005年のボトリング。

 ベンリアック・キュオリアシタス10年※
 10年もの、46度。フェノール値は55ppm。
 シグナトリー社のボトルにはない苦みが感じられる。通常のボトルと比してかなり辛口。
 2004年に、バーン・スチュアート社の前オーナーだったビリー・ウォーカー氏が中心となってペルノ・リカール社から蒸留所を買収。現在はアンゴスチュラ・グループの傘下。ノン・ピートからヘヴィリー・ピーテッド、そして様々な樽を用いたダブル・マチュアードをボトリング、積極的にシングルモルトを商品化。
 ピーティーなモルトとして本品の他「オーセンティカス」「オロロソ・ピーテッド」などが頒されている。

 ベンリアック・ヘヴィリー・ピーテッド '94(シグナトリー)
 アン・チル・フィルタード・コレクションの一本。ホグスヘッドの11年もの、46度。389本のリミテッド・エディション。
 キュオリアシタスと比して柑橘系の香り高く、さらに嫋やかな味わい。
 ドナート社とゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスから40度のボトル、他ではダンカン・テイラー社のピアレスから長期熟成のカスク・ストレングスが頒布されている。コニッサーズ・チョイスは古く、69年蒸留のいわゆる白コニの時代からボトリングされている。インデペンデント・ボトラーのボトルが極端に少ないが、シグナトリー社とダグラス・レイン社はかなり樽を持っている。
 ヘヴィリー・ピーテッドとして本品以外にもジャン・ボワィエ社からピーティーバレルがボトリング。1994年蒸留の12年もの58.1度が樽ごと輸入され、伊勢丹限定でボトリングされている。

 ベンローマック・ピート・スモーク※
 46度のディスティラリー・ボトル。
 本品にはベンローマック特有の茗荷を思わせる苦みがなく、美味。
 スペイサイドでもっとも小さい蒸留所ベンローマックからヘヴィリー・ピーテッドがリリース。フェノール値55ppmの麦芽を原料に2000年に蒸留、2007年にボトリング、生産本数は6000本の限定品。
 フェノール値とは麦芽に炊き込まれたピートの度合いを測る指標。ボウモアで平均22ppm、ラガヴーリンやラフロイグで35から40ppmといわれており、本品の55ppmという数値はアードベッグに匹敵する。
 他では、ベンローマック蒸留所が1940〜50年頃に造っていた原酒を再現した繊細で品の良いピーティーなモルトをオーナーのゴードン&マクファイル社がボトリング。ベンローマック・トラディショナル40度がそれである。

 アードモア・トラディショナル・カスク※
 2007年発売、46度のディスティラリー・ボトル。
 雑味のなさはヘヴィリー・ピーテッドも同じ。癖なく破綻なく飲みやすい、要するに少々物足りなさを感じる。
 十九世紀の伝統的な製造方法を再現したとされるトラディショナル・カスクは、ピートを焚き込めた麦芽を使用し、通常サイズのアメリカンオークで熟成後、バットの四分の一サイズの樽に移して後熟。一回り小さな樽に入れることで、結果的に樽の個性がより深くウィスキーに浸透する。ラフロイグやグレンファークラスに同種のクオーター・カスクがある。
 ウィスキー・エクスチェンジ社からヘヴィリー・ピーテッドが頒されている。94年蒸留の11年もの、リフィル・バーボン樽での熟成、289本のリミテッド・エディション。

 ブレッヒン '02※
 46度のディスティラリー・ボトル。
 バーガンディー・カスクの4年もの46度。900本のリミテッド・エディション。エドラダワー蒸留所のセカンドラベル。
 ブルゴーニュはコートドールのバリックと呼ばれるオーク樽由来の複雑な香味。パヒューム香の替わりにゴムの臭い、フェノール値が高く薬品臭が強い。ボディは厚く、ココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる。慣れるのに時間がかかるモルト・ウィスキー。
 と書いたのだが、五箇月ぶりに飲んで愕かされた。封開け時と違って香味にまとまり有り、ずいぶん美味くなった。

 クロフテンギア '01※
 アメリカン・オーク・ホグスヘッドの5年もの、45度。430本のリミテッド・エディション。
 アイラ系の鼻を突き抜ける鋭さはなく、ピートやスモーキーフレーバーは口腔にゆっくりと拡がる。ピカールのような錆落としの臭い、白酒や茅台酒を思わせる味わい、蒸留所特有の湿った土の匂い、そして強烈な塩辛さが特徴。
 ロッホ・ローモンド蒸留所は型の違うポットスチルやピートの乾燥度合を変え、様々な原酒から四種類の銘柄をボトリング。インチマリン、オールド・ロスデュー、ロッホ・ローモンド、クロフテンギアである。
 ヘヴィリー・ピーテッドなモルトはクロフテンギアで、ディスティラリー・ボトルに先行する形でSMWSから12年ものが、2004年「ウイスキーマガジン・ライブ東京」の記念ボトルが204本それぞれボトリングされている。

 ロイヤル・ロッホナガー '91(シグナトリー)
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・カスクの16年もの、58.3度。640本のリミテッド・エディション。
 カスク・ストレングスはレアモルトと本品のみ。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月05日 21:30 | 固定ページリンク




酒の肴  | 一考    

 吉行淳之介が最近は人気がないらしい。その理由を書けとの仰せだが、それは吉行に限ったことではない。わが国では物故作家はあっけなく忘れ去られる。それに対して理由などいくらでも書けようが、書いてみたところで詮無いはなしである。大方は書物を繙くに鳥瞰図を自ら拵えない。
 「東西の文学運動の類似点もしくは時代の要請に関して、再考し何度でも整理し直すひとが現れてほしい。例えば、ヌーボーロマンやアンチロマンはフランスで生まれた文学運動だが、作品として花開いたのは吉行淳之介の「砂の上の植物群」以降の作品、とりわけ「夕暮まで」が呼応すると思っている。・・・「夕暮まで」とその後の「鞄の中身」はすぐれて実験的な小説だった」
 と先日書いたが、世間一般はそのような理屈には斟酌しない。好きだから読む、琴線に触れなければなにひとつ読まない。例えば、少年小説、探偵小説、私小説、幻想小説、写実主義小説、童話、口語文体の実験等々、多くの文学は硯友社を源とする。では、尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、巌谷小波、江見水蔭、大橋乙羽、川上眉山、広津柳浪、さらに紅葉門下の泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声をいかほどの人が読んでいるのだろうか。せいぜいが鏡花の一部しか繙いていないのではなかろうか。それらは文学を学ぶに基本図書といわれるものばかりである。読まずに文学を語ろうとする。だから、ですぺらはモルト・バーなのである。
 「読まれない」理由を書くと腹立たしくなるだけである。生憎心は酒を不味くさせる。それが嫌で新宿へ飲みに出掛ける。先週の土曜日も、水道管から泥鰌が出てきたとのニュースがあった。新宿なら即座にボリス・ヴィアンの「日々の泡」が返ってくる。もっとも、ヴィアンなら水道管から鰻だが。泥鰌と鰻とどちらが旨いか、そこで一頻りはなしに花が咲く。それが酒の肴である。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月02日 23:09 | 固定ページリンク




キルケニー入荷  | 一考    

 キルケニーが先月の三十日から入荷している。美味だが、飲み方にちょっとしたコツがいる。大きめのグラスに全量をゆっくり注がないとフローティング・ウィジェットが活かされない。その点はギネスと同じである。もっとも、ギネスが造るビールなのだから当たり前である。酒屋での人気はいまいちだが、それは味に慣れていないからであって、生と比してなんら遜色はない。
 ですぺらでは切らさずに置くつもりだが、聞くところによると、どこぞのスーパーと提携したのが理由で、一般業務店は六月二十日までは自由に入らないらしい。キルケニーがスーパーで売れるとは思わないが、営業の考えることは分からない。サッポロで一度ビールの講演をしたが、会社に都合のよい情報だけに限定された。あのような講演は真っ平御免である。


投稿者: 一考      日時: 2008年06月02日 22:14 | 固定ページリンク




血について  | 一考    

 おそらく、野溝七生子をもっともセンシブルに描いたエッセイを著したのは種村季弘でなかったか。

 野溝七生子という作家が、都内のさるホテルの一室にもう十数年も終身亡命者のようにひっそりと暮らしていると聞いたのはいつの頃のことだったか。ひょっとするとそれは、私の記憶違いかも知れない。けれどもかりに記憶違いでないとすれば、いかにも『女獣心理』の作家にふさわしい生き方ではあるまいか。大隠住朝市、小隠住丘樊。どれだけ奥深い山林に入っても、そこがしめっぽい風土と地続きであるならば、すでにして隠遁の尻は割れてこれ見よがしのナマ法師が顔を出す。さもあらばあれ、俗塵の只中に空中に吊るした鳥籠のような一室がビル街に宙吊りになり、そこにその人が棲っているのならば、この地面に根づかない箱ほど彼女にふさわしい空間はあるまい、と考えたのである。もっぱら通り過ぎる人のために作られたその部屋はあらかじめ風土から疎隔されており、大地との接触を禁じられているからだ。
 ありきたりのシングル・ベッドを置いた何の変哲もないシングル・ルームが目に浮ぶ。しかし一旦そのなかに純粋な魂がはたらきはじめると、この部屋は化学実験室のようなものに変容するはずだ。そこでどんな化学実験が行われるか。いささか古風な、いまではもう誰も見向きもしなくなっている「対立」という名の実験である。白と黒、童貞と淫蕩、幾何学的知性と非合理、純潔と本能のような、クレロ・オスクラのくっきりと目にあざやかな命題と反対命題とが、一瞬のうちに結合され、攪拌され、みるみる宇宙大の渾沌と化して、さて、その渾沌をたぎらせたビーカーから卵のようにぽんと生み出されたのは、ファウスト博士のホムンクルス。いや、あの不思議にあえかにもはかなげな野溝七生子のファム=アンファンたちである。(「アリアドネーの子ら」種村季弘)

 林礼子さんはこの文章がことのほかお気に召したようである。平成元年二月、名古屋の今池ヘルス通りに独りの部屋を持った彼女はその僑寓をしばしば「鳥籠」と呼んでいる。また、「希臘の独り子」所収の「なめし革の鞭の下で」では、種村さんに倣って野溝七生子の短編「往来」を繙いている。
 「私の中にある生きることへの躊躇は誰から習ったのだろうか。・・・口をひらくたびに誤解をうみ、周囲との不調和に苦しむことが多い。これは私には、野溝一族に流れる血のなせることのように思われるのであるが・・・」と林さんは著す。「幼い頃にうけた父親のなめし革の鞭の痛さ」すなわち現実からの逃避が底辺にあって、「人生は苦悩と悔恨の堆積にほかならない」としながら、一方で父系制社会そのものである血筋から抜けられない。こうした撞着に林さんも取り憑かれていたようである。
 野溝七生子や林礼子に限らない。名前を書きたくないので匿名にするが、前項で触れた「ガーリッシュな私小説の系譜」に属する作家たちは総じて血筋を一大事と捉える。「風土から疎隔されており、大地との接触を禁じられている」のであれば、率直に個としての自己を認め、自らを解放すればと思うのだが、そうはいかないらしい。私も彼女たちから「あなたの血筋にはどのような作家が輩出されているのですか」との質問を幾度となく訊かされた。思うに、これほど傲慢かつ無礼な質問はあるまい。しかしながら、彼女たちに悪意はない。善意に則った上からの、お仕着せの問い掛けなのである。上意にもとずく好意では誤解や不調和が生じるのは当たり前である。言っておくが、林さんのことを書いているのではない、某作家のことである。

 種村さんは誰も見向きもしなくなった二項対立がもたらす渾沌と書く。カオスを相容れないものとして忌み嫌った種村さんであれば、上記文章を素直にオマージュとして読むことはできない。二重、三重の絡繰りがありそうである。「くっきりと目にあざやか」であればこそ、これはもう疑ってかかるしかないのである。いや種村さんなら、あるがままに書いたまでだよ、としらばくれるに違いない。実は種村さんが「アリアドネーの子ら」を書いた83年末、彼と新橋の中華料理屋で酒を酌み交わした、それも一度ならずである。その折に「異形もひとつの形だし、血もある種の風土だからね」と聞かされた。野溝さんが住んでいたのは新橋の第一ホテル、中華料理屋のすぐ傍だった。そのホテルへは矢川さんに連れられて何度か行ったことがある。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月30日 12:06 | 固定ページリンク




開店時間  | 一考    

 お名前は書かないが、昨夜も客に迷惑をお掛けした。せっかくいらしたのに店が閉っていたのである。これから梅雨を迎える。従って再度繰り返しておく。
 普段は六時に店へ出るように心掛けているが、雨降りはそうもいかない。雨天は車で出勤しているが、理由があって麹町の駐車場を利用している。そこは六時半からしか利用できない。駐車場から店まで歩いて十五分はかかる。それゆえ、雨天の開店は六時五十分になる。こちらの都合で申し訳ないのだが、費用節約のため、ご協力をお願いする。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月30日 11:18 | 固定ページリンク




同時代に生きる幸ひ  | 高遠弘美    

 ピンポンのやうで申し訳ありません。
 あの四葉の、プルーストのタイプ原稿の写真についてひと言のみ。あれは原書ではばらばらに配されてゐます。それをページ数との絶妙な調整とともに、あそこに入れてくださつたのはひとへに光文社古典新訳文庫編集部の方々のお力です。ぴつたりページが合つたときには、わたくしも感激いたしました。

 一考さんや駒井編集長以下光文社古典新訳文庫編集部の方々、また温かきお言葉を拙訳に寄せてくださつたすべての方々と同時代の空気を吸つてゐることに限りない喜びを感じてをります。


 追記
 タイプミス「わくしの」を「わたくしの」と訂正してくださつてありがとうございました。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年05月28日 00:54 | 固定ページリンク




後世ならぬ同時代の友へ  | 一考    

 全374頁の内、本文はほぼ半分の191頁。しかも口絵が真ん中に挿入されるという奇想に充ちた一本でございました。なかでも圧巻は訳者前口上、語り手とアルベルチーヌの関係にとどまらず、「その連想や比喩、分析や思考の道すじはときに、すんなりと頭に入らないことがあるかもしれない。その場合はもう一度反芻しながら、ゆっくりと読み進めることをお薦めする。文体上の複雑さは作品が晦渋であることを意味しない」
 プルーストを読むうえで大いなる示唆を得ました。こちらこそ感謝いたしております。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 23:10 | 固定ページリンク




感謝いたしてをります  | 高遠弘美    

 後世ではなく、同時代にあつて、これだけ今回の仕事を評価してくださる方がいらつしやるといふことがどれほどわたくしを励まし、叱咤激励し、鞭撻してくださることでせうか。
 そして、駒井さんをはじめ、光文社の方々が拙訳「消え去つたアルベルチーヌ」に注いでくださつた愛情と熱意に、わたくしは心から打たれて、感謝申し上げてをります。
 今回ほど、拙訳に対して忝ないお言葉を頂いたことはありませぬ。これも三十六年近く、わたくしの人生の支へとなつてきてくれたプルーストのお蔭です。
 一考さん、駒井さんをはじめ、すべての方々に感謝いたします。
 ありがたうございました。これからも精進いたします。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年05月27日 22:19 | 固定ページリンク




鏡花の俳句  | 一考    

 「わが恋は 人とる沼の 花菖蒲 泉鏡花 意味」での検索が一昨日あった。この句の意味を検索したところでなにも出てきはしない。検索するのなら、それは自らのこころの内側である。索引で語を検索できても、文学は検索できない。なぜなら、文学とは文学するこころであって、情報ではないからである。ウェブサイトに文学にまつわる情報は顛がっているかもしれないが、文学とはついにウェブサイトとは無縁である。
 ここで云う「人とる」は字義通りであろうが、それでは面白くない。されば、「人とる」とは人のこころを捕るもしくは奪うの意として読み解きたくなる。それでなくとも、鏡花の俳句は鏡花の散文世界と切実に響きあっている。ボードレールのいうコレスポンダンスであろうか。従って、解釈は読み手によっていかようにも変化する、もしくは伸縮自在に読みうるところに俳句の俳句たる所以がある。
 「とる」には芸者や娼妓が客を迎えて勤めるの意もあり、いざないみちびくの意も含まれる。私などはいっそ人を危めるの意と取りたい。初夏、沼に咲く大輪の花菖蒲が人を殺める、恋心とはそのようなものである。こうなれば、鏡花の俳句のなかでもとびきり危険であり怖い俳句のひとつとなろうか。鏡花の句については、かつてですぺら掲示板1で書いたような記憶がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 20:38 | 固定ページリンク




キルケニー未入荷  | 一考    

 キルケニー入荷と書いたが、入荷は週末かもしくは来週にずれ込む。新製品のため、流通在庫はどこにもない。従って時間が掛かるのは当たり前である。繋ぎに単品で仕入れようかと思ったが、うまくいかない。やはり、待つしかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 19:38 | 固定ページリンク




「消え去ったアルベルチーヌ」  | 一考    

 先週の金曜日、駒井さんが来店。高遠弘美さんのプルースト「消え去ったアルベルチーヌ」の談議に終始した。のっけから細かいはなしで恐縮だが、グラッセ版をテキストに用いたため、著作権を取得しての翻訳となった。こういう場合はフランス側と翻訳者とのあいだで印税は折半となる。にもかかわらず、翻訳者に支払われる印税は八パーセント。フランス側へ支払われる印税は光文社持ちとなった。この一点をもってしても、彼の本書にかかわる姿勢のおよそが察知される。
 駒井さんは云う。ウーロン茶やトロピカルなど、酎ハイが持て囃される世の中にあって、かような生一本こそが私の造りたかった書物である。また、当企画を通すにいかばかりの苦労があったか、最終校では丸二日の徹夜を余儀なくされた等々、はなしは深更を通り過ぎて朝明けにおよんだ。
 彼が手掛ける「光文社古典新訳文庫」は売れている。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は通算で八十万部を超えてまだ躍進中である。長く翻訳書の売れ行きは低迷していたが、それに「新訳」との起爆剤でもって彼は応じた。聞くところによると、「消え去ったアルベルチーヌ」はドストエフスキーのそれにつぐ売れ行きだそうである。慶賀すべきことである。

 プルーストの文体は流麗である。さればこそ、文体に酔うことが可能な作品なのである。にもかかわらず、酔わせるプルーストはどこにもなかった。「失われた時を求めて」に幾度となく挑戦し、その度に敗退させられたのである。「二〇世紀の新しい文学」とはかくまで難解であり、読みづらいものなのかというのが私の偽らざる感想であった。これはプルーストに限らない、ジャン・ジュネにしてからが読むに忍耐が必要となる。原作者はきっとこのようなことを言いたいに違いない、との想像力を欠いては一頁すら読み進められないのである。
 先だって、「翻訳にあっては日本語の能力以前にフランス語の能力が問われる。翻訳はフランス語からの類比推理であって、いくら日本語に精通していてもそれだけでどうこうなるものではない。フランス語による思考回路を持ってはじめて馥郁たる日本語への置換が可能になる。そのような能力を有し、和文にも堪能したひとと申せば、高遠弘美を除いて他にはあるまい」と書いた。今般の高遠さんの「消え去ったアルベルチーヌ」は実に新訳を通り越して本邦初のプルーストの翻訳であった。
 読み進むうちに、高遠さんに全訳の意志ありと確信した。その旨を駒井さんに伝えたところ、覚悟ありとの明解かつ意味深い応えが返ってきた。プルーストは高遠さんの生涯の伴侶として相応しい。おそらく十五、六巻になるであろうことは必至。ここは一番、奮起していただきたく思う。

 朝まで酒を酌み交わしたと前述した。駒井さんへ次なる書冊のリクエストを繰り返し述べた。彼にわが国の翻訳の歴史を書き換えていただきたいからに他ならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 16:24 | 固定ページリンク




煙特集  | 一考    

 ドイツのリンブルグにはじまったウィスキー・フェアが人気を博している。会場向けのボトルが通年で売られるようになり、ウィスキー・フェアは全欧州へ拡がっている。そうして出来た新しいモルト・ウィスキーの客の四分の三がアイラ・モルトを嗜むという。それが理由でこのところアイラ・モルトが品薄である。アイラ島に八番目のキルホーマン蒸留所ができたのも、そのブームを見越してのことである。
 ブームとは怖ろしいものでアイラ島以外の蒸留所もヘヴィリー・ピーテッド・モルトに力を入れはじめた。アイル・オブ・ジュラ、ベンリアック、キャパドニック、アードモア、ベンローマック、スキャパ、グレン・スコシア、ロングロウなどである。もっとも、ロングロウは昔からだが。それに今までヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造っていなかったブナハーヴン、ポート・シャーロット(ブルイックラディ蒸留所)、かてて加えるに山崎、白州、それで計十二種類となる。山崎、白州の変わりにブレッヒンとリンブルグのアードベッグでもかまわない。
 次回のモルト会は題して「煙を飲む」、田中屋の栗林さんのアイデアであり、彼の協力を得ることになった。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 03:57 | 固定ページリンク




キルケニー入荷  | 一考    

 ヒデキさんからキルケニーの罐が発売されたのを聞いた。さっそく一ケース註文、明日の夜には入荷するので明後日からは販売できる。
 キルケニーについては2005年3月15日のですぺら掲示板でヒデキさんが書いておられる。

 先日お話したキルケニーを扱っているお店の名前ですが、「アイリッシュパブ スタシェーン」でした。JRの駅構内にあるようなお店ですから、もうあちこちに出来ているものと思っておりましたが、現在はまだ上野、田町、西荻窪の三駅でのみ営業しているようです。
 http://www.nre.co.jp/stasiun/
 昨日も行ってきましたが、キルケニーはそれだけでも、あるいはギネスとのハーフ&ハーフでもやはりとてもおいしかったです。
 難しい条件のあることは先日も伺って承知しておりますが、貴店の素晴らしいスモークを肴にキルケニーを楽しみたいという気持ちを捨てきれないでおります。

 同じ年の3月20日には松友さんが書いておられる。

 西の地でキルケニーを頂戴しましたお店といえば三宮、いや元町の「ザ ダブリナーズ アイリッシュ パブ」でしたかしらと。ライオンチェーンのお店だったと思いますが確かにサイトで見ても神戸にはお店がないようになっています。往時は確か神戸の三宮と元町の間の海側で、大丸傍の東京三菱銀行の東隣のビルの地下辺り、階段を下りると片側がライオン、片側がダブリナーズでした(今は昔なので場所は間違っているやも)。同サイトですと、此方、赤坂にはあるようですので今度寄る機会があれば、です。取り合えずキルケニーはサイトには出ていますし・・・

 神戸ではギネスとのハーフ&ハーフでよく飲んだが、今の私にはキルケニー単品の方が好ましい。輸入元はサッポロ、これからは日々嗜むことができる。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 03:27 | 固定ページリンク




近況  | 一考    

 このところモルト・ウィスキーの客で忙しい。雑誌のお陰もあり、他方ウェブサイトを覧てという客も多い。despera.comのカウントは増え続けている。ウェブサーバの統計によると一日五千件をコンスタントに超えた。ありがたいはなしである。
 客が増えればモルト・ウィスキーは減る。拙宅からのボトルの大量投与で急場を凌いでいるが、このまま行けば、あと一年ほどで在庫は尽きる。旧店舗で仕入れた収集品というか、ボトルが六百本はあった。それが目に見えて減ってきたのである。開店以来、この七箇月で既に二百本は注ぎこんだように記憶する。この二百本にはディスティラリー・ボトルの追加購入は入れていない。フードがなくなった分、なおさらモルト・ウィスキーの消耗が激しいのであろう。

 高遠弘美さんの「消え去ったアルベルチーヌ」を検索して訪ねる方が多い。私はといえば、四月十四日に同書の近刊予告を書いたのみ、実は送られてきた同書を日曜日にゆっくりと読ませていただくつもりにしていた。ところが前項の理由によって読書は不可能になった。急ぐ必要はあるまい、遅らせる方が愉しみが増そうというものである。
 同じ高遠さんの書き込みに影響を受けて著した「針聞書」のキャッシュを作りにロボットが日参している。そして同じキャッシュにバーン・スチュワートが挙がっていたが、こちらは生産量世界第三位のメーカーにしてブローカー、そして蒸留所のオーナーでもある。いづれ別項を設ける。

 鶴留さんへ一言。拙宅の書庫から吉行淳之介はなくなっていた。驟雨、原色の街はおろか、湯川書房で造った限定版、ご当人から寄贈された著書もである。残日は少ない、読み切れない書物は躊躇なく売りさばいている。散書の悲しみは集書の段階ではじまっている。あと十年余のあいだに蔵書はことごとく処分したく思っている。書物同様、人の存在も新陳代謝である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月24日 14:17 | 固定ページリンク




林礼子さんと野溝七生子  | 一考    

 名古屋で人間社を営む高橋正義さんから「ぱうぜ」終刊号の寄贈にあずかった。昨年五月五日、肝硬変にて逝去された林礼子さんの追悼号である。
 「ぱうぜ」は音楽の休止符、ドイツ語で「ぱうぜ」と発音する。いとすこしの休憩の意で林さんは用いていた。二十年来書き続けた「作家」を退去し、発表の場を個人誌「ぱうぜ」に求めた。
 追悼号には「終焉の確認」「湯ヶ島 小さな文学室」そして「手紙の中から」と題する文章が収められている。「終焉の確認」には「昭和一桁生まれの私が青春時代に憬れた作家たちは、一部を除いて、ならして貧しかった。十代の私には、その貧しささえ憬れに値した。権力なんて無縁でいい。評価は低くて結構。必要以上の付き合いはしたくない。そのかわり親切で優しかったと言われたいなどと思ったりした」とある。
 肝硬変から癌に進んで三年を経て、なお生きながらえる彼女の矜持のようなものがせつせつと伝わってくる。全文を引用したいのだが、そうもいくまい。せめて、辻潤の箇所だけでもと思う。

 辻潤の貧乏振りはまたいちだんと凄まじかった。妻が大杉栄に走り揚句に虐殺されたことに、どれほど心を痛めたことだろう。私の知人である脇とよさんは、辻潤、無想庵などと同じ時代に生きた女性であったが、狂人のごとく乞食姿で現れ座敷に陣取る辻潤に困惑しながら、それでも酒をふるまい自分の食事を食べさせた人である。晩年のとよさんを老人施設に訪ねたおり、とよさんははにかむように私に尋ねた。「礼子さんは無想庵と辻潤とどちらが好きなの」と、そして私の答えを待たずして「私は辻さんの方が好き」と加えた。私はとよさんの穏やかな表情を見つめながら涙がでた。「辻さんは優しくて、頭もよくて才能もあった人だけれど、あまり貧乏すぎたのよ」と、とよさんは辻潤をどこまでも弁護した。辻潤の死因は餓死であった。アパートの部屋でたった独りで死去した。びっしりとついていた虱さえも、死体となった辻を見捨ててゾロゾロと離れていったのだと聞いた。それでも辻はその貧しさの中で作品をたくさん生み出している。

 林さんは「虚無思想研究」第十一号へ「辻潤と野溝七生子—辻潤没後五十年に寄せて—」を寄稿している。そう、林さんといえば、野溝七生子や辻潤を繙く者にとって、馴染みの作家である。野溝七生子の姪御さんで、著書に「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」がある。「希臘の独り子」とは「山梔」の由布阿字子が自らにつけた名前である。矢川澄子にとっての野溝七生子が「ヌマ叔母さん」なら林さんのそれは「ナア叔母様」だった。
 高橋正義さんが朝日新聞へ追悼文を掲げている。

 個人の思いが強ければ強いほど、世間との折り合いが困難となるのは常だが、林さんもその一人だったのだろう。常々「生きにくさ」を自覚していた林さんは、「そういうときは一切合切を棄て、もう一度生き直す」ことを信条としていた。「野溝の血を書く」と語っていた言葉は、イコール「生きにくさ」を書くことでもあった。世間智に長けていない者ゆえに身につけた処世の術を、作品に登場させる「私」に込めて書き続けた。品性を失わなければ敢然と立ち向かっていけると書けば書くほど、立ち向かうことの孤絶もまた浮き彫りになるようだった。

 「十代の頃から長い間自殺志願者だった私」すなわち林さんの生死が透けてみえるような文章である。今回、その高橋正義さんのご協力を得て、私家版で上梓された「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」を五部ほど店に取り置くことになった。野溝七生子に、そして林礼子に興味をお持ちの方はですぺらへどうぞ。

追記
 林礼子さんの晩年は不遇だった。社会福祉や戦争資料館開設などに奔走するも中途で手を引き、作品集の出版すらが平成元年で跡絶える。そうした頓挫の繰り返しは自ら招いたもの、個として生きるとは真面目な煩悶に身を曝すことに他ならない。世間を狭めて生きた一人の作家の夢中の呻吟が聴こえてくる。野溝七生子から尾崎翠、吉屋信子、森茉莉、矢川澄子といったガーリッシュな私小説の系譜がここにもある。
 他に「セシリアの笛」(昭和五十八年二月 作家社刊)、「名古屋今池界隈」(昭和五十八年二月 鳥影社)あり。「希臘の独り子」は昭和六十年十二月に林礼子出版事務局から刊行された。
 昭和八年一月十六日生れ、母の名は澄子。野溝家は豊後竹田(大分)の旧家で、軍人の父のもとで七番目に生れたのが七生子、五番目の男子のもとに生れたのが林礼子さんです。戸籍名は山崎禮子。
 若くして多くの文士と親交を持ち、平塚らいてうを知ったのも「ナア叔母様」の紹介になる。「紅爐」を主宰した島岡明子さんとは特に近しく、辻潤に関するエッセイをまとめた「孤影の人」の著者、脇とよさんとも行き来があった。平成六年、今池の酒場「ぱうぜ」で催された「ダダイスト辻潤展」は彼女の尽力によるもの。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月20日 22:23 | 固定ページリンク




オフィシャル・ボトル  | 一考    

 業界とか専門という言葉ほど嫌なものはない。「ありそうでウッフンなさそうでウッフン」というのが業界や専門家の意味合いであろう。ひとは同業者仲間だけを対象に生きているのではないし、一本やりで生きられるものではあるまい。「業界人」のような閉鎖的文言をことさらに強調するひとを私は小馬鹿にしている。
 さて、その業界ならぬウィスキー好きのひとと昨日の午後は一緒だった。ちなみに、モルト・ウィスキーを嗜む方で私が尊敬するのはわが国に五人しかいない。わずか五人では「業界」にならない。そのうちの二人と昼下がりの晤語を愉しんだのである。もっとも、それが理由で愉しみにしていた読書が後回しになってしまったが。
 モルト・ウィスキーの世界は近頃、マニアによって穢されている、という話になった。その典型がオークションである。ウィスキーは書物と同じで、売り急ぐものでも買い急ぐものでもない。また、飲むものであって蒐集するものではない。況や、嗜好品への知識が自己表現になるなどとは決して思わない方がよい。にもかかわらず、どのような世界であれ、その途のプロらしきひとが居、訳知り立てが幅を利かすのは困ったものである。

 実はコニャックの原稿の進捗を確認に行ったのだが、逆に催促されてしまった。昨今ウィスキーに関する書物は多いが、土屋さんの著書を除いて総花的な概略本ばかりであり、香味についてのオリジナリティに欠ける。蕃椒三羽烏のダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーだとか、スペイサイドの香りの迷路を代表するのはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三種などという意見を貴方が書かなければ誰が書くのかと叱責される始末。タイトルには「一考のぐでんぐでん」がよいとか「へべれけ一考」だとか勝手なことをいう。
 そう云えば、十年ほど前、モルト・ウィスキーの稿を書こうとして資料の整理を試みたことがあった。恰度そのころからであった、ボトラーが無闇と増えて手が付けられなくなった。88年に三社しかなかった瓶詰業者が十年後には六十社ほどに増え、今では百社を軽く超えて実体は藪の中。ペーパーカンパニーやプライヴェート・ボトラーを入れると雲を掴むようなはなしになった。それでも上京後、二、三年はがんばってみたが泥沼はますます深くなるばかり、その後はすっかり諦めてしまった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社の「花と動物シリーズ」は「クラシック・モルト・シリーズ」に収録されなかった蒸留所のモルト・ウィスキーを90年代に入ってからボトリング。当初は蒸留所の売店もしくは近隣での販売を目的としたため、蒸留所周辺に棲息する動物や植物の絵柄をあしらい、土産品としての付加価値を高めた。同シリーズは「クラシック・モルト・シリーズ」とは異なり、オーナーズ・ボトルであってもディスティラリー・ボトルではない。どれもこれもシェリー香が強く、美味すぎるのである。カリラなどはその典型で、飲めば飲むほどにカリラの実体から離れてゆく。94年からはじまった「レア・モルト・セレクション」三十一種はさらにその傾向が顕著であった。
 シェリー酒とウィスキーの生産量が逆転するまで、モルト・ウィスキーはシェリー樽で熟成されていた。それを考慮すれば、ユナイテッド・ディスティラーズ社の商品は伝統的な熟成法に則ったものといえる。確かに同社のダブル・マチュアードはよく考えられてい、タリスカーなどは際立って美味い。
 現今のブームともいえるモルト・ウィスキーの需要を担ったのはゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、そしてユナイテッド・ディスティラーズ社の四社である。ユナイテッド・ディスティラーズ社は業界最大のブローカーであり、88年創業のシグナトリー社は当初ケイデンヘッド社から樽の供給を受けていた。
 「花と動物シリーズ」二十七種のシリーズに先行する形で、アバフェルディ、インチガワーなど、ラベルに蒸留所の絵を刷り込んだボトルが80年代に頒布されていた。やがて「花と動物シリーズ」は2001年のリリースを最後に中断された。今では流通在庫が五、六種類頒されているのみ。オーナー会社のユナイテッド・ディスティラーズ社(現ディアジオ社)はボトラーズとしての役目を終え、蒸留所は自らオリジナル・ボトルを拵えるようになった。それが和製英語でいうところのオフィシャル・ボトルである。
 90年代ならまだしも、今世紀に入ってからは概略本など、なんの意味も持たなくなってしまった。というのも、蒸留所がボトラーズに倣ってシングル・カスクを出すに至り、ボトラーズ・ボトルとディスティラリー・ボトルの色分けが意味をなさなくなってしまったのである。この傾向は今後ますます強くなってゆく。
 二年ほど前にモルト・ウィスキーは輸入総量で中国に追い越され、昨年は台湾にも追い越されたと聞く。台湾ではストラスアイラのがぶ飲みが流行りとか。アジアで三位の消費量とは申せ、その差は間違いなく拡がるばかりであろう。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月19日 22:58 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
 マーレイ・マクデヴィッド社はグラスゴーとロンドンに店を持つ瓶詰業者。オーナーのゴードン・ライトのファミリーは1828年以来、スプリングバンク蒸留所を経営。「スプリングバンク」のディスティラリー・ボトル同様、すべての商品は46度に調整されている。2001年初頭、アイラ島のブルイックラディ蒸留所をジム・ビーム・ブランド社より買収。また、マッキンタイアという瓶詰業者のボトルが時折日本でも出まわるが、これはマーレイ・マクデヴィット社がドイツの輸入会社のために瓶詰、すべてがカスク・ストレングスである。
 同社のボトルの裏ラベルには必ず繰り言が著されている。例えば「アードベッグ」のラベルでは、蒸留所をわが社に売らず、何故グレンモーレンジ社に売却したのかといった類である。「ラフロイグ」も然り、ディスティラリー・コンディション以外のボトルが頒布されるのを嫌がった同社との間に訴訟騒ぎを起こしている。結果、わざとラフロイグのスペルを誤植させ、お茶を濁す始末。かかる生臭さに私などは惹かれるのである。最近、「ミッション」と題して長期熟成のコレクションを頒布している。

 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
 ヴァン・ウィー社は1921年に煙草の卸業者としてオランダのアムステルダム郊外に設立。マッカランやグレンファークラス等の蒸留所元詰めや、ゴードン&マクファイル社やケイデンヘッド社のボトラーズ・モルトをオランダで最初に輸入。1994年からアルティメットの名でコレクションを頒す。シングル・カスク、ノンチル・フィルター、ナチュラル・カラーを順守し、モルト愛好家の期待に応えている。
 わが国へは2000年1月入荷のスプリングバンクが最初。同年6月以降は順次輸入されている。
 同社のホームページはこの種のものとしては傑出している。情報量の多さもさることながら、マイケル・ジャクソンに倣い、すべてのボトルに点数を設けています。蒸留所の写真も豊富に掲載されてい、モルト・ファンなら覗かずにはいられないホームページ。
 (http://www.awa.dk/whisky/windex.htm)

 クラガンモア '89(キングスバリー)
 3年ぶりのオリジナル・ボトル。ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
 元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからアバディーン、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。ついでハンドライティング・シリーズを頒布。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられている。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズ。

 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
 ケイデンヘッド社は1842年、エディンバラにて創業。現在はキャンベルタウンを本拠地とし、エディンバラのキャノンゲートとロンドンのコヴェント・ガーデンに店舗を持つ。スコットランド最古のインデペンデント・ボトラーにして、ゴードン&マクファイル社と共に業界の雄。オーナーはJ&Aミッチェル社でスプリングバンク蒸留所とは同資本。「オーセンティック・コレクション」「オリジナル・コレクション」「ボンド・リザーヴ」「チェアマンズ・ストック」等のコレクションがある。着色と低温濾過を施さず、樽と樽とのヴァッティングも一切行わない。一樽限定のシングル・カスクという贅沢な飲み方を世界に広めた第一人者。子会社にダッシーズ社とイーグル・サム社(現キングスバリー社)があり、サマローリ社やスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティー社等、多くのボトラーに樽を供給している。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルに満足せず、さらなる刺激をお求めの方にお薦め。

 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
 熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。
 ディスティラリー・ボトルとしてディアジオ社のクラシック・モルト・シリーズに12年ものが入っている。飲み口の柔らかさと豊潤なこくと香り、そのバランスのよさと華やかなフレーバーはモーツァルトのシンフォニーに例えられる。評論家マイケル・ジャクソンの採点ではマッカランに次ぐ高得点。名実共に、スペイサイドを代表する銘酒。オールド・パーとアンティクァリーのメイン原酒。
 ディスティラリー・ボトルは先頃ラベルが変わったが、香味に変化はない。他にダブルマチュアードのポートとフレンド・オブ・クラシックの14年もの、さらに29年ものカスク・ストレングスが頒されている。

 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
 10年ものより、色は淡く、香味は確実に複雑。スティルの独特な形状により、蒸気中の不純物がローワインに戻され再凝縮する「リフラックス」のよさを最大限に活かす。つねに芳香が変化する様はバルヴィニーのシングル・カスクと双璧。表現力豊かなクラガンモア。
 それにしても、10年ものをスパニッシュ・オークのシェリー樽、17年ものをアメリカン・オークで熟成するところは非凡。10年であればカスク由来の変化に富む香味の力を借り、17年であればこそカスクによる変化を拒む、ブレンダーの卓越した妙技に感服。

 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
 蜂蜜と柑橘系のスイートな香り、香草を食むような膨(ふく)よかな味わい。水際立った切れ上がりのよさ、嫋々(じょうじょう)たる余韻。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年よりオールド・モルト・カスクと題するシングル・モルトのコレクションを頒布。現在はオールド&レア・プラチナ・セレクションにも力を入れる。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは親しい。
 アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。ポート・エレンをはじめ、入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。

 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
 プロヴァナンスとはグラスゴーのインデペンデント・ボトラー、ダグラス・マクギボン社のコレクションの総称。同社は1949年に創設。創業者のアゥルド・ダグラス・マックギボンは現在のオーナーの祖父。彼はアイラ島で水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者で、スコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれた。スコッチウイスキーの販売をはじめてから頑なにノーカラーリング・ノーチルフィルターリングを貫く。ラベルの左側には彼らのモルトウイスキーへのこだわりが、そして右側にはテイスティングノートが、そして特筆すべきは春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を用いている。

 ブレーズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
 ソフトな中甘口、噛み応えのあるボディ。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティル」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」や「ストレート・フロム・ザ・カスク」ドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」日本向けに「ザ・フラゴン・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 蒸留所名はブレイヴァル。シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になった。しかし、1994年にグラスゴーにおいて設立された瓶詰業者アベルコ社がシーバス・ブラザーズ社の許可の下でディアストーカーを販売。10年、12年、18年の三アイテムがリリースされた。12年と18年はバルミニックだが、10年はブレイヴァル。準オフィシャル・ボトルといえる。
 同10年ものは熟したグスベリーと西瓜のふくよかな香り。ライトボディにしては華麗で長いフィニッシュ、歯ごたえさえ感じさせる。ちなみに、マイケル・ジャクソンやジム・マーレイなどウイスキーの専門家も高く評価している。
 なお、二回目のリリースでは12年ものの中身がアルタナベーンになっている。ラベルに蒸留所名が記載されているので、購入時には確認が必要。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。
 ダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構える。ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」やシングル・モルトの「ウィスキー・ガロア」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアレス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱う。同コレクションは元々B・デヴェロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。デヴェロップ社のボトルはわが邦には未入荷。なお、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
 前回は25年ものだった、実に七年ぶりのボトリング。蒸留所創業二年目のウィスキーだが、香味共に非の打ち所がない。
 アルタナベーンとは兄弟蒸留所だが、こちらは重厚な味わい。メイプルシロップや干し葡萄の甘い香り、蜂蜜のような深くまろやかなこくとオレンジ・ピールの風味。フィニッシュは長くドライ。かかるボトルを飲むとカスク・ストレングスにこだわる理由が薄らいでくる。創業は73年と新しいが、ストラスアイラ、グレンキースと共に傑出したモルト。ストラスアイラが甘すぎるという方に強くお薦め。

追記
クラガンモアに関しては、もう一度飲み会を催すに必要なボトルの在庫がある。いずれ機会を持ちたい。
このところ、瓶詰業者について出来るかぎり書くように心掛けている。併し乍ら、頻繁にオーナーもしくは系列が変わるため、間違いも多かろうと思う。ご一報くだされば幸いである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月18日 21:33 | 固定ページリンク




週刊文春  | 一考    

 ですぺら紹介文が掲載される週刊文春の発行日が22日の木曜日に決まった。巻末の「ニュースなレストラン」がそれで、見開きで載る。料理通信の君島佐和子さんに感謝。
 それにしても、高級モルト・ウィスキーの紹介になってしまった。もう少し、安価なものを事前に選ぶべきだったと、これは私の反省である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月17日 20:16 | 固定ページリンク




ボトラーとラベラー  | 一考    

 成城石井卸売本部の東京ヨーロッパ貿易がウィスキーの輸入から撤退するようである。同社は焼肉チェーン「牛角」などで知られるレックス・ホールディングスの傘下にある。それが理由かどうかはここでは記さない。ただ、成城石井はエディンバラの瓶詰業者ウイルソン&モーガン社の代理店である。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者なのである。
 日本ではサマローリが有名だが、サマローリはブレシアの酒商で、ケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持っている。要するに、樽の大半はケイデンヘッド社から提供を受けている。全体量が少ないのでコレクターズ・アイテムとしての評価を受けているが、私はボトラーならぬラベラーとして認識している。ケイデンヘッド社から樽の供給を受けるという点に於いて、キングスバリーやスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティーと似ている。

 かつてホームページに以下の文章を掲げた。
 「1996年以降、モルト・ウィスキーを扱う業者が急速に増えている。記載したインデペンデント・ボトラーズ以外にも、エディンバラ周辺ではウェイヴァキー・ヴァントナーズ、フォース・ワイン、ルヴィアン・ボトル・ショップ、ロイヤル・ミル、ヴィルヌーヴ・ワイン等、グラスゴー周辺ではペックハム&ライ、ウィリアム・モートン、ギャヴィン・リドル、ワラセス・エクスプレス、セントラル・キャッシュ&キャリー等、ロンドン市内ではオドビンス、ザ・ヴィンテージ・ハウス、ザ・ウィスキー・エクスチェンジ等のカンパニーがある。
 ウィスキー業界ではブローカーが中心的役割を占める。ブローカーは大量に購入したモルト・ウィスキーをブレンド業者やインデペンデント・ボトラーズに販売する。桶買いならぬ樽買いである。その樽買いと、昨今のモルト・ウィスキーのブームが相乗し、瓶詰業者のボトルの洪水がはじまっている。過去、モルト・ウィスキーを扱っていなかったワイン商や食料品店がプライベート・ボトルを販売。聞くところによると1998年以降、年間に輸入されるボトルは軽く一千種を越えるという。愛好家にとってはうれしい悲鳴だが、蒸留所は苦い思いを噛みしめている。ボトラーズの扱うウィスキーが、ディスティラリー・ボトルの売れ行きを抑制しているのではないかとの疑惑がそれである。事実、ボトラーズへ流れるモルト・ウィスキーが急速に減っているようである。このところU.D.V(ディアジオ)社とボトラーズとの間に諍いが絶えず、蒸留所名を明記しないインデペンデント・ボトルが増えている。かかるボトルはシングル・カスクとしてボトリングされることが多く、美味なものが大半を占めるにもかかわらずである。このままでは瓶詰業者は自らの首を絞めることになるかもしれない。洪水の要はないが、適度なチョイスは残してほしいものである」

 文中、「一千種を越える」とあるが、今ではその二、三倍のボトルが輸入されている。そして、自前の熟成庫を持つボトラーを除けば、ほとんどのボトラーは決まったブローカーまたは大手のボトラーから樽を購入している。従って、弱小のボトラーは淘汰されてゆく運命にある。数年後には大手五社だけが生き残るだろうとの悲観的な見方すらある。ちなみに大手のボトラーが所有する樽数は以下のごとし。

 イアン・マクロード社 20,000樽(グレンゴインを除く)
 ゴードン&マクファイル社 17,000樽(ベンローマックを除く)
 シグナトリー社 12,000樽(エドラダワーを除く)
 ダグラス・レイン社 10,000樽
 ダンカン・テイラー社 4,000樽

 この辺りで、ボトラーとラベラーとの識別をすべきではないかと思う。いかにユニークとはいえ、ラベル一枚に高い金数を払うがごとき、無駄な浪費は止めるべきだと云いたいのである。「蒸留所は苦い思いを噛みしめている」とも書いた。しかし、その蒸留所が十万円を超えるボトルを陸続と頒布しはじめたのも問題である。アードベッグやラフロイグの一部の商品の値付けには疑問を挟まざるを得ない。
 さて、リーズナブルな商品を多くリリースし、常識的なプライスを保ってきたウイルソン&モーガン社のボトルがT酒店で売られている。マッカラン、グレンリヴェット、グレングラント、グレンフィディックのような世界の酒が一方に在っても構わない。ただ、ウィスキーはスコットランドの地酒である。地酒には地酒としての嗜み方がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月17日 06:26 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
 頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。ゴードン&マクファイル社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続 くフィニッシュは申し分なし。
 フローラルな味わいの理由はポート・エレンのモルトを使用したこと。かかるボトルがコレクターズ・アイテムになるのなら異議はない。

 アードベッグ・スティルヤング '98※
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤングに続いて06年に発売。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品についで08年にオールモストゼアが発売された。他にコミッティー・ヴァージョンやウィスキー・フェア用に異なるヴィンテージのものがボトリングされている。

 アードベッグ・オールモスト・ゼア '98※
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤング、06年発売のスティルヤングに続いて08年に頒された。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品が最終のボトルである。しかし、前二者とは異なって噛み応えと香味に深みあり、一年の差とは思われない。

 ボウモア・カスク・ストレングス※
 ディスティラリー・ボトル、56.0度のカスク・ストレングス。
 本品はなくなるまでの特価販売です。

 スプリングバンク・ブラック・ファウンダーズ16年
 08年4月発売のロッホデール社のサード・リリース。46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまでは、ビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。美味。

 グレンキース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
 モンゴメリーズ社のグレンキースはオフィシャル・ボトルと比してべっこう飴の芳ばしさに少し欠ける。これはボトラーのグレンキースに共通して言えることで、シェリー香がより弱く、やや辛口に振られている。ちょうど、ゴードン&マクファイル社のマクファイルとオフィシャルのマッカランの関係に似ている。私はボトラーの方が好きなのだが。
 モンゴメリーズ社はマキロップ社と共にアンガス・ダンディ社の傘下。なお、マルコム・プライド社はアンガス・ダンディ社と同資本のカンパニー。なにを言いたいかというと、玉石混交だということ。でも、グレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ないので、流通在庫はローズバンクよりはるかに少ない。飲むなら今のうち。

 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社とは兄弟会社。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を抜く。
 本品は記載はないものの、リフィール・シェリーと思われる。ストラスアイラは多くのカスク・ストレングスがボトリングされているが、本品は他と比してまろやかさで卓れる。

 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
 ザ・クライズデール・オリジナル・スコッチ・ウィスキー社は熟成5年から10年の比較的若いカスク・ストレングスをシングル・カスクにて瓶詰め。他のボトラーとの差別化を図る。低温濾過、加水、着色を一切行わず、モルト・ウィスキーの素地を知るには最適。ダグラス・マクギボン社の「プロヴァナンス」と共に一押しのコレクションである。総称の「クライズデール」とはグラスゴー近郊にかつて存在した蒸留所名。昨年、ボトルをリニューアルした。ブラッカダーのジョン・レイモンドが選んだ樽からボトリング。ブラッカダーのセカンド・ラベル的存在。

 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 アバディーン・ディスティラーズ社は1993年頃、スコットランド北東部のアバディーンで設立。ヨーロッパ市場向けのボトリングだが、過去一度、スリーリバーズによって極少量が日本へも入荷している。本品はその一本。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月16日 22:14 | 固定ページリンク




キルホーマン  | 一考    

 ウォンズ パブリシング リミテッドが発行する「WANDS」2007年1月号へ土屋 守さんが寄稿なさっている。「2006年 スコッチ業界に起きた新しい動き」がそれで、昨今のマイクロ・ディスティラリーの動きについて詳述している。

 http://www.wine.or.jp/wands/2007/1/scotch.html

 十八枚ほどの稿なので、ぜひお読みいただきたい。文中、アイラ島で八番目となるキルホーマン蒸留所について触れられている。キルホーマンが入荷したのは先月のこと、2007年12月20日蒸溜、2008年2月8日のボトリング、アルコール62.4度のニュースピリットである。フェノール値は50ppm、ラフロイグと同じである。
 売価は5000円ほどで発売即完売、しかし七月には再入荷。その理由は日本のファンの熱烈なニーズに応えたいとの由。どことは書かないが、某酒店では50ミリリットルのミニチュア瓶を2980円で発売したと聞く。そのようなものに集るのは蠅か蛆と決まっている。それにしても、一部のモルトファンの見苦しさ、またそれに付け入る業者の浅ましさには反す言葉もない。蒸留所にしてからが、ニュースピリットを売ってでも金を稼がなければならないとしたら、なんのための蒸留所かと問い質したくなる。ウィスキーとは年月の掛かるものなのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月16日 19:32 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

5月24日(土)の19時から新装開店後、五度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11500円、今回はかなり割安になっています。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
なお、ブレイヴァルの08番と12番は新規入荷品です。
スペイサイドでもっとも香りが豊かなウィスキーはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三点です。なかでも、ブレイヴァルは評価するひとが少ない蒸留所ですが、店主が好きなモルト・ウィスキーです。
シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になったウィスキーです。蒸留所名はブレイヴァルですが、ブレイヴァルもしくはブレイズ・オブ・グレンリヴェットの名でボトリングされています。ザ・グレンリヴェットとは全く無関係です。
シーバスへ原酒を提供する蒸留所のうちグレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ない蒸留所なので、極めて入手がむずかしくなりました。グレンキースとストラスアイラの飲み会を催さなければと思いつつも、店の在庫が急速になくなってしまいました。それ故、ブレイヴァルをモルト会で採りあげることになったのは嬉しく思います。オレンジ・ピール、オレンジ・リキュール、ハニーのさんざめく甘味と潤いのある香味をお楽しみ下さい。

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

01 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
02 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
03 クラガンモア '89(キングスバリー)
 ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
04 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
05 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
06 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
07 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
08 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
09 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
10 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
11 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
12 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年05月15日 12:05 | 固定ページリンク




齋藤亮一さんの写真  |   一考

ですぺら・一考氏 撮影:齋藤亮一

 「TASINAMI(嗜み)」創刊号(2008年3月20日刊、文藝春秋社)で、「今宵いつものバーで」と題して、佐々木幹郎さんが六頁にわたってですぺらを紹介してくださった。
 雑誌に掲載されなかった写真の数々が後日、写真家の齋藤亮一さんから送られてきた。前項に続く私の露出趣味であり、晴れがましいのでその内の一枚を紹介する。掲示板へ載せるために無断でトリミング、遺影に使おうかと思っている。
 幹郎さんが相手なので話が弾む。いささか生真面目な表情だが、これは喜んでいる顔である。


投稿者:   一考  日時: 2008年05月09日 11:30 | 固定ページリンク




蕁麻疹騒動  | 一考    

 二十歳のときに封じ込めたはずの蕁麻疹がふたたび発症したと思った。左顔面と耳朶、首全体に発疹が顕れたのである。とにもかくにも痒くて居た堪らない。近所の薬局へ飛び込んだところ、どれどれと観察し「このような蕁麻疹はない、なにかに気触れたのだろう」と軟膏を処方する。一週間ほどで癒るとの御託宣の代金が大枚千六百円だったが、蕁麻疹でないと分かっただけでもその価値はある。ことほどさように、蕁麻疹には泣かされた過去がある。
 記憶がはじまる四歳から二十歳に至る十余年はアトピーと同居していた。とりわけ酒を飲みだした十四歳からあとは酷かった。酒を一口飲むと全身に発疹する。気管支喘息、鼻炎、蕁麻疹、皮膚炎が繰り返し襲ってくる。塩水の蒸気吸入とスイス製の抗ヒスタミン剤、抗プラスミン剤を欠いては日常生活そのものが成り立たなかった。酒を止めればよさそうなものだが、その選択肢は私には考えられなかった。なぜかと云うに、柳暗花明にあって酒を嗜まないというのは人と人との私交を反故するに等しい。要するに、色里のしきたりを無視するような傲慢さの持ち合わせが当時はなかったのである。
 このアトピーと呼ばれる一群のアレルギー性疾患は難儀な代物で、上記の症状はことごとくが深く重なり合っている。体質素因が理由の過多だが、他人は食物への好き嫌いだの、精神だの、果ては気合いだのとあらぬことを口走り詰責する。それこそ、したたかな根性が具わったと思われる現今にあってすら、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)と無呼吸症候群からは解放されないでいる。医師からは慢性気管支炎の患者の痰からは、しばしばインフルエンザ杆菌が検出されると脅され、人生から口吻という快楽を抛棄するに至った。他にも蕁麻疹と仮性包茎(こちらはアトピーとは関係ないが)が理由で銭湯は知らずじまい。結果、風呂嫌い温泉嫌いとなって今に続いている。
 車の免許を取得したのは平成元年、取るなり出掛けた北海道は函館のすぐ傍、南茅部町の大船温泉がおそらく生れてはじめての銭湯であり温泉であった。露天風呂を出たり入ったり、二時間はたっぷりと浸かっていただろうか、あの時のうれしさは筆舌に尽くしがたい。北海道をこころの故郷というのにはかような理由があったのである。
 指で骨折していないのは双の親指と小指、それと左手の薬指だけである。そして、いまでも右手中指の第二関節には皮膚が瘤のように硬くふくらんだところがある。これは喧嘩ではなく、最後に蕁麻疹を封じ込めた箇所である。愛おしむべき瘤で、以降抗ヒスタミン剤が生活の場から消えた。ところで、二十九日は車のメンテナンスをしていた。どうやらその最中に毛虫に触れたようである。庭に梅の木があって、毛虫の巣窟になっている。梅の下には紫陽花があるが花は咲かない。いっそ梅を根こそぎ剪り取りたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月08日 19:32 | 固定ページリンク




陳鶏  | 一考    

 饂飩の腰を強くするための添加物については当掲示板で何度か触れてきたが、地鶏も堅いものと相場は決まっている。肉質を堅くするのは簡単で、飼育期間を三〜五箇月(比内鶏は百八十日)と長くし平飼い(放し飼い)にする。ところで、日本食鳥協会の国産銘柄鶏の定義による「在来鶏」(四十一種)と日本農林規格(JAS)でいう「在来種」(三十八種)とは若干異なる。面倒なので詳しくは書かない。ただ、戦後アメリカから導入されたブロイラーはコーニッシュやプリマスロック、ロードアイランドレッドなどを元に品種改良が進められた。そして、現行の比内鶏は雄の比内鶏と雌のロードアイランドレッドを掛け合わせたものである。ここでブロイラーと地鶏の違いについて書きたいのではない。従ってはなしを飛ばす。
 先日、比内地鶏偽装で逮捕者が出た。廃鶏を比内地鶏とはまさに偽装以外のなにものでもないが、それを言い出せば東京の焼鳥屋で廃鶏を扱っていないところを探すに苦労する。そして廃鶏を廃鶏と表示しないところが大半である。なかには単に地鶏と表記している、これは立派な詐欺商法である。おそらく、数千人の逮捕者が出るのではないかとひそかにほくそ笑んでいる。
 関西では廃鶏を陳もしくは陳鶏(ひねどり)と記述する。韓国の陳鶏料理は有名だが、ですぺらの薫製に陳鶏を用いたのは、繁く付き合う韓国人から教わったからに他ならない。
 私は若い頃から陳鶏に馴染んできた。というよりも、引き揚げ者が営む露店は陳の焼き鳥か鯨の串カツと大体の見当はつく。満州から共に引き揚げてきた父の知己は陳の焼き鳥からはじまって饂飩屋へと出世したが、そこの鴨南蛮には陳鶏が使われていた。詳細は審らかとしないが、中野に住んでいた折、近所の饂飩屋がフランス鴨を鴨南蛮に用いていた。その胸肉が堅くて歯が立たない、これなら国産の合鴨の方が良いのにと往時の連れ添いと語らったものである。
 陳鶏は卵用鶏(レイヤー)のなれの果てである。陳る、要するに老生した鳥であるが故に脂肪は少なく身は堅い。鳥インフルエンザを畏れてケージに閉じ込められた地鶏を喰うのなら、いっそ陳鶏を陳鶏として楽しめばというのが同じく老生した海馬の意見である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月03日 00:12 | 固定ページリンク




五月三日は営業  | 一考    

 連休のあいだの休みはカレンダー通りである。ただし、五月三日の土曜日は営業する。石井さんとそのように約束した記憶があるからである。もっとも、ひとには都合があって、ですぺらを営業するからと言って約束を守る必要はどこにもない。私の記憶違いかもしれないのである。

 さて、連休の四日から六日までは三連休である。車のガソリンタンクは満タンにした。いつも行く宇佐見が長蛇の列で、遅くに出直したところ売り切れといわれた。仕方がないので、他店で購った。細かいはなしだが、リッター百十八円が百二十二円だった。それが一気に百五十五円から百六十円になるらしい。私の車のガソリンタンクは五十リッターなので、都合二千円は変わってくる。この二千円の恨みはガソリンを入れる度によみがえる。自民党に公明党なんぞ二度と票を入れてやるものか。
 バイクにはスペアと共に十五リッター入っている。これで三百三十キロは走る。奥多摩から秩父へ抜けて蕎麦でも喰いに行こうか。群馬、長野、山梨、埼玉の県境をまだ充分には走っていない。中津川林道や雁坂トンネルなど未知らぬ道は多い。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 21:39 | 固定ページリンク




映画身体論とドゥルーズ  | 一考    

 五月二十四日の土曜日、ジュンク堂書店池袋本店で宇野邦一さんの講演がある。掲示板で触れた「映像身体論」の出版を記念しての催しである。同店ホームページのトークセッションには以下のごとく書き込まれている。

『映画身体論とドゥルーズ』
宇野 邦一(立教大学教授)
■2008年5月24日(土)19時より 

 この数年『映像身体論』となる文章を書きながら、映像と身体というテーマの上を綱渡りするようなことを続けてきたように思います。なんども綱から落っこちながら、あまり前に進んでいない。しかし綱との関係は確かに変わってきて、落ち方も思考の一部になってくる。そんなふうに書いてきたようです。それらの思考をやっと一冊の本の中に閉じ込めてしまったいま、頭の中には「知覚」「政治」「身体」「感情」「生命」「時間」というような言葉が、糸の切れた凧のように漂っていて、呆然としています。
 ドゥルーズの本を断片的に読み返しながら、あらためてこうした問題系にどう入っていくか考えているところです。この数年読んできたネグリの世界政治そして生命の政治に関する考察がジワジワ効いていることもあり、「<単なる生>の哲学」に書いたことを再考する必要も覚えています。こういった情況を少し整理してお話ししてみようと思います。

◆講師紹介◆
宇野邦一(うの・くにいち)
1948年松江市生まれ。京都大学文学部卒業後、パリ第8大学に学び、文学科で修士論文を、哲学科で博士論文を執筆。現在、立教大学現代心理学部映像身体学科 教授。著書に『意味の果てへの旅』(青土社)『アルトー 思考と身体』(白水社)『他者論序説』(書肆山田)『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)『反歴史論』(せりか書房2003)『ジャン・ジュネ 身振りと内在平面』(以文社)『破局と渦の考察』(岩波書店)『〈単なる生〉の哲学』(平凡社)、訳書にドゥルーズ『フーコー』ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』(以上河出書房新社)、『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局)、アルトー『神の裁きと訣別するため』(共訳、河出文庫)、ベケット『伴侶』『見ちがい言いちがい』(以上書肆山田)ほか。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 15:51 | 固定ページリンク




「化鳥・きぬぎぬ川」解説  | 一考    

 明治六年(一八七三年)十一月四日、金沢の浅野川の左岸、下新町(現在の尾張町)二十三番地に生れた泉鏡花は、三百篇にのぼる小説・戯曲などを書き残して、昭和十四年九月六十六歳で世を去った。

 本名を泉鏡太郎といい、鏡花は号、すなわちペンネームであった。当時は本名のほかに風流な別名をつけるのが好まれ、文筆家や画家はこぞって雅号を用いている。例えば鴎外こと林太郎、漱石こと金之助といった類である。
 この鏡花との筆名は、明治二十四年の末、尾崎紅葉に弟子入りしたときに、師から与えられたものであり、中国の詩論にある「鏡花水月」にちなんでいる。「鏡花水月」は「鏡中花影」ともいい、鏡に映った花と水に映った月の意で、目には見えても手に取ることの叶わないものの譬えである。
 「芸術は予が最良の仕事也」と信じ、「作物其物の中に人を遊離させたい」と願い、この感知はできても説明のできない幻に、言葉によって肉薄しようとしたのが鏡花の文学である。
 言葉だけを信じ、言葉のみを媒介として組み立てられたこれらの物語を、人は「文字による工芸美術」と讃美する。鏡花の作品が工芸美術であるということから思い合わされるのは、彼の家系であり生地金沢の風土である。
 鏡花の郷里金沢は、江戸時代から加賀百万石の城下町として独自の文化伝統をはぐくんできた町である。淡い飴色の釉薬を特徴とする大樋焼や九谷焼、加賀友禅や金沢箔と称される金箔の打ち出し、また螺鈿蒔絵など、あまねく美術工芸の都市として、金沢はさかえてきた。そして鏡花の父清次は、工名を政光という名人肌の彫金師で、加賀藩の細工方金工九代水野源六の弟子だった。母の鈴は江戸下谷の中田氏に生まれ、その家は葛野流の鼓打ちであった。鈴の祖父にあたる中田万三郎豊喜は加賀藩主前田侯のお抱え能楽師で、鈴の兄の名は松本金太郎、先代宝生九郎の後継者として、きこえ高かった人である。いわば金沢という旧家の代々の血のノスタルジーが、「残燭の焔のように、いまわの際にひとしきり激しく燃えあがった」のが鏡花の生命であり、醇乎たる滅びの諧調を文字に刻みつけて、鏡花は明治大正昭和の三代を通り過ぎたのである。

化鳥

 明治三十年四月、「新著月刊」の第一巻に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷三より収録。鏡花の自筆原稿には、当初「獣王」と題されていたが、ついで「化鳥」と改題。
 本作は鏡花がはじめて試みた口語体の小説で、少年の一人称による内的独白の形式をとっている。この内的独白という小説技法が西洋に登場するのは、一九二〇年代のことである。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をはじめ、プルーストやヴァレリー・ラルボーの小説などがそれに該当するが、この手法の先駆者であるエドゥアール・デュジャルダンに言わせれば、「《内的独白》とは、登場人物のもっとも内奥の、もっとも無意識に近い思考——論理的に組み立てられる以前の、言いかえればまさに生れつつある状態の思考を、最小限の構文による直接的語句を用いて表現する」ものであり、なによりもまず「一見して明らかな作者の干渉を断切り、登場人物が直接自分自身を表現できるようにすること」を目ざすものであった。
 内的独白の定義は以上のようなものだが、一方、鏡花は自らの創作態度を「私は書く時にこれという用意は有りませんが、ここに、一つ私の態度というべきことは、筆を執っていよいよと書き初めてからは、一切向うまかせにするということです。というのは出来得る限り、作中に私というものを出すまいとするのです(むこうまかせ)」と位置づけている。例えば雨が降っているとするなら、まず雨という点景を出し、その後の会話は一切その登場人物の自由に任せてしまうのである。すなわち、登場人物自身の口説法、喋り方に応じて小説を書きつづけるわけで、あらかじめどういう風に発展させようなどということは全く考えない。
 「化鳥」では、読者はのっけから主人公の思考のなかに置かれる。われわれは少年廉とともにいきなり窓から顔を出して雨の降っている橋の上を眺める。少年の意識にとって、過去も未来も、いやな経験も楽しい空想も、すべては《ここ》と《いま》に現前している。はじめの八行目に「寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日(いつか)でしたっけ、窓から顔を出して見ていました」とあるが、現在も、過去のなかの現在も、すべてひとしなみに《ここ》であり《いま》でしかない。対自としての意識、論理的に組み立てられる以前の、より無意識に近い思考にあって、時間は隔たりを持たない。「母様(おつかさん)が在(い)らっしゃるから、母様(おつかさん)が在(い)らっしゃったから」との言葉で小説が閉じられるが、現在形と過去形とを並べることによって、語られたすべての時間はくずれ、時はなだらかに融化していく。いや、廉の夢が大きくふくれあがって、すべての物語の時間を呑みこんでしまったのである。雨と川とに包みこまれたこの物語は、現実の母から幻の女へ、「翼(はね)の生えたうつくしい姉さん」に抗しきれない自分の心の深淵、すなわち母性憧憬という永遠の夢を覗きみるところで終わる。「照葉狂言」「由縁の女」「縷紅新草」などと共に、金沢ものと称される金沢回帰小説の一篇である。

処方秘箋

 明治三十四年一月、「天地人」第五十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 「私」は八歳の頃、越後の紙谷町に住んでいたが、少年の自宅の向いにある「お辻」という十八歳の美しい娘の家に泊る。その晩、同じ町に住む薬屋の妖しい婦人があらわれて、寝入っているお辻の息の根を止める夢を見た……
 鏡花の郷里金沢は北陸の市である。冬は雪に埋もれて退屈な日を送るしかない。紙凧を揚げるにしても、春は三月か四月にならないとやって来ない。しぜん子供達の遊びも室内のものに限られる。
 幼い頃の鏡花は、母が輿入れのときに雛の箱のなかに一緒にしのばせてきた草双紙「白縫物語」や「大和文庫」「時代かゞみ」などの表紙絵を土用干しのように並べ、買ってもらった薄葉紙で、それらの口絵だの挿絵だのを透写するのに熱中したという。これは彫金師だった父が、家業を継がせるために、彼に絵を習わせようとしたことも影響している。やがて、透写に飽きた鏡花は、自らの創造のおもむくままに、さまざまな画題を試みるようになる。
 「可憐なおとめが樹上に縛りあげられ、打擲されている場面などを、いとも克明に現したものであった」とは鏡花の実弟、泉斜汀の語るところだが、鏡花の被虐趣味はこの頃からめざめていたのであろう。しいたげられる女性に妖しい美しさを、ひいては聖性を物狂おしく求める鏡花文学の素地はこんなところにもある。
 文中、「婦人(おんな)は右手(めて)を差伸ばして、結立(ゆいたて)の一筋も乱れない、お辻の高島田をむずとつかんで、ずッと立った。手荒さ、烈しさ。元結は切れたから、髪のずるりと解けたのが、手の甲にまつわると、宙に釣されるようになって、お辻は半身、胸もあらわに、引起こされたが、両手を畳に裏返して、呼吸(いき)のあるものとは見えない」と著されているが、これなどは「歌行燈」の芸妓お三重が船頭達からうける非道な扱いや、「眉かくしの霊」で若婦人が緋のの長襦袢一枚で村中をひき廻される箇処などと同様に、幼少の頃に読み耽った草双紙の頽廃的雰囲気が如実に再現されている。
 題名の処方秘箋は処方箋に秘術の意味を加えたもので、あやかしの婦人の秘法を指す。

雪の翼

 明治三十四年一月、「今世少年」に「本朝食人種」の題名で発表された。「雪と羽衣」と題されたこともある。岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 年少の読者にはいささか難解な印象を与えるかもしれない。しかし、昔は幼い頃から文語体に馴れ親しむので、まったくの口語体よりも、このような混交体のほうが少年少女には読み易かったのである。同様な少年向け山岳小説に「さらさら越」がある。
 留守を守る海軍少尉の婦人民子が、入院している夫を見舞う旅の途中、雪に閉ざされて深山の宿に動けなくなった時、舞いこんできた雁を助ける。やがて雪のあわいを縫って宿を発つが、ソリが道をすべり、転落した民子は炭焼小屋へたどり着く。そこでは雪に封じこめられた男たちが、人肉をも食するという飢餓状態にあり、あわや荒男の餌食になろうとしたのを雁の恩返しによって一命をとりとめる……
 「泉鏡花年譜」の明治二十六年の項に「八月、重き脚気を痛み、療養のため帰郷。十月京都に赴く。同地遊覧中なりし、先生に汽車賃の補助をうけて横寺町に帰らむがためなりき。時小春にして、途中大聖寺より大に雪降る」とある。
 当時、金沢から上京するためには、徒歩か人力車で敦賀まで行き、そこから汽車に乗るより方法がなかった。この体験を活かし、雪の街道、雪の峠に漂う霊異を描いたのが本作である。文中に出てくる春日峠(かすがのとうげ)は北陸道最後の難所であり、石川と福井の県境にある牛の谷(や)峠より、さらに山ふところ深い南越地方特有の鬱蒼とした山路である。この春日峠を舞台にした作品として、他に「白鬼女物語」「山中哲学」「怪語」などがあり、飛騨山中を舞台とした名作「高野聖」と共に、鏡花の山中幻想譚の系譜を形造っている。

女仙前記・きぬぎぬ川

 「女仙前記」は明治三十五年一月の「新小説」第七年第一巻に、「きぬぎぬ川」は同年五月の「新小説」第七年第五巻ない発表された。共に岩波書店版鏡花全集卷七より収録。「きぬぎぬ川」の自筆原稿の末尾には「女仙後記(完)」と記されている。
 「女仙前記」は雪売りのおやじの呼び声で書き起こされる。湯湧谷の錦葉の時分に、どこからともなく現れた娘の世話をしたおやじから、その娘のかたみである白い兎をお雪はさずかる。いかなるめぐり合わせか、娘の名もお雪といった……
 「女仙前記」は筋の展開にそれほどの変化はない。雪、白い兎、お雪という名の二人の女、といった点景に湯湧谷のなつかしい眺めが添えられ、そこはかとない詩情を漂わせる佳品である。
「きぬぎぬ川」では、兎をさずかった令室の行方をさがして、後朝川の上流へとわけ入った女中が、湯湧谷で気高い麗人に出会って救われる。
 本作には前述した「白縫物語」と全く同じ構図をとる部分がある。幼いころ亡き母から、よく絵解きをしてもらった草双紙のことである。やさしかった母と孤独な少年を癒す摩耶夫人像とが手を取り合い、女仙の姿となって結実した、「蓑谷」「竜潭譚」「清心庵」の系譜に連なる物語である。ここには美しい救済者への夢想という鏡花文学の根源的主題が流れている。また、本作の面目は、岩角にすがり、渓流を渡り、山の奥深くへとわけ入る、その自然描写の筆致にある。岩の一枚、瀧の一筋、瀬の一滴が異常な鮮明さで描かれ、まるで克明に刻まれた銅版画を覗くような印象を読者に与える。そして、それらミクロの世界が、湯湧谷と名付けられた迷宮の螺旋構造を形造る。鏡花の小説にあっては、真の幻想が持ち得るすぐれて良質な面が、しばしば立ち顕れる。それはもはや夢幻(ゆめまぼろし)ではなく、したたかに不可思議な現実そのものである。

雪霊記事

 大正十四年四月、「小説倶楽部」第五巻第四号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十一から収録。
 本作は「雪の翼」と同じく、武生の雪に取材した作品であり、文体は一人称の「あります」体で統一されている。内容は、主人公の関が越前武生の恩人お米の宿を訪ねる物語である。道中、雪難の碑の前で、雪がすさまじい渦となって舞い上がり、「私」は雪に埋もれて倒れてしまう。粉雪が紫陽花の青い花片のように舞い、菖蒲が咲き、螢が飛ぶ……渦のごとく湧き立吹雪の超現実的な描写が、お米さんの清く暖かい肌への思いと雪の霊とを重ね合わせてゆくところが、この作品の見所である。本篇には「雪霊続記」と題する続篇があり、雪中行軍に擬して凍死したといわれる雪難の碑の亡霊が現れる。また、雪の月夜の光景を描いた佳品として、「銀短冊」と題する中篇がある。いずれもが、毎年のように深い雪におおわれる北陸の厳冬が育てた幻想であり、鏡花文学に固有の耽美的傾向が顕著に現れている。
 鏡花には、この武生周辺を舞台に、そして、周囲の山村に伝わる豊富な伝説や口碑、民譚に材をとり、修飾をほどこした小説がすこぶる多い。旧北陸道を南下し、武生市四郎丸町で二つに分かれる道を東に折れた平吹町を舞台にしたのが「水鶏(くいな)の里」。そして、その道を反対方向、敦賀へ通じる道を行くと春日峠である。また、武生の町を真っ二つに引き裂くかのように縦断しているのが現在の日野川、すなわち白鬼女川である。白鬼女川の源は夜叉ヶ池。越前、美濃、近江の三国にまたがる三国岳と三周ヶ岳の中腹にひっそりと眠る神秘の湖である。鏡花はこの夜叉ヶ池の大蛇伝説と、白山、剣ヶ身ねにある千蛇ヶ池の伝説とを組み合わせ、壮大な恋物語「夜叉ヶ池」を著したのである。

十三娘

 大正十一年十月、「鈴の音」第二巻第十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷二十二より収録。鏡花自筆原稿には「たけのやま」とあり、のちに改題された。
 本作は中国の小説、段成式の「剣侠伝」の一篇「老人化猿」の翻案である。原文はわずか百余文字の短文だが、それを草双紙風の興趣にかえて、手頃な短篇に仕立て直したものである。文中では女主人公十三娘に「おとみさん」とのルビが付されているが、中国ものゆえ、題名は「じゅうさんじょう」と読むのが正しかろう。
 天下の女剣侠とうたわれた趙国明径の楊家(楊朱の学説を奉じる学者のこと)の娘、十三娘(おとみさん)が、越王に招かれて越国へ向かう道中記だが、単なる冒険譚としてではなく、一種の変身譚として読むべき物語である。
 人が化けて馬となり牛となり、また人を化かして馬となし牛となす術は幻想文学の欠くべからざる要素として、神話時代から現代にいたるまで脈々と語り継がれている。鏡花の小説のなかにも、そのような観音力や鬼神力が描かれた作品は数多く、それら怪異物の頂点に「高野聖」がある。
 本作の老人化猿は、化けるのは自分自身である。「高野聖」のように人の呪力によってたぶらかされるのではないが、変身することに違いはない。この変身、すなわちメタモルフォーシスを、生物学用語の「変態」に置き替えてみれば理解しやすくなる。オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが、いわゆる生物学上のメタモルフォーシスである。これら自然界の大法則を、空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学なのである。
 鏡花は明治三四十年代に、しきりに唐宋から明清間の奇談を翻訳もしくは翻案している。岩波書店版鏡花全集卷二十七には「唐模様」と題する小品が収められている。幸田露伴から芥川龍之介や木下杢太郎を経て、中島敦や石川淳に至る「支那好み」の系譜の中間に位置する佳作であり、秋成やラフカディオ・ハーンの作品と好一対となっている。

駒の話

 大正十三年一月、「サンデー毎日」第三年第一号に発表された。岩波書店版鏡花全集卷二十二に初出の稿が、卷二十三には決定稿が収められている。本書には卷二十三より収録した。
 駒とは猫の名前で、ここでは猫が主人公である。しかも、駒は知恵や感情をもち、強烈な個性をもって、積極的に人間界に参入する。
 近代日本文学で猫を扱った作品は少なくない。とりわけ、漱石の「我輩は猫である」、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」、萩原朔太郎の「猫町」、内田百けんの「ノラや」などは有名である。また、文中で触れられている「想山著聞集」や「徒然草」の「猫又」の話もよく識られている。猫又とは人を喰い殺す魔性の猫で、妖怪変化のことである。しかし、本作に描かれた駒は化け猫ではない。この牝猫は並々ならぬ礼節をもって人間世界に入りこみ、その母性愛に驚嘆の目を向けさせるのである。人語を話す猫という蕉園女史の挿話が織りこまれているが、この種の猫は明治四十三年十月に発表された「三味線堀」にもしきりに現れている。大団円で、長刀小脇に白衣の貴婦人が大猫をともなって見得を切る、という「三味線堀」の華やかさとは逆に、本作では次第におとろえてゆく駒の境涯が、写生文風に淡々と描かれている。飄逸な趣をもつ小品である。
 ちなみに、鏡花には「黒猫」(明治二十八年)という作品がある。エドガー・アラン・ポーの「黒猫」の影響下に著されたといわれる作品で、盲人の怨霊がとり憑いた黒猫が登場する怪異譚である。

絵本の春

 大正十三年一月、「文藝春秋」第四年第一号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十三より収録。
 桃も桜も、真紅の椿も、濃い霞に包まれた春おぼろのたそがれ、小路の破れ木戸に「貸本」とかなで染められた白紙の幻覚に少年はおそわれる。幾日も、その貸本の紙ばかり見つめていると、美しいお嬢さんが一冊の草双紙を貸してくれた。「絵本の春」との表題はここからとられた。
 文中に出てくる「逢魔が時」は、鏡花が好んで用いる言葉である。「逢魔が時」とはたそがれのことであり、暗でもなく、光でもなく、光と暗との混合でもない、一種特別な色彩の世界である。鏡花は「たそがれの味」と題する談話のなかで、彼の文芸観の一端を語っている。
 「多くの人は、たそがれと夕ぐれとを、ごっちゃにして居るように思います。夕ぐれというと、どちらかといえば、夜の色、暗の色という感じが主になっている。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。といって、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありますまいか……夜と昼、光と暗との外に世界のないように思っているのは、大きな間違いだと思います。夕暮とか、朝とかいう両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。私はこのたそがれ趣味、東雲趣味を、世の中の人に伝えたいものだと思っております」
 鏡花によれば、たそがれと夕ぐれとが違うように、善と悪、正と邪、快と不快、それらすべてが昼と夜のようなもので、人間はそのあいだに一種微妙な形象、心状を現ずるのである。ちなみに、この言葉を夢と現実に置き換えてみよう。アンドレ・ブルトンは「シュールレアリスム宣言」の中で「夢と現実、一見まったく相容れないこの二つの状態が、一種の絶対的現実、言うなれば、超現実のなかにいつしか解消されてしまうことをわたしは信じていると叙している。鏡花が説く「たそがれの味」もまた、かかる対立概念が対立せず、矛盾が矛盾でなくなってしまうような至高点への信仰であり、その具象化であった。
 繊細な感性とたくましい空想力をもった少年にとって、たそがれは魔の領域にふと足を踏み入れたくなるような時間帯である。「逢魔が時」という魔界へのパスポートをもって占いをする妖しい小母さん、生肝をとられた若い女の話、洪水の怪異などが、走馬燈のようにめぐる。鏡花の小説の不可思議である。しかし、不可思議なものはつねに美しい。「美しいものは不可思議なものを除いてほかにない」と宣言してみせたのもブルトンである。

貝の穴に河童の居る事

 昭和六年九月、佐藤春夫主宰の「古東多万(ことたま)」第一年第一号に「貝の穴に河童が入る」の題名で発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集二十二より収録。
 鏡花が本作のなかで描き出した河童は、三尺にも満たない背丈で、青蛙のような色の皮膚にいぼいぼが立ち、とがった嘴にピカピカ光る眼、もずっくのような毛が耳までかぶさった小動物であった。
 この思いのほか古典的な河童が、舞台が鎮守の森に移るあたりから滑稽な道化のように思われてくるのは、河童が遣う「でっしゅ」「でしゅ」といった奇妙な言いまわしにあるようだ。
 鎮守の森は魔界の住人たちの表舞台である。美しい姫様のまわりには、栗鼠、山鴉、木菟、蛇、白兎などの異類異形がぞろぞろ登場してくる。これらは鏡花世界にひとつのジャンルを形造っている。しかし、ばけものというものは、そもそも人間界を超越した存在で、どんな残酷なことでも平気で実行するような存在でなければならないはずである。それが鏡花の好んで描くお化けには、天狗や鬼など正統な妖怪がもつ、いかめしさや恐ろしさはまったく見受けられない。それどころか、どちらかといえば人間の健気さに弱いのである。前に述べた「夜叉ヶ池」や「水鶏の里」をはじめ、「天守物語」「深沙大王」に登場する妖怪のことごとくが、人間界に引け目をもち、あまつさえ美しい人間をうらやんでいるのである。鏡花は化けものとは争わない。鏡花にとって妖怪とは、母性憧憬の迷宮の番人であり、愛すべきミノタウロスでしかなかった。
 鏡花のほかにも河童を主題にした作品は多い。芥川龍之介には有名な「河童」がり、絵も珍重され、忌日を河童忌という。また、火野葦平には「名探偵」や「紅皿」、中村地平には「山の中の古い池」、塩谷賛には「江戸の河童」と題する小説があり、いずれも独自の風格を具えた河童を登場させている。

 (泉鏡花小説集「化鳥・きぬぎぬ川」 第三文明社 一九八九年十二月十日刊)


 mixiへはむかし書いた文章を主として載せていた。気が向けば、red foxの続きをはじめるつもりだが、それがmixiであろうがですぺら掲示板であろうが一向に構わない。それと、mixiでred foxがなにを書いたか、コピーを取っていないので定かでない。ただ、旧作に限ってなら何を載せたかは覚えている。従って重複の心配はない。
 文中で触れたが、「化鳥」が発表されたのが一八九七年、そして「ユリシーズ」の上梓は一九二二年である。その「ユリシーズ」に妻モリーがベッドの中でブルームを回顧する句読点のない長い内的独白がある。ときを同じくして世の中には似た作家が現れる。思うに、ジョイスやプルーストの翻訳には鏡花の文体が相応しい。その消息はネルヴァルやシュオッブに「大川端」の文体が似合うのと同じである。
 そうした東西の文学運動の類似点もしくは時代の要請に関して、再考し何度でも整理し直すひとが現れてほしい。例えば、ヌーボーロマンやアンチロマンはフランスで生まれた文学運動だが、作品として花開いたのは吉行淳之介の「砂の上の植物群」以降の作品、とりわけ「夕暮まで」が呼応すると思っている。その理由は書かない。ただ、「夕暮まで」とその後の「鞄の中身」はすぐれて実験的な小説だった。

 本書は学生向けの日本文学選集の一冊で、編輯は一任された。紹介は潮出版社の編輯長高橋康雄さん。先立って、「主婦と暮し」に「自転車美人」を寄せている。三浦環や「魔風恋風」の女主人公初野のモデル、泉屋鶴吉などについて書いた。
 二十年を経て繙読し、存外変わっていないという覚束ない思いで一杯である。還暦を過ぎてこの態ではどうにもならないが、解説には基本的な間違いがあって訂正の機会を窺っていた。過ちは削除できたので、取り敢えず安堵している。
 解説を書き上げてまもなく、第三文明社の編輯長が拙宅へ見えられた。曰く「他の巻とは力の入れ方が違う。よろしければ書き下ろしの鏡花論をお願いできないか」とのはなしだった。当時は読売新聞社から研文社へ移籍、小出昌洋さんと辞書づくりの毎日だった。研文社は三社しかない辞書専門の編輯プロダクションのひとつで、講談社、旺文社、学研などの辞書を専らにしていた。折悪しく、講談社の国語辞典の語釈で忙殺されていた。丁重にお断りしたものの、端から引き受けるつもりはなかった。私にとって鏡花は人目を忍んで熟読玩味すべき作家で、畏れ多くも論じるような対象ではない。せいぜいが解説か開題の類いで気持は熄まる。そこから先、踏み込むつもりは今もない。

   わが恋は人とる沼の花菖蒲     鏡花


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 14:16 | 固定ページリンク




バクテリア発生  | 一考    

 昨日は拙宅で水道工事があった。築三、四十年は経た家なので、金属パイプを用いている。それが錆び付いて水の出が悪くなっていたのである。二階のトイレは完全に使用不可、洗濯機は一回の洗濯に三時間ほど掛かっていた。もっとも、全自動なので、打っちゃっておけば明日には出来上っている。騒いだり狼狽える必要はどこにもないのだが、女性がいるとなるとそうも行かない。女性はやはり生活の段取りを考える、もしくはかつての生活と比較する。以前はシャワーの勢いがもっとよかったのに、洗濯は三十分で脱水まで済んでいたのに、貴方がトイレを使ったあとは水が貯るのに二十分もかかる、の類いである。
 金属パイプの内側の直径が狭まっているのも理由の一つだが、各種器具の繋ぎにはフィルターが付いている。そのフィルターの目詰まりが酷かったのである。バケツで四杯ほどの真っ赤な泥水が出てきた。そう言えば、この十年、掃除はなにもしていない。フィルターやパッキンの掃除や補修ぐらいは自分でやらなければいけないようである。
 マンションの屋上に設けられた貯水槽は毎年掃除が必要である。二年も捨て置けば、珪藻と藍藻、要するにデトリタスが大量に発生する。貯水槽ではなく、給水管の場合でも、錆、雑菌、スライム(ヘドロのような汚れ)が発生し増殖する。水が不味いという前に、しかるべき管理が必要であると痛感させられた。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月28日 22:35 | 固定ページリンク




パソコンの修理2  | 一考    

 モルト会があったので、パソコンの抜本的な修復ができずにいた。モルト会が済み、プリントの要がなくなったので、今日は朝から徹底的に弄くった。松友さんには心ならずも迷惑をお掛けしたようである、忝なく思う。ただ、475から7600を経てG3まで、スペアの機種は拙宅に十台ほどある。いざとなれば古いマックを持ち出せばよいのだが、現行のG4初期タイプはケースやマザーボード、各種パーツからケーブル類を集め、自ら組み立てたものである。要するに、最初から私用に造られていてノーマルな機種と比して癖が強い。それ故の愛着もいささかある。OS9は完全に元に戻った、OSXへの移行は必要ない。まだ数年はこのまま用いるつもりである。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 23:26 | 固定ページリンク




次回モルト会  | 一考    

 五月のモルト会はブレイヴァルとクラガンモアの予定。少々高くなるが、最高のモルト・ウィスキーを用意する。四月のダルユーイン、ピティヴェアック同様、店主のもっとも好きなウィスキーであり、全力を投入する。乞うご期待。
 なお、武蔵屋主宰のワイン展示試飲会は五月二十一日、水曜日です。ワインの他、ポート、マディラ、シェリーが出品される予定。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 05:03 | 固定ページリンク




ダルユーイン其他の解説  | 一考    

 ダルユーイン '89(マクダフ・インターナショナル)
 ザ・ゴールデン・カスクの一本。14年もの、54.5度のカスク・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。
 ボウモアとラフロイグのディスティラリー・マネージャーを歴任したジョン・マックドゥーガルのセレクション。ノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、同時頒布はボウモア、ダルモア、バルブレアの四種類。
 フランスのジャン・ボワイエ社、アデルフィ社、クライズデール社と共に傑出したボトラーで、稀少な蒸留所のボトルを陸続と頒している。とりわけ、コストパフォーマンスに傑れているのがマクダフ・インターナショナル社であろうか。

 ダルユーイン '71(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。40度。
 マルティニック・ラムの香りを持つフル・ボディ。ホットな辛口でアフター・テイストに特徴あり。フィニッシュが長く、スモーキーからビターへと次第に変化していく。
 辛口のモルト・ウィスキーの多くはブラック・ペッパー系の辛さだが、本品は蕃椒、それも一味唐辛子のぴりぴり感を持つ。タリスカー同様、ジョニー・ウォーカーの核となる原酒モルト。

 ダルユーイン'80(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。19年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
 マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションには稀少なものが多く含まれる。例えば、リンリスゴウ '82は現在手に入る唯一のセント・マクデランである。
 本品はダルユーインのボトルのなかではひときわ傑出する。

 ダルユーイン '80(サマローリ)
 18年もの、45度。390本のリミテッド・エディション。
 サマローリ社は伊太利亜ブレシアの酒商。スプリングバンク蒸留所と親しく、ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持ち、オリジナルのヴァテッド・モルトを頒している。
 同じイタリアの酒商インター・トレード社同様、ボトルには檻が多く含まれる。樽の個性、ひいてはウィスキーの香味の神秘を識るに最適。本品はハイランド・パークやテナニャックと共にコンディションがすこぶる良く、美味。45度とのやや低いアルコール度数を感じさせない緊迫感あり。

 ダルユーイン '80(アデルフィ)
 21年もの、56.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 アデルフィ蒸留所は1826年グラスゴーにて設立。1880年にはスコットランドでもっとも大きな蒸留所のひとつになった。しかし、20世紀に入り景気が後退、生産調整のために多くの蒸留所が閉鎖された。アデルフィ蒸留所も時局を免れること能わず、1902年に閉鎖。ボトリングラインと倉庫のみ使用されるという状態で1960年まで建物は残っていたが、その後取り壊された。
 蒸留所の最後のオーナーであったアーチボールド・ウォーカー氏より数えて四代目にあたるジミー・ウォーカー氏はアデルフィ蒸留所の再興を願い、1993年にエディンバラでインデペンデント・ボトラーを設立。
 アデルフィ社は低温濾過すなわちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門とする。ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。すべてが一樽のみのシングル・カスクのため、イギリスでは主にメール・オーダーで頒布。信頼できる瓶詰業者のひとつだが、わが邦での評価は異常なまでに高い。

 ダルユーイン '79(シグナトリー)
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。シェリー・バットの25年もの、51.4度のカスク・ストレングス。509本のリミテッド・エディション。
 シグナトリー社はゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社についで三番目のボトラーとして1988年にリースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務を行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲まれない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」またドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いを楽しむことができる。同社のカスク・ストレングスにあって、寸胴型丸瓶のシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。
 なお、カスク・ストレングス・コレクションはノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、寸胴型丸瓶のシリーズに変わるコレクション。

 ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルのオイリーな舌触りはなく、きれのよさがそのままホットなアフター・テイストへ繋がって行く。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー、エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られる。
 同社が関与するボトルについて一言。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。
 1999年に頒された「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった、初入荷は14点。ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に目の離せないシリーズとなった。

 ピティヴェアック12年(UDV)※
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 ダフタウン蒸留所に隣接す。仕込用水からポット・スティル、熟成庫までを共にする、謂わば弟でありながら、兄とは異なりすこぶる個性的な酒を造っていた。蒸留所は93年に閉鎖。
 自己主張が強く、ダルユーインのようなホットなアフター・テイストを持つ。ピリピリ感を伴うフィニッシュが比較的長く続く。同じ飲むなら、ダフタウンよりこちらがお薦め。
 ただし、ディアジオ社のボトルはことごとくシェリー香が強い。美味いといえば美味いのだが、蒸留所独自の個性が歪められているように思う。従って、ホットなアフター・テイストを楽しむならコニッサーズ・チョイスがお薦め。
 花と動物シリーズに続き、レア・モルトも廃止、ディアジオ社はどこへ行くのかと思っていたが、個々の蒸留所のディスティラリー・ボトルに力を入れていくとか。もともと、花と動物シリーズはディスティラリー・ボトルを持たない蒸留所の売店での看板商品として開発されたのでなかったのか。ならば、すべての蒸留所にディスティラリー・ボトルを持たせるのかしら。

 ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
 現在のところ、最も新しいピティヴェアックのボトル。レッド・ペッパーを思わせる強烈なフィニッシュを味わうには本品が最適。以前のボトルより、はるかに過激な香味を持つ。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。

 ピティヴェアック・グレンリヴェット '85(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの16年もの、57.3度のカスク・ストレングス。限定192本のシングル・カスク。
 本品以降、ケイデンヘッド社はピティヴェアックをボトリングしていない。スプリングバンク蒸留所のブレンド・ウィスキー開発に伴って、ケイデンヘッド社はボトラーとしての役目を終えつつある。残るボトラーはダグラス・レイン、シグナトリー、ゴードン&マクファイル、ダンカン・テイラー、イアン・マクロードの五社を中心に再編成されてゆく。

 グレンキンチー10年(UDV)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、43度のディスティラリー・ボトル。
 ローランド・モルトの特色をよく備え、酒質は軽く、癖の尠ない辛口で飲みやすい。けだし香りが豊かで、入門編として格好。ヘイグのキー・モルト。
 柔らかな燻香と微かな磯の香が持ち味。こぢんまり纏まった巧緻な味わい。
 フィニッシュは最初はドライ、次第にスパイシーに変化する。蕃椒の辛さ。

 グレンキンチー・アモンティリャード '86(UDV)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本、43度。
 ザ・ディスティラーズ・エディションにはオーバン、ラガヴーリン、クラガンモア、タリスカー、ダルウィニーの六種類のダブル・マチュアードがあり、各々異なる仕上げになっている。本品はフィニッシュにアモンティリャードのシェリー・カスクを用う。
 アモンティリャードにしてはやや甘口に過ぎる気がする。モスカテル・シェリー樽をフィニッシュにもちいたカリラがその痕跡を抑えているのと比して、まるでポート樽のような甘味を持つ。いささかの抵抗感あり。
 他にフレンド・オブ・クラシックも頒布されている。

 グレンキンチー '82(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリー・カスクの18年もの、62.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ、すなわちイアン・マクロード社の樽をボトリング。リリースはスコッチ・モルト・セールス社。
 爽やかな若草にシトラスの香り、オークの甘さを感じさせるミディアム・ボディ。ドライでスパイシーなフィニッシュの中にごく僅かなピート香。タリスカー、グレン・スコシアと共に、ディスティラリー・コレクションのなかでは秀逸。
 そういえば、タリスカーもフィノ・シェリー樽を用いている。オロロソ・シェリー樽では避けられない渋味がフィノ・シェリー樽では抑制される。シェリー酒の持つデリカシーを味わうにはフィノ・シェリー樽に限られるようである。

 グルーミング '73(ダグラス・レイン)
 ディレクターズ・セレクションの一本。27年もの、50度のプリファード・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
 グレンキンチーはディアジオ社の看板商品のため、グルーミングのブランドでボトリング、中身はグレンキンチー。前記スコッチ・モルト・セールスのボトルを含めてボトラーズ・ボトルはわずか二種類しか頒されていない。
 アードベッグ、ポートエレン、オーバン、クラガンモア、オスロスク等、ダグラス・レイン社の長期熟成品と同様、香り、味、フィニッシュは共に絶品。一度は味わっておかなければならない一本である。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 04:37 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会詳細  | 一考    

4月26日(土)の19時から新装開店後、四度目のですぺらモルト会を催します。
会費は10500円、オードブルは簡略に済ませます。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
01番は旧コニッサーズ・チョイスで、最後の一本です。02番はかつてのサマローリで、こちらも最後の一本です。11番はスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ、すなわちイアン・マクロード社の樽をボトリング。リリースはスコッチ・モルト・セールス社です。他ではダグラス・レイン社のディレクターズ・セレクションからグリーミング '73のブランドでカスク・ストレングスがボトリングされている。要するに、ボトラーズ・ボトルはわずか二種類しか頒されていない。
シグナトリー社のカスク・ストレングス・コレクションのダルユーイン '79もありますが、それらは次の機会に。
ダルユーインはブレイヴァルと共に、店主が好きなモルト・ウィスキーです。
共にディスティラリー・ボトルは頒されておりません。
番椒の味わいをお楽しみください。

ですぺらモルト会(ダルユーインを飲む)

01 ダルユーイン '71(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。40度。
02 ダルユーイン '80(サマローリ)
 18年もの、45度。390本のリミテッド・エディション。
03 ダルユーイン '80(アデルフィ)
 21年もの、56.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
04 ダルユーイン'80(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。19年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
05 ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
06 ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
07 ピティヴェアック12年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
08 ピティヴェアック・グレンリヴェット '85(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの16年もの、57.3度のカスク・ストレングス。限定192本のシングル・カスク。
09 グレンキンチー10年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、43度のディスティラリー・ボトル。
10 グレンキンチー・アモンティリャード '86(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本、43度。
11 グレンキンチー '82(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリー・カスクの18年もの、62.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年04月24日 21:09 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

4月26日(土)の19時からですぺらモルト会を催します。
ウィスキーはダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーなど、ホットなウィスキーばかりです。このホットとはペッパー系ではなく、一味の辛さを内包したウィスキーです。
会費は11000円を目安にしています。オードブルは簡略に済ませます。USBメモリを紛失したので、ウィスキーのメニューは明日記載します。
詳しい解説は当日お渡し致します。 参加ご希望の方はお知らせ下さい。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月24日 05:05 | 固定ページリンク




シェリー試飲会  | 一考    

 昨夜遅く、一見の客が入れ替わりに三組来店。みなさんがモルト・ウィスキーのお客で、お陰で先月の家賃が払えた。家賃は先払いである。よって四月はおろか、五月分の請求書も既に上がっている。家賃の支払いが追い付くまで、当分のあいだ自転車操業がつづく。五月は営業日数が少ないので、さらに暇になる。みなさん、よろしくお願い致します。

 明日、二十三日はアンダルシア州政府と武蔵屋主催の「スペイン アンダルシア製品展示販売会」がある。時間は正午から午後五時まで。場所は青山ダイヤモンドホール(地下鉄 表参道駅)電話03-5467-2207。インポーター十数社が参加するので、シェリー、ワイン、生ハムなど数百種が試飲・試食できる。かなり珍しいフォーティーファイド・ワインも出品される予定。ルスタウ社の製品も出品される(ですぺら掲示板「各種ワインについて」2007年06月14日参照)。私はおっきーさんと一時頃に出掛ける予定。

 ところで、「寺山修司劇場美術館」(四月一日から五月十一日 青森県立美術館)「冒険王・横尾忠則」(四月十九日から六月十五日 世田谷美術館)「ガレとジャポニスム」(三月二十日から五月十一日 サントリー美術館)の招待状がある。店に置いているので、ご入り用の方は声をお掛け下さい。まさか、青森行きの方はいらっしゃらないと思いますが。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月22日 20:23 | 固定ページリンク




メトロミニッツ  | 一考    

 東京メトロの各駅で無料配布されるフリーペーパー「メトロミニッツ」が土曜日に刊行された。雑誌の中央部にサントリーがスポンサードしたシングル・モルトの特集が挟み込まれてい、二十九軒ほどのバーが紹介されている。文中、ですぺらと一緒にキャンベルタウン・ロッホが紹介されている。共に東京ではもっともリーズナブルな店である。今回は値段の一部が載っているので、前記二店がいかに廉価かがよく分かる。他店と比して、およそ二割から四割安い。
 今回の新装開店に際してかなり値上げした。それを気にしていたのだが、木村さんから山手線の内側ではもっとも安価な店だと言われてきた。それが証明されたようで嬉しく思う。赤坂見附の駅から二十冊頂戴してきて店で配っている。今日もう少しもらってくるので、読んでいただきたい。

 拙宅のパソコンだが、やはりハードディスクに問題があった。ノートンで修復したが、一部は直らない。コントロールバーなどは起動しない。起動しない理由は定かならず、検索も役に立たなかった。マックの場合、システムのコピーで不具合は生じない。従って、ボリュームの構成に問題があるようだが、そちらも修復不能と表示される。ノートンが万能でない時はハードディスクを取換えるのが唯一の方策である。
 近頃は極小容量のハードディスクで状態のよいものが手に入らなくなった。60GBから120GBでパーティーションを切るしかなさそうである。それは先のこととして、片肺ながら、取り敢えずパソコンは起動するようになった。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月22日 14:14 | 固定ページリンク




パソコンの修理  | 一考    

 自宅のパソコンが故障で立ち上がらなくなった。ハードディスクかマザーボードのどちらかが理由だと思う。共にスペアがあるのでなんとかなりそうだが、時間が必要である。よって掲示板はしばらくお休みである。明日は日曜日、休みの間に直ればいいが。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月19日 16:00 | 固定ページリンク




翻訳  | 一考    

 一九六八年十月から七二年の末まで、ちょっとした契機で某仏蘭西文学者を知った。名を俗に大先生という。大先生の名付け親を私は知らない。私が知り合ったときは既にその名が使われていた。というよりも、大学の関係者はみなさん、ゴダールの映画に登場するプロデューサー、プロコシュと重ね合わせていたようである。モラヴィアの原作をもとにしたゴタール初のオールスター商業大作である。
 某仏文学者の社会的地位がどのようなものであったのか、私は知らない。そのようなことにはいささかの興味もないからである。ただ、大先生の過去の翻訳には興味があった。だからお会いしたのである。
 その仏文学者のエキセントリックな人品骨柄についてここで書きたいのではない。書かなければならないことはいくらでもあるが、まだその時期ではない。自らに課したお題は翻訳である。
 前述した「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」を読んで、こなれていない訳文と久しぶりに出会った。詳しくは東洋文庫の「東方旅行記」、ジョン・アシュトン「奇怪動物百科」、ジャイルズ・ミルトン「コロンブスをペテンにかけた男 騎士ジョン・マンデヴィルの謎」等々を繙かれたい。私がここで取上げたいのはあくまで翻訳文である。とは言え、「東方旅行記」を翻訳なさるような奇特な方の文章にケチを付ける気は毛頭ない。「こなれていない」の一言で十分である。
 大先生の翻訳原稿をはじめて頂戴したときのはなしをしよう。さらにこなれていない翻訳についてである。その原稿はなぜか拙宅にある。翻訳の対象は、国立古文書学校を卒業後、巴里国立図書館に勤務、アレクサンドル・コジェーヴの影響のもとに徹底的なヘーゲルの継承と批判から出発した思想家・作家である。その原稿を手にしたときは愕いた。「……」とだれそれが言った、とすべての会話の終わりに几帳面に添えられてあった。この「だれそれが言った」は確かに原文には入っている。しかし、それを端折っても誰の発言か分かるように翻訳するのが、翻訳者の務めであろう。ことごとく削除しろとはいわない。変化を持たせる、もしくは「とだれそれ」だけでもかまわない。「といった」を端折るだけでも随分とすっきりする。私はその原稿を真っ赤にした。そのときの大先生の御歳は四十六、翻訳者としては油が乗るころである。
 往時の大学の事務方から聞いたはなしだが、とある裁判でもめた折、大学に残れば名誉教授にはしない、辞めていただければ名誉教授にすると迫られて、躊躇なく高額な退職金と税金を納める必要のない終身年金を選んだ。人を育てるよりも金、授業なんざあやってられるか、これなどは大先生の大先生たる所以である。
 このような文章で名前を引き合いにだされると出された方が迷惑する。従って、比較や参考はなにもない。世の仏文学者の大方は大先生を認めてもいないが、それらの発言もここでは控える。ただ、一部のマニアの間ではいまなお持て囃されているようである。ちなみに辞書を引くと「「マニア」は英語の mania に由来するが、この語は「精神病」を意味し、その病気にかかった「狂人」は maniac。従って、何かの趣味に「熱中する人」の意味の「マニア」を mania とするのは正しくないし、maniac もむやみに使わないほうがいい」とある。されば「オタク」であろうか。大先生から自称愛書家まで、無菌培養の世界で成長した絶対論者であり、美の信奉者であればこそ、「オタク」が相応しかろう。
 「選ばれた少数者のために」が大先生の標語の一つだったが、これはゲッペルスが好んで用いた言葉である。ゲッペルスから採ったのか、それとも「時々は有益なことをいつてゐる」と茂吉が評した吹田順助訳ローゼンベルクから採ったのか定かでない。その標語に対して「話を書物に限っても、書物は複製芸術であり、いかに部数を劃ったところでそれすらが逞しき商魂。よしんば購入者にマイノリティー意識という妄想を抱かせたとすれば、それは偽善でしかない」と私は書いた。大体において、少数者という曖昧な文言を安易に用いるところに、大先生の思慮の底の浅さが窺える。そして、選ばれた少数者などと煽てられて脂下がるのはマニアやコレクターの常である。そうして、そのような土壌からファシズムが培養されてゆく。
 翻訳とは自らの権威や権力もしくは社会的な地位や名声を誇示ないしは保持するためのものであってはならない。翻訳とはついに男子一生の為事たり得ない。一笑の為事とすべく、努めて努力しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月18日 08:01 | 固定ページリンク




宇宙の目  | 一考    

 「嗜み」で写真を撮っていただいた齋藤亮一さんから写真が送られてきた。礼状はまだ認めていない。佐々木幹郎さんのところへも送られているが、私は掲示板への写真の載せ方をしらないので遠慮する。
 今までいろんな方に写真を撮っていただいたが、直接写真を頂戴したのははじめてである。幹郎さん宛ての写真の目があまりに感動的だったので、「小さな目の反影のような赫き」と掲示板で書いた。それと比して私は小難しい顔をしている。しかし、どのような顔付きであれ、写真を頂戴したことは嬉しい。なにごとによらず、生れてはじめてというのは有り難いものである。齋藤亮一さんに感謝。
 彼のホームページを訪ねたところ、宇宙の目というのがあった。ひょっとしたら、幹郎さんご紹介のエンデヴァー号の写真も出自は同じなのかもしれない。私にとってはのんちさんの「波坐目」を思い起こさせる写真である。そしてホームページのはじめに戻って、ぜひ全体をご覧いただきたい。

 http://RSblog01.exblog.jp/5821068/


投稿者: 一考      日時: 2008年04月17日 23:13 | 固定ページリンク




水割りとソーダ割り  | 一考    

 今日、突然工事日が決まった。午後一からのガス工事である。雨が降るのにご苦労さんなことである。従って、サントリーのパーティーへは参加できなくなってしまった。担当者の方には迷惑をお掛けする、こちらでお詫び申しあげる。もっとも、七百名の宴会なので、私ごときが行かなくともどうということはあるまい。
 今日のパーティーは山崎の水割りとソーダ割りの試飲会だそうである。水割りは一対一で氷は用いない。ソーダ割りは一対三で、やはり氷は用いないのが理想である。この水割りとソーダ割り(ハイボール)はまったく異なる飲み物である。
 水割りは水で薄めるだけなので、水っぽくなるだけである。間違えても、カスク・ストレングスの水割りはやめていただきたい。ダグラス・レインやジョン・ミルロイのゴールデン・ストレングスは五十度に加水しているが、これは加水後、樽へ戻して後熟させる。後熟なしの水割りはウィスキーと水とが分離したまま飲むことになる。お薦めできない理由である。水っぽくなるのを防ぐために甘口のそれもフルボディのウィスキーが適している。例えば、ストラスアイラやマッカランである。
 ソーダ割りはそれだけで一種のカクテルである。どのようなウィスキーを用いようと甘くなる。よって辛口の腰のあるウィスキーが理想である。ひできさんはタリスカーのソーダ割りを飲まれるが、美味いだろうと思う。私のお薦めはラフロイグの十年である。ラフロイグは十年の加水タイプに限ってひどく不味い。あれを美味く飲むにはソーダ割りが理想である。
 今日、参加したかった理由は実はフードにあった。サントリーが提供するフードはよく選ばれている。前回のメロンのドライフルーツは絶品だった。こちらは後日、勉強させていただく。盛会を祈る。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月17日 12:15 | 固定ページリンク




物の上手  | 一考    

 ひとに手紙を送るのは難しい。誤記、脱字、その他の間違いがないだろうかと投函した後もポストの回りを彷徨(うろつ)くことになる。それが嫌で、二十歳になったときから手紙を一切書かなくなった。書かなくなったことを屡々非難されるが、こればかりは勘弁してほしい。最近はメールという安直なものができたのでよく利用する。
 掲示板もひっきりなしに弄くっている。要もないのに書き換えているのである。櫻井さんが管理人のときは叶わなかった推敲がいまでは可能である。もっとも、推敲とはいえ、私の場合は最適の字句や表現を求めての改変ではなく、ただ徒に捻弄しているに過ぎない。推敲とは「推」を改めて「敲」にしようかと迷い続けることであって、この三日間の書き込みも再三に渡って捻弄している。「ねんろう」は耕衣さんの造語である。
 さて、坂田さん(お名前は控える)からメールを頂戴した。面識はないが、もう苗字を書いても構わないだろう。前述のMSさんである。MSさんからの手紙にも誤記があった。暖房が暖防になっていたのである。他にもあったが、わがことのように羞ずかしく思った。
 去年のことだが、さる人の文章を非難したところ、絶交されてしまった。もっとも、私が非難したのは「視点の未分化」であって、それ以上でも以下でもない。大体が、付き合いと文章の是非はまったく次元の異なるはなしである。それが丼勘定されるのはとても不思議で悲しかった。おそらく幼児性が異常に強いか、もしくは文章によほどの自信があったのであろう。しかし、文章に自信があるなどという戯言は私には信じられない。みなさん自信がないからこそ、書き直すのでないだろうか。書き直すとは表面の取り繕いではなく、中身の一新でなければならない。私は雑誌社から何度原稿を突き返されたか分からない。いちから書き直せとの仰せを書くたびに聞かされたのである。
 その絶交が災いして、相手がプロでない限り、ひとの文章を非難するのは止めてしまった。それが坂田さんの原稿を読みたくないといった理由である。繰り返すが、活字になったものなら読ませていただきたく思う。その場合は活字にした人の責任が介在するからである。仮に非難するにせよ、その対象は介在したひとに向けられる。
 私は思うところをそのまま口にする。従って、ひとの反感を買い、世間を狭める結果となる。稀にべんちゃらを口にすることもあるが、それは励ますようなときで、下心がはっきりしている。いずれにせよ、飲み屋の親父にはあるまじき行為である。糅てて加えて、私は自らのの姿勢を何度も掲示板で著してきている。
 例えば「情念を重んじ非論理的な文言は赦さず、「賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る」輩が迷い込んできたときは弾劾する」と橋本真理さんに関する文章で書いた。この場合、「賞なしコネなし」はやる気さえあれば付いてくる。従って剰余を削れば「やる気なしで作家を気取る」となる。
 このようなことを書けば、話の接穂がなくて困惑する。そこで一条兼良の「小夜のねざめ」からひとこと。彼は自信家で権威主義者だが、たまにはよいことも言う。

 世の末にはあしき事もよくなり、よきこともあしくなることもあれども、物の上手、人の稽古などはかくれぬ物ぞかし。

 坂田さんのメールに「半分趣味ですが、趣味だからといって軽く考えているわけではありません。書くからには上達したいという思いは持ち合わせております」とあった。ここにも誤字があったが、それはさておき、趣味で結構、林達夫やヴァレリー・ラルボーのいうアマトゥールの精神だけは終生忘れないでいただきたい。あとは一語一語を大切にして、いつの日か素晴らしい作品を書いて私を愉しませてくださいな。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月17日 11:20 | 固定ページリンク




圏外文学  | 一考    

 ウェブサイトを私はあまり見ない。もっぱら書き込むか、もしくは耄けている。ところが、ゆきうりさんにマイミクになっていただき、一挙に花が咲いたようである。今日は「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」をダウンロードした。

 http://blogs.dion.ne.jp/hinboh/

 「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」や前述した「川の地図辞典」に限らず、探検・冒険にかかわる書物が好きである。拙宅には気象研究所鑑修になる「異国漂流記集」をはじめ、「海外渡航記叢書」「大航海時代叢書」 「異国叢書」の類いが積まれている。現代文学に興味が薄れた分、そうした書物に強く惹かれてゆく。海賊にまつわるさまざまな本と共に、血湧き肉躍る異聞の数々にこそ読書の醍醐味がある。私の欲望を充たしてくれるのは環海異聞のような書物を除いて他にはない。おそらく、拙宅から文芸書がなくなっても、そのような書物だけは居座りつづけるのではないかと思っている。
 東京海洋大学附属図書館のデジタル資料は貴重である。

 http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/bunkan/tb-gaku/hyoryu/hyoryu.html

 それと何時もいうことだが、青裳堂書店の「日本書誌学大系」、「新聞集成 明治編年史」「新聞集録 大正史」あとは「明治事物起源」の類と辞書である。「明治事物起源」の類書だけでも四、五十点はあり、辞書がまた同じくらいはある。冊数にすればかなり膨大になる。
 私はかつて編輯を生業としていた。文芸書しか手掛けていないが、それらはすべて歴史資料の産物であった。編輯から校正、果ては装訂に至るまで、ことごとくが歴史資料に端を発する。用紙ひとつにしてからが、歴史を今に辿ってしかるべき末裔に漉いていただく。雁皮は斐紙、間似合紙、鳥の子、薄様などと呼ばれたが、「和漢三才図会」に出てくる越前鳥の子、正倉院文書の中で見いだされた出雲雁皮、文化財保存修復に用いられる近江鳥の子、「東大寺昭和大納経」の料紙に挙用された備中雁皮等々、産地が異なれば光沢も粘りも違ってくる。歴史書は私にとって必要欠くべからざる一級資料なのである。それらを統合して、私は圏外文学と呼んでいる。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月16日 15:39 | 固定ページリンク




Age閉店  | 一考    

 芳賀さんからの電話で、Ageの閉店が五月十五日に決まった。今週は私はひとりなので身動きが取られないが、週末からはちょっと動こうかと思う。清水弘子さんは何もするなというが、そうはいかない。連休の間にでも内藤三津子さんに薔薇十字社の思い出、長谷川郁夫さんに小沢書店の思い出を語っていただこうかと思っている。私も必要ならなんでもお喋りする。最初にして最後の企画、Ageの幕引きに相応しい飲兵衛が集まらねばならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月15日 21:01 | 固定ページリンク




映像身体論  | 一考    

 先日、高遠さんと入れ違いに宇野邦一さんが来店なさった。ちょっとした事情があって、暫くお見えでなかった。ドゥルーズ「シネマ」の翻訳の産物と聞かされたが、新刊の「映像身体論」を頂戴した。素っ気ないみすず書房の本としては珍しく、「裁かるるジャンヌ」のアルトーのカバー写真で飾らている。
 まだ読んではいないが、栞が挟まっていた頁を開くと「見るということは見られることであり、触れることは触れられること、知覚することは知覚されることである……メルロ・ポンティは、見ることと見られることの交叉を身体の現象学的考察のかなめとしたのである。身体は、たんに見る主体でも、主体に見られる客体でもなく、主体であると同時に客体である。見ることは見られることとともに成立し、見られることは見ることとともに成立する」とある。
 書かれていることは決して難しくなく、すこぶる分かり易い、そして間違っていない。ただ、そうした考え方がどうしてメルロ・ポンティの現象学的考察のかなめでなければならないのか、メルロ・ポンティを読まない私には雲を掴むはなしである。「見るということは見られることであり、触れることは触れられること、知覚することは知覚されることである。身体論を語るに際し、見ることと見られることの交叉はある種のものの考え方のかなめとなる。身体は、たんに見る主体でも、主体に見られる客体でもなく、主体であると同時に客体である。見ることは見られることとともに成立し、見られることは見ることとともに成立する」の方が私にとっては通りがよくなる。「ある種の」としたのは「現象学」をさらに暈かしたまでであり、私はそのような考えを永田耕衣から学んだ。
 「映像」という要素を取り入れた身体論は何倍にも複雑になる。ドゥルーズの豊かで錯綜した映画哲学から彼がどのような問いを受け取ったのか。それを読み解くところに本書の大事がある。見る、触る、さらに知覚するといった行為は相互に浸透しあう。要するに、身体は主体と客体の垣根を跳び超えるという辺りに論点があるようである。言い換えれば、身体を中心に置いた思索によって古典的哲学とはおさらばというのが論旨のようでもある。もっとも、そのような結論を安直に引き出すようでは宇野さんから叱られる。問題は彼の思考回路といっても渦のようなものだが、その渦に共に巻き込まれなければ、宇野邦一を読んだことにはならない。そして、その搖れは決して心地よいものではない。
 それにしても彼の思考回路は複雑かつ稠密である。複雑といって悪ければ、正確を期すために厳密である。なぜにここまで細やかな注意が行き届いたものの考え方をするのだろうかと思う。私などは実に大雑把で、読み手に自由な呼吸をさせるのを念頭に置いている。それ故、誤解されることも多いが、その誤解を私自身愉しんでいる。稠密と書いたのは、彼の読書家ぶりを指している。知識や教養があればこその稠密で、さまざまな書物、さまざまな考えが所狭しと立て込んでいる。いささか風通しが悪いようであるが、そこに彼の苦行僧のような俤を観る。
 ところで、最近彼の書く文章から目立って引用が少なくなってきた。それはよいことだと思う。対象を論ずるにお気に入りの文章を引用していてはあまりにも腑甲斐ない。その対象たる作品の新たな境地、領域を展開するには自らの言葉だけで綴らなければならない。引用を読まされるぐらいなら原典を繙けば済むはなしである。
 例えば、入沢さんの詩論は難解だが、詩はパロディに満ちあふれていて判読しやすい。それと比して相澤さんの詩は一筋縄でいかない。すべては厳密な構成と深刻な洞察力の裏側に秘められてゆく。同様に宇野さんの書くものは彼の思索の内側へ幾重にも巻き込まれてゆく。そのような消息を描いてこそのエッセイである。ちなみに、私にとって難解とは意味をなさないということである。宇野さんが書くときの読者想定が私にはとんと理解できない。おそらく、わが邦にあって想定可能な読者は極めて少数であろう。
 彼がですぺらへ入ってきたとき、「やっとたどり着いた」と一言。私は彼がまさか来られるとは思っていなかった。彼とは家族付き合いをしていた。それが理由で、去年の五月以降、私は彼と距離を取ることを心掛けてきた。従って、彼がたどり着いたのなら、私は昔の友とふたたび巡り会ったのである。久しぶりの渦であり潮の香である。ちょいと船酔してみようか。

追記
 ジュネのはなしをしていて鈴木創士さんがもっか翻訳中だと聞いた。なんの翻訳だかは聞かなかったが、堀口大学、朝吹三吉、生田耕作、澁澤龍彦、いずれの訳も困る。あれでは単なる好色小説になってしまう。とりわけ「泥棒日記」は改訳の必要があると思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月15日 10:04 | 固定ページリンク




消え去ったアルベルチーヌ  | 一考    

 「「食べれてゐない」「食べれればいいんですけど」などといふ、私の大嫌ひな言葉づかひをするので、私も不快な顔をしてゐたかもしれません。私がこの言葉づかひで許せるのは若い方々のみ。社会人、それも結構な年になつてそんな云ひ方をするんぢやないと怒鳴りたくなります」と高遠さんがお書きだが、若い頃から然様な言葉遣いをしているから歳を経ても直らないのであって、怒鳴りつけるのは若いときしかない。それは言葉遣いに限らず、視点の未分化全体にかかわる問題である。怒鳴られるまでもなく、弱年のおりに注意を受けなかったひとは必ずや自信過剰に陥る。自信過剰というよりも、自己中心性というべきか。アニミズムや実在論がそれで、自らの相対化や客観視ができなくなる。そしてひとたび自信過剰に陥ると病膏肓に入る。
 かくいう私も教養がなく、若い頃は生島遼一さんや多田智満子さんからずいぶんと叱られた。多田さんはとりわけ言葉遣いに神経質で、「ちょうふく」を「じゅうふく」などとうっかり発言しようものなら顰め面をして暫くは口も聞いていただけなかった。
 その生島さんからプルーストを教わった、といっても、授業を受けたのではない。プルーストの大冊を前に途方に暮れる私に「消え去ったアルベルチーヌ」をまず読めばとご教示くださったのである。同じことを曽根元吉さんからも示唆された。そのご恩を差しおいて、ご両人には申し訳ないが、戦後世代は生きたフランス語を知っている。それだけ、フランスが近くなったのである。スエズ経由の巴里はあまりにも遠かったのである。
 翻訳にあっては日本語の能力以前にフランス語の能力が問われる。翻訳はフランス語からの類比推理であって、いくら日本語に精通していてもそれだけでどうこうなるものではない。フランス語による思考回路を持ってはじめて馥郁たる日本語への置換が可能になる。そのような能力を有し、和文にも堪能したひとと申せば、高遠弘美を除いて他にはあるまい。この度、高遠さんの翻訳「消え去ったアルベルチーヌ」が出ると聞く。駒井さんが担当する光文社古典新訳文庫である。新刊書を買わないとの私の方針を切り換えるときがきたようである。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月14日 15:14 | 固定ページリンク




人形記——日本人の遠い夢  | 一考    

 佐々木幹郎さんが土師ノ里(はじのさと)について書かれているが、このような難読地名は全国にある。とりわけ北海道には多いが、西日本にも随分とあって、京都の御陵(みささぎ)、大阪の放出(はなてん)、阪急の「十三」(じゅうそう)、阪神の「青木」(おうぎ)、湖西線の「安曇川」(あどがわ)、関西本線の「平城山」(ならやま)、同じく関西本線の「柏原(かしわら)」と福知山線の「柏原(かいばら)」、赤穂線日生駅(ひなせ)の隣には寒河(そうご)駅がある。地元の人ならともかく、そうでなければ手に負えまい。
 土師氏の一族にしてからが、當麻蹶速(たいまくえはや)や野見宿禰(のみのすくね)を知らなければ皆目見当もつかない。その幹郎さんが一年半にわたって、月刊「なごみ」(淡交社)に連載してきた「人形記—日本人の遠い夢」が最終回(六月号用)をむかえた。最終回は、土偶と埴輪についてである。「人形を通して、どんどん日本文化の深遠に入っていったスリリングな感触。不思議な旅でした。いずれ単行本になる予定です」と書かれている。
 そう言えば、ですぺらで人形のはなしを聴かされたのは一度や二度ではない。人形を語るときの彼の目は煌めいていた。「なにもなにも、小さきものはみなうつくし」とは「枕草子」だが、幹郎さんの小さな目の反影のような赫きを忘れられないでいる。「埴輪の悲しさは眼にある」されば、いま在ることへの懐かしさ、うつくしみが幹郎さんの眼差しから匂う。単行本は淡交社から上梓されるのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月13日 16:59 | 固定ページリンク




阿蘭陀雉隠し  | 一考    

 終戦直後に生れた私にとってアスパラガスは缶詰である。中学校へ上がったころからグリーンアスパラが市場へ出回るようになったが、やはり白いものでないと食べた気がしない。グリーンアスパラはバター炒めで頂戴するのが一般的だと思うが、私が子供の頃はマーガリンしかなかった。名はマーガリンだが、鯨油の臭いがするバターもどきの代物で、ひどく不味かったのを覚えている。
 ホワイトアスパラは当然サラダで頂戴する。レタス、キャベツ、トマト、胡瓜を盛り合わせた野菜サラダで、私の好物の一つである。ホワイトとグリーンの違いは葱と同じで陽に当たるか当たらないかの違いだろうと思う。その陽に当たらないという不健康さが堪らない。鶴田浩二や高倉健を思い起こす、要するに日陰者である。どう考えようが、ひとから尊敬されるようになるとお終いである。ひとから敬われる、親しまれる、必要とされる、そうしたことと静(誤字ではない)一杯闘い抗うのが人生である。
 野菜サラダに用いるマヨネーズもドレッシングも自家製だった。出来合いを用いるようになったのはこの十年である。規制のマヨネーズであっても、少量の砂糖と生クリームを加えると美味くなる、ドレッシングなら酢を二、三割と若干の香辛料を追加する。
 開店当時のですぺらをご存じの方ならお分かりだが、フードにはすべて漢字を当てていた。例えばアスパラガスは和蘭雉隠しもしくは阿蘭陀雉隠しで、これはmoonさんから教わった。そのおらんだきじかくしについてゆきうりさんが博識をお示しである。「貧忘録」と題するサイトだが、無闇矢鱈と面白い。とりわけ、『本草圖譜』の紹介は圧巻である。ウェブサイトの一つの範を示唆していると思う。
 公開されているのかどうかが分からないが、お読みいただきたいので、念のためにアドレスを載せておく。
 http://blogs.dion.ne.jp/hinboh/


投稿者: 一考      日時: 2008年04月13日 15:50 | 固定ページリンク




内的野心  | 一考    

 MSさんへ。ですぺら掲示板をお読みとか、恐縮しております。表現の場にあって野心を持つのは悪いことではありません。掲示板にしてからが、どこかに居るであろう見知らぬ友へ向けての恋文なのです。私がブログを忌み、解放された掲示板にこだわるのも、一種の野心なのかもしれません。
 ブログや掲示板と活字は本来、まったく異なるものでした。ところが、活字の世界がネット社会に擦りより飲み込もうとしているようです。ケータイ小説などはその最たるものでしょう。売れればなんでも有りというのは昔からの出版事業の常套です。この種の野心は困りものです。
 書くときは常に読者を想定します。この読者を想定すること自体が、自らの精神を鼓舞し、揺れ動くことになります。これは内的な野心です。だからこそ、読者はひとりかふたりに限定されます。逆にいえば読者を想定しなければものは書けない、もしくは非常に書きづらいのではないでしょうか。

 私は現役の編輯者ではございません。従って、あなたの原稿を読んだとて、そこから先はなんの役にも立てないのです。デビューしてしまった方への助力なら可能かもしれませんが、デビューを手伝うのはほぼ不可能です。そしてデビューの方法はいくらでもございます。世にいう新人賞ないしは文学賞です。この点に関して、私はプロの編輯者を半ば信じています。「半ば」と書かざるをえないところに問題がございます。文学賞の多くは商売です。従って該当作なしを何度もつづけられないのです。今回は決めてくれといった圧力がかけられることもあるのです。
 いまひとつ問題点がございます。昔の編輯者は作家と寝饋・寝膳を共にするといわれました。要は二人三脚のようなもので、編輯者が作家を扶け育てるといった趣があったのです。現今の編輯者は勤め人ですから、それらは望むべくもないのです。なにを言いたいかというと、書き手は使い捨てにされるか、便利屋として利用されるかの公算は大なのです。
 余談はさておき、活字になったものなら読みもしますが、いまの私にはひとさまの原稿を読むつもりもゆとりもございません。従って、ご期待には添えかねます。北九州は昔から文学の盛んななところで、北九州文学協会文学賞などもございます。そちらへの投稿などをお考えいただければ幸いです。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月13日 15:21 | 固定ページリンク




「はてな モルト会」中止  | 一考    

 「はてな モルト会」は参加なさる方が二名なので中止する。私も参加するつもりだったが、だとすると車で行かないと困る。五回連続のお遊びと思っていたが、機熟さず、日を改めようと思う。従って、今日は鉄馬でお出かけ。
 なお、二十六日のモルト会は開催する。詳細は追ってお知らせします。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月12日 16:25 | 固定ページリンク




内部事情  | 一考    

 某書店の名が当掲示板で続くことに対してクレームがついた。一方の趣旨は竹内利美氏への提灯であり柘榴口であって「柘榴口の装飾モティーフが再度花開くのは、売春防止法が施行された昭和三十三年以降の浮世風呂」を書きたかったからに他ならない。また一方は「フィールド・スタディ文庫」のこれまた提灯記事であり、末尾の書物に対する姿勢に論点がある。結果として某書店の名を出したが、それは芳賀さんの意見をちょいと曲げて記載したのである。「曲げて」とは「売られている」を「売れている」としたまでであって、おっきーさんはそれを承知で某書店のオンラインで購入なさった。それは「川の地図辞典」が例え一冊であっても売れたとの実績を残したかったからである。芳賀さんに代わっておっきーさんに感謝申し上げる。
 さて、クレームが内容に関するものなら無視するか反論するかもしくは腹立する。しかしながら、固有名詞の使用にあるのならいつでも削除する。芳賀さんと違い、私には某書店とのあいだに利害関係がなにもない。それでなくとも、大型書店の有りように私は常に反対しつづけてきた。いずれにせよ、今後某書店の名は出すまい。それでご諒解いただきたく思う。

 はなしがこれで終わっては身も蓋もない、そこで一言。
 私の回りには読書家をもって任じる方が多い。従って、本屋への不平不満を屡々耳にする。それが書店への苦言なのか書店員へのそれなのかは定かでない。対象が書店であればなにもいわない、ただ個人であれば問題である。書店の内部事情に精通していれば分かることだが、どこの書店にも書物に詳しいひとはいる。その詳しいひとは内部の仕事に必要なのである。よって、現場はアルバイトで間に合わせる。
 アルバイト相手に四の五の言ってみてもはじまらない。どこそこの書店員は態度が悪いとか本のことを知らないといった違乱はお門違いの落花狼藉。私に言わせれば、新刊書店で本を探すのは客の務めであって、書店員に訊ねるなどもっての他である。それはコンビニやスーパーの店員に料理のレシピを訊くようなものである。そのような身勝手な客は某古書店なら叩き出されるに違いない。新古を問わず、書店にあってはしかるべき人と個人的に親しくなる意外手立てはない。そのためには元手がたんと必要なのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月12日 13:07 | 固定ページリンク




麦汁  | 一考    

 かつて麦汁(ばくじゅう)という言葉を聞かされた。クライズデールのラフロイグを飲んだ感想で「この重みと力強さは麦汁のそれである」と、さる客からそれこそ力強く宣われたのである。さっそく「力強い麦汁の香り。口腔にダイナマイトの訪い。五臓六腑にずしりとくる存在感。ウィスキーとはかくも熾烈なもの」とキャプションを書き直した。ところがその後、麦汁を飲む機会を得た。聞くと飲むとでは大きな違いで、なんと甘くて穏やかなものかと驚かされた。これではまるで麦ジュースである。酒精は糖分が分解されて作られる。考えてみればビールの元なのだから甘くて当然である。前述のキャプションは「焼け焦げたヘザー、浜に打ち上げられひからびた海藻、ロープに塗り込められた防腐剤などが醸し出す沃素の臭い。九年ものとは思われぬ、ビッグでパワフルなフィニッシュ。是非ニートかつ常温で味わって頂きたい銘酒」に置き換えられた。
 ラフロイグには「五臓六腑にずしりとくる」ものが多い。エイコーンの水源地シリーズのキルブライド、またはインプレッシヴのラフロイグなどがそれに相当するだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月12日 04:08 | 固定ページリンク




ブレンダーは調香師  | 一考    

 「ボウモアはモルト・ウィスキーの夜間飛行である」と書いた。夜間飛行がタブーであろうが、ミス・ディオールであろうが、アルページュであろうが一向に差し支えない。思うに、ボウモアには香水が含まれているのでないだろうか。ボウモアの香りは謎である、と言われ続けてきた。しかし、かの芳香が香水に起因するのであれば、はなしはあまりにも明解である。
 一九二〇年代になってオート・クチュールのシャネルが合成香料のアルデハイドを配合した香水「No.5」を発表し、以後ランバン、ジャン・パトゥ、スキャパレリ、ディオールなど、デザイナー・ブランドの香水が陸続と発売された。どうもこの合成香料が怪しいのではないかと思う。
 古代エジプト、ペルシア、インドなどでは動物性香料(麝香、竜涎香、海狸香、霊猫香)や香木、もしくは没薬や乳香のような香油と香膏が用いられた。十九世紀になると各種の合成香料が用いられるようになり、数種から十種以上の香料が調合され、幻想香料と呼ばれる「みつこ」や「タブー」が誕生する。なにやらボードレールの詩篇めいてきたようである。
 子供のころ、紙石鹸や紙香水でよく遊んだが、ボウモアの匂いはそんな生やさしいものではない。表立ち、中立ち、残立ちという香水固有の流れが明確にあり、中立ちには調香師が作り出したいと考えている香りのイメージがもっとも強く表現されている。香水を英語ではパフュームperfume、フランス語ではパルファンparfumまたはエクストレーextraitといい、月桂樹の葉をラム酒に漬け、蒸留したベイ・ラムと称する頭髪用の香水まである。別にウィスキーに似たものがあっても不思議ではない。
 ボウモアの香味が安定しないのも、オーナーの好みに合わせてその度毎合成方法もしくは香料の成分を変えてきたからではないか。旧カスク・ストレングスを飲んでその思いを強くした。コンデンサーの取換えもしくはコンデンサーの位置替えなどで、こうまで香味が変わるはずがない。
 阿闍梨が仏道修行者の頭に香水を注ぎ、修行が終わったことを証明する儀式を閼伽灌頂というが、おそらくボウモアはシングル・モルトにおける閼伽灌頂のつもりで造られたのではないだろうか。もっとも、この件に関して、オーナーはじめボウモア蒸留所の役員はなんらのコメントも発していない。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月11日 16:04 | 固定ページリンク




フェノール香  | 一考    

 ウィスキーで繁く用いられるフェノール香とはどのような香りなのか。日本人であればまず漆を想い起こす、はたまた単寧のような鞣革剤、淡めたメントール、染めに用いるナフトール、写真現像薬、接着剤等々、どういってみたところで、フェノールの香りとの距離を縮めたことにはならない。
 友人の医師に訊いたところ、それはツベルクリンかリスターのようなものだと云われた。この医者はひとのはなしを茶化す癖があるので調べると、リスターとはイギリスの外科医で、石炭酸溶液による消毒法の開発で近代外科手術に貢献、と辞書にある。ならば薬用石鹸のことかと問い質すと、そうだとの応え。
 医師を信じると、フェノールはヨード、アルコール、ホルマリン、クレゾール、リゾール、クレオソート、硼酸、晒粉、昇汞、生石灰の類いと同じ仲間だそうである。ツベルクリンの臭いを私は知らないが、薬用石鹸なら身近に感じている。ピートがもたらすフェノール香が薬用石鹸と同一かどうかは定かでないが、なんとなく納得できる。アイラモルトのヨード香とフェノール香は通底するとみて間違いない。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月10日 21:25 | 固定ページリンク




柘榴口  | 一考    

 昨夜引用した文章についてひとこと。文中引用の仮名遣いには若干手を入れた。『銭湯新話』に於ける「風呂へはいる所」を「風呂へはひる所」の類いであって、これは校正をなさった方の見落しと思われる。その他、疑問に思われる箇所もあるが、間違いではないのでそのままにした。
 民俗学ないしは書誌学者には馴染めない文章の方が多い。その点、竹内利美氏の文章には花がある。「『幕末日本図絵』所収の」と「『日本遠征記』所載の」というように細かい気配りがなされている。重箱の隅を楊枝でほじくるのが書誌学であればこそ、文章には竹内氏のような細心の心遣いが必要である。

 お名前は伏せるが、昨夜ジュンク堂書店の方が見えられた。二十代半ばの女性だったが、柘榴口をご存じなので感心した。風呂六分湯四分とか風呂四分湯六分といって、柘榴口は出入口の引戸を垂壁式に変え、湯槽の湯を深くしたもので、風呂屋と湯屋の区別を一層曖昧にした。唐破風と共に江戸期銭湯の特徴といえよう。不衛生が理由で明治三十年頃には撤去され、やがて柘榴口の変わりにペンキによる風景壁画が誕生する。
 柘榴口に装けられた唐破風や千鳥破風、入母屋の妻に木連格子に懸魚や凝った彫物を施した書院造風、あるいは宮造りとか御殿造りとかいった柘榴口の装飾モティーフが再度花開くのは、売春防止法が施行された昭和三十三年以降の浮世風呂(今のソープランド)であった。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月09日 12:40 | 固定ページリンク




風呂敷  | 一考    

 柳田国男のいう「史心」を調べていて、有賀喜左衛門と竹内利美に行き着いたことがある。別に民俗学について書きたいのではない。過日、高遠弘美さんからドミニック・ラティの「お風呂の歴史」を頂戴した。引用が面倒なので紹介はしなかったが、竹内利美に「「青い目」でみた銭湯風俗」とのエッセイがある。
 ここまで書いて史心か銭湯かで迷うが、「史心」における主体性ならびに「疑問」については書くひとは多くいる。やはり、この場は銭湯であろう。ちょいと長いが引用しよう。当然、著作権は竹内利美氏にあって、版権は雄松堂書店にある。都合が悪ければ、ご一報いただければ削除する。

   「青い目」でみた銭湯風俗          竹内利美

 「入浴好き」はかなりきわだった日本人の習性だが、ことに開けひろげの銭湯風俗は、異邦人の好奇心を強くそそったらしい。鎖国解禁直後来訪した人々の見聞記で、それに触れないものはほとんどない。なかでもアンベールの『幕末日本図絵』所収の「江戸の銭湯(クレポン画)」と、ペリーの『日本遠征記』所載の「下田の公衆浴場(ハイネ画)」の二図は圧巻だ。どちらもザクロ口の模様などまでこまかく写実がゆきとどいているが、ただあまり天井が高く妙に広々しており、浴女の姿態もグラマーすぎてどうもそぐわない感じがする。
 ところで、前者は女湯風景であるが、本文の方をみると「同じ浴槽に男も女もごちやまぜに入れなければならない」としるしてあり、また後者はあきらかに男女混浴で、ハイネ書信にも「最後に熱い湯に浸る——実際この浴室はすべての人に用ゐられるので、老いも若きも男も女も娘も子供も、みんな奇妙に混じり合つてうごめくのがみえる」などと書いているのである。
 そこで幕末期に果して男女混浴の銭湯がまだひろく残っていたかどうかが、いささか気になるわけだ。というのは、すくなくとも江戸では寛政三年(一七九一年)の町触で、「入込湯」が一統に停止になったことは、周知のことであるからである。つまり、「町中男女入込之場所有之、右者大方場末之町々ニ多有之間、男湯女湯と相分焚候而ハ入人少ク渡世ニ相成不申候故、入込ニ仕来候儀と相聞——以来ハ場所柄ハ勿論、場末たリ共入込湯ハ一統ニ堅令停止候」とあるとおりで、「入込之儀ハ一体風俗之為ニ不宜事ニ付相止候」というのがその趣旨であった。当時の入込湯は浴槽が一つで、「是迄刻限を以相分、又者日を分男湯女湯と焚来候者」もあったが、おおむねは混浴にしないと商売にはならなかったらしい。それゆえこの町触にも従来の入込湯はかならず日限をきめて女湯を焚くこと、今後女湯を建て増す場合は「元株」のまま申付けることなどを書きそえているのである。それは寛政二年の布告に「新規湯屋願は今後認めない、ただし男女入込の湯屋が女湯を仕分ける儀は別で、一町を限りゆるす」とあるのと関連してもいた。
 その後は天保改革時の上申書(天保十三年)などにも、女湯は月六斎にし、女の留桶(特約入浴)は禁止することなどは指摘されているが、混浴の件は見当たらない。そして『甲子夜話』(文政四年起稿)に「江都ノ町中ニアル湯屋、予(松浦清、宝暦七年生)若年迄ハタマタマハ男湯女湯ト分リテモ有タルガ、多クハ入込トテ男女群浴スルコトナリ、因テ聞及ブニ暗処又夜中ナドハ縦ニ姦淫ノコト有シトゾ、然シ寛政御改正ノ時ヨリコノ事改リテ男湯女湯トテ男女別処ニテ浴スルコト陋巷ノ湯屋迄モ都下ハミナミナ此ノ制ノ及ビタルト見ユ、彼ノ寛政御政ノ中ニモ弛ミタルモアレドモコノ湯屋ノ事ノ今ニ違ハザルハ善政ノ御金沢ナリ」とあるのを信用すれば、ともかく例外的に男女別槽の件だけはよく浸透したとみてよい。
 宝暦四年(一七五四年)の『銭湯新話』は『浮世風呂』の先蹤といってよいが、そこにも「又片遠所の銭湯には男女入込とて昼中から女も男も一つに風呂へはひる所がござる、それへ表店も張つてゐる、人の女房子をやるはあほうの上品中生、又其様な猥な湯へ入、女中に手足が障つたなどと咎られてはおれが様な馬鹿でも面目を失ふ事、夫より利口発明な若い衆が女中と一時に入込るるは則あほうの上品下生」とあるから、男女別浴はすでに寛政禁令前でも次第に一般化しつつあったといえようか。ただ、京坂地方では「従来男女入込と云て——一槽に浴すことなりしを、天保府令後男槽女槽を分つ」と『守貞漫稿』にあるとおり、若干男女の仕分けがおくれ、また下田などの田舎ではなおそれが後まで残ったのであろう。
 アンベールの記述をよく読むと「ふつう浴槽は最低二つあり、低い仕切りか板の橋で区切られ、どちらも一度に十二人から二十人の客を入れるだけの十分の広さがある。ふつうは女と子供が一方に塊り、もう一方に男が塊まる」とあるから、すでに男女別槽は常態になっていて、混浴はただこの区別が励行されぬ結果にすぎなかったのである。幕末期の好色本の類にもまま混浴図はみられるが、概して浴女図絵は女湯に限られ、式亭三馬の『浮世風呂』(文化六年)もまた初篇四篇は男湯、二篇三篇は女湯と、礼儀正しくふりわけている。
 それにしても日本人の裸に対する開放的な感覚は、ひどく異邦人の目につき、銭湯や行水風俗に強い関心を持たせた。チェンバレンは「もつとも珍中の珍風俗は濡れた布で湯上がりの躯を拭くことだ」(「日本事物誌」)と書き、フィッシャーなる画家も「彼らは毎日入浴する——桶の中で湯を浴びるだけでそこで石鹸も使って桶で冷水をかぶる、だが湿つた拭き布ばかりは気持の良いものではない」(「日本の絵」一八九七年)などと、こまかい観察までしているのである。(新異国叢書 アンベール 幕末日本絵図下 月報13)

 江戸期の「お牢」から今般の鑑別所、少年院、拘置所、刑務所に至るまで風呂へ入るのを行水を使うという。前科者にしか分からぬ文言であって、これは明らかに禊とも潔斎とも異なる。辞書に記載されない語釈だが、平成の今日、行水との符牒が残っているかどうかは知らない。また、江戸時代には水上生活者のために小舟に据風呂を設けた行水船もしくは江戸湯舟も現れた。
 江戸前期までは、銭湯などで入浴の際には下帯や腰巻をするのが習慣で、別に持参した下帯や腰巻とつけ替えて入浴し、下盥で洗って持ち帰った。この下帯を風呂褌、腰巻を湯文字といった。また、濡れたものを包むため、あるいは風呂で敷いて身仕舞いをするための布を風呂敷といい、その名は今日に残されている。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月08日 22:12 | 固定ページリンク




川の地図辞典  | 一考    

 芳賀啓さん来店。之潮(コレジオ)から「フィールド・スタディ文庫」と題する叢書がいよいよ発刊となった。第一冊は「川の地図辞典(江戸・東京/23区編)」菅原健二著、第二冊は「江戸・東京地形学散歩(災害史と防災の視点から)」松田磐余著の二著である。
 「川の地図辞典」の腰巻きには、消えた川・消えた地形歩き(アース・ダイビング)必携。明治初期/平成 対照地図280ページ お買得「初版迅速測図」多数収録とあって、究極の大人のぬり絵本誕生と記されている。
 「江戸・東京地形学散歩」の腰巻きには、「氷河性海面変動」が巨大都市の地盤をつくりあげた。災害危険地域はどのように形成されてきたか。いま、切実な「都市の課題」を、その「場所」で学ぶ、とある。
 芳賀さんのいう「歩く・調べる・学ぶ」を地で行く圏外文学のひとつの到達点といえようか。「川の地図辞典」は464頁に及ぶ大冊である。同書から谷田川(藍染川)の項を引用する。

 上流部を谷戸川または境川と呼び、下流の千駄木・根津・不忍池までが藍染川と呼ばれていた。
 かつての石神井川の跡を流れる川である。石神井川が現在の川筋へ変流したのちは中央卸売市場豊島市場(現・豊島区巣鴨五丁目)と染井霊園(駒込五丁目)の間付近にあった長池を水源として北に流れ、北区と豊島区の境を東南に流れる。巣鴨・駒込付近の下水なども合わせていた。北区中里二丁目の先でJR山手線をくぐり、田端を流れる。その後流れを南東に変え、不忍通りの東側を平行して文京区と台東区の境を流れて不忍池に流れ込んでいた。また、一部は池の西側を流れ、池との間には土手が築かれていた。
 水源地付近には染井霊園(明治五年(一八七二)年に開園、高村家(光雲)、岡倉天心、下岡蓮杖、二葉亭四迷などの墓がある)や慈眼寺(豊島区巣鴨五丁目。司馬江漢、芥川龍之介などの墓がある)、本妙寺(巣鴨五丁目。遠山金四郎、千葉周作などの墓がある)がある。
 水路は関東大震災後の昭和七・八(一九三二・三)年から一〇(一九三五)年頃に暗渠化されて道路になった。
 現在、染井霊園付近の水路跡は狭い道路で、その下流部は商店街の染井銀座通りになっている。また、JR山手線の内側に入ると谷田川通りになる。
 谷田川は流域の宅地化の進行とともに、川が豪雨のたびに氾濫する事態が起きたため、大正二(一九一三)年に流れの一部を谷中初音町四丁目(現・台東区谷中三丁目23番付近)から分流する下水道計画が検討された。この工事によって、分流地点からJR西日暮里駅をトンネルで潜り、現在の京成本線の東側に沿って荒川区西日暮里・同荒川を流れて、三河島で隅田川に放流される谷田川排水路がつくられた。この水路も、現在はすべて暗渠化されて、道路になっている。JR山手線・京浜東北線西日暮里のガードを潜り、左へ入りすぐ右に曲がっている通りが旧水路で、藍染川西通りの標示がたっている。

 谷田川が大きく曲がる北端に西福寺(現・東京都豊島区駒込6丁目11-4)がある。この辺りは染井吉野の発祥の地で、江戸城内植木御用を命じられた植木屋伊藤伊兵衛政武の墓がある。その櫻の花に埋もれて辻潤が眠ってい、墓石には陀仙と刻まれている。前述の慈眼寺には辻潤をモデルとした小説「鮫人」を著した谷崎潤一郎も埋葬されている。
 掲示板で書いた記憶があるのだが、福島で芳賀さんに連れられて辻まことの墓へ参ったことがある。切り株の上に搭せられた小さな丸い自然石がそれで、親子共々、墓碑か記念碑か分からぬような塩梅で葬られているのにいたく感動した。
 このようなことを書くには訳がある。「地図は机上および野外における基本用具であり、地図利用の王道は、目的に応じ自ら色をぬり、発見した事項を書きこむ点にある」と「編集にあたって」で書かれているように、最良の地図は白地図である。同様に、図書館の本を読むのでなく、自ら書冊を所有するとは、利用目的に沿った、唯一でカラフルそして実用的な「ノート・ブック」を拵えるところに本意がある。執筆または研究の役に立たぬ蔵書など、さしたる意味を持たない。限定本であれなんであれ、襤褸襤褸になるまで読まれてのマスプロ本である。
 フィールド・スタディ文庫は池袋と新宿のジュンク堂書店で売れている。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月06日 15:28 | 固定ページリンク




癇疾  | 一考    

 出雲とか熊野とかいうだけで生理的嫌悪感を催す、ことほどさように歴史、文化、伝統等々、日本的なるものを憎悪している。にもかかわらず、入沢氏の詩を読むことが可能なのは「いつ、どこで」を「なぜ、いかに」へと切り換えるフェリーニ張りの魔術であろうか。もとより、リアリズムで夢を見させるのが幻想小説だが、そのリアリズムを刮げ落としてゆくのが詩歌の務めではあるまいか。幻視とは詩歌のための言葉であって、決して散文のためのものではない。
 先般、のんちさんから「おにがいた」とのメールを頂戴した。「おにがいた」をおそらく相澤さんは意識していないだろう。アナグラムの結果の「おにがいた」であって、ここにはのんちさんの眼力すなわち熟読だけがある。詩歌にあっては、なにもかもが用意されている。だからこそ、予想外の展開もあり得る。この「詩歌」は「想像力」と同義である。
 無理、無体、不可能、なんと言ってもよろしいが、出来ないということを信じなかったひとだけが、海に舟を浮かべ、空に飛行機を飛ばした。「出来ないということを信じなかった」と「出来るということを信じた」では意味合いがまるで違ってくる。それは蝶と猪との違いである。蝶が海を渡り、大陸を横断することは誰もが知っている。それは詩歌によって証明されている。
 永田耕衣、塚本邦雄、葛原妙子、三橋敏雄、加藤郁乎、高柳重信、春日井建、寺山修司、高橋睦郎等々を繙くまでもなく、言葉を覚えはじめた頃の誤用すれすれ、もしくは意図せぬ誤用が新たな面白味を生む。それを「痙攣的な美」という。意図すれば間の抜けた緩慢なものになってしまう。文字を正確(正確などという概念がどこにあろうか)に用いるとは、てんかん・ヒステリー・脳腫瘍・中毒・高熱・テタニーなどを起因とする癇疾を言葉から奪うことにしかならない。痙攣をさらに助長させるところに詩歌の大事がある。そしてその典型が西脇順三郎であろうか。
 イノベーションとネショーベンの違い、それは進化と退化。矜りはひとが纏う皮膚、そして埃は皮膚の残滓。こうしたことを垂れ流してゆくと西脇流の詩が出来上る。詩も死と同じで皆に平等に与えられている。従って、「詩は万人によって書かれなければならない」というのは間違っていない。間違っていないが故の失意であり絶望である。
 さて、のんちさん、どうだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月05日 16:21 | 固定ページリンク




言葉遊び  | 一考    

 「さくら さくら さくらが咲いた くらい くらい お蔵に咲いた」は便宜的に閉じたもので、元は「さくら さくら さくらがさいた くらい くらい おくらにさいた 」です。そのアナグラムから「おにがいた」を読み解いたのんちさんに感服。「さくら」の「くら」と「くらい」の「くら」を掛け合わせたものですが、はなしはそこで止まりません。さすがのんちさんですね。
 かような言葉遊びは中井英夫や相澤啓三さんにとっては日常のものでした。例えば、「幻戯」のなかにもそうしたアナグラムが秘められています。一握りの詩人や歌人、俳人はアナロジーとアナグラムを駆使します。入沢康夫さんもその一人です。だからこそ、「それにしても、相澤さんの詩を誰が読み解くのか。彼の失意の深さを知る」と書いたのです。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月03日 23:27 | 固定ページリンク




書店  | 一考    

 文鳥堂書店赤坂店で新刊雑誌を購入していた。同書店は昔、私が造る本をよく売ってくださった。その御礼を兼ねて訪ねたのだが、コーベブックスや南柯書局の本を扱っていたのは先代らしく、ひとしきり思い出話に花が咲いた。やがて文鳥堂書店赤坂店は閉鎖、東京ランダムウォーク赤坂店で雑誌を購入することにした。共に点数は少ないが、商品構成には目を瞠らせるものがあった。
 私は新本を買わないので、申し訳なく思いつつも、赤坂のような街に斯様な書店が在ることを誇らしく思っていた。ところが、ですぺら閉店後の2007年7月20日、東京ランダムウォーク赤坂店も閉店となった。
 先日、「嗜み」を買おうとして赤坂の書店を歩いた。書物に対して慈愛を抱く書店主はどこへ消え去ったのか。ひとは先を急いではいけない。居た堪らなくなったときこそ、自らの席に執心しなければならない。例え、それが破滅への途だと分かっていても。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月02日 23:26 | 固定ページリンク




展覧会ふたつ  | 一考    

 横須賀功光作品展「光と闇を極めた写真術」が催されている。
 4月1日から4月27日、10時から17時まで。入場無料。月曜日が休館日である。
 場所はJCII フォトサロン、千代田区一番町25番地JCIIビル1階。
 電話は03-3261-0300
 東京メトロ半蔵門線半蔵門駅5番出口から徒歩3分
 本展では作家本人が制作したオリジナルプリントが展示されている。それらを印刷したパンフレットが800円で会場にて頒布されている。撮影、印刷共にすこぶる良質。

 「時代を彩る女優展」へ横須賀さんのプリントが出品されている。
 3月28日から5月6日、11時から20時まで。入場無料。無休。
 場所は六本木にある東京ミッドタウン・ウエストの入口、フジフィルム スクエアー。
 電話は03-6271-3350
 都営大江戸線六本木駅8番出口と直結
 東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分
 東京メトロ千代田線乃木坂駅3番出口から徒歩5分
 フジフィルム スクエアー一周年記念写真展で、秋山庄太郎、稲越功一、大竹省二、坂田栄一郎、沢渡朔、白鳥真太郎、立木義浩、横須賀功光が出展している。功光さんのプリントが他よりひときわ傑出しているのは言うまでもない。

 一昨夜、横須賀安里さんが飲みに来られた。AGEのマダム清水弘子さんとの約束があったので一時でお開きにしたが、ずいぶんと話し込んだ。ですぺらへの思いは功光さんと共にある。私の身体の内側をすり抜けてゆく功光さんの肌触りを感じた。幹郎さんのいう絶望の果てにたたずむ刹那の悦楽であった。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月02日 19:56 | 固定ページリンク




無用のひと  | 一考    

 ですぺら引越の折、AGEのマダムから新宿への移転を強く薦められた。理由は痛いほど解っていた。だからこそ、新宿界隈の店舗を重点的に探した。しかし、いい物件に当たらなかった。家賃の安いところはやはり赤坂で見付かった。これ以上、私にできることはなにもない。
 昨夜はAGEで酒を飲んだ。ほぼ泥酔である。ちはらさんは私が泣き出すのではないかと心配したようである。べつに泣き出しても不思議はない。それだけの付き合いをしてきた。彼女と私を引き合わせた三枝和子さんは2003年4月24日に逝った。彼女が薫陶を受けた埴谷雄高が亡くなったのは1997年2月19日、遺品の一部はAGEのバックバーに飾られている。
 どうやら、世の中は必要とされるひとで満ちあふれているようである。必要とされるひとは泥酔などしない。シラケ鳥が群れをなして飛び交うと飲屋街では閑古鳥が鳴く。疾風怒濤の時代は遠くに去り、櫛風沐雨は記憶の襞から滑り落ちてゆく。共に、後になにを残そうというのか。生きるに証しはいらない。われら無用のひと。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月01日 23:53 | 固定ページリンク




嗜み  | 一考    

 「嗜み」が上梓された。発売は文藝春秋、定価は800円。カラー六頁を割いての紹介である。送られてきたのは一昨日だが、三月二十日に発売されたようである。ちなみに、ジュンク池袋店には二十部入ってもっかのところ三部売れたらしい。

 ああ、これは十四歳の不良だな、と考える。中学の上級生になって、ナイフなどを懐に入れて、粋がっている。まだ、世の中の怖さを知らない。一匹狼だが、喧嘩の仕方を知らない。春の漁港の突堤の上で、あぐらをかいて、睨みをきかせている。
 そんな風景を想像する。こいつがもう少し樽のなかで寝ていたら、どんなふうになるのか。
 それから数年経った、同じ蒸留所のボトルと飲み比べる。ゆるやかに熟成されていて、味のコントロールもいい。スモーキーさは少し薄れているが、飲み干したあと、香りの余韻が上がってくる。こいつは優等生だな、と思う。しかし、なんとなく儚い。樽の種類も蒸留した年度も違うのだが、勝手にさきほどのボトルと比べて想像する。
 白い夏の光りが見えてくる。十六歳の夏休み。少年が帽子を被り、田舎道を歩いていく。そのとき、突然、優等生を続けるのはもうやめようか、と思った。もっと好きなことをやりたい。蝉の声がジンジン響いて、初めての自由を覚える。海の匂いが吹きつけてくる。将来は何になるのか、まだわからない。

 モルト・ウィスキーを描いて佐々木幹郎さんの筆致は見事である。さらに裏の、別の意味が焚き込められている。詩人はこうでなければならない。それは私であり、あなたであり、誰かであり、そして個々の読者でなければならない。かかる恩愛を持ってモルト・ウィスキーを語ったひとが過去に幾人居ただろうか。耕衣のいう「出会いの絶景」がここにもある。
 
 詩の言葉が、小説と違って万人の好む味や香りに仕立てることができないように、シングルモルトも万人向けではない。好きな者が好きな味と香りを愉しむ。
 一つの樽から生まれるボトルの数が少ないから、飲み干してしまえば、この世から永久になくなる。同じものは二度と作ることができない。この、消え失せるという感覚が、また、いい。
 ・・・・・・
 シングル・モルトを飲んでいると、生きていてよかった、と思うことがしばしばある。いまここにいる手触りだけが確かなとき、酔いは、美しい本のなかの美しい言葉と同じように、グラスの内側で悦楽の極みになる。

 「いまここにいる手触りだけが確かなとき」いい言葉である。その手触りを求めて、否、手触りの確かさを探して、ひとは老い、朽ち果ててゆく。そうではあるまい、やはり翻訳は不可能である。「いまここにいる」という抽象が、「手触り」という具象に恋慕する。慥かなのは手触りだけ。「手触りだけが確かなとき」その手触りを感じているひとはおそらく生きてはいまい。存在しているのか、存在していないのか、透き徹ってしまった存在が、「白い夏の光り」の間を通り過ぎてゆく。
 幹郎さん、ありがとう。私が聞きたい言葉は「生きていてよかった」、ただそれだけ。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月01日 22:39 | 固定ページリンク




はてな モルト会  | 一考    

 赤坂のテーブルスタジオタキトーでくらやみ食堂が催された。その名の通り、真っ暗闇でフルコースを愉しむのが主旨で、出てきた肉が魚肉なのか、豚肉なのか、鴨肉なのか、または飲んでいるワインが赤ワインなのか、白ワインなのかすら判然としないという。
 この類いは私も何度か経験済みで、常日頃口にしているものでも当たらない。しかし、同じものでも目隠しをしていないと意外と当たる。ひとがいかに視力に頼っているかを物語っている。
 さて、普段口にするモルト・ウィスキーに限って目隠し抜きで予測・推測を的中させようと思う。
 用いるウィスキーはスキャパ、タリスカー、レダイグ、ハイランド・パーク、アードベッグ、カリラ、ボウモア、ラガヴーリン、ラフロイグ、グレン・スコシア、スプリングバンク、アベラワー、クラガンモア、グレンファークラス、グレン・マレイ、グレンロセス、ストラスアイラ、バルヴィニー、マッカラン、アバフェルディ、エドラダワー、オーバン、クライヌリッシュ、グレンモーレンジ、タリバーディン、フェッターケアン、オールド・プルトニー、ロイヤル・ロッホナガー、グレンキンチーなどのディスティラリー・ボトルから八種類を選ぶ。
 ハーフショットで会費はお通し込みで4000円。八種類のうち六種類以上当てた方には、次回来店の折にスモーク盛り合わせをサービスする。
 四月十二日(土曜日)に第一回を催す。題して「はてな モルト会」。鼻の下ならぬ鼻と舌に自信のある方のご参加を乞う。

店主


投稿者: 一考      日時: 2008年03月31日 20:21 | 固定ページリンク




遠い思い出  | 一考    

 りきさんが「鏡花論集成」を誉めてくださった。彼のところへいきさつを書き込んだが、他にも思い出したことがあったので少々。
 同書の上梓は1983年9月だが、編輯は1971年1月にはじめられた。この間、1972年1月に「別冊現代詩手帖第一巻第一号泉鏡花」が思潮社から上梓され、小生も編纂を手伝った。当時の現代詩手帖の編輯長桑原茂夫(後のカマル社)さんとは随分酒を飲んだ。菅原(後の牧神社)、大泉(後の書肆山田)、渡辺(後の北宋社)各位を紹介され、宮園洋さんとは特に懇意にさせていただいた。洋さんの協力でバタイユの「大天使のように」を装訂したのが1970年。翌71年1月にサバト館を作る。I田との関係は「別冊現代詩手帖」の上梓以降おかしくなった。これはあくまで時期を指すのであって、理由は他にある。
 「鏡花論集成」は思潮社から出る予定が牧神社へ引き継がれ、十余年の年月を経て立風書房から上梓された。上梓に当たっては立風書房編輯長宗田安正さんの世話になる。田荷軒にて知り合い、阪急電車で多田智満子さん家へ向かう途次、鏡花のはなしになった。
 その多田さん、矢川さん、種村さんと知り合ったのは1969年。この間山本六三さんを招き、ずっと水曜会を催していたが、72年12月のコーベブックス入社によって中断。水曜会については項を改めたく思う。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月31日 16:09 | 固定ページリンク




AGE  | 一考    

 ちはらさんから寒いので車で送ってと請われた。従って本日は車で店へゆく。先週、芳賀さんが来店、新宿のAGEが店仕舞するかもしれないと聴く。今日はAGEへ行く、清水弘子さんと話し合わねばならない。
 AGEは嬰児、如嬰児之未孩と老子にいう。私は南船北馬を専門としない。この場合の南船北馬は「胡人便於馬 越人便於舟」すなわち東奔西走の意ではない。北の孔子に対し南の老荘を指す。老荘思想のゆらゆら揺れ動くさまを船と例える。私はAGEではじめて嬰孩に接したというよりも、孩ったのである。言い換えれば、ひとの情に胸襟を開いた。
 彼女の生き方もおよそ不格好である。それでいいと思う。「定番を何種類か用意して撰ばせる風を装わなければならない」と先日書いた。この消息は飲み屋に限らない、サルトルやカミュの諍いから学んだものである。シュルレアリスムが腑に落ちないとは何度も書いてきたが、実存主義も私には眉に唾するものと思われる。私にとって人生とは迷いに惚けることであって、さだめなく振れ続けることでしかない。個と全体、行動する自由と世界の関係はなにひとつ解決されたわけではない。アンガージュはまだまだ遙か遠方にある。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月31日 14:17 | 固定ページリンク




新来の客  | 一考    

 連日、新しいお客さんが来る。先だってはエナジェンの野田さんが飲みにいらした。領収書の宛名書きに会社名が必要なのでお借りしたが、名刺を受け取って欲しいとのことで拝領した。ちょいと検索してみたが、私にはちんぷんかんぷんで要を得ない。新しい技術を携えた起業家らしい。会社は平河町だが、ご自宅は赤坂だそうで、近隣の方に来ていただけるのはありがたい。
 バーナビを見て来られた方もいる。住所は新しくなったものの、定員は二十七名、食事ができると書かれている。これは何処のですぺらかと思う。いずれにせよ、プリントアウトしたものを持って来られる。便利な世の中になった。パソコンはおろか、複写機すらなかった戦後直近の世代にとっては愕きの日々である。
 常連客の小山さんや野島さんはモルト・ウィスキーの書き込みを持参なさる。その熱心さには頭が下がる。仕入れも彼等を意識したものに変わってきた。さまざまなところで、パソコンが有効活用されている。ウィスキーの書き込みを増やさなければと思う。
 月が変われば雑誌四誌の効果があらわれる。新生ですぺらははじまったばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月26日 23:48 | 固定ページリンク




料理  | 一考    

 薫製を作った。終日作っていたので家中が桜と林檎のチップの香りでむんむんする。やはり店で作るべきだった思うが、店には冷凍庫がないので往路運ばなければならない。その手間を考えると拙宅で作るしかない。
 豚のバラ肉と合鴨と砂胆を作った。実はミミガーのスモークが好物なのだが、人気がない。明石ではスモークチーズも作っていたが、こちらは一日しか持たないので止めた。上京してから料理への思いが変わった。関西では当たり前のお任せが東京では通用しない。このことは既に掲示板で書いたが、「持てなし」への考え方が基本的に異なる。客を遇すのは店側の仕事の筈なのだが、東京では客が客をもてなす。速いはなしが、客のチョイスに店が合わせるのである。これでは料理は作られない。居酒屋のように定番を何種類か用意して撰ばせる風を装わなければならない。
 一ツ木通りで、一年頑張ったものの諦めてしまった。開店時、小鉢ものを五種類ほど用意したもののまったく需要がない。そこで居酒屋メニューに切り換えたところ、そこそこの評判だった。ただ、それを料理とは言わない。今回、モルト・ウィスキーの専門店にしたのはそうした理由があった。食後酒であれば、料理のことは考えなくて済む。バーはナッツやドライフルーツを出しておればよいのである。それへの抗いがスモークであろうか。抗いはひとつあれば充分である。
 料理を作りたくなれば割烹を造ればよい。そのような機会があるかどうかは分からないが、むげに夢を抓む必要もあるまい。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月26日 20:30 | 固定ページリンク




書庫  | 一考    

 ぼんぼりのような菊の花と書いたが、生身の花が一日わが家に咲き誇った。すなわち妙齢のご婦人たちがちはらさんを訪ねて見えられたのである。私が同席したのはは三十分足らず、爺が相手では弾むはなしも萎びてしまう。ちはらさんから聴いたはなしだが、一時間ほど書庫に籠っていた女性は宇野浩二が揃っているのに感心なさったらしい。宇野浩二ならあらかた揃っていると思うが、今様の若い女性が興味を抱くとは思わなかった。いつの世にあっても、殊勝な方はいらっしゃる。
 二十歳位の頃、「枯木のある風景」や「思ひ川」は幾度となく読み返した。宇野浩二については場を改めるが、件の女性が読むのであれば、書庫はいつでも開放する。爺には宝の持ち腐れであって、若いひとの斬新な意見を伺いたいと思う。拙宅の蔵書もいつまでもはない、漸次処分している。近松秋江も「別れたる妻に送る手紙」「黒髪」をはじめ、東山安井の銭湯の思い出共々売り払った。役に立てるなら今のうちだと心している。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月25日 22:18 | 固定ページリンク




供花  | 一考    

 父の死後、実家は家族に譲った。譲らなければならない切羽詰まった事情があった。従って、帰るところはどこにもない。どこにもないどころか、帰ってはならないわけがある。その理由はここでは著せない。私にもいささかの秘め事はある、生きていればこその醜いあらがいに身をさらしている。
 もっとも、私自身どう考えても帰る用もない。ないと書けば母に合わせる顔がない。惚けを言訳に施設へ放り込んであとは知らぬ顔、爾来十年近く会っていない。そして、父の墓参も一度として果していない。果していないどころか、実は墓の在所すら知らない。ことここに至っては、このまま逃げを決めこむしか手立てはない。自らを人外というのは掛け値なしのはなしである。ひどい子を持ったと親には諦めてもらうしかない。

 震災で神戸の行きつけの飲み屋はことごとくが瓦解、三重へ広島へ宮崎へ鹿児島へと大方は生まれ故郷へ戻って行った。明石の知己も焼肉屋とショットバーを営む僅かふたりを除いて他は散り散りになった。企業城下町での商売は親方が倒けると成り立たなくなる。それと比して東京なら不特定のひとを相手になんとかやっていける。それと管理会社のおかげで、神戸や明石より家賃の安い店舗を見付けることができた。当座はここにしがみつくしかない。
 赤坂でバーテン仲間はできた。しかし、赤坂への帰属意識など抱きようもない。かつて新しい街への陣痛の渦中だった福原で少年期を過ごした。花柳界の乾枯した殻を蝉脱せんとする息吹と言えば聞こえはよいが、それは単に色街の「色」の企業化に過ぎなかった。街への思いはひとへの思いと重なり合う、それを風情という。そしてひとが去ったとき、街は冷たく色褪せたものになる。街が光彩をなくしたとき、それは私が福原を去るときだった。思い返せば、あの折に神戸との訣別は済ませた。福原を私は熱海のような街と思っている。熱海は赤坂に先行する滅びへの途を着実に歩みはじめた街である。
 それやこれやで、誘われはするもののコミュニティには属していない。東京のどこに住んでいても、新宿というアンダーグラウンドが私にはまとわりついている。泥酔が許される街は新宿を除いて他にはない。
 私には接客ができない。ただ、酒のはなしならできる。それでモルト・ウィスキーの専門店を営んでいる。他に理由はない。そこのところを幹郎さんは巧く書いてくださった。あと一週間ほどで「嗜み」が上梓される。幹郎さんには感謝のしようもない。気が弱くて小心で、それを隠すための刃傷沙汰だった。幹郎さんの筆はそんなところにも及んでいる。シャイは複数形で邪意となりセンチは浅知と同音である。過去、為してきたことはいくらかある、ただ、為してきたことと出来ることとは別ものである。私にできることはなんだろうかと、この歳になってなお迷い続ける。

 このところ、拙宅の此処彼処に花が咲く。玄関にはぼんぼりのような菊の花が双輪、淡い浅黄の供花と聞くが詳細は審らかとしない。いずこの線香花火より、いやさ仕掛け花火よりも一段と艶やかに咲いている。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月25日 19:35 | 固定ページリンク




モルト会後方記  | 一考    

 旧12年ものからはじめたのが、よかったのか悪かったのか、終日コスメティックな香りに悩まされた。なにを飲んでも、初手の香りが最後まで付きまとって離れない。日曜日になっても酒を飲むことが叶わなかった。揚句、胃薬服用のやむなきに至った。
 ゲラン社製の夜間飛行とミツコ、シャネルの15番、その辺りの香水を常用する女性と私は酒を飲まない。酒の香りが分からなくなるからである。これはモルト・ウィスキーを飲み出すはるか前からの、謂わば庭訓の一である。ベルガモットが嫌いなわけではない、アールグレイを嗜むこともある。ただ、程度によるのである。
 ボウモアはモルト・ウィスキーの夜間飛行である。似た酒にエドラダワーとグレン・ギリーがある。ちなみにグレン・ギリーは「草木染に用いる露草や湿った海苔、ボウモアをより淡白にした甘くコスメティックな香り。バイオレット・フィズを想わせるややオイリーな味わい。バランスはよいが浅く軽いフィニッシュ」となる。いずれにせよ、偶に少量飲むにはよい食後酒である。しかし、ボウモアを十二種類、これは残酷な責め苦にしかならない。へどもどさせられたモルト会だった。
 今回は端境期のボウモア、そして新生ボウモアの飲み会はもうしない、催したくないのである。ロンバードの解説に「ディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングスほど過激ではないが、本品もサーフ系。欧州ではこちらのボウモアが人気筋。ペルノ、バスティスト、アニゼットに親しむお国柄である。強い香りが好まれるのは当然」と書いた。私がもっとも苦手とする酒はアブサンだったが、そこにボウモアも加えて置こう。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月24日 20:51 | 固定ページリンク




モルト会解説補記  | 一考    

 過去、ボウモアの飲み会をどうしてしなかったのか不思議である。失念していたとしか言いようがない。サントリーのボウモア・カスク三部作が出揃ったので、モルト会をと思ったのだが、新生ボウモアは次回に回す。その前に端境期のボウモアを味わっておきたい。それほどにボウモアの香味は変わったのである。
 「美味しんぼ」という漫画作品でサントリーがオーナーになってからボウモアの味がおかしくなったと記されているらしい。私は漫画を読まないので確認していない、従ってもしも間違えていたら申し訳なく思う。とにもかくにも、漫画のネタになるほどボウモアの味は安定しなかった。それは事実である。私が上京したのは十年ほど前だが、赤坂のバーテン仲間から類するはなしを多く聴かされた。ゆく先々でサントリーは悪者だったのである。
 サントリーがオーナーになって、まずコンデンサーの冷却方式を旧タイプに、位置も本来あるべきところに戻したと伝えられる。理由がなんであれ、サントリーの手によってボウモアの香味は安定した。要するに、矯激なまでのコスメティックな香りから解放されたのである。
 解説のなかで、レジェンド系、セレクト系、サーフ系としたのは便宜的なものである。十五年ほど前、ボウモアをはじめて飲んだ折、種類の異なるモルトを造っているのかと思った。レジェンドはパヒューム香が弱く、サーフは強く感じられた。セレクトはちょうどその中間に位置するモルト・ウィスキーというのが私の個人的な意見であった。それらは安価なものなので是非お飲みいただき、香味の差違を確認していただきたい。
 前述の三部作の第一回は熟成にバーボン樽を用いている。サントリーがボウモア蒸留所を買収して十八年になるが、現在造られているモルト・ウィスキーは長期熟成に耐える足腰を持っている。これから二十年、二十五年、三十年ものが発売される。過去の名品を超えるモルト・ウィスキーがこれからのボトリングを待っている。
 現在のモルトはいかなる意味においても過去のそれよりは美味しく、かつ香味豊かなものに仕上がっている。レアものを慈しみ、過去のボトルを懐かしむのも結構だが、味覚の再認ほどせつないものはない。それでなくても、記憶は濾過され、培養され、現実とはまったく異なったものに変貌していく。言い換えれば、記憶とは創られ、育まれるところの内的体験である。
 酒を愛でるときは私心を捨てて端坐しよう。書物と同じく、酒との出会いも一期一会。それはこしかたへの愁傷でも憐憫でもなく、酒が秘めたあらがいとうめき、即ち酒に纏わる人々の搏動に静かに耳を傾けることでしかない。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月22日 15:51 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

ですぺらモルト会(端境期のボウモアを飲む)

01 ボウモア12年※
 40度の旧ディスティラリー・ボトル。
 ラベンダー、ヘザー、ハニー、カラント等々、綺羅を競う香気とスモーキー・フレーバーやピート香との微妙なバランスは謎とされ、喧(かまびす)しい好事家の糧になっている。フィニッシュは穏やかな辛口。
 蒸留釜コンデンサーの冷却方式を昔通りに改めたのが90年初頭、それから12年を経た2002年に新しいボトルが頒布された。本品はそれ以前のプリントラベルのボトル。正確には1993年初期のボトルである。
 2002年9月現在の並行ものが旧ボトルと同じボトルで頒されている。飲めば分かるが見た目だけでは識別が不可能、将来ややこしくなりそうである。

02 ボウモア '89(ロンバード)
 ジュエル・オブ・アイラの一本。10年もの、65.3度のカスク・ストレングス。
 ディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングスほど過激ではないが、本品もサーフ系。欧州ではこちらのボウモアが人気筋。ペルノ、バスティスト、アニゼットに親しむお国柄である。強い香りが好まれるのは当然。
 ディスティラリー・ボトルと飲み比べるのも一興。

03 ボウモア '89(クライズデール)
 9年もの、58.7度のカスク・ストレングス。限定306本のシングル・カスク。
 昨今のボウモアの一部商品はベンゾイン系の化粧品臭に汚染されているのではないかと思うくらい、香りのベクトルが強い。ところが、独立ボトラーのそれにはレジェンド系のモルトが多く販売され、かかる異臭があまり見受けられない。ミルロイ社のボウモアと共に当ボトルもお薦めの品。
 同じレジェンド系にイアン・マクロード社のチーフタンズやダグラス・マクギボン社のプロヴァナンスがある。共にアフター・テイストに爽やかな甘味。
 ちなみに、セレクト系の香味を持つものに、マーレイ・マクデヴィッド社やドナート社のダン・イーディアンのボウモアがある。化粧品臭が残るものの、頗るシンプルな味わい。

04 ボウモア '89(ブラッックアダー)
 ロウ・カスクの一本。オーク・バレルの11年もの、64.0度のカスク・ストレングス。限定265本のシングル・カスク。
 ダグラス・レイン社のオールド・モルト・カスク、ハート・ブラザーズ社のファイネスト・コレクション、ウイルソン&モーガン社のバレル・セレクションの香味はレジェンドとセレクトのちょうど真ん中。至って飲みやすく、まずまずの及第点。共にバーボン・カスク特有のパワフルな味わいが身上。
 ただし、ハート・ブラザーズ社のカスク・セレクションやヴィンテージ・コレクションなど、長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。従って、スコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティ同様、セレクト系すなわちコスメティックな香味が強い。

05 ボウモア・ダスク※
 14年もの、50度のディスティラリー・ボトル。
 本品は珍しいクラレットによる熟成。コスメティックな香りは幾分和らぎ、その代わり、京都の麩饅頭のような苦みが後口に残る。好感の持てる苦みなのだが、それが渋みでないのが不思議、樽のなせる魔術の一種。
 いまなお並行輸入されているが、本品は1990年代のボトリング。

06 ボウモア・カスク※
 56.0度の旧カスク・ストレングス。
 龍涎香、麝香、安息香等、ベンゾイン系の癖の強いエキゾチックな芳香と珈琲リキュールの甘い香り、消化不良を起こしかねない矯激なディスティラリー・ボトル。
 2002年9月現在の並行ものが旧ボトルと同じプリントラベルのボトルで頒されている。飲めば分かるが見た目だけでは識別不可。将来混乱しそうである。本品は1993年初期のボトリング。

07 ボウモア・ドーン※
 51.5度のカスク・ストレングス。ルビー・ポート・フィニッシュのディスティラリー・ボトル。
 ボヤージュの姉妹酒。バーボン・カスクで12年、ポート・カスクで2年の熟成。
サントリーはボウモアを五種類に限定したが、その五種以外のボトルはいまなお不定期に並行輸入されている。ダーケスト、ダスク、ドーン、ボヤージュはボヤージュを除いて安価で提供されている。本品は1990年代のボトリング。

08 ボウモア・ボヤージュ※
 56度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。
 本品はポート・ウッドを熟成に用いたリミテッド・エディション、ボトリングは1990年代。他にドーンと名付けられたルビー・ポート・フィニッシュのボトルがある。

09 ボウモア '89※
 バーボン・カスクの16年もの、51.8度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。
 サントリーがボウモア蒸留所を買い取る前年のボトル。現行の香味に近いものを選択。90年蒸留のシェリー・カスク、91年蒸留のポート・カスクと続く三部作の初回作品。
 新しいと言うよりは、かつてのボウモアの香味が甦った記念すべき一本。今後、ボウモアの中身は順次新しいモルトに切り替えられて行く。

10 ボウモア21年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 更なる上級酒に25年、30年、38年等がある。本品の購入は1993年、従って蒸留は72年以前になる。

11 ボウモア '73(キングスバリー)
 キングスバリー社は倫敦に本社を持つ酒商。本品はリフィール・バーボン樽の25年もの、46度のシングル・カスク。
 ミディアム・ピートやスモーキー・フレーバーの香り、沃素のキャラクター等、73年ものだけに安心。シグナトリー社の74年蒸留23年ものカスク・ストレングスやジョン・ミルロイ社のボトルと同様に、こしかたのボウモアの味を愉しむことが出来る。

12 ボウモア '82(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの24年もの、51.5度のカスク・ストレングス。165本のリミテッド・エディション。
 旧カスク・ストレングスにまさるとも劣らないパヒューム香。思うに、コスメティックな香りがもっとも強いのは80年代のボウモアか。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月22日 14:17 | 固定ページリンク




白州シングルモルト2  | 一考    

 白州・ヘヴィリーピーテッド・モルト '93(サントリー)
 ウッドタイプはホワイト・オーク、カスクタイプはホグスヘッド。14年もの、58.0度のカスク・ストレングス。232本のリミテッド・エディション。樽違いあり。

 白州・シェリーモルト '93(サントリー)
 ウッドタイプはスパニッシュ・オーク、カスクタイプはボタ・コルタ。14年もの、60.0度のカスク・ストレングス。571本のリミテッド・エディション。

 一月三十日に紹介したTHE CASK of HAKUSHUが二種入荷した。山崎ほどの意外性はなく、やはり白州だと思わせる品のよさを持つ。ボタ・コルタはバット樽と容量は同じだが寸が短い、逆に直径が大きいのである。従ってウィスキーとカスクの触れ合う面積が小さい。それだけ熟成がゆっくりなされる。十四年にしてはシェリー特有の渋味が少ない。
 ホワイト・オークとスパニッシュ・オーク、共に極めてドライ、なんの抵抗もなく、喉の奥にストンと落ちてゆく。この透明感は日本のウィスキーに総じて言えることであって、間違いなく水のせいだと思う。
 店で用いている水はサレルノのヴィトロガッティである。これに限らず、欧州の微発泡水はグルタミン酸やイノシン酸の味がする。私は秘かに昆布水と名付けている。それと比して日本の水は極めてクリアー、雑味がまったくない。ちなみに、ヴィトロガッティで茶漬けをつくると不味い。硬水と軟水の違いを越えて、味の素を入れすぎたような味になるのである。
 近頃はミネラル・ウォーターやナチュラル・ウォーターについて囂しいが、日本の水を輸出してはどうだろうか。喝采をもって迎え入れられると思うのは私だけだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月21日 23:21 | 固定ページリンク




文春の取材  | 一考    

 四誌の取材がすべて終わった。いささかの反応があろうかと期待している。君島佐和子さんのために、お薦めのウィスキーの解説を新たにした。過去の書き込みと重複するが、掲示板は流し読みされるもの、何度繰り返しても構わないだろうと思う。

 カリラ '95(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。モスカテル・シェリー・フィニッシュの12年もの、43度。
 販売は07年から。ミディアム・ボディながら、カリラ特有のかがり火のようなスモーキーさが重量感を持つ。モスカテル・シェリー樽(マスカッット)の爽快な甘味の痕跡は抑えられ、全体に辛口に振られている。ピート、薬草、熟したフルーツの香りを伴う。シナモンを思わせるスパイシーなフィニッシュ。バランスの良さはディアジオ社のお家芸だが、それにしてもモスカテルとは考えたものである。その着想に脱帽。

 アイラ・ストーム・カスクストレングス(ヴィンテージ・モルト)
 58.0度のカスク・ストレングス。蒸留所未公開のアイラモルト、中味は10年ものと思われる。
 ジェームズ&ソンズと記されているが、ヴィンテージ・モルト社の樽をウィスク・イーが販売。ヴィンテージ・モルト社は1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトはクーパーズ・チョイスの名でボトリングしている。イアン・マクロード社同様、ラガヴーリンを多く所有。スコッチ・モルト・セールスへも卸している。
 微かな甘味を伴うフィニッシュはハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー・カンパニーのアイリーク同様、ラガヴーリンのそれに間違いない。久しぶりの巧緻な味わいのラガヴーリンである。

 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
 熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグなど)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。

 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
 10年ものより、色は淡く、香味は確実に複雑。スティルの独特な形状により、蒸気中の不純物がローワインに戻され再凝縮する「リフラックス」のよさを最大限に活かす。つねに芳香が変化する様はバルヴィニーのシングル・カスクと双璧。表現力豊かなクラガンモア。
 それにしても、10年ものをスパニッシュ・オークのシェリー樽、17年ものをアメリカン・オークで熟成するところは非凡。10年であればカスク由来の変化に富む香味の力を借り、17年であればこそカスクによる変化を拒む、ブレンダーの卓越した妙技に感服。

 グレンロッシー '78(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。オーク・カスクの22年もの、43度のシングル・カスク。
 清々しい白檀の香りが特徴。そのミント香とクリーミーなピート香、フレッシュでドライな喉ごし、麦芽とシェリー香のアクセントを得て、フィニッシュは徐々にスパイシーに。ディスティラリー・ボトルをはじめ、既存のグレンロッシーと比して濃厚な噛み心地と切れ上がりの暖かさは絶妙。
 リンクウッドやロイヤル・ロッホナガーと共にソフィスティケーテッドなウィスキーとして識られる。ヘイグとディンプルの重要な原酒モルトで、ブレンダーの間でも高い評価を受ける。
 クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。

 ノックドゥー21年(DB)
 オーク・カスクのミディアムボディ、57.5度のカスク・ストレングスにして6200本のリミテッド・エディション。
 74年蒸留のゴードン&マクファイル社のボトルは特に秀逸とされるが、本品も二重丸。アン・ノックのブランドで頒されている現行のモルトと比して、遙かに濃厚でパワフル。完熟林檎や西洋梨の香り、スコッチ・バターの艶のある香り、さらにはナッティーな味わい。クリーミーなラスト・ノートを堪能できる。
 ヘイグのキー・モルトとして、またインヴァー・ハウスの主要モルトとして識られる。2002年に23年ものが二種、57.4度と57.5度がそれぞれ3200本限定でボトリングされている。

 ロイヤル・ロッホナガー '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。シェリーカスクの8年もの、43度。
 ジャン・ボワイエ社はフランスのみならずヨーロッパでも最大級のボトラー。設立は1993年だが、1975年にスコットランドからの輸入をはじめ、1985年にはフランス国内屈指の輸入卸業者に成長、スプリングバンクやボウモアなどの正規代理店になる。現在では数種類のレンジ(ラベル)で総計50種類以上に及ぶ多彩なモルトの品揃えを誇る。それにしても、ボトラーズのロイヤル・ロッホナガーはめずらしい。
 ヴィクトリア女王が愛飲した王室御用達ウィスキー。気稟のよさを感じさせる清冽かつ閑雅な味わい。スムースかつクリーミーなフル・ボディ。ペパーミントのエレガントにして涼やかな香り。フィニッシュはややドライ、暖かみのある切れ上がりが長く続く。VAT69やジョン・ベグ・ブルーキャップの原酒モルト。

 リンリスゴー '82(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本にして17年もの、61.2度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 マキロップ社はグラスゴーのインデペンデント・ボトラーにして、中味はセント・マグデラン。ちなみに、リンリスゴーとは蒸留所が在した町の名。セント・マグデラン蒸留所が建てられたのは1765年、一方で創業は1797年ともされる。いずれにせよ、リトルミルやローズバンク等と共に、最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖、現在ではアパートメントになっている。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。
 ローランドの特徴であるソフトでスムースな飲み口、ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。アルコール度数を感じさせないのは充実したボディ、バランスが取れた酒質の高さによる。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月21日 23:19 | 固定ページリンク




ありがたうございます  | 高遠弘美    

 一考さま

 いつも忝ないお言葉、身にしみて嬉しく存じます。今回の原稿、身に余る光栄と存じてをります。「かりのそらね」の魅力の一端に少しでも迫ることができればと思つてをります。
 一考さんをはじめ、皆樣のお蔭です。心より御礼申し上げます。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年03月19日 10:38 | 固定ページリンク




快挙  | 一考    

 「現代詩手帖」の「入沢康夫 かりのそらね」特集に高遠弘美さんと佐々木幹郎さんが寄稿なさるとか。近来まれに見る刺戟的な話かと思う。原稿料が安いのが玉に瑕だが、そのようなことはどうでもよい。「かはづ鳴く池の方へ」に窺える「わが出雲・わが鎮魂」と響きあう重層的な世界を、そして入沢康夫そのものを縦横に月旦していただきたいと願う。今回の詩集を前に途方に暮れるような輩への心添えや怒りなどどうでもよい。「詩といふのが、作者個人の経験と想像力と言葉に対する深い教養と、無意識の領分のちからによつて作られる」そこのところを掘り下げていただきたいと願う。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月18日 22:02 | 固定ページリンク




膝当て  | 一考    

 膝の震えを防ぐために、ズボン下と洋袴のあいだにプロテクターともサポーターともつかぬ代物を当てていた。暖かくなったので、先週の土曜日からそれを脱いだ。当然のことだが、鉄馬の速度制限も撤廃した。ちなみに、ズボン下を穿いたのは今期が生れてはじめてである。強く薦められたオーバーズボンも結局穿かなかった。一度だけ、雨天でもないのにレインコートを穿いた。あまりの寒さに音をあげたのである。
 ズボン下は癖になる。生きていれば、間違いなく今年の冬も穿く。それよりも、アメリカン・タイプの鉄馬は苦手である。今年の冬はBMWに再度跨がりたい。BMWはカウルが大きいので、風雨から身を守ってくれる。歳を喰うと楽をすることをのみ考える。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月18日 21:21 | 固定ページリンク




 | 一考    

 「棒立ちのような現代の詩歌」と書いたが、これも佐々木幹郎さんからの孫引きである。棒立ちか棒裁ちかは分からないが、いくらなんでも衽裁ちでははなしが合わない。これは棒立ちに違いない。ところで、話というものは勝手なもので、私はその「棒立ち」を棒のように意味なく突っ立っている、と解釈していた。ところが辞書によると「馬などが前脚を浮かせて棒のように立つこと。また、驚きや恐れでつっ立ったままでいること」と著されている。これでは意味合いがまるで違ってくる。
 はなしの内容は、音数律を用いているものの、表現のねらいが判然としない。もしくは五七調と七五調の違いすら汲み取られていない(棒立ちのような)作品ではなかったかと。幹郎さんには申し訳ないが、これも私の勝手な解釈である。いっそ「棒あきない」か「棒上げ」の方が一本調子で通りがよかったかとも思う。
 要するに、しかるべき研究機関や大学のようなところと縁のない私はいつもこのような間違いを為出かす。もっとも、これでまた幹郎さんとのはなしのネタができたわけだが。

 棒が滅亡の亡であろうが、耐乏の乏であろうが、妄言の妄であろうが、芒洋の芒であろうが、風来坊の坊であろうが、忘却の忘であろうが、茅屋の茅であろうが、閨房の房であろうが、茫漠の茫であろうが、昴星の昴であろうが、冒涜の冒であろうが、解剖の剖であろうが、旁若の旁であろうが、既望の望であろうが、眸子の眸であろうが、容貌の貌であろうが、無謀の謀であろうが、誹謗の謗であろうが、なんだって構わない。暮雨はやがて闇と溶け合い、そして漆黒のなかへ消え去ってゆく。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月18日 21:19 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

3月22日(土)の19時から新装開店後、三度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円、オードブルは簡略に済ませます。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回は09番と12番の二種を除いて2000年以前のボトリングが中心になります。
12年ものとカスク・ストレングスはパヒューム香の強い旧ボトルです。
90年を境にボウモアの香味は大きく変わり、そして安定しました。
その端境期のボウモアを愉しんでいただきます。こぞってご参加下さい。

ですぺらモルト会(ボウモアを飲む)

01 ボウモア12年(DB)
 40度の旧ディスティラリー・ボトル。
02 ボウモア '89(ロンバード)
 ジュエル・オブ・アイラの一本。10年もの、65.3度のカスク・ストレングス。
03 ボウモア '89(クライズデール)
 9年もの、58.7度のカスク・ストレングス。限定306本のシングル・カスク。
04 ボウモア '89(ブラッックアダー)
 ロウ・カスクの一本。オーク・バレルの11年もの、64.0度のカスク・ストレングス。限定265本のシングル・カスク。
05 ボウモア・ダスク(DB)
 14年もの、50度のディスティラリー・ボトル。
06 ボウモア・カスク(DB)
 56.0度の旧カスク・ストレングス。
07 ボウモア・ドーン(DB)
 51.5度のカスク・ストレングス。ルビー・ポート・フィニッシュのディスティラリー・ボトル。
08 ボウモア・ボヤージュ(DB)
 56度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。
09 ボウモア '89(DB)
 16年もののディスティラリー・ボトル。51.8度のカスク・ストレングス。
10 ボウモア21年(DB)
 43度のディスティラリー・ボトル。
11 ボウモア '73(キングスバリー)
 リフィール・バーボン樽の25年もの、46度のシングル・カスク。
12 ボウモア '82(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの24年もの、51.5度のカスク・ストレングス。165本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年03月17日 15:32 | 固定ページリンク




かりのそらね  | 一考    

 昨日は雨天で店は暇だった。その代わりと言っては失礼だが、佐々木幹郎さんと一夜閑談の会に浴した。話題は「かりのそらね」。アナロジーの極致とも言うべき入沢康夫の「かりのそらね」については、高遠弘美さんが執拗かつ綢繆なエッセイを書かれている。詳しくはそちらを読んでいただきたい。否、必ずや繙かれたい。
 棒立ちのような現代の詩歌にあって聳つ作品というのは寡ない。山と積まれた書物のなかからそれを探し出すのは難儀である。真砂子のなかから一粒の貴石を索すに等しい労苦を伴う。質硬く色沢美しく屈折率の大きな作品というものは、おそらく十年、二十年に一冊しか生れない。「かりのそらね」と「わが出雲・わが鎮魂」はそうした詩集である。ここでは「かりのそらね」と一対になる「わが出雲・わが鎮魂」について触れたい。
 「わが親友の魂 血も凍るおもい 両のてのひらに そっとすくい上げた」詩集が手元にないのでうろ覚えだが、小学校時代の友の魂を追いかけてゆく、その魂は土地の霊となって・・・といった内容の詩集だった。その前の方の頁に鏡文字が出てくる。鏡文字とは一種のトロンプ‐ルイユで、鏡を介して通常の文字となる。幹郎さんによると、生徒にこの詩のよさを教えようとして鏡を書物の前に立てかけたと覚しい。その時、予期せぬことが起こった。左右が反転した文字のなかに自分の顔が立ち顕れたというのである。友の魂とは他ならぬ個々の読者自身であって、霊とは虚無そのものだったと幹郎さんは言う。
 入沢さんはどうやらそこまでは計算していなかったらしい。それにしても、読書の怖ろしさを読み解く幹郎さんの眼力は見事である。佐々木幹郎、そして高遠弘美、入沢さんはよい読者に恵まれた。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月15日 20:33 | 固定ページリンク




取材  | 一考    

 週刊文春の取材が十八日に決まった。筆者の君島佐和子さんは元料理王国の編集長で、いまは料理通信で活躍なさっている。モルト・ウィスキーや縮緬山椒等々、過去さまざまなお世話になった。舌に自信を持つ稀なる女人として畏敬の念を抱いている。
 スモークとウィスキー六種類だそうだが、山崎のヘヴィリー・ピーテッド、アイラ・ストーム、クラガンモアのカスク・ストレングス、ジャン・ボワイエのロイヤル・ロッホナガー、ノックドゥー21年、イアン・マキロップのリンリスゴーを取上げていただこうと思っている。彼女のワイン、特にブルゴーニュ・ワインに対する知識には横須賀さん共々驚かされたことがあるが、今回はモルト・ウィスキー。彼女の調法ならぬ筆捌きを愉しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月14日 20:59 | 固定ページリンク




税務署  | 一考    

 これで五日連続で税務署から苦言を呈されている。領収書を探し出して打ち込みを済ませ、金銭出納帳がやっと合った。その結果六十五万円の赤字、というよりも現金の欠損となった。損金は帳簿上許されないらしく、事業主からの借入金にしなさいといわれた。私が私に出資するのはやぶさかでない、十億でも百億でも融通したい。ところが、二通ある預金通帳の残高は五十七円と二百三十円である。税務申告とは虚偽を書き記すものかと疑念を挿みたくなる。
 失念による付け落ちは当然あるだろう。しかし、偽りの申告は過去試みたことがない。売上は伝票通りであって、わずか十数万円の差で消費税の支払いに苦しめられたこともある。私は信条的には非国民だが、だからこそ義務は果たす。発言の自由を守りたいからである。発言の自由がそこまでしなければならないものかどうか、国家・国体に寇なすことを著したひとにしか分かってもらえない。
 他方、さまざまなひとから援助を受けている。その助勢が貯まりたまっての六十五万円なのかもしれない。だとすれば、その金数も個別に収入として申告しなければならないのだろうか。好意や思慕を帳簿に記述するがごとき無礼を私は働きたくない。そこには公開を阻む、個としてのぎりぎり譲られない信倚があると信じたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月14日 20:01 | 固定ページリンク




雑誌紹介  | 一考    

 雑誌の取材がつづく。三月十五日発売の「THE Whisky World vol.15」は赤坂特集で、ですぺらが載る。月末に文春から創刊される「嗜み」では佐々木幹郎さんがですぺらについて書いてくださる。四月八日には無料配布の「metro mini」でですぺらとマッカランが掲載される。ついで、料理通信編集長の君島佐和子さんが「週刊文春」で紹介してくださるらしい。
 幹郎さんはですぺらではなく、一考のことを書かれるとか。私ともっとも遠いところに位置するのが嗜みではないだろうか。窘みの方なら馴染みがあるが、嗜みとはとんとご縁がない。もっとも、書くとはひとに託つけて自分を著すことに他ならない。ここはひとつお手並み拝見、想像するだに背筋がぴくりぴくりと痙攣するではないか。他人の目に私がいかように写るのか、もしくはいかような目線が呈出されるのか。鶴首して待つ。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月13日 19:27 | 固定ページリンク




税務申告  | 一考    

 小生の不手際にてしばらく掲示板が機能しなかった。グレン・キースについての書き直しの最中におかしくなったのである。またまた、おっきーさんに迷惑をお掛けした、申し訳なく思う。

 税務署へ提出する用紙を頂戴しに市役所へ赴いたが、置いていないとのこと。川口まで取りにゆくのが面倒だと言うと、近隣で入手可能なところを調べてくださった。すぐ裏の商工会を紹介されたが、行って驚いた。そちらにも青色申告の相談コーナーが設けられていたが、閑古鳥が飛んでいる。川口のように三時間も待たされることもなく、懇切丁寧に教えていただける。なにごとにも穴場はあるもので、貸切の相談室を心強く思った。
 初回の計算では百二十万円ほどの利益が出ていたが、記入漏れが多く、結果はとんでもない赤字へと顛落してしまった。ちはらさんのおかげで、明日中に膨大な赤字の税務申告が終わりそうである。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月12日 22:48 | 固定ページリンク




グレン・キースについて  | 一考    

 最近グレン・キースが手に入らなくて困っている。ですぺらで最も売れ筋なのがストラスアイラとグレンキースのディスティラリー・ボトルだった。グレンキース蒸留所はストラスアイラの第二蒸留所としてシーバス・ブラザーズ社によって1957年に誕生。キースの町を流れるアイラ川沿いに蒸留所は建ってい、ストラスアイラと隣接している。
 すべてがシーグラムの原酒に回されるため、ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されたことがなかった。待望のボトルは94年から頒布されたが、わずか六年で蒸留所は休業、翌2001年にはフランスのペルノリカール社が買収。その後、無音に打ちすぎたが、どうやら取り壊されるらしい。
 シングルモルトとしての最初は1980年代に発売されたゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスで、65年と67年蒸留のものが続けてボトリングされた。それ以降のボトルは以下のごとし。
 ディスティラリー・ボトルでは83年蒸留のヴィンテージ・ボトルが一度だけ頒されている。また、ピーティーな水とライトピートで仕込まれたクレイグダフがあり、シグナトリー社からボトリングされている。ちなみに、シェリー樽はファースト・フィルを用いる。姉妹会社のキリン・シーグラムからの依頼により、シーバス・ブラザーズが実験的に造ったものと思われる。同時期にストラスアイラ蒸留所で同じ試みで造られたものにグレンアイラがある。
 火にかけられた鼈甲飴の芳ばしさ、完熟林檎や西洋梨のアロマが強く、ドライかつシャープなきれを持った佳酒だったが、消え去ってゆくのは残念である。

 グレン・キース10年, ,10年,43度,(ディスティラリー・ボトル)
 グレン・キース'83,'83, ,43度,(ディスティラリー・ボトル)
 グレン・キース'68,'68,34年,58.1度,(J・ウィバーズ・ウィスキー・ワールド)プレミア・モルト、製造はマルコム・プライド
 グレン・キース'71,'71/06,34年,51.8度,337本,(クロス・ヒル)
 グレン・キース'85,'85/01,16年,59.2度,(ケイデンヘッド)オーセンティック・コレクション
 グレン・キース'67,'67, ,40度,(ゴードン&マクファイル)コニッサーズ・チョイス
 グレン・キース'65,'65, ,40度,(ゴードン&マクファイル)コニッサーズ・チョイス
 グレン・キース'72,'72/98,26年,45度,オーク,318本,(サマローリ)
 グレン・キース'72,'72,25年,45度,(サマローリ)
 グレン・キース'67,'67,21年,(シグナトリー)
 グレン・キース'93,'93/04,10年,55.2度,(スコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティ)
 グレン・キース30年, ,30年,(ダグラス・レイン)オールド・モルト・カスク
 グレン・キース'69,'69/05,36年,49.5度,(ヴィンテージ・モルト)クーパーズ・チョイス
 グレン・キース'67,'67/00,33年,53.2度,(イアン・マキロップ)マキロップ・チョイス
 グレン・キース'76,'76,22年,51.2度,(ジェームズ・マッカーサー)スコッチ・ウィスキー500周年記念
 グレン・キース'74,'74,25年,52.9度,(ジェームズ・マッカーサー)オールド・マスターズ
 グレン・キース21年, ,21年,60.2度,(ジェームズ・マッカーサー)
 グレン・キース'85,'85,17年,43度,(モンゴメリーズ),シングル・カスク・コレクション
 クレイグダフ'72,'72/05,32年,53.9度,シェリー・バット,557本,(シグナトリー)カスクストレングス・コレクション

 モンゴメリーズ社について一言。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニー、本社はグラスゴー。従って、マキロップ社とは兄弟会社になる。ボトリング・ライセンスを持ち、樽と樽とのヴァッティングは一切行わず、スモール・バッチを売りとする。第一回頒布は2000年末。
 このところ、ウィスキーの書き込みが続くが、ホームページ掲載の文章を書いてから既に十年が経つ。その間に蒸留所のオーナーは大きく変わった。例えば、シーバスすらが今ではディアジオの傘下に入った。グレン・モーレンジもディアジオに買収された。従って、グレン・マレイもアードベッグもグレン・モーレンジと共にディアジオの傘下にある。オーナーの変遷にとどまらない、ディスティラリー・ボトルの香味もまた揺らいでいる。それらの推移を書き綴って行きたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月11日 18:39 | 固定ページリンク




個人商店2  | 一考    

 地域社会の歴史を考究し、それが一国の歴史、世界の歴史の変遷とどのように絡みあうかを明らかにし、地域社会が当面する諸問題についての理解を深める。要するに、郷土史の研究の多くはそれぞれの地域の書店や古書店もしくは図書館などによって支えられてきた。この消息を言い換えれば、新古を問わずそれだけの自負を持って書店主は経営に携ってきたということになろうか。そのプライドがわざわいして、一部の書店は漫画のようなサブカルチャーを否定しつづけてきた。結果、消費者の支持を失って衰退して行く。謂わば、郷土史というサブカルチャーがもう一方のサブカルチャーを、もしくは漫画というサブカルチャーが郷土史というサブカルチャーを否認したのである。
 われわれの世代にあって、サブカルチャーは何よりもまず商業主義や権力装置に対して挑戦的かつ挑発的であった。それがゆえに、アンダーグラウンドたらざるを得ない。それはソンタグのいう「極めて深い悲痛感と危機感」を伴うものであった。サブカルチャーは全体的な文化(トータルカルチャー)あるいは主要な文化(メインカルチャー)に対比される概念である。その対比にわれわれは目線の移動を持って応じた。例えば人生の漂流者としての荷風であり、圏外文学としての鏡花の類いである。解釈ひとつでメインカルチャーをすらサブカルチャーに歪めてきたといえようか。さらには、石井隆から片山健に至るカウンター、あるいはアドバーサリーな文化のなかにわれわれは深く身を置いてきた。
 昔、売れる本はよい本だといわれてきたが、その伝でいけば、ケータイ小説や漫画は金になる素晴らしい商品なのである。それをいまさら敵対的文化と呼ぶひとはいまい。謂わばサブカルチャーがサブでなくなり、商業主義の一見本として大手をふって跋扈するようになった。そしてそれを扶け、大衆に媚び諛うのが大型書店である。私は個人至上主義的な共同体感覚に基盤を置く三月書房のような本屋を好ましく思う。望むべくもないことだが。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月07日 22:25 | 固定ページリンク




個人商店  | 一考    

 「おそらく最後の世代になるのではないかと思っている」と書いた。季節の変化を反覆しつつ月日は容赦なく推移してゆく。ことは内燃機関に止まらない、二十年後に姿を消すのは書店であり、出版社であり、書物そのものだろうと思う。ローカルなはなしで恐縮だが、一月十四日に神戸の後藤書店が店仕舞した。黒木書店主は下戸だったが、後藤書店の親父とは飲みに行ったことがある。そしてはなしは古書店にとどまらない、コーベブックス、コーベブックスの常務だった村田耕平さんが営む三宮ブックス、丸善、流泉書店、漢口堂、日東館、宝文館等々が次々と姿を消していった。そういえば、コーベブックスの北風一雄さんの息子さんが営んでいた南天荘書店も閉店した。昔、ジュンク堂の三宮出店に最初に賛意を示したのは他ならぬ北風一雄さんと村田耕平さんだった。結果、自らの首をしめることになったのか、それとも早晩訪れるであろう滅びに身を涵していたのか。個性が売りの書店は三月書房のごとく、個人商店でなければならぬ。そのジュンク堂だが、今際の綴じ目にとどめし徒花のようなものと思っている。
 繰り返すが、書物はやがて姿を消す。私はよい季節に本を造ったと思う。印刷の、手漉和紙の、装訂材料の現状を顧みるに、七〇年代が間違いなく最後の機会だった。その折の残滓で九一年に最後の限定本を造った。爾来、装訂の機会はあっても著者と折り合いがつかず、そのまま投げ出している。八〇年代以降、湯川成一さんが拵える書物を除くと鑑賞に堪えるものはほとんどない。表装を取り繕ってはいるものの、書物としての体を成していない。所詮はマスプロであって、気配りというか、本への情愛がなにひとつ感じられない。
 昔、書物というメディアがあって、かように重く不便なものを慈しむような奇妙な人々がいたらしい、と取沙汰される日は近い。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月06日 22:32 | 固定ページリンク




マスタング登場  | 一考    

 自宅のネット回線を有線からイー・モバイルに切り換えようとして申し込んだが繋がらない。同様にYahooのメールアドレスの変更も出来ない。そしてドメイン・ウェブサービス・サポートへの更新も繋がらない。しばし考え込み、OSXで起動したところ、なんの問題もなく繋がった。はなしは簡単で、OS9は見捨てられたようである。
 私は守旧派ではないが、新しいものを次から次へと購入できるような身分ではない。またかような物欲もない。パソコンも電話も車も単車も単なる道具であって、新型を贖う気持はまったくない。車も十万キロを軽く超え、今回の車検ではタイミング・ベルトとウオーター・ポンプを換えなければならない。自然吸気の車なので四、五十万キロは乗るつもりである。それゆえ消耗品は十万キロ毎に交換しなければならないが、今回は一時抹消登録、俗にいう十六条抹消にすることにした。四輪駆動とは暫しのお別れで、抹消中は木村さんから頂戴した車を利用させていただく。
 ところで、左ハンドルと右ハンドルの切り換えはそう巧くいくものではない。ウィンカーを出そうとしてワイパーを操作するようなミスは幾度となく起こる。もっとも、マスタングに把手は一本だけである。問題は国産車に乗ったときである。マスタングのダッシュボードは徹底的に合理化されている。追加された機能はパワーウィンドウと集中ドアロックのみで、他に余分なものはなにひとつ付いていない。さすがに「フルチョイスシステム」で造られた車である。金持ちには金持ちなりの、貧乏人には貧乏人なりの良くできたシステムといえよう。
 V型六気筒三、八リッターエンジンの低回転からの強いトルクは日本車にはない魅力であるが、その代償として高回転によって高出力を得る同クラスの日本車と比べて、中低速走行では燃費が悪い。そのかわり、エンジンは長持ちしそうである。通勤に使っている鉄馬は一万二千回転で、六千回転を下回ると加速しない。スクーターが良い例で、三万キロも走るとエンジンはお釈迦になる。他方、マスタングは五千五百回転以上は回らない。かつて乗っていたターボ車のように白煙を吐く心配は限りなく低い。
 ガソリンの値はこれからも上がりつづける。そして、マスタングの燃費の悪さは足癖とオイルの選択でどうにでもなる。それよりも、ポンポン蒸気と呼ばれたツーサイクルの焼き玉エンジン同様、現行のレシプロエンジンは二十年後には姿を消すだろう。それまで生きてもいまいが、レシプロエンジンに乗る、おそらく最後の世代になるのではないかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年03月04日 20:43 | 固定ページリンク




ボウモア旧ボトル  | 一考    

 ですぺらモルト会へのご参加ありがとうございました。新顔のカリラとクライヌリッシュ、共においしくいただきました。そしてクラガンモアの底力に改めて驚かされました。クラガンモアのダブル・マチュアードも然ることながら、カスクストレングスの10年ものはスパニッシュオークのボデガ、17年ものはアメリカンオークのホグス、この辺りに蒸留所のチーフブレンダーの識見が窺われます。シェリー樽は短期熟成にこそ相応しく、長期熟成には不向きです。十年を超えると微かな甘味が渋味へと変化します。香りの迷宮を味わうにはアメリカンオークに限るようです。
 ところで、二月二十三日のモルト会ではユナイテッド・ディスティラーズ社のグレンキンチー・アモンティリャード '86は端折りました。ダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーによる飲み会を四月に予定しているからです。
 次回はボウモアですが、ルビー・ポート、ポート、シェリー、クラレット、バーボン他、七種類のカスク違いに旧カスク・ストレングスと旧21年もの、さらに73年蒸留のキングスバリーなど、パヒューム香の強いボトルが加わります。オーナーのサントリーは販売するボウモアを五種類に絞りましたが、蒸留所は不定期ながら輸出を続けています。いずれは消え去ってゆくボトルを今のうちに味わっておこうというのが主旨です。

 ご参加いただいた水谷さんへ追伸です。ノックドゥーは週末に入荷の予定。


投稿者: 一考      日時: 2008年02月27日 10:39 | 固定ページリンク




鉄馬  | 一考    

 単車に乗ったときの体感温度は無風で五度、風があると七度は下がるといわれる。先週金曜日の気温は六度、木曜日は四度だった。要するに鉄馬の上ではまだまだ真冬が続いている。しかし、随分と楽になった。橋梁ではまだ膝が震うが、それでも八十キロぐらいは出せるようになった。先週までは六十キロで縮み上がっていた。鉄馬に跨がっての六十キロはあまりにも情けない。
 先日、幹郎さんと話していて思ったのだが、老いは脚からではなく、皮膚感覚からやって来る。平成のはじめ、腕も露わに百キロ超で北海道を駈け巡っていたころを思い出す。雨天であろうが颱風であろうが平気だった。と言うよりも、パンツまでぐしょ濡れになって駈けずり回るのが快感だった。
 それと海水浴がある。隆君と連れ立って山陰の海辺のキャンプ場へ行った。子供のころから水泳には自信がある。十キロでも二十キロでも遠泳ならお任せだった。それが久美浜のかぶと山キャンプ場で死ぬ思いをさせられた。立ち泳ぎで胸元と脚もとの海水の温度差に身体が悲鳴をあげたのである。爾来、海水浴は避けている。
 身体は鍛えた方である。にもかかわらず、このところぎしぎしめりめりと音を立てて崩れてゆく。平気だったことが平左衛門でいられなくなる。神経麻痺でなければ、神経痛でもない。ただただ、寒さに身体が疲弊してゆく。何時になれば百キロで走られるのだろうか、という前に、次の冬は鉄馬に跨がることができるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2008年02月25日 23:43 | 固定ページリンク




12月20日の「新規ボトル」の追加  | 一考    

ザ・カスク・オブ・ヤマザキ '93(サントリー)
  14年もの、62.0度のカスク・ストレングス。539本のリミテッド・エディション。
  スコットランドのアイラのモルトスターの麦芽を用いる。サントリー初のヘヴィリー・ピーテッド・モルト。熟成はパンチョン樽。カスク由来の甘味とスモーキーな香り、のびやかなフィニッシュ。
  同時発売にシェリー・バット熟成のものがある。追って08年3月、白州のヘヴィリー・ピーテッドとボタコルタ熟成の二種がボトリングされる。

アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)
  プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
  頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。ゴードン&マクファイル社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続 くフィニッシュは申し分なし。

アードベッグ・スティルヤング '98
  ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
  04年発売のベリー・ヤングに続いて06年に発売。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品についで07年にオールモストゼアが発売された。他にコミッティー・ヴァージョンやウィスキー・フェア用に異なるヴィンテージのものがボトリングされている。

キルブライト '99(エイコーン)
  バーボン・ウッドの4年もの、60.0度のカスク・ストレングス。中味はラフロイグ。
  エイコーンの水源地シリーズ第三弾。シリーズ中、最も若いラフロイグ。クライズデールのボトルを想い起こさせる猛々しさ。店主好みの薬品臭。ちなみに、ザ・リヴァー・ラーガンの中味はボウモア。

カリラ '95(ユナイテッド・ディスティラーズ)
  ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。モスカテル・シェリー・フィニッシュの12年もの、43度。
  販売は07年から。ミディアム・ボディながら、カリラ特有のかがり火のようなスモーキーさが重量感を持つ。モスカテル・シェリー樽の痕跡は抑えられ、全体に辛口に振られている。ピート、薬草、熟したフルーツの香りを伴う。シナモンを思わせるスパイシーなフィニッシュ。バランスの良さはディアジオ社のお家芸、美味。

ブレッヒン '02
  46度のディスティラリー・ボトル。
  バーガンディー・カスクの4年もの46度。900本のリミテッド・エディション。エドラダワー蒸留所のセカンドラベル。
  ブルゴーニュはコートドールのバリックと呼ばれるオーク樽由来の複雑な香味。パヒューム香の替わりにゴムの臭い、フェノール値が高く薬品臭が強い。ボディは厚く、ココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる。馴れるのに時間がかかるモルト・ウィスキー。

オスロスク '95(ダグラス・マクギボン)
  プロヴァナンスの一本。5年もの、62.3度のカスク・ストレングス。
  ボトラーズではキングスバリー社、クライズデール社、ケイデンヘッド社、ゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ダグラス・マクギボン社、ダグラス・レイン社、ドナート社、ブラックアダー社、マーレー・マクデヴィッド社、イアン・マクロード社等々、多彩なボトルが頒されている。

クラガンモア・カスクストレングス '93
  ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
  熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。

クラガンモア・カスクストレングス '88
  リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
  10年ものより、色は淡く、香味は確実に複雑。スティルの独特な形状により、蒸気中の不純物がローワインに戻され再凝縮する「リフラックス」のよさを最大限に活かす。つねに芳香が変化する様はバルヴィニーのシングル・カスクと双璧。表現力豊かなクラガンモア。

グレンロッシー '78(ヴィンテージ・モルト)
  クーパーズ・チョイスの一本。オーク・カスクの22年もの、43度のシングル・カスク。
  ヴィンテージ・モルト社は1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトではクーパーズ・チョイスの名でコレクションを頒している。マキロップ・チョイスやバレル・セレクション同様、やはり購入の際には選択が必要。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。
  イアン・マクロード社同様、ラガヴーリンを多く所有。スコッチ・モルト・セールスへ卸すほか、ウィックのアイラ・ストームの樽元でもある。

オーバン '92(ユナイテッド・ディスティラーズ)
  ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。モンティラフィノ・シェリー・フィニッシュの15年もの、43度。
  販売は80年蒸留から、最新ボトルは92年の蒸留。フルボディ。ソルティーさは控えめに、繊細でリッチなフルーツの香りの波が押し寄せる。搾りたてのフレッシュ・ジュース、グレープフルーツやオレンジの味わい。かつてのオーバンとは隔たり、新しい香味を試みたかの感がする。噛み応えのある香ばしいカラメルモルト。フィニッシュは長くはないが、甘味のあるビスケットの後味。

クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)
  ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、60.1度度。
  販売は07年から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味される。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

ロイヤル・ロッホナガー '98(ジャン・ボワイエ)
   ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。シェリーカスクの8年もの、43度。
  ジャン・ボワイエ社はフランスのみならずヨーロッパでも最大級のボトラー。設立は1993年だが、1975年にスコットランドからの輸入をはじめ、1985年にはフランス国内屈指の輸入卸業者に成長、スプリングバンクやボウモアなどの正規代理店になる。現在では数種類のレンジ(ラベル)で総計50種類以上に及ぶ多彩なモルトの品揃えを誇る。それにしても、ボトラーズのロイヤル・ロッホナガーはめずらしい。

ロイヤル・ロッホナガー・セレクテッド・リザーヴ
  43度のディスティラリー・ボトル。
  年数表示のないプレミアム・エディション。50%がファーストフィルのシェリー樽にて熟成。ただし、熟成に必要な樽の確保が困難になり、現在ではボトリングされていない。熟成年数の表示が無いのは、選ばれた複数の樽から造られており、ボトリング毎に熟成年数が異なるからである。
  シェリー樽由来の芳醇な香り、ファーストフィルを半分に限ったところから苦みは一切ない。香りはリッチで、バニラ香、ナッツ香、ミント香が強くクリーミー。フィニッシュは長く、僅かにスパイシーで非常になめらか。

リンリスゴー '82(マキロップ)
  マキロップ・チョイスの一本にして17年もの、61.2度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
  マキロップ社はグラスゴーのインデペンデント・ボトラーにして、中味はセント・マグデラン。ちなみに、リンリスゴーとは蒸留所が在した町の名。
  今の内にトライすべきミディアムボディ。充実したボディはバランスがよく、アルコール度数を感じさせない柔軟さを持つ。


投稿者: 一考      日時: 2008年02月25日 23:07 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

 明日のですぺらモルト会の解説は簡単に済ませました。ディスティラリー・ボトルが多いので取り立てて書くこともないのです。ディアジオ社のカタログから適宜盗作させていただきました。それ故、こちらへ掲げておきます。

01 オーバン'92(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。モンティラフィノ・シェリー・フィニッシュの43度。
 販売は80年蒸留から、最新ボトルは92年の蒸留。フルーティーで刺激に満ちたフルボディの逸品。アードベッグを想起させる塩辛さにフレッシュなグレープやオレンジジュースの味わいが加味されている。噛み応えのあるカラメルモルト。通常のオーバンにはない繊細でリッチなフルーツの香りの波が押し寄せる。フィニッシュは長くはないが、複雑さにおいて他を凌駕する。

02 カリラ'95(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。モスカテル・シェリー・フィニッシュの43度。
 販売は07年末から。ミディアム・ボディながら、カリラ特有のかがり火のようなスモーキーさが重量感を持つ。モスカテル・シェリー樽の痕跡は抑えられ、全体的に辛口。ピート、薬草、熟したフルーツの香りを伴う。シナモンを思わせるスパイシーなフィニッシュ。バランスの良さはディアジオ社のお家芸。

03 クライヌリッシュ'91(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの46度。
 販売は07年末から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等の香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味されている。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

04 クラガンモア・ポート'88(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ポート・フィニッシュの40度。
 販売は84年蒸留から、最新ボトルは93年の蒸留。ライトの筈がダブル・マチュアードによってミディアム・ボディに変化させられている。樽香が強く、初手の甘さがバナナ、バニラ、ココアへと一気に走り抜ける。スモーキななかに、甘く強いフルーティーフレグラス。昨年販売されたカスク・ストレングスにも似て、食欲をそそるアロマを持つ。フィニッシュは長く、そしてドライ。

05 タリスカー'91(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 アモロソ・シェリー・フィニッシュの45.8度。
 販売は86年蒸留から、最新ボトルは93年の蒸留。ビターとスウィートのハーモニーはほぼ完璧に近く、ダブル・マチュアード・シリーズのなかでは最高峰に位置する。シェリーの樽香が胡椒の風味を抑え、干し葡萄の甘さを際立たせる。深いココアの香り、オイリーな甘味、並外れた清々しさ、焦点が美事に絞り込まれている。樽香が常に鋭さを保ち、初手からフィニッシュに至るまで甘さとドライさとのバランスを守る。

06 ダルウィニー・オロロソ'81(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 オロロソ・シェリー・フィニッシュの43度。
 販売は81年蒸留から、最新ボトルは90年の蒸留。月並なモルティーさをフレッシュ・シェリーのアロマが見事に覆い隠している。思った以上にスパイシーな香味を持つ。カスク由来のヴァニラ香と非常にドライなフィニッシュ。結構、存在感がある。

07 ラガヴーリン・ペドロヒメネス'79(UDV)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 シェリー・フィニッシュの43度。
 販売は79年蒸留から、最新ボトルは91年の蒸留。シェリー・ウッドがメロウ(まろやか)な味わいをすこぶる強調する。言い換えれば、ヴァニラやレーズンの甘味がモルトの持つ薫香を穏やかなものに変化させている。複雑で歯応えのあるピート香だが、珈琲のような後を引く濃厚さにいささかの疑問も。

08 タムドゥー'85(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ラム・フィニッシュの16年もの、46度。2樽618本のリミテッド・エディション。
 フェイマス・グラウス、カティサークの中核をなすモルト。飽きのこない飲みやすい食後酒として仏蘭西、伊太利亜、西班牙でよく飲まれている。際立った個性はないが、ラム・フィニッシュによって思わぬ効果をもたらしている。同様のモルトにカリラのラム・フィニッシュがある。

09 リンクウッド'90(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。クラレット・フィニッシュの12年もの、43度。2樽858本のリミテッド・エディション。
 まろやかで飲みやすいボディと花のような香り、適度のこくとスムースなフィニッシュ。昔から「入手できる最上のモルトのひとつ」と讃えられている。
 新春の原生花園に降り立ったようなフローラルな香り、マンザナベルデに似た青林檎のアロマ。シェリーとは異なるクラレット特有のほのかな甘さ、京都の麩饅頭のような苦み、はんなりとした舌触りはボウモア・ダスクと似ている。

10 グレンタレット'90(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ポート・フィニッシュの11年もの、43度。1236本のリミテッド・エディション。
 創業は1775年、一時閉鎖されていたが、1959年に再開。リトルミル(1772)、ボウモア(1779)、グレンギリー(1785)、ストラスアイラ(1786)等と共にスコットランド最古の蒸留所。小さな蒸留所で大半をシングル・モルトとして出荷、ユニークなラインナップを揃えている。ポット・スティルは二基でサイズも小さく、常に高品質のモルトを生産している。全体に印象の薄いウィスキーだが、本品はカスク由来の完熟フルーツの香りが顕著。


投稿者: 一考      日時: 2008年02月22日 13:44 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

ですぺらモルト会
2月23日(土)の19時から新装開店後、二度目のですぺらモルト会を催します。
会費は8300円、オードブルは簡略に済ませます。ウィスキーのメニューは以下のごとし。
詳しい解説は当日お渡し致します。 今回は特に美味なモルトばかりです。こぞってご参加下さい。
店主も飲みますので、貸し切りということでお願い致します。
昨夜入荷したので案内が遅くなりました。申し訳ございません。

ですぺらモルト会(ダブル・マチュアードを飲む)

01 オーバン'92,モンティラフィノ・シェリー(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。43度。
02 カリラ'95,モスカテル・シェリー(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。43度。
03 クライヌリッシュ'91,オロロソ・シェリー(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。46度。
04 クラガンモア・ポート'88,ポート(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。40度。
05 タリスカー'91,アモロソ・シェリー(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 45.8度。
06 ダルウィニー・オロロソ'81,オロロソ・シェリー(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 43度。
07 ラガヴーリン・ペドロヒメネス'79,シェリー・フィニッシュ(UDV)
   ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。 43度。
08 タムドゥー'85,ラム・フィニッシュ(マクロード)
   チーフテンズの一本。ラム・フィニッシュの16年もの、46度。2樽618本のリミテッド・エディション。
09 リンクウッド'90,43度,クラレット・フィニッシュ(マクロード)
   チーフテンズの一本。クラレット・フィニッシュの12年もの、43度。2樽858本のリミテッド・エディション。
10 グレンタレット'90,43度,ポート・フィニッシュ(マクロード)
   チーフテンズの一本。ポート・フィニッシュの11年もの、43度。1236本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年02月22日 00:25 | 固定ページリンク




ダブル・マチュアード  | 一考    

 今週末の二十三日、土曜日に第二回ですぺらモルト会を催す。
 蕃椒のホットなアフターテイストで知られるダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーによる飲み会を予定していたが変更である。パヒューム香のボウモアもこれからは愉しむのが難しくなる。サントリーのボウモア・カスクストレングス三部作、89年のバーボンカスク、90年のシェリーカスク、91年のポートカスクが揃ったところで、ボウモアの会と思っていたが、こちらは間に合いそうにない。
 ディアジオ社のクラシック・モルト・シリーズのダブル・マチュアードにカリラとクライヌリッシュが加わった。カリラはモスカテルシェリー樽、クライヌリッシュはダーク・オロロソ・セコシェリー樽をフィニッシュに用いてる。
 ポートワイン樽のクラガンモア、アモンティリャード・シェリー樽のグレンキンチー、ヘレス・アモロソ・シェリー樽のタリスカー、オロロソ・シェリー樽のダルウィニー、ペドロヒメネス・シェリー樽のラガヴーリン、モンティラ・フィノ・シェリー樽のオーバンと続いて合計八種類となった。加えるにイアン・マクロード社のダブル・マチュアードが十数種はある。二十三日はダブル・マチュアードの特集にすることになった。詳細は追って発表する。
 来月のボウモアも前述の三種にドーン(ルビー・ポート)、ボヤージュ(ポート)、ダスク(クラレット)等が加わる。三箇月の間はさまざまな樽の飲み比べが続きそうである。ちなみに、今週末の土曜日は店主も飲む。


投稿者: 一考      日時: 2008年02月18日 20:14 | 固定ページリンク




ウィスキー二題  | 一考    

 ブレッヒン(BALLECHIN)
 エドラダワー蒸留所のセカンドラベル。蒸留は2002年、ボトリングは2006年、4年もの46度。900本のリミテッド・エディションで、日本向けの輸出量は270本。
 2002年に同蒸留所へ赴任した元ラフロイグの蒸留所長、イアン・ヘンダーソンの試みになる。PitlochryにあったBallechin蒸留所(1817-1927)の名前をエドラダワーが取得して復活。50ppm以上のフェノールを含んだ大麦麦芽を使用。ピートの度合いはラフロイグ蒸留所のそれよりも深い。熟成には九種の樽を用い、46%に加水調整。九種とはバーボン、バーガンディー・赤、バーガンディー・白、オロロソシェリー、ポート、クラレット、ソーテルヌ、マデイラ、マンサニーリャ。熟成の過程を見ながら五〜九年の間に順次ボトリング。当ボトルはバーガンディーの赤で熟成されたもの。バーガンディーをフィニッシュに用いたモルト・ウィスキーにグレン・モーレンジがあるが、本品はフィニッシュにではなく熟成に用いる。
 ブルゴーニュはコートドールのバリックと呼ばれるオーク樽に由来する複雑な香味と書けば簡単だが、バーガンディー自体が私にははじめての経験なので、どこまでがウィスキーの香味で、どこからがカスクの影響なのかが定かでない。シグナトリー社が買収してからのエドラダワーの壮大なカスク実験に私は反対である。自己主張の強いウィスキーにさらなるカスクの主張を加えてどうなるというのか。ブレッヒンにしても、最初のボトリングはバーボン樽にしてほしかった。
 エドラダワーが持つパヒューム香は淡い、バニラ香と蜂蜜の甘さを伴うブーケが強く感じられる。アーモンド、シナモン、ナツメグなどのニュアンスと共に薬品臭が漂う、この薬品臭は間違いなくピート香である。ボディは厚く、ココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる。4年ものにしては後熟は丁寧になされているが、先日飲んだ白州のすっきりした後味はどこにもない。新しいタイプと書けばそれまでだが、ピート香とクリーミーな舌触りとがアンバランス。不味くはないが、奇妙な味である。どうやら、ブレッヒンに馴れるにはいささか時間が掛かりそうである。

クラガンモア・カスクストレングス
 蒸留は1993年、ボトリングは2004年、10年もの60.1度。カスクはBodega European Oak(シェリー)、15000本のリミテッド・エディション。
 こちらはケイデンヘッドやダグラス・レインでお馴染みなので、書くまでもない。ディアジオ・モエ・ヘネシー社によると、最初は香りが閉じられている。熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香りがある。加水(一滴水を垂らす)すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターも内包している。このような暗示がありながらも、少し解りにくく、控えめで複雑な味わい、となる。
 スペシャル・エディションとして10年、14年、17年ものが頒されている。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月31日 23:39 | 固定ページリンク




白州シングルモルト  | 一考    

 朝の九時から一八時まで歩詰である、とは言っても中休みもあった。白州のシングルモルト25年とヘヴィリー・ピーテッド1993、スパニッシュ・オーク・ボタコルタ1993の試飲会をなかに挿んだのである。東京會舘でチーフブレンダーの輿水精一さんと白州蒸留所工場長の前村久さんとはじめて会った。小柄だが、成一家ひとだけに眼光が鋭い。輿水さんはグラスの脚を持たない、腹を鷲掴みである。脚を持ってグラスを回転させる、あの為種が私は我慢がならない。ワインであれコニャックであれ、なぜに気取ってみせるのか、酒の温度にそこまで過敏になるのなら酒の種類にさらなる気遣いをしろと言いたくなる。味の分からぬひとほど、奇矯な振る舞いに及ぶものである。マッカランの試飲会のときは前列が全員、親指と人差し指でグラスの脚を持ってぐるぐる回していた、興が薄れたのは私だけではあるまい。また、加水とはわずかに一滴、二滴であって、それ以上であっては困る。トワイス・アップのようにアルコール度数が変わるほど水を入れるのは水割りであって加水とは言わない。今回はよい勉強をさせていただいた。
 白州のヘヴィリー・ピーテッド1993はバーボン樽を組み替えたホグスヘッド230リットルを用いる。14年もの、カスク・ストレングスである。前回の山崎と比してボディが厚くなく、白州特有の青林檎のキャラクターが強いので、繊細なヘヴィリー・ピーテッドといったところ。
 スパニッシュ・オーク・ボタコルタ1993は480リットルのカスク。パンチョンと同型で、バットと比してずんぐりしている。甘酸っぱさが濃厚で微かな苦みがあって、フィニッシュはしっかりと伸びる。このボタコルタを私は気に入った。
 原材料の大麦麦芽はスコットランドから調達しているが、ロットが少ないので製麦業者(モルトスター)は決めていないとのこと。シンプソン、モーレイなどにレシピを渡して遣り繰りしているとのことだった。ちなみに、ピートの度合いは各蒸留所で厳格に決められている。
 1ppm マッカラン蒸留所
 35ppm ラガヴーリン蒸留所、ラフロイグ蒸留所
 55ppm アードベッグ蒸留所
 キルン(乾燥塔)の屋根にあるパコダ型の煙突はスコットランドも日本も蒸留所を象徴する飾りであって、ピートの煙を吐き出すパコダはバルヴェニー、ベンリアック、ハイランドパーク、ボウモア、ラフロイグ、スプリングバンクなどごく限られている。

 東京駅まで田中屋の栗林さんと同道、進捗しないコニャックの原稿について話し合う。アーリー・ランテッドに力を入れましょうとお願いをして別れた。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月30日 21:13 | 固定ページリンク




車通勤  | 一考    

 右手ひじの筋を痛めた、原因は老いと冷えである。単車のアクセル操作ができないので、車での通勤となる。従って帰り途の方は見送り可能。駐車場の関係で、開店は六時半以降になる。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月28日 16:46 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

1月26日(土)の19時から新装開店後、初のですぺらモルト会を催します。
会費は11000円、オードブルは簡略に済ませます。ウィスキーのメニューは以下のごとし。
詳しい解説は当日お渡し致します。 参加ご希望の方は事前にお知らせ下さい。
店主も飲みますので、貸し切りということでお願い致します。

ですぺらモルト会(グレンロッシーとロッホナガーを飲む)

01 グレンロッシー '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
02 グレンロッシー10年(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
03 グレンロッシー '81(シグナトリー)
 甘口シェリー樽の17年もの、43度、限定595本のシングル・カスク。
04 グレンロッシー '79(インタートレード)
 オーク・カスクの18年もの、43度のフル・ボディ。
05 グレンロッシー '78(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。オーク・カスクの22年もの、43度のフル・ボディ。
06 ロイヤル・ロッホナガー12年(DB)
 40度のディスティラリー・ボトル。
07 ロイヤル・ロッホナガー '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。シェリーカスクの8年もの、43度。
08 ロイヤル・ロッホナガー '73(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。29年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。276本のリミテッド・エディション。
09 ロイヤル・ロッホナガー '73(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 レア・モルト・セレクションの一本。23年もの、59.7度のカスク・ストレングス。
10 ロイヤル・ロッホナガー・セレクテッド・リザーヴ(DB)
  43度のディスティラリー・ボトル。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年01月22日 22:18 | 固定ページリンク




ロイヤル・ロッホナガー  | 一考    

 白檀やペパーミントの香りがするウィスキーといえば、グレンロッシーかロイヤル・ロッホナガーである。そのロッホナガー蒸留所は1845年、地元の資産家ジョン・ベグが設立した。1916年にジョン・デュワー&サンズ社に買い取られ、1925年にDCLの手に渡った。1930年からはSMD、現UDの運営となり、現在UDVの傘下にある。蒸留所の由来や詳細は検索していただくとして、ポットスチルはストレート・ヘッド型が二基、年間生産量は37万リットルの小さな蒸留所である。
 蒸留所が頒するロッホナガー・セレクテッド・リザーヴはディアジオ社(UDV)傘下のオフィシャル・ボトルのなかでは最も高額なボトルである。それ故、いままではですぺらでは扱っていなかった。そのようなモルト・ウィスキーはホテルのバーに任せていたのである。今回、某酒屋の協力で少々安く購入できたので、早速モルト会を催すことにした。二十六日(土曜日)はグレンロッシーとロイヤル・ロッホナガーを中心に十種類の植物系ウィスキーの香味を愉しんでいただく。なお、モルト会のため、二十六日は貸切にする。
 序でに、ロイヤル・ロッホナガーの過去のボトルを紹介する。

ロイヤル・ロッホナガー12年 40度(DB)
 ディスティラリー・ボトル。シェリー樽を含むセカンドフィルのカスクで熟成。ヴィクトリア女王が愛飲した王室御用達ウィスキー。気稟のよさを感じさせる清冽かつ閑雅な味わい。VAT69やジョン・ベグ・ブルーキャップ、ジョニー・ウォーカー青、黒の原酒モルト。
 スムースかつクリーミーなフル・ボディ。ペパーミントのエレガントにして涼やかな香り。フィニッシュはややドライ、暖かみのある切れ上がりが長く続く。
ロイヤル・ロッホナガー・セレクテッド・リザーヴ 43度 (DB)
 ディスティラリー・ボトル。年数表示のないプレミアム・エディション。50%がファーストフィルのシェリー樽にて熟成。ただし、熟成に必要な樽の確保が困難になり、現在ではボトリングされていない。熟成年数の表示が無いのは、選ばれた複数の樽から造られており、ボトリング毎に熟成年数が異なるからである。
 シェリー樽由来の芳醇な香り、ファーストフィルを半分に限ったところから苦みは一切ない。香りはリッチで、バニラ香、ナッツ香、ミント香が強くクリーミー。フィニッシュは長く、僅かにスパイシーで非常になめらか。
ロイヤル・ロッホナガー 98年蒸留 06年ボトリング 8年 43度 シェリーカスク(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。ボトラーズ・ボトルとしてはダグラス・レインに継ぐ。
ロイヤル・ロッホナガー 88年蒸留 15年もの 59.0度(ダグラス・レイン)
 ボトル名はグレンデニー、ハンター・ハミルトンのリリース。
ロイヤル・ロッホナガー 73年蒸留 29年もの 50.0度 276本(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。
ロイヤル・ロッホナガー 73年蒸留 28年もの 50.0度(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。
ロイヤル・ロッホナガー 71年蒸留 01年ボトリング 30年もの 46.4度 212本(ダグラス・レイン)
 オールド&レアの一本。
ロイヤル・ロッホナガー 74年蒸留 04年ボトリング 30年もの 56.2度 リフィール・オーク(UDV)
 レアモルトの一本。ロッホナガーのカスク・ストレングスは本品のみ。
ロイヤル・ロッホナガー 73年蒸留 97年ボトリング 23年もの 59.7度(UDV)
 レアモルトの一本。
ロイヤル・ロッホナガー 72年蒸留 97年ボトリング 24年もの 55.7度(UDV)
 レアモルトの一本。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月22日 06:35 | 固定ページリンク




海螺貝其の肆  | 一考    

 本日、海螺貝(つぶ)が二人前のみ入荷する。聞くところによると、天気の崩れはないものの、今日も寒いとか。なおのこと、海螺が恋しくなる。

 十九日はありがとうございました。員数が少なく、鴨肉が潤沢に当たったようです。大阪からご参加の方もいらして終日関西弁が飛び交いました。鴨のミンチは当日午後に引いたもの、肉屋さんには無理をいって迷惑を掛けました。ハリハリ鍋のため、甘味を抑えておもいっきり薄味で仕上げました。つくねの味が生きたと思っております。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月22日 05:06 | 固定ページリンク




年長者  | 一考    

 まだ詳らかにできないが、某社より新しい雑誌が刊行される。そのなかで佐々木幹郎さんがですぺらを紹介してくださる。発売は三月だが、取材は十四日に済ませた。取材の一環で、六十年代、七十年代のアードベッグと三十年ものなど多数のモルト・ウィスキーが試飲された。
 珍しく同じ世代のひとたちの集いとなり、語らいは弾んだ。ひとは若いままに老いる、歳が行ったとの自覚などどこにもない。そのくせ他人をつかまえてはオジン、オバンと言いたい放題である。「記憶はせつないほど懐かしい、はじめてめぐり会った遠い遠い時の爽やかさのままにある」とはそのあたりの消息を指す。
 それにしても、と思う。かつてわれわれが若かったころ、例えば曽根さんや種村さんと知り合ったころの彼等の遇し方、さらには生島さんや耕衣さんの年少者への接し方を顧みるに、われわれにあの寛容さ、キャパシティがあるのだろうかと疑問に思う。確かにとちったときの竹箆は怖かったが、咎はこちらにある。精神の進歩とか進化といった不用意な言葉を発しない限り、向こうから首をチョンと斬られることはなかった。
 幾人かは教師であったにもかかわらず、わが邦の歴史教育のプロパガンダについて声高に話された。歴史観そのものの相対化、すなわち世界観の相対化を教わると同時に、個別の事柄についてそれは大事です、それはどうでもよろしい、と噛み含めるように諭される。「いまどきの若いものは」という前に「いまどきの大人は」と自らの足もとの検証に彼等は余念がなかった。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月21日 22:08 | 固定ページリンク




値上げラッシュ  | 一考    

 円の対ドル相場は高くなっているが、対ポンド、対ユーロは下がり続けている。それが理由で、このところモルト・ウィスキーの値上がりが続く。先だってはカリラ12年がとんでもない値上がりで18年ものとの価格差がなくなった。流通在庫がなくなれば18年ものの値上がりは必至である。当店で売れ筋のストラスアイラは5,000円の大台を越えた。
 今度はグレン・モーレンジとアードベッグである。アードベッグに関しては何度も書いてきたが、70年代のカスク・ストレングスが126,800円から134,300円もする。同じ70年代の加水タイプは44,700円、17年ものは26,800円となった。
 今回は通常に出回っているボトルの値上げである。アリーナムビーストが10,000円から13,000円へ、ウーガダールが7,500円から9,000円へ、10年ものが5,000円から6,500円に改訂される。酒屋での売価はこの価格から1,000円ほど引いているが、定価販売の店も多い。なかには見越して既に高値で販売している店もある。アリーナムビーストは90年蒸留の2006年ボトリング。かつての17年ものに準じてい、ウーガダールとは違ってすこぶる美味である。当店にはアードベッグのファンが多いので影響が大きい。
 ですぺらは大量生産のディスティラリー・ボトル(オフィシャルボトル)の買い置きはしない。これがボトラーズ・ボトルなら話は別だが。ただ、自宅でもウィスキーを飲まれる方がいらっしゃる。それならば、二月中の購入をお薦めする。
 金融関係の客のはなしだと来年の初頭には円安に歯止めがかかるらしい、それまでは更に下がり続けるという。アライド・サントリー社が扱うウィスキーは比較的安価である。このような時はマッカラン、ボウモア、ラフロイグを飲むに越したことはない。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月21日 21:54 | 固定ページリンク




たぎち酒  | 一考    

 粉雪舞うなかを単車で帰宅。外気温は二度、室温は九度、その九度に自宅にいることの煖かさを知る。身体が飯を受け付けず、豚汁を肴に熱燗を嗜む。拙宅では普段は冷や酒を飲む。たぎち酒を飲みたくなりしは身を刺す冷たさから逃れんがため。
 高遠さんが坑腓の虫に苛まれて一日ひどく苦しまれたとか、それを懼れて靴下を履いて蒲団に潜り込む。これが二月まで続くかと思うといささか情けなくなる。われ老いを覚ゆ。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月17日 09:44 | 固定ページリンク




チーフテンズ  | 一考    

 プレーン・オークで熟成させた後、酒精強化ワインをはじめ、ラムやワインの樽で数箇月から一年ほどフィニッシュをかけるのをダブル・マチュアードという。カスク由来の香味が加味され、ウィスキーはさらに複雑な味わいを持つ。これを歓迎する向きもあれば、小手先の技術として否定なさる方もいる。しかし、ウィスキーは元々シェリー・カスクで熟成されてきた。オロロソ・シェリー樽で十年以上熟成された渋味の強いウィスキーを旨いと思うかどうかは時代と共に変遷する。私などはあの渋味は辞退したい、いっそフィニッシュだけの方が溌溂としたシェリー香が味わえて好ましく思う。それでなくとも、シェリーとウィスキーの生産量が逆転し、シェリー・カスクの入手が難しくなった昨今、いかようのカスクを用いようとも一向に構わないのではと思う。
 元々はグレン・モーレンジ社のお家芸だったが、90年代後半、ユナイテッド・ディスティラーズ社がクラシック・モルト・シリーズのダブル・マチュアード版を発売。続いてイアン・マクロード社がチーフテンズ・チョイスを頒布するに至り、ちょっとしたブームとなった。
 そのイアン・マクロード社について一言。スカイ島の豪族、マクロード家の末裔がオーナーでエディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでのグレンファークラスの発売元。タリスカーをベースに用いたブレンデッド・ウィスキー、マリー・ボーン、アイル・オブ・スカイやクイーンズ・シールでも識られる。同社が関与するボトルのうち、蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。他にもドイツ、フランスに実に多くの子会社を持つ。
 1999年に頒された上記「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった。ウィスキー・マガジンでも同社のグレンカダムがシルバー・メダルを受賞、日ごとに評価が高まっている。初入荷は十四点だったが、ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に目の離せないシリーズとなった。
 今回はチーフテンズ・セレクションのニュー・ボトルを紹介したい。

アイラ
 ラフロイグ1997 シャトー・ラ・ネルト・フィニッシュ 9年 46度 6,200
 カリラ1990 シャトー・ラ・ネルト・フィニッシュ 17年 48度 9,500
 カリラ1993 マンサニーリャ・フィニッシュ 13年 46度 5,800
 カリラ1996 ホグスヘッド 10年 43度 5,600
 カリラ1996 ラム・フィニッシュ 10年 46度 5,500
 ポートエレン1982 ホグスヘッド 24年 59.4度 24,600
スペイサイド
 オスロスク1994 アメリカン&スパニッシュ・オーク 13年 43度 4,300
 ベンリアック1993 メドック・フィニッシュ 14年 43度 5,400
 グレンロッシー1992 ホグスヘッド 14年 43度 5,400
 リンクウッド1992 フィノ・シェリー・フィニッシュ 14年 46度 5,400
 ロングモーン1994 ホワイトポート・フィニッシュ 13年 43度 5,400
ハイランド
 グレンタレット1993 フレッシュ・オーク・フィニッシュ 13年 43度 4,900
 グレンアギー1981 リフィール・シェリー 22年 52.5度 12,400
 ダルモア1994 ホグスヘッド 10年 63.5度 5,500
キャンベルタウン
 グレンスコシア1974 ラム・バレル 30年 40.2度 26,900
 スプリングバンク1974 リフィール・フィノ・シェリーバット 31年 57.2度 24,800
 スプリングバンク1969 リフィール・フィノ・シェリーバット 36年 57.3度 27,400
アイランズ
 スキャパ1982 アモンティリャード 22年 57.9度 11,400
其他
 シガー・モルト1994/ハイランド シャトー・ラ・ネルト・フィニッシュ 13年 54.4度 9,900
 シガー・モルト・マイルド1996/ハイランド マディラ・フィニッシュ 11年 54.9度 8,900
 シガー・モルト・ロブスト1997/アイラ ホグスヘッド 10年 55.1度 9,700

 シャトー・ラ・ネルトはローヌ南部のトップ生産者の一。シャトー・ヌフのマルゴーとの呼び声も。扱いはエィコーン。値を入れるべきかどうか迷ったが、現在もっとも値の安いボトラーなれば参考になる。エィコーンは個人取引はできないが、目白の田中屋に卸している。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月16日 21:18 | 固定ページリンク




 | 一考    

 丹波で鴨、鹿、猪などを専門に扱う店があって、問い合わせたところ猟師が居ないので勘弁してくれとのこと。他を紹介していただいたが、今年はシベリアからの飛来が少ないとかで、養殖もので間に合わせろと言われた。鹿児島もしくは滋賀の鴨の里の会ならなんとかなりそうだが、到着に五営業日が必要だそうで間に合わない、どうしようかと困惑している。既に予約が入っているのでキャンセルはできないが、鴨肉の仕入れで難産させられるとは思ってもみなかった。いっそ合鴨でどうかしらとも思う。
 ところで、イギリスのチェリバレー種やフランスのバルバリー種、ナント種の鴨肉を真鴨として売っている店がある。それでは芹沢鴨は水戸の野鴨かねえと訊ねたくなる。例え、野鴨でも家禽化すれば合鴨で、識別なんぞかなわない。「日本語と異なり英語のDuckなどヨーロッパの言語では、基礎語彙のレベルでは野生の鴨と家禽のアヒルを区別しないので、翻訳に際して注意が必要」とウィキペディアに書かれている。

 野鴨の抱き身が五千円から八千円ほどする。値が折り合わないので、バルバリー種の合鴨にした。金曜日に到着の予定。江戸時代は鴨には芹が合うとされてきたが、今回は水菜を用いる。セリからアブラナへ、鴨のハリハリ鍋である。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月16日 11:16 | 固定ページリンク




リクエスト  | 一考    

 高遠弘美さんの書き込みの影響か、アクセスログのリクエストが一挙に4225にまで跳ね上がった。畏るべしgooglebot.com。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月16日 11:09 | 固定ページリンク




針聞書別本  | 一考    

 言うまでもなく、目耕は読書家の意。戯れにお付き合いくださってこちらこそ恐縮致しおります。実はマゾヒズムの特効薬として車前子を採り上げようかと思いつつも逸脱し、もっこうからかんぞうへと言葉の遊びになってしまいました。
 永禄から貞享に至る百余年のあいだの刊本には異版、別版の類い引きも切らず、龍珠世宝がごとき類書まで出回っております。お手持ちの針聞書別本、近世の鍼灸流派に影響を与えた名著と聞き及んでおります。
 こむらがえりを過呼吸症候群の一とする考えがございますが、私は無呼吸症候群を患っています。これまで合点がいかなかったのですが、貴兄のご教示によって氷解。さるにても、憎きは坑腓の虫。なまじな治療法では坑腓の槍にはかなわないように思います。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月16日 10:51 | 固定ページリンク




アーカイヴに  | 高遠弘美    

さきほど駄文ひとくさり投稿しました。
表には出なくて、「アーカイヴ」にあるやうです。お読みくださる方はそちらをご覧ください。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年01月14日 00:56 | 固定ページリンク




抗腓  | 高遠弘美    

 一考さま。名前を出してくださつて恐縮してをります。目耕とはさすがに一考さんご推奨の愉快な虫であると思ひました。ところで、わたくしの手もとにある針聞書別本によると、

「坑腓といふ虫あり。膕から踵を常住の住処とす。蘭書に見ゆる小鬼の如く、槍もて小躍りするといふ。この虫、酒を殊の外嫌ひ、体内に酒精入れば、怏々として槍を研ぐ。一方、加児丘母【編者の註にいはく「こはカルキユムのことなり」】を好み、それなくば鬱々として愉しまず。しかして酒精体内にありといへども、加児丘母なくば、槍立て足を踏みならし、小躍りするかのごとく暴れるなり。こむらがへりといふもの、なべてこの虫の暴れるによらざるべからず」

 とあります。昨朝からこの虫に苛まれて、一日ひどく苦しんでをりました。一考さまもお大事に。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年01月14日 00:31 | 固定ページリンク




目耕  | 一考    

 高遠さんご紹介の針聞書を面白く読んだ。いつも佳きご教示を受け感謝する。肺積(はいしゃく)はお気に入りで、虫の特徴、治療法として「鼻は肺の穴である。善悪の臭いが嫌いで、生臭い香りが好き。辛いものが好き。この虫がいると常に悲しい気持ちになる。針は柔らかく浅く打つとよい」と記されている。「鼻は肺の穴」はタルホを連想させ、私などは「悲しい気持ち」に留意する。きっと私のなかにも棲息しているに違いない。
 針聞書は検索していただくとして、このような文章を読むと目耕の虫が疼きはじめる。目耕は眼底に巣食う虫で、美醜の臭いに過敏。体は細長く、尾端に二本の尾角と一本の尾毛がある。体は銀白色の鱗におおわれ、長い触角をもつ。数ある虫のなかでスーパー学歴を誇るのはこやつのみ。ネクラで厭人癖があり、寄生するにひとを撰ぶ。貪慾な食欲で排泄物が目脂となって流れ出る。地方によっては蠹魚とも。
 さて、針聞書に出てくる生薬について一言。事前に断わっておくが以下は甘草の丸呑みである。

木香(もっこう)
インド北部原産のキク科トウヒレン属の多年草の根を乾かした生薬。芳香と著しい苦味があり健胃剤、かつては衣服の賦香、防香にも用いた。唐木香とも。

白朮(びゃくじゅつ)
中国中部原産のキク科オケラ属植物の根茎の周皮をはぎ除いた生薬。健胃、整腸、利尿、止汗薬。屠蘇散にも用いる。蒼朮とも。

縮砂(しゅくしゃ)
ショウガ科の多年草で東南アジア原産。花穂は濃紅色で地下茎から別に生じる。種子には芳香があり、精油部を含み芳香のある白花をつける。健胃剤などに用いる。日本には安政年間以前に輸入、伊豆縮砂はハナミョウガ、ゲットウ、アオノクマタケランの種子で同じく芳香性健胃剤とする。ほざきしゃが、東京縮砂。唐縮砂。ジンジャーとも。

阿魏(あぎ)
セリ科の多年草。イラン・アフガニスタン地方原産の薬用植物。根から得た樹脂を固めた生薬。駆虫、去痰、通経剤などに用いる。そらしとも。

我朮(がじゅつ)
ショウガ科ウコン属の多年草でヒマラヤ東部、インド北東部原産の薬用植物。肥厚した根茎を乾燥したものを芳香性健胃剤として用いる。胃痛、消化不良、腹満、腹痛、嘔吐のみならず、通経剤としても使用する。鹿児島県熊毛郡上屋久町は我朮の栽培で知られる。

大黄(だいおう)
タデ科の多年草で中国華北の原産。根茎は黄色で肥厚し、その外皮を除き乾燥させたものを緩下剤・抗菌剤として用いる。また消炎、解毒作用があり、はれものや湿疹などに外用される。ディオスコリデスの「薬物誌」に記載あり。古来、中国からヨーロッパへと輸出された数少ない生薬の一。

呉茱萸(ごしゅゆ)
ミカン科の落葉小高木で中国中南部原産。果実は香気と辛みがある。鎮痛、健胃、止瀉、駆虫作用があって、頭痛、腹痛、嘔吐、冷え症などの治療に用いる。川薑(かわはじかみ)とも。

車前子(しゃぜんし)
大葉子(おおばこ)科の多年草。生薬では種子を車前子、全草を車前草という。古くから知られる民間薬。去痰、鎮痛、下痢止め、止血剤として用い、膀胱結石、月経過多、眼病などの治療にも。ただし、目耕の虫には効果なし。人によって踏み固められた所に生えるので路上植物と称され、繁殖域は高山帯にまで達しているが、人に踏み付けられないと自然に消滅する。

甘草(かんぞう)
マメ科の多年草で中国北部に自生。根は赤褐色で甘根もしくは甘草と呼び、特殊の甘味をもつ。乾燥させて矯味、緩和、鎮咳、去痰薬として用い、消化器の潰瘍などにも有効。漢方では多用され、丸薬基剤の他、甘草湯、葛根湯などに処方される。あまき、あまくさとも。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月12日 19:58 | 固定ページリンク




ふたり連れ  | 一考    

 ですぺらの先代、智佳の客がふたり連れで来られた。この辺りに僕の画が掛かってい、ボトルも二本入れていたのだが、それはどこへ行ったのかと訊ねる。知らないと応えると、店の改装は誰がやったのか、改装した本人なら知らない筈がない、と返す。バックバーの中央部を指して、ここにあったと宣われる。さぞかし値の張るボトルだったに違いない。まるで私が猫糞を決めこんだようである。ずらっと並ぶマッカランの後方から件のボトルがいまにも現れそうな雰囲気だった。
 はなしの内容からひとりは絵描きと覚しい。その執着ぶりから推して高名な絵師に違いなかろう。店内に掛けられた雪岱には一顧だにしない。僕の絵は、僕の絵が、との仰せであった。聞き及ぶところでは智佳のママは亡くなり、二年前の十一月に店は閉められた。閉店に先立つ半年前に臥せったとも聞く。一月に一回でもそれを常連とは言わない。いわんや、一年半の年月を経れば馴染みですらない。愛着があり、思い出深い飲み屋だったと聞かされたが、それなら猶のこと日参すべきでなかったか。飲みしろとは酒の代金ではなく、そのスペースに払われる金数をいう、いわば所場代である。
 一月ほど前にも同様の客が来られたが、こちらは律儀なひとでウィスキーを二杯飲まれた。二人連れは絵もボトルもないのを確認されるとそのまま座りもせずに帰られた。飲み屋には付きものの一齣。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月11日 20:01 | 固定ページリンク




ドメインレポート  | 一考    

アクセスログは31日分が残されている。以下はある日のドメインレポートだが、掲示板スパムが大挙襲来していることが分かる。技術開発担当者によって水際で阻止されているが、困ったものである。押し寄せるのはgooglebot.comだけにしてほしい。

リクエスト件数 ドメイン
1439 .jp (日本)
421 [未解決IPアドレス]
445 .net (ネットワーク)
363 .com (商業組織)
9 .be (ベルギー)
1 .ma (モロッコ)
1 .es (スペイン)
1 .it (イタリア)
2 [未知ドメイン名]
1 .do (ドミニカ共和国)
1 .br (ブラジル)
1 .pl (ポーランド)
1 .org (非営利組織)
1 .ch (スイス)
1 .info (一般(情報))
1 [ドメイン名未付与]
1 .cz (チェコ)


投稿者: 一考      日時: 2008年01月11日 10:18 | 固定ページリンク




人生いろいろ  | 一考    

 「冷たくあってほしいと願う」ここに要点がある。暮れなずむ人生のひと日、さまざまなことを思い浮かべる。かつ消えかつ結びし日々を泡沫とさだめ、地上にとわの憶い出を遺せし人たち、こころならずも密咒を呟き、はからずも白鳥の歌を刻むしかなかった人たち、個々いろいろな人生を刻む。そして記憶はせつないほど懐かしい、はじめてめぐり会った遠い遠い時の爽やかさのままにある。
 冷たくあれとは、自らの情念を指す。「誠意、義理、情を三歩、歩いて忘れてしまうのが渡辺一考」とは石川潤さんの評するところだが、それは正しい。「正しい」ではなく、そうありたいと願っている。生きのびるための方策、それは自らを冷笑し続けるしかない。生きのびることが必ずしもよいとは思わないが、死に至る美学など糞食らえである。美は常にまるごとある。
 かつて「美しい日本」と題する文章を掲示板へ掲げた。「・・・美はそのままで全体である、まるごと、あるがままのものに解析は意味をなさない。言い換えれば、論理演算を苦もなくくぐりぬける能力を美は持ち合わせている。と言うよりは、その能力こそが美の天資なのである・・・個人は全体を構成する部分である、そこまでなら異議はない。しかしながら、個人の一切の活動は全体(この場合は美)の成長、発展(助長、深化でも同じ)のために行われなければならない、とするならばかなり危険な思想に近づいてくる。さらに、美に対する懐疑が喪われ、美が讃美の対象と化したとき、それを全体主義という」
 書いたのは二○○六年九月、Aさんを強く意識しての文章だった。若ければ若いほど、ひとは卓越したもの、超越したものに強く惹かれる。昼とか夜のような相対概念のなかにすら絶対概念を求めようとする、シュプレマティスムやシュルレアリスムの時代ではあるまいに。比較や対立を絶した存在を冀求して、至高を求めてひとは美の渦中へ跳びこんでゆく。美と絶対との相々の道行、その先には死が待ち受けている。もしも死ななければ、懐古の日々を送ることになる。
 思うに、生きるとは俯して僂(かが)まることではないだろうか。眉目の見ぐるしさでも不格好でもよろしいが、しゃがみとまがりのうちにこそ、躊躇いがあり、遁巡があり、佶屈がある。生きるなら、素手で空虚に触れたいと思う。「年新たに、虚無の杯を」とは掴んで離さない空虚、そのひりひりとひろめく小刻みな震動への冷たい讃辞に他ならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月10日 21:33 | 固定ページリンク




願いの糸  | 一考    

 謎の美少女さんのメールが不通である。よって、こちらで書かせていただく。ちはらさんに彼女のことを話したところ、十九日の鴨鍋を馳走したいとのこと。ご一報を乞う。
 いつか掲示板で著したように「涼やかな眼差し」の訪いを嬉しく思う。そして、いつまでも涼やかで冷たくあってほしいと願う。願いは七夕の竿の先を飾る五色の糸、機織と同じくひとの世の機微にも通じていただきたいとの願い。
 それはいたずらに生きのびし意志弱行の者たちへの誘い、やるせない遠吠えの咽をうるおすために酒はまだある。いのちを断つなんて。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月09日 23:33 | 固定ページリンク




アクセスログ  | 一考    

 一昨日のウェブサーバの統計の一部(アクセスログ)を紹介する。解析対象期間は1月07日00時00分から1月07日23時59分までである。
 リクエストの内、ウインドウズからは1505件、マックからは160件、ユニックスからは2件、リナックスからは2件、其他が511件、ロボット検索が411件となっている。平均すると日々2600から3000件ほどだが、そのようなカウントに興味はない。面白いのは検索の内容である。その一部は以下のごとし。

 ボウモア ウィルソン、賃貸 立ち退き 営業妨害、ですぺら、キングスバリー ヘブリディーズ 18、ムスカデ メテロ、モルトシェリーとは、ラガヴーリン シェリーカスク、ゴードン&マクファイル マッカラン、高遠弘美、スキャパ オイリー、グレンギリー 再操業、泥酔 掲示板、腓返り、香辛料一覧、ロッホインダール17年 ディスティラリーコレクション、ブラッドノック オフィシャル、mail MacOSX データ、エイジング モルト イン、グレンキンチー蒸留所、アンガス ダンディー、シングルモルト カリラ ゲール語 由来、スキャパ12年 販売、自在継手、ローズバンク 92、肉料理 オレガノ、キングスバリー、ザ カスク オブ 山崎、ハーベイ パロ・コルタード、ラフロイグ エイコーン 59.5、スプリングバンク25年etc

 ウィスキーが多いのは当たり前だが、注目を惹くのは香辛料である。項目は異なるが、欠かさず二、三件のリクエストがある。香辛料の項目をさらに充実させろとのご意見かとも思われる。書く気はあっても暇がない、長い夏休みのあいだに処理すべきだった。
 高遠弘美さんや芳賀啓さん、新宿のナベサンが入ってくるのはご愛嬌。文学関係で検索してもですぺら掲示板は引っ掛からないように書き込むときに細工を施している。
 ひとから言われてアイラストームを検索したところ、ですぺら掲示板2.0がトップに躍り出た。これはロボット検索のなせる業だが、それにしても、Googleのロボットはですぺらを目の敵にしているようでもある。一日、四百のリクエストは多すぎる。ロボットの目には訳の分からない泥酔掲示板と映っているのであろう。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月09日 21:53 | 固定ページリンク




かも鍋  | 一考    

 十九日の土曜日は恒例の鴨鍋のために店は貸切になる。先着七名様、費用は五千円ほどになると思う。各人飲み物は異なるので、酒代は別である。どうしようかと迷っていたのだが、おっきーさんの要望で催すことにした。予約を乞う。

 ウェブサーバの統計を見ていて、鯛の子の煮付けの作り方で検索なさった方が複数いらした。いつも書いているのだが、濃口醤油1、薄口醤油1、味醂2を鰹と昆布の白出汁で薄める。この場合は四倍ぐらいに薄め、二十分ほど煮付けて、一旦冷やす。照りを出したければその分、出汁を濃くすればよい。砂糖や味の素は無用。鯛の子を事前に二等分に切り、沸騰した出汁のなかへ入れれば花のように拡がる。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月08日 12:48 | 固定ページリンク




オスロスク  | 一考    

 サントリーが売り出したマクレランズ・スペイサイドは2000円ほどの安価なボトルである。「マクレランズ社のエントリー・ブランド。シェリー樽由来の軽く焼いたプリン、クリームプリュレを思わせる香り、スペイサイド特有のフルーティな味わい。フィニッシュはオスロスクやダフタウンのようにふっと消え入るような風情、さて中味はなんでしょう」とかつて書いたが、中味はオスロスクである。サントリーは秘しているが、間違いない。
 他方、シングルトン10年43度の旧ディスティラリー・ボトルについても書いている。「蒸留所名はオスロスク。シェリーとバーボンの古樽を熟成に用いるダブル・マリッジ方式を採用。フル・ボディでまろやか、豊饒な香りを持つ正統派ウィスキー。トフィー、カラメル、シェリー酒等の潤沢なこくと味わい、長いフィニッシュ、溢れんばかりの心地よい刺激、が売りだったが、年々シェリー香は薄れ、かつてのペティキュラや90年代前半の40度ものと比して見る影もなく、2001年夏に絶版、2002年に花と動物シリーズに引き継がれた。大量生産を基とするディスティラリー・ボトルの悪しき典型」

 オスロスク蒸留所の創設は1974年。250エーカーの農地に建てられた広大な蒸留所。既に数々の品評会で受賞し、国際的な名声を得ている。クラガンモアと共に、スペイサイドのよさをすべて備えた銘酒とされる。ブレンデッド・ウィスキー「J&B」のメーカーであるインターナショナル・ディスティラーズ・アンド・ヴィントナーズ(I.D.V)が親会社。同社は1990年代後半にユナイテッド・ディスティラーズ(U.D)社と合併、現在のディアジオ(U.D.V)社である。
 シングル・モルトの発売は1987年より、翌年には日本市場にも登場。75年蒸留の12年ものは熟成の終わりの二年間をシェリー樽で過ごす。現行のラベルと比してメダルの記載がなく、下方ラベルにヴィンテージが印刷されている。10年ものは下方ラベルにエイジングが印刷され、当時のアルコール度数は40度である。
 シングルトン・マルーン10年の前にブルー・ラベルのシングルトン・パティキュラが頒され、下って2002年初頭からシングルトンに代わるディスティラリー・ボトルとしてオスロスクと名付けられたボトルが花と動物シリーズの一本としてリリースされた。同時頒布はストラスミル、グレン・エルギン、グレン・スペイの計四種だったが、それを最後に花と動物シリーズ二十七種は終了した。そして名称は変ったものの香味になんら変化は認められない。
 この変化は認められないというところに問題がある。上述した二点にかかわることだが、オスロスク蒸留所のディスティラリー・ボトルはとにもかくにも不味い。それと比してボトラーズのボトルはいずれもが旨い。
 ちょいと整理してみると、カスク・ストレングスがクライズデール、ケイデンヘッド、ゴードン&マクファイル、ダグラス・マクギボン、ダグラス・レイン、ブラックアダーから。加水タイプがケイデンヘッド、ドナート、マーレー・マクデヴィッド、イアン・マクロード、スコッチ・モルト・セールスから頒されている。
 その内、スコッチ・モルト・セールスからのボトリングはケルティック・クロスとグレン・ヒースの二種。かつて、グレン・マレイを核としたグレン・ヒースと称するピュア・モルト・ウィスキーが頒されていたが、こちらのグレン・ヒースとは全く異なる。オスロスク蒸留所の10年ものシングル・モルト三樽をボトリング、1000本のリミテッド・エディションである。ディスティラリー・ボトルのシングルトンと比してまろやかさで優る。色は淡く、カラメル香もなく、シェリー酒のテイストが濃厚。
 なお、イアン・マクロード社のボトルはメドックやポート・フィニッシュなど手のこんだものが多い。
 ディアジオ社からは上述の花と動物シリーズの一本としてオスロスク12年ものが、そしてレアモルトも一度だけ、28年もの56.8度をボトリングしている。レアモルトは売り切れたが、ダグラス・レイン社の74年蒸留の27年ものはあと一本在庫がある。43.8度のカスク・ストレングス、246本のシングル・カスクであり、レアモルト同様、蒸留所創設の年のボトルである。
 ケイデンヘッド社は89年蒸留の樽を多量に熟成させている。最新のボトルはシェリー・バットの15年もの、59.5度のカスク・ストレングス、636本のリミテッド・エディションである。かつてオーセンティック・コレクションの一本として、オーク・カスクの8年もの、61.4度のカスク・ストレングスを頒しているが、数多いケイデンヘッド社のボトルの中でも特筆ものだった。
 クライズデールのボトルに替わって頒されたのが、ダグラス・マクギボンのボトル。95年蒸留の5年もの、62.3度のカスク・ストレングスである。
 繰り返すが、ディスティラリー・ボトルは不味い。その消息はノックドゥー蒸留所のディスティラリー・ボトル「アンノック」と似ている。ノックドゥーのどこをどうヴァッティングさせれば、あの不味いアンノックに化けるのであろうか。それにしても、マクレランズ・スペイサイドのカスク・コンディションは素晴らしい。至福のひとときを味わうに大枚はいらない。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月08日 12:09 | 固定ページリンク




オーバーパンツ  | 一考    

 二十八日は土砂降りのなかを帰宅。雨がレインコートを抜けて、下腹部の大事なところがびしょ濡れになった。レーサータイプのバイクならガソリンタンクの手前が盛り上がっていて下腹部が濡れはしない。しかし、それでは腹が閊えるのと前傾姿勢に身体が耐えられない。
 下腹部は冷たいのを通り越して感覚がまったくない。帰宅後、モノを確認するも純白にちぢまっていた。指も真っ白、髭も真っ白、序でに髪も真っ白、心做しか腹までが白く思われた。二重、三重に重ね着しているのだが、膝は振るえだすと止まらない。ガクガクガタガタのまま、家路をたどる。そろそろオーバーパンツが必要になってきたようである。
 先日、顔の下半分を蔽うマスクと手袋を買った。薄いが空気を完全に遮断する、不思議なことに濡れても冷たくならない。水密式ならぬ風密式、もしくは温密式とでもいうべきか、すこぶる具合良くできている。痛い出費だったが、ウェット‐スーツに用いる材質とかで洗濯も可能である。ゴルフやスキーに用いるスポーツ用品は厚いばかりで、バイクではなんの役にも立たない。
 明石時代にゴアテックスのレインコートを高値で購入したが、百二十キロを超えると雨が突き抜けてくる。二百キロだとコートのなかが暴風雨になる。耐水圧性がすぐれている筈なのだが、それは静止した状態であって高速走行では用をなさないらしい。この件にかんしては石井さんと意見を同じくした。アメリカの科学者W. L. ゴアも案外だらしない。これからは土砂降りに限って車を利用する。

 ソーシャル・ネットワーキングとやらを退会した。一部のひとに迷惑を掛けることになるが、こちらでお詫びしておく。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月08日 09:33 | 固定ページリンク




新年  | 一考    

今日は酒を飲むことができる。
年新たに、美酒すこし、虚無の杯を。


投稿者: 一考      日時: 2008年01月04日 16:19 | 固定ページリンク




うまざけ  | 一考    

 二十時までが千八百円、それ以降が五百円との破格の駐車場が近くで見付かった。その金数すら工面できないのでバイク通勤に変わりはないのだが、今日だけは別。運転の面倒を見てくださるひとが現れたので、車で行く。これで酒を嗜むことができる、よい甘酒であってほしい。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月31日 16:09 | 固定ページリンク




わさび菜  | 一考    

 書き忘れたが、大晦日のパーティは七時の九時になる。それ以降は例年通り、酒を喰らって豊川稲荷行きとなる。お付き合いくださる方がいらっしゃれば幸いに思う。
 蕎麦の替わりに蕎麦雑炊を食する予定、こちらの出汁を作るのに一時間ほどの猶予が欲しい。レシピ通りに作ると不味いので、かなり薄めの饂飩の出汁を拵えるつもり。蕎麦雑炊は一人前は作られない、一人前だと鶏卵の量が多すぎて具入りの玉子スープになってしまう。

 わさび菜と称するものを買ってきたが、わさびの葉の部分ではなく、「ダイコン葉に似た大きな欠刻がある葉形で、葉面がちりめん状に縮む丸茎のからし菜」だそうである。鼻に抜けるような辛みがほとんどなく、サラダ、漬物、お浸しにとある。また「独特の形状と風味からレタス、パセリに代わる生食、装飾野菜としても好適」と書いてある。
 真物のわさび菜と同じ食べ方を試みたが不味い。もったいないので縮緬と鰹節をまぶして食べているが、実に紛らわしい食品である。わさび菜の醤油漬けと蕎麦の実の浅漬は蕎麦と相性がよく、信州や山形ではいつも食している。商品名を変えるべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月25日 21:00 | 固定ページリンク




其他の寡多録  | 一考    

 ビール、焼酎、ワインは最低限のものを蔵した、日本酒は置かない。ブランディー、ブレンド・ウィスキー、アイリッシュ、バーボン、ジン、ウオッカ、ラム、テキーラ、フォーティファイド・ワインその他は僅かづつだが置いている。
 ブランディーの在庫は十一種だが、今後はアーリー・ランテッドとグラン・シャンパーニュのみ増やす。ブレンド・ウィスキー五種とアイリッシュは三種だがこちらは廃止。バーボンは十九種類だが、ハーパーやローゼスなどコンビニやスーパー向けの月並なブランドは廃し、スモールバッチもしくはシングル・バレルのみ置く。
 ジンはピムリコとプリマスをメインに、ボトラーが扱う特種な商品のみに限定。ウオッカは今の在庫がなくなればスミルノフの黒ラベルのみ置く。テキーラは廃止。ラムは結構な在庫があるが、それがなくなればケイデンヘッドのヴィンテージものに統一。フォーティファイド・ワインは以前の店で懲りたので、若干の在庫はあるが店には置かない。
 さて、問題のワインだが、こちらは在庫を小出しにする。高級品は売却し、大した量ではないが、それでも三、四十本はある。私事ながら、ワインでは松友さんの世話になりかつ甚大なご協力を得た、感謝したく思う。

 モルト・ウィスキーの在庫寡多録がほぼ出来上った、これで店と自宅との照合が可能になる。在庫は約五百本、店との重複は百本ほどである。先日の「新規ボトル」へダグラス・レイン社のオスロスクとオーバンをはじめ、数種を加えたい。
 現在、モルト・ウィスキー以外の寡多録を作っている。こちらは四頁ほどにしかならない。店が小さくなったので特化するしかない。モルト・ウィスキーも既に全蒸留所は揃えていない。揃える必要を覚えないからである。特化とは他にはない自己主張の強いモルトの意。思うに、嗜好とは物事に対する心得乃至は覚悟を意味する。好き嫌いなどという小事をのみ示唆するにとどまらない。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月25日 18:47 | 固定ページリンク




 | 一考    

 昨夜はありがとうございました。お手伝いさんがいらっしゃる日には道産品を用いてちょっとした料理を作りたく思う。今後ともどうかよろしく。

 岡田夏彦さん絡みの出版記念会は大晦日になりそうである。大晦日とは面白い、というのが催しの理由。十名の宴会になる。これで大つごもりの売上は確保された。
 東北地方では、この夜をミタマノメシという。握り飯十二個に箸を立てて箕に入れ、仏壇や神棚に供える。大晦日が迎春であると同時に祖霊祭であったことを示唆している。現在では「大みそか」は女性の晩婚化の隠語として用いられる。されば、「新年」の伴侶は亭主でなくて仕事であろうか。
 気仙沼の出版社は芸術生活の編集長だった丸山(漢字が正しいかどうか不明)さんが営んでおられるとの由。其の上、芸術生活では山本六三さんをはじめとしていろいろと厄介を掛けた。七十年代のはなしである。再会を楽しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月23日 13:56 | 固定ページリンク




磯の香  |   おきやま

今日のですぺらは、モルトバー 兼 磯の幸屋になっています。
北と西の潮の香が交叉する、鯛の子,海螺,錦松の図。

雨が雪に変わりそうな東京にて。

TodaysDespera.png


投稿者:   おきやま  日時: 2007年12月22日 20:46 | 固定ページリンク




海螺貝其の参  | 一考    

海螺貝入手、序でに他の刺身も購入。また、鯛の子の煮付けもこれから作ります 。今日はお手伝いさんがいらっしゃるので大丈夫。久しぶりに厨房始動致します。
それにしても、昨日痛打した膝が傷む。よって、店主も酒を飲みます。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月22日 18:07 | 固定ページリンク




海螺貝其の貳  | 一考    

 明日の海螺貝がどうなったのか訊こうと思って魚屋へ行く途中、危うく接触事故を起こすところだった。自転車相手に道路交通法を説いても詮ないはなしで、弱者云々でこちらが一方的に悪者にされる。双方に怪我がなかったのがせめてもの救いであった。
 一昨日、帰りの川越街道でスポーツカーとバイクの事故があった。バイクは車の下敷きになって大破、乗っていた方はどうしたのであろうか。スポーツカーは中央分離帯へ激突して停車、フロントはふたつに折れ曲がり、エンジンは剥き出しになっていた。
 それかあらぬか、バイクのときは不必要なほど安全運転を心掛けている。すり抜けは言うに及ばず、信号などで停車中の四輪の横を抜けるときは十キロ以下に速度を落とす。そして左側の車線は原則走らない。タクシーは客をしか見ていないので急停車は日常であり、白ナンバーは曲がり始めてからウインカーを出す。またトラックからバイクは見えない。追い越し車線を車の流れに乗って走るのが無難である。
 前述の件だが、接触しそうになると私はバイクを意志して顛倒させる。左への顛倒は得意だが、右へのそれはぎこちない。今日は自転車の位置関係で右への顛倒だった。従って、右のウインカーを飛ばし、前輪の泥除けをひん曲げ、サイドバックを傷だらけにした。左脚の膝をしたたか打ったが、ズボンの下に膝当てをしていたので事なきを得た。冬場は身体が固くなっているので要注意である。それにしても、相手が俊敏な若者だったので助かった。衝突までの距離は二、三十センチ、甚く恐縮する彼の名前も住所も聞かずに別れたが、心から感謝する。
 ちなみに、海螺貝はそれきりである。明日もう一度出掛けるつもり。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月21日 19:54 | 固定ページリンク




新規ボトル  | 一考    

 野島さんから頼まれたリストだが、こちらへ掲げておく。開店に際し、自宅から持ち込んだ六十余本の新規ボトルである。解説は全文を端折った。
 新規ボトルとしてあと四十本を予定しているが、現状では棚に入らない。みなさん、飲みに来てくださいな。

タリスカー '79(スコッチ・モルト・セールス)
  ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリーの21年もの、58.0度のカスク・ストレングス。
レダイグ・シェリー(ディスティラリー・エディション)
  ミレニアム記念の限定エディション。シェリー・フィニッシュにして、42度。
レダイグ '92(クライズデール)
  熟成は6年11箇月、63.4度のカスク・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。
スモークヘッド(イアン・マクロード)
  43度。中身はアードベッグ。
アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)
  スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)
  ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。ボトリングはグラスゴーのマルコム・プライド社。
アードベッグ '00(インプレッシブ)
  6年もの、62.7度のカスク・ストレングス。
アードベッグ '93(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
カリラ '00(キングスバリー)
  ザ・セレクションの一本。ホグスヘッドの6年もの、43度、1397本のリミテッド・エディション。
カリラ・カスク・ストレングス(ディスティラリー・エディション)
  55.0度。ディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングス。
カリラ 18年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア '91(イアン・マクロード゙)
  チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの10年もの、43度。2樽、798本のリミテッド・エディション。
ボウモア12年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア・ダスク(ディスティラリー・エディション)
  クラレットの14年もの、50度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア '89(ディスティラリー・エディション)
  16年もののディスティラリー・ボトル。51.8度のカスク・ストレングス。
ボウモア '82(ダンカン・テイラー)
  ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの24年もの、51.5度のカスク・ストレングス。165本のリミテッド・エディション。
アイラ・ストーム12年(ジェームズ&ソンズ)
  40.0度。中味はラガヴーリン。
アイラ・ストーム・カスクストレングス(ジェームズ&ソンズ)
  58.0度のカスク・ストレングス。中味は10年ものと思われるラガヴーリン。
シングル・アイラ・モルト '98(グレン・スコマ)
  オーク・カスクの5年もの、46度、420本のシングル・カスク。中味はラガヴーリン。
ローハン・ソラン '90(スコッチ・モルト・セールス)
  ケルティック・クロスの一本。オーク・ホグスヘッドの11年もの、46度のシングル・カスク。中味はラガヴーリン。
アイラ '90(シールダイグ)
  シールダイグの一本。12年もの、55.0度のカスク・ストレングス。2樽583本のリミテッド・エディション。中味はラガヴーリン。
ラガヴーリン・ペドロヒメネス '79(ユナイテッド・ディスティラーズ)
  ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。本品はフィニッシュに甘口シェリー・カスクを用う。43度。
ファラン・イーラ '91(イアン・マクロード)
  バーボン・カスクの12年もの、56.7度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。中味はラガヴーリン。
ラフロイグ・クオーターカスク(ディスティラリー・エディション)
  48度のプリファード・ストレングス。正規ボトル。
ラフロイグ10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。旧ボトル。
ラフロイグ '90(シグナトリー)
  アンチルフィルタード・コレクションの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
ラフロイグ '96(インプレッシヴ)
  インプレッシヴの一本。10年もの、56.6度のカスク・ストレングス。
グレン・スコシア12年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
グレン・スコシア '92(キングスバリー)
  14年もの、46度のリミテッド・エディション。カスクはBRL、オロロソ・シェリーである。
スプリングバンク・ファウンダーズ・リザーヴ(ロッホデール)
  46度のミディアムボディ。ファースト・リリースは1800本のリミテッド・エディション。
スプリングバンク '97(ディスティラリー・エディション)
  10年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
スプリングバンク '67(シグナトリー)
  32年ものにして49.1度のカスク・ストレングス。限定225本のシングル・カスク。
ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
  オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
ロングロウ '89(ディスティラリー・エディション)
  シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。
アベラワー10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
アベラワー15年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
インペリアル22年(ロッホデール)
  オーク・カスクの22年もの、45.1度のリミテッド・エディション。
オスロスク '89(ケイデンヘッド)
  オーセンティック・コレクションの一本。シェリー・バッドの15年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定636本。
クレイゲラヒ '81(シグナトリー)
  オーク樽による16年もの、43度、限定410本のシングル・カスク。
グレンダラン8年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
グレントファース '90(ウィスキー・ガロア)
  12年もの、46度。
グレン・マレイ・シャルドネ(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。ノン・エイジだが7〜8年熟成のモルト。
グレンロッシー '89(マクギボン)
  プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
ノッカンドオ '87(ディスティラリー・エディション)
  12年もの、40度のディスティラリー・ボトル。
バルヴィニー '91(ディスティラリー・エディション)
  15年もの、47.8度のディスティラリー・ボトルにしてシングル・バレル。
ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
  チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
ベンリアック '91(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。10年もの、46度。295本のリミテッド・エディション。
マッカラン12年(ディスティラリー・エディション)
  シェリー樽熟成の12年もの、40度のニュー・ボトル。
マッカラン12年(ディスティラリー・エディション)
  並行輸入の12年もの、43度の旧ボトル。
マッカラン・グラン・レゼルヴァ12年(ディスティラリー・エディション)
  45.6度のディスティラリー・ボトル。
マッカラン '73(マーレイ・マクデヴィッド)
  リフィール・シェリーの26年もの、46度のシングル・カスク。
ロングモーン '96(キングスバリー)
  ザ・セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
  バーボン・カスクの12年もの、46度。
ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
  40度。
アードモア '90(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。12年もの、46度。375本のリミテッド・エディション。
エドラダワー '76(ジェームズ・マッカーサー)
  オールド・マスターズの一本。25年もの、49.0度のカスク・ストレングス。
エドラダワー '76(シグナトリー)
  オーク・カスクの23年もの、53.1度のカスク・ストレングス。限定260本のシングル・カスク。
エドラダワー10年(ディスティラリー・エディション)
  10年ものの旧ボトル。43度のディスティラリー・ボトル。
グレンドロナック '90(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。13年もの、46度のリミテッド・エディション。
グレンモーレンジ10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
グレンモーレンジ・シェリー(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
ノックドゥー21年(ディスティラリー・エディション)
  オーク・カスクのミディアムボディ、57.5度のカスク・ストレングスにしてリミテッド・エディション。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月20日 06:39 | 固定ページリンク




大晦日  | 一考    

 ですぺらには年末も正月もなにもない。二十五日か二十六日に岡田夏彦さんが店の営業に牴触しない時間帯で出版記念会を催してくださる。気仙沼の出版社とかで、おそらく唯一の忘年会になる。
 大晦日は平日なので営業する。例によって蕎麦か饂飩でも喰って豊川稲荷へゆく。意味もなく、徒に初詣でを繰り返している。明石に居た折は恵方参りをしたが、東京では近場で間に合わせている。護符、破魔矢、だるま、それと御神籤などは買ったことがない。阪神淡路大震災に遭遇してからというもの、災厄から身を守るのはお笑いぐさとなった。
 今年は酒を飲む算段をしている、何時まで続くか分からぬ店なれば、偶には店で店主が酔っ払うのもよいことである。正月は四日からの営業だが、この間に寡多録の文章の手直しと在庫するウィスキーの寡多録を作る。ところで、大晦日も駐車監視員は活躍なさるのであろうか。

追記。
 二十二日の海螺貝だが、年末ゆえ、正月用品の販売に追われるのでどうなるか分からないと魚屋からいわれた。入手不可能なときは日を改めて。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月19日 22:31 | 固定ページリンク




噫、肉体は悲し  | 一考    

 押しがけのバイクが池袋で故障、追い越し車線でのエンジンストップだったので周章てる。無事に追突を避けて歩道へ、押しがけを繰り返すもなんの反応もなし。交番を訪ねるが近隣にバイク屋はなし、さりとて工具の持ち合わせもない。近所の車屋を片端から交渉して歩き、親切なところを見付ける。ここまでで一時間半が経過。
 点火プラグが乾いていたので、ガソリンの供給がストップしたものと思われる。キャブは掃除してから間がなく、コックからもガソリンは吹き出ている。ガソリンタンク、コック、ホース、キャブレター、エンジンというシンプルな構造なので、ガス欠の理由は解らずじまい。車のバッテリーを拝借してエンジン始動、しかし始動に不必要なほど時間がかかる。その足で行き着けの戸田のバイク屋へ戻り、コックを注文。そのまま自宅へ戻って工具一式をバイクへ積んで赤坂へ。以上が九時出勤の言訳なのだが、この間に店へ来られた方がいらっしゃれば申し訳なく思う。
 それにしても、なにが理由なのだろうか。キャブは問題なし、とすればコック上部のプラスチックのフィルターの目詰まりしか考えられない。その目詰まりの理由はなんなのか。それでなくとも古いバイクなのでリザーバーは使わない。タンク底部の水が錆をもたらす、これはヤマハにはよく見られる症状であるが、ホンダやカワサキではあまり聞かない。そして、乗っていなかった間はひとまずタンクを空にしてから満タンにした。錆がひどかったのはスプロケットとチェーンの方である。
 一九八〇年代のバイク(CBX125)なので、時の経過は予期せぬ事態をもたらす。私の肉体同様、使い古すと因果関係の分からないトラブルが続発する。「生心を伴わないこと」と言ったのはかかる事態、すなわち肉体の悲しみを指すのであって、他意はない。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月19日 22:18 | 固定ページリンク




押しがけ  | 一考    

 気温が十度を下がるとバイクのエンジンがかからなくなる。昔のバイクはストロークが長いので排気量に関係なく、始動性がよろしくない。もっとも、現在乗っているのは小型バイクなので、押しがけは苦にならない。速度が二十キロほどになるまで車を押してクラッチを入れるとエンジンはかかる。この場合、ギアはサードへ入れておく。従って、押しがけはキャブレター方式かつマニュアルトランスミッションを搭載した車両に限られる。
 日々、行きしなと帰りにはこの儀式を繰り返している。これが大排気量だとそうはいかない。まず二十キロでは始動しない、三十キロは必要である。それとクラッチミートの際に後輪がロックしそうになるのを振り切るだけの力が必要となる。BMWやハーレーを押しがけするには相応の体力が必要とされる。この体力が歳と共に衰えてくる。勝井隆則さんではないが、「青息、吐息、風の息」ならぬ虫の息となる。
 歳には触れたくないのだが、このところ生心を伴わないことが多くなってきた。今年は寒さが意気を消沈させる。そのような時は部屋を暖めればよいのだが、布団を被ってくぐもっているばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月17日 22:25 | 固定ページリンク




モルト・ウィスキーと肴  | 一考    

 山葵と酢の物はワインに合わないと思っている。山葵菜と山葵大根は別で、私が言っているのは下ろした山葵である。酢の物は土佐酢に限られる、牡蠣酢のような二杯酢は合わない。ワインは食中に飲むものなのだが、刺激の強いものは合わない。とりわけ酢はダメで、ヴィンテージがさっぱり判らなくなる。従って、鮨屋でのワインは鬼門である。同じ醸造酒なのだが、日本酒との違いがここにある。理由は過去に書いたので繰り返さない。
 天ぷらが白ワインと相性がよい。その理由は天つゆの甘さにある。鱧や白鱚の天ぷらなどは最高、こちらは日本酒も同様である。此の伝だと羊羹も合うかもしれない。もともと羊羹は酒の肴として開発された。
 店を営んでいると、モルト・ウィスキーに合う肴をとよく訊ねられる。しかし、ウィスキーは食事をしながら飲む酒ではない。グレンアラヒ、グレンダラン、グレン・マレイ、フェッターケアンなどの食前酒を除き、ほとんどのモルト・ウィスキーは食後酒である。とりわけ、ハイランド・パーク、ラガヴーリン、アベラワー、インチガワー、クレイゲラヒ、グレンファークラス、ベンリネス、マッカランなどはその典型だろう。
 わが邦特有の水割りという飲み方ならともかく、カスク・ストレングスに相応しい食い物などあるわけがない。ですぺらの強烈なスモークは最初からあったのではない、アードベッグとラフロイグを傍らに試行錯誤を重ねるなかから生れた。既存の食品ではおそらく鮭トバ、それも宇登呂のものだけと私は思う。
 インポーターが試飲会でバゲットを薄く切って供している。あれとミネラル・ウォーターは必須と心得る。これはワインも同じである。口を変えるにあれほど便利なものはあるまい。やはりパンとチーズとスモークかしらん。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月15日 19:15 | 固定ページリンク




海螺貝  | 一考    

 先日、海螺貝(つぶ)について触れた。早速リクエストがあったので二十二日の土曜日に六人前に限って取り寄せる。旧ですぺら閉店間際のモルト会でも出したのでみなさんご存じである。
 「室内を海風がよぎり、海藻の香がほのかに漂う。微かなヨード臭とわずかな苦み、斜里で、網走で、紋別で、さらには浜頓別で知った「Briny」な匂い。小さな皿の向こうにオホーツクが拡がる。穏やかな日のオホーツクの微波、清漣な塩味、韃靼を渡っていった蝶々・・・」
 かつて海螺貝について書いた。その潮味を堪能していただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月15日 19:06 | 固定ページリンク




グレン・スコシアのニュー・ボトル  | 一考    

 ときを同じくして、キングスバリー社からグレン・スコシアの十四年ものがボトリングされた。四十六度のシングル・カスク、樽はBRL。
 グレン・スコシア蒸留所は一九九四年に操業中止。蒸留所は前世紀末にロッホ・ローモンド・ディスティラリーが買収。スプリングバンクと共にキャンベルタウンに残された僅か二つの蒸留所の一だったが、スプリングバンクの援助を得て操業を再開。特徴のないラベルと月並なブランドで損をしているが、一本筋の通った貴重な味わいと絶妙のバランスを内に秘めたモルト。陽にかざすと骨まで透ける干鰈のごときデリケートなこく、フレッシュな味わい。スプリングバンクの持つ押しの強さはないが、微かなスモーキー・フレーバーと芯のある甘味が心地よい余韻をもたらす。
 十四年ものディスティラリー・エディションがなくなり、かつての十二年ものに戻った。ボトルとラベルはロッホ・ローモンド・ディスティラリーのリトル・ミルと同一。なお、ディスティラリー・エディションよりキングスバリーのボトルが数段美味。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月14日 19:52 | 固定ページリンク




キングスバリーのザ・セレクション  | 一考    

 キングスバリー社から「ザ・セレクション」が発売された。ロングモーン、カリラ、グレン・グラント、マッカランの四種である。ロングモーンは十年ものホグスヘッドの三樽、カリラは六年ものホグスヘッドの三樽、グレン・グラントは十一年ものホグスヘッドの三樽、マッカランは八年ものBRLの四樽である。度数は四十三度、頒価は三千二百円ほど、マクレランズと共にもっとも安いモルト・ウィスキーである。ちなみに、マクレランズのアイラはカリラ、スペイサイドはオスロスク、ハイランドはダルモア、ローランドはグレン・キンチー。オスロスクはシェリー・カスクだが、カスク・コンディションがよく、ケイデンヘッド社のそれと比して遜色ない。また、ダルモアとグレン・キンチーはディスティラリー・エディションにまさるとも劣らない。かかる安価なモルト・ウィスキーが増えるのは嬉しい。
 キングスバリー社のマッカランはオロロソ・シェリーだが、グレン・グラントにもシェリー香が強く感じられる。ですぺらでは取り敢えずロングモーンを開栓する。ロングモーンとカリラを私はまだ味見していない。どなたかとご一緒できるのを娯しみにしている。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月14日 19:47 | 固定ページリンク




道産いと少しを  | 一考    

 昨日は三時間の予約。手伝いがいらしたので、厨房へ籠ることができた。油が使われないので、煮物ばかりのコースだったが、最後にお好み焼きも焼いた。この次はいつ作られるか分からない。それにしても、食べ物が予約制ではどうにもならないのだが。
 専門と言っては烏滸がましいが、魚を捌くのは得意である。カサゴのことを関西ではガシラという。そのガシラからオコゼ、鯤、鱧、太刀魚、十種ほどの鰈や河豚など、瀬戸内で捕れる魚ならなんでもこいである。もっとも東京では魚が高いので煮物に専心している。こちらは関西風で、東京のひとには物足らない味付けだと思う。しかし、肉じゃがから烏賊と蒟蒻の煮付けに至るまで、妥協する気はまったくない。私には私の調法があって、気に入らなければ食さなければよいのである。
 煮付けはことごとくが濃口醤油と薄口醤油が一対一に味醂が二の同割である。濃口はキッコーマン、薄口はヒガシマル、味醂はタカラの本醸造を用いる。これは料理人の基本で、ややこしいものは滅多に使わない。ややこしいものとは饂飩や蕎麦の出汁に東京でよく使う溜醤油である。溜は中部地方ではさまざまな料理に活用されているが、関西では主に刺身醤油として用いられる。
 味醂には小細工を施す。焼き味醂がそれで、甘味を調整して天つゆと湯豆腐の出汁を作り分ける。天つゆは甘く、湯豆腐の出汁は辛くである。辛いで思い出したが、上述の烏賊と蒟蒻の煮付けには鷹の爪が必需品である。蒟蒻が入る料理にはほとんどと言ってよいほど鷹の爪を用いる。従って、筑前煮の隠し味にも使う。
 少量の鷹の爪は結構だが、朝鮮料理のそれは遠慮したい。キムチから冷麺に至るまで、あればかりはご勘弁願いたい。モルト・ウィスキーはおろか、日本酒の香味もなにも分からなくなる。やはり、朝鮮料理には甲種の焼酎しか合わないのであろうか。そういえば、中華料理もタイ料理もモルト・ウィスキーには合わない。モルト・ウィスキーには積丹の生海胆かエゾ・アワビの肝、海螺貝、イバラ蟹の内子、牡丹海老、サロマ湖の北海シマ海老、宇登呂の鮭トバなどがよく似合う。一度、道産の海産物をごく少量取り合わせてモルト会を催したいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月14日 08:26 | 固定ページリンク




寡多録  | 一考    

 モルト・ウィスキーのカタログが出来上った。あとは文章の手直しだが、そちらは順次書き直してゆく。「肴あったりなかったり」の方は店に鎮座する壊れた冷凍庫が処理されなければどうにもならない。で、その処理だが、明年の二月か三月になりそうである。
 スモーク盛り合わせ、焼き豚、ウィンナ、ビーフジャーキー、チョコレート、干し葡萄、ナッツ、田舎饂飩、蕎麦雑炊、梅しらすのチャーハンが現在可能なフードである。焼きそばや焼きうどんも出来るのだが、このところモヤシを三袋ほど棄てている。同様に、蕎麦雑炊も椎茸、三つ葉など野菜類の日持ちが悪い、従って三、四日を期限にあったりなかったりを繰り返している。
 上記フードは可能とは言え、二、三人前の用意しかない。他店で腹拵えをなさってからの来店を望みたく思う。

 一月からモルト会を催す。例によって第四土曜日だが、この日は貸切とする。もっか思案中だが、ちょいと面白い企画を考えている。モルト会もそうだが、原点に戻って簡単なおつまみだけを提供する。繰り返すが、事前に食事を済まされてからの飲み会であってほしい。もしくは飲み終えてからどこぞで旨いものをたらふく喰っていただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月12日 19:26 | 固定ページリンク




ザ・カスク・オブ・ヤマザキ1993  | 一考    

 過日、紹介した山崎のヘヴィリー・ピーテッド・モルトが入荷した。題してザ・カスク・オブ・ヤマザキ一九九三。ホワイト・オークのパンチョン樽で熟成された十四年もの、五百三十九本のリミテッド・エディション、六十二度のカスク・ストレングスである。ホワイト・オークとはアメリカン・オークを指す。
 業務店のみの販売で、当店は三本購入、一般には頒布しない。それとマッカランのグラン・レゼルヴァ十二年が先月末から販売されている。こちらはどなたでも購入可能。
 オロロソ・シェリー樽熟成のグラン・レゼルヴァがボトリングされたのは一九九九年が最後と記憶する。蒸留は一九八〇年の十八年もの、当時の価格は一万六千五百九十円だった。従って、八年ぶりの復活になる。十八年ものが主流だったが、十二年の方がオロロソ特有の苦みが少なく、私には好ましく思われる。購入価格は五千七百八十円、こちらもこなれた価格だと思う。十八年ものは今では三万円を超える。コレクターズ・アイテムには手を出さないのが賢明、現在手に入るボトルを楽しむのが愛飲家の智慧というもの。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月06日 16:23 | 固定ページリンク




蔵の中  | 一考    

 さくら さくら さくらが咲いた くらい くらい お蔵に咲いた

 暗い蔵のなかいっぱいに桜の花が咲く、これは戦慄である。そして詩とはなにかを伝えようとするなら、「くらい くらい お蔵に咲いた」と詩うしか手立てはない。相澤さんと話していて上記の歌に至った。曰く、詩人は自分にしか判らない暗号を以て、誰かに伝えようとして書き綴る。同じ暗号を解する、どこかに居るであろう見知らぬ友へ向けて。
 詩人の原風景とは、かくまで冷たく凍りついたものかと思い知る。エロディヤードを口吟んでいた十代の頃を想い起こす。「息めよ。ただわが前に鏡を支へよ」の一節である。冷え冷えとくまなく澄んでいた遠い遠いあの日、憶いだすことすら拒否したくなる日々。恐怖で、蔵のなかを覗くことすらかなわなかった。闇のなかで花開いた狂気、真っ白な狂気が漆黒を填める、満開のさくら。
 それにしても、相澤さんの詩を誰が読み解くのか。彼の失意の深さを知る。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月06日 15:11 | 固定ページリンク




汝の敵  | 一考    

 「ボア付きの長靴」と書けば恰好良いが、値は千八百円である。普通のゴム長であって、バタイユの「長いぶわぶわのゴム長」を想い起こす。ゴム長は長いものであって、殊更に強調する要はまったくない。かててくわえて、ぶわぶわ等という副詞は原文には含まれない。しまりなく、ぶかっこうにふくらんだ翻訳である。評論はともかく、バタイユの小説の翻訳は読まれるものがない。おそらく、なにひとつないのではなかろうか。バタイユに限らない、ブルトンやマンディアルグについても同様のことが言える。しかし、そのことは掘り下げない、掘り下げて書けば身の回りが敵だらけになるに違いない。
 さて、この場合の敵とはなんだろうか。家に寇する敵とは鏡花の言い種であり、ギュネイは内面の葛藤を家族、とりわけ女房とのあつれきに求める。家の外であれ内であれ、そのようなことはどうでもよい。対象を自己の外側に求めるのは非合理的である。仮に他に求めたとして、敵は抽象的な存在である。抽象的とは固有名詞を持たない、特定の個人ではないということ。
 「アイラ・ストーム2」で「驚いたのは偏見のなさについてである・・・意見の持ち合わせはない、なければこそ、個別の香味のみではなしをする。そしてその意見は大旨正しい」と著した。憖な意見というが、意見とはことごとくが軽率であり中途半端なものである。極論すれば、意見を持つとは先入主や僻見を持つに他ならない。「無以先入之語為主」と言われるがごとく、偏見は思考の自由を妨げる。しかし、そのいい加減さには利点もある。なぜなら、いい加減であればこそ、付け入る隙きをひとに与える。隙きがなければ世間話は成り立たない。
 意見の持ち合わせがなければどうなるのか。黙して語らず、一途にひとの意見に耳を傾ける、まるで吸取紙のように。ただし、ここには下心が垣間見られる。さらなるディメンションへ至るまでのステップの無料盗用である。もっとも、それは次元解析を心得たひとに限られる。未知の関係式を推定するなど、生半なひとでは不可能事である。されば、黙して語らずとは単に己が無知を曝け出すに過ぎない。真っ正直か、もしくは世間話を拒否する方便かもしれない。
 意見の持ち合わせがあろうとなかろうと大した違いは見受けられない。せいぜいが世間話の是非にとどまる。しかるに、敵とはそうしたものである、世間向の敵など高が知れている。怖いのは自分の内にひそむ敵である。群れたがる自分、慢心する自分、選民意識を振りかざす自分、無知を曝け出すのを恥辱と思う自分、自己解体の繰り返しを拒む自分、自分の内にひそむ敵はその勢力圏を拡げようとして虎視眈眈と窺っている。気を緩めるわけにはいかない、間断なき闘いが必要である。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月06日 14:26 | 固定ページリンク




色は匂へど  | 一考    

 店のパソコンはネットに繋いでいない。しかし、辞書は積んでいる。辞書で諸行無常を引き、いろは歌が出てきた。面白いので引用する。
 諸行無常は(色は匂へど散りぬるを)、是生滅法は(我が世たれぞ常ならむ)、生滅滅已は(有為の奥山今日越えて)、寂滅為楽は(浅き夢見じ酔ひもせず)となる。
 諸行無常とは三法印の一であると同時に念仏の大事を説く、ここにもアナロジーがある。法則と概念を重んじれば、さまざまな法則と概念は同化してゆく。この同化という言葉を類推の意で用いている。法則や概念は変わりにくいが、自らが変わることによって概念の色合いは自在に変わる。言い換えれば、解釈ひとつでどのようにもなる。
 言うまでもないが、諸行無常は諦観ではない。諸行無常が諦観になった理由は上述のいろは歌にある。繰り返すが、諸行無常は恒常的な世界の否定ではなく、むしろ、変化し生滅してとどまらない世界を積極的に捉えた言葉である。いろは歌では困る。なぜなら無常が、日々消え去ってゆく過去への咏嘆としてのみ捉えられるからである。つまり、諦観は諦感に、諸行無常は諸行無情になってしまう。
 かつて部派仏教について書いたが、「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別し、無常の構造を縦横に考究しなければならない。ここでの考究とは「諸行」そのものへの問い掛けを意味する。
 もはやない過去といまだない未来との狭間に今があり、とは屡々言われることだが、だからこそ「今」は刻々変化し、さまざまな相貌をひとに招来する。ひとはその対応に追われる。対応に追われるとは、個々の生滅を自ら解析し消化し、そして昇華させるに他ならない。耕衣句の「少年や六十年後の春のごとし」にはその昇華すなわち抽象化の過程がつぶさに描かれている。
 そして問いは繰り返されなければならない。繰り返しのなかにこそ実証主義がある、コモン・センスがある。万古不易という概念がもしあるとすれば、その問い掛け自体を指す。


投稿者: 一考      日時: 2007年12月04日 15:43 | 固定ページリンク




ルンプロとルンルン  | 一考    

 ボア付きの長靴を買った、これで雨天のバイク乗車が可能になる。足先が暖かいので嬉しい。先々週は連荘(麻雀用語だとりきさんから教わった)で雨に打たれて靴はびしょ濡れ、乾かす暇がなく濡れたまま履く。足が冷たくて考え事ができない、というよりも考えを纏めることがかなわなかった。
 素足の松山さんを想起する。芭蕉から秋成、馬琴を経て明治末まで文筆で飯は喰えなかった。漱石あたりから原稿料や印税がやっと安定するに至る。もっとも、それには漱石のいささか姑息な算段あり、正月に各社の編輯者を集めての入札会を催したという。漱石が獲得した三割五分の印税に嫉妬した秋江が詳細を記述している。
 ルンペンプロレタリアート、略称ルンプロとのマルクス主義の用語があった。ファシズムの手兵として利用もされたが、そちらについては触れない。襤褸を纏い、仕事につかず、就業の意思なく、定住せず、塵あさり、物乞、ときには犯罪、売春などでその日の糧を得る。他人の救護のみに頼って生活し、相対的過剰人口からも落ちこぼれた極貧層である。ルンペンのさらなるルンペンをルンルンという。こちらは至って享楽主義的で金のないのを謳歌する。ルンプロとの違いは身なりがよく、教養もあり、ときとして非凡な才能を持つ。肉体労働だが、ちゃんとした職業を持つ。その職業の名は男妾、別名を物書きと称す。昔、新世から更新世に広く分布したジゴロフォドンという長鼻類がいたが、現代のジゴロとの関連はない。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月30日 16:21 | 固定ページリンク




無力と喪失  | 一考    

 「自分が無力である事、そして喪失感を学ぶ」と言ったとき、ではかつては力があり、喪失をもたらすところの所有があったのかと揚げ足のひとつも取りたくなる。「見るべきものを喪ったのか、それとも端から見るべきものなどなかったのか」と書いた理由がそこにある。否、これほどに曖昧な文言もあるまい。なぜなら、主語は略かれているものの、ここには確たる自意識がある。
 はなしを複雑にしたくないのでもとに戻る。「元々無力であって、今も亦無力である、なにかしら喪失感があって、今尚それは続いている」と書きなおした方が通りはよくなる。しかし、それではますます詩から遠離る。私は曖昧なら曖昧である、と断定形で文章を綴る癖がある。どうせ大したことは書かれないのだから対象を絞り込む。この場合の対象とは自分自身に他ならない。言い換えれば、考えの側面のみを捉えることになる。螺旋のような思惟の一断面なのだからますます持って恣意的にならざるを得ない。絞り込むことによって振れは小さくなり判断は甘くなるが、その分わかり易くなる。わかり易いのがよいこととは思わないが、読み解くに難渋させられるのは迷惑なときもある。もっとも、この難渋には二種類あって、表現の難解さがもたらすものと、書き手のおつむの風通しの悪さからくるものがある。後者は手の施しようがない。
 なにを言いたいかというと、詩歌と散文の違いを述べたまで。「振れは小さくな」ると書いたが、それを補って余りある力が詩歌にはある。なぜなら、詩歌はひとに類推を強要する。従って、思案を巡らすことなしに詩歌は読まれない。謂わば、読むための能力と感性が必要になる。この訓練は若ければ若いほど有効である。では散文は、となるが、こちらについては触れない。字面を追うだけの読者が多くて、このところ悲しみばかりが弥増す。
 思うに、ひとは変わらない。と言うよりは、変わらないでいようと務めるひとが多い。しかし、変えてはならないものなど、この世にあるのだろうか。世の中を変えるとは、自らをを変えることに他ならない。「自分が無力である事、そして喪失感を学ぶ」その無力を怒りに、喪失を悲しみに置換できないだろうか。のんちさんは若い。若ければこそ、その転換は易い。「怒りと悲しみ」それは書くという行為のおそらく唯一の元手であり、そして苗床である。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月29日 15:54 | 固定ページリンク




謎の美少女  | 一考    

 詩のボクシングのスタッフが連荘(れんちゃん)でいらした(連荘は勝手に変換されたのだが、麻雀用語であろうか、私には理解できない用語である。ただ面白いのでそのまま用いる)。気持の良い方々で、ご紹介いただいた幹郎さんに感謝せねばならない。
 摂食障害のひとが彼等にかかると謎の美少女となる。殊更に彼女を話題にするつもりはないが、謎の美少女の「謎」には興味がある。正体が分からないのを謎とする。この場合の謎は正体があるのを前提にしている。しかし、前提を外せばどうなるのか。要するに、正体がなければどうなるのか。
 例え正体不明であっても人はひとである。また、正体だと思っているのは本人だけで、他人から見ればそうでないこともある。その逆もある。さらに、人に正体があるとは限らない。ありそうでないのが正体で、ある日突然にあなたの正体はと問いつめられれば、誰だって返答に窮する。そして大方は属性概念で応えるのを常とする。この場合は「美少女」である。
 ところでデカルトによれば、実体のもつ本質的な性質は、物体と精神という二実体の属性をいうらしい。これでは端から実体が二分割されている。もっとも、二分割されようが、三分割されようが一向にかまわない。哲学とは概して便宜的なものである。「それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質。それなしにはある事物を考えられないような性質」は好きなだけ分割すればよい、私の知ったことではない。
 さような分割よりも、正体すなわち本当の姿といったものがあるのなら偽の姿もあると切り返すのが私の好みである。しかし、それでははなしが長くなる。ここで触れたいのは正体の持ち合わせについてである。
 さて、正体への観察は謎を招来する。謎は謎を呼び、やがて世界は謎だらけになってゆく。にんまりとほくそ笑むデカルトとスピノザ、どうやら罠に嵌まったようである。「謎の美少女」とはひとつの単語であって、分割不可能な属性概念だった。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月29日 15:17 | 固定ページリンク




無常  | 一考    

 佐々木幹郎さん来店、アイラ・ストームをリカー長谷川で註文なさったようである。店では当然アイラ・ストーム、絶妙の甘味(うまみ)に舌つづみを打つ。
 掲示板を読みて小生の情緒もとにもどりたるを確認、それを傳えに来られた由。そちらでは彼は先輩、黙坐しつつ聴きいる。「遠に投首」でも書いたが、歳を取るとエネルギーを喪う。切ないほど、ものごとに対応する力が衰える。だからこそ、書くしかない。このところ、自らの心事を暴くがごとく赤裸々に綴った。それが唯一の抽象化になると信じて。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月27日 10:17 | 固定ページリンク




はがゆい叙情  | 高遠弘美    

一考さんのブログ、いつも謹んで拝読いたしてをります。
このたびのお書き込みも心にしみました。
ただ、ひとつ、私の名前をお書きくださいましたが、もともとはqfwfqさまの以下のブログにあつた言葉です。
そちらを皆様にはごらん頂ければ幸ひです。

http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20070325/p1



投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年11月27日 10:12 | 固定ページリンク




まなざし  | 一考    

 このところ、摂食障害のひとが来る。とは申せ、二度目の来店である。名前はまだ知らない。名を知らないのか覚えていないのか、定かでない。摂食障害というのも自己申告だけで、真偽は分からない。ただ、見るからに摂食障害者である。摂食障害と書いたが、正確には神経性食思不振症である。極度の不食と高度のやせとを主徴とする病いで、根には成熟することへの嫌悪感がある。そのようなひとにものを喰えとは言えない、嘔吐するだけなのは分かっている、困しむのは本人だけである。
 友人で彼女より上背があって、さらなる痩身を知っている。その彼女Y・Nさんは摂食障害者ではない。にもかかわらず、ひどく瘠せている。従って、瘠せていることは私にとって驚きとはなり得ない。ただ、どこかしら気になるひとである。
 彼女は某大学で露文を学んでいる。そのせいか、A子さんのことを訊ねるためにいらしたようである。事情があってA子さんのことを私は掲示板では書かない。
 「どこかしら気になる」と書いた。気になる一は目のくらさにある。虚ろではなく、昏いでもなく、と言って幽い、冥い、ことごとくが外れる。やはり暗い目になるのだろうか。涼やかな眼差しだが、媚を売る目ではない。淋しげな眼差しだが、なにかを訴える目ではない。どこかを視ているようで、どこも視ていない。しかし、この稀い存在が投げかける眼差しは何故か記憶の底に刻まれてある。この記憶はどこからくるのだろうか。自分の目のなかに焼き付いたもうひとつの自分の目なのだろうか。
 見るべきものを喪ったのか、それともはなから見るべきものなどなかったのか。この病いのひとは精神的に打ちとけないというが、そのあたりの消息をいつの日か話し合える日が来るような気がする。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月27日 10:10 | 固定ページリンク




もうひとつのはがゆさ  | 一考    

 「自在力についてはまた」と書いたが、ことさら書きたいとも思わない。ただ、秋、落雁、水といった透き徹った悲しみについて触れたかったまでである。
 文章を綴るとは自分のなかにあるものを吐露するまでで、次はなにを吐き出そうかと思案する。思案できるあいだは結構なのだが、早晩ひとは吐露すべきなにもないのに気付く。そこからではないだろうか、高遠さんとこで触れられていた「はがゆいやうな透明の抒情」がはじまるのは。
 「はがゆい」はじれったい、もどかしいとシノニムであって思うままにならなくてこころがいらだつの意。もっとも、「透明の」が加算されることによって、苛立ちや焦躁よりもさらに内省的な意味合いを持つ。従って、内省が内生であっても一向にかまわない。もっとも、それは私の解釈であって、本家の中井さんはルサンチマンのひとだった。怨嗟というよりも、怨恨や遺恨が強かった。そしてその怨恨は身近なひとへと向けられた。しかし、それについて書くつもりはない。

 ものはあれどもものはなし、庵はあれども庵なしという。吐露すべきなにものもないと書いたが、それは畢竟ずるに、さびやしおりや細みのようなものであって形を成すものではない。好き嫌いは別にして、そこに日本文学の特異さがある。去来抄に「さびは句の色なり。閑寂なる句をいふにあらず。仮令ば、老人の甲冑をたいし戦場に働き、錦繍をかざり御宴に侍りても、老の姿有がごとし」とあるが、その「句の色」こそが吐露の対象たりうると思う。去来によれば「老の姿」とでもなるのであろうか。
 なにもなければ、吐露すべきなにかを仕入れなければならない。仕入れ先は先人に、書物に求めるのが無難であり博く一般的である。そして仕入れ先は歳と共に変わってゆく。仕入れ先が変わるのではない、仕入れ先の「色」合いが変わるのである。繰り返すが、表層ではなく形式ではなく色合いである。
 屈折した剥きだしのこころではなく、ひとの色に恋をする、そのような消息を人のこころに恋をするという。面白い表現であって、すこぶる抽象的である。ヘンリー・ミラーの北回帰線にさびやしおりや細みを感ずると言ったら暴論になろうか。少なくとも、「はがゆいやうな透明の抒情」を私は見届ける。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月27日 01:48 | 固定ページリンク




グレン・スコシアのことなど  | 一考    

 このところ忙しくしてい、東京の酒屋へ行っていない。従って、アイラ・ストームがどこで売られているかを知らない。私は埼玉のやまいちで贖っている。インポーターがウィックなので、目白の田中屋は間違いなく扱っている。かめや、河内屋、リカー長谷川での取扱いはなさそうである。ただ、ウィックなので酒屋で註文すれば入るはず。ただし、酒屋が面倒臭がらなければのはなし。
 昨夜は土曜日、水谷、大浦、松友さんが集まってのモルト談義となった。ニューボトルが三本開き、これで新装開店に伴って入荷した六十本のうち半数以上が開栓された。ゴードン&マクファイル社が久しぶりに出したプレイヴァル、ピティヴェアック、ロングモーンは相変わらず美味。プレイヴァルは前回は25年ものだったが、一挙に32年ものになった。そのゴードン&マクファイル社の9年ものと平行してグレン・スコシアのディスティラリー・ボトルが出た。こちらは香味にいささかの変化あり。やや辛口に振られてすっきりしたが、陽にかざすと骨まで透ける干鰈のごときデリケートなこくがさらに稀くなった。逆に、微かなスモーキー・フレーバーと芯のある甘味、フレッシュな味わいは強調された。特徴のないラベルと月並なブランドで損をしていたが、今回もずんぐりしたボトルが通常のクリアーなボトルに変わった他、相も変わらぬ特徴のないラベルを用いている。一本筋の通った貴重な味わいと絶妙のバランスを内に秘めたモルトなのだが、売る気があるのかと問いただしたくなる。旧オーナーのグレン・カトリーヌ社(ロッホ・ローモンド・ディスティラリーの子会社)のボトルがさらに値を上げることだろう。
 ロングモーン15年のディスティラリー・ボトルが限定販売された、価格は一万五千円を超える。去年ボトリングされたシグナトリーの16年ものカスク・ストレングスが九千円だったことを考えてもずんと高い、飲んでいないので何ともいえないが、さぞかし旨いのだと思う。金欠病に掛かっている方にはゴードン&マクファイル社の加水タイプの12年ものが五千六百五十円、現在の為替相場を考慮しても安い。
 このところ、ベンリアックのニュー・ボトルが続く。ロングモーンとは兄弟蒸留所で、新しいオーナーのもと、ヘビリー・ピーテッドに力を入れている。アイル・オブ・ジュラもそうなのだが、最近はピートを深く焚き籠めたモルト・ウィスキーが増えてきた。値は一・五倍から二倍ほどだが、それだけの価値はある。ベンリアックのヘビリー・ピーテッドは二種ボトリングされている。
 最後に、モルト・ウィスキーの専門店ならどこへ行かれても安い。そこいらの飲み屋はバランタインやジョニー・ウォーカーなど千円のウィスキーを一杯五百円で売っている。要はダブルで元が取れる計算である。その計算なら一万円のウィスキーの売値は一杯五千円になる。ところが専門店なら二千円までで飲まれる。もっとも、ウィスキーに二千円が高いと思し召しの方はモルト・ウィスキーの専門店とはご縁がないだけのはなしである。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月25日 19:45 | 固定ページリンク




遠に投首  | 一考    

 オープンが済んで土曜日からは通常の営業がはじまる。十二、三人は来られるかと思っていたが、その半分だった。しかし半分で佳し、中身のあるオープニングだった。松山俊太郎さんを地下鉄の駅へ見送ったが、一分の道程に三十分を費やした。心臓がおかしいとかで歩かれない、五六歩進んでは休むの繰り返しで、揚句は地下鉄の入り口で地べたへ座り込んでの晤語となった。横の手摺りを鉄棒に見立てて子供がはしゃいでいる、その傍らでの喘ぎ。存在の新陳代謝のあまりに見事な演出に応えられなくて言葉が淀む。
 先に帰られた相澤さんね、寂しいのよ、話相手がいなくなっちゃってね・・・主語はどこにあるのかわからないまま・・・末期の水はうまかったね、次は会えるかなあ・・・相澤さんとそれとも私と・・・みなで会いましょう、どこかで、きっと、いつか・・・泣き出しそうになるのを怺え、即製の吃吶を演じる。
 家に暖房がなくってね、でも着物を頂戴したから風邪はひかない・・・次回は足袋をお持ちしましょう・・・君とはずっと昔にお会いしたような・・・実はですぺらではないのですよ、遙か以前に冥草舎でお会いした、と言うか言うまいか思いがたもとおる。そんなことはどうでもよい、そんなことより、いま、いまだけだから。「いまだけ」は横須賀さんの言い種だったっけ、横須賀も種村もあなたもわたしもなにもない、思案に暮れなずんだまますべては滅び同化してゆく、涙すらも。

 手伝ってくださった方から「一考さんが敬語を遣って話すのをはじめて・・・」と。人物や事物にではなく、話題に対して敬意を払っているのです。そう、「カラマーゾフの兄弟」の新訳と米川訳についての議論が一時間も二時間もつづく、ここには相澤啓三さんの時間が在った。過ぎ去りし日々、ドイツ語が跳びかった新宿五丁目、秘かにトマス・マンの宵と名づけた一夜があった。書物を繙くことの意味と怖ろしさを彼は切々と訴える。趣味で本は読まれない、読書は命懸けの為事、滅びへの道行きだと。

 神戸の季村敏夫さんの変わらぬ厚誼に感謝申し上げる、お手伝いくださった鶴留聖代さんと田中香織さんにも。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月25日 10:01 | 固定ページリンク




アイラ・ストーム2  | 一考    

 田中香織さんが飲みにいらした。出したのはラガヴーリン12年のカスク・ストレングス、シールダイグのラガヴーリン、そしてアイラ・ストームの三点。すべてカスク・ストレングスである。まずディスティラリー・エディションの12年ものは最悪、次いでシールダイグは旨いが軟弱、アイラ・ストームがこの中ではもっとも美味しいとのご意見だった。それにしても、この三点を私のように一ミリほど飲んだだけで同じ蒸留所のウィスキーと見極めるのはむずかしいとのはなしだが、それは慣れの問題である。私が驚いたのはそれぞれのラガヴーリンに対する偏見のなさについてである。
 彼女は旧ですぺら閉店間際にいらしたお客でモルト・ウィスキーに関する意見の持ち合わせはない。なければこそ、個別の香味のみではなしをする。そしてその意見は大旨正しい。ディスティラリー・エディションの12年は味に纏まりがなく、飲み手をしてどこへも連れて行かない。シールダイグにはちょいと異なる意見があるが、アイラ・ストームの粗粗しさと海塩の香、ブレストの乱暴者を想起させるがごとき港町の無骨には「枝の無骨なるに似ず、・・・さまざまの色に透きつ幽める其葉の間々に」といった風情までをも内包している。要するにアイラ・ストームの前ではシールダイグすらが影を淡くする。
 ラガヴーリンのディスティラリー・エディションを否定するのは難しい。マッカランやボウモアやスプリングバンク同様、それなりに美味だからである。と言うよりは、蒸留所元詰めに対する信仰のようなものがわが国にはある。ディスティラリー・エディションは大量生産のため、斑は少ないかわりに品質は平均化される。この平均化を日本人は好むのである。どこそこの蒸留所の酒はこのような味であると、謂わば安心を買っている。飲む度に味が変われば安心して飲んでいられないのが本音らしい。
 ところが、カスクは均一にはできていない。レダイグのシェリーを持ち出すまでもなく、ボトリングの度に香味は変わる。蒸留所は否定しているが、ラガヴーリンの一部はリフィール・シェリーと私は思っている。これが曲者で、16年ものはこの十年で随分と味が変化してきた、当然不味い方へである。もっか生産調整中だが、このあとどうなって行くのか危惧している。
 それにしても、アイラ・ストームは旨い。それを再確認させてくださった田中香織さんに、スランジバー。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月23日 13:37 | 固定ページリンク




アイラ・ストーム  | 一考    

 先日もカリラのカスク・ストレングスやインプレッシヴのアードベッグの注文を受けたがお断りした。インプレッシヴのアードベッグとラフロイグは旧店舗では最後のサービスとして特価で提供した。そして値は元に戻った、それでも安いのだが。また、グレン・ドロナックのトラディショナルは原価でお売りした。トラディショナルはかつては安かったのだが今は高い、それを承知で仕入れてきた。要は67年や69年もしくは74年のアードベッグや蒸留所に関わりなくトラディショナルのような古いボトルは売りようがないのである。売りようがなければ置かなければよいのだが、そうもいかない。なかには金額に拘らないお客さまもいらっしゃるからである。また、カリラのカスク・ストレングスは旧店舗では切れたままだった。値がほぼ倍になり、置くのをやめたのである。新店舗ではそうもいかないので仕入れてきた。ところで、専門の業務店にはカタログは置いていない。みなさんはどうしておられるのか、不思議である。
 高いウィスキーがあるかと思えば安いものもある。例えばグレンファークラスやハイランドパークである。為替は対ポンドで三割五分ほど騰がったが、値上げはその範疇に収まっている。
 安い酒といえばアイラ・ストームとのボトルがウィックから売り出されている。蒸留所未公開のアイラモルトで、樽の種類も本数も不明である。ただ、シングルカスクで三百六十本ほどと聞く。見立てはオークカスクのラガヴーリン、香味は至って美味。加水タイプは12年と記載されているが、カスク・ストレングスは10年ものと見た。今年一番のモルト・ウィスキーである。重厚かつなめらか、ベルベットのような味わい。焦げたヘザー、強いピート香、潮、海風、海藻の香り等、一度飲んだら病みつきになる銘酒中の銘酒。強烈な個性を包むエレガントなこくとシェリー酒の妙なる甘味。フィニッシュはパワフルでスモーキー。愛惜措く能わざる逸品。と書けばモルトファンならずとも必ずや酒屋へ購入に走るはずである。兎にも角にも安い、五千円札でお釣りがくる。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月21日 11:57 | 固定ページリンク




ナオさんについて  | 一考    

 渡辺ナオさんがカウンターを仕切ってくださったので、昨日は終日厨房へ籠る。厨房のはじめての活用だったが、カウンター嬢がいなければフードは無理だと確認するに終わった。やはりひとりで両方をこなすのは無理、一部のスモークとウィンナーか肉饅ぐらいが関の山だろう。
 ナオさんにですぺらを営業していただくのも一興、飜ってなべさんを私が取り仕切る。それでは店主が交代するだけで意味がない、どうもうまくない。なにかしらの解決策はないものか。
 土曜日には合鴨スモークの註文があった。はじめての依頼であり、他に客がなく、その心配もなかったので作る。「他店のスモークは食べられなくなった、やはり旨い」と言われて喜ぶ。以前と違って、原価で難儀させられる要もなく、しかるべき厚みで提供できるのが嬉しい。赤坂の鮨屋のネタのようなことは今後はしたくない。
 食器へのこだわりをナオさんから指摘される。わずか半年ですべて無くしたが、最初に用意した四十個の箸置きは備前の灰焼き、一箇三千円の品物だった。値打ちを知っての盗みなら納得がいくが、どうもそうではなさそうである。今回の猫の箸置きは百円、こちらの方が受けは良い。フードがはじまれば徐々に差し替えてゆくつもりだが、高価な食器は家で出番を待っている。
 ナベサンについてはかつて書いたので、ナオさんについて一言。襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月19日 14:48 | 固定ページリンク




芳賀啓さんについて  | 一考    

 看板が完成。私のような日陰者に看板を背負込むような商売ができるのだろうか、嬉しいと同時に一抹の不安がよぎる。

 分かってはいたが、文学散歩へですぺらからの参加はなし。皆さん自分への興味はあっても文学への興味はお持ちでなさそうである。今回の参加はいつもより少なくて十四名、少なくても十四名集まるところにナベサンの底力がある。
 前回は山王・馬込文士村散歩だったが、コースは大森八景坂(別名薬研坂、薬師坂、池上道、現池上街道)、天祖神社(八幡太郎義家鎧掛の松跡、俳人景山の大森八景碑など)、山王二丁目遺跡、「日本帝国小銃射的協会跡」碑、大森テニスクラブ(旧小銃射的場)、闇(くらやみ)坂、大森ホテル跡、望翠楼ホテル跡、薬師堂・「桃雲寺再興記念碑」「仙元大菩薩」碑(冨士講碑)、大田区立山王会館・馬込村文士資料展示室、熊野神社、善慶寺・都旧跡新井宿義民六人集の墓、片山広子・旧宅跡、山本有三・旧宅跡、倉田百三終焉地、磨墨塚(平家物語宇治川の合戦の梶原景季の愛馬)、萩原朔太郎・旧宅跡、川端康成・旧宅跡、三島由紀夫旧邸、衣巻省三・稲垣足穂住居跡、宇野千代・尾崎史郎・旧宅跡、大田区文化財・冨士講灯籠、今井達夫・三好達治・標識、山本周五郎・旧宅跡、慈眼山満福寺(梶原景時墓、磨墨像、室生犀星坪庭・句碑)、室生犀星終焉の地、小林古径・旧宅跡、区立郷土博物館、蘇峰公園・大田区山王草堂記念館だった。

 それにしても、芳賀さんの博聞彊志に驚かされる。あれだけ仕事をし、浴びるほど酒を喰らい、そして歩く、ただただ歩く、二十キロでも三十キロでも歩くのである。歩くから多識になるのか、それとも見聞が彼を歩かせるのか、ひょっとしたら、彼は生まれ落ちたときから学芸万般に通じていたのでなかろうか。
 彼にとって文学は喋るものではない、要は自己主張のネタにはならないのである。このあたりから並のひとではない。現場での叩きあげとは彼のようなひとを言う。彼はひたすら歩き、ひたすら書く、そして沈思黙考のあとふたたび歩く。「現場のない文学なんて」との呟きが聞こえてくる。
 蘇軾に「三杯卯酒人径酔、一枕春睡日亭午」とあるが、卯酒は彼のもっとも得意とするところで、私も何度かお付き合いいただいた。卯の刻(午前六時ごろ)に飲む酒とは申せ、はじまるのは宵の口に決まっている。あの小さな体躯のどこに多量の酒の処理器官が秘められているのか、不思議である。
 それとカラオケがある。もっとも、彼の唄は郁乎さんのそれにも似て、がなり立てるのみ。ひとには叫声としか聞こえないのだが、全身を振るわせての熱唱にみなは圧倒される。阿鼻叫喚の巷を表現する第一人者とでも言っておこうか。これは既に巧いとか下手とかいう問題を超えている。文学同様、歌にあっても彼に手抜きは許されないのである。久しぶりに彼の唄が聴きたくなった。明日はお共させていただこうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月18日 02:19 | 固定ページリンク




ナベサン文学散歩の会  | 一考    

第21回ナベサン文学散歩の会

急ですが、ナベサン文学散歩07年11月は18日(今度の日曜日)です。
集合時間は14:00
集合場所はJR総武線「飯田橋駅ホーム」御茶ノ水寄り。
案内者は芳賀さん。
健脚向き長距離ですが、最後は「プレ・オープン中」の「ですぺら」で打上。
日曜日でお休みのところ一考さんは5時には開けてくれるそうです。ちなみに新
デスペラのオープニングは23日と。
参加者の人数把握のため16日までに返事を下さい。(世話人渡辺ナオ)

コースは以下の通り。
[外濠をあるく]飯田橋・歩道橋・船河原橋→神楽河岸公園→牛込見附跡→外濠土手→
新見附橋→
市谷見附跡→南北線市ヶ谷駅江戸城歴史コーナー→市谷八幡→長延寺谷跡→外濠
公園→四谷見附跡→外濠土手→尾張徳川屋敷跡→喰違見附跡→紀伊国坂→赤坂見
附跡→赤坂プリンスホテル旧館前→清水谷公園→弁慶橋→赤坂見附駅(→ですぺ
ら)

ゴールデン街の飲み屋「ナベサン」恒例の文学散歩です。案内者は地図出版の之潮(コレジオ)の芳賀さん。参加をご希望の方は一考まで連絡をください。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月14日 06:34 | 固定ページリンク




自在力  | 一考    

 店に飾った吉岡実さんの詩に「来てみれば秋 ここは落雁の見える 寂しい水の上の光景」がある。飛び立つ鳥ではなく舞い降りる鳥、行き場を喪った苛しいやるせなさがここにはある。先日、落魄と魚卵について書いたが、あれはそっくりそのまま吉岡さんの詩の、そして死のモチーフでもあった。
 かつては大槻鉄男さんを懐うて涙したが、近頃は理由もなく泣き出すことが多くなった。さなくとも夥しい先達を友を喪ってしまった。今や、生き残りを数えるが易くなった。

 ですぺらが再開されてから一日一食が続く。自宅での朝飯か、それを逃すと松屋での牛丼。そもそも料理人の沽券にかかわるとしてファーストフードの店は敬遠していた。抵抗がなくなったのは四国でマクドナルドへ入ってからである。これが滅法旨かったと記憶する。それからあとは雪崩れ式で、沽券などという見体(みてくれ)を構う要はなくなった。赤坂の松屋で牛丼を頬張る横須賀さんを想い起こす。そういえば、彼も一日一食をきまりとしていたようである。もっとも、彼は調法の心得あり。蛸、藻屑蟹、鮟鱇などを買ってきて手料理で持て成すのも屡々だった。
 松山でのファーストフード店初体験は四十路を超えてのはなし。爾来私はみさおを見失うが、これは大きな影響を及ぼした。沽券に限らず、ありとある見てくれからの解放を私にもたらした。見てくれからの解放とはアナロジーの活性化を意味する。
 他人の目に立つような言動や服装、もしくは自己主張の顕れとしての見体、見栄、外見、見かけ、見場、体裁を構う、まるでそれが人の値打ちや品格の証明であるかのように。要するに、大した意味もなくひとは刷り込みに汚染される。そして最大の誤謬は「見られている」との意識である。言い換えれば、ひとは皆「見られてい」そして誰も見ていない、見ているのは自分だけ・・・と言った自意識の検証ではなく、それらを一挙に跳びこえるのがアナロジーである。特定のものになろうとするよりも何ものにでもなりうる、そうした自由を手に入れたのである。これは一種の八方番で自在継手のようなものと思っていただいて不具合はない。
 時として、ひとは秋になり、落雁になり、そして水に成り代わる。この自在力についてはまた。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月13日 19:57 | 固定ページリンク




オープニング  | 一考    

 六月二十二日で閉鎖を余儀なくされた「ですぺら」ですが、この度、おなじ赤坂でモルト・ウィスキー専門店として再開することになりました。コンクリートで囲まれた小さな窩主のような店で、小村雪岱から西脇順三郎、永田耕衣、吉岡実などの書や色紙に飾られた空間です。前店同様、ご贔屓のほど、どうかよろしくお願い致します。
 店はすでに細々と営業をはじめておりますが、オープニングは十一月二十三日金曜日、午後四時から十時です。
 赤坂見附から徒歩二分、青山通りからみすじ通りへ入って五軒目、白木屋の向かえです。もしくは赤坂見附のべルビー赤坂口を出て真ん前の田町通りを右へ、坐和民が入っている扇屋ビルを抜けると目の前が白木屋です。こちらだと所要時間は一分。
 前の店より一筋、見附の駅に近くなります。見附へ近くとは申せ、この一劃はひとけも疎らで喧噪から取り残されて、まるでゴーストタウンです。赤坂の北端に位置し、青山通りを挿んでサントリーのビルがあります。

 ですぺら  渡辺一考
 東京都港区赤坂三丁目九の一五 第2クワムラビル三階
 ☎〇三‐三五八四‐四五六六


投稿者: 一考      日時: 2007年11月13日 12:17 | 固定ページリンク




風邪  | 一考    

 風邪をひいたので店はお休みです。こればっかりはどうにもなりません。
 プレオープンなので、お客さまは掲示板をご覧になった方だけ、風邪を移したくないので、くれぐれもよろしくお願い致します。
 カタログの整理があって店へは行きますが、どうかよろしく。

 いつぞや、黒木書店の息子のことを書いた。そのことについて天牛書店の天牛高志さんから店へ電話があった。「あいつ、あんな奴やったけど、いいとこもあった。書いてくれてありがとう」ただそれだけの電話だった。気持は痛いほど分かる、思わず目頭が熱くなった。
 彼と高志さんとのかかわりの一端を知っている。黒木にとって高志さんは唯一の相談相手だったに違いない。父親との軋轢のなかで、ともすれば挫けそうになる黒木をいかように支えてくださったのか、涙した理由である。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月13日 08:12 | 固定ページリンク




電車通勤  | 一考    

 今晩はフクさんが上京なさるとか、ちょいと一緒に飲もうかと思案中。今宵はバイクをやめて私は電車で通勤しましょう。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月10日 15:40 | 固定ページリンク




魚卵再訪  | 一考    

 河崎徹さんと勝井隆則さんからイワナの魚卵が送られてきた。「年寄り向きの薄味にしましたので一週間ぐらいで食べてください。お宅の店に来るイヤな客に沢山食べさせてください(コレステロール値が多くなる)」との添え状あり、「年寄り向き」には丁寧にアンダーラインが引かれている。河崎さんらしい悪意の一端が垣間見られて頬笑ましい。石川の友の変わらぬ高誼に厚い感謝を申し上げる。
 「青息、吐息、風の息、夢裡のですぺらへ恒例の供物です」とは勝井さんこと金沢落魄小僧の弁。事常に頓挫して失望落魄を繰り返す日々への、これはさらなるだめ押しである。
 さるにても、落魄とか零落ほど麗しい言葉があろうか。一刻一刻、滅びが近づいてくる。存在は新陳代謝と口にする時の沙を食むような寂しさ、そして口に残る味気ない異物感。目には視て手には取られぬその距離、その失意にいとおしさを覚える。
 白居易に「門前冷落鞍馬稀」とある。客を鞍馬に見立てればですぺらの光景が顕れる。さて、イワナ好きの鞍馬にはこの一週間がチャンスである。酔いなくて、魚卵がなくていかに生きられようか。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月10日 15:12 | 固定ページリンク




看板  | 一考    

 常連の水谷さんの紹介によって十七日に看板ができあがる。持つべきは友か常連か、ただただ感謝である。いよいよオープンが近づいてきた。
 一昨日は七日目にしてはや坊主、このままではやってられない。一刻も早くですぺら再開をひとに知らさねばならない。私の友人はこぞって電脳には弱い、やはり手紙を書かないと効果がない。二十三日の金曜日にはグランドオープンが可能か。

 ミュリエル、ブラックストン、ボルクムリーフ、キースなどをこのところ嗜んでいる。それぞれにいろんな種類があって心地よい。と言ってもなんのことやら、判じかねるだろう。シート・タイプの葉巻である。キースのスリムを偶然に購入したのがはじまりで、爾来嵌まってしまった。普通の紙巻き煙草と値が変わらないので、毎日あれこれ試している。キースにもいろいろあってキーススリムにも各種ある。単にキーススリムというのが私のもっかのお気に入りである。
 どうして値が変わらないのか不思議だが、考えてみれば値のあらかたは税金である。わが国で二百八十円の煙草がニューヨークでは七百円だそうである。同じ値段ならよりヘビーな葉巻を吸うにしくはない。例え千円になったとて私は喫む、本数は減るだろうが。
 三筋通りにシガーバーがあって、さまざまな葉巻が売られている。こちらはシートではなくナチュラルな葉で巻かれている。さすがに高いものが多く、私の小遣いでは手が出ない。ミネラルウォーター同様、上にはうえがある。当節流行りの千二百円の水など、置きたくても店には置かれない。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月08日 05:14 | 固定ページリンク




据置  | 一考    

 代価について訊かれるが、値はほんの一部のウィスキーを除いて変えていない。値上げはカリラのカスク・ストレングスやアードベッグである。店を閉めていた四箇月のあいだにユーロは騰がりつづけ、モルト・ウィスキーは随分と高くなった。手持ちのウィスキーは構わないが、新規購入のボトルの値上げはやむを得ない。閉店前の五月の掲示板でも書いたが、なかにはアードベッグのように倍以上の高値になったものもある。もっとも、グレン・モーレンジ社が買収した時から樽売りがなくなり、アードベッグが高値で安定するのは分かっていた。それにしても、1975や1977が四万円から九万円とは何事かと思う。
 かつては一万五千円を超えるボトルには手を出さないでいた。この価格帯にはレアモルトが含まれるからである。しかし、そのレアモルトがなくなってそうも言っておられなくなった。今は二万五千円にまで購入価格を引き上げた。その分、売値が高いウィスキーが多くなるのは致し方がない。
 それとビールの値上げが続く。白生が四十円の値上がりで、旧ですぺらでは据え置いたが、今回は百円の値上げである。その替わりにサントリーのプレミアム・モルトを置く。開店には瓶を用いたが、やがて罐に切り換える。瓶の回収が面倒だからである。自宅と店との往復はバイク、可能な限り荷物は減らせたい。

 今日から店の飾り付けをはじめた。来週の月曜日には完成するが、小村雪岱から西脇順三郎、永田耕衣、高柳重信、赤尾兜子、三橋敏雄、吉岡実、塚本邦雄、種村季弘などの書や色紙などの小品である。前の店からの念願だったが叶わなかった。その理由は額縁を購う金数に不自由していたからである。今回はちょいと私の趣味を吐露させていただく。
 趣味性と言えば、今置いている水は微発泡の硬度1677瓱の硬水である。イタリアはサレルノの天然水で、加熱殺菌処理されたわが邦のミネラルウォーターと比して味、癖ともにすこぶる強い。さりながら、モルト・ウィスキーには似合うと思っている。わが邦のミネラルウォーターも置いているので、お試しいただければ幸いである。サレルノの天然水は五万円分買ってきたので、一箇月は持つ。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月06日 10:43 | 固定ページリンク




営業中  | 一考    

 明日の土曜日は祭日のようですが、赤坂に用事があって店は開けます。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 16:20 | 固定ページリンク




雑炊  | 一考    

 今日、そばの実雑炊が到着。到着はよろしいが、何時になったら作られるのやら。そんなことを言っていてもはじまらないので、取り敢えず二人前のみ作ろうと思う。人体実験を希望される志の篤い方はお越しください。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 15:27 | 固定ページリンク




身も蓋も  | 一考    

 ガスが開通、冷凍庫を購入すれば調理が可能になる。家の冷凍庫で眠っている食材を利用するには他に方法はない。一方、看板が高いのでどうしようかと倦ねている。看板なしでの営業は成り立ちがたい。冷凍庫か看板か、どちらを先にすべきか悩ましい限りである。
 週初めは帰宅後、ピザを焼かんとするもトースターにそのまま、風呂も沸騰させてしまった。朝のゴミ捨ても打棄つのまま、耄けたように眠る。拙宅が松山亭に似てくるのもご愛敬、もっともそうしたハチャメチャな生活には慣れている。否、慣れているのではなく、そうあらねばならぬと思う。生活に限らないが、ひとさまにお見せするために生きているのではない。自らが生きたいように生きる、結果は明白で諸事万端不義理ばかりが募る。掲示板にしてからが、結果としてひとが見るのであろうが、その功能を期待してのはなしではない。第一にひとが見ると言うが、何処のどなたがご覧になるのか皆目見当も付かない。見当が付くのはこの一週間に来てくださるごく僅かな方のみ。
 明石から高麗苑の店主高野さんが来店。明石ではやまちゃんが閉店、来住さんも今月の十七日で閉店する。来住のご主人は宝塚の老舗、割烹旅館若水へ移籍なさる。たしか若水は十年ほど前に「ホテル若水」と号を換えたように記憶する。
 ですぺらの西明石時代は彼等と共にあった。とにかくよく飲みよく語った。当地の「かさね」同様、私は割烹の主人とはすぐ親しくなる。プロの料理人は秘密を持たない、調法はべらべら喋るのが常である。喋ったからといって同じものは作られない。微妙な差違は舌が決める、その舌に自信があるからである。舌なら私にも自信がある。もっとも、私のそれは作る方ではなくて味わう側である。
 高野さんと赤坂の焼き肉屋へ赴く。焼き肉はやはり在日の文化であり、しかも関西のものと改めて識る。改めてと書いたのは、かつて店の裏メニューでギアラ、あかせん、てっちゃん等を置いた、理由は赤坂のそれに納得が行かなかったからである。直腸との連結部位のような良いてっちゃんなら卸しでグラム七百円、売値が千円を下ることはない。てっちゃんはてっちゃんであって、こてっちゃんではない。それが解らないひとに焼き肉を語る資格はない。
 赤坂の焼き肉はただただ不味い。鮨と同じで、過当競争がわざわいしている。安価で出すために関西なら使わない部位を用いる。鮨にせよ焼き肉にせよ、一人前一万円以下なら食さないに限る。まずイメージが狂う、第二に悔いを残す。悔いの残らない人生などないが、食べ物は人生ではない。金がなければ食さないまでのはなしであって、安物や贋物で間に合わせるような器用さは私にはない。この消息は酒にあっても同じである。
 今回入ったビルに同居する割烹は一人前二、三万円はする。さなきだに不味いもののみ多かりき日常に対する、これはひとつの識見である。雰囲気をのみ味わうならランチタイムに行けば良い。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 15:00 | 固定ページリンク




プレオープン  | 一考    

 開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月29日 02:16 | 固定ページリンク




友よ、いずこ  | 一考    

 昨夜、基本となる引越が済む。思いのほかウィスキーが多い、あと百本は減らさなければならない。二、三箇月掛けて調整していかなければ。食器とグラスは種類が多くて手が付けられない、こちらも大幅な入れ替えが必要である。今日はドアが完成し、厨房のフードを除くすべてができあがる。冷ややかな新店舗がやっと形をなす。このひえびえとした取り澄ました店がやがて熱を帯びるであろうことを願っている。
 昨夜は手伝ってくださった方と向かえの白木屋へ赴く。ゴールデン街へと思ったが折あしく日曜日、わざわざ開けさせるには及ばないと近隣で間に合わせる。
 それにしてもよい酒だった。とわずがたりに自らの過去を語る。
 一所懸命に消え入ろうとする、もしくは消え入ることに命をかける。文学に於ける懸命の地とはそのようなものと心得ている。そして、公験文書を添えて累代相伝されるとの習いは文学には馴染まない。文学とはなにがどうあろうとも、一代限りでなければならない。
 血筋も友も連れもこの世界にあっては意味をなさない。「意味をなさない」とは譲状や手継文書の無効を示唆するにとどまらず、それらの存在がなんらの救いをもたらさないとの戒めである。この戒めを解さない限り、どこまで行こうとも、そのひとにとって文学が癒しの範疇から抜け出ることはない。
 癒しからの脱出をひとに薦める気は毛頭ない。ご託宣は「ごた」とも称し、なによりもまず不遜である。加えるに、他人のことなど私の知ったことではない。好きに生きて好きに死んで行けばよろしいのであって、それを啓蒙しようなどという傲慢さの持ち合わせはない。
 と言うような消尽についてお喋りした。文学に於ける基本はなによりもまず、ひとりになることである。そしてその孤絶に耐える強靭さが必要になる。強靭さとは訪ねてくる友を切り捨て、容赦しない覚悟である。そして覚悟とは自己愛に陥らないための心構えである。そのために典籍が存在する。ひとの悩みが個にとどまらないことを書物は教えてくれる。
 観念論でもなく、「ロマン主義的精神主義でなく、実証主義である。従って理想主義でない。コモン・センスである。法則と概念とを重んじ、非常に抽象的である」ところのもの、それが書物だと私は信じている。
 よき話相手に恵まれたと思う。感謝。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月22日 15:50 | 固定ページリンク




人材募集  | 一考    

 搬出組ならぬ搬入組とは申せ、例によって駐禁対策である。このところ、赤坂は駐車禁止を取り締まるおじさんやおばさんが跋扈なさっている。その取り締まりの方々にあかんべえをしてくださる方を募集している。
 二十一日はレンタカーで一挙に荷物を運ぶ、第一便はモルト・ウィスキーで、前日から拙宅で荷物を積み込んで十一時には赤坂へ到着したい。第二便は椅子、鍋、釜、食器の類いである。
 なお、十八日の午前中に店の電話が通じる。番号は以前と同じく、03−3584−4566。住所は港区赤坂3−9−15第2クワムラビル3階。青山通りからみすじ通りへ入って五軒目、目印は真向かいの白木屋である。地下鉄の赤坂見附駅から徒歩三分。看板は開店予定日二十九日の直前に完成する。

 店は鉄工所の分担が遅れていて細部が滞っている。明日は塗装で、他の工程はお休み。十八日と十九日でカウンター内部が完成しないかと願っている。いずれにせよ、十八日にバックバーは完成するので、二十一日の搬入には差し支えない。ご協力のほど切にお願い申し上げます。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月16日 23:58 | 固定ページリンク




一過性  | 一考    

 昨日、クーラーとトイレが設置され、天井の照明が通電された。溶接の際に生じる鉄屑がバックバーの鉄板のそこかしこにこびり付いている。もう一度、ディスクグラインダーをかけなければならない。鉄粉ならびにコンクリートの粉塵の除去に悩まされそうである。
 工事というのは状況のいかんを問わず、粉塵との闘いである。何度拭こうが、洗おうが、吸い取ろうが、作業が終わるまで繰り返される。截ったり張ったり穴を開けるのもさることながら、一番の大事は掃除なのかもしれない。何処の現場もそうなのだが、一枚捲ると粉塵だらけである。表面を取り除くととんでもないものが顕になる。外からは窺えないものや内部にひそんでいるものがむき出しにされる。謂わば、ひとの仮面を剥ぎ取るようなものである。
 例えば、男子の性愛などもおよそ身勝手かつ傲慢なものだが、ひとはそれを取り繕いそしらぬ顔を決め込む。男子であり、愛人であり、亭主であり、旦那であることの権威や権力の行使が素知らぬ振りの根拠となる。おおい隠す、うわべを飾る、身づくろいをする、体裁ぶる、どのように言い換えたところで実態はなにも変わらない。
 身勝手さを露わにするために、私は自らの妄想を連れ添いに隠さない。ある種の妄想の表明は身勝手を逆手に利用することになる。恋愛は妄想にはじまって妄想に終わると私は思っている。謂わば妄想ごっこである。ただし、この妄想は時としてひとの矜持、プライドをひどく傷つける。他方、妄想は文学や哲学の苗床ともなる。それらをうまく共存させる術を私は持たない。おそらく、不器用なまま死んでゆくに違いない。ただ、死んだときには一考という粉塵が消え去る。消え去るとは忘れ去られることである。拭き取る必要も、洗い落とす必要もなにもない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月16日 14:21 | 固定ページリンク




G3 iBook  | 一考    

 OS XならFirefoxを重宝しているが、OS 9ではInternetExplorer5.1.7を用いている。他ではNetscape 7.0.2、Wazilla 1.3、Mozilla 1.3、Opera.app 6.0.2、iCab_Pre2.98などがあるが、遣い勝手はExplorerが他を圧倒する。ところが、mixyがExplorerに対応しなくなった。どうやら、mixyではマックは継子扱いされているようである。あちらはTさんとSさんのブログを読むのが目的で、書き込みはしないのでExplorerである必要はない、しかし困ったものである。
 先日、iBookのOS 9がサイレントだと書いたが、ある時期からのマックは専用のリカバリーでないとインストールに不自由があると櫻井さんから教わった。言われたようにインストールすると全機能が動く。ですぺらの資料と帳簿がなければとっくにOS Xに移行しているのだが、現状ではぐつが悪いはなしばかりである。
 それはさておき、このところiBookを専らにしている。ハードのトラブルには難儀させられるが、やはり小さいことはいろいろな利便を伴う。なによりも、寝転がって操作のできる点が嬉しい。私のようなものぐさには打てつけだと思う。これでSCSIが付いていれば申し分ないのだが。

 今日はいまから看板の打ち合わせで赤坂へ出掛ける。途次、デザインを考えなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 18:18 | 固定ページリンク




逃散不発  | 一考    

 書き込みが前後するが、そっぽを向いていたですぺらに見切りをつけ、二十日過ぎに逐電するつもりだった。そのために、十一日におっきーさんをはじめ、関係者との話し合いを持った。
 仕事命もしくは仕事が人生という方が世の中の大半を占める。それはそれで結構なはなしで、私がごとき穀潰しがどうのこうのと申し上げる筋合いのものではない。ただ、私はそういった世界に極力脊を向けてきたし、理解しようとする努力すら抛り投げてきた。従って、ダメならダメで諦めも速く覚悟も定まっている。
 それでなくとも、ひとつの仕事を長く続けるとその世界に知己が増える。知己が増えればそれだけ評価も出揃う。そして良きにつけ悪しきにつけ、評判はその道のプロを拵えてゆく。どうもそれが私には堪えられないのである。従って、女性が変わるたびに職を変え、住居も転々とした。もちろん、どこへ住んでいても一考であることに変わりはなく、神戸、松山、大阪、岐阜、京都、東京、明石と移ろいだが、行く先々で新たな知己ができる。そしてその友人同士が横の関わりを拡げてゆく。生島遼一や曽根元吉にはじまって、永田耕衣や多田智満子、種村季弘に至るまで、およそ五十名ほどの個として生きたひとと深く触れあってきた。この過程で、知己と知己とが知り合い近しくなるのを眺めるのは快感をもたらす。それらの心地よさが、おそらく私の財であり宝だと思う。
 私は出自からして裏社会である。従って、出版物も「個として生きたひと」のみを注意深く撰んできた。学会や文壇に属するような表舞台のひとの書物は二、三を除いて出版していない。その姿勢はこれからも変わらないし変わりようがない。評判を求め、権威権力を冀求するようなひととは交わりを持ちたくないのである。

 さて、前述の話し合いである。結論は西郷さんとおっきーさんに口説き落とされてしまった。ひとをしょんぼりさせるのはよろしくない。もう一度方針を切り換えてですぺらの営業に務めようと思うに至った。お二人に深甚の謝意を表したく思う。十一日の夜はひとりで盃を傾けること深更に及んだ、久しぶりの良い酒にうつつを抜かしたのである。ですぺらとはわが風の息であり夢裡であった。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 14:40 | 固定ページリンク




高林鉄工所  | 一考    

 バックバーの鉄板が真っ赤に錆び付いていた。一枚五十キロの鉄板を鉄工所で半裁にしていただき、その二十四枚の鉄板をディスクグラインダーで研いた。プロが用いる道具は家庭用の工作機械と比して桁外れに重量があり性能が勝る。結果、機械に振り回されて左手の甲に傷を負ってしまった。三日目にして、やっと出血が止まった。研摩に行ったのであって、怪我をしに行ったのではない。従って、傷をかまわずにみがきに精を出した。
 ところで、五十六本のアンカーをコンクリートに打ち込んだのだが、傍で見ていて悲鳴を上げた。身体を弓形にし、天井に大型の鉄の金槌でアンカーを叩き込むのだが、非凡な体力の持ち主でなければ努まらない。私は六十キロの米俵と同じく六十キロのプロパンガスのボンベの配達を長くしていたので、瞬発力は多少はあるつもりだったが、とてもかなわない。店の工事に立ち会って自らの老いを噛み締めさせられる結果となった。既に喧嘩はやめたが、止めてよかったと思い知らされたのである。
 鉄工所の社長とはいっても三十五歳なのだが、研摩の前日、焼鳥屋へ同行させていただいた。彼は鳥胆の叩きを、私ははらみの馬刺を注文したのみで、あとはひたすら飲み続けた。焼酎が二本空いたまでは覚えているが、そのあたりから後の記憶は定かでない。ただ、彼は間違いなく酔いつぶれていた。しかるに、彼は朝の七時から鉄板の切削をこなしていた。私が目を醒ましたのは十時過ぎ。ここにももまた、靴音高く追い立ててくる老いとの逢着があった。

 追記。サントリー山崎のヘビーピーテッドが近く売り出される。ちょいと味見してみたが実に旨い。パシフィック・カレドニアンのアイル・オブ・ジュラを思い起こしていただきたい。かのボトルはジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリングだったが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いていた。今回の山崎もサントリーでははじめてのパワフルでスモーキーなフィニッシュが堪能できる。シェリー・カスクとの同時発売だが、ヘビーピーテッド・タイプがお薦め。頒価は9000円、ぜひお試しいただきたい一本である。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 13:20 | 固定ページリンク




開店予定  | 一考    

 先週カウンターが、そして日曜日にバックバーが出来上った。店としての装いが少しずつ整ってくる。月曜日から空調機器設置、カウンター内部と厨房のステンレス張リ、冷蔵庫やシンクなど厨房機器の設置、トイレ、水道と電気工事の仕上げ、そして床の塗装などが続く。週末には一応完成しそうである。一応というのは店舗には細かい不具合が生じる、その修整が後に残されているからである。他にも保健所、消防署、警察署、税務署などの手続きが必要で、忙しくなりそうである。
 まず、拙宅に山積みの主たるモルト・ウィスキーと椅子を二十一日の日曜日に搬入したい。ついては有志のご協力を得たい。再三にわたるご支援に言葉もないのだが、なにとぞよろしくご援助いただきたく願う。時間その他の詳細は改めて記載させていただく。
 現在の予定では二十九日の開店を目差している。その前に搬出搬入をお手伝いしてくださった方々によるプレ・オープンを二十七日に催す。厨房に火が入るのは十一月五日からで、それまでは乾き物のみでの営業になる。どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 12:13 | 固定ページリンク




定かならず  | 一考    

 床と壁とカウンターの木枠が完成し、予定では今週中にバックバーが出来上るらしい。バックバーが設置されればカウンターに大谷石が張られて、バーらしい雰囲気になる。バックバーが設置されれば厨房機器を搬入するのが順序だろうが、未だに日程は定かでない。二十日を過ぎれば店どころではなくなる、本気で夜逃げを実行しなければならなくなる。この夜逃げはなんども口にしているのだが、どうやら狼少年のそれで、関係者は本気にしていない。
 夜逃げはさておき、関係者は一所懸命励んでいなさる。それははよろしいが、進捗を見ていると滑稽にすらなってくる。この滑稽は自らの不安に対する防御線である。防御線とはもともと定かでない自らのさらなる客体化であって、客体化がなされなければカリカチュアは描かれない。要するに、ですぺらは私にとって他人事なのである。
 ですぺらに限らない、恋も仕事も人生も、ことごとくが他人事であって絵空事である。詩が好きなひとと出遇えば詩を著し、料理が好きなひとと出遇えば料理を作る、書物が好きなひとと出遇えば書物を造り、自転車が好きなひとと出遇えば自転車を組み立てる、遘合が好きなひととなら倍する汗もかく、良きにつけ悪しきにつけ、生きるとはそのようなものと心得ている。
 出会いは遭遇であって、偶然を一歩も出るものではない。この遭遇という言葉があまり好きではないので、私は逢着という言葉をしばしば用いる。遭遇であれ逢着であれ、必然的なものではない。ひととひととが出会い、もしくは恋をするのに必要が求められたり、誰それでなければならぬと言うのはあまりにも論拠に薄い。偶然生まれ落ちた人間が人生に必然をこじつけたのがサルトルなのかカミュなのかは知らないが、そもそも選択の自由などという嘘偽りを・・・などと書き出すとはなしは長くなる。それでなくとも、当掲示板はそれに類することばかりを書き込んできた。
 「こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである」とかつて著した。惑いであろうが呻吟であろうが、ひとは相対するひとに応じた文言を返す。だからこそ、言われたことに対して怒りや悲しみを抱くのは本末顛倒である。もしも忿怒に終始するなら、それはご縁がなかったというだけのはなしである。その辺りの消息を横須賀さんと私は語り続けた、彼が死ぬ日まで。そして種村さんはさらに簡略である。いいじゃないの、お望みのどんな姿にでもなってやろうじゃない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月10日 15:21 | 固定ページリンク




額紫陽花  | 一考    

 八月二十二日に奥秩父から額紫陽花を一枝持ち帰る。丸二日、水に浸けてから小さな鉢に植えた。以来、朝夕欠かさず水を潤沢に差す。今月一日の早朝、一ミリにも満たない芽が生れた。今日はその緑のつぶが五ミリほどに育ち、なにやら葉の素のような趣を呈してきた。あまりに細い枝ゆえ、立ち枯れを心配していたが、これで一安心、三年後の開花に夢をつながれる。
 耕衣句に「晩年や夢を手込めの梨花一枝」あり、一枝がひとえかいっしかで吉岡実さんと語らったことを思い出す。晩年や夢を手込めの額紫陽花では句にならないが、そもそも夢はひとの自由を簒奪する。簒奪と書けば大仰だが、花を咲かせるためには旅はおろか外泊すら諦めなければならない。この場合、花を咲かせるのは目的であって夢ではない、日々の面倒が夢になる。夢は起居のなかにごろんと転がっているものであって、目的などというたわいないものではない。そして、目的を持たないのは内容としての実体を伴わないということになる。
 思わぬひととのめぐり逢わせがひとを換えてゆくように、夢もまたひとを変える。言い換えれば、夢には夢の思慮がある。ならば、夢を手込みにでもしなければ晩年は存在しない。種村さんが晩年に夢記を著された理由はそこにある。
 さて、近隣の高林鉄工所では職人や知人が集まって夜毎酒盛りが続けられている。不粋な宴であればこそ、気が置けない連中である。終戦直後の戸田のはなしには興味がある。時として、そのまま焼鳥屋へひとりで流れる。このところ、お定まりのコースとなった。この種の物憂く気怠い酔いのなかにも私の夢がある。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月08日 18:03 | 固定ページリンク




野沢ハイム  | 一考    

 赤坂から世田谷の野沢まで足を延ばした、松山俊太郎さんに着物を届けるためである。彼がジャージ姿で来店なさったのは一年ほど前、着物を召したところしか知らないのでひどく悲しく思った。着替えもなく、洗い張りをしてくださる友にもめぐまれない。意味をなさない積んどくだけの書冊を購う金があれば古着ならいくらでも買える。取り巻きのなかでその程度の友誼すら持ち合わせる方がいなかったとしたら、切ないで済む問題ではないだろう。とは申せ、それが老いのあかし、明日のわが身である。
 金子國義さんからお預かりした紗へ加えるに、紗と絽を一枚づつ、大島紬を二枚と綿が一枚の計六枚をお持ちした。うち一着は父のかたみだが、袖を通されるのが松山さんなら喜ばれるに違いない。野沢ハイムについては郡さんの、虫食いその他の検品はまなさんにお願いした。
 松山さんは話したいこと、相談したいことが多くあると仰有ったが、それを振り切っての帰路となった。後日機会はもうけますと約束したものの、私にできるのはこれまで。帰りしな、角を曲がるまで松山さんの見送りを受けた。角を曲がって環七へ出て思わず落涙。三島、土方、澁澤、種村等々、さまざまな思いが脳裏に浮かぶ。「嘲世罵俗、志趣高簡の衒いにあらず、消閑一時の戯れを装いつつ、虚と実の弁証法を解く。これを一觴一詠と言わずになんとする」と著したのは「後方見聞録」の解説。今の私はその弁証法的なるものの否定に大きく踏み出してしまったが、彼等の「狂おしくも遣る瀬ない捨て鉢な生き方」はそっくり丸ごと私の生き方でもある。さて、彼と酒を酌み交わす法はひとつ、送迎の車と有志のおっぱいを付けて拙宅へ来ていただくしかない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月06日 17:27 | 固定ページリンク




告知  | 一考    

 防水工事の遣り直しが済み、乾くのを待つとかでなにひとつ進まない。何をするにも行き当たりばったり、かくまで無計画、成り行きまかせな仕事というのがどこの世界にあるのだろうか。
 かつてスーパースタジオの斎藤さんと組んで随分多くの書物を拵えた。ひとが半年の制作期日を必要とするムックを毎月作り続けるという無謀に近い仕事だった。しかし、それが雇い人の求めなら応じるしかない。彼も私も睡眠時間は二、三時間、風呂はおろか食事すら時間がなくて打ち切った。期日が迫って手に負えなくなると編輯者仲間に扶けを乞うたこともある。その費用は当然ながら自腹を切る、人件費が私の給金を上回ったこともある。雇い人が問うのは結果であって過程は私が仕切るしかない。できない仕事なら受けてはいけない、受けた以上は全責任を背負い込むしかない。そして仕事の場にあって、責任とは金数でしかない。
 編輯者なら分かっているが、ムックの扱いは単行本である。単行本は期日を守らなければならない、期日を一日でもずらすと新刊配本が不可能になる。そうなれば数千万円の負担を強いられる。従って、斎藤さんも私も命懸けである。十枚の原稿なら一時間、二十枚なら二時間で書き上げた。またムック一冊のレイアウトの処理時間は三時間が限界である。そしてレイアウトは五、六回、表紙は二十回以上の遣り直しを余儀なくさせられる。
 斎藤さんを私に引き合わせた知己は佛蘭西の新訳探偵小説十冊の企画を一箇月、制作を二箇月の併せて三箇月で完結させた。それが仕事である、頂戴する手当の二十倍の利益を雇い人にもたらさなければならない。編輯プロダクションの仕事を五年続けて私は死ぬと思った。私はぼろぼろになって東京を逃散したのである。しかし、その渦中にあって銀花や幻想文学への連載が続き、Y・Nさんとの出会いがあった。
 さて、開店への途は遠い、私の気力は悲しみのなかに失せつつある。北への逐電を夢見ながら焼鳥屋で酒を呑む。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月01日 18:21 | 固定ページリンク




ご新規さん  | 一考    

 G3のiBookを購入した。最初のLC475を別にして六千円を超えるパソコンへの融資ははじめてである。本体はもとより、パーツのことごとくはジャンク品で間に合わせている。デスクトップと違ってノートブックは高い、またマックのノートは分解が難儀と聞く、よってジャンクでない起動するノートブックを購ったのである。ところが起動後、数分でパソコンはダウン、PRAMおよびNVRAMのリセットを繰り返し、ACアダプタを取換えてみたものの何等の効果もなかった。櫻井さんも手の施しようがないという。こうなれば、覚悟をきめて分解を試みるしかない。
 ネットが役立つのはこのような技術的知識やこつを必要とする時である。おかげで本体を傷つけることもなく解体、起動しない理由はACの取り入れ口からマザーボードに至るコード、要するに電源コネクタ基板が外れていただけだと気付かされた。しかし、ここからが私の性癖である。一晩掛けて徹底的に解体、組み直しを繰り返した。5インチドライブやハードディスク、マザーボードの置換を考慮しての耄けである。
 そのままアプリケーションをインストール、二日費やして辞書、メール、資料のコピーも済ませた。ただ問題がないわけではない。OS 10.3.9は十全に機能するが、OS 9.2.2を単独起動させるとサウンドが効かない。従って、iTunesとCDオーディオプレーヤが機能しない。専用のインストール用CDがなく、iTunesもデスクトップからのコピーである。おそらくそこに理由がありそうである。しかし、無音のパソコンが結構気に入っている。老いる前の私と相対しているような心持ちなのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月30日 14:34 | 固定ページリンク




茫然自失  | 一考    

 一昨日、床に流したコンクリートの水分が二階へ洩れだした。慌ててコンクリートを撤去。防水工事の不備が理由だが、これで基礎工事のやり直しとなった。基礎工事が内装の骨幹をなす。怒りを向けるところ定かならず、近隣の焼鳥屋で泥酔。この一箇月の進捗を顧みて、どれがどこがプロの仕事というのか。
 かつて出版を稼業としていた頃、約束の日付を違えたときは一銭の金数も請求しなかった。百万、二百万という印刷費、製本代を土方をしながら返済したことを想い起こす。プロに一切の失敗は許されないとは申せ、想定外のさまざまな悶着にひとは巻き込まれる。その責はなべて個が被るしかないのである。生きのびるとは言訳を棄却することに他ならない。

 言訳で思い出したが、政治家や芸能人の理不尽な弁明や弁解に人心は慣らされている。大なり小なり、過去の実績、要するに権威や権力にひとは阿諛る。大衆や時流へのへつらいなら何も言わない。ただ自分自身への諛いだけはご免蒙りたい。おそらく最大の媚が一所懸命との文言である。例えば、時間潰しに過ぎない為事に一所懸命との化粧(よわい)を施し、自らに阿諛ってみせる。その酔いが心地よい慢心をひとにもたらす。慢心を存在理由と言い換えてなんら問題は生じない。寸暇を惜しんで為事に精を出すのが権威や権力への諛いでなければなんなのかということを示唆したいだけである。
 一所懸命為事をする暇があれば、耄けていろと言いたくなる。ただし、ぼけるのではなく、そそける、ほおける、ほつれ乱れるの耄けである。近隣の焼鳥屋ではひとりで酒を呑む。ひとりで呑む酒は酔いのまわりが捷い、ひたすら飲み続けるからである。五、六合も呑めば前輪と後輪が絡み合って自転車は顛倒する。とぎれることのない膝の生傷、これが耄けであり私の存在証明である。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月28日 16:44 | 固定ページリンク




もったいないお化け  | 一考    

 使えるものは再利用するとの方針が裏目に出た。ガス漏れと水洩れに泣かされ、施設すべての撤去を余儀なくされた。スケルトンに戻す工事が繰り返され、不要な費用が発生した。取り壊しに追われる日々だったが、今日はじめて内装に入り、カウンターの土台になるブロック積みが完成。明日はガス管や水道管が撤去され、明後日はカウンター内部の基部へコンクリートを流し込む作業がはじまる。23日までに基礎工事を済ませたいのだが。
 私への割り当ては天井の研摩と壁面のニス止めである。前の店では未処理のままだったが、お客の身になると必要な作業である。

 工事費を捻出すべく、永田耕衣の句集を手放すことにした。かつて、自ら装訂した書物を手放した後、銀花から取材があって困惑させられた。そこで、必要なときは写真を撮らせていただこうと思い、知己で買ってくださる方がいないかと二三当たってみた。しかし、数万円ならともかく数十万円となると東京には買い手がいない。やはり古書は古書店に売るしか手立てがないようである。余談だが、私は新刊書店へは行かない、金がないからである。たとえ新本であっても古書店で求める。それだと現金払いでなく、後日まとめての勘定付けが可能だからである。どちらに顛んだところで、私は古書店からは逃れられない。
 神保町のT書店によると、永田耕衣の「加古」は三度、「猫の足」(限定五部)は一度扱ったが、最稀少の「傲霜」は一度も扱っていない、況や特装二部の「傲霜」は見たこともないとのことだった。私自身が三部、五部、十部といった特装本を多く手掛けてきたこともあって、一部の古書店とはいまなお懇意にしているが、稀本は売却にも難儀させられる。これが荷風の腕くらべ私家版とか谷崎の細雪私家版なら右から左なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月19日 22:03 | 固定ページリンク




ひがれい  | 一考    

 工事で出掛けていたため一日遅れで黒い猫くん到着、ありがとうございました。猫は世間知らずのおおふくべでよろしいのですよ。もっとも私はそれが理由で猫は好きじゃないのですが。
 「タコヤキ屋三十軒」で書いた中村商店の住所を隆さんから教えていただいた。念のために検索すると以下に載っていた。
http://www.qlep.com/search/cont_detail.php?cont_cd=389&news_cd=0&news_no=19

 ところで、1.8キロのじん粉の他さまざまなものが詰められていたが、中にささかれいが入っていた。一夜干しでなく完干しのかれいで、出刃包丁の背で叩いて軽く炙り、毟りながら三杯酢で頂戴する。一夜干しは干しがれい、完干しは干(ひ)がれいが関西では一般的な呼称である。富山出身の田中冬ニが著した干がれいは一夜干しである。松山や広島では干(ひ)がれいの異なる呼び名があった筈だが思い出せない。後日、津原さんに訊くとしよう。
 かれいの種類は多く、西明石でも十種類ほどを置いた記憶がある。おいらんがれい、ばばがれい、そうはちがれい、まがれい(くちぼそ)、まこがれい、あかがれい、くろがれい、すながれい、あぶらがれい、いしがれい(いしもち)、あさばがれい、めいたがれい、あまてがれい等々である。
 隆さんが同封なさったささかれいが気になったので、干しがれい、干(ひ)がれい、このはがれい、ささのはがれい。あしのはがれい、やなぎむしがれい(やなぎがれい)等々を辞書で引いてみたが判然としない。魚の名は専門の辞書でなければ手に負えないようである。
 干がれいを書くのは、東京ではあまり見掛けないからである。国語辞書の編輯を手掛ける会社はすべて東京、しかも辞書編輯者で上方出身のひとは過去二人しか会ったことがない。それでは語彙が偏るのは仕方がない。ちなみに干がれいは、私が十代二十代の頃は居酒屋の常備品だった。ところが、手持ちの辞書にひがれいの項目はない。陽に透かすと浮き彫りされる骨格に文学のコモン・センスを感じていた私こそがあおびょうたんであり変わり者だったのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月19日 02:18 | 固定ページリンク




鍋を運ぶ黒い猫  | 隆    

どうも皆様こんにちわ。
狭い掲示板のスペースを拝借して申し訳ありません。
今頃、黒い猫くんがトラックに鍋を載せて首都高辺りを走っている頃かと思います。
猫くんの荷物には鍋とその他諸々、何か役に立ちそうなものが入っているかと思いますのでご活用下さい。
ところで、猫といえば今我が家に一匹の肥えた猫がいます。
魚の臭いは好きだが食べるのは嫌い、その他海老等の魚介類も駄目というなんとも私のようなあんびょうたんな猫で、好物は海苔という変わり者です。
moonさん宅のノルウェー猫のような優雅さは欠片も有しておらず、色はといえば、どぶねずみか、将又汚れた雑巾のような色なのです。
(それでもアメリカンショートヘアとチンチラの間の子だったりします)
ところがこれがまたどうしようもなく可愛いのです。
猫にはそんな不思議な魅力があります。
私が猫に依存しているのか、猫が私に依存しているのか。
だから私のように飽き足らず猫と生活を共にする人がいるんでしょうね。
隣で猫がパソコンの画面を長めながら欠伸をしています。
余談が過ぎましたね。
電話でも申し上げた通り、受験が終われば、来年の春頃そちらに伺う機会ができると思います。
その節はどうぞ宜しく。


投稿者: 隆      日時: 2007年09月17日 23:08 | 固定ページリンク




 | 一考    

 隆さんから電話があった。隆とは愚息である。今度音大へ入りたいとかで、のんちさんを思い起こした。掲示板へ掲げられた白髪の私を見て驚いたようだが、その分彼が大きく育ったということになる。
 電話の内容は明石焼きの鍋。彼の許に銅板手打ちの鍋が一台あるのは分かっていたが、それを寄こせとは流石に言えなかった。てっきり、日頃用いているものと思いこんでいたのである。しかし、明石の住人ならば、自宅で作るより専門店へ出掛ける方が安くて手っ取り早い。使っていないので送ろうかとのありがたい申し出だった。
 明石焼きに関しては掲示板で詳述したので繰り返さない。ただ、隆さんからじん粉はどうするのかと訊かれた。彼は品川生まれで神楽坂の育ちである。にもかかわらず、じん粉への知識を持っている。長い明石生活がもたらしたものと思う。魚の棚にある粉屋の一軒を説明し、仕入れへのご協力を願い出た。
 さて、ここまでくれば明石焼きを置かないわけにはいかない。ガス台の配置を考えなければならなくなった。

 ですぺらだが、大工の手当がつかず、九月開店は見送りのようである。詳細は書きたくもないが、この数箇月の推移を顧みて忸怩たらざるを得ない。閉店に際し手にした金数も底をつき、愈ますます途方を失いつつある。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月16日 13:27 | 固定ページリンク




矢野目源一「揺籃」  | 一考    

 垂野創一郎さんが矢野目源一の「揺籃」を私家版で上梓なさった。
 一九一五年六月に上梓された「揺籃」を購ったのは十代の頃、同時期に読み耽っていた長田幹彦の「澪」や「零落」と奇妙に符合していたのを覚えている。
 幹彦が北海道を放浪中、知り合った旅役者に取材したのが上記作品だが、矢野目はその北海道のひとである。一八九六年十一月三十日の生れだから「揺籃」 開版は十九歳の折、ちなみに前年の十二月に鈴木三重吉の手によって「零落」が上梓されている。
 幹彦は戦後、通俗小説を執筆するかたわら心霊学の著作などを残したが、矢野目もまた艶笑コントや媚薬や性感増強法などの著書を多く著している。
 下って、一九七五年九月に矢野目の「黄金仮面の王」を私は造った。飾画は山本六三、本文校訂は須永朝彦、腰巻きは澁澤龍彦、解説は種村季弘という絢爛豪華裾模様の一本だった。自分の過去の仕事に興味が抱かれないので手元に書冊がないが、たしか一九八三年に谷川俊太郎さんと「世界のライト・ヴァース5」を編纂、矢野目訳のヴィヨン「四行詩の型に則りし墓碑銘」を収録した。その詩は覚えている。

 此の己フランソワ、幾許(ここばく)の悲哀を経たり。
 ポントアァズ近傍、巴里府にての御誕生。
 一筋の縄は能く、今、我が此の首(こうべ)をして、
 我が物なる臂(いしき)の、その重きを覚らしめん歟。

 上述の「黄金仮面の王」所収の解説で「芸術に聖潔なかつての初々しい青年詩人は、中年から暗黒趣味に反転したが、晩年はいささか滑稽な、落魄の道化を演じていたらしい。しかしどうだろう、シュオッブの純粋な夢想家の若い晩年も美しいが、矢野目のこの喜劇的でいかがわしい晩年も悪くないのではなかろうか」と種村季弘は著す。落魄でも零落でも意は同じだが、折口のいう貴種流離を含めて零落者の文学史のようなものをどなたかお書きいただけないだろうか。「行末とほき人は落ちあぶれてさすらへむこと」を持ち出すまでもない、健康的なものには一顧だに触れたくもないのである。あきらめとやるせなさとが行き惑うところに矢野目の、そして文学の本意がある。
 種村さんの文章が書かれたのが一九七五年五月、以降書かれた矢野目論はない。かくまで等閑視された著者の書物を上梓するのは向こう見ずである。平井功訳詩集につづく垂野さんの蛮勇に喝采をおくりたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月14日 15:45 | 固定ページリンク




辞職  | 一考    

 首相の辞職を知って残念に思う、これで日本沈没が遠ざかる。小泉、安倍と続いた戦後レジームからの脱却が意味するものは戦後民主主義教育の否定だったが、それは進歩主義思想の表明ではなく、アンシャン・レジームを懐かしむ情動の表明だった。
 維新以降のアンシャン・レジームの結果が一九四五年のそれであったとすれば、安倍が冀求し体現しようとしたのは消滅への詠嘆であり、ハメルーンの笛吹きそのものだった。ヴィスコンティを持ち出すまでもなく、保守とはそのようなものであり、革命的大衆を拒否してやまないものである。支配階級の圧力に抗して個を守るために自律性を取り戻すのが大衆の責務である筈なのだが、それに夢を抱けない者は小泉や安倍を支持するしか手立てが残されていない。繰り返す、日本沈没が遠ざかって口惜しく思う。是は残念閔子騫。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 14:56 | 固定ページリンク




パソコン求む  | 一考    

 新しいですぺらにはデスクトップのパソコンを置く場所がない。そこでノートブックを探している。ウィンドウズなら借り物があるのだが、マックでなければ店の資料が開けられない。用途はワープロのみなので、CPUの速度は問わない。要は旧式を望んでいる。どなたか安価なノートブックをお頒けいただけないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 12:51 | 固定ページリンク




選民意識  | 一考    

 諸経費節減のため、新聞は打ち切った。それ故、Kさんがたまに持参なさる東京新聞に目を通すのみである。その東京新聞の俳句月評へ宗田安正さんが書いておられる。

 一九八〇年代に始った俳句大衆化は、江里昭彦によれば九〇年代に「情緒安定産業としての俳句」に変質した・・・
 いずれにしても、大衆化を起点に、俳句は表現する俳句から享受する俳句、癒し合いの俳句になる。新しい表現運動はなくなり、総合誌も結社誌も数は殖えたが主張がなく、みな等しなみになってゆく。こうした状況ではかつてのように俳句をリードした総合誌の成立のしようはなく、大衆の要望に応えて俳句上達法の講座まがいの記事と、きまった俳人たちのお手本的作品の展示場になりがち。

 俳句を文芸に置き換えてなんの不具合もなく、宗田さんらしい気配りの行き届いた文章である。以下は宗田さんが著されたエッセイに託つけての私の身勝手なおしゃべりである。
 大衆が先天的に決定能力や統制力を欠き、非合理的、情動的な存在であって愚民とほぼ同義語として解釈されていた時代ならことは単純だった。大衆に選民意識を抱かせるのがファシズムやナチズムの常套手段であって、みな等しなみに選ばれた少数者との意識を抱いて世はうまく収まっていた。
 ところで、選民意識を持たない大衆というものは考えにくい。言い換えれば、大衆という意識を持った個に私はお目に掛かったことがほとんどないのである。平等がもたらす自信について前項で書いたが、個と大衆との概念をひとは器用に遣い分けている。それをいいとも悪いとも思わないが、ただ、過剰なまでの自信や選民意識には疑問を呈したくなる。
 マジョリティがさらなるマジョリティに対していかに苛酷になるかは歴史が証明している。マイノリティとマジョリティは常に入れ子構造になってい、決して対立概念にはなり得ない。この「なり」への偏見や差別と同種の情動が大衆を支え、さらには自律的組織に結集するエネルギーの源泉ともなっている。それは大衆が内包する負の部分である。
 ネットの発達によって、大衆は等しなみに表現者としての選民意識を持つに至った。大衆意識、言い換えれば「孤独な群衆」意識を持たないのが大衆の大衆たる所以であって、大衆は公衆と峻別されなければならないが、ここでミルズとマルクスの大衆の意味づけの違いを論じる気はまったくない。ただ、マルクス以降、大衆を没個性的で受動的な操作の対象として捉えるのは不可能になった。
 わが国に限らないが、文芸はヒエラルヒー的に秩序づけられて維持、発展してきた。その職能的な序列を棚に上げての短歌、連歌、俳句など、私にとっては笑止千万である。かつて与謝野晶子や日夏耿之介は文芸を大衆の手に取り戻そうとして血塗れになった。そしていま大事は、大衆という意識を持った個に文芸を戻すことにある。
 俳句が癒し合いの俳句になって構わないと私は思う。それで俳句が自滅へと至るのであれば、それは俳句の責任であって大衆の責任ではない。大衆は歴史を創造する主体者そのものである。大衆を愚民視する危険をこそひとは慎重に避けなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 12:18 | 固定ページリンク




免許証  | 一考    

 車の運転技術を注意されて怒るひとがいる、怒らないまでも大概のひとは不機嫌になる。その理由が解らなかったのだが、段位のなさがその理由だと気付かされた。
 水を撒いた路面やアイスバーンでのスピン、高速道路でのパンク、砂利道でのパニックブレーキ、高速で峠を駆け抜けるためのアクセルとブレーキを同時に踏む技術や後輪を滑らせるドリフト走法等々、プロドライバーからいまなお様々な技術を学びつづけている。
 事故を起こしたときは免許は返上するのが当たり前、それでなくても車は兇器である。だからこそ自分が乗る車の性能、すなわち走る、曲がる、止まるの限界点を熟知しなければならない。免許証は単に車に乗っても構わないとの許可証であって、運転技術に対する免許ではない。その消息は文学であろうが人生であろうが同じである。文学の免許証は各種文学賞に相当するのだろうが、受賞は作家を名宣っても構わないとの許可証であって、文章技術や作法や内容に関する免許ではない。 なにを試みてもひとは終生素人、不機嫌になっている暇などないと思う。
 段位が客観的だとは思わないし必要だとも思わない。しかし、基準がないと平等となり、平等であればこそみな等しなみに自信を持つに至る。この自信がひとを狂わせる。たれがしの文章が結構だとか、なにがしの翻訳が旨いとかいうはなしを聞かされるが一度として納得したことはない。むしろ意見を異にするばかりである。
 「抽象性」で「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。と書いた。
 いまなお学びつづけているのは運転技術にとどまらない。そしてその手法は種村さんから文学を教わったのと同一のものである。もし不機嫌や不快感をあとに残したとしたら、間違いなく種村さんと殺し合いになっていた。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 00:41 | 固定ページリンク




予定表  | 一考    

 一箇月遅れになりましたが、二十七日から三十日の四日間に酒瓶やグラスをはじめとする備品の搬入と店内の飾り付けを済ませ、十月一日から四日までをオープニングに当てようと思っています。
 今回は搬出組ならぬ搬入組のお手が必要になります。運搬・開梱・駐禁対策等々、どうかよろしくお願い致します。搬出の時と異なり、一気にすべてを処理する必要がないのがせめてもの救いです。あれもない、これもないでのオープニングになります。当初の一週間はごたつくのが必至、みなさまのご協力をお願い致します。なお、七日の日曜日に旧ですぺら搬出組の慰労会を催す予定。
 以上は現状での希望的観測です。異動があればその都度、掲示板へ記載します。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月11日 12:24 | 固定ページリンク




嬉しい報せ  | 一考    

 先週でコンクリートの研摩は済み、日曜日に壁面の半分を占めるブロック部分の研摩が終了。畢えたのはいいが、左足首の筋肉痛で動かれなくなった。車かスクーターなら左脚が不自由でも運転に差し支えないのだが、オートバイは到底無理。解決策はひとつ、拙宅から車を陸送するしかない。手伝ってくださった方がレンタカーとか病院行とかを口にした瞬間、私は殻に閉じ籠もった。非常時に至ると私はひとりでの解決策をのみ摸索する。結論はひとつ、道端へ寝そべって朝を待つのみ。痛みへの対応策は時間を稼ぐしかないのである。たいした病気ではないが激痛を伴う痔、腰痛、結石などの持病持ちのため、コスパノンからハイミナール、各種座薬などが拙宅には揃っている。医者では間に合わない種類の薬が家には山積みなのである。それやこれやで、今日は拙宅でおとなしくしている。手術の際、麻酔が醒めたあと痛みがつづくのは二十四時間、筋肉痛であれなんであれ消息は同じである。痛み止めを大量投与したので明日の夜には間違いなく癒る。
 夕刻、西郷さんがですぺらへ電気屋さんを伴っていらした。オープニングは十月になるが、フードなしの試飲会なら九月中になんとか間に合わせたいとのこと、嬉しい報せである。早速ひろさんと呑む約束を取り付けた。
 フードで思い出したが、過日、Tさんと奥秩父へ出掛けた。次の店では油が使えないので、茶漬けや蕎麦の実の雑炊などを考えている、その仕入れ先探訪だった。他では、小麦粉にしん粉を入れるとチジミ粉になるが、じん粉を入れてなにか作られないかと思案している。蕎麦粉にじん粉でも結構、大阪のイカ焼きとは正反対の食味になる。また、赤城饂飩もぜひ使ってみたい食材である。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月10日 20:06 | 固定ページリンク




装訂  | 一考    

 携帯電話の番号を取り敢えずマイミクのみなさんに案内した。さっそくムーンさんから連絡があったそうだが、移動中は電話は取られない。そしてディスクグラインダーの使用中はなにも聞こえない。携帯が通じるのはどうやら自宅だけのようである。これでは携える意味がない、困ったものである。

 高遠弘美さんもお書きだが、装訂で統一すべきと思っている。理由は書かない、調べていただければ分かる。諸橋によれば、装丁、装幀、装釘では書物にならないのである。装訂にこだわり続けたのは書肆季節社の政田岑生(きしお)さんのみ。湯川成一さんと共に戦後の名伯楽のひとりにして、私が敬愛する編輯三人衆の一人である。編輯者、装訂家、蔵書家、書誌学者がひと続きになっている人をのみ私は信用する。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月08日 23:09 | 固定ページリンク




とんでもない  | 高遠弘美    

一考さま
お詫びなどと、とんでもないことです。あのやうにお書きくださつて、なるほどと得心いたしました。
いつでも、何なりとお書き込みを賜りたく存じます。

ときに、本掲示板の今回の一考さんの記事ですが、深謀遠慮にたけたさすがの一考さんの筆づかひだと、実は感心してをります。わたくしの推測、当たらずとも遠からずではないかと。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年09月08日 14:24 | 固定ページリンク




深謝  | 一考    

 お言葉を賜わり、恐縮致しております。
 趣向書に記されたように、紙型取りによる鉛版印刷や清刷からフィルムを起こした写真製版でなく、鉛字による直接排印であるところに「玻璃」の真面目がございます。活版印刷を全うした、あのような襍誌は主宰者の死とともに滅びるべく運命づけられたものと心得ます。それ故の、愛するが故の固辞でした。
 それはよろしいのですが、あなたのブログで不要なことを書いてしまったようです。「竹尾や小林の見本帖から用紙や皮革を選ぶのが装訂なら私は装訂家などご免被ります。同様に、かような装訂家にすべてを委ねるのが編輯者の仕事なら編輯者などご免被りたいのです」との箇所ですが、いつも一言多いようです。一言居士ならぬ放言居士で、あとさき踏まえないところに私の性分があるように思われます。その性が多くの敵を拵えてきました。当掲示板でのみ発言しておればよいものを、相済まぬことを致しました。お詫び申し上げます。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月08日 11:56 | 固定ページリンク




「玻璃」その他  | 高遠弘美    

一考さま。
 「玻璃」三冊が関川左木夫の作品だといふお言葉、心打たれて拝読しました。さう、まさに作品といふほかありませぬ。「玻璃」が関川氏の死去で中絶し、第四巻が思つてもみなかつたであらう関川氏自身の追悼号になつたことを知つて驚きましたが、そのあとを継ぐやうに打診されたのが一考さんだといふことを知り、ますますこの雑誌が貴重なものになりました。お書きの雑誌、いくつかは名のみ、あとは無知蒙昧なるわたくしとして初めて目にするものでした。ゆつくりそんな四方山話をお聞かせ下されば幸ひです。十月にお目にかかるのを鶴首して待つてをります。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年09月08日 01:33 | 固定ページリンク




泥酔  | 一考    

 おっきーさんと昨夜赤坂で酒を酌み交わす。コンクリートの研摩が夕四時までしかできないので、待ち合わせの時間まで三時間ほどを赤坂亭で過ごす。その後「かさね」を訪ねたくなり、料理無用との無礼を承知で、ビールと酒を飲ませていただく。店には申し訳なかったが、颱風でキャンセルが出たとかで飛び込みが許される。遅く淳久堂のTさんも合流、河岸を替えての痛飲。もっともがぶ飲みしていたのは私だけかも。
 帰りは強風で埼京線が不通、狼狽える私を山の手線から京浜東北線の赤羽へ、そしてタクシーで戸田公園駅へとTさんは送り届けてくださった。何時も車を利用するので電車は不案内である、加えるに泥酔状態である。申し訳なかったと反省している。
 今日は半年ぶりの宿酔で研摩作業はお休み、明日からの三日間で仕上げなければならない。ケレン作業に使うサンダーとブロワを見付けてきた。ケレン用はワイヤーブラシと異なり、飛散物が身体に刺さらない。ブロワはですぺらだからと言ってレオン・ブロワの著書ではない、吸塵に用いるハンドブロワである。これで少しは捗りそうである。

 高遠さんが関川左木夫さんが主宰して発行した文藝雑誌「玻璃」について著されている。「聖盃、假面、鈴蘭、東邦芸術、サバト、游牧記、戯苑、半仙戯、豊葦原、開花草紙、ドノゴ・トンカ、文藝汎論、汎天苑、婆羅門、表象、古酒から関川左木夫さんの玻璃に到るまで、思いつくままに挙げてみても、ハイブロウな雑誌がよくもまあ、あれほど刊行されたものよと、いまにして驚く。幾多のすぐれた詩人を集めた日夏耿之介のカリスマ性にも駭魄させられる」とかつてですぺら掲示板でも触れた。奇特な人はいつの世にもいらっしゃる、忝ないことである。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月07日 22:35 | 固定ページリンク




パイプ葉  | 一考    

 戯ると書いてそぼると読む。好きな言葉なのだが遣った記憶がない。存在それ自体がそぼれているので、なにをいまさらの感がある。
 そしていま戯(たわむ)れているのは煙草である。先だって書いたパイプを探し出したとき、紙巻き用のパイプが二本出てきた。十代、二十代前半の頃はパイプを用いていたのだが、Sさんから似合わないよと言われて止めた。他方、人文書院元編集長の谷さんは一貫してパイプ煙草を燻らせていた。彼が似合って私がなぜ似合わないのか、Sさんからその理由は聞かずじまいになった。頸動脈瘤の予兆が私にあったのかと思う。
 家ではパイプ葉を嗜んでいる。最近はボルクムリーフのオリジナル・ウルトラ・ライトをベースにブレンドを楽しんでいる。ただ、車中でパイプは吸われない。また、出先で癖のある煙草は気おくれする。そこでゴールデンバットを専らにしている。紙巻き用パイプの出番である。
 ゴールデンバットは沖縄産のラム酒を用いていると人づてに聞いた。真偽のほどは分からないが、ラム酒特有の甘味はほとんど感じられない。沖縄のバイオレットにもラム酒が用いられているのだろうか。
 若い頃はオリンピアや獨逸のゲルベゾルテが好きだった。あの種の土耳古葉はまったく見掛けなくなった。似た香りのパイプ葉があればご教示いただけないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月04日 21:36 | 固定ページリンク




ライダー  | 一考    

 一月余、友人の携帯電話を使っていた。ひとに言わせると携帯電話には個人情報が入っているので、全幅の信頼がなければ貸し出せないらしい。しかし、知られて困るような秘密を持つひとが世の中にいるのだろうか。思惑や着想もしくは肉体関係や性癖などがそれにあたるらしいが、そのような月並なことを隠す必要はどこにもない。
 新しい店の段取りが遅れているので、管理会社、建築士、工務店、大工、鉄工所との連絡に携帯電話が必要になり、自前で持つことにした。ネットには繋がないし、メールも送らない受け取らない、あくまで電話機能だけを使う。取り敢えず、上記以外では三人の管理人に番号を連絡した。連絡に際し、ソフトバンクとの名称が覚えられず、ソープランドの携帯電話と説明して失笑を買っている。

 旧店同様、ですぺらの内装は鉄板とコンクリートの打ちっ放しにする予定、従ってコンクリートの表面の研摩にもっか励んでいる。拙宅からディスクグラインダー、コンクリートサンダー、スクレッパーなどを搬び、夕四時まで頭から靴先まで真っ白になっている。鼻孔や喉は粉塵で真っ黒である。管理人から健康に留意せよと言われたが、老い先は短い。じん粉、新粉、メリケン粉、蕎麦粉の類いと思えばどうと言うこともない。
 そして通勤には小型バイクを用いている。近隣の買い物は原付スクーターだが、共に二十年を越える旧車のため、元手を掛けて修復した。ドレン、キャブレター、プラグ、レクチファイアー、ブレーキシュー、ブレーキワイヤー、チューブ、ブレーキ液、オイル、バッテリーと思いのほか大金を必要とした。他ではヘルメットとリアボックス、それと原付の買い物籠を前部にも追加した。しかし、四輪の駐車料金と比べれば安いものである。
 今夕はひどく雨が降った。濡れぬ先こそ露をも厭えで、雨中を走る快感はバイク乗りにしか分からない。小型とは申せ、久しぶりのライダー気分を満喫している。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月04日 20:40 | 固定ページリンク




ですぺら近況  | 一考    

 某誌から連載の依頼があって神保町まで出掛けた。断わりにくいひとの紹介だったもので、直接会いに行ったのである。そして店舗と自宅の保証人の依頼にT書店へ店主を訪ねた。久しぶりの古書店であり、ガタリ、フーコー、ドゥルーズ、ベケットの訳書を数冊購入した。今の私が興味を抱くのはそうした面倒かつ不親切、もしくは「極めて乱暴で荒々しい」書冊ばかりである。従って、前述の書物談義のような原稿依頼に応じられないのである。この場を借りてお詫びしておく。
 さて、ですぺらの新しい店舗である。来週月曜日夕刻に契約、火曜日早朝からスケルトンにもどす工事がはじまる。遅れていた理由はバックバーの造作を仕切ってくださる鉄工所が見付からなかったからである。こちらは戸田市内の鉄工所三十余軒を訪ね歩かされた。内装がはじまればクーラーや作業台などの備品を集めなければならない。この手のリサイクルショップはすでに大略見回ってい、実は明石焼きの鍋を購入済みである。ただ、五連装の大型なので店では用いられない。一鍋もしくは二鍋用のガス台が必要になる。開店には間に合わないが、いずれ明石焼きはメニューに加えたいと思っている。
 開店日時はまだ分からないが、動きはじめたことをご報告まで。


投稿者: 一考      日時: 2007年08月25日 17:22 | 固定ページリンク




パイプ煙草  | 一考    

 煙草銭が食費を超えてしまった。そこで津原さんの意見を採り入れてパイプ煙草に切り換えた。十代の頃に使っていたパイプを探し出して利用、コンパニオンは某書店のKさんからのプレゼントになる。しかし四十年ぶりなので手持ちの知識が古すぎて役に立たない。従って葉も津原さんにご教示いただき、ボルクムリーフのモルトウィスキーを入手した。入手であって購ったのでない、こちらもKさんからの贈り物である。
 バーボンウィスキーの薔薇の花の香やヴァージニアやバーレー葉の軽いバニラ香は望むところだが、メープルシロップ、砂糖水、ラム、蜂蜜等の甘味成分の強いフレーバードやスウィートアロマの類いは昔から好みでない。約七十種類のパイプ煙草の勉強がこれからはじまる。問題は販売店で、池袋の東武か赤羽もしくは高田馬場の煙草店まで赴かなければならない。成増が近いのだが、そちらにはチェリーやチョコレート等の甘味成分の強いものしか置いてなかった。さきほどバイクで出掛けたのだが、ニューヨーク五番街で有名な「ナットシャーマン」のシガレットの他、買い物はなかった。
 パイプ煙草は口腔喫煙だが、私は紙巻き同様すべてを肺へ吸い込む。従って、一回の葉の使用量が少ない。それ故、ボウルの高さを低くしたスクワットベントのようなパイプが欲しくなった。店が落ち着けばオークションで中古品を探そうと思っている。

 葉は枯葉でありひとは枯骨である、共に火をつけると灰になる。煙草の存在は乾き切った諸行無常を示唆している。そして諸行無常は消滅への詠嘆であってはならない。「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別し、無常の構造をより精緻に理論的に考察しなければならない。パイプへの考察といえば、ボズウェルやモルナアルを思い浮かべる。モルナアルはオー・ヘンリーにも似た辛口の作家である。そして私などは鈴木善太郎の「暗示」を連想する。しかし、そうしたはなしは若いひとに譲るとしよう、私の歳になると煙にむせるのが関の山である。


投稿者: 一考      日時: 2007年08月25日 16:35 | 固定ページリンク




夏の風物  | 一考    

 このところ足繁く荒川河川敷へ行く。拙宅のすぐ横が彩湖で、道満グリーンパークが隣接する。そして四日は戸田橋の花火大会。かつてA子さんは戸田の花火が好きだったが、開催が土曜日なので私は行かれなかった。戸田へ転居後八年を経てはじめて「涙しとしとちりかかる」「銀と緑の孔雀玉」の饗宴のなかに身を置いた。Kさんから預かっている自転車の籠にビールを積んでのひとりぼっちの宴だった。
 煙火の業界用語でいう「座り」や「盆」はともかく、「消え口」の良くない花火が私のたっての好みである。すべての星が吹き消すようにふっと消え去ってしまうのは勘弁願いたい、「パッとしだれてちりかかる」余韻が堪えられないのである。「線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある」と著したのは寺田寅彦だが、その波のごとき呼吸が花火の魅力だと思っている。
 週末から来週にかけてはペルセウス座流星群が出現のピークを迎える。自転車の活躍がまだ続く。

 松友さんから問い合わせのあったですぺら新店だが、丸一箇月遅れの進陟に手を焼いている。明日夕契約のために赤坂と西麻布へ出掛けるが、開店が九月にずれ込むのは必至。これからは困窮生活に陥る。


投稿者: 一考      日時: 2007年08月07日 20:57 | 固定ページリンク




置酒歓語  | 一考    

 持ち帰った酒の整理が済んだ。そして、次の店では常備しない種類の酒の処理を来客にお願いしている。要するに飲んでいただいているのだが、私は喪中につき相変わらず日本酒を嗜んでいる。
 このところ、立ち替り入れ替り若いひとが拙宅を訪れてくださる。若いひとのご意見は私にとって貴重である。先達ても川津さんが来られ、バッハの「すべては神とともにあり、神なきものは無し」を頂戴した。ヨハン・アントン・ミリウスの12節の詩に付曲せしもので、二〇〇五年の初録音と教わった。日本酒とバッハの相性が良いとは田村隆一さんの発見だが、なるほど安酒にそれなりの奥行きと深みを生じさせるから不思議である。
 六日夕には津原さんがいらっしゃる。彼との歓語を望まれる方は埼京線の戸田公園駅までお越しあれ、事前にご連絡いただければ小生が出迎えに参上いたします。


投稿者: 一考      日時: 2007年08月03日 17:15 | 固定ページリンク




身勝手  | 一考    

 金曜日に比呂さん、日曜日にりきさんと土屋さんの訪いあり。比呂さんとは終電を乗り過ごしての酒盛りとなった。この日、比呂さんの来訪に間に合わせるべく彼の友人が早朝から拙宅の大掃除にチャレンジしてくださった。七年余にわたって敷きっぱなしの電気カーペットの除去にはじまり、夜の七時には拭き清められた畳のうえに薄縁が敷かれた。なにがどこへどのように片付けられたかは定かでなくなったが、藺草の匂いはその喪失感を補ってあまりある。明日のために生きているのではないと知りつつも、明日の身辺の急激な変化をひとは厭う。その保守性は一種の動脈硬化であり悪性腫瘍ですらある。生活習慣病なら油断大敵身の用心に如くはない。そのご友人にはいくら感謝しても言葉が追いつかない、いっそこのまま最期を看取っていただきたいような心持ちである。穏やかな死を指して畳の上で死ぬと言う、それを察してか、比呂さんが座しての第一声は「畳が見える」であった。
 りきさんと土屋さんに来ていただいたのは、五月初頭にはじまる深痛切実なる問題の解決をはからんとの考えからであった。余計な世話と知りつつも六月に入ってから掲示板で書きつづけてきた案件でもある。肝胆を披いての話し合いは難事を容易に解きほぐす。小一時間で要点は解明され、りきさんはお好み焼きを頬張り、土屋さんと私はシェリー酒を傾ける。昼過ぎから終電までの大層な長話となった。脳軟化症を患い、食欲の権化と化すのが厭がらせの年齢だが、私の場合は食のかわりの酒であろうか、いずれにせよ食らひ倒れの落花狼藉であるに違いはない。諄いはなしに相槌を打たれた両氏に感謝する。懊悩悔恨すべしと思い、月曜日は閉店後はじめて酒を断った。

 掲示板心得の一は、ひとを励ますのが目的のときは酷い書き込みをし、そうでないときは誰のことを書いているのか分からなくなるように修辞を施す、にある。いまから書くことがどちらに相当するのかは書きはじめてみないと分からない。
 個々のひとの厚志に縋って露命を繋いできた。従って、個々のひとに感謝こそすれ、恨みつらみはなにもない。それ故、店で文学のはなしだけは振らないでいただきたいと再三にわたって表明してきた。その理由は「謝意」で書いた「私には表向きと内向きとのあいだに垣根がない。常に基本的な方針や原則を擬えて生きてきた」にある。そしてその原理原則とは「閉店サービス」で書いた「書き物は個のはかなごと」であり、「断碑」で書いた「ひとは新陳代謝であり、存在することになんらの意味も意義もない」である。あとは悉くが重語法であって、「ひとを啓蒙する識見や智力を持ち合わせない」と書いたのは事実である。
 啓蒙を論争に置き換えても消息は同じである。早いはなしが持ち合わせは私にとっての率先事項のみで、他の事項にはなんの興味も抱かれないのである。要するに、意を違えるひと、旧慣温存を了とするひと、言い換えれば存在することや文章を著すことに意味や意義を見出そうとするひととは極力話したくないのである。
 繰り返すが、属性についてならともかく、現象や風俗としての文学にはいささかの興味もない。そしてなにが現象や風俗に相当するのかについては散々書き散らかしてきた。私のなかにあって文学は混看すべからざるものとして聳ってある。


投稿者: 一考      日時: 2007年07月11日 03:47 | 固定ページリンク




夏休み  | 一考    

 「冷蔵庫に入れきれなかった日本酒を」飲み干し、もっか冷蔵庫に収納した日本酒を片端から片づけている。二十四日からの十日間でビール二ケースと五本の一升瓶が空になり、残りは二本、そのあとは焼酎が控えている。さらに無用になったウィスキーが数十本鎮座している。肴は冷凍庫二本分あって、こちらも到底食べ尽くせる量ではない。飲んでは寝、起きては酒を繰り返す夏休みに、うれしい悲鳴をあげている。「ご苦労だった」(?!)搬出組のみなさんをお誘いしようかと思っている。

 ですぺら掲示板を全部読んだという二人目の奇特なひとが現れた。乞われるがままに註釈を加えているが、すでに六日を数える。曖昧なものに対するはなし、目に見えないメタフィジックな話はとりわけ私の好むところである。酒を飲みながら、ひたすら喋りつづけている。
 一昨日はそのひとに車を西麻布まで回送していただき、久しぶりにスーパースタジオを訪ねた。過日ツール・ドゥ・フランスを上梓してくださった斎藤さんが営むデザイン会社で、読売時代からの付き合いである。ですぺら赤坂店をコーディネートしてくださった方でもあり、不本意な結果に終わったことを謝りに行ったのである。
 千駄ヶ谷で活鱧の湯引きと鰯、鮎などを馳走になりながら、営業方針の拙さを語り合った。モルト・ウィスキーを輝かせようと思うのなら食べ物は置くべきではなかった。なによりも食べながら飲めば、酒の香味はまったく分からなくなる。酒通は飲んでいる横で食されるのを一番嫌がる。二番目に嫌がるのが横でのお喋りである等々、痛いところをさんざん突かれた。モルト・ウィスキーは庶民が飲む酒ではない、コニャックのアーリーランテッド同様、超高級なものなのであって、しかるべき演出がなされなかったことが最大の敗因である。あれでは食堂かダイニングバーかショットバーかの判断がつかない。そもそも、モルト・ウィスキーを飲んでいる傍でチューハイを出したりお好み焼きを出すなど、なにを考えているのかと叱責された。
 言われるまでもなく、こころを傷めてきたことばかりである。それが理由でやる気をなくし、パソコンにしがみつくことになってしまった。相方が腹を立てたのも私の職場放棄に理由の過多があった。「みすじ通りの新規出店が間違いなく最後の機会になる、こころせよ」とのありがたいお言葉に返す言葉もなく悄悄と帰路についた。


投稿者: 一考      日時: 2007年07月04日 13:01 | 固定ページリンク




ちりめん  | 一考    

 しばらくお休みにするつもりが、淡路から小包が着いた。中身は佐野港の高田水産のちりめん、送り主は陶芸家の太田守さん。当地ではちりめん漁の解禁は四月下旬、いまが最盛期である。地元のひとが撰んだだけあって、すばらしく美味。塩味と苦み、天日干し由来のそこはかとなく漂う甘味、縮緬山椒のために仕入れたときの各地のちりめんを軽く凌駕している。なによりも、かくまで小形のちりめんがあろうかと思われるほど小さく、かつ大きさが揃えられている。さっそく箱ごと凍結した。
 ちりめんの入荷にともなって京都から生山椒を取り寄せなければならない。五里霧中の新店舗のお通しはこれで決まった。生きていてよかったと思える贈り物である。太田さん、ありがとうございました。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月26日 16:37 | 固定ページリンク




連絡先  | 一考    

 新店舗はいまなお交渉中、どうなるかは私にも判りません。事情があってしばらく掲示板はお休みします。ご連絡はホームページからメールでどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月26日 05:06 | 固定ページリンク




消滅  | 一考    

 庭先にまで積み上げられた荷物を前に途方に暮れるばかり、そして暮れているのはわが風采であると認識させられる写真でございます。その質の悪い写真を撮られたおっきーさんの音頭取りで二十三日(土曜日)は十名の夜逃げの予行演習希望者が殺到、感謝の念で一杯です。
 本日はですぺら解体の日、トラックに積みきれない荷物を運ぶために戸田と赤坂を三往復致しました。工事は八時から十七時まで休みなく続けられ、ですぺらは完全に消滅致しました。
 今週は老体に鞭打っての一週間となりました。入浴の時間はおろか、食事の時間すら取られず、腓返りを一夜に二度も繰り返しました。二十三日の深夜、大室さんと食べた肉饅頭が丸二日ぶりの食事でした。
 彼等はいつも笑いを手土産に訪れてくださる。昨夜も「一考さん、そこから先は言わなくていいです」で笑い転げた。どうやら私の駄洒落の構造を読み解かれてしまったようである。同居人もしくは連れ添いにこんなひとはどうだろうかとの私の相談に、まなさんは真顔で「うちの若造くんは譲りませんよ」ここでまた爆笑となる。一家団欒とは縁なき私ゆえ、彼等は余人に代え難い友となっている。
 書類上でのですぺら消滅は二十七日の夕刻、それまではまなさんが言う「冷蔵庫に入れきれなかった日本酒を」飲み続けようと思っている。

 ですぺらコミュニティでケケさんが短歌を書かれている。こちらこそありがとうございました。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月24日 23:22 | 固定ページリンク




搬出組  |   一考

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撮影できなかった方、すみません ありがとうございました...
お手伝い頂いた方々...「ご苦労だった」 (店主?!)。


投稿者:   一考  日時: 2007年06月24日 00:00 | 固定ページリンク




070623  |   一考

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投稿者:   一考  日時: 2007年06月23日 23:59 | 固定ページリンク




23日(土)14:00より御共申し上げます。  | 松友    

御無沙汰しております。松友です。
もしかしたら此方での営業中にお伺いするのは難しいかもしれませんけれど。現況、御約束申し上げております23日(土)14:00~はお伺いする方向で日々奮闘中です。
まずは短信ながら御連絡まで。


投稿者: 松友      日時: 2007年06月21日 21:34 | 固定ページリンク




報告  | 一考    

 明日の最終日はひとりでも多くの方と話したいので、フードは本日で打ち切らせていただきます。明日はスモークを五人前ほど用意致します。その他にも若干の用意がございますが、注文には応じません。悪しからず。

 松友さん、23日の夜はぜひ手伝ってくださいな。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月21日 18:34 | 固定ページリンク




予定変更  | 一考    

 23日中に荷物のあらかたを搬出しなければならなくなった。22日の閉店後、24日の朝まで私は徹夜することになってしまった。搬出に伴って店の前に車を置かなければならない。私が荷物を運ぶ間、車に乗っていてくださる方が必要になる。免許証はいらない、ただ乗っているだけでよいのである。その間のアンパンとジュースは馳走する。時間は何時でも結構、ご協力を仰ぎたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月21日 15:19 | 固定ページリンク




抽象性  | 一考    

 「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。
 文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。
 その辺りの消息を分かり易くいえば、一般という形での読者など想定しようがない、である。多数がなにを考えているか知り得ようはずがないのだから、不特定多数の読み手を想い描かれないのは当然の結果である。
 従って、書き手は特定の読者を想定する。あのひとならどのように解釈してくれるだろうか、の類いである。私が文章を著すときに想定する読み手の半数は既に亡くなられている。そして、故人であろうがなかろうが、親しくなければ相手の「思考の脈絡」は窺い知られない。相手の思考回路が分からなければ、基準値の算定はかなわない。
 さらに言えば、私が書く文章はことごとくが、特定の個人を意識して書かれている。そして意識の対象は読み手としての個人であって、その個人のことを必ずしも書いているのではない。文章の意味内容が個に拘泥するのを私は好まない。抽象性を加味しないと、アナロジーが有効に働かないからである。
 以上は詰らない書き込みである。しかし、このような形での読書論なら五十枚ぐらいは易い、どなたか新機軸の読書論をお書きいただけないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月21日 15:02 | 固定ページリンク




修正  | 一考    

複数のメールを頂戴した。
掲示板の字句の修正は繁く行っている。理由は「アドリブ」へ書いた。
存在は暫定的なものであり、人生は「仮に」という副詞に厚く蔽われている。
よって、字句が修正されるのは当たり前だと思っている。
字句の修正と修正主義とがどのような関わり合いを持つのか私には皆目わかりませんが、修正主義の概念規定はあくまでも相対的なものでしかありえないと心得ています。
さらなるご意見があれば、掲示板へどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月21日 14:33 | 固定ページリンク




ですぺらの営業日は今日と明日  | 一考    

 ですぺらの営業日は今日と明日の二日になった。
 店は暇なのだが、この一週間、毎夜酒のはなしができたのは嬉しい。 閉店間際になってやっとショットバーの雰囲気を取り戻したようである。
 連日、掲示板できつい書き込みを繰り返したが、あそこまで書かねばならなかったことを悲しく思う。私はコレクターではないし、愛書家でも蔵書家でも読書家でもない。書物は大事だが、それは自らの「思考の脈絡」を確認し、新たなディメンションを摸索するための道具としてである。結果について論議するのは望むところだが、こんな道具を持っている、あんな道具を持っているとの不調法なはなしに加わる心ぐみはまったくなかった。
 書物を酒や烟草に託してのアナロジーに充ちたはなしならどなたであろうが参加できる。そうした言葉のゲームや屈折した会話を楽しむ術は心得ている。しかし、ストレートな生(なま)なはなしは偏狭なショーヴィニスムやジンゴイズムを生む。
 かつて「オブセッション」で「会話や共感の共有の好例は中世の一味神水に求められる。行動を同じくするひとたちは、お互いのこころの結びつきを確認し合わなければならない。同じ釜の飯を喰うとか、婚礼の三三九度、または献杯や返杯などの喫飯から掛け声や手締めのようなセレモニーに至るまで、集団としての紐帯を強める儀式の材料には事欠かない。しかし、そこには部外者を『劣った者』と見る差別観や強者の奢りがちらついている。儀式の裏面には常にパターナリズムが巣くっているのである」と書いた。パターナリズムに属するものは例え相手が愛書家であろうが蔵書家であろうが読書家であろうが、明白に私が闘わねばならない敵だと思っている。

追記
 上戸下戸に差別を設けるつもりはまったくない。そして下戸であろうとも店への貢献はできる。金を使おうと思えばいかようにも可能である。私が嫌なのはですぺらが談話室として扱われることにある。それは上記パターナリズムと重なり合う。
 このような直截な書き込みを除いて、ですぺら掲示板は行き当たりばったりに書かれてはいない。「その配列、構成によって自分だけにわかっている思考の脈絡の一斑を示」そうと努力している。これまでご理解を賜った、それこそ見知らぬ「少数者」に感謝している。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月21日 14:27 | 固定ページリンク




思考の脈絡  | 一考    

 ある時は口汚く罵りあい、笑ひ罵り、誉め喧る、横須賀さんとの一年間は騒擾囂然たる日々だった。一方で互いの肉体を慈しみ、悲しみあい、そして抱き合った。友とはなんなのか、友とはいかにあるべきものなのか。ですぺらはそのための検証の場と化していた。
 「あなたはひとの弱味に付け入り、いかに相手を傷つけるかに心血を注ぎました。でも、それを加虐趣味と解釈するのは間違いです。『傷つけられて怒るのは結構だが、怒りに身を震わす自分をあんたは信じているのかね、無邪気だねえ』『第一、言葉で傷つくなんて本当かねえ、もう少し自分に正直になれば』との独り言が聞こえてきます。それこそ怒っているのはあなたなのであって『人なんて取るに足らない存在なんだよ』ということを知らしめたい。否、知らしめる必要すらなくて、当たり前のことを当たり前として認識した人とのみ言葉の逢瀬を楽しみたい、ひとの言葉で傷つくような嘘つきの輩に興味はない、というのがあなたの真意であり、曲げることのできない原理原則だったのです」と初稿で著した。
 私も十代の頃からプロの書き手を相手に諠譁を繰り返してきた。従って、横須賀さんの「言葉で傷つくなんて本当かねえ」との言葉の意味するところはよく分かる。しかし、時代は変わったように思う。いまでは論争はおろか、言葉のキャッチボールすらかなわない平和な時代になった。同時に人心は脆弱になり、キャパシティもなくなってゆく。
 前項の「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない」筈なのだが、そうした命題に背を向けて同好の士として群れたがる。度し難い精神の弛みと怠慢が世を覆っている。もし、その群れに対するスペースの提供をですぺらが担ったとするなら、私はとんでもない大罪を犯したことになる。
 「詩人自身がそれらの詩篇を詩集の形で世に表す場合には、その配列、構成によって自分だけにわかっている思考の脈絡の一斑を示すべきだ、と思っています。ボードレールやホイットマンがそうしたように」と相澤啓三さんは著す。彼が好んで用いる「思考の脈絡」を読み解く読者がいまの日本に何人いるのだろうか。二人か三人か、おそらくはその程度の数だろうと思う。理解の及び難さを嘆かしむるのであればともかく、端から理解なんぞ抛げだしたひとびとが読書家を気取っている。ひとつひとつの詩集それぞれに籠められた構成意図を読み解けとは言わない。いとせめて、個々の詩に穿たれた思考の断片だけでも読み解いていただきたいと思う。当掲示板にあっても、その思いは同じである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月19日 01:59 | 固定ページリンク




ほほえみ  | 一考    

 鯉をおもわせる少しぽっとした丸い目のなかに、研ぎ澄ました冷たい一条のひかり、少年期に得られなかった欠けたピースを探し求めるはしこい目線、薄笑いと広いおだやかな白い額にただならぬ飢えを秘め、なにを言っても「知ってるよ」「それも知っています」いかように言葉を返そうが「すべて分かってるよ」と畳み込んでくる居丈高な物言い。身勝手、わがまま、傲慢、不遜の権化のような顔をして、あなたは私を正面から食い入るように見据えました。でも、ひとを喰ったあなたの眼差しは私にとっては遠い日の懐かしいまなざし、少年の頃のせつなさ、はじめてめぐり会ったときの爽やかさのままに、私はもうひとりの私と出逢ったのです。
 ひとがたまらなく好き、だからこそひとを拒否する。でも拒否するのはあなたではなく、それを選択するのはいつも相手側だったのです。「あっそう、なにも分かっちゃないね」とのあなたのさびしげな口癖がすべてを物語っています。あなたの口をついてでるノンは非難や排撃といった能動的なものではなく、言葉のゲームが出来ないことへの失意だったのです。「分かっちゃないね」とはひとの白々しさに逢着したときの自らへの絶望。そう、見果てぬ夢を、友を捜して、あなたも私も共に生を反芻してきたのですよ、数十年のあいだ。
 考えるってなに、思惟するってなに、立ち徘徊るってなに、あなたとの論議の底流には常に不確実性が漂っていました。死を目前にした、定まらない揺蕩う残照がそこに息づいていたのです。残照はふたつの属性をもっていると思うのです。片方には残傷や残心が潜み、もう一方には慙羞、慙色、慙沮などが栖みついているのではないでしょうか。あなたのはにかみには消え入らんばかりの夕日のような輝きがありました。その明るさを気取られるのが嫌で、あなたは距離を詰めようとして常にはなし相手に躙り寄っていました。自恃の撤回を余儀なくされた者にとって、からだとからだを摺り合わせ、触れ合う以外に自己を確認する手立ては残されていないのです。と言うよりも、寄り添っているとき、すなわち話し合っているときだけなのです、自分が存在するのは。そんな宙ぶらりんを選択するしかなかったあなたに、私は心底からの共感と情愛を感じていたのです。
 双方の論理回路を接続するのに四箇月ほどかかりましたね。それからあとはメタフィジカルな禅問答、よくふたりで笑い転げました。「駟馬も追うあたわず」を逆手にとって、取り返しのつかない箇所をたがいに穿っての咲笑い、嬉笑にも怒罵にも相感じる日々がつづきました。あるときは堪えかねてくっくっと、またあるときは輾然と、夜が明けるまで笑いさざめく声が途切れはしなかった。俳諧の軽みのようなきわやかな笑み、風が吹き通るさわやぎのような微笑みのなかにあなたの意気の俊爽を私は見届けたのです。それこそが夢中にあっても決して放心することのなかったあなたの詩精神そのものでした。あなたにとってほほえみは繰り返される人生の途中停車、「生きるってもどかしいものですね」との言葉こそが、戯けであり、飄逸であり、うつうつと最高を行くあなたの表現でした。
 私が「今日は私の負けですね」、あなたは「ここのところ二連敗だったからね」と応す。「そっちへ振りますか」「それは想定外だなあ」「さて困った」「今日は議論の内容を吟味してきましたからね」ひとを追い詰め追い込んでゆくときの張り詰めた雰囲気、そんなときのあなたの顔は輝いていました。どちらが勝とうが負けようが、そんなことはどうでもよかった。ソフィストにとってすべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。一昨年の一月七日、朝ぼらけの一ツ木通りでどちらからともなく別れ際に交わされた一言「生きていてよかったね」
 その七日後、あなたは旅立った。蟋蟀は九回脱皮すると言われます。共にいるかぎり、脱皮を際限なく続けましょう、あなたとならできそうな気がするのです。「あなたとなら・・・」この一点にあなたの論理のからくりが、あやかしがありました。ゲームのなかでは頻繁に、あなたがわたしになり、わたしがあなたになります。「それ自体では目に見えない観念が、アナロジイによって、可視的なものになる」ように、互いの見えなかった部分が滲透しあうことによって、白日のもとに曝されていきます。言い換えれば、あなたでもない、わたしでもない、そして誰でもないところの存在、「友」に明解なひとつのかたちが与えられていったのです。「友」が、対置するところのものではなく、相対するところのものではなく、謂わば伸縮自在なオブジェのような共作物であり、明確な輪郭を保つ観念そのものであったと申せば、愛する友よ、お気に召すかしら。


 二〇〇三年一月十四日に亡くなられた横須賀功光さんの追悼文である。「たまや」掲載の「残日を指折りかぞえて」を「ほほえみ」と改題、十七枚を五枚に圧縮し、彼の写真集「光と鬼」に掲載した。いくぶん風通しがよくなったと思っている。
 十六日の土曜日、店を了えてから朝までひとり時を過ごした。横須賀さんが入ってきそうな気配がし、帰宅が躊躇われたのである。店がなくなれば彼との逢瀬もむづかしくなるやもしれぬ。
 こころのなかで彼との対話がはじまり、いつもの右往左往が繰り返される。私の日常のフォルムのなかに、彼はしたたかに生きてある。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月18日 19:59 | 固定ページリンク




ラフロイグ入荷  | 一考    

 ウィスク・イーのインプレッシヴ・カスク・シリーズの第二弾ラフロイグが入荷した。カスクはリフィール・シェリー。1996年蒸留の10年もの、56.6度のカスク・ストレングスである。
 濡れたピート、レモンピール、薬品、ジンジャーなどとチラシに書かれているが、そのような効能書きを信じたことはない。飲んでみなければなにも分からない。しかし、前回の6年ものアードベッグがあまりに暴れん坊だったので、期待している。
 間違いなく、ですぺら最後の仕入れとなる。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月18日 19:26 | 固定ページリンク




好奇心  | 一考    

 ちはらさんから新潟土産に宮尾酒造の酒を頂戴した。好みの本醸造タイプである。純米酒は燗に向かないので、もっぱらアル添を飲むように心掛けている。彼女が私の嗜好をご存じだとは思わないので、まったくの偶然なのであろう。
 それにしても、飲み屋の主人に酒を付け届けするとはいい玉である。臆する色もないとはこのことで、彼女のアナーキーぶりが窺い知られる。健康のためにとの触込だが、ひとの健康をおもんぱかって酒を贈る慕何がどこにいるかと言いたくなる。本気なら珍説、そこを詳しくご教示いただきたいものである。
 冗談はさておき、彼女の酒の飲み方は豪胆である。銘柄は口にせず、ボトラーも問わず、こういう味、ああいう味の酒を飲ませろと指示なさる。銘柄を指示しなければならないとの常識を端から棄てている。なけなしの知識なんぞ、なんの役にも立たないことを知っている。
 長年バーテンをしていると、個々の注文の仕方でそのひとの性格がそれとなく窺える。彼女の場合は、好奇心がジーパンを履いてですぺらを闊歩している。
 空虚と無垢の混淆体が好奇心だと私は思っている。掃除機またはブロッティング‐ペーパーのようなものを想像していただきたい。そして好奇心とは無遠慮なものであらねばならない。彼女はそのあたりの呼吸を心得ている。
 同席なさっていた四戸さんの注文で狼狽える私に「一考さんて、可愛いいんだ」、揚句に頭を数度撫でられた。どうやら呑まれているのは酒ではなく、店主なのかもしれぬ。

 このところ、書き込みによる誤解が続いている。誤解(五階)は六階へ、六階は七階へ、が私の作法ゆえ気にもしていないが、念のために言っておく。以上はすべてほめ言葉である。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月18日 14:16 | 固定ページリンク




悪のすすめ  | 一考    

 贔屓のたばこはアーク・ロイヤル、パイプたばこの紙巻きである。フレーバが気に入っているからだが、それ故に人前では呑まない。葉巻同様、自己主張を嫌がるひとがいるからである。従って、人前ではどこにでもある癖のないたばこを嗜んでいる。マールボロ、ラッキーストライク、キャスター、マイルドセブンなんでもござれである。くわえたばこを賤しむのと共に他者に対するささやかな気配りである。本数を数えて呑むことはない。日々の体調に即して30本から60本位であろうか。話序でに、尾崎紅葉に「煙霞療養」との名著があるのを大書しておきたいと思う。

 文学が消滅という名の錦の御旗を降ろしてから久しい。昨今のエンターテインメント一色のなかにあって、懐疑や弁証と言ったヴィヴィッドな感性は疎んじられ、作品の背後からにじみ出てくる曖昧なもの、目に見えないメタフィジックなものは顧みられなくなった。
 ひとはやがて死ぬとの事実としかるに今ここに在るとの事実、あきらめとやるせなさとが行き交うなか、ひとはあらがい立ち徘徊る。その切なく空しい地下水脈を旅するときの莫逆の友が酒であり、たばこであり、薬物ではなかったか。 
 原水爆がひょっとしてひとを死滅に向かわせるかもしれない最強の玩具だとするならば、酒や煙草はひとの健康を脅かす最古の玩具でありこころ疚しい友と言えようか。「玩具」や「友」を「悪」に置き換えていただければ結構。例えば、なにかに突き当たったときにあいつが悪いとか社会がわるいとか、他に責任を擦り付けるのが子供だとするならば、自分自身のなかの悪に思いを至すのが大人ということになりましょうか。思惟するとはその「悪」に逢着せんがための働き掛けであり道すじなのです。問われるのはたばこではなく、同じひとである喫煙者なのです。喫煙者のモラルのなさに託けてルールを拵え、たばこを閉め出すのは本末転倒かと。
 自己と他者とのさまざまな不協和のなかに、ある均衡点としての交点を見出すための模索が思考であり伝達ではなかろうかと思う。言い換えれば、その恣意的な交信こそが知性だと思うのです。私見は相手の意見を引き出すための仮定であり、対話はおおかたが仮定法で進められます。過程を端折っての罰金つき路上禁煙条例がもしかして官吏の悪意から生じたものならご立派、いわんや千代田区を人類存在のメモリアルパークと化すのが目的ならわたしも協力を惜しまないのですが。
 健康に留意し、長命を念じるのはひとの勝手。さればこそ、こころならずも密咒を呟き、はからずも白鳥の歌を刻み、若くして逝った多くの先達をわれわれは識っている。花のない文学など毒にも薬にもならない。いつの世にあっても、花とはいちずに呪われたものであり、すぐれて不誠実なものである。酒と煙草と薬物は文学には欠かせない調味料。知性に付帯する死臭漂う友であり、時として花をも装う食わせ者、身持ちのわるさは持ち前の身上であろう。滅びの認知に文学があるのではなく、滅びにいかにあらがうかに文学がある。「悪」を相手の駈引きに我を忘れ、傷付き、見喪い、欺瞞の渦中に自己が四分五裂してゆく。こなごなに砕けてしまってよろしいではありませんか。消滅との主旋律をなおざりにして尊厳などあろう筈もないのですから。


 十七日、終日にわたってですぺらの転居をまなさんに手伝っていただいた。雑俳に「てきはきと嫁はそばから杖を出し」とあるが、彼女の手際のよさにはいつも見蕩れてしまう。いまもっとも必要とする友であり、感謝に堪えないでいる。車中、どうして烟草を喫むのかと訊かれた。上記文章がその応えになるかどうか心許ないが、私にとっては唯一のたばこ礼讃である。ご参考に供したく思う。
 二〇〇二年十月に東京都千代田区で施行された罰則付きの歩きたばこ禁止条例に対して郡淳一郎さんから意見を求められた。その折にユリイカへ投稿したものである。字句に若干の修正を施した。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月18日 06:37 | 固定ページリンク




アナロジー  | 一考    

 才能がないと言われて立腹なさるひとがいることに愕かされた。才能の持ち合わせなど、なんぴとにもない筈なのだが。腹を立てるのは自らの才能を信ずればこその反応である。ならば、才能についていかなる意見をお持ちなのか伺いたく思う。
 ここまで書いて「閉店サービス3」は捨て置かれた。しかし、ひとに意見を求めるときは自らの意見を事前に開示しなければならぬ。以下は才能に対する私見である。

 才能は実績である。そして、実績とは他者がへだたりなく認めるところのものである。よって、才能という言葉を若いひとに対して用いるのは礼を逸することになる。素質や素地といった方がふさわしく思われるが、実態は決して先天的なものではない。また、稽古とか修行という言葉ほど虚しいものもあるまい。本を読んだからといって身に付くものでなく、量を書いたからといって旨くなるものでもない。肝要な部分は偶然に委ねられている。
 子供の頃、言葉を覚えはじめるときに駆使されるのは類推である。というよりは、類推があってこそ言語の修得が可能になる。もっとも、類推の結論は蓋然的であって、必ずしも頼りになる推論方法ではない。しかし、書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである。
 才能といった場合、一般的には素質や能力を指すことが多い。前者に私は否定的な見解を持っている。そして後者の「能力」が類推に相応するのではないかと思っている。類推は知識を拡張したり、形成する推論であり、隠喩の理解や生成を底辺で支えている。
 演繹的推理や帰納的推理と違って、類推は一足飛びに知と知のあいだを駈けめぐり結びつける。「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学です」と「みせびらきの詞」で書いた。その変身を事もなげにやってのける想像力の核に類推があると思う。
 「存在の類比」を持ち出すまでもなく、人間の認識能力はすべての存在するものにたいして開かれている。その認識能力、類推能力を高めることが疎かになれば文学が文学でなくなってしまう。言葉を覚えはじめた頃にひとは常に立ち帰らなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月18日 06:26 | 固定ページリンク




五月の別れ  | 一考    

相澤啓三さんから痛みを共感し、再起を願うとのお手紙を頂戴した。
最愛の友からの贈り物に涙する。
ぜひ、一部をここに紹介させていただきたい。
無断なれど、それを叱責なさる相澤さんではない。
とりわけ「五月の別れ」にはわれらが断腸の思いが詰っている。


木木はみな精気あふるる枝交はし谺返さず五月の別れ
赤坂の煌き暗しまたひとりで生きねばならぬ友を思へば
生活の細部ことごとく敵意もち「いかに」と叫ぶ半記憶の刑
はすかひに俗人ばらを切り分けし少年ダビデは神の庖丁


投稿者: 一考      日時: 2007年06月17日 03:03 | 固定ページリンク




最後の土曜日  | 一考    

 ですぺら最後の土曜日が終わった。営業日は来週の月曜日から金曜日までの五日間である。その後、二箇月間の沈黙を経てですぺらパート2となる。
 次の店はバーであって談話室にはしない。従って、酒を飲まれない方の入店はご辞退する。例え飲まれる方であっても、一時間飲まれないときはチャージが付く。結果、高いものにつくので同様にご遠慮いただく。そのあたりを曖昧にしたまま営業を続けたため、ですぺらは倒産の憂き目にあった。前車の轍を踏むことはない。
 次の店の商品構成は一新する。愕くべき稀少なモルトウィスキーを潤沢に提供する。ご期待いただきたく思う。

 明日はまなさんの、二十三、二十四両日の搬出は松本さんのご協力を得られることになった。感謝している。一段落すれば、どこぞで良い酒を酌み交わしたいものである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月17日 01:41 | 固定ページリンク




閉店サービス2  | 一考    

 話す機会をなくしたので、こちらで書く。
 力作であり輝く部分を内包したエッセーでありながら、しかし食い足りないエッセーがある。その多くは書き手の定規によって対象が歪められる、その歪みに対する異物感でないだろうか。異物が風通しを妨げ、読後感をしっくりさせないケースは多い。その場合、定規を変えるか手放すしか解決策はない。言い換えれば、目線の移動である。
 林達夫や花田清輝のような万能かつフレキシブルな定規を持つひとは幾人もいない。まず自らの定規を疑ってかかるのが定石である。エッセーから時代考証や比較文学の領域に属するものを刮げ落とし、その上で「私」すなわち自らの定規に基づく発言を注意深く除去する。それでもなお、残る部分がエッセーの核になる。あとは重語法の駆使である。ここではじめて修辞法の出番となる。
 「なにをどう述べてみたところで、ものを著すとはメトニミックすなわち換喩であり、重語法そのものである」とかつて書いた。換喩がいくつもの層をなして重なりあい、目に入る世界のさまざまな現象や物質を勝手に巻き込んで行く。そこまで行けば、書き手がみずから関知しない新たなディメンションに到達してしまうこともある。
 じつは同じエッセーの翻訳を二人で平行して試みようかと思っていた。翻訳とは換喩、言葉の置き換えである。これは実に面白い結果、複雑な屈折をもたらす。そうした重語法的エポケーそれ自体が文学でなかったかと思う。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月16日 19:51 | 固定ページリンク




謝意  | 一考    

 なにもはじまらず、なにも終わらなかった。暇を持て余すとはこのことである。ただ、この二週間ほどの間にストレスは解消され、手持ちの悪意が蘇ったように思う。ひとを利用したようで寝覚めがよろしくないが、非常時に至ると、私は姑息な手を時として用いる。
 半端者はどこからも必要とされない、だからこそ逆になにものをも必要としない。それは辻潤から学んだ生活の智慧である。そして私はいつも真剣である。本音と立前との錯綜したかかわりについて掲示板でいくどとなく触れてきた。私には表向きと内向きとのあいだに垣根がない。常に基本的な方針や原則を擬えて生きてきた。従って本音というものを持たない。
 この一箇月、平静さを失い、動もすれば挫けそうになる私を支えてくださったのは、ですぺらのお客であり友人のケケさんである。彼女との晤語は大きな響影を私に与え、そして私の内に小さな改革を孕らせた。ここに記して、満腔の謝意を表したく思う。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月16日 14:32 | 固定ページリンク




書きたくないこと  | 一考    

 選択が自由意志によってなされると思ったことは一度もない。そもそも、自由という言葉の概念の持ちようがまったく異なる。しかし、それを書き出すと長くなる。従って、いずれ別項を設ける。
 ここで書きたいのは私のようなやんちゃな人間と紳士淑女は付き合うべきではないということである。北海道行きを書いたときに憶いだしたことがある。十代のころ、旅をするから付き合えと飲み屋の女性を引っ張り出した。そのまま松山まで趨き、半年ほど寝起きを共にした。その彼女もヒロポン中毒で、松山で親しくするやっちゃんに面倒を掛けた。
 先月、連載の一度の休載を求めて季村さんにメールをお送りした。ひとさま宛のメールだが、書いたのは私なので、一部を転載しても構わないだろうと思う。

 私もいろんな女性と付き合いましたが、過去はおろか、実家、親、兄弟、学歴、賞罰等々、訊ねたことが一度もございません。また、今どこでなにをどうしているやら、皆目見当すらつきません。
 私を育ててくれた父の愛人は界の方にいると聞いたのですが、捜す気はありません。十代なかばの頃、圧倒的な影響を私に与えた同性愛者のピアニストも、吹田の方で存命と聞きましたが捜す気はありません。ある日兵庫署から電話があって、付き合っていた女性の身元引き受けを依頼されましたが、覚醒剤で前科三犯と聞かされました。盲判を押してとりあえず引き取りました。私のもとを去るまでかかわりは続きましたが、ヒロポン中毒だということ以外、あれが本名だったのかどうかも訝しく思っているのです。ただ、海の好きな女性でよく須磨の海岸へ行きました。ひとは描かれては波に掻き消される暫定的な存在です。ひとは現れては去ってゆくもの、それでいいのだと思っています。

 繰り言は以上である。福原で生れた人間に真っ当な人生など送れるはずがない。それを承知しているものの、よく忘れるのが私の欠点である。されば、相手を怒らせてでも、深入りする前に縁を切るのが私の調法である。回りに迷惑を掛けっぱなしで申し訳なく思うのだが、やんちゃに常識は通用しない。
 「当時の私の仇名は『狂犬』、それだけでお分かりいただけるかと思う。十代の頃は荒れていた、ひとも社会も許すことができず、手当たり次第に叩き壊すといった反抗的な生活だった。煉瓦や鉄パイプは言うにおよばず、刃傷に及んだことも一度や二度ではない。触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていたのである」とかつて書いた。毒を持つ人間は恐い。唾でも吐きかけて立ち去ることをお薦めする。


 6月15日 23:25に投稿したものの、操作ミスによって消えてしまった。消えたものは消えたでよいのだが、一応再投稿しておく。「北へ」を除く四編はリンクしている。その顛末は後日触れることになると思っている。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月16日 05:56 | 固定ページリンク




呑ん兵衛戯言  | 一考    

 フォーティファイド・ワインは量は飲まれない。ワインのフルボトルを軽く二本あけるひとでも、フォーティファイド・ワインのハーフボトルは持て余す。おいしくいただけるのは最初の一杯で、二杯目で口腔にもたつきが生じ、三杯目でうんざりし、四杯目で悪酔いへの急勾配となる。問題は次の日に酒が残ることでなく、飲み出して四、五時間経たころがもっとも酔いがまわる点にある。従って、フォーティファイド・ワインの飲み会はフルボトル一本で最低五人の左党が必要になる。二本で十人の計算である。それを口実にずっと見送ってき、そして今回も見送ることにした。私の身体の疲れも理由のひとつである。
 楽しみになさっていた松本さんに申し訳なく思う。そのかわり、新店のプレオープンで催そうと思っている。店が小さいため、オープニングは取り止めにする。そして、プレオープンの期間を長く取るつもりでいる。その期間を飲み会に利用しようと思うのである。

 さて、戯言と題した以上、なんらかのたわむれが必要である。私のことゆえ、いささかの悪意に色彩られた餅酒となる。
 およそ知られる世界の酒は飲んできた、そして酒ごとに酔いは異なる。言い換えれば、酒にはそれだけ寒く潤沢を帯びた個性がある。百人のひとがいれば百通りの愛があり、百通りの個性がある、否、そうあってほしいと願っている。ひとであれ、典籍であれ、酒であれ、消息を一にする。私がチョイスの大切さを説き、好き嫌いの排除を薦めてきた理由はそこにある。好き嫌いの排除とは取りも直さず「私」の排除であり、虚心に臨むさまを指す。先入観や偏見をもたずに日々を過ごさなければ新たな出遇いはない。変化に即応する柔軟さと好奇心、それこそが艶かしいまでの個性でないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月16日 05:44 | 固定ページリンク




岡惚れ  | 一考    

 日本酒に付きものなのは肴ではなく、どうも風景なのではないだろうか。洋酒はその大半が料理に則して選ぶようになっている。食前にブランデーを飲む人はいないだろうし、寝酒にシェリー酒を飲む人もいまい。葡萄酒の場合は肉料理には赤、牡蠣や魚料理をつつく時には白といった飲み分けがある。すなわち、さまざまな酒が目的に応じて拵えられている。一方、日本酒は質の点で異国のそれよりも多様な日本の食事のすべてに申し分なく合う。もしくは全くなにも食べないか、塩をちょっと舐める程度で済む。どうやら日本酒においては実存が本質に先立つようである。喧噪に充ちた穴蔵のような飲み屋にはジンやウオッカのがぶ飲みが似合う、といった套言も日本酒にはない。強いて言うなら花見で一杯、月見で一杯。日本酒は洋酒とは異なり、酒が書割りを、延いては森羅万象を司るのである。萩原葉子さんの「父・萩原朔太郎」に「なぜか私は、父の晩酌にはいつも、暮れかかった庭に、藤が咲いていたような気がしてならない」と著されている。

 上記の文章を掲示板に載せたつもりだったが、検索で出てこない。サルトルの「実存主義とはなにか」を揶揄したものである。同氏の実存と本質の弁証法ならびにアンガージュの哲学には根本的疑念を抱いている。それを詳述すると上記のような文章になる。私が文章を著すときの基準値をご理解いただくために敢えて再録する。ただし、他人の理解なんぞくそったれである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月15日 20:48 | 固定ページリンク




 | 一考    

 人生に目的がない、目的がないからすることがない。することがないから暇である。死ぬ日まで暇を持て余している。暇だから仕事をしたり、本を読んだり、文を綴ったり、こうして書き込んだりしてのらりくらりと生きている。
 本が欲しいとおもうときもある、女を抱きたいと思うときもある。しかし先立つものがないし、手続きの煩雑さを考えると腰がひける。面倒はご免である。女性を口説くのは「おい、やらせろ」の一言で良い、拒否されればご縁がなかった、どうぞと言われればご縁があった、ただそれだけのことである。
 このようなことをダラダラ書き始めると辻潤のそれになる。怠惰な姿勢を気取られるのが嫌で、たまにレトリックを駆使もするが、本意ではない。

 「閉店サービス」に対してさっそくメールが舞い込んだ。ですぺらにはマゾヒストが多い、その理由を赤裸に述べたまでで、特定の個人を指した書き込みではない。私のことではとの邪推は私の書き込みには通用しない。ただ、どうあっても、金曜日中に書いておかねばならない理由があったとだけ申し添えておこうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月15日 20:22 | 固定ページリンク




北へ  | 一考    

 またとない機会なので、七月は北海道へ行こうと思っている。十年前まで、連れがあるときは四輪で、ひとりのときは二輪で北海道を駈け抜けた。海、岬、湖、原生花園のあらかたは訪れた。宿は常に大地、山海の珍味を求めての旅でもあった。
 あれから走り方も変わり、興味の対象も大きく揺らいだ。なによりも、私自身の変貌が著しい。今度行くときはどんな相貌で北海道が迎えてくれるのか。もしかしたら、過去を擬えるだけの旅になるかもしれない。まあ、そんなことはどうでもよい。恋人に逢いに行くのだから、注文はなにもつけない。ただ、私を抱きしめてくれさえすれば。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月15日 15:23 | 固定ページリンク




閉店サービス  | 一考    

 当掲示板の号はですぺら。当然のことだが、辻潤の虚無思想を伝播させるのが唯一の願いである。願いであって目的ではない。いやしくも辻潤の読者であるなら、人生に目的を持つような愚挙には至るまいと思っている。ただし、勝手にそう思っているだけで、実態は存じ上げない。
 この七年余、私自身も幾多の書籍の口入れや編輯にかかわったが、お客さんのなかからも、書籍や詩誌が数多く上梓された。そして店の余命はあと七日、書きたくないのだが、年長者としての責の一端を吐露する。
 同人誌や結社誌は相応の才能の持ち主が集って可能になる。まず同人誌ありきで、あとからの員数合わせなど論外である。こころがあるのなら個人誌をはじめるべきである。過日、書き物は個のはかなごとだと書いた。
 同人誌はそれでなくても悶着が多発する。それが才能と才能の激突なら嬉しい悲鳴になるのだが、大半はたけのこ族の意地の張り合いである。まず、原稿の書き直しを要請するなど考えられないことである。自分で自分の文章の判断がつかないところに最大の問題がある。そのようなひとが十回書き直そうと二十回書き直そうとなにも変わらない。初稿の段階で掲載を拒否すべきで、書き直しを要請する側の無責任さが窺える。編輯とは闘争であり喧嘩である、ひととひととのかかわりを生涯にわたって歪める結果を招く。その覚悟のない者が編輯に携るなどあってはならないことである。
 さて、原稿の書き直しを要請される側である。その場合の要件はふたつ、中身がないもしくは肉声がないのどちらかであろう。要請は叱咤であって叱責ではない、思うにありがたいはなしである。叱咤は自己の確立(なんと薄っぺらな言葉か)、要はひとりだちを促している。そして自立とは自分自身への懐疑であって、慢心を意味するのではない。仕事が多忙をきわめる、生活に煩わされる、他人に引っ掻き回される、孤独が必要だ、心身ともに自由でありたい等々、他者に責任を押しつけて知らぬ顔の半兵衛をきめこむのを慢心という。
 「私」に憑かれたひとがここにもいる。「私」が邪魔をしてなにも見られない見ていないということになる。過日著した「ひとの言葉の読み取り、解体、透過、吸収という一連のサイクル」に無縁で、なんの文学なのか。書くことが目的化するのを馬鹿の骨頂という。猛省を促したい。
 さて、彼たち、彼女たちがですぺら其二へいらっしゃるかどうかは分からない。ただ、お薦めはしない。なぜなら、ですぺら其二は私の個人バーである。重しを私は喪った、されば仮借ない批判が待ち受けている。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月15日 15:22 | 固定ページリンク




アドリブ  | 一考    

 旧掲示板では書き直しや修正に難儀があって、書いたものを一旦手元に置き、次の日に読み直してから載せるようにしていた。今回は自分でログインできるので、アドリブで書いている。即興であるがゆえに誤字脱字が著しい。たまに振り返って字句の修正を施しているが、既に十数箇所に及んでいる。例えば上記の「載せるようにしていた」を「載せるとの手法を採っていた」と訂すがごとしである。
 ところで、活字の世界にアドリブは効かない。修正するには組み直しが必要になるし、一度上梓された書冊の字句を訂すには重版の機会を待つしかない。
 ネットと活字の世界の大きな違いはその修正の容易さにあると思っている。意の足らないところ、表現の稚拙なところを掲示板なら気が済むまでさわることができる。活字の場では書きっぱなしだが、掲示板なら反芻可能なのである。この大きな利点があまり顧みられないのは不思議である。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月14日 18:51 | 固定ページリンク




各種ワインについて  | 一考    

 ワインはスティル・ワイン(赤、白、ロゼ)、スパークリング・ワイン、アロマタイズド・ワイン、フォーティファイド・ワインの四タイプに分けられる。香草や果実等の香味を付されたワインがアロマタイズドもしくはフレーバードで、ヴェルモット、デュボネ、ジンジャー・ワイン、サングリア、キール等が代表的。フォーティファイドは酒精強化ワインと訳され、シェリー、ポート、マディラ、マルサーラ、マラガの他、仏蘭西のヴァン・ドゥー・ナチュレルやヴァン・ドゥ・リクールがあり、コニャック同様、百年を超える長期熟成のものもある。フォーティファイド・ワインは高級品になるほど澱が多く、開栓と同時に濁り始める。その日のうちに飲みきるしかない。

 【フルーツワイン】
 サングリアはワインにオレンジや檸檬果汁等の香味と甘味を加えたもので、西班牙の国民酒。キールは辛口の白ワインにカシス(黒すぐり)を加え、風味に変化を持たせたもの。

 【マルサーラ・ワイン】
 シチリアの果実酒。熟成期間によって、フィーネ、スペリオーレ、ヴェルジーネに分けられる。フィーネは甘口、ヴェルジーネは長期熟成の辛口。スペリオーレは辛口が主だが、甘口もある。辛口をスペリオ−レ・セッコ、甘口をスペリオーレ・ドルチェと英国式に表記することもある。
 三十種ほどが輸入されているが、モスカート・パッシート・ディ・パンテレリアとディエゴ・ラッロ社のヴェルジーネ十二年ものが美味。他に、カルロ・ペレグリーノ社の創業年を冠した三十年熟成品ヴェッキオ・リゼルヴァ・ヴェルジーネ1880も美味。
 ですぺらでは三十種すべてを置いていたが、出水扱いのマリニ以外、すべてはホテルに買い取られた。

 【マディラ・ワイン】
 葡萄牙領マディラ島で醸される。スピリッツを加え、乾燥炉(エストゥファ)で最終醗酵させる。温熟の間に白ワインは淡黄色から暗褐色に色付き、マディラ特有の芳香を蓄える。辛口から甘口へ、セルシアル、ベルデーリョ、ブァル、マルバジアもしくはマルムジーの四タイプに分けられる。五〜六十種が常時輸入されているが、ボルゲス社のハーフ・スイートやアントニオ・エドゥアルド・エンリケスの十年ものが美味。更に、値は張るがマイルズ・マディラ社のマルバジアとブァルは共に絶品。
 ちなみに、エンリケス社の製品は十三種すべてが輸入されているが、ジャスティーノ社のものと共に品質は安定、評価も高い。他では1860年創業のベイガ・フランカ社の原酒をシルバ・ビニョス社がボトリングしたセレクテッド・ミディアム・ドライも値の割にはまずまずの味わい。
 ジャスティーノ社ではマルムジーのヴィンテージ・タイプがお薦めだが、近年倉庫の奥から発見されたオールド・リザーヴは特筆もの。十九世紀後半の樽で、コンディションは最高だが、ヴィンテージを特定できず、「Old Reserve」規格として瓶詰め。現存する最古の葡萄品種とされるテランテス種を用いている。同種は、「ワインを造るために神が与えた葡萄」と讃えられ、当時は生食は厳禁。十九世紀末のフィロキセラ禍の後も接ぎ木されることなく、結果、収穫量は激減、ごく僅かの株がマディラ島に遺されるのみ。
 こちらも僅かに二本を残して、約三十本はホテルに買い取られた。

 【ポート・ワイン】
 葡萄牙を代表する葡萄酒で、ブランディーを加えて醗酵を止め、甘味を残す。ルビー、トーニー、両者をブレンドしたスペシャル・ブレンデッド、白葡萄から醸するホワイト、数十年瓶詰熟成するヴィンテージ・ポート等がある。ちなみに、ヴィンテージ・ポートは大量の澱を生じるのでデキャントの要あり。ボトリングから十五年目位が飲み頃。なお、レイト・ボトルドと称する、澱引きを施したヴィンテージ・ポートもある。
 ワレ社、テイラー・フラッドゲート&イートマン社、レアル・コンパニア・ベーリャ社のものが評価高く、廉価版ではカレム社のヴィンテージ・ポートがお薦め。いずれにせよ、コニャックとポートは安物に手を出さないのが賢明。
 他ではグラハム・マルベドスのヴィンテージものがお薦め。葡萄の作柄に恵まれた年にのみ生産されるが、トーニーの樽による熟成とは異なり、同品は長い瓶熟を経る。従って、若々しさと熟成香という相反する香味を併せ持つ。

 【シェリー】
 西班牙の南西端アンダルシア地方のヘレス及びモンティリャ・モリレス地区を中心に醸される。ブランディーの添加によって白ワインの醗酵を止め、甘味を持たせ酒精を強化する。フロールと呼ばれる上面酵母の膜の繁殖度、ソレラと称される独特の熟成システム等で、風味はバラエティに富む。パラミノ種を原料とするフィノ、アモンティリャード、オロロソ。葡萄の品種名でもある甘口のペドロ・ヒメネス。サンルカール・デ・バラメーダ産のマンサニーリャ(フィノ・タイプの辛口)の五つのタイプに分かれる。また、オロロソ自体、辛口と甘口(クリーム)に分かれ、オロロソとアモンティリャードの中間の性質を持つパロ・コルタードも少量ながら生産されている。他にクロフト・オリジナルのように各タイプのシェリーをブレンドしたものもある。

 ヘレス地区のマルケス・デル・レアル・テソーロ社の創業は1860年。フィノはキリッとした味わいとアロマティックでナッティーな香り。トラディショナル・オロロソはヘーゼルナッツの香りと干し葡萄の味わい、熟成を想わせるテイスト。クリームはペドロヒメネスのとろりとした甘さ、杏のような雅な香り。また、同社のティオ・マテオ・フィノは評価の高い一本。
 モンティリャ・モリレス地区のバルケロ社の特徴はデリケートな酸味、ワイン好きには堪えられない。グラン・パルケロはフルボディであるにも関わらずアロマティックなアモンティリャード。
 有名なハーベイ社ではパロ・コルタードにとどめをさす。パラミノ種から造られた逸品で長期熟成古酒、甘味と雅味の調和、ブーケを愉しむに最適のシェリー。
 ハーベイ社と双璧をなすバルデスピノ社は創業年には諸説あり不明。最も古い家族経営のシェリー・メーカー。亜米利加では一番の売れ筋ブランド。アモンティリャード・コリセオの他、パロ・コルタードとマジェスタッドと名付けられた辛口オロロソが美味。皇帝陛下と名付けられた百年超熟成の逸品もある。
 サンチェス・ロマテ・エルマノス社は1781年の創業。家族経営のシェリー、ブランディー専門メーカー。オロロソ三十年とアモンティリャード三十年、ラ。サクリスティア・デ・ロマテ・ペドロヒメネス三十五年がある。
 私がもっとも好きなエミーリオ・ルスタウ社は家族経営のシェリー醸造所。一切の加糖、着香、氷温濾過を施さず、謂わばスコッチのシングル・バレル。香りはユニーク、酒質は軽く極端にドライ。大手メーカーものと比して、フィノやマンサニーリャは些か水っぽく感じられ、好き嫌いの分かれるところ。初手は甘口がお奨め。同社がボトルに冠するアルマセニスタとは、小さな醸造所に携わる人、もしくはそのシェリーのこと。
 ルスタウ社は小規模な生産者から集めたシェリーをブレンドすることなく出荷、生産者名が記されたラベルが多い。ちなみに、全ボトルにナンバーが記入されているが、分数はソレラの最下段の樽の数を表す。エンペラトリス・エウヘニアはトネル樽の逸品、1895年の樽詰めになる百年もので筆舌に尽しがたい一本。
 文中に著した以外では、ウイリアム&ハンバート社のドス・コルタドス、ゴンザレス・ビアス社のデル・デューク・アモンティリャードとノエ・ペドロヒメネス、ボデガス・ピラール・プラ社の熟成品二種、即ちエル・マエストロ・シエラのオロロソとアモンティリャードが特にお薦め。
 こちらは三百本を越える逸品を東京へ持ち込んだが、沖山さんが数本を飲まれたのみ。他は四本を残してすべてホテルへ身売り、酒に対して申し訳がたたず、慙愧に堪えない。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月14日 05:16 | 固定ページリンク




縮緬山椒  | 一考    

 広島産だが、まずまずのちりめんが手に入った。で、この店で最後のちりめん山椒を拵えた。最終日まで在庫がある、お好きな方はどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月13日 19:58 | 固定ページリンク




男根扼殺者  | 一考    

 櫻井さんが菎蒻の罐詰拉麺について書かれていたが、あれは猫灰だらけを通り越してグロテスク乃至はデカダンスですらある。文学におけるグロテスクやデカダンスは私の好むところではないが、性的なデカダンスは謳歌している。
 ラテン語のim-potensが私の病名である。私の場合は器質的なものではなく、機能的な原因によるものだそうである。機能的インポテンツでは性交に際しては勃起しにくいが、それ以外のとき、たとえば自慰や睡眠時あるいは早朝などには勃起が起こるのが特徴だとものの本に書かれている。要するに勃起神経になんら異常は見受けられないのである。
 挿入に成功しても射精しにくい、または射精できない。それを女性から指摘されることによって萎えてしまう。その繰り返しのなかで、この次も射精できないのではないかという失敗恐怖観念にとらわれ、ついには自分はインポテンツであるという固定観念に陥ってしまう、その典型なのだそうである。「だそうである」 のであって、私はことなる意見を持っている。
 主治医にいわせると、そこいらの心理学や精神分析の専門家では一考に歯が立たないし、ましてや一考がいうことを聞くはずはなく、まったく無駄であるそうな。女が変わればできんじゃないのと、彼は鷹揚に構えている。
 別に射精できようができまいが、たいした問題だとは思わない。それをコンプレックスに思っていないからである。そんなことよりも、インポテンツにはインポテンツであるがゆえの気宇がある。
 冥草舎の西岡さんが書いて人口に膾炙するようになった「君、禁欲とは限りなく淫蕩になることだよ」との塚本さんの言葉がある。この文言に対する出自や詳細には一切触れない。私は扇動家であっても舌禍の一群ではないからである。問われるのは個性であって情報ではない。
 塚本や足穂のような似非ホモは多い。ただ、似非であろうがなかろうが、そのようなこともどうでもよい。本質となんらの脈絡も有しないからである。
 サドの女陰の封印同様、男根を扼殺しなければ淫蕩にはなられない。淫蕩とは妄想の謂いである。これは種村さんの「躄にならなければダメだよ」と消息を一にする。表現者とは人生の故買屋である。そして窩主で売買されるもの、それが妄想でなければなんなのか。

 昨夜、帰りの地下鉄のなかで櫻井さんが私の腹をさすっていた。呼応して「腹がへこみ、久しぶりに息子と対面できたのだから、性欲が黄泉帰えるかもね」


投稿者: 一考      日時: 2007年06月13日 15:17 | 固定ページリンク




猫嫌い  | 一考    

 私はキニコス学派なので猫は苦手である、しかし魚は好物である。一昨夜「かさね」から飛び魚の棒鮨と胡瓜魚を頂戴した。胡瓜魚の学名はキャペリン、近隣のスーパーではカラフトシシャモもしくはししゃもの名で売られている。胡瓜魚は柳葉魚の従兄弟だが柳葉魚ではない、味がまったく異なるのである。ところがカラフトシシャモを食しても胡瓜の味はしない、きれいさっぱり拭い去られている。まるでブリーチに漬け込まれたようである。ここから先は書かない、営業妨害に当たるからである。
 そうしたことの種明かしは当掲示板でなんども試みてきた。饂飩や蕎麦の食感、すなわち腰の強さを愛でるひとがよくいるが、あの本体はタピオカである。日本では第二次大戦後の食糧危機のさい、輸入食糧第一号としてフィリピン産のタピオカ四百十七トンが放出されたことがあり、現在では主としてタイから輸入されている。
 「添加物によって不必要に堅くされた麺など御免被りたく、自然な歯応えこそが『嚼』の字に相応しいものと心得ます」と書いた。添加物を用いる側が詭弁を弄しているのか、それとも業者にそれを強いる消費者を嗾すメディアが詭弁を弄しているのか、さらにはメディアの弁を鵜呑にする消費者が自らに詭弁を弄しているのか、ことはいささか複雑である。もっとも私に言わせれば企業や政府に責任などあろうはずがない。阿呆な消費者は手に手を取って死ねば結構、猫灰だらけ。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月13日 13:43 | 固定ページリンク




覇気  | 一考    

 二十三日までの営業が可能になった。今日を入れて残りは十日、うち一夜は酒精強化ワインの飲み会を予定している。この間に家賃をつくらなければならないが、それは端からあきらめている。
 ひとりになってから極力話すように心掛けている。従って、複数のお客がいらっしゃるときはお好み焼きは不可能、そこでちぢみを買ってきた。既製品なのでどうというものではないが、食べられないわけではない。

 昨夜は江戸っ子以来の付き合いの小倉さんが来店、小出さんの書き込みを読んでいらしたとのこと。横須賀さんとの出遇いをもたらしたのは彼である。ちなみに、彼は二十一歳の女性と結婚した。私流に言えば、偶然性に対するおそらく生涯最後の賭けを試みたとなる。マラルメからドゥルーズに至るその理を説明する気は毛頭ない。ただ、彼の自らに対する意気込みと締付けのバランスのよさに驚嘆させられる。
 死が目前にあるからといって、だらけた生き方は自分自身に対して許されない。死を意識せざるを得ない情況に至ったときこそ、ひとは一所懸命考える。そして、考えるとは詭弁を弄することでもある。はぐらかしは屡々新たな領域へとひとを誘う。「少年や六十年後の春のごとし」との耕衣句を曲解すれば、年をとるのは年をとっていない者である。ゆえに、年をとった者は若者であるとなる。要するに、私は文学とはソフィストだと言っているのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月13日 13:25 | 固定ページリンク




ソフィスト  | 一考    

 ありがたいお言葉、恭悦至極に存じます。葡萄酒にかんしては、銘柄を決めての在庫は今後とも維持します。チョイスが売りのですぺらゆえ、まったく切り捨てるということはございません、ご安心を。明日夜に結論が出ると思うのですが、うまく行くと二十三日まで営業を続けられそうです。再開は八月の予定。
 cobraを持ち出したのは今日越に適きて昔至るの類い、ごまかしの人生に範を得ての詭弁です。腓腹筋が絶稜に身を投げ云々は大宮伯爵の句からの連想ゲーム、多田智満子さんの駄洒落づいたる神無月→神在月に基づきます。かような遊びがないと息が詰まります。書き込みの半数はなんらかの意味で書評を構成しています。ただ、書名や著者名を入れるがごとき衒学趣味は持ち合わせず、ひとさまの理解を得ようとの考えは毛の先ほどもございません。

 矢野峰人選集の完成おめでとうございます。矢野峰人、平田禿木、竹友藻風、山宮允の初出誌校訂を試みようと、小出昌洋さんと国会図書館へ半年ほど通い詰めたことがございます。当時はコピーが高くて、二千枚ほどの複写で二人の給金が消えていました。文筆の譎詭に悩まされた時代、それは「日本でも腹を日に干す小舟町」の時代でもございました。空きっ腹を抱えても、野暮だけはやめようねと、二人で頬を寄せ合っていたのです。書誌学の幅を拡げ、明治、大正を加えられないかとの純な目的を当時は抱いていました。その心算は谷沢さんの遊星群—時代を語る好書録によって漸漸現実のものとなりました。
 前項の揀択去取は「凡そ飲食を喫するには、揀択去取すべからず」から奪りました。飲食を読書に置き換えての六十年、もっか人生の食い逃げを諮りおりますが、流石にいささかの綻びが生じてまいりました。身体とはさびしいものでございます。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月12日 09:59 | 固定ページリンク




お見舞ひいろいろ  | 高遠弘美    

一考さま。
 さまざまにお辛き御身のうへ、心よりお見舞ひ申し上げます。葡萄の安酒しか受けつけぬ身となりてより、純粋なるモルトウイスキーにおそれをなし、他用のありしことも重なつて、ひとまづの千穐楽に参ることあたはず、失礼をばお詫び申し上げます。再開の暁にはぜひとも御挨拶にうかがひたく存じます。
 さて、腓返りを「こぶらがへり」と云ひしこと、日本国語大辞典第二版には載つてをります。そもそも「こむら」を「こぶら」と云ふ語源に四説あり。今、用字を無視して紹介いたせば、
1 「かぶら」(根茎)と通ずる。根茎と同じく離れた所の意。こは「大言海」の説。
2 「こはら」(小腹)の転。
3 股(ゆら)肉に次ぐ小肉であることから「こゆら」の転。
4 「こぶ」は瘤の意。「ら」は「らか」の反。
 「こぶらがへり」の用例として日本国語大辞典が挙げしは「雑談集」(1305)なり。
眼鏡蛇のcobraの例としては、「蘭説弁感」(1799)があり、いづれにしても「こぶらがへり」とは無縁のやうでありまする。

 しばしば薬局の看板に「脚のつる方、応相談」などと書かれてゐます。年を取るからといふだけではないのかもしれません。
どうかくれぐれも御身大切に。一考さんのお話をうかがふ、否、お目にかかるだけで嬉しくなる者、あまたゐることをお忘れなく。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年06月11日 11:31 | 固定ページリンク




腓返り  | 一考    

 櫻井さんから気遣いの電話、心配をお掛けして申し訳ない。書き込みへの若干の補足を喋り、安心していただいた。たまに繰り言を書きますが、これも精神衛生の処方、滅多なことで潰れはしません。それと死への憧憬は誰にでもあることで、揀択去取を原則拒む私なればそれも当然と心得ています。

 高遠さんも書かれていらしたが、右足ふくらはぎの腓返りの多発に泣かされている。昼夜を問わず悩まされているが、血中の炭酸ガスを増やすのが手っ取り早い治療法で、対処には慣れている。また車の運転は普段から両脚を用いているので、非常とは言え周章てはしない。
 こむらがえりを私はこぶらがえりと教わった。間違いではないのだが、いかなる地域での名称なのかは調べたことがない。イナバウアーよろしく、蛇のコブラが身を捩るようにふくらはぎの腓腹筋が絶稜に身を投げ、悶絶するところからこぶらがえりという、と覚えていたのである。
 ただ、激痛に目を覚ますので、少ない睡眠がさらに少なくなる。疲労回復の手立てが睡眠しかないのに、その疲労が睡眠の幅を狭めている。老人性腓返りに妙薬はないようである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月11日 02:42 | 固定ページリンク




Oさんへ  | 一考    

 Yさんが亡くなられたとき諍いが生じ、ですぺら掲示板で後味の悪い思いをさせられた。同様に、先日友を失い捫着に巻き込まれている。あるひとにとって悪しきことであっても、あるひとにとっては必ずしも悪しきこととは限らない。さまざまな側面をひとは内包している。従って、どのようなひとにもきっとすばらしい部分があるに違いない。ただ、チャンネルの掛け違いでひととひととの関わりはいかようにも推移する。そして不器用であればこそ、掛け違いが多発する。今回の相方の遁走などもその典型かと自責している。「相手を見て法を説け」との差別的文言を是認するのがいかに切なく悲しいことか、身につまされる思いである。
 私はどうあっても人生のプロにはなられない。おそらく唯一の友であるようなひとにすら、かかわりの凍結を宣する愚鈍な人間である。自らの稚拙を嗤いつづけての六十年だった。現世を離れるときはステキなウィスキーを一本くすねるつもりである。そのときは俗事を離れ、心中に屈託なく二人きりで酔いに身を任せられるひとが現れるであろうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月10日 19:53 | 固定ページリンク




とりとめなく  | 一考    

 今朝は六時半に帰宅、一滴の酒を飲むことすらかなわなかった。五月七日以降、はじめて死ぬように顛れた。きつい厭世気分に陥っている。ちはらさんをお送りしたあと、川越街道へ出てからはひどい運転で、急ブレーキを一度ならず繰り返し、自宅へ辿り着けるのかと不安になった。
 彼女から、「一考さんは土曜日はいつもこんなに疲れ果てているのですか」と訊かれた。どうやら、毎週、金曜日にエネルギーを使い果たしているようである。それにしても、この種の鋭敏な感覚は怖い、ほんの一握りの表現者が備える感覚である。穎敏な頭脳の持ち主とは彼女のようなひとを指すのかもしれない。

 「攪拌」で書いたように、自らの疲れを言訳に勝手な物言いを繰り返している。昨夜もりきさんやそえさんにつらく当たった。申し訳なく思っている。こころにもなきことなれば、どうかお気になさらぬように願う。
 そして松友さん、まなさん、上條さんに感謝している。上條さんには閉店までお付き合いいただいた。朝の九時に家を出たので脚はかなり与太っていた、彼がいなければ無事に終えることはかなわなかった。

 のんちさんに肩を揉んでいただいたが、かような体験は七年ぶりである。ピアニストの強烈な握力と指の力を思い知らされた。あれは並みの方なら痛みに耐えかねて逃げ出すのではないかと思う。人工呼吸や心臓マッサージを施せば肋骨の一本はかならず折れる。骨がぼきぼきと音を立てているのが聞こえた、ここちよい肉体の悲鳴にしばし酔いしれた。

 昼過ぎ、Fさんの訪いあり、葡萄一房と少量の桜桃を届けてくださった。このところ、食することに嫌悪を通り越して憎悪感すら抱いている。かかる折になにかに心を摧いていただき忝なく思っている。
 あなたのことは心配していない、だが、心はともかくも、身体は少しはいたわって下さいますかとの言葉を頂戴する。玄関先でのほんの二、三分の立ち話、果実には「風吹不動天辺月 雪圧難摧澗底松」とのメモ紙が挿まれていた。桜桃を口に含み、ひとり号泣する。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月10日 19:14 | 固定ページリンク




ごめんなさい  | 松友・・・ってゆうか、まっちゃん、っていうか・・・    

 本日、受付を承っておりました松友と申します。諸般の事情によりまして、御主人様始めお越しの御皆様様方のお心使いは、もしかして拝領できましたかしらんとか、あまえて御期待申し上げておりますけれど、しかし、私め個人の止ん事無き事情の為かなりの時間失踪させた戴きました事、深くお詫び申し上げます。
 本日御尽力賜っていた御皆様方、併せて御心遣い頂いていたお客様にも勿論の事深くお詫び申し上げます。
 私めにとりましての事情ですがゆえここに深くお詫び申し上げるものです。
 ごめんなさい。
                 松友・・・ってゆうか、まっちゃん、っていうか・・・です。


投稿者: 松友・・・ってゆうか、まっちゃん、っていうか・・・      日時: 2007年06月10日 02:59 | 固定ページリンク




オチなし  | 一考    

 昨日食したるはところてんのみ。絢子さんがよく利用なさっていた近所のコンビニで、ミニミニ弁当と称する梅しらすご飯を購入、これならなんとか食べられそうである。食事制限とストレッチにダンベルなど、体型を維持するために払っていた彼女の努力を想い起こした。同時に荻窪のミニヨンの一階にあった弁当屋に思いを馳せる。この種の弁当(量が極端に少ない)をよくY・Nさんから馳走になった。
 このところ、食費が激減しているので、煙草でちょいと贅沢してみたくなった。好みのアークロイヤルとラムセス二世を購い、加えるにmoonさんからの葉巻、これでウィスキーを飲む段取りが整った。紫煙とともに燻らす香りはアードベッグかラフロイグと決めている。煙いもの同士が似合いである。とは思うのだが、自宅へ戻るとやはり菊正宗。山本六三さんが亡くなったときも長いあいだ日本酒を飲んでいた。
 今日は送られしメールのおかげで少し元気がでてきた、などというプライヴェートなことは掲示板では書くまいと思っていたのだが、たまには許されるだろう。このところの書き込みは特定のひととのあいだで交わされたものである。以上、酔っ払っているのでオチを拵えないままに掲載する。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月08日 04:11 | 固定ページリンク




攪拌  | 一考    

 敷居が高いとの注意をしばしば受ける。理由の過多は私の掲示板への書き込みである。分かっているのだが、私の思いもあってどうこうする気はない。
 何度も書いてきたことだが、学識もなにもなく、やんちゃばかりしていた私になんとか方向性を持たせようとして、多くの先達が書物の世界へと誘ってくださった、十代の頃のはなしである。この歳になって、その恩にお返しができないものかと思い、若い人たちを焚き付けている。
 ひとを啓蒙する識見や智力を持ち合わせない。従って嗾しているだけである。扇動であってトンネル工事に用いるアジテーターを言っているのではない。もっとも、攪拌が目的であるに違いはないが。余談だが、モルト・ウィスキーを樽からボトルに移すときは念入りに攪拌する。香りがより高くなるからである。
 このところ処理能力を上回る難事がつづき、鼓舞せんと欲して自らを攪拌している。捏ね回すのはよいが、勢いが余って隣近所に迷惑をかけている。余波を蒙った方々に済まなく思い、そしてありがたく思っている。
 余波と書いたが、別になにが通り過ぎたわけでもない、当分は渦中にある。

 櫻井さんが私の究極のダイエットについて触れたなかで「上から眺めて陽物が見えるようになったよ、がはは」と紹介なさっている。レスを添えたが、こちらへ転記しておきたい。
 「腹を平らにしようとすれば、さらに10kgの減量が必要で、それをすれば身体が壊れます。上から眺めて見えるようになったのはいいのですが、あまりの小ささに愕然。3センチ5ミリはあると信じていたのですが、実体はめり込んでいました。見えたのは皮の先だけ」
 残照が包皮だけではあまりに無惨、これを人生の残滓といわずになんとしようか。虚無の疾病とはげに怖ろしいものである。
 さて、出勤時間はとうに越えている。今日はこれまで。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月07日 15:42 | 固定ページリンク




たけのこ族  | 一考    

 「舌禍の一群」で「ひととの出遇いや読書が持って生れた稟質の変更改竄を余儀なくさせるならともかく、拾い得た知識を自らの属性と曲解し、それを出汁に友と称する悉に異しがるべきものを聚めて悦に入るなど以ての外である」と書いた。
 稟質の変更改竄を余儀なくさせることに於いて友も書物も同質である、されば稟質の変更改竄を余儀なくさせない友や書物はなんなのか。それらを私は筍と称している。雨後の筍という言葉があるように、のべつ幕無しに世に顕れる。堀り立て、もぎたてなら柔らかく、一塩でおいしく頂戴できるが、二、三日で堅くなって煮ても焼いても喰えなくなる。孟宗であれ、真竹であれ、淡竹であれ、その消息は同じである。
 一塩でおいしく頂戴できるさま、言い換えれば柔軟さをいかにして持続させるか、そこが思案の為所、勘所である。思案の案の字が百貫するとは毛吹草だが、安易にものを書いてはいけないとの戒めであろう。
 りきさんが呼応なさっているが、書くという行為を考えるのではなく、書くという行為そのものを著せば良いのである。要するに、自分の考えそのものを書くしかない。「書けないという今の状況」「書かねばなるまいという気負い」等々、なんでもよろしいが、どうして対象となる作家が必要なのか。著す対象はいかように推移したところで自意識でしかない。××○○に託つけて、ひとは過剰な自意識と闘い、抗い、「試行錯誤」し、底の見えない渦に巻き込まれて行く。宇野さんが書かれたベールィ、ゴンブロヴィッチ、クライスト、ムージル、カフカ、リスペクトール、ペソア、メルヴィル、ジェイムズ、シンガー、ベケット、アルトー、ジュネ、ドゥルーズなどは皆そうではないか。
 書物でも友でもよい、稟質の変更改竄を余儀なくさせる対象と出遇ったときは喰らいついて離さないことである。その対象こそが自意識の鏡であり投影であり分身なのだから。対象とは客体ではなく、主体そのものでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月06日 05:33 | 固定ページリンク




若さについて  | 一考    

 「ほぞ」で書いたが、七日以降の二十三日間で体重が六キロ減った。精神に変化があれば体重が変わり、体重に変化がもたらされば精神も派手な活動をはじめる。やはり精神と肉体は密接な弁証法的まじわりを内包しているようである。体重の変化はひとときのことなので気にはしていないが、あまりに急な変化のために体力の消耗が著しい。痩せるのは好ましいが、月二キロに抑えなければならない。
 体重の減少を止めようと、このところ無理をしてでも食べるように心掛けている。しかし、先日も海苔弁当や丼の並盛にチャレンジしたが、食することはかなわなかった。朝飯の一日一食に戻ってしまったようである。しかし夜はかかさず酒を飲むので、その肴で栄養を補給している。前項で書いたおおむろさんにもマルゲリータを注文していただき、その内の二切れを頂戴した。

 のんちさんこと川津 望さんの精神の変化が私の体躯にも似て目覚ましい。若さがなせるわざなのか、ひとの言葉の読み取り、解体、透過、吸収という一連のサイクルに非凡なものがある。「断碑」で触れたTさんもそうなのだが、人生にカルノーサイクルはない、ことごとくが不可逆なものだということを彼等は身体で諒解している。
 自然界におこる変化は厳密にはすべて不可逆であるという当たり前のことを人はしばしば忘れる。その理由は分からなくもない。これ以上傷つきたくないとか、傷口を拡げたくないといった自己保身が底流にあるように思う。しかし、外界から遮断されたところでなにをいくら書こうが、それは文学とは看做されない。
 エントロピーが最大値になれば、もはやどのような変化も起こらなくなる、それを避けるために、精神は常に動きを、動揺を、搖れを、振れを冀求する。振れとは場の変改であって、精神はその変改を余儀なくさせる。変改を哲学するこころと受け取っていただいて問題ない。ここで強調しておきたいのは精神とは一刻の休みなく揺れ動いているものだということである。
 心にとって外界は唯一の栄養の補給路である。書くことが目的になっては本末顛倒である。なぜ書かなければならないのか、なにを書くのかが反芻されなければならない。そして反芻の原資もまた外界にしかない。「二切れを頂戴した」と書いたのはその消息を示唆している。人生に過剰な変化を意図してもたらすところに大事があり、その過剰な変化を意図して翳めるところに文学があるのではないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月05日 15:28 | 固定ページリンク




好青年  | 一考    

 いつも飲んだくれるばかりで、肴を除いて食にさしたる興味はない。 従って、ファミレスというところに足を踏み入れたことがほとんどなかった。
 日曜日の夜はまなさんの連れ添いに案内されてサイゼリヤへ行った。あまりの安さに愕かされ、そして値のわりには旨いと思った。もっとも、私はビールをジョッキで二杯と白ワイン500㎖をデキャンタで注文、食の方はつまみを摂っただけである。ワインはよく撰ばれている。トレッビアーノを思わせる味わいだが、おそらくオスコのテーブルワインだと思う。店内は若いひとで満席、彼等の旺盛な食欲を横目に、不思議な経験をさせられた。どう不思議だったかは別の機会に書く。
 ここで書きたいのはまなさんの連れ添いのことである。ラリーが好きとかで、滅法車に詳しい青年だった。発動機のはなしに終始したが、青年特有の刷り込みがない。刷り込みは言い換えればこだわりになる。好悪を超えて各メーカーのエンジンの特質をじつに正確に捉えている。そして改造にかんしても、ホイールのインチアップやトルクが抜ける太いマフラーには見向きもしない。要するに、風俗としての改造には興味を示さないのである。彼の車は1Jのエンジンを積んでいるが、サスペンションとショックアブソーバを換装したと言う。まったく正しい改造法である。
 ですぺらでお客さん同士がどのようなはなしをしようが私が関与すべきことではない。ただ、はなしを私に振るのだけはやめていただきたい。ショットバーなので、ウィスキーの質問には誠意お答えするが、書物のタイトルや著者名の無機質な羅列に応じる気はまったくない。好き嫌い、良い悪い、名訳悪訳、文章の巧拙等々を無機質と言っている、それらは文学とはなんの関わりもないからである。言い換えれば、風俗としての文学にはいささかの興味もないのである。
 まなさんの連れ添いは「おおむろ」さんと言う。福島の出身というから大室と表記するのだと思う。浩然の気というか、屈託ない彼の顔つきは清しい。良い酒と酔いに恵まれたことに感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月05日 09:45 | 固定ページリンク




モルトウィスキーの加水について  | 一考    

 硬貨は用意しているが、札は三万円分の釣銭しか準備していない。この一年間はそれで間に合っていたそうである。ところが、二日は千円、二千円の勘定で、七名のお客さんから万札を出された。近隣の協力を得て対応したが、協力が得られなければ七万円分の札を用意しなければならない。そのような余裕はですぺらにはない。困ったものである。

 困りついでに、モルトウィスキーの加水について一言。
 加水によって香りが増すとの風評がある。あれはまったくのデタラメだと私は思っている。スペイサイドの一部に加水によって香りが変化するウィスキーがある。ただし、あくまで変化であって増すわけではない。それどころか、同割であっても香りのベクトルは十分の一に減少する。氷であれ水であれ、加えることによってウィスキーは水っぽくなるだけである。
 スペイサイドのフルボディ、例えばマッカランやストラスアイラならともかく、アイラモルトはライトボディである。とくにアードベッグやカリラは水で割ると屁のようなウィスキーになってしまう。それがいいといわれれば反論はしない、ただ、ウィスキーが可哀相だと思う。
 モルトウィスキーの特徴は個性の強さにある。その個性をなぜに薄めるのか、理解に苦しむところである。わざわざ淡めて飲むのなら、日本のウィスキーやカナディアンもしくはバーボンのような雑穀で造るウィスキーの方が向いている。
 体調がよろしくない時はアルコール度数の低い酒を飲めばよい。モルトウィスキーの水割りと人生の水割りはあとに悔恨を遺すだけである。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月05日 08:33 | 固定ページリンク




報告  | 一考    

 まなさんのご協力を得て、モルト・ウィスキー百四十本を撤収。先月撤収した分と併せて、二百二十本がバックバーから消えました。次回の十日には次の二百本を撤収する予定です。まなさんの他にも、大室さんや松本さんのお世話になっています、ありがとうございます。

 今夜は不動産会社との打ち合わせのため、開店は七時過ぎになります。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月04日 13:01 | 固定ページリンク




検索  | 一考    

 海馬車(とどぐるま)の検索で来られた方がいて管理人と大笑いした。私の徒名がとど、とどが乗る車という以外に意味はない。検索されてもですぺら掲示板へ戻ってくるだけである。
 ところで、香辛料で訪なわれる方がすこぶる多い。従って香辛料の頁を充実させようと思っているが、もっかのところ暇はない。香辛料の検索は私もなんどか試みたが、コピペばかりでおよそ役に立たない。ウエブサイトにも著作権を確立させないと検索の労、無駄骨が常態化してしまう。

 ラフロイグのクオーターカスクは先行品とサントリー扱いでは香味が異なることが分かった。先行品がやんちゃで、サントリーのそれは温厚にして美味。軍配は先行品にあがった。
 インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグは結局十本購入した。当分は大丈夫である。アベイヒルのラフロイグがエイコーンのキルブライトに匹敵するなら、また購入資金が必要になる。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月02日 15:31 | 固定ページリンク




ラフロイグ  | 一考    

 アベイヒル社からいささか下種なラフロイグがボトリングされます。2000年蒸留、2006年瓶詰、57.5度のシングルカスクです。
 品性悪しく獰猛、素行の不良なウィスキーの典型です。若いだけあって樽の影響が少なく、パワフルな味わいが堪能できます。当然、冷却濾過は施されず、添加物も一切使われていません。
 樽の影響が及んでいないウィスキーを素顔のウィスキーといいますが、これはひとにあっても大切なことで、形振りは時としてもしくは場に即応して捨て去らねばなりません。刷り込みを却け、幼心に戻って懼れを抱いて相対する。それがウィスキーの翻ってはバーにおけるもっとも大切な所作でなかったかと思うのです。
 アベイヒル社はスコットランド・アバディーンに本拠を構えるボトラー、キングスバリー社の関連会社と言われています。過去数回に渡りボウモアのシングルカスクを角瓶でリリースしています。そちらはあまり感心しなかったのですが、今回は期待できます。頒価は七千四百円の予定。


投稿者: 一考      日時: 2007年06月02日 14:53 | 固定ページリンク




感謝  | 一考    

 会費が会費ですから、九日は十名ちょっとしかいらっしゃらないと思います。それを意図しての値付けでした。次の店のお客さんに繋げる意味もございます。
 上條さんにカウンターの中をお願いしました。カウンターにはもう一名必要ですが、まだあてはありません。ホールと受付はりきさんと松友さんにお願いしようと思っていました。最後になりましたが、お気遣いありがとうございます。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月31日 04:27 | 固定ページリンク




お手伝いの件  | りき    

九日の会、料理や飲み物を運ぶお手伝い程度ならできるとおもいます。ただ当日は仕事なので少し遅くなります。


投稿者: りき      日時: 2007年05月30日 20:47 | 固定ページリンク




菊水作戦  | 一考    

 昨夜も松本さんの世話になった。有り金をはたいてモルト・ウィスキーを買ってしまい、実は帰りのガソリン代がなかったのである。戦艦大和の心意気で、最悪の場合は始発電車で帰るつもりだった。
 トラックの運転手をしていたため、手持ちのガソリン・カードは宇佐見のみ。安いかわりに、都心部では滅茶不便である。松本さんが五桁のワインを飲まれたので無事に帰宅、もっか泥酔状態にある。

 松本さんが飲まれたのがドメーヌ・ニエロ・エ・パンションのコンドリューである。これで在庫はルイ・メテロのムスカデ・キュベ・ワンとジャック・ルムニシェのサン・ペレのみになった。
 横須賀さんがですぺらへいらした時、数あるモンラッシェのなかでフォンテーヌ・ガニャールの86、87、89年を蔵していることに愕いていらしたのを思い出す。たしか松本さんはバタールを飲まれたと記憶するが、そのバタールはシャサーニュ共々、各十本ずつ神戸から持ってきた。松本さんが飲まれた一本を除いて、他の在庫はすべて銀座の酒屋と内幸町のホテルに売価のままで引き取られて行った。いささか悔しい気もするのだが、東京のお客さんにワインのプロはひとりもいなかった。銘柄を理解してもヴィンテージまで解する客に恵まれなかったのである。次の店ではワインと日本酒と焼酎は置くのをやめようと思っている。

 ここまで書いて寐てしまったようである。昨日、某酒屋で赤坂のですぺらさんでしょうと訊かれた。雑誌で見たとかで、ウィスキー・ワールドの読者層の厚さを知った。次の店の準備をかねて今日もこれから酒屋を覗くつもり。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月30日 12:18 | 固定ページリンク




(以下略)  | 一考    

 閉店が決まったので、書きたいことを書いている。キルケゴールの人生行路かボヤキの人生航路か、そんなことは一向に構わない。相方という重しがなくなったがゆえの魚説法(舌鋒)である。
 ですぺらは引き裂かれていた。チョイスを楽しまれる客と自称文化好きのふたつのグループに分離されていたように思う。分離どころか乖離していたようにすら思う。その結合点がモルトウィスキーであった筈なのだが、まったく機能しなかった。
 プロの書き手はごく少数を除いて、モルトウィスキーに興味を持たれ深入りなさった。問題は芸能レポーターのような意見を書物に対して抱いているアマチュアの方々である。昔は文壇雀と言っていたが、それを私は新時代に相応しく舌禍の一群と名付けた。僅か四、五人にすぎないが、喧しいばかりで中身はなにもない。第一に本なんぞ、なにも読んでいないではないか。素人衆のなかで一頭地を抜くからと言って、なんぼのもんじゃいと言いたくなる。
 編集者はコミケにも出入りしているし、これというブログにも目を光らせている。全国区の雑誌から原稿依頼がないのは書く内容の陳腐さを証明している。そして、なにも書かないひとはなにも読んでいないに等しい。前項で記したように、文学コンプレックスに陥るのは本人の勝手だが、人前でマスを掻き浅薄な知識を排泄するなど愚の骨頂である。恥じを知れと言いたくなる。
 明石の店には教師から警察官、ライダーから空手家、中年のアベックから女子大生、独逸文学者、英文学者、俳人、歌人、詩人、書家、絵描きとじつに多彩なひとびとが集っていた。そして話題は常に酒と魚介類を中心とする肴だった。バーというものは、店主が単数であれば引き裂かれるようなことなどあってはならない。ところが、赤坂では放逸無慚な為体であった。
 一ッ木通りの店はこのままで押し通す。しかし、同じ轍は踏むまい。況して次の店はキャパシティが半分になる。我(が)にとらわれない「偏食家」でない方のみご来店いただきたいと冀求している。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月30日 03:14 | 固定ページリンク




チョイス  | 一考    

 七日以降、サービスの低下を鑑みてテーブルチャージは付けないできた。しかし一箇月の粗利が二万円では私は霞を喰うしかない。モルトウィスキーの値を二割引にしているので、テーブルチャージを復活してもさしたる問題は生じないと思う。
 当店はもともとチャージを五百円とお通しを五百円の合わせて千円を頂戴してきた。私がよく行く新宿の店は千五百円から三千五百円をテーブルチャージとして徴収している。ちなみに、もっとも安い千五百円にお通しはつかない。お通しは別料金になっている。それを私は安いと思っている。
 バーは喫茶店ではないしコミュニティでもない。あくまで私的にチョイスを愉しむためのものである。子供の偏食ではあるまいに、何々しか飲まないというのは自ら味覚の幅を狭めている。なんでもいいと言うのも困りものである。酒の味が分からないひとに文学のなにが分かるというのか、甚だしく疑問に思っている。(以下略)
 明日から前述のテーブルチャージを復活する。残日は寡なく、例外は設けない。ご理解のほど、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 22:01 | 固定ページリンク




ラフロイグ  | 一考    

 ラフロイグのクオーターカスクが先行販売されたときの値は7000円を越えていた。やがて、4980円で推移するが、サントリー扱いの正規品は3480円になった。この間の香味の違いを私は確認していない。具体的に言うと、ジャパン・イン・ポートやスリー・リバー扱いのクオーターカスクは飲んでいるが、サントリーのそれはまだ飲んでいないのである。
 従って、最初に入荷したクオーターカスクとサントリー扱いのクオーターカスクの両方を店へ持ち込んだ。売値はどちらも700円にする。舌と鼻に自信のある方のチャレンジを待つ。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 19:23 | 固定ページリンク




名前  | 一考    

 先日、見知らぬひとが来店。女性のひとり客は珍しくないが、紹介者がどなたなのか分からない。例え常連さんであろうと、名前を覚える気がまったくない。そちらも相方にすべてを委ねていた。
 客に限らない、友人や連れ添いの名前を忘れることもしばしばである。はじめての公演を催してくださった「さくら」の馬場さんの名前も忘れていた。相方にしてからが、西明石の開店前に大掃除を手伝ってもらっている。その後も何度かmoonさんと連れ立ってきているのだが、いざ二人きりになると名前が思い出せない。それはひどすぎると叱られたが、思い出せないものは仕方がない。実はモルト会のメンバーの名前すら覚えていないのである。
 その逆もあって、二人目の連れ添いは興奮すると決まってひとの名を叫びつづける。当然男の名前である。どういう関係だったかは知るよしもないが、私はただ面白がって聴いている。
 その彼が私であろうが、私がその彼であろうが、そのような瑣末なことはどうでもよい。たかが名前である。そのようなことよりも、エクスタシーの場にあって、かかる弁証法的ないしは倒錯的言葉が飛び交う彼女の知的回路に深く興味があった。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 19:21 | 固定ページリンク




アードベッグ再入荷  | 一考    

 支払いと振込を済ませて今月は二万円ちょっとの粗利が出た。久しぶりに酒屋へ走り、インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグを二本と独逸麦酒を十三本仕入れた。そしてつぶ貝である。
 麦酒は定番のビットブルガーとサルバトーレ、それと黒麦酒のエルディンガー・ヴァイスの三種。プヒプヒさんを意識しての仕入れである。
 それとマニア向けに英国のヴィンテージ麦酒トーマス・ハーディの90年と91年を入手した。麦酒史上最高価格を誇るプレミアムビールで、飲み頃である。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 11:10 | 固定ページリンク




ほぞ  | 一考    

 ですぺらがひとりバーになったのが七日、昨日で四週目に入った。情緒にいくぶんの安定が見受けられるが、肉体は逆で、疲れは頂点に達している。捨て置けば新宿へ籠って酒浸りになる。それを踏みとどまらせているのがですぺらとそのお客さんである。
 過日、愛子さんとカウンターへ入っていて、すれ違うたびに私の腹が触れると言われた。この三週間、体重は減り続けている。とりわけ、洋袴のベルトの留位置は急速に変化している。にもかかわらず触れるのは、よほど腹が突き出ていたものと思われる。
 そこで思い出したのが出臍のことである。私の出臍は単なる出臍ではない。開放感に浸ると薫香ゆたかな屁を放るときがある。放屁と包皮についてはかつて書いたので繰り返さない。しかし、出臍については失念していた。
 昔、種村さんと赴いた岡山の温泉地で屁をこいた。先生は臍のあまりもの巨大さに目を丸くしていた、そこまではよかったのだが、あまりに見詰めるものだから臍がサービス精神を発揮し、ついに湯のなかでぷくぷく、ぶくぶくと媚態を演じてしまったのである。ヘーゼルナッツや完熟林檎、香草を食むような膨よかな香り、竹の根がけぶれるような繊細な趣は先ほどしこたま飲んだ御前酒の吟醸香が昇天したものと思われた。
 出臍は多くの逸話を抱えている。しかし、昨夜レイハルさんから十八禁は控えるようにとの要請があった。従って、ここから先は裏掲示板へ場を移す。
 「もしかしたらあの日こそが絶望に出逢った日だったのかもしれない」と愛子さんが書かれていたが、なにを隠そう、あの絶望はかの出臍との不意の会遇にあった。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 10:56 | 固定ページリンク




断碑  | 一考    

 相手がなんぴとであれ、またそれが義務であれ権利であれ、なにごとによらず強いるのはよろしくない。力関係を無力にしなければ個は成立しない。力関係を無力にするとは集団や類型の拒否である。そして、書き物は個のはかなごとであって、結社や同人に属するひとは文学とはついに無縁である。
 すぐれた表現者は個として存立するが、そのファンクラブが結社や同人を構成する。言い換えれば、寺銭を払って創始者の権威や権力におもねているだけである。そのような有象無象を相手にする時間は同じ結社もしくは同人の他、なんぴとにも与えられていない。

 個の成立がみずからの意見や考えを披陳することだと思うなら、とんでもない思い違いをしている。
 披陳にあっては常に意見が意見としての体をなさず、考えが考えとしての纏まりを欠く。店での経験なのだが、彼等が披陳する知識にはもっとも大事な読み解くという行為が含まれていない。「私も若い頃はずいぶんと本を読んだものだが」との言葉に示唆されるように、読書家の多くは一季半季の徒である。
 披陳でことが片づくのなら著すとの行為はなにを意味するのか、ちょいと考えれば済むことである。
 幹郎さんはそのあたりの消息を文学コンプレックスと名付けている。そして、私は精神分析医ではない、強い情緒的反応を押しつけられても傍迷惑なだけである。ですぺらの勘定にはそれに該当するサービス料は加算されていない。困ったちゃんにはご退場いただくしかない。
 繰り返す。書物やその意味内容は著すものであって、喋るものではない。書くとの行為のなかには反芻があるが、お喋りは無責任な排泄でしかない。この消息は活字とウエブサイトの関係と類似する。
 駄洒落なら知らず、思いつきで喋るひとは無知曚昧に過ぎない。そして、お喋りとは思いつきでしかない。さらに、読み散乱した書冊から得た知識の断片を肴にしようとするなら、それは酒への冒涜になる。とは言え、お喋りほど安酒を飲む。文学という我(が)にとらわれた意識が他の知識(この場合は酒)をないがしろにする。前述の「無知」とはこのことである。

 読書はある日とつぜんにはじまり、そして突然に打ち切られる。従って、知識はどこまで行こうが生半可なものである。それを整理整頓するためにひとは文章を綴る、さらなる混乱が待ち受けているのを知らずに。
 他方、乱れはひとつのバランスであり、ひとは不必要なものに囲まれて生きている。必要なものなど、どこにもないと言ったほうが実体に近い。
 ひとは新陳代謝であり、存在することになんらの意味も意義もないと、掲示板で書き継いできた。恋愛とか子育てなどは仮装ないしは仮想の最たるものであろう。
 舞踊にためという言葉があるが、こころに思うことと書き表すまでの距離がこの「ため」に相当する。披陳は論外として、著すためには思案しなければならない。その時間差、謂わば「ため」の内側から畏れが湧いてくる。
 書けば書くほどに、書き込めば書き込むほどに、先達への畏れは助長され深化し、傷口は拡げられてゆく。要するに、力関係と畏れとはまったくの別物なのである。
 畏れはつねに相対するひとの智力に向けられている。智力とははたらきであり行為であって、静止したものではない。然様ならば、みずからも揺れ動いていなければ畏れを抱くことはかなわない。畏れを解さないひとは文学とはついに無縁である。プロの書き手と対峙するときは命懸けでなければならない。

 で、プロとアマとのあいだに境界線は存在しない。しかし、その見極めの目をあなたは既に持っている。この場合のあなたとはTさんである。ですぺらにはTさんが多く、匿名性が高いので便利である。沈思黙考の若者とでも言っておこうか。
 先日、久しぶりにそのTさんがやってきた。沙石集に「ヨシナキ世間ノ文字ヨミテ、妄慮ヲマサムヨリハ、同ハ経巻ヲミルベシ」とあるが、意味する「真実の言葉」すら私は信じられないで困惑している。
 さて、これで繰言になったかしら。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月29日 10:29 | 固定ページリンク




はてさて  | 一考    

 幹郎さんから繰言を書けば物数奇が現れるかも、とのご教示を得た。「蓼食ふ虫は不物好きの謗となれり」の意であって、言い出したのはホワイエのマスターである。
 先日高遠さんと入れ違いにその佐山さんが来店。一考はちょい悪ではなく大悪(おおわる)であって、正真の不良である。そのような男には必ずやコアな物好きが現れるものである。逃げられたからと言って落ち込む要はない、連れ添いはすぐに見つかる、との声援を残して立ち去った。この手の励ましは嘘であっても嬉しいもので、ひとをその気にさせるから不思議である。
 泣き言や甘言で女を釣っては沽券にかかわるなどと言っているあいだは未熟で、五十路を超えるとと見境がなくなるらしい。もっとも、私にはのっけから分別の持ち合わせがない。従って、物心がついてから地上ことごとくの女性が眷顧の対象になっている。自信があるわけではない、自信喪失がもたらす博愛なのである。犬も歩けばなんとやらを想定していただきたい。
 ただし、なにごとにも例外はあるもので、私でなくっちゃあといった「私」に憑かれたひとだけはご遠慮いただいている。その理由は連れ添いになる当方にも「私」を拵えることが強いられるからである。

 とまあ、こんなことを書いているあいだは誰からも相手にされないのは必定、幹郎さんの忠告を受け容れるのが重宝というものである。しかし、肝腎の泣き言の書き方が私には判らない。私はマゾヒストなので螺子を巻かれるのは好きなのだが、どこがしどけなくだらけているのかは、いまもって見当すらつかない。判然としないものを書き綴るのは至難である。そして、ぼやきは笑いを誘うが愚痴は同情を強いる。この「強いる」との文言が気に入らない。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月28日 13:16 | 固定ページリンク




モルト会終了  | 一考    

 昨夜はありがとうございました。無事にモルト会を終了できました、みなさまのご協力の賜物です。松本さんには後片付から車への積み込みまで万般のお世話になりました、深く感謝します。
 初回が二〇〇一年十一月でしたから五年半になります。昨年からはじめた蒸留所別のモルト会までは五千円という破格値で続けました。東京で横行する数万円のモルト会に対する造反のつもりではじめたのですが、松本さんとふたりきりの時が何度かあったように記憶します。
 彼はもと川崎のオートバイのデザイナーで、西明石のですぺらで催していた地酒試飲会へ出席なさったのが最初でなかったかと思います。もともと下戸だったはずなのですが、最近ではワインを二本、ぺろりと飲み干していらっしゃいます。
 昨夜ご参加の九名さまは次のですぺらオープニングの前夜祭に招待させていただきます。もっとも、店が無事に開店できればのはなしですが。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月27日 15:01 | 固定ページリンク




千秋楽追記  | 一考    

 二十四日の書き込みについて誤解が生じたようです。千秋楽は六月九日の十九時から二十三時です。いつものようにワインとビールも用意しますが、一部のモルト・ウィスキーも供します。
 「モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語」と書いたのは、新しいですぺらの商品構成についてのご意見を三十分ほど伺いたいと思ったまでで、別に九日である必要はございません。またの機会に致しましょう。
 このところ、私の肉体が悲鳴を上げはじめました。従って、なにがあろうとも二十三時で打ち切らせていただきます。ご協力のほど、よろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月26日 05:07 | 固定ページリンク




モルト会追記の追記  | 一考    

 本来は冬のものだが、いま銚子でびんちょうが大量に水揚げされている。モルト会で使えないものか交渉したところ、朝指定された時間に起きられるかどうかに論点は移行した。思案中である。
 モルト会は九名のご参加を得た。忝なく思います。生鮪にさらに色を付けたいと狙っているものがあります。ご期待ください。
 びんちょうの交渉途次、閉店までに一度料理らしいものを作りたくなった。ひとりでかなう筈もないのだが、五人前ならなんとかなるのではないかと自分に言い聞かせようとする、悪い癖である。
 矢川澄子さんから依頼があって懐石のまねごとをしてから何年経ったろうか。あの時は百三十枚の皿を家から搬んだ。地震を掻い潜ってきた食器なので揃ってはいない。しかし、全国の窯元を巡った記憶の染みついた食器である。「単なる蒐集にさしたる意味のあろう筈がなく、つまるところ蒐集は手段にすぎぬ。要はそれらの物を通して養う眼であり、ものそのものへの見方乃至接し方であろう。蒐集された物の価値によってではなく、その物を選んだこと自体が、取りも直さず己が立場の闡明になる、かかる蒐集を心掛けたいものである」とどこかで書いた。基本はいまも同じである。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月26日 04:38 | 固定ページリンク




報告  | 一考    

 土曜日のモルト会の解説がさきほど出来上ったが、ローモンド・スティルについて調べていて下記サイトを知った。ウィスキーファンはぜひ訪ねていただきたい。
 http://www.ballantines.ne.jp/enjoy/inatomi/index.html

 ところで、同じ赤坂のみすじ通りで六坪の店が見付かった。これから条件の交渉がはじまるので、予断は許されないが、六月中には契約をまとめたいと思っている。改装に二、三箇月は掛かるので、うまく話がまとまった場合でも、八月末の開店になると予想される。その間は生活のために、おそらく東京を離れることになる。私にできる仕事は運転手しかないからである。
 ですぺらをデザインしていただいた建築家の西郷さんと話し合っているが、次の店舗もですぺらの雰囲気を踏襲したものになる。六坪だとバックバーの格納能力は最大七百本ほどになる。とりあえず、五百本の新規モルト・ウィスキーを拙宅から運び入れ、完全に専門店化したいと思う。
 そのこともあって、昨夜から食欲が湧いてきた。ひできさんに留守番を頼みサンドウィッチを買いに走った。

 ですぺらの千秋楽ですが、時間は十九時から二十三時までにさせていただきます。
 九日は店主ひとりですので午前中からの仕込みになります。私が倒れてしまっては催しそのものが成り立ちません。また遠くからご参加のモルトファンもいらっしゃいます。そこで暫しの休息を得て、十二時以降はこの七年間に通過していった約二千種類のモルト・ウィスキーの総括をしたいのです。従って、モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語になります。それが私にとっては最大の関心事で、六十を超えるボトラーに対する覆蔵のない意見をお聞かせいただきたく思います。短時間で済ませますので、ご協力のほどよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月24日 22:59 | 固定ページリンク




モルト会追記  | 一考    

 週末のですぺらモルト会でテイスティング予定のグレンロッシー '80(ブラックアダー)が売り切れてしまいました。従ってインタートレード社のグレンロッシー '79に差し替えます。オーク・カスクの18年もの、43度のフル・ボディで、ディスティラリー・エディションと比してより長くクリーミーなフィニッシュが特徴です。
 インタートレード社のオーナーはナディ・フィオリ。イタリア・リミニ市の酒商にして同国のインデペンデント・ボトラーの先駆け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社は樽ごとに飲み頃を見極めた上でボトリングを行う。従ってコンディションは頗るよろしく、サマローリ社同様、檻が多いのが特徴となっている。
 なお、モルト会へのご参加は二名増えてもっか四名です。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月22日 13:21 | 固定ページリンク




遅刻  | 一考    

 本日は不動産会社との打ち合わせがあり、店へ出るのが六時四十分になります。悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月22日 12:57 | 固定ページリンク




週末のモルト会について  | 一考    

毎回メールでご案内を差し上げてきたのですが、そのアドレスが分かりません。
従って、こちらでの書き込みのみになります。
木村さんと樋川さんがご参加いただけるそうです。
参加希望の方がいらっしゃいましたら、メールでも電話でも結構ですからご連絡ください。
アドレスと電話番号はホームページに記載しています。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月21日 13:45 | 固定ページリンク




ですぺら終焉  | 一考    

 六月九日を一応の千秋楽にしたいと思います。楽日にはモルト・ウィスキーを提供しますので、会費は八千円。飲まれない方は三千円に致します。この日は私は厨房に籠りっきりになると思います。従って、受付とカウンターを引き受けてくださる有志を募りたく思います。どうかよろしくお願い致します。

 一応と書いたのは複雑な心境で、西明石のですぺらでは「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」をモットーにしていました。従って「当店は酒は提供しますが話題は一切提供致しません。他者の生き方に何等の興味なく、況や人生訓など聴きたくもないのです。会話、談話の悉くを拒否させて頂きます。巷の叫喚ならびに喧噪の店内持ち込みを禁じます」との貼り紙をしていました。
 赤坂におけるですぺらはモルト・ウィスキーの専門店でした。それ故、モルトとお通しのみの営業は可能なかぎり続けたいと思っています。安価なウィスキーは置きません。拙宅から秘蔵のウィスキーを供出します。最後の一週間はモルト・ウィスキーの話題だけでですぺらを填めたいと思っているのです。それが私のですぺらへの唯一の御礼であり別れの辞なのです。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月20日 19:48 | 固定ページリンク




フードについて  | 一考    

 昨夜、お手伝いしていただいた方の具合が悪くなった。久しぶりの立ち仕事が理由だと思う。世田谷は不案内のため、車で送り届けるに際しずいぶんと時間が掛かった。済まないことをしました。
 帰りに近所を走ってみた。かつて豪徳寺にはWさん、経堂にはTさん、羽根木にはNさん、松原にはIさん、下北沢にはKさん、宮坂にはSさん、赤堤にはYさんが住んでいた。東松原の寿司屋でよく待ち合わせて酒を飲んだ、互いの家を往き来もした。とりわけ、豪徳寺と赤堤には繁く泊まり込んだ。しかし、徒歩と車では風景が異なる、なにひとつ確認することはかなわなかった。機会があれば昼間にでも出掛けてみようかと思う。帰路、環七の豊玉を左へ入り道に迷った、この道は何度も迷っている。

 ところで、フードは在庫を売り切って冷凍庫を空にしないといけない。それは分かっているのだが、四、五人を超えるお客さんになると現実には作られない。乾きものと中華饅頭やウインナのように温めるだけのものは問題ない。その他ではピーマン炒めやチャーハンのように五分以内にできるものは別にして、揚げ物、炒めもの、焼き物は手を離せない。その間、二十分はカウンターが無人になる。出し巻きやオムレツ、烏賊焼きは既に寡多録から外したが、お好み焼きもひとりだけのときにしていただきたい。ただし、三日前に注文をお聞きして前日に作り置きできるものなら五月中に限って応じます。以上、わがままを申して恐縮ですが、ご協力をお願い致したく思います。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月20日 18:57 | 固定ページリンク




贅沢三昧  | 一考    

 本日はひできさん主宰のシャンパンパーティーです。三鞭酒はもっか拙宅にて急速冷蔵中です。
 オードブルのひとつ、雪花菜はより淡泊な味付けを施し、食感を考慮して具材を工夫してみました。久しぶりの自信作です。
 季節柄、苺ソースを作りたかったのですが、こちらは夕方の仕入れ次第になります。

 昨夜はちょっとした贅沢をしました。上記の具材購入の途次、露西亞産の大きなつぶ貝を見付けたのです。このところ自宅へ帰るに気が重く、なにかしら妙案はないかと思っていました。好物の刺身があれば、刺身を作らなければならないとしたら、少しは足取りも軽くなるのではないかと考えたのです。
 ごったがえした卓子の隅に穴が開きました。室内を海風がよぎり、海藻の香がほのかに漂います。微かなヨード臭とわずかな苦み、斜里で、網走で、紋別で、さらには浜頓別で知った「Briny」な匂いです。小さな穴の向こうにオホーツクが拡がります。いまの私にはそこまでで充分です。
 アボリジニーは意識され経験される時間とは別に夢見という時間の概念を持ちます。穏やかな日のオホーツクの微波、清漣な塩味、韃靼を渡っていった夢見鳥、それらが待ち焦がれ、恋いこがれた私の夢そのものでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月19日 13:45 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

 5月26日(土)の夕7時から10時にかけて最後のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円、オードブルは簡略に済ませます。ウィスキーのメニューは以下のごとし。
詳しい解説は当日お渡し致します。
参加ご希望の方は事前にお知らせ下さい。今回は飛び込み参加は不可能です。
店主も飲みますので、一応貸し切りということでお願い致します。

ですぺらモルト会(スペイサイドを飲む 第三回)

01 アベラワー '90(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61度のカスク・ストレングス。限定283本のシングル・カスク。
02 シングルトン10年(DB)
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。
03 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本にして22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
04 グレンアラヒ '85(シグナトリー)
 オーク樽による11年もの、43度。3樽、872本の限定品。
05 グレンキース '76(ジェームズ・マッカーサー)
 スコッチ・ウィスキー500周年記念ボトル。22年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
06 グレンファークラス '88(メーラー・ベッセ)
 フレンチ・シェリー・バットの46度。熟成期間は記されていないが、12〜3年もの。
07 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
08 グレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
09 グレンロッシー '80(ブラックアダー)
 オーク・カスクの16年もの、64.5度のカスク・ストレングス。160本のリミテッド・エディション。
10 ストラスアイラ '72(ゴードン&マクファイル)
 22年もの、61.8度のカスク・ストレングス。4樽のリミテッド・エディション。
11 ストラスミル '85(シグナトリー)
  オーク樽による12年もの、43度、限定503本のシングル・カスク。
12 リンクウッド25年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
参考品 モストウィー '75(ゴードン&マクファイル)
 18年もの、40度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2007年05月19日 12:21 | 固定ページリンク




無題  | 一考    

 「思い出はぜんぶ、記憶の中だけに留めておくのが好きなのよ」は鈎括弧で閉じられているように私の言葉ではありません。過日読んだ小説からの盗用です。
 たしか、四年前に一年経てば彼女の死について掲示板で語り合ってくださいと書きました。そして掲示板を閉鎖しました。その後書き込みはございません。
 あの日、来店なさったのはあなたのみ。それを忘却と言わずになんといえばよろしいのでしょうか。彼女の死の直後の掲示板の惨状を舌禍の一群と言わずしてなんと例えればよろしいのでしょうか。
 忘却への献杯はあなたに向けられたものではありません。忘れ去ることを受容した不特定多数に対する皮肉を籠めての献杯です。あなたが憎悪を込めるのと同様、私にとってはアイロニーに充ちた杯だとおもっています。

 私の気質のようなものが皆目伝わっていないことを悲しく思います。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月18日 03:41 | 固定ページリンク




一孝様  | 愛子    

一孝様
この名前で書き込みをするのはずいぶん久しぶりです。かなりくりあがってしまいましたが下の書き込みへのお返事です。時の経過を優しいと言えるようにはやっぱりまだなれません。烏は烏、まだ黒いままです。だから、忘却への献杯は拒否いたします。でも、やがて失われていくものだけは、なぜかとても愛おしく感じます。忘却しないと誓ったことすら忘却させられてしまうのだとしたら、それには憎悪を込めながらの乾杯です。お互いに残されている時間にも。はじめて一孝さんのお店に足を踏み入れた日は、たしかほかのひとは誰もいなかった。お店の名前が名前だけに、もしかしたらあの日こそが絶望に出逢った日だったのかもしれない、と今では思うのでした。


投稿者: 愛子      日時: 2007年05月17日 23:25 | 固定ページリンク




訣れ  | 一考    

 引越が済み、相方は神戸へ去って過去となった。ブリッケなごたくさは流れ、ふたたび彼女と見えることはない。ブロイエルの療法を擬えたのはフロイトだが、彼のエディプス・コンプレックスへの解釈に私は組みしない。さらなる幼年期に素因があると思っているからである。それ以上、是々のごたくさや顛末の解析の要はなく、委しく話す必要もない。万象は徒に流れ去るのみである。
 伊勢集には徒寝を含む数首が選されている。だからと言って引用する気はない。ひとの言葉に自らの思いを託さないのが私の作法である。で、ひとりになるのは慣れているはずなのだが、何度経験しても淋しい。読書百遍而義自見と言うが、恋愛の意味内容だけは未だにかいもく見当がつかない。抱月や辻潤によると、廓寥を捨て置くとひとはますますデスペレートになってゆくらしい。それを避けようとして、このところ同居アドレナリンが上がりっぱなしである。
 前述したように、恨みつらみを述べ立ててもなにもはじまらない。喋るほどに自らがばかばかしく思われるだけである。そういうときは酒を飲むにかぎる。ところが、移動手段が車なので新宿へは飲みに行かれない。慣れるのに二、三週間は掛かるであろう家での独酌から切なさを払拭する手立てはないものか、そこから生じる同居アドレナリンなのである。
 恋愛にはいささかの執心もない。執着というよりは、恋愛そのものに未練未酌がないといったほうが正しい。恋愛結婚という概念を持ち込んだのは団塊の世代だが、自己開示や相互依存的な関係に重きを置く世代ならではの愚挙でなかったかと私は思っている。
 ただ、生きている以上、ひとには生活が待ち受けている。この生活と恋愛との関係はパトスとロゴスとの関係同様、おそろしく未分化なまま捨て置かれている。趣味を自らの人格の表明手段と思っているようなひとが情念を否定するなど、あってはならないことである。その心得違いは読み解く必要がある。

 「二人暮らしたアパートを 一人一人で出て行くの」との唄があった。ひとりだけ取り残されるから嘆かわしいのであって、共にあらぬ方へ遁走すればよいのである。あらぬと言えばアラヌスを想い起こす。ダンテの「神曲」誕生の素とされる「アンティクラウディアヌス」の作者である。そのようなことをなぜに書くかと言えば、遁走に先立って書物をはじめとする玩具を処分しなければならないからである。私の身の回りにはものが多すぎる。かつての蒐書は散書に切り替えなければならない。アラヌスを再評価したクルツィウスやベンヤミンの他、四、五十冊の詩歌集があれば余生には充分である。玩具ことごとくの処分の決心がやっとついた。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月17日 19:26 | 固定ページリンク




最後のモルト会  | 一考    

 これから客層が変わる。常連さんで足の遠のくひとがあれば、あまりいらっしゃらなかったひとで来店が繁くなるひともいる。この一月は興味深い。
 店の所在地が変われば、なおさらお客さんの新陳代謝は激しくなる。そして店の相方と自宅の同居人を平行して捜さなければならない。二階の四室が開いたままではどうにもならない。店が優先するが、同居人が見つからなければ住居もやがて転居になるかもしれない。住居付きのバーが高円寺にあったが、選択枝に入れなければならなくなった。いずれにせよ、不動産屋を回る時間的ゆとりを奪われたのが口惜しい。
 ですぺらはみすじ通りへ引っ越す予定だったが、振り出しに戻った。ひとりになるのは想定外で、さらに小さな店を探さなければならなくなった。笹目さん、佐藤さんと話し合ったのだが、店の方は演劇・舞踏関係のひとの助けを乞うことになりそうである。とりわけ、佐藤さんの動向は今後の私の生活に大きな影響を与えそうな気がしてならない。
 さて、二十六日(土曜日)のモルト会である。どなたかの協力が得られれば可能だが、ひとりでの開催は覚束ない。しかし、最後のモルト会なので、貸し切り状態にしてでも催したいと願っている。従って、もっか問い合わせ中である。ご参加くださる方々に迷惑をお掛けするのは承知、その上で開くか開かないかはぎりぎりまでお待ちいただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月13日 17:25 | 固定ページリンク




感謝  | 一考    

 即日、まなさんと松友さんが快諾なされた。ご協力忝なく思います。ここに記して深甚の謝意を表したく思う。

 moonさんと話していて西明石で店をはじめた頃を思い起こした。九時起床で十時から昼編の魚を入札しに漁港へ、一時からスーパー巡りで四時から仕込み、六時から深夜二時までが営業で閉店後飲み歩く、五時に帰宅してまた九時に起床の繰り返しであった。旧掲示板にも書いたが食事は朝の海苔弁当のみ、休日を設けなかったのでかなりハードな生活だった。当時付き合っていた女子大生の口癖は「あなたといると死んでしまう」
 今回も似た生活になるのではないかと思っている。この五日間食事は朝飯のみ、明石と異なるのは自宅周辺に飲み屋がないことである。従って二、三時間ほどの晩酌となる。久しく忘れていた空腹の開放感に浸っている。喰わないとこれほど酒が美味いものかと感心させられる。ウィスキーの香味が痛いほどよく分かる。書物を読み解く、エンジンの音を読み解く、ウィスキーの香味を読み解く、それら思いの行程はおどろくほど似ている。生活が安定し、こころが平穏になるとなにもかもが読み解かれなくなる。当たり前のことが、いまさらのように痛感させられる。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月12日 19:31 | 固定ページリンク




ご協力願います  | 一考    

 前項で書いたように、駐車違反の取り締まりがきつくなったで、閉店の準備期間を早めることにした。今月は通常に営業するが、六月に入ればすぐにでも酒の搬出をはじめたく思う。
 搬出に際し、店の前に車を置かなければならない。私が荷物を運ぶ間、車に乗っていてくださる方が必要になる。免許証はいらない、ただ乗っているだけでよいのである。その間のアンパンとジュースは馳走する。曜日は3、10、17の日曜日、どなたかご協力いただけまいか。なるべく早く連絡をいただければうれしく思います。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月11日 15:42 | 固定ページリンク




ひとりもの  | 一考    

 東池袋にダイエー系のスーパーがあって、今日は蚕豆を買いに立ち寄った。出てくると、駐禁取締りのおじさんが私の車のナンバープレートの撮影さなか、間一髪で助かったのである。蚕豆だけだからよかったものの、魚を見ていれば間違いなく一万五千円の出費になるところだった。
 下って一ツ木通り、ビール、ジュース、洗剤、タオルと蚕豆を店へ運び込み、駈けるように戻ったところ、同じ情景に出会した。
 ですぺらには出入りの酒屋がない。当たり前のはなしで、指定するモルト・ウィスキーやワインはそこらの酒屋では調達できない。午後をいっぱい費やして方々から酒を掻き集めている。埼玉、千葉はいうにおよばず、吉祥寺、世田谷、渋谷、銀座、大島と走り回っている。
 これから買い物は赤坂で済ませるしかない。ひとりになるとはこのような制約が生じるのかと駭然として眼が眩んだ。今後のフードメニューの制限はおろか、酒の運び入れまでがほぼ不可能になる。なんぞ策を講じなければですぺらが成り立たなくなってしまう。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月10日 20:18 | 固定ページリンク




アードベッグ2  | 一考    

 先日、アードベッグについて書いたが、ベルギー市場向けのディスティラリー・ボトルが三種入荷している。

 ARDBEG 1972/2004 for BELGIUM CASK No. 3038  44.2% 70cl 総生産148本 当社在庫6本   91,200円(税抜)
 ARDBEG 1974/2005 for BELGIUM CASK No. 2738  53.1% 70cl 総生産75本 当社在庫6本   90,000円(税抜)
 ARDBEG 1974/2006 for BELGIUM CASK No. 3324  53.9% 70cl 総生産118本 当社在庫18本   86,400円(税抜)

 ちなみに当社とはTHREE RIVERSである。昨今のシングルカスク限定品と比して格段に安価である。しかし、いまの私には手が出せない。
 今日は昼に家を出て、インプレッシブのアードベッグを追加購入してきた。昨夜開栓し、おきやまさんと試飲したのだが、背中がぞくぞくするようなアイラ・モルトだった。エイコーンが扱ったキルブライド(ラフロイグ)'99、4年もの60度の香味と通底するモルトで、強烈なインパクトがあった。
 インポーターはウィスク・イーで、テイスティングノートにはスモーキーなレモンキャンディー、シナモン、グレープシード、ヨード、焦げた古い木、ハーブ等とあるが、まずなによりも初手の薬品臭を大書しておきたい。二十年近く前に飲んだアードベッグは間違いなくこの種の薬品臭を持っていた。水に醸造用アルコールと消毒液を入れて攪拌するとアードベッグになるというのが持論で、私にとってアイラ・モルトとは不味いウィスキーの代名詞だった。
 美味いが個性なら優等生、不味いが個性なら前述した「強烈なインパクト」をひとに与える。スケバンを張っていたとか、務所帰りとか、ストリッパー、娼婦、ポン中等々、私のまわりには歯痒くなるような個性に満ち溢れた女性が多くいた。はがゆい、もどかしい、じれったい、なんでもよろしいが、彼女たちは世の中のなにひとつとして思いどおりにならないことを知っていた。その心のいらだちをわが身の責任に転嫁する。酒も睡眠薬も覚醒剤も文学もそしてマゾヒズムも、ことごとくは転嫁の結果である。さまざまな屈折を経てひとは生死の狭間を転げ落ちてゆく。真っ当なひとが文学に興味を持つなんてやめてくれと叫びたくなる。
 そのような阿鼻地獄を思い起こさせるインプレッシブ(こころに残る)な酒、それがかつて出遇ったアードベッグだった。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月10日 18:55 | 固定ページリンク




アードベッグ  | 一考    

 この一箇月、拙宅には電話がなかった。連休のあいだにファクシミリホンが入ったのだが、それまで各地のインポーターのウィスキー情報からは隔離されていた。ファクシミリホンはオークションから購ったのだが、その相手が明石の住人で、ですぺらをご存じだった。従って入金前に電話が届き、即刻利用させていただいた。
 必要最低限の情報をさっそく取り寄せ、これまた最小の荷を注文。本日、インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグが入荷した。ヴィンテージは2000年、ボトリングが2006年のカスク・ストレングス、アルコール度数は62.7度、熟成はシェリー樽である。
 アードベッグ蒸留所が樽の販売を停止して久しく、先月入荷されたダグラス・レインの12年ものは18000円の高値になったにもかかわらず、即日完売された。ゴードン&マクファイルの手持ちもなくなり、これからは急騰するものと思われる。上記インプレッシヴも、国内への入荷はわずかに60本、アイラ党にはこたえられない一本である。
 先日、二割引と書いたが、新入荷のボトルはそのかぎりではない。スプリングバンク12年、シグナトリーのロングモーン16年など、四月に入ってからの7本の値引きはしない。十分な安価をつけているからである。もっとも、バックバーの酒は約1000本、7本では1パーセントにも充たない。どのみち、安売りをしたところで、元々安い酒しか売れないのは承知している。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月09日 19:14 | 固定ページリンク




連休  | 一考    

 初日は野暮用があって酒は飲まれず、二日目からは飲んだくれの休みを過ごした。菊正のピンとサントリーのジョッキ生黒を片手に、タラの芽のてんぷら、イカスミで味付けした鯣、干鰈、白鰈の煮付け、鰤の照り焼き、磯平目のムニエル、縄で縛り上げたちょいと痩身のときしらず等々を食した。ときしらずが網タイツでも履いていれば少しは艶っぽいのだが、まさか荒巻が黒い下着を身につけていれば、消化不良はおろか下痢腹痛で悶絶するに違いない。そこは無難に妄想でおぎなって済ませるのが酒肴の常である。
 私の歳になってくると現実の接触も妄想もさしたる差違はなくなってくる。それを私に教えたのは某師匠である。書いてみただけで、私は師を持たない。持つ必要を覚えないし、私のようなやんちゃを弟子に迎えるような物好きもいまい。冗談半分に某さんを師と呼んでみたのだが、先方はそのようなことはお見通しであって動じる気配すらみせない。「弟子なんざあ一人もいないし持ちたくもない」とのご意見を傍らに、以降、調子に乗って人前では先生などと宣うことになった。
 この先生、実ははとんでもない筋金入りの変態で、彼と知り合ってからはホモもレズもSMも、私にとって特別な性癖でも存在でもなくなり、そこいらの軟弱な変態を日陰者ということすら憚られるに至った。とは言え、その生態、要するに性態をこと細やかに述べ立てる気はまったくない。
 某さんとはSさんの紹介で出遇ったのだが、「あんた、なに見てんのよ」と声を掛けられたときの返答はひとつ、「月並なものを見ているんです」でしかない。もっとも、これでは某さんのモノが月並と受け取られかねない。温泉へ同道しているので、体躯に合わないいみじき尤物であることは先刻承知。月並と言ったのは前者の体躯である。そして、ひとから月並と言われて血相をかえるような柔な某さんではない。弁証法などといった青ざめ乾枯した殻はとっくの昔に脱ぎ捨てている。
 はじめてお会いした四十年ほど前、ひとのなかには変わる部分と変わらない部分があって、性愛に対する偏倚はもっとも変わらない部分ではないかと述べたことがある。変わらないことの月並さを強調したかったのだが、件の先生は「そうかねえ」のひとこと。なにを話してもその為体で、一向に噛み合わない。思うに、変わるものと変わらないものとの比較ないしは対置しようとする作法がお気に召さなかったようである。強調しておきたいが、先生は往時三十五歳、すでに二元論における相互の還元不可能性を訝しく思われていた。
 その後ほどなく、先生が性、ただし現実の接触としての性を棄ててしまったことを知った。変わらないと思うのなら、それを丸ごと捨てちゃえばどうなるの。持ち続けなければ死んじゃうようなものだったら死ねばいい。なにを捨てようが拾おうが、そんなことは生死にはなんのかかわりもない。どうでもよいことに拘る君の真意は奈辺にあんのかねえ、との問い掛けだったのかもしれない。
 はなしは簡明だが、ここにはさまざまな仕掛けが垣間見られる。以降、先年の先生の死までお付き合いは続くのだが、マゾヒズムにかんする語語は情を含んで心胆を感ぜしめた。マゾヒズムは受容性に富むものだが、その未分化な原基はパーソナリティの否定にある。もしくは、パーソナリティの否定は受容性に富むものだが、その未分化な原基はマゾヒズムにある。
 さて、連休のあいだに起こった、あるいは起こらなかったさまざまなことに対する私の意見は以上である。繰り返すが、某さんも私もマゾヒストである。しかしながら、我等は風俗としてのマゾヒズムには一顧も与えない。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月09日 02:31 | 固定ページリンク




会員制  | 一考    

ですぺらの営業はあと一箇月と一週間になりました。その間は人手不足のため、会員制セルフサービスのバーにします。
テーブルに座られた場合はカウンターでの手渡しになります。セルフサービスへのお返しとして消費税は内税にします。
過去、特定個人に対して行ってきたすべてのサービスは停止します。
モルト・ウィスキーとドイツワインは二割引、消費税と合わせて二割五分の割引価格になります。他の商品の値引きは考えておりません。
フードは可能なかぎり応じますが、四、五人以上のお客さまがいらっしゃるときはご遠慮ください。
申し訳ないのですが、店主ひとりの営業になりますのでご協力いただきたく、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年05月08日 19:09 | 固定ページリンク




ですぺらにて  | 一考    

 高徳羽副議長の「三十数年前のことで大々的に捜索するとは、朝鮮総連に対する横暴極まりない政治弾圧」との発言について在日琉球人さんが書かれている。三十数年どころではない。私は生まれ落ちる前の日本の不明と暴虐を恥じ、東アジアや東南アジアの諸国民ならびに諸民族に対していまなお謝罪し続けている。
 二児の拉致を巡る関連施設の捜索でもっとも愕かされたのは、人権の侵害を難じるプラカードが多く掲げられたことである。では二児に人権は認められないのか、黒白をつけるなら捜査に協力するのが筋であろうとの水掛論の根を穿り起こす気はない。価値観や基準、規範はおろか、ひとの考え方それ自体が相対的なものだということが分からないひとにはなにを言っても詮無い。
 黒か白か、右か左か、前か後ろか、いずれであろうが、図式化された乃至は分かりやすさでもってひとは判断しがちである。簡略化された二項対立的ものの考え方がよろしくないと唱えたところで、全体を俯瞰しなければとか、多様な価値観を認めなければといった、それこそ新たな二項対立を生む結果にしかならない。

 店の余命が一月半になった。用事もないのだが、そんなことを考えながら終日店で暮らしている。三橋さんや種さんや横須賀さんをはじめ、亡くなられた多くの先達の匂いを憶い起こす。「天地微妙の大消息」の一端もしくは一過に過ぎないのであって、騒ぎ立てるべき対象とはついになり得ないのは分かっている。自らを引っくるめて存在それ自体が新陳代謝であるのも分かっている。ただ、気付かれもしないで通り過ぎてゆくもの、指のあいだからこぼれ落ちてゆくものの大事を彼等から学んだ。慈しみは失意のなかにしかなく、悲しみはいつも濡ればんでいる。
 「暮らしている」と書いたが、私にとってですぺらは暮らしであり活動だった。生活であればこそ、ですぺらは存命不定の線上を彷徨うしかない。ですぺらと名付けた瞬間から私にはある種の覚悟があったはずである。存えさせるための策を講じるべきかどうか、いまなお迷いつづけている。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月30日 22:38 | 固定ページリンク




ですぺら7周年 その2  | 薫子    

 五月一日、二日の二日間のみ、ドリンク全て三割引きといたします。
日頃ちょっと高くて手が出なかったアレとかコレとか、この機会に是非お試しください。お待ちしております。


投稿者: 薫子      日時: 2007年04月30日 11:43 | 固定ページリンク




四月二十六日  | 一考    

 絢子さんが逝って四年、そして愛子さん来店、「思い出はぜんぶ、記憶の中だけに留めておくのが好きなのよ」今宵も忘却へ献杯。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月27日 00:27 | 固定ページリンク




ですぺら7周年  | 薫子    

今年ですぺらも7周年となりました。
まさかこんなに続けられるとは。応援して下さった皆様、ありがとうございます。
日頃お世話になっているお客様への感謝のサービスディとして、
連休谷間、5月1日・2日にお越しの際には、お酒、フード等をサービス価格にてお出しします。
詳細は・・・例によって未定ですが、 きっと店主がど〜んと太っ腹なところをお見せするでしょう。


投稿者: 薫子      日時: 2007年04月26日 05:07 | 固定ページリンク




海馬車  | 一考    

 拙宅へフォードのマスタングがやってきた。1964年にデビューしたスペシャリティカーで、「ブリット」や「男と女」に登場している。2ドアクーペのV6、3.8LのOHVエンジンと4リンクコイルリジッドのリアサスを採用した96年タイプである。メカニズムを書いたのは他でもない、1960年代に多くの日本人が憧れた「豊かでおおらかなアメリカ」のイメージが凝縮されているからである。
 トヨタ、正確にはヤマハが開発した直列6気筒2.0Lのエンジン「1G」がマークII、チェイサー、クレスタ、セリカXX、ソアラに積まれるようになったのは1981年である。爾来、トヨタはDOHCのエンジンの生産では世界一の座を維持し続けている。私は長く1G-GTEUのエンジンを使ってきたので、1G-EUから1G-FEに至るヤマハのエンジンの特性を知り尽くしている。その後スープラに積載されたJZ型の1Jの500馬力には及ばないが、300馬力に耐えるパフォーマンスを持っていた。
 他方、96年製のマスタングは3.8Lで146馬力しかない。走らせてみて分かったのはハーレー・ダヴィッドソンとコンセプトが似ているということである。5500回転からがレッドゾーンだが、現実には5000回転も危うい。OHVのトルクバンドは3000回転から4000回転、それで十分に楽しめるではないか。もしくは高速走行時のスタビリティがどうして必要なのか、アメリカの制限速度は55マイル(80km/h)、マルチリンクでなく4リンクコイルリジッドで十分ではないかと言った塩梅で、スペックを無視した古いシステムを気にせず使っている。スペシャリティカーの特別とはその鷹揚なアメリカらしさを指すのである。
 図体ばかりでなんの取り柄もないその車に、どうやら私は惚れてしまったようである。海馬のような車といえばお分かりいただけようか。北海道でマスタングを悠悠と走らせてみたいと思ったのである。

 ところで、現在乗っているインプレッサが不要になる。淡路や明石の方で乗られる方はいないだろうか。水平対向エンジンはBMWで慣れている。スロットルセンサー、プラグ、プラグコードをはじめ、アースを5本落とすなど、手間隙をかけて電装関係は一新した。アクセルを踏むと同時に、一気に6500回転まで吹き上がる。これが同じスバルかと思うほどレスポンスはよくなった。誰か乗ってくださいな。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月25日 21:38 | 固定ページリンク




澁澤展にいってきました  | りき    

圧巻はアンチンボルトでした。

個人的には、小林健二さんの鉱石ラジオ、シモンさんのつくった天使が印象的でした。
マグリットやデルフォーもよかったです。

山本六三さんの油絵も二つきていました。

家族でいったのですが、鉱石ラジオを前に見入っていた息子の
姿に遺伝子を感じます。


投稿者: りき      日時: 2007年04月18日 22:01 | 固定ページリンク




ちりめん山椒と贅沢おから  | 薫子    

 雑誌の取材のために、月曜日にちりめん山椒と、ですぺら特製贅沢おからをつくります。急なお話だったので、ちりめんじゃこを淡路から取り寄せる時間が無かったのがちょっと残念ですが。久しぶりに作りますので、この機会に是非お試しください。


投稿者: 薫子      日時: 2007年04月15日 22:38 | 固定ページリンク




はんてん  | 一考    

 半纏もしくは袢纏はどのような辞書にも載っています。印半纏、剥身屋半纏、刺子半纏、長半纏、尻切半纏、腰切半纏、ねんねこ半纏、革半纏、蝙蝠半纏等々があって、刺子半纏はかつて銀花でも特集しました。ねんねこ半纏は別名亀の子半纏ともいい、マダガスカルでカメレオン半纏というのはご愛敬。
 半纏もサルマタ同様、シルクロードを渡ってきましたが、中国・カザフスタン・キルギスの国境に位置するハン‐テンリの山麓に位置するハン‐テン村の女房たちが防寒のために開発したと言い伝えられています。
 わが国では天保の改革(1841〜43)の女羽織禁止に伴い、庶民の衣服として広まりました。家紋や屋号を白く染め抜いたり、裏返しに着るのが洒落というもので、そこから、斑点や反転現像など、現代用いられる概念が多く誕生しました。ちなみに、ですぺらはですぺら飯店との別称を賜わっております。
 ててら、褞袍、丹前、掻巻などはいとこ同士で、守貞漫稿によれば江戸ではふとんを用いずもっぱら夜着を用いたとあります。火事が多かったところからくる、いわば生活の智慧ではなかったかと思われます。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月13日 20:33 | 固定ページリンク




電光板  | 一考    

 私も普段はIE5以下(Explorer 5.1.7)なのでなにも言えませんが、ウィンドウズ、マックのいかんを問わず、置き去りにされてゆくOSは憫れですね。付帯するアプリケーションの開発も停止されてしまうのですから。
 アドレスの左端で「despera」の文字が電光掲示板のように蠢いているのは愉快です。OS XだとNetscapeとFire fox、OS 9だとNetscapeとMozillaとwazillaが対応しています。サファリ、カミノ、エクスプローラー、オペラ、iCabはネオンサインには未対応のようです。おっきーさんの悪戯を確認するためにもモジラグループに帰属すべきでしょう。Fire foxはMozillaの発展形なので、ビオランテかイモラの方がよかったと思うのですが。

 wazillaが日本語表記されず、エクスプローラーの文字セット表示も日本語表示されないので困っていたのですが、理由は収録フォントでした。マックのシステムを動かすためのCharcoal、Chicago、Geneva、Monaco、Osaka、Osaka-等幅、Symbolを残して、他は日本語のフォントを百四十ほど入れていたのですが、そこに問題があったようです。システムから除去した四十ほどの横文字フォントから十種類ほど入れたところ解決しました。DTP関連のアプリケーションが使うフォントには精通しているのですが、ブラウザまでがフォントを選ぶとは意外でした。
 ところで、G3 Blue and Whiteとハードディスクの相性ですが、OSをインストールしないと結果が得られないので面倒です。このところ、掛かりきりです。そちらが一段落すれば、OS XにおけるATOK14の挙動不審を解決しなければなりません。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月13日 20:30 | 固定ページリンク




G3 Blue and Whiteとハードディスクの相性について  | 一考    

 「PowerMacG3 Blue and Whiteについて」で触れたことの追記です。
 Fujitsu、Quantum、IBMの三社のハードディスクが大丈夫と書いたのですが、IBMはDeskstarに限られるようです。Fireballが出てきたので繋ぎましたが、まったく認識しません。それとNECのハードディスクが大丈夫です。NECはOEMのLogitecやHewlett Packardのハードディスクも試してみましたが、すべて認識しました。
 この件にかんしてはウェブへの書き込みがなされていないので、今後とも分かったことがあれば書き加えていきます。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月13日 05:01 | 固定ページリンク




思い出しました!  | 北端あおい    

ご無沙汰しております。最近すこうしは体調がましになってきました。ところで、初の書き込みがこんな話題で恐縮ですが…本日の宿題、わかりました! 例のものの野暮った可愛い名前、「はんてん」です。祖父母の家で寒がっていると、いつもいそいそと持ってきて貰ったのでした。綿入れはんてんとどてらってどこが違うのかイマイチわからないのですが…、おきやまさま、辞書になかったですよね?とりいそぎご報告まで。 


投稿者: 北端あおい      日時: 2007年04月13日 03:03 | 固定ページリンク




ブラウザについて  | 一考    

 先だってFirefox 2.0.0.3を紹介しました。FirefoxはMozillaの発展途上のブラウザで、ウィンドウズとマック双方に対応しています。なによりもオープンフォント対応なのがありがたく、ヒラギノ所収の外字が〓(ゲタ)をはかないところに利点がありました。
 当掲示板も発展途次にあるのですが、このところ様々のブラウザを試用しています。そしてCamino 1.0.3に行き当たりました。Camino(カミノ)はMac OS Xで動作するウェブブラウザですが、Firefox同様、MozillaのレンダリングエンジンであるGeckoを採用しています。拡張性はやや劣るものの、速度と軽さではFirefoxを圧倒しています。一部のバージョンはユニバーサルバイナリで配布されているので、PowerPCとIntelの両Macで動作します。こちらの利点はJavaパフォーマンスが向上されていることです。

http://jp.caminobrowser.org/

から国際版がダウンロードできます。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月11日 23:23 | 固定ページリンク




舌禍の一群  | 一考    

 前項同様、「私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝」に困惑していると書いた。この件にかんしては、来店してくださる若人に煩がられるほど言い続けている。理由は舌禍の一群から抜け出していただきたいからに他ならない。草の根ネットの時代からウェブサイトを覗いているが、詰らないのひとことである。
 どうして詰らないかと言うに、文章を草するには三つの要が欠かせない。意味内容とセンスそれと手業である。まず、意味内容だが、対象が漱石であれ鴎外であれ鏡花であれ、対象に託つけて自己を述べるのが随筆であり論攷である。表すべき自己を持たなければ、作品の成立過程を時代状況に求めたり、同時代の他の作家の作品との比較考証といった、重箱の隅をつつくような不様を演じることになる。「託つけ」るとは書き手と対象たる作家の内面もしくは内的体験とのあいだに生じるコンフリクトであり、葛藤そのものを書き綴ることに他ならない。ここに肉声の唯一の出番がある。
 次にセンスだが、対象の選択並びにそこから惹き起こされる自己のイメージまでを含めて広義に解釈したい。ウェブでもっとも強調されるのがこのジャンルで、読んだ書物や観た映画の寸評から購入図書目録や作品と思しきイメージの羅列まで囂しい。後者に限ってなら、どうやら五七五であれば俳句で、改行が頻繁になされていれば詩で、そうでなければ散文であるらしい。他人のマスカキを見せ付けられて随喜の涙を流すがごとき奇特の士がウェブを填め尽しているそうな。
 センスとは思慮分別を指す。機微を穿つと言ったときの、その表現の巧みさにこそセンスが顕れる。決して好悪の表明にセンスがあるのではない。そのようなセンスを「臘月のセンス」と呼ぶ。
 過日、某編集者から新人賞の応募作を読まされた。文中に「池袋の街に雨が降ってきた」とあったが、前後を振り返っても街の描写も雨の描写もなにもない。屋根が壁が舗道が木立が雨に打たれてどのように変わっていったのか、その雨はそぼふる雨だったのか篠突く雨だったのか、さらには濡れた街の匂いあるいは雨そのものの匂いはどのようなものだったのか。状況描写を試みようとする以上、そのシチュエーションがどうして必要なのか、その表層的シチュエーションが書き手の内面的シチュエーションといかように響影し合うのか、微視的な重語法を駆使しなければ読み手にはいささかの趣も伝わらない。繰り返すが、霧多布と松江と小豆島に降る雨はまさか同じ匂いではあるまい。その相違に応じて言葉を選び、地名の表明を無用にさせるまでに描き込むのが文学でなかったか。どこまで行こうが、文学とは手業(てわざ)である。

 詰らないのは一考の方で、私たちは多くの友達を得て自給自足しているとの与太が聞こえてくる。確かに、ソーシャル・ネットワーキングの売りは友を作ることらしい。しかして、ひととの出遇いや読書が持って生れた稟質の変更改竄を余儀なくさせるならともかく、拾い得た知識を自らの属性と曲解し、それを出汁に友と称する悉に異(あや)しがるべきものを聚めて悦に入るなど以ての外である。
 喧々囂々と侃々諤々では意味がまったく異なるが、いずれにせよ、大事は遠慮のない直言と大いなる議論にある。もとより、直言とは言いにくいことをいうのであって、非を非と示唆するのはどちらに転ぼうが侮辱にしかならない。指弾が続くことによって、やがて互いの存在を詠嘆し咨嗟し合うようになる。この咨嗟を失意ととろうが失望ととろうがひとさまの勝手であるが、その相方への夢や希望を失くすところから友情がはじまるのではないかと思っている。詠嘆し咨嗟するは天地微妙の大消息深呼吸と相場は決まっている。さればひとの存在もその摂理を遁れられない。友にせよ愛にせよ、それらは独歩に倣えば「天地微妙の大消息」の一端もしくは一過に過ぎないのであって、騒ぎ立てるべき対象とはついになり得ない。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月10日 22:21 | 固定ページリンク




歓送迎会  | 一考    

 掲示板のはじめに「紐帯を深めるための儀であれば控えさせていただ」くと書いた。思入れ三重ならとにかく、あのじめじめした情動が堪らなく嫌なのである。手締めに出遇う度に頭のなかをしらけ鳥が飛んでゆく。
 先日、貸切状態だったのはS社の歓送迎会だった。乾杯がスコール、万歳三唱と手締めのかわりにgo go goと小声で倡和する。さすがにウィスキーのメーカーだけあって、スマートな立居振舞いに感心させられた。あのような儀礼であれば非の付けようがない、見事な気配りであり思いやりであった。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月10日 19:40 | 固定ページリンク




澁澤龍彦 幻想美術館  | 薫子    

 展覧会のお知らせです。

 埼玉県立近代美術館にて4月7日から「澁澤龍彦 幻想美術館」展が開催されています。
詳しくはこちらを
http://www.momas.jp/003kikaku/3.01.next.k.htm

アルチンボルド、ルドン、伊藤若仲などなど。ですぺらに度々出没される金子國義さん、四谷シモンさんの作品も展示されます。
今日は澁澤龍子さんと巌谷國士さんとの対談もあるようです。


投稿者: 薫子      日時: 2007年04月08日 08:39 | 固定ページリンク




今後ともよろしくお願いいたします  | 薫子    

 おきやまさま、お忙しい中、ですぺら掲示板2.0開設いただきありがとうございます。店主の「あーせい、こーせい」にも応じて下さり、恐縮です。「せっかく掲示板が復活したんだから、あれもこれも書かなならん」と鼻息荒く申しております。あな恐ろし。
 
 
 


投稿者: 薫子      日時: 2007年04月08日 08:25 | 固定ページリンク




飴の中から金太さん  | 一考    

 昨夜、シモンさんが帰られた後、新宿でいつもの五人組が集まって店の先行きについてのはなしになった。再開発は赤坂だけではなく、新宿でも広く行われている。石原都知事の命によってゴールデン街二百六十軒の飲み屋はまさに風前の灯である。五丁目のAgeも立ち退きを迫られた、こちらはビルの建て替えである。二階と三階は住居で、新築から四十年間住んでいた婆さんは真っ先に追い出された。転居までに与えられた期日は一箇月で、転居先は紹介されたものの、引っ越し費用は自己負担である。Ageは業務店なので、さらに過酷な条件が待ち受けている。
 石原都知事の初仕事は都内の公立図書館の縮小と合理化であった。司書は解雇され、地方地誌にかんする資料は大半が破棄された。持て囃されたのは都市の再開発である。ちなみに、東京の産業廃棄物の量は全国の七割を占める。そして産廃を捨てるのに要する費用は明石の二十倍、人件費など諸経費込みでダンプ一杯百万円を超える。業者からは東京価格を請求されるが、その塵が都内で処理されることはほとんどない。茨城、栃木、群馬県内などで投棄されている。それだけ、都内のビルの新陳代謝が激しいのである。
 前項で触れたコンビニや石原に責任があるのではない。要は都民そのものが金太郎飴になってしまったのである。コンビニのおでんを買って天皇陛下万歳とでも三唱しようか。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月06日 20:21 | 固定ページリンク




再開発  | 一考    

 ○源ビルといっても、ライオンズマンション同様、いたるところにあって赤坂にも数棟ある。ここで話題にするのはTBSのすぐ横の○源ビルである。ですぺらが入っているビルと比して床面積は十二倍、そこそこの大きさの雑居ビルだった。それを外資系の不動産屋が買収した。彼等にビルを経営する気は端からない。店子を追い出してビルそのものをリニューアルするか、建て直して売り抜け、利鞘を稼ぐのが目的である。いずれにせよ、通常なら立退料で一悶着起きる筈だったが、外資系が買ってほどなく、全テナントの家賃が倍に値上げされた。
 小泉時代の法律改正で店子の権利は骨抜きにされた、目的は再開発を容易にするためである。営業が成り立たなくなった店子はわずかの掴み金を手に泣く泣く出て行かざるを得なかった。○源ビルに限らず、赤坂ではTBSビルのオープニングに向けて外資系の会社が暗中飛躍している。
 先々週の木曜日、そのような会社の役員と語らった。これからは座っただけで一万円、一杯飲んだだけで一万円、二万円というような高級店、もしくは薄利多売のチェーン店のみ生き残ってゆく。味や商品構成に独自性を持つ個人商店は誰も求めていない、とのお話だった。その消息は飲食店に限らない、出版であれなんであれ同じである。魚、青果、精肉、漬物、乾物、葉茶屋、総菜屋、文房具、書店等々が犇めきあう市場や商店街が消え、コンビニに取って代わった。コンビニの商品構成はほぼ一律である。家庭の献立が地域性を失って等し並になってゆくのは当然の結果である。それを求めたのは個々の住民であり、地域社会であった。

 さて、新築になれば賃貸料は二倍に跳ね上がる。前述の役員によると赤坂界隈の適正な賃貸価格は坪四万円だそうである。二十坪の珈琲店で一杯二百円なら、月二万杯、一日八百杯の珈琲を売るのが損益分岐点になる。従業員が二部制で五名、席数が二十五として三十二回転である。そんな店はわが国のどこにもない。通常は四回転、されば珈琲一杯の適正価格は千六百円になる。新橋駅前を持ち出すまでもなく、小料理屋が消えて風俗店が蔓延る理由がここにある。
 ですぺら固有のことはここでは書かない、必要すらないからである。ただ、店の先行きが決まらなかった、決まらなかったというよりは決められなかった、その理由を述べたつもりである。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月04日 21:56 | 固定ページリンク




裏の川つづき  | 一考    

 自宅から本が溢れでて、明石のマンションを借りたのは三十歳のときだった。八十平米の3LDKで、借りた当座はこれで少しは楽になるかと思われた。楽というのは他でもない、家の近隣に間借りしていた数軒のアパートの書物を統括できると考えたのである。ところが、マンションは天井が低くかつ柱や梁がいたるところに設えられている。マンション用の本棚を四十本ほど買ってきたものの六千冊ほどが収納の限界だった。当時の蔵書数だと八十平米のマンションを十室ほど賃貸しなければならない。爾来、私は戸建て住宅を専らとしている。木造家屋だと床と天井を抜き、コンクリートを張れば、一帖あたり千冊は軽く収納できる。二十坪で三、四万冊の計算である。
 神保町のT書店の店内蔵書が約一万冊、T書店は神楽坂に店の六倍ほどの倉庫を持っている。天井までの高さは通常のマンションの倍はある。客に見せるわけではないので、倉庫にはびっしりと詰め込まれている。それがなければ古書店は維持できない。
 私が新本を買わないのには理由がある。戦後の本なら図書館に揃っている。どうしてそのようなものを個人で所有しなければならないのか。無理をして購うのは私家版と私刊本、それと納本を拒否しているプライヴェート・プレスの書物だけである。
 蔵書と転居で泣かされてきたひとにとって厚表紙のいわゆる上製本ほど困るものはない。あれの中身は馬糞紙である。ここで木村青竹などを持ち出して馬糞の文化史を語るつもりはない。ただ、日本でも英国の堅板紙に負けないものが造られてはいる。問題はそれを書物に使う版元や装丁家がいないのである。価が馬糞紙の二十倍では仕方ないのかもしれない。麦藁といえば聞こえはいいが、要は土壁を原料とした質の悪いボール紙である。それを以て上製とはこれいかにと、うそむきたくなる。上質の堅板紙を書物の表紙に用いた出版人は、佐々木桔梗を除けば戦後三人しかいない。そして内二名は図書館への納本を拒否しつづけている。
 湊川から荒川へと拙宅の裏を流れる川の名はしばしば変わるが、高遠占師によれば源はひとつであるような。いずれにせよ、月がさやかに照るなかを流れてゆくのは夥しい量の馬糞紙なのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月02日 19:52 | 固定ページリンク




れいはるさんへ  | 一考    

ありがとうございます。過日、あなたの誕生日だったことを後から知りました、申し訳なく思っているのです。休みの前の日にでも、ゆっくり飲みましょう。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月01日 04:58 | 固定ページリンク




過去ログ2  | 一考    

 昨日の新聞で吉行淳之介が教科書から抹殺され、吉本ばななが掲載されるとかで、いささかの衝撃を受けております。それ故、ご指摘の「あらゆる話し言葉/書き言葉の中間形」であればこそ、一月とは申しませんが三月も経てば掲示板は消えてゆくべきではないかと思うのです。
 他方、車やバイク、パソコンの整備や分解にかんしてはネットのお世話になっています。そのような技術的なことなら納得するのですが、拙文がごとき他愛ない書き込みを残すに尻込みするのは当たり前のことなのです。
 この件にかんしては暗渠の上の赤坂亭にて櫻井さんと話した記憶がございます。しかしながら、「同業者ここにありとは」のような取り置くべきみごとなお言葉を頂戴すると、消すのが暴挙であり愚挙であるようにも思われてきます。
 いずれにせよ、管理なのか技術開発なのかはさておき、掲示板の制作者のご意見は最大限尊重致したく思います。いわんや「掲示板のエコロジー」によって確たる意思表示がなされた以上、私はそれに従います。改めて、よろしきお引き回しのほど、重ねてお願い申し上げます。
 追記
 私に美学は根刮ぎございませんよ。話序でに、選民意識、貴族趣味、帰属意識等も。


投稿者: 一考      日時: 2007年04月01日 04:46 | 固定ページリンク




掲示板のエコロジー(テストついで)。  | おきやま    

桜井さま。
掲示板1.0の件、だいたい格安ベンチャー系は買収されるとアブナイんですよね。牛込櫻会館は満遍なくgoogleにキャッシュされているので、大変便利なのですが...。一考さんが見つけたXreaへの移転はいかがですか?。大容量アップロードがときどきコケますが。

 過去、しかも自らの著述物に恋々とする書き手ほど気色悪いものはなく、それゆえ書き手の美学?として過去にこだわらないというのは、まぁいいのですが、読み手あるいはネットサーファー(死語!)としては、できれば過去ログ&検索もあれば便利か?と。センチメンタルな感傷よりは、実用性の視点です。
 たとえば北海道に行く前に「つぶ貝のおでん」の件をちと確認したい、北海道イチ・アイスクリ~ムの件を確認したい。で・き・れ・ば、今日は"長々の蘊蓄抜き"(ここ重要!)で...という場合。よーく考えると、ですぺらの営業妨害かも、ですが、書いた本人自体が忘れているトピックが多々あるので...

 書かれたことは、書いたとたんに書き手を離れ、独り立ちするものと思います(特に掲示板はあらゆる話し言葉/書き言葉の中間形です)。そして、本来、時機や文脈とともにあった文章?/書込が、時間軸や肉声や面影と切り離された遺骸となり、横暴な検索エンジンという無数の螽に喰われ、言葉の断片へと切り刻まれていく。誰かの役に立つやも立たぬやもしれず、一生の道を誤らせるかもしれず、頓珍漢な誤解をうけるやもしれず、あるいはおもわぬ解釈や発想へと芽を出すかもしれず...いずれにせよ、遂に単語の引き手もなくなれば、無意味なビット羅列と化して、電脳網の土に還る(?)のですから。
 海馬イラストの裏コンセプトに従っていうならば、海猫が見事なダイビングで海老煎を食べ、してやったはずの海老煎に弱った海猫を海馬が食べ、満腹のシアワセな転た寝で潮に流され刺し網に弱った海馬を漁師が食べ、積年の敵を成敗したはずが思わぬ食当たりに弱った漁師を厳冬の荒海が飲み込み、折しも翌日・押し寄せた流氷下に漂う遺骸をエビが食べ、その海老を...(ぁぁ強引だけどやっと戻った!)ということかもしれません?。
ほな、さいなら。...とかね。


投稿者: おきやま      日時: 2007年04月01日 00:30 | 固定ページリンク




祝、ゼウス。  | れいはる    

初汚しに参りました。新掲示板おめでとうございます。これからも黒き明滅の呟きを楽しみにしております。


投稿者: れいはる      日時: 2007年04月01日 00:30 | 固定ページリンク




投稿機能復帰しました  |   おきやま

技術開発のおきやまです。下記ご指摘の通り、投稿時に謎のエラーが出ていましたが、現在、復帰しております。なお、特にスクリプトには異常なく(修正加えてませんので)、サイトの再構築だけで回復しましたので、実のところ根本原因はよくわかりません。裏で行っているページ分割テストの影響は考えられますが、ロジカルな変更点はないので、Xreaの「虫の居所」以上の原因はわかっていない状態です。ローカルページのスクリプトにゴミが入っていたか?...ぐらいなのですが。
 未だ同様の現象が起こる可能性は消えていませんので、なにかありましたら、掲示板上、またはtookoo@despera.com宛、お知らせ下さい。

★同様のエラーが起きましたら、とりあえず、movabletype管理画面より、左下の「サイトを再構築」を実行してみてください>一考さん、または、ヒロさん。


投稿者:   おきやま  日時: 2007年04月01日 00:13 | 固定ページリンク




投稿について  | 一考    

投稿の折りに送信のあと「エラーメッセージ」が出ますが、その段階で掲示板のトップ頁へ戻っていただくと正しく投稿されています。修整には時間が掛かります、悪しからず。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月31日 22:49 | 固定ページリンク




技あり、一本  | 一考    

 まいりました、脱帽です。
 高遠さんの表稼業も飛切りの読書家、裏稼業に語学教師あり、さらには妙なる翻訳業あり、身体器官論ならぬ身体空疎論を地で行く夢見の達人です。
 お化け小説などちゃんちゃら可笑しくて読めますか、というのが「無頼」の論旨でした。しかし、小生がごとき書き込みを真面目に受け取るひとがいればどう対処しようかとの不安に苛まれていました。喪われ行くものを守る智慧、ハゲを知らずと申します。空疎から「う」を取り除いたものや迂闊がぷかりぷかりと裏川をのどかに流れるようになれば、世の中もうすこし平和になるのではないかと愚考します。
 父の遺言にあんパンとまじめを食することなかれとございました。あんパンの生地には多量の砂糖が加えられ、それがしっとりした食感をもたらすのです。潤いや風情のある人生を送ってはならないとの誡めではなかったかと解釈しております。後者は融通をきかせろということかと思っていたのですが、どうやら沈静の意、漁師言葉のまさめを指していると気付かされたのです。朝夕のまさめは好漁の潮時です、されば転じて財を成すな。これで父の遺言の趣旨が諒解できました。
 真面目はひとをヒステリカルにします。しかしながら、書物を自分を主張するアイテムと心得るがごとき信天翁と愚骨鳥だけはピストルでズドンと一発かませたくなるのです。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月31日 21:07 | 固定ページリンク




トラブル発生  | 一考    

投稿の際にスクリプトエラーが出、投稿が重複します。私にはプログラムは触られないので、解決するまでしばらくお待ちください。

OS 9でログインはできるのですが、それから先の操作は不可能です。OS X上では可能だったのですが、それを確認するまでに時間を要しました。高遠さんのエントリーの削除にいささか手間取った理由です。申し訳なく思います。いずれにせよ、書き込みはしばらくお控えください。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月31日 16:03 | 固定ページリンク




二つ消してくださりませ  | 高遠弘美    

投稿しましたら「エラーメッセージ」が出たので、何度か試しました。どうしてもダメなので、諦めて掲示板に戻りましたら、すでに投稿されてをりました。あとの二つは余計ですので、削除してくだされば幸ひです。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年03月31日 10:33 | 固定ページリンク




同業者ここにありとは  | 高遠弘美    

 われ竊かに開業せる裏稼業に「水脈占師」radiesthe´sisteあり。シャルトル大聖堂の広場の一角に並ぶ土産物屋に容貌魁偉の怪しき翁あり。われ東方より来ると知るや、かの翁、われを店の奥に招き入れて云ふに、「大聖堂を造りし折、地下に水脈ありといふ噂ながれ、人々大いに恐れき。そこにあらはれし水脈占師、懐より出したる水晶の玉にて水脈を探り、人々に教へたり。大聖堂建立はかの水脈占師ありてこそはじめて叶ひし偉業なり。われかの水脈占師の子孫にして、今の世にその術をつたへる者なり。爾、東方より来る怪しき風采の者にして、われら一族と相通ずるものあり。爾にその気あらば、われ水脈占師の秘儀を教へむ」と。
 老師のもとに修業せること三年。やうやくにしてわれ、仏語に訳されし書物によりてradiesthe´sieの秘法を拳々服膺せしのち、自在に水脈占師の術を操るに至れり。そは水晶の玉を紐にて吊し、心中無にして玉の動きを見るなり。もし左に旋回せば、悪しき水、地中に隠れたり。右に回れば良き水なり。病のもと、食物の可否もそれにて知らざるはなく、われ竊に水脈占師の看板を掲げしものなり。西班牙の巨匠ビクトル・エリセの名作「エル・スール」に登場せし父親もradiesthe´sisteなること、あるいは人の知るらむ。
 人、ときに思ひがけず同業者に出会ふものなり。赤坂みすぢ通りの暗渠を知るかの渡邊氏(うぢ)一考殿、昼は辣腕編集者にして無類の読書家、夜の裏稼業に酒肆を営む大人とは知りをりしも、まさかradiesthe´sisteの業をもせし怪人とは思ひもよらず。今さらにして誼を覚えしがゆゑに、わが裏稼業の一端をここに記す。丁亥弥生晦日。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年03月31日 10:29 | 固定ページリンク




川は流れる  | 一考    

 プヒプヒさんのところの書き込みで下戸が裏の川を流れてゆくというのがあって大笑い。それはいいとして、ですぺら近辺のどこに川があったっけでは洒落にもなんにもなりはしない。飯田には天竜川とその支流の松川がある。しかし、すべての河水が遠州灘へ流れ込んでいるのではない。とは申せ、往時の藩主堀親長や黒須楠右衛門もしくは高遠藩の「理兵衛堤防」のことをここで書く気はない。ただ、高遠頼継のご落胤とされる高遠さんの夢記を信じれば、「惣兵衛川除」によって伏流水が生れたそうである。
 渋谷の東急百貨店東横店の真下を通っている宇田川暗渠はよく知られている。それが災いして東急東横店の地下は半分しかない。TBSが株の買い占めでもめたのは最近のはなしだが、あの買い占めが失敗したのは一ツ木通りの裏通り、すなわちみすじ通りに設けられた暗渠であった。古老すら誰も知らない地下の川の存在がささやかれ、建築上の地盤の確認に手間取ったのである。
 覗いたわけではないが、店の裏の地下深くを川が流れ、明暦の古地図によるとため池へそして外堀へと注ぎ込んでいたのである。赤坂を流れる河水が天竜川の伏流水だというような奇想を述べるつもりはない。しかし伝え聞くところによると、ため池のメダカと天竜川のそれとのDNAが合致したらしい。現今の科学の進歩には愕かされる。
 裏の川を流れるのは下戸や新仮名ばかりとは限らない、篤胤によって等閑視され脇腹の子として偶われてきた新仮名の怨念、そのうらみが溶け込んだ書物の毒、その毒を呷った読書家の悪意等々、さまざまなものが漂い、浮き沈みしているのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月30日 22:36 | 固定ページリンク




無頼  | 一考    

 暴れているのではなく、戯れているだけです。どなたさまに限らずダシに使う癖があって、まことに相済みません。
 先日、掲示板を続けたいと書くなり、噛みつきメールが送られてきました。箱根から西には小難しい御仁がいらっしゃるようです。そこで註をひとこと。
 続けることに意味があるとか意義があると言うのは暴論です。なにごとによらず、意味や意義の存在をそこはかと示唆はできても、証明などかなう筈がないからです。五十歩譲って、続けることに大事があると仮定したところで、ならば人生にあっては長命が大それたことになり、さらには輪廻転生を編み出したひとは真髄、秘伝の極致ということになりましょう。
 続けたいとの冀求を意味づけと受け取るのは曲解です。それと、書き込みが詰るか詰らないかを判断するのは他者であって私の知ったことではない。ただ私には私の考えがあって、こうして書いているあいだだけは曲がりなりに自分が在るように思い、書き終えると同時に自分は消尽してしまうのではないかと不安に駈られる。不安というのは難儀なもので、動悸や発汗などの身体的徴候を伴うにもかかわらず、その危機感は漠とした気分でしかない。因果関係が明瞭なかたちで呈れる惧れとはまるで異なる。
 昔、シェストフと共にバンジャミン・クレミウの「不安と再建」がよく読まれた。戦後の1918年から1930年を超現実主義と逃避の期間とし、人格分解の時代、不安の時代と位置付けていた。要は花田清輝式二項対立の先駆を担うがごとき評論集だった。
 始源と終末を繰り返す歴史のなかにあって、第一次世界大戦であれ、第二次世界大戦であれ、戦後というのはひとを不安にさせる。櫻井さんのいう単孤無頼の独人も本を正せば不安がもたらす人格分解にある。よるべを喪えばパーソナリティーそれ自体が体を成さなくなる。振り返る過去がなければ感傷も追憶もなにもない。「メモリに頼らず、今を生き」れば郷愁も愛執もなにもない。自らの特性を見失ったとき、個がいかに彷徨い、いかように徘徊するのか。あろう筈もないぎりぎり最小限の閾値を求めて、どんどん先へ歩を進めるしかないのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月30日 05:59 | 固定ページリンク




過去について  | 櫻井清彦    

過去ログについて色々言われていますが。
元管理人として発言いたします。
ですぺら掲示板1.0のデータはいずれ見えなくなります。
昨年末、レンタルサーバの会社が倒産し、引き継いだ会社は5割の値上げです。
さよならです。
一考さんは過去に関してなんらこだわりがないと聞いていたので、そこらがきれいに消えてしまってもなんら問題ないと思います。過去なんてさよなら。
いいんじゃないでしょうか。

いずれですぺら掲示板1.0は見えなくなると思います。
もっともデータ自体は私のThinkpadにとってありますが、これとていつ初期化されるかはわかないところではあります。

メモリに頼らず、今を生きよと思います。

無頼とはそういうものでしょうね。


投稿者: 櫻井清彦      日時: 2007年03月30日 00:39 | 固定ページリンク




過去と書いたので  | おきやま    

過去、と書いたので、一考さんが暴れているようですが、シンプルにページが重くなって、表示や処理が不安定になるのを防がないと、ということなのですがねぇ…。まあ過去ログにアクセスするかしないかは個人の自由。システム的にはどちらも同時に提供できますので。


投稿者: おきやま      日時: 2007年03月29日 16:32 | 固定ページリンク




過去ログ  | 一考    

 あの時、愛してるって言ったから一緒になったのに・・・過去にこだわるのは別れるひとの常。ピンが吉野弘の祝婚歌ならキリは太宰治のグッド・バイ。訣れがなければ出遇いがない、テメエのことだけ考えんじゃないよ、と言いたくなる。例え矛盾が生じようが、真実は折々に在る。過去を穿るようなぶざまは演じないに越したことはない。
 アナロジーに闌けたひとなら、おなじ言い回しにまったく逆の意味を貼りつけるのは易いこと。ぶざまと書いたのは、撞着を口にした瞬間、相手はたやすく抜け出して間のぬけた念を押すはめになりかねないからである。その消息を詭計に嵌められるという。ひとは包み隠すものも晦ますものもなにひとつ持ち合わせてはいない。
 役者の貫目を問うなら、過去ログ閲覧機能なんざあどうでもよい。昨日を曳きずって生きているのは事実ですが、ひとはその昨日や明日のために生きるのではないのですから。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月29日 16:04 | 固定ページリンク




LIGHT版は常設の予定です  | おきやま    

一考さま。ご安心を。LIGHT版は今後、常設します。暫定なのは機能でして、過去ログ閲覧機能が実装されていないため、このベースだと1ヶ月しないうちに褌ページになるため、開発しないと。ということです。


投稿者: おきやま      日時: 2007年03月29日 14:48 | 固定ページリンク




シンプル掲示板  | 一考    

 昔日のアードベッグはアル添の消毒液、あれほど強烈かつ水っぽい酒はなかったと思います。レアモルト風アードベッグやポートエレンなど飲みたくないのです。現今の佛蘭西ワインに怒りを抱くのも同じ理由です。個性というのはシンプルなものだし、独創というのはまずいもの荒々しいものと相場は決まっていたのですが。LIGHT版気に入ってます。暫定にするのは惜しい。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月29日 14:30 | 固定ページリンク




暫定LIGHT版設置  |   おきやま

[こちらの書き込みは技術検証用ですので、解決目処が立ち次第、非表示となります]

ブラウザ・バージョン等の違いを吸収するため、外部CSSや凝ったレイアウトを一切なくした[Light版]ページを作成しました。掲示板の読み取りと、投稿のみ用意しています。

レイアウトが崩れる方や、シンプルライフをめざす方は、右上のメニューまたは、こちらからどうぞ

「暫定LIGHT版設置」 追記 »


投稿者:   おきやま  日時: 2007年03月29日 12:04 | 固定ページリンク




MACでの当掲示板の閲覧について  | 一考    

 OS 9ではMozilla 1.0.2 -1.3.1とNetscape 7.0.2が問題なし、Opera 6.02とInternet Explorer 5.1.7は対応していません。OS XではSafari1.0.3とNetscape 7.1とfire fox1,5,0,6以降が問題なし、Internet Explorer 5.2.3は対応していません。
 対応していないと書いたのは、本文の上に右メニューが重なる症状が生じます。要するにCSS(書式)の読み込みに不具合があるということです。
 MACをお使いの方は以下のブラウザをご利用ください。すべて無料です。

OS 9用 Mozilla 1.3.1 のダウンロード先

http://www.t3.rim.or.jp/%7Eharunaga/mozilla-macos9/

長いアドレスですが、下記を参照してください。

http://72.14.253.104/searchq=cache:rQ2QjmiNq44J:homepage3.nifty.com/
chado/moj/moz_macos9.html+Mozilla+1.3.1&hl=ja&ct=clnk&cd=10
&gl=jp&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja

OS 9用 Netscape 7.0.2 とOS X用 7.1のダウンロード先

http://wp.netscape.com/ja/downloads/

OS X用 fire fox 2.0.0.3 のダウンロード先

http://www.mozilla-japan.org/products/firefox/all.html


 Mac OS 9.2.2→システムフォルダ→初期設定→Explorerの中にFavorites.htmlとのファイルがあります。そのエイリアスをOS X→Users→ユーザー名のフォルダ→Library→Preferences→Explorerの中へ入れると、Mac OS 9.2.2とOS Xのお気に入りがリンクされます。他のブラウザではそのような便宜が失われるのですが、どうにもなりません。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月29日 03:36 | 固定ページリンク




「田中隆尚先生の痛恨事」について  | 一考    

 「田中隆尚先生の痛恨事」はももんが平成十六年二月号田中隆尚追悼号に掲げられた。文中で触れられているK氏の許可を得てこちらへ転載させていただいた。
 K氏は肥田浩三さんや中野三敏さんと共に書誌学をよくする江戸学の泰斗であり、私にとっても知音を得たのは古く、二十歳にまでさかのぼる。一方、文中のO書店とH氏とも私は交流があった。従って、事情のあらかたは存じ上げている。「取次店T社に出版部数を偽って申告した」とあるのは納品部数の間違いかと思う。T社は管理ミスが露見するのを惧れて密かにペナルティを科したのである。O書店、T社共に社内に友人がい、さまざまな資料や書面が拙宅にも送られてきた。
 出版人には金銭面でいい加減なひとが多い。そこは著者と似ていて、彼等を相手に道徳を説くのは時間の浪費になる。H氏に限らず、出版人と政治家が成功するかいなかは、有力な金蔓を掴むかどうかにかかっている。利用できればよろしいが、利用されれば腹が立つ。なけなしの二百万円をH氏に掠め取られたK氏にしてみれば怒り心頭に発するのであろう。やっちゃんなら知己の金を横領したとか因縁を付けてそれを越える金数を巻き上げるところだが、いまの私は八九三者ではない。
 そのH氏が近ごろ立て続けに著書を上梓している。日経新聞の文壇往来や藝文往来にも書評が掲げられた。内情を知る者には書評それ自体が噴飯ものなのだが、いきさつを知らないのであれば非難はあたらない。ひとは死ぬが本は残るなどと書けばK氏の怒りに油を注ぐことになろう。しかしながら、H氏が少しずつ「作家の風貌」を持ってきたとするなら、以降の喧嘩は文字でするしかない。私なら殴り飛ばすのだが、そうした覇気の持ち合わせがK氏にあるとも思われない。当掲示板への「田中隆尚先生の痛恨事」の転載を契機に諦めていただくとしようか。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月28日 21:03 | 固定ページリンク




田中隆尚先生の痛恨事  | 安保大有    

 田中隆尚先生は最晩年、著作選集の出版を強く望まれ、そのため遺言を三度作成された。いかにも往生際が悪いとの印象は免れない。これにはわたしにも責任の一端があるので事情を記録しておきたい。
 平成十一年の秋も深まった小春日和の日だったと記憶する。鵠沼の田中邸で先生の遺言公正証書が作成されようとしていた。二度目の作成であった。わたしは証人になるよう依頼されて立会ったが、内容を確認したのち署名捺印することを拒否した。同時に、先生に、公証人に対して作成請求を取り下げるとの意思表示をするよう勧めた。先生はその場で公証人にその旨の意思を表明し、遺言の作成は見送られた。
 遺言の内容はこうであった。先生は遺産のすべてを有限会社H事務所に遺贈し、同事務所は、先生の「撰集」全二十巻(予定)と歌集全二巻(予定)を出版し、先生の兄隆行氏の作品集と書簡集を出版するほか、書籍資料と遺品を一般の閲覧に供し、資金的に可能であれば先生の「続・撰集」を出版する責に任ずる。
 何はさておき問題は、はたしてH事務所には誠意をもって責任を果たす用意があるかどうかであった。それはO書店のH社長の名前を冠する事務所で、H氏夫人が代表取締役になっていたが、折からO書店は経営が行き詰って資金繰りに窮しており、先生の遺産は「撰集」などの出版資金になるどころか、その事務所をトンネルとして同書店の債務の弁済に回されて消える危険があった。
 O書店の経営が行き詰った直接のきっかけは、取次店T社に出版部数を偽って申告したことが発覚した結果、同社から密かにペナルティを科せられるに至り、本を作れば作るほど出版費用分が赤字になる状態が続いたことにあったようである。その情報は先生にO書店を紹介したK氏からすでに先生の許に寄せられており、同書店の経営状況についての情報を考え合わせると、その命運がほどなく尽きることは目に見えていた。
 日本の書籍流通業界は二大取次店であるT社とN社によって支配されているといってよい。取次店にはほかに取扱量が格段に落ちる中堅一社と群小四十社があるが、シェアを合わせても二割に満たない。T社とN社は問屋ではあるがただの問屋ではない。元はといえば同じ国策情報会社であった。戦時中にその規模が肥大化していたため、敗戦後GHQによって分割された。もともと情報管理と情報処理を専門とする会社であったところへ、日本の再販制度がその種の能力を要求する制度であったから、たちまち書籍流通業界を席捲してしまった。そのT社からペナルティを科せられたことは業界における死を意味する。事実、O書店は翌年初秋に倒産した。
 先生はその日、公正証書の作成請求を取り下げはしたものの、H氏に寄せる好意的評価を変えたわけではなかったようである。いずれにせよ、氏から電話で取り下げの理由を問われると、いずれ会って説明すると回答し、取り下げは自分の本意ではないといわんばかりに説明役をわたしに依頼した。
 同じ年の瀬も押し詰った寒い日だったと思う。先生と姪御のTさんと一緒に鵠沼海岸駅に近いイタリア料理店でH氏に会った。わたしから証人として署名捺印することを拒否し、先生に請求取り下げを勧めた上記の理由をあからさまに説明した。氏の名誉のために付け加えておくと、氏はT社のペナルティの件を認めたほか、会社の経営状態が思わしくないことも認め、そのことは先生にも告白した上での遺贈話であると反論した。氏はさらに、田中邸を遺贈されても「撰集」などの出版費用を賄うに止まり、氏の利益は残らないとも反論した。すると先生は、それでは出版費用の見積書を出してもらうことにしようと提案され、また、前年に貸した百五十万円は氏が『茂吉秀歌』を出版する際の頭金に充当しようと提案された。先生がH氏にもO書店にも未練を残しておられることは明らかであり、わたしの役割はそこまでだった。H氏が引き取ったあと、帰りに田中邸で話をしようと誘われたがお断りした。
 わたしが証人に指名されたのは、最初の遺言にも関わっていたからだと思う。先生は初め、遺産を藤沢市に寄付することを望まれ、市と合意した上でその趣旨の遺言を作成された。まだ姉上満尾久美子氏が存命だったころに始った話であるという。先生の語るところでは、記念館を建てて書籍資料、遺品、諸家の書簡類を保存し、一般の閲覧に供することが寄付の条件であった。著作選集の出版は条件に入っていなかった。わたしはその考えに賛成し、先生の遺志を実現するために努力することを約束していた。しかし親族からその条件で寄付するのは安売りに過ぎるとの異論が出たそうで、先生が三千万円の支払いを要求したところ藤沢市が拒否していた。
 条件の追加にわたしは賛成しかねたが、あえて止めはしなかった。藤沢市の出方がどうなろうといずれ遺言自体は有効でありつづけるからである。ただし反対する理由は説明した。親族からの異論は短慮に過ぎる。記念館の建設はその後の維持管理費用を伴う。少なく見積っても年間二千万円は下るまい。つまり十年で元は取れることになる。それに自治体は条件の追加を極度に嫌う。行政の安定性が失われるからである。また、自治体が寄付を受け容れるのは田中家や先生の事績もさることながら、行政的に見て市民福祉の向上に役立つという判断による。そういった説明を理解されたかどうかは知らぬが、先生は実際に金を要求して拒否された。
 二度目の遺言作成が見送られた日も同じ理由からさほど心配はしなかった。出前の鰻重とTさんの手料理を御馳走になりながら、こんな話をしていた。ーー先生はここの土地が坪八十万円に評価されているから二億四千万円の価値があり、それを丸々資金に使えると思っていませんか。それは間違いです。税金がかかります。かからないのは藤沢市に寄付したときだけです。個人に贈与すればざっと六十五パーセントの税金がかかります。相手に残るのは八千四百万円に過ぎません。切り売りはいけませんが、先生が売った場合はどうでしょうか。昭和十年代の初めにこの土地を父上が買ったとすれば、売るための費用が百万円かかると見てざっと計算すると、税金は四千五百万円になります。先生の手許に残るのは一億九千五百万円です。いっそのこと先生が存命中に売って著作選集の出版も記念館の建設も一挙にやってのけてはいかがですか。考えるのが面倒なら大手の建設業者に売ることにして、両方とも実現できるような計画書を出させればよいのです。ただし記念館を維持する費用は捻出しなければなりませんね、レストランを組み込むなどして。
 先生がぽつりといわれた。
「君も仕事をまとめるなら、七十歳までにしたまえ」
 痛恨の一言であった。
 三年後、先生の訃報を追うようにTさんから、先生が三度目の遺言を作成しておられたことを知らされた。二度目のものとほぼ同じ内容で、遺贈の相手は友人宇野宏氏となっているという。ついては会って相談したいことがあるとのことだったがお断りした。わたしの役割はH氏に取り下げ理由を説明した時点で終わっていた。Tさんには、もはや法定相続人といえども遺言執行者の許可なしには遺品に触れることさえできないこと、遺言の無効を主張して争うには執行者の財産管理上の非行を立証する必要があることを説明するに止めた。


投稿者: 安保大有      日時: 2007年03月28日 20:37 | 固定ページリンク




櫻井さんへ  | 一考    

 普段はOS 9なので、OS XのMicrosoft EntourageにOS 9のOutlook Expressを読み込ませて、附属のメールソフトにそれをインポートしました。mboxは出来ましたが、初期設定や環境設定までは読み込まないようです。それはともかく、メールソフトからの移行は難しそうです。暇なときに試みるつもり。どうもありがとうございました。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月28日 04:42 | 固定ページリンク




おきやまさんへ  | 一考    

 掲示板1.0ならびにAISA systemsの宣伝に感謝。カテゴリー「モルト」についてはですぺら通信へ長文を掲載中ですので、ちょいと待ってください。酒も書物も性愛も人生も私にとっては同じものですから、いずれ統括することになると思うのですが。
 それにしても、グーグルで当掲示板がトップページへ躍り出たのには愕かされました。昨夜ホームページとのリンクを張ったばかりです。はじめて僅か三日なのにねえ。

 さっきアーカイブを見たのですが、あれは海馬が一考鳥を喰っているんですかねえ。ところで、追記の表現テクってのは薫子さんに言わせると嫌がらせだって。一行だけ書けばよいのであって、長ったらしい海馬の涎はすべて追記に回せだとさ。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月28日 04:30 | 固定ページリンク




 | 一考    

 タイトルは同様、しかるに当掲示板は旧掲示板を総括するものでなければならない。それが私の生き方である。自分に対してすこぶる真摯な興味を抱きつづけているが、それは他者の介在があっての自分であって、他者という鏡もしくは投影を介さなければ自分は霧散してしまう。言い換えれば、他者の存在がかろうじて自分を存在せしめているのであり、他者と自分は私の内にあって等価なものとして並列に存在している。並列を重んじるが故の掲示板であって、ブログではそれが成り立たない。
 この消息は読書と似ている。高遠弘美さんとはなしていて感心させられるのは、知識が必ずしも自己確立の手立てになっていないというところである。知識の「ち」は血ではないかと私は信じている。読み解くとの行為を伴わなければ、それは情報でしかなく、その情報を骨肉化しようとするところから知識がはじまるのだと心得ている。従って読むだけでは困るのであって、それをどのように咀嚼し、いかに体得したかの表明が必要になる。読み解くのが個であればこそ、当然その表明はオリジナルなものになる。もし独創でなければ未だ個に至っていないということになる。
 書きもしない手合いが述べ立てる口舌ほどさかしらなものはあるまい。興味がもてないとか詰らないとか、好悪だけでの判定はなにものをももたらさない。思うに、テキストを非難する前にそのテキストを読み解く自己の能力に疑いを抱いたことがあるのだろうか。いっそ、取るに足りないのは私ですと宣うほうがよほど潔い。書物と自己の二つの概念を結合して両者の関係を表す言葉が端から欠落しているのである。
 「一篇の作家論を読んで対象たる作家が詰らないと思ったとき、詰らないのは書き手の方なのであって、決して俎上に載せられた作家ではない。逆に対象たる作家がきらきら輝くとき、光彩を放っているのはエッセイを著した側なのであって、こちらも俎上に載せられた作家ではない。『問われるのは切り口である』などとよく言われるのはそのあたりの消息を指している。なにを採択するかに問題があるのではなく、いかに料理するか、その調烹に力点が置かれねばならない。なぜなら、対象になにを取りあげるかは好悪の問題であり、それは「自由意志」のなせるわざに過ぎない、翻って調烹には書き手の気質がありのままに露されるのである」
 上述の表明がなされている読書家にあっては、読めば読むほどに繙けば繙くほどに、書物におののき平伏するの他手立てはないのである。読書はどこまで行ってもおのが空(うつお)や疎(あばら)を填めるものではない。書物の毒を煽り読書家の怖ろしさを識る高遠さんにとって読書は自己喪失への旅立ちであって、決して自己の擁立ないしは確立に至るものではない。間違いなく彼の内では、夥しい書物と著者と自分とが並列に存在しているのだと思う。引用の作法を顧みるに、高遠弘美にとって最大の他者は書物であり読書であり言葉そのものであったと思う。三歎に値する友とはこのことをいう。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月28日 03:54 | 固定ページリンク




カテゴリー「モルト」について  |   おきやま

モルトの話題はこのカテゴリーでお願いします。いちおうモルトバーだったと思うので...
モルト会関連の話題もここでいいですかね?>一考さん。

※カテゴリーについては、セキュリティーの都合上、movabletypeメンバーが最初のひとつを書き込まないと、ゲストは投稿時に選択できません。新設カテゴリー希望の場合、tookoo@despera.comか、一考さんにお願いしてみて下さい。

ちなみに、↓追記の使用例も..

「カテゴリー「モルト」について」 追記 »


投稿者:   おきやま  日時: 2007年03月27日 23:10 | 固定ページリンク




不具合報告について  |   おきやま

 新掲示板は(店主の好き嫌い気にせず)WINDOWS xp sp2+上で開発し、IE7/Opera8/Firefoxでぱっと見確認の上、リリースしています。が、作成者は、アマプログラマなので、多様なブラウザやプラットフォームに依存する現象は把握できないのが現状です。
 そこで、不具合を見つけた場合は、この掲示板にて「機能テスト・不具合報告」カテゴリで書き込むか、tookoo@despera.comまでお知らせ下さい。なお、本来の掲示板の流れをとぎらせないために、不具合報告記事は開発者が確認次第、非表示とさせて頂きます。

※たとえお知らせいただいても、解決できるか否かは、そもそもの技術力、あるいはどこまで許容範囲とするかの判断によって確約できませんので、ご了承下さい。

書き込み例:
ex.
 OS:WINDOWS xp sp2
 ブラウザ:Opera 8.0
 現象:本文の上に右メニューが重なって読めない。/本文が一切改行してくれない/文字化けするetc...

画像ファイル(Print Screen等)を添付して頂くと、話が早いと思います。

※CSS等の仮想化・構造化技術を多用しているため、少々ページロードに時間がかかります。この点、ご了承下さい。軽量すっぴんページの開発なども構想(だけは)しています。


投稿者:   おきやま  日時: 2007年03月27日 23:00 | 固定ページリンク




復活おめでたうございます  | 高遠弘美    

一考さま。
掲示板復活、まことにおめでたうございます。今の世に祝ふことなど何もなしと仰せでせうが、一考さんの復帰はいい知らせです。
「私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝を諾うことに難儀致しております。あまつさえその能書に追従や欺瞞が加味されるソーシャル・ネットワーキング」に巻き込まれてゐる者の一人としても、一考さんの刺戟的なお書込みを大いに期待してゐます。お店移転の件については、またご拝眉の折りに詳しくお伺ひいたしたく。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2007年03月27日 13:08 | 固定ページリンク




MacOS X mailのデータ移行  | 櫻井清彦    

最近、OS Xには余り触っていないので、実地では未確認ですけど、
メールデータは移行可能のようです。
というか、mbox形式なので移せるはずなんですけど。

http://forum.mozilla.gr.jp/?mode=al2&namber=13922&rev=&&KLOG=90

ここをみてください。


投稿者: 櫻井清彦      日時: 2007年03月27日 00:46 | 固定ページリンク




りきさんへ  | 一考    

 六月からはフードが造られなくなります。厨房の付いた店を借りることができなくなるからです。油が使えないので、おそらく茶漬けだけになるかもね。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月26日 23:26 | 固定ページリンク




PowerMacG3 Blue and Whiteについて  | 一考    

 マックのOS Xに附属するメールソフトはサルベージができない難物で、同じくブラウザのサファリもなんの役にも立たないしろものです。インポート、エクスポートが可能で OS 9との間をリンクさせるにはMicrosoft EntourageかOutlook Expressを使うしかないのです。ブラウザはInternet Explorerの開発が停止されたのでFire foxしかないのですが、Fire foxはOS 9に対応していません。従って、普段は古いInternet Explorerをリンクさせて使っています。
 今回の掲示板ではそのInternet Explorerの文字化けで困っていたのですが、理由はPlug-insでした。NP-PPC-Dir-ShockwaveとShockwave Flash NP-PPCを入れたところ、書き込み時の文字化けがなくなりました。おそらく後者のプラグインが功を奏したものと思われます。
 実は今月はじめから大枚三千八百円を払って薫子さんはG4へ、小生はG3へと乗り換えました。それが理由で七年ぶりにOS 9を新規にインストールしたのです。9.0から順次ヴァージョンアップしてゆくと更新されないファイルが多数出てきます。CarbonLib、AppleScript、QuickTimeは当然としても、ATI Driver Update、DVD関連、OpenGL、Open Transport、SoundSpace2Lib、NetManage WinSock Lib、USB Mass Storage Extension、ネットワーク設定機能拡張などが取り残されてゆくファイルです。それらがG4やG3では悪戯をします。imacやibookのリカバリーCD(9.2.2)からインストールするとDVD関連を除いて他は最新のファイルで構成されます。pacifist(リカバリーからアプリケーションを抽出するソフト)のお世話になるアプリケーションがごく少数になるのです。後はいかに安定させるかで、このところ掛り切りでした。以上がプラグインを忘れていた理由です。
 ところで、小生のG3は問題多発の初期タイプ、いわゆるKAG1のロジックボードです。ATAのチップに欠損があってハードディスクとの相性に難儀させられる不良児です。随分検索したのですが、トラブルありもしくはインストール不可能との書き込みばかりで、具体的なメーカー名はまったく触れられていないのです。それ故、小生の方で確認したことを書いておきます。
 Maxtor、Seagate、Samsungは新旧共にまったく認識しません。HitachiとWDCはもの次第です。問題がなかったのはFujitsu、Quantum、IBMの三社のハードディスクでした。Quantumを認識してMaxtorを認識しない理由は小生には分かりません。ただ、MaxtorバージョンのQuantumも試したのですが、しっかり認識しました。さらに、KAG1はメモリとの相性にも悶着が生じるとみなさんお書きですが、これは順序であって、手前(サイドパネルを開けて、向かって左側)に容量の小さいものを差さないかぎりは大丈夫です。168ピンのSDRAMであれば、PC100であろうがPC133であろうが、また CL2であろうがCL3であろうが、ウィンドウズ用もマック用も関係なく利用できます。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月26日 23:19 | 固定ページリンク




書き込んでみます  | りき    

用事かさなりたまにしかうかがえていません。不義理しております。いまは、石野重道「彩色ある夢」を復刻するための準備をすすめています。おちついたらうかがいます。


投稿者: りき      日時: 2007年03月26日 20:14 | 固定ページリンク




掲示板復活お祝い  |   おきやま

お祝いついでに、ニュー・グラフィックひとつ作りました。

Mini-Todo.png

涎と見るか、牙と見るか?あるいは、牙に滴る涎か??

P.S. 
 まだ、トップページ・リンクがない為おっとりしていたら、puhipuhiさんの記事でアクセスが徐々に増え、焦っています...
 現在、この掲示板は技術&デザイン開発の傍らでの暫定運用中です。時折(特に休日や深夜)、気まぐれに謎の書き込みやエラー、デザイン変更等がなされますがご了承下さい。まだMACでのデザイン面でのバグが取り切れていません。

 なお、現状でもデータとしての書込文は保護されています。ただし店主の逆鱗に触れた場合はその限りではありません..


投稿者:   おきやま  日時: 2007年03月26日 00:37 | 固定ページリンク




はじまりです  | 一考    

 沖山さんの尽力によって新しいですぺら掲示板ができあがりました。ウィンドウズでは機能するもののマックでは不具合が生じるなど、いささかの難儀を経ての御戸開きとなりました。深く感謝致しております。
 ですぺらは六月二十日で閉店しますが、掲示板は続けていきたいと思っています。
 こちらでは、私人への誹謗中傷は理由のいかんを問わず削除します。どこそこの店までなら抽象的で判じかねるのですが、売り場や担当部署を書けば個人の特定が可能になります、当然その場合は削除します。公人と私人の区別がつかない方の書き込みはご遠慮いただきます。
 年始の挨拶は辞宜します。世界二十八箇国三十二地域で殺戮が行われているなかにあって、何がいかように「めでたい」のか迂生には皆目見当がつきません。もっとも、その慶びの事情を述べるのは結構です、議論反駁は大いに望むところですから。
 挨拶は日常の人間関係を円滑に取り運ぶための儀礼的な相互行為であると同時に、人間関係を疎遠にするためにも交わされます。仮に前者であっても、紐帯を深めるための儀であれば控えさせていただきます。友とは影のように付き従うものであって、決して獲得するものでも出遇うものでもないのです。眼前に私情を携えての友誼など迂生にとっては毒にも薬にもなりません。
 私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝を諾うことに難儀致しております。あまつさえその能書に追従や欺瞞が加味されるソーシャル・ネットワーキングなど論外だと思います。当掲示板の行き先はまったく異なります。個の搏動を伴わない虚礼を排し、どっちつかずな不本意な遣り取りを廃するところからなにかしら滲み出てくるものがあればと、それだけを冀っているのです。


投稿者: 一考      日時: 2007年03月24日 16:17 | 固定ページリンク






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