レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« バート・マンロー | メイン | 価値とはなんぞや »

日陰者    一考

 

komaba68.gif

 写真は橋本治さんの作、撮影は町田仁志さんである。1968年東大駒場祭ポスターであり、「昭和残狭伝」の主題歌「唐獅子牡丹」の一節のパロディである。

 つもり重ねた 不孝のかずを
 なんと詫びよか おふくろに
 背中で泣いてる 唐獅子牡丹

 高倉健さんが死んだのはともかく、報道ステーションのあり方が物議を醸している。曰く「高倉健さんの訃報を学生運動に結び付けるトンデモ放送」「全共闘の美化」「高倉健さんの功績に関する紹介や死を悼む声とは懸け離れた「別の内容(学生運動)」を紹介」した等である。
 要するに、往時の学生運動と一俳優の死を結びつけるのが安直であり、高倉健への冒涜だと云うのである。もちろん、二者に哲学的(情念)関連があるとは思われない。しかし、情緒的関連はかなり深かったと思う。
 高倉健の任侠映画を見にゆくと、やさぐれや街の兄ちゃんばかりが客ではない。映画の端々で、とりわけ「死んでもらいます」との台詞には、間髪を入れず「異議なし」との掛け声が這入る。全共闘と思しき学生からのそれである。掛け声と云うよりは、機動隊と対峙する自らへの喚起であり、励ましだったに違いない。高倉健の映画を観、唄を口ずさみつつ、ヘルメットをかぶりマスクで顔を隠して街頭へ向かったのである。
 高倉健と全共闘では心情はおよそ相容れないものだったに違いない。にもかかわらず、安田講堂事件の渦中、高倉健論議がなされたとの記録が残されている。いまひとつ、澁澤龍彦の著書がシンパにとって聖書のごとく取り扱われたとのことである。特に「黒魔術の手帳」のようなどう顛んでも学生運動とは縁もゆかりもない三面記事を蒐めただけの著書が持て囃されたと云う。この三者、高倉健、全共闘、澁澤龍彦を並べると、共に思想のなさに於いて見事に統一されていることに気付かされる。
 報道ステーションのタイトルは「「義理、人情」と戦後日本」だった。報道ステーションすなわち古舘伊知郎の云いたかったのは「義理、人情」と「情念」との識別すらできなかったのが学生運動であり、延いては全共闘運動の向こうに戦後の日本人を、その限界を見切ったのでなかったか。

 Dailymotionで高倉健主演の映画を探した「あなたへ」が「致亲爱的你」、「ホタル」が「tomoko」、「駅」が「车站」や「m-station」、「居酒屋兆治」が「sayo」、「昭和残侠伝」が「昭和残侠传」、「新幹線大爆破」が「新干线大爆破」、「君よ憤怒の河を渉れ」が「译制经典」、「鉄道員」が「铁道员」、「遙かなる山の呼び声」が「远山的呼唤」と「A Distant Cry From Spring」等々、まるで判じ物である。それにしても、中国で高倉健の受けが良いのは不思議である。


←次の記事
「価値とはなんぞや」 
前の記事→
 「バート・マンロー」

ですぺら掲示板2.0トップページへ戻る

このページについて...

2014年11月26日 21:31に投稿された記事のページです。

次の記事←
価値とはなんぞや

前の記事→
バート・マンロー

他にも
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34