前項で悪口を書いた。あまり書きたくなかったのだが、告訴とか裁判とかが聞こえてきたので書かざるを得なくなった。いわばガス抜きである。文学とは縁もゆかりもないひとがコレクターには多い。それはそれで大切な方々である。コレクターがいればこそ後世ののひとが美本を入手できる。そして限定出版はそういったコレクターによって支えられている。ただ、コレクターが常に分を弁えるとは限らない。誰かが迷惑を被れば、叩かざるを得ない。
今回は岡田露愁さんに関する文章があまりに酷かった。何度か事実関係を調べたが、本に書かれていることはまったくの伝聞か創作の域を一歩も出るものでなかった。それは分かっていたのだが、例え掲示板と云えどもしっかり調べないと書かれない。貴重な時間をわたしのために割かれた方には御礼申し上げる。
あのような内容の書物は上梓する前にゲラ刷りを関係者に見せるべきであろう。そうした通常とられる手続きが踏まれなかったところに不幸がある。理由は編輯者の不在である。同書は八十部の限定本だが、劃ったがゆえに許されるというものでない。印刷は複製技術であり、例え一部であっても公刊本である。
露愁さんの肉筆一部本が献本として彼の手に渡っている。それは世話になったもしくは雑作を掛けた相手への湯川の謝意である。その段階で貸し借りは終了している。それを露愁さんのせいにするのは逆怨みである。今回の件で露愁さんが立腹なさるのを危惧する。それでなくとも湯川の奥方は腹を立てていらっしゃる。
彼についてはわたしはなにも知らない。どうやら焼き肉に関する会社の社長のようである。かなり神経の粗雑な方とお見受けする。でなければあのような文章は書かれない。土足で他人の家屋を荒らすような風情である。他に書くことはあったが、水掛け論はしたくないので控えた。
繰り返すが、前項の文章の文責はわたしにある。なにかあればわたしを相手にしていただきたい。文を著すとはそういうことであって、常に責任が生じる。責任が取られない文章は決して書いてはいけない。