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無縁   一考   

 

 久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し、まったく肉が出てこないので安心して頂戴できる。今回は腎臓食でなく、端から心臓・高血圧食が用意された。別に血圧が高いわけでない。高血圧食がもっとも塩分が低いのである。前述したように、腎不全の進行が急である。なにがどうあろうとも、塩分を控えねばならぬ。
 今回の退院後は干物も遠慮せねばなるまい。透析時代を顧みて刹那の自由を楽しんだわけだが、それは消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」を意味したのだろうか。重痾に犯されたとき、選択や決断の自由と呼ばれるものはひどく形を変える。わたしが云うのは狼藉、濫吹といった専恣横暴でなく、無縁、公界、十楽など、共同体からの自由であり、遁走である。それはときとして人を卑屈にさせる。
 わたしは大体自由なるものをプラス思考で捉えたことがない、自由の語義は常にマイナス評価とともに訪れる。身寄りのない貧しさを意味する語、無縁は転じて親子・主従等の縁を積極的に切った自由な境地を示す語となり、私すなわち内証に対する公・世間を意味する公界は、私的な縁・保護を断ち切る自由を示す言葉として用いられる。そしてそれは同時に、無縁は極貧に、公界は苦界へ、らくは被差別民の名称ともなる。すなわち、本来自由であり遁走であったはずの概念が階級のそれへと、言い換えれば精神的荒廃へと転側する。階級闘争は難儀である、階級闘争は自己責任の転嫁を招き入れる。被害者が難なく加害者へ、加害者が被害者へと化け果せる。無知と貧困は仕置きの対象にこそなれ、決して同情の対象すなわち涙にはなりえない。
 散るを知らず、爛柯を聴き、共同体の蘭塔を守るは敗亡の輩。花は定まらない、花は揺れ動く、花は舞い散る。ひとは只管転側を繰り返すのみ。


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2012年10月11日 16:11に投稿された記事のページです。

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