いつも飲んだくれるばかりで、肴を除いて食にさしたる興味はない。 従って、ファミレスというところに足を踏み入れたことがほとんどなかった。
日曜日の夜はまなさんの連れ添いに案内されてサイゼリヤへ行った。あまりの安さに愕かされ、そして値のわりには旨いと思った。もっとも、私はビールをジョッキで二杯と白ワイン500㎖をデキャンタで注文、食の方はつまみを摂っただけである。ワインはよく撰ばれている。トレッビアーノを思わせる味わいだが、おそらくオスコのテーブルワインだと思う。店内は若いひとで満席、彼等の旺盛な食欲を横目に、不思議な経験をさせられた。どう不思議だったかは別の機会に書く。
ここで書きたいのはまなさんの連れ添いのことである。ラリーが好きとかで、滅法車に詳しい青年だった。発動機のはなしに終始したが、青年特有の刷り込みがない。刷り込みは言い換えればこだわりになる。好悪を超えて各メーカーのエンジンの特質をじつに正確に捉えている。そして改造にかんしても、ホイールのインチアップやトルクが抜ける太いマフラーには見向きもしない。要するに、風俗としての改造には興味を示さないのである。彼の車は1Jのエンジンを積んでいるが、サスペンションとショックアブソーバを換装したと言う。まったく正しい改造法である。
ですぺらでお客さん同士がどのようなはなしをしようが私が関与すべきことではない。ただ、はなしを私に振るのだけはやめていただきたい。ショットバーなので、ウィスキーの質問には誠意お答えするが、書物のタイトルや著者名の無機質な羅列に応じる気はまったくない。好き嫌い、良い悪い、名訳悪訳、文章の巧拙等々を無機質と言っている、それらは文学とはなんの関わりもないからである。言い換えれば、風俗としての文学にはいささかの興味もないのである。
まなさんの連れ添いは「おおむろ」さんと言う。福島の出身というから大室と表記するのだと思う。浩然の気というか、屈託ない彼の顔つきは清しい。良い酒と酔いに恵まれたことに感謝したい。