輸血をしないと死ぬのは分かっている。そして輸血によって露命を繋いだ。医師に感謝し、夥しい献血者に満腔の謝意を表したく思う。
粥を啜って露命を繋ぐと世に云うが、正に地で行くとはこのこと。そこまでは良いのだが、とんでもない問題を突きつけられている、抗体である。輸血は臓器移植のひとつだが、血液製剤にはさまざまな献血者の抗体も含まれる。自分の体内にこれまでなかった種類の抗体が潮津波のごとく押し寄せてくる。
それでなくとも移植者は免疫抑制剤で抗体を抑えなければ生きてゆけない。そこへ新たな抗体が悪戯をする。延齢を図ると碌なことにならないとの証左である。
人工透析器は腎臓の代わりに拵えられた血液浄化装置である。ただし、腎臓は脳の次に複雑な器官で、血液浄化以外にもレニンというホルモンを分泌し血圧を調節する、ビタミンDを活性化する、骨髄に作用して赤血球の産生を促進するエリスロポエチンというホルモンを作る等々、さまざまな働きを持っている。翻って人工透析器は血液浄化すなわち老廃物を身体の外に排出する役目以外の機能は持っていない。
人間の赤血球は、四〜五箇月程度の寿命しかない。従って、人工透析を続けている患者はほとんどが輸血に頼って生きている。輸血のおもしろいところは、癌を防止する体質をもつ人の血液を取り出し、癌を患っている人に注入すれば、例えば腫瘍の萎縮という形で、血液の抗ガン効果が即座に現れる。ただし、その作用は短期間に限られる。わたしの場合は輸血によって鉄分が補給されたため、ヘモグロビン値が暫くは上昇する。要するに下血がない限り、四箇月間は貧血すなわち失神から解放されるのである。