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オステオスペルマムのスプーン咲き(風車咲き)。パイプ状の平たい形の花弁が、花芯の付け根まで伸びて丸くなると、完全なスプーンを描く。キク科の花なので通常はこのような状態ではなく、ほんの一時の、最も美しい開花状態と云えます。どことなく淫靡な名称が美しさをさらに引き立てている。
このところずっとオートバイだが、エンジン内部のカーボンの掃除を兼ねてハイオクを使っている。エリミネーター250の燃費は通常リッター20キロだが、わたしのエリミネーターは15乃至16キロしか走らなかった。必要な整備は済ませているので、個体の問題として不問に附してきた。それがハイオクに切り替えてから19キロにまで延びるようになった。リッター4キロとは計算外で、延びても10パーセント未満と思っていた。ハイオクとレギュラーの価格差を考慮しても、遙かにハイオクの方が効率が良い。ハイオクを使い続けようと思っている。
山口小夜子さんの知られた写真、撮影は横須賀功光さん。
Pinterest(ピンタレスト)にヤマグチサヨコなるボードあり。
尾鼻薫さんがライダーふたりを引き連れて来店。わたしは飲まれないが、彼の飲むところを久しぶりに拝見。彼といると、こよなく楽しい。彼の影響もあって、今日は店でハーレーダヴィッドソンのベストを着ている。背中一面に大きな刺繍のあるベストである。前ボタンが留まらなくなったのは寂しいが。
そのベストを中尾さんが見付け、一考さんはやはりこうでなくっちゃ、と一言。中尾さんから神戸では老舗 MC Deadcats に這入らないかとのお誘い、次の機会があれば是非参加したいと伝える。東京で某走り屋グループに這入りはしたものの、末期腎不全の発症によって脱会した。わたしは走るのは大好きだが、常に単独行である。徒党を組んで走るのは好きでない、数が多くなればなるほど、傲慢な走り方になるからである。 MC Deadcats はそのようなグループではないようである、期待している。
写真は20年ほど乗っていた愛車、BMW R100RS。
心配事があったのだが、氷解しほっとしている。
昨日は終日食事を摂られなかったのだが、今日は食べられそうである。それにしても心配させられた。
先日、舞子の田畑たばこ店へ行く。昔親しくしていた元町の杉本酒販と共にTLC加盟店である。異なる用事で赴いたのだが、TLCオリジナルのパイプ煙草マクレーランドTLCスリーチェリーズを教えていただく。3種類のチェリーフレーバーのあまりの香りの良さに惹かれて購入。6年間、煙草は断っていたのだが、無性に心惹かれた。パイプを取り出しゆっくり喫ってみる、キャベンディッシュの傑作の一言につきる。この一缶は大切に味わう心算にしている。
日々服用するの25錠の薬のなかにユリノームが這入っている。従って尿酸値はわずかに高いが、高尿酸血症にまでは至っていない。にもかかわらず、指先の痛風に悩まされている。二輪に乗っているので、レバーが引きにくいときが多々ある。
薬といえば、ぐっすり眠ろうと思って、30年ぶりに睡眠薬を服用。効き目の強い睡眠導入剤なのだが、なかなか眠られなくて困っている。大量に飲んだのでそのうち効くであろうことは間違いないのだが。
連休のあいだは営業している。最後の7日は日曜日ゆえお休み。
このところ体調がよろしくない。ひどく疲れている。おそらく睡眠不足かと思う、昔のように3.4時間の睡眠、食事は1日1食乃至2食なのだが、この年には無理なようである。食事はともかく、睡眠はせめて6時間に増やしたいと思っている。それと免疫抑制剤の影響もあって、頭がぼんやりしている。店をはじめて3箇月になるのだが、合鴨スモークのほか、なにひとつ作られない、困ったものである。
2003年から毎年、空白の4月26日が繰り返される。寂しいといえば寂しい、切ないといえば切ない。吉行が「こんなことってありませんか。自分が67歳にもなって、取り乱せば乱すほど、自分が確かめられるというようなことが・・・」と書いている。わたしは取り乱せば乱すほど、ますます自分が分からなくなっていく。あの日はなんだったのかと。
月曜日にあまねさんが飲みにいらっしゃるかも、との電話があった。増田さんご一統に続いての歓びである。あまねさんは当掲示板で書く内容に精通していらっしゃる。今回も「くそったれ」に引っ掛かってこられた。その思考回路の複雑さにわたしは惹かれる。
彼は女性の裸を見たぐらいで躪り寄るほどやわな男ではない。単純な男は世の中に掃いて捨てるほどいる。そして掃いて捨てられるような塵とばかり付き合っていると、女性の頭の中までが腐ってくる。当然のことだが、わたしは男女というような二項対立だけでものを云っているのでない。ひとがなにをしようが自由であって、他人がとやかくいうようなことでない。ただ、世の中には塵と塵であることを潔しとしないタイプとがあって、付き合い方は相手に応じて識別しなければならない。この峻別こそ、自らが生きる糧のようなものでないだろうか。
思考とは相手の立ち位置をおもんぱかっての精神的交流、謂わば弁証がなされてはじめて成立するものである。わたしはそのように互いが混じり合う関係をより上位に置いてきた。肉体の交わりも大事かも知れないが、精神的糧すなわち苗床を与えてくださる相手との交わりこそ何物にも代えがたい宝物だと思っている。そして、苗床をもたらす相手はいつの時代にあっても少数者である。ひとは一人でさまざまな物事について考えることは不可能である。だからこそ、身の回りにいる少数者はとりわけ大切にしなければならない。
何時でも絶交はできる。しかし取り返しのつかない絶交はなにがあっても避けなければならない。たとえ、謝罪してでも。腹を立てる自分を信じる前に、他に信じるものがあるかないかに思いを致すべきでないだろうか。そうでなければ、腐った頭が次には朽ち果ててしまう。お分かり頂けたであろうか。
日本年金機構から書類が届いた。今般の法律改正により、わたしにも年金が下りるようになったらしい。今まで25年以上だったのが、29年8月からは10年以上になったそうな。早速、年金請求書を書いて手続きを取るが、そちらの年金より、障害者年金の方が気になる。なぜなら、遙かに金額が大きいからである。
年金資格がない場合、自動的に障害者年金も下りなかった、わたしの障害は1種1級、最も金額が多い部類である。こういう時だけ、時の政体万歳である。わたしの身勝手わが儘はみなさんの知るところ、ついこの間も、東京の某女性よりその点を叱責され、いたく落ち込んでいるところである。しかし辻潤も「天皇陛下万歳と唱えて死のうではないか」と宣っている。自分の思い込みや都合で主義主張が変遷するのもやむを得まい。後せいぜいが2.3年、よほど生きても4.5年である。その期間ぐらい、勝手に生きさせてくれと云いたくなる。されば、期間が短ければ短いほど年金が当たるのは嬉しい。辻潤に倣って万歳とでも叫ぼうか。
追記
つい調子に乗って4.5年と書いたが、どこの医師に聞いてもそのような答えは返ってこない。明石へ引っ越してからトラブルが嫌で、最近謝ってばかりいるが、考えてみればどうでも良いではないかと思う。たかが2.3年、くそったれである。
去年の4月末にうすいまめを用いた豆ごはんのコツについて書いたが、今年もうすい豆の季節がやってきた。懇意にしている篠山食料品店の案内によると、実山椒に続いて丹波篠山うすいえんどう豆の予約販売がはじまった。
今年は若干の値上げだが、実山椒、うすいえんどう豆、たけのこ、わらび、木の芽など、春を彩る旬野菜がならんでいる。
久しぶりに燻製を作った。失神のダメージから解放されたようなので煙を薫いた。店のゴミは家で処理しているので、今朝は分別とゴミ捨て、洗濯、風呂の掃除、オートバイの夏向け改装等々、特にバイクは結構忙しかった。ひとにお見せできるような下着を持っていないので(変態ですね)毛の起きたズボンからジーパンへと履き替える。去年と比してジーパンのサイズは二回り小さくなった。血圧は毎日3度計っているが、体重は久しぶり、70キロ代から60キロ代にまで下がっている。ちなみに、透析時のドライウエイトは62.8キロだった。
この肉体と精神の関わり方は難儀な問題を秘めている。対立するものではないし、分離できるものでもない。身体があるから心があって、心があるから体があり、互いに密接な関わりを持つ不可分なものである。わたしには、それは肉体の問題だからというふうな割り切りはできない。身体と精神のこれが境界線だといったものが見極められないからである。
先ほど、東京の友が残した吸い止しを吸ってみた。このところ、吸いたいなとずっと思っていたのである。くらくらするよと云われていたが、別にどうと云うこともない。やはり止めることにした。
吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず (寺山修司)
昨日は東京の友人のために西明石まで寿司を買いに行き、その駐車場で失神してしまった。およそ1時間半ほど気を失っていたのだが、心臓マッサージもなく無事に生還した。店は開けたものの身体はふらふらで、再度倒れそうになった。友には申し訳なく、魚も買ってきていたのだが出さずじまい、もっともこちらは非常に不味かった。
失神の理由だが、掲示板で書くべき内容なので、記しておく。実は自慰が失神の理由である。医師からどうせ出来ないだろうからどちらでも良いのだが、自慰は控えた方がよろしいと云われていた。これはバイアグラのようなEDの薬の処方を申し出たときに、それはまずいと云われたのである。理由は簡単、過去23単位と13単位の輸血をしている。今も1.2単位の少量の輸血は繰り返しているが、圧倒的な高血圧の貧血である。勃起は海綿体に血液が大量に集まることによって起こる、従って貧血のひとが勃起すると血液が陰部に集中し、脳が血液不足に陥る。結果、失神で倒れてしまうのである。EDの薬もまた血液を陰部へ集中させるため、同じ結果をもたらす。
要するに、腎不全の患者は基本、セックスは諦めた方がよいのである。そこへ降って沸いたような刺激(詳細は憚られるので記載しない)がもたらされ、かつ6年ほど勃起と縁がなかったわたしの下腹部が頭をもたげはじめたのである。身の程をわきまえず、調子に乗ったのが運の尽き、1時間半の失神と相成った。機械による射精だとあっという間なので問題は生じない。ただ手動式がいけないのである。というようなことは、どなたも書かれることがない、敢えて記した理由である。
追記
貧血が治まれば、勃起能力は回復する。ただし、5年や6年のスパンではどうにもならない。通常、男は正常位での射精時が血圧、脈拍ともに一番高くなる、よって女性上位や側臥位がいいそうである。
妙な天気である、しばらく煖かかったが、昨日は帰りしな震え上がった。
今日は酒の仕入れとヤフオクの配達、それと合鴨を仕入れに走り回った。それは良いのだが、貧血でなんどもバイクを止める。貧血がひどくなると指先の通風も痛みを増す。東京でバイクで事故ったときの嫌な思い出が頭をよぎる。ヘマトクリットが30では貧血は防がれない、典型的な貧血の高血圧である。
いまは店だが、無闇に身体が重い、このような日は早く店仕舞いをしたほうがよい。明日は東京からお客さんがいらっしゃる。楽しみにしている。
ここ3日間深夜は雨である。雨のなかをオートバイでとろとろ走っている。店が暇で駐車場代がもったいないのである。
いそざかな 一とくの御主人がいらした、ワインのソムリエだそうで、アルザスワインやドイツの赤ワインのはなしをした。アルザスはロゼのように色の淡いルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールにとどめを指すが、ドブフ・イリオンのアルザス・シルヴァーネル(白)も忘れがたい。キュヴェ・デ・コント・デギシェムで知られるレオン・ベイエ家のワインは特筆もの。一とくではシルヴァーネルが一年に1本売れると聞いた。
明石でアルザスワインのはなしを聞こうとは、お名前は存じ上げないが、すごいひとが明石にいらっしゃった。お客の原田さんが具志さんとともに、一とくへ行こうとのお誘いを受けた。ありがたいはなしである。
松戸の東葛クリニック病院の口コミで個人を特定できる雑言が書き込まれていた。わたしにとっては親しくお付き合いさせていただいた恩人のひとりである。それゆえ、Yahoo!ヘルスケアへ褒め言葉を書き込んだ。題して「行き届いたインフォームド・コンセント」。
ネット上で悪口を書くこともあろうかと思う。しかし、個人が特定できるようなものは論外である。ある人にとっては腹が立つ相手であっても、ある人にとっては救いの神なのかも知られない。個々の評価はまるで異なる。だからこそ、迂闊なことは書かれないのである。
わたしは同病院から離れるとき、涙したのを鮮明に覚えている。
霧雨のなかを帰る。霧雨とは申せ、オートバイではびしょ濡れになる。昨日の客はわたしの好きな二人連れ、ウイスキーを12杯飲んで帰られた。好きなというのは、幹郎さんの「スコットランド酔夢紀行」を読まれているからである。
このところ暇である、よって知己とメールでお喋りをしている。もっとも変わりにくいもの、それは性愛だと、常日頃から述べている。その生と性愛について語り合っている。
ひとは極力多くのひとと関わりを持つべきでないだろうか。異なる文化の多様性に触れてはじめて、ひとは解体し、理解し合える。偏狭な排外主義や差別思想、要するにレイシストを知己は否定する。同様に、限りない自己解体を知己は自らに課している。つまり、理解そのものをも否定してやまない。
知己のあまりにも強烈なニヒリズムには手を焼いている。手を焼くのでなく叶わないのである。まるで、モンス・デジデリオの申し子のようなひとである。わたしは生き延びる途を選択してしまってから、大きなことはなにひとつ云えなくなってしまった。そろそろ別れの季節がきたのだろうか。
先日はひどい目にあった。旧ですぺらの懐かしい顔ぶれが来店、それはよかったのだが、帰り道で突然オートバイのエンジンが切れた。ガソリンは満タン、バッテリーはフル充電、ガソリンタンクのドレンにも異常はない、にもかかわらずエンジンが始動しない。
雨が降ってきたので近くの工場までオートバイを押していき、軒下で雨宿りとなった。時間は午前2時半。始動しない理由が分からないので、JRS(日本ロードサービス)を呼ぶ。神戸市西区伊川谷のあかつきからレッカーが行くとの連絡。待つこと20分、こちらは小型バイクなので軽四が来るのかと思いきや、大型トラックが到着。あまりの大きさに驚愕する。
整備士が二人降りてきてどうしました、エンジンが掛からなくってと応える。すると整備士がハンドルカバーを外そうとする、その瞬間、わたしにはすべてが分かった。防寒防水のハンドルカバーがキルスイッチと接触、普段使わないスイッチなので、迂闊にも気付かなかったのである。
それにしても、キルスイッチの誤操作に気付かないライダーなんぞ、愚の骨頂と思っていたのに、それがわが身に降りかかったのである。恥ずかしくて顔も上げられない。平身低頭して詫び、お引き取り願った。
追記
今日は雨、久しぶりに四輪で通勤。
アイナメは関西ではアブラメという。カサゴ、メバル、カジカ、クジメ、ホッケなどと同じカサゴ目に分類される。今年はじめてのアブラメの刺身を食べた、値は1000円、実に美味い。油が回ってくると湯霜作り(鯛の湯引きは松皮作り)もしくは焼霜作りが旨いが、この季節は刺身が最高。焼霜作りにはマダイ、金目鯛、サーモン、太刀魚、カマス、イサキ、ノドグロなどが適している。
当地、明石浦漁協で採れるアイナメの幼魚「あぶらじゃこ」を天ぷらにしたものは美味。小骨が軟らかく、揚げるとふっくらとして甘みがある。
ですぺらの近所に「いそざかな 一とく」(いっとくと読む)との会席料理の店がある。名の通り、磯魚が有名らしい。ディナー6000円、ランチ4000円、もちろん一品から頼まれる。鯛めしが名物で、これだけを食べに来られる方も多いとか。店主が2度ですぺらへ来られた、料理人らしく無口な方で食べに行きたいと思っている。(写真は一とくの鯛めし)
薬を飲まない医師はいないし。治療を受けない医師もいない。埼玉には透析治療を受けている医師がいたし、東京には臓器移植をした医師がいた。ただし、わたしに臓器移植手術を施した医師は、わたしなら移植はしないと云い、もうひとりの医師は透析治療もしないと云っていた。この辺りは個々の人生観によるものと思う。
透析は延命治療であって拒否すれば即、死を意味する。それを承知で医師と話し合えるのは、患者の選択権、自由意志を大切にする医師でなければかなわない。かつて山崎医師と出会い、そのような医師が現実にいらっしゃることに気付かされた。山崎医師との晤語は治療でなく、定めなく迷い、揺れ動く人生についての語らいだった。
2010年夏、わたしは生き延びる途を選んだ。当時の書き込みを読むと、こころのほつれ、懊悩が如実に顕れている。生き延びる途を選んだことが息苦しく、後ろめたくて、山崎医師に別れも告げず逃げるようにして東京を後にした。
自らが病むことによって、さまざまなことを知った。例えば、透析治療の種類の多さに驚かされた。わたしが受けた透析、すなわち慢性腎不全の透析はその内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から人工透析に至ることを知った。
臓器移植で逡巡するわたしに山崎医師は輸血はどうなんでしょうか、輸血は臓器移植の基本ですが、と。独断と偏見などと嘯いてみてもなにもはじまらない。ひとの知識はあまりにも偏っている。それゆえ、一般論で括るのはほとんどの場合意味をなさない。また、反対意見は必ずしも誤謬に当たらない。あらゆる意見に耳を傾け、個々の違いにこそ思いを致すべきでないだろうか。
「オプジーボ」という抗癌剤の値段が、体重60キロのひとで、年間約3500万円と非常に高額である。他方、放射線治療は重粒子線治療では最低300万円、加速型ホウ素中性子補足療法ではそこまでではないにせよ、100万単位の治療費が必要になる。
店のお客が医師は薬を飲まないという。それは医師にもよるし、それ以上に薬次第である。基本的に、西洋医学の医師は漢方を好む。お客とのはなしに上がったのは抗癌剤と降圧剤。抗癌剤は薬によっては医師は飲まない、副作用の恐ろしさを熟知しているからである。それ以上に治るか治らないかが医師本人には分かっているからである。
抗癌剤を服用しない医師はいても、降圧剤を飲まない医師はいないと思う。血圧は単体でどうのこうのと云うようなものではない。130であろうが140であろうが、それほど神経質になるようなものでもない。ただし、高血圧は認知症の重要な素因になる。
認知症は脳血管性とアルツハイマー性に分けられる。前者の脳血管性認知症は、脳卒中などによって脳の血管が破れたり詰まったりした結果、脳に障害が起こり発症する。気付かないような小さな脳卒中を繰り返した結果、認知症が進んでいるケースが多い。
「ステージⅠ」(収縮期血圧160mmHg未満-140mmHg以上、拡張期血圧100mmHg未満-90mmHg以上)の人は6倍、「ステージⅡ」(収縮期血圧180mmHg未満-160mmHg以上、拡張期血圧110mmHg未満-100mmHg以上)の人は高血圧でない人と比較して10倍もの認知症リスクがある。
平成23年度調査によると、日本の高血圧患者数は906.7万人、年間医療費は1兆8890億円、年間死亡数は6932人。この医療費は透析治療にかかる費用の約2倍。
武田薬品工業やノバルティス製薬のデータ改竄はひどいはなしだが、最近はオーソライズド・ジェネリックが発売されている。これは先発薬のメーカーが作ったジェネリックのことで、信頼がおける。ちなみに、わたしはシルニジピン(サワイ)、オルメテック(第一三共製薬)の2種を服用している。
健康なひとは大きな病気はしないと決めてかかっている。また認知症にはかからないとこれまた決めてかかっている。わたしも同じだった。しかし、いざとなれば、痛みに耐えかねて延命治療を選んでしまう。自然死などという能転気な死を迎えられる幸運なひとは滅多にいやしない。
前述のお客だが、上述したような難しいはなしをしに来たのではない。酔いを発散させるには喋るのが一番、わたしを相手に気晴らしをしていただければ幸いである。
マーフィーズが売り切れたので、買ってきた。ついでに、銀河高原ビールの白ビール、エチゴビールのホワイトエール、ヤッホーブルーイングの水曜日のネコの3種を購入、ともに白ビールである。
当店の売値はマーフィーズが800円、白ビール3点はそれぞれ600円。店の常備であるエッティンガー・ヴァイスの500㎖缶が4缶だけ在庫する、こちらも600円。マーフィーズ以外は常備の予定はない、悪しからず。
明石へ引っ越してから、どうも勝手が異なる。オマージュを書いたつもりが、一言、二言に引っ掛かって悪口と解するひとが多い。普段、本を読まない方ほどそのような誤解が多く見て取られる。わたしの血筋を引く姉弟なんざあ、その典型なのだが。
もっとも、誤解は六階に、六階は七階にがわたしのモットーであれば、さして気にもしないのだが。あまりに続くといささか悲しくなり、自信がなくなってくる。わたしの頭がおかしくなったのかと、moonさんに質してみるも、どうやら正常らしい。
茂木健一郎氏はツイッターで「トランプやバノンは無茶苦茶だが、SNLを始めとするレイトショーでコメディアンたちが徹底抗戦し、視聴者数もうなぎのぼりの様子に胸が熱くなる。一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」と発言したことから、芸人たちの間で賛否を呼んでいる。
あまりにも当然の意見であって、反権力の芸人がいなくなったことを、わたしも再三にわたって当掲示板で嘆いている。ところが、坂上忍、梅沢富美男、矢作兼、松本人志と云った塵芥のような右翼タレントが茂木氏を扱き下ろしている。ひとは現状に満足すると保守的になる。前述の芸人は自らの置かれている立場、地位、能力、収入に充足しているようである。まるで、善し悪しの基準はわたしだと言いたげである。
自らを疑うこころを忘れると、戦争を熱狂的に支持した戦前の民衆へと行き着く。坂上の論理の先には民主主義が内包する大きな闇がごろんと転がっている。
中尾さんに連れられて尾鼻かおるさんの仕事場へ挨拶に行く。1990年春、前を走るオートバイと接触、当方はホンダCX400。転んだ弾みでアクセルワイヤーが断線、バイクは走らなくなった。当然、当方が一方的に悪いのだが、相手は公衆電話を探してどちらかへ連絡。携帯電話の黎明期、よほどの金持ちでなければ所有できない時代である。
やがてトラックが到着、わたしのバイクを積んで、一緒にどうぞ。彼はオートサロンウサミというバイクショップの整備士、ハーレー、BMW、ドゥカティ、ベスパの専門家、爾来、世話になりっぱなしと相成った。
今ではエスケープ(https://www.escape-bike.jp/)のバイクショップの整備を一手に引き受けている。大蔵谷インターの近くである。久しぶりにBMW100RSのはなしに興じる。随分長く乗ったバイクである。上背が縮み、足が届かなくなったのでBMWは降りた。今のわたしにはエリミネーターで十分である。
そのエリミネーターが車並みに燃費が悪い、アイドリングの回転数が時間によって異なり、頻繁にアイドリング調整をしないといけない等、気になるところを説明。彼はキャブのジェットニードルホルダーとそこに差し込まれたニードルの摩耗でないだろうかという。要はガソリンが濃すぎるのである。その内、整備をしていただこうと思う。それにしても、バイク仲間との再会は楽しい。
追記
尾鼻さんとのことは2009年07月の当掲示板「西明石」に詳しい。
浴用剤は兎にも角にも種類が多く、それほど使ったわけではないが、やはり肌に合う合わないがある。透析治療を受ける前の身体の痒みは絶望的なものだったが、透析治療を受けてからの痒みは単なる痒みに変化した。その単なる痒みが浴用剤によってもたらされるのは困ったものである。繰り返すが、背中を掻きむしって血だらけになる程度の単なる痒みである。
前の同居人が浴用剤を好み、なんとか温泉の素とか称する粉末をよく利用していた。浴用剤には温泉成分の効能を期待するものと薬用植物成分の効能を期待するものとに大別されるようである。前者は重炭酸ナトリウム、硫酸ナトリウム、食塩、明礬などの無機塩類を成分とし、後者は当帰、センキュウ、浜防風、薄荷の葉、カミツレなどを成分とする。彼女が好んでいたのは前者の温泉成分である。
温泉の基準がどこにあるのかが分からないが、硫黄臭のない温泉など存在しないだろう。まずその点で浴用剤なるもののちゃらんぽらんぶりが良く分かる。家の風呂に硫黄臭は困る、よって硫黄臭を除いた温泉の効用をとの註文だろうが、そのようなものがあろうはずがない。なかには本物志向の消費者だっているに違いないと思うのだが。
当掲示板のCEOは温泉の専門家ゆえ、迂闊なことは書かれないが、巷に出回る浴用剤を使っていらっしゃるのだろうか。わたしはイオンのそれを愛用している。ただし、柑橘系の浴用剤は概ね身体中を掻きむしることになる。イオンの薬用入浴剤にもいろいろあるが、乳白色のミルキーアソートと称する炭酸ガス入りの商品がもっとも気に入っている。不透明ゆえ、老いさらばえた不様な身体を見なくて済むからである。
人工透析は不均衡症候群、透析性痴呆、出血、血清肝炎などの合併症を伴う。不均衡症候群は髄液と血液の間に浸透圧などの差が生じて、脳浮腫となるために起こる。透析30分前後から、悪心、嘔吐、血圧上昇などが起こり、全身の痙攣や意識障害に至る。
透析性痴呆は進行性痴呆、不随意運動などを示し、予後は一般によろしくない。出血は透析中に抗凝血薬のヘパリンを用いることから起こるもので、硬膜下出血が多い。血清肝炎は末期腎不全で輸血の機会が多い場合にみられ、4〜5%の頻度といわれる。
腎不全はふつう4期に分類されるが、あまり意味のない分類である。なぜなら腎不全は非可逆的な病で、悪くこそなれ、決してよくはならない。3期以降を慢性腎不全というが、4期になると高血圧や浮腫,意識障害などの尿毒症症状を示し,放置すれば死亡する。要するに、腎不全の発症は死の宣告と覚しい。
夥しい数の透析患者が亡くなっているが、その実数は不明である。なぜなら、腎不全は死因にはならない。透析患者が死んだ場合、死因は個々の感染症(例えば肺炎)もしくは心不全として処理されるからである。ちなみに、心不全も病名ではない。心臓が止まって死ぬわけなのだから、どなたさまも死ぬ時は心不全になる。要するに、死因をあからさまにしたくない芸能人や政治家はことごとく心不全なのである。
追記
やっとインターネットへ通じた、最初の書き込みはやはり腎不全についてである。それにしても、Ethernet で通じているが、Wi-fi では通じない、これもまた片翼飛行。
森友学園に関して教育勅語が見直されている。
朕(ちん)おもうに、わが皇祖皇宗国をはじむること宏遠(こうえん)に、徳をたつること深厚(しんこう)なり。わが臣民よく忠によく孝に、億兆心をいつにして世世その美をなせるは、これわが国体の精華にして、教育の淵源(えんげん)また実にここに存す。なんじ臣民父母に孝に、兄弟に友(ゆう)に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)おのれを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もつて智能を啓発し、徳器を成就し、すすんで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重じ、国法にしたがい、一旦緩急(かんきゅう)あれば(アラバ)義勇公に奉じ、もつて天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。かくのごときは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又もつてなんじ祖先の遺風を顕彰するに足らん
この道は実にわが皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じてあやまらず、これを中外に施してもとらず、朕なんじ臣民とともに拳拳服膺(けんけんふくよう)して、みなその徳をいつにせんことをこいねがう。(原文は辞書でどうぞ)
明治23年発布され、古来天皇は徳をもって統治してきたことを述べ、国民の守るべき徳目を掲げ、「一旦緩急あるときは義勇公に奉ずる」のが本分であることを強調した。第二次世界大戦前の国民教育に指針を与え続けてきたが、昭和23年国会で排除・失効確認を決議。ちなみに、このようなものは伝統でもなんでもない。
全体は3部構成であり、天照大神ら神々や歴代天皇によってつくられた日本独自の国体に教育の根源があるとする第1段、皇運扶翼のために実践すべき皇祖皇宗の遺訓であるとする第3段は往時の天皇家の宣伝文句だが、羽仁五郎は天皇が命令するというかたちで、教育勅語すなわち道徳を政治や法律の下に置いてしまったと指摘する。要するに、教育勅語は日本の道徳が堕落した根本原因だったと云うのである。
第2段は政府の自由民権運動弾圧の正当化、そして儒教主義の復活がメインであって、こちらは問題山積である。教育勅語の下付の翌年には御真影(天皇・皇后の肖像写真)への拝礼、教育勅語奉読、君が代斉唱などを内容とする「小学校祝日大祭日儀式規程」を制定。勅語謄本への拝礼を拒否した第一高等中学校(後の第一高等学校)講師内村鑑三は、その職を追われるという事件(内村鑑三不敬事件)があり、為政者はこうした事件を利用しながら、勅語を無謬の道徳規範として神聖化し、国民への浸透をはかった。
戦後の天皇は反転して革新派となり、平和憲法の担い手となった。おそらく、憲法改正に身を挺して反対しているのは天皇と共産党と社会民主党だけなのかもしれない。神道政治連盟、日本会議、自民党は天皇からもっとも遠いところにある。このまま行けばいずれ天皇が動く、動くと云うよりも、天皇によるクーデターをわたしは期待している。おそらく、それが天皇であればこそ可能な戦争責任の取り方でないだろうか。
他方、天皇不親政こそが日本の伝統であり、この観念が天皇の一系性を支え、立憲的制度の受容を促進したことは看過できない事実である。それを良いことに、戦後の靖国神社や神道政治連盟は御真影への拝礼,君が代斉唱を繰り返す。親の心子知らずとはこのことよ。
4月22日、23日、東京から、増田、山口夫妻、ヒデキ、プヒプヒ、幣旗さんがいらっしゃるそうな。ひとり女性が足りないような気がするが、此岸と彼岸、身のおきどころが異なるような気がいたします。
当然のことですが、東京のご一統さまが来られる日は貸し切り。そして増田さんに言い忘れたことがひとつ。ですぺらは和風の店舗、奥に6畳ほど(関東だと8畳)の別室がございます。蒲団はございませんが、寝袋持参であれば眠られます。拙宅には寝袋がふたつございます。よしなにお願いいたします。
完備とまでは云われませんが冷暖房あり、翌朝の迎え酒ならびににぎり寿司は十分にございます。と来れば、やはり土日がよろしいかと存じ上げます。
追記
明石へいらっしゃる日は4月14日の間違いです、済みません。
隣の細川スナックの玄関には鉄板が打ち込まれてい、1979年5月と記載されている。これは改装の日付らしく、設立はさらに3年遡るようである。要は40年を超える老舗なのである。
現在のママは3代目、水商売らしからぬ細やかな風情だが、捌けた性格の持ち主。東京でのかさね同様、隣人には恵まれているようである。
店ではサントリーの高級ウイスキーだが、ママの個人的趣味でアイラモルトを50種類ほど蒐めておられる。どうして個人的趣味かというと、モルトウイスキーはサービスで提供なさっているらしい、そういう話を聞くと嬉しくなる。どのような形であれ、啓蒙運動がなければ折角出た目を摘むことになってしまう。
ママはボトラーズのアイラモルトがいたくお気に入りのご様子。アイラに限らない、ブレイヴァルをはじめ、ケイデンヘッドのオスロスク、20年前に廃盤になったグレンキースのディスティラリー・エディション等々、通常、入手不可能なモルトを好まれている。好き嫌いは死に際に決めればよろしいかと思う。ママのごとく、チョイスを楽しまれる方こそですぺらに相応しい。
細川は寄る年波を隠さない。カーキ色の煉瓦と葡萄茶の銅販が玄関を飾る。そこかしこにやや色の剥げた唐草模様が刻まれている。掃除をすればと云いたくなるような古色蒼然としたブリキ板の看板、中央に横文字で HOSOKAWA と浮かし彫りになっている。この看板の味わいがたまらなく好き、名のあるデザイナーによるものと拝察する。
嘸かし華やかだったであろう昔日の面影を漂わせ、滅びへと揺蕩う店と隣り合わせたことを仕合わせに思う。
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