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東京奠都   一考   

 

 藤江屋分大が創業した1818年は化政文化の真っ直中、花見酒が軒昂だった。その酒のあてとして開発されたのが桜餅と羊羹だった。往時の酒は甘く、甘さを甘さで打ち消すといった案配だった。隅田川ほとりの長命寺門前の茶屋山本屋の桜餅や本郷の藤村羊羹はつとに知られるが、江戸時代は煉羊羹の全盛時代でもあった。「虎屋黒川」が「京風羊獎」で駿河屋と並び称されるようになったのは、明治維新の東京奠都に伴って東京に進出した後のことであった。時の権力者に阿り、東京を代表する屋号となったが、仔細はさておき伊藤敬さんから頂戴したとらやの羊羹セットは忘れられない。
 大坂から江戸への砂糖の輸送は、当初、菱垣廻船によって行われていたが、西宮の酒を江戸に送るための樽廻船がはじまると、砂糖輸送も樽廻船を使うようになった。その権利をめぐってしばしば刃傷沙汰になったという。
 和菓子のなかでも羊羹は棹物(さおもの)に分類される。そのため、1棹、2棹と呼ばれる。西日本の主に近畿地方では丁稚羊羹、練羊羹との違いは水分の含有量と若干の作り方である。近々、分大の丁稚羊羹を買いにいこうと思っている。

追記
 先日、分大さんが来店、前回に続いて砂糖のはなしになった。前項で触れたてんさい糖は20年ほど前に、94年量産化に成功した岡山林原のトレハロースもいち早く用いている。さまざまな実験を繰り返しているのだと愕く。最近は喫茶店でラ・ペルーシュのキューブブラウンを用いるところが増えてきたが、わが国の砂糖は上白糖、グラニュー糖、三温糖、角砂糖と同じものである。日本は工場の生産ラインが決まってい、他のものは輸入するしかなさそうである。
 もうひとつ面白いはなしに、年齢から来る味覚の変化があった。味覚には、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本味があるが、甘味以外は顕著に衰えていくようである。老いにあって嚥下障害と味覚障害は避けられない。味覚のキーは味蕾だが、味蕾は8歳から急速に増え、12歳をピークにまた減ってしまう。ピーク時では約1万2000個あるが、大人になると半減してしまうのである。分大でも最近味が変わったという方がいるが、味はなにひとつ変わっていない、変わったのはそのひとの味覚そのものなのである。
 ウイスキーに関しても昔は旨かったがお客の口癖だが、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。12歳でウイスキーを味わえないのが残念至極。


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2018年06月28日 17:16に投稿された記事のページです。

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