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芳賀啓さんについて   一考   

 

 看板が完成。私のような日陰者に看板を背負込むような商売ができるのだろうか、嬉しいと同時に一抹の不安がよぎる。

 分かってはいたが、文学散歩へですぺらからの参加はなし。皆さん自分への興味はあっても文学への興味はお持ちでなさそうである。今回の参加はいつもより少なくて十四名、少なくても十四名集まるところにナベサンの底力がある。
 前回は山王・馬込文士村散歩だったが、コースは大森八景坂(別名薬研坂、薬師坂、池上道、現池上街道)、天祖神社(八幡太郎義家鎧掛の松跡、俳人景山の大森八景碑など)、山王二丁目遺跡、「日本帝国小銃射的協会跡」碑、大森テニスクラブ(旧小銃射的場)、闇(くらやみ)坂、大森ホテル跡、望翠楼ホテル跡、薬師堂・「桃雲寺再興記念碑」「仙元大菩薩」碑(冨士講碑)、大田区立山王会館・馬込村文士資料展示室、熊野神社、善慶寺・都旧跡新井宿義民六人集の墓、片山広子・旧宅跡、山本有三・旧宅跡、倉田百三終焉地、磨墨塚(平家物語宇治川の合戦の梶原景季の愛馬)、萩原朔太郎・旧宅跡、川端康成・旧宅跡、三島由紀夫旧邸、衣巻省三・稲垣足穂住居跡、宇野千代・尾崎史郎・旧宅跡、大田区文化財・冨士講灯籠、今井達夫・三好達治・標識、山本周五郎・旧宅跡、慈眼山満福寺(梶原景時墓、磨墨像、室生犀星坪庭・句碑)、室生犀星終焉の地、小林古径・旧宅跡、区立郷土博物館、蘇峰公園・大田区山王草堂記念館だった。

 それにしても、芳賀さんの博聞彊志に驚かされる。あれだけ仕事をし、浴びるほど酒を喰らい、そして歩く、ただただ歩く、二十キロでも三十キロでも歩くのである。歩くから多識になるのか、それとも見聞が彼を歩かせるのか、ひょっとしたら、彼は生まれ落ちたときから学芸万般に通じていたのでなかろうか。
 彼にとって文学は喋るものではない、要は自己主張のネタにはならないのである。このあたりから並のひとではない。現場での叩きあげとは彼のようなひとを言う。彼はひたすら歩き、ひたすら書く、そして沈思黙考のあとふたたび歩く。「現場のない文学なんて」との呟きが聞こえてくる。
 蘇軾に「三杯卯酒人径酔、一枕春睡日亭午」とあるが、卯酒は彼のもっとも得意とするところで、私も何度かお付き合いいただいた。卯の刻(午前六時ごろ)に飲む酒とは申せ、はじまるのは宵の口に決まっている。あの小さな体躯のどこに多量の酒の処理器官が秘められているのか、不思議である。
 それとカラオケがある。もっとも、彼の唄は郁乎さんのそれにも似て、がなり立てるのみ。ひとには叫声としか聞こえないのだが、全身を振るわせての熱唱にみなは圧倒される。阿鼻叫喚の巷を表現する第一人者とでも言っておこうか。これは既に巧いとか下手とかいう問題を超えている。文学同様、歌にあっても彼に手抜きは許されないのである。久しぶりに彼の唄が聴きたくなった。明日はお共させていただこうか。


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2007年11月18日 02:19に投稿された記事のページです。

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