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一考さんの考えていることがなんとなく分かるので本ができてもお送りするのに躊躇するんですよね。前回の[sai]が出たときは結局僕は送ることができずに、黒瀬くんが僕が送っていないのを知って、焦って送ってくださったとか。僕は未だに送るのに勇気がなかなか出ません。黒瀬くんは強いんでしょう、たぶん。3号ができたので近日送ります。まあ、初対面の頃は、声をかけるのも躊躇したぐらいですから、あの頃からすれば随分勇気は振り絞っています。今、お酒が飲めないのでそちらにうかがえないのです。客にすらなれないという。めんもくない。
詩と短歌の発生の前後の話、前にもお伺いしましたが、今回の記事の方がより理解しやすかったです。定型ありきではないという話ならば共感できます。僕は未だに定型がなんなのかよく分かりませんが、少なくとも自由と定型は対立点ではないと考えています。ああ、余計なことを書いてしまいました。ごめんなさい。というなら書くなといことなのですがやっぱり書いてしまいます。
一考さんは食べ物がたべられないのでおみまいに何を送っていいかよくわかりません。アイスクリームがお好きだけど、それも食べれないとなると想像させるのも申し訳ないと思うのです。ごめんなさい。というなら書くなということなのですが(以下同文)
書き込みに対してmoonさんから林檎シャーベットなるメールが送られてきた。
http://cookpad.com/recipe/290226
この donchanさんのホームページならびにブログには役に立つ記事が多い。わたしも参考にさせていただく。フルーツ罐詰の汁を捨てていたが、もったいないことをしてきた。いろいろと考えつくものである。下段はパン。
http://donchans.exblog.jp/tags/%E5%86%B7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%83%87%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%88/
http://donchans.exblog.jp/tags/%E6%89%8B%E6%8D%8F%E3%81%AD%E3%83%91%E3%83%B3/
当掲示板で翻訳以外の小説を頌めたことはほとんどないと思います。翻訳にあってすら、原作についてあれこれ書くのは差し出口になるらしく、今後言祝ぐのは短詩系に限ろうかと思っております。翻訳とは純粋に技術的な問題もしくは言葉に対するセンスの問題です。ところが、わが国にあっては、ブルトンやバタイユが訳者に乗り移るらしく、取り憑かれたように向きになる方ばかりが目につきます。物の怪や悪霊はそちらの筋に任せるとして、そこまでして文学という鵺にしがみついていたいのかと呆れております。
短詩系は短歌の歴史は詩よりも古いなどという能転気なお題目を唱える莫迦が過多を占めます。太初に定型ありき、などともし本気で思っているのなら、無知曚昧も極まれりというところでしょう。ところが、道理にくらい筈の人が著す作品がたまさかきらっと輝くものを内包しているときがあります。もっとも、それは輝きを示唆した人の栄に属することで、原作者が莫迦であることはなんら変わりません。原作者が与り知らぬところにまでイマジネーションの羽先を延ばすのは徒か悪意、いずれにせよ、それから先は読み手の世界のはなしです。
高見順が魂ではなく胃だと看破したように、おそらく文学は言葉の問題でなく、自らの体内に属する問題だと思うのです。さしずめわたしなら魂でなく腎臓だと叫ばなくてはなりませんが、ことほど左様に文学と肉体は不可分のものなのです。そしてそれらを結ぶカラザのようなものをわたしは情念と名付けています。
ストーリーがあって、主人公がいて、情景描写があって、心理的起伏があって、時間軸が絡み合ってなどという作品の表層にわたしはなんらの興味も持たないのです。興味があるのは、なぜ書くのか、なぜ表現するのか、なにに向かって書くのかといった書き手の根拠のようなものなのです。言い換えれば、充足している人、不満を抱いていない人の書き物にはいささかの興味もありません。不満の捌け口(情念)が顕れているとお思いでしたらお送り下さい。
きっとわたしより、読み手としてもっと相応しい方がいらっしゃると思います。どうかよろしく。
プロバイダは変わりましたが、メールアドレスは過去のままです。
29号、30号とお読みいただきました同人誌ですが、この度31号がやっと日の目を見ます。いろいろございまして随分発行が遅れました。掲示板によりますと、新居に移られた由、書籍類もだいぶ処分されたご様子ですが、そのようなところへお送りしてもよろしゅうございましょうか。ご体調は拙作をお読みになった時、噴飯ものだったりしたら大丈夫でしょうか。メールに接続できず、このようなところに書いております。よろしかったらお送りさせていただきたいのですが。
天候不順のため北海道行きは延期することにした。九月の連休を利用しようかと思う。九月だと海胆丼は食べられないが、巴丼なら食べられる。そして五月と九月は花が咲く季節である。特にサロマ湖の珊瑚草が美しく色づく。
理由はもうひとつ、いよいよ歩かれなくなってきた。駐車場から赤坂までの帰りはともかく、行きすら休憩を挿まないと無理になってきた。おそらく気温のせいだと思うが、疲れがどんどん深くなってくる。防ぐ手立てがなにもないので困惑している。
食物についてひとこと。澱粉と油以外の食品には欠かさず蛋白、カリウム、ナトリウム、リンが這入ってい、それらを完全に除去するのは不可能である。フルーツの罐詰にしても、生よりは若干カリウムが少ないというだけで、決して安全なわけではない。そのことは逆に云えば、食べていけない食品はない。問題は食事量をいかに減らすかである。
例えば、林檎や梨やメロンにしても、一切れか二切れ、葡萄なら三、四粒なら許容範囲に収まる。そこで問題になるのは一切れ食べた後の林檎の処理である。危険なものを毎日食べるわけにはいかない。結果、破棄する食品が急速に増え続けることになる。戦後の困窮世代に育った身ならば心苦しく思っている。
利き酒で必要なのは甘味、苦味、酸味、塩味、うま味の五基本味で、辛味は痛覚ゆえ味覚には這入らない。ところが辛口の酒とよく云われる。辛味と辛口は一緒にできないが、それにしても酒の世界に於ける辛口とは灘の酒についてのみ云えることで、一般的でない。理由は当掲示板で何度も書いてきたので繰り返さない。
ここまで書いて掲示板を検索するも出てこない。よって簡単に繰り返す。灘は江戸へ酒を運ぶ港として栄えたが、それならいっそ蔵元を灘へ持ってきた方が便利と、伊丹と池田双方から徐々に蔵元が集まってきた。ひとつの街に味の異なる二種の地酒が同居することになった。そこで菊正宗や剣菱のような伊丹系列の酒を辛口、日本盛のような池田系列の酒を甘口と呼称するようになった。もともと酒はことごとくが地酒であって、地酒に甘辛はない。地酒はその地域固有の味を持っているだけである。ところが灘だけが二種類の地酒を内包するに至った、以上が甘辛二種の酒が存在した理由である。従って、灘以外の酒を甘口、辛口と識別するのはナンセンスである。
モルト・ウィスキーもスコットランドの地酒である、よって甘辛の概念は通用しない。余談だが、客の大半は辛口を所望するが、辛いと思われるであろうアイラやアイランズの酒を出すと決まって不味いという。そこでスペイサイドのストラスアイラやグレンキースのようなフルーティーなモルトを出すと旨いと仰言る。わたしの舌では新潟の酒は淡麗甘口ばかりである。ところが大半の客はあれが淡麗辛口だという。淡麗な辛口なんぞ存在するわけがないのだが、コマーシャルを見ていても、言葉だけが独善がりに躍っている。ピート香とヨード香が一緒くたにされているのと同じである。
五基本味の確認は味が薄く付いた溶液と無味の蒸留水を識別するところからはじめる。モルト・ウィスキーも蒸留所の違いにチャレンジする前に準備運動が必要である。五基本味の識別がしっかり出来るようになってからだとわたしは思うのだが。
麹町の駐車場で鍵の閉じ込み。JRSへ電話をしたところ、約十五分で小さなツールバッグを持ったスクーターが現れた。ピッキングに要した時間は五分ほど、当然のことながら無料である。以前、ときとうクリニックで閉じ込みを経験したが、15000円取られて一時間は掛かったと記憶する。念の為、車種と年数をいったところ、例えアメ車でもインプレッサと同種の鍵なので、五分でピッキング可能と云われた。一時間掛かったと食い下がったが、笑っている。最近のキーは複雑で、それでも十分もあれば開くらしい。ピッキングに一時間も費やしていたら商売にならないと云われた。どうやら我々は引っかけられたようである。
それにしても素早く、段取りがよい。JAFとの営業規模の違いが如実に現れた、駐車場での出来事だった。
イクラを食べて大丈夫かと訊かれた。大丈夫ではないだろうが、いさきの刺身はポン酢で、焼き魚は塩抜き、醤油抜きで頂戴した。海鮮丼は当然醤油抜きで山葵だけ。刺身はなにか付けないともみないが、海鮮丼はなにも付けないでも問題はない。わたしなりに食べ方には工夫をしている。最近は刺身が多いので、土佐酢を重宝している。刺身には刺身醤油と云った常識は拙宅では通用しない。
馬鈴薯を揚げれば塩を振りかけたくなるので、わたしは馬鈴薯にパン粉を付けて揚げるようにしている。そうするとケチャップでおいしく頂けるからである。この澱粉と油のお陰で栄養失調にならずに済んでいる。一月に一回だけだが、ビーフカツレツなども楽しんでいる。なにしろ、食べる量が極端に減っているので、少々危険なものにも手を出している。イクラ入りの海鮮丼は結局二日にわたって食することになった。ナトリウム、カリウムは規定内で収まっている。
店はクーラーが効いている。25度を超えるとわたしが危なくなるからである。土曜日、清水弘子さんが連れ立っていらしたが、クーラーが効きすぎている、即刻切れとのお達し。幹郎さんが席を替わってくださったので、事なきを得たが、これから同様の問題は起こる。
奥の三席がもっとも稼働率が高いのだが、この三席は冷房が効いていない。クーラーは強力なものを設置しているが、ちょうど死角になっている。そこで、奥の三席をご老体もしくは女性のためにリザーヴしたい。常連客は入り口の四席をご利用いただきたい。勝手を云って申し訳ないが、わたしが失神すれば営業は停止である。席がどうのこうのと云ってられなくなる。
どうかご協力をお願いしたい。
二十センチほどのいさき(伊佐木・伊佐幾・鶏魚)が売っていた。千葉に倣って伊先とする。腹部が張っていて、魚体は絞まって堅い、実に旨そうないさきだった。半身を刺身で残りは塩焼きにすべく下ろしていただく。値は四百八十円。
それと併せて海鮮丼も購入。三百八十円から千円まで三種類あったが、どうせ一度では食べ切れないので、千円のものを買った。生ウニ、海螺貝、帆立、甘エビ、烏賊、イクラ、蟹、サーモンが乗っかった豪華な丼である。ひとわたり食べたあとはいさきの海鮮丼にするつもり。
焼き魚だが、焼く直前に塩をふる。ふり塩は精製塩や食卓塩は避け、必ず粗塩を使用。火力は強火の遠火。一番大事なことは裏返すのは一度だけである。それさえ守ればまずまずのものが出来上る。
それにしてもリッチな日曜日になりそうである。聞くところによると道東を中心に気温が上がり、北見や帯広など十五箇所で気温35度以上の猛暑日となったらしい。足寄で37.1度、北見で37度、上士幌で36.6度、三十年ぶりの真夏日が続いている。これでは北海道旅行はできない。行く先々で昏睡状態の繰り返し、誰やらさんではないが、この歳で失神旅行でもあるまいに。いとせめて、冷房が効いたわが家での海鮮丼となったわけである。
マッカランの利き酒会はサントリーの好意になるもので、参加費用は無料です。従ってモルト会ならびに一部の常連さんだけで催す予定です。ですぺらモルト会は体調が戻るまでお休みですが、体調が戻るわけもなく、洗い物をしてくださる方が見付かれば再開したいと思っています。今日も某女性客からどうなっているのかとのお訊ねがありました。気持は逸るのですが、こればかりはどうにもなりません。
モルト会は催していませんが、最近はそれに準じた日々が多くなっています。今日は幹郎さんたちがいらしたのですが、前述のマッカランの新旧ヴィンテージ違いを飲み比べました。十年前に責任者が変わったのですが、その前と後ではまったくの別物と云ってよいぐらい、香味に差違が生じています。大きな理由はカスクの提供元が変わったということなのですが、わたしはそれだけとは思っておりません。アイラモルトは特に香味の変化が激しいですし、キャパドニック、トミントール、ベンリアック、ベンローマック、アバフェルディ、オーヘントッシャン等もこの数年で随分と酒質そのものに変化がありました。ラフロイグやボウモアやブルイックラディのように旨く化けたモルトもあれば、アードベッグのように小首を傾げたくなるものもあるのです。嗜好品相手に好き嫌いを云ってもはじまりません。過去にもモルトは変わってきましたし、これからも変わり続けてゆくのでしょう。香味に変化があればその変化を楽しむべし、というのがわたしの、ですぺらの方針なのです。
飲み物にせよ、食べ物にせよ、かつての駄菓子屋の品揃えには自ずと限界があった。例えば、飲み物ならラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯もしくは冷したもの、それにジュースぐらいなもので、家庭では粉末の渡辺のジュースの素が全盛だった。冷蔵庫のない時代で、冷えた水だけでも立派な飲み物だった。歴史は古いのだが、市販の炭酸水(いまで云うソーダ)はウヰルキンソンだけで、圧力タンクにドライアイスと水を加えて振り回したものを飲み屋は使っていた。ソーダサイフォンの業務用と思っていただければよい。ビールのサーバーと炭酸のサーバーが並んで設置された店は福原でも十軒となかった。世はあげてハイボールの時代、1956年のはなしである。
ちなみに、バャリースの発売は50年、ウヰルキンソン・タンサンは51年からだが、庶民の飲み物でなかった。粉末ジュースは砂糖と比して安価な人工甘味料(主としてチクロ)を原料として用いていたので安かったが、69年以降は使われなくなった。さしずめわたしなどはチクロ少年で、三度の飯は喰わずとも、渡辺のジュースの素や春日井シトロンソーダを飲んでいたのである。
振り返るに現今の自動販売機の前に立って、わたしは常に迷う。種類が多すぎるのである。かつてチョイスは寡なかったが、十分われわれは満足していた。この満足というのは註釈が必要なのだが、その内容を問うのが目的ではないので、先へ進む。
先日、友と語らっていて、学生運動の某闘志にはなしは及んだ。聞くところによると、その闘志は学生運動の綱領を拵えるに澁澤龍彦の黒魔術の手帳に範をとったとか、週刊現代か週刊実話に掲載するようなエッセイからどこをどう拈れば学生運動の綱領が生まれるのか。雲を掴むようなはなしだが、60年代とはそのような時代だった。チョイスのなさは時としてとんでもないイマジネーションをひとに与える。逆に申せば、ひとから不満の捌け口(情念)を奪うには気が遠くなるようなチョイスを与えておけばよいのである。当然、それはお為着せの選択なのだが、構いはしない、気付く筈がないからである。例えば、ラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯がマルクス、レーニン、トロッキー、バクーニンであったにせよ、なんにせよ。要は迷わせることにあって、かつそれを気付かせないところに大事がある。
まつりごとのガス抜きとはそのようなものだが、知らずに乗せられている人々とまつりごとを執る人々、といった単純な図式でものごとは計られなくなった。かつて政治家たるもの世論ごときに惑わされはしなかった。それが今では世論調査に右往左往するようになった。チョイスを差し出す側がチョイスを受諾する側へ変身したのである。その場しのぎのマスコミが仕掛けた罠に政治家が搦め捕られたのである。既に日本の政治はバラエティと化した、謂わば寄せ木細工の変種であろうか。そのなかでも飛び切りの珍種が爺受けのよい小沢と婆殺しの管である。172億9700万円の政党交付金争奪戦は取り敢えず管に軍配があがった。久しぶりに狐と狸の化かし合いが演じられそうである。
今度入居した四階建てマンションは不動産屋によると鉄筋コンクリートだそうだが、実体は旭化成のヘーベル(軽量気泡コンクリート)だった。「水に浮くコンクリート」で周知であると、先程クーラーの設置に来た電気屋さんから教わった。コンクリートだと穴開けに一万五千円掛かるが、ヘーベルなら無料とのこと。言葉通り、二、三分で深さ十センチの穴がいとも簡単に開いた。近頃は高層マンションにもヘーベルはよく使われているが、なるほど細工にいろいろと便利である。
わたしは成人してから七度転居しているが、その度にクーラーを購入している。昔はなんでこんなに五月蠅いのと思うほど、騒がしかったのだが、今回のそれは風切り音のみ、傍で騒いでいるのはパソコンのモーター音である。
クーラーのお陰でむくみと痒みが少しはましになるかと思っているのだが、家にいる限り失神からは逃れられそうである。
モルト・ウィスキーにはタリスカーのような胡椒系の辛さとダルユーインやピティヴェアックのような蕃椒系の辛さ、そしてクライヌリッシュのような辛子(マスタード)系の辛さを持つ三種がある。なかにはスプリングバンクのようなブリニー(塩辛さ)が売りのウィスキーもある。そしてウィスキーではないが、山葵という日本原産の香辛料もある。それらのうち、もっとも一般的なのはカレー粉やキムチに代表される蕃椒系の辛さだろうが、和食の場合は醤油に代表される塩の辛さでないだろうか。
ところで、この塩っぱいを関西では辛いと表現する。塩っぱいの分岐点が気になって東海道に住む友人に片端から訊き歩いたことがあった。それによるとどうやら分岐点は三ヶ日あたりだそうである。三ヶ日の猪鼻湖の左岸と右岸で「辛さ」の概念が異なる。要は三ヶ日温泉と大崎では同じものに対する反応がまるで違うのである。片方では辛いと表現し、片方では塩っぱいと表現する。辛さの意味内容が若干ずれているのである。
このはなしを進める前に、饂飩つゆについて一言云っておかなければならない。何度か書いたことなので、くどいと思われる方は飛ばしていただきたい。
関西は白醤油もしくは薄口醤油を主として用いる。従ってつゆの色は薄い。関東では濃口醤油を用いるが、それにとどまらず色出しと甘味のために溜まり醤油を使うことが多い。従ってつゆの色は真っ黒である。
それ以上に異なるのが出汁そのものである。薄口醤油は塩分が高くうまみ成分が少ない。そこで、荒節に雑節(サバ、ムロアジ、ウルメイワシ、マイワシなど)を加えて複雑なうまみを出す。一方、関東では臭みを消す昆布がなかったので、本節(荒節の熟成品)という黴付け鰹節をのみ用いる。アミノ酸、グルタミン酸、イノシン酸の含有率では関西に、香味のシンプルさでは関東に軍配があがる。
いずれにせよ、竜野の薄口醤油と野田の濃口醤油という醤油そのものの地域性が饂飩つゆの東西の違いをもたらしたのである。現在では東西の饂飩つゆの境界は新幹線では三河安城、在来線では一宮といわれている。
さて、関東では塩っぱいを辛いとは云わない。塩の辛さとは別に辛さの本命のようなものがありそうである。もっとも、香味のキャパシティは広いに越したことはないのだが。
梅雨入り直前にベランダに積み上げた荷物の整理が済んだ。取りも直さず、荷物の山と格闘なさった方に心底から感謝申し上げる。引越の前に周さんが荷造りより荷ほどきが大変と云っていた意味がよく分かる。あとは室内の整理だが、こちらは気長に当たるしかない。
騒動の渦中、業務用の珈琲メーカーやビールサーバーが出てきた。生ビールのサーバーは捨て、ギネスのそれは嬬恋村へ嫁いでいった。それにしても、どうして拙宅に珈琲メーカーがあるのかが分からない。
夥しい量の食器が嬬恋村の山小屋へいった。搬送に関さんは難儀なさったに違いない。インプレッサの後部席を倒して、屋根までびっしり積み込んで四回分はあった。そのはなしを幹郎さんがみすずで書かれている、ぜひ読み頂きたい。
土曜日は足のむくみが酷く、店へ出たものの結局休んでしまった。歩かれずに、と云うことは車の運転すら出来ず、駐車場で三時間ほど足を叩いたり、揉んだり、摩ったり、最後は右足で左足を、左足で右足を蹴りつづけ、なんとか自宅へ辿り着いた。扇風機の前で濡れタオルを足に巻き付けるなど、兵役逃れの肺炎の図を思い起こす光景だった。車椅子は冗談のつもりだったが、まんざらでもないなと一人苦笑いである。
日本ほど世論調査が繁く行われるところはない。しかもマスコミが直接行う世論調査ほどいかがわしいものはあるまい。にもかかわらず、大手メディアは粗雑なな世論調査の結果を錦の御旗にする。大衆がものを考えるときの規範とはマスコミそのものである。謂わばマスコミは大衆をどのようにでも手懐けることが可能なのである。
マスコミにせよ、政治家にせよ、大衆の意をこれほどに意識した時代があったろうか。大衆の意に動じず、自ら思うところを述べ、行動するのがマスコミであり政治家でなかったのか。何人の策謀かは知らないが、世論調査なるものを新聞ならびにテレビ局は頻繁に試みる。一時期マスコミといわれるところに身を置いていたのでよく分かるが、マスコミは自分たちに都合のよい結果が表れた世論調査だけを公表する。例えば、小沢は辞めた方がよいとなったら辞めるべしとの世論調査ばかりを発表し、その高まりにマスコミは一喜一憂する。このような自主性を喪ったマスコミが世界のどこかにかつてあったろうか。二大政党制を打ち立てた彼の業績は誰一人として歯牙にかけない。
マスコミの劣化は取りも直さず政治の劣化を齎す。そして劣化したマスコミが操作する大衆とは群れにしか過ぎない。大衆はばかにできないとよく云われるが、それは個として物事を考えなくなった人たちの与太とわたしは思っている。いま必要なのは一箇月間、新聞やテレビを中断することであるまいか。
宮城の横を抜け、半蔵門から新宿通を曲がって麹町の駐車場へ入いる。従って土曜日を除いて、連日マラソンの群れと出遇う。特に新宿通にはマラソン向けのスポーツセンターとやらがある。脱衣場とシャワーがセットになっただけのものなのだが、夕刻ともなるとあでやかなショートパンツに履き替えたひとたちがぞろぞろ這い出してくる。いまや、宮城の回りはマラソン人で押すな押すなの大盛況である。
ここには大人や権威に対する怒りや反抗はない。マラソン人である以上はシリトーぐらいは読んでおけと云いたくなるほどに、平和で充足した表情が濫れている。誰が決めたかしらないが、全員が時計と逆回りにまわっている。一人ぐらいは時計回りに回る天邪鬼がいてもよさそうに思うのだが、絶えていない。
先日も「群れ」で揶揄したのだが、どうしてこうも人は群れたがるのか。お陰で元赤坂の御用地の回りは静かになった。かつてはあちらにもマラソン人がいたように思うのだが。
サントリーのご好意でマッカランの宵を催すことになった。ブランド・アンバサダーのロバート・ストックウェルさんをお招きし、各種マッカランを飲む。ニューポットからファインオーク、通常のマッカランまで、さまざまな酒齢のマッカランの利酒とロバートさんの蒸留所秘話を楽しむ。所要時間は二時間ほど。詳細は決まり次第発表致します。
七月二日金曜日の仕事を終えてから北海道へ行こうかと思っている。「ホテル雷電」で書いた蘭越のソフトクリーム、なぎさ食堂、ホテル地の涯が目的地である。そして出来れば中川町へも。
最後の旅行になる可能性大なので、やはり車で行くことにする。釧路湿原から根釧原野、厚岸から霧多布を経て風蓮湖に至るさまざまな霧の匂いを腹一杯吸い込んできたい。今回はサロマ湖のキャンプ場にも泊まってみたい。やはり北海道は西端と東端に見るべきところが多い。
先日、グリーンランドのニュースを見ていてブルー・アイスを知った。説明によると「長年にわたる圧縮によって、内部の気泡がほとんどなくなった古代の氷で、赤系統の光を吸収し、青系統だけを反射する」ようである。積丹の海の青をシャコタンブルーというが、まるで解けた水でえぐられて、姿を現した氷床の峡谷と瓜二つだった。いろんなブルーがあるが、わたしが取り憑かれたのは日本海のそれも積丹の海の青である。
増田さんから書き込みがないが生きているのかとの問い合わせあり。よって今一つ。
腎不全とか透析は症状であって病名ではない。さなざまな病気から腎不全になって透析に至る。従って、個体差は著しい。そこで透析をなさっている方々のはなしを伺ってきた。透析のあとは疲労困憊で、百メートル歩くのがやっとの状態になるようである。駐車場との距離が一キロと聞くと、皆さんが歩かれないと応える。通常、透析は寝る前に施されるものだが、わたしの場合は透析のあとに仕事が待っている。山崎医師が透析しながらの仕事は無理だと仰有ってた理由が納得できる。
ところで、駐車場の管理人と親しくしてい、サービス券を頻繁に頂戴している。先日、立ち話をしていて、毎日利用なさっているのだから夜だけの月極が可能かどうか上司に聞いてみると仰言る。一箇月五万三千円の駐車場なのだが、夕六時以降の利用なら二万五千円でよいということになった。家の駐車料金が六千円なので、併せて三万一千円になる。これなら廉い、廉いものの「百メートル歩くのがやっと」の言葉が引っ掛かる。いっそ車椅子で往復しようか。
一日に二リッターの水分を補給している。水もしくは烏龍茶だが、医師から云われたとおり極力摂るように努めている。従って、眠っていても二時間か二時間半毎に小用に立つ。小用を終えてすぐ眠られればよいのだが、そうはいかない。全体としての睡眠時間が長くなる理由である。睡眠時間というよりは蒲団に臥せっている時間が長いのである。蒲団と書いたが、蒲団は遣っていない。板間へ毛布を二つ折りにしてくるまって寝ている。身体が休まらないのでは、と人は云うが、身体を休める必要などどこにあるのだろうか。本当は寝心地のよい敷き蒲団を頂戴したのだが、蒲団を敷くスペースがどこにもない。このところ寒暖の差あり、夏物だが掛け蒲団を引っ張り出した。暖かいとやはり安心して眠られるようである。
その小用だが、透析をはじめれば一気に水分制限に陥る。自力で用を足すことができなくなるからである。そうなると、一日にコップ一杯の水しか摂られなくなる。一日三度の薬の服用にコップ一杯の水は必要である。よって水分の補給はほぼ断たれる。透析の主たる目的は尿毒素の除去、すなわち水分の除去にある。
めまいや失神発作などの脳虚血症状に困惑させられている。また、同発作を伴う不整脈はすこぶる危険である。それは分かっているのだが、因果関係が不明で、主治医も小頸を傾げている。
先日、山崎医師と話していて腎不全の患者は造影剤が使えないことに気付かされた。脳のMRIを撮ろうかというところで気付いたのである。造影剤は尿として体外へ排出されるが、腎機能が痲痺しているために排出されず、それどころか一気に悪化するようでる。末期腎不全がさらに悪くなると超末期腎不全とでもなるのだろうか。いっそ即死なら腎不全も浮かばれように。買ってきた腎不全の本に即死に関する記述はなかった。
いずれ死ぬのだから大部は平気なのだが、一抹の不安もある。はじめて革靴を履いたときにさぞかし足が痛かろうにと憶測する不安と同種の不安である。
長生きしてもあと四年とか三年とか云われてはや十一箇月が経った。身体が負っているダメージは確実に大きくなっているが、まさか自分がこのような緩慢な死に取り憑かれるとは思ってもみなかった。人生とはある意味意外性の連続なのかもしれぬ。巧く表現できないが、あまり苦しまずに死ねたらなァと人並に思うこと頻り。
もっとも輸血の際に生死の境は彷徨っている。ナオサンと語らっていて看護師からこっぴどく叱られた。面会禁止なんですよ、あなたは重篤なんだからと。
櫻井さんとおっきーさんのお陰をもって無事送信できるようになりました。ありがとうございます。今まで認証を必要とするプロバイダをつかったことがなく、もたつきました。NTTは難儀ですね。
メール送信ができない件、
送信ポートを587に
送信時 認証あり
に変更すればできると思いますよ。
理屈は
Outbound Port25 Blocking
http://ja.wikipedia.org/wiki/Outbound_Port_25_Blocking
スパムメール対策の一環です。
フレッツ光に切り換えて困ったことが起きている。メールが出せないのである。どのようなシステムになっているのか分からないが、despera.comとso-netがどちらも応答しない。現在はメールは店からのみ送っているが、不便なことこの上ない。
どなたかご教示いただければありがたい。
今日は目鯛をかってきた。各種辞書では眼鯛と表記されているが、なにかの間違いではないかと思う。メダイであってガンタイではない。メダイというのは関東、四国ではメナもしくはダルマ。福島ではアゴナシ、他にもタルメ、セイジュウロウ、メブトなどと呼ばれる。関西ではダルマが一般的。イボダイ科の海産魚だが、イボダイより体はやや細長く眼が大きい。背は照り焼き、腹は刺身で頂戴する。伊豆七島周辺の海域が主産地。旬は冬だが年中出回り、腹身の脂の乗りは絶品。
カンパチより旨いことは請合う。その目鯛の腹身が売っていたのである。今日は他にも三和豆水庵の生湯葉、馬刺のユッケなどを買ってきたが、こんな日に限って店は暇である。こうなればわたしが片付けるまでである。
年間七万頭処理される兵庫県の牛肉の内、僅かに千二、三百頭がAー5等級で、神戸牛のサーロインならグラム四千円を切ることはない。一人前二百グラムとして原価が八千円。レンガ亭のステーキが二万円からというのも頷けようか。元町の西外れに昔から神戸牛専門の肉屋がある。一番安いバラ肉のスライスがグラム千五百円。わたしが何を云いたいかというと、肉などというものは金さえ出せばいくらでも旨いものが喰えるということ。それと比して魚は神経質である。金数を積んだからといって旨いものが喰えるわけではない。顔と目と勘と運がものをいう。謂わば肉は成金趣味の食い物で、魚は食通の食い物といえようか。どれだけ元手を掛けてきたかが問われる世界である。
わたしは猫が大嫌いである。明石に家を借りたとき、前の借主の飼い猫と思しき猫が門前を立ち去らなかった。餌をやればお仕舞いと猫とわたしの根比べがはじまった。猫は日増しに衰えていく。最初は鳴いていたもののその元気もなくなったのか、恨めしそうな顔つきでわたしを眺めるようになった。ある日、酔っ払って帰ったわたしの足下で同じように猫も蹣跚めく、わたしの負けかなと思いつつ一本の竹輪を差し出すと、猫はそれを咥えてどこかへ消えた。
次の日、宿酔の頭を叩きながら新聞を取りに玄関へ。愕いたことに、昨夜の猫が五匹の子猫を率えて一列に並んでいる。こいつ俺を騙しやがったと気付いたが、ときすでに遅し。わたしは一夜にして六匹の猫の飼い主にされてしまった。
今回引っ越した三郷のマンションに白猫と黒猫がいる。白が雄で黒いのが雌である。わたしは大家でもある向かえの蕎麦屋の飼い猫かと思っていた。ところが、その気配はない。黒い方は実に馴々しい、朝ドアを開けるとニャア、深夜に帰ると起きていてニャア、揚句は隙があれば人の家に入ってこようとする。此奴、明石のときの繰り返しだな、俺は二度と詐欺には遇わないぞと覚悟を決める。
そんな黒猫がある日突然にいなくなった。猫は犬と違って餌を求めて旅はしない。きっと空腹で死んだに違いないと思うと不憫になってくる。最後のニャアの日、本当はウインナをやってもよかったのに、と一抹の後悔すら覚える、別におまえを殺すつもりはなかったのにと呟きつつ、マンションの回りを探すもどこにもいない、死骸も見当たらない。マンションの住人はわたしだけではないと、自分に言い聞かせる。わたしは一番の新参者で、長く住んでる人もいる。猫の死は共同責任ではないかと言い聞かせ、わたしは肩の荷を下ろした。
七日目、仕事を終えて帰ると何時ものニャアが聞こえた気がした。アレッと思っていると再度ニャア、あいつ生きていたんだと思うと嬉しくなって、こちらもニャア、周章てて家へ飛び込み、ウィンナを持って猫のところへ、隣の車の下に隠れていた。覗き込んでビックリ、子猫が四匹もいるではないか。なにごともなかったような顔をしてわたしはウィンナを隠す。あとは知らない、知ったことかよ。
月曜にしては珍しくお客があった。ブラックアウトについて書いたので、おっきーさんと増田さんそれと素天堂さんが心配していらした。はなしが弾んで閉店は二時頃。最近は十一時半には店を閉めているので、久しぶりのロングランである。はなしが弾んでと書いたが、わたしの頭は終日ふらふらしていた。
増田さんから「最近の書き込みは随分と変化したね、まるで私小説を読んでいるような」との指摘を受ける。それが分かっていただけたのは嬉しい。変えようと強く意識している。
流石に減ってきたが、未だに本が贈られてくる。むかし編輯を生業にしていた時期があったからであろう。とりわけ詩、俳句、短歌が多い。しかし、著者の顔が伺える書物は寡ない。年に一、二冊あれば重畳。その理由は執筆に当たる気構えが著しく散文的になったことでないだろうか。顔が伺えないとは肉声がないということ、私としての情念が皆目見受けられないということにもなる。今こそ立ち帰らなければならないのは私小説ではないかと思っている。詩的な煌めきが私小説のなかにしかないとすれば、あまりに逆説に過ぎようか。この件に関してはいずれ詳しく。
日曜日午後四時過ぎ、ふたたびブラックアウト。周さんとスーパーでの買い物の最中、燈台つぶと海螺貝の二種が入荷していたので、そちらに目をやった途端に立ち眩み、思わずそこに座り込んでしまった。立ち眩みでないことはすぐ分かった。周さんに簡略に事情を説明し、買い物を委ね、急いで車に戻る。スーパーの玄関口あたりで世界はすでに真っ白に変化し、行き交うひとの影もおぼろ。ここから先、車までの移動は覚えていない。あとの記憶は断片的である。
三十分ほど寝ていたようだが、周さんによると全身の痙攣が酷かったとか。痙攣は記憶からまったく拭い去られている。それにしても、日中の移動は危険を伴う、これからの病院通いに不安が残る。
繰り返しのなかから、ブラックアウトの予兆のようなものが掴めた気がする。気付いたときから失神までの間に三十秒ほどの時間差がある。この間に待避行動を取ればよいのである。三十秒のあとは、若干の意識はあっても視力が完全に奪われる。今回は体調が戻るのに十二、三時間掛かっている。こちらはどんどん長くなっているようである。
カラオケを合唱しましたか。とにかく梅木さんとは飲みました。十年分を一年で飲んでいました。三宮ではじめてお会いした日、ウィスキーが三本開きました。決めたわけではないのですが、以降お会いするたびに三本と決めていました。おそらく飲みつぶれるにはさらにボトルが開いた筈です。毎日一本半、二人で三本のウィスキーを一週間立て続けに開けたのを覚えています。しかし彼の病は酒の飲み過ぎですね。あれは気の弱さがなせる業だったと思います。ひとのことは云えませんが。
一度難波ではりはり鍋を馳走になりました。その日も行きたいところがあればと云われて恵美須東の通天閣へ行きました。例の串カツ屋で気炎をあげたのを覚えています。酒を酌交わした別れ際の彼の淋しそうな顔が忘れられないのです。あれほどシャイで気配りの行き届いたひとはいなかったと思います。六月九日は三郷の空を眺めつつ彼を偲びたく思います。
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