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緊急入院4   一考   

 

 10日、2日目の食事がはじまったが下血はなし。実は気が気でない、トイレへ行く度に便が赤くないかと冷や汗の連続である。もっかのところ、下痢気味。
 頸の点滴ラインが外された。これで身体に取付けられたものはなくなり、いよいよ退院が近づいてきた。おそらく、汁粥が固粥に変わったときが退院、今週末か。

 ところで、頸の点滴ラインは頸の皮膚に縫い付けられている。外すときは左右二箇所の糸を鋏で切る。

追記2
 麻生セメントやトヨタの病院など、株式会社の医療機関は医療法以前に設立された病院のみ。1948年、医療法は医師法と共に制定。1950年、医療法人が導入。爾来、株式会社は病院経営に参入できなくなった。病院長は当然医師だが、本来経営に専念する理事長までが医師でなければならない。考えてみれば、妙な法律である。
 海外へ進出したわが国の病院は他の国同様、ことごとくが株式会社。題して成金病院。理事長は経営のプロであって医師ではない。胃カメラや各種内視鏡などわが国固有の高度医療を誇るがゆえ、当然、金持ちしか相手にしない。貧乏人は病院へ這入ることすらできない。

追記3
 11日、朝飯はシンプルで旨い。今日は3分粥と菠薐草(ほうれんそう)の煮浸し、煮浸しには縮緬少々と大根下ろし。メインは献立では炒煮となっているが、馬鈴薯3切れ、人参2切れ、鶏のミンチ少々の煮物である。野菜は2センチ角。香辛料は使っていないが、醤油と味醂のバランスが結構。定番の本物の牛乳が200ミリリットル。ゆっくり喰えば、これで腹が一杯になる。いくら病気とは云え、鼻の下のくちいが肝腎。

追記4
 昼食は3分粥から5分粥に出世。全粥の半分の量だが、それでも随分と増えた気がする。シルバーサラダなるものがメニューに登場。春雨、ゆで卵のスクランブル、青葱の微塵切り、缶詰のミカンを混ぜたものにドレッシング。要は春雨サラダである。月並みなネーミングだが、それ以上は問わない。「春雨の柳は全体連歌也。田にし取烏は全く俳諧也」連歌と俳諧の本質的な違いを述べた芭蕉の言葉。

追記5
 溜っていた小腸の空気が抜け、調子が戻ってきたようである。はじめて細いが固形の便が出た。繰り返すが24日ぶりの固形の便、色艶申し分なし。この項書いていてすこぶる嬉しい。この調子で頭の回転も戻って欲しいものである。

 瀬戸口医師来室、何事もなければ週末に退院との許可下りる。今週の金曜日で37日間の入院。看護師から祝辞を受ける。取敢えず、喜んでおくとしよう。固形の便は嬉しいが、退院の方は心中は複雑である。

追記6
 12日、体重は61キログラム未満で推移。ちなみに、今朝は60.25キログラム。今のところリバウンドはない。それにしても、食べはじめると結構ひもじさを感じる。なんとかドライウェイトを62キログラムに抑えたいと思っている。1箇月間守ることができれば大丈夫なのだが。

追記7
 入院以来はじめての外出、駅を往復した。距離は500メートルほどなのだが、一気に歩かれたためしがなかった。ところが今日は歩かれる、ヘモグロビンが少しでも上がったせいと思われる。駅中のスーパーでもみ海苔(きざみ海苔は高価なので)とふりかけを購入、残りの日の粥を少しでも贅沢にと。
 医師から態態しくことごとしく外食を禁止された、パリエットを飲んでいてそれはないでしょう(実は内緒でクロワッサンを2個購う)。途次、スーパーで大きな鏡と出会す。確かに腹はへこんだが、もう少し瘠せてもよいと思う。見た目には57、8キログラムが理想型かもしれない。「夏痩によしと云物そ鰻取り食せ」生きていれば、夏が過ぎるころには瘠せましょう。

追記8
 昼食は5分粥から7分粥に出世。愕くべきはごく僅かだが塩が這入っている。どんなに微量であっても塩は分かる、そういう生活をしてきたからである。そして惣菜が一品増えている。いままでお浸しか煮浸しか酢の物か和え物、もしくは炒煮か煮物かサラダといった2品だった。そこへゆで卵のエッググラタンなどというバタ臭いものが突然乱入してきた。もっとも、かかる乱入は歓迎である。
 この調子だと、13日が全粥、14日が易消化食、15日が普通食で16日午前に退院となりそうである。

追記9
 13日、便通は日々滞りなく。7分粥は同じだが、昨夜から心臓・高血圧食に変わった。これは易消化食とほぼ同じ内容で、過去にも何度か食べている。
 菜はシーチキン和、煮付け、味噌汁の3点。菠薐草のお浸しと思って食べていたが、最後の一口にツナが引っかかった。ところでシーチキンは商標名でなかったか。煮付けは5箇の焼麩。麩を莫迦にしてはいけない。焼麩は串に刺して茶請として使われたし、生麩は懐石料理や精進料理にかかせぬ食材。また麩饅頭は京都の名菓の一つである。それにしても、いささか貧相な食事。段々と口が肥え、図々しくなってくる。

 12日から心臓・高血圧食に変わったと書いた。爾来、夕飯には魚の切り身がつく。背の青い、陸でもない魚ばかりだが、一応は魚である。味噌漬けが続くのは臭み取りに苦労している証。添えられる野菜は、なぜか茹ですぎの隠元豆。

追記10
 昼食はやはり全粥だが、量が1割強減った。元々の献立はとろろ蕎麦、わたしは口内炎だったので麺類禁止になっている。もっとも、ここの麺は御免被りたい。

 このところ、木の葉丼と蒲鉾、嘗物の梅びしお、饅について、てんぷら、衣揚げ、駄菓子屋と食べ物に関する別稿が続いている。腹が減っているのかしら。そのうち掲載する。

 瀬戸口医師がリバウンドに注意、と。退院が15日の金曜日に決まった。何事もないことを祈る。

追記11
 14日、朝飯のメーンディッシュが正油和と名付けたサラダ、マヨネーズしょうゆで和えたもの。具材はブロッコリー、玉葱、人参。サラダがメーンとは個性的、サブに豆腐のつくねの餡かけを5箇、焼麩の煮付けよりは幾分料理らしい。何時ものことながら簡略で結構。

 飯は最後まで全粥。2月1日以降、拙宅、病院共に粥で通したことになる。5日の誕生日も1食のみ、100グラムの粥にぱらぱらと振られた海苔が唯一の菜だった。明日の夕食には握り鮨を食べたい。

追記12
 前項の正油和について。醤油のルーツは醤(ひしお)である。「しょうゆ」という語は15世紀ごろから用例が現れる。漢字表記の「醤油」は和製漢語で、「多聞院日記(1568年)」に初めて登場する。醤の漢字が常用漢字に含まれていないことから、当て字に正を用いて正油と書くこともある。西日本では遣わないが、甲信越、関東、東北、北海道では正油を屡々用いる。いくら正油漬や正油ラーメンは北海道や東京に多い。
 歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。ただし「せうゆ」という仮名遣も、いわゆる許容仮名遣として広く行われていた。したじ、むらさきとの別称もある。
 病院では他にブロッコリーの胡麻酢しょうゆ和え、菠薐草(ほうれんそう)の辛子しょうゆ和え、トマトとオクラのしょうゆ和えなどが出された。

追記13
 わたしは麺麭好きである。麺麭食の残渣が多いとは思わないが、ただ、ぱさつくのは気になる。あれが潰瘍と擦れないかと気を揉んでいる。気を揉むくらいなら食べなければよいのだが。さて、どうしようか。
 水1リッターよりもごく僅かな胃液の方が遙かに強力と聞いた。心配はなさそうである。

追記14
 2月7日の昏倒の折、面倒をかけた外来病棟へ退院の挨拶にゆく。「いやだあ、まだ居たの」「入院してないで、こちらへいらっしゃい」と云われる。24日の輸血のはなしなどする、「それにしちゃあ、いい笑顔をしてる」。こちらは気が置けないスタッフばかり。
 入院病棟にも気が置けない看護師がいらっしゃる、このところの3度の入院で欠かさずに面倒をかけた群馬出身の高橋里奈さんである。お名前を記して感謝の証とする。

追記15
 入院最後の血液検査、クレアチニンは1.62、ヘモグロビンは10.0。共に現時点ではまずまずの結果、クレアチニンが下がった理由は体重の減少。よって最低でも現在の体重60キログラムを維持するように云われる。しかし、これらの数値は血圧と同じで日々異動する。どうでも良きことながら、ほぼ4年ぶりに朝立ち(にわか雨ではない)した。

 3日前から腰痛に苦しんでいるが、医師にも看護師にも内緒にしている。そのようなことで退院の取り消しは困るからである。

 「再度顛れる」の末尾で「理由が分からないままに下血が止まり、身体も落ち着いて退院、数年後に再発というのがもっとも困るパターン」と書いたが、どうやら、予想した通りの状況に嵌まったようである。「退院の方は心中は複雑」と著した理由である。

追記16
 体調悪しく、1月30日から風呂に這入っていない。2月1日からはじまった下血はますますわたしから風呂を遠ざけた。今日は3月15日、この間、3度のシャワーを浴びたのみで、風呂には1度も這入っていない。這入っていないではなく、禁止されていた。しかも、右手をかかげてのシャワーで、ほとんど身体を洗えなかった。今日午後はどうあっても拙宅の風呂に這入りたい。温度を1度高めに設定し、暫くは湯船から出ないつもり。その間に溜まった洗濯物を片付けなければ。

追記17
 最終日。入院中、ずっと聴いてきたラジオ放送が退院で中断される。毎日もしくは一日置きで福島原発に関する放送を続けていた。抽象化は一切行わず、どこやらの商店主、あるいはどこやらの仮設のおばちゃんなど、登場人物は自由に語る、「東北へ行こう」とのキャンペーンと相俟ってすこぶる具体的だった。その具体は具体で結構、一方で文学に於ける抽象化の試みも大切である。
 意味あるいは判断は経験より抽象された一部であって、事物や表象を抽象しようとすれば、抽象と捨象という二側面を必ずや形づくる。その抽象と捨象という弁証にこそ、思考それ自体の蠢きがある。
 対象が天災であれ、人災であれ、事象は抽象されねばならない。抽象されない災害は早晩記憶から消し去られる。869年(貞観11)、1611年(慶長16)、1677年(延宝5)、1896年(明治29)、1933年(昭和8)、2011年と津波を伴う大地震が三陸沖を常襲している。わたしたちが忘れてはならないのは具体としての災害ではない、抽象という言葉と概念そのものの再検討の場を通過してきた災害なのである。

追記18
 次回の外来は21日、木曜日。採血、採尿は8時30分。
 入院以来、免疫抑制剤以外の薬はことごとく中断し、パリエットだけになった。パリエットは維持療法の薬で、胃酸の分泌を抑え、胃や十二指腸の潰瘍や食道の炎症を改善する。似た薬にレバミピドやアルロイドGがある。
 それと入院中は服用していないが、退院後はバクタ配合錠が再度出るそうな。細菌など病原微生物(細菌、ウイルス、真菌(カビ)、原虫)及びそれらがもたらす感染症に有効。真菌のなかでも特にニューモシスチスに有効。ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)は、いわゆる日和見感染症のひとつ。免疫抑制療法で抵抗力が落ちている人が感染すると厄介。治療がすこぶる困難、命にかかわる。
 免疫療法を受けている患者のなかで死亡率がもっとも高いのが、ニューモシスチス肺炎。新聞などでは単に肺炎とのみ記載される。
 少し似た働きを持つ薬に、バリキサ、フリードゲルなどがある。

 免疫抑制剤を飲み忘れたときの注意。次の服用まで5時間以上あける、2回分の服用は不可。グレープフルーツや一部の柑橘類を禁止。グレープフルーツジュースやライムが一部這入ったオレンジジュースが売り出されているが、当然禁止。セイヨウオトギリソウ(セント・ジョーンズワート)を含む鬱病の薬もしくは健康食品の禁止。


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2013年03月24日 04:36に投稿された記事のページです。

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