「街頭インタビューや、色々な職業の方にインタビューをし、そこから上がった様々な“法則”の中から興味深い“法則”を検証していく」というTBSテレビの番組があるらしい。
「“優秀なバーテンダーは、腕時計をしない”という法則が正しいのか、どうか?」という「検証企画の取材に、ご協力をお願いしたい」とのメールがあった。
かかる阿呆な番組に協力する気はないので、メールは即ゴミ箱行きである。祇園の芸妓や銀座のクラブの女性が腕時計や携帯を持ち歩いているとでも思っているのだろうか。花柳界に限らず、客の目前で時刻を確かめたり、携帯を掛けるなどその客に対する冒涜であろう。もっとも、ですぺらにいるバーテンダーは何時も云うとおり、パーテンダーかハ−テンダーであって、憂愁ではあっても決して優秀ではない。従ってその限りにあらず。
大体が飲み屋は時を憂え、失恋を慨き、酔いという非日常の世界に身を委ねるための場である。終電を気にかけて酒を呷る向きは居酒屋と相場が決まっている。本来、飲み屋には時計すらあってはならないのである。ところが飲み屋へ来て、まずテーブルやカウンターに携帯を置くひとがいる。己が属している領域からの離脱を懼れ、まるで携帯こそが唯一の存在証明であるかのごとく。思うに、腕時計や携帯は自分のなかに穿たれた現実の楔のようなものであろうか。