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夢のまた夢   一考   

 

 森友学園に関して教育勅語が見直されている。

 朕(ちん)おもうに、わが皇祖皇宗国をはじむること宏遠(こうえん)に、徳をたつること深厚(しんこう)なり。わが臣民よく忠によく孝に、億兆心をいつにして世世その美をなせるは、これわが国体の精華にして、教育の淵源(えんげん)また実にここに存す。なんじ臣民父母に孝に、兄弟に友(ゆう)に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)おのれを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もつて智能を啓発し、徳器を成就し、すすんで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重じ、国法にしたがい、一旦緩急(かんきゅう)あれば(アラバ)義勇公に奉じ、もつて天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。かくのごときは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又もつてなんじ祖先の遺風を顕彰するに足らん
 この道は実にわが皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じてあやまらず、これを中外に施してもとらず、朕なんじ臣民とともに拳拳服膺(けんけんふくよう)して、みなその徳をいつにせんことをこいねがう。(原文は辞書でどうぞ)

 明治23年発布され、古来天皇は徳をもって統治してきたことを述べ、国民の守るべき徳目を掲げ、「一旦緩急あるときは義勇公に奉ずる」のが本分であることを強調した。第二次世界大戦前の国民教育に指針を与え続けてきたが、昭和23年国会で排除・失効確認を決議。ちなみに、このようなものは伝統でもなんでもない。
 全体は3部構成であり、天照大神ら神々や歴代天皇によってつくられた日本独自の国体に教育の根源があるとする第1段、皇運扶翼のために実践すべき皇祖皇宗の遺訓であるとする第3段は往時の天皇家の宣伝文句だが、羽仁五郎は天皇が命令するというかたちで、教育勅語すなわち道徳を政治や法律の下に置いてしまったと指摘する。要するに、教育勅語は日本の道徳が堕落した根本原因だったと云うのである。
 第2段は政府の自由民権運動弾圧の正当化、そして儒教主義の復活がメインであって、こちらは問題山積である。教育勅語の下付の翌年には御真影(天皇・皇后の肖像写真)への拝礼、教育勅語奉読、君が代斉唱などを内容とする「小学校祝日大祭日儀式規程」を制定。勅語謄本への拝礼を拒否した第一高等中学校(後の第一高等学校)講師内村鑑三は、その職を追われるという事件(内村鑑三不敬事件)があり、為政者はこうした事件を利用しながら、勅語を無謬の道徳規範として神聖化し、国民への浸透をはかった。

 戦後の天皇は反転して革新派となり、平和憲法の担い手となった。おそらく、憲法改正に身を挺して反対しているのは天皇と共産党と社会民主党だけなのかもしれない。神道政治連盟、日本会議、自民党は天皇からもっとも遠いところにある。このまま行けばいずれ天皇が動く、動くと云うよりも、天皇によるクーデターをわたしは期待している。おそらく、それが天皇であればこそ可能な戦争責任の取り方でないだろうか。
 他方、天皇不親政こそが日本の伝統であり、この観念が天皇の一系性を支え、立憲的制度の受容を促進したことは看過できない事実である。それを良いことに、戦後の靖国神社や神道政治連盟は御真影への拝礼,君が代斉唱を繰り返す。親の心子知らずとはこのことよ。


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2017年03月11日 14:41に投稿された記事のページです。

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