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酒の肴   一考   

 

 吉行淳之介が最近は人気がないらしい。その理由を書けとの仰せだが、それは吉行に限ったことではない。わが国では物故作家はあっけなく忘れ去られる。それに対して理由などいくらでも書けようが、書いてみたところで詮無いはなしである。大方は書物を繙くに鳥瞰図を自ら拵えない。
 「東西の文学運動の類似点もしくは時代の要請に関して、再考し何度でも整理し直すひとが現れてほしい。例えば、ヌーボーロマンやアンチロマンはフランスで生まれた文学運動だが、作品として花開いたのは吉行淳之介の「砂の上の植物群」以降の作品、とりわけ「夕暮まで」が呼応すると思っている。・・・「夕暮まで」とその後の「鞄の中身」はすぐれて実験的な小説だった」
 と先日書いたが、世間一般はそのような理屈には斟酌しない。好きだから読む、琴線に触れなければなにひとつ読まない。例えば、少年小説、探偵小説、私小説、幻想小説、写実主義小説、童話、口語文体の実験等々、多くの文学は硯友社を源とする。では、尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、巌谷小波、江見水蔭、大橋乙羽、川上眉山、広津柳浪、さらに紅葉門下の泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声をいかほどの人が読んでいるのだろうか。せいぜいが鏡花の一部しか繙いていないのではなかろうか。それらは文学を学ぶに基本図書といわれるものばかりである。読まずに文学を語ろうとする。だから、ですぺらはモルト・バーなのである。
 「読まれない」理由を書くと腹立たしくなるだけである。生憎心は酒を不味くさせる。それが嫌で新宿へ飲みに出掛ける。先週の土曜日も、水道管から泥鰌が出てきたとのニュースがあった。新宿なら即座にボリス・ヴィアンの「日々の泡」が返ってくる。もっとも、ヴィアンなら水道管から鰻だが。泥鰌と鰻とどちらが旨いか、そこで一頻りはなしに花が咲く。それが酒の肴である。


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2008年06月02日 23:09に投稿された記事のページです。

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