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外泊  | 一考    

 今回の入院ではじめての外泊だったが、クレアチニンは2.0に跳ね上がった。これは絶望的な数値である。風呂だけは這入ったが、忙しくて水分を摂る暇がほとんどなく、食事もまったく摂らなかった。それが禍いした。いまからでは遅いが、せっせと水分の補給に努めている。脱水状態を確認するに、腎臓だけでなく、胃袋までエコー検査で調べられた。これで当分は閉門蟄居、外出すらかなわなくなった。

 わたしのドライウェイトは65キロ。その体重が術後65キロから57キロへと減り、今回の入院で68.5キロへと増えた。現在は66キロをわずかに切る。何度も書いたように体重は二次的なもので、免疫抑制剤によってどうにでもなる。しかし、ドライウェイトよりも低いが良いに決まっている、
 あと二、三日でドライウェイトを切るのは間違いない。拙宅の食事ならさらに早い段階で切るのだが、病院食だと食べる量まで管理が行き届いているのでそうそう痩せはしない。
 さて、このような体重の管理、細かな血液検査(血液検査は2000項目から10000項目まであって、一時間で識別可能な検査から二週間ほどかかるものまでさまざま)に興味が失せてきた。透析時代、体重管理のために一切外食はせず、内容にも徹底した制限を自ら設けた。それは各週の血液検査の折、ざまあみろと自分に言い聞かせる楽しみがあったのである。ところが、今や体重は免疫抑制剤で勝手に上下し、クレアチニンも食べ物による規制を外れたところで動いている。自分で制禦できないものに、人は興味を抱かれない。
 体重に限らない、腹回りから無精ひげに到るまで、個々人々それぞれのダンディズムがある。今日、看護師から以前の入院のことを思えば太りましたねえ。例え病人であろうとも、いやはや豚のようには太りたくない、とただそれだけ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:26 | 固定ページリンク




教職について  | 一考    

 昨今、虐めがクローズアップされている。警察が学校へ強制調査を行うようになってはじめて虐めの問題に光が当たった。どうして50年前に警察が介入しなかったのかと思う。これについて書くことはいくらでもある。殊に、部落の問題、朝鮮の問題とわたしの世代は難題続出だった。教師を巻き込んだ暴力抗争についてはずっと書くのが躊躇われてきた。わたしがどうして夜間高校で朝鮮人学級へ這入らなければならなかったのか、わたしは中卒者で押し通してきた、それは自分の学生時代を伏せて生きてきたからである。
 中学校時代の部落相手の壮絶な抗争(虐め)を想い起こす。教師側はことごとくが日教組、つまり部落側である。わたし一人の闘いに教師から教育委員会までが参加し、わたしは義務教育である筈の中学校から一方的に暴力でもって追い出された。そのことを恨みに思ってはいないが、わたしは教員とか教師と聞いただけで、その人間性を疑う。性格破綻者か人格異常者でなければ教師は勤まるまい。教師教員の類いでわたしが後年、頭を垂れたのは宇野邦一ただ一人、彼の頭脳は旧象の牙にも似て過度適応の好例である。
 取敢えず、こちらでは結論のみ書いておく。人は、異に教師は、差別や虐めをこころの拠り所に、選民意識を生きている。教師などというものは史上最悪の稼業であって欺瞞に充ちている。誰某は教え子などと口にするだけでも悍ましい。他者に物事を教えられると信じているところからして狂っている。まず、世の中から教師を取り除かねば、虐めはなくならない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 21:29 | 固定ページリンク




医師とは  | 一考    

 病院を外出するに、どうして頭を下げてお願いせねばならないのか。向こうに向こうの都合があるならこちらにはこちらの都合がある。病院は慈善事業でなく、商売でやっている。さればこちらの言い分も聞くべきであろう。聞く気がなければご縁がなかったのである。極力医師の言い分は聞いている。傲慢不遜に振る舞うのは若い医師達である。わたしはかなり本気で怒っている。土下座をしてまで癒してくれとは頼んでいない。
 今日はクレアチニンがまた悪化した。その血液検査や対応策を取るのは昼である。従って昼に病院にいなければならない。ところがこちらの用事も昼ばかり。命と生活とどちらが大切かと云われると、ここが難しいところで、どちらともわたしには云われない。それほどに生活というものは大切であって、時として命という正に時そのものを跳びこえてしまう。
 ところで、ここで云う悪化とはなんだろうか。腎移植が一種の抵抗運動によって悪化してクレアチニン値が高くなる。結果、人工透析へ戻るだけではないか。医師はそれでは困るのかもしれない。しかし、わたしは納得ずくである。
 このまま行くとやがて医師と衝突する。繰り返すが、ご縁がなかったというただそれだけのこと。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 21:28 | 固定ページリンク




苦言を呈す  | 一考    

 いろんな病院へ入院してきた。例えば、北里研究所病院、東葛クリニックなどだが、PL配合顆粒(塩野義の総合感冒薬)を註文すれば五分以内に薬剤師がベッドへ届けてくれる、それが当たり前だと思っていた。ところが、戸田中央では責任を取る看護師がいない。なにを云っても医師から聞いていない、云われていないの一言。要するに想定外の為事の引き受け手が端からいないのである。看護師は客である入院患者の方を見なければいけないのに、管理者側しか見ていない。
 某看護師にPLを註文したところ、医師に話しておきます、で24時間経っても梨の礫。別の看護師に外出しますと云う、医師に聞いておきます、で24時間経っても梨の礫。朝夕に医師が診察に来る、その折にPLを註文する。「分かった」で医師全員がそれを確認している。にもかかわらず、看護師は聞いていない、指示されていないの一点張り。
 この辺りから、病院内の体制は虐めの問題と同じだなと思う。生徒は三年経つと卒業していなくなる。取敢えず、三年間なにごともなければ世はこともなし。仮に自殺者が出たにせよ、虐めと自殺の因果関係は不明で終わりである。入院患者は長くても三箇月で退院する。生徒よりさらに短い。入院患者は看護体制のなかでがんじがらめに縛り付けておけばよい。ひっくりがえったり、転げたりして骨折されるのがもっとも怖い。事故のないのが一番なのである。この消息をことなかれ主義という。

追記2
 註文から50時間を経てやっとPLが手に這入った。お陰で風邪をこじらせてしまった。退院に絡んで病院への怒りが沸々とわいてくる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:20 | 固定ページリンク




紋次郎  | 一考    

 月曜日の退院が決まったのか、それともまた延長になりそうなのか、血液検査の結果に医師は優柔不断になっている。どうでもよいから客のわたしに決めさせろと云いたい。
 クレアチニンの数値がよろしくないので、再再入院であろうが再再再入院であろうが、なんでも構わぬ。しかし、メドロール療法になんらの期待もできなくなったので、困惑の態。治療もないままにどうしろと云うのか。血液検査の結果で一喜一憂していてもなにもはじまらない。クレアチニンは変わらず1.6から1.7に張りつき、最悪である。血液検査の他の項目に異常はなく、体重は減少、尿量は増えていて上々。されば、体重が減れば退院できるのかと伺いたい。
 寝ていてもクレアチニン値はよくはならない。痛みがあればともかく、入院もさすがに10日を超えると疲れてくる。入院は続けても良いが、一度気分転換に外泊させてもよさそうなものである。シャワーでなく風呂へ這入って洗濯、ビールを飲んで寿司を喰い、塵を捨てる。それが生活である。そう云えば冷蔵庫の中身はどうなったやら、野菜の液状化が進んでいるに違いない。一人暮しだと生活がどんどん滞ってゆく。
 一所懸命の治療は分かるが、相手が悪い。わたしがごとき一所不住と一所懸命では命のかけようがまるで異なる。医学の世界に木枯し紋次郎はいないのか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:09 | 固定ページリンク




ガスの臭い  | 一考    

 泌尿器科でもっとも多い手術といえば前立腺癌だろうが、腎移植は代わりの医師が少ない世界である。専門医として頑張っていただくには雑用(一般外来を雑用とする)から解放されなければならない。そのためにはわれわれ患者も発言しなければならない。戸田中央は埼玉で唯一移植を手掛けている病院、そこで唯一の執刀医が瀬戸口さんである。わたしは自らの腹を開腹していただいたので良く分かっているが、彼は名医である。
 上京して以来、主治医の山崎医師をはじめ、多くの卓れた医師と出遇ってきた。思うに、この間の季節の変化を反覆しつつ月日は容赦なく推移した。体外衝撃波を受けに山崎医師のもとをオートバイで訪れ、発作が起きればどうする、なにを考えているのかと叱られたこともあった。多くの医師に見守られ、多くの医師に励まされ、ここまで生きてきた。二度ほど危機に瀕したこともあった。その度に、わたしの心の目は北海道にあった。オートバイで走り回り、廻り巡った北海道の山河、いつ死んでも良いと思ったとき、それはちまちました故郷でなく、キャンプで訪れた北海道の大地と雨と風、そして焼き付き饐えたガソリンの臭い、そこに人の姿は絶えてなかった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:08 | 固定ページリンク




リハビリテーション3  | 一考    

 もっかリハビリに力を入れているが、二十歳前後で脳卒中や脳梗塞に苦しんでいる人が多いのに愕いている。ボールを床に投げて戻ってくるボールを受ける練習をしている。キャッチボールみたいな書き方だが、ボールの移動距離は10センチ足らず、そのボールが受け止められないのである。ボールの動きに身体がついてゆかない。注視していると頭が震えて静止していない、当然視線も定まらない。即、手脚にも震えが生じている。頭部切開の大きな手術跡のある人もいる。
 脳出血すなわち突然の脳血管障害によって意識障害や運動麻痺をきたすわけだが、横でみていて大変である。療法士が寄り添い、多くの患者は身体を揺すられている。揺すられて動くのであって、自力では動かれない。そのような状況を眺めていると済まなく思う、わたしは自分の意志によって可動しているからである。痼疾などと書いたが、比してわたしの病は軽微なものだと思い知る。
 美人の療法士に揺すられて老人が股間を膨らませている、と書けば顰蹙を買うだろうか。わたしはそうは思わない。これも立派なリハビリになっている。おそらく納得ずくの能力恢復に違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:07 | 固定ページリンク




リハビリテーション2  | 一考    

 週末にも退院可能だったが、念を入れて来週の月曜日か火曜日の退院となった。生理検査の結果を見て再再度入院、再再度生理検査を行う。外泊は無理だが、週末以降外出は認められる。車の修繕、郵便・宅急便、洗濯、役所の手続き(ETC・車税・保険他)など諸用を片付けられる。
 病棟ではメドロールの点滴中止(意味がなくなった)でリハビリテーションだけになり、暢気になった。気楽とは申せ、採尿、血液検査、エコー検査などに一喜一憂はつづく。なお、リハビリは腹式呼吸法のそれで、うっすら汗ばむ程度。とにかく歩くことが一番効果があり、病院の外周を歩き回っている。女性の理学療法士に変わったが、なかなか達者な療法士である。脳卒中や脳梗塞の後遺症に苦しむ障害者とともに、理学療法に励んでいるのである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:06 | 固定ページリンク




リハビリテーション  | 一考    

 リハビリを受け、体調不調の原因は腹筋の断裂にあると悟った。まず腹式呼吸法が駄目である。法などといったものでなく、単純な呼吸ができていない。立って座って寝て深呼吸、腰を持って、腹を押さえて、背を伸ばしての深呼吸である。負荷を掛ける云々の遙か以前の状況である。
 リハビリの理学療法士はまず、上記手術の縫合後を見、これではどうにもなりませんの一言。瀬戸口医師から傷口はしっかり付いているものの、今回は生理検査だし、特に右側は無理をしないようにと云われたようである。人は身体の傷口側を庇護う。わたしは右側に大きな疵があるため、左側で庇護っているようである。
 理学療法士は左右の足の筋力を確かめて力の差違を確認、きちんと呼吸をすれば一週間でリハビリらしきものは終了する。あとは自宅で気長にやってください。腹筋が元に戻るに三箇月、筋力ケアのための道具や器具は無用、あなたの身体なら基本はできているので呼吸法だけで大丈夫です、と。はなしを聞いて一安心である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:05 | 固定ページリンク




移植手術その結果  | 一考    

 市役所へいって国民健康保険限度額適用証をもらってきた。24年4月から外来の限度額適用認定証が有効になった。これで高度医療は35000円ほどに減額される。ただし、減額は保険適用内の医療に限られる。

 国民健康保険及び福祉障害課の担当者に相談した。特定疾病療養受療証で透析を受けている人が移植手術を受けると自動的に特定疾病療養受療証は失効する。移植によって病気が癒ったと結論づけられるのである。ところが術後、三箇月を経ずに移植した腎臓が落ちた場合、透析を受けるための特定疾病療養受療証はどうなるのか。
 担当者によれば、当然特定疾病療養受療証は再発行されるが、そのようなケースは想定されていない、と。わたしがなにを云いたいかというと、「移植によって腎不全が癒るもの」とみなさん勝手に思い込んでいるのである。移植が成功するしないにかかわらず、患者は人工透析に必ず戻る、戻らざるを得ないのである。腎不全は不可逆性の病だということをみなさん忘れている。一度罹ると腎臓が新しくなろうとどうなろうと関係なく病症は進行する。
 仮に移植した腎臓が二年間生着した場合、手術は大成功で、二年間その腎臓は生きたのである。そして三年目、彼のもしくは彼女の透析生活が再開されるのである。問われるのはこの生着年数であって、一年、二年といった著しくたわいもない論拠にわたしたちは振り回され躍らされている。もっとも、日本の場合は米国のそれとは違って生献腎である、それゆえ生着期間はさらに長く平均すると十年を超えているが。
 云いたいことは多くある。例えば、わたしの場合は拒否反応がひどいので予想される生着期間が二、三年と頗る短い。その短い生着期間のために、ドナーから生きた腎臓を奪ったのである。事前に分かっておれば移植手術を試みたろうか、との反省がつきまとう。重度の腎不全に罹った状態で新しい腎臓が起動する虚しさに思いを致すしかないのである。
 瀬戸口医師が手術前に腎移植はあくまでips細胞が完成するまでの過渡的な措置であると、仰有っていた意味がそこにある。勿論のことだが、すべての外科領域における治療は過渡的なものである。医学とは割り切れない、卓れて倫理的な問題に晒され続けている。この件は生涯に亙ってわたしのなかで反芻される。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月15日 17:04 | 固定ページリンク




縫合術  | 一考    

 皮膚の最表層は表皮とよばれる層状の上皮であり、その下にある真皮は主として丈夫な結合組織からなり、そのために皮膚は外力によって容易にちぎれなくなっている。真皮の下の皮下組織は主として脂肪組織からなり、栄養による変動を受けやすい。
 さて手術の際、真皮を縫合する、そして表皮に接着剤(ボンド)を用いる。縫合された部位は表皮に蔽われるため傷口の穢らわしさは隠蔽される。ひとによっては傷口が消えてしまうようなことすらあると聞く。科にもよるが、大旨十年ほどまえから伝搬普及した手術法だそうである。
 昔の縫合は非道かった。縫い合わせた左右に段差が生じ、あまつさえ肉片がぎざぎざにぶら下がり、女性は整形手術を繰り返すのが常だった。わたしの世代は肺結核が多く、かかる疵痕をしばしば目撃した。もっとも、わたしは元来この疵というのが好きで、逆に心身共に疵を持たない人間にはいささかの興味も抱かなかった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:17 | 固定ページリンク




無縁  | 一考    

 久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し、まったく肉が出てこないので安心して頂戴できる。今回は腎臓食でなく、端から心臓・高血圧食が用意された。別に血圧が高いわけでない。高血圧食がもっとも塩分が低いのである。前述したように、腎不全の進行が急である。なにがどうあろうとも、塩分を控えねばならぬ。
 今回の退院後は干物も遠慮せねばなるまい。透析時代を顧みて刹那の自由を楽しんだわけだが、それは消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」を意味したのだろうか。重痾に犯されたとき、選択や決断の自由と呼ばれるものはひどく形を変える。わたしが云うのは狼藉、濫吹といった専恣横暴でなく、無縁、公界、十楽など、共同体からの自由であり、遁走である。それはときとして人を卑屈にさせる。
 わたしは大体自由なるものをプラス思考で捉えたことがない、自由の語義は常にマイナス評価とともに訪れる。身寄りのない貧しさを意味する語、無縁は転じて親子・主従等の縁を積極的に切った自由な境地を示す語となり、私すなわち内証に対する公・世間を意味する公界は、私的な縁・保護を断ち切る自由を示す言葉として用いられる。そしてそれは同時に、無縁は極貧に、公界は苦界へ、らくは被差別民の名称ともなる。すなわち、本来自由であり遁走であったはずの概念が階級のそれへと、言い換えれば精神的荒廃へと転側する。階級闘争は難儀である、階級闘争は自己責任の転嫁を招き入れる。被害者が難なく加害者へ、加害者が被害者へと化け果せる。無知と貧困は仕置きの対象にこそなれ、決して同情の対象すなわち涙にはなりえない。
 散るを知らず、爛柯を聴き、共同体の蘭塔を守るは敗亡の輩。花は定まらない、花は揺れ動く、花は舞い散る。ひとは只管転側を繰り返すのみ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:11 | 固定ページリンク




抗体反応  | 一考    

 わたしと同じように拒否反応が顕れ、移植後入院する患者のはなしを聞いた。大量のメドロールによってぶくぶく太る人やクレアチニンの数値が収まらず、透析の止むなきに至った患者などさまざまである。
 移植はうまくゆけば6年、拙ければ三箇月の命である。いずれにせよ、透析に戻らねばならない。わたしの場合は前記したようにクレアチニンが1.6から下がらない。0.7まで下がっても、3年後に透析に至った例もある。今云えることは明年は透析からは免れるということ。従って、明年は北海道へ旅ができる、楽しんで来ようと思っている。
 拒否反応は事前にある程度の予測はつくが、やはり顕れてみないと分からない。私の場合も事前に予測できたが、ここまで強いとは思わなかったようである。それにしても、移植を済ませながら透析に戻るのは残念であろう。東葛クリニックでもそのような例を数多く聞かされてきたが、やはり事実だった。ただし、病院で聞いたところでは、薬の飲み忘れとか服用時間が厳守されなかったという患者の自己責任に帰する問題ばかりだった。しかし事実は少々違ってい、拒否反応による不可抗力が大方を占めていた。それはそうである。移植患者が命より大切な免疫抑制剤を飲み忘れるなど起こりえないからである。クリニックの医師は薬の大事を強調するためにあのようなはなしをしたのだと思う。
 そうした患者の無念が免疫抑制剤の今日をつくっていることを忘れてはならぬ。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 16:09 | 固定ページリンク




痼疾  | 一考    

 10月11日、クレアチニンが1.6へ。メドロールが効いてはいるが、クレアチニンはこれ以上はさがらぬ。今日からメドロールの点滴は中止、錠剤へ移行。体重は400グラムの減少。
 何度も書いてきたが、腎移植に於ける免疫抑制剤の処方に関して東京女子医大の右にでるところはない。それを信じて、東京女子医大の医師がいる戸田中央総合病院へ入院した。今回、術後三箇月目に発症した拒否反応への対策も早かった。これが遅れれば当然、腎臓は落ちていた。
 場数を踏んでいるだけあって、免疫抑制剤への知識が豊富で対応が的確である。ただ困ったこともある。戸田中央を離れられなくなったことである。移植者にとって、免疫抑制剤は生涯に亙って飲み続けなければならない薬である。いつ何時、拒否反応が起きるやもしれず、その心配が生涯つきまとう。拒否反応に止まらない、サイトメガロウイルスやカンジダ菌などの感染症の問題もある。移植とは一種の痼疾のようなものである。(10月11日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:59 | 固定ページリンク




体重減少へ転ず  | 一考    

 10月10日、クレアチニンが1.5へ下がる。1.2が理想値ではないが、1.2までもう一息。今週末になんらかの結果が見えるかも。今日もメドロールを47で落とす。
 現在68キロの体重を元通り60キロ以下に落とすことと、全身の震えを終熄させること。いまのところ、震えは非道いが、熱、下痢、浮腫、腫れはない。今朝は増え続けていた体重が一キロ減った。10日で8キロの増加ならやはり10日で減るだろう。血圧順風。尿も1.8、1.9リットルとコンスタンスに出ている。あとは利尿剤で体重を減らすのが最善。
 免疫抑制剤の影響だと思うのだが、震えがひどい、なんとかならんものか、と瀬戸口医師。この震えはさまざまな要素が加味されている。全身の筋肉の硬直、強張りにも大きな理由があって、肩の凝りを解すようなまたは全身を弛緩させるようなリラクゼーションは有効だと思う。早い話が、ウィスキーでも飲めば震えは止まると思うのだが。(10月10日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:56 | 固定ページリンク




三割負担  | 一考    

 9日はクレアチニンが1.75にまで下がる。尿酸値は28.3。体重は下がらないが、体調はまずまず。このまま1.3ぐらいにまで下がれば日曜日に一日外泊できるかも、と甘い考え。これからの一週間が正念場と医師から念を押される。
 今回の入院は通常の国民健康保険なので三割負担である。毎日、免疫抑制剤ステロイドのメドロールを血管注射で打っているが、これが錠剤の数十倍の濃度になる。当然値段も数十倍だと思われる。取敢えず、事務員に一週間分の概算を出すように依頼す。金曜日入院なので、木曜日までの概算で20万円ほど。ということは請求額は70万円ほど。仮に一週間の延長になっても40万円、想像していた額より少ないが、役所での手続きが必須。
 当然のことだが、金額の嵩の問題にあらず、病が癒るかどうかである。(10月9日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:55 | 固定ページリンク




槐安の夢  | 一考    

 元々の腎臓であろうが移植された腎臓であろうが同じことで、腎臓の病はことごとくが不可逆である。もっか移植腎の拒絶反応によって腎臓と抗体とが闘っているが、この闘いはまさに末期腎不全の進行そのものであって、闘いのあとは焼け野原となる。腎臓は片端から壊死し、罹災を免れた部位の機能のみが僅かに残される。
 月曜日の血液検査でクレアチニンがわずかに下がって2.2、はじめての朗報である。朗報とは云え、癒ったわけではなく、また癒るわけでもない。壊死する部分が多少なりとも減ったということに過ぎない。
 2.2で止まれば、2.2の腎機能しかあとに残らない。医師によれば1.7乃至1.6ぐらいまでの腎機能の復帰を希望するようだが、それは既に望むべくもない。
 抗体には二種あるそうだが、どのように異なるのか詳細は審らかにしない。この闘いはあと一週間ほどつづくのだそうである。数パーセントにせよ機能が残り、自炊生活が叶うのか、それとも緩慢に透析へ戻ることになるのか、それとも一気に人口透析に戻ることになるのか。医師によると、最後はなかろうが、徐々に透析へ戻る可能性はまだ残されている、と。いずれにせよ、透析時代と同じ水準の食事制限が間違いなくつづく、あとに残るのは荒漠たる腎臓のむくろ。
 如何に抗体とは申せ、新たな腎不全がここまで急速に悪化しようとは。移植腎を目前に、ドナーに対し済まなきことのみ多かりき。(10月8日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:52 | 固定ページリンク




戸田中央総合病院  | 一考    

 点滴が理由で体重が毎日1キロほど増える。それを利尿剤でもって300から500ほど落としている。ところが、この利尿剤、わたしには利糞剤として霊験あらたかなようである。もっとも、糞につられて尿も出るのだから利尿に違いはないのだが。
 クレアチニンは2.6、危険水域に張り付いたまま。体重は二次的なものなのでどうでもよく、本命のクレアチニンが下がってくれれば良いのだが。毎日の血液検査の結果が気に掛かる。
 巷は連休、同室の患者はみなさん外泊。わたしも外泊を申し込んだのだが却下され、外出ならと一時間の帰宅のみ認められた。

 戸田中央は民間病院で病棟は三棟。わたしが入院しているA棟は一階が救急とCTやMRIなどの重機が並び、二階が複数の手術室とICUで構成され、三階から七階までが病室になっている。四階が腎移植の患者専用だが、専用と云っても腎移植は月に二例のみ。
 ワンフロアに50床、A棟だけで250人の入院患者がいる。前回は満床だったが、今回は八、九割ほどの入り。主として腎移植と前立腺癌、心臓血管と脳外科の手術を執刀している。最新医療機器のダヴィンチを設置しているのだから愕かされる。確か、前立腺癌の手術入院が三日と聞いた。
 前回書いたが、C棟には胃瘻の患者が多く、ここはあまり通りたくない場所である。ちなみに、女房がドナーとして検査入院したのはB棟、心臓血管センターの病棟だが、もっとも豪華な部屋が設えられた棟だった。(10月7日)

追記
 9日には満床になった、賑やかな病院である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月11日 15:51 | 固定ページリンク




点滴つづき  | 一考    

 先日の小便の量は摂取量と見合ってい、1.5リットル。にもかかわらず、入院してから毎日1キロずつ体重が増加している。顔もぱんぱんに腫れ上がってきた、ムーンフェイスとはこのことか。丁度点滴分がそのまま体内に残されてゆく、しかしながら血圧は110の60と低いまま。そこのところの理屈が分からない、どうなっているのであろうか。クロアチニンは悪化の一途、身体が管理下から離れ、暴走をはじめたようである。免疫抑制剤の怖ろしさを知る。
 昨日は終日東風だった、おそらく今日も。熱を逃がすと書いたが、滅茶暑く感じる。窓を開けて夜風を取り込む。湿気を孕んでいるが、それが心地よく爽やかである。(10月7日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月07日 16:51 | 固定ページリンク




電気仕掛けの点滴  | 一考    

 今回の入院である。初日に痛いことは済ませ、6時間の絶対安静を経て21時半に解放された。尿管の挿入、点滴のライン取りなど若い看護師が失敗を繰り返し年増に変わる。わたしの血管は硬いので注射針では難儀する、小型の電気ドリルなら良かったろうに、と冗談。若い人はいたく恐縮している。それで良いのですよ、何事によらず最初から旨くは行きませんよ。
 入院前日のエコー検査では技師医師とも血流がよろしくないとの結論だった。しかし、連日の点滴が効を奏したか、血流はいたって順調。最短一週間の入院と告げられたが、それで無事に終わりそうである。ただし、生検の結果が出るのは二、三週間後。その時点で新たな入院があるやもしれず。
 日中の時間が惜しいのでリハビリテーションを受けることにした。荷物を持って歩くと5分もせずに右の股関節が痛くなる。かつての靱帯剥離骨折からあと、腎不全がひどくなってかまけていたもの。家でのリハビリでは体重以上の負荷は掛けられない。せめて2、300キロぐらいの負荷に堪えられるようになりたい。

追記
 クレアチニンが2,5にまで跳ね上がった。免疫抑制剤を中断し特殊な薬を用いるが、値が一回につき10万円を超えるようである。それでも抗癌剤のことを思えば安価なものだそうである。これから後、施すべき方策はふたつしかない、どちらも薬物治療で詳しく聞いたがなんのことやらさっぱり分からぬ。通常の国民健康保険は有効だが、校正医療の適用外という。病院側の過去の経験から推して退院時に全額は払わなくても良いといわれた。相応の額を覚悟しろといわれているようなものである。100万円はいくまいが、50万円は下るまい。

追記2
 熱を逃がすのが目的との理由で座薬を打つ。点滴に座薬ははじめての経験、加えるに心電図。副作用が激しいのだろうが、さすがに10万円超ともなると演出が細かくなる。一回目はネオファーゲンで落下速度は147。二回目の点滴は二本同時に、プリンべランの速度は43、リツキサンの速度は13(以降3時間おきに25、50と速度が変わる)。200ミリと250ミリのくせに終了までに要する時間は11時間。夜が明けてしまうではないか。(10月6日)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月07日 16:49 | 固定ページリンク




お知らせ  | ニャル子    

ですぺら掲示板に這いよるニャル子です。
一考氏は昨日から緊急入院、本日からお見舞い可能とのことです。
入院先は、以前と同じく埼玉の戸田中央病院となります。
期間は、予定では1週間ほどとのこと(まだ予断を許さないようですが……)。

以上、お知らせでした。


投稿者: ニャル子      日時: 2012年10月06日 14:59 | 固定ページリンク




死ぬであろう日  | 一考    

 かつての大量輸血の際も死ぬとは思わなかった。素人意見だからどうなるかは分からない。しかし、死ぬときは事前にそれとなく悟るのでないかと思う。それにしても、死を近しく感じるようになった、と云うより思いを致すのは死のことばかり。
 先日、身の周りを一新と書いた。わたしは有終とはまったく縁がない。縁がないがゆえの一新である。憂愁、優柔、薄弱とは昵むが決して恰好の良いものではない。あくまで冗談で生きてきた。
 移植者のうち拒否反応に罹るのは50パーセント、内95パーセントが治療により恢復するという。戸田中央の瀬戸口医師はそちらの名医、95パーセントにわたしも是非入れていただこう。
 「何とかしてよ、予定が立たないのです」とわたし。「なんとかしてほしいのはこちら、入院の遣り繰りがつかない」「あなたの身体でしょ、責任とって」と医師、冗談を飛ばすところに余裕があると信じたい。さて、生きるも冗談、死ぬも冗談、どちらに顛んだところで糞の上。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月05日 04:47 | 固定ページリンク




ブナハーブン  | 一考    

 エクスクルーシヴ・カスクからニューボトルが頒布された。ブレイヴァル、アルタナベーン、グレン・スペイ、ブナハーブンの四種。面白いのはすべてのフィニッシュがペドロヒメネスである。
 ウィスキーについて書こうと思ったのは、つい先頃ラフロイグのトリプルウッドが終売になってペドロヒメネスに変わると当掲示板で中村さんが書かれていたからである。
 ペドロヒメネスをフィニッシュに用いたウィスキーで旨いと思ったボトルがない。例えばラガヴーリンのダブルマチュアードがペドロヒメネスである。
 今回のボトルは前記三点が不味い。ブレイヴァルは好きなウィスキーなのだが、リッチなシロップ漬けレーズンのアフターはデザートワインを思わせて興ざめである。ただし、ブナハーブンは成功している。1991年の蒸留、21年、52.8度、7250円のお薦め。スモークでとてもオイリー、重厚な焚き火の味わいがペドロヒメネスを跳ね返している。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月05日 01:57 | 固定ページリンク




再入院  | 一考    

 今日医師から即刻入院を命じられた。クロアチニンが1.98にまで上がり、移植した腎臓が拒否反応を示している。このままだと確実に落ちる、透析に逆戻りである。
 生検が今日は出来ないので、入院は明日の早朝、従って今日は朝から晩まで点滴の繰り返し。
 このところ身の周りを一新。車も新しくなったので、パソコンも新しくしようとオークションで註文中。註文だけしてほったらかしでは何もかもがうまくゆかない。相手にわたしの病気は関係ないからである。よって女房に無理を云って上京してもらうことにする。ただし、彼女にパソコンが触れるかどうかが問題だが。
 医師にオークションの話をするも、命とどちらが大切かと一蹴される。仮に腎臓が落ちたにせよ、命だけは救わねばならない、と。余程深刻な状態のようである。わたしは折角くっついた下腹をまた開けるのかと思うとうんざりである。入院は明日だが、退院が何時になるかは分からない。予定を一切立てずに入院してほしいとの医師の命令である。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月04日 20:58 | 固定ページリンク




尺鰺  | 一考    

 塩の関係で長く食べられなかった干物を食している。秋刀魚、鯵、鰈、飛び魚、金目、キンキなどである。種村さんが相模湾と駿河湾の鰺の干物の味の違いを述べておられた。血液検査の度に薬の内容量が変わるので一泊か二泊しかできないが、伊豆半島ならいつでも出掛けられる。伊豆半島に止まらない、外房なら干物でなく刺身だが、尺鰺は有名。なめろう(別名沖なます)は房総半島沿岸部一帯に伝わる郷土料理。拙宅からならこちらの方が利便。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月03日 03:26 | 固定ページリンク




ひかりTV  | 一考    

 先日、有線テレビについて書いた。今日はNTTの連結会社から電話があって、ひかりTVなら2625円のコースにヒストリーチャンネルが這入っているそうな。有線テレビより2000円ほど廉い。もっとも、チューナーその他のレンタル費用が加算されるのだが。
 どうでも良いことだが、最大二箇月は視聴料が只らしい。いずれ免疫抑制剤の量が落ち着けば、神戸もしくは明石へ引っ越すしかないと思っている。それまでのお遊びにひかりTVを繋いでみようかと。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月03日 03:23 | 固定ページリンク




ダマスカス鋼  |   一考

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 英国のナイフ職人Mr MAAN'Sのハンドメイドナイフシリーズの一本。ダマスカス鋼で造られたフォールディングナイフである。ダマスカス鋼は異種の鋼材を折り返し鍛接された木目状の模様を持つ鋼のこと。積層されたブレードは優美な波模様に仕上げられる、職人の腕の見せどころか。
 特にナイフに興味があったわけでない。ただ、ナイフとして使用するに躊躇するほどの仕上がりである。ブレードに限らず、ハンドル部のボルスターにもダマスカス鋼が用いられている。ゴールド真鍮とスタッグホーンで彩られたハンドル材が木目の模様とよく似合う。


投稿者:   一考  日時: 2012年10月03日 00:36 | 固定ページリンク




領有権  | 一考    

 中国の外相が国連で敗戦国との言葉を四度繰り返していた。中韓にとって日本は敗戦国というのが歴史的事実なのである。今般の領土問題に対するわが国の態度は戦勝国に対するそれとして著しく不敬だというのが彼等の本心である。領土問題に限らない、戦後処理の問題は彼等にとってなにひとつ終わっていない。
 いずれにせよ、尖閣や竹島の領有権で戦後処理の問題が浮かびあがってきた。これから長い長い我慢比べがはじまる。
 わが国は経済のことを大言する。経団連の米倉会長は戦後最悪の会長だと思うが、尖閣諸島が日本の領土でない可能性を含めた発言をして波紋を広げている。他方、野田首相の支持率が跳ね上がっている。その上がり方は日本人の屈折したナショナリズムを示唆している。
 わたしは経済を二の次に置く国があってもよいと思う。別に中国がそうだといっているのでないが、わが国は経済のためなら信じるところを曲折させてきた。このような国は一度経済を離れて局地的な戦争を経験すべきと思うのだが。
 ウスリー川の中州、ダマンスキー島(中国語名は珍宝島)の領有権を巡って軍事衝突が発生したのが1969年、尖閣問題は日本側が対応を一歩間違えると同様の紛争をもたらす。もっとも、自衛隊員が射殺されようが、自衛艦が沈没させられようが、反撃の根拠になる法体系がなにもない。国内法を整えるに半年以上はかかる、その間中国海軍のミサイルを相手に海上保安庁が機銃だけで持ちこたえるしかないのだが。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月01日 12:44 | 固定ページリンク




大動脈瘤  | 一考    

 移植で入院した折、ドナーも共に精密検査をした。その検査によって大きな動脈瘤が見付かった。直径はゆうに三センチは超えている。おそらく四センチ近いのではないだろうか。
 動脈瘤とは動脈が局部的に拡張膨隆し、嚢状、紡錘状、円柱状を呈する疾患。動脈硬化症、動脈炎、外傷などによって起るほか、先天性のものもある。彼女は動脈硬化症が理由の嚢状大動脈瘤だそうである。周囲を圧迫して呼吸困難,嚥下障害,胸痛を起こし、穿孔すると即死する。年内の手術を医師は勧めていたが、どうなったのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月01日 00:25 | 固定ページリンク




LBP3300  | 一考    

 先日、車庫証明を取るに際し、配置図は書くにしても拙宅の周辺地図はパソコンからのプリントアウトで間に合わせていた。ところがプリンタが壊れて久しい。東京へ引っ越して最初に購入したのがキャノンのレーザープリンタだった。ですぺらのカタログから案内状、葉書に至るまで随分と役に立った。
 プリンタがなくなってことの大事に気づかされた。プリンタがなければどうにもならない、それもモノクロのレーザープリンタが必要である。かつOS9と10.4.11で動き、古いが新品に近いもの。いろいろ調べてCanon Satera LBP3300を見付けた。2011年12月購入、三箇月の短期レンタル品である。
 大きく重いのが玉に瑕だが、この際なにも云わない。問題は値段である。3300だとトナーも2500円ほどで入手可能。到着を心待ちにしている。


投稿者: 一考      日時: 2012年09月30日 12:29 | 固定ページリンク




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