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抽象性   一考   

 

 「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。
 文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。
 その辺りの消息を分かり易くいえば、一般という形での読者など想定しようがない、である。多数がなにを考えているか知り得ようはずがないのだから、不特定多数の読み手を想い描かれないのは当然の結果である。
 従って、書き手は特定の読者を想定する。あのひとならどのように解釈してくれるだろうか、の類いである。私が文章を著すときに想定する読み手の半数は既に亡くなられている。そして、故人であろうがなかろうが、親しくなければ相手の「思考の脈絡」は窺い知られない。相手の思考回路が分からなければ、基準値の算定はかなわない。
 さらに言えば、私が書く文章はことごとくが、特定の個人を意識して書かれている。そして意識の対象は読み手としての個人であって、その個人のことを必ずしも書いているのではない。文章の意味内容が個に拘泥するのを私は好まない。抽象性を加味しないと、アナロジーが有効に働かないからである。
 以上は詰らない書き込みである。しかし、このような形での読書論なら五十枚ぐらいは易い、どなたか新機軸の読書論をお書きいただけないだろうか。


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2007年06月21日 15:02に投稿された記事のページです。

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