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OHのこと   一考   

 

 ヴィヨンの時代の白馬亭や松笠亭(記憶定かならず、調べたい方はシュオッブかシャンピオンをどうぞ)にはじまって現在に至るまで、文学を語るとは取りも直さず飲み屋の歴史を繙くことに他ならない。そして歌舞伎町(ゴールデン街は一丁目一番地)や新宿二丁目にもそういった飲み屋は多くある。その二丁目の新千鳥街に大野さんが営むOHがあった。
 須永さんに連れられて行ったのが最初である。74年か75年のことと記憶する。五、六人しか入られない小さな店で、トイレへ行くには入り口の客は起立を余儀なくされた。当時のゲイバーの常で店内はほとんど暗闇に近く、カウンターの奥には天井に届けとばかりに大層な花が日々途切れることなく飾られていた。
 上京の折には必ずといってよいほど、ゴールデン街の文庫屋かOHへ入浸っていた。そして音楽に聞き惚れるのはOHだった。大野さんから薦められた金子由香利の「初めまして」と「めぐり逢い」のLPはいまも大切に置いている。もっとも、聴くための設備をいまのわたしは持っていないが。子供の頃から福原のタミーへ出入りしていたのでゲイバーは好きである。ゲイというよりは大野さんの人柄に惹かれての日参だった。
 須永さんの出版記念の会を西ノ宮の割烹で催したことがあった。OHの常連客を中心に十名ほどが神戸へ集結した。上京中のわたしは大野さんと一緒に神戸へ向かった。新幹線のなかで「あちらから来る毛むくじゃらねえ、あれもゲイなのよ、嫌ねえ」と他人事のように笑う。本人はどこから見ても集金人としか思われない小さな革鞄を持ってちょこなんと座っている。ちょっとしたオネェ言葉と物腰のやわらかさに彼が舐めてきたであろう辛酸が仄見える。
 会がはじまってまなし、コーベブックスの北風さんの登場となった。それまでオネェ言葉の氾濫だったのが、大野さんの「いまからエライひとが来るのだから、今日は男っぽくいきましょう」のひとことに全員が「オー」と応える。なるほど屋号のOHはこのためのOHだったのかと勝手に合点する。而るに男っぽいのはわずかに十分ほど、あとはもうハチャメチャである。神戸のゲイバーには精通しているつもりだったが、さすが現役のオネェさん達、あとは大阪や神戸のゲイバーや六甲山ホテルへと散って行った。
 OHへ同伴したのは山中さんと大泉さん、そして稲葉真弓さん、ふたりの編輯者とひとりの詩人だった。2002年12月16日のですぺら掲示板1.0で書いた「稲葉真弓さんのことなど」に出てくる「ストッキングを脱い」だ店とはOHのことだった。
 銀行員だった大野さんは会社をやめてゲイバーをはじめた。しかし、それは好きではじめたのだろうか。当時のマイノリティが置かれていた環境は決して生やさしいものではなかった。わたしは自己責任とか選択という概念を信じない。おそらくOHを営むしかない状況に追いやられたのだと思っている。大野さんが死ぬ日まで店はつづけられた。それが彼の悲しみであり人生だったと、それは大野さんの伴侶だった小石川さんにしか言えないことである。


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2009年05月28日 04:26に投稿された記事のページです。

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