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リハビリテーション   一考   

 

 「残存機能」で「今回の入院でリハビリテーションの世話になったが、こちらは残存機能の鬩ぎあいだった。患者はわたしを含めて一人残らず障害者で、最初は目のやり場に困った」と書いたが、この機能は足がないとか手がないといった単純な問題を示唆しているのでない。脳の損傷による機能不全は個体によってまったく異なり、瞽、唖、聾などという既存の概念で括るわけにはいかない。のんちさんの云う「大学で学んだものは、ほとんど現場では活用できない」との理由はそこにある。学校教育の限界は概念から離れられないところにある。もっとも、概念を教えるのが大学教育ゆえ、どうにもならないが。
 俗に心身と云うが、心と身が別々に存在するわけでなく、どこまでが心でどこからが身か、曖昧の海のなかへ打っ遣られたままである。ひとは常に有機体である。ひとつの有機体のなかに心があり、身があって綱を引き合うと同時に補完しあっている。身体であろうが、躯であろうが、躰であろうが、名辞はなんでも良い。要はひとは統一体だということである。
 光を音を失ったからと云って光や音との縁が切れるわけでない。音を失った作曲家をわれわれは知っている。要するに失われた機能を補完する新しい機能が生まれることがある。それは既知の機能でなく、まったく新たな機能である。そうした機能を引きずり出すための切っ掛け作りがリハビリテーションでないだろうか。あらたな機能の手がかりや機会、もしくはその原因や動機を究明するための学問でないだろうか。
 繰り返すが、リハビリテーションとは残存機能の確認でなく、失われた機能の復元でもない。復元できる機能もあるが、一度失われた機能は基本元には戻らない。そうではなく、新たな能力の模索であり、加えられるであろう新たな機能の探索にリハビリテーションの真骨頂がある。


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2012年12月07日 14:35に投稿された記事のページです。

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