二人連れ来店、這入ってくるなりランチの話をしている。安いランチを探しているらしく、五百円からはじまって四百円、三百円、それ以下のランチへと話は進む。五十円のランチがあっても一向にかまわないのだが、聴けば聴くほどに中身というか内容の話がなにひとつ聞こえてこない。維新号(もっとも高価なディナーは六万円)や天一のディナーが五千円になるのなら安いだろうが、三百円で儲かる設定になっているものを値付けだけで安いとは云えない。中身と値段は相対的なもので、中身を切り捨てて値だけを問うのなら、ですぺらは切り捨てられなければならない。随分と前のはなしだが、余市を置いた。あれはですぺらの原価計算なら一杯三百円になるが、当店は安売りが目的の店ではないので、以降余市は置いていない。バランタイン、シーバス、カティーサーク、ジョニー・ウォーカーもしくはアーリータイムズ、フォアローゼスなどの売価は二百円にも満たない。千円ウィスキーを三、四十種類ほど置いて全品百九十円の方が儲かるかもしれないが、そのような店の営業は蒙御免。
ホワイエのマスターが屡々来られるが、知己がカクテル百九十円の店をはじめたらしく、大層混雑していると聞かされた。そのホワイエはカクテルを止めてモルトウィスキー一本に営業方針を改めたいといっておられた。こういう不景気なときこそ原点を大事にしたいともおっしゃっていた。それにしても、赤坂に相応しい十の店について話し合ったが、その内の数店はすでに閉店している。老夫婦が営まれるジョーク(未だに真空管のアンプを使っている)などは何時までも残ってほしい店なのだが。
さて、件の二人連れが帰ったあと、愕いた。ですぺらのカウンターは大谷石なので、小さな穴が無数にあいている。その穴へお絞りをちぎって埋めていたのである。爪楊枝で穿って元に戻したが、カミュの「シーシュポスの神話」を思い起こした。吝い部下を持つ上司の溜息が聞こえてくるようである。