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認知症   一考   

 

 わたしがいる病棟にも認知症患者が入院している。上品そうな老女なのだが、昼夜の別なく叫んでいる。「ヘルパーさん、来てください、お願いです」「ヘルパーさん、助けてください」「食事をしておりません、誰か食べさせてください」「ごはん、ごはん、ごはん」7種類ほどの文言の繰り返し、張りのある明瞭な発音である。彼女は自力での食事はかなわない、従って発言は悉くが食事とその介助を求めるもの。要するに終日、飯はまだかと叫び続けているのである。
 認知症には一過性と完結型とがあって彼女は典型的な完結型である。完結型だとコミュニケーションがまったく取られない。看護師はあの手この手と考えている。昨日は静かだったが、睡眠薬が効いたらしい。その薬がまた効くとは限らない。
 一過性の認知症患者を同室させるのは有効である。一種の気取りのようなものが生じるのか、かなり温和しくなる。重症患者が同室したが、こちらは重症ゆえの無反応。そうすると彼女は朝病棟に電気が灯る6時から食事が出る8時まで、重症患者を一顧だにせず、寸暇を惜しんで「ごはん、ごはん」と叫んでいた。
 完結型であっても、環境に対しては敏感に反応する。この反応、意識の変化に興味を持たされる。わたしは医者ではないのでよく分からないが、「意識の変化」の底流に流れる大きな無意識を治療に利用できないものか。人はもともと無意識のかたまりのような存在だし、意識などというものは表層のごく一部にしか過ぎず、それ自身客観的な実在性をもたない一種の仮象に過ぎない。健常者はどうも意識を過信しすぎるきらいがある。本来、基軸や中軸を持たない意識は揺れ動き、常に変化しつづける。言い換えれば、認知症そのものが治療を要する病気かどうかきわめて猜疑わしいと思っている。

 それにしても愕くのは男女を問わず、ベッドから動かれなくなった患者もしくは自力で食事が摂られなくなった患者の食欲への執着である。食事の時間が近づくと催促し、出たものは一切残さない。結果、看護師には大量の糞尿の片づけが待っている。その糞尿の山を前に病院とはなにかを思う。

追記
 今朝、老女が元いた施設へ戻った。彼女に訪人(まれびと)は絶えてなかった。と云うことは、身辺を気にかける者が居ないと云うこと。にもかかわらず、彼女の日常生活は続く。病院は静かになったが、施設での彼女の無意識(埋没する自己なのか、それとも解放された自己なのか)の徘徊はつづく。


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2013年03月26日 02:28に投稿された記事のページです。

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