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「ノミトビヒヨシマルの独言」   一考   

 

 わたしの父は五度召集令状を受けている。新潟県人なので行き先は五度(たび)満州である。二等兵からの従軍なので、招集の度に階級が上がり、終戦は曹長で向かえている。要は青春のすべてを満州で過ごしたのである。父が死んだ折、いくつかの従軍記章とともに勲章が出てきた。このようなものを置いていたと云うのがわたしには不思議だった。扇動され、動員され、そして裏切られ、国家の表象とでも云うべき勲章にどのような思いを抱いていたのか。戦地のはなしならいざ知らず、戦争について父が語ることは絶えてなかった。
 震災の日、季村敏夫さんから詩集が送られてきた。題して「ノミトビヒヨシマルの独言」(書肆山田)。文中「海峡にさしかかった瞬間、外地の記憶は貨物船から棄てました」とあって、眼が釘づけになった。重いテーマの詩集である。昭和二十一年四月、アビの捕虜収容所を出て復員した彼の父への思慕と同地へ救い出しに行かざるを得なかった子息を綴った詩集である。巻頭ふたつめに「生かされる場所」と題された詩がある。

 ふしぎ、である
 わたしが、父であり
 おまえが、息子であること
 父であるわたしが
 息子でもあることに

 待つ、待たされる
 子であり、母であるひとが
 家のなかでうなだれる

 波の火につつまれる

 うごめきのなかの
 おまえを包む精霊
 王である父とその息の子が
 救出に向かって
 波の火をくぐったこと

 生まれる前
 おまえもわたしも
 ひかりであったこと

 大地にたたきつけられ
 父たることを知り
 子であることを知らされ
 ともに立ちあがったことが
 ふしぎ、である

 遠ざかっているのに
 森の精霊にいざなわれ
 ざわめきのなかの声を感じとれるのが
 ふしぎ、である

 おまえとわたしが死んでも
 森や波は動きをとめないだろうことが
 ふしぎ、である

 わたしの父が息の子であったころ
 茸採りをして歓声をあげたこと

 その歓声が北ボルネオの森からよみがえり
 孫であるおまえを救出したこと

 息を吹き
 息を吹きかけ
 手をたずさえ
 起きあがって歩むことが
 ひとつの災厄からもたらされたこと

 炎の森を
 三人の木霊がしずくとなり
 火の玉となって転がったこと

 三つ巴になった三叉路から
 野犬が飛び出し
 ことばが目覚めたこと
 
 ふしぎ、である

 昔、澁澤氏からその書冊がすぐれているかどうかは腰巻きに使えるような名文章が這入っているかどうかだと、聞かされたことがある。そのような観点で「ノミトビヒヨシマルの独言」を読むことはできない。できないと云うよりも意味をなさない。名文句などと伺う前に、なぜ詩を書くのか、なぜ詩であらねばならぬのかとの問いかけでこの詩集は充ちている。どの頁を繙いても季村敏夫という詩人の肉声が蠢いている。巧い下手を口にする前に、わたしは季村敏夫のルサンチマンに圧倒される。
 一読すると、未整理にして乱雑な詩の羅列にしか思われない、ところが熟読すればひとつひとつの詩語が常に置換可能であり、実に注意深く並置されているのが分かる。わが国にあっては非常に珍しい詩形である。彼はこのような手法をどこで学んだのであろうか。
 「ノミトビヒヨシマルの独言」は一般受けする詩集でない。詩集で一般受けもないものだが、通常は読者を想定する。この読者設定は作品をより普遍化する。普遍化とは、作品を分かり易くすることである。しかるに季村敏夫の姿勢は一貫して読者不在である。おそらく、読者とは彼にあっては内に秘めた憤りそのものであって、憤りが憤りを伴って際限なく分裂してゆく。一種の怒りの細胞分裂である。
 このように書くと怒髪衝冠を思い浮かべるかもしれないが、ご当人は牧師のごとく温厚にして柔和な性格の持ち主である、脆弱ですらある。だからこそ、ルサンチマンが際立つ。自身の無力を痛感し、自身の能動性を受容し、弱者の憤りや怨恨、憎悪が繰り返し詳述される。言い換えれば、弁証法的止揚とか批判的活動を廃し、ルサンチマンを肯定的かつ反弁証法的に再生しつづける。現在では絶えて見ることがかなわなくなったタイプの詩人である。
 彼の詩から「独言」が消えることはあるまい。彼はそれでよいと思っているに違いない。止揚という概念が顕れたとき、それは季村敏夫が季村敏夫でなくなるときである。彼は自らと闘いつづけるが、他人と諍うことは絶えてない。自虐的なまでの彼の姿勢にわたしは並列共存の思想を視る。それを被虐と名辞しようが、倒錯と名辞しようが一向に構わない。そして、彼にあっては顔と言葉が相似形を成す。そこには掛け値もなければ、自負のような選民意識もない。多くの詩人が持つ酔いや陶酔ともっとも遠いところに彼は存在する。
 さまざまな詩があってよい、あるべきである。そのことを彼は彼の詩作でもって証明してきた。もっとも新しくかつ難儀な精神のひとつの有り様を彼は審らかにする。転蓬の憂えを身に纏ったわたしが愛する詩人である。


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2011年01月27日 21:23に投稿された記事のページです。

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