今回の入院に際し、実に多くの方のご好意に甘えた。いくら感謝しても感謝しつくせるものではない。と同時に、いささか困惑させられるようなメールも頂戴した。
腎不全になったからと云って、同情を買うつもりはなく、嘆き節を書いているつもりもなく、もし左様読まれたとするなら、わたしの文章が拙かったというだけのこと。ことごとくは私事であって、私事に興味をお持ちでない方が当掲示板を繙くことはなかろう。ですぺらの常連さんにあっても、いつも詰らないことばかり書いている、と忠告してくださる方の幾人かはいらっしゃる。
わたしがあと一年生きようと十年生きようと、そのような瑣末なことはどうでもよく、ひとの存在は新陳代謝だと常日頃から書いている。為合せ、不為合せといった問題も他人のことであればこそ同情もするが、我が身のことなら論外。金が失くなることも、命が劃られることも、あるがままに受け容れるしかないと心得ている。繰り返すが、透析を受けて生きのびようと、拒否して死のうと、かかる世俗への配慮はどうでもよいことなのである。
これからどう振る舞うかはとうに決めている。そしてそれを決めるのは私いちにんのみ。それまでの個の搖れもしくは搖れと思しきものを書き綴っているのであって、明瞭な概念にはいささかの興味も未練もない。