水元公園の蘭鋳である。三十年前なら二十万円はする金魚、今なら幾らぐらいするのかわたしには分からない。やや小振りなのが難点だが、尾が太く真っ直ぐで親として用いるに最適、見惚れる蘭鋳である。金魚の守護神はユイスマンスとプルースト。
水元公園、みさと公園はどこにいても水の音が聞こえる。シラカバ、ニセカンバ、ミズナラ等、木々の命の音をはじめて聞いたのは北海道のキャンプ場だった。地中深くから水を吸い上げるゴーッ、ゴーという音ほど逞しくはないが、人間のお腹からはとろとろもしくはぽくぽくと水の流れる音がする。このぽくぽくはわたしが手にした聴診器であって、機器が変われば音も変わるのかも知れない。
ひとの身体はとんでもないざわめきを秘めている。このざわめきを音楽にしたアバンギャルドな表現者もいたが、ざわめきを言葉に綴った鏡花やプルーストのような作家もいる。間違いなくラルボーも同種の書き手であろう。プルーストが「失われた時を求めて」に着手したのは09年秋、翌年、騒音や外気を遮断するために部屋をコルク張りにする。遮断によってざわめきは醇化され、さらに明瞭な形を取ったに違いない。
高遠弘美さんの「スワン家のほうへ2」が上梓された。プルーストは岩波書店からも刊されているが、読むべきは光文社の高遠訳。ざわめきと静謐さとの鬩ぎ合い、プルーストの息遣いが聞こえてくる歴史に残る名訳である。