https://www.asahi.com/articles/ASKDF0Q9FKDDUHBI03Z.html
以下に全文を掲載しておく。欧州では後期高齢者になると、医療行為は中止される。胃瘻などは法律で禁じられている。透析治療も中止される。透析治療が中止された場合の余命は長くて1週間である。黙して死を迎えるのである。高齢者医療の負担軽減が理由である。わが国ならどうなるのであろうか。
「死ぬ前にもう一度、母の味を」 最後の食事をゲストに
中世の町並みが色濃く残るドイツ南西のエスリンゲン。料理人のイェルク・イルツヘーファーさん(48)は月に3回、町外れのホスピスを訪れる。入所者の希望にかなった食事を作るためだ。平均の余命はわずか2週間。「最後の食事の料理人」と呼ばれる。
イルツヘーファーさんは昨年11月末、経営する料理学校兼レストランで、この日に届けるメニューの下ごしらえに精を出していた。タマネギをじっくりと炒めて味付けしたローストオニオン、パンをこねてつくる団子のクネーデル、牛のモツ煮スープ。要望が多いのは地元のシンプルな郷土料理だ。
「子どものころ、お母さんやおばあちゃんが作ってくれた料理。幸せだったころを思い出す、という人が多い」という。
味付けは濃いめにしている。味覚が衰えている人が多いからだ。中には、料理を食べられず、香りだけで満足する人もいる。だから、色合いや盛りつけにも細心の注意を払う。
イルツヘーファーさんは地元の料理学校を出た後、外国での修業を経て、エスリンゲンの西隣のシュツットガルトにある星付きレストランで職を得た。評判が伝わり、20代でバイロイト音楽祭の料理を担当。ワーグナー家主催のパーティーで腕をふるった。
自慢の一品は、オマールエビを使った具材をパスタの生地で包んだマウルタッシェと呼ばれる郷土料理だ。多くの人から称賛を浴び、「わくわくしたし、光栄でした」。でも、何かが足りなかった。
ログイン前の続き8年前、地元のエスリンゲンに戻って小さな料理学校を始めた。料理を作る楽しみを多くの人と分かち合いたかったからだ。
ある日、皿洗いのアルバイトにきていた女性が悲しそうな顔で洗い場に立っていた。事情を聴くと、昼間に介護スタッフとして働くホスピスで、担当する患者が「死ぬ前にもう一度、母が作ってくれたローストオニオンのにおいをかぎたい」と言い残したまま、亡くなったのだという。
自分ならすぐかなえることができたのに。迷わずホスピスに電話し、ボランティアとして活動を始めた。
2時間ほどかけて料理の下ごしらえを終えると、専用の入れ物に詰め替え、車でホスピスに向かった。
入所者は「ゲスト」と呼ばれる。前々日に1人が亡くなり、この日のゲストは6人。いつもは何人かで食卓を囲むが、6人とも体調がすぐれず、個室にこもっての食事となった。調理台で温め直し、ケーキ皿ほどの小皿に丁寧に盛った。
傍らで、編み物をしながら入所者の付き添いのモニカ・ランベルトさん(54)が盛りつけを待っていた。2年前、夫のゲルト・ベフェルカーさん(58)に脳腫瘍(しゅよう)が見つかった。手術を受けて自宅療養を続けてきたが、2週間前にここに来た。元気なころ、ランベルトさんが苦手なレバーの料理が大好きだったという。
夫がイルツヘーファーさんの料理を味わうのは、今回が初めてだ。メインディッシュは、細かく刻んだ子牛の肉に特製ソースをかけた一品。半身がまひしているため、ランベルトさんが個室まで運んだ。
背中を見送り、イルツヘーファーさんは言った。
「死にゆく者への思いと、彼らから受け取る感謝の気持ち。そこにあるのは、料理を超えた感情のつながりなんです」
キリスト教会が関与することの多いホスピスは、ドイツ人にとって身近な存在だ。ドイツも、日本やイタリアに次ぐ高齢化率で、ホスピスも増えつつある。身よりの少ない自分が将来、ホスピスに入ったとき、同じようなことをしてくれる料理人がいてくれれば、とも思う。
約30分後、空いた小皿を手にしたランベルトさんが部屋から出てきて駆け寄った。「おいしい、おいしいと全部平らげていました。生きている喜びをまたひとつ味わうことができたって。どうもありがとう」
イルツヘーファーさんにもまた、ひとつ幸せが増えた。(エスリンゲン=高野弦)