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連休   一考   

 

 初日は野暮用があって酒は飲まれず、二日目からは飲んだくれの休みを過ごした。菊正のピンとサントリーのジョッキ生黒を片手に、タラの芽のてんぷら、イカスミで味付けした鯣、干鰈、白鰈の煮付け、鰤の照り焼き、磯平目のムニエル、縄で縛り上げたちょいと痩身のときしらず等々を食した。ときしらずが網タイツでも履いていれば少しは艶っぽいのだが、まさか荒巻が黒い下着を身につけていれば、消化不良はおろか下痢腹痛で悶絶するに違いない。そこは無難に妄想でおぎなって済ませるのが酒肴の常である。
 私の歳になってくると現実の接触も妄想もさしたる差違はなくなってくる。それを私に教えたのは某師匠である。書いてみただけで、私は師を持たない。持つ必要を覚えないし、私のようなやんちゃを弟子に迎えるような物好きもいまい。冗談半分に某さんを師と呼んでみたのだが、先方はそのようなことはお見通しであって動じる気配すらみせない。「弟子なんざあ一人もいないし持ちたくもない」とのご意見を傍らに、以降、調子に乗って人前では先生などと宣うことになった。
 この先生、実ははとんでもない筋金入りの変態で、彼と知り合ってからはホモもレズもSMも、私にとって特別な性癖でも存在でもなくなり、そこいらの軟弱な変態を日陰者ということすら憚られるに至った。とは言え、その生態、要するに性態をこと細やかに述べ立てる気はまったくない。
 某さんとはSさんの紹介で出遇ったのだが、「あんた、なに見てんのよ」と声を掛けられたときの返答はひとつ、「月並なものを見ているんです」でしかない。もっとも、これでは某さんのモノが月並と受け取られかねない。温泉へ同道しているので、体躯に合わないいみじき尤物であることは先刻承知。月並と言ったのは前者の体躯である。そして、ひとから月並と言われて血相をかえるような柔な某さんではない。弁証法などといった青ざめ乾枯した殻はとっくの昔に脱ぎ捨てている。
 はじめてお会いした四十年ほど前、ひとのなかには変わる部分と変わらない部分があって、性愛に対する偏倚はもっとも変わらない部分ではないかと述べたことがある。変わらないことの月並さを強調したかったのだが、件の先生は「そうかねえ」のひとこと。なにを話してもその為体で、一向に噛み合わない。思うに、変わるものと変わらないものとの比較ないしは対置しようとする作法がお気に召さなかったようである。強調しておきたいが、先生は往時三十五歳、すでに二元論における相互の還元不可能性を訝しく思われていた。
 その後ほどなく、先生が性、ただし現実の接触としての性を棄ててしまったことを知った。変わらないと思うのなら、それを丸ごと捨てちゃえばどうなるの。持ち続けなければ死んじゃうようなものだったら死ねばいい。なにを捨てようが拾おうが、そんなことは生死にはなんのかかわりもない。どうでもよいことに拘る君の真意は奈辺にあんのかねえ、との問い掛けだったのかもしれない。
 はなしは簡明だが、ここにはさまざまな仕掛けが垣間見られる。以降、先年の先生の死までお付き合いは続くのだが、マゾヒズムにかんする語語は情を含んで心胆を感ぜしめた。マゾヒズムは受容性に富むものだが、その未分化な原基はパーソナリティの否定にある。もしくは、パーソナリティの否定は受容性に富むものだが、その未分化な原基はマゾヒズムにある。
 さて、連休のあいだに起こった、あるいは起こらなかったさまざまなことに対する私の意見は以上である。繰り返すが、某さんも私もマゾヒストである。しかしながら、我等は風俗としてのマゾヒズムには一顧も与えない。


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2007年05月09日 02:31に投稿された記事のページです。

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