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忘れ物   一考   

 

 「アンダーグラウンド」から意図して数問端折った。なかには「原田芳雄のように脚が長ければどうしたのか」というのがあって、これは応える必要のない愚問である。「君を事前に知っていたので、鈴木清順にも原田芳雄にも驚かなかった」は質問にならない。しかし、原田さんと比されたのは光栄である。
 「原田が中砂を演じ、以後十年間役者としての自分を見失った」こととアナーキズムとの関連についての質問があった。原田さんの述懐を私は額面通り信じていないし、そのことと彼のニヒルなキャラクターもしくは清順のアナーキズムとはまったく関係がない。いずれにせよ、彼の仕事は演技にせよ唄にせよ社会とかかわるためのリハビリテーションみたいなもので、五体満足な健常者や自らに充足しているひとには理解しづらい。人を欺くのが芝居の本質だが、原田さんのような役者はいつも自らに欺かれている。自意識というよりは我が強すぎてのアナーキー(デタラメの意、アナーキズムとは異なる)である。
 先日、清順の「けんかえれじい」「殺しの烙印」や吉田喜重の「エロス+虐殺」のはなしをしていて相澤さんから拒否されてしまったが、私は彼等の映画を観ていると血が騒ぐ、とてもじゃないがシニカルな態度で居られなくなる。原田芳雄もその類いで、たわいなくミーハーに戻ってしまう。
 私が十代の頃は身の回りに原田芳雄のような人が多くいた。ゲイバーのタミーのことは掲示板1.0で書いた記憶があるが、そのタミーのママやエレクトーン奏者の当麻さん、浮世風呂の恵比寿でバーテンをしていたケンちゃんや同じく玉家でシェーカーを振っていた中条さん、アイスピックを片手にやくざを睨み付けていた哲ちゃん等々、私にとってはみんなが川向こうの男たち女たちだった。この場合の川向こうとは私の儚い憧憬を意味する。
 彼等は真っ正直に生きていた。オカマはオカマ(この言葉遣いに対して睦郎さんからこっぴどく叱られたことがある。差別用語なのは分かっているが、タミーの人たちはオカマという言葉を昭和三十年代は平気で遣っていた。性的なマイノリティに対する理解がもし私になければ後年同性愛者の書物を多く造るわけがなかろう。また岩田準一の著書を新本で最初に扱ったのが私なら、それをわざわざ東京から買いにいらしたのも睦郎さんである)で、ヒモはヒモ、前科者は前科者で、今あるところのものでしかなく、それ以上のものになるわけもなく、背伸びをすることもなかった。だからこそ「大きくなったら、何になるの」といった類いの厭みな質問を聞かされずに済んだ。大きくなっても福原の住人だとみんなは思っていただろうし、誰もが他人のまたは自らの将来にいささかの興味も夢も抱いていなかった。


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2009年02月12日 16:52に投稿された記事のページです。

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