わたしは死にたくないし、病気にも罹りたくない。にもかかわらず、末期腎不全になった。結果、日々その症状と闘っている。死は抽象的なものでなく、ひとつの具体として目前にごろんと転がっている。そういう人間を相手に軽々しく死にたいとか死しか残されていないとか口先で云うことの無神経さはどこから来るのだろうか。掲示板でなく、直接会って話すならきっとぶん殴っていたと思う。長く生きてきたが、これほど莫迦にされたのははじめてである。
人というものはここまで傲慢に不遜になれるものなのだろうか。物書き志望ならなおのこと、気配りができなくては登場人物に心理的膨らみをもたらすのは不可能である。一体全体なにを考えているのか、恥じを知れと云いたい。
当掲示板は常に開かれている。しかし、書き込む前に考えてほしい。相手の心理的、肉体的状況がどうなのか、書き込むことへ対応できる状態なのかどうか。今回のような件がさらに続けば、当掲示板はブログに変更せざるを得なくなる。
ですぺらは終点酒場と徒名された。それほどに多くの客が病に斃れもしくは自死を撰ぶのやむなきに至った。それら友の死を遣る瀬なく思っている。しかるに、生あるものが生きるの死ぬのと無責任な発言を繰り返す。これは死者への冒涜であるまいか。死にたいのであればさっさと死ねばよい、わたしは鼻にも引っ掛けない。