ありげに、うまげに、おもしろげに、さりげに、なさげに、なにげに、よさげに、わるげに、等々の若者言葉がある。語尾に「に」や「な」をつけて用いるようである。
平安時代には「清げ」や「浄げ」が用いられ、紅葉ではないが江戸、明治の言葉の乱れは枚挙にいとまがない。それらを兎や角いうのは権威主義めいたところがあって、好みでない。また辞書に収録された文字のみを遣うとなれば短歌や俳句は成り立たない。そもそも「短詩形」との言葉自体、かなり怪しい(げな)ところがある。
「全然」は本来の意味は「すべて」であって否定でも肯定でも遣える。漱石は肯定否定双方で遣っている。現代にあっては否定がほとんどだが、江戸期は肯定の方が目に付く。他にも江戸時代にはオランダ語の訳語として蘭学書のなかに、明治期はドイツ語の訳語としてさまざまな言葉が生み出された。
掲示板1.0で書いたが、辞書の類いがいかに無責任かつ好い加減なものかは辞書の制作会社で働いていたのでよく分かっている。それを承知の上で、なんらかの模範、笵例を必要とするのも事実である。従って、諸橋大漢和(親字48,000、熟語530,000)が上梓されたときは安堵した。しかし、国語、類語に関しては語釈を確認しなければ安心できない。いづれも辞書も一長一短あって甲乙つけ難い。見出し語数や用例だけでは判断不能である。
ですぺらで飛び交っていた言葉のひとつに「〜みたく」があったが、あれなども新東京方言のひとつで、漫画を媒体にして急速に拡がったのであるまいか。もっとも、言葉に関しては大きな事は云えない。かつて高遠さんからご注意を受けたが、「すべからく」のように、陸に知りもしないで遣っている言葉がわたしには多い。学歴のなさがもたらす小賢しさというよりは、わたしの狠戻な姿勢に理由がある。
追記
掲示板1.0における誤記、誤用については暇を見付けて訂正してゆこうと思っている。