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定かならず   一考   

 

 床と壁とカウンターの木枠が完成し、予定では今週中にバックバーが出来上るらしい。バックバーが設置されればカウンターに大谷石が張られて、バーらしい雰囲気になる。バックバーが設置されれば厨房機器を搬入するのが順序だろうが、未だに日程は定かでない。二十日を過ぎれば店どころではなくなる、本気で夜逃げを実行しなければならなくなる。この夜逃げはなんども口にしているのだが、どうやら狼少年のそれで、関係者は本気にしていない。
 夜逃げはさておき、関係者は一所懸命励んでいなさる。それははよろしいが、進捗を見ていると滑稽にすらなってくる。この滑稽は自らの不安に対する防御線である。防御線とはもともと定かでない自らのさらなる客体化であって、客体化がなされなければカリカチュアは描かれない。要するに、ですぺらは私にとって他人事なのである。
 ですぺらに限らない、恋も仕事も人生も、ことごとくが他人事であって絵空事である。詩が好きなひとと出遇えば詩を著し、料理が好きなひとと出遇えば料理を作る、書物が好きなひとと出遇えば書物を造り、自転車が好きなひとと出遇えば自転車を組み立てる、遘合が好きなひととなら倍する汗もかく、良きにつけ悪しきにつけ、生きるとはそのようなものと心得ている。
 出会いは遭遇であって、偶然を一歩も出るものではない。この遭遇という言葉があまり好きではないので、私は逢着という言葉をしばしば用いる。遭遇であれ逢着であれ、必然的なものではない。ひととひととが出会い、もしくは恋をするのに必要が求められたり、誰それでなければならぬと言うのはあまりにも論拠に薄い。偶然生まれ落ちた人間が人生に必然をこじつけたのがサルトルなのかカミュなのかは知らないが、そもそも選択の自由などという嘘偽りを・・・などと書き出すとはなしは長くなる。それでなくとも、当掲示板はそれに類することばかりを書き込んできた。
 「こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである」とかつて著した。惑いであろうが呻吟であろうが、ひとは相対するひとに応じた文言を返す。だからこそ、言われたことに対して怒りや悲しみを抱くのは本末顛倒である。もしも忿怒に終始するなら、それはご縁がなかったというだけのはなしである。その辺りの消息を横須賀さんと私は語り続けた、彼が死ぬ日まで。そして種村さんはさらに簡略である。いいじゃないの、お望みのどんな姿にでもなってやろうじゃない。


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2007年10月10日 15:21に投稿された記事のページです。

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