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地勢型地球儀   一考   

 

 アメリカ製リブルーグル・ジャパンの地球儀を買った。かなり古い地球儀で、中国東北部は満州国の表記になっている。父が生きていれば欣んだに違いない。もっとも、その地球儀をわたしが気に入った理由は国別の色分けがないからである。則ち、行政型でなく、気候風土別色分けになっている。さらに詳しく書けば、陸地を森林、砂漠等の地理的特徴で色分けし、国境線を赤い実線で表した地勢型で、山岳ならびに海底火山などの隆起加工が施された地球儀である。
 世界の地球儀ドットコムを見るとメルカトル、ヴォゴンディ、ホンディウスの地球儀などが並んでいる。わたしの地球儀はル・コマンドールの地球儀に似て、球体本体の向きがくるくる回り、南半球の地形も容易に見ることができる。大体、北極が上になるような発想はどこからきたのだろうか。北極を上にするから人間中心になるのであって、南極を上にすれば、地球は海だらけ、どう考えても地球の主人は鰯か秋刀魚かオキアミである。この上下の逆転もわたしが気に入ったもうひとつの理由である。

 父の生まれは新潟、それ故、5度召集令状を受けてその都度満州へ出征している、所謂関東軍の精鋭であり、通信兵だった。出征したひとに共通して云えることだが、戦後、彼等は戦争について語るのを極端に嫌がった。父にも妙な癖があって、終戦日と云わずに休戦日と云うのを常とした。
 南方へ転進した部隊と違って、中国残留の部隊はソ連の参戦がなければ勝利していたと思い込んでいたようである。往時の教育は鬼畜米英だが、朝鮮中国は畜生以下、要するに穢多非人の類だった。父に云わせると、当時はひとを殺していると云った感覚などどこにもなく、野太刀を斬馬刀のように使って中国人を片端から斬り殺していた、と。
 日ソ中立条約が締結された1941年の関東軍は一時的に兵力74万人以上に達していたが、その数で1700万人に及ぶ中国人を殺戮している。ひとり平均23人である。要するに、関東軍は中国の軍人はほとんど殺していない。大半は女子供など民間人である。この消息はシベリア出兵から南京虐殺に至るまで続いている。揚句は葛根廟事件である。「開拓殖民を見捨てて逃げ出した」と後に非難されることになる。戦後、彼等が口を噤んだのは当然なのかもしれない。
 父が戦後、文筆に勤しんだのは彼の非凡にあったのではなく、忸怩たる思いに駆られてのことだったと解釈している。その内容について呵するのは叶わない、まだ一部関係者が存命しているからである。

追記
 前後のブロックの纏まりに欠ける文章である。無理に結びつける必要もないのでそのままにした。「骰子の7の目」ではないが、目線の移動はさまざまな価値観に自己を遭遇させる。そのような柔軟さを持つひとが戦前には極度に寡なかった。個を維持し、個に鍛えられることは軍のような組織にあっては不可能である。関東軍に限らず、組織に属するのは恐ろしいが、その実態はいまもなにひとつ変わっていない。ひとが個に徹するには、余程の覚悟と個に対する情熱が必要である。
 父の個との闘いは長い文章になる、よって別途著すことにする。


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2015年10月31日 03:41に投稿された記事のページです。

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