今日も刺し身、ひさき、かさご、金目の盛りあわせを購入、サラダ風に頂戴する。夜食用にと真子鰈を煮付けにすべく百五十円にて贖う。ここまで食生活が変わるとは想像だにしなかった。ひさきは過日のとびうおと共に、癖になる旨さとの註釈が値札に添えられている。かなり魚に詳しいひとが包丁を握っているに違いない。一度話したいものと思っている。
わたしは多少心得があるからいいようなものだが、出世魚の名称は地域でまったく異なる。当地も江戸のそれではなく、埼玉のそれとはまったく異なり、千葉の名称に準じている。灯明台に似ているところから灯台海螺貝と名付けられたゴマがあった。周さんが見付けたのだが、次回にでも試食してみよう。
むかし篠山や福知山へ行った折、兵庫県とは名ばかりで、京都の文化圏であることを思い知らされた。三郷の鷹野も江戸川を挿んで千葉と対面している。日本の伝統文化は河川を中心として縦割りに栄えてきた。いわゆる山窩の文化である。それを維新政府は鉄道と道路によって打ち壊そうとし、そして横割りの文化構築に成功したかに見られる。奥州南部藩では川一本距てれば言語が異なると云われた。言語の多様性、その伝統こそ顧みられるべきものだったに違いない。