ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








風邪  | 一考    

 風邪をひいたので店はお休みです。こればっかりはどうにもなりません。
 プレオープンなので、お客さまは掲示板をご覧になった方だけ、風邪を移したくないので、くれぐれもよろしくお願い致します。
 カタログの整理があって店へは行きますが、どうかよろしく。

 いつぞや、黒木書店の息子のことを書いた。そのことについて天牛書店の天牛高志さんから店へ電話があった。「あいつ、あんな奴やったけど、いいとこもあった。書いてくれてありがとう」ただそれだけの電話だった。気持は痛いほど分かる、思わず目頭が熱くなった。
 彼と高志さんとのかかわりの一端を知っている。黒木にとって高志さんは唯一の相談相手だったに違いない。父親との軋轢のなかで、ともすれば挫けそうになる黒木をいかように支えてくださったのか、涙した理由である。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月13日 08:12 | 固定ページリンク




電車通勤  | 一考    

 今晩はフクさんが上京なさるとか、ちょいと一緒に飲もうかと思案中。今宵はバイクをやめて私は電車で通勤しましょう。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月10日 15:40 | 固定ページリンク




魚卵再訪  | 一考    

 河崎徹さんと勝井隆則さんからイワナの魚卵が送られてきた。「年寄り向きの薄味にしましたので一週間ぐらいで食べてください。お宅の店に来るイヤな客に沢山食べさせてください(コレステロール値が多くなる)」との添え状あり、「年寄り向き」には丁寧にアンダーラインが引かれている。河崎さんらしい悪意の一端が垣間見られて頬笑ましい。石川の友の変わらぬ高誼に厚い感謝を申し上げる。
 「青息、吐息、風の息、夢裡のですぺらへ恒例の供物です」とは勝井さんこと金沢落魄小僧の弁。事常に頓挫して失望落魄を繰り返す日々への、これはさらなるだめ押しである。
 さるにても、落魄とか零落ほど麗しい言葉があろうか。一刻一刻、滅びが近づいてくる。存在は新陳代謝と口にする時の沙を食むような寂しさ、そして口に残る味気ない異物感。目には視て手には取られぬその距離、その失意にいとおしさを覚える。
 白居易に「門前冷落鞍馬稀」とある。客を鞍馬に見立てればですぺらの光景が顕れる。さて、イワナ好きの鞍馬にはこの一週間がチャンスである。酔いなくて、魚卵がなくていかに生きられようか。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月10日 15:12 | 固定ページリンク




看板  | 一考    

 常連の水谷さんの紹介によって十七日に看板ができあがる。持つべきは友か常連か、ただただ感謝である。いよいよオープンが近づいてきた。
 一昨日は七日目にしてはや坊主、このままではやってられない。一刻も早くですぺら再開をひとに知らさねばならない。私の友人はこぞって電脳には弱い、やはり手紙を書かないと効果がない。二十三日の金曜日にはグランドオープンが可能か。

 ミュリエル、ブラックストン、ボルクムリーフ、キースなどをこのところ嗜んでいる。それぞれにいろんな種類があって心地よい。と言ってもなんのことやら、判じかねるだろう。シート・タイプの葉巻である。キースのスリムを偶然に購入したのがはじまりで、爾来嵌まってしまった。普通の紙巻き煙草と値が変わらないので、毎日あれこれ試している。キースにもいろいろあってキーススリムにも各種ある。単にキーススリムというのが私のもっかのお気に入りである。
 どうして値が変わらないのか不思議だが、考えてみれば値のあらかたは税金である。わが国で二百八十円の煙草がニューヨークでは七百円だそうである。同じ値段ならよりヘビーな葉巻を吸うにしくはない。例え千円になったとて私は喫む、本数は減るだろうが。
 三筋通りにシガーバーがあって、さまざまな葉巻が売られている。こちらはシートではなくナチュラルな葉で巻かれている。さすがに高いものが多く、私の小遣いでは手が出ない。ミネラルウォーター同様、上にはうえがある。当節流行りの千二百円の水など、置きたくても店には置かれない。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月08日 05:14 | 固定ページリンク




据置  | 一考    

 代価について訊かれるが、値はほんの一部のウィスキーを除いて変えていない。値上げはカリラのカスク・ストレングスやアードベッグである。店を閉めていた四箇月のあいだにユーロは騰がりつづけ、モルト・ウィスキーは随分と高くなった。手持ちのウィスキーは構わないが、新規購入のボトルの値上げはやむを得ない。閉店前の五月の掲示板でも書いたが、なかにはアードベッグのように倍以上の高値になったものもある。もっとも、グレン・モーレンジ社が買収した時から樽売りがなくなり、アードベッグが高値で安定するのは分かっていた。それにしても、1975や1977が四万円から九万円とは何事かと思う。
 かつては一万五千円を超えるボトルには手を出さないでいた。この価格帯にはレアモルトが含まれるからである。しかし、そのレアモルトがなくなってそうも言っておられなくなった。今は二万五千円にまで購入価格を引き上げた。その分、売値が高いウィスキーが多くなるのは致し方がない。
 それとビールの値上げが続く。白生が四十円の値上がりで、旧ですぺらでは据え置いたが、今回は百円の値上げである。その替わりにサントリーのプレミアム・モルトを置く。開店には瓶を用いたが、やがて罐に切り換える。瓶の回収が面倒だからである。自宅と店との往復はバイク、可能な限り荷物は減らせたい。

 今日から店の飾り付けをはじめた。来週の月曜日には完成するが、小村雪岱から西脇順三郎、永田耕衣、高柳重信、赤尾兜子、三橋敏雄、吉岡実、塚本邦雄、種村季弘などの書や色紙などの小品である。前の店からの念願だったが叶わなかった。その理由は額縁を購う金数に不自由していたからである。今回はちょいと私の趣味を吐露させていただく。
 趣味性と言えば、今置いている水は微発泡の硬度1677瓱の硬水である。イタリアはサレルノの天然水で、加熱殺菌処理されたわが邦のミネラルウォーターと比して味、癖ともにすこぶる強い。さりながら、モルト・ウィスキーには似合うと思っている。わが邦のミネラルウォーターも置いているので、お試しいただければ幸いである。サレルノの天然水は五万円分買ってきたので、一箇月は持つ。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月06日 10:43 | 固定ページリンク




営業中  | 一考    

 明日の土曜日は祭日のようですが、赤坂に用事があって店は開けます。どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 16:20 | 固定ページリンク




雑炊  | 一考    

 今日、そばの実雑炊が到着。到着はよろしいが、何時になったら作られるのやら。そんなことを言っていてもはじまらないので、取り敢えず二人前のみ作ろうと思う。人体実験を希望される志の篤い方はお越しください。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 15:27 | 固定ページリンク




身も蓋も  | 一考    

 ガスが開通、冷凍庫を購入すれば調理が可能になる。家の冷凍庫で眠っている食材を利用するには他に方法はない。一方、看板が高いのでどうしようかと倦ねている。看板なしでの営業は成り立ちがたい。冷凍庫か看板か、どちらを先にすべきか悩ましい限りである。
 週初めは帰宅後、ピザを焼かんとするもトースターにそのまま、風呂も沸騰させてしまった。朝のゴミ捨ても打棄つのまま、耄けたように眠る。拙宅が松山亭に似てくるのもご愛敬、もっともそうしたハチャメチャな生活には慣れている。否、慣れているのではなく、そうあらねばならぬと思う。生活に限らないが、ひとさまにお見せするために生きているのではない。自らが生きたいように生きる、結果は明白で諸事万端不義理ばかりが募る。掲示板にしてからが、結果としてひとが見るのであろうが、その功能を期待してのはなしではない。第一にひとが見ると言うが、何処のどなたがご覧になるのか皆目見当も付かない。見当が付くのはこの一週間に来てくださるごく僅かな方のみ。
 明石から高麗苑の店主高野さんが来店。明石ではやまちゃんが閉店、来住さんも今月の十七日で閉店する。来住のご主人は宝塚の老舗、割烹旅館若水へ移籍なさる。たしか若水は十年ほど前に「ホテル若水」と号を換えたように記憶する。
 ですぺらの西明石時代は彼等と共にあった。とにかくよく飲みよく語った。当地の「かさね」同様、私は割烹の主人とはすぐ親しくなる。プロの料理人は秘密を持たない、調法はべらべら喋るのが常である。喋ったからといって同じものは作られない。微妙な差違は舌が決める、その舌に自信があるからである。舌なら私にも自信がある。もっとも、私のそれは作る方ではなくて味わう側である。
 高野さんと赤坂の焼き肉屋へ赴く。焼き肉はやはり在日の文化であり、しかも関西のものと改めて識る。改めてと書いたのは、かつて店の裏メニューでギアラ、あかせん、てっちゃん等を置いた、理由は赤坂のそれに納得が行かなかったからである。直腸との連結部位のような良いてっちゃんなら卸しでグラム七百円、売値が千円を下ることはない。てっちゃんはてっちゃんであって、こてっちゃんではない。それが解らないひとに焼き肉を語る資格はない。
 赤坂の焼き肉はただただ不味い。鮨と同じで、過当競争がわざわいしている。安価で出すために関西なら使わない部位を用いる。鮨にせよ焼き肉にせよ、一人前一万円以下なら食さないに限る。まずイメージが狂う、第二に悔いを残す。悔いの残らない人生などないが、食べ物は人生ではない。金がなければ食さないまでのはなしであって、安物や贋物で間に合わせるような器用さは私にはない。この消息は酒にあっても同じである。
 今回入ったビルに同居する割烹は一人前二、三万円はする。さなきだに不味いもののみ多かりき日常に対する、これはひとつの識見である。雰囲気をのみ味わうならランチタイムに行けば良い。


投稿者: 一考      日時: 2007年11月02日 15:00 | 固定ページリンク




プレオープン  | 一考    

 開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月29日 02:16 | 固定ページリンク




友よ、いずこ  | 一考    

 昨夜、基本となる引越が済む。思いのほかウィスキーが多い、あと百本は減らさなければならない。二、三箇月掛けて調整していかなければ。食器とグラスは種類が多くて手が付けられない、こちらも大幅な入れ替えが必要である。今日はドアが完成し、厨房のフードを除くすべてができあがる。冷ややかな新店舗がやっと形をなす。このひえびえとした取り澄ました店がやがて熱を帯びるであろうことを願っている。
 昨夜は手伝ってくださった方と向かえの白木屋へ赴く。ゴールデン街へと思ったが折あしく日曜日、わざわざ開けさせるには及ばないと近隣で間に合わせる。
 それにしてもよい酒だった。とわずがたりに自らの過去を語る。
 一所懸命に消え入ろうとする、もしくは消え入ることに命をかける。文学に於ける懸命の地とはそのようなものと心得ている。そして、公験文書を添えて累代相伝されるとの習いは文学には馴染まない。文学とはなにがどうあろうとも、一代限りでなければならない。
 血筋も友も連れもこの世界にあっては意味をなさない。「意味をなさない」とは譲状や手継文書の無効を示唆するにとどまらず、それらの存在がなんらの救いをもたらさないとの戒めである。この戒めを解さない限り、どこまで行こうとも、そのひとにとって文学が癒しの範疇から抜け出ることはない。
 癒しからの脱出をひとに薦める気は毛頭ない。ご託宣は「ごた」とも称し、なによりもまず不遜である。加えるに、他人のことなど私の知ったことではない。好きに生きて好きに死んで行けばよろしいのであって、それを啓蒙しようなどという傲慢さの持ち合わせはない。
 と言うような消尽についてお喋りした。文学に於ける基本はなによりもまず、ひとりになることである。そしてその孤絶に耐える強靭さが必要になる。強靭さとは訪ねてくる友を切り捨て、容赦しない覚悟である。そして覚悟とは自己愛に陥らないための心構えである。そのために典籍が存在する。ひとの悩みが個にとどまらないことを書物は教えてくれる。
 観念論でもなく、「ロマン主義的精神主義でなく、実証主義である。従って理想主義でない。コモン・センスである。法則と概念とを重んじ、非常に抽象的である」ところのもの、それが書物だと私は信じている。
 よき話相手に恵まれたと思う。感謝。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月22日 15:50 | 固定ページリンク




人材募集  | 一考    

 搬出組ならぬ搬入組とは申せ、例によって駐禁対策である。このところ、赤坂は駐車禁止を取り締まるおじさんやおばさんが跋扈なさっている。その取り締まりの方々にあかんべえをしてくださる方を募集している。
 二十一日はレンタカーで一挙に荷物を運ぶ、第一便はモルト・ウィスキーで、前日から拙宅で荷物を積み込んで十一時には赤坂へ到着したい。第二便は椅子、鍋、釜、食器の類いである。
 なお、十八日の午前中に店の電話が通じる。番号は以前と同じく、03−3584−4566。住所は港区赤坂3−9−15第2クワムラビル3階。青山通りからみすじ通りへ入って五軒目、目印は真向かいの白木屋である。地下鉄の赤坂見附駅から徒歩三分。看板は開店予定日二十九日の直前に完成する。

 店は鉄工所の分担が遅れていて細部が滞っている。明日は塗装で、他の工程はお休み。十八日と十九日でカウンター内部が完成しないかと願っている。いずれにせよ、十八日にバックバーは完成するので、二十一日の搬入には差し支えない。ご協力のほど切にお願い申し上げます。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月16日 23:58 | 固定ページリンク




一過性  | 一考    

 昨日、クーラーとトイレが設置され、天井の照明が通電された。溶接の際に生じる鉄屑がバックバーの鉄板のそこかしこにこびり付いている。もう一度、ディスクグラインダーをかけなければならない。鉄粉ならびにコンクリートの粉塵の除去に悩まされそうである。
 工事というのは状況のいかんを問わず、粉塵との闘いである。何度拭こうが、洗おうが、吸い取ろうが、作業が終わるまで繰り返される。截ったり張ったり穴を開けるのもさることながら、一番の大事は掃除なのかもしれない。何処の現場もそうなのだが、一枚捲ると粉塵だらけである。表面を取り除くととんでもないものが顕になる。外からは窺えないものや内部にひそんでいるものがむき出しにされる。謂わば、ひとの仮面を剥ぎ取るようなものである。
 例えば、男子の性愛などもおよそ身勝手かつ傲慢なものだが、ひとはそれを取り繕いそしらぬ顔を決め込む。男子であり、愛人であり、亭主であり、旦那であることの権威や権力の行使が素知らぬ振りの根拠となる。おおい隠す、うわべを飾る、身づくろいをする、体裁ぶる、どのように言い換えたところで実態はなにも変わらない。
 身勝手さを露わにするために、私は自らの妄想を連れ添いに隠さない。ある種の妄想の表明は身勝手を逆手に利用することになる。恋愛は妄想にはじまって妄想に終わると私は思っている。謂わば妄想ごっこである。ただし、この妄想は時としてひとの矜持、プライドをひどく傷つける。他方、妄想は文学や哲学の苗床ともなる。それらをうまく共存させる術を私は持たない。おそらく、不器用なまま死んでゆくに違いない。ただ、死んだときには一考という粉塵が消え去る。消え去るとは忘れ去られることである。拭き取る必要も、洗い落とす必要もなにもない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月16日 14:21 | 固定ページリンク




G3 iBook  | 一考    

 OS XならFirefoxを重宝しているが、OS 9ではInternetExplorer5.1.7を用いている。他ではNetscape 7.0.2、Wazilla 1.3、Mozilla 1.3、Opera.app 6.0.2、iCab_Pre2.98などがあるが、遣い勝手はExplorerが他を圧倒する。ところが、mixyがExplorerに対応しなくなった。どうやら、mixyではマックは継子扱いされているようである。あちらはTさんとSさんのブログを読むのが目的で、書き込みはしないのでExplorerである必要はない、しかし困ったものである。
 先日、iBookのOS 9がサイレントだと書いたが、ある時期からのマックは専用のリカバリーでないとインストールに不自由があると櫻井さんから教わった。言われたようにインストールすると全機能が動く。ですぺらの資料と帳簿がなければとっくにOS Xに移行しているのだが、現状ではぐつが悪いはなしばかりである。
 それはさておき、このところiBookを専らにしている。ハードのトラブルには難儀させられるが、やはり小さいことはいろいろな利便を伴う。なによりも、寝転がって操作のできる点が嬉しい。私のようなものぐさには打てつけだと思う。これでSCSIが付いていれば申し分ないのだが。

 今日はいまから看板の打ち合わせで赤坂へ出掛ける。途次、デザインを考えなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 18:18 | 固定ページリンク




逃散不発  | 一考    

 書き込みが前後するが、そっぽを向いていたですぺらに見切りをつけ、二十日過ぎに逐電するつもりだった。そのために、十一日におっきーさんをはじめ、関係者との話し合いを持った。
 仕事命もしくは仕事が人生という方が世の中の大半を占める。それはそれで結構なはなしで、私がごとき穀潰しがどうのこうのと申し上げる筋合いのものではない。ただ、私はそういった世界に極力脊を向けてきたし、理解しようとする努力すら抛り投げてきた。従って、ダメならダメで諦めも速く覚悟も定まっている。
 それでなくとも、ひとつの仕事を長く続けるとその世界に知己が増える。知己が増えればそれだけ評価も出揃う。そして良きにつけ悪しきにつけ、評判はその道のプロを拵えてゆく。どうもそれが私には堪えられないのである。従って、女性が変わるたびに職を変え、住居も転々とした。もちろん、どこへ住んでいても一考であることに変わりはなく、神戸、松山、大阪、岐阜、京都、東京、明石と移ろいだが、行く先々で新たな知己ができる。そしてその友人同士が横の関わりを拡げてゆく。生島遼一や曽根元吉にはじまって、永田耕衣や多田智満子、種村季弘に至るまで、およそ五十名ほどの個として生きたひとと深く触れあってきた。この過程で、知己と知己とが知り合い近しくなるのを眺めるのは快感をもたらす。それらの心地よさが、おそらく私の財であり宝だと思う。
 私は出自からして裏社会である。従って、出版物も「個として生きたひと」のみを注意深く撰んできた。学会や文壇に属するような表舞台のひとの書物は二、三を除いて出版していない。その姿勢はこれからも変わらないし変わりようがない。評判を求め、権威権力を冀求するようなひととは交わりを持ちたくないのである。

 さて、前述の話し合いである。結論は西郷さんとおっきーさんに口説き落とされてしまった。ひとをしょんぼりさせるのはよろしくない。もう一度方針を切り換えてですぺらの営業に務めようと思うに至った。お二人に深甚の謝意を表したく思う。十一日の夜はひとりで盃を傾けること深更に及んだ、久しぶりの良い酒にうつつを抜かしたのである。ですぺらとはわが風の息であり夢裡であった。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 14:40 | 固定ページリンク




高林鉄工所  | 一考    

 バックバーの鉄板が真っ赤に錆び付いていた。一枚五十キロの鉄板を鉄工所で半裁にしていただき、その二十四枚の鉄板をディスクグラインダーで研いた。プロが用いる道具は家庭用の工作機械と比して桁外れに重量があり性能が勝る。結果、機械に振り回されて左手の甲に傷を負ってしまった。三日目にして、やっと出血が止まった。研摩に行ったのであって、怪我をしに行ったのではない。従って、傷をかまわずにみがきに精を出した。
 ところで、五十六本のアンカーをコンクリートに打ち込んだのだが、傍で見ていて悲鳴を上げた。身体を弓形にし、天井に大型の鉄の金槌でアンカーを叩き込むのだが、非凡な体力の持ち主でなければ努まらない。私は六十キロの米俵と同じく六十キロのプロパンガスのボンベの配達を長くしていたので、瞬発力は多少はあるつもりだったが、とてもかなわない。店の工事に立ち会って自らの老いを噛み締めさせられる結果となった。既に喧嘩はやめたが、止めてよかったと思い知らされたのである。
 鉄工所の社長とはいっても三十五歳なのだが、研摩の前日、焼鳥屋へ同行させていただいた。彼は鳥胆の叩きを、私ははらみの馬刺を注文したのみで、あとはひたすら飲み続けた。焼酎が二本空いたまでは覚えているが、そのあたりから後の記憶は定かでない。ただ、彼は間違いなく酔いつぶれていた。しかるに、彼は朝の七時から鉄板の切削をこなしていた。私が目を醒ましたのは十時過ぎ。ここにももまた、靴音高く追い立ててくる老いとの逢着があった。

 追記。サントリー山崎のヘビーピーテッドが近く売り出される。ちょいと味見してみたが実に旨い。パシフィック・カレドニアンのアイル・オブ・ジュラを思い起こしていただきたい。かのボトルはジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリングだったが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いていた。今回の山崎もサントリーでははじめてのパワフルでスモーキーなフィニッシュが堪能できる。シェリー・カスクとの同時発売だが、ヘビーピーテッド・タイプがお薦め。頒価は9000円、ぜひお試しいただきたい一本である。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 13:20 | 固定ページリンク




開店予定  | 一考    

 先週カウンターが、そして日曜日にバックバーが出来上った。店としての装いが少しずつ整ってくる。月曜日から空調機器設置、カウンター内部と厨房のステンレス張リ、冷蔵庫やシンクなど厨房機器の設置、トイレ、水道と電気工事の仕上げ、そして床の塗装などが続く。週末には一応完成しそうである。一応というのは店舗には細かい不具合が生じる、その修整が後に残されているからである。他にも保健所、消防署、警察署、税務署などの手続きが必要で、忙しくなりそうである。
 まず、拙宅に山積みの主たるモルト・ウィスキーと椅子を二十一日の日曜日に搬入したい。ついては有志のご協力を得たい。再三にわたるご支援に言葉もないのだが、なにとぞよろしくご援助いただきたく願う。時間その他の詳細は改めて記載させていただく。
 現在の予定では二十九日の開店を目差している。その前に搬出搬入をお手伝いしてくださった方々によるプレ・オープンを二十七日に催す。厨房に火が入るのは十一月五日からで、それまでは乾き物のみでの営業になる。どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月15日 12:13 | 固定ページリンク




定かならず  | 一考    

 床と壁とカウンターの木枠が完成し、予定では今週中にバックバーが出来上るらしい。バックバーが設置されればカウンターに大谷石が張られて、バーらしい雰囲気になる。バックバーが設置されれば厨房機器を搬入するのが順序だろうが、未だに日程は定かでない。二十日を過ぎれば店どころではなくなる、本気で夜逃げを実行しなければならなくなる。この夜逃げはなんども口にしているのだが、どうやら狼少年のそれで、関係者は本気にしていない。
 夜逃げはさておき、関係者は一所懸命励んでいなさる。それははよろしいが、進捗を見ていると滑稽にすらなってくる。この滑稽は自らの不安に対する防御線である。防御線とはもともと定かでない自らのさらなる客体化であって、客体化がなされなければカリカチュアは描かれない。要するに、ですぺらは私にとって他人事なのである。
 ですぺらに限らない、恋も仕事も人生も、ことごとくが他人事であって絵空事である。詩が好きなひとと出遇えば詩を著し、料理が好きなひとと出遇えば料理を作る、書物が好きなひとと出遇えば書物を造り、自転車が好きなひとと出遇えば自転車を組み立てる、遘合が好きなひととなら倍する汗もかく、良きにつけ悪しきにつけ、生きるとはそのようなものと心得ている。
 出会いは遭遇であって、偶然を一歩も出るものではない。この遭遇という言葉があまり好きではないので、私は逢着という言葉をしばしば用いる。遭遇であれ逢着であれ、必然的なものではない。ひととひととが出会い、もしくは恋をするのに必要が求められたり、誰それでなければならぬと言うのはあまりにも論拠に薄い。偶然生まれ落ちた人間が人生に必然をこじつけたのがサルトルなのかカミュなのかは知らないが、そもそも選択の自由などという嘘偽りを・・・などと書き出すとはなしは長くなる。それでなくとも、当掲示板はそれに類することばかりを書き込んできた。
 「こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである」とかつて著した。惑いであろうが呻吟であろうが、ひとは相対するひとに応じた文言を返す。だからこそ、言われたことに対して怒りや悲しみを抱くのは本末顛倒である。もしも忿怒に終始するなら、それはご縁がなかったというだけのはなしである。その辺りの消息を横須賀さんと私は語り続けた、彼が死ぬ日まで。そして種村さんはさらに簡略である。いいじゃないの、お望みのどんな姿にでもなってやろうじゃない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月10日 15:21 | 固定ページリンク




額紫陽花  | 一考    

 八月二十二日に奥秩父から額紫陽花を一枝持ち帰る。丸二日、水に浸けてから小さな鉢に植えた。以来、朝夕欠かさず水を潤沢に差す。今月一日の早朝、一ミリにも満たない芽が生れた。今日はその緑のつぶが五ミリほどに育ち、なにやら葉の素のような趣を呈してきた。あまりに細い枝ゆえ、立ち枯れを心配していたが、これで一安心、三年後の開花に夢をつながれる。
 耕衣句に「晩年や夢を手込めの梨花一枝」あり、一枝がひとえかいっしかで吉岡実さんと語らったことを思い出す。晩年や夢を手込めの額紫陽花では句にならないが、そもそも夢はひとの自由を簒奪する。簒奪と書けば大仰だが、花を咲かせるためには旅はおろか外泊すら諦めなければならない。この場合、花を咲かせるのは目的であって夢ではない、日々の面倒が夢になる。夢は起居のなかにごろんと転がっているものであって、目的などというたわいないものではない。そして、目的を持たないのは内容としての実体を伴わないということになる。
 思わぬひととのめぐり逢わせがひとを換えてゆくように、夢もまたひとを変える。言い換えれば、夢には夢の思慮がある。ならば、夢を手込みにでもしなければ晩年は存在しない。種村さんが晩年に夢記を著された理由はそこにある。
 さて、近隣の高林鉄工所では職人や知人が集まって夜毎酒盛りが続けられている。不粋な宴であればこそ、気が置けない連中である。終戦直後の戸田のはなしには興味がある。時として、そのまま焼鳥屋へひとりで流れる。このところ、お定まりのコースとなった。この種の物憂く気怠い酔いのなかにも私の夢がある。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月08日 18:03 | 固定ページリンク




野沢ハイム  | 一考    

 赤坂から世田谷の野沢まで足を延ばした、松山俊太郎さんに着物を届けるためである。彼がジャージ姿で来店なさったのは一年ほど前、着物を召したところしか知らないのでひどく悲しく思った。着替えもなく、洗い張りをしてくださる友にもめぐまれない。意味をなさない積んどくだけの書冊を購う金があれば古着ならいくらでも買える。取り巻きのなかでその程度の友誼すら持ち合わせる方がいなかったとしたら、切ないで済む問題ではないだろう。とは申せ、それが老いのあかし、明日のわが身である。
 金子國義さんからお預かりした紗へ加えるに、紗と絽を一枚づつ、大島紬を二枚と綿が一枚の計六枚をお持ちした。うち一着は父のかたみだが、袖を通されるのが松山さんなら喜ばれるに違いない。野沢ハイムについては郡さんの、虫食いその他の検品はまなさんにお願いした。
 松山さんは話したいこと、相談したいことが多くあると仰有ったが、それを振り切っての帰路となった。後日機会はもうけますと約束したものの、私にできるのはこれまで。帰りしな、角を曲がるまで松山さんの見送りを受けた。角を曲がって環七へ出て思わず落涙。三島、土方、澁澤、種村等々、さまざまな思いが脳裏に浮かぶ。「嘲世罵俗、志趣高簡の衒いにあらず、消閑一時の戯れを装いつつ、虚と実の弁証法を解く。これを一觴一詠と言わずになんとする」と著したのは「後方見聞録」の解説。今の私はその弁証法的なるものの否定に大きく踏み出してしまったが、彼等の「狂おしくも遣る瀬ない捨て鉢な生き方」はそっくり丸ごと私の生き方でもある。さて、彼と酒を酌み交わす法はひとつ、送迎の車と有志のおっぱいを付けて拙宅へ来ていただくしかない。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月06日 17:27 | 固定ページリンク




告知  | 一考    

 防水工事の遣り直しが済み、乾くのを待つとかでなにひとつ進まない。何をするにも行き当たりばったり、かくまで無計画、成り行きまかせな仕事というのがどこの世界にあるのだろうか。
 かつてスーパースタジオの斎藤さんと組んで随分多くの書物を拵えた。ひとが半年の制作期日を必要とするムックを毎月作り続けるという無謀に近い仕事だった。しかし、それが雇い人の求めなら応じるしかない。彼も私も睡眠時間は二、三時間、風呂はおろか食事すら時間がなくて打ち切った。期日が迫って手に負えなくなると編輯者仲間に扶けを乞うたこともある。その費用は当然ながら自腹を切る、人件費が私の給金を上回ったこともある。雇い人が問うのは結果であって過程は私が仕切るしかない。できない仕事なら受けてはいけない、受けた以上は全責任を背負い込むしかない。そして仕事の場にあって、責任とは金数でしかない。
 編輯者なら分かっているが、ムックの扱いは単行本である。単行本は期日を守らなければならない、期日を一日でもずらすと新刊配本が不可能になる。そうなれば数千万円の負担を強いられる。従って、斎藤さんも私も命懸けである。十枚の原稿なら一時間、二十枚なら二時間で書き上げた。またムック一冊のレイアウトの処理時間は三時間が限界である。そしてレイアウトは五、六回、表紙は二十回以上の遣り直しを余儀なくさせられる。
 斎藤さんを私に引き合わせた知己は佛蘭西の新訳探偵小説十冊の企画を一箇月、制作を二箇月の併せて三箇月で完結させた。それが仕事である、頂戴する手当の二十倍の利益を雇い人にもたらさなければならない。編輯プロダクションの仕事を五年続けて私は死ぬと思った。私はぼろぼろになって東京を逃散したのである。しかし、その渦中にあって銀花や幻想文学への連載が続き、Y・Nさんとの出会いがあった。
 さて、開店への途は遠い、私の気力は悲しみのなかに失せつつある。北への逐電を夢見ながら焼鳥屋で酒を呑む。


投稿者: 一考      日時: 2007年10月01日 18:21 | 固定ページリンク




ご新規さん  | 一考    

 G3のiBookを購入した。最初のLC475を別にして六千円を超えるパソコンへの融資ははじめてである。本体はもとより、パーツのことごとくはジャンク品で間に合わせている。デスクトップと違ってノートブックは高い、またマックのノートは分解が難儀と聞く、よってジャンクでない起動するノートブックを購ったのである。ところが起動後、数分でパソコンはダウン、PRAMおよびNVRAMのリセットを繰り返し、ACアダプタを取換えてみたものの何等の効果もなかった。櫻井さんも手の施しようがないという。こうなれば、覚悟をきめて分解を試みるしかない。
 ネットが役立つのはこのような技術的知識やこつを必要とする時である。おかげで本体を傷つけることもなく解体、起動しない理由はACの取り入れ口からマザーボードに至るコード、要するに電源コネクタ基板が外れていただけだと気付かされた。しかし、ここからが私の性癖である。一晩掛けて徹底的に解体、組み直しを繰り返した。5インチドライブやハードディスク、マザーボードの置換を考慮しての耄けである。
 そのままアプリケーションをインストール、二日費やして辞書、メール、資料のコピーも済ませた。ただ問題がないわけではない。OS 10.3.9は十全に機能するが、OS 9.2.2を単独起動させるとサウンドが効かない。従って、iTunesとCDオーディオプレーヤが機能しない。専用のインストール用CDがなく、iTunesもデスクトップからのコピーである。おそらくそこに理由がありそうである。しかし、無音のパソコンが結構気に入っている。老いる前の私と相対しているような心持ちなのである。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月30日 14:34 | 固定ページリンク




茫然自失  | 一考    

 一昨日、床に流したコンクリートの水分が二階へ洩れだした。慌ててコンクリートを撤去。防水工事の不備が理由だが、これで基礎工事のやり直しとなった。基礎工事が内装の骨幹をなす。怒りを向けるところ定かならず、近隣の焼鳥屋で泥酔。この一箇月の進捗を顧みて、どれがどこがプロの仕事というのか。
 かつて出版を稼業としていた頃、約束の日付を違えたときは一銭の金数も請求しなかった。百万、二百万という印刷費、製本代を土方をしながら返済したことを想い起こす。プロに一切の失敗は許されないとは申せ、想定外のさまざまな悶着にひとは巻き込まれる。その責はなべて個が被るしかないのである。生きのびるとは言訳を棄却することに他ならない。

 言訳で思い出したが、政治家や芸能人の理不尽な弁明や弁解に人心は慣らされている。大なり小なり、過去の実績、要するに権威や権力にひとは阿諛る。大衆や時流へのへつらいなら何も言わない。ただ自分自身への諛いだけはご免蒙りたい。おそらく最大の媚が一所懸命との文言である。例えば、時間潰しに過ぎない為事に一所懸命との化粧(よわい)を施し、自らに阿諛ってみせる。その酔いが心地よい慢心をひとにもたらす。慢心を存在理由と言い換えてなんら問題は生じない。寸暇を惜しんで為事に精を出すのが権威や権力への諛いでなければなんなのかということを示唆したいだけである。
 一所懸命為事をする暇があれば、耄けていろと言いたくなる。ただし、ぼけるのではなく、そそける、ほおける、ほつれ乱れるの耄けである。近隣の焼鳥屋ではひとりで酒を呑む。ひとりで呑む酒は酔いのまわりが捷い、ひたすら飲み続けるからである。五、六合も呑めば前輪と後輪が絡み合って自転車は顛倒する。とぎれることのない膝の生傷、これが耄けであり私の存在証明である。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月28日 16:44 | 固定ページリンク




もったいないお化け  | 一考    

 使えるものは再利用するとの方針が裏目に出た。ガス漏れと水洩れに泣かされ、施設すべての撤去を余儀なくされた。スケルトンに戻す工事が繰り返され、不要な費用が発生した。取り壊しに追われる日々だったが、今日はじめて内装に入り、カウンターの土台になるブロック積みが完成。明日はガス管や水道管が撤去され、明後日はカウンター内部の基部へコンクリートを流し込む作業がはじまる。23日までに基礎工事を済ませたいのだが。
 私への割り当ては天井の研摩と壁面のニス止めである。前の店では未処理のままだったが、お客の身になると必要な作業である。

 工事費を捻出すべく、永田耕衣の句集を手放すことにした。かつて、自ら装訂した書物を手放した後、銀花から取材があって困惑させられた。そこで、必要なときは写真を撮らせていただこうと思い、知己で買ってくださる方がいないかと二三当たってみた。しかし、数万円ならともかく数十万円となると東京には買い手がいない。やはり古書は古書店に売るしか手立てがないようである。余談だが、私は新刊書店へは行かない、金がないからである。たとえ新本であっても古書店で求める。それだと現金払いでなく、後日まとめての勘定付けが可能だからである。どちらに顛んだところで、私は古書店からは逃れられない。
 神保町のT書店によると、永田耕衣の「加古」は三度、「猫の足」(限定五部)は一度扱ったが、最稀少の「傲霜」は一度も扱っていない、況や特装二部の「傲霜」は見たこともないとのことだった。私自身が三部、五部、十部といった特装本を多く手掛けてきたこともあって、一部の古書店とはいまなお懇意にしているが、稀本は売却にも難儀させられる。これが荷風の腕くらべ私家版とか谷崎の細雪私家版なら右から左なのだが。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月19日 22:03 | 固定ページリンク




ひがれい  | 一考    

 工事で出掛けていたため一日遅れで黒い猫くん到着、ありがとうございました。猫は世間知らずのおおふくべでよろしいのですよ。もっとも私はそれが理由で猫は好きじゃないのですが。
 「タコヤキ屋三十軒」で書いた中村商店の住所を隆さんから教えていただいた。念のために検索すると以下に載っていた。
http://www.qlep.com/search/cont_detail.php?cont_cd=389&news_cd=0&news_no=19

 ところで、1.8キロのじん粉の他さまざまなものが詰められていたが、中にささかれいが入っていた。一夜干しでなく完干しのかれいで、出刃包丁の背で叩いて軽く炙り、毟りながら三杯酢で頂戴する。一夜干しは干しがれい、完干しは干(ひ)がれいが関西では一般的な呼称である。富山出身の田中冬ニが著した干がれいは一夜干しである。松山や広島では干(ひ)がれいの異なる呼び名があった筈だが思い出せない。後日、津原さんに訊くとしよう。
 かれいの種類は多く、西明石でも十種類ほどを置いた記憶がある。おいらんがれい、ばばがれい、そうはちがれい、まがれい(くちぼそ)、まこがれい、あかがれい、くろがれい、すながれい、あぶらがれい、いしがれい(いしもち)、あさばがれい、めいたがれい、あまてがれい等々である。
 隆さんが同封なさったささかれいが気になったので、干しがれい、干(ひ)がれい、このはがれい、ささのはがれい。あしのはがれい、やなぎむしがれい(やなぎがれい)等々を辞書で引いてみたが判然としない。魚の名は専門の辞書でなければ手に負えないようである。
 干がれいを書くのは、東京ではあまり見掛けないからである。国語辞書の編輯を手掛ける会社はすべて東京、しかも辞書編輯者で上方出身のひとは過去二人しか会ったことがない。それでは語彙が偏るのは仕方がない。ちなみに干がれいは、私が十代二十代の頃は居酒屋の常備品だった。ところが、手持ちの辞書にひがれいの項目はない。陽に透かすと浮き彫りされる骨格に文学のコモン・センスを感じていた私こそがあおびょうたんであり変わり者だったのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月19日 02:18 | 固定ページリンク




鍋を運ぶ黒い猫  | 隆    

どうも皆様こんにちわ。
狭い掲示板のスペースを拝借して申し訳ありません。
今頃、黒い猫くんがトラックに鍋を載せて首都高辺りを走っている頃かと思います。
猫くんの荷物には鍋とその他諸々、何か役に立ちそうなものが入っているかと思いますのでご活用下さい。
ところで、猫といえば今我が家に一匹の肥えた猫がいます。
魚の臭いは好きだが食べるのは嫌い、その他海老等の魚介類も駄目というなんとも私のようなあんびょうたんな猫で、好物は海苔という変わり者です。
moonさん宅のノルウェー猫のような優雅さは欠片も有しておらず、色はといえば、どぶねずみか、将又汚れた雑巾のような色なのです。
(それでもアメリカンショートヘアとチンチラの間の子だったりします)
ところがこれがまたどうしようもなく可愛いのです。
猫にはそんな不思議な魅力があります。
私が猫に依存しているのか、猫が私に依存しているのか。
だから私のように飽き足らず猫と生活を共にする人がいるんでしょうね。
隣で猫がパソコンの画面を長めながら欠伸をしています。
余談が過ぎましたね。
電話でも申し上げた通り、受験が終われば、来年の春頃そちらに伺う機会ができると思います。
その節はどうぞ宜しく。


投稿者: 隆      日時: 2007年09月17日 23:08 | 固定ページリンク




 | 一考    

 隆さんから電話があった。隆とは愚息である。今度音大へ入りたいとかで、のんちさんを思い起こした。掲示板へ掲げられた白髪の私を見て驚いたようだが、その分彼が大きく育ったということになる。
 電話の内容は明石焼きの鍋。彼の許に銅板手打ちの鍋が一台あるのは分かっていたが、それを寄こせとは流石に言えなかった。てっきり、日頃用いているものと思いこんでいたのである。しかし、明石の住人ならば、自宅で作るより専門店へ出掛ける方が安くて手っ取り早い。使っていないので送ろうかとのありがたい申し出だった。
 明石焼きに関しては掲示板で詳述したので繰り返さない。ただ、隆さんからじん粉はどうするのかと訊かれた。彼は品川生まれで神楽坂の育ちである。にもかかわらず、じん粉への知識を持っている。長い明石生活がもたらしたものと思う。魚の棚にある粉屋の一軒を説明し、仕入れへのご協力を願い出た。
 さて、ここまでくれば明石焼きを置かないわけにはいかない。ガス台の配置を考えなければならなくなった。

 ですぺらだが、大工の手当がつかず、九月開店は見送りのようである。詳細は書きたくもないが、この数箇月の推移を顧みて忸怩たらざるを得ない。閉店に際し手にした金数も底をつき、愈ますます途方を失いつつある。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月16日 13:27 | 固定ページリンク




矢野目源一「揺籃」  | 一考    

 垂野創一郎さんが矢野目源一の「揺籃」を私家版で上梓なさった。
 一九一五年六月に上梓された「揺籃」を購ったのは十代の頃、同時期に読み耽っていた長田幹彦の「澪」や「零落」と奇妙に符合していたのを覚えている。
 幹彦が北海道を放浪中、知り合った旅役者に取材したのが上記作品だが、矢野目はその北海道のひとである。一八九六年十一月三十日の生れだから「揺籃」 開版は十九歳の折、ちなみに前年の十二月に鈴木三重吉の手によって「零落」が上梓されている。
 幹彦は戦後、通俗小説を執筆するかたわら心霊学の著作などを残したが、矢野目もまた艶笑コントや媚薬や性感増強法などの著書を多く著している。
 下って、一九七五年九月に矢野目の「黄金仮面の王」を私は造った。飾画は山本六三、本文校訂は須永朝彦、腰巻きは澁澤龍彦、解説は種村季弘という絢爛豪華裾模様の一本だった。自分の過去の仕事に興味が抱かれないので手元に書冊がないが、たしか一九八三年に谷川俊太郎さんと「世界のライト・ヴァース5」を編纂、矢野目訳のヴィヨン「四行詩の型に則りし墓碑銘」を収録した。その詩は覚えている。

 此の己フランソワ、幾許(ここばく)の悲哀を経たり。
 ポントアァズ近傍、巴里府にての御誕生。
 一筋の縄は能く、今、我が此の首(こうべ)をして、
 我が物なる臂(いしき)の、その重きを覚らしめん歟。

 上述の「黄金仮面の王」所収の解説で「芸術に聖潔なかつての初々しい青年詩人は、中年から暗黒趣味に反転したが、晩年はいささか滑稽な、落魄の道化を演じていたらしい。しかしどうだろう、シュオッブの純粋な夢想家の若い晩年も美しいが、矢野目のこの喜劇的でいかがわしい晩年も悪くないのではなかろうか」と種村季弘は著す。落魄でも零落でも意は同じだが、折口のいう貴種流離を含めて零落者の文学史のようなものをどなたかお書きいただけないだろうか。「行末とほき人は落ちあぶれてさすらへむこと」を持ち出すまでもない、健康的なものには一顧だに触れたくもないのである。あきらめとやるせなさとが行き惑うところに矢野目の、そして文学の本意がある。
 種村さんの文章が書かれたのが一九七五年五月、以降書かれた矢野目論はない。かくまで等閑視された著者の書物を上梓するのは向こう見ずである。平井功訳詩集につづく垂野さんの蛮勇に喝采をおくりたい。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月14日 15:45 | 固定ページリンク




辞職  | 一考    

 首相の辞職を知って残念に思う、これで日本沈没が遠ざかる。小泉、安倍と続いた戦後レジームからの脱却が意味するものは戦後民主主義教育の否定だったが、それは進歩主義思想の表明ではなく、アンシャン・レジームを懐かしむ情動の表明だった。
 維新以降のアンシャン・レジームの結果が一九四五年のそれであったとすれば、安倍が冀求し体現しようとしたのは消滅への詠嘆であり、ハメルーンの笛吹きそのものだった。ヴィスコンティを持ち出すまでもなく、保守とはそのようなものであり、革命的大衆を拒否してやまないものである。支配階級の圧力に抗して個を守るために自律性を取り戻すのが大衆の責務である筈なのだが、それに夢を抱けない者は小泉や安倍を支持するしか手立てが残されていない。繰り返す、日本沈没が遠ざかって口惜しく思う。是は残念閔子騫。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 14:56 | 固定ページリンク




パソコン求む  | 一考    

 新しいですぺらにはデスクトップのパソコンを置く場所がない。そこでノートブックを探している。ウィンドウズなら借り物があるのだが、マックでなければ店の資料が開けられない。用途はワープロのみなので、CPUの速度は問わない。要は旧式を望んでいる。どなたか安価なノートブックをお頒けいただけないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 12:51 | 固定ページリンク




選民意識  | 一考    

 諸経費節減のため、新聞は打ち切った。それ故、Kさんがたまに持参なさる東京新聞に目を通すのみである。その東京新聞の俳句月評へ宗田安正さんが書いておられる。

 一九八〇年代に始った俳句大衆化は、江里昭彦によれば九〇年代に「情緒安定産業としての俳句」に変質した・・・
 いずれにしても、大衆化を起点に、俳句は表現する俳句から享受する俳句、癒し合いの俳句になる。新しい表現運動はなくなり、総合誌も結社誌も数は殖えたが主張がなく、みな等しなみになってゆく。こうした状況ではかつてのように俳句をリードした総合誌の成立のしようはなく、大衆の要望に応えて俳句上達法の講座まがいの記事と、きまった俳人たちのお手本的作品の展示場になりがち。

 俳句を文芸に置き換えてなんの不具合もなく、宗田さんらしい気配りの行き届いた文章である。以下は宗田さんが著されたエッセイに託つけての私の身勝手なおしゃべりである。
 大衆が先天的に決定能力や統制力を欠き、非合理的、情動的な存在であって愚民とほぼ同義語として解釈されていた時代ならことは単純だった。大衆に選民意識を抱かせるのがファシズムやナチズムの常套手段であって、みな等しなみに選ばれた少数者との意識を抱いて世はうまく収まっていた。
 ところで、選民意識を持たない大衆というものは考えにくい。言い換えれば、大衆という意識を持った個に私はお目に掛かったことがほとんどないのである。平等がもたらす自信について前項で書いたが、個と大衆との概念をひとは器用に遣い分けている。それをいいとも悪いとも思わないが、ただ、過剰なまでの自信や選民意識には疑問を呈したくなる。
 マジョリティがさらなるマジョリティに対していかに苛酷になるかは歴史が証明している。マイノリティとマジョリティは常に入れ子構造になってい、決して対立概念にはなり得ない。この「なり」への偏見や差別と同種の情動が大衆を支え、さらには自律的組織に結集するエネルギーの源泉ともなっている。それは大衆が内包する負の部分である。
 ネットの発達によって、大衆は等しなみに表現者としての選民意識を持つに至った。大衆意識、言い換えれば「孤独な群衆」意識を持たないのが大衆の大衆たる所以であって、大衆は公衆と峻別されなければならないが、ここでミルズとマルクスの大衆の意味づけの違いを論じる気はまったくない。ただ、マルクス以降、大衆を没個性的で受動的な操作の対象として捉えるのは不可能になった。
 わが国に限らないが、文芸はヒエラルヒー的に秩序づけられて維持、発展してきた。その職能的な序列を棚に上げての短歌、連歌、俳句など、私にとっては笑止千万である。かつて与謝野晶子や日夏耿之介は文芸を大衆の手に取り戻そうとして血塗れになった。そしていま大事は、大衆という意識を持った個に文芸を戻すことにある。
 俳句が癒し合いの俳句になって構わないと私は思う。それで俳句が自滅へと至るのであれば、それは俳句の責任であって大衆の責任ではない。大衆は歴史を創造する主体者そのものである。大衆を愚民視する危険をこそひとは慎重に避けなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2007年09月12日 12:18 | 固定ページリンク




>ひとつ前のページへ

ですぺら
トップへ
多機能掲示板
トップへ
シンプル掲示板
トップへ
シンプル掲 示板
記事を書く
一ッ新< ||現在 頁 |新← 89  90 ・ 91 ・ 92  93 一括!|| >一ッ古


メール窓口
トップページへ戻る