「美味しんぼ」が鼻血騒動でかまびすしい。テレビのコメンテーターはこぞって非難している。曰く、専門家でもないくせに、原発について発言するなら他の手段があるだろうに、漫画でこのような社会的な発言は止めるべき、風評被害の最たるもの、反日漫画家等々、差別に満ちた物言いばかりである。特にテレビ朝日のワイド!スクランブルのそれは目を覆うべき代物だった。
大阪市長が周到な取材によるにもかかわらず、と揶揄した上で「美味しんぼ」の今回の騒動を非難していたが、わたしは雁屋哲氏が「しっかりとすくい取った真実をありのままに書く」作家だとは思っていない。かつてボウモアの香味が変わったのはサントリーが蒸留所を買収してからだ、との風評を信じ、出鱈目を書いて訂正ひとつしなかったのを知っている。要は雁屋哲氏の著す内容が必ずしも事実ではないことを踏まえた上で、今回の騒動を捉えたい。
第1原発取材後に主人公らが鼻血を出した原因を双葉町の井戸川克隆前町長が「被ばくしたからですよ」と断定する場面、福島大行政政策学類の荒木田岳准教授が「除染しても人が住めるようにするなんてできない」と述べている場面はともに事実である。今回の騒動に対して井戸川克隆前町長は被曝自体を風評被害としてしまうところにこそ、問題があると看破する。
鼻血が出るのか出ないのか、低線量汚染がもたらす影響は判然としない。ならば、議論を巻き起こす契機にすればよいのであって、風評を助長させるとの福島県知事の弁は上述の被曝自体を風評被害にしてしまう危険性を内包している。そもそも、風評を作り出しているのは政府、環境省、自治体、そしてマスコミでなかったか。
云うまでもなく、風評被害とは根拠のない噂のために受ける被害であって、福島で農業や漁業に携わる人々が受けているのは「風評による被害」ではなく、「放射能による被害」である。政府はなにもかもを風評被害として片付けようとし、国民もそれに倣っているが、「風評による被害」と「放射能による被害」は本来厳密に峻別しなければならない。
自民党の圧勝にはじまって、都知事選、集団的自衛権、原発再稼働と、国民多数の支持を得、世の中は核武装へ向かって一直線に進みつつある。「天皇陛下万歳」を三唱し、手に手を取って滅びる日はそう遠くはない。