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編輯について   一考   

 

 「物議」が高遠さんからお褒めに預かった、悪乗りしてさらに一言。多くの書物が編輯者を介さず、陽の目をみるようになった。おそらく書き手の自己判断が基準になっているのだと思う。しかしこれ以上危険なことがあろうか。
 自分で文字を打ち込めば十万円もあれば本らしきものが造られる。他方、編輯者の目を通すのに五十万円掛かったとする。それでもなお、編輯者が読むことに価値があるとわたしは思う。校閲ないし校正とはそれほどに大変な作業である。
 文章を著すときに編輯者を意識するとは読者を想定するに等しい。最初の読者が編輯者であって、彼(彼女)ならどのように表現するだろうかと考える。そこから文章の鏤刻がはじまり雕琢がはじまる。推敲を重ねるとは既存の書物のあらゆる表現と照らし合わせ、もっとも適確な用語を選択することである。ときとして、句読点ひとつに何日も考え込むこともある。
 それら艱難は著者と編輯者の秘め事であって外には表れない。わたしなどは二十回ほど書き直しをする。書き直すではなく、書き直さざるを得ないのである。理由は手持ちの引き出しの数の少なさにある。
 文学にあってもっとも大切なのはイノベーションだと思う。情念における革新性は当然として、表現法としての革新性も問われつづける。そして情念における革新性と表現法における革新性とは同一のものである。既存の書物から得た夥しい引き出しの古層のなかからのみ、その革新性は生まれる。


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2011年03月01日 21:34に投稿された記事のページです。

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