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再度、ブラックアウトについて   一考   

 

 M・Aさんは幹郎さんの知己で、某病院の婦長を務めた人である。関さんを通して何度かお話を伺い、直接お手紙も頂戴している。彼女のような方が当掲示板を読んでくださるのは非常に嬉しく、また心強く思っている。わたしの書くことが戯言でないと理解してくださるのは医学の心得のある方に限られるからである。
 それでなくとも、わたしも死ぬような目にあったとか、死の淵から生還したなどと囂しい。わたしは病を自慢しているのでも泣き言を陳ねているのでもない。それが理解できない人に当掲示板を読んでいただきたくないとすら思っている。当初、今回の病について書くべきか書かざるべきか随分と迷った。しかし、同じ症例(腎不全は病名ではない)を抱える人が二十万を超えると聞いて、書く気になった。末期腎不全のさらなる症例を細かく書き留めておくのはこの種の病を客体視する上できっと役立つと思ったからである。
 わたしは特別な人間でないし、特異な人間でもない。人はいずれ死ぬのだからと屡々口にするが、そのような達観を持っているわけではないし、運命論者でもない。避けられるなら透析は避けたいし、人工臓器に繋がれて命永らえるほど価値のある人間だとも思っていない。要するに誰もが考える程度のことで自ら悩んでいる。ただ些かやんちゃだったので、喧嘩はよくした。今思うに、おぞけを震うような喧嘩の繰り返しだった。両手、両脚を何度か骨折し、また骨折させられた。交通事故で上半身が砕けたこともあった。そのような目にあっても怖いと思ったことは一度もなかった。それどころか、喧嘩で骨折とは滑稽以外のなにものでもないと思っている。今回ブラックアウトと遭遇してわたしははじめて真剣になった、はじめて恐怖心を抱いたのである。

 手に汗を握るとよく云うが、その因果関係が心理的なものか生理的なものかは意味をなさない。双方を分離して考えることはできないからである。気を失う時、人の身体は汗でびっしょりに濡れる。滴りおちる汗に個体差はなさそうである。あの汗は恐怖心からきているのでないかと思っている。わたしは自分の症例を知るに認知行動療法の手法に範をとっている。要するに、徹底的に自分と話し合っている、話し合いのなかから明日の自分が垣間見えてくる。
 ブラックアウトは意識の消失という一点においてすこぶる暴力的である。自らの意識や意志が奪われるが故におそらく最も死に近いものと思われる。ブラックアウトは事前に予知できる。衝撃に見舞われ、やって来るなと身構えた瞬間から気を失うまでに三十秒ほどのタイムラグが生じる。この三十秒は想像を絶するほど長く感じられる。薄れて行く意識と知覚を取り戻そうとする意志力との葛藤であり、闘争である。抗っても無駄なことは分かっているのだが、その抗いのなかにこそ、わたしの生に対する思惟の大略がある。生への思惟、それは生への深い悲しみでもある。
 昏倒するときに注意しなければならないのは頭部への打撃である。それを防ぐのは最後の最後まで抗うことだけ。途中で自分を投げ出して諦めたらお仕舞いである。意識が消え去る一秒か二秒前にわたしは自ら倒れるようにしている。しゃがみこんでから痙攣がはじまるようだが、その段階では既にに意識はなくなっている。やんちゃと書いたように反抗精神だけは発達している。それを逆手に利用しているのである。
 昏睡状態の記憶があるのかどうかはわたしには分からない。ただ、名状しがたい苦痛と恐怖が残される。可能ならば意識消失それ自体を把握し記録したいと願っているのだが、思うようにならない。ブラックアウトとはよく云ったものである。明晰さといってもさまざまな明晰さがある。一般的な意味に於いてわたしは明晰というものを信じない。ひとの生は想像する以上に渾沌としている。わたしはきっと、その渾沌を渾沌として捉えようとしているのかもしれない。
 それは夢の分析と似ていなくもない。異なるのは苦痛と恐怖に彩られている点であろうか。悪夢というものもあるが、その悪夢だけが抽出されて長く続くといった塩梅であろうか。あまりに酷い悪夢の場合、ひとは無意識に夢を遮断する、強制的に覚醒するのである。ところが意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない。きっと無意識自体が広い意味で意識の領域に属しているのと違って、別の領域の出来事なのであろう。言い換えれば、最初から安全回路が設けられていないのである。意識消失は死に寄り添う影のようなものと心得ている。
 状況があまりにも苛酷な場合、自らの意志で制禦できないことに逢着すると人は悲しみを憶える。その悲しみのなかにこそ文学がある。わたしは知識や書物を文学だと思ったことはない。自らの生に対する抗い、その息遣いこそが文学だと思っている。


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2010年08月06日 15:08に投稿された記事のページです。

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