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物語   一考   

 

 七月五日の土曜日に有志が集まって酒を飲むとかで愉しみにしていたのですが、新宿のナベサンは山梨のコンサート行き、数年ぶりの休みだそうです。従って、新宿はあきらめて赤坂にしましょう。
 先日、用事があってナベサンと会ったのですが、近頃近隣で飲み屋を営む方がよく来られるので、朝の八時、九時になるとのこと。それに対する彼女の意見は伺わなかったのですが、私は同業者の内で金が回るのは反対です。私のことですから、身内意識など端からないのですが、来られれば行かないといけない。そのような義理掛けがいやなのです。赤坂で飲まないのは来られると困るからなのです。親しくしている方もいるのですが、そこへは店がはじまる前に行くように心掛けています。よって、そういう心配のない赤坂亭や白木屋といった飲み屋が私が行く場所になります。ですぺらのような個人商店は避けるのが互いのためなのです。
 亡父が晩年、福原振興会の理事をやっていたので、あの世界の醜悪さは身にしみて解っています。組織のいかんを問わず、理事とか役員とかいった人たちは改革を嫌います。
 これはウィスキーの世界でも同じで、佐々木幹郎さんのように一杯のウィスキーから物語を紡ぐひとこそが酔っ払う資格を持っていると思うのです。今は情報ばかりが大事にされます。大麦麦芽がどちらの、水はどちらの、蒸留所の歴史はオーナーは、過去のボトルはと囂しいかぎりです。ボトラーは一部を除いて歴史は持たないので安心していたのですが、五年も経つと中堅で十年も経つと老舗だとか、嗤わせるではありませんか。
 「ところで、もし作品が他日を期してとりおかれ、後世になってはじめて日の目を見るとしたら、後世はその作品にとって後世ではなく、五十年後に生きる同時代人の集まりということになるだろう(プルースト・高遠弘美訳)」五十年はともかく、ここに描かれた消息はウィスキーにとっても同じである。モルト・ウィスキーほど流行りと縁遠いものもありますまい。飲む前ならいざ知らず、口に含んでしまえば、その瞬間からウィスキーは一切の情報を拒否します。
 初めてまみえた時のほのかな潔い香りや透明感に充ちた、つややかな黄金色の階調、口に含んだ時のこくとしか称しようのない物そのものの持つ甘さ、酒が玉になってコロコロと音を立てて喉三寸を通って行くきわやかな快感。酒との出会いは多くの物語を生みます。幹郎さんが著したように「シングルモルトの味と香りを語ることは人生を語ることに似ている」
 情報の量が一種の権威になるような、そんな世界が嫌になってのモルト・ウィスキーではないのでしょうか。情報は物語ではないのです。再度、幹郎さんの文章を引用する。
 「ああ、これは十四歳の不良だな、と考える。中学の上級生になって、ナイフなどを懐に入れて、粋がっている。まだ、世の中の怖さを知らない。一匹狼だが、喧嘩の仕方を知らない。春の漁港の突堤の上で、あぐらをかいて、睨みをきかせている。
 それから数年経った、同じ蒸留所のボトルと飲み比べる。ゆるやかに熟成されていて、味のコントロールもいい。スモーキーさは少し薄れているが、飲み干したあと、香りの余韻が上がってくる。こいつは優等生だな、と思う。しかし、なんとなく儚い。
 白い夏の光りが見えてくる。十六歳の夏休み。少年が帽子を被り、田舎道を歩いていく。そのとき、突然、優等生を続けるのはもうやめようか、と思った。もっと好きなことをやりたい。蝉の声がジンジン響いて、初めての自由を覚える。海の匂いが吹きつけてくる、将来は何になるのか、まだわからない」
 以前にも引用したのだが、何度でも引用したい。かつてウィスキーについてこのような文章が著されたことがあっただろうか。この文章を読んで、私は嗚咽を怺えることができなかった。


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2008年06月30日 21:33に投稿された記事のページです。

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