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腎不全発症時   一考   

 

 発症前後の処置によって生存率は大きく変わる、そこで腎不全発症の頃を書いておく。わたしは腎結石なのでいずれ腎不全に陥るのは明らかだったが、本人にそのような覚悟はなにもなかった。結石が尿管に落ちるときの激痛は覚悟していても、腎臓は沈黙の臓器であって痛みを伴わない、痛みのないところに不条理は感じようがなかった。
 オートバイの顛倒事故によって左脚の靭帯剥離骨折、その折の血液検査でクレアチニンが6を越えているのを知った。医師にとって骨折は二の次で、即刻シャントの作製と透析を命じられた。ちなみに、事故前年のクレアチニンは2だった。
 通常はクレアチニン6でシャントを作り、7で透析に這入る。ところが、当時のわたしは透析を試みる気はまったくなく、死ぬつもりだった。その理由は捨て置けば心不全でぽっくり死ぬと聴かされたからである。わたしは何時死んでも悔いのない生き方を心掛けてきた。従って、苦しまずに死ぬのであればそれに越したことはないと思った。
 クレアチニンが8を越えたあたりからさまざまな症状に襲われるようになった。顛倒事故からきた松葉杖は別にして、骨粗鬆症、憩室からの下血による慢性の貧血と血圧の低下(通常は高血圧に苦しめられるが、私の場合は違った)、尿毒症がもたらす頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、歩行困難、全身の痒み等々、しかしそれらは堪えられる種類の痛みだった、たったひとつブラックアウト(急激な血圧低下)を除いて。度重なる失神にわたしは悲鳴を挙げた。ブラックアウトのときの痛みと恐怖心に根負けし、透析に踏み切らざるを得なかった。透析時の年齢は六十三歳。
 わたしがシャントを作った時のクレアチニンは10を越えていた。ここまでで発症から一年半を費やしている。ここで書いておきたいのはもっと早い段階で透析に踏み切っていたら、生存率はさらに上がっていたであろうこと。
 シャント作製から四日目(通常は二週間)に透析をはじめた。それほどに非常事態だった。しかし本人は呑気ななもので、透析をはじめれば多少のことは大丈夫と、病院近隣の喫茶店で葉巻を薫らせ珈琲を啜っていた。流石に珈琲はその一度だけで止めたが、烟草はいまなお馴れ親しんでいる。
 文中で触れたように、高血圧と貧血で悶々とするのが腎不全である。また浮腫は付きものの症例だがわたしには起きなかった。ブラックアウトも前例はあるが頻発するような例はない。このあたりにも個体差が顕れている。そして平均生存率は五年だが、無理が祟って四年というのが医師の見立て、すこぶる冷静な判断だと思っている。
 透析をはじめた以上、わたしが為すべきことはその四年をどこまで延ばすかであろう。よって食事制限とその制限と密接な関わりを持つ血液検査で異常値を出さない、ドライウェイトの三パーセント以内の除水率を守る、以上に全力を傾けるのが医師への礼儀であり謝意だと心得ている。


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2011年02月15日 03:33に投稿された記事のページです。

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