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山上の蜘蛛   一考   

 

 明石蛸ならぬ「山上の蜘蛛」と題する書冊が季村敏夫さんから送られてきた。蛸も蜘蛛も八本脚だが、中味は八本どころのはなしでない。極端な例ではわが国で96本脚の蛸が捕獲されたことがあるようだが、季村さんのそれはさらに多い。
 「山上の蜘蛛」には「神戸モダニズムと海港都市ノート」とのサブタイトルが付けられている。タイトルの蜘蛛は神戸のプライヴェート・プレス蜘蛛出版社にちなみしもの。モダニズムとは云っても、彼のいう「地域の出来事の共時性」すなわちダダイズム、アナーキズム、マルキシズムなど、実に幅広く同人誌を博捜する。多脚と書いた理由は一読していただければ理解できよう。
 文中にわたしの愛読書でもある「出世をしない秘訣」の書影が飾られている。著者ラクロワについては素天堂さんがかつて書かれている。

 http://d.hatena.ne.jp/sutendo/20040221

 モダニズムというどこかしらハイカラな幾何学を想わせる概念を本書に求めるひとは失望させられる。椎名其二のテーゼを引用しつつ、季村さんは「いたましさ」と「むごたらしさ」が表現の故郷だと著す。そこに「情けなさ」を加えれば、詩人の苗床の概略が顕れる。いまどき、このようなことを書く詩人がどこに存在しようか。慟哭が必ずしも文学とは限らないが、文学に接したときひとは必ずや慟泣させられる。
 わたしが一部の書誌学者を嫌うのはそこに肉声が流れていないからである。そのようなひとに限って撰択に立場の闡明があると宣う。本書がいくら重層的に書誌学の仮面を被ろうとも、全篇は季村敏夫の詩精神で染めぬかれている。

 「草野心平にならえば、天体に属さず、地上に天国をひきずりおろそうとする発想である。一方、・・・ポエジーはあるが詩人は存在しないとし、非個性、半個性を目指す傾向がある。神戸モダニズムと呼ばれるが主流は前者で、林喜芳や能登秀夫、伊勢田史郎、中村隆、直原弘道、西村昭太郎、和田英子などの足跡をたどれば明らかである。後者には石野重道、稲垣足穂、多田智満子らが位置し、岡田兆功、鈴木漠、時里二郎らを入れても差し支えないだろう」との鳥瞰を示しつつ、天体と地上とのあいだで搖れつづけ、のたうちまわった君本昌久の蜘蛛出版社にフロイトの「揺れども、沈まず」の一言を奉げる。その振幅は取りも直さず、「いかに生きるべきか」に対する季村さん自身の倫理観そのものであり、思索の果てである。
 書物の前後にあってリルケの詩が引用される。

 誰が、では、私たちの向きを変えたのか、私たちが
 何をなそうとも、過ぎ行く者のあの姿になるとは?
 登ってきた谷間を一望できる最後の丘で
 振り返り、立ちどまり、しばらくためらう……、
 そのように私たちは生きて、つねに別れてゆく。
         リルケ「ドゥイノの悲歌第八」中井久夫訳

 喪われた同人誌の古層を前にして、歳月は贅を刮げ情念を浄化する、透き通るような弧絶感と一条の冷涙が見て取れる。無機質な書物が蔓延るなかにあって、山上の蜘蛛一巻は間違いなく屹立している。A5版403頁の大冊である。

 山上の蜘蛛 季村敏夫著 みずのわ出版 本体価格2500円 
 神戸市中央区旗塚通3-3-22-403 電話078-242-1610


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2009年10月07日 21:59に投稿された記事のページです。

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