退院後はじめて二食を満足に頂戴した。メインディッシュは三センチ角の唐揚げ一箇、二センチほどに切られた茄子と椎茸が半かけ、あとは菠薐草のお浸し二種である。ちなみに唐揚げには低蛋白の小麦粉が使われ、塩は使っていない。それに低蛋白米が百五十グラム。それにしても小さな一欠片の唐揚げがメインディッシュとは。療養食を食べる度に思うのだが、普通の食事をしてきた人には絶えられないだろうと思う。透析患者の半数が一年未満に死んでゆく理由のひとつは苛しい食事療法にある。隠れて焼き肉や寿司を食べ、症状を悪化させてゆく。わたしはこのような粗食には馴れ親しんでいるので平気だが。
いま食している内容だと二食であってもカロリー、蛋白共に制限範囲に収まっている。そこでわたしは菓子を摂っている。菓子といっても食べられるものは限られる。練り羊羹、ミニ最中、コーヒーゼリー、ボンタンアメ三粒のうちの一種、といったところ。ちなみに練り羊羹は駄菓子屋で売っている一箇二十グラムのもので、これを一ミリずつ前歯で刮げるようにして食べている。ただ、ここにはわたしの自由がある。糖尿の人には申し訳ないが、このささやかな菓子が韃靼を渡るパピヨンに思われてくる。
山崎さんとの帰路、EDについて語り合った。本題は透析患者とEDだったが、はなしは透析にとどまらない。揚句は包茎から間違えたマスターベーションの方法にまで及んだが、ここでそのはなしを繰り返すつもりはなく、透析患者に性欲は失くなっているとだけ書いておく。要するに、性欲と食欲というひとを突き動かす大きなファクターを喪ってまで生き続けるという、存在の不思議を主治医と語り合いたかったのである。おそらく、そこには夢見の、そしてイマジネーションの本質があるに違いない。