世界で最初の遺伝子治療は、1990年(平成2)にアメリカ国立衛生研究所の医師フレンチ・アンダーソンの手で行われた。患者はADA欠損症を患う、当時四歳のアシャンシ・デシルバという少女。
ADA欠損症は、リンパ球にADA(アデノシンデアミナーゼ)という酵素がないために生じる病気。重症の免疫不全を起こし、感染症による死亡率が非常に高いため、無菌室のなかでしか生きていけない状態となる。その治療に採用されたのが、患者の体内にADAをつくる遺伝子を入れ、リンパ球の機能を回復させる方法、つまり遺伝子治療だった。(製薬協)
遺伝子治療に地平を開いたのがドリーとポリー。ドリーは、1996年(平成8)にイギリスで誕生したクローン羊のこと。そしてドリーに続いて、同じイギリスで誕生したのが、人間の遺伝子を組み込んだ最初のクローン羊ポリー。このポリーこそが、薬の動物工場への可能性を開いた。
バイオ医薬品として、ヒトインスリン製剤、エリスロポエチン製剤(EPO)、ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF)、インターフェロン(IFN)、ヒト成長ホルモン(hGH)などがある。
わたしが用いているのはエリスロポエチン製剤で、遺伝子組み換え技術により、1990年(平成2)にヒトエリスロポエチンの量産が可能となり、透析患者の腎性貧血の治療に画期的な成果をもたらした。要するに、遺伝子治療の歴史は1990年からはじめられた。
エリスロポエチン製剤が開発されるまでは輸血しかなかった。腎不全の患者は定期的に輸血を繰り返していたのである。一年半前の大量出血の折は量が量だけに輸血するほか、手立てはなかったが、いまでは同製剤のお世話になっている。
糖尿病の患者が用いるインスリン製剤。B型およびC型慢性肝炎、腎臓がんなどの治療薬として用いられるインターフェロン。小人症の治療薬であるヒト成長ホルモン。抗癌薬の連続投与を可能にするヒト顆粒球コロニー刺激因子(抗癌薬の副作用の一つに白血球の減少があるが、その白血球の増殖作用がある)。
その他にも、腎臓がん、血管肉腫の治療薬インターロイキン2、A型血友病の治療薬の血液凝固第VIII因子、血栓の治療薬ウロキナーゼ、急性心不全の治療薬ナトリウム利尿ペプチド等々がある。また、特定の細胞、例えば癌細胞に薬を誘導するモノクローナル抗体なども、バイオテクノロジーによる開発が有望視されている。