帰りしなに代車を駆って山崎医師のところへ寄る。腎臓ならびに体調の有様を解いて意見を伺う。排尿があること、造血されている(エリスロポエチンが生成されている)ことを指摘。ヘマトクリットが35.8、ヘモグロビンが12と細かく説明。壊死するのは時間の問題だと思うが、いまなお腎臓のごく一部が機能しているのが面白い。山崎さんも不思議だと強調なさっていた。
腎不全の患者は貧血と高血圧に悩まされる。同時に高リン血症、二次性副甲状腺機能亢進症(要するにリンとカルシウムの調整)は厄介な病である。しかし、透析に伴う合併症が多発するのは三年後とのこと。
腎移植による免疫抑制剤の副作用について話する。透析よりは移植の方が平均生存年数はほぼ倍になるものの、表に出てこない数値として免疫抑制剤の拒否(腎臓に限らない)による自殺がかなりの数に上ると聞く。副作用にも個体差があって一概に云えないが、重度の鬱病を惹き起こすようである。
透析か移植かはむづかしい問題を孕んでいる。透析による時間的制約が気にならなければ移植は避けた方がよいのかもしれない。ただし、移植から透析へ戻ってきた患者に後悔の弁はない。例え一時にせよ、拘束を解かれたことに対する感謝の言葉しか聞こえてこない。
山崎医師と話すのは楽しい。あと三、四年が寿命です、または長生きの話になると彼はその芽を摘んでゆく。癒らない病と云うと、人は暗い顔をする。しかし山崎さんは違う、優雅なる冷酷とでも云おうか。こんな症状も出る、あんな症状も出る、やはり長くないよ、否わたしは死なないよ、そうかなあ、と物云いがつづく。二人で他人事のように病症を分析する。その他人事にどれだけ救われたか分からない。事前に知識があるとないとでは対応の仕方がまるで違ってくる。期待するから裏切られるのであって、はじめにどうにもならないと教わるのは正しい。山崎さんから透析を薦められたことはない、しかし、透析をするとなるとちゃんと紹介してくださる。判断は自分でしろと云うことである。
クリニックの技師からは本人があと何年元気に生きたいかで総てが決まる、と云われている。精一杯寿命を全うさせるための協力はする、あなたには七十歳近くまで生きていてほしい、とも云われている。今後、いかなる感染症に罹ろうとも、例えわたしが死ぬことはあっても精神を病むことはない。気力そのものがわたしの最大の抑制剤である。