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通いなれた途   一考   

 

 高額医療ならびに老人医療を避けるための欧州の諸法律は日本人の感覚では理解できないであろう。そもそもが延命治療そのものを認めていないし、病院は病気を、怪我を治すところで、養老院ではないからである。
 まず、食事の面倒はみない、看護師が爪を切るとか、身体をタオルで拭くなどという行為は一切しない。痴呆は引き受けないし、動くのはあくまで自力であって手を貸したりもしない。あまりにもドライで、屡々「患者の命は治療に値しない」と役所の担当部署が判断する。それが福祉国家である。わが国でそのような事態が起こればどうなるだろうか。
 とは云え、何があってもわが国でギリシャのような暴動は起きようはずもない。一億二千万の国民を番号順に並べ、個々の余命を「おまえはあと五年」「おまえはあと十年」と国家が決めたところで、唯唯諾諾と付従うのが日本人である。それほどに判断を仰ぎこそすれ、自分で自分を律することを潔しとしない。この志向は明治維新以来変わらない。それをして「坂の上の雲」とは能転気に過ぎるというものである。おそらく、日本人が燃えるのは日比谷焼打事件に見られるように、夷狄排除の機運が高まったときだけである。
 とにもかくにも日本人は変わらない。戦後、アメリカの民主主義が結構となると、それまでの国旗や国歌を打棄り、六十七年を経た今日、未だに認めようともしない教員がいるとか。それなら、星条旗を国旗に制定すればよいではないか。国歌が英語であってなんら不自由はないとわたしは信じる。ラ・マルセイエーズを持ち出すまでもなく、いずこの国歌であろうと国粋主義の手本にしかならない。比して、日本の国歌はすこぶる情操豊かなものと理解する。
 歌詞の原型は古今和歌集賀の部に「わがきみは」、和漢朗詠集には「きみがよは」の初句で、いずれも詠み人知らずで掲げられている。天皇の治世を奉祝する歌と云われるが、古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられている。
 何度も書いてきたことだが、明治天皇も大正天皇も典侍(ないしのすけ)の子、律令制度からの名残りを保っていた女官制を廃止したのは昭和天皇。分かりやすく云えば、昭和天皇は後宮の廃止を宣した。その段階で既に天皇家は滅びへの一歩を踏み出してしまった。消え行くものを愛でるのは日本人の特性のひとつである
 消え行くものすなわち時事は時時であって、その最たるものは災害である。そうとでも思わなければ、今回の原発事故を諒解できない。国家が加害者であるにもかかわらず、その加害者に倍賞を求めてなんとする。本気で国家が倍賞に応じると思っているのかしら。地震の破壊力は加速度で計る。陸前高田が神戸の二百分の一、東京二十三区は三千分の一の規模だった。その神戸で、村山首相は見て見ぬ振りを最後まで押し通した。
 趣味としての自虐を日本人は生きる。深い感傷を抱くが、責任を自己に押し付けることはない。どこの誰でもない、どこかの誰かが常に悪いのである。国民を被曝させた責任の大方はマスコミにある、にもかかわらず、マスコミを誹難し排斥する者はいない。これもまたいつか来た道である。(1月18日13時)


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2012年01月28日 23:42に投稿された記事のページです。

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