ですぺら
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ソムリエのような日髙夏生さん  |   一考

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 いそざかな「一とく」の店主がお客と連れだってこられた。名を日髙夏生さんといい、東大出の若い方である。明石ですぺらにとってモルトウイスキーの最初のお客さんである。店には69本のシングルモルトを置いているが、すでに3回転は飲まれている。ソムリエのような飲み方が気に入り、最初は50本からはじめたのだが、彼のためにスペイサイドを15種追加した。
 東京の出だが、明石へ引っ越してから磯魚に嵌まったらしく、毎週土曜日には一とくで魚を食されている。先週はマナガツオとマトウダイのはなしになった。
 俚諺に「西海にサケなし。東海にマナガツオなし」という。マナガツオは瀬戸内、マトウダイは日本海側でよく食べられる。マトウダイはフランス語で「サンピエール(Saint-pierre)」といい、ムニエルの定番である。マナガツオはさらに高級なフレンチで重宝され、元々関東では人気がなかったが、いまでは国内産超高級魚のひとつになってしまった。

 写真は先週末、例によって近隣のスーパーで売っていたマナガツオ。スーパーで売られるような魚ではないのだが、なぜか安かった。値は580円。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月26日 04:32 | 固定ページリンク




戸井田和重さん来店  |   一考

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 先日、戸井田和重さん来店、みすじ通り店の常連さんだった。2日続けていらしたので、握り鮨その他を用意した。ウイスキーはハーフで飲んでいただく、その方が多くの種類を飲まれるからである。ウイスキーがメインだが、シェリー樽七年貯蔵の福田酒造の焼酎がいたくお気に入りで、販売店のくまの焼酎屋を紹介する。過去飲んだ焼酎でもっとも旨かった逸品である。
 代わりに、カプツィーナ・ヴァイツェンを教わる。ドイツの白ビールである。いつのことだったか覚えていないが、税制改革で300円のビールが一気に500円に値上がりした。現在店で置いているバディントンやマーフィーズも同様である。明石にはマーフィーズと名乗るショットバーがあるが、肝心のマーフィーズは高いので置いていない。ちなみにですぺらでは800円、次回は値を上げざるを得ないが。
 バディントンはキルケニーと共にわたしが好きなビールである。キルケニーは2008年にサッポロから売り出されたが、取り扱いがキリンになってから樽生のみの販売になった。バディントンはインポーターが手を引き、流通在庫のみになってしまった。残念なことである。
 アサヒのスーパードライのような極端にホップを減らし、ビールか発泡酒か分からないような商品が持て囃されるような国にあっては本物は捨て置かれるようである。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月25日 20:52 | 固定ページリンク




プロテクター  | 一考    

 一昨日からバイクが寒い。わたしのライダージャケットはメッシュの夏物、レザーでもナイロンでも良いので冬物が必要である。ボロでもよいので、ヤフオクで見付けようと思う。
 と思いつつ、箪笥を引っかき回すと格好のよいライダージャケットが出てきた。一人住まいが長いと衣服を片づけるのが面倒になり、冬物と夏物を別々の椅子の上に積み上げたまま生活している。ジャケットだが、痩せていた頃に贖ったもので、着られないと諦めていたのだが、着てみるとぴったり合う。減量が功を奏したようである。ただし、プロテクターなしのジャケットである。服の上に装着するオフロード用の上半身プロテクターが安いのだが、些か仰々しい。わたしの場合、シャントをカバーできればよい。そこでエルボーのインナープロテクターの中古を探すことにした。ジャケットの中古を買うよりは安い。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月25日 17:10 | 固定ページリンク




営業打ち切り  | 一考    

 昨晩は体調思わしくなく、営業を途中で打ち切った。帰宅後、血圧を計ると91-52、腰痛がはじまる数値である。拡張期血圧が40台になるとショック状態になり、30台になると心臓マッサージをしないと死に至る場合がある。
 血圧の管理すなわち降圧剤の服用は医師から任されている。手持ちの降圧剤はオルメテック、シルニジピン、アルドメットの3種。オルメテックはアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬のひとつ、シルニジピンはカルシウム拮抗薬、アルドメットは中枢性交感神経抑制薬のひとつ。最近はオルメテックがもっとも用いられるが、ディオバン事件に象徴されるようにアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬には問題あり。よってカルシウム拮抗薬に決定した。なお、フラノクマリン類を多く含むグレープフルーツジュース、ザボン、ブンタン、ナツミカンなどとの飲みあわせは行なってはならない。
 昨今、血圧の上下が激しいのは、体重が減っているからである。体重は増えれば増えただけ血圧も上がる。ちなみに、ダイエットとは体重を減らすことではなく、体脂肪を減らすことである。ここはひとつ、薬を控えながら様子をみる方がよさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月23日 21:06 | 固定ページリンク




薄味の総菜  | 一考    

 農家直販の農産物直売所「めぐみの郷」が近隣にあって、隣で食べ放題のレストランを経営していた。学生ならいざ知らず、老人が多い地区で食べ放題などよくやるなあと思っていた。案の定、客足が少なく閉店、スペースを利用して総菜をはじめた。
 スーパーの総菜は甘いのはともかく、塩分が多くて閉口していた。ところが、めぐみの郷のは珍しく味が薄い、わたし向けである。ですぺらの開店を1時間遅らせたために、閉店前の安売りに間に合うようになった。
 本日は、こいもの炊き合わせ、インゲンのごま和え、肉じゃが、鶏の南蛮漬け、小松菜のおひたし、スパゲティサラダ、ポテトサラダ、いかの天ぷら(1個)の8点が残っていた。デザートにパブロのチーズタルト(2個)も購入、併せて675円である。1日1食なのでわたしの3日分の副食になる。飯が好きなので最近は20グラム増やして140グラムをしっかり食べている。

 過日「減量」で体重について詳しく書いた。「7月中には65キロにまで落としたいと思っている」と書いたが、2箇月遅れで65.2キロにまで減った。やっとドライウェイトに達した、下限の62.8キロまでもう少し、年内にはなんとかなりそうである。1年で15キロの減量になる。
 生体腎移植で得た腎臓の機能に身体を合わせるには52キロにまで下げなければならない。さらに一年は減量に励まねば。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 20:59 | 固定ページリンク




シェリー酒について  | 一考    

 ウイスキーの熟成に用いられるシェリーカスクだが、そのシェリーはさまざまなタイプに分類される。辛口にはフィノ、マンサリーニャ、アモンティリャード、オロロソ、パロ・コルタドがあり、極甘口にはペドロ・ヒメネス、モスカテル。辛口と極甘口をブレンドした甘口にはドライ、ミディアム、ペイル・クリーム、クリームなどがある。ゴンサレス・ビアス社、ウィリアムズ&ハンバート社、ガルベイ社の3社からはヴィンテージ・シェリーが頒布されている。
 20数年前、サントリーからパロ・コルタドが頒布されてい、あまりの旨さに愕いたことがある。アモンティリャードの繊細なブーケとオロロソのボディーと味わいを持つワインである。拙宅にあと2本在庫があるが、非ヴィンテージのシェリーであれほど旨いものに出会ったことがない。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 00:11 | 固定ページリンク




ラフロイグ ロア再発売  | 一考    

 このところラフロイグに関する記述が続くが、「ラフロイグ ロア」が数量限定で再発売されている。トリプルウッドはフィニッシュがヨーロピアンオークだが、ロアはオロロソシェリーのホグスヘッド、クォーターカスク、一度ラフロイグを貯蔵した古樽の3種類のカスクに、ダブルマチュアードの原酒を加えてマリッジするという複雑な工程を経ている。
 トリプルウッドと比してシェリー香が顕著である。その分、ロアはトリプルウッドの高級品ということになりそうである。
 例によって、Whisky Magazine Japanの記事を転載する。

 http://whiskymag.jp/laphroaig_lore/

 こちらは初回の時の紹介記事。

 http://whiskymag.jp/lrlaph/


投稿者: 一考      日時: 2017年09月20日 00:07 | 固定ページリンク




クォーターカスク終売  | 一考    

 ラフロイグのセレクトカスク発売に伴ってクォーターカスクが終売になった。流通在庫はまだあるのでぜひ購入されんことを。間違いなく旨いウイスキーである。
 トリプルウッドも終売になるようだが、こちらは最初のボトルと2度目以降のボトルでは中身が異なるようである。バーボンバレルとクォーターカスクで熟成は同じだが、フィニッシュはヨーロピアンオークとなっている。わたしは確認していないが、オロロソシェリーからペドロヒメネスへ変更されたようである。
 2012年にエクスクルーシヴ・カスクからブレイヴァル、アルタナベーン、グレン・スペイ、ブナハーブンの四種が頒された。フィニッシュはすべてペドロヒメネスである。加えて、ラガヴーリンのダブルマチュアードがペドロヒメネスである。ブレイヴァルは好きなウィスキーなのだが、リッチなシロップ漬けレーズンのアフターはデザートワインを思わせて興ざめである。そもそもペドロヒメネスを用いたウイスキーで旨いとおもったものがない。要するに甘すぎるのである。
 近頃、ワイン樽ブームだが、ソーテルヌやトカイのワイン樽などもってのほかである。フランスのボトラーがヴァン・ジョーヌの樽を用いているが、あれもいただけけない。ちなみに、赤ワインの樽で成功したのはボウモアのダスクのみ。やはりシェリーに倣って辛口の白ワインの樽が無難である。

 ですぺら掲示板2011年03月02日「クォーターカスク」に佐々木幹郎さんの土産話を書いている。
  http://www.despera.com/bbs2/2011/03/post_1087.html


投稿者: 一考      日時: 2017年09月19日 22:16 | 固定ページリンク




厚化粧のウイスキー  |   一考

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 明石ではかつてのマッカランのようなオロロソシェリーカスクによる厚化粧のウイスキーのみが持て囃される。そしてアイラモルトは嫌だという客が多い。なにを飲んだのか訊くと決まってラフロイグ10年だと云う。入手しやすいのが理由だろうが、ラフロイグ10年はもっとも安くもっとも拙いウイスキーである。クオーターカスクの方が遙かに旨い。おそらくバーテンダーが試飲せずに販売しているのが問題だと思う。
 他方、みなさん口をそろえて昔のウイスキーは旨かったという。ですぺらのバックバーは14年前の古いボトラーズボトルばかりだが、現行のウイスキーでも旨いものはいくらでもある。バーボン樽を多用しはじめたボウモア、さまざまな樽を使いはじめたラフロイグやマッカラン、タリスカーはラベルが何度変わろうが、同じ香味を保っている。カーン・モアの6年ものノックドゥーも旨い。昔を懐かしむのでなく、酒屋で買えるものの中から美味なウイスキーを選ぶことにこそ、飲み手の鼻と舌の真価が試されるのである。
 Whisky Magazine Japanの記事を転載する。

 http://whiskymag.jp/landb2014/

 6/24発売となった2つのアイラモルトのニューリリースをご紹介する

“アイラモルトの王者”ラフロイグ、 “アイラモルトの女王”ボウモア…2つのアイラ島の蒸溜所から、2アイテムが揃って登場した。
「ラフロイグ セレクトカスク」と「ボウモア スモールバッチ」である。どちらもノンエイジだが、その分エイジングに縛られることなく多種多様な原酒を使用できるという良さを十分に発揮し、これまでにないバランスとフレーバーを備えたボトルをつくり上げた。

「ラフロイグ セレクトカスク」は3タイプの樽で熟成させたモルト原酒(ペドロヒメネス・シェリー樽、ヨーロピアンオーク・シェリー樽、バーボン樽)をヴァッティングした後、さらにアメリカンオークの新樽で熟成するという、従来にはなかった新感覚。
スモーキーにシェリーの甘美がそよぐ。多彩な樽種での熟成モルトが織り成す重層感に、従来のラフロイグの香味イメージを超えたフルーティーさを見出すことができる。

「ボウモア スモールバッチ」はファーストフィルとセカンドフィルのバーボン樽で熟成させた原酒を使用。そもそもボウモアでは熟成の70%にバーボン樽を使用しているため、バーボン樽熟成の原酒は非常に豊富。その中から厳選しヴァッティングし、「この上なく幸せな結婚」をしたスモールバッチのボトルである。
香りはバニラファッジ、シーソルトとピートの煙、蜂蜜とシナモンが見事にバランスを取っている。味わいは口中を覆うようなシトラス感、穏やかな塩気とバニラ、かすかにココナッツ。フィニッシュにほのかなスモーク、バーボン由来のバニラとライムが心地良く、ソーダとの相性がよい。

どちらも定番商品として販売されるため、焦って買い求める必要はなさそうではあるが、アイラファンの方ならすぐにでも試してみたいと思われるだろう。コストパフォーマンスの高さもノンエイジならでは。アイラモルトの良さを詰め込んだ2つのニューリリースをぜひお試しいただければと思う。

商品概要
 ラフロイグ セレクトカスク 700ml 40% 3,020円
 ボウモア スモールバッチ 700ml 40% 3,490円


投稿者:   一考  日時: 2017年09月16日 20:27 | 固定ページリンク




 |   一考

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 先月の18日以来、24日ぶりに風呂へ這入った。腫れているものの、傷口にやっと薄い皮が張ったようでる。免疫を極端に落としていると、蚊に嚼まれたような疵がこのようになる。医師が云うには風邪をひくと結核になり死に至るそうな、不幸中の幸いと思っている。
 実はこの疱疹が背中、肩、頭にも転移、いくら髪の毛が薄くなったとは云え、頭皮の痛みは尋常でなく、悲鳴をあげていた。頭には痛み止めが効かない、40錠を超えるロキソニンとボルタレンを服用した。久しぶりの風呂だが、すっきりするよりも疲れてしまった。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月11日 21:39 | 固定ページリンク




目板カレイ  |   一考

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 傷口はずきずきするが、痛み止めは必要なくなった。同時に血圧が150まで上がり降圧剤を再開。疱疹と血圧は関係なかろうにと思うのだが、わたしにはよく分からない。いずれにせよ、オーグメンチン配合錠とルリット錠が効いているようである。それにしてもこのような多量の痛み止めを必要としたのは久しぶり。
 今日は恢復を祝って、目板カレイの刺身を買ってきた。目板を下ろすのは簡単なのだが、今日は出来合いを購入、すこぶる美味。来住さんが明石の刺身と鮨屋をぼろかすに云っていたが、まったく同感、いくらなんでも高すぎる。しかし、このような磯ものは別、ちなみに値は780円。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月09日 17:51 | 固定ページリンク




傷痍軍人  |   一考

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花柳病で傷痍軍人について書いた。写真を掲載しておく。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月08日 00:32 | 固定ページリンク




友来たる  | 一考    

 来住謙一郎さん来店、待ちわびていた客のひとり。 2001年10月の当掲示板で「明石の来住謙一郎さんや太田守さんのように、モルト・ウィスキーの香りについて縦横に語り合える相手に恵まれず、苦渋致しております。赤坂の酒屋さん、ソムリエやバーテンさんが葡萄酒の相談に足繁くやって来るのですが、ソムリエではなんの役に立たず、香りについてはやはり板前さんしか信用できないようです。栗の渋皮、生海苔、やや痛みかけた生麩、駄菓子屋のゴム風船、飴の純露、黴びの生えたパンツ、みつこや夜間飛行を1000倍に希釈した香りなど、来住さんからの一言は大いなる連想ゲームをもたらし、抱腹絶倒の試飲会の繰り返しでした」と書いている。
 事ほどさように、来住さんとの晤語は愉しかった。マッカランをはじめとするオロロソシェリー樽の厚化粧のウイスキーをわずか2年で卒業し、蒸留所本来の香味を味わえる3年から8年までの若いウイスキーにわたしを導いたのも、元を正せば来住さんだったのかもしれない。
 明石ですぺらは何時まで営業できるか分からない、わたしの健康次第である。後を頼めるようなしっかりした基盤を拵えたときには来住さんにお願いしたいと思っている。そのために選んだ水槽付きの割烹なのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月08日 00:00 | 固定ページリンク




花柳病  |   一考

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 わたしが子供の頃、巷は白衣と白色の繃帯で満ち溢れていた。大方は満州帰りの傷痍軍人で、腕のないひと、脚のないひと、失明したひとなどがいた。いまのように車椅子のない時代で、みなさん松葉杖(すら少なかった)の世話になっていた。なかには輪っかの付いた30センチ四方の板切れに正座しているひともい、よく見ると両脚とも膝から下がない、おそらく手榴弾か地雷による被害であろうか。新開地本通りや地下道、または縁日などにはそのようなひとが喜捨を求めて並んでいた。
 次いで純白で思い出すのが新開地に隣接する福原町、ピー屋の玄関で客引きをする遣手(やりて)と称する婆である。ピー屋のピーとは中国語での売春婦の蔑称、ピー屋とは中国における慰安所のこと。兵隊帰りの連中は女郎屋をピー屋と呼称していたのである。また、行き場のない年季明けの遊女は番頭新造として花魁の雑用をするか、遣手として遊女の監視・管理係もしくは客引きとなるのが常だった。梅毒の第二期から第三期症状になるとゴム腫が崩れ、瘢痕となる、それを「鼻が落ちる」すなわち「花落ちる病」と表現した。
 遣手はその疵を匿すために露出した素肌(両腕と首)を繃帯でぐるぐる巻きにし、小さな椅子に腰掛けていた。子供ながらに「人生のさすらい」の薄情さと痛々しさを見詰めていたのである。

 性と性病とはコインの裏表で切り離しては考えられない。売春防止法の前後で女郎屋は浮世風呂へと職業の形態こそ変われ、実態はなにひとつ変わっていない。かつて遊郭では一箇月を経ずして花柳病に罹ったと云われる。そして罹れば一人前として内祝いをしたと云われる。花柳病とは梅毒、淋疾(淋毒性尿道炎)、軟性下疳、鼠径リンパ肉芽腫、この四つのいずれかであった。今ではHIV感染症が加わり、さらに耐性菌の蔓延によって淋病がもっとも難儀な病になった。
(写真は女郎屋の洗浄室)


投稿者:   一考  日時: 2017年09月06日 22:20 | 固定ページリンク




サラ  |   一考

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 昨夜、危うく子猫を轢きそうになった。オートバイの前照灯は暗い、道の真ん中に子猫がうずくまっているのに気付いたときは既に急制動がかけられる距離ではなかった。思わず急ハンドルを切り、20センチほどの幅を残してやり過ごした。スラローム走行である。
 子猫がぴくりとも動かず、顔だけ上げてわたしを見ていたのは、なんらかの怪我を負っている証し。拾って帰り、傷だけでも治そうかと思ったが、わたしに生き物は禁物である。昔、明石の太寺から雪華社へ出向の折、飼っていた柴犬サラと多くの金魚をいろんなひとに委ねてきた。柴犬は新しい主人に馴染まず、宝塚の山奥に遺棄されたらしい。名の由来となったSarahは「自宅ではクッションを敷き詰めた棺桶で休んでいた」と伝えられる、拙宅のサラを最後まで看取られなかったのは無念、いまなお済まないことをしたと悔いている。それ以来、生き物は飼うまいとこころに刻み込んだ。
 生き物にとってひとは薄情である。昨今、老犬の介護施設が増えてきたと聞く。人間同様、認知症に罹った犬がホームへ追いやられるのは傷ましい。もっとも、傷を負った子猫を置き去りにするわたしこそ、もっとも薄情なのだが。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月06日 19:38 | 固定ページリンク




ボリス・ヴィアン 鈴木創士  |   一考

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 鈴木創士さんがヴィアンについて著している。素晴らしくも悲しい文章で末尾が飾られている。全文を引用しておく。

 http://www.gendaishicho.co.jp/news/nc3073.html

 ボリス・ヴィアンが二十近い職業を持っていたからといって、作家たるものがどうやって食っていけばいいのか、という由々しき問題の答えにはまったくならない。永続的な喫緊問題ではあるだろうが、その点で時代はますます悪化の一途をたどっている。
 ボリス・ヴィアンがほんとうにずっと金に困っていたのかどうかはつまびらかではないところがあるが、理科系に強かったボリス・ヴィアンは最初、公務員の技師になった。でもそれもやがてやめてしまい、ほぼ同時に、つまり一度に、詩人、小説家、翻訳家、劇作家、ジャズミュージシャン、シャンソン歌手、作詞作曲家、ジャズ評論家、オペラやバレエの台本書き、映画監督、映画脚本家、俳優、レコード会社のディレクター、画家、美術評論家となった。
 ボリス・ヴィアンは「職業がひとつなんて、売春婦みたいだ」と悪態をついていたが、しかし彼は結局のところ作家であり、プロのミュージシャンであるにすぎなかった。やったことはほとんどひとつ事なのだ。あとの職業は、よくある話だが、一儲けしようと企んだ当時のサン-ジェルマン-デ-プレの人間関係その他が、才能溢れる彼を利用しついでにほとんど彼に無理強いした余禄みたいなものだった。つまりこんなものはどれもやる必要のない仕事だった。
 彼はずっと心臓を患っていたが、コカインをやっていた気配はなさそうだし、医者に止められていたトランペットを夜毎サン-ジェルマン-デ-プレの地下クラブ、穴倉「タブー」で吹きまくっていたことだけがたぶん唯一の死因などではないだろう。仕事、仕事、仕事。彼は働きすぎたのだ。こんな忙しい毎日こそが彼の寿命を縮めてしまったことは想像に難くない。見たくもなかった映画、自分が原作を書いたのにその出来に不満を抱いていた映画(その原作とはヴィアンのデビュー作『墓に唾をかけろ』で、もう少し正確に訳せば『お前らの墓に唾を吐いてやる』)の試写中に心臓発作で亡くなったのだから、ボリス・ヴィアンはほとんど殺されたも同然なのだ。

 ところで、フランスは第二次世界大戦の戦勝国だったとはいえ、戦後直後のフランスの若者にとって、いつの時代も同じようなものだが、やはり未来はあやふやなものだった。いや、たぶんそれどころではなかっただろう。未来の行動も思想も混乱と幻滅のなかにしかありえなかった(彼らにとっても、広島と長崎によって「原爆の世紀」はすでに始まっていたし、われわれが想像する以上に、彼らがそのことを強く意識していたことは間違いない。ボリス・ヴィアン自身、「原爆のジャヴァ」という曲を歌っていた)。
 レジスタン派の勝利によって、ナチス・ドイツの占領からパリは解放されたが、パリ全体も、もちろんサン-ジェルマン-デ-プレも、そして人心も、荒廃の極みにあった。フランスには対独協力というごく近い過去があった。町のあちこちで住民によるリンチが頻発した。処刑も行われた。戦争犯罪者たちと無名戦士の墓…。不思議なことに誰もが突然抵抗運動マキの英雄になった。えっ? かつて密告が横行したように、嘘も逃亡も横行したに違いない。すべてがマロニエの下ですっかり泥水をかぶってしまったのだ(後にヴィアンはレジスタンス神話を徹底的にこき下ろした戯曲『屠殺屋入門』を書き上げるが、芝居は二流の劇場でしか上演されることはないだろう)。フランスは旧約聖書の時代のようにさながら二分されたままだった。フランスとフランス人にとってヴィシー政権と戦後のアルジェリア戦争は二十世紀の二つのトラウマだったのだし、その問題は間違いなく今も尾を引いている。
 文学者はどうなのか。文学者も多くのツケを支払わされることになった。ナチス占領下でヴィシー政権支持の文章を書きまくったブラジアックはあれこれあった末に銃殺刑に処せられた。セリーヌは亡命し、ジャン・ポーランに代わってガリマール社の『NRF』誌の編集長におさまっていたドリュ・ラ・ロシェルは結局自殺した。九死に一生を得たブランショはやがて極左に転向するだろう。ドリュ・ラ・ロシェルは元パリ・ダダのメンバーだったことがあったのだし、戦前の右翼だった彼らはみんな「共産主義かファシズムか」の世代だったのだ。

 ボリス・ヴィアンは戦後のサン-ジェルマン-デ-プレのスターになったが、彼は戦争に深く刻印されただけではなく、まぎれもなく戦争を心底憎む戦後作家のひとつの在り方だった。それが彼の真骨頂だったと私は考えている。ボリス・ヴィアンの悪ふざけが何らかの反抗のしるしか発作でなかったことは一度もない。当時はただのジャズだって普通のフランス人には受け入れ難いものだった。おまけに彼は「脱走兵」の歌もうたったし、こんな詩も書いている。

  俺はくたばりたくない
  夢も見ないで眠りこける
  メキシコの黒犬
  むき出しの尻をした猿たち
  熱帯をむさぼり食らう
  あぶくでいっぱいの巣にいる
  銀色に光る蜘蛛たちと
  知り合いになるまでは
  俺はくたばりたくない…

 人生において誰もがその人のうちでその人を完結せざるを得ないことはわかり切ったことだ。ボリス・ヴィアンの場合は生き急いでいたように見える。そうはいっても、戦後のサン-ジェルマン-デ-プレの生活は愉快だったはずだ。ボリス・ヴィアンは『サン-ジェルマン-デ-プレ入門』という本を書いているくらいだから、ここに彼が「場所と公式」を求めたことは間違いない、というかそれしかなかったはずである。場所と公式は探し当てられたのだろうか。誰にとってもその問いに答えるのは難しいが、彼はここで生き急ぎ、そして死ぬことになった。
 サン-ジェルマン-デ-プレには、ご存知のとおり、多くの有名人が顔を見せていた。サルトルとボーヴォワール、カミュ、メルロー-ポンティ。だが黒ずくめの若者たちは、全員が実存主義の学生ばかりではなく、誰もがサルトルの信奉者だったわけではない。実存主義一色のサン-ジェルマン-デ-プレなど、ヴィアン自身が言うように、三文ジャーナリストが苦し紛れにでっち上げたいいかげんな話にすぎない。
 レイモン・クノー、ジャック・プレヴェール。フランスの暗黒小説の叢書、つまり探偵小説のことだが、「セリー・ノワール」の総指揮官だったマルセル・デュアメル。たしかにセリー・ノワールの哲学があったのだし、フランス映画はすぐ隣に位置していた。サン-ジェルマン-デ-プレには古参の連中もいた、アルトーや、ピカビアや、アメリカへの亡命から戻ったブルトン、コクトー、バタイユやツァラもいた。画家のヴォルスや、ジャコメッティ、マッタ。ジャン・ジュネ。エジプト出身の放浪作家アルベール・コスリー。アルトーの弟子だったロジェ・ブランや多くの俳優たちとその卵。ボリス・ヴィアンと並び称される戦後サン-ジェルマン-デ-プレの寵児、役者で歌手だったジュリエット・グレコ。それに名だたるアメリカのジャズミュージシャンたちがこぞってやって来ていた。デューク・エリントンも、少し後にはマイルスも。シュルレアリストの残党、そして後に五月革命を準備するシチュアシオニストの源流となったイジドール・イズーとレトリストの詩人たち。独創的にしかなりえなかった映画監督、五月の革命家となるかのギー・ドゥボールもそこにいた。後にウィーン幻想派の画家になったエルンスト・フックスも。
 一日中カフェにたむろし(この点で有名なカフェはいくつもあったし、今もまだ残っているものもあるにはあるが、いちいち列挙するのはあまりに空しいので、やめることにする)、夜はクラブ「タブー」で踊り狂い、安ホテルの部屋や泊めてもらえる寝ぐらがなければ、メトロの駅で野宿する多くの若者たち。戦争孤児たちもブルジョワの子弟も。彼らによって未来は拒否された。精神錯乱は保証済みだし、不必要といえば不必要なのだ。はっきり言って、こんな連中は最近では絶滅危惧種である。私があきらめ気味に日々そのことにいら立っていないと言えば嘘になるだろう。かっぱらい、麻薬の売買、その他の犯罪に近いこともたまには。まあ彼らは、言ってみれば、フランスのビートニクス、フーテン族やヒッピーのハシリとも言えるのだが、その魅力的な風貌は、エルスケンの写真集『セーヌ左岸の恋』やその他の写真、ジャック・パラティエの記録映画『想い出のサン-ジェルマン-デ-プレ』でも見ることができる。

 それらの中心にほんとうにボリス・ヴィアンがいたのかどうかはわからないが、ヴィアンが日常生活のなかで彼らを鼓舞し、そそのかし、元気づけるようなことをやっていたのは、伝記作者たちの筆致からしても、確かなことなのだろう。彼自身、自分を鼓舞していたフシがある。なぜなのかはしかとはわからない。生き急いだボリス。退屈だったボリス。そうとしか言いようがない。ボリス・ヴィアンの最初の作品は、はじめのほうで言及したように、セリー・ノワール風の「えげつない」小説『お前らの墓に唾を吐いてやる』だったが、これはヴァーノン・サリヴァンというアメリカ黒人作家の作で、ボリス・ヴィアンが翻訳と序文を担当したことになっていた。真っ赤な嘘だった。このほとんど冗談みたいな処女作は、出版社「スコルピオン」の社長ジャン・ダリュアンとの退屈な会話から生まれた。もちろんそれが彼らの日常的な悪だくみの一環だったことは言うまでもない。
 「なんかいい作品はないかなあ」
 「あるよ、ヴァーノン・サリヴァンという黒人作家だ」
 「原稿はあるのか」
 「今から俺がでっち上げるさ」
 「じゃ、そいつで一儲けしようぜ」
 実際、本は五十万部の戦後最大のベストセラーとなったが、暴力描写及び過激な性描写ゆえに風俗紊乱の廉で発禁処分の憂き目をみる。バタイユやブルトンが法廷に立ち、出版人ジャン・ジャック・ポーヴェールが被告になったサド裁判よりずっと前の話である。

 ヴィアン自身が言うように、内容とは何の関係もない表題をもつ小説『北京の秋』に敬意を表して、最後に中国北宋代の詩人蘇東坡の詩をヴィアンに献じよう。

  人生いたるところで知りぬ何にか似たる
  まさに似たるべし飛鴻(ひこう)の雪泥(せつでい)を踏むに
  泥上にたまさか指爪(しそう)を留(とど)むるも
  鴻飛んでなんぞまた東西を計(はか)らん

 ボリス・ヴィアンは心臓発作によって三十九歳で亡くなったが、人生の漂白を知るために、つまり書くために、北京をわざわざ彷徨うには及ばなかった。彼はサン-ジェルマン-デ-プレにとどまって、ペットを吹いていた。音楽もまた原則としてその場で消え失せるものである。誰もまともに読もうとしないのだから、書かれたものだって同じだ。素晴らしい詩人で失脚した政治家だった蘇東坡が語るように、人生のさすらいは何に似ているのだろう、舞い降りた雁が雪解けの泥を踏むようなものではないのか、泥の上に偶然足跡を残しはすれども、飛び立った雁の行方は誰も知らないからである。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月04日 21:41 | 固定ページリンク




畏友鈴木創士  |   一考

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 鈴木創士さん来店。土産にランボー全詩集とアルトーのヘリオガバルスを持参、いまのわたしにとってこれ以上の贈り物はない。いずれの著書も彼の文学への抗い、文学との鬩ぎあいが脈々と息吹いている。
 彼と面と向かって話し合ったのははじめてでないだろうか。 かつてジュネの翻訳を送られたとき、わたしの正直な意見を書いた。またですぺら掲示板1の終わりの頃、ふたりでやり合ったのを思い出す。
 彼のツイッターに著されている。「赤坂から明石に店が移ったことは知っていた。行ってみると、震災後に何をするでもなく一人でよく歩き回っていた町だった(近隣に住んでいた)。ですぺら! 何十年ぶりかの渡辺一考氏が、青い光の中、スコッチの瓶を片手に、幻のオートバイにまたがった死神のようにそこで待っていた。彼は笑っていた」と。
 
 かつて文学は自分に向けられた怒りであり、全否定へと至る道程だった。彼は現在63歳、以前よりは幾分ましになったとは申せ、跛を引いている。自らの体躯すら否定してやまない彼の存在は、わたしにとって残されたただ一人の友であり、師でもある。

 ところで、お連れのhanaさんからセイロンベンケイもしくはトウロウソウ(灯籠草)を頂戴した。葉から芽が出る葉で、侵略的外来種としてギンネムとともに問題視されている。道端など陽当たりの良い場所を好むようである。まるで鈴木創士の精神そのもののような植物、育ててみようかと思っている。


投稿者:   一考  日時: 2017年09月04日 21:28 | 固定ページリンク




ですぺら近況  | 一考    

 盆休みの間、体調は最悪だったが店は忙しかった。開店後半年を経て、やっと家賃分の売り上げがあった。家賃の売り上げだけなら仕入れもなにもできない。しかし、趣味でやっているのだから仕方がない。体調の方は例によって血圧が低い。最高血圧が90mmHg以下、最低血圧が50mmHg台だった。半月以上、降圧剤は飲んでいない。それよりなにより、冷房に泣かされている。わたしは寒くて震えているのだが、一部の客は暑いと云う、献血に行けばと思うのだが、興味はないそうである。
 りきさんの紹介による3名様をはじめ、先月のお客の大半は東京と京都からだった。文学に関するはなしはしたくないのだが、訊かれれば応えるしかない。わたしにはウイスキーのはなしの方が愉しいのだが。1995年1月の阪神・淡路大震災以来の客が来てくださったのは嬉しかった。赤坂の最初の店にもご来店らしく、最初は分からなかったが、話し込んでいるうちに追々思い出した。やはりオートバイ乗りらしく、明石川沿いの道を押部谷方面まで走るのが好きだと云うと、わたしも好きだと意気投合。こちらへ引っ越してから幹線でなく、細い道を走り回るのが好きになった。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月04日 20:12 | 固定ページリンク




疱疹つづき  | 一考    

 健康なひとなら単なる疱疹でとどまるのだが、どうやら雑菌が掌にまで拡がっているようである。腫れ上がった左の掌に激痛が走る。神大病院で紹介状を書いてもらった近所の皮膚科へ行って症状を説明するも、既に治りかけている。痛みを訴えるも、そのようなはずはないのだがと一蹴。患者の意見を無視するのを藪という。わたしの判断で痛み止めをカロナールからロキソニンへ格上げ、ボルタレンもあるのだが、胃への負担が大きくレバミピドが必要になるので控えた。
 水曜日にもう一度神大病院へ行こうと思っている。過去服用したすべての薬がパソコンに登録されているので、説明がしやすい。ずっとオートバイに乗っているものの、ギアチェンジにずいぶんと手間取っている。要は困っているのである。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月04日 19:48 | 固定ページリンク




疱疹  | 一考    

 指の疱疹に黴菌が這入り、きりきり痛む。免疫を極端におとしているために仕方がない。オートバイのクラッチレバーを引くたびに激痛が走る。泌尿器科の医師に皮膚科への紹介を頼む、症状はと問われて帯状疱疹と応えると、診もせずにあんたの見立てなら間違いなかろうと皮膚科へ電話を架ける。泌尿器科の受付嬢を最近見ないと思っていたら、皮膚科へ移っていた。彼女のおかげで待たずにいきなり診察、問診すら省略してくださった、ありがたいことである。
 日々の買い出しから店との往復まで、オートバイがなければわたしはなにもできない。はやく治ってほしいと願っている。


投稿者: 一考      日時: 2017年09月02日 20:41 | 固定ページリンク




日刊ゲンダイ 2017年8月22日  |   一考

今なお残る疑惑 血の気が引いた「日航123便 墜落の真実」 斎藤貴男

 乗員乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故は、1985年8月12日に発生している。33回忌を迎えた先々週12日にも墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹山に259人のご遺族が集まり、追悼慰霊式が営まれた。

 忘れられてはならないのは、しかし、犠牲者たちの無念ばかりではないはずだ。単独機の航空事故では史上最悪の惨劇であるにもかかわらず残された、おびただしく、かつ根本的な謎の数々も、である。

 自衛隊ヘリによる生存者の救出作業が始まるまでに、墜落から17時間以上も要したのはなぜか。事故機の周囲に戦闘機を目撃したとする近隣住民らの証言が時に聞かれるが、そのことは何を意味するのか……。

 前者については、事故直後にたまたま近くを飛んでいた米軍輸送機の乗組員が、衝撃的な手記を週刊誌に寄せたこともある。現場はすぐに特定され、早くも2時間後には米軍ヘリが到着したのだが、突然、救助ストップの命が下ったのだという。

 事故調は“修理ミスによる後部圧力隔壁の損壊”に原因を求めたが、はたしてそうか。定説を覆しかねない情報や矛盾の分析を試みる論者はこれまでも少なくなかった。

 新説のいくつかには私も触れて、なるほどなあと感じてもいた。とはいえ矛盾の指摘にとどまっていては、残念ながら“謀論”の誹りを免れない。

 ところがこの7月に河出書房新社から刊行された青山透子「日航123便 墜落の新事実」を一読し、血の気が引いた。遺族や目撃者らの新証言や、当時の山下徳夫運輸相(故人)への取材などを積み重ねて、青山さんは確信に近い仮説を導き、強く示唆している。

 すなわち、事故機を仮想敵機に見立てた米軍ないし自衛隊機による誤射、あるいは突発的事故――。

 実際、技術畑の遺族の中には同様の疑いを抱き、独自に調査を進めた人もいるらしい。大手メディアが黙殺したので、私自身を含めた圧倒的大多数が知らないだけである。

 青山さんは日本航空の元スチュワーデス。本書の版元が定評のある大手出版社であることも、もちろん重要な要素だ。

 政府は今、過去にも増して米国との軍事的一体化を強行しつつある。青山さんには敬意を込めて、さらなる追及を期待したい。と同時に、彼女の成果をより発展させ、今度こそ真相にたどり着く努力を急ぐのもプロのジャーナリズムの責務であり、この国の将来を救う数少ない道のひとつだと、私は信じる。自戒とともに。


投稿者:   一考  日時: 2017年08月22日 21:57 | 固定ページリンク




メルトダウンならぬメルトアウト  |   一考

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即死の燃料デブリ残骸でわかった廃炉のデタラメ皮算用

 本当に廃炉なんてできるのか。目の前の現実に打ちのめされてしまう。

 東京電力は2日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査で撮影した映像を解析したところ、一部で毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した。

 http://vroad.biz/archives/56


投稿者:   一考  日時: 2017年08月22日 21:31 | 固定ページリンク




新しいたばこフォルテ  |   一考

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 フォルテとの細巻きの葉巻がでている。発売は2016年6月、インドネシア産のたばこ。手巻きタバコのシャグやたばこシートで巻いたフィルター付き葉巻(リトルシガー)のため、税率が低く、1箱20本250円、ゴールデンバットより安価、激安のたばこである。3種類あるが、葉巻タイプなのでニコチンやタールの表示はない。オリジナルは15から18㎎、ライトは11から14㎎、ノンフレーバーのため、たばこ本来の香味が楽しめる。後発のメンソールはタール10㎎/ニコチン0.9㎎、かなり強いメンソールである。1箱ずつ買ってきたが実に旨い、お薦めである。

 下に敷いているのはケムリエと題する愛煙家のための雑誌の創刊準備号。10月中旬創刊予定。


投稿者:   一考  日時: 2017年08月12日 17:39 | 固定ページリンク




ジャンヌ・モロー逝く  |   一考

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フランスの大女優、ジャンヌ・モローさん旅立つ 89歳

 http://grapee.jp/368970

ジャンヌ・モローと云えば、1966年の「マドモアゼル」を思い起こす。監督トニー・リチャードソン、脚本マルグリット・デュラス、原案ジャン・ジュネの映画である。夢も希望もない悪意と憎悪に彩られた傑作である。
youtubeで2016年4月に公開されている。昔のそれと比して画質が良くなっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=XFGFOpyLWyQ/


投稿者:   一考  日時: 2017年08月01日 23:00 | 固定ページリンク




ヨコハマの歌〜煙草が似合う俳優達が歌い継いだブルースのルーツ〜  |   一考

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藤竜也とエディ藩が創った横浜ホンキートンク・ブルースからツイてる男の唄、ドッポ節まで、70年代のブルースをお楽しみあれ。筆者は佐々木モトアキさん。

 http://www.tapthepop.net/machinouta/16883


投稿者:   一考  日時: 2017年07月18日 15:55 | 固定ページリンク




自転車と貧血  |   一考

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 わたしのヘマトクリットは2年前の引越時 Ht30パーセントにまで戻り、現在は Ht32.5に至っている。いずれにせよ、極度の貧血である。腎移植したのだから、Ht40とまでは云わないが、せめて Ht35近くにまで戻って欲しいのだが。
 はなしは変わるが、勃起能力はこの Hb(ヘモグロビン)もしくは Ht が高いほど有効である。言い換えれば、血の気が多いひとほど勃起するわけである。ヘマトクリット Ht30パーセントだと完全な勃起不全になる、血液量や血流に難があるからである。ただし、ED薬は Ht40パーセント以上でなければ服用できない、失神してしまうからである。
 過日「疑惑のチャンピオン」を観た。ガンを克服し、ツール・ド・フランスで7年連続総合優勝の偉業を達成したが、その後、長年にわたるドーピングが発覚し、自転車競技界から永久追放されたランス・アームストロングの栄光と転落の人生を描いた映画である。ランス・アームストロングが酸素摂取量を増やすために用いた運動能力向上薬は、エリスロポエチン(エポ)、テストステロン、コルチコステロイド及びそのマスキング剤などである。そのうちのエリスロポエチンは高価な薬だが、透析治療をしていた頃はわたしも定期的に投与していた。当然のことだが、あれほど好きだった自転車にはいまなお乗られない。
 先日、銀行に用事があって店から明石駅まで歩くことになった。しかし、250米の距離が歩かれず、道端でしゃがみ込んでしまった。恐るべし貧血、一向に体力は戻っていない。

 http://cetaka.com/anemia/

 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50857770S3A120C1000000/


投稿者:   一考  日時: 2017年07月17日 02:02 | 固定ページリンク




モーターサイクル・ダイアリーズ  |   一考

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 フェイスブックのカバー写真をはじめて取り替えた。映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の一コマである。1951年、アーネスト・チェ・ゲバラが友人のアルベルト・グラナードと連れ立って、「The Mighty One」(マイティ・ワン)と名づけた1939年製ノートン500で南米縦断の旅を目指す。原著は『モーターサイクル南米旅行日記』、製作総指揮はロバート・レッドフォードが担当。
 ノートン500に積まれたエンジンは、1927年に開発され1930年に改良が施されたシングル・カムシャフトのCS1エンジン。1932年から第二次世界大戦勃発の影響で中断される1939年までのセニアTTで7度の優勝を飾るなど、レース界でのノートン伝説を創り上げた。


投稿者:   一考  日時: 2017年07月15日 00:28 | 固定ページリンク




大林宣彦監督のスピーチ  |   一考

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2017年6月11日、東京・明治神宮会館にてショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2017 アワードセレモニーが開催。オフィシャルコンペティションの審査員・大林宣彦監督が、平和を守る存在としての映画の価値について、会場に集まった若い制作者たちに語りました。末期ガンで余命宣告を受けている大林監督は、映画祭としては異例とも言える30分に渡るスピーチを行い、故・黒澤明監督から受け継いだ「映画で平和をつくる」という理想を、次の世代に託しました。

 http://logmi.jp/217287


投稿者:   一考  日時: 2017年07月14日 23:49 | 固定ページリンク




ゴーヤの食べ方  |   一考

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こんな食べ方あったんだ! 甘みとうまみがアップする「干しゴーヤ」の作り方。
沖縄や九州ではお馴染みの食べ方だそうです。

 http://mi-journey.jp/foodie/39897/


投稿者:   一考  日時: 2017年07月14日 23:36 | 固定ページリンク




服用している薬について  | 一考    

 もっか免疫抑制剤はセルセプト、グラセプター、メドロール、サーティカンの4種。尿酸排泄薬のユリノーム、コレステロールの合成を抑制するクレストール、前立腺肥大症治療薬ナフトピジル、胃酸分泌抑制薬のラベプラゾール、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)の発症を抑制するバクタ配合錠。降圧剤はアルドメットを中止し、オルメテック、シルニジピンの2種を服用している。

 免疫抑制剤は臓器移植、骨髄移植における拒絶反応及び移植片対宿主病の抑制に用いる。有効性と安全性を確認するために血中濃度(トラフ値)を測定し、投与量を調節する必要あり。そして、腎移植は保険診療だが、移植後の免疫抑制剤には保険対応していない薬が多い。例えばポリグロビンのように数百万円するものからリツキシマブ(抗 CD20モノクローナル抗体)のような数十万円までさまざまである。
 わたしはポリグロビン治療を拒否したがゆえに、烈しい拒否反応に悩まされた。免疫抑制剤やステロイドの継続投与や増量、リツキシマブのパルス状投与によってなんとか乗り切ったが、もし仮に慢性GVHDだったばあい、予防法ならびに治療法は今なお確立されていない。
 サーティカンは心移植や腎移植における拒絶反応の抑制に有効で、長期生命予後がいっそう改善されると期待されているが、如何せん副作用が烈しい。
 わたしはサイトメガロウィルスによる感染での大量下血も経験させられた。また、催奇形性の問題もあって、臓器移植者として移植には反対である。移植後の長期生存者のQOLはすこぶる低い。

 ユリノームは痛風に効果のある薬、即効性はないがわたしはしばしば規定量を超えて服用している。わたしのような腎結石を伴う患者のばあい、症状を悪化させるおそれがあるために要注意。
 クレストールは2.5ミリグラムを服用、用量が少なければ副作用も少ない。
 ナフトピジルは前立腺肥大症に伴う排尿障害改善剤、わたしのような蓄尿障害、頻尿や尿意切迫感を持つばあいに有効である。
 ラベプラゾールの先発品はパリエット、胃酸の分泌を抑える「プロトンポンプ阻害薬(PPI)」という種類の胃薬。ピロリ菌(H.pylori)の除菌にも役立つ。ただし、胃癌、食道癌等の悪性腫瘍や他の消化器疾患による症状を隠蔽することがあり、内視鏡等による定期的な検査が必要。
 バクタ配合錠はエイズ患者や免疫抑制療法などで抵抗力が落ちている人が感染すると厄介な日和見感染症に有効。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)やペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP)にも応用されるが、ニューモシスチス肺炎の第一選択薬。

 最後に降圧剤について一言、オルメテックとの併用禁忌としてロキソニン、セレコックス、カロナールなどの痛み止めがある。シルニジピンはカルシウム拮抗薬のひとつで尿酸値も低下させる、わたしにとってもっとも必要な降圧剤。ちなみに、降圧剤とは血管の内腔を拡げるはたらきをもつ薬のこと。


投稿者: 一考      日時: 2017年07月13日 21:59 | 固定ページリンク




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