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映像身体論   一考   

 

 先日、高遠さんと入れ違いに宇野邦一さんが来店なさった。ちょっとした事情があって、暫くお見えでなかった。ドゥルーズ「シネマ」の翻訳の産物と聞かされたが、新刊の「映像身体論」を頂戴した。素っ気ないみすず書房の本としては珍しく、「裁かるるジャンヌ」のアルトーのカバー写真で飾らている。
 まだ読んではいないが、栞が挟まっていた頁を開くと「見るということは見られることであり、触れることは触れられること、知覚することは知覚されることである……メルロ・ポンティは、見ることと見られることの交叉を身体の現象学的考察のかなめとしたのである。身体は、たんに見る主体でも、主体に見られる客体でもなく、主体であると同時に客体である。見ることは見られることとともに成立し、見られることは見ることとともに成立する」とある。
 書かれていることは決して難しくなく、すこぶる分かり易い、そして間違っていない。ただ、そうした考え方がどうしてメルロ・ポンティの現象学的考察のかなめでなければならないのか、メルロ・ポンティを読まない私には雲を掴むはなしである。「見るということは見られることであり、触れることは触れられること、知覚することは知覚されることである。身体論を語るに際し、見ることと見られることの交叉はある種のものの考え方のかなめとなる。身体は、たんに見る主体でも、主体に見られる客体でもなく、主体であると同時に客体である。見ることは見られることとともに成立し、見られることは見ることとともに成立する」の方が私にとっては通りがよくなる。「ある種の」としたのは「現象学」をさらに暈かしたまでであり、私はそのような考えを永田耕衣から学んだ。
 「映像」という要素を取り入れた身体論は何倍にも複雑になる。ドゥルーズの豊かで錯綜した映画哲学から彼がどのような問いを受け取ったのか。それを読み解くところに本書の大事がある。見る、触る、さらに知覚するといった行為は相互に浸透しあう。要するに、身体は主体と客体の垣根を跳び超えるという辺りに論点があるようである。言い換えれば、身体を中心に置いた思索によって古典的哲学とはおさらばというのが論旨のようでもある。もっとも、そのような結論を安直に引き出すようでは宇野さんから叱られる。問題は彼の思考回路といっても渦のようなものだが、その渦に共に巻き込まれなければ、宇野邦一を読んだことにはならない。そして、その搖れは決して心地よいものではない。
 それにしても彼の思考回路は複雑かつ稠密である。複雑といって悪ければ、正確を期すために厳密である。なぜにここまで細やかな注意が行き届いたものの考え方をするのだろうかと思う。私などは実に大雑把で、読み手に自由な呼吸をさせるのを念頭に置いている。それ故、誤解されることも多いが、その誤解を私自身愉しんでいる。稠密と書いたのは、彼の読書家ぶりを指している。知識や教養があればこその稠密で、さまざまな書物、さまざまな考えが所狭しと立て込んでいる。いささか風通しが悪いようであるが、そこに彼の苦行僧のような俤を観る。
 ところで、最近彼の書く文章から目立って引用が少なくなってきた。それはよいことだと思う。対象を論ずるにお気に入りの文章を引用していてはあまりにも腑甲斐ない。その対象たる作品の新たな境地、領域を展開するには自らの言葉だけで綴らなければならない。引用を読まされるぐらいなら原典を繙けば済むはなしである。
 例えば、入沢さんの詩論は難解だが、詩はパロディに満ちあふれていて判読しやすい。それと比して相澤さんの詩は一筋縄でいかない。すべては厳密な構成と深刻な洞察力の裏側に秘められてゆく。同様に宇野さんの書くものは彼の思索の内側へ幾重にも巻き込まれてゆく。そのような消息を描いてこそのエッセイである。ちなみに、私にとって難解とは意味をなさないということである。宇野さんが書くときの読者想定が私にはとんと理解できない。おそらく、わが邦にあって想定可能な読者は極めて少数であろう。
 彼がですぺらへ入ってきたとき、「やっとたどり着いた」と一言。私は彼がまさか来られるとは思っていなかった。彼とは家族付き合いをしていた。それが理由で、去年の五月以降、私は彼と距離を取ることを心掛けてきた。従って、彼がたどり着いたのなら、私は昔の友とふたたび巡り会ったのである。久しぶりの渦であり潮の香である。ちょいと船酔してみようか。

追記
 ジュネのはなしをしていて鈴木創士さんがもっか翻訳中だと聞いた。なんの翻訳だかは聞かなかったが、堀口大学、朝吹三吉、生田耕作、澁澤龍彦、いずれの訳も困る。あれでは単なる好色小説になってしまう。とりわけ「泥棒日記」は改訳の必要があると思う。


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2008年04月15日 10:04に投稿された記事のページです。

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