増田さんと細川で唄ったのだが、唄いたい曲名をなにひとつ思い出せずに困った。実は二葉あき子の巴里の夜を思い出そうとしていたのである。二十歳前後の頃、浪速書林の梶原さんと会えば必ず飲み屋へ出掛けていた。そのうちの一軒が曽根崎新地にあったピアノバーだった。夫婦で営んでい、亭主がピアニストでママがシャンソン歌手、かつてレコードも出されていると聞いたが、なにひとつ思い出せない。レコードのタイトルはおろか、屋号すら記憶から消えてしまっている。
谷沢永一さんもお連れしたと梶原さんが云っていたが、随分と洒落た店だった。随所にステンドグラスが埋め込まれ、磨かれたグランドピアノ、ロングドレスが似合いのママだった。そのママの唄を聞くのが楽しみで、用事もないのに浪速書林へ足繁く通った。
ある日、ママの唄にあわせて口ずさんでいたところ、あなたも唄えばと薦められた。わたしには音が取られませんと云ったのだが、マスターがコードを上げたり下げたりしているうちに、なんとか唄えるようになった。巴里の夜はGマイナーなら唄えますよ、とママ。爾来、二葉あき子の唄の中でも巴里の夜は特別のものになった。
素晴らしい店だったのだが、経営はままならず、梶原さんに金を無心するようなこともあったらしい。ほどなくして、新地からピアノバーは消えた。
巴里の夜(昭和24年)二葉あき子
水と情けは 流れてゆれて
末はどこかで 消えるものなの
ボンソワ ムッシュウ
も一度あのひとに 逢えるなんて
オウボア ムッシュウ
夢のような お話ねえ
旅の画家(えかき)の パイプのけむり
風がないのに ゆれているのは
ボンソワ ムッシュウ
あきらめられなくって あいたくて
オウボア ムッシュウ
やるせない ためいきね
パリーの夜も 今夜はこれで
遠いあかりも 静かに消えた
ボンソワ ムッシュウ
ひとりで帰りましょう 河岸を
オウボア ムッシュウ
夜明け星 おやすみね