遠くでドーンと音が聞こえる。ゴォーと低い唸りが近づく。一秒か二秒の時間差、「来るぞ」と思いつつ搖れがはじまる。昨日、地震に見舞われた夢をみた。夢のなかの地震は東日本大震災の時のそれと同じで、大した搖れではなかった。小刻みな搖れで、阪神大震災のときのような暴力的なパワーはない。
小倉さんが飲みにいらしたが、彼とのあいだには共通する友人が多い。で、その友人が東京で被災して困惑している。困惑どころでなく、泣き出してしまったとの話を聞かされて呆れ返った。それが理由で地震の夢を見たに違いない。家中の書物が滅茶苦茶になったらしいが、別に家が崩壊したわけでなく、身内が亡くなったわけでもない。書物が棚から飛び出したくらいで死ぬ思いであれば、神戸の蔵書家はみんな死んでいる。
小倉さんはちょうど帰京時で、東京駅から吉祥寺まで歩いて帰ったようだが、それにしても道は歩けたわけである。神戸はビルの倒壊ないしは道路の陥没と隆起、ひび割れで主要道路はことごとく通行不能になった。
神戸の家屋やビルの倒壊箇所は十万箇所を超えたが、二千五百の主要ビルに限っても、倒壊十七、大破二十五、解体五十六、補修二百十七棟だった。日本ではありえないとされていた中層階のパンケーキクラッシュが多数起こり、低層ビルでは一階の崩壊や、今まで日本では見られなかった建物が土台から切り離されての倒壊などの被害が出た。倒壊しないまでも、室内は冷蔵庫、箪笥、食器棚が倒れ、大型ブラウン管テレビが飛び跳ねた。アルミサッシのドアや窓のガラスも砕け散る。多くの被災者はそうした家具に挿まれて圧死した。
旧いビルだから壊れた、一階が駐車場になっていて強度が足りず潰れた、屋根瓦が重くて倒壊した、土台と建物との結合に問題があった、そうした嘘が罷り通り、建築家は知ったかぶりの意見を吐露する。倒壊の理由は住民にしか判らない。木造家屋、低層ビル、高層ビル、道路の見境なく、断層に沿って一列に家屋は崩れる。
阪神淡路大震災のときの瓦礫の総重量は約2000万トンと前項で書いた。東日本大震災で生じた瓦礫は2392万トン、加えるに岩手、宮城、福島、茨城四県に津波によって打ち上げられたヘドロの量が1000万から1600万トンと云われる。合わせて4000万トン近い瓦礫とヘドロが綯交ぜになって被災地を蔽っている。一旦緩急あれば、書物どころの話でない。物品から生命まで、所有欲は根底から覆される。何のための想像力なのか、少しは被災地のことを考えろと云いたい。早晩、東京も震度七の直下型に襲われる。前回のエネルギーの三千倍の地震である。