先週の木曜日から、一日24錠と薬は劇的に減った。来週の木曜日からはさらに6錠減る。薬が減るのはありがたいが、免疫抑制剤は死ぬ日まで飲まなければ腎臓が落ちる。
何度も書いているように、生理機能(糞尿)が元に戻れば勝手に出歩けるようになる。わたしが戻ってほしいと願っているのはその糞尿に代表される自由である。
透析治療も免疫抑制剤も共にわたしにさしたる抵抗はなかった。わたしは常に運命をありのまま受け容れる。そして自由と思しきものを探す。医師は無理だと云ったが、わたしは透析後のサイクリングを楽しむようになった。透析治療や免疫抑制剤が理由で自死に向かうなど、わたしには考えられない。いかなる治療であれ、副作用であれ、わたしを潰すことはない。
もちろん、個体差があるので他人のことについてはなにも申すまい。否定も肯定もしない。死にたい人は死に、生きたい人は生きる。ただそれだけのこと。
どのような目に合おうと、どのように追い込まれようが、なにがしの自由はある。その自由が個体差によってまるで違ってくる。違いはすれ、どのような瑣細なことでも自由に化ける。ちょっとした気持のありようによって、自由はさまざまに形を変える。人にとってもっとも大切なこと、それは答えの多様さをあるがままに受け容れることである。なにが正しくてなにが正しくないか、正邪や好悪にこだわるとは、取りも直さず思考の停止であり放棄である。
追記
サッカーに勝ったと澁谷で騒いでいる若者たちが今日の平和を築いている。掬すべき情景はかかる凡俗にこそある。知識人にとっては腹立たしいだけだろうが、わたしは「個人の勝手でしょ」を大事にしたい。良きにつけ悪しきにつけ、多様性を支えるほぼ唯一の真理だとわたしは思っている。