ウェブサイトを私はあまり見ない。もっぱら書き込むか、もしくは耄けている。ところが、ゆきうりさんにマイミクになっていただき、一挙に花が咲いたようである。今日は「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」をダウンロードした。
http://blogs.dion.ne.jp/hinboh/
「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」や前述した「川の地図辞典」に限らず、探検・冒険にかかわる書物が好きである。拙宅には気象研究所鑑修になる「異国漂流記集」をはじめ、「海外渡航記叢書」「大航海時代叢書」 「異国叢書」の類いが積まれている。現代文学に興味が薄れた分、そうした書物に強く惹かれてゆく。海賊にまつわるさまざまな本と共に、血湧き肉躍る異聞の数々にこそ読書の醍醐味がある。私の欲望を充たしてくれるのは環海異聞のような書物を除いて他にはない。おそらく、拙宅から文芸書がなくなっても、そのような書物だけは居座りつづけるのではないかと思っている。
東京海洋大学附属図書館のデジタル資料は貴重である。
http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/bunkan/tb-gaku/hyoryu/hyoryu.html
それと何時もいうことだが、青裳堂書店の「日本書誌学大系」、「新聞集成 明治編年史」「新聞集録 大正史」あとは「明治事物起源」の類と辞書である。「明治事物起源」の類書だけでも四、五十点はあり、辞書がまた同じくらいはある。冊数にすればかなり膨大になる。
私はかつて編輯を生業としていた。文芸書しか手掛けていないが、それらはすべて歴史資料の産物であった。編輯から校正、果ては装訂に至るまで、ことごとくが歴史資料に端を発する。用紙ひとつにしてからが、歴史を今に辿ってしかるべき末裔に漉いていただく。雁皮は斐紙、間似合紙、鳥の子、薄様などと呼ばれたが、「和漢三才図会」に出てくる越前鳥の子、正倉院文書の中で見いだされた出雲雁皮、文化財保存修復に用いられる近江鳥の子、「東大寺昭和大納経」の料紙に挙用された備中雁皮等々、産地が異なれば光沢も粘りも違ってくる。歴史書は私にとって必要欠くべからざる一級資料なのである。それらを統合して、私は圏外文学と呼んでいる。