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切なる願い   一考   

 

 仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい。かつて定時制高校で朝鮮語の授業を受けたときにそれを痛感させられた。
 「神戸の残り香」で「成田一徹さんとは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された」と書いた。
 この三度目が定時制高校だった。県立から市立そして夜間へと、それが転校してゆく者に定められた規則だったらしい。学校名は湊川高校、当時は詩人の金時鐘さんがおそらくボランティアで教師をなさっていた。彼は1973年に湊川高校の教員になった。日本の教育史上初めて朝鮮語が公立高校で正課にとりあげられ、日本の公立高校初の朝鮮人教師になった。
 私が同校へ通ったのは1963年、彼が正規の教員になる十年前のはなしである。どうして朝鮮語の授業が必要だったかといえば、生徒の過多が在日であり、被差別階層の人だった。政府が同和対策に取り組み出したのは1969年からのことであって、当時は金時鐘さんのような無給の非常勤教師が連夜授業を受け持っていた。
 生徒の中にはいまの私ぐらいの年格好の者もいて、上下左右といった漢字すら書かれない。高校生とは名ばかりで、まず自分の名前を漢字で書くことからはじまるのである。現在では在日の大半は日本人学校へ通っている。それはそれで在日同士の結婚がかなわなくなるという別の問題を孕んでいるのだが。
 似たような不条理を私は過去にも経験している、売春防止法である。当時の女郎には次の勤め先はおろか、帰るところすらない。貧農で口減らしのために売られてきたひとたちである。帰ろうにも家にとっては迷惑なだけである。詳しくは書かないが、結果として彼女たちは警察とやくざの双方から追われる身となった。臭いものには蓋をするとの発想はオリンピックを前にした中国の現況と重なり合う。
 さて、「仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい」と書いたのは、定時制高校では蒲原有明も薄田泣菫も通用しない。通用しないことは分かっていたが、その乖離はあまりにも激しかった。私は文学にできることは何だろうかと考えた。その思いはいまなお続いている。
 文学は決して選ばれた少数者のものであってはならない。筑摩書房からかつて現代語訳の全集が上梓された。原文で読むに越したことはないが、点字訳や現代語訳がもっと古典籍にあってもよいと思う。そもそも翻訳という作業は読むという行為を簡便に済ませるための方便である。フランス語やドイツ語が分からない人のために翻訳がなされる。翻訳によって原著者に興味を抱かれた方はそれに相応しい語学を学べばよいのである。後学(本来の意味は異なるが、ウィスキーの世界では後熟という言葉が用いられる)を促すための契機といったところか。
 ところが翻訳者のなかには翻訳を日本語による創作と勘違いなさる方があとを断たない。「ブルトンやマンディアルグが日本語でものを書いたのではない」といって、自らをブルトンと相似形の学者と錯覚し、翻訳を自らの作品といってはばからなかった大先生はともかく、つい先頃、とある書物の制作依頼に預かった御仁も自らの翻訳を芸術作品と得意がっておられた。
 翻訳にもいろいろあるが、一語の訳を巡って一箇月も二箇月も考え倦ねるのは当たり前ではないか、それが翻訳という技術者の務めであって、その難儀を自慢するなどもってのほかである。「会得していて当たり前」と前項で書いたのは翻訳者の良心を示唆してのはなしである。
 象徴派の詩人の作品を翻訳するに際し正漢字歴史的仮名遣いはよいとして、出来上った書冊を繙くにどこが正漢字なのかと問い質したくなる。思うに、東京ではここまでしか揃わなかったとの言訳が続くのだろうが、それでは何故に中国、台湾、韓国、淡路の母型を探さなかったのであろうか。このようなちゃらんぽらんな不揃いな漢字でよろしいのであれば、どうして最初に私に制作を依頼したのか、不愉快この上ない。漢語の引用が多いのも気になるところである。漢和辞典の語釈ではあるまいし、分かり易く翻訳することこそが翻訳者の責務ではあるまいか。好事家の余技として看過できない高慢さを感じる。
 不快序でに、「ディヴァガシオン」に収められたバレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件等々、さまざまな批評はことごとくが文学の問題へと収斂されてゆく。マイホーム主義者のどこに「形而上学的危機」を語る資格があるというのか。「ディヴァガシオン」を持ち出すまでもなく、文章で問われるのは問題意識の有りようであって修辞ではない。満足な文章を書く、修辞に秀でた文章を著す、それはそれで大切なことである。ただ、それ以上に大事なこと、それが文章の中身でないだろうか。翻訳家といわれる人はその中身を原著者に委ね、修辞にのみ奔走する。かつての定時制高校が置かれていた位置にわが身を曝し、文学にできることは何だろうかと考えていただきたい。


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2008年08月05日 16:17に投稿された記事のページです。

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