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嘗物の梅びしお   一考   

 

 低残渣食に嘗め味噌は付きもの、塩味のない粥を食べるに必要なのかもしれない。緊急入院3追記15で梅醤(うめびしお)について触れた、そこで一言。
 梅醤に似たものに梅が香、梅醤油(うめじょうゆ)がある。
 梅が香は梅肉を裏漉しして大量の鰹節と合わせ、少量の醤油と酒で味を整えながら伸ばしたもの。懐石にも使われ、ですぺらで人気の肴だった。「合類日用料理指南抄」(1689)に掲げられている。
 梅醤油は通常云う梅肉のこと。塩抜きした梅干しを裏漉しにかけ、醤油を加え酒で伸ばす。鱧の湯引きの他、さまざまな魚貝類や野菜などの和え物に用いる。一部の地域では鱧に酢味噌を用いるが、あれはもっての他。
 梅醤は塩抜きした梅肉に砂糖を入れてジャム状にしたもの、江戸時代に愛好された。同様のものでは鉄火味噌、鯛味噌などが知られる。

 鉄火味噌は江戸の庶民が愛好したもの。江戸時代すでに鮪は定置網漁業の発達によって庶民の食べ物だったが、それとはまったく関係ない。鉄火味噌の鉄火とは鉄火場の雰囲気を唐辛子の辛さでもって表現せしもの。大豆、刻み牛蒡、麻の実などを胡麻油で炒め、赤味噌、砂糖、味醂、生姜、赤唐辛子の微塵切りなどを加えて練り上げる。
 江戸の鉄火味噌に呼応するのが京阪の鯛味噌と桜味噌。鯛味噌は鯛を蒸してほぐしたそぼろを、砂糖、味醂などで味をつけ、味噌を加えて練り上げる。最後に水飴と片栗粉を加えて仕上げる。大坂の料理屋八百源の売り出し。現在では市販品の多くが鱈、竹麦魚(ほうぼう)、鰈などの白身魚を用いる。桜味噌は牛蒡、生姜などのほか水飴や砂糖を加えた甘いもの。
 江戸後期の三都に共通して見られたのは径山寺(きんざんじ)味噌で、嘗味噌(なめみそ)の代表選手。煎った大豆を挽き割り、麦麹と塩を合わせ、塩圧した瓜、茄子、生姜などを刻んで混ぜ、さらに茴香、山椒、紫蘇などを加え,密封して3箇月ほど熟成させる。風味のよい赤褐色の味噌である。「金山寺みそは紀州若山金山寺の名物にて、江戸に流行出しは享保年中よりとなむ」と「嬉遊笑覧」に書いてある。享保は他の文献で調べても正しいが、和歌山に金山寺という寺はない。
 嘗味噌にはご当地物が多く、柚子味噌、鶏味噌、胡麻味噌、生薑味噌、牡蠣味噌、榧(かや)味噌、蛤の剥き身を加える時雨(しぐれ)味噌、田楽味噌、甘口の八千代味噌などがある。なお、八千代味噌は最近味噌つけ麺に使われている。
 新しいところでは岩手県紫波町の「ばっけ味噌」。岩手では蕗の薹をばっけと云う、そのばっけを突きいれた味噌で、蕗の薹のほろ苦さを楽しむ和え味噌。同じく岩手県奥州の「弁慶のほろほろ漬」。人参、胡瓜、大根、茄子、紫蘇の葉などを細かく切って塩抜きし、醤油と味噌の中間のようなもろみ(唐辛子入り)と混ぜ合わせて熟成させた刻み漬け。

 嘗味噌のバリエーションに焼き味噌がある。杓文字や盃に味噌を塗って炙ったもので、飛騨の郷土料理朴葉(ほおば)味噌や帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」に取り入れられた鉄火味噌は有名。焼き味噌は当初、味噌、鰹節、おろし生薑、大葉を混ぜていたが、やがて蕎麦味噌や北京味噌などさまざまな種類が派生し、左党を娯しませている。奴豆腐には梅が香が似合うが、焼き味噌を添えるのも一興。
 鉄火味噌について一言。鉄火味噌は八丁味噌と根菜(牛蒡、蓮根、人参、生薑)を胡麻油で炒める。梅醤の鉄火味噌と間違わないように。梅醤は練り味噌、こちらは焼き味噌。余談ながら、鉄火味噌は極陽性食品、貧血防止になるそうな。塩分が気にならなければ、わたしに相応しいのかも。
 梅も味噌もわたしの好物であり、北京味噌を専門とする大阪阪急の居酒屋には、よくお邪魔した。今ではその梅も味噌も食べられなくなってしまった。「焼味噌を好く者は金得延ばさぬ」(「えのばさぬ」はふやせない、貧乏するの意)、金を命に置き換えれば今のわたしである。


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2013年04月04日 00:25に投稿された記事のページです。

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